あわてんぼうのサンタクロース。

 

「マジっすか」
先輩の発言に、後輩らしくお約束どおりのリアクションを返すわたし。
べつにマジっすかとかぜんぜん思っちゃいないんだけど、仕方ないよね。後輩なんだし。

「っつってもまぁ、あの頃はさー、ののもコドモだったしね〜。ちょっと願望みたいのが入ってたのかもしんないんだけどさあ」
「でもホントだったらスゴくないすか」
いちおう身を乗り出して、興味シンシンなフリなどしてみる。

「まあね〜。あ、もしかしておマメちゃん、うらやましいとか?」
「しいっすよー。いいなあ。ってゆーかサンタとかいるんだぁマジで」
「ん〜。いるかもねぇー、もしかしたらねぇ〜」
目の前に広げたチョコフレークをわしづかみにしながら、辻さんはフフフンと余裕の笑み。
「おまめひゃんひょ、ほほほほははひへ」
(サンタさんはいるよ)おマメちゃんの、心の中にね。辻さんはきっとそう言いたかったのでしょう、しかし。
そういうちょっと良いセリフは、口の中のチョコフレークを飲みこんでからにしてもらいたいものですな。

「てゆーか幽霊でしょそれ。もしくはドロボー」
あ…この声は。
「あン?」
藤本さんの冷静なツッコミに、辻さんがぴくりと反応する。
「ちがうっつーの! アレは、まぎれもなくサンタだね!!」
あーあ、ムキになっちゃって…。
学校で習った覚えがある。こういうのを、売りなんとかにナントカカントカ、っていうんだよね、たしか。

「ぜったい、サンタだった!!」
今日は12月24日、クリスマスイヴ。
全員が集まった楽屋では当然、クリスマスの話になるワケで。
そんな中、辻さんが、自分は子供の頃にサンタクロース(本物)を目撃したコトがあると言い出したのだ。
すっごく小さい頃の記憶だからあんまりアテにはなんないけど、クリスマスの夜、
サンタクロースが枕元にプレゼントを置いてくのを見たような気がする。
あくまで、気がするだけなんだけどね。
そんなふうに始めは自信なさげに語っていた辻さんだが、藤本さんの反応があまりにも冷たいので、
どうやらスイッチが入ってしまったらしい。

「サンタのカッコしたドロボーだよ。絶対なんか盗られてるってそれ。親に聞いてみなよ」
「っつーかマジで見たっつってんじゃんかよ! 信じろよなっ!!」
大激怒の辻さんが立ち上がった勢いで、テーブルが大きく揺れる。
みんなで囲んでいるテーブルの上にはみんなの大好きなお菓子やらジュースやらフルーツやらがたくさん乗っていて、
その結果、口の開いたペットボトル(烏龍茶。2リットル)がドンッと倒れたかと思うと、
「きゃあっ」
呑気に雑誌なんか読んでいた石川さんの膝の上にドボドボと降り注いだ。
いいなぁ…。
石川さんってなんだかんだっつっていつも、オイシイよね…なんて、こんなコトでうらやましがってるわたしもどうなんだろ。

「あっあっ、やだちょっともーっ、のの! あああ冷たい、冷たいぃーっ!!」
「その前にさー、倒れっパナシのペットボトル起こした方がいいんじゃない?」
突然の出来事にすっかりテンパっている石川さんに、またしても藤本さんの冷静な一言が降り注ぐ。

「いーじゃん、べつに。それって小っちゃい頃のハナシでしょ? ホントに会ったのかも知んないじゃん。なぁ、のの?」
泣きそうになっている辻さんに、吉澤さんが助け舟を出す。
とは言っても吉澤さんは半ベソの辻さんをなだめるためにそう言ってるだけであって、
本当に信じてあげてるワケじゃなさそう…って、当たり前か。
いくら仲の良い同期の言うコトだって、サンタクロースを見たなんて妄想、本気で信じるバカいないよね。
わたしだってもしも仲の良い同期のマコっちゃんが、
『子供の頃ウチの隣に宇宙人が住んでてさぁ、長縄跳びとか将棋とか一緒にやったんだよねぇ。懐かしいなあ』
とかすっとんきょーなコト言い出したら、まず友達やめるもん。

「っきしょー、信じてねーなオマエら」
否定する者は一人もいなかった。ということは、誰一人として辻さんの体験談を信じる者はいないという計算になる。
涙目で口惜しそうに唇を噛む辻さん。

「あああ、もぅ…。私服が…あたしの私服が…」
誰か…お世辞にもセンスが良いとは言えない石川さんの私服が烏龍茶でびしょ濡れになってしまったコトに触れてあげてください。

「福岡じゃぁね、クリスマスケーキの上に明太子乗っけて食べるっちゃん」
「「うっそおーっ!?」」
「うそやけど」
「「むかつくー」」
おいおまえら、自由すぎるぞ。
全く話に参加してこないところを見ると、我が新垣塾の面々にいたってはそもそも辻さんの話を聞いていたかどうかすら怪しい。

「てゆーか当たり前だけどサンタとかいないし」
藤本さん、まだ言ってる…。
いくらなんでもちょっとしつこいんじゃあ…。
他のメンバーも同じくそう思ったのか、楽屋内はシーンとしてしまってなんだか気まずいフンイキ。
彼女、空気読めないヒトじゃないのに…どうしたんだろ? 機嫌でも悪いのかな?
サンタクロースにまつわる嫌な思い出でもあるのだろうか…と考えて、非常に余計なコトを思い出してしまった。
それはサンタクロースにまつわる、わたし自身の苦い思い出。

あれは忘れもしない、ちょうど幼稚園に入園した年。
あの頃はわたしも世の平均的な幼稚園児と同じく、サンタクロースの存在を信じて疑わない、純なお子様だった。
けれどその年のクリスマス、わたしが公園で友達と遊んでいると、近所の小学生がやって来てわたしに言ったのだ。
『サンタさんは、本当はおまえのお父さんなんだぜ。嘘だと思うならお父さんに聞いてみな』
彼の言葉を、わたしたちは鼻で笑った。
サンタさんがおとうさん? そんなわけないじゃない。
だってサンタさんは、サンタさんだよ。
やがて日が暮れて帰宅したわたしは、彼に言われたとおり、お父さんに質問してみた。
『ねぇ、サンタさんは、おとうさんなの?』
当然否定されるだろうと思っていた。なのに。
『里沙……お前、もう勘付いたのかっ!? 偉いぞ里沙! なんて賢い子なんだお前は!!』
『えっ』
『ママ! ママ! 凄いよこの子天才だよ! ママ! ママー!』
『………』

サンタクロースは、いないんだ――。
その年から、なぜかわたしの枕元にはプレゼントが届かなくなった。

――

『…さ、りさ、里沙』

え…?

『里沙、里沙』

遠くの方で、わたしを呼ぶ声がする。
誰だろう…?

『今すぐ起きなさい。そして、わしの手伝いをしておくれ』

突然、声が近くなった。
誰だろう…聞き覚えのない、おじいさんみたいな男のヒトの声。
声はすぐ近くで聞こえているのに、姿は見えない。
というか、私の目の前には果てしない暗闇が広がっていて…おじいさんらしき人どころか、何にも見えないって言った方が正しいかも。

わたしは見えない彼に向かって尋ねる。
あなたは、だれですか?

『この格好を見て、わからんかね?』

いや、見えないんですけど。

『それは君がまだ眠っているからさ。さあ、目をあけてごらん?』

わっ。まぶしい…!
瞼の向こう側が突然明るくなった。目が痛い。夜中眠っているときにいきなり部屋の電気を点けられたときみたいなカンジ。
おそるおそる目を開けると…寝る前に消したはずの電気がなぜか点いていて、枕元には知らないおじいさんが立っていて、
わたしのことを見下ろしていた。それも笑顔で。

起きたてのボンヤリとした頭で、目の前の見知らぬおじいさんの格好を分析する。
真っ白なあごヒゲ。
てっぺんに白のボンボンがついた、真っ赤なトンガリ帽子。
肩にはバカでっかくて重そうな袋を担いでる。
この扮装は……

「サンタクロースさ」

「あ…ホントだ」
何かに似ていると思ったら…そっかー、サンタクロースかぁ。
「チッ」
んだよ…嫌な夢見せやがって。またあの幼き日のトラウマが蘇っちまったじゃねーかよ…。

「おや? 今のは舌打ちかい? おやおや、どうしたことだろう。
サンタクロースに会えて喜ぶ子供は大勢いるが…君のように、わしのことを煙たがる子は初めてだよ」
「ってゆーか、寝るんでジャマしないでください」
わたしはおじいさんにキッパリとそう告げると、ベッドに潜り込んだ。

「ん?」
アレっ?
ちょっと待てよ…なんかヘンだな。
モソモソと布団から顔を出すと、そこにはおじいさんの笑顔があった。

『寝るんで、ジャマしないでください』
とは、ついさっきのわたしのセリフ。
”寝るんで”というコトは…わたしは寝ていない、つまり起きている、という計算になるワケで。
というコトは今わたしの枕元にサンタクロースと名乗る謎の老人が立っているのは夢なんかではなく
現実であるという計算が成り立つワケで……

「え……ド、ドロボー? です、か?」
わたしはタメ口をききかけて、とっさに敬語へ修正。
だってもし彼が強盗だった場合、失礼な態度をとったが最後、わたしは殺されてしまうかもしれないから。
時にはこびへつらうコトも自分の身を守る一つの方法なんだよガキさん、とは、わたしの尊敬する安倍さんの言葉だが。

「君のことはよく覚えているよ。君がサンタクロースを信じなくなったのは、君がちょうど幼稚園に入った年だったろう?」
えっ!
「どうしてそれを…」
わたしの暗い過去を、なんでこのジジイが知ってんの!?
「君には心から同情するよ、里沙」
「あの…ホントに、どうして知ってるんですか?」
おそるおそる尋ねる。

「それはね。君にプレゼントを届けていたのもわしだったし、それから届けるのをやめたのも、わしだったからだよ」
おじいさんはそう言うと、寂しげに笑った。

わたしには彼の言ったコトが、よく理解できなかった。
百歩譲って、このおじいさんが本物のサンタクロースだと仮定しよう。
だけどわたしにプレゼントを届けていたのはわたしのお父さんだったし、それから届けるのをやめたのだってそうだ。
あの日、お父さん自身が認めたのだから間違いない。

「でも、わたしのサンタさんは、うちのお父さんでしたけど」
「それはね、里沙」
いつの間にか、おじいさんはわたしのベッドの上に腰掛けていた。
このヒト、本当に本物のサンタクロースなのかどうかは怪しいけど…どうやら悪い人ではなさそう。
わたしも布団を抜け出して、彼の隣に腰を下ろす。
「わしらサンタクロースはプレゼントを配り終えると、君のお父さんやお母さんに暗示をかけるのさ。
君のお父さんやお母さんに、プレゼントを置いたのは自分達だと思い込ませるんだよ」
「なんでそんなコトする必要があるんですか?」
まだ疑っているわたしは、自称サンタに意地悪な質問。

「なぜって? 想像してごらん。
クリスマスの夜に突然、知らない人からのプレゼントが娘のベッドの上に置かれていたら…
君のお父さんやお母さんは、どうすると思うね?」
「どうって…」
気味悪がる…だけじゃ済まないだろうなぁ、きっと。
「110番とか、すると思います、たぶん」
「だろう? お父さんが箱の中身は時限爆弾かも知れないなどと早合点して、
機動隊や爆発物処理班が出動する騒ぎになるかも知れないよ?」
「それはどうでしょう」
「通報されないまでも、見知らぬ人からのプレゼントなど気味悪がって捨ててしまうに決まっている。
いずれにしても、幼い君にとって最悪のクリスマスになることだけは確かだ。そうだろう?」
「なるほどねぇ」
思わず感心してしまった。
「それでうちのお父さんは、自分が置いたつもりになってたってワケですか」
このおじいさんの言うコトが正しいとすれば、幼いわたしにプレゼントを届けてくれていたのは彼で、
暗示にかけられたお父さんは、自分があげたつもりになって浮かれていたと、そういう計算になるワケね。納得!

「サンタの世界も、いろいろと大変なんですねえ〜」
世のサンタさんたちがそんな地味な裏工作してたなんて…わたしは彼らに深く同情。
「うんうん、大変ですね〜ホント」
って……アレっ?
腕組みをしてうんうん感心していたわたしのアタマにふと、ある疑問が浮かんだ。

「あの…さっき、わたしにプレゼントを配るのをやめたのも自分だって、言ってましたよね?」
「ああ」
「どうしてわたしは、プレゼントをもらえなくなっちゃったんですか?」
単なるおじいさんの気まぐれ?
それとも他に何か基準みたいなモノがあるのだろうか…たとえば、年齢制限とか。
いや、それはないよなぁ…年齢制限ったって、わたしがプレゼントをもらえなくなったのは幼稚園に入ってすぐの年だもん。
周りの友達はみんな、小学校に上がっても普通にもらったとか言ってたし。
年齢制限だとすると、同い年の他の子がもらえているのにわたしだけ無いってのはやっぱり、おかしい気がする。

おじいさんは少し考えた後、俯いたままなんだかとても寂しそうな声で言った。
「君が、サンタクロースを信じなくなってしまったからだよ」

サンタクロースは、いないんだ――。

「わしらは、子供たちがサンタクロースの存在を信じている限り、プレゼントを配り続ける」
おじいさんの言い方はなんだか回りくどいけどそれってつまり、
サンタクロースを信じない子供にはプレゼントを受け取る資格が無い、ってコトだよね。
「そっ、か。そういう、決まりなんだ」
ちょっとだけ、というかぶっちゃけかなり、ショックだった。

遅かれ早かれ、誰にだってそのときは必ずやってくる。
わたしの場合、それが他のコよりもほんの少し早かっただけなんだ。そう、本当に、ほんのちょっとだけ。
自分に言い聞かせてみるけど、気持ちは少しも晴れてくれない。

わたしが他の子よりも早くプレゼントをもらえなくなってしまったのは、近所の小学生のせいかも知れない、
それともあっさり認めてしまったお父さんのせいかも知れない、だからわたしのせいじゃないのかも知れない。
でも、たとえそうだとしても。
わたしには、わたしが他の子よりも早くプレゼントをもらえなくなってしまったのが、なんだか当然のコトのように思えた。
たとえば同期の中でも他のコよりどこか冷めたところのあったわたしは、みんなに落ち着いてるとかしっかりしてるとか思われていたりするわたしは、
本当は子供だったのに子供らしく振る舞えなかったわたしは、みんなよりずっと早くプレゼントをもらえなくなって当然なんじゃないかって。

「サンタクロースのソリを引くトナカイがいるだろう?」
凹んでいたわたしを気づかってくれたのか、おじいさんは話題を変えた。
まるで何も無かったみたいに、穏やかな声。
「あのトナカイの正体を、教えてあげよう」
「え…?」
トナカイの正体って…トナカイは、トナカイじゃないの?

「人間の子供さ。あのトナカイはね、くじ引きで偶然に選ばれた、人間の子供なんだよ」
「は…?」
さっぱり意味がわからない。超難しい言葉で言うならば、理解不能、ってコト。
だってどっからどう見たって、アレはトナカイでしょうが。
とはいえ、実物のサンタクロースを見るのは今日が初めてだから、実際のサンタクロースが連れてるトナカイが
本当にあのトナカイの外見をしているのかはわからないワケで。
彼の言うとおり実際のサンタクロースたちは、彼らが”トナカイ”と呼んでいるところの、つまりは人間の子供に、
自分の乗ったソリを引かせているのだとしたら……ざっ、残酷すぎる!
「こ、怖えぇ」
フハハハハ! 走れ! もっと早く走るのじゃあ!
四つん這いで背中をムチで叩かれて泣きながらソリを引く、いたいけな子供の姿が目に浮かんだ。

「厳正なる抽選の結果、今年のトナカイ役は君に決定した。おめでとう。やってくれるね、里沙?」
それって、めでたいのか?
「わたしがトナカイ? なぜにトナカイ? ってゆーかわたしモーニング娘。なんで」
突然の宣告にすっかりパニック状態のわたしを見て、おじいさんはキョトン顔。何をそんなにあわててるの?って表情。
「なぜって? 子供一人につきサンタクロースは一人で十分だろう? 違うかね?」
「ええ、そりゃあ二人は要りませんよねぇ、たしかに」
「だから」
「えっ」
「わしがサンタクロースであるという事実は変えられないし変える必要も無い。すると残る君は、トナカイしかありえないだろう?
それとも、他に何か選択肢があるとでも?」
えらそーに、何なんだよこのオッサン…。
確かにサンタクロースといえばトナカイだけど、だからってなんでわたしがトナカイやんなきゃなんないんだろう?
そのへんの理屈がまったく理解できないのは、わたしが学校の勉強があまり得意ではないせいだろうか。

「ほらほら。ムダ話をしている時間はないぞ、里沙。
日本中の子供たち一人一人に配らなくてはならないから、急がんと夜が明けてしまう」
「日本中?」
うそでしょ…神奈川県担当、とかのレベルじゃないの?

「北は北海道から南は九州・沖縄まで。全国津々浦々だよ、里沙」
「広! まさか一人で…じゃないです、よね?」
「一人だとも。わしの担当は日本だが、中国やアメリカ担当のサンタに比べたらずっとマシさね」
「国単位で担当分けしてるんですか? すごく不公平じゃないですかそれって」
「公平だとも。くじ引きで決めるのだから」
「えーっ」
そういう問題ー?

「さあ、では出発しよう。用意はいいかな、里沙?」
「よくないですよ」
「さてと」
じじいはわたしをあっさり無視して立ち上がると、彼を睨みつけるわたしに向かってパチンとひとつ、ウインクをした。
「キモっ」
わたしは思わずチキン肌。日本語で言うなら鳥肌。まったく…いい年してなにやってんだ、このジイさんは。

「どうだね? トナカイになった気分は?」
「はあ?」
ワケがわからずキョトンとするわたしは、おじいさんに手を引かれて鏡の前に立たされる。
「わあっ」
そこに映っていたのはサンタクロースの格好をしたおじいさんと、彼の隣になぜか二本足で立っている、一頭のトナカイ。
まさか…このトナカイは、わたしか?

やっ、ややや、
「やだよう。コレまんまトナカイじゃないっすかぁ〜……ってアレっ? あっ、すごい! 喋れてる! トナカイなのに!」
わたしは、姿形はトナカイだったが声だけは紛れもなく自分の、新垣里沙のものだった。

「ははは、すごい奇跡だろう? アメリカンドリームならぬ、フィンランドドリームといったところかな?」
「凄え! すげえよフィンランド! ってゆーかなんでフィンランド?」
「おや? 学校で習わなかったかい? フィンランドは、サンタクロースとキシリトールの国なんだよ?」
「はあ〜、すごいんすね〜フィンランドって。キシリトールっすかぁ」
「そっちか。キシリトールに食いついた子は初めてだよ」
くすっ、と失笑したかと思うと、オヤジはウインクをまたひとつ。
「キモ」
わたしは再びチキン肌。

「え…ってゆーか、マジで引くんすかソリ」
ふと気が付くとわたしはソリを引くトナカイにありがちな四つん這いの体勢でソリを引いており、
そしてそのソリの上にはサンタクロースの格好をしたおじいさんが座っていた。
たった今ようやく気付いたけど、おじいさんがウインクをするときは、彼が魔法を使うときなんだ。

「うん! だってソリを引くのが君の仕事だから。違うかね?」
「そりゃ違わねーけど、でもなんか違くないですか。うまく言えないんだけど」
「上手く言えないことを無理に言おうとする必要はないよ、里沙。
君の中に生まれる感情の全てが、言葉で説明できるものとは限らない。だから人間って面白いんじゃないかな。違うかい?」
絶対なんか違う気がするのだが。
上手く説明できないのがとてつもなく口惜しい。

「なあに、心配は要らんよ。あと2分もすればきっと君は、自分が世界で一番幸運な子供だと知ることになるさ」
「えっ?」
「だって、空を飛びたいだろう?」
おじいさんがイタズラっぽくウインクをしたのと、わたしの体がふわりと宙に浮いたのは同時だった。

「た、……高っ!」
ふと気が付くとわたしは空に浮かんでソリを引いており、その上には相変わらずサンクロースのおじいさんが座っていた。
「怖がることはないよ、里沙。ようく下を見てごらん?」
こわごわ、下界に顔を向けてみる。
「わぁ…」
薄い雲の下には、建物と思われる小さな点や、高速道路の灯りと思われる細い線や、とにかくいろんなモノが見えた。
これが、わたしの住んでいる町なんだ。
部屋の窓から星空を見上げるのも好きだけど、空のてっぺんから見下ろす自分の町の景色ってのもなんだかすごく、素敵だ。

「さあ、どこから行こう。どこへ行きたい?」
おじいさんが言った。

「遠くへ」
わたしはまるでひとりごとみたいに、呟いていた。
するとわたしのひとりごとがちゃんと聞こえていたらしく、おじいさんはくすりと笑って言った。

「よし行こう。遠くへ、君が連れて行っておくれ、里沙」
その瞬間、わたしは走り出していた。

風の抵抗も、おじいさんが乗っかっているはずのソリの重みも、何かを引っ張っているようなカンジも、まるで感じない…不思議な感覚。
自分の体が、まるで鳥の羽根みたいに軽くなったような気がする。
おじいさんがきっとまた魔法を使ったに違いない。
ぶかっこうなウインクを思い出して、わたしは吹きだしてしまった。

「ジングルベール、ジングルベール、鈴がなるうー」
おじいさんの唄うクリスマスソングを背中で聞きながら、わたしは走った。
どんなにスピードを上げても息は切れなかったし、風はどこまでも穏やかだ。
自分がどこへ向かって走っているのかはわからなかったけど、ちっとも、怖くなんかなかった。

「ほら、君も歌っておくれ」
自分がどこへ向かって走っているのかもわからないけど、同じくらい、想像がつかないことがある。

「里沙。ジングルベール、ジングルベール、」
この旅が終わったとき、わたしはいったいどんなふうに変わってる?
想像もつかないけれど、想像してみようとしたら、わくわくした。

「「鈴がなるうー」」
わたしは唄につられるみたいに、ぐんぐんスピードを上げる。

「ようし、早いぞ。その調子だ、」

よし、行こう。

遠くへ!

――

サンタクロースの夜は長い。
時間の流れ方が、わたしたち人間が普段感じているそれよりずっとゆっくりしている。
でなきゃ今夜中に日本中の子供たち(ただし、サンタクロースを信じている子供に限る)一人一人に
プレゼントを届けるなんて到底ムリなハナシだし、しかもわたしたちには、まるで新聞配達のように事務的に配るのではなく、
プレゼントを届ける子供たちひとりひとりの寝顔に向かって”メリークリスマス”を言う余裕すらあったのだから、
普段わたしが感じている時間の流れより何倍も何百倍もたくさんの時間が、イヴのサンタクロースには与えられているんだろう。

おじいさんのハナシだと、わたしたちは始めに日本の南の端っこへ降り立ち、そこから徐々に北上してってるらしい。
『南の端ってコトは…はあ〜ココは福岡ですかぁ〜。福岡といえば、うちの田中ちゃんの本拠地でねぇ〜』
わたしが言うと彼は真っ白な眉を八の字に曲げ、そのつぶらな瞳に哀しい色を宿して、
『里沙……日本の端っこは、沖縄だよ』
と教えてくれた。
『それから北の端は、北海道』
『あ、それは知ってます。カニがおいしいんですよね。あとキタキツネも』
『キタキツネを食べるのかい!?』
『あ、いやいや、おいしいのはカニです。キタキツネは単に、かわいいよね〜ってハナシで、ハイ。あとウニとか』
『ウニ? あれのどこが可愛いんだね?』
『あ、いやいや。ウニは、おいしいよねってハナシで』
『君の話は、たまに解りづらいなあ』
そう言うと、おじいさんは苦笑いした。

ふたりでいろんな家をまわるうちに、子供たちがみんなそれぞれに違うカッコウで寝ているのがわかって、
考えてみるとまあそれは当たり前なんだけど、面白かった。
お行儀よくあお向けに寝ている子もいれば、枕につっぷして寝ている子や、
まるでおかあさんのおなかの中にいたときみたいなカッコウでまるまって眠る子もいたし、
ぬいぐるみを抱いている子や、親指をくわえたまま眠ってしまっている子もいた。

やっぱりクリスマスの夜とあって、みんな楽しい想像を膨らませながら眠りについたせいなのか
幸せそうな寝顔がほとんどだったけれど、中には怖い夢を見ているのか眉をひそめて険しい顔をしている子や、
目のふちに涙の跡がついている子がいたりして、そんな寝顔を見つけるとおじいさんは決まって例のウインクをした。
すると彼らの悲しい寝顔は、たちまち笑顔に変わるのだった。

「里沙、君は誓を破ったことがあるかね?」
本州と北海道との間にある海の上を渡っているとき、おじいさんが言った。
「ちかい?」
「誰かによって決められたルール。それから、自分自身で一度は決めた誓い言のことさ」
「うーん…」
ルールかぁ…。
それって学校の校則とか、お母さんの言いつけとか、マネージャーさんや飯田さんに言われたこととか、etc…
そういう決まりを、一度でも破ったことがあるかってコト?

「ないかも」
しばらく考えた後で、わたしは答えた。
「どうして?」
おじいさんが尋ねる。

「だって…しちゃいけないことは、やっぱり、しちゃいけないって思うから」
のの約束とか守ったコトないよ?待ち合わせとか。とは、わたしの反面教師である辻さんの言葉だし、
あー、なっちもー。とは、わたしの尊敬する安倍さんの言葉だが。
でも、わたしは違う。
決まりは、破っちゃいけないから、決まりなんだ。
なんだか理由になってない気もするけど、わたしにとっては立派な理由なのだ。
そう思っているわりにはなんだかバツが悪くて、わたしは少し俯いた。

わたしたちが浮かんでいる10メートルぐらい下には、暗くて穏やかな海が広がっている。
出発してからほとんど休まず働いたおかげで時間的にも余裕のあったわたしたちは、
雪の舞い散る冬の海を、緩やかな波の動きと同じくらいの速さで、ゆっくりゆっくり進んでいた。

「もっと下へ降りてみよう」
「えっ?」
これ以上、下へ…?
おじいさんに言われてもう一度ちゃんと下を見てみると、足がすくんだ。
慣れっていうのは不思議なもので、ずっと高いところを飛ぶのに慣れてしまっていたわたしには、
中途半端に地面に近い高さを飛ぶ方が怖くて、海面から10メートルくらい離れている今の高さがすでに限界。
いくら穏やかな海だといってもこれ以上近付くとおじいさんの乗っているソリが波に飲まれてしまいそうで、怖かった。

「こわいよ」
「怖がることはない、平気さ。たとえば、」
不思議だ。
おじいさんのやさしい声を聴くたびにまた少し、体が軽くなる。

「してはいけないと決められていることでも、それが本当に正しいことだと思えるなら、そうすればいい。
他の誰かを傷つけること以外なら、たまには、いいもんさ」
おじいさんの言っているコトとわたしが今置かれている状況とは、なんとなくどこかズレているような気もしなくはなかったけど…
わたしはとうとう決意して、大きく息を吸い込んだ。

後ろを振り返る。
わたしの顔を見て、おじいさんがにっこりと微笑む。
ウインクは、してない。
だったらコレはおじいさんの魔法なんかじゃなくて、正真正銘、わたしの中で生まれた勇気だ。

ぐん、と高度を下げる。

「心配は要らんよ里沙。このソリには防水加工がしてあるんだ」
おじいさんのフィンランドジョークに助けられて、少しずつ少しずつ、近付いてゆく。
月明かりに照らされた海がずんずん近くなって、目の前が明るくなる。
海面スレスレまで来たところで、わたしはぴたりと足を止めた。

「わぁ」
わたしは思わず声を上げた。

「雪が…」
きらきらと金色に輝く水面に舞い降りる雪の粒は、海に溶ける瞬間、お月様と同じ色をしていた。
ゆらゆら揺れる波間に、まるで月のカケラみたいに見える雪の粒がひとつひとつ、吸い込まれては消えてゆく。

鼻の奥がツンとして、視界がぼやける。
もどかしくて、目の前の景色をちゃんと見ていたくて、わたしは何度もまばたきをした。
こんなことで、こんなふうに泣いたのは初めてだった。

「ここまでこなけりゃ、見ることの出来なかった景色だ」
「…うん」
それからわたしたちは二人ともしばらく無言で、金色の海を眺めていた。
この景色を、みんなにも見せてあげられたらいいのに。

「さて、もうひとふんばりだ。行こう、里沙」
「はい!」
蹴りだすとき、前足が少しだけ水に触れた。
気持ち、ほんのちょっとだけ浮き上がると、わたしは再び走り出した。

ドラえもんって歩くとき地面からちょっとだけ浮いてるって知ってた?だからハダシでも足が汚れないんだって。
海面スレスレを駆けながら、いつだったかマコっちゃんに教えてもらったことを思い出した。
想像するにたぶん今のわたしは、ちょうどドラえもんと同じぐらいの高さで海面から浮いているんじゃないだろうか。

「おつかれさま。よくやってくれたね、里沙」
小学一年生の女の子にプレゼントを配り終えたとき、上空でおじいさんが言った。
「えっ、もう?」
予告もなしにいきなり終了宣言されて、わたしは拍子抜け。
「ああ…」
でも、どうしたんだろう?
おじいさんの回答はなんだか歯切れが悪い。
「と、言いたいところなんだが…」
「どうしたんですか?」
わたしが尋ねると、おじいさんは、はあ〜っ、と深いため息を吐いた。
振り返って見ると、おじいさんは眉を八の字にして、困り果てた表情。

「実はなぁ…あれは13年前のクリスマスだったか。わしは、サンタクロースとしてあるまじき失敗を犯してしまったのだよ」
サンタクロースとしてあるまじき失敗? なんだろう…?
「失敗って…なにやったんすか?」
わたしは恐る恐る…というか、興味津々に尋ねた。
わくわくする。おじいさんってば13年前に一体なにをやらかしちゃったんだろうか?

「これを見てくれ」
そう言うとおじいさんは胸元からテレビのリモコンのようなモノを取り出し、わたしの方へ向けてボタンをピッ、と押した。
「これはその翌朝の様子なのだが」
おじいさんがリモコンを向けた先へ視線を戻すと、わたしの目の前の空には、誰かの部屋の様子が映し出されていた。

ぬいぐるみやら、おもちゃやらがたくさん置かれている部屋の真ん中に、一人の女の子が座っている。
ピンクのパジャマを着た、たぶん幼稚園ぐらいの女の子。

『サンタさん…どうして、きてくれなかったの?』
女の子は両手で目を擦りながら、しくしくと泣いている。
そこで、映像は途切れた。

「配り忘れたんだよ」
「あーあ」
やっちゃったね。最低だよ。
確かにコレは、サンタクロースにあるまじき凡ミスだワ。

「この日を境に、彼女はサンタクロースを信じない子供になってしまった。わしのせいでな」
とびきり沈んだ声で言う。
「でも、それって10年以上も前のコトですよね? だいじょうぶですよ〜。本人だってもう気にしてませんって。
それに配り忘れなんてよくあるコトじゃないっすか。うちだって、休刊日でもないのに新聞届かないときとかありますよ?」
「たかが新聞と一緒にするな。こっちは一年に一度なんだ。それにこの子にとっては、一生に一度の大問題じゃないか」
「むっ…!」
じじいめ。こっちはせっかく励まそうとしてやってんのに、なんなんだよその口答えは。

「たかが新聞って言いますけどね。
あの日あの試合で松井がホームランを打ったという記事は一生に一度、翌日の新聞でしか読めないんですよ。
そしてもっと言えば、今日のコボちゃんは一生に一度、今日の紙面でしか読めないんですよ。ちがいますか?」
ふふふ…どうだ、まいったか。
おいぼれを言い負かし、わたしは勝利の笑み。

「とんだへりくつ屋さんだね、君は…負けたよ。
だが一つだけ言わせてもらえば、四コマ漫画は単行本化されれば読むことが出来る。違うかい?」
「…たとえが悪かったですね。正直、コボちゃんは余計でした」
くそぅ…口惜しかったが、わたしは素直に負けを認めた。

「そんなことより、続きを見てくれ」
「えっ、まだあるんすか?」
「ああ。これは、中学生に成長した彼女の姿なんだが」
おじいさんが、再び空に向かってピッ、とやる。

セーラー服姿の女の子と、詰め襟の男の子たちが、あいさつを交わしながら続々と校門をくぐっていく。
どうやら朝の登校風景らしい。
おじいさん、”中学生に成長した彼女の姿”って言ってたから…ここはきっと中学校なんだろう。
やがてカメラは、一人の女の子の背中に寄っていった。

「これが、あの泣いてた子?」
振り返って尋ねると、おじいさんは神妙な顔で頷いた。
っていうか、この映像はいつ誰が撮影したんだろう?
そんな疑問が浮かんだが、わたしはすぐに打ち消した。これもきっと、フィンランドドリームの一つに違いない。

『ミキおはよー!』
友達に声をかけられて、女の子が振り返る。
『あぁ、おはよー』
女の子はよっぽど眠いのか、異様にテンションが低い。
『なんか眠そうだね〜』
『朝だからね』

あ、れ……?

これって、もしかして………

「藤本さん!?」
見覚えのある顔に気付いて、わたしはすっとんきょーに叫んだ。
「ん? 知り合いかね?」
おじいさんの問いには答えず、夜空のスクリーンに見入る。

『うぅ〜っ。今日も寒いね〜』
『冬だからね』
『………』
絶句する友達。
私いつも思うんだけど藤本さんのツッコミって身もフタもないよね、とは、友人である紺野あさ美ちゃんの言葉だが。

ピッ、と音がして、映像が一時停止になる。

「わしのせいだ…わしのせいで、彼女はこのような、乾いた中学生になってしまったのだ」
「いや〜、おじいさんは知らないと思いますけど、これはこの人の持って生まれた性格といいますかあ」
藤本さんとはもともとこういう人であって、べつにサンタクロースにプレゼントをもらえなかったからこうなったワケではないと思う。

VTRには、さらに続きがあった。

『はあ? 5時間目英語ー? 眠っ』
お昼休みを終えた藤本さん。

『ってか人多いなあオイ』
上京したばかりの藤本さん。

『あのね、美貴。良い? ゴミはちゃんと分別しなきゃダメでしょう?』
『はーい』
娘。に加入したばかりの頃、さっそく飯田さんにお説教される藤本さん。

『まず、このペットボトルは資源ごみでしょ。それからお弁当の容器は不燃ごみ。
割りばしと割りばしの袋は可燃ごみ。それからあと、使用済みの乾電池は、』
『あはっ。乾電池とか今ここに無いし。てゆーかハナシ長っ』
『えっ…』
戸惑う飯田さん。
『おはよう、ミキティ』
『冬なのに黒っ』
『えっ…』
言葉を失う石川さん。

ピッ。

「わしのせいだ……」
「だからあ」
藤本さんとはもともとこういう人であって、べつにサンタクロースにプレゼントをもらえなかったからこうなったワケでは…
ないと思うんだけど、なあ、たぶん。

「あのー、藤本さんって、こんなですけどー…でも、ホントはすごくいい人ですよ?」
我ながらフォローになっているのやらいないのやら、言葉で上手く説明できないのが口惜しいけど…でも、本当にその通りなのだ。
サバサバしていて、ツッコミもかなりキツイけど…番組で突然話を振られてテンパっているわたしを、助けてくれたりしたこともある。
ちょっと、矢口さんみたいで頼りになる人だなぁって、そのときわたしは思ったんだ。

「それはわかるのだが…わしは、あの子にプレゼントを配り忘れたことがずっと気になっていてなあ。
これからあの子の所へ、プレゼントを渡しに行こうと思うのだが」
「えぇーっ!」
つい、大声を上げてしまう。
まったくなにを言い出すんだよ、このおいぼれは…。

「ダメですよー。ドロボーと間違えられますって」
楽屋で辻さんがサンタクロースの話をしたときの、藤本さんのリアクションが頭をよぎる。
あのとき彼女は、それはサンタではなくドロボーだと言い張って譲らなかった。
あ…そっか。
さっきのVで泣いてたあの女の子は、藤本さんだったんだっけ。
あのとき辻さんのサンタ話にやけにしつこく食ってかかってたのは、あの悲しい思い出のせいなのかもしれないなぁ…うん、納得。

「それに、今さらプレゼント持ってってどうするんですか?」
あのときはどうもすみませんでした、っつってお菓子でも持って謝りに行くっていうんだろうか?
今の藤本さんにそんなコトしたって、許してもらえるどころかそっこー通報されてわたしもおじいさんも刑務所に入るのがオチじゃないか。

「なにも今渡すとは言っていない。あの日の、あの子に渡すのさ」
「えっ?」
どういう、こと?

「時間を遡って、13年前のあの子に会いに行く」
「ええっ!?」
それって、タイムスリップってコト!?

「すげえ! ドラえもんみたい!!」
「たかがネコ型ロボットと一緒にするな。わしならタケコプターなしでも空を飛べる」
「……すげー。ドラえもんよりすげー」
アニメキャラと張り合ってどうする…わたしは呆れつつも、とりあえず褒め称えてみる。
「そうだろうそうだろう。すごいだろう」
おじいさんは、うんうん、と満足そうに頷いた。

「よし行こう、里沙」
「どうやって?」
袋からタイムマシンでも出すのかと思ったのに、おじいさんは何もしない。
かと思ったらわたしに向かってパチンとひとつ、例のウインク。

「向こうに、雲の渦が見えるだろう? あれを抜ければ、過去の世界だ」
「マジっすか」
たった今放った魔法が作り上げたんだろうか?
おじいさんが指差した先に、薄い雲が渦を巻いているのが見える。
ここから見るとかなり小さいから、たぶんすごく遠いところにあるんだろうけど…
わたしの自慢の足でつっ走れば、きっと5分もかからずにたどり着けるハズ。

「急ぐことはないよ、里沙」
わたしの荒ぶる鼻息を感じ取ったのか、足を踏み出そうとした瞬間におじいさんが言った。

「もう、これで最後なんだから」
えっ…?

「里沙?」
立ち止まったままでいたわたしは、おじいさんの声でハッとする。
「ああ…そっか、そうですよね」
おじいさんの言った、”最後”ってコトバ。
わたしたちはすでに日本中の子供たち全員にプレゼントを配り終えてしまったのだから、
あとは子供の頃の藤本さんにプレゼントを届ければ、それで終わり。
最後っていうのはそういう意味だって、解ってはいたけど…おじいさんの言い方はすごく寂しげで、
なんとなく、わたしの心に引っかかりを残した。

「あのー、聞いてもいいですか?」
おじいさんに言われたとおりゆっくりゆっくり進みながら、何気なく尋ねる。
雲の渦はさっきよりいくらか大きく見えるものの、過去の世界への入口までには、まだだいぶ距離がありそう。
「なんだい?」
「藤本さんにプレゼントあげ忘れたのに気付いたのって、最近なんですか?」
「…いや、クリスマスの翌朝だった」
「えっ?」
翌朝には気付いてたのに、今の今まで放っといたワケ?
わたしは思わず足を止め、おじいさんに振り返った。

「だったらどうして、すぐにプレゼントあげなかったんですか?」
わたしは、たった今生まれた素朴な疑問をぶつける。
次の日には気が付いたんだったら、昨日に戻ってプレゼント持ってけば良かったのに…どうして、そうしなかったんだろう?
するとおじいさんは微かに笑って、言った。

「わしには、誓を破る勇気が無かったからだよ」
ちかい。
さっき、おじいさんが言ってた。
誰かによって決められたルール。それから、自分自身で一度は決めた誓い言のこと。
おじいさんの言う、ちかい、って、どっちのことだろう?

「わしらの世界にも、決まりごとがあってなあ。それを守らない者は、サンタクロースではいられなくなるんだ」
サンタクロースではいられなくなる?
おじいさんの言ったコトバを、頭の中で何度も何度も繰り返す。

「それって…本当は、過去に戻ったりしちゃいけない、ってコト? そういう、決まりなの?」
「ああ」
おじいさんの言う”ちかい”とは、誰かが決めたルール、の方だ。
そして、そのちかいを守らない人には、罰が与えられる。
それなのにおじいさんは、あの日の藤本さんにプレゼントを渡すためだけに、サンタクロースをやめようとしてるんだ。

(『してはいけないと決められていることでも、それが本当に正しいことだと思えるなら、そうすればいい』)

「だったら、そんなコトする必要ないよっ」
鼻の奥がツンとして、涙があふれてくる。

「どうして?」
「だってそんなことしたって、何も変わらないよ!」
泣きながらわたしが言うと、おじいさんはまた例の八の字眉で、すごく困ったような顔をした。

「それは違うよ、里沙」
「…ちがわない」
涙がぼろぼろ零れて、目の前がぼんやりしてくる。

「違うさ。もしもプレゼントが届いていたら少なくともあのときの彼女は、あんなふうに泣いてはいないだろうね。里沙、」
視界が白くぼやけて、あんなに遠くに見えていた雲の渦が周りの景色と一緒になって、まるですぐそこにあるみたいな錯覚を起こす。

「ぼくらがやろうとすることに、意味の無いことなんかひとつもないんだ」
おじいさんは、いつもみたいに”わし”でも”わしら”でもなく、”ぼくら”と言った。
たぶん、おじいさんと、わたしのことを言っているんだと思った。

「あのとき君は、怖がらずに下へ降りたじゃないか。そうしたらなにが見えた?」
「………」
過去への入口は、すっかり霞んで見えなくなった。
おじいさんと見た、波間に吸い込まれる月のしずくを、わたしは思い出していた。

さっきまでのわたしは、あのときの自分を誇らしく思っていた。
だけど今は、あのときの自分が少しだけ、恨めしく思える。
だってわたしは知っているから。
わたしが勇気を出して怖がらずに進めたとき、その先には……。

「行こう、里沙」
おじいさんが言った。
「綺麗な景色が見たいんだ」

――

少しずつ大きくなってゆく雲の渦巻きへ向かってゆっくりゆっくり進みながら、わたしは考えていた。
あの日の藤本さんにプレゼントを届けることと、おじいさんがこれから先もずっとサンタクロースでいること。
この二つを天びんにかけるとしたらおじいさんの選択は本当にバカだし、わたしだったら絶対にそんな答え、出さないのに。

「里沙?」
おじいさんの声に、ハッとする。
考え事をしているうちに、いつの間にかわたしは歩くことを止めてしまっていた。
「あ…はい」
「何を考えているんだい?」
わたしはおじいさんの問いには答えずに、
「…おじいさんは、バカだと思うよ」
「どうしてそう思うんだ?」
「だって…藤本さんがプレゼントもらえないことより、おじいさんがサンタクロースじゃなくなる方が、ずっと大変なコトだよ」
自分でも嫌な言い方だと思うけど…日本中にたくさんいる子供の中で藤本さんがたった一度プレゼントをもらいそびれたコトなんか、
おじいさんがサンタの資格を失うコトに比べたら、そんなの、本当にほんの小さな問題じゃないか。

藤本さんは13年前のクリスマスを最後に、サンタクロースを信じるのをやめてしまった。
13年前っていうと、藤本さんが5歳のとき…まだ、幼稚園に通ってた頃かな。
だけど遅かれ早かれ、誰にだってそのときは必ずやってくるわけで。
藤本さんもわたしと同じように、それが他のコよりもほんの少し早かっただけにすぎないんだ。そう、本当に、ほんのちょっとだけ。

「確かに、君の言うとおりかも知れん。だが、わしは気付いたんだよ。
どちらが大切だとか大切ではないとか、そんなことは大した問題じゃないんだとね。
13年前のあの日から今日まで、わしはあの子の泣き顔を一日たりとも忘れたことはなかった。
答えは、本当に簡単なことだったのさ」
きっぱりと言う。
もうわたしが何を言っても、おじいさんの決心は揺らぎそうにもない。
わたしは沈んだ気持ちのまま、重たい足取りで再び歩き始めた。

藤本さんにプレゼントを届けることと、おじいさんがこのままサンタクロースを続けること。
二つを比べること自体が間違っていたんだって、おじいさんはそう言いたいんだろうけど…
わたしはちっとも間違ってるなんて思わない。
思わない、けど……だったらどうしてこんなふうに、落ち着かない気持ちになるんだろう?

里沙ちゃんて現実的だよね、って、友達の愛ちゃんに言われたコトがある。
いつだってそうだ。
何かを決めるとき、わたしはいつだって損だとか得だとか、どっちが自分にとって価値のあることか、とか、
そんなことばかり考えて、最後には決まって自分に都合の良いほうを選んでた。

だけど……、
(『あのとき君は、怖がらずに下へ降りたじゃないか。そうしたらなにが見えた?』)
あのときのわたしは損や得やそんなの関係なしに、足を踏み出していた。
わざわざ危険を冒してまであんなコトする必要は、どこにもなかったのに。
いつものわたしなら迷うまでもなく通り過ぎていたはずなのに、そうしなかったのは……
あのときのわたしにも、今のおじいさんと同じ気持ちが生まれていたからなのかも知れない。

「おぉ、よく眠っているな」
「えっ?」
我に返ると、過去への入口はわたしたちのすぐ目の前に迫っていた。
どうやら入口と藤本さんの部屋は直結しているらしく、雲の渦巻きのこちら側からぼんやりと中の様子がうかがえる。
「あれ、藤本さんですよね」
ベッドには、壁側を向いて寝ている”ミキちゃん”こと5歳の藤本さんの姿がある。

「よし、行こうか、里沙」
「…はい」
わたしが振り返ると、おじいさんはにっこり微笑んだ。
もう、後戻りはできないんだ…わたしは少し迷ったものの、覚悟を決め、渦の中にゆっくりと足を踏み入れた。

「「かわいいなあ…」」
ミキちゃんの寝顔を見た瞬間わたしの口から自然にもれた呟きは、おじいさんのそれと見事にハモる。
それにしても、本当にかわいい……小さな寝息をたてながらスヤスヤと眠るミキちゃん(5)の横顔は、
相手が夏先生だろうがリーダーだろうが先輩だろうが誰彼構わずズバッと突っ込みまくる現在の藤本美貴さん(18)と
同一人物とは思えないほど、無垢な寝顔だった。
当たり前だけどあの藤本さんにもこんな時代があったんだよなぁと思うと、みょ〜にカンガイ深いモノがある。

「あ、寝返り」
彼女のあまりのかわいさに見とれつつ、わたしは思わず実況。
壁の方を向いていたミキちゃんはゴロンと寝返りを打つと、仰向けになった。
「「かわいい…」」
わたしたちは並んで仁王立ちすると、彼女の寝姿をしばし観察。
面影のある幸せそうな寝顔を、正面からじっくりと眺める。
ミニサイズの藤本さん、髪の長さは今の藤本さんとあまり変わらない…ちょうど肩にかかるくらいの長さ。

「え……?」
夢から覚めたミキちゃんは、突然の出来事に目をパチクリ。

って。
「「あ」」
しまった、ミキちゃんが目を覚ましてしまった!

「……だぁれ?」
ミキちゃんのリアクションも無理はない。
真夜中に目を覚ますとサンタクロースの格好をした老人とトナカイの姿をした生物が棒立ちのまま
ニヤケ顔で自分をじっと見つめていたら、普通はまずそれが『本物の』サンタクロースとトナカイだとは思うまい。
このカッコウを見ればわたしたちが何者であるか一目りょーぜんであるにも関わらず彼女があえて『誰?』と質問するのも、
なるほど、解らなくはなかった。

「「え、ええっと…」」
おいおい爺さん。なにハモってんだよ。
おまえ一般庶民のわたしと同じテンションで焦ってる立場じゃないだろ、サンタらしく何か対処しろよ。

「え? え? もしかして……サンタさん??」
あ、なんだ…わたしたちがサンタとトナカイのカッコしてるって、今気付いたんだ。
ミキちゃんは寝ぼけていて、たった今わたしたちの扮装に気付いたらしい。
藤本さんの幼少時代らしくわたしたちのコトを不審人物だと疑った上で『誰?』と訊いたのかと思っていたわたしは、ちょっぴり反省。

「わあっ、サンタさんだ! サンタさんだーっ!!」
あっ、コラ騒ぐな…!
「しっ」
とっさに、わたしは右の前足でミキちゃんの口を塞いだ。

「むぅ…むぐっ、むぐぐ」
「コラッ! 手荒な真似は止すんだ新垣!」
おじいさんが小声で、でも厳しい口調で言う。
「だって、おとうさんとか起きてきたらどうすんですかっ。っつーか名字で呼ぶのは止めやがれ!」
わたしも負けじと小声で反論。

「ミキちゃん、いいかなあ? 大きな声を出してはいけないよ?
それから今夜おじさんがここへ来たことも、誰にも言ってはいけない。さもなくば、プレゼントはあげないよう?」
おじいさんはやさしく、とても優しく言った。
「脅迫じゃないすかそれ」
3億用意しろ。さもなくば、娘は殺す。
”さもなくば”って単語は、確かこういうときに使うんだったと記憶しているが。
「わかったかな?」
するとミキちゃんが目を白黒させながら繰り返し頷いたので、わたしは彼女の口を塞いでいた前足をそっと外した。

「でんき、つけてもいい?」
「ああ、いいとも」
「やった!」
ミキちゃんは、起き上がった彼女のちょうど目の高さにぶらりと垂れ下がっているヒモを引いた。
ヒモの先には、小さなくまさんの人形がくっついてる。
突然目の前が明るくなったせいで、一瞬立ちくらみがした。

「すごいねぇ!」
ミキちゃんは大声を出しかけてハッとすると、声を潜めて、
「すごいねぇ、おうまさんがしゃべってるよぉ」
イタズラっぽい表情。
彼女はたぶんわたしたちと秘密を共有しているような、わくわくした気持ちになっているんだと思う。
先生や親にナイショで友達と悪いことをするときみたいな、あのわくわくするカンジ。

んーでもですねぇ、藤本さん、
「あのですねぇわたし、馬じゃないんですよ〜。あの、トナカイっつってですね、」
「おうまさんかわいー、かわいいねぇ。おいでっ、おいでぇ」
「ああ…はぁ」
この、有無を言わせない雰囲気作り…さすが、藤本さんだな。
「おいでおいで」
「わー。ミキちゃん待ってようー」
部屋の中をぐるぐると歩き回るミキちゃんに手招きされるがまま、四つんばいになって彼女の後を追うわたし。

「あはははは。二人とも楽しそうだなあ。角の生えたお馬さんだよ? 珍しいだろう?」
「うん!」
「むっ…!」
じじいめ。世界広しと言えどサンタクロースにまで馬呼ばわりされたトナカイは、おそらく地球上でわたしただ一頭だろう。

「そうだ! ねぇ、みてみてサンタさん!」
ミキちゃんは、さっきまで自分が寝ていた枕の下から何かを取り出すと、おじいさんに差し出した。
なんだろう…ミキちゃんが持っていたモノは、本にしては薄っぺらくて、ノートにしては小さいサイズの、ミニ冊子。

「おやおや、なにかなこれは」
「おうまさんもみて!」
ミキちゃんに急かされて、わたしはページをめくるおじいさんの手元を、横から覗き込む。

たとえば”4月”はピンク色のページで、桜の花びらの絵が描かれたシールがページいっぱいに貼ってある。
緑のページが葉っぱのシールで埋めつくされている”5月”や、ブルーのページにカエルくんシールの”6月”。
7月、8月、9月、10月…おじいさんはうんうんと頷きながら、一枚一枚ていねいにめくってく。
そして、茶色のページが赤いもみじでいっぱいになった”11月”のページをめくると…
”12月”の真っ白なページには、赤い帽子を被ったサンタさんのシールがたくさん、貼ってあった。

「ミキねぇ、ようちえん、いちにちもおやすみしなかったんだよ! すごいでしょー」
ミキちゃんがおじいさんの腕を掴んで、ぴょんぴょん飛び跳ねる。
「そりゃあ驚いた。すごいねえ、一日もかい?」
「そうだよ! だってねぇパパがいったの! ミキがねぇ、いいこにしてたら、ぜったいサンタさんきてくれるよって。
だからねぇ、ミキ、ちゃーんといいこにしてたよ?」
「そうかそうか。えらいなあ、ミキちゃんは」
おじいさんはそのページを、とても大切なものを扱うみたいに、そーっと閉じた。
”出席カード”と書かれた薄っぺらな本の表紙には、下のほうに黒いマジックで、”ひまわりぐみ ふじもとみき”と書かれていて、
それは先生が書いたのか、ミキちゃんのおかあさんが書いたものなのかはわからなかったけど、すごくていねいな字で書かれていて、
なんだかよくわからないけど、わたしは思わず微笑んでしまった。

「そんな良い子のミキちゃんに、おじさんがプレゼントをあげよう」
「やったあー! あっ」
つい大声を出してしまい、しまったと思ったのか、ミキちゃんがしゃがんでわたしに顔を寄せる。
「「しーっ」」
わたしとハモると、ミキちゃんは例のイタズラっぽい表情で笑った。

「あっ…」
プレゼントを出そうと袋を漁っていたおじいさんの呟きを、わたしは聞き逃さなかった。
「どうしたんですか?」
背後からおじいさんに近付く。
ゆっくりと振り返ったおじいさんは、顔面蒼白だった。

「どうしよう里沙たん」
「たん、だと?」
とてつもなく、嫌な予感がした。

「プレゼントを忘れてしまったよ」
「どーしようもねーな自分マジで」
気が付くと、心の呟きを声にしてしまっていた。

「あっそうだ。その、角とか…取れない?」
「無理!無理!」
この人はたまに善人ヅラしてすごく残酷なコトをさらりと言ってのけたりするので、今ひとつ信用ならない。

「どう、したの…??」
「「あっ!」」
やばい! ミキちゃんが不思議がってる!
「「なんでもないなんでもない」」
ってゆーかだからさっきから何ハモってんだよ! わたしと同じ目線で慌ててる場合じゃねーだろーがおまえはっ!

「でも…ふたりとも、なきべそだよ? ねぇ、どうしたの? ねぇねぇ」
隣を、ちらりと見る。パニックのあまりわたしが涙ぐんでいるのは言うまでもないが、まさかコイツまで……
「うっそぉ」
案の定、袋を抱えてうずくまるおじいさんはウルウルに潤んだ瞳で、わたしに向かってすがるような視線を投げかけている。
「うぅ…そんな目で見るなよぉ」
ペットショップでチワワに見つめられたおとうさんみたいな心境だった。

「ココはもう腹くくって、ぶっちゃけるしかないっすよ」
ミキちゃんに聞かれないよう、そっとおじいさんに耳打ちする。
「…やはりそうか。そうだな、正直に言おう」
やれやれ…。
13年前のクリスマスにはミキちゃんにプレゼントを配り忘れ、そのコトで13年も悩み続けたあげく、
ついにはサンタクロースの資格を捨ててまで過去へ戻ったにも関わらずカンジンのプレゼントを用意し忘れ…
この人は、いったい何がしたいのだろうか?

「実は…ミキちゃんに、謝らなければならないことがあるんだ」
「なぁに?」
何の疑いもなく無邪気に小首を傾げるミキちゃんを見ていると、わたしまで胸が痛んだ。

「おじさんねえ、ミキちゃんへのプレゼントを、持ってくるのを忘れてしまったんだよ」
でかい図体をすっかり縮ませてしゅんとするサンタクロースの告白は、聞いてるこっちが恥ずかしくなってくる。

「本当に、何と謝っていいやら……許しておくれ、ミキちゃん。ゴメンね、本当に、ゴメンね」
おじいさんは床にしゃがみこむと、わたしやミキちゃんの目も気にせずに泣いた。
彼のために何とかしてあげたかったけど…わたしには、どうすることもできない。
わたしはミキちゃんにあげられるモノを何ひとつ持っていなかったし、たとえばこの角をへし折ってプレゼントしたとしても…
間違ってもそんなモノでミキちゃんが喜んでくれるとは思えなかったし。

「サンタさん、なかないで」
ミキちゃんはおじいさんに近付くと、泣きじゃくるおじいさんのほっぺに、小さな手で触れた。
そして、おじいさんの真っ赤なトンガリ帽子を指差すと、
「ミキねぇ、これがほしい」
顔を上げたおじいさんの、帽子のてっぺんにくっついた白いボンボンが、くるんと揺れる。

「こんなもので、いいのかい?」
「うん!」
「よし。それじゃあ、メリークリスマス」
おじいさんはトンガリ帽子を脱ぐと、ミキちゃんに被せてあげた。とても大切なものを扱うみたいに、そーっと。
「おっと、いかん」
おじいさんの帽子はミキちゃんには大きすぎて、彼女が頭を動かした拍子にストンと落ち、顔まですっぽり覆い隠してしまった。
「わは。でっかーい」
帽子の中でくぐもった、ミキちゃんの楽しそうな声が聞こえる。
おじいさんがずり落ちた帽子を直してあげると、中からイタズラっぽい笑顔がのぞいた。

「めりーくりすます! サンタさん、おうまさん」
「メリークリスマス、ミキちゃん」
わたしが答えるとミキちゃんは、”よくできました”とばかりに、わたしの額のあたりを小さな手で撫でてくれた。

「でっかーい!」
トンガリ帽子がずり落ちそうになるのを一生懸命に手でおさえながら、はしゃぐミキちゃんの笑顔。なんだか懐かしい気がした。
藤本さんにもこんな時代があったんだぁなんて思っていたけれど、彼女がこんなふうに笑った顔を、
わたしはいつかも見たコトがあるのかも知れない。

「それじゃあ…」
おじいさんが、わたしに目配せする。わたしは、小さく頷いた。
いろいろあったけど、どうにかこうにか藤本さんにプレゼントを届けるコトができたし…
無事に目的を果たしたわたしたちは、空っぽの袋をソリに積んだり、いそいそと帰り支度。

「ミキちゃん。クリスマスが終わっても、ずっといい子でいるんだぞ?」
「うん! そしたら、サンタさんまたきてくれるもんね」
するとおじいさんはいつものように微笑んで、言った。
「ああ、もちろんだとも。だが、つぎにわしが来るときには、ちゃあんとベッドで寝ていなければいかんぞ?
良い子は、本当は夜更かしをしてはいけないんだ。今日は、特別なんだよ?」
「そっか。うん! わかった!」
「えらいぞ」
よし行こう、里沙。
そう言って、おじいさんがソリに乗ろうと片足を上げたときだった。

「あっ、そうだ。まって!」
ミキちゃんが突然言って、部屋の隅へたたっと走っていったかと思うと、クローゼットの中をごそごそと漁り、
再び、たたたっと走って戻ってきた。

「ミキが、サンタさんのぼうしとっちゃったから」
サンタさんがさむくないように、と言ってミキちゃんは、小さなピンクのニット帽を、おじいさんに被せてあげた。
しかし、ミキちゃんのニット帽はおじいさんにはもちろん小さすぎて、それでも彼女が無理やり押し込めたものだから、
編み目がいっぱいいっぱいに広がり、なんだかおじいさんの頭はビニールのネットに包まれた津軽リンゴのようにも、
また、頭に大怪我を負って包帯の上からネットを被せられてしまった人のようにも見えた。

「ありがとう、ミキちゃん。たいせつにするよ」
だけど、おじいさんはとってもうれしそうだった。

「はい、おうまさんにはこれ」
「えっ? わたしにも?」
「すーっごく、あったかいんだよ?」
得意そうに言ってミキちゃんはおじいさんと同じピンクの、わたしにはマフラーを、わたしの首に巻いてくれた。
小さいミキちゃんのモノだけあってわたしが普段しているのよりもずっと短いマフラーを、
彼女は、こうするときっとあったかいんだと言って、わたしの首にぐるぐると何重にも巻いた。

「ミキちゃん、ありがとう」
わたしがお礼を言うとミキちゃんは、うふふ、と照れたように笑った。
「良かったなあ、里沙」
「うん」
ミキちゃんにお別れを言うと、今度こそわたしたちは窓から外へ飛び立った。

ミキちゃんは窓から身を乗り出し、おじいさんにもらった帽子をずり落ちないように手で押さえながら、
もう片方の手でいつまでもいつまでも手を振っていた。
わたしたちはしばらくの間、彼女の部屋の斜め上の空を何周も旋回した。
すき間だらけのニット帽を被って、見るからに寒そうなおじいさんは、ミキちゃんに何度も何度も振り返した。それも両手で。

やっぱりわたしは、藤本さんにプレゼントを届けるためだけにサンタクロースをやめてしまったおじいさんの選択は、バカだと思う。
だけど、ミキちゃんのうれしそうなカオを見たとき、損だとか得だとかそんなコトはまるで関係なく、
ここへ来て本当に良かったって、心からそう思えた。
おじいさんの選択はバカだし大損だけど、それは、間違いじゃないのかもしれないって、わたしは思った。

(『ぼくらがやろうとすることに、意味の無いことなんかひとつもないんだ』)

だとしたら、藤本さんの中で、何かが変わっただろうか?

「ああ、楽しかったなあ」
「うん…」
過去の世界の入口を逆から抜けるとそこはもう現在、つまり、わたしたちの旅の終わりだ。
北海道からわたしの住む日本の真ん中あたりまで、来た道をゆっくりと戻りながら、わたしたちはいろんな話をした。
本州へ入る手前の海で、わたしはもう一度あのときの景色を見るために、下へ降りた。
二度目でもやっぱり怖かったけど…勇気を出して降りてみると、今度はさっきよりも雪がひどく降っていて、
さっきよりほんの少しだけど波も高くて、同じ場所なのにぜんぜん違う景色に見えた。
一度目に見たのとどっちが好き?っておじいさんに聞かれたけど、わたしはどっちも同じくらい好きだった。

「ああそうだ。君にも、プレゼントをあげなくては」
もうすぐ家に着こうってところで、おじいさんが言った。
「えっ、だって…」
おじいさんは、もうサンタさんじゃないんじゃあ…。
「酷いなあ、里沙。クリスマスが終わるまでは、まだわしはサンタクロースなんだよ?」
わたしの疑問を察したらしく、おじいさんが先回りして言った。
そっか…今夜中はまだ、サンタクロースでいられるってコトなんだ。
それでも、わたしの中にはまだ疑問が残っていた。

「でも……わたしはもう、子供じゃないし」
わたしはもうとっくの昔に、プレゼントをもらう資格を失くしているんだ。
サンタクロースを信じなくなったあの日から、もうとっくに。

「言ったろう? わしは君がサンタクロースを信じる限り、君にプレゼントを届けるのさ。
わしが今君の目の前にいるのに、君がサンタクロースを信じない理由がどこにあるね?」
おじいさんはそう言って、ニィっ、とイタズラっ子みたいに笑った。

「あは。そっか」
「何でも、欲しいモノを言いなさい」
「えっと、じゃあ……」
わたしが欲しいモノをリクエストすると、そんなものでいいのかい?と言いながら、おじいさんは笑った。
その拍子に、キツキツで今にも外れそうになっていたおじいさんのニット帽が、ぽんと飛んだ。
わたしたちは笑った。

「よーし。わしの、生涯、最後のプレゼントだからな。気合を入れていくぞう! おう!」
わたしの部屋に着くと、おじいさんはよくわからないテンションで大いにはりきっていた。
久しぶりに人間の姿に戻ったわたしが最初にしたコトは…ミキちゃんにもらったマフラーをきれいに畳んで、
引き出しの、わたしのお気に入りのいろんな小物やらが入っている段に、大切に仕舞っておくコトだった。

「おやすみ」
わたしがベッドに入ると、おじいさんが言った。

「メリークリスマス、里沙」
「メリークリスマス、サンタさん」
口に出したときはじめて、もうサンタクロースではなくなった彼のコトを”サンタさん”と呼んだのはこれが最初で、
そして最後だったことに気付いて、なんだかおかしかった。

「いい夢を」
そう言うと、おじいさんはわたしに、ウインクをした。

わたしはゆっくりと、眠りに落ちていった。

――

「おはようございまあーす」
翌朝、楽屋へ入るとほとんどのメンバーは既に来ていて、みんなお菓子を食べたりおしゃべりをしたりしていた。
そしてその中には、藤本さんもいて…うれしいような恥ずかしいような、なんだか不思議なカンジがした。

「おマメちゃん、あのさ…」
「えっ?」
いきなり話しかけられて、ちょっとびっくりした。
藤本さんはわたしの顔を見て何か言いたそうだったけど、
「…ううん、なんでもない」
そう言うとみんなの輪の中に入っていった。

「だから見たんだって。マぁージで最近、そんな気がしてきたんだよねぇー」
「幻想だよ幻想ー。妄想ってやつ?」
辻さんと加護さんが、また例のサンタクロース話で盛り上がっている。
「白いヒゲでさあ、ののに見られて超アセってんの」
辻さんが見たのは、案外…というか間違いなく、本物のサンタクロースだとわたしは確信した。

「ハイハイハイハイ辻さん辻さん、今すぐ病院行ってきてくださあ〜い。そして二度と戻らぬが良いわ! わははははは」
「わー。むっかつくよコイツー」
「見たんじゃないの?」
誰かが、ぽつりと言った。
この声は……。

「「えっ…」」
声の正体に戸惑いを隠せない、辻さん&加護さんのお二人。

「見たっつってんだから、見たんでしょ」
ぶっきらぼうに言うと、藤本さんはテーブルの上のお菓子に手を伸ばした。
「あ…ありがと」
戸惑いがちに、辻さんが言う。

「外さっみーなあ」
「そりゃ冬だから」
楽屋に入ってきたばかりの吉澤さんに突っ込んだり、
「おはようございまーす…」
「矢口さんまたちょっと縮みました?」
車の中で寝てきたのかまだ寝ぼけ眼の矢口さんに先制パンチをお見舞いしてみたりと、
辻さんに言ったあの一言以外は、いつもどおりの藤本さんだったけれど。

  ”ぼくらがやろうとすることに、意味の無いことなんかひとつもないんだ”

おじいさんとわたしが届けたプレゼントは、藤本さんの中の何かを、変えることができただろうか?
だとしたら……うれしいな。

「たしかトナカイもいたよーな気がすんだよねぇ」
「なんのハナシ?」
矢口さんが、二人の話に割り込む。
「昨日言ってたやつ。ののが、サンタさん見たことあるって」
「ああ、そのハナシねー。あ、それで思い出したんだけど昨日さぁ、オイラ変な夢見たよ?」
「なに? どんなの?」
メイク中の飯田さんが、鏡越しに尋ねる。

「なんか、みんなサンタクロースなのね。でさぁー、みんな出てきたよ、ほんとに全員出てきて。
でソリに乗って、みんなして日本中にプレゼント配りまくんの」
「えっ」
「うそっ」
あちこちで、いろんな声が上がる。

「なっちも見た! それ同じ夢だよ!」
「カオリも! カオリも同じ!」
わたしも、わたしもです、ってみんなが続々と驚きの声を上げる中、全ての事情を知るわたしだけは、余裕しゃくしゃく。

だって、サンタさんにお願いしたんだもん。
昨夜わたしが見た、とてもきれいなあの景色を…みんなにも、見せてあげたい、って。
おじいさんにとって、最後のプレゼント。
みんなで同じ夢を見たいってわたしのお願い、おじいさんは、ちゃんと叶えてくれたんだ。

「クリスマスの奇跡、か」
飯田さんが呟く。
「そっかぁ。不思議なコトもあるんだねぇー」
安倍さんが、ふふ、と幸せそうに笑う。

トナカイ役にわたしを選んだのは単なる偶然だって、おじいさんは言ってた。
けど、わかった気がする。
藤本さんにプレゼントを配り忘れてしまったのをずっと気に病んでいたのと同じように、おじいさんは、
わたしが他の友達より早くプレゼントをもらえなくなってしまったコトを、ずっと気にしてくれていたんじゃないか、って。

「おはようございまーす!」
全員がロマンティックモードに浮かれていた頃、一足遅れて石川さんがやってきた。

「あっ。ねぇねぇ、梨華ちゃん、」
この素敵なロマンを共有しようと、矢口さんが石川さんに駆け寄る。
「ねぇねぇ、まりっぺ、聞いて聞いて!」
しかし、あえて矢口さんのセリフに被ってくる石川さん。

「あたしね、昨夜ハワイで日焼けする夢見ちゃってえ〜! もぅ超焦ったよぉー。ホント夢でよかったよぉ〜」
ピシッ。
楽屋の空気が、一瞬にして凍りつく。

「梨華ちゃん……今の、聞かなかったコトにしていいかな」
「えっ?」
絶望する矢口さんの姿を目の当たりにするも自分の置かれている状況が理解できず、きょとんとする石川さん。

「空気読め」
「えっ? えっ?」
「私いつも思うんだけど、藤本さんのツッコミって理不尽だよね」
あさ美ちゃんが、そっと耳打ちしてくる。

「えっ? なんのコト? えっ?」
どうやらおじいさんは最後の最後でまた、やらかしてしまったらしい。
サンタクロースのラストプレゼントは…15人いるモーニング娘。の中でただ一人、この石川梨華さんにのみ、永遠に届けられることはなかった。

「梨華ちゃん」
仲の良い同期の吉澤さんが、能面のような表情とまるで抑揚のない声で、ゆらりと石川さんに近付く。
「あ、よっすぃー。ねぇねぇ、みんなどうしたの? なにがあったの?」
「おまえ卒業しろ」
「えっ…!」
誰か……石川さんにも、素敵な夢をわけてあげてください。

<END>