「大っ嫌い」の、うらがえし。
――
早朝、楽屋にて。
「よっすぃー、おはよっ」
彼女はあたしの姿を見つけるなり、あいぼんと楽しく雑談中のあたしにいつもの甘ったるいカンジで腕を絡めてくる。
正確にはいつもみたくワザとらしいカンジじゃなくて普通にカワイかったんで、正直ちょっとだけドキっとしちゃったんだけど…
「げぇっ、なんだよ!」
いつものように顔をしかめて、あたしは彼女の手を乱暴に振り解く。
まったくホントにコイツはもう、ぜんっぜんわかってないんだから…懲りない彼女の行動に、思わずため息が出てしまう。
いくら二人が仲良しさんだからといって、みんなが見てる前でいちゃつくのってめっちゃカッコ悪いよ…なにより、恥ずかしいじゃんか。
「っつーかマジ、キモいよコイツー」
あたしはトドメにいつものキーワードで締めくくると、目の前に立つ彼女の反応を窺う。
(『ちょっとー、なんでキモいとか言うのよーっ』)
ヤツが冗談っぽく怒りながら、あたしの腕やら時には背中なんかをバシバシ叩くいつもの光景が頭に浮かんで、あたしは身構えた。
本気なのか冗談なのかわかんないんだけど…けっこー痛いんだよなぁ、アレが。
「………」
が、しかし。
あたしの予想に反して、彼女はまったくのノーリアクション。無言であたしのコト、じっと見つめてる。
さっきあたしがはねつけた、行き場を失った右手が、胸元で小さく握られてる。
かと思うと、何も言わずにぷいっとどこかへ行ってしまった。
「…なにアレ」
しばらくあっけにとられていたあたしは、彼女が閉めたドアの音でようやく我に返る。
「あーあ。怒っちゃった」
出て行ってしまった彼女を心配している風でもなく、ニヤケ顔であいぼんが言う。
「そうかな?」
「だって、ぜんぜん笑ってなかったじゃん。マジギレだよマジギレ、超マジギレ」
「うるさいな。何回も言うなよ」
ちきしょー、こやつめ…他人の不幸を完全に面白がってやがる。
でも、あいぼんの言うとおりマジギレだとしたら…どうして、今日に限って?
いつもなら、
(『もうっ。キモいとか言わないの、よっすぃーはぁ』)
とかなんとか言いながら、ぜんぜん平気そう(ってゆーかむしろうれしそう?)にしてるくせに、どうして…?
「ねぇねぇねぇ、”マジギレ”って10回言ってみて」
「マジギレ、マジギレ、マジギレ、マジギレ、マジギレ、マジギレ、マジギレ、マジギレ、マジギレ、マジギレ」
「ハイおつかれー」
「………」
ちきしょー、こやつめ。
「ってゆーかさぁ、マジでマジギレだと思う?」
「マジでマジギレだよ。だってぜんぜん笑ってなかったじゃん」
「だよねぇ…」
確かにあいぼんに確認するまでもなく、あの真顔、突き刺すようなあの冷たい視線は…
今までにも何度か遭遇したことのある、マジでマジギレしたときの彼女に他ならない。
思いつく限り最新のマジギレエピソードといえばつい一ヶ月ちょっと前、彼女の部屋に泊まったときのこと。
隣で気持ち良さそうに眠る彼女の瞼にマジック(しかも油性)で目の絵を描き、声を殺して爆笑しているうちにいつの間にか寝てしまい、
翌日のお昼ゴハンのときに矢口さんに指摘されてみんなに大笑いされるまで本人はもちろん、
落書きしたあたしですらもすっかり忘れっぱなしだったときにはさすがに一週間口も利いてもらえなかった。
ってゆーかお前も、気付くタイミングいくらでもあっただろ(顔洗うときとか)……とは、思ったけれどもちろん言えず。
ハロプロニュースの最終回。
チャーミーの瞬きの瞬間をスロー再生すると、閉じた瞼にくっきりと目の絵が浮かび上がって見えることはメンバーしか知らないし、
もちろんこの秘密を他の誰にも話すつもりはない。墓場まで、持っていくつもりだ。
「キモいって言うからだよ、よっすぃーが」
「そんなの」
そんなの、いつも言ってるコトじゃんか。
そう言おうとして、あたしは言葉に詰まった。
正直、あたしは悪くない、って言い切れる自信は無い。
いつも言っているとはいえ、”キモい”なんてどう贔屓目に見たって誉めコトバとは言えないワケだし。
それに、今日の彼女はいつもみたくワザとらしいカンジじゃなくて普通にカワイかったんで正直ちょっとだけドキっとしちゃった、のに、
あたしの方は本心に反していつもどおりに、キモいよーとか言っちゃったコトへの罪悪感みたいなモノもあったし。
結局その日、彼女はあたしが話しかけようとすると他のコのトコに行っちゃったりして、
あたしはなんだか避けられているみたいだった。
この状況、間違いない。
梨華ちゃんマジで、マジギレだ。
――
前回キレられたときは明らかにあたしの方に非があったワケだから、仲直りの電話も当然、あたしからした。
だけど今回の場合、あたしが彼女に睨まれたり避けられたりする理由がイマイチよく、わからない。
それでもその夜、さんざん悩んだ末にようやく決心して、あたしは梨華ちゃんに電話した。
『はい』
「あ、あたし」
『うん』
電話の向こうからは、いつになく落ち着いた声。
いつもだったら、もうちょっとうれしそうに話してくれるんだけど…声のトーンから察するに、彼女の機嫌が宜しくないのは明らか。
「こんばんは」
一瞬ひるんだものの、あたしはすぐに体勢を立て直し、あくまで自然体を装う。
『どうしたの?』
「そっちこそ…なんか今日、機嫌悪かったじゃん。どしたのさ」
コレは仲直りのための電話じゃない。
だってべつにケンカしてるワケじゃないし、こっちは理由もよくわかんないまま向こうが一方的に怒っているにすぎないんだから。
『心配してくれるんだ』
「べ、っつに…そうじゃないけどさぁ。あたしがホラ、なんか悪いコトしちゃったのかなぁって。ちょっと、気になったからさ」
梨華ちゃんはやっぱり不機嫌そう。
原因に思い当たるフシがあるだけに、あたしは早くもしどろもどろ。
『それって、心当たりがあるってコト?』
「ない」
『………』
あたしが即答すると、梨華ちゃんは黙り込んでしまった。電話の向こうの怒り顔が目に浮かぶ。
「あっ、ないコトも、ないんだけど。でもあんなの、いっつも言ってるコトだし、ねぇ」
あたしは慌てて弁解。
まだなんとなく半信半疑だけど…やっぱり梨華ちゃん、あたしが楽屋で彼女のコト”キモい”って言ったコトについて怒ってるんだろうか。
『ねぇ』
ほんの少しの間があって、梨華ちゃんが言った。
だけど、その声にさっきまでの棘は感じられない。
「ん?」
『そんなに、キモいかな…私』
「へっ?」
あたしは思わず、すっとんきょーな声で聞き返してしまう。
だって…”私ってキモいかな?”なんていきなり深刻な口調で質問された日にゃあ、そりゃ驚くのもトーゼンってモノ。
『だってよっすぃー、いつも何かにつけて私のコト、キモいキモいって…ちょっと言いすぎじゃない?』
「そんなの冗談に決まってんじゃん。それに矢口さんだって安倍さんだってあいぼんだって、みんな言ってるし」
なんだかあたしだけが責められてるみたいな気がして、自然、ムッとした言い方になる。
『だって二人のときも言うじゃん! 意味わかんないよ、なんなのアレ? べつに二人っきりなのに笑いとか要らないよね!?』
「えー、そうだっけ? 二人のときも言ってる?」
なんてシラジラしく答えつつも心当たりはちゃーんと、あったりして。
梨華ちゃんキショぉー。キモいよ梨華ちゃーん。うわぁ超キモいよ梨華ちゃーん。
始めは、矢口さんとかが梨華ちゃんのコトからかってるのに便乗してあたしも言い始めたんだけど…
そのうち口ぐせみたくなって、二人で部屋にいるときなんかも普通に口にするようになってしまった。
だけど、今でこそ日常になっちゃってるけどあたしがそれを始めたのにはちゃんと理由があって。
始めは、矢口さんが梨華ちゃんのコトからかって、そんで二人がじゃれ合ってたりするのがなんとなく、気に入らなかったんだ。
『言ってるよ。何でとぼけるの?』
「とぼけてませんー。ホントに覚えてないもん」
でも、あたしのそういう複雑な気持ちを梨華ちゃんが察してくれるハズもなく…
って、あたしが言わないから、そんなのわかんなくて当たり前なんだけど。
『そりゃあ、キモイキモイも好きのうち、って言うけど』
はて。そんなコトバ、聞いたことないけど…。
『でも最近、真剣に考えるの。よっすぃーってもしかして、私のことホントに、嫌いなんじゃないかって』
「はあ?」
なんだそりゃ…思わずふにゃあ、って脱力してしまう。
『ねぇ、どうなの?』
呆れた…いったい何をどう考えれば、そんなバカげた結論にたどり着くんだろうか。
「だからー、それはさぁ」
『”好き”の裏がえし?』
「ぉぁ…」
いきなり不意打ちをくらって、あたしは慌てた。
「……んーなの、わかってんだったらさあ。なんで怒るかなぁ」
あたしは、小声でブツブツと梨華ちゃんに抗議。
頬が熱い。みるみる体温が上がってくるカンジ。
そりゃあ、好きだから困らせたり意地悪したくなっちゃう気持ち、どうしようもなく子供っぽいって自分でもわかってる。
じゅーぶん、わかってるから…改めて指摘されると、恥ずかしくて死にそーになる。
『だったら私は、よっすぃーの言うコトぜんぶ逆さまに解釈しなくちゃいけないの?』
「どうせわかってんでしょ? だったらいーじゃん。そうしてよ」
あたしがふてくされて言うと、梨華ちゃんは小さなため息を吐いた。
顔が見えないから、梨華ちゃんが怒ってるのか呆れてるのかはわかんないけど…
どっちにしろ彼女の機嫌がそーとー宜しくないコトだけは明らか。
まぁ…そうさせてるのは他の誰でもない、あたしだってハナシもあるけど。
『そういうコトに慣れちゃってるから、そういうコトしか言えなくなってるの、よっすぃーはぁ』
「なんだよそれ。もう、さっきからゴチャゴチャさぁ…一体なにが言いたいの?」
あたしはムッとして言った。
梨華ちゃんのこーゆートコ、やっぱりちょっと気に入らない。
難しくて、まわりくどくて…あたしのコト試してるみたいな言い方。
『大っ嫌い』
梨華ちゃんが突然、きっぱりと言った。
「え…」
それはあまりに突然で、あたしは思わず絶句してしまう。
『って言われてうれしい?』
梨華ちゃんはたっぷりの間を取って、続けた。
「や…あんまり」
あたしは戸惑いつつも、素直に回答。
梨華ちゃん、一体なにが言いたいんだろう…また、例のまわりくどくて長い長いお説教が始まるんだろうか。
『でしょ? 反対の意味だってわかってても、それよりホントのコト言ってくれるほうが、ずっとうれしいに決まってるんだから』
”反対”ってコトはつまり、今のは…。
『いつもそうしてほしいなんて言わないけど、たまには、ホントのコトも言ってほしいよ』
あたしは梨華ちゃんのコトが好きで、梨華ちゃんもあたしのコトが好きで、そのことはお互いちゃんと、解っていて。
だからあたしの言う「嫌い」=「好き」だってコトも梨華ちゃんはちゃんと理解してくれているハズ、だと、あたしは思っている。
『ときどきでいいから…優しくしてほしい、っていうか』
だけど、さっき彼女に「嫌い」って言われた瞬間のあたし、確かに傷ついてた。
梨華ちゃんも同じように、あたしの言う、ホントの気持ちとは逆のコトバでその度に少しずつ少しずつ、傷ついているんだとしたら…。
『ねぇ』
「ん?」
『私、そんなに難しいコト言ってる…かな』
黙りこくるあたしに、梨華ちゃんは不安そうな声で聞いてくる。
「ううん。わかる、けど…」
『……もういいよ。おやすみ』
「あ、おやすみ」
つられてとっさにそう言っちゃったら、梨華ちゃんはまた短いため息を吐いて、電話は切れた。
「あ…」
急に素直になれって言われても無理だけど、せめてゴメンナサイの一言ぐらいは言えば良かったかもしれない。
梨華ちゃんキショぉー。キモいよ梨華ちゃーん。うわぁ超キモいよ梨華ちゃーん。
親しいからこそ面と向かって言える言葉だけど、好きな人に向かって言うコトバじゃないよなぁ、たしかに。
梨華ちゃんが言うみたいに、たとえ裏返しだって解ってても「嫌い」よりは「好き」って言われたほうが、うれしいに決まってるけど。
”キショいって、梨華ちゃんだから言えるんだよ?”
あたしはベッドに寝転んで、梨華ちゃんへのメールを作成中。
口で言えないコトはメールで。コレもあたしの悪いクセ。
(『そういうコトに慣れちゃってるから、そういうコトしか言えなくなってるの、よっすぃーはぁ』)
いざ送信ボタンを押そうとすると、ふいに梨華ちゃんに言われた一言がアタマをよぎった。
”梨華ちゃんだから言えるんだよ?”
もちろん嘘じゃないけど…でもそれってあたしの勝手というか、単なる甘えでしかないのかもしれない。
きっと彼女にしてみれば、こんなのズルイ言い訳にしかならない。
いつから、言えなくなっちゃったんだろ。
あたしが梨華ちゃんに伝えたいのはいつだって、「大っ嫌い」の裏がえしなんだってこと。
「はあっ…」
書きかけのメールは削除した。
やっぱり大事なコトはメールなんかじゃなく、直接言ったほうが良いと思うし。
それにたとえば「好き」とか「愛してる」とかメールしたとして、後生大事に保存されてもそれはそれで恥ずかしいし。
「はあ〜…」
けれど考えても考えても、出てくるのは気の利いたコトバなんかじゃなくて、情けないため息ばかり。
あーあ。
思ってるコトの逆を言うのはあんなにカンタンなのに…ホントの気持ちを伝えるのって、どうしてこんなに難しいんだろ。
「うらがえし、か」
悩んでてもしょうがない。
とりあえず梨華ちゃんが今いちばん気に入らないのは、あたしがいつも口ぐせのように言っているアレだ。
好きとか愛してるとか言う前にまず、あのコトバを訂正するのが先だろう。
好きとか愛してるとか言うよりもそのほうがぜったい、梨華ちゃんだって恐らくたぶんきっとうれしいに決まってるし。
「よしっ」
あたしは両手で軽く、ガッツポーズ。
明日に備えて今日は早めに寝よう。うん、そうしよう。
――
翌朝、楽屋にて。
「おはようございます」
いつになくよそよそしい態度の彼女は、あいぼんと楽しく雑談中のあたしと目が合うとすぐさま視線をそらし、
「まりっぺ、おっはー!」
パイプ椅子にだらしなく腰掛けて雑誌を捲りつつお菓子をつまんでいる矢口さんの隣に座った。
「ウザ…今どき”おっはー”なんて言ってんの、日本中で幼稚園児と梨華ちゃんぐらいだよ」
「そっかなー?」
「ってゆーか相変わらず私服キショいよねー。どこで買ったのそれ。ヨーカドー?」
「ひどーい、もぅ」
梨華ちゃんは唇を尖らせて、矢口さんに抗議。
っていうか、あたしより矢口さんの方がよっぽど酷いコト言ってる気がするんだけど…何故もっと怒らん?
と、そんなコトはどーでもいいワケで。
今日のあたしは、梨華ちゃんにどうしても言わなきゃいけないコトがあるのであった。
「ねぇねぇねぇ、”プーさん”って10回言ってみて」
「ちょっとゴメン」
あいぼんに断りを入れると、あたしは矢口さんと雑談中の梨華ちゃんの元へ歩み寄る。
「あれー? どうしたの、梨華ちゃん、今日は…」
あっ、声が裏返ってしまった。
でも、だいじょうぶ。
正直に生きるってコトは、時として極度の緊張を伴うモノなのだ。って自分で言ってて意味が良くわかんないけど。
カーン!!
(あたしの脳内に)運命のゴングが鳴り響く。
逸る気持ちを抑えつつ、とりあえず息継ぎをして、あたしは言った。
「キモくないじゃん」
やったぁ…言い終えて、思わず微笑んでしまった。
正直に生きるってコトは、時として、すーっごく気持ちがよい。
「えっ……」
しかし当の梨華ちゃんは、なぜか困惑顔であたしのコトを見上げている。
かと思うと、右手を軽く胸元に添え、下を向いて黙り込んでしまった。
「あれ?」
おかしいぞ?
”キモい”の反対は、”キモくない”じゃないんだっけ??
それとも、まさかとは思うけど、いや、うっすらと気付いてはいたんだけど、
もしかして好きとか愛してるとか言ったほうがうれしかったとか……?
「どしたのよっすぃー、冴えてんねー。最高級のイヤミだよそれ」
「梨華ちゃん…?」
あたしは矢口さんの横やりを完全無視、俯いてる梨華ちゃんの顔を覗き込む。
おそるおそる確認すると、梨華ちゃんは……笑っていた。
「うそっ、喜んでるし。キショっ」
「そうかな、私…キモくない、かな」
梨華ちゃんは矢口さんの横やりを徹底無視すると、あたしに言った。
「う、うん。だいじょーぶ、だいじょーぶ。もうぜんぜん、イケてるし」
あたしが苦し紛れに答えると、梨華ちゃんは本当に幸せそうに笑った。
そんな彼女のうれしそうな顔を見ていたら、たまには素直になるのも悪くないと思えた。
あたしは梨華ちゃんのコトが好きで、梨華ちゃんもあたしのコトが好きで、そのことはお互いちゃんと、解っていて。
だからあたしの言う「嫌い」=「好き」だってコトも梨華ちゃんはちゃんと理解してくれているハズ、だと、あたしは思っている。
だけどそういう楽チンさに慣れすぎて、カンジンなときにホントの気持ちを言えなくなってしまうのは、とても危険なコトだ。
ただ、この程度で喜んでくれるんだったら……
「今日お泊りしてもいい?」
「えーっ、いいけどぉー。
よっすぃー、ピンクのベッドカバーがキモいとかー、枕カバーもシーツもピンクすぎてキショいよーとか言うじゃんいつもー」
「もう言わないよ。だって、ホントはぜんぜんキショいとか思ってないんだもん」
「…うん。だったら……いいよ」
好きとか愛してるとかは、とーぶん先でも平気かなぁー。みたいな。
<おわり>