イブまでの三週間。

 

――

月曜日。
それは、いつもと変わらない朝だった。

「ひとみ、朝ごはんは?」
「いらない」
玄関にしゃがんで靴を履き、傍に置いといたカバンを引っ掴む。
「最近全然食べてかないじゃんよ。学校でお腹空かないの?」
「遅刻するよっかマシですぅ」

いってらっしゃい、って(たぶん笑顔で)手を振るお母さんのカオもろくに見ないで、
あたしはドアを開け外へ飛び出した。

「ふぁっ…さむ」
外へ出るとすぐに、あたしは足を止めた。手袋を忘れたコトに気付いたのだ。
手袋は、二階のあたしの部屋。すんごく寒いけど、戻れば遅刻は必至。
「いいや」
両手をコートのポケットに突っ込んで、あたしは走り出した。
すんごく寒いけど、遅刻するよかぜんぜん良いもんね。
小脇に抱えたカバンがときどき落っこちそうになって走り辛いけど、そんなコトいちいち気にしてる場合じゃない。

あたしはとにかく走った。
真っ白い息を、怪獣みたくガーッて吐きながら、馴染みの商店街を爆走する。
通りを抜ける頃にはカラダもすっかり温まって、あたしはマフラーを外しながら、横断歩道を渡ってたんだ。

そりゃあ、下向いて歩いてたあたしも悪かったとは思う。
でもコレだけは、自信持って言える。
信号は、ぜったいに、青だったはずだっ。

――

「!」
眠ってるときにいきなり高い所から落っこちたみたく足がビクンってなったときみたいなカンジに襲われて、目が覚めた。
「ん……?」
あれー? あたし、なにやってたんだっけ……。
起きぬけでアタマがぼんやりしてて、思考回路が上手く機能していないらしい。
「ふああ」
あたしは大きく深呼吸すると、寝起きのモヤモヤを振り払うようにぶんぶんとアタマを振った。
頭がクラクラする。貧血だろうか。
やっぱり、朝ゴハン食べてかなかったのがいけなかったのかなぁ…とそこまで考えて、はたと気付く。

そうだ、あたしは今朝、ゴハンも食べずに学校へ行く途中だったんじゃないか。寝起きなんかのワケないっつーの。
そうそう、あたしは今朝、ゴハンも食べずに学校へ行く途中…学校へ、行く…

「あーっ!!」
そうだよ、学校行かなきゃ! 遅刻しちゃうじゃん!!
足を踏み出そうとしてあたしは、何かがおかしいコトに気が付いた。
踏み出そうにも、そもそもあたしは地面を踏んでいないよーな気がする。
ふわふわと、カラダが宙に浮いてるみたいなカンジ。

おそるおそる下を見ると、驚くべきコトにというか、案の定と言うべきか…あたしは宙に、浮いていた。
あたしのすぐ真下、2メートルぐらいの所に人が立ってる。それも1人じゃない。
全身黒ずくめのカッコした人たちが、ざっと、30人くらい。
なんなの? この光景は…。

だだっ広い部屋に、横に20脚ほどのパイプ椅子が何列にも並べられてる。
列の真ん中は通路として開けられていて、そこに黒いスーツを着た男の人や、
黒いワンピース姿の女の人が1人ずつ並んで、何かの順番待ちをしているみたい。
列の先頭に目を遣るとそこには、白い布で覆われた祭壇のようなモノがあった。
見るとあたしと同じ制服を着た女の子がその前に立って、大きな壷のような入れ物に、
30センチはありそうな、めちゃくちゃ長いお線香(とりあえず『ロングお線香』と呼んでおく)を挿し入れている。
そして彼女は両手を合わせてしばらく下を向いていたかと思うとゆっくりと顔を上げ、名残惜しそうに列を離れた。
部屋のあちこちから幾つもの、すすり泣く声が聞こえる。

だだっ広い部屋に、祭壇。
全身黒ずくめの人びと。
制服姿の女子高生、すすり泣き、そして…ロングお線香。

今あたしの眼下で一体、なにが行われているのか。
コレらのヒントを総合して考えると、たどりつく答えはただひとつ。

そう!
イッツ・ア・おそうし…

「き―――っ!?」
ナニゲに祭壇のてっぺんを見た瞬間、あたしは思わず叫んでいた。

「あたしかよっ!!」
のんきに『ロングお線香』とか言ってる場合じゃない。
祭壇に乗っかってる遺影はまぎれもなく、あたしだった。イエイ! いや、んなコト言ってる場合じゃなくて。
あたしの遺影が祭られてるってコトは、コレはあたしのお葬式ってコトになるんでないかい。
とすると…いやぁ自分でも気が付かなかったけど、なにかのはずみであたしはうっかり死んじゃったってコトになるのかな?

えっ。

えっ、えっ、えっ、えっ。えええっ。
ちょっと待ってちょっと待って。冷静になれ冷静になれ。頭を冷やすんだ、自分。

疑問。あたしが…死んだ?
結論。あたしは…死んだ。
反論。やだやだやだやだ、絶対にやだ!! 死にたくない、死にたくないよおっ!!!
っつってももう死んじゃってるんだよねっ!! あああああ、考えがまとまらないっ!!!

ってゆーかそもそも、どうしてこんなコトになったんだ!?
あたしは混乱する頭で、必死に記憶の糸を手繰り寄せる。

今朝(なのかはわかんないけど)はいつもと同じ時間に家を出て、
いつもと同じペースで馴染みの商店街を爆走し、走り疲れたあたしは、
いつもと同じ横断歩道を、歩いて渡っていた。信号は青。
全力疾走したせいですごく暑かったんで、下向いてマフラー外しながら歩いてたんだよね。

そしたらいきなり、後ろから女のヒトの悲鳴が聞こえて……そうだ、思い出した。
その声に驚いて振り返りかけたところで、目の前に大きなトラックらしき車が突っ込んできたんだ。
そこで、あたしの記憶は途切れてる。

避けるヒマなんか無かった。
あたしはたぶん、あのとき突っ込んできた車にはねられて、そこで意識を失ってしまったんだろう。
それからホントにホントに死んじゃったのかどうかは…まだ実感が湧かないから、ノーコメントにしておく。

「はあ…」
思わずタメイキが漏れる。
神様どうか、あたしがまだ死んでいませんように。
お願いですから、幽体離脱とか臨死とか金縛りみたいなレベルの、単なる不思議体験でありますように。

浮遊体(あえて『幽霊』とは言わないでおく)と化したあたしは、宙に浮いたままぐるりと会場を見回した。
隅っこの方で、同じクラスのコたちが数人ずつ、いくつかのグループに分かれて立ってる。
あたしと特別仲の良かったコたちは、みんなもうワケがわかんないくらいに泣きじゃくって、
何度も何度もあたしの名前を呼び続けてる。
わりかし仲の良かったコたちは寄り添って静かに泣いていたし、
挨拶程度の会話しか交わしたコトの無いコたちはまぁ、それなりに悲しそうな顔して立ってる。

「あっ」
祭壇の傍に家族の姿を見つけて、あたしは声を上げた。もちろん、誰もあたしの声には気付かない。
お父さんとお母さんが祭壇の傍に立って、お焼香するヒト一人一人に、丁寧にお辞儀してる。

今朝出るとき、いってきます、って言えばよかったな。
お父さんに寄りかかってどうにか立ってるお母さんを見ながら、そんなコトを考えた。

「や、だ、やだ、なん、でっ、」
よく知ってる声。
クラスでも一番仲の良かった友達が、とうとうその場に泣き崩れてしまった。
近くにいたコがしゃがんで、背中をさすってあげてる。

泣きじゃくる彼女の姿をぼんやり眺めながらあたしは、
あたしのために泣いてくれるんだ、なんてちょっとうれしくなったりして。
まったく自分が死んじゃってるかもしれないってのにノンキなのにも程があるんだけど、さらにあたしは。
そういえば昔、自分のお葬式ってやつを一度この目で見てみたいと思ってたっけ、なんてコトを、考えていた。

ふいに、遺影の自分と目が合う。なんかヘンなカンジ。
写真の中の自分は笑ってたけど、その目はなんだかあたしを責めてるみたい。

遅刻してもいいから、朝ゴハン、食べてけば良かったんだ。
遅刻してもいいから、忘れた手袋、取りに戻れば良かったんだ。
遅刻してもいいから、おかあさんに『いってきます』、言えば良かったんだ。

あたしがカンオケに入らずに済んだかも知れない『もしも』は、数え上げたらきりがない。
だけどそんなのは他の誰でもない、自分がイチバンよく、わかってる。

だからぁ。
「んな、恨めしそーな目で見んなよ」

――

「ってなカンジなんですけど…あたしって、ホントにホントに死んじゃったんでしょーか?」
あたしが、月曜日に自分の身に起きた出来事を話し終えて尋ねると、
「残念ですが」
男は言った。

「あなたは12月2日の午前6時48分、交通事故でお亡くなりになられました」
「今日は?」
「3日です。あなたが先ほど見てきたというのは、今日営まれた告別式の模様ですね。あなたの」
あたしの目の前に立ってる、このオッサン。
顔も声もガッツ石松(テレビタレント)にそっくりなんだけど、彼とは比べ物にならないほど饒舌な男。
純白のワンピースからはみ出た足にはスネ毛がびっしりと生い茂り、頭上には金色に光る輪っかがプカプカと浮いてる。
認めたくはないが…恐らく彼は、天使。

一方あたしのカッコウはというと、純白のワンピースという点では彼と同じだけど…
あたしのは半袖で、丈は彼のモノよりも断然短い、ヒザ上15センチくらいのミニスカート。

「あのー、もしかしてあたしの頭にもくっついてるんですか? その、輪っかみたいなの」
あたしは自分の頭上を指差しながら、彼に尋ねる。
「あるわけないでしょうが。何をほざいてるんですか、まったく図々しい」
なるほどね。輪っかは無し、と。

「いやあ女房のヤツが充電するの忘れててねえ、今日はヒゲ剃ってないんですよ。ゴメンね。今日ちょっと、顔恐いでしょ」
「や、べつに。おかまいなく」
朝から電気カミソリでジョリジョリとヒゲを剃る天使。想像しただけで、めまいがした。しかも女房て。
頭上の輪っかが無いのと露出度がちょい高めなコトを考慮しても、風貌から言えばあたしの方がぜんぜん、天使っぽいと思う。

「それにしても良かったですねえ、天国に来られて。地獄に堕ちちゃってたらもう今頃大変ですよ、あーた」
「ココ、天国なんですか?」
「っていうか私、天使ですから。見りゃわかんでしょ? ね? 地獄に天使はいないでしょ」
「へぇ、天使なんだ。ゴリラかと思った」
「おやおや。これまた失礼なお嬢さんだ。死んでなきゃ殺してるところですがね」
顔とヒゲとスネ毛だけ見ると、どう見ても地獄の門番にしか見えないんだけど、やっぱり彼は天使らしい。
それからココは天国で、どうやらあたしはホントにホントに、死んじゃったらしい。

「ははは」
笑える。
冗談じゃない。だって聞いてないもん、そんなの。
あたしはどこにでもいるごく普通の女子高生で、いつもどおりに起きて学校行こうとしてただけじゃんか。
なのに心の準備もないままにイキナリ死んじゃって、目が覚めたら自分のお葬式観覧してて、
挙句たどり着いた場所が天国だなんて。しかも天使は石松似だし。

「あ、あの、さ」
こみ上げてくる怒りをどうにか抑えつつ、あたしは切り出した。
「はい?」
やけに甲高い声で聞き返してくる石松のノンキ顔が、癇に障った。

「なんであたしが死ななきゃなんないワケ!? 信号青だったじゃん、あたしちゃんと見てたもん!!
したらあのトラック? だかなんだかよく見てないけど、いきなり突っ込んできてさあ!!」
「いや、そんなこと言われても、ねぇ」
落ち着かない様子で目を泳がせる石松の困り顔が、あたしの怒りをさらに煽る。

「だって、あたしナンも悪いコトしてないじゃん! おいちょっと! なぁ生き返らせろよ、オッサン!!」
「いや、今さら生き返ったりしたらみんな驚きますから、止めた方が良いと思いますけど」
「うるさいっ、ゾンビでもなんでもいいから甦らせろ、よっ……!」
天使に掴みかかったところで、あたしの動きがぴたりと止まった。
あたしは手足をジタバタしようにも…う、動けない…なんだこりゃあ。

「お願いですから大人しくして下さいな。あなたはもう死んでしまったし、生き返ることも出来ませんよ」
やれやれ、と天使が肩を竦める。
「ねぇ…ちょっと、コレなに!?」
彼がなにか、見えない力を使っているのだろう、あたしは固まったまま身動きが出来ない。

「まぁまぁ。もう少しそのままで、話を聞いてくださいな」
天使は余裕しゃくしゃく。さらに、動けないあたしに向かって得意げに語りかけてくる。
「ただ、生き返ることは出来ませんが…その代わり、あなたは三週間後、
別の人間として生まれ変わる事が出来ます」
「別の、人間…?」
身動きの取れないあたしは、見えない力に抗うコトを諦め、天使に尋ねた。

「ええ。あなたには再び地球上の何処かに、新しい命として誕生していただきます」
「それって…あたしはもう、あたしじゃなくなる、ってコト?」
「もちろん」
彼の答えを聞いても、なんだかワケがわからなかった。
だってまだ死んだばかりだってのに(しかもあたしは納得してない)、
三週間後には別の人生が用意されてるなんて言われたって…。

「だってあーた、赤ん坊が前世の記憶背負ったまま生まれてきたら嫌でしょ。すごく嫌でしょ、それ」
「そりゃ嫌ですけど」
「だってあーた、産声がアレですよ、『ゾンビでもなんでもいいから甦らせろよ、おぎゃあー』とかだったら、ものすごく嫌でしょ」
「………」
どうやらオッチャンは、あたしがさっき彼に殴りかかったコトをそうとう根に持っているらしい。

「とにかく」
言いながら、天使がポケットから何かを取り出す。

「吉澤ひとみさんの人生は、あと三週間で終わっちゃいますからそのつもりで」
天使が差し出したものは、小さな砂時計だった。

――

すっ、とカラダが軽くなった。どうやら呪いが解けたらしい。
あたしは自由になった右手で、天使の差し出した砂時計を受け取った。

「ここには時計がありませんから、代わりにそれを使って下さい」
言われて辺りを見回すと、確かに時計らしきモノは見当たらない。
それどころかあたしの周辺には、物というものが一切無かった。
見渡す限りどこまでも続いている、何も無い空間と、白一色の硬い床。
見上げると頭上は濃い霧に覆われていて、天井があるのかどうかは判らない。

「12月24日、午前1時ちょうど。
この砂が全て下へ落ちた時、あなたは地上で別の人間に生まれ変わるのです」
なるほど。
時計もカレンダーも無い代わりにコレを見れば、あたしに残された時間があとどれくらいかわかる、ってコトか。
あたしは自分の手のひらに乗っかったそれを、じっと見た。

中にベージュ色の砂が詰まった、一見どこにでもある普通の砂時計。
ただ違うのは、普通の砂時計に比べて砂の落ちる速度が、極端に遅いコト。
ってゆーか、ホントに動いてんのかな、コレ。
さっきからじーっと見てるけど、砂はまだ一粒も落ちてない。

「もう会うことはないでしょう。それでは、良い休暇を」
天使はそう言うと、あたしに背を向け歩き出した。
「ちょっと待ってよ」
あたしは慌てて彼を引き留める。
だって、こんな何も無いトコに一人ぼっちで置いてかれちゃたまんないもん。

「こんなトコで三週間も、どうしろって言うんですか?」
「退屈だ、と?」
天使はあたしへ振り返ると、逆に問い返してきた。

「それもあるけどさぁ…ココって、食べるモノとか、何も無いじゃないですか」
「ほう。あなた、おなか空いてるんですか?」
「いや…そういやぜんぜん、空いてないけど」
あたしが答えるとゴリラ、もとい、天使はにやりと笑って言った。
「でしょうね。ここでは、食事は必要ありませんよ。それから、睡眠もね」
確かに言われてみると、あたしが死んだのは昨日の朝。
丸一日以上なにも口にしていないはずなのに空腹感ってモノ、まるで感じない。
まぁ、死んでんだから当たり前っちゃあ、当たり前なのかも知れないけど。

「そうそう、一時間ほど前ですかねえ。あなたぐらいの年の女の子が、ここへ来たんですよ。
彼女はあなたと違って、子供の頃からの病が原因でね。
もし一人で退屈なら、ちょうどいい話し相手になると思いますよ」
相変わらずのノンキ顔で、天使が言う。
まったくコイツに抗議したいコトは山ほどあれど、何を言ってもムダなコトは痛いほどよく解ってる。
彼の言うとおりあたしはもう死んでしまったし、生き返るコトも出来ない。もう、何も出来ない。
あたしに許されているのは、ココで来世までの三週間を、『待つ』コトのみ。

「そのヒト、どこにいるんですか?」
とはいえ、こんなトコで三週間もボーっと過ごすなんてあたしには耐えられそうに無い。
ゴリラの言うとおり退屈しのぎにもなるし、そのときをただ待っているより、
話し相手でもいたほうがよっぽどマシな三週間になるはず。
あたしにとっても、そしてたぶん…まだ見たコトのない、その彼女にとっても。

「さあ。そんなに遠くへは行ってないと思うんですけど」
「さあ、ってオマエなぁ」
ムダな抵抗と知りつつも、やっぱりコイツには抗議したい事項が山積み。

「まだこの辺をうろうろしているかも知れないから、探してみてはいかがですか? そんじゃ」
天使は一方的に言うと、魔法みたいにあたしの前から、すっ、と消えてしまった。
「………」
ヤツはもう、二度とあたしの前には現れないつもりだろうか。
あたしは拳を握り、ついさっきまでヤツが立っていた場所を穴が開くほど凝視した。
さらば石松。死ぬ前に、いや生まれ変わる前に一度でいい、おまえを…殴っておきたかった。

「んじゃ、行きますか」
シーン…。何も無い空間に、あたしの独り言が虚しく響く。
あーあ。ホントにひとりぼっちになっちゃったんだなぁ、あたし…
こういう状況に置かれると、あんなオッサンでも居てくれた方がよっぽどマシだなんて思えてくる。
いかんいかん、こんなコトでは。とっとと話し相手を探しに出かけよう。
天使によると、彼女がココへ到着したのは今から一時間ほど前、とのこと。
グズグズしてると、どんどん遠くへ歩いて行っちゃうかも知れない。
こうしちゃいられない。あたしは大切な砂時計をポケットに仕舞うと、あても無く歩き始めた。

景色の無い道を一人ぼっちで歩いていると、ココへ来る前に見てきたいろんな場面が思い出された。
写真の中で、笑ってたあたし。
当たり前だけどアレを撮ったときのあたしは、まさかこの写真が自分の葬式で遺影として使用されるなんて思いもしなかった。

泣いてたお母さん、必死に堪えてたお父さん。
友達、先生、それから他にもたくさん。
あたしには、あたしがいなくなったときに泣いてくれるヒトが、本当にたくさんいたんだ。
死んでからそんなコトに気付くってのも、なんだか皮肉なハナシだけど。

「…っ」
やばい。いろんなコト思い出してたら、なんだか泣けてきてしまった。
肩口でぐしぐしと目を拭うと、あたしは足を速めた。
一秒でも早く、誰かと話がしたかった。

「待って」
ふいに誰かの声がして、あたしは後ろを振り返った。
「あ…」
距離にして2メートルぐらい後方に、女の子が座ってる。
あたしの後ろに座ってるってコトは、あたしは彼女の前を気付かずに通り過ぎてしまったんだろう。
考え事してたとはいえ、我ながらマヌケだなぁ。

「ねぇ」
女の子は立ち上がると、あたしの方へ歩いて来て言った。
彼女は、あたしとお揃いのワンピース着てる。
どうやらココへ来ると誰もが、強制的にこのカッコさせられるらしい。

「あなたも、死んだの?」
甘ったるくてカワイイ、いかにも『オンナノコ』な声。
肩まで伸ばした黒髪。身長はたぶんあたしより10センチ近く小さい、160弱ってトコだろうか。
女の子にしては低音の声に、髪はショートでちょっとだけ茶色くしてるあたしとは対極の存在、ってカンジ。
すっと鼻筋の通った、綺麗な顔立ち。
彼女、同性のあたしから見ても、すっごくカワイイ。
生前はさぞや、クラスの男子にモテていただろうと思われる。
なんというか、惜しいヒトを亡くしたというか…ああ、もったいない。

「ねぇってば」
「えっ」
しまった。彼女に見とれるあまり、シカトしちゃってた。

「あ、うん。そっちも、だよね」
あわてて尋ねると、彼女は静かに頷いた。予想通りの回答。
あたしと歳も近そうだし、天使が言ってた『ちょうどいい話し相手』ってのはたぶん、このコのコトだろう。

「もしかしてさぁ、インチキくさい天使に会ったでしょ?」
あたしは念のため、確認してみる。

「うん。なんか、ちょっと怪しい人」
「ガッツ石松に似てるよね、あのヒト」
カンが当たって調子に乗ったあたしは、ついでに自らの感性をも確認。
「あ、私も思ったそれ」
「でしょっ? だよねー!!」
あたしは彼女の顔を指差し、声を上げた。このコとは、めちゃめちゃ気が合いそうな予感がする。
彼女は一瞬きょとんとして、そして、くすっ、と笑った。

「あっそうだ。あたしは、吉澤ひとみ。そっちは?」
あたしは、自分の名前よりも先に『ガッツ石松』の名を彼女にインプットしてしまったコトを悔やみつつ、自己紹介。
「石川、りか」
「へぇ」
りか、って響きが可愛くて、なんだか彼女にハマリすぎていて、あたしは思わず微笑んだ。

「りか、って、どーゆー字?」
「なし、っていう字、わかる?」
「なし、って果物の、ナシ?」
うん、と言うと彼女はしゃがんで、床の上に指で大きく、『梨』と書いた。
「りかの『か』は、こういうの」
彼女はまた同じように指で、今度は『華』という字を書いた。
「そっかぁ」
あたしはまた微笑んだ。石川梨華。漢字にしてもやっぱり、彼女にハマりすぎている。

「梨華ちゃん」
あたしはいきなり、彼女を名前で呼んだ。
「なに?」
「あ、べつに、ちょっと、呼んでみた」
友達を名字じゃなく、初めて名前で呼ぶときって、少し緊張する。
普通は名字から、下の名前とかあだ名に変わるまでに少し時間がかかったりするものだけど、あたしには時間が無い。
最初に彼女のコト『石川さん』って呼んじゃったら、結局最後まで『石川さん』な気がするし、
それでも別に構わないんだけど、なんとなく寂しい気もする。
だって彼女は今の吉澤ひとみにとって、きっと、最後の友達になるんだから。

「ひとみちゃん、は、どういう字、書くの?」
あたしの名前を呼んだ梨華ちゃんの声は、少し上ずっていて不自然だった。
きっと彼女もあたしと同じで、緊張してたんだろう。
「ひらがな」
梨華ちゃんがなんだか照れくさそうにしてたんで、あたしは間髪入れずに答えてあげた。
「でもねぇ、よしざわの『ざわ』は、難しい方の字なんだけど」
あたしも梨華ちゃんのマネして彼女の隣にしゃがむと、指で大きく『澤』を書いた。
あたしたちは、床に足を投げ出して座った。

「良かった。私、これから一人でどうしようって、すごく不安だったから…。
でもひとみちゃん、気付かずに行っちゃうから、とっさに声かけちゃった。うそーって。行かないでーって」
梨華ちゃんが大げさに、泣きまねをする。
「ゴリに聞いてたからホントはあたし、梨華ちゃんのコト探してたんだけどね。ちょっと、ボーっとしてた」
緊張したのは最初の一回だけ。二度目からはもう自然に、あたしたちはお互いを名前で呼び合えてた。

「泣いてた、でしょ。ひとみちゃん」
「えっ」
ドキッとした。あのとき泣いてたの、梨華ちゃんにしっかり見られてたらしい。

「あ、バレてた? 実はね。ボーっとしてたんじゃなくて」
あたしは思わず苦笑い。

「あのね。ヘンな話、してもいい?」
両手をもじもじさせながら、梨華ちゃんが言った。
「えっ?」
てっきり泣いてた理由を聞かれるものだと思ってたあたしは少し、拍子抜け。

「私ね、自分のお葬式、見てみたいって思ったことがあって」
あ…。
「いつも仲良くしてるコとか、お父さんとかお母さんとか…みんな、私が死んだら泣くのかなぁって」
同じだ。梨華ちゃん、あたしと同じコト考えてる。
どきどきしながら、それから、死んでんのにどきどきとかするんだなぁ、とか思いながら、あたしは彼女の声を聞いていた。

「見れたの?」
「うん。みんな案外、」
「「悲しがってた」」
梨華ちゃんは、あたしを見てきょとんとしてる。
「あたしもね、同じコト思ってたから」
「そうなんだ」
そう言うと梨華ちゃんは、安心したようにため息をついた。

「私ね、それ見て、なんかホッとしたの。自分が死んじゃってるのに、こんなのヘンだけど…。
だって悲しんでくれる人がいるってことは、私がこの世に生きてた意味、少しはあったってことだから」
横目でそっと、梨華ちゃんの顔を盗み見る。
梨華ちゃんはあたしの視線にはまるで気付かずにぼんやりと、どこか遠くの方を見つめている。

「私、小学生の頃からずっと、病院にいたのね。退院できてもまたすぐに入院して、ずっとその繰り返しで」
…そっか。梨華ちゃんは病気が原因でココに来るハメになったんだって、あの天使が言ってたっけ。
あたしは彼女が生前はさぞかしモテまくりだったんだろう、なんてノンキに考えてたコト、深く反省。

「だから、友達だってほとんどいなかったし。
お見舞いに来てくれたり、元気になってねって言ってくれるコも、もしかしたら上辺だけなのかもって。
家族にも迷惑かけてばっかりだったし…だから私が死んでも、泣く人なんかいないんじゃないかって思ってたから。
ヘンでしょ? いろんな人が泣いてくれて、うれしいとかじゃなくて、ホッとしてるんだよ、私」
梨華ちゃんは、悲しいカオで笑った。
ちょっと矛盾してる気もするけど、梨華ちゃんの笑顔は、悲しい笑顔。
悲しいときに笑うのは、声を上げて泣くのよりもずっと辛いことだ。
でもきっと彼女は、子供の頃からずっとそうやって生きてきたんだろうなぁって、あたしは思った。

「あたしもそうだよ。みんなが泣いてんの見て、ホッとしたもん」
それは半分は嘘で、半分は本当だ。

あのときのあたしは家族や友達が泣いてるの見て、素直にうれしかったんだけど…
思うにそれは、自分が誰かに愛されてたり、必要とされてたり、そういうのを確認できたのがうれしかったんだと思うワケで。
そういう気持ちは、梨華ちゃんの言う『ホッとした』ってのと、根底は同じだと思うんだ。
だから、
「梨華ちゃんだけじゃないよ」
すると梨華ちゃんは例の悲しい微笑を浮かべて、小さな声で「ありがとう」って言った。
もしかして嘘ついたの、バレちゃったかな…。

「ひとみちゃんは、どうして…」
「あたし?」
きっと、あたしの死因のコト言ってるんだな…。

「ええっとぉー、ひとみはぁ、交通事故でー、あっけなく逝っちゃいましたぁ」
ブリッコ口調であたしが言うと、梨華ちゃんは声を上げて笑った。
「ひっどぉーい。笑い事じゃないでしょー?」
「だってひとみちゃん、笑かそうとしてるもん、ぜったい」
あたしの狙い通り梨華ちゃんは、本当に楽しそうに笑ってる。

おせっかいかも知れないけど梨華ちゃんがもしも地上にいたとき、心から笑えなかったんだとしたら。
ココではたくさん、笑えるといいよね。

――

「色、ちがうんだね」
あたしはポケットから自分の砂時計を取り出すと、床の上に、梨華ちゃんのと並べて置いた。
「ホントだ。ひとみちゃんのはホントに、砂みたいな色してる」
あたしの砂時計の砂はベージュ色で、あたしと同じく例の天使にもらったという梨華ちゃんの砂時計には、
ピンク色の砂が詰まっている。

「でもこんな小っちゃくて、三週間も持つんだねぇ」
砂はあたしのも梨華ちゃんのもまだ、ほんの数粒しか下へ落ちていない。
もらってすぐポケットに入れちゃったから、砂が落ちた瞬間をまだ見たコトがないんだけど…
聞けば梨華ちゃんもずっとポケットに入れたままで、まだ目撃していないとのコト。

「私のは、ひとみちゃんのより一時間ぶんくらい早く、落ちてるってコトよね」
「んー。見た目じゃあんま変わんないけど、そうなんだろうね」
「本当にコレ、大丈夫なのかなぁ」
梨華ちゃんは少し不安そう。

話によると梨華ちゃんは、12月24日の午前0時に生まれ変わると、天使に告げられたらしい。
あたしは同じ日の午前1時だってハナシだから、梨華ちゃんよりも一時間遅く地上に生まれるってコトになる。
天使の話だと、梨華ちゃんはあたしの一時間ぐらい前に砂時計を受け取ってるらしいけど、
彼女はあたしより一時間早く生まれ変わるんだから、入ってる砂の総量はあたしのとほぼ同じなはず。

天使が言ってた、梨華ちゃんが『一時間ほど前に』ココへ来た、ってのを信じるならば、
梨華ちゃんの砂時計はあたしのより一時間先を行ってるはずなんだけど…
この砂時計、落ちるペースが激遅だし、いったい何分毎に一粒ずつ落ちてるのかもわかんないし、
今ひとつ信用性に欠けるモノがある。

ってゆーかそれ以前に、砂時計なんつー原始的なモンで人生の残り時間を計れってコト自体、まったく酷いハナシだと思う。
ちっきしょー、石松め…! 心の奥底に眠っていた怒りが、ふつふつと甦ってくる。
まだ砂がぜんぶ落ちてないのに、心の準備も無くいきなり生まれ変わるハメになったりしたら、
あのヤロー…今度こそ、アンパンチくれてやっからなっ。

「ねぇ、生まれ変わったらなにしたいとか、もう考えてる?」
「えー?」
考え事してたせいで無防備だったあたしは、フニャフニャのアホ面で聞き返してしまった。
「ねぇ、考えたりしてる?」
あたしのマヌケ顔とは反対に、梨華ちゃんの表情は真剣そのもの。
だけど生まれ変わった後、つまり来世で何がしたいかなんて…梨華ちゃんってば、突然なに言い出すんだろ。
天使も言ってたけど、生まれ変わったらあたしたちはもう、今のあたしたちじゃなくなっちゃうってのに。

「いや…考えるもなにもうちら、覚えてらんないんだよ? そんなの、考えるだけムダじゃない?」
あたしの言ってるコト、正論だって自信あるのに…梨華ちゃんの真っ直ぐな目で見つめられると、
なんだか悪いコトしてるみたいな気がしてきて、あたしは彼女から視線を逸らした。

「本当に、なにも残らないと思う?」
梨華ちゃんは、さらに真剣なカオで聞いてくる。
「…どういう意味?」
あたしは困ってしまった。
梨華ちゃんって、ちょっと頑固なトコあんのかなぁ…しかも言ってるコト唐突だし。意味もよくわかんないし。

「私が生きてたときに、なにが楽しかったとか、なにが美味しかったとか、うれしいのとか悲しいのとか、
それから、生まれ変わったらなにがしたいとか、そういうのぜんぶ、無かったことになっちゃうのかな」
「ああ、そーゆーコトかぁ」
あたしはそれきり、何も言えなかった。
実際のところあたしにもよくわかんないし、死んでるって言われたって今あたしはこうして動いたり喋ったりしてるワケだし、
自分という存在が消えてしまうコトへの実感は、まだちゃんと湧いてない。

「じゃあ…梨華ちゃんは、なにがしたいの?」
あたしは彼女が何も言ってくれないんで、苦し紛れに聞いた。
「聞くんだ? 考えるだけムダなんでしょ?」
梨華ちゃんが、意地悪く質問してくる。
むぅ…口元がびみょーに緩んでるトコ見ると、怒ったフリであたしをからかって楽しんでいると見える。

「やー、ほら、よく考えたらさ、あたしは梨華ちゃんよか一時間、長生きできるワケじゃん?
だから梨華ちゃんが生まれ変わっても一時間は、あたしが覚えててあげられるっしょ」
「あはっ、『長生き』ってなにー?」
とうとうこらえきれずに、梨華ちゃんは笑い出した。

「でも、ホントに教えて? 気になるよ」
あたしが真剣に聞くと、
「ひとみちゃんみたいになりたい」
床に立ててあった、あたしの砂時計に触りながら、梨華ちゃんが言った。
「ひとみちゃんみたく、元気なコに生まれ変われたら…それ以上に幸せなコトって、ないよ」
「……そだね」
あたしならたとえば、得意のバレーボールでオリンピック行きたいとか、ちょっと壮大なコトを望んじゃうんだけど。
あたしが今まで普通にしてきたコトが、梨華ちゃんにとってはずっと、我慢しなきゃいけないコトだったんだもんね。

「ねぇ、ちょっと歩かない?」
あたしは立ち上がると、梨華ちゃんの答えも聞かずに右手を差し出した。
「どこに行くの?」
あたしの手を取って、梨華ちゃんが言う。

「どこ行っても、なにも無いとは思うけどさ。ココでじっとしてるよりマシじゃん」
「そっかな。なにも無いとは限んないんじゃない?」
梨華ちゃんは立ち上がると、空いた方の手でスカートに付いた埃を払ってる。
「梨華ちゃんってなんつーかさぁ……前向きだよね」
「そう。ポジティブなの、私」
冗談っぽく笑う。
見渡す限りなにも無い空間と、真っ白な床、霧に覆われた真っ白な天井。
白い世界の中で、あたしと梨華ちゃんの砂の色は、やけにくっきりと浮かび上がって見える。

「コレ忘れちゃ、大変だよね」
梨華ちゃんはつないでいた手を離すと、あたしの砂時計と自分のとを拾い上げた。
あーあ、手、離しちゃった……ってなにコドモみたいなコト考えてんだ、あたしは。
だけど小学生の遠足みたいに、誰かと仲良く手つないで歩きたい気分だったんだけどなぁ。

「ひとみちゃん?」
「んっ?」
我に返ると、梨華ちゃんが不思議そうにあたしの顔、覗き込んでた。

「はい、ひとみちゃんの」
「ああ、ありがと」
落とさないでね、と言うと梨華ちゃんは、あたしの手にそれを握らせてくれた。

たぶん小学生の遠足みたく、誰でも良いから誰かと手をつないで歩きたいだけのはずなんだけど、
野球部のAくんでも、ブラスバンド部のBくんでも、とにかく誰でも良かったはずなんだけど……
だったらどうしてこんなに、手が触れただけでこんなに、どきどきしちゃうんだろ。

「…気のせいでしょ」
ひとみちゃんが梨華ちゃんに、つまりオンナノコがオンナノコに、どきどきとかするワケないっしょ。
それからついでに言っちゃえば、うちら死んでんのに、どきどきとかするワケないっしょ。

「ひとみちゃん?」
「んっ?」
我に返るとまたもや梨華ちゃんが、不思議そうなカオしてあたしを覗き込んでた。
「行こ」
ふわっ、と、あたしの左手が引かれる。

「…あーい」
脳内ではさんざん否定してたくせして、あたしのカラダは正直モノ。
にやぁ、って思わず、口元が緩んでしまう。
梨華ちゃんは照れくさいのか、何も言わずにあたしの手を引っ張ってずんずん歩いてく。

「ねぇ、梨華ちゃんって遠足とか、行ったコトあんの?」
「ううん。そういうのってぜんぶ、ダメだったから」
梨華ちゃんは、ようやく歩く速度を緩めてくれた。

「じゃあ、コレは遠足ってコトにしよ」
「えーっ、さみしいよー。お弁当もおやつもないのに?」
あたしのせっかくの提案なのに、梨華ちゃんは不満顔。
「いーじゃん。ワガママ言わないでよ、イシカワさーん」
「いーでしょ、ずっとワガママ言えなかったんだから」
生きてるときにワガママ言えなかったからって言いたいんだろう。
でも気持ちはわかるけど、無理なモノは無理なんだからね。

「じゃあ、ビンボー遠足ってコトでひとつ」
名称を変更すると、梨華ちゃんは唇を尖らせて無言の抗議。
「はあーい、ちゃんと先生に付いてきてくださいねー、イシカワさあーん」
耐え切れず、梨華ちゃんが吹き出す。
「もう、わかったからやめてよ、その呼び方」
彼女の『怒ったフリ』は今ひとつ、持続性に欠けるらしい。

「じゃあさ、じゃあさぁ」
つないだ手をぶんぶん振りながら、二人して歩く。
あたしたちは靴を履いていなかったけど、硬い床は冷たすぎず暖かすぎずちょうどいい、適温ってやつ。
「なに歌おっか?」
やっぱり遠足といえば、合唱だよね。二人しかいないってのが、ちょっと寂しいけど。
「えっ?」
梨華ちゃんはきょとんとしてる。
確かに、今までの彼女の辞書に遠足の二文字は無かったんだから…この反応も、当然といえば当然かな。

「だって遠足といえば歌でしょ、やっぱり」
初心者の梨華ちゃんに、あたしは遠足の何たるかを優しくレクチャー。
だけど当の梨華ちゃんは、どうしたんだろ…なんか浮かない顔してる。
「いいよ、私は。ひとみちゃんだけ、歌えば?」
「はあ? なにそれ」
なんて協調性のない…まったく、ワガママにも程があるってモンだ。

「なんでー? いっしょに、」
言いかけて、ハッとする。
梨華ちゃんってば、もしかして……。

「もしかしてさぁ、梨華ちゃんって……オンチ、とか?」
「やっ!? ちがっ、ちがいますぅー!! ぜったい違うんだからねっ!!」
どうやら図星だったらしい。

「いーじゃん、へたくそでも。誰もいないんだし」
「…ひとみちゃんがいるじゃん」
「ああ、へーきへーき。あたし、耳は頑丈にできてるから」
つないだ手が後ろへ引っ張られる。
梨華ちゃんが、立ち止まったんだ。

「もういい。私行かない」
拗ねたように言う。

「じゃあ、あたしも行かない」
あたしが反撃に出ると、梨華ちゃんは下を向いて黙り込んでしまった。楽しい遠足は一転して、険悪ムード。
梨華ちゃんはきっと、生前言えなくて溜まりに溜まったワガママを、ここぞとばかりあたしにぶつけてるんだろう。
しゃーない、ココはひとつ吉澤サンが、オトナになりますか。

「じゃあ、歌わない。だったら行く?」
梨華ちゃんは上目遣いであたしを見ると、こくん、と頷いた。
あたしが彼女の手を引いて、あたしたちは再び歩き出した。

「不思議だよね」
死んでんのに、どきどきとかするのもヘンなハナシだけど。
手をつないで歩いてると、それと同じくらいに不思議なコト、あたしは今さらながら発見した。
「なに?」
「ほら」
あたしは、つないだ手に力をこめる。
「ちゃんと、あったかい」
すると確かめるように、今度は梨華ちゃんがあたしの手をぎゅっと握り返した。

天使の計らいなのか、それともあたしが『あったかい』とか『どきどきしてる』とか、
勝手に思い込んでるだけなのかも知れないけど。

「…ホントだ」
梨華ちゃんも同じように感じてくれてるのなら、そんなのはどっちだっていいやって思う。

「やだ、すっごい目立つ…」
歩きながら、独り言みたいに小さな声で、梨華ちゃんが言った。
彼女はあたしとつないだ手を、じーっと見つめてる。

「どうしたの?」
「私…色、黒いでしょ。だからひとみちゃんとくっついたらホントに、白と黒、ってカンジだもん」
そう言うと梨華ちゃんは、恥ずかしそうに目を伏せた。
あたしは立ち止まって、改めて彼女の姿を上から下まで眺めてみる。
梨華ちゃんの顔、半袖の腕、ミニスカートから伸びた細い脚。
言われてみると確かに梨華ちゃんの肌は、あたしが夏にちょっと日焼けしたときみたいな、ほんのり小麦色。
コレが日焼けでないとしたら…本人に言うと怒るだろうけど、リッパな『地黒』ってやつだと思う。

「そんなに見なくていいってば」
梨華ちゃんが唇を尖らす。
「あ、ゴメン」
梨華ちゃん、色が黒いコト、歌が苦手なのと同じくらい、気にしてるのかも知れない。
あたしはごまかすように、彼女の手を引いて歩き出した。
真っ白な世界の中で、あたしと梨華ちゃんの砂の色に加えてもうひとつ、色があった。
だけど本人に言うと怒られそうだから、コレはあたしだけの秘密にしておく。

「白と黒か。お葬式カラーじゃん」
「ひとみちゃん…それ、笑えない」
「そぅお?」
笑えない、って言ったくせに梨華ちゃんは言葉とは反対に、けらけら笑ってる。

イブまでの三週間は、とても楽しい毎日になりそう。
だけどそれが終わる日のコトを、あたしはまだ考えたくはなかった。

だいじょうぶ。
砂はまだ、ほとんど落ちてやしない。

梨華ちゃんの手を引きながら、あたしはポケットに砂時計を仕舞った。

――

「ちょっと、休もっか」
「え? 私、まだ大丈夫だけど」
梨華ちゃんは平然と言い放つ。

「…ちがくて。あたしが、疲れたの」
あたしは足を止めた。あたしと手をつないでる梨華ちゃんも当然、いっしょにストップ。
「ってゆーか梨華ちゃん、なんでそんなに元気なのー?」
あれから途中に何度か休憩を挟みつつも、あたしたちはひたすら、景色の無い空間を歩き続けた。
歩き疲れて全身バテバテのあたしとは対照的に、梨華ちゃんの表情に疲労の色はゼロ。
最後に休んだの、いつだろう…ココには時計が無いから、いったい何時間歩き続けてるのかわかんないけど、
そーとー、そーとー、そーっとぉな距離を歩いたコトだけは、間違いない。
(自称)校内一の健脚少女であるあたしの足が棒のよーになってるのが、なによりの証拠。

「だって、こんなに歩いたの初めてなんだもん。なんか楽しくて」
「気持ちはわかるけどさぁ」
まだ先は長いんだから…ってのもヘンか。
だってあたしたちが行こうとしてる先には、ゴールなんか無いんだもんね。

「ふああ、つっかれたぁー」
あたしは床に大の字になった。
梨華ちゃんはあたしのすぐ傍に、横座りしてる。

「ひとみちゃん、なんかオジサンみたい」
あたしを見下ろしながら、呆れたように梨華ちゃんが言う。
勝ち誇ったようなその態度にカチンときたあたしは梨華ちゃんの方へごろりと寝返りを打つと、言った。
「んだよぉ。んーなコト言う悪いコはぁ、オッチャンがぁ、スカートめくっちゃうんだからなあああ」
あたしは寝転んだまま、素早い動きで梨華ちゃんの膝に手を伸ばす。
「やあっ、ちょっと」
梨華ちゃんはスカートの裾を押さえながら、必死の抵抗。

「えへへへへ。はいてんのかよぉ、ちゃんとはいてんのかよぉぉ」
「はいて、ますっ!」
ノッてくれてるのか本気で答えてるのかわかんなくて、あたしは少々戸惑いを覚えた。

「なーんてね」
これ以上やるとほとんどヘンタイなので、あたしは大人しく梨華ちゃんの膝から手を退ける。
こーゆーのは、引き際がカンジン、ってね。
「もうっ」
まだ警戒してるのか梨華ちゃんは、なおも両手でスカートの裾をしっかり押さえてる。

「でもゴメン、ホントに見えちゃった」
「うそっ!?」
「うそぉ」
「もーっ!」
カオを真っ赤にした梨華ちゃんが、あたしの腕をぴしゃりと叩く。
「あはははは」
あたしは、床の上で笑い転げた。
梨華ちゃんってメチャメチャ、からかい甲斐のあるコだなぁ…。

「はは、は」
ってゆーかちょっと、なにやってんだあたしは。
コレじゃまるで、『バカッポー、彼の部屋でじゃれ合う』の図じゃないか……あたしは軽く、自己嫌悪。
ひとみちゃんが梨華ちゃんに、つまりオンナノコがオンナノコに、どきどきとかするワケないっしょ、ってあれほど…。

「ねぇ」
話しかけられて我に返ると、あたしの目の前には梨華ちゃんの砂時計が置かれていた。
「もう、一日とか、経っちゃったかな」
言われてあたしは、まじまじとそれを見る。
梨華ちゃんは不安そうなカオであたしのコト、見下ろしてる。

「24時間ってコト? さすがにそれはまだでしょ」
あたしが答えると梨華ちゃんは、ホッとしたように頷いた。

梨華ちゃんの、残り時間が気になるって気持ち、同じ立場にあるあたしにもよくわかる。
だけど実際、下に落ちてる砂は、指でほんのひとつまみ、って程度。
上から覗いてもまだぜんぜん、底が見えてる状態。
(あんまりアテにはなんないけど)ひとみの体内時計から予測しても、せいぜい半日ってトコじゃないだろうか。

「こんなの、まだ見なくたっていいよ」
「そうよね。まだこれだけしか、落ちてないもん」
自分に言い聞かせるみたくそう言って梨華ちゃんが、傍の砂時計を弄ぶ仕種に、あたしは見とれた。
細くて綺麗な指。人差し指がガラスを、下から上に向かってゆっくりと、繰り返しなぞる。
あたしはなんとなく、彼女の仕種に込められた意味がわかった気がして、そのリズムに合わせて心の中で何度も唱えた。

時間よ戻れ。時間よ、戻れ。

「梨華ちゃん」
「うん」
梨華ちゃんは砂時計を、再びポケットの中に仕舞った。

――

今日も、あたしたちは歩いてる。
って言っても、時間もわかんないし、お腹も空かないし、眠くもなんないから…
いったいどこまでが今日で、どこからが明日なのかなんて、ぜんぜんわかんないんだけど。

「ねぇ、もう何日ぐらい経ったかな」
梨華ちゃんのこのセリフ、もう何回ぐらい聞いたかな。
彼女とは反対に人生の残り時間についてなるべく考えないようにしてたあたしは、
その度に現実に引き戻されて、その度にずーんと、重たい気分になってしまう。

「んー、わかんないけどさぁ」
始めのうちはあたしも、えっとぜんぶで三週間なんだから一週間がコレぐらいとして、なんてマジメに答えてたんだけど…
梨華ちゃんがあんまり何度も聞いてくるんで、ちゃんと答えるの、だんだんメンドくさくなってしまった。
「一週間ぐらいじゃない?」
あたしは砂時計を見もせず、てきとーに答える。
歩きながらしょっちゅう砂時計を出しちゃあ、マメに確認してる梨華ちゃんとは対照的に、
あたしのはもうずいぶんと前から、ポケットの中に仕舞ったまま。

「一週間、か…それぐらいかもね」
左に持った砂時計を眺めながら寂しそうに、梨華ちゃんが言った。
「えっ」
自分で言っといてナンだけど、まさか同意を得られるとは思わなかった。
あたしは立ち止まると、自分の砂時計を確認する。
するとあたしのイイカゲンな予想通り、砂は全体のちょうど3分の1くらいが下へ落ちてる。
気持ち、ちょっと多めに見積もったつもりだったのに…いきなり現実を突きつけられて、
あたしはまた暗い気分になってしまった。

「休憩する?」
あたしの暗い表情を『疲れ』ととったのか、梨華ちゃんが気遣ってくれる。
「うん」
なんだか歩く気力を失ってしまった…彼女の厚意に、素直に甘えるコトにしよう。
つないでいた手を離すと、あたしたちはその場に腰を下ろした。
二人の砂時計を並べて置くとすぐに、梨華ちゃんはあたしのそれを手に取った。
あたしの砂時計を自分の手のひらに乗っけて、何やらじーっと眺めている。
「ねぇ」
梨華ちゃんが言った。

「海の砂って、本当にこんなカンジ?」
「え?」
梨華ちゃんの言ったコトの意味がわかんなくて、思わずキョトンとしてしまった。
彼女の視線の先には、あたしの砂時計。中にはベージュ色の砂が詰まってる。

「私、行ったコトないから」
「ああ…」
そっか。それで梨華ちゃん、あんなコト聞いたんだ。
「海に行くのも、ダメだったの?」
体に負担がかかるから、遠足に行っちゃダメってのは、わかる気がする。
だけど海なら、泳がないまでも眺めるぐらいだったら、車でだって何だって行けるじゃんか。
彼女には、そのぐらいのワガママも許されなかったんだろうか。
「言えば、連れてってくれたと思うけど…でもなんか、言えなかったの」
寂しそうな横顔。

(『家族にも迷惑かけてばっかりだったし…だから私が死んでも、泣く人なんかいないんじゃないかって思ってたから』)
最初に会ったとき、梨華ちゃんが言ってた。
海が見たい、ってたったそれぐらいのワガママが、梨華ちゃんの言う、
家族に迷惑をかけるコトなんだとしたら…そんなのってなんか、悲しすぎる。

「そういうのさぁ…梨華ちゃんのお父さんとかお母さんも、言って欲しかったんじゃないかな」
今さらこんなコト言ったってはじまらないけど…案の定、梨華ちゃんは俯いて黙り込んでしまった。
「あ、なんか勝手なコト言ってるね。ゴメン」
梨華ちゃん、地上での辛かったコトとか、いろいろ思い出しちゃったのかもしれない。
あたしが謝ると梨華ちゃんは、「ううん」と短く言って、また黙ってしまった。

だったらあたしが、どこへでも連れてってあげるよ。
そんな風に胸張って言えたら、どんなに良いだろう。
けれど今のあたしが彼女のためにしてあげられるコトなんて、なにひとつ無い。
だってココには自転車も無いし電車だって走ってないし、海も砂浜も、とにかく何にもないんだから。

「りーかちゃん」
「…ん?」
上の空ってカンジでボーっとしてた梨華ちゃんは、あたしの呼びかけでようやく我に返ったらしい。
「なによぉ」
あたしが何も言わずじーっと見てると、梨華ちゃんがムクれて言った。
ココには時計がないから、何時間なのか何日間なのか、正確にはわからないけど…
梨華ちゃん、このごろ笑ってないなぁ。

「そろそろ、だいじょうぶ?」
しばらく休憩した後で、梨華ちゃんが言った。
気遣ってくれてるのか、おそるおそる、ってカンジであたしの顔を覗き込んでくる。
「梨華ちゃん」
彼女の問いには答えずに、あたしは、
「海、見たいって思う?」
「あっ…」
梨華ちゃんが、小さく呟く。
「そっか……あの、なんかヘンな話しちゃったよね、私。ゴメンね、気にしないで」
ごまかすみたいに「行く?」と続けた梨華ちゃんに頷くと、あたしは立ち上がった。

「ひとみちゃんって、どんな子供だったの?」
「えー? こう見えてけっこー、しっかりモノだったよ。だって弟いるし」
「あ、でもそんなカンジする」
「梨華ちゃんは見たまんま、甘えんぼってカンジだよねー。でしょ?」
「そうかなぁ。自分ではしっかりしてると思うんだけど」
「そうかあ?」
いつもみたいに、手をつないで歩く。

でもあたしは、ずっと気になってた。
梨華ちゃんが海を知らないコトや、本当は行きたかったのに言えなかったコト、
それからそのコトを、たぶんあたしにだけ、話してくれたこと。
あたしは、ポッケの中の砂時計をぎゅっと握った。

あたしの砂時計には、海の砂によく似た色の砂粒が詰まってる。
砂はちょうど3分の1くらいが下へ落ちていて、二人に残された時間があと二週間しかないことを告げてる。
あたしは彼女に気付かれないように素早く、それを床に向かって叩き付けた。
「きゃっ」
梨華ちゃんが、小さな悲鳴を上げる。
底に板が当てられているだけのシンプルな作りの砂時計は、あたしの予想通り、あっさりと壊れてしまった。
残りの3分の2が入ってた方のガラスが二つに割れ、そこから砂が少し零れ出してる。
「うそ、どうしよう…ねぇ割れちゃってる」
何も知らない梨華ちゃんは、割れた砂時計の傍にしゃがんで、一人うろたえてる。

「やべー、やっちゃったよ」
自分のモノが壊れたんじゃないのに、まるで自分のコトみたく慌ててる梨華ちゃんを見てると、
自分のモノが壊れたってのになんだか、他人事みたいな気がしてくる。
誰かのために、自分のたいせつなものを失くしたってぜんぜん構わないと思えるのは、どんなときだっけ。
神様でも天使でも誰でもいいから、この不思議なキモチの正体ってやつを、あたしにわかりやすく説明してくれないだろうか。

「あっ、そうだ。ちょうど良かった」
どうか、バレませんように…あたしは彼女の『天然』な部分に期待しつつ、わざとらしく演技。
だってあたしがわざとやったコト知ったら梨華ちゃん、ガオーって烈火のごとく怒り出すに決まってるし。

「ちょっと待ってね」
あたしは割れた砂時計を拾い上げると、中に残っていた砂を自分の手のひらに落とした。
そして砂が零れ落ちないようにそっと、彼女の隣に腰を下ろす。
「なんなの?」
あたしの左手に積もった小さな砂山を見て、梨華ちゃんは不思議顔。
「手、出して」
「えっ?」
「ほら」
あたしは、きょとんとしてて動こうとしない梨華ちゃんの手を取った。
砂山から砂粒をひとつまみすると、彼女の手のひらにパラパラと落とす。
「あ…」
梨華ちゃんは口を半開きにして、自分の左手を覗き込んでる。
「ザーっ」
あたしは擬音語つきで、残った砂を今度は一気に梨華ちゃんの手に落とした。

「海にあるのとは、ちょっと違うけどさ。でもだいたい、そんなカンジだよ?」
「…うん」
手のひらの砂山を指で弄りながら梨華ちゃんが微笑んでるのを見て、あたしも思わず微笑んでしまった。

「でも、どうしよう。ひとみちゃんの砂時計…」
「いいよ、梨華ちゃんのがあるし」
あたしは、まだ心配そうにしてる梨華ちゃんの言葉を遮って言った。

「だって私のは、ひとみちゃんのより早く落ちちゃうんだよ?」
「そうだけどさぁ」
ああもう、しつっこいなぁ…ぶっ壊れちゃったモンはしょーがないだろっつーの!
「一時間くらい、どってことないよ」
ムッとしてつい、ぶっきらぼーな言い方になる。

「それに梨華ちゃんがいなきゃ、」
思ったコトそのまま口に出しそうになって、あたしは慌てて言葉を飲み込む。
そして、気が付いてしまった。
あたしが、あたしの砂時計を壊せたのは…それが自分にとって、必要の無いものだからだ。

「なに?」
「ううん。行こっか」
あたしは両手に付いた砂を払い落とすと、梨華ちゃんの答えも聞かずに歩き出した。

「梨華ちゃーん、行くよー」
少し先で振り返ると、梨華ちゃんはまだ、さっきの場所にしゃがみ込んで何かやってる。
「あーっ、待ってよ!」
駆け寄ってきた彼女の手を取って、あたしは再び歩き出す。

「ねぇ、私のが終わったら、ひっくり返して使って。全然わかんないよりマシでしょ?」
「まだ言ってる。どってことないってば」
「どってことなくないよっ」
梨華ちゃん、やけに絡むなぁ…あたしは思わず苦笑い。
まったく心配性だし頑固だし、何かあるとすぐムキになるし…。
そんな風にあたしは彼女のコト、もっと知りたいと思ってる。
だけど知れば知るほど、それを忘れてしまう日のことを考えると、恐くて恐くてたまらないんだ。
この不思議なキモチの正体はもう、誰に聞かなくたってちゃんと、説明できるよ。

「ね、私の手、ざらざらしてない?」
「してる。砂のせいでしょ?」

神様あたしは、遠足へ行ったことがないと言う彼女を、遠足へ連れて行ってあげたいと思いました。
神様あたしは、海を見たことがないと言う彼女に、せめて少しの砂だけでも触らせてあげたいと思いました。
神様あたしは、彼女がいなくなったあとの世界なんか、あたしにとっては1秒だって、無意味だと思うんです。

「そう、砂のせい。ひとみちゃんのせいー」

神様どうしよう。
あたしは、彼女のことを、好きになってしまいました。

――

「不思議」
「なにが?」
「ひとみちゃんのことも、クリスマスが来たら、みんな忘れちゃうのね」
「忘れないと、次のヒトが迷惑しちゃうもんね」
自分の言ったセリフがなんだか空々しく思えて、言った後であたしは苦笑い。

ここには景色というものがない。ただ、真っ白な空間が広がっているだけ。
だけど梨華ちゃんと一緒に居ると、退屈なんて感じてる暇がないほどに、瞬く間に時間が過ぎてく。
恐くて聞けないけど、気になって仕方がない。
梨華ちゃんの砂はもう、どれくらいが下へ落ちてしまっただろうか。

突然、つないでいた手が後ろに引かれる。
「梨華ちゃん…?」
俯いてなにやら暗いカオしてる梨華ちゃんを、あたしは覗き込んだ。
「私、もう行かない」
「え?」
どうしたんだろ?
前の休憩からそんなに経ってないはずなのに、もう歩き疲れちゃったのかな?
「疲れた?」
尋ねると、梨華ちゃんは首を横に振った。
「だって、どんなに歩いたって、何にも無いんだもん」
拗ねたように言うと、梨華ちゃんはあたしの手を離して床に座り込んでしまった。

それにしても…呆れた。
そりゃあ、「歩こう」って言い出したのはあたしだけど、「何かあるかも知れない」って言ったのは梨華ちゃんの方じゃんか…。
どうせまたいつものワガママなんだろうけど、毎回毎回付き合わされるこっちの身にもなれってんだ。

「そんなの解ってたコトじゃん。だいたい、何かあるかもって言ったの、梨華ちゃんだよ?」
あたしが言うと梨華ちゃんはまた首を振って、否定のサイン。
「ひとみちゃん、私、恐いよ。自分が自分じゃなくなっちゃうなんて、信じられない」
声が震えてる。傍に立つあたしからは、その表情を窺い知るコトはできない。

「大丈夫だって。あたしが梨華ちゃんのコト覚えててあげるよ。ほら、記憶力とか、わりと良い方だし」
どうやら泣いてるっぽい梨華ちゃんを励ますつもりで、あたしは言った。
覚えててあげるってのは、そんなコトできるワケないんだから、もちろん冗談だけど。

「そんなの無理だよ。
だって今のひとみちゃんだって、前は違うヒトだったのかも知れないじゃない。
でも今のひとみちゃんは、そんなこと覚えてないでしょ?」
げ、マジメに答えんなよなぁ…。
冗談で和ませてあげようっていう、あたしの心遣いを全くわかってくれてないらしい梨華ちゃんは、
ときどき涙声になりながら、正論で反論してくる。
「だいじょうぶ、だって」
何が『大丈夫』なのか自分でもよくわかんないけど、それ以外に言葉が見つからない。

「ひとみちゃんは強いから、そういうことが言えるんだよ」
その一言に、カチンときてしまった。

「いーかげんにしてよね」
我ながらびっくりするぐらい、冷たい声。
どうしちゃったんだろう。近頃のあたしは、些細なコトでしょっちゅう苛立ってる。
「えっ…」
予想外の反応だったんだろう、梨華ちゃんはきょとんとしてあたしのコト見上げてる。

「ワガママとか言いたいのわかるけど、だからってそーゆーの全部、こっちにぶつけんのやめて欲しいんだけど」
「………」
「もう、勝手にしなよ」
縋るような目であたしのコト見てる梨華ちゃんを置いて、あたしは歩き出した。
彼女が追って来る気配は無い。だんだんと、早足になる。

どうせ、あたしが居なくなったら、また泣くんだろう。
勝手にすればいい。もう知らない。
つらいのは梨華ちゃんだけじゃないのに。泣きたいのは、梨華ちゃんだけじゃないのに。

そう思ったとたん、涙が溢れてきた。
あたしはずっと、泣きたいのをガマンしてたんだと気付く。
なにやってんだろ、あたし。
梨華ちゃんの前だと強がってばかりで、梨華ちゃんの前だと泣くコトもできない。
どうしようもなく涙が止まらなくて、あたしは歩くのをやめた。

「ひとみ、ちゃん」
びっくりして振り返ると、すぐ後ろに梨華ちゃんが立ってた。
「ひぅ」
泣くのを止めようとしたら、喉の奥からヘンな声が出た。
彼女に泣き顔を見られるのは、これで二度目。
最初に会ったときも、家族や友達のコト思い出して、あたしは泣いてたんだ。

「ゴメンね、ゴメンね、ひとみちゃん」
自分のせいであたしが泣いてると思ったんだろう、梨華ちゃんはうろたえてる。
でも、ヤバイ…梨華ちゃんの声聞いたら、ますます涙が止まらなくなってしまった。
梨華ちゃんが何度も謝ってくれるけど、あたしはずっと下を向いたまま。
素直になりたい自分と、弱さを隠したい自分とが、心の中で戦ってる。
我ながら、本当につまんない意地だと思う。

「ひとみちゃん優しいから、つい甘えちゃって、私…」
「ちがうの」
あたしは思わず言った。梨華ちゃんは、とんでもない思い違いをしている。
「え…?」
「あたしも同じだよ。すごく、恐いよ」
あたしは優しいんでも、強いんでもない。ただ、わかってなかっただけだ。
あたしがあたしじゃなくなるってコトが、どういうコトか。

「あたし、ずっとココにいたい。別の誰かに生まれ変わるのなんか、ぜったいにヤダ」
こんなコト言ったって何かが変わるワケでもないし、梨華ちゃんを困らせるだけだってわかってるけど、それでも言いたかった。
あたしはまだ下を向いたままで、それでも彼女がじっとあたしを見てるのがわかる。
梨華ちゃんは何にも言わずに、あたしの話を聞いてくれてる。

「あたしがあたしじゃなくなっちゃうなら、梨華ちゃんに会えなくなるんなら…
地上に生まれるコトなんか、何の意味もないよ」
「ひとみちゃん、」
天使は言った。生き返ることは無理だけど、その代わりに、生まれ変わることができる。
「代わりなんかじゃない、代わりなんかじゃ」
「ひとみちゃん」
「こんなのぜんぜん、生まれることなんかじゃない」
あたしたちは、死んでしまったから出逢えた。
そして生まれ変わることで、もう二度と、会えなくなる。

「あたしにとって、生まれることは…死ぬことと、同じだもん」
どんなに話してもどんなに想っても、何ひとつ、残りはしない。
あたしたちはただそんなことを、繰り返していくだけだ。

「泣かないで」
梨華ちゃんが、あたしの髪を撫でてくれる。
あたしは彼女の前で、声を上げて泣いた。

「もう、どこにも行かない。梨華ちゃんと、ここにいる」
「…うん」
それきりあたしたちは、歩くのをやめてしまった。
それが良いか悪いかなんてわからないけど、どうせ、そのときが来たらみんな消えちゃうんだ。
ココで彼女に出逢えたコトさえも無意味な出来事に思えて、あたしはすぐにその思いを打ち消した。

――

隣に横たわる梨華ちゃんの肩越しに、砂時計が見える。
ピンクの砂が詰まった、梨華ちゃんの砂時計。
下に落ちてる砂の量は…3分の2、いや、もっといってるかも知れない。
歩くのをやめてしまったあたしたちは、床に寝転んで、手をつないだり離したり、思い出したようにまたつないだり、
話をしたり、ぼーっとしたり、とにかくそんな風に、イブまでの残り時間を過ごしてる。

「梨華ちゃんさぁ、去年のクリスマスって、なにしてた?」
「病院にいたよ。小児病棟の子たちとね、クリスマス会やったの」
「そっか…」
梨華ちゃん、クリスマスも病院にいたんだ…なんか、悪いコト聞いちゃったかなぁ。
あたしはというと、イブは友達の家で朝まで騒いで、めちゃめちゃ楽しいクリスマスを過ごしたのであった。

「そういう顔、しないで」
「えっ?」
隣を見ると、梨華ちゃんが怒ったようにあたしのコト見てた。
「だから、かわいそう、って顔。私なりにちゃんと、楽しかったんだから」
「…そうだよね、ゴメン」
確かに『悪いコト』聞いちゃった、なんて思うコト自体、梨華ちゃんに失礼だよね…あたしは深く反省。

「でも、クリスマスが誕生日、ってちょっと憧れない?」
気を取り直すように、梨華ちゃんが言った。
よかった…さっきのコトは、もう怒ってないみたい。
「そっかなぁ。だって、ケーキもプレゼントも一緒にされちゃうんだよ? ぜったい損だよ」
クリスマスイブが誕生日。
確かに魅力的ではあるけど、クリスマスケーキとバースデーケーキを一緒くたにされちゃうのは、
子供にとっては重大な、なんてゆーか、死活問題ってやつだと思う。
「…うん。それは嫌かも」
あたしの意見に、梨華ちゃんも同意。

「でも良かった」
「なに?」
「だって、ひとみちゃんと同じ日に生まれるんだもん、私」
隣を見ると、こっちを見ていた梨華ちゃんと目が合った。
このごろは、始めと違ってあたしの方が彼女に励まされてるような気がするんだけど、悪い気はしない。
つまんない意地はるのは、もうやめたんだから。
コレは正直になったって言うより…もしかすると、諦め、ってやつなのかも知れないけど。

「あ…」
あたしは思わず呟く。
梨華ちゃんの肩越しに見える砂時計に、小さな変化があったのだ。

「どうしたの?」
「砂が落ちるトコ、はじめて見た」
自分の砂時計だって、なるべく見ないようにしてたから、当然といえば当然なんだけど…
今まで何百回と繰り返されていたはずの現象を、このときあたしははじめて目にしたんだ。

「そうなの?」
梨華ちゃんは意外そう。
「うん…あんまり、見ないようにしてたし」
恐かったから、とは言えない。まぁ、言わなくてもバレてるとは思うけど。
「本当はね」
梨華ちゃんは悪戯っぽく笑うと、私もまだ1回しか見たことないんだ、と教えてくれた。
確かによくよく考えてみると、梨華ちゃんは砂時計をマメにチェックしていたものの、
長い間それを眺めていたコトは無かったような気がする。

「弱虫だね、私たち」
梨華ちゃんが、小さく言った。
あたしに背を向けて、指で砂時計を弄っている。
人差し指でガラスを、下から上に向かって、何度もなぞる。
いつかもやってた、時間を戻す、おまじない。
じっと眺めてると、おまじないなんて夢みたいな行為とは反対に、あたしの中で、
もうどこへも逃げられないんだという現実感が増してゆく。

そんなコトしたって、ねぇ、梨華ちゃん。
神様は、なにもしてはくれないよ。

「行こう」
逃げられやしない。あたしたちが立ち止まっても、砂は落ちるし、時間は前に向かって進んでく。
どこへ行っても、何にも無いことはわかってる。
だけど、
「待ってるだけなんてさ、なんか口惜しいじゃん」
あたしに背を向けたままで、梨華ちゃんが頷く。

あたしは梨華ちゃんと、そこへ向かって進むことを決めた。

――

うちらはそのときをただ『待ってる』ワケじゃないんだぞ、って、
神様やら天使やらに言ったら、笑われるかも知れない。

あと、どれくらいかな。
んー。1日、とか? いやぁ、もっとかも知れない。
そんな会話を交わしてから、もうどれくらいの時間が経ったんだろう。
それが意味の無い抵抗だとわかっていても、あたしたちは歩くことをやめなかった。

「梨華ちゃん?」
突然、梨華ちゃんが立ち止まる。
だいぶ歩いたから疲れたのかと思ったけど、いつもと少し様子が違う。
「なんか、立ちくらみ」
俯いて、こめかみの辺りを押さえてる。
「だいじょうぶ?」
「んー…」
梨華ちゃんは曖昧に答えた後でハッとしたように、ポケットから砂時計を取り出した。

「あっ」
ちょうど砂が一粒、落ちるトコだった。この瞬間に遭遇するのは、コレで2度目。
見ると、落ちずに残っている砂は、たったのひと粒しかない。
「あ、あ、あ、」
一粒って、一粒って、どれくらいだろう。
情けないけど、当の梨華ちゃんよりもあたしの方が、オロオロしてしまう。

「なんか、ぼーっとしてきちゃった」
「あっ、ねぇ、座ろ」
「待って」
あたしが座らせようとするのを、梨華ちゃんが拒む。
彼女は手をつないだままで、あたしと向き合った。

「ねぇ、笑わないでね」
うつむき加減に言ったかと思うとすぐに顔を上げて、彼女はあたしのために、バースディソングを歌ってくれた。

「…ヘタでしょ」
「ううん。だいじょーぶ」
ハッピーバースデー・ディア・ひとみちゃん。
確かにあまり上手とは言えなかったけど…こんなに心のこもったプレゼントを、あたしは生まれてはじめてもらった気がする。

「私の方が先に行っちゃうから。ひとみちゃんのこと、お祝いしてあげられないから」
照れくさそうに言う。
「お誕生日おめでとう、ひとみちゃん」
「…ありがとう」
梨華ちゃんも、って言おうとしたけど、言えなかった。その瞬間、あたしの唇は塞がれていた。

目を閉じて、彼女がくれたキスの意味を、あたしは考える。
さよならのしるしなんかじゃない、もっと、べつの。

「好き」
唇が離れると、梨華ちゃんが言った。
うれしかったけど、不思議と驚きはなかった。
もしかしたら、梨華ちゃんも同じ気持ちでいてくれたこと、あたしはずっと前からわかっていたのかも知れない。
「あたしも」
そのとき、あたしたちの足元で、何かが壊れる音がした。
梨華ちゃんの、砂時計だ。
彼女の手を離れた砂時計は床の上で割れてしまっていて、そこからピンク色の砂が零れ出してる。

「ひとみちゃん…」
あたしはハッとした。
確かに手をつないでいたはずなのに、いつの間にかあたしの左手にはもう、さっきまでの温もりは無い。
見ると、梨華ちゃんの手も足も透き通って、まるで透明人間みたく消えちゃってる。
とうとう、そのときが来たんだ。

「ひとみちゃん、私、もう」
梨華ちゃんの目には、怯えが宿っている。

「消えないから」
根拠なんか無い。ただ、彼女を安心させてあげたいと思った。

「梨華ちゃんもあたしも、繰り返すだけだよ。消えたりしないよ。だから、」
本当に、なにも残らないと思う?
梨華ちゃんが、ずっと気にしていたこと。
「また、いっしょに生きよう」
あたしは本気で言った。

「うん」
上ずった声で言うと、
「先に行って、待ってるね」
にこりと笑った。

そして、梨華ちゃんの姿は完全に見えなくなってしまった。

あたしはひとりになった。
そのときが迫っていることが分かってるのに、その瞬間がいつやってくるのかわからないのは、本当に恐かった。
あたしが、一時間ぐらいどってことない、って言ったとき、梨華ちゃんがすごく怒ってたのを思い出す。
もしかしたら彼女も地上にいた頃、今のあたしと同じ思いをしていたのかも知れない。
もしかすると梨華ちゃんは、自分があまり長くは生きられないのを知っていて、
けれどもそのときがいつやってくるのか分からなくて、ずっと恐い思いをしてきたのかも知れない。

なんだろう…?
傍らにぽつんと残された、梨華ちゃんのワンピース。
ポケットの辺りに小さな点がいくつも付いているのを見つけて、あたしは手を伸ばした。
すると、小さな点の正体は、ベージュ色の砂粒だった。
あたしの砂時計に入っていた砂を、梨華ちゃんはポケットに入れて、ずっと持っていてくれたんだ。
あたしはそこから残りの砂を出すと、梨華ちゃんの、壊れた砂時計の傍に置いた。

「真っ赤なおハナのー、トナカイさんはぁ」

サンタクロースがもしもいるなら、願い事はたくさんあります。

「いつーもみんなの、わぁらいもの」

ひとつは、地上では今度こそ梨華ちゃんが、じょうぶな子供に生まれ変われていますように。

「でもそのとしーの、クリスマスのひー、サンタのおじさんはぁ、いーいましたぁ」

ひとつは、二人がすべてを忘れても、なにかがきっと、残りますように。

せめて、この砂だけでも。
そんなことを考えながら、梨華ちゃんとあたしの砂をかき混ぜて遊んでいると、
あたしの右手は指先からだんだん透き通って、やがて消えた。

なにか言わなくちゃいけない。
あたしがあたしでいられる時間は、もうほとんど残されていない。
言いたいのは『さよなら』じゃないことだけは確かにわかっていて、少し考えてからあたしは、
あのとき言えなかった言葉を、あたしの最後の言葉にしようと決めた。

「おめでとう」
おめでとう、梨華ちゃん。誕生日、おめでとう。
プレゼント何にもあげられなかったゴメン。

どうしたんだろ。
眠いわけじゃないのにすごく、まぶたが重い。
閉じてしまいそうになるのをこらえながら、あたしはもう一度、それを見た。

だいじょうぶ。
砂はまだ、ちゃんと、そこにある。

そしてあたしは、眼を閉じる

「イブまでの三週間。」完