「後藤」vs「桜前線」
―――
あたしね、
誰かに手紙書こうとするとき、誰かに電話しようとするとき、誰かにメールしようとするとき…
誰かに何かを伝えようとするとき、いっつも思うんだ。
いっそのこと、自分がそのヒトになれたらいいのになぁー…って。
そうすれば、
相手がどんな言葉を望んでるのかってコトも、
相手がどんな言葉で喜んでくれるのかってコトも、カンタンにわかっちゃうから。
そうすれば、
どんな言葉を選べば相手が傷付かないのかってコトも、
どんな言葉を選べば自分が傷付かないのかってコトも、ぜんぶわかるのに。
桜、キレーだなー…誰かに見せたいなー…電話してみようかなー…でも忙しいかもしんないし…
最近ぜんぜんメール来ないし…あたしからもぜんぜんしてないし………とか、たくさん。
いろんなコト、ぐちゃぐちゃ考えずにすむのに。
顔が見えない分いろんなコト想像して、『今なにしてるんだろう』とか『あのコだったらこーゆーとき、なんて言うだろう』とか
いっぱい想像してみて、その人のコトたくさんわかった気になってるけど。
知らず知らずのうちに自分の中で勝手に作り上げてしまった彼女の姿と、実際の彼女ってホントはすごく
かけ離れているんじゃないだろうか…なんて考えて、ちょっと不安になったりして。
向こうには向こうの世界があって、あたしと話したり一緒にいたりするよりもきっと、そっちのがぜんぜん楽しくて。
向こうはきっと、あたしからの電話もメールもべつに、待ってやしないんじゃないか…とか、いろいろ考える。
なーんも考えてないように見えて、実は…いろんなコト考えてんだ、あたしだって。
ただし、それってぜんぶ勉強以外のコトだけど。
あーあ…なんか、考えすぎたら眠くなってきたよぉ?
あったかそうな木のベンチの上、寝そべって満開の桜を見上げた。
そよ風が木を揺らして、目の前で桜吹雪が舞ってる。
あたしが広げた手のひらにも、花びらが一枚降ってきた。
それをそっと手の中に閉じ込めると、あたしはゆっくりと目を閉じた。
『ごとーさーん、起きてくださーい』
ん……?
気持ちよく眠っていたあたしは、遠くの方から聞こえてきた声に起こされる。
「なに…?だれ…?」
『これから北の方行くんだけどさ、いっしょ行かない?』
「……はあ?」
相変わらずその声は遠くて、やっと聞き取れる程度。
「だれ…?どこにいんの?」
『行くの?行かないの?どっち?』
”声”はあたしの問いには答えず、あくまで自分の質問を優先させようとあたしに問い詰めてくる。
「行くって、どこ行くの?」
『だからー、北の方だって言ってんじゃん』
「北の方行ってなにすんの?」
『サクラ、咲かすの』
”声”はあたしの質問に、実にあっさりとした口調で答える。
「……誰?あんた」
『桜前線だけど』
”声”はあたしの質問に、またもあっさりとした口調で答える。
『寝てばっかいないでさ、たまには運動とかしてみたら?』
「運動ならしてるよ、いっぱい!いっつも寝てばっかじゃないよっ!!」
あたしが言い返すと、遠くからくすっと小さな笑い声。
『くやしかったら追っかけてきな、後藤』
え……?
聞き覚えのある声に、あたしはハッとする。
「いちー、ちゃん?」
どうしてココに、いちーちゃんが?
まだぼんやりしたアタマで一生懸命考えてみるけど…さっぱりわからない。
『早くしないと置いてくよ』
「待って!あたしも行く!」
いちーちゃん(桜前線?)の言葉に、あたしは慌てて飛び起きる。
「いちーちゃん、どこ?」
いちーちゃんの声を頼りに周りをキョロキョロ見回してみるものの、彼女の姿はどこにもない。
『だから北だって』
その声は空の上から聞こえたような気がして、あたしは思わず上を見上げた。
だけど、そこにいちーちゃんの姿はなくて…代わりにあたしが見たモノは、満開の桜の花たち。
「ちがうよ、行き先じゃなくて。いちーちゃんが、どこにいんの?」
『変なコト聞くヤツだねー…。後藤さ、桜前線って自分の目で見たコトある?』
「ないよ。見えるワケないじゃん、そんなの」
『そーゆーコト。おっけー?』
「……うん」
いちーちゃんの言葉に戸惑いつつも、とりあえず頷くあたし。
『じゃ、行こっか』
いちーちゃんは困惑するあたしをよそに、いともあっさりと言い放つ。
「ねぇ、北って言われてもわかんないよ。こっからじゃ、いちーちゃんの声しか聞こえないし」
『ったく、世話のかかるヤツだねー…相変わらず』
その口調から、少し不機嫌そうないちーちゃんの顔がすぐに思い浮かんだ。
だけど、いきなり現れて(姿は見えてないけど)『北へ行こう』って言われてもさ…どこに向かって歩けばいいんだよ?
いちーちゃんの言動はこの場合、クレームつけられて当然だと思うんだけどなぁ…。
『じゃ、目つぶって。いい、って言うまで開けちゃダメだよ?』
「え…?うん」
あたしは桜の木の下に立ったまま、言われた通りに目を瞑る。
『おっけー。いいよ』
いちーちゃんの声が、さっきよりも大きく聞こえる…きっと、あたしのすぐ近くにいるんだ。
「うそっ!?なにコレーっ!?」
目を開けるとあたしは…雲の上にいた。
さっきまであたしが居た公園の桜は、小さなピンクの点にしか見えない。
『じゃ、行こっか』
いちーちゃんの声は、あたしのすぐ側で聞こえているのに…やっぱり、姿は見えなかった。
「ねぇ、どこ行くの?」
雲の上に寝転がって眼下に広がる景色を見ながら、いちーちゃんに尋ねる。
『次はね、銚子』
「ちょーしぃ?ドコそれ?」
『うわっ、むかつく…千葉だよ、千葉!!』
「そうなんだぁ。世界地図なら得意なんだけどね」
『カンジ悪っ。もう連れてくのやめようかなー』
きっとホッペをふくらまして怒ってるだろう、いちーちゃんの顔を思い浮かべる。
なんだかこーゆーの、ひさしぶりですっごく楽しい。
いちーちゃんの声しか聞けないのはちょっと寂しいけど、話するのだってホントひさしぶりだし。
『着いたよ』
「えっ、もう着いたの?」
『ってゆーか、さっきからもう三日経ってんだけどね』
「え……?」
三日、って…さっき出発してからもう三日も経っちゃってるってコト?
時間の感覚がワケわかんない…あたし、雲の上でいつの間にか寝ちゃってたんだろうか。
もしそうだとしても、いくらあたしだって三日間も眠りつづけられるワケないよねぇー…。
『後藤、ちょっと目つぶってて。これから仕事するから』
寝そべったまま頬杖ついて考え込んでいたあたしは、すぐ側で聞こえた声に顔を上げる。
いちーちゃんの言う『仕事』ってのは、やっぱり…桜の木に花をつけるコトなのかな。
なんたっていちーちゃん、『桜前線』なワケだし。
「なんで?見たっていいじゃん」
桜前線が桜咲かせるトコなんてめったに見れないんだから、この機会にちゃんと見ておきたい。
そんで、明日よっすぃーに自慢するんだから。
『ダーメ。職人は自分の仕事ぶりを人にはぜったい見せないモンなのさっ』
「えーっ、けち」
ぶつくさ言いながらもあたしは…両手をアタマの後ろに組んで、雲の上に仰向けになって目を閉じる。
『おっけー。目、開けてみ?』
しばらくして、やっといちーちゃんのお許しが出た。
フテネしていたあたしは、体を起こして下の景色に目をやる。
「おおーっ!すっごいキレーだぁ…なんか、めっちゃ近くなってない?」
目を開けるとあたしが乗っかってる雲はいつの間にか高度を下げ、さっきよりずっと地上に近くなってる。
『よく見えるようにね、ちょっと近付いてみましたー』
茶化すような口調で、いちーちゃんが言った。
『3月26日、っと。よし、おっけー』
耳元で、いちーちゃんの独り言が聞こえる。
「なにやってんの?いちーちゃん」
『ああ、スタンプ押してんの』
「スタンプ?」
『そ。あのねー、なんつったらいいんだろーなぁ…表みたくなってて、地名の下に一コずつ四角い箱があってさ、
その中に日付書いてスタンプ押してくんだよ』
なるほどー、スタンプカードかぁ。
桜が咲いた(いちーちゃんが咲かせた)土地の欄に今日の日付を書いて、そんでスタンプ押してくんだね。
「何のスタンプ?」
『サクラの花』
「まんまじゃん」
『当たり前じゃん、そんなトコひねってどーすんだよ』
そりゃーそうだけど、ねぇ。
「お花のスタンプかぁ…なんか、幼稚園の出席カードみたいだね」
『あのさ、後藤。こっちは仕事でやってんだから、幼稚園児と一緒にしないでくれる?』
「あはっ、ゴメンゴメン」
シゴトに厳しいトコは、桜前線になっても相変わらずだねぇー…いちーちゃん。
『よし、こっからはホントに北上すっからね。行くよ?』
「うん!」
北上とか言われても、なんだかピンとこないんだけど…いっしょにいられるならそんなコト、どーだっていいや。
「わっ!?」
あたしを乗っけている雲が、いきなりスピードを上げて発進する。
あたしは振り落とされないように、しっかりとしがみつく…って言っても、ふわふわしてて一体ドコに
しがみつけばいいのかわかんないから、とりあえずしがみついたよーな気になっておくコトにした。
『だいじょーぶ。ぜったい落っこちないから』
「ホント?」
『うん。ぜったい落とさないから、大丈夫だよ』
「うん!」
これからどこへ行くんだろ。そして、どこまで行くんだろ。
なんだか、ワクワクしてきたなぁ…自然と、笑顔になってしまった。
『おっけー。4月12日、っと』
「あっ、よっすぃーの誕生日だぁ」
よっすぃー、16歳の誕生日おめでとう!ごっちんは今、秋田にいるよ?
『そっか。おめでとー、よっすぃー!』
「あはっ、いちーちゃん、『よっすぃー』とか言ってるし」
いちーちゃんの楽しそうな笑い声が、あたしのすぐそばで聞こえてる。
いちーちゃんといっしょに、北へ、北へ。
あたしたちが通った後は、そこらじゅうキレイな桜の花でいっぱいになるんだね。
そんでさ、いちーちゃんのスタンプも、いっぱいたまってくね。
あたしたちのサクラ、あしあと残すみたいに、いっぱい咲かそうね。
そんでさ、いちーちゃんのスタンプも、サクラの花でいっぱいにしようね。
あたしは、神様にお願いした。
こんな楽しい時が、このままずっと、ずっと続いていきますように。
ずっとずっと、二人いっしょにいられますように。
『5月21日、っと。おっけー、コレで終わり』
「え…?」
終わり、ってコトバが、いちーちゃんの口からするりと紡がれる。
それは『おはよう』とか『おやすみ』って言うみたいに普通に、あいさつみたく普通に。
『おつかれ、後藤。付き合ってくれてさんきゅー』
「終わり、って…終わり、ってなに?」
目の前が少しずつぼやけてきて…せっかくいちーちゃんが、あたしたちが、咲かせたサクラも霞んで見える。
『どした?後藤』
「…やだ。ぜったいやだよっ!!」
『んなコト言ったってさ…桜前線は北海道までたどり着いたら、そこで終わりなんだよ?』
声聞いただけで、いちーちゃんがすっごく困ったような顔してんのわかるけど…あたしだって譲れない。
「北海道越えたって、アメリカとかイギリスとかフランスとか世界中行けばいいじゃん!!」
『…バカ。世界一周する気?』
「一周じゃないよ!戻ってきたらもっかい行くもん、何周だってする!ずっとずっと…」
『ダメだよ。スタンプいっぱいになったもん。だからもう行けないよ』
「なんだよ!カンケーないじゃん、そんなの…っ」
あたし、完全に涙声になってる。
『後藤、なんで泣くの?ねぇ、後藤』
「ひどいよ!強引に連れ出したくせに、『終わり』なんて勝手に決めちゃって…いちーちゃん、ひどいよ!」
『いつ誰が強引に連れ出したよ?ちゃんと聞いたじゃん、『行く?』ってさ。ちゃんと聞いたよ?』
「そうだけど!!そうだけどさー!!」
いちーちゃんの冷静なツッコミに、用意してたいちーちゃんへのクレームの数々はぜんぶ吹っ飛んで
頭の中が真っ白になる。
『春になったら、また会えるよ』
「やだ、そんなの」
次の桜の季節まで待て、って言うの?無理だよ、そんなの。
『春になったら、今度は沖縄から北海道までぜんぶ行こ?二人でさ、日本中のサクラの木に花を咲かすんだ』
「やだってば」
『後藤、』
「だから嫌だって言ってんじゃん!それに春になったって、日本中旅したって、あたしにはいちーちゃんの声しか
聞こえないじゃん!!声だけじゃやだよ、会いたいよ!!いちーちゃんに、会いたい」
いちーちゃんは、何も言ってくれない。
顔が見えないからあたしは、また不安になる。
こんなワガママな後藤を、いちーちゃんはどう思っただろう?
『だったらさ、そう言えばいいじゃん』
「えっ?」
いちーちゃんの言葉は唐突過ぎて、はじめは意味がよくわかんなかったんだけど。
『そう言えばいいんだよ、後藤』
「………うん」
ちょっとだけ考えて、あたしなりに考えてみて、そしてわかった。
そっかぁ。
会いたいときは、『会いたい』って言えばいいんだ。
『おはよう』とか『おやすみ』って言うみたいに普通に、あいさつみたく普通に、言えばいいんだ。
『おっけー?』
「うん」
『はい、よくできました』
「あはっ、なにそれぇ?」
あたしが笑うと、透明人間のいちーちゃんも笑った。
『今度は、後藤の分も用意しとくね。スタンプカード』
「出席カードじゃなくて?」
『だからー、幼稚園児といっしょにするなってば!』
声しか聞こえなくても、いちーちゃんがどんなカオしてるか、ちゃんとわかるよ?
声しか聞こえなくても、もう不安じゃないよ?
だって、会いたいときは、ちゃんと言うって決めたからね。
「ところでさ、今ドコにいんの?あたしたち」
『聞いてなかったの?ったくもー、もっと桜前線のお仕事にキョーミ持とうよ。お願いだから』
いちーちゃんの姿は見えないけどきっと、アタマ抱えて唸ってるね…って、そんなの誰でもわかるか。
デキの悪い後輩だけど、次の桜の季節までにはもうちょっと成長する予定だから…よろしくね。
そして春になったら、二人で…日本中の桜、咲かそうね。
5月21日、釧路。
いちーちゃんとあたしの、サクラの旅は終わった。
―――
「ふぁ…」
目が覚めると、あたしはベンチに横になっていて…目の前を、サクラの花びらがひらひらと舞っていく。
ぼんやりとしたアタマで、さっきまで見ていた夢を何度も繰り返し思い出す。
忘れないように、何度も何度も。
東京が満開ってコトは、いちーちゃんは今頃どのへんにいるのかなー…なんて想像して、
一人で思い出し笑いなんかして。
あたしはベンチに寝そべったまま、ポケットから携帯を取り出した。
「もしもし?いちーちゃん?」
『久しぶりぃ。電話ないからさ、忘れられてんだと思ってたよ?』
「そっちこそ」
『こっちは気ぃ使ってたんだよ、そっちに。忙しいだろうと思ってさ』
「こっちだってそうだよ。そっちが忙しいかなぁって思ってかけなかったんだから」
『じゃあ、アレだね。悪いのはこっちでもそっちでもなくて、『あっち』ってコトで』
「あはっ、なにそれぇ?『あっち』って誰?」
『知んない。ははは』
もっとカンタンに考えていいんだ、って思った。
話したいときは電話すればいいし、会いたいときはそう言えばいい。
いっぱい悩んでやっと電話したって…話すコトは結局、あいさつみたく普通の、何でもない会話なんだもん。
「いちーちゃん、今からこっち来ない?桜がすっごいキレーだよ?めっちゃイイ場所見つけたんだぁ」
『今から?いいけど…待ってられる?』
「うん。寝てる」
『……わかった。すぐ行く』
そう言うといちーちゃんは、一方的に切ってしまった。
急いでくれるのはうれしいんだけど、あいさつもせずに切るのはどうかなぁ。
と思ってたらすぐに、今度はあたしの携帯が鳴った。
「もしもし?」
『どこだっけ?場所』
「聞いてなかったの?ったくもー、もっと人の話ちゃんと聞こうよ。お願いだから」
夢の中でいちーちゃんにさんざん呆れられたから、ここぞとばかりにお返ししてやる。
『ってゆーか、そもそも言ってないじゃん。後藤』
「え?そーだっけ?」
『そうだよ。もー、しっかりしてよ…』
結局、現実のいちーちゃんにも呆れられちゃったけど。
今度はちゃんと場所を告げて、あいさつもして、あたしたちは電話を切った。
さーて、もうひと眠りしよっかなぁ。
両手で携帯を抱いて、再び目を閉じる。
夢の中でもう一度、会えますように。
おやすみ…いちーちゃん。
<Zzzzz…>