リーダー、冬を越す。
「ただいまー…」
玄関のドアを開け、誰もいない真っ暗な部屋に向かって呟く。
ただいま、なんて言ったって返事を返してくれるヒトなんか居ないコトは分かっている。居たら恐いし。
靴を脱いで中へ入るとキッチンへ直行、冷蔵庫から良く冷えた缶ウーロン茶を取り出す。
出かけるときは、『いってきます』。帰ってきたら、『ただいま』。
上京して四年、一人暮らしにも慣れたつもりでいるけど…この習慣だけは変わらない。
一人ぼっちの寂しさからっていうのもあるんだけど、それよりも自分への励ましっていうか、そういう気持ちを込めて。
私から私への『いってきます』は、私から私への、『今日も一日がんばってくるからね』。
私から私への『ただいま』は、私から私への、『今日も一日がんばってきたからね』。
一人ぼっちの寂しさなんて感じているヒマも無いっていうのが現実だもんね。
ただひたすら、『がんばれー、がんばれー』って自分を励まし続ける日々。
最近は、ゆっくり考え事(メンバーには『交信』なんて言われてるけど)してるヒマも無いし。
ああ、今日も疲れたなぁー……。
今日だけじゃない。昨日も一昨日も、その前の日も、さらにその前の日だって…『疲れた』って思わない日はない。
ついこないだだって24時間ずーっと起きっぱなしで仕事してさ、だけどそれが終わったってほとんどお休みもなくてさ。
「リーダー、飯田圭織です」
鏡に向かって一人呟く。
たった今言葉を発したのは他の誰でもない、私なのに…鏡に映る自分は何だか別人のようで、変な感じ。
卒業した裕ちゃんからリーダーという立場を引き継いで、忙しい日々に追われながらも私なりにみんなをまとめようと
頑張っているつもりだけど…ふとした瞬間に湧き上がる、疑問。
『どうして、私なんだろう?』
『みんな、本当に私で良いと思ってる?』
……そんなことを考えながら一体どれくらいの間、鏡に向かっていただろう?
何時ごろ家に着いたかも覚えていない。そもそも、帰ってから時計も見てないし。
こんなことじゃいけないよね、リーダーなんだから。
明日からは、時計見てから鏡見るようにしよう。うん、そうしよう。
今日もまた一つリーダーとしての課題を自分に課した私は、疲れた体を引きずってバスルームへと向かった。
―――
『…圭織、飯田圭織よ。起きなさい』
「……?」
ベッドに入ってウトウトし始めたところで…どこからともなく聞こえてきた不思議な声に起こされて、私は目を開けた。
「どちら様ですか?」
私は仰向けに寝たままで、声の主に尋ねる。
『もう少し驚くかと思って身構えていたのだが、その必要はなかったようだな。私は神だ』
その声は耳から入ってくるというのではなく、私の中に直接語りかけてくるような不思議な感覚で伝わってくる。
「へぇ」
私は仰向けに寝たままで、声の主に答える。
『もう少し驚くかと思って身構えていたのだが、その必要はなかったようだな。驚かないのか?神だと言っているのだが』
その声は耳から入ってくるというのではなく、私の中に直接語りかけてくるような不思議な感覚で伝わってくる。
「…ちょっと待って。電気点けるから」
眠い目をこすりながら、むくっと体を起こす。
『その必要はない。明るくしても私の姿はお前には見えんから意味が無い』
その声は耳から入ってくるというのではなく、私の中に直接語りかけてくるような不思議な感覚で伝わってくる。
「え……?ええええーーーっっ!?」
見えないって、見えないってどういうこと!?やだ、うそっ、オバケっ!?
『なんだなんだ!?いやー、そこで驚くとは思わなかった…油断したぞ、飯田圭織よ』
「きゃーーーっっ!!」
なになに!?明るくしても見えない上に、私の名前まで知ってるなんて!!しかもフルネーム!?どういうこと!?
私は慌ててベッドから飛び起きると、何か武器になるようなモノを探して部屋中をウロウロと歩き回った。
『落ち着きなさい。姿が見えないのにどうやって戦うつもりだ』
「………あっ!」
そっか、そうだよそうだよ、どうしよう…。
『お前は気付いていないようだから一応教えておくが…なぜお前が私と戦おうとしているのかが私に分かったかというと、
それは私がお前の心の中を読んだからだ』
「………えっ?」
どういうこと?
『だからー…。お前は今、武器になるような物を探そうと思っていただろう?』
ええーっ!?
「何で!?何でそんなことがわかんのー!?」
姿の見えない、声の主に向かって叫ぶ。
『私がお前の心の中を読んだから』
「………えっ?」
どういうこと?
『だからー!!私は神で、神にはそのような特別な能力が備わっているからだ!!
お前の考えていることも、私には全てお見通しなんだ!!わかったか!!』
「………はい」
理由はわからなかったが声の主は何だか怒っているようだったので、半信半疑ながらも私は頷いた。
『まあいい。今日ここへ来たのは他でもない。あ、立ったままでは疲れるだろう?座りなさい』
「………はい」
声の主に言われるがまま、私はベッドへ戻るとその上に正座した。
『お前の疲れを、癒してやろう』
「………はい。………えっ?」
眠いのでつい適当に相槌を打ってしまった後でその突拍子も無い内容に気付いて、私は声の主に聞き返す。
『眠いのはわかるが出来れば真面目に聞いてもらえるだろうか。あと、さっきからお前は私の事を『声の主』と呼んでいるが…
何度も言うように私は『神』だからな』
「………はい。あっ!?そっかそっかー、神様!!神様なんですよね!!うそっ、やっ…すごっ、すごい!!すごいすごい!!」
今私の目の前にいる(姿は見えないけど)声の主は、神様なんだ!!
どうしよう、かなり感動だよぉ。もー、青春ってカンジだよぉ。
『では手短に済ませよう。お前は今、疲れているな?肉体的にも、そして精神的にも』
「はい…すっごく、すっごく疲れてます!!裕ちゃんがいなくなって突然リーダーだって言われて、毎日忙しくて
睡眠時間だって少ないし、それにそれに…」
自分が抱え込んでいる悩みを誰かに聞いてもらいたくて一気にまくしたてた私だったが、その後に続く言葉に詰まってしまった。
『どうした?言ってみなさい』
さっきまでとは打って変わって本当に優しい声で、神様が聞いてくれる。
「それにもうすぐ、本当にもうすぐなんだけど…また新メンバーが入ってくるから。嫌とかそういうことじゃなくて、
リーダーとしてちゃんとやってけるかなぁって。これからは自分のことだけじゃなくて、グループ全体のこともちゃんと
考えてやってかなきゃとか、いろいろ考えてたら…何か、すっごい恐くて」
その優しい声音に導かれるように私は、誰にも言えなかった不安な気持ちを口にした。
『たった一つだけ、願い事を叶えてやろう。その疲れを癒してくれるような願いを、一つだけ言いなさい』
私の話を聞き終えた後で、神様が言った。
「一日だけ、一日だけでいいから…北海道に、帰りたい」
簡単なようで、今の私たちには到底叶えられない願い事。
たったひとつの願い事…例えばなっちに聞いたとしても、きっと同じことを願うはずだと思った。
『良いだろう。いつにする?』
「明日」
『明日!?』
私の答えに驚いたのか、神様の声が裏返る。
「ダメですか?」
『いや…仕事は、大丈夫なのか?』
「え…」
なに、この神様。神様のくせして妙に現実的…神様のくせして。
『失礼なやつめ。良いだろう、私に任せておきなさい。仕事と北海道、万事上手くいくことだろう』
「ホントにっ!?ありがとう!!ありがとう、神様!!」
神様への願い事だなんて…まるで奇跡みたい!!
うれしくて飛び跳ねたせいで、乗っていたベッドが大きく軋んだ。
『では、今日はゆっくり休むが良い』
「はい。ありがとうございます…神様」
明日になれば北海道に帰れる、明日になれば…でも神様の言う通り、今日はゆっくり休んで疲れをとらなきゃね。
逸る気持ちを押さえてベッドに横になると、目を閉じて…メンバーひとりひとりの顔を思い浮かべる。
おやすみ、矢口。
もうすぐミニモニの新曲、出るね。
矢口も最初は『こんな恥ずかしいのやってらんないよ…』なんて、よくカオリにボヤいてたもんだけど…最近は何だか
吹っ切れたみたいだよね。カオ、ちょっと安心したよ?
おやすみ、石川。
いつもいつも、がんばってるよね。トークもだいぶ慣れてきたみたいだけど、油断は禁物だよ?カオはそう思う。
いつもボーッとしてるって言われるカオリですら、石川が喋ってるの見ててちょっとドキッとしちゃう瞬間がたまにあるから。
がんばれ、石川。あ、でも…あんまりがんばりすぎるのも良くないか。難しいね。
あんまりがんばらないように、ほどほどにがんばって石川!
おやすみ、加護。
夏休みの宿題は終わった?終わってるワケないか。メンバーに手伝ってもらおうとか思ってるみたいだけど、
あんまり期待しない方が良いと思うよ?カオも、絵日記ぐらいだったら手伝ってあげても良いけど…ところで、
中学校の宿題で絵日記とかあるのかなぁ。とにかく宿題がんばれ、加護。
おやすみ、辻。
毎日暑いねー。でも、アイスとかき氷は食べ過ぎないようにしようね。
そう言えばカオ、こないだすっごい美味しいケーキ屋さんを見つけたのね、でね…
『わかったから…早く寝なさい』
まるで子守唄のように優しい神様の声を聞きながら…私は、ゆっくりと眠りに落ちてゆく。
おやすみ、みんな。
あっ、そうそう辻。さっきの話の続きだけど…
『寝なさい』
はい。おやすみなさい、神様。おやすみなさい、辻。
―――
「ふわぁぁー……ん?」
朝。目覚めてすぐ、大きなあくびをして窓の方に目をやると…カーテン越しに差し込んでくる日差しが妙に強いことに気が付く。
あれ?何でこんなに明るいの………?
「………!!うそっ、寝坊した!?」
ひょっとして、目覚まし鳴らなかったのかな!?
私は、慌てて枕元の目覚し時計に手を伸ばして時間を確認する。
「…なんだぁ」
見ると時計の針は起床予定時刻よりも10分早い、AM6時50分を指していた。
「さーってと…今日も一日、がんばりますかぁ」
上半身を起こすと、両手を上げて大きく伸びをする。
良く晴れた朝、しかも今朝は昨日までの暑さが嘘のように涼しくて…涼しいどころか、少し肌寒いような気さえする。
もしかして、エアコンつけっぱなしで寝ちゃったのかな…。
しばらくボーッとして目も覚めてきたところでベッドから下りると、ゆっくりとした足取りで窓際に近づく。
そしてカーテンの端に手を掛けると、一気に引いた。
そこから差し込んできた日差しのまぶしさに、思わず目を閉じる。
そして目を開けるとそこは…一面の、銀世界だった。
コレは……雪?
ああ、そっかそっか。窓の外があんなに明るかったのは、雪の照り返しのせいだったんだ。
どうりで寒いと思った…雪降ってるんじゃねぇ、そりゃ寒いよね。
雪……あっ、そうだ!
今日は少し早めに家出た方が良いかも知れない。
雪降ると必ず渋滞するもんね。北海道と違って東京は雪に弱いから…道は混むし、電車なんかすぐ止まっちゃうし。
そうだそうだ、そうと決まったら早く準備して出かけなくちゃ。
洗顔と歯磨きを済ませると、キッチンにてやかんを火にかける。
私の素敵な一日は、目覚めのコーヒーから始まる…超多忙な私に許された、ほんのひと時の安らぎ。
「モーニングコーヒー飲もーよぉー……ひとーりでぇ。ははっ、なーんちゃって」
どうしたんだろう、今日の私って…いつにも増してギャグも冴えてるし、それにノドの調子も、ベストコンディションって感じだし。
なんだか今日はいつもよりひんやりしててキレイに澄んでる、この部屋の空気のせいかな?
私は大きく深呼吸をして、朝の爽やかな空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
よし。今日も一日、がんばれそうな気がしてきた。
今日は、朝からレギュラー番組の収録。
裕ちゃんが司会を務めるこの番組の収録がある日は、リーダーとしての重責から少しだけ解放されたような気分になれる。
だけど同時に、あの大所帯をきっちり仕切る裕ちゃんの姿を見ていると…自分の力量不足というか、ふがいなさみたいなモノを
痛感しちゃったりして、ちょっと情けない気分になってしまったりもするのだけれど。
「はいはいはい。わかったわかった」
ベッドに腰掛けて考え事などしていると、キッチンから聞こえてきたやかんのピーッというけたたましい音に私の思考は中断された。
「熱っ…!!」
火を止めたばかりでまだかなり熱を持っているやかんの取っ手に、うっかり素手で触れてしまった…熱いじゃんよー、もぅ。
水道の蛇口をひねると、冷たい水でやかんに触れた左手を冷やす。
ああ、びっくりした…すっごい熱くなってんだもん。
熱く、熱……あれ?
何だろう、何かひっかかる……うん、やっぱり何かおかしい。
熱い、厚い、暑い、夏は暑い、今朝は寒い、窓の外は雪、雪が降るのは冬、でも今は……夏。
…………?
………………!?
……………………!!!
「えっ!?えっ!?えっ!?ええええええええーーーーーーっっっ!?」
水を止めると窓の側までダッシュで駆け寄り、さっき見た景色をもう一度この目で確かめる。
「雪降ってる…雪降ってるべさああーーーーーっっ!!」
夏なのに、夏なのに…こんなことってあるの!?
地球温暖化?ううん、違う。それは逆。じゃあ一体なに!?
どうしよう、ねー、どうしよう!!
起きたばかりの時はキレイに晴れていた空が、今はどんよりと曇って外は物凄い吹雪。
ふと気が付くと、部屋の中の空気は肌寒いなんて言っていられないほど冷え切っている。
私はたまらず、エアコンのリモコンに手を伸ばした。
昨日まで『除湿』モードで作動させていた運転を『暖房』に切り替えて、スイッチを入れる。
そんなことより、どうしよう…どうしたらいいんだろう。
腕組みして部屋の中を歩き回っていると、ふとテーブルの上のコードレスフォンが目に入った。
そうだ!こういう時こそ、頼りになるあの人に…。
トゥルルル、トゥルルル…。
祈るような気持ちで受話器を握り締める私の耳に、12回目の呼び出し音が空しく響く。あ、今13回目鳴った。
ひょっとしてまだ寝てるのかな…そろそろ起きないと、遅刻しちゃうと思うんだけど大丈夫なのかなぁ。
『………』
「あっ!裕ちゃん!?」
半分諦めかけた頃、15回目のコールが途中で中断された。
まだ声は聞こえてこないものの、電話の向こうの裕ちゃんはやっと受話器を上げてくれた様子。
「裕ちゃん!裕ちゃん!聞こえる!?」
私は恐らく起きたばかりと思われる裕ちゃんに早く目覚めてもらうため、少し大きめの声でその名を連呼する。
『……………あ?』
受話器の向こうから聞こえてきた裕ちゃんの不機嫌そうな声に、私は彼女に電話したことを少しだけ後悔した。
どうしよう、やっぱ寝てたんだ…。
「あのね裕ちゃん、落ち着いて聞いて!!すごいの!!ものすごいコトが起こってるの!!」
寝起きの裕ちゃんはハンパじゃなく恐かったが、私は何とか気を取り直して今朝の異常気象についての説明を開始した。
『……誰やー……こんな夜中に…』
「夜中じゃないよ、もう朝だよ、裕ちゃん」
裕ちゃんは私の説明に驚くどころか、私の言葉などまるっきり聞いちゃいない様子。
『……チッ』
舌打ち!?
『イタ電かいな…』
「違うよ、外!!外見てよ、雪降ってんだよ!?ねぇ、お願いだから外…」
『今度やったら…知らんで?どうなっても…どうなってもな』
その言葉を最後に、裕ちゃんへの電話は一方的に切られてしまった。
ツー、ツー、ツー…私の耳元で、回線切断状態を知らせる機械音が規則正しくどこか哀しいリズムを刻んでいる。
「ああっっ…!!」
裕ちゃんひどい、ひどすぎるよ……信じてたのに。
失意のどん底に突き落とされたような気分で、ゆっくりと受話器を置く。
(寝起きの)裕ちゃんなんか、裕ちゃんなんか…大っ嫌い。
窓の外は、相変わらずの荒れ模様。
こうしちゃいられない…仕事、行かなきゃ。
―――
「あ、カオリおはよー」
「なっち!?」
集合時間の一時間前、誰もいないと思っていた楽屋のドアを開けると…そこには、意外にもなっちの姿。
自分より早く集合した者がいたことよりも、それが他の誰でもない、なっちであったことに驚いて…私は思わず
素っ頓狂な声を上げてしまった。
あの遅刻魔のなっちが…この現象も、やはり今朝の異常気象と何か関係があるんだろうか。
「そんな驚かなくたっていいじゃん、なっちだってたまには早く来るコトだってあんだよぉ?」
少しむくれてそう言ったなっちが今まさに口に運ぼうとしているモノに、私は目を奪われた。
なっちの目の前には、皮を剥かれた黄色い物体。
そしてテーブルの中央には、まだ手付かずの状態にあるそれが3個程、赤い筒状のネットに包まれて転がっている。
「なっち、それ…みかん?」
下を向いて渋皮をとる作業に没頭しているなっちに、恐る恐る尋ねる。
雪、冬、と来て連想されるモノと言えば、確かにみかんをおいて他には無いと思うけど…この季節に一体どこで
入手したのだろう?
「へへー、びっくりしたっしょ?でも夏みかんだよ、コレ。なーんか雪降ってんの見たらさぁ、急にみかん食べたくなっちゃって。
カオリも食べる?」
「あ、うん」
なんだ、夏みかんかぁ…なっちに勧められ、テーブルの上に転がった夏みかんに手を伸ばす。
「うん…おいしい」
なっちにもらった夏みかんの皮をキレイに剥いて一房を口に入れると、甘酸っぱい味が口いっぱいに広がった。
「でしょでしょ?やっぱ冬はみかんだよねー。あっ、でも冬じゃないのか…なーんか、変なカンジだねぇ」
私の反応を見てうれしそうに笑った後、視線を窓の外へ移してなっちが言った。
「今日はさぁ、すっごい寒かったじゃん、朝。で、寒くて目ぇ覚めたらいきなり雪降っててさぁ!!
そんで、ぜったい道混むべさって思ってすっごい早く家出たの。正解だったねー。どんどんひどくなってるモン、雪」
「あ、なっちも?あたしもさ、外見てたらどんどん暗くなってくし、何か大雪の予感したっていうか…早く行かなきゃ
やばいって思ってさー」
夏みかんを頬張りながら、今朝の大雪の話で盛り上がる私たち…やっぱり、同郷の仲間っていいなぁ。
誰よりも雪の恐さを知ってるっていうか、同じ話題を共有し合える友達ってかけがえのないものだもんね。
考えてみたら、なっちとこうやって二人きりで話すのって本当に久しぶりな気がする。
私もなっちも上京したばかりの頃は自分のコトだけで精一杯で、お互いを思いやる気持ちが持てなくなって
些細なことでぶつかったりしたコトもあったけど…あの頃より少し大人になった今はそんなコトももう、ただの笑い話。
今は良い意味で、お互い距離を置いて付き合えるようになったっていうか…。
誰かと向き合おうとする時、近くにいるだけじゃ見えないモノもあるっていうことに気付かせてくれたっていうか…そんな感じ。
「なに…なっちの顔、何か付いてる?」
なっちの言葉に、ふと我に返ると…考え事をしながら私は、なっちに対して射るような視線を送っていたことに気が付いて
慌てて首を横に振る。
「びっくりした。カオリ、ときどき恐いんだもん」
言いながらなっちは、2コ目のみかんに手を伸ばす。
そして私が自分の食べかけの夏みかんを一房口に運ぼうとしたところで、カチャリとドアが開いて誰かが中へ入ってきた。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
コートのフードをすっぽりとかぶって全身ずぶ濡れの矢口は、ひざに両手をついて肩で息をしている。
エスキモーのようなボア付きのフードに、コートの中はしっかりとマフラーで隙間を密閉して完全防備。
もともと身長が低いのに、横方向に着ぶくれしちゃって…ボールみたくなってる。ドンって押したらそのまま転がっていきそう。
「どしたの、矢口。息切れてるよ?」
2コ目のみかんを剥きながら、なっちが言った。
「知ってるよ、はあ、はあ…。もー、すっごい!!すっごい、外!!マジで!!」
興奮覚めやらぬといった感じで、矢口が一気にまくしたてる。
「矢口、びしょびしょじゃん。どしたの?」
2コ目のみかんを剥き終えたところで、なっちが言った。
「どーしたもこーしたもないよ!雪のせいに決まってんじゃん、イチイチ聞くなよー」
少しムッとした表情で、矢口が答える。
「なに怒ってんの、矢口」
2コ目のみかんを口に運びながら、なっちが言った。
「なに食べてんの、なっち」
そう言った矢口の表情は、不機嫌そのもの。
「夏みかん。矢口も食べる?」
なっちはそう言って、目の前に立っている矢口に夏みかんを差し出した。
「いらない」
座っているなっちを上から見下ろしながら、矢口は差し出されたみかんを冷たく拒絶する。
「あっそ。食べたくない人にはあげませんよーだ」
「オイシイのにね」
「ってゆーかバカじゃないの、バカじゃないの!?あんたら!!」
矢口は鼻息を荒くして、向かい合って座る私たちの間に割り込んでくる。
「これでさぁ、こたつがあればカンペキでない?ねぇ」
「あー、ホントだね…」
「もーっ、ほんとバカ!!」
矢口は楽屋に入って来るなり挨拶もせずに、ずっと怒りっぱなし。
何が気に入らないのか知らないけど、もっとゆとりを持って行動した方が良いと思う。私たちは先輩なんだから。
なんて、そんなコト思ってても本人を前にしてビシッと言えない所が情けないんだけど…私が言わなくても、
ちゃんと自分で気付いてくれるはず。矢口はそういう子だって、カオリは信じてるから。
「矢口ぃ、そんなイライラしないの。ね?」
イラつく矢口を、なっちが優しくなだめる。
「はあ!?あんたたちこそ何でそんなに冷静でいられるワケ!?雪だよ、夏なのに大雪降ってんだよ!?
矢口が埋まるぐらいの!!ねー、聞いてんの!?」
あ、矢口埋まっちゃったんだ…それでこんなにずぶ濡れになってんだね。
「失っ礼だねー、なっちだって起きたときはびっくりしたに決まってんじゃん。でもさぁ…コレって、うちら人間への
罰ゲームみたいなものなんじゃないかなぁ。ねぇ、そう思わない?カオリ」
「うん…そうかもね。環境汚染とか?そういう愚かなコト繰り返してる人間たちへの罰ゲーム、なのかも知れないよね」
なっちの意見に同意して、大きく頷く私。
確かに私たち人間は、地球上のいろんな生物たちよりも後からこの地球に住みついたくせして、一番大きな顔して
居座ってるんだもんね。
それを見てて怒った神様が、こんな罰ゲームを私たちに与えたのかも知れない。
「だったら『罰』でいいじゃん、なんで後ろに『ゲーム』付いちゃってんだよ!ってゆーかイチイチ突っ込ませんなよ、もー!!」
全てを受け止め、そして受け入れようとしている私たちを尻目に、矢口は頭を抱えて何やらうなっている。
「「矢口ぃ、イライラしないの」」
私となっちの声が、キレイにハモる。名付けて、道産子ハーモニー。なんちゃって!やっぱり今日の私、冴えてるみたい。
「もー、やだ。早く誰か来てくんないかな…けーちゃーん、たすけてー」
さっきまで怒ってたと思ったら、今度は泣きそうな声を出してドアを見つめている矢口…この子との付き合いも
結構長いけど、たまに何を考えているのか理解に苦しむことがある。
「ねぇ、カオリ」
「ん?」
半ベソの矢口を見守っていると、突然なっちに話しかけられて私は視線を彼女の方へ向けた。
「今日の雪ってさ、北海道のと似てない?なーんか、サラサラしててさぁ」
「え?ああ…うん。そう言えば似てるかも」
言われてみれば今日の雪は、東京に降るベタ雪とは違ってサラサラとした触感だったような気がする。
「でしょでしょ!?来る途中、すっごい懐かしい気分になったもん!なんかさぁ、なっちさぁ、遊びながら来ちゃった。へへ」
そう言ってなっちは、私に向かってうれしそうに両手で雪を掬う振りをして見せた。
「思い出しちゃったなぁ…室蘭のコト」
独り言のように、なっちが呟く。
北海道の雪、か…なっちじゃないけど、何だかカオも札幌のコト懐かしくなってきたなぁ。
パパもママも、元気にしてっかなぁ…帰りたいなぁ、北海道。
帰りたい、帰り…あれ?
何だろう、この感じ。
今朝からの雪、矢口が埋まるぐらいの大雪…私の中に何か、『思い当たるフシ』があるような気がしてならない。
(『一日だけ、一日だけでいいから…北海道に、帰りたい』)
(『仕事と北海道、万事上手くいくことだろう』)
記憶の片隅にひっそりと影を潜めていた昨夜の会話が、私の中で鮮やかに蘇る。
謎が、解けてきたような気がする。
昨夜のアレは夢じゃなかったんだ。私はついに…!!
「…だ…様だ…神様だ…神様だ…神様だ!神様だ!!神様だよっっ!!!」
「カオリうるさい」
氷のように冷たい矢口の言葉をもってしても、今の私のテンションを下げることは到底無理な話。
そっかそっか!神様が、カオリにごほうびくれたんだ(リーダーがんばってるから)!!
パパ、ママ、やったよ!!
ハタチの夏、カオリはついに、カオリはついに……神様と交信できるまでに成長しましたぁーーーーっっっ!!!!
―――
(『一日だけでいいから…北海道に、帰りたい』)
超多忙で超人気者で超クール(→北海道だけに。なんちゃって!)なモーニング娘のリーダーこと飯田圭織のために
神様が叶えてくれた、たったひとつの願い事。
しかも神様ってば私の仕事のこともちゃんと考えてくれて、わざわざ私が住んでいるこの東京に北海道ばりの大雪を
降らせてくれるなんて…こういうの、至れり尽せりって言うんだよね。
でも何だかあんまりうれしくないような気がしなくもないんだけど、きっと気のせいだろう。
何にせよ、カオリの勝手なお願いを聞き届けてくださって…本当にありがとうございます、神様。
「…リ!カオリ!!」
「えっ」
胸に手をあてて神様に感謝の祈りを捧げていた私は、突然割り込んできた矢口の大声でハッと我に返る。
「カオリ、またどっか行っちゃってたでしょ?」
なっちが、食べ終えた夏みかんの皮を片付けながら言った。
「ちょっとね。お礼言ってたの、神様に」
「もー、意味わかんない。もぅやだ…」
私の答えに、なぜか頭を抱える矢口。
「なんで?なんで神様にお礼言うの?」
なっちに質問され、私はハッとする…そうだ、昨日のコト2人に説明しなきゃ。
夏なのに、東京の街に矢口を埋め尽くすほどの大雪が降った理由…それを知ったら2人とも、きっとものすごく驚くはず。
そして、その驚きは私に対する尊敬の念に変わったりして(→『神様と交信できるなんて、さすがリーダーだねっ!』)。
「もー、んなコト聞かなくていいよ。話ややこしくなるんだからさぁ」
「あのね!昨日の夜ね、神様がっ…」
あまり乗り気ではなさそうな矢口の言葉を無視して、私は昨夜の出来事を語り始めた。
「誰っ!?」
話の腰を折る矢口の声に振り返った私の視界に飛び込んできたのは、ドアを開け入ってきた全身黒ずくめの謎の人物。
黒い革ジャンにジーンズも黒、黒いサングラスに黒の革手袋、そして右手に握られている…アレはなに!?
アクション映画なんかでよく見る殺し屋さんみたいな格好をした謎の人物を、私たちはしばし呆然と眺めていた。
そして左手で肩に付いた雪を払い落とし、殺し屋がおもむろにサングラスを外す。
「圭…ちゃん?」
矢口が言った。
「あんたたち早かったんだね。てっきり一番乗りかと思ってたのにさ」
怯える私たちをよそに殺し屋、もとい圭ちゃんはあっけらかんとした口調で言った。
「圭ちゃん…何てカッコしてんの?ってゆーかその、手に持ってるモン何よ」
そう言った矢口の視線は、圭ちゃんの右手に握られた謎の物体に注がれていた。
黒地に白抜きで『GAS』の文字が入った缶に、噴射ノズルのようなモノがくっついているそれは…
ゴキブリや蚊などを退治する殺虫スプレーの形に似ていた。
「あ、コレ?ガスバーナーだけど」
たった今『ガスバーナー』であることが判明した謎の物体を、圭ちゃんは私たちの目の前で得意げに振ってみせる。
「ああ、なーんだ。ガスバーナーねー…ってオイ!!何でそんなモン普通に持ち歩いてんだよ、オカシイじゃん!!」
一旦は納得するくせにすぐさま厳しい突っ込みを入れる。そんな矢口の思考パターンが、私には未だに理解できない。
「すごーい!圭ちゃん、もしかしてコレで雪焼きながら来たの?」
圭ちゃんから受け取ったガスバーナーを観察しながら、ひどく感心した様子でなっちが言う。
「そ。渋滞しててなかなか進まないからさー、途中でタクシー降りて歩いて来たの。それ、持ってきて正解だったわ」
「「すごーい!!」」
不敵な笑みを浮かべる黒ずくめの彼女に羨望のまなざしを向ける、なっちと私。
そっか、コレなら雪も解かせるし暖も取れて一石二鳥ってわけなんだね…さすが圭ちゃん、殺し屋は殺し屋でも
ただの殺し屋じゃない。ちょっと素敵な殺し屋さんって感じ。
「正解?それって正解なの?バーナーだよ?雪降ったからってガスバーナー持参するのが正解?」
ただ一人、圭ちゃんの偉業を素直に称えることのできないひねくれモノ矢口が私たちの感動に水を差す。
「うっさいなー、家にあったから持ってきただけじゃん」
不機嫌そうに反論する圭ちゃんを見ながら、私はまた一つ新たな発見をしてしまった。
今の圭ちゃんの格好、黒ずくめにグラサン(外しちゃったけど)…殺し屋というより、昔ビデオで見たターミネーターにそっくりだ。
「だからそれがオカシイっつってんの。フツーに家にあるコトが!!」
ターミネーターに敢然と立ち向かう矢口はさしずめ…えーっと名前忘れちゃったけど、あの主人公の女の人ってトコかな?
「おかしいって…コレ、料理にも使えるんだよ?知らないの?矢口」
サングラス片手に腕組みして壁にもたれるターミネーター圭ちゃん。略して『TK』、わーっ、何かカッコイイ!!
「知らないし知りたくもないね」
そしてそんな圭ちゃんの真正面に挑むようにして立っている矢口は、相変わらず不機嫌そう。
「あんた、なに怒ってんのよ?」
「来たときからごきげんナナメなんだよねー?矢口は」
茶化すような口調でなっちが言う。
「あんたらのノンキさ加減にアタマきてんでしょーが…」
「矢口。急がば回れ、だよ?」
登場してからずっとイライラしっぱなしの矢口に、リーダーの私からとっておきのアドバイス。
「意味わかんない。ってゆーかカオリは回りすぎ!ちょっとは急ぎなよ!」
悲しいことだけど、どうやら私の気持ちは彼女に全く伝わっていないらしい。
「黒いカッコしてればさ、雪に埋もれちゃっても発見されやすいでしょ?」
苛立つ矢口を横目で見ながら、圭ちゃんが説明してくれる…なるほど、それで全身黒ずくめの格好してたんだ。
「なっち、実際埋まっちゃったヒト知ってるけどねー。ね?矢口」
「っさいなー!」
火に油を注ぐなっちの一言に、矢口の怒りの炎はさらに燃え盛ってしまった様子。
「それにしても、一体何なワケ?今日の雪は」
革手袋を外しながらそう言った圭ちゃんの言葉に、私はハッとする…そうだ、昨日のコトみんなに説明しなきゃ。
「あのね!昨日の夜ね、神様がっ…」
私は、圭ちゃんの登場により中断された話の続きを再び語り始めた。
「「おはようございまーっす!!」」
もぅ、タイミング悪いなぁ…。
ドアが開くのと同時に飛び込んできた元気の良い声は…もちろんあの二人、辻と加護。
「あんたたち、よく来れたね?大丈夫だったの?」
ドアのすぐ側に立っていた圭ちゃんが、入ってきたばかりの二人に声をかける。
「加護たちぃ、ずーっと前から来てたんだよねー?」
「ねー。外で雪合戦してたんだもんねー」
本当についさっきまで遊んでいたらしく、二人の頬は紅潮している。
彼女たちはエアコンの効いた室内に入った途端、暑い暑いと言いながら手袋とマフラーを外した。
「雪降ったからって早く来て遊んでたの?ったくあんたたちは…学校じゃないんだから」
その言葉とは裏腹に、圭ちゃんは楽しげに笑う二人を温かく見守っているようだった。
「あのね、あのね!」
辻が、私を見つけてうれしそうに駆け寄ってくる。
「あのね、いっぱい作ったんですっ!ねー、あいぼん」
辻はイスに腰掛けている私の腕を掴みながら、後ろの加護に向かって言った。
「うん!雪うさぎとかぁ、雪だるまとかぁ、雪やぐちさんとかぁ、いろいろ作ったよねっ!」
「ねっ!」
すると加護も興奮した様子で私の元へやってきた。
さっきまでの楽しいひとときを思い出したのか、二人は顔を見合わせてくすくすと笑った。
「ちょっと待って、『雪やぐちさん』って何よ」
二人の間から、矢口がにゅっと顔を出した。
「雪のぉ、やぐちさん」
雪やぐちさん、について説明する加護。
でもそれって、そのまんまって感じがして説明になってないような気がするのは…カオリの気のせい?
「雪だるまの矢口版ってコト?」
数秒の沈黙の後、その謎を解明したのは圭ちゃんだった。
「で、で、ミニモニなんだよねっ」
しかし加護は圭ちゃんの問いには答えず、さっさと話を先に進めてしまう。
でも否定しないということは、きっと『雪やぐちさん』=『雪だるまの矢口バージョン』と考えて間違いはないだろう。
「そう!あたまがねぇ、ミニモニなんだよねー!」
加護の問いかけに答えた辻は、思い出し笑いなんかしちゃって一人で楽しんでいる。
「頭がミニモニ、ってどーゆーコトだよ!ちゃんとわかるように説明しなさい!!」
ねぇ、矢口…二人に対して厳しいのはミニモニのリーダーとして?
それとも、もっと個人的な理由(単に『雪やぐちさん』が気になる)から?
「やぐちさんの髪型がぁ、ミニモニ」
圭ちゃんの質問はあっさり無視した加護だったが、矢口の言葉にはまるで飼い主に名前を呼ばれた犬のように
素早く反応した。
「髪型?ああ…いっつも2つにしばってるよね、ミニモニの時」
加護の説明を受けて、思い出したようになっちが言った。
「でも、髪の毛なんて…どうやって作ったの?」
私は、目の前でにこにこ笑っている辻に素朴な疑問をぶつける。
もしココが学校ならモップとかで作れそうだけど…二人は一体、何を使って矢口の髪型(ミニモニ仕様)を表現したのだろう。
「あたまにー、ぼうをさしましたっ!ざくっ、って」
言いながら辻は、『ざくっ』の部分で頭に棒を突き刺すマネをして笑った。
「ちがうよ、のの。2本だから、ざくざくっっ!!だよ、きゃははは!!」
加護は辻の説明に横やりを入れてきたものの、こらえきれなくなって途中で笑い出してしまった。
「なるほどねー、棒2本で…ああ、確かに見える見える。雰囲気でてるよ」
「出てねーよ!」
一人で納得するなっちの言葉を聞きつけて、矢口が耳ざとく反応する。
「「ザクッ!ザクッ!」」
気が付くと二人は入り口付近の圭ちゃんの前に移動して、側頭部に両手で棒を突き刺すマネをして遊んでいた。
「ははははは!!やめてよ、あんたたち…おなか痛いってー!くくっ…」
そしてそのショーは、見事圭ちゃんのツボに入ったらしい。
「おまえら、いいかげんにしろよー」
半ば諦めたような口調で、矢口が言った。
「じゃあ、後で見に行こっか。二人が作った『雪やぐちさん』」
二人の話を聞いて実物を見てみたくなった私は、他の三人(なっち・矢口・圭ちゃん)に提案してみた。
「あっ、なっちも見たい!なーんか面白そうだもんねぇ」
私の提案に、なっちも同意してくれる。
「あ、でも……。ねぇ?」
何やら意味深な微笑を浮かべながら、加護の視線が辻に向けられる。
「ねぇ…。くすっ」
そんな加護と目が合って、辻も何かを思い出した様子。
「ちょっとー!何なの?ハッキリ言いなさいよねー!」
どうやら矢口は『雪やぐちさん』のことが気になって仕方ないらしく、入り口に立つ二人に詰め寄る。
「あのー、辻たちぃ、雪合戦してたんですぅ」
笑いをこらえながら、辻が語り始めた。
「でぇ、辻がぁ、雪をでっかくまるめてカチカチにしてぇ、ボンってなげたんですね、ボンって!あいぼんに、ボンっ!って」
「きゃははは!あいぼんにボンっ!あいぼんにボンっ!それってシャレ?のの!」
「そおでーっす!あはははっ!!」
話に付いていけない私たちを置いてけぼりにして、二人で勝手に盛り上がる辻と加護。
彼女たちのこういうとこ、リーダーとして本当はきちんと注意すべきなのかも知れないけど…まあ、これも個性だと思えば。
「でぇ、ボンってなげたらぁ、それがやぐちさんのあたまにドンって当たってぇ、バァーン!ってなってぇー!!」
『バァーン!』の部分で辻は、両手を大きく広げて矢口、もとい『雪やぐちさん』の頭が砕ける様子を的確に表現した。
「やぐちさんの首、とれちゃったんだよねー」
「ねー」
和やかな笑顔で恐ろしい言葉を吐く加護と、うれしそうに頷く辻。
「テメーらーーっっ!!」
そんな二人に、矢口の怒りも頂点に達した様子。
「あ…いっぱい取ってきたねぇ、辻」
ふいにそう言ったなっちの視線の先には…辻が外で集めてきたらしい、コンビニ袋いっぱいに詰め込まれた雪。
「コレでぇ、かき氷つくりますっ!」
胸を張って言った辻の右手に提げられたコンビニ袋からは、中の雪が解け始めて水滴がボタボタと落ちてきていた。
「あっ、早くしないと解けちゃうよ!?ジュース買いに行こ、のの!!」
言いながら加護が、辻の腕を引っ張って急かす…そっか、シロップの代わりにジュースを使おうと思ってるんだ。
「そんなん食べるなよー、きたないなぁ」
「キレーだもん!ちゃんと人がふんでないトコのやつ、とってきたもん!」
辻は唇をとがらせて、矢口の忠告にも一切耳を貸さない。
「そーゆー問題じゃなくて。雪にはさー、空気中のいろんなゴミとかがいっぱい含まれてんだよ?お腹こわすから止めな」
「特に東京は、空気がよごれてっからねー。止めた方が良いよ」
「だいじょうぶだもん…」
矢口だけじゃなく圭ちゃんにまで反対されたものの、辻はまだ諦めきれない様子。
「おいで、辻」
私は、下を向いてしゅんとしている辻に手招きした。
「はい、コレ」
そして私は雪の入ったコンビニ袋を握り締めてトコトコと歩いてきた辻の目の前に、自分の右手を差し出した。
「………?」
辻は私の手のひらに乗っているイチゴ味のアメ玉を、きょとんとした顔で見つめている。
「雪といっしょに口に入れてごらん?氷イチゴになるから」
「ああ…!」
そっかー、と言ってうれしそうに笑いながら、辻は私の手からアメを受け取った。
「……ホントだー!!イチゴ味になった!」
イチゴあめ+雪のブレンドを口の中でしばらく味わった後で、辻が叫び声を上げた。良かったねー?辻。
「あーあ。食っちゃったよ、コイツ…」
矢口はそう呟きながら、浮かれる辻を心配そうに見つめている(ように見えたのはカオリの気のせい?)。
「加護もー!加護もください、飯田さんっ!!」
ジュースを買いに行こうとしていた加護が、慌てて私のところへ駆け寄ってくる。
「ああ、そっかそっか。ちょっと待ってね?」
加護に急かされて、自分のバッグを漁る私…まだあったかなぁ、イチゴキャンディー。
「ゴメン、加護…ごまクッキーしかないけど、いる?」
バッグの中にはイチゴ味どころかキャンディーは全滅、あったのは今朝出かけるときに持ち出したごまクッキー3枚だけ。
シロップ代わりには使えそうもないけど、何もあげないのも可哀相なので…とりあえず私は、期待に満ちた表情で待つ
加護の目の前にそれを差し出してみた。
「えっ…」
そして案の定、戸惑いの表情を浮かべる加護。
「ははははっ!!ごまクッキーって!!どーしろっつーんだよ、カオリさいこー!!」
加護に対して申し訳ない気持ちでいっぱいの私をよそに、矢口はお腹を抱えて爆笑している。
「見て見て、加護。ホラ!『冷凍みかん』」
戸惑う加護の前になっちが差し出したのは、さっきまで辻が提げていた雪入りのコンビニ袋。
なっちが両手で広げた袋の中を覗き込んでみると…真っ白な雪の中に夏みかんが1コ、埋められて少しだけ
顔を出していた。
「あーっ!食べていいですかぁ?」
「うん。いいよぉ」
うれしそうに笑って、袋の中のみかんを取り出す加護。良かったねー?加護。
「止みそうにないね、雪」
さっきから壁に寄りかかって腕組みしたままの姿勢を崩さない圭ちゃんが、窓の外を見ながら言った。
「止まないどころかさぁ、どんどんすごくなってってない?」
テーブルに頬杖をついているなっちは少し目線を上げて、すっかり太陽を覆い隠してしまった曇り空を見上げている。
辻と加護の二人は向かい合わせに座って、1コの夏みかんを半分ずつ分け合って食べている。
「どのくらい積もってんのかなぁ…………はっ、やばい!!」
外を眺めながら、矢口がぽつりと呟いた…と思ったら、いきなり大声を上げてみんなの注目を集める。
「どうしたの?矢口」
私はイスに腰掛けたままで、窓際に立つ矢口に尋ねる。
「みんなにつられて、まったりしちゃうトコだった…あっぶねー」
もぅ…そんなことで驚かなくたって。
「いいじゃんよぉ、別に。のんびりいきまっしょい!ね、矢口?」
そんな矢口をなだめるように、優しい口調でなっちが言った。
「やーだ」
もぅ…素直じゃないんだから。
―――
「すごいねぇ…。なーんも見えないよ、外。すっごいねぇ」
「うん。すごいねー」
窓の外を見ながら、しきりに『すごい、すごい』を繰り返しているなっちに同意して私も頷く。
朝早くから降り続いている雪は時間が経つにつれて激しさを増し…空は真っ暗、窓の外は吹雪で何も見えない。
「寒いね。カーテン閉めよっか」
そう言って、壁にもたれて立っていた圭ちゃんは窓際まで歩くとカーテンを完全に閉めた。
夏用の薄地のカーテンが、すきま風防止にどれぐらい役に立つのかはわからないけど…まぁ、気休めにはなるかな。
「もーやだ。来るんじゃなかった…帰りたい」
私、何か大事なことを忘れている気がする…そう考えていた矢先、矢口が言った『帰りたい』の一言にハッとする。
そうだ!圭ちゃんと辻と加護が入ってきて中断されちゃったけど、私…昨日のコトみんなに説明してる途中だったんだっけ。
「あのね!昨日の夜ね、神様がっ…」
私は、昨夜の出来事について再び語り始めた。
「待って!……誰かいる!!」
圭ちゃんが登場した時と同様、私の話は矢口の声によって再び中断された。
「は?何言ってんの、矢口」
「だって、音…音したもん、誰かいるって!ホラ、そこ!」
圭ちゃんの問いに答えて矢口が指差した先は、部屋の隅…ずらりと並んだメイク台の一番奥。
「やだ…ちょっと、変なコト言わないでよ」
一見殺し屋のようでターミネーターのようでもある、その強そうな外見に反して意外と恐がりな圭ちゃんが、
後ずさりしながら怯えた声で言った。
「ホントだってば!ねぇカオ、見てきてよ」
「えっっ!?」
矢口に突然指名されて、私は素っ頓狂な声を上げてしまった。
ちょっと待ってよ、何で私が!?
「やだよっ、矢口が行けばいいじゃん!」
「やだよ!カオリ見てきてよ!!」
「だから何であたしなの!?」
「だってリーダーじゃん!!」
矢口、ひどい…こんな時ばっかり『リーダー』なんて。
みんなのために一人だけ恐い目に遭ったり、一人だけ嫌な思いしたり…リーダーってそういうコトなの?
そんなのって、そんなのって…ただの、『罰ゲーム』じゃん。
「わあっ、ごっちん!?ごっちん!!」
少しだけ傷ついてしまったブロークンマイハートに、突然飛び込んできた加護の大声がグサリと突き刺さる。
かなりドキッとしちゃったけど、これは別にときめいたからじゃなくて…単に加護の声が大きくて驚いただけ。
「……んぁ?あれ…?あー……加護ちゃん。おはよー…」
部屋の隅で腰を抜かしている加護に全員が注目した瞬間、メイク台の下からくぐもった声が聞こえてきた。
とても眠そうな、聞き覚えのあるこの声は…加護の言う通り、間違いなく後藤のモノ。
「ちょっ…あんた、何でそんなトコいんのよ!?」
「……あ?あー…けーちゃん、おはよー…」
何とか立ち直った加護に手を引いてもらって、後藤が潜り込んでいたメイク台の下から出てきた。
「早く来すぎちゃってさー…寝てた」
眠そうに目をこすりながら、後藤が言う。
「なんかさー…落ち着くんだよね、ココ」
暗くて狭い場所が落ち着く、か…ドラえもんがいつも押入れで寝てるのと同じ感覚なのかな?
「なんだかんだ言ってウチら優秀だよねー、こんな状況でもちゃんと時間前に集合してんだからさ」
圭ちゃんが言った。
「そうだ、みんな聞いて!!」
「どしたの、カオリ?」
突然立ち上がった私を、なっちが不思議そうな顔で見上げる。
「あのね!昨日の夜ね、カオリ…神様に会ったの!」
やっと言えた…これを言おうとして、ここまで何度ジャマが入ったことか。
「はあ?なに言ってんの?」
ある程度予想はしていたものの、矢口の反応はやはり冷たかった。
けど、そんなことで挫けるような私じゃない。
次に続く爆弾発言に備えて、私は大きく深呼吸した。
「あのね、今日すごい大雪じゃん?これね……実は、カオリがやったの」
ついに言った…大きな満足感で、胸が一杯になる。
「あっ!正確にはカオリじゃなくて、神様がやったことなんだけど」
ごめんなさい、神様…緊張して、ついカオリがやったことにしちゃいました。
だけど、すぐに訂正したから許してもらえますよね?
「あの…よく、わかんないんだけど」
「慌てないで圭ちゃん、ちゃんとわかるように説明するから」
私の言葉に、圭ちゃんは黙って頷いた。
「昨日の夜…神様が来たのね、ウチに」
「いや、出だしからイキナリ間違ってるから」
「待ってよ矢口、とりあえず聞こ?」
助け舟を出してくれたなっちに、私は目で合図する…『ありがとう』。
「でね、言ったの。『たった一つだけ、願い事を叶えてやろう』って」
神様、似てました?今の声マネ。
「で?なんつったの、カオリは」
窓際に立って腕組みポーズの圭ちゃんが、話に乗ってきてくれる。
「あのね、『帰りたい』って言ったの。『北海道に、帰りたい』って」
「そしたら?そしたらどうなったの?」
なっちが興味津々といった感じで身を乗り出してくる。
「そしたらね、神様がこう言ったの。『いいだろう。カオリちゃんは頑張ってるから。カオリちゃんはリーダーとして
本当に良く頑張ってるから、神様がご褒美をあげよう。カオリちゃんは本当に頑張ってるね』って」
「嘘くさい。それ絶対ウソ」
「本当だもん!」
相変わらず信じようとしない矢口に、自然と強い口調になる。
「神様が自分のコト『神様』って言うかぁ?それに何?『カオリちゃん』って…絶対うそだね」
「本当だもん!」
本当ですよね?神様!!
「で?それと今日の大雪と、何の関係があんのよ?」
「えっ?わかんないの、圭ちゃん」
「なっち、わかんの?」
「わかるよー。カオリは、『北海道に帰りたい』って言ったんでしょ?」
私は、なっちの言葉に大きく頷く。
「神様がカオリの願い、叶えてくれたんだよ。東京に北海道の雪、降らせてくれたんだよ!すごいじゃん、カオリ!!」
「でしょ!?すごいっしょー!!」
「すごいよ、すごいよ!だってさぁ、ぜったい北海道の雪だもんね!サラサラしてたもん、絶対そうだよ!」
なっちと私は、互いに手を取り合って喜びを分かち合う。
「えーっ、絶対ウソだってー」
「まぁ、神様の件は百歩譲ってホントだとしてもさー」
盛り上がる私たちとは対照的に、圭ちゃんの口調は冷静そのもの。
「カオリが、北海道に帰りたいんだよね?」
圭ちゃんの問いに、黙って頷く私。
「だったら……東京を北海道にしちゃってどーすんのよっ!!」
「違うもん!カオリがやったんじゃないもん、神様がやったんじゃん!悪いの神様だもん!!」
そりゃあ、神様にきちんと説明しなかったカオリも悪いけど…そんなに怒ることないじゃん、ひどいよ。
「ねー、待ってよ」
先ほど眠りから覚めたばかりの後藤が、突然話に割り込んでくる。
「あのさ、単純に思ったんだけどー…カオリ一人がお願いしたところで、東京が北海道になっちゃったりするワケないよ」
ごっつぁん…かばってくれるのはうれしいけど、本当なんだよ?
カオリ本当に、神様に会ったんだよ?
「なっちもいっしょにお願いしたんだよね?」
「えっ!?」
いきなり自分の名前が出てきて、なっちが驚きの声を上げる。
「あんたね…一人増えただけで何が変わるっつーのよ」
「えー?違うの?だって、一人より二人じゃん」
「うわー、説得力ねー」
責められている私を弁護してくれた(ように感じたのはカオリの気のせい?)後藤だったが…すぐさま圭ちゃんと矢口の
容赦ない突っ込みを浴びてしまう。
「あーっ、キツネだ!キツネだー!!」
一人でテレビを見ていた辻が、突然大きな叫び声を上げた。
「ホントだーっ!!」
それを聞いた加護が、すぐさまテレビの前に駆け寄る。
辻が観ていたワイドショー番組では、今朝の大雪に関するニュースの特集が組まれていた。
こんな異常現象なんて、そう滅多にあるコトじゃないから…今日はどの局でも、このニュース一色なのだろう。
テレビには、どこかのビルのロビーらしき場所の静止画像が映し出されている。
画面の左端には、立ち上がって身を乗り出している受付のお姉さんたち。
画面の右端には、今まさに爆走中といった感じで宙に浮いた瞬間の茶色い生物が小さく映っていた。
そして、画面下には…『目撃されたキタキツネ』のテロップ。
「「キタキツネぇぇーー!?」」
圭ちゃんと矢口の声が、キレイにハモる。
私となっちが道産子ハーモニーなら、この二人はさしずめ…思いつかない。
「ほらあーっ、ホラホラ、絶対そうだって!北海道なんだよ、ココ!!」
なっちが、興奮してテレビの前に走り寄る。
「うそ…でしょ」
矢口が、ぽつりと呟いた。
「あれぇ?これってさー…この下のロビーじゃない?」
のんびりとした口調で、後藤が言った。
「…ホントだ。ここだよ、コレ」
独り言のように圭ちゃんが呟く。
画面はさっきまでの静止画像から切り替わり、同じ場所の現在の様子を中継で伝えていた。
後藤や圭ちゃんの言う通り、その景色は確かに私たちが今いるテレビ局のロビーと同じモノ。
レポーターさんの話によると…何かの番組の撮影途中に偶然捉えられたキタキツネは、物凄いスピードで
ロビーを突っ切るとそのまま行方不明になってしまったらしい。
と、いうことは…迷子のキタキツネは、まだこの局内をウロウロしてるかも知れないってこと?
雪、(夏)みかん、雪だるま、雪やぐちさん、殺し屋、そして…キタキツネ。
すごい、素晴らしい、まさにココは……北海道。誰がなんと言おうと。
「すごい……ここにいるんだ!ここにいるんだよ、キタキツネ!!」
感動は心の中でじっくりかみしめるタイプの私とは正反対に、『喜びは体全体で表現』タイプのなっちは
テレビにしがみつき、キタキツネの出現にその瞳を潤ませて感動している。
「のの!探しに行こ!!」
「うん!」
「待って、なっちも行く!!」
まさに『ダッ!』という表現がぴったりのスタートダッシュで、楽屋から走り去ろうとする三人。
「待って!!」
突然の圭ちゃんの制止に、足を止め『バッ!』と一斉に振り返る三人。
「どうしたの?圭ちゃん」
「ねぇ、カオリ…北海道、なんだよね?ココ」
圭ちゃんは私の問いかけには答えず、逆に私に質問してくる。
「そうだよ」
なに言ってるんだろう、そんな当たり前のこと聞いちゃって…変な圭ちゃん。
「いや、キタキツネが居たってことはさ、もしかして……熊とか、出ちゃったりするんじゃない?」
「「「ええええーーーーーっっっ!?」」」
私となっち、そして矢口の声がぴたりとハモる。道産子ハーモニー(with矢口)、ふたたび。
「なーんてね。んなコトあるワケない、っか…」
「もーぅ…やめてよ、圭ちゃん」
胸を押さえながら、ホッとした様子でなっちが言う。
同じく私も、ホッとして深いため息をついた。
だけど圭ちゃんに恐い話とかされると、冗談に聞こえないのはどうしてだろう?
「かっ、かかかかかっ」
「なに言ってんの、矢口」
突然部屋の隅で口をパクパクして震えだした矢口に、なっちが問いかける。
「かかかかっ…カゴ閉めて、カギ!!」
「矢口…もしかして逆?」
なっちがぽつりと言った。
「いいから!!カギ閉めて、加護!!」
「は、はいっ」
矢口に言われるがまま、加護がすぐさまドアのカギを閉める。
「みんな!ぜったい外出ちゃダメだからね、生きて帰れないよっ!!」
突然何かに怯え始めた矢口を、私たちはただ呆然と見守っているしかなかった。
「矢口…もしかして熊、ホントに出ると思った?」
さっきの発言は冗談だとわかっているのに、圭ちゃんの口から『熊』等の恐ろしい言葉が飛び出すと反射的に
ビクリと身を固くしてしまうのはどうしてだろう?
「思ったも何も、出ないなんて保証ある!?ないでしょ?キタキツネが出たんだもん、熊が出たっておかしくないよっ!!」
みんな、言葉を失った。
確かに矢口の言う通り、キタキツネが出て熊が出ないなんて保証はどこにもない。
「そう、だね。矢口の言う通りだよ。こっから、出ない方が良いね」
なっちの言葉に、みんなは黙って頷いた。
「やぐっつぁん…プーさんは大好きなのにね」
と思ってたら、ごっつぁんだけ頷いてなかった。
「プーさんは熊じゃないもん!!」
「熊だろー…おもっきし」
圭ちゃん、お願いだから『熊』って言わないで。圭ちゃんが言うと、ホント恐いから。
「とにかく!!みんな絶対に、ココから出ないこと!!いい!?」
「少しぐらい、いいんじゃないの?」
仁王立ちして腕組みポーズの矢口に、恐る恐る圭ちゃんが尋ねる。
「ダメ!!ぜったい、ダメ!!ホラ、わかったら返事!!」
本当に恐いのは、熊でもなく圭ちゃんでもなく…矢口なのかも知れない。
「「「「「………はい」」」」」
「やぐっつぁん…プーさんは大好きなのにね」
こうして私たちは、まだ見ぬ凶暴な熊の存在に怯えまくるのであった(とくに矢口)。
―――
「ガオーッ!!」
ノートに描いた熊の想像図(顔アップ)をお面のように顔に当てて、低い声で唸る加護。
「ねぇねぇ、あいぼん。名前なんにするぅ?コイツ」
「えっとねー、やすださん」
「あはっ、いいねぇ。貸して貸して」
後藤は加護から似顔絵を受け取ると側にあったペンを取り、絵のすぐ下に何やら文字を書き足した。
「ジャーン!」
ペンを置いて、後藤が得意げにノートを広げる。
『YA・SU・DAAAAAAAAA!!』
凶暴そうな野生熊の想像図(リアルタッチ。作・飯田圭織)の下に太字の黒ペンで後藤が書き足した文字が、
その迫力を一層際立たせている。
「あっははは!何かカッコイイよ、それ。『ダーッ!』ってカンジするもん。ダーッ!って、強そう!!あはははは!!」
私と後藤による傑作を見た瞬間、なっちがテーブルを叩いて爆笑する。
「あんたたちねー…遊んでんじゃないわよ」
自分の名前を勝手に使われた圭ちゃんは、野生熊(やすださん)のイラストにちょっと不機嫌そう。
「あと来てないのは、よっすぃーと梨華ちゃんと……裕ちゃんか」
壁に掛かった時計を見ながら、矢口が言った。
時刻は既に集合時間を30分も過ぎているにも関わらず誰も呼びに来ない上、未だマネージャーすら現れない。
「裕ちゃんが来ないのって珍しいよね」
同じく時計を見ながら、圭ちゃんが言う。
「この雪じゃねぇ…。ちゃんと来てるウチらの方が珍しいんじゃない?」
矢口の言葉に頷きつつ、少しだけ後ろめたい気持ちになる。
神様の勘違いとはいえ、こんな大変な状況を作り出してしまったのは他の誰でもない、私なんだから…。
「カオリ、裕ちゃんに電話してみたら?」
「えっ……ああ、うん」
圭ちゃんの提案に戸惑いつつも頷くと、私は自分のバッグから携帯を取り出した。
震える指で、裕ちゃんの番号を呼び出す。
(『今度やったら…知らんで?どうなっても…どうなってもな』)
今朝の裕ちゃんとの会話が、私の中でちょっとしたトラウマとなっていた。
『はいは〜い』
着信表示を見て私からだとわかっていたのだろう、電話の向こうから聞こえてきた裕ちゃんの声は
今朝とは打って変わって穏やかなモノだった。
とりあえず私は、ホッと胸をなでおろす。
「裕ちゃん、カオリだけど」
『久しぶりやーん、元気してた?』
久しぶりって…今朝電話したばかりなのに。
やっぱりあの時、カオリだって気付いてなかったんだ…ひどいよ裕ちゃん。
「うん。裕ちゃんは?」
『アタシ?最悪やで。昨日はみっちゃんと飲み過ぎてなー、まだ酒ヌケへんし。今朝は今朝でな、朝っぱらから
変なイタズラ電話に起こされるし…ホンマ最悪やわ』
「へぇ…そう」
裕ちゃん、それ(変なイタズラ電話)…カオリだよ。
『朝方やで!?朝方にイタ電!!たまらんわ、何時やと思てんねん!!』
「何時だったの?」
『いやー、時計見てへんかったから』
「………」
私は言葉を失った。
裕ちゃんに電話した時、もう7時(AM)過ぎてたんだよ?
カオリの常識がずれてなければ、午前7時を朝方とは言わないと思うんだけど…しかも裕ちゃん、カオリが起こした時
『こんな夜中に…』って言ってたよね?
裕ちゃんの体内時計って、一体どういうしくみで動いているの?
原動力はお酒?裕ちゃん時計はお酒が電池の代わり?お酒が切れると止まっちゃうとか?
『昨日はホンマ最悪やったわ。飲み屋でおっさんに絡まれるし、みちよの愚痴は止まらんし…。
全部、あのイタ電のせいやで』
ひどいよ裕ちゃん、何でもかんでも…。それって明らかに、カオリが電話するよりも前の出来事じゃん…。
何でもかんでも人のせいにするのは、良くないことだよ。
私は、そう言いたいのをぐっとガマンした。
いつだって人は、嫌なことや気持ちよくないこと、誰かや何かのせいにしないと生きられない動物なんだもんね。
そういうの全部自分で背負い込んじゃったら、重くて重くてつぶされちゃうもんね。
そうやって人は、自分が抱えているストレスから解放されようとするんだもんね。
そうやって人は、うまく生きていこうとするんだもんね。
「…そっか、大変だったね」
カオリってつくづく…おとなだなぁ。
「裕ちゃん、今どこ?」
『あー?まだ車ん中。もー、この大雪やろ?渋滞しててぜんっぜん、前進まへんねん』
「そうなんだ…」
『なんや、さっきから屋根がミシミシいうてんねんけどな…。うわっ!?なに!?ちょっ…今、ヘコみませんでした!?
ねー、屋根ヘコんだでしょ!?ちょっと大丈夫なん!?おじさん!!』
突然、電話の向こうから裕ちゃんの取り乱した声が聞こえてきた。
「裕ちゃん…?」
『あっ、ゴメンゴメン。今な、ベコッ言うてん。ベコッ、て。絶対ヘコんだわぁ、屋根』
「がんばってね、裕ちゃん」
『え?ああ、そらまぁ、がんばらなしゃあないけどなー…何を?』
「じゃあね」
『えっ、もう切んの?もうちょっとええやん。なんや心細いねん、なぁカオ…』
ピッ。
電話って不思議。
ついさっきまで、まるで相手が自分の目の前にいるかのように近くに感じられたのに…ボタン一つで消えちゃうんだもん。
ボタン一つでいつでも会えて、ボタン一つでいつでもさよならできて。
別に今のは、今朝のカオリの電話がイタ電と間違われて挙句の果てに一方的に切られたことへの仕返しじゃないからね?
ね、裕ちゃん。
「どこにいるって?」
電話を切るとすぐに、圭ちゃんが聞いてくる。
「まだ車の中だって。なんか、屋根がへこんだとか言ってたけど」
「はあ?なにそれ。ちゃんとたどり着けんのかなー、裕ちゃん」
矢口が言った。
「…ダメだ。よっすぃーも梨華ちゃんも全然出ないよ?」
携帯片手に後藤が言った。
私が裕ちゃんと話している間に、後藤は吉澤と石川に連絡を付けようとしていたらしい。
「ガオーッ!グアーッ!!グアオオオオゥゥゥゥ!!!」
「こりゃ、今日は中止かねー…」
だんだんと進化を遂げていく野生熊やすださん(お面を付けた加護)をちらりと横目で見ながら、圭ちゃんが言った。
「なんだよー…家で寝てれば良かった」
言うなり、矢口は机の上に突っ伏した。
「んあっ!?」
びっくりした矢口が飛び起きるのと、みんなが一斉に窓の方に注目したのとはほぼ同時だった。
「なに…今の?ねぇ、音したよね!?ねぇ!?」
矢口の問いかけに、全員が頷く。
凶暴化した野生熊やすださん(加護)ですら、怯えた表情で立ち尽くしている。
ドンドン!!
今度は、はっきりと聞こえた。
部屋の窓を、誰か(何か)が…外側から、叩いている。
「かっ、風の音じゃない?ねぇ?」
ドンドンドンドン!!
なっちの言葉を嘲笑うかのように、その音は窓の外から再びはっきりと聞こえてくる。
「よよよよ、四回もっ、四回も鳴ったよ、四回も!!」
矢口は声を上ずらせて完全に取り乱している。
「誰か…いるんだよ、外に」
「やめてよ、カオリ…9階だよ、ココ」
圭ちゃんの言う通り、ビルの9階で外から誰かが窓を叩いているとしたらそれは…間違いなく、普通の人間じゃない。
恐らくオバケか、ロボットか、圭ちゃんか…あっ、でも圭ちゃんは今ココにいるから却下。
だけど圭ちゃんなら…可能かも?(分身の術など)
「みんな、いい?開けるよ?」
(私の中だけで)噂をすれば影。
我らがヒーロー圭ちゃんが勇敢にも、今も叩き続けれている窓のカーテンに手をかける。
そしてみんなが頷いたのを確認すると、完全に閉め切られたカーテンを…一気に開けた!!
「「「「「「「ギャーーーーーーーーッッ!!!」」」」」」」
次の瞬間私たちが目にしたのは世にも恐ろしい、窓にへばりついた『何か』…人間らしき姿をした、謎の生物。
「ゆ、ゆきっ、ゆきっ、ゆきおとこぉぉぉーーーっっ!!!」
矢口の甲高い大声に、耳がキーン…ってなった。
「ちょっと矢口!!いっくら北海道だからって、雪男はないでしょー!?北海道バカにしてるんでない!?」
「あー…ヒマラヤだっけ?ゆきおとこって」
なっちも後藤も、今はそんなコト言ってる場合じゃないんじゃないかな?カオはそう思う。
問題の雪男は外側から窓枠に足を掛けて立ち、窓に両手をついて左頬をべったり押し付けている。
後ろから何かに押しつぶされているようにも見えるんだけど…背景は降りしきる雪で真っ白、彼がどういう状態で
そこに立っているのかを窺い知ることは出来ない。
「見なかったことにしよう」
圭ちゃんは冷静な口調でそう言うと再び窓際に近付き、全開状態のカーテンに手を伸ばす。
無かったことにされようとしているのに気が付いたのか、頬を窓に押し付けていた雪男の左眼がカッと見開かれた。
「あれぇ?」
「どうしたの?ごっちん」
カーテンが雪男の体にさしかかったところで、後藤の言葉に圭ちゃんがその手を止める。
「アレさぁ…よっすぃー、じゃない?」
みんなが一斉に雪男に注目すると、彼はその両手に力を込めてゆっくりと体を後ろへ押し戻した。
そして正面を向いたその顔は、さっきまでの無残に潰れた横顔と同一人物とは思えないほど端正な顔立ちをしている。
その姿を呆然と見つめる私たちを…雪男改め吉澤ひとみは、哀しげな眼差しで見下ろしていた。
「何か言ってるよ?」
なっちが、口を大きく開けて何かを伝えようとしている吉澤に気付いて言った。
どうやら同じフレーズを繰り返しているらしい吉澤の口の動きを読もうと、みんなが一斉に注目する。
『お・と・こ・じゃ・な・い』
「男じゃない、ってアンタ…『ゆき』の部分は否定しなくていいのか?」
圭ちゃんが言った。
「よっすぃー…どうやってココまで登ってきたんだろ」
矢口は、雪男の正体が判ってようやくショックから立ち直った様子。
「あーっ!またココでてるよ!!」
辻の言葉に振り返ると、テレビには私たちがいるテレビ局の上空からの映像が映し出されていた。
「なにコレ、うそでしょ!?ココまで雪が積もってるってコト!?9階まで!?」
その映像を見た瞬間、矢口が驚きの声を上げた。
お天気おねえさんのコメントによると、朝方からの雪は今もまだ降り続いていて、『ひどい所ではビルの9階まで
雪に覆われてしまっているようです。みなさん、出かけるときは傘を忘れないようにしましょうね!』とのこと。
「お天気コーナーでのんびり取り上げてる場合か?」
圭ちゃんが言った…あ、そう言われてみればそうだよね。
「ってゆーか、既に北海道じゃなくなってる気がするんだけど…」
矢口の言う通り、いくら北海道でもビルの9階まで雪が積もったって話は聞いたことがない。
神様の北海道に対する認識に誤りがあることに、私は気付き始めていた。
「でもさー…他はそうでもないよ?なんかココだけ、すごくない?」
後藤の言葉に再びテレビの映像に注目すると…確かに私たちがいるこの建物は、周りに比べて雪の深さがダントツ。
他の場所も北海道並みに積もってはいるものの、あくまで北海道並みという程度の積雪だし。
道路も既に除雪車が出動して、着々と除雪作業が進められている様子。
北海道を通り越してもはや何処の景色を再現したいのか理解に苦しむこの場所は、常識を超えた今日の東京地方の
中でも一際異彩を放っている。
なぜ………??
「カオリ…ピンポイントで狙われてんだよ、アンタ」
あっ!そういうことかぁ。
「ああああ、もぉー!来るんじゃなかった、ほんっと来るんじゃなかったよぉぉ…」
そう言って机の上に突っ伏した矢口は、泣いているみたいだった。
泣かないで、矢口。矢口が泣くと、カオリまで悲しくなっちゃうよ…。
ドンドンドン!!
激しく窓を叩く音に、みんなが一斉に注目する。
「あっ、忘れてた」
9階まで積もった雪に押しつぶされている吉澤を見上げる矢口の瞳は…涙に濡れていた。
「雪の上を登ってきたのかなぁ…すごいね、よっすぃーは」
みんなに忘れ去られたのが悲しかったのか半泣き状態の吉澤を見ながら、後藤が言った。
「よいしょ、っと」
矢口が自分の座っていたパイプイスを窓の下まで運ぶと、その上に立ち上がる。
窓のカギは私が背伸びをしてようやく届くぐらいの高さに位置しており、台などを使わずに矢口が開けるのは当然無理。
矢口も言ってくれればいいのに…でも、きっと自分の手で吉澤を助け出したいんだね?
いいなぁ、友情って。いいなぁ、青春って。
「ちょっと、なにやってんの!?矢口!?」
突然割り込んできたなっちの声に、顔を上げて窓の方を見遣ると…当然カギを開けるのだと想像していた
矢口の行動がおかしいことに気が付く。
イスの上に立ち上がっている矢口は窓に両手を付いて少し背伸びをすると、吉澤の口元に自分の唇を近づけている。
そして照れたような表情の吉澤はほんの少し躊躇した後、ゆっくりと目を閉じた。
矢口…何をする気!?
「はあーっ」
固唾を飲んで見守っていると、みんな(かどうかは知らないけど)の予想に反して矢口は窓に向かって息を吹きかけた。
矢口はキュッキュッと音を立てながら、白く曇った窓ガラスに指で文字を書き始めた。
「いいの?何かを期待しちゃってるよ、あのコ」
圭ちゃんの言葉を無視して、作業に没頭する矢口。
目の前に記されている矢口のメッセージにまるで気付いていない吉澤は…固く唇を結んだまま、まだ目を瞑っていた。
「よし、できた!」
そう言うと矢口は、ドン!と強く窓ガラスを叩く。
突然の出来事に驚いた吉澤が、バランスを崩して後ろによろける。
「器用だねぇ、矢口」
イスから下りた矢口に、感心した様子でなっちが言う。
見ると矢口が窓ガラスに記した文字は、吉澤側から読めるよう裏返しに書いてあった。
私たちはしばし無言で、矢口が書いたメッセージを解読する。
『よっすぃーへ。玄関はこっち。↓』
「もっかい下降りろ、ってコト?無茶だって矢口」
「だって、ここで窓開けたらどうなると思ってんの?雪崩おきるよ」
パイプイスを元の位置に戻しながら、矢口が圭ちゃんに反論する。
「ねぇ、冗談やめて開けてあげようよ。よっすぃー泣いてるよ?」
なっちの言葉に、私も圭ちゃんも顔を見合わせて頷いた。
矢口に裏切られて失意のどん底にいると思われる吉澤は窓にしがみつくのを止め、背後に積もる雪の中に埋没し始めていた。
よく見ると、涙で濡れたまつげが凍っている。
確かに矢口の言う通り今ここで窓を開けようものなら、外にいる吉澤と一緒に大量の雪がこの部屋に雪崩れ込むのは
避けられない。
だからと言って、雪の中をこんな高さまで登ってきた吉澤をこのまま追い返すのはあまりに可哀相……というか、
命に関わるのではないだろうか。そんな気がした。
「みんな、準備して。開けるよ?」
私は背伸びをして、窓のカギを外した。
立ったまま雪に埋もれていた吉澤が、希望に満ちた表情で私を見る。
「準備って、何すりゃいいんだよー」
「心の準備」
ようやく吉澤を救出する気になった様子の矢口に、短く答える。
私は全員が身構えたのを確認すると、窓の端に両手を掛けた。
「「「「「「「「キャーーーーーーッッ……」」」」」」」」
みんなの悲鳴が、雪崩れ込んできた雪に掻き消されてフェードアウトしていく。
しりもちを付いて完全に雪に埋もれてしまっていた私は、雪を掻き分けて何とか立ち上がった。
気が付くと私は、雪崩の勢いで入り口付近まで流されてしまっていた。
部屋の中を見回すものの、誰の姿も確認できない…どうやら、みんな雪の中に埋まってしまった様子。
「みんな、大丈夫っ!?矢口!辻!加護!」
私の胸の高さまで積もっている雪の中、心配なのはやはりミニモニの三人組。
そしてここへ来る途中にも埋まったと言っていた矢口の名を、私は一番最初に呼んでいた。
「ふざけんな!よっすぃー!!」
姿は見えないものの空気穴を確保したらしい矢口のくぐもった怒鳴り声が聞こえて、とりあえず私は安心した。
「…すいません」
矢口には怒られたけど、助かって良かったね?吉澤。
「「だいじょうぶですー」」
矢口と同じく、辻と加護も空気穴を確保した様子。
「こっちもオッケーだよぉ、カオリ」
後藤はいつの間にか雪の中から顔を出して、こちらに向かって手を振っている。
「なっちも大丈夫だよー」
「アタシも何とか生きてるよ」
良かった…なっちも圭ちゃんも、みんな無事みたいだね。
「「「「「「「「はあ……」」」」」」」」
無事なのは良かったけど、どうしよう…。
雪に埋め尽くされた部屋の中、全員が一斉にため息をついた。
「ああーーーーっっ!!!」
突然叫び声が聞こえたかと思うと、雪の中から吉澤が顔を出した。
「なに!?どしたの!?」
続いて聞こえてきたのは、なっちのくぐもった声。
「梨華ちゃんが、梨華ちゃんがまだ外にっ!!」
「はあ?一緒に来たの?」
ガサガサと音がして、圭ちゃんが顔を出す。
「はい。でも梨華ちゃん、途中で寝ちゃって…すぐそこなんで、連れて来ます!」
言うなり吉澤は、窓の外へ飛び出していった。
すぐそこ、って…石川はまだ、外で雪に埋まってるってコト!?
「寝ちゃったの置いてくんなよー!あぶないよ!!バカ!!」
そんなにキツク言わなくてもいいのに…いつもそう思いながら傍観していた矢口の突っ込みだけど、
今回ばかりは私も同じ気持ちで深く頷いた。
大丈夫かなぁ……石川。
―――
(『すぐそこなんで、連れて来ます!』)
その言葉通り吉澤は窓から飛び出して5分も経たないうちに、石川を伴って再びこの部屋に戻ってきた。
吉澤に肩を借りて窓から入ってきた石川は顔色こそ青ざめているものの、その足取りはしっかりとしていた。
「「わっ!?」」
二人は部屋に入るなり、ズボッという音と共に雪の中に埋没した。
「しっかし、どーすっかねぇ…」
雪の中から圭ちゃんのくぐもった声が聞こえる。
次いで、う〜んと唸る声が部屋のあちこちから聞こえてくる。
吉澤が石川を連れて戻るまでの間…雪に埋まった私たちは、それぞれ自分が座り込める程度の巣穴を堀り、
そこに座って待機していた。
雪は私の胸の高さ程まで積もっており、床に座り込んでいる今の態勢では頭まですっぽりと雪に隠れてしまっている。
吉澤も石川も、それから他のみんなも無事だったのは良かったんだけど…どうしよう、これから。
外には凶暴な熊(野生熊のやすださん)がいるから出られないし、部屋の中はこんな状態だし…どうしよう。
どうしたらいいんだろう……。
「よっ、すぃー…」
私たちのこれからについて考えをめぐらせていると、少し離れた場所から石川の消え入りそうな声が聞こえてきた。
「なに?」
続いて聞こえてきたのは、石川と同じ巣穴にいると思われる吉澤の声。
何か元気なさそうな声だったけど…大丈夫かなぁ、石川。
心配になった私は、中腰になって二人の会話に聞き耳を立てる。
「あたし……もう、ガマンできない」
「梨華ちゃん?」
え?
「お願い、よっすぃー…」
「梨華ちゃん!?ちょっ、ダメだよ!こんなトコでそんなっ!?」
えっ??
「こわいから…手、つないでて。よっすぃー」
「……うん」
ええーっ!?
なになに!?
一体ナニをしてるの、二人とも!?
青少年(辻と加護)の教育上、良くないコトじゃないよね!?
ダメだよ!ダメだよ!そんなコト!!
注意しなきゃ、止めなきゃ…その前にこの目でしっかりと確認しなくては!!
現行犯で逮捕するには、まず犯行現場を押さえなくては!!
(決して好奇心などではなく)リーダーとして一言注意するため、私はすっくと立ち上がった。
「「「「「あっ」」」」」
まるで申し合わせたかのように同時に立ち上がった矢口、圭ちゃん、なっち、そして後藤の四人と目が合ってしまい、
気まずさから全員が一斉に目を伏せた。
もぅ、みんな…私はリーダーとして一言注意するために仕方なく確認しに来たワケだけど、みんなはアレ?好奇心?
やだなぁ、もぅ。
「梨華ちゃん…」
「よっすぃー…」
窓際に作られた二人の巣穴(これがホントの『愛の巣』。なんちゃって!冴えてるね!)を覗き込もうと、
私を含む5人のウォッチャーたちは一斉に身を乗り出した。
「梨華ちゃん……やっぱダメだよ、こんなコト!!起きて!起きろ!梨華ちゃああああーーん!!!」
無駄にバカでかい吉澤の声が、私の左耳から右耳へ…キィィーンと一気に駆け抜けていった。
「「「「「はあ?」」」」」
なにそれ?
一体ナニをしてるの、二人とも。
青少年(辻と加護)の教育上、良くないコトしてたんじゃなかったの?
ダメだよ!ダメだよ!そんなコトじゃ!!
「ガマンできない、って…眠気かよ!!」
「紛らわしいよ、あんたたち!!」
「いやー。なっち、マジでドッキドキしたよぉー!」
「梨華ちゃんってホント、ねぼすけだよねぇ…」
二人の元に、勝手にアヤシげな出来事を想像してしまっていた人々から続々と不満の声が寄せられる。
もぅ…なに想像してるんだよー、みんな(カオリ・辻・加護を除く)。
「「チッ」」
と思ってたら、背後から微かに二つの舌打ちが聞こえてきた。
どうやらこの子たちも、密かに何かを期待していたらしい。
もぅ…なに想像してるんだよー、みんな(カオリを除く)。
「………?」
石川の手を握ったまま、吉澤は困惑顔で私たち(ウォッチャー集団)を見上げている。
「起きろ、石川!」
「キャッ!?」
そして怒りにまかせて放られた矢口の雪球が、眠っていた石川の頭を直撃する。
「もぅ、大変だったんですよー…一階は埋まっちゃって入れないし。仕方ないから積もってるとこ登り始めたら、
登ってくうちにまた降ってきてどんどん高くなってくし…」
みんな立ち上がって自分の巣穴から顔を出し(ミニモニの三人に至っては顔の上半分しか出ていない)、
吉澤がココへ辿り着くまでの苦労話に耳を傾けていた。
吉澤が到着した頃には既に局の入口は雪で埋まっており、その上を登って二階の窓から侵入しようとしていたところで
同じく下で立ち往生している石川を発見、二人で一緒に登ってきたらしい。
どうやらこのビルは集中的に雪に狙われているらしく、その勢いといったら常識を遥かに超えている。
吉澤たちの歩みはその降雪の勢いに追いつかず、地道に歩を進めるうちにこの9階まで辿り着いてしまったとのこと。
「梨華ちゃん、途中で何回も寝ちゃいそうになるし。でもぉ、やっぱ雪山で寝ちゃったらマズイじゃないですかぁ」
「まぁ、そらマズイわなー。でもアンタ、しっかり置いてきてたよね」
得意げに語る吉澤だったが、発言の矛盾点を圭ちゃんに指摘される。
「あっ、そう言えばそうですよね。やばー。ゴメンね、梨華ちゃん」
こんな人物に命を預けていた石川が、とてもとても不憫に思えた。
「う、うん…」
本当に、無事で良かったね…石川。
「でもぉ、私ってどこでも寝れるんですよぉ。枕替わっても全然平気だし」
「ははっ、雪山に枕なんてないよー!梨華ちゃん、おっかしー!!ははははは!!」
「やだぁ、違うよー!たとえだってば、たとえ」
何がそんなに面白いのかはよくわからないけど…とにかく吉澤も石川も元気そうでなによりだな、って思った。
「寝てたんじゃなくて意識なくしてたんでしょ!ってゆーかココは雪山でもないし、命懸けてまで登ってくる必要もないし!!」
「もぅ…怒んないの、矢口」
「そんなに怒るとカルシウム足んなくなっちゃいますよ?」
「逆だよ!足んないから怒ってんだよ!ってゆーか余計なお世話だよ!」
せっかくなっちがなだめようとしているのに、吉澤の余計な一言が矢口の導火線に火を点けてしまった。
「あー…そっかぁ、アレだね。やぐっつぁんは牛乳飲めないからねー…」
「矢口さん、牛乳飲まないと大っきくなれないんですよ?」
「っさいなー、知ってるよ!バカ!!」
「矢口さん、ひどいっ!」
石川のマメ知識に、さらに荒れ狂う矢口。
「っくしゅっ!」
「辻…?寒いの?」
突然背後から聞こえたくしゃみに振り返ると、雪の上に顔半分だけ覗かせている辻が鼻と口を両手で覆っている。
「…さむい」
「あ、窓開いてるもん」
吉澤は慌てて雪の上に這い上がると、窓枠に溜まった雪を退かしながら窓を閉めた。
「あれ?エアコン止まってるよ。何で?」
見ると、矢口の言葉通りエアコンのスイッチはオフになっている。
誰も止めるはずがないのに…一体なぜ?
「あーっ!ゴメン、タイマーにしてた」
犯人はなっちだった。
「うそーっ!?」
驚愕する矢口。
「だってぇ…なっちが着いた時はこんなにひどくなるなんて思わなかったんだもん。
みんなが集まるまでで良いかなぁーって思って。もったいないし」
言い訳するなっち。
「自分ちじゃないんだからいいんだよ、んなコトしなくてさー!」
許さない矢口。
「怒んないでよ、矢口…またつければいいじゃん。リモコン、どこだっけ?」
我ながら、なんて冷静なんだろう…自分の発言に惚れ惚れしてしまう。
「テーブルの上」
私以上に冷静な口調で、圭ちゃんが回答してくれる。
「テーブル、どこだっけ?」
部屋の中は見渡す限り一面の雪景色。テーブルの上のリモコンはおろか、テーブルすら見えていない状態。
「埋まってます」
「………」
わかりやすい回答をありがとう、吉澤。
「あれ?そう言えば、なんで外出ないんですか?廊下は雪積もってないんですよね?」
今ごろそんな疑問を抱いたんだね、吉澤。
「熊が出るんだよ、外は」
そう言った矢口の表情は、真剣そのもの(顔半分しか見えてないけど)。
「「ええーっ!?」」
吉澤と石川の叫び声がハモる。
私となっちが道産子ハーモニーなら、この二人はさしずめ…青少年(辻と加護)の教育上良くないハーモニー。うーん、いまいち。
「やすださんが出るんだよ、外は」
矢口のマネをして、真剣な口調で加護が言った。
「「ええええーーーーっっ!?」」
吉澤と石川の叫び声が再びハモる。
「保田さんも出るの!?」
「ちょっと吉澤!やすださん『も』って何よ!あのね、『やすださん』ってのは熊の名前で…って何でこんなコト
説明しなきゃなんないのよ!!」
「えー、保田さんとかけましてぇ、熊とときます」
圭ちゃんの怒りを全く無視して、加護が暴走を開始した。
「そのココロはぁ?」
隣の辻が合いの手(?)を入れてきて、加護はご満悦の様子。
「どちらも恐い」
「あははははは!!加護!!なんかよくわかんないけど、面白いよ!!はははは!!」
エアコンの件で頂点に達していた矢口の怒りも、どうやら解けたみたい…良かったね、なっち。
「熊かぁ…やっぱ、シャケとか持ってたりすんのかなぁ」
緊張感の全く感じられない声で、吉澤が言った。
「あーっ、それウチにもあるよ。置物でしょ?」
「そうそう。重いしジャマなんだよねー、アレ」
吉澤も後藤も、今はそんな話題で盛り上がってる場合じゃないんじゃないかな?カオはそう思う。
「もーやだ…冬眠しちゃおっかなぁ。圭ちゃん、あとヨロシク」
緊張感ゼロの二人に呆れたのか、矢口は再びしゃがみ込んで巣穴に戻ってしまった。
だけど、冬眠するのは圭ちゃんの方なんじゃないかな(熊だけに)…そう思ったけど、恐くて言えなかった。
「っくしゅっ!」
「っくしゅんっ!」
「辻!加護!」
私は、少し離れた巣穴でくしゃみを連発する二人に声をかける。
「「だいじょうぶですー」」
そうは言うものの、どうしよう…このままじゃ二人とも風邪ひいちゃうよ。
「どうしよう…みんな、凍えちゃうよ」
独り言のように、なっちが言った。
「すいません…なんか、ウチらのせいで」
「ごめんなさい」
申し訳なさそうな表情の吉澤と石川に、私は黙って首を横に振った。
二人は何とかしてココまで辿り着こうと、吹雪の中を頑張って登ってきたんだもんね。
いつもなら憎まれ口の一つでも叩いてくる矢口も、巣穴に潜ったまま一言も喋らない。
そうこうしてる間にも、部屋の温度はどんどん下がっていく。
窓の外は吹雪、部屋の中は雪で埋め尽くされ、一歩外へ出れば獰猛な熊がいる。
考えなくちゃ…みんなが助かる方法。
「あーあ、裕ちゃんが居てくれたらなぁ…」
矢口の言葉に、一瞬自分の耳を疑った。
「やめなよ、矢口。裕ちゃんが居たって一緒だよ、そんなの…何も変わるワケないでしょ?」
私を気遣ってくれるなっちの言葉が、逆に悲しかった。
「そうだけどさ…裕ちゃんなら、何とかしてくれる気がするんだもん」
情けないし悲しいけど、私もそう思う。
私は裕ちゃんみたいに、みんなの悪い所を注意したり厳しく叱ったりできないし…だけどそういうの、みんながそれぞれ
自分で気付いて自分で直してくれれば良いって思ってた。
私は裕ちゃんみたいに、『ついて来い!』って引っ張ってくようなタイプじゃないし…だけどそんなコトしなくたって、
みんなで一緒に歩いていければ良いって思ってた。
私は裕ちゃんみたいに……。
「矢口、まだそんなこと言ってんの?リーダーはカオリなんだよ?カオリなんだよ!!」
「……ゴメン。そーゆーつもりじゃなかった」
「やめてよ。圭ちゃんも矢口も、もういいよ。あたし、気にしてないから」
嘘。
ホントはすごく気になるし、ホントはすごく傷付いてる。
なっちや圭ちゃんが言ってくれた言葉も、それから矢口が言ったコトも、よくわかるから…余計に、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
悪いのは私なんだ。
リーダーのくせに頼りなくて、いつもみんなに頼ってばかりで、何も言えなくて、何もできなくて。
あふれだした涙を悟られたくなくて、私は巣穴に隠れ込む。
ゴメンね、みんな…こんな情けないヤツについていかなきゃいけないみんなは、本当に可哀相だよ。
まただ…自信がなくて落ち込んだとき、決まって私の中に湧き上がってくる疑問。
『どうして、私なんだろう?』
『みんな、本当に私で良いと思ってる?』
そして巣穴の中で膝を抱えながら私は、それよりももっと恐ろしいことを考えていた。
もしかしたら他のみんなも…私と同じことを思っているんじゃないか、って。
『どうして、圭織なんだろう?』
『みんな、本当に圭織で良いと思ってる?』
考えすぎかも知れないけど、もしかしたらみんな…そう思ってるんじゃないかって。
「カオリ、ねぇどうしたの?カオ?」
矢口が心配して呼びかけてくれる。
返事を返したかったけど…涙があふれて、言葉が声にならない。
深い雪の中、声を押し殺して一人で泣いた。
傷付くことを恐れていては前には進めない、って…いつもそう言って頑張ってきた私だけど。
石川にはいつも、『ポジテブ、ポジテブ』なんて偉そうに言ってる私だけど。
悩んだり傷付いたり、それがこれからの私たちに必要なコトだってわかってても…やっぱり、嫌だよ。
こんな気持ち…ホントはすごく嫌だよ、神様。
―――
リーダー…リーダー…リーダー…リーダー…リーダー…
リーダー…リーダー…リーダー…リーダー…リーダー…
大好きだったはずのこのフレーズが、今や呪われた言葉となって私に襲い掛かる。
寒い部屋、凍えた心、みんなのために何も出来ない私、役立たずの…リーダー失格の、私。
「でも実際、来週のコト考えると暗くなっちゃいますよ…」
「どしたの?よっすぃー」
「ホラ、矢口。アレだよ」
巣穴に篭って膝を抱えたままで、圭ちゃんたちの話に聞き耳を立てる。
吉澤が言った、『来週のコト』。それは圭ちゃんと同じく、私にも察しがついた。
来週、正確には次の日曜だけど…私たちに新しい仲間が増える日、新メンバーの追加オーディションがある日だ。
それにしても…カオリから見てもいつもぼーっとしてるように見える吉澤ですら、やっぱり不安に感じてるんだ。
みんなの間でそのコトが話題に上ることはあまり無かったけど、みんなきっと同じような気持ちでいるんだろう。
私だって、こんな気持ちのままじゃ…新しいコのこと、ちゃんと迎えてあげられそうにないよ。
「ほんっと、どーしよっかなぁ…補習」
「「「「「「「「「はあ!?」」」」」」」」」
予想もしなかった吉澤の言葉に、思わず声に出して驚いてしまった。
「そっちかい!」
「カンベンしてよ、よっすぃー…それってウチらに全く関係ないんだけど」
「だって、最後ですよ!?最後の一週間なのに…」
圭ちゃんと矢口に突っ込まれ、必死に反論する吉澤…そういえば、そんなコト言ってたような気がする。
夏休み最後の週に補習受けなきゃいけなくなった、って…世界一暗い顔で語っていた吉澤の姿を思い出した。
「わかったわかった。がんばれがんばれ」
「あっ!矢口さん、ひっどー」
「がんばって!よっすぃー」
「やだよ。梨華ちゃん、代わってよ」
「ええっっ!?」
吉澤の言葉に、石川は本気で驚いているようだった。
安心して、石川。
答えはカオリにもわかるぐらい簡単なコトだよ…そんなコト(代わりに補習を受ける)、できるわけないじゃない。
「こらこら!あんたたち、また話ずれてるから」
話が脱線しかけたところで、圭ちゃんが割って入る。
そうだよね…。
いつだってしっかりしてるのはリーダーの私じゃなくて、サブリーダーの圭ちゃんの方だもん。
普段は私に気を使ってくれているのか何も言わない彼女だけど…私なんかよりずっとしっかりしてる
圭ちゃんの方が、リーダーに向いているんじゃないだろうか。
「梨華ちゃん、代わっちゃえば?そんでさー、わざと0点取ってー、よっすぃー驚かすの」
「ごっちん、聞いてた?その話はもう終わってんの」
そう、いつだって丸く収めてくれるのは…圭ちゃんだもんね。
そう、いつだって丸く、丸く、収めて…。
あれ?ちょっと待って、ちょっと待って。何かイイコト、思いつきそう。
考えて、カオリン。もうちょっとだから。
えーっと…………チッ、チッ、チッ、チッ(考えるときの効果音)、チックタック、チックタック。
丸く、丸く、丸く………収める!!!
よっしゃ!コレだ、もらった!!わかったよっ!!!
「かまくらだっ!!かまくらだよ、みんな!!!」
すっくと立ち上がった私に、みんなの視線が集中する。
「かまくら?」
「うん。雪のおうちだよ」
大して興味もなさそうな辻の問いかけに少々トーンダウンしながらも、私は答えてあげた。
「いいね!懐かしいなぁ…ねぇ、作ってみようよ!」
一方なっちは、私の期待通りの反応を示してくれる。
「かまくらも何も、早いとこリモコン探してさー、エアコンつければ済むコトじゃ……んぎゃあっ!?」
バシュッ!と鋭く風を切る音がしたと思った次の瞬間…モロに顔面に雪球をくらった矢口が、雪の中に埋没した。
さよなら、矢口。
「ちょっとー!なにすんだよ、圭ちゃん!!」
おかえり、矢口。
「さ。やろっか、かまくら」
圭ちゃん…。
「だってさ、外には熊がいるって言うし、ココはこんなだし。それしか方法ないじゃん。そうでしょ、矢口?」
「………うん。そうだね」
ありがとう…圭ちゃん、矢口。
「あっ!そういえば、いいモノ見つけたんですよ。ココ来る途中で」
そう言うと吉澤は、自分の巣穴に潜り込んでゴソゴソと何かを取り出してきた。
「ホラ!」
そして中から出てきたのは、雪かき用のスコップだった。
ザック、ザック、ペタ、ペタ。
スコップで雪を崩す音と、その雪を集めて固める音とが、規則正しいリズムを刻んでいる。
雪かき担当の私がかまくらの元となる雪を崩し、みんながその崩れた雪を部屋の隅まで運んでかまくらを作る。
私たちはいつの間にか、寒さも忘れてひたすらその作業に没頭していた。
「ねぇ、カオリ。楽しいね!ホント楽しいねぇ…こういうの、なっち大好きなんだぁ」
私が崩した雪を両手で掬いながら、息を弾ませてなっちが言う。
「うん…そうだね」
みんなで一つのコトをやるのって、本当に本当に楽しいんだね。
そして、カオリは思ったんだ。
自分が楽しいからうれしいんじゃない、みんなの楽しそうな顔を見れることが…カオリは、いちばんうれしいんだって。
「「できたーーっっ!!」」
辻と加護による完了宣言で、私たちのかまくら作りは無事終了。
9人で入るのにはちょっと狭かったけど…みんなで肩を寄せ合って、何とか中に収まることができた。
ホラ。これでみんな、『丸く収まった』もんね!
やっぱり今日の私って、恐いくらいに冴えてるかも知れない。
「ちょっとー、詰めてよ。アタシ、体半分出ちゃってんだけど」
あ、圭ちゃんだけ収まってなかった。
「あったかいんだねー…かまくらって」
後藤が言った。
「まっ、こんだけみんなでくっついてればねー」
「ちょっと矢口!一人で入ったってかまくらは暖かいんだからねー!かまくら、バカにしてるんでない!?」
「なっつぁん、くだんないコトで怒んないの」
相変わらず、みんなを丸く収めてくれるのは圭ちゃんだけど…。
「でも、かまくらなんて…さすが飯田さんですよね!」
石川の言葉はうれしかったけど、何だか私に気を使って言ってくれているような気がして…素直に喜べなかった。
「ありがとう。でもゴメンね、なんかあたし…ぜんぜん、頼りなくてさ」
「飯田さぁん…」
ゴメンね、石川。ゴメンね、みんな。
「カオリ、べつに誰も頼りないなんて思ってないよ」
かまくらの入り口に座る圭ちゃんが、身を乗り出して私に言った。
「嘘だよ、思ってるよ!みんな、言わないだけじゃん!どうしてカオリなんだろう、って思ったでしょ!?
ねぇ、どうしてあたしなの?どうして?教えてよ、どうしてカオリなんだよ!?」
全部言ってしまってから、後悔した。
どうして私、みんなを困らせるようなコト言っちゃったんだろう…。
「なーに言ってんの」
あきれたように、なっちが言う。
「圭織じゃなきゃダメだからでしょ?」
なっちは本当にあっさりとした口調で、当たり前みたいにあっさりとした口調で、そう言って笑った。
なーに言ってんの。もう一度、そう言って笑うなっち。
…そっか。
ホントだね。なに言ってんだろうね、私。
うん、わかったよ。
「カオリは、ピース号の船長さんなんだからさ」
矢口の言葉に頷きながら私は、水兵さんの服を着たみんなの姿を思い出した。
うん、もう迷ったりしないよ。
「ありがとう」
みんな。
たったひとつのちいさな船で、こわれそうになっても、沈みそうになっても…みんなで乗り越えていこうね。
たよりない船長さんだけど…よろしくね?
たとえば。
みんなのために一人だけ恐い目に遭ったり、一人だけ嫌な思いしたり…そういうのが、リーダーなんだとしても。
それでも私はみんなのためなら、恐い目に遭うのだって平気だし、嫌な思いするのだってなんともないよ?
それは他の誰でもない、みんなのためだから…できるんだよ?
そう思わせてくれる、みんなのためだから…できるんだよ。
小さなかまくらの中で、ひとりひとりの顔を見ながら私は…裕ちゃんも、今の私と同じ気持ちだったのかなって思った。
もしそうなら、こんなカオリでも裕ちゃんみたく、良いリーダーになれるかな。
ね、裕ちゃん。
ドンドンドン!!!
「「「「「「「「「……っ!!」」」」」」」」」」
激しくドアを叩く音に、みんなの表情が一瞬にして凍りつく。
かまくら内の温度が、一気に下がったような気がした。
「なに…今の?」
恐る恐る、なっちが切り出す。
「く、くくくくくく、熊だっ、熊だよ!!どうしよう!ねぇ、どうしよう!!」
熊に関しては人一倍臆病になる矢口は、膝を抱えてうずくまったままガタガタと震えている。
ドンドンドンドン!!!!
ドアを叩く音は相変わらず鳴り止まない。
このままでは、外側からドアが破られるのは時間の問題…ということは、やっぱりアレしかない。
「あたしが、行く」
私はかまくらの中でひしめき合うみんなをかき分けて外へ出ると、ドアに立て掛けてあったスコップを手に取った。
先手必勝、熊が入ってくる前にこっちから叩く!やる!!仕留めてみせる!!!
「あたし、ドア開けます!」
私は吉澤の頼もしい言葉に頷くと、ドアの前に立ってスコップを振り上げた。
「行きますよ」
吉澤はカギを開けてノブに手を掛けると…内側に向かって勢い良くドアを開けた!
「おーい、あんたら無事かぁー……って、ぬあああああーーっ!?」
「とりゃあああああーーーーーっっ!!」
私は掛け声とともに、構えていたスコップを一気に振り下ろした。
「あっ!待って飯田さん、それ熊じゃないっ!!」
「よっすぃー、『それ』とか言っちゃってるし」
吉澤の声も、後から聞こえた圭ちゃんの声も…振り下ろされた私のスコップを止めることはできなかった。
「あうっ!!」
腕に激痛を感じて、私は思わずその場にうずくまってしまった。
スコップを振り下ろしたときの、固い感触…どうやら私は、熊が入ってくる前に腕を振り下ろしてしまったらしい。
ドアの上の壁を思いっきり叩いてしまった衝撃で、両腕にじんじんとした痛みが残っている。
あっ、そうだ!!
「熊は!?」
問いかける私に吉澤が無言で指差した先を見ると…ドアの前で、一人の女の人がぶったおれていた。
「裕ちゃん!?」
うっそぉ…私ってば、何てコトを。
「良かったね、当たんなくてさ」
圭ちゃんの言葉に、とりあえずほっと胸をなでおろす。
タイミングを外して壁を叩いてしまったおかげで、裕ちゃんに危害を加えることはなかったみたいだけど…
裕ちゃんは、そのショックで気絶してしまった様子。
周りのスタッフによって医務室へと運ばれていく裕ちゃんの姿を見ながら私は、真のリーダーになれたような気がしていた。
っていうのは、うそだよ。ゴメンね、裕ちゃん。本当にゴメン。
「さてと。じゃ、あとよろしくね、カオ」
さっきまであんなに怯えていたのが嘘のように平然とした口調で、矢口が言う。
「えっ?」
「『えっ?』じゃないでしょ。かまくら。あとかたづけ」
冷酷に言い放った矢口が指差したモノは…私たちの友情がたくさん詰まっていたはずの、みんなで作ったかまくら。
「なんで?みんなでやろうよ」
「だって、スコップ一つしかないじゃん」
うそ!?圭ちゃんまでそんなコト言うの!?
「飯田さん」
後ろからポンポンと肩を叩かれて振り返ると、そこには満面の笑みを浮かべた吉澤がスコップ片手に立っていた。
そっか。やってくれるんだね、雪かき…ありがとう、吉澤。
「はい!」
「……え?」
戸惑いながら、目の前に差し出されたスコップを見つめる私…コレを受け取れって言ってるの、吉澤。
「雪かきと言えば、やっぱ飯田さんですよね!!」
へー、そうだったんだ。知らなかったよ。
溢れ出した涙を悟られたくなくて私は、俯きながらそれを受け取った。
「辻…出て」
「えーっ、もうこわしちゃうんですかぁ」
辻と加護の二人は、まだかまくらの中に残って遊んでいた。
「加護も」
「えーっ、まだ遊びたいのにー!」
「いいから早く出なさい!!」
「「ケッ」」
気に入らないと途端にガラの悪くなる二人を追い出しつつ、かまくら解体作業に取り掛かる。
「おおーっ、飯田さんかっけー!!突き刺すときの角度が違うねぇ」
「ホントだー、腰の入り方がねぇ、違うよねー…」
「ありがとう…」
吉澤と後藤の二人に雪かきっぷりを絶賛されて、うれしいんだか哀しんだか何だか複雑な気持ちになる。
「あっ、保田さん、水が!なんか水が出てますよぉ?」
「石川ぁ、んなコトでいちいち驚かないでよ」
「梨華ちゃん、コレは雪解け水だよ。雪解け水はね、小川になって山から海へ流れ込んでいくんだよぉー…。
いやー、いいねぇ…北海道は」
なっちの言葉で私は、ココが北海道であったコトを思い出した。
勘違いしてしまったコトへの気まずさからなのか、あれきり私の前に一切姿を現さない神様の存在を
久しぶりに思い出してしまい…怒りとも憎しみともつかない、何とも言い表せない感情が込み上げてきた。
「なっち、残念でしたー。この雪解け水は、ぞうきんに吸い取られて捨てられる運命なんだもん。ねー、カオリ?」
そこまで言うんだったら、雑巾がけやってよ…矢口。
こんな人たちを一つにまとめることって、本当に可能なんだろうか。
これ以上ふえたら、どうなっちゃうんだろー……。
できれば。
いっしょに雪かき手伝ってくれるような、そんな優しいコが入ってくれるといいなぁ…。
だけど、神様にお願いするのだけは二度とやめようと思った。
<終了>