もうすぐ逢えるはずの、キミ達へ。

 

メンバー、増員。
あたしにとっては2回目の、一大イベント。

テレビとかではモーニング娘。の恒例行事みたく言われてるけど、あたしたち当事者にしてみればコレはかなりの重大問題なワケで。
追加メンバー募集の話を聞かされてから約一週間が経過した今でも、あたしたちの間には何となくピリピリした空気が漂っていた。
それぞれ口には出さないようにしてるものの(たぶん、みんなわざとその話題には触れないようにしてる)、みんなそのコトで頭が
一杯なんじゃないだろうか…少なくとも、あたしはそうだ。
特に最年少の後藤は、初めての増員ってコトでかなり不安な様子で毎日落ち着きがない。
あたしも、彼女が入ってくる時は同じような状態だったから気持ちは良くわかるんだけど。

正直、どうしてこんな時に…って思った。
後藤が入ってきてから立て続けに曲がヒットして、『モーニング娘。』って名前が一般の人達にも広く知られるようになったし
何となくだけど方向性みたいなモノも見えてきた、こんな時期に。
あたしたちだけじゃ、ダメだってコト?
これから先、あたしたちだけじゃやってけないってコトなの?

これから映画の撮影だってあるのに、こんな気持ちじゃ仕事にも集中できそうにない。
まだオーディションだって始まってないけど、合格して入ってくるコたちはすごく不安な気持ちを抱えて入ってくると思う。
言葉では言い表せないぐらいの、不安と恐怖。
それは、当然あたしも経験してるコトなんだけど。

よく分かるからこそ、これから入ってくるコたちを気持ちよく迎えてあげるべきなんだとは思う、それは分かってるつもり。
あたしがもし彼女たちの立場だったら、って考えたら…答えは簡単だし。
だけどあたしには、新しく入るコたちの気持ちが分かるのと同時に、迎える立場の人間の気持ちも痛いほどよく分かるから。
新しい風が吹き込んでくるコトへの、焦りと不安。
それも、あたしは既に経験済み。

ま、あたしたちが焦ってじたばたしたトコロで何も変わらないのは、よーっくわかってんだけどさー…。
このモヤモヤした気持ちの、持ってき場がないっつーかさぁ…。
あーあ…どうしたもんかねぇー…。

「やーぐち!!」
突然自分の名前を呼ばれて後ろを振り返ると、そこには満面の笑みを浮かべた裕ちゃんが立っていた。
もともとあたしの方がずっと背が低いから、彼女を見るときの目線は常に斜め上なんだけど、今はイスに座ってるから目線だけじゃなく
顔をぐっと上げて見上げるカッコウになる。

「スキありっ」
「うわっ!?ちょっ…やめてよ、裕ちゃん!!」
嫌がるあたしをムリヤリ押さえつけて、裕ちゃんが唇を近づけてくる。
最近特に激しさを増している裕ちゃんのセクハラ、もしかしたらコレも新メンバー加入に伴う彼女の不安な気持ちの表れなんだろうか。

「やっ…!!」
そして必死の抵抗もむなしく、今日もまた奪われてしまった…あたしの唇。
…っていうか、やけに長くないか今日のは?
とっさに瞑ってしまった目を、そーっと開ける。
くっ、くるしい…いきなりされたせいで、十分息を吸い込んでなかったあたしは早くも呼吸困難。
両手をじたばたさせてもがくあたしを無視してなおも行為を続行する裕ちゃんの肩を、あたしは力いっぱい押し戻す。

「はあっ…もーっ、なにすんだよ!!」
「なんやぁ、そんな嫌がらんかてええやんかぁ」
あたしが力任せに押したせいで、裕ちゃんはよろけながら2・3歩後ろに下がった。

「ああーっ!中澤さん、また矢口さんにちゅーしてるぅ」
裕ちゃんがあたしの側から離れた瞬間、聞きなれない声が耳に飛び込んできた。
「なんや、加護もしてほしいんか?」
「ちがいますぅ!!」
裕ちゃんの後ろで口をとがらせて抗議する『かご』と呼ばれた少女…っていうか誰、このコ?

「ののちゃん、ののちゃん」
あたしが疑問を抱いた次の瞬間には、彼女は既に部屋の隅の方へ走って行ってしまっていた。忙しいコだなぁ…。
そして彼女が駆け寄っていった先には、これまた見覚えのない顔。
このコたち、一体何なんだろう…スタッフさんか誰かの子供?
勝手に楽屋の中に入り込んで…それにしても、いつの間に入ったんだろうか?

どっからともなく湧いて出た2人の少女、『かご』と『ののちゃん』。
ふと周りを見ると、みんなはこの2人の存在に関して特に気にする様子もなく普通にしている。
雑誌読んだり、お菓子食べたり…いつもと変わらない楽屋風景。
なんだよ…知らないの、あたしだけ?

「ねぇ裕ちゃん、あのコたち誰?」
あたしは、とりあえず一番近くにいる裕ちゃんに尋ねてみる。
「はあ?アンタ、なに言うてんの?うわっ、ひっどいなー、いくら小っこいのがうっとうしいから言うて…。おーい、辻ぃ、加護ぉ
あんたら、矢口に『誰ぇ?』とか言われてんでー」
裕ちゃんが、みんなに聞こえるくらいの大きな声で言った…その口調は、あたしをからかっているような大げさなモノ。

「やぐちさん、ひどいよぉ」
それを聞いていち早く反応を示したのは、あたしと同じくらいの身長で髪を2つに結んだ女の子…『ののちゃん』。
「矢口さん、加護たちのこと忘れちゃったんですかぁ?」
その横に立っている、これまたあたしと同じくらいの身長の『かご』も、それに続いて言葉を発する。
2人とも裕ちゃん同様、冗談っぽい口調。

『忘れた』も何も、こんなコたち最初っから『知らない』んだけど…誰なんだよ、マジで。
みんなしてあたしのコトからかってんのかなー…。
それともあたしが単に忘れてるだけで、実は前に会ったコトあるとか?

「いや、ホントにわかんな…」
言いかけてあわてて口を閉じる。
待てよ矢口、冷静に考えるんだ…。

もしこのコたちが、どっかのお偉いさんちの子供だったりとかしてみ?
前に紹介されたコトがあるにも関わらずココでうっかり『知らない』なんて言っちゃったら…マズイよね、それは。
これから先のあたしたちの芸能活動に支障をきたすってコトも、十分考えられる。
だって、テレビ局の楽屋にフリーパスで入れるようなお子様たちなんだから…絶対どっか偉いヒトの子供に違いない。
それにしては、彼女たちに対してやたらフランクな裕ちゃんの態度も気になるところだけど…。

「やだもー、矢口さん。まさか私のコトは忘れてませんよねっ?」
お偉いさんのご子息説に考えを巡らせていたあたしの背後から、またもや聞き覚えのない声が聞こえて振り返る。
なに、このコ…また知らないのが一人増えやがった。
もぅ、誰なんだおまえらはーっ!!

「い、いやぁ…」
何と答えていいのやら分からず、あたしは彼女から視線を逸らして俯いた。
どうしよう…『かご』も『ののちゃん(裕ちゃんは『つじ』と呼んでいた)』も、それから目の前に立ってるあたしより少し背の高い
このコのコトも、まったく記憶にない。
あたしって、こんなに記憶力なかったんだっけ?
仕事で会ったヒトの顔と名前は誰よりも早く覚えて決して忘れない…それがあたしの自慢だったはずなのに。

「もぅ、矢口さんったらぁ。チャーミーを忘れるなんて、ひどいですよぉ」
言いながら彼女は顔の高さに右手を上げて、親指と人差し指で『L』の文字を作る…なにやってんの、コイツ。
「ちゃーみー?」
チャーミーって…外人、ってコト?
えーっ…どっからどう見ても日本人にしか見えないんだけどなぁ。

「辻加護が忘れられてんだから、石川なんて真っ先に忘れちゃってんじゃないの」
「あーっ、保田さん、ひどーい!!」
石川…『石川チャーミー』さん?ハーフ?
あたしは、わずかに得られた情報をつなぎ合わせて何とか彼女たちのコトを思い出そうと努力してみるものの、成果はなし。
どうしよう、ぜんっぜん思い出せない…マジかよぉ。

「次ミニモニ、スタジオ入って下さいだってー」
全く見覚えのない3人の女のコたちを前に混乱していると、スタッフの人に言付けられたのかマネージャーさんが楽屋に入ってきた。
待って…今、『ミニモニ』って言った?
何だろう、ミニモニって…。

「「はーい!」」
マネージャーさんに言われて返事を返したのは、意外にも『かご』と『つじ』の2人。
ちょっと待ってよ、あんたたち…。
いくら偉いヒトの子供だからって、いつまでもこんなトコで遊ばせといていいワケ?無法地帯かよ、ココは…。

「やぐちさん?きがえないんれすか?」
「え?」
「はい!」
呆然と立ち尽くすあたしの目の前に、『つじ』がテーブルの上に置いてあった衣装らしきものを差し出す。

「コレ…」
彼女の手から受け取った衣装は、あたしが今までに着用したコトのない代物…白いトレーナーに真っ赤なハーフパンツ。
見ると、『かご』も『つじ』もあたしと同じ服を手に持ってる(パッと見だからまったく同じモノかどうかはわからないけど)。

「どしたの、矢口。何か今日ヘンじゃない?」
渡された衣装を持ったままなかなか着替えようとしないあたしを見て、圭ちゃんが言った。

待ってよ…何かヘンなのはみんなの方じゃん、あたしじゃない。
このコたちは、誰なの??
ミニモニって、なに??
何であたしが、こんなお子様たちとおんなじ衣装着なきゃいけないんだよぉーっ!!

叫び出したいけどできない、あたしの理性がそれをさせない。
このコたち=おエライさんの子供説も捨てきれないし、結論を急いではいけない、焦るな…ヤグチ。
とりあえず、あたしが彼女たちのコトを忘れてるか、あたしがみんなにからかわれてるかのどっちかだと思うんだけど…。
もしかして今日は、エイプリル・フールとか?
って、んなワケないか…まだ1月だもんね。

ふと、壁に掛かってるカレンダーが目に入る。
ん?なんだコレは。
えーっと、確か今は…1月、のはずだよね。
2000年1月、間違いない、あたしの記憶では。

しかし、壁に掛けてあるカレンダーのページは…『10月』のモノ。
2000年10月、思いっきり間違ってる。
そう思いたかったが、次の瞬間あたしはあるコトに気が付いてしまった。
みんなの私服…それぞれ、さっきまで着ていたモノとぜんぜん違う。

ちょっと待って、ちょっと待って。
考えろ、考えるんだ、矢口…ココは、『どこ』?
いや、『今はいつ?』って言った方が正しいのかも知れない。

信じがたいコトだけど、あたしは時間を飛び越えて過去から未来へやってきたんだ…たぶん、そうだと思う。
だけど、一体どうやって…?

「やっぱヘンやで、矢口。よっしゃ、裕ちゃんのチュウで治したろ」
ああ…原因はコイツか。

――――

「…ドンドコドン、イェー。ドンドコ、ドンドコ…」
繰り返される単調なリズムと、それに合わせて機械仕掛けの人形のように輪になって踊るあたしたちの名は…人呼んで、ミニモニ。
白地に赤で『mini-moni。』のカワイらしいロゴが入ったTシャツに真っ赤なハーフパンツという、幼稚園児のようなイデタチで
2人のオコサマたちに囲まれて踊る…矢口真里、17歳。

それでも、もちろん楽しそうなフリでいつも笑顔は絶やさない。
一応あたしだってプロなんだし、仕事だと言われればきっちりこなしますよ。プロとして。

だけどつい昨日まで『セクシービーム!』を連発していた、セクシーキャラ(?)矢口はどこへ行っちゃったワケ?
セクシービームの10ヶ月後に、『ミニモニ。でしたぁー!!』はないでしょ…何で退化してっちゃってんのよ。
一体どこへ行こうとしてんだよ、矢口真里は…。

ほんの1時間前まで、2000年1月の世界にいたはずのあたしは裕ちゃんのキスによってどういうワケか、2000年10月の
未来まで飛ばされちゃったみたいなんだけど…まったく冗談のような、ホントの話。
ったく、裕ちゃんのキスときたら…セクハラ通り越して呪いだよ、コレじゃ。

そして、コレは確実に当たってると思われるあたしの予想なんだけど…楽屋にいた加護亜依(『かご』)、辻希美(『つじ』)、
石川梨華(『チャーミー』)の3人は、モーニング娘。の第三次追加メンバーであるコトは間違いないだろう。
現にあたしはこうやってそのうちの2人、加護・辻と一緒に仕事してるんだから…新ユニット『ミニモニ。』として。
あと一人、ココナッツ娘。のミカちゃんを加えた4人で今度メジャーデビューするらしいという話も聞かされた。
ちっこいの4人集めて『ミニモニ。』、か…ま、あえてあたしからのコメントは差し控えさせていただきますけど。

「あはははっ、あいちゃん、まえがみがヘンになってる。ヘンになってるよーっ、ははははっ」
「えーっ、うそうそ!?どこどこ!?」
それにしてもコイツら…どうにかなんないモンだろうか。
人が台本通りにコーナー進行しようとしてんのに、2人してワケのわかんないアドリブ入れてくるし…休憩中の今だって
台本も読まずに雑談ばかり。
こっちは初対面のあんたらと、『ミニモニ。』なんて半分フザけたユニットのコーナー仕切らされてるってのに…。

ホントにこいつらが新メンバーなんだろうか。それで、いいんだろうか…。
どうやら『モーニング娘。』は、あたしが思い描いていたグループとは確実に別の方向へと向かってしまったらしい。

「「やーぐちさーんっ!」」
イスに腰掛けて台本を読んでいると、例の問題児2人があたしの元へ仲良く駆け寄ってきた。
「なに?」
あたしはイスに座ったままで、台本から目を離して顔を上げる。
やれやれ…休憩時間にまであたしのジャマする気?

「あのぉ、加護たちぃ、向こうでモノマネ練習してたんですけどぉ、やってみていいですかっ?」
「はあ?ココで?」
「「はいっ」」
そんなコトやってないで台本読めよー…そう言いたい気持ちをぐっとこらえる。
12歳と13歳という実年齢よりも、ずっと精神年齢が低そうなこの2人を叱りつけようものなら…どういう状態になるか見当もつかない。
もし泣かれでもしたら面倒だ、周りの人たちにも迷惑かけちゃうし…とりあえずはこの収録を無事に終えるコトが先決。

「いいよ。やってみて?」
「「はいっ」」
なんか…小学校の先生になった気分。
あたしの了解を得ると、2人は一歩前に進み出る。
イスに腕組みして座るあたしの目の前に、加護と辻の2人が並んでネタ見せ。

「はーい、加護アンド辻のモノマネー、ターイム!!」
一呼吸置いて、加護がわざと声を低くして言った。
「ちょっ…のの!!『ターイム』って2人で言おって言うたやん。なんで言わへんの!?」
ん?なんだ?打ち合わせミスか?
あたしを目の前にして、加護はひどく慌てている様子…コイツ、焦ると関西弁になるんだなぁ。
なぜかいきなり下を向いてしまった辻に、小声で抗議している。

「だって…辻アンド加護にしよう、っていってたのに、さっき」
「え…そう言わへんかったっけ?ウチ?」
「いってない…加護アンド辻、っていった」
もぉぉー、そんなのどっちでもいいじゃんかよー…さっさとやれよ!!

「はーい、辻アンド加護のモノマネー」
「「ターイム!!」」
妙なトコにこだわり持ってるのねー…辻ちゃんって。

「はーい、辻アンド加護のモノマネー」(加護)
「「ターイム」」
「これにてー」(加護)
「終」(辻)
「了」(加護)
「「ですっ!!」」

なんか、最後の区切り方(パート割り?)が意味不明なんだけど…全部一緒に言えばいいのに。
しかも、明らかに加護のパートの方が多いコトに対して辻は何も言わなかったのだろうか…ま、どーでもいいけど。
こうして、約10分間にわたって繰り広げられた『辻アンド加護のモノマネタイム』は終了した。

「「ありがとうございました」」
ネタ見せ後に2人並んでぺこりとおじぎする姿は、まるでホンモノの芸人さんのよう。

「よかったよかった。面白かったよ?マジで」
驚くべきコトにあたしは、問題児2人に対して心からの拍手を送っていた。
笑いのツボが割と浅めのあたしの基準だからあんまりアテにはならないかも知れないけど、思ったよりつまんなくはなかった。
素直に言っちゃうと、けっこう面白かったんだよなー…くやしいけど。

特に加護の方はモノマネのレパートリーも豊富で、トークの端々に天性のお笑い気質みたいなモノを感じたし、辻も一見ボーッと
してるように見えるものの、その独特な間が矢口的にはちょっとツボだったりするし…あくまで矢口的に、だけど。

確実に、風は吹いている…『モーニング娘。』にとっての、新しい風が。
ビュンビュン吹きまくって、どこへ飛んでっちゃうのかは知らんけど。

「あっ、おつかれさまでーすっ!」
「おつか…」
いきなり派手なカッコで出迎えられて、あたしは思わず絶句した。

ミニモニ。部分の収録が終わって楽屋に戻ったあたしを待っていたのは…街を歩いててもまず見かけないような、どピンクの
スーツに身を包んだ、チャーミー石川こと石川梨華。
チャーミーってのは、彼女が司会を務めるコーナー内でのキャラクターの名前であるとのこと。
みんな彼女のコト、『梨華ちゃん』って呼んでたからあたしもそう呼ぶコトにした。
みんなって言っても、そう呼んでるのは新メンバーとなっち、それからごっちん…他のメンバーは『石川』って呼んでるみたい。
でもあたしだったら、たぶん『梨華ちゃん』って呼ぶだろうなぁって思ったから、そう呼ぶコトにした。
もっとも、まだ会ったばかりで一度も呼んだコトはないんだけどね。

「次チャレモニさん、お願いしまーす」
「「「「はーい」」」」  「はいっ!!」
明らかにテンションの違う2種類の返事、裕ちゃん率いる『チャレモニ。』の皆さんともう一つは…チャーミー石川さんのハイトーンボイス。
チャレモニ。か…一体、どんなコトやってんだろう。
娘。の未来を見届けるため(と単純な好奇心から)、見学と称してあたしはみんなの後に続いてスタジオへと向かった。

裕ちゃんたちにくっついてスタジオ入りしたものの、まだセットの準備が整ってないってコトで早速待ち時間が発生。
チャレモニ。の面々、裕ちゃん、カオリ、なっち、圭ちゃんの4人は用意されていたイスに座って待機している。
収録開始まではもう少し時間がかかると聞いて、あたしは一旦楽屋へ引き上げるコトにした。

「…ミー石川でーす!うーん、違うなぁ…チャーミー、チャーミー、チャー、チャー、チャーミ、チャーミー、チャー」
スタジオを出ようとしたところで、暗闇からCDの音飛びのように繰り返されるフレーズに思わず足を止める。
スタジオの隅の方でうごめいている影、あれは…梨華ちゃん?
っていうか、このハイトーンボイスは梨華ちゃん以外の何者でもないんだけど…『石川でーす』って、しっかり名乗ってるし。
それにしても、あんなトコでなにやってんだろう…一人で。
声をかけようかとも思ったが、一人で何かに熱中しているようだったのであたしはそのまま素通りするコトにした。

「あっ、矢口さん!」
しまった、見つかったか…。

そしてあたしは、梨華ちゃんに呼び止められて『しまった』とか思っている自分に気付く。
素通りしようとしたのはジャマしちゃ悪いなんて思ったからじゃなく、できればコイツとは関わり合いになりたくないという気持ちの
表れだったのだと悟った。
だって、だって…真っ暗闇で意味不明なフレーズ(『チャー、チャー…』)をひたすら繰り返してんだもん、避けて通りたくもなるよ。

「矢口さん、どう思いますっ?コレなんですけど!」
「どれ?」
梨華ちゃんはあたしを見つけると、満面の笑顔でこちらへ駆け寄ってきた。
ダッシュで逃げようかとも思ったけどそれも何となく大人気ないし、そうまでして避ける理由もないと思ったので、おとなしくつかまる。

「どーもー!チャーミー石川でーすっ!!」
楽屋でやったように顔の高さで右手の親指と人差し指で『L』を作り、はちみつのような甘い声を張り上げる梨華ちゃん。
さっき繰り返してたのはこのフレーズだったんだ…狂ったように『チャーミー』の部分ばかりを繰り返してたから気付かなかった。
「で…それが何か問題あんの?」
どう思うも何も、どーゆー意見を期待してるんだ、このコは?

「何て言うか私、なにやっても『ウケない』っていうのかな…中澤さんたちがフォローしてくれるんですけど、それでもその場の空気って
いうのかな…なんか、シーンってなってるのが自分でもわかる時があって、だから、中澤さんたちに頼るだけじゃなくて、何か自分の
中で良くできるっていうか、改善できるコトがないかなーって思ってて、それで…」
梨華ちゃんが言いたいコトは何となくわかった、そして、彼女が『ウケない』理由についても何となくわかった気がする。

それにしても、さっきの辻アンド加護といい、梨華ちゃんといい…どうしてそこまで『ウケル』『ウケナイ』にこだわるかなぁ?
あたしが知ってるモーニング娘。ってのはあくまで歌手というかアーティスト(?)であって、決してお笑い集団ではなかったはず。
それとも、そう思っていたのは本人たちだけだったのかなー…そう考えると何だか哀しくなってくるけど。

「それが、さっきのフレーズってコト?」
「…はい」
とりあえず今は、目の前にある問題を片付けるのが先だよね。
梨華ちゃんが改善の余地ありと見ている、『チャーミー石川でーすっ!!』のフレーズ。
彼女は、見せ場であるこのフレーズで笑いを取りたいらしいんだけど…。

「私としてはぁ、どのタイミングでチャーミーポーズを出すかっていうのが、すごく重要な問題だと思うんですよぉ」
「ふーん…」
分析の入口からいきなり間違えてるこのコに…あたしは何をどうアドバイスすればいいんだろうか。
「この、チャーミーの『チャー』ぐらいのタイミングで入れるかですね、『ミー』に入ったぐらいがいいのか、あとは…」
梨華ちゃんの話を軽く聞き流しながら、あたしは彼女のマイクを持ったままだらりと下に垂れている左手に注目していた。

「梨華ちゃんってさぁ、それ…クセ?小指立ってんの」
「えっ…あ、やだー、またやっちゃった。そうなんですよぉ」
梨華ちゃんは、あたしの視線の先にあった左手を自分の胸に引き寄せるとその上に右手を重ね、両手でマイクを抱え込んだ
カッコウになる。

「いや、今度は右…立ってるけど」
「えっ」
問題の左手を覆い隠したまでは良かったものの、今度はその上に重ねた右手の小指が立ってしまっていた。角度は90度。
脳でコントロールできないんだろうか…彼女の小指は。

「もぅ、やだー…」
「あのさ、それ活かしてみたら?チャーミーポーズに…小指」
「え…どういうコトですか?」
「親指と人差し指でやってるでしょ?それを、親指と小指でやるってのどう?」
あたしが提案したのは、今回限りの変則チャーミーポーズ。
カタチはどうだっていい。人差し指と小指だっていいし、小指だけでもいいかも知れない。

要は、いつもと違うコトをやるっていうコト。
そうすれば、チャレモニ。の誰かがそれを拾って気持ちよくツッコんでくれるはず。
実際にチャレモニ。とチャーミー石川が絡んでる場面を見たコトはないけど、チャーミーのこのド派手な衣装から察するに
まず、ツッコまれキャラと見て間違いはないだろう。
っていうか、こんなカッコしてて誰にもツッコんでもらえないとしたら、それはそれで哀しすぎると思うし。

「チャーミー石川でーっす!コレ、けっこう難しいんですね…ついいつものクセで、人差し指の方が立っちゃう。
チャーミー、チャーミー、チャー、チャー、チャーミ、チャーミー、チャー」
お願いだからその部分だけ重点的に練習するのやめてほしい…コワれたおもちゃみたいで、不気味でしょうがないんだけど。

「いや、そんな真剣にやんなくてもいいよ?どうせ今日だけなんだし、いつもと違うポーズだってコトが分かればいいんだから」
この、矢口考案による変則チャーミーポーズのポイントは『今回限り』って部分。
先週と同じであってもいけないし、もちろん来週も使い回そうなんて甘い考えはご法度。

何度も言うけど、要はいつもと違うコトをやるってコトなんだから。
そもそも、オリジナルのチャーミーポーズの方が見ててカワイイんだし、今回やって成功したら『変則チャーミーポーズ』は
すぐに封印して元のカワイイ『オリジナルチャーミーポーズ』に戻すってのが正しいやり方。
ってふと我に返ると、こんなコト力説してる自分がイヤになるけど…すべては、カワイイ後輩のため。

「チャーミー、チャー、チャー、チャーミ、チャーミー…ああっ、できないっ」
だから、テキトーでいいっつってんだろー…ちゃんと人の話も聞いてなさいよねー。

「本番いきまーす」
そうこうしている間にやっと、『チャレモニ。』のコーナーの収録が始まった。
いよいよだよ…がんばって、梨華ちゃん!!
「おーい、石川おらへんやんか!!どこ行った?いしかわぁーっ!!」
裕ちゃんの怒りを含んだ声がスタジオ中に響き渡る。

「チャーミー、チャーミー、チャーミー…」
振り返るとそこには、お約束のようにあたしの背後で右手を見つめる、裕ちゃんの声も耳に届いていない様子の梨華ちゃん。
このコって…プライベートでは十分笑いを取れる存在なのに、仕事になると途端に空回りしちゃうんだなぁ。人生って難しい。

「挑戦、それは…」
あたしは、スタジオのモニターに映し出される梨華ちゃんの姿を見守っていた。
マイクを胸に抱えるようにして持ち、コレはいつもの決めゼリフみたいなモノなのかな…っていうか、こーゆーのあるんだったら
先に言えよなー、こっちの方がチャーミーポーズなんかよりよっぽどイジリ甲斐あるじゃんか。
ホント、着眼点まちがってるよ…。

「どーもー!」
ごくり。あたしは思わず生唾を飲み込む。いよいよだ…。
そして、ついにその瞬間がやってきた。

「チャーミー石川でーすっ!!」
眩いほどの梨華スマイルと、顔の高さまで上げられた右手はもちろん…ヤグチ印のチャーミーポーズ。
さあ、来い。
ツッコめ、チャレモニ。ども!!!

「あ?なんや今の?なに、ビミョーに変えとんねん!!」
よしっ、よくやった裕子!!
「ホントだ、変わってる!どうしたの、チャーミー!?」
「ははははは!!」
裕ちゃんのツッコミに食いついてきたなっちと、ただ笑ってるカオリ。

「っていうか、何のイミがあんだよっ!!」
「ああっ!?」
裕ちゃんに右手首を掴まれてよろける梨華ちゃんの脇腹を、圭ちゃんのケリ(ちょっとだけ手加減してるカンジ)が直撃する。

「いやっ…チャーミーをイジメないでぇーーっっ!!」
良いよ梨華ちゃん、すごくイイ!!輝いてるよ…キラキラしてる!!
逃げまどう梨華ちゃんの泣き出しそうなカオ(演技)に一瞬だけ会心の笑みがこぼれたのを、あたしは見逃さなかった。

「矢口さーんっ!!」
チャレモニ。の収録を見届けて楽屋へ戻ろうとしたところで、後ろから梨華ちゃんに呼び止められる。
全力で走ってきた様子の梨華ちゃんは、あたしの前で立ち止まると肩で息をしながら呼吸を整えている。
あたしは、黙って彼女の次の言葉を待った。

「あのっ、ありがとうございました!」
例のはちみつボイスであたしに向かってお礼を言うと、梨華ちゃんはぺこりと頭を下げた。

さっきの辻と加護もそうだけど、『ありがとうございました』とかってアタマ下げられたり…そういうの、面と向かって
やられるとすっごく照れるんだよなー。
でも、まぁ…なんとなく悪い気はしないけどね。

「良かったね、ちゃんとツッコまれてたじゃん」
セリフだけ聞くと、とても歌やってる人への誉め言葉とは思えないけど…。

「はい!」
本人は心から嬉しそうだから、まぁ良しとするか…良かったね、梨華ちゃん。

「私、矢口さんが考えてくれたこのチャーミーポーズ、一生大切に守ります!!」
え…なに言ってんの、このコ。
「梨華ちゃん、次もまた使うつもりじゃないよね…それ」
メイド・イン・ヤグチの変則チャーミーポーズは、使用上の注意をよく読んでからお使いくださいって言ったでしょーが!?

「当たり前じゃないですかぁ。1回だけなんてもったいないですよぉ、せっかくウケたのに」
もぅ…ホントにわかってないんだから、コイツは。
「ホント、悪いコト言わないからやめなって。次はウケないから、絶対」
「どうしてですか?だって、今日はあんなに…」
あたしの説得もむなしく、梨華ちゃんは一向に引き下がろうとしない。

「だからぁ、次やってもツッコんでもらえないって!ツッコミあってのボケでしょ?撒いたボケを拾ってもらえないのが一番キツイんだよ?」
あたしって、一体どういう職業のヒトなんだっけ…ココにいると、時々わからなくなる。
「そんなの、やってみなきゃわかんないじゃないですかっ!!もっとポジティブに考えた方がいいと思うんですよ、石川はぁ」
やる前からわかってるコトだってあるんだよ、世の中には…。

「まぁ…いいんじゃない?試しにやってみれば」
「ホントですかっ!?」
ムリヤリ言わせといて『ホントですか!?』って…もういい、何も言うまい。

「じゃあ私、戻りますねっ。チャーミー石川でしたーっ!チャオ!!」
こうして、あたしがテキトーに考えた変則チャーミーポーズは、見事オリジナルチャーミーポーズに取って代わってしまった。
コレって、未来を変えてしまったコトになるのかなぁ。
ゴメンね、石川梨華ちゃん…でも、はっきり言って自業自得だよ?

――――

「はーい、辻アンド加護のモノマネー」(辻)
「「ターイム」」
「これにてー」(辻)
「終」(加護)
「了」(辻)
「「ですっ!!」」

あ…さっきあたしが見たときと、パートが入れ替わってる。
芸が細かいなー…クダんないコトには労を惜しまないんだから、コイツらは。
『チャレモニ。』のコーナーの収録が終わって楽屋へ戻ってきたあたしたちは、次の収録が始まるまでしばらく待機状態。

あたしが過去の世界からタイムスリップして来たってコトみんなに話したいけど、やっぱりそれはできない。
過去から来たあたしがココで生活してるコト自体が既に未来を変えてしまっているコトになるんだから、それを人に話したりしたら
もっとこの世界に(あたしたちの未来に)影響を及ぼすコトになる。
現にあたしは到着早々、早速それをやらかしてしまったのだから…。

「どーもー!チャーミー石川でーす!!」
「あっ梨華ちゃん、なにそれぇ!!ははははははっ!!」
「かわってる!手のところがかわってるねー!!ははははっ!!」
加護と辻の2人に、あたしが考案した新生チャーミーポーズを披露してご満悦の梨華ちゃん。
勘違いするな石川…この2人は見るの初めてだから笑ってるだけだ。
現在のところはコレくらいの問題(梨華ちゃんにとっては大問題だけど)で済んでるから良いけど、これからはあんまりみんなと
深く関わらないようにしなくちゃ。

それにしても、ずいぶん変わったなー…。
あたしは部屋の中をぐるりと見回しながら、ココへ来る前のあたしたちの楽屋風景を思い出していた。
裕ちゃん、なっち、カオリ、圭ちゃん、後藤、あたし、そして新メンバーの梨華ちゃんに加護、それから辻。
あたしが知ってる娘。よりも確実に人数は増えてるはずなのに、ぜんぜんそんな気がしない。

やっぱり、本当にいなくなっちゃうんだ、アイツ…紗耶香。

紗耶香本人から、そういう話は聞いてた…『やめるかもしれない』って。
だけど具体的にいつとか、そういうコトは聞いてなかったから…きっと考え直してくれるはず、って思ってた。
それ聞いてから毎日、心のどこかでそうなるコトを願いながら過ごしてたんだ。たぶん、みんなそう。

さっきまであたしがいた楽屋には確かに、紗耶香がいた。
そして今あたしがいるこの部屋に、彼女はいない。
それはつまり、そういうコト…なんだ。
一体いつ…なんて、そんなコトはまだ知りたくもない。

時間を飛び越えてしまったあたしには、彼女がどんな気持ちで娘。を離れていったのかとか、あたしたちが
どんな気持ちで彼女を送り出したのかを、知る術はない。
ただわかっているのは、彼女がこの場所に存在した時点と存在しない時点、10ヶ月前と現在、その『事実』だけ。
一枚の紙を二つに折り曲げたみたいに、強引に繋ぎ合わされた時間。
だけど人の気持ちは、すぐに適応できるほどカンタンじゃない。

ココにいるみんなは、まるで何もなかったみたいなカオしてるけど、これもきっと『時間』ってやつのおかげなんだろう。
どんなに悲しくてどんなに寂しい出来事でも、時が経てば傷は癒される、時が全てを解決してくれる。
だけど過ぎてゆくコトで大切なモノを失うくらいなら…あたしは、時間なんていらない。

時間が経過していく限りきっとこれからも、あたしたちはカタチを変えながら進んでいかなきゃいけないんだ。
たとえばココからさらに10ヶ月後の未来、あたしはまだこの場所にいるだろうか…。

これ以上考えると恐くて前に進めなくなりそうで…あたしは、そこで思考を止めた。

「やーっ、やめてぇ、中澤さーん!」
「ええやんか、すぐ終わるから、な」
今のあたしには、ヘンタイ裕子のお決まりのフレーズも心を癒すヒーリングミュージックのように聞こえる。
やっぱり、変わらない日常っていいなぁ…。

「こら待てっ、加護!!」
えっ、加護ぉ!?
このエロオヤジは12歳の加護にまで魔の手を…。
壁際に追い詰められた加護は諦めたように、迫り来る裕ちゃんの唇を受け入れた。
助けてあげたかったけど、これ以上未来を変えるワケにはいかないんだ…許してね、加護ちゃん。

「あっ、待って矢口!ねぇ、ジュース買ってきてよ」
「えーっ…やだよ、めんどくさい」
収録の前にトイレに行っておこうと思い楽屋を出ようとしたところで、あたしはなっちにつかまった。
「いいじゃん。ちょっと待って、お金持ってくるから」
「なんだよー…」
ドアノブに手をかけたままで、なっちが財布から小銭を出すのを待つ。

すると突然、力を加えていないはずのドアノブが独りでに手の中で回る。
考えられる状況は一つ、『反対側から誰かが開けた』。
さて、ココであたしがやらなきゃいけないコトは……

「おはよーございまーす」
「んぎゃあっ!?」
逃げるコト、だったんだけど…ちょっと遅かったみたい、ってそんなノンキなコト言ってる場合じゃない。
「痛ってぇぇー…」
あたしは、強打した頭を抱えてその場にうずくまる。
ドアに対して横向きに立っていたあたしは、頭の左側を(ドアに)殴打されてしまった。
あまりの痛さに…ちょっとだけ泣いた。

「うわっ、すいません!!大丈夫ですか、矢口さんっ!?」
ちっくしょー、誰だコイツ…殺してやる!!
「ちょっとー!!なにすん…」
顔を上げて、彼女を見た瞬間…あたしは完全に痛みを忘れて固まってた。

「どうしよう…痛かったですか?痛かったですよね!!」
彼女は、しゃがみ込んであたしの顔を覗き込んでる。
ようやく感覚の戻ってきたあたしの頭を、彼女の右手が優しく触れる。
女のコにしてはちょっと大きくて、とてもあたたかい、彼女の右手。

あたしの顔をまっすぐに見つめる、大きくてとてもキレイな瞳。
すっと通った鼻筋に、薄めの唇。
あたしの名を呼んだその声は、少し低めのトーン。
あたしの名前を呼んだってコトは…彼女は、あたしのコトを知ってるんだ。
それだけでとてもうれしくなる。

コレは…まさに、衝撃的な出逢い。
衝撃ってのはもちろん、ドアで頭を強打したコトによる直接的なカラダの衝撃じゃなくて、何ていうかもっとココロに直接
響いてくるカンジ、稲妻にうたれたみたいな…。
一言で表すならば、コレはまさに…『運命』ってやつ。

「どうした、矢口?打ち所悪かったんじゃない?」
今のあたしには、圭ちゃんの声も一切耳に入らない(入ってるけど無視)。
「えーっ!?あっ、あたし、タオル冷やしてきます!!」
圭ちゃんの言葉に驚いた彼女―名前わかんないから『運命のヒト』と命名―は、立ち上がろうとしてヒザを伸ばしかけた。

「矢口さん…?」
頭から離そうとした手をあたしにつかまれて、『運命のヒト』は困惑した表情を浮かべている。
「あの…大丈夫、だから」
だから、もう少しこのままでいさせてください…神様。

「矢口だいじょーぶか?背ぇ縮んでへんか?」
「ねぇ矢口、ジュース買ってきてってば」
ついでに、コイツらを黙らせてください…神様。

「ホントに?ホントに、痛くないんですか?」
「…うん」
胸は、痛いけどね…とか言ったら、ひくだろうなーやっぱり。

「良かったぁ…。矢口さんて、すごい石頭なんですねー」
「…うん。えっ」
どうしよう、つい『うん』とか言っちゃったよぉ。
『運命のヒト』に石頭って思われたよ、しかも『すごい』石頭って…どうしよう、『運命のヒト』なのに。

「でも、やっぱりタオル冷やしてきます。心配だし」
「あっ…」
今度は引き留める間もなく、すっくと立ち上がるとドアを開けて風のように去っていく彼女…あたしの運命のヒト。
彼女が戻ってきたら…強打したアタマよりも、たぶん真っ赤になってるだろうこの頬を冷やした方がいいかも知れない。

余韻に浸りつつ、彼女が出て行ったばかりのドアを見つめる。
と、突然ドアが開いて、さっき出て行ったはずの彼女が再び中へ入ってきた。
「タオル忘れた」
ああっ、そんなトコもカワイイっっ!!

矢口真里、17歳。
生まれてきて…良かった。

――――

「痛っ…!」
「あっ、大丈夫ですか!?」
濡れタオルの冷たい刺激が、頭部の痛みを再び呼び覚ます。
さっきからあたしの頭にタオルを当ててくれてるのは…まだ名前のわからない、あたしの『運命のヒト』。

彼女はあたしとイスを向かい合わせにして座り、右手を伸ばしてあたしのアタマに濡れタオルを当ててくれてる。
あたしの体温で温まったタオルを裏返しにしたりするたびに動く彼女のひざが、あたしのひざに触れる。
それだけで、すごくどきどきした。

それにしても一体なんなんだろう、このコ…当然みたいにあたしたちの楽屋に入ってきて。
もしかしてこのコこそが、どっかのおエライさんちの子供なんだろうか。
それも彼女なら納得…最初の3人(辻アンド加護アンド梨華ちゃん)と違って、何となくイイトコのご子息って雰囲気漂わせてるし。

「学校行ってたの?よっすぃー」
少し離れたところに座っていた後藤が、あたしの目の前に座る『運命のヒト』に向かって言った。
「うん、行ってきたよぉ。途中で抜けてきたけどね」
端正な顔立ちとオトナっぽい雰囲気の外見とは対照的に、彼女の喋り方はおっとりとしたモノ。
そんなアンバランスさもまた、数え上げたら切りがないほどの彼女の魅力のひとつなのだけれど。

「あ、もういいよ。疲れるでしょ?」
彼女があたしの頭に当てたタオルを裏返す間隔が短くなってきているのを感じたあたしは、頭に当てられた彼女の右手を掴むと
離すよう促した…って別に手を掴む必要はなかったんだけど、ちょっと触りたかったのでやっちゃいました。
「でも…ホントに大丈夫ですか?」
そう言って心配そうにあたしの顔を覗き込む彼女。

「うん、ホントもう大丈夫だから…ありがとう、よっすぃーちゃん」
「え……」
さっきまでの心配そうな彼女の表情は一変し、今度は怪訝そうなカオであたしのコトをじっと見つめている。
なに…あたし、もしかして何か間違った?
このヒトの名前…『よっすぃー』じゃないの?
いや、もちろんアダ名だってコトはわかってるけど…こんなの本名だったら嫌だし。もしそうだとしてもあたしの愛は変わらないけど。

「矢口、あんた本当にヘンなトコ打っちゃったんじゃないの?」
「えーっ!?矢口さん、あたしのコトわかりますかっ!?吉澤です、吉澤ひとみです!!」
また圭ちゃんの言うコト真に受けて、必死なカオしちゃって…もぅ、カワイイなぁーホント。

でも、圭ちゃんのおかげで彼女の本名を知るコトができた。
ありがとう圭ちゃん、こんなに圭ちゃんに感謝したコトって今までなかった…この恩は一生忘れないからね。
「矢口さんっ…」
目の前の彼女、『運命のヒト』改め、よっすぃーこと吉澤ひとみは、あたしの両手を掴むと泣きそうな顔であたしの名を呼ぶ。

永遠にこのままでいたかったけど、自分のせいであたしがおかしくなったと思い込んでる彼女をそのままにしておくのは
さすがに可哀相だ(ちょっと泣きそうになってるよっすぃーこと吉澤ひとみも、それはそれでカワイイんだけど)。
あたしは、未来のあたしが普段呼んでいるであろう彼女の呼び名を考えてみる。

フツーに考えれば、『吉澤』かなぁ…いや待てよ。
あたしのコトだ…お気に入りのヒトのコト、普通に名字で呼んだりするはずがない。絶対にない。
かと言って、『ひとみ』とは呼ばないよね…2人っきりの時とかならともかく、みんなの前じゃさすがにそれはないだろう。却下。
とすれば、やっぱりココはさっき後藤が呼んでた『よっすぃー』(吉澤の吉で『よっすぃー』か…なんて安易な)ってのがいちばん
フレンドリーなカンジで、矢口っぽい気がするけど…。

「忘れるワケないじゃん、なに言ってんの…よっすぃー」
「ああ…良かったぁ」
当たってたんだ…助かった。彼女の安心した表情に、あたしはホッと胸をなでおろした。
さっきはヘタに『よっすぃーちゃん』なんて『ちゃん』付けで呼んじゃったから、びっくりしてたんだね…よっすぃー。

それはそうと、本当に何者なんだろうか…このコは。
メンバーの共通の友達?意外なトコで、スタッフさんとか?あっ、でも学校行ったとか言ってたからそれは違うか。
高校生なのかな…?学校でもよっすぃーって呼ばれてんのかな?家どこだろ?好きな食べ物は…?

「みんな居る?あ、吉澤も来たね」
「おはようございます」
あたしの思考がとんでもないトコへ脱線してる間に、楽屋にはマネージャーさんが入ってきていた。
しかも、よっすぃーと知り合い?
マネージャーも共通の友達?意外なトコで、よっすぃーは新人マネージャーとか?あ、でも学校行ったって言ってたから違うか。
って、さっきも考えたよそれ。学校で部活とかやってんのかな、よっすぃー…。学校どこだろ?好きな…

「みんな集まってー」
しまった、また思いっきり脱線しちゃってた。

マネージャーさんの一声で、みんなは自分が座っていたイスを持って集まる。
あたしと向かい合わせに座っていたよっすぃーも、あたしの隣に移動してマネージャーの正面に向かって座りなおした。
もしかして、よっすぃーは…。

「じゃあ、明日からの合宿のスケジュール言うから」
「合宿!?」
聞いてないよ、そんなの(当たり前だけど)!!
「どしたの、矢口…?」
突然声を上げたあたしに、あたしの斜め後ろに座っていたなっちが不思議そうに尋ねてくる。

「ゴメン、何でもない…」
やばい。またみんなに、変なコト言い出したって思われるよ…。
「やっぱ、打ち所悪かったんだよ」
「えーっ!?」
圭ちゃんは、どうしてもあたしがアタマ打っておかしくなったコトにしたいらしい。
そして、そのたびに同じリアクションを繰り返すよっすぃーは…相変わらずカワイイ。

「…と保田、安倍と…」
マネージャーさんによって、明日からの2泊3日のダンス合宿(強化合宿みたいなモノ?)のスケジュールとホテルの
部屋割りが発表される。
あたしの隣で、真剣な表情で話を聞きながらメモを取るよっすぃー。

ココまでくると、何となくわかってきたような気がする。
まず、お偉いさんトコの子供説&共通の友人説は却下。いくらなんでも部外者が仕事の話に参加するワケないもんね。
番組スタッフ説&新人マネージャー説も、彼女が学生(見た目からすると高校生かなぁ…)であるコトからコレも却下。
とすると考えられるコトはただひとつ、よっすぃーこと吉澤ひとみは…モーニング娘。のメンバー?
あたしが10ヶ月前に聞いてた話では、新メンバーの募集枠は3人って聞いてたけど…後からさらに1人追加になったのだろうか?

「で、あとは…矢口と吉澤。以上」
「ええっ!?」
考え事してて話を聞いてなかったあたしは、突然自分の名前を呼ばれて驚きの声を上げてしまった。
だけど驚いたのは、自分の名前を呼ばれたせいだけじゃない。

『矢口と吉澤』って言ったよね…『矢口と吉澤』、つまり『あたしとよっすぃー』ってコトよね!!
あたしとよっすぃーが、2泊3日の合宿で同室…。
ああ、コレが2泊3日の『合宿』じゃなくて『温泉旅行』(もちろんプライベート)だったらもっとうれしいのに…。

ふいに、隣のよっすぃーと目が合う。
するとよっすぃーは、あたしを見てにっこりと微笑んだ…カワイイ。
どうしよー…よっすぃーと2泊も同じ部屋で過ごすコトになるなんて。
ガマンできるかなぁ、あたし…ってなにをだよ!!
なんて、自分にツッコんでも全く痛みを感じない…今日はそんなシアワセな日。

スケジュールや他のメンバーの部屋割りについては一切聞いていなかったので、あたしはメモ帳に『よっすぃーと同室(2泊)』
とだけ書き留めた。
書かなくても絶対忘れるワケないんだけど、文字にするコトでさらに実感が湧いてくるというか…どうしよ、マジ楽しみになってきたよ?

マネージャーさんのありがたいお話が終了し、みんなはまたそれぞれ元の場所へイスを移動して再び待機状態。
明日から、このメンバーでダンス合宿かぁ…あたしの知らないモーニング娘。は、一体どんな風に変わってるんだろうか。
みんな!新生モーニング娘。の姿、矢口はちゃんとこの目に焼き付けて帰るからね!!帰れるかどうかはわかんないけど。
ついでによっすぃーとの2泊3日のプライベート旅行(矢口の中では)も、楽しんで帰るからね!!

明日から、2泊3日の合宿か……よぉし、がんばるぞーーーーーーっっ!!!(いろんな意味で)

――――

「じゃあ、ちょっと休憩ね」
先生の一言で、あたしたちは地獄のレッスンからしばし解放。
あたしはスタジオの隅に置いてあった荷物からタオルを取り出して汗を拭うと、その場に座り込んだ。

新メンバーが入ったコトで今までの曲も全部パート割とか変わっちゃってて、あたしはみんなについてくのがやっとだった。
新メンバーの4人は、休憩時間になってもまだ先生に見てもらって練習してる。
自主的にやってるのか、それともやらされてるのかは分からないけど…このコたちもまあ、それなりにがんばってるみたい。
昨日の収録ではみんな笑いを取るのに必死になってたからどうなるコトかと思ってたけど、そんなに心配するコトもなかったのかな。

「吉澤!!また遅れてる!!いつも一人だけ遅れるよそこ、気をつけて!!」
「…はい」
夏先生に怒られて落ち込むよっすぃー…カワイイ。
よっすぃーは何やっててもカワイイんだけど、そんな姿を常に目で追ってる自分がだんだんすごくアヤしい人間に思えてきた。

ちょっとは自重した方がいいかな…よっすぃーだって嫌だよね、こんな先輩。
しかもあたしは、よっすぃーの『教育係』ってコトになってるらしいし…やっぱり、少しは先輩らしく落ち着いた雰囲気を漂わせてないとね。
『教育係』かぁ…新しいコが入ってきたら、そーゆーコトもやんなきゃいけないんだよね。
あたしにできるのかなぁ…ちょっと不安。

今まで自分のコトで精一杯だったあたしが、新人の教育係かぁ…矢口も成長したもんだ。
だけどそれよりもっと驚いたのは…後藤が、新メンバーである加護の教育係をやっていたコト。
(あたしにとっては)ついこないだまで、紗耶香に怒られて大泣きしたり、ちょっと誉められただけなのにすごく喜んでたり、
毎日そんなコトを繰り返してたあのコが、今度は誰かを教える立場に立ってる。
紗耶香に教わったコト、同じように加護にも教えてあげたのかな。

たとえば、1人のヒトが誰かに何かを伝えたとして、その誰かがまた他の誰かに同じコトを伝えたとしたら、そのヒトが伝えたかったコトは、
2人の誰かに伝わるコトになる…うーん、何かややこしいな。
たとえば、紗耶香が後藤に何かを伝えたとして、後藤が加護に同じコトを伝えたとしたら、紗耶香が伝えたかったコトは、紗耶香が
教えたかったコトは…後藤にも、そして加護にも伝わるコトになる。

もちろんこの先、加護が他の誰かに同じコトを教えるようになるかも知れない。
きっとそれは、紗耶香にとっては顔も名前も知らないヒト達にも伝わっていくんだろう。

だけど、それでいいのかな。
紗耶香は…それで、よかったのかな。

…やば。
なに泣いてんだろ、あたし。
思い出さないようにしてたのに。ココにいる間は、考えないって決めてたのに。
こんなトコみんなに見られたら、一発で怪しまれちゃうじゃんか…また圭ちゃんに『打ち所悪かったんだよ』とか言われるに決まってる。
あたしはタオルで汗を拭うフリして、あふれだした涙を隠す。

「やーぐちぃ」
「あっ、ちょっとなにすんだよ!」
持っていたタオルをいきなり奪い取られて、あたしは思わず顔を上げる。
「矢口…?どないしたん?」
「何でもない」
しまった…とっさに顔を上げたあたしは、泣き顔を裕ちゃんに見られてしまった。

「何でもないコトないやろ?」
できればほっといて欲しかったのに、裕ちゃんはあたしの隣に腰を下ろすと、ヒザを抱えて俯くあたしの顔を覗き込んでくる。
「矢口…?」
心配そうな裕ちゃんの顔を見てると、余計に涙が止まらなくなってしまった。
これ以上彼女の顔を見ていられなくて…あたしは顔を伏せて、そしてまた泣いた。

衣擦れの音がして、裕ちゃんがその場から動いたのがわかる。
さっきまであたしの隣に座っていた裕ちゃんは、あたしの正面に移動してきていた。
たぶん、あたしが泣いてるの、みんなから見えないように遮ってくれてるんだと思う。

「裕ちゃんは…平気?」
「ん?なに?」
「誰かがいなくなって、また違う誰かが入ってきて…それが当たり前みたくなってるのって、裕ちゃんは平気?」

なに言ってんだろ、あたし…こんなコト聞いてどうするんだ、あたしはどんな答えを期待してるの?
ココにいるみんなは、そういうコト全部乗り越えてきたから今こうしてココでがんばっていられるんだ。
明日香の時だってそうだったし。

だけどあたしにとっては、こないだ彩っぺがいなくなったばっかなのに今度は紗耶香まで、って状況なワケで。
そんなコト考えてたら、あたしたちがやってるコトって何なんだろうって思った。
誰かが抜けるコトで今まで積み上げてきたいろんなモノ、ぜんぶまた一から作り直していかなきゃいけない。
歌もダンスも…あたしたちみんなのキモチだって、またはじめっからやり直し。
ずっとずっと、そんなコトの繰り返し。

「当たり前みたいに『なってる』んやなくて、当たり前みたいに『してる』んやないか?」
「え…?」
裕ちゃんの言葉に、あたしは顔を上げる。
たぶん、まだ泣き顔になってるけど…もう泣いてんのバレバレだし、それよりも裕ちゃんがあたしの唐突な質問に答えてくれたのが
うれしかったから、あたしは顔を上げて裕ちゃんの次の言葉を待った。

「平気なワケないっていうのは、矢口にもわかるやろ?」
あたしは、裕ちゃんの問いかけに黙って頷く。
「誰かが抜けてくのはホンマにしんどいけど、残されたウチらには責任があんねん。そのコが抜けて娘。がダメになったらな…
やめた本人も辛いやろ?」
あたしは、裕ちゃんの言葉にさらに頷く。

「せやから当たり前みたいに『してる』んやんか、みんなでがんばって。そうやろ?明日香も彩っぺも紗耶香も、おらへんくなった時は
ホンマどうしようってめっちゃ不安やってんけどなー…あるコトに気付いたんやで、裕ちゃんは」
裕ちゃんは沈んでるあたしを励まそうとしてくれてるのか、最後の方はわざと茶化すような口調で言った。
「なに、あるコトって…?」
あたしは、目の前で微笑む裕ちゃんに尋ねる。

「うん…今まではな、誰かが抜けるたびに、どうにかしてこのコの抜けた穴を埋めなってそればっかし考えてたんやけどな?
新しいコが4人も入ってきて、紗耶香が卒業して…そしたら、何やぜんぜん違うグループみたいになってもーたなぁってちょっと
落ち込んだりもしたんやんか。わかる?」
「…うん、わかる」
まさに今、あたしがそんな状態だから…裕ちゃんが言ってるコトは痛いほどよくわかる。
何だか今のあたしたちは、あたしが知ってるモーニング娘。とはまるっきり別のグループになっちゃったみたいな気がする。

「で、思っきし落ち込んで…せやけど頑張らなって、あたしがちゃんとせなあかんって思えるようになって、わかった。
誰かの穴を埋めるとか、そんなん最初っからムリやってん。何人集まって束になったところで、誰かが誰かの代わりになれるワケ
ないしなぁ。第一、もし自分が誰かの代わりやって言われたら…そんなん嫌やん。代わる方も、代わられる方もそれは嫌やろ?」
「…うん」
あたしたちにはあたしたちの、新しいコたちにだって彼女たちの、それぞれの個性があって。
だから、誰もが誰かの代わりになんて…なれっこないんだ。

「抜けた穴は埋められへんのやから、新しく作って陣地広げてくしかないやん?それに気付いたんですよ、中澤さんは」
今度は照れ隠しなのか、再び茶化すような口調で裕ちゃんが言った。

みんなが、いま裕ちゃんが言ったみたいな気持ちで必死にがんばってきたからこそ、今があるんだ。
周りから見たら当たり前みたく『なってる』ように見えるかも知れないけど、ホントはメンバーみんなで必死になって当たり前みたく『してる』んだ。
今はまだ何となく実感が湧かないけど、紗耶香が卒業する日が来たらその時は、ちゃんと送り出してあげなくちゃいけないんだと思った。
娘。に残るあたしが、今までみたく頼りないヤツだったら…紗耶香だって、安心して進んでいけないと思うから。
たぶん、大泣きしてぐちゃぐちゃになっちゃうんだろうけど、ちゃんと見送ってそしてあたしも前に進んでいこう。みんなと一緒に。

「まさか、裕ちゃんはやめたりしないでしょーね?」
ようやく涙も乾いたあたしは、冗談半分に聞いてみる。

「あたしか?当ったり前やんかぁ。矢口に2000回チュウするまでは、死んでもやめへんで」
「2000回って…どっから出てきたんだよ?」
「ミレニアム」
「ああ…」
ったく、未来の世界でも相変わらずアホなコトばっか言ってんだから…。

「じゃあ、もう裕ちゃんとはチューしない」
2000回達成したからって、やめられたら困るもんね。
「なんでよ?1999回までやったらええやん。ほんで最後の1回だけとっといたらええやんか」
なんか…『1999』って数も、世界の破滅ってカンジがして何となくイヤだなぁ。

「ほんなら、5万回に増やそか?それやったらええやろ?」
「ダメ!!っていうか、5万回ってのもどっから出たんだよぉ」
「いや、何となく…いっぱいってカンジするやん?」
やれやれ、さっきまであんなにカッコ良いコト言ってたくせにこれじゃ台無しだよ…。
そーゆートコもまあ、何となく裕ちゃんらしいんだけどさ。

「ほんなら、1年ごとに何回かずつ増やすっての、どう?」
金利じゃないんだから…。

――――

「じゃあ、吉澤だけ残って。今日は解散」
「「おつかれさまでした、ありがとうございました」」
時刻は午後9:00。夕食を挟んで行われたダンスレッスン夜の部も、ようやく終了を迎える…疲れた。
合宿初日、本日のレッスンはこれにて全て終了…ただ一人、よっすぃーを除いては。

新メンバー4人の中でもよっすぃーは一番ダンスが苦手らしく、今日のレッスンでも夏先生にいっぱい怒られてた。
彼女、運動神経良さそうだし何でも完璧にこなしそうに見えたから…ちょっと意外だったんだけど。
やっぱり人は外見だけじゃ判断できないんだなぁ…ってそんなの当たり前か。
あたし、よっすぃーのコト全然知らないもんなー…出会って2日目じゃ、それも仕方のないコトなんだけど。

4月に加入してから約半年経ってる今でこそこうやってみんなに付いてこれてるけど、この様子じゃ入りたての頃は
きっと相当苦労したんだろうなー…。
先生に見てもらって一生懸命に練習してるよっすぃーの姿を見ながらあたしは、あたしの知らない半年前のよっすぃーを
いろいろと想像してみた。

入ったばっかで初々しいよっすぃーの姿…はじめてのレコーディングに緊張して思わず泣いてしまうよっすぃー、
ダンスレッスンが上手くいかなくて落ち込むよっすぃー(『矢口さん、あたしもうダメです…』とか言ってる)…カワイイなぁ。
って、そうじゃなくて!!
どうしてもよっすぃーのコト見てると思考が脱線しちゃうんだけど、よっすぃーはあたしの運命のヒトであるのと同時に
教育しなきゃいけないコなんだから…あたしは彼女の『教育係』なんだから、もっとしっかりしなくちゃ。

「さっきのとこ、もっかい最初っからいくよ」
「はい!」
夏先生の厳しい指導にもめげず、苦手な部分の練習を繰り返すよっすぃー…頑張ってるなぁ、うん。
ずっと休憩も取らずにやってる割には大して疲れた様子もないところを見ると…体力はかなりありそう。

とりあえず、部屋に戻ったらわかんないトコ教えてあげよう…。
あたしは荷物をまとめると、今日からのあたしたちの宿泊先である近くのホテルへ移動した。

シャワーを済ませてバスルームを出ると、よっすぃーはまだ戻っていない様子。
きっと、まだ残って練習してるんだ…。
あたしも、娘。に入ったばっかの頃はよく居残りで練習してたなー…今はもうそんなコトもなくなったけど。

始めの頃は裕ちゃんたちともあんまり上手くいってなかったから、対抗意識燃やしちゃって必死で練習してた。
この人たちに早く追いついてやるんだ、ってそればっか考えて躍起になって…。
結果的にはそれで上達したから良かったのかも知れないけど、当時はかなり悩んでたからなぁ。
裕ちゃん、めっちゃコワかったし…今思い出しても背筋が凍るよ。

そういえば今の新メンバーが入ってきたときは、どうだったんだろう…。
裕ちゃんはやっぱり、例の威圧感全開なカンジで彼女たちを迎えたのだろうか。
昨日今日とあたしが見た限りではすっかり打ち解けてるみたいだったから、そんなに心配するコトもないんだろうけど。

あたしは…どうだったんだろう。
あのコたちのコト、ちゃんと迎えてあげられたのかな?
見るコトや聞くコト、何もかもが初めての経験で不安だらけの彼女たちを…ちゃんと迎えてあげられたのかな。
そうだと、いいな…。

それにしても…遅いなぁ、よっすぃー。
時刻は既に10時を回っている。
あたしは濡れた髪をタオルで押さえながら、窓の外に広がる夜景を見ていた。
今のままでも十分キレイなんだけど、部屋の電気を暗くしたら外の夜景が浮かび上がってもっとキレイに見えるはず。
でも今消しちゃったら、よっすぃーが帰ってきた時びっくりするだろうから…後でやろっと。

夜景を見ながらすっかり髪も乾いてしまった頃、ドアの開く音がして誰かが部屋に入ってきた。
「よっすぃー。おつかれ」
「おつかれさまです」
言いながら、よっすぃーはベッドの上に荷物を降ろす。
相変わらずその表情に疲労の色は見えない…元気だなー、このコは。
それとも、そーゆートコはあんまり人に見せないのかな。

「シャワー、先使っちゃったよ?」
「はい。あたしも行ってこよっと」
そう言うとよっすぃーは、荷物の中から着替えを取り出すとバスルームへと消えていった。

そうだ、よっすぃーがいない間に電気消してみよう。
真っ暗な部屋から見る夜景って、キレーなんだよなぁ。
まだ入ったばっかで当分戻ってこないだろうし、戻ってきたらすぐ点ければいいんだしね。
あたしは部屋の入口まで行くと、ドア付近の電気だけは点けたまま他の灯りを全て消してみる。

うっわー…すっごい、キレー。
あたしの予想通り、真っ暗な部屋から見る夜景は本当にキレイで…ありきたりな表現だけど、『宝石を散りばめた』みたい。
あたしはしばらくの間、時間を忘れて窓の外の景色を眺めていた。

「矢口さん…?」
「えっ」
突然、後ろから声をかけられてはっと我に返る。
振り返ると、あたしの後ろにはよっすぃーが立っていた。

「あっ、ゴメン。電気つけるね」
ついつい夜景に見とれてて、よっすぃーが出てきたのに全く気付かなかった。
だけど、よっすぃーが入ってからまだそんなに経ってないのに…ずいぶん早かったなぁ。
てっきり、もっとゆっくり入ってくるのかと思ってたのに。

「いいですよ、このままで。外、見てたんですか?」
あたしの後ろで、濡れた髪をタオルで拭きながらよっすぃーが言う。

「うん。電気消したらさ、すっごいキレーなんだよね」
「ホント…ぜんぜん違いますよね、真っ暗だと。すごいキレイに見える」
パサッという音がして後ろに目をやると、よっすぃーが放り投げたタオルがベッドの上にポツンと乗っかっていた。

「でも早かったね、よっすぃー。もっとゆっくり入ってれば良かったのに」
あたしは再び視線を窓の外に戻すと、後ろに立つよっすぃーに背を向けたまま言った。
もしかしたらよっすぃー、さっさとお風呂入って早く寝たかったのかな…あれだけ練習してたんだから、それも当然だよね。

「早く会いたかったから。……矢口さん」
「……!」
心臓が、止まっちゃうかと思った。
後ろから突然よっすぃーに抱きしめられて、あたしは思わず身を硬くした。

「そんなに驚かなくてもいいじゃないですかぁ。ひどいなー…」
「あ、ゴメン」
あたしが謝ると、よっすぃーはあたしを抱く手にさらに力をこめた。
あたしの頭の上にあごをのせて、よっすぃーはすっかりリラックスしてるカンジ。

ちょっと待って、なんか日常っぽいよコレ…2人にとってすごく普通っぽいんだけど、どーゆーコトよ、コレ!?
考えろ、考えるんだ、矢口…久しぶりに考えてみるんだ、ヤグチ。
この状況…あたしとよっすぃーは、教育するヒトとされるヒト以上の関係ってコトよね、コレはどう見ても!!

と、いうコトは…『よっすぃーは既にあたしのモノ』ってコト!?
うそっ、超ラッキーだよ!!どうしよう!!
こんなにツイてていいのかなぁ、ツキまくりだよ、ヤグチぃ!!
何の苦労もせずに、これぞまさにタナボタというか…。
買ってもいない宝クジが当たっちゃったみたいな、3億円の当たり券タダでもらっちゃったみたいな!!!

突然、あたしの後ろでよっすぃーがくすっとうれしそうに笑う。
どうしたんだろ…あたし、何か怪しい行動でもとっちゃったかな。
お祭り騒ぎはココロの中だけに留めてたつもりだったんだけど…。

「どうしたの…?」
あたしは、できる限り平静を装ってよっすぃーに尋ねる。
このシチュエーションは2人にとって日常なんだ…そう自分に言い聞かせ、ニヤケそうになる顔を必死でガマンする。

「あのね、今日すっごいイイコトあったんですよ…誉められたんです、夏先生に」
「へっ?」
予想もしなかったよっすぃーの言葉に、あたしは思わずマヌケな声で聞き返してしまう。

「吉澤がいちばん上手くなったって。まあ、最初がいちばんヘタだったから…やっとみんなに追いついたってカンジ
なんですけどね」
そう言ったよっすぃーの声は、本当にうれしそうだった。
そっかぁ…良かったね、よっすぃー。

「そんなコトないよ。すっごいがんばってたもん、よっすぃー…全然ヘタなんかじゃないよ?」
本当に、すごいがんばってたもんね…ちゃんと見てたよ、矢口は。

あたしは、いつの間にかよっすぃーの腕の中にいるコトに違和感を感じなくなっている自分に気付いた。
むしろ一人で夜景を眺めていたときよりも、こっちの方がすごく落ち着くような気がする。
よっすぃーは、本当にあたしの『運命のヒト』なのかも知れない。

「誉めてください、矢口さん」
「え…?」
「矢口さんに誉めてもらうのが、イチバンうれしい」
後ろにぴたりとくっついてるよっすぃーの声は、あたしのカラダ全体に直接響いてくるみたいなカンジがして何だか心地良い。

もぅ、カワイイコト言ってくれちゃって…やってて良かった、教育係。
あたしは後ろから回されたよっすぃーの腕をそっと解くと、くるりと後ろに向き直ってよっすぃーの正面に立つ。
そして、真っ暗な部屋で夜景に照らされたよっすぃーの顔をまじまじと見つめる。

「すごい!!えらい!!よくやった、よっすぃー!!よしよし…」
あたしはよっすぃーに思いつく限りの賞賛の言葉を浴びせながら、少し背伸びして彼女のアタマをなでてあげる。

「よしよし、よすぃよすぃ、よっすぃーよっすぃー…なんちゃって。ははっ」
ちょっと…なに言ってんだろ、あたし。
舞い上がったあたしは、ほとんど無意識のうちにくだらないギャグ(しかもダジャレ)を口にしてしまっていた。
言っちゃう前に脳内で止めろよ…これじゃ梨華ちゃんが小指立っちゃう(コントロール不可)のと大差ないし。

「相変わらずつまんないですね。でも、そういうトコ好きです」
「あ、ありがと…」
よっすぃーって、矢口のそーゆートコが好きだったの?
なんか…素直に喜べないんだけど。

「じゃあ…誉めてもらったついでに、ごほうびももらっちゃおうかな」
「えっ…!?なに!?」
次の瞬間、あたしのカラダはふわりと宙に浮いていた。
っていっても独りでに浮いたワケじゃなくて、よっすぃーに突然抱きかかえられて浮いたってのが正しいんだけど。
よっすぃーはベッドの上にあたしを降ろすと、仰向けになってるあたしの腰の辺りに跨って、慣れた手つきであたしの
パジャマのボタンを外していく。

「ね、ちょっと待ってよぉ…よっすぃーってば!!」
「え…」
ベッドの上で仰向けに寝かされた状態で、あたしは上着にかかったよっすぃーの手を押さえて抵抗する。
そんなあたしを、よっすぃーはきょとんとした顔で見下ろしてる。

気まずくなって視線を逸らしたあたしを見て、よっすぃーはパジャマにかけていた手を外すとあたしの上から退いてくれる。
あたしはボタンの外れたパジャマの上着をかき合わせながら体を起こすと、よっすぃーと向かい合うようにして座りなおす。
あたしのパジャマは既にほとんどのボタンが外され、最後の一つを残すのみとなっていた。
驚くべき早業…っていうかダンスよりこっちのが得意だろ、お前。
このコに一体何を教育しちゃったんだよ、未来のあたしは…。

「どうしたんですか?そういう、気分じゃない?」
「いや、気分てゆーかさ…」
出会って2日でこんなコト…さすがの矢口もそれは最短記録だし。

目の前のよっすぃーは、何だか寂しそうな顔であたしを見つめている。
どうしよう…うれしいけど、困ったなぁ。うれしいけど。うれしいけどさぁ…。

うれしい…?
そっか…『うれしい』んじゃん、あたし。そっかそっか。
だとすれば答えはひとつ、自分の気持ちに逆らわず素直に従う…それって、ヤグチらしくていいんじゃない?

「矢口さん…?」
急に黙り込んだあたしの顔を、よっすぃーが心配そうに覗き込んでくる。

「あのさ……いいよ」
「ホントに?」
さっきあたしが抵抗したせいか、よっすぃーはまだ不安そうな顔であたしを見つめている。

あたしは、よっすぃーのコト何も知らない。だって、昨日初めて会ったばかりなんだから。
ぶっちゃけたハナシ、あたしが好きになったのはよっすぃーの外見。
よっすぃーの顔が好き。声が好き。背の高いトコも好き。ぜんぶ好き。
だけど、『カラダからはじまる愛』だっけ…そーゆーのってアリだと思う、ヤグチ的には。
ココロとカラダ、どっちが先でもそんなコトはあんまり大した問題じゃないような気がするし。
大切なのは、『これから』。
これからよっすぃーのコト、少しずついっぱい知っていけばいいんだから。
だったら、『はじまり』なんて…どう始めるかなんて大した問題じゃない、よーな気がする。何となく。

でもやっぱり…かなり安っぽい言い訳だよなぁ。
あ…やば、すごくもっともらしい言い訳、思いついちゃった。

『未来を、変えてはいけない』

ココであたしが躊躇してたら、あたしたちの未来が変わってしまうかも知れない。それは大問題だ。
あたしとよっすぃーの未来のために、ひいてはモーニング娘。の未来のために、そしてさらにはこの美しい地球の未来のためにも、
ココであたしが未来を変えてしまうワケにはいかないのであった。
もはや矢口ひとりの問題じゃないね、コレは。うん。
よし、これだ。これで行こう。ヤグチ天才。ヤグチ最高。

「…うん」
念押しするよっすぃーの言葉に頷くと、あたしは…ゆっくりと目を閉じた。

何だか夢の中にいるみたいな時間が過ぎて…ふと隣に目をやると、まだ終わったばっかで肩で息してるよっすぃーは
あたしに背を向けて寝転んでる。
ぼんやりとしていた意識がだんだんはっきりしていくにつれて、さっきまでのいろんなコトを思い出して急に恥ずかしくなった。
とりあえずよっすぃーが後ろ向いてる間に服を着ようとカラダを起こしたところで、後ろからいきなり右手を掴まれる。

「着てもムダですよ?」
手首を掴まれて振り返ると、よっすぃーが寝転がったままであたしを見上げていた。
「なんで…?」
「またすぐ脱がしちゃうから」
そう言ったよっすぃーの手によって、あたしは再びベッドに引き戻されてしまった。

さっきまであたしに背中向けてたよっすぃーは、今度はあたしの方を向いて寝転んでる。
あたしが横目で見やると、よっすぃーは何やら意味深な笑みを浮かべた。
間近に迫ったよっすぃーの顔は、あんなコトした後でも…いや、あんなコトした後だからかもしれないけど、何だか照れくさくて
ちゃんと見てられなくて、あたしは彼女から視線を逸らした。

「誉めてください、矢口さん」
なに言ってんだ、コイツは…もっと他に誉められなきゃいけないコトがあるでしょーが。
でも…まあいっか、練習もいっぱいがんばってたしね。
「うん、でかした。よくやった」
なにが、『よくやった』んだか…我ながら自分のアホさ加減にアタマ痛いけど、こんなアホな会話が許されるのも
あたしたちが運命の2人だからです。そーゆーコトにしとく。

「良かったぁ…なんか自信あったんですよ、今日。どうしてかわかんないけど」
その自信がどっから湧いて出たのかは知らないけど、よっすぃーは何だか得意げ。
「夏先生に誉められたからじゃないの?」
「あ、そうかもしれない」
んなワケねーだろ…あたしのテキトーな理由付けに素直に納得するよっすぃーは、どっか抜けてるんだけどやっぱりカワイイ。

「じゃあ、もっと誉めてもらおっかなぁ…」
「ちょっ…や、だ…」
すごいよ、よっすぃー…キミすごいってホント、いやマジでっ………!!

あたしは、呪いのキスで未来までふっとばしてくれた10ヶ月前の裕ちゃんに心から感謝していた。
裕ちゃん、聞いて!!

ヤグチは今、ヤグチは今……むっちゃくちゃ幸せやでぇぇぇーーーーーーーーーーっっ!!!

――――

「よっすぃー、よっすぃー、起きてよ!ホラ!起きてってば!!」
「…は、い。おきます…もう…すぐ…」
目覚めてすぐ、隣で眠るよっすぃーを見てあたしは、昨夜の出来事が夢ではなかったんだと実感した。
さっきから何度も起こしているのに一向にベッドから出ようとしないよっすぃーは、かなり寝起きが悪いらしい。
よっすぃーについてあたしが知ってるコト、これでまたひとつ増えた。

「もうすぐ、じゃなくて!今すぐ起きろっつってんの!!」
「…は、い。おきます…いま…すぐ…」
ったくベタな寝ボケ方しやがって、コイツは…。
まあ、そーゆートコがカワイイんだけどねー…って、幸せに浸ってる場合じゃない。
いいかげん起こさないと、ホントに遅刻してしまう。

しょうがない、ちょっと大人気ないけどあの方法で起こすしかないか…。
あたしは布団の中に手を滑り込ませると、あたしに背を向けて眠るよっすぃーの腰のあたりを両手で探る。

「ん…わっ!?はははははっっ!!うぅっ、やめてっ!矢口さん!!うわっ!?ははははははは!!!やめてー!!」
「ダメ。起きます、って言わなきゃやめない」
あたしのくすぐり攻撃によっすぃーは、ベッドの上でのたうち回りながら逃げようと必死にもがいている。

「起きます!!起きます!!起きますから!!うぅぅーっ!くくくっ…!!」
壁の方にカラダを向けてるよっすぃーの顔を覗き込むと、彼女はその目にうっすらと涙を浮かべていた。
よっすぃー…そんなに苦しいの?
運命のヒトに目の前でそんなカオされちゃったら、矢口は、矢口は…。

「ダメ。矢口さん大好きです、って言わなきゃやめない」
もっと見たくなっちゃうじゃん、よっすぃーのそーゆーカオ。
「くくくっ…やっ、矢口さん大好きです!!矢口さんっ!!大好き、ですっ!!はははははっ!!!」
よっすぃーはエビのようにカラダを折り曲げて、ひたすら苦しみに耐え続けている。
やば、なんかおもしろくなってきたよ?

「ダメ。矢口さんは世界一カワイイです、って言わなきゃやめない」
「くっ…、おねが…やめっ…!ははははっ!!やぐ、やぐちさんは世界一っ……うあっ!!!」
「よっすぃー!?」
突然、ゴンッという鈍い音がしてあたしは慌ててよっすぃーを解放する。

「うそっ、だいじょうぶ!?」
「うぅぅ…」
壁際で逃げようと暴れていたよっすぃーは、イキオイ余って硬い壁で思いっきりアタマを強打してしまったらしい。
両手で自分のおでこを押さえながら、ベッドの上でうめき声を上げている。

「ゴメン、よっすぃー!!痛かった…よね?」
あたしに背を向けて横になってる上に両手で顔を覆うようにして痛みに耐えているよっすぃーの表情を窺い知るコトは
できなかったものの、さっきの鈍い音とよっすぃーのうめき声から察するに…相当痛かったコトだけは間違いない。

「…っ、くっ…っ…ひっ…く…っ」
「はあ?」
うっそー…泣いてるよ、このコ。
そんなに痛かったのかなぁ…っていうか、アタマ打って泣きじゃくる15歳ってのもどうなんだろ。

「ねぇ、泣かないでよぉ…そんなに痛かった?」
あたしは、小刻みに震えているよっすぃーの肩にそっと手を添えて尋ねる。
「っ、ちがっ、ちがいますっ…痛いからじゃ、ない…っ」
泣きじゃくりながらも、よっすぃーはあたしの問いかけに答えてくれる。
だけど、痛いからじゃないって…だったら、どうして泣いてるんだろう?

「じゃあ、なんで泣いてんの?」
あたしが尋ねると、よっすぃーは両手で顔を覆ったまま首を横に振るだけで何も答えてはくれない。
「ねぇ、よっすぃー…?」
よっすぃーが急に泣き出した理由について無理に聞き出そうとは思わないけど、できるコトなら話してほしい。
もしかして悩みとかあるんだったら、聞いてあげたいって思うし…。
あたしは泣きじゃくるよっすぃーの側に座ってその髪を撫でながら、彼女の次の言葉を待った。

「っ…やぐっ、やぐちさん…生きてて、良かった…っ」
「はあ?」
いきなりなに言い出してんの、コイツ…?

「夢で、夢でっ…夢の中でっ…矢口さんが、死んじゃってっ…」
「え…」
ちょっと、やめてよぉ…縁起でもない。

「あたっ、あたしがっ、いきなりドア開けたせいで矢口さんっ…あっ、アタマ打って、それでっ…」
「ドアで頭打って死んだの?あたし」
壁の方を向いて横になったままで、よっすぃーが頷く。

「保田さんがっ…タオルで冷やせば生き返るって、生き返るって言うからあたしっ…っ…ひっくっ」
よっすぃー、あたしと楽屋のドアを激突させちゃったコトまだ気にしてたのかぁ…夢にまで見るなんて。
それにしたって…なにも殺すコトないと思うんだけど。

「生き返るって…ゾンビかよ、矢口は」
あたしが言うと、それまで背中を向けて泣いていたよっすぃーが横になったままくるりとこちらにカラダを向けた。
「生き返んなかったんですよ!!いくら冷やしても、タオルがどんどん温まってくだけなんですよ!!」
温まってく、って…死んでんのに体温あるワケないでしょ(それとも死んだ直後?)。
自分が見た夢の話に熱くなってきたよっすぃーは、カラダを起こすとベッドの上であたしと向かい合わせに座る。

「そしたら安倍さんが…普通のタオルじゃダメだ、って。室蘭で売ってるヤツじゃないとダメだって!!」
「ふーん…」
で、舞台は室蘭に移るの?もしかして。

「それで、買いに行ったんですよぉ…走って」
「走って?」
「はい」
「室蘭まで?」
「はい。途中で休んだりしたけど」
いや、そりゃ当然休むだろうけど…まぁ、夢の話にいちいちツッコんでもしょうがないか。

「で、3日で行って戻ってきたんですよ。買ってきたんですよぉ、室蘭で!タオル!!」
「うそっ、3日で!?」
東京−室蘭を3日で(走って)往復という早業に、うっかり素で驚いてしまった自分に恥ずかしさがこみ上げる。

「そんで、急いで楽屋戻んなきゃって思って、途中でベーグル買って、また走って…」
「ちょっと待って。ベーグルなんて関係あったっけ?」
あたしが生き返るために、室蘭のタオル以外に必要なアイテムが他にもあったんだろうか…ってなにマジメに考えてんだろ。

「ベーグルはぁ、おなかすいてたから。あたしが」
「そんなの矢口が生き返ってからにしろよー…」
夢だとわかっていても、思わずツッコみたくなる…飛行機使って日帰りで買ってこいよぉ、タオルもベーグルも。

「でぇ、ベーグル食べながら全力で走って、めっちゃくちゃ走って、すっごい走って、やっと戻ってきたんですよ」
「うん、それで?」
バカバカしいと思いつつも話の続きが気になったあたしは、身を乗り出してよっすぃーの言葉を待つ。

「戻ってきてドア開けたら…」
「うん…」
まさか、ゾンビ矢口とか出てこないだろうなー…そーゆーホラーっぽい展開はカンベンして欲しいんだけど。

「矢口さん…いなくなってた」
よっすぃーは、独り言のように小さな声でそう言って俯いた。

「あのさ、よっすぃー…それって夢でしょ?」
なぜ『室蘭の』タオルでなくてはならなかったのか、消えた矢口の死体はどこへ行っちゃったのか、聞いてるあたしに
とっては数々のバカバカしい謎の方が気になるところだけど、よっすぃーにとってはそんなコトはどうでもよくて。
ただあたしが彼女の前から消えてしまったコトが悲しくて、そして目覚めたらそれが夢だったと判ったから安心して
泣いてしまった…と考えれば良いのだろうか。
それにしては、あたしが起こすまで気持ち良さげに爆睡してたような気もしなくはないけど…。

「ホラ、矢口ちゃんと生きてるんだからさー。安心しなって」
「………」
あたしが励ましているのにも関わらず、よっすぃーは顔を上げようとしない。
なんだか小学生相手にしてるみたい…辻・加護と同レベルだよ、これじゃ。

「っていうか、勝手に殺すなっつーの。そんなに心配なら途中でベーグルなんか買ってんじゃ……っ!!」
俯いたままのよっすぃーに文句を言いかけたところで突然、強くカラダを引き寄せられる感覚と共に目の前が真っ暗になる。
あたしは、びっくりして瞑ってしまった目をそっと明けた…にも関わらず目の前にはまだ暗闇が広がっている。
そっか、コレは…よっすぃーが黒いTシャツ着てるせいだ。

「よっすぃー…?」
よっすぃーは、あたしを抱きしめたまま何も言わない。
彼女が、ワケのわかんない夢見て泣くくらいあたしのコトを想ってくれる理由なんて…今のあたしにはわからない。
だけど、よっすぃーの胸にぴたりとくっつけた左のホッペが、彼女の体温と胸の鼓動をちゃんと感じてる。

今はただ、こうやってカラダを合わせるコトしかできないけど。
過去の世界に戻ったら、ちゃんとよっすぃーのココロを理解できるようにがんばるから…許せ、よっすぃー。

「……ーっ…すーっ…」
「こらーっ、寝るな!!起きろぉー!!」
あたしを胸に抱いたままよっすぃーは、ゆっくりと2度目の眠りに落ちていった。

――――

「よっすぃーっ!!ね、ね、みてみて!!」
「ん…なに?あいぼん」
休憩時間、あたしからちょっとだけ離れた場所で休んでいたよっすぃーの元へ加護が駆け寄って行く。

その様子を横目で見ながらあたしは、今朝ホテル近くのコンビニで買っておいたクリームパンの袋を開ける。
よっすぃーがなかなか起きなかったせいで、あたしたちは朝ゴハン抜きでダンスレッスンに臨むハメになってしまった。
空腹のままレッスンに突入して1時間後、あたしはやっと遅めの朝食にありつけたってワケ。

「ものまね!!新しいのできたよ!!」
走ってきた加護は、よっすぃーとその隣に座って一緒に休憩してる梨華ちゃんの前に立つ。
「えっ、なになに?なにやんのぉ?」
あたしと同じく遅い朝食をとっていたよっすぃーが、メロンパン片手に身を乗り出して加護のネタに食いつく。
隣に座る梨華ちゃんも、右手に持っていたペットボトルを床に置くとよっすぃーと同じように身を乗り出した。

「はーい、加護のモノマネー、ターイム!!」
あ、今日はピンなんだ…いつもは辻アンド加護のコンビでやってるのに。
加護のタイトルコールの後で、パチパチパチ、というよっすぃーと梨華ちゃんの乾いた拍手が静かなスタジオに寂しく響く。
新ネタか…加護のヤツ、一体なにをやる気なんだろうか。
あたしはクリームパンを頬張りつつ、少し離れた場所で行われている加護のモノマネタイムに聞き耳を立てる。

「矢口さん、やりますっ!!」
なにっ!?あたしのモノマネ…?
よっすぃーと梨華ちゃん(とあたし)に見守られて、加護は大きく深呼吸。
あたしにも人にモノマネされるほどの特徴というか、個性ってやつがあったんだ…ちょっとうれしいかも。

「キャハハハハハ!!キャハハハハハハハ!!!」
なっ……!!
「おわり」
おいっ、それだけかよ!!
いつあたしがそんなバカっぽい笑い方したよ…くっそぉー、加護のやろぉ。

「あはははっ!!そっくり!!」
石川っ、テメー…!!
「はははははっ!!似てる、似てるよ、あいぼん!!」
あーっ…よっすぃーまで。

指に冷たい感触を感じて我に返ると、無意識のうちに握りつぶしていたらしいクリームパンから飛び出した
黄色いクリームが、あたしの右手にべっとりと付着していた。

「…にてない」
そしてあたしの心の声を代弁してくれたのは、意外にもすぐ側で休んでいた加護の相方…辻ちゃん。
一体どうしたんだろう、辻…相棒に対してこの冷たい反応、ケンカでもしたのかな?

「なんやてっ!?」
あ…また関西弁になってる。
普段は気をつけて標準語を喋るようにしているらしい加護は、感情的になるとつい関西弁が出てしまうようだ。

「にてないよ。だって、わらってるだけじゃん」
なんかよくわかんないけど…いいぞ、辻。もっと言ってやれ!!
「そっかなぁ、笑ってるトコがそっくりだったと思うけど」
ねぇよっすぃー…よっすぃーのキレイな瞳には、いつもあんな風にバカ笑い連発してる矢口の姿が映し出されてるの?

「のの、なんでそういうコト言うの?あいぼんがかわいそうじゃん」
さすが、新メンバー内で最年長である梨華ちゃんの口からは、みんなより一歩先行く発言が飛び出した。
きっと普段から、『一番年上なんだからしっかりしなくちゃ!』とかって気負ってるんだろうなー…。

「にてない…っ…だって…にてないっ…じゃん…っく…つじのぉ、にわとりのほうがっ…にてるっ…」
「なんで泣くん!?なんや、ウチがわるもんみたいやんか!!ずるいでっ!!」
「っっくぅっ…ひっく、っく…」
おいおいぃぃ…なんなんだよ、コイツらは。

「のの…どうしたの?」
加護に責められた辻は、梨華ちゃんにすがりついてただ泣きじゃくるばかりで何も話そうとはしない。
「コイツ、めっちゃワガママやねん!!」
どうやら2人のケンカの原因は、加護の口から語られるようだ。

「なんかあったの?」
こんな状況でも決してメロンパンを手放さないよっすぃーは、のんきな口調で加護に尋ねている。
「なんでいっつも『辻アンド加護』なん!?そろそろ逆にしてくれてもええやん!!のの!!」
うっわー、また、アホな理由で…ま、だいたいそんなモンだろうとは思ってたけどさ。

「やだ!!ぜったいかえない!!」
梨華ちゃんの腕にしがみついて泣いていた辻が、加護の言葉に反応して顔を上げた。

「なんで!?もうええやろ!?そろそろ代えてくれてもええやんかぁー!!」
「ああっ、あいぼん、もぅ…大っきな声ださないでよぉ。ね?落ち着こ?」
周りを気にしてか、声を荒げる加護を梨華ちゃんは必死でなだめている。
もっとも他のメンバーは、このコたちのケンカを特に気にしていない様子。
きっと、こういうのはいつもの光景なんだろう…ケンカの理由もホントにくだらないコトみたいだし。

「ののが代えてあげれば?どっちでもいいじゃん、そんなの」
ようやくメロンパンを食べ終えたらしいよっすぃーが、泣きじゃくる辻に提言する。
当然のコトながら、辻はぶんぶんと首を横に振る。

確かに、お笑いコンビにとってコンビ名とは自分の命と同じくらい大事なモノ、それはよくわかる。
でもね、辻ちゃん…おめーらは芸人でもなんでもねーんだよっ!!目を覚ませ、ばかやろぉー!!

「どうしてもイヤなの?」
梨華ちゃんの問いかけに、無言で頷く辻。
そりゃあ…辻には辻のこだわりとかあるのもわかるけど(明らかにこだわるトコ間違ってるけど)、
少しは仲間に譲るってコトも覚えていかないとね…。

「そうだ!交代でやればいいんじゃん!!」
メロンパンを食べ終えてお茶を飲んでいたよっすぃーが、今度はペットボトル片手に言った。

それにしても交代でって…1回ごとに『辻』と『加護』の名前を入れ替えるってコトだよね?
今日が『辻アンド加護』だったとしたら、明日は『加護アンド辻』ってな具合にやれば、ってコトか…。
そんなカンタンな方法で解決する問題とは思えないけど…。
そもそも辻は、コンビ名を変えるコト自体、完全に拒否してるんだから。

「だから、かえないっていってるじゃん!!『辻アンド加護』はぜったいかえないの!!」
ほらね、やっぱり解決しなかった…。

さて、そろそろ矢口の出番かなー…先輩の威厳とやらを、こいつらに見せ付けてやるか。
とは言え何ひとつ解決策を考えていなかったあたしは、もう少しだけこの状況を見守るコトにした。
やれやれ、どうやってこのくだらないケンカを終わらせようかな…。

「違うよぉ、名前変えるんじゃなくてさ。言うヒトを入れ替えるんだよ」
「「「え…?」」」
よっすぃーの言葉に、辻アンド加護アンド梨華ちゃんの戸惑いの声がキレイにハモる。
ゴメン、よっすぃー…今のよっすぃーの言葉、あたしにも理解できなかった。

「だからさぁ…『辻アンド加護』はそのままで、あいぼんが『辻』って言うじゃん。そんでさ、ののが
『加護』って言うの。ね、良くない?なんか平等ってカンジするじゃん」
このヒトは本当にあたしの運命のヒトなんでしょうか…教えてください、神様。

「ねぇよっすぃー、『アンド』は?『アンド』は誰が言うの?」
「えっとねー、2人で言う」
あんたらも『チャーミーアンドよっすぃー』でコンビ組んでみたら?

「よっすぃー、めっちゃ賢いやん!!なー、それ練習しよ、のの!!」
「うんっ!!」
ちょっと待って。何かがおかしいコトに気付かないの?みんな…。
加護が怒ってたのは『辻アンド加護』ってコンビ名に対してであって…あたしの記憶では、どっちがどのセリフを
言うかっていう、パート割みたいなモノはそもそもはじめっから交代でやってたような気がするんだけど…。

「あ、よっすぃー!パンくず、一杯こぼれてるよ?」
「え、うそ!?あー、ホントだ。やっべー」
床に這いつくばって、梨華ちゃんが発見したメロンパンのくず(よっすぃー作)を拾い集める4人の姿を見ていたら…
なんだか、そーゆーいろんな細かいコトはどーでもいいような気がしてきた。

ホントにこいつらは、マイペースっていうかなんていうか…。
そんなのんきなコトやってちゃ、この芸能界のアラナミってやつ?乗り切っていけないよ?
だけどみんなのそーゆートコ、これからもずっと変わらずにいてくれればいいなぁって思った。

紗耶香も圭ちゃんもあたしも、入ったばっかの頃は…早く裕ちゃんたちに追いついて追い越してやるんだって
本当に必死だった。
次は1つでも多くソロパートがもらえるように、ってそればっか考えて躍起になって…。
そうやって必死になってやってきたいろんなコト、もちろん後悔はしてない。
だってそういう時期があったからこそ、今のあたしたちがあるワケだし。

だけど。
くやしいときは泣いて、楽しいときは思いっきり笑って、誰かに誉められて喜んだり、怒られて落ち込んだりして。
言いたいコト言って、やりたいコトやって、もちろん直さなきゃいけないトコもいっぱいあるけど…
あたしたちが持ってないいろんなモノ、このコたちは確実に持ってる。

(『抜けた穴は埋められへんのやから、新しく作って陣地広げてくしかないやん?』)
裕ちゃんが言ってたコト、矢口にもなんとなくわかった気がするよ?

新しい風が吹いてるのに、変わっていくコトを恐がってちゃいつまでたっても前には進めない。
守らなきゃいけないモノと、壊してかなきゃいけないモノ。
この2つを上手に選びながら、時間の流れと共にあたしたちは変わっていかなきゃいけないんだ。

だけどみんなと一緒なら…できるよね?
あたしたち…ちゃんと良い方に変わっていけるよね?
そうだよね…みんな。

「やーぐち!!」
「あ、裕ちゃん」
食後にお茶を飲みながらのんきな4人を眺めていると、あたしの頭上からこれまたのんきな裕ちゃんの声。

「チュウしよか?久しぶりに」
「はあ?」
セクハラ裕子は10ヶ月後の未来でも健在かぁ…時間の経過と共に、このヒトにも少しは変わっててほしかった。

「いただきっ!!」
「やっ、ちょっと…」
無意味な行為とは知りつつも、一応抵抗などしてみるあたし…って、ちょっと待って!!

あたしが10ヶ月前からココへタイムスリップしてしまったのは、裕ちゃんの呪われたキスが原因(たぶん)。
というコトは、ココで裕ちゃんにキスを許してしまったら…あたしは再び10ヶ月前の世界に戻ってしまうかも!?
やばい。やばいよ、それは!!
いや、もちろん帰りたいって気持ちはあるし、10ヶ月前に戻って新メンバーのみんなを気持ちよく迎えて
あげるコトが矢口の使命だってのもよくわかってるつもりだけど、でも…。

「お願い、裕ちゃん!!明日まで、明日まで待って!!」
「はあ?なにそれ?」
この2泊3日のプライベート旅行…もとい、ダンス合宿が終わるまでは、ココに残りたい!!
せめて今夜だけ、合宿最後の夜を…よっすぃーと!!

「おねがい…おねがいだから…1回だけ、あと1回だけ!!」
もしかしたら、昨夜みたく連続2回かもしれないけど…!!
「はあ?意味わからへんわ…ええから大人しくしぃ!!」
床に座っていたあたしは、上から裕ちゃんに押さえ込まれて身動きがとれない。

「いやっ…ホントにいやっ!!やめて、裕ちゃん!!!」
「なに涙目なってんの?よけー燃えるっちゅーねん!!」
「いやっ…いやーーーーーーーーーーっっ!!」
必死の抵抗もむなしく、未来の世界でもやっぱり奪われてしまった…あたしの唇。

あたしがココへ来たときと同じくらい、長い長い裕ちゃんのキス。
たぶん、次に目を明けるときにはもうみんな、いなくなっちゃってるね。
梨華ちゃん、加護、辻、そして…よっすぃー。

あたしがココで過ごした3日間は、よっすぃーが室蘭まで爆走した3日間とおんなじくらい、長くて、いろんなコトがあって。
だけどあたしはよっすぃーが見た夢みたく、いなくなったりしないから安心してていいよ?
過去の世界で、新しく入ってくるみんなのコトちゃんと待ってるから。

それまでちょっとだけ…ばいばい、みんな。

そして、きっとまた会おうね。

――――

「はあっ…もーっ、なにすんだよ!!」
「なんやぁ、そんな嫌がらんかてええやんかぁ」
あたしが力任せに押し戻すと、裕ちゃんがよろけながら2・3歩後ろに下がった。

あたしが座ってるのは、さっきまでダンスレッスンやってたスタジオの床じゃない。
ココは…10ヶ月後の未来に飛ばされちゃう直前にあたしが座ってた、テレビ局の楽屋。
つまりあたしは、あたしが本来いるべきはずの時点に戻ってきたってコト。

「あー、まぁた矢口やられてるよー…」
テーブルの上に置かれたフルーツをつまみながら、あきれたような口調で紗耶香が言った。
あたしたちと同じ場所に…紗耶香がいる。
あたしはあらためて、未来の世界から戻ってきたコトを実感した。

「ん?」
イスに座ってフルーツ食べてた紗耶香が、目の前に座ってるあたしの視線に気付く。
「あ…あははっ」
「はあ?」
笑ってごまかすあたしを、彼女は不思議そうな顔で見ている。

テレビ局の楽屋。
紗耶香がいて、そしてあの4人がいない、現在のこの場所。
紗耶香がいない、そしてあの4人がいる、10ヶ月後のこの場所。

このまま、この時の中に留まっていられたら…って思ったりもするけど、それは決して良いコトじゃないんだ。
あたしたちにとっても、あの4人にとっても、そしてもちろん…紗耶香にとっても。
時間はずっと流れ続けるんだから…あたしたちがココに立ち止まってても、時間は待ってくれないんだから。
あたしたちはこれからもずっと、前だけ見て進んでくしかないんだから。

同じ時間、同じ場所のはずなのに、あたしの気持ちは未来へ飛ばされる前と後ではずいぶん変わっていて。
10ヶ月後の未来であのコたちに会うまで感じていた、あたしたちが変わってしまうコトへの焦りや不安は、
もちろん全部なくなっちゃったワケじゃないけど…小さくなったコトは確か。
だって前に向かって進んでさえいれば、そう遠くない未来に…きっと逢えるんだもんね。
今のあたしなら…新しく入ってくるあのコたちのコト、ちゃんと迎えてあげられる気がする。

あと3ヶ月もすれば、またみんなに会えるんだね?
今のみんなはあたしのコト、まだテレビでしか見たコトないだろうけど…あたしはみんなのコト、ちゃんと知ってる。
よっすぃー、梨華ちゃん、加護、そして辻。

もうすぐ逢えるはずの、キミ達へ。
あたしは、ぜんぶ知ってるよ?
みんながどれだけ不安な気持ちであたしたちの元へやってくるか、ってコトも。
みんなそれなりにいろんなコトがんばってるんだ、ってコトも。
みんなの良いトコも悪いトコもぜんぶぜんぶ、矢口はちゃんと見てきたんだから。

だからさ。
だから…安心して、飛び込んどいで。

そして。
あれから3ヶ月後、運命に導かれるようにしてあたしはあの4人と再会した。

「かっ、加護亜依ですっ。よろしく…おねがいします」
うっわー…すっかり緊張しちゃって。コレがあの加護か?
未来の姿を知ってるだけに信じられないモノがあるなぁ…。

「つぅ、つでぃのどみ、です。おねがい、します?」
緊張せいか辻ちゃんは、いつにも増して自分の名前がちゃんと言えてない状態。
っていうか、なぜに疑問形?

「…い、石川…梨華、です。よろしく…おねがいします…」
お約束のように緊張しまくってすっかり固まった梨華ちゃんの右手の小指は、やっぱり今日も立っていた。
蚊の泣くような小さな声で自己紹介を終えると、梨華ちゃんはギクシャクした動きであたしたちに一礼する。

「吉澤、ひとみです。よろしくおねがいします」
やっぱいつの時代も、よっすぃーはかわいいなぁー……。
強張った表情で自己紹介すると、よっすぃーはぺこりとおじぎした。

オーディションの映像見て驚いたんだけど、この頃のよっすぃーは髪が長い。
長いって言っても肩にかかるぐらいのセミロングってカンジなんだけど、あたしが未来で見た彼女とは全然印象が違う。
緊張して表情が硬いせいもあるんだろうけど、こっちのがおとなしそうに見えるっていうか…。
ま、どっちにしろよっすぃーはよっすぃーなんだし、どっちのよっすぃーも大好きだから、ヤグチ的には
ぜんぜん問題ナシだけどね。

そしてみんなの前で自己紹介が終わると、4人はそれぞれの教育係の元へあいさつに向かった。
もちろん、あたしのところへは…あのヒト。

「矢口さん、あの、よろしく…おねがいします」
ひゃー、かっわいーなぁ…。
よっすぃーは小さな声であいさつすると、あたしに向かって一礼した。
顔を上げてもまだ、その表情は緊張で固まったまま。

「よろしくね、よっすぃー」
「え…よっすぃ…?」
「あっ、ああ…ホラ、吉澤の吉で『よっすぃー』。ね?」
「ああ…は、ははっ」
まだぎこちなかったけど、よっすぃーはちょっとだけ笑ってくれた。

よっすぃーって、入ってきた頃はこんなに初々しかったのかぁ。
こっからの半年で、あんな悪いコになっちゃったんだね…。

(『じゃあ…誉めてもらったついでに、ごほうびももらっちゃおうかな』)
よっすぃーの慣れた手つきを思い出す。
アレはあたしの半年間の教育の成果だったんだろうか。
あたしの教育が悪かったのかな…いや、『良かった』って言った方が正しいかな?
ヤグチ、悪いコ大好きだし。

このヒトは、あたしの運命のヒト。それは間違いない。
だけどよっすぃーは、あたしのどんなトコロを好きになったんだろう?
彼女のコト、早く知りたい。
一体どうすればあたしが見てきた未来のあたしたちみたいになれるのか、気になってしょうがない。
一体どうすればあたしが見てきたあの夜のあたしたちみたくなれるのかなぁ…あの夜の…あの…。

「へへっ…」
「あのぉ、やぐち、さん…?」
「え…あっ!?ああ、ゴメンゴメン。何でもないから。ははっ」
しまった。あの夜のコトを思い出して、つい顔がニヤけてしまった。
よっすぃーはそんなあたしを不思議そうな顔で見つめている。
まいったなー…いきなりニヤついたりして、アヤシイ人間だと思われてなきゃいいけど。

「ま、わかんないコトとかあったらさ、何でも聞いてよ。どんなコトでもいいからさ?」
「…はい!!」
「とりあえずさぁ、何か悩みとかないの?もぅ、何でも言って!!ねぇ、ないの?ねぇ、よっすぃー」
知りたい。よっすぃーのコト…何でもいいから早く知りたい!!

「え…いや、べつに…」
この時、あたしは気付くべきだったんだ。
彼女の…よっすぃーの、怯えきった表情に。
浮かれまくったあたしが自らの手で未来を変えてしまったコトに気付いたのは、それから半年後のことだった。

――――

シャワーを済ませてバスルームを出ると、よっすぃーはまだ戻っていない様子。
きっと、まだ残って練習してるんだ…。

新メンバーが加入してから半年後…あたしは10ヶ月前に1度経験したダンス合宿に、再び参加していた。
合宿1日目のあの夜と同じように、ダンスの苦手なよっすぃーはレッスン終了後も1人だけ居残り練習中。
合宿1日目のあの夜と同じように、居残り練習中のよっすぃーをホテルの部屋で一人待っているあたし。

新メンバーが加入してから1ヶ月後、あたしたちを待っていたのは…紗耶香の卒業。
笑顔で見送ってあげようって決めてたけど、あたしにそんなコトができるはずもなくて。
最後まで笑ってた紗耶香とは対照的に、あたしは最後までずっと泣きっぱなしだった。
だけど無理して笑顔を作るよりも、そっちの方があたしらしくて良かったのかも知れないって…今はそう思える。


遅いなぁ…よっすぃー。
時刻は既に10時を回っている。
あたしは濡れた髪をタオルで押さえながら、窓の外に広がる夜景を見ていた。
今のままでも十分キレイなんだけど、部屋の電気を暗くしたら外の夜景が浮かび上がってもっとキレイに見えるはず。
でも今消しちゃったら、よっすぃーが帰ってきた時びっくりするだろうから…後でやろっと。

夜景を見ながらすっかり髪も乾いてしまった頃、ドアの開く音がして誰かが部屋に入ってきた。
「よっすぃー。おつかれ」
「おつかれさまです」
言いながら、よっすぃーはベッドの上に荷物を降ろす。

「シャワー、先使っちゃったよ?」
「はい。あたしも行ってこよっと」
そう言うとよっすぃーは、荷物の中から着替えを取り出すとバスルームへと消えていった。

そうだ、よっすぃーがいない間に電気消してみよう。
真っ暗な部屋から見る夜景って、キレーなんだよなぁ。
まだ入ったばっかで当分戻ってこないだろうし、戻ってきたらすぐ点ければいいんだしね。
あたしは部屋の入口まで行くと、ドア付近の電気だけは点けたまま他の灯りを全て消してみる。

うっわー…すっごい、キレー。
あたしの予想通り、真っ暗な部屋から見る夜景は本当にキレイで…ありきたりな表現だけど、『宝石を散りばめた』みたい。
そう言えばあの夜も、ココでこうやって夜景見てたっけ…。

2泊3日のダンス合宿。
ホテルの部屋はよっすぃーといっしょ。
一人居残り練習を続けるよっすぃーを、部屋で待つあたし。
お風呂あがりに窓から見る夜景。
すべてがあの夜と同じだった…ただひとつ、あたしとよっすぃーの関係を除いては。

よっすぃーは、あたしのどんなトコロを好きになったんだろう?
一体どうすれば、あたしたちは未来のあたしたちみたいになれるんだろう?
あたしがよっすぃーを意識すればするほど、彼女はどんどんあたしから遠ざかっていった。
加入当初からの度重なる誘いもことごとく断られ(オフの度に『遊園地行こ!』って誘ってみたものの全滅)、
その気まずさも手伝ってあたしたち2人は未だ、表面上は仲良くしていたものの何となく打ち解けられずにいた。

どうしてこんなコトになってしまったんだろう。
『未来を変えてはいけない』なんて、もっともらしい理由をこじつけて暴走してしまった、あの夜のあたし。
やっぱり、カラダから始めちゃったのが良くなかったのかなぁ。
いや、本当はわかってるんだ。問題はそんなコトじゃない。

上手くいかなかったのは、あたしが未来を先に知ってしまったから。
知ってしまった未来を守るために、急ぎすぎて自分を見失ってしまったあたし。
よっすぃーは、ヤグチらしい矢口だから…好きになってくれたんだよね。
そうでしょ、よっすぃー?
未来を知ってしまったあの時から、未来のあたしたちを意識したあの時から、あたしは…
よっすぃーが好きになってくれた矢口真里とは別の人間になっちゃってたんだ。
自分でも無意識のうちに。

『運命のヒト』だなんて、勝手に決め付けて一人で浮かれて…ホントにバカだ、あたし。
運命なんて、未来なんてどうにだって変えられるのに。
良い方にも、そしてもちろん、悪い方にだって…。

「矢口さん…?」
「えっ」
突然、後ろから声をかけられてはっと我に返る。
振り返ると、あたしの後ろにはよっすぃーが立っていた。

「あっ、ゴメン。電気つけるね」
ついつい夜景に見とれてて、よっすぃーが出てきたのに全く気付かなかった。
だけど、よっすぃーが入ってからまだそんなに経ってないのに…ずいぶん早かったなぁ。
てっきり、もっとゆっくり入ってくるのかと思ってたのに。

「いいですよ、このままで。外、見てたんですか?」
あたしの後ろで、濡れた髪をタオルで拭きながらよっすぃーが言う。

「うん。電気消したらさ、すっごいキレーなんだよね」
「ホント…ぜんぜん違いますよね、真っ暗だと。すごいキレイに見える」
パサッという音がして後ろに目をやると、よっすぃーが放り投げたタオルがベッドの上にポツンと乗っかっていた。

「でも早かったね、よっすぃー。もっとゆっくり入ってれば良かったのに」
あたしは再び視線を窓の外に戻すと、後ろに立つよっすぃーに背を向けたまま言った。

あたしの後ろから現れて、ベッドにタオルを放り投げるよっすぃー…10ヶ月前にあたしが見たのと同じ光景。
もしかしてもしかしてまさかとは思うけど、この後に起きる出来事もあの夜と同じだったりして…。

(『早く会いたかったから。……矢口さん』)
淡い期待を抱きつつ、あたしはよっすぃーの次の言葉を待った。

「コンビニ行きたかったから。矢口さん、何か食べたいモノとかあります?」
「………」

コレが現実ってやつ、か…そりゃそうだよねー。
考えてみたら、半年間まったく進展ないのにココでいきなり抱きつかれたりしたら…逆によっすぃーの
アタマの構造疑うっつーの。ははっ…ははははっ…。

「矢口さん?」
「えっ…ああ。あたしは、いいや」
「じゃあ、何かテキトーに買ってきますね」
「…うん。いってらっしゃい」

あたしに早く会いたくて、急いでシャワーを済ませて戻ってきた…記念すべきあの夜のよっすぃー。
そして、とにかくコンビニ行きたくて速攻で戻ってきた…今夜のよっすぃー。
こんなにも変わってしまった、あたしたち2人の未来。
自業自得って言われればそれまでだけど、この結末はあまりにもヒドイんじゃないかい?

「じゃ、ちょっといってきます」
よっすぃーは、ベッドに置かれた自分のバッグから財布を取り出すといそいそと部屋を出て行った。
風のように去っていく彼女から少し遅れて、勢いよく開けられて戻ってきたドアがゆっくりと閉まる。
その小さな音は静かな部屋とあたしの心に、重たく響いた。

ああっ、行かないで、よっすぃぃぃぃぃぃぃーーーーー……。

「矢口さん、ゆでたまご食べます?」
「…何か他のモンないの?」
「ありますよぉ、ヨーグルトとか」

30分ほどして部屋に戻ってきたよっすぃーは、テーブルの上にコンビニ袋を広げて楽しそう。
自分が買ってきたゆでたまごやらヨーグルトやらジュースやらを、次々と袋から取り出してあたしに見せる。
あーあ、せっかくの旅行(正確には合宿)なのに、こんなカンジで今日も明日も終わっちゃうのかなぁ…。

「あの…矢口さん」
突然、よっすぃーが手を止めてぽつりと言った。
「ん?」
イスに座っていたあたしは、側に立っているよっすぃーの顔を見上げる。
その表情はさっきの楽しそうなものから一変して、真剣そのもの…どうしたんだろ、いきなり。

「やっぱり、怒ってますよね?そのぉ…あたしが、いろいろ、断ったりしたコト。遊園地とか…せっかく
矢口さんが誘ってくれたのにあたし…」
少し下を向いて、しどろもどろになりながらよっすぃーが言った。

よっすぃー、ずっと気にしてたんだ…そりゃそうか、先輩のお誘い断っちゃったんだもんね。
あたしにとっては軽い気持ちでも(軽くもなかったけど)、よっすぃーにとってはすごく重荷だったんだ。
なんだか悪いコトしちゃったなー…ホント自分のコトしか考えてないサイテーなヤツだ、あたしは。

「怒ってないよ、っていうかあたしの方こそゴメンね。よっすぃーの気持ち、ぜんぜん考えてなくてさ。
あっ、もう誘ったりしないから…ホント、気にしないで。ね?」
あたしの言葉を信じていないのかよっすぃーは、俯いたままで何も言ってくれない。

「ゴメン…そんなに気にしてたんだ。あたし、ホントに何とも思ってないからさ、だから…」
「ちがっ…そうじゃなくて!!」
あたしの言葉を遮ったよっすぃーの強い口調に、あたしは驚いて彼女の顔をまじまじと見つめてしまった。

「ずっと言わなきゃって思ってて…あたし、何回も矢口さんに誘ってもらって、でもなんかそういうの
あんまり慣れてなかったから…。ホントはホントは…すっごいうれしかったのに、ずっとそれ言えなくて…」
「よっすぃー…?」
その言葉の意味が理解できなくて、あたしはイスに腰掛けたままでしばらく彼女の顔を見上げていた。

「矢口さんが最初にあたしのコト『よっすぃー』って呼んでくれて、そんでみんなもそうやって呼んでくれるように
なって…ダンスとか歌とか、わかんないコトいっぱい教えてくれて、いっつも優しくしてくれて…。
そういうの、すっごいうれしかったから…」

あれあれ?なになに、この展開は。
コレは…またしてもラッキー矢口、復活ってコトかよっ!?
…って、いかんいかん。
ココではしゃいじゃったら、半年前の二の舞だ…同じ失敗は繰り返すな、ヤグチ。

「だから…『もう誘ったりしない』とか言わないでください」
「いや、断られ続けたら言うでしょ。普通」
「だって…何か矢口さん、恐かったんですよぉ」
恐いって…そんなに必死だったかなぁ、あたし。

「じゃあさ…明日の朝、早起きして公園でも行っとく?とりあえず」
「はい!!」
今のあたしたちは、10ヶ月前にあたしが体験した未来のあたしたちとはずいぶん違っちゃったけど…
あの時のあたしたちも、はじまりはきっとこんなカンジだったんだろうなーって思った。

「そうだ!今日すっごいイイコトあったんですよ…誉められたんです、夏先生に」
あ…よっすぃー、またあの時と同じコト言ってる。

「吉澤がいちばん上手くなったって。まあ、最初がいちばんヘタだったから…やっとみんなに追いついたってカンジ
なんですけどね」
そう言ったよっすぃーのうれしそうな声も、あの時と同じ。

「そんなコトないよ。すっごいがんばってたもん、よっすぃー…全然ヘタなんかじゃないよ?」
本当に、心からそう思ってるよ…よっすぃー。
あたしはイスから立ち上がって、彼女の前に立つ。

「「誉めてください、矢口さん」」

ほらね、やっぱり。
よっすぃーは、変わらずにいてくれたんだ。

「え…?」
次の言葉を見事に言い当てたあたしを、よっすぃーはきょとんとした顔で見てる。
そうだった。このコは、あたしに誉められるのがイチバンうれしいって言ってたんだ。
自分らしさを見失ってた矢口にほんの少しだけ残ってた、ヤグチらしいトコ…よっすぃーは見つけてくれたんだね。

「すごい!!えらい!!よくやった、よっすぃー!!よしよし…」
あたしはよっすぃーに思いつく限りの賞賛の言葉を浴びせながら、少し背伸びして彼女のアタマをなでてあげる。

「よしよし、よすぃよすぃ、よっすぃーよっすぃー…なんちゃって。ははっ」
「あ…はははっ…ははっ」
あたしのくだらないダジャレに、顔をひきつらせながらもムリヤリ笑ってくれるよっすぃー。
あの夜みたく、素直に『つまんない』って言ってくれる日がきっと来ますように…神様におねがいして寝よう。

これから、ゆっくりゆっくり時間をかけてよっすぃーのコト、もっともっと知っていければいいな。
どうすればあの夜の2人みたくなれるのか、その方法だってきっと見つかるはず。
今はまだ、あの日のあたしたちとは程遠いけど…いつの日か、きっと。
そうだよね、よっすぃー?

「あーっ!!お店のヒト、塩入れ忘れてるよーっ!!なんだよもぅ…」
「………」

そしてあたしは、途方に暮れた。
このノーテンキヤローをどう教育すれば、あの夜のよっすぃーみたくなってくれるんだろうか。
やっべ。マジわかんねー………。


<おしまい>