泣きむし。

 

誰かが見てる前では、泣いちゃいけないとか思う。
誰だって泣いてる姿ヒトに見られるのなんて嫌に決まってるし、後輩メンバーだってみんな見てるワケだし。
なによりカメラが回ってる場所で泣くのは、そんな風に仕向けられて泣いてる自分がすごく、くやしいから。
寂しいとか悲しいとか辛いとかの感情は間違いなくあたしの中で生まれたモノなんだけど、ふと、
でもコレって誰のための涙なんだろうなんて考え出すと、頭ん中がぐちゃぐちゃになってきて始末に負えない。

だけど、それなのに。
オイラってばどうしてこんなに、泣き虫なんだろ。

「また泣いちゃったね、矢口」
顔を上げると、なっちが立ってた。
「んー。泣いちゃったね」
あたしは手を洗いながら、鏡越しに答える。
「アレはでもねー、しょうがないよ。なっちもちょっと、ヤバかったしね」
鏡の向こうで、なっちは苦笑い。
あたしは歌番組の収録を終え、トイレにて遭遇したなっちと雑談中ってワケ。

確かにアレは、ほとんど反則に近いモノがあった。
さっき終わったばっかの収録。
座りトークの見せ場は、卒業を控えた圭ちゃんがメンバー一人一人へ宛てたメッセージを読み上げるというモノ。
そりゃあタダでさえ涙もろいあたしのコトだし、トーゼン、こりゃ泣くなぁとゆー予感はあった。
そして案の定『矢口へ』とか言われた瞬間にはもう鼻の奥がツンとしちゃって、でもガマンしなきゃとか思って、
圭ちゃんが喋ってる間ぷるぷる震えながら必死にこらえた挙句……
抵抗むなしく、あたしはみんなが言うところの”パグのよーなカオ”で、ヒクヒクと泣いてしまったのだった。

「だってさぁ、泣いたほうが絵になんない? あーゆーときって」
わざとらしくニヤケ顔を作って、あたしは言った。
乾燥機の下で手をひらひらさせながら、鏡に映るなっちの表情を窺う。
「えっ…」
あの場でのアレがウソ泣きだと思ったんだろう、なっちはすごく不安そうなカオであたしのコト見てる。
「う・そー。んなコト思ってないよ」
「……ばか」
なっちは少し怒ったみたいだった。鏡越しの上目遣いが、冗談でもそんなコト言わないでよ、って訴えてる。
「でもさ」
「なに?」
「やっぱなんでもない」
あたしは言いかけて、止めた。なっちは不満そうなカオで、「なんだそりゃあ」とか言ってる。

でもさ、なっち。
うちらにそのつもりはなくても結果的にあたしは、自分の涙でさえも、売りモノにしてるんだよね――。

――

矢口真里がこの世に誕生してからハタチの今日まで、流した涙をぜんぶ集めたら、東京ドーム何コぶんになるだろうか?
5月5日の前日、つまりは5月4日、もっとつまりは圭ちゃん卒業の前夜、電話で彼女とそんなハナシになった。

『どゆこと、それ? どやって数えんの? ドームの中に詰めるんかい』
あたしの単なる思いつきを、必要以上に追求してくる保田サン。
やれやれ、圭ちゃんらしいなぁ…思いつきで下んない発言しちゃったコトを後悔しつつ、あたしは苦笑い。
「まぁ詰めたとして。何杯分ぐらいになるかなぁ…ってゆーか、単なるたとえなんだから深くツッコまないでくれる?」
『例えだからこそ分かり易くなきゃ意味ないでしょうが』
「だって、たとえって言やあ東京ドームじゃん。何を表すにしてもさ」
『そりゃあ、広さを表すときにはそうだろうけどもさ』
「じゃあ他に何があるよ? 言ってみ?」
圭ちゃんがあまりにしつこいのであたしもつい、ムキになってしまう。

彼女とは長い付き合いの中で一度もケンカしたことの無い間柄だけど、こういった些細な口論はしょっちゅう。
ただあまりに些細すぎてケンカに発展する前に終結するというのが、お決まりのパターン。

『そうねえ…プールとか』
「ああ、プールねぇ」
50mプール2000杯ぶん、とかに換算するワケね、なるほど……思わず、納得してしまった。
「ってゆーかさ、んなこたぁどーでも良いんだよ」
あたしは強引に話題を転換。
そもそも、こんなしょーもないハナシするために電話したワケじゃないんだから。
『なによ?』
「ほら、明日最後だから、圭ちゃん」
ゴーインに話題転換したわりに、いざとなると口籠もってしまう。
話したいコトはたくさんあるんだけど、なんだか照れくさいしそれに、話し始めるとまた泣いちゃいそうだし。
『最後ったって、会えなくなるワケじゃあるまいし』
あたしが黙ると、圭ちゃんは冗談っぽく言った。
「そう、だけどさ」
『でも、ありがとね』
その一言で、あたしの涙腺は早くも緩み始めた。
「…うん」
少し上ずった声になる。圭ちゃんに気付かれてないと良いけど…。

『でもホントいろんなことあったよね』
あたしの涙腺が早くも緩み始めたコトに気付いていないのか、圭ちゃんは追い討ちを掛けるように言った。
「うん、あったね」
ヤバイ、鼻がヒクヒクしてきたっ…!
あえて鏡は見ないけど今のあたしはきっとあの、みんなが言うところの”パグのよーなカオ”になっているに違いない。
泣いちゃダメ! そうだ、ワケのわかんないコト言って気を紛らすんだ、ヤグチ。
ココであたしが泣いたりして、卒業前夜の圭ちゃんをもらい泣きさせるワケにはいかない。
だって明日の朝、目が腫れちゃうし…やっぱり今泣くワケには、かつ泣かせるワケにはいかないのであった。

「なんかぁ、すっごいデコボコしてて、雨とか雪でグチャグチャんなった山道をママチャリですっとばしてるカンジ?」
『なんだそれ。大変でした、ってこと?』
「まぁそんなトコ」
今夜はきっとすごく緊張してるだろう圭ちゃんを、「明日は頑張ろう」とかなんとか励ましたくて電話したのに、
『デコボコでもグチャグチャでも、うちらには道があるだけずっと良いんだよ』
ポジなんだかネガなんだかよくわかんないコトバで、逆に慰められてしまった。

『でも、アタシも矢口じゃないけど、明日はいっぱい泣くんだろうな』
「泣くでしょー。オイラなんてそれこそ、プール何コぶんの世界だね」
『泣かないつもりではいるけどさ、たぶんダメだね』
「ダメだねー、泣くね」
すっかり涙も引っ込んで油断していたあたしが半笑いで言うと、
『けど、悲しいからじゃないよ』
圭ちゃんの、それまでよりも少し、真剣な声。

「どう、違うんだよ」
『単に気持ちのモンダイだけどね』
「ふーん」
そっけない返事をしたのは、これ以上喋ると今度こそ本当に泣いてしまいそうだったから。
結局、その夜のあたしは、彼女に何一つ気の利いたコトも言えずじまいだった。

センターでみんなに囲まれる圭ちゃん。泣きじゃくるちびっこメンバーたち。そしてちびっこみたく泣きじゃくってる、ヤグチ。
あたしにとって、明日のステージを想像するのはそんなに難しいコトじゃなかった。
だけどあさってからの、圭ちゃんがいない景色を思い浮かべるコトは、どんなに頑張ったってあたしには到底ムリだ。

「ふぅっ…」
電話を切った直後だった。
鼻の奥がツンとして、目が熱くなって、肺のあたりから何かが込み上げてくる、あのカンジ。
ヤグチの中の、ナキムシという名の虫が胸の奥からゾロリゾロリと這い上がってくる、いつものあのカンジ。

「ダメだって」
ガマンしようとすればするほど、息苦しくて、胸が、ぎゅうって締め付けられるみたいに痛くて。
「もぅ、ダメだって」
ヤグチの中のやっかいな虫が、また暴れ始める。あたしはベッドに倒れ込むと、枕にカオを埋めた。

「…っ、っ、っ、っ」
誰が悪いワケじゃないって、解ってるつもり。

圭ちゃんにも、それからヤグチにも。
デコボコだってグチャグチャだって、うちらには進むべき道があるだけ幸せと言えるんだろう、たぶん。
ただ、信じたいよ、圭ちゃん。
その道は、ちゃんと前に向かって延びているはずだって。

明日なんか、一生来なければいいのに。

――

ベッドに入ると、ウソみたいに素早く、朝がやってきて。
家を出ると、ウソみたくあっという間に、一日が終わって。
昨夜の予想どおり圭ちゃんもあたしもたくさん、それこそ『ドーム何コぶん?』ってゆーぐらい、たくさん泣いた。
ホントにホントにたくさん泣いたけど、でも……

(『悲しいからじゃないよ』)

つまんない強がりかもしれないけど、圭ちゃんが言ったみたいに、今日からあたしは。
どんなに寂しくて泣いてもどんなに辛くて泣いても、カナシイ涙だけは流さないって、決めたんだ。

圭ちゃんのいない控え室。圭ちゃんのいないステージ。圭ちゃんのいない、モーニング娘。
どれもまだぜんぜん想像できなくて、それでも無理に思い浮かべようとすると途端に例のムシが現れて、やっぱりまた泣いてしまった。
そしてベッドに寝転んでグスグスしながら突然、圭ちゃんにメールしようと思い立った。

「…っ、ずっ、っぐ」
鼻がヒクヒクしている。
あえて鏡は見ないけど今のあたしはきっと例の、みんなが言うところの”パグのよーなカオ”になっているに違いない。

「うりゃ」
ピッ、と送信ボタンを押す、パグこと矢口真里。
パグチ真里、なんつって、とか言ったらカオリあたり笑ってくれるかもしれない。
『まりっぺ、つまんなぁーい』とか言いながらさらにつまんないダジャレを返してくる梨華ちゃんの姿が目に浮かんだ。

ありがとうだったりおつかれさまだったり、伝えたいコトバはたくさんあったけれどとりあえず、あたしは。

  ”これからもよろしくね。まりっぺ。”

もう少しだけ信じて、強がってみようと思う。
圭ちゃんもあたしも、デコボコだってグチャグチャだって走り続けてさえいれば、きっとどこかへたどり着けるはずだって。


<おわり>