知りたい!君のすべて!!

 

<一日目>

あーあ、あっついなぁー……。
世間の高校生たちは今ごろ、楽しい夏休みを過ごしてるんだろーなぁ……。
最高に暗い気持ちで校門をくぐる。

出席日数の不足を補うため、今日から5日間の補習授業に参加する羽目になってしまったあたし。
毎日多忙なあたしたちのコト、もちろんその間も仕事と掛け持ちでやらなきゃいけない。
夏休み最後の一週間だっていうのに…照りつける日差しが、ますます気持ちを滅入らせる。
玄関で上履きに履き替えて、階段を上る。

希望者を募っての補習授業(あたしだけ強制参加)、どうせ誰も来てないんだろうなぁ…。
せっかくの夏休み、しかも残り一週間しかないっていうこの時期に…誰が好き好んで補習なんて。
深いタメ息とともに、教室のドアを開ける。

そしてドアを開けた瞬間、教室を埋め尽くした生徒たちが一斉にあたしを見る。
無人の教室を想像していたあたしは、驚きでその場に立ち尽くしてしまった。

「なにやってんだ。早く入れ」
すぐ後ろから聞こえた声に振り返る。

「吉澤…?お前も…参加希望?」
声の主は、あたしの担任の先生。
ドアの前に突っ立ってるあたしを、先生は不思議そうな顔で見ている。

「いや、希望って…」
なに言ってんだろ、このヒト…先生が受けろっていうから、この暑い中出てきたんじゃないか。
(『出ないとお前…どうなっても知らんぞ?』)
終業式の日の、悪魔のような彼の一言を思い出す。

「まあ、いいから入れ」
先生に急かされて、教室の中へ入る。

教室は、あたしの予想に反してほとんどの席が人で埋まっている。
それも不思議なコトに、座っているのは…あたし以外、すべて男子生徒。
みんな真面目だなぁ…それともココにいるコたちみんな、あたしと同じように半強制的に連行されてきたんだろうか。
とまどいつつもあたしは、唯一空いていた窓際の最前列の席に着いた。

「テキスト配るぞ」
そう言って、最前列に座るあたしの前に小冊子を抱えた先生が歩いてくる。
テキストの束を受け取りながら、あたしの胸に一つの疑問が浮かんだ。

「今日って…理科、ですよね?」
夏休み前にもらったプリントによると、今日の授業は物理のはず。
しかし、あたしの目の前にいる先生の担当は数学。
予定変わったのかな…数学の教科書持ってきてないのに、どうしよう。

「そうだよ」
すると先生は、あたしの質問をあっさり肯定。
この先生、数学以外も教えるんだ…知らなかった。
予定に変更がなかったコトに、とりあえずホッと胸をなでおろす。

「おーし、じゃあ始めるぞ。初日だからな、とりあえずプロフィールからいっとくか」
「え…?」
プロフィール??
学校の授業で聞くにはあまりに耳慣れない言葉に、一瞬自分の耳を疑った。

「まず、生年月日は…吉澤、言ってみろ」
「へっ?」
いきなり質問されて、あたしはマヌケな声で反応してしまう。
黒板にはチョークで『生年月日:』の文字。

「えーっと…1985年4月12日です」
ワケがわからなかったが、あたしは座ったままでとりあえず先生の質問に答えてみる。
「はあ?誰のだよ、それ」
あたしが答えると、先生はこっちを見て少し不機嫌そうに言った。

「あたしの…ですけど」
だって、いきなり『生年月日は』なんて聞くから…あの聞き方じゃ、普通は自分のを聞かれてると思うと思うんだけど。

「もういい。お前ならすぐわかると思ったのに…」
「ハイ!!」
少しがっかりした様子で先生が黒板に向かおうとした瞬間、教卓の正面に座っていた男子が元気良く右手を挙げた。

「1985年1月19日です!!」
手を挙げた彼は、先生が当てるのを待たずにこれまた元気良く答える。
「そう、正解」
先生はその答えに満足げに頷いて黒板に向かうと、既にあった『生年月日:』の後に『1985年1月19日』の文字を書き足した。

『生年月日:1985年1月19日』
誰の…生年月日?

「じゃあ、血液型は…吉澤」
「え…?」
また?何であたしばっか集中して当てるかなぁ、このヒトは。
黒板には白字で『血液型:』の文字。

「O型です」
ワケがわからんので、とりあえず自分の血液型を答えてみる。
「誰のなんだよ、それは」
そして一層不機嫌になる、先生の声。

「あたしのです」
先生が誰のコトを質問しているのか見当もつかないあたしは、不機嫌そうな彼に開き直ってそう答えるしかなかった。

「もういい。何でわかんないんだ、お前…」
「ハイ!!」
かなり落胆した様子で先生が再び黒板に向かおうとした瞬間、教卓ド真ん前の彼がまたもや元気良く手を挙げる。

「A型です!!」
そして、満面の笑みを浮かべてさっきよりもさらに元気良く答える彼。
「そう、正解」
満足げに頷いて黒板に向かい、『血液型:』に続けて『A型』と書き足す先生。

『血液型:A型』
誰の…血液型?歴史上の人物だろうか…。

「それじゃあ、出身地は…吉澤」
「はあ?」
何でそこまであたしにこだわる?これ以上あたしに何を期待する?
生年月日、血液型に続いて…三行目には『出身地:』の文字。

「埼玉、です!!」
先生の質問攻めにカチンときたあたしは、強い口調で先生の問いに答える。
「だから誰のなんだ、それは。いい加減にしろ」
不機嫌を通り越してキレつつある先生の声に、あたしの疑念は深まるばかり…一体、誰のコトを言ってるんだろうか。

「あたしのです!!」
完全に開き直ったあたしは、機嫌の悪そうな彼の目を見てきっぱりと答える。

「もういい。お前には聞かん」
「ハイ!!」
くるりと背中を向けて黒板に向かう先生と、例によって元気良く手を挙げる教卓正面の彼。

「神奈川県です!!」
イスから立ち上がって発言した彼の顔は、自信に満ち溢れていた。
「はい、正解」
見事正解した彼にそう答えながら、先生はちらりとあたしを一瞥。
答えられなかったあたしに、責めるような視線を送ってくる。
なんなの、一体…?

『出身地:神奈川県』
誰の…出身地?さっぱりわかんないんだけど…。

『生年月日:1985年1月19日』
『血液型:A型』
『出身地:神奈川県』

黒板に書かれた謎の人物のプロフィール。
一体誰のモノなのだろうか、っていうか物理の授業と何の関係があるのだろうか。

…ん?あれ?えっ?うそっ!?
ちょっと待って、コレどこかで…。

「じゃあ最後のチャンスだぞ、フルネーム言ってみろ…吉澤」
半分あきらめたような先生の問いかけに、あたしは半信半疑ながらも口を開く。

「…石川、梨華」
先生に対して応えるというより、ほとんど独り言のように小さな声でそう呟いた。

「はい、正解。よくできました」
茶化すような口調でそう言うと、先生はプロフィールの一番上に大きく『石川梨華』の文字を刻む。

普段めったに正解を導き出すことのないあたしだけに、コレはうれしい出来事なはずなんだけど…
喜んでいいモノなのかどうなのか、いや喜ぶ前に驚いた方がいいんじゃないだろうか、そんな気がする。

マジでコレ…何の授業?

夏休み前に知らされていた予定表によると、今日の授業は物理のはず。
あたしだってそのつもりで、物理の教科書とノートを持参して今日の補習に参加したんだから。
それに、さっきもらったテキストだって…。

あたしはハッとして、開始早々に配られたまま無造作に机の上に置かれている補習用テキストに目をやる。
そして裏返しになっていたそれを、表が見えるようにひっくり返した。

『梨華T』

まばたきを繰り返しながら、何度も何度も確認するも…表紙に踊っていた文字は間違いなく、『梨華』。
物理でもなければ生物でもない、『梨華』の文字。
えーっと、コレはどういうコトなのかなー…ちょっと考えてみようかなぁ。

物理、理科、りか……梨華。
ははっ…

「ははははは」
そっかぁ、コレは…理科(物理)の授業じゃなく、梨華の授業なんだ。
それでさっきから先生は、梨華ちゃんに関する問題ばかりを出題してたってワケか。
それでさっきから先生は、同じグループのメンバーであるあたしばかりに集中して当ててたってワケか。

なるほどー、納得……できるか!!

なんなの、なんなの!?『梨華T』って!!
っていうか、『T』って!?『U』とか『V』とかもあるってコト!?
授業ってコトは…なんだろー、文部省とか、そーゆートコで正式に認められた教科だったりする!?
いや、そんなはずはない!!
でも、事実あたしの目の前で『梨華』の授業は行われているワケで…ああああ、もーっ、ワケがわからん!!

「どうした、吉澤…具合でも悪いのか?」
突然笑い出したあたしを見て、先生が心配そうに聞いてくる。
気が付けばあたしは、教室にいる全員の視線を一斉に浴びていた。

冗談じゃない…具合が悪いのはあたしじゃない、あんたらの方でしょ?
なに普通に『梨華T』の授業とか受けてんのよ…ちょっとは疑問抱けよ。

「帰ります」
なんだってこんな変な世界に迷い込んじゃったんだろ…。
きっと、連日のハードスケジュールで疲れてるせいだな…そういうコトにしとこう。
家に帰ってゆっくり眠れば…こんなアホな幻も、きっと消えてなくなっているはず。

「そうか。ゆっくり休めよ」
「はい」
心配そうな先生の視線と、男子たちの好奇の視線を浴びながら、あたしはカバンを出して帰り支度。

「逃げるんだろ?わかんないから」
『梨華T』のテキストをカバンに収めようとした瞬間、斜め後ろから聞こえた声に振り返る。

「なにそれ…どういう意味?」
その挑戦的な発言にカチンときたあたしは、帰り支度の手を止めて斜め後ろに座る彼に切り返した。

「あんな問題も答えらんなくてさ…ホントは仲悪いんじゃねーの?」
ちょっと、なにコイツ!?
見かけない顔だから、同じクラスのコじゃないと思うんだけど…入学して4ヶ月、こんなヤツが同じ学年にいたなんて!!
「そんなコトっ…ないもん!!」
ヤツの挑発に乗っかって、あたしは思わず声を荒げてしまった。

「じゃあ、何で逃げんだよ!!」
あたしの大声に弾かれたように、イスから勢い良く立ち上がる彼。
「逃げてない!!」
そしてそれに負けじと、あたしも立ち上がった。

「コラ!止めろ、山崎」
「………」
先生に止められて…ヤツ、ヤマザキと呼ばれた生徒は渋々席に着く。

『…先生、お客様がお見えです。至急、職員室にお戻りください』
教室内に気まずい空気が流れる中、タイミングよく割り込んできた校内放送の声。
「あっ!?そうだ、忘れてた!!悪い、今日はここまでにしよう」
言いながら教卓に置かれた資料類を片付けると、先生はさっさと教室から出て行ってしまった。

「取り消してよ」
あたしは、カバンを持って出て行こうとする彼の前に立ちはだかって進路を塞ぐ。
「あ?」
さっき先生に怒られたせいか、帰ろうとする彼はかなり不機嫌そう。

「さっきの…仲悪い、っての」
同じ学校の生徒とはいえ、はじめて会ったヤツにあんなコト言われて…あたしは相当アタマにきていた。
あたしは、自分よりも少し背の高い彼をキッと睨み付ける。

「何でだよ。あんな問題もわかんなくて…」
「違うよ!!アレは油断してただけだもん!!あたしは、あたしは…」
暴言を撤回しようとしない彼にまたもやカチンときたあたしは、目の前の彼に向かって大声で反論する。
教室中の生徒が、あたしたち二人のやりとりを見守っていた。

「はいはい、わかったわかった。どうもすいませんでしたぁー」
「なっ!?」
うおおーっ!!ちっくしょぉぉーーーっっ!!!やぁぁーまざきぃぃぃぃーーーーーっっ!!!

「あたしはっ…梨華ちゃんのコトなら何だって知ってるんだからね!!!」
怒りがついに頂点に達したあたしは…みんなの前で、とんでもない大ウソをブチかましてしまっていた。

「なにぃ…!!」
そしてそんなウソを鵜呑みにしたヤマザキは、あたしの目の前で悔しそうにこぶしを握り締めている。
見えない火花を散らしながら、向かい合ってお互いをじっと見据えるあたしたち。

負けるもんか…あたしと梨華ちゃんは、一年以上もずっと一緒にいるんだ。
一年以上も一緒にいるのに、あんまり梨華ちゃんのコトちゃんと知らないけど…コイツにだけは絶対負けたくない!!

一体、なぜこんなワケのわかんない世界に突然迷い込んでしまったのか…それはわからない。
いや、今はそんなコトどうだっていい。誰が何と言おうと、そんなコトはどうだっていい!!

『嘘も方便』、矢口さんに教わったことわざを思い出す。
今のこの状況では、あんな嘘が必要だった…あたしのプライドを守るために。
もう後には引けない、あたしの戦いは始まってしまったんだ。

あたしは、決意した。
こうなったら、いっぱい勉強して…学年イチの『梨華ちゃんハカセ』になってやろーじゃんかっ!!!

「「くっ……!!」」
教室の大観衆が見守る中、こぶしを震わす彼と睨み合いつつ…あたしの、補習第一日目は終了した。

 

<二日目>

 

「えっと、3位がくつ下で、2位がマフラー…で、1位がマスク。ぷっ…くくくっ」
梨華ちゃんの『寝るときにないと困るモノ』ランキング、上位3つ。
そのすべてを完全装着して眠る梨華ちゃんの姿を想像して、思わず笑ってしまった。
冬になるとそんなに寒いのかなぁ、梨華ちゃん家って…。うっそぉ、極寒の地ってやつ?
くくっ、やばい、ツボ入った…!!

「なにやってんの、よっすぃー。勉強?」
向かいの席でお菓子を食べていた矢口さんに広げたノートを覗き込まれそうになって、慌ててページを手で覆い隠す。
「あっ!?は、はい!!全然、やってなくて…宿題」
言いながらあたしは、ひざの上で広げていた雑誌を気付かれないようにそっと閉じた。

「やっぱエライねー、よっすぃーは。おい、加護・辻。あんたらもちょっとは見習いなさいよねー」
「「はーい!!」」
「もー、返事だけは良いんだから…」
タメ息まじりに、矢口さんが言った。

夏休みも終わろうとしているのに遊んでばかりいる加護&辻の姿を嘆く矢口さんは、もちろん知らない。
あたしがやっているコトは、決して2人に見習わせて良いような行為ではないコトを。
なぜなら、あたしが夏休み返上で勉強しているモノは…『理科』ではなく、『梨華』なのだから。

昨日は家に帰ってから、ひたすら過去の雑誌やら写真集やら…とにかく梨華ちゃんに関する情報を得られそうなモノを
引っ張り出してきて、夜中まで調べまくった。
そのせいで今日は寝不足でかなりツライんだけど、それもこれも補習でみんなに良いトコ見せるためだ…やるしかない!!

って意気込んだのは良いんだけど、今日は朝っぱらから昼過ぎまでお仕事。
それが終わったら急いで学校行くつもりなんだけど、その間もみんな、つまりあたしのライバル達は朝からみっちり
授業を受けているワケで…基礎知識で既に遅れをとっているあたしは、さらに置いてかれそうで不安でしょうがない。
あたしは少しでも遅れを取り戻そうと、休憩時間中もこうして持参した資料(雑誌)で勉強してるってワケ。

「よっすぃー」
取材を終えた梨華ちゃん(特技:Y字バランス)が、楽屋に戻ってくるなりあたしの所へやってきた。
「あ、梨華ちゃん。おかえりー」
あたしが声をかけると、梨華ちゃんはにっこりと微笑んであたしの隣のイスに腰を下ろす。
身長155cmの梨華ちゃんだけど、座高はどれくらいあるんだろう…今度、こっそり測ってみよう。

「よっすぃーは?もう終わったの?」
「うん。終わった」
彼女よりも先に取材を終えていたあたしは、とにかく時間が惜しくてさっきから暇を見つけては勉強してたんだけど…
梨華ちゃんはあたしの隣でお菓子なんか食べ始めちゃって、すっかり居ついてしまっている。
困ったなぁ…これじゃ、予習できないよぉ。

と、そこまで考えてふと気付く…そうだ、一番良い教材が目の前にあったんだ。

学習対象である梨華ちゃんが目の前にいるのに、雑誌なんかで勉強しててどーすんだ、あたしは。
このチャンスを逃す手はない、あたしにしか入手できない貴重な梨華ちゃん情報を収集しなきゃ!!
そうすれば、授業で目立てる!!みんなより1歩リードできるよ、やったね!!

「あのさぁ…ちょっと聞いてもいいかな?」
「なに?いきなり」
テーブルの上のペットボトルに手を伸ばしかけていた梨華ちゃんは、あたしの問いかけにその手を止めてこっちを見る。

「梨華ちゃんのさぁ、好きなモノってなに?」
「えっ?好きなモノ?えーっ、そうだなー…」
言うなり、梨華ちゃんはテーブルに頬杖ついて考え込んでしまった。

「…よっすぃー、とか言って」
梨華ちゃんはしばらく考えた後、隣にいるあたしにだけ聞こえるぐらいの小さな声でそう言った。
そして両手をひざの上で組むと、照れくさそうに目を伏せた。

「はあ?違うよ、そういうコトじゃなくて。食べ物とかさ」
もー、こっちは遊びでやってるワケじゃないんだから…ちゃんと真面目に答えてほしいよ。

「なに怒ってるの?」
彼女の答えにあたしが苛立っているのを感じたのか、梨華ちゃんが上目遣いで聞いてくる。

「…べつに、怒ってないけど」
こっちは真面目に質問してるのに、梨華ちゃんが意味不明なコト言うからじゃんか。
ったく誰のために必死で勉強してると思ってんだよぉ…。
って言っても、梨華ちゃんはそんなあたしの事情を知らないんだから無理もない、か…。

「食べ物だったら、やっぱり甘い物かな…ケーキとか」
「ああ…だよね」
しまった、コレは既にリサーチ済みの情報だった。
そもそも『好きな食べ物』なんて、雑誌とかで普通に調べれば載ってんじゃん…なに聞いてんだろ、あたし。
もっと、もっとあたしにしか得るコトのできない貴重な情報を…あー、でもいざとなると何も思いつかないなぁ。

「よっすぃー…?」
「そうだ!ねぇ、今日何時に起きた?」
自分の思いつきに、質問する声も自然と明るくなる。
コレは梨華ちゃんの側にいるあたしにしか知り得ない、まさに彼女の『最新情報』…アタマ良いなぁ、あたし。

「え…6時、だけど」
「6時ね」
唐突な質問に戸惑いつつも返してくれた彼女の答えを、あたしは素早くノートにメモる。

「…ねぇ、なに書いてるの?」
「何でもない、何でもない…じゃあ、起きてから何した?最初に」
訝しがる梨華ちゃんの問いかけを軽く流して、あたしはさらに次の質問へ。
なんだか楽しいなぁ、こういうの…雑誌記者のヒトにでもなった気分。

「えっと…顔、洗ったかな」
「洗顔ね」
2つ目の答えを、あたしは素早く『梨華ちゃんノート』に記録。

「ねぇ、何なの?なに書いてるの?」
「何分?何分ぐらいかけた?顔洗うのに。ねぇ」
「何分って…わかんないよぉ、そんなの。ねぇ、何なの?さっきから」
「わかんない、と…」
もーダメじゃん、それぐらいちゃんと測っとかなきゃ。
3つ目の質問に対する答えは…『わかんない』(と、梨華ちゃんノートにメモ)。

「じゃあさ、テニスとY字バランス、どっちが得意?」
「よっすぃー…」
「鳥、嫌いなんだよね。ひよこも?ひよこもダメ?」
「ねぇ、よっすぃー…」
「ひよこはOKなの?ねぇ、どっち?でもさ、ひよこは大っきくなったらニワトリになるよね」
「よっすぃーってば」
「だからさ、ひよこは…あっ!?」
質問の途中で梨華ちゃんにノートを取り上げられそうになって、あたしは慌ててそれを手で押さえる。

「なんで隠すの?変なのー」
「べつに隠してないよ…宿題だって、宿題」
「ふーん…」
怪しいヒトでも見るかのような目つきであたしを見ている梨華ちゃん(行ってみたい国は、『もちろんアメリカ』。
なぜ『もちろん』なのかは不明)、テーブルの上のクッキーを頬張る…午前10時34分。

その後もあたしは…楽屋での梨華ちゃんのあらゆる言動を(怪しまれるので)影からこっそりチェック、
ひとみ特製の『梨華ちゃんノート』は、そのページをどんどん埋めていくのであった。

―――

「へぇー、逃げずにちゃんと来たんだ。えらいえらい」
教室に入って席に着くなり、あたしの斜め後ろのヤツ…ヤマザキの挑発的な一言。
先生に聞こえないように、小声で話し掛けてくる。

「うるさい、バカ」
あたしは、ヤツの方を振り返ることもなく(もちろん小声で)言ってやった。
「なっ…!」
ご自慢のイヤミをあっさり斬り捨てられてくやしがるヤツの声が、すぐ後ろから聞こえる。

今日はお昼過ぎに終わるはずだった仕事が予定以上に長引いてしまい、終わってすぐに登校したものの
校門をくぐったのはもう午後3時。
あと1時間足らずで授業が終わってしまう…あーあ、せっかく来たのに。

「えー、そして2000年の6月4日、めでたくタンポポの一員になるワケだが…」
カバンからノートと筆記用具を出しながら、先生の話に耳を傾ける。
黒板には年表のようなものが書かれていて、年月日の部分が虫食い状態で空けてある。

「吉澤」
「はい」
ノートを広げて下敷きを挟もうとしたところでいきなり先生に名前を呼ばれて、あたしは顔を上げた。
なんだろう…また、質問されるのかなぁ。

「お前もちゃんと手を挙げて答えろよ。今日からは優先して当てたりしないからな」
「…はい」
チッ…今日からは早押しか。梨華ちゃんフリークの男子たちに混じって…自信ないなぁ。

でも、ご安心あれ。
あたしには、あたしにしか調べられないような秘密の梨華ちゃん情報がたくさんあるんだから…。
少しくらい、答えるのが遅くたってそんなコトは全然大した問題じゃないモンね。
だって、答えはあたしにしかわからないんだから…。

「それじゃあ、タンポポに入って最初のイベントはどこで行われたか」
知らないよ、そんなの…。
先生の質問が終わるか終わらないかの内に、数人の生徒が一斉に手を挙げた。
ま、このテの問題はあなたたちに任せるわ…。
考えたところで分かるような問題でもないのであっさり諦め、あたしは黒板の内容をノートに写す作業に取り掛かった。

「横浜」
後ろから聞こえる勝ち誇ったような憎たらしい声に一瞬、手が止まる。

「なんでも知ってるんじゃなかったのかなー」
ボキッ、という鈍い音がしてハッと我に返る。
見るとノートの上には、無残に折られた芯の欠片が転がっている。
小声ながらしっかり耳に飛び込んできたヤツの嫌味に反応して、シャーペン持つ手に力が入り過ぎてしまった。
耐えろ、耐えるんだ、ひとみ…まだまだ、あたしには秘密の梨華ちゃん情報があるんだから。

「日付も言っちゃっていいっすか?」
動揺するあたしの様子に満足げのヤマザキがさらに言葉を続ける…調子ノリやがってぇー、コイツ!!
先生お願い、『ダメ』って言って!!

「いいぞ、言ってみろ」
バカ…ダメ教師!!
「2000年7月8日」
誇らしげなその声に、シャーペンを持つ手が震える…くぅーっ、くやしいぃぃぃぃ!!

しかし、その後の質問も過去のデータ系の問題ばかりであたしの出番は全くないまま…二日目の授業も終わろうとしていた。
何だってこんな問題ばっかり…このままじゃ、あたしが今日楽屋で学んできたコトが全く活かせないまま終わってしまう。

「先生!」
終業10分前、たまらずあたしは立ち上がって抗議。
「ん?どうした、吉澤」
黒板に向かっていた先生が、あたしの方へ振り返る。

「何でそんな問題ばっか出すんですか!?もっとプライベートなコトとか聞いてくださいよ!!」
あたしの一言で、それまでザワついていた教室が一瞬にして静かになる。
こんな瞬間を、飯田さんならきっとこう言うだろう…『今、神様が通ったよ』。

「そんなの、オレにわかるワケないだろ」
「…あっ」
静寂を打ち破る先生の一言に、あたしはハッとする。

そっか…確かに、先生の言う通りだ。
あたしにしかわかんないような情報集めたところで、この教室でそんな問題が出題されるワケがない。
しまったぁ…勉強するトコ間違えてた。

「なんだよ、プライベートって!?」
「なになに!?お前、どんな情報握ってんだよ!?おい、教えろよ!!」
ケーキにたかるアリのように群がってくる男子たちを軽く無視して、窓の外に広がる空を仰ぎ見る…もうすぐ夕暮れだなぁ。

ゴメンね、梨華ちゃん…今日は、ぜんぜんダメだったよ。
そしてあたしは、黒板の横に誰かが貼った彼女のポスターに誓う…明日は、明日こそは必ず!!!

決意も新たに、二日目終了。

 

<三日目>

 

「ハイ!!」
「吉澤」
誰よりも早く手を挙げたあたしは、先生に指名されてイスから立ち上がる。

「パンチ犬です。ボールとか、丸いモノに寄っていく習性があるみたいです」
「おお、正解。すごいな、どうしたんだ?」
「へへっ…」
先生に誉められて、照れ笑いを浮かべつつ着席する。
なんだか、すごくアタマの良いコになったみたいな気分…やっぱ良いなぁ、こういうの。

昨日の失敗を反省して、帰るなり『梨華T』の勉強に没頭したあたしの学習範囲は…梨華ちゃんに関する知識はもちろん、
彼女が凝っているアフロ犬の情報にまで及んでいた。
まさかとは思ったけど、やっぱり勉強しといて良かったなぁ…見事ヤマが当たって、今日のあたしは絶好調!!

ちらりと後ろの彼、ヤマザキの表情を伺うと…どうやら今日の彼は完全にヤマを外したご様子。
俯いてくやしそうに、こぶしを握り締めて震えている。

「みんな、かなり良くなってきたなぁ。最終日はテストやるから、しっかりがんばるようにな。それじゃ、今日はここまで」
満足げにそう言って、教室を出て行く先生…本日の授業、これにて終了。

「んじゃねー、おつかれ」
「おう、おつかれっすー」
隣の席のコに別れのあいさつを残し、あたしはさっさと教室を後にした。

あたしが急いで帰ろうとしているのには、ちゃんと理由があった。
先生の都合とかで本日の授業は午前中のみ、しかも今日はめずらしく仕事の方もオフ。
今日はこれから、梨華ちゃんがウチに遊びに来るコトになっているのだ。

今日は梨華ちゃんにどんなコトを聞こうかなぁ…。
あんまりプライベートなコト聞いても、授業の役には立たないし…うーん。
下校時間とはいえ夏休み中で空いている駅の改札を抜け、梨華ちゃんとの待ち合わせ場所へ向かう電車に乗り込む。

あー、ホントなに聞こう…好きな食べ物、好きな色、趣味、特技。
考えても頭に浮かんでくるのは、どれも既に調査済みの情報ばかり。
テレビや雑誌から手に入るようなコトは、もう全部勉強しちゃったもんなぁ…。
ふと腕時計を見ると、待ち合わせの時間まであと10分…梨華ちゃん、もう来ちゃってるかも知れない。

駅前の広場でひとり待つ梨華ちゃんの姿を想像したりしながら、ふと気付く。
補習が始まってからの3日間、あたしは…一日中、梨華ちゃんのコトばかり考えてる。
今までこんなコトなかったのに、彼女のコト何にも知らなかったくせに…変なの。
だけど5日間の補習授業が終わったら、こんなコトもなくなるんだろう…きっと。


―――

「おじゃましまーす」
ドアを開けたあたしに続いて、梨華ちゃんも部屋の中に入る。

「梨華ちゃん一人で来んの初めてだよね、そういえば」
「うん、はじめて。こないだ来た時も思ったけど…やっぱり、よっすぃーの部屋ってキレーだよねぇ」
部屋の中を見渡しながら、梨華ちゃんは側に荷物を置くとテーブルの前に腰を下ろした。
あたしも、ベッドの上にカバンを置いて梨華ちゃんと向かい合わせに座る。

「梨華ちゃんの部屋に比べたらね」
「………」
やばい、冗談で言ったつもりだったのにちょっと気マズくなってしまった…話題変えなきゃ。

「あっ、アフロ犬。いちばん普通のやつだよねー、それ」
苦し紛れにあたしが指差したそれは、梨華ちゃんのカバンにぶらさがってる例の犬のキーホルダー。
数ある仲間たちの代表格(?)である、赤・青・黄の3色アフロの犬…そっか、信号機の色になってんだ。今気付いた。

「うん!カワイイでしょ?」
「そう?」
「………」
やばい、フォローするつもりだったのにまた梨華ちゃんを黙らせてしまった…話題変えなきゃ。

「梨華ちゃん」
「なに?」
あたしが話しかけると、下を向いて例のキーホルダーを見つめていた梨華ちゃんが顔を上げた。

「今、なに考えてる?」
「え…?」
「当てよっか」
「どうしたの?なんか変だよ、よっすぃー」
あたしはテーブルに頬杖をついて、訝しがる梨華ちゃんの顔をじっと見つめる。

「『よっすぃーはいつ見てもカワイイなぁ』って、思ったでしょ」
「えっ!?なっ…なにそれー!!思ってないよ、そんなの!!」
あたしの冗談に、梨華ちゃんは予想してた以上のオーバーリアクションを返してくる。
テーブルを叩いて力いっぱい否定する彼女の様子に、あたしは思わず吹き出してしまった。

「そんな怒んないでよー。わかるワケないじゃん、超能力者じゃないんだからさぁ」
「もー…」
そっか、こういう冗談でからかわれたら怒るんだ…ふくれ顔の梨華ちゃんを見ながら、そんなコトを考えていた。

どんな言葉をかけたら、笑ってくれるんだろう。
哀しいカオになるのは、どんなとき?
どんなコトで、泣いたり怒ったりするの?
そういうの、ぜんぶわかるようになれば…梨華ちゃんが今考えてるコトも、ちゃんと当てられるかも知れないね。

って言っても…そんな問題が授業で出題されるワケはないんだけど。

「あ、そうだ」
ふとあるコトを思い出し、あたしはベッドの上に置いたカバンの中身を漁る。
「写真。たまってたからさぁ、まとめて出しといたんだよね…見る?」
写真屋さんから今日取ってきたばかりの袋を梨華ちゃんに手渡す。

「すごーい、何かいっぱいあるよ?」
袋を開けて中の写真を出しながら梨華ちゃんが言う。
「うん。カメラ4個ぶん」
梨華ちゃんが持っている袋の中身には、夏のツアー中に楽屋で撮った使い捨てカメラ4個分の写真がぎっしり詰まっている。

「そんなに撮ったんだ」
「ののたちがさぁ、すっごいムダ遣いすんの」
「あはっ、でもいいじゃん。いっぱいあった方が楽しいもん」
「そうだけどさぁ」
あたしたちは、床の上に写真を広げて見始めた。

「あ…梨華ちゃん、また小指立ってるよコレ」
「うそぉ?」
すぐ目の前に座っている梨華ちゃんが、あたしの持っている写真を覗き込んでくる。
その写真には少し離れた位置から撮ったと思われる梨華ちゃんの横顔が写っていて…紙コップを持つ右手の小指が
微妙な角度で立っている。
カメラ目線でないコトと少し遠目から撮影されているコトから察するに、あいぼん又はののによる隠し撮り写真と思われた。

「ホントだ…気をつけようって思ってたのになー」
「無意識でやっちゃったんじゃない?」
「もー、誰?こんなの撮ったの」
「あの2人に決まってんじゃん」
「もー」
牛か、おまえは。

「でも、コレ…」
問題の写真を見ながら、あたしはあるコトに気がついた。
「なに?」
写真から目を離してむくれていた梨華ちゃんが、再びあたしの手許を覗き込む。

「最初の頃に比べたら全然良くなってるよ」
「え…良くなってる、って?」
あたしの言葉に、写真を覗き込んでいた梨華ちゃんが顔を上げる。

「だからさ、角度が」
「え…?」
あたしが言っているコトの意味が全くわかっていない様子の梨華ちゃんは、きょとんとした顔であたしを見ている。
気分はすっかり優等生のあたしは…ゴホンと一つ咳払いをした後、目の前の梨華ちゃんにその知識を披露すべく口を開いた。

「最初の頃…あ、あたしたちがまだ入ったばっかの頃。その頃の梨華ちゃんの小指の角度は、90度近かったのね、
いつも。まあ、平均だけどね。あ、90度ってのは薬指を水平面として測った場合なんだけど…ホラ、こんなカンジ」
言いながらあたしは、右手の小指だけをまっすぐ上に立てて当時の梨華ちゃんの小指の様子を再現してみせる。
「えっ…そんなに?」
あたしの小指を見て、梨華ちゃんは驚きの表情を浮かべている。

「そう。すごいっしょ」
「…うん」
神妙な面持ちで頷く梨華ちゃんを見て、あたしの中のハカセ心が目を覚ました。

「そんで、昨日ずっと昔のビデオ観てたんだけどさ、けっこー梨華ちゃん立ってるよ。まだ年末ぐらいのまでしか
観れてないんだけどー、ごっちんの隣で見切れてた時のとかも含めるとトータルで…」
かなりイイ気分で3日間の研究成果を発表しながら、あたしは目の前に座る梨華ちゃんの反応を伺う。

すると、最高の笑顔で説明するあたし(梨華ちゃんハカセ)とは対照的に、彼女の表情は…『驚き』から、『怯え』に変わっていた。
うそっ、もしかして梨華ちゃん…引いてる?

「よっすぃー…変」
あ、やっぱし。
ちょっとやり過ぎたかなぁ…。
あたしは、調子に乗ってついつい教室で彼らと話してるみたくディープな内容をまくしたててしまったコトを深く反省。

「あのね、昨日から思ってたんだけど…よっすぃー、何か隠してない?」
あ、やばい。
梨華ちゃん、あたしの研究ぐせに気づき始めてる…やっぱり、ちょっとやり過ぎたみたい。

「なんで?べつに…何もないよ」
ご指摘どおり隠してるコトだらけのあたしは、梨華ちゃんの顔をマトモに見るコトができなかった。

彼女にすべてを打ち明けて、そしてあたしの勉強に協力してもらえば、さらなる成績アップは確実。
だけど、それだけは絶対にしたくなかった。
タダでさえ、毎日のように梨華ちゃんと行動を共にしているあたしは教室のみんなに比べて有利な立場に立ってるのに、
この上彼女に勉強まで手伝ってもらったりしたら…そういうのって、やっぱりフェアじゃないって思うし。
卑怯な手段使ってあのにっくきヤマザキに勝ったところで、それはホントに勝ったコトにはならないと思うワケで…。

「…昨日もさ、あたしのコトいろいろ聞いてきたでしょ?」
あたしが否定しているのにも関わらず、梨華ちゃんはさらに問いただしてくる。

「えー…そう、だっけ」
「そうだよ!どうして!?何でそんなコトするの!?」
歯切れの悪い返答に怒ってしまったらしい梨華ちゃんが、あたしに詰め寄る。
逸らしていた視線を梨華ちゃんの方へ戻したあたしは…すぐ近くに彼女の顔が迫っていたコトに驚いて、強く息を吸い込んだ。
もう少しでひざとひざがぶつかってしまうくらい、あたしたちの距離は近くなっていた。

「ねぇ、どうして…?」
ちょっと泣きそうになってる梨華ちゃんの問いかけに、あたしは俯いて言葉を探した。

『どうして?』
自分に問いかける…どうして梨華ちゃんのコト、こんなに『知りたい』と思うのだろう?

補習のため。学年イチの『梨華ちゃんハカセ』になるため。ヤマザキに勝つため。
でも…それだけ?
梨華ちゃんは友達。メンバー。そして今は、ドクター吉澤の研究対象でもある。
それでも、やっぱりなんか違う気がする。
教科書にも載ってないこんな気持ちを、あたしはどうやって説明したらいいんだろう。

「今は言えない。けど…梨華ちゃんのコト、もっと知りたい」
”どうして梨華ちゃんのコト、こんなに『知りたい』と思うのだろう?”
ココからもう少し先に進めば、その答えを見つけるコトができるだろうか。
彼女との距離をもう少しだけ埋めるコトができれば、もしかして。

「梨華ちゃんのコト…」
「よっすぃー…」
床についている彼女の左手に、自分の右手を重ねる。

「もっと、教えて」
そっと瞼を閉じた梨華ちゃんの長いまつげには、涙の雫が光っていた。

「………!」
梨華ちゃんの顔が間近に迫ったところで、あたしもゆっくり目を閉じ…ようとして、ハッとする。
彼女の唇に触れたい衝動とは別に、たった今生まれたもうひとつの欲求があたしを駆り立てていた。

どうしよう…こっちもしたいんだけど、アレもしたい。どっちもしたい。すっごくしたい。
というワケで、どっちもするコトにした。

あたしは梨華ちゃんに気付かれないようにそーっと腰を浮かすと、彼女の後ろにある学習デスク(小1より使用)に手を伸ばす。
そして梨華ちゃんの肩越しに見えていたペン立てから、目的のモノを取り出すコトに成功。
とりあえず、先にこっちやっちゃってから…閉じられた梨華ちゃんの瞼に、ゆっくりとそれを近付ける。

「なっ…!?なにしてるの!?」
ああっ、しまった!!
なかなか行動を起こさないあたしを不審に思ったのか、梨華ちゃんが突然目を開けた。

「あ、あの…違うの!!コレは、」
「なにが…違うの?」
「あ、あの、えっと、えっとぉ」
確かに、三角定規片手に『違う』も何もないよね…上手い言い訳が見つからず、あたしはしどろもどろ。

「梨華ちゃんの…まゆげ、測ろうと思って」
言い訳のしようもないのであたしは素直に罪を認め、自分が取ろうとした行動について白状した。
「まゆげ!?」
あたしの言葉に、当然ながら梨華ちゃんは目を丸くする。

「あっ間違えた、まつげだ」
「どっちだっていいよ、そんなの!!」
「よくないよ!!まつげの長さが測りたかったんだもん!!」
「なんでよっすぃーが怒るの!?」
「あ、ゴメン」
熱くなったあたしは、梨華ちゃんに対してホントにつまんないコトで逆切れしてしまっていた。

「よっすぃー…ひどい」
下を向いてしまった梨華ちゃんがひざの上で組んだ手に、涙の雫が落ちる。
どうしよう…泣かせちゃった。

「ゴメン、梨華ちゃん。あのね、学校の補習でさ、梨華ちゃんのコト…」
彼女に泣き止んでほしくてあたしは、気持ちイイほどあっさりと『梨華T』クラスの仲間たちを裏切ろうとしていた。

「…うんでしょ」
「えっ?」
俯いたまま梨華ちゃんが発した言葉は独り言のように小さな声で、ちゃんと聞き取れない。

「今のコト…あいぼんに言うんでしょ?」
「なんで?言わないよぉ」
っていうか、何であいぼんの名前が出てくるの?
顔を上げた梨華ちゃんの目には、涙がいっぱい溜まっている。

「うそ、ぜったい言うもん。そうやって、あたしのコトからかって遊んでるんでしょ!?」
「言わないって!っていうかさ、からかったワケじゃないから、ホントに」
「うそ、ぜったい言うもん」
さっきのあたしの行動を完全に誤解して怒っている梨華ちゃんは、あたしの話に耳を貸そうともしない。

「…それで、あいぼんがののにバラして」
「え?」

「…そしたら、飯田さんとか中澤さんとかみんなにも伝わって」
「ねぇ、」

「…テレビとかラジオで矢口さんが発表して」
「梨華ちゃん?」

「…インターネットで全世界に広まって」
「いや…大丈夫だって」

あたし→あいぼん→全世界、って…すごい図式。
心配性を通り越して、こういうの…『被害妄想』って言うんだよね。

「あいぼんには言わないからさぁ…大丈夫だよ?」
何だか話がずれてきて、全く無関係なはずのあいぼんが全ての原因みたくなってるけど…とりあえずあたしは、
梨華ちゃんが怒りを鎮めてくれそうな言葉で必死にフォローする。

「あたし…帰るね」
小さな声でそう言うと、梨華ちゃんは荷物を持って立ち上がった。

「待って、梨華ちゃん!」
「来ないで!!」
後を追って立ち上がろうとするあたしを、梨華ちゃんが厳しく制する。
その強い口調に、あたしはその場から動けずに座ったまま彼女を見上げていた。

「梨華ちゃん!ねぇ聞いてよ、梨華…ちゃん!?」
目を見開いて左手にカバン、そして右手でゴミ箱を振り上げる梨華ちゃんの姿に…あたしは恐怖のあまり、座ったまま後ずさり。
ちょっと待って梨華ちゃん、そのゴミ箱…一体どうするつもり!?
プラスチック製とはいえ当たったら相当痛いだろう、しかも昨日捨てたばかりの古い雑誌が2・3冊ほど入っていたはず…!!

とりあえず頭をガードしようと両手を上げかけた瞬間、梨華ちゃんのカバンで揺れるアフロ犬と目が合う。
なんだか…ヤツに、笑われてる気がした。

「…っ!!」
犬に目を奪われている隙に、梨華ちゃんの手を放れたゴミ箱(満載)は…見事あたしのアタマを直撃。
あまりの痛さに声も出ず、あたしはその場で頭を抱えてうずくまった。
怒って出て行ってしまった彼女が勢いよく閉めたドアの音が、あたしのアタマとココロに重たく響く。

『二兎を追う者は一兎をも得ず』って、誰か言ってたなぁ…保田さんだっけ。
アレもコレも、って欲張りすぎるからこうなるんだよね。
素直に、まつげ測らせてもらっときゃ良かった…。

っていうか、ホントに痛いんだけど…やばい、記憶飛びそう。あいぼんたすけて。
薄れゆく意識の中、梨華ちゃんのプロフィールを何度も何度も復唱する。
コレだけは忘れないように。ぜったいぜったい、忘れないように。


こんなカンジで補習三日目、あっさり終了。

 

<四日目>

 

「『あいさつをしっかりする』」
「残念。それは辻ちゃんの座右の銘でした」
えっ…そうだっけ。
『梨華ちゃんの座右の銘』という問題に、誰よりも早く手を挙げて答えたまでは良かったんだけど…結果は不正解。
自信満々の回答を先生にばっさり斬り捨てられ、あたしは立ったまま次の答えを探す…梨華ちゃんの座右の銘、何だっけ?

「あっ、わかった!!『人にうそをつかない』」
「こら、勝手に答えるな。しかも間違ってる」
「あれぇ?違います?」
周りでは既に数人の生徒が手を挙げて、先生に当ててもらえるのを待っている。
どうやら、これ以上あたしが回答を続けるのは無理みたい。
しっかし、こんなに活気のある授業ってなかなかお目にかかれるモンじゃないよなぁ…みんな、ホントに楽しそうだし。

「山崎」
「『人に迷惑をかけない』」
ああ…そうそう、それ。

「おーい、何でも知ってる『よっすぃー』じゃなかったのかぁ?」
ははっ…みんな、ほーんと楽しそうでいいよねー……。

ヤマザキの嫌味に言い返す気力もない、今日のあたしは……絶不調。

ハカセっぷりが暴走しまくって梨華ちゃんを怒らせてしまった、昨日のあたし。
昨日の夜も、今朝だってずっと梨華ちゃんに電話してるのに…留守電になってて全然つながらない。
その度にメッセージを残しているにも関わらず返事がないってコトは、意図的に避けられてるのは明らか。
『人に迷惑をかけない』主義の彼女だから、迷惑かけっぱなしのあたしの行動にすっかりあきれてしまったのだろう。

(『梨華ちゃんの…まゆげ、測ろうと思って』)
あたしの脳裏に、昨日の悪夢が蘇る。
あんなコトさえしなければ…あんなコトやこんなコトや、もっともっといろんなコトができていたかもしれないのに。
順番さえ間違えなければ…梨華ちゃんとのいろんなコトより、まつげ測定を優先させてしまった自分のドクター魂に腹が立つ。
せめてまつげの長さだけでもちゃんと測れてたのなら、あきらめもつくんだけど…。

あーあ、いとしいあの人。まつげの長さ、どれくらいあるんだろう…。

「…!」
くだらないコトを考えていると突然、カバンの中から携帯の震える音がしてカラダがびくっと反応する。
あたしは、あわててカバンから携帯を取り出す。

幸い、先生やみんなは授業に集中しててあたしの行動には気付いていない。
携帯を机の下に隠しながら、届いたばかりのメールを確認する。

こっ、コレは…梨華ちゃんからだ!!やったね!!
あたしは少しの間目を閉じて、両手で携帯を握り締めた。うれしさに、思わず口元がゆるむ。
目を開けて深呼吸すると、彼女から届いた幸福のメールを開く。

『吉澤さんへ。もう2度とかけないでください。石川』

うわっ、なにコレ…敬語だよ。こりゃ相当怒ってるなぁ。
かけないでください、ってのは『迷惑』?それとも『電話』?
ああ、どっちも…か。
つまりあたしからの電話は迷惑、あたしからの電話は…『迷惑電話』ってコトね、あっそう。

てっきり仲直りのメールかと思ったのに、不幸のメールだったか…負けた。
やっぱり『梨華』は奥が深いなぁ…あたしももっと勉強しなくちゃね。

だけど、そろそろ限界だよ。
だって、梨華ちゃんのコト知ろうとすればするほど…梨華ちゃんがどんどん遠くなってくような気がするんだよ?
どうすれば、もっと近づけるの?
ねぇ、おしえてよ…梨華ちゃん。


―――

「よっすぃー、おつかれぇ」
楽屋へ戻ってきてドアを開けると、一足先に戻っていたごっちんに迎えられる。
「おつかれー」
彼女にあいさつを返しながら…ふと、今日の授業であたしが間違えた問題を思い出した。

『人にうそをつかない』
そうだ、コレはごっちんの座右の銘だったんだ(正解:梨華ちゃんの座右の銘は、『人に迷惑をかけない』でした)。
ったく、ちょっと似てるから間違えちゃったじゃないか…ごっちんのばかやろー。

「ん?どしたの?」
あたしの恨みのこもった視線に気付いて、ごっちんが聞いてくる。
あたしはその問いかけに言葉ではなく首を横に振って『何でもない』のサインを示しつつ、彼女の隣のイスに腰を下ろした。

午後はレギュラー番組の収録が控えていたため、今日も途中で補習を抜け出すコトになってしまった。
しかも今日の授業は、ヤマが外れっぱなしでまったく良いトコなし。
梨華ちゃんとも、まだケンカしたままだし。
明日は最終日、しかも授業の終わりには大事なテストが待ってるってのに…大丈夫かなぁ、こんなんで。

「ねぇ、よっすぃー」
連日の勉強疲れでぐったりしているあたしがテーブルに突っ伏して休憩していると、隣のごっちんが話しかけてきた。
「…なに?」
次の収録まで寝てようと思ったのに…顔を伏せたまま答えたんで、少しくぐもった声になる。

「梨華ちゃんは?」
「知らないよぉ…疲れてんだから寝かせて」
あたしは顔を上げてごっちんに答えると、再びテーブルに突っ伏して仮眠態勢をとる。

ハカセはただいま絶不調なんだから…今のあたしに、梨華ちゃんについて答えられるコトなんて何ひとつない。
梨華ちゃんがどこでなにしてようと、夜は黒のジャージとトレーナーで寝てようと(夏はTシャツ&学校の体育で使っていた短パン)、
そんなのあたしの知ったこっちゃないもん…ちきしょー。

「外行っちゃったよ、梨華ちゃん」
ドン底の気分で寝ていると、頭上からあいぼんの声。
「外ぉ?外って?」
「わかんない。ちょっと行ってくる、って…」
あたしは顔を伏せたままで、ごっちんたちの会話に聞き耳を立てる。
たとえケンカしてても、やっぱり梨華ちゃんのコトが気になってしまう…なんて研究熱心なんだ、あたしは。

「梨華ちゃん、すごい暗かったけど…何かあったのかな?」
安倍さんの言葉に、あたしは思わず顔を上げる。
「おぉ、生き返った」
「梨華ちゃんが、どうかしたんですか!?」
いきなり起き上がったあたしに驚くごっちんを無視してあたしは、ドアの側に立つ安倍さんに尋ねる。

「だからぁ、なっちにもわかんないんだってば。そこですれ違った時すっごい暗いカオしてたからさぁ…何かあったのかなーって」
あたしの質問に、安倍さんが困惑した表情で答える。
「ドコ!?ドコ行くって!?」
あたしは立ち上がって、ドアの側の安倍さんに詰め寄る。
「えーっ…わかんないよぉ。聞いとけば良かったかな?」
申し訳なさそうに、安倍さんが言った。

「ま、そーゆーコトもあるさ。まだ時間あるんだし一人にしといてあげなよ。ね、よっすぃー」
そう言う矢口さんに背を向けて、あたしはカバンから携帯を取り出す。

「おーい、よっすぃー。聞いてる?」
「聞いてません」
「あっ、むかつくぅ」
やっぱり梨華ちゃん、昨日のコトまだ気にして…。
矢口さんのアドバイスにも耳を貸さず、あたしは梨華ちゃんを追って楽屋を飛び出した。

確かに、矢口さんの言うコトもわかる。
あたしだって落ち込んでるときは、一人になりたいって思うコトあるし…だけど、彼女はちがう。
一人になんかしたら、ぜったいにダメだ。
一人ぼっちになったら、梨華ちゃんは…もっともっと落ち込んでくだけだもん。

エレベーターの中から、梨華ちゃんに電話する…けど、やっぱりつながらない。
昨日から何度も何度もかけてるのにココまで無視されると(不幸メールはもらったけど)、悪いのはあたしの方なんだけど…
なんか納得いかない。
何としても梨華ちゃんをつかまえて、直接抗議してやる…電話はあきらめ、エレベーターが1階に着くのを待つ。
そして、ドアが完全に開くのを待たずにあたしは外へと飛び出した。

走って通りへ出ると、まだそう遠くへは行っていないはずの梨華ちゃんを必死に探す。
日も暮れかけて薄暗いから周りが見えにくいんだけど…人通りがほとんどないから、居ればすぐ目につくはず。

まだそう遠くへは行ってないはずの梨華ちゃん、のはずだったのに…走っても走っても、彼女の姿はどこにもない。
信号の前まで来たところで立ち止まって、あがった息を整える。

全力疾走のせいで爆発寸前の左胸を押さえながら、目を閉じる。
目を開けてても瞑ってても、寝ても覚めても、真っ先に浮かんでくるのはあのコの顔ばかり。
あたしがいつも彼女を追いかけるのは…補習のためなんかじゃない、ヤマザキに勝つためでもない、答えはもっと単純なコト。

あたしは…誰よりもイチバン、梨華ちゃんのコトを知っていたい。

おねがい、神様。
あたしを今すぐ、梨華ちゃんに会わせてください。
今日から一年間、ベーグル食べるのガマンしますから…あ、あとタマゴも。

「あっ!!」
あたしの願いが通じたのか、目を開けると向かい側の通りに梨華ちゃんの姿が見えた。
俯いて歩く梨華ちゃんの後ろ姿を見失わないように目で追いながら、信号が変わるのを待つ。

遠ざかっていく後ろ姿を見ながら、ムダとは思いつつも彼女の携帯にかけてみる。
呼び出しが始まると、梨華ちゃんは立ち止まってポケットからそれを取り出した。

『ただいま、電話に出られません』
「………」
次の瞬間あたしの耳に飛び込んできたのは、梨華ちゃんではなく知らない女のヒトの機械的な音声。
どうやら、相手があたしだったんでいきなりブチ切ったらしい。

梨華ちゃん、あたしからの電話だけを選んで避けてる…けっこー、傷ついちゃったんですけど。
こうなったら非通知で…そう思った瞬間、梨華ちゃんがいきなり全速力で走り出した。

「ちょっ…!!」
このまま信号が変わるのを待っていたら、梨華ちゃんを見失ってしまう…車道を挟んだ向かい側の通りを疾走する彼女を追って、
あたしも走る。

「梨華ちゃん!!梨華ちゃーーーーんっ!!!」
電話も完全無視され、このまま並行して走ってても彼女に会えるワケはないので…あたしは思い切って大声でその名前を呼んだ。
あたしの呼び声に梨華ちゃんは、立ち止まって周りをキョロキョロと見回した後…反対側の通りに立つあたしに気付く。

「梨華ちゃん!!」
あたしは大きく手を振りながら、もう一度大声で彼女の名前を呼ぶ。
梨華ちゃんが立ち止まっている間にやっと、車道を挟んだ彼女の真正面の位置まで走りついた。

「梨華ちゃん!梨華ちゃん!!」
呆然と立ち尽くす彼女に、あたしは手を振りながら何度も呼びかける。
ひっきりなしに通り過ぎる車やバスの隙間から見える彼女の表情は…あたしの予想とは少し、いやかなり違って見えた。
心配して追っかけてきたんだから、もっとうれしそうなカオするかと思ったのに…なんか、すごい勢いでニラまれてる気がするんだけど。

「…っ!!」
睨みつけられて固まるあたしを、突然鳴り出した着信音がさらに驚かす。
本来ならうれしいはずの梨華ちゃんコールだけど、この時ばかりはとってもいやーな予感がしてあたしは少し躊躇した。

『もーっ、やめてよ!!』
ああ、やっぱり…電話の向こうから聞こえた彼女の第一声は、予想通りの怒鳴り声。
でも、何をそんなに怒ってるんだろう…?

『あんな大声で…恥ずかしいよ!!』
なるほど、あたしが大声で彼女の名前を呼んだコトに怒ってたのか…。

「大丈夫だよ、誰もいないもん。車しか通ってないじゃん」
『車の中から見られてるよ!どうしてあんなコトするの!?』
「見られてないよ!っていうか梨華ちゃん、気にしすぎ!!誰も梨華ちゃんのコトなんか見てないんだから平気だよ!!」
『…ひどい』
「やっ、ちがっ…そういう意味じゃなくて。なんか梨華ちゃん、いろんなコト気にしすぎだって思ってそれで…」
うっかり暴言を吐いてしまった上にフォローする言葉も見つからず、あたしはしどろもどろ。
地道な研究活動も、発表の場で全て台無し…吉澤ハカセは、本番に弱い。

『もういい…じゃあね』
「お願い、待って!!」
会話を終わらそうとする梨華ちゃんを、必死の思いでひきとめる。
あたしの懇願に無言ながらも、梨華ちゃんは電話を切るのを思いとどまってくれた様子。

「あたしの、せい?」
『…なにが?』
あたしの問いかけに、梨華ちゃんは小さな声で聞き返してくる。

「落ち込んでるの…あたしが、原因?」
『ちがうよ』
「えっ、違うの?」
彼女が昨日のコトを気にして落ち込んでいるのだとばかり思っていたあたしは、その答えに拍子抜けしてしまった。
同時に、彼女のフキゲンの理由があたしじゃなかったコトに少しだけがっかりしている自分に気付く。

『それもあるけど、でも…それだけじゃないから』
「何か、あった?」
次々と流れていく車の隙間から見える梨華ちゃんは完全に下を向いてしまっていて、その表情を窺い知るコトはできない。

『……今日、どうだった?あたし』
「えっ?」
少し間を置いて、梨華ちゃんが唐突な質問を浴びせてくる。

『ねぇ、どうだった?』
「可愛かった」
『………』
「あっ、そういうコトじゃなくて?」
ここ数日間の経験からそろそろ引かれるコトにも慣れてきたあたしは…梨華ちゃんのシカトにもめげず、彼女が
落ち込んでいる原因について考えてみる。

「仕事の、コト?」
『…うん。歌、撮ったでしょ?今日』
梨華ちゃんが言ってるのは、今日ココへ来て最初にやった仕事…新曲のスタジオ収録。

「何で?うまくいったじゃん。別に、問題なかったっしょ?」
『ホントに、そう思う?』
いっつもいろんなコト気にして、自分を追い込んで落ち込んで…梨華ちゃんのそういうトコ、娘に入った時からあんまり変わってない。

「思うよ。梨華ちゃんは、ちがうの?」
『わかんない。わかんないから…すっごく不安』
「うん」
『あたし…まだぜんぜん自信ないのに、なのに新しいコたちが入ってきたらまた…』
「ああ…そっか」
数日前に決まった新メンバー、つまりあたしたちの後輩…まだ一回会っただけだから、どんな人たちなのかもよくわからないけど。

今度の新曲で初めてセンターを任されて、タダでさえプレッシャー感じまくってた梨華ちゃんだから…この上メンバーが4人も
増えるコトになって混乱しちゃってるんだろうなぁ。
原因は…とても梨華ちゃんらしい、わかりやすいモノだった。

「梨華ちゃん」
『え?』
「ばーか」
『えっっ!?』
とりあえずあたしは、彼女から今朝届いた意地悪メールのお返しを済ませると…一方的に電話を切った。
続いて驚くべき早業で、梨華ちゃんに今度はメールを送信する。

『梨華ちゃんへ。勇気をあげます。サンタクロースより。』

梨華ちゃん…おぼえてる?
雑誌で読んだ、梨華ちゃんの『サンタさんにお願いしたいコト』。
勇気をください、って書いてあった。

「もしもし」
しばらくして、あたしの携帯を鳴らす梨華ちゃんコール…今度は、怒ってなきゃいいけど。

『よっすぃー…ありがと』
「なにが?」
『メール』
「あれは…あたしじゃないよ?サンタさんからだよ」
電話の向こうで、梨華ちゃんがくすっと笑う。

『夏なのに?』
「ちょっと間違えちゃったんじゃない?サンタクロースの国はさ、一年じゅう真冬なんだよ。たぶん」
『そっか、ちょっとマヌケなサンタさんだね』
「うん。でも、梨華ちゃんのコトなら何だって知ってるサンタさんだよ?」
『そっか、すごいね』
「すごいっしょ」
車と車の間から、楽しそうに笑う梨華ちゃんの姿が見えた。

「さっきのコトだけど…」
『え?』
「梨華ちゃん、不安だって言ってたけど…そんなの、あたしだって一緒だよ?」
『………』
「だからさぁ、だから…いっしょに、がんばろ?」
『…うん』
あたしの言葉に頷く梨華ちゃんの顔は走る車に遮られて見えなかったけど、たぶん…いつもみたいに笑ってくれていたはず。

「あのさ、おなかすかない?コンビニ寄ってこうよ」
『うん』
梨華ちゃんが歩いてる通りの先にあるコンビニに向かって、あたしたちは歩き出した。
沈みかけた夕日が、梨華ちゃんの笑顔を照らし出す。

補習は明日で終わっちゃうけど…誰かのコトを知るための勉強に、終わりなんてないんだ。
これからいろんなコトたくさんあると思うけど…そのたびに増えてく新しい梨華ちゃんを、そのたびにあたしも勉強していくから。

本当に知りたいコトは、三角定規じゃ測れないようなモノばかりだけど…そういう勉強の方が、あたしには向いてると思った。
理科は超苦手だけど、梨華ちゃんの問題なら何だって解けそうな気がする。
みんな、悪いけど明日のテストは…もらったよ?

『また、ゆでたまご買うんでしょ?』
「あー、どうしよっかなぁ…」

(今日から一年間、ベーグル食べるのガマンしますから…あ、あとタマゴも。)
神様、ベーグルとタマゴ…明日から一年間にしてもイイですか?


ちょっとだけ幸せな気分で、四日目の夕日が沈んでゆく。

 

<最終日>

 

「周囲の人もファンの人たちも新メンバーということで、まだいろいろできなくても、あたたかい目で見てくださったと思うんです。
けど、もう新メンバーという部分にあまえてちゃいけないんですよね。

(中略)
私の場合、ゆっくりやっていけばいいなんて言ってられないです。
『別にアセらなくてもいいや』って気持ちでいると、もうダメになっちゃうと思うんですよぉ。
もちろんアセらなくてもいいとこもあるけど、でも不得意な部分に関しては、しっかりアセんないといけないと思う。
前に前に。積極的に。でも、空回りはしないように…と思ってても、なかなかそうはいかないんですけどねー(苦笑)。
私ねー、すっごい悩んじゃうタイプなんですよ、ほんとに。もうねー、まわりから『ネガティブ石川』とか言われたり。
お仕事の部分で悩むことも多いし、家族のことで悩むこともあるし…。

(中略)
これからは『新メンバー』と呼ばれなくなってくると思うんですけど…でもモーニング娘。に選ばれた時の、あのうれしい気持ち、
心臓が高鳴るようなドキドキ感は、ずっとずっと忘れないようにやっていきたいですっ」

「「「おおーっ…」」」
周囲から、感嘆の声が漏れる。
昼食後のひととき、あたしは周りの男子に梨華ちゃんのインタビュー『これからの私』(もちろん暗唱。ちょっとモノマネ入り)を披露。

「すげー…さすが吉澤」
「でしょぉ?もー、何でも聞いてよ」
ジュース片手に尊敬のまなざしを向けてくる彼らに囲まれて、気分はすっかり天才少女。

長かった5日間の補習も、今日が最終日。
この5日間、本当にいろんなコトがあったけど…あたしにとっては忘れられない大切な5日間だった。

(『あたしはっ…梨華ちゃんのコトなら何だって知ってるんだからね!!!』)
はじまりは、とんでもない大ウソだったけど…最後にはちゃんとホントのコトになったもんね。

『終わりよければすべてよし』、あいぼんに教えてもらったことわざを思い出す。
中2のあいぼんにことわざを教わる高1のあたしもどうなんだろ、って思うけど…そんなコトは気にしない。
だって学校の勉強よりももっと楽しくて大切なコトを、あたしは夏休み最後の一週間で学ぶコトができたのだから。

「ねーねー、他には?」
「じゃあねー…さっきのよりちょっと古いけど、『恋愛レボリューション21について』」
「「「おおーっ!!」」」
「いきます…。えっとぉ、21世紀に向けてぇ」
低めの地声を数オクターブ上げて梨華ちゃん風に語り始めたところで、突然ポケットの中で携帯が震える。

「ちょっとゴメン」
あたしは発表を一時中断し、取り囲む男子たちをかき分けて教室を出た。

『よっすぃー…今、だいじょうぶ?』
「うん、へーき」
梨華ちゃんからの電話に、あたしの返事も自然と弾んだ声になる。

『今、お昼休みだよね?』
「うん、そうだよ」
『なに食べたの?おべんとう?』
「ううん、コンビニのパン。夏休みだからってお母さん作ってくんなくてさぁ」
『そうなんだ…あっ、わかった。またコンビニでタマゴ買ったんでしょ』
「ひっどぉ、梨華ちゃんさぁ…あたしがいっつもタマゴばっか食べてると思ったら大間違いだからね」
『ちがうの?』
「ちがいますぅ」
食べれなかったんですぅ、ある事情から。(→四日目の誓い)

『あの…』
一通りの会話の後で、梨華ちゃんが切り出した。
『がんばってね』
「へっ?」
予想もしなかった彼女の言葉に、あたしは思わずマヌケな声で聞き返してしまった。

『今日…テストだって言ってたから』
ああ、そっか…それで電話してきてくれたんだ。
そう言えば、補習の最終日にテストがあるってコト、梨華ちゃんとの何気ない会話の中で話したような気がする。
もちろん、それが何のテストかってコトは喋ってないはずだけど。

「ありがとう。今日はねー、これから…梨華のテストなんだ」
『理科?そっか、がんばってね』
「うん。っていうか、楽勝だけどね」
『あははっ、ホントにぃ?』
電話の向こうで、梨華ちゃんが笑う。

でも、ホントだよ?
吉澤さんは梨華ちゃんの問題なら、何だって解けるし誰にだって負けないんだから。

「ゴメン梨華ちゃん、授業始まっちゃう」
『あっ、ゴメン…お昼休みつぶれちゃったね』
「いいってそんなの。終わったら、電話するね」
『うん、がんばってね』
「もー、何回言うんだよぉ。逆にプレッシャーだって」
『あはっ、そっかそっか』

衝撃の告白も重大発表も何もない、いつも通り普通の会話なのに…こんなに元気になれて、こんなにしあわせで。
何でもない会話や何気ないひとことで傷ついたりはしゃいだりしちゃうのは、きっと…梨華ちゃんが、特別で大切なヒトだから。
コレが、5日間の補習であたしがたどりついた…『梨華T』の答え。

「はじめ!!」
先生の開始宣言と同時に、伏せてあった机の上の問題用紙を裏返す。
あたしは大きく一回深呼吸すると、シャーペンを手にとって問題に取りかかった。

冒頭の問題は、梨華ちゃんのプロフィール。
誕生日に星座に血液型…どれも、『梨華T』クラスのあたしたちにとっては常識的な問題。
誰一人として間違える者などいないだろう、しかしそれだけにミスは許されない。
プロフィール問題を一通り解き終えた後、自分の答えを何度も確認する…よし、カンペキ。

問5>ハロウィンで仮装したい衣装は?
おっ、このへんからちょっとマニアックな問題になってきたよ?
答えは…『白いカーテンを被ったオバケ』っと。
回答用紙に答えを書きながらあたしは、ハロウィンにて甲高い声で『お菓子をよこせ』と迫る梨華ちゃんの姿を想像して
思わず吹き出してしまった。

問6>短所(本人談)は?
本人談ね、えっと…『1.すぐに眠くなる(メイク中でも寝る)、2.記憶力がない』って…梨華ちゃん、のび太くんみたいだなぁ。

こんな調子であたしは…常識問題からちょっとしたカルト問題まで、次々と順調に回答していった。

「うわっ、すげっ!!」
突然、教室の後ろの方で声があがる。
50分間にわたるテストも無事終了し、ただいまクラスみんなの回答用紙をシャッフルして全員で採点中。

「こら!まだ言うな。じゃあ、裏返しにして前に回せー」
先生の指示通りに裏返された回答用紙の束が、後ろの席のコから回ってくる。
一番前に座っていたあたしは机の上でその束をキレイに揃えると、回収しに来た先生にそれを手渡した。

「どれどれ…うん、いいぞ。みんな、よくがんばったな…うれしいなぁ、うん」
わかったから早く発表してよ…採点済みの回答用紙を一枚ずつ見ながらニヤつく先生の様子に、あたしの苛立ちは増すばかり。
「センセー、いいから早くしてよ」
あたしに代わって先生に抗議してくれたのは、ひさびさ登場の彼、ヤマザキ。
コイツに同意するのはかなり気に入らなかったけど…彼の言葉に、あたしもうんうんと頷いて無言の抗議。

「わかったわかった。じゃあ、言おうかな」
先生の言葉に、教室中が緊張の空気に包まれる。

「実は一人だけ、満点を取ったすごい人がいます。彼女こそ、『梨華T』の王様、キングオブ梨華ちゃんです!!
さあ、発表するぞ!!誰かな!?そのすごい人は!!」
自分が握っている情報をなかなか教えてくれようとしない先生は、見守るあたしたちに向かってこれでもかと話を盛り上げてくる。

「いや、発表もなにも…『彼女』っつっちゃったよ、先生」
「この中で女子は吉澤さんしかいないと思うんですけど…」
「ああーっ、やってもーたぁ…」
男子たちの鋭い指摘に、がくりと肩を落とす先生。

「………」
ダメ先生のうっかりミスのおかげで、満点を取った喜びもなんだか半減してしまったが…それでも、うれしいモノはうれしい。
他のコの回答を採点しながら、もしかしたら…とは思ってたけど、まさか1問もミスらず解けていたなんて。

「おめでとう、吉澤」
「すごいよ、吉澤さん」
教室のあちこちから聞こえてきた声に、思わず振り返る。
うそっ、もしかしてみんな…あたしのコト、祝福してくれてる?

そして教室中で巻き起こる、拍手の嵐。
ああ、みんな…。

「吉澤」
はっ、この声は…聞きたくもなかったイヤな声にあたしは、せっかくの浮かれた気分が一気に冷めてゆくのを感じた。
斜め後ろの席に座る彼が、立ち上がってあたしの方へ歩み寄ってくる。
コイツに上から見下ろされるのは嫌だったので、あたしも立ち上がって彼の正面に立った。

「あの、さ…こないだのやつ取り消すよ、『仲悪い』って言ったの」
「えっ!?」
嫌味しか出てこないと思っていた彼の口から、こんな言葉が聞けるなんて…あたしは、自分の耳を疑った。

「おめでとう。梨華ちゃんは…お前にやる」
いや、『やる』って言われても…という戸惑いと、っていうかはじめっからお前のモンじゃないだろ…という怒りを
そっと胸にしまって、あたしは微笑んだ。

「ありがとう」
ありがとう、ヤマザキくん。
ありがとう、みんな。

あたしを祝福する拍手は鳴り止むどころか、どんどん大きくなっていく。
そして数人の生徒が立ち上がったと思ったら、次々と…気がつけば教室中の生徒全員が立ち上がって拍手を送ってくれていた。
コレは…スタンディングオベーション、っつーやつじゃん!!すっげー!!!

『梨華T』クラスのなかまたちに称えられてあたしは今、長かった補習を終えた充実感とクラスでイチバンになれた喜びを
カラダいっぱいに感じていた。
黒板の前に立って教室中を見渡すと、そこには…あたしに心からの拍手を送ってくれる、みんなの笑顔があった。

「みんな、ありがとーっ!!」
ありがとう、みんな…よっすぃーはこれからも、(梨華ちゃん)ファンのみんなのために一生懸命がんばるからね!!
だからこれからは梨華ちゃんだけじゃなく、吉澤ひとみもよろしくねっ!!

教室を出たらすぐ、梨華ちゃんに電話しよう。
そして、いちばんに伝えるんだ。
『あたしは、梨華ちゃんのコトなら何だって知ってるんだから』…って。

鳴り止まない拍手、湧き上がる歓声、すべてがあたしに向けられている…もー、さいっこーの気分!!!
愛してる。大好きだよ、梨華ちゃーーーーん!!!

「こらーっ!!!何やってるんだ、おまえらーっ!!!」
勢いよく開けられたドアの音と怒鳴り声に、さっきまでの大騒ぎがウソのように教室中がしんと静まりかえる。
びっくりしたあたしは、その場に突っ立ったまま固まっていた。

「隣は今テスト中なんですよ!?何考えてるんだ!!」
「…すみません」
突然教室に入ってきた先生(担当教科は理科)に叱られてペコペコと頭を下げる、あたしのクラス担任(担当教科は数学と梨華)。

「ん?吉澤…お前、何やってんだ」
怒鳴り終えて少し落ち着いた様子の先生が、教卓の横に立つあたしに気付いて話しかけてくる。

「補習に出てこないと思ったら、こんなところで…そうかそうか、よーくわかった。そっちがその気ならこっちもそれなりの…」
「えっ?えっ?補習って…だって、補習って、コレが補習じゃないんですか!?」
いきなり怒鳴り込んできた上にワケのわからない言いがかりをつけられて、あたしはすっかり混乱してしまった。

「コレのどこが補習なんだよ」
「えーっ!?だって、『梨華T』って、『梨華T』って…ちゃんとした教科なんですよねっ!?ねっ、先生!!」
パニクったあたしは、思わず隣にいた先生(梨華T)に助けを求める。

「いや…オレらは、趣味でやってんだけど」
「ええーっっ!?」
趣味って!?趣味っつった、今!?うそでしょぉー!?

「てっきりオレ、お前が補習よりこっちの授業選んだのかと思ってたんだけど」
「そんなワケないっしょー!!!」
先生に猛抗議しつつあたしは、ようやく事態を把握した。
てっきり変な世界に迷い込んでしまったと思っていたこの授業は先生たちが教室を借りて勝手にやっていた単なる『趣味』で、
あたしが本来受けるはずだった補習は、この5日間ずっと隣の教室で行われていた…そういうコトなんだろうなぁ、たぶん。

「吉澤、覚悟しとけよ」
「えーっ!?だってあたしはてっきり、変な世界に迷い込んじゃったって思っててそれで、だからっ…」
哀れな生徒をばっさり斬り捨てる先生(理科)の冷酷な一言に、あたしは何とか許してもらおうと必死で言い訳を探す。

「まあ…確かに、『変な世界』には違いないけどな」
しかしその必死の言い訳も、逆に鼻で笑われる結果に終わってしまった。
「なにぃ!?失礼ですよ、撤回してください!!」
そしてそれを聞き逃さなかった先生(梨華)が、暴言に対してすかさず食ってかかる。

「嫌だね。とにかく静かにしてくれ、こっちは隣でまともな授業やってるんだから」
「うるさい、このバカ!!」
「なっ!?バカとはなんだ、バカとは!!」
理科の先生 VS 梨華の先生。
哀しいけど…バカは、明らかに後者だと思った。

「吉澤」
カバンを開けて帰る準備をしていると、ケンカを一時中断したらしい先生(理科)に呼ばれて顔を上げる。

「休み明けたら、お前だけ追試な」
「…はい」
梨華ちゃんの『これからの私』なんて暗記してる場合じゃなかった…誰か、これからのあたしはどうなっちゃうのかおしえてください。

「吉澤」
「なに?」
席を立ったあたしの腕を、ヤマザキが掴んで引き留める。

「今度、梨華ちゃんのサインもらってきて」
「うるさい。放せ」
彼の手を振り解きながら、そういえば最近セミの声を聞かないなぁ…なんてコトを考えていた。
吉澤ひとみ16歳の夏が、もうすぐ終わろうとしている。

教室を出たらすぐ、梨華ちゃんに電話しよう。
そして、いちばんに伝えるんだ。

新学期が始まったら、あたし…転校するかもしれない、と。

 

<END>