ユニットをつくろう!
―――
それは、ごっちんの無責任な一言から始まった。
「あはっ。なんかカワイイねぇー、コレ」
あたしは何気なく、ごっちんが指差した一枚の絵に目を遣る。
「ぶはっ!!ゴホッ、ゴホッ…」
「うわっ!よっすぃー、きったねーっ!」
隣に座っていた矢口さんが、椅子から飛びのく。
ノートの隅に描かれた『それ』は、飲みかけのジュースを吹き出させる程のインパクトをもって
あたしに襲い掛かってきた。
「相変わらずキッツイねー、圭ちゃんの絵は」
言いながら、矢口さんはあたしがテーブルにぶちまけてしまったジュースをティッシュで拭き取ってくれている。
口元をティッシュで拭い落ち着いたところで、あたしは改めて保田さん作の問題の絵を覗き込んだ。
「コレ、猫ですか?ウサギ?」
「犬だよ」
あたしの問いに、少しムッとした表情で答える保田さん。
あいぼんにせがまれて彼女のために渋々書いてあげたみたいだけど、保田さんの描く作品は
独特すぎてあたしたち凡人には理解できないところがあるからなぁ…。
ノートの端で生息しているその生物(保田さん曰く『犬』)は頭の部分だけ見れば確かに犬だが(しかし『犬』と
言われなければ何の動物かわからない)、首から下の胴体部分は犬のそれとは遠くかけ離れている。
頭を描いた時点で飽きたのか、首から下は全て魚の骨のように細い線で乱暴に表現されていた。
頭部だけは(保田さんなりに)真面目に描いたと思われるが、それすらもハッキリ言わせてもらうと…
小学校低学年レベル、いや、もしかするとそれ以下かも知れない。
ヤスダ作品の特徴でもある針金のように細い胴体で、この重そうな頭を支えるのは至難のワザと思われるが
そんなコトはおくびにも出さず、ノートの上の『犬』はその顔に笑みすら浮かべている。
「どーでもいいけどブサイクすぎだよ、この犬……くくっ、なんか見れば見るほどオカシクなってきた!!
あっやばっ、ツボ入った…!ぷっ、くくくっ…あはっ、あははははははっっ!!!」
ヤスダ画伯の力作に、矢口さんもご満悦。
「「「「………」」」」
その様子を、楽屋の隅でひっそりと見守る四つの影…先週入ったばかりの新メンバーたちだ。
「やべ、マジぶっさいく!!カンベンしてよ、けーちゃーん!!はははははっ!!」
それにしても矢口さん、さっきから笑いすぎなんじゃ……はっ、そうか!!
矢口さん、緊張して固まってる新メンバーたちを和ますためにこの場を盛り上げようと…さすがは矢口さん。
「ほんっと、地球上の生物じゃないですよね。コレは」
新メンバーが居るためか無関心を装ってあまり喋ろうとしないみんなの代わりに、あたしが矢口さんに助け舟を出す。
「アンタたち、いいかげんにしなさいよ…」
「地球上どころか宇宙人だって飼わないって、こんな犬!!」
保田さんの怒気の篭った言葉も、ムードメーカー矢口さんの耳には全く届いていないようだ。
「すっげー、ブサイク!!ねっ!紺野ちゃん?」
「えっ……」
突然目の前にノートを突きつけられて、戸惑う紺野ちゃん。
矢口さん…まだ入ったばっかの新メンバーと、もうコミュニケーション取ろうとしてる。さすが。
「正直に言っていいって!ねっ?ぶっさいくだよねー、コレ」
「えっ、あ、あの……は、はい」
「ほらぁ」
紺野ちゃんにしてみれば半ば強制的に頷かされたようなモノだったが、同意を得られて矢口さんは満足そう。
「そっかなぁ…カワイイと思うんだけど。なーんか、憎めないっていうかさぁ。アタシは好きだけどなぁ」
諦めの悪いごっちんは、ただ一人保田さんの描いた『犬』を絶賛している。
「ごっちん。そんなに気に入ったんなら、明日アタシが良いモン作ってきてあげるよ」
ごっちんのお褒めの言葉に気を良くしたのか、とびっきりの笑顔で保田さんが言った。
その笑顔に、なぜか背筋が凍るような思いがした。
―――
翌日。
楽屋に入るなり、あたしは石のように固まった。
そしてあたしの視線は、先に来ていたごっちんの胸元に釘付けになる。
「あっ、よっすぃーオハヨー」
「ごっちん…なに、それ」
ごっちんが着ている真っ白なTシャツには、昨日の悪夢が黒一色で見事に再現されていた。
「コレ?へへっ、いいだろー。圭ちゃんがね、作ってきてくれたの」
真四角の顔、だらりと垂れ下がった二枚の長い耳、だらしなく笑う口元、お約束のように左右三本ずつのヒゲ。
そして、哺乳類の体の構造を全く無視した針金のように細い胴体。思い出したように付け足された尻尾。
「アタシさー、最近凝ってんだよね。オリジナルTシャツ、ってやつ?」
保田さんがパソコンにハマってるのは知ってたけど、まさかココまでやるとは。
ココで普通なら、彼女に対して尊敬の眼差しを向けるところだけど…ごっちんの胸元で揺れるブサイクな犬を
見る限り、とてもそんな気分にはなれなかった。
「後藤」
マネージャーに呼ばれて雑誌の取材へと向かうごっちんの後ろ姿を見送る。
ごっちん…一体、どこがカワイイの?その犬。
ねぇ。わかんないよ、教えてよ…ごっちん。
「よっすぃーにも作ってきてあげよっか?」
「いや、あたしは」
これ以上ゴミを増やすことは、地球にとって良くない。
あたしは涙をのんで、保田さんの申し出を丁重にお断りしたのだった。
そして、後日。
「ぶーーーっ!!げほっ、げほごほっ!!」
「やっ、矢口さん!?」
休憩時間、椅子に座って雑誌を読んでいた矢口さんが突然、飲んでいたお茶を勢いよく吹き出した。
「ごほっ、ごほっ、ごっ、ごっちん…コレ着て写真撮ったの!?」
「うん。面白いからそのまんまでいいよぉー、って言われてさ」
あたしは、矢口さんの吹き出したお茶が転々と飛び散っているページを覗き込む。
そこには、二週間ほど前に見たきり記憶の奥底に追いやっていた悪夢の絵がプリントされたTシャツを着て
にっこりと微笑むごっちんの姿があった。
「いやー、なんか照れるよね。自分のイラストが雑誌に載っちゃうなんてさ」
「良いのかなー…発禁とかなんないよね、コレ」
「ごっちんよりTシャツの方が目立ってますよね」
ノンキに笑うヤスダ画伯の姿に、あたしたちの心配は尽きなかった。
そしてこの一枚のTシャツが、あたしと矢口さんの身に更なる不幸をもたらすコトになろうとは…
この時はまだ、知る由もなかった。
―――
「世の中わかんないモンだよねー。こんな趣味悪いTシャツがバカ売れしちゃうなんてさ」
タメ息混じりにそう言った矢口さんの言葉に、あたしは大きく頷いた。
テーブルの上には、左胸に例の悪魔犬(作・ヤスダ画伯)が小さくプリントされたTシャツが広げられている。
今から一ヵ月半ほど前、保田さんのオリジナルTシャツ(ヤスダ画伯作の『犬』がプリントされている)を着た
ごっちんの姿がとある雑誌に掲載された。
後藤真希が着ていたというコトからなのか、ヤスダ画伯の斬新な作風がウケたのか、翌日から雑誌社には
『犬』Tシャツへの問い合わせが鬼のように殺到したという。
ヤスダ画伯作の『犬』…『ヤスダ犬』(やすだけん)と命名されたそのキャラクターがプリントされたTシャツは
即製品化され、市場に出回るや否や売れ行きは絶好調、品切れ続出で生産が追いつかないという事態を
招いていた。
一ヵ月半前、悪魔の犬と罵られたこの『ヤスダ犬』は…今や某『ア○ロ犬』をもしのぐ勢いで、業界にちょっとした
旋風を巻き起こしていたのだ。
矢口さんの言う通りだ。
ホント、世の中わかんないモンだなぁ…。
「みんな、ちょっと集まって」
番組の収録を終えて帰り支度をしていたところでマネージャーに招集され、メンバー全員が部屋の中央に集合した。
娘に合流していよいよ本格的に活動を開始した新メンバーたちは、メモ片手に緊張した面持ちであたしの後ろに立っている。
「近いうちに、つんくさんから話あると思うけど…新ユニット、作ることになったから」
マネージャーの言葉に、「えっ…」という戸惑いの声があちこちから漏れる。
「ユニット名は、『ヤスモニ。』」
マネージャーの言葉に、「は…?」という戸惑いの声があちこちから漏れる。
ヤスモニ。……?
「メンバーだけど…まず、リーダーは保田」
『ヤスモニ。』の『ヤス』は保田さんの『ヤス』…?
「で、紺野」
「えっ……はっ、はい」
突然名前を呼ばれた紺野ちゃんは戸惑いつつも頷くと、メモ帳に何やら記入し始めた。
『ヤスモニ。のメンバーに選ばれた。』とでも書き留めているのだろうか?
「矢口」
「はあっ!?」
ヤスモニ。の三人目は、矢口真里(18)に大決定。
「で、最後が…吉澤」
「えっ」
ヤスモニ。の四人目は、吉澤ひとみ(16)に大決定、って…うっそぉー。
っていうか、ヤスモニ。ってなに!?なにするヒト!?何の集団!?
災難は、自分の身に降りかかって初めて実感するモノなのだと知った瞬間だった。
「デビューは来年1月1日。で、まだサンプルなんだけど…一応、衣装もできてるから」
そう言ってマネージャーが紙袋から取り出したモノは、一枚のTシャツ。
爽やかな白地の、そのど真ん中では…見覚えのある、忘れたくても忘れられない、あの『犬』が、にんまりと
悪魔の笑みをたたえていた。
今や子供たちに大人気のヤスダ犬を引っ提げて、2002年1月1日に華々しくデビューを飾る、
四人組新ユニット『ヤスモニ。』。
『ヤスモニ。』の『ヤス』は、ヤスダ犬の『ヤス』だったんだ。
お母さん、ゴメン…ひとみは、純白のウェディングドレス着る前に、純白のヤスダ犬Tシャツを着る羽目になりそうです。
「あーっ!なっち、すごいコトに気付いちゃった!」
テーブルに広げられたヤスダ犬Tシャツ(『ヤスモニ。』仕様)を指差して、安倍さんが言った。
「ヤスモニ。のね、最後の『
i 』を『 o 』に変えてみて?」
ヤスダ犬のイラストの下にプリントされた、『yasumoni
。』の文字に目を遣る。
「ヤスモノ。になった!あーら不思議!!」
「テメーっ!ケンカ売ってんのかよ!!」
「やっ、矢口さん、落ち着いて!」
あたしは、安倍さんに掴みかかろうとする矢口さんを羽交い絞めにする。
「どうせなら、『ヤッスモニ。』の方がゴロが良くていいのにね」
飯田さんまで…。
みんな、自分に関係ないからって言いたい放題…。
「さむっ…」
小さなカラダをちぢこませて、矢口さんがぽつりと呟く。
傷心のあたしたちにとってお台場の潮風は、あまりにも冷たすぎた。
「もうすぐ10月も終わっちゃうんですよね…早いなぁ」
安倍さんに『安物』呼ばわりされた『ヤスモニ。』の面々(保田さん、矢口さん、紺野ちゃん、あたし)は、
仲良く四人並んで夜道をとぼとぼと歩いていた。
「あーあ…なーんで、あたしたちなんだろ」
「ですよね、あたしもずっとそれが気になってて…」
矢口さんの言葉に大きく頷くあたし。
一体どういう基準で選出されたメンバーなのかさっぱり見当がつかなかったんだけど…
どうやら矢口さんも、あたしと同じ疑問を抱いていたらしい。
「ああ、『保田選んでいいよ』って言われたから…アタシが決めちゃったんだけどね」
「「ええっっ!?」」
保田さんの衝撃告白に、あたしと矢口さんの驚きの声がハモる。
そして並んでいたはずの紺野ちゃんは、いつの間にかあたしたちの少し後ろを歩いていた。
「圭ちゃん、よくも、よくも…なんてコトしてくれたんだよっ!!」
「あーっ、もう矢口さん、落ち着いて!」
保田さんに殴りかかろうと暴れる矢口さんを羽交い絞めにして、何とか押さえる。
「だけど、何であたしたちなんですか?」
保田さんが選んだってコトは、彼女は事前に新ユニット結成計画について知ってたってことになるけど…
一体どういう基準であたしたちを選んだのだろうか。
「けなされて悔しかったから」
あたしの問いに、保田さんはきっぱりと言い放つ。
「「はあ?」」
一瞬、何のコトやらよくわからなかったのだが…思い当たるフシがあるコトに気付いた瞬間、血の気が引いた。
そう、あれは約二ヶ月前…入ったばかりの新メンバーが挨拶に訪れた時の和やかな楽屋風景。
(『ほんっと、地球上の生物じゃないですよね。コレは』)
(『すっげー、ブサイク!!ねっ!紺野ちゃん?』)
(『えっ、あ、あの……は、はい』)
あまりのショックに思わず立ち尽くす、あたしと矢口さん。
そして、突然足を止めたあたしの後ろを歩いていた紺野ちゃんは…勢い余ってあたしの背中に顔面から激突した。
「あっ、すみませんっ…」
「あっ、こっちこそゴメン。だいじょうぶ?」
ぶつけた鼻をさすっている紺野ちゃんに声をかけつつも、あたしは心ココにあらずといった感じだった。
確かにあのとき、ヤスダ犬についてコメントしたのはあたしたち三人だけだったけど…
みんな口に出さなかっただけで、思いは同じだったはず。
それなのに、それなのに……。
『口は災いのもと』
そんな言葉が、痛いほど身に沁みた夜だった。
―――ヤスモニ。デビューまであと2ヶ月とちょっと。―――
―――
新ユニット結成から数日後、それは突然やってきた。
「失礼しまぁす」
少しだけ緊張しながらドアを開け、中へ入る。
「おう、吉澤。久しぶりやな」
「おはようございます」
事務所の一室。
つんくさんはあたしが部屋に入ると、吸っていたタバコを揉み消しながらこちらへにこりと微笑みかけてきた。
入口に突っ立っていたあたしは、つんくさんに促されてソファーに腰掛ける。
「どや、調子は」
「調子ですか?いいですよー、もぅバリバリです!」
あたしはつんくさんに暗い気分を悟られないよう、ワザと明るく振舞う。
「そうかそうか。ははっ、そうか」
目の前に座るつんくさんは、終始ニコニコ顔。
「まあ、今度の曲はお前メインやからな。しっかり頼むで」
「はい!チャンスなんで、がんばります!」
新ユニットのコトで少々落ち込んでいたあたしだったが…つんくさんの言葉に救われ、ようやく元気を
取り戻せたような気がした。
しっかり頼むで、かぁ…どんなに自信を失った時でも、誰かに期待されてるって思うと途端に
勇気が湧いてくるから不思議だ。
「ははは、そんな気負わんでええって。十分頑張ってるやん、お前。頑張ってる、ホンマ頑張ってるよなー。うん」
「まだまだ!がんばりますよぉー、吉澤は!!吉澤はですね、これからももっともっといろんなコトに
挑戦したいと思ってるんですよー!歌だけじゃなくて、ドラマとか…あとはボクシングとか空手とか
テコンドーとかですねっ、もっともっといろんな…」
つんくさんの言葉にうれしくなったあたしは、自分のこれからの夢をアピール。
「うん、わかった。お前が頑張ってんのは、ようわかった」
「はあ…」
ああ、これからが良いトコだったのに…残念。
「まあ、そんな事はどうでもええねん。今日呼んだんはなぁ、アレや。聞いたと思うけど…新ユニットの事でちょっとな」
「ああ…はい」
未来への夢が膨らみかけたところで、いきなりイヤな現実に引き戻されて暗い気分になる。
「あのな、アレや…えーっと、『ヤスダ娘。』やったっけ」
「えっ…。『ヤスモニ。』って聞きましたけど」
「ああ、そうそう。それそれ」
ずいぶんいい加減だなぁ…もしかして、つんくさんが考えたユニットじゃないのだろうか?
「衣装も見たと思うけど」
「はい」
『衣装』とは…言わずと知れた例の悪魔犬、もといヤスダ犬Tシャツのコト。
まだ試作の段階らしいから、少しは良い方に改良されて出来上がってくるといいけど…。
「あれな…実はお前だけ、ちゃうヤツやねん。何て言うたらええかなー…特別、っていうかな。
まあ…今回のユニット、ある意味お前メインやから」
「と、とくべつ!?」
メイン!?
あたしの口から、思わずうれしい悲鳴が漏れる。
『ある意味』というフレーズが少し気にかかったものの、あたしはつんくさんの言葉を素直に受け止めた。
モーニング娘の秋の新曲、そして今回の新ユニット…ダブルでメインだなんて、信じられない。
ついに『よっすぃー』の時代が来たね…長かったなぁ、ココまで。
ホント、がんばってきて…よかった。
「いやー、ホンマ頑張ってるよな。吉澤は。何度も言うけど、ホンマ頑張ってる」
「そう、ですかね」
そこまでしつこく言われると、なんだか空々しく聞こえるのは気のせいだろうか。
「ホンマやて。今度の新曲かてめちゃめちゃ頑張ってるやん。めっちゃ目立ってるやん?せやろ?」
「はい!目立ってます!」
つんくさん、本当にあたしのコト認めてくれてるんだ…あたしは、そんなつんくさんの言葉を空々しいだなんて
思ってしまったコトを深く反省した。
「モーニングではお前が一番目立ってる。これ以上ないほど目立ってる。せやな?それは間違いないよな?な?な?」
「はあ…」
つんくさん、一体なにが言いたいんだろう…?
「そういうワケでな…」
そう言ってソファーにもたれていた上半身を起こすと、つんくさんは目の前のテーブルに両手をついた。
「すまん、吉澤!泣いてくれ!この通りや!!」
「えっ、ちょっと、つんくさん!?」
テーブルに額を擦りつけるようにして、深々と頭を下げるつんくさん…なんなの、一体!?
「お前の衣装な…アレなんや!」
つんくさんが、顔を伏せたまま部屋の隅を指差して言った。
「……!」
つんくさんが指し示した先にあったモノを見た瞬間、あたしの体を電流のような衝撃が駆け抜けた。
「アレ、ですか…あたしの衣装。着ぐるみですか、あたし」
今まで平面上でしか見たコトの無かったそれが、ぬいぐるみとなってあたしの目の前に転がっている。
三次元の世界へようこそ…ヤスダ犬。
とりあえず、部屋の隅に置いてあるのは頭の部分だけのようだ…胴体部はどこか別の場所に保管してあるのだろうか?
「正確には、『かぶりモン』や。首から下は…コレを着てもらう」
ようやく顔を上げたつんくさんが、テーブルの下に隠してあったらしい『何か』をガサゴソと取り出すと…
それを、あたしの目の前で広げて見せる。
パサッ。
両手を上げたつんくさんが、目の前で垂れ幕のようにそれを広げた瞬間のこの音を、
あたしは生涯忘れないだろう。
「ぜっ……!」
全身タイツ!?しかも白っ!?
「あ、あわわわわわ」
驚きは、言葉にならなかった。
「オレらも考えたんやで?せやけどな、ヤスダ犬の胴体部分…細すぎて、ぬいぐるみではどうしても
表現できひんかったんや。頼む、全身タイツ着てくれ。吉澤」
「………」
憎かった…ごっちんが『憎めない』と言ったヤスダ犬が、憎くて憎くてたまらなかった。
「あたし…コレ着て、ステージに立つんですか?」
「立ったり座ったり。時には四つん這いで。犬やから。な?」
「嫌です」
全身タイツで四つん這い…嫌だ、死んでも嫌だ。
「どうしてこんなこと…わかりません。あたしには理解できません」
今まで、つんくさんが言うコトには逆らわず従ってきたし、これからだってつんくさんのコト、
信じて付いていくつもりでいたけど…今回ばかりは、首を縦に振るワケにはいかない。
あたしのプライドにかけても、ヤスダ犬のぬいぐるみ被って首から下は全身タイツ(白)だなんて…絶対にできない。
「これまでのユニットを越える最高のユニットを作りたい、そんなオレの夢…一緒に叶えてくれへんか?吉澤」
「えっ…」
つんくさんの、夢?
あたしの固い決心が、少しだけ揺らいだ。
「ミニモニ作った時な…あれは、ホンマしんどかったなぁ。子供向けのユニットやなんて、どう作っていったらええのか
始めは見当もつかへんかったしな。せやけど、オレの不安な気持ちとは正反対にミニモニは大成功…。
そんとき思ったね、こんなんもアリやな、と。ええか、吉澤。オレら、子供相手でも十分イケんねんで?」
「はあ…」
つんくさんの話は、一瞬小難しそうに聞こえるが実はそうでもない。
「21世紀を託す子供たちに夢を与えるようなユニットを、そんな素敵なユニットを…作りたいんや、オレは」
「つんくさん…」
あたしの固い決心は、ぐらぐらと揺れ始めた。
「ミニモニのスタイルを踏襲しつつ、ヤスモニ。のええトコも取り入れる…完璧や、まさに完璧なユニットや」
はて、ヤスモニ。の良い所ってどこだろう…目の前で力説するつんくさんを、複雑な思いで見つめる。
「そういうワケで、曲はミニモニのカバーで行こうと思う」
カバー…パクリってコトですか、もしかして。
まぁ、デビューまであまり時間も無いし、仕方ないって言えば仕方ないんだろうけど。
「あっ、詞はちゃんと変えてあるで」
「ああ、そうなんですか」
『子供たちに夢を』なんて壮大なコト語ってた割に、曲はミニモニのパクリだし…
つんくさんの言葉にかなりの胡散臭さを感じたあたしは、自然と冷めた口調になる。
そしてそんなあたしの疑念を感じ取ったのか、つんくさんはあたしから視線を外すと
諦めたようにタメ息を一つついた。
「所詮はオレも、人の子や」
自嘲的に笑う。
「グッズ、売りたいねん…吉澤」
「そんなコトぶっちゃけられても」
ヤスモニ。結成の理由、それは…ヤスダ犬グッズで一儲け、だったんだ。
『子供たちに夢を』なんて言っといて…夢をあげるどころか、お金ふんだくってるだけじゃんか。
なんて、思いつつも。
「しっかり頼むで。吉澤」
誰かに期待されてるって思うと途端に勇気が湧いてきて、その気になってすぐ騙されて。
「はい」
気がつくと、あたしは…つんくさんと固い握手を交わしていたのだった。
お母さん、ゴメン…ひとみは、純白のウェディングドレス着る前に、純白の全身タイツを着る羽目になりそうです。
「おかえり。つんくさん、何だったの?」
つんくさんとの面談を終えヤスモニ。のみんなが待つ部屋へ戻るなり、リーダーである保田さんに迎えられる。
「ちょっと…。後で話します」
とてもじゃないけど、今は…全身タイツのコト、みんなに話す気にはなれない。
まあ、放っといてもいずれわかっちゃうコトなんだけど。
「おかえり、よっすぃー!」
矢口さんの笑顔が眩しすぎて、あたしは思わず目を伏せた。
夜を彷徨うドラキュラのような心境のあたしにとって、朝日のように爽やかな矢口さんの笑顔は…
あまりにも眩しすぎた。
「あのっ…おはよう、ございます」
「えっ?ああ、おはようございます」
矢口さんが朝日なら、紺野ちゃんは沈みゆく夕日ってトコかなぁ(←とりあえず良い意味で)。
どことなく、寂しげなところが。
「ほら、もうこんなの出来てきてるよ?」
残る保田さんは、真夏の真昼間の太陽ってトコかなぁ。
どことなく、ギラギラしてるところが。
ヤスモニ。メンバー全員を例え終えたところで、あたしは保田さんが手にしている一枚の紙を覗き込む。
「『ヤスモニ。2002年1月1日デビュー決定!!』。何ですか?コレ」
「マスコミ用のチラシだって」
保田さんの手から、それを受け取る。
――
ヤスモニ。2002年1月1日デビュー決定!!
デビュー曲は、なんとあのミニモニ。大ヒット曲のカバー、『ヤスモニ。ジャンケンぴょい!』
――
(『あっ、詞はちゃんと変えてあるで』)
『ミニモニ。』を『ヤスモニ。』に変えただけじゃん…。
勘の鈍いあたしでも容易に想像できた…タイトルだけでなく、歌詞も『ミニモニ。』→『ヤスモニ。』に
置換してあるだけだ。そうに違いない。
「ジャンケン『ぴょい』、だってさ…びみょーに変えてあるね。一瞬わかんなかったよ」
矢口さんの言葉に、再度チラシを確認する。
そして、恐らく『ぴょん』も『ぴょい』に置換してあるだろうコトが判明した。
「ジャンケンぴょい、って…歌いにくそう」
そしてミニモニ・ヤスモニの2バージョンを歌いこなさなければならない矢口さんは、深いタメ息をついた。
「紺野ちゃん、なにやってんの?」
下を向いて一生懸命メモを取っている紺野ちゃんの手元を、矢口さんが覗き込む。
「メモ…してるんです」
「いや、見りゃわかるけどさー…えっ、もしかしてコレ丸写ししてる?」
「…はい」
矢口さんの問いに、消え入りそうな声で答える紺野ちゃん。
何をメモしていたのか気になったあたしは、横からそっと彼女の手元を覗き込む。
するとポケットサイズのメモ帳には…矢口さんの言葉通りチラシの内容が、一字一句違わず写し取られていた。
『デビュー決定!!』って、ご丁寧にびっくりマークまで付けちゃって…そこまで忠実にメモらんでも。
なんだか、変わったコだなぁ…。
「じゃあ、コレあげるから持って帰りなよ」
「……良いんですか?」
「うん。10枚でも100枚でも好きなだけ」
言いながら、矢口さんはあたしの手からチラシを抜き取る。
「あれっ?待って、コレ…よっすぃーの名前がないよ?」
そして矢口さんはチラシを紺野ちゃんに手渡そうとしたところで、その手を止めた。
あたしたちは、輪になって問題のチラシを覗き込む。
チラシの下半分には、ヤスモニ。メンバーの名前が大きくプリントしてあった。
『保田圭』
『矢口真里』
『紺野あさ美』
確かに、この中に『吉澤ひとみ』の名前はない。
あーあ…ミスプリントか、こりゃスタートから不吉だなぁ。
やれやれ…なんて思っていた次の瞬間、あたしは見つけてしまった。
『保田圭』の真上に燦然と輝く、『ヤスダ犬』の文字を。
頭から、すっぽりヤスダ犬のぬいぐるみ被って。
そして首から下は、純白の全身タイツ。
あたしは、全てを理解した。
そうか、ココでは…このユニットにおいて、あたしはあたしであってあたしではない。
このユニットでは…あたしは、『吉澤ひとみ』ではなく『ヤスダ犬』なのだと。
このユニットでは…あたしは、自分の名を語ることすら許されないのだと。
「……っ」
「よっすぃー?」
チラシを見つめたまま動かないあたしの顔を、矢口さんが覗き込んでくる。
あたしは零れ落ちそうになる涙を必死にこらえて、矢口さんから視線を逸らした。
「よっすぃー!?泣くなよぉ…こんなの、ただのミスプリじゃん。作り直してもらお?
ねっ、泣かないで?よっすぃーってば」
「……っ」
涙が止まらないのはミスプリのせいなんかじゃなく。
これが、明らかに『ミスプリではない』からなんですよ……矢口さん。
「よっすぃー」
俯いて泣いていたあたしは、後ろから肩を叩かれて恐る恐る顔を上げる。
するとそこには、にっこりと微笑んでハンカチを差し出す保田さんの姿があった。
そして彼女の悟りきったような表情を見て、あたしは直感した…この人は知っている、と。
この人は、あたしが『ヤスダ犬』であるコトを、知ってるんだ。
「その涙、うれし涙に変えるよ。ウチらみんなで、ね」
「保田さん…」
その優しい言葉に打たれて、あたしの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
「…!」
そして差し出されたハンカチを受け取りながら、ハッとする。
いけない!忘れるな、ひとみ。
元はと言えば、すべて……この人のせいだ。
―――ヤスモニ。デビューまであと2ヶ月。―――
―――
「吉澤!全然ダメ!!もっと犬っぽく!!!」
夏先生の怒声が、スタジオ中に響き渡る。
娘。に入って約一年半、ダンスに関しては数え切れないほど怒られてきたあたしだけど…
『もっと犬っぽく』って注意されたのは初めてだ。
もちろん、それは夏先生にしても同じコトだろうけど。
デビュー曲も決定し(『ヤスモニ。ジャンケンぴょい!』。2002.1.1 On
Sale)、
早速デビューへ向けてのダンスレッスンを開始した、あたしたち…ヤスモニ。
曲はミニモニのパクリ(つんくさん曰く『カバー』)なんだけど、ダンスに関しては
ミニモニとは全く違ったヤスモニ。ならではのモノを、というつんくさんの勝手な注文に
夏先生も少々キレぎみの様子。
だって、自分は詞・曲ともにミニモニ。パクっといてダンスだけ新しいモノ作れって…
夏先生がキレるのも、わかるような気がする。
「もう!何度言ったらわかんの!?」
「…すいません」
何度言われても…『犬っぽく』なんて一生無理です、先生。
メンバー全員が主役といったカンジで臨むミニモニ(←ミカちゃんに関してはちょっと違う気もするけど)と異なり、
ヤスモニのフォーメーションはあくまでヤスダ犬(あたし)がメイン。
一人前列で踊るあたしのバックに、左から保田さん、紺野ちゃん、矢口さんという並び。
ココで素人なら…あたしの真後ろに立つ紺野ちゃんは死角になって全く見えないじゃん、可哀相に。
なんてうっかり勘違いしがちだけど、心配ご無用。
なぜなら曲の間中、あたしはほとんど中腰や四つん這いの状態で踊ってるから紺野ちゃんは
見えないどころか見方によっては彼女がセンターのようにも見えるのさっ…。
なんたって、ヤスダ犬は『犬』だからね…ははは。
四つん這いの状態で右へ左へ、前へ後ろへ、時に激しく跳ね回ったり、時に切なく空を仰いだり…。
両膝を床に付けてのハードな振り付けに、ジャージの膝は摩擦熱で溶け始めていた。
『顔は見えなくても気持ちは振りに表れる』という先生の言葉を信じて…野を駆け回る時の楽しい表情や
月を仰ぎ見る時の哀しい表情など、あたしは全てにおいて犬になりきろうと努力した。
そう…たとえ、顔は見えなくても。
「ほぉら、よっすぃー。欲しい?ねぇ、欲しいんでしょ?」
床に座って休憩しているあたしの鼻先にホネ(小道具)をチラつかせながら、矢口さんが言った。
「やめてください」
あたしは冷ややかに言い放つと、突きつけられたホネ(プラスチック製)を右手で払いのける。
「ダメだよ、よっすぃー。欲しいときはちゃんと『おすわり』しなきゃ、あげないよ?」
「だから、いらないっつってんでしょー」
「あっ!なにすんだよー!」
尚もしつこく迫ってくる矢口さんの手を少し強めに払うと、ホネ(『ヤスダ犬』の大好物、という設定)は
矢口さんの手を離れて床に落ちてしまった。
「もーっ!お行儀よくしなさい!」
けっ。飼い主ぶってんじゃねーよ…。
あたしはまだ衣装(ぬいぐるみ&全身タイツ)も着けていないあたしを犬に見立てて遊ぶ矢口さんを完全無視、
コロコロコロ…と転がっていく白骨をただぼんやりと眺めていた。
と、突然あたしの目の前を人影が横切る。
ゆっくりとした足取りでホネに近付いた彼女はそれを拾い上げると、くるりと向きを変えて
あたしの方へ歩み寄ってきた。
「あの、コレ……」
見上げたあたしの鼻先にホネを突きつける紺野ちゃん。
さっき矢口さんにからかわれた時と、シチュエーションは全く同じなんだけど…あたしにはどうしても、
その手を払いのけるコトができなかった。
「ありがとう」
ホネを受け取ってお礼を言うと、紺野ちゃんは黙って首を横に振り、あたしたちから少し離れた場所に腰をおろした。
「ダメだよ、よっすぃー。うれしいときは、ひっくり返っておなか見せなきゃ」
間違っても…この人にだけは、飼われたくない。
「だいぶ振りも入ってきたみたいだから、そろそろ衣装着けてやってみよっか。吉澤」
頭上から、夏先生の悪魔のような一言が降って来た。
「えっ…もう?」
ついに、来るべき時が来てしまったようだ。
「うそぉー、見たい見たい!!」
あたしは、はしゃぐ矢口さんの顔面に硬い白骨を思いっきり投げつけた…ところを想像した。
着替えのためスタジオを出ようとしたあたしの肩を、すれ違いざま保田さんがポンポンと叩く。
「よっすぃー、期待してる」
『しっかり頼むで』。『期待してる』。『ねぇ、欲しいんでしょ?』。
ふざけないでよ、みんなして勝手なコトばっかり言っちゃって…。
それでも、期待されればきっちり仕事してしまうあたしって。
期待されれば、ホネだってジャーキーだって何だって欲しがってしまうだろうあたしって。
コレが『プロのお仕事』ってゆーやつだよ、紺野ちゃん…よく見てな。
ドアを開けスタジオを去る前に、何やら熱心にメモを取る紺野ちゃんの方へ振り返る。
すると先輩の勇姿を前にして、紺野ちゃんは…シャーペン持ったまま、爆睡してた。
おやすみ。
きっと、ハードなレッスンで疲れちゃったんだね。
だけど、吉澤センパイは…もっと疲れてるんだよ?(精神的に)
「ぷーーーっ!!あははは!!あーっははははははは!!!わーっはははっ!!!ははははははっ!!
もーっ!やめて、よっすぃー!!コワれる!!矢口のおなか壊れちゃうよぉーっ!!はははははは!!!」
床に転がってのた打ち回る矢口さんを見ながら、この人ホントに壊れちゃうんじゃないだろうか…
と、本気で心配になった。
「へぇ、なかなか忠実に作ってあるね」
保田さんは腕組みして、あたし(ヤスダ犬)のカラダを上から下まで舐めるように見ている。
それにしても、紺野ちゃんは一体何をメモっているのだろうか。
まさか、あたしの恥ずかしい姿をスケッチしてるんじゃないだろうなぁ……。
「そっ、それじゃあ…はっ、はじめるよ…くくっ」
先生、笑いたければ笑ってもいいんですよ?
夏先生の号令によりみんなスタジオの中央に集まって、レッスンが再開した。
あたしは重いアタマを両手で支えながら配置につくと、床に両手両膝をついて四つん這いになる。
重い…頭が重くて、首が据わらない。
ぬいぐるみの重みが、床についたあたしの両膝に負担をかける。
あたしのバレー人生、コレで終わっちゃうかもしれない。
全身タイツ(白)に身を包み、ヤスダ犬の白いぬいぐるみ(耳は黒)をすっぽりと被ったあたしは…
四つん這いの状態で右へ左へ、前へ後ろへ、時に激しく跳ね回ったり、時に切なく空を仰いだり。
(ヤスモニ。のレコーディングはまだなので)ミニモニの曲に合わせてジャージの膝を溶かしながら、
時おり後ろから漏れ聞こえてくる矢口さんの笑い声にもめげず、精一杯踊り続けた。
犬らしく躍動感あふれる振り付けに、いつしかあたしも夢中でのめり込んでいたのだ…途中までは。
(『間奏部分は…衣装着てからにしよう』)
レッスンの前半、そう言っていた夏先生は…決して、あたしと目を合わせようとはしなかった。
そんな先生の態度にあたしは、間奏部分に『何か』があるコトを確信していた。
「間奏部分のテーマは、『犬と人間の戯れ』。まぁ要するに、ヤスダ犬と子供たちが仲良く
遊んでる場面を表現しようと思うんだけど」
ハードなレッスンの合間、夏先生の説明に耳を傾ける。
ヤスダ犬と子供たちが仲良く遊んでる場面、か…なるほど、ヤスダ犬の可愛いイメージを
チビッコたちに植え付ける必要があるもんね(→グッズ売るため)。
ヤスダ犬と子供たちが仲良く遊ぶ…ボール遊びとかかなぁ。
まさか、フリスビーじゃないよね…。
などと、犬とチビッコ(=あたしとヤスモニ。のみんな)が楽しく遊んでいる場面をいろいろと想像してみる。
「とりあえず、『犬と人間』で真っ先に連想するのは…『主従関係』だと思うのね」
「えっ」
『仲良く遊ぶ』というほのぼのした情景とは余りにかけ離れた先生の言葉に一瞬、自分の耳を疑った。
「犬と子供たちが、ケガなく楽しく遊ぶためには何が必要だと思う?保田」
「しつけ、ですかね」
「そう。正しく躾られた犬だからこそ、子供たちは楽しくかつ安全に遊べるってワケ。
そこで吉澤には、正しく躾られた従順で可愛い犬を演じてもらいたいのね。オッケー?」
オッケー?じゃねーよ…何だかすごく嫌な予感がする。
「じゃ、最初の振りは…矢口に『お手』ね。で次が、紺野に駆け寄って『おすわり』」
やっぱし。
「さっ、戯れよっか。よっすぃー」
矢口さんは早くも、白骨(『ヤスダ犬ボーン』。12月12日、全国ペットショップにて一斉発売)片手にスタンバイ。
こんな楽しそうな矢口さん…見たコトない。
『お手』に始まり、『待て』、『伏せ』、『おすわり』、そして『チ○チ○』(←サイアク。埼玉に帰りたい)に至るまで…
間奏部分の振り付けは人間『吉澤ひとみ』にとって、屈辱に満ちたモノだった。
もしココに電信柱があったなら、間違いなく片足上げさせられていただろう(ヤスダ犬=オスと仮定した場合)。
矢口さん→紺野ちゃん→保田さんと次々に投げ渡されるホネ(『ヤスダ犬ボーン』)を求めて、
三人の間をたらい回しにされるヤスダ犬(あたし)。
夏先生…あたしに、なにか恨みでもあるのだろうか。
そして、ホネ(『ヤスダ犬ボーン』。12月12日発売予定)をねだるあたし(ヤスダ犬)に対して、
これ以上ないほど目をキラキラと輝かせる矢口さん、
申し訳なさそうに『おすわり』を命じる紺野ちゃん、
哀れむような視線を浴びせてくる保田さん、
みなさん、そんな目であたしを見ないでください…あたしだって、好きでこんなコトやってるワケじゃない。
ホンモノの犬だってもしかしたら…好きでこんなコト、やってるワケじゃないんじゃないかな。
っていうのは、考えすぎかなぁ…。
―――
「吉澤!ホラ、また遅れてる!曲終わっちゃうよ!!」
「はあ、はあ、はあ…」
四つん這いのまま、あがった息を整える。
間奏部分に入ってから、もうすぐ一時間が経過しようとしていた。
普段ならこの位の練習量、何でもないんだけど…今のあたしは頭に大きなぬいぐるみを被っている。
重さと、何よりも暑さで体力は既に限界を超えていた。
「よっすぃー、大丈夫?」
心配してくれる保田さんに、あたしは黙って首を縦に振る。
娘。本体の新曲が出たばかりで大忙しのあたしたちに、スケジュール的な余裕はない。
限られた時間の中で、与えられた課題を確実にマスターしなくちゃ。
紺野ちゃんだって見てるんだ、先輩の情けない姿(衣装だけで十分情けないって話もあるけど)を
見せるワケにはいかないもんね。
それにしても…暑い。
首から上だけサウナに入ってるみたいに暑くて…頭が、ぼーっとしてくる。
「じゃあ、次は通しで行くよ」
夏先生の声が、すごく遠いところから聞こえてくるような気がする。
あ……やば、意識が……だんだん……遠く、なって……
ドサッという音がして…気が付くとあたしは、床に倒れていた。
「「よっすぃー!?」」 「吉澤!?」 「……吉澤さん?」
みんなの声は、すごくすごく遠くの方から聞こえていて…あたしは何だか、サウナの国にひとりぼっちでいるみたい。
っていうか、『サウナの国』って何だよー……えへへ。
「やだっ…よっすぃー!しっかりして!ねぇ、起きてよっすぃー!!」
矢口さん……。
心配してくれるのはうれしいんだけど、誰か早くこの忌まわしいかぶりモンを外してくれぇぇぇ……。
「してくれぇぇ…」
心の叫びは、声にならない。
暑い、あっづいよぉぉぉぉぉぉぉー……………。
着ぐるみがこんなに過酷なモノだったなんて…ミッキーやミニーの偉大さが、よくわかった。
今度からショーの最後には、割れんばかりの拍手を送ろうと思う(inディ○ニーランド)。
あ……もう、ダメみたい。
「よっすぃー!?よっすぃー!!よっ、すぃぃぃぃぃーーーーーっ…………」
―――ヤスモニ。デビューまであと2ヶ月弱。―――
―――
「こーんのちゃん!こんちゃーん?」
控え室にて。
紺野ちゃんのアダ名にちなんで(『コン』ちゃん→キツネを連想)、右手で影絵のキツネさんを作ってみました。
「コンっ…」
「はい」
「いや、『はい』って…」
普通に返されてしまった…宙に舞ったまま放ったらかしのキツネさんの立場は?
レコーディングも無事終了し(…というか、いつの間にかあたし(ヤスダ犬)抜きで終了していた。
吉澤=ヤスダ犬であるコトがバレないよう、ヤスダ犬は公衆の面前では決して声を発してはいけないとのこと。
だったら、別にあたしじゃなくても全然イイんじゃん…なんて考え出すとますますブルーになるのでやめとこう)、
今日はデビュー曲『ヤスモニ。ジャンケンぴょい!』(2002.1.1発売予定)のPV撮影の日。
「二人とも遅いねー…」
「…はい」
「ってゆーか、あたしたちが早すぎたのかなっ?ははっ」
「…はい」
うぉぁ…気っマズいよぉぉ。
向かい合わせに座るあたしたちの間には、見えない緊張の糸がピンと張りつめていた。
控え室にて。
センパイと二人っきりでいるせいなのか、ガチガチに緊張してる紺野ちゃん。
そして当のセンパイはいつ誰が来てもすぐヤスダ犬になれるよう傍らにかぶりモノを置き、
既に全身タイツ装着済み。
「あのさ、もう慣れた?」
彼女にとってはいろんな人に何度となく聞かれた質問だと思うけど、他に話題も見つからないし…
矢口さんたちが来るまで間を持たせるため、とりあえず話しかけてみる。
同時に、コレで少しでも仲良くなれれば…という思いもあった。
「はい。でも、まだあんまり…」
「どっちなんだよ、おい!」
あたしは目の前に座る紺野ちゃんに、右手で『ツッコむ』動作。
「えっ……最初のときよりは…だいぶん慣れました。でも…まだそんなに慣れてないから。完全じゃないから…」
消え入りそうな声でゆっくりと語り始めた紺野ちゃんは、あたしと全く目を合わせようとしない。
「あっ、ゴメンゴメン。そういうつもりじゃなくてさ!あの、わかりにくかった?あたしのツッコミ」
「えっ……」
矢口さん…助けてくださいよぉ。
目の前で固まる紺野ちゃんを見ながら、どうやって彼女と仲良くなろうか考えた。
「ねぇ、ぶっちゃけさぁ…センパイとか恐いっしょ」
「えっ……」
そう。コレは、部活と同じだ。
「とくに保田さんとかさー、めっちゃ恐くない?」
二年生が入ったばっかの一年生と打ち解ける方法、それは…三年生の悪口で盛り上がるコト。
「えっ……えーっと」
「イイって、言っちゃいなよ!誰にも言わないからさ!」
「……はい」
「あっ、やっぱしぃ!だよねー、あたしも今でこそ『圭ちゃん』なんて呼べるようになったけど…最初はホント恐くてさぁ」
ようやく会話の糸口を見つけたあたしは、戸惑う紺野ちゃんに自らの武勇伝を語り始めた。
「えっ……呼んでますか?」
「あっ、いや、そっかそっか。ホラ!保田さんが体調イイ時とか機嫌イイ時とか、たまにね。
『けーちゃーん』なんて呼んだりしてね、あははっ!」
しまった…そういえば紺野ちゃんの前で保田さんのコト、『圭ちゃん』呼ばわりしたコトなんてなかったっけ。
あたしってば、まるでいつもそう呼んでるみたく得意げに…。
恥ずかしくなって目を伏せると…今の自分が全身タイツ(純白)に包まれているコトを再確認してしまい、
さらに恥ずかしさがこみあげる。
「あっ、じゃあ…矢口さんは?やっぱ恐い?」
気マズくなったあたしはさっさと話題を転換、両手を膝の上に置いたまま固まっている紺野ちゃんに質問する。
「…矢口さんは…優しいと思います」
矢口さん『は』ってどういうコトだろ…『保田さんと違って』、という意味だろうか。
「……いろいろ、話しかけてくれるし、いろんなこと教えてもらったりしてるから…優しい人なんだなって」
非常にゆっくりとしたペースで語ってくれる紺野ちゃん。
確かに矢口さんって、第一印象はいいモンなぁ…なんとなく話しやすいカンジするし。
「あー、ダマされてるね。完全にダマされてるよ、紺野ちゃん」
「え……?」
「矢口さん、いっつも楽しそうに笑ってるけど、たまに目が笑ってないときがあるからね。
そういう時は決まって後で呼び出されたりするから、気をつけた方が良いよ」
「…そう、なんですか?」
怯えた表情であたしを見つめる紺野ちゃんに、あたしは黙って頷いた。
「何かあるとすぐキレるし暴れるし、声はでかいしワガママだし、ほんっと手ぇつけらんないんだから」
恐怖で固まる紺野ちゃんをよそに、あたしは一人盛り上がり始めていた。
「だからダメだよ?紺野ちゃん、騙されチャ!」
「あの……吉澤さん」
頬杖をつくあたしの腕を掴んで揺すりながら、震えた声で紺野ちゃんが言った。
「ああ、気にしない気にしない。こんなのウチら、いっつも言ってるコトだからさ」
カワイイ後輩と打ち解けるためだ…これぐらいの暴言、矢口さんだってきっと許してくれるはず。
なんたって、あたしと矢口さんの仲だもんね(信頼度300%)。
「全身タイツ脱がすぞ、オマエ」
「…!」
確実に聞き覚えのある声に、恐る恐る後ろを振り返る。
「やっ!?やややややっ」
矢口さん、いつの間に……!
最上級生の登場に、座ったまま硬直する一年生と二年生。
「へぇー、いっつも言ってるんだー。そっかそっか」
矢口さんが、頭まですっぽりと全身タイツに覆われたあたしの脳天を叩きながら言う。
そのたびに、ピタ、ピタ、という小気味良い音が…静かな部屋に響き渡った。
「で?ウチら、ってあと誰よ?あん?誰がいっつも言ってるって?」
「あの…おもに、石川さんが」
「ほぉー。そっかそっか」
ゴメン、梨華ちゃん…今度、ジュースおごる。
―――
「紺野、まだ表情硬いよ!!あのさー、ここはヤスダ犬とヤスモニ。が楽しく遊んでる場面なんだから、
もっと楽しそうにしなきゃダメでしょ!?」
間奏部分の撮影中、獰猛な犬よりもさらに獰猛な夏先生の怒号が飛ぶ。
先生のおでこに『猛犬注意!』ってシール、貼っといた方がいいかも…あっ、いかんいかん。集中しなくては。
「……はい」
あたしは四つん這いの状態で、萎縮して固まる紺野ちゃんの姿を見上げた。
「もうちょっとだからさ、がんばろ?」
「……はい」
あたしの励ましに、紺野ちゃんはほんの少しだけ笑ってくれたものの…その表情は、やっぱり硬い。
朝早くから始まった撮影もいよいよ大詰め、後は例の間奏部分(テーマ『犬と人間の戯れ』)を
残すのみとなっていた。
「すいませーん、矢口さんのシーン先いきまーす」
夏先生がスタッフに掛け合ってくれたらしく、紺野ちゃんとあたし(ヤスダ犬)の戯れシーンは
後回し、代わりに矢口さんとあたし(犬)のシーンを先に撮影するコトになった。
それにしても、あたしってば出ずっぱり…いやー、やっぱメインはつらいわ。ははは。
「あんまし固くなんないでさ、ウチらがやってんの良く見てて?いい?」
「…はい」
すれ違いざま、紺野ちゃんにアドバイスする矢口さん。
こういうマメな所が、新メンバーに誤解(矢口さん=やさしい)を与える要因となっているのかも知れない。
「いっぱい欲しがってみせてね?よっすぃー。紺野ちゃんも見てるんだから。ほぉーら」
「くっ…!」
ホネ(『ヤスダ犬ボーン』。12月12日、全国ペットショップにて一斉発売)をあたしの頭上に掲げて
不敵な笑みを浮かべる矢口さんを、屈辱に満ちた思いで見上げる。
「はあ、はあ、はあ…」
背中に跨る矢口さんを乗せて這い回っていると5分も経たないうちに息は乱れ、膝はボロボロ。
テレビやライブ用の振り付けとはまた違い、PV用のそれはかなり自由度の高いモノで
特に間奏部分の戯れシーンは、大まかな流れ以外ほとんど出演者のアドリブに任されていた。
「矢口さん…もうダメです。おりてください」
「はあ?もう終わり?早いよ、よっすぃー。ねぇ、もっとしよ?」
「やだ」
矢口さんはチッ、と舌打ちして渋々あたしの背中から下りてくれる。
「ん?…うぐぅっ!」
あたしの口から、低いうめき声が漏れる。
軽くなったと思っていた背中が、さっきよりもさらに強い力を受けて軋む。
既にカメラが回っているため、その姿を確認するコトはできなかったものの…腰に感じるズシリとした重みと、
その硬い感触であたしは全てを悟った。
どこまで鬼なんだ、あんたは…あたしの腰に土足(子供向けシューズ『ヤスモニ。モデル』。12月10日関東地区限定発売)
で立ち上がった矢口さんの重みで、両腕がぷるぷると震える。
やだっ!しかも、真後ろから撮ってる…やめてぇぇーーっ!!
もしかして、DVD(『ビデオ・ヤスモニ。ジャンケンぴょい!』。2002.2.2
On
Sale)だと
いろんな角度から観れちゃったりするの!?
いやっ…いやあああああーーーーーっっっ!!!
「一時間休憩とりまーす」
「あー、良かったぁ…おつかれ、よっすぃー」
悪夢のような戯れが終わり、満足げな表情を浮かべる矢口さんを…四つん這いのまま、
放心状態で見上げる。
忘れよう、今は何もかも忘れて…せめてディナー(おべんとう)を楽しむんだ、ひとみ。
「ん?なに?」
気を取り直してやっと立ち上がると、いつの間にか目の前に立っていた紺野ちゃんに腕を引っ張られる。
すると質問には答えず、紺野ちゃんはあたしの腕を引っ張ってずんずんとスタジオの隅の方へ歩いていく。
「どうしたの?」
「あの、あの……」
紺野ちゃんに引っ張られてスタジオの隅っこまで連れてこられたあたしは…周りにあまり人が
居ないコトを確認して、まだ中に熱気の篭るかぶりモノを外して傍らに置く。
吉澤=ヤスダ犬であるコト、スタッフには既にバレバレとは言え…万が一ココに部外者が
入り込んでいたらマズイ。
マネージャーからは、くれぐれも人前でかぶりモノを外さないように、と厳しく言われていた。
「どした?何か、困ったコトでもあった?」
俯いて手をもじもじさせている紺野ちゃんに、やさしく問いかける。
「あのぅ……」
何か言いたそうに口をもごもごさせている彼女を見ながら、あたしは…一年半前の、自分の姿を思い出していた。
入ったばっかの頃は見るモノすべてが初めてのコトで、毎日が緊張の連続で、何もかも上手くいかなくて。
先輩たちみたいに上手く笑えなくて、そんな自分がくやしくてまた暗くなって。
だけど目の前で落ち込んでる紺野ちゃんだって、それから他の新メンバーだって、誰だって…
暗いカオしてるより、笑ってるときの方がぜったいカワイイに決まってる。
矢口さんや保田さんや、みんながあたしたちにそうしてくれたように、
今度はあたしが…紺野ちゃんに笑顔をあげる番なんだよね?
「こーんのちゃん!おいっ!こんちゃーん?」
あたしは、『すべっても、くじけちゃダメ!ウケるまでやらなきゃっ!』という飯田さんの教えを忠実に守り、
今朝無視されたばかりのキツネさん(右手)で迫ってみる。
「吉澤さん……おしり」
「はあ?」
おしり?いきなりなに言ってんだ、このコは…?
「おしり……やぶけてます」
「え?うっそぉぉぉーーーーーーーっっ!?」
見ると紺野ちゃんの言葉通り、どこかで引っかけたのかあたしの全身タイツは腰からおしりにかけて
パックリと破れ、破れた部分の布がピラピラと哀しげに揺れていた。
「二人ともなにしてんの?こんなトコで」
「げっ、矢口さん!?」
よりによって、こんな状況下で一番会いたくなかったヒトに…!
「なっ、なんでもないっすよ。ねっ、紺野ちゃん?」
あたしは破れた部分をさりげなく左手で隠しつつ、後ずさり。
「あの…吉澤さんの、タイツの…おしりのところが破けちゃってて」
「ちょっ!?言うなよ、お前!!」
あたしは、正直すぎる紺野ちゃんに思わず掴みかかって猛抗議。
「あーっ!ホントだ!!はははははは!!パックリいっちゃったねー、よっすぃー!!さいっこー!!」
「矢口さん、声でかい!!」
大声で『よっすぃー!』って…バレないようにと人前でヤスダ犬かぶり続けてるあたしの苦労が台無しじゃんか。
「パンツは白なんだ、やっぱし。透けちゃうモンねー、あっはははは!!」
「やっ!?見ないでくださいよーっ!!」
あたしは破れたおしりを隠しながら、紺野ちゃんの後ろへ逃げ込む。
「矢口さんが土足であたしの上に乗っかるからでしょー!絶対あん時ですよ!
それしか考えらんないもん!!」
「なにそれ!?パンツ見えてんの、矢口のせいだって言うの!?」
「矢口さん以外いないでしょー!ってゆーか、さっきからパンツ、パンツって…!」
矢口さんに対する怒りで、いつしか傷(破れ)を隠すコトすら忘れていた。
「はいはい。ホラ、パンツ犬。ちょっと後ろ向いてみな?」
「なっ!?」
前方からゆっくりと歩み寄ってきた保田さんが、あたしの怒りをさらに煽るような一言を浴びせてきた。
「嫌ですよ!何で見せなきゃいけないんですか!!」
「別にあんたのパンツなんて見たかないよ。ビニールテープ貼ったげるから、後ろ向きなっつってんの」
「えっ?」
保田さん、あたしのタイツが破れてるの知っててビニールテープ借りてきてくれたんだ。
このまま控え室に戻るワケにいかないもんね…さすがはヤスモニ。リーダー。矢口さんとは大違い。
「はははっ、くっ…くくくくっ」
保田さんによる補修作業が行われている間、矢口さん(犯人)はずっと笑いっぱなしだった。
そしてあたしは、ちょっとだけ泣いた。
「よし!これでオッケーっと」
言うなり保田さんが、塞いだばかりのその部分を平手でピシャリと叩く。
「痛っ!もー、痛いなぁ……って、なにコレ!?なんで黒!?」
あたしの真っ白な傷跡には、黒のビニールテープが『×』の形にでっかく貼られていた。
「だって、それしか無かったんだもん。何も貼らないよりマシでしょ?」
「こんなの、よけー目立つじゃないですか!!やだよっ、やだよぉぉ…」
もー、サイアク…どうしてこうなっちゃうんだろ。
センパイとしてしっかりしたトコ、紺野ちゃんに見せたいって思ってたのに……あたしってば
ぬいぐるみ被ったままぶっ倒れるわ(ダンスレッスンにて)、おしり破けてパンツ見えてるわ、
ヤスモニ。結成以来、彼女に情けない姿ばっかり見せてる。
「…くすっ」
矢口さんと保田さんの笑い声に混じって、あたしの隣で小さく笑う声が聞こえた。
あっ……紺野ちゃんが笑ってる!
その大っきな目を小さく細めて楽しそうに笑う彼女を見ていたら、あたしまでつられて笑顔になってしまった。
紺野ちゃんが、笑ってくれたんだ。
「やっと笑った。いっつもそーゆーカオしてなよ。その方が…カワイイって思うし」
あたしがそう言うと紺野ちゃんは少し恥ずかしそうに笑って、それから大きく頷いた。
「……はい。あのー…私がんばります。だから…この後も、よろしくおねがいします」
相変わらず、彼女の喋り方はすごーくゆっくりしたモノだったけど。
ちょっとだけボーっとしてるトコは、なんとなく自分に似てる気がした。
紺野ちゃんのペースで、そしてあたしのペースで、
これからすこしずつ、ゆっくり仲良くなっていければいいよね?
「うん!遠慮しなくていいからね!あたし、紺野ちゃんのために最高の『おすわり』するから!」
少しずつ緊張が解けてきたのか、紺野ちゃんはさっきよりもずっと自然に笑ってる。
うん。やっぱし、笑ってるほうが…ぜんぜんカワイイや。
「さて、戻りますか。ゴハン食べて、またがんばりまっしょい」
そう言った保田さんに続いてスタジオを出ようとしたところで、矢口さんに左腕を掴まれる。
「ねぇ、それ脱ぐ前にさ…落書きしてもいい?」
「ダメ」
あたしは、耳元で囁いてくる矢口さんを一刀両断。
脱ぐ前のタイツに落書きなんて、そんなコト許そうモンなら…矢口さんのコトだ、ぜったい変なトコに変なコト書くに決まってる。
「えーっ、いいじゃん。書かせてよー、ねぇ!!ヤらせろよ、よっすぃー」
あたしの腕を掴んで駄々をこねる矢口さんの様子を、紺野ちゃんはただただ呆然と眺めている。
「ヤです、ヤですって…」
悪魔の子め……!!
「どうせ捨てんだからいいじゃんよー。ねぇ、紺野ちゃんもやりたいよね?ねっ?」
「もーっ、なんで紺野ちゃんに振るんですかぁ」
そうやってすぐ彼女を巻き込もうとするんだから…。
「あの……やってみたい、です」
「「えっ」」
コンちゃん……マジ!?
―――ヤスモニ。デビューまであと1ヶ月とはんぶん。―――
―――
「あっ、今のトコ!巻き戻して、圭ちゃん……ほらーっ、やっぱ言ってるよ!!
『よっすぃー!』って、聞こえたでしょ?ねっ?」
矢口さんの言葉に頷く保田さん、紺野ちゃん、そしてあたし。
テレビ画面には、ヤスモニ。が出演したモーニング娘のコンサートの模様(反省会用ビデオ)が
映し出されている。
「ネットでもかなり噂になってるし…このままだと時間の問題だよ」
タメ息まじりに保田さんが言う。
デビューを約一ヵ月後に控えたあたしたちヤスモニ。は、連日テレビやラジオ(ヤスダ犬は喋らないので抜き)での
プロモーション活動に加え、コンサートや各ユニットの活動も重なって超多忙な日々を送っていた。
あくまで子供向けのユニットというコトと、容赦ない司会者のツッコミでヤスダ犬の正体(=吉澤)が視聴者に
バレないようにとの配慮から、あたしたちが出演する番組は朝の子供番組や娘のレギュラー番組に
限られていたのだが…どうやら最近、ヤスダ犬=吉澤説がファンの間で実しやかに囁かれているらしいのだ。
「あのー…ひとつ、聞いてもいいですか?
どうして、吉澤さんがヤスダ犬になってること……内緒にしてるんですか?」
紺野ちゃん…自分で『聞いてもいいですか?』って確認しといて、誰も許可しないうちに
勝手に質問してるし。
「子供たちの夢を壊さないように、ってコトらしいよ。子供たちにとってヤスダ犬はあくまで
『ヤスダ犬』であって、中に人間が入ってるなんて思ってないだろうからね」
リーダー保田さんによる事情説明に、半信半疑といったカンジで頷く紺野ちゃん。
「子供たちの夢を壊す、イコール、グッズが売れなくなると。やだねー、オトナの世界ってやつはさ」
矢口さんによるクールな事情説明に、大納得した様子の紺野ちゃん、今度は大きく頷いた。
夢見がちっぽい外見とは裏腹に、意外と現実派なんだね…。
「でも、何でわかっちゃうんですかね?あたし、テレビとかで一言も喋ってないじゃないですかぁ」
「やっぱさー、見る人が見ればわかるんじゃない?カラダの線とかで」
「げ…マジっすか」
矢口さんの鋭い指摘に、恐くて鳥肌が立ってしまった。
やだなぁ、そういうの…全身タイツ、二枚重ねに着た方がいいかな。
「実際そうみたいよ。昨日もネット徘徊してみたんだけど、ヤスダ犬の身長とか…
後はやっぱり、カラダの線ってやつ?よっすぃーにそっくりだって、話題になってたね。
とりあえず、見つけた分だけは一通り否定しといたけどね」
「うそっ、書き込んだの?圭ちゃん」
「うん」
矢口さんの問いに即答する保田さん…掲示板に片っ端から書き込むとは、ずいぶん地味なコトやってるなぁ。
「なんて書いたんですか?」
「『顔も声も出さないヤスダ犬が、よっすぃーのワケない』って、まぁそんなカンジの内容かな。
『そんなことしたって、彼女には何のメリットもないよ』とかね。適当に書いといた」
テキトーっていうか…めちゃめちゃ的を射た発言だと思うんですけど。
ホント、今回のユニットってあたしには何のメリットもないよね…やば、ちょっと涙出そうになった。
「でもホント、何とかしないとヤバイかもね」
「昨日つんくさんからメール入ってたから…たぶん、大丈夫だと思うんだけどね。『手は打っておいた』ってさ」
とりあえずあたしたちは…保田さんの元に届いた、つんくさんからのメールを信じてみるコトにしたのだった。
―――
「良い子のみんな、元気かなぁ?今日は緊急特別企画!ヤスモニ。スペシャルーっ!!」
安倍さんの陽気な(→でも疲れてるので空元気)タイトルコールから始まった、レギュラー番組の1コーナー。
娘。のメンバー全員が横2列にわかれて座っており、1列目には向かって右から司会の安倍さん、ごっちん、
そして保田さん、矢口さん、あたし(ヤスダ犬の扮装)、紺野ちゃん、という具合に本日の主役である
ヤスモニ。のメンバーがずらりと並んでいる。
前列の一番左(紺野ちゃんの隣)にリーダー飯田さんが座り、残りのみなさんは後列、という並び。
前列に7人、そして後列には6人という並びなのだが…後列の左端には、誰も座っていないイスがぽつんと置かれている。
つんくさん指示による、この緊急特別企画『ヤスモニ。スペシャル』は…今日収録して数日後にはオンエアするらしい。
まさに撮って出し状態のこの企画、台本には…ヤスモニ。の軌跡をVTRで振り返る、とある。
まだデビューもしてないのに、振り返るってのもどうなんだろ…って気もするけど、あたしが心配してるのはもっと別のコト。
タダでさえ巷ではヤスダ犬=吉澤説が囁かれてるってのに、モーニング娘とヤスモニ。を同じフレームの中に
収めるなんてどうかしてる…一体、つんくさんはどういう意図でこんなコーナーを企画したのだろうか?
巷であれこれ騒いでる、ヤスモニ。が狙う年齢層よりちょっと(かなり?)上の人たちはこの際どーでもいいとして、
何も知らない子供たちがこの番組を見てしまったとしたら…。
―
チビッコ:「あれっ?よっすぃーがいないよ?おかあさん!よっすぃーがいなくなっちゃったよぉぉー!!」
うっかりおかあさん:「それはね、このワンちゃんがよっすぃーだからじゃないかなぁ?」
チビッコ:「ええっ!?ヤスダけんは…よっすぃーだったの!?いやだっ!いやだよぉーっ!!
もうなにもしんじない!サンタさんなんかいないんだーーーーっ!!べんきょうなんてきらいだいっ!!」
後の祭おかあさん:「ああっ!?違うの!違うのよ!ああ、どーしましょ!○○ちゃんの夢が壊れてしまったわ!!」
―
結果、ヤスダ犬グッズの売上はダウン…ってなコトになりかねないと思うんだけど。
「今日はなんと、この『ヤスダ犬ハウス』を…三名様にプレゼント!
あて先は番組の最後に言うから、ちゃんとママにメモしてもらうんだよ?
それから、残念ながらハズれちゃった子もだいじょうぶ!!
『ヤスダ犬ハウス』は12月15日、全国のおもちゃ屋さんで一斉発売されるから…
クリスマスプレゼントはこれで決まり、だねっ!!」
「「「みんな、買ってねー!」」」
安倍さんのプレゼント告知(という名の宣伝)に続いて、ヤスダ犬を除いたヤスモニ。メンバーによる
『買ってね』コール。
声を発してはいけないあたし(ヤスダ犬)は、みんなの『買ってねー!』に合わせて両手を振って
可愛さをアピール。
「おつかれ、よっすぃー」
収録を終え、楽屋へ戻ろうとするあたしの肩を叩いて安倍さんが言った。
「吉澤…がんばってるね。おつかれさま」
続いて背後から飯田さんの、どこか哀しげな声。
「おつかれさまでした!」
二人とも、あたしの現状に同情してる…ちょっぴり傷付きながらも、あたしは明るい声でVサイン。
そして仮面(ヤスダ犬かぶりモノ)の下で、こっそり泣いた。
ぐすん。
―――
「はじまるよ」
矢口さんの声に、テーブルの上のペットボトルに伸ばしかけた手を止める。
収録から数日後。
あたしたちヤスモニ。の面々は楽屋にてノンキにお菓子をつまみながら、『ヤスモニ。スペシャル』の
オンエアを観ていた。
「つんくさんも一体どーゆーつもりなんだろね。おんなじ画面の中に全員集合させちゃってさー、
よっすぃーだけ居なかったら確実にバレんじゃん。ねぇ?」
「ま、何か考えがあってのことなんだろうけどね」
保田さんはさすがリーダーだけあって、矢口さんよりも少々余裕の表情でクッキーを頬張っている。
例によって紺野ちゃんは、メモ&シャーペン持ってスタンバイ。
『良い子のみんな、元気かなぁ?今日は緊急特別企画!ヤスモニ。スペシャルーっ!!』
安倍さんの浮かれたタイトルコールは、テレビ越しでもやっぱり空元気に見えた。
「「「あれっ!?」」」 「……あっ」
画面が引きの映像になった瞬間、三人と一人の驚きの声が重なった。
「吉澤さんが…います」
紺野ちゃんの言う通り、後列の一番左には…居るはずのない、あたしが座っていた。
「…合成、だよね?コレ」
矢口さんの問いかけに、保田さんはただ黙って頷くだけ。
あたしも保田さん同様、あまりの驚きに声も出なかった。
そしてしばらく考えた後、あたしはあるコトに気が付いた。
「先週だ。先週のあたしですよ、コレ!!」
VTRを観ながら手を叩いて爆笑しているテレビの向こうのあたしは、紛れもなく…同じ番組の、
先週放送分の自分の姿だった。
「みんなの衣装も、先週と一緒だよね」
「あっ、そうだそうだ。そう言えば一緒だったね」
保田さんの言葉に、矢口さんが大きく頷く。
改めてみんなの姿を確認してみると…先週放送分ではモーニング娘として出演していた
ヤスモニ。以外のメンバーの衣装は、確かにみんな先週分と同じモノだった。
モーニング娘。+ヤスモニ。の映像に先週のあたしを重ね合わせても決して違和感が無いように、
みんなの衣装も先週とまったく同じにする必要があったのだろう。
「はー、それにしてもすごいね。全然違和感ないよ」
腕組みした保田さんが、感心したように言った。
テレビの中では確かに、あたしとヤスダ犬が共演している。
なんか…不思議なカンジ。
「紺野ちゃん…まさか応募すんの?」
番組の最後、プレゼントのあて先を必死にメモる紺野ちゃんは、矢口さんの質問も全く耳に入っていない様子。
最新技術(?)を駆使しまくった、よっすぃー&ヤスダ犬のニセ共演番組も無事終了。
静かな部屋に、紺野ちゃんがペンを走らせる音だけが聞こえている。
「でも、まぁ…とりあえず一安心ってカンジじゃない?」
「だね。帰ったらサイト巡回しとくわ。例の噂もコレで消えちゃうんじゃないかな」
矢口さんも保田さんもすっかり安心した様子で、目の前のお菓子に手を付け始めている。
「そんなカンタンにいくワケないですよっ!!」
あたしはテーブルを叩いて、ノンキにくつろぐ二人に抗議。
「確かに違和感なかったですけど、アレは先週のあたしなんですよ!?
喋ってる内容とかでぜったいバレるに決まってるじゃないですか!!」
「ははっ…やっぱしぃ?」
「まー、そりゃそーだわな」
あたしの抗議を笑ってごまかす矢口さんに続いて、保田さんも苦笑い。
二人とも、他人事だと思って…。
再び静かになった部屋に、紺野ちゃんが何やら慌しくメモをめくる音だけが響く。
「…あのー、吉澤さん………一言も、喋ってませんでした」
そして、あたしの耳に飛び込んできたのは…とても残酷かつ正確な、紺野ちゃんレポ。
突然何かに憑りつかれたようにメモをめくり始めたのは、それを確認するためだったんだね。サンキュー、コンちゃん。
「良かったじゃん。ナイス、よっすぃー!」
「一言も喋ってないんじゃ、証拠も何もあったモンじゃないよね」
「…そうですね」
15分間のコーナー中、一言も発言してない(もしくは、したけどカットされた?)先週のあたしへ…サンキュー、よっすぃー。
もー、何週分でも使いまわしてくださいっ!あははっ!
「さて、と。お菓子片付けよっかな…」
気まずい雰囲気に耐えかねたのか、矢口さんが立ち上がった。
「大丈夫。よっすぃーは、間違ってない」
保田さんはあたしの肩をポンポンと叩きながら、意味不明な言葉で慰めてくれる。
「…あのー、来週は……きっと……」
ついには、紺野ちゃんにまで慰められてしまった。
ぐすん。
その夜。
あたしは、自宅のパソコンでファンサイトを巡っていた。
確かにあの番組、とても合成とは思えないほど見事な映像だったけど…
あんな子供だましみたいなコトが、果たしてファンの人たちに通用するだろうか。
相手はあたしのカラダの線(全身タイツ姿)を見ただけで、ヤスダ犬=あたしであるコトを
ぴたりと言い当てるような人たちだもん…そうカンタンに騙されるとは思えない。
彼らなら、先週に続いて今週も一言も喋っていないあたしに対して疑問を抱くハズ。
というか…そうであって欲しい。
そうであって、欲しかったのにね…。
―
(ある掲示板で見つけた書き込み)
『吉澤とヤスダ犬、いっしょに出てたね。別人だったのか、つまんねー』
『絶対そうだと思ったんだけどな。圭chanLOVEの言う通りだったか』
『圭chanLOVE、今日は来ないのかな?』
―
先週に続いて今週もただ爆笑してただけのあたしの姿に、誰一人として疑問を抱く者はいなかったようだ。
そしてどうでもいいけど、HN『圭chanLOVE』ってもしかして…保田さん?
―
(心ないファンの方々の書き込み)
『みんな、ヤスダ犬ヤスダ犬って騒ぎすぎ。今回のユニット、俺はむしろ保田の短パンに注目してる』
『わかるわかる。実は俺もそう。がんばってんのはわかるんだけどね……』
(それに対する『圭chanLOVE』さんのレス)
『ちょっと!それどーゆー意味よ!!言いたい事あるならハッキリ言いなさいよね!!!
気分悪いからもう寝る』
(それきり、『圭chanLOVE』さんからの書き込みは途絶えた。)
―
保田さん、ヤスモニ。の衣装のコト…気にしてたんだ。
ヤスモニ。メンバーの衣装は、白地に黒でヤスダ犬のイラストが入ったトレーナー&黒のハーフパンツ。
結成当初、サンプルというコトで見せられたTシャツは…長袖に変わっただけで、デザインについては一切変更なし。
白いキャンパスに書き殴られたヤスダ犬のイラストの下に『yasumoni
。』の文字が寂しく躍る
地味なトレーナーはまだ良いとして…保田さんにとってハーフパンツで『ジャンケンぴょい!』は、
もしかするとあたしの『ヤスダ犬』に匹敵するぐらい辛いコトなのかも知れない。
そっかぁ…。
恥ずかしいのは、あたしだけじゃなかったんですね!!
今夜は、よく眠れそうだ。
―――
『ある意味、メイン』
『ある意味、センター』
『ある意味オイシイって、よっすぃー!』(しかし、やってみて実際オイシかった試しはない)。
ある意味、か…。
どんな角度から見たって、真実は一つのはずなのに……ふふっ、笑っちゃうね。
「フッ…」
テーブルに置かれたかぶりモノを見つめる。
昨夜は何となくイイ気分で久しぶりに熟睡できたものの、朝が来れば悪夢よりも恐ろしい現実が待っていた。
今日も明日も明後日も…子供たちの心に夢がある限り、あたしはヤスダ犬であり続けなければならないのだろうか。
「どしたの?よっすぃー。んなアホみたいなカオして」
「くっ…!」
ホントに、このヒトは…人をイラつかせるコトに関しては天才的なんだから。
「ほーら、いいモン持ってきたよ」
ドアを開け、『圭chanLOVE』さん…もとい、保田さんが大きな箱を抱えて入ってきた。
「ジャーン!ヤスモニ。特製クリスマスケーキでーっす!」
それは、ごく普通のクリスマスケーキだった。
ただし上に乗っかってる変なイラストの入った板チョコと、変な生物をかたどった砂糖菓子を除けば。
「こんなモンまで出すんだ…ってゆーか、こんなモン買うヤツの気が知れない」
心底呆れたような口調で、矢口さんが言う。
「もう予約で一杯だって。店頭じゃ買えないらしいよ」
「「ええーーっっ!?」」
驚くあたしたちの傍で、紺野ちゃんも口をあんぐりと開けて悪魔のケーキを見つめている。
「それにしても、今回のは一段と酷いね。同じ絵描くのにムラがありすぎだよ、圭ちゃん」
矢口さんの言う通り、ケーキの真中にちょこんと乗っかった板チョコに描かれているヤスダ犬は…
いつもに比べて、ブサイクさ三割増ってカンジ。
口が顔からはみ出しちゃったりして、とうとう妖怪の域に足を踏み入れたか…と思うほどブサイクだった。
でもコレは保田さんの絵がどうこうってよりも、このケーキを作った人の責任なんじゃないだろうか。
「んなコト言ったって、アタシだって忙しいんだからさー。いろんなグッズの原画描かされて、まったく…。
コレなんてCM中に描いたヤツだもん。90秒だよ、90秒。最短記録」
やっぱ保田さんの責任だったか…ケーキ職人さん、ゴメンなさい。
「ってゆーか、90秒もかけたような作品とは思えないんだけど。矢口だったら3秒で描けるね」
「えーっ、3秒は言い過ぎじゃないっすかぁ?」
「マジだって!紺野ちゃん、数えてて?」
「……はい」
ムキになった矢口さんは、テーブルに置いてあった紺野ちゃんのメモ帳とシャーペンを本人の許可なく
勝手に借用すると前屈みになって作画の準備。
「いい?行くよ…スタート!」
「……いーーーーち…………にぃぃぃーーー………さ……ぁぁ…ーーん」
紺野ちゃんの『3秒』って、あたしたちの時間に直すと一体何秒になるんだろう。
「ホラ!できた!!」
「10秒ぐらいでしたよ、今の」
まぁ、それにしても十分早いと思うけど…あたしは、矢口さん作の『ヤスダ犬』を覗き込む。
「あんま変わんないですね。ってゆーか、保田さんのよりカワイイかも」
「でしょ?でしょ?」
少なくとも矢口さんのヤスダ犬は、目も鼻も口もきちんと顔の中に収まっている。
「矢口、コレもらっていい?ちょうどさー、マグカップに載っける画、頼まれてたんだよね」
「…いいんですか?そんなコトして」
「圭ちゃん、いくら何でもそれはさ…」
「大丈夫っしょ。オッケー、オッケー」
来年1月中旬発売予定のヤスダ犬マグカップ、デザイン担当は矢口真里(18)に大決定。
製作時間は推定10秒(=紺野ちゃん時間:3秒)…良い子のみなさん、ゴメンなさい。
「さ、食べよっか。ちょっと早いけど、クリスマス気分ってことでさ」
「いいねー!クリスマスだってどうせ仕事だもんね…。よし!食べよ、食べよ」
保田さんの言葉に矢口さんが乗っかって、四人で紙コップと紙のお皿を準備して…
ちょっとだけ早い、クリスマスパーティってトコかな?
「…あのー、吉澤さんは、このチョコレートと犬のお菓子…どっちがいいですか…?」
「どっちもいらない」
「ちょっと!失礼だねー!アンタ主役なんだから、どっちも食べなさいよ!!」
「良かったね、よっすぃー。どっちも食べていいってさ」
ここんとこ、ずーっと落ち込みっぱなしで暗い気分だったけど…なんか、こーゆーのも、ちょっと楽しかったりして。
「画はヤバイけど、味はオイシイね」
「うん」
矢口さんの言葉に頷きつつ、ケーキを口に運ぶ。
「紺野、ちゃんと食べてる?」
「…はい。おいしい、です……」
保田さんの問いかけに笑顔で答える紺野ちゃん…コレは、ちょっと貴重な映像かも知れない。
「クリスマスに年末にお正月、か…いやー、稼ぎ時ですなぁ」
「ははっ、ウチらはとくにそうですよねぇ。グッズ、売らなきゃ」
クリスマス商戦に年末商戦にお正月商戦か…忙しくなりそうだなぁ。
「がんばれよ、よっすぃー」
「えっ?」
隣に座る矢口さんはまるで何もなかったようなカオして、ケーキをつついている。
ごまかすみたく少し乱暴な手つきでケーキを口に運ぶ矢口さんの様子に、ちょっとだけ笑ってしまった。
ちょっとだけ早い、クリスマスプレゼントをもらったような気がして…うれしかった。
こんなの早くやめたい、って思ってたけど…矢口さんと、保田さんと、そして紺野ちゃんと。
ヤスモニ。のみんなと、もうちょっとだけ…がんばってみよっかなぁ。
―――ヤスモニ。デビューまであと1ヶ月。―――
―――
「Tシャツにトレーナー、ペット用品におもちゃに…なーんかすごいコトになってるね」
テーブルに広げたポテトチップ(『ヤスモニ。チップス』。ヤスモニ。カード一枚入り)を
つまみながら、矢口さんが言った。
「あ、またハズレだ」
自分でも何回か買って食べたコトあるけど、まだ一度も『ヤスダ犬』のカードを引き当てたコトがない。
なんでも、超貴重なレアカードとして高額で取引されてるらしいんだけど…。
「アンタ、ハズレってどういう事!?コレ、アタシのカードじゃないのよ!!」
「あー、そういう意味じゃなくて…ヤスダ犬のやつが当たったコトないなぁって」
あたしは猛犬のごとく噛み付いてくる保田さんに、『ハズレ』の定義について説明する。
「ああ…なんだ、そういう意味か。ヤスダ犬のカードだったら一生当たんないんじゃないの?
5万個に1個の割合らしいから」
「ごっ、5万!?げほっ、げほっ」
ポテトチップをノドに詰まらせ、矢口さんが咳き込む。
5万分の1の確率か…。
お菓子業界のコトはよくわからないけど、ポテトチップって日本中で何個ぐらい売られているモノなんだろう…?
「じゃあ、みんなで呼んでみよっか。行くよ?せーの、」
「「「「「やーすだけーんっ!!」」」」」
矢口さんの呼びかけに続いて、子供たちの元気な声がスタジオ内にこだまする。
その声に応えて、セット裏に隠れていたあたしはイキオイ良くみんなの前に飛び出した。
「「「ぱっぱっぱっぱ、ぱぱぱだぴょーい!」」」
『かっかっ』と四つん這いの状態で左足を斜め上に2回蹴り上げるヤスダ犬こと、吉澤ひとみ16歳。
「やすだけん、かわいいーっ!」
昨日までのあたしなら、『どうしてあたしだけがこんな目に…』なんて暗く落ち込んでいたところだけど、
今日からのあたしは一味違う。
「やすだけーん!こっちむいてーっ!」
驚愕の全身タイツ、屈辱のPV撮影、失意の合成特番。
ユニット結成から一ヵ月半、あたしがこんな惨めな思いをしてきたのは全て…自分に向けられる、
周囲の人々の哀れむような視線のせいだったんだ。
「やすだけん!やすだけん!」
たった今、気がついた。
あたしの周りには、夢見る子供たちがいるじゃないか!
ヤスダ犬こと、吉澤ひとみ16歳は…カワイイちびっこたちに愛されているんだーっ!!
2002年1月1日のCDデビューを2週間後に控えたあたしたち、本日のお仕事は子供番組の公開収録。
あたしの周りを取り囲んでいるのは、番組に出演するため厳しいオーディションを勝ち抜いてきたらしく
大変聞き分けのよろしいチビッコたち。
『あのコたち、みんな子役のコなんでしょ?ヤスダ犬なんて信じてるワケないじゃん。
中にヒトが入ってるって、ちゃんとわかってるよ』
本番前、矢口さんが言ってた。
矢口さんの言葉に紺野ちゃんは大きく頷き、その隣で保田さんは本番直前までPV(2002年2月2日発売)
初回特典用ステッカーの下書き作業に追われていた。
(『中にヒトが入ってるって、ちゃんとわかってるよ』)
だけど、あたしはそうは思わない。
矢口さんや紺野ちゃんや保田さんや、そしてあたしが小さい頃、サンタクロースを信じていたように。
ココにいる子供たちだってきっと、ヤスダ犬が『ヤスダ犬』だってコト…ちゃんと信じてくれているはず。
「「「「やすだけーんっ!!」」」」
そうだよね…みんな。
―――
「ふーっ…おつかれぇー」
矢口さんは楽屋に戻ってイスに座るなり、机の上に突っ伏してしまった。
「あっぢぃぃー…」
足下をふらつかせながら部屋の奥まで進むと、両手を頭に当てる。
ガマンしてガマンしてやっとかぶりモノを外すときの、この解放感がたまらん…。
「ぬおおぅ!?」
突然腰のあたりにタックルをかまされて、あたしはヤスダ犬を被ったまま勢い良く床に倒れこんだ。
そして隣に倒れている犯人を確認しようと顔を上げると…そこにはなんと、紺野ちゃんの姿。
「てめっ…!」
いきなり何しやがんだコイツはっ…!!
紺野ちゃんに掴みかかろうとしてあたしは、少しだけ開いたドアの向こう側に立つ人影に気付いて動きを止める。
「やすだけん…」
ドアの向こうに立っていた小学校低学年ぐらいの男の子は恐る恐るドアを開け、中へ入ってきた。
「ボクぅ?ダメでしょ?勝手に入ってきちゃ」
「やすだけんに、あいにきたんだ」
保田さんが止めるのも構わず、彼はずんずんとあたしの方へ近付いてくる。
紺野ちゃんはこの子の存在に気付いて、あたしがぬいぐるみを脱ぐのを止めようとしたんだ。
「さっきは、あんまりあそべなかったから…どうしても、あいたかったんだ。ぼく」
紺野ちゃんに激突されて床に倒れたままのあたしに、彼はそっと手を差し伸べてくれた。
「ああ、もしかしてさっきの番組で一緒だったコ?ボク」
矢口さんの言葉に、『うん!』と元気良く返事をして頷く男の子。カワイイなぁ…。
「あはっ、やすだけんだ…ほんものだぁ」
差し出された手を取って起き上がるあたしを見て、彼が言う。
ありがとう。そう口に出して言いたいのを、ぐっとガマンする。
だってヤスダ犬は、決して声を発してはいけないのだから。
「ねぇボク、もういいでしょ?早く帰らないと、お母さん心配してるよ?」
「うん…」
保田さんに言い聞かせられ、男の子は名残惜しそうに繋いだ手を離した。
「さいごに、ひとつだけきいてもいい?」
少し背伸びしながらあたしのコトを見上げている彼に、あたしは小さく頷く。
「どうしてやすだけんは、なかないの?」
楽屋の空気が、一瞬にして凍りついた。
「ねぇ、どうして?やすだけんは、いぬなんでしょ?ぼくんちのジョンソンはなくよ?」
え?ジョンソンって、犬?飯田さんじゃないよね?
って、そんなコトはどうでもいいワケで…どうしよう、コレはかなりマズい展開だよぉ。
まいったなぁ…まさかココで鳴くワケにもいかないし。
あたしは、すぐ傍に立つ保田さんに目で合図を送る…『たすけてください』。
しかし保田さんは、困ったような表情を浮かべて肩をすくめるばかり。
「ゴメンねー、ボク。ヤスダ犬、ちょっとノドの調子が悪いみたいでさ。
また今度鳴いてあげるから、だから今日は帰ろ?ねっ?」
ノドの調子って、矢口さん…そんな言い訳が子供に通用するとは思えないんだけど。
「ねぇ、ないてよ!ないてよ、やすだけん!!」
矢口さんの説得も虚しく、男の子は引き下がってくれない。
「だからー、ダメなんだってば。ヤスダ犬は、昨日吠えすぎちゃったから今日は声出ないの。
ドクターストップかかっちゃったの。わかる?」
矢口さん…ますます解りづらくしてどーすんですか。
「おいしゃさんがとめたって、そんなのいぬにわかるわけないもん!なけるよ、なけるよねっ!?」
「ドクターストップって意味わかってるよ、このコ。無邪気なんだかマセてんだか…」
「ないてよ、やすだけん!ねぇ、ないてよぉ……」
保田さんの呟きを完全に無視して、すがるような目であたしを見上げている彼。
「ねぇ、ねぇ……」
疑うコトを知らない、キレイな瞳でじっと見つめられて…胸が締め付けられる思いがした。
男の子はその目に涙をいっぱい溜めて、あたしの腕を強く引っ張る。
目の前で泣きそうになっている彼に、あたしは鳴いてあげるコトすらできない。
視界が、涙で霞んでゆく。
溢れ出した涙と一緒にあたしの中に湧き上がってくる、疑問。
ヤスモニ。は、誰のためのユニットなんだっけ?
あたしたちは、誰のために歌ったり踊ったりしてるの?
そうだ。
あたしたちは、はじめっから『誰か』のために歌ってるワケじゃなかった。
「……っ」
「やすだけん…?」
ぬいぐるみから漏れる泣き声に気付いた彼が、心配そうな顔であたしを見上げる。
こんなイタイケな子供たちにグッズ売ったお金で、サウナ行きまくりの保田さんって。
こんなイタイケな子供たちにグッズ売ったお金で、焼肉食べ放題の矢口さんって。
こんなイタイケな子供たちにグッズ売ったお金で、おいもパラダイスの紺野ちゃんって。
こんなイタイケな子供たちにグッズ売ったお金で、もっともっとイイ思いしてるだろう…つんくさんや、オトナの人たちって。
あたしたちがやろうとしてるコトって、なんなんだろう。
『子供たちに夢を』なんて言って…あたしたち、もらってばっかだ。なんにもあげてない。
なんにも…あげてないじゃんか。
あたしは祈るような気持ちで、男の子の後ろに立つ保田さんを見つめる。
するとあたしの気持ちを汲み取ってくれたのか保田さんは静かに微笑むと、ゆっくり頷いた。
リーダーの許可を得てあたしは、大きく深呼吸する。
言われたコトを言われたようにやるだけの、今のあたしにできるコトといったら、コレぐらいしかないけれど。
だけどあたしがこれからやろうとしているコトはきっと、ヤスモニ。にとっては歴史を変えちゃうぐらい大変なコト。
あたしは…いや、ヤスダ犬は。
世界中でたったひとり、愛しいキミのためだけに…吠えるよ。
「わっ…わんっ!!」
緊張のせいで少し上ずった声になったものの…記念すべきヤスダ犬の第一声は、
愛しい彼のために捧げられた。
「なんだそれ。超フツーじゃん」
もーっ、矢口さんってばせっかくの感動シーンなのに……ってコレ、矢口さんの声じゃない!?
超ローテンションな声で超カワイくない台詞を吐いたのは、紛れもなく…目の前の愛しい彼、その人だった。
「ママが言ってた通りだ。この犬、中身は三流芸人か」
なーにぉぉーっ!?みんなのアイドルよっすぃーをつかまえて、さんりゅーげーにんだとぉーっっ!!
「ちょっとは面白いコト言えよ。つっまんねーんだよっっ!!」
「キャンっっ!?」
彼が思いっきり蹴り上げた右足は、ドムッ!という鈍い音を響かせてあたしのおしりを見事
真芯でとらえていた。
バランスを崩し、あたしはドサリとその場に倒れ込む…いっ、痛い、冗談のようにイタすぎる。
「こらーっ!まて、このガキっ…!!」
「やめな、あのテのガキに何言ったってムダだよ。紺野、カギ閉めて」
無防備なあたしに対し、ノー手加減キックをブチかまして走り去った『愛する彼』改め
クソガキを追って楽屋を飛び出そうとした矢口さんを、保田さんが引き留める。
「よっすぃー、ケガしなかった?」
床に手を付いたまま横座り状態で固まるあたしのかぶりモノを、保田さんが脱がせてくれる。
「よっすぃー!だいじょうぶ!?」
ぬいぐるみを取り去って涼しくなった頭を上げると、入り口から駆け寄ってくる矢口さんの姿が見えた。
再びあたしの目に、涙が溢れる。
「矢口さん…あたし、くやしいです」
「うん、うん。わかるよ。ウチらだって同じ気持ちだよ、よっすぃー」
「奴らのクリスマスプレゼントも、お年玉も、毎月のおこづかいも…全部、ふんだくってやりたい気分です」
「うん、うん。そうだね。あいつら…ぜったい、食いモノにしてやろーねっ」
あたしの頭にそっと置かれた矢口さんの手の温もりが、全身タイツの布越しに伝わってくる。
「…吉澤さん……泣かないで、ください」
「ありがとう、紺野ちゃん」
目の前に差し出されたハンカチを受け取る…そうだね、泣いてる場合じゃないや。
あたし、もう泣かない。
復讐の鬼と化したあたしには、もはや1ミクロンの迷いもなかった。
さぁガキどもめ、買いたいだけ買うがいい。思う存分貢ぐがよい。
あたしなしでは生きていけないようなカラダにしてやる。
「よっすぃー、立てる?」
保田さんの手を借りて、あたしはユラリと立ち上がった。
いや、『蘇った』と言った方が正しいかもしれない。
「アタシ、何だか吹っ切れたような気がするよ。みんなも、そうだよね?」
保田さんの言葉に、全員が頷く。
あたしたちは、誰からともなく部屋の中央で円陣を組んでいた。
「いくよ、みんな!」
子供たちにグッズを売るためだけに結成されたユニット、それが『ヤスモニ。』ならば。
子供たちにグッズを売る、それがあたしたち『ヤスモニ。』に課せられた使命ならば。
「売って売って売りまくりまっ…」
ならば、お望み通りに。
「「「「しょーいっ!!」」」」
デビューを目前に控え、ようやくあたしたちは…同じ目的に向かって、ひとつになろうとしていた。
―――ヤスモニ。デビューまであと2週間。―――
―――
2002年1月1日、ついにその日はやってきた。
「はい!そこで紺野ちゃんのセリフ!」
「……あー、あんなところに…袋がおちているわ…なにかしら………これ、これはー、えっと、これはー」
「もーっ、ダメじゃん!ちゃんと覚えとかなきゃー。
『コレはっ!?コレは、『ヤスモニ。おたのしみ袋』(←強調)だわっ!!』でしょ?紺野ちゃん」
控え室にて、これから始まるデビューイベントで披露する寸劇の最終チェックに追われるあたしたち。
本番直前にも関わらずまだセリフを覚えていない紺野ちゃんにあたしは、センパイらしくダメ出しの真っ最中。
それにしても、デビューイベントがいきなり東京ドームとは…ヤスモニ。も、大きくなったモンだなぁ。
「よっすぃー、惜しい!正確には、
『コレはっ!?コレは、『ヤスモニ。おたのしみ袋』(←大音量)だわっ!?
ブルーのおとこのこ用、ピンクのおんなのこ用、どちらも定価2500円で好評発売中のアレねっ!!』
でしたー!!」
左手にブルーのおとこのこ用、右手にピンクのおんなのこ用を掲げて矢口さんが叫ぶ。
「…ぶっ、ブルーなおとこのこ用、ぴ…ピンクはおんなのこの色……どちらも定価2000円でー…」
「紺野ちゃあああん。ムチャクチャだよぉー。『ブルーな』おとこのこって何だよ、もー…」
左手にブルーなおとこのこ用、右手にピンクなおんなのこ用をぶらさげて矢口さんが唸る。
「…だいじょうぶ、です。本番には…強いんで……」
そう言って、紺野ちゃんは不敵な笑みを浮かべた。
小声ながらも自信(どこから湧いたのか知らないけど)に満ちたその口調に、あたしたちは
ホッと胸をなでおろしたのだった。
「いやー、売れてる売れてる。ミリオンいっちゃったわよ」
大それた言葉をあっさりと吐きながら、ドアを開け保田さんが中に入ってきた。
「「え…?」」 「………え?」
今日発売なのに、いきなり『ミリオン』って…?
その意味を理解できないあたしたちは、ポカンと口を開けて保田さんの次の言葉を待った。
「初回限定版、昨日で全部売り切れたって。全国、どこもかしこも」
「マジ!?ってゆーか、初回から100万枚出荷してたの!?」
矢口さんの言葉に、当然でしょ?といった表情で頷く保田さん。
「すごい…。バカ人口100万人ってコトじゃん…どーなっちゃうんだよ、日本の未来は」
左手にブルーなおとこのこ用おたのしみ袋を提げた矢口さんの表情が曇る。
って言ってもまだ初回なんだから、これからもっと増えるんだろうなぁ(バカ人口)。
こんなに順調で良いのだろうか…うれしいような、恐いような、なんとも複雑な気持ちになる。
「100万人ってことはないっしょ。たぶん1人で何枚も買ったんだろうからね」
「どういうコトですか?」
「トレカ効果ってやつよ」
そっ、それは!?禁断のワザをっ……!!
『1人で何枚も』ってコトは、初回CDには数種類のトレカが封入されていたというコトになる。
「あー、やっちゃったか。でもぜんぜん知らなかったね」
「ったく、イイ気なモンだよ…アンタたちは。アタシが10種類分描くのにどれだけ苦労したことか」
「「10種類!?」」 「……10枚…」
このユニットに入って約2ヶ月、毎日が驚きの連続です。
「これは…これは、『ヤスモニ。おたのしみ袋』(←紺野ちゃんなりの大音量)だわっ……。
ブルーのおとこのこ用……。ピンクのおんなのこ用……。どちらも、定価2500円で好評発売中のアレね…。
オリジナルのトレカも、入っていて……なんてお得なの……すごいわ」
本番には強い、その言葉通りアドリブまで飛び出して絶好調の紺野ちゃん。やったね!
一番前に座ってるチビッコは退屈して寝ちゃってるみたいだけど。気にしない!
「きゃああーっっ!!圭ちゃん!?」 「……きゃああああーー……」
「フフフフ、私は『圭ちゃん』ではない。たった今から私は、『モンスターK』として世界に君臨するのだああーっ!!」
突然の落雷に打たれて床に倒れていた保田さんは、悪の化身『モンスターK』(下っ端っぽい名前だけど、
どうやら世界に君臨したいらしい)となってむくりと起き上がった。
「やばい!圭ちゃんのカラダが、悪の大魔王に乗っ取られてしまった!!どうしよう!?」
「…ヤスダ犬に…お願いしてみましょう……」
「おおっ!そうだね、紺野ちゃん!!」
『ヤスダ犬』の名前が出た瞬間、会場のちびっこたちがざわつき始めた。
「みんな、矢口といっしょに大っきな声で呼んでね?せーの、」
「「「「「やーすだけーんっ!!!」」」」」
子供たちの呼ぶ声を合図にあたしはダッグアウトを飛び出し、中央に設置されたステージまで全力疾走。
「「「「「やすだけん!やすだけん!!」」」」」
正義のヒーロー『ヤスダ犬』の登場にちびっこたちはヒートアップ、『やすだけん!』コールと手拍子は
あたしがステージに上がってからも鳴り止まない。
「ん?どうしたの、ヤスダ犬?……こっ、コレは!!!」
あたしが跪いて差し出したスーツケースを見て、矢口さんが大げさに驚いてみせる。
「『ヤスモニ。バトルセット』じゃない!?でかした!よくやったよ、ヤスダ犬!!」
「……ヤスモニ。バトルスーツ、ヤスダ犬ソード、ヤスダ犬リストバンド、ヤスダ犬ステッカー、ヤスダ犬消しゴム。
セットで…おとくです。イベント終了後の、即売会で…買えるそうですよ…すごいですよね」
「くらえっ、愛のヤスダ犬斬り!!」
「ぎゃあああーーっ!!」
矢口さんが振り下ろした『ヤスダ犬ソード』に一刀両断され崩れ落ちる、悪の大魔王『モンスターK』。
「ああ〜ん、欲しいよぉ。ねぇねぇ、圭ちゃん。矢口、ヤスダ犬グッズがもっと欲しいんだよーっ!!」
「しょうがないなー、矢口は。おねだり上手なんだから。でも、これからおもちゃ屋さん行くのは
ちょっと…メンドくさいなー」
「……安心してください、保田さん。さっきも、ちょっと言いましたけど…このイベントが終わったら、
ここでヤスダ犬グッズの即売会が…ありますので、矢口さんも、会場のみんなも、好きなだけ買えますよ?」
「ホントにっ!?やったー!!」
紺野ちゃんの説明に、ステージ上を跳ね回って喜びを表現する矢口さん。
「「「みんな、またね!!グッズ、いっぱい買って帰ってねー!!」」」
あたしは、子供たちにストレートな要求を突きつけるメンバーの周りを四つん這いでぐるぐると走り回って
コレでもかと可愛さをアピール。
「「「「「やすだけん!!やすだけん!!」」」」」
会場を埋め尽くす大観衆に手を振りながら、あたしたちはステージを後にした。
―――
「うおおーっ、すごいすごい!いっぱい買ってるよぉー…入れ食いだね、こりゃ」
両手におたのしみ袋や『ヤスモニ。バトルセット』を抱えてヨタヨタと歩く男の子を見ながら、矢口さんが言った。
控え室に戻ってきたあたしたちは、備え付けのモニターに映し出された即売会場の様子を見守っていた。
Tシャツにトレーナー、生活用品にペットグッズ、おもちゃ、無造作に積み上げられたCDの山。
そしてそれに群がる子供たちと、その後ろで彼らにお札を手渡すおとうさんやおかあさんたち。
「ねぇ…勝ったんだよね、あたしたち」
矢口さんが、ぽつりと呟く。
あたしたちが見ているのは、あたしたち全員が望んでいた光景だったはずなのにどうしてだろう…うれしくない。
「あっ、見て。あのコ」
保田さんが指差した女の子に、全員が注目する。
モニターの中の彼女は、グッズを抱えてレジに並ぶ子供たちの列を羨ましそうに眺めている。
頑なに首を横に振るおかあさんの顔を見上げて、女の子はあきらめたように…がっくりと肩を落とした。
そっか…こーゆーコだって、いるんだよなぁ。
「ちょっ…よっすぃー!?」
「みんなも、いっしょに来て!!」
居ても立ってもいられず、あたしは矢口さんの手を引いて部屋を飛び出した。
ダッグアウトへと続く通路を疾走するあたしたちの後ろに、保田さんと紺野ちゃんが続く。
「矢口さん。あたし、うれしいんです」
「うん。ウチらだって同じ気持ちだよ、よっすぃー」
「クリスマスプレゼントとかお年玉とか、そんなの関係なくて…あたしたちを好きでいてくれるコトが、すっごいうれしい」
「うん…そうだね」
後ろを走っていた二人もいつの間にか追いついて、あたしたちは四人ならんで会場へと続く通路を突っ走った。
寂しそうに俯いていたあのコの横顔を想いながら、あたしたちは走る。
子供たちにグッズを売るためだけに結成されたユニット。
欲しがる子供たちがいて、与える大人たちがいて、そして、あたしたちがいて。
そーゆーしくみで、ウマく地球は回っているのかも知れない。そうだとしても。
あたしたちのやってるコト、正しいか間違ってるかなんて…そんなの、わかんないさ。だけど。
ヤスダ犬が大好きで、グッズいっぱい買ってくれるコも。
ヤスダ犬が大好きで、おこづかい少しずつ貯めて買ってくれるコも。
ヤスダ犬が大好きで、それでもおこづかい足りなくて買えないコも。
いろんなコがいるけど…みんな同じくらいヤスモニ。のコトを大好きでいてくれて、応援してくれてる。
だからこそ。
あたしたちはどんなコにだって同じように、笑顔をあげなくちゃいけないんだ。
あたしたちはきっと…そのために、ココにいるんだから。
「やすだけん…!?」
「しーっ!」
突然目の前に現れたヤスモニ。を見て驚く女の子を、周囲に気付かれないよう矢口さんが誘導する。
他の子供たちはみんなグッズを漁るのに夢中で、あたしたちの存在にまるで気付いていない。
あたしたちは、おもちゃが売られているブースの裏に女の子と彼女のおかあさんを連れ出した。
「……おすわり」
「やすだけんだぁー、やすだけんだっ!すごいね、おかあさん!!」
紺野ちゃんに命じられて(←いつからそんなに偉くなったんだ、おマエは)おすわりをする
あたしのアタマをなでながら、女の子がうれしそうに笑う。
「あーっ、かわいい!かわいいねー、やすだけん!ねっ、おかあさん!!」
「そっ…そうね、可愛いわね。とっても」
女の子のママは笑顔をひきつらせながら、仰向けになって手足をバタつかせるあたしを見下ろしている。
「よっすぃー…とうとうプライド捨てたか」
矢口さん、ひどい…。
(『ダメだよ、よっすぃー。うれしいときは、ひっくり返っておなか見せなきゃ』)
って言ったのは、矢口さんじゃないですかぁ…。(ダンスレッスンにて)
「よっすぃー。アンタ、犬っつーかゴキブリみたいだよ」
「……私、東京に来て…はじめて、ゴキブリ見ました……」
おいおい、お前ら。
おもっきし、『よっすぃー』って言ってんじゃねーよ…。
「かわいいー!かわいいねっ、やすだけん!」
彼女の笑顔を見ながら、思った。
あたしたちがあげなくちゃいけないのは、ぬいぐるみやオモチャなんかじゃなくて…もっと、大切なモノなんじゃないかって。
「今度こそホントにウチらの勝ち、ってカンジかな」
おかあさんに手を引かれて帰っていく女の子の後ろ姿を見ながら、矢口さんが言った。
「……あの子、本当に楽しそうでした……私も、見習いたいと…思います」
「なにを見習うんだよ。楽しそうなトコ?」
「……はい」
矢口さんの質問に、素直に頷く紺野ちゃん。彼女は一体、どこへ向かって進んでいこうとしているのだろう。
「でも、まぁ…あのコのうれしそうな顔も見れたし、なんか上手くやってけそーじゃない?ウチら。ねっ、圭ちゃん」
「まっ、結論からいくと…金のあるヤツにはグッズを、金のないヤツには愛を。どう?」
「「「………」」」
とりあえずヤスダ犬こと吉澤ひとみとしては、お金のある子にも無い子にも…愛だけは平等にあげたいと思うのだけど。
なにはともあれ。
こうして記念すべきヤスモニ。のデビューイベントは、大成功のうちに終了したのだった。
―――
デビューから一週間後、それは突然やってきた。
「失礼しまぁす」
少しだけ緊張しながらドアを開け、中へ入る。
「おう、吉澤。久しぶりやな」
「おはようございます」
事務所の一室。
つんくさんはあたしが部屋に入ると、吸っていたタバコを揉み消しながらこちらへにこりと微笑みかけてきた。
入口に突っ立っていたあたしは、つんくさんに促されてソファーに腰掛ける。
「どや、調子は」
「調子ですか?いいですよー、もぅバリバリです!」
「そうかそうか。ははっ、そうか」
目の前に座るつんくさんは、終始ニコニコ顔。
「今日呼んだんはなぁ、アレや。ヤスモニ。の事でちょっとな」
「ああ…はい」
つんくさんはあたしから視線を逸らすと、少し照れたような表情でこめかみをポリポリと掻いている。
何か様子がおかしいけど…もしかして、また変な衣装とか着せられるんじゃないよね。
「吉澤…」
つんくさんはソファーにもたれていた上半身を起こすと、目の前のテーブルに両手をついた。
こっ、コレは…『全身タイツ着てくれ!』って頼まれたときと同じシチュエーションじゃないかー!?
「ごくろーさんやった!ホンマようやってくれた!この通りや!!」
「えっ、ちょっと、つんくさん!?」
テーブルに額を擦りつけるようにして、深々と頭を下げるつんくさん…えっ、泣いてる!?うっそぉぉー!?
「ぐすっ、絶対途中で投げ出すと思ってたんや。普通の女のコやったら、恥ずかしくて絶対できひん事やし。
それをお前は、最後まで…デビューまで、ようやってくれた。うれしい、オレはうれしいんや…吉澤ぁぁ」
「つんくさん…」
新ユニット結成以来ずっとつんくさんのコトを恨んできたあたしは、そんな自分が恥ずかしくなって俯いた。
つんくさん、ゴメンなさい。
つんくさん愛用のサングラスのレンズ片方ずつに『ア』『ホ』ってマジックで書いたのは、あたしです。
そして真っ先に疑われて死ぬほど怒られていた、あいぼん…ゴメンね。
「今までのユニットを超える、最高のユニット…もう、十分や」
片手でサングラスをずらして涙を拭いながら、つんくさんが言った。
もう十分、か…終わっちゃうのかな、ヤスモニ。
一日も早く終わるコトを願っていたはずなのに、いざ解散となると何だか寂しい気もするなぁ…。
「オレらがやり残したコトは、もう何もない。この日本では、何ひとつないんや」
口の端にニヤリと笑みを浮かべて、つんくさんが言う。
『この日本では』、つんくさんが強調したフレーズがちょっとだけ気になってしまったあたし。
「吉澤、ヤスモニ。の全米デビューが決まったぞ」
あっ、やっぱしー!!
「ぜっ…!」
全身タイツ!?じゃない、全米デビュー!?
いやむしろ、全身タイツで全米デビュー!?
「いやー。アメリカではな、ヤスダ犬人気がポケモン超えたらしいで。たまらんなー、オイ!!」
ヘイ!どうかしてるぜ、ボーイズあんどガールズ。
どっからどう見たって、ヤスダ犬よりピカ○ュウのがカワイイじゃんよ…。
「いやー。春にはデビューやからな、忙しくなるでぇ。たまらんわ!くくっ…あかん、笑いが止まらん!!」
涙もすっかり乾いた様子で笑い転げるつんくさんの、お気に入りのグラサンをブチ割ってやりたい気分だった。
「くくくくっ、くくくくっ…止めて!なぁ止めて、吉澤!!ぷっ、くくくく…」
「あはははははは!!」
笑うしかなかった。
「「はははははははははは!!!」」
いったいぜんたい、なにがどうしてどうやってこうなってしまったんだろう…?
ごっちんのせい?保田さんのせい?矢口さんのせい?それともつんくさん?
少なくとも、あたしには1ミリの責任もないコトだけは確かだ。
お母さん、ゴメン…。
ひとみは、純白のウェディングドレス着る前に…たぶんもう、お嫁にはいけないと思います。
―――ヤスモニ。全米デビューまであと2ヶ月とちょっと。―――
<END>