やぐちと冬将軍
―――
慌しい夏が終わり、そしてさらに慌しい秋に突入して…過ごしやすい季節になったなぁ、読書でもするか。
なんて、そんな気持ちはサラサラ無いのだけれど。
もともと本読んだりするのって、あんま好きじゃないし。
読書がダメならスポーツかなぁ…と思ったりもしたけど、そんな時間は無い上に連日のコンサートや
そのためのダンスレッスンが既にスポーツみたいなモノだし。
とすると、やっぱ映画かなぁ…芸術の秋。よし、今年はコレで行こう。
などと、忙しい日々を送りながらもどうにかして秋を満喫してやろうと自分なりに模索していたのだが…
まさかいきなり秋をすっとばして、冬を満喫させられる羽目になろうとは思いもしなかった。
10月も終ろうとしていたある日のこと、アイツは突然あたしの前に現れてこう言った。
「われは、ふゆしょうぐんなりっ!!」
「はあ?なに言ってんの?」
「なんだ、そのくちのききかたは!?しょうぐんにたいして、ぶれいだぞっ!!」
休憩時間、楽屋でくつろいでいたところを連れ出されて少々不機嫌な言い方をしたあたしに、
辻がくってかかってきた。
「いや、将軍ってあんた…辻でしょ?」
「『つじ』ではない!しょうぐんだ!ふゆしょうぐんだ!!」
もぅ、疲れてんだからカンベンしてよぉ…タメ息を一つついて、トイレの冷たい壁にもたれる。
「あのさ、辻。そーゆー冗談は、加護相手にやってくれる?もしくはカオリ。わかった?」
「むぅっ!しんじていないな?おぬし」
そう言うと辻は、頬をふくらまして腕組み。いかにも、『怒ってます』のポーズ。
「ってゆーか、さっきから何なの?その口の利き方は…あんたこそ失礼でしょーが!!
何が『おぬし』だよっ!!ちゃんと『矢口さん』って呼びなさい!!いいかげん怒るよっ!!!」
「ひっ…ひぃぃぃぃ!ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいぃぃぃ」
あたしが叱り付けると、辻は意外にもあっさりと自分の非を認めた。
どうしたんだろう…いつになく素直だけど?
「辻、辻!ちょっとー、なにやってんだよ?怒んないから出ておいで?ね?つーじーちゃーん」
「ひぃぃ、ひぃぃぃぃ」
「辻ぃ、いいかげんにしろよー。つーじー!」
『ごめんなさい』を連発しながらトイレの個室に篭ったきりなかなか出てこない辻に、自然と語気も荒くなる。
「ほんとに、ほんとに、もうおこりませんか?ほんとうですか?」
個室の中から、くぐもった声が聞こえてきた。
「ホントだってば。怒んないから…出ておいで?」
「それからそれから、わたしのいうことをしんじてくれますか?」
「は?なにそれ?」
説得も空しく、辻はまだ個室から出ようとしない。
「ですからぁ、わたしは『つじ』ではないのです。ふゆしょうぐんなのです」
「…わかったから、とにかく出ておいで」
「ほんとに、もうおこりませんか?」
さっきから同じ質問を繰り返す辻にカチンと来たあたしは、思わず拳を握り締めた。
「だーかーらー!!怒んないっつってんでしょーが!!怒るよ、いいかげん!!」
「ひぃぃぃ!?どっちなんですかー!?」
辻は…ますます殻に閉じこもってしまった。
「ふゆしょうぐん、って…あの、冬将軍?ニュースとかでよく言ってるやつ?」
「はいっ!」
説得するコト、約15分。
ようやく個室から出てきてくれた辻(自称『ふゆしょうぐん』)は、あたしの問いに満面の笑みで元気良くお返事。
「いまはぁ、わたしのちちうえがしょうぐんのざについているのですが…このしゅぎょうをおえたとき、
わたしがつぎのふゆしょうぐんとして、ちちうえのあとをつがなければならないのです」
「ふーん」
「えーっと…『つじ』どののからだは、ちょっとおかりしているだけですので、しゅぎょうがおわったら
ちゃんともとどおり『つじ』どのにおかえしいたします」
「ふーん」
「あのぉ、やぐちどの?」
「ん?」
辻(冬将軍)の喋り方は、出会った時とは打って変わってとても丁寧な言葉遣いに変わっていた。
よっぽどあたしが恐かったんだろう、呼び名も『おぬし』から『やぐちどの』にまで大出世してしまった。
「しんじてくれるのですか?わたしを」
「信じるってゆーか…まぁ、とりあえず話だけは聞いてあげるけど」
そうでもしないとコイツ、また個室に篭っちゃいそうだし…。
「へへ、よかったぁ…やぐちどのになら、しんじてもらえるようなきがしていたのです。
わたしとやぐちどのは…どこか、にているとおもいました」
そうかぁ?似てるっていったら、小っちゃいトコぐらいだと思うけど。
そんなコトを思いつつも、目の前でにこにこ笑ってる辻(冬将軍)を見ていると…
こっちまでつられて笑顔になってしまった。
「でも、修行中ってコトは…まだ将軍じゃないワケ?さっき、『冬将軍です』って言ってたじゃん」
「…すみません、うそつきました。そのほうがかっこいいかなー、っておもって」
別にかっこいくはないと思うけど…本人に言うと傷付きそうなので、あたしはそっと胸にしまった。
とりあえず、このコの言ってるコトが本当だとしたら…すごいコトなんでないかい?コレは。
冬が始まるとよくニュースで言ってる、『冬将軍の到来です』ってフレーズ。
『冬将軍』が実在の人物(?)だったってだけでも驚きなのに…当のご本人が今こうして、
あたしの目の前に立ってるんだから(見た目は辻だけど)。
それなのに割と冷静に受け止められるのはきっと、実感が湧いてないせいだと思うんだけど。
「ちちうえは、ことしから『いんきょ』なさるので…。わたしがあとをつがなくてはならないのですが…」
「隠居、って…もうそんな年なの?お父さん」
つい親身になって聞いてしまい、質問した後で恥ずかしさがこみあげる…なにマジに聞いてんだ、あたしは。
「いえ、そうではないのですが…ははうえが、『みおも』なもので」
「へぇ、そうなんだー…。ってゆーか、お母さんが身重なんでしょ?お父さんカンケーないじゃん」
むしろ、子供作れるぐらい元気なら隠居する必要なんてないじゃん…と思った(もちろん口には出さなかったけど)。
「ええっ!?いま、なんて…かんけいない、って!?かんけいない、っていいました!?」
あたしの何気ない一言に、過剰反応するショーグン。
「ああ、いや…まぁ、関係ないってコトはないけどさぁ。そんなモン一人じゃ作れないワケだし…ねぇ」
やだ…コドモ相手に何焦ってんだろ、あたし。
「やぐちどの?なぜ、にやにやしているのですか?」
「っさいなー!そりゃ一人じゃ子供は作れないけども!!あたしが言ってんのはそーゆーコトじゃなくて!!」
つい、熱くなってしまった。
「あのさ。お母さんに子供ができたら、今までより仕事とかもっと頑張るのがお父さんでしょ?フツーは」
「ふっ…それはどうでしょうか?」
ショーグンが、あたしの『正しいお父さん論』を鼻で笑いながら言った。
「こそだてに、ちちおやもははおやもありません!こどもがうまれたら、なにもかもなげすてて、こそだてに
せんねんするのがちちおやのつとめなのです!こどものめんどうをみるのは、ちちおやとしての、ぎむ・なの・ですっ!!」
言ってるコトはわかるんだけど、まったく金持ち的発想というか…フツーの一般庶民にはマネできないよねぇ。
「へぇ、ずいぶん理解あるパパだねー。ってゆーか、ショーグン家的にはそれでいいワケ?」
子供が生まれたからって、その度に退陣されてたらかなわんと思うのだけど。
「じょーしきですっ!」
胸を張って答えるショーグンの姿を見ながら、あたしはあるコトに気が付いた。
「ねぇ。隠居ってコトは、二度と復帰しないってコトだよね?」
「はいっ!」
相変わらず、自信ありげに胸を張るショーグン。
「じゃあ、あんたの時はどうだったの?お父さん、引退してくんなかったの?」
ショーグンの言う『じょーしき』ってやつに則るならば、このコが生まれた時点でお父さんは既に
引退してなきゃいけないハズ。
「………ほんとだ。ほんとだ、なぜ…なぜ…」
『なぜ』を繰り返しながら、ショーグンは下を向いてしまった。
どうしよ…まずいコト聞いちゃったかなぁ。
「あのさっ、ホラ、アレだよ!どうしても世継ぎが居なくて、仕方なく…とかじゃないの?
別にショーグンのコト大切に思ってなかったワケじゃないよ。ね?絶対そうだって」
「よつぎなら、ちちうえのおとうと…おじうえがいたはずです。なのになぜ、なぜなのですか…ちちうえ」
「ちょっとー、元気出しなって。ねっ?ショーグン」
何が哀しくて、こんなガキ(見た目は辻)のゴキゲンとんなきゃなんないんだよぉ…。
あたしはコイツ(ショーグン)の『じいや』じゃないっつーの。
「あっ!おもいだしました!」
「何だよ、もー…」
さっきまで最高に暗かったショーグンの顔が、急に明るくなる。
「わたしがうまれたのとおなじとし、おじうえにもあとつぎがたんじょうしたのです」
「あ、なるほど。かぶっちゃったんだ」
それで仕方なく、ショーグンのお父さん(現在の冬将軍)が身を引いたってワケね。
「そして、わたしのちちうえがいくさにまけて、なくなく『いんきょ』をとりやめたというわけです」
「戦っ!?」
将軍の座を巡って…なんて物騒な。
だけどこの場合、どちらが将軍の座に『就かない』かを巡って争ってたワケよね。
そう考えるとなんだか、アホというかマヌケというか…。
「なんでも、れきしにのこる『めいしょうぶ』だったときいています」
「へぇー…」
やだなぁ、何か恐そうな話じゃないよね…苦手なんだよなー、そーゆーの。
「わたしのちちうえが『あがり』まであと2つというところで『5つもどる』をふんでしまい、すぐうしろに
つけていたわたしのおじうえが、つぎのてでだいぎゃくてんをおさめたという」
「すごろくかよ!!」
ったくノンキな家系だなー…。
「…というわけなのです」
「ふーん」
ポイントが多すぎて全てに突っ込むコトはできなかったものの、あたしは何とかショーグンの話を一通り聞き終えた。
お母さんに子供ができたため隠居して子育てに専念するコトになった現在の冬将軍に代わって
今年から冬将軍としてデビューする羽目になってしまった冬将軍見習いの、『ショーグン』(←矢口が命名)。
『ショーグン』は長い修行生活を終え、ニュー冬将軍として認めてもらうための最終試験を
受けるために辻のカラダを借りてついさっきこの人間世界へ降り立ったばかりだと言う。
辻のカラダをそのまま拝借してるだけあってショーグンは、舌足らずな喋り方から仕草まで
見た目は辻そのもの。
「最終試験ってさ、何やんの?」
日本の冬をまるごと仕切るという大役を任せられるんだから、それなりに難しい試験なんだろうなぁ…きっと。
いや、そうであってもらわなくては困る。
「だれかを『さむさ』でこおらせることができれば、ふゆしょうぐんとしてみとめられるのです」
「寒さって、『ふとんがふっとんだ!!』とかそーゆーやつ?」
コドモ相手に、ちょっとボケてみたりして。
「………は?」
「…なんでもない」
将軍たるもの、突っ込みぐらいは会得していて欲しいところだったが。
「つきましては、あのなかの、どなたかをこおらせたいのですが…」
下を向いてもじもじしながら、恐る恐るショーグンが切り出した。
なるほど。あたしをココへ呼び出したのは、それが目的だったんだ。
冬将軍デビューへ向けての最終試験で、楽屋にいるメンバーの誰かを(冷気で?よくわかんないけど)
冷凍状態にしたい、ってコトか…。
「しゅぎょうをおえてわたしがここからはなれれば、ちゃんともとにもどりますのであんしんしてください」
「それって、矢口じゃダメなの?」
「たちあいにんのかたがいないと、だめなんです」
ショーグンの言う『立会人』ってのは、この場合あたしのコトだろう。
楽屋に戻って他のメンバー連れてくるのも面倒だからココでやっちゃえ…という目論見は見事打ち砕かれた。
「メンバーの誰かねぇ…」
じゃ、とりあえず石川で。
そう言いたいところだったが…ショーグンが辻の体から離れれば元に戻るとはいえ体を凍らせるなんて危険なコト、
中身はともかくとして体の構造は普通の女のコである石川に体験させるワケにはいかない。
やはりココは、一番打たれ強そうなあのコにしておくのが無難だろう。
「じゃ、とりあえず圭ちゃんで」
「そんなにけつろんをいそがないでください、やぐちどの」
「なにそれ!?誰のために考えてやってると思ってんだよ!調子のんなよー!!」
「ひぃぃぃぃ!?」
「あっ、ゴメンゴメン。もう怒んないから」
あたしは、再び個室に逃げ込もうとしたショーグンの腕を掴んで逃げられないよう拘束する。
「やぐちどののきもちは、たいへんありがたいのですが…いちばんてきしたひとを、わたしにえらばせては
もらえないでしょうか?あの、さきほどは『あんしんしてください』ともうしましたが…にんげんのからだを
こおらせるということは、それなりのきけんをともないますので。ましてやわたしはまだ、しんまいですので
なにがおこるかわかりません。それゆえ、しんちょうにことをはこびたいのです。ですから、」
…セリフ長すぎだよ、ショーグン。
「はいはい、もう分かったから」
『あんしんしてください』なんて言っといて、やっぱり危険なんじゃないか…。
ショーグンの話を聞きながら、この人体実験、もとい最終試験に耐えられる人物は…
圭ちゃん以外にありえないと思った。
「だけど、凍らせるって…たった一人だけでいいワケ?もっと難しい試験じゃなくていいの?」
人間を凍らせるという行為がどれほど難易度の高いモノなのかは知らないけど、日本の冬を司る存在である
冬将軍になるための試験ならば…たとえば何百人とか何千人とかそれ位の規模であって欲しい、みたいな
願望を抱いていたあたしにとってその試験の内容は少々期待外れなモノだった。
「ひとりこおらすも、ふたりこおらすも、いっしょですから」
かわいいカオして(見た目は辻)、殺人犯みたいなコト言うなよー…。
「…じゃあ、とりあえず戻ろっか」
「はいっ!」
お返事だけはよろしいトコは、辻と一緒だなぁ…なんて思いながら、ショーグンを連れて楽屋へと戻る。
「おっ、辻ぃ。どこ行ってたのよ、アンタ」
楽屋へ戻るなり、(矢口の中では)冷凍人間候補No.1である圭ちゃんに迎えられる。
それにしても、圭ちゃんが辻のコト探してるなんて珍しいなぁ…。
「辻?どうしたの?」
にじり寄る圭ちゃんを避けるようにショーグン(見た目は辻)は、さっとあたしの後ろに隠れてしまった。
ちょっと、いきなりなに恐がってんのよコイツは…怪しまれちゃうでしょーが。
「ああ、あの、辻ね、なんか疲れてるみたいでさ。ね?そうだよね、辻?」
何とかその場を取り繕おうとするあたしの腕を引っ張りながら、ショーグンがそっと耳打ちしてくる。
「『つじ』ではありません。ふゆしょうぐんです」
「わかってるよ、バカ!」
圭ちゃんに聞こえないように、あたしもショーグンへ耳打ち。
あたしはあんたのために、あんたのためにこんなコトやってるんでしょうが…。
辻の体が乗っ取られているコトがみんなにバレて事態が混乱するのを防ごうとしているあたしの
親心を全く理解していないショーグンに、腸が煮え繰り返る思いだった。
「ウチのお母さんが作ったんだけどさー、おにぎり。食べない?辻」
あたしの後ろで怯える辻の様子を特に気にする様子もなく、圭ちゃんが言う。
いつもの辻なら、喜んでおにぎりにパクついてるとこだけど…この辻(ショーグン)はどうかなぁ?
「ホラ」
そんなあたしの懸念をよそに、あたしの後ろにすっぽり隠れていたショーグンはちらりと顔を覗かせて、
圭ちゃんの差し出したおにぎりを見つめている。
なんだ、おなかすいてたんじゃん…生意気なトコや、くいしんぼうなトコ、辻とショーグンって意外と共通点あるかも。
言葉遣いが丁寧なトコは、ホンモノの辻にも見習って欲しいところだけど。
「………」
「辻、食べないの?」
しかしショーグンは差し出されたおにぎりを見て固まったまま、それを受け取ろうとはしない。
「食べろよ。食べろよ、辻!ショーグン!」
そんな辻を訝しそうに見つめる圭ちゃんの視線に気付いたあたしは、ショーグンに必死の耳打ち。
「ショーグン!?」
しまった、あたしってばつい大声で『ショーグン』の名を。
突然部屋から飛び出していってしまったショーグンの後を追って、あたしも外へ出る。
「ショーグン!もー、お願いだからあんまり困らせないでよぉ」
ショーグンを追ってトイレまでやって来たあたしは、隅でうずくまっているヤツを発見して声をかけた。
「よるなっ!かえれーっ!!」
うずくまって下を向いたままで、ショーグンが大声を張り上げる。
それにしても…なに、その態度は。
いくら『仏の矢口』とて、いいかげんキレるんだからねっ…!
「ちょっとー!!なによ、その口の利き方は!!」
「ひぃぃ!すみません、すみっ…ひっ、ませっ…っく」
勢いにまかせて怒鳴りつけたあたしは、今さらながらショーグンの様子がおかしいコトに気付く。
横柄な態度、さっきから下を向いたまま顔を上げようとしないショーグン、もしかして…。
「ショーグン、あんた…泣いてんの?」
「っ、っく、うぐっ、ぐっ…ひっく」
あ、やっぱし。
あたしが言い当てた途端、ショーグンは堰を切ったように激しく泣き出した。
「どうしたんだよぉ、そんな恐かった?」
「っ、っぐ、うぐっ、うぅぅっ…っく」
もー、何なんだよコイツは…。
「あのね、ショーグン。圭ちゃんは一見恐そうに見えるかも知れないけど、ホントはすごくいいやつなんだよ?
努力家だし。ってゆーか、あんたそんな恐がりで将軍なんてつとまんの?
家来が付いてこないよ、そんなんじゃ」
まだ幼い次期将軍を励ましながら、あたしはちょっとした『家老』気分に浸っていた。
「…っ、っ、ははっ、ははっ、はは、うえ、ははうえのっ」
「え?なに?」
ははうえ?
お母さんがどうしたんだろう…圭ちゃんが恐かったから泣いてたんじゃなかったのか。
「ははうえのっ、ははうえの、おむすびがたべたいぃぃぃ…っく、うぐっ、えぐっ」
「………アホか、おまえは」
親元を離れて(辻の体に乗り移って)1時間足らず…もうホームシックですか、ショーグン様。
「えぐっ、えぐっ、ははうえぇぇ…っく」
このコの世界に修学旅行とかあったら、きっとすごく大変だろうなぁ……とか。
「おむすびぃぃ…っ、ぐっ、うぐっ」
我が子のために奥方様が直々におにぎり作るなんて、なんてアットホームな将軍家なんだ……とか。
思うところは本当にたくさんあったのだが、それよりなにより。
「えぐっ、えぐっ、ううっ…っ、くっ、ひっくっ…」
コイツに、日本の冬を任せてしまっても良いのだろうか…。
これから冬を迎えるにあたり言い知れぬ不安に襲われる、矢口真里18歳の秋だった。
―――
「…ぐすっ、ずっ、っ」
「そんなにおいしいんだ、お母さんのおにぎり」
あたしの言葉に、鼻をすすりながら無言で頷くショーグン。
「じゃあ早いとこ修行終わらせちゃってさ、お屋敷に帰ってお母さんのおにぎり
いっぱい食べればいいじゃん。ね?がんばろうよ」
こんなガキ相手に、あたしもよくやるよ…。
「…できっ、できるっ、でしょうか?わたっ、わたしにっ」
さっきまで元気に『はいっ!』とか言ってたくせに…楽屋で圭ちゃん家のおにぎり(作:圭ちゃん母)を
見た途端、ネガティブモード全開だもんなぁ。ホームシックって恐いわ。
「ショーグンさぁーん?ダメですよぉ、そんなコトじゃ!チャーミーみたくポジティブにいかなくっちゃ!!」
ネガティブといえば石川、石川といえばポジティブ。
あたしはショーグンのために恥を忍んで右手でエル(L)の指文字を作り、先ごろ復活を遂げたばかりの
『チャーミー石川』のポーズを真似て見せた。
「…できっ、できるっ、でしょうか?わたっ、わたしにっ」
「放ったらかしかよ」
やんなきゃ良かった。
恥かかせやがって、おぼえてろよ…石川。
「わっ!?びっくりしたー…矢口、いたの?」
「あっ!カオリ」
突然入ってきたカオリによって、あたしとショーグンの密談(in
トイレ)は中断された。
「辻…?どうして泣いてるの?」
あっ、やべ。
「矢口に、何か言われたの…?」
「あっ、ちがっ、違うのカオリ!これはね、」
トイレの隅で向かい合ってしゃがみ込むあたしたちの元へ、カオリが近付いてくる。
「いいえ、わるいのはわたしですから。わたしですからっ…」
「ちょっと、なに意味深なコト言ってんだよ!」
それじゃ、まるであたしが泣かしたみたいじゃん…あんな恥ずかしいマネ(チャーミーのモノマネ)までしたのに!
「あの、違うのカオリ。ミニモニのコトとか、まぁ…いろいろあってさ。
ちょっと相談乗ってただけだから、うん。ぜんぜん、心配ないから。ははは」
いかにも怪しげな言い訳をしつつ、あたしはショーグンの手を引いて逃げるようにその場を後にする。
「ああ…サイアク」
ショーグンを連れて楽屋へ戻る途中、あたしの口から思わずタメ息がもれる。
「やぐちどの」
「ん?どしたの?」
繋いでいた手をはなして、ショーグンが立ち止まった。
「きめました。あのひとにします」
「なにが?」
「さっきのひとを、こおらせてもよろしいでしょうか?」
ああ、冷凍人間の件ね。
でも、『さっきのひと』って……。
「トイレで会ったヒト?カオリ?」
あたしの言葉に無言で頷いたショーグンの表情は、真剣そのもの。
カオリか…それはちょっとノーマークだったなぁ。
てっきり、圭ちゃんで決定かと思ってたのに。
「なんで、カオリなの?」
「うーん…わたしにもわかりません。ただ、あのひとをみたしゅんかん、わたしのなかの『なにか』が
わたしにうったえかけたのです。あのひとをこおらせよ、と。あのひとなら、だいじょうぶだと」
なるほど…大した理由もなくカオリを指名したショーグンの話を聞きながら、あたしはピンときた。
ショーグンに語りかけた、ショーグンの中の『なにか』…さては、辻だな。
肉体を乗っ取られながらも、その奥ではしぶとく息づいているのね…『くさっても辻』とはよく言ったモノだ。
「じゃあ、戻ったら矢口がカオリのコト呼び出してあげるから、うまくやるんだよ?」
「はいっ!」
ホント、返事だけは良いんだから……。
「カオリ、ちょっといいかな?」
楽屋の前、トイレから戻ってきたカオリをすかさず捕獲する。
「なに?」
「あの、さ…ちょっと話あるんだけど」
言いながら、柱のかげに隠れてじっとこちらを見ているショーグン(見た目は辻)の姿が目に入る。
中学時代、友達に頼まれてそのコが好きだった男子を体育館脇に呼び出した時のコトを思い出した。
なにやってんだろー、あたし…って思った。
「ゴメン。これからカオリの番だからさ、取材」
「えっ、そうなの?」
しかも空振りに終わってるし…ホント、なにやってんだろあたし。
「カオリ、今忙しいんだって。後にしよ」
カオリが部屋の中へ入っていくのを見届けてから、柱のかげに潜むショーグンの元へ駆け寄る。
「…そうですか」
あからさまにがっかりした様子のショーグン。
とっとと修行を終えてお母さんの元へ帰りたいのはわかるけど、こればかりはどうしようもないもんね。
「ねぇ、散歩行こっか」
「はいっ!」
気晴らしにと、あたしはショーグンを外へ連れ出した。
―――
「うあっ、けっこー寒いね。だいじょうぶ?ショーグン」
「わたしはぜんぜんへいきですが」
「あ、そっか…冬将軍だもんね」
テレビ局を出たあたしたちは、近くの公園に来ていた。
午後7時、辺りはすっかり暗くなって誰もあたしたちの正体(矢口と辻)に気付いていない様子。
すぐ目の前に広がる海からの冷たい潮風が、容赦なく肌をさす。
「えへっ」
「なにー?なに笑ってんの?」
「やぐちどのが…いま、『ふゆしょうぐん』っていったから。すこしうれしくなりました」
「そっか、まだ見習いだったね。じゃ、今のは取り消し」
「ええーっ!?」
あたしは慌てて、大声を上げたショーグンの口を手で塞ぐ。
「しーっ!大っきな声出しちゃダメだってば」
せっかく周りの人にバレてないんだから…あたしは、自分の唇に人差し指を当ててショーグンに言い聞かせる。
「…すみません」
ショーグンは、しゅんとして俯いた。
「でも、夏が終わっちゃうと寂しいよねー…海もさ」
あたしとショーグンは並んで公園の柵に足をかけて乗り、両手をついて目の前の海を眺めている。
「にんげんは、なぜふゆのうみをみないのでしょうか?」
隣に立っているショーグンが、ぽつりと言った。
「うーん…やっぱさぁ、海っていったら夏だよ。泳ぐのもそうだけど、花火とかさ!
どっちかってゆーと、矢口は花火とかやる方が好きだね。砂浜でね、夜にやんの。友達とさぁ…楽しいよ?」
つい夢中になって夏の海を語ってしまったあたしとは対照的に、ショーグンは何やら浮かない顔。
どうしたんだろ…あたし、また何か悪いコト言っちゃったのかな。
「ふゆになると、ちちうえのあとについて、にほんじゅうのうみへいきました。
そして、ちちうえがうみにゆきをふらせるのを、わたしはいつもとなりでみていました」
「へぇー、それも修行の一環ってやつ?」
あたしの言葉に頷いたショーグンの視線は、目の前に広がる海に注がれている。
「まっしろなゆきが、そらからたくさん、たくさんふってきて、そのひとつぶひとつぶが
みなもにきえてゆくすがたは、ほんとうにうつくしいとおもいました。
ほんとうに、ほんとうにうつくしいのに…だれも、みてはくれないのです」
遠くを見ながらそう言ったショーグンは、とても悲しそうな顔をしていた。
誰もいない海に、誰も見ることのない雪を降らせる。
きっと、もっとたくさんあるんだろうなぁ…。
あたしたちが知らない景色、きっと日本中にまだまだたくさんあるんだろうな。
将軍家の人々が地味にがんばってた頃、あたしは暖かい部屋で鍋奉行でもやってたんだろうか。
って、矢口も上手いコト言うねぇー…なんてコトを考えながら。
今年の冬は、ショーグンたちが作った素敵な冬景色を一つでも多く見つけられるように…
寒くてもいっぱい、お出かけしようと思った。
「さて、と。そろそろ行こっか」
「はいっ!」
あたしは、ショーグンの手を引いて歩き出す。
冬将軍のくせして、ショーグンの手は……すごく、あったかかった。
―――
「なに矢口?話って」
「うん、実はさ…」
あたしは、既に取材を終えて楽屋へ戻ってきていたカオリを例のトイレに呼び出した。
「おいで、辻」
あたしが呼ぶと、隠れていたショーグンが入口から顔を出す。
「辻…どうしたの?」
「いいだどの。しばらくのあいだ、じっとしていてください」
呆気に取られるカオリをよそに、ショーグンは早速カオリを凍らせるための準備を開始した。
ショーグンは左手を腰に当て(『前ならえ』の最前列のコみたいなポーズ)、右手を伸ばして
手のひらをカオリの顔にかざす。
なんか、えらくベタなポーズだけど…こんなんで、ホントにカオリを凍らせることができるんだろうか。
「はあーーっ!!」
「え?辻?つ…」
ピシッ!という鋭い音とともに、一瞬にしてカオリの全身が氷に包まれる。
「うっそぉー…マジで凍っちゃったよ」
「さわるな!」
凍りついたカオリの肩に手を伸ばしかけたところで、ショーグンに厳しく制される。
「あっ、すみません、つい…。いいだどののからだをおおっているこおりは、とてもつめたいのです。
やぐちどのがふれると、やけどをしてしまいますから」
「そうなんだ。ねぇ、ホントに大丈夫なの?カオリ」
ショーグンのコト、信用してないワケじゃないけど…ここまでカチカチに凍ってる姿見せられちゃうと、
カオリが本当に元に戻れるのか心配になる。
「はい。あんしんしてください。わたしはすぐに、ここからいなくなりますから。
そうすれば、いいだどのもちゃんと、もとのすがたにもどります」
「そっか」
なんだか…ショーグンがすごく、大人びて見えた。
そっか。
もう、見習いの『ショーグン』じゃないんだね。
たった今から君は、一人前の『冬将軍』なんだもんね。
立会人ヤグチが、ちゃんと見届けてあげたんだからね。
「やぐちどの。おせわになりました」
そう言うとショーグンは、あたしに向かってぺコリとおじぎする。
「もう帰っちゃうの?まだいいじゃん」
「でも、わたしがかえらなければ…『つじ』どのも、『いいだ』どのも、もとのすがたにもどることができません。
ですからわたしは、かえります」
「そっか」
ちょっと寂しいけど、ショーグンの言う通りだ。
ショーグンだって晴れて冬将軍になったんだから、冬の準備とかで忙しいだろうし。
「じゃあさ、今年からは…ニュースで『冬将軍の到来です』とかって言ってたら、それってあんたのコトなんだよね?」
「はい、わたしのことです」
なんだよ、コイツ…一人前になったからって、ちょっと大人ぶっちゃってさ。
「楽しみにしてるね。ショーグン様」
「えへっ、やめてくださいよぉー。しょうぐん『さま』だなんて」
あたしがからかうとショーグンは、半人前の顔に戻って笑った。
「ねぇ、ショーグン」
「はい」
「最初会った時さ、言ってたじゃん?矢口とショーグンは、『似てる』って」
「はい、いいました」
「どうして?どうしてそう思ったの?」
腕組みして、うーん、と考え込むショーグン。
「やぐちどの。ふゆは、きらいですか?」
「冬?ううん、大好きだよ」
「わたしも、ふゆはだいすきです」
「なるほどね。ってゆーか、あんたそれ今考えたでしょ?」
「えへっ、ばれましたか?」
「ばーか、バレバレだよ」
「えへっ」
「じゃあねぇ…罰として、ひとつだけ矢口のお願い、聞いてくれる?」
「はい。わたしにできることなら、なんだって」
そして、あたしはショーグンに『たったひとつの願い事』を伝える。
「おやすいごようです」
ショーグンは、八重歯をのぞかせてにっこりと笑った。
―――
その年のクリスマス。
矢口の住むこの街に、矢口の大好きな、雪が降った。
<おしまい>