ファーストブレイク
第二部
「なんか、可愛すぎてむかつきません?」
「なんだよそれ。ただのひがみじゃんか」
「だって、これ、バスケ雑誌っすよ。なんすか、この、モデルみたいなのは」
「はは、吉澤だって、見た目だけならそう負けてないよ」
「まじっすか?」
「見た目だけな。しゃべると可愛げなくなるし。バスケやったら、この二人の足もとにも及ばない」
「可愛いかバスケがうまいか、どっちかにして欲しいっすよね」
練習前の体育館。
吉澤と保田の二人は、中澤が持って来たバスケ雑誌を見ている。
その表紙には、背中合わせになってボールを手の平に乗せたジャージ姿の女の子が二人
映っている。
「可愛くて、一年生からチームの中心で、そのチームは選抜の優勝候補大本命で、月刊誌
の表紙に映る二人。かたや、いなかの普通の学校で、選抜予選で二試合連続ファウルアウト
して、そのチームは二回戦負け。雑誌なんかには縁が無く、期末テストは赤点取りまくりの
一年生。ひがむなって方が無理か」
「そこまで言わなくてもいいじゃないですか・・・」
あまりの明確な落差をはっきりと口にされ、心底へこんでしまう吉澤。
拗ねたように、もー、と言いながら、じっとその表紙を見つめていた。
「はいはい。あんたらねたんでもひがんでも、雑誌の表紙になんかなれんのやから、
だべってないでさっさと練習始めや」
「はー。それじゃ、ランニング」
ちょっと気の抜けた声で保田が指示を出す。
吉澤は、立ち上がってもまだ雑誌を見つめていた。
「今に見てろこのやろう」
表紙の二人に小声でそう言って雑誌を置いた。
これが、吉澤ひとみが、石川梨華を認識した最初だった。
吉澤達は、年明けの県新人戦に向けて、年末、十二月中旬にブロック予選を戦った。
松江地区からは八校が参加。
トーナメント方式で行われ、吉澤達は二つ勝ち決勝に進んだ。
初戦は百点ゲームの圧勝、準決勝にあたる二試合目は、突破力のある相手フォワードにて
こずったものの、七点差で辛くも勝利している。
保田は二試合で五十五得点と好調、吉澤の方は二試合で三十九点どまりではあるが、それ
でもファウルは二試合とも三つでとどまり各段の進歩を見せている。
しかし、決勝は簡単にはいかなかった。
相手の北松江は、十四番をつけたポイントガードの一年生を中心に、次々と速攻を繰り
出して、吉澤達を翻弄する。
結局いいところなく、63-41で敗れ、松江地区二位として、年明けの県新人戦に進むこ
ととなった。
吉澤や保田が、地方のそんな地味な大会で戦った直後の年末、十二月二十三日から、全国高校選抜選手権が始まった。
バスケットの月刊誌の表紙を飾った石川と柴田は、決勝戦が全国にテレビ放映もされるこの華やかな舞台に立っている。
インターハイも国体も、チームの中心として戦い優勝してきたけれど、この選抜大会は重みが違う。
この大会で優勝したチームが、その年一番強いチームとして認識される。
三年生にとって最後の大会。
負けたら、そこで現チームが解散し、新チーム結成となる、そういう大会。
そんな中で、チームは順等に勝ちあがって準々決勝を迎える。
相手は、石川柴田に取ってライバルになる、同じ一年生藤本と里田がいる滝川山の手高校だった。
「とにかくよく走るチームだから、戻り早くな」
「はい」
「特に石川。シュート外した後、すぐ切り替えること。分かるな?」
「はい」
「よし、行ってこい」
試合前の指示。
石川も柴田もスタメンに入る。
センターサークルに両チームのそれぞれ五人づつが並んだ。
端に二人並ぶ石川と柴田の正面に、やはり一年生の藤本と里田がいる。
何度も試合をしてきて、四人はすでに顔なじみ。
中学時代は五分と五分だった石川と藤本。
それが高校に入ってからはチーム力の差もあり、石川が連勝している。
藤本としてもそろそろ勝ちたいところ。
石川は、じっと自分を見つめる藤本から視線をそらした。
試合は、比較的静かに始まった。
ディフェンスは、石川達富ヶ岡はハーフコートのマンツーマンで、対する滝川山の手は
オールコートのマンツーマン。
コート全体で常にディフェンスを頑張ると、どうしてもばててしまうので、通常は、相手
が自陣に入ってきてからディフェンスを行う、ハーフコートのディフェンスを選択することが多い。
滝川は、そのリスクを踏まえた上で、オールコートでマークに付く。
石川には里田が、柴田には藤本がついた。
石川と里田は同じポジションだが、柴田がセカンドガードであるのに対し藤本はポイントガードで
一年生ながらチームを支配する位置にいる。
序盤、富ヶ岡がリードした。
インサイドを中心に加点して行く。
五分過ぎ、12-4と富ヶ岡のリードが開いた所で、滝川山の手がタイムアウトを取る。
そこから、試合の空気が変りはじめた。
藤本は、里田にボールを集めはじめた。
石川のディフェンスが甘いことは、よく知っている。
一対一で勝負する限り、里田なら突破出来ると踏んだ。
その目論見どおり、二本続けて里田がドリブル突破で石川をかわし連続得点する。
「石川! やられたらやり返せ!」
ベンチから声が飛ぶ。
作戦も何もない、ノーガードの叩きあいが始まる。
里田と石川の一対一は、常にボールを持つ方が勝った。
驚異的な石川の突破力を里田は止められない。
逆に、石川のディフェンスでは里田を止めようがない。
派手な点の取りあいに、観客席は沸いた。
男女合わせて約100チーム、それに関東近郊の高校生達。
関係者だけでも数千人に及び、さらに、バスケマニアに属する人たちが集まる会場。
一万近い客席を持つ東京体育館も満員になる。
その中でも特に、この両チームのファンは多い。
バスケやバレーの世界では、すこし実力が下のチームの選手達が、上の同性の選手を尊敬以上
の憧れを含んだ眼差しで見つめることがある。
その対象となる選手が、プレイぶりばかりではなく、ビジュアルでも憧れの対象となれば、
その人気は言わずもがな。
石川や里田、その他にもこの両チームは、そういう目で見られる選手が多かった。
一クォーター終わって、28-24と富ヶ岡のリード。
女子の試合としては、かなりハイスコアな展開である。
「柴田。十二番を止めろ。パスの供給源を断て」
二分間のタイム中のコーチの指示。
石川が里田を止められないと見ると、そこへのボールの供給を止めるしかない。
その供給源は、十二番を付けている藤本だった。
「ごめん、負担かけて」
「ううん。やってみる」
里田を石川が止められれば問題の無いところ。
言葉は謝っているけれど、いつものことなので石川も悪びれる空気はないし、柴田もそれを責めるでもない。
ただ、相手はいつもと違う。
柴田は、一クォーター、ほとんどボールに触れていない。
オフェンスでは藤本にきっちりとマークされボールが受けられず、ディフェンスでは
ドリブル突破を警戒してやや離れて付いていた。
そのため、結果として藤本に自由にパスをさばかせてしまっている。
このままではインターハイの時と同じ展開。
インターハイでも戦った両チーム、試合は富ヶ岡が勝ったが、柴田は途中交代していた。
マークに付いたのはその時も藤本。
いつも温和な柴田が、相手ベンチで座ってドリンクを飲んでいる藤本を厳しい視線で見つめた。
二クォーター、柴田は藤本にきつくつきはじめた。
最初にボールを受けた時は、一クォーターとの違いに藤本は一瞬戸惑ったが、それだけだった。
柴田の圧力にすぐに慣れる。
さっきまでと変わらないように、パスを供給しはじめた。
どうやっても止まらない。
柴田は藤本を止められないし、石川は里田を止められない。
石川は、逆にボールを受ければ里田を翻弄していたが、柴田にボールは回って来なかった。
ただ、やられるばかり。
五分過ぎ、ベンチが動いた。
柴田と石川の二人がベンチに下がり、ディフェンスに長けた三年生が投入された。
ベンチから声援を送る石川の隣で、柴田は無言だった。
おざなりに、手拍子に合わせたりはしているが、声援の声は出て来ない。
オフェンスで突破し、ディフェンスでやられまくる、ある種、誰もが予想していて自分でも
そう思っていたプレーぶりで、戦術的理由でベンチに下がった石川と違い、柴田はいい所なく
代えられた。
また、藤本にいいようにやられた。
それだけが、柴田の頭にあった。
石川がベンチに下がり、観客達の間にはすこし冷めた空気が流れる。
ノーガードの殴り合いから、ディフェンシブな展開へとシフトした試合は、石川の離脱後
センターの平家を中心に加点した富ヶ岡が52-40とリードして前半を終えた。
「私ってディフェンスざるだよねー」
ハーフタイム、ベンチで石川は隣に座る柴田に笑いかけた。
柴田は、薄く微笑むのみで何も返さない。
次の試合のアップをするチームをぼんやりと見つめている。
「やっぱ、その辺もなんとかしたほうがいいのかなー?」
得意分野だけをひたすら伸ばしてここまで来た石川。
苦手のディフェンスの練習を真面目にやったことはない。
一対一で石川に止められる選手など、このレベルにはまずいない。
能力の偏りがこれ以上ありえないというほどあるのが石川だった。
対称的なのが柴田。
オフェンス上手、ディフェンスも上手、シュートもうまい、スリーポイントだって打てる。
ボール運びもちゃんと出来たし、周りとの連携もこなす。
平均点で言えば、石川よりも高い。
しかし、目立たなかった。
何が出来る? と問われれば、返す言葉は、「まあ、なんでも」
なんでも、ならともかくその前に、まあ、がつく。
跳びぬけた一つの能力、というものが柴田にはなかった。
そんな柴田は、石川の自分にむけていると思われる言葉に、何一つ答えることなく聞き流していた。
後半、コートの上に石川の姿はあったが、柴田の姿はなかった。
石川は相変わらず攻撃の中心としてチームを引っ張る。
ただ、ディフェンスに関しては、マッチアップを代えられていた。
相手の得点源、里田にはディフェンス得意の三年生がつく。
石川は、外のポジションのプレーヤーに、抜かれるのはどうでもいいから、スリーポイント
だけ防げ、という指示を受け、指示どおり、さくさく抜かれていた。
「インサイドしっかりやれよー! たまには自分で打開しろよ」
藤本が叫ぶ。
後半に入り、点差が開き初めていた。
得点源の里田が押さえられ、自分も自由にプレーさせてもらえない。
さらに、前から当たられて、ガード陣はボール運びで精一杯。
そのフラストレーションが、チームメイトに向けられる。
藤本は一年生。
フロアに立つのは、里田以外は皆先輩である。
それでも、まるでかまうところはなかった。
滝川山の手の帝王は藤本。
先輩だろうと誰だろうと関係ない。
しかし、藤本の檄一つで打開出来るほど、富ヶ岡は甘いチームではなかった。
一年生の藤本と里田が完全に背負い切っている滝川と違い、富ヶ岡の一年生は、地味な
柴田と点取り屋の石川。
石川こそ目立ってはいるが、まだまだ好き放題やらせてもらっている立場である。
インサイドに攻め手がないとなると、外の藤本、安倍が打開するしかないのだが、流れ
の悪さに巻き込まれ、シュートの確率が上がらない。
じりじりと離されていく。
チーム力の差がありすぎた。
三クォーターを終えて、70-49
ほぼセイフティリードの圏内に富ヶ岡が入る。
それでも、最終クォーター、滝川山の手は猛烈な追い上げを掛けて行く。
伝統的に、終盤に強さを見せるチーム。
勝負強いとか、精神的に優れているとか、そういう問題ではない。
北の大地で、ひたすら走りこんで来たチームは、体力だけは無尽蔵にあった。
残り五分になったころ、石川がはずされる。
十五点のリードの場面で、もう得点は必要なかった。
「おつかれ」
ベンチに帰って来た親友に、柴田がタオルを渡す。
役割を果たし、満足げにタオルを受け取った石川は笑みを見せる。
柴田は、微笑み返すこともせず、フロアに目をやった。
試合は、83-70で、富ヶ岡が勝利した。
試合後、あっさりと引き上げていく富ヶ岡と対称的に、滝川の選手達は泣き腫らした目で
通路の隅に集まった。
三年生が残っているチームの冬の大会での敗戦は、そのままチームの解散、新チームの
結成を意味する。
「このチームは、今年のチームは、最後まで勝ちきれなかった。どうしても、どうしても、
富ヶ岡に勝てなかった」
キャプテンの言葉。
インターハイベスト8、秋の国体ベスト4。
どちらも富ヶ岡に負けた。
そして今日も、また負けた。
「来年は・・・。来年は、一度でいい。富ヶ岡に勝ってほしい。優勝してほしい。私たち
のためなんて言わない。来年戦う自分たちのために、勝ってほしい、そう思います」
最後の言葉。
去り行く者から残る者への、最後の言葉。
「安倍なつみさん」
キャプテンからの呼びかけ。
列の中にいた安倍が一歩前に出る。
キャプテンが安倍の前に立った。
「安倍なつみさん。あなたにこのリストバンドを託します。このチームを託します」
このチームの儀式。
キャプテンの引継ぎ。
最後の試合が終わった後、その場で次のキャプテンを指名する。
試合のとき、キャプテンが必ずつけているリストバンドを渡す。
「今の二年生、一年生は、私たちの代よりレベルが高いし個性も強い。大変だと思うけど、
安倍が引っ張って、いいチームを作ってくれ」
「はい」
去り行くキャプテンからの言葉。
涙を流しながら、安倍はリストバンドを受け取る。
「先輩たちの伝統を穢すことなく、新しいチームを作って行きたいと思います」
新キャプテンの最初の一言。
新しいチームが始まる。
「安倍、新チームに期待している」
「はい」
「解散」
涙を流しながら、今年の代が終わる。
そして、安倍たちの新しい代がスタートした。
大会は、その後も富ヶ岡が順調に勝ち進む。
決勝、石川が二十七点を取る活躍で勝利し大会初優勝を飾った。
その勝ち進む間、柴田に出番は無かった。
冬休み明け、吉澤のクラスに一人の来客があった。
「あのー、吉澤さんっていますか?」
放課後の教室。
本格的な授業が始まる前の短縮日課。
部活までの空き時間に教室でのんびりとしゃべっていた吉澤は、自分の名前を呼ぶ声に入り口を見る。
クラスメイトが自分を指差す隣に、すらっと背が高く、オリエンタルでどこか日本人離れした風貌の持ち主が立っていた。
少女と言うより女性と呼びたくなるような。
その女性が近づいてくる。
吉澤は立ち上がった。
「吉澤さんって、バスケ部に入ったんですよね? 途中から」
「ええ、まあ」
「あの、私も入りたいんですバスケ部。大丈夫でしょうか?」
目をぱちぱち。
おとなっぽい・・・。
吉澤から見た第一印象。
「入学した最初も入部希望したんですけど、受け入れてもらえなくて、それであきらめたんですけど、吉澤さんが一年生なのに入部されたって聞いて」
「あー、まあ、大丈夫だと思いますよ、今なら」
背が高いからポジションかぶるかも。
そんなことも頭に浮かぶ。
「じゃあ、ちょっと早いけど、行ってみます?」
「よろしくお願いします」
「そんな、頭とか下げられちゃうと困っちゃうな」
照れ笑いしながら吉澤は、右手で頭をぽりぽりとかいていた。
着替える前に直接体育館へ、制服でスカートをはためかせたまま向かう。
体育館には、すでに着替えた保田が一人シューティングをしていた。
「保田さん」
入り口から声をかける。
リングにはじかれたボールを拾い、保田が振り向いた。
隣に人を連れた吉澤を見て、歩み寄ってくる。
「なに? どうしたの制服で」
「入部希望の一年生」
「一年C組の木村あやかと言います。バスケ部に入部したいんですけど」
保田は、上から下まであやかのことをざっと見定めた。
「四月にも来たよね、確か」
「はい。あの時は断られてしまって」
「あー、ごめんねー、あの時は。うん。なんか、ちょっとどうかしてたから。私の方からお願いする。どうかよろしければバスケ部に入ってください」
「え、いや、お願いするとかそんなとんでもないです」
首を左右に振り、長い髪も揺れる。
横から吉澤が口を挟んだ。
「なんか、私の時とは待遇が違いすぎませんか?」
「しょうがないじゃないのよ」
「入部テストに三十キロ走らせるとかやらないんですか?」
「あんたまだ根に持ってるの? 悪かったって。あやまってるじゃないの」
「別に、いいんですけどー」
明らかにすねてますというのを訴えるような口ぶり。
あやかは間に立ちただ戸惑っている。
「木村さん、バスケ経験者?」
「一応、中学ではやってました」
「そっか。じゃあ、期待してるから。知っての通り、うちは木村さん入れてやっと七人目。試合に出る機会もすぐ来るはずだし」
「そんな、急には無理ですよ」
「いや、二週間後の県新人には使うから。そのつもりでいてね」
あやかに浮かぶ戸惑いの表情。
隣で吉澤は微笑んでいる。
「まあ、みっちり鍛えてあげるから、二人ともぼさっとしてないで着替えてきなさいさっさと」
「はーい」
吉澤がおどけた声で答えた。
二人で体育館を出て行く。
「やったー、一年生増えたー!」
ドアを出たところで吉澤が叫ぶ。
冬の寒い日だった。
「柴田、今日はガードね」
新チーム、三年生が抜けて、柴田のポジションが変わった。
仮でポイントガード。
三年生が抜けて、新一年生が入ってくるまでの中途半端な三ヶ月間。
富ヶ岡にとっては、小さな大会に過ぎない県と関東の新人戦があるのみ。
チームとして、モチベーションをもって臨むのが難しい時期。
そんな時期の試合に、柴田は三年生が抜けてぽっかりあいたポイントガードにコンバートされた。
神奈川県での初戦。
試合にならないレベル差がある。
どこに回しても点を取ってくれる。
元々器用にどんなポジションでもこなす柴田。
ポイントガードデビュー戦は無難に勝利した。
「さすがだね。違和感ないよ」
「適当に散らしてるだけだもん」
「でも、私じゃそうはいかないよ」
「そりゃあ、梨華ちゃんは・・・」
それだけいって言葉をつながない。
梨華ちゃんは、他のポジションやる必要ないもんね・・・。
柴田と石川は違う。
チーム事情で、多少プレイスペースが変わることはあるが、石川の役目は点を取ること。
単純明快だ。
石川には柴田のような器用さはない。
ポイントガードなんかやらせたらチームが崩壊するだろう。
それでも、点を取るスペシャリストとしてだけで、自分が好きな、点を取る、ということだけで試合に出られる。
便利屋のように使いまわされる柴田とは、立場が違った。
二回戦、三回戦、順当に勝っていく。
柴田は二試合とも40分間フル出場した。
出来は、まあそこそこ。
可もなく不可もなく、といったところ。
二回戦で五点しか取れずに代えられ、三回戦ではハーフタイムまでに三十五点と爆発した石川とは対称的だった。
ここで、試合は一週間の間を置く。
残りは準決勝と決勝。
油断さえせずに、順当に戦えば負けることの無い相手。
そういった意味での緊張感は無い。
練習も、特別に試合向けにメニューをアレンジするということはなく、春からのチームを見据えての基礎練習が主だった。
そんな中、今までと少し違う立場になった柴田。
ポイントガードというポジション。
別に、苦手ではないし、苦労するわけでもない。
ただ、とりあえずのつなぎでしかない立場。
このポジションで春からも試合に出て行くような気がしなかった。
準決勝の前日。
練習が終わりぼんやりとコートの隅に座っていた柴田。
皆が引き上げた頃に立ち上がる。
ボールを抱え立ち上がる。
そして、走り出した。
シュート、リバウンド、拾ってまたシュート。
落ちてきたボールを拾い、逆サイドまでドリブル。
ミドルレンジからストップジャンプシュート。
リングに当たり落ちてきたところを、タップでシュート、今度は決める。
ボールを拾うと、ダイヤモンド型にハーフコートをドリブルで周り、そのままゴールまで突っ込む。
息が切れてもトップスピードから落とさない。
ボールを拾った。
ゴール下から、ジャンプシュートを続けて打つ
それを拾って、逆サイドへ走り出した。
わずかに弧を描いて、ドリブルをついていく。
トップスピードで駆け抜けランニングシュートを決め、そのままコートサイド、に倒れこむ。
ボールは転々とコートの上を転がった。
倒れこんだ柴田は仰向けになる。
柴田の息遣いと、転がるボールの音だけが、体育館に聞こえていた。
目を瞑る。
自分の呼吸が聞こえる。
息苦しい。
息苦しいけれど、なんか、それがかえって心地よかった。
「お疲れ」
しばらく、柴田がそのまま浸っていると、顔にタオルをかけられた。
「空気読めよ」
タオルをはずし目を明ける。
顔の上には石川がいた。
「すっきりした?」
すでに制服に着替え終わった石川。
シャワーを浴び、洗いざらしの髪で柴田の前に立つ。
柴田も体を起こした。
「人が気分よく寝てるときに。空気読もうよ梨華ちゃん」
「体育館閉まっちゃうよ」
そう言われても冷たい目で柴田は石川を見る。
一瞬たじろぐけれど、それでも空気を読まずに石川は続けた。
「どうしたの柴ちゃん最近。なんか機嫌悪いでしょ」
柴田は、受け取ったタオルで汗を拭く。
それから、立ち上がった。
「シャワー浴びてくる」
「ちょっと、柴ちゃん!」
「タオルありがと」
去り際に、石川に投げ渡す。
かばんを抱えて、フロアから出て行った。
翌日、新人戦、県の準決勝。
柴田も石川もスタメンに入る。
柴田がやけに攻撃的だった。
自分で持って、自分で切れ込んでいく。
パスするよりも、自分で点を取りたかった。
力があるので、一対一で勝負すれば勝てるのだが、ガードが一人で持ち込んでしまうとゲームが作れない。
二クォーターに入るとき、柴田はベンチに下げられた。
試合は、順当に富ヶ岡が勝った。
さらに次の日は決勝。
この日、柴田はベンチに座りっぱなし。
出番は無かった。
試合そのものは、序盤リードするものの、後半に入りガード陣がボール運びにもたつく。
残り五分で十点差まで詰められる。
県大会としてはかなり苦労したが、それでもラストは平家を中心にしたインサイドが加点して、何とか逃げ切った。
優勝はしたものの、不甲斐ない試合展開。
試合後、和田コーチに厳しく渇を入れられ、あまり、喜べない優勝だった。
「なつみさん。一対一やりましょうよ」
練習終わり、藤本が声をかける。
身長はほぼ同じ。
ポジションは重なる。
やろうとしていることに不自然は無い。
ただ、藤本の笑顔の自然さが不自然だった。
なつみさん。
なつみさん。
藤本が、とにかく安倍になついている。
キャプテンと、チームを仕切るポイントガード。
仲がいいのは悪いことではない。
何も悪いことは無いはず。
「りんねさんいますか?」
夜、あさみがりんねの部屋を訪れた。
滝川山の手の選手は、全員が寮に入り三年間を過ごしている。
町とは隔絶された世界で連帯感を強めていた。
「また、宿題?」
「そんなんじゃないですよー」
あさみは一年生。
一人一人一年生に、バスケのということではなく、寮の先輩として指導役が付く。
あさみの指導役には、りんねがなっていた。
「なんか一人でつまらないんですよ」
「藤本は?」
「安倍さんの部屋行ってるみたいです」
「またか」
もともと、藤本は安倍になついていた。
藤本の指導役は安倍。
なつくというか、しつけるというか、てなづけるというか。
いずれにしても、藤本は安倍の言うことはよく聞いている。
「なんか、変わりましたよね」
「藤本?」
「ええ」
りんねはベッドに寝転がり、あさみはりんねの机の椅子に座る。
背もたれに顔を乗せて、反対向きに座る。
「いいんじゃないの? 元々きつすぎるって、上からも声があったくらいなんだから」
「それはそうなんですけどー。なんかー・・・」
「なんか?」
「ある意味怖い」
真顔でそう言うあさみにりんねはげらげら笑う。
不満そうにしながらあさみは続けた。
「だって、怖くないですか? あの美貴が笑顔で楽しそうに、なつみさんなつみさんって」
「藤本だって、笑うことくらいあるでしょ」
「ありますけどー。なんか、違うじゃないですか」
同じ一年生。
別に藤本が嫌いとか、そんなことではなく。
違和感。
愛想がいい藤本には、どうしても違和感を感じる。
「まあ、しばらくあれでいいんじゃないの? あんまりなつみにべったりで、他とコミュニケーションとらないんじゃ困るけど。別にそう言うわけでもないし」
「それはそうなんですけど」
「あれだ。あさみはさびしいんでしょ」
「そんなんじゃないですよー」
「よしよし、りんねお姉さんがかわいがってあげるぞ」
「バカにしないで下さい!」
ちょっと目は笑いながらの抗議。
りんねも微笑んだままフォローもせず、あさみを見つめる。
のんびりした夜だった。
あさみの抗議はともかく、りんねにも確かに安倍にべったりの藤本が目に付く。
練習中、練習後、寮、学校でまで。
別にいいけど。
別にいいけど、目に付く。
「どうしちゃったの? いったい」
藤本を呼び出すと、自分が呼び出された気分になるので、安倍の方の部屋に行ってみた。
二年生同士。
まあ、気心は知れている。
「どうしちゃったんだろうねえ?」
ベッドの上でニコニコ。
変わったのは藤本であって安倍じゃない。
確かにキャプテンにはなったけれど。
安倍にだって、よく分からない。
「二人でいつもなに話してるの?」
「なにって? うーん。バスケの話とか」
あまりにもそのままで、何の説明にもなってなくて。
りんねは首をひねる。
話す気が無いのか、それ以上説明できることが無いのか。
「なんか、とげがなくなった気がするんだけど、藤本。どうなの?」
「どうなの? って言われてもなー。美貴は前からあんな感じだよ」
「それはなつみのまえだけでしょ」
「そんなことないっしょ。まあ、入ってきた最初はちょっと怖かったけど」
最近まで十分怖かったよ、という言葉は言っても無駄そうだから付け加えなかった。
りんねは、部屋のストーブのすぐそばに座る。
「そういえば、キャプテンになってどう?」
話をかえてみる。
新チーム結成から一ヶ月。
三年生がいないこと。
練習の号令を安倍がかけること。
ようやく大分慣れてきた。
「キャプテンってがらじゃないんだけどなー」
「でも、意外とあってるかもって思う」
「そうかな?」
「藤本が言うこと聞くのってなつみだけだし」
ストーブに手をかざしながら、ベッドの上の安倍の方を見る。
安倍は、枕を抱えて首をひねっていた。
「藤本は悪い子じゃないよ」
「それは分かってるけど、ちょっと口が悪かったり、言葉がきつかったりとかさ。勝ちた
いって気持ちが前に出すぎちゃってるんだろうけど。それをちゃんと和らげられるのがなつ
みだから、いいんじゃないかなって」
「藤本藤本って。みんな言うけど。あの子一年生なんだよ。確かにこのチームはあの子
中心に動いてるけどさ。ほんとは二年生が引っ張っていかなきゃいけないんだよ。りんね
だって、たぶんスタメンなんだし」
二月の北海道。
外は氷点下の気温に冷えている。
だけど、二重窓で仕切られて、きちんと暖房施設の整った建物の中は意外と暖かい。
りんねは、テーブルの上に置かれていたみかんに手を伸ばす。
安倍の部屋の安倍のみかんだけど、りんねが皮をむき始めても、安倍はなにも言わなかった。
「先輩になるってちょっと大変だな、とか思わなかった? 最近」
「先輩になったのはずいぶん前っしょ」
「ああ、そうじゃなくて、一番上になるっていうのがさ。先輩たち、去年スタメンの人い
なくて、藤本とか、まいとか一年生が中心で、なつみとかさ、他も全部二年生だったじゃな
い。ちょっと、先輩いなくなってもなにも変わらないかな、なんて思ってたんだよね」
「ああ、それは分かるかも」
安倍もがりんねの方に手を伸ばす。
りんねは、皮をむいたミカンの半分を安倍に投げてよこした。
「キャプテンになったなつみなんかはやっぱり大変そうだなって思うけど、別にそういう
のにならない自分はなにも変わらないかなって思ってたら、なんかさ、一年生が、最上級生
、って目で私たちのこと見る感じがあるじゃない。結構大変かも、とか思った」
「いてくれるだけでもずいぶん違ったんだよね、先輩。なんかあったら聞いてくれるみた
いな。別に答えをくれるわけじゃないんだけど」
暖かい部屋でミカンを食べながら話す。
藤本の話が、自分達の話に、それから先輩達の話に。
りんねが、最後の一欠片の白い薄皮を丁寧にはがしていると、ノックも無くドアが開いた。
「なつみさん! ちょっと聞いてくださいよ。あれ? りんねさん?」
ノートを抱えた藤本が部屋に飛び込んできた。
床のカーペットに座っていたりんねは見上げる。
安倍は、ベッドの上で微笑んでいた。
「どうしたの?」
安倍が答えないのでりんねが尋ねる。
藤本は、ベッドの安倍のところまで行くとノートを開いた。
「新しいナンバープレイ考えたんですよ」
ノートに丸を書いていく。
りんねもストーブを離れ藤本の元へ。
ベッドの横でひざまづく形でノートに書いている藤本。
安倍は、それを見下ろす形でノートを見つめていた。
「これで、ハイポストに入れて、上二人は、ポストをスクリーンに切れるんですよ。で、
手渡しパスがいけたらいくし、だめなら下から上がってきて、そこに戻して開く」
「四番の応用?」
「そんな感じです。後は、下でスクリーン使って、ゴール下空いたら入れるし、ダメなら
また上でつないで」
「うーん、どう思う?」
ベッドの上から安倍がりんねに振る。
りんねは首をひねりながら答えた。
「結局、ねらい目はゴール下だけ?」
「最初に上二人がポストを壁にするところでボール受けられれば一番良いんですけど」
「最初以外は四番五番と一緒でしょ。最初も、二人動く以外は四番と一緒だし」
「えー、だめですかー?」
藤本は不満そうに安倍の方を見る。
困った笑みを浮かべて安倍が藤本の頭をなでた。
「動きの中でのナンバープレイはもういいんでないかい?」
「えーー」
甘えたような、不満なような。
頭を撫でられながら、藤本が声を出す。
藤本は、ノートの上に手を組んでほっぺたを乗せた。
上目遣いに安倍を見る。
「どっちかっていうとさあ、サイドとかエンドとか。止まった状態からのナンバープレイのが欲しくない?」
藤本の視線は気にしつつ、安倍はりんねの方を見る。
りんねは、藤本をチラッと見つつ安倍に答えた。
「確かにねえ。残り数秒でエンドでボール持って、どう点取るかっていうのが無いよねうちのチーム」
各クォーターの最後数秒で、エンドあるいはサイドからボールを入れられるのは大きなチャンス。
ここで、二点、あるいは三点を取れるか取れないかというのは、競った試合ではとても大きい。
「止まった時ですか」
藤本が顔を上げる。
ノートをにらみながら考えるけれど、そんなにすぐに浮かぶものでもない。
「四番のアレンジもね、悪くなかったけど、あっちはさ、ほら、もう結構バリエーション
あるから。サイドとかエンドとかからのバリエーション考えてみなよ」
「そーですね」
ノートを抱えて立ち上がる。
藤本美貴、笑顔。
「おじゃましましたー」
笑顔で、手を振って、藤本が部屋を出て行く。
安倍は手を振り返し、りんねは不思議なものを見るように、藤本を見送った。
「悪い子じゃないでしょ、藤本」
ベッドの上で安倍は得意げ。
りんねはため息を漏らしつつ薄く笑う。
「なに、こんな話ししてたのいつも?」
「割りとね。いつもバスケの話だけしてるわけじゃないけど」
「やっぱり藤本変わった気がする」
「そんなことないよ。あの子は、最初からバスケの話するの好きだったよ。ああやって。楽しそうに」
りんねは、安倍に背を向けてベッドに寄りかかる。
背中を預け、ぼんやりと天井の方を眺めた。
「でも、ああいう子だから、先輩達反発しちゃって、藤本の話し聞いてあげられなかった
んだよね。なに言っても、意見が通らない感じになっちゃって、それで、言っても無駄、み
たいな気持ちになっちゃったんじゃないかな。あの子も、言葉選んだりとか、上手に出来れ
ばよかったんだけど。それが、なんか、私がキャプテンになっちゃって、元々、たまま指導
係だったから、藤本も話しやすいみたいで。私は、あの子がああいう子だって分かってるか
らさ、話も聞いてあげられるし。別に藤本が変わったわけじゃないんだよ」
安倍の言葉を聞きながら、りんねはひざを抱える。
「キャプテンって感じだね」
「褒めても何も出ないよ」
「正直、ちょっと心配してたんだよね。なつみってなんだか頼りなさそうだし。プレイヤー
としては、なつみが一番だけど、キャプテンは尋美や梓のがいいんじゃないかなってちょっと
思ってた。でも、なつみみたいなキャプテンもいいのかもしれないね」
「ひゃー。てれるべさー」
バンバンと座っているベッドを叩く。
子供のようにはしゃぐ。
りんねは振り向いて呆れ顔。
「やっぱり、キャプテンは変えたほうがいいかも」
「なしてさー」
「帰る」
笑顔で抗議する安倍。
りんねは、薄く笑ってゆっくりと立ち上がった。
「みかん一個もらってくよ」
「ひとのみかん食べすぎ」
「いいでしょ一個くらい」
「二個目」
「けちけちしない」
結局みかんは持っていく。
ドアを開けて部屋を出た。
「じゃね、おやすみ」
「みかん返せー」
安倍の抗議は無視。
手を振ってドアを閉めた。
「しばらくは、こんなかんじでいいのかなあ」
ドアに寄りかかってぽつり。
小さなため息をつく。
とりあえず、悪いことは一つも無い。
りんねは手元のみかんをもてあそびながら部屋に戻った。
あやかがチームになじむのは早かった。
中学時代、夏休みに一ヶ月短期とはいえハワイに一人で留学に行くような積極的な性格。
その上、吉澤が、対等な話し相手になる一年生が入ってきたことを歓迎したためでもある。
あやかは、バスケの実力もあった。
ポジションは完全にセンター。
連携はまた完全ではないものの、吉澤を押しのけてそのポジションに入りそう。
吉澤、そして保田は、一つづつ上にポジションがずれ、より、本来の力を発揮しやすくなった。
あやか加入後二週間。
県の新人戦を迎えた。
松江地区二位で予選を通過し、シードのついた市立松江は二回戦から。
初戦の相手は、一回戦を39-36というロースコアで勝ち上がってきた隠岐商業。
全員を順繰りに使いまわす余裕を見せて、百点ゲームで撃破。
島から出てきた高校生たちに、町で二泊目をさせることなく日本海に追い返した。
続く準々決勝。
勝てば飯田の出雲南陵が待っている。
相手は、予選でもてこずった東松江。
予選と違うのは、あやかがいること。
インサイドが決定的に強くなっている。
前半は、市立松江が先行する。
吉澤、あやかの二枚でインサイドを支配。
ただ、突破力のある東松江のフォワード、大谷がなかなか抑えきれない。
マークに付いた保田は、前半のうちに三つのファウルを重ねてしまう。
後半に入り、流れが変って行った。
まず、バスケ復帰二週間のかやかの足が動かなくなってくる。
さらに、保田は四つ目のファウル。
やむを得ず、二人がベンチに下がる。
そうなると、ディフェンスでは大谷を止めきれず、オフェンスは吉澤一人に大きな負担が掛かってくる。
三クォーター、残り十秒で逆転され、40-42で最終クォーターへ。
「残り五分で二人入る。それまで、離されないでついていってくれ」
プレイヤーだけど、コーチとしての位置づけの保田の言葉。
後一つファウルをしたら退場の保田。
スタミナ面で大きな不安があるあやか。
二人は、勝負どころまで使いたくない。
とは言え、そこまでに点差が開いてしまえば勝負どころもなにもない。
際どいところ。
その間、点を取る役目は吉澤に託される。
「分かりました」
バッシュの紐を締めなおし顔を上げた吉澤。
力強く答えた。
最終クォーター、両エースの撃ち合い。
自分しかないのを自覚した吉澤は、強さを見せる。
周りに頼らず自分で勝負。
ミドルレンジからの攻撃が主体の大谷と、ゴール下で勝負できる吉澤。
ゴールまでの距離の分、吉澤にやや分があった。
それでも、決定的な差には至らない。
残り四分、54-52 二点リードでタイムアウトを取る。
保田とあやかを投入した。
「やればできるじゃんか」
「いやあ、まあ、こんなもんっすよ」
「図に乗るな」
緊迫した場面での軽い会話。
吉澤の額を保田が小突く。
保田にも吉澤にも笑顔が見えた。
マイボールでゲーム再開。
保田がフロアに戻ったことで、吉澤は一息つく。
吉澤が一息つくと、保田が主体のオフェンスになるが、マークにつくのは大谷。
吉澤の相手のように簡単にはいかない。
点差を拡げることが出来ない。
逆に、残り一分十八秒、スクリーンをかけてボールを受けに行った大谷に遅れた保田がファウルを犯した。
「保田さん」
一年生の吉澤、不安そうにキャプテンに声をかけた。
コールされる前から分かっている。
五つ目のファウルで退場。
保田は、がっくりと肩を落としひざに手を置く。
二点差の大詰めで、保田を欠くことになる。
「見せ場で退場じゃかっこつかないな」
顔を上げる。
視線の先には吉澤。
自分は退場になっても、ゲームは終わらない。
「時間使って逃げ切ろう、とか思うなよ。普通に攻めろ。それで吉澤なら点が取れるから」
「はい」
「オフェンスはインサイド勝負で」
自分が、大谷を止めきれずにファウルを重ねての退場。
いらだつし悔しいし、何かを蹴っ飛ばしたいような。
そんな時でも、キャプテンだし、先生は使えないし、自分で指示を出さないといけない。
「四番には吉澤がつけ」
「はい」
保田は吉澤の肩を叩きベンチに下がっていった。
二本のフリースロー。
大谷は一本目だけ決めて、二本目ははずす。
リバウンドを吉澤が拾った。
ゆっくりと持ち上がる。
時間を使うというよりは、流れとしてゆっくり上がらざるを得ない感じ。
一点差。
絶対に点が欲しいところ。
確率が高いのは、どう考えても保田の指示通りインサイド。
ボールはローポストでゴールとディフェンスを背にしたあやかへ。
肩でワンフェイク入れてターン。
カバーに挟まれるも、右手でバウンドパス。
逆サイドに走りこんだ吉澤に渡り、ゴール下のシュートが決まった。
一分を切る。
ディフェンス。
三点差。
勝てばベスト4
「ノーファウルで! ノーファウルで!」
残り時間少ないところ。
ファウルで簡単にフリースローを与えたくない。
ボールが周って周って、右サイド外に開いた大谷へ。
スリーポイントラインの外からのシュートフェイク。
そのフェイクに、吉澤の重心が少し浮く。
一瞬の隙を作って、ドリブルで大谷は吉澤を抜き去る。
ゴール手前、零度の位置で止まりジャンプシュート。
逆サイドのセンターをマークしていたあやか。
大きく踏み込んでチェックに飛ぶ。
掛け声一閃。
大谷の柔らかなジャンプショットは、あやかの高さが弾き飛ばした。
「すげー、すげーじゃんか!」
大谷にぬき去られた吉澤が、あやかの頭をぼこすか叩く。
先輩達も、あやかをぼこすか叩く。
「痛い、痛いですって」
叩かれながらも笑顔なあやか。
あやかに弾き飛ばされたボールは、コートの外まで吹き飛んでいる。
土壇場で、相手エースをブロックショットではじき返す。
ゲームはそのまま吉澤たちが押し切り、三点差で勝利した。
「もっとおしとやかなタイプかと思った」
帰り道、ボールケースを抱えて並んで歩く吉澤とあやか。
試合前のアップ用のボールは、一年生が毎回運ぶ。
駅から遠い会場は、普段の学校生活よりも、帰り道に歩きながら話す時間は長いかもしれない。
「そお?」
「まさか、雄たけび上げると思わなかった」
「それは、あんまり言わないでよ」
ブロックショットの時の気合の入った叫び声。
冷静に戻ったときに思い出すと、ちょっと恥ずかしい。
「でも、あれなかったら負けてたよね」
「必死だったよー。入ったばっかりで私のせいで負けた、なんてなるわけいかないし」
新参者のプレッシャー。
体力的にへろへろになりながらの終盤、気合一発だった。
「なんか、入ったばっかりでそうやって活躍しちゃうのって、うらやましいよ」
「あれはたまたまだし、今日のポイントは、四クォーター入って、保田さんが下がったの
に、離されずについていったとこでしょ。よっすぃーが点とって」
「それこそたまたまだよ。みんな、なんか私にボール集めてさあ。決まってたからいいけ
ど、向こうにちょっと厳しいセンターいたら、全部とめられてた気がする」
入って最初の試合はぼろぼろだった吉澤。
今日も、勝つには勝ったので気分は悪くないけれど、すかっとしたとは言い難い。
「うわさに聞いてたけど、ホントに体力あるんだね」
「うわさって?」
「いじめられて何十キロも走らされたって」
「あはは・・・」
乾いた半笑い。
あまり、思い出して気持ちのいいものでもない。
「あの体力が私にもあればなあ」
「まだ二週間なんだからしょうがないんじゃないの?」
そう言って、吉澤はちょっとため息を付く。
二月の寒空、息も白い。
白さが楽しくて、二度、三度、息を吐く。
「もうちょっと弱いチームだったら楽できたのになー」
「弱い?」
「新入生いりません、とか言うから、仲間内だけで楽しくやってるもっと弱いチームだと思ってた」
あやかの回想。
入学最初に訪れて、断られて記憶がある。
吉澤も、何を思うか、何度か首をひねっている。
「それがベスト4だもんねえ」
「でも、二つ勝っただけだと実感ないな」
学校数が少なく、シードがついて二回戦からになると、二勝すればベスト4になってしまう。
東京にいた吉澤にすれば、二試合勝っただけで、強いという感覚は感じられなかった。
「だって、明日勝ったら決勝だよ」
「勝てばね。勝てば、明日勝てば、強いよ。うちのチーム強いなって思えるよ」
明日、準決勝。
秋に選抜予選で負けた、飯田圭織の出雲南陵が待っている。
なにも出来ずにファイブファウル退場にさせられた相手。
百点ゲームで負けた相手。
「強いの? 明日の相手」
「強い」
迷いの無い答え。
そう、答えて吉澤は小さくうなづく。
「すげー強い」
「よっすぃーでも厳しいの?」
「無理無理。比べること自体ありえない感じ」
自嘲気味に笑みを浮かべながら首を何度も横に振る。
あやかは、そんな吉澤の姿を見ながら笑みを浮かべている。
「よっすぃーってさ、自分で思ってるよりうまいんじゃないの? だいぶ」
「そんなことないって。明日のあれは、無理。絶対無理」
むきになって否定する吉澤。
あやかもそれ以上は突っ込まずに笑って見ている。
「でも、無理だけど、無理だけどさあ、やっぱ勝ちてーなーって思うよ。ホント」
「勝ったら、決勝だもんねー」
勝ったら決勝。
まだまだ、光あふれる夢舞台、とはいかないけれど、県の決勝は結構高い目標なわけで。
吉澤も小さくうなづいている。
明日、再び飯田に挑戦する。
また一つ、ため息を吐いた。
翌日、準決勝。
三ヶ月ぶりの対戦。
「そろそろ勝ちたいんだよね」
試合直前のミーティング。
保田が相手ベンチを見ながら言う。
全員、同じように相手ベンチを見る。
ベンチにどっかと座り、コーチの指示を聞く飯田がいる。
「一年生に負担かけて悪いけど、吉澤、あやか」
「はい」
「とにかくインサイドが勝負だから。頼むな」
「はい」
「二人で、止められるだけ止めてくれ。オフェンスは私が何とかする」
分業体制での挑戦。
その空気の中に、中澤が割って入った。
「前と比べてあやかが増えたんや。ずいぶん違うやろ。うちは、ベンチで楽しませてもらうは」
とりあえず口を挟んでみる。
まだ、そんなレベル。
監督らしい言葉を入れることは出来ない。
それでも、ただ座っているだけよりは進歩なのかもしれない。
先にミーティングを終え、センターサークルの付近に立って相手を待つ。
手持ち無沙汰な一瞬。
相手チームの円陣を眺める。
ふと見上げると、二階席には横断幕。
“必勝 出雲南陵”
全国レベルのチームでないと、恥ずかしくて掲げられないような横断幕。
ベンチに入れない一年生がその周りでペットボトルを叩いている。
出雲の五人が、飯田を取り囲むようにしてようやくコートに上がってきた。
準決勝が始まった。
序盤は市立松江のペースだった。
飯田をインサイドの二人で押さえて、保田が点を取る。
完全に抑え切れてはいないし、好き放題攻めてるわけではないが、前回のようにぼろぼろにやられるということはない。
やはり、インサイドに二枚あるのは強みだ。
一クォーターは18-18の五分で終える。
同点は十分に保田たちのペースといえる。
点が開き始めたのは二クォーターからだった。
飯田があやか吉澤の二枚に付かれることに慣れ、対応し始める。
自分には二枚付いてくる、という前提で動きを組み立て始めた。
保田も捕まりだす。
攻撃の中心としてはっきりとマークされ、ボールが受けられなくなってくる。
24-20 30-22 36-26 徐々に点が開いていく。
残り四分、38点目を取られたところで、市立松江がタイムアウトを取った。
「あやか、体力はまだ持つか?」
「前半は大丈夫です」
「吉澤は、体力馬鹿だから大丈夫だよな」
「体力馬鹿って言い方は無いんじゃないっすか?」
「いいから、いけるな?」
「そりゃあ、もちろん」
「よし」
ベンチに戻っても保田には休む暇が無い。
他の四人を座らせて、自分はコーチポジションで四人に指示を出す。
「四番は、常に前後で挟め」
「前後?」
「ゴールサイドにあやか、ボールサイドに吉澤。前後で挟む」
「常に二人でつくってことっすか? ボール持ったときだけじゃなくて」
首を傾げる吉澤。
あやかも不思議そうに保田を見つめる。
「他にやられるのは仕方ない。とにかく四番に持たせなければ流れは切れるはずだから」
「わかりました」
半信半疑ながらも、吉澤もあやかも、保田に対して自分で対案を出すほどの力は無い。
ただ、言われたことに従うしかなかった。
タイムアウト明け。
保田がミドルを決めて再び十点差。
そこから相手オフェンス。
指示通り、飯田を挟むようにポジションを取る。
当然、もう一枚のセンターが開いた。
そこにボールが入る。
吉澤が自らカバーに動くが届かず、ノーマークからジャンプシュートを決められた。
「いいから、それはいいから」
手を二回叩き、保田がチームを鼓舞する。
残り三分、十二点差。
そこからは、飯田にボールが入らなくなり、確かに流れは止まる。
ただ、それは必ずフリーができるということではあり、確実に加点された。
一方で、市立松江のほうも、保田、そして吉澤とあやかで得点する。
インサイドも、吉澤あやかの一方が、飯田を外に引きづりだし、もう一人が勝負することで加点出来ている。
前半を44-34と十点のビハインドで終えた。
「なんや、結構ええ感じやん」
生徒たちを中澤が出迎える。
負けているとはいえ、戻ってくるメンバーは笑顔が見えた。
「なんか、やれるもんですね」
「なあ。私もびっくりしてる」
「でも、あの四番すごいですね」
吉澤、保田、あやか、それぞれの前半の感想。
それぞれの手ごたえ。
行けるという手ごたえ。
「勝ちてー。すげー勝ちてー」
保田がそう言って、足元のボトルを取る。
これまで負け続けた相手、県のナンバーワン、だから勝ちたい、という思いもある。
それと同時に、これに勝って決勝へ進めば、中国新人大会へ駒を進められる、というのもあった。
「負けても三決あるんすよね明日」
「負けた話は負けてからにしてくれよ」
吉澤の言葉に保田が返す。
勝ちたい試合に、負けたときのことなんか聞きたくない。
「あー、貞子がとまらねー」
吉澤のポツリと漏らした一言に一同爆笑する。
貞子似のエースにやられ続けるのは、まるで呪いにでもあったようなもの。
「貞子の呪いって、どうすれば解けるんだっけ?」
「ビデオ他の人に見せるとか」
「自力じゃ無理ってこと?」
なぜか、真剣に考え出す。
貞子はともかく、チームの雰囲気はやわらかかった。
後半スタート。
出雲南陵ボールで始まる。
松江のディフェンスは、二クォーターラストと同じ。
飯田に吉澤あやかで二人付く。
ボールが回って回って、シュートクロックが五秒を切るころ飯田に入った。
「入った! 抑えろ!」
檄が飛ぶ。
吉澤とあやかの圧力。
それをもろともせず、飯田はあやかの上からゴールにボールをねじ込んだ。
飯田の力はどうしても二人より一枚も二枚も上。
それに対抗するには、ある程度こちらかも得点を取る必要がある。
その役は保田が負った。
飯田と保田の撃ち合い。
保田も好調で当たってはいるが、やや安定度に欠ける。
また、飯田のほうも、さすがに二人を相手に確実に決めることは出来ていないが、それで
もリバウンドを自ら拾うなどして加点する。
さらに、飯田に二人付いているリスクもやはり大きく、周りのメンバーのシュートもよく
決まり、少しづつではあるが確実に差が開き始めた。
三クォーター残り三分、得点差が15点となったところで、中澤がタイムアウトを取った。
「あやか、大丈夫か?」
「いえ・・・、あまり」
ベンチに座るあやかの顔が上がらない。
返事もそぞろ。
しきりに足も気にしている。
「勝負どころだ。休ませられない、後三分行ってくれ」
答えを返す力が無い。
ただ、あやかはうなづいた。
「吉澤、オフェンス勝負できないか?」
「私ですか? ついてるの四番ですよ」
「だからだよ。あいつに吉澤が勝ってくれれば流れが変わるんだよ」
椅子に坐って相手ベンチを見る。
汗を拭く飯田の姿が大きく写る。
「あんま、自信ないっすよ」
「勝てなくてもいいから勝負してみてくれ」
「まあ、やってはみますけど・・・」
保田の指示が矢継ぎ早に送られる。
すぐに、タイムアウトが明けた。
タイムアウト明け、保田の指示通り吉澤が勝負を仕掛ける。
ハイポストで飯田を背負いボールを受けてターン。
ワンフェイクしてドリブルをついて、ジャンプシュートを放とうとするが、飯田がタイミング
完璧でブロックに飛ぶ。
シュートが打てなくなった吉澤は、空中で味方のフリーを探し、わずかに開いているガード
にボールを戻そうとするが相手ディフェンスに奪われる。
そのままワンマン速攻を決められ、点差が十八点になった。
三クォーターは結局十八点差で終える。
残り十分で追いかけるにはかなり厳しい点差になっていた。
「あやか。まだ、行けるか?」
ベンチに戻ってきた保田の最初の一言。
ここまでこの点差で済んでいるのはあやかの力が大きい。
ただ、バスケ復帰二週間で四十分走るのはやはり無理がある。
二分しかないインターバルの間に、バッシュを脱いで、必死に足を伸ばす。
「なんとか、少しは」
「行けるとこまで行ってくれ」
「はい」
足を伸ばし、顔を引きつらせながらあやかは答える。
「吉澤、オフェンス何とかならないか?」
「厳しいですよ、やっぱり」
「やれるだろ、もっと。外からなら一対一で勝てるだろ」
「あいつすごいっすよ。高いし、強いし。正直、一対一で勝てる自信ないです」
吉澤の答えに、保田は首をひねる。
自分一人で点を取っていくには限界がある。
あやかはオフェンス出来るほどの体力がもうない。
それ以外のメンバーでは、出雲南陵と互角に勝負する能力がなかった。
保田から見て、まだ余裕があるのは吉澤だけ。
託したい、ところだが本人がいまいち乗ってこない。
「吉澤」
「はい」
ベンチに座っている吉澤。
前に立つ、自分に呼びかける保田をじっと見る。
ボールを小脇に抱えて、保田は少し考え込む。
二度、三度、弾ませたボールを拾い上げると言った」
「ボール持ったら勝負意識してな」
本当は、もっと、なにか説得力のある言葉を伝えたかった。
だけど、短い時間に、それだけのものが浮かんでこなかった。
「やるだけやってみます」
小さくうなづいて吉澤が答える。
保田はほっと一つため息をはくと、足元に置かれたボトルを取り、一口飲んだ。
「保田」
中澤が呼びかける。
保田は、顔だけベンチに座る中澤のほうに向けた。
「見てて面白いは、この試合」
「他人事みたいに言わないでくださいよ」
「いや、そうじゃなくて、いい試合してるってことよ。素人目だけどな」
「そろそろ、玄人目になってくださいよ」
「悪かったな」
保田は、ボトルを中澤に渡した。
「なんや青春してるな、保田」
からかうような顔と言葉。
保田は鼻で笑う。
「なんですかそれ」
「見届けてやるから思い切ってやって来い」
今度は真顔で中澤が言う。
その言葉で、保田も小さく笑みを浮かべた。
「先生。らしくなくてくさいです」
そう言われ、中澤は顔をしかめる。
保田たちは、最終クォーターに向かった。
市立松江ボールで始まる。
最初のオフェンスは、インサイドの吉澤、あやかとつないで、外でフリーになった保田に
戻しミドルからのジャンプシュート。
これが決まり十六点差。
すぐにディフェンスに戻る。
飯田をあやかと吉澤で挟む。
さっきまでと同じ形。
それでも飯田にボールを入れてきた。
吉澤は食い下がるが振り切られ、飯田はゴールに向いてターン。
そのままゴール下からジャンプシュートを放とうとするが、あやかがブロックに飛んだ。
あやかの雄たけび。
きれいなブロックではなかったが、指先で必死に触りボールはあやかの背中にぽとりと落ちる。
あやかは、倒れるようにコートに落ち、手を伸ばしてボールを拾うと、サイドに居る吉澤へ送る。
吉澤から前を走る保田へ。
そのままドリブルで上がる。
戻れたのは一人、一対一の形。
ボールはまっすぐドリブルで付いていくが、上半身だけでフェイクをかけディフェンスを動かす。
開いた左側へ持ち替え、そのままゴールまで突っ込みシュートを決めた。
そして、笛が鳴った。
「あやか!」
自分でブロックに飛んだゴール下。
あやかが足を押さえ座り込んでいた。
「つった! 足つった」
あやかの言葉を聴きほっと一安心。
足をつっただけなら怪我ではない。
ただ、体力の限界、ということではある。
これ以上あやかを引っ張ることは出来なかった。
「ごめん、よっすぃー」
「さすがに、足入れて、またすぐやるのは無理か」
足をつっても、すぐに戻してやれないことは無いが、後九分走り続けるのはつる以上の怪我
の危険が付きまとう。
代えるしかなかった。
「吉澤、ゴール下は吉澤しかいない」
保田が、吉澤の肩を組む。
顔を近づけて、指示を送る。
「吉澤ならやれるから。絶対四番と、飯田と張り合えるから。わかるな」
保田が、吉澤の肩を組みながら頭をくしゃくしゃとなでる。
吉澤は、少し間を置いて答えた。
「なんとか、やれるだけはやってみます」
吉澤、中澤の肩を借りてベンチに座ろうとしているあやかへと、ぼんやり視線を向けていた。
残り九分あまり、点差は十四点。
インサイドのあやかが抜けたのを見て、出雲は当然飯田で勝負。
二人でも勝っていたところに、マークは吉澤一人。
単純にポストに放り込んで、ボールを受けた飯田が決めてきた。
点差がなかなか詰まらない。
流れを持ってこない限り、ひっくり返る点差ではない。
どうにかしたい保田は考える。
味方が、いける! と思えるようになるプレー、相手にダメージを与えられるプレー。
一つ、結論が出たが、可能性は低いかな、と保田自身思った。
ゆっくりとボールを持ち上がる。
吉澤は飯田のマークをがっちり受けていた。
勝負できるのはやはり保田しかいない。
ボールをまわしてまわして、保田へ。
外に開いてもらった保田は、ボールを受けてシュートを放つ。
場所は、スリーポイントラインのすぐ外だった。
ボールは、狙ったわけでもないバックボードに当たってリングを通過した。
ラッキーゴールで十三点差。
ラッキーでもまぐれでも、三点は三点。
チームが盛り上がる。
ディフェンス。
確実に点を取りに、飯田へボールを入れてきた。
ハイポスト、少し遠めの位置。
シュートフェイクをいれドリブルを付いてくる。
これを吉澤がしっかりとめた。
かわしきれず、窮屈な体勢で飯田のジャンプシュート。
ボールはリングに当たって跳ね上がった。
リバウンド。
吉澤がしっかりと飯田を背中に背負いスクリーンアウトし、ボールを確保する。
ようやく、吉澤が一人で飯田をとめた。
速攻は出せない。
ゆっくりと攻める。
ここで決めれば勢いに乗れるところ。
当然ボールは保田に渡る。
今度は、スリーポイントをフェイントにして、中に切れ込んだ。
一人かわす。
そこに飯田がカバーに付く。
突っ込むと見せかけて、ジャンプシュート、ではなくてそれもフェイク。
先に飯田を飛ばし、降りてくる頃今度は本当にジャンプシュート。
ボールはきれいにリングに吸い込まれる。
異変が起きたのはその直後。
着地。
やや前のめりの形で飛んだ保田の足が飯田の足の上に乗る。
反射的に飯田が足を引き、その動きに保田の足首から先だけが引きづられる。
そのまま崩れ落ちた。
「保田さん!」
笛が鳴りプレーは止められる。
保田は、立ち上がろうとしたが、右足に力が入らず座り込む。
メンバーが保田を取り囲んだ。
「タイムアウト! タイムアウト!」
ベンチの中澤が叫ぶ。
オフィシャルがブザーを鳴らしタイムアウトが認められた。
吉澤の肩を借りて保田がベンチに戻ってくる。
「だ、だいじょうぶ、だいじょうぶ、なのか?」
戸惑い顔で中澤が尋ねる。
保田は一年生の肩を借りてゆっくりとベンチに座る。
黙って自分の右足首をつかみ顔をしかめる。
メンバーたちが見つめる中、保田が顔を上げた。
「やる。 やれる」
しっかりした口調。
落ち着いた口調。
試合中とは思えない、落ち着いた口調。
「動けるんですか?」
あやかが隣から問いかける。
保田はゆっくりと立ち上がり、右足に体重をかけてみると、バランスを崩し、隣のあやかにもたれかかった。
「なあ、無理なんやないか?」
「テーピングでがちがちに固めれば、やれます!」
動揺している中澤に対し、保田は即答する。
有無を言わせないという保田の表情。
無理なんじゃないか? という空気を押さえつけようとする。
そこに、口を挟んだのは、吉澤だった。
「無理ですよ!」
「無理じゃない!」
保田の一喝。
怒鳴って力が入り足に体重が掛かる。
また、顔をしかめる保田に、吉澤が続けた。
「捻挫してますよどう見ても。そんな、立てもしない状態で無理に決まってるじゃないですか!」
「ここまで来て、ここまでやって、やめられるか! 勝ちたいんだよ」
「冷静になってくださいよ! 準決まで来て、この時間で外れたくないの分かりますけど、
変な話、ただの新人戦じゃないですか! そんな、無理しちゃだめですよ」
怒鳴りあう保田と吉澤。
一瞬の静寂。
その後、吉澤が静かに口を開いた。
「あとは、あとは、私たちで追いつきます。保田さんは休んでてください」
じっと、じっと、吉澤は保田の顔を見つめて言う。
その視線を受け、保田はゆっくりとベンチに座った。
がっくりと肩を落とし、黙り込む。
保田は大きく一つため息をついてから顔を上げた。
「吉澤」
「はい」
視線がぶつかる。
保田は軽く舌うち。
それから、口を開いた。
「おまえに任せるよ。後は見てるから」
「はい」
しっかりと返事をする吉澤。
保田は、首を何度か横に振ってから、指示を出した。
「吉澤。オフェンスも勝負しろ。外からの一対一ならなんとかなるから。ディフェンスは、
いまのままで。四番を止めろ。どうやれば止まるかは私にもわかんないけど、あれを止めれば
、まだ勝負になる」
いつもの保田の口調に戻っている。
残りは七分、点差は十一。
まだ、チャンスはある。
「吉澤」
「はい」
「あとは、任せるからな」
「任せてください」
真顔の吉澤を、保田は鼻で笑って送り出した。
コートに戻ってきた五人に保田の姿がないのを見て飯田は不安顔。
事故とは言え、自分との接触で怪我をされると、嫌でも責任感を感じてしまう。
それを振り払うように、自分の頬を両手で二回叩いた。
出雲南陵相手に、まともに勝負が出来るメンバーは、もう吉澤しかいない。
マークに付くのが飯田でも、吉澤勝負しかない。
ここからは激烈な点の取り合いになっていく。
飯田圭織vs吉澤ひとみ。
単純明快なタイマン勝負。
頼れる先輩がコートを離れ、自分がやるしかないのをはっきり自覚している。
「実際どうなんや? 足」
ベンチの中澤が、試合の様子に目を受けたまま隣の保田に問いかける。
保田は、すでにシューズと靴下を脱いで素足になった右足を気にしながらコートに声援を送っている。
「医者行かないとわかんないけど、当分無理っぽいですね」
「それが分かってて出るつもりだったんか?」
「冷静になれるわけ無いじゃないですか、あの状態で。本音で言えば、出たいですよ、今でも」
腫れてきた足首をつかんでみる。
痛みで顔をしかめた。
「紗耶香がいても、去年はあんなにぼろぼろだったのに、今日はいい試合になってるな」
じりじりと点差を離されて迎えた最終クォーター、少し点差をつめたけど、まだ二桁点差。
それでも、ラストが押し迫っても、まだ希望が持てる試合展開でここまで来ている。
「もう終わったみたいな言い方しないでくださいよ」
「ああ、うん、そやな。すまん」
「紗耶香はいないけど、あやかはいたし。私が下がっても吉澤がいて、みんながいて。
足痛いけど、それでも出たいし、こんなチャンスもう無いかもしれないから出たいけど、
でも、吉澤が任せろって言うから、任せてみましたよ」
最後はちょっと自嘲気味に鼻で笑って照れ隠し。
コートでは、飯田のジャンプシュートが決まった。
「勝っても負けても、責めたらあかんで」
「わかってますよ。それくらい」
二人とも、視線はコートに向けたまま。
ボールはめまぐるしく動いている。
飯田はインサイドでがりがりのセンタープレイ。
吉澤は、ややゴールから離れた位置からのフォワードライクなプレイ。
二人とも少しタイプが違うので、相手のディフェンスをしにくく、ボールを持ったほうがたいてい勝つ。
結果、点差がつまらない。
それでも、吉澤は挑んでいった。
自分一人で、自分の力で、何とか打開しようとする。
しかし、時間は押し迫ってくる。
十点差で残り一分。
吉澤がボールを受ける。
シュート、右ドリブル、二つのフェイクを入れて左へドリブルをつく。
抜ききれず、そのままジャンプシュートを放つ。
それを、完璧なタイミングで飯田にブロックされた。
ボールが弾き飛ばされる。
こぼれだまを拾った出雲南陵が速攻を決めた。
これが、とどめだった。
ファウルゲームで時間を止めて、最後まで抵抗するけれど、フリースローを確実に決められて効果が出ない。
そのまま、試合終了まで流れ込む。
90-75、15点差で、出雲南陵が勝利した。
「すいません」
ベンチに戻ってきた吉澤がうなだれる。
保田が、うつむく吉澤の額を小突き、顔を上げさせた。
「やればできんじゃねーか。四番との一対一、結構かっこよかったぞ」
「いや、まあ」
照れたようにうつむく。
保田は、笑みを浮かべて言った。
「明日も、頼むな後一戦」
明日、三位決定戦がある。
勝てば、中国大会へ出場。
飯田と再戦するチャンスも出てくる。
話しているところに、ユニホームを着たままの飯田がやってきた。
「けが大丈夫?」
「怪我? ああ、わかんない。とりあえず病院行ってみるけど」
「ごめんね。せっかくいい試合だったのに水さすような感じで」
「まあ、よくあることだし、しょうがない。誰が悪いってわけじゃないでしょ」
いいからいいから、というように、右手を軽く保田はふる。
「保田さんだっけ。怪我直ったらまたやりましょう」
そう言って、飯田が手を伸ばす。
保田は、思わず履いているユニホームのパンツで手を拭いてから、その手をしっかりと握った。
堅い握手。
ちょっときざなやつ、と保田に印象を残して飯田はチームメイトの元へ戻っていく。
「なんか、勝者の余裕って感じっすね」
「ちょっとむかつくな、やっぱり」
去って行く飯田の背中を見つめる。
4の数字が大きかった。
一年会を開こう。
言い出したのは石川だった。
県大会が終わって二週間後、すぐに関東新人大会が開かれる。
その間の練習、柴田はずっと控え組みに回されていた。
落ち込んでいる、という雰囲気はない。
でも、何かが違った。
それがなんだか石川には分からない。
練習が続く毎日。
そんな中で、それが少し緩やかになる日もある。
関東新人大会の前日、翌日が遠方での試合ということもあり、軽めの練習で終わり、夕方以降の時間が空いた。
一年会を開こう。
石川が言い出したけれど、石川には計画力と実行力はあまりない。
そういう時はたいてい柴田がフォローするのだが、今回はそれもしなかった。
結局、一年会と言っても、一年生がそろって遊んだだけ。
成り行きで行った先は、カラオケ。
遊びなれてない彼女たちが遊びに行くのに思いついたのはこれしかなかった。
とりあえず歌う。
八人いるのに一時間設定。
時間はすぐ過ぎる。
それでも、バスケを離れて仲間内でわーきゃー叫ぶのは楽しかった。
カラオケボックスを出て、次は隣のゲームセンターへ。
プリクラを取って、ちゅープリまでとって、とりあえずさわぐ。
そんな他愛も無いことが楽しい。
外が暗くなってきた頃、解散ということになった。
みんなが三々五々に帰っていく中、石川は柴田をファミレスへと誘った。
「私、お礼言ったほうがいいのかな?」
何かをしきりにしゃべっている石川の言葉をさえぎって、柴田が言う。
自分のしゃべりを突然さえぎられ、驚いた石川は、はっと目を開いて柴田の顔を見た。
「なんかよくわかんないけどさあ、私をはげまそうとしたんだか元気出させようとしたん
だかなんでしょ、今日の一年会。梨華ちゃんの提案で」
柴田を見たまま石川は固まってしまう。
返す言葉が出てこない中、無理やり口を開いた。
「え、え、いや、そ、そそ、そんなんじゃないよ」
「梨華ちゃんどもりすぎ」
冷たくそう言って、オレンジジュースに手を伸ばした。
石川は、なんとなくうつむく。
背もたれに寄りかかって、顔を上げ、柴田のほうを見ながら言った。
「私って、そんなに分かりやすい?」
「うん」
「そっか・・・」
柴田の即答。
容赦ない答え。
石川がうつむくのも気にせずに柴田は続けた。
「何かしようって時、いつも最初は私に振るのに今回なかったでしょ。だから。それに、
私も自分がちょっと変なのは本人だから分かってるし」
石川は、柴田の言葉を聞いて、背もたれに寄りかかったまま顔を上げる。
両手で、テーブルの上のアイスティのグラスを握りながら柴田の顔を見つめた。
「柴ちゃんさあ、なんか悩んでるなら話してみてよ」
「今度は直球ですか石川さん」
「茶化さないでよ」
ちょっと膨れる石川。
それを見て柴田も笑みを漏らす。
それから、大きくあくびをした。
「元気ださせよう、とかしてくれたことはうれしいと思ってるよ」
「なんか、気の無い言い方」
「まあ、ねえ。元気ださせようとするならさ、カラオケじゃないとこにしてほしかったよねー」
「どういう意味よ」
「梨華ちゃんのあゆとかちょっとさあ」
「もう、柴ちゃんのいじわる!」
さらに膨れる石川を見て、柴田はちょっと悪かったかな、と思い言葉をつなぐ。
「梨華ちゃんも大変だよねえ、いろんなことに気使って」
「なによ、そんな急にフォローしないでよ」
「うーん、フォローとかじゃなくてさあ、ホントに。一年生のリーダーみたいな感じにさ、
柄じゃないのにさせられてるし。三年生抜けてからは、ゲームでもホントのエースっぽい感じ
でボール回されるし。大変そうだなって」
「どうなんだろ、実際。リーダーとか言われてもぴんとこないし。新チームはまだ弱いとこ
としか試合してないしさ」
柴田が話を転換すると、石川はすぐにそっちに乗ってくる。
石川も、座りなおしてちょっと身を乗り出した。
「その上、ディフェンスちゃんとやれ! とか本格的に言われだしたでしょ」
「やっぱちゃんとやらなきゃダメかなあ?」
「梨華ちゃんの場合はひどすぎるから」
「柴ちゃんみたいに何でも出来る人とは違うもん」
石川にそう言われ、柴田は視線をそらす。
窓の外はもう陽が暮れていた。
「どうしたらディフェンスってちゃんとできるようになるの?」
「とりあえずはやる気の問題じゃない?」
「やる気?」
「私はディフェンス下手だから仕方ないもん。攻めるの好きなんだもん。点取ればいいでしょ、
それで許して。だってだってー、とか思いながらディフェンスしてたら抜かれもするって」
「そんな、ぶりっ子風な頭の中じゃないもん」
両手をあわせ、そこにほっぺたをつけての柴田の声真似。
石川は、顔を近づけて否定する。
ただ、中身は否定しなかった。
「でも、ちょっとそうなのかも。ダメ、無理、抜かれる、とか思いながらディフェンスしてる」
「抜かれても先輩フォローしてくれたしね」
「やっぱり、ちゃんとやんなきゃいけないんだろねー・・・」
そう言って、石川はまた背もたれに寄りかかった。
テーブルのアイスティに手を伸ばす。
柴田もオレンジジュースに手を伸ばした。
二人とも、氷を残してグラスが空になる。
「なんで、いつの間にか私の悩み相談になってるんだろ。柴ちゃんの話聞こうと思ってたのに」
「いいからいいから」
「よくない! なんか言ってよ! あるんでしょ柴ちゃん!」
ちょっとむきになる石川を見て柴田は微笑む。
外を見ると、日が暮れて街頭の明かりが光っている。
ため息をつき、石川の顔を見ていた。
見つめられ、なによ、と表情を変える石川に向かって言った。
「ちょっと付き合ってよ」
「どこに?」
「学校」
「学校?」
石川の甲高い声。
身を乗り出してきた石川に、逆に身を引き背もたれに寄りかかって柴田は答えた。
「まだ全然開いてるでしょ」
「開いてるだろうけどさあ。なんで学校・・・」
「いいの、行こう」
柴田が伝票を取り立ち上がった。
「明日試合だよ」
「うん。分かってるよ」
「なにするつもりよ、今から着替えて」
「バスケに決まってるでしょ」
「だから、なんで?」
「いいからいいから」
着替え終わるとボールを一ケース抱えて体育館へ。
電気だけが点き、中には誰もいなかった。
ボールを取り出し床に弾ませるとその音が響く。
「一対一をやろう」
「急にどうしたの?」
「たまには付き合ってよ」
「いいけどさあ・・・、っていうか、全然たまにじゃないし、毎日やってるし」
二人以外誰もいない体育館。
その中で、ボールを持ち。コートに入る。
「それぞれさあ、負けたほうが、勝ったほうの質問に答えるってどう?」
「なによそれ」
「一回づつ交互にオフェンスして、毎回の点が多かったほうが勝ちで、相手に聞いてみた
いこと聞くの。それで、負けた方は、その質問に大きな声で答える」
「柴ちゃん、私に何聞く気?」
「いいからいいから」
いいからいいから、で全部通す柴田。
ボールを持ち、ディフェンスポジションに立った。
「かかってきなさい」
「よし。やってやろーじゃないの」
ボールを持てば石川だって途端にやる気になる。
左へワンフェイク入れて、右から柴田を抜き去った。
攻守交替。
ディフェンスの苦手な石川だが、柴田は抜き去った後のシュートをはずし石川の勝ち。
「質問とか急に言われても」
「何でもいいから言ってみな」
「じゃあ、好きな食べ物は?」
「メロンだけど、そんなんでいいの?」
「えー、まって、もうちょっと考える」
「もう答えたからだめ」
ボールを拾い、またディフェンスポジションへ。
不満顔ながら石川もオフェンスに入る。
今度は、柴田がいいディフェンスをし、無理な体勢からシュートを放った石川がはずした。
柴田のほうはミドルからのジャンプショットを決めて、今度は柴田の勝ち。
「じゃあ、梨華ちゃんの初めてのキスはいつ?」
「な、何言い出すの!」
「答えなさい。大きな声で。負けたでしょ」
「え、え? ちょっとまって!」
「待たない!」
柴田は石川のほうに歩み寄り下から顔を覗き込むようにする。
石川は、柴田に背を向けた。
「あー、もう。さっきの柴ちゃんとのー!」
体育館に甲高い石川の声が響く。
さっき二人で取ったチュープリ。
それが石川の初めて。
後ろを向いたままの石川の背中に、柴田が言った。
「え、そうなの? そっか、そうなんだ。なんか、ごめん」
「ちょっとまって。柴ちゃんあるの?」
「聞きたいことがあれば、勝ってから聞きなさい」
ボールを石川の顔の前に突きつける。
石川はそのボールを奪うと、柴田の顔をちょっとにらんだ。
ドリブル突破で柴田をかわし、ゴール裏からバックシュートを決める。
柴田のオフェンスには、珍しく石川がくらいついた。
ジャンプシュートがはずれ、こぼれ玉に石川が飛びついて拾った。
「柴ちゃんのファーストキスはいつ?」
「赤ちゃんの頃、お父さんと」
「ずるいー!!」
「じゃあ、三歳のとき、生まれたばかりのいとことー」
「それもずるいー!」
「事実だもん!」
石川の抗議を柴田は受け付けない。
こういうところでは石川より柴田のが一枚上手だ。
「もう、似たような質問無しね」
「柴ちゃんずるいよー」
そういいながらもボールを受け取る。
一対一は延々続いた。
「この前の数学のテストは何点?」
「25てーん!」
柴田の方がディフェンスの安定感があるので、勝率が高い。
「中学のときの一番の思いではー?」
「県大会で優勝したことー!」
「ライバルは誰?」
「えー、えーっと、柴田あゆみ!」
「好きな男のこのタイプはー?」
「私よりバスケのうまい人!」
「そりゃ、彼氏できないよ」
「うるさいー」
たまには、石川が柴田を止めることもある。
「お風呂に入ったら最初にどこから洗う?」
「左足だけど。梨華ちゃん、おやじ?」
「だって、恥ずかしい質問って、浮かばなかったんだもん」
「別に、梨華ちゃんに答えても恥ずかしくないし」
一対一はまだ続く。
勝ったり負けたり引き分けたり。
「将来の夢はなにー?」
「オリンピックで金メダル取ることー!」
石川の即答。
予想していなかった答えで、柴田は何かを言おうとしたけれど、結局、何もコメントせずにボールを渡した。
二人で一時間近くは一対一を続けただろうか。
いい加減、もう、体力の限界も近い。
スピードの鈍った石川の突破を柴田が抑え、ジャンプシュートをブロックした。
「勝負しろー!」
柴田のテンションが異様に高くなっている。
ボールを受けると、右にワンフェイクで石川の重心を動かし、左にドリブルをついて一歩で
トップスピードに乗ると、石川を抜き去った。
そのスピードを保ったまま、ドリブルシュートを決めた。
抜き去られた石川が、柴田のほうに歩いてくる。
柴田は、その石川の顔に指を突きつけて言った。
「石川梨華を超えてやるー!」
体育館に柴田の大声が響く。
それだけ叫ぶと、柴田は体育館の床に仰向けに倒れた。
その横に、石川も倒れこむ。
仰向けになったまま、二人は肩で息をし、胸の鼓動が高鳴っている。
二人の呼吸音だけが体育館に響く。
柴田がゴールを決めたボールが、転々と転がっていた。
「最後のはなによ」
やがて呼吸が落ち着いた頃、仰向けのまま石川が言う。
「なんかね。ちょっと言ってみたかった」
テンションが普通に戻った柴田。
途中で答えさせられた理想のデートシチュエーションなんかより、こっちのほうがずっと恥ずかしい。
「オリンピックが夢なんだ?」
「夢よ夢。いつかね」
「オリンピックなんて、考えたことも無かった」
「夢だって、だから。そんな、何度も言わないでよ、恥ずかしいから」
石川の夢、オリンピックで金メダルを取ること。
柴田の夢は・・・。
「梨華ちゃん、自分よりバスケうまい人って、そんなこと言ってたら一生彼氏出来ないよ」
「もう、いちいち繰り返さないでよー」
天井から電灯が照らしている。
呼吸も整って、空気の流れる音まで聞こえそうな静寂。
体育館にいるのは二人だけ。
「あー、なんかすっきりした」
「すっきりした?」
「うん。すっきりした」
「私は疲れたよ」
まだ仰向けのまま。
冬の二月の体育館。
気温も低く、体も冷えてくる。
「もう、Tシャツべちゃべちゃ」
「下着の替えも無いや」
「16歳の春も近いって言うのに、何やってるんだろうね私たち」
「まあ、悪くないんじゃない、こういうのも」
体を起こして石川は柴田の顔を覗き込む。
柴田も体を起こして言った。
「悪くないか」
「悪くないよ」
転がっていたボールを拾い、石川が立ち上がる。
柴田は、差し伸べられた石川の手を取り、自分も立ち上がった。
「それで、最後のはなによ」
「もう、それには触れないでよ」
「石川梨華を超えてやるー! って、びっくりするじゃない」
「忘れて」
「超えるも何も、柴ちゃんのがうまいと思うけど」
「あー、もういいから! シャワー浴びて帰ろう」
照れる柴田は逃げるように歩き出す。
その背中を見て、石川はにやにや笑っていた。
翌日の試合。
柴田はやはりベンチスタート。
それに対し石川はスタメンである。
相手は関東レベルとはいっても、まだまだ富ヶ岡のレベルには無い。
柴田は、ベンチで声を出し続ける。
初戦は、百点ゲームで圧勝した。
決勝までの四試合を二日でこなす。
勝って行けば一日二試合。
その二試合目、前半はリードしたものの十点差。
後半に入っても差がなかなか広がらない。
「柴田!」
三クォーター残り三分。
点差が十二点の場面で、柴田がコーチに呼ばれた。
「はい」
「まあ、すわれ」
意気込み、ジャージを脱いで準備しようとする柴田を押しとどめる。
怪訝な顔をして、柴田は和田コーチの隣に座った。
「なんか、吹っ切れたみたいだな」
試合への指示かと思っていた柴田は、唐突にそういわれ、思わず和田の方を見る。
和田は、静かに座って戦況を見つめていた。
「何か悩んでるってのは見てて分かったんだけど、何悩んでるのかわかんなくてな。指導
者として、それはどうかと思ったけど」
「自分でわかんないんですもん、先生に分かるわけ無いですよ」
「でも、自力で吹っ切ったみたいだな」
柴田は、和田コーチから視線をはずしフロアに目を移す。
一対一から、カバーの二人目までかわして石川がゴールを決めていた。
「吹っ切ったて言うか、なんだろ。わかんないですけど」
戻りが遅いところを突かれて、速攻を出される。
和田は立ち上がり、「しっかり戻れ石川!」とどなっている。
柴田も、「ディフェンスしっかり!」 と声を合わせた。
「春にな、入ってくる一年生。まあ、受験で受かればだけど、
いいガードが来るぞ」
「ガード入ってくるんですか?」
「ああ、それも二人」
「ポイントガード柴田はお払い箱ですか」
「まあ、そう言うな。明日の二試合で確かに柴田のガードは終わり
だと思うけど、有終の美ってやつを飾って来いよ」
「先生、明日って。まだ、試合終わってないですよ」
「今日はお前は使わない。ベンチでじっくり四十分見てるのも勉強だ」
和田の言葉に柴田は苦笑する。
そういう意味で言ったわけじゃない。
勝たないと明日は無いですよ、という意味だったのに、コーチは
負ける気はさらさら無いらしい。
三クォーターも残り一分を切った。
「これからも、チーム事情で柴田は色んなポジション使いまわすと思うけど、頼むな」
「ベンチ以外なら、まあ、どこでも」
「ベンチは嫌か?」
「やっぱり、試合に出ないと面白くないですねー」
ボールが回って石川へ。
一人かわして、二人目がカバーに来たところをインサイドでフリーになった平家へボールを入れた。
ゴール下、平家が簡単なシュートを決め十五点差。
「ま、頼むは。明日はフルに動いてくれよ」
「今日は使ってくれないんですか?」
「出たいか?」
「当たり前じゃないですか!」
和田は、柴田の顔を見ると少し考えてから言った。
「じゃあ、残り三分だけな。周りと合わせてみろ。それで動きが悪いようなら明日も使わない」
「厳しいですね」
「当たり前だ」
ブザーが鳴る。
第三クォーターが終わり、メンバーがベンチに帰ってきた。
柴田は、四クォーターのラストだけ登場。
得点は挙げなかったものの、三分でアシスト二本を通すなどいい動き。
試合は96-75と、終わってみれば危なげない勝利だった。
結局その調子で決勝まで勝ち抜く。
新チームとしての最初の大会を優勝で飾った。
石川と柴田の二人は、入学以来の一年間を無敗で過ごした。
三位決定戦の朝、体育館の玄関であやかに声をかけてくる姿があった。
「グッモーニング、アヤカ」
吉澤と二人で体育館まで来たあやかは振り向く。
後ろには、小柄でエキゾチックな顔つきの少女がいた。
「ミカー!」
あやかが声を出すと、呼ばれた少女はあやかに飛びついてくる。
オーバーアクションな再会シーン。
あやかは、飛び込んできたミカのわきの下へ両手をやり、自分の顔の高さまで持ち上げると、
ぐるっと一回転した。
「いつ日本に来たの?」
「高校からこっち」
「連絡くれればよかったのにーって、無理か」
「連絡先なんか知らないし」
懐かしの再会シーンらしい。
あやかの隣で吉澤はそれだけ理解して怪訝な顔で見つめている。
そして、ミカ、の方にも吉澤ははっきりと見覚えがあった。
「中三のときに、ハワイに短期留学したときにね、知り合ったんだ」
吉澤の存在を思い出し、あやかが解説を入れる。
「高校からって、短期の留学じゃなくて?」
「アヤカとかさあ、日本から来た子見てたら、一度日本で暮らしたいなって思っちゃった
ですよ。お母さんのふるさとだし。それで、高校の三年間、とりあえずこっち来てみること
にしたです」
会話が弾む。
あやかが短期留学したときのホストファミリーがミカの家。
ミカの母の故郷から来た子達を迎えていた縁で、ミカも逆にその母のふるさとにこうして
やってきた。
戸惑いがちに自分を見ている吉澤に向かって、ミカが自己紹介をする。
「初めまして、北松江の一年生、ミカ・トッドです。よろしくお願いします」
「よろしく」
折り目正しいミカの挨拶。
やっぱり、という顔の吉澤と、え? という顔を見せるあやか。
今日の三位決定戦。
対戦相手は、ブロック予選決勝で負けたこの北松江である。
「北松江って」
「そういうことだから。アヤカ、試合終わって話しづらくなる前に連絡先教えてください」
「え、あ、うん」
携帯の番号を交換する。
吉澤は、その輪には入らなかった。
「それじゃ、試合のととぼりが冷めた頃に連絡するよ」
「あ、うん」
「じゃ、コートで」
ミカは携帯をカバンにしまい去っていった。
「あー、驚いた」
「ハワイの子?」
「そう。バスケやってたなんて知らなかった」
「日本語、結構普通に話してたね。ほとぼりとか、難しい言葉も知ってたし。ととぼり言ってたけど」
外国人と会話したのは初めてかも、そんなことを吉澤は思う。
普通に日本語だったけど。
「ハワイってだけで負けそう」
「よっすぃー、北国系だよね」
「あやかは南国系かな」
「保田さんはどこ系?」
「鬼が島系ってとこかな」
そう言ってから、吉澤は慌てて回りを確認する。
保田の姿は、まだ無かった。
「今日は打倒ハワイか」
そうつぶやいて、二人も、体育館の中へ消えていった。
「やっぱり、なんかベンチに座ってるだけって気分出ないわね」
試合開始直前のミーティング。
保田の怪我は医者の見立てでは全治三週間ほど。
もし、中国大会まで進めばぎりぎりで復帰できる。
保田は、今日は一日ベンチで試合を見守ることになる。
「まあ、茶でもすすってゆっくり見ててください」
「ふん、吉澤、あんた今日負けたらただじゃおかないからね」
「こわっ」
ベンチの空気はやわらかい。
中国大会の出場権がかかった大事な試合ではある。
ただ、昨日の激闘があったので、緊迫感、という意味ではやや薄かった。
試合は静かに始まった。
それぞれハーフコートのマンツーマンディフェンス。
速攻は出ずに、ゆったりとしたセットオフェンス。
点は入ったり入らなかったり。
特に盛り上がりも無く、一クォーターを終えた。
14-12で市立松江のリード。
「冴えないね」
ベンチに戻ってきたメンバーに保田の一言。
そう言ってから、じっと吉澤の顔を見る。
「なんすか?」
「なんすかじゃないだろ。打開しろよ」
ハリセンでもあれば叩いているところ。
無いので、叩く振りだけする。
「のんびりした展開ですよね」
「どうしたらいいんだよ」
「ベンチから指示くださいよー」
吉澤のまっとうな言葉。
それでも保田は意見は出さない。
「吉澤、どうしたらいい。自分で打開しろ。あやかも、他のみんなも。試合でてるメンバーで打開してみろよ」
保田はベンチに座って突き放す。
吉澤たちは、どうしていいか分からずに、ただ戸惑うだけ。
改善策は浮かばない。
膠着状態を打破したのは、吉澤でもあやかでもなく、ミカだった。
二クォータースタート。
北松江ボールで試合が始まる。
流れを作るためのちょっとした賭けのようなもの。
サイドからボールを受けたミカは、軽くドリブルをついてスリーポイントライン付近へ。
普通なら、ここからパスを展開して組み立てるところだが、そうしなかった。
唐突にシュート。
これが決まる。
開始五秒で逆転した。
吉澤もあやかもただあっけに取られる。
やり返してやる、という発想も出ないくらいにあっけにとられる。
漫然とオフェンスした結果、あやかのシュートがはずれリバウンドを取られた。
そこから速攻。
戻りが遅くとめきれない。
中央のミカがボールを持って三対一の状態が出来、簡単にゴールが決められた。
ここから北松江が走り出す。
何の対処も出来ないまま、ミカのスリーポイントと、ターンオーバーからの速攻に連続得点をされる。
時折、吉澤やあやかのインサイドからの得点が決まるが単発。
ゴールが決められないときにリバウンドを拾われると、二人とも戻りが遅い癖がある。
十点差まではあっという間だった。
十四点まで開いたところで保田がタイムアウトを取った。
「なにか解決策は無いの?」
ベンチに座る五人。
中澤の肩を借りて立つ保田に視線を向けられて、顔を背ける。
「しょうがないな。時間が無いから簡潔に行くぞ。オフェンスは吉澤とあやか。とにかく
単純に中に入れて勝負。ディフェンスは外からは撃たせない。フェイクだと分かってても飛
ぶくらいの感じで、抜かれるのはO.K」
五人がやっと保田の方を見る。
はっきりした指示に、それぞれうなづく。
「速攻は上三人でなるべく止めてな。と言っても、吉澤もあやかもちゃんと切り替え早く戻るように」
「はい」
保田の言葉が入るとチームが変わる。
方向性が出来たことで持ち直した。
北松江のインサイドに強力なプレイヤーはいない。
吉澤とあやかがきちんとボールをもらって勝負をすれば得点勝率はかなり高い。
ディフェンスも、完全にとめられるわけでは無いが、スリーだけは打たせない、というの
が徹底されたので被害が最小に抑えられる。
何とか八点差と一桁点差まで詰めて前半を終えた。
「あんたたちねえ、ベンチに頼らず自力で何とかしなさいよ。インサイドは自分たちのが
強いって、体でわかるでしょーが」
「そんなこと言われても、そこまで自信もてませんよー」
「吉澤・・・。昨日あれだけ出来たのに、なんでこうなんだよ・・・」
目の前に吉澤とあやかを立たせてベンチに座る保田は頭を抱える。
隣で、中澤は口を挟みたいけど挟めないといった感じで苦笑い。
その肩に後ろから手をかける姿があった。
「苦戦してるみたいね」
「あっちゃん!」
立っていたのは、記者の稲葉だった。
「わざわざ見に来たん?」
「記者なんだから当たり前やって。今日のメインは飯田さんだけどさ」
「どうしたらええと思う? 後半」
「それは、ちょっと、私の口から言うわけには、記者として公正さに欠けるし」
さすがに、ハーフタイムに片方のチームに記者が肩入れするわけにはいかない。
「まあ、一言だけ。上にね、この辺の有望な中三生、何人か見かけたから。今日の試合で
来年の戦力が変わってくるかもよ」
スタンドで、未来の新入生候補が見ている。
それだけ言い残して稲葉は去っていった。
「一本づつ。一本づつでいいから、吉澤とあやか、中勝負で返していこう」
「はい」
「ディフェンスは二クォーターラストと同じ感じで。絶対追いつけるから」
保田の指示を聞き、メンバーたちがコートに上がって行った。
後半スタート。
二クォーターラストの流れが、ハーフタイムを挟んでも続いている。
吉澤あやかがインサイドを支配するが、外は負けている。
北松江はゴール下までは来られない分、シュート確率がやや落ちる。
じりじりと点差が詰まり始めた。
「保田、勝てるんか、この試合?」
「わかりませんよそんなの、やってみないと。でも、あやかが最後まで持てば、多分」
際どい試合展開にベンチもじれる。
二年生ながら采配を振るう保田としては、中澤に対してちょっとは役に立て、という思いもある。
七分過ぎ、あやかのゴールで同点に追いついた。
ただ、そこから一気に引き離すことは出来ない。
足が全体的に止まり始めた。
ミカがフリーでボールを持つケースが増える。
それによって、またスリーポイントが決まり始めたのと、あやかの疲労でゴール下の支配
が緩んできたこともあって、結局また五点のビハインドで三クォーターを終えた。
「あー、もう! なんでひっくり返らないんだにょー!」
「にょーって、にょーって・・・。よっすぃー」
「うるさいなー、噛んだっていいだろ!」
フラストレーションがたまる。
相手が飯田のときのような手ごたえが無い。
リードが奪えない。
「吉澤、あせるな。まだ十分ある」
「だけど!」
「おちつけって! ゴール下支配してれば大丈夫だから」
主力であっても一年生。
試合経験は少ない。
感情のコントロールがなかなか出来てこない。
最終クォーターへ向けて、市立松江は、体力に問題の無い控えの二年生を入れて、とにかくミカに張り付かせる作戦を取った。
これが当たる。
ミカが自由にボールをもてなくなったことで、北高の得点力が激減した。
一方、市立松江の方も、頼みのインサイドで、あやかが飛べなくなっている。
三日間で四試合、復帰間も無いあやかには限界。
残り六分というところでベンチへ。
インサイド、残ったのは吉澤。
六点ビハインドのところで保田がタイムアウトを取った。
「とにかく点を取れ。吉澤。点を取って来い」
昨日より点差は少ない。
しかし、状況は似たり寄ったりだった。
保田はいない、あやかは疲労で動けない。
得点力があるのはもう吉澤だけ。
昨日より楽な点は、吉澤のマーク相手がたいしたことないこと。
昨日より厳しい点は、ミカにはスリーポイントがあること。
「オフェンスは、とにかく吉澤にボールを集める。ディフェンスはとにかくスリーを撃たせない」
保田の指示。
自分の目の前にいる保田の言葉だけど、吉澤の耳にはあまり入ってこない。
昨日、終盤追いかけて追いかけて、吉澤の力で追いかけて、どうにも届かなくて負けた。
今日はどうなるだろうか・・・。
自分ごとながら他人事のように、頭の中で考える。
両手を叩き、続けざまに両のほっぺたを叩き、吉澤は立ち上がる。
タイムアウトがあけるブザーが鳴った。
「保田さん。勝って来ます」
落ち着いた表情だった。
ちょっとだけ、エースっぽいな、と保田は思った。
単純な作戦。
県のこのレベルだと、終盤競ればエースの撃ち合い、というのはかなりある形。
作戦の徹底はお互いなされている。
得点率は、インサイドで打てる吉澤のが高かった。
点差は詰まってくる。
一分を切って一点ビハインド。
勝負どころ。
大事な大事な勝負どころ。
ディフェンス三人に囲まれた吉澤。
それでも、その網をかいくぐって、ゴール裏から回り込んでゴールにねじ込んだ。
これでようやく逆転する。
残り三十秒一点リード。
ここを守りきれば、勝ちが見えてくる。
「ディフェンス! ハンズアップ! ノーファウル!」
基本的意識事項。
ベンチから声が飛ぶ。
北松江は落ち着いていた。
ミカがボールを持って上がってくる。
吉澤の支配の及ばない外でボールをまわす。
まわしてまわして、やはりここまで来るとミカへ。
スリーはさすがにチェックが入ったが、それをフェイクにディフェンスをかわす。
ミドルレンジからジャンプシュートを決めた。
61-60、北松江1点リード。
残りは十五秒。
最後のオフェンスになる。
ベンチは騒いでいた。
具体的な指示は無い。
ただ、騒いでいる。
まわせ、撃て、かわせ、ディフェンス来た。
両ベンチそれぞれが、めいめいに、好き勝手に。
時計が刻まれていく。
吉澤も、当然分かっていた。
最後は自分で勝負。
残り五秒、味方のスクリーンを使ってハイポストへ上がった。
ノーマークの状態でボールを受ける。
ターンしてジャンプシュート。
いつもと同じに打てたはずのシュート。
弧を描いたボールは、リングにはじき上げられ、落ちてきた。
リバウンドを拾ったのは北松江。
サイドに開いたミカにボールが送られ、そこで終了のブザーが鳴った。
トータルスコア61-60
北松江が三位、市立松江は四位。
中国大会への切符は三枚。
ノーマークの最後のシュートをはずした吉澤は、フリースローサークルに座り込んでいた。
初めてのチャンスだった。
県のレベルを超えて、その上の大会へ進む初めてのチャンス。
そのチャンスをふいにして、吉澤がベンチに戻ってくる。
「おつかれ」
保田の顔は見れなかった。
何も言えなかった。
ただ、うつむくしか出来なかった。
「よくやったよ、よくやったから」
ベンチに座ったまま保田は吉澤を出迎える。
吉澤は何も答えない。
かたわらにあったタオルを保田が差し出すと、吉澤は受け取り顔を覆った。
自分のせいで負けたんだ、そう、吉澤は思った。
「上に行くには、まだ少し何かがたりなかったってことだと思います。それを考えながら
練習していきましょう」
ミーティングでの保田の言葉。
それを受けて、中澤も続く。
「うちのせいやなって、かなり思う。ちゃんとした指導者がおったら、もっと強くなれる
んや無いかって。だから、ちゃんと勉強するは。バスケの勉強。ルールだけや無くて、戦術
とか、そういうの、前にも言うたけど、今度こそちゃんと勉強するは。正直、すまんかった」
タオルで顔を覆った吉澤は、言葉にならなかった。
「すいません」
一言言うのがやっとだった。
大会は、決勝でも飯田がチームを引っ張り、大差で勝ち優勝し幕を閉じた。
ベスト4に残った市立松江からも、飯田やミカと並んで、吉澤が大会ベスト5に選ばれた。
試合を終えて、大会を終えて、中澤は稲葉と二人、駅近くの飲み屋に向かった。
「まさかホントに来るとは思ってへんかったよ」
「別に、裕ちゃんのとこだけ見に来たわけやないけどね」
スポーツ記者の稲葉。
今の担当は、バスケットボールの月刊誌。
当然、高校バスケットもその範疇にあって、全国に取材に出向くことになる。
「大変なの? 仕事は」
「まあ、慣れたかな」
「取材で、こんな風に日本中回るんか?」
「まあね。今は全国の新人戦めぐりかな。それが終わったら、スーパーリーグとかWJBL
もファイナル近いし、そっちがメインになるけど」
「スーパーリーグ?」
「Jリーグみたいなもんだと思って」
あきれ口調で稲葉は答える。
スーパーリーグは男子の、WJBLは女子の、それぞれバスケットの一番トップのリーグ。
プロではないものの、確かにサッカーで言えばJリーグにあたる。
世間で有名かどうかはともかく、バスケに関わっているならば、知っている方が普通なこと。
「まあ、何にしろ、わざわざありがとな」
「取材に来てお礼言われるのも、へんやけど、じゃあ今日は姐さんのおごりってことで」
「教師の給料、やっすいんやで。まあ、今日はええけど」
二人の下に、とりあえずのビール、が運ばれてくる。
中ジョッキが二つ。
白い泡がきれいにたっていた。
「乾杯やな」
「何に乾杯?」
「あっちゃんの結婚に」
「せーへんっちゅうに」
それぞれジョッキを持ったまま。
軽口で先に進まない。
「裕ちゃんのチームの未来にでも乾杯しとく?」
「じゃあ、それやな」
ちょっとかったるそうに中澤が答えて、ジョッキを合わせる。
試合上がりと仕事終わり、それぞれ一気に半分近く飲み干した。
食べ物も届き始め、箸を伸ばす。
島根の地元の幸。
中澤は、教師同士で飲み歩き、最近は慣れてきたけれど、稲葉にとっては新鮮なもの。
宍道湖のしじみに白魚、さらに隠岐の岩牡蠣。
地酒も頼んで舌鼓を打つ。
食べながら、飲みながら、話すことは昔のこと今のこと。
大学の友人、だれそれの結婚話、別れ話。
みんながどうしているのか気になる。
お互いも気になる。
一通り話してから、中澤の今のことに話が及んだ。
中澤の今のこと。
バスケ部顧問として。
「哀しい負け方やったね」
試合の光景を思い返す。
最後のシュート、外れた吉澤のシュート。
ノーマークだった。
「勝たせてやりたかったけどなあ」
「まあ、いい経験やないの? ああいう経験して、練習に身が入っていくんなら」
「そうやけどなあ」
「そういうための新人戦なんやし」
この時期に行われる新人戦には、全国大会に当たる物はない。
それぞれ勝ちあがって行っても、地区大会のレベルで終わる。
三年生が抜けた新チームが、早い時期に大会を経験しておく、というような意味合いの大会になっていた。
「県でベスト4やで。ベスト4 あの子ら、ちゃんと指導してくれる人もおらんのに、
自分達の力だけで」
そこまで言って、中澤は手元の熱燗を一気にあおった。
「うちが、もっとちゃんとしてたら、勝てたんやろか」
「勝てただろうね」
稲葉の即答。
それを聞いて、中澤はため息をつく。
「なあ、あっちゃん。あの子ら、記者の目から見てどうなん?」
「どうって?」
「素質とかあるんか?」
中澤の問いかけに、稲葉は身を引いて背もたれに寄りかかり腕を組んだ。
「一年生の二人。インサイドやってた子たちは、もうちょっと上のレベルでもやれる能力は
あるんやないかな。まあ、絶対的に経験値が足りないし、途中で引っ込んだ子は体力も足りてへんけど」
「二年生は?」
「うーん、まあ、高校生の部活やし、頑張りましょうって感じやな。だけど、どっちにしても、
姐さんが顧問の先生ってのはかわいそうやと思うよ。素質のあるなしに関係なく」
「かわいそうかあ」
「うん。しゃーないんやけどさ。学校だし。部活だし。専門的な能力のある人を部活の顧問
に連れてくるわけにいかへんのは。だけど、やっぱりこういう仕事してる立場からすると、か
わいそうなんよ。そういう子達って。もっとちゃんとした指導者に出会えればって子達が一杯
いる。もったいない。もったいないって。いつも思う。今日も思った。裕ちゃんとこもそうや
し、相手のガードの子もそんな感じやな」
普通の学校に、スポーツの得意な先生が何人もいるものでもない。
各競技に一人づつ、きちんとその競技が分かっている先生がそろっていることの方が少ないのだろう。
「うちはどうしたらええんやろか」
中澤のため息。
枡に残っていた日本酒をコップに注ぎ足す。
「全部生徒に任せちゃうのも一つのやり方とは思うよ。そういうのって楽しいし。うちも大学は
そんな感じやったけど。でもな、姐さん。それはやっぱり上に勝ちあがっていくには厳しと思うで」
考え込んだまま、中澤はコップの日本酒に口をつける。
稲葉のいうことくらいは分かっている。
「姐さんはどうしたいんよ」
「勝たせてやりたいなあ。あの子らに。あの子ら、頑張ってる。やり方間違えてるような
感じのときもあったけど、今はほんま頑張ってる。自分らでチーム作って、先生もおらん、
先輩すらおらん、そんな状態から二年でここまで来て。ほんま頑張ってる。うちだけや・・・。
うちだけ、あの子らに何の力にもなってへん・・・」
秋の大会が終わった後、稲葉にルールブックやバスケ雑誌を送ってもらった。
だけど、それを読んだからといって、すぐに何もかも分かるわけでもない。
保田が作る練習メニュー、実際の練習風景、体育館にそこそこ出るようにはなったけれど、
そこに口を出すことは中澤には出来なかった。
何かを意見する自信は無かった。
「勝たせてやりたいって思うなら、姐さん自身が力つけないと。そうは言っても、いきなり
明日から顧問面したって誰も聞く耳持たないだろうから、あの、今日指揮とってたギブスした
子? 上から見た感じ人望はありそうだったから、あの子と相談しながらやってくのがいいん
じゃないの?」
「うちに出来るんやろか?」
「出来る出来ないやなくて、やるしかないんやろ。まったく、こんな弱気な姐さん見たの、
大学のときに男に振られたとき以来やわ」
手元のグラスをとり、残っていたビールを口に持っていく。
稲葉は、店員を呼んだ。
「あ、熱燗二つ。そう、さっきのこれと一緒で」
中澤は、空になったコップを手に持ち、それを見つめたまま。
そのうつむいた姿を見ながら稲葉は続けた。
「いきなり指導めいたことは難しいけど、つっこみはできるやろ。ボケか突っ込みかで言ったら、
姐さん、結構つっこみやろ?」
「なんや急に、わけのわからん話」
「いや、真面目な話でさ。素人でも、テレビ見てプロの人に突っ込みいれたりするやん。スポーツ
でも何でも。そういうさ、これ、なんや違うんやないか? みたいな突っ込みは素人でも出来るやろ」
「突っ込みなあ」
「うん。それで、いきなり全体に口はさんでも、うるさがられるだけやから。全体にやなくて、
キャプテンの子か? あのギブスの子。あの子に練習終わりに話してみるだけで、ずいぶん違うん
やないの?」
中澤は持っていたコップを置き、顔を上げた。
「そんなんでええんか?」
「最初はしゃーないやろ。だって、姐さん、戦術的やなんやかやって無理やろ」
「そんなんあたりまえや」
「だったら、そういうとこから始めて、で、だんだんに変だと思うところに突っ込むだけ
や無くて、その改善案まで出せるようになれば、なんとなくコーチっぽいやろ」
「まあ、なんとなくはなあ」
苦い顔。
そんなんでええんやろか、という疑問が消えたわけではない。
「新しい一年生が入ってくるまでに、なんとなく顧問の先生っぽくなるっていうのを目標に
頑張ったらええんちゃう?」
「新しい一年生なあ」
四月までにはまだ二ヶ月ある。
立派なコーチにはなれなくても、なんとなくコーチっぽい、という感じにはなれそうな
だけの時間はある。
「島根には、一人すごいガードがいるからねえ、中三に。あの子がどこに行くかでずいぶ
んかわってくるよー。飯田さんところに入ったらワンマンチームじゃなくなって、全国でも
それなりのチームになるし面白いんだけどなあ」
「あそこにすごい一年生なんか入られたら、ますます勝てんようになるやんか」
「ああ、裕ちゃんとこの為には入んないほうがいいんだろうけど。でも、島根にいるなら
あそこだろうなあ。もしかしたら県外出るかもしれないけど」
この地域は、あまりレベルが高いといえる地域ではない。
飯田のいる出雲南陵にしても、飯田のワンマンチームであって、周りのメンバーはそれなり
のメンバーでしかない。
そんな地域なので、突出した力を持つ一人の動向で、勢力図が大きくかわってくることもある。
「うちに来たりは?」
「ちゃんと見る目のある子なら来ないだろうね」
「ひどい言い草やな」
「見る目のある子なら、チーム力もそうだけど、自分を育ててくれる指導者も判断するし」
そう言われてしまうと、中澤に返す言葉は無かった。
久しぶりの再会。
バスケの話だけじゃない。
酒は進む。
「うちはな、おい、聞いてるか貴子」
「聞いてますって」
「うちはな。子供達には幸せになって欲しいんよ。ああ、学校楽しいな、部活楽しいなあってな」
そこまで言って、また、手元の熱燗を口に持っていく。
手付きがおぼつかない。
「姐さん、飲みすぎやって」
「あぁー? たいしたことあらへんて。なあ、分かるやろ。子供達の喜ぶ顔が見たいんよ」
「はいはい」
「やのに、うちだけ、うちだけ、あの子らの力になれてへん」
「姐さん、いつから泣き上戸やの・・・」
半泣きに泣きながら、まだ飲む。
日本酒が少し苦かった。