ファーストブレイク

 

第五部

インターハイから少し時がさかのぼる。
高校バスケットでは大きな大会が3つあった。
インターハイ、国体、ウインターカップ。
夏はインターハイ。
秋に国体。
冬にウインターカップがある。
この3つのうち、インターハイとウインターカップは、各高校の戦い。
それに対して、国体は、都道府県単位の戦いだった。

「集まったな」

ある日曜日。
県のお偉いさんと共に体育館に中澤はいる。
目の前には県の代表として選抜された選手たちがいた。

「たまたまやけど、うちが県総体優勝したから、私中澤がこのチームのヘッドコーチになる。まあ、不満もあるやろうけど、我慢してや」

チーム結成初日の訓示。
緊張感のある顔、リラックスしきった顔、さまざまな顔が並ぶ。

インターハイ県予選を終えた1週間後、この国体を目指す島根県の選抜チームが召集された。

「ほんじゃ、まあ、最初にキャプテン決めなあかんと思うんやけど、どうしよか?」

秋にある国体に向けて、各校からメンバーが選出された。
県大会で優勝された市立松江からは、保田、吉澤、あやか、市井、福田、それに松浦の6人。
その他に、出雲南陵の飯田や、北松江のミカ、東松江の大谷なんかもいて総勢12人。
各チームにいるときよりもスタメンの争いも厳しくなり、チームとしてのレベルも当然高い。
普段、別々のチームにいるだけに、キャプテンとしてチームをまとめるのはなかなか大変な役目だった。

「飯田さんにやってもらいたいんだけど、どうかな?」
「え? 圭織? なんで私なんですか?」
「うちのメンバーがやると、コーチが私で、メンバーも多くて、キャプテンもやってになって、なんか変な勘違いが生まれそうだし、よその人にやってもらいたいってのもあるし、1番なんか、引っ張ってくれそうやし。どう?」

飯田は腕を組んで固まる。
じっと中澤を見つめた。
無表情な目で見つめられて中澤はちょっとひるむ。
それでも、黙って答えを待っていたら、飯田が口を開いた。

「圭織より、保田さんのがいいんじゃないですか?」

ごく普通の答え。
それでも、名前を出された保田は飯田の方を見る。

「いや、私より、どう考えても飯田さんのほうが実績もあるし」

戸惑い気味の保田。
個人としてのネームバリューで言えば、明らかに保田よりも飯田のほうが上である。

「なんか、決まらんみたいやからええは。後で話し合いで決めて、明日にでも保田から報告して」
「はい」
「じゃあ、ランニングから」

練習はほぼ市立松江の通常のメニューと変わらない。
全員のレベルがそれなりに近くなっているので若干1対1を長めに取ったあたりが違う程度。
初日は顔合わせ、という意味合いが強く、練習中に中澤が口を出すことはあまりない、というか口を出せない。
自分のチームなら最近は少しは格好がついてきたけれど、まだ、よそのチームのエース格に向かって、ああせいこうせい、といえるほどの自信はとても無い。

最後の5対5は、まだレギュラー組みとサブ組みを分けることなく、身長の近いものどうしてじゃんけんさせて勝ち組と負け組みに分けた。
目だって活躍したのは松浦。
マークに付いた大谷を完全に力で上回り、福田にてこずってボール運びのおぼつかないミカのフォローまでこなす。
マッチアップで面白かったのは保田と市井がかぶったところ。
ボールを持つと、嬉々として1対1を始める。
現在の力としては保田のが上のようで、市井はちょっとした敗北感を味わうようだ。
吉澤は、飯田と同じチームになり、インサイドでは暇そうだった。
それに対してあやかは、飯田のマッチアップでどうにも止められず苦しんでいる。
まだ、意識としてはポジションを争うというよりも、いつもと違う相手との
いずれにしろ、いつもと違う5対5はそれぞれに楽しそうにこなしていた。

練習後、メンバーたちは親睦会を兼ねてカラオケボックスに行った。

「も〜もい〜ろの♪ かたおも〜い♪」
「松浦歌いすぎー!」

借り切った店最大のパーティールーム。
部屋に入るとリモコンを片時も離さずに、ひたすら曲を入れ込んでいく。
12人いようが松浦には関係ない。 
それでも、なんとなく許してしまいたくなる空気を松浦は持っていた。

「さっきの話なんだけど」

おとなしく隅の席に座ったのは落ち着きのある3年生。
保田と飯田が並んでいる。

「さっきのって、キャプテンのこと?」

飯田がマイクを握って離さない松浦の方を見ながら答える。
見事な振りで歌っていた。

「やっぱり、飯田さんやってくれないかな?」
「圭織、統率力とかそういうのないよ」

部屋には松浦の歌声が響く。
そんな雰囲気をよそに、深刻な顔をして2人で話す。

「私さあ、インターハイで引退しようと思ってたんだよね。それが国体メンバーなんか選ばれちゃって。まあ、夏のミニ国体まではインターハイと十日くらいしか違わないからやろうと思うけど、十月の本大会はちょっとねえ」
「なんで? もったいないよ。選抜でもう1回勝負しようと思ってたのに」

この時点ではインターハイ後も続けるつもりはなかった保田。
8月の後半にあるミニ国体。 
十月の国体の前に、各地域で代表を決めるために中国地方で大会が行われる。
それがミニ国体。
そこまでしかこのメンバーに残らないのだから、キャプテンは出来ないと保田は言う。

「それはそれとして、やっぱり飯田さんを横において私がキャプテンは出来ないよ」
「なんで?」
「うちのメンバーはいいよ、まあ。でもさあ、よその子にしたら、やっぱり島根を代表するのって飯田さんだと思うんだよね」
「そんなことないでしょ。代表になったのはそっちだし」
「いや、個人としてさ。私なんかは、明日香とか、吉澤とか、あのへんになんとかインターハイに連れて行ってもらうようなそんな立場だから」

チームで勝ったけれど、保田が出たのは20分少々。
自分が勝ったという印象は無い。
たまたま今はいろいろあってキャプテンをチームではやっているが、本当はそれも違うんじゃないかと思ってる。
紗耶香のサブ、それが元々の自分のポジションのはずだった。

「うーん、そんなに言うなら圭織がやってもいいけど。でも、まとめるのとか無理だよ」
「その辺は、私が出来るだけサポートするよ」
「だったら最初からキャプテンやってくれればいいと思うんだけどなあ」
「先頭にいるのが似合う人と、そのサポートにつくのが似合う人といるのよ。私はサポートが似合うタイプ」
「そんなもんなのかねえ」

椅子に深く座りなおす。
飯田の方も、自分が先頭が似合うタイプかというと、そうでもないんじゃないかという気がしていた。

「話し合いはついたの?」

自分のいた席を離れ、市井がやってきた。

「話し合い?」
「キャプテン決めてたんでしょ」
「うん、まあね」

市井は保田の隣に座る。
キャプテンは飯田がやることになったと保田が告げると、それでいいんじゃない、と市井は同意した。

「ま、落ち着いたところで、歌ったら?」

選曲表とリモコン。
2つをまとめて市井が保田のひざの上に置く。

「松浦歌いすぎだっつーの。まったく、マイク持ったら豹変するタイプかよ」

そう言いながらも、目を細めて松浦の姿を見つめる。
誰が見ても、松浦の歌う姿は絵になっていた。

保田は選曲表を開くとあっさり曲を選びリモコンに打ち込んで送信する。
リモコンと選曲表をセットに、隣の飯田のひざの上に置いた。

「圭織はいいよ」
「なんで、歌いなよ。聞きたい」
「圭織は、生音じゃないと歌わないの」
「うわー、やなおんなー」

横から市井が茶茶を入れる。
言葉を選ぶ保田と違って、まったく遠慮が無い。

「そういえば、市井さんって留学してたんでしょー」

試合で何度も顔を合わせていたけれど、飯田が保田たちとちゃんとまともに体育館の外で話すのはまったく初めてのこと。
今までに得ている相手の情報のかけらを頼りに、私的な話をしていく。
イギリスってどんなとこ?
全国レベルってどんなのがいるの?
ほとんどカラオケそっちのけ。
そんな風に話し込んでいて、ふと顔を上げると、相変わらず松浦がマイクを握っていた。

「あやや、歌いすぎ。終了!」
「あ、あやや?」
「そう、あなたはあやや。今日からあやや」

マイクを握った松浦が、つぶらな瞳で飯田を見つめる。
飯田は、立ち上がって松浦を指差し、「あやや、あなたはあやや」と繰り返す。
今まで、先輩には「松浦」と単純に名字で呼ばれてきた松浦が、これをきっかけに「あやや」になる。

「保田先輩にマイクを差し出しなさい」
「ははー」

こういうときにきちんと芝居がかって動くのが松浦。
椅子に座っている保田の前までやってきてひざまずき、マイクをささげた。

「殿、どうぞお歌いくださいませ」
「うむ。よきにはからえ」

イントロが流れる。
マイクを持った保田が立ち上がった。

「隠し切れない♪ 移りがが〜♪」
「天城越えかよ!」

吉澤をはじめとした一堂の突っ込み。
それにまったくひるむことなく保田は天城越えをたからかに歌い上げた。

「おまえら、国体で優勝するぞー!」
「おー!」
「黙って、飯田キャプテンについていけるかー」
「おー!」

キャプテンになった飯田と、サブに落ち着いた保田があおる。
防音設備の整ったカラオケボックスにもかかわらず、外まで響いてくる声。
ひとまず、1つのチームが出来た。
十分リーダーシップあるじゃんか、飯田も保田も、互いに相手のことを思っていた。

国体に向けての練習は平日には行えない。
各自自分の学校に通っていて、地域もばらばらであるから当然だ。
当然、土・日にまとめて行われるようになる。
国体は国体で大きな大会ではあるのだが、保田たち市立松江としては目の前にもっと大きな価値を見ているインターハイがある。
練習のモチベーションが、目的が、いまいち全員の中で一致してこない。

「練習台じゃないんだけどなー」

メンバーがなじんできて5対5の練習が増える。
スタメンチームにほぼ確実に入るのは福田と飯田。
残りの3つのポジションは、インサイドは吉澤とあやかが、外ポジションは松浦市井保田から2人入った。
5人中4人が市立松江のメンバー。
時にはファウルアウトなどを想定して、飯田をあやかに変えることもある。
そうなると、市立松江vsその他の人々、という色がさらに濃くなってくる。
明らかにインターハイに向いている市立松江の選手たちの目。
それは、大谷のように、インターハイは遠い世界で、自分の所属する高校で全国レベルの大会に出ることがほとんど期待できない、この選抜チームに期待をかけている選手は、やはり不満だった。

「ミカ、帰ろー」
「あ、いや、シューティング、したいです」
「いいよそんなの。チーム帰ってやればいいって」

練習終わり、大谷がミカに声をかける。
2人ともこの中では外様に当たる。
共にBチームに入って公的に話す機会が多いというのと、選抜に同じ学校のメンバーがいないというのがあって、比較的話す機会も多かった。
ただ、あやかという友人がいるミカは大谷よりはチームに馴染んでいる感がある。

「ちっ。なんだよ」
「大谷さん、1対1やらない?」
「インターハイに出るお偉いさんのお相手が出来るほどの実力はありまへんので、帰らせていただきます」

えせ京都弁で、保田に対して馬鹿にしたような返事。
右手で手を振りながら背中を見せ、去っていく。
体育館の入り口まで来て、大谷は保田の方を見て言った。

「練習台帰りまーす。おつかれさまでしたー」

保田は、その背中を苦い顔をして見送ることしか出来なかった。

その夜、飯田は保田の部屋にいた。
土・日と続けての練習。
出雲に住む飯田は、松江の学校までくるには1時間以上かかる。
通えないというほどのことはないが、せっかくなのでと保田の家に泊まっている。
キャプテンであり、チームの中心となるであろう飯田は、確実にこのチームになじんでいた。

「あんな反発のしかたされても困るよ、まったく」

机に向かった椅子に反対向きに座って保田がこぼす。
机の上にはバスケ雑誌が2冊。
教科書類はまったくない。

「気持ちは分かるけどねー」

外様という意味では大谷と同じ飯田。
保田のベッドに横になっている。
この部屋に泊まるのは今日で2回目。
福田家での松浦並みに態度がでかい。
図体はもっとでかい。
期末テストも終わり、まだ学校はあるけれど開放感も少しある。
そんな夜。

「圭ちゃんたちがインターハイに目が行っちゃうのはしょうがないけどさ、私たちからしたら、うらやましいというか、ねたましいというか。それに、ミニ国体はインターハイのすぐ後にあるし。無理だろうけど、こっちに集中して欲しい、って気持ちは私もあるよ」
「そんなこと言われても」
「いや、だって、松江のメンバー5人とその他5人で5対5とかやったら、なんかインターハイ向けの調整に使われてるって気分にもなるよ」
「確かに、大谷さん、Aチームの方にいてもおかしくない感じなのに、ずっとBにいるもんね」

5対5の練習では、スタメン組みにあたるAチームに入る保田のマークに、控え組みのBチームとして大谷が付く。
実際にプレイしている感覚として、保田は自分が大谷よりはっきりと上、という気にはなれない。
周りがほぼ自分のチームなので、あわせがうまくいく分優位な立ち位置にいるが、単純な個の能力としては、勝っている自信はなかった。

「まだ、ああやって表立っていやな顔される方がいいのかもね」
「なんで?」
「ねちねち裏に回っていろいろされるよりよくない?」
「それはまあそうだけど・・・」

納得しつつも保田は不満顔。
当たられる対象は主に自分になる。
気持ちは分かっても、それを受け止められるほど度量が広いわけでもない。

「明日、ちょっと私から話してみるよ」
「私もいた方がいいのかな?」
「それ火に油だから」
「そっか」

保田はため息。
さすがに飯田には言えないが、選抜チームなんかよりインターハイにもっと目を向けたいのが本音。
この時期に、気持ちを1つにした選抜チーム、というのはやはり無理があった。

「国体は、インターハイ終わってからでいいよ」

保田の気持ちを見透かしたような飯田の言葉。
言葉が返せずに、大きな目を開いて保田は飯田を見つめる。

「去年もおととしも、私がそうだったから。気持ちは分かる。ずっと一緒にやってきたチームのほうが、選抜チームより大事に感じるし、予選通ってのインターハイだし」
「なんか、ごめん」
「選抜のことは私にどーんと任せて、圭ちゃんたちはインターハイに向けて頑張ってきなさい」
「人が集まるのって、大変なんだね」
「何をいまさら。自分のチームでもキャプテンやってるんでしょ」

飯田にそう言われ、保田は座ってる椅子を回転させて背を向けた。

翌日の練習も雰囲気は似たようなもの。
市立松江のメンバープラス飯田、がスタメン組み。
他所から来たメンバーと完全にグループ分けが出来上がっている。
それでも、集まったのは各チームのエース。
練習自体はきっちりこなす。
プライドがあるから、負けるのはむかつくから、プレイ自体は真剣にする。
だからこそ、余計に練習台としての価値が増してしまっていたりする。
馴染まない空気がそこにどうしても感じられた。

練習後、飯田は大谷とミカを誘った。

「帰らないでゆっくりしてていいの?」
「こっち来るときは遅くなるって言ってるから」

松江駅近くのドーナツショップ。
市内に家がある大谷やミカと違い、飯田の家はここからまだ1時間近くかかる。
この地域では都心と違い、高校生が通学に使うような普通列車は1時間に1本か2本という世界である。

「はぁー、なんか眠い。疲れた」
「がつがつ1対1やってたもんね」
「私のとこしか攻め手なかったから」

5対5の練習。
控えチームでは大谷が積極的に自分で切れ込んでいた。
スタメン組みは上に福田、下に飯田という絶対的な存在がいるが、真ん中は比較的甘い。

「あんまり負ける気もしないし」
「大谷さんはAチーム回ってもいいと思うんですけどねえ」
「でしょー。ミカもそう思うでしょ。どうよ、飯田さん?」
「それは、監督が決めることだから」
「あの監督、身内を優遇しすぎだよ」

大谷はそうまくしたてると、アイスコーヒーを口に持っていった。

「でも、実際、同じチームで組ませた方が連携がいいのは確かだし」
「そんなの、やってみなきゃわかんないって。ミカもあの生意気そうな1年ぶち倒してさあ、この3人がスタメン組入れば、連携も何も、1から作るからみんな同じ条件になるし」
「あの子、うまい」
「あきらめんなよ。なんとかなるって」

3年生の大谷、2年生のミカ。
なんとなく、大谷としてはこのチームの中でミカを妹分のような扱いをしている。

「あのさ」

テーブルでは、大谷とミカが並んで座っている。
体の大きな飯田は、1人、向かい側の席に座る。

「なに?」

何かを言いかけて止まった飯田。
大谷が聞き返す。
少し考えてから、飯田が続けた。

「もうちょっとさ、市松の子と馴染まない?」

市松、市立松江を略して市松。
松江には高校がいくつもあるので、東だ北だと適当に略すが、方角がついていない市立高校の松江は市松。

「そんなこと言うために誘ったの?」

大谷の表情が変わる。
声のトーンも変わる。

「せっかく1つのチームになったんだからさ、仲良く出来た方が楽しいでしょ」
「別に。バスケできれば、仲良かろうと悪かろうと関係ないし」
「でも、意思の疎通とかさ、やっぱり仲良いほうがしやすいし」
「どうせ、試合出ないんだから関係ないね」
「そんなのわからない」
「分かるよ。あの監督、飯田さん以外、よそのメンバー使う気ないだろ」

大谷の言葉がヒートアップしてくる。
テーブルにおいてあったアイスコーヒーを一気に飲み干した。
言い合う2人の間で、ミカはおろおろと2人の顔を見比べている。

「監督には私からも話してみる。だけど、監督は監督、選手は選手でしょ。選手同士はまずさ、もうちょっとちゃんと馴染んでさ」
「チームのキャプテンがそう言うなら、文句言ったり場の空気壊すようなことはやめるよ。でも、馴染めっていわれたからって、それはなんか気分的に無理。あんな、インターハイへの調整気分を表に出されたらやってられない」

大谷は、足を組み替えて、正面から少し向きを変えた。
軽く舌うちをして、小さく息を吐く。

「でもさ」
「もういいよ。分かったから。キャプテン様がそうおっしゃるのでしたら、黙って文句言わずに練習いたしますよ。はいはい」
「そうじゃなくて」
「明日は、大事な大事な、自分のチームでの練習なので、もう帰らせていただきます」
「待ってよ」

飯田が留めるのも聞かず、中世貴族の振る舞いを真似るようなお辞儀をして、大谷は出て行った。

同じ頃、少し離れたハンバーガーショップに吉澤とあやかはいた。
気分的にはドーナツだったのだが、中を見たら中途半端に知っている顔があったので気づかれる前に吉澤が引き返していた。

「よっすぃー、何も逃げなくても」
「別に逃げたわけじゃないけどさあ」
「トレイとって、すぐ置いて、慌てて店でたじゃない」
「だってさあ」

飯田、大谷、ミカ。
吉澤からすれば微妙に距離のある相手ばかりだ。
練習中、飯田とコミュニケーションを取ることはそこそこ多いが、大谷やミカとはほとんど会話も無い。
1対2で馴染まない相手のほうが多い。
あやかからすれば、ポジションがかぶって会話の多い飯田と、元々知り合いのミカがいる。
2対1で馴染みのある相手のほうが多い。

「おちつかないじゃんか。あの中入ったら」
「まあ、それは分かるけど」

ゆっくりドーナツ食べて、とか思ったけれど、微妙に距離感のある人たち、それも先輩学年が2人もいる。
おちつくとか無理である。

「つーかさあ、なんで選抜チームで練習なんかしてるんだろ?」
「なんでって、国体のためのチームでしょ」
「それは分かってるけどさあ。県の選抜とか、選ばれるのはなんかすごいことだし、うれしいけど。でもさあ、インターハイあるのに、その前にその先の試合のために集まって練習とか言われても、ピンと来ないって言うか」
「まあ、実際、無理あるよねー」

インターハイ、もし決勝まで残るとこの時点で仮定すると、そこからミニ国体までの間は5日しかない。
よくよく考えると無茶な日程ではあるのだが、全国どこでも共通で、5日が十日になるとかその程度の違いで、この時期にミニ国体という予選に当たる試合が行われる。
そうすると準備のためには、どうあってもインターハイの前から集まりより他にない、という事になるにはなるのだが。

「飯田さんなんかと練習出来るのはありがたいんだけどさ」
「迫力あるよねー」

吉澤がハンバーガーにかじりつく。
あやかはポテトに手を伸ばす。
日曜の夕方、店内はそれなりに混んでいる。

「でも、同じチームでやってるとなんか違うよなって。いまこんなことしてる場合じゃないんじゃないの? って思うんだけど」
「まあ、後2回でしょ? 夏休み入ったら選抜の練習はないんだし」

もう1週、日曜日と海の日に集まった後は、インターハイまで選抜チームでの練習は無い。
逆に言えば、その2回の練習で国体向けのチームは形がほぼ決まる必要があるとも言える。

「でも、そっか。授業も午前だけになったから、午後は丸々練習だし、いいのかなあ?」
「あさっては野球部の応援でしょ?」
「全校応援ってやつ? 1回戦から。かったりーなー」
「だけど、なんかよくない? そういうの。頑張ってる男の子を応援するのとか」
「決勝に残るくらいになってからにして欲しいよね。うちらのインターハイに、誰か応援に来てくれるのか? っての。まったく」

県の決勝にまで残った人たちだから言っても許される言葉ではある。
両手でしっかりつかんでほおばるのはビッグマック。
ポテトと飲み物だけのあやかと違って、いい食べっぷりをしながら言葉は辛らつだ。

「よっすぃー、テストはどうだったのよ?」
「ああ? 何? テストって?」
「期末に決まってるでしょ。すぐごまかそうとするんだから」
「ああ。なんか、あややが騒いでたな。福田に、勝ったの負けたのって。あいつ、勉強も要領いいタイプだな」
「で、よっすぃーは?」
「市井さん、留学とかするからすごいのかと思ったけど、そうでもないのな。1個も80点以上で名前呼ばれてなかったし」
「で、よっすぃーは?」
「保田さんとか、受験だしどうなんだろうね?」
「で、よっすぃーは?」
「勘弁して下さい」

しつこく問われ、逃げ場なく、観念して向き合って頭を下げた。

「つーか無理。試験とか無理」
「追加課題とか出た?」
「出た。出た。数学と英語と化学と世界史」
「ほとんど全部じゃない」
「神様女神様あやか様。どうかどうかお助けください」
「クーランデールのシフォンケーキとブレンドコーヒーのセット」
「コーヒーだけでお願いします」
「英語だけ」
「分かりました。セットでお付けいたします」

30点以下を取ると追加課題が出される。
提出期限は終業式。
出さないと夏休みになりませんシステムである。
インターハイまでにクリアしなくてはならないハードルは、プレイ面以外にもあるところが高校生のつらいところ。

「なんであやかさあ、そんな勉強出来るの?」
「別に、そんなにってほどのことじゃないって。よっすぃーがひどすぎるだけだから」
「普通ね、スポーツ出来る子は勉強できないわけですよ。普通ね、顔の可愛い子は勉強できないわけですよ。なのに、なんで勉強できてバスケ出来て顔まできれいで。ずるくない? 世の中間違ってると思わない?」

あやか、苦笑いだけで答えない。
トレイのポテトに手を伸ばした。

「なんでこう、私だけいろいろ降りかかってくるんだー! テストとか課題とか。この前の試合も飯田さんだったし、インハイもなんかエースっぽい留学生私のマークみたいだし」
「逃げまわってるからじゃないの? 英語も数学も全部逃げたんでしょ?」

英語や数学やあれやこれやはともかく、バスケ的にはそういうポジションなのだから仕方が無い。
吉澤とあやかで比べると、吉澤の方が強さがある分、どうしても負担のきつい相手につかざるを得ない。

「はいはいはいはい。逃げてましたよ。逃げました。テスト勉強から逃げてマンガ読んでました。その結果がこれでございます」
「どうするの?」
「あやか全部やってよ」
「やだよ。ばれたら私まで怒られちゃうし」
「じゃあ、隣で見てて。聞くから。しばらく夕練でしょ。だから、バレー部が終わるまで図書室で」
「しょうがないなあ」
「よし、決まり。帰ろう」
「ちょっと待って、これも」

あやかがまだ飲み物を持っているのに吉澤がトレイを持って立ち上がってしまう。
インターハイと期末テストの追加課題とクーランデールのシフォンケーキ。
2人の頭から国体、という存在はすっかり消えていた。

翌週、夏休み前最後の練習、大谷は欠席した。
風邪をひいた、ということらしい。
連絡は、中澤コーチにでも、キャプテンの飯田にでもなく、ミカが受けた。
中澤はともかく、飯田は携帯番号は伝えてあるはずなのに、と少々不満はある。
ホントの理由は風邪じゃないんじゃ、と頭をよぎらなかったといえばうそになるけれど、飯田はなにも思わなかったことにした。
練習は、十一人でも変わらず行われる。
インターハイまで2週間というこの時期。
適度なレベルの練習相手。
調整感覚たっぷりな会話がメンバー間で交わされているのも事実だ。
大谷さんがいたら切れちゃってたかも、と飯田は思う。

選抜されたのは12人。
今日は大谷がいないので十一人。
5対5の練習をしていると1人あまる。
その、あまりに当たっていたとき、ミカがなにやら必死にメモを取っていた。
普通、バスケの練習中には見かけない光景である。
あの子は何をしているんだろう? とプレイ中のメンバーも思う。
5対5からゲーム練に移る合間、飯田が声をかけた。

「何それ?」

いまだになにやら必死にノートに取っているミカ。
その正面に立って飯田が問いかけるとミカが顔を上げる。
身長差20センチ。

「いえ、なんでもないです」
「何? 何? 見せてよ」
「なんでもないですよ」
「いいじゃない」

ミカのノートを取り上げる。
これがTシャツでなく制服で、体育館の中でなく裏だったらまるっきりかつあげの図である。

「Fuku、Ayaya、diffence hard  steal challenging  Ichi、Yasu distance keep Ayaya  attention?」
「あ、あの、いいじゃないですか」

なにやら英語。
分かる単語だけ読んでみる。
ミカは周りをきょろきょろ。
市松メンバーはコートの反対側でビブスを受け取っている。
飯田はノートを抱えて笑い出した。

「なるほどねえ。これは、吉澤のリバウンドは2度目が低い、かな? ああ、これはもらい」
「いや、あの、そうじゃなくて」
「気にしなくていいよ。圭織別に言わないからさ。でも、いろいろ書いてあるね」
「そんな、ことないです」

ハワイ出身のミカ。
メモ書きは英語になる。
どうやら練習を見ながらメンバーの特徴などを記してあるらしい。

「Fuku→Yoshi→Ayaya 3○ Fuku→Ichi→Ayaya 3× って何?」
「あややは、中の吉澤さんから出てきたボールはスリーポイント打つけど、外を回ってきたボールは打たないんです」
「そっか。言われてみれば、そうかも」

この5対5で吉澤のマークに付いていたのは飯田。
その圧力に耐えかねての外へのパスを松浦が受けてスリーポイント、というパターンは何度かあった。

「圭織、ミカさんも、ゲーム練やるよ」
「はいはい。ミカ、後で見せてね」
「いや、あの」

困惑顔のミカにノートを押し付けて飯田はフロア中央に戻る。

要するに、チーム分析である。
個人の能力についてだけでなく、チームとしての戦術的な部分まで含まれる。
5対5のメンバーが1チームに偏っているから出来ること。
冬にはもう1度対戦する相手なのだ。
それをしっかりと見ておくことはプラスになること。
黙って練習相手状態になっているわけじゃない。
ミカだってしたたかだ。
自分の目の前で5対5をやっているということは、公開練習をしているようなものである。
記録しておいて損はなかった。

間にインターハイを挟んで、このチームの再結集は国体地区予選の1週間前である。
この日は大谷も休まず参加した。
1つの強烈な驚きが、体育館に広がっている。
その驚きを持ち込んだのは大谷だった。

「すごいね」
「どうしたの?」

恐る恐る、周りは聞いてみる。
ふれていいものなのかどうか。

「ん? これ? 夏休みだし、いっかな、と思って」
「夏休みっていっても、すごいよね」

その圧倒的な雰囲気、今までの微妙な距離感、それらがあいまって二の句がつけられない。
そんな空気を読んでか読まずか、松浦が絡んできた。

「すごーい。大谷さん、スーパーサイヤ人みたーい」
「人のこと捕まえてスーパーサイヤ人はないでしょ」
「だって、金髪に染めて逆立てるなんてスーパーサイヤ人そのものじゃないですかー」
「うるさいなー」
「きゃー。刺さる刺さる」
「触るなって。崩れるだろ」

逆立てて固めた髪の先端を、松浦は手のひらに当てる。
周りのメンバーは、大谷相手にそうやってフランクに馴染んでいける松浦が不思議で仕方ない。
うっとうしがって追い払おうとする大谷に、新しいおもちゃを見つけた子犬のように松浦はまとわりついていた。

1週間でチームを作る。
もちろん、5人がいれば試合は出来る。
とは言っても、阿吽の呼吸でパスを通す、というようなことは一朝一夕に出来るものではない。
それをどこまで持って行くか?

さらに、チーム内での選手の温度も違った。
さあいよいよ試合だ、という者と、一仕事終えて帰って来たところの者と。
インターハイで戦ったのは、実際はただの一試合に過ぎない。
とは言え、慣れない遠征の疲れもあれば、虚脱感も感じたりもする。
それらメンバーの状況を見ながら、スタメンを固めていく、というのもなかなか大変な作業だ。

この1週間、調子のよさが見えたのは松浦だった。
インターハイ、すごい舞台だとは思うけれど、1年生の松浦的には苦労してたどり着いたというイメージは無い。
終わってしまえば次が待っている。
気持ちの切り替えはすぐに出来ていた。
それに合わせる福田も悪くない。
普段組むメンバー以外とも合うようにしようと積極的に動く。
保田や市井はいまいちだった。
日を追うごとにコンディションが落ちている。
同じポジションの大谷相手にいいようにやられている。
今は8月、真夏。
体育館で練習をすればするほど、疲れた体はダメージを受けていく。

そんな状態で国体の地区予選は迎えた。
この地区は島根の他、鳥取、岡山、広島、山口と5県ある。
5県で2日間にわたりリーグ戦を行い、上位2チームが国体の本大会へ進む。

中澤コーチが選んだスタメンは、結局、福田、市井、保田、吉澤、飯田。
これがさっぱり機能しない。
初日は岡山県に終盤突き放されて敗れ、山口には大敗。
あやかが飯田に代わった分、戦力アップのはずなのにどう見てもインターハイの時よりも弱くなっている。
モチベーションとかコンディションとかコミュニケーションとか、スポーツはなるほど難しい。

頭を抱えた中澤コーチは、2日目になって保田を松浦に代えて望んだ鳥取戦に何とか勝利する。
この段階でももはや他力に頼らないとどうにもならない島根県。
次の試合、初日に2勝していた岡山が一試合目に続いてここでも広島県に敗れ、地区予選通過のラインが2勝まで降りてきて何とか可能性を繋いだ。
最終戦を残して、山口県が4勝で代表権を獲得、逆に鳥取県は全敗で敗退。
残り1枠が、すでに4試合を終え2勝2敗の岡山県と、1試合残して2勝1敗の広島、1勝2敗の島根で争われる。
最終戦、広島が勝てば出場権獲得。
島根が勝った場合、3チーム2勝2敗で並ぶ。
その時は3チーム間の当該成績で決められるが、岡山に12点差で敗れた島根は、出場権を得るためには勝つだけでなく、16点以上の点差を開けることが必要になった。
逆に、広島は、負けたとしても5点差までなら勝ち抜けとなる。

ただ勝てばよい、というわけにはいかない試合。
高いハードルを課されることになった。

「みんな、きついか?」

首を横に振るもの。
薄く笑うもの。
無表情なもの。
さまざま。

「点が必要やから。40分間とにかく走れ。次々かえていくから、後先考えずにとにかく走れ」

2日で4試合の4試合目。
スタメン組の疲労は極限に達している。
それでも、16点の点差をつけて勝たねばならない。

「スタート、福田、市井、松浦、吉澤、飯田。それと、保田と大谷、あとあやか、すぐ入れるように準備しとけ」

保田とあやかの返事の声がする。
大谷は、一瞬表情を変えただけで、特に返事はしなかった。

フロアにスタメンの5人が上がる。
中央で向かい合うと、平均身長はやや島根の方が高い。
ゲームのオープニングは、飯田がジャンプボールを制し、福田がボールを確保して展開し、松浦がミドルからのジャンプシュートを決めた。

ベンチ横のスペースで、保田、大谷、あやかは軽くアップをしている。
会話を交わすでもなく、それぞれにストレッチやボールハンドリングや。
目線は、戦況をうかがっている。

序盤、5分を過ぎて10−8と2点のリード。
思うように点が伸びない。
中澤が早めのタイムアウトを取った。

「きついと思うけど、前から当たる」

時間はまだまだある。
それでも、はやくある程度の点差が欲しかった。
点を取るための特効薬。
今の中澤に思い浮かぶことは、とにかく前からあたってボールを取りに行くこと。
これ以外に無い。

「あやかは吉澤と交代。上3人はとにかく外からスリー、下2人はとにかくリバウンドを取れ」
「はい」

中澤を囲むタイムアウト時の輪。
その1番外にいた大谷は、2人名前が出て、その中に自分の名前が無いのが分かると、軽く鼻で息をはき、それから相手ベンチをぼんやりと見つめた。

「どんどん替えていくから、ベンチメンバーも体冷やすなよ」

中澤の言葉も、大谷の耳は素通りしていた。

ゲーム再開。
松浦が、タイムアウト後最初のシュートを、スリーポイントで放つが決まらない。
跳ね上がったりバウンドも、中途半端にはじかれて、飯田、あやかのリバウンドの強さを生かしきれず相手に拾われる。
それからも、似たような形で、外から市井、松浦、さらにたまには福田が打っていくが、確率が低すぎる。
前から当たれ、スリーを打て、必要な点差が16点、この3つが、まだまだ試合は始まったばかりだというのに焦りを生む。
焦りがシュートを外し、シュートが入らないので前からも当たれず、ディフェンスリズムも作れない。
1クォーターは、16−18と2点ビハインドを背負った。

「ゆっくりやりませんか?」

ベンチに戻ってきて、福田が開口一番そう言った。

「ゆっくり?」
「焦って外から打つ時間じゃないじゃないですか、まだまだ。普通の試合で16点負けてたとしても、前からあたるようなのって、せいぜい後半になってからじゃないですか?」

冷静になっている福田の言葉。
中澤も、この言葉を聞いて少し考える。
黙って、メンバーを見渡した。
確かに、まだ30分ある。
誰を、どう使うべきか?

「分かった。スリーにこだわるのはやめよう。大谷!」

自分はあまり関係ないか、とベンチの隅に座っていた大谷。
突然呼ばれ、はっとして視線をこちらに向ける。
返事の声は出なかった。

「紗耶香と交代。1対1で引っ掻き回せ。あと、明日香は休憩。ミカ! シュートはいいから、ボール運びしっかりな」
「はい!」

ミカは、大きな声で返事をし、ユニホームの上に着ていたTシャツを脱いだ。

「ディフェンスは変えない。前からプレッシャーかける。プレスっていうほどまでしなくていいけど、ガード陣は楽に運ばせないで。オフェンスは通常で。スリーは打てたら打つ。選択肢の1つで、特にこだわらない」

まだ、確かに頼りないかもしれない。
だけど、大分、中澤の指揮もさまになってきた。
大谷は、中澤の指示を冷たい目で見つめながら聞いたあと、ユニホームの上に着たTシャツを脱いだ。

「大谷さん、よろしく」

Tシャツを脱いだ大谷の前に立つのは松浦。
不敵な顔つきをしている。

「足引っ張るなよ、1年生」
「まかせてください」

両手を腰に当てて胸を張っている。
大谷はその姿を見て、鼻で笑った。

2クォーター。
フロアに上がるのは、ミカ、大谷、松浦、あやか、飯田。
大谷が望んでいた、ミカ、飯田、とのチームである。
開始すぐ、飯田のゴールで同点に追いつくと、前から当たった。

ボールが入ったところへ、ミカと松浦のダブルチーム。
苦し紛れに長いパスが出たのを飯田がカット。
プレスって言うほどまでしないはずだったのに、その場の乗りでダブルチームに突っ込んだ。
このボールをまわしてまわして、最後はミカのスリーポイントが決まった。
シュートはいいから、だったはずのミカによるスリーポイント。
狙ったイメージとは別に試合が流れ出す。

ただ、大谷はいまいちその流れに乗れなかった。
試合前に、中澤が全員使うと言っていたものの、大谷は自分が試合に出る意識が無かった。
ゲームに入れない。
1対1でかき回すのが持ち味なのに、踏み込むことが出来ず、ボールを持ってもつなぐだけになっている。
さらに、ディフェンスでも不用意なファウルを2つ犯していた。

それでも、この5人のチームとしてのバランスはよかった。
スタメンの5人の前からのプレスは、かなり楽にかわされていたのに、この5人はよく網にボールをかけている。
ディフェンスで流れを作って、松浦、飯田あたりがゴールを決める。
練習期間の短い選抜チーム。
前から当たるプレスのディフェンスなんて、本格的には練習していなかった。
しかし、前から当たられるのを想定して、ボール運びする練習をスタメンチームにはさせた。
その練習台になるのが控えの5人。
スタメン用の練習が、控え、特にその中でもガード陣に生きている。
前半は、41−31と十点リードで終えた。

飯田、12点、松浦10点、福田6点、ミカ5点、吉澤4点、あやか2点、保田2点
市井と大谷は1点も取れていない。

「あいたら、もっと勝負でいいんじゃないですか?」

ハーフタイム、ベンチに1人で座る大谷にミカが声をかけてきた。
大谷は、隣に座ったミカをチラッと見たが、それだけでなにも答えない。

「あと6点ですよあと6点。あと6点でインターハイですよ」
「インターハイじゃないから。国体」

ハワイ出身のミカ。
いまいち、日本の大会のシステムが分かっていない。
そんなミカのボケに、思わず大谷も口を開いて突っ込んだ。
でも、インターハイって英語じゃないのか? と疑問も浮かんだがそこまでは聞かない。

「ちょっとつきあって」

足元のボールを拾い立ち上がる。
ベンチ裏、少し空いているスペースで、大谷はミカを相手に対面パスをする。

「なあ」
「はい?」
「主役になるってどんな気分かなあ?」

前後の脈絡無く、唐突に大谷が切り出した。

「主役?」
「ん? いや、別に」

それぞれのチームの中では主役級。
だけど、大会では、飯田たちや、保田たちのチームに対する脇役。
この選抜チームの中でも、控えになっている脇役。
口に出して言ってみてから、何を言ってるんだ? と自分の言葉をうやむやにごまかす。

「あと6点ですね」

大谷の言葉と関係なく、目の前の試合だけを見ているミカ。
パスを交換しながら、少しあきれた顔をしつつも、大谷も笑顔を見せた。

後半、大谷やミカはまたベンチに下がる。
福田、松浦、保田、吉澤、飯田。
市井と松浦が逆なこと以外は従来のスタメン組。
さすがに力はあるのだが、スタメンで試合に出続けてきた分、ハーフタイムなどで多少休んではいても疲労の色が濃い。
松浦、さらに飯田の足が止まる。
3クォーター、8点リードと点差を明けられないまま5分を過ぎて、大谷とあやかが投入された。

「ボール持ったらどんどん勝負で」

入ってきた大谷に保田が声をかける。
2人は視線を合わせたが、大谷は答えなかった。

マイボール。
保田がサイドから入れて、福田がキープする。
松浦が下がって、外から打てるのが福田1枚だけ。
広島チームのディフェンスが大分うちに引きこもっている。
そこに、大谷がファーストタッチのボールを持って切れ込んだ。
1人かわして、2人目に立ちはだかれ、前後を囲まれる。
わずかなスペースから吉澤にバウンドパスを送った。
拾い上げた吉澤がフリーのゴール下、簡単決める。
戻り際、吉澤が右手をだすので、大谷は目線は合わせないまでも軽く吉澤の手をはたいた。

点差は広がらず詰められず。
結局12点差で最終クォーターへ進む。
12点勝ってはいるが、これでは勝ちではない。
両チーム負け。
スタンドで見ている岡山が勝ちあがる。

「もっと足動かさないと」

福田のつぶやき。
誰に言うでもなく、ベンチに座ってつぶやく。
誰に言うでも無くても、ミーティングの輪の中心は福田。
メンバーに声は届く。
視線を集めてから声を張った。

「2日で4試合目なのは向こうも同じです。主力がインターハイにでて戻ってきて間が無いのも向こうも同じです」

ベンチに座って視線は床に。
誰に言うでもなく、自分に言うでもなく。
それでも、全員に伝わるように。

「あと十分。足を止めた方が負けやな。両方とまったら、スタンドの上にいるやつらが勝ちか?」
「しつこく、しつこくついていこう。フリーで打たせない。ボール取ったら切り替えはやく」

中澤、飯田、と続けて指示を出す。
保田は、言葉をはさめずに黙って聞いていた。

最終クォーターは、ターンオーバーの多い展開になった。
どちらも点がほしい。
どちらも負けている意識でいる。
焦りという面と、疲れという面と、どちらも効いてきてシュートセレクションが雑になっている。
ファウルもかさんだ。
松浦がファウル3つ、飯田も3つ、福田ですら足より手が出て3つのファウル。
さらに、大谷と保田は4つファウルを犯していた。

残り7分、12点差変わらずの状況で松浦に代えてまた大谷を投入。
ファウルが4つなことは、中澤の頭から消えている。

ボールを持ったらとにかく切れ込む。
幸か不幸か、前の試合まで出番がほどんど無かったので、今1番元気かもしれない。
やるしかない、そう腹を決めれば強気でいける。
自分のチームのときの果敢さが大谷にも戻ってきた。
単純かもしれないが、とにかくかき回す。
かき回して、自分で点が取れれば最高、ダメでも、崩れて空いたところへボールを落とす。
まわりは、保田、吉澤、飯田、得点力は自分のチームの比ではない。
相手もばててきて、そのかきまわしがさらに有効になってきた。

残り5分、残り4分、時計が時を刻む。
3分三十七秒、15点差で相手タイムアウトになった。

「5点負けてるくらいの意識でいよう」

中澤の最初の一言。
後1点で国体の切符がつかめるところにいる。

「点差広げられなくても、我慢しよう。我慢してればむこうあきらめるから」

経験豊富なキャプテン飯田の言葉にまわりはうなづく。
後1点がポイントなのはこっちだけ。
向こうは十点必要なのだ。
このまま時間が過ぎていけばあきらめムードになってくるはず。

「このメンバーのまま行けるとこまで行くで」

勝負どころ。
スタメンとは少し違うが、流れがいいこのメンバーで押し切りたい。

「大谷さん」

ミカがタオルを差し出す。
受け取って、顔をぬぐい、乱れた髪を後ろでまとめる。

「スーパーサイヤ人みたいです」

真顔のミカ。
大谷は思わずふきだした。

「日本のマンガ知ってるのかよ」

ふっと笑ってタオルをミカに投げ返すと、フロアに戻った。

相手のエンドからゲームが再開。
体力は、お互い限界近い。
それでも、必死に足を動かした。
福田と保田がダブルチームで相手ガードにつく。
苦しくなって出てきた横パスを、大谷が飛びついて拾った。
そのままゴール下までドリブルで持ち込んでシュートを決める。
ついに、この試合初めて目標の16点を超える点差をつけた。

「ディフェンス! ディフェンス!」

後は守りきれば勝ち抜け。
そういう意識が生まれる。
しかし、まだ3分以上あった。
サッカーではないのだから、この長い時間をゼロに抑えるという発想は間違っている。

でも、意識は生まれた。
前からのあたりを突破されてのディフェンス。
とにかく守りたい。
シュートを打たせないイメージで二十四秒使い切らせ、苦し紛れのシュートのリバウンドを拾った。
ただ、速攻は出ない。
守ったことでほっと一息。
ゆっくり上がり、ボールをまわす。
切れ込んでいかずにボールをまわす。
中の吉澤から外の大谷へ。
このゆるいパスがさらわれた。
相手に1人で持ち上がられ、慌てて大谷が追う。
体半分追いつけず、相手のランシューに無理やり飛び込んだ。
当然ファウル。
ゴールまで決められて最悪の形、しかも、ファイブファウルで退場になった。

相手ともつれるように倒れ、そのまま座り込んで主審のファウルの宣告を聞いていた。
退場か、とただ思った。
ファウルを取られたのは仕方の無い場面。
ただ、ファウルをするならゴールまで決まれれてはいけなかった。
保田が手を差し伸べる。
その手をつかみ立ち上がった。
何も言わずにベンチに向かう。
代わりに松浦が入ってきた。

「1年。まけんなよ」
「後は任せて下さい」

大谷の方から右手を出す。
松浦がその手をしっかりと握ると大谷は松浦の背中を2度ぽんぽんと叩き、フロアに送り出した。

「明日香ちゃん」

代わって入る最初の場面は相手フリースロー。
リバウンドに入らない松浦は、同じくリバウンドに入らない福田に声をかける。

「ボール運びフォローしようか?」
「大丈夫」
「疲れてるんでしょ? たぶん、ホントは明日香ちゃんが1番」
「そんなこと言ってられる状況じゃないでしょ」
「私は大分休んでるし、余裕あるから運ぶって」
「松」

ずっと相手のシューターの方を見ていた福田。
ようやく松浦の方を見た。

「松が空いてたら松に送る。どっちにもマークがいたら自分で持って行く。いつもと一緒。別に変わったことする必要ない。分かる?」
「分かった。残り2分四十九秒、持つの? 体力」
「余計なおしゃべりしてなければ大丈夫」

それだけいやみが言えれば大丈夫そうだ、と松浦はうっすら微笑んで離れて行く。
福田は、誰が松浦をあややと名づけようと、変わらずに松と呼んだ。

残りの3分。
結果的に点差は少しづつ開いていった。
モチベーションの違い。
フリースローまで決められて14点差にされたものの、あと2点国体の出場権を得られる島根。
それに対して、相手は3分で十点詰めなくてはいけない。
4クォーターに入って点差が拡がり流れが島根に来ている状況では、シュートセレクションも無理めになっていくのは仕方の無いところ。
残り1分を切る頃にはファウルをして時計を止めてフリースローが落ちるのを待つ、という形に行くしかなくなっていた。
そのフリースローを飯田や松浦が確実に決めて行く。
終了直前には23点まで点差が開き、最後に吉澤がゴール下の1対1で競り勝ってさらに2点加えて試合を終えた。

喜びを爆発させるというよりは、ようやくほっとできる、そんな勝利だった。
福田、松浦、保田、吉澤、飯田。
最終的にフロアの上にいた5人は、軽くハイタッチをかわしながらベンチに戻ってくる。
うれしいはうれしいけど、まあほっとしたし、それより疲れた。
そんな面持ち。
それぞれに笑顔を見せながら戻ってくる。

迎えるベンチ。
勝利の喜びはあり、それなりに盛り上がっては迎えるが、特別感はない。
市立松江、飯田、主力のメンバーは、インターハイや選抜などで、全国レベルの大会の土をすでに踏んでいる。
勝ってよかった、それ以上の感慨はそれほど無い。
ただ、試合途中、ベンチに下がらずを得なかった1人だけは違った。
大谷が、ベンチに座って泣いていた。

自分の高校が、それほど強くないのは分かっていた。
3年生、残す大会は冬の選抜大会へ向けた予選だけ。
飯田のいる出雲南陵や、吉澤たち市立松江に、自分たちが勝って代表になれるとは、あきらめてはいないけれど、どうしても思えなかった。
全国レベルの舞台に立ったことは無い。
これが唯一のチャンスだった。
ここで泣くのは意識が低いということなのかもしれない。
だけど、こらえられなかった。

周りが驚いている。
当然だろう、大谷本人が1番驚いているのだから。
やばい、これはかなりかっこ悪いぞ、と冷静に頭で思っていて状況が分かっているのに、涙が止まらない。

「大谷さん、せっかくだから胴上げとかします?」
「うるさいよ」

ミカの言葉に、恥ずかしくなって涙をぬぐった。

2勝2敗で3チーム並んで得失点差での国体切符。
ぱっとしない成績ではあるものの、このチームでの最初の目標は達した。
あと2ヶ月、本大会までこの選抜チームでの練習も続く。

 

北海道は夏が終わるのが早い。
北海道は夏休みが終わるのも早い。
まだ、8月も大分日にちが残る頃。
その、2学期が始まるタイミングで、新しい顧問の先生がやってきた。

「石黒彩です。よろしく」

体育館での対面。
必要最小限の簡単な挨拶だった。
ここの卒業生らしい、という情報だけは入っている。

「しばらく自分たちだけで練習してたみたいなんで、今日はその最近のやり方での練習をしてみて。私は何も口挟まないから。私がメニューとか全部決めるのは明日から」

ちょっと戸惑いつつも、先生様がそうおっしゃるならと、前日までと同じようにりんねが練習を仕切る。
ただ、コーチのことはどうしても気になって、少々やりづらい。
常にコーチの目を気にしながらの練習になったが、公約どおりこの日は一言も口を挟んでこなかった。
口を挟まないことは本当に徹底していて、最後のミーティングさえも、今までと同じようにやって、とだけ言って、感想も何も語らなかった。

「あれどう思う?」

観察するのはコーチの側だけじゃない。
初対面なら選手の側もコーチを観察する。
寮に戻れば、当然話題はそこに行く。

「鼻ピ」
「鼻ピアス」
「鼻ピ」
「それしかないのかよ!」

笑いながら突っ込みたくもなる。
藤本にしても、第一印象は確かにそれだったのだから。
高校生をコーチする立場の人間が、鼻にピアスは結構衝撃的だったりする。

「なんか、自由にやらせてくれるのかなあ、って感じはしたよね」
「まいもピアス開けてみる?」
「ピアスはいいかなあ? 髪はちょっと、茶色入れてみたいんだけど」
「まいは地でちょっと茶色入ってるからいいじゃーん」
「そうそう。それ以上大人っぽくなるの禁止」
「あさみが言うと切ないねー」
「うるさいよ」

怒る、ところまでは行かず、あさみは苦笑いを浮かべる。
ベッドに横になっている里田を床にあぐらをかいて座るあさみは見上げる形。
世の中不公平だ、と思わなくもないが、まいは嫌いじゃない。

「でも実際、ミーティングでまで何も言わないと思わなかったな」
「明日がちょっと怖いよね」
「自由なのはいいんだけどさあ。私とかは、もっと教えてもらわないと、美貴とかレギュラーメンバーに全然追いつけないんだけど」

それぞれに自分の立場があって、それぞれに望むものは違う。

「まあ、やっと先生来てくれてよかったんじゃない?」
「りんねさんが仕切るの、私は好きだったけどなあ」
「あさみはそう言うけどさ、りんねさんはきつかったと思うよ。いろんなこと全部自分で考えて決めなくちゃいけなくて、その上、元々前に出て行くような人じゃなくて後ろで支えるタイプだったのに、私たちのこと引っ張っていかなくちゃいけなくなったんだからさあ」
「美貴のいうことはわかるけどー」
「けど?」 
「いいよ、分かったよ」
「なぜすねる・・・」

ここしばらくは、全てをりんねが統率してきた。
先生もいないから練習でも寮でもりんねが本当のトップ。
それは大変だろうとは思うけれど、あさみにとっては過ごしやすかった。
りんねさんが言う事ならばなんでもきける。
新しく来たコーチ、というものはまだこの初日の時点ではチームにとって異質な存在である。
それと比べれば、りんねさんの方がずっといい。
そんなようなことを頭に浮かべたけれど言葉にはしなかった。
チームとして強くなること、ではなくて、過ごしやすい毎日が先行した自分の発想が2人と比べてちょっと子供だな、とかそんなことまで思うと、素直に振舞えなかった。

翌日、まだ授業はしっかりと始まらないので午後は練習に全て使える。
2日目だけど、最初の挨拶の形で練習前に石黒が語った。

「えー、今日からは私が指揮を取るから。よろしく。で、最初に言っておきたいことは。私はさ、今までのレギュラーとか、そういうの、知らないわけよ。だから、もう1回まっさらなところからチーム作ることになるから。今までスタメンだった者。いままでベンチに入れなかった者。全部忘れなさい。今日からもう1回チームを作る。メニューも、すこし今までと違うのかもしれないけど、まあ、それはやってればおいおい慣れるから。ああ、あともう1個。自分の頭で考えるように。分かった?」
「はい!」
「よし、じゃあランニングから」
「はい!」

コーチが入ることによって、高校体育会の雰囲気が完全に戻ってくる。
返事は、「はい」、全員でそろえて。
何かが変わる。
期待感と不安感が入り混じった感情をそれぞれに持ちながら、練習が始まった。

ランニング、フットワーク、ボールハンドリング、対面パス、3角パス、スクエアパス。
ボールを扱う基本的な練習の後、ツーメン、スリーメンと走る練習を入れる。
この辺は、従来のこのチームのこの時期の練習メニューをそのまま引き継いだ。
次、3対2のところ。
メニュー的には今までと同じなのだけど、途中で突然笛が鳴って練習を止められた。

「集合」
「はい」

なんだかよく分からないけれど、集合、とコーチに言われれば返事をして走って集合する。
いままでは、こういうタイミングで練習を止められることはあまりなかった。

「3対2って何のためにやる練習だ?」

腕を組んで、目の前に並ぶメンバーを見回しながら石黒が言う。
詰問調ではなく、質問調で。
こういう場面で並ばされるのは、たいてい怒られるシチュエーションなので、普通に質問されても、メンバーたちの緊張感は変わらない。

「んー、安倍」
「はい」
「どう思う?」

麻美は、止められた場面でディフェンスをしていた。
自分が当てられたということは、自分が何か悪いのだろうか? と当然身構える。

「速攻の練習だと思います」
「速攻の練習ねえ。まあ、そうだろうなあ。安倍はディフェンス当たって、突破をとめた。パス落とさせた後の動きも悪くなかったな。速攻の練習なんだから時間使わせるのはディフェンスとしていい選択だろう。じゃあ、何で3対2なんだ? 2対2でも3対3でも、速攻の練習ってできるんじゃないか?」
「できると思います」

麻美は即答。
先生の言葉が反語っぽいと読み取ったから、よくわからなかったけれど、即答。
体育会の性質でもある。

「できるか。そうか。速攻で上がってみたら2対2だったり3対3だったりする場面もあるだろうしなあ。その場合と3対2の場合、選択肢は同じか違うか? どうだ? 里田」
「違うと思います」
「どう違う?」
「3対2ならアウトナンバーなので、基本的にはシュートに結びつけるようにするべきだけど、2対2や3対3だったら、崩せれば攻めるけど、だめなら味方の上がりを待ちます」
「うん。まあ、そうだろうなあ」

里田は中心メンバーだろうということは練習を見ていてわかっていたが、インサイドの選手なので、この手の質問には答えられないのではないか、と思って聞いたのだが、あっさりと回答が返ってきてしまった。
ちょっと予想外だったので、もう少し話を展開しないといけない。

「ということは、3対2はどうしたらいけないんだ? んーー、木村」
「は、はい」
「はいじゃなくてさ。どうしたらいけないの? どうしたらいいの、でもいいや」
「えっとー、時間を使ってはいけないです」
「理屈としてはそうなるなあ。じゃあ、時間を使ったらどうなる?」
「ディフェンスが戻ってきます」

これはあさみでも即答できる。
時間かけたらディフェンスが戻ってくる。
当たり前すぎるほどに当たり前だ。

「そうだな。まあ、ディフェンスは戻ってくるだろ。よっぽど試合を投げたチームじゃなければ、速攻で時間かけてたら、ディフェンスは戻ってくる。さっきの3対2。攻め手はシュートまでに何本パスをまわした? 覚えてるか?」

今度は誰かに当てるではなく、言うだけ言って考えさせる。
先ほどの場面を思い出させる。

「5本回してシュート打って、入らなくてリバウンドを取れて、さらに2本回してミドルを決めた。それって、時間かかってないのか?」

メンバー全員黙っているが、これは時間かかってた、とわかっている。
それを考えているというよりは、このコーチは何が言いたいんだろう、というのが今の疑問だ。

「時間かかってるよな。速攻で上がってから5本のパスとかありえないだろ。なあ、藤本」
「はい」
「あれは、試合でありえるシチュエーションか?」
「ありえないと思います」
「何でありえない?」
「試合ならディフェンスが戻ります」
「じゃあ、試合でありえないシチュエーションを練習してるのか?」

そう聞かれると、そこで、「はい」とは答えにくい。
藤本としても黙り込んでしまう。

「なあ、藤本。どうなんだよ」

ここにきて、石黒の言葉のトーンが、質問調から詰問調に変わった。
聞かれている藤本も、そのトーンの変化は敏感に感じ取っている。

「そういうことになるかもしれません」
「かもしれませんってなんだ? かもしれませんって。どっちなんだよ」
「そういうことになると思います」

分かってて聞くなよ、と思う。
ほかのメンバーなら口ごもったかもしれないけれど、藤本は挑戦的な口調で答えた。

「試合でありえないシチュエーションを練習して意味はあるのか?」

誘導尋問で追い詰めていく。
私に聞くなよ、と藤本は思う。
石黒に対する第2印象は、陰険なやなやつかも、という風にこの辺で刷り込まれる。
そうは思いつつ、でも言っていることは理解できてしまうので、相手の求めていそうな回答を、素直ではない口調ながら答えた。

「ないと思います」
「じゃあ、どうしたら意味のある練習になる?」
「3人目のディフェンスが戻ればいいんじゃないですか?」
「そうか。じゃあ、さっきなんで3人目のディフェンスとして入っていかなかった?」

なんでって、そんな決まり無いからだろ、と思うけれど、それは口にはできない。
自分を見つめる石黒の視線を同じ強さで黙って見つめ返す。

「自分は関係ないと思ってボーっと見てただろ」

関係ないと思ってって、実際関係ないし、と言いたいけれど言うわけにはいかず、目で口ほどにものを言ってみる。
同年代のメンバーや先輩くらいならそれでひるむけれど、石黒の貫禄はその程度では揺るがなかった。

「意味の無い練習なんかするなよな。意味が無いと思ったら意味が無いって言えよ。意味が無いって気づいたら、意味が出るように変えていけよ。なあ、藤本」

冷たい表情を保ったまま、だから、何で私にばっかり振るんだよ、と思っている。
最初は次々と指名するメンバーを変えていったのに、詰問調になってから、その責めの対象は藤本固定だ。

「どうすればいい?」
「オフェンスは時間を使わずにシュートまで持っていく」
「あほか。あたりまえだろそんなこと。速攻の練習してるんだから。それを時間を使わせるのがディフェンスだろ。そうなった時どうすればいいんだって聞いてるんだよ」
「多少難しくてもシュートまで行く」
「藤本は試合でもそういう選択をするのか?」
「場合によっては」
「場合ってどんな場合だよ」
「点をとらないといけない場合とか、1対1で実力差がある場合とか」
「まあ、それはそれでいいだろう。そういう時もある。でもそれはそれとして、シュートまで行かないときもあるんじゃないか?」
「場合によっては」

素直に「あります」という言葉は出てこない。
でも、それは確かにあるし、否定はできない。

「そうなった時を考えて、意味のある練習にするにはどうしたらいいんだ?」
「ディフェンスを・・・、ディフェンスを、入れたらいいと思います」
「そうだな。実際の試合なら、時間をかければディフェンスは戻ってくるんだから、それに合わせればいいだろう。それで、具体的にどう動くかは、話し合って決めろ」

ディフェンスを入れると決めても、実際の練習では、並び方がどうとか、シュートまで時間がかかった、という判断をどのタイミングでするかとか、ルールは決めないと出来ない。
そこは石黒は、明確な指示を出さずにメンバーたちに勝手に決めさせた。

練習は、そんな形で時折止められる。
何のために? どうしたらいい? 頭を使え、考えろ。
いつもと同じメニューだったはずが、いつもよりもだいぶ時間をかけて、いつもとは少しづつ違ったものになっていく。
最後の5対5の練習だけは、始める時点からいつもと違った。
いつもはレギュラーメンバーのAチームと、控えメンバーのBチームでのセットオフェンスになるが、ここでは、全メンバーを集めて、背の順で並べ4チームに分けてゲームをさせた。
今年は、インターハイ予選は準々決勝負け。
国体向けの選抜チームはベスト4のチームから選ぶ、という北海道としての方針があるので、このチームは関係ない。
冬の選抜大会は、このチームがまともに戦えば予選程度は難なく通れるはず。
そうなると、幸か不幸か、次の目標となる試合までは4ヶ月ある。
チームの再構成から始めても十分に時間がある、という計算も石黒にはあった。

「すごい疲れた」
「練習量は変わったわけじゃないのにね」
「1つ1つ突っ込まれるから、すごい疲れたよ」

夜、日課のように2年生が集まる。
里田は、疲れた疲れたと繰り返し、自分のベッドに仰向けになった。

「なんか、頭でっかちな感じ。むかつく」
「美貴、ずいぶん狙われてたよね」
「なんで私ばっかり。美貴がプレイしてたところならしょうがないかなって思うけどさ。関係ないところでまで美貴に絡むなよ」
「気に入られたんだよ。きっと」

里田が体を横に向け、ベッドの下に座る藤本のほうをからかうような顔をしてみながら言う。
藤本は、つまらなそうに鼻で笑った。

「石黒先生って、若い頃は美貴みたいな感じだったのかもって思う」

壁に寄りかかってぼんやりとあさみの一言。
あさみは藤本のように何度も発言を求められることは無かったが、それでもいつ自分が的になるかと気が気でなくて、疲労感はたっぷりある。

「美貴みたいな感じって?」
「なんか、ちょっと怖い感じとか」
「はぁ? そんなんで一緒にしないでよ」
「先生の若い頃ってイメージしにくいけど」

あさみの言葉に同意の反応はあまりない。
考え込むようにひざを抱えたあさみを、里田はフォローした。

「先生の若い頃はわかんないけど、美貴がもっと大人っぽくなって、髪もあんな感じにしたら、鼻にピアスあけたりもするかもね」
「ない。絶対無いから」
「口うるさく突っ込むあたりも似てるかも」
「あんなにうるさくない」
「だから気に入られたのかな」
「もうー。一緒にしないでよ」

似てるとはあまり思わないのだが、里田はなんとなくあさみの側について藤本をからかってみたくなった。
ただそれだけなのであるが、藤本としては面白くない。

「ああやって口ばっかりうるさいのはどうせ自分じゃないも出来ないタイプなんじゃないの?」
「それも美貴に似て」
「まい」
「あはは、ごめん」
「むかつくんだけど」
「だって、からかってたら面白くて。ごめん」
「美貴は口だけだって思ってたわけ?」
「だから、そうじゃないってば」

微妙に本気怒りモードが垣間見えたので、里田も少しあせってなだめにかかる。
ベッドから体を起こし、床に座る藤本と同じ位置に降りてきて胡坐をかいて座った。

「頼りにしてるから」
「まいっていつもそうやって調子いいよね」
「そんな、怒らないでよ」
「別に怒ってないし」

不機嫌顔が露骨になって、里田と視線を合わせてもくれない。
里田は困った顔をあさみの方へ向けた。

「私が悪かったよ。美貴と先生が似てるとか言って」
「別にそれが問題なんじゃないの。美貴のことを口だけだって言ったことが問題なわけ」
「やっぱり怒ってるんじゃん」
「分かったよ。もういいよ、別に」

もう1度、里田とあさみは顔を見合す。
もういいというのだから、これ以上引きずらないで別の話題に展開しよう。
と、目と目で通じ合う。
これ以上引っ張ると火に油になることは、これまでの付き合いで分かっていた。

「こんな感じでこれから練習なのかなあ?」

とりあえず、という形であさみが話を振る。
別の話題なようで別な話題になっていないけれど、いきなり遠くまで話を飛ばすのも変だ。
藤本が怒ったポイントだけはずして、同じ場所に戻す。

「あれだけ口挟んでくるんだから、新しいメニューも入れてくるんじゃないの? どうせ」
「でも、先生だってうちの出身なんだから、メニューは打ちの練習がベースになるんじゃないの?」

口調は相変わらずだが藤本もちゃんと次の話題に乗ってくる。
里田はそれでほっとして会話をつなげるが、どうも意見そのものはあまり合わない。

「別に、練習メニューが変わっても変わらなくてもいいけど。新しいことやって強くなるんなら。だけど、美貴ばっかり集中攻撃するのがむかつく」

だから、気に入られたんだよ、と里田は言いたいのだが、それだとまたもとの展開に戻るのでやめた。

「まあそうだけど。でも、言ってることは割と説得力あってさあ。実際美貴も言い負かされてたし」
「だって、美貴関係ないじゃん。7分ゲームで状況設定がなんで無いとか、ガード3人がチームになった3対3はおかしいだろとか言われたって、そりゃそうだけど、何で美貴に言うの? って感じだよ。りんねさんに言うならまだ分かるけどさ」
「ガード3人で3対3は、美貴いたじゃん」
「だって、しょうがないでしょ、並んだ列のタイミングでそうなっちゃったんだから」
「3対3は、私、インサイド3人かぶらないように考えて並んでるけど」
「そんなのインサイドで上に並ぶ人ほとんどいないんだからかぶるわけないし」

3対3の練習は、まずオフェンスを担当し、次にディフェンスを担当し、それから列の後ろに戻って並ぶ、を繰り返していく。
3対3なので列が3箇所あり、そのどの位置に入るかはメンバーの自由だ。
だから、毎回組む相手は違うし、気がついたら同じポジション3人が組むチームになっていた、ということも起きる。

「大体、そんな細かいところじゃなくて、突っ込むならもっと戦術的なところに突っ込んでほしいんだけど」
「戦術的なとこって?」
「ボール持ったらすぐ1on1のまいに、ちゃんとボールを展開しろって言うとかさ」
「なんで。ボール持ったら勝負は当然でしょ」
「1on1の前に展開して崩してから勝負の方が絶対いいって。もう絶対」
「ボール持っても勝負しないフォワードなんて、ディフェンスにしたらそんな楽な存在ないって。勝負するでしょ普通」

里田と藤本が話し始めると少しづつヒートアップしていって、すぐにあさみが中に入れなくなってしまう。
特に、バスケットの中身の話になると、試合に出ていない負い目まで加わるのでどうしてもあさみは聞き役になってしまう。
あまり熱くなって本格的にもめられたら嫌だなあ、とあさみが困っているとノックの音がした。

「はい」
「麻美です。失礼します」
「ああ、洗濯? そっちにあるよ。あと、これもお願い」
「今脱ぐなよ。ここで脱ぐなよ」

里田は着ていたTシャツを脱いで麻美に投げ渡した。

「恥じらいってものが無いのかまいは」
「いいじゃない、別にいつでも見てる格好なんだし。帰りのバス早く乗ったら、まだ冷房効いてなくて汗かいちゃってさ。まあいいかって思ったんだけど、やっぱり微妙に気持ち悪くて」

別にいいとはいいつつも、さすがに下着姿でそのままいるわけにはいかず、カラーボックスに入ったTシャツを引っ張り出した。

「あの」
「なんだよ?」
「美貴さんの洗濯物も」
「はぁ? 美貴のも?」
「はい、今週担当私になったんで」

1年生は自分の指導係についた先輩の洗濯物を洗う。
それだけではなくて、その指導係の上の指導係がいれば、その3年生の分も洗う。
だけど、藤本やあさみのように、人数の関係で指導係を担当しない者もいる。
そういった先輩の分は、1年生それぞれ持ち回りで洗っている。
いままで麻美は、周りの1年生の配慮で藤本の分の担当にはならないようにしていたのだが、もう大丈夫だから、と自分で述べて、ローテーションの中に入った。
それで今日から1週間は藤本分の洗濯物の担当もすることになる。

「鍵渡すから持ってって。部屋戻るの面倒だし」
「あの」
「なんだよ」
「美貴さんのわからないです」
「もうー」

今日初めて担当になったのに、藤本の洗濯物が何に入ってどこに置かれているかなんて分かるわけがない。

「いままいに、バスケットとはどんなものかを説いてるのに」
「なに、そんなたいそうな話だったの?」
「あーもう。2号。洗濯いいから座りな。2号もガードの端くれとしてまいに一言言ってやれ」
「何の話ですか?」

洗濯物を取りに来ただけなはずなのに、妙なところに巻き込まれた。
まともに説明する気のない藤本に代わってTシャツをちゃんと着終えた里田が麻美にこれまでの話を説明する。
麻美は里田の洗濯物を横において座った。

「ボール持ったら勝負するっていう姿勢を見せるのは大事かなって思います」
「ちょっと待ってよ。なんでそこでまいの味方をする」
「私の教育の賜物です」
「まいはバスケの指導はしてないでしょ」
「美貴だってしてないでしょまったく」

麻美も加わって里田と藤本と3人。
輪の中にいながら蚊帳の外の気分であさみは3人の会話を聞いている。
この2人を相手にためらいつつも自分の意見を言える麻美を1年生なのにすごいな、と思った。
そしてそれよりも、仲の悪かったはずの麻美を、会話の中に引き込んで藤本に驚いていた。

「展開して崩してから勝負の方が確率は上がるでしょ」
「崩れるのは展開するだけじゃなくて、勝負されるのが怖いからって部分もあるから。オフェンスが1対1で勝負してこないと分かってれば、ディフェンスは勝手にパスまわしてろって内に引きこもっちゃうんだし」
「それが出来なくなるために、外からスリーを打つんじゃないですか。それが怖いからディフェンスも動かなくちゃいけなくなって隙が出来るから」
「だーからー。別に勝負するなって言ってるんじゃなくて。シュートセレクションをしっかりしろって言うの。美貴だってスリーは打つよ。カットインで切り込んでいくこともある。場合によっては強引にペネトレイトでファウルもらうようなこともあるよ。でも、流れってものがあるでしょ。流れってものが」

とまらない藤本と里田の会話。
そして、それに恐る恐るながらも、所々で加わる麻美。
あさみは、すごいなと黙って聞いている。
3年間繰り返したって結論の出るような話題ではないのだからきっかけがないととまらない。
そのきっかけは、ヒートアップする先輩たちに入っていけなくなってきた麻美が作った。

「あの」
「なに、なんかおかしい?」
「いえ、あの、そろそろ洗濯物」
「洗濯? いいよ、あとで」

と言いつつも藤本も一応時計を見る。
すごく遅い時間でもないけれど、これから洗濯して干して、というプロセスをする人間を束縛し続けるのはかわいそうかな、と感じるくらいにはここに座らせている。
だからといって優しい言葉をかけてやる藤本ではないのだが、里田がとりなした。

「美貴、行ってあげなよ」
「しょうがないなあ」

里田に言われたから仕方ない、という態度を見せつつ藤本が腰を上げた。
麻美は里田の洗濯物を抱えてついていく。

「失礼しました」

麻美はきちんと挨拶をして出て行く。
それが1年生。

藤本の部屋は里田の部屋と同じ階だけど階段を挟んで反対側。
数十秒分の距離はある。
沈黙、というのも気分悪いので藤本が口を開いた。

「なつみさん、どうしてる?」

気になるのはやっぱりそのこと。
室蘭まで行ってから3週間。
戻ってくる気配はない。

「どうなんですかね。連絡とってないからわかんないです」
「家に電話くらいしろよ」
「なんか、あんまり家に電話するのもあれじゃないですか。寮の公衆電話だと、ちょっと話しづらいし。先輩たちもあまり電話してなくないですか?」
「そうだけどさ。なつみさんのことあるんだし」
「そうなんですけど」

とか何とか言っているうちに藤本の部屋につき、ごそごそと取り出した鍵をあけ部屋に入った。

「美貴の洗い物はミッキーの袋に入ってるから」
「ミッキーですか?」
「悪いかよ」
「いえ」

悪くないけど、イメージが・・・、と言えるはずもない。
ミッキーの袋を素直に受け取った。

「まあ、1週間よろしく」
「はい。失礼しました」

麻美は2人分の洗濯物を抱えて部屋を出て行く。

「あー、疲れた」

藤本は自分のベッドに仰向けに転がった。

翌日から、同様に練習は続く。
練習メニューは、結局もともとのものをベースにそれを少しづつアレンジした形。
より実戦に近い状況を選んで、というところがこれまでとの違いである。
練習中、所々止められる場面はやはりあり、やたらと藤本が呼ばれている。

「おまえさあ、集中してる? 1本1本」
「してますよ」
「あれが集中してる顔か? 気づいてないのかもしれないけど、お前、気を抜いてるときの顔、わかりやすいぞ」
「気を抜いてなんかいません。集中してます」
「まあ、いいや。全員に言っとくよ。自分がプレイしてないところでも集中すること。練習だと思って気を抜かないこと。常に試合だと思って練習すること。気の抜けた顔なんか見せるやつはベンチにも入れないから。わかった?」
「はい」

だから、集中してるって言ってるだろ、と訴えたいが、藤本でもそこまで強くは出られない。

1週間、2週間と経過するうちに、最初は全部ばらばらにしてやり直す、と言っていた主力メンバーも固まってきた。
高校レベルだと、実力差が大きくて監督が変わってもスタメンが大きく代わるということはめったにない。
やはり里田やりんねがはずされるはずもなく、散々言われても藤本はガードとしてチームを引っ張る立場にすえられる。
ただ、細かいところは少しづつ違っていたりする。
BとCの間のような扱いだった麻美は、5対5の練習では常にBチームに入れられるようになった。
Bに入れるかどうかの違いというのはとても大きい。
Bチームに入っていれば5対5のときに自分たちよりもうまいAチームを相手に練習ができるが、C以下の扱いだとそのレベルの5対5に参加できない。
同じチームで同じ練習をしているはずなのに、練習量に差が出てしまう。

そしてあさみはCチームに入ることが多くなった。
CチームだとAとBの5対5に呼ばれることはあまりない。
CとDで練習するから、CでもDでもあまりかわらなさそうであるが、高校生の試合のベンチ入りは基本的に15人。
Cチームに入ることは計算上ではその15人までに入ることになる。
実際には、厚みを持たせたいポジションを多く入れたり、1年生優先、あるいは3年生優先、など監督の方針があって簡単には言い切れないが、本人の気持ちとしてはとても大きなこと。
バスケをするために高校に入った、こういうチームのメンバーにとっては、CとかDとか、そんな下のレベルの傍からみたら些細な違いでも、人生の最重要事だったりもする。

そして今度の新しいコーチは、5対5の練習の後の、実戦形式のゲームも、単純にはやらせてくれなかった。

「じゃあ、Bの12点リードで残り7分。Bだけチームファウル3つ。Aのエンドマイボールから開始」
「はい」
「今日は、罰ゲーム入れよう。藤本」
「はい」
「Aが勝てなかったら、おまえのバストの数値公表」
「はぁ? 私? なんで私だけですか?」
「いや、なんとなく」

なんとなく、で自分だけ罰ゲームをさせられてもかなわない。

「おかしいじゃないですか。罰ゲームなら全員に無いと」
「そう言うなら全員でもいいぞ」
「負けたら全員でダッシュ?」
「いや、種類は変えない。バスト公表」
「それってセクハラじゃないですか!」
「女しかいないんだしいいだろ」
「いいわけないじゃないですか!」
「必死だな。そんなに公表したくないか?」

周りのメンバーの微妙な失笑。
そんな雰囲気を藤本は感じ取る。

「別に、別に、そんなんじゃないですけど。セクハラはよくないって言ってるんですよ」
「勝てばいいだろ。勝てば。じゃあ、こうしよう。Bはタイムアウトは使い切ってて、Aはタイムアウトが2つ残ってる。特別に、りんねと藤本。どっちが請求してもいいってことにしよう」
「話すりかえないで下さい!」
「自信ないのか?」
「そうじゃないですけど」
「まあ細かいこと気にするな。減るもんでもないんだし。減るほどないんだし。いいだろ」

あまりの言葉に、藤本は石黒をにらみつける。
言葉が出てこなくなったのを見て、石黒は涼しい顔でまとめた。

「じゃあ、いつものように、往復ダッシュ2本入れてすぐスタートな。B、早くビブスつけろ!」

話を打ち切って石黒は藤本に背中を向けて立ち去ってしまう。
藤本はその背中をにらみつけた。

「ちくしょー・・・」
「やるしかないか」
「どうする? 7分で12点だってよ」

Aチーム、自然と輪が出来る。
りんねが中心に立つけれど、戦術面で全て仕切るわけではない。
そのあたりはガードの藤本が役割を負うことが多い。

「最初からダブルチーム作るくらいの感じで行きますか?」
「それは5分切ってから位でいいんじゃない? 最初は普通で」
「じゃあ、いつものオールコートマンツーで。オフェンスはインサイド中心かな?」
「いいと思うよ。それで」
「よし、行こう」

藤本案にディフェンスは里田が訂正入れて、オフェンスは同意が入って方針が決まる。
りんねに促され、往復ダッシュ2往復走った。

マイボールでスタート。
絶対に負けられない戦いはここにある。

Bチームも前からオールコートで当たってくる。
AもBも関係ない、このチーム全体に浸透している方針だ。
ボールを運ぶ藤本につくのは麻美。
これも意外とうっとうしい。

7分で12点。
AとBの力差があれば十分に逆転可能な範囲である。
安倍がいない今、外からの攻撃力が若干不足気味。
自然、インサイド、特に里田が中心での組み立てになる。

出だしは順調だった。
外でしばらくまわしてからいい位置を確保した里田へ。
ボールを受けた時点でほとんど勝負あり、の形でゴール下からシュートを決める。
ディフェンスはきつく当たって、シュートまで持っていかせず、二十四秒ぎりぎりのあたりで、無理なパスをスティール。
速攻は出せなかったが、ディフェンスは揺さぶる。
ファウルを1つもらってから、今度もハイポストの里田にあわせて1対1。
1人交わしてカバーに来たところでりんねにさばいて0度からのジャンプシュート。
1分と経たずに8点差まで詰める。

しかしながら、ここからが簡単にいかなかった。
Bチームだってざるではない。
2本続けて簡単にやられたら、ディフェンスをしっかりしなくては、という意識は生まれる。
その意識だけでとめられる、というほど単純なものではないが、相手にとってのプレッシャーにはなる。
パスはしっかりと回ったが、シュートに対する圧力が強くなり、点が取れなくなった。

Bのオフェンスも点を取るところまで行かずにターンオーバーでボールを奪われる。
そこから速攻を出そうとするが戻りも悪くなく、3対3の状況でアウトナンバーを作れない。
それでも藤本は無理目ながら1人で突っ込んでシュートまで。
きれいなレイアップを打てるほど麻美を振り切ることが出来ず、ゴール下へ駆け込みざまフックシュートのような腕の使いでシュートを放つが決まらない。
Bチームが攻め上がり、ボールが回されインサイドへ。
そこでりんねが分かりやすいファウルをする。
笛が鳴ってレフリー役の1年生にコールされる前にりんねはコーチに向けてタイムアウト、のサインを送った。

「美貴、慌てない」

通常練習時の練習ゲーム。
ベンチなどあるわけも無いので、自陣フリースローライン付近での立ち話になる。

「別に慌てたわけじゃないですよ」
「速攻は、アウトナンバーになってなかったらセットオフェンスにしましょう」
「そうね。美貴もそれでいい?」

オフェンス側の人数が多い局面をアウトナンバーと言う。
人数が多い分当然有利で、速攻でその場面が出来ればシュートまで持っていくが、2対2や3対3など、人数的に5分な状況なら、セットオフェンスにしよう、というのが里田の意見。
個の力で負ける相手ではないのだから、セットオフェンスでじっくり攻めれば点が取れるはず、という自信がある。
ただ、時間がない、というのが藤本の頭には回っている。
4分7秒残して8点差。
劣勢なのは間違いない。

一方でBチームも逆サイドで立ち話。
石黒コーチはここに首を突っ込んだ。

「安倍」
「はい」
「藤本にファウルしろ」
「え? はい?」

ファウルしろ、といきなり言われても意味がよく分からない。
ゲーム中に、ファウルになってもかまわない、という感覚で動くことはあるが、タイムアウト中に、8点もリードしているにもかかわらずファウルしろ、と言われて、その意味がそれだけで分かるほどの試合経験は麻美にはない。

「ファウルする目的、分かるか?」
「怪我させる?」
「恐ろしいこというやつだな。藤本に怪我させたいのか?」
「そんなことないです」
「じゃあ、ファウルしたら次に何が起こる?」
「フリースロー?」
「さっきフォーファウルにもなったし、そうだな、次ファウルすればフリースローだ」

1つのピリオドの間に、4回ファウルをすると、その次のファウルからはファウルされた相手に2本のフリースローが与えられる。

「藤本がフリースローを2本打つ。 入ると思うか?」
「・・・思います」

少し考えた。
美貴先輩のシュート力は結構ある。
フリースローを打っている場面はあまり見かけないが、入るんじゃないかと麻美は思った。

「速攻出して無理にシュートしてそれが入らないで、先輩にタイムアウトとってもらって、残り時間は4分で8点負けていて、負けたら罰ゲームでバストの値公表、という状況にある藤本がフリースロー入ると思うか?」

そこまで言われて入ると思います、と答える勇気は無いが、かといって入らないと思いますと答える勇気も麻美には無かった。

「まあいいや。入るなら入るであいつのメンタルも大したものだから、チームとしては悪いことじゃない。とにかく藤本にボールが入って上がってきたらファウルでとめろ。決められても文句は言わないから」
「はい」
「それはともかく、オフェンスどうにかしろよな。シュートまで持っていけてないじゃないか。パスをもらえるように動けないやつは試合でなんか使えないぞ」

厳しい一言を残して石黒コーチは去っていく。

ゲーム再開。
Bチームがサイドからボールを入れる。
ボールは、スムーズではないながらも何とか回った。
シュートを意識しないで、まずはパスをもらうことだけ考えよう。
そう、タイムアウト中に決めた影響で、ディフェンスにとってあまり怖くない形ではあるがボールはつなげている。
マークを気にしながらの多少無理目な形ではあるが、シュートまでは持っていった。
ただ、やはり決まらない。
リバウンドはりんねが拾い、外に開いた藤本へ。
速攻は無理とみた藤本は、ボールを持ったまま味方の上がり、ディフェンスの戻りを待つ。
おちついて、あせらない。
自分に言い聞かせながら待つ。
場が落ち着いたところでドリブルで上がっていった。
麻美は抜かれない程度についていき、フロントコートに入ったあたりで手を出した。
わざとらしくないように感じる形を作ってファウル。
藤本にフリースローが与えられる。

Aチームとしては難なくフリースローがもらえてラッキーな形。
藤本も、2号はまだまだだ、などと思いながらフリースローラインに入る。
ボールを受け取り、一呼吸置いてから1本目。
リングに当たりはしたが、そのまま決まる。
7点差。
落ちてきたボールをレフリー役の1年生が拾い藤本に返す。

「藤本、フリースロー大事だぞ。こういうのをしっかり2本決めないと苦しくなるぞ。罰ゲームは車座に集まって部員全員の注目の中での発表だからな」

藤本、受け取ったボールを持って、石黒の方をにらんだ。

「残り3分四十五秒か。こういうところで決められないと流れが悪くなるんだよな。負けたら罰ゲームか。大変だなあ藤本」

うるさい、と思って無視を決め込むが、耳にはしっかり入っている。
2本目、少し長めになってリング奥に当たった。
リバウンド、りんねが手を伸ばすがBチームセンターに奪われる。

Bのオフェンスは、パスはまわせるけれど決定的に崩すところまではいけない。
それでもリードしている側として、最低限必要な時間を使うという形にはなっている。
Aチームに2度ほどファウルをさせた。
その上で、さらに二十四秒いっぱい使って外からシュート。
しかしながら入る気配はまるでなく、リバウンドをりんねが拾った。
セオリーどおり藤本につないでそこから持ち上がろうとすると、今度はすぐに麻美が手を出してファウル。
また、藤本に2本のフリースローが与えられる。

「おまえ、狙ってやってるのか?」

右手をしっぺされるような形で叩かれた藤本。
2度続けてのファウルでさすがに気づく。
麻美は目をそらして答えない。

とにかくフリースローである。
さっきの1本目はフリースローがもらえてラッキー、という気持ちだった。
今度は、自分が狙われている? という疑念を抱えながら。
心理状態がだいぶ違う。
そして、こういう場面で決められないとどんどん苦しくなっていく、という石黒コーチの野次は、野次ではあるが真実でもあって、それを藤本は分かっている。

絶対に決めてやる。
そう思ってスリーポイントを打つと結構入ることも多い。
しかし、絶対に決めてやる、とフリースローを打つと、なぜか入らなくなる。
藤本は1本目は長めに、そして2本目は短めに外した。

点差を詰められない。
ただ救いはBチームの攻撃は抑えているということだった。
点差を広げられる、ということは起きていない。
何とか攻め手がほしいBチームはインサイドで強引に1対1で勝負してきた。
ただ、ボールを受けた時点で優位性がない1対1では、個の力が上のレギュラー組みの方が普通に勝つ。
里田がブロックショットではじき返し、そのルーズボールを藤本が拾った。
速攻狙いで早い攻め上がり、と行こうとしたところでまた麻美のファウル。

「おまえ、いい加減にしろよ!」
「藤本! 黙ってやれ。フリースロー2本もらっておいて文句言うな」

外からコーチが一喝。
それにしても麻美としてはたまったものではない。
後で謝ったほうがいいのか、でも、罰ゲーム後に謝ったら殺されちゃうかもとか、こちらもいろいろ考える。
一方で藤本としてはイライラが頂点に達しつつあった。
仮に罰ゲームなんかがないような試合でも、仮に大きくリードしているような公式戦であっても、何度も自分が狙われてわざとファウルをされるというのはいらつくもの。
その上で今回はいろいろなものが付随している。

フリースローというのは、流れの中のシュートと違って、いろいろと考える間がある。
狙われているなら絶対決めてやる。
2号のやつ後でしめてやる。
はずしたらまずいんだよ。
負けられないんだよ。
はずしたら・・・。
負けたら・・・。

また、2本はずした。

残り時間は3分を切った。
点差は7点。
Bチームは組織として崩すことが出来ない。
ノーマークを作ることが出来ないので仕方なく1対1に頼ることになる。
いろいろと考えながらも麻美が冷静だった。
今の美貴さんになら勝てるかも、とボールを受けて切れ込んでいく。
藤本、抜き去られることはなかったが、ついていくのがやっと。
ゴール下まで駆け込んでの麻美のランニングシュートに体ごとぶつけるような形になった。
豪快にファウル。
公式戦だったら、アンスポーツマンライクファウル、と呼ばれる、お前卑怯者、みたいな単語のファウルになるところだったが、部内の練習ゲームだったのでただのファウルを取られた。
ここでりんねがタイムアウトを取る。

「落ち着きなさい!」

まずりんねが一喝。
日常生活では怒鳴りつけるようなことはまずないが、ゲーム中にテンションが上がればこういうこともある。

「落ち着いてますよ!」
「どう見てもぱにくってるでしょ!」

藤本、返す言葉がない。
自分がおかしな状態であることはなんとなく分かっている。

「負けたら困るのは美貴だけじゃないのよ! しっかりしなさい!」

りんねも、そちらの方の自信はあまりなかった。

「すいません」
「美貴。麻美も3つだから、さすがにもうやってこないと思うよ」

冷静なのは里田。
里田には、通常の練習ゲームで負けているとき以上に慌てたり困ったりする、という要素は特にない。
3つだからもうやってこない、というのはファウルが5つになると退場なので、わざとファウルが出来るような余裕はせいぜい3回目まで、という意味である。

「とにかく落ち着こう。それからオフェンスはインサイド勝負。いい?」
「面とったらボール入れて。1対1で勝負なら負けないから」
「分かった」

藤本は短く答える。
パスをまわして崩してからシュートまで行くべき、などと言っている場合ではない。

「ディフェンスはスティールまで狙っていきましょう。時間ないしもっとタイトに」
「ターンオーバー取れたら速攻ね。美貴、頼むよ」
「はい」

いろいろな苛立ちを抱えた感情もとにかく押さえつける。
余計なことを考えている余裕は無かった。

麻美のフリースローからゲーム再開。
1本目は外したが2本目を決めた。
これでまた8点差。
いい加減に詰めていかないと苦しくなってくる。

ボールを運ぶのはやはり藤本。
今度は里田の言ったとおり麻美はファウルをしてこない。
タイムアウトの間に石黒コーチから、もういい、と指示が出ている。
オフェンスはシンプルな選択をした。
藤本から外に開くフォワードへ。
そこからローポストに面を取った里田へ。
外のディフェンスがはさみに来る前に、単純に1対1。
ターンしてフェイクもいれずにジャンプシュート。
単純だが、スピードもあるし、ディフェンスもいろいろと考えていたのでこれだけで点が取れた。

「ディフェンス! ディフェンス!」

藤本が声を出す。
苛立ちがあるときはとりあえず声を出しておくと少し落ち着ける。
タイムアウト時の確認どおりタイトについた。
Bチームはパス回しに苦しむ。
1つはファウルはとられたが、ともかくシュートまでは持っていかせない。
選択肢が無くなって、ゴール下、里田の裏にいる味方に無理やりパスを送ろうとするが、通らない。
ターンオーバー。
奪ったボールは藤本へ。
ディフェンスの動きがいいときは、ボールを取ったら走るんだ、というイメージもしやすく速攻も出やすい。
2対1の形になり、最後は藤本がランニングシュート、と見せかけて後ろに戻してミドルからジャンプシュートを決めた。

2分を切ったところで4点差。
ここが大事なところ。
このタイミングでもう1度6点差にされると苦しくなる。
そのあたりは、ゲームによく出ているメンバーが主体のAチームはよく分かっていた。
Bチームはやはりパスが回らない。
それでも二十四秒近くまでボールを奪われずにはいたが、結局、外から麻美の、本人も期待していないスリーポイントを打たされる。
大きく跳ね上がったボールは里田が拾った。

流れが傾いてきた。
ボールが確保できないことが目に見えていたのでBチームの戻りが早く速攻は出せないが、あわてることもない。
外でまわしてインサイドで形を作るのを待つ。
トップにいる藤本にボールが戻った場面。
ハイポストにいた里田がローポストに降りてりんねのディフェンスにスクリーン。
それを使って上に上がると見せかけてりんねは逆にゴール下へ。
藤本からすばやいパスが通り、受けたりんねはバックシュートを決めた。

「簡単にやられすぎだろ!」

コーチの声が飛ぶ。

1分30秒で2点差。
十分に射程内と呼べるところまで来た。
あと2回オフェンスのチャンスがあると考えるとほぼ捉えたと言っていい。

この時間帯の2点差はあわてる差ではない。
通常のディフェンスをして普通にとめてオフェンスの番を待つ。
気をつけるべきはファウルで簡単にフリースローを与えてしまうこと。
もう少し点差があれば、ファウルで時間をとめてフリースローが外れるのを信じる、という戦術があるのだが、点差がない場合はそれが逆になる。
ところが、この、ファウルをしないように、というのはそれを強く意識するとディフェンスがどうしても甘めになってしまう部分がある。

ここ二三分、あれだけパス回しに苦労していたBチームが、すんなりボールを展開できるようになった。
ボールが動けばディフェンスが振られる。
ディフェンスが振られればフリーも出来やすい。
外2人を回って、ボールをローポストでりんねを背負うBチームのセンターへ。
外から藤本がプレッシャーをかけにいくが、センターは勝負ではなくて外の麻美に返す。
正面から来たボール、藤本は自分から離れていて、ここは四十五度の位置、スリーポイントラインの外。
これ以上ないというような条件でボールを受けた麻美は、間髪無くスリーポイントを放ち、見事に決めて見せた。

残り1分十秒で再び5点差。
藤本、天を仰ぐ。

「すばらしい。ナイッシューナイッシュー」

石黒コーチが拍手。
鮮やか、という言葉が適切な展開での得点は、外から見ていても気持ちのよいもの。
また、控えメンバーになりそうなBチームでも、こういう鮮やかな展開をしてくれたのもコーチとしては嬉しかった。
Bチームだって、ただのかませ犬役ではない。

そして、この時間帯でのスリーポイントのダメージは計り知れなかった。
1分30秒での2点差ならば、まったくあわてる必要の無いもの。
1分十秒での5点差は、まさに崖っぷちに追い込まれた、というのがふさわしい状況だった。

しかし、藤本たちにもチャンスはある。
これはチーム内のAとBの練習ゲーム。
スタメン候補チームと多分控えになる人たちチームの試合だ。
自分たちの方が実力は上のはずだ、という感覚自体は、たとえ追い込まれていても変わらない。
また、1分十秒を残して現在マイボール。
この時間帯なら、まだ確実に2回の攻撃チャンスが残っている。
その2回で5点を取り、ディフェンスでとめきることが出来れば追いつける。

藤本がそういった状況をどこまで頭で考えたかは分からない。
ただ、天を仰ぎはしたが、すぐにエンドからのボールを受けるために動いたことは確かだ。
絶望はしていない。

ボールを受けて1人で持ち上がった。
麻美は藤本についてはいるが、手は出してこない。
簡単にさばかせないようにはするけれど、無駄にファウルでフリースローは与えないぞ、という姿勢。
フロントコートまで上がった藤本はスローダウンして、外に開く味方にパスを落とす。
そしてそれからすぐにパスアンドラン。
ゴール下に駆け込むがパスは入ってこない。
インサイドにいる里田あるいはりんねを壁に使って、麻美が引っかかるようにしながら外に切れていく。
すれ違うとき、藤本は里田に視線を送ると、里田は小さくうなずいた。
ボールは、外−中−外−中、とつながれる。
里田で勝負しようか、という意思が見えるが、Bチームもそれは考えている。
普段の試合のチームの得点源であることは誰もが知っているのだから、当然チェックは厳しい。
里田にボールが入ると外の人間もつぶしに来てはさまれる形になる。
無理をせずに外に戻す、の繰り返し。
勝負はしない。
ビハインドのある立場としては早くシュートまでもって行きたいところだが、里田は焦らなかった。

もう1度里田にボールが入る。
今度は、しっかりとディフェンスを背負っていて、ボールを受けた時点で優位に立っている。
すばやく勝負に行けば、実力差のある控えが相手でもあるし、おそらく勝てたのだが、それはしなかった。
外からもう1人が囲みに来る。
それを待って里田は外にボールを戻した。
受けたのは藤本。
ゴールに対して30度の位置。
あまり得意な場所ではないが麻美は里田を抑えに行ったので一瞬のフリー。
祈るような気持ちでスリーポイントシュートを放った。

きれいにきまる。
そんな映像を頭に描いて打ったが、実際にはリングに当たって跳ね上がる。

「リバウンド!」

藤本はそう叫んだが、落ちてきたボールはたまたまリングを通過した。
まだつきはある。
残り50秒で2点差。

5点差を追いつくには、2点を3回取るか、2回の攻撃のどちらかに3点を入れるかの2択。
もし、このタイミングで2点を取って3点差になっていれば、次の攻撃は残り時間がわずかなので、スリーポイントシュートは強く警戒されるのが見えている。
それをかいくぐってまでスリーポイントを決める自信はなかった。
だから、先に3点がほしかった。
藤本はその意思を、ゴール下に切れ込んだときに里田に視線で伝えている。
里田は普段なら、それでもボールを受けて自分が優位にあれば勝負に行っている。
ゴールを決めてファウルももらってフリースローで3点、というシナリオを里田は持っている。
だけど、今日は藤本の訴えに従った。
里田の正直な感覚。
もし負けても、自分はたいして困らない、でも美貴はかなり困る。
そっちの方面では自信のある里田。
藤本が自分でスリーポイントを打つというのなら、そうさせてやろう、と思った。

Bチームのオフェンス。
パスをつなぎながら確実にフロントコートへ。
1番相手にダメージを与えるのは、時間をぎりぎりまで使って点を取ること。
慌てはしない。
まだ2点のリードはあるし、こちらは負けても失うものはない。
しかしながら、ディフェンスは厳しかった。
ここで点を取られたらほとんど終わりという場面。
ファウルをしてはいけないという意識はあるが、それよりもシュートを打たせないという意識の方が強い。
4点差にされると1度の攻撃では取れない点差にされてしまうのだから当然だ。

Bチームも外でパスをまわすことは出来る。
だけど、中には入れられないし、シュートチャンスもない。
時間をかけて点を取る、とはいかず、時間だけかかって二十四秒オーバータイム。
Aチームのボールとなった。

ボールは取ったが、二十四秒は良し悪し。
残り時間は二十六秒まで経過している。
ここのオフェンスで得点が取れなければ、キープされて逃げ切られる危険が強い。
藤本は1人でドリブルで持ち上がる。
右に開いたフォワードにパスを落とし、自分は逆サイドに降りる。
ボールは藤本と入れ替わりに上に上がったセカンドガードに戻した。
インサイド、りんねはハイポスト、里田はゴールに近いローポストに位置どる。
里田は上に上がってりんねのディフェンスにスクリーンをかける、というそぶりを見せて、実際は逆にターンしてゴール裏へ。
ボールは上から藤本に送られる。
藤本は即座に里田へバウンドパスを通す。
ボールにミートして受けて、そのままのステップでターンして即座にジャンプシュート。
裏へ動く前に振られてはずされたディフェンスがチェックに飛ぶが、その手はボールではなくて手へ当たる。
ボールはバックボードにあたり、里田のイメージどおりにゴールが決まった。
笛も鳴る。
バスケットカウントワンスロー。
ファウルももらった里田はフリースローを1本打つ権利も得る。
残り14秒、ようやく同点。
藤本、里田に歩み寄り力を込めて両手でハイタッチを交わす。

「残り14秒」
「残り14秒」
「入っても入らなくてもディフェンスね」
「リバウンドしっかり入って、取られても速い展開させないように」
「シュートは打たせない方針で」
「OK」

ファウルで止まったわずかな時間。
5人で集まって円陣を組む。
残り時間の確認、意思統一。
簡単に済ませて散る。

負けたら罰ゲーム。
現在は同点。
負けなければいい、という意味ではフリースローが入っても入らなくてもいいといえばいいが、練習にもかかわらず、延長もありのルール。
ずるずると先に延ばされるのは藤本の心臓に悪い。

フリースローラインには里田。
藤本は麻美にしっかりと張り付く。
側にいられるのを嫌って麻美は動くが、藤本は離れない。
審判役の1年生からボールを受け取り里田は2度3度とボールを弾ませてからシュートを放った。
センター陣がリバウンドに入るが、ボールはしっかりとリングに入る。
ここに来てAチーム1点リード。

「ディフェンス! ピックアップ!」

藤本が叫ぶ。
エンドからボールは麻美へ。
藤本は正対する。
自分の方が劣っている自覚のある麻美はパスでつなごうとするが、出しどころがない。
しかたなくドリブルで上がっていくが藤本は振り切れない。
フロントコートまで上がれず、藤本の圧力に負けてボールを持ってしまう。

「止まった! 止まった!」

バックコートでドリブルをとめたらダブルチームでつぶす。
1対2の状況にされても麻美はピボットで耐えるが、まだパスの出しどころが見つからない。
ボールを下げたところを藤本に叩かれた。
残り7秒。
点々とするルーズボール。
麻美と藤本が同時に飛び込む。
先にボールに触れたのは麻美だったが、それを藤本が力ずくで剥ぎ取った。
一瞬なのでフェルドボールにはならないし、直接ボールなのでファウルでもない。
奪い取った反動でコートに倒れこむが足だけは動かさない。
トラベリングにはしない。

残り4秒。
1番近くにいた味方は里田だった。
倒れたままパスを渡して立ち上がる。
Bのディフェンスが2人追いついて里田を囲む。
里田のスタイルでは勝負するにはこの位置はゴールから遠すぎる。
何とかキープ。
立ち上がった藤本に戻した。

残り2秒。
麻美が藤本に立ちふさがる。
ボールを取れれば最高、ファウルになっても時間が止まればよし、という意思でボールを取りに来るが、それをバックターンで避けて、ボールどころか体にも触らせない。
目の前にあるのは無人のゴールだけ。
その状態で笛がなり、藤本は流れでランニングシュートを決めた。

最後のシュートはノーカウント。
しかし、大勢に影響はなく、Aチームの1点差勝ち。
罰ゲームは無しである。
藤本は、シュートを決めてそのまま壁際までゆっくりと駆け抜けると、そのまましゃがみこみ、壁にもたれかかった。
そして、大きくため息を1つ。
そこに、石黒コーチが歩いてきた。

「やればできるじゃないか」
「勝ちましたよ。文句ありますか?」 
「よかったよ。最後のディフェンスなんかは。勝ち越してほっとするかと思ったけど、最後まで集中してて」

藤本は答えない。
1年生が持ってきたドリンクボトルをつかみ、口に持っていく。

「でもな、最後のあれ。安倍から叩いてボール取ったやつ。ファウルになってたらどうするつもりだったんだ?」

そう言われて藤本、さーっと血の気が引いた。
ファウルをとられたら麻美に2本のフリースロー。
もちろん入らないかもしれないが、もし2本決められたら・・・。

「気合い入れればいいってもんじゃないんだよ。集中してたからファウルにせずにボールが取れたって解釈もあるけど。まあ、勝ち方っていうのもちゃんと考えろってことだな」

それだけ言って石黒コーチは去っていった。

「CとD。さっき言ったメンバー。早く準備しろ。2クォーター3分過ぎ。チームファウル1つづつで同点な」

壁に寄りかかる藤本は、ドリンクボトルをもう1度口へ持っていく。
何はともあれ勝つには勝った。
里田が歩み寄ってくる。
まだ練習中、これから控えクラスの選手たちのゲーム練習。
座っているわけにはいかない。
里だが手を伸ばすので、それにつかまって立ち上がる。

「何とか勝ったね」
「当然でしょ」
「途中はどうなるかと思ったけど」
「最後に勝てばいいのよ勝てば」

そう答えながら、藤本は、負けなくてよかったと心底思っていた。

 

吉澤たちは、インターハイから戻ってきて1週間で新たな目標に向かう必要に迫られて四苦八苦していたが、それよりも厳しい状況にあるチームもある。
インターハイで優勝し、地元に戻って1日休養日を取ってからわずか5日後。
関東地区の国体予選が行われていた。

ただ吉澤たち島根県チームと比べて楽な部分もある。
神奈川県チームは選抜チームではなくて富ヶ岡高校の単独チームとして編成されている。
新たにチームを作り直す必要がないという面では大分楽ではある。
とはいえ、気持ちの切り替えは容易ではない。
1回戦で負けたチームとは違う。
こちらはインターハイという大きな舞台で優勝してきたチームなのだ。
大きな達成感を得た直後。
当然疲れも出てきて、それを回復するにも用意ではない気温の高いこの季節。
この時期に、地区予選などというレベルの大会に集中して臨め、と高校生に望むのは土台無理という話である。

和田コーチはこの問題に対して、毎年単純な解答を用意していた。
インターハイの控えメンバーを中心に据える。
たとえ優勝していても、控えメンバーに疲れは少ないし、達成感が無いわけではないがもっと試合に出たいという思いの方が強い。
そして、ベンチに置かれれば、試合に出たいという欲求もスタメン組みにある程度戻ってくることにもなる。
展開しだいでは当然スタメン組みの出番もあった。

関東大会は8都県が参加して2つの出場枠を争う。
トーナメント戦なので、2勝すればいい計算となる。
控えメンバーが中心とは言え、出場権が得られないなどとははなから思っていない。

実際には、1回戦はスタメン組みの出番はなく山梨県相手に100点ゲームの圧勝で通過した。
2回戦の相手は東京か茨城の勝ったほう。
スタンドからその試合を見ていた和田コーチは、東京が上がってきたら高橋はスタメンから使おう、などと思っていたのだが、最終クォーター十点リードから逆転負けして東京は消えてしまう。
東京チームの7番を背負っていた145cmのガードが終盤にファイブファウルで退場してしまったのがその大きな要因の1つであったのだが、そのシーンで高橋が手を叩いて喜んでいたのが、和田コーチとしては少々気に入らなかった。

その茨城相手の2回戦は、85−60で勝つ。
前半てこずって、高橋を投入するが、相手の突破を止められずにファウルを連発する。
昨日の7番のファウルアウトを笑えないな、と和田コーチに嫌味を飛ばされた高橋は返す言葉もない。
結局、平家と柴田も投入して相手の得点力のある選手を抑えることで後半押し切った。

決勝は千葉県が相手。
簡単に勝てる相手ではないのでここは高橋小川という、まだまだ鍛えないといけない1年生と、絶対的に得点力のある石川をスタメンから入れていく。
小川は2試合ベンチから見ていた分元気だし、高橋はマッチアップの相手が2回戦と比べて大分楽になった分調子よくゲームをコントロールしている。
それに対して精彩を欠いていたのが石川だった。
ディフェンスで止められないのはまだしかたないかな、と和田コーチは見ている。
ただ、オフェンスまでうまくいかない、というのはイメージしていなかった。
ここ数日の練習でも調子を落としているのは分かっていた。
それでも試合になればオフェンスだけは大丈夫だろうと思っていたのだがうまくいかない。
止められる、というよりはそれ以前にボールが手につかないといったところが見える。
仕方なく石川は下げ、代わりに柴田と平家を投入することでスタメン組みを4人にして、主導権を握る。
最終的には75−63
この時期の試合は勝てれば十分、という部分はあるが、あまりすっきりした勝ち方ではなかった。

国体本戦は十月にある。
それまで、一息つけるという表現は少しおかしいが、組み立てなおすだけの時間はある。
調子が落ちていても、それくらい時間があれば戻ってくるだろうと、長年コーチをしていれば待っていられる。
しかしながら、隣で見ている友人としては、待っていられない。
一緒にいる時間は練習のときだけではないのだ。
バスケの調子の悪さが日常生活での暗さにつながるのがこの人の性格。
そのどんより具合に引き込まれたらたまったものではない。

「梨華ちゃんさあ、なんでそんなに分かりやすいの?」

場所はいつもの駅前マック。
8月後半は北海道とは違って関東ではまだ夏休みの時間。
日中に練習が行われるので、授業のある時期よりは大分寄り道がしやすい。

「なに? なにが?」
「なにがって。見たまんまでしょ」
「見たまんまって?」
「だから、1から十まで何からなにまで全部暗いところ」
「そんなことないよ」
「そんなことあるよ」

オレンジジュースのカップをテーブルに置き、柴田は向かい合って座る石川に顔を近づける。
石川は正面のそんな柴田に視線は合わせずに、テーブルに載せたアイスティーを両手で持ちながらうつむいていた。

「もう、はっきりしないんだからー」

石川が目を合わせてくれないので、深く座りなおしてポテトに手を伸ばす。
3本まとめて口に持っていく。
石川は両手で抱えていたアイスティーから手を離すと口を開いた。

「なんで柴ちゃんて、そんな何でも分かっちゃうの?」
「なんでって、梨華ちゃんが分かりやすすぎるだけでしょ」
「そんなことないよ」
「そんなことあるよ」

柴田はオレンジジュースに手を伸ばす。
こんな調子じゃ自分のポテトだけ先になくなちゃうなあ、などとのんきに思っていたりもする。

「決勝でひどい出来だったのがそんなに気になるの?」

遠まわしに聞いていっても無駄だ、と思っているので単刀直入に柴田は聞いた。
石川は、またアイスティーを手にとって右手でストローをいじっている。
ストローで、中の氷をかき混ぜつつ答えた。

「ひどい出来っていうか、うん、なんだろう」
「出来のいい悪いじゃなくて、実力で負けたとかそういうこと?」
「それも無くは無いけど。でも、私だって自分が1番うまいとか思ってるわけじゃないし」

そう答えられてみると、柴田もそこが1番の問題なわけでもないのかなあ、と思う。
何かで負けるとすぐ落ち込むのは確かだけど、長くは引っ張らないように感じている。
落ち込んだ後、次は勝つ! と過剰に頑張りだす、というのが柴田から見た石川のイメージである。
今回もそのパターンで、押さえ込まれた試合が試合だけに、いつもより落ち込み時期が長くて、そろそろアドレナリン過剰期に移行する頃かな、というのが最初の感覚だったのだけど、そうでないとすると何なのだろう。
とりあえずポテトに手を伸ばす。
減ってきたので1本だけつまんだ。

「柴ちゃんは結構抑えてたよね」
「決勝? 7番?」
「うん」
「まさか梨華ちゃん、自分が止められたことじゃなくて、7番止められなかったことで落ち込んでるの?」
「そうじゃないの。そうじゃないのよ。私だって、自分がディフェンス下手なの分かってるもん。止められなかったら落ち込むは落ち込むけどさ。でも、あれだけうまい子は私にはちょっと手に負えないの分かってるもん」

ディフェンスで止められずに落ち込むのだったら、常日頃から落ち込んでいてもらわないと困る。
でも、とにかくなんだかもやもやした何かで落ち込んでいる、というのは確からしい。
柴田は、石川がなにやら考え込み始めたので、もやもやを自分でまとめてるのだろうと、黙って待った。
ポテトに手を伸ばす。
オレンジジュースに手を伸ばす。
何かハンバーガー類もつけとけばよかったなあ、などと思いながら店内を見渡すと、九月からは月見バーガー発売などというポスターが張ってある。
2学期入ったら食べに来なくちゃいけないな、なんて思っていると石川が口を開いた。

「私のせいで負けちゃうって思った」
「梨華ちゃんのせいで?」
「うん。最後は勝ったけど、でも、負けたら私のせいだって思ってた」

準決勝までは一試合平均20点以上取っていた石川。
それが決勝では4点しか取れなかった。
ディフェンスでも、マッチアップを変えてもらうまでは是永にいいようにやられている。
確かにあの試合で負けていたら、戦犯は石川、ということになったかもしれない。

「最初はね、何とかしなきゃ何とかしなきゃって思ってた。だけど、途中から、どうにもならないって分かっちゃったんだよね。私じゃどうにも出来ない。ボールも受けられないんだもん。それで、全体的にパスの周りも悪くなっちゃったでしょ。常に1箇所パスコースが無いのと同じだから、スムーズに回らなくて。最後はなんとか高橋なんかが頑張って勝てたからよかったけど」
「そんなこといってもしょうがないんじゃない? あの子うまかったもん。私ついてからも結局20点近く取られたんじゃないかな。前半梨華ちゃんが取られた以上にやられたと思うよ」
「そんなの後半の勝負どころの方があの子に余計ボール集まったからってだけだもん」
「そうかもしれないけどさあ」

なんて言葉をつないだらいいのだろう。
止めることが出来なくて悔しい、止められてショック、という流れは柴田にもよく分かる。
だけど、落ち込んでいる原因はそこじゃなくはないけど、それだけじゃないと言う。
柴田にも、石川の心の中がいまいち見えてこない。
大体この子は自分を否定する要素を探すのが得意すぎる、とこういう展開になったときにいつも思う。
無意識に柴田はポテトに手を伸ばした。

「負けたら私のせいだ、負けたら私のせいだ、って後半はずっと思ってた。どうにかしなきゃいけないんだろうけど、どうにも出来なくて。それで、怖かった」
「怖かった?」
「うん。怖かったんだ。自分のせいで負けるのが怖かった」

そういうことか。
と柴田はようやく石川の心情を理解する。
視線は少し下に落として何度と無くうなづく。

「柴ちゃんは、そういうことってなかった?」
「そういうことって、自分のせいで負けるのが怖いって?」
「うん」
「うーん・・・」

首をひねる。
高校に入ってからは1度も試合で負けたことはない。
中学のときはチームのエースだった。
それほど強くなかったから負けることはよくあった。
そんな昔をいろいろと思い出す。

「負けたら私のせいだ、負けたら私のせいだ、って後半はずっと思ってた。どうにかしなきゃいけないんだろうけど、どうにも出来なくて。それで、怖かった」
「怖かった?」
「うん。怖かったんだ。自分のせいで負けるのが怖かった」

そういうことか。
と柴田はようやく石川の心情を理解する。
視線は少し下に落として何度と無くうなづく。

「柴ちゃんは、そういうことってなかった?」
「そういうことって、自分のせいで負けるのが怖いって?」
「うん」
「うーん・・・」

首をひねる。
高校に入ってからは1度も試合で負けたことはない。
中学のときはチームのエースだった。
それほど強くなかったから負けることはよくあった。
そんな昔をいろいろと思い出す。

「でも、確かに、よく考えてみると、自分のせいで負けるかもしれないっていうのは怖いよね。そこまで考えたこと無かったけど」

このチームは、柴田や石川が入学してから1度も負けたことがない。
そんなチームが負ける、というのは他のどのチームが試合で負けることよりも重いこと。
その負けを、自分のせいで引き起こすということを考えるのは確かに恐ろしいことではある。

「この間もね、試合に出て思った。こんな地区大会で、もし自分のせいで負けちゃったらどうしようって。1本目、最初のシュートがさ、高橋がいいパス送ってくれて、ノーマークだったのに外しちゃって。どうしようって。レギュラーメンバーで出てるのは3人だけで、高橋も小川も1年生だから私がしっかりしなきゃいけないのに。だめだ、こんなんじゃ私のせいで負けちゃうかもって。実際には負けるずいぶん前に代えられちゃったから大丈夫だったけど」

こんな地区大会、とは言うものの関東大会の決勝は簡単な場所ではない。
国体の出場権は勝っても負けてもすでに得られている、という状況だったので、相手もメンバーを落としていたせいもあり、最終的に問題は無かったが、実際には普通に戦っても手ごわい相手ではある。

「自分のせいで負けるかもしれないって思うとさ、練習でちょっと失敗するだけでも怖くて。こんなんじゃだめだって。それで、試合に出るのも怖くて」

そんなことを四六時中考えていれば暗くもなる。
それは分かったけれど、何を言ってあげれば良いのかは柴田には分からない。

「柴ちゃんみたいに何でも出来ればいいんだけどなあ」
「なにわけのわかんないこと言ってるのよ」

この子は本当に自分のすごさが分かってない、と柴田は思う。
柴田に言わせれば自分は器用貧乏のたぐいで、これだけは他人に負けない、というものが無いから、主役になりきれないんだ、と悩んでいるのに。
柴田にとっては石川の性格面でもプレイの面でも、突き抜けた偏り方はちょっとした憧れなのだ。
石川になりたいとは思わないけれど、ほんの少し、石川の持っている1面が自分にもあればな、とはいつも思う。
そんなことを言っても多分理解できないだろう、と柴田はため息を深くつく。
なんとなくポテトに手を伸ばしたら、指に硬いものしか当たらない。
意識してパックを覗き込んでみたら空だった。

「何でも出来るようになりたかったら努力しなさい」

とりあえずそう言っておく。
自分が何でも出来る、わけではないと思うけれど。
石川は何を答えるでもなくうつむきつつ、テーブルのアイスティーに手を伸ばす。

「梨華ちゃん食べないんならもらうよ」
「あっ、だめ」
「いいじゃん、たくさんあるんだから」

自分のポテトが無くなった柴田は問答無用で石川のポテトに手を伸ばす。
ダメと言われても2本取って口に持っていく。
石川も、ダメと言いつつも、自分の方を向いていたポテトの箱の口を、向かい合う2人で取りやすいように置きなおした。

「梨華ちゃん、夏休みなにかあった?」
「何かって?」
「高校生、夏の思い出、みたいなの」

話題を変える。
試合に出るのが怖い、というのは柴田にもどうにもしてあげられないと思う。
しかたないから、しばらくは石川の暗さにも付き合ってやろうかな、と思った。
どうせ梨華ちゃんの場合、時間が解決するに決まっている、と決め付けている。

「今年の夏は四国に行きました」
「それ試合でしょ」
「今年の夏は群馬にも行きました」
「それも試合じゃない」
「他に何があるって言うのよー!」
「まあ、そっか」

夏休みも後しばらくで終わる。
柴田が石川に向かって夏休みの思い出を聞くことがまず間違っている。
顔をあわせない日など1日も無かったのだから。
柴田あゆみ17歳の夏、すべての思い出は石川とともに。
結局この子と付き合っていくしかないんだろうな、なんて思いつつ、黙ってポテトに手を伸ばす。

日の長いこの季節でも、外は大分暗くなっている。
授業のある時期の練習終わりよりはまだ早い時間だけど、遊びなれていない2人がどこかへこれから行くような時間でもない。
柴田に取られてから石川も手を伸ばすようになったのでポテトの減りは早くなり、あっという間になくなった。

「帰りますか」

柴田がトレイを持って立ち上がる。
石川は、自分のアイスティーだけ持って後に続いた。
片付けて階段を下りて外へ。

「あーもうー、外暑いー」
「暑いね」
「でも体育館よりましか」
「そうだね」

柴田の言葉に適切な受け答えだけ。
いつもの元気な石川なら勝手に話題を広げてしゃべりだすけれど、そうはならない。
でも、笑顔は見せている。 

「おなか空いた。ご飯なにかなあ」

オレンジジュースとポテトMは、練習で消費したエネルギーのどれくらいを補ってくれるものなのだろう。
家に帰れば普通のご飯が待っている。
駅前の信号を渡り、階段を上り、自動改札を通ってホームへ。
2人は駅から逆方向。
先に柴田の乗る電車がやってきた。

「じゃあ、また明日ね」
「また明日」

明日も練習、明後日も練習。
来週には2学期が始まって、それからは授業と練習。
多分毎日、柴田は石川と顔をあわせる。
また明日ね、の挨拶は毎日続く。

電車に乗り、空席が見つけられなかった柴田は、ドア横に立ち外を見つめながら、今日の晩御飯なんだろうな、と考えていた。

石川が落ち込もうが練習は続く。
夏休みが終わり、2学期になる。
生活リズムは、夏休みペースから授業ありペースに変わっていく。

「ちょっとー、石川さん、ノックしてくださいよ。それにさっさと閉めて」

女子バスケ部室。
ドアが開いていれば中まで見えてしまう。
普段はノックして、中で着替えていた場合は死角になる場所に移動してからドアを開けるのだけど、石川はいきなりドアを開け、しかも閉めることすらしなかった。
着替えの真っ最中の小川、困る。
でも、外に男子はたまたまいなかった。

「いいからちょっとどいて」
「ぜんぜんいいからじゃないから。今度梨華ちゃん着替えてるときドア開けて出てくからね」

柴田の声もまるで無視。
石川は1冊の雑誌と、なにやら紙の束とセロハンテープを抱えている。
紙の束から1枚を取り出し、壁に貼った。

「何貼ってるのよ」
「是永美記ちゃん」
「はぁ?」
「中村の7番じゃないですか」
「そうよ。美記ちゃん」

美記ちゃんってなんだ美記ちゃんて、と誰もが思うが、突っ込む前にとりあえず壁に貼られたポスターらしき紙を見る。

「これなに? 月バス?」
「うん。そのコピー」

今日発売日のバスケ雑誌。
それをわざわざカラーコピーをとったらしい。
石川は同じものを別の壁に貼ろうとしている。
7番をつけた是永が、ドリブルで切れ込んでいくシーンが映っていた。

「これ、抜かれてるの石川さんじゃ・・・」
「いいの」
「写真はいいから月バスの方ちょっと貸してよ」

石川は口では答えずに雑誌を持った手を伸ばしたので、柴田はそれを取った。
今月号は、先月のインターハイの結果が特集されている。
優勝校は見開き2ページ、右に男子、左に女子がユニホームを着たベンチ入りメンバー全員の集合写真を掲載されている。
まずは自分たちの映りをチェック。
納得したらページをめくる。
次のページからは各試合の戦評。
当然、決勝が1番大きく紙面を占めるが、インターハイは全試合、1回戦で大差のついた試合でも、短い評論はつけられる。

「決勝は、高橋のおかげで勝ったことにされてるのな」

雑誌を持っているのは柴田。
それをみなで取り囲んでみている。
口を開いたのは後ろから覗き込んだ形の平家。
高橋は照れた笑みを浮かべている。

「確かに、あそこで外が打てなかったらひっくり返されてたかもしれないですからねえ」

最終クォーター、是永へのディフェンスにかかりっきりでオフェンスまで頭が回らなかった柴田が振り返る。
決勝の戦評はさすがに詳しく載っている。
前半のロースコアな展開、是永の攻守での大車輪の活躍、富ヶ岡のエースの不発、ディフェンスのチェンジ、終盤の追い上げ、そして、最後の突き放し。
中村学院のボックスディフェンスが抑えられたのは、ある時間帯はインサイドだけ、ある時間帯はアウトサイドだけ。
このバランスをとって、両方を同時に抑えることが出来れば、冬の大会は逆の結果になるかもしれない。
そう、締めくくられている。

「オフェンスもそうだけど、あの7番をある程度止められないと、どうしても苦しくなるんだよな」
「そうなんですけどねえ」

是永を止める、その担当になることはありえないので少々他人事な平家と、実際に当たってみてこれはかなわないと実感した柴田。
そして2人、顔を上げると石川は紙をまだ貼っている。

「全部貼るのか? それ」
「半分は私の部屋に貼ります」
「何枚あるんだよ」
「30枚」
「貼りすぎでしょ!」

平家と石川の会話、最後は柴田が突っ込んだ。
部室は部員全員のものだ。
そこに、なぜ是永、なぜライバルチームのエース・・・。
マイケルジョーダンだの、コービーブライアントだの、あるいは田臥勇太など、そんなポスターが貼ってあるバスケ部室は普通にある。
しかし、なぜ是永・・・。
そんな冷たい視線が石川に集まる。

「1種類じゃないんだな一応」
「3種類十枚づつありますよ」
「ああ、これだ!」

柴田が石川の貼るカラーコピーを見ながらページをめくると、高橋が目ざとく見つけた。
試合の戦評が並んだページの後には大会で目立った選手たちの試合中の表情が映っている。
さらに是永は、大会最優秀選手ということで単独インタビュー記事まで載っていた。
石川が貼っているのは、自分が抜かれているシーン、腰の低いディフェンスで相手を見上げているシーン、そしてインタビューでの笑顔の写真の3種類である。

「なんでそんな貼ろうと思ったの?」
「かっこいいんだもん」
「だったら家でだけ貼ればいいじゃない」
「だめ」
「なんで?」
「練習前にこの顔は見ないといけないの」
「なんで?」
「少しでも近づけるように」

まじめな声でそう答えるが、紙を貼る手は止めない。
返ってきた答えがそれなりにまっとうなものだったので、柴田も二の句がつけられずにちょっと困った。
そこで声を上げたのが高橋だった。

「臥薪嘗胆やね」
「ガシンショウタン?」

一同ハモル。
聞きなれない言葉が高橋の口から出てきた。

「たきぎのベッドに寝て、吊るしたレバーをなめるんです」
「なにそれ?」
「戦争に負けた昔の王様が、その悔しさを忘れないようにって、たきぎのベッドに寝て、レバーをなめるんです」
「なぜレバー?」
「苦いからやないですか?」
「それでどうなったの?」
「そうやって頑張って、国をまとめて、次の戦争は勝ったそうです」
「おぉー」

意外な4文字熟語を知ってる高橋に驚くと同時に、それなら石川のやってることもありかなあ、という空気が一瞬流れる。
しかし、高橋はそれから続けた。

「だけど、その戦争に勝って、いい暮らしが出来るようになったら、そのいい暮らしをしすぎて、次の戦争に負けて国が滅んだそうです」
「梨華ちゃん、剥がしなさい」
「えーー」

柴田が雑誌を高橋に預け、実力行使で剥がしにかかるが、石川はその柴田の手首をもって止める。
柴田も本気で力づくで剥がそうと思っているわけではないのでけんかにはならないが、剥がしたいのは本音だ。

「愛ちゃん、難しいこと知ってるねえ」
「今日、漢文の授業で習った」

得意気な高橋。
そこに平家が水を差した。

「1年、そろそろ準備しろって」
「あ、はい」

練習前の準備、ボール出し、モップがけ、ビブスも持っていくし、このチームは二十四秒計も練習のたびにセットする。
1年生の準備は楽ではない。
名残惜しげに雑誌を先輩に渡し、1年生は荷物を抱えて出て行く。

「ていうかさあ、梨華ちゃん、この子気にいっちゃったわけ?」

1年生が出て行き、二三年生が残った部室。
石川もさすがにおとなしくなって、紙を貼る手を止め、シューズボックスの上に座っている。

「気に入っちゃったって?」
「美記ちゃんとか言っちゃって。かっこいいとか言うし、目標というより、あきらかになんか気色悪い雰囲気が梨華ちゃんに漂ってるんだけど」
「どういう意味よ」
「意味はいいから。気に入っちゃったの?」
「だって、あんなになにも出来なかったの初めてだったんだもん」

話がつながってるんだかつながってないんだか。
原因と結果の因果関係が柴田には見えないが、ともかく気に入ったのだろう、という理解を柴田はしておくことにした。

「だからって、部室中ポスター貼らなくても」
「いいの。美記ちゃんのこともっと知りたいの」
「意味わかんないんだけど」
「シューティングももちろんするけど、ディフェンスフットワークも練習終わってからやります、とか言ってるし。他にもどんなことしてるのかな」

笑顔のポスターに向かって笑みを浮かべてなにやら言っている石川梨華。
怪しげな図である。
怪しげな姿に、1年半も一緒にいれば見慣れてはいるが、付き合いきれないのは変わらない。

「バカはほっといて、そろそろいくか」
「そうですね」
「もう、バカはないじゃないですか、バカは」
「いいから、石川もそろそろ着替えろよ」
「はーい・・」

少々不満顔は見せながらも、石川は自分のかばんを広げ、着替えの準備を始めた。
平家たちは石川が服を脱ぎ始める前に部室を出て行く。
出て行き際、柴田が振り返って改めて部室を眺めると、もうそこらじゅうが是永美記といった感じだった。

「いいんですか? あれ」
「しょうがないだろ」

柴田のいいんですか? には、もうちょっと何とか言ってくださいよ、という意味も含まれている。
平家は、石川のことをバカとは言ったけれど、はがせとは一言も言わなかった。

「バカがバカなりに考えた結果があれなんでしょ。あれで石川がやる気出すなら安いもんなんじゃないの」
「でも15枚ですよ15枚。貼りすぎですって。こっちがやる気なくしますよ」
「・・・、ちょっと減らすか」
「そうですよ」

力強く柴田がうなづく。
平家は笑いながら言った。

「しかしあいつ、ホント分かりやすいやつだよな」
「ホントですよ」
「馬みたいなもんだ」
「馬?」
「どんなに凹んでても、目の前に目標ぶら下げてやると、鼻息荒くしてそれに向かって走り出す」
「確かに」

柴田はちょっと笑みを漏らした。
是永美記は目の前にぶら下がった目標。
ただ、ニンジンと違って黙ってぶら下がっていないで、本人も走って逃げていくが。
追いつけるかどうかはやってみないとわからない。

「柴田も鼻息荒くして走ってもいいんだぞ」
「なんですかそれ」
「柴田だって納得はいってないんだろ。決勝」
「そりゃあ、まあ」
「石川ほど分かりやすく突っ走ること無いけど、たまには感情を表に出して頑張るみたいなさあ」
「まるで冷酷な女みたいじゃないですか、それじゃ私」
「いや、柴田は石川よりはしっかりしてるから、どうしても石川をサポートする感じになっちゃうんだろうけど、別に逆でもいいじゃんか。たまには、柴田のサポートを石川にさせたって。柴田が前に出たってさ」

よりは、という条件をつける単語が入っているのが少々気になるが、平家さんの言っていることは確かにそうかもしれない、と柴田は思う。
石川が前で柴田が後ろ、そういう順列がついたのはいつからだろう。
なんとなく、平家の言葉に柴田はなにも答えられなかった。

「別に中村の7番に限ったことじゃないけど、石川だろうが柴田だろうが、他の誰かだろうが、止めてくれればチームとしては誰だっていいんだから」

扉が開け放たれている体育館。
中に入って隅に転がっているボールを拾い上げた平家は、横にいる柴田の頭にぐりぐりと押し付ける。
その圧力に顔を背けつつり、柴田は両手でボールをつかみとる。
平家は、薄い笑みを見せて柴田の元を離れていった。
いつもの自分の定位置にタオルをかけて、その場に座りストレッチを始める。
柴田はボールを持ったまま体育館全体を眺めていた。

「私が前にか・・・」

ぼんやりと考えていた。

数日後、石川の貼った雑誌コピーの特製是永美記ポスターは、強圧的説得を受けて、各種1枚づつの計3枚だけが残されて、残りはすべてはがされた。 

長期の休み明け、人によっては様変わりして、周りから突っ込みを受けるような生徒もいるが、毎日顔を合わせていたバスケ部員ではそうはいかない。
ただ、生活リズムは代わるし、周りの雰囲気も変わったりするし、これから秋のイベントモードに入っていく時期だったりするし、その影響が出たりもする。

「あれ、高橋どうしたの?」
「私もいいですか? お昼」
「ん? いいよいいよ」

九月も半分くらいが過ぎたころ。
お昼休み。
石川と柴田は南館の屋上でお弁当を食べる。
クラスの普通の友達がいないわけではないけれど、2人はお昼休みもシューティングだけはしているので、周りと一緒にゆっくりは食べていられない。
そこに、食堂の購買でパンを買ってきた高橋がやってきた。

「めずらしいねえ。どうしたの?」
「んー、私もシューティングとかしようかなーって思って」
「えらい。それでこそ私の弟子である」
「梨華ちゃん、いつから弟子を持つほどえらくなったのよ」
「半年前から」

半年前、高橋たちが入学してきた頃。
本気で言っているっぽいぞ、と柴田は感じる。
実際、石川さんに憧れてます宣言が入部当時からされていたわけだから間違いではないのかもしれない。
柴田さんに憧れています宣言もあったはずなのに、と柴田は思うと、それ以上突っ込むことが出来なかった。

屋上には誰がそろえたか、いすも机も、教室に置かれているのと同種のものがいくつかある。
教室のように整然と並んでいるわけではなくて、適当においてある、という感じなので、高橋は近くのいすを持ってきて、向き合って座る2人の横側に座った。

「いいなあ、お弁当」
「高橋も自分で作ってきたら?」
「あたし、出来んです、料理」
「1人暮らししてるんだから覚えなさいよー」
「梨華ちゃんが人に言えることじゃないと思うけど」
「いいの。私のことは」

料理についてあれこれ言えるほどの腕前は、3人とも誰も持っていない。
石川や柴田のお弁当だって、当然のように本人ではなくて母親が作ったものである。
富ヶ岡の女子バスケ部の朝は早い。
それに向けてお弁当を準備する家は実際大変ではある。

石川柴田高橋、という3人で食事をするのは初めてのことだ。
石川柴田、高橋石川、という並びは珍しくも無いが、柴田と高橋は、それほど親しいという言葉が似合うほどの付き合いはない。
実際に話してみると、この子もよくしゃべるは、と柴田は思った。
石川と柴田でいると、無駄話のときは7−3で石川のがよくしゃべる。
高橋もその石川と同じような割合でよくしゃべる。
その上、石川と違って、テンポが速いときにはなに言ってるか聞き取りにくくて突っ込みも合いの手も入れにくい。
気がついたら柴田はほとんど聞き役になっていた。

お昼は早々に食べ終えて部室で着替えて体育館へ。
富ヶ岡の体育館は、バスケットコートが3面取れるだけの十分な広さがある。
このうち、1面が、いつの頃からか暗黙の了解として、お昼休みでも女子バスケ部が占有できることになっている。
石川や柴田以外にも、バスケ部員がそれなりに体育館に集まっていた。

バスケ部としての練習ではなくて、いわゆる自主練習。
各自が自分の課題を克服するためであったり、楽しいからであったり、一緒に昼休みを過ごす友達がいないからであったり。
それぞれの理由で、体育館に集まっている。
石川は高橋と一緒にシューティングを始める。
基本的にスリーポイントシュート。
2人でシュートを打ち始めると、自然とどちらが入るか比べ始めるようになる。
柴田もシューティングはシューティングであるが、スリーポイントではなかった。
シュートフェイクを入れて、ワンドリブルついてそれからジャンプシュート。
左に顔フェイクを入れて、右にドリブル、一気に加速して、そこからストップジャンプシュート。
静止状態ではなくて、ワンアクション入れてからのシュート、という形を好んで練習している。
練習の1種ではあるけれど、楽しみとしてやっているという比重がそれぞれ高い。

そんな風に、高橋も石川柴田の屋上ランチ+シューティングというお昼休みの過ごし方に参加するようになった。
お昼休みくらい自分の学年の友達と過ごせばいいのに、と柴田は高橋に対して思ったりする。
でも、高橋は石川とお昼休み終わりにボールをどちらが片付けるかを賭けてシューティングしている。
部としての練習ではないので、1年生片付けておいて、というわけには行かないのだ。

そうしてしばらく過ぎたある日、柴田は屋上ランチは食べたけれど、シューティングには出なかった。
大事な後輩殿からお呼び出しがあった。

「すいません」
「ううん。いいけどさ。どうしたの? 珍しいじゃない」

呼ばれたのは人の多い本館側の屋上。
柴田は屋上から屋上への移動である。

「愛ちゃん、柴田さんたちとお昼食べるようになったんですね」
「え? ああ、うん。私とって言うか、梨華ちゃんとって感じだけど」
「愛ちゃん、何か言ってました?」
「何かって?」

柴田を呼び出したのは小川だった。
何か言ってたか? と聞かれても、柴田には何のことだかさっぱり分からない。
料理は苦手だとか、聖徳太子が好きだとか、多分そういうことではないのだろう。

「いや、あの、なんでお昼柴田さんたちのところに来たのかとか」
「ああ、なんか、高橋もシューティングしたいからとかって」
「ああ、そうですか。そうなんですか」
「なに? どうしたの?」

煮え切らない小川。
柴田の方が不振顔になる。
呼び出しておいて要領を得ないというのはちょっと困る。

「いえ、あの、仲良くやってるんならいいです」
「なに、なんなのよ。はっきりしなさい」
「いえ」
「小川! 呼び出しておいてそれはないでしょ。なんなの! はっきり言いなさい!」

なんで私の周りはこうも突っ込まないといけないキャラばかりなんだ、と柴田は少々嘆きたい。
ともかく、目の前にいるのは、最近どうもはっきりしない態度が増えてきた小川である。

「あの、愛ちゃん、クラスで浮いちゃったみたいで?」
「はぁ?」

少々唐突で驚いた。
そしてそれからちょっと考えてみる。
高橋の性格。
大分偏っているので、周りから浮いてしまうこともありえることのような気もする。
同じ偏っている同士で石川とはちょうど合うのかもしれないとか思う。

「なに? なんかあったの?」
「いや、あの・・・。文化祭あるじゃないですか」
「ああ、あるねえ」
「愛ちゃんのクラス、劇やるんですね」
「うん」
「それで、練習出てないらしいんですよ」
「練習?」

小川の説明はどうもはっきりつながらない。
柴田は首をひねって聞いている。

「文化祭、夜も、練習したりするじゃないですか」
「ああ、やってるとこもあるみたいね」
「でも、愛ちゃん、部活あって。「私部活だから出れん」とか言っちゃって」
「まあ、うん、あの子、練習後も遅くまでシューティングしてるしね」
「それだけならまだしょうがないかもしれないですけど、だったら、役代えようって話になったらしいんですよ。だけど愛ちゃん、役はやるって言い張ったらしくて」

小川と高橋はクラスが違う。
高橋がこんな話を小川にしたわけではないのだが、バスケ部にも高橋と同じクラスの人間はいる。
そこから小川に話が伝わっていた。

「練習しないのに?」
「はい。それでみんな怒っちゃって。なにあの女って感じで。そしたら愛ちゃん、バスケ部なんやからしゃーない、って、また言っちゃって。そんなの言ったら浮いちゃうに決まってるじゃないですか」

富ヶ岡は普通の公立高校である。
いわゆる底辺高でもないし、いわゆる超進学校でもないし、普通の公立高校である。
普通に体育祭があり、普通に文化祭があり、普通に行事がある。
経営者の方針でスポーツに力を入れている私立高校でもないし、行政がモデル高として部活動を促進するために選んだというような学校でもない。
来年には近隣の杉田西高校と合併して単位制高校として生まれ変わらせよう、と決められてしまうような普通の学校なのだ。
そんな学校の中で唯一といえる特徴が女子バスケ部。
これは学校として強化したわけではなくて、和田先生が個人の力で作り上げたチーム。
普通の学校にある全国ナンバーワンのチーム。
当然、少しづつ特別な存在になってはいく。
だけど、周りは普通の学校の普通の生徒なのだ。
文化祭があれば、クラスの一員として何らかの役割を割り振られる。
石川だって柴田だって、それなりの役割がクラスである。
バスケ部大変だもんね、と負担にならないように周りに気を使ってはもらうけれど、バスケ部だからしょうがない、と自分から開き直るようなことはしない。

「あの子そんなこといったの?」
「そうなんですよ」
「ちょっと普通の感覚とずれた子とは思ってたけど・・・」

柴田の感覚からすればありえない発言である。
あきれた、というのが正直な感想だ。
石川あたりなら言ってしまうかも、と思わなくもないが。

「なんか、休み時間とか、話できる子いないから、1人で本読んでるらしいですよ」
「しょうがないな」
「それで、お昼休みはどうしてるのかなってちょっと心配してたんですけど、先輩たちと楽しくやってるなら心配要らないのかなって」
「小川が一緒にいてあげればいいじゃない。心配なら」
「いや、あの。私もクラスの友達とか、いろいろあるし」
「そういえば、練習後すぐ帰るようになったのって、あれ? 文化祭の練習?」
「はい」
「小川も劇やるの?」
「ええ」
「どんな役?」
「主役のエリート社員です」
「主役? なんかそんなイメージ無いんだけど」
「いえ、ホントは、そのエリートの妹でちょい役ですけど」
「なんだ」
「しょうがないじゃないですか。部活あるのにそんな、出番の多い役なんかやるわけいかないじゃないですか」
「そうだよね。普通そうだよね」

柴田にしたって、文化祭は模擬店の売り子の予定である。
準備段階の仕入れとかいろいろな部分はどうしてもなかなか参加しにくい。
そういうのが大変だけど、そこに参加しないと“高校の文化祭”というのを楽しみきれないというのは分かってはいる。
だけど、自分はバスケをやると選んだんだ、と言い聞かせて、クラスの子たちに迷惑をかけないようにするしかなかった。

「それで、小川は私にどうしてほしいのよ」
「愛ちゃんと仲良くしてあげてほしいって言うか」
「仲はいいわよ。別に。変な子だけど私も嫌いじゃないし。梨華ちゃんはああだし」
「なんか、孤独を感じないようにしてあげてほしいなって」
「うーん。別に、私も梨華ちゃんも普通に接するだけだけど。それより、クラスで浮いちゃってることのほうが問題なんじゃないの? そっちどうにかしなさいよ。高橋と同じクラス、いるでしょ。確か。誰だっけ?」
「いや、いるんですけど。それは愛ちゃんが悪いって思ってるみたいで。だから、先輩たちに何とかしてもらえたらなって」

「あのさあ。私たちだって出来ることと出来ないことがあるのよ。シュートがうまくなりたいとかディフェンス頑張りたいとかなら付き合ってあげられる。1人暮らしがさびしいとか言うなら、鍋パーティーとかくらい付き合ってあげたりもしてもいいよ。でも、クラスで浮いてるのとかまではどうにも出来ないよ。お昼休み孤独がいやでシューティングするって言うなら、それも付き合ってあげるけどさあ。クラスでのことまでは無理だって。小川が高橋のこと心配する気持ちは分かるけど。いじめられてるって言うならまだ何かやりようもあると思うよ。でも、浮いちゃってるだけでしょ? 話し聞いてると自業自得な気がするし」 

柴田にしたって友達がとても多いというわけではない。
普通の高校の中の特別なバスケ部の中心選手で、外見的にも魅力がある、となればよってくるクラスメイトは多いが、柴田自身は解放的な性格というわけでもないので、付き合い方は限定されたものになる。
部活の中でも、みんなと比較的仲良くやってはいるが、何があっても友達、と言い切れるとしたらそれはたぶん石川くらいかなと思っている。
でも、まわりに気に触るような言い方をして浮いてしまうようなことはなかった。
友達が多いわけではないから、そういうところは気をつけている。
そんな柴田にとって、高橋みたいな行動は、自業自得のありえないこと、である。

「それは分かるんですけど・・・」
「高橋が自分で何とかするしかないでしょ。大体、梨華ちゃんと違って私と高橋ってそんなに近いわけじゃないよ。私が高橋に、クラスで浮いてるんだって? とか聞いたら、それこそ先輩による嫌味いじめになっちゃうし」

中途半端な距離感の先輩から、浮いてるんだって? と言われる立場というのは、なかなかに痛いものだ。
親しい先輩なら、そこから相談につながるかもしれないが、柴田は、高橋から見た自分は、石川先輩と仲のよいチームメイト、という存在だと感じているので、そういう展開は出来ないと思っている。

「小川が心配するのは分かるけどさ。普通に接するしかないんじゃない? まあ、移動教室で1人で歩いてるのとか見かけたら、声くらいかけてあげることにはするけどさ」

なんで私に相談するかなあ、と疑問に思いつつ、結局柴田は小川の求めているような回答はしてやらなかった。
少々不満な顔はしながらも小川は頭を下げて帰っていく。
小川にしたって、割と無茶を言っているのは自覚していたので、しつこく食い下がりはしなかった。

「石川と一緒にいると、すごい頼れるしっかりした感じに見えるから不思議だよな」

その日の練習前、柴田が平家にこの話をすると、平家はこう答えた。
柴田はなんとも答えにくいという顔をして、つながる言葉を待つ。

「柴田だけで見ると、それほど頼れるって感じは無くて、まあやさしそうかなあってところだけど、石川と並ぶと、しっかりしてそうに見えるんだよ。だからだね。柴田に相談が行く理由は」

なるほど。
普通に柴田も納得してしまう。
柴田自身でも、自分がそれほどしっかりしているとは思っていない。

「でも、文化祭蹴って自主練するっていうのはチームとしては悪いことじゃないしなあ」
「そうとも言えるんですよね」
「どっちかっていうと、高橋より小川の方が練習量は必要なんだけど」
「そうかもしれないですねえ」

最近は全体練習が終わると、すぐに上がっていく小川。
理由が、クラスの文化祭の練習に合流するため、と分かってしまうと、もっと練習していけとはいえなくなってしまう。

「なんで、柴田にしても小川にしても、いい人っぽい方がわがままタイプのサポートになっちゃうのかねえ」

なんとも答えにくく、手に持ったボールを無駄に空中に投げてみたりする柴田であった。

和田コーチがやってきて集合がかかる。
練習前の挨拶、のさらに前にメンバーにシートが回覧された。

「国体の組み合わせが発表になったから」

インターネットで公表された組み合わせをプリントアウトしたものらしい。
部員もそれなりに多いので、それぞれで見られるように4部が渡されて、その組み合わせを中心に4つの輪が出来る。

「福岡は逆サイドか」
「また決勝だね」

福岡=中村学院=是永美記
初戦の相手ではなくてそこしか見ていないのは石川である。
逆サイドということは決勝まで勝ちあがらないと対戦できないが、自分たちも相手もそこまでの過程で負けるとはほとんど思っていない。

「かおりん」

先にメンバーに行き渡らせてから、後ろから覗き込むようにシートを見た平家が声を上げる。

「かおりん?」

かおりん言われても周りのメンバーはいまいち分からない。
平家が解説を加えた。

「私の代で、1番怖いなって思うセンターがかおりんなのよね。飯田圭織でかおりん。ひさしぶりだな」
「ああ、あの飯田さんですか」
「去年のインハイでやりましたっけ?」

1回戦、神奈川県チームの対戦相手は島根県だった。

平家たちにとって、島根県といえばイコールで飯田圭織である。
昨年のインターハイ、2回戦で当たった。
結果は当然平家たち、富ヶ岡が勝っている。
97−53
点差も大分あった。
ただ、飯田には20点以上取られ、大分てこずった記憶はある。
まだ、高橋や小川は中学生で知らない世界。
柴田や石川は1軍半といったところで、スタメンとして定着は仕切っていないころ。
当時2年生の平家はチームの大黒柱とまではいかないが、中心選手として飯田と対峙した。

外から見た世界では、同世代という言葉を使うとき、1つや2つ年が違っても同じ世代という扱いをする。
だけど、高校生にとって同じ世代というのは同じ学年という意味になる。
周りを見渡したとき、同じ学年の選手、というのがどうしても意識の中心に入ってくる。
平家にとってはポジションまで同じ飯田であったり、また、離脱してしまったが安倍であったり。
そういったところがライバル視する存在だった。
その飯田との1年ぶりの対戦になる。
1年前のインターハイ、チームも自分も勝ったとは思っているが、個人として圧倒したとまでは思っていない。

「あのチーム、周りが貧弱でしたよね、確か」
「そういえば、今年のインハイ、予選で負けて出てきてなかったしね」
「でも、国体だから周りもちゃんとしたメンバーで固めてるかもしれないですね」

平家たちにとっては、飯田圭織がまずいて、そのまわりがいる、という意識になる。
石川、インターハイの宿舎で顔をあわせた「愉快な吉澤さん」の記憶が消えているわけではないが、島根県、というチームと吉澤はつながらなかった。

「福田明日香」
「だれ?」
「島根はたぶん、福田明日香がおる」

同じ代の高橋。
上の世代の飯田のことなんか知らないが、自分の代のトップ選手は知っている。
組み合わせ表を見て、先輩たちが飯田を思い浮かべたのと同じように、高橋は福田を思い浮かべた。

「だれそれ?」
「ガードです。どこの高校行ったか知らんけど、中学のときは島根の中学やった」
「うまいの?」
「それなりに」

自分より、とは言わない。
そんなことはチラッと思っても言わない。
上から見てそれなりにうまいと評価してやる、という姿勢をとる。

「かおりんにいいガードがつくとちょっとうるさいかもしれないな」
「そんなことより決勝ですよ。是永美記ちゃん」
「梨華ちゃん、決勝までは3つ勝たないといけないんだからね」
「分かってるって。でも、美記ちゃんが大事なの。今度こそ止めてやるんだから」
「ディフェンスメインなのかよ」

お前がディフェンスはないだろ、というニュアンスで平家が突っ込む。
周りも、石川の口から止めてやる、などという言葉が出てきたので、意外すぎてある種失笑、というような空気も流れた。

「まあ、組み合わせ出たけど、あまり意識しすぎないように。普通に練習するから。柴田の言うように、決勝に残るまでには3つ勝たないといけない。それを甘く見てはいけないけれど、でも、常に、決勝で勝てるレベルを意識して練習すること」
「はい」
「じゃあ、組み合わせはあとで部室にでも張っとけ。ランニングから」

和田コーチが締めていつもどおりの練習が始まる。
意識しすぎるな、と言われても、何かを考えながら動く必要のないランニングの間くらいは、それぞれに飯田であったり是永であったりを頭に浮かべていた。

 

「初戦からとんでもない相手になったもんだ」

組み合わせ表を確認しての中澤の独り言。
国体は各地域の代表16チームで争われる。
インターハイが五十六チームであることを考えれば、初戦からレベルの高い相手に当たる可能性が高いのは理屈としては分かる。
しかしだからといって、これは予想していなかった。

次の代表練習、この組み合わせ表を中澤は全員分印刷して配った。
今は多少の予備知識さえあれば、先生から渡される前にネットで確認することも出来る。
選手たちの半ば以上は、すでに組み合わせを知っていたが、それでも改めて全員そろって確認すると実感も違う。

「初戦から日本一チームとあたらなくてもいいのに」
「いいじゃない。勝ち上がっていかなくても日本一と試合できるなんて最高でしょ」

見方は当然2通り。
前者は吉澤、後者は大谷の言葉。
勝ち上がっていくには厳しい相手になったが、力を試すという意味ではこれ以上ない相手ともいえる。

「まあ、これではっきりいえることは、後のことごちゃごちゃ考えんと、最初の相手だけに集中すればええってことやな」

2回戦以降のことを考える余裕などこの時点でもはやない。
1回戦で日本一のチームに勝てるというのならば、あとはどことやってもそれより力の落ちるチームである。
作戦がどうのこうのはあった方が当然よいが、それがなくたって、力としては勝負が出来ることを証明した後、ということになる。
とにかく初戦。
余計なことを考える必要はない。

「まあ、練習しよか。飯田、よろしく」

練習はキャプテンが仕切る。
中澤も時折口を出すが、基本的には選手に任せている。
このチームは本当に選手とコーチの関係性が対等に近い。
コーチが選手の位置まで降りてきた、というのではなく、ようやく選手の位置まで追いついてきた、という表現の方が近い形ではあるが。

練習後、中澤は飯田と福田を国語教官室に呼んだ。
休日の教官室は他の教員もおらず、職員室ほど無駄に広くないし、進路指導室のような、普段人のいない部屋で感じる冷たさもないし、話をするにはちょうどよい。

「実際どうしたらええと思う?」
「どうしたらって?」
「1回戦。いきなり神奈川やんか。普通にやって勝てる相手やないし。2人の知恵をなんか出してよ」

自分の単独チームなら保田を呼んだところ。
このチームではキャプテンが飯田だから飯田の方を呼んだ。
そして福田はやはりなんと言っても頼りになると思っているし、他の二三年生よりもよほど全国レベルのチームや選手の知識があるので呼んでいる。
ここに保田を呼んでしまうと、2人と自分の知っている世界の違いを変に感じさせてもいけないと思って呼ばなかった。
保田と市井は、別のタイミングでその2人をセットにして話を聞こうと思っている。
バスケの知識はいまいちでも、人生経験は高校生より5割以上長い。
その辺のことには気を使う。
ただし、5割以上であって、2倍以上というと怒られるので注意が必要だ。

「普通にやるしかないんじゃないですか?」

先に口を開いたのは飯田。
福田は最近、1番最初には口を開かなくなった。
「最初に明日香が何か言ってしまうとみんなが考えなくなるから」
そう福田に伝えたのは保田だ。
最初から福田が決めにかかると吉澤が反発するとか、自分の立場もなくなるとか、いろいろとあるにはあるのだが。
それらもひっくるめて、福田に頼り切りはよくないから、という考えで保田にそう言われてから、福田は少し周りの意見を聞いてから口を開くようになった。

「普通で大丈夫なんか?」
「大丈夫とは思わないですけど。いまさら変わったことなんて出来ないじゃないですか。1ヶ月でゾーンディフェンスとかやってみます? 1ヶ月って言っても、毎日練習できるわけじゃないんですよ圭織は」

普通のチームの1ヶ月とは違う。
選抜チームの1ヶ月は、練習回数で言うとせいぜい七八回程度しかない。
それでも、島根県チームは多い方だ。
国体を、選抜チームを重視しないような地域だと、予選にあたる見に国体前から通算して、5〜6回程度で済ませてしまうというところもある。
そういったことまで考えて、勝つために逆に選抜チームではなくて単独チームの編成で出てくるチームもある。

「圭織はずして市松の子だけでやるって言うならいいと思うけど、圭織も試合に出たいな」
「そんなことはせえへんって。圭織がおるとおらんでインサイドはぜんぜん違うやろ」

キャプテンやっていても、飯田にも自分が外様組の1人だという意識がないわけでもない。
個人の能力で負けるとはまったく思わないけど、周りとの連携を言われると外されることがないわけでもないと思っている。
自分が周りにとって扱いにくいということ、ましてや周りを生かすプレイというのが苦手だということを最近はわかってきている。

「明日香はどう思う?」
「ゾーンは別に。飯田さんなら基礎も出来てるから練習すくなくてもやってやれないことはないと思います。でも、通用するとは思えないですけど」
「通用しない?」
「あのチームは4番まで含めて外のプレイヤーみたいなものだから。ボールはどんどん回るはずです。それで外を捨てられるなら問題ないですけど、そんなことはなくて。そうすると動かされて動かされて、崩れたところから打たれるだけです」
「だめか」
「ダメでしょうね。よっぽど準備つめれば別ですけど」

インターハイ決勝で、中村学院がボックスワンというゾーンを敷いて、ある程度抑えることが出来てはいた。
しかしながら、それは、準備期間が違うし、また、石川梨華に対する是永美記というカードがあったから出来たことだ。
このチームに、石川に対するカードが何かあるか、というと少し厳しい。

「国体は、勝つためだけの試合はあまりしたくないって感じがします」
「明日香にしては珍しいこと言うな」
「別に、この選抜チームが好きじゃないとかそういうことじゃないですけど。でも、みんな、この選抜チームのために練習してるわけじゃないじゃないですか。基本は自分のチームがあって、その上でこの選抜があって。もちろん負けてもいい、とかそういうことじゃないですけど。みんな、自分の力を試すチャンス、みたいな位置づけなんじゃないですか?」
「圭織もそう思う。圭ちゃんとかと一緒のチームでやれて楽しいし、このチーム好きだけど。でも、やっぱり自分のチームのが大事かなって。インターハイ出られなくてむかついてたけど、国体で久しぶりに全国出られて、久しぶりにみっちゃんとやれるし。がちがちに戦術組むより、普通に勝負したいって思うな」

選抜チームというのは、ある意味でオールスター的な意味合いがある。
中学の大会で言えば文字通り、全中オールスターなどという呼ばれ方をして、県の代表選手たちが競い合う。
その一方で育成、という意味が本質的にはある。
チームとしては都道府県を勝ち抜く力がなかったけれど、個人としては全国クラスの選手というのは各地にいる。
そういった選手に全国大会の土を踏ませて経験を積ませる。
今回の例で言えば、まさに飯田がその例にあたっている。

「普通になあ」
「普通って言っても、別に何にも考えないでただマンツーって意味じゃないですよ」
「明日香の言うこと難しいんだよ。今度は何?」
「1対1だけが自分の力を試すって言うことじゃなくて、試合の流れの中でどんなことが出来るのかっていうのが自分の力を試すって言うことだから。たとえば、ハーフのマンツーっていうのが最初の約束事でも、流れの中でガードはスリークォーターから当たっていこうとか、そういう判断もあるし」

スリークォーターとは日本語に訳せば4分の3。
1番前からはあたらないけれど、4分の3まで来たらあたっていく、という意味でハーフよりも4分の1ほど前からディフェンスにつくという意味合いになる。
ハーフではなくて4分の3までこられると、ガードとしてはゲームを作ることだけではなくてボールを運ぶ部分にも神経を使うことになるので楽ではなくなる。
ただ、ディフェンス側も体力を消費することになるわけでお互いさまなのであるが。

「結局どうしたらええんよ」
「富ヶ岡ならビデオも手に入るし、そういうのはしっかりと見るけれど、具体的な戦術は変わったことはしない、ってことでいいんじゃないですか? ディフェンスは基本的にハーフのマンツー。オフェンスは、どうしても飯田さん中心になりそうではあるけれど、最初からスリーポイント中心とか偏ったことしないで、個人の判断に任せるって言うことで」
「圭織もそう思う。って言うかそうしたい」
「まあ、そうやなあ。それがええのかもしれんな」

ああやってこうやってこうすれば勝てる、みたいな戦術が自分で組み立てられればこんな相談を選手たちにしないのだが。
そう思って中澤は少し自分がふがいなくなる。
でも、これが現実でその中でやっていくしかないんだろうなあ、と短い間に思った。

「それで2人は向こうのチーム結構知ってるんやろ」
「圭織は試合したことあります。去年のインターハイだからずいぶん前だけど」
「どうやの? 実際」
「みっちゃんすごい」
「みっちゃんって平家さんのことですか?」
「そう。みっちゃん。平家さん。圭織、負けてると思わないんだけど、でも、周りの評価はソロとしてはみっちゃんのが高いみたいで。気に入らないから今度は何とかしてやろうと思ってるんだけど」

中澤、腕を組んで考え込んでしまう。
現状、富ヶ岡のことはインターハイの3回戦を見たことがあるだけ。
自分たちに100点ゲームで勝ったチームをダブルスコアで簡単にひねったという強い印象がある。
それでも飯田のところは個人で勝てるんじゃないかと思っていたのだが、本人の口から負けると思わない、という言葉までで、勝てる、という言葉が出てこないというのが相手の強さを物語っている。

「明日香はどう?」
「私のマッチアップだけなら問題ないと思います。この前見た限りだと、高橋さん? 14番の子、前も試合しましたけど、それほど厳しい相手じゃなかったし。そこから伸びてはいたけど、割とだましやすいタイプだったから、こっちがボール持ってる分には問題ないですね。ただ、常識はずれなところがあるから、ディフェンスするのにはてこずるかもしれないですけど」
「他のところは? 中三人。うちとの比較で言うと」
「・・・。難しいですね」

福田、考え込む。
インターハイのときに見たメンバー。
自分たちのチーム構成。
頭の中で比較する。

「2年生2人。あそこの破壊力はちょっと止められないと思います。ただ、もう1人。15番だったかな、たぶん1年生。あそこは問題ない。松をつければとめられるとおもう。1対1なら、っていう条件付ですけど。あのチームはその前にボール回して崩して1対ゼロを作るから。オフェンスとしてみるなら2年生のうちの石川さんの方、たぶん、吉澤さんにつくと思うけど、そこはザルだから、インサイドでボール入れれば吉澤さんで勝負できる。あとやっぱり15番の1年生。松とあの15番なら松で勝負すれば1対1なら勝てます。ただ、ディフェンスで誰がつくかは向こうが選ぶことだから分からないですけど。どっちにしても、止めるのは大変ですけど、点を取ることなら何とかいけると思います」 

点を取られる覚悟は必要だけど、同じように点を取っていくことは不可能ではない。
そういう解釈になる。
インターハイの県予選決勝で、延長前までのスコアで75点。
そこにプラスして飯田の得点力が加われば・・・。
とは言うものの、相手のディフェンス力は県の決勝レベルではなくて全国大会の決勝レベルである。
それを相手に何点取れるのか。
光明を見出すとしたらそこしかないとはいえ、中澤もいまいち希望が持ちにくい。

「そんな難しい顔しないでくださいよ。圭織がなんとかするから心配しないで大丈夫ですって」
「そうかぁ?」
「前は1人で戦ってみっちゃんに勝てなくて、ソロの力はみっちゃんが上ってことにされちゃったけど、今度は明日香がいるし。大丈夫ですって」
「ホンマ、頼むは」

中澤は懇願するように言った。

とりあえずは資料を集めて検討することはしてみよう、というのがここでの唯一の結論となって解散する。
富が岡のように前年度3冠、というようなチームの資料は集めやすい。
試合のDVDも前年度分は市販品が手に入る。
その上、インターハイ決勝の録画映像も手に入れられた。
この点だけははっきりと相手に対しての優位点だ。
飯田も含めた島根県チームの資料など登録名簿しかないし、中心となる市立松江の記録も、インターハイ1回戦負け以外にめぼしいものがない。
富ヶ岡側は、実質的にデータ無しで島根県に対峙することになる。

そんな、中澤の、そして福田のプランを台無しにする事件が、大会1週間前に起きた。

「あほ! バカ! 能無し! 変態! なんで柔道なんかやるんだよ!」
「しょうがないじゃないですかー。だってー、うち、先祖代々続く柔道の家柄で、家の道場を継ぐためにはー、私がー」
「あほ! 冗談言ってる場合か!」
「痛いじゃないですかー。けが人に暴力反対ですよー」
「せめて剣道を選べ剣道を! キャラに無いのに柔道とかやるな!」

選抜チームが集めれるのは、この人あとは出発の直前練習だけ、というだけのタイミングである。
血相変えて怒っているのが大谷で、松葉杖をついて体育館に現れて怒鳴られているのが松浦だった。

「どうせ、男子と寝技をやりたいからとかいう理由で柔道選んだんだろ!」
「そうなんです。もう、みんな、私の魅力にめろめろで、みんな、私と組みたがるんですよって、そんなわけないでしょ」
「1人ぼけ突っ込みやってる場合か! バカ!」

松浦が松葉杖をついている理由。
体育の授業の柔道で足を払われて、無理に踏ん張って素直に倒れず、浮いた足でもう1度体を支えようとした挙句、足首を負傷。
全治2ヶ月、と言われた。
1週間後の大会には、どうあがいても間に合わない。
練習中の怪我、というようなことなら同情しやすいのだが、体育の授業の柔道などという、キャラにないとおろで怪我をされると文句の1つも言いたくなる。

大谷も、不機嫌極まりない、という表情で文句を言っているが、怪我した当人をこれ以上責めても仕方ないというような気がしないでもないので、苛立ちを抱えつつ松浦の頭をはたいて去っていく。
ボールを拾い上げて、ありえない距離からゴールに向かってシュートを放つ。
ボールはリングに当たって大きく跳ね上がった。

すでに大会1週間前。
よそのチームから新たに代わりの選手を招集する余裕はないし、市松のメンバーから加えるにも、少々力の差がありすぎる。
結局、松浦の登録は外さずに、松葉杖を着いたままベンチに入れることとした。

「ちょっとは慰めてとかもらえるのかなって思ったんだけどなあ」

帰り道、松浦がポツリとこぼす。
隣にいるのは福田だけ。
練習後、1人で黙々とフリースローを打っていた福田を、最後までコートサイドでじっと見ていた松浦が、怪我してるから家まで送って行けと言い出した。
福田は、何わがまま言ってるの? と返したが、部室に戻って着替え終わると、黙って松浦の荷物も自分で持った。
リュックならともかく、肩にかけるタイプのバッグは、松葉杖突きながらでは持ちにくいのだ。

「あれだけ元気振りまいてたら誰も慰める気にもならないでしょ」
「でもさー」
「チームとして迷惑こうむったのは事実だし」

怪我して痛いのは本人だけではないのだ。
大会前に、期待していた選手に怪我なんかされたら、ゲームを組み立てる側の人間としては。自分の方が慰めてもらいたいよ、という気分がないわけでもない。

「松が怪我して、大谷さんなんか試合に出やすくなったのに、それでも怒ってもらえるんだから感謝しなさい」

自分のことだけ考えるならば、松浦が怪我したことで、2番3番のポジションを争う人間が1人減る。
大谷としては、保田と市井と2人のどちらかをはじき出せばいい立場になったのだ。
この2人が常に40分出ずっぱりということはないと想定すると、松浦という存在がいなくなったことで、大谷の試合での出場時間は格段に増える、という計算になる。

「大谷さん、最初はいつもカリカリしてて怖かったのに、変わったよね」
「松のことが気に入ったんでしょ」
「そうかな?」
「そうじゃなきゃ、強引に引っ張って一緒に帰ったりしないでしょ。松だって、悪い気しないから素直につれられて帰ってたくせに」
「あー、明日香ちゃん、嫉妬ですか? 私のこととられちゃったとか思って」
「別に。何バカなこと言ってるの?」

福田の表情は変わらない。
松浦は、福田の横顔を見ながらくすくす笑っている。
2人は、少し無言で歩いた。
いつもは、松浦が一方的にしゃべって福田は適当に相手をしている。
福田が黙っていても、勝手に松浦はしゃべっているのだが、今日の松浦は少しおとなしい。

「2ヶ月だって?」
「え?」
「足」
「うん」

信号待ち。
福田は正面の歩行者信号を見ながら口を開く。
今から2ヶ月。
国体の後まで響く怪我だ。

「松はベンチにいるとうるさいんだよね」
「なにそれ」
「あっちがあいた、走れ、戻れ。指示だかなんだか、いちいち飛んできて、声でかいからやけに耳に入ってくるし。試合に出てフロアにいてくれる方が、うるさくなくてよかったんだけど」
「どういう意味よ」
「中は飯田さん、外は松で、攻め手が2つあれば、相手が富ヶ岡でも結構何とかなるんじゃないかと思ってた。ディフェンスが大変だけど、飯田さんと松で、それぞれ点を取ってくれれば、何とか付いていけて、最後まで勝負になるかもとか、そんなこと考えてた」

信号が変わる。
松葉杖を付いた松浦は、ゆっくりと、1歩1歩渡っていく。
隣を福田は歩く。
右を見て、左を見て。
普段は感じないけれど、松葉杖なんかついてゆっくり歩いていると、歩行者信号が点滅するのは意外と早いし、点滅してるときに目に入る、向こう側から左折しようとしている車のプレッシャーも結構怖い。
福田は、そんな左折車と、松浦を交互に見ながら、松浦にとって盾になる側に立って歩く。
松浦にとって松葉杖体験初日。
まだ、スムーズには歩けない。
歩行者信号は赤になったけれど、なんとか横断歩道を渡りきった。

「松は、まだいろいろな経験が足りてない。だけど、それでも、ある程度通じる力はあったと思うし、その上で経験を積めば、誰からでも点が取れるフォワードになれると思う。そのために、ちょうどいい相手だと思ってたんだけど。でも、多分、またチャンスは来るはず」

福田は松浦の方は見ずに、正面を見ながら語る。
松浦は、福田の横顔を見ていた。

「慰めてくれてるつもり?」
「怪我して試合に出られなくても、チームに迷惑かけたとしても、それをなんとも思わないほど松はバカじゃないってことは分かってるよ」
「素直じゃないなー」
「そっちでしょ。素直じゃないのは」

大会1週間前、怪我をした当日に、練習を見ながらコートサイドで松葉杖振り回して、「走れー」「ディフェンスー」「ノーマークは決めましょうよー」などと元気に叫んでみたりする人が素直なのかどうかはよく分からない。

「ありがと、って言っておいた方がいいのかな」
「無駄に怪我なんかするなバカ」
「はい」

怪我をされて困るというのと、あなたのことは必要だ、というのはこの場合、ほとんど同義語でもある。

普段よりも大分ゆっくりなペースで歩く。
少し距離の遠い松浦家までゆっくりと歩く。
行く先は松浦家だけど、松葉杖を付いた松浦が少し後ろ、2人分の荷物を抱えた福田が少し前。
いつもより口数が少なかった松浦も、少しづつしゃべりだす。
松浦家が近づいた頃、福田の方が口を開いた。

「それでさ、結局、なんで柔道選択したの?」
「え? なんでって?」
「ホントに男子と寝技したかったのかなって思って」

松浦立ち止まる。
福田も止まって振り向いた。
ゴン。
左手に持った松葉杖で、遠慮なく福田の頭を叩いた。

「ありえないー」
「痛いなー」
「明日香ちゃんでしょ。男子と寝技したいのは」
「私は普通に剣道選んだし」

無表情で結構な質問をした福田も、松葉杖でたたかれて苦笑する。
本気で聞いたわけではないけれど、ちょっと聞いてみたかった。

「ほら、ついたよ」
「部屋まで送ってよ」
「甘えない。後は自力で何とかしなさい」
「やだー、おんぶー」
「無茶言わない」
「いじわるー」
「何とでも言いなさい」

福田は抱えてきた松浦のバッグを突き出す。
松浦は、えーとか何とか言いながら、左の松葉杖を右に持って、バッグを左肩に通した。
門を開けて、自宅に入っていく。
自由の利かない体で、ぎこちなく振り向いた。

「早く直しなよ。大会は国体だけじゃないんだから」
「分かってるって」
「じゃあね」

福田は、松浦が手を振り返すのも待たずに背中を向ける。
その背中を見つめて松浦はちょっとため息。
そして、ドアを開けて家に入っていく。

「実際、どうしよう、松抜きで」

福田は福田で、ため息をつくのだった。

遠征に出るまでに映像は何度も見た。
DVDだったり、ビデオだったり。
チーム全体で、学校のメディアルームで最初は見たが、吉澤は、昨年の冬の選抜大会決勝のDVDを借りて、家でも見た。
何度も見た。
自分はたぶんスタメン。
そして、自分が付くマークが誰かは分かっている。
リバウンドにも参加するけれど、基本的にはアウトサイドがプレイゾーンらしい。
スピードがあって、ボールさばきもうまく、ジャンプ力があるから、高さでも勝っているとは言い難い。
以前、雑誌の表紙で見かけた顔。
1度、言葉を交わしてみた相手。
石川梨華。

「あれに勝てれば日本一か」

そう、口に出していってみるけれど、実感は伴わなかった。
日本一、その言葉が、自分の手の届くところにあるという感覚がまるでない。
試合なのだから、自分が石川を止める必要がある。
そう認識していても、その手立てはまったく浮かんでこない。

インターハイの決勝でも見れば、少しはイメージも違ってきそうなものであるが、吉澤はあえてそれは見ない。
あれは、ディフェンスがすごすぎて参考にならないのだ。
今の吉澤ではああはいかない。
もう少し、手の届くレベルのなかでどうにかならないものか考える。
浮かばない。
石川が自分のミスでボールを奪われるところは何度かあるが、ディフェンスが止めた、というような場面が見られない。

結局、何の糸口も見つけられないまま、遠征の日を迎える。
前日練習は、会場の隣の市まで出向いて市民体育館を借りた。
メニュー自体は軽めなものに抑えてある。
一応、5対5の練習もした。
スタメン組みと見える方には、福田、市井、保田、吉澤、飯田、というセットである。
体育館は3時間借りていたが、全体練習自体は準備から含めて1時間少々で終えた。
あとは各自で、という形。
それぞれにシューティングなどをしてゆっくりと調整している。
1人1人、クールダウンを終えて、フロアを去っていくものもいる。
そんな中、吉澤は、コートの隅でストレッチをしている福田に声をかけた。

「暇?」

福田は足を伸ばしたまま顔を上げる。
何も答えない福田に、吉澤は繰り返す。

「暇かって、聞いてんの」
「ストレッチしてますけど」
「まだ動く余裕はあるな?」
「まあ、一応」

見上げたまま福田が答えると、吉澤は横を向いてボールを弾ませる。
2度、3度、両手でボールを床につく。
最後に拾い上げて、もういちど福田のほうを見ると、吉澤は口を開いた。

「あー、あのさ、頼みがあるんだよね」

腰に手を当て、渋い顔をして言う。
福田の方は見ない。
表情も変えず、伸ばす足だけ替えながら福田が答える。

「何ですか?」

吉澤は、ボールを持たない方の手で頭を掻く。
頭をかきむしる。
それから、福田のほうを向き直った。

「1対1の相手してください。お願いします」

2年生の吉澤が、1年生の福田に頭を下げた。

「いいですけど、ポジション違いますよだいぶ」

いたって平静な福田。
確かに、福田と吉澤はポジションが違いすぎる。

「あー、もう。稽古つけてくれ! って言ってんだよ。突破力のあるやつのディフェンス練習したいんだよ!」

明日、が1回戦。
対戦相手は神奈川県で、それは実質富ヶ岡高校で、吉澤がマークに付く相手は石川梨華。
破滅的な攻撃力を持つ石川。
それを止めなくてはいけない。
飯田のような、強靭なセンターとは戦った。
しかし、突破力のある、スピード主体の、外からのオフェンスを得意とするトッププレイヤーとまともに戦ったことは無い。
吉澤なりに考えた。
身近で1番突破力のあるやつと練習をする。
それは、頭にくるけど、どう考えても福田だった。

「分かりました」

福田は脱いでいたバッシュを履きなおす。
その間、吉澤は手持ち無沙汰に、ボールをついていた。
つきながら体育館を見渡す。
怪我をしている松浦が、ボールを投げてあやかと飯田がリバウンドを争っている。
保田がミドルレンジでシューティング。
ミカと大谷はストレッチをしながら談笑している。
市井は、1人で引き上げていった。

「私がずっとオフェンスなんですか?」
「あたりまえだろ、お前なんか相手に私がオフェンスで1対1やっても意味無いだろ」
「確かに」

冷静に福田が答える。
インサイドでボールを持つ吉澤相手に、福田がディフェンスに入ったって、それは滑稽な図にしかなりえない。

ゴールを背に、吉澤はボールを持って立つ。
福田も、吉澤の意図は分かった。
自分を仮想石川としてなんとか抑えるイメージを持ちたいのだろう。
それくらいは分かる。
さすがに石川になりきることは出来ないけれど、ある程度は付き合ってやろうと思った。

「手加減無しでいいんですね」
「バカにするなよ」

吉澤がボールを福田に渡す。
1対1が始まった。

まったく止まらない。
外からスリーもある、フェイクは絶妙。
ボールコントロールは抜群で、右からも左からも突破できる。
吉澤が考えていた通り、格好の仮想石川になっている。
なってはいるが、止められないのでは意味が無い。

周りは、1人、また1人とコートから去っていった。
保田が1人体育館の隅に座り見ていたが、それもいつの間にかいなくなっている。
その間、吉澤は1本もとめられなかった。
福田が自分でミスをしてシュートをはずすことはある。
そのリバウンドを拾うことはある。
しかし、自力で吉澤が、止めた! と実感できたことは1度も無かった。

「少し休みませんか?」

先に切り出したのは福田だった。
明日が試合。
せっかく軽めに終わらせた練習が、これでは意味が無い。

「とめらんねー」

いらいらがたまっていた吉澤は、答える代わりにコートサイドに転がっていたボールを蹴り飛ばすと、そのまま壁に寄りかかり座った。
福田も、少し離れた場所に置いてあるドリンクボトルを2つ持ってきて、吉澤の隣に座る。

「ああ、サンキュー」

吉澤が、福田からドリンクを受け取り口にした。

「しかし、ホントに容赦ないやつだな」
「石川さんレベルでやるには手抜きなんか出来るわけ無いじゃないですか」
「別に、そんなこと頼んでねーよ」

頼んでないが望んでいる。
ふてくされたように言う吉澤に、福田は笑みを漏らした。

「ああー、どうしたら止められるんだよー」

そう叫んで吉澤は、壁から背中を滑らせて仰向けになる。
仰向けになったまま、頭を抱えた。
福田は、その隣で汗を拭きながらドリンクを口にする。
今日の練習、調子がいい自分のプレイ振りには満足していた。

「福田ってさあ、石川梨華よりうまいの?」

仰向けになったままの吉澤の問いかけ。
福田はボトルを置いて吉澤の方を見る。
目線がぶつかった。

「ドリブル突破だけなら、石川さんのが上じゃないかと思います」
「そーでございますか・・・」

お手上げ、という心境だった。

「なあ、どうやって止めたらいいんだ? あの突破とか、フェイクかどうかさっぱりわかんないスリーとか」

石川のことか、福田のことか。
福田は、とりあえず明日のことをイメージして答える。

「無理なんじゃないですか」
「いつになっても遠慮の無いやつだなあ」

ほとんど自分でも実感していることを、改めてはっきり言われた。
無理を承知で聞いているところに、無理という返事では何の意味もない。

「そこをなんとかって言ってるんだろ」
「ボールがわたらないようにするしかないですね」
「ボール持たせたら終わりってことか?」
「はい」
「そうか・・・」

体育館の天井に向かってため息をついた。

ボールを抱え体を起こす。
足の間にボールを置き、それにもたれ抱える。
しばらくけだるそうに体をボールに預け揺らしている。
その隣で、福田は口にしたドリンクを横に置いた。

「取られたら取り返せばいいんですよ」

福田の言葉に吉澤は顔を上げる。

「ディフェンスで止めるのはほとんど無理。だったら同じだけ取ればいい」
「無茶言うなよー」
「そんなに無茶でも無いですよ。夏に見たときは、何とか人並みにはなってたけど、元々ディフェンスはざるって言われてたんですから、吉澤さんでもいい状況でボール受ければ勝負にはなるはずです」
「オフェンスかあ・・・」
「まあ、それでも、総合力ではやっぱり差はあると思いますけど」
「だよなあ・・・」

吉澤はバッシュを脱ぎ始めた。
それを見て、福田もバッシュを脱ぐ。

「私と石川梨華んとこはともかく、明日はチームとして勝ち目無いか?」
「松がいれば、チャンスあったんですけどねえ」

選抜チームが組まれてから、飯田が松浦に付けたあだな、“あやや”
ほとんどみんなが松浦のことをあややと呼ぶようになったが、福田だけはかたくなにその呼び名は使わない。
彼女1人、松、と呼び続けている。

「あややが?」
「あのチーム、穴が無いとか言われてるけど、実際は穴はあるんですよ」
「どこに」
「2番の、名前出てこないけど、2番ポジションの1年生が穴です。あそこに松をぶつければ、大分点が取れたと思うんですよね」
「市井さんじゃだめなの?」

怪我で出られない松浦。
そうなると2番ポジションは市井もしくは大谷ということになる。
今までの采配を見ていると、市井がスタメンになるのが濃厚だ。

「市井先輩は・・・」

そこまで言って口ごもる。
もう2人しかいない体育館。
会話の声が反響して響く。

「市井先輩は、中学のときのがうまかったような気がします」

福田は、吉澤の方を見ずに言った。
吉澤はこの言葉を聞いて、福田の方を見る。
横顔だけが見えた。
ため息をついて仰向けになる。
ボールを真上に投げ上げ、顔の上に落ちてきたところをキャッチした。

「飯田さんも、似たようなこと言ってたな」

留学に行く前の市井。
1度、飯田たち出雲南陵と対戦している。
結果は、出雲の圧勝。
それでも、飯田には市井の印象が強く残っていた。
選抜チームで練習するようになってしばらく経った頃に飯田が言っていた。
「紗耶香は1年生の頃のがすごかった」
そう言われても、吉澤は、1年生の、中学生の市井を知らない。

「福田のマッチアップはどうなんだよ」

吉澤が話題を変える。
市井の話題を、あまり福田が引っ張りたくなさそうなのが目に見えた。

「1年の、高橋って言ったかな、多分その子がつくと思いますけど。簡単にはいかないと思います」
「めずらしく弱気だな」
「負ける気はないですけど、夏に見たときに、中学のときより伸びてたし、自由にはさせてもらえないかなって」
「あー、もうー、お手上げか」

仰向けのままじたばたもがく。
全国のトップっていうのは、いったいどんなレベルなんだ。
そんなことを、改めて思った。

「珍しい組み合わせだな」

入り口から保田がのぞきこんだ。
声をかけられて吉澤は体を起こす。

「バス来るから、いい加減着替えろ」

2人はバッシュを抱えて立ち上がった。

 

神奈川県チームと島根県チームは同じ宿に泊まっている。
インターハイのとき、中澤が稲葉を使ってもろもろを整えさせた結果、宿が富ヶ岡と同じ場所になった。
その縁で、中澤が富ヶ岡の監督の和田に挨拶をしている。
今度は、稲葉を使わずに、中澤が直接和田にお願いして宿の調整をしてもらった。
「ありがとうございますー、今度お食事でもー」とか何とか言っておけば、簡単だった。
そんなわけなので、試合前日に顔をあわせようとすれば会えたはずではある。
しかし、メンバー同士は顔を合わすことは無かった。
お互いに意図的に避けていた。

試合の日。
体育館ではお互いの存在を認める。
遠めに吉澤の姿を見つけた石川は、軽く会釈だけした。
吉澤も、会釈を返すだけ。
言葉は交わさない。

王者と挑戦者の戦い。
周りも本人たちもそれを認識しているこの1回戦。
ゲーム直前のミーティング。
ただ1人、昨年のチームではあるが、直接に神奈川県チームすなわち富ヶ岡と直接に対戦した経験のある飯田がキャプテンとして口を開いた。

「何があっても驚かないこと。どうなってもあきらめないこと。戦意をなくさないこと」

福田以外のメンバーからすれば、飯田は強大な力を持つ選手。
その選手から出たこの発言。
よし、やるぞ、と思うよりも、どれだけすごいんだいったい、という恐れが先にたった。

島根県チーム、スタートは福田、市井、保田、吉澤、飯田。
対する神奈川県チームは、高橋、小川、柴田、石川、平家。
インターハイ優勝メンバーがそのままスタメンに並んでいる。
ゲームは、ジャンプボールを拾った柴田がそのまま持ち込んでのゴールで始まった。

島根県チームのゲームの組み立ては福田が行う。
ボールを運ぶ福田には高橋がついた。
それぞれのマッチアップを見る。
どこも単独で勝っているとはとても感じ難い。
かろうじて、飯田と平家のところが5分と5分といったところ。

ボールは回るが、効果的なパスは出せなかった。
二十四秒計が進み、苦し紛れの保田のシュートが落ちる。
リバウンドを拾った平家から始まる速攻で追加点が入った。

オフェンスを組み立てたいけれど、福田一人ではどうにもならない。
市井は小川に、保田は柴田に抑えられ、ボールを奪われないのがやっと。
吉澤は、石川との身長差を生かして中でボールを受けようとするが、石川は吉澤に対してボールサイドに立ち、パスを受けさせない。
どこがディフェンスざるなんだ、と吉澤は脳内で憤慨するが、解決策は見つからない。
結局、攻め手は何とか飯田に送って1対1、という形しかなかった。

ディフェンスも崩されっぱなしだった。
適度に動き、スペースを作って、そこに走りこんでボールを受ける。
それを、1人1人がボールを持たずにフェイクをかけた上で徹底しているので、なかなかついていけない。
その上、速攻もすばやく出てくる。
肌で感じるレベルの違い。

圧倒されながらも、少しは慣れて来る。
たまにはディフェンスが対応できることもある。
ノーマークを作らずに、なんとかボールに、オフェンスの動きについていった。
24秒計が進んでいく。
ボールは石川に渡った。

石川と吉澤は正対する。
右サイド四十五度、スリーポイントライン付近。
ボールを受けた石川はシュートフェイクを入れる。
吉澤の重心がほんの一瞬浮いた。
その横を、石川がドリブル突破する。
止める間は無かった。
ファウルで止めることすら出来なかった。
意識だけが追いかけて、足がついていかなかった吉澤は、バランスを崩してしりもちをつく。
接触があったわけでもない。
重心を振られて、それでもついていこうと上半身だけ反応しての腰砕け。
吉澤は、石川のシュートが決まるのを見上げるしか出来なかった。

「もう1回言うね。何があっても驚かないこと。どうなってもあきらめないこと。戦意をなくさないこと」

タイムアウト。
ベンチに戻ってきたメンバーに飯田の言葉。
たった5分で20−4
奪った4点は、飯田のゴール下個人技で取った2本だけ。
戦意もなくす。

「真ん中3人、もうちょっと何とかなるでしょ」

市井、保田、吉澤。
ここでことごとくやられている。
3人から言葉は返ってこない。

「明日香、何とかして」

飯田は個人技に優れているが戦略眼はない。
打開するには福田の力がいる。

「何とかと言われても」
「それ以前の問題やないか?」

中澤が口を挟む。
メンバーが中澤の方を見た。

「紗耶香、ミカと交代。保田は大谷さんと交代。技術とか戦術とか以前に、やる気見せろやる気。名前に飲まれてんじゃないよ、かっこ悪い」

舌打ちして吐き捨てる。
フォワード陣2枚を変えた。

「吉澤、1対1で見事にやられたあんたにはもう1回チャンスをやろう。それでダメならあやかと替える」

中澤に面と向かって言われたが、吉澤は返事もしなかった。

「替わって入った2人もそうやけど、とにかくやる気みせいや。話はそれからや。1発ぶちかましたれ。パンチでもキックでも」

中澤の檄にメンバーは送り出された。

一方富ヶ岡ベンチ。
体が温まってきたところでのタイムアウト。
汗を拭くのにちょうどいいかな、というタイミング。

「ガードとセンター。4番と九番の2人だな。あとはいてもいなくてもってところか」

和田コーチの一言。
きつい言葉ではあるが現実ではある。

「高橋。抜かれるのはいいけど、さばかせないように。マークはタイトに。平家は、まあ、ファウルだけはするな。ハイポローポで面とった4番に入ったら、高橋以外は近くにいたら外からはさみに行け」

ハイポローポ、すなわち、ハイポストとローポスト、リング近くの台形のフリースローライン近くとエンドライン近く。
そこで平家を背負うように飯田がボールを受けたら、外からもう1人ディフェンスが付いて前後を挟むようにしろという指示。
平家が万が一ファウルアウトになると、そのあと飯田一人にボールを集めて追い上げられる危険がある。
1対1でも十分互角であるが、そこをさらに優位に立たせようというものであるし、ついでに言えば、そういうシチュエーションでファウルをしでかすのは、外からはさみに来るプレイヤーになるので、たとえファウルアウトになっても、控えで十分対処できるマッチアップであるという読みもある。

「オフェンスは自由にやっていいぞ。ただ、高橋。もうちょっとスムーズにパスは捌けないのか?」
「すいません」
「ボールは頭の上に上げとけば取られないから。ドリブル止まってもあまり神経質になるな」
「はい」

1対1で唯一負けているのはここ。
パスがスムーズでなくても、受けての実力差で点が取れているが、だからといって修正しなくてよい点ではない。

「よし、声だしていけ」
「はい」

高橋以外は余裕の表情でフロアに戻った。

タイムアウト明け、福田がボールを運ぶ。
替わったメンバーを見ても、そこで1対1に勝てるわけではない。
状況は、これから打開する必要がある。

とりあえずボールを大谷にはたく。
柴田のマークはきつく、自由にボールを扱えない。
中央にあがったミカへ戻すだけ。
ミカもパスの出し先が見つからず、左サイドから上がってきた福田に送る。
福田は、自分で動いた。

ボールを受け、そのままトップスピードに乗ってドリブルで突っ込む。
高橋は対応するが、バックチェンジ1つでかわした。
さらに進む。
ゴール手前、カバーに来たのは石川。
そこで止まりシュートフェイクを入れる。
石川を中に飛ばして、福田は吉澤にバウンドパスを送った。
ゴール下のノーマーク。
簡単にジャンプシュートを決めた。

福田と吉澤。
戻り際、簡単にパチンと片手を合わせる。
しかし、戻ったのは吉澤だけだった。

「麻琴! 待って!」

福田に張られた高橋が、ボールを入れようとする小川を制する。
しかし、その言葉が届く前に、小川は安易にボールを送った。
福田がそのボールをさらう。
左0度でボールを持った福田にとって、1対2の状態。
常道ならば、味方の上がりを待つ。
福田は待たなかった。

1人目、スピードだけで高橋を振り切る。
2人目、立ちはだかる小川。
左にボールをもちかえ、ライン際へ。
小川がついてくると見ると、ロールターンで切り替えた。
小川をはずし、ゴール下。
3人目、柴田が戻ってくる。
それよりわずかに早く、福田が飛んだ。
ボールはリングに吸い込まれた。

「ハンズアップ! ハンズアップ!」

ゴールを決め、両手を2回叩くと、福田はそう叫んだ。
チームの指示でもない。
チーム全体への提案でもない。
ただ、福田は、1人で前からついた。

福田が張り付いたのは高橋。
今度は小川も安易にボールをいれたりはしない。
福田の意図を理解したミカは、下がらずに前目に残った。
小川は、サポートに来た柴田にボールを入れる。
そこにミカがついた。
バックコートで3対2の形。
福田がいようとも、相手は富ヶ岡の精鋭。
冷静に運べばフロントコートまでボールを進めることは出来る。
そこからは5対5のセットオフェンス。
ボールをまわす。
高橋−柴田−高橋−石川。
インサイドに切れ込むと見せかけて、逆サイドから中央を回りこんできた柴田へ。
ややマークの大谷が離れた状態でボールを受けた柴田はスリーポイントを放った。
ボールはリングで跳ね上がり大きく弾む。
吉澤と石川が競り合うが、高さで上回って吉澤がさらった。

逆速攻をかけるが、高橋小川の戻りは早く決められない。
ボールをまわしてまわして、ミカのスリーポイント。
これははずれる。
そこからは、テンポよくお互いのオフェンスが流れ出す。
シュート率の違いがある分、点差は開いていくが、島根県チームもそれなりに得点していった。
1クォーター終わって31−14

2クォーター。
メンバーは1クォーター終わりからいじらない。
島根はどうしても攻め手が限定されてしまう。
勝てる、と実感もって福田がパスを遅れる先は飯田しかないのだ。
飯田も自分で分かっていた。
いつもの自分の高校のチームよりも周りのレベルは高いけれど、相手のレベルがもっと高い。
結局、自分がリーダーとして戦うしかない。

ローポストで福田からのバウンドパスを受ける。
高橋は飯田を挟みには来ない。
背中越しの平家と1対1。
フェイクなしで左足を軸にターンしてそのままシュートの構えへ。
平家を飛ばそうとジャンプのフェイクを入れるがはまらない。
右足を平家の前を横切るように伸ばし、左手でワンドリブル。
そのまま右足を軸にして左足を進めて両足で飛ぶ。
フェイドアウェイのような形でのジャンプシュートは平家のブロックの上は超えるが、ボールはリング根元に当たって落ちる。
リバウンドは石川が拾った。

攻め手がいくつもあるときと攻め手が1つしかないのでは、重みも違うしディフェンスの圧力も違う。
ここで勝負してくると頭からかかって守っているから、飯田にボールが入るとディフェンスの集中力が違う。

今度はスクリーンをかけに下りてきた吉澤を壁に使って、ローポストからハイポストに上がって行ってパスを受けてターンする。
フリースローライン上で平家と正対。
右手でドリブル、と見せかけて頭の上でセット。
そのままジャンプシュート、というのがフェイクでこれに平家がかかる。
飛ばした平家の横を右手でドリブルを付いてかわし、そのままランニングシュートと行きたいところだったが、平家の影にいてカバーに入った柴田に体当たりする形になった。
これは飯田のオフェンスファウル。

県レベルでは圧倒的だった飯田のオフェンス力でも、ここでは1人で打開は出来ない。
それでも何度でも勝負するしかない。
今度はハイポストで平家を背負って面を取る形で、トップの大谷からバウンドパスを受けた。
背後の平家をどうかわすか。
肩でワンフェイク、を入れた瞬間、下から叩き上げられた。
ボールは中を舞う。
叩いた小川と飛び込んできた柴田、さらに飯田自身、3本の手が伸びるが高さの分飯田がボールを確保する。
それでも背後の平家も加えて3人に囲まれた形。
1人でかわしきることは出来ない。

「外! あいてる!」

囲まれていても、幸い飯田なら頭の上を抜ける。
声に反応してパスを出した。
ノーマークのミカ。
左六十度あたりの位置で丁寧にスリーポイントを放つと、これは決まった。

2クォーター、苦労しながらも島根県チームは何とか得点を重ねていく。
しかし、富ヶ岡は少しの労苦でそれ以上の得点を積み重ねていって。
結局点差は開いて50−28で前半を終える。

「かおりん。もっと周り使っていいよ」
「そうだね。うん。かおりもそう思った」

前半が終わり、ベンチに戻ってくるなり口を開いたのは大谷だった。
マッチアップの相手は柴田。
お世辞にも止め切れているとはいえないが、やられっぱなしというわけでもない。
福田が追い込んだ高橋からの安易な横パスをさらってのワンマン速攻と、飯田からのリターンパスをミドルから決めたのとで4点取っている。

「飯田さんがゲーム組み立てる感じでいいかも」
「かおり、ガード? なんか頭よさそうでうれしいね」
「私、頭いいですか?」
「英語しゃべれるんだからいいんじゃないの?」
「アメリカ人、みんな天才でーす」
「真に受けるなよ」

ミカと飯田のやりとりに、大谷が茶々を入れてわけの分からない方向に進んでいく。

「飯田さんがディフェンスひきつけて、あいたところに捌いて勝負っていうのが確かに1番得点パターンですよね」
「明日香はいいの? それで」
「好き嫌い言っても仕方ないじゃないですか。それが1番点が取れるなら、私はそれにあわせて動くだけですよ」
「かおりも、本当はパス捌くんじゃなくて、自分で勝負したいんだけど、そうだね。しょうがないよね」

飯田は平家と1対1で勝負がしたかった。
だけど、互いのチーム事情はそれを許してくれないらしい。
だったら、リーダーとしてチームに貢献するしかない。

話しこむ4人を横目に、吉澤はベンチに座り込んでいた。
いつもの試合と比べて、それほど動いたというものでもないのだが、どっと疲れは感じている。
そんな吉澤に気づいて、福田が歩み寄ってきた。

「雲の上っていうのはああいうのを言うのか」

前半20分間で、得点4、リバウンド4、アシスト1
マークについた相手の石川は、得点17、リバウンド2、アシスト3
個人の戦いでいえば、圧倒されている。
その実感が、福田を前にこんな言葉をポツリと吐かせている。

「だから、ディフェンスはたいしたこと無いですって」
「そうは言うけどさあ」
「カバーがすぐ来るから、そういう意味では難しいですけど、単なる1対1って意味なら、吉澤さんで十分やれますってオフェンスは」

福田に言われても、まだ半信半疑。
奪った4点は、1対1ではなくて、周りが崩して、その結果フリーになった自分が打たせてもらったシュートで取った点数。
20分経って、まだ、やれるという実感が得られない。

「1本勝負してくださいよ、どんな形でも」
「おまえ、いつも1対1やるの止めるだろ!」
「ケースバイケースです。飯田さん以外で勝負してくるって感じれば、少し向こうのディフェンスも変わるだろうし。それに、実際吉澤さんのオフェンスで十分勝ち目はあります」
「まあ、そんなに言うならやってみるよ」

やられっぱなしは腹が立つ。
まだ、戦意は残っている。

「あの5人が頂点なんだよな」

相手ベンチを見やる。
すでにダブルスコア。
余裕の姿で談笑している。

「勝てますよ」
「おまえ、いつもすごい自信だよな」
「今日はきついかもしれないけど、勝てない相手じゃないです」

福田の言葉に吉澤は答えず、薄い笑みを浮かべ立ち上がった。

「夢はでかい方がいいか」
「夢じゃないです。現実です」
「はいはい」

まだ、吉澤はそこまではついていけなかった。

後半スタート。
福田とあんな会話をしたにもかかわらず、吉澤はベンチに下げられた。
代わりにあやかが入る。
ベンチの隅でおとなしく座っていようと思っていたら、保田と市井と3人まとめて中澤に呼び止められた。
自分の隣に座れという。

点差は22点。
それでも容赦なく富ヶ岡は攻勢に出てきた。
富ヶ岡ボールで始まるセットオフェンス。
ボールが回って石川へ。
単純な1対1。
突っ込んでくるのを警戒するあやかをあざ笑うかのように、そのまま外からスリーポイントを決めた。

「あたれ!」

前から当たる。
福田に、高橋と小川で2人。
エンドでボールを持った大谷、パスの出しどころが見つからない。
上がっていたあやかがバックコートに戻りボールを受けに来る。
そこに山なりパスを出すも、石川にさらわれた。
また、ディフェンス。
ボールが回ってインサイドの平家へ。
チェックが遅れた飯田がファウルを犯し、2本のフリースローがあたえられた。

「ミカさんと2人で運びます」

ファウルで少し間が開いた。
福田が5人を集める。
円陣を組んでの確認。

「大谷さんがボール入れてください。あやかさんと飯田さんは上がりっぱなしで」
「わかった」
「多分、フロントコート入っても圧力きついからおちついて」

福田の言葉に飯田がさらに指示を添える。
場慣れしている2人、場慣れしていない3人。
レフリーに促され、5人は散開した。

フリースローは2本決まる。
そして、また前から当たってきた。
今度は冷静に対処。
福田がすばやく動いてボールを受ける。
小川と高橋を2人引きずってフロントコートまで。
そこから、パスの出し先を探すが、開いているところが無い。

「動いて! 動いて!」

福田が叫ぶ。
周りも動くがフリーが出来ない。
ドリブルでキープするにも限界がある。
圧力に負け、ドリブルを止めて福田がボールを持った。
高橋と小川に囲まれる。
ピボットでこらえる。

「はい!」

ミカがボールを受けに来る。
狭いところから福田が山なりパスを出すと、柴田にさらわれた。
そのままワンマン速攻。
ミカが追いかけるが届かず、簡単なシュートが決まる。
また、前からのゾーンプレス。
悪循環。

福田でさえつかまった。
実際は、周りが悪く、キープして耐えていた福田に罪はあまり無いのだが、周りのメンバーからはそう映る。
福田でさえも、止められた。

「あかん。手の打ち様があらへん」

ベンチでボソッと中澤がつぶやく。
福田でボールが運べないとなると、それを超えるプレイヤーはいないのだから戦術面で何とかしてやりたいところ。
しかし、そんな案は中澤には浮かばない。

「紗耶香、フォローしたって」

とりあえず考えられたのはボールを運べる人数を増やすこと。
あやかに代えて市井を投入する。
身長は多少小さくなるが、マークに付く石川も大きくはないので、そこの問題はあまり影響はないだろう、という判断ではある。

ただ、それで打開できるものでもない。

戻ってきたあやかも吉澤の横に座らせる。
フロアでは、ミカや大谷が必死に福田をサポートしてボールを運び、なんとカセットオフェンスの形まで持っていこうとしている。

「みんな必死やなあ、吉澤」

他人事のようなセリフ。
口にしたのはチームを仕切るコーチの中澤である。
吉澤としてもなんとも答えにくい。

「そりゃあ、必死にやらないとボールも運べないディフェンスですし」
「ほう。そういう保田は必死にやっとったんか?」

出だし5分でベンチに下がった保田。
必死も何もそんな時間もなかった、と言いたいけれど、それを言える雰囲気ではない。

「かおりん、何度も1対1っていうか1対2って言うか、囲まれても勝負して。うちら、あの子、すごい選手やって思ってたけど、あれでも勝てん相手っておるもんやな」
「そりゃあ、全国ナンバーワンのチームですし」
「でも、かおりんは勝とうとして必死やな。あれがなかったら、もっと全然点入ってないんやろな」

セットオフェンスになったらとにかく飯田へ。
そこから個人技で勝つときもあるし、負けるときでもディフェンスをひきつけるから捌いてあいたところで勝負。
今日の1番の得点パターンである。

「ミカも大谷さんも必死やな。相手のがうまいのわかっとるやろうに、それでも何とかボール運ぼうとして。ディフェンスもくらいつこうとして。出来てるとは言えへんけど」

目の前では富ヶ岡のオフェンス。
速いボールの回りで、最後はゴール下の平家を壁に使って抜けてきた柴田へ。
平家のスクリーンにあって付いていけなかった大谷が必死にブロックに飛ぶが、それより早くミドルレンジからのジャンプシュートが決められる。

「なあ、あんたら、いつからあんな気の抜けた試合するようになったん?」

何も出来ずに5分でベンチに下がった保田。
石川にいいように翻弄された吉澤。
ボールが回ってくるまもなく下げられたのでちょっと立場は違うが、とばっちりで並んで座るあやか。

「あんたらよりうまくて強いかおりんがあんなに頑張ってるんやで。あんたらに負けたミカや大谷さんがあんなに必死や。なのに、なんで、あんたらだけあんな気の抜けた感じになるんかな? 自分らより強い相手と試合するのなんて始めてやないやろ。かおりんに何度も負けたけど、すくなくともあんたら必死やった」

福田が1人で高橋と小川をかわしてボールを運ぶ。
フロントコートで4対3の状況になって、石川がカバーとして福田に付くと、サイドに開いた大谷へボールを落とす。
自分は石川を連れたままゴール下まで駆け込み、それによって開いたスペースへミカが走りこむ。
フリースローラインの少し外側、サイドからのパスを受けたミカがジャンプシュートを決めた。

「こんなチャンスもうないかもしれへんもんな。そりゃあミカも大谷さんも必死になるやろ。でも、あんたらだっておなじやないか。こんなチャンスもうないかもしれないっていう部分じゃ。違うか?」

中澤は、ずっとコートを見ながら話している。
隣に座る保田も、試合展開を見ながら聞いている。
お互いに顔を付き合わせながら話しているわけではない。

「点差とか今までの実績とかそんなん考えんと、目の前の相手を何とかぶち倒すこと考えてやってみたらどうや?」

そこまで言って、中澤は立ち上がる。
保田や吉澤の方には一瞥もくれず、コートのサイドライン際まで歩いて行った。

「ディフェンス気張らんかい! ボールないところも気抜くな!」

気を抜く抜かないの問題でどうにかなる相手でもなく、なかなか思い通りに止めきれない。
3クォーター、結局89−41と大きく点差を広げられて終わる。

「ラスト、ミカ、大谷、保田、吉澤、あやか。得点板はもう見るな。1本1本勝負。1対1でもいい、周りとのあわせでもいい。なんでもいいから勝負して来や。いまさら見栄貼ったってかっこ悪いだけやから、やれること全部やって砕け散って来い」

あえて福田も飯田も外す。
もう、勝負はついていた。
今後のための十分間。
ただ、メンバーを替えてきたのは、島根だけではなかった。

「相手代わってる」

保田がぽつりともらす。
マークの確認をしようとしたら、富ヶ岡のメンバーががらりと変わっていた。
主力で残っているのは高橋一人だけ。
あとは控えメンバー。

「身長順でつく?」
「それしかないかな」

相手のポジションが分からなければ、とりあえず身長にあわせてマークにつく。

4クォーターは島根県ボールで始まる。
ゲームを作る役目はミカ。
周りとの連携が出来ているとも言いがたいし、力も福田と比べると少し落ちる。
ボールを回して相手を崩す、とはいかず、窮屈に、取られないことがやっとなパス回し。
二十四秒計が刻まれていく。
外に開いてボールを受けた保田。
低い姿勢でマークに付く十三番に一瞬ひるむが意を決して勝負。
シュートフェイクを見せてから、右手でドリブルを付いてライン際へ。
そのままゴール下までという雰囲気だけ見せてストップジャンプシュート。
十三番を引っ掛けることはできず、完璧なタイミングでのブロックショットに合う。
弾き飛ばされたボールを14番が拾い、前の高橋へ。
ミカとのハーフコート1対1。
上体を右に左にと動かすことで、ミカの重心を振り、バランスを失わせておいてバックターンで抜き去る。
後は無人のゴールへ向かってランニングシュートを決めた。

「先生、私、入れてください」

ベンチで福田が中澤の隣に座って言う。
チラッと顔を見て、それからすぐにフロアに視線を移すと、中澤が答えた。

「あいつとやりたい?」
「ここで叩いておいたほうがいいです」

高橋は、第3クォーターこそ、小川の手も借りて福田を押さえ込んではいたが、それ以外、個人と個人としては、福田にやられた印象がある。
自分がボールを持ったとき、福田のディフェンスがきつく、ゲームメイクが十分に出来ない。
前半は、1対1で突破を許すことも多かった。
そのストレスが、ミカに向けて発散されている。
同学年の2人。
福田としては、自分が上の自信はあるが、ここでもう1度はっきりと叩いて凹ませておきたくなった。

「なんかこっち見てるな」
「向こうも待ってるみたいですね」

涼しい顔で福田は答える。
フロアでは、高橋のスピードにミカが圧倒されていた。

「じゃあ、ミカと交代な。保田と吉澤、気合い入れてやってや。もうちょっと出来るやろ、あいつらなら」
「もうちょっとどころじゃないはずなんですけどね」

福田は立ち上がりジャージを脱ぐと、オフィシャルに交代を告げた。

保田がファウルをして時計が止まったところで福田が入る。
相手ボールになっているところで、福田がフリースローライン付近にメンバーを集めた。

「向こうはほとんど控えです。アピールしたいから1対1を狙ってくると思うんでそのつもりでディフェンスしてください。こっちも、もうそれで行きましょう。単純に、力と力で勝負。控え相手ならいけますよ」
「おまえ、ホントいつもの主張と違うんだけどどうしたの?」
「たまには、いいじゃないですか」

冷めた顔の福田に、吉澤が鼻で笑った。

「福田がそう言うなら、好き勝ってやってみるかな」

むかつく相手だけど、福田の発言に対しては妙に信頼感を抱いてしまう。
メンバーはそれぞれディフェンスについた。

相手はほとんど控えとは言え、それは富ヶ岡の控え。
12分にレベルは高い。
試合の勝ち負けが見え、ある種吹っ切れたとは言っても、それだけで凌駕できる相手ではない。
ただ、大きな救いがあった。

「高橋! 自分のマークくらいきっちり抑えろ!」

パスの出しどころ。
そこだけは余裕を持ってプレイしている。
なので、ボールを受けるところまでは優位に立てる。
ディフェンスで押さえ込めているわけではないので、点差をつめるまでは行かないけれど、それでも互角に近い展開には持ち込むことが出来た。
残り5分。
試合の最後を締めるためか、両チームともメンバーチェンジ。
島根県チームには飯田が入り、富ヶ岡はスタメンが戻った。

また、押されだす。
ボールをまわされ、カバーの効かない1対0を作られ、フリーで撃たれる。
試合序盤と同じ展開。
それでも、今度は島根の側も勝負した。
福田がカットインで軽く崩し、小川がカバーに来たところで保田にはたく。
マークに付くのは柴田。
シュートフェイクを入れて抜きにかかる。
コースには入れないが、進路を制限する形で付いていく。
中から石川がフォロー。
2人に囲まれ、保田がつぶされた。

ターンオーバー。
速攻で高橋、小川とつながり、サイドを柴田が走る。
大谷と福田が戻りカバーについた。
吉澤も走る小川に追いつくが、小川はそのまま中まで切れてくる。
4人目として上がってきたフリーの石川へパスが出る。
ミドルレンジ、ちょうどフリースローライン付近から、フリーで石川がシュートを決めた。

やはり強い。
それでも、一矢は報いたい。
残り時間はわずか。

福田がボールを運び攻めあがる。
福田−大谷−福田。
ボールが戻って、今度は右サイドに開いた吉澤にパスを落とした。

正面に石川、さらに先にはゴール。
飯田は逆サイドに開いていて、マークも引きずられ、石川の後ろには広いスペースがある。
吉澤、勝負。

フェイク無しで、吉澤はドリブルで突っ込んだ。
石川は、懐に入られて一瞬腰が浮く。
そのタイミングで、吉澤はバックターンしボールを左手に持ち替える。
吉澤の動きに、石川は対応しきれない。
半歩遅れて石川は付くが、構わずシュートに行く。
それを強引に止めようとして石川も遅れて飛ぶ。
結果、半ば体当たりするような形になり、2人はもつれ合ってコートに落ちた。
シュートは、満足な形にならず、ボードに当たって跳ね飛んだ。

石川のファウルでフリースロー2本。
1対1で突っ込んだら、ゴールは決まらなかったけれどファウルがもらえた。
飯田と、保田と、右手同士を軽く叩く。
石川に柴田が声をかけた。

「やられたね」
「外から勝負してくると思わなかった」
「まだまだみたいですね石川さん」

身長差のある相手。
吉澤が勝負するならインサイドかと思っていたので、外に開いたところでは多少の油断があった。
状況はどうあれ、吉澤が一矢報いた形ではある。
油断というと、それが実力じゃないという意味に聞こえるが、実際には相手がどんな場面で勝負してくるかを読み取ることまで含めてディフェンスの能力なので、いいわけにはなっていない。
それでも、緊迫感がないので、柴田も石川相手に軽口を飛ばせてしまう。

吉澤は、フリースローラインに立ち、ボールを受けた。
フリースロー自体は2本決める。
ただ、試合展開に対しては焼け石に水だった。
115−62
大差も大差、53点差。
調子がどうのとか、主力の1人が怪我でとか、まるで言い訳にならない実力差が現れた点差だった。

夜、吉澤は大浴場へ続く通路のソファに1人で座っていた。
負けた自分たちは明日帰るのみ。
さっさと風呂に入って寝るもよし、修学旅行気分で枕投げあうもよし。
負けて元々、という感覚で臨んだ試合なので、試合の直後はともかく、少し時間がたてばもう気楽なものだ。
にもかかわらず、吉澤はジャージ姿でソファに座っている。
人通りの多い場所ではないが、浴場へ行くには必ず通る場所。
メンバーたちも不思議そうに見ながら通り過ぎたり、隣に座ってしばらくしゃべっていったり。
風呂にゆっくり入って、上がってきてもまだいるものだから、あやかなどは、「のぞき?」 と吉澤に突っ込んだりしている。

ずいぶん長い間ぼんやりしていたが、島根のメンバーは1巡した後、ようやく待ち人はやってきた。

「ずいぶん遅かったですね」

着替えとタオルとシャンプーセットと、いろいろ抱えてやってきたのは石川だった。

「吉澤さん?」
「名前は覚えていただけたようで」
「覚えますよ。マークにも付いたんだし」
「あはは、マーク。そう。マークですよ。マーク。なんであんなにうまいんですか? スピードあるは、だましのテクあるは、飛べば高いは。外から打っても入るし」
「そんな、全然そんなことないですよ」
「あれでうまくないって言われると、私の立場がないんですけど」
「石川はいつもオフェンスだけで、ディフェンスがざるでって言われるし。今日も、最後に抜かれそうになってファウルしちゃったじゃないですか。吉澤さんインサイドのプレイヤーなのに、外からの突破も止められないでファウルなんですよ、私」

フリースロー2本もらったあのプレイは、自分が勝ったことになっているらしい。
吉澤的感覚で言えば、カウントワンスローなら勝ちだったけれど、ファウルもらっただけではドローみたいな認識である。
フリースローだと、気分的にスカッとしないのだ。

「石川さん、今日何点取ったか覚えてます?」
「え、えっとー」
「三十一点ですよ。三十一点。全部私がマーク付いてたわけじゃないけど。じゃあ、私が何点取ったかって、8点だけですよ」

そんなこと言われても石川としては返す言葉がない。
下手ですね、と言えるわけも無いし、私の勝ちです、とか言えるような距離感でもないし。
どうしようかなあ、と思うしかない。

「やっぱーすげーなー、って思いましたよ。ホント。今の私じゃ全然かなわない」
「そんなことないですよ」
「いや。そんなことあります。そんなことあってくれないと困る。あれがすごいんじゃなくて普通だなんて言われたら、吉澤、立場ないです」

ソファに座ったままの吉澤。
大きめな態度で、開いたそれぞれのひざに、ひじを付いて視線を落として話している。
その目の前で石川は立ったまま。
お風呂セットを抱えて、困惑気味だ。

「でも、吉澤だって、ちょっとは近づきたいなって思うわけですよ。全国ナンバーワンの石川さんに。雑誌の表紙に載る石川さんに。それでお願いがあります」
「お願い?」
「はい」

指導しろと言われても、そういう眼力みたいなのないし、一緒に練習するには島根は遠すぎるし。
今からと言われてもお風呂入るんだけどなあ、なんてことを頭で考えながら小首を傾げる石川。
吉澤は、視線を落としたまま言った。

「携帯番号教えてください」
「え?」
「いや、あの、携帯教えてほしいなあ、なんて」
「え、あ、あの、部屋にあるんで、ちょっと」
「あ、あ、そうですよね。そうだ、そうだ。そうですよ。ごめんなさい。急に変なこといって。いや、忘れてください」
「いえ、そんな、あの。自分の番号って、ほら、意外と覚えてなくて、メモリ見ないとわかんなかったりするじゃないですか」
「いえ、気にしないでください」

ほとんど軟派失敗の図である。
なんとかなかったことにしようと必死な吉澤。
困惑しながらも取り繕う石川。
互いにあたふたしながらも、最後にまとめたのは石川だった。

「明日。朝ごはんのときにでも、交換しましょう」
「ホントですか?」
「はい。あ、でも、時間合うかなあ? うち6時半朝食ですけど」
「あ、起きます。うちは明日は帰るだけだから、8時朝食ですけど、起きます。起きて行きます」

大きな大会に出るようになったのはつい最近な吉澤。
対戦相手に携帯番号を聞くだけであたふたしてしまう。
だけど、年中行事として中学の頃から大きめな大会に出ていた石川にとっては、試合が終わった後に、選手同士で携帯番号を交換するのは、よくあることではないが、初めてのことでもない。
お風呂に向かう途中でそんなこと頼まれるのはさすがに初めてではあったが。

「ごめんなさい、なんか、気使わせちゃって」
「いえ、携帯番号くださいって言ったの私だし」

なんとなく視線を落として石川の方を吉澤は見ることが出来ない。
試合をしたもの同士というよりは、ファンと選手、という距離感に近い。

「すいません。無理言って。これからお風呂だっていうのに引き止めちゃって」
「いえ、そんな」
「ずいぶん遅かったですけど、ミーティングですか?」
「はい」
「明日も試合ですもんね。今日の反省とかは、ああ、反省するほどのこともないか」
「いえ、そんな。高橋なんかすごい叱られてました。あの、高橋って、ガードの」
「ああ、うち、ガードだけは強いから。あいつがいたから、まだ何とか試合になったって感じで」

石川の言葉から、自分についての感想はなしってことだな、と吉澤も感じ取る。
同じコートの上に立った、というだけで、戦ったというレベルまで行ってないんだろうな、と思った。

「ああ、そう。お風呂。お風呂もう行ってください。ごめんんさい、なんか話し引っ張って」
「いえ」
「私、まだ座ってますから」

声をかけたり、立ち止まったり、会話を終えて立ち去って行ったり。
そういう間が取りにくい距離感。
どうしよう、と戸惑いの空気をまといながら、石川は軽く頭を下げた。

「じゃあ、あの、明日」
「はい。明日。起きて行きますから」
「はい」

小さな会釈を何度かしながら、石川は大浴場へと向かっていく。
吉澤はその背中を見送り、石川の姿が暖簾をくぐって消えていったところで、大きくため息をついて立ち上がった。

翌日、朝、1人早く起きた吉澤は、石川と携帯の番号を交換した。
6時半にはまだ少し早い時間。
1年生が準備をしている食堂の外で、番号とアドレスを交換する。
別れの挨拶は、「じゃあ、また冬に」
次の大会は、冬の選抜大会。
1年を締めくくる、強豪高では最も重視されている大会である。
寝起きで、学校の統一ジャージを着た石川と、県から支給された国体用のジャージを来た吉澤。
しっかりと握手をして別れた。
負けて今日帰るチームと、これからが大会の本番というチームが、次に会えるとしたら、冬の選抜大会だ。

「珍しく寝起きがよかった理由はこれですか?」

石川が食堂に入っていくと、先に座っていた柴田が声をかけた。
吉澤とのやり取りは横目で見ていたらしい。

「なに? これって」
「ファンの女の子とのアドレス交換。どっちがファンだかよくわかんない雰囲気だったけど」
「ファンじゃないよ。昨日試合したでしょ。覚えてないの?」
「覚えてるよ。梨華ちゃんのが小さいのに外からの突破を止められなくてファウルした子でしょ」
「そんな言い方しなくたっていいじゃない」

1年生がお茶をついで行く。
柴田は、なじる石川をそ知らぬ顔でお茶を1杯飲んだ。

「なんか、まだ半分素人って感じだったよね?」
「素人?」
「身体能力だけでバスケやってるって感じ」
「そうかなあ?」
「いろいろ雑って言うか。もったいない気がした」
「ふーん。褒めてるのかけなしてるのかよくわかんないけど」
「まあ、梨華ちゃんのディフェンスみたいってことよ」
「どういう意味よそれ」

軽く笑うだけで柴田は答えない。
石川が突っ込もうとしたところで、キャプテンの平家の声が全体にかかって、会話は止まった。

大会はまだ続くけれど、吉澤たちは帰郷する。
バスに乗り、一路松江まで。
長い道のりを帰る。
メンバーのほとんどは動き出して早々に眠ってしまった。
吉澤も例外ではなかったが、ずっと眠ってもいられず、うとうとしつつも時折目を覚ます。
手持ち無沙汰で携帯を手に取った。

メッセージを打ち込んで、やっぱり消して。
また打ち込んで、でも消去して。
いきなりメールもおこがましいかなあ、とか何とか考えるけれど、今日送らないと、携帯に登録されているだけで使われないアドレス、になってしまいそうな気もする。
インターチェンジ3つ分考えて、結局吉澤は1通のメールを送った。

「試合頑張ってください。応援してます。また、冬に試合しましょう。今度はもうちょっと頑張ります」

送ってから気がついた。
今日の試合はもう終わってないか?
シードナンバー1の神奈川県は、試合も一試合目で、長々バスに乗って移動してきた今の時間だと、試合も終わろうか、という頃。
散々迷った結果これかよ、頭悪いなあ私、と窓の外の流れる景色を見ながらふっと笑う。
でも、きっと明日も試合があるだろう、ということで良いことにした。

それからすぐに眠った吉澤。
次に目覚めたのは、ひざにおいていた携帯が震えたからだった。

「メールありがとう。今日は勝ちました。昨日よりもたくさん点が取れました。選抜楽しみにしてます。吉澤さんも頑張ってください」

当たり障りのない内容。
でも、メールがちゃんと返ってきたということに吉澤はほっとする。
目標までの道のりは遠いけれど、その到達点と自分はつながっている。
吉澤は、ニヤニヤしながら携帯を閉じた。

 

大会は進む。
準々決勝は95−62
準決勝は前半てこずりつつも後半突き放して75−54
神奈川県チームは順当に勝ちあがる。

「7番に付かせてください」
「石川にはまだ無理だ」

決勝の前日。
対戦相手をビデオで見ながらのミーティング。
組み合わせはインターハイと同じ、福岡県、すなわち中村学院である。
7番、是永美記。
インターハイの再戦を望む石川が、マッチアップで付かせてくれと懇願するが、和田コーチの返事はにべもない。

「この子に勝つためにこの2ヶ月練習してきたんです。だから、7番に付かせてください」
「2ヶ月でどうにかある相手じゃないのは石川が1番分かってるんじゃないのか?」

2ヶ月間必死に練習してきた。
立派な言葉に一瞬聞こえるが、よくよく考えてみれば高々2ヶ月に過ぎない。
元々高い能力がある人間が、2ヶ月練習をすればそれなりのものにはなるが、それなりとはトップレベルということとは違う。
石川だって当然それは分かっているので、こう言われてしまうとこれ以上言葉は続かない。

「7番には柴田。出来るだけパスを入れないつもりでディフェンスしろ。ボール入れられると厳しいから」
「はい」

柴田は石川の方をチラッと見たが、石川は意外と無表情だった。

「凹んでないね」

ミーティングが終わり解散。
1年生は洗濯に向かったり、スタメンの中では平家や高橋はコーチ室に残ってビデオを見たりしているが、柴田と石川はさっさと引き上げてお風呂に向かった。
基本的にその日のスタメンが先にゆっくりお風呂に入る時間を作る、というルールがあるので、浴場には2人しかいない。
体も洗って髪も洗って浴槽につかる。
天然温泉、というわけもなく、単なる大浴場ではあるが、家風呂と違う大きさは、遠征に来る楽しみの1つでもある。
タオルは体に巻かず頭の上に乗せて、壁際に並んで寄りかかった柴田は隣の石川に声をかけた。

「うーん、言ってみただけだし」
「言ってみただけ?」
「是永美記ちゃんは私じゃまだ止められないよ」
「そっか」

見た目だけではなく、実際の口調も凹んでいる空気はまとっていない。
気持ちを押し隠しているなら、他のメンバーはともかく柴田なら大体読み取れるが、そんな様子も見られない。

「先生、なんて答えるかなあって興味あったんだ」
「なによそれ」
「ちょっとは迷ってくれるかなって。2ヶ月でうまくなったって自分では思ってる。だけど、先生はどう見てるのかよくわかんないからさ。ああやって言って、ちょっとは迷うようなら、私も少しはうまくなったのかなって思ったんだけど、何の迷いもなかったね」

石川は頭の上のタオルを手にとって、顔の汗をぬぐう。
普段からメイクもしない石川は、ためらいもなくタオルで顔全体を拭く。

「私はうまくなったと思うよ、梨華ちゃん。1対1でも結構止めたりもしてたじゃない」
「うん。そうだね」

少し気のない声。
柴田は石川の方を見る。
柴田が言葉をつなごうとする前に、石川が続けた。

「前よりはちょっとはディフェンスできるようになったけど、まだまだ是永美記ちゃんにはかなわない。それが今の私。だから、明日は、まず点を取る。止められないんだから、私も止めさせない」

柴田からは石川の横顔が見える。
その表情と声の調子から、自信7割不安3割、そんな風に読み取る。
柴田は、薄く笑ってお湯をすくい顔をぬぐった。
他人事じゃない。
自分は、その是永美記を抜くことは出来ないのだから、抜かせないようにしないといけないのだ。

「まあ、ディフェンスは、裸の付き合いの柴ちゃんがほめてくれたんだから、それで良しとしますか」
「別に褒めてません」
「もう、照れちゃって」

石川は頭に載せたタオルを手にとって立ち上がった。

「明日も勝つぞー。キャ!」

仁王立ちでこぶしを石川が振り上げたところで扉が開いた。
慌てて胸を両手で隠ししゃがみこみ湯船につかる。
入ってきたのは小川。
えらいすんません、とばかりに頭をかきながら、洗い場へ向かう。
柴田は、顔を覆って恥ずかしがっている石川の隣で、声を出して笑っていた。

インターハイの再戦。
チーム名は県名になるけれど、中の人は同じなので、実質的にはインターハイの再戦。
今年の2強、という形である。

「内と外、うまく使い分けろよ。ひきつけて外へ、ひきつけて中へ。スリーポイント、積極的に」
「はい」
「石川は、好きにやってみろ。ただ、周りと重ならないように」
「はい」
「ディフェンス。柴田。とにかく持たせるな。ボール関係なしに、とにかく7番に張り付きで」
「はい」

ゲーム開始直前。
和田コーチが1つ1つ確認する。
前日ミーティングでも決めたところ。
ベンチにスタメンの5人が座り、コーチがそれに向かい合う位置に立ち、他のメンバーはそれを取り囲む。
神奈川県としての出場なので、ユニホームのデザインがいつもと違い、イタリック体ローマ字でKANAGAWAと記されているのが違うが、それ以外はいつもの試合前の光景と同じである。

国体はインターハイや冬のウインターカップと比べて少々地味だ。
他の3大大会なら決勝にもなれば、スタメンは場内アナウンスに従って1人づつフロアに上がっていくが、国体の場合、普通に静かに5人がフロアに並び向かい合って試合が始まる。

「高橋」
「はい」
「ボールもらえるタイミング、あまり長くないと思うから、見逃さないで頂戴ね」
「分かってます」

センターサークルに向かう間、石川が高橋に声をかける。
今日の役割はオフェンス。
元々の石川の得意な部分である。
7番にマークうんぬんは、ほとんどこだわっていない。
まず、攻撃面で、40分出ていたのに4点に抑えられたインターハイの借りを返さないといけない。

キャプテン同士が握手を交わし、レフリーとも握手をし、試合が始まる。
ジャンプボール、センターサークルでまずは相手をピックアップ。

「十番」

是永が石川のところに歩み寄ってくる。
マークするつもりの相手と、自分をマークしようとしている相手が違うとき、このジャンプボールのピックアップで少し混乱がおきる。
自分が寄っていっても、相手が逃げて、別の人間が寄ってきたりする。
石川は、当初の予定では5番につくはずなので、そちらに向かわないといけないのだが、自分の横に付く是永から逃げなかった。
来るなら来なさいよ、という受けて立つ姿勢。
とりあえず、5番には、頭を掻きながら柴田が付く。
柴田とすれば、少々気分を削がれた形ではあった。

ジャンプボールは福岡が取る。
相手ボールになった時点でピックアップのやり直し。
是永には柴田が付いて、石川はインサイドに入ってくる5番に付く。

是永と柴田の競り合いは最初から激しい。
柴田としては、ボールサイドに入って是永を陰に隠してしまおうとして動く。
是永は、それをかいくぐって、ボールを受けられる位置に入ろうとする。
今日の鍵は自分だ、と柴田は思っていた。
石川が是永から点を取れるか取れないかは分からない。
だけど、取れなくても攻め手は他にもある。
石川の出来不出来は、チームが楽になるかどうかの違いに過ぎない。
一方、是永を自分が止められなかったら、誰もとめることは出来ないことになる。
自分の変わりはいない。
柴田の出来は勝敗に直結する。

4対4プラス1対1。
そう見えるくらいに、是永柴田のところだけ動きの激しさが違う。
特に、ディフェンスの柴田がボールはどこにあろうと、そこのカバーは無視して是永に張り付いているので、試合の流れと違う空気が流れている。
1本目の福岡チームのオフェンスは、是永にボールが入ることはなく、時間ぎりぎりまで攻めあぐねた挙句の外からの無理やりスリーポイントが外れ、平家がリバウンドを拾った。

神奈川のオフェンス。
外れると思いながらのシュートを打った福岡チームの戻りは当然早く速攻の形にはならない。
高橋がゆっくり持ち上がってセットオフェンス。
福岡ディフェンスはインターハイと同じボックスワン。
先ほど柴田是永の所だけ空気が違ったように、今度は石川是永のところだけ空気が違う。

柴田が是永についたときに、ボールを持たれたらやられる、という意識をしていたのと同じように、石川の方も、ボールを受けることさえ出来れば何とかなる、と思っている。
インターハイのときは、そのボールをもらうところまでいけなかった。
今度は最初から考えている。

高橋−小川−高橋、と外でまわす。
柴田も中に入って、ゴール下に平家と並ぶ。
石川は、そのゴール下に駆け込んだ。
ボールは上の位置にある。
そこからのパスを抑える意識で是永は付いていて、このままではボールは受けられない。
石川は、ゴール下の平家の肩越しに逆サイドへ抜けていった。
是永はこの平家の壁に引っかかる。
それを避けて石川を追おうとし、回り込むにももう1人、柴田も立っていた。
仕方なく、石川の後ろを追いかける形になったが、当然先に走る石川の方が速い。
外に開いたところへ高橋からパスが落とされる。
左15度、スリーポイントラインの外、空中でボールを受けながらターンしてゴールの側を向く。
そのままシュートの体勢を取ると、是永が遠目の位置からジャンプしてチェックに飛ぶと見せかける。
石川は、シュートを見せかけにして是永を抜き去るつもりでドリブルを付くが、是永のシュートチェックの方がフェイク。
ライン際へのドリブルに是永は付いてきて、石川はターンしてかわそうとするが振り切れない。
ゴール下、狭いところにはまり込んで石川は囲まれる。
しかたなく外に戻し、受けた高橋はミートしてワンドリブルでディフェンスを外してジャンプシュート。
これはリング手前に当たって跳ね上がった。
リバウンドは福岡の5番が拾う。

どちらもこの試合はディフェンスの意識が強い。
互いにいつもの得点力は発揮できず、ロースコアな進展となる。
是永にはなかなかボールが入らない。
石川はボールを受けるところまで行くことは出来るが、自由にシュートを打つところまでは行かない。
結果的に、攻め手の多さの分神奈川がわずかに優位に試合を進め、1クォーターを終えて13−10とリードする。

2クォーターに入ると、今度は是永の方が少し考えてきた。
1人でディフェンスを振り切れないのなら、味方を使って自分がボールを受けられる形を作ればいい。
石川がやったことと同じようなことである。
神奈川と福岡、富ヶ岡と中村学院の大きな違い、石川は攻撃の中心選手ではあるけれど攻め手の1つに過ぎない。
それに対し、是永はチームの大エースであって、基本的に是永が点を取るための戦術が組まれる。

石川は自分がボールを受けるために、周りを使って自分が動かなくてはいけないが、是永の場合は、先に味方が動いてそれを使って自分が動く。
外に開いた是永に柴田はボールサイドに立ってパスが入らないように抑える。
その、かぶさった位置取り、通常より前のめりとも言える形に対して、福岡のインサイドのプレイヤーが外へ出てきてスクリーンをかけた。
通常のディフェンスの位置と比べて、前に出ていてオフェンスに近い分、スクリーンも味方に近い位置になるのでその肩越しを是永が抜けて行きやすい。
肩越しを抜けると、ディフェンスはそのスクリーンに引っかかるために一瞬フリーが出来る。
それを解消するには、スクリーンをかけられる前に動くか、ディフェンスをスイッチして、スクリーンをかけに来たオフェンスに付くマークマンが是永についていくかの2択。
ここでは、間に合わないと感じた柴田が「スイッチ」と声を出し、それに呼応して石川が是永に付こうとするが、スクリーンをかけるオフェンスを追ってきた石川と駆け抜けようとしている是永では動きのベクトルが逆になる。
当然、スイッチしても1歩遅れることになり、フリーになった是永がボールを受けた。
ゴール下、平家がカバーしようとするが、シュートフェイクで飛ばされて、その横を是永がすり抜け、簡単なバックシュートを決めた。

2クォーター中盤、22−23と逆転されたところで神奈川県チームがタイムアウトを取った。

「もっと声出して連携取れよ」

戻ってきたメンバーへ和田コーチの一言。
言いたいことは、精神的な問題ではない。

「柴田の視界には他のオフェンスは入ってこないんだからさ、周りが連絡してやらないと」

1人の相手に張り付く、というのは他の動きをほとんど無視するということ。
パスを受けるのを防ぐ、という発想なのでボールのある位置まではある程度把握して動いているが、他のオフェンスがどの位置にいてどういう動きをしているかまでは目に入らない。
柴田のディフェンス力は確かに高いが、背中にも目が付いている、というまでのレベルではない。
ただ、耳はいつでも開いているので、スクリーンがいったという声がかかれば、それに呼応して動くことが出来る。
声を出す、というのは単に精神面を鼓舞するというようなことではなく、現実的に問題点に対処するための手段である。

「柴田。スクリーン来たら、基本ファイトオーバーで付いていけ。スイッチはするな」
「はい」

ファイトオーバーとは、スクリーンと呼ばれる壁となっている相手オフェンスを回り込むことなく、マークしている是永にそのまま付いていくこと。
判断が遅れると、この形では付いていけないので、外を回り込むスライドと呼ばれる形で付いていくか、自分で追うのはあきらめて別の誰かにスイッチするかになる。

「石川」
「はい」
「ボール持ったらまずシュートを打て。かわそうとするな。まずシュートだ」
「はい」
「いいか、勝つって言うのは、どんな形でも点を取るってことだからな。1対1で抜き去るっていうのはその手段の1つであって、そんなことしなくても点を取れば勝ちだからな」
「はい」
「おまえはシュートレンジが広いんだから、ボール持ったらまず打て。1本決めれば、突破もしやすくなるはずだから」

ある相手に勝ちたいと思ったとき、1番気分がいいのはドリブルで抜き去って点を取ることである。
ただ、試合としては、ドリブルで抜こうが外から打とうが、2点は2点。
もっと外から打てば、抜き去ったときよりも点が多い3点が入ったりもする。
負けず嫌いの石川、時折チームとしての試合を忘れて個人としての勝負に走ることがあるので、和田コーチはここで釘を刺しておいた。

「高橋、石川ばっかり使おうとしないで私にもパス頂戴よ」
「すいません」
「なんか、外の方を警戒してるみたいで、意外とハイポストとか余裕あるからさ。1本頂戴」
「はい」
「相手、ボックスのゾーンなんだから、高橋も考えろよ」

オフェンスは石川だけじゃない。
誰がとっても2点は2点、それがこのチームのやり方である。

タイムアウト明け。
エンドからボールを受けて高橋が持ち上がる。
ゆっくりと上がってセットオフェンス。
平家がハイポストにボールを受けに来たので簡単に入れる。
インサイドのプレイヤーが平家の後ろに付くが、当たりは厳しくはない。
単純にターンして勝負しようとしとするが、ゴール下にもう1枚ディフェンスがいるのでやめる。
外、0度の位置に開いた柴田にはたく。
ディフェンスは遠く、シュートチャンスはあるのだが、0度からのスリーポイントは柴田にとってあまり自信の持てる選択肢ではない。
上に上がった小川に戻し、自分はローポストに降りてきた平家を壁に使ってゴール下を抜けていく。
ディフェンスはゾーンで受け渡すので、それだけで崩れたりはしない。
小川は、隣の高橋に戻す。
柴田は、逆サイド、ローポストの少し外側の位置にいる石川に対して、かぶさる形でついている是永にスクリーンをかけに動いた。。

先ほど自分がやられた逆の形だが、連絡が早く、柴田が壁になる前に是永はファイトオーバーの形でスクリーンを外す。
しかし、ここで是永が一瞬石川を見失った。
柴田を壁にしてゴール下へ入ること自体がフェイント。
石川は外へ開いて高橋からのパスを受ける。
一瞬のノーマーク。
是永は少し離れているが、それでもシュートチェックに飛ぶように見せかける。
今度は石川はそれを無視して速いモーションでシュートを放った。
左15度、スリーポイントラインをわずかに踏んだ形。
やや力が入ったか、ボールはリング奥側に当たって大きく跳ね飛ぶ。

リバウンドは、逆サイドに開いていた小川のところに落ちた。
それを見て、スクリーンアウトにあって中に入れなかった平家が、逆にそのままの形で面を取ってローポストで小川からボールを受ける。
この位置での1対1なら平家は強い。
単純にターンして、ゴール下に踏み込むと見せかけてフェイドアウェー。
地面に対して垂直ではなく、ゴールから離れる方向、自分の背中の側へジャンプしてシュートを打つ。
ゴールから離れる分、ディフェンスからも離れる形になって、ブロックされにくくなる平家の得意のシュート。
本来は、ゴール下に踏み込んで、ファウルまでもらってゴールも決める、というのが理想だが、確実に点がほしい場面では、こういう選択をすることも多い。
このシュートが決まり再び逆転する。

両者ディフェンスが厳しく、シュートまで持っていくのに時間がかかる。
点も伸びずに、あまり素人受けがしにくい展開。
会場も重苦しい雰囲気が覆っている。
福岡は、是永がボールを受けて点を取り始めて周りも生きるようになった。
神奈川ディフェンスが、是永がボールを持つと、どうしても目の前の相手だけでなく、そちらも気にしないといけない。
そうすることで、是永が崩して、開いたスペースで他のメンバーが受けて点を取るという構図も出来てくる。

外でボールをまわす。
スリーポイントラインから離れた位置では、ディフェンスもきつくはつかない。
高橋も小川も、ある程度離れた位置にいる。
是永はインサイドにいた。
ゴール周りに狭い状況を作り、味方も敵も、適当に壁に使って柴田を振り切ろうとしている。
ローポストにいる味方のために平家に是永がスクリーンをかける。
呼応して、そのセンターがゴール下を抜けて逆サイドへ抜けようとし、平家はスライドの形でついていこうとする。
スライドでつくためには、なるべく距離を縮めるために、是永のマークである柴田は、スペースを空けて、平家が是永と柴田の間を抜けていく形になる。
このとき、是永は平家を眼くらましにして、先に外へ1歩踏み出す。
慌てた柴田は、付いていこうとするが、実際には是永は逆に動き、外へ動いた柴田の横を抜けて上に上がる。
ハイポスト、上から是永にボールが渡る。
柴田は一瞬振られはしたがついていて、背中に張り付く形になった。

1対1。
是永は、左にターンして単純に突っ込んだ。
フェイクが来ると想定していた柴田は後手に周り出遅れる。
ドリブルでゴール下まで駆け込む是永。
強引に止めようとした柴田の手が出てファウル。
是永は、それを意にも介さずシュートまで決めてカウントワンスローになった。

「あ゛ー!」

搾り出すような声を出して、柴田は自分の太ももを叩く。
1クォーター、ある程度うまくいっていたディフェンスが、2クォーターに入って崩されている。
自分のせいだ自分のせいだ自分のせいだ。
何が悪いどこが悪いどうしたらいい。
ひざに手を置いて考える。
苛立ちに流されそうな、自信を失って活力を失いそうな、そんな感情を押さえ込む。
善後策を考える。
勝つために。

「ガードにもうちょっとプレッシャーかけてみないか」

ゴール下に集まったメンバーに平家が提案する。
タイムアウトではないのだが、ファウルからフリースローまでの間には、レフリーがオフィシャルにコールして確認するため、数十秒の間が空くことがある。
そんな、ミニミーティング。

「ガードがプレッシャー感じてないから、あいたところに楽にパスが入ってる。少しプレッシャーかけてみよう」
「中のスペース広がらんですか?」
「それは仕方ないだろ。とりあえず残り時間少ないしやってみよう」
「はい」

2クォーターは残り2分を切った。
これでうまく行かなければハーフタイムにコーチを交えて考え直せばいい。
ミニミーティングは解散し、高橋と小川が去っていくなか、平家はリバウンドポジションに入らずに柴田を捕まえた。

「柴田、悪くないぞそんなに。今のままでいい。我慢しろ」
「はい」

肩を組まれて、周りに聞こえないように耳元でささやかれ、柴田は小さくうなづく。
先輩に悪くないといわれれば、少しは落ち着ける。

フリースローを難なく決めて、福岡がリードする。
神奈川はオフェンスも少し問題が出ていた。
石川は是永に勝ちきれない。
柴田はディフェンスにエネルギーを割かれていて、攻撃面では中心になるのは負荷がきつすぎる。
小川は、元々の能力的に周りの先輩たちより少し落ちるというのもあるが、それ以上に今日は今ひとつシュート確率が悪く調子が良くない。
結果的に、平家1枚に頼る形になっている。
オフェンスは、1枚エースがいればそこで点を取れるので目に見える形でのダメージはまだないが、チームの状態としてはあまりいい状況ではない。
ディフェンスが平家をつぶそう、という形にしてきたときに対応できるかが問題になる。

互いに1本づつターンオーバーの形で攻撃チャンスをつぶし、1分を切って神奈川のオフェンス。
石川が外に開いて高橋からボールを受け、シュートの構えを取って是永との1対1、と見せかけたところから、中に駆け込む高橋へパスを入れる。
お手本のような高橋のパスアンドランからの展開だったが、シュートの段階でファウルを受け、それは決められずフリースローをもらう。
高橋は2本目だけを決めて1点差。

福岡のオフェンス。
ガード陣もきつくつかれるようになってパスの周りが悪くなった。
高橋小川が、前に出る形になるので、ハイポストのあたりが広く空くのだが、そこはゾーンでもないのに、平家が1人でカバーする。
是永も、柴田を振り切って一瞬フリーになる場面は作れるのだが、そのタイミングでパスが出てこないので、結果的にボールが受けられない。
平家のマークの相手のセンターが、ローポストに入っていく。
そこに無理やり上からの長いパスを入れようとしたのだが、それは平家がカットした。

「スタート!」

残り時間はわずか。
ここは速攻で決めたい。
高橋がボールを受けに降りてくるが、平家はそこへ出さずに目に入った石川へ送った。
オフェンス時とディフェンス時でマッチアップが違うので、ボールを奪った直後は、石川と是永の距離は遠い。
ボールを受けた石川は、まず目の前の相手をバックチェンジでかわして抜き去る。
フロントコートに上がって、小川と2人で2対2の形。
アウトナンバーではないので周りの上がりを待つのが一般的な選択肢。
石川はここで、そんな状況にかまわずに突っ込んだ。
左を走る小川の方を見てそこにパス、という雰囲気を作って実際には右にボールを持ち替えてディフェンスを抜き去りに行く。
ここまではディフェンスも対応したが、バックターンして左に持ち替えて振り切った。
スリーポイントラインを超えてゴールへ。
2対1の局面。
ディフェンスがつきにくるので、ストップジャンプシュート、という形を見せてから再加速。
ブロックに飛ぼうと重心を前に動かしたディフェンスの横を抜けてゴール下へ。
体勢が少し崩れていて、簡単とは行かない形であったが、右手のスナップでバックボードに当ててシュートを決めた。

小川とハイタッチをかわしてディフェンスに戻る。
わずかな残り時間、福岡はセンターライン付近までつないであとはシュートを投げるが、これは大きく外れてブザーが鳴る。
石川は、気分のいい形で前半を終えた。
27−26 ロースコアながら神奈川の1点リード。

スコアリーダーは12点を取っている平家。
石川は、最後の1本と、1クォーターに周りが崩してカバーに是永が向かって自分がフリーになったところで決めて2本のシュートで6点取っている。
あとは、高橋の3点、小川の2点、柴田もフリースロー2本を含めて4点。
福岡の方は、是永が1人で15点と、半分以上の点を稼いでいた。

「上出来上出来」

ハーフタイム。
神奈川はすばやく控え室に帰る。
メンバーを集めて和田コーチが最初に上機嫌で言った。

「ディフェンスはあれでいいぞ。これだけ押さえ込めれば問題ない」
「石川、今までで1番いいんじゃないか?」

石川に振ったのは平家。
是永をどう抑えるか、というのがこの試合の主テーマだが、隠れテーマとして石川のところから崩されないこと、というのもある。
仮に是永を抑えても、他から崩されては意味がないのだ。
石川のマッチアップで取られた点数は4点。
特に問題になるようなことは起きていない。

「すいません、1人で抑えきれなくて」
「いや、柴田。あれでいいぞ。あれだけのディフェンスしてまだファウル1つっていうのは上出来だ」

相手のエースに張り付く。
通常、フェイスと呼ばれるこの方のディフェンスで付くと、たとえ前半は得点を押さえたにしても、ファウルがかさんで後半苦しくなる、というのがありがちなパターン。
抑えるということとファウルをしないということを両立させるのは、相手のレベルが上がれば上がるほど難しくなる。
それが、20分経って1つだけなら、後半も同じようにタイトにつくことが出来、ここで戦術の変更の必要もない・

「後はオフェンスだな。後半はインサイド絞ってくるだろ。高橋、小川。勝負どころだぞ」
「打ってええんですか?」
「高橋、あなたガードなんだから、人に聞かずに自分でちゃんと流れ読んで、打つのか捌くのか決めなさいよ」
「石川が流れ読むとか、ずいぶんえらくなったもんだな」
「なんですかそれ。ひどいですよ。それじゃまるで私が流れも空気も読めないみたいじゃないですか」
「違うのか?」
「違わないです」
「もう、柴ちゃんまで」

インターハイ決勝のハーフタイムと決定的に違うこと。
とりあえず石川が明るい。
まだ、是永相手に力で上回って点を取ったというシーンはないが、手も足も出ないというほどひどいやられ方もしていない。
本人が満足しているかどうかはともかく、ミーティングに暗い影が差さない程度にはちゃんと明るく振舞っている。

「とにかく。中に絞ってきたら外から打て。柴田も余裕があれば打て。3枚で打ちまくればまた開いてくるから、そしたらまた中に入れればいい」
「無理には打つ必要ないからね。後半もまだ中がゆるくて外に張るようだったら、ハイポでもローポでも、私が受けるから」
「石川さんはどうするんですか?」
「私? どうしましょう」
「自分で考えろ」

どうしましょうと平家の顔を見たら、冷たく返された。
信頼されているんだか、当てにされていないんだか。
このチームは、石川のための戦術、というものは作ってくれない。
全体で崩して点を取る。
1人に頼ったオフェンスはしない。
自分がエースだと言いたいのなら、自分で打開して点を取らないといけないのだ。

「前半もそう悪くなかったんだから、そろそろシュートも入るだろ。ただ、1対1にこだわるようなら代えるからな。捌いた方がいい場面はちゃんと捌けよ。2クォーターの高橋に戻してファウルもらったあたりは良かったな」
「私の動きよかったですか?」
「高橋は、あれはシュートも決めてカウントにしなさいよ。せっかくいい形だったのに、私のアシストつかなかったじゃない」
「アシストがどうこう言うガラか」
「えー。だって、せっかくのトリプルダブルが」
「おまえ、アシストとリバウンドの前に、十点取ってからそういうこと言え」
「厳しいですよー、平家さん」

トリプルダブルとは、得点、リバウンド、アシスト、すべて2桁あること。
つまり、得点で言えば、最低十点が必要である。

「あんまり石川をいじめるな平家」
「はい。すいません」
「体力的には問題ないな?」
「はい」
「よし、じゃあ、3クォーター、出だし勝負かけよう」
「はい」
「いつもと今日は少し違って、柴田は7番張り付きは変えないで、石川を前に出す。石川、出来るな?」
「たぶん」
「たぶんじゃない。しっかりやれ」
「はい」

適当なタイミングで前からゾーンで当たって、ターンオーバーを頻発させて一気に点差を開く。
このチームの得意とするパターン。
通常は、高橋−小川柴田−石川−平家、という形での1−2−1−1であるが、今回は柴田を是永につけるという点を変えたくないので変則的な形になる。
これを見越して練習は繰り返してきたが、それでもやはり不安要素は元々ディフェンスが余り得意ではない上に、いつもと少し違う位置取りになる石川である。

「よし、後半勝負。自信もって行け」
「はい!」

ミーティングは終わり。
監督は出て行く。
女子のチームの男子の監督というのは、こういうとき、少々さびしい。
控え室は更衣室を兼ねているので、ハーフタイム中にユニホームの内側の汗も拭きたいというような行動を取るかもしれないので、男子の監督は部屋の中にいられないのだ。
マネージャーあたりが監督についていたり、控えメンバーは先にフロアに戻ったり、いろいろとあるが、ひどい場合は、監督1人がぽつんとベンチに戻っていたりもする。
和田コーチの場合は、ベンチにぽつんは寂しすぎるので、コートへ続く通路の壁に寄りかかっていることが多い。
やがて、メンバーたちは平家を先頭に控え室から出てきた。

第3クォーター。
神奈川ボールで始まる。
小川がボールを入れて高橋が受ける。
セットオフェンス。
福岡のディフェンスシステムは、是永が石川にマッチアップしたボックスワンで変わらない。
ただ、ハーフタイムの予想通り、インサイドを狭く絞ってきた。
高橋、小川が外に開いている時点では自由にボールを持たせてもらえる。
一方で、平家のエリアはディフェンスが厳しく、1人ではなく、1人半くらいで抑えている印象になる。

高橋−小川−高橋。
とりあえず外でつないで、適当にポジションを替えるが、中の狭さは変わらない。
高橋の第1感では、インサイド平家で勝負と行きたいのだが、ボールを入れられるタイミングが見つけられない。
ハイポストに上がってくれば、上の1人が前をカバーして、裏も下の1人が見ている。
ローポストでは、ディフェンスはボールサイドに立って、もう1人の下のプレイヤーが裏に当たるゴール下をカバー。
ボールが入れば2人が相手でもどうにかしてくれるかもしれないが、平家に渡る前にボールは奪われてしまうだろう。

ハーフタイムの予想通り。
外から様子を伺っていても、ディフェンスが広がってくる気配もない。
だったら、ハーフタイムの指示通りに動けば良い。
リズムとしてあまり良くはないが、高橋からの横パスを、ゴールに対して六十度ほど、スリーポイントライン少し離れたあたりで小川がシュートを放つ。
ディフェンスは軽く手を伸ばすだけで、ほとんどフリーで打たせてもらった形だが、リング手前に当たって跳ね上がる。
リバウンドは福岡の5番が拾った。

3クォーターもディフェンス優位の展開が続く。
ボールは運べるのだが、良い形でのシュートまでは持っていけない。
福岡も是永を中心にしたいのだが、ハーフで少し休んだ柴田が、しっかり集中し足を動かして付いている。
是永抜きの4対4の形では福岡の攻撃力は半減してしまい、神奈川ディフェンスを破れない。
実際にはボールが渡るだけでもいいのだ。
是永自身が点を取らなくても、切り込んで崩せば周りは動くし、ボールを持つだけでも、他のディフェンスが是永を意識するので、動きやすい。
しかしながら、3クォーター序盤は、柴田のディフェンスが固く、是永につなげない。

バスケットボールでは珍しく、出だし4分ほどスコアレスで進んだ。
両ベンチから声が飛ぶが、フロアの上は膠着状態である。
こういう場合、点を取りたい意識も、点を取られたくない意識も、どちらも強くなっていく。
早く、相手より先に点を取りたい。
相手に先に点を取られてはいけない。
たとえ、少しくらいの無理をしたとしても。

福岡はどうしても是永につなぎたかった。
ポイントガードではないので攻撃の基点という表現は少々おかしいが、それでも実際のところ是永にボールが渡ったところから相手を崩すことになる。
ボールは0度の位置。
ローポストで面を取った5番に入れる。
背後には石川。
ゴール下には平家も控えているのが分かっているので、5番は勝負せずに外に戻し、逆サイドへ切れていく。
是永は九十度の位置にいた。
インサイド、5番が切れて外へ出て行くのを見て取って、自分は逆サイドへというワンフェイクを軽く入れて、柴田を揺さぶってから、中へ駆け込んでいく。
柴田は必死にボールサイドを押さえる。
0度の位置にあるボール。
普通につなげば是永には入らず柴田に抑えられる。
この状況で無理やりにパスが送られた。
山なりの、裏へ通すパス。
それも駆け込みながらなので、取りづらい形。
平家がゴール下にまだいたので是永はまずいと思ったが、そこまで目に入っていない柴田はそれ以上にまずいと思った。
パスが通ればゴール下、是永なら簡単に決める。
平家に任せれば取れたであろうボール。
柴田はそのボールを追おうとする。
実際には、是永に飛び掛る形になった。

ゴール下に2人でもつれ合って倒れこむ。
床に叩きつけられる派手な音。
当然笛が鳴った。

音が音だけに、メンバーが周りに集まる。
先に体を起こしたのは柴田。
是永は、左肩を抑えて倒れている。
平家が柴田の手をとって立ち上がらせた。

「大丈夫か?」
「わたしは・・・」

自分は大丈夫。
のしかかった側なので、是永がクッションになっている。
だけど、それを「大丈夫」と口にするには目の前の光景が痛々しい。
是永の様子を見守る。

是永は、メンバーが体を起こした。
右手で左の方を抑えて苦しそうな顔をしている。

「てめー! ありえないファウルするなよ! 美記をつぶす気か!」

6番を背負った3年生らしいプレイヤーが柴田に食って掛る。
柴田は何も答えられない。
100パーセント自分が悪いだけに何もいえない。
この試合は、是永が怪我でメンバーチェンジするようならそこで終了である。
それは神奈川のメンバーもそうだが、福岡のチームメイトたちが1番よく分かっている。
エースをつぶす。
怪我をさせてでもつぶす。
勝つための手法としてだけ考えるとあまりにも適切で、ありえなくはない選択肢なので、そういう怒りをもつのはおかしくはない。

ユニホームをつかみかからんばかりの勢いの6番と柴田の間にレフリーが割ってはいる。
平家が柴田を引っ張って後ろへ下げ、6番も味方に止められて2人の距離は取られる。

是永は肩を抑えたまま立ち上がった。
レフリーがとりあえずインジュアリータイムという形でゲームを止めている。
ドクター、というのがいるわけではないが、ベンチに戻ってコーチに様子を見てもらう。
神奈川メンバーもベンチに戻った。

「柴田、あまり気にするな」

タイムアウトを取ったのとシチュエーション的には同じ。
実際、あまり時間がかかるとタイムアウト扱いにされてしまう。
メンバーがベンチに座り、その正面にコーチが立つ。
柴田はコーチに気にするなと言われても、うつむいて何もいえなかった。
怪我をする方は当然痛いが、させた方もかなり痛い。
まだ、怪我かどうかは分からないが、心情的には裁きを待つ犯罪者の感覚だ。

「スポーツやってればよくある。もちろん良いことじゃないが。必要以上に引きずるな」

和田コーチは、こう言いながらもそれは無理だろうとも思っている。
柴田は比較的善良な方に属する高校生。
相手に怪我をさせても平気でいられるような精神の持ち主でないことは、2年も付き合っていれば分かる。
ここで是永が下がるようだったら、柴田も下げようと思っていた。
怪我をさせた罰、ではなくて、心理的に持たない、と思うからだ。

タイムアウトに近い状況をもらっているので、和田コーチは冷静に指示も与えるつもりでいたが、福岡ベンチからメンバーが出てくる。
そこには是永の姿もあった。
腕、肩、首、その辺りをストレッチで延ばしたり曲げたりしながら歩いてくる。
神奈川のメンバーもそのままフロアに戻った。

「あ、あの、ごめんなさい」

そのままフロアに戻ったということは、柴田は是永のマーク継続である。
福岡ボールで再開なので、柴田は是永に歩み寄る。
恐る恐る声をかけると、是永はほとんど無表情で答えた。

「怪我は、多分ないから。大丈夫」

そう言って右手を伸ばす。
柴田はその手の意味が一瞬分からなかったが、相手の顔とその右手を交互に見て理解し、自分も右手を伸ばし握手を交わした。

エンドからボールが入る。
0度の位置で外に開いたところにボールが入る。
是永は逆サイドにいたが、大きく上に回ってそこからのパスを受ける。
そのままのスピードで突っ込んだ。
柴田、動きについては来たが、ボールを受けてからのペネトレイトのような形での突っ込みに対しては少々腰が引けた。
ペネトレイトで突っ込まれるのは、ファウルをしてしまいやすいシチュエーション。
さっきの今、というタイミングでこれを平然と止められるほど精神的に強くはない。
腰が浮いたところを横に抜けられる。
この試合初めて、外からのドリブル1対1で是永が柴田を完全にきれいに抜き去った。
ゴール下にカバーもなく、そのままシュートを決める。
第3クォーターも5分近く過ぎて、ようやく得点が動いた。

神奈川オフェンスは、インサイドをきつく締められて仕方なく外でまわす展開。
スリーポイントシュートは、外れれば外れるほど、次のシュートを打つことへのためらいができて、また外れるという悪循環が築かれる。
今日の小川がそうだった。
相手がボックスワンで、そのボックスのゾーンがインサイドを締めているのだから、シューターの自分が外から打つべき。
そんなことは頭ではよく分かっているが、ここまで3本続けて外していると、フリーであればあるほど、また外れるのではないかというイメージがボールを持った瞬間に頭に浮かぶ。
だからと言ってシュートを打たずにパスに逃げる、というほど精神的には弱くはないのだが、決められるほど強くもなく。
リング奥に当たって跳ね上がったボールを福岡のセンター陣にリバウンドでさらわれる。

3クォーターはディフェンスで前から当たってラッシュをかけ、点差を広げる、というハーフタイムでの決め事だった。
ただ、その前から当たる、というのは相手のエンドラインからボールが入れられる、つまり、点を取った直後のシチュエーションでのもの。
その最初の得点が取れないと、これは成立しない。
5分をかけてまだノーゴール。
それでも、相手も点が取れていないのが救いなのだが、ここに来てそちらの面も厳しくなってきた。
是永にボールが入って外から1対1。
柴田が抜き去られてゴール下へ、今度は平家がカバーに入るが、シュートフェイクで飛ばされて、そこから1歩踏み込んだ是永が体を傾けながらも平家をかわした位置でシュートを決める。
この段階で神奈川ベンチがタイムアウトを取った。
福岡の3点リード。

「柴田、もうそろそろ勘弁してもらってもいいだろ。慰謝料は4点くらいで十分じゃないか?」

是永の動きは、先ほどのファウルの前後であまり変わっていない。
肩を強く打ちつけた影響はほとんどないようだ。
それに対して柴田の動きが明らかに悪くなっている。
精神的な負い目。
それが、激しいディフェンスをしにくくしている。
和田コーチはマッチアップを変えようかと一瞬思ったが、やはり石川や、あるいは小川でも少々この荷は重い。
柴田に頑張ってもらうしかないのだ。

「オフェンス、小川。今のままでいいぞ」
「え?」
「何も考えずに打ってろ。そのうち入る」
「はぁ」
「頭良くないんだからあまり考えずに打てばいい。平家。お前がオフェンスリバウンドもう少し拾ってやらないとダメだろ」
「すいません」

オフェンスでリバウンドを取る、というのはなかなか難しいこと。
普通にディフェンスをしている限り、オフェンスよりもディフェンスの方が常にゴールに近い位置に立っている。
外からシュートが打たれた瞬間、オフェンスはディフェンスの外側にいるのだ。
その位置関係なのにリバウンドを取る、というのは難しいことであって、それがあまり出来なくても本来は責められるほどのことではない。
しかし、和田コーチは、ここで小川を責めることはできないと思った。
小川にプレッシャーかけてもきっと入るようにはならない。
何も言わなくても自分の心情は通じる平家に、罪をかぶってもらうような言い方になった。

「石川も、点を取るだけじゃなくて、リバウンドもちゃんと入れよ。7番のマークはうっとうしいだろうけど、ボールサイドに位置されてるんだから、リバウンドでスクリーンアウト出来る状況は多いだろ」
「はい」
「柴田も高橋も打っていいからな。特に柴田。ディフェンスできついだろうけど、スリーでも決めてちょっとは鬱憤晴らせ」
「はい」

2本続けて抜かれて、柴田としても少し精神的な負い目はなくなった。
4点取られたことの申し訳なさの方が強くなってきている。

「シュート決めたら前からな。3クォーターはラストまでそれで行こう」
「はい」

フロアに戻ってゲーム再開。

エンドから高橋がボールを受けて持ち上がる。
オフェンスはいろいろ言われたが、要するにハーフタイムでの指示を再確認しただけだった。
やることは変わらない。
自由に外でつないで、1本中の平家に入れたがまた外に戻して。
同じように小川が打った。
同じように入らない。
ただ、リバウンドは石川の目の前に飛んできた。
スクリーンアウトされた形になっていた是永が無理にボールを奪おうとしてファウル。
神奈川ボールでもう1度オフェンスである。
シュート自体が入らなくても、リバウンドを取ってマイボールに出来れば、それはそれでいい。

というところでほっとしたのか、エンドからボールを受けた高橋は、逆サイドの柴田へ長めのパスを送ろうとして途中でさらわれた。
相手のワンマン速攻にあって簡単に決められて5点差にされる。

愚かなミスではあるが、高橋は大体一試合に一二度はこれをやる。
またやっちゃった、という類のものだ。
反省は必要ではあるが、なんで自分はこんなありえないことを、と凹むほどレアなミスではない。
これがレアではないのは悪いことではあるが。

もう1度持ち上がる。
スリーが全然入らないものだから、福岡ディフェンスは貝のように台形付近にボックスが固まって、もはや外からはご自由にどうぞ、の体勢だ。
最初は石川がそれを見て、じゃあ自分が外から、というような動きを見せていたのだが、それをやると是永がセットで外に出てくるので、小川や高橋が落ち着いていられない場面も出来てしまう。
それで、石川もここのところ内側に入っていくようになった。
石川平家の2人を5人で固めているような形。
そんな状況でまた小川にボールが入る。
福岡ディフェンスは、もうシュートのブロックに動く振り、すら見せない。
小川は自分の1番得意なゴール正面90度の場所を選び、ゆっくりと自分のタイミングでシュートを放った。
3クォーターに入って5本目。
さすがにこれは決まった。
2点差。

前から当たる。
マーク相手をピックアップする。
福岡は、3クォーターの出だしはこれで来ると読んでいたのだが、すでに7分近く経過している。
ここまで経つと点を取られたら前から当たられる、というのは頭からすっかり抜け落ちていた。
エンドから速やかにボールを入れる、ということが出来ていない。
ボールを入れるよりも、タイムアウト時に意思統一をしておいた神奈川ディフェンスのピックアップが早い。

前から当たる場合、オーソドックスには1−2−1−1のゾーンプレス、という形になるのだが、今回は柴田は是永に張り付いたままなので、1−2−1のゾーンプラス柴田、という形になる。
柴田は通常、2の中の1人なのだが、そこに、2つ目の1の石川をスライドさせる。
これまであまりディフェンスが得意でなく、また、いつもと違う位置になる石川であったが、ここはよく頑張った。
ディフェンスは通常、受身の立場だが、プレスで前から当たる場合、ボールという獲物を狙う立場に変わる。
石川にとってはその方が向いていたのかもしれない。
ボールが入ったところをダブルチームでつぶすまでの動きが早い。
バックコートで2人に囲まれると、ボールキープに長けたポイントガード以外のメンバーは、心の準備がないとたいていの場合うろたえる。
うろたえて苦し紛れに出したパスを、残りのメンバーがさらう。

1本目は、石川小川で囲んだところから出たパスを高橋がさらってそのままゴール下へ駆け込んでランニングシュート。
2本目は、高橋石川で囲んだところから是永に出たパスを柴田が奪い、小川につなぎ、バウンドパスを石川に入れてゴール下のシュートが決まる。
3本目は、エンドから1本長いパスを送ろうとして平家が奪った。
そこからセットオフェンスになる。
ボックスゾーンはまだ狭く、今度は高橋が外から打つ。
小川のときと違い、ディフェンスはシュートの際に軽く圧力をかけるそぶりは見せたが、関係なくスリーポイントが決まった。
ここでタイムアウト。
神奈川5点リードに変わる。

「1本儲かったな」

メンバーが戻っての和田コーチの一言。
自分が相手の監督だったら、2本やられたところでタイムアウトを取っているということ。

「一気に行こう。3クォーターラストまでこのまま」

3クォーターは残り1分半。
ディフェンスがはまれば、2桁点差まで開けなくはない。
残り十分で2桁あれば、セイフティーリードとまでは言えないが、大分優位に立てるのは間違いない。

神奈川ベンチは、簡単にディフェンスの意思確認をしてフロアに戻った。

時計を止めたので、ディフェンスのマッチアップがしっかり付いた状態でゲームが始まる。
しかし、今度は福岡オフェンスの心理状態が違う。
前から付かれる、ということに対する覚悟が出来ているし、ベンチで対策も取ってきた。
あとはそれがうまく行くかどうか、というだけであって、慌てる要素も驚かされる要素もない。
レフリーの笛が鳴ってゲームが再開される。

ボールは、ガード陣には簡単に入らなかった。
石川や小川、高橋の付き方がいいというのもある。
ただ、ボールをどこに入れるかの選択はオフェンス側が握っている。
エンドからボールを送った先は、是永だった。

エンドに近いところにはガード陣が2人いるのでパスは長めなものになる。
ゾーンプレスで前からあたった場合、この長めのパスというのは奪いどころ。
柴田も、マッチアップが是永であるというのと関係なしに奪いに行った。
しかし、是永のほうが1歩速い。
そこの状況判断がとっさに出来ずにボールを取りに行った柴田、相手の手をはたく形になってファウルを取られる。
この試合3つ目。

「柴田! 無理はするな!」

ベンチから声が飛ぶ。
ゾーンで前からあたった場合にありがちな光景ではあった。

この後、福岡の5番がインサイドの1対1で石川をかわして1本決めたのと、小川のスリーポイントが外れたリバウンドを拾った柴田のミドルシュート、互いに2点づつ加えて、39−34、ロースコアな展開のなかで神奈川が5点リードして第3クォーターを終えた。

最終クォーターに入る。
ここまで互いに激しいディフェンスで疲労の色も濃くなってきている。
その疲労でシュートの精度が落ちて点が取れなくなるか、ディフェンスの足が動かなくなってオフェンスをフリーにしてしまうか。
どちらが強く出るかが勝負に大きく影響してくる。

神奈川は、外からのスリーポイントがようやく入りだしてきた。
福岡ディフェンスは内に狭いところから少しづつ広がってきて、スリーポイントへのケアもしようとしている。
しかし、高橋、小川、それぞれ1本入ったのをきっかけに、なんとなくタイミングが合ってきた。
ディフェンスがくるようになっても、早いシュートモーションで打てていて、加点できている。
福岡はやはり是永が中心。
柴田のディフェンスがそろそろ厳しくなってきた。
動きが衰えない是永に対して、足がついていかなくなってきている。

コーナーに開いた是永に柴田はついている。
ボールは上でつながって、逆サイドへ回っていく。

「スクリーン行った」

声がかかる。
インサイドの5番が柴田にスクリーンをかける。
是永はそれを使ってゴール下へ。
柴田、反応自体は出来たのでファイトオーバーで5番はやり過ごしたが、スピードがついていかない。
ゴールの向こう側からバウンドパスが是永に入ってくる。
柴田は、それを強引に取りに行った。
是永が両手でボールをキャッチするところへ右手を伸ばした形。
きれいにボールに行ければ問題なかったが、柴田の右手はボールをつかんだ是永の左手にちょうど当たってしまった。

笛が鳴る。
同時に和田コーチが頭を抱えた。
柴田の4つ目のファウル。
和田コーチはベンチのメンバーを見渡す。
それからフロアを見直す。
まだ残り時間は大分ある。
5つ目のファウルをしたら退場。
柴田に退場されるわけには行かない。
レフリーがオフィシャルに柴田のファウルをコールしている。
迷っている時間は無かった。

和田コーチはブザーを鳴らす。
メンバーチェンジを要請。
柴田をベンチに下げた。
第4クォーター残り6分17秒。
神奈川県チームの九点リード。

ここでの和田コーチの選択は難しい。
誰を是永につけるか。
小川や石川を持ってくることは選択肢としてありえる。
しかしながら、どちらにしても柴田と比べるとディフェンス能力は落ちる。
それに、是永のマークにつけた上でオフェンスまで頑張れ、というのは酷だが、この2人は現状オフェンスで頑張ってもらわないといけない状況にあるのだ。
和田コーチは悩みながらも、柴田に代わって入る控えの3年生に是永のマークを任せる。
与えた指示は2つ。
抜かれてもいい、2点はかまわない、ただし、スリーポイントだけは打たせるな。
3分だけでいい、とにかく耐えろ。
残り3分を切ったところで柴田を再投入する。
それまで耐えればなんとか、というのが和田コーチの心情だ。

柴田は、ファウルをした直後は、やってしまったという表情をしていたが、ベンチに戻ってからは平静としたものだ。
まだ試合は終わっていない。
残り3分の時点でフロアに戻り、もう1度是永を止めないといけない。
今度は、後1つのファウルで退場、という状況でかつ、点差が迫っているかもしれない試合の最終盤である。
ここで落ち込んで試合から意識を切らせるほど試合経験が浅くはない。

ゲームは福岡ボールで再開する。
エンドから入るボールは外へ開いた是永へ渡る。
スリーポイントラインの外側、シュートフェイクにディフェンスは簡単に反応した。
それをライン際抜き去り、平家がカバーに入ったところをバウンドパスでセンターへ通してゴール下のシュートが決まる。

神奈川オフェンスは、4クォーター出だしのようには行かなかった。
タイムアウト時の指示があったのか、福岡のボックスゾーンが広めになっている。
高橋も小川も、マークが付いていても平然とスリーポイントを決める、というほどのところには至っていない。
それでも打つならフリーを作らないといけないのだが、結局それも出来ず二十四秒間近になってハイポストの平家につなぎ、時間がなく無理やり打ったシュートが落ちる。

福岡の速攻はアウトナンバーが作れずスローダウンするが、ゆっくり上がってきた是永が外から1対1を仕掛け、簡単にかわすとミドルレンジでジャンプシュートを決めた。
5点差となったところで和田コーチがタイムアウトを取る。
残り5分20秒。

「ディフェンス、なるべく時間使わせろ。とにかくスローダウンさせて、二十四秒使わせろ。7番のところは抜かれると思って後ろでケアしとけ。ローテーションローテーションで、とにかくしのいで、シュートをなるべく遅らせろ」

ローテーションとは、マッチアップをずらすこと。
1箇所抜かれてそこにカバーに入ったなら、カバーに行ったところを別の人間が埋め、さらにそこをまた別の人間が埋め、全体をずらすとフリーはなくなる、という論理だ。
ただ、この場合、確実にミスマッチと呼ばれる身長差がある組み合わせが生じてしまい、そこを使われると得点される率がかなり高い。
和田コーチはそれでもかまわないからとにかく時間を使わせろ、と言っているのだ。

「オフェンスは、私に任せてもらおうかな」

口を開いたのはキャプテン平家。
緊迫した終盤には似合わない穏やかな声だった。

「ゾーンが広がったから大分余裕あるし。外が難しくなったなら、私がやるしかないでしょ」
「そうだな。オフェンスはインサイド中心に行こう。外から切れ込んでもいいぞ。ただ、スリーはよほど余裕ない限りやめとけ」

スリーポイントはある種賭けに近い。
フリーなのに打たない、という選択をすることはないが、リードしているのにスリーポイント中心で行く必要も、この時間帯まで来ればない。
それでもかまわずスリーポイント、というのもなくはないが、高橋小川、さらに控えの3年生では、この終盤に戦術の柱にするには心もとなかった。

「石川は無理に勝負するな。周りを生かすように動け」
「分かってます」

4クォーターに入ってからはほとんどボールを触ることもなくなっている石川。
インターハイのときとは違い、今日は最初から相手の力を認めているので、それで腐るということもない。
自由自在に出来る相手ではないということは認めざるを得ない。

「よし、1本1本大事にな」
「はい」

タイムアウトが開けるブザーが鳴る。
フロアに戻っていく間、平家が高橋と石川を捕まえて指示を与えていた。

5点差。
大事なところである。
1本決められて3点差になれば、それはもうシュート1本で同点に追いつける圏内に入ってくる。
逆に1本決めて7点差にすれば、スリーポイント2本でも追いつけない。
5点差での攻防というのはこの終盤でかなり重要な局面である。
この点差で耐えていければ、最後まで逃げ切れる。

勝負はとにかくインサイド。
ただ、その素振りは最初は見せずに外でまわす。
タイムアウトを挟んでも、ボックスゾーンが外に広く、自分たちのアウトサイドをケアしていることを確認してから、高橋は中へボールを入れる。
平家の役割は重い。
このチーム、実質的にインサイドで力を発揮するのは平家しかいない。
石川や柴田も中に入って勝負することはあるが、それはあくまでオプション。
ゴール下で勝負する場合、独力で2人を相手にする形にもなる。

平家はなるべく2人を相手にするのではなく、1人1人を相手にした1対1の形で勝負するようにした。
そのために石川を使う。
ボックスの下のほうの1人に石川が壁になるように入る。
平家は、そこから遠い側に入って、もう1人と勝負する形。
普通だと、石川のマークについている是永が、平家がディフェンスをかわしたときに邪魔になるような立ち位置を取るのだが、石川のマークを離れないために1対1を作れている。
ローポストでボールを受けた平家は、スピンターンでディフェンスをかわし、そのままゴール下のシュートを決めた。

3クォーターまでのロースコアな展開から打って変わり、点が入る流れになってきた。
福岡も、是永を中心にして崩し、カバーに入ってくる石川や平家のマッチアップのところへボールをつないで加点していく。
5点差−7点差−5点差−7点差、行ったり来たりでそこから点差がつめられない。
残り3分を切って神奈川ベンチは柴田を再投入しようとオフィシャルに申請するが、ゲームが流れて時計が止まらないため、交代が出来ない。
5点リードで神奈川のオフェンス、

外でまわしている分にはディフェンスは厳しく来ないが、シュートレンジにまで来るとしっかり付いてくる。
平家は、ハイポストに上がったり、ローポストに降りたり、時には0度の位置で外に開いてきたりもする。
ただ、どこに動いてもディフェンスはしっかり付いていてフリーという形にはなれない。
石川には是永が張り付いている。
崩しにかかったのは小川だった。
かなり外目でボールを受けてゆっくりとシュートモーション。
ディフェンスが1歩前に出てきたところでドリブルで切れ込んでいく。
かわしきることは出来ずに1人ひきづったままミドルレンジまで入っていくと下のディフェンスが1人出てくる。
そこで小川はパスを捌く。
出した先は外に開いた平家。
ややいつものプレイゾーンからは外側であるが、そこからジャンプシュートを放とうとする。
このシュートに飛び込んでブロックしたのは、石川についていたはずの是永だった。
弾き飛ばされたルーズボールを両チームが追う。
同時に手を伸ばし、それぞれがボールを両手でつかみ引っ張り合う形。
レフリーの笛が鳴る。
ジャンプボールシチュエーション。
昔ならばジャンプボールになるところだったが、ルールが変わっていて今ではジャンプボールは試合開始時にしか行われない。
ここでは福岡ボールとなった。

もう1度ブザーが鳴る。
残り1分50秒。
神奈川ベンチは柴田あゆみを投入する。
柴田はゆっくりとフロアに入っていく。

「柴ちゃん」
「ゆっくり休んだ分、働かなくちゃね」

柴田は石川に微笑んだ。

エンドからボールが入り、福岡のガード陣が上がっていく。
先ほどまでとは違って、柴田は是永から少し離れて付いた。
ボールと是永と両方視線に入れた付き方である。
是永は、ファウルが怖いんだな、と理解した。
常に密着していると、ボールに関係ないところでも変にファウルを取られることもある。
それを恐れたのだろう、と思った。
ボールを持ってからの勝負なら勝つ自信のある是永としては、望むところである。

是永は外へ開いた。
インサイドのプレイヤーはハイポストに1人あがる。
もう1人は逆サイドへ切れていった。
ゴール下、柴田の背後は広く開いている。
是永が勝負しやすい環境を福岡チームは作った。
上を回っていたボール。
そこから、右六十度あたりの位置にいる是永へ単純なチェストパスが送られる。
このボールに、柴田が飛びついた。

柴田はベンチで戦況を見つめながら考えていた。
7番にボールを持たれたら自分には止められない。
これは試合前から思っていたことであるが、戦って見て再認識した。
しかも、ファウル4つの身。
是永を1対1で止める自信はない。

ただ、離れて見ていて気がついたことがある。
入ってくるパスが少し甘いのだ。
是永だけ見ているとそれは分からないし、反応も出来ない。
走り続けて足がきつい状態でも、飛びつくのは難しいだろう。
だけど、少し休んで体力も戻っていて、その上で、最初からそこにパスが入ってくると読んで取りに行けばどうなるか?
7番と勝負しても勝てないけれど、パサーの感覚と自分の読みとの勝負ならどうなるか?

1度きりのチャンス。
1度狙って取れなければ、次からはスティールに注意したパスしかやってこない。
柴田は、その1度きりのチャンスをつかんだ。

まさかここでスティールされると思わなかった福岡の戻りもあまりよくなかったが、まさかここでスティール出来るとも思っていなかった高橋小川も切り替えが遅い。
速攻が出せてもおかしくない場面だったにもかかわらずセットオフェンスになる。
残り時間1分半を切る。
5点リードしている立場としては時間を使うのは悪い選択じゃない、とボールを持ち上がる高橋は、自分に言い聞かす。

ここで7点差にされるのは福岡としては厳しい。
残り時間を考えると攻撃チャンスは2回、自分たちのオフェンスを無理やり詰めて3回、というところ。
絶対に失点できない場面である。

4クォーター後半は、高橋小川は単なる牽制で、実際の勝負は平家が中心できた。
どうしてもここで止めたい福岡は、平家にボールが入ることを阻止しようとする。
石川も中に入っていった。
狭いインサイド、味方を壁に使ってフリーを作ろうとする。
福岡は平家につながせたくない。

ローポストの平家はディフェンス相手に面が取れず苦しい形。
ハイポストの位置にいた石川がゆっくり降りていった。

「スクリーン行った」

是永が平家のマークにつく5番に声をかける。
石川は、この5番にスクリーン、ではなくて後ろを通って加速し、そのまま外に開いた。
壁になったのは、石川ではなくて平家の方。
慌てた是永が味方の5番をよけて石川を追おうとしたが、平家が壁になっていて石川がフリーになる。
外に開いた石川に高橋からのボールが下りてきた。

ボールを受けながらターンしてそのままスリーポイントシュート。
是永の、平家の、フロアーの選手たち、会場全体の視線を集めたそのボールは、元々定められていた軌道に乗るように、リングを通過した。

残り1分15秒で8点差。
大事な場面で石川のスリーポイントが決まった。

4クォーターに入ってから、石川は周りを生かす動きをずっとしてきた。
自分は5人の中の1人。
この試合、攻撃の中心は自分ではない。
そういう姿を見せてきた。
残り時間も押し迫ってきて、実際に平家が攻撃の中心になっている。
福岡としては点を取られるわけには行かない場面。
ここまで来て、是永も、意識が石川ではなくて平家に向かっていた。

柴田が下がった後のタイムアウトのとき。
平家から指示を受けた。
「周りを生かす動きをし続けろ。そうすれば、マークが離れだすはずだ」
自分が点を取ることをあきらめて、チーム全体で勝つことを目指しています。
そういう姿勢を是永相手に見せてきた。
高橋も、石川にパスをつなぐなという指示を受けている。
ある種の死んだ振り。
だからといって是永がマークを切り替えるわけでもないが、どうしても点を取られたくない場面では、点を取りそうなオフェンスの方に意識が行くのは当然のこと。
たまたま出来たのではなく、時間をかけて狙って作ったフリー。
この1本を石川はしっかりと決めて見せた。

この時間帯での8点差は厳しい。
ディフェンスが気をつけるべきは、スリーポイントを打たせないこととファウルをしないこと。
2点を取られるだけならあまり気にする必要はない。
オフェンス面では後は時間を使えばいい。
実際には、福岡がファウルで時間を止めてフリースローが外れるのを祈るという形で進む。
是永が1人で持ち込んで2本決めて追いすがったが、神奈川チームもフリースローで着実に加点する。
最終的には、61−53で神奈川が勝利した。

簡単にはいかない試合だった。
後半に入って逆転された場面もある。
終盤ももう1本やられたら危ないというところまで来た。
最後の点差だけ見ればインターハイと変わらないけれど、そこにいたるまでの道のりは大分違う。
それでも勝った。
何とか逃げ切った。

勝った方に涙はない。
インターハイ、国体、ウインターカップ。
3大大会の2つ目。
最初と最後と比べて真ん中は少々感動が薄いのは仕方のないところ。
それでも、苦労して勝ち取った勝利はうれしいものだ。
タイムアップの直後、石川は近くにいた柴田に駆け寄り、ジャンプしながらハイタッチをかわした。
平家は、やれやれといった表情でベンチに戻ってくる。
和田コーチと握手を交わしていると、後ろから両腕をそれぞれに捕まれた。
石川と柴田、平家をひきずってフロアの真ん中へ連れて行く。
そこに周りのメンバーを呼び集めた。
そして、胴上げ。
平家は最初は抵抗したが、この人数に囲まれて逃げ出すことが出来るはずもない。
2度、3度と中に舞う。
今日は平家さんに勝たせてもらった、という石川と柴田の共通認識。
ちょっと荒っぽいけれど、感謝の気持ちだ。

是永は自分たちのベンチに戻って、じっとその光景を見詰めていた。
仲間たちが引き上げるために荷物をまとめているのに背中を向けて、タオルで涙を拭きながら胴上げの光景を見つめていた。

 

帰りの新幹線は、新たな戦いへの片道切符。
それに乗り込んで学校まで帰れば、冬の選抜へ向けての練習が始まる。
勝てば勝つほど試合数が増えるのはスポーツ選手の宿命だ。
乗り込んだのは禁煙指定席。
大会前から、決勝翌日の指定席を予約しておくのは、自信の表れか、何かの願掛けか。
乗り込んだときこそ騒がしかったが、列車が動き出せばおとなしくなる。
特に、試合に出続けたスタメン組みには、安らかな休息の時間だ。

「柴ちゃん寝ちゃった?」
「なあに?」

2列席の窓際に座る石川が、隣に声をかける。
柴田はぼんやり寝ぼけ顔で、言葉を返す。

「なんか、疲れたね」
「そうだね」

1回戦から4日で4試合。
いつものことではあるが、当然楽ではない。

「もうちょっと出来ると思ったんだけどなあ」

窓の外を眺めながらポツリ。
見つめる先に映るのは山の景色か、別の何かか。

「次やったら負けちゃうかもね」

柴田もぼんやりと答える。
2人の間に主語はいらない。

「柴ちゃんベンチに下がったときはどうなるかと思った」
「私も思った」
「でも、勝っちゃったよね」
「勝ったっていうか、負けずにすんだって感じだったけどね」

新幹線がトンネルに入る。
轟音、というほどではないけれど、穏やかな2人の会話を中断させるほどにはノイズが流れる。
電光掲示板には企業広告が流れ、2人は興味なさげに文字を追う。
トンネルを抜けると、そこは水田地帯だった。

「平家さんが言ってた。チームが勝っても自分は勝った気がしなくて、次頑張ろうって思えるような相手がいるのはきっと幸せなんだぞって」

石川は、柴田のほうを見て、さらにその向こう側の3人席で後輩たちが眠っている姿も目に留める。
きっと、前も後ろも、大体みんな寝てるのだろうな、と思う。

「平家さんは、いないのかな、そういうの、やっぱり」
「私も聞いたら、そんなこと考えてる余裕も無いよって笑ってた。おばさんは連戦で体ぼろぼろですよ、だって」
「なにそれ。でも、平家さんじゃ勝てない相手はいないよね、うん」
「昨日も、平家さんに勝たせてもらったもんね」

それっきり、2人の会話は続かず、静けさのなかに意識も消えていった。
戦士たちの短い休息。
今日も、学校に戻れば練習があって、軽めだけれど体を動かす。
移動日でも休みは無い。
勝ったけれど勝った気がしない相手と、2ヵ月後にはもう1度戦うことになるのだ。
お互いに勝ち上がっていくことが出来れば、であるが。

 

りんねは、複雑な気持ちでメンバーたちの前に立っていた。
いい知らせ、と言うべきなのだろうが、いい、という言葉が感じさせるような幸福感を伴うようなものは無い知らせ。
りんね自身、最初にその知らせを聞かされたときは、うれしいと思うよりも前に哀しかった。
その事実は悪いことではないけれど、哀しい気持ちが巻き起こった。

夕食後のミーティング。
キャプテン代行のりんねからの報告。

「今日、学校の方に連絡があったので、みんなに知らせておきます。ひろみの、あの、ひろみの、ひき逃げ犯、捕まったそうです」

ひき逃げ犯というのは被害の度合いが大きいほど捕まる率が極めて高くなっていく。
かすっただけ、というような場合と違い、人を、自転車を巻き込んで轢いていった、そんな場合、轢いた車、この場合トラックに、多くの付着物が残る。
それを立証すれば、加害車両が特定される。
また、ひき逃げという犯罪の性質上、事前に逃走経路を想定していたり、逃亡先を確保してから犯行に及ぶ、というものではないので、身柄の確保が比較的容易だ。
この事故の場合、物的証拠が多いものの、客観的目撃者が皆無という地域的事情があって、初期捜査が遅れたが、それでも早い時期に車両の特定までは進んでいた。
逮捕に時間がかかったのは、捜査の手が伸びてきたと感じた直後に、犯人が逃亡したためである。
時期的に、夏のボーナスを掴んだ直後だったことで、それなりの時間逃げることが出来たが、やがて手持ちの現金が尽きる。
銀行預金を引き出したところ、その支店を特定され、そこからは足取りを手繰っていくことで逮捕にこぎつけた。

「犯人は捕まっても、ひろみは還ってきません。2度と還ってきません。ひろみは、私たちの中でしか生き続けることは出来ません。だけど、だから、私たちが、しっかりしないといけません。今月の終わりには、もう予選も始まります。ひろみと一緒に戦えるのは、もうそれが最後です。だから、しっかり練習して頑張りましょう」

すすり泣くメンバーもいた。
事故から4ヶ月。
仲間が去り、戻ってこないメンバーがいて、コーチも変わった。
元通りに戻ったように見える生活でも、残した傷跡は深い。
メンバーたちは、事故のことにはあまり触れないようにして暮らしてきたが、忘れ去った者などいるはずもない。
犯人の逮捕。
そんな事実を知らされれば、痛みも悲しみも、リアルによみがえってもくる。
それでも、りんねは気丈に、涙も見せずに振舞っていた。

翌日、メンバーはそろって、事故の現場に向かい、花を供え、犯人逮捕の報告をした。

 

選抜チームとは期間限定で組むもの。
高校のチームなら、最後の試合の後や、進路も決まった卒業式後にお別れ会の1つや2つあったりするが、兼の選抜チームは普通そんなことはしない。
負けて帰ったら、バスを降りたところで解散。
そんなものだ。
ただし、2度と会わないわけじゃない。
形は違えど、絶対に再会するメンバーたちである。

「いろいろあったけど、まあ、楽しかったよ」

神奈川チームに負けてバスで地元に帰った。
着いた先はコーチ役の中澤の赴任高。
ここのメンバーが中心だから、バスの発着がここになるのも仕方の無いところ。
一応最後のミーティングということで、なんとなく雰囲気で体育館に上がってみた。
車座になって、なんかそれぞれ一言づつ、と中澤が振ったところ、最初に口を開いたのは大谷だった。

「私、3年だけど、全国レベルの大会なんか出るの初めてでさ。選抜選んでもらえなかったら、あんな相手と試合も出来なかっただろうし。腹立つことも多かったけど、楽しかったし、まあ、いいかなって」
「腹立つことって何よ」
「いいじゃない、細かいこと」
「最後なんだし言っちゃいなよ」

このチームとしてのキャプテンだった飯田が大谷に振る。
言わなくたって誰もが大体わかっていることだけど、あえて口にさせてみる。

「正直、試合出たかったからさあ。自分のがうまいと思ってるのに、スタメン組みで使ってもらえないのとか、まあ、むかついたよ。でも、今考えてみれば、同じチームでいつもやってる方がコンビは合うわけで、しょうがないかなって思うから、私の僻みだったのかもしれないけど。でも、インハイ前は、絶対私らのこと調整相手にしてたでしょ」
「そんなことないって」
「いいよ、時効だから。時効だから許すけど、でも認めてよ」
「うーん、正直そんなこともあったかなって、反省はしてます」
「まったく、いいよな、これだから、インターハイ出られるチームは」

保田が一応素直に謝った。
謝る側も、まあ過ぎたこと、という感覚でもあるので、深く凹むと言うようなことも無い。

「ああ、あと、松浦。その怪我はしばらく治すな」
「なんですかそれ」
「いいから治すな。時間かけて、1年くらいかけて治せ」
「意味不明ですよー」

日本語に訳せば、選抜の予選大会には出てくるな、という意味になる。
はたから見ると、この2人の関係は不思議だった。
似ても似つかない2人。
それが、いつのまにか松浦が大谷のお気に入りに近いポジションになっている。
1年くらいかけて治せ、はある種の愛情表現というか、能力を認めた発言と言うか、なんだかよく分からないけれど、この2人が仲良くなったことが意外に映っていた。

「ミカのパス受けてドリブル突破するの結構気分良かったんだけどな」
「私はシュートと思ってパス出すのに、大谷さんすぐワンオンワンするんだもん」
「息合って無いじゃん」

飯田が突っ込んで、座に笑いが起きる。
結構突っ込みたがる飯田だが、適切に突っ込めるのは珍しかったりもする。

「私も楽しかったです、インターハイに出られて」
「だから、インターハイじゃないっての」
「今度は、このメンバーでハワイに遠征しましょう」
「聞いてないのかよ」

インターハイにしろハワイにしろ、突っ込みどころが多すぎて周りは笑うしかない。
少なくとも、このメンバーでハワイに遠征するには、時間も費用もないので夢物語である。

「次の大会ではみんなに勝てるように頑張ります」

インターハイと国体の区別はついていなくても、次はすぐに何かの大会の予選があって、このメンバーがそれぞれのチームで戦う理解はあるようだ。

「圭織も、どうなるかと思ったよ、最初、このチーム。圭織の場合、県選抜って3回目なんだけど、ミニ国体勝ち抜けたのは初めてで、それがうれしかったかな」

ワンマンチームじゃ勝てません、を体現したようなのが昨年までの選抜チーム。
高校単位と違って、県レベルでも選抜チームを組むと、ポジションに1人くらいはいい選手がいる県が多く、そうやって全体のレベルが上がると飯田一人では勝てずにいた。
今回は、その逆パターンで、飯田を含め、各ポジションに1人くらいはいい選手をそろえられる県になって、ミニ国体を突破した。

「本戦も、富ヶ岡と出来て圭織はうれしかったな。それで、またもう1回みっちゃんとやりたいんで、みんなには悪いけど、次の大会は圭織が勝つんでよろしく」

国体が終われば次は選抜大会の予選。
誰もがもう、そこに目を向けている。
実際、学校での各チームの練習は、そこを目標にそれぞれやっているのだ。

その他のメンバーも各自一言づつコメントし、選抜チームは解散する。
高校生のスポーツチームらしく、最後は、全員でコーチ役の中澤に向かって一礼した。

「ありがとうございました」

1つの区切り。
そして、すぐに次の戦いは始まる。
それぞれが、それぞれの思いを胸に、また、別々の方向へ歩き出した。