ファーストブレイク

 

第八部

「唯、いじめられたら私に言うんだよ」

二人だけだった。
二つの学校が合併する。
授業も校舎も、全部合併する。
当然、部活動も。

杉田西高校と富ヶ岡高校。
統合されて出来た富岡総合学園の新チームに、杉田西高のバスケ部から入ってきたのは二人だけだった。

合併後、最初の練習。
新入生の入る前の四月初め。
二年生と三年生、二校それぞれのメンバーが顔合わせをする。
といっても、旧富ヶ岡の13人と旧杉田西の2人。
少し離れて向かい合い、それぞれ列を作って対面すると、どう見ても、2人の新人が13人に向かって挨拶する形になってしまう。
強気な顔で富ヶ岡のメンバーを見つめる三好の横で、後輩の岡田がちょこんと控えていた。

「杉田西ではキャプテンやってました。三年生の三好絵梨香です。よろしくお願いします」

軽く頭を下げてから全体をにらむように見回す。
こいつらが敵か。
しっかりと顔を見て確認する。

「一年生の岡田唯です。よろしくお願いします」
「二年生になったでしょ」
「あ、二年生です」

弱弱しい声。
三好が岡田の方を見る。
挨拶を終えた岡田は、視線がうつむきかげんだった。

「じゃあ、こっちも簡単に。私は、キャプテンで三年の石川です」

端から順に挨拶していく。
納得いかない。
あんたが合併後もキャプテンだって誰が認めた。
そう思いながら、三好はそれぞれの挨拶をじっと見ていた。

顔合わせは顔を合わせて終わりなはずが無い。
バスケ部が顔をあわせたらすることは一つ。
バスケットボール。

全国大会二連覇の高校と、県大会に出るのがやっとの高校。
練習のレベルが当然違う。
いきなり同じ練習について行くのはなかなかに厳しい。

杉田西高校は普通の学校だった。
勉強が特に出来るというわけでもない。
強い部活があるわけでもない。
そのかわり、校内暴力も無く、不良が多くも無く、まあ時折タバコの吸殻が落ちているくらいなもの。
進学率はそこそこ、就職もそれなりにいるし、どちらでもないよくわからない道もそれなりにいる。
遠くからわざわざ来る子はいず、近くの子がなんとなく選んで進む学校。
そんな高校だった。

合併の話はずいぶん前からあった。
それが正式に決定したのは昨年の四月。
富ヶ岡も基本的には普通の公立高校。
そういう意味ではつりあいは取れている。
ただ、一点だけ例外があった。
女子バスケットボール部。

「合併したらどうしようか?」

杉田西のバスケ部で一年間ずっと話されてきた話題だった。
バスケ部だって、他の部と同じで普通のチーム。
学校数の多い神奈川の中で、せいぜいブロック予選を突破するところまで行くのがいいところ。
全国トップの富ヶ岡と合併して、練習についていけるとはとても思えない。
ほとんどみんな、合併後はバスケ部をやめると言っていた。

「唯。大丈夫?」

練習は厳しい。
普通のチームの杉田西の時でさえスタメンでもなんでもなかった岡田。
富岡の練習についていけるはずも無い。
まだ序盤。
ツーメンを連続でやる部分でもう足が動かない。
ひざに手を置いて荒い息をしている岡田の横に三好が寄り添う。
富岡の通常の練習ではありえない光景に、石川が戸惑っていると和田コーチが声をかけた。

「岡田は隅で休んでなさい。体力戻ったらやれるとこだけ入ればいいから」
「大丈夫? 唯?」

心配そうに三好も呼びかける。
やる前から見えていた結果。
岡田は小さくうなづいて、壁に寄りかかり座った。

杉田西のメンバーにとって最後の試合になったのは一月の新人戦だった。
ブロック予選を勝ち抜いて出た県大会。
一回戦で25点差で負けた。
涙は無かった。
みんなで最後に打ち上げ。
ずっと迷っていた三好が、キャプテンとして最後に語った。

「二年間。楽しかったです。うん、とにかく楽しかった。帰りにドトール寄ったり、夏合宿の最後の花火とか、冬休みにみんなでスキーに行ったりとか。ホントに楽しかった。だから、今日でこのチームをなくしてしまうのは、なんだかイヤになりました」

みんな、合併したらバスケはやめると言っている。
他の部活に入りなおす者、帰宅部になってバイトでも始めようかなという者、少し早いけど受験勉強を始める者。
全国トップの人たちと混ざってバスケを続けようという者はいない。
迷っていた三好がやめれば、このチームの歴史は、今日、この日で終わる。

「富ヶ岡の人たちに混ざって試合に出られるとか、とても思えないけど、だけど、私は、このチームをなくしたくない。このチームがここにあったんだって、二つのチームが一つになって新しいチームが出来たんだって、そう言いたい。ずっとみんなと一緒に楽しくやっていたかった。だから、やってみようと思う」

些細な感傷かもしれない。
いくらキャプテンだからって、エースだからって、所詮は県大会に出るのがやっとのチームのキャプテン。
富ヶ岡と混ざってとてもやっていけるわけが無い。
そんなのが一人入っても、二つのチームが合併して新しいチームが出来た、なんて誰も言わない。
分かってる。
だけど、納得いかなかった。
平和で楽しい自分達のチームを、富ヶ岡に壊されたみたいで、納得いかなかった。
無かったことにされたくない。
思い出がバスケと関係ないことばかりなのはきっと気のせいだ。

打ち上げが終わって、帰ろうとしているときだった。
みんな三好を応援してくれる。
頑張れと。
もう、別の道を歩くと決めている仲間達。
そんな中、一年生の岡田が三好の前にうつむいて立った。

「どうした? 唯」

うつむいている。
周りのみんなも岡田の顔を見た。
とろい子。
みんな分かっている。
岡田が何かを言うのを、みんなじっと待った。

「絵梨香さんが続けるなら、私も続けます」

うつむいたまま、恥ずかしそうにポツリ。
驚いた三好は、岡田の両肩をつかむとおもわず力を入れて揺さぶった。

「唯! ホントに? ホントに? 大丈夫?」

県大会に出るだけでもやっとの学校でベンチに入ることもなかった岡田。
必死に頑張ってそのレベル、というわけではなく、そもそもそれほど練習に身が入っていないようなタイプだった。
自分が試合に出るとか活躍するとか、そういうことじゃなくて、部活というコミュニティの中にいるのが楽しい、というタイプ。
試合は、負けたくないとか勝ちたいとか、そういうものじゃなくて、遠くまで出かけて先輩たちが頑張るのを応援するイベント、と受け取るようなタイプ。
どう考えたって、富ヶ岡のメンバーの中でやっていけるわけが無い。
それでも岡田は三好についていくと言う。

「よし、唯、どこへ行っても私が守ってあげるから」

自分より背の高い岡田を三好が抱きしめ頭をなでる。
本当は一人で心細かった。
頼りない後輩でも、ベンチにも入れない後輩でも、一緒に来てくれるのはうれしかった。

そんな岡田はやはり練習についていけずに体育館の隅で座っている。
旧富ヶ岡のメンバーは、戸惑いがちにそんな岡田の方へ時折視線を向ける。
バカにされたような気がした三好、負けられない。
私たちは、吸収されたわけじゃない。
対等に合併したんだ。
一人で勝手に背負うものがある。

ツーメンからスリーメン、さらにオールコートの三対二。
走る練習が続く。
苦しいなんて顔は絶対に見せない。
ただ、ありえないほど苦しい。
やっぱりやめておけばよかった。
何度もそう思う。
だけど、なんとか乗り切った。

そこからはようやく少し体力的には対応できる練習が続く。
回復した岡田も練習に混ざる。
ただ、体力的に何とかなっても力量的にはなんともならない。
一対一、三対三、スタメン組の練習の相手役。
何も出来ない。
こんなところ来るんじゃなかった。
自分の番が来るたびにそう思う。

長い練習だった。
富ヶ岡も普段の練習時間はさして長いほうではない。
短期集中型。
ただそれは、強豪校基準であって、日本各地の普通の学校基準では短くもなんとも無い。
時計の針が進まない。
スタメン組の五対五をコートサイドから見つめる。
終わってくれ終わってくれ終わってくれ。
目の前の練習はすごすぎる。
願っていたら、目の前の練習は終わり、今度は自分達が呼ばれた。
その他メンバーでの五分ゲーム。
三好と岡田は別の組み。
四対四のような五対五だった。
力量が劣る上に一人だけ初対面で意思の疎通もままなら無い。
三好にも岡田にもボールが回ってこない。
何も出来ないまま終わった。

まだ一年生がいないので、新二年生が片づけをする。
岡田も新二年生。
二年生のリーダー、高橋にいろいろ言われながら片付けに参加する。
三好は、コートの隅でストレッチをしながらそんな岡田の姿をじっと見ていた。

「唯、いじめられたら私に言うんだよ」

二人で帰る。
三好の後ろを岡田がちょこんと付いていく。
二人だけで帰った。

 

歓迎会を開こうと言いだしたのは石川だった。
チームのキャプテン。
それなりに責任感というものはある。
新しく入ってきた二人。
話しかけるなオーラが強すぎて、なんとなく声をかけることも出来なかった。
でも、これからずっと一緒にやって行くのだ。
このまま接点を持たずに過ごしていいわけが無い。
力量が劣るのは来る前から想像出来ていたことだし、そんなことは気にしない。
せっかく一緒にやることになったのだから早く馴染んで欲しい。
石川の気持ち。

「なんか違うんじゃない?」

引っ掛かりを感じたのは柴田だった。
帰り道での石川の提案。
柴田は首をひねる。

「なにが? 新しく仲間になったんだもん。歓迎会やろうよ」

新しくメンバーが加わった。
早く馴染んで欲しい。
歓迎会をやろう。
きれいな三段論法。
特におかしなところはなさそう。
そう思いながらも、どこか直感的に柴田は引っかかりを感じる。
直感なので、言葉で説明できない柴田。
石川に押し切られる形で二人の歓迎会を開くことになった。

入学式の前の日。
一年生が来て忙しくなる前のぎりぎりの日。
二人が練習に合流して四日目の午後、歓迎会を開くことになった。

「盛り上がっていきましょー!」

とりあえずカラオケ。
暮らし柄、選ぶ遊びのバリエーションがワンパターンになりがちだ。
やたら元気なのは石川。
歓迎会なら主役扱いのはずの三好と岡田は隅のほうに座っている。
今日も当然練習はあった。
神経張り詰めながらの自分より数段高いレベルの練習。
もう体中が筋肉痛だ。
出来ればこのまま眠ってしまいたい。
歌っているのが石川であることとは無関係に、とにかくだるかった。

「授業選択決めた?」

三好の周りには柴田たち三年生が、岡田の周りには高橋たち二年生が座る。
バスケの話はしない。
柴田はそう決めていた。
力量が劣っているのは仕方ない。
それぞれ、今までの暮らしが違うのだから。
それでも仲間として一緒にやっていく。

「英語を多めに取った」
「英語得意なの?」
「そうじゃないけど」

そっけないけど会話は成り立っている。
統合して出来る学校は、授業選択の自由度が極めて高い。
杉田西も富ヶ岡も、どちらの生徒にも新しいシステムで、期待もあり不安もあり。
どちらの出身でも共感できる共通の話題。

「英語の先生どんなのいた? うちさあ、毎回小テストやって、6点以下だとお前授業聞いてなかっただろ、とかって後で職員室呼び出すのいてさあ」
「あー、いるよね、そういうの」

熱心な先生が生徒に好かれるとは限らない。
それもどちらの学校でも共通。
カラオケそっちのけで柴田が必死に話しているうちに、石川の曲は終わった。

「三好ちゃーん、次歌って歌ってー!」
「ああ、いいよ私は」
「そんなこと言わずにさあ」

選曲表とリモコンとマイクの三点セットを押し付けながら三好の隣に無理やり座ってくる。
困った顔をして三好は、反対側に座る柴田の顔を見た。

「おい、石川。空気読め」
「な、なによ柴ちゃん」
「三好さんはこのわたしとお話しをしてるのだ。音痴は隅っこに縮こまってまともに歌える曲でも選んでなさい」
「ひどいよ・・・」

本気でへこんでうつむく石川。
三好はそんな石川と柴田を交互に見ている。

「うざかったらこうやってちょっときつく言っておけば凹んで去っていくからこの子は」
「ひどいよー柴ちゃん」
「梨華ちゃんの取り扱い方は覚えておいて損は無いよ」
「柴ちゃんのばか! もう、歌ってやる!」

むきになって曲を入れ始める石川。
三好は柴田を顔を見合わせて少し微笑んだ。

テーブルを挟んだ向こう側では岡田が二年生に囲まれている。
三好はそんな岡田が心配で視線を送る。
どんな流れか、岡田の隣で高橋があいーんとやっている。
猿。
はっきりそう思う。
口には出さないけれど。
高橋のあいーんを見て岡田は笑っているだけでなく、続いて同じ格好をした。
ほっと一息ついて三好はテーブルの上のレモンスカッシュに手を伸ばす。

なんとなく和む。
石川の歌を聞いて、これなら自分も歌ってもいいかな? と思うけど、面倒だからしない。
柴田は割りと話しやすかった。
授業の話、音楽の話、メンバーの性格の話。
バスケの話はしない。
三好から見て、岡田も楽しそうだった。
無理して合わせているわけではなく、それなりにはちゃんと楽しめているのが三好には分かる。

ちょっと疲れた。
だけど、この子達とこうやってやって行くのもありかな、とも思う。
練習はきついけれど。
試合には出られないような気はするけれど。
こうやって、ちゃんと受け入れてくれるなら、大丈夫かな、と思えないことも無い。

カラオケを終えて別のお店へ。
近くのマックへ部員全員15人で入る。
三階建ての店舗の三階をほとんど貸しきり状態。
いつのまにかテーブルまで動かして、勝手にセッティングを始める。
トレイを持って上がってきた一般客が、その雰囲気を敬遠して階段を下りて行く姿もある。
三好や岡田は戸惑うけれど、旧富ヶ岡のメンバーは何度も前科があるからか、特に罪悪感も無い。
机を並べて、トレイも並べて、それぞれに椅子にすわり、その中心になる位置に石川が立った。

「はーい。歓迎会つづきー」

カラオケボックスのような閉塞感は無い広い部屋。
少し傾いてきたけれどまだ明るい陽が窓から射し込み、部屋を照らす。
制服で15人、華やいだ空気が包んでいた。

「じゃあ、三好さん。改めて、一言お願いします」

割りと隅の方、柴田と並んで座っていた三好が立ち上がる。
全体を見回して口を開いた。

「じゃあ、改めまして、杉田西でキャプテンやってた三好です。チームとしてはすごい弱かったし、それで、合併になって、ほとんどみんな逃げ出しちゃって、私はちょっと悲しいんですけど。実力的には厳しいと思うけれど、頑張りますんでよろしくお願いします」

一斉に拍手。
三好もはにかみながら座った。

「じゃあ次。岡田ちゃん」

とりあえずちゃんづけ。
石川に他意はない。
なんとなくちゃんづけ。
岡田がゆっくり立ち上がる。

「えーと。岡田唯です。よろしくお願いします」
「もう一声! なにか!」

簡単な挨拶。
石川にもう一声と言われた岡田は、困ったように三好の方を見る。
三好は微笑んで放っておいた。

「あ、あの。頑張ります」

たどたどしい挨拶。
微笑ましさもあって拍手が起こった。
岡田は恥ずかしそうにうつむいて座った。

「はい。今日から、じゃなくておとといからだけど、三好ちゃんと岡田ちゃん。二人が新しく私たちの仲間になりました。私たちは二人を歓迎します。最初は慣れなくて大変だと思うし、練習に付いて来れないかもしれないけど、私たちもいろいろ教えてあげるんで頑張ってください」

石川がまとめの挨拶をする。
旧富ヶ岡の一同は拍手をした。

三年生は三年生同士、二年生は二年生同士、やはり集まる。
移動の最中に柴田は三好に言っていた。
初対面だとかなり扱いにくいタイプだと思うし、何であれがキャプテンって思うかもしれないけど、あれでも責任感だけはあるし、バスケやれば一番うまいから、不満たくさん出てくると思うだろうけど認めてあげて、と。
それに対して三好は、こういうチームのキャプテンってもっとお堅いタイプがやってると思ってた、と答えて周りの三年生の笑いを誘っていた。
そんな三好の横に、石川は座る。
柴田は三好の正面。

「梨華ちゃん、カラオケ下手だったでしょー」
「ちょっと、そんなのわざわざ言わなくたっていいでしょ」
「だって、ねえ」

三好はうっすらと微笑む。
下手だよね、と突っ込めるような距離感にはまだない。
ただ、口に出して否定できるような要素は何もなかったし、三好の側からフォローする気もしない。

「三好ちゃん以外、みんなやめちゃったの? あ、後、岡田ちゃん以外」
「大体ね。新三年はみんなやめて、バイトしたりしてるし。新二年だと別の部活入ろうって子もいるけど」
「他の部活だと、そんなにやめちゃうって子もいないでしょ、合併するからって。うちの方でもよその部活で、合併するからやめるってあんまり聞かないし」
「たぶんね」
「そっかあ。なんか残念だなあ。私、下手でも頑張ればいいと思うんだよね。もちろん、下手だと試合には出られないかもしれないけど」
「梨華ちゃん」
「だって、そうでしょ。勝ちたいから頑張るし、負けるのは嫌だけど、でも、大事なのは勝つことじゃなくて、最後まで頑張ることだと思うのよ」
「ちょっと、梨華ちゃん」

柴田が止めるのも聞かずに、石川は話し続ける。
三好の表情は、正面にいる柴田には見えるけれど、となりにいる石川には見えない。

「今までの練習とかが違うんだからさ、実力が違っちゃうのは仕方ないと思うんのよ。だから、そんなの気にしないでみんな残ってくれればよかったのに。三好さんは、逃げずに残ってくれたんだね」
「それは無いんじゃないかなあ」

重たい口調。
三好は、石川の方は見ずに言った。

「うちのチームは、確かに富ヶ岡に比べればずっと弱かった。比較にならないくらいに。だから、二人しかこのチームに残ってない。三日間やってみてわかっただろうけど、確かに下手だよ。唯も、私も。下手なことを言われるのは仕方ないと思う。でも、やめてったみんなのことまでバカにしたりしないで。私たちは、あんた達に歓迎されたりとか、そんなんじゃない! バスケはあんた達のがうまいよ! だけど、二つの学校が一つになって、二つのチームが一つになるんだから、歓迎とかそんなんじゃなくて。あーもう。私は、私は」

抑えていたはずだったけれど、言葉をつないでいるうちに感情が高まっていた。
その先、どう続けて良いかわからない。
どうしていいか分からなくなって、三好は手元のバックを掴んで席を立った。
逃げるように走って階段を下りて行く。
少し離れたところにいた岡田も、三年生席で何を話していたかはわからないけれど、三好がだんだんと大きくなる声で何かを言っているところからは見ていた。
慌てて自分も立ち上がる。
岡田は、階段のところでメンバーの方を向き、小さく一回、頭を下げてから下りて行った。

「どう、しちゃったのかな?」

石川の言葉に柴田は大きくため息をつく。
周りの三年生も少々呆れ顔だ。

「どうしちゃったじゃないでしょ」
「だって、急に怒ってさあ」
「怒るでしょ。そりゃあ」
「なんで?」
「なんでって、梨華ちゃん、下手下手言い過ぎなんだよ」
「だって、実際そうでしょ。ちょっとは言い過ぎたかもしれないけど」
「東大進学率80%みたいな学校と合併しました。みんなやめちゃって残ったのは私と梨華ちゃんだけです。それで向こうの学校が歓迎会開いてくれて言いました。二人ともバカだと思うけど、そんなこと気にしないから。今まで環境も違って、全然勉強しなかったんだろうし。バカなのは仕方ないと思うのよ。バカでも頑張ればいいと思うからさ、私たちが勉強は教えてあげるから仲良くしようねって言われました。どう思う?」
「なによその例え」
「梨華ちゃんが言ったのってそれと同じことだよ」

不満そうな顔をして石川は黙り込む。
柴田が少し言葉のペースをゆったりとさせて続けた。

「梨華ちゃんが歓迎会やろうって言いだした時なんか引っかかったんだよね。それが何でかやっとわかった。歓迎会じゃなくて親睦会って形にしないといけなかったんだよ」
「なんで?」
「私たち、合併したんだよね。杉田西高と。だから、二人は、新しく入ってきた新入生とかじゃないんだよ。二つが一つになるんだから、私達のところに入ってくるのを歓迎するんじゃなくて、一緒にこれからやって行くための親睦をはかる会にしなきゃいけなかったんだよ」
「そんな細かいこと気にしなくても」
「それはこっちの言い分だよ梨華ちゃん。三好さん達には三好さんたちのバスケ部があってさ。それが無くなって、こういう形になるのに、私たちだけ今までのまま変わらなくて、二人に、ううん、二人以外のやめることにした子達も含めて、向こうの子に、いろいろと変わることを要求して、それで、あなた達を歓迎します、なんて言われても、腹が立つこともあるんじゃないかな? その上、梨華ちゃんからあんなふうに下手下手言われたら怒るって」

別テーブルに座っている二年生たちの視線も、すべて柴田と石川に集まっている。
言葉が出てこなくて少し考えた石川が口を開いた。

「じゃあ、どうしたらいいのよ。全部向こうに合わせろって言うの?」
「そうは言ってないでしょ。ただ、気持ちは考えてあげようよって言ってるの」
「それは分かるけどさ、あんなふうに怒って出て行かなくてもいいんじゃない?」
「そうかもしれないけど、それは梨華ちゃんが言うことじゃないでしょ」
「もう知らない。トイレ行ってくる」

石川は立ち上がって出て行った。
トイレは三階にはなくて二階にある。
石川の姿が見えなくなってから、二年生席に座っていた高橋が言った。

「大丈夫やろか石川さん」
「大丈夫って?」
「柴田さんにいろいろ言われて凹んでたように見えたけど」
「別に凹んでたわけじゃないでしょ。ちょっと意地にはなってたみたいだけど」
「柴田さん、みんなにはやさしいのに石川さんにだけは厳しいから」

高橋にそう言われ、柴田はちょっと言葉に詰まった。
自分ではそういう意識は無くて、どちらかと言うと甘いような気がしていたけれど、近くで見ているとそうではないらしい。

「見てきた方がいいですかねえ?」
「いいよ放っておけば。そのうち戻ってくるから。別に普通にトイレ行っただけだよ」

小川が立ち上がったので柴田は止める。
手元にあるダブルバーガーの紙袋を開きながら言った。

「もういいから食べよ。明日は入学式で一年生も来るし。二年生特に大変だよ」

周りの三年生も、手元の食べ物を取り始め、それを見て二年生も三年生席から視線を外して自分たちのテーブルに向かう。
三好さんの気持ちは考えたけど、梨華ちゃんのことは考えなかったなあ、と柴田は思った。
梨華ちゃんの三好さんへの言葉はまずいけど、でも、みんなの前で叱るような言い方になったのはよくなかったかな、と考える。
それと、あそこで怒鳴って出て行くまでの過剰反応しなくても、と三好に対しても思う部分がある。
自分ならそんなことはしないし、でも、その引き金を引いたのは石川の発言なわけで、やっぱりキャプテンやってるんだからちょっとは人の気持ちを考えろ、とも言いたい。
これで一年生にまで面倒なのが入ってきたらしばらく大変だなあ、とまで思考して、自分も結構勝手だな、と心の中で苦笑した。

数分後、何事もなかったかのように石川が戻ってきて、歓迎会も親睦会も関係なく、前からいたメンバーが一年生が入ってくる前に羽を伸ばしてみましたみたいな雰囲気で適当に騒いでから帰った。

 

市立松江にとって、インターハイに出てから迎える初めての春。
全国レベルの大会に出た、というのが部員集めでどんな風に影響するのか、というのは本人たちが気になるところ。
それでも、普通の学校なので、春休み中から練習にやってくるような新入生というのはいない。
入学式を終え、オリエンテーションがあって、部活紹介なるものを見て、どこに顔突っ込んでも自由な仮入部期間がある。
ぽつぽつ、一年生がやってくる。

インターハイにも出ました、という宣伝文句は一長一短あったようで。
練習を見に来る一年生は結構いたけれど、練習参加する一年生が少なかった。
強そうなのは興味を引くけど、自分が混ざるのは怖い、といったところ。
中学でちょっとは経験ありますレベルだと、三年間ベンチかなあ、というのが頭をよぎって、一日二日練習を見て、気づくと隣でバドミントンのシャトルを打たせてもらってたりしていることもある。
一週間経って、吉澤たちの目で見てすぐに使えそうだなと思ったのは一人だけだった。

「辻希美。ガードです。明日香さんみたくなりたいと思います。よろしくお願いします」

二三年生は全員すぐに分かった。
一年前に合宿で会った子だ。
印象強かったので覚えている。
ただ、仲良く手をつないでやってきたのは、一年前の記憶とは別の顔だった。

「あ、あの、初心者なんですけど、練習混ざっちゃっていいんですか?」

練習始まってから言われた。
辻と一緒にやってきたものだから、経験者だろうと勝手に思い込んで、何も言わずに吉澤は練習始めてしまったのだ。

「あー、えーと、そうだな。じゃあ、途中まで一緒にやって、それで声かけるからそこから抜けて見てて」
「はい」

ちょうどランニングが終わったところ。
しばらくはフットワークであり、簡単な基礎の練習であり、初心者でも邪魔にはならないのでやらせておくが、そこから先はいきなりは無理である。
初心者来ちゃったかあ、と吉澤は思った。
対処法方は決めていない。
フットワークをこなしながら考えて、対面パスに移るところで松浦に声をかけた。

「あややさあ、後輩の面倒見るのとか好きでしょ」
「好きです。好きです。大好きです」
「じゃあさあ、あの子。初心者らしいから、練習終わった後ちょっと付き合ってあげて。あと、これからも初心者増えてくるようだったら、それも全部あややが面倒見て」
「りょーかいです」

松浦に全部投げた。
八方美人だかなんだか知らないが、人あたりの良さは二年生の中では抜群だ。
ちゃんと、後輩に対して先輩として振舞っても違和感の無い実力もある。
福田の場合、後輩と和んで会話する、という場面がイメージできなかったのでやめた。

今年の一年生には、入っていきなり先輩に向かって指示を出し始めるような存在はいない。
ある意味では去年よりも小粒なのかもしれない。
新人が入ってきて練習風景が一変する、という一年前のような光景は無い。
ただ、強いて言えば、これまでは部員が九人しかいなくて、無理やり五対五の練習に引っ張り出されていた中澤が解放されて、入ったばかりの一年生を順繰り使う形になった、というあたりが目立った変化だ。
特に事件が起こることも無く、練習は普通に終わる。

練習終了後、吉澤はいつものようにシューティング、ではなくてコートの隅でゆっくりストレッチをしながら全体を見ていた。
松浦が一年生を集めてなにやら演説している。
全員集めて面倒見ろって言った覚えは無いんだけどなあ、と思いながらも口を出さずに眺めていると、辻が一人はじき出された。
福田の方に歩いて行く。
役割分担したのかなんなんだか。
そのまま辻は福田と話しこみ始めた。

松浦の方はまだなにやら語っていたようだったがしばらくして終わる。
初心者一年生だけ残して後は解散させていた。
何するのかなと思って見ていると壁の方に歩いて行ってボールを持たせた。
自分も一個ボールを持っている。
壁との距離は三メートルくらい。
最初に、松浦が壁に向かってチェストパス。
跳ね返ってきたボールを拾い上げて、それから一年生にやらせた。

「結局、あややに任せたの?」

座ってストレッチしている吉澤のところに、立ってボールを小脇に抱えたあやかが声をかける。
吉澤は松浦の方を見たまま答えた。

「うん」
「あややはおかしなこと刷り込みそうだから心配だって言ってなかったっけ?」
「それ、福田が言ったんじゃない?」
「そうだっけ? そっか」
「松浦なら一年生からしても声かけやすいだろうしちょうどいいんじゃないかって私は思うよ」
「一年生からしたらそうかもね。でも、あややが練習する時間が減っちゃうかもよ」
「大丈夫でしょ。別に、いつもの通常練習を抜けて一年生見てくれって言ってるわけじゃないんだし」

松浦は初心者一年生の横に付いている。
まだ、同じことの繰り返しで壁に向かってパスをさせていたが、しばらくするとその壁のところに松浦が歩いて行って、なにやら、ここ、ここ、と当てる場所を指示していた。

「よっすぃー、入って最初って何やらされた?」
「バスケ部入って最初? ディフェンスフットワークかな」
「割とそうだよね最初って」
「そこで半分くらいになるんだよね、大体。こんなのやってられないってやめてくから」
「あやや、やらせると思う?」
「どうだろ。そういうことやらせるイメージじゃないなあ」

大勢集まってしまうと初心者というのはちょっと邪魔な存在なわけで。
そういういった存在にボール使って何かをやらせるとスペースとってしまうので、場所がそれほど必要ないことをやらせがちになる。
横一本のライン分のスペースでなんとかなる、そして、細かい指示のいらないディフェンスフットワークをとりあえずさえておく、というのはありがちな選択肢だ。

「どれくらい出来るようになったら練習に混ぜるの?」
「それも全部あややに任せればいいよ」
「よっすぃー、結構あややのこと信頼してるよね」
「信頼って言うか、別に。先輩面するのが向いてるって思っただけだよ」

そう答える吉澤の頭をあやかは撫でて去っていった。
なぜそこで頭を撫でる、と吉澤は思うけれど、あやかのスキンシップは割とある行動なので、余計な突っ込みはしなかった。

練習は、平和に続いた。
全体練習後のあやや先輩の初心者向け個人レッスンも続いている。
壁に向かってパス、の次にやらせたのがいきなりフリースローだったので吉澤は少し驚いたが、「シュートが一番楽しいんです」と松浦が解説したので、それ以上は何も言わなかった。
吉澤に面倒みてくれ、といわれる大分前から松浦の頭の中には初心者指導案があったらしい。
福田が、私ならああはやらないんですけどね、と言いながらも止めないのを見て、吉澤は、福田も松浦のことは信用してるんだな、と思った。

そんな風にして過ごす、いわゆる仮入部期間というのは五月半ばまである。
ただ、バスケ部の場合、今年は滝川カップに遠征するのでその人数確定やら、費用徴収やらは早めにしておかないといけない。
一年生たちにその辺の意思確認をして、とりあえず13人で固まったかな、というころ、昼休みの教室で談笑している吉澤の元に、抗議の訪問者が訪れた。

「紺野さんを返して」
「はぁ?」

やってきたのは陸上部のメンバー数人である。
キャプテン、じゃないよなあ確か、と居並ぶ顔を見て吉澤は考える。

「なんで紺野さんがバスケ部にいるの。仮入部期間かもしれないけど、遠征まで付いて行くって、もう入部する気満々でしょ。なんでよ」
「ちょっと待ってって。返してって何? 別に私がつれて来わけじゃないし。本人の意思でしょ」

紺野って、あの初心者一年生だよな、とぼんやり思う。
吉澤にとって紺野はまだ、紺野ではなくて、初心者の一年生という存在だ。

困惑顔の吉澤に、陸上部の面々が解説してくれた。
紺野は中学時代陸上部で、県大会に優勝し全国大会まで出たらしい。
二年生にして1500mは県大会で二位。
三年生になると、800mと1500m県内二冠。
全国レベルでは両種目とも予選落ちではあったけれど、それでも県のトップ選手だ。

「別に、個人種目なんだから、あの子がいてもいなくても関係ないんじゃないの?」

チームでやるなら一人強いのが入ればチームが強くなるけど、個人種目の陸上には関係ないだろ、と吉澤は思った。
しかしながら、陸上には駅伝というものがある。
島根は、陸上では決してレベルは高いとは言い難い地域だ。
高くない、ではなくて、はっきり言えばレベルは低い。
その中に、大エースが一人入ってくれば、駅伝で県大会優勝して全国の大会に出られるかもしれない。
そこまで行かなくても、六位に入ればいい中国大会には進めそうである。
昨年の成績は県大会九位。
なるほど、そういえば、並んでいる顔ぶれは長距離走ってるメンバーだなあ、と吉澤は理解する。

「そんなこと言われても、別に、私の所有物じゃないからなあ。本人の意思だし。でも、なんでバスケ部来たんだろ?」
「でしょ。でしょ。疑問に思うでしょ? だから、お願い。紺野さん説得して陸上部に入れて」
「それなんかおかしくない? 私が説得すること?」
「そうだけど。でも、私たちが誘っても、バスケ部入るんですって申し訳なさそうな顔して言うだけで逃げられちゃうんだもん。だから、バスケ部のキャプテンから、陸上部に行きなさいって言ってよ」
「話してはみるけどさあ。でも、追い出すようなまねはできないよ」
「お願い。ホントお願い」

なんだか納得行かないような気はしたけれど、話してみることだけは承諾して陸上部の面々にはお引取り願った。

五時間目六時間目。
授業をまともに聞いていないのはいつものことかもしれないけれど、授業は意識に入らず、吉澤は紺野のことを考えていた。
追い出すような真似は確かにできないけれど、でも、バスケ部に来た理由もよくわからない。
元々陸上部だったのが、高校では新しいことしようと思ってバスケ部にっていうのはわからないことでもない。
だけど、紺野の場合はただの陸上部ではなくて、県大会優勝レベルの選手だったのだ。
それを捨てて、改めてバスケやるか? 普通。
もったいない、と思う。

その日の練習。
紺野は、最初の日よりは少し長く練習に混ざるようになっていたが、まだ序盤で横に抜ける。
吉澤は、そんな紺野の様子を改めてよく見てみたが、取り立てて目立つような何かは無かった。
こんなに短い期間で目覚しい進歩を遂げて! というような驚きは特に無い。
普通の子、だと思う。
強いて言えば、ほとんど息切れして無いな、というのが陸上部だった情報を手に入れてから気がついた部分だ。
序盤の短い部分だけでも、それまで全然運動してなかった初心者が混ざると、息切れして結構つらい。
そういう光景がそういえば無かったな、ということくらいしか目につくところはなかった。

結局この日は紺野には何も言わず、吉澤が声をかけたのは一日経った翌日の練習後だった。

「あやや、ちょっと紺野さんと話したいんだけどいいかな?」
「はい、なんですか?」
「紺野さん、ちょっといい?」
「はい」

私、怖いかなあ、と松浦と話している時と比べて著しく堅くなった紺野の表情を見て吉澤は思う。

「紺野さん、中学の時は陸上部だったってホント?」
「は、はい。陸上部でした」
「なんか、全国大会まで出たんだって?」
「あ、あの、まぐれで」
「まぐれで二冠はないでしょ。まぐれで」
「紺野ちゃんすごいじゃん。二冠ってなに? 全国大会で優勝したの?」
「いえ、あの、全中は予選落ちだったんですけど」
「あややはちょっと黙ってて」
「いいじゃないですか」
「よくないの」

松浦が割って入ってきて、ちょっと吉澤にとっては邪魔である。
追い払ってから二人で話したほうが良いかともちょっと迷ったが、不満そうな顔だけ見せておいて、あとはかまわず続けることにした。

「じゃあ、さあ、やっぱりバスケ部は仮入部期間だけで、ちゃんと入部するのは陸上部のつもり?」
「いえ、そんな、そんなんじゃないです。バスケ部入ります」
「ホントにそれでいいの? もったいなくない? 県大会で優勝したレベルなんでしょ? 陸上部の子達も来て欲しいって言ってたよ。逆に、中学の時優勝しちゃったってのがあって、高校でレベル合わなくていじめられるのが嫌だとか、そういう心配なら大丈夫だと思うよ。確かに、レベル的には先輩たちがついていけないかもしれないけど、いじめたりするような子達じゃないからさ。ホントに来て欲しそうだったし」
「いえ、そんな、そんな失礼なこと思ってないです。ただ、私は、高校ではバスケやろうと思って」
「そうですよ、吉澤さん何言ってるんですか。そんな、陸上部に行けって言ってるみたいなこと言って。ダメですよ。紺野ちゃんは私のです」
「いや、あややのじゃないだろ。って大体そういう問題じゃないし」

やっぱりこいつがいると話がわけのわからない方向へ進んで困る、と吉澤は思う。
そこに、少し離れたところで福田と1on1をやっていた辻が、小走りにやってきた。

「どうしたんですか?」
「吉澤さんが紺野ちゃんに陸上部行けって言ってるの」
「そこまで言ってないだろ」
「だめですよ。あさ美ちゃんはのんといっしょにバスケやるんです」
「辻ちゃんは紺野さんが中学までは陸上部だって知ってたの?」
「中学一緒です」
「そりゃあ知ってるか」

通常練習に普通に混ざって、五対五ではときにスタメン側に入ることもある辻は、先輩たちからも完全に存在を認識されていて、入学して二週間足らずにもかかわらず、辻ちゃん扱いである。
段々と当事者紺野が蚊帳の外になってきた。

「昨日昼休みにさ、陸上部の子達に頼まれたんだよね。紺野さんを陸上部に返せって。返せって言われても吉澤の持ち物じゃないよって答えたんだけど。でも、それでも、陸上部に来るように説得してみてってたのまれてさ。まあ、話だけはしてみるよってオーケーしたんだけど」
「じゃあ、話だけしてみたから終わりでいいですよね?」
「最終的には本人の意思だと思うから、まあいいんだけど。でも、実際もったいないと思うよ私は。中学の時そんないい成績残しておいてさ、あっさり捨てて別のことやるのって」
「いいじゃないですか、本人がバスケやりたいって言ってるんだから」
「だから、最終的には本人の意思だって言ってるだろ。分かってるよ。でもさ、あややはそうやって簡単に言うけど、本人のためにはどっちがいいのかって考えてるか? なんか冗談で、紺野さんは私のものなんて言ってたけど、紺野さんは紺野さんで、あややのものじゃないんだぞ」
「難しく考えすぎなんですよ吉澤さんは。本人がやりたいって言ってるんだから、それが本人のために決まってるじゃないですか」
「だから、もういいって言ってるだろ。紺野さん。伝えたからね。あややが余計なこと言うと思うけど、そんなのは気にしないで、自分で考えるんだよ」
「はい」

やっぱり、松浦を隣に置いたまま話するんじゃなかったな、と吉澤は思った。
それから、もやもやした気分のままシューティングをしていたが、全然入らなかったのでさっさと切り上げて帰った。

その夜、松浦のところに電話が掛かってきた。

「どうしたの? 珍しいね明日香ちゃんからかけてくるなんて」
「用があれば電話するよ」
「電話するのが用があるときだけなんて明日香ちゃんくらいだよ」

夕食後。
松浦は数人の相手とメールのやり取りをしている最中のこと。
福田にはメールを送っても、中身に意味があるとき以外は応答が無いので送っていない。
どうしても応答させたい時は松浦から電話をかけるのだが、そうではなくて、福田主体で連絡を取ってくるのは珍しかった。

「さっき何話してたの? 吉澤さんとかと」
「吉澤さんとか?」
「とか、一年生の子と。あと、辻も入って行ったけど」

紺野は松浦が見ているが、辻は福田が見ているという形になっている。
初心者指導の対象の紺野と違って、辻は、福田にとって跡継ぎ候補のようなものだ。
弟子という表現に近い扱いをしている。

「ああ、あれね。半分くらい聞いてたから電話してきたんじゃないの?」
「一割くらいかな。辻が戻ってきて、やめさせたりしませんとか言ってたくらい。松のことが嫌で辞めそうなのを吉澤さんが止めてたとかそういうこと?」
「なにそれー! 違う。違うから。紺野ちゃんが私のことイヤなわけないでしょ。逆よ逆。吉澤さんがやめさそうとしてたの」
「なんで吉澤さんが辞めさせようとするの? 初心者だから?」
「分かってないなあ。ホントに一割しか聞いてないんだね」
「説明してよ」

松浦が先ほどの吉澤と紺野のやりとりを説明する。
その間、福田は相槌の声以外ははさむことなく聞いていた。

「前陸上部だったとか関係ないと思わない? 意味わかんないよ」
「私は吉澤さんに賛成かな」
「何言ってるの明日香ちゃんまで」
「そんなレベルの子ならもったいないと思うよやっぱり。自分の立場で考えたら逆は考えられない。高校から陸上始めるなんてことはありえなかったな」
「そんなの人それぞれでいいじゃん」
「今まで積み上げてきて、その成果もしっかり出てるのにそれを簡単に捨てられるっていうのが私にはわからない」
「新しいことがしたかったんでしょ」
「松は、結構簡単にいろんなことが出来ちゃうからそう言えるんだよ」

福田は高校生年代では屈指のガードとされているが、決して万能型の何でも出来るスポーツ選手というのとは違う。
元々体格にも恵まれていないし、バスケ以外のスポーツはほとんどダメである。

「じゃあ、なに、明日香ちゃんは初心者はいらないって言うの?」
「そういう話じゃないでしょ」
「初心者だってそのうちうまくなるかもしれないでしょ。必要になるかもしれないじゃん」
「だから、そういうことじゃないんだって。初心者でうまくなるとかなら吉澤さんだって初心者だったんだし、そんなの分かってるよ」
「吉澤さんって初心者だったの?」
「知らないの?」
「知らなかった」

吉澤自身が高校からバスケを始めた初心者である、というのは意外と知らない部員も多い。
松江に来た時点ではすでにバスケ経験半年で、元々の身体能力とあわせてそれなりの形になっていたのだ。
まして、後から入ってきた現二年生以下は、わざわざ教えてもらわない限り、そんな話は想像出来ないものである。

「吉澤さんの話はいいんだけど、あの子。一年生の子。何でわざわざ陸上やめてバスケ部入ろうと思ったの?」
「知らないよそんなの。違うことしたかったんじゃないの?」
「違うことしたいで簡単に県大会優勝を捨てちゃえるの?」
「明日香ちゃんはそうかもしれないけど、みんながみんな明日香ちゃんみたいなわけじゃないんだよ。紺野ちゃんにさ、バスケ部を選んだ何か理由があったかもしれないけど、でも、そんなの別に無かったかもしれないとも思うよ私は」
「理由が無いの?」
「無いって言いきるわけじゃないけど、でも無いかもしれないよって。なんとなくで始めることだってあるでしょ。何か始めるのに、いつもちゃんと理由があるわけじゃないんだよ」

松浦と福田。
見た目も性格も似ても似つかない。
そんな二人が意外と仲良くやっているのだが、でも、性格や考え方が違うものは違うのであって。
物事に対する向き合い方は大分違う。

「じゃあ、明日香ちゃんはなんでバスケ始めたの?」
「なんでって・・・」
「私は、小学校でクラブ選ぶときに仲良かった子がミニバスやりたいって言ったからそれについて行ったのが最初」
「松が自己主張しないで誰かに付いていったんだ」
「めずらしいでしょ。自分でもそう思う。でも、そういうのに限ってこうやって長続きしちゃったりしてる。いいじゃん、それで。最初のきっかけなんかなんだって。中学の時何部で何位だったとか関係ないよ。紺野ちゃんは今はバスケ部で、きっと仮入部期間だけじゃなくて、ちゃんと入部してくれて、これからもバスケ部にいる。それで何も問題ないと私は思うけどな」

そう言われるとそうなのかもしれないな、と福田は思い始めた。
今までの自分にはまったくなかった発想だけど、そういう考え方をするひともいるらしい。
バスケ部、として考えるならば別に前に何やってようが特に関係ないのだ。
そう、バスケ部的には何も問題ないかもしれない。
だけど、本人のためにはそれで良いのだろうか?

「でもやっぱり、県で優勝するって簡単なことじゃないと思うけど」
「そうだけどさあ、別にいいじゃん。それはそれで。本人がバスケ部入るって言ってるんだから」
「そうかもしれないけど」
「そうなの。いまさら陸上部に行かれちゃうなんて、私はい・や・だ」

最後は理屈じゃなくなった松浦の言葉に、福田は苦笑する。
それでも、理屈の部分でも一理あるよなあ、と認める部分がある。
珍しく松に論破されてしまった、と思いつつ福田は電話を切った。

しばらく平穏に練習は続いていたけれど、なんとなく雰囲気の悪さを感じたあやかが首脳陣の招集をかけた。
このチームを動かすのは、キャプテンの吉澤と副キャプテンのあやか。
その二人で足りないなと思った時は、市井も呼ぶし、後は二年生の中で中心にいる福田と松浦まで集める。

「なんだよ、試合の話じゃなくて、そんな中途半端な話なの?」

四月は新入部員が入ってくる慌しい時期でありながら、県の大会も入っている。
四月中旬のトーナメントを二つ勝ち上がれば、ゴールデンウィーク前半に行われる決勝リーグへ進める。
それが終われば、北海道に飛んで滝川カップ、と日程が立て込んでいる時期だ。

「市井さん試合の話興味あるんですか?」
「松浦は興味ないのかよ」
「はいはい、それは横に置いて。今日はそうじゃなくて。いや、まあ、試合に向けてっていうのもあるんだけど。その、ちょっと雰囲気悪いよねって話でさ」
「チームの状態はそんなに悪くないんじゃないの? Bチーム相手にうまく行ってても試合でうまく行くとは限らないけど、でも、状態はいいよね」
「そこじゃなくて。あの、プレイ面はうまく言ってると思うんですよ、市井さんの言うとおり。多分県レベルなら問題ないと思う。問題点があれば、滝川カップで多分全部突っ込まれて見えるようになると思うから、そこで修正して行くようにすればいいと思うし。そうじゃなくて、一年生入ってきて、なんかその、空気が変わったなっていうのがあって。私だけが感じてるのかなって思ったら、あやかもそう思うって言うんですよ」

この新チームは、冬の新人戦では県内では圧倒的に抜けた力で優勝している。
飯田がいなくなった途端に、拍子抜けするくらい簡単に県大会で優勝出来てしまった。
そのままの勢いで、こちらは簡単にというわけには行かなかったが、中国大会でも優勝している。

「それで、みんなに集まってもらいました」

吉澤があやかに相談した、のではなくてあやかの方が吉澤に相談した。
吉澤も同じことを感じていて、自分が何とかしないとなと思っていたというようなところで、あやかはそのまま自分でみんなを集めると言って動いたのだ。

「そんなの簡単だよ。吉澤が悪い」
「私っすか?」
「なんかどんよりした感じになったのって、吉澤が一年生にお前辞めろって言ってからだろ」
「辞めろなんて言ってないっすよ」
「一緒だって。どんな言いかたしたかはしらないけど。ぬぼーっとでかいキャプテンとかいう奴に、君はバスケ部より陸上部の方が向いてる、陸上部に行くことを考えてみなさい、なんて言われたら、あんな気の弱そうな一年生萎縮するに決まってるだろ。一年生で一人そんなの出てきたら周りに伝染するって」
「でも、去年の一年生はそんな感じなかったですよ」
「去年と今年は違うんだよ。みんながみんな、吉澤みたいに追い出されても言い返してしがみつくなんて出来るわけじゃないし、明日香みたいにこれが正しいって先輩に主張したり出来ないし、こいつみたいに地上で自分が一番みたいな不遜な奴はめったにいないし。ああいう一年生が普通なんだって。ここにいる、あやかはちょっと違うけど、鼻っ柱が強い生き物の方が少数派なの」

珍しく、市井がこの手の集まりで長台詞をはいた。
なんとなく、それは当たっているような気がして吉澤は言葉を返せない。

「でも、あの子辞めずに来てるじゃないですか。やっぱり辞める気は無いってことですよね」
「まああやかの言うとおりだろうね。吉澤のことは怖いけど、でも辞めずに続けてるあたりは、陸上部で結果残しただけあって芯は強いんじゃないの?」
「私、そんなに怖いっすか?」
「立場と性格によるだろ。私から見たら別に怖くもなんとも無いけど、高校入ったばかりの一年生から見たら、三年生のキャプテンなんて自分から話しかけることはありえない程度に怖いのなんて普通だろ」
「ていうか、これ何の話し合いなんですか?」
「何のって?」
「紺野ちゃんを追い出すかどうかって話し合いなんですか? ダメですよ。紺野ちゃんはバスケ部です」
「お前、読解力なさすぎ。そんな話までまだ行って無いだろ。今は、吉澤のやり方がまずかったって話なだけで」
「紺野ちゃんをみんなに馴染ませるにはどうすれば良いかって話でいいんですよね?」
「うん。私は、たぶん雰囲気悪い原因ってそこだと思うから、その、馴染んでもらうにはどうしたら良いかなって話すために集まってもらったつもり」
「ずっと黙ってるけど福田はどう思う?」
「どうって?」
「雰囲気悪い原因が違うなら違うで何かあるだろうし。やっぱり吉澤が悪いってならどうすれば良いかって」

五人が集まっているのは食堂。
一方にあやか、吉澤、市井が座り、もう一方に福田と松浦が座る。
市井の正面は空席で、あやかの正面に福田、吉澤の正面に松浦がいる。

「吉澤さんや、私があの子がバスケ部にいるってことに納得して、その納得してることをあの子が分かればいいんだと思います」
「明日香ちゃん納得してないの?」
「本人の自由だとは思うけど、でも、やっぱり、もったいないなって思う」
「もったいないはもったいないよね。私もそう思うけど。でも、それって私たちが言うことなのかなあ?」
「確かにあやかさんの言う通りかもしれないですけど、でも、吉澤さんが納得しないで、それが顔に出るとあの子も居づらいと思いますよ」
「私、顔に出る?」
「出てると思います。その辺は、私も人のこといえないですけど」
「でも、なんで納得行かないの? そっちの方が私はわかんないよ」
「後で後悔されるのイヤだなって吉澤は思うんだよね」
「後悔?」
「あの子がさ、三年生になって引退するときに。やっぱり陸上やっておけばよかったなってならないかなと思って。陸上部に行けば、怪我さえしなければほとんどずっとエースでいられるような存在なのに、わざわざ未経験のバスケ始めてさ。それで三年間ベンチにいるようなことになったときに、最後に後悔しないかなって」
「うまくなるかもしれないじゃないですか。吉澤さんだって初心者だったんですよね。三年になる頃には意外とキャプテンやってたりして、いないと困る存在になってるかもしれないじゃないですか」
「松のその感覚ってちょっと危険だと私思うんだよね」

話は、吉澤と松浦、それと福田の三者で進んでいる。
市井は状況判断だけはしっかりしていたようだが、どちらの意見を持っているのかは特に言わない。
あやかは、本人の自由とだけは思っているけれど、後ははっきり意見を持っていそうな三人の話を聞いていて、あまり口を挟まない。

「松の感覚だと、試合に出たりキャプテンになったりする人以外はいらないってことになっちゃうんだよ。でも、それは違うと思う。私たちが目指すところは今年の選抜優勝だけど、そのレベルに全然足りない子でも、このチームの一員としてやっていきたい、ちょっとでも力になりたいっていう人は切り捨てちゃいけないと思うんだ」
「だったら、何で紺野ちゃんは陸上部に行った方がいいって思うの?」
「正直に言えば、ちょっと妬んでるのかもしれない」
「ねたんでる?」
「県で優勝できる力があるのに、それを簡単に捨てられちゃうところが。私みたいに、必死になって頑張らないとそれを掴み取れない人間からすると、それは結構ねたましく思うんだ」

ちょっと意外だな、という視線が福田のところに集まった。
あまりこういう自分の精神的な部分で本音をこういうところで語ることは少ない。

「一回ちゃんとあの子と話してみるかな?」
「何をですか?」
「何をって、そのまま。なんでバスケ部入りたいのか。陸上部に入らなくていいのか。そんな話」
「そんなのする必要ないですよ。いつからうちのチームはそんな面接みたいな偉そうなことするようになったんですか?」
「あややの言いたいことは分かるけどさあ。でも、やっぱり私たちは納得する必要があるんだなって確かに思った。私は、もうあの子に陸上部の方がいいと思う、とかそういうことは言わないよ。偉そうに面接とか、セレクションっていうの? 強いチームやってるようなそういう試験みたいなことする気は無いよ。だけど、あの子の方に、先輩たちは自分がいない方がいいと思ってる、って思われてる状態って良くないと思うんだよね。だから、一回、私たちが納得したっていうのをあの子に見せてあげないといけないんだと思う」
「吉澤が余計なこと言わなきゃすんだ話だけどな」
「はいはい、私が悪かったですよ。市井さんの言うとおりですよ。そんなのわかってますよ」
「その話、私が聞きます」
「福田が?」

吉澤の声が裏返った。
松浦も、驚いた顔をして隣に座る福田の方に視線を向ける。

「それでいいですか?」 
「明日香ちゃん、あんまりそういうのしない方がいいって」
「明日香はある意味吉澤より怖いだろ一年から見て」
「私が話し聞いて、納得したら吉澤さんに報告するって感じでいいですか?」
「うーん、いいけど、あんまりいじめるなよ。こう、福田お得意の、理詰めで責めるやつ。あれやっちゃうと違う理由でバスケ部やめて陸上部行きそうだから」

松浦に市井に吉澤に、結構散々な言われ方をしている福田だが、何を思っているのかそれらに対しては何も答えない。

「ったく、お前ら頭堅いんだよ」
「何がですか?」
「吉澤も、明日香も。いいじゃんか、陸上部だろうがバスケ部だろうがアニメ研究会だろうが、本人がやりたいって言うならやらせとけば。細かいことで一々頭使いすぎなの」
「そうですよ。余計なことすることないですって」
「いや、やっぱり、すっきりさせた方がいいと思う。紺野さんのためにも。先輩たち、私にここにいて欲しくないのかも、って思いながら練習するのもきついだろうから。まあ、そういうの私の役目だと思うんだけど、福田、話したいの?」
「直接話した方が私は納得できるから」
「んー、まあ、ちょっと心配な気がするけど、じゃあ福田から話してみて。それで納得いったなら私も納得でいいよ。いいよって言うか、もうほとんど、本人がそうしたいならそれでいいって思ってるんだけどね」

福田が紺野と話してみる、を一応の結論にして昼休みの小会議は終了した。
それぞれ教室に帰る。
他のメンバーと別れて、最後まで吉澤と一緒にいたあやかが言った。

「なんか珍しいもの見せてもらった感じ」
「珍しいものって?」
「市井さんと意見の合うあややと、明日香と意見の合うよっすぃー」

吉澤はちょっといやそうな表情を見せただけで何も答えなかった。

福田が紺野を呼び出したのはその日の練習後だった。
事前に根回ししてあったらしく、松浦が紺野のことを福田のところへ連れて行く。
体育館の中で話すわけにもいかないし、部室は今は誰もいなくてもこの後続々と戻って行くし。
選んだ場所は、グラウンドが見える非常階段を中途半端に下りた場所、だった。

「急に呼び出されて驚いた?」
「え、いや、はい。ちょっと」
「ごめん。私、あんまり後輩に優しくとか、そういう、松みたいな、松、松浦ね。あの子みたいな、そういう、緊張させないと言うか、優しく接すると言うか、そういうの出来ないけど。でも、別にいじめるつもりで呼んだわけじゃないから」
「はい。のんちゃんが、辻さんが、明日香さんは優しいっていつも言ってます」
「そう」

並んで立つと、背は少し紺野の方が高い。
春の夕暮れは段々と遅い時間になってくるけれど、二人の視界に入る北側のグラウンドは、人の姿は見えるけど、ボールの行方は判別できない程度に暮れている。

「なんでバスケ部入ろうと思ったの?」

単刀直入。
遠まわしにあれこれ聞いて行くのは福田には出来ないやり方。
率直に、聞きたいことを質問する。
紺野からの答えはすぐに出てこなかったので、福田が言葉をつないだ。

「最終的には本人の自由。それは私も思うし、みんなもそう思ってる。理由がなんであろうと紺野さんがバスケ部に入りたいと言ったら、それを私たちは拒否できないし拒否しない。みんなちゃんと受け入れるよ。追い出したりとかしないし、追い出される心配はしなくていい。だけど気になるんだ、やっぱり。なんでかなって。県大会で優勝するって簡単なことじゃないと思う。だから、それをあっさり捨てて別のこと始めるっていうのがなんでかなって。私は知りたい」

福田はただ思っていることを言った。
余計な装飾をせずに、聞きたいことを聞いた。
それで、答えがなかなか返ってこないので、もう少し付け加える。

「別にテストとか面接とかじゃない。私のことを論破して納得させないと入部できないとかそんなことじゃない。ただ、私は紺野さんの考えが知りたいだけ。それが、私の考え方と違っても、そういう考え方もあるんだって受け止められる程度にはこの一年間で大人になったつもり。だから、話して欲しい。理由は別に無い、でもいいから」

階段で、グラウンドの方に体を向けつつも、顔はお互いの方に向けている。
福田が紺野から視線を外し、グラウンドの方に目を向けると、紺野も同じように福田から視線を外す。
薄暗い中から、片づけをしているサッカー部員の声が聞こえる。
紺野が口を開いた。

「別に、陸上がイヤだとか、そういうことじゃないんです。あの、失礼な言い方ですけど、バスケがどうしてもしたいってわけでもないんです。はっきりした一番の理由って言うのは自分でもよくわからないんですけど。ただ、新しいことに挑戦したいなっていうのは思いました」

福田は、紺野が話している間にも、聞きたいことはいくつか出て来たのだけど、それはせずに黙って聞いている。

「オリンピックに出たいとか、世界記録を出したいとか、そういうのは全然無いから。走るのは好きですけど、でも、ずーっと一生陸上で生きて行くって言うか、そういうことは思ってなくて。だから、中学の時に満足行く結果が残せたから、高校では新しいことをしてみたいなって思いました」

松の言うとおり、深い理由というのがあるわけじゃないんだな、と福田は思った。
世の中にはいろいろな考え方の人がいる。
松と似たタイプ、とこの子のことは思えないけれど、でも、そういう部分もあるらしい。
紺野の視界に入っているかどうか、福田は何度かうなづきながら聞いている。

「陸上って、リレーとか駅伝もあるけど、基本的には一人でやるものなんです。私はリレーは出ないですけど、駅伝はよく出てて。駅伝だとチームの成績関係なく、自分の区間の自分のタイム、順位っていうのがあって。チームが何位でも、成績悪くても自分だけ区間賞っていうこともありました。それはそれでいいんですけど、今度はそうじゃないことがしたいなって思って。チームで。みんなで頑張るようなこと。高校ではそういうことをやろうと思ってました。それで、あんまり得意とはいえないですけど、そういうのって球技だなって思って。それで、のんちゃんが、あの、辻さんです。辻さんが、バスケ部入るから一緒がいいなって思って」
「中学一緒だったんだって?」
「はい。一緒でした」
「学校は、うちに来るっていうのは、辻とあわせたとかそういうのなの?」
「それは多分違います」
「多分?」
「辻さんは、明日香さんの学校に行きたいって言ってここに来ました。私は、あの、うちから通える範囲で進学考えるとここがいいかなって思って」
「紺野さんって理数科だっけ?」
「はい」
「辻は商業だよね?」
「辻さん、頑張って勉強したんですよ。明日香さんの学校に行くんだって」
「紺野さんが教えたの?」
「ちょっとだけですけど」

市立松江は全体で見ると、県内屈指の進学校というほどまでは行かないけれど、理数科単独で見ればトップクラスである。
紺野はそこに入学したし、福田も実は理数科だ。
逆に商業科は学力的には高いとは言いがたく、比較的入学はたやすいが、誰でも入れるというほど低いわけでもない。
理数科、商業科は一クラスづつで、他はすべて普通科で、吉澤にあやか、松浦も普通科で暮らしている。

「聞いてるかもしれないけど、私が辻を初めて見たのは去年の春に合宿でたまたまあった時なのね。あの時辻と一緒にもう一人いて、名前はちゃんと知らないんだけど、その子どうしてるか知らない?」
「たぶん、あいぼん、加護さんのことだと思うんですけど、別の学校、東京の学校に行きました。明日香さんと同じ学校に行ったら三年になるまで試合に出られないって言って。辻さんは加護さんと高校も一緒に行くつもりだったみたいで、ずいぶんけんかになったみたいですけど」
「別の学校は分かるけど、なんで東京?」
「あんまり知らないですけど、親戚の人が東京にはいるみたいで。ちょっと、家族もいろいろあって。辻さん、大分怒ってたんですけど、でもやっぱり寂しいっていうのはあるみたいです」
「そんな辻についてあげないといけないかなとかそういうこと思った?」
「それでバスケ部にって意味ですか?」
「そう」
「ちょっと思いました。だけど、そういう、なんていうか、辻さんのためって感じじゃなくて。一緒に何かしたいなっていうのがあって。中学の時、辻さんとも加護さんとも仲良くて、三人で結構一緒にクラスでは動いてたりしたんですけど、でも、辻さんと加護さんの間には、私には入れない何かがある感じがして、ちょっと疎外感って言うか、そういうのがあったから。一緒に何かを目指すっていうのがしたいなって」
「中学の時はチームのエースで県で優勝までしてて、陸上部に行けば、また優勝できるかはともかく、自分が主役でいられるのは間違いないのに、バスケ部に来て、もしかしたら三年間一度も試合に出られないかもしれないけど、それは受け入れられるの?」
「もしかしたら、試合に出られないかもしれないですけど。それは、下手だったら仕方ないと思います。今から始めるところなのに、最初からそのつもりでそれを受け入れちゃいけないとは思ってますけど」
「そっか。それはそうだね。うん。私の言ってることおかしいね」

福田は、あまり紺野の方を見ずに話していた。
話している間にグラウンドから人が去って行っている。
ふと、暗くなった空を見上げて、大きくため息を一つはいてから福田が言った。

「やっぱり紺野さん、陸上やめちゃうのもったいないと思う」

紺野は何も答えないで福田の方を見ている。
福田は、グラウンドから目線を外して紺野の方を向いた。

「三年間、バスケ部で頑張れる?」

一つ前の言葉と裏腹な言葉が続いて出て来たのを聞いて、紺野は戸惑って答えを返せない。

「紺野さん、たぶん、目の前のことをしっかり頑張れる人なんだと思う。だから、陸上部でもう三年間続ければすごい結果を出せるんじゃないかなって私は思うけど、それは、私が思うだけで紺野さんが決めることだから、いいよ。気にしないで」
「私のこと、バスケ部に受け入れてくれるんですか?」
「それは、私が決めることじゃなくて紺野さんが決めること。最初に言ったけど、今日呼び出したのは私が紺野さんと話してみたかったからってだけだよ。紺野さんがバスケ部に入ることを望めば、それで紺野さんはバスケ部員だよ。二三年生の間ではそう結論は出てるんだ。だから、陸上やめちゃうのはもったいないと思うけど、でも、私から、バスケ部員としていいます。これからよろしくお願いします」
「あ、いえ、そんな、あの、お願いします」

先輩に唐突に頭を下げられて困惑顔の紺野だが、福田と向かい合って自分も頭を下げた。

「なんか、暗い中でこんなのやってるとおかしな感じだね」
「そうですね」

付き合ってください、お願いします、っていうようなシチュエーションだよな、と福田は思ったけれど、それは言葉にはしなかった。

「松の練習、どう?」
「あややさん、楽しいです。あややさんも、練習も」
「あややさんなの?」
「そう呼んでって言われました」

感想は言わずに、福田は鼻で笑う。

「松の設定してる練習、ちょっと基礎練少ないからさ、自分で補った方がいいかもしれない」
「私も、本で読んでたのとかとはずいぶん違うんだなって思ってたんですけど」
「あの子、楽しいを一番の価値基準に置いてるっぽいから。初心者にあんまり厳しく最初からすると辞めちゃうかもみたいなのを気にしててそういう設定にしてるんだろうけど」

松浦が全体練習終了後に紺野に課しているメニューは、福田の考え方とはずいぶん遠いもの。
福田だったら、まずは全体練習に混じることが出来るレベルにするようなメニューの組み方するんだけどな、と思いながらもこれまで黙っていた。

「あと、私が言うのもおかしいんだけど、辻のこと支えてやって。紺野さんに余裕があれば。あの子、なんかいろんな部分で不安定な感じがするんだ。さっきの、中学の時一緒にやってた子の話とか影響してるのかもしれないけど。私は、そういう面であまり役に立たないって言うか、どちらかというと、辻を精神的に追い詰める側になっちゃうと思うから」
「そんなことないです。のんちゃん、辻さん、明日香さんのことすごい好きだし。精神的に追い詰めるとか、そんな感じじゃないと思います」
「まだ最初だから。試合とかそういうの経て行くと、そういう場面も出てくると思うし。それに、こうやって話して見ると、紺野さんの方がだいぶ大人だから」
「そんなことないです。私なんか」

慌てた顔をしている紺野が見えて、福田は笑みを見せる。
紺野の表情を意識したことで、周りが本当にすっかり暗くなったことを認識した。

「ごめんね、唐突に呼び出して。練習終わったままの格好だからすっかり冷えちゃって。そろそろ戻りましょう」
「はい。ありがとうございました」
「あ、あの、一番大事なことだけど、紺野さん、もう追い出されるかもとかそんな心配しないでね。みんな、紺野さんを、当たり前だけどバスケ部員として受け入れて一緒に練習して行くって、決めてるから。それを伝えるのが私の役目だったんだよね。最近、なんか不安そうだったから」
「すいません。ちょっと、心配してて。練習に身が入ってなくて」
「いや、私たちが余計なこと言ったのがいけないから。もう、暗くなっちゃったし、戻りましょう」
「はい」

二人は連れ立って体育館に戻って行った。
戻るとまだメンバーは比較的残っていて、片付けもほとんどされていない。
福田は辻に付き合ってやり、紺野は今日も松浦に相手してもらって練習を積む。
紺野は、走りながらパスを受けてそのままシュートへ、というのをやっていたが、あまり入らなかった。

帰り道。
福田は松浦と連れ立って帰る。
二人して徒歩圏内に住んでいて、距離はやや福田の方が遠い。
松浦家前を通って行くと少し遠回りなはずなのだが、最短距離だと思う、と福田は言いきっている。

「全然戻ってこないから心配したんだからね」
「何が?」
「紺野ちゃん」
「別に取って食べたりしないよ」
「明日香ちゃんのことが怖くて逃げ帰っちゃったんじゃないかと思ったもん」

全体練習終了後、すぐに紺野の相手をし始めるのが日課になりかかっていた松浦。
今日はそれが無くて、妙に手持ち無沙汰だった。

「何話してたの? あんなに長く」
「別に。大した話じゃないよ。あ、松の練習基礎練少ないから気をつけなって言ったら、なんとなくそんな気がしてたって」
「なによそれ」
「あの子、ちゃんと事前に勉強してたみたいだね。本で読んだだけみたいだけど」
「頭良さそうだよね」
「あの子がうまくなるかどうかは育て方次第だなって思った」
「じゃあ、大丈夫。うまくなるよ」
「ホントにいいの? あの練習で」
「明日香ちゃんとはやり方が違うの」
「松、いきなり厳しい練習するとやめちゃうかもとか、そういうの気にして楽しい練習にしてるんでしょ? あの子なら、多分辞めないよ。ちょっとくらい厳しいメニューにしても」
「私、前から思ってたんだよね。なんか、厳しい練習に耐えて栄光を掴むとか、金メダルを手にするとか。本当? って。練習が楽しくて何がいけないの? って」

なんだかかみ合って無いぞ、と福田は左を歩く松浦の方を見る。
松浦は、一度福田の方に目を向けたから続けた。

「楽しくやろうよって思う。体力的なことは、ちょっとつらくなる部分もあるけどさあ。それでも、きついー、って言って笑ってられるようなのがいいなって。よくさあ、練習中に歯を見せるな、とかいうおじさんいるじゃん。私、ああいうの嫌いなんだよね。嫌いって言うか、意味あるの? って思う」
「でも、真剣にやらなくちゃ練習の意味なくない?」
「真剣にやってれば、歯を見せようが、笑ってようが良くない?」

問いかけに問いかけが返ってきた。
福田は少し考える。
道は交差点にぶつかって、わずかな信号待ち。
立ち止まった直後に青に変わってすぐに歩き出す。

「同じ練習を真剣にやってるなら、別に笑ってても楽しくてもいいと思う。だけど、そういうことじゃなくて、今話してるのは、メニューの選び方のこと」
「メニューの選び方?」
「最初にパスを教えたのはいいけどさ、次にシュートと、その後すぐ一対一って無理がありすぎると思う」
「一対一って、いきなり私のこと一対一で抜き去れるなんて思ってないよ。私は立ってるだけだって、ほとんど。ちょっとついていって脅かしたりはするけど。一対一のふりしてるだけで、ただのドリブル練習だよあれ」
「ボール見ないとまともにドリブル突けないのに前にディフェンス置くのは無茶だし、その後流れの中でシュートとか無理でしょ」

「最初にそれやっておけば、ドリブルちゃんとつけないとダメだって自分で考えて練習するでしょ。明日香ちゃん見てないでしょ。全体練習途中で抜けた後の紺野ちゃん」
「そんなの見ながら自分の練習しないって」
「紺野ちゃんが今やってるのは二つ。邪魔にならないゴール選んでフリースロー打ってるのと、それが飽きると練習見ながらドリブル。ボール見ながらじゃないよ。練習見ながらだよ。やっぱり時々ポロポロやってるけど」
「そこまで松が指示出したんだ」
「違うよ。紺野ちゃんが自分で考えてやってるだけだよ。邪魔にならなければ何しててもいいよ、とは言ったけど」

考えて無いわけじゃないらしい。
というよりも、考えた上でのことらしい。
考えて無いと思っていたわけではなかったけれど、真面目そうな紺野の性格に対して、松浦の教科書関係ない進め方が合うかどうか心配だったので、口に出して聞いてみただけだ。

「どの辺で全体練習に混ぜるつもり?」
「ツーメンが出来るようになったら」
「出来るようになるってなんか基準あるの?」
「シュートは入らなくてもいいけど、走りながらパスが受けられて、走りながらパスが出せれば合格。もちろん、トラベリングしないでね」
「シュート入らなくていいんだ」
「パスできないと全体の流れの邪魔になっちゃうけど、シュート入らないのはリバウンドとればいいだけで問題ないでしょ」
「ツーメンまで出来たら全部の練習やらせるの?」
「五対五に混ぜるかどうかは私が決めることじゃないけどさあ。後は全部やるよ」
「一対一とかも全部?」
「うん。ルールはちゃんと説明してからだけどね」
「ディフェンス何も教えて無いけど大丈夫なの?」
「今日の明日香ちゃんよくしゃべるね」
「茶化さないでいいから。ディフェス教えなくていいの?」
「一対一やりながら教えるよ。別に、全体練習に混じるようになったからって、後は何も教えないってわけじゃないんだから」
「そっか、そうだね」

いつもの帰り道。
周りの風景と、松浦の家までの距離感は分かっている。
福田の性格、松浦家の前で飽きるまで立ち話をする、なんてことは決してしない。
それをしないで済ますには、あとどれくらいで着くから、それまでに終わるように会話を進めていかないといけない。
福田が何を言おうか考えていると、松浦の方が口を開いた。

「私合格? 明日香ちゃん面接」
「なにそれ?」
「明日香ちゃん、信用してなかったでしょ私のこと」
「なにが?」
「紺野ちゃんの練習メニュー。私だって明日香ちゃんとは違うけどちゃんと考えてるんだよ」
「別に考えてないなんて言ってないよ」
「口が言って無くても顔が言ってるの」
「考えてないとは思ってなかったよ。ただ、それが紺野さんと合ってるかどうかが心配だっただけ。考えて無いと思ったら、最初に言ってるよ」
「なんだかんだ言って、紺野ちゃんの心配してるんだね。明日香ちゃん、紺野ちゃんは陸上部へ行け派だったのに」
「それはまた別の話だから。だけど、私はあの子にはもっと基礎的なことさせたほうがいいと思うよ。ボールハンドリングとか。ディフェンスフットワークとか」
「いいの。紺野ちゃんは私のやり方で育って行くの。私が卒業するまでに、紺野ちゃんを明日香ちゃんが教える辻ちゃんよりうまくさせるんだから」

言葉のキャッチボールが止まる。
あれ、と思って松浦が福田の方を見る。
福田はその松浦のことをチラッと見てから答えた。

「無いとは言えないかな」
「何、自信ないの?」
「松がどうとか、辻がどうとか関係なく、あの子がうまくなることはありえるとは思うよ」
「へー、期待してるんだ」
「素質とかそういうのはわからないというか、あまりあるようには感じないけど。真面目にこつこつ練習積んでうまくなって行くと思う。松のやり方が合うかは心配だけど」
「もー、私の信用は無いわけ?」
「どうせ私が何言ったって松は自分のやり方通すんでしょ。じゃあね、バイバイ」
「明日香ちゃんも二年生になったんだからもうちょっと愛想を身につけようね」

松浦家の門の前。
歩く速度を落とすでもなく、そのまま通り過ぎて行く福田。
その背中に松浦から言葉が飛んでくるけれど、もう答えは返さない。 

福田は松浦に、こうした方が良いと思う、とは言ったけれど、それ以上強くは主張しなかった。
そういうやり方もありなんだろうな、と松浦の言っていたことを反芻しながら帰った。

 

滝川カップが終わり生徒たちが片付けて帰った後。
一息つくのはコーチもまた同じで。
石黒コーチは札幌まで出てから、取材に来ていた稲葉と一杯やっていた。

「ホントにやり遂げるとは思ってなかったよ」
「あっちゃんが炊き付けたんでしょ」
「でもさあ、選抜の時に話してからは主導権は滝川に移ってたでしょ」
「実際、私は何もして無いんだけどね。藤本に手配しろって言っただけで。あの子らよくやったと思うよ。スポンサーなんかまで集めてきたのは本当驚いたし」
「あれは驚いたね。稲葉さん紹介してって、富岡の石川さんに言われて。心当たりはいくつか紹介してあげたけど、まさか交渉成立させてくるとは思わなかった」
「入場料なんかまで取ったもんだから、藤本たち大会終わっても、精算とかあって、自分で仕事増やしてご苦労なことだよ」
「おかげさまで良い記事が書けそうです」
「ま、おつかれさん」

グラスをまた合わせる。
冷酒が入ったグラス。
二人して、とりあえずビールではなくて、いきなり日本酒からだった。

「で、大会運営っていう方じゃなくて、大会出場チームとして、石黒監督は満足行く結果だったの?」
「ん? まあ、大体は」
「大体ねえ」
「島根の、えーと、松江か。あそこのガードの子。評判聞いてたから見てみたかったんだけどね。それが来なかったのが不満」
「なんか風邪こじらせたらしいよ」
「本番でこじらせてもいいから、こういう時は来て欲しかったな」
「ずいぶん勝手な言い分で」
「その子が来ればもう少し藤本を使う時間も長かったんだけど」
「それなんだけどさあ。私が一番聞きたかったところ。藤本さんの代わりに使ってた一年生。あれにこだわってた理由は何?」
「こだわってたって?」
「いろんな子確かに使ってたけど、特にあの子。15番の子。何か目をかけたい理由でもあるの?」
「目をかけてたように見える?」
「どちらかというといじめに近い感じに私には見えたけどね」
「言葉悪いけど当たってないとはいえないな」
「いじめてたのかよ!」

稲葉に突っ込まれても石黒はどこ吹く風で、お通しの小皿に箸を伸ばしている。
呆れ顔で日本酒をぐいっと一杯やった正面の稲葉を見つつ、石黒が答えた。

「いじめてたわけじゃないけどさ。ちょっときつい状況にしてみようとは思ったんだよね」
「きつい状況って?」
「多分あの子、いいとこ育ちな感じがあってさ。それを少し捨てさせたかったのよ」
「いいとこ育ち?」
「負けて悔しい、みたいな感覚が乏しいというか。負けるとただ凹むだけで、悔しいとか見返してやりたいとかそういう方向に感情が向かない感じかな」
「悔しい、の前に、自分がダメなことを認めちゃってただ落ち込むだけって感じ?」
「そう。そんな感じ」
「一ヶ月でそこまで見抜いてやってたんだ」
「あの子の場合分かりやすかったんだよ。ここに来るまでが。普通に高校受験して全部落ちて。あんまり部外者に言うことじゃないから記事にはしないでよ。親から学校には結構な寄付金もあったらしくてさ。入学させてやってくれ、なんて圧力もあったし」
「圧力に負けて入部させたの?」
「んにゃ。そんなの関係なくビデオ見て入部させようとは思ったよ」
「そんなうまかったんだ」
「全然。見るからに練習して無いなこいつって感じだった」
「言ってることむちゃくちゃなんだけど」

注文した料理が運ばれてくる。
皿が置かれて店員が去って行くまで、つかの間会話が止まる。

「いいとこ育ちで苦労知らなくて。たいした練習もしてなくて。そのくせあの子富岡受けてるんだよね。落ちたけど。行くとこ無くてここに来たみたいで」
「それだけバスケには自信があったってこと?」
「違うね。ここに来れば、高校でバスケをするからっていう理由が作れるからってだけだと思うよ。親の側からしたら。地元で、二次募集だなんだ探して進学したら、高校全部落ちたっていう事実だけが残るから。それをここに来れば、バスケ留学で遠くに来たっていうことになるから」
「でも、富岡受けたのも、ここに来たのも本人の意思でしょ」
「憧れくらいはあったんだろうね。でも自信は感じなかった。悔しさみたいなのも感じなかったな。大体、富岡落ちてうちに来たのに、石川さんの写真とか持ってて部屋に飾ろうとして騒ぎ起こすなんて、富岡には入れなかったのが悔しいならありえないことだし」
「分かった。分かった。そこまでは分かった。分かったけど。なんで、そんな子を使おうと思ったわけ?」
「んー、まあ、見込み無いわけじゃないからね」

石黒は目の前の肉豆腐に箸を伸ばす。
間が出来たので稲葉も枝豆に手を伸ばした。

「今はまだ、有象無象の中の一人だけど、ろくに練習もしてないのにその有象無象の下じゃなくて中には入れてるんだから、本気になったら伸びるんじゃないかなと思った」
「藤本さんの次にするつもり?」
「タイプはずいぶん違うから、次とか代わりってわけにはいかないだろうけどね。可能性はあるとは思う。この三日間の経験をどうとらえるかでこの先大分違うだろうけど」
「でもさあ、あれはやりすぎなんじゃないの? へこませるとか、本気にさせるとかの域を超えてたよ。二度と立ち直れなくなったらどうするの? スタンドからやじられたところで代えたのとか」
「あれはね。ちょっとね。失敗したと思ったよ。大体さあ、味方をあんなやじる奴がいるなんて思ってなかったもん。どうしようかと思ったけど、でも、新垣のためだけにやってるわけじゃないしさあ。あの辺で藤本入れないとゲーム壊れちゃうから。しょうがなかったんだよ」
「失敗したと思ってる?」
「まあね。あれはね。なんて、生徒たちの前じゃ言えないけど。私だってコーチ業初めて一年経ってないからね。それ言い訳にしちゃいけないんだけど。全部計算づくで何もかもうまく行くってわけにはいかないんですよ」
「そっか、まだ一年経ってないんだ」
「そうよ。コーチって孤独だわ。選手の時は愚痴れる相手がいたけど、コーチになっちゃうと一人で全部処理しないといけないから結構きついのよ」

石黒にとっては滝川は現役を引退してから初めてコーチとして就任したチームである。
それ以前にコーチ経験などないし、唐突な妊娠から現役引退という流れだったので、引退後のためにコーチ業も勉強しておこう、みたいな準備期間も無かった。
ただ、タイミングが合ったから、というだけで招聘されたのが事実である。

「あれでつぶれちゃったら本当にどうするの?」
「どうしようかな。結構心配なんだよね。でも、今日なんかはゲーム中に藤本がかばったりなんかしてたから、仲間内で何とかするんじゃないかな」
「あれね。驚いたんだけど。藤本さんがスタンド怒鳴りつけるなんて」
「あの子男気あるから」
「男気って・・・」
「男気で悪かったら、姉御肌でもいいけど、でもやっぱり男気の方がしっくり来るな」
「キャプテン向きな性格なのかなって初めて思ったよ」
「チームをまとめようみたいな意思はあんまりないタイプだけど、前に立って歩くのはそれなりに向いてるんだろうなと思う。本当は、別にリーダーがいて藤本自身はフリーな立場で好き勝手に動くっていう、スタメン唯一の一年生みたいな立場が一番いいんだろうけど」
「でもみんなそう言いながら三年生になっちゃって責任背負って行くもんなんじゃないの? 高校生なんて」
「高校生だけじゃないよ。私だって本当は自分ひとり好き勝手な立場でいたいんだから。まあ、ある意味好き勝手やっちゃったから引退しないといけない状況になったんだけどもさ」

稲葉はあははと笑って日本酒を口に持って言った。
店員を呼び止めて、お勧めの日本酒を選ばせる。
石黒も、じゃあ私もそれで、と続いた。

「チーム状態としてはどうなの? 富岡さんに結局二戦二敗だったわけだけど」
「そもそも今日の段階で勝つつもりは無かったし、勝てるとも思ってなかったからそれは気にして無いな。向こうの手の内みたいなものも少し見えたし」
「手の内って?」
「戦術的な云々じゃなくて駒の面でね。平家さんの後釜どうするのかなって思ってたら、全然違うタイプが入ってきたね」
「あれは驚いたわ。確かに」
「本当にセンターの仕事しかしませんってとらえ方も出来て、逆に、ある意味センターの仕事は完璧にこなしますって部分もあって、ちょっといやだな」
「どう育って行くのか、私は楽しみだけどね」
「和田先生なら育てちゃうんだろうなあ。たぶん、育てる気満々で取ったんでしょあれ。四試合ともほとんど出ずっぱりじゃなかった?」
「おだてると木に登るタイプだって和田先生は言ってたな。使いながら一つ一つ仕込んで行くって」
「ただ、技術的な面は改善出来ても、あの足の遅さはどうしようもない気がするんだよね。そこは攻めどころなんだと思う」
「戻りきらないうちにってこと?」
「そう」

ゴール下のプレイヤーに足の速さは一瞬関係なさそうに思うけれど、攻守の切り替えで走らなければならないのはどのポジションでも同じである。

「でも、人のとこだけじゃなくて自分のところにも面白い子が入ったんじゃない?」
「斉藤?」
「そう。何あのフックシュート。精密機械のようにぽんぽん決めて。一年生っぽさはあったけど、富岡戦は一番主軸な感じだったし、よく見つけてきたなって思ったよ」
「あの子に精密機械って言葉はまったく似合わないな。それに私が見つけてきたわけじゃないし。勝手にやってきただけで。まあこの三日間はよくやったと思うけど課題は多いんだよね」
「どんな?」
「この三日間点が取れたのは相手がよかっただけだね。シュート力はあの通りあって、ブロック不能に近いからボール持てば強いんだけど、問題はそのボールを持つまでかな。相手がちゃんと考えて対処するようになった時に、それへの対応が出来るか。後はリバウンド。センターなのにリバウンドの意識が低すぎる。富岡の子みたいにリバウンド専門家になれとは言わないけどもうちょっと取って欲しい。他にもディフェンスが甘すぎるとか体力がとか。数え上げたらきりが無い」
「入部一ヶ月の一年生に厳しいなあ」
「いや、一個武器持ってるのはいいと思ってるよ。だからあの子はかなりの時間帯使ったんだし。今年はインサイドが課題だから。あの子と里田に育ってもらわないと困るんだよね」
「そういえば里田さん、三年生なのに全試合ほぼフルタイム出てたよね」

大会の四試合、滝川で最も出場時間が長かったのは里田である。
二番目がみうな、さらに新垣と続く。
一年生を多く使うという方針が見えた割りに、一番出ていたのが里田というのは、普通なようでいて意外な部分でもある。

「相手考えると里田出さないと仕方ないって部分があったのよ」
「石川さんに後藤さん、松江にしても吉澤さんで、他三チームはみんなキャプテンがあのポジションにいたんだよね」
「里田出さないと試合にならない部分でもあったし、里田を鍛えるのにちょうどいいっていう意味合いで、本当に丁度良かったんだよ。でも、大分負けてたな」
「そういう印象?」
「うん。後藤さんは選抜の時から意外なほどに伸びてなくて、勝ってた、いや、五分かな。斉藤と合わせがある分後藤さんが気にしなきゃいけなかったから、それ差し引いて五分。だけど、石川さんには負けてた。選抜のときより差が開いてた感じがする。これもやっぱりオフェンスだと斉藤とのあわせで何とか打開出来てたけど。ディフェンス面ではまったく止められなくなってたし。あの子の個人としての力量でもうちょっと何とかして欲しいんだよね」
「そういえば1on1大会、里田さん一回戦負けだったしねえ」
「あれは、まあお遊びだから。たいした問題でも無いけど。うちは得点力はそれほど無いから、里田で点が取れないとなるとつらいんだよね。残り五秒でもなんでも里田につなげば割と何とかしてくれるっていうくらいであって欲しい」
「なんか課題山積みで、生徒への要求事項が多いねえ」
「ホントだよ。頭痛いわ」
「それは飲みすぎじゃないの?」
「飲みすぎ言うほどは飲んでないよまだ」

と言いつつも、手に持つグラスはからである。
店員が、先ほど注文した日本酒を持ってきた。
枡に入れたグラスへと注いでくれる。

「飲んで無くても頭は痛いのよ。また問題起きるの見えてるし。悪いことじゃないんだけど」
「なにそれ? 何かあるの?」
「うん。まだもうちょっと先だけど。まあ、次から次へ。落ち着く暇も無い。一つ片付いたと思ったら、インハイの予選もすぐあるし、インハイまで後三ヶ月。あー、もう、どうしよう。いろいろあるけど、基本のディフェンス力がなあ。高橋さん柴田さん石川さん。この三枚をちゃんと止めるディフェンス力が足りない足りない・・・」
「この悩んでる姿を生徒たちに見せてあげたいよ。あなたたちの石黒先生は本当はこんなにか弱いんですよって」
「そんなことされたら私明日から練習出られなくなるって・・・」

本当に困りそうな顔を石黒が見せたので、稲葉は笑って日本酒のグラスを呷った。
石黒も、左で手頭を抱えたまま右手は枝豆に伸ばす。
一区切りの後の、つかの間の休息だった。

 

新入生が入ってきて、知らない顔が大勢増えた。
新入生からしたら、合併前の別々の学校があった、なんて発想は無い。
普通の生徒ならともかく、バスケ部に入ってくる生徒にとっては、ここは富ヶ岡高校であり、名前が変わって富岡総合学園になった、それだけだ。
杉田西高校なんて知らない。
石川を見て、柴田を見て、高橋を見て、入部して来た。

一年生たちの視界に自分は入ってないな、と三好は感じていた。
岡田のことは少し視界に入っているらしい。
なんで、こんな人がこのチームにいるんだろう。
そう、顔に書いてある一年生が何人かいるように三好には見える。

一年生という新たな異物が入ってきたので、自分たちだけが浮いている感じは解消された。
チーム全体が四月特有の空気感をまとっている。

尊敬の視線で石川を見つめる一年生の目。
いい気になって演説ぶっこく石川。
やっぱりこいつは嫌いだ、と三好は思う。
だけど、バスケはうまい。
かなわないどころか歯も立たない。
手も足も出ない。

さて、どうしようか。

チームの歴史をここで終わらせたくない。
そんな理由で、合併後もバスケを続けることにした。
だけど、自分がここにいても、チームの歴史がどうのこうのなんて、そんなのどこにも残らない。
自分の頭にあるだけだ。

じゃあ、辞めるか?
練習はきつい。
進学はするつもりだ。
辞めた方が得られるものは多そうだ。
だけど・・・。

「やっぱり練習きつくて辞めちゃったらしいよ」

そう、言われるに決まってる。

それは、かっこ悪いからいやだ。

じゃあ、どうする?

朝、早く起きてみた。
杉田西のころはなかったけれど、合併して出来たチームは当然のように朝練がある。
7時二十分開始で一時間。
始業式以来、ぎりぎりにきて着替えてさっと練習に入っていた三好。
早く家を出て7時に来てみた。

半分以上はすでに来ている。

翌日、六時半に来てみた。

「おはよう。はやいね」
「おはよう」

体育館はすでに開いていて、入っていったら柴田に声をかけられた。
他にも何人かいる。

こいつら何時に来てるんだ?

翌日、六時に来てみた。
五時起きである。
親は起こさずに、自分でトースターに食パンをセットして、朝食は済ませた。
部室はまだ鍵が閉まっていて、誰もいなかった。

部室の鍵は合流初日に渡されていたので持っている。
そこで着替えて、バッシュを持って・・・。
体育館の鍵は持っていない。

意地になって早く来てみたけれど、これでは意味が無い。
体育館の前まで行って気がついた。
仕方ないので、適当に手足を動かしてストレッチしつつ、他の生徒を待つ。

春も盛りなこの時期のこの時間、まだまだ冷え込んでいた。
誰もいない校内の、早朝特有の光の射し方が心地いい。
時折聞こえる鳥の声。
これまで経験したことの無い空気だ。
眠くないわけではない。
ただ、早起きはして見るもんだな、と思った。

「おはよう。あ、鍵わからない? ごめん、すぐ持ってくるね」

六時15分。
柴田が登校してきた。
体育館前を通って柴田は部室へ向かう。
ただ待っているのもどうかと思ったので、三好も付いていった。
部室の中、柴田は着替えを始める前に部屋の隅の戸棚から鍵を取り出した。

「体育館の鍵はここにあるんだ。そういえば言ってなかったよね。片付けするのに一年生が最初に覚えるんだけど。ごめんね」
「いや、私もあんまり考えてなかったし」

柴田が着替えるのを待とうかとも一瞬思ったけれど、なんとなく間が持たないような気がしたので、待たずに体育館へ向かった。

鍵を開け、扉を開け、中へ入る。
体育館の一番奥のコートが、半ばバスケ部専用コートになっている。
ゴールもほぼ常時下げっぱなしで、朝来てすぐにそのまま使えるようになっていた。
隅に座ってバッシュを履き、立ち上がってボールを弾ませる。
誰もいない体育館。
三好のボールの音が響く。
扉が開いて柴田が入ってきた。

それはチラッと見るだけで、三好は軽く走り出す。
ゆっくりとドリブルを突きながら。
向こう側のゴールまで、ゆっくりと駆けて行ってそのままレイアップシュートを打つ。
ボールを拾ってもう一度逆サイドへ。

柴田はバッシュを履くと体育倉庫の扉を開けて入って行った。
やがて出てくると、モップを持っている。
コートの隅に立ち、モップ掛けを始めた。

「三年生もやるの?」
「ああ、気にしないで。ただの日課だから」

そう言われても、副キャプテンがモップ掛けしているのに、自分は気ままにシュートを打っているのも居心地が悪い。
邪魔にならないようにコートから外れてストレッチをする。
柴田のモップがけが終わる頃、一人、二人と部員が増えてきた。

モップを隅に置いた柴田が自分のところへ来てストレッチをしそうな気配を感じたので、三好は立ち上がってコートに入った。
まだ、二人で和やかに会話をする、という関係性は柴田とも出来ていない。

早く来たのはいいけれど、何を練習しようとかそういうことはあまり考えてなかった。
昨日は、周りを見ながらストレッチして、適当にしばらくシュートを打っていたらメンバーが集まって練習が始まった、というような感じだ。
今日も、特に何をするとか、そんなことは決めていない。
朝練開始まで一時間足らず。
なんとなくで、コートに入って行って、二本、三本とジャンプシュートを打つ。
比較的得意な15度くらいの角度からのジャンプシュート。
三本目にやっと入る。

そのボールを拾って元の位置に戻ろうとすると、柴田の姿が目に入った。
コートの反対側。
フリースローラインに歩いて入って行く。

三好は、自分の手を止めてその姿を見ていた。
一本、二本、三本。
フリースローを打っている。
ボールを置いて、右肩、左肩、腕だけ動かしてストレッチしながらその姿を見る。
柴田はフリースローを十本打ってやめた。
あれも日課というやつなんだろうか。
フリースローは十の8。

三好も、同じことをしてみた。
柴田と反対側のコートでフリースロー。
十の六。
まあ、朝だし、自分の力ならこんなもんだよな、と思う。

柴田の方に目を向けると、フリースローの次は右四十五度からスリーポイント。
何本打ったのかはわからないけれど、その次は左四十五度からスリーポイントを打っていた。
三年間続けてきた日課なのか、最近の重点課題なのかわからないけれど、あらかじめこれをやると決めてきたメニューをこなしてるんだな、と三好の目には映る。

時計は刻まれて部員は一人一人増えてきた。
挨拶を交わしたりはあまりしない。
向こうから声をかけてきたら、おはよう、と返すくらいだ。

人数が増えてくると、一人でシューティング、以外のことを始めるものも出てくる。
オールコートでドリブル。
バックチェンジだの、ロールターンだの、次々織り交ぜながら進んで行き、最後はレイアップシュートで締めくくる。
一対一を始めるものもいる。
壁際ゴールでタップをやっているセンターらしきのもいた。

六時50分。
石川が姿を見せる。

「おはようございます」

石川の時だけ、一斉に、ではないけれど、コートにいる部員全員が手を止めて、ばらばらと挨拶をする。
笑顔を見せつつ最奥のコートまで歩いてくる石川。
お前は女王様か何かか、と心の中だけで毒づく。

まだ練習開始まで三十分ある。
やること決めずに来てしまっていると、なんとなく手持ち無沙汰だ。
もう一回、フリースローを十本打ってみる。
十の7。
だからどうした、とくらいにしか思えない。
コートから出て壁際に座り、一旦バッシュを脱いでストレッチすることにした。

入り口から遠い側に座る三好に声をかけてくるものはいない。
足を伸ばしてはいるが、上半身は暇で、体育館全体を見渡すことが出来る。
ふと、気づいた。
昨日と同じようなメンバーがいるんだな、と。
もうすぐ7時。
昨日六時半に来た時と、大体メンバーの入ってきかたが同じだ。
石川は昨日も六時50分に来てたし。
やっていることも似たようなことが多い。
一対一やってる二人は昨日も一対一をやってた。
タップをやってるセンターは、昨日も飽きずにあれをやっていた。
もう少ししたらフリースロー始めてたな昨日、と思ったら、やっぱり同じようなタイミングでタップをやめてフリースローレーンに向かっている。

ただ早く来てるというんじゃないわけだ。
なんだか課題を持って、それをつぶすために早く来て練習しているらしい。
柴田みたいのは、課題ってなんだよってレベルなのでよくわからないけれど。
さすが全国ナンバーワンチームの部員様なものだ。
とてもじゃないけど真似できない。
そう思うけれど、それに勝とうと思って、朝早く来て練習しよう、とか考えてみたんだよなあ、と思い返す。

目標。
ユニホームを取ってベンチに入ること。

エース?
いくらなんでも遠すぎる。
石川はむかつくけど、あれを追い出して自分がそこに座るのは現実的じゃ無さ過ぎる。

スタメン?
ポジション的には、石川か柴田あたりを追い落とす?
・・・。

悲しいけれど、今の自分が目標に置けるのは、ベンチに入るところまでだ。
県予選は15人。
インターハイなら12人。
まずは、予選のメンバー15人に入ること。

県予選はそれほど遠い時期ではない。
それまでに、出来る、というのを見せないといけない。
一年生が入ってきて、人数は増えた。
15人というのは半分以上はメンバーには入れる計算だけど、それでも、今の三好にとっては厳しいラインだ。

7時を過ぎるとぐっとメンバーは増えてくる。
ゴールも開いている、というところはなく、フリーシューティングをしていても、他人のボールに弾かれるという場面も出てきている。
三好は、得意の場所から五本ほどジャンプシュートを打って、四本続けて入ったところでコートから上がった。
後は、ストレッチをしながら全体練習の開始を待った。

7時二十分。
和田コーチが入ってきて、慌てて入ってきた岡田がそれを走って追い越して来て、石川が集合を掛けてミーティング。
一声だけメンバーに和田コーチからあって、すぐに練習が始まった。

その週の残り、木曜日、金曜日。
三好は同じように六時に来て朝練前練習をしてみた。
何が課題?
ちゃんと考えてみたら、案外わからない。
課題が無い、ではなくて、ありすぎてどうしたもんか、という状態なレベルなのが自分だ、と改めて感じる。

縄文遺跡がどうの、とかいう日本史の授業は退屈で。
ノートを前に考える。
石川を手本に、はしたくないので、柴田を手本に考えてみる。

シュート力、×
ディフェンス ×
スピード ×
周りとのあわせ ×

柴田と比較して○×つけるのが間違いだ・・・。
比較して○がつくならこんな苦労はしていない。

そうじゃない。
いや、そうだけど。
全体的に足りない、これは認めよう。
認めた上で、何か一つ選ぶなら何か。

自分の場合は、一つ弱いところをつぶす、という問題じゃないな、というのは分かった。
全体を伸ばすのは必要。
だけど、それはそれとして、一つ強みが必要だ。
強み、強み・・・。
練習積んで強みを作るなら、一番単純なのはスリーポイントだけど・・・。

三好の思考はそこで止まる。
あれだけ外から打てるメンバーいて、そこにプラスして控えでシューターって必要?
・・・・・・。

人生で初めて、三日連続の朝五時起きをして三好にはそこが限界だった。
授業が終わり、合併前から同じクラスだった友人に起こされるまで、意識は消えたままだった。

土日は試合。
関東大会の予選にあたる大会だ。
富岡にとっては、勝つために力を尽くすようなレベルではなく、メンバーの力をはかるという程度の意味合いしかない。

三好はスタンドの上にいた。

二日で三試合。
もう、最初から三試合やるのは当然の前提で、勝ったらとか、そういう前置きがなくスケジュールが決まっていうのが、やっぱり今までのチームとは違うなあ、と思う。
一年生が二年生の指導を受けながら、スタンドから割とそろった声援を送っているが、三好は手拍子とかは適当に合わせるけど、声はほとんど出さない。
どうせ勝つの分かってるのに声援とか意味無いじゃん、と口に出したりはしないけど、自分のチームが試合をしているという熱い感覚はなくて、冷めた目でコートを見ている。

スタメン、真ん中三人は固定されていた。
高橋、柴田、石川。
初日の二試合は石川なんか十分で引っ込んでそのまま二度と出てこなかったりしたけれど、チームとしてのスタメンはこのメンバーだと決まっているみたいだ。
センターとガードが日替わり。
ガードは、高橋がやってるときもあるし、高橋がコートにいても別の一年生がやっていたりもする。
センターは、本当に入れ替わり入れ替わりだ。
全国ナンバーワンチームなくせに、リバウンドが意外に取れないんだなあ、なんて思ったりする。
だけど、一年生の、なんかテンションが変な子が入ると、ゴール下が急に強くなる印象だ。
ガードもセンターも、自分には関係ないポジションだとは思うけれど。

ふと試合中にスタンド組みの方を見ていると、岡田もしっかり手拍子やらなにやら、しっかり合わせていた。
疎外されちゃってるとかそういうのはないようだ。
元々スタンドの上にいるような存在だったし、ここに混ざっているのは本人にも違和感無いんだろうな、と思う。
どちらかと言えば、浮いてるのは自分の方だ。

四月の試合というのはそれほど切迫感は無い。
富岡のようなチームが県内レベルで負ける、とかなるとそれはおおごとだけれども、そんな展開は微塵も起きそうに無い。
一般的なチームにとっては、この次の夏前のインターハイ予選が三年生にとっての最後の試合。
そこになると、切迫感と言うか思い入れと言うか、いろいろとあって、競った試合で負けると泣き出すような選手も出てくるが、四月の試合はそんなことも起きない。
時折どこかの短気な監督の怒号が飛んでいたりするくらいで、試合は割と淡々と進んで行く。

「やっぱうまい」

思わず感想が声に出る。
視線の先は柴田。
石川がさっさと引っ込む代わりに、コートの上で精神的支柱っぽく、それなりに長い時間出ている。
相手のレベルが低いというのもあるのだけど、オフェンス、ディフェンス、非の打ち所がない上に、試合慣れしていない下級生相手に時計がとまるごとに声をかけている。
レベルが低い、といっても、数ヶ月前まで三好はそちら側のチームでエースだった立場。
二年間の間に旧富ヶ岡と対戦したことは無かったけれど、もし対戦していたら、引っ込んだ石川は置いといて、コートに残っている中心選手の柴田のマッチアップになっていたはずだ。
あれを相手にする手立て?
頑張る、以外に何も思いつかない。

試合は、控えメンバー中心にもかかわらず三試合とも100点ゲームのダブル以上スコアで簡単に勝った。
試合に行ってこんなに退屈なのって初めてだ、と帰りの電車で三好は思った。

翌日。
朝練は7時二十分ぎりぎりに滑り込んだ。
早く行くのをやめた、というのではなく起きられなかったのだ。
親も起こしてなんかくれはしない。
7時二十分に学校に着くような時間に朝食を食べられるように準備することさえ嫌がられているのだ。
あなたにそんな部活つとまるわけ無いでしょ、と春休み前に言われている。
その後に、やめちゃいなさい、と言葉が続いていなかっただけましだろうか。

朝練前練習は出来なかったけど、とりあえず今、自分が出来るのは、頑張る、しかないんだろうと思う。
ツーメン、スリーメンはしっかり走る。
合併前は、周りの弱いメンバーにそれなりに合わせて走っていたけれど、ここではそんなのは意味が無い。
自分の100パーセントで走る、それでやっと、合わせるに近いことに出来る。
一対一、三対三、一本一本考えて全力で。
三対三はまだいろいろなことを考えるけれど、一対一は分かりやすくていい。
目の前の相手をぶち倒せ。
それだけだ。

余計なことを考えずに、ただ、頑張る。
やってみると、意外と心地よかった。
キャプテンで、エースで、チーム全体のバランスを考えて、メンバーの人間関係考えて、場合によっては戦術とかも考えて、あれがあってこれをやって。
そんな合併前の半年間と比べると、自分のことだけ考えればいいというのは、気分的には楽かもしれない。
もっとも、そんな、楽、なんて単語が合致するのは練習前半までで、中盤以降は頭の中を駆け巡る、疲れた、という言葉との戦いなのだけど。

授業はまるで聞かなくなった。
イヤになったとか嫌いになったとかではないし、元々、板書は全部ノートにとって予習復習して、というタイプでもなかったし。
ただ、日中の睡眠時間が増えた、というそれだけのことだ。
体が、富岡の練習のレベルに慣れていない。

それでも、朝練前練習はしっかりやるようになった。
六時に鍵を開けて体育館に入って練習を始める。
朝一番、に意味があるのかどうかなんて知らない。
もう、意地である。
引退するまでに一度は石川に勝ってやる。
勝つ、の定義とかよく分かってないし決めてないけど、そんなことはどうでも良くて、ただ、勝ってやる、と思っている。

朝練前にやることはシューティング。
一対一なんかは誰かパートナーを見つけないとダメだから難しいし、ドリブルの技術がどうとかは、体が目覚めきっていない朝からやっても仕方ないかな、と思った。
柴田とか、周りを見ていて、朝やるのは数こなす事柄がいいのかなと思ってシューティングにした。
スリーポイントではなくて、ミドルレンジからのジャンプシュート。
ただジャンプではなくて、ボールにミートするイメージを持った動きを入れてのジャンプシュート。

夕練の後はドリブルの技術を少し磨こうと思った。
ハーフコートで、いろいろと切り返しを入れながら最後はレイアップまで持って行く。

練習のレベルに付いていけていない岡田はどうしようかな、と考えたけれど、自分にあわせて練習しろ、とは言っても仕方ないだろうなと思った。
自分と違って後二年あるとはいっても、普通高でベンチに入れなかった岡田に、富岡でベンチに入れるように頑張れというのは厳し過ぎる。
ただ、練習後も三好が帰るのを待っているような素振りが見えたので、そこは付き合わせた。
その辺に立ってて、というやつだ。
ディフェンス役。
ニコニコ笑って引き受けてくれて、ボールも適宜拾ってくれる。
都合よく使いすぎてなんか悪いな、と思わないでもないけれど、楽しそうだからいいかな、とも思う。

自主練の効果は、すぐに出るものでもなかった。
全体練習の中で急に目立つ選手になったとか、そんなことはない。
シュートがいきなり入るようになるわけでもない。
まだまだ練習に付いて行くのがやっとだし、一対一なんかではなかなか勝てない。

夕練の三対三。
順番に並んで流れて行く。
自分のディフェンスが終わって、さて次はどこの列にと見渡したら、石川のところが空いていた。
あまり近づきたくはないけれど、一本挑戦してやるか、と思った。
石川の次に並ぶ。
練習中の石川は決してうざくはないと思う。
余計なことは言わないから。
さすがにキャプテンで、練習には集中しているらしい。
後ろに並んだ自分に話しかけてきたりはせず、三対三をしているメンバーに檄を飛ばしている。

四人並んだ列が進んで石川がオフェンスに入った。
三好はその次。
右0度の場所。
逆サイドのオフェンスがスクリーンを掛けに来て、ディフェンスが連絡している。
石川はそのスクリーンを使ってゴール下へと見せかけて外に開いた。
ディフェンスは振られていて、石川はフリーでボールを受ける。
そのままモーション早く外からジャンプシュート。
長めのツーポイントシュートが決まった。

「スクリーン来たからって、100パーセントそれだけ意識しちゃダメだよディフェンス! 基本はマッチアップのマークなんだから」

和田コーチが今のディフェンスを叱っている。
それはそれでコートから出たところであって、次の三対三へ進む。
今のオフェンスがディフェンスになって、次に並んでいた三好たちがオフェンスに。

自分で勝負、と思った。
本当は、三対三でボールが動く前からそこまで決め打ちするのは練習としてはよくないのだけど、絶対自分で勝負する、と決めた。

ボールを受けようと動くが自分にはこない。
大きく開いた反対側へボールは降りる。
三好は外へ動くフェイクを見せて、ゴール下へ向かい、それを通り抜けて逆サイドへ。
石川は、ボールと三好の間に入っていたが、ゴール下を抜けると、三好を送り出してゴールサイドに入った。
ローポストで石川を背負った形になった三好へ、サイドからバウンドパスが入る。
右、エンドライン側へターンという動きを体で見せて実際は左へ。
ターンした足でそのままジャンプ。
目の前は石川の壁。
身長は変わらない上に、ジャンプ力が石川の方がある。
強引に放ったシュートは石川のブロックに弾き飛ばされた。
こぼれたボールはトップにいたディフェンスが拾って終わる。

「三好」
「え、は、はい」
「ああ、石川、もう一本ディフェンスやっとけ」
「はい」
「三好」

和田コーチに手招きして呼ばれた。
三好はディフェンスの番なんだけどいいのかな、とコートの方を気にしながら和田コーチの方に歩み寄る。
コートでは石川がそのままディフェンスに残っている。
無理に一対一やろうとしたから叱られるかな、と思った。

「発想はいい。だけど、フェイクが大きい」
「大きい?」
「今、こうやっただろ。そうじゃなくて、こう。分かる?」

三好の目の前で和田コーチが体を動かしている。
二通りの動き。
その二つが違うのは見れば分かる。
違うのは分かったけれど、何がどう違うのか、いまいちわからない。

「背負ってたから見えてなかっただろうけど、石川はフェイクには反応してた。だけど、ターンした三好のシュートはブロックされた」

フェイクに掛かってなかったわけでは無いらしい。
なんでだ? と聞かれて、なんでだ? と三好は怪訝な顔で考える。

「動きが大きすぎるんだよ。上半身全部使ってフェイク掛けてただろ。こうやって。そうすると、そこから体を戻して反対側にターンする動きが遅くなるんだよ。だから、フェイクに反応してても、その後のターンにディフェンスが追いつける。そこまでいらない。肩だけでいいから。ボール受けて、こう」

また、和田コーチが動きで見せるので、三好も同じようにやってみた。

「そうそう。そんな感じで。腰までは動かさずに肩だけで。あと、ターンしてからのジャンプ。決めうちでやってたんだろうけど、あそこは、ターンして目の前壁だったら、シュートはあきらめて、次のアクションしないと。ワンドリブル付いて移動するとか、フェイドアウェーとか。素直にパスの出し先探すでもいいし」
「はい」

それで終わりらしいので、三好は和田コーチのところを離れて列に戻った。
戻ってから、そういえば、あそこは、「ありがとうございました」とか言うんだったっけ、と他の部員と和田コーチのやり取りを思い出す。
体育会、堅苦しい、と少し思う。
そういえば、練習中に個別に和田コーチから指示を与えられたのは初めてだった。

今度はさっきと反対側の列に並んだ。
逆の0度。
列が進んで自分の番がやってくる。
石川と同じ組らしい・・・。

トップにボールが入る。
自分で受けようと動いたが、やはりボールは周ってこずに逆サイドの石川のほうへ下りた。
トップが自分の方に下りてきてディフェンスにスクリーンを掛けに来る。
石川はボールを頭上で左手で持ち、三好の方を見ながら右手でこっち、と呼んでいる。

三好は、スクリーンを使ってトップへ上がるという動きを一度見せてから、逆にゴール下へ動く。
ディフェンスは一旦振られたはしたが振り切ることは出来なかった。
ゴール下で受けてシュート、をイメージしたがそうはならない。
ディフェンスと競り合った形になったので上へ上がろうと思ったが、それに釣られてディフェンスが動いたので、ローポストへ動いて背負う形になれた。
石川からバウンドパスが入る。
右肩でワンフェイク。
反対側へターンすると目の前は開けている。
すぐにジャンプしてシュート。
しっかりと決めた。

「ナイッシュー!」

石川が近づいてきて手を差し出す。
無視するわけにもいかないのでぱちんと弾いておいた。

「道重、何で三線がそんなぴったりマークに付いてるんだよ。今、石川の反応が遅かったからボール入らなかったけど、一瞬三好フリーだったぞ。ボールがそっちにあって、マークマンがそこに立ってるなら、ディフェンスはここだろ。ボールとマッチアップと両方見れる位置。それがこんなところにいるから、スクリーンが来て、それを使ったフェイクに振られたりするんだよ」

今度は全体を止めたままの和田コーチの叱責。
三好のマークだった道重があれこれ言われている。
自分の動き云々じゃなくて、あのディフェンスの位置なら、石川が1対1で勝負で抜き去って終わりだよな、と思う。
そんな石川の手招きに応じてのパスだったのが、ちょっと気に入らないでもないけれど、今まであまりやらなかったポストプレイなんかでゴールを決められたのは悪い気分ではなかった。

 

滝川カップが終わって、少しチームの雰囲気が変わった。
石黒が、練習形態を変えたのだ。
これまでは、スタメン組み、控え組みといった区別は無く、全体でまとめて同じ練習をして、五対五のようなゲームを見据えた練習も、部員全員が公平に参加する形だった。
それが、滝川カップ後、誰がスタメン候補で、誰が控え候補で、誰があまりコーチの視野に入っていないのかがわかりやすい形になった。
一ヶ月、いろいろいじったけれど、それでもやはり、藤本や里田はどうやってもスタメン組みになる。
ゲーム形式の練習をすれば確実にスタメンにあたるAチーム。
麻美もそこに入ることが多いが、時折Bチームスタートで藤本のマッチアップにされたりする。
石黒が言葉で説明しないから、本人は、スタメンから外されそうなのか、それとも藤本の後継者的なことも期待されているのか、プラスで取ればいいのかマイナスで取ればいいのか、不安を抱えさせられている。

一年生からは、みうなが同じようにAとBの中間くらいの位置にされた。
これは単純に、本当に中間くらいな扱いなようだ。
新垣はAにもBにも入らず、別の場所での五対五に参加する。
大体、CとD、中堅クラスと言うかベンチ入りボーダーレベルの扱い。
ただ、練習の終盤、かなりの確率でBチームのガードのところに呼ばれる。
二本か三本、藤本のマッチアップとして参加させられている。

一つ実戦を終えて、個人の力、チームの力をそれぞれが肌で感じたところでの、大会を見据えた形への練習形態のシフトだった。
スタメン組み、ある程度は固めて練習させないと、連携が取れない。
インターハイ予選まで一ヶ月、インターハイまでは三ヶ月。
それほど時間があるわけではないのだ。

「美貴さあ、あの子ほっといていいの?」
「あの子って?」
「新垣」
「あさみだってほっといてるじゃんか。自分はりんねさんべったりだったくせに」
「みうなは、かまってもかまいきれないって言うか、いいの。それは。美貴は指導係とかそういうだけじゃなくて、プレイ面でもいろいろ教えられる立場でしょ」
「知らないよ、そんなの」

三年生になっても相変わらず里田部屋に集まる藤本、あさみ。
変わらない光景である。

「滝川カップ終わって、美貴も指導係の自覚が出来たんじゃなかったの?」
「何だよそれ。知らないって」
「あの子も、一週間くらいだっけ? 一人夜練、そこでやってたの。あったかくなってきたから今の方がやりやすいだろうに、やめちゃって。美貴何か言ったの?」
「だーかーらー! なんで一々美貴にそういうの聞くの。まいだって、二号にあれこれいつも言ってたわけじゃないでしょ。結構ほっといたこともあるでしょ」
「でもさあ。せっかくやる気出したっぽいのに、なんでやめちゃったのかなって思うって」
「やる気はなくして無いと思うよ。あの子、練習の時の集中力、前より数段あるもん」

口を挟んだのはあさみ。
あさみは今、新垣と同じランクで練習している。
同じチームで組むこともあるし、反対側のチームになることもあるが、五対五の時は通常新垣と同じところで練習している。
スタメン組みでやっている藤本や里田には目に入らないところでの新垣の姿を見えていた。

「ちょっとはうまくなった?」
「あ、やっぱり気になるんだ」
「まい、うざい」
「素直にならないといい大人になれないぞ」
「まいは一年の時のが大人っぽいイメージだったよ」
「年々子供っぽくなってるよね」
「あさみに言われたく無いんだけど」
「で、うまくなったわけ?」
「やっぱり気になるんだ」
「だから、まい、うざいって」

ベッドの上で戯れる里田と藤本。
二人で戯れるというよりは、絡んでくる里田を藤本が振り払っている図、だろうか。

「どうなんだろう。あんまりわかんないけど。でも、まだ、うちらのレベルで抜けてるなあってほどの感じはないかな」
「集中力感じるってのは何なの?」
「なんだろう。なんとなく」
「なんとなくかよ」
「あー、でも、美貴達のゲーム。すごい見てるよあの子。なんかぶつぶつ言いながら。手動かして」
「なに手動かすって」
「動きを考えてるんでしょ」
「さすが美貴お姉さま。妹の気持ちがよく分かってるようで、いたっ」

藤本が左手でだけど本気で里田の頭を叩いた。

「ガードなら指導係とか関係なく、それくらい分かるよ。ゲーム見ながら手動かしてるのは、誰がどう動いてパスをどこに通してっていうのを考えてて、それが体に出ちゃってるんだよ。その上でぶつぶつ言ってるのは気持ち悪いけどさ。気持ち悪さに気づかないくらいには集中してるんだよきっと。あさみのなんとなくはだからたぶん当たってる」
「美貴もそうやって見てるの?」
「手は動かさないし、ましてひとり言なんか言わないけどどう動かしてどうパスを通したいっていう見かたはしてるよ」
「へー」
「へー、じゃなくて。あさみはもっと集中して練習見てよ」
「あはは、いや、そうなんだけど・・・」

あさみは笑ってごまかした。

「でも、そんなやる気出してきたみたいなのに、なんで一人夜練やめちゃったの?」
「頭でっかちなタイプなんだよあれ。頭も別に良くないくせに」
「なんかあんまりな言い方じゃない?」
「オタクなんだよオタク。石川の写真貼ろうとしたり。そっちの方向のオタク」
「一人夜練やめたのと関係ないでしょ」
「あるの」
「美貴、なにそそのかしたの?」
「別に、美貴がやれって言ったわけじゃないよ。一応寮長だから、聞かれて許可しただけだって」
「だからなに?」
「寮でもビデオ見ていいですか? って」
「ビデオって試合のやつとか?」
「そう。先生が見せるでしょ。あれ。寮でもあれ見ていいかって」

平日の練習時にはあまりやらないが、休日のように時間に余裕があるときは、練習後に他校の試合のビデオを部員を集めて見たりする。
そんなことがあって、新垣は、そのビデオを寮でも見て良いか、と藤本に聞いたのだ。
藤本は、先生がビデオ貸してくれるなら勝手に見ればいい、と答えた。
新垣は、それで先生から借りて、毎晩のように寮のビデオルームでそれを見ている。
インターハイや選抜大会の、市販されているDVDもあれば、滝川の生徒が撮った、自分たちのゲームであったり、次の試合で当たるときの偵察用であったり、そういったビデオテープなど、コレクションはふんだんにあった。

「あれ、一人で見てるの?」
「でしょ、きっと。そのせいでこの前洗濯忘れられてちょっと怒ったんだけど」
「毎日見てるの?」
「オタクなんだよ、だから」
「えー、でも、それ見て勉強してるんでしょ」
「さあ、どうだか。石川とか、なつみさんとか、そういうの見て満足してるだけなんじゃないの?」
「ていうか、美貴が見て勉強しないといけないんじゃないの?」
「そう言うならまいが見なよ」
「私はいいよ。やっぱりその辺はガード陣が研究してですね。そうそう。美貴お姉さまが映像を見ながら指導を、いたい、いたいって! もー、本気だ叩かなくてもいいでしょ」

今度は、藤本は左手で二回続けて里田の頭を叩いた。

「美貴は不満なの? 実際のところ。それともいい傾向だって思ってる?」
「なにが?」
「あの子がビデオルームにこもって映像見て勉強してること」

頭を抱えて寝返りを打って、藤本に背中を向けた里田はほうっておいて、あさみが問いかける。
藤本は、ベッドから体を起こして足を下ろして座る体勢になった。

「何もしないよりはいいんじゃない」
「もっと他のことした方がいいと思うんだ」
「全体的にレベルが低いからね。DVD見たって足は速くならないし、シュートも入るようにはならないでしょ」
「じゃあ、そう言ってあげればいいじゃん」
「美貴さあ、言うこと聞かない子って嫌いだけど、言うことなんでも聞く子も嫌いなんだよね」
「なにそれ」
「自分で考えろよバカ、って思っちゃうから。だから、美貴がなんか言って、あの子がそれに従っちゃうのを見るのもなんかいやなの」
「聞かないかもしれないじゃん」
「だったら、言わなくてもよくない?」
「美貴、めんどくさいだけでしょ」

寝返りを打って戻ってきた里田が、ずいっと会話に入ってくる。
藤本は答えない。

「お姉さまとかは冗談だし、キャプテンは置いとくにしても、指導係なんだから、美貴が言ってあげなくちゃいけないんじゃないの?」
「めんどくさいっていうんじゃなくてさあ、真面目な話、やっとまともに自分で考えて何かしようって始めたところで、それを否定するのもなんかなあって、思うんだよね。実際、何もしないよりいいと思うし。夜、外のさ、体育館と違って踏ん張りの利かないコートで一人で出来る練習なんて限られてるわけで。りんねさんみたいにフリースローとかだったら、足場関係ないけど。ガードでフリースロー練習してどうなる、って感じだし。だったらしばらくあれでもいいのかなって思うよ」
「美貴も先輩なんだねえ」
「あさみに茶化されるのなんか納得行かないんだけど」
「茶化してるんじゃないよ。ホントに。そうやって先輩として後輩のこと語れるっていいなあって思って。私みうなとどう接していいのかわかんないもん。バスケのこと何か教えるとか、ポジション的にも実力的にも無理だしさあ。普通に会話するにもなんか噛み合わないし。向こうはあんまり噛み合ってるとか気にしてなさそうだけど。指導係ってなに? って正直考えちゃうよ」
「別にいいんじゃない? そのままで。言ってること意味不明な以外は、別に誰か困るようなことするでもないし。そういう意味の問題児じゃないから。バスケのことはポジション近い先輩が話せばいいでしょ。私だって麻美に、ガードとしての心構えとは、なんてこと話したこと無いよ。困った先輩の扱い方とか、そういうのは話し聞いてあげたりしたけど」
「なんで美貴の方見るかな」

入部したての頃の麻美の扱いはちょっとまずかったなあ、と思っている藤本は、あまりその辺のことに触れられたくないと思っている。

「話し戻すけど、美貴は新垣に何か言ってあげなくていいの?」
「別に、何か言う必要なんか無いでしょ」
「でも、不満なんでしょ? ビデオルームに引きこもってるのが」
「・・・。不満て言うかさあ。だから、美貴のやり方とか考え方とは違うってだけで。それを変えろって言って変えられるのもいやだし。いいんじゃないの? しばらくはあれで」
「美貴がそんなに後輩のことあれこれ細かく考えてると思わなかったな」
「別に細かくないでしょ」
「いや、細かい。絶対めんどくさいだけだと思ったもん」
「私も思った」
「ああ、いいよ、めんどくさいで、じゃあ。一々何か言ってリアクションあるとかそんなの考えるのはめんどくさいよ。そうですよ。めんどくさいですよ」

後輩のことを考えていないように見られるのもイヤだけど、しっかり考えてるように思われるのも、それはそれでなんかイヤな藤本だった。

就寝時間までずっと里田部屋にいるわけでもなく、なんとなく時間が経つと部屋に帰って行く。
藤本とあさみは同じ部屋。
キャプテンルームは元の主が戻ってくるはずだから、という理由をつけて、新キャプテンになった時に藤本はそこへ移らなかった。
もうすぐ、キャプテンルームが空になってから一年が経つ。

消灯時間も近い頃、藤本の部屋にノックがあった。

「失礼します。昨日の洗濯物届けに来ました」
「ごくろうさん」

新垣が藤本の衣類を持って入ってきた。
いつもの日課なので、いつもと同じようにいつもと同じ場所に置いて行く。
あさみが声をかけた。

「試合のビデオとか毎日見てるんだって?」
「は、はい」
「どう、ビデオ見てて」
「面白いです。みんないろいろあるんだなあって思います」
「なにそれ。今日はどの試合見てたの?」
「今日っていうか、今週はこの前の大会と、去年の選抜の富岡との三試合を見てます」
「繰り返し見てるんだ?」
「はい」

あさみが問いかけて新垣が答える。
ベッドに転がっている藤本は、興味なさそうに背中を向けた。

「ビデオでどういうとこ見てるの? みんないろいろとかって、なに?」
「うまい人ってどういうプレイするのかなとか、そういうのです」
「なんか参考になった? あ、富岡との試合なら、美貴なんか、どう? 参考になる?」

興味なさそうにしてるけど、本当は興味津々に聞き耳を立てていることをあさみは感じていて、藤本の名前を出している。

「はい。美貴さん、簡単につなぐパスとか、必ずノールックパスで入れるんです。一回確認して、それから目線切って、反対を見てパス入れる。簡単なパスでもそうやって意識して相手に分かりにくくして、すごいなって思います」
「そっか。なんかいいなあ、そうやって勉強して。うまくなっていきそうだね」
「そんな、全然、私なんて。全然下手で。もっと頑張らないといけないって思います」
「うん。頑張りな。ああ、引き止めちゃってごめん。いいよ、行って」
「失礼しました」

新垣が出て行く。
ドアが閉まる音が聞こえても藤本は背中を向けたまま。
その藤本にあさみが声をかけた。

「短い間で変わるもんだね。あの子、ちゃんと挨拶とかも出来るようになったじゃん」

答えを返してこない藤本の背中をあさみはいぶかしげに小首を傾げて見つめる。
おずおずと寝返りを打ってあさみの方を向いた藤本は、体を起こしてベッドを椅子に刷るように座る体勢になってから言った。

「あいつ、一回確認してそれから反対を見てって言ったよな」
「え、なに? そうだっけ? やっぱりしっかり聞いてるんじゃん」
「全然気づかなかった」
「なにが?」
「なんでもない」
「なんでもないってことないでしょ」
「いや、見るとこ見てるなって思って。あんまり本人気づいてないみたいだけど」
「美貴が後輩褒めるの初めて聞いた」
「別に褒めてないって。まあ、ちゃんと見てるんだなってことはわかったよ」
「素直じゃないなあ」
「うるさい。美貴もう寝るから。電気は適当に消してね」
「はいはい」

そういって布団にもぐりこむ藤本を、あさみは微笑んで見ていた。

翌日。
最近の練習メニューを普通にこなす。
練習後半、ハーフコートで五対五の練習へ。
新垣はやはりC,Dのメンバーでの五対五へ回される。
その別コートの練習へ目をやる余裕は藤本には無く、自分のコートで自分の練習をこなす。
終盤、昨日までと同じように新垣が呼ばれた。
Bチームのトップに入り藤本のマッチアップを受け持たされる。
Aチームがオフェンス、Bチームがディフェンス。
一本一本とめながらのセットオフェンスの練習。
藤本がボールを動かすところからスタートする。

外でボールをまわす。
ボールの動きと同時に、人もそれぞれ動く。
藤本は0度に降りた場所でボールを持った。
ローポストには里田。
新垣の頭越しにボールを入れる。
里田は背後のディフェンスをうかがいながら勝負する素振りを見せるが、体勢が良くないと判断して藤本へ戻す。
ボールを出したところで里田はゴール下を抜けて逆サイドへディフェンスをつれて切れて行った。
藤本はシュートのフェイクで新垣を揺さぶって、さらに右、と見せて左へ。
里田があけたスペースをめがけて突破。
新垣はついていけずに、ゴール下でフリーになった藤本がシュートを決めた。

やっぱり対人では特別うまくなってる感じはないなあ、と藤本は感じる。
新垣を試そうというのが少し頭にあって、チャンスが出来たので一対一をやってみた。
そこから三本、セットオフェンスの練習を続けたが、特に新垣がどう、という場面は無かった。

ハーフの五対五の後に7分ゲームを石黒は組んだ。
二クォーター三分経過、22−25でAチームのビハインド、という設定。
普通でいいぞ、というのに近い意味合いである。
罰ゲームは特に無い。
石黒コーチは新垣をそのままBチームに入れた。
藤本のマッチアップ。
Bチームのエンドからゲーム形式で始まる。

ボールを運ぶのは当然新垣の役目。
滝川のディフェンスはオールコートでマンツーマン。
新垣は藤本の圧力を常に受けることになる。
エンドからのボールは簡単に新垣に受けさせたが、その次、ドリブルを突き始めたところで藤本は急にプレッシャーを掛けて脅かしてみた。
ぽろっと、新垣はボールをこぼす。
ルーズボール、後ろ側へこぼしたので藤本は飛びつくことは出来ず、新垣が自分で回収し事なきを得る。
ドリブルで運ぶことはあきらめて、味方へ新垣はボールを送った。

今日はBチームにみうなをいれてある。
Bチームの最初のオフェンスは、良い場所を抑えたみうなへパスを入れて、そこからフックシュートを決めて、きれいに点を取った。

Aチームのエンドから。
藤本にボールが入る。
新垣は抜き去ってみようかと思ったが、そこまでは出来なった。
いろいろフェイクを掛けて揺さぶって、ということをしてみたのだが、新垣がコースを抑えることよりもとにかく抜かれずに下がることを優先した動きをしたために、追い越して行くことが出来ない。
単純にスピード勝負した方が良かったかな、と思いつつ、ハーフライン手前で減速。
周りの上がりを待ちながら、自分はゆっくり歩いてドリブルを付いてフロンとコートに入った。
右サイドに麻美。
そちらを確認してボールを持って、左側を見て右の麻美にパス、をやめて。
笛が鳴った。

「美貴さんトラベリング」
「何をやってるんだお前は」

審判役の一年生のコール。
なんでもない場面でのトラベリング。
誤審、ということも無くトラベリング。
石黒コーチからの罵声も飛んで来て、藤本、苦い顔をする。
バスケ初めて三日目のようなミス。
周りからすると原因不明意味不明だが、藤本は自分がなんでそんなしょーもないミスをしたのか自分では分かっていた。

確認してから逆向いてノールックパス、と昨晩言われたのを急に意識して、反射的にそのパスを出すところだけ止めたら、足はそのままなのでトラベリングだった。

昨日、言われて気がついたのだ。
簡単な場面でのパスのくせ。
ノールックにするのは良いのだけど、そこまでの流れが決まっているから、ノールックであってもパス出る方向はルールに従えば分かってしまう。
もちろん、簡単にパスが通るところ、なのでそうそう取られることは無いのだけど、目の前に新垣がいたことで、自分の癖から外れた行動をとろうと反射的に思った結果がこれだ。

藤本は自分のミスで、舌打ちをして目の前の新垣を見るが、新垣自身はきょとん、としている。
新垣にしたって、美貴さんがこんな初歩的も初歩的なミスをするのは意味がわからない。
その分かってない顔が、藤本からすれば、見るとこ見てるのに見えてるのが分かってない奴、という認識になっていた。

攻守が変わるのでBチームのメンバーが上がってきて、Aのメンバーはそれぞれディフェンスにつく。 
藤本は、大した問題ではないけど、癖はなくそう、とうっすら思っていた。

7分ゲーム。
やはりAとBでは自力の差がある。
Bチームはみうなに集めて何とか追いすがろうとするが、マッチアップの里田が、ボールを入れさせないという形でディフェンスしていてそれもままならない。
対するAチームは着実に得点を重ねて、三点のハンデをひっくり返し、危なげなく7分ゲームを終えた。

寮に戻って夕食。
その後里田部屋に集まるのが日課なのだけど、今日は疲れたとか言って藤本は部屋に引きこもった。
たまには一人でいてみようと思うこともある。
ぼんやりベッドで横になっているとドアをノックされた。

「新垣です。失礼します」

洗濯物の回収。
もう慣れたもので、藤本の部屋に入ってきて、いつもと同じように置いてある袋を拾い上げる。
藤本はベッドから体を起こした。

「新垣、今日もビデオ見るの?」
「は、はい」

作業は慣れてきていても、美貴先輩に声をかけられるのはまだちょっと慣れていなかったりする。
いきなり直立不動にならなくてもいいのに、と思うけれど、わざわざそんなことを言う気にはなれず、藤本は続ける。

「ビデオを見ている効果は今日の練習に生きたと思う?」
「いえ、あの、あんまり」
「効果は無い?」
「まだ、全然勉強中なんで」
「技術的にはね。ビデオ見てても別にすぐうまくなるわけじゃないし。でも、まあ、まったく無駄なわけじゃなさそうだなって思ったよ」
「ホントですか?」
「まだまだだけどね。ビデオで見た何かと練習とをつなげればもっといいんだけど」
「はい」
「あと、何か一つ、強みを持つといいと思うよ」
「強みですか?」
「そう、強み」
「強み、ですか」

視線を藤本から外して新垣が考え込んでいる。
藤本が続けた。

「美貴に勝ってる、って自信を持って言えること一つ。なにかね。ああ、身長以外で」
「身長以外で・・・。なんだろう・・・、体重、違う。胸囲かな」

藤本ベッドから立ち上がり、つかつかと歩いて新垣のところまで行くと、ポカリと頭を叩いた。

「バカ! そういうことじゃないだろ! だいたい、新垣だってないだろ!」
「すいません」

結構痛かったらしく、新垣は右手で頭をさすっている。

「まったく。わざとなのか天然なのか。もう行け。さっさと洗濯行け」
「失礼しました」

新垣が逃げるように洗濯物の袋を持って出て行くと、藤本はベッドにおいてある枕に右手で思い切りパンチしてからため息を一つついて苦笑した。

 

インターハイの予選が近づいてくる。
今年の松江にとっては、昨年のような大きなハードルは無いけれど、それでもまだ富岡のように、予選なんて負けるという発想がまったくありえない通過点、というほどの自信を持って臨めるレベルには無い。
目線は本大会を勝ち上がって行くことを見据えているけれど、視界の中には県予選もしっかり入っている。
その予選を前にチームの調子が上がってこないのは捨てては置けない。

福田は、なんで松浦がこんな風になってしまったのかよく分からなかった。

五対五の練習、スタメン組みが対する相手は控え組み。
それは当然なのだけど、松江の様なチームでは富岡や滝川と比べて、輪を掛けてスタメンとの実力差が大きい。
スタメン組がボールを持って一対一を始めれば、ほぼ確実に勝てる。

シチュエーションによっては一対一を仕掛ける場面は当然あるけれど、それはなるべくやめてつないで崩すようにしよう、というのが約束事なはずだった。
なのに、なんか違う。

「あやや、もうちょっとボールまわそうよ」
「でも、揺さぶったら前あいたんですもん」
「五対五の練習なんだからさあ、あややの一対一ばかりで決めると、練習になんないんだよね」

自分が去年言っていたようなことを吉澤が言っている。
松も変わったけど吉澤さんも変わった、と福田は思う。
なぜだか指名されて最初本人は悩んでいたみたいだけど、どう見てもこの人が一番キャプテン似合うなあと思っていた。
保田が抜けてから、ただの主力選手から精神的な柱になってきてると感じる。

チームのエースは多分、松浦だった。
いまは、たぶん。
試合のイメージをするとそうなる。
だけど、なんか、軽い。
三クォーター途中でちょっと負けてて点が欲しいとかだったら松にパスをぽんぽん入れて行くだろうけれど、一点負けてる残り五秒で松と吉澤さんと、選択肢が二つあったら、吉澤さんを選びそうな気がするのはなぜだろう。
そう思いながらまた、松浦の方に目をやって考える

なんでこんなに一対一ばかりするようになったのだろう。

エースの自覚、なんだろうか。
でも、それは何か違うような気がする。
試合の苦しい場面で自分で勝負というのは確かにエースの役目だけど、練習で控えメンバー相手にして勝ち誇るのは何か違う。

少なくとも前はこんなことはなかった。
元々自分が一番タイプだったし、それは分かっていたけれど、だからといってこうまで自分で持ちたがるということはなかった。
今は、パスを松浦に入れると、もうボールは戻ってこない感じがある。
確かに、いい場所にいいタイミングでスペースを確保していたりして、ボールを入れたくなるので入れてしまうのだけど、その後の捌き方がよくないのだ。
ほぼ間違いなく自分でシュート。
それが結構出来てしまう実力差が控えとはあるので、最初はうまく行っていたのだけれど、最近はあまりに見え見えなので、全体でそれに対処するようになっていた。
中まで持ち込んで、三人くらいに囲まれてつぶされることが結構ある。
そうなって初めてボールを戻してくる。
三人引き付けて、ならグッドチョイスなのだけど、つぶされて仕方なく外に出してくる山なりパスでは、一からやり直しと同じだ。

何度か練習中に言ってみたことはある。
最近は吉澤が言うようになっていたので、福田からはあまり言わなくなっていた。
誰かが言うなら、自分がかぶせて同じことを言う必要は無い。
だけど、それで変わらないなら、やっぱり自分も言わないといけないのかもしれない。

「松、ボール持ちすぎだよね」

練習終わった帰り道、言ってみた。
信号で立ち止まったところで。
練習中でもよかったのだけど、吉澤が何度か言っていたので、それで何か変わるかと思って口は挟まなかったけれど、やっぱり変わらなかったので、終わってから言ってみた。

「だって、私のとこで勝負するのが一番点が取れるんだもん」
「それは違うと思う」
「違わないよ」
「控えメンバー相手に一対一で勝っても試合じゃ意味無いし、それに最近は、それもうまく行かなくて囲まれてつぶされてるでしょ」
「それはたまたま。同じチームでやってると手の内見えちゃうからそれでだよ」
「あれだけ同じこと繰り返せば誰だってわかるでしょ。でも、そういうことじゃなくて。松一人で全部シュートまで持っていったら、チームとしての練習にならないでしょ」
「明日香ちゃんも吉澤さんと同じこと言うんだね」
「あんなやりかたじゃ予選で負ける。インハイに出るにはチームとしてつないで崩すバスケットが出来ないと勝てない」
「明日香ちゃんわかってないよ」

青になって歩き出す。
左を歩く松浦の方を福田は向いたけれど、松浦は正面を向いたまま続けた。

「吉澤さんたちには言えないけど、明日香ちゃんならいいか。悪いけど、全国レベルで通用するのは私だけだって思った。ううん。明日香ちゃんは通用って言うか、全然大丈夫だと思うけど。でも、先輩たちは通用してないって思った」
「本気で言ってるの?」
「通用してないは言いすぎかもしれないけど。点が取れるのは私だけだって思った。ディフェンスなんかは一人じゃできないし、リバウンドは私じゃどうにもならないよ。吉澤さんやあやかさんに頑張ってもらうしかない。でも、点は私が取るの」
「間違ってるよ」
「間違ってない。県大会くらいなら、もう飯田さんもいないし、攻め手の中心何にしても勝てると思うよ。実際新人戦も勝ったし。でも、中国大会どうだった? 吉澤さんディフェンスでファウルかさんでオフェンスもいまいちになっちゃうし、四年生の人は全然役に立ってないし。明日香ちゃんと私で点取ってなんとか勝ったけど。滝川カップだって、明日香ちゃんいなかったけど、点取るのはやっぱり私のところになっちゃうんだよ」

福田は答えなかった。
返す言葉が無い、納得、ということではなくて、何で松はこういう発想になったんだろう、と考えている。
福田が黙っているので松浦が続けた。

「吉澤さんたちがいらないなんて言わないよ。でも、点が一番取れるのは私の個人技。県大会勝つだけなら、みんなでつないででもいいけど、インターハイで勝って行くには私が点を取るしかないの」
「逆だよ。県大会で勝つだけなら松の個人技だけでもいいけど、インターハイで勝つにはみんなで繋いで崩すことが出来ないとダメ。結果的に、一番点を取るのが松であってもそれはそれでいいと思う。だけど、最初から松に集めて松が点を取るっていうだけじゃインターハイは勝てない」
「何が違うの? 結局私にボールが集まるなら一緒でしょ」
「全然違う。中村学院は去年、三回決勝まで残って三回とも負けた。富岡は三回とも勝った。私はそれはたまたまじゃなかったと思う」
「知らないよそんなの」
「中村学院には是永さんがいて、是永さんは富岡の石川さんと柴田さんの良い所を両方合わせたよりもうまかったのかもしれない。だけど、三回やって三回とも負けた」
「何が言いたいの?」
「インターハイは高橋さんがポイントになるとこでありえない形だったけど決めた。国体は柴田さんのスティールからつないでつないで最後は石川さんのスリーポイント。選抜は石川さんの一対一」
「だから何が言いたいの」
「是永さん一人じゃ富岡には勝てなかった」
「石川さんがいたからじゃないの?」
「石川さん一人じゃ富岡は勝ててない。石川さんがつぶされてもインターハイは勝った。平家さんがいて柴田さんがいて、高橋愛がいて、勝った。慣れないゾーンにてこずったけど、ゾーンをつないで崩して点を取って勝った。去年、私たちも苦労して、最後結局負けたよね。南陵の1−3−1に」
「ゾーンは崩したよ」
「基点作って、繋いで回してね」
「それでも結局飯田さん一人に負けたじゃん」
「飯田さん一人にはインハイ予選で勝ったんだよ。それが冬は、付け焼刃だけどチームで作ったゾーンにてこずった分、それは崩せても最後は負けたんだと思ってる」
「だから結局何が言いたいのよ」

松浦の問いかけに福田は立ち止まる。
一歩足が先に進んだ松浦も止まって福田の方を向いた。
立ち止まった二人、向かい合う。

「松一人じゃ勝てない」
「一人じゃないよ。明日香ちゃんがパスをくれれば大丈夫」
「全部一人でシュートまで持って行こうとする松にはパスは出せない」

松浦から返事は無い。
ただじっと見つめ返してくる。
福田は視線を外して松浦の横を歩いて抜けた。

「本気で言ってるの?」

福田が歩き出したので松浦も付いてくる。
松浦の家はもう近い。

「五人で出来ないなら一人よりも四人でやることを選んだ方が勝つためにはましだから」
「そういうこと言うんだ。明日香ちゃんは私はいらないっていうんだ」
「いらないとは言って無い。だけど、松一人よりは四人で攻めたほうが点が取れる可能性は高いっていうだけのことだから」
「じゃあいいよ。勝手にすれば」

福田は言葉を足さなかった。
幸か不幸か、松浦の家まで数十メートル。
二人は無言で並んで歩く。
何か言うかな、と思って黙っていたけれど、松浦は何も言わない。
門の前まで付いて、やっぱりいつものように福田は歩みを止めることは無かった。

「じゃあ、ばいばい」
「じゃあ、また、明日」

いつもよりとげのある声色だな、と背中から返ってくる松浦の声を思った。 

県大会はもう来週末である。
実戦練習程度のレベル、とはまだまだ言えず、本気モードが必要な松江は、やはりこの時期になると基礎よりも五対五の形式の練習が増える。
早い時間からセットオフェンスの練習に当てていた。

スタメンには誰をすえようか、と選ぶような段階ではない。
福田、松浦、市井、吉澤、あやか。
その本線は決まっていて、あとは、全員が40分でずっぱるということはないので、時折交代して控えメンバーもスタメンに混ぜてあわせてみるというところ。

セットオフェンスの一本目、何本かボールが回った後、ゴール下を抜けて松浦が外へ出てくる。
ゴール下のあやかにディフェンスを引っ掛けてフリーの状態。
ボールを受けながらターンしてスリーポイント、というのを最近の得意のプレイにしている松浦。
それを無視して福田は逆サイドに開いた吉澤へパスを送る。
吉澤からバウンドパスであやかに入れてゴール下、シュートを決めた。

あれ? と最初に思ったのは市井だ。
好き嫌いは別として、今のタイミングなら松浦じゃないの? と近い位置にいたので思う。
背中を向けていたり遠い位置にいたあやかや吉澤はまだ分かっていない。

二本目はポストで背負った吉澤が外の松浦に出してスリーポイント。
三本目は上に上がった松浦に市井からボールが出て、一対一で突破をはかったが中でつぶされて終わる。

四本目、トップの福田から市井へ。
この時点で、やっぱりへんだよなあ、と市井は思ってる。
四本全部、最初のパスが自分に来るのだ。
トップに福田がいて、アウトサイドの松浦と市井は両サイドにいる。
動き出しとしては、そのどちらかを選んだり、たまにはハイポストにいきなり入れたり、選択肢はそれなりにあるのに、全部一本目が自分に来るのだ。

ボールは回ってメンバーは動いて。
左サイドの松浦はディフェンスに面を取って右手を挙げる。
福田は逆サイドから上がってきた市井へ。
市井はディフェンスと正対。
送りどころが無く福田へ戻す。
吉澤が外のディフェンスにスクリーン。
それを使って松浦がインサイドへ抜ける。
ディフェンスを振り切ってノーマーク。
福田はハイポスト右側にいたあやかへボールを送る。
ターンしたあやか、シュートフェイクでディフェンスを飛ばしてワンドリブルついて移動、ジャンプシュートを決めた。

五本目、福田が市井へボールを入れる。
松浦が切れた。

「いつまで私のこと無視してるのよ!」

福田のところに歩いて来る松浦。
吉澤とあやかはゴール下でポジションを取ろうとしている。
あーあ、やっぱり切れた、となんとなく展開予想していた市井は受けたボールを抱えて見物。
福田は松浦を無視して市井に手を上げてボールを要求するが、市井もこれを無視した。
インサイドの二人も、なんか変だぞと動きを止める。

「ちょっと、答えてよ! なに無視してるのよ」

市井がボールを小脇に抱えて止めてしまったので、完全に五対五は中断である。
福田も、松浦を無視してボールを要求していても相手にされない。
中澤は練習に顔を出していない。
なにやらよくわからないことになっている福田と松浦に、口を挟めるのは吉澤とあやかしかいない。

「なになに、どうした?」
「明日香ちゃんが私のこと無視してるんです」
「チームが勝つための練習をしてるだけですよ」
「どっちも意味わかんないから最初から説明してくれよ」

一二年生たちは遠巻きに見ている。
あやかと吉澤が福田と松浦の間に入った。
それを見て市井は、ボールを抱えたまま壁際のドリンクボトルの方に歩いて行った。

「明日香ちゃんが私にパスは出さないって言ってるんです」
「一人でオフェンス全部やろうって人には危なくてパスなんか入れられない」
「ちょっと待ってよ。なんでそんなことになってるの?」
「松はわかって無い。全然わかって無い。一人じゃ何もできないんだよ」
「一人で全部出来るなんて思ってないよ。点を取るのは私だって言ってるだけ」
「一人じゃ点は取れない」
「取れる」
「本気で言ってるの?」
「本気で言ってるよ」
「じゃあ、松抜きのスタメン組みに松一人で、一人じゃゲームにならないから、後四人松が選んだメンバーで勝てると思う?」
「勝つよ。勝てるよ」
「じゃあ、それで五分ゲームをしよう」
「分かった。スタメン組みは私の代わりは誰入れるの?」
「辻を入れる」
「そう、じゃあ、後は私が選ぶから」
「なに始めるんだよ」

吉澤が不快そうに言うと、二人が言った。

「いいからやらせてください」

そこでハモるのかよ、とあっけに取られて吉澤は思わず承認してしまう。
福田が辻を呼び、松浦は他の一二年生を集める。
なんだか話が展開しそうだと市井もやってきた。

「いくらなんでもハンデ大きすぎないか?」
「いいんです。あの子はこれくらいしないとわからないから」
「これで負けたらしゃれにならないんだけど」
「松には私がつきます。外からシュートはチェックには飛ばずに捨てるけど、気にせずには打てない距離感で着きます。突破も止め切れるかはわからないですけど、ウィークサイドに追い込むんで、後ろ、吉澤さん、あやかさん、そのつもりで対応してください」
「分かった。分かったけどさ、ホントに良いの? こんなして」
「じゃ、少しハンデは緩和しましょう。うちはドリブル禁止で」
「一対一はするなってことね」
「はい」

ドリブルはしない、と最初から分かっているとディフェンスはタイトにつけるので攻撃はかなり難しくなる。
また、ドリブル突破が出来ないわけだから、外からの一対一はその場でシュート以外には不可能と言える。

「つーかさあ、なに、明日香。あいつにつくのは私じゃやられちゃうとでも思ったの?」

引っ掛かりがあるような市井の問いかけ。
少し考えてから福田は答えた。

「そういう問題じゃないです。これは私と松のけんかですから」
「ひゅー」
「それ、口笛鳴らすんじゃなくて口で言うんですか?」
「いいんだよ、雰囲気出れば」

市井の言ったことは福田もちょっと思わないでもなかったけれど、そうはさすがに言えなかったので、勢いで答えた。

「いいよ。メンバー決まった。やろう」
「ジャンプボールでっていうのもなんだから、最初はそっちボールでいいよ」
「じゃあ、お言葉に甘えてマイボールってことで」

一二年生チームが紺野からビブスを受け取ってコートに入る。
ディフェンスはピックアップアンドナンバーコール。

「松、オーケー」
「へー、明日香ちゃんが私につくんだ」

福田は、松浦に答えなかった。
松浦チームのエンドから五分ゲームが始まった。

エンドからボールが入る。
最初から松浦が受けた。
福田は離れてつく。
相手のバックコートでは自由にボールを持たせる、というのがハーフコートのマンツーマンの基本。
フロントコートに入ってきたところで捕まえる。
ボールを運んできてそのままドリブル突破、ということはさすがにしない。
まずはパスを回す。
控えメンバーのチームだけどパスはスムーズに回った。
趣旨が趣旨だけに、スタメン組みもタイトについてスティールでさらうというようなことはしない。
右四十五度に開いた松浦のところにトップからボールが下りてきた。

福田は、松浦にパスを入れさせないというようなつき方はしなかった。
それをやってしまうと、「パス出すほうが悪い。明日香ちゃんならしっかりパス入れられるでしょ」とか言い出して、ややこしいことになりそうだからだ。
ボールを受けてシュートのモーション。
福田は反応しない。
左へフェイクを入れて右へ。
福田は付いているけどコースは塞がれないのでそのまま進んで行く。
中から吉澤。
前を遮断される。
ターンして内側へ行こうにもそちらは福田がいる。
仕方なくボールを戻す先を探す。
後ろ、松浦がいた位置を埋めるように一年生フォワードが下りてきたのでパスを送りたいのだが、市井がしっかりついていて出せない。
迷っていると、市井も松浦の方に来た。
三人に囲まれる。
苦し紛れに市井のマッチアップに山なりにでもパスを出そうとしたが、届かずに市井に取られた。

速攻を出しやすいところ。
市井はすぐに走り出した福田へパスを送る。
前があいている福田、一人で持っていけば行けるのだが止まった。
ドリブルはなしで。
自分ルールに縛られる。
逆サイドから弧を描いて上がる辻へ。
辻も本来なら一人でそのまま持って行くところだけど、ドリブルが出来ない。
おとなしく周りの上がりを待つ。

吉澤やあやか、センター陣が上がりきったところで辻は福田にパスを戻した。
福田には松浦がついている。

「何、今の?」
「何って?」
「なんで速攻出さないのよ」
「ハンデでこっちはドリブルなしでやってあげるから」
「何よそれ」
「控えメンバー相手に一対一で突破しても意味無いから」

ハンデの意味合いの説明だけど、それはそのまま松浦への皮肉だったりする。

「言ってなかったけど、こっちはドリブルなしでやるから。全員ディフェンスタイトについていいよ」

コート全体への福田からの伝達。
ちょっと戸惑った表情をそれぞれに見せながら、控えメンバー達は離れ目についていた自分のマッチアップとの距離を詰める。

「そんなことして後悔しない?」
「するわけ無いでしょ」

そう言いながら福田はハイポストのあやかへバウンドパスを入れる。
そのままパスアンドラン。
あやかの方へ。
壁としてポストを使って自分をフリーに、という動きだが松浦は何とかその間を押さえる。
そのまま福田はゴール下まで抜けて外へ切れて行く。
福田のすぐ後に市井が同じ動きを見せた。
これはディフェンスがあやかの壁に引っかかる。
あやかから市井へ手渡しパス。
そのまま駆け抜けたかったけれど、前をあやかのマッチアップが押さえた。
それなら、という形で、空いたあやかへバウンドパスで戻す。
ゴール下、あやかのシュートが決まった。

松浦のオフェンス。
今度はゴール下の人間を使って福田を振り切って外から、というのを狙ったがフリーにはさせてもらえない。
スリーポイントライン外側へのパスを受けながらターン。
目の前には重心低く構えた福田がいる。
シュートフェイクを入れてエンドライン側へドリブル。
フェイクにかからない福田はしっかり付いて行く。
また同じ形。
今度の方が福田の圧力が強く、よりエンドライン側へ押し込まれる。
ゴール下からはあやかが。
あやかと福田とエンドラインと、三方に囲まれる松浦。
逆サイドにバウンドパスを無理やり通そうとしたが、ボールが跳ねた場所はエンドラインの外だった。

スタメン組みは、今度はゴール下でのあやかと吉澤の連携でシュートまで持って行く。
フリーになったゴール下で吉澤がシュートを外したのは御愛嬌だが、リバウンドを取ってあやかが決めた。

もう一度松浦のターン。
今度はトップ、九十度の位置からのドリブル突破を試みた。
ここならストロングサイドもウィークサイドもない。
福田としても、どちらにコースを制限する、というようなことが出来ない。
それでも松浦は福田を抜き去ることは出来ない。
ゴールに近いところまで行ってしまうとまた囲まれるのは目に見えている。
フリースローラインより外、遠いところからのジャンプシュートを選択した。
福田と松浦では身長差ははっきりとある。
タイミングぴたりでブロックに飛んでも福田の身長足すジャンプ力は松浦のジャンプシュートのリリースポイントに届かない。
ただ、それをまるっきり無視して、フリーの意識でシュートを打つことは今の松浦の心理状態ではなかなか難しい。
シュートは長めになって外れ、リバウンドをあやかが拾った。

そんなことが四本、五本と積み重なっていく。
外から打てばディフェンスが目に入りシュートが入らない。
中まで持ち込もうとすれば囲まれる。
スタメン組みのオフェンスは、シュート確率がちょっと良くないなという部分はあるが、シュートまで持って行くつなぎは悪くなかった。
満点は出せないが、それでも合格点は出せる程度に点を積み重ねて行く。

時間は少なくなってきても松浦チームは0点のまま。
何とかしたい松浦は、あまりやらないことをやった。
ローポストに入ってきて福田を背負う。
こればかりは福田ではどうしようもない。
前を押さえてパスを遮断する、というのが身長差がある場合によく選ばれる選択肢だが、ちょっと予想していなかったので背負われてしまった。
外からバウンドパスが入る。
福田を背負ったまま一瞬間を取る。
それから左へターン、というフェイクを入れて右へ、と思ったところでボールを叩き落された。
外から来た市井だ。
ルーズボールを掴みに行くが市井の方が早い。
それを強引に奪い返そうとしたら笛がなり、松浦はファウルを取られた。

「慣れないことしようとして背中にしか意識が無いから」

冷たく言う福田の言葉は松浦の耳に入っているはずだが返答は無い。

スタメン組みのエンドから。
ドリブルなしでタイトにつかれると、フロントコートまでボールを運ぶのがまずは一つの苦労なのだが、ここは辻と市井で難なく運んだ。
松浦が付いている福田はここではボール運びには参加しない。
時間的にはスタメン組みとしては最後のオフェンス。
最後は辻が外からスリーポイント。
リング奥にあたり大きく跳ね上がったボールは松浦の手元に落ちてきた。

残りは五秒。
松浦は自分でボールを運ぶ。
福田は当然付いている。
一瞬減速して最加速。
振り切れないのでバックチェンジで左に持ち替える。
周りの上がりは遅い。
松浦と福田、オールコートでの一対一。
スピードで置き去りにしようとしたが離れない。
フリースローライン近くで松浦はバックターンで右に持ち替えた。
そのままゴール下へ。
右手のレイアップでシュートを打つが、福田のブロックがそのボールを弾き飛ばした。

コートの外で見ていた紺野の笛がなる。

「終わりです」

五分ゲームが終わった。

トップスピードで走った二人。
ひざに手を置いて肩で息しているが、先に顔を上げて福田の方が言った。

「どう? 納得した? 裸の女王様」

顔を上げた松浦はそれには答えずに福田を一睨み。
それから歩き出して、福田が弾き飛ばしたボールが壁に当たって足元に転がってきたので思い切り蹴り飛ばした。
コートの隅にある自分のタオルを拾い上げる。
何も言わずにドアを開けて出て行くと、金属製の扉を体育館じゅうに音が響き渡るくらいに思い切り閉めた。

福田のところに吉澤がやってくる。

「ちょっとやりすぎなんじゃないの?」
「いいんです。あの子はあれくらいやらないとわかんないんですから」
「でもさあ」
「いいんです」

それ以上言葉をつなげない吉澤。
福田が続けた。

「五分休憩して練習再開しましょう」
「練習って」
「松のところには辻を入れてハーフの五対五です。今の五分ゲームいい感じでした。ああ、吉澤さんがディフェンスの方が必要だって判断したなら、スタメン組みディフェンスでもいいですけど」
「やめよう、もう今日は。そういう雰囲気じゃないよ。終わり。終わり! 後は各自ストレッチとシューティングでもして」

吉澤はそう全体に告げると、小走りに体育館の外へ出て行った。
松浦を追いかける。
あたりを見渡すが姿は見えない。
非常階段とかで泣いてるかな、と思い見に行くが、そこにも姿は無かった。
単純に部室に戻ったかな、とそちらへ向かう。
部室棟の二階、女子部の部室が並ぶ中の一角、女子バスケ部室へ入って行くと松浦がいた。

「鍵、あいてたんだ」
「タオルと一緒に持ってきましたよ」

とげのある口調だが、泣き声ではない。
さて、どうしたものかと考えていると、もう一声飛んできた。

「さっさと閉めてくださいよ。下着姿の松浦を披露したいんですか?」
「ああ、ごめん」

戻ってきた松浦はすでに着替え始めていて、上半身は下着だけで汗を拭いているところだった。
吉澤は中に入って扉を閉める。
松浦はTシャツを着ると、自分のロッカーから制服のスカートを取り出す。

「帰るの?」
「帰って欲しいんじゃないんですか?」
「私はそんなこといってないだろ」
「いいじゃないですか。みんなで明日香ちゃんと仲良くやってれば。私は帰りますよ」

制服のスカートを身に着け、その内側からバスパンをはらっと脱ぎ落とす。
ロッカーからワイシャツも取り出した。

「そもそもなにがあったのさ」
「なにって、五分ゲームやって私が負けた。それだけじゃないですか」
「そうじゃなくてさあ。福田とけんかする何かがあったんでしょ」
「知りませんよそんなの」

吉澤は置いてあるボールケースの上に座る。
立ったまま着替えている松浦を見上げる姿勢。
松浦はワイシャツを着て、簡易ネクタイを留め、荷物をカバンにしまいこむ。
ジャケットをロッカーから取り出して、それは着込まずに手に持った。

「いいんですか? 戻らないで。みんなで仲良く練習すればいいじゃないですか」
「今日は終わりにしたよ」
「そうですか。じゃあ、私は帰ります。お疲れ様でした」

扉を開けて松浦は出て行く。
どうしたものかと迷っている吉澤だけど、一言だけその背中に言葉を投げた。

「明日も来いよ」

返事は無かった。

そのまま吉澤が座り込んでいると、しばらくしてあやかが入ってきた。

「やっぱりここにいたんだ。あややは?」
「帰った」
「止めに来たんじゃないの?」
「練習は終わりにしたって行ったら、じゃあ帰りますっていうから、止める理由なくなっちゃったんだよね」
「止めるって、そういうことじゃなくて、話しようってつもりなんじゃなかったの?」
「そうだったんだけどさあ」
「まあ、今話しても冷静に話せると思えないし、帰らせて良かったのかもね」
「みんなは?」
「何も言わずにシューティングしてるよ。何も言わずにってことはないか。多分、なんか言ってるとは思うけど。適当に雑談しながらシューティングしてる」
「福田は?」
「それこそ何も言わずにシューティングしてる。見てると全然シュート入ってなかったけど」
「そっか」

あやかが扉を閉めて中に入ってくる。
奥においてあるパイプ椅子に座った。

「しかし、福田、すげーな。あややを押さえ込んじゃったよ」
「そこに感心してる場合じゃないでしょ」
「そうだけどさあ。まさか完封するとは思ってなかったから。最後のなんて普通はやられちゃうだろ」
「あの子怒らせると怖いね」
「怒らせなくても怖いけど。怒らせると恐ろしいな」
「どうしようか、それで」
「言ってることは分かるからなあ」
「明日香の?」
「うん」

三つ入りのボールケースの真ん中に座っている吉澤は、端の一個を袋から取り出す。
なんどか、ふわふわと空中にボールを投げてキャッチする。

「分かるって言うか、私が言ってるのと同じことだからさあ今回の場合。ようは、あやや持ちすぎって話でさあ。私、結局矢口さんに言われたことそのまま解決できずに来ちゃってるんだよな」
「何言われたの? 矢口さんに」
「だから、あやや持ちすぎって。滝川カップで負けたじゃん。あの時言われたんだよ。それ利用してディフェンスはさせたってさ」
「へー」
「矢口さんは、1on1大会優勝して勘違いしちゃったんじゃないの? って言ってて、それで戻ってきてちょっと見てたんだけど。それでまあ、戻ってきてどうなるかなあって思ってたら、やっぱり持ちすぎなままっていうか、ますますひどくなってって。何度か言ってみたけど解決せずに今日になって、大会はもう後一週間と」
「あの子が1on1するのはおかしいことじゃないからねえ。ただちょっとやりすぎなだけで」
「そうなんだよね。だからあんまり強くいえなかったんだけど。その結果がこれだもんなあ」

吉澤は持っているボールを右手の人差し指に乗せて回し始めた。
なんとなくその周るボールをあやかも見ている。
二つノックがあって扉が開いた。

「おう、お疲れ」
「市井さん、上がりっすか? 早くないですか?」
「今日は終わりって言ったの自分だろ」
「いや、そうですけど」

市井は入って来て扉を閉めると、すぐに自分のロッカーを開けて着替えを取り出す。
吉澤はボールを回すのをやめた。

「どうしたらいいと思います? 市井さん」
「どうしたらって何が?」
「何がって、福田とあややのことですよ」
「面白いもの見れたよな」
「そういう問題じゃないでしょ」

本当に楽しげな表情を見せる市井に、ちょっとあやかがいらだった。

「そこまでやるかってくらいに、明日香本気で松浦のことつぶしに行ったよな」
「笑い事じゃないんですけど。でも、あそこまで出来るもんなんですね」
「五分ゲームだからっていうのもあるんじゃないの?」
「ああ、あいつ体力無いからなあ。ペース配分気にしなくてい五分ゲームだといつもよりもっと強いのかも」

普段常にスタメンでやっている福田は、チーム内の練習で松浦のレベルを相手にマッチアップすることは無い。

「それもあるけど、さりげなく明日香のやつオフェンスサボってたぞ」
「へー? 気づかなかった」
「あやかみたいにインサイド篭ってるとわかんないだろうけど、外でボール回してるとよく分かるよ。ドリブル禁止って、あいつが自分でボール運ばずにすむために作ったルールなんじゃないか? ってくらいにオフェンスサボってた」
「そこまで考えてやってたんですかね?」
「さあね? そこまで知らないよ」
「ていうか、今、そういう問題じゃないんじゃないの?」

話している間も市井は着替える手を止めない。
体育館でもそれほど動かずにストレッチか、あるいは休んできたのか、汗も引いている。

「そうだ。そうだよ。そういう話じゃなくて。どうしたらいいと思います? 市井さん」
「ほっときゃいいじゃん」
「そうもいかないでしょ。もう来週試合なんだから」
「そうですよ。チームとしてまとまらないといけない時期なんですから」
「じゃあ、松浦スタメンから外すんだね」
「そうじゃなくて、二人が納得するような何かを」
「ガキがけんかしてるだけだろ。明日香が自分で言ってたじゃんか、これは私と松のけんかですから、とかなんとか。やらせときゃいいじゃん。そのうち飽きるんじゃないの?」

市井にとってはまだ少し気温が低いのか、ワイシャツの上にブレザーも羽織る。
バッシュをいつもの場所に置いて、脱いだTシャツなんかを締まって、帰り支度は整った。

「じゃ、お疲れ」
「ホントに帰るの?」
「練習終わったんだし、帰るよ」
「お疲れ様です」
「お疲れ様です」

市井はカバンを持って出て行った。

「なんていうか、こっちもまとまってないよね」
「よっすぃーがいつまでも先輩扱いするからじゃない?」
「いまさらタメ口にするのもなんかさあ・・・」
「市井さんはどっちが良いんだろうね?」
「どっちって?」
「先輩扱いとタメ口と」
「さあ?」

吉澤は肩をすぼめてアメリカ人風ポーズ。
あやかも、会話はため口風でも、呼び方は敬称つきなのだった。

善後策はまとまらない。
あやかはともかく、吉澤の方は座って考えるのはあまり得意ではない。
とりあえず体育館へ戻ることにした。

体育館では一二年生がシューティングをしていたりするが、辻と紺野が隅にそろって座り込んでストレッチをしている。
吉澤は、一番入りやすかったそこに声をかけた。

「めずらしいじゃん、まったりと」
「明日香さん相手してくれないんです」

辻の視線の先にはドリブルついて疾走する福田の姿がある。
そこからストップジャンプシュート。
長くなって外れたボールを拾ってコートの外まで出る。
それからまたゆっくりコートに入ってきてドリブル。
今度はバックチェンジ、バックターン、レッグスルー、適度に織り交ぜながら持ち上がっている。

「こんこんもあややさん帰っちゃったからねえ」
「はい」
「二人でシューティングでもしたら? スリーポイント勝負とか」
「無理です。わたしそんな、のんちゃんと勝負とか、そんなレベルじゃないし」
「遊びだよ遊び。そんな真面目に考える必要ないって。たまには一年生同士でさ」

辻と紺野、顔を見合わせる。
目と目で何か意思の疎通があったのか、二人とも立ち上がってコートに入って行った。
辻は、福田の方をちらちら見ていた。

「まだ雰囲気違うよね?」
「そうだね」

辻と紺野がいたところに吉澤とあやかが座り込む。
なんとなしにストレッチをしながら。
視線の先にはやはり福田の姿。
二人から見て、練習をしている、という雰囲気に感じられないのだ。

「市井さんじゃないけど、今日はほっといてみようか?」
「その方がいいかもね。なんか、こんなに冷静じゃなさそうな明日香って初めて見るし」
「なあ。試合のときとかもあれくらい熱くなってくれると良いんだけど」
「ガードは冷静で良いんじゃないの? みんなで熱かったら試合にならないでしょ」
「そっか。そうね。そうかもね」

吉澤はボールを拾い上げて立ち上がる。
それを大きく上に投げて、落ちてくる間に肩を伸ばすストレッチ。
二度、三度、と跳ね上がってきたボールを歩きながら拾い上げてフリースローレーンに向かった。

結局福田は、ふっと突然体育館から引き上げた。
それから着替えて、家までの最短距離を歩いて帰った。
この日の練習日誌にはたったの一言、「松のバカ!」とだけ記された。

翌日は土曜日。
練習は午後にある。
中澤は今日明日と出張で顔を出さない。
やはり練習は吉澤がすべて仕切らないといけない。

松浦は練習にはしっかりやってきた。
昨日のことはまるで無かったかのようににこやかに振舞っている。
ただ、福田との接触は無い。
戦争状態は解消されたが、冷戦状態に突入した。

五対五の練習。
吉澤は迷ったが松浦をスタメン組みから外した。
ただ、単純に松浦だけを外すとあからさま過ぎるので、力の近いマッチアップを作る、というやり方にした。
自分もスタメン側から外れる。
外れると言うか、こうなると、どちらがスタメンチームかわからない形になる。
福田と辻、市井と松浦、あやかと吉澤。
それぞれがマッチアップにつくようにして五対五のセットオフェンスの練習をする。
コンビネーションと言うか意思の疎通と言うか、そういうものを醸成していきたい時期であり、吉澤としては苦渋の選択なのだが再び戦争状態が起きないことを優先した。

結局この日、福田と松浦は一言も口を聞かずに別々に帰った。

日曜日。
状況はやはり変わらない。
練習メニューの組み方もやはり同じようにした。
あれ? と吉澤が少し思ったのは、松浦が多少なりともパスを出すようになったことだ。
すべてを自分の一対一で片付けようとはしない。
練習中に、辻とのやり取りが多かった。
ああでしょ、こうでしょ、こうしてああして。
そうやって会話しながら、松浦がパスで辻を動かす。
動いた辻に松浦がパスを合わせる。
本来それは辻の方の役割なのであるが。

いい傾向なのかどうかは吉澤としてはちょっと判断がつかない。
福田の妹分扱いの辻のことを自分の方に取り込もうとしている、という考え方も出来るからだ。
後輩にはいい格好して見せたいタイプだよな松浦も、と吉澤は思う。
だから、一対一で自分がすべて点を取る、という姿勢を反省したというわけではなく、練習の中で後輩を育てるためにやってるんです、というだけのことかもしれないし。
福田は、そんな辻と松浦のやりとりには何も言わない。

練習は午後一に始まって、まだ日の出ている時間に終わった。
大会が近いのばバスケ部だけではないのがこの季節だ。
日曜日でも体育館配分では後ろが詰まっている。

片付けは一年生に任せて二年生以上は先に上がって部室で着替える、もしくはのんびりトークする。
福田はそんな中でさっさと一人着替えを終えて部室を出て行く。
珍しく、のんびりトークではなくてすばやく着替えていたあやかが後を追いかけた。

「明日香ちゃん、おなか空かない?」
「どうしたんですか?」
「だから、おなか空かない?」
「いや、別に」

階段を下りて外に出たところで追いついた。
福田は声をかけてきたあやかに怪訝そうな顔を見せる。
福田とあやか、別に仲が悪いということはないが、それ以前にあまり接点が無い、という関係だ。
間に誰か、特に松浦の存在なしに、この二人が会話をするという場面は、福田の入学以来ほとんどなかった。

「いいから、おなか空いたでしょ」
「いや、だから、あの」

あやかが強引に福田と肩を組んで歩き出す。
背が高く、力も自分よりもあるあやかに引っ張られると、福田としても抵抗できない。

「なんか、無理やりな感じがあやかさんじゃなくて吉澤さんぽいんですけど」
「よっすぃー、こうやって明日香のことどこかへ連れてったりしてるの?」
「そんなことはしてないですけど、強引に誰かを連れてきたりするんじゃないですか?」

あやかは福田の肩から手を外す。
正面に回って面と向かって言った。

「そういう趣旨じゃないよ。じっくり明日香ちゃんと二人でお話しようと思って」
「あやかさんがですか?」
「そう」

福田、小首をかしげる。
応答が無かったのであやかが続けた。

「お付き合い頂けますか?」
「はい」

福田は、小さく笑って答えた。

二人並んで門を出て、途中まではいつもの福田の返り道と同じだけど、交差点で直進のところを右に曲がった。
駅へ向かう方向。
電車通学のあやかにとってはこちらが帰り道だ。
目的地がどこなのかは伝えられていない。
電車に乗ってどこかまで、とかだとイヤだなと福田が思い始めたころ、駅までは行かずに目的地に着いた。

「シフォンケーキを食べようと思って」
「あやかさんってどんな家住んでるんですか?」
「どんな家って?」
「なんでもないです」

たどり着いた先はクーランデールというケーキ屋さん。
福田は、なんとなくあやかさんってお嬢様入ってるんだよな、と前々からちょっと思っていて、ここに来てつれてこられた場所がこれだったので、思わず、口から出てしまったのだ。

店に入ってケーキを選ぶ。
タルトとか選ぶわけにはいかないよなあ、と福田はこういう時には変に気を使ったりする。

「あやか先輩のおごりですので、なんでもどうぞ」
「ホントにいいんですか?」
「うん」

まあいっか、お小遣いたくさんもらってそうだし、とそこは遠慮なくおごってもらっておく。

結局二人ともケーキはシフォンケーキで、飲み物だけコーヒーと紅茶に分かれた。

「よく来るんですか? こういう店」
「時々ね」
「吉澤さんなんかはあまり似合わなそうですけど」
「よっすぃーとはあんまり来ないよ。一度補習手伝っておごらせたときくらいかな」
「へー」

ケーキはショーケースに入っているので、切って持って来ればすぐなはずだが、飲み物を一から入れるので、その準備もあって、テーブルの上はまだ水だけである。

「明日香はこういう店来るの?」
「私、あまり外出歩かないですから。帰りとかもすぐ帰るし」
「あんまり遊び歩いてるイメージはないよね。でも、遊び歩いてそうな人に引っ張り出されたりはしないの?」
「辻とかですか?」
「分かってて違う名前言ってるでしょ」
「遠まわしにしたつもりで遠くないですよ、あやかさん」
「あはは。ケーキ食べてからにしようかとも思ったんだけど」
「松には吉澤さんが今頃面接中なんですか?」
「ううん。ほっとくって」
「松はほっといて私だけ面接なんですか? 納得行かないんですけど」
「なんで?」
「問題のそもそもの原因は松じゃないですか。たしかにそれをけんかみたいな形にしたのは私ですけど。それで、先輩から尋問受けるのが私だけって納得行かないんですけど」
「問題がどうとか、正しいとか間違ってるとかじゃなくてさ。私が気になったんだよね。明日香のことが」
「どういう意味ですか?」
「結構傷ついてるでしょ。明日香自身が」

真剣な目で至近距離からあやかに見つめられると、福田は視線を下にそらした。
この人アップがきれい過ぎるんだよ、と場違いに思う。

「明日香は自分が言ったことは正しいと思ってるでしょ」
「思ってますよ」
「あややが悪いと思ってるでしょ?」
「思ってますよ。あの子のやり方じゃ上のレベルじゃ通用しないから」
「だけど、おとといのことで明日香も傷ついちゃってる」
「なんでそうなるんですか?」
「悪い悪くないじゃなくて、あややとけんかしてるっていう事実に苦しんでるでしょ」
「そんなことないですよ」
「何も感じて無いなら、明日香の方はもっと普通に振舞っていいと思うんだよね」

また、ずいっとあやかが顔を近づけてくる。
福田は、一度ぶつかった視線をすぐに外して、何も答えなかった。

「意見の合う合わないはあるよ。でもさ、けんかになっちゃうのはよくないよ」
「なっちゃったものは仕方ないじゃないですか」
「ずっとこのままのつもり?」
「あの子がちゃんとパス回すようになったら許してあげますよ」
「コートの上ではそれで大丈夫かもしれないけど。コートの外ではそれじゃうまく行かないよ」
「なんでですか?」
「あややが悪いわけじゃないから」
「あやかさんは私が悪いって言うんですか? あの子が正しいって言うんですか?」
「その、正しいとか悪いとか、やめない? 明日香は真面目で、いつもしっかり考えてて偉いと思うけど。でも、全部なんでも、良いか悪いかで決められないことってあると思うんだ」

そこまで言うと、あやかは椅子に深く座りなおして水を一口飲んだ。
福田は、黙ってあやかの次の言葉を待っている。

「バスケのね、試合に勝つっていう目的で考えれば、多分、私も、あややのやり方じゃダメなんじゃないかって思うんだ。だから、それを明日香が言うのはそれでいいと思うよ。それこそ、それは違うって言うのは正しいんだと思う。だけどさ、あややの立場になって考えてみようよ。いきなりパスもらえなくなって、なんか無視されて、抗議したらあんなふうな切り替えしでさ。引っ込みつかなくなって試合することになって。結果あれでしょ。みんなの前で恥じかいたみたいなかんじになっちゃったじゃない。良いとか悪いとかの前に、頭にくると思うよ」

福田は、何か言い返したさそうな顔をしたけれど、何も言わなかった。
何か言いたそうなことはあやかも感じたけれど、そのまま続けた。

「良い悪いっていうんでいえばさ、明日香も一個悪いと思うんだ。いきなりパス出さないっていうのは良くないよ。ちゃんと話さなきゃ。パス出さなくする前に。そうやって全部一対一でやろうとするならパスは出せないって」
「それは、言いましたよ。前の日、帰りに。そんなんじゃパス出せないって」
「でも、あややはそれを本気でとってなかったんじゃない? 何で?って感じだったもん。 明日香、高校入ってきたときから、いつもはっきり物言ってきたじゃない。相手がよっすぃーでも、保田さんでも。これはこうだと思うって。コートの上でさ。なかなか出来ないことだと思うよ。だけど、いつもはっきり言ってきた。口に出して。よっすぃーとかすごいうざそうにしてたけど、でも、最後はいやいやでも納得するくらいまで言い続けてたでしょ。それが、なんで今回だけいきなり実力行使なの?」

福田は答えない。
氷が溶けてグラスの中のバランスが崩れ、カランと音が鳴った。

「松だから、って甘えがちょっとあったんじゃないかって思うんだよね。自分と松の関係だから分かってくれるって思ったのか、自分と松の関係だから、コートの上で何回も同じこと言い続けるのは言いにくいって思ったのか、どっちかはわからないけど。相手があややじゃなかったら、いきなり実力行使でパス出さない、みたいなことはなかったんじゃない?」

一度顔を上げ、あやかのことを見て、それからまた視線を落として、福田が言った。

「そうかもしれないですね」

あやかが視線を外して福田の後ろを見る。
二人の会話に割って入ってきた。

「お待たせしました、シフォンケーキとブルーマウンテンのセットでございます」

コーヒーのセットがあやかへ、紅茶のセットが福田の方へ置かれる。
あやかが視線を外したとき、驚いたように後ろを振り向いた福田。
店員が去って行くとあやかが言った。

「あややが来たと思った?」
「別に。そんなんじゃないですよ」
「そう? そんな感じじゃなかったけど」
「そういう趣旨じゃないって言ったのにってちょっと思いましたけど」

あやかが微笑むと、福田もそれに釣られたように吐息を漏らしつつ笑みを見せた。

「ケーキ来ちゃったけど続ける?」
「すぐ終わるなら?」
「じゃあ、ちょっと続けるよ。ようは、明日香も謝って上げなって思うんだ。やり方よく無かったって。ちょっと後悔してるんでしょ?」
「ちょっとは」
「だったらさ、主張そのものは撤回する必要は無いけど、いきなりパス出さなかったことはごめんって謝ってあげな。ちょっとはこっちも悪かったって感じにしてあげないと、あややも引っ込みつかないだろうし」
「でも、それは、あの子がちゃんとプレイスタイルまともな形にしてくれないと出来ないです。そうじゃないのに謝っちゃうと、あの子の主張を認めた感じになっちゃうから」
「うん。それはそうかもしれない」
「どうするんですか? 実際。私には私の意見がありますけど、最終的にスタメン決めたり方針決めるのって先生や吉澤さんじゃないですか」
「あややがあのままならスタメンから外す。そう、昨日キャプテンは言っておりました」
「そうですか」
「今日の様子を見てみて、それで明日はいつものスタメン組みでの練習の形にして、それで、あややが変わってなかったら、そのときはスタメンから外すって。あややと面接まではしてないだろうけど、そういう感じのことは言っておこうと思って言ってた」

今日が日曜日で、大会は次の金土日である。
そろそろ決断しないといけない。

「大丈夫じゃないかな。今日もあやや、辻ちゃんとは結構パスのやり取りあったじゃない」
「どうなんですかね。たまに中に良いパス入れてて、それでわざわざ辻に、こういうタイミングでパス入れるのよみたいな解説してて」
「いきなりごめんなさいするような子じゃないから。自分の感情にも折り合いつける必要あると思うし。変ないい訳つけてでもパス出すようになったんだから大丈夫だと思うよ私は」
「だといいんですけど」

福田の前には紅茶の、あやかの前にはコーヒーの香りが広がっている。
二人も、その匂いに感応し始めた。

「練習で、あややが普通に振舞うようになったら、明日香の方からさ、歩み寄ってみなよ。プレイスタイルが戻っても、二人の仲が戻るとは限らないから。それは別にちゃんと仲直りしておいた方がいいよ」
「なんか自信ないですけど、やってみます」
「じゃあ、飲み物冷めちゃうし食べようか」
「はい」

あやかがミルクをコーヒーに入れる。
福田はポットからカップに紅茶を注いだ。
オレンジの香りがさらにあたりに広がる。
しっかりとポットに入れられた砂糖をさじで一杯掬ってカップに足す。
ミルクを混ぜ終えたあやかは、先にコーヒーを口に持っていった。
福田も砂糖を溶かしてオレンジティーの準備が整う。
あやかがケーキの端をフォークで切って、クリームをつけて食べた。

「おいしい」

福田も紅茶を飲んでから同じようにケーキを食べる。
ちょっと、こういう店に慣れていない。

「でもさあ、明日香って本気になってディフェンスやるとあそこまですごいんだね?」
「どういう意味ですか?」
「この前のあややとのマッチアップ。身長差あるのに完封しちゃったでしょ。一対一でも勝てなかったから、あややの鼻はぽっきり折れちゃったと思うよ」
「あれ、松が分かってたか分からないですけど、ほとんどは一対一じゃないんですよ。後ろにディフェンスがいるの前提でやってましたから。コース制限してついていけば、吉澤さんやあやかさんが後ろで抑えてくれて一対二に出来るって」
「だからってあんなに抑えきれるもの?」
「一対二になりかけた時にパス捌かれたら無理だと思うんですけど。絶対パス捌かないと思ったから。と言うか、そこでパス捌くようならそれはそれでいいわけで」
「抑えきる自信はあったの?」
「前の晩考えました。どうしたらいいかって。それで、オフェンスはなるべく参加しないで休んで、ディフェンスはパスを捌くことは無いって前提なら行けると思って」
「でも何度か危ないところあったよね」
「ポストプレイで背負われた時はやばいって思いました。市井先輩がつぶしてくれて助かりましたけど。松、この一年でずいぶん背が伸びたんですよね。歩いてて、なんか見上げる角度が最初の頃と違うって感じますもん」

食べながらの会話。
あやかはフォークが進むけど、福田の方はなんとなくしゃべるタイミングとケーキを口に持って行くタイミングが取れない。
手が動いていない福田にあやかが気づいて、少し会話を止めた。
あやかはゆっくりとコーヒーを飲む。
福田もケーキを口に持っていき、紅茶も一口飲んで、それから今度は福田の方から話題を振った。

「あやかさんと吉澤さんてけんかしたこと無いんですか?」
「けんか? よっすぃーと? うーん、どうだろう? ないんじゃないかなあ」
「仲良いですよね」
「明日香とあややだって十分仲いいでしょ。けんかしたのは初めてなんじゃないの?」
「まあ、そうですけど」
「全然似てないようでいて一周周って似てるのかもね?」
「あやかさんと吉澤さん?」
「ううん、明日香とあやや」
「どこがですか?」

本当に心の底から疑問だ、という表情を福田は見せる。

「自分の意見には絶対的に自信があって、引かないところ」
「私は松みたいに、世界で自分が一番、みたいなこと思ってないですよ」
「明日香は全体的にって感じじゃなくて、バスケに関してだけかもしれないけど、でも、相当自信持ってるように見えるよ」
「そんなことないんですけどね」

福田としては、考えて考えて考えて主張してるのであって、自分が天才だみたいなことは思っていない、と思っている。
自分が天才だと思ってそうな松浦と、自分は全然違うのだ、と思っている。

「似てるにしても似てないにしても、入ってきた最初の頃は、まさか明日香とあややが仲良くなるとは思ってなかったよ」

あやかの言葉に福田はため息を一つ吐く。
それから紅茶を一口飲んで言った。

「私、友達らしい友達、松くらいしかいないんですよね」

あやかは視線をケーキの方に落とす。
スポンジを切ってクリームをつけて。
だけど、口には持っていかず、そのまま手を止める。
福田が続けた。

「元々、あんまり周りに馴染めるタイプじゃないし。小さい頃から結構孤独で。かわいがってくれる近所のお姉さんみたいなのはいたけど、でも、中の良い友達って感じの子はいなかったなあ。中学でも、こんな我が強いって言うか、自己主張の強い私みたいなのを、保田先輩とか市井先輩とかかわいがってくれて、すごく感謝はしてるけど、友達って言うのとは違うし。クラスでも明らかに浮いてて。高校入って、やっぱ周りが中学の時とは違って、特にうちは理数科で優等生タイプが多いから、はぶられるってことはないけど、でも、表面的に仲良くやってますってだけで、友達な感じはなくて。松くらいなんですよね。ああ、友達だって思えるの」

あやかは何度かうなづきつつ、コーヒーに手を伸ばす。

「結構うらやましいんですよ。私みたいに、特に男子からすると、必要なとき以外は会話もしません、みたいな扱いされてる人間からすると。社交的で人気あって男女問わず友達多いあやかさんなんかは。」
「そうでもないよ。友達ってどこまでを指すのか人によって違うんだろうけど、明日香の言うのと同じくらいの感じで言うなら、私だってそんなに友達がいるわけじゃないよ」
「そうですか? 頭良くて、やさしくて、それに美人で。周りに人が集まる要素全部持ってるじゃないですか」
「周りに集まる人がみんな友達かっていうとそうでもないんだなあって思うよ。確かに、私は見た目にきれいで、それで人がよってくることはあるかもしれないけど」
「それ、自分で言っちゃうんだ」
「はなにかけてるとかそういうわけじゃなくてさ。私よりきれいな人なんて世の中探せばたくさんいるし。だけど、そういうことじゃなくて。私の周りに人が集まるならいいんだけど、そうじゃなくて、顔の周りに人が集まるみたいなの? よっすぃーなんかもちょっと感じてるみたいだけど、中の人は誰でもいいんだろ、みたいな時あってさ、そういうのがうっとうしかったりするんだよね。うっとうしいっていうか、悲しいっていうか。私、人形じゃないんだけどって言いたいときあるもん。この人は私のどこを見てるんだろうっていうのを一々気にすると言うか疑うって言うか、そういうことをしなきゃいけないのはめんどくさいし悲しいし。顔がきれいだってことで得してることもあるとは思うけど、損してることもあるんだよ」
「でも、うらやましいですよ、実際。それだけきれいだと」
「顔がきれいって言うのと、勉強が出来るって言うのと、スポーツがうまいって言うのとさ。後、お金持ってるとか、そういうの全部同じだと思うよ。明日香だって十分かわいいし、勉強は私なんかよりずっと出来るし、バスケはうまいし。私にとって十分うらやましい存在だよ」

福田は、あやかさん今言った四つ、全部自分で持ってるじゃないか、と思ったけれど、それは言わなかった。

「それで、なんだっけ。そう。別に私だってちゃんと友達っていうのはそんなにいるわけじゃないよ。だから、よっすぃーなんかは、本人には言ったこと無いけど大事にしようって思うよ。明日香もあややのこと大事にしなよ」
「あの子も友達一杯タイプですからね。向こうが大事に思ってるかはわからないですよ。これっきり口利かない! とか思ってるかもしれないし」
「大丈夫だって。あややにとっても明日香はスペシャルなオンリーワンだから」

福田はうっすらと微笑んで紅茶に手を伸ばした。

二人はそれから、とりとめがあったりなかったりする会話をしながらケーキを食べ、飲み物を飲んだ。
帰り際、あやかが一言、「明日香がこんなにしゃべるとは思わなかった」と言っている。
福田とあやか、二人で長い時間話したのはほとんど初めてのこと。
店を出て、駅へ向かうあやかと徒歩で帰宅の福田は別々の道へと分かれる。
福田は、よくしゃべるんじゃなくて、しゃべらないと間がもたなそうでいろいろとしゃべったんだけどな、と思った。
ただ、何もしゃべる気になれないような相手とは違って、あやかが話しやすかったのは確かだけど。
それでも、間が持つとか持たないとか、考えないで並んで歩けるのがやっぱり一番良いんだよな、と思った。

 

月曜日、少し練習メニューを減らしめに組んである。
試合までは後四日。
二週間前はきつめのメニューにして、五日を切ったら負荷を軽くする。
福田が言いだした調整方法だ。
陸上だと試合二日前は休みにしたりします、と紺野が言っていたが、そこまでは採用しなかった。

体力がほとんど減っていない状態で五対五に。
さてどうなるものか、と福田が思っていたら、吉澤が意外なことを言った。

「Aチーム、辻、松浦、市井さん、吉澤、あやかで」

メンバー集めて言うわけではなくて、散り散りで次の準備をしている中での吉澤のコール。
自分のタオルを取りにコートの隅に歩いていた福田は、思わず、吉澤の方を振り向いた。

「福田は外で最初は見てて」
「なんでですか?」

タオルへは行かずに吉澤の方へ歩いて戻ってくる。
吉澤は答えた。

「福田、結構体力無いじゃん。だから、下の回戦ではなるべく休ませようと思うんだよね。だから、ちょっと福田だけ外したメンバーで少しやってみようと思う」
「辻に指示出せばいいんですか?」
「んー、それもあるけど、まあ、全体見てて。止めた時に気が向いたらなんか言ってくれればいいから」

福田、視線を感じて横を向くと、松浦と目が合った。
松浦の方が、すぐに視線をそらした。

「あやや、辻のフォローしてやって」

フォローってなんだ? と福田は思う。
自分が辻にマッチアップで付くならともかく、試合で見知らぬ相手とやりあうならともかく、フォローも何もいらないだろ、と思う。

メンバー達はゆっくりとそれぞれ五対五の準備。
準備と言っても、汗拭いたり、飲み物ちょっと飲んだり、Bチームがビブスをつけたり、そんなものだ。
一番面倒なのは五対五をするメンバーじゃなくて、ビブスを配り、端に置いてある得点板をガラガラ引っ張り出してくる紺野だろう。
コートに十人が入る。
福田はぽつんと一人で見ていても良かったのだけど、得点板を引っ張ってきた紺野と並んで立った。

「まだいらないでしょ、これ」
「でも、間が空くのここだけで、いつもすぐゲームに入るから」
「そこまで考えてやってるんだ」
「はい」

この子やっぱりあほじゃないよな、と思う。

五対五、ととりあえず言われているが、やっていることはスタメン組みボールで始まるセットオフェンスがあって、そこから一往復ある。
スタメン組みが点を取ったり、あるいはBチームボールになったりしたらそのままBチームオフェンスで、そのオフェンスのけりがついてスタメン組みのボールになったらもう一度オフェンスをして、そこまでが一セット。
辻がボールを持って始まる。

辻−松浦−辻−市井、そこからローポストで面を取った吉澤へ。
吉澤がターンするとカバーが来たのでハイポストのあやかへ。
そこもカバーが来たので右サイドの松浦へ落としてそのままジャンプシュート。
0度の位置からしっかり決めた。

Bチームオフェンスはシュートまで行けずにエンドライン際逆サイドへ通そうとしたボールを吉澤がカット。
サイドへ下りてきた辻へボールを送る。
さらに逆サイドから中央へ上がってきた松浦へ。
Bチーム、きちんと戻って松浦の前には自分のマッチアップと奥にさらにもう一人。
速攻の形で、自分でそのままドリブルで持って行く。
スリーポイントラインのあたり、まだ抜き去りきれず、ゴール下にもディフェンス。
松浦はそこから減速、方向転換して右0度へディフェンスを連れて降りる。
市井がトップに入ってきてそこへパス。
ゴール下にいたディフェンスが止めに来たが、ボールにミートしてのシュートフェイク一つで飛ばして、その横を抜けてランシューを決めた。

一連の流れ。
福田から見て、特に言うべきことは無い。
速攻をしっかり決めたのも良いし、出だしのオフェンス、ディフェンスのカバーカバーをしっかり振り切ってフリーでシュートまで持って言ったところもいい。
口出しできる部分はない。

二本目。
今度はハイポストに入ってきた吉澤に辻がボールを入れる。
吉澤は勝負せずに辻へ戻す。
辻から右サイド深いところにいる市井へ。
中が空いていたので市井は勝負した。
エンドライン側へドリブル。
しかしかわしきれない。
仕方なくバウンドパスを反対側へ通す。
受けたのはあやか。
前にはローテーションでカバーに入った松浦のディフェンス。
あやかはボールを少し上の松浦へ。
フリーの松浦がスリーポイントシュート。
ノーマークだったが外れてリバウンドをBチームが拾う。

スタメン組みはしっかり戻り、というべきかBチームに素早くボールを運ぶ能力が無かったと言うべきか、ともかく速攻は出ない。
そこからのセットオフェンスは、なんとかインサイドの一対一に持ち込んだがシュートを打つのがやっと。
エアボールをあやかが拾う。
ボールを確保して、一拍置いて、サイドに下りてきた辻へ。
辻は自分でボールを運ぶ。
ディフェンスは戻っているので場を落ち着かせてからセットオフェンス。
インサイド勝負で吉澤が打って外したシュートをあやかが拾ってそのまま決めた。

「辻、あやかさんがリバウンド取ったところで、受けの動きが遅い」

止まったところで福田が口を挟んだ。

「受けに行きづらい位置関係だったけど、それでもすばやく動かないと。松が走ってたんだから、辻が受けて長いパス通せば速攻出せたんだから。位置関係悪くてもボールを受けるまでは速攻出すのあきらめない」
「はい」

福田と辻が上の方でやり取りしているのとは別に、ゴール周りでは吉澤とあやかがなにやら話している。
最後の場面、吉澤がシュートを外したこと自体はともかく、その前のシュートに行ったことの是非。
捌く選択肢もあったよね、というところだったのだけど、吉澤としては外が視界に入ってなかったんだよ、という主張というか現実があって、自分で打った、そんな会話だ。

一本一本、そんな風にやり取りを挟みながら、五対五の練習を繰り返す。
7本終わったところで吉澤が福田を呼んだ。

「そろそろ入って」
「辻のところでいいんですね?」
「うん」

手首をこりこりと回しながら福田はコートに入って行く。
辻がBチームの着るビブスを受け取った。
その辻からボールを受け取って福田が入る。

さて、一本目、どうしたものか。

左には市井がいる。
右には松浦がいる。
吉澤とあやかはエンドライン近くにいてちょっと遠い。

辻がビブスを着終えたので、福田が一旦ボールを預ける。
辻からボールが返されてオフェンススタート。

「入った!」

目の前には重心低く構えた辻がいる。
吉澤がボールを受けにハイポストへ上がってきた。
市井は左0度の方へ下りている。
右側にはゴールから遠い位置、シュートは無いけど松浦なら突破がありえる、という感覚でディフェンスはやや離れて付いている。
福田はその松浦へ簡単にボールを送った。

松浦、ボールを受けてディフェンスを見る。
腰を落とし、右、左、とディフェンスを揺さぶってやっぱり足は動かさずに重心を高く戻す。
逆サイドからあやかを壁に使いゴール下を抜けてきた市井に松浦はパスを落とした。
市井がそのボールを受けながらターンし、そのまま0度の位置でスリーポイント。
リング奥に当たり大きく跳ね上がったが、そのボールはネットを通過した。

この日の練習は、その後特に揉め事が起こることも無く、しっかりと平和に終わった。

練習後の光景も元に戻ってきた。
福田と辻は反省会。
今日の練習の中でよかったこと悪かったこと。
基本的に福田がしゃべって辻は聞いている、という関係だが、時には辻は辻で意見があってそれを述べたりもしている。

紺野もまだ松浦にくっついている。
今やっているのはディフェンス。
指導方針なのか、松浦の趣味か、松浦がオフェンスでの一対一。
さすがにそうそう止められるものでもないが、なかなか簡単に抜き去られないようにもなっている。
最初のフェイクで振られなければ、割としっかり紺野もついている。
バスケの動きの勘がないので、オフェンスの惑わしにすぐ引っかかってしまうのがつらいところではあるが、それさえなければ、動きの面での身体能力はあるのだ。
中学三年間、散々走っていたので足腰はしっかりしている。
ディフェンスの姿勢、動きというのには慣れてきていて、相手が松浦でも、何もなしにただスピードで置いて行く、というようなことはさせなくはなった。
ただ、緩急の変化についていけないので、シュートはどうしても打たれてしまう。

辻は福田とのミーティングが終わると、その紺野と松浦のところに入って行く。
最近は直接福田がコートの上で相手をする、ということはなくなった。
パスのタイミングがどうとか、動きがどうとか、そんなところは全体練習が終わった後に個別で一人や二人ではどうにもならない部分だったりする。
かといって、個人技の部分をあれこれ教える気は福田にはあまり無かった。
最初にちょっとディフェンスの付き方とか、その辺をマンツーマンで指導したくらいだ。
後は勝手に学びなさい、という姿勢である。
辻は、その日の気分で、自分でシューティングをしたり、松浦と紺野のやり取りに絡んで行ったり、さまざまだった。

福田はストレッチをしながらそんな三人の光景を見ている。
辻が入って行って、松浦の代わりに辻がオフェンスになった。
紺野じゃなくて松を相手にしなきゃ練習にならないだろ、と思うけれど口は挟まない。
辻のために紺野や松浦が存在するわけじゃないし、紺野の相手という意味では松浦よりも辻の方がましだし、仕方ない。
と思って見ていた一本目、スピード勝負を挑んで抜ききれず、エンドライン際に追い詰められていた。
バスケ暦二ヶ月に止められてどうする・・・。
単調すぎる、変化をつけろ変化を、と思うけれど、何かあれば近くにいる松浦が言うだろう。
辻は、自分が主として見ている子という意識はあるが、小型の福田二号にしようとは思わない。
松浦からでも、あるいは場合によっては紺野からでも、学べるものは学んで行けばそれでいい、と思っている。

福田自身は、それからゆっくり立ち上がり、コートに入って行く。
落ち着いてゆっくりとフリースロー。
大事な場面でフリースローを打つことがまたあるかもしれない。
最終的には勝ったので事なきを得たが、一年前のゼロ秒フリースローは福田にとって苦い思い出だ。
流れの中でのジャンプシュートや、距離の遠いスリーポイントと違い、静止状態で正面からフリーで自分のタイミングで打てて、それほど距離もないフリースローは、練習次第で100本打って100本入るように出来るはず、というのが福田の信念。
それほど打つ本数のないフリースローの確率を、9割から10割に上げることは、それに必要な努力に見合うかどうか、というのがあって、あまり大きな時間は割けないが、一日の中で必ずどこかでまとまった本数のフリースローを打つようにはしている。
特に試合直前期にはその比率は増やしている。

そんなことをしていたら吉澤が歩み寄ってきた。
何のよう? と思うが声をかけてくるわけではないので無視してシュートを打つ。
すると吉澤は、そのリバウンドを取りに入った。
拾って福田にパス。
またもといた位置に戻る。
ゴールを囲む台形の右側。
フリースローの時にインサイドのプレイヤーが入る位置だ。
リバウンドの練習がしたいらしい。
それとも、自分に絡みたいだけか?
そんなこともチラッと思ったけれど、無視してフリースローを打つ。
リバウンドを自分で取りに行かなくて良いのでテンポが上がる。
二十本近く打ったところで吉澤が声をかけてきた。

「お前、よく入るなあ」
「一本外しましたよ」
「あれだけ打って一本なら上出来だろ。おかげでこっちは練習にならないんだけど」
「吉澤さんはもうちょっとフリースロー入れないとダメなんじゃないですか?」
「あの止まった状態で打つ感じが苦手なんだよね」

リバウンドボールを吉澤が確保していて、福田は手ぶらなので無視してシュートを打ち続けるわけにはいかない。
会話が続く。

「どう? 今日の練習見て。チーム状態どう思う?」
「どうって?」
「県大勝ち抜けそうに思う?」
「やってみないとわかりませんけど、勝ち抜くつもりでやりますよ」
「んー、そうじゃなくて、なんていうか、あと四日で緊急に立て直さないと、みたいなことはある?」
「センターの人はもうちょっとフリースロー入るようにしてもらいたいですけど」

吉澤が遠まわしに何を聞いているのかは分かっているけれど、福田はそれに対する回答は直接しない。
ただ、ある意味で、遠まわしには回答しているつもりではある。

「それは分かったよ。分かったから、ちょっと横に置いといて。チーム全体としてさ。福田の望む形にはなってるの?」
「私の望む形には全然なってませんよ。まず私自身がなってないし」
「いきなりそこまでいかなくていいから。それよりもっと低いレベルで見て最低限の、試合に臨むチームの状態としてさ」
「最低限、部員が13人いて、みんな怪我も無いし、最低限試合は出来るんじゃないですか?」

しつこく直接的な回答を求めてきてるけど、絶対直接的には答えたくない、となんとなく福田は思う。
そのことに対して改善を求める言葉を発していない時点で、それが遠まわしな回答なんだからそこで察してくれ、と思っている。

「ああ、もういいよ。とりあえずあんまりこのままいじらずに行くからな、たぶん。それでいい?」
「いじらずにって何がですか?」
「ああ、もういい。もういいよ。続けて」

吉澤がボールを投げ返してきたのでキャッチした。
満足したのかあきらめたのか、吉澤は去って行く。
福田はフリースローを続けた。

しばらくすると今度は辻がやってきた。

「明日香さん」
「ん? なに?」
「あの、そろそろ終わってもらっていいですか?」
「なんで?」
「今日、ママさんバレー来るんで空けないといけないんです」
「そうなの? あれ? 今日?」
「すいません。連絡忘れてました」

夜の遅い時間、不定期に地域のママさんバレーの練習に体育館を貸している。
時折、なので忘れがちだし、通常練習の時間は変えずに問題ない時刻なので、あまり意識もされない。
福田が周りを見ると、ちょうど松浦が荷物を持って扉から出て行くところだった。
他のメンバーはほとんど残ってなく、モップ掛け等片付けがある一年生が何人か残るのみだ。

「せめて練習終わりの時に言いなさい」
「すいません」

その手の管理は一年生の役割になっている。
自分のペースをさえぎられて、ちょっと福田は機嫌が悪い。
そうは言っても仕方ないのでそのまま体育館から引き上げた。

部室まで戻ると松浦が着替えていた。
他に紺野を含めて一二年生が何人か。
三年生はすでに帰ったようだ。
福田は意識的にゆっくりと着替える。
体育館でストレッチをする間が無かったから、と自分の頭に納得させて、大きく座るスペースは無いので腕や肩のストレッチなんかをしつつ着替えを取り出してゆっくりと着替える。
時間を掛けていると、希望通りに松浦が先に着替え終えて帰って行った。
希望通りだったけど、期待とはちょっと違ったので複雑な心境だったりするがそんなことは顔には出さずに、荷物をいじったりなんかしながら着替える。
珍しく紺野が先に出て行っていて、辻が後から部室にやってきた。
いつも一緒に帰るわけでもないのかこの二人、と福田としてはちょっと意外だ。
福田がペースをゆっくりしているせいもあって、自分が着替え終えたのと同じようなタイミングで辻も着替え終わった。

「明日香さん帰らないんですか?」
「ん? まあ、帰るけど」

帰るけど、ちょっとゆっくりして間を取ってから帰りたい。
理由は、特に無い、特にあるけど。

「帰りましょうよ」
「別に、いいけど」

辻がなにやら腕を引っ張る。
ロッカーに寄りかかってアンニュイな雰囲気をかもし出していた福田、しかたなしに動き出した。

部室を出ても腕は放してもらえないらしい。
この子こんなに歩くの早かったっけ? と思いつつ階段を下りて校門の方へ。
なんかいた。
立ち止まる。

「早く行きましょうよ」

福田が立ち止まったので振り向いた辻がさらに腕を引っ張る。
引っ張られたので抵抗も出来ずに付いて行った。
向こうも似たような感じで腕を引っ張られてこっちへ歩いてくる。
紺野に引っ張られた松浦。

「三人でマックじゃなかったの?」
「ごめんなさいだましました」

謝ったのは紺野。
福田は紺野と辻を交互に見る。
辻も言った。

「ママさんバレーも嘘です。ごめんなさい」

自分が辻にだまされるのか、と思うとちょっとショックだったが、多分紺野の方の知恵だな、と思ったらしかたないかとなぜか納得できた。

「あの、あの、二人に仲直りして欲しくて。今日の練習見てると、あの、大丈夫そうだなって思ったんで、余計なことかもしれなかったですけど。でも、やっぱり結構いつもいっしょに帰る明日香さんもあややさんも、今日は別々で、やっぱり余計なことでもないかなと思って。あの。ごめんなさい。余計なことして。でも、仲直りして欲しくて」

紺野が何言ってるんだかわからないけれど、大意はつかめないこともない。
松浦の方を見ると視線がぶつかったので、すぐに外して紺野の方を見た。

「ごめんなさい。でも、二人には仲直りしてほしいんです」

辻がそういって福田の手を引っ張る。
紺野が松浦の手を出して。
福田の手と松浦の手を合わせられた。
松浦が、ちょっと困った顔をしているけれど、何も言わない。
福田も何も言わない。
ちょっといろいろと抵抗があることはあるけれど、後輩たちの前であまり醜態もさらせない。
何日か前に部員全員の前でけんかして、ちょっとした醜態をさらした気もするが気のせいだ。

「あの、二人で話せば大丈夫だと思うんで、仲直りしてください」
「あ、ちょっと、のんちゃん」

辻が紺野の手を引っ張って行ってしまった。
紺野は時折こちらを振り返っているが、辻は振り返りもしない。
松浦と二人、校門のそばに残された。
合わせられた手は、すでに離してある。

「まったく、余計なことして」

松浦が一言こぼす。
視線がまたぶつかったけれど、すぐに福田の方からそらした。

「はあ、かえろう」

福田はひとり言のように言って歩き出す。
松浦もそれに続いた。

門を出る。
右に曲がる。
まっすぐ歩く。
信号にぶつかる。

無言。

福田が左、松浦が右。
歩みを速めるでもなく遅らせるでもなく。
普通に並んで歩く。
だけど、無言。

三日前、五対五で松浦をひねりつぶした日は違う道を通って帰った。
今日はそっちは通らずに、公称の最短距離を歩いて帰る。
何も言わない松浦。
何も言わない自分。

何を言えばいいのかよくわからないのだ。

最初の一言目。
謝るのはやっぱりおかしい気がするし納得行かないし。
かといって、責めるようなこと言う気にもなれないし。
謝れというのも変だし。

今日の練習で納得はいったのだ。
これなら問題ない。
特にダメだしする必要も無い。
そう思った。

自分のいない五対五での松浦。
ちゃんと五対五をしていた。
それを見せることを期待して、最初に自分抜きで五対五をやったんだと、福田は思っている。

自分が入って何か変わるか?
意地を張られる感じになるのが少し怖かったけど、それでも、きっと大丈夫と信じてパスを入れた。
大丈夫だった。問題なかった。
そこは一対一勝負でもいいのに、という場面で、直接シュート以外ではパスを出すほうの選択が多かったように感じたのは、気のせいじゃなくて松浦がちょっと意識過剰だったんだろうと思う。

その点を除けば、コートの上では元に戻ったのだ。

だけど、こうして無言で二人歩いている。

どうしよう。

自分から何か言うのは言いづらい。
一言目になる言葉が無い。
大体、いつも自分の方が無口で松浦の方がよくしゃべるのだから、こういう時に限って自分の方から何か切り出すのはおかしい気がする。

一言目を切り出すのは松浦の役目、だと思う。
二人の関係性から言えばそのはずだ。
それは分かっているはずなのに、黙っているのはなんでだろう。
やっぱり怒ってるんだろうか。
みんなの前で恥をかかせたような格好にはなっているし。
でも、仕方なかったんだ。
他にやり方は思いつかなかったし。
もう、何とかするしかない時期だったから。

なんで何も言わないんだ。
何か言え。
言ってくれ。

松浦の家は学校からそれほど遠いわけではない。
高校生が二人で無言、というのは違和感はあるが、それでもそれで押し切れてしまえる程度の距離である。
あと100メートル。
あと50メートル。
あと十メートル。

結局黙ったままで松浦家にたどり着く。
門の前。
一段段差を上がる松浦。
福田はそこで立ち止まった。

「何? 寄って行く?」

門に手をかけた松浦が、一段高いところから福田に言う。
松浦の方を見ていた福田は、何も答えずに前を向いて歩き出す。
松浦は、門にかけた手を外し、段から下りて、福田と並んでまた歩き出した。
福田はチラッと松浦の方を見る。

「うちまで来るの?」

松浦は答えない。

また、二人無言になって歩き出す。
比較的大きな道を二つ渡る。
普通なら自転車通学する程度の距離。
福田も、最初の一ヶ月は自転車通学をしていたのだけどやめた。
ちょっと起伏があってそこがうっとうしいし、毎日自転車を引いて帰るのは、なんとなくめんどくさい。
朝は、もっと時間の掛からない道を通るし。
歩くのは嫌いじゃない、ような気がしている。

黙りこんだまま歩いて二人は福田家までたどり着いた。
福田が門を開けて入って行くと松浦も後に続く。
インターホンをならして、でも自分の持っている鍵でドアを開けて福田は家へ入る。
そうすると、ちょうど親が出てきて顔を合わせる、というシステムになっている。

「あら、あややちゃん。いらっしゃい」
「こんばんは」
「晩御飯食べて行く?」
「はい」
「じゃあ、明日香の部屋でちょっと待っててね」
「おじゃましまーす」

営業用スマイルうまいよなあ、といつもながらに思う。
二階の福田の部屋に上がった。

カバンを置いて福田はベッドにダイブ。
そのままうつ伏せ寝。
つかれた。
練習メニュー以外の理由でやたら疲れた。
このまま眠ってしまいたい。
そうも行かないのだろうけれど。

ここまで来て無言でいつづけるわけにもたぶんいかない。
松浦がいつもの定位置、福田の椅子に座っているのは目を向けなくても感じ取れる。
あ、まずい、机には練習日誌がある、と福田は思った。
松のバカ、と大きく書いたあれ、見られるのはいろいろな意味で気まずい。
福田は、ベッドから起き上がり、座りなおした。

「あ、起きた」

松浦が声を発する。
福田は不機嫌そうにそちらの方を向いて座りなおす。
さてどうしたものか。
福田が迷っていると、松浦がしゃべりだした。

「相変わらず片付いてるねえ」

床にものが散らばるとか、脱ぎっぱなしの服があるとかそういうことがこの部屋には無い。
机の上のノートがいくつか所定の位置に無い、という程度のものだ。

「晩御飯何かな?」
「さあ?」
「私カレーが食べたいんだけど。お客様が来たってことで用意してくれたりしないかな?」
「急に来て無理でしょ」
「そりゃそうか」

松浦は福田の椅子を離れてベッドの方に来る。
福田の隣に座り、それからそのまま仰向けに寝転んだ。
福田も、そちらに少し目を向けてから、自分も仰向けになる。
二人並んで寝転んだ状態。
大きく一つため息を吐いてから、松浦が言った。

「一対一なら明日香ちゃんにも勝てると思ったんだけどなあ」

二人の視線が向かうのはそれぞれ天井。
声も天井に向かって飛んでいく。
福田は、まるでそれが聞こえていないかのように何も答えない。
松浦は続けた。

「ゲームの途中はね。後ろも使って守ってるのよく分かったし、ある程度仕方なかったと思うんだ。でも、最後の一人で持ちこんだとこ。あれを叩かれると思わなかった。スピードは負けてないはずだと思ってるし、抜ききれると思ってたんだけど、最後までついてこられて、レイアップ叩かれて。あれが一番むかついたよ」

あの件の主題はそういうところじゃなかったはずなのだけど。
福田は目を瞑る。
耳は大きくなって松浦の声を聞いている。

「紺野ちゃんが面白いこと言ってた。あの子陸上部でしょ。全中とかも出てたようなさ。だけど、一人で走る種目よりも駅伝のが楽しくて好きだったんだって。駅伝だって走るときは一人でしょ、って私が言ったら、そうだけどそうじゃないんですとか言ってて。チームで頑張るのがいいんだって。自分の力でいい記録を出して、一人とか二人とか抜いて、それでチームの成績がいいのがいいんだって。チームが勝てばいいんだ、って聞いたら、自分の成績が良くてチームが勝つのがいいんですだって。逆はダメだって言ってた。自分がダメで、それをみんなにカバーしてもらってっていうんじゃだめだって。それは私もよく分かった。紺野ちゃん、あんなおとなしそうにしてるのに、私と一緒じゃんって思った」

全中出るような子ならそれくらいの感覚はあるだろうなと思う。
チーム内で、それこそエースのような存在だったのだろうし。
見た目には、エースを思わせるような雰囲気は感じないけれど。

「明日香ちゃんには押さえ込まれちゃったけどさ、でも、それでも、一対一で一番強いのは私だと思うんだ。明日香ちゃんはいなかったけど、北海道の遠征のときさ、富岡の子、は一年生だったけど、あと、聖督や滝川のキャプテンの人と一対一やって勝ったんだよね。圧倒的に勝ったって感じじゃなかったけど、負けてはいなかった。吉澤さんや、四年生の人じゃ私みたいにはいかない。あのレベルの人たち相手に勝てるのはやっぱり私だけだって、今でも思ってる」

冬の新人戦で、中国大会勝ったあたりから変わりはじめていたけれど、目だって変わったのは遠征から帰ってきてからだった。
1on1トーナメントというのをやって優勝した、という話は聞いていたけれど、それが直接的な原因だとまでは思っていなかった。

「私だってバカじゃないからさ、チームの中でも、ただのゲーム練でも、なぜか1対1で攻め切れてないのは感じてたよ。後藤さんや藤本さんが相手でも負けなかったのに、なんで自分のチームのBチームの子達に勝ちきれないの? って分からなかった。なんで分からなかったのか今になってみるとそれこそバカみたいなんだけど、私が一対一しかやらないのと、実際には一対一になってなかったからなんだなって、やっと分かったよ」

自分が止められたのも、それが理由で、絶対ボールを捌くことはしないという前提と、後ろにいるディフェンスも使ったこと。
最後のワンマン速攻を止められたのは、自分の方が強かったから、ではなくて、その場の流れと、感情的ないろいろなものと、そういった理由で、もう一度やればわからない、と福田は思う。

「私は、自分が目立たずにいてもチームが勝てばいい、とは思えないんだ。自分が目だってチームが勝つ。そうじゃなきゃいやなの。だから、自分で点が取りたい。一番点が取れるのは自分だと思うし。だけど、周りは使うよ。使うようにする。使ってあげる。たぶん、そうした方が点が取れそうだし」

福田はため息を吐いて大きく伸びをして体を起こす。
隣で仰向けになっている松浦の顔を見ながら言った。

「松って、ホントに中学の時ガードやってたの?」
「なにいまさら?」
「マイボールになった時にすぐボールを受けてフロントコートに運んでいたからガードって名乗ってただけで、実際はガードでもなんでもなかったんじゃないの?」
「ガードでもなんでもないんじゃなくて、ガードでもなんでも全部って感じかな」

松浦も体を起こす。
二人並んで座る形になった。
松浦の方は向かずに、福田が言った。

「ゲームの中で本当に一対一なんていう場面はめったに無いんだよ。一対一の一瞬があって、そこからドリブルついた瞬間にもう一対二になってたり、一対一のつもりでディフェンスしてても、実際には逆サイドのマッチアップを見ながらオフェンスだったりとか。前にいるディフェンスを相手にした時に突破する力がある人、を便宜上一対一が強いって言い方してるけど、本当は周りの四人、周りの四組のマッチアップを見ながら、自分のディフェンスを相手にして突破したりシュートを決めたりパスを捌くのがうまい人、であって、周りに何も無い一対一が強いって言うのとは違うんだよ」
「明日香ちゃん、相変わらず言ってること難しくてわかんないんだけど」
「松は、一対一っていう練習メニューでトーナメントをして優勝した人、だけど、ゲームの中とはそのシチュエーションは違ってさ。ゲームの中で、全体見ながら、周りを使いながらやるのが元々うまかったのに、それを忘れて全部自分でやろうとしたから最近おかしかったんだと思う」

松浦は福田の方を見ているが、福田は松浦の方を見ない。

「女王様だかお嬢様だかお姫様だかなんだかわからないけど、そういう感じで振舞う人たちは、自分で全部やろうとはしないで周りの人間を使う。松もそっち系の生き物なんだから周り利用しとけばいいんだよ」
「なんか引っかかりある言い方だなあ」
「松があのままじゃ負けちゃうと思ったし。ホントにもうぎりぎりで何とかしなきゃって思ったし。でも、松をいらないと思ったことは無いんだ。上の大会でラウンドを進んで行くためにはどう考えても松の、100%の松の力が必要だと思う。だから、100%の力を早く取り戻して欲しかったんだ」
「100%ねえ」
「結構慌ててたし、それに頭にも来てたし。だから本当に怒ってたっていうのもあって。うん、それで、言っても聞かないから、時間無かったから実力行使みたいな感じでパス出さなくした。うん。プレイの面での考え方とか、そう言うのは自分で全然間違ってたとは思わないけど、でも、うん、あの」

福田が松浦の方を向く。
座りなおして、体もそちらに向けた。

「あの、吊るし上げるみたいな感じになってごめん」

福田は頭を下げる。
松浦はすぐには答えなかった。
福田が頭を上げてから言った。

「結構凹んだんだよね。めずらしく。何が凹んだって明日香ちゃんから一点も取れなかったところ。自分より10cmも小さい相手から点が取れないって、ありえないでしょ」
「純粋にハーフコートの一対一っていう練習だったらああはならなかったと思うよ」

松浦がまた仰向けになった。
福田は座ったままその松浦に視線を向ける。

「一人で全部勝負はやめるよ。あんまりいいことないみたいだし。自分なら出来るはずって思ってたけど、なんかそういうことでもないみたいだしさ。一対二でも問題なく点が取れればすごいけど、あんまり意味なさそうだもんね。一対二を作ったらノーマークのとこに捌いたほうが簡単みたいだから」
「五人で点を取るための手段としての一対一だから、捌かずにつぶされるっていうのは一番愚かだよ」
「でも、なんか散々責められたみたいな感じだけど私、一対一自体はやめる気無いからね。その場その場でそれが一番良い方法だって思ったら一対一やるよ」
「それは当然であって普通のことだから別にわざわざ言わなくていいよ。ただ、練習ではそれはなしで一対ゼロを作れるようにっていうのは結構あるけどね」

松浦が足で反動をつけて体を起こす。
話は大体まとまった、という感じになるのだろうか。
許すとか許されるとか、そういう単語は一つも出てきていないけれど、普通にやっていけそうかな、と思う。
そんなことを福田が思っていたら、松浦が福田の顔を覗き込んで、にっと笑った。

「明日香ちゃーん」
「うわっ、なにすんの」

松浦、福田に抱き付いてベッドにそのまま押し倒した。

「重いって」
「いいの。生意気なことした罰です」

けんかみたいなことを吹っかけた目的そのものは達した感じがするけれど、でも、この子の口から謝罪っぽい言葉は何も出て無いんだよなあ、と思う。
別にいいけど。
私に対して謝るっていうのもなんか変だし。
重いけど。
この、過剰目なスキンシップはもうちょっと減らしてもらえないだろうか、と思う。

そんなこんなをしばらくしていると、下から福田の母親が晩御飯の準備が出来たと二人を呼んだ。

週末のインターハイ県予選。
バランスを取り戻してチームは順調に勝ち上がる。
準決勝までは100点ゲーム。
決勝、ミカのいる北松江に出だし多少てこづったが、それでも前半のうちに二桁点差をつけ、後半もリードを広げ、問題なく優勝。
今年は余裕を持ってインターハイの出場権を得た。

 

東京都のインターハイ予選は数週間に渡る。
昨年の予選はベスト8だった東京聖督。
地区予選はシード扱いで免除、都大会は二回戦から。
二回戦、割と余裕をもって勝ちあがったが翌週の三回戦、第四クォーター残り二分まで相手にリードを許す苦しい展開。
最終的にはゴール下でのファウルがかさんだ後藤のマッチアップが退場し、後藤自身はもらったフリースローを確実に決めて行くことで逆転勝ち。
三回戦の翌日に準々決勝。
これは序盤にリードして十点ほどの差をつけて推移していたのだが、最終クォーター、相手のプレスにあって猛烈に追い上げられた。
相手の圧力を加護が捌ききれない。
亀井に運ばせればいいところだったのだが、三クォーター途中に四つ目のファウルを犯してベンチに下がっていた。
残り五分のところで逆転される。
追いついたところで相手がプレスをやめ、また聖督は亀井を投入。
相手としてもプレスで追い上げたところまでは良かったのだけど、そこでほっとした瞬間、体力のきつさを感じてしまった。
聖督は後藤にボールを集めて再び突き放す。
最終的には五点差で勝利。
翌週の決勝リーグへ駒を進めた。

決勝リーグ、金土日で四チーム総当り。
上位二チームがインターハイへ駒を進めることが出来る。

連戦の翌日の練習は休み。
後藤は、昼間から街に出ていた。

「学校は休みじゃないだろ」
「やぐっつぁんだって一緒でしょ」
「大学は違うんだよ。休みと決めたらその日は休み」
「後藤も一緒だよ」
「おいらも相当いい加減な生徒だったけど、何の抵抗も無く高校は休まなかったけどなあ」
「日数足りればいいよ。別に進学するわけじゃないし」
「フリーターやんの?」
「んー、ていうか家事手伝いって感じかな? 家事じゃないか。家業? 家業手伝いで」
「後藤の家ってなんか店だったっけ?」
「うん」

話の相手は矢口真里である。
普通の月曜日の昼間に呼び出す高校三年生後藤も後藤だが、前の日の晩にメールが来て、一分で、行くよどこにする? と返信した大学一年生矢口も矢口である。

「まあ、先のことなんてどーでもいいけどね」
「なんかもったいない気もするけど、後藤ならどこで何があっても生きてけそうだから別にいいか」
「どこで何があっても生きてけそうなのはやぐっつぁんのほうだと思うけど」
「はぁ? こんなか弱くてセンシティブなおいらが?」

後藤は、特に突っ込まずに笑っておいた。

「やぐっつぁんてけっこう暇でしょ」
「何言ってんだよ。いそがしいって」
「滝川まで来て試合見てたり、今日だってすぐ返事きたし」
「後輩がちょっと来てって言うから、忙しいスケジュールの合間を縫ってっだな、こうやって来たわけだろ」
「でも、返信メール早すぎるって。昨日の夜だって家でごろごろしてただけでしょ」
「たまにはそういうこともあるんだよ」

事実はどうあれ、後藤は矢口が暇な日常を送っている、という認識に落ち着いているし、矢口はそれを認めようとはしない。
事実はどうあれ、話は、矢口が暇である、という前提に立って後藤は進めることにした。

「なんでもいいけどね」
「おまえ、おいらのことバカにしてるだろ」
「そんなことないって。小学生なのに飛び級して大学に入れるなんて尊敬してますよ」
「やっぱりバカにしてるじゃんか」
「バカにしてないって。頼りにしてます。頼りに」
「で、言いたいことがあって呼んだんだろ? 進路相談、でもなさそうだし、色恋沙汰ってわけでもなさそうだし。合コンセッティングか? おいらは自分のライバルになりそうなメンバーはなるべく入れないことにしてるから、基本却下だぞ後藤は」
「やぐっつぁん暇そうだからコーチやってもらおうと思って」

後藤はど真ん中にストレートを投げた。

「だから暇じゃねーって。大体な、そういう時は前置きって言うか、そこに至るまでの説明から入るもんだろ。なんで矢口にコーチやって欲しい、が突然出て来たのか。人にものを頼む時は説明しなさい」

だって暇そうだから、と言おうかと後藤は少し思ったが、さすがにまともにお願い事をする場面でそれを二度言うのはちょっとひどい、と思い直しまともな説明に入った。

「理由は単純。コーチが欲しいって思ったから。やぐつぁんが抜けたけど、今年のチームにはかごちんやえりりんが入ってきて、十分強そうだなあって思ってたんだよね。北海道まで試合で呼んでもらって結構負けたけど強いチームとも試合になったし。インターハイもなんか行けそうって思ってた。それがさあ、なんかてこずるんだ。何とか勝ってるけど。なんでかなって思った。後藤なのに考えた。やぐっつぁん言ったよね、北海道の試合の時。全体を見て考えろって。だから考えてみた。それで思ったのは、足りないのは考える人だって。だからやぐっつぁんにコーチ頼もうと思った」

話がまじめな方向に進んでいるので、矢口もまじめに聞いていた。
腕を組んで後藤の顔を見ながら。
後藤の言葉が止まったのを見て、矢口がこたえた。

「考えた結果が考えが足りないって、なんか禅問答みたいな結論だな」
「だって、実際そうだったんだもん」
「そこで、自分たちで何とか考えようっていう方向には行かなかったのか?」
「やぐっつぁん、もし、一生他のことしないで、そのことだけのために努力することが出来る時間とかお金があったとして、やぐっつぁんがダンクシュートできるようになると思う?」
「ダンクは無いだろ。リングにも一生手は届かないって」
「人には向き不向きがあるんだよ。後藤は考えるのは苦手だよ。戦術考えて40分全体をどうするとか、そんなの無理。やぐっつぁんのダンクと一緒だよ」
「そうか? 矢口がいた頃、結構後藤の発言ってヒントになってたぞ。最終的に形を決めるのはおいらだったけど、その形になる最初の種みたいなのは後藤の言葉だったりすることって結構あったぞ」
「わかんないけど、わかんないけどさ、多分後藤はアホなんだと思うんだ」
「アホって、自分で言うなよ。アホってことは無いだろ」
「アホって言い方はあれだけど、その、思いつくことはいろいろあるけど、それを繋げてなんかを作るみたいなこと出来ないんだよ。頑張って出来るようにしていけばちょっとは出来るかもしれないよ。でも、後半年じゃ無理。卒業するまでにそんなの出来るようになるとは思えない」
「だからおいらにその代わりをしてくれってか?」
「うん」
「それ、いつから考えたんだ? 昨日苦戦したんだろ? その後からメールするまでの間にそれだけ考えたのか?」
「んー、そうかもしれないけど、たぶん本当はキャプテンになったときからかな。最初から、なんとなく後藤には出来ない役目なんじゃないかって思ってた。キャプテンっていうのも後藤、なんか違うんだよ。なんか違う。北海道で、よっすぃーとか、他のチームのキャプテンのことかとも話したけど、やっぱり後藤はキャプテンとしてはなんかたんないって思った。リーダーシップっていうの? そういうのがない。リーダーが向いてないんだよ」

矢口は、そこは否定しなかった。
リーダーキャラではない、と矢口も思っていたから。
ただ、それでも、キャプテンという場所に置いておけるのは、このチームでは後藤しかいないと思ったから自分が卒業する時に後は後藤に任せることにしていた。

「いまさらキャプテン辞めるっていうわけにはいかないけど、でも、このまま負けるわけにはいかないんだよ。じゃあ、どうするかって、せめてコーチの役割の部分くらい他の人がやってくれればって考えたら、それはやぐっつぁんしかいないのさ」
「後藤は、矢口のことを、万能だとでも思ってるわけ?」
「万能とは思ってないよ。思ってないけど、でも、そういうのは得意だと思ってるよ」

矢口は考え込む。
目の前の後藤からは視線を外した。

自分が入り込むべきなのかどうか?
呼び出された理由は、ちょっと予想を超えていた。
苦戦してる愚痴をしばらく聞かされて、最後にアドバイスでも求められるのかなあ、と思ってた。
それが、本格的に力を貸してくれ、と来ている。 

頼られて悪い気はしていない。
暇なんでしょ、は図星だった。
矢口にとって大学は、つまらない場所、である。
授業なんかまともに出る気もしない。
何とかしてくれる、オトモダチ、は見つけてある。
バイトは適度にしてて、遊ぶ資金はそこそこある。
実際、コンパなんかで遊んだりはしている。
狙い目の男にはこっちを見てもらえず、お前は寄るなというタイプに言い寄られたり。
男はイケ面で長身と決めている。

それよりもなによりも、燃え上がるものが無いのだ。

恋愛で燃えるかと思ったが、案外そうでもない。
いや、そんな出合いが来るはず、と期待はしているが、今日現在来ていない事実がある。

頭絞って戦う世界に戻るかどうか。

そんなのは高校までで十分、と大学では体育会の部活には入らなかった。
それをあえて、またそういう世界に戻るか?

ちょっとわくわくする自分を、矢口は感じている。

「後藤さ、負けたときの言い訳を探してるだけだったりするんじゃないの?」
「言い訳って?」
「矢口がコーチだったから負けたんだ、みたいなの」
「そんなことないよ。今のままだったら、後藤がキャプテンだから負けたんだ、になるかもしれないけど、そこにやぐっつぁんが来て負けたら、そこまでやったのに負けたなら仕方ない、ってちょっと納得できるかなって思う。やぐっつぁんのせいにはしないよ」

自分が戻るのが後藤たちのためになるのかどうかを考えている。
それと同時に、自分にとって得かどうかも考えている。
高校三年間、結構いい思い出だったのだ。
そこにもう一度手を突っ込んで、いやなものにはしたくない。

「矢口にも生活ってものがあるからさ、授業にも出るし、バイトもある。付き合いってものもある。毎日毎日練習に顔出すなんて無理なんだぞ」
「毎日出てとは言わないよ。それは仕方ないと思う。毎日の練習はメニュー組んでくれればそれに従ってやるし、なんでこのメニューなのかとかは、後藤でもいいし、来てる時に全体にでもいいから言ってくれれば、それでやるよ。出来る範囲でいいからさ。特に、試合でどうするとか、そういうこと中心に、やってくれない欲しいんだ。お願いします。矢口様」

両手を合わせて頭を下げる後藤。
あーあ、コーヒーに髪の毛浸かるぞ、と矢口はちょっと冷めた目で見ている。

「負けても矢口のせいにしない?」
「しないですしないです」
「後藤もちゃんと自分で考える?」
「考えます。考えられるところは考えます」
「コーチがいようといまいと、選手のリーダーはキャプテンだからね。そこからはちゃんと逃げないでやれる?」
「あんまり得意じゃないけど、そこは頑張ります」
「矢口のこと、もう小学生扱いしない?」
「しません。しません。矢口さんは立派な大人です」

そこまで言って、矢口は大きくため息を一つ吐いた。
後藤は上目遣いで矢口の様子を伺っている。
そんな後藤の目を見て、矢口は視線を外し、足をテーブルの横に出して組、腕も組む。
後藤は、もう一度手を合わせて頭を下げて言った。

「お願いします」

矢口は後藤の髪の毛に触る。
触られたのに気づいて後藤が顔を上げると、矢口はそばにあったペーパータオルを手に取っていた。

「前髪、コーヒー色にでも染める?」
「あ、付いちゃった」

ペーパータオルを矢口から受け取り後藤は前髪の濡れた部分を拭く。
その様子を見ながら矢口は自分のコーヒーカップに手を伸ばし、口へと持って行く。
後藤が落ち着いたところで矢口は言った。

「とりあえずやってあげるよ。あんまり当てにされても困るけど」
「ホント? ホントに?」
「でも、今日受けて、いきなり週末の試合でどうにかしろって言われても無理だからな」
「ホントにやってくれる?」
「ああ、もう、いいから。その代わり面倒な事務的なこと? そういうのはやらないからな。そういうのは部員と、あと化学君でやれよな」
「分かってる。分かってます。当然ですとも矢口様」
「ったく、調子のいい奴だな」
「えへへ」
「えへへじゃない」

不機嫌そうな顔をして見せたけれど、実際のところはそうでもなかった。

翌日から矢口はもうすぐに練習に顔を出した。
今週だけは特別だからな、ともったいぶって言ってある。
四コマに必修の英語があるのにわざわざ休んできてやったんだからな、と高校生にはいまいち分かりづらく、大学生の匂いがするような説明をわざわざつけて恩を売った。

矢口が顔を出す、というのは後藤以外のメンバーは当日になっていきなり知った。
卒業時に部室の鍵は回収されている。
学校までついてからその事実に気がついて後藤を呼び出そうとしたが、まだ授業中で無理、と冷たいメールが返ってきた。
仕方なく所在なさげに校内をぶらぶらしていたら、体育の授業中の二年生に発見されたのが、後藤以外の部員に情報として伝わった最初である。

いまさらなにしにきたの? というような冷たい反応は誰からも出てこなかった。
そんなこと面と向かっていえるような後輩というのはそもそもめったにいるものではないが。
ただ、三年生の一部からは、またチームの評判悪くなっちゃうよー、などと言われたりはした。
影ではなくて、直接本人に向かってそれが言える関係性になっている、という言い方も出来なくは無い。

練習はいつも通りやらせた。
本当に新しく赴任したコーチ、というわけではなく、半年前までいたチームだ。
練習メニュー自体は矢口が三年生の時に組んだ試合直前メニューと変わっていない。
逆に、ちょっとは変えろよ、と言いたいぐらいに昨年の選抜大会直前と同じメニューだ。

矢口は、外から見ているコーチ、ではなくて、本人自身が嬉々として練習に参加した。
「つらさを一緒に味わうために、自分も練習に参加する」などと言っているが、ただ単に久しぶりにバスケがしたかっただけである。

結局、試合前日までものすごく特別なこと、というのはさせなかった。
対戦相手の映像とかないの? と後藤に聞いても、「ない」と言われ、準備のしようがなかったのだ。
学校名を言われれば、去年のチームがどんなだったかは矢口もわかるのだけど、それを前提に三日で何か準備をするのも、ほとんど無駄な気がするのでやめた。
とにかく三日間は、自分たちのチームのメンバーが何が得意で何が苦手なのかを把握することだけに努めた。

決勝リーグは金土日で三試合。
上位二チームがインターハイの出場権を得られる。
初戦の相手は三年連続インターハイ出場を果たしているチーム。
オフェンスの破壊力が抜群のチームで、それを抑えることが出来なかった。
67−83で敗戦。

午後に別の二チームの対戦があったので、それは全員で観戦。
映像も取らせた。
矢口はそれを持ち返って一人、家で検討する。
土曜日の対戦はその試合の負けた方が相手。
生き残りをかけた対戦、となる。

相手は一人エースがいてそこにボールが集まるタイプのチームだった。
矢口はそこに亀井を付けることにした。
他のことはいいから、とにかくディフェンス、と指示。
そうは言ってももうちょっとオフェンス参加するだろ普通、と試合を見ながらスタンドで雑談交わすくらいに徹底して亀井はディフェンス以外なにもしない。
そして、しつこく食いついてはなられない。
ちょっとボールをファンブルすればそれに飛びついて行く。

「素直なのか性格悪いのかよくわかんないな」

そんなことを矢口はスタンドの上でベンチには入れなかった三年生と話している。
高校生の公式な試合。
つい五日前に呼ばれたばかりの矢口は、正式にはただの部外者なのでベンチに入ることは出来ない。
若い先生です、みたいな顔してベンチに座ることも目立たなければ出来るのだが、矢口の場合いろいろな意味で顔が売れすぎていて、ベンチに入って登録されていないのがばれると大変なことになるのでそれが出来ない。
コートの上、亀井は決してしっかり止めきれたわけではないのだが、フリーになってもシュートを外してたり、無駄にファウルがかさんだりで自滅してくれた。
70−62で勝利。

最終日
一勝一敗同士で勝ったほうがインターハイ、という対戦になる。
ディフェンスの堅いチームだった。
身長はそれほど無いのだけどよく守る。

「よし、今日は頑張っちゃうよ」
「いや、後藤は頑張るけどがんばらなくていい」
「なにそれ?」
「頑張ってもらわないと困るけど、後藤で点取ること無いから」
「どういう意味?」
「後藤が持ったら多分二枚来る。だから持ってひきつけて外へ捌いて。加護ちゃん亀ちゃん、外から勝負」

試合前ミーティング。
後藤の言葉にちょっと矢口が水を指す形になった。

「最初は外にディフェンス広げるのを狙ってみよう」
「勝負ってカットインじゃなくてスリーってことですか?」
「んー、スリーって決め付けることないけどね。スリー見せてカットインでもいいし。スリー気にしてディフェンス出てきたら拡がった中に入れればいいよ。まあ、基本だね」
「後藤、外出ちゃダメ?」
「ディフェンス拡がってるときはダメ。狭くなってきたら、後藤が外出てミドルレンジから勝負でもいいけど。インサイドで一対一なら後藤勝てるだろ。二枚来るようなことが無かったら、後藤は中で一対一でいいよ」
「一対一でいいの? 周りとのあわせとか気にしないで」
「だから、狭い時は外出せって。一対一に出来るなら一対一でいいよ。よく、バスケは一対一が五つあるんじゃない、五対五でやるゲームなんだ、って言う人いるけど、おいらは、勝てるなら一対一が五つでもいいと思ってる。勝てないんじゃダメだけど。だから、後藤は一対一なら勝てる相手だと思うから、二枚来ないようなら中で全部勝負くらいのつもりでいい。ただ、多分二枚来るから最初はひきつけて外に捌いてディフェンスを広げることを狙うの。わかった?」
「ちょっと意外だけど分かった」
「じゃ、頑張れよ」

そこまで言って、そそくさと矢口は去って行く。
試合開始前なので、まだ、部外者が入ってきてても突っ込まれないのでミーティングだけは参加した。

試合は序盤からうまく進んだ。
加護のスリーポイントが当たる。
出だしから二本決めて、調子に乗って三本目、はフェイクでかわしてミドルレンジからのジャンプシュートを決めて。
相手が慌ててタイムアウトを取って対処してきたところで、今度は後藤にボールを集める。
一対一の状態なら、矢口の見込み通りしっかり勝てる。

時間が経って、インサイドを固める風になってくると今度は外へ。
内と外の使い分けが驚くくらいにうまく行った。
特に、外が当たっていたのが大きい。

前半から20点のリード、後半、疲れが見えた加護のシュート力が落ちて、亀井も外は今一つ入らず得点力が落ちたあたりで少し追い上げられたが、最終的には73−59と余裕を持って勝利。
インターハイ出場の切符を手に入れた。

 

富岡にとって県予選は調整の場に過ぎない。
大会としての価値はそうであっても、大会は大会であって週末には学校で無い場所へ行って試合をすることになる。
いつもとは違う感覚。

強いチームってのはこんな頻度で試合をしてるのか、と三好は改めて思った。

県大会の試合数、で言えば大きなシードがついているのでたかだか四試合に過ぎず、それは自分が杉田西として活動していた頃のブロック予選と県大会の試合数とほとんど変わらない。
違うのは、そこにさらに関東大会があったりインターハイがあったりということである。
スケジュールを見て、何か間違ってるんじゃないかと思った。

四月に関東大会の予選があった。
六月初めにインターハイ予選に当たる県大会。
六月末には関東大会。
8月頭にインターハイがあって、8月後半には国体予選がある。

一年前の自分のスケジュールは、四月に関東大会予選、五月に県大会のブロック予選、以上。
六月も7月も8月も、試合なんてものは無い。
五月の次は十月である。

さらにここにプラスして、滝川カップとかいうわけのわからない遠征試合を一つ組んだのだ。
どうかしてる、と思う。
あんた受験生でしょ、と親に言われて、ごもっともですと思うくらいにどうかしてる。

目標は県大会の15人のメンバーに入ること。
そう思って頑張ってきたけれど、そのメンバーには入れなかった。
ある日の練習終了後に県大会の登録メンバーというのを和田コーチが発表したのだけど、そこに三好の名前は出てこなかった。
なんとなく無意識に、じゃあ次は秋か、と思っていたのだけど、現実を見返すと次のチャンスはすぐ数週間後だったりする。
それに気がついたのは、県大会のメンバー発表直後の和田コーチの言葉だ。

「メンバーは県大会だけのメンバーだから。次の関東大会は必ず一人以上は入れ替える。そのつもりでメンバーには入れなかったものは頑張ること。また、メンバーに入った者も、県大会のプレイ振り次第ではまた外れることになるわけだから、これに満足することなく努力するように」

多くの大会に出る、というのはチャンスが多いということでもあるらしい。

インターハイ予選はスタンドの上から観戦した。
相変わらず、声だしに参加する気にはあまりなれない。
これは自分のチームなんかじゃない、という意識が働くというようなことではなく、ただ単に、どうせ勝つんだし・・・、という感覚だ。
まあ、声だしのパターンくらいはそろそろ覚えたので、同じ形で口を動かす、という程度に体裁は整えているが、ほとんど口パクである。

大会そのものは簡単に勝った。
決勝リーグ進出決定戦はあきれるくらいの大差で全員出場。
決勝リーグでも、一チームそれなりに強いチームがいて、そこにはスタメンが後半途中まで出て、まともな試合が展開されていたけれど、後の二試合はやはり全員出場である。
すでにインターハイ出場が決まった最終戦の相手が一番弱い、というわけのわからない状況の中、最後は控えメンバーばかりで試合を締めくくり、県大会としての優勝を決める。
やる前から見えていた結果だったけれど、試合が終わって、挨拶が終わったところで、メンバーたちが和田コーチを取り囲み、コートに引きずり出し胴上げを始めた。
よくやるよ、と冷めた目で三好は上から見ていたが、ちょっと慌てている和田コーチの表情を見ると笑みがこぼれる。
周りの二三年生の言葉から察するに、去年も一昨年も、県大会優勝くらいではコーチの胴上げ、なんてことはしなかったらしい。
石川が主導したんだろうな、と三好は思った。
最終クォーター、なんかベンチで石川がうろちょろ変な動きをしてるなあ、と思って見ていたのだ。

決勝リーグの最終日にはテレビ神奈川の中継が入る。
試合終了後は優勝インタビュー。
テレビ局の都合を無視して和田コーチは取り囲まれている。
じゃあ、キャプテンにでも、というところだが、キャプテン石川主導なので輪の中にいて出てこない。
そんな大人の都合を察したのは柴田で、すいません今終わらせますから的なことを言ったら、副キャプテンでもいいです、という感じでインタビューされることになってしまった。
その、柴田の困った様子が、スタンドの三好からもよくみえてなんだかおかしい。

テレビ放映されるインタビューであるけれど、場内にも聞こえるマイクでのインタビューとなった。

「優勝して、インターハイの出場権を手に入れた、富岡総合学園のエース、柴田さんです。おめでとうございます」
「あ、あ、ありがとうございます」

エースにされてるよ、と三好が思う。
エースにされてるよ、とスタンドのメンバーが口にする。
副キャプテン、ではインタビューの肩書きとしては使いにくかったらしい。
フロアの上は柴田そっちのけだが、フロアに入っていない控え選手たちは柴田に注目している。

「これで、インターハイ三連覇への挑戦権を得たわけですけど、どうですか?」
「えーと、あのー。はい。そうですね。頑張りたいと思います」

あの子でも緊張したりするんだなあ、と三好は思った。
いつもしっかりして見えるのに。
それとも、石川が隣にいるからしっかりして見えるのだろうか?

「優勝した感想はいかがですか?」
「んー、そうですね。うれしいです」
「昨日、今日の二試合は、柴田さんはベンチから見ている場面が多かったと思うのですが、試合に出ている後輩たちをどんな気持ちで見守っていたんですか?」
「えー、そうですね。後輩たちもしっかり練習してますし。あまり心配することも無く見てました」
「富岡としては、インターハイ三連覇を狙うチームですし、県大会というのは通過点なのではないかと思うのですが、その通過点としてこの県大会をとらえた場合、インターハイに向けて、チームとしての修正点というようなものは何か見つかりましたか?」
「そうですね。いっぱいあると思います」
「あまり言いにくいかもしれませんが、たとえば何か、一つ例としてあげていただけますでしょうか?」
「んー、そうですね。たとえば、えーと、昨日なんかはチームとしてフリースローをもらう場面が結構あったんですけど、その確率が結構低かったんで。フリースローは、ホント、誰もが同じ条件で打つもので、誰でも練習すれば入るものだから、そういうところで、無駄にシュートを外さないように出来たらいいと思います」

あれだけ点差あったら、フリースローなんて緊張感なく打つもんなあ、と三好は思う。
そういうところを一つ一つ、気にしているのだろうか?

「最後になりますけど、スタンドのみなさんや、あるいはテレビの向こう側、多分学校の皆さんなんかが見てるのではないかと思うのですが、何か一言お願いします」
「えーと、皆さん応援ありがとうございます。今年は、あの、富ヶ岡高校と、杉田西高校が学校が合併して、富岡総合学園になってからの初めての優勝になりました。今までのチームは今までのチームとして、これからは富岡総合学園として新しい歴史を作っていけたらと思っています。後、特に学校のみんな、結構これからも迷惑かけると思うけど、許してください。今後も応援よろしくお願いします」
「優勝した富岡総合学園の柴田さんでした。皆さんもう一度大きな拍手をお願いします」

杉田西高校の名前が出て来たので、ちょっと驚いた。
最初の歓迎会の時に、あんなことをわめいたものだから、柴田は気にしていたのだろうか?
あれは、自分も大人気なかった、と三好は思っている。
少なくとも柴田は悪くない。
石川は悪いけど。

自分以外はもう、合併前がどうとかそんなこと誰も気にしちゃいないだろう、と思っていただけに、とても意外で驚いた。
変な気使わせて悪かったな、と思った。

翌日、富岡は大会直後でも普通に朝練も含めて練習がある。
朝練休みは泊まりを含む遠征から返ってきた翌日だけだ。
実際には、朝練というのは授業のある日に行われるものなので、インターハイや冬の選抜大会のように、長期休みの間の大会の時には関係ないので、授業があるけど朝練がない、というケースはほとんどない。
バスケ部は、試験前部活動停止期間さえも暗黙の了解で免除されて朝練があるのだ。

三好はいつものように六時に登校し、体育館を開けて自主練を始める。
いつものように柴田が六時15分にやってきた。

「おはよう。大会翌日なのに、相変わらずはやいね」
「私、出てないし。関係ないよ」

大会翌日なのに、はこっちのセリフだ、と思う。
実際には、通常の練習をしていない分、体は元気だったりする。

体育館にいるのは二人だけ。
柴田はルーチンでモップがけを始める。
他のメンバーが来るのは七八分後、というのがいつもの展開である。
電車一本分か、上りと下りの違いか、そんなところだろう、と三好は思っている。
すでにシューティングをしていたのだが、柴田がモップがけを始めたところで三好は手を止めた。
ちょっと考えながらストレッチ。
柴田がモップを置き、ボールケースが置いてある三好のところに歩いてくる。
太ももを伸ばすストレッチをしたまま三好が声をかけた。

「富岡総合学園のエース、柴田さん。テレビインタビューの感想はいかがですか?」
「ちょ、ちょっと、やめてよ。それ」

昨日の帰りも、そうやって軽くいじられている柴田がいた。
和田コーチやキャプテンがインタビューを受けるのはいつものことだが、柴田が受けるのはあまりない。
富岡クラスのスタメンだと、バスケ専門誌に載るのは年中行事だが、テレビインタビューを受けるのは、地方局といえどもそうそうあることではなかった。

「自分でテレビで見た感想は?」
「見てない。見てない。見てないから」
「見てないの?」
「見れないよ。なにしゃべってたか覚えてないもん。きっとめちゃくちゃ言ってたでしょ私」
「覚えてないの?」
「あんまり」

覚えてないのか、と三好は思う。
覚えてないんじゃ意味無いけど、覚えてないくらいに緊張しつつも口に出して言ってたってことは気にしてたんだろうな、と思って言ってみた。

「覚えてないんじゃ覚えてないかもしれないけど、ありがとね」
「ありがとって?」
「んー、なんか、杉田西の名前出してくれたでしょ」
「あ、あー、うん、うん、そういえばそんなこと言った」
「最初の、マックでのこと、気にしてた?」
「気にしてたっていうか、当然だと思ったし。ありがとって言われるのもなんか変だよ、多分。合併して新しい学校になったのは事実だもん」
「学校はそうでも、バスケ部が合併して新しくなったとか、そんなのちょっとこだわってるの私だけでしょ。誰も考えてないってそんなこと」
「そうかもしれないけど、新しくなったのは事実だから。だって合併したから三好さん、こうやってここにいるんでしょ」
「ベンチにも入らず上から見てるだけで、合併もなにもないでしょ」
「そんなことないって。こうやって朝早くから来て練習してる三好さん見てると、私も頑張らなくちゃって思うもん」
「それ以上頑張らなくていいって」
「いやいやいや。いつ負けちゃうかわからないもん」
「そんな、無理してフォローしなくていいって」
「フォローじゃないよ。失礼な言い方になるけど、三好さん、二年まで私たちと比べると、やっぱり練習の量とか質とか違ってたと思うもん。それが三年になって同じ練習するようになって、それで朝練もこうやってやっててさあ、それは、同じペースで三年間やってきた私たちより、一ヶ月二ヶ月で伸びるスピード違うでしょ。元々素質あった人が、ちゃんとした先生に教わるようになって練習したら、すぐ追いつかれちゃうかもって、結構怖いよ」
「素質なんて別に無いって」
「素質無かったら、普通の学校って言ったってキャプテンなんてやってないでしょ」

体育館の扉が開いた。
いつもこの時間に来る二年生が入ってくる。
三好はボールを持って立ち上がった。

「富岡総合学園のエース、柴田さんに褒めてもらうとちょっとやる気が出るよ」
「だから、それやめてよ」

三好は二三歩歩いてから柴田の方を振り返って言った。

「気使っただけかもしれないけど、ああやってわざわざ人前で、合併したんだってわざわざ言ってもらえると、ちょっとうれしかったよ。ありがと」
「だから、お礼とか言われることじゃないって」
「わざわざ変に意地張って、合併したんだとか主張しなくていいように、私も頑張るよ」

返事は聞かずに、ゴールの方に歩きだしてドリブルで加速しそのままバックボードを使ってシュートを決めた。

 

滝川山の手高校にとって、インターハイ予選というのはインターハイを目指す予選、と言うのとは別の意味合いが一つある。
去年の事故から一年が経った。
先輩の一周忌。
そういう意味だ。

大会には喪章をつけて臨む。
変に同情引くような感じになるのもイヤだな、という考えもあったのだが、周りの目なんかこの際どうでもいい、自分たちの気持ちだけで決めよう、と藤本が言い切って喪章をつけることにした。

本来の力を発揮すれば、特に問題にするようなレベルの大会では無い。

ただ、もう一つ、新しい問題が出来た。
問題、という単語は本当はふさわしくなく、いい出来事なのであるが、藤本にとっては一つの解決しなくてはいけない問題として目の前に現れたこと。

「安倍なつみ。ただいま戻りました」

玄関に出迎えに出てきた一同を前に、安倍なつみは頭を下げた。

「遅いですよ」
「ごめんね、心配かけたね」

靴下のまま藤本は玄関に下りて安倍に抱きつく。
抱きすくめられた安倍は、松葉杖を持っていて抱き返すことが出来ずに、ちょっと困り顔だ。
藤本の方から体を離した。

「まだ歩けないんですか?」
「歩けるよ。ただ、ちょっと、まだバランスが悪くてこれがないと危ないんだよね」
「上がってください。部屋まで行きましょう。誰か荷物!」

藤本の声にすぐに反応したのは新垣。
安倍が背負っていた荷物を後ろに回って肩から外して受け取る。
みな、食堂にでも行って安倍と話をしたさそうであったが、その空気を藤本は無視してまずは部屋へ連れて行った。

一年間主のいなかった安倍の部屋。
元々のキャプテン部屋。
掃除だけはさせていたが、実際に使用するのは一年ぶりだ。
荷物を運んできた新垣も下がらせて、藤本は安倍と二人になる。
元々キャプテンルームなので、二人で話をするにはちょうどいいセッティングになっている。
ただ、どちらに座るかで迷いがあった。

「なっちはこっちなの?」
「そこから始めると話し長くなるから、とりあえず座ってからいろいろ話しましょう」

キャプテンルームでキャプテンが後輩と話をするときは、奥にキャプテンが座って待っていて、呼ばれた後輩がドアから入ってきて手前に座る。
上座と下座の関係。
安倍は藤本に促され、ひとまず上座、いつもキャプテンが座っていた側に座った。

「お久しぶりです」
「久しぶりだねえ。ずいぶん長い間心配かけて、ごめんなさい」
「病院行った時は、ホントもう戻ってこないんじゃないかって心配しましたよ。それからも、安倍麻美に報告は受けてたんですけど、結構心配でした、戻ってこないんじゃないかって」
「本気で戻ってこないつもりだったんだけどね。恥ずかしながら戻ってまいりました」

キャプテンルームで机をさしはさんでの会話、という感じではない。
こんな話なら食堂ででも出来る。
そうではなくて、これを枕にして、藤本は本題に話を進めることにする。

「それで、あの、曖昧にして引きずるのイヤなんで、最初に決めちゃおうと思って。戻ってきて早々申し訳ないんですけど、ちょっと二人で話しさせてもらおうと思いました」
「なっちの待遇みたいなこと?」
「待遇って言葉はどうかと思うけど、まあ、そういう話です」

キャプテンで寮長で、チームを仕切る藤本美貴の、さらに先輩が来てしまったのだ。
力関係、どうするのか、ちょっと難しい。
放っておけばなんとなく周りから雰囲気が作り上げられるような気はしたけれど、それを感じ取ってそれに合わせるのはなんとなくめんどくさいしイヤなので、藤本は最初に決めてしまうことにした。
安倍が、自分から何も言わないので、藤本の方が続けた。

「美貴がキャプテンになってから、なつみさんが戻ってきたらどうしたらいいのかっていうのはずっと考えてました。なつみさんは美貴の先輩だし、キャプテンで。美貴はりんねさんからキャプテンを引き継いだけど、実際にはりんねさんはキャプテン代行って感じで、美貴はその代行を引き継いだだけかな、とも思ってました」

安倍はうなづいたり首をひねったりしながら聞いている。
言いたいことがあるのか無いのか、それはわからないけど口は開かないので藤本は続けた。

「だから、最初は、なつみさんが戻ってきたらなつみさんにキャプテン返上して、美貴は一部員として気楽にやって行こうって思ったりもしてたんです。だけど、もう、美貴がキャプテンって形になってから半年経っちゃいました。なつみさんのことは今日初めて見るっていう一年生もいます。なつみさんにしても、先生が変わってるから、先生の下で練習するのは始めてになるわけで。そう考えると、いまさらなつみさんにキャプテン返上するのも難しいかなって思いました」

藤本は、自分のことはキャプテンていう柄じゃないと思っている。
誰かを引っ張って行く、なんてタイプだとは自分のことを思えない。
かと言って、引っ張ってもらうというタイプでもなく、組織の中では、独立行動権を持って自由に存在するような立場が向いているとというか、それがいいなあと思っている。

「だから、なつみさんは不満かもしれませんけど、美貴がこのままキャプテンやらせてもらおうと思います」
「別に、なっちは不満なんか無いよ。美貴がキャプテンで何も問題ないって」
「あと、美貴は最上級生でキャプテンだけど、なつみさんのことはなつみさんってこれからも呼びます」
「えー、なっちって呼ばない? なっちって。ほら、言ってみて」
「無理です」
「無理じゃないって」
「無理です」
「なっちは三年生の仲間には入れてくれないの?」
「そこも迷ったんですけど、やっぱりなつみさんは先輩扱いさせてください。美貴だけじゃないと思います。いまさらみんな、なつみさんのことをそんな、呼び捨てとか、そういうの無理です」
「なっちって呼ぶのとか?」
「なつみさん、先輩からもそんな呼ばれ方してないじゃないですか。それ言ってるの自分だけですよね?」
「だから広めようと思って」
「無理です」

藤本はにべも無い。
だけど、安倍の朗らかな笑顔を見ていると、自分まで笑みが浮かんでしまうのは分かる。

「とにかく、なつみさんのことは私たちは先輩扱いします。寮の中での役割は三年生と同じだけど、私たちは先輩扱いはします」
「お風呂とか? 洗濯とか?」
「お風呂は三年と同じ、気の向いた時間に。洗濯はなつみさんの分は美貴の下の一年にやらせます」
「持ち回りじゃなくて?」
「直系はその上もってルールじゃないですか。だから、美貴の上だから、美貴の下の一年がやります」

藤本はきっぱり言い切る。
ためらいはない。
散々迷って決めたことだ。
先輩は先輩。
それはいまさら変えられない、というのが結論。

「学年ミーティングとかたまにやってたでしょ。あれ、どうしたらいい? なっち一人だけハブ? それともそこは三年生に入れてもらえる?」
「そこは三年に入ってください。最上級生って意味合いだからそこでいいと思ってます」
「うん、そういう運営みたいなことは美貴の言うとおりでいいと思うんだけどさ、なっち、結構いろいろ問題があるんだよね」
「問題って、どんなですか?」
「まず、まともに練習に参加はできない。まともに歩けないんだからさ。走る、も出来ないわけで。練習なんて出来ないよ」
「そこは先生と相談してください」
「うん、練習のときどうするかとかはね。だけど、そうじゃなくて、美貴達の気持ちとしてどうなのかな、と思って。練習も出来ない人を最上級生として扱うのって、気分よくないかなって思うんだ」
「そんなこと言うのがいたら、美貴が絞めます」
「怖いなあ」

藤本が真顔で言ったので、安倍は苦笑する。
安倍の頭の中には、本当に首を絞めて黙らせそうな藤本の映像が浮かんだ。

「あと、うん、あんまり口にして言いたくないんだけど、やっぱり、あの事故はなっちのせいだって思う子もいるんじゃないかなって思うんだ」
「そんなのはいません」
「美貴はそう言うけど、そんな簡単じゃないと思う。だって、なっちはまだそう思ってるもん。あれはなっちのせいだったって」
「バカ運転手が悪いんです。なつみさんは被害者です。悪くありません」
「美貴、強くなったよね」
「なんですか、急に」

力んで安倍の言葉を否定する藤本の姿に、安倍は朗らかな笑みを見せながら言う。

「なっちはそこまではっきり割り切れないよ。いろんなこと。美貴がどう思おうと、あの事故はなっちの中では一生背負って行くことになるんだと思う。だけど、それは覚悟して戻ってきたんだけどさ。覚悟って言うか、なんだろう、尋美と一緒に生きて行くって言うか。なっちが見てるもの、これから見て行くものを尋美も一緒に見るんじゃないかと思うから。だから、なっちは頑張らなくちゃいけない。普通に歩けるようになるし、走れるようになって、大学に行って、バスケが出来るようになりたい」
「大学行く前にここでバスケしてくださいよ」
「それなんだけどさ。練習参加できるようになるって言うのは目標なんだけど、それ以上の、ベンチに入るとかそういうのは無理だから」
「なんで無理って決め付けるんですか。インターハイは難しいかもしれないけど、選抜は半年あるんだし、いけるかもしれないじゃないですか」
「時間の問題じゃなくて、なっちは去年で三回登録してるから無理」

藤本、動きようの無い事実を伝えられて、反す言葉が無くぐっと黙り込んだ。
去年の事故は安倍が三年生になってからのこと。
当然、高校三年生として三回目の選手登録はしてある。
今年は四年目。
四回目の登録は、規定上できない。
丸々一年留学していて、最初から登録していなかったから四年目でも三回目の登録として問題がまったく無い市井とはここが違う。

「先生とはその話はしてて、一応例外で何とかならないかって掛け合ってくれるとは言ってたけど、多分無理だよね。だから、なっちはさ、ここで暮らしてる子達の中で、一人だけ、選手として試合を目指すことが無いっていう存在になるんだ。それは認めてもらえるかな?」
「認めるって、え、あの、何をですか?」
「ここは試合に出て勝つことを目指す子達の暮らす場所だとなっちは思ってる。そういう意味で、なっちはここで暮らすべきじゃない。だけど、ここに戻ってくることから始めたかったんだ。みんなのところに、みんなって言っても、なっちの学年は卒業しちゃったから、みんなの三分の二しかいないけど、みんなの中に戻ってくるところから始めたかった。だけど、選手登録できないからさ、みんなと同じ方向を向いてるわけじゃないんだ。それは困るっていうなら、なっちは出て行くよ」
「そんなことは誰にも言わせません」
「美貴、さっきからそれが多いなあ。キャプテンでも寮長でも、周りの話は聞かなきゃダメだよ」

「そうですけど、そうかもしれないですけど、それとこれは別の話です。なつみさんはこのチーム好きですよね?」
「それは、うん。当然」
「このチームで勝ちたいですよね?」
「それも当然」
「じゃあ、ここにいてください。何も問題ありません」
「それ言ったら、りんねとかもここで暮らしていいことになるよ?」
「なつみさん、いつからそんな理屈っぽいこと言うようになったんですか? なつみさんなのにそういう頭使うこと言うのおかしいですって」
「なしてさ。なっち、前から頭しっかり使ってたさ。うん、でも、ちょっと、ベッドの上で使えるものが頭しかなくて、脳みそ発達したかもしれないけど」
「久しぶりに聞いた、なつみ弁」
「なにさ、なつみ弁って」
「あ、本人に言ったことなかったのに・・・。あの、なつみさんのなまりは、北海道弁とかの方言じゃなくて、なつみさんだけの言葉でなつみ弁って」
「ひどいべさ。美貴、やっぱりいじめっ子だべ」
「わざとやってます?」
「今のはちょっと」

二人で目を見合わせて、それから声を出して笑った。

「登録とか難しい話は。美貴にはどうにも出来ないですけど、後は細かいこと考えなくていいですよ。前と同じに暮らしてればいいです。あ、前と同じって言っても、キャプテンの役目は美貴がやりますけど」
「この部屋使っていいの?」
「来年とかどうするかは知りませんけど、今年は美貴の部屋をキャプテン部屋ってことにしてます。だから、ここはなつみさんがそのまま使ってください。あんまりここに一二年呼び出して説教とかされると美貴の立場がなくなるんで、それはちょっと困りますけど。そうじゃなければ、普通にこの部屋使ってもらって問題ないと思います」

安倍の部屋は元々がキャプテン部屋。
安倍が二年生でキャプテンに指名された時に引っ越してきた部屋である。
いまさらそこから移る場所もないし、戻ってきたら使ってもらうのを前提に置いてあったのだから、藤本としてはそのまま使ってくれ、と伝えるのが一番自然だった。

「あと、なにかなつみさんの方からありますか?」
「なっちいない間に変わったルールとかある?」
「寮のルールでは特にありません。練習の面では先生が変わってるんで全然違ってると思います。それは見ながら覚えてください」
「分かった。練習は参加できないしね。見て覚えるよ」
「じゃあ、食堂でも行きますか?」
「え、まだご飯早くない?」
「ご飯は早いけど、なつみさんとみんな話したがってますよ」
「そうかなあ?」
「さっき玄関にみんな集まったじゃないですか。その空気が読めないんですか?」
「一応先輩だからじゃないの?」
「そんなことないですって」
「じゃあ、結構怖いけど行ってみようかな」
「怖がることないですって」

それから安倍は食堂に下り、メンバーたちに囲まれて談笑しながら過ごす。
夕食までそんな風に時が経ち、それから一人で出かけたいと言った。
一人は危ないんじゃないですか? と藤本は止めたが、一人で行きたいと言ったのでそれ以上は止めなかった。
行く先ははっきり言わなくても分かる。
安倍は、出がけに藤本の部屋に寄った。
リストバンドを貸して欲しい、という。
何も聞かずに藤本は古びた黒のリストバンドを渡し、安倍はそれを握って出かけた。

まだ松葉杖で歩行に時間がかかるとは言え、それにしてもずいぶん長い間安倍は戻ってこなかった。
普段なら自由時間は部屋を離れて里田のところへ行ってしまう藤本も、この日は部屋でおとなしく待っていた。
やがて、消灯時間ぎりぎりくらいになって安倍が戻ってくる。

藤本の部屋に入ってきた安倍はリストバンドを握っている。
藤本は安倍の正面に立った。

「いまさらですが、藤本美貴さん。改めて、私からもこのチームをあなたに託します。中途半端で投げ出した私の分も、りんねと美貴と、二人で引き継いで守ってくれました。これからもこのチームをよろしくお願いします」

藤本はリストバンドを受け取る。
それを腕につけて口を開いた。

「多くのものが詰まっているこのリストバンドの重みに、釣り合うような立派なキャプテンでいられるか、正直、美貴はわかりません。だけど、受け継いでしまったものなので、精一杯チームのために働こうと思います」

通常、部員全員の前で行われる引き継ぎの儀式。
いま、ここには安倍と藤本の他には誰もいない。
本人たちの気持ちの問題だけなのだろう。
部員たちはみな、安倍からりんねを経由して藤本にキャプテンが受け継がれて行ったことに、不満も違和感も感じていない。
ただ、安倍は、自分が投げ出したままであるという感覚があるし、藤本は、本来の流れから横にそれたままになってしまっているという思いがある。
それを解消するには、誰も見ていなくても、二人だけでも、いつも暮らしている部屋の中であっても、儀礼めいた言葉でやり取りする必要があった。

「尋美に報告して来たよ。もう一度やり直すって。それと、一生忘れないって」

安倍の言葉に藤本は何も答えない。
なんと答えて良いかわからない。
自分が何を言っても、このことに関してはうすっぺらくなってしまうだろうな、と感じている。
自分たちは、ただ、悲しいと言っていればよかったけれど、自分が怪我をして、その上で加害者意識のようなものまで背負ってしまった安倍のつらさは、藤本にも今になれば想像できる。
想像は出来るけれど、それを和らげるような言葉は今も出てこない。
時がここまで解決してくれて、これからも、時が少しづつ解決してくれるだろう、と思うしかない。

「いまさらだけど感謝してるよ。病院まで見舞いに来てくれたこと」
「美貴、ただ怒鳴ってただけですけどね」
「室蘭まで来たのはびっくりしたよ。麻美と一緒に」
「あれ、一緒じゃなかったんですけどね、ホントは」
「美貴達のおかげだよ、ここまで戻ってこれたのは」
「美貴は何もして無いですって。礼をするなら、妹にでもしてください」
「麻美には世話かけたなあ。でも、それだけじゃないって。美貴がファイブファウルで退場したのとか、結構眩しく見えたんだよ」
「あ、あれ、見てたんですか? テレビ? テレビで?」
「コートの上もみんな頑張ってるし。それに、テレビのマイクが拾ってるスタンドの上の声が痛かったなあ。ディフェンス! ディフェンス! って。なっちは何やってるんだろって思ったよ」
「結局負けたんですけどね」
「でも、あの輪の中に戻りたいって、思っちゃったからさ。なっちが戻っていいの? って迷いもあったんだけど、麻美に引っ張られて戻ってきちゃったよ」
「遅いんですよ。待たせすぎなんですよ」

藤本が拗ねた口調で言う。
そんな藤本の顔を、安倍は柔らかな笑顔を浮かべつつ見つめた。

「さて、お風呂入って寝よう。なんか久しぶりに戻ってきて今日は疲れた」
「下まで肩とか貸しますよ」
「いいよ」
「遠慮すること無いですって」
「いいの。自立自立。すべてはリハビリですから」
「今日はいいですけど、一応消灯時間とかはちゃんと守ってくださいね」
「分かってます寮長様」
「一二年に悪い影響与えないでくださいよ」
「分かってます寮長様」
「ホントに分かってるのかなあ」
「なんか言った?」
「いえ、なんでもないです。先輩様」
「じゃあね。おやすみ」
「おやすみなさい」

安倍は部屋を出て行った。
それから藤本は里田の部屋に内線を掛けた。
追い出していたあさみに戻ってきていいよと告げる。
やたら長く感じた一日が終わった。

翌日、朝練はいつものメニュー。
安倍は中には混ざらずに、杖なしでまっすぐ歩く練習をしていた。
それくらいで、全体の雰囲気はそれほど変わらない。
朝練を終えて教室へそれぞれ向かう。

「ねえねえ、ミキティ、なっちの席どこ?」

廊下を歩く藤本の背中から声が。
眉間にしわを寄せて藤本は振り向く。

「クラスでは同級生するつもりですか?」
「あたりまえっしょ」
「部員はクラスでも部員です」
「えー」

バスケ部員は藤本のことを、横は美貴、下からは美貴さん、上からは藤本または美貴、と呼ぶ。
部員じゃないクラスメイトは、ミキティと呼ぶ。
安倍は、それを分かっていて、廊下で藤本をミキティと呼んだ。

「なつみさんは先輩ですから。どこにいても。どこででも、教室でもそれは一緒です」
「そう堅いこと言わずにさあ」
「部員関係なく、クラスの子達とどうやり取りしても別にいいですけど、美貴にとってはなつみさんは先輩ですから」

藤本は、今の安倍ではついて来れない速度で歩いて行く。
あーめんどくせー、と思った。
だけど、それと同時に、こういうめんどくさいなつみさんが戻ってきて良かったな、とちょっとだけ思った。

「待ってよミキティー!」

いや、やっぱりうざいだけだ。

安倍が戻ってきた翌週にインターハイの北海道予選が始まった。
思い返せば昨年はベスト8止まり。
第一シードもついていない。
第一シードならいつでも白ユニホームで済むのだけど、中途半端なシードが付いているので白青両方ユニホームが必要だ。
土曜日に一二回戦。
日曜日に三回戦と準々決勝。
そこまで勝ち上がれば翌週末に決勝リーグを戦い、上位二チームがインターハイに出場する。

何事も無ければ特に問題なく勝ち抜けるレベルの大会。
大事なのは、昨年末の代替わりから半年でどこまでチームの完成度が上がってきたかだ。

「藤本、やっぱり伸びてるね」
「そうなんですか?」
「毎日見てるとわからないか。なっちは一年ぶりだからよく分かるよ。全然違う」
「元からうまかったからあんまりわかんないですけど」

スタンドの上。
安倍とあさみの会話。
あさみはまだベンチに入れていない。
二日目の午後、準々決勝のハーフタイム。
三回戦までと違って、昨年の決勝リーグに進んだチームがあいてなので、前半はスタメン組みが出続けたのを見ての安倍の感想だ。

「技術的なことは、わかんないって言うか、あんまり変わってないような気がするけど、リーダーっぽくなったね」
「リーダーぽくですか?」
「うん。同じ指示出すにしても、前は、わがまま言ってるガードって感じだったのが、今はリーダーからの指示って感じになってるもん」
「どう違うんですか?」
「うーん、どう違うんだろう。先輩がいなくなったから、ってのもありそうだけど。はやりの言葉で言えば人間力?」
「人間力? 美貴がですか?」
「寮なんかで見てても、藤本が怖いからっていうのとはちょっと違うところで、藤本が言うからって言う理由でみんな従ってる感じがあったかな。キャプテンって重いからね。なっちは投げ出した感じになっちゃったけど。この一年でホントいろいろあって。去年まではりんねがいたけど、それでも、藤本も背負うものが結構あったんじゃない?」

スタンドの最前列、手すりにもたれて二人並んで下を見ている。
ハーフタイムだけど、戻ってミーティングをするようなロッカーはないので、ベンチにメンバー達はそのままいる。

「あさみも副キャプテンやって大変でしょ」
「私の副キャプテンは名前だけな気がします。実際、こんなところにいるし」
「それはまた別でしょ。副キャプテンの役割って試合でどうってことじゃないっしょ」
「寮でのこととかも、美貴が何でもやっちゃいますから。同じ部屋にいるから一番最初に指示受けるってくらいで、別に、私が副キャプテンで何ってこともないですよ」
「でも実際、藤本のことサポートしてるでしょ、いろいろ。最初に副キャプテンがあさみって聞いたときは正直意外だったけど、でも、藤本とあさみって取り合わせは、ないとこ埋めあってちょうどいいかもしれないなあって思ったよ」
「美貴と私じゃ確かに全然反対ですけどね」
「なっちとこうやって話し出来るようになっただけでも成長したんじゃない?」
「なんですか、その、言葉覚えたての子供みたいな扱い」
「だって、あさみ、りんね以外の先輩と話すとき結構おどおどしてたもん」
「そんなこと・・・、あったかもしれないですけどー・・・」

実際には、試合に出ることにあまり縁の無い先輩とは普通に話が出来ていた。
ただ、ベンチにもは入れない自分が、チームの中心選手である先輩たちと話すのはちょっと気後れしてしまうという部分があったのだ。

「みんな一年で結構変わったなあって思うよ」
「妹のことはどんな風に見てるんですか?」
「そういうこと直接聞けるようになったのが成長だよね」
「その話はいいですから」
「なっちもこの話は横に置いときたい気がするんだけど」
「りんねさんが、妹扱いして話題にはするなって言われたって言ってました、そういえば」
「チームの中であんまり特別な感じなのは良くないと思ったから。でも、もうなっちもキャプテンじゃないし、いいのかなあ。うん。うまくなったと思うよ」
「去年と比べてですか?」
「うん。ちょっとね、なっちみたいになろうとしたりしないか心配だったんだけど。シューターなのはともかく、プレイ見た限りだと別になっちっぽい感じじゃないし。そういう意味じゃ、なっちはいなくて良かったのかもしれないなって思うよ」
「そんなことないですって。なつみさんはいなきゃ困ります」
「あの子も戻ってきてって何度も言ってたけど。でも、なっちがしばらくいなかったのはあの子のために一番良かったんだと思うよ」

麻美がなつみのことをどの程度意識していたかはわからないけれど、少なくともこの一年、真似しようと思ってもその真似する対象は目の見える範囲にはいなかった。

「でも、まいが言ってました。まい、あの子の指導係なんですけど、年が明けてから最初の頃にぽろっと言ってたって。自分じゃなくてなつみさんだったら勝てたのかなあの試合って」
「なっちとあの子と、あの時点でどっちがうまいとかそういうのは多分ないと思う。なっちは麻美じゃないし麻美はなっちじゃないし。別の人間だから、別の人間が出たら試合は別の展開したかもしれないってのはあるよ。ただそれは、なっちとあの子だけの関係じゃなくて、他の誰でもそうなのと同じだけで。ただ・・・」
「ただ?」
「うーん、ただ、そうね、うん。ただ。なっちとあの子ではっきり違うのは、学年くらいかな」
「なんですかそれ」

まじめな話してて、ここで天然かよ、とあさみはちょっと思ったけど、そうではなかった。

「別にぼけたわけじゃなくて。なっちとあの子は二つ学年が違って。その間に藤本がいるんだよね。なっちは美貴の先輩。麻美は美貴の後輩。そこだけははっきり違ってさ。麻美じゃなくてなっちだったら、もしかしたら藤本がファウルアウトしないように、なんか心理的に、ケアして上げられたかもしれないとは思う」
「それはりんねさんじゃいけなかったんですか?」
「先輩だからってこと?」
「はい」
「りんねじゃ無理だと思うよ。たぶん、なっちにまいのケアはできないけど、りんねなら出来たと思う。その逆で、りんねに藤本のケアは無理」
「ポジション的に?」
「うん。せめて隣り合ってないと。隣り合ってなくても、あさみが試合に出てたらりんねは心の支えにはなっただろうけど、なんか細かい、プレイ面であったときに、ちょっと一言言って楽にして上げられるのは近いポジションだと思うよ」
「そういうもんなんですか」
「うん。それはあの子、麻美には無理でしょ。でもなっちなら藤本にそういうことは出来たと思う。副キャプテンやってるあさみにだから言うよ。なっちは、選手としてはもうチームの役には立てないと思うけど、藤本の、そういうなんていうか、コートの上だけじゃないけど、心理的な部分で支えになって上げられるかなって。それがここに戻ってきて出来るなっちの役目かなって。そう思って戻ってきたんだ」

詳しくまでは聞いていないけれど、安倍が、ただ単に怪我してるというだけの理由で丸々一年間戻ってこなかったわけじゃない、というのは藤本と話しててあさみは感じていた。
梓が出て行った時のことは覚えている。
なつみさんも、きっと同じようにいろいろと悩んだんだろうと思う。
ちょっとそういうことは聞きたいけれど、聞いてはいけないことのような気がする。

「なつみさんがいるだけで、美貴はずいぶん違うと思いますよ。クラスじゃちょっとうざいって言ってましたけど」
「えー、教室じゃ同じ三年生しようと思ってるだけなのにー」

本当は、ちょっとじゃなくてかなり、と言っていたのだけど、それはあさみの口では言えないので脚色しておいた。

「実際無理ですよ。なつみさんとタメ口とか」
「気にしなくていいのに、三年生なんだから。あさみも言ってみて。ほら、なっちって」
「無理ですって。えー。あのー。えー、な・・・、無理。無理です」

にこやかに自分の顔を見つめられたので、あさみは期待に答えてみようとしたけれど、やはりちょっと無理だった。

「さあ、後半始まるよ。みんな、声だしていこー」

コートにメンバーたちが入って行く。
安倍は後ろを振り向いて控え選手たちを煽った。

順当に勝ち上がって翌週の決勝リーグ。
相手は少し力の差は縮まるが、それでも格が違う。
初戦に勝って、後一つ勝てばインターハイ出場が決まるという二戦目。
負けても最終戦に勝てばおそらく大丈夫だし、初戦を見る限り四チーム中最も力が落ちるだろうという対戦相手に、石黒は思い切った采配を振るった。

「みんな一年生?」
「麻美さん以外一年生です」
「そこでさんつけないの」

やはりスタンドの上の安倍とあさみ。
スターティングメンバー、藤本もいなければ里田もいない。
石黒は、今日負けたら大変なことになるからな、と散々脅かしておいて一二年生スタメンを送り出す。

「あの子大丈夫かなあ?」
「二年生一人だけにされてですか?」
「そうじゃなくて、ガキさん」
「がきさん?」
「新垣。がきさんよりがっきーの方がいい?」
「なつみさん、ホントに自由な人になりましたね」
「なにさ? どういう意味さ?」
「なんでもないです」

少なくとも、キャプテン背負っているときには後輩に、ガキさんなんてあだ名と言うかなんというか、そんなものをつけたりはしなかったなあ、とあさみは思う。
思い返してみれば、それは、第一印象に近い感じに戻った、という感じだ。

試合は立ち上がりから両者点が入らない。
滝川の一二年生が固さからかスムーズにボールが回らず点が取れない。
ディフェンスは多少硬さがあっても、元々の力量があるチームなので、簡単に速攻を許したり突破されたりすることは無いのだが、無駄に手が出てファウルを取られる場面がある。
五分終わって2−4
ほとんど見たこと無い展開で進む中、石黒がタイムアウトを取る。
出した指示は一つ、「三年生口を挟むな」
上級生は見てるだけ、で一二年生だけでミーティングをさせる。
その条件下だと、さすがにリーダーシップを発揮したのは麻美。
一年生も、入部して最初に寮の仕事や滝川カップの役割分担を伝えられた相手なので、違和感なく話が聞ける。

タイムアウト明け。
点が入らない状況を打開したのはやはり麻美だった。
単純に外から一対一を仕掛け一人交わしてミドルレンジからジャンプシュートを決める。
富岡なんかと比べれば天と地ほど違う相手だ。
麻美にしたら、柴田や亀井というちょっと前に当たった相手と比べて格段に落ちるし、いつも身近に見ている藤本と比べれば話にもならない。
平常心で臨めば、まったく苦にもならないディフェンスだ。
もう一本麻美が個人技で決めて、ディフェンスで新垣がファウルを犯した場面で、麻美がメンバーを集めた。

「大した相手じゃないって。楽勝楽勝。いつもの十分ゲームの感覚でやろうよ。ね」
「すいません」
「あんまり頭で考えないで足動かそう、ディフェンスは。勉強じゃ負けてもバスケじゃ勝つっしょ。あれ、似てない?」

麻美は、なつみの真似をちょっとしてみたのだけど、まったく受けなかった。
かろうじて、新垣だけが、ちょっと笑った。

「気楽に行こう気楽に。ダメなら美貴さんいるって。ファウルアウトになったらベンチ戻って言えばいいんだよ。去年の美貴さんの真似してみましたって」
「言えませんよそんなこと」
「楽に。楽にね」

すでにフォーファウルで相手フリースロー。
一本目は決められたが二本目は外す。
リバウンドを拾って新垣へ。
持ち上がってセットオフェンス。
ボールが回って、外に出てきたみうなへ。
ターンしてそのままスリーポイント。
これがボードに当たるバンクショットになって決まった。
ベンチもスタンドも大盛り上がり。

「あの子、スリーも打つの?」
「練習でも見たこと無いですよ」

気楽にといわれたので気楽に遊びでやってみた、というだけのことかもしれない。

これをきっかけに流れが傾く、というよりは、実力差が正確に反映され出す、というのが正しだろうか。
相手のディフェンスは、滝川のインサイドが外に出て行ったときも、先ほどのスリーポイントを見ているので付いていってしまう。
そうすると中が広くなり、外から飛び込みやすくなる。
麻美あたりがその辺をうまくみとって空いたところへ入って勝負する。
新垣も、卓抜な発想を見せる、というようなところはないが、無難にガードの役割をこなした。
前半を39−18で終える。

「ガキさん大丈夫かと思ったけど、落ち着いてからは大丈夫みたいで良かった良かった。」
「新垣って、なつみさんの直系でしたっけ」
「うん。なっち、後輩からサインくださいなんていわれたの初めてでびっくりしたさー」
「あの子、まだそんなことやってたのか・・・。それでサイン上げたんですか?」
「サインって言われてもそんなの無いし。それで、タオル一枚上げた」
「わざわざ上げなくてもよかったんじゃないですか?」
「えー、だって。サインの代わりになるものでも上げないと、洗濯の下着とか返ってこなさそうなんだもん」
「・・・」

安倍が藤本の指導係で、藤本が新垣の指導係と、直系の流れになるので安倍の洗濯物は新垣が洗う。
今のところ、洗濯物の紛失はない。

「まじめな子だよね」
「新垣ですか?」
「うん。勉強熱心で。毎晩ビデオ見てるんでしょ」
「美貴が、あれはオタクだって言ってますけど」
「美貴とガキさんって、ちょっと会話が少ない気がする。美貴がキャプテンやっちゃってるからある程度仕方ないんだけど。りんねとあさみみたいにべったりも困るけどさ」
「やめてくださいよ。はずかしいなあ」
「りんねはおかしいって、結構みんな言ってたんだよ。うちらの学年。ちょっと妬んでたってとこだけどね」
「なつみさんと美貴だって、美貴なのにってくらい結構べったりなとこあったじゃないですか」
「美貴とはバスケの話しかしてないよほとんど」
「口実ですって、ただの、それ」
「美貴が一年の時って、先輩からの風当たり結構強かったからね。なっちに頼るしかなかったんだよ。たぶん。ガキさんも、風当たりは別に無いけど、もうちょっと美貴さんを頼りたいって感じはあるんだけど」
「美貴は突き放し系ですよね」
「甘えられるのに慣れてないよね」
「でも、あれはあれでありなのかなあって思いますよ。私とみうななんて、甘えるとか突き放すとかじゃなくて、なんか噛み合って無いですもん」
「あの子も難しそうだよね」
「なつみさん以上の天然って生まれて初めて見ましたよ」
「どういう意味さー」

あさみは笑ってごまかす。
冗談みたいに言ってみたけれど、みうなとの関係は、ちょっと真剣に悩みどころである。
ハーフタイムの間にトイレに行って来る、と安倍が言って雑談は終わった。

試合は後半も二十点前後の点差で推移し、最終クォーターには麻美やみうなを下げてメンバーは落としつつ、逆に藤本は入れて新垣をサポートに回す形にする。
一二年生の成長と、チーム内での控えメンバーの使い方と、石黒コーチがいろいろ思案しながらの試合は、結局大差で問題なく勝利した。
最終戦も勝利して、滝川山の手も無事にインターハイの出場権を得た。

 

関東大会はインターハイ予選の続きではなくて、春の県大会の続きである。
試合が多すぎて、三好は半分くらい何が何と繋げっているんだか分かっていないが、大会がまたすぐ一つある、というのは分かっている。
出てくるチームは関東のチームで、何かの大会の予選ということではなくてここで完結した大会である。 
滝川カップの時に見かけた東京聖督とかいうチームは、春の都大会はダメだったからでてこないらしい。
インターハイもすごいが、県大会に出るのがやっとレベルだったチームにいた三好にとっては、関東大会も十分すぎるくらいに大きな大会だ。

「こう毎月大会があってよくみんな飽きないよね」
「絵梨香さんもそういいながら練習頑張ってるじゃないですか」
「私、飽きるも何も、試合出て無いもん。関係ないよ」
「もうちょっとゆるーく出来ないんですかぁ?」
「ゆるくって? 練習とか?」
「ええやないですか。別に優勝なんかしなくたって。あれだけ強いんだから。それなりに頑張ればそれなりに勝てますよ」
「唯、その感覚でよくこのチーム来たよね」

練習後の帰り道。
いつも、三好に付き合う形で岡田も一緒に帰る。

「やめても暇やし、絵梨香さんいるなら行こうかなって思ったんだけど、きつすぎ」
「でも、最近は最後まで練習ついて来れるようになったじゃない」
「ちょっとは慣れたから」

技量というのは簡単にはどうにかなるものでもないが、練習量というのにはしばらく続けていれば慣れてくる。
スピードなんかは違うし、集中力もきっと違うけれど、最後まで同じ場所で同じ練習に参加することは出来るようになった。

「また来週遠征でしょ」
「栃木とおいー」
「日帰り面倒だよね」

片道二時間半の往復を二回、負けない限りほぼ確定である。
二人にとっては遠い町で行われる大きな大会だけど、チームにとっては取り立てて大きなわけでも無い普通の試合。
わざわざ泊まりにする必要も無い、と判断されている。

「神様お願いします、絵梨香さんがメンバーに入れますように」
「なによ急に」
「試合でてる絵梨香さんが見たいですー」
「簡単じゃないって。このチームおかしな人たちの集まりなんだから」
「でも、がんばって練習してるやないですか。入れる。入れますって」
「プレッシャー掛けないの」

苦笑いして岡田の方を見る。
三好にとっては、自分がメンバーに入る云々もあるけれど、それよりも、この岡田が、このチームで辞めずに今まで続いていることの方が不思議だった。

関東大会まで時間はあまり無い。
登録メンバーの発表がいつ、というのは特に聞かされていない。
県大会の時もそうだったけれど、ある日突然言い渡される。
ずいぶん前から決まっているのかも、その日に決まったのかも、選手たちにはわからない。

三好としては、日々変わらず練習を積むだけだ。
最近少し手ごたえを感じていることがある。
ディフェンスだ。
一対一のディフェンスじゃない。
全体の中でのディフェンス。
下位メンバーでの五分ゲームのこと。
隙あらば狙ってやろうというのを思っていたら、五分しかないゲームの中で二本もスティールがあった。
調子に乗って次の回にそればかり狙ったら、あっさり裏を通されたりもしたけれど。
頭で一々考えているわけでは無いけれど、パサーの立ち位置、マッチアップの位置、自分の位置から、なんとなくスティール出来そうかどうかが分かるような気がする。
実際には、下のレベルの中での勝負だから、そんな取れそうなパスが出てくるだけで、上のレベルに混じったらパス出す方がちゃんと注意するから取れないんだろうなとは思うけれど。

そこから少し拡げて考えた。
距離感と言うか間合いと言うか、そういうものは結構大事だ。
ボールがここにあって、自分のマッチアップがここにいるとき、自分はどこにいるべきか。
一線、二線、三線、とボールとの位置関係で立つべき位置というのはある程度決まっている。
自分のマッチアップとはある程度離れても大丈夫な時に、ボールマンが一対一で突破してきたらカバーできる場所に立つ。
意味と距離感がつかめてくると、少し応用が利く。
マッチアップと大分離れているように見せかけて、飛び込めるように重心を保っておいてパスを誘ってスティールを狙う。
ボールマンよりも気になるセンターがハイポストにいるときは、そちらをケアしてみる。
ごちゃごちゃ考えていたら一対一でさくっと抜かれたりと、やってること考えていることがすべてうまく行くわけではないが、ディフェンスも結構面白いじゃないか、と思う。

ただ、そんなディフェンスの困るところは、自分ひとりではまったく練習が出来ないことだ。
一人で出来る練習は、大抵攻撃的な面に限られる。
重点項目はミドルレンジでのジャンプシュート。
イメージは、ワンドリブルで目の前のディフェンスを揺さぶってそのままの流れで、というもの。
結構入るようになった気はしている。

「一対一やらない?」

ある日の朝、柴田に声を掛けられた。
六時40分頃。
柴田にとってはモップ掛けから始まる一連のルーティンが終わったタイミングだろうか。

「私と?」
「うん。ダメ? なんか予定ある?」
「いや、いいけど」

なんだろう?
手ごろな下手なの捕まえて、何か新しいことを試す実験台にしたいんだろうか?
そんなことを思ったけれど、拒否するのもどうかと思ったので受けてみる。

オフェンスディフェンス一本交代。
柴田のオフェンスから。
右にドリブルで入って行ってロールターン、と見せて元に戻って再加速。
反応しきれずに背中に入れられてゴール下のシュートを決められた。

三好のオフェンスは同じ流れでロールターンをフェイクじゃなくて実際に実行する。
そのままジャンプシュート。
ブロックはされなかったけれどシュートは短くなって外れた。

大体、オフェンスディフェンス十本くらいづつやった。
柴田のオフェンスは、自分でミスした一本、ジャンプシュートが外れた二本を除くと、三好が止めたと感じたのは一本だけ。
三好のオフェンスでは完全にブロックされたのは一本、押さえ込まれてどうにもならなかったのは二本と、後はシュートまでは出来たのだがそれが入ったのは一本だけだった。
自由に練習で打つジャンプシュートと違って、半実戦ではなかなか確率が上がらない。
三好にとっては相手が柴田であるというだけでプレッシャーになるし、実際に実力差もある。
自分の手とゴールまでのボールの軌道の中に壁になるディフェンスの手は伸びてこなくても、目の前に存在して止めようとしているだけで十分圧力になる。

適当なところで柴田がありがとうと言って切り上げて行った。
何がしたかったんだろう、と三好はちょっと不思議だったけれど、まあ、誰でも良かったんだろうな、と結論付けた。
柴田が一番話しやすいな、と思った。

それから数日、毎朝柴田が一対一をしようと声をかけてくるようになった。
三好の方もそれを待つようになっている。
なんで私? とちょっとまだ思うけれど、毎朝必ずいて、身長が適度で、三年生で、確実に負けないで済む相手、というあたりの条件がそろっているのが自分なのかな、と感じている。
柴田にとって自分が相手なのがいいのかどうかはわからないけれど、自分にとってはこれ以上無い練習相手である。
あまりスカスカ抜かれるのは悔しいけれど、柴田になら変な嫌悪感は持たないでいられる。
一つ一つ冷静に、今のはスピードが足りなかった、今のはフェイクの後の対応が悪かった、と考えられる。

そして、結構負けずに済むことも多くなってきた。
なんとなく、一つの形を練習している、というのが見て取れるのでパターンが読みやすくなっているからだろう、と三好は感じているが、それにしても以前ならまったくついていけなかった。
もう少し、自分がオフェンス側の時に勝てればいいのだけど。

もう一つ、柴田と一対一を朝一番にやる利点。
その後練習で誰を相手にしても、たいしたことない、と思えること。
石川や高橋は除くけど。
それ以外の相手なら、何とかなるんじゃないか、という気持ちでマッチアップできる。
実際に何とかなるかどうかはまた別であるけれど。

全体練習では、まだまだ、トップの五対五に混ぜてもらうことはない。
トップの五対五の練習が終わった後、じゃああまり、という感じで十分ゲームをさせられたりする。
CとD、上から三番手と四番手、というほどはっきりした区分があるわけではないが、最近はこの中になら混じっていてもそれほど違和感無いな、と自分で感じられるようになった。

「それ貸して」
「あれ、もう無いの?」
「無いみたい」

余りメンバーの五対五。
ビブスは九着しか用意されてなくて、新品が一枚足りない。
確保し損ねた三好は、柴田から受け取る。

「一年、後で締めとかないと。ごめんね、結構汗きついけど、いい?」
「・・・、絞ってきていい?」
「そこまでないでしょ」
「まあ、大丈夫かな」
「匂いかがないの」

まじめな顔して匂いをかぐ三好に、柴田もまじめな顔してビブスを取り上げようとする。
その手を避けて三好、笑顔を見せた。

遊んでいる場合ではなく十分ゲームである。
トップチームはどちらがスタメン組みでどちらが控えでとはっきりあるけれど、このレベルはどちらがCでどちらがDで一方が上、という区分けはなく、本当に適当だ。
対になる二人が呼ばれて、じゃんけんをして勝った組負けた組でチームが組まれる。
ここの十人に呼ばれることが、上から二十番目までのラインなのかどうかも三好にはよくわからない。
トップのゲームに参加していた控え側のメンバーが入るときもあるし、組み合わせは流動的だ。
ただ、岡田がここに混じってることは無いな、という認識はある。

少なくとも柴田よりうまいメンバーはいないし、柴田とタメ張れるメンバーもここにはいない。

いいことなのか悪いことなのかわからないけれど、ゲーム練でも三好はテーマを持って臨むようになった。
取れそうなボールは全部スティールに行こう。
それが今日の方針。
大人しくしてたっていいことはなにもない。
ミスってもいいから勝負かけてやろうと思う。

富岡のゲーム練習は、途中経過設定などはなく、普通にジャンプボールから始まる。
三好のチームはボールが確保できずディフェンスから。

十分というのは一クォーターと同じだけの時間があって、それなりに流れが出来たり停滞したりと、ちゃんと動きが起きるだけの時間がある。
三好は、序盤からやたらと当たっていた。
最初のディフェンスは相手が普通にミスをしてマイボールになり、オフェンスでは余りボールに絡まない間にインサイドがシュートを決めていた。
その次、ディフェンスのとき、マッチアップの相手がゴール下を抜けて逆サイドでボールを受けようとした上から下りてきたボールをスティール。
勢いあまって自分の体はコートの外に流れて行くけれど、足を付く前にボールを味方に送る。
そのまま速攻崩れで得点。

もう一度ディフェンス。
相手センターがハイポストで勝負しようとしたけどあきらめて外へ出したボールをカット。
これは完全に自分で確保して、そのままドリブルで持ちあがる。
二対一の状況でパスを捌きそうなところだったのだけど、出すぞ出すぞと見せながら最後まで自分で持ちこんで決めた。

さすがに三本続けてスティールとは行かず、次は得点されたけれど今度はオフェンス。
マッチアップの相手が、なんだかボールマンをずいぶん気にしてるなというのを感じて動いてみる。
うまい具合に視線が外れているタイミングだったのか、あっさりと振り切れてゴール下へ駆け込むとトップからパスが下りてきて簡単にレイアップを決めた。

なんかおかしいぞ今日、と三好は思う。
うまく行き過ぎておかしい。

その後、さすがに単純なパスのスティールというのはもうなかったが、それでもインサイドのプレイヤーのボールを叩き落としたり、一対一で突破に来た相手をエンドライン際に追い込んでラインクロスを誘ったり、調子よくプレイする。
オフェンス面でもミドルレンジでのジャンプシュートを二本決めた。
調子に乗って残り三十秒のところで0度からスリーポイントを打ったらこれも入った。
最後の最後、ディフェンスが守りきって拾ったりバウンドから速攻。
走ったら長いパスが飛んできて一対一。
スピードに任せて抜き去るとは行かなかったが、ミドルレンジまで来てストップジャンプシュート。
しっかり決まってタイムアップ。

なんだこれ?
自分でそう突っ込みたくなるくらいのうまくいきようだった。

「すごいじゃん。どうしたの? 何点取った?」
「最後の入れて十一、十三点?」
「十分で十三点って・・・」

計算上、一試合五十二点見当である。
下手すれば一チーム分の得点だ。

「いきなり花開いちゃった感じ?」
「たまたまでしょ。こんなの二度と無いって」
「朝早くから頑張ってた成果だって」
「なんか、ありえないんだけど。なんだったんだろう今の」
「だから実力実力」
「ありえない」

点を取ったというだけではなくて、ディフェンスも含めてトータルで何をやってもうまく行った。
これが全部実力、と思えるほど自分に自信は持てない。
まあ、ちょっとはうまくなったのだろうと思うけれど。

ゲームが終わって着ていたビブスを脱ぐ。
ふとそれに目をやって、柴田ビブスパワーかな、とちょっとだけ思った。
ただのビブスにパワーも何もあったものじゃないだろうけど。
縁起を担ぐみたいな感じで、これからも五分ゲーム十分ゲームのときには柴田の着たビブスを借りようかなと一瞬思ったけれど、それはなんだかちょっと変態っぽいと思ってやめた。

同じペースでその後数日、というわけにはやはり行かず。
うまくいったイメージをそのままひきづって次の日に臨んだら、見事にまったくうまく行かなかったりする。
何をやってもうまく行く、というような状態というのはそうそうあるものではないらしく。
やっぱり簡単じゃないよな、と思っていた土曜日。
練習終わりに唐突にメンバー発表があった。

「来週の関東大会のメンバーを発表します」

来週末が関東大会である。
四番石川、五番柴田・・・、とまあ聞き慣れた名前が並ぶ。
十番、十一番、三好としては、そんな早い時点で自分の名前が呼ばれる気はしない。
14、15、そろそろ出たりしないかな、と気の無い表情をしながら心中では期待して待つ。
関東大会のメンバーは15人。
四番から18番まで。
ダメかな? どうかな?
16、17、名前は出ない。

「18番三好」
「は、はい」

ウソ!
多分無いんじゃないかな、とほとんどあきらめていたら、最後に名前を呼ばれた。

「ユニホームは来週までに一年配っといて。組み合わせ的にはまた白だけのはずだけど念のために忘れずに青の方も持って行くように。何があるかわからないから」

業務連絡として登録メンバーを発表してるだけで、話は進んで行く。
でも、三好にはもう耳に入っていなかった。
ただ、冷静な自分がちょっともう一人の自分を奥の方から見つめている。
まずい。
タオル。タオル。

「じゃあ、解散」

目から汗が。
冷静な方の自分がそう言いながらタオルで拭く。
もうすぐ夏だし、よく動いたし、目からだって汗が出る。
そう頭の中でつぶやきながらも、傍目にはどう映るのかがわからないでもない。
県大会のメンバー発表の時の周りの雰囲気は覚えている。
みんな結構平然としていた。
いつものメンバーはいつものことなんだろうし、初めてメンバーに入った一年生なんかも、まわりの入れていない一年生からすごいじゃーんとか言われていたが、本人たちはけろっとしていた。
そう見せていただけかもしれないけど、とにかく目から汗はなかった・・・。

これはかっこ悪すぎる・・・。

絶対周りに気づかれてるよな、と思いながらも、顔全体の汗を拭いているんですと心の中で主張しながらタオルを当てて、もう解散って言ったしと言い訳してコートを離れてトイレに向かう。

鏡に向かいながら顔を洗おうかと思ったけど人が来そうだからやめた。
確実なのは個室に篭ることだ。
服は下ろさずにそのまま洋式に座る。
これじゃまるで悔しくて引きこもってるみたいじゃないか、と冷静じゃない方の自分も突っ込めるくらいには落ち着いてきた。
やばい、うれしい。

早朝練習した甲斐はあったらしい。
それほどうまくなったようには自分では思えないけれど、でもメンバーに入れたのだからそれほど下手って扱いでもないのだろう。
冷静に考えると18番っていうのはあまり評価されて無いってことでもあるのだけど。
たぶん、戦力、という扱いではないのだろうけど。
でも、うれしい。

あのユニホームを着て試合出るのか、と思う。
自分に似合うだろうか?
いや、試合に出られるかどうかはわからない。
点差が開かないと使ってもらえないだろうし。
必死に応援とかしてみる?
そんなの、自分のキャラじゃないような気もする。

関東大会とか、夢に見たことも無かった。
夢をかなえたとかそんなレベルの話ではなく。
想像したことも無い世界だ。
普通の学力の子が、国立大学行くのとかすごいよねって思ってるところで、ケンブリッジ大学に入ってしまいましたというのに近い。

少し落ち着こう。
舞い上がってる場合じゃない。
泣いてる場合でもない。
洋式から立ち上がる。
目から汗は引いたし、顔の汗も引いた。
ベンチに入れてもらえるっていうだけで、まだまだ戦力扱いもされてない。
うれしいけど、まだまだ。
次、使ってもらってダメならまた逆戻りだし。
使ってもらえたところでちゃんと活躍しないと。
引きこもってる場合じゃない。
シューティングしにいこう。

ドアのロックを外して出ようとしたけれど、ふと思い直してまたロックする。
必要ないのだけど水を流した。
用があってトイレに来ただけです、と主張する。
流して、音が落ち着いてからロックを開けて外に出た。

別に、ちょっと暑くて汗かいただけで、ユニホーム取れたのがうれしかったとか、そんなんじゃないんだからね。
というようなツンとした顔をしてコートに戻る。
でも、誰かと視線がぶつかると、さっき泣いてたよね、と言われてるような気がして恥ずかしい。
岡田はもういなかった。
引きこもってた間に帰ってしまったのだろうか。
一人でシューティングするけれど、まったく集中できない。
今日はダメだな、と思って切り上げることにした。

体育館併設のシャワーを浴びる。
合併して唯一良かったと思えるところだ。
学校の体育館にシャワーまで付いてるのかよ、と本当に驚きはしたけれど、これはとてもいい。
着替えて外へ出ると岡田はいた。

「あれ、帰ったんじゃなかったの?」
「絵梨香さんこそ、帰ったんやなかったんですか?」
「私ちょっとトイレ行ってただけだよ」
「ああ、泣いてましたもんね」
「ちょっと、泣いてないって」
「ええやないですか。うれしかったら泣けば。別に恥ずかしくないですって」

恥ずかしいってば、とは言わないでおく。
岡田がこう言って来るということは、全員分かってるんだろうなと思うと、非常に困った気分だ。

「まあ、ちょっと早いけど帰りますか」
「あ、いや、あの、えーと」
「なによはっきり言いなさい」
「二年生でテスト勉強しようって言われて・・・」

後ろの体育館のドアが開いて声が飛んできた。

「唯ちゃん、バッシュ置いてくるからちょっと待ってて」

高橋が小走りに部室に走って行く。
岡田は小さく手を振っていた。 

「唯が勉強なんてするの?」
「そういう難しいことは気にしなくていいんです」
「いや、ちょっとは気にしようよ」
「いいですよ、行かなくても。絵梨香さんのメンバーに入って泣いちゃいましたお祝いとかしても」
「一言多い」

えへへ、と笑っている岡田を見ると、本当に細かいことはどうでもいい気がしてくる。
部室から高橋と小川が出て来た。

「唯ちゃーん、いくよー」

少し離れたところで高橋が手を振って呼んでいる。
岡田も、振り向いて軽く手を振って答えた。

少し離れたところで高橋が手を振って呼んでいる。
岡田も、振り向いて軽く手を振って答えた。

「私はいいから、はやく行きな」
「いいんですか? 泣いちゃいましたおいわ、いたっ」

左手で軽く小突く。
高橋と小川は少し進んだところで岡田を待っていた。
岡田は三好に軽く頭を下げてそちらに向かっていこうとする。
そこをもう一度呼び止めようとした。

「唯」
「はい」
「唯、いじめられ・・・、てるわけないか。いいよ、早く行きな」

力量は、まだまだ劣る。
二年生の中でも、部員全体の中でも、はっきりといちばん劣る。
だけど、それでも、岡田は岡田で、しっかりチームに馴染んでいる。
力量が劣っていても、ちゃんと、居場所は見つけてるんだな、と三好は思った。

岡田は小走りに高橋たちのところに向かって行く。
岡田が追いついたところで三人そろってこちらに向かって頭を下げた。

「失礼します」

そっか、あの子たちも後輩ってことになるんだな、と今頃になって気がついた。
ぼんやりとその背中を見送っていると、背中から声をかけられた。

「なに、振られちゃったの?」

振り向くと、そこにいたのは柴田だった。

「めずらしいじゃない。いつも一緒に帰ってるでしょ」
「二年生で勉強するんだって、これから。誰かの家で」
「ああ、高橋とか小川とか、一人暮らしだしね」

そういえばそんなことを聞いたことがあるような気がする。
たかがバスケのために田舎から出て来たおかしな人たちだ。

「珍しくはやくない?」
「んー、なんか集中できなくて」
「ああ。メンバーいりおめでと」
「そこ?がってないでしょ」
「いやいや。?がってるでしょ。原因と理由で」

柴田がニヤニヤしているのがちょっとむかつく。

「自分こそ早くない?」
「ちょっと調子悪かったから。引きずらない方がいいかなって思って、やめてみることにした」
「調子悪い時こそ量こなした方が良かったりするんじゃないの?」
「そういう時もあるけど、そうじゃないときもある気がする」
「ふーん。まあ、いいけど」
「ちょっと待っててよ。一緒に帰ろう」
「いつも石川と一緒なんじゃないの?」
「いつもじゃないよ。毎日梨華ちゃんと一緒じゃ身が持たないって」

なるほど、と妙に納得が行く。
柴田は荷物を持って地下のロッカーへ下りて行った。
ノーって言わなかったからイエスってことになってるのだろう。
三好は大人しく体育館入り口に座って待つことにする。

まだ中で練習している部員もいるけれど、三々五々練習を切り上げて帰って行く。
一年生や二年生が帰って行く時は、おつかれさまでした、と自分の前で挨拶して行く。
おつかれさま、と軽く返すけれど、なんとなく自分の後輩という意識がまだ薄い。
自分の後輩、とはっきり思えるのは岡田だけだ。
先輩面出来るような力量が無いからそうなのか、自分がチームに馴染めて無いからそうなのか。
そんなことを考えているうちに柴田が着替えて戻ってくる。

「バッシュ置いてくるから待ってて」

さっきの二年生とまったく同じ行動だな、と思った。

部室から柴田が戻ってくると三好も立ち上がり歩き出す。
二人で並んでも帰る。

「石川はいいの?」
「だから、別にいつも一緒じゃないって」

門を出るところで振り向いたけれど、石川の姿は無かった。
いつもべったりなわけじゃないのか、と口に出さずに三好は思う。
柴田が、前を向いたまま改めて言った。

「メンバー入り、おめでと」

左にいる柴田の方を三好は見る。
写るのは横顔。

「泣いたりして、かっこ悪いとこ見せちゃったな」
「そんなことないよ。頑張ってたのみんな見てるし。絵になってたし」
「絵になるって、なによ」
「いや、なんとなく。でも、ちょっと意外だったな」
「何が?」
「もうちょっとクールな子なのかなって思ってたから。泣き出すとは思わなかった」
「クールならマックで怒鳴って逃げてったりしないけどね」
「それもそうか」

三好も、柴田から視線を外し、前を向く。
二人、並んで歩く。

「18番かあ」

そう言って、三好は一つため息。
ベンチ入りメンバー15人。
四番から18番まで。

「不満?」
「努力賞、なんでしょ。富ヶ岡の18番って」
「んー、そんなうわさ聞いたことあるけどね。誰もはっきりは知らないみたいよ。先生だけは分かってるんだろうけど」

合併前の富ヶ岡高校での伝統。
和田コーチの方針。
たとえ、力量的にメンバーから劣っていても、いちばん頑張った者には、15人なら18番の、12人なら15番のユニホームを与えてベンチに入れる。
努力すれば認められる。
そういうことを示すためにそうしているんだ、という風に言われているが、18番のユニホームをもらう本人に対して、和田コーチがそれを説明することはないし、本当かどうかもよくわからない。

「今度は、もっと小さな番号が欲しいな」
「次は、インハイのときかな」
「関東大会、出番あるのかな?」
「うん。絶対あるよ。ていうか、あるようにする。点差あけられるように頑張るから」
「あれ、負けてる側からすると結構むかつくんだよ」

負けてる側だった三好。
負けてる側には、ここ二年以上なったことのない柴田。
それでも、それぞれに、楽しんできたし苦しんできた。

「やめないでよかった、かな」

土曜の夕方。
まだ明るさが残るのに、タイマーセットで勝手に点けられた街灯が灯る中、ちょっと遠くを見上げながら三好がポツリと漏らす。
柴田は、ちらっと三好の方を見た。

「無くしたくなかったんだよね。富ヶ岡と比べたら無茶無茶弱かったけど。今思い返してみるとほとんどまともな練習してなかったんだなって思うし。それでも、私たちにとっては大事なバスケ部だった。でも、ずっと名前呼ばれなくて、やっぱりダメかなって思ってたら、最後に18番三好って呼ばれて。ああ、良かった。やっと認められた。とかなんとか、ぐちゃぐちゃ思ったような気がするんだけど、よくわかんないまま泣いてた。あー、もう、思い出すだけで恥ずかしい」
「恥ずかしいことないって。この二ヶ月一番頑張ってたの絵梨香だと思うもん。18番がどんな意味かなんてわかんないけど、どうだっていいじゃない。私は絵梨香にベンチに入って欲しいって思ったよ」

そうあっさり言われてしまうと、なんとなく恥ずかしさを感じたりもする。

「ていうか、絵梨香なの?」
「ダメ?」
「なんか普通に言われるとそれでいいかって気はするけど」
「じゃあ、絵梨香様は?」
「私そういうキャラじゃないでしょ」
「ちょっと入ってると思うよ」
「それはない」
「えー、あるよー」

ちょっと拗ねた感じの柴田がかわいい、と三好はふと思った。

「えーと、あゆみはさあ、部活やめたいって思ったことは無いの?」
「今ちょっと考えて言ったでしょ」
「柴田さんは」
「あ、言い直した」
「なんて呼べばいいのよ」
「いいよなんでも。柴田でもあゆみでも柴ちゃんでも何でも」
「じゃあガチャピン」
「却下します」
「何でもいいって言ったでしょ」
「なんで、そんな話ばっかり知ってるのよ」
「そういうのに限って耳に入ってきたりするの」
「まったくもー」
「それでさあ。あゆみは部活やめたいって思ったことある?」

結局あゆみにおちついて、話は元に戻る。
柴田も、もう茶化さずにまともに答えた。

「無いよ。無い。一度も無い。絵梨香は?」
「毎日思ってた。四月になってから」
「四月になってからか」
「うん」

少し無言になって歩く。
四月になってから、合併してから、このチームになってから。
そういう意味を三好は込めたし、そういう意味を柴田は受け取った。
なんでそうなのか、だからなんなのか、なんとなくそんなことを考えながらそれぞれ歩く。
先に三好が口を開いて、先を続けた。

「前のチーム好きだったから。あのままが良かったって思うからさ。やっぱりやめれば良かったって毎日思ってたよ。でもそれって、私が石川に、なんか自分たちのチームを否定されたみたいな気がしたのと同じかなって思ってさ。練習ばっかりしてなにが楽しいの? って。 前のチームのが楽しかったっていうのは、あゆみ達のことを否定してるのと同じだよね」

柴田は何度かうなづきながら聞いている。
三好の気持ちの吐露。

「でもねえ。やっぱりねえ、敵だったんだよ。なんとなく。みんな。チームメイトはライバル、とかそういうきれいなことじゃなくて、敵だったんだよ。私にとって、みんな。だもん、馴染めないよね。まあ、そのみんな敵状態だったから頑張れて、ベンチに入れてもらえたのかもしれないけど。でもね、うん。そろそろさ、私も、このチーム、好きになれたらいいなって思うよ」

三好にとって、岡田だけが味方だった。
でも、岡田にとっては、新しいこのチームの他のメンバーたちも、別に敵なんて意識は無かったのだろう。
だから、ああやって二年生の中に馴染んでいるんだろうな、と三好は思う。

「たぶん、唯からも今日やっと認めてもらったのかなって思う」
「今日?」

黙って聞いていた柴田が、ちょっと意外な三好の言葉に反応する。

「さっきあゆみが言ってたけど。いつも唯と一緒に帰ってた。多分、唯があわせてくれてたんだなって思った。最初、あの子全然体力もなくて練習もまったくついていけなくて、私が守ってあげなきゃなんて思ってたけど、逆だね。私があの子についててもらってたんだよ。それが、ベンチに入れるようになって、もう一人にしても大丈夫って思って二年生と一緒に帰ったのかなって思うよ」
「あの子、あれでうちの練習に混じってきたのは相当勇気あると思うよ。たぶん、それだけ絵梨香のこと慕ってたってことじゃないの? あれだけ下から慕われるのっていいなって思う。私そういうのいないもん。なぜか梨華ちゃんそういうの多いけど」
「あれ不思議だよねえ。なんでさあ、スタメンクラスの一二年は石川にああやってなつくの?」
「不思議と不思議が引き合うんだよきっと。道重と梨華ちゃんの会話とか、意味わかんないもん」
「あれくらい自分に自信持ってみたいよ」

二人はそれぞれに石川の姿、道重の姿を頭に思い描く。
自分たちはああはなれない。
トータルでは、あんまりなりたくもないのだけれど。

駅まで一緒で、乗る電車の方向も一緒だった。
降りる駅は三好の方が三つ早い。
どうも朝家を出る時間は同じくらいなようだ。
乗る電車が二本分三好の方が早い。
朝、一緒にする? とかそういうのは言わなかった。

「じゃあ、また明日ね」

柴田を残して三好は電車から降りた。
日曜日も普通に練習はある。
三好は、柴田と、というよりも岡田以外の部員とこれだけ長く話したのは初めてだった。

翌週は関東大会。
栃木まで日帰り遠征掛ける二である。

一回戦は茨城の二位チーム。
立ち上がりからいまいちピリッとせず、大きなリードは奪えない。
柴田、高橋といったところのシュート確率が悪く得点が伸びていかない。
ディフェンスが安定しているので相手にリードされるということは無いのだが、突き放すまでに時間がかかった。
前半は34−19
三クォーター途中までスタメンを引っ張ってリードを広げたところで控えメンバーを入れて行く。
その辺まで引っ張ると、15人全員に十分な時間というのは与えられない。

「三好」

和田コーチから呼ばれたのは第四クォーター残り二分、というところ。
ジャージを脱いで飛んでいく。

「落ち着いてやりなさい」
「はい」
「試合経験は十分あるんだから、いつもやっているとおりにやれば大丈夫」

三年目で初めて試合に出る、という三年生とはちょっと違う。
数ヶ月前までキャプテンやっていたのだから。
とは言え、レベルはまったく違うわけで。
緊張しないわけも無い。

オフィシャル横の交代選手用の椅子に座って待つ。
こういう時に限って時計が止まらない。
相手もあきらめムードで控えが入っていて、こちらも控えメンバーで、フロアの上は締まらない。
ターンオーバーが続いてプレイが切れずなかなか入れない。
ようやく味方のファウルで笛が鳴り、三好が入っていけたのは残り27秒のところだった。

「12番ね」
「オーケー」

上から下まで、レベル関係なく、いつでも富岡はハーフコートのマンツーマンディフェンス。
マークマンの受け渡しをしてコートに入る。
三好絵梨香たった27秒のデビュー戦。

よくわからないうちに終わっていた。
相手ボールからのリスタート。
普通にディフェンスしていたら、インサイドにパスが入ってゴール下のシュートを決められた。
その後のオフェンス、残り時間もなく、急いで持ちあがって、速攻でもセットオフェンスでも無い中途半端な形からのシュートが外れる。
そのリバウンドを相手が拾って、前に一本繋いで、長遠距離シュートを投げて終了のブザーが鳴った。

結局ボールに触ることもなかった。

「感想は?」
「何にも無いよ」
「また、クールな振りして」
「そうじゃなくて、あれじゃ感想も何も無いでしょ」
「ごめん、二回戦はしっかりやるから」

柴田が悪い、というわけでもないのだが、点差を広げて早く控えメンバーを送り出せなかったのは自分が調子悪かったせいだ、という認識が柴田にある。
15人全員に十分に出場時間を回すには、少なくとも前半終了段階で問題ない点差をつけることが必要だ。

二回戦は地元栃木の優勝チーム。
アウェーといえばアウェーだけど、あまり関係ない。
今度は序盤から点差を広げられた。
平均的にみんなが頑張るチームらしく、平均的にみんなが富岡のメンバーより劣っていたため、全部が全部勝っているというような状態になり、どこでどう勝負しても勝てるとなってリードが広がった。
前半から51−17
これなら後半開始早々からスタメンはお役御免である。
まずは、まだテスト中、という感じの田中を残して後のメンバーは下がる。
それから順繰りにメンバーを落として行って三好に声が掛かったのは残り7分のころだった。

「絵梨香、頑張って」

小さくうなづく。
今度は一回戦と違って、相手のスタメンは残っている。
79−40
勝負は決している場面であるが、相手に不足は無い。

オフィシャル横に入るとすぐに笛が鳴った。
リバウンドを争ったところでの相手ファウル。
時計が止まり、オフィシャルがブザーを鳴らしたので三好が入って行こうとすると違うコールがあった。
相手チームがタイムアウトを取る。

残り六分17秒、富岡エンドでの相手ボール。
戻ってきたメンバーと三好をベンチに座らせて和田コーチが少し指示を出す。

「向こう、捨ててないからな。点差忘れてゼロ対ゼロからだと思えよ」

点差が開いた試合。
控えメンバーの育成のような方向で使うチームもあれば、最後までスタメン組みで押し通すチームもある。
今日の相手は後者。
ベンチがすかすかで、部員がベンチ入り可能人数より少ない、という事情もありそうであるが、それとは別に、インターハイに出るチームとして、富岡のようなチームを相手にどこまで何が出来るのか最後までスタメン組みに体験させる、という意味合いもある。
前半に勝負はほとんど決まったが、後半はほとんど点差が開いていない。

「もっと外打っていいよ。外は捨てて突破を警戒してる感じあるから」
「広いとこで勝負ね」

石川や柴田、すでに汗も引いているようなスタメン組みからも声が飛ぶ。
格で言えば、今試合に出ている五人は、ベンチの中では一番下ということになる。

「麻琴もっと積極的に」

小川も今はこの位置だ。
いつのまにかそうなっていた。
去年の選抜、滝川との試合以降、勝負のわからない状況で試合に出たことは無い。

「絵梨香、高さ負けてるからゴール下で気をつけて」

マッチアップの相手は三好よりも背は高い。
オフェンスはともかく、ディフェンス時には少し考えて付かないといけない。

ブザーが鳴ってメンバー達はコートに入って行く。
マッチアップをピックアップ。
エンドのボールに一人が向かい、後の四人はゴールに向かって垂直に一列に並んでいる。
エンドからの何らかのサインプレー。
対処の仕方がわからない。

他のメンバーの顔色を伺ったけれど、特に応答がなかった。
控えメンバーばかりなので指示を出すリーダーがいない。
オフェンスの場面ならまだ、ガードが何か言えるけれど、ディフェンスのところではそうもいかない。
気づけば三年生は三好一人だ。
本来なら三年生がリーダーシップを発揮してもいい場面。
だけど、そんなことをするような自信は無い。

取り合えずマッチアップの相手の横に立つ。
ボールがエンドで渡された。
相手の選手が一人一人動く。
右、左、ゴールに近い側から交互に。
ゴールから遠い方へ動いた三好のマッチアップの相手。
そこにボールが入ってそのままジャンプシュート。
対応しきれずに決められた。

やられた、と思うけど気を取り直して走る。
走るだけなら誰でも出来る。
誰でも出来るから自分でも出来る。
攻守の切り替え。

守から攻への切り替え、としては良かったのだけど、その後すぐに守への切り替えが必要になった。

ボールが運ばれてこない。
エンドから入れられたボールはプレスの網に掛かっていた。
ハーフラインまで来たのだけど戻る。
しかし、その間もなく、三対二の状態になっていた後ろは、パスで崩されレイアップシュートを決められていた。
もう一度エンドから。

ガード陣がスムーズにボールを運べない。
三好はボールを運ぶ立場ではないのだけどフォローに入る。
少し戻ってボールを受ける。
マークはしっかりいるが、二人が付きに来るガード陣とは違い、自分のところは一人。
ここは自分が、とドリブルで上がって行こうとする。
加速して振り切ろうとするが付いてこられる。
サイドライン際に追い込まれてきたのでバックチェンジで切り替えそうとしたら、相手のプレッシャーでボールコントロールできなかった。

ルーズボール。
自己責任、と飛び込んだが、先に相手の手が伸びる。
無理やり奪い取ろうとしてファウルになった。

「三好は上がって待っとけ!」

ベンチから和田コーチの声が飛ぶ。
ガードが運べない時にフォローに入るのは場合によっては悪いことではないはずであるが、却下された。
フォローにならない、と思われたのだろうか。

プレスの網は、もたつきながらもガード陣が突破するようになった。
ただ、その先のオフェンスが組み立てられない。
ボールを運んでホット一安心、までで、点を取るところまでいけない。
三好も何とか打開しようとするが、周りとは合わないし、個人技は通用しないしでどうにもならない。
見るに見兼ねたのか、和田コーチがメンバーチェンジ。
田中と高橋を投入。
小川は外される。
これでボール運びは安定するようになり、オフェンスも動き出す。

スタメン組みとなんて練習もしたこと無いよ、と三好は思ったがそんな心配をする必要はほとんどなかった。
外からの一対一で抜かれそうになって引いたところでジャンプシュートを決められる。
次のオフェンス、パスアンドランでゴール下に駆け込む高橋にバウンドパスを入れようとしたら、ディフェンスが伸ばす手が目に入り、それを避けようとしてコントロールミス。
相手ディフェンスが拾い、それを高橋が奪い返そうとしてボールを掴み合ってジャンプボールシチュエーションに。
そこでオフィシャルのブザーがなり、三好はベンチに呼び戻された。

十分な時間を与えられたのに、逆にその時間分最後まで持たなかった。
勝負は決している状況での残り一分少々。
代えても代えなくても大勢に何の影響も無い場面。
まだ試合に出てなくて、残りわずかでも出しておこう、というような選手ももういない。
それでも代えられたのは、それが和田コーチからの三好へのメッセージなのだろうか。

最終スコアは85−54
余裕のある点数ではあるが、終盤かなり詰められている。

初日はこの二回戦で終了。
翌日の準決勝、決勝を残して一旦帰宅する。

「そんな落ち込まんでもええやないですか」
「うん」

岡田の言葉に三好は生返事。
一般乗客もいる列車内。
寝ているメンバーもいるし、しゃべっているメンバーもいるし、起きているけれど大人しくしているメンバーもいる。
家はまだ遠い。

「良かったじゃないですか、試合出られて」
「出ただけだよ」
「出られないよりいいじゃないですか」
「出ない方がよっぽど良かったかも」
「なに言ってるんですか」

出なければ、こんな現実見ずにすんだのだ。
プレスに掛かったのは自分のせいでは無いけれど、あとはいろいろと自分の力というのをはっきり分からされた感じだ。
このチームでメンバーに入れたんだからもうちょっと出来るんじゃないかと思っていたのに。

「もうチャンス無いかもしれないな」
「そんなことないですって」
「そんなことあるよ」

あそこで代えられたというのはそういうことなんだろう、と三好は受け取った。
18番に二度は無い。
次はもっと小さい番号を受け取るか、何も受け取らないか、どちらか。
そういうものらしい、と聞いている。
特に、次のインターハイはメンバーが15人では無くて12人になる。
条件は、今より厳しい。

「こんなこともあるって」

柴田がやってきた。
柴田自身、今日はそれほど良い出来はなかったと自分では感じている。
それでも、三好のような落ち込み方はしていない。
柴田が来ると、岡田が立ち上がって席を空けた。
先輩が来たから、ということでもなくて、ただ、別の二年生の方へ向かって行く。

「それほど簡単に行くとは思ってなかったけど、ここまで何も出来ないと思わなかったよ」
「最初だし、緊張とかしたんじゃない?」
「それならまだいいんだけどね。一回戦で、無駄に何十秒か出てたから、変な緊張は無くて、よし関東レベル相手にやってやろう、くらいのつもりでいたら、全然だった」
「力出し切れなかった感じ?」
「自分の本当の力はこんなもんじゃない、とかそういう問題じゃないよ、あれは。あんなもんなんだよ」
「なげやりだなあ」
「なげやりなんじゃなくて。結構冷静だよ、私。関東大会レベルのスタメン相手だと手も足も出ません。それが現実でございます。外のチームと試合するとよく判ったよ。でもさあ、不思議なのは、あゆみ、あれより強いんでしょ。でしょって言うか、強いから勝ったんだけど、でも、あゆみと一対一やってる時の方が威圧感とかもないし、時折止められるしさあ。何が違うの?」
「それ、私が迫力が無いって言われてるみたいだけど」

「試合の時はわかんないけど、普段は迫力無いよ。ああ、でも、練習の、全体練習の時は朝練なんかとは違うなあ、やっぱり」
「慣れもあると思うよ」
「慣れ?」
「毎日やってれば、私がどれくらいのスピードでどれくらいのことが出来るかってなんとなくわかるでしょ。でも、初めて当たる相手はそれがわからない。それに、一対一じゃないしね。私と一対一やってると、私は絶対パス出さないけど、試合なら普通にパスだすでしょ。そういうとこじゃない?」
「あーあ、もうちょっと出来ると思ったんだけどなあ。最初で最後のチャンスをつぶした感じ」
「なんで。最初だったかもしれないけど最後じゃないでしょ。それに絵梨香一人でやってたわけじゃないんだし」
「そう? 気分的には私が足引っ張ってた感じでいるんだけど」
「そんなことないって。五人が五人やられてた感じだよ。って、力込めて言っても仕方ないんだけど」

三好はもう一度ため息ついてひざに頬杖付く。
右側に座った柴田は、そんな三好の背中をぽんぽんと二度叩いた。

「またチャンスあるから。まず、明日。何とかチャンス作るから」
「チャンス。チャンスかあ。チャンス作ってもらっても自信ないって」
「そんなこと言ってても仕方ないでしょ」
「仕方ないけどさあ。まあ、誰も私になんか期待して無いんだし。一番下手なんだし、あたっけくだけって感じで行かなきゃ行けないんだろうけど、でもさあ、へこむって・・・」

付き合いはまだ浅く、こんな風に凹んだ三好を見るのは柴田は初めてで。
なんと言っていいのか分からずに、ただ困った顔をすることくらいしか出来ない。
三好はそれから、結局、疲れたのかそのまま眠ってしまう。
柴田にしても、試合に出ていた時間は三好の数倍あるわけで、規則的に揺れる列車のシートに身も意識も沈めた。

翌日、準決勝。
三好にまでチャンスが回るとか、とてもではないけれどありえないような、そんな試合展開になった。

相手チームのポイントは、中国人留学生。
去年までもその留学生はいた。
ただ、40分フルに活躍することが出来なかった。
ある種ワンパターンであり、また、スタミナ面で問題もあり。
それなりのレベルの相手には通用していたが、トップレベルと戦うと時間が経つにつれて埋没してしまっていた。

今年は違う。
スタミナがついたのか、というとそれもちょっと違う。
人が増えた。
もう一人中国人留学生がやってきた。

オンコートワン。

コートの上に外国人留学生は一人しか立つことが出来ない。
そういうルールがある。
ベンチには二人は入れるけれど、試合でコートの上に同時に二人たつことはできない。

ジュンジュン。
リンリン。

コンビ、というわけではないのだが、富岡はこの二人に苦労することになる。

富岡が去年のチームと比べて決定的に欠けるものは、頼れるセンターの存在だ。
道重さゆみは面白い。
なぜにそれほど取れる、というくらいにリバウンドは取る。
だけど、頼れるセンターか? と問われれば、頼りになる、という答えはちょっと返しにくい。

センターの仕事としてリバウンドを取ることは重要だ。
しかしながら、それしか出来ないセンターというのもどんなものだろうか?

ジュンジュンのマークに道重をつけた。
外からのシュートが外れると、スクリーンアウトでジュンジュンを押しのけてしっかりとリバウンドは取れる。
ゴールに近いところからの石川のシュートが外れたようなとき、オフェンスリバウンドをさらったりする。
これは大事なことだし、それが出来るから試合に出られるのだけど、リバウンドというのはシュートが外れた時にしか起きない。

道重の困った点は、ディフェンスが甘い、ということだ。
ジュンジュンのマークについて、ジュンジュンにボールが入り、ジュンジュンがシュートを打つ。
外れればリバウンドは拾えるだろう。
しかし、入るのだ。
ディフェンスが厳しくないから。

ゴール下のポジション争いなら道重の方が上手だ。
ここを抑えたい、というところを抑えられる。
しかしながら、ミドルレンジまで相手が開いた時に対処が出来ない。
どうも、感覚的にはポイントは分かるようなのだが、体がついていかない。
スピードがないのだ。
ゴール下以外では、かなり相手にフリーの感覚でシュートを打たれてしまう。

ただ、ジュンジュンにも問題はあった。
一つは体力。
もう一つは集中力。
長い時間高い集中力を保ってプレイできない。

それを解決するのがリンリンである。
二人でどうにかする、ということではなく、ジュンジュンを下げてリンリンが入る。

単純に入れ替わるわけではない。
二人は身長が全然違う。
よって、ポジションも違う。
代わる時は必ず二枚換え。
リンリンはガードポジションに入る。

富岡でリンリンのマッチアップに付くのは田中だ。
リンリンが入るとバスケットが変わる。
じっくり構えてゴール下へ、というバスケから速い展開でシュートまで持って行く、という風に代わる。

この変化と、リンリンの力量に田中が対応しきれない。
何が大変って、よく動くのだ。
元々二十分程度、試合の半分しか出ないのが前提のリンリン。
その程度なら、体力消費を気にせず飛ばしても問題は起こらない。
一方の田中は、本人は40分出るつもりでやっている。
元々体力面はそれほど強くない。
どうしてもリンリンに振り回されることになる。

リンリンもジュンジュンも、強さは攻撃力なので、富岡オフェンスは滝川戦のような苦労を強いられることは無かった。
そもそも、マッチアップの田中も道重も、得点源ではない。
結果、両チームとも点が入る展開になる。

前半終わって53−49と富岡のリード。
後半に入り、富岡が前から当たって圧力を掛けるが、その展開は読まれていてこの場面ではリンリンの方がコート上にいる。
二十分リンリンは40分田中より一枚上手らしく、抑えるには至らない。
和田コーチは、田中よりも高橋をあてがった方がいいのだろうな、と思ったけれど、マッチアップは変えなかった。

この大会、優勝することが目的ではない。
もちろん、負けても良いということではないが、負けるリスクは覚悟してやっている。
勝負はインターハイ、そして冬の選抜。
今はそこへ向けた育成期間だ。
今日勝つことだけを考えた采配はしない。

「田中! 捌かれてもいいから、簡単にシュートだけは打たすな」

パスでどこかへ捌かれても、高橋や柴田ならそこで止めてくれる。
石川もしっかりとディフェンスできるようになった。
それよりも、リンリン自身にシュートを打たれるほうがよほど怖い。
全部抑えろ、と言える状況で無いので、一つやることをはっきりさせてやる。
三クォーター途中、富岡が前から当たるのをやめたところでリンリンは外れジュンジュンが入ってくる。
今度は道重の番だ。

ゴール下で中に入られるということはあまりない。
外に開かれてのミドルシュート、あるいはポストで背負われてからの勝負、その辺が問題だ。
ポストプレイは外からも圧力がかかる。
石川なり柴田なりが挟み込むようにプレッシャーを掛ける。
ターンされると自分で対処しないといけないが、外から挟まれた段階でジュンジュンは一旦外へ戻す。
外へ戻させればそれほど脅威は無い。

道重一人では対処しきれていないが、周りがジュンジュンに慣れてきた。
段々と、自由にプレイさせなくなっていく。
三クォーターは少し得点が止まり69−62と富岡リードで最終クォーターへ。

またリンリンが出てきて田中は翻弄される。
これは周りもどうしようもない。
抜かれればカバーはするが、それまではどうしようもない。

一瞬追い上げられたけれど、突き放したのは石川だった。
一桁点差で終盤、というのは久しぶりのこと。
ちょっと、燃えた。
自分で勝負。
そういう雰囲気は周りにも伝わったので、石川へボールは集まる。
マッチアップの相手は並だ。
普通に勝負すれば勝てる。

ただ、点をとっても取られたら点差は開いていかない。
必要なのはディフェンス。
リンリンをどうにかすること。
今年留学してきた一年生には、富岡というネームバリューでの圧力は効かない。
地力でなんとかするしかない。

最後の判断は田中が自分でした。
捌かれてもいいからシュートは打たせるな、が三クォーター途中に出たベンチからの指示。
田中はそれに逆らった。
シュートは打たれてもいいから抜かせない。
外から打たせないようにタイトに付くと、今の自分では抜かれてしまう。
距離を取っておけば抜かれずに付いて行くことは出来る。
抜かれてシュートを打たれるのと、外からそのまま打たれるのでは、単純に距離の分、外からそのまま打たれるほうが多分まだましだ、と思った。

これが結果的にはうまくいった。
かわしてそのままジャンプシュート、の方がリンリンにとってはリズムよく打てて入るらしい。
パスを受けて、ディフェンスが遠いからじゃあそのまま打ってみようか、という流れで打つスリーポイントは、しっかり決まらなかった。
このスリーポイントが二本三本と続けて決まってくるようだと一大事だったのだが、二本続けて外れ、そのリバウンドを拾った道重発の速攻を、最後は石川がミドルレンジからジャンプシュートで決めて突き放す。
これで終盤の流れが決まり、最終スコアは87−78で勝利した。

そのまま午後に決勝。
午前中、結局最後まで出ずっぱりになったスタメン組みには疲労も残っている。
特に田中にその色が顕著だ。

ただ、相手も条件は同じ。
関東大会の決勝。
県大会レベルのチームが見ると大きな大会だけど、インターハイで勝ちに行くチームにとっては年中行事の一つ。
どうしても勝ち取りたい、というようなタイトルではない。
勝っても負けても、インターハイの出場権は県大会で別に持っている。
二日で四試合目の疲労。

位置づけが微妙な試合である。
もちろん、気が抜けた試合、というのをするわけではないのだが、両チームとも極限まで集中力を高めた試合、というところには至らない。
今ある力で全力で戦う。
そのくらいまでだ。

前半は34−30
小さなリードで終える。
後半、前から当たる場面で田中にファウルがかさんだ。
足が付いてこない。
ファウル三つになったところで一旦下げる。
ただ、プレス自体は効いた。
疲労の色は相手も濃い。
安易に長いパスで逃げようとして石川が捕まえたり、普通に前から押さえ込んで高橋や柴田の網にかかったり。
ここで点差が二桁まで開き、そのままその点差を最後まで守って行った。

最終スコアは69−57
苦労はしたけれど、何とか優勝を果たした。

 

一つ片付けばまた別の一つの問題が湧き上がってくる。
問題が出てくるのは問題がそこにあると認識できる能力があるから、という場合もある。
チームの他のメンバーがどう思っているのかわからないけれど、福田は、また、一つのことが気になっていた。

県大会前は、松浦ワンオンワンわがままケンカ騒動で盛り上がってしまったが、それを解決して予選を勝ち抜いた。
松浦の件はそれでいい。
なにも問題は無い。
いや、過剰スキンシップは問題だけど、それは個人と個人の問題だ。
チームにはあまり関係ない。
ちょっと困った顔を紺野がしてても、それも関係ない。
もっと直接的な、大きなことが福田は気になっている。

スタメンは今のままでいいんだろうか?

松浦の問題は解決した。
吉澤はキャプテンで大黒柱で、はずすなんて考えられない。
あやかのポジションは代わりが出来る人間がいない。
自分が外れる気は毛頭無い。

一年くらい前だろうか、保田に言われたことがある。

「明日香が最初に何か言っちゃうと、周りが考えなくなるから、周りがいろいろ意見言った後に明日香は発言してよ」

遠まわしに、お前一年のくせにしゃべりすぎ、と言われているのかなと思わないでもなかったけれど、一理あると思ったからそれに従ってみた。
そうしたら、意外とみんなそれぞれ考えてることがあるんだな、というのが分かった。
そして、その中の一人として発言すると、冷静に話を聞いてもらえるもんなんだな、と思った。
吉澤との関係が改善したのはそのころからだ。

人の話を聞くようになって、話し方も少し変わった。
多少は聞く人の気持ちを考えるようになった、と思っている。
自分の立場と相手の立場を考えて、こういう言い方をすると相手は傷つくとか、きっと反発するとか、そういうことを考えるようになった。
ちょっと腹黒くなったのかな、という思いと、ちょっと大人になったのかなという思いとが合い混ぜになっている。
それともう一つ、言いにくいことを言わずに後回しにするところが出てきてしまった。

問題は、もう、去年の段階から感じてはいたのだ。
ただ、松浦が怪我をして、その後保田がチームを離れて、結果的にスタメンの五人は迷うことなく決まる状況になっていた。
だから、先送り先送りにしてきた。

状況が変わったのは四月。
一年生が入ってきた。

四月、五月、六月。
一年生は三ヶ月もあれば伸びてくる。
紺野だってしっかりみんなの練習に混ざっている。
まして、元々の素養があって自分が育てれば伸びてくるはずだ。

辻をスタメンで出したい。

単純に辻を入れるなら、入れ替わるのは自分だ。
だけど、それはありえない。
いろいろな意味でありえない。

辻は自分が育てているという認識がある。
松浦が紺野をかわいがるような、そんな扱い方をしたことは無いし、辻のことをかわいいと自分が思っているかどうかはよくわからない。
自分だけを見ずに、いろいろな人からいろいろなことを学び取ればいい、という姿勢で接してはいる。
だけど、育てているのは自分だという意識がある。
そうすると考えてしまうのは、自分は公正な目で辻を見ることが出来ているだろうか、ということだ。
そして、自分は公正な目で市井を見ることが出来ているだろうか。

辻と市井は単純な入れ替えは出来ない。
市井を外すならそこに松浦をスライドさせて、辻を入れることになる。
辻と自分が両方コートに立つと、身長が低すぎておそらくどちらかはミスマッチが出来てしまうだろう。
それが分かっているのに、それでも市井ではなくて辻を入れることに価値はあるだろうか?
それが分かっているのに、辻を入れたいと思うのは、自分のエゴだろうか?
辻のことをかわいい、と思ってしまっているのだろうか?

前に松浦に話したことがある。
市井は、何とかしてくれるんじゃないかと思わせる何かがある、と。
たとえ今日がダメでも、本当の勝負どころではこの人が何とかしてくれるんじゃないか、と思ってしまう部分がある。
それは、実は今でもまだ福田はちょっと思っている。

だけどそれを横においてこの一年ちょっとを振り返ってみる。
そうすると思うのだ。
市井紗耶香は成長していない。

福田がまだ一緒にいた中三の頃の市井は、それなりの選手だった。
たぶん、本当の黄金期は自分が見ていない高一のころなのだろう。
それから一年留学して、戻ってきた市井は、普通の人だった。
それは変わらず、今も普通の人だ。

スタメンもベンチ入りメンバーも、すべては相対比較で決まる。
たとえ普通でも、たとえ成長していなくても、周りがそれを超えていなければ、スタメンはスタメンのままだ。
戻ってきてから一年ちょっと、市井はずっとスタメンだった。

代えるべきなんじゃないだろうか。
そう、福田は思い始めている。

市井のことは好きだった。
中学の時、市井と保田がいたから自分はチームに受け入れられたのだと思っている。
その頃は保田よりも市井の方がはっきりとリーダーシップを示していて、その市井が自分のことを認めてくれたから、周りも、生意気だとか多分思われてはいたのだろうけど、それでも受け入れてもらえたんだろうと思う。
そのことへの感謝は今も変わらない。
あの妙なビックマウスも好きだった。
どこに根拠があるんだ、というようなことをよく言っていたが、市井が言うとそれが心地よく聞こえる。
何でかはわからない。
とにかく、市井のことは好きだ。

もし、スタメンを外されたら、市井先輩はそれからもチームの一員でいてくれるだろうか?

そんなことも考える。
何も言わずに次の日から姿を見せなくなるんじゃないか、とも思う。

それはイヤだ、という思いもあるし、それでもチームのためならスタメンから外れてもらわないといけないんじゃないかという思いもある。
もう一歩奥まで踏み込んで考えると、スタメンから外れたとしても六番手としての市井は貴重な存在だ。
へそを曲げて辞められるのは困る。
今のままのスタメンにしておけば、六番手にしっかり辻がいて、その状況の方が市井がいなくなってしまうよりいいんじゃないかとも思う。

そして、そんなことをごちゃごちゃ考えている自分が、なんだかいやだった。
深く考えている、を理由にして結論を先延ばしにしているだけのように感じる。

福田は、向き合っていた練習日誌をバンと机にたたきつけた。

考えがまとまらない。
机を離れて自分のベッドへ向かい仰向けになる。

あまり今までそういうことをしたことは無いのだけど、誰かに相談してみようかな、とふと思った。
誰か。
目を瞑って最初に浮かぶ顔は松浦。
却下。
手放しで、辻スタメンに賛同するに決まっている。
理屈ではなく。
他のことはともかく、このことに関しては松浦は相談するに値しない。

チームの外の人に話しても仕方ないのだから、チーム内で考えるしか無い。
次に浮かぶのは、顧問の中澤、その次にキャプテンの吉澤。
だけど、そこは、結論が出てから主張する相手、のような気がしている。
それに、この二人はチームの中で特に、市井をアンタッチャブルに扱っているところがある。
ちょっと相談という形で話を持ちこむ気になりにくい。

消去法、と言ってはいけないけれど、残ってくるのはあやかだった。
シフォンケーキおいしかったなあ、と余計なことも頭に浮かぶ。
チームの中で市井と対等に口が聞けるのあやかだけ、とも思う。
特別な存在、という意識もして無いだろうし、松浦のように毛嫌いする対象という風にも見ていないだろう。
話はちゃんと聞いてくれる。
これ以上ないくらい、話をするのに相応しい存在のような気がした。

あやかに声をかけたのはその三日後の金曜日。
選択芸術の音楽から教室に戻る時に、化学の授業から戻ってくるあやかを、二階の渡り廊下で見かけた。
普段なら軽く頭を下げるいなのだけど、福田の方から追いついて声をかけた。

「あやかさん化学取ってるんですか?」
「あれ、明日香。うん。センター化学で受けるつもりだから」
「文系って割と生物地学で受けません?」
「一年二年で一番点良かったのなぜか化学だったんだよね」

それなりにしっかり進学校な松江、三年生はそろそろ進路をきちんと考える時期だ。
インターハイに出るなんてことになった女子バスケ部は特殊で、多くの三年生はもう部活引退の時期を迎えている。

「あやかさん、明日暇ですか? 練習終わった後とか」
「明日? 明日? うん。ちょっとなら。夜は予備校だけど、それまでなら時間あるよ」
「ちょっと話ししたいんですけどいいですか?」
「何? 進路相談? 恋愛相談? あ、ごめん。期末の過去問今日も忘れてた。明日持ってくるよ」
「それはいいんですけど、じゃあ、練習終わった後、いいですか」

渡り廊下は終わって本館にたどり着く。
ここから、あやかは廊下に沿って教室へ、福田は一つ上の階に階段で上がる。
その分岐点で立ち止まった。

「うん。着替えて集合?」
「はい。門の前集合でお願いできますか?」
「部室でいいんじゃないの?」
「いえ、あの、あんまり他の子に聞かれたくないんで」
「ふーん、まあ、いいや。じゃあ、この前のケーキのお店また行こう」
「はい、じゃあ明日お願いします」
「それじゃね」

あやかは手を振って小走りで掛けて行く。
福田はその背中に軽く会釈した。

翌日、普通に練習を終えて正門前に集合。
集合と言っても、先に出たあやかの様子を見て福田も後から部室を出て行ったというだけである。
それぞれ吉澤や松浦という、一緒に帰りそうな相手は別にいるのだが、二人がまだ体育館にいる間に抜けてきた。

「期末テストの過去問渡しとくよ先に」
「ありがとうございます」
「数学なんかは理数科だと役に立たないんじゃないの?」
「でも、無いよりいいですし。うちの先生の分は他の子が集めて持ってくるはずだから」
「クラスぐるみで過去問集めるのが理数科って感じだよね」
「そんなこと言いつつ、あやかさんだって昔のテスト持ってるじゃないですか」
「なんとなくあった方がいいかなあと思って」

あやかさんの場合、放っておいても自然とこういう情報が集まってきちゃうんだろうな、と福田は思う。
うらやましい限りだ。

テストがどうとか、梅雨が明けるとか、そんな話をしながらケーキ屋さんまでたどり着く。
土曜日の夕方、なかなかに混んでいる時間であるが、テイクアウトで並んでいる客が多く、二人はその列に並んで注文待ちしている間に席が空いた。
福田が荷物を置いて場所を確保して戻ってくる。

「後輩らしく働いたからおごってあげましょう」
「いいんですか? 今日は私から誘ったんですけど」
「期末の過去問も遅くなっちゃたし、お詫びにね」

あれはこっちが勝手にお願いしただけなのに、と思うけど、あやかさんにならおごってもらえば良いか、と素直に受ける。
シフォンケーキが売りのお店だけど、福田はストロベリータルトを注文した。

「あやかさん予備校通えてるんですか?」
「うん。土日だけだけどね」
「大変ですね」
「でもみんなそうでしょ。部活引退したら平日も通ってるし。私はその代わりに部活やってるだけで」
「吉澤さんってどうするんですか?」
「どうするって進路?」
「はい」
「わかんない。知らないって言うか、本人が決めてないみたい」
「決めてないってそんな時期でもないと思うんですけど」
「インターハイ出ちゃってるから、私立で選ばなければAOでもスポーツ推薦でも多分どこかは入れちゃうし、専門なら準備する必要も無いし、就活は気が向かないし、みたいなこと言ってたかな」
「大丈夫なんですか?」
「大丈夫なんじゃない、よっすぃーなら。なんとなくだけど」

それでいいんだろうか、と福田は思いつつ水の入ったグラスに手を伸ばす。
二人の頼んだ飲み物とケーキorタルトはまだ来ない。

「市井先輩はどうするかって聞いてます?」
「進学はするみたいよ。あんまり真剣に準備してる感じは無かったけどまともに受験する気みたい。部活立ち上げてインターハイに出て、海外留学までして、自己推薦で無敵みたいなカード持ってるけど、それ使っちゃうのってなんかつまんないじゃんって言ってた」
「進路ってそんなおきらくでいいんですか?」
「人それぞれだから。私はそれ以上何も言えないよ」

福田にしても、人の進路にそれ以上あれこれも言えない。
市井の話を振って、そこから先へつなげてみた。

「市井先輩って、バスケ部のことどう思ってるんですかね」
「どうって?」
「自分のためにバスケ部があるのか、バスケ部のために自分がいるのか」
「なんかアメリカの大統領みたいなこと言うね」
「チームが自分に何をしてくれるかではなく、自分がチームに何が出来るかを考えよ、ですか?」
「うん」

国、じゃなくてチームで言ってみた。
あやかがうなづくので本筋に踏み入ってみた。

「市井先輩、スタメン外れても部活やめないと思いますか?」
「どういう意味?」
「そのままの意味です」
「どうだろう。怪我とかそういう理由ならそのままいそうだけど、そうじゃなかったら辞めそうな感じするな」

あやかの意見は、福田のもつ感覚と同じだった。
福田が考え込んでいると、あやかが切り出した。

「明日香は、市井さんをスタメンから外したいと思ってるの?」

福田の話が何なのか、というのを察し始めたあやかの問いかけ。
少し考えてから福田は答えた。

「スタメンを決めるのは私じゃなくて先生や吉澤さんの役目だと思います。だけど、どういうチームを作って行くかっていうのは私にも考えがあって。市井先輩はこのチームを作った人だし、私もいろいろと感謝してます。だからチームからいなくなられたら困るとは思ってます。だけど、今のチームを見た時に、私は、市井先輩じゃなくて辻をスタメンに入れたいって、そう思ってるんです」
「辻ちゃんにフォワードやらせるの?」
「市井先輩のポジションには松がスライドします。辻には私のフォローみたいな立場で。シューティングガードっていう感じで。そうするとちょっと身長厳しいから相手によってはミスマッチ出来ちゃってディフェンスつらいことになるかもしれないですけど、その場合は元の形でやればいいと思うし」
「その話誰かにした?」
「まだ誰にもしてないです」
「そっか。だからわざわざお呼び出しだったんだよね」

店の中はざわついている。
二人と同年代の客は少なく、大体二倍から三倍程度の年齢が多い。
食べ物飲み物、値段設定が高校生向けではない感じの店だ。
その片隅に座り、制服を着た二人は話を続ける。

「私はあんまり、スタメンを誰にするかみたいなことに意見は無いんだ。決められた中でやるってことで考えてる。明日香は今までもそういうの結構意見してきたよね。正直ちょっと驚いたんだ。話があるから明日時間あるかって聞かれて。今まで、こういうの、こういうのってその、チームに関してどうするっていう意見みたいなこと、誰かに相談してから言ってたの?」
「いえ、全部自分で考えて思ったことを言ってました」
「じゃあ今回に限って、誰かと話したいっていう迷いがあるんだ」
「迷いって言うか、よくわからないんです。何がいいのか」
「いいって?」
「市井先輩を外して辻を入れようっていう考えが」
「はっきり意思が決まってるって感じのしゃべりだったけど、違うの?」
「私、辻に対しての評価が甘かったりしませんか?」
「んー、明日香が辻ちゃんをどう評価してるのかわかんないからなあ」

私は後輩辻希美をこの項目ではこう評価してこうですので、今年の査定はこうしたいと思います、決済してください、というのとは違う。
福田は福田で辻を見ているし、あやかはあやかで辻を見ている。
あやかにこの段階で分かるのは、福田は辻をスタメンにしたいと思っている、ということだけだ。

「自分がチームのことを考えているのか辻のことを考えているのかわからないっていう部分があります。それと、市井先輩のことをどう考えていいのかわからない。戦力として、市井先輩はいないと困る人です。だけど、部活を続けるとかやめるとかは戦力として必要かどうかとは違う話で。それが一緒になっちゃって考えてる自分がちょっとイヤだったりするし。わからないんです。いろいろと」

福田の頭の中が整理されていないので、出てくる言葉はあやかとしてはあっちにとびこっちに飛びしている印象を受けてしまう。
話の焦点がちょっと見えづらいのだけど、あやかは答えた。

「明日香はいろんなこと考えて偉いと思うよ。でもさ、最後は先生とかよっすぃーに背負ってもらおうよ。明日香は意見言うだけでいいよ。辻ちゃんをスタメンに入れたいと思う。理由はこれこれこうだから。なるほどって思えば、辻ちゃんがスタメンになるし、思わなかったらこのままだし。それでいいんじゃないかな」
「でも、私のせいで市井先輩がチームからいなくなるってことになるのもイヤなんです。そういうこと考えてる自分もなんかイヤなんですけど」
「それも明日香のせいってことじゃないよ。いなくなるって決め付けることもないし。それはそうなったらなったで考えればいことだよ。案外、試合だるかったんだよね、とかいってベンチで采配振るい始めるかもしれないよ」

話中断。
店員がケーキと飲み物を持ってくる。
ストロベリータルトにアイスティー。
シフォンケーキにアイスコーヒー。
ストローの袋を破いたり、ガムシロップを入れたり、それぞれの準備をする。
飲み物の準備が出来て、ケーキ類にフォークを入れて一口つまみ、落ち着いたあたりであやかが話を続けた。

「明日香がさ、試合で勝つために辻ちゃんをスタメンに入れたいって思うなら、先生とよっすぃーにそう言ってみなよ。いつもみたいに。私は、明日香が辻ちゃんに肩入れしてるとかそういうのは思わないよ。いつもと一緒で、チームが勝つためにどうしたら良いかを考えてて、出て来た結論がそういうことなんだろうなって思う。その結論が正しいかどうかはわからないけどね。明日香が辻ちゃんのことだけ考えてるとか、明日香自身のことだけ考えてるとか、そうは思わない。いつもと一緒だよ」

福田はタルトを切って口に持って行きつつ話を聞いている。
あやかの言う言葉の意味を考えながら。

「市井さんのことは後で考えればいいよ。先生やよっすぃーが、市井さんの方がスタメンにふさわしいってなれば、明日香の悩んでること何も意味なくなるんだし。それに、スタメンはずれたからって来なくなるとも限らないしさあ。そこまで心配したらきりがないよ。なったらなったで考える。市井さんの家まで押しかけて行って、ドンドンドン、出てこーい! とかやっちゃおうよ」

あやかが最後の部分をゼスチャーつきで語ったので、福田も笑みを見せた。

「明日香はいつも通り言いたいこと言えばいいって。あとは先生とよっすぃーで判断するよ。でも、珍しいよねホント。明日香がこういう風に相談するのって。いつもあややに相談したりとか実はしてるの?」
「あんまりそういうことしないんですけどね。でも、なんかわかんなくなっちゃって。最近、物事をシンプルに考えられなくなっちゃってる気がします。考えなくていいところまで考えてるっていうか。どこまでが考えるべき範囲でどこまでが考えなくていい範囲なのか、そういう区別が出来なくなってて」
「それだけいろんなことが見えるようになったってことじゃない? バスケのことだけ考えるのにはマイナスなのかもしれないけどさ。明日香も年取ったってことだよ」
「なんかおばさんみたいじゃないですかそれ」
「明日香がおばさんだと、わたしおばあさんになっちゃうからそれはやめとこう」

あやかがケーキにフォークを下ろしたので福田もタルトをきざむ。
あやかと話してみて、福田の気持ちはほぼ固まった。
先生と吉澤に話してみる。
余計なためらいとかそこに至る思考とか、あやかに見せたそういう部分は出さずに、先生と吉澤には結論部分だけ主張してみる。
別に、あやかは福田の主張に賛成したわけでも正当性を見出したわけでもない。
自分の考えをあやかが裏付けてくれたというようなわけでもない。
ただ、話を聞いてくれて、ただ、言いたいことは言えばいいと言ってくれただけだ。
それでも福田にとっては十分だった。

「あやかさんってわりにいやし系ですよね」
「そう? あんまりそういう言われ方したことないけど」
「相対比較でそうなっちゃうのかもしれないですけど。周りと比べてあやかさんのまわりだけ空気の流れがゆっくりですよ」
「周りってよっすぃーとか?」
「比べる相手が悪いですか?」
「バスケ部の中で考えたら、確かにそうなっちゃうのかなあ?」

吉澤や松浦、市井まで取り出してみても、その辺ではいやしには程遠い。

「あやかさんがいなかったらこのチーム、もっと結構とげとげしい感じになってた気がします」
「みんな個性強いからねえ。自己主張も。よっすぃーまとめるの大変だと思うよ」
「いちばんとげとげしくしてるのは私かもしれないですけど」
「そういう子が一人は必要なんじゃない? 悪意で攻撃してるわけじゃないんだし。もうみんなその辺は分かってると思うよ」
「悪意じゃなくても、とげとげしいのは確かだから。松ともけんかにしちゃったし。もうちょっと私も言葉選べればいいんですけど」
「でも、ちゃんと考えてるじゃない。市井さんの話も考えてこうやって私に話してるんでしょ。そんなに気にしなくて大丈夫だって」
「なんか、あやかさんと話してるとほっとします」

福田の正直な気持ちだった。
一つのことを突き詰めて突き詰めて考えて行くのは苦しいし疲れる。
それで出た結論を口に出すと、波風立つのが分かっているけれど、それでも言わないでいられないのもつらいのだ。
なんとなく、そんな気持ちをあやかには話せてしまう。
あやかの持つ雰囲気と、チーム内での立ち位置がちょうどいいのだろう。

「あんまり肩に力入れすぎちゃダメだよ。自分で何でも抱え込むこと無いから。あんまり役にはたてないけどさ、話くらいはいつでも聞くから。いつでもおごりとは限らないけど」
「あ、すいません。ごちそうさまです」
「明日香、案外こういうお店似合うよね。よっすぃーよりずっと」
「そうですか?」
「よっすぃー、なんか浮くんだよねこういうところ来ると。どっちかって言うと牛丼屋さんとかのが似合っちゃう感じで」
「吉澤さん、一人で牛丼屋とか入ってそうですもんね」

福田はそう口で言いつつ、自分の意思でこういうお店を選んでくるより、吉澤さんには練習帰りに牛丼大盛りを食べてて欲しい、となんとなく思う。

夏至を過ぎたこの時期、日が暮れるのは一年でもっとも遅い。
東日本と比べてさらに日の入り時間が後ろにずれているので、外はまだかなり明るいが、時間としては十分に夜になっている。
それほど長い時間話しこむことは出来ず、普通のペースでケーキを食べ終えたところでそのまま店を出た。
あやかは駅前の予備校へ、福田は家へ帰る。

「すいません、あまり時間ないのにつきあわせてしまって」
「ううん。そのまま行っちゃうとおなか空いちゃうから、どうせ何か食べるんだし調度良かったよ」
「どうもごちそうさまでした」

店の前、軽く会釈する福田に手を振ってあやかが歩いて行く。
あやかが背中を向けたのを確認して福田も帰路についた。

福田が結局吉澤と中澤に自分の考えていることを話したのは週が開けて水曜日の昼休みだった。
中澤に一部屋取らせてそこに吉澤も呼んだ。
二人ともいぶかしげな風であったが、福田は気にせず思っていることを話した。
あやかに話したような情緒的な迷いの部分は提示せず、筋道立てて、辻をスタメンにしたい理由と、それによって生じる戦術上のメリットデメリットを話し、近いうちに発表される組み合わせを見て考えるべき部分はあるけれど、市井を外して辻を主軸にしたいと伝えた。

「みんなの前で出来る話じゃないと思って呼び出したのか」
「さすがにまずいかなと思ったんで」
「正解。さすがに明日香でも体育館でこんな話はでけへんて」

福田が言いたいことを言う時は大抵練習後のこと。
あまりこうやってそれ以外の場所に人を集めることはしない。
こういうやり方は吉澤が誰かと話したい時にするやり方だ。
だから、吉澤も中澤も意外そうにしていたけれど、福田の話を聞いてみて納得したようだ。
そこには納得したのだけど、話の中身についてはどうなんだろうか。
二人の表情から福田はそこは読み取れない。

「福田はそれずっと前から思ってたの?」
「そんなに前でもないです。ただ、新一年でスタメンレベルの子が一人や二人は入ってくるんじゃないかとは思ってました。そうしたらスタメン組み替えることは考えなきゃいけないって。実際にはすぐにチェンジってほどの力の子はいなくて、辻もちょっと危なっかしかったし。だけど三ヶ月見てきて、そろそろ大丈夫かなって」
「自分でも言うてるけど、辻ちゃんと紗耶香やと、身長ずいぶん違うしなあ」
「それはもちろんあるんですけど」
「ベンチに座ってる市井さんってイメージできないんだよなあ」

あまり、色よい返事は帰ってこない。
二人とも、そういうことは想定していなかった、という感じだ。

「辻ちゃんと明日香って、同時に試合に出るもんなんか?」
「そういう練習してませんよねほとんど」
「だから、これからするんですよ。これからだからすぐ始めないと間に合わないんですよ」

中澤も、大分コーチらしい発言をするようになっている。
石黒や和田のように上から指示ということは能力的にとても出来ず、生徒と近い距離にいる矢口と多少似た立ち位置だ。

「辻ちゃんに、自分もスタメンっていう意識を持たせるのはええかもしれへんけどなあ」
「市井さんはずしたら攻撃力大分落ちない? ディフェンスもやっぱ身長足りなくなるし」
「イメージとしてはそうなのかもしれないですけど、数字を見ると案外市井先輩点取ってませんよ」

福田の頭には、どの試合でどういう展開で誰がどの程度の活躍をしたかは大体頭に入っている。
その場その場の印象値だけでなく、スコアブックを見て、各試合各試合精査している。
市井のスリーポイント、というイメージを中澤や吉澤は持っているが、福田としては、ポイントになる場面で入ることはあるけど結構確率は低い、という認識だ。

「勝ち抜いて行くには五人じゃきついのは確かなんだよなあ。六番目が辻ちゃんなのは確かに思ってるんだけど、それをスタメンにするってのはどうなのかなあ」
「明日香にそんなん言われんと、全然そんな発想なかったけど、よくよく考えてみると、まったく無いってことも無いかなって思うわ。実際に試合でスタメンにするかはともかく、辻ちゃんにその可能性を提示して練習させるっていうのはありかもしれへんな」
「可能性だけなんですか?」
「明日香、辻ちゃんと代わるのが明日香でもええんよ」
「先生、そんなスタメン組む勇気あるんですか?」
「去年、圭坊外してるんだから、明日香でも吉澤でも外せるって」
「じゃあ、市井先輩も外せますね?」

ずいっと切り込む福田に、一瞬中澤は言葉を返せない。
保田の場合は保田が自分から提案してきたことで、市井の今回の話とは大分違う。
ただ、それでも、コーチとしての建前はちゃんと答えた。

「誰も特別扱いはしない」

それはそうだよなあ、という風に吉澤が隣でうなづいている。
二人と向かい合う位置に座る福田もうなづく。
言葉を繋いだのは中澤だった。

「特別扱いはしないけど、一人一人扱い方は違ってくるよ。みんな違う人間だから。一人一人の気持ちは考えながらやってかないとうまくいかないし」
「傷つけることになるからスタメンは変えないってことですか?」
「そうは言わない。誰にしてもスタメンになることはあるし外されることもある。ただ、外す時にどう対処するかは人と場合によって違うってこと」
「じゃあ、市井先輩を外すってことですか?」
「それは今この場では答えられないかな。明日香。意見いっぱい言うのはええよ。でも、さすがに明日香がスタメン決めるわけにはいかないって。そこまで明日香に背負わせられへん。吉澤には背負ってもらうけど」
「福田の思ってることは分かったよ。後は先生と二人で考える。それでいいかな?」
「分かりました」

いまいち納得できないような気はしたけれど、中澤と吉澤の最後の言葉は正論だったので、福田はそれ以上はいわないことにした。
なにしろ、福田自身にもちょっと迷いがあるのだ。
あやかに話し、中澤や吉澤に話すことで、なんとなく辻をスタメンにする、という意見にこだわりが出始めていて、徐々に主張が強くなってきているが、それでもまだ迷いがある。
二人を説き伏せて自分の主張が通ったことを確認する、というところまでやる気にはならなかった。

「すいません、呼び出して。失礼します」

福田は席を立ち、頭を下げて部屋を出た。

部屋に残された中澤と吉澤。
昼休みはまだそれなりに時間がある。
福田が帰ったからじゃあ解散、とはならない。
善後策の検討である。

「よっさん、どう思う?」
「最初は、はぁ? って思いましたけど。でも、なんか話し聞いてるうちに、意外にありかもしれないなあって思いました」
「ありか」
「あややと福田、この前ケンカしたじゃないですか。先生その頃見てなかったけど、辻ちゃんスタメン組みに混ぜたりしてたんですよその時。あややの代わりとか福田の代わりで。結構しっかりやるんですよ」
「県大会の時も十分出来てたとは思うよ。私も。でも、そういうことじゃなくて、紗耶香との比較なんだよな」
「市井さんとの比較って、難しいですよね」
「ちょっと違うしなあ」
「でも、福田が言ってたけど、辻ちゃんは伸びてるっていうのは確かに感じますよ。どんどんうまくなってる感じはあります」
「身長低すぎへん?」
「身長もちょっと伸びてるんで、このまま伸びてくれればうれしいんですけど」
「さすがに、そっちはそうそう伸びるもんやないって」

福田と辻で身長を比べれば、もう辻の方がはっきり高い。
だけど、松浦や市井と比べるとまだ大分低い。

「身長はともかく、五対五の練習でスタメン側に辻ちゃん入れるのは結構賛成だなって思い始めました」
「誰と代える?」
「それ問題なんですよね・・・」

吉澤がため息。
市井を外して辻を入れる、というのがどうしても違和感を感じるのだ。

「辻ちゃん入れるのはありかなってうちも思うんよ。でも、その場合誰と代えるっていう考えが明日香とは違ったな」
「誰と代えるんですか?」
「素直に考えれば、辻ちゃんが代わりに入るのは明日香のとこがいちばんええんと違う?」
「確かに」
「辻ちゃんの使い方。いちばん考えられるのが明日香を下げて休ませること。次に考えられるのがあややを下げて頭を冷やさせること。紗耶香と代えてスタメンって発想はなかったわ。途中で紗耶香はあるけど」
「体力無いですもんね、福田」
「インターハイ真夏やから。去年もそれで苦労したけど、今年は勝ち上がって行くつもりでやるから連戦できつくもなるだろうし。そういう意味で福田をちょっとでも休ませるのに辻ちゃんで繋ぐっていうのがいちばんいいと思うんよ」
「それは私も賛成ですね」

自分と代わるはありえない、というのが福田の考え方であったが、二人の見立ては違う。
実際、滝川カップでは福田欠場で全試合辻を使ったのだ。

「ただ、スタメンで明日香を外すってのは考えにくい。あややもな。そうすると紗耶香ってことにはなるんやけど。どうかなあ」
「辻ちゃんの方が全面的に上ってことはないですよね」
「今はね。ただ、半年後どうかっていうと辻ちゃんのが期待できる気はするんよ。この先の伸びを考えると、辻ちゃんをスタメンに置いておく方が伸びてくれる気はする」
「この先そうでも今目の前そうじゃない状態で代えちゃうのってどうなんですかねえ」
「うちの結論。今決める必要ない」
「決める必要ないが結論ですか?」
「試合の前日にでも決めたらええやんスタメンなんて」
「まあ、そうですけど。じゃあ、今のままってことですか?」
「ううん。違う。今は何も決まってないっていう風に代える」
「なんですかそれ」

福田が帰ってしまったので、一つのテーブルの同じ側に座るという、恋人すわりみたいな変な位置関係で二人は並んで座っている。
中澤は自分のデスクから持ってきていた湯のみを口に持って行ってから続けた。

「最近の紗耶香、結構気にいらないんだよね。あの妙に力抜いた感じなのが。あれがあの子のスタイルって言えばスタイルなんだろうけど、もうちょっとまじめにやれって、顧問としてじゃなくて先生として、大人としてそう思う。よっさんは知らないかもしれないけど、あの子も前はもっと熱かったんよ。まあ、熱くなかったら部活立ち上げるなんて真似しないわな。あの熱さを紗耶香に取り戻して欲しい」
「それでどうするんですか?」
「辻ちゃん、スタメン組みに入れてみよう」
「スタメン今決める必要ないって」
「だから、決めへんって。だけど、辻ちゃんが試合に出る時間は結構長くなるはずだから、スタメン組に混ぜて練習する時間も長くしないとダメやろ」
「そうかもしれないですね」
「それで、その五対五なんかの時の最初は紗耶香を外す」
「そういうことか」
「紗耶香に危機感持ってもらおうや。あとは練習中に紗耶香を入れて辻ちゃんはずしてもいいし、明日香外してもいいし、上三人は適宜入れ替えって感じで。最初に外すのもしばらくは紗耶香にしても、ちょっと経ったら明日香外してもいいし」

ほとんど暗黙の了解的な事項として、五対五の練習の一番最初の時の五人がスタメン、というのが共通認識になっている。
具体的にそれを決めたわけでも無いし誰かが説明したわけでも無いけれど、心証としてはそうなっている。

「市井さんにはなんか説明します?」
「しない方がええよ。あの子が勝手に考えたほうが。それによっさんが紗耶香にスタメン云々説明するのもやりづらいだろうし」
「正直、何か話すなら先生にしてもらおうと思ってました」
「他のメンバーにも特に説明しなくてもいいから。まあ、辻ちゃんにはちょっと自信持ってもらいたい気もするけど、その辺は明日香やあややが勝手にいろいろ吹き込むだろうから、その辺逆によっさんがコントロールして、逆に自信過剰になりすぎたりしないように見とく必要あるかもしれへんよ」
「自信過剰は辻ちゃんの前に、その、福田とあややですけどね」
「あややは派手に自信過剰やけど、明日香は地味に自信過剰やからなあ。あの二人にも危機感持たせるようになんか仕向けよう」
「一周回ってそういうとこ似てるんですよねあの二人」
「あややの鼻は明日香がポキッと折ったらしいけど、明日香の鼻、よっさん折ってやってよ」
「無理ですってあれは。あの子に勝てるのは身長と体力くらいなもんですよ」
「まあ、自信過剰でも努力を惜しむわけじゃないからええのかな」

福田と松浦は実際よく練習する。
松浦なんかの場合は、傍から見ているとその表情から遊んでいるようにしか見えなかったりもするが、やっていることだけ取り出すとそれは練習であって、結果として練習量はかなり多い。

「そんな結論でいい? なんかある?」
「いいと思いますよ」
「よし、じゃあ終了。今日は行くよ。確実に、五対五始まるまでには」
「頼みますよ」

中澤の練習への出席率は以前ほどひどくはないが、それでも強豪チームのコーチという立場で考えるとかなり低い。
長く強いチームの顧問をやっていると、教員間でも特別扱いが生まれてくる部分があるが、このチームではまだそういうことはなかった。

その日の練習から中澤プランは実施された。
練習メニュー自体は特に変わらないが、五対五のから先、実際のゲームに近い形式になったあたりから代わってくる。
最初は辻をスタメン側五人の中に入れる。
元々、練習中に適宜入れ替えはするのでスタメンと混ざって練習したことが無い、というわけではないが、それでも最初からというのは珍しいこと。
え? という顔を辻がしていたが、中澤は特に何も説明しなかった。
市井がどう思っていたのかは中澤にも吉澤にも読み取れない。
特にいつもと違った様子は無かったように感じた。
その形式で水木金と三日間練習した。
土曜日、市井が練習を休んだ。

ベッドの中で市井は迷っていた。
練習に行くべきか行かざるべきか。
このタイミングで行かないのはまずいような気がする。
だけど行かなかった。
市井は、本当に風邪を引いていた。

あやかにメールで休むからと送った。
普通欠席の連絡は電話でするよな、と思ったけれどそんな気にならなかった。
のども痛い。
しゃべれないほどということは無いけれど、痛いものは痛いのだ。
メールで済むならそれで済ましてしまう。

無理すれば行けないことは無い。
来週は期末テストである。
ここで無理して風邪をこじらせるわけにはいかない。
しかし、このタイミングは無いだろ、と自分で思った。
なんか惨めじゃないか。

戦力外通告された、というのとは違う。
だけど、スタメンから外されるのかもしれないな、とは思った。
多分周りもそう見ているだろう。
そのタイミングで休むのはまずい。
でも、仕方ないじゃないか。
風邪を引いたのだから。
風邪引いた自分が無理して出て行って他のメンバーに移ったら迷惑だろう。
仕方ないじゃないか。
風邪なんだよ風邪。
風邪引いて体が重いんだから休む。
仕方ないじゃないか。

福田やあやかは、スタメン外されたら市井が辞めてしまうのではないかという心配をしていたが、市井にはそういう考えはあまり無かった。
意地、プライド、見栄、美学。
言葉はいろいろあるが、要するに、市井にとって、そのやめかたはかっこわるい、というのがある。
インターハイ終わったらやめちゃおうかなあ、とは考えていた。
だけど、ここで、こういうタイミングでフェイドアウトというのは、周りから惨めに見えてかっこ悪いからやらない、というのが市井的発想だ。
だから、ここで休むのはつらかった。
スタメン外されそうなのがショックで休んだんだ、と松浦あたりに思われそうなのがむかつく。
でも、仕方ない、風邪引いてしまったんだから。

つーか、裕ちゃんいっぱしにコーチなんかやるなよなあ、と思った。
滝川カップで矢口を見て、この手があったじゃんかと気づいたのだ。
選手じゃなくてコーチ。
どう取り繕おうと、現実には自分は四年生だという自覚がある。
三年生とタメじゃない。
対等に選手やってるのは微妙に居心地が悪い。
だから去年でやめちゃおうかと思ったのに、タイミング掴み損ねてやめられなかった。
負けた翌日、保田が挨拶した直後くらいに言えば良かったのだ、じゃあ私はコーチやるよ、とでも。
そうすれば先輩風吹かしつつ、自分だけの特別なポジションに納まれて、勝てば勝ったで気分いいし、負けたってまあよくやったよ、と上から目線で吉澤たちに言ってやればいのだ。

でも、いまさら後戻りは出来ない。
中澤がコーチ面するようになっていて、吉澤がしっかりサポートという、中澤−吉澤、なかよし体制がしっかり出来上がっている。
この中途半端なタイミングで、私やっぱりコーチやるよ、は空気読めて無さ過ぎて言えない。

あーちきしょー、かっこわる。

本当に風邪引いているところが微妙に始末悪い。
電話すれば声で本当にかぜひいてるんだなとわかってもらえそうな気はしたけれど、それも逆に、風邪ひいているんだよアピールをしていると取られそうでする気にならなかった。
なんにせよ今日、そして多分明日くらいまでは寝ているしかない。
期末試験期間中も関係なく練習のある部活になってしまっているので、来週の練習にそ知らぬ顔して出ればいいだろう。
勝手に、市井さんやめちゃうかも、とか思ってればいいんだ。
むかつくけど。
自分が休む理由は、風邪引いてるからっていうだけだ。
他に理由なんか無い。

ベッドに横たわったまま市井の思考はめぐる。
やっぱり思うのだ。
ベンチに座ったままの四年生ってかっこ悪いよなって。
三年生ならまだ仕方ない。
四年生なのが問題だ。
わざわざ残っててそれは無いだろと思う。

やめるのもかっこ悪いけど、残ってるのもそれはそれでかっこ悪い。
どうやってこのかっこ悪さを薄めたらいいものだろうか。

そうやって思考する市井が、かっこ悪さから逃れる方法は簡単だった。
眠ってしまう。
これでひとまず開放される。
眠ろうと思ったわけではなかったけれど、自然と意識は薄れていった。

次に気がついたのは親に起こされたときだった。
紗耶香、紗耶香、と呼ばれて目が覚める。
時計を見ると昼を過ぎて午後、大分回っている。
食欲ねーよ、と思ったけれど、そういうことではなかった。

「お友達来てるわよ」

はぁ?
友達?
誰だ?
と考えて名前が浮かぶよりも早く当人たちが顔を出した。

「道迷っちゃいましたよ」
「よっすぃー、絶対こっちだとか言って引っ張って行くんだもん。ちゃんと地図見て歩こうよ」

吉澤とあやかだった。

「元気なさそうですね」

風邪引いてて元気あるわけないだろボケ、と言いたいところだけどなんかだるくて言わなかった。
冷たい視線だけ向けておく。
母親は市井の机の椅子と、となりの部屋から別の椅子を持ってきて二人に勧めると、すぐに出て行った。

「わざわざ何しに来たの?」
「声変ですよ」
「風邪引いてるんだから仕方ないだろ」
「何とかは風邪引かないっていうから風邪は嘘なんじゃないかと思ったんですけど、ホントっぽいですね」
「吉澤とハサミは使いよう、だっけか?」
「十分元気じゃないですか」

うぜえ、と思った。

「何、風邪移されたいの?」
「そんなせっかくお見舞いに来たんだから冷たくしないでくださいよ」
「寝てるの起こされて機嫌悪いんだよ」

こいつら来たから、風邪引いてるは本当のことと承認されるだろう、とちょっと頭で思う。
だけど、わざわざ様子を見に来るところがそれはそれで気に入らない。

「最上級生がこの時期に倒れたりするとみんな心配するんですよ」
「ふん」

最上級生って言うな、と口では言わない。
ただもう、本当にうざいだけだ。

「風邪ひいたって言うから、寝てるんだろうなあと思って。きっとネットなんかも見てないだろうから、一応知らせようかなと思ってわざわざ来たの」
「あやかがどうしても行こうって言うから。ちょっと市井さんち見てみたかったし来ちゃいました」
「こんなぼろアパート見て何が面白いんだよ」
「アパートじゃないじゃないですか」

市井の住まいはマンションと言うにはちょっとはばかられるけど、アパートと言うには建屋が大きく、団地という言葉が一番ふさわしそうなところだ。

「何しに来たんだよ。知らせるとかって」
「組み合わせでたんですよ。インターハイの」
「先生がプリントアウトしたの配ってたから持ってきました」

小学生の副教材プリントじゃあるまいし、と思ったけれどインターハイの組み合わせにはやはり興味があったので市井は横たわっていたベッドから体を起こして、枕を背もたれにするように座りなおした。
カバンから吉澤が取り出したプリントを受け取る。

「どこ?」
「これですこれ」
「何、うちシードなの?」
「中国大会勝っちゃいましたから」
「そういやそうか」

松江はシードがついて二回戦からになっている。
組み合わせ表に並ぶのは全国の代表校五十六校。
上の大会に勝ちあがれるようになってきて、馴染みのある名前もそれなりに増えてきた。

「同じ山に富岡いるのな」
「二つ勝てれば当たりますよ」

当然トップシードの富岡と、勝ち上がっていけば準々決勝で当たる山に入った。

「つーかさあ、これ、初戦はどっちが来るの?」
「ネットで調べた評判じゃ栃木が強そうだったかな」
「なんか関東大会で富岡といい試合したって」
「じゃあ、今年も一回戦負けか。あれ、一回戦じゃないか。まあ一緒みたいなもんだけど」
「何言ってるんですか、やる前から。勝つんですよ。勝って富岡とやるところまで行くんです」

何夢みたいなこと言ってるんだか、と市井は思った。
インターハイでベスト8
そんなのチーム作ったときには想像したことも無かった。

「だから、市井さん寝てる場合じゃないですって。早く風邪治してくださいよ」
「風邪って移せば治るらしいから、どっちか引き受ける? ああ、でも、吉澤じゃ風邪引けないからあやかしかいないけど」
「いやだって。でもホントに風邪引いてたんだ。てっきりサボってテスト勉強でもしてるのかと思ったのに」
「三年になると期末とかどうでもよくなんない?」
「ああ、なりますね」
「よっすぃーはいつでもどうでもいい感じでしょ」
「なにをー! 二年までは赤点補習があったから結構気にしてたんだよ」

三年になると受験科目以外放棄、という生徒が出てくるのを見越してそれを容認するようなシステムに最初からなっている。
吉澤もこのシステムもどっちもおかしい、と市井は思うけれど、やっぱりめんどくさいので言わない。

「とにかくインターハイは二つ勝つ。まずこれが目標ですから」
「まあ、勝手に頑張りな」
「何言ってるの。他人事みたいに」
「市井さんのベテランの味に期待してるんですから」
「お前いつからそんなおべんちゃら言えるようになったんだ?」

おべんちゃらってなに? みたいな顔を吉澤がしている。
言葉の意味を説明してやる気は市井には無い。
ベテランという単語にわざわざリアクションするのも面倒だ。

「でも、まじめな話し頼りにしてるんですよ。市井さんのこと。まじめに言うと嫌がりそうだけど、やっぱり市井さんって先輩なんすよ。そういう意味で吉澤、恵まれてると思いますよ。普通、キャプテンやっててそれより先輩っていないじゃないですか」
「やりにくいだけだろ」
「そんなことないですよ。たぶん、キャプテンのきつさとかそういうのいちばん分かってるの市井さんだと思うし。あややや福田みたいなガキとはその辺違うわけで」
「松浦は知らないけど、明日香は中学の時キャプテンやってただろ確か」
「やってただけじゃダメなんですよ。福田はバスケはうまいけど、リーダーみたいな感じじゃないし。市井さん、保田さんでさえも頼りきってたリーダーだったっていうじゃないですか。そういう人が後ろで見ててくれるっていうのは吉澤にとっては大きな支えなんですよ」
「おまえ、かわったよな」

市井はため息ついて、両手に持ったトーナメント表に目をやる。
インターハイの組み合わせ。
そこに自分たちの学校の名前があり、しかもシードまで付いている。
不思議な光景だ。
こんなところまで来るつもりはなかったのだ。
県大会で上位までいけるチームを作り上げたキャプテン、としてお山の大将なり井の中の蛙になりなれればいいだけで、それ以上は望んでいなかった。
いや、ちょっとは望んだのかもしれない。
バスケは関係ないけれど、もっと大きなところで大将出来るようになりたくて留学とか分けわかんないことしてみたのかもしれない。
その結果は、ずっと井戸の中にいれば良かったと思っただけだ。
自分は、ここまでチームを持ってきた後輩たちの成長についていけてないな、と思う。

「キャプテンやるかどうかだけで一ヶ月迷ってた奴が、こんなになるとは思わなかったよ」
「背中押したの市井さんじゃないですか」
「私なんかしたっけ?」
「新チームの初日。いいからランニングって号令掛けろって」
「それ比喩でもなんでもなくホントに物理的に背中押しただけじゃんか」
「あれで、新チーム動き出しちゃったから、引っ込みつかなくなって、結局こうやってキャプテンやることになったんですよ」

あまりはっきり覚えていないけれど、いじいじしてていらついたから本当に背中を押しただけだったような気がしている。

「だから、頼りにしてるんで、はやく風邪治してくださいよ」
「知らないってそんなの。風邪治んなくて無理して期末うけて、それで風邪こじらせて入院してやるよ」
「困りますって。早く戻ってきてもらわないと。市井さんにも辻ちゃんと合わせてもらわないといけないんですから」
「なんだよそれ。意味わかんねーよ」
「福田外して辻ちゃん入れるパターン。それ今日あたりからやろうと思ってたのに市井さん休むんですもん」
「そんな都合知るか」
「どこに入れるかわかんないですけど、辻ちゃんもう少し長い時間使う感じでいきたいんですよ。上はみんな休みながらって感じで」
「みんなって、明日香とか?」
「あいつもそうだし、あやや下げて頭冷やさせたり。市井さんもスリーポイント入らなくなったらリズム代えるためにベンチ下がったり。ていうか、辻ちゃんスタメンでも別にいいんですけど。まあ、その辺は試合直前にならないとわかんないですけど」

どこまで本音だか知らないが、戦力外通告しにわざわざうちにまで来たわけじゃないらしい。
改めてトーナメント表に目をやる。
二つ勝てば富岡。
インターハイベスト8
悪く無い響きだ。
そのチームを最初に立ち上げたのは自分だ。
その最初から今まで残っているのは自分しかいない。
県大会ベスト8で十分だったのに。
初戦の相手はきついらしいけれど、それを超えればとてつもないところまで手が届くかもしれない。
そのとき、その場にいたいよな、と思う。

「つーかさあ、お見舞いってよくわかんない制度だよな」
「なんですかそれ」
「病気の人間叩き起こして、眠いって言ってるのにあれこれ話させる制度だろ。病人のためにあるんじゃないんだよな。暇人の暇つぶしのためにあるんだな、お見舞いって」
「意味わかんないすけど」
「市井さん、眠いの?」
「さすがにあやかは察しがいい」

トーナメント表を渡す。
あやかが受け取ると、市井はするするとベッドの中にもぐりこんで行く。
別に眠くないけれど。

「じゃあ、市井さんの寝顔見てから帰ろう」
「私の寝顔高いよ」
「写メ撮ったら高く売れる?」
「万単位の値が付くな」
「無防備に寝てる市井さんって結構かわいいんですよね」
「吉澤、何言ってるんだお前」
「合宿とかで見ますもん。寝顔くらい」

市井は仰向けで、二人はそれを覗き込むような位置関係になっている。
まだ目を開けていて、それぞれと視線が合う市井は、なんだかテレを感じて布団の中に顔までうずめて丸くなった。

「帰れ帰れ。風邪移るぞ」
「寝顔見せてくださいよー」
「ただじゃ見せない」
「寝巻きもかわいいですね」
「ぬいぐるみとかも置いてあってかわいい部屋ですね」
「帰れ!」

完全におちょくりモードになってきた二人。
ただただ本当にうざい。
布団の中にうずくまっていると、あやかの声がした。

「しょうがないなあ。確かにあんまり長くいても邪魔だろうから帰るよ」
「トーナメント表は置いてきますね」
「おう」
「顔くらい出してよ」

まあ、それはそうだろう、と市井は顔を出す。
玄関までは行かずとも、さすがにまともに見送り位はしておこうと思う。
ベッドからずりでて上半身だけ起こした。

「明日は出来れば来てくださいよ」
「明日はまだわかんないな。来週は行けると思うけど」
「はやく風邪治すのよ」
「子ども扱いかよ」

すでに立ち上がっているあやかが、高い位置から手を伸ばし市井の頭を撫でる。
文句言ってみたけれど、あやかならあまり悪い気はしなかった。

「じゃあ、ゆっくり寝てください」
「わざわざ悪かったね。心配掛けて」
「いえいえ。市井さんの寝顔も見れたし」
「見てないだろ」
「寝巻きも見れたし」
「吉澤は余計なこと言わなくていいんだよ」

行け、行け、と手で追い払う。
吉澤とあやか、二人は笑っていた。

「じゃあ、明日」
「明日は自信ないけどな」
「じゃあ、また明後日」
「おう」

二人は出て行った。

市井はもう一度トーナメント表を手に取る。
二回戦、三回戦、二つ勝てば富岡。
全体も見てみる。
去年当たった相手は反対側の山にいて、とてもじゃないが当たりそうに無い。
矢口涙目だなこれ。
涙目以前に一回戦勝てるのかしらないけど。
滝川も反対側だ。

とにかく初戦だな、と思った。
そして、そこに立ちたい。
いまさらしゃかりきに努力、みたいな真似する気にはならないけれど。
矢口のポジションがうらやましい・・・。

滝川カップで再会した時に、思わずメアドなんか交換してしまった。
本格的にコーチやることにしたから、と連絡が来たときには驚いたが、今ではそれは妬みの対象くらいの感じになっている。

十分くらいトーナメント表を眺めてから、市井は部屋を出た。
おなかすいた、と親に昼食をねだる。
あやかじゃないけど、病気の時はまるっきり子供だな、と思った。

翌日、休んだ理由は風邪だったので、念のため練習を休んで、市井は月曜日から復帰した。

 

組み合わせの発表は出場チームにとっては当然気になるものである。
全国各地、それを見ながら会話が弾む。

「やぐっつぁん、この一回戦どんなとこ?」
「知るか。これから調べるんだよ」
「勝てる?」
「分かるわけないだろ」
「でも勝とうよ」
「そうだな。勝って二回戦で一泡くらい吹かせたいよな」

後藤と矢口。
二人、去年の冬の選抜は出たが、夏のインターハイは初めての経験である。

「うちらさあ、いつもこういうの組み合わせ運悪くない? 去年もなんか強いところだったし」
「運の良い悪いの前に弱いんだよ。弱いの。ぎりぎりでインターハイでてるチームに運の良い組み合わせなんか無いの」
「でも、二回戦で富岡とあたんなくてもよくない?」
「それを言う権利があるのは一回戦勝ってから」
「やぐっつぁん、勝たせてよ」
「おいらが勝たすんじゃないだろ。ったく」

東京聖督、一回戦に勝つことが出来れば二回戦は富岡と当たる山に入った。
ついてないといえばついてないが、偉そうに組み合わせを語る権利のあるチーム力じゃない、というのが矢口の見立てである。

「なんか変わったことまたやるんですか?」
「何、変わったことって、加護ちゃん」
「去年、なんか変わったことやったって聞いたんですけど、そういうの」
「ああ、トライアングルツーね。まだわかんない。相手次第だよ。相手調べてからだね」
「絵里、やりたいです」
「えりりん、トライアングルツー何か分かってるの?」
「三角形二つ?」
「ちげーよ・・・」

インターハイ予選から一ヶ月。
矢口も一年生を把握してきた。
主力はボケばかりかよ、とちょっと頭が痛い。
後藤って結構しっかりしてるんだな、と逆説的に感じるようになった。

「とにかく一回戦な一回戦。その先は何も考えなくていいから。そんな偉そうな立場じゃないから」

全国大会での一勝。
これが目標だな、と矢口は思った。

 

滝川の寮は、割と文明から隔離されているので情報は直接入らない。
インターハイの組み合わせなどの公的情報も、学校で先生から配布される。
その場で感想などを語っている空気はとても無いので、寮に戻って夕食後にでもベッドの上にトーナメント表が広がることになる。

「久しぶりじゃない? 富岡と当たらない山になるの」
「久しぶりって言うか初めてでしょ。美貴たち入ってから」

キャプテン部屋に三年生が群れる。
いつもの光景だ。

「逆に言うと決勝まで行かないと当たらないんだよね」
「行くよ。大丈夫」
「自信たっぷりだなあ」
「富岡にも当然負けないけど、それ以外にも負けないし。ていうかさあ、美貴達富岡以外に負けたこと無いでしょ」
「そういえばそうだよね」

去年のインターハイ予選はあまりに特殊すぎる理由で負けた。
藤本たちの頭の中から、それは統計的にはなかったことになっている。
一年生の時、インターハイ準々決勝、国体準決勝、冬季選抜大会準々決勝、全部富ヶ岡に負けた。
去年の選抜も三回戦で富ヶ岡に負けた。
それ以外のチームに負けたことは、実は無い。

「これ、去年の準三冠のとこ?」
「あれだ。ボックスワン」
「今年もそれなの?」
「あの、名前なんだっけ? あのエースがいる限りそうなんじゃないの?」
「まだいるの?」
「去年二年なんだからいるでしょ」
「美貴に来ると思う? それともまいに来る?」
「私の方に来るんじゃない? 身長差あるし、美貴には付かないと思うけど」
「でも、美貴止めたほうがうちの攻撃力なくなるでしょ」
「自分で言うかそれ」

是永美記。
やはり藤本たちにとっても気になる存在だ。

「あ、あいつ呼ぼう」
「なに?」
「オタガキ呼ぼうオタガキ。こういう話するときは便利だ」

里田とあさみ、顔を見合わせて苦笑い。
その呼び方は無いだろ、と思うけれど突っ込みはしない。
藤本が自分で立ち上がってどこかへ電話を掛けた。
数分後、新垣がやってきた。

「新垣、中村学院ってどんなチーム?」
「是永さんを中心にした、というか、完全なワンマンチームです」
「予選とかってどうだったの?」
「県予選は力の差があったみたいで、是永さんが出ている時間は大分短かったですけど」
「やっぱり今年もボックスワンなの?」
「はい。予選ではでだしマンツーだけど後はボックスワンだったそうです」
「新垣さあ、どこでそういう情報とって来るの?」
「学校のメディアルームで。昼休みに見てます」
「引きこもりのネットオタクめ」

引きこもりの意味が少々おかしいが、藤本はそう言いつつあきれた笑みを見せている。

「準決勝まで残ってくると思う?」
「どうでしょう。九州大会は何とか優勝したみたいですけど、うわさだと去年ほどの力は無いって言われてます」
「で、来るの来ないの?」
「是永さん次第だと思います」
「去年ほどの力は無いっていうのは、周りのメンバーがってこと?」
「はい。特にディフェンスが今ひとつっていう評判です」
「是永は美貴につくと思う? それともまいにつくと思う?」
「わかんないですけど、ボックスディフェンスが不安だとすると美貴さんの方に付くんじゃないかと思います」
「なんで? ゾーンが不安ならまいについたほうが良くない?」
「もし、是永さんがまいさんを止めたとしても、美貴さんがいる限り他が生きちゃうから、他で点を取られてしまいます。だけど、美貴さんをつぶせば周りを生かしにくくて、後は個人技ってことになっちゃうんで。個人技ももちろん、まいさんとかすごいんですけど、どっちに賭けるかって言ったら、美貴さんつぶしにいった方が確率高いって思うんで」
「さすが、美貴のがまいより重要人物だってわかってるじゃん」
「そういうこと言ってるんじゃないでしょ」

変なところで張り合って見る藤本と里田。
部屋に通されて直立不動状態で話しさせられていた新垣だったけど、あさみが、まあすわんなよ、と促す。
藤本がトーナメント表の前を指差してここに来い、とやると新垣はそれに従って座った。

「他、なんか怖いとこってある?」
「三回戦の桜華学院」
「昔強かったってとこ?」
「今は三年生の韓国人留学生が柱です。まいさんとその、ソニンさんてので勝負です。まいさんが勝てれば後は全体勝てると思います」
「中村学院の小型版みたいな感じ?」
「ボックスワンでもないですし、ちょっと違うような気はしますけど・・・」
「ディフェンスはマンツーなの?」
「知ってる限りではそうです」
「留学生以外は強いの?」
「それなりのチームだと思います。やっぱり元々強かったチームですから。インターハイでも三回戦、ベスト8くらいのチーム力はいつもそろえてくるみたいで」

滝川は、順当に行けば三回戦ではこの桜華学院が来ると見込んでいる。
その先、準決勝で第二シードの中村学院と当たる予定だ。

「反対側ってどうなの? 富岡が普通に来るの?」
「関東大会苦戦したらしいんでわかんないですけど。準々決勝が山かもしれません」
「準々決勝だと、これ。松江? あそこか」
「松江かもしれないですし、関東大会で苦戦した栃木の青鵬女子か、どっちかだと思います」
「松江って、この前来たチームだとちょっと力の差なかった?」
「まい分かってないな。あそこはもう一人ガードがいたんだよ本当は。それがいたら富岡のガードだと負けてると美貴は思う」
「福田さんですか?」
「そう」
「美貴知ってるの?」
「一つ下だけど、あの子はうまかった。中学の時美貴と五分だなって思ったのはあの子だけだった」
「美貴が五分って言うってことは、数倍美貴よりうまいってことか」
「なんでそうなる」

里田は福田明日香を知らない。
新垣が解説した。

 

「去年の国体で、松江単独チームじゃないですけど富岡と試合してます。そのとき、富岡の高橋さんを圧倒してたのが福田さんでした」
「高橋ってあのサル?」
「サルと言うか、えーと、まあ、あの、そうです」

ちょっと口ごもったけれど新垣は肯定する。

「あれがやられたか」
「手も足も出ないって感じでした」
「でも、試合は富岡勝ってるんでしょ」
「その時は松浦さんが出てません」
「なんで?」
「映像はっきり見えないんですけど、足にギブスしてベンチに座ってるのがいるので、多分それが松浦さんだったんだと思います」
「松浦って誰?」
「あれだよあれ。ワンオンワン優勝した子」
「ああ、あの子か」

里田がちょっと話しに付いていけていない。

「ていうか、国体の映像なんて見れるの?」
「先生が持ってました。去年の選抜の準備のためにどこかから手に入れたそうです」
「買ったの?」
「市販のものじゃないと思います。だれかが手で取ってる感じでした」
「お前もよくそんなの見る気になるよな」
「面白いんです。見てると」

藤本はあきれた顔はして見せるが特にそれ以上否定はしない。

「外二枚があるから富岡も松江には苦労すると思うよ」
「なんかもう一つ強いみたいなこと言ってなかったっけ?」
「富岡が関東大会苦戦したって?」
「はい」
「そこと松江が、これか。二回戦?」
「どっち勝ちそう?」
「んー、わかんないです。留学生次第ってところでしょうか」
「そこも留学生かよ。あっちもこっちも。いつから国際大会になったんだ?」
「北海道はシベリアだから外国とか言われちゃうんじゃないですか」
「余計なこといわなくていい」

新垣が頭をさすっている。
ちょっとは手加減して叩けばいいのに、とあさみは思う。
北海道はシベリア、と矢口に言われたことは藤本しか知らない。

「センターとガードの留学生がいて、オンコートワンだから一人づつしかフロアには出ないんですけど、どっちも富岡のマッチアップより上手だったらしくて」
「黒人?」
「中国人です。リンリンとジュンジュンっていう」
「パンダAとパンダBか」
「それどっちがAなの?」
「細かいことは気にしなくていいよ」

段々話が違う方向へそれて行っている。
あさみが元へ戻した。

「その二人は、松江の子だと誰とマーク付くの?」
「関東大会は映像見てないんでわかんないですけど・・・」
「センターは石川ってわけにはいかなかっただろうから、一年だか誰だかが付いたんだろ。それは分かるけど、ガードでサルか、それとも柴田あたりでマッチアップしたのかわかんないけど、どっちにしてもその二人でダメだったってことは結構強いかもな。福田明日香でもてこづるのかも。センターの方はよっちゃんさんかあの南国系美人だっけ、どうかなあ」
「そこが決勝まで来るってことある?」
「美貴はいやだな」
「強いガードがいるチームはイヤ?」
「そうじゃなくて。留学生がチームの中心ってのが気に入らない。ガードがうまいのはいいよ。その方が面白いから。別にワンマンチームでもいいよ。是永美記? 名前かぶって、相手してやろうじゃないの。でも、留学生連れてきてお手軽に強くなるのは気に入らない」

藤本がよくしゃべる。
自分がキャプテンになってから初めての全国大会である。
組み合わせ表を前にすれば舌もすべる。

「まあ、人のことより自分のことだよね。まずは桜華のソニンだっけ? それからかな。私も見てみようかな」
「見ますか? 一緒に」
「あるの?」
「桜華なら去年の選抜の映像があります。美貴さんも見ますか?」
「いいよ、美貴は。映像とかは別に」
「じゃあ、私一人で行ってくるよ」
「好きにすれば」

ここは里田の部屋であるが、主の里田が出て行っても藤本は居座る気でいる。
里田は新垣と連れ立って出て行った。
床に座っていた藤本は、里田が出て行って空いたベッドの上へ移動する。

「あの子あんなにしゃべれるんだね」
「オタガキのくせに変に自信付いちゃってるな」
「自信って?」
「よそのチームの情報は誰よりも自分が良く知ってるって。まあ、実際そんな感じになってるけど」
「それを認めてるから美貴呼んだんでしょ」
「まあね。よく勉強してると思うよ」
「へー、美貴がそうやって褒めるのって珍しいね」
「あれは美貴には真似できない。っていうか、真似しようとも思わないけど」

褒めておいて不機嫌そうな顔を見せる藤本にあさみは苦笑いする。
美貴らしい、とは思う。

「あとはコートの上で何が出来るかなんだよね」
「でも、最近はトップでやってるんでしょ」
「先生どうする気なんだろう。美貴の控えみたいな感じにしたいのか、美貴と一緒に使いたいのか、よくわかんないんだよね」
「先生は私たちと違って、来年、とかも考えないといけないから美貴の控えって感じなんじゃないの?」
「美貴の代わりにするにはまだまだって感じだけど」
「いきなりそこまで行くのは無理でしょ。よくやってるんじゃないの?」
「なんか全体的に小さくまとまってるのが気に入らないんだよなあ」
「小さくまとまってるって?」
「これ、ってのがないからさ。相手チームの特徴よく知ってます! とかはキャラとしてのこれだけど、プレイヤーとしてのこれ、じゃないんだよね。二号ならスリーポイント、まいなら一対一、みうなはフックシュートって言うか近距離でのシュート力と言うかそういうのあるんだけど、あのオタクはなに?」
「試合に出るのは厳しいねえ」
「ひとごとにしないの」
「うち、人数多すぎるんだよ」
「美貴も、半分くらいはリストラしたいよ。あの人数の寮長とかやってられない」

あさみはいまだにベンチまで後一歩のポジションだ。
人数が多いと競争は熾烈である。

「いちばんリストラしたい人の機嫌でもうかがってくるかな」
「なにそれ?」
「なつみさんとこ行ってくるよ」
「じゃあ私はここで寝てるわ」
「まい戻ってきたらベッド返せって怒られるよ」

トーナメント表を持って立ち上がる藤本。
場所が空いたのであさみはベッドへダイブ。
部屋を出て行く藤本に軽く手を上げて見送った。
リストラとか何とか言いながら、やっぱ美貴はなつみさんのこと好きだよな、とあさみは思った。

 

富岡のメンバーは組み合わせは早いメンバーは昼休みに知った。
全員に伝わったのは放課後部室に集まってきた頃である。

「聖督いらんよ」
「ははは、聖督が来るとは限らないけどね」

トーナメント表を見てすぐの高橋のぼやき。
富岡自身はシードがついて二回戦から。
相手は、なじみのある東京聖督か、なじみの薄い京都のチームか、どちらかである。

「是永美記ちゃん反対側か」
「当たり前でしょ」

去年準優勝の中村学院は第二シード。
第一シードの富岡とは何がどうなっても反対側の山になる。
組み合わせが決まる前から分かりきったこと。

「ミキティも反対側になっちゃったのかあ」
「桜華とかいやなとこと同じ山にいるね」
「うちはベスト8で青鵬? ベスト4で聖和?」
「松江来るかもよ、青鵬じゃなくて」
「ジュンリン留学生に勝ってくるかな?」
「れーな、もう一回青鵬とやりたいです」
「れいなはその前に、聖督のガードの子に負けないこと、だよね」
「れーなより絵里の方がたぶんうまい」
「さゆ、なにいうと」

トーナメント表を見て考えることはみな様々。
力量の認識も様々。

「高橋はどっちがいい? 松江と青鵬だったら」
「松江がいいです」
「松江の方がやりやすい?」
「それはわからんけど、打倒松浦亜弥です」
「国体は違うガードの子にやられてなかったっけ?」
「そ、それは、そうですけど、どうせその子は今度はあたしのマッチアップじゃないだろうし」
「松浦さんも柴ちゃんマークかもよ」
「むー。とにかく打倒松浦亜弥なんです」

よくわからないけれど、となりに立っている高橋の頭を石川が撫でる。
ちょっと向きになった高橋がかわいかったらしい。

「聖督、一回戦勝ってくるかなあ?」
「勝ってくるんじゃない。あの小さい人、コーチになったらしいよ」
「あの小さい人?」
「聖督はいらんです」
「高橋はホントあの小さい人嫌いだなあ」
「あたしのこと、サル、オラ呼ばわりした人は許さん」

ぷっ、と田中がふきだして、高橋ににらまれた。
今の一年生は、矢口の口撃にさらされた経験はないので、その実体はわかっていない。

「梨華ちゃんにサインねだった人がコーチじゃあれだけど、あの人がコーチ役やるんだったらちゃんとしたチームになるんだろうね」
「後半ダメだったけど、滝川とのトライアングルツーはよく考えたなあって思ったもんね」
「なんかまたやってくるかなあ?」
「なにやってきてもあたしがつぶす」
「逆につぶされないようにしなさいよ。ベンチからも声が飛んでくるらしいから」
「ボール投げつけてやります」
「それ、相手ボールだし」
「ていうか、アンスポファウルそれ」

田中が冷たくからむ。
高橋と田中の関係はちょっと微妙なものがある。

「初戦から後藤さんってのもきついんだけどなあ」
「なんか聖督が来るって決め付けてるけど、それもどうなの?」
「京都のチーム知らないもん。しらないとこより後藤さんの方がいい」
「ちょっとなんか変わったディフェンスとかされてみたいよね」

なんとなく、後藤よりも矢口の色の印象を東京聖督に対して持っている富岡メンバーである。

「一年生そろそろ着替えて準備しなさいよ」

放課後、部室に集まったのはこれから練習、というタイミング。
当然準備があるわけで。
石川がトーナメント表を囲む輪を解散させる。
トーナメント表は一年に部室に貼らせて、みんなそれぞれ着替えだした。

登録メンバーが部員に伝えられたのは組み合わせが決まって少し経った頃だった。
いつものように練習終了後、唐突にメンバーに伝えられる。
そろそろかな、とそれぞれ思ってはいるので、驚き自体はないけれど。

三好はインターハイのメンバーには入っていなかった。
悔しい、という思いよりも、やっぱりな、という思いが強い。
今回は無い、と思っていた。
ターゲットは次、国体である。

三好のように覚悟と言うか予想と言うか、そういうものがあった部員はメンバーから外れてもそれはそれとして受け止められる。
そういった予想がなく、自分が外されたことを青天の霹靂のように受け止めてしまう場合衝撃が大きいもの。
入部以来初めて、小川はベンチ入りメンバーから外れた。

小川も驚いたが、高橋も驚いた。
平静を装っている小川の内心を知ってか知らずか、高橋がやたらと慰める。
そこまでしつこくすると逆効果なんじゃないか、と柴田あたりは見ていたが、止めに入るわけにも行かずほっとくしかない。

夏休みに入り、インターハイに向けて詰めの時期に入って小川が練習に姿を見せなくなった。

体調が悪いので休みます、と連絡があって三日。
初日の時点で皆少し首をひねっていたのだが、三日来ない段階で、そろそろ様子を見に行った方がいいんじゃないかと思い始める。
他の部員と違う。
小川は一人暮らしなのだ。
何かあった時に、そばには誰もいない。

「毎日行ってるんですけど、開けてくれんです。風邪移るからとか言って」

隣人高橋は心配で様子を見に行こうとするが相手にしてもらえていない。

昼休みの部室。
夏休み、インターハイまでもう少しというこの時期。
一旦練習量を増やして負荷をかける追い込み期だ。
午前練、午後練とあって、その間の昼休み。
部員たちは校舎のあちこちで好き勝手に過ごしているが、部室にいるメンバーが比較的多い。

「そろそろ様子見に行った方がいいよね」
「メンバー外されて、すねて練習出て来なくなる人なんかほっとけばよかです」
「れいな!」

ここにいる誰も、小川が風邪で休んでいるとは信じていない。
だけど、口に出していいことと悪いことがある。

「そういうこと言わないの。よそのね、強い学校だとレギュラーメンバー以外はどうでもいいみたいなところもあるみたいだけど。うちは部員全員でチームなの。。だから、唯みたいな、全然下手な子も、ちゃんとね、チームの一員なの。麻琴の気持ちも分かってあげなさい」
「どーせ、うちは下手ですよ」
「あ、ゆ、唯。いたの? え、ごめん」

思わぬ方向から声が飛んできてうろたえる石川。
部屋の隅に座っていた三好が、手元のボールを石川に軽く投げつけた。

「サイテー」

ここにいる誰も、岡田が下手ではないなんて信じてはいない。
だけど、口に出していいことと悪いことが・・・。

岡田自身が自分が下手であることをほとんど気にはしていないので、険悪ムードという風にはならないが、微妙な空気くらいは流れる。
柴田が断ち切って話を戻した。

「練習終わったら見に行ってみようかな」
「そうだね。私も行くよ」
「梨華ちゃんは来ない方が・・・」
「なんで。キャプテンなんだし、私が行かないで誰が行くの」
「キャプテンとか関係ないから。いいよ、梨華ちゃんは」

柴田としては石川は連れて行きたくない。
絶対に話がややこしくなるのが目に見えている。
かといって一人で行くのもちょっと不安で、ついでに言えば、絶対その場にいるであろう隣人高橋の存在がさらに不安で、少し考えた末に対案を出した。

「絵梨香付き合ってよ」
「私? 私が行っても・・・。ほとんど接点無いよいままで」
「いいの。接点無いくらいの方が客観的に話せていいかもしれないし」
「私より唯のがいいんじゃない? テスト勉強しにとか行ってるんでしょ?」
「うち、あんまりこういうの役に立たない気がする」
「絵梨香行こうよ。三年生のがいい気がする」
「三年生っていっても、あの子から見て私、先輩だと思われてないよたぶん」
「そんなことないって」
「じゃあ、私行くよやっぱり」
「梨華ちゃんはいいから」
「わかった、しょうがない付き合うよ。でも多分、付き合うだけで役に立たないよ」
「大丈夫、ありがとう」

自分が拒否すると石川が行くと言い張りそうなので三好は仕方なく承諾した。
石川行ったら絶対余計なこと言うもんなあ、という感覚が導いた結果だ。

午後の練習を終えて柴田と三好は、高橋付きで小川家へ向かった。
柴田は行ったことがあるので案内はなくても場所は分かるのだが、さあ自分も行くぞ、という雰囲気の高橋を無視して行くわけにも行かず、三人セットで向かうことになる。
柴田高橋のコート外でのつながりというのも少々微妙だが、高橋三好に至ってはコートの外で半径一メートル以内に近づいたのは初めてみたいな間柄である。
ほとんど、使う言語も違うくらいのレベルで、三好としては関わりにくい相手だ。
三人で並んで、ではなくて柴田三好が前を歩いて高橋が一人後ろについて行く形になった。

小川家前にたどり着く。
柴田は、開けてもらえるまでは口を出すなと高橋に釘を刺す。
のぞき窓から見えない位置に高橋を立たせて、柴田はインターホンを押した。

「柴田さん、どうしたんですか?」
「三日も練習来ないとそろそろ心配するってみんな。だから様子見に来たの」

のぞき窓から確認したらしい。
女子高生の一人暮らしとしては、いきなり扉を開けた高橋よりは正しい対応だろう。

少し間があってからゆっくりと扉は開いた。

「麻琴、大丈夫? どうしたの」
「愛ちゃん、いたの?」
「心配したんだからね。もう開けてくれんし。元気? 元気でしょ? 明日から練習出てこれる?」
「あ、いや」
「ちょっと落ち着きなさい。ここで高橋が騒ぐと近所から怒られちゃうだろうから上がらせてもらえる?」
「はあ」

扉を開けてしまったのだ。
部屋に上げない法は無い。
仕方ないという風に小川は中へと促した。
柴田が入って、いつの間にか前に身を乗り出している高橋が入って、最後に三好が付いて行く。

「あ、あの、飲み物とか」
「いいよ、押しかけて来たのこっちなんだし。ああ、そうだ。高橋。あなた買ってきなさい」
「へ?」
「お見舞いって手ぶらで来ちゃいけないのよ。忘れてた。高橋何か買ってきなさい。飲み物は適当でいいや。私アイス食べたいから、そうね、レディボーレンのブルーベリーね。絶対よ。他のじゃダメだからね」

柴田が財布から千円札を出す。
自分も先輩の立場だし、ちょっとは出すべきなんだろうか、と戸惑い顔の三好。
さらに戸惑っているのは千円札を突きつけられている高橋。

「いいから買ってきなさい」
「は、はい」

夏休みに入ったばかりの時期。
アイスを食べるのにいちばんいい時期かもしれない。
高橋は、自分のバックは置いて手ぶらで出かけた。
相手が石川だったならまだしも、距離感微妙な柴田先輩様のお言葉では、かえって逆らいづらい。

「なんか人の家押しかけて勝手に騒いでごめんね」
「いえ」
「まあでもちょっとおちついたね、これで」

小川も苦笑的笑みを浮かべる。
高橋が出て行ってほっとしたのは事実だ。

「座っていいかな」
「あ、はい」
「部屋の形高橋のところとまったく同じなんだね」
「同じ建物の隣ですから」
「高橋の部屋で鍋パーティーしたことあるのよ」
「へー」

少々浮き気味の三好に柴田が解説する。
小川と三好の間も、これまでコートの上以外で半径一メートル以内に接近するのは初めて、みたいなものだ。
ただ、高橋と違うのは、コートの上では一緒に試合に出てひどい目にあった、という共通体験がある。
三好の側から見て小川は普通の子なので、小川の方が大分接しやすい。

「外は暑いよ、今日も」
「そうですか」
「ずっと家にいたの?」
「ごはん買いにとか、ちょっとは出ましたけど」
「それくらいか」
「はい」
「そっか」

しゃべっているのは主に柴田と小川。
三好は本当に、柴田に付き合ってやってきた、みたいな形になっている。

「卒業アルバム見せてよ。中学の。あるでしょ?」
「はあ、いいですけど」

立ち上がってカラーボックスへ。
小学校のものもあったので二つ取ってくる。
冬はコタツだろう、というタイプのテーブルに載せて、三好と並んでページをめくる。
小川は横の位置に座った。

「へー、四クラスだったんだ」
「こっちの方はもっとクラス多いんですか?」
「うちは七クラスだったかな。絵梨香は?」
「うちは六クラス」

他愛も無い話である。
だからどうした、というレベルの。

「結構新潟してるね」
「なにそれどういう意味?」
「なんとなくそんな感じしない?」
「ああ、制服の着こなしとかそんな感じだよね」

顔だけ見ると中学生か高校生かわからなくても、スカートの長さで区別が付く、という説がある。
スカートを短めにはく三好から見て、この卒業アルバムに映っている子達は、明らかに田舎の中学生なのだ。
柴田も、それまで標準制服を標準的に、だったのが、三年生になるあたりになって、日一日とスカートの丈が短くなっている。

「この子かっこいい」
「えー、そうかなあ」
「かっこよくない?」
「悪くは無いけど、でも、そこまで言うほどでも無いでしょ」
「この子どうしてるの?」
「さあ・・・。地元の高校行ってると思いますけど」

めくられているのは自分の卒業アルバムであるが、小川としてはあまり思い出に浸る気分でも無いらしい。

「小川は何組? 四組? あ、いた」
「あー、なんか変わったような変わらないような」
「焼けてるよね、写真の方が」
「中学の時のが外にいる時間長かったからですかね」
「今白いよね。うらやましいくらいに」
「うん、白い」

二人に視線を向けられて、小川、ちょっとうつむく。

「修学旅行は東京? これ」
「東京でした」
「東京タワーって私行ったこと無いな」
「この辺の人って結構そうだよね」

そんなことを話していると、携帯が鳴った。
だれの? と自分のじゃないと認識している二人は別の二人を交互に見る。
鳴っているのは充電器に刺さりっぱなしの小川の携帯だ。

「愛ちゃんだ」
「あ、かして」

小川が通話ボタンを押して柴田に渡す。

「もしもし」
「もしもし、あれ? 麻琴?」
「ううん。柴田。何?」
「あ、柴田さん。あの。無いです。レディーボーレン。ハーケンナッツでいいですか?」
「いまどこ?」
「帰りに通ったコンビニです」
「ないの?」
「はい。ハーケンナッツならあるんで、そっちでいいですか?」
「ダメ。レディボーレンじゃなきゃやだ。他のコンビニも行って探しなさい」
「え、でも、あるかわからんし」
「いいから探してきなさい。見つかるまで帰ってきちゃダメだからね」

柴田は高橋の返事を待たずに電話を切った。

「そういえば、あの子に携帯番号教えてなかったや」
「買ってくるまで帰ってきちゃダメって?」
「うん」
「意地悪だなあ」
「というわけで、たぶん高橋はしばらく戻ってきません」

小川、苦笑。
三好はバックからペットボトルを取り出した。
柴田は卒業アルバムをめくる。

「これ、小川?」
「あ、いや、あんまり見ないでくださいよ」
「文化祭? なにこれ、仮装行列?」
「演劇ですよ。衣装と化粧でそうなっちゃってるんです」
「劇って感じじゃないよね」
「ちょっとお笑い入ってたから」

なかなかにインパクトも強い、おてもやん風の姿が写真として一生残り、卒業アルバムとして同級生全員に保管されているの図。
多少恥ずかしそうにしているが、見ないでください、と卒業アルバムを抱え込むようなことまではしない。

「部活は、キャプテンだったんだね」
「うちに来るような子ってみんなそうじゃないですか? 柴田さんもそうでしたよね」
「ん? うーん、まあ、四番つけてたかな」

ページはめくられ部活動のコーナー。
小川は四番を付けたユニホームを着て中央最前列で映っている。

「絵梨香は?」
「え? ああ、私もうん、キャプテンやってたよ」
「絵梨香さん、最初からうちに来てたらもっとすごかったんじゃないですか?」
「あんまり考えてなかったな。大体、バスケで学校選ぶって発想がなかったし。うちが強いのはそれは知ってたけど、だからって受験しようとは思わなかったし、逆にそれを理由に避けたわけでもないし。まあ、うちに最初から来てたら、多分バスケ部入ってないよ、私」
「それがあっという間にベンチに入っちゃうんですもんねえ」

小川にそういわれてしまうと三好は返す言葉が無い。

「基礎と素質がある人がそれなりの練習積んだ時っていきなりのびるのよ多分」
「基礎は多少あったかもしれないけど、素質は別に無いと思うよ」
「ある程度の素質がなかったら、普通高でもキャプテンやってないでしょ」
「いいですよね、そうやってうまくなれるって」

談笑風になっている柴田と三好の会話に、小川が小さくとげを射す。
柴田は卒業アルバムを閉じて横に置き、小川のほうに向き直って言った。

「ベンチに入れなくて悔しかった?」

突然真剣な顔。
真顔で副キャプテンの先輩に問いかけられて、小川は目をそらす。
閉じられた卒業アルバムの方に視線を向けながら答えた。

「悔しいっていうより悲しいって感じですよ」
「悲しい?」
「ああ、私もここまで落ちたのかって」

入部当初が絶頂期、後は落ちるだけ。
高橋とスタメンを争い、そこ追いやられて隣のポジションにスライド、しばらくしてスタメンを外れ、しばらくして六番手でも七番手でもないただの控え選手になり、勝負のまだわからない場面で試合に出るということがなくなり、ここに至ってベンチも外れた。

「もう落ちるところも無いですもんね」

ベンチから外れると、後はみな同じである。
滝川のように部員数が多ければ、CチームDチーム・・・みたいな区分けがなんとなくあって、ベンチ入りに近いところ遠いところと、微妙なヒエラルキーがある。
富岡は、そこまで区分できるほどの人数はいない。

「それで、どうするの?」
「どうしましょうかねえ」

小川はあいまいに笑う。
扉越しの高橋は別として、こうやってまともに人と会話するのは三日ぶりである。
三日間、いろいろと考えたところもあったのか、小川は堰を切ったようにしゃべりだした。

「何しに来たんだろう東京までって思いますよ。東京じゃないけど、実家から見たら東京みたいなもんで。わざわざ一人暮らしまでして来たんじゃないですか。それがこれですよ。強いチームに入るんだから苦労しないはずが無いとは思ってましたけど、意外と最初から試合も出られて。調子に乗ってたんですかね。高校入ってからいちばん良い試合したなっていうのが一年の四月の県大会って。意味わかんないですよ。後は落ちるだけ。おちて行く自分。上って行く愛ちゃん。なんですかこの落差。愛ちゃん、スタメンがっちり掴んで放さないで、試合でもしっかり活躍して。となりに立ってたはずなんですけどね。あの子と張り合ってたはずなんですけどね。なんだろうって。あれであの子、人の心配いっぱいして。人がいいっていうかなんて言うか。こっちの気も知らないで。大丈夫すぐベンチ戻れるよ、すぐ試合出られるようになるよとか言って。お前に慰められたくないよサル、とか思うじゃないですか。あの子そういうの全然気づかないんですよね」

柴田と三好は黙って聞いている。
柴田は当然入部当初から見ているが、三好は二年生になってからの小川しか知らない。
高橋と仲がいいのは見ていて分かっているけれど、元々はスタメンレベルで張り合っていたなんてことは今ではイメージできない。
仲良さそうにしてて、いろいろ感情的にはあるんだな、と思う。

「どうすればいいんだろうって思いますよ、ホント。何やってもうまく行かない。成長しないっていうか退化してますもん。そのうち恐竜にでもなっちゃうんじゃないかって思いますよ。それでベンチまで外れて、もう無理って思いました」

最初から見ていた柴田としては、何か言いたいこともあるのだろうけれど、ただ黙って小川が話す事を聞いている。
柴田にしても、小川が入ってきた当初はこんな風になるなんてまったく創造してなかったのだ。
高橋と張り合った結果、ガードポジションは取れないかもしれないけれど、そうなった場合、自分のポジション奪われるかもみたいな危機感をちょっと感じたりもしてたのだ。

「ありえないじゃないですか。入って最初にスタメン取れそうなとこにいたのにベンチにも入れなくなるなんて。怪我とかなら分かりますけど、私、高校入って一度も怪我なんてしてないし。どうしましょうかね、これから。新潟帰ろうかとも思いましたけど、いまさら帰れないし。かといって部活辞めてうちの高校卒業するのも変ですしね。留学でもしようかと思いますよ。ほら、英語出来るようになったらかっこいいじゃないですか」

スポーツ推薦とか、特待生とか、そういうことではなく、ちゃんと一般受験して入学しているのだから、部活をやめようが、何部に入ろうが、通学を続けることに支障は無い。
ただ、それは小川の心情的な問題だ。
ここまで来て三好が口を挟んだ。

「なんでそこで辞めるのが前提になるわけ?」

小川が顔を上げた。
柴田じゃなくて、三好から声が出たのが意外だった。

「私には、わざわざ引越しまでしてバスケしにこんなとこまで来る人の気持ちなんかわかんないけどさ。そこまでしたんでしょ。それをなんで一年半で簡単に捨てるかな」
「三好さんにはわかんないですよ。それまで全然練習してなかったのに、まともにやって三ヶ月でベンチは入れるようになっちゃう人には」
「このチームさあ、変に打たれ弱い子多いよね。負けたこと無いからかなあ。負けるのに弱い子多くない? いいじゃない、一回くらいベンチ外されたって。次もう一回入ろうとすれば。多分小さいことよ。誰がベンチに入るとか入らないとか。ベンチ入れて泣いちゃった私が言うことじゃないけど」
「絵梨香のいうことは分かるけどさ、それはちょっと厳しいとも思うんだよね。階段上ってるっていう意識の時はそれで大丈夫だけど、小川の場合、階段下りてきてるっていういしきだからさ。つらいと思うよ実際」
「ずっと試合に出てる柴田さんにはわかんないですよ、私の気持ちなんか」
「私の気持ちもたぶん小川にはわからないけどね。でも、誰も分かってくれなくても仕方ないでしょ。誰も自分じゃないんだし」

暖かそうに聞こえて、その後繋がれたのが突き放す感じになった柴田の言葉に小川は返す言葉が出てこない。
柴田がそのまま続けた。

「留学がしたいっていうなら留学すればいいと思うけど、行き場が無いから留学って意味無いと思うよ。絵梨香はこのチーム、負けるのに弱い子が多いって言うけど、負けても平気じゃダメだと思うから、負けるのに弱いのはちょっと仕方ないとは思うんだよね。それより、負けた子の気持ちがわかんない子が多いって気がするな。梨華ちゃんもちょっとそんな感じだったから今日は来させなかったし。高橋なんか完全にそうだよね。だから追い出したんだけど」
「愛ちゃん、人のこと見下さないけど見下してるんですよ」
「悪気は無いんだろうって思うよ。小川も分かってるんだろうけど。でも、横にいられるのはこういう時けっこううざいよね」
「多分お姫様育ちなんですよ」

田舎のお嬢様ってみんなあんな感じなのかな、と三好はなんとなく思う。

「それで、どうするの?」

改めて柴田の問いかけ。
小川は即答できず、柴田が続けた。

「引きこもってるのはそろそろいいでしょ、もう。親のところ帰りたい? 部活辞めてバイト生活とかしてみる? 本当に留学する? それとも、やっぱり試合に出たい? どうするべき、じゃなくて、どうしたい?」

やっぱり小川は即答できない。
今度は柴田も言葉を繋げずに答えが帰ってくるのを待つ。
小川は柴田の方は見れずに相変わらず卒業アルバムの方へ視線を落としたまま、ようやく答えた。

「試合、出たいです」
「じゃあ、練習出てきなよ。うちは別に、ベンチに入れない人は人ではありませんっていうチームじゃないし、ちゃんとみんなで練習できるよ。三日や四日サボったからって追放ってほど厳しくは無いし。試合に出たいなら戻ってきて練習すればいい。ていうか、それしかないしね。たぶん、留学するとか家に帰るとかよりも、本当はいちばん楽な選択肢だと思うよ。今まで通り続けるってことなんだから」
「そうかもしれないですね」
「試合に出たくない人がベンチに入れなくて凹むわけないんだよ。ベンチに入れなくて凹んでるんだから、大丈夫でしょ」
「でも、このまま最後まで行っちゃうんじゃないかって怖いですよやっぱり」
「あきらめたらそこで試合終了ですよ」
「それバスケ部員が言うとなんか突っ込みづらいです」
「でも、いい言葉だと思うよ。あきらめなければ試合は終了しないのかって言われると、それはまた違うけど、あきらめたら終了でしょ」

あきらめなくたって40分立てば試合終了である。
そんな物理的な問題か、精神的な比喩か、それはわからないけれど、柴田の言葉に小川は小さくうなづく。

「明日から練習出てこれる?」

また、一拍間が空いたけれど小川が答えた。

「行かないといけないですよね」
「いやならいいよ、別に。でも、みんなは待ってる。ベンチに入れるとか戦力かどうかっていうのと、その場にいて欲しいメンバーかって言うのはまた違うから。みんな来て欲しいって待ってるよ。そうじゃなきゃ、私が代表でここには派遣されてません」
「ダメかもしれないけど、行きますよ。明日から」
「ネガティブだなあ」
「今の状況でポジティブになれって言われても無理ですよ」
「じゃあ、プレイヤーとしての先輩として一つアドバイスをします」
「はい」
「もっと集中しなさい」
「シンプルですね」
「自分のことにね。たぶん、中学の時とかから全体を見る、視野を広く、みたいなことを意識してきたんじゃない? 視野を広くって言うのか、全部自分でやんなきゃいけなかったから結果として全体見るようになったのかもしれないけど。その上でガードをやろうとしてたのもあって、あっちがどうなってこっちがどうなってとか見ちゃうんじゃない? 性格的に周りの人の様子とかも気になるんだろうけど。そうじゃなくて、自分のことに集中してみな。練習中。チームの気づいたことに口を出すのは大事だし、考えるのも大事だけど、ちょっと横においておいて、自分の練習に集中してみるといいとおもうよ」
「自分のことですか」
「そう。あと、ポジティブになれとはいわないけど、ネガティブに考えない。良くても悪くても、それをただの事実として受け止める。いちいち考えない、悩まない」
「それ難しいですよ」
「難しいよ。私だって出来てるわけじゃないし。でも、小川は考えすぎなんだと思うよ。相手との力量でこの部分が自分は劣っててだからそこを突かれたら負けちゃうかも、みたいなことは、事実として考えても、だからああどうしようって悩んじゃダメなのよ」

それが出来ればやってるよ、という顔を小川は見せている。
柴田はかまわず続けた。

「残り七分で十三点負けてます。さあここからどうして行きますか?」
「なんですか急に」
「いいから」
「ファウルの数とかわかんないですけど、七分あるからとりあえずしばらくはオーソドックスにやっていって、五分切っても点差がつまらないようならプレスかなあ。三分切ってもそのままならスリーポイント打ちまくる感じで」
「うん。それが合ってるかどうかわかんないけどいいんじゃない」
「合ってるかわかんないんじゃダメじゃないですか」
「いいの。そこで一番いけないのは、七分で十三点差。負けちゃう負けちゃう、どうしよう、って悩んでる間に一対一で抜かれちゃうことでしょ。実際の試合じゃないから、七分で十三点差ならこうしようって今考えられたんだろうけど、そういう風に他のことも出来ればいいのよ。私だっていつでも出来てるわけじゃないけど」
「なるほど」

うまい誘導尋問だ、と横で三好が変に感心している。

「ここで一日ごろごろしてるのも暇でしょ。明日から出てきなさいよ」
「そうですね・・・」
「さて、高橋遅いな」
「レディボーレンのアイスってコンビニで売ってるもんなんですか?」
「さあ。無いんじゃない? ハーケンナッツは見かけるけど」
「確信犯ですか?」
「さあ? どうでしょう」

柴田の悪い笑顔に小川も笑みを見せる。

「千円札渡すんじゃ無かったかなあ。まあ、仕方ないか」
「電話します?」
「んー、いいや、二人で食べな。高橋来てももう相手できるでしょ?」
「なんか、愛ちゃんが困った子みたいな扱いなんですけど・・・」

柴田が立ち上がる。
話すだけ話して帰るらしい。

「小川の方が大人なんだから、大人の対応してあげなさい」
「三日間引きこもっちゃうあたりは子どもですけどね」

自嘲気味に語る小川。
柴田は苦笑するが、それ以上は突っ込まなかった。
三好も荷物を持って立ち上がる。
ミニ廊下兼キッチンを通って玄関まで小川も送りに出た。

「じゃあ、明日ね」
「すいません。役に立たない部員のためにわざわざ来てもらって」
「だから、そういうこと言わないの」
「冗談ですよ。でも、ホント、ありがとうございます。また愛ちゃんだったらやっぱりドア開けたくなかったし」

大丈夫かなあ、と柴田は心配な顔を見せるが、小川は微妙な笑みを浮かべている。

「まあ、明日ね。明日。出てくるんだよ」
「はい。お疲れ様でした」
「お疲れ様」

柴田と三好は帰っていった。

この時期の陽は長い。
小川家での滞在時間が案外短かったので、帰り道もまだ明るい。

「意外に元気そうだったね」
「ちょうどいい頃だったのかもね。三日も家にいるとそろそろ外に出たいだろうし」
「誰かに話してすっとしたって部分はあるのかも」
「ありがとうね、付き合ってくれて」
「何の役にも立ってないけど」
「十分十分。結構絵梨香の存在ってみんなの刺激になってるのよ」
「なにそれ」

元来た道を逆に戻って、学校前経由で駅まで向かう。
高橋と鉢合わせたりしないといいなあ、なんて三好は思いつつ柴田と話す。

「小川もちょっと言ってたでしょ。絵梨香のことが妬ましい風なこと」
「そうだっけ? ああ、なんかちょっと言ってたかも」
「あの子だけじゃないよ。一年生はあまり関係ないけど、二三年生はいつ絵梨香に抜かれるかとびくびくしてるんだから」
「そんな感じはないけどなあ。こっちとしてはやっと全員名前覚えたよってところで、誰かと自分を比べるところまで行って無いし。そんな風に見られてたのか」
「途中で入って来たの二人だけだから目立つのよ」
「転校生は大変だなあ」
「転校生か。本当はそうじゃないのにね」
「まあ、ろくにうまくもないよそ者に負けるわけにいかないって気持ちはわからないでもないかな」
「小川もそうだったけど、絵梨香も変に慎み深いなあ」
「なにそれ」
「ろくにうまくもないってこともないでしょ」
「んー、冷静に状況判断は出来てるつもりだよ。前よりははるかにうまくなった。でもこのチーム基準じゃまだまだで、関東大会に出てくるようなチームのレギュラークラスには全然通用しませんでした。最初の三ヶ月で伸びたのかもしれないけど、ちょっと一段落らしくて最近は自分がうまくなっている実感がなくて止まってる。そんなところかな」

隣の柴田がなんだか三好の横顔を見ている。
見られているのに気がついて、なんだ? という風に三好も柴田の方を向いた。

「絵梨香が来てくれて良かったよ」
「何。なんか変だよ、あゆみ」
「これから、三年生っぽい役割、たくさん絵梨香に振るからね」
「いや、まあ、三年生は三年生だけど、私あんまり先輩って感じじゃないし。仕事はやるけど、そんなちゃんとした三年生期待されても無理だよ」
「ううん。大丈夫」
「そんなに当てにされても困るって」

三好の方を向いていた柴田が視線を正面に戻す。
少し会話が止まって、こんな時間になってもまだ蒸し暑いなあなんてことを三好が思い始めた頃に柴田が口を開いた。

「愚痴言っていい?」
「どうしたの? いいけど」
「キャプテンが梨華ちゃんって、やっぱり結構きついんだよね。横にいて。梨華ちゃんだからみんなついていくっていうのはあるんだけど、でも、細かいとこでちょっとずれてるところあるでしょ。そういうの誰かが修正しなきゃいけないんだ。それがなんか全部私が背負う感じになっちゃっててさ。別に梨華ちゃんに不満があるわけじゃないし、何でも出来るわけないんだからそういうずれちゃうところあるのは仕方ないから横で支えなきゃいけないって言うか、当然だとは思うんだけど、でも、ちょっときついんだよね」

突然、愚痴を聞いてくれと言うのでどんな話になるのかと思っていたら、なるほど前の話とつながっていたのかと三好はなんとなく感じる。

「ちょっと自分がキャプテンやった方が良かったんじゃないかって思ったりしたこともあったけど、でも、多分それだとみんな付いてこないんだよね。私、みんなを引っ張るみたいなのできないし。それに、コートの上で最後に頼りになるのってやっぱり梨華ちゃんなんだ。私は梨華ちゃんに負けてないって思ってるけど、でも、最後の最後で頼りになるのは梨華ちゃんだと思う。だから、やっぱりキャプテンは梨華ちゃんじゃなきゃいけなくて。私はそれを横で支えなきゃいけないんだけどさ。ちょっと、疲れちゃうんだよね」
「やるよ」
「え?」
「三年生の役割っての。私はあゆみみたいにしっかりしてるわけじゃないし。コートの上でチームのためにみたいなことはまあちょっと出来ないんだけど。コートの外で、三年生の役割って言うかよくわかんないけど、そういういの。弱いチームでも人間関係とか、まあ、同じ男子好きになったとか、カラオケで自分の持ち歌先に歌われたとか強いチームじゃ考えられないような理由で雰囲気悪くなったりすることもあったし、強いチームで、みんなが試合に出たくてっていうところだと今日のあの子みたいなことがあったりとか、そういうのがあるのは分かるよ。石川の無神経なところで振り回されるのは私も体験者だし。あゆみは結構背負いすぎなんだと思う。試合でチーム背負って外でも人間関係調整したりとか。だから、ちょっとは私で役に立つなら、ちょっとは手伝うよ」

三好から見て柴田と言うのは、ほぼパーフェクト女子だと感じている。
部活で中心選手で、それを鼻にかけず、一杯努力して、周りにも気を使って、見た目もかわいいし。
勉強はそれほど出来ないみたいだけど、それがまたいい。
これで勉強まで出来たら嫌味な奴だけど、そうではないところがまたパーフェクトな部分の一つだ。
だけど、やっぱり人間なんだし、そういう愚痴もあるんだろうな、と思った。

「なんか変な愚痴聞かせてごめんね。梨華ちゃんにはあんまりこういうこと話せなくてさ」
「ううん。あゆみも人間なんだって思ってなんかほっとした」
「なによそれ。人間じゃなくてなんなの?」
「なんだろう? ガチャピン?」
「どうして、そういうことだけ情報早いかなあ」
「でも、それ聞いた時、ああ、確かにって思ったよ」
「もー。結構気にしてるんだからね」
「いいじゃん別に。ガチャピンに似てるところもかわいいと思うよ」
「かわいくない」

拗ねたように言う柴田が三好にはほほえましく映る。

「最近さ、バスケもうまく行かなくてさ。関東大会も全然ダメ。チームの足引っ張っちゃって。シュートが入らないんだよね、いまいち。このままインターハイ入ったらまずいなあって。焦るとこもあってさ。だけど、自分のことだけ考えてるわけにもいかなくて。それでこんな愚痴になっちゃうんだよね」
「私のレベルじゃあゆみがバスケで不調って言っても、それをどうすれば解消できるのかなんてことはわかんないけどさ、愚痴くらいは聞いてあげるよ」
「小川も、話す相手が高橋だから、あんなふうに引きこもっちゃうしかなかったんだろうなってちょっと思ったもん」
「愚痴言いながらも、チームのこと考えてるんだもん。あゆみ、それ、ストレスたまるって」
「そういえばそうだね」

自分の愚痴なのに、いつの間にか今会ってきた小川の話しになっている。
こういう子なんだろうな、と三好は思う。

「もう大会も近くて。三年生として最初の大会で。最後の最後、追い詰められたところで、ちゃんと誰かに頼らずに自分たちで力が出せるかっていうのが結構問われると思うんだよね。なのに、なかなか調子が上がってこないっていうのは不安なのよ」
「なんとかなるよ。なんとか。よくわかんないけど、ちょっと調子悪いくらいで始まる方がいいんじゃないの? 一回戦から頑張らなきゃいけないようなチームじゃないみたいだし」
「だといいんだけど。こういうの初めてだからよくわかんないんだよね。ただ単に、ああ力が足りないってのは思ったことよくあるけど、もっと出来るはずなのに、みたいなの」

話していた柴田が急に立ち止まる。
気づかず一歩先に出た三好の手を柴田が引っ張った。

「なに?」
「高橋。隠れよう」

三好の視界には高橋の姿は映っていなかったが、横道に一歩入って覗き込むようにして柴田があそこと指をさして分かった。
車道もしっかりある通りの反対側歩道をこちらに向かって歩いている。

「袋持ってるね」
「駅前まで行ったんだ結局」
「声かけないの?」
「アイスだけ受け取って帰る?」
「ないね」

ぱしりに使って駅まで行かせて、挙句買って戻るともういないという状況である。
今、声をかける気にはあまりなれない。

「千円札じゃなくて五百円玉くらいにしとくんだったなあ」
「アイス四つなら五百円で行けるよね」
「でもそれだとコンビニにあるアイス買って戻ってきちゃうからさあ。高そうなの指定するには千円必要だったんだよ」
「足りなかったら足りないですって電話してきたと思うよ」
「そこでやっぱりいいやって言うのもかわいそうな気がしてさあ」
「それ、気の使い方間違ってるでしょ」

せっかく買って来たのにもう帰ってるの方が数段ひどいような気が三好はしている。
高橋が通りすぎ少し経ったところで二人は通りに戻った。

「高橋、ご苦労。よし、帰ろう」

去って行く高橋の背中にそう語りかけてから駅に向かう柴田を、三好はほほえましく思った。

翌日、小川は練習に出てきた。
高橋は柴田に抗議した。
それくらいで、後は日常の練習の光景がある。
午前練が終わった後、柴田と三好は、昨日の小川家訪問のことを和田コーチに報告しに行った。

「わるいけど、これからも小川のことはよく見てやってくれな」
「はい」
「俺も気をつけては見るけど。女子高生の一人暮らしの家にずかずか入り込むわけにもいかんから。となりに高橋がいるっていうのも、一面心強いんだけど、ある面では余計心配だったりするし」
「二人の生活面は気をつけて見るようにします」

和田コーチは最初の部屋の斡旋の時以外、高橋や小川の家に行ってはいない。
遠方から預かっている子は家庭訪問までするべきかどうか迷ったまま一年以上が過ぎてしまっている。

「じゃあ、失礼します」
「あ、三好ちょっと残ってくれ」
「は、はい」

報告が済んで戻ろうとすると呼び止められた。
柴田だけ出て行って三好が残る。
職員室、立ったままでの報告だったけれど三好一人になったので、和田コーチは空いているとなりの先生の席を三好に進めた。
長くなるのかなあ、ちょっとイヤだなあ、と思いながら三好は座った。

「どうだ、チームにはそろそろ慣れたか?」
「そうですね。慣れたような気がします」
「もう一学期も終わってるからな。そろそろ慣れるか」
「はい」

和田コーチとそれほど長い会話を最近はしていない。
合併することになって、そのあたりの話しをしたのはあったが、その時点ではまだ正式には三好は和田コーチの生徒ではない。
正式にこのチームになってからこうやって呼び止められて話をするのは初めてだった。

「途中で加わるっていうのは大変だと思うけど三好は良くやってると思う」
「ありがとうございます」
「ただ、当然、特別扱いはしないから、しないっていうか、してるわけじゃないから」
「はい」
「特別扱いはしないけど、期待はしてるんだな。その、チームに新しい血を吹き込んでくれるってところで」
「まだまだ全然ですけど」
「いや、よくやってると思う」

今度はベンチから外されたけどな、と思う。
よくやってると言われても、あまり実感は無い。

「プレイヤーとしてももちろん期待してる。今回はちょっとはずすことになったけど、国体とか先もあるし。当然まだまだチャンスはある。あとな、それとは別の面で、最上級生としてチームの中で役割を担って行って欲しいんだ」
「はい。あゆみにも、柴田さんにも言われました」
「そうか。ちょっとな、あいつには負担かけすぎてるからな。三好は柴田と仲良くやってるのか?」
「仲良く。はい、まあ、それなりには仲良いかなと思ってます」
「そうか。柴田のこと支えてやってな。石川が柴田に愚痴を言う姿はイメージできるんだけど、柴田が石川にっていうのは想像できないんだよな。あいつにとってのはけ口って言っちゃうと言葉悪いけど、気兼ねなく話せる存在っていうのは必要だから」
「チームとか関係なく、あゆみの話しは聞きますよ」
「そうか。そうだな。チームとか関係なくな。どうもこういうチームで長くやってるとチーム中心でものを見てしまってな。人と人とのつながりは、そうだな。三好の言うとおり。チームとか関係なくだな」

この先生、コートの上だと遠慮が無いのにそれ以外の場所だと妙に女子に気兼ねする、という印象を三好は受けている。
変に女子高生扱いされるのは、ちょっと居心地悪く感じる。

「柴田な。選手としても中心にいるだろ。その上でチーム内のいろいろなこと背負って大変なんだよ。見てて分かるだろうけど。石川は選手としてはもちろんしっかり仕事してくれるんだけど、コートの外でのキャプテンとしての振る舞いは、ちょっと偏った部分があって、いろいろ調停みたいなこととかそういうの出来ないんだよな。それで余計柴田に負担が掛かってきちゃってて。あいつ、関東大会もそうだったし、ここのところの練習でもちょっと不調だろ」
「柴田さんですか?」
「シュートが今日はちょっと入らないとか、そういうのと違う次元で、なんか精彩に欠けるんだよ」
「あんまり、わかんないですけど」
「んー、まあ、小さなところからだったりするから、具体的にどこがどうってことでもないんだけど。あいつ自身、自覚もあるみたいだし。話し相手にくらいなってやってくれな」
「私じゃあのレベルで細かいこと話されても何も言えないですよ」
「いいんだよ。何も言わなくても。しゃべってれば勝手にまとまるって部分もあるだろうから。石川あたりだと、返って意見が出てきたりして柴田も余計わかんなくなっちゃったりしそうだし」
「聞くだけなら、まあ、はい」
「とにかく、柴田を支えてやってくれな」
「はい」

三好から見て柴田はパーフェクト女子だけど、確かにそれを支える人みたいなのは周りにいないなあ、と思った。
柴田があっちもこっちも支えているけれど、その柴田を助けられる人間はいないかもしれない。

「あと、もう一つ。岡田のことなんだが」
「はい」
「三好に聞くのもいいのかわかんないんだが、あいつ、試合に出たいとかベンチに入りたいとか、そういう願望あるか?」

聞かれて、とっさに答えが返せなかった。
回答は持っている。
唯にそんな願望は無い、そう三好は思っている。
だけど、こういうチームの監督相手に、そんなこと答えるわけにはいかないような気がしている。

「いや、責めてるわけじゃないんだ。まあ、二人はちょっと特殊な加わり方したから、どんな考え方でも最後まで受け入れようとは思ってた。だけどな、三好はともかく、岡田は、正直に言ってこの先もベンチに入ることは無いと思うんだ。今の力量もそうだけど、それ以上に本人のやる気って言うのかな。その、ベンチに入ることを目指してないような気がするんだな」
「辞めさせた方がいいってことですか?」
「そうじゃない。さっきも言ったけど、二人は最後まで受け入れたいと思ってる。だけどな、岡田は求めてるものが違うと思うんだ他のメンバーと。うちの練習は決して楽じゃない。ベンチに入る、試合に出る、それが無理にしてもバスケがうまくなる、そっちの方向を目指しているわけでもないのに、毎日練習に参加するって言うのはあいつにとって不幸なんじゃないかと思うんだ」
「意識を変えたいってことですか?」
「それでもいいんだけど、それは簡単じゃないだろう。ただ、あいつは何かの理由でこのチームにいるんだろうとは思う。決してチームの邪魔をしたいとも思ってはいないだろうし。試合の時なんかもスタンドの上から楽しそうに声だしてるしな。このチームにいるのが好きなんだろうってのは伝わってくるんだ」

それは言うとおりだと思う。
練習そのものを楽しんでいるとは思えないけれど、このチームの中にいることは楽しんでいるだろうと三好も思う。

「それでな。ちょっと関わりかたを変えてもらったほうがいいと思うんだ」
「どういうことですか?」
「選手としてではなくてマネージャーとして働いてもらった方がいいんじゃないかと思うんだけど、どうだろうか? あいつは受け入れると思うか?」

ちょっと三好が想定していなかった言葉が出て来た。
マネージャー。
なるほど、確かに、試合に出る気がなくて、ベンチに入ろうとかも思っていないけれど、チームの中にいるのが好き、という感覚の場合、そういう役割のがいいような気がする。
今のチームで選手やってるよりははるかにいいかもしれない。
だけど、マネージャーはマネージャーで、三好にはそんな岡田の姿はイメージしにくかったりする。
誰かのために尽くす、唯ってそんなタイプの子だろうか?
少々首をひねってしまう部分はあるのだけど、それでも三好は答えた。

「マネージャーやれって言ったらやりますって答えるかなって思います」
「んー、やれとまで言うつもりは無いんだ。やってみないかって言うくらいで。それで、傷ついたりするかなっていうのが心配なんだな。ある意味で選手としての首切り宣告みたいな部分があるから」

強豪チームでは、新チームになる時に、最終学年の部員の中から一人、選手からマネージャーへの転向を宣告されるようなことがある。
元々選手だったので、スタメンのような力量は無いにしろ、プレイのことは分かるし選手の気持ちもわかる。
そういう利点があってそういう制度を採っているところは結構あるが、そういう形でマネージャーになる当人の方は、その事実を受け入れるまでに時間がかかるし、実際に受け入れきれずにチームを離れてしまうようなこともなくは無い。

「その辺は大丈夫だと思いますよ。あの子、自分が下手なのはよく分かってるし。このチームで選手としては出られないよなんて、改めて言われても、あたりまえやないですか、とか言いそうだし。全然大丈夫だと思います」
「そうか。それならいいんだけど。ちょっと、三好の方から聞いてみれくれないか? 俺が直接言っちゃうと断るっていうのが難しくなっちゃうだろうから」
「はい。話してみます。だけど、マネージャーって言っても何やるんですか? こういうチームの場合。選手の健康管理のための食事プログラムが、とか、そんなの無理ですよ、唯には」
「いきなりそこまで望んでないから。事務的ないろいろなこととか、後、スコアーブックはつけてもらうし。他チームの試合のビデオ撮影とか。まあ、いろいろあるよ。テーピングの巻き方とかもちゃんと勉強してもらうし。お飾りじゃないって言うのは確かだな。その辺はマネージャーとしてやってくれることになったら、俺の方から直接言うよ」
「わかりました。じゃあ、話してみます」

唯に、そんないろんな仕事できるんだろうか、とは思うけど、少なくともこのチームのメンバーに混ざってスリーメンで走っている姿よりは似合うような気がしている。

「悪いな。引き止めて」
「いえ」
「柴田がさっきからそこうろうろしてる影が見えるから、行ってやれ」
「はい」

職員室のドアにはめ込まれている曇りガラスの向こうに、人影がちらちら映るらしい。
三好は背中を向けているのでわからないけれど、和田コーチにはそんな姿が目に入っていたようだ。

「じゃあ、失礼します」

頭を下げて職員室を出て行った。

扉を開けて出ると確かに柴田が待っていた。

「先戻ってれば良かったのに」
「何かなって気になるじゃん」
「うん。ちょっとね」
「ちょっとなに?」

柴田を支えてやってくれって言われたと柴田に言うのはどんなもんだろうか。
そう思ったのでそこには触れない。

「唯ね。唯、マネージャーになってもらおうかと思うんだけどどう思う? って」
「先生が。唯ちゃんマネージャーにしたいって言ったの?」
「うん。選手として試合に出たいと思ってないだろって」
「ああ、そうかもしれないね。それでなんて答えたの?」
「いいと思いますって。そしたら私から話してみてって」
「先生、そういうのすぐ、自分で言うの逃げるからなあ」

困ったようなちょっと真剣な顔で柴田が言う。
直接言えばいいじゃないか、と三好も確かに思ったが、バスケの力量が低すぎて、練習中もほとんど言葉を交わすことの無い岡田は、和田コーチからしてみると距離の遠いところにいて、ちょっと接しにくいんだろうな、ということも三好は思う。

「まあ、別に言うだけだし。大した問題でも無いでしょ。イヤだとか言うと思えないし」
「どうかなあ? 意外とイヤだって言うかもよ」
「無いでしょ。別に、試合に出ることにこだわるとも思えないし。まあ、帰りにでも話してみるよ」
「そうだね」

校舎の外に出て部室へ向かう。
少し休んでから午後の練習が始まった。

その日の練習終了後。
自主練に付き合わせてから三好は岡田を帰宅路についた。

「まこっちゃん、元気そうで良かった」
「私じゃなくて唯が行けば良かったんだよ。唯のが仲いいでしょ」
「うち、ベンチに入れなくて悩む子の気持ちにはなれないから。唯ちゃんにはわかんないよ、とか言われて終わりだと思うし。絵梨香さんでよかったんやと思いますよ」
「別に、私が何かしたわけじゃないけどね」

二年生同士の人間関係は、三好もいまいち掴みきれていない。
家まで行って一緒にテスト勉強だかテスト前おしゃべりだかしらないけど、するくらいだから、仲が悪いわけは無いと思うのだけど、どこまでそれぞれが仲がいいのかはわからない。

「それで、お昼に先生に報告に行ったらさ、あゆみだけ返されて、三好は残れって言われちゃった」
「なんですか? なに怒られたんですか?」
「何も怒られてないって。唯の話だった」
「うちの? なんですか?」
「唯さあ、マネージャーになるつもりある?」

ちょっと話しの前振りワンクッションくらい入れたけれど、特に遠まわしにすることもなく、変化球を投げることもなく、素直にそのまま伝えた。

「マネージャー?」
「うん。マネージャー」
「マネージャーですか・・・」

やりますって答えがすぐに返ってくるもんだと思っていた。
それが、意外に帰ってこない。
黙りこんだのか考え込んだのかした岡田に、三好は説明を加えた。

「マネージャーって言っても、いきなりそんなすごい難しいことしろとかそういうことは無いって。スコアブックつけるとか、試合のビデオ撮るとか。最初はそういうのだって。テーピングの勉強とかもしてもらうって言ってたけど、ちょっとづつだってさ。そんな、唯に最初から難しいことしろとは言わないよ」

マネージャーという役割に不安なのかな、と思って説明を加えてみた。
だけど、岡田の反応は薄い。
なんだろう、何言えばいいんだ、と三好が考えていると、岡田が口を開いた。

「絵梨香さん、ドーター寄りましょう」
「え、うん。いいけど」

駅前にある国内資本のコーヒーショップチェーン店。
部員たちは、世界に広がるハンバーガーショップの方によくいるが、岡田はこっちの方を好んだ。

それからあまり会話がつながらず店に着く。
喫煙席がらがらで、禁煙席のが混んでいて、もうちょっと席の配分考えればいいのに、とか言いながら、飲み物だけ頼んで席に座る。
ガムシロップを溶かし終えた岡田が口を開いた。

「やりますよ。マネージャー」
「うん。そっか。じゃあ、先生に話してみて。具体的にどうするのかとかは私じゃわかんないから」
「はい」

岡田はアイスコーヒーのストローを口に持って行く。
一口飲んでため息ついて、窓の外を見る。

「みんなと一緒が良かったんですけどね」
「え?」
「みんなと一緒が良かったんです」

三好は、岡田の言葉の前後関係がつかめない。
唐突に出てきた言葉のようで、意味が良くわからないけれど、岡田としては前の言葉からつながっていた。

「別に、試合に出たいとも思わないし、バスケうまくなりたい、とかもあんまりおもわへんし。でも、みんなと一緒が良かったんですよ。絵梨香さんとも。まこっちゃんやあいちゃんとも。おんなじように練習して。同じようにへろへろになって。へろへろになるのはうちだけかもしれんけど。勝ったり負けたり。あ、もう、あんまり負けないみたいだけど。同じことしてるとみんなともだち、みたいな気分になれるやないですか」

三好は、岡田の言葉の前とのつながりをやっと理解する。
窓の外を見ている岡田の方に、身をずいっと乗り出して問いかけた。

「マネージャー、やりたくないの?」
「いいんです。うちだけの気持ちやし。みんなと一緒って言ったって、うちと石川さんが一緒なんて誰もおもわへんのは分かってます。絵梨香さん嫌いみたいやけど、うちけっこうすきなんですよ、石川さん。あの空気読まない外れっぷりとか。黙ってればアホの美少女モデルしてられる感じやのに、ボール持つとすごいところとか。だから、一番上と一番下でも、なんかつながってたいなあって思ったりもするんですよ。みんなからしたら、うちなんて、小さい頃の鬼ごっこのマメみたいなもんで、混ざってるけど一人だけルール違うから、たぶんみんなと一緒じゃないし。ちょっと寂しくなっただけです。分かってたことやけど、やっぱりみんなと一緒じゃないなって。やりますよ。マネージャー」
「そんな、無理してマネージャーやらなくてもいいよ。断ってもいいって先生言ってたし。ていうか、断りやすいようにって、先生自分でじゃなくて私に言わせたんだし。断ってくるよ」
「だから、いいんですって。ちょっと寂しかっただけやから。練習きつすぎですもん。暑いのに。午前練、午後練とか。意味わからんし。その上自主練でシューティングとか、この人たち頭おかしいって思うじゃないですか。暑いんだから泳ぎに行きましょうよ。みんな、うちと並んで水着になりたくないから行かないんだろうけど、そんな恥ずかしがらずに、たまにはうちの引き立て役になってよ、とか思いますもん」

何の迷いもなく、やりますって答えが返ってくるものだとばかり思っていた。
そんなこと考えてたのか、というのは三好にとって意外だった。
自分が無理やり付き合わせて、こんなチームに引き込んでしまったのかもしれない、ということも考えたことがあった。
どう見ても試合に出られることは無いし、出たいとも思ってなさそうなのに、練習についてきてたのはそういうことだったのか、という驚きがあった。

「マネージャーなら練習しなくていいですしね。体育館、冷房つけてよって感じだから、端っこで立ってるだけでも暑いけど、練習やってるよりはましですよね」
「唯、いいの? 無理してない? 別に強制ってわけじゃないんだよ」
「いややなあ。そこまで真剣な顔して言わないでくださいよ。うち、自分からマネージャーにしてって言おうかと思ったこともあったんですから。言わなかったけど。練習きついからマネージャーにしてなんて言ったら、じゃあ退部とか言われそうやないですか。それが、先生からマネージャーやれって言われるなんてラッキーですって。やりますやります」

自分は、全然この子のこと分かって無いんじゃなかろうか、と三好は思った。
窓の外を眺めていた憂い顔が、ものの数分でへらへら笑顔に戻った。
話しながら自分の気持ちに整理をつけていたように感じる。
今回はたまたま数分時間掛けて口に出して話してくれたけれど、これまでもこんな風に、自分で折り合いつけてその場にあわせてくれただけで、本当の本音の部分は出さずにいたのかもしれない、と思う。

「本当に無理はしなくていいからね」
「はいはい。大丈夫ですって。ああ、スコアブックつけるのとか無理やし、テーピング巻くのも無理やし、マッサージとかも無理。モップ掛けと水汲みと洗濯だけやります」
「無理ってそういうことじゃなくて」
「ウソ。ウソです。ちゃんとやりますよ。いきなりは無理やけど。でも、ベンチ入ってスコアつけるとスタンドで騒げなくなるなあ。まあ、ベンチでも騒げばいいのか。でも、騒ぎながらスコアってつけられるんやろか? あれ、マネージャーって、試合の戦術、とか先生に提案したりするんですか? 無理。それは無理」

何を言っていいのか、三好はもうわからない。
岡田が、本当に無理をしてるのかそうでもないのか、よく分からなくなっている。

「そんな困った顔しないでくださいよ。だから、ちょっと寂しかっただけだって言ってるじゃないですか。席替えとか、ちょっと寂しいじゃないですか。そんな感じですよ。別に、アイドルがユニット卒業してソロ活動しなさいって言われたとかそういうことじゃないんですから。そんな困った顔しないでくださいって。やりますよ。マネージャー」
「ホントに良いの?」
「やっても良いとかじゃなくて、やりますよ。別に、マネージャーだからってみんなと違うってこともないし。一緒ですよ。みんなと。役割がちょっと違うだけで」

そうだろうか、と三好は思う。
改めて考えてみると、確かに、レギュラーでも控えでもスタンドの上でも選手は選手でつながっている。
だけど、マネージャーはそのラインとは違うところにいる。
同じチームと言っても、選手とコーチは仲間じゃないし一つの輪の中にはいない感じがする。
マネージャーというのも、ひょっとしたらコーチ側に行ってしまって、選手と遠くなってしまうんじゃないかという怖さを、逆に三好の方が感じ始めた。

「先生に言えばいいんですか?」
「先生?」
「あの、マネージャーやりますって」
「ん、うん」
「じゃあ、明日言いますよ。あれ、そしたら明日の練習は、参加しなくて良い? 明日からマネージャー? じゃあ、ちょっと早く行って準備とかしなきゃいけないのかな?」
「唯、もうしばらく一緒に練習しよ」
「え、マネージャーやるんですよね」
「うん。唯がマネージャーやるで納得してるなら、それでいいけど。でも、なんか明日からって中途半端じゃない。だから、インターハイ終わるまで一緒に練習しよ」
「えー。練習きついー」
「つながってたいんでしょ。やるの。一つの大会終わるまで。みんなで優勝しようよ。マネージャーがみんなじゃないってことも無いけど。それからでも良いでしょ」
「せっかく、もう走らなくていいと思ったのに」

苦い顔をしながらも、その返事はしばらく一緒に練習する、という意味のものだ。
その苦い顔が、三好にはほほえましいものに見えた。

「インターハイかあ」
「なに、どうしたの?」
「見に行くだけでもなんか楽しみやなあって」
「唯、そんなバスケ好きだったっけ?」
「バスケ部員に向かってなんてこと言うんですか。だって、なんかすごそうな人いっぱいいるみたいじゃないですか」
「すごい人はいるだろうね」
「うち、優勝できるんですか?」
「それはやってみないとわかんないんじゃない?」
「優勝できるといいですね」
「そうだね」

優勝できるんだろうか、うちのチーム。
そう考えて、三好は思った。
うちのチームなんだなと。
このチームがうちのチームに置き換わったのはいつ頃からだろう。
うちのチームかあ。
真ん中にあゆみがいて、高橋とかうまいのがいて、すごいのかおかしいのかよくわからない道重たち一年生がいて、悩みこんでる小川がいて、端っこの方に唯がいて。
あと、なんかキャプテンとかいうのがいたっけ。
自分もその中の一人で、うちのチーム。

オレンジジュースを一口飲む。
なんか無駄にストローで二回かき回してみた。
意味は無い。

急激な変化に戸惑ったし、むかついたこともいっぱいあったし、合併なんかしないであのまま後数ヶ月過ごす暮らしがあっても良かったと思う。
だけど、今もそんなに悪くないのかな、と思った。
最初は唯の心配ばかりしてたのに、実際には馴染むのに時間がかかったのは自分の方だった。
空気読めなかったり、人の気持ちがあんまり分かってないのは、どこかのキャプテンだけじゃないらしい。
後五ヶ月、戦力のかけらになる、を目標に頑張ってみようかな、と思う。

「海、行きたいですね」
「海?」
「海。去年みんなで行ったじゃないですか。うちのチーム、そういうのないですよね」
「ないね」
「マネージャーになったら、そういうの企画してみようかな」
「それ別にマネージャーじゃなくても良いんじゃない?」
「だって、毎日練習あるじゃないですか。練習した後海なんか行く気しないですもん。マネージャーなら練習無いし、海でもプールでも行ける」
「みんなは練習するでしょ」
「みんなは練習あっても平気じゃないですか」
「そんなこと無いって、十分きついって」

高校生の普通の部活の暮らしを知っているのは二人だけだ。
神奈川の横浜よりも少し南になるこの地域。
ちょっと時間をかければ江ノ島、湘南海岸方面へ出て行ける。
でも、そんな、ちょっと時間をかけて出かける、というような遊び方をするようなメンバーはいない。
遊ぶとしてもせいぜい、駅の近くでカラオケとかそんな程度のもの。
実現性はともかく、岡田がそういうこと言い出すのも悪くは無いのかな、と三好は思った。

「マネージャー、やるのね?」
「何言ってるんですか。だからやるって言ってるじゃないですか」
「分かった。じゃあ、残りの練習頑張りましょう」
「いややー。明日からマネージャーやるー。練習したくないー」
「ダメです」
「ダメ?」
「ダメです」
「ダメかー」

どこまで本音でどこまで冗談なんだか。
岡田の困り顔な笑顔に合わせて三好も笑う。
この子が一緒にこのチームに来てくれて良かった、と改めて三好は思った。

それから数日、岡田は結局練習に参加した。
インターハイに向けてチームの熟成は進む。
練習きついーなどと言っていたが、ここ数日は岡田のような立場の人間にとっては練習量は減ってきた。
トップレベルチームの五対五をコートの外で見ている場面が長い。
それでも最後の五分ゲーム十分ゲームくらいは組んでもらえる。

明日がインターハイ会場への移動日という日。
話し合いで、岡田が練習に参加する最後、と決めた日。
やっぱりいつものように、五対五はコートの外で見ていて、その後の控え組みの十分ゲームも一本目は外で見ていた。
二本目、一本目に参加できなかった残りメンバーを中心に組まれる。
足りない人数は、一本目に出ていたところから補充。
一本目にいた三好も二本目で岡田と同じチームに加わる。

最後だからといって、特別にパスをまわしてもらえてるということも無いし、特別活躍できるわけも無い。
傍から見れば普通の五対五だ。
それでも残り十七秒、ローポストでボールを受けてターン、ジャンプシュートしようとしてみた。
あまり一対一などということをしない岡田、相手も意外だったのか対応が遅れ、ブロックが後手になる。
シュートは入らなかったがブロックがファウルになりフリースロー二本をもらった。

「唯ちゃん、一本しっかりー」

外から高橋の声が飛ぶ。
周りも岡田が今日で練習参加するのは最後、というのは分かっている。
何か特殊な空気が流れているということはなく、普通ではあったが、このタイミングでフリースローともなると、決めて欲しいなあくらいは思う。

ゆっくりいくつかバウンドをついて構える。
一本目、リング奥に当たって跳ね返って落ちる。

「しっかり一本!」

また高橋の声が飛ぶ。
岡田の耳に入っているのかどうか。
レフリー役の一年生からボールを受け取る。
二本目。
リング手前に当たって跳ね上がって、もう一度リング手前側に当たって零れ落ちてきた。

リバウンド。
スクリーンアウトされたが、ボールの跳ね返りが結構あり、三好は外側にいながら飛び上がって右手でボールをさらうことが出来た。
着地してゴールに背を向ける形。
すぐにターンしてフェイドアウェー気味にシュート。
ブロックの上を超え、そのシュートは決まった。

十分ゲームはそれから相手オフェンスが攻めきれずに投げやりシュートを投げてタイムアップ。
インターハイ前最後の練習が終わった。

「普通、最後は決めて終わるものでしょ」
「しょうがないやないですか入らなかったんですから」
「もう。きれいに終われば良かったのに」
「いいやないですか。絵梨香さんリバウンドとって決めてくれたし」
「そういうことにしとくか」

ミーティング終了後。
三好はすぐに岡田に声をかけた。
ちょっと最後の場面は気に入らなかったらしい。
三好が両手を出す。
きょとん、とした顔を岡田は見せたが、それからその両手をバシッと叩いた。
そのまま流れで今度は三好が岡田の両手をバシッと叩き、次にハイタッチしてから三好が岡田を軽く抱きしめ、あたまをくしゃくしゃっとした。

「はい、お疲れ様でした」
「やっと終わったー」
「なんでそうあっけらかんとしてるかなあ」
「暑いのに練習きついやないですか」
「せっかくこっちが雰囲気出してあげてるのに」
「感動して泣いたりした方が良いんですか?」
「それもなんか違う」
「じゃあ、いいやないですか」
「はいはい。わかりました。じゃあマネージャーさん、片づけしてください」
「えーなんで?」
「なんでって、マネージャーの仕事のうちでしょ」
「マネージャー明日から。今日は普通の二年生。片づけしない」
「ああ言えばこう言うなあ」
「細かいこと気にせんで、シューティングでもしてきたらええやないですか」
「ああ、もう、わかったよ。お疲れ様」
「お疲れ様でした。ありがとうございました」

珍しく岡田が頭を下げる。
頭を上げたところで、三好はもう一度岡田の頭をくしゃくしゃっとしてから立ち去った。
ボールを拾ってコートに駆け込む。
柴田がスリーポイントシュートを打っていたのでそこにダイブ。

「ちょ! なんでそこでブロック」
「まだまだ甘いですねあゆみさん」

柴田が打ったスリーポイントシュートを、横から駆け込んでブロック、ボールを弾き飛ばした。
壁まで飛んで行って跳ね返って来たのを拾い上げ柴田に投げ返す。

「そんなとこからブロック飛んで来ると思うわけ無いでしょ」
「油断大敵です」
「まったくもー。じゃあちょっと一対一付き合ってよ」
「いいよ」

三好は持って入ってきたボールをどうしようかちょっと迷ってから岡田の方に投げ渡した。
柴田がシューティングしていた場所は狭くなってきているので場所移動。
空いているゴールに向かう。

「荷物ってさあ、やっぱり七泊分の予定で作るの? こういう時」
「うん」
「着替え七セット?」
「いやいやいや。洗濯するし。合宿なんかはしてたでしょ。そのイメージだよ」
「合宿はあったけど七泊もしないからなあ」

初日移動日、一回戦から決勝まで六日間、帰りは決勝翌日、とすると七泊八日になる。
そんな遠征、三好はしたことが無い。

「そんな遠征、毎回毎回しててすごいよね」
「遠征するだけじゃ別にすごく無いでしょ」
「七泊する気で実際するのがすごいよ」
「ああ、それはそうなのかも」

空いているコートにたどり着く。
三好がディフェンスらしい。
ゴールに背を向けて構える。
止めてやろうじゃないの、チームの中心スタメン様。
一度ボールを渡されてすぐに返す。
低く構えて柴田の動きを待つ。

柴田はシュートフェイクを入れてからドリブル突破をはかる。
三好は置いていかれずに付いて行くが、柴田はゴール下までは持ち込まずストップジャンプシュート。
対応しきれずフリーの状態であったが、シュートは短くリング手前にあたりぽとりと落ちた。

「ダメだなあ」

柴田がボソッと一言。
シュートが短い。
リバウンドを拾った三好がボールを軽く投げ返す。

「しばらくオフェンスやる?」
「うん、お願い」

元いた場所に歩いて戻る。
暑い。
でも、悪くないな、と思った。
こんな暮らしも、悪くない。
前が悪かったわけでも無いけれど。

インターハイ。
うちのチーム、優勝出来たら良いな、と三好は思った。

 

インターハイの出場チームは全国各地から男女それぞれ五十六チームである。
八チームがシードで二回戦から。
残りの四十八チームが一回戦を戦う。

一日一試合。
男子は一回戦に二日かけるけど、女子は初日に一回戦を終え、二日目は二回戦、三日目に三回戦。
決勝まで毎日一試合づつ試合がある。

「なんか、すごく偉そうな立場な気分なんだけど」
「初日に試合が無いって変な感じだよね」

開会式が終わり、一回戦から出場するチームは各会場に散っていったりアップを始めたりする。
そんな中、初日に試合の無いシード校はスタンドから高みの見物である。
富岡や滝川のような、シード慣れしたようなチームはともかく、インターハイ二度目の出場で、シードなんてものは初めてな松江のメンバーにとっては、多少違和感がある。
会場にいるのに試合が無い、というのは妙な感じだ。

「たまたま地区のレベルが低かったからシードなだけで、別に偉くもなんとも無いですよ」
「夢の無いこと言うなよ福田は」
「試合見たら、そんな余裕は吹き飛ぶかもしれませんよ」
「そりゃそうだけどさあ」

自分たちは試合が無い。
明日の対戦相手は今日の試合の勝者。
当然、時間があるのだからそれを見ることになる。
開会式後の第一試合にその試合は組まれている。

「青鵬は強いよ」
「石川さん」
「どうもー」

コートを縦に見えるいちばん高い位置。
椅子席ではなく、立ち見で手すりに寄りかかりながら観戦を決め込む松江のメンバーの後ろを石川が通りかかった。

「関東大会の映像、ありがとね。よく見せてもらったよ」
「替わりによっすぃーたちの映像もらえば良かったな」
「富岡があたりそうなチームとなんかうち試合したことないよ多分」
「そうじゃなくて。松江の試合の映像ね」
「うちなんて映像見て研究するようなチームじゃないでしょ。滝川で試合して全然負けてるんだし」
「あの時は福田さんいなかったでしょ。いるといないとで大違いって稲葉さんも書いてたし」

インターハイ特集号。
バスケに限らないだろうが、スポーツ専門誌では7月に発売される号には大体そんなテーマが選ばれる。
松江は、その記事の中では対抗馬の一つとして取り上げられている。
石川は福田の方を見て言っているが、福田はそ知らぬ顔をしていた。

「それでも富岡と比べれば全然でしょ。その前に明日だよ明日」
「青鵬は強いからね」
「石川さんから見てどんな感じだったの?」
「うん。強かったよ」
「あの、いいですか?」

石川と吉澤の会話に福田が割り込んできた。
福田と石川、お互い顔も名前も知っているが、まともに会話するのは初めてだ。

「青鵬のキーは留学生二人なのは間違いないと思うんです。なのに、なんで富岡さんは、そのどっちにも一年生を当てたんですか?」
「なんでって?」
「石川さんがセンターの三年生に、高橋さんがガードの一年生にって選択の方が妥当だと思うんですけど、なんでどっちも一年生を当てたんですか?」
「なんでだろう? 私が決めたんじゃないからな。先生に聞いてみてよ」
「そうですか。そうですよね。すいません」
「福田さん、うわさ通りの人だね」
「なにがですか?」
「まじめ。すごくまじめ。バスケに対して」
「そんなことないですよ」

福田は石川じゃないところから視線を感じてそちらに目を向ける。
石川の後ろには高橋と田中、道重、などなど取り巻きの面々がいる。
福田に視線をぶつけてきたのは田中だった。
留学生ガードにぶつけたのが妥当じゃない、といわれてむかついたのだろうか?
そんなことを福田は思ってか、すぐに視線は外す。

「青鵬、ガードの子が馴染んでたら関東大会のときより強くなってると思う。あの時は自分で点取る以外の展開の場面だとちょっと合ってないところとかあったから。その辺のあわせがしっかり出来てきてると強いよ」
「一年生が主力にいるところは伸び代が大きいですよね」
「うちも、頑張らないとね」
「れいなが周りとしっかり合わせられれば負けないです」

石川が後ろの田中の方を見て微笑む。
少しはなれて一年生の中にいた松浦が歩み寄ってきた。

「石川さんは青鵬見に来たんですか?」
「ん? うん。暇なんだよね」

富岡の二回戦の相手は第二試合の勝者である。
その後、午後には場所移動して軽めの練習はある。
ただ、それまではとくにすることもなく暇なのだ。
横から高橋が口を挟んだ。

「松浦さん、怪我なく元気ですか?」
「怪我? 全然全然」
「勝ち上がってきてくださいね」
「高橋、松浦さんとまたやりたいって言ってるのよ」
「石川さんはよけいなこと言わんでいいんです」

そんなことわざわざ本人の前で言われたくも無い。
意識していることが見え見えではないか。
松浦の方も苦笑している。

「私、石川さんとマッチアップしてみたいなあ」
「思い付きで勝手なこと言うなよなあ」
「でも、してみたいんですもん」
「あんまり無茶言うんじゃないの」

松浦なら本当にその場ののりで勝手にやってしまいそうで吉澤は怖い。
今度は石川の方が苦笑いである。

「じゃ、またね。場所なくなっちゃう」

試合開始はもうすぐ。
どこか座れる席、座れないにしてもまともに試合が見られる場所を確保しないといけない。
さすがに、松江のメンバーと一緒に試合を見る、という気にはならないようだった。 

「高橋さんちょっと不満そうでしたね」
「あややがあんなこと言うからだろ」
「眼中に無いみたいに扱ってあげた方がやりやすいかなって」
「一年もそうでしたけど、富岡のガード陣ってなんか子供ですよね」
「お前が年に似合わずおばさんくさいんだよ」

田中と高橋を合わせた感想を福田が述べたが、吉澤は一蹴する。

「感情丸分かりのガードって取り扱いが楽なんですけどね」
「たまにははっきり出してくれた方が、周りが乗りやすかったりもするよ。滝川のミキティとか、あんな感じで」
「そういうのは松に任せます」
「なによ。それじゃ私が感情丸出しで子供みたいじゃない」
「いや、そこは福田に同意しとく」
「ちょっと、吉澤さんまでそういうこと言うんですかー」
「悪いとは言って無いでしょ。悪いとは」

吉澤は輪になっていた状態から背を向けてコートの方へ目を向けて、松浦の抗議をうやむやにした。
コートでは、三分前の笛が吹かれ、アップをしていた選手たちがベンチに戻って行く。
開会式ではない、本当の大会の開幕まで後少し。

「強いって言ってたね」
「青鵬?」
「うん」

吉澤の隣にあやかが並ぶ。
留学生センターのマッチアップは吉澤かあやかか。
まだ、決めていない。

「どっちがどれだけ出るか、なんだよなあ」
「関東大会、半々くらいだったでしょ」
「そこからガードがチームに馴染んでたらガードの方を長く出してくるかもしれないし。その辺どうかなあ」
「あんまり馴染んでて点差開くと、二人とも引っ込んだりしてね」
「それは参考にならないから勘弁して欲しい」

市立松江と青鵬女子の大会前の評価はどちらも星三つ半。
大会展望のコーナーでは二回戦の注目カード扱いされていた。
どちらが勝ちそうかまでははっきり記されていなかったが、点の入るゲームになるだろうとされている。

ゲームが始まる。
三コートある端より。
富岡の一部のメンバーが横から試合を見られる位置に入って行って座っているのが吉澤のところからも見える。
スターティングメンバーがコートに入ってきた。

「ガードスタメンだね」
「関東大会の逆か」
「煮詰めてきたかなあ」
「まあ、見れば分かるでしょ」
「だね」

コートにはリンリンが入った。
ジュンジュンはベンチの後ろでボールハンドリングなんかをして体を動かしている。
すぐに出られる状態にしておきたいのだろう。

対戦相手は奈良のチーム。
お世辞にもバスケが強いといえるような地域ではない。
身長はそれなりにあり、何も知らない人が見ればこちらの方が強そうに見えなくも無いが、実績があるようなチームではなかった。

試合は立ち上がりから青鵬のペースで進む。
得点源はリンリンとは限らなかった。
周りの日本人プレイヤーもちゃんと点を取っている。
一クォーターはリンリンがそのままずっと出ていて25−9とリード。
二クォーターに入りリンリンが下がってジュンジュン投入。
今度はジュンジュンが中心として得点源になる。
相手の外が入ったので点差がそれほどは広がらなかったがそれでも51−27と前半で安全圏まで逃げた。

「周りを生かせてるよね」
「関東大会のときより強いって見ていいのかな」
「ガードと周りがあってる分強いね」
「センターは変わってない感じ?」
「だね」

吉澤とあやかの感想。
富岡と9点差だった関東大会よりも強い。
それはなかなか大変なことである。

「初戦からあんなのと当たらなくてもなあ」
「そんなこと言えるようなチームじゃないでしょ、うちはまだ。インターハイ未勝利だよ」
「そういえばそうか」
「当たって砕ければいいって」
「砕けたくないなあ」

割と悲観的な言葉に反して、二人とも表情は余裕のあるものだった。

後半、三クォーターはリンリンが出てきてゲームコントロールする。
リンリンがいる時の方が点差が開く。
リンリン自身のゲームコントロールと、ディフェンス時に相手の外のシュートを押さえ込むこと、二つの理由で差が開く。
三クォーター終わって80−41
最終クォーターはそのリンリンも下げ、純日本人で戦い、点差を保って101−60で試合を終えた。

中央コートでは第二試合に入る。
勝った方が二回戦で富岡と対戦するという組み合わせ。
都大会と違いしっかりコーチ登録を済ませた矢口がベンチに入り采配を振るう。

「インターハイだからって変に気負うなよ。冷静にな冷静に」

対戦相手は京都のチーム。
大きな実績は無い。
ただ、それはお互い様。
向こうもおそらく同じことを思っているだろう、と矢口は思っている。
普通にやれば勝てると。
実績の無さで言えば自分たちの方が一枚上手と言うか下手と言うか、本当に実績が無い。
都大会も二位が最高で、切符が二枚あるから出てくることが出来るだけだ。
インターハイ自体初出場。
組み合わせを見て喜んだのは向こうの方なんじゃないかと思う。
それでも、矢口はちょっと自信があった。

「後藤。最初から単純に行くよ。ゴール下でも外でもどっちでもいい。とにかく勝負して」
「オッケー」
「周りはそれに適当に合わせればいいから。とにかく後藤に集める。後藤と勝負できる選手は向こうにはいないから。ダブルチームかましてくるまでは後藤でいいよ」

東京聖督、今大会前の専門誌での評価は星二つ半。
後藤一人だけでも星一つ分くらいの価値はあるみたいな書かれ方をしている。
去年の選抜で一つ半だったところから増えた丸丸一つは、稲葉が後藤をちゃんと見たぶんなようだ。

「亀ちゃん加護ちゃん。序盤は外からシュートもカットインもいらないから。とにかく後藤で。バカみたいに後藤にひたすら送ってればいいから」
「バカで良いんですか?」
「うん。バカで良い。でも、とられないようにだけは頭使ってね。取られないで後藤に入れる。さすがに最後までそれで行く気は無いけど、最初はそれで。変えるところは指示するから」
「はい。バカなら得意です」
「加護はアホのが得意です」
「アホでもバカでもどっちでもいいよ。ていうか、ちょっとは緊張しろよな」

怖いもの知らずなのか、ホントにただのアホバカなのか。
まあ、どっちでも良いか、と矢口は思った。
少なくとも緊張感でつぶれてしまうことはなさそうだ。

「ディフェンスは?」
「うん。いつものようにマンツーで。後藤以外、ディフェンスは頑張れよ。オフェンスでサボれる分。ディフェンスはバカやアホじゃダメだからな。ちゃんと自分のマッチアップは責任持つこと」
「後藤はサボっていいの?」
「良くない。良くないけど、あえて後藤のところで勝負してくるとも思えないから、立ち上がり見てみて、多少休んでも平気だなと思ったら自分で判断して。外開いていったらほっとこうかな程度には休んでもいい」
「一対一弱そうだったらいいってこと?」
「そう。ん、ちょっと違うな。シュートレンジの外まで出たらほっとけってこと。その為にマッチアップ逆なんだから」

予選決勝の映像を手に入れて検討した。
その結果、後藤は外がなさそうなセンターの方に立ち上がりはマッチアップさせることにした。
普通ならシュートレンジが広く、オフェンス力があるプレイヤーに後藤を当てたいところだけど、オフェンスを最初は後藤に頼る、という方針にしたので、ディフェンスはなるべく楽をさせたいということでそういうマッチアップにしている。

「後、当たり前だけどノーファウルね。特に後藤。サボっててシュート打たれそうになった時だけあわててブロックに行ってファウル、とかするなよ」
「分かってます」
「サボっててシュート打たれそうになったら、その場面はあきらめること。次からサボらない。ていうか、そういうシュートが続くようならプラン変えるから。タイムアウト取るよ」

後藤のファウルが序盤からかさむことだけは避けたい。
立ち上がり、マッチアップが楽そうな相手に付けたのはそういう意図もある。
それでも、リバウンドなんかで競り合ってファウルをしがちなポジションであり、そのあたりが矢口にとって不安要素だった。

「せっかく泊まりで試合に来たんだ。キャンセルしないでいいように今日は勝とうな」
「やぐっつぁん、明日も勝ったらどうするの?」
「帰るチームたくさんいるんだから、どこかあいたとこ泊めてもらえばいいんだよ。細かいこと考えてないで行ってきな」

東京のチームである聖督は、関東大会レベルならどこでも日帰りだったし、去年の選抜は地元なのでそれぞれ家から通った。
滝川カップのような非公式戦と違い、公式戦で遠征という形で泊りがけになるのは初めてのことである。
高校生は親掛かりでよかったが、大学生矢口はバイトして自力で稼いだ宿泊費。
一泊分キャンセルにして損をしたくは無い。
宿泊先を明日までしか押さえていないのはやる気が無いのか現実的なのか。
どこかが帰るからどこかの宿は空くはずだ、というのもまた真実ではある。

「よーし。やぐっつぁんコーチで。後藤キャプテンで。全国大会初勝利目指して、みんな、いくよ」

珍しく、ちょっとだけテンション高めで、機嫌も良さそうで、大丈夫そうだな、と矢口は思った。

コートにスタメンが上がって行く。
相手チームも入ってくる。
映像で見た予選決勝のメンバーと変わらない。
マッチアップは予定通りにつかせられる。

ジャンプボールは後藤が飛んで、ボールコントロールできた。
後ろにいる亀井に落とす。
亀井は加護に送った。
相手ディフェンスはサーっと引いて行く。
場が落ち着くまで加護は淡々とドリブルでキープ。
亀井や加護が気が付く前に、矢口が気が付いてベンチで声を上げた。

「げ、ゾーンだ」

引いたディフェンスはマンマークに付かずにゾーンを敷いている。
2−3?
いや、2−1−2か?
真ん中の一人の位置取りがまだはっきりしないけれど、どちらかだろう。

後藤は中に入った。
ゾーンの内側。
ハイポストの位置に入るとディフェンスはしっかり押さえに来る。
前も後ろもディフェンス、という形になっていて、これだとバカでもアホでもボールは入れにくい。
仕方なくしたに下りて行く。
下りて行ってもディフェンスがいることには変わらない。
ゾーンなので受け渡しされて、また別の人間がついてくる。
ローポスト付近、台形の中に入れてもらえなかった。
ただ、こちらは前後を挟まれる状況ではない。
中央のディフェンスより身長は高いが、相手は一人だ。
何とかディフェンスを抑えてボールを要求する。
亀井からバウンドパス。
外に開きながらボールを受ける。
追ってきたディフェンスをシュートフェイクで飛ばしてからドリブル。
一人かわすと逆サイドからフォロー。
ゴール下。
シュートフェイクで飛ばそうとしたけれど飛ばない。
一歩踏み込んでダメでピボット踏んでターン。
一度交わしたディフェンス、さらに中央の一人も押さえに来て三人に囲まれる形。
体勢も維持できない中、ゴールに半身になりながらも片手でシュート。
フックシュートライクな形で放たれたボールはしっかりリングを通過したがレフリーの笛も鳴らされた。

「三秒オーバータイム」

ゴールに近いところにある台形の内側には、オフェンスプレイヤーはシュートを打たずに三秒を超えてプレイをすることは出来ない。
シュート前に三秒経っていた、というレフリーの判定だ。

「後藤、お構いなしかよ」

ベンチで矢口が笑っている。
序盤は単純に後藤で、と言ったが、相手ゾーンなんてまったく予期していなかったし、まして三人に囲まれるシチュエーションは考えていなかったが、それでも忠実に自分で勝負している。
三秒は取られたものの、あの状況からゴールを決める後藤に頼もしさを感じつつ、多少あきれる部分もある。
普通は外に捌く。
大体その前に、うわ、ゾーンだ、どうしよう、くらい思うだろ普通、というのが矢口の感覚だ。
あまり考えていないと、予想と違っても動揺も特に無いらしい。
良いんだか悪いんだか、と思いつつ矢口は対応策を考える。

相手のオフェンスはオーソドックスだった。
普通に攻めてきて、聖督も比較的普通に守っている
取り立てて特徴は無い。
後藤がサボっていても問題はなさそうでもある。

やはり考えないといけないのはゾーンの崩しだった。
しばらく見てみて、結局、2−1−2だな、という風に認識した。
聖督オフェンスは後藤にボールを集めている。
自分の指示に忠実で素直なのは良いことなのかどうか。
そんな方向に思考が飛びそうになりつつベンチで矢口は考える。

やばいゾーンだどうしよう、と矢口が思ったほどは、オフェンス面ではひどいことにはなっていなかった。
それこそ後藤がお構いなしなのだ。
2−1−2のゾーンは後藤対策で立てたものだろう。
インサイドを固めて後藤に仕事をさせない。
それが目的なのだろうという推測は立つのだけど、後藤が結構決めてくる。
早めのタイムアウトが必要かなと思っていたのだが、点差がつくということにならないので黙って見ていた。
一クォーターは12−13と一点のビハインドで終わる。

「矢口は、こんな素直な子達に恵まれてうれしいよ。いまどきいないだろ、こんなに素直にコーチのいうこと聞く高校生」
「本当? やぐっつぁんうれしい?」
「バカ! アホ! 2−1−2のゾーン相手にしてインサイドにボール集めるチームがどこにあるんだよ。ちょっとは考えるだろ」
「だって、序盤は後藤って言ったじゃん。二クォーターは変える?」

自分がいることで余計思考停止になってるんじゃなかろうか、といまさらながらに矢口はちょっと気がついた。
自分がいなかったら、さすがにちょっとは考えたのだろう。
ただ、あのシチュエーションでも点が取れてしまうから、これも作戦のうちとか勝手に納得してしまってたのかもしれないと思う。

「いや、変えない。同じで行く。最初はね」
「最初は?」
「最初三分は一クォーターのまま。それ過ぎたらバカアホ作戦終了。加護ちゃん、亀ちゃん。外からスリー」
「スリーですか?」
「うん。二クォーターの入りもバカアホやっとけば、向こうもこっちはバカアホだと思ってくれるでしょ。それで本当に内に固まったところで外から打つ。その段階で後藤もインサイドでボール受けたら外へ捌くこと考えて。逆に出だし三分は捌くの禁止。内でつぶされても文句言わない。囲まれて三秒になっても仕方ないから。もちろんシュート決めるのがベストだけど、ボール受けたら自分で勝負ね」
「じゃあ、一クォーターやぐっつぁんに言われたとおり後藤が頑張ってたの間違ってないんだ」
「結果的にはね。普通は全部つぶされるってあんなの。でもおいら言ったよね。外から勝負でもいいって後藤には。それがなんかインサイドでも点とってたからほっといたけど。だからそれを生かさせてもらう」

もうちょっと考えろよ、と思う部分はあるが、プレイヤーとしての後藤は今日調子が良さそうだ。
今の状況で五分ならば、あとは外を生かせば行けるはずである。
矢口の見立てでは、この一回戦は都大会の決勝リーグレベルだ。
なんとかなる。

「亀ちゃん加護ちゃん。スリーは入らなくても気にしないで良いから。ただし、リバウンドは全員で取りに行く。スリーのリバウンドはね。ミドルだと難しいけど、スリーのリバウンドは大きく跳ねることが多いから全員で取りに行ってね」
「スリーだけ打ってれば良いんですか?」
「三分過ぎて一本目はスリーで。そこからは臨機応変に。臨機応変ね。分かる? バカアホ作戦は終了だからね。内に篭ってるようならゆっくり余裕を持ってフリーでスリーポイントを打てばいい。スリーの構えで飛び出してブロック飛んでくるようなら交わしてカットインでもジャンプシュートでもすればいい。ボール持ったところでスリーポイント警戒してゾーンが広がっているようなら中で勝負で良いし。考えるんだよ。考えるの」
「後藤は? 外でても良い?」
「加護ちゃんか亀ちゃんのスリーポイント後はいいよ。それまでは内に篭ってて。ただ、外に出たとしてもそれだけじゃダメだよ。ゾーンが広がってきたなと思ったら中に入る。相手見ながらね。考えてね」

考えろ、を強調してみた。
コートの上でのゲームは家庭用ゲーム機ではない。
矢口がボタン一つで全部コントロールするわけには行かないのだ。
意思を伝えるには声を飛ばす必要があるし、細かいことは一々タイムアウトを取る必要がある。
コートの上で自分たちで打開することも必要だ。

「ディフェンス、ファウル無いのは良かったよ。ディフェンスは今のままで。後藤、体力面は大丈夫?」
「全然大丈夫」
「よし、三分過ぎたら勝負ね」

矢口はメンバーを送り出した。

二クォーター、相手のゾーンは変わらない。
インターバルの間に外から打て、という指示が出るかもしれない、というのは考えていたのか入りは少し広めのゾーンで、おかげで後藤が中でボールを受けてシュートを決められた。
その結果、なんだ変わらないのかとばかりにゾーンは小さくなる。
小さくなったゾーンに、さすがに後藤は攻めあぐねるし、それ以前にボールもなかなか入らない。
二十四秒オーバータイム、次のオフェンスはボールは入ったが囲まれて無理やり打ったシュートがブロックされる。
矢口としては想定の範囲内、という展開で三分を過ぎる。

次のオフェンス。
持ち上がった亀井がそのままスリーポイントを打った。
シュートはやや短めで入らなかったが、大きく跳ね返ったボールは自分の手元に帰ってくる。
追って来た目の前のディフェンスはワンドリブルでかわし、ジャンプシュート。
今度は決まった。

「まったく持って素直なことで・・・」

三分過ぎたら外から、とは言ったけれど、持ち上がってそのままシュートとは思わなかった。
ただ単に、早く自分でシュートが打ちたかっただけかもしれないけれど。

そこからは外を中心に組み立てて、インサイドはエッセンス程度に加える。
都大会決勝リーグ最終戦と似たような展開を狙った。
相手の2−1−2は、多分決勝リーグ初戦か二戦目の映像を見て後藤対策で組んだものだろう、と矢口は推測している。
亀井と加護の外を認識していれば自分なら2−1−2のゾーンにはしない。

亀井と加護、さらに後藤まで含めて、そこからしばらくは本当に素直に外からスリーポイントを打って行った。
亀井と加護が外すのに後藤がスリーを決めてくるあたりが頼もしいと言うかなんと言うか。
逆に外が続いて単調になってきたなと矢口が感じ始めた頃に相手がタイムアウトを取った。

「一本くらいアクセントで中使うだろ普通」
「絵里、カットインしましたよ」
「飛んできたリバウンドに反応しただけでしょ。あれはカットインて言うのか?」
「相手タイムアウトとってきたけど、次どうするの?」
「ん? んー、後藤が決めて」
「えー。なんで?」
「なんでじゃない。ちょっとは考えろ。タイムアウト取ったってことはなにか理由があるんだろ。ていうか、あると思ったから後藤は次どうするの?って矢口に聞いたんでしょ」
「うん」
「じゃあ、相手がタイムアウト取った理由はなに?」
「外からスリーが続いて点差が開いたから」
「うん。まあ、そんなとこでしょ」

亀井がリバウンドから一人交わしたところ、さらに後藤のスリーポイント二本、加護のスリーポイントのリバウンドを拾った後藤が押し込んだもの、その辺をあわせて逆転して5点のリードになっている。

「外が続いて相手がタイムアウトを取った。向こうはタイムアウト後どうしてきますか。はい、加護ちゃん」
「え、え? えっとー、ゾーンをやめる」
「可能性2はそれかもしれないね。じゃあ後藤は?」
「ゾーンを広げる?」
「可能性1はそれかな。ゾーンを広げられたらどうするの?」
「中で勝負」
「正解。拡がってきたら中で勝負すれば良い。拡がったらインサイド、狭くなったらアウトサイド。基本だね。というわけでゾーンが広がってきたらまた中に入ればいい。外はシュートを抑えに来たら抜きに掛かればいい」
「ゾーンやめたらどうするんですかー?」
「ゾーンやめるってことはマンツーになるってことでしょ。そしたら普通にやればいいよ」
「別のゾーンにしたら?」
「そこまで考えたらきりが無いって。あんまりゾーンを二種類準備できるチームってないし。もしそんなことが起きたらタイミング見て矢口がタイムアウト取るよ。まあ、そうやっていろいろ考えるのは悪いことじゃないけど」

タイムアウトは一分間。
あまりいろいろなシチュエーションに対して指示を出している暇も無い。
誘導尋問に近い形で矢口がメンバーに考えさせていると、コートに戻るように促しにレフリーが来た。
タイムアウトを取った向こう側の方が先にコートに戻っている。

「考えながらな。考えながら」

そこを強調して送り出した。

相手ボールでの再開なのでディフェンスの変更はあってもすぐにはわからない。
考えろと言ったから何か余計なことでも考えながらディフェンスしていたのか、亀井が簡単に一対一で抜かれてジャンプシュートを決められた。
三点差。

エンドから加護がボールを受けて持ち上がる。
ディフェンスは変わっていた。
外に広がるとかそういうことではなくて、マッチアップを捕まえに来た。
マンツーマンへ変更。
矢口が可能性2と言った加護案が正解。
普通に攻める。
自分でそう行って送り出しておきながら、そういえば普通ってなんだ? とちょっと矢口は思った。
コートの上で演じられた普通。
ハイポストに入ってきた後藤にボールが入る。
体勢か何かが気に入らなかったのか外へ戻す。
少しボールが回って後藤は右外へ出てくる。
ボールを受けてシュートフェイクからドリブル突破。
抜き去るとまでは行かないがディフェンスをつれたままゴール下まで切れ込みジャンプ。
わずかに遅れていたディフェンスの手が伸びてくる前にボードを使ってシュートを決めた。

回して後藤、がこのチームの普通なんだろうな、と矢口は思う。

相手がマンツーマンになったのを見て矢口メンバーチェンジをした。
加護と亀井を下げる。
戦術的な理由、というのではなくてただの休憩である。
ゾーンを外から崩すなら二人のシュート力は欠かせないが、ただ後藤にボールを送るだけなら他のメンバーでもそれほど差し障りは無い。
勝負どころはまだ先。
一年生は休めるところで休ませておく。

外二枚が下がったのを見て相手ディフェンスはゾーンに戻してきた。
また2−1−2
単純にインサイドで後藤ではつぶされる確率が結構高い。
ただ、聖督の控えメンバーは学習能力がある程度ある。
狭いゾーンは置いておいて、外からシュートを打つ。
ただ、そのシュート力がちょっと欠けるのと、オフェンスリバウンドが取れないのとで加点が出来ない。
矢口は加護だけコートに戻して打開を謀る。
残り一分を切ったところで加護のスリーポイントがこの試合初めて決まったが、流れを作って一気に試合を決めるというほどのものではなく、32−30と二点のリードで前半を終えた。

「後藤さん一人だけかな?」
「なんかもうちょっと変わったことしてくるかと思ったんですけどね」
「聖督の方が後手に回ってる感じがする」
「あの矢口さんがベンチに入ってるんだからもっと引っ掻き回すようなことするのかと思ったんだけどね、高橋」
「負けるんじゃないですか」

スタンドの上。
富岡のメンバーが試合を見つめている。
会場をうろうろしている場面では石川は取り巻き一二年生を連れていたが、明日の対戦相手の偵察、という場面になると柴田が隣にやってくる。
その反対側には高橋。
スタメンの二三年生が中央に三人座り、他のメンバーは気ままに試合を見ている。

「京都が来てもあんまり怖く無い感じだけどなあ」
「後藤さんを抑えに行ってるだけだもんね。あれはうちには通じないし」
「聖督の方がいやはいやだよね。後藤さん一人でも梨華ちゃん相手に点取ってくればある意味中村と同じような感じだし」
「私、負ける気ないよ」
「無くても、京都より可能性はあるでしょ。最悪のケースを考えると、梨華ちゃんが後藤さんを全然止められなくて、それプラス、何か変なディフェンスをされて点が取れないってパターンかな」
「変なディフェンスねえ。高橋ならどうする? うちを相手に」
「ディフェンスですか?」
「そう」
「何かやるなら1−3−1か3−2のゾーンくらいじゃないですか?」
「ゾーンってちょっとやだよね」
「でも、どっちが来てもコーナーからのスリーポイントだよね」
「三人打てば誰か入るかな」
「問題は、そこを押さえに中から出て来た時に、中でしっかりあわせられるかかな」

口に出しては三人ともはっきり言わないけれど、今年のチームはインサイドがちょっと弱い、と感じている。
去年の平家が今年の道重に単純に替わったことを考えると、どうしてもインサイドの得点力としては落ちると思わないでいられない。
それを相手が踏まえて、ゾーンでも外をつぶす形で来られた時に対処しきれるか?
三人の頭にはそれがある。

「後半どうなるかな?」
「私、一年生の子、もっと出来るって印象だったんだけどなあ」
「九番の子?」
「そうそう。滝川カップの時けっこう目立ってた印象あるんだけど」
「ああ、そういればれいながちょっと負けちゃってた感じあったかなあ」
「キープ力もあったんだよね。プレスかけるタイミングで私と高橋とか、二人で囲む場面もあったのに、そのまま運んでいかれたりとかして」

柴田には、加護よりも亀井の印象の方が強く残っている。
派手さは無いのだけど一つ一つ良い仕事をしていたような記憶がある。
今日の試合では、どうにも後藤ばかりが目立っていた。

両チームのメンバーが戻ってきて後半が始まる。
東京聖督は加護も亀井もコートに戻してきた。
そして一つ仕掛けた。
二人が前から当たる。
オールコートでのマンツーマンとか、ゾーンでのプレスとかそういうしっかり全体で決めた約束事ではなくて、他の三人は下がるのだけど、前二人だけが当たる。
ただのおどかしに近い。
ただ、それでも一本目は効いた。
おどかしにおどろいて、慌てて出したボールを亀井がカット。
そのままジャンプシュートを打って決めた。

同じことが何度も通用するほど甘くは無く、無駄に体力使わせることも無いので、三分くらいのところで前から当たるのはやめさせる。
それでも後半のリズムは聖督が掴んだ。
先手を取れたことで一年生の気分が乗ったのか、二人のシュートが決まりだす。
相手ディフェンスはマンツーマンになっているのだが、亀井と加護はそれを苦にすることなく外から、あるいは突破してシュートを決めて行った。
三クォーターは58−42と大きくリードを広げて終える。

最終クォーターは入りの段階から相手が前から当たってきた。
この点差をキープしていればどこかで当たってくるだろうと矢口は思っていて、そこまで亀井を休ませようとベンチに座らせていたが、予想に反して出だしから相手が仕掛けてきた。
一本目、二本目とプレスに引っかかってしまったものの、その後のディフェンスで頑張って連続失点は防ぐことが出来た。
亀井を投入。
囲まれたときのキープ力はぴか一の亀井。
プレスをものともせずボールを運ぶ。
オフェンス参加は考えなくてもいい、とにかくボールをしっかり運べ、と矢口が指示を出したら本当にハーフコートのセットオフェンスはサボっていたが、それを叱り飛ばしたりはしない。
オフェンスまで頑張って体力を失い、プレスを破ってボールが運べなくなることがいちばん怖い。

一気に加点して勝負を決める、ということは出来なかったけれど、連続失点で点差を詰められるということもなく、東京聖督はそのまましっかりと逃げ切った。
最終スコアは74−60
インターハイ初勝利。
一回戦を突破し、二回戦で富岡総合学園が迎え撃つことになる。

 

近隣の中学校の体育館を借りての練習を終え、宿に戻った松江は先に食事を済ませてからミーティングに入った。
まずは今日撮影した映像を再確認する。
全員、生の試合を見ているので驚きのようなものは特に無い。
見ていたことの再確認、気になったことの再確認。
その程度のものだ。
試合の感想戦のような感覚もある。

「センターはインサイド強いけど外はなさそうですね」
「無いって言ってもミドルまではあるよ普通に。関東大会の映像見た限り。まあ、石川さんとかみたいにスリーまで打っちゃうってことはなさそうだけど」
「どうするんですか? 結局。吉澤さんつくんですか? それともあやかさん? 私がついても良いですよ」
「なんでそこであややんだよ」
「外人とマッチアップとかしてみたいじゃないですかー。ガードの子は明日香ちゃんになりそうだから、こっちの方がありかなと思って」
「ありじゃないから」
「で、どっちなんですか? 結局」

よくしゃべる松浦。
それほど本気ではないようだが自分でセンター相手にマッチアップするとか言い出している。
ただ、実際に誰をつけるのかはまだ決めていない。

「キャプテン自らってのがいいんじゃない?」
「あやかは自分がついてみたいって感覚は特に無い?」
「んー、外開かれると対処しきれないんだよね私だと、たぶん。それによっすぃーのがああいう強い人の対処は慣れてる気がするし」
「飯田さんとずっとやりあってたのよっさんやしな」

これまでインサイドのレベル高い人を相手にしてきたのは大体吉澤だ。
飯田しかり、去年のインターハイではソニンだったし、滝川カップでは里田や後藤や石川を相手にしたのは吉澤だ。
あやかは、そういう派手な選手を相手にしたことはこれまでない。

「福田は? なんか黙ってるけどまた」
「吉澤さんでいいと思いますよ」
「でいい、ってなんか嫌な言い方だな」
「別にあやかさんでも問題ないと思いますけど、吉澤さんでも全然問題は無いんで。ただ、変わって入ってくる日本人とのレベルの差が大きいから、スピードとかその辺でメンバー変わるたびにある変化に対応しないといけないですけど」
「ああ、私けっこうそういうの苦手かも。一度ほっとするとそのままみたいなとこある。ずっと出ててくれると、やってやるこのやろーとか思えるんだけど」
「レベル低い相手が入ってきたら、舐めるなこのやろーシャットアウトしてやるって感じでやればええやんか。早く留学生戻せって」
「実際、どうなんでしょうね? 今日はガードの子のが長く出てましたけど」
「ガードは私でいいんですか?」
「うん。特に意見無ければ。福田としてはなんかある? 自分がマッチアップしての展望みたいなの」
「展望? 何がですか?」
「多分こうなるって言うかこうするて言うの。抜かせないように離れて付くから外から打たれるかもとか、逆にタイトに付くから抜かれることもあるんで後ろカバーよろしくとか」

テレビ画面を中心にメンバーは椅子だけ並べて半円状に並ぶ。
ただ、中澤と吉澤だけは映像とメンバーと両方が見える位置、横についている。
福田は吉澤の方を見て小首を傾げてから言った。

「留学生出ている間は何もさせるつもりは無いですよ」
「まあ、それは頼もしいんだけどさ。実際はどうなの?」
「実際何もさせるつもりは無いですけど。そのつもりでつくと結果としてタイトに付くことになるから、向こうがうまければ抜かれて捌かれるようなことはあるかもしれないです。ただ、逆に、外は無いと思います。あと、日本人と変わったら多少私の方がサボる感じになるかもしれません」
「明日香ちゃん、私が変わりについてもいいよ」
「松は明日は点取ってればそれで良いんじゃない?」
「そうそう。オフェンスどうする? なんかプランはある?」

相手の留学生をどう抑えるか、というのが頭の中に強くあったけれど、試合の半分はオフェンスである。
攻撃面をどうするのかもプランとしては決めておきたい。

「外で回していればどこか崩れるんじゃない? そんなに堅いチームには見えないよね」
「私が点取りますって」
「いや、まあ、それでもいいんだけどさ。あややの場合、なんかちょっとブレーキかけたくなるんだよね、その手の発言に」
「なんでですかー」
「特に意識しないでオフェンスでいいんじゃないですか? ちょっと、留学生マッチアップの時の吉澤さんのところは使いにくい気はしますけど、でも、絶対無理ってことも無いし。その場その場で良い状況が作れたところで勝負って形で」

調子に乗った松浦発言はいつものことなので、さらっと流して福田が繋げる。
関東大会、一回戦を見る限り、相手ディフェンスはオーソドックスなハーフコートのマンツーマンだった。
特にあらためて何かを決めることは無い、との見立てだ。

「まあ、あんまり堅くは無いってイメージだけ持ってればいいのかな。怖さは無いって」
「だから、無理して一対一で勝負しなくても、動きで十分崩せるってことだからね、松」
「私に向かって言わなくても、みんなそうでしょ」

福田と松浦のやり取りに、三年生や中澤は苦笑いを浮かべる。
大丈夫とは思うけれど、ここまで来てまたけんかされたらたまったものではない。
そんな話をしているうちに、映像は終わった。

「よし。大体終わったけど、あらためて何かある人いる? なんかここが気になるとかそういうの」

吉澤が全体に問いかける。
答えは帰ってこない。

「市井さんなんか何かないっすか?」
「別にないよ。何度も見たじゃんかこのチームは。いまさらなにもないって」
「ん、じゃあ、そうだ、紺野なにかない? 何か気がついたこと。なんでもいいよ」
「え、え、私ですか?」
「うん。なんでもいいよ。なんでも。小さなことでもいいから」

紺野に、戦術的なこととか、難しいことを期待したりはしない。
ただ、一年生の初心者に、何か発言をさせたいだけだ。

「あの、間違ってるかもしれないですけど、勘違いかもしれないですけど。あんまり足速くないなって思いました」
「そういえば、速攻一本も無かったですねこのチーム」
「足速くないっていうか、切り替えが悪いんですかね。セットオフェンスだけでバスケやってるみたいな」

足の速い遅いじゃないのか、という感じで紺野がしゅんとした顔をしたので、吉澤がフォローする。

「紺野、よく気づいたね。確かにあんまり走ってないね」
「切り替えが悪くて速攻が出てこないってことは、こちらの速攻は出しやすいかもしれないですね」
「また、明日香ちゃんの殺人パス追いかけて走るの? 私」
「取れるところには出してるでしょ」
「疲れてても容赦ないんだもん」

速攻で走るというのは、切り替えの問題もあるが試合の後半になってくると単純に体力的にきつい。
うまく速攻が決まれば良いが、パスに追いつけずに相手ボール、などということになると体力的にも精神的にもダメージを受けてしまう。

「速攻は意識して出せるようにしよう。特に周りがねしっかり走る。私も含めて。三線速攻で終わりじゃなくて四人目五人目入って行ってってところもあるから。しっかり走ろう」

瓢箪からこま、紺野から意見。
何々がある、というのは比較的見えやすいが、何々が無い、というのは見えにくかったりする。
速攻が無い、は見えていなかった。

なんとなくまとまったところで中澤が締めっぽいことを語りだした。

「県大会に勝って中国大会も勝って。うちはこの大会シードされて二回戦から。シードされているっていうことはそれなりに強いチームだって言うのは確かだと思う。そこはみんな自信持っていい。だけど、それは相手が弱いってこととは違う。明日香おらんかったけど、滝川カップ、結構ころっと負けたやんか。ああいうこともある。明日の相手はそのころっと負けた富岡と良い勝負したチーム。これは簡単な相手じゃない。まあ、おらんとおもうけど、うちはシードだから一回戦からのチームには勝てる、なんて思ってるならその気持ちは捨てること。うちはまだ、インターハイで一勝もしたことの無いチームなんやから、気持ちだけの問題じゃなくて、本当の意味でチャレンジャーやと思う。その気持ちでぶつかって行くこと。そうすれば、十分勝てるだけの力はあるから」

それから、吉澤が一年生へ洗濯の指示をしたり、一年生から明日の朝食の時間などの連絡があって解散した。
メンバーは三々五々散って行き、吉澤は中澤部屋に移って別途打ち合わせである。

「なんか大体あの場で片付くもんやね」
「一個あそこで言わなかったんですけど、ちょっと思いついたことがあるんですよね」
「なに?」
「辻ちゃん。福田に代えて使いましょう」
「スタメン?」
「いやいやいや。さすがにそんな度胸は無いですけど。向こうの留学生入れ替わるじゃないですか。ガードが下がったところで、うちも福田と辻ちゃん入れ替える」
「明日香を休ませようって?」
「そうです」

部屋に入ると座って落ち着く間もなく吉澤が切り出した。
辻を使いたいと。

「向こうのガード、留学生と日本人で結構力の差あるような気がするんですよね。だから、日本人の方なら辻ちゃんでも対処できそうですし。留学生相手に福田が力で負けるとはあんまり思わないんですけど、体力的に不安だなって。向こうは自動的に半分は休めるわけで。それで後半までスピード落ちないと、福田がちぎられるような場面も出てきそうだから。それをなくすには、福田も休ませれば良いかなと思って」
「辻ちゃんに経験積ませるにもちょうどいい?」
「それをメインに出来るほどうちは余裕は無いし、そういう相手でもないと思いますけど、おまけとしてはそんな効果もあるかもしれないです」

なんだかんだといいながらも、吉澤はプレイヤーとしての福田はかなりのレベルで信頼していた。
ただ、一点だけ、体力面では不安を感じている。
それさえカバーしてやれば、留学生のマッチアップでも問題なく対処できるだろうと思っている。

「辻ちゃん、代わりの日本人の対処するのは良いとして、オフェンス大丈夫なんか?」
「その為に練習でも辻ちゃん使ってやってきたんじゃないですか」
「そういやそやね」
「後の問題は、私が留学生を止められるかどうか。そこですよ」
「実際どうなん? 自信の程は」
「実際ですか? 実際、あんまりないですよ」
「それじゃだめやんか」
「ここでだけですけどね。そんなこと言えるの。まあ、でも、なんていうか。私がダメでも何とかなるんじゃないかなって言うのは思ってるんですよね」
「どこかであやかにマッチアップ代えるってこと?」
「そういうんじゃなくて。一箇所、私のとこがダメでも、全体で勝てるんじゃないかって。それだけのチーム力になってるんじゃないかって思ってます。だから、私が止めないとチームが負けてしまう! みたいなそういうなんかヒロインみたいなことは考えないでやろうと思ってますよ。一本でも二本でも、ちょっとづつでも止めていけばいいって。私のとこでプラスを作らなきゃいけないっていうんじゃなくて、マイナスでもいいからそのマイナスはちょっとでも少なくしようみたいな」

小さなテーブルに頬杖をついて中澤は吉澤の顔をじっと見る。
なに? という感じで少し身を引いた吉澤に中澤が言った。

「若いってええな」
「何言い出すんですか急に」
「若いとすぐに成長して行くんだなと思ってな。一年前のよっさんからは絶対こんな発言でなかったし。一年経って、キャプテンやってかな、大人になったな思ってな」
「周りを当てにしすぎって気もしますけど」

松江が泊まっているのは、和風の旅館だった。
メンバー達は大部屋二つ取っているが、中澤一人は六畳の本来二人部屋に一人泊まっている。
遠くで一年生のものらしい笑い声が聞こえた。

「責任背負うって人を変えるんやな。そうやって、周りを信じられたり、自分の出来る範囲を考えられるようになったり。絶対自分のところで勝つ! ってむきにならずに、全体を見て考えてるあたりがホント大人になったって感じるよ。あややに学ばせたいわ」
「でも、先生だって私たちから言わせればすごい変わりましたよ」
「年取ったって言いたいんか?」
「違います違います。若いとすぐに成長して行くんだなと思って」
「バカにしてるやろ」
「いやいやいや。だって、一年前の先生、絶対保田さんとこんなミーティング出来なかったじゃないですか。それがこうやって、明日の試合どうするかを吉澤と話し合ってるんですよ。福田をどうするか、辻ちゃんどうするか。そして試合の時には先生に采配任せて私たちはコートに出て行く。一番変わったの先生ですよ」
「私もまだ若いって思ってええんかな?」
「当然ですよ」

実際には一年前の県予選から中澤がある程度の采配は振るっている。
ただ、その頃は保田が主で中澤が従という関係だった。
今は、中澤が主で吉澤が従である。

話が明日の試合へ向けたものから別のところへ展開していた。
吉澤がそれを戻した。

「相手の留学生が下がったところで福田を下げて辻ちゃん投入ってことでいいですか?」
「うん。ええと思うよ。明日香には伝えとこか今日中に。そうしないと体力の配分間違うだろうから」
「辻ちゃんにはどうします?」
「明日香から言わせるのがええと思うよ。あそこの縦の?がり結構強いやんか。うちらが言うより明日香から言わせたほうが二人でいろいろやり取りできてええと思うし」
「じゃあ、福田に私から言っときますね」

当日言ってもいいのだけど、前もって伝えておいた方が福田もいろいろと考えられるだろう。
辻と適宜代えて休ませると言ったところで、自分が信用されてない、とへこむような自信の無いタイプには中澤や吉澤からは見えない。
辻がどうとらえるかはわからないけれど、そこは福田に任せるのがいいだろうと二人は結論付けた。

「後なんかありますかねえ」
「あややがさ、留学生に付きたいって言ってたやんか」
「言ってましたねー。あいつ、スタンドで富岡の子達と会ったときも言ってましたよ。石川さんとマッチアップしたいとか」
「展開次第ではそういう場面も出てくるかな思ってな」
「本気ですか?」
「そんな展開しないのが理想やけど。ちょっと心配なのがよっさんのファウルトラブル」
「あはははは。笑ってごまかしときますか」
「まあ、笑っといてもええけど。でも、あるやんか」
「無いとは正直言えないですね」
「そうなった時に、代わりがいないのが問題でさ」
「あやかじゃダメですか?」
「あやかでもええけど、あややのが面白いかな思って。よっさんに代えて辻ちゃん投入して、マッチアップをスライドさせる」
「それメンバーチェンジで変わる瞬間、相手が自分の目を疑いそうなシチュエーションですね」

普通、交代するときは身長が近いもの同士で代わるものであって、吉澤と辻くらいに背の高さの違う同士で入れ替わるというシーンは珍しい。
そういう場合は、大抵、大きな戦術の変更が想定されるのであるが、この場合、ただマッチアップをスライドさせるだけで、具体的な戦術を変えるというイメージではない。

「まあ、無いに越したこと無いんだけど、そんなことになってもよっさんだけは驚かないでおいてな」
「頭には入れときます。っていうか、その前にファウル気をつけます」

ファウルがかさんで中心選手が退場、というのがいちばん各チームが恐れる事態であったりもする。
吉澤も割と初期の頃に前科があったりもするし、相手が強いというのはファウルをしやすいということでもあるので、明確にその点を意識した。

「よっさん、緊張してる?」
「今ですか?」
「うん」
「いや、全然。いよいよ明日だなとは思いますけど」
「全国大会三回目か」
「去年のインターハイ、国体で三回目ですね。国体は、うちのチームじゃないですけど」
「三度目の正直って行きたいとこやけど」
「行きますよ。絶対。結構きわどい勝負になるとは思いますけど。最後は勝てます」
「頼もしくなったなあ。あの、大きな大会だと相手にびびりまくって何も出来なかったよっさんがこんなこと言えるようになるなんてな。場慣れしたんかな」
「滝川カップが大きかったかもしれないですね。場慣れっていうか、人に慣れたって言うか。石川さんとかミキティとか、すごい選手たちも、割と普通、いや、普通でもない気がするけど、人間離れしたとんでもない人ってわけじゃないんだなってのがわかったから。あとは、強いって言ってもある程度もう想像の範囲にしかみんないないから。いちばん強い富岡とも去年やったし。明日の青鵬が強いって言ってもあれよりは何とかなるでしょっていうのがあるし。それが離れって言うのかもしれませんけど。あとは、明日その場に立ってどうかかなあ」
「私がいちばん緊張してたりしてな明日。そしたら采配も頼むわ」
「何言ってるんですか。頼りにしてますから」

まだ、このチームは全国レベルの大会で勝ったことが無い。
地域レベルでは実績を上げてきているが、まだ、全国レベルでは何も無かった。

「後なんかありますかね?」
「よっさんはなんかある?」
「いや、特には」
「じゃあ後はしっかり寝て、明日やね」
「はい」
「枕投げとかして夜更かししたらあかんよ」
「修学旅行じゃないですって」

吉澤は立ち上がる。
中澤は、座ったまま出て行く吉澤を見送った。

 

富岡の前日ミーティングはやはり今日の映像を流しっぱなしにしながらの選手同士の会話で展開される。

「もうちょっと映像は引いて撮った方がいいよ」
「そういうもんなんですか?」
「全体が見えないと動きがわかんないから。ボールの動きを追いかけてカメラも動かしてると全体がどうなってるのかわかんないし」

岡田が撮った試合映像。
ボールを持つ選手がクローズアップされていて、全景が見えにくい。
シュートフォームとか、そういうのはよく見えるのだけど、周りのプレイヤーの動きが分かりにくい。

「コートの手前側のゴールと奥側のゴールと、それぞれのオフェンスの時に、カメラをどこに向けてどのくらいのズームにしておくかだけ決めといて、後はオフェンスディフェンス代わる時だけ移動させればいいと思うよ」

三年生が映像そのものについてダメだしをする。
ただ、一クォーターはそんな感じで見るに耐えにくいものであったが、二クォーターからはいつも見る資料映像の雰囲気になった。
実際の撮影時もそばにいた人間がそこで修正させたようだ。

二クォーターからは試合の中身の吟味に入れる。
東京聖督が点差を拡げて行ったあたりの時間帯がここから続く。

「一年生二人外あるんだよね結構」
「それはそうなんだけど、後藤さんなんだよね結局。外も決めてくるの」
「どこにいても打って来る感じだよね」
「去年やったときは外は無かったんだけどね。滝川カップの時は打ってたかな。でも、打ってたって印象だけであんまり入ってた記憶が無いなあ」
「梨華ちゃん抑えられる?」
「抑えるよ。抑えるけど、シャットアウトは出来ないよ」
「外開いたらシュートケア? それとも外は捨てる?」
「難しいとこだよね。シュート抑えに行くなら、抜かれてもカバーがいるって覚悟が必要なんだけど・・・」

去年なら抜かれても後ろに先輩のカバーがいるという安心感があった。
今年後ろにいるのは一年生である。
かといって外を捨てて抜かれないディフェンスにした場合、スリーポイント連投されてダメージが大きいというパターンもありえる。
最終的には和田コーチから指示がでる部分であるが、映像が流れている間は選手たちにしゃべらせて考えさせる。

「ディフェンス、結局最後まで普通にマンツーマンでしたね」
「相手考えるとそれが自然だったのかなあ」
「でも、たぶん、何かやってくるって思ってた方がいいんだよね」
「そんなに変わったことするチームなんですか?」

石川柴田高橋の三人が中央に座る。
その後ろにいる田中は、東京聖督というチームへのイメージは、亀井さんのいるチームという感覚だ。
去年の矢口が中心のチームなんか知らないし、滝川カップでも、強いチームという印象は残っていない。
普通のチームだけど、自分がちょっと勝てなかった亀井さんのいるチーム、という認識になっている。

「あの小さい人がね、問題なんだよね、高橋」
「知らんです」
「とにかく、何かやってくるとは思ってた方がいいよ。結果何もやってこないかもしれないけど。それならそれでいいから。なにやられても焦らず、あ、なんか来たってくらいの感じで」
「れいながぱにくったら、結構大変なんだからね」
「大丈夫です。ていうか、そんなに余裕のある一回戦じゃないじゃないですか。だから、うちようになんか変わったことしてくる気はしないんですけど」
「そうかもしれないけど。気持ちだけは準備しといて」

ガードがパニックになるとオフェンスは一対一かける5という形になってしまう。
何か、が本当に効果的であるかどうかに関わらず、ガードがパニックになれば、その何かはその時点ですでに有効である。

映像は後半へ。
亀井と加護が相手ガード陣に対して前から当たったシーンへ。

「強烈なプレッシャーって感じじゃないね」
「高橋なら問題ないでしょこれくらいなら」
「れいなでも問題ないです」
「ホントに? 大丈夫?」
「大丈夫です」

映像では、ディフェンスそのものが効いているという感じは無い。
ちょっと脅かしたらうまくいったというのがあるくらいだ。
しばらくして一年生が下がったり、戻ってきてスリーポイントを打ったりという場面になって行く。

「やっぱりどう考えても後藤さんなんだよね」
「パス入れさせないことを考えた方がいいのかなあ?」
「確かに、梨華ちゃんと後藤さんが二人で打ち消して四対四でディフェンスなら怖いこと何もないよね」
「れいな、その場合インサイド怖いと思います」

二三年生の視線が道重に集まる。
きょとん、とした顔をする道重。
話は聞いていなかったらしい。

「さゆ、ディフェンス出来る?」
「出来ますよ。当たり前じゃないですか」
「石川さんが後藤さんを追いかけて外に開いて、インサイドが広くなった時、ホントに大丈夫?」
「台形の中はさゆみの宮殿ですから。わがままはさせません」
「ミドルは無理ってことやね」

ゴール近辺の台形方にラインが引かれた内側が、センターの働きどころである。
その台形の外側は責任持てません、という意味として高橋が翻訳した。

結局映像は最後まで見た。
それから和田コーチが方針を打ち出す。

「まず四番には石川」
「はい」
「ボール入れさせないとかいう話も出てたけど普通でいいよ最初は。展開次第では考えるけど。見て分かったと思うけど、中も強いし外もある。面倒な相手なのは確かだ。だけど、そういう相手といつもやってるんだからそれほど気にすることは無い」
「はい」
「全員感じてたようだけど、東京聖督は四番のチームだ。あれさえ抑えれば負けることは無い。ただ、もう一人、ちょっと気になるのは九番だな。一年生のようだけど。九番には高橋」
「はい」
「突破も出来るしシュートもあるし、しっかりしたプレイヤーだから気をつけるように。まあ、それほど気負って付くことは無いけど」
「はい」
「高橋もそういうところあるけど、行動原理がわからない部分があるから、意表を突かれても気にするな」
「特に外をケアとか、捌かれないようにとかなにかありますか?」
「普通でいい。最初は。キープ力はあるみたいだからむやみに手は出さないように」
「はい」

九番は亀井。
和田コーチにとってはそちらの方が目に付いたようである。

「向こうのオフェンスは個人技に頼る部分が多い。だから、全体的にその場でシュートも含めて一対一に対する意識を強く持っておきなさい。もう一つ、外が多いからリバウンド、スクリーンアウトな。しっかりと。ゴール下だけじゃなくて全員スクリーンアウトしっかりして、大きな跳ね返りも取ること」

今日の試合で東京聖督がやったことは、後藤に集めて点を取ると、加護や亀井が外から打つ、というのがほとんどだった。
回して崩してフリーで決めるというシーンはほとんど見られない。
関東大会であったり滝川カップであったり、東京聖督というチームはこれまでも見てきたけれど、和田コーチは、個人技で何とかするチームという認識でいる。

「オフェンス面はまあ普通にやればいいよ。高橋、田中。変な横パス取られないように。相手関係なく、ボーっとして出す横パス、狙われること多いから」
「はい」
「先生」
「なんだ、高橋」
「向こうが変わったディフェンスしてきたらどうしたらいいんですか?」

知らんとかなんとかいいながら、やはり気になっていた高橋。
矢口は何かやってくるだろう、と思っている。
実際には変わったディフェンス、を富岡が受けたことはないのだが、何かしてくる矢口、として高橋の頭にはインプットされている。
和田コーチは少し考えたから言った。

「田中」
「は、はい」
「なんとかしろ」
「え、えー?」

なんとかしろ、は指示になっていない。
何かまともな答えしなきゃいけないのかな、と田中が考えていると、和田コーチが続けた。

「変わったディフェンスは所詮変わったディフェンスに過ぎない。あまりに変わったことしてくれば、それはもうどこかに穴があるということだろう。高橋は選抜で滝川がやられたトライアングルツーみたいなことをイメージしてるんだろうけど、そういうのはそういうのに対処する理屈もある。もちろん理屈通りにいかないことはあるけど、まずは理屈にあわせて対処すればいい」

和田コーチが語りだしたので田中は余計なことを答えずに聞いている。
言っていることは当たり前といえば当たり前なことだ。

「何かはやってくるかもしれない。それは頭に入れておけばいい。何かやってきたら、ああ何かやってきたな、と冷静に受け止められる程度には頭に入れとけばいい。でも、その何かが何なのかは考えても仕方ないだろう。何かが目の前に現れてから考えれば良い。それに対処できるだけのチーム力はあるはずだ。だから田中。どう崩せば良いかは田中が考えなさい。その場で」
「はい」

なにか、結構なものを任されたような気が田中はしていた。

ミーティングはそれくらいで終わった。
富岡にとっては大会の入りの初戦であり、大事な初戦であるが、所詮は初戦である。
勝てる、というのが大前提だ。
心理的にも大分余裕はある。

富岡の場合、洗濯やらなにやらの一年生っぽい仕事は、スタメン、ベンチ入り、関係なく誰も免除されず全員に割り振られる。
滝川のように人数が多ければ違うのだが、富岡はベンチ入りは仕事免除などと出来るほどの頭数は無い。
田中も道重も区別なく仕事が割り振られている。

そんな洗濯当番の仕事を道重はさぼった。

「愛さーん」
「おう、どした? さゆみ」
「ごろにゃーお。さゆみ不安ですー」

自分の部屋で、明日の分の荷物を準備するという、意外と周到なことをしていた高橋のところに道重がとびつく。
周りには他のメンバーもいるが誰も気にしない。
道重のアニメ的行動は、そろそろみんな慣れた。

「お散歩しましょお散歩」
「キミ、お仕事あるんでないかい?」
「今日は当番じゃないんで大丈夫です」

そんなことはないのだがそんなことは高橋は知らない。

「しょうがないなあ。準備済んだらね。さゆみは明日の準備はしたの?」
「後でします」
「バスパン家に忘れたとかないよね?」
「そしたられーなの奪うからいいです」
「いいのかよ」

口は動かしながら手も動かす。
大きなカバンから明日着るユニホーム、Tシャツ、タオルなんかを取り出し、靴下も二足移す。
替えの下着もあったりして、荷物はそれなりにある。

「愛さんの七番いーなー」
「キミにはちょっと小さいんでないかい?」
「来年は愛さんのお下がりでさゆみが七番着るんです」

高橋のユニホームを道重が奪い広げる。
ユニホームは今年になって新調された。
デザインはほとんど変わらないのだが、学校統合により校名が変わっているので、新調は必然だった。

明日の準備はそれなりに納得したのか、最後に道重からユニホームを奪い取ってカバンにしまうと、高橋は立ち上がる。
道重も立ち上がって後ろから高橋に抱きつく。

「動けんて」
「愛さんちっちゃい」
「ガードやし」
「ごろにゃーお」
「猫かよ」
「行きましょ」

道重は満足して手を離す。
二人は外へ出た。

夜、見知らぬ町を歩く。
試合に来たのであるので、特別に観光地というような場所ではない。
それでも、見知らぬ町というだけで観光客気分にならないことは無い。

「昼もこれくらい涼しいといいのになあ」
「体育館暑いよね。どうしても」
「さゆみを見に来る観客もいっぱいで暑苦しいんですよ」

道重を見に来ているわけではないが、インターハイの観客は結構多い。
入場無料、というのもあるが、とにかく人はよく集まる。
道重のナルシス発言には、高橋も一々突っ込まずに流した。

「どうしましょう。そんなさゆみのこと見に来る観客の期待裏切ったら」
「裏切るって?」
「愛さん、去年どうでした?」
「去年って?」
「一年生で試合出て。インターハイ。一回戦、じゃなくて二回戦か。最初の試合とか」
「んー、よくわかんないうちに終わってたかな。ボール運んでパス出して、石川さんが点取って。気がついたら終わってたっていうか、そうだ途中で下げられたんだ」
「なんかミスったんですか?」
「点差開いちゃったからね。 途中でみんな変わったんだったかな」

道重は高橋の手を握っている。
高橋も、割とそういうのを嫌いなわけでもないので、嫌がらずに握らせておく。

「さゆみ、実はちょっと下手っぴじゃないですか」
「ん? 何が?」
「リバウンド拾えるけど、点取れないし、ディフェンスも実はダメじゃないですか」

道重は繋いだ右手をぶんぶん振りながら歩いている。
言っていることは実はとかいうほどのことでもなくそのとおりだな、と高橋は思っているので何も言わない。

「でもいいんです。リバウンド拾えれば。ボールがさゆみのところに落ちてくるからいいんです。センターはリバウンド拾えればいいんです。れいなみたいに、ガードなのにボール運びで愛さんに頼らないといけなくなったりしないからいいんです。だけど、愛さんとかもさゆみの次くらいにかわいいじゃないですか。石川さんとかも。それでボールが、たまにはそっちがいいって言って、さゆみのところに落ちてこなかったどうしよっかなーって」

高橋は黙って聞いている。
右手は大人しくさせて道重は続ける。

「さゆみわがままだから、抜かれた石川さんのフォローとかあんまり多分ホントはできないし。石川さんが抜かれるのは石川さんのせいだけど、でも、さゆみを見に来た観客は、やっぱりパーフェクトでスーパーなさゆみを見たいじゃないですか。その期待を裏切っちゃうかもしれないなあって思ったりするじゃないですか」

余計な修飾語がいろいろとついているが、道重の言いたいことを高橋は分かった気がしている。
言葉を繋がなくなった道重に、高橋は答えた。

「まだまだ、キミのことを見に来る観客はそんなにいないって。石川さんのが有名人だし。あたしだってキミよりはこの世界では先にいるんだから有名人なのですよ。そんな最初からパーフェクトでスーパーやなくても誰もがっかりしないって。ちょっとくらい失敗してもなんとかなる。ボールはね。あたしや石川さんのところに落ちてくることもあるかもしれんけど、味方なんだし問題なし。キミはキミの仕事をちゃんとしようと思えばええんよ。大丈夫。出来るから」

道重語に合わせようとして話しているので、少し分かりにくい感じになっているが、これはこれで高橋の精一杯だったりもする。

「最初やからうまくいかんこともある。それはみんな分かってるし。勝ち上がって行くうちに慣れてくることもあるよ」
「さゆみは、みんなのアイドルだから、さゆみがチームの足引っ張るとかあっちゃいけないことじゃないですか」
「いやいやいや。最初からそんなに背負わなくていいから。失敗するときもあるって。いつも通りやればそれでいいって。あんまり難しいこと考えんで、いつも通りやれば。リバウンドは多分取れるし。ディフェンスとかもいつもくらいには出来るよ。それでダメなら、帰って練習やね」

高橋は、つないだ手を離して道重の頭をぽんぽんと軽く叩く。

「キミも一年生なんだねえ」
「なんですかそれ。さゆみは一年生ですよ。若いんです」
「二年生はおばさんか?」
「愛さんはおばさんじゃないけど、おばさんの人もいます」
「こらこら」

田舎町ではないので、猫が歩くとコンビニに当たる。
二人は店に入った。

明日の分の飲み物でも買っておこう、と高橋は品定めする。
道重も隣に並んで立つと、当たり前のことのように言った。

「さゆみこれがいいです」
「あはは、しょうがない子だなあ」
「あと、シュークリームと、ポテトチップスと」
「いい加減にしなさい」
「じゃあ、これだけでいいです」

飲み物は手に取ったけれど、食べ物は口に出して言ってみただけだ。
どこまでが冗談でどこまでが本気なのか、高橋にはなんとなく分かっているし、道重もどこまで要求が通るかは分かっている。
二人で飲み物を二つ買って店を出た。

コンビニが目的地というわけではなかったけれど、ちょうどよいくらいの距離だったのでそこを終点に宿へ向かって折り返す。
金は高橋に払わせたが、ペットボトルが二本入った袋は道重が持っている。
話を道重がまた戻した。

「さゆみ、失敗しても良いですか?」
「私が失敗してもキミ、フォローしてくれるでしょ」
「愛さん失敗なんかするんですか?」
「シュート打ってはいらんかったら失敗でしょ。そのリバウンドをキミが拾う」
「はい」
「キミが失敗したら誰かフォローしてくれるよ。それでいいって。難しいこと言いっこなし」
「さゆみ、頭良いからどうしても難しいこと言っちゃうんです」

高橋が笑っている。
腹が立つということは無いけれど、高橋でもついて行くのがなかなか大変なときもある。

「いつものキミでいいんでないかい。別に失敗したっていいでないの。たまにはそんなこともあるし。でも、緊張しちゃってるキミの顔も結構かわいい気がするから見てみたいかも」
「さゆみはいつでもかわいいですよ」
「かわいいにもバリエーションってものがあるでしょ。いろいろ違う服着てみたりとか。その一種類で緊張した顔ってのもいいんでないかい?」
「じゃあ、明日、気が向いたら、みんなに緊張したさゆみをサービスしちゃいますね」
「うん。それでいいと思うよ」

何が問題で何に納得して何が解決したのか、一部の人にはよくわからなさそうではあるけれど、高橋と道重の間では意思の疎通はなんとなく成立していた。

宿までの帰り道。
道重は機嫌が良くなったのか、高橋と繋いだ手をまたぶんぶん振り回す。
高橋も微笑みながら、されるがままにされていた。

 

ナンバーワンシードは常に第一試合と相場が決まっている。
二日目、二回戦から登場の富岡は、第一試合の中央コートで試合が組まれていた。
初日に敗れて帰ったチームがそれなりにあり、その分関係者が埋める席数は減ったはずだが、一般客がそれを埋め合わせて会場は朝から人人人。
そんな観客たちの視線の集まる富岡と、逆サイドのコートに東京聖督はいる。
コート上には十三人。
選手十二人の他に矢口まで混ざってアップしている。

「いやー、インターハイはいいねえ」
「大学生が大人げないですよ」
「いいんだよ。言わなきゃわかんないだろ。そんなの」
「どうしたんですか? 昨日はベンチに座ってたじゃないですか」
「なんか昨日は乗り気じゃなかったんだよね。やっぱ、富岡相手だと気分的にコートに出たくなるでしょ」
「やぐっつぁんってね、悪役の時じゃないと盛り上がらないのよ」
「なるほど」
「納得するなこら」

亀井と矢口の会話に後藤が割って入る。
後藤の言葉に深く深くうなづく亀井の頭に矢口が横からボールをぐりぐりと押し付ける。
どう見ても富岡を見に来た観客たち。
その相手チームになる自分たち。
去年の滝川戦とある意味で同じ構図だ。

「まあ、暑い中集まったご苦労な観客たちに、五分で終わる試合見せちゃかわいそうだから、せめて、ひょっとしたらって思われるくらいの展開にはしような」
「はーい」

亀井が元気よく返事した。

レフリーの三分前のコールで、両チームベンチに戻ってきた。
東京聖督ベンチでは矢口を中心に一つの輪が出来る。
顧問の化学の先生は端に座って一人蚊帳の外。
後藤は矢口の隣に立っている。

「昨日のミーティングの通りな。まあ、全部が全部うまく行くとは思わないけど、やれるだけやってみよう。ダメでも一々気にするなよ。一々凹んでる時間ないから」
「去年、途中までうまく行ってのに、後半ダメになってやぐっつぁんへこんじゃったんだよね」
「うるさいなあ。そうだよ。そうですよ。後藤様の言う通りですよ。て言うかだからだよ。おいらはなんだかんだ言っても、自分がダメだと凹んじゃったの。だから言うの。一々凹むなって。相手強いんだから。いい。おいら、自分のことは棚にあげて言うよ。一々ダメでも凹むな気にするな。次だ次」

去年の矢口の最後の試合、滝川戦。
準備してきたゾーンがずばり当たって前半リードしたのに、後半に入ってすべてをひっくり返された。
最後の思い出なので忘れたいとは思っていないが、少し悔やんでいる部分ではある。

「体力的には結構きついと思う。特に、加護ちゃん亀ちゃん、一年生には。だけど、それ気にしてて何とかなる相手じゃないから。最初から飛ばして行くよ。疲れたら必死に耐える。頑張る。それで最後まで持たせて」
「やぐっつぁんが根性論珍しくない?」
「根性論じゃない。理屈だ理屈。ペース配分して通用する相手じゃないっていう理屈に添うと、体力的にはそうなっちゃうの」
「絵里、バカだから、苦しいとか忘れて頑張ります」
「それでいい。いや、バカじゃダメだけど。加護ちゃんも頑張れる?」
「頑張れます」
「よし。あと後藤。当たり前だけど、後藤は柱だからな。頼りにしてるからな」
「任せといて、って言い切るには相手が強い気がするけど、後藤も頑張るよ」
「いいか、あれがダメこれがダメって、全部ダメでも、最後は後藤がいるからな。なんとかなる。そう信じろ。そう信じて、みんな、そのときそのとき出来ることをしっかりやりなよ」

最後には後藤がいる。
それが理屈に添うことなのか、根性論に近い発想なのかはわからない。

「よし、しっかりやってきな。結構楽しいぞ、インターハイの二回戦は」
「はーい」

東京聖督のメンバーは、それぞれ上着を脱ぎ、ユニホーム姿になってコートに上がって行った。

センターサークルを挟んで挨拶し、ジャンプボールの体勢に入る。
サークルに入ったのは後藤と石川。
加護は田中を捕まえ、亀井も柴田を捕まえる。
亀井のマークを高橋がするはずだったが、ジャンプボールのこの場では、先に動いた相手にあわせ、とりあえず別の相手に付く。
ジャンプボールは二人同時にボールを叩き、どちらもコントロールが出来ずにこぼれたルーズボールを高橋が拾い上げた。
東京聖督ディフェンスが下がったところで高橋がボールを田中に預ける。

さて何かやってくるか?
和田コーチから、何かやってくると思っておけ、という指示は出ていたので、ゲームの入り、田中はトップでゆっくりとボールをキープした。
何かあるなら最初に見極める。
石川には四番のマークが付いている。
そこは予想通り。
ただ、全体がマンツーマンのようには見えない。
ゴール下に入った道重にディフェンスはつくが、外に捌けてもついていかない。
高橋が右サイドで空いていた。

田中もドリブルでゆっくり左に動く。
柴田には九番。
なんだこれ? と田中が考えていると、高橋から声が飛んだ。

「逆トライアングルあるよ」

逆トライアングル?
ゴール下に一人、上に二人。
まだ考えているとベンチからも声が出た。

「トライアングルツーの逆三角」

石川に後藤、柴田に亀井。
二つのマンマークをつけて、三人がゾーン。
三人はトライアングルを逆向きにした形で張っている。

「ちょっとは学習して応用したつもりか」

ベンチで和田コーチがポツリと言った。
あらかじめ具体的な指示を出すことはしていないけれど、和田コーチ自身は当然、東京聖督の過去の試合は把握している。
滝川戦のトライアングルツーは見ていた。
あれをそのままやってきたらどうつぶすか、というのは想定されている。
そこから、相手のディフェンスは少し違うものだった。

「田中! 普通にやれ。難しく考えるな!」

ベンチから声を飛ばす。
具体的な指示、までせずとも良いだろうと和田コーチは思っている。
このディフェンスの形を想定していたわけではないが、別段奇怪なものを見たというような状況でもない。
問題ないだろう、というのが和田コーチのこの時点での見立てだ。

田中も考えた。
トライアングルが逆向きでマッチアップが二人。
最初は、そんなの無視して石川にボール入れようかとも思った。
ただ、それはなんとなく、頭を使ったガードの選択っぽくないな、と思ってやめた。

頭を使った選択として田中が選んだのはゴール下。
この際、道重の力量は考えないことにした。
相手がこの形ならゴール下は弱い。
ゾーンを崩す、という意識で道重にボールを入れる。

受けた道重。
背負いきれていない状態で半端な姿勢でボールを受けた。
パーフェクトでスーパーならそこからでもゴールを奪えるが、オフェンス力はこのレベルでは普通以下の道重では難しい。
ただ、道重はただのナルシストではなく、自分の実際の能力レベルはちゃんと把握出来ている。
ここで無理に自分で勝負にはいかない。
視界に入った逆サイド。
開いている高橋に長いバウンドパスを片手で通す。

ボールにミートした高橋。
そのままシュートモーションに入ると、逆トライアングル上の左側が押さえに来た。
すれ違うようにドリブルで交わす。
ゴール下のディフェンスがカバーに来る。
選択肢は二つ、ジャンプシュートか道重へパスか。
ここはディフェンスカバーが来る前に、ジャンプシュートを放ってしっかり決めた。

あっさり崩された東京聖督。
あまり気にせずにエンドからボールを入れて持ちあがる。
オフェンス。
加護が持ち上がってハーフラインを超える。
田中が加護を捕まえ、高橋が亀井を捕まえる。
加護はドリブルを止めて亀井の方を見てうなづいた。

「あいぼんとー」
「えりりんのー」
「X攻撃」
「受けてみろ!」

まともにディフェンスの姿勢でいた田中。
はぁ? と狐につままれた格好。
ぽかーんとしていると、加護がそのままシュートを打った。

わけの分からんこといっといてシュートかよ、心の中で毒づいてゴールの方を振り向いたら、ボールはリングを通過した。
3−2
東京聖督リード。

なんだあれは?

速攻を試みるなんて発想になるはずもなく、ゆっくり歩いてエンドのボールを受けに行く。
道重からボールを受けてゆっくり持ち上がる。
わけのわからないことをされたが、とりあえず横に置いておいてオフェンスである。

トライアングルツーの逆三角バージョン。
さゆめ、自分で勝負せずにパス出しやがった。
それが田中の感覚だ。
でも、それを見て分かった。
ゴール下も弱いけど、コーナーも普通に弱い。
たぶん、高橋はそれを感覚的に分かってその位置でボールを受けたんだろう、というのも分かった。
田中、高橋、道重。
三人の中で、コーナーからスリーポイントを打てるのは高橋だけだ。
高橋で勝負か。
あまり乗り気でないながら、それがベストだろうと田中は判断する。

田中は中央から右サイドへドリブルを付きながら移動。
高橋も逆サイドからゴール下を抜けて同じサイドのコーナーへ下りてくる。
ゴール下のディフェンスがそれに引っ張られて出てくる。
同サイドに田中と高橋が両方そろうと、そうしてフォローするしかないのだろう。
そして空いたゴール下には道重が入った。
今度は高橋使おうと思ったのに、と思いながら田中はゴール下道重へ。
逆サイドのディフェンスが抑えに来るが間に合わず、ゴール下でボールを受けた道重のシュートが決まった。

「広く使えばなんでもないなあれは」

和田コーチがベンチで余裕の表情を見せる。
高橋がシューターなことは、滝川カップにも来ていた東京聖督ははっきり分かっているはずである。
それをフリーにするわけにも行かず、外に開いてくると引っ張られて出てくるのだろう。
そのあたりを突けば問題なく崩せる、と見ている。

聖督オフェンス。
また加護が持ち上がる。
ガードが持ち上がるのはごく自然だ。
持ち上がって、ディフェンスが捕まえにきて、ドリブルを止める。

「あいぼんとー」
「えりりんのー」
「Y攻撃」
「受けてみろー!」

今度はなんだ?
田中が身構えたら、加護がそのままシュートを打った。
またかよ! とゴールを振り向く。
加護のシュートはリングに当たり、大きく跳ね上がる。
落下点にいた道重の手元にすっぽり落ちてきた。

サイドに開いた高橋へ送る。
高橋から中央へ入った田中へ。
速攻を狙っているところであるが、これは加護に抑えられスローダウンさせられた。
うまい具合にアーリーオフェンスへ持って行くことも出来ず、ただもたついた、という形になって田中は味方の上がりを待つ。
周りが上がってから組み立て。
石川と柴田にはしっかりマークがいる。
無理にパスを入れられないことも無いが、入れても個人技頼りの勝負になりそうだ。
少し右に動いたら高橋がトップに上がってきた。
パスを要求されたので送る。
受けた高橋はそのまま加速。
三角形の真ん中めがけて突進。
トライアングルのディフェンスは閉じてくるがつかまる前に捌いた。
ゴール右サイド、道重へバウンドパス。
フリーでもらって一歩ゴール側へ踏み込んで、簡単にボードを使ってシュートを決めた。

富岡はオフェンスチャンスを三つすべて成功させて6−3とリード。

聖督はやはり加護が持ち上がる。
田中は、何かされるのはなんかむかつく、という理由でフロントコートから張ってみた。
目障りだったのか加護、亀井へボールを送る。
高橋はオーソドックスに相手の上がりを待っている。
ハーフコートのマンツーマン。
ゆっくり上がってきた亀井を自陣のコートに入ってきてから抑えに行く。
亀井はドリブルを止めた。

「えりりんとー、あっ、あっ」

亀井がなにやら言い始めたけれど、最後まで言わせずに高橋がボールを叩いた。
亀井の後ろにこぼれたルーズボール。
先に亀井が触れたが、確保はさせずに高橋がたたき出す。
転々と転がるボールを走りながら拾い上げそのままワンマン速攻。
亀井が追いかけては来たがまったく追いつけず、高橋が簡単にレイアップシュートを決めた。

「ふざけんな! そんなんでうちらに勝てると思ってるんか! れいなには通用してもあたしには通用せん! まじめにやれ!」

怒気も明らかな高橋、亀井に言葉をぶつける。
それを聞いているのかいないのか、亀井はボールを拾い上げエンドへ。
加護にボールを入れる。

加護がドリブルで持ち上がると、今度は何も言わずにパスを回した。
繋いで繋いで、送った先はハイポストの後藤。
フリースローレーンの外で石川を背負う。
少しゴールは遠い。
そこに加護が駆け込んだ。
田中を後藤にぶつけ自分は手渡しパスを受けてゴール下へ駆け込む。
パスをフェイクに逆向きにターンする、と読んだ石川。
読みを外され加護に通過される。
ゴール下、スペースがあったので身長の低い加護でもそのままレイアップシュートを決められた。

オフェンスで奇策と言うか奇襲と言うか、意味不明な発言は捨ててまともに試合を始めた東京聖督は後藤を中心にそれなりに得点することは出来た。
しかしながらディフェンスがどうにもならない。
トライアングルツーが富岡相手にまったく通用していなかった。
マンマークをつけた石川と柴田に勝負されて得点されるわけではない。
富岡オフェンスのシーンでは、石川と柴田はほとんどボールに触っていなかった。
マンマークの二人はしっかり抑えている、というのともまた違う。
富岡オフェンスが、石川柴田を使わなくても十分勝負できるということで、田中高橋道重の三人でトライアングルを崩すのだ。
それも、いとも簡単に。
特に高橋が問題だ。
外に開いて高橋がボールを持つと、誰かが対応しないといけない。
高橋の外からのシュート力は分かりきっている。
それを抑えてディフェンスが拡がると、それはもはやゾーンではなく、ただマークが外れてスペースが空いている、というのに近い状況があるだけだ。
そこまでの状態になれば、田中でも道重でも点が取れる。

相手のシュートミス以外ではまったく止めるすべがなく、一クォーター六分過ぎ、22−9と13点のビハインドを負ったところで矢口がタイムアウトを取った。

和田コーチはほとんど表情を変えずにメンバーたちをベンチで迎えた。

「田中。ディフェンスの時あまりマッチアップの相手だけを意識しすぎるな。ボール持ったときはまあ仕方ないけど、それ以外の時はどこにボールがあるかもちゃんと意識しとけよ」
「はい」
「あと、オフェンス。まあ、崩してるから文句は無いって言えば無いんだけど、たまには石川柴田も使ってやれ。ボール触っとかないといざって時に感覚合わないこともあるし、一クォーターのうちに相手に見せておけ。当然こっちもあるっていうのを。それで他の三人がもっとやりやすくなるから」
「れいな、暇だよ。ボール頂戴たまには」
「石川、ボールもらったからって全部勝負じゃないぞ。捌くって選択もしっかり見せろよ」
「分かってます」

チームがリードしていることと、自分のプレイに納得行くことはまた違う。
石川にとっての今の状況は、オフェンス時には後藤と一緒にゲームから消えているというところだ。
まずは参加したい。

「石川さん、オフェンスは別に良いですけど、ディフェンスしっかりしてください」
「なに? なによ? 後藤さんには取られて無いでしょ」
「でも起点になってます。ポストで後藤さんに入って、そこに周りもひきつけられてそこから捌かれて点取られてる」
「高橋。それは石川にはどうにもならないだろ。石川は周りじゃないんだから。周り、四番にボール入っても、あまりつぶしに行かなくていい。特にハイポスト周りでは。ボールの動きを把握しながら自分のマッチアップをしっかり抑える。それで石川が四番にやられるようなら考えるけど、石川」
「はい」
「ハイポストあたりでジャンプシュート打たれるのはいいけど突破されるな。ゴール下で四番とパワー勝負になったらお前の方が厳しい。ゴール下まで入らせるな」
「はい」
「四番から他に捌くところは石川は気にするな。それは周りで対処する。ゴール下まで来た場合はもちろんカバーに行くべきだけどな」
「ポストにボール入れられるのは仕方ないって考えでいいんですか?」
「なるべく入れられないに越したことは無い。それはそうだけど、常にそうはいかないだろうから、まあ、入れられたときの対処って意味だな」
「はい」

高橋が石川をしかりつける、というのは珍しいシチュエーションである。
石川も少々驚いていたが、和田コーチが後は拾った。
タイムアウトの間、柴田と道重はおとなしかった。

タイムアウト明け、東京聖督ボールで再開。
エンドから受けた加護が持ち上がる。
今度は、試合の中での発言としてあまり違和感の無い言葉を発した。

「サン、ニー、ゴー、ナナ! サン、ニー、ゴー、ナナ!」

バスケで数字が四桁なのは珍しいといえば珍しいが、ガードが持ち上がって数字を叫んだ場合は何らかのサインプレーであるというのが相場だ。
また何か来る。
田中は身構える。
加護は亀井へ横パスを送る。
次の動きは? と考えたけれど加護は動かない。
亀井からパスが戻ってくる。
多分自分の後ろの方でいろいろと動きがあるのだろう、と田中は察しを付ける。
加護の視線は自分の後ろを見ている。
だから、体が動いてもそれはフェイクでゴール下へのパスを狙っているはず。
そんなことを考えていたら、抜き去られた。
加護はゴール下までは入り込まずにジャンプシュート。
田中はブロックには飛べず、フリーの状態のシュートを加護に決められた。

目線の方がフェイクか、といまさら気づいてももう遅い。
そして次に、自分が一対一をするのがサインプレーってどういうことだよ! と思うが、それを深く考える間はなくエンドからボールを送られる。
自分で持ちあがると高橋から声が飛んだ。

「ディフェンス変わったよ!」

タイムアウトで変えて来たのか、とここは冷静に思った。
周りを確認する。
高橋にさっきシュートを決めた小さいのが付いている。
それでディフェンス変わったと高橋が最初に気がついたんだろう。
マンツーかと思ったけれど、自分のところには近づいてこない。
トライアングルツーのままでマークを変えた? と思ったけれど、石川と柴田のところには変わらずディフェンスが付いている。

しばらくドリブルをついて、少し移動しながら観察する。
田中にとって想像の範囲外の形だったので、形として目に入っても、それは変化の途中のように最初は思ったがそうでは無いらしい。
トライアングルからさらにディフェンスを減らして、マンマークを三人で、後の二人―でゾーンを敷く。
前に一人、後ろに一人。
前の一人は自分から少し遠くに離れているが、自分の方を見ている。
後ろの一人は道重がゴール下に入って行くと近づいて、離れれば放っておくという方針なようだ。
自分にスリーが無い、道重にミドルが無い、それにあわせた対処なのだろうということは分かる。
それは分かるけど、意味、あるのか? と田中は思った。

やり方はいろいろあるような気がする。
観察するために時間を使ったので二十四秒計が五秒まできている。
田中は、一番自分のストレスが解消されるやり方を選んだ。
そのまま切れ込む。
さすがに自分で持ちこもうとするとディフェンスは近づいてくる。
それに押さえられる前に、ミドルレンジでジャンプシュート。
やや力が入ったか長めになって外れたが、道重が良い位置取りでリバウンドを拾い、ゴール下でもう一度飛んでシュートを決めた。

ベンチで和田コーチは困ったような薄い笑みを見せていた。

「いろいろ考えたつもりなんだろうけどな・・・」

ここのオフェンスで田中が戸惑うようなら何か指示を出そうかと前まで出てきていたが、今の流れを見て和田コーチは自分の席に座った。
黙って試合の流れを見ることにする。

東京聖督のオフェンスは後藤が中心のようでいて、得点を取るのは周りが多かった。
そういう方針で序盤は来ているようだ。
加護の口から四桁の数字が毎回出ているが、何がどうサインプレーなのか田中にはさっぱりわからない。
一方、富岡のオフェンスを聖督はディフェンスシステムを代えてもさっぱり止められなかった。
マンマークを無視して田中と道重で点を取る、という形では今度は無い。
普通に五対五やればいいじゃん、というのが田中の考え方だった。
マンマークが三箇所ついているのなら、マンツーマンを相手にするのと同じやり方でいい、という発想だ。
これでようやく石川も攻撃参加するようになる。
実際には、マッチアップの相手がいちばんきついので、全部自分で決めに行くということはなく、勝負しながら視界に入った空いているところへパスで捌いてシュートまで持って行くということが多い。
両チームともエースではなくて周りで加点する形だ。
一クォーターは34−17 早くもダブルスコアで富岡リードで終えた。

「ディフェンスやられすぎ!」

ベンチに戻ってきて高橋の機嫌が悪い。
一クォーターで三十四点取れたというのはかなり上出来な部類であるが、十七失点は平均的である。

「まあ、うちのオフェンス時間が短く終わることが多いから、向こうの攻撃チャンスも増えて、そういう意味ではある程度は仕方ないんだけどな。それでももうちょっと少なく抑えられてもいい」
「れいな考えすぎなんよ」
「な、なんですか。れいなが悪いって言うんですか?」
「頭で考えて相手に合わせすぎ」
「高橋、ちょっと熱くなりすぎよ。初戦だからってあんまり熱くならないで、肩の力抜きなさい」

柴田がたしなめに入る。
この試合、柴田がいちばんおとなしい。
ディフェンスするときは相手のマッチアップが楽だし、攻撃面では周りが十分力を発揮しているので自分で出て行く場面が少ない。
また、亀井を振り切れていないというのもある。
周りが点を取れなくなれば、対亀井の面で少しやり方も変わってくるのだろうけれど、現時点では柴田の力が十分に発揮されているとは言い難い。

「相手に合わせて受身だからいけないんですよ。わけわからん何とか攻撃も、ナンバープレイも、全部見せ掛けで中身なんか無いじゃないですか。耳貸さずに普通にディフェンスすれば簡単に抜かれたりせんて」
「高橋。そこまで言わなくてもいいだろ。まあ、ただ、言ってることは一理ある。何かコールされると、何か来る、何か来る、って確かに思うんだけど、今日の場合はそうでもないな。確かによく見てみると、何かナンバーを叫んでいるだけで、その後の動きはフリーオフェンスにしか見えない。最初の何とか攻撃は脅かしておいてただ外からシュートっていう決め事だったみたいだけど、ナンバープレイは見せ掛けだな。これも脅かしの類だ。そう思わせておいて、そのうち本当のナンバープレイが来るかもしれないけどそれはそれだ。それも普通にディフェンスしておけばいい」

高橋の後は和田コーチが引き取って続けた。
田中の顔は少々不満そうであるが、和田コーチの言葉にうなづいてはいる。

「オフェンス面は、まあ、このまま自由にやればいいよ。そのうちあきらめてディフェンス代えてくるだろうけど、そしたらそれはそれでまた田中考えろ。分かっただろ。相手が何か変なディフェンスやってきても、どうにでもなるって。コートの上で考えて自分たちで崩せ」
「はい」

オフェンスは合格点をもらった。
田中はそう理解した。

二クォーターに入る。
聖督は、今度は後藤が自分で勝負し始めた。
後藤にパスは入る。
富岡の方に、パスが入ること自体を抑えようという意思はないからだ。
そこから先は後藤と石川の勝負である。
後藤が自分でシュートまで持っていけるのは二回に一回程度。
後は結果としてパスを捌く、あるいは仕方なくパスを出す、そんな形だ。
周り、としては加護が多い。
外があるし、切れ込んでくることもある。
後藤としっかりあわせた動きに対応出来ている。
マッチアップの田中が、中途半端に後藤の方を意識しているので動きやすいというのもある。

「加護ちゃん! ディフェンス当たりの相手引いたんだから! いけるよ!」

ベンチから声が飛ぶ。
はっきりと声が聞こえる位置に田中がいる時にそんな声が飛ぶ。
絶対わざと言っている、と田中は分かっていても腹が立つことには代わり無い。

聖督のディフェンスは一クォーター終盤と変わらずに出てきたので、やはり富岡は簡単に崩して加点して行く。
もう、どうにもならないな、と判断したのか三分過ぎ、40−21のところで聖督がタイムアウトを取る。
ディフェンスはここで変わるだろう、と富岡ベンチは読んでいて、その通り確かに変わったのだが、その変わる方向性はこの時間帯での読みとは当たっていなかった。

聖督のオフェンス。
ハイポストでボールを受けた後藤がターンしてゴール下へ切れ込む。
石川を振り切れていないが、ゴール下に近づいた位置で道重をひきつけてパスを捌いた。
センターが0度の位置からジャンプシュートを決める。

道重がエンドから入れたボールを田中が受けると、加護と亀井に囲まれた。
この時間帯にこれは予想していなかった田中、狼狽して味方を探すがボールを奪われないようにピボットを踏むことが出来ない。
亀井がボールを叩いて加護がこぼれたボールを拾う。
そのままシュートへ持って行くのを奪い返そうとしてファウル。
フリースローを与えた。

「れいな、運べんならあたしが運ぶよ」
「問題ないです。この時間帯で予想してなかっただけで、次は大丈夫です」
「ホントに大丈夫なの? 予想してなかったからってダメじゃ困るのよ。予想して無いことばっかりやってこられるんだから」

少し時間が止まった場面で高橋が田中と話しをしている。
不穏なものを感じた柴田が近づいてきた。

「二人来たらパス出そう。一人で行けるかもしれないけど、わざわざ二人相手にする必要無いし。高橋も同じよ。二人来たらどこかにパスを出す。私でもいいし、誰でもいいから。プレスでボール取られるのはボール持ってる本人だけのせいじゃないからね。周りも合わせる」
「はい」
「高橋も分かった?」
「分かってますよ」

フリースローではシューターのスクリーンアウトの場所に入る柴田。
リバウンドには入らない田中高橋と違って、あまり長く話しているひまはない。
言うこと言ってすぐに戻って行く。
柴田が去ると高橋もそれ以上田中に絡まなかった。

フリースローは加護が二本決めた。
今度は当たってくるのが目に見えている。
エンドでボールを入れるのは道重。
田中へではなくて高橋へボールを入れた。

中央でしっかり走りながら受ける。
亀井はきっちり付いているが、高橋はドリブルで加速する。
加護と二人で挟む、というかたちには出来ず一対一のまま。
そこに別のディフェンスが寄ってきたところで高橋はパスを送った。

前へ。
柴田。
ディフェンスが高橋を抑えに行っていたのでノーマーク。
抑えに動くのは後藤。
ただ石川も見ないといけない。
二対一の状況。
ゴールに近いところまで持ちこんで柴田がジャンプ。
後藤がブロックに来たのでシュートは取りやめて石川へパスを落とした。
左サイドから駆け込む石川、ボールを受けてそのままレイアップシュートを決めた。

聖督が前半にして早くも賭けたプレスはあまり効かなかった。
一対二を作ることが出来ない。
それを作ろうと動くのだけど、その段階で空いているところにボールを送られて、逆に二対一や三対二の状態にされ、楽にシュートを決められてしまう。
時折網に引っ掛けられるのは田中がもたついたときくらいだ。
高橋に持たれるとドリブルなりパスなりであっさりフロントコートまで来られてしまう。
富岡がそうやって簡単に点を取るので、聖督のオフェンスの時間が長く、攻撃回数が増えるので点はそれなりに入るのだが、いかんせん失点が多すぎる。

前半は71−33 と富岡が大きくリードして終えた。

ハーフタイム、控え室に戻った東京聖督に暗い雰囲気は無かった。

「だめだこりゃ」

矢口などはもう苦笑いを浮かべて降参モードである。
最初から勝てるという前提では戦っていなかった。
一泡吹かせてやれたらいいな、位な感覚である。
最初にうまく行っていたのに途中で躓いた、というのならもう少し心情は違うのかもしれないが、最初からやられっぱなしである。
こうなってくると、もうなるようになれ、という部分もある。

「なんか七番が鬼だな。あれ、あんなすごかったっけ? 四番五番のチームだったはずなんだけどなあ」
「やぐっつぁん、高校生はみんな成長するんだよ。大学生はしないみたいだけど」
「んだとこの。しかし、前半だけで71点なんて過去にあったか?」
「全然通用してなかったね。トライアングルツーもスリーマッチツーゾーンも。プレスも全然」
「プレスはちょっとは効果あっただろ。まあ、ちょっとだけど」
「隊長!」
「何、加護ちゃん」
「後半はマンツーにしませんか?」
「マンツー? 普通に?」
「絵里も賛成です。マンツーで付きたい」
「おまえら、ゾーンやりたい面白いって言ってなかったか?」
「マンツーだって対決って感じが面白いですよ」
「で、どうするの? やぐっつぁん。後藤はマンツーでもいいし、どっちでもいいよ。やぐっつぁんに従う」
「後藤の意見は無いのかよ。どっちのがやりやすいとか」

各自のテンションは試合前とあまり変わらない。
圧倒的に負けている、という雰囲気がこのロッカーから感じ取れない。

「マンツーだと、なんか全体負けちゃってる気がするって言えばするんだよね。だからやぐっつぁんゾーンやらせたんだろうと思うけど。でも、そのゾーンが全然だから他のことするってなると、出来るのはマンツーしかないのかなとは思う」
「全体負けてるって、後藤も四番に負けてるって意識なのか?」
「向こうは何やっても点が取れるみたいな感じで、外から見ると目立ってないのかもしれないけど、後藤としては、一対一のディフェンスになってるとき、止めきれて無いなあって感じてるよ」
「後藤でそれか」
「でも、えりりんとかのがかえって負けてないかもね」
「絵里も結構点取られてますよ」
「マンツーなら取られないような気がする。よくわかんないんだけど」

後藤はウソは言わない。
思ったことをそのまま言う。
そう、矢口は見ている。
マンツーなら亀井は取られないっていう感覚は、たぶん、ディフェンスの付き方の問題かな、と矢口は思った。

「マンツーにしよう」

矢口が言った。

「マンツーにすれば大丈夫。解決。って相手じゃないけど、他に無いな。あのままディフェンス続けるわけにも行かないし。150点とか取られるのはかっこ悪すぎるもんな。このままじゃそれが普通にありえるし。マンツーにしよう。それで、とりあえずシュートまで時間掛けさせよう。ハイペースで点が入りすぎだから。シュートまで時間掛けさせてペース落とさせればちょっとは流れ変わるかもしれないし」

一試合で100点取られるのは、100点ゲームとそれだけで一つの呼び方がある程度に、少々かっこ悪い負け方と言う認識になっている。
それでも、100点ゲームはしばしばあるが、150点というのはめったにあるものではない。

「シュートまで時間掛けさせる。とにかくまずはそれだな。前半、24秒計がほとんど意味ないくらいにシュートまで簡単に行かれてたから」
「タイトに付くんですか?」
「いや、普通でいいよ。普通で。外の場合は抜かれない程度に距離は取って。ボール持ってない時にフェイスでつく必要もなし。普通にハーフコートのマンツーマンをやる。マークマンは見るしボールのあるところも見る。点差あるけどボールを奪いに行くとかも無理にはしない。まあ、取れそうなら取ってもいいけど」

前半、富岡のオフェンス時間は十秒にも満たないことが多かった。
ボール支配率なる概念をバスケットに持ち込むならば、聖督の方が60%を超えるレベルでボールを持っていた。
しかし、それは、点の入らないスポーツと違い、点の入るスポーツでは、ただ単に、シュートまでに時間が掛かると言うだけのことであり、試合を優位に進めているというのとはまったく違う。

「あと、オフェンスか。オフェンスはそれなりに出来てるんだよな。加護ちゃんいいよ。うん。すごくいい。あとはそうだね。そろそろホントのナンバープレイも入れていこう」
「点差あるからスリーポイント打ってった方が良い?」
「んにゃ、点差考えるのはやめよう。ちょっと現実的じゃない。スリーは打てるところではもちろん打って良いけど、こだわる必要はなし。一本一本返していこう」
「X攻撃もう一回やっていいですか?」
「亀ちゃん、懲りてないなあ。それやって向こうの猿鬼に怒られてなかった?」
「今度はそれをエサにして出て来たところを抜いていくんです」
「まあいいや。その辺は好きにして」

四桁のナンバープレイだけでなく、XもYも、はたまたZも、中身に取り決めは無い。
たまたま最初はシュートにしてみたのは加護のひらめきなだけで、本当はすべてフリーオフェンスなのだ。
矢口の口先バスケが、少し形を変えて伝承されている。

「そんじゃ行きますか、後半。70点には乗せような。向こうの前半分も取れないんじゃひどいから。後半は試合にしよう」

ハーフタイムミーティングはそこで終わり。
東京聖督のメンバーはロッカールームを出てフロアへ向かう。
矢口は、トイレへ行くとメンバーから離れた。

「あいつら、ちょっとは落ち込めよ。ったく。おいらだけか、へこんでるのは」

鏡に向かい、手を洗いながら自分の顔を見つめてひとり言。
もっとベンチから声を飛ばしそうなところであったのだが、あまりに一方的にやられすぎてそんな気にもほとんどなれなかった。

後半、聖督も富岡もメンバーは変わらない。
聖督オフェンスで再開される。

    「ゴー、イチ、マル、サン。ゴー、イチ、マル、サン」

加護がコールしてボールを回す。
いくらかの動きがあって、0度の遠いところで加護がボールを受ける。
ローポストには石川を背負って後藤。
バウンドパスを送る。
ターンしてシュート、が難しかったのかボールは加護に戻る。
もう一度バウンドパスを後藤へ。
また勝負しきれずに加護へ戻る。
加護に付いたり、後藤を挟みに行ったり、田中は行ったりきたり。
ボールは三度後藤へ送られる。
今度は田中が来るのを待って後藤は加護に戻した。
スリーポイントラインの外側、速いパスを受けた加護は田中が戻るよりも早くシュート。
きれいに決まり後半、まずは聖督が一本返した。

後半どう来るか?
田中は身構えていたけれど、聖督は前から当たっては来なかった。
ほっと一息ついてゆっくり運ぶ。
フロントコートに入ったところで加護が捕まえにきた。

「ディフェンス変わったよ!」

高橋の声が飛ぶ。
今度はなんだ?
ちょっと考えたけれど、結論はすぐに出た。
マンツーマン。
これは分かりやすい。
分かりやすいけれど、今度は逆に、ここが穴です、という場所はシステム的に存在しない。
穴が存在するとすれば、それは身長差か力量差である。
あとは、動きで穴を作るしかない。

右サイドにいた高橋へ。
ゴール下を抜けて外へ開いて出てきた石川へ。
勝負、という雰囲気だけは一旦作ったけど、ゴール下も混んでいるし、突破しても先が無い。
ハイポストのあたりからそのまま横に出てきた柴田へ送る。
柴田は受けてそのまま逆サイドに田中へ長いパスを送った。
三線、開いて離れてついてきた加護が田中へ近づいてくるのと入れ違うようにドリブル突破をはかる。
しかし抜き去ることは出来なかった。
ゴール下、センターも田中を抑えに来る。
囲まれる前にバウンドパスで道重に捌こうとするが、読まれていてセンターの左手に当たった。
こぼれたボールを亀井が拾う。

そのままドリブルで持ち上がる。
高橋がしっかり捕まえたのでワンマン速攻とは行かないが、加速していて簡単には止まらない。
それでも一対一で高橋を抜き去ることは出来ず、ゴール下へそのままとはならないで右サイドに開いて味方の上がりを待った。
後藤が駆け込んでくるが石川にコースを塞がれている。
そこでセオリーに逆らって、後藤はゴール下をぬけてきれて行くということをせずに、止まって後ろに戻った。
運良く、味方の上がりと重ならない位置になっている。
一瞬石川が見失いマークが外れる。
そこに亀井がパスを入れる。
スリーポイントライン外側からフェイドアウェー気味にジャンプしてのワンハンドシュート。
石川がブロックに飛ぶが届かない。
しかし、さすがに難しかったのかシュートはまっすぐ飛ばず、ゴール左に当たり大きく跳ね上がる。
リバウンドは道重が拾った。
聖督はすばやく戻りマッチアップをピックアップする。

「こうなると簡単にはいかないか」

ベンチで和田コーチが機嫌よさげに見守っている。
実力上位のチームが前半で38点差つければもう負けは無い。
後はベンチメンバーを見ながらの戦いだ。
余裕を持って相手の変化も見ていられる。

マンツーマンに変えてから聖督ディフェンスは簡単には崩されなくなった。
狙い通り、前半よりもシュートまでの時間は掛けさせている。
ただ、それでも、時間をしっかり使ってじっくり攻められるとシュートまで行かれてしまうことが多い。
そしてそのシュートは割としっかり入る。

前半と比べると、得点ペースが両チーム共に下がった。
富岡の得点ペースが下がっても、聖得のペースも上がらないので点差は縮まらない。

また、五分過ぎから富岡はメンバーを落とし始めた。
まずは、今日ほとんど活躍が無い柴田。
続いてそれなりにしっかりと仕事は果たした一年生道重。
長丁場の初戦。
休ませられる状況なら休ませておきたい。

三クォーターを終えて89−48
ダブルスコアは解消されたものの、リードはやや広がって最終クォーターへ入る。

最終クォーター、富岡のスタメンクラスは高橋と石川だけがコートに残っていた。
和田コーチは、田中を下げようか高橋を下げようか、田中にもう少し経験を積ませることを優先するか、体力面を優先するか迷ったが、先に田中を下げた。
リズムが崩れない程度の流れが出来たところで二人も下げようと思っていたのだが、聖督が最後の抵抗とばかりに前から当たってきたので、高橋は残して石川だけ下げた。
今日の高橋はこの点差になっても集中を切らさずにプレイしている。
前から当たられようと高橋にボールを送れば問題なく運んでくれる。

プレスの網を張ることが、技量的にも体力的にも苦しくなり、聖督サイドは点差を詰める術はもう残されていない。
あとは、試合経験の少ない控えメンバーにインターハイの舞台を経験させるというかたちで、一人一人メンバーチェンジして行った。
富岡の方も100点を越えるゴールをワンマン速攻で決めたところで高橋を下げて、完全に控えメンバーでの試合になる。
最終盤、ベンチメンバー同士のゲームは、大きな動きもなく、時間が経過して行った。

最終スコアは110−61
大差で富岡が勝利して三回戦進出を決めた。

両チーム、コート中央で挨拶し、その後相手ベンチへ挨拶に向かう。
富岡のメンバーが聖督ベンチで挨拶して戻って行った後、矢口も自身で相手コーチに挨拶に行く。

「ありがとうございました」
「おつかれさまでした」
「さすがに強かったです。先のラウンドも頑張ってください」

それだけ言って戻ろうとする矢口を、和田コーチが呼び止めた。

「矢口さんだったかな?」
「は、はい」
「ちょっといいかな」

矢口、怪訝な顔。
呼び止められる理由はわからない。
うちの化学君じゃあるまいし、サインくれとかなわけないよな、と頭で考えている。

「ああ、先あがって待ってて。すぐ行くから」

チームのメンバーに向かって和田コーチがそう告げる。
なんだろう? と矢口が考えていると、和田コーチが向き直って話し始めた。

「今日はたまたま前半から点差が開いてしまったですけど、そこまでの力差はないですね。後藤さんとかいい選手もいるし。チームとしての資質はそれなりのものがあると思いますよ」
「ありがとうございます」
「でも、今日の試合は前半から壊れてしまった。なんでだと思いますか?」

それが分かってりゃもっと良い試合してるよ、と口に出して言えるはずはなく、矢口は黙って考えている振りをする。

「矢口さんは去年卒業した大学生だったかな?」
「はい」
「厳しいこと言ってしまうけれど、今日こういう試合になった責任は選手たちではなくて矢口さんにあると思います」

一応しっかり見上げて和田コーチの顔を見ていた矢口だったけれど、はっきり言われて視線を一瞬さまよわせた。
それからまた、強い視線を和田コーチの顔に戻す。

「今日、いちばんしっかりした試合になってたのは三クォーターの序盤だったと思います。あの場面がいちばんお互いの力が、それなりのお互いの力なりに発揮されていた場面だったと思います。その先はどちらもメンバー落としてしまってるんで違いますし、それ以上に前半は聖督さんはまったく力を発揮出来てなかったと言っていいと思います」

むかっ腹は立つけど、反論しようという気は特にしなかった。
前半、ディフェンスの面ではまったく良いところが無かった。

「たぶんですけど、矢口さんにとって、去年の滝川戦の序盤っていうのが一つの成功体験になっていたんじゃないですか? あの試合は私も見ましたが、前半の出来はすごく良かった。それをベースに今日の組み立てがあったような気がします。ただ、トライアングルツーというのは逆三角にしようと、シューターが三人いるチームに通じる手じゃない。それを無理に何とかしようとするからああいうことになる。オフェンスの擬似ナンバープレイもそうですけど、奇をてらいすぎだと思います。それでうまく行くこともたまにはあるけれど、決して正攻法じゃない。後につながらないと思うんですね。それに、前半の二つ、後半もマンツーマンにさらに、最後は1−2−1−1のオールコートゾーンから下がってハーフは1−3−1ていうシステムを控えメンバー中心にやらせてたみたいですけど、そこまで含めて一試合に四つのディフェンスシステムが出てくる。一試合に四つのディフェンスシステムを使い分けられるチームなんて、世界中捜しても無いんですよ。間違いなく。ポイントポイントでの発想は悪くは無いと思うんです。でも、実現性に欠ける。奇手っていうのは一度は通じても繰り返すとしっかり穴を突かれます。穴が無い奇手は無い。穴が無ければそれはセオリーでありオーソドックスなものになって行きますから。もちろん一発勝負でそれを繰り出すのは悪いことばかりではないですが、頼りすぎるのはよくない。特に今回はインターハイです。聖督さんも、冬まで三年生は続けるチームですよね。だったら、先を見てやるなら、しっかり正攻法でどこまで出来るかっていうのを試みた方が良かったと思います。後藤さん初め、良い選手が何人もいるんですから。もちろん、相手の虚を突くって言うのは悪いことではないですから、矢口さんのやり方をところどころに入れるのはいいんです。でも、すべてをそれに頼るのはよくないですしもったいないと思うんです。少し考えてみてください」 

バスケをやっていて他人に説教されるのは矢口にとって初めてのことだった。
小学校中学校高校、ろくな顧問に会ったことが無い。
顧問と言うより、引率の先生、体育館確保係、試合出場申し込み係、そんな役割でしかない。
今までずっと自分で考えてやってきた矢口にとって、初めての経験だ。

「すみません、長々と。だけど、もったいないなと思ったので」
「いえ、ありがとうございました」

口調はとがっているが、それでも年長の指導者に対してこの場で答えるのに、正しい一文は口から出て来た。

ベンチに戻る。
メンバー達は怪訝な顔で矢口を待っていた。
何を話しこんでいたんだ?
そんな顔で訴えかける問いに矢口は答えない。

「帰るぞ」

メンバー達はすでに荷物をまとめている。
矢口が自分のカバンを拾い上げてロッカールームへ引き上げた。

負けた後の控え室。
大差のゲームで、がっかりしたという雰囲気はあるがどうしようもなく落ち込んでいるという空気は無い。

「全然ダメだったな」
「もうちょっと出来ると思ってたんだけどね」
「いや、たぶん本当はもうちょっとできた。まともに勝負すれば。ただ、戦術が合わなかったな」
「出だしのゾーンとか?」
「そう。七番の猿鬼への認識が甘かった。それで最初から離されてそれでおしまい。戦術が悪かった。それがすべてだね」

高橋を抑えられなかった。
もしくは、無視し切れなかった。
石川柴田を抑えればどうにかなると見て立てたトライアングルツー。
まったくどうにかなっていなかった。

「オフェンスは悪くなかったと思う。もう十点くらいは欲しいところだけど富岡相手に60点取れれば文句言っちゃいけないな」
「でも、後藤、石川さんに勝てなかったな」
「負けてもいなかっただろ。後藤から加護ちゃん亀ちゃんに捌くっていうのは一つの方針だったんだから。オフェンスはそれである程度行けてたから、とにかく後藤に集めて何とかしてもらうっていうところまでは追い詰められなかったわけだし」
「ディフェンスも、石川さんに集まるって感じじゃなかったけど、石川さんに持たれた時はあんまり勝ててなかった気がする」
「まあ、その辺は次の課題だな。あの子に勝てればその世代のナンバーワンみたいなもんだろ。後藤ならそこまで目指してみてもいいと思うけど簡単なことじゃないよ」
「分かってる」
「力の差はあったけど、点差ほどじゃない。まあ、はっきり負けたのは事実だけどそれほど絶望することはないな。また冬目指して頑張ればいい。今日分かったこと、それぞれあるだろ。それを受けて、また帰って練習しましょう」

矢口が明るく締めた。

ミーティングを終えて、ロッカールームではそのまま着替え。
アップまで参加した矢口も着替える。
制服ではないので着替えてもやっぱり矢口は生徒なのかコーチなのか区別がつかない。
女子だけのロッカールームには入れない顧問のところに矢口は報告に行った。
試合の時には無視しててもいいが、学校に帰るまでは引率の先生として必要である。
矢口はそこで、先に帰っててくれ、と告げた。
自分は生徒じゃないし今ここから自由行動にさせてくれと。
化学の先生は、別に管理がどうのこうのというようなタイプでも無いので、いいんじゃないですか、と許可してくれた。

矢口はそのままチームのメンバーの下には戻らずに体育館を出て行った。
何でもいいから一人になりたかった。
見知らぬ町で当てもなくとりあえず歩く。
方向感覚は決して悪くは無い。
適当に歩いても戻れなくなるということも無いだろう。

しばらく歩くと川に出た。
清流という感じではなく、田舎都市の近くを流れる護岸整備もされたありきたりの川だ。
泳ぐような川ではなく、犬の散歩の通り道といった装い。
都会なら、ブルーシートやダンボールハウスが並んでいるようなところだろうか。
田舎町なのでそういったものはさすがに無い。

堤防から下りていける階段があった。
なんとなく下りてみる。
草むらを通って川岸へ。
小石が散らばっていて人もいない。
周り見渡すだけ見渡して、人がいないのを確認して座り込む。

少し落ち着いて試合のことを振り返って見る。
あいつらちょっとは凹めよ、と思った。
いちばん落ち込んでるは自分だ。
自分の戦術が当たらずに木っ端微塵にされたことは悔しい。
だけど、それだけじゃなかった。

「くそジジイ」

言葉遣いは丁寧で、こちらのことを気遣ってくれているような言い回しだったけれど、言っている中身は矢口の全否定だった。
お前のとこみたいに戦力整ってればこんな苦労しないんだよ、と口から出かかった。
さすがにそれが言える相手ではなかったけれど。

奇をてらうな。
正攻法でやれ。
世界中探してもディフェンスバリエーション四つを使いこなせるチームは無い。
選手はそろってる。
試合を壊したのは矢口だ。

ディフェンスシステムが当たらなかったのは自分のせいだ。
そこまでは認める。
それをわざわざ言われたのはむかつくけど、そこまでは認めよう。
あれは後藤たちが悪いわけじゃない。
だけど、他のはなんだ?
矢口には矢口のやり方がある。
ごちゃごちゃ説教垂れやがって。

思考はループする。

手の届くところにある小石を拾って投げた。
一つ、二つ、三つ。
ぽちゃん、ぽちゃんと川面を跳ねる。

後藤たちに悪いことしちゃったかな、と思った。
やり方によっては勝てた、なんてことまでは思わない。
自分が富岡を指揮して、向こうのジジイが聖督の采配ふるっても多分勝てなかっただろうと思う。
だけど、もうちょっとまともな試合にはしただろうな、と思わないでもない。

テニサー入ってれば、今頃どっかで合宿かなあ、なんてことも考えた。
かわいく見えるラケットの振り方。
かわいく見えるタオルの渡し方。
移動の車でどうやって狙ってる男の助手席をゲットするか。
そんなことを真剣に考える日々。
そこにいれば、こんな全否定されるような目にも合わないし良かったかもしれない。
いや、合コンで会って、いきなり口説かれて拒否ったぶさ男に、チビの癖にとわけのわからない理由で全否定されたことはあった。

最初からマンツーでやればもっとまともなゲームになるんだったら自分はいらないんじゃないか、と思ったりする。
後藤に頼る、がチーム戦術だったらそれこそ自分はいらない。

「おいらはなんでここにいるんだろう」

小石をもう一度投げた。
力いっぱい投げてみたけれど対岸には届かず、途中でまたぽちゃりと川面を叩いた。

考えるのが段々面倒になってきていた。
ただ座っているだけでも汗が流れてくる。
真夏の川べりなんて人間が座っているような場所ではない。
一人になったのはいいけど、ここで一人で倒れたら誰にも発見されずに死んでしまう。

少し先に橋が掛かっていた。
その下、陰になるところまで移動してまた座り込む。
まだ、戻りたくない。

「クソジジイ」

また、つぶやいだ。
あいつに向かって勝ってやったぞ、と言ってやりたい気がする。
でも、無理な気はもっとする。

猿鬼がやたら今日元気だったのは相手が自分だったからか? といまさらながらに思った。
あれは、自分は悪くない。
最初にちっちゃと言ったのは向こうだ。

頭で考えるのは小さい頃から好きだった。
何かが起きた時に、それをどうにかするために頭で考える。
自分の頭で何とかしてやろう、と考えるのはわくわくする。
それでうまく行けば、かなり気持ち良い。

考えることがこんなに苦痛なのは初めてだ。
試合を壊したのは矢口。
事実かもしれないけど、はっきり言うんじゃねーよ、と思った。
後藤や亀井や加護や、部員たちのがっかりした笑顔が頭に浮かぶ。
あいつらに達成感を与えてやれなかったのは自分のせいなのか。
考えるまでも無い、自分のせいだろう。
じゃあ、どうしたらいいのか。
どうにか出来るならとっくにどうにかしている。

周りに転がっている小石をありったけ握って立ち上がる。
言葉にならない声を叫びながら、右手で左手でめちゃくちゃに投げた。
拾っては投げ拾っては投げ。
やがて、肩で息を付きながら投げるのを辞める。

「むかつくんだよジジイ」

少し落ち着いて空腹を感じた。
どれくらいここにいたのか?
携帯を取り出して時間を確認する。
丸々一試合分くらいの時間が経っている。

矢口は川から上がってきた道を戻った。
途中でコンビニにより食べ物を買おうとするが、弁当類は売り切れ、おにぎりも売り切れ。
近くの体育館で多数の高校生が試合をしていれば当然の状況だ。
かろうじて売れ残っていたパンを買って店をでる。

体育館に戻った。
観客席は埋まっている。
わずかに空いている席を探してそこに入り込もう、と矢口は思わなかった。
一番高いところにある手すりに寄りかかってフロアを見つめる。
三つあるコートのうち一番右で第三試合の三分前の笛が鳴った。
両チームアップから上がってベンチに戻る。

「よっすぃー、勝てよ」

パーカーを脱いでユニホーム姿になろうとしている自分の後輩に目をやる。
コンビニで買ったパンをかじった。

 

松江にとって全国レベルの大会で二回戦に出るというのは初めてのこと。
まだ、全国レベルの大会での勝利は無い。
県大会、中国大会、そこで勝つのは大したことではないというわけではないが、やはり価値は違う。
中国大会で優勝できたということは、全国レベルの大会でも一つ二つは勝つことが出来るはず、という理屈になる。
ただ、平均的な期待値としてはそうでも、相手のあること。
今日の相手は、問題なく勝てるというには難しい相手であるというのが、チームの共通認識としてあった。

「出だし、どっち使ってくるかはわからないけど、どちらにしてもしばらくはスタートのメンバーで行くから。それでリズム作って、向こうがセンターの方使ってくるようなら辻ちゃん入れるから。辻ちゃんもいつでも動けるようにね」
「はい」
「みんな、堅くはなってへんか?」
「ちょっと緊張感はありますねやっぱり」
「でも、そう言えるってことは慣れては来た感じか? 辻ちゃんあたりが一番緊張してる?」
「らいじょうぶです」
「言えてないよ辻ちゃん」

めずらしくあやかが突っ込むと笑いが起きる。
辻の滑舌が悪いのは緊張していることとの相関はなく、いつものことである。

「はい、もう一回」
「だいじょうぶです」
「よく言えました」

松浦が辻の頭を撫でる。
福田は無表情に見ていた。

「立ち上がり、なるべく一本速攻だそう。それでリズム作れるから。あややと市井さん、その意識で頼みます」
「吉澤だって四人目でしっかり走れよな」
「分かってますよ」

スタートは、福田、松浦、市井、吉澤、あやか。
結局この五人で臨むことになる。

「じゃあ最後に、紺野から一言」
「え、え、私ですか?」
「そう、私」

紺野はベンチ入りメンバーには入らなかった。
ベンチ入りは十二人。
部員は十三人。
外す一人は誰にしようか、という協議があった。
実は紺野は、実力的にはもう十三番目じゃないよね、というのが上級生の認識になっている。
それでも紺野を外した。
初心者だから、という理由付けをしやすいのが一つと、自分だけベンチに入れなくて悔しい、という意識をここで与えておこうという吉澤中澤の考えによるものだ。
十三番目じゃなくなっているけれど、五人目六人目、試合に影響を与える戦力、というカウントにはなっていない。
今の実力でベンチ入りを決めるなら、ベンチに入る力はあるけれど、長い目で見てより早く戦力化してもらうために、ここは外しておこうという結論だった。

「じゃ、じゃあ、あの、十三人がかりで。十三人がかりで勝ちましょう」
「いいねえ、それ。十三人がかりで」
「よし。じゃあ、十三人がかりで初戦突破しましょう」

ちょっと変わった言葉が出てきて場が和む。
スターティングメンバーはコートに上がって行き、細かいこと言われない試合前だけベンチに混ざっていた紺野はスタンドに上がる。

「私も数に入れてや・・・」

十三だとたぶん数から外されている中澤、ポツリともらした。

センターサークルで顔合わせ。
青鵬はガードのリンリンがスタメンにいた。
予想通りの面子である。

ジャンプボールに吉澤が入る。
他のメンバーも事前の予定通りの相手にマッチアップにつく。
ボールが上がって吉澤がチップ。
松浦がボールを確保し、相手ディフェンスが下がって行く。
松江ボールでゲームが始まった。

立ち上がり。
ゆったりとボールを松浦から受けた福田は、一応全体を見渡す。
まあ、マンツーマンで間違いないな、というのを一応確認しておく。
自分には小柄な中国人留学生リンリンがついている。
全体見ても、想定通りのマッチアップが四箇所ある。
普通にオフェンス。
そう判断して動き出す。

単純なフリーオフェンス。
出だしいきなり外からシュートとか、そういう奇をてらったことはしない。
パスを繋いで人が動いてスペースを作り、スペースを埋め。
左外に開いた吉澤のところに逆サイドから松浦が駆け寄ってきて指で背後を指す。
ディフェンスに張り付いたところで、吉澤が肩越しを抜けて行った。
松浦をスクリーンに使ってゴール下へ。
市井が吉澤へ入れようとしたがディフェンスがスイッチしてパスコースを塞ぐ。
その外側、スイッチの連携が取れず、自分もスライドで吉澤についていこうディフェンスがしたため松浦がノーマーク。
ただ、市井からパスを落とすと、ディフェンスはすぐ松浦へ戻った。
スクリーンから生じた混乱。
ローポスト、スイッチして自分についたディフェンスを半身になって抑えている吉澤。
松浦はその裏へ通すパスをふわっと入れた。
吉澤とゴールの間。
うまく入る。
逆サイドからディフェンスがカバーに来たので、その横をバウンドパスで通した。
受けたあやか、ゴールした踏み込んで、ボードを使い簡単にシュートを決めた。

「ええよー! ええよー! ボール回ってるボール回ってる」

一本目から全員でボールを回して鮮やかに決めた。
悪くないではなくて、これ以上無いくらいいい出だしのゴール。

青鵬はエンドからリンリンがボールを受ける。
ドリブルで運んでくるのだが、福田が早めに捕まえた。
ハーフラインより前。
コート全体の前から四分の三くらいの位置。
スリークォーター、と呼んでいる。

今日の出番はそれほど長くない。
そう、福田は聞いている。
それで、少しいつもよりディフェンスの稼働時間を長くすることにした。
多少前から当たることで相手に圧力をかける。

手まで出してボールを奪いに行く、というわけではないのでリンリンはフロントコートまで問題なく運んでは来る。
ただ、そこからの展開がスムーズには行かなかった。

まず、目の前のディフェンスが厳しい。
外からシュートを打つ隙は無い。
しかし、抜き去れるような雰囲気も無い。
非常に嫌な距離感で張り付いている。
周りを見てもパスの出しどころが無い。
フォワード陣が外まで出てきてパスを受けるしか出来ない。

単発、単発。
パスを繋ぐというよりは、爆弾をトスするという雰囲気。
持ち続けていられないのでどこかに送るけれど、ゴールに向かって行くという状況ではない。

ゴール周辺は吉澤とあやかがうまくコントロールして入らせなかった。
マンツーマンではあるのだけど、互いに相手のマッチアップも見ていて一定のゾーンに自由に入らせないようにしている。
また、ハイポスト、ローポストで相手に背負われるということもなく、パスが自由に入る状態に無い。

どうしようもなくなって一対一で勝負に出たのは結局リンリン。
肩で視線でフェイクを散りばめながら、ドリブルをついて突破を試みる。
福田、しっかり見極めてコースを押さえる。
後出来ることは一つ、無理やりジャンプシュート。
タイミングぴたりでブロックに飛んだ福田の手を避けるように高く投げたボールは、リング手前にエアボールで落ちる。
誰も触ることが出来ずそのままエンドラインを割った。

序盤、松江がリズムの良い立ち上がりを見せた。
オフェンス面ではよくボールが回る。
ボールが回った後なら、一対一もリズムよく出来、うまく突破したり、突破できなくても鮮やかに捌いてシュートまで持っていけたりする。
ディフェンスもよかった。
全体的に抑えているが、特に福田がリンリンを封じ込めているのが大きい。
効果的なパスが出ないので静止状態からの一対一が青鵬が選べるほとんど唯一のオプションになる。
静止状態からなら、周りも一対一が来るイメージがあってそれをフォロー出来てしまったりするので、全体を見ると一対一点五であったり二であったりしてしまう。
その状況で得点を積み上げていけるレベルの選手は今日の青鵬スタメンにはいない。

一クォーター六分過ぎ、14−4と松江がリードしたところで青鵬がメンバーチェンジした。
ジュンジュン投入である。

青鵬エンドから。
相手ガードのレベルが落ちるはず、という認識がはっきりあった福田。
ボールを受けたところですぐに張り付いた。
相手ガードはドリブルで運ぼうとするがすぐに捕まえられる。
ドリブルを止めた。

「止まった! 止まったよ!」

ドリブルを止めたら次はパスしかない。
突破されることが無いのでさらにタイトにつける。
なんとなく福田の行動が予想出来ていた松浦も前目に残っていて、相手のもう一人のオフェンスにつく。
パスコースが無い。
上がっていたフォワード陣が戻る。
苦しくなったガードがそこへ長めのパス。
パス自体は通ったのだがタイミングが悪かった。
レフリーの笛が鳴る。

「バックパス」

オフェンス側はフロントコートからバックコートに戻りながらボールを受けてはいけない。
そういうルールがある。
ちょうどタイミングとしてそういうところでボールが飛んできてしまったので仕方なくキャッチしたが、受けた本人も分かっていた。

松江ボール。
ここで予定通りに辻を投入して福田を下げる。
下がるのが分かっていたから体力使って福田は前から張ってみた、というのもある。

辻希美、一年生、全国デビュー戦。

「九番。たぶん、問題なく相手できるはずだから」
「はい」
「しっかりやりな」

すれ違いざま、福田が辻の背中を軽くたたいて送り出した。

ゲーム再開。
松浦から辻にボールが入る。
すぐに市井に落とした。
市井はローポストで競り合っている吉澤へ入れようと思ったが、ジュンジュンにパスコースは塞がれる。
上で入れ替わった松浦へ戻す。
松浦は左の辻へ、そしてパスアンドラン。
辻がディフェンスの脇を通してバウンドパスを入れる。
フリースローラインを左から回り込むように突破して行く。
ゴール下、左サイドからあやかのマークがカバーに来ようとしたので、あやかの方へ顔を向けてパスする、と見せつつそのままレイアップシュートを決めた。

「ディフェンス! ハンズアップ!」

辻の感高い声がフロアに響く。
福田先輩を見習って、自分も同じようにスリークォーターから当たってみた。
その場ではあまり効果はなく、簡単に運ばれる。

ディフェンス。

相手は単純だった。
外で二本ボールを繋いだ後、ハイポストのジュンジュンにボールを入れた。
そのままスピンターン。
やばい抜かれる、と反応した吉澤。
あざ笑うかのようにジュンジュンはそのままジャンプした。
遅れてブロックに飛ぶ吉澤。
届かずボールはリングを通過した。

リンリンパートよりもジュンジュンパートの方が青鵬の点が入る。
リンリンの時は福田がガードをつぶして終了、という感じだったが、ジュンジュンの場合は吉澤ではつぶせない。
パスが回ってとか、しっかり繋いで崩して、というのと関係ないところでジュンジュンは得点できる。
一クォーターはメンバーが代わってからやや点差が詰まって20−12と松江のリードで終えた。

「順調! 順調! 予定通り」
「あとは私が問題かな」

吉澤がジュンジュンをつぶせれば試合終了、みたいなものである。

「思ったんですけどー、今の構成って出雲みたいなもんですよね?」
「出雲? 飯田さん?」
「そうですそうです。でかいセンターが点とって、あとはまあそれなりで。でかいセンターは吉澤さん勝負」
「言われてみればそんな感じかなあ」

松浦の感想。
去年の選抜予選、松浦はベンチから試合を見ていたので、その辺の記憶は冷静に覚えている。

「なに、ゾーン組まれたりするかもって言いたいの?」
「市井さんアホですか? それは向こうから見たうちでしょ。こっちから見た話してるんだから。そうじゃなくて、センターつぶせばおしまいって話ですよ。もうちょっと外からつぶしに行きませんか?」
「ハイポ、ローポでボール持ったらってこと?」
「そうです。相手あんまりスリーとかなさそうだし。戻しに対応遅れても平気かなって思うから」
「その辺は外の判断でいんじゃないかな。挟めればそれはベストなのは当然だし」
「あややが足動かす余裕あるならそれでいいよ。市井さんも辻ちゃんも」

ディフェンスで考えることはジュンジュンをどうするか、それだけである。
一人でついて点を取られるならもう一人当ててみようという、割と単純な考え方だ。

「オフェンスな、外から見ててメンバー変わってから相手にお付き合いしてる感じがあるんやけど」
「お付き合い?」
「向こうのオフェンスはゆっくりしてるじゃないですか。それに付き合ってうちの展開もゆっくりしたものになってます。そこは辻。ボール受けた後すばやく上がること心がけなさい」
「はい」

中澤の感想を福田が補足した。
ベンチに戻った福田は中澤の横に座っている。

「よっさん、相手きつい?」
「そりゃあ、楽な相手じゃないですけどあんなもんじゃないですか?」
「あんなもんか?」
「分かってますよ。私は我慢です。一本決められて一々落ち込んでる余裕無いですから。一本一本。我慢くらべっすよ」
「ノーファウルでよかったやんか。後周りのフォローな、あややの言うとおり。多少点差詰められても慌てず、後半勝負くらいのつもりでじっくりな」
「じっくりって言っても切り替えは早くですからね。辻だけじゃなく、周りの上がりも早く」
「福田、そこのポジション似合いすぎじゃね?」
「ははは、確かに。明日香ベンチのが似合ってるよ」
「向こう上がってきてますよもう」
「はいはい。行って参ります、参謀様」

緊張感があるような、余裕がありすぎるような、そんなミーティングを終え、第二クォーターへ入る。

二クォーターも青鵬はジュンジュンを使ってきた。
オフェンスはシンプル。
ジュンジュンに集める。
これが変わらない。

松江のディフェンスは外からも圧力をかける、というやり方を選んだが、これは相手もある程度想定していることだった。
ジュンジュンがボールを捌くこともよくする。
ジュンジュンから出て来たボールをシュート、というのも青鵬の持っているカードの一つだ。
得点力は結果として一クォーターから落ちるということはない。

松江オフェンスもそれほど変化は無かった。
ジュンジュンを当てられ、あまりボールを受けられない吉澤は攻撃の中心とならず、得点源はやはり強い松浦と、ゴール下に入り込めているあやかだ。
また、福田がしきりに気にしていた速攻も中盤でようやく出た。

ハイポストで受けたジュンジュンがターンして吉澤を抜きに掛かる。
吉澤は付いて行き、ゴール下ではあやかもカバーに来たところ、ジュンジュンはパスを捌く。
あやかが外れた相手センターが零度からシュート。
これが長めに外れて、ジュンジュンをスクリーンアウトで背負う形になった吉澤がリバウンドを拾う。

サイドに下りてきた市井へ。
市井から中央へ上がった辻へ。
この時点で松浦が前を走っていて二対一。
練習ツーメンのラストパスのようなボールが松浦に送られて、きれいにレイアップシュートを決めた。

ここで次の相手のオフェンスを止められれば一気に流れが松江へ来るか、というところだったのだが、青鵬オフェンスはじっくり時間をかけてジュンジュンがしっかり自分で決めてくる。

二クォーターは一進一退、という時間が続いて点差も一時的にもほとんど拡がったり縮まったりすることなく、キープし続ける。
残り五秒で相手ミスでこぼれたボールを拾った松浦が、そのまま持ち込んで決めた分、36−26とワンゴールだけ点差を拡げてハーフタイムを迎えた。

ハーフタイム、割と多くのチームが一旦ロッカーへ引き上げてミーティングをするが、松江はコートにそのまま残る。
よそに習って引き上げる? なんてことまで事前に話し合いを持ってみたのだが、別に普段通りでいいんじゃないですか、という福田の言葉に全員うなづいたのでこうなった。
ユニホーム脱いでまでして汗を拭くなどをしたければロッカーに下がるしかないが、そうでもなければベンチにいても差し障りは特に無い。
ただ、ちょっと、目の前でどこか知らないチームがハーフタイムアップをしている、というくらいのものだ。

「行けてる。行けてる。いい感じやん」
「案外詰められなかったですね」
「オフェンスうまく行ってますから」

中澤、吉澤、松浦、それぞれの感想。
前半のスコアに対して不満はチーム一同持っていない。

「私、ファウル一個だよね?」
「吉澤さん一つ、あやかさんも一つ。市井先輩が二つもらってるんで気をつけてください。あと松も一つ」
「実際、どう? 留学生」
「どうって、そりゃきついよ」
「いや、飯田さんと比べてとか。後、去年もよっすぃー、留学生じゃなかった?」
「ああ、そういえば。どうだろう。去年は韓国だっけ? あれとはタイプが違うしなあ。パワーは去年のが一番あったかな。飯田さんよりはある気がするけど。何考えてるかわかんない感じも飯田さん並みかなあ。周りの使い方は飯田さんよりうまい、っていうか、飯田さんのところより周りのレベルが上な気がするからそこは飯田さんとの差じゃないけど」
「向こうの六番自身は十二点取ってます」
「十二点? 意外に少ないね」
「吉澤さんは今くらいに抑えてれば十分なんだと思います。後は一気に突き放すってところまで行かなくても、じわじわ拡げていければ」

出ている時間がフルタイムではないので単純には比べられないが、飯田のように一人で五十点みたいな試合にはならない。

「明日香、後半入る?」
「リズム悪くないから今のままでいいと思いますよ」
「辻ちゃんで問題ない?」
「特には」
「まあ、とりあえずベンチ座ってて、相手変わってたらはいろか」
「それでいいと思います」

福田は今日、立ち上がりしか出ていない。
後半丸々自分で出ても、おかしなことは何も無いのに、あえてベンチでいいと言っている。

「さっきも思ったけど、福田その場所似合いすぎだろ」
「そうですか?」
「明日香がおれば私いらんよな」
「いやいやいや、先生。そういう意味じゃないですって」
「よっさんもたまにはベンチで試合見るか?」
「私は頭より体使うタイプですから。ベンチにいたらただの大飯ぐらいですよ」
「試合出てても頭は使ってくださいね」
「分かってますよ参謀様」

福田は、中澤の隣、ほとんどコーチングスタッフのような位置取りにすっぽりと納まっていた。

ミーティングが終わってもハーフタイムはまだ十分に時間がある。
コートの上では次の試合のチームがアップをしているので、シューティングをしたりは出来ない。
ベンチに座ってなんとなくトークをしているメンバーが多いが、福田はボールを持って立ち上がる。

「紺野、ちょっと付き合って」
「は、はい」
「私付き合おうか?」
「いいよ松は。座ってな」
「なに? 私じゃ不満なの?」
「そうじゃなくて。試合出てるんだから無駄に体力消費しないの」
「はいはい」

一クォーター途中で下がり、二クォーターは丸まるベンチに座っていた福田。
気温は高いが、運動するという意味合いでの体は冷えてしまっている。
適当に体を動かして臨戦態勢にはしておきたいところ。
ハーフタイムの間はスタンドから下りてきている紺野を捕まえて付き合わせる。
ベンチから離れて隅の方で紺野を相手に対面パスをする。
お互い無言。
フリートークで勝手に自分からしゃべりだすようなタイプでは二人とも無い。
福田は無駄に自分からはしゃべらないし、紺野は福田先輩が相手だとなんだか微妙に緊張する。
チェストパス、バウンドパス、オーバーヘッドパス。
福田のペースで体を動かす。
無言。
こうなると、なんとなく気を使って何かを言わないといけないかな、と思うのは紺野の方である。

「あ、あの、のんちゃんとかじゃなくていいんですか?」
「なにが?」
「いえ、あの、私相手でいいんですか?」
「なんで? 別に問題ないでしょ。辻なんかは休ませないといけないし。周りの半分の時間っていっても、緊張感とかで疲労はするから」
「あの、それならいいんですけど。でも、私が相手で調子狂ったりとかしませんか?」
「パス出してるだけで調子も狂わないでしょ。普通にボールは戻ってくるし」

福田のペースは変わらない。
調子狂っているのは紺野の方である。
調子狂おうが体力使って疲れようがどうしようが、スタンドにいる紺野なら関係ない、というのが福田が選んだ理由である。
やがて福田は紺野を手招きして自分の手元に呼んだ。

「ディフェンス」
「え? ここで一対一やるんですか?」
「ドリブル止まった後のシチュエーション。ボールキープのピボット踏むから。ボール追いかけて。取れたら叩く」
「は、はい」

福田は左足を軸足にしてピボットを踏む。
重心の移動とボールの移動は同じペースでしない。
試合ではないので福田の方はゆったりとした動きであるが、紺野の方はまじめだ。
背を向けていた福田が紺野の側を向いて体を入れ替えようとしてボールは上から通そうとしたところ、紺野に弾き飛ばされた。
ボールは、次の試合のチームがアップをしているコートに転がって行く。
福田は自分でそこに入って行って頭を下げながらボールを回収する。

「あ、あの、すいません」
「いいよ気にしないで。ナイスディフェンス」

後輩が取りに行くべき場面、だったような気が紺野はしているが、福田は特に気にしていない。
それからも少し同じことを続けたが、もう紺野がボールを叩く場面は無かった。
福田は、紺野が気を使って手を出さなかったんだな、と感じた。

レフリーの三分前の笛が鳴り、アップをしていたチームが引き上げる。
それと同時に福田は紺野を解放した。
自分はコートに入って行く。
松浦も入ってきた。
特に意識せず、九十度の位置に入りシュートを打つ。
一本目からしっかり決まった。
ボールを拾って戻ってくると、松浦がいる。

「出たがりなくせに、後半も辻ちゃんでいいなんてめずらしいね」
「別に。松じゃないから」
「よく言うよ。それとも、ベンチのあの場所気に言ったの? みんなを自分のこまとして動かすみたいな立ち位置」
「そんなんじゃないよ。私が出て行くのは勝負決めるときっていうだけで」
「やっぱり出たがりの自信たっぷりじゃん」
「勝負決めるのは私が出て行く時だけど、その状況を作るのは吉澤さんだよ」
「どういう意味?」
「センターでリズム作りきれずにガードの方に代えてくれば私が出て行ってとどめを刺す。それは吉澤さんじゃないと作れない」
「それまでベンチで良いの?」
「マッチアップがあれだと、私が出て行っても辻でも大して変わらないよ。それならベンチで準備だけして休んでる方がいい。私は体力的に弱い。それは超えなきゃいけないことだし、言い訳にしちゃいけないけど事実であるのも確かだから。そこを突かれると万が一ってこともあるし。でも、向こうのガードと同条件なら負けない」
「私よりナルシストなのはこの世で明日香ちゃんだけなんじゃないかって気がするよ」

松浦はそう言って、二つドリブルついて前へ出るとジャンプシュートを決めた。

「松と一緒にしないで欲しいな」

ボールを拾いに行った本人には聞こえない声で福田はつぶやいてから、スリーポイントを放つ。
シュートはしっかり決まった。

後半、両チーム前半ラストとメンバーは変わらなかった。
青鵬はジュンジュンを入れたままだ。
マッチアップが吉澤なのも変わらない。

前半と同じ流れが続いた。
青鵬のオフェンスプランは変わらないし、松江も変化は無い。
青鵬オフェンスを止められるかどうかはジュンジュンを止められるかどうかである。
ゴール下の競り合い、ポストでのポジションの奪い合い。
吉澤は体を張ったディフェンスをすることになる。
それでもシャットアウトするには至らない。

三分過ぎあたりから少し青鵬に流れが傾き始めた。
相手のゴール下へのパスをあやかが奪う。
すばやく受けにきた松浦へ送り、前を走る辻へ。
左サイドを走る市井と合わせて二対一のシチュエーション。
辻は早めに市井へパスを送る。
受けた市井がディフェンスをひきつけ、辻へリターンパスしようとすると完全に読まれていてあっさりと奪われた。

逆速攻。
五対三の形にされる。
市井と辻が戻れない。
緊急的にゴール近くにトライアングルを組む。
右0度、少し遠めの位置でジュンジュンへ。
ぎりぎりシュートレンジ、吉澤は抑えに出て行く。
そこを中にフォワードが駆け込んできて、ジュンジュンがバウンドパスを通す。
そのままランニングシュートが決まり八点差。

普段速攻の無いチームなのだが、松江の速攻に戻れていなかった分逆速攻が決まってしまった。
ここから松江のオフェンスに狂いが生じて行く。
ディフェンスに抑えられる、というよりもパスが合わない。
ディフェンスへのフェイクに味方が引っかかって誰もいないところへパスがでる。
外からドリブルで切れ込んだら逆サイドから入ってきたセンターとかぶる。
ルーズボールに飛び込んで、味方同士でフェルドボール、はっと気づいて両者力を緩めたところで相手にさらわれる。

点が取れなくなった。
青鵬のペースが上がるということでもないのだが、点が取れなければ差は詰まるしかない。
吉澤は必死にジュンジュンと対峙していて、前半より抑えているくらいなのだが、それでも点差は詰まる。

ローポスト付近でジュンジュンがボールを受けターン。
シュートフェイクを見せてワンドリブル。
フェイクには掛からず吉澤は対応する。
止まってシュートフェイクで、さらに一歩踏み込んで。
そこまでもしっかり対応するが、足を戻してフェイドアウェーにまでは応じ切れなかった。
六点差。

さらに一分後、今度はジュンジュンと無関係のところ。
相手フォワードが外から一対一で市井をかわそうとこころみる。
抜き去られはしなかったものの、後ろへ下がる加速がついたところ、ミドルレンジでストップジャンプシュートを決められる。
四点差。

中澤はタイムアウトを取ろうとしたが福田に止められた。
ここは耐えるところです。
福田はそう言う。
それから二分ほど、両チーム点が入らなかった。
松江のオフェンスリズムも悪いが、青鵬も止まってしまった。
ジュンジュンが効かない。

まず、ゴール下に入れなくなった。
押し合いで吉澤の方が強い。
さらに、外から勝負も対応する。
ミドルレンジからのシュートも入らない。
後はパスを捌く、というのがあるのだが、ここにきてそれが無くなった。
周りがあまり見えていない。
それでも、前半は吉澤との一対一である程度勝てていたのだが、後半に入りなかなか勝てなくなっている。

外を回してまた右0度。
ローポストと呼ぶには少々遠い位置。
外に開き気味でジュンジュンがボールを受ける。
吉澤は低く構える。
突破か、シュートか。
内側へドリブル、のフェイクだけ見せてジュンジュンはそのまま飛んだ。
予想通り、ではあったのだけど、ブロック自体は間に合わずシュートはリングへ飛んで行く。

「リバウンド!」

吉澤はジュンジュンをスクリーンアウト。
ボールはリング手前に当たって跳ね返ってくる。
難なく吉澤がキャッチした。
ジュンジュンは吉澤の後ろでしりもちをついている。

「はい! スタート!」

松浦が下りてきた。
吉澤はすぐにパス。

セオリーではそこで中央に上がる辻へ。
だが松浦はそれをしなかった。
自分で持ちあがる。

前に入った自分のディフェンスはバックチェンジ一つで抜き去る。
二対一。
中央よりに入って行き、辻は右サイドへ移行。
ディフェンスは二人を見ながら下がって行く。
パス、パス、どこかでパス。
辻を見ながらディフェンスを見ながら辻を見ながら。
ここで、出す、そう読んでばくちに出たディフェンス。
フリースローレーンあたりで松浦の方へ寄って来て、脅し一発入れてパスコースへ飛び込む。
松浦は左足を軸にバックターンでディフェンスを抜き去ると自分でレイアップシュートを決めた。

「一本ディフェンス!」
「ここ勝負!」

ベンチの福田が立ち上がり檄を飛ばす。
同様に、コートの上で吉澤も叫ぶ。

止まっていた得点を動かした。
ゲーム全体が動くのか自分たちだけが動くのか。
二クォーター残り三分。
リードは六点。

青鵬はついていかなくてはいけない。
二桁ビハインドから四点差まで迫った後の膠着。
流れ一つで逆転できるところまで来たのだが、そこで一気には行けずに相手に返された。
ここでついていけないと、前半終了時のところまで押し戻されてしまう。

こういう状況で点を取れるのがエース。
ゴール下で受けて確実に点が欲しい場面だが、ジュンジュンは吉澤に押し出される。
今度の勝負ポイントはハイポスト。
やや遠めにフリースローレーンの外側。
そこまで出て行ってトップからのボールを受ける。
距離は長いもののターンしてそのままジャンプシュート。
吉澤がブロックに飛んで指先だけ触った。

「触った! 触った!」

吉澤は叫びながらジュンジュンをスクリーンアウト。
勢いの死んだボールがリング手前に落ちる。
ルーズボール。
一瞬早く触ったあやかが、つかみ合いになりそうな部分を何とか引き剥がしボールを確保する。

倒れこんだ状態のあやかはすばやいパスは出せない。
相手が引いたのを確認してから辻にボールを渡す。
ゆっくり前へ。
セットオフェンス。

辻から市井へ。
市井から0度開いて出て来たあやかへ。
外から勝負は効かないあやかは上でポジション代わってきた松浦へ戻す。
あやかはゴール下を抜けて逆サイドへ。
空いた場所へ松浦がドリブルついて移動して埋める。
ローポスト、吉澤が入ってきた。
ジュンジュンを完全に背負っている。
松浦からバウンドパスを入れる。
ターンしながらワンドリブル。
ゴール下。
さらに踏み込んでジャンプ。
ジュンジュンは対応し切れなかった。
九十度の位置からボードを使って簡単にシュートを決める。
着地すると、ジュンジュンは目の前床に転がっていた。
八点差。

ここで福田が立ち上がり、着ていたパーカーを一気に脱いだ。

「先生、入ります」
「ん?」

相手ベンチを見るとリンリンがコーチに呼ばれているところだった。
その前にパーカー脱いでなかったか? と中澤は一瞬思ったけど、あまり気にせずオフィシャルのところへ送り出す。

リンリンと控えセンター、松江の方は福田。
三人がメンバーチェンジシートに座って待っている。
青鵬のオフェンス。
ゴール下に無理に入り込もうとするジュンジュン。
吉澤は外に入ってパスコースを完全に遮断する。
ガードからのふわっとしたパス。
裏へ通そうという意図のあるもの。
しかし、そのスペースはほとんど無い。
コントロールできずに、ボールはそのままエンドラインを割る。
メンバーチェンジ、というところだがそれだけでなく青鵬ベンチがタイムアウトを取った。
46−38 松江リード。
三クォーター残り一分四十七秒。

「福田、サボってたんだからここから仕事だぞ」
「分かってますよ」
「相手下がるから、オフェンスも私使っていいからな」
「オフェンスは松と吉澤さん。その二つを中心に。それよりもディフェンスです。ここでつぶします。松、市井先輩。私の三人でボールを運ばせない」
「プレスかけるの?」
「プレスと言うか、上三人はオールコートでマンツーマンという形で。三クォーター終わりまで」
「オールコートでもマンツーならボールは取れない気がするけど」
「取れたら良いし、取れなくても速い展開に出来ればいいんです。向こうのキーマンは下がりました。吉澤さんが体力勝ちしてつぶしました。得点力は大きく下がる。あのガードに私は負けません。だから点の取り合いやれば差は開いていける」

ジュンジュンの体力と集中力。
これは組み合わせを見て、富岡から情報をもらって、早い時期から見ていた相手のウィークポイントだった。
前半はともかく、終盤まで吉澤が頑張って戦っていれば最後までは持たないはず。
最後まで持つのはリンリンが長い時間出て十分に休んでいられる場合。
福田に代わって辻を入れておいたのは、リンリンでなくてもボールが運べる状況を相手に作っておいて、ジュンジュンを最後まで持たせない、ということも考えている。
疲れてくるとゴール下での勝負ではなくて外で受けてそのままジャンプシュートが増える。
そこまで頭に入れて、吉澤は勝負に臨んでいた。

「よし、二桁まで開いて終わろう。前半開始時まで押し戻せばダメージも大きいはずだから」

吉澤が締めてコートに戻って行く。

松江ボールで再開。
福田が持って上がって組み立て。
リンリンは低い体勢で構えているが特に気にしない。
ハイポスト、上がってきた吉澤へ入れる。
そのまま勝負はせず、トップに移動してきた松浦へ戻る。
松浦から右サイドの福田へ。
吉澤は逆サイドへ下りてディフェンスにスクリーン。
あやかがそれを使ってゴール下へ。
スライドでディフェンスは付いてくる。
福田はあやかへパス。
シュートフェイク入れてから元の場所へ戻るようにドリブルで移動。
もう一人ディフェンスがカバーに来たので、左手でバウンドパスを送った。
吉澤。
0度からジャンプシュートが決まる。
これで二桁点差まで戻る。

上三人は引かない。
前から当たる。
エンドからのボールはリンリンが受けた。
そのままドリブル。
福田がコースを切るので何度かボールを持ちかえる必要はあったが、それでもフロントコートまで入ってきた。
ディフェンス。
今度は基点がリンリン。
このリンリンがどうしても効かない。
一本のキラーパスも出せないし、周りを動かす効果的なパスも出ない。
持っていられなくなって誰かへパス。
その繰り返し。
最後は時間が無くなって外から一対一。
抜きされず無理やり打ったシュートは松浦にブロックされる。

三クォーター、残り時間は完全に松江の流れになった。
前半と同じところまで戻して終わる、という目標だったが、それは通り過ぎて点差は開いて行った。
青鵬の方は何とか一本、フォワードが個人技で決めたのが精一杯。
54−40
十四点松江がリードして最終クォーターへ入る。

最終クォーター。
松江は辻を下げたまま、ガードは福田の体制で続ける。
青鵬はリンリンを下げてジュンジュンを入れてきた。

「吉澤さん、オフェンスも吉澤さんに集めていいですか?」
「あれ入ってきたら私のところが一番厳しいんじゃないの? どうしても」
「いいんです。ディフェンスも休ませないのが目的ですから。ゲームの最初だときついかもしれないですけど、終盤なら勝てますよ。それでさっさと引っ込んでもらいましょう」
「じゃあ、個人の勝負でも勝ちに行かせてもらうかな」

吉澤の感覚としては、耐えて耐えて頑張って、相手にお引取り願った、というだけで、負けなかったのであって勝ったという気分とは少し違う。
最終クォーター、もう一度出て来たジュンジュンに、今度は正真正銘勝って、試合の決着までつけたいところだ。

青鵬ボールで最終クォーターが始まる。
ジュンジュンを入れてきた、ということは、やはりそこで勝負だろうと松江は吉澤は踏む。
少し休んだ分、外からシュートだけじゃなくて持ち込んで勝負もしてくるかもしれない。
その辺のカバーを後ろはする必要がある。
これくらいの共通概念をもってディフェンスに当たったが、実際は少し違った。

ジュンジュンがボールを捌く。
少し休んで周りがまた見えるようになったのと、ベンチからはっきりそういう指示が出ていたのとで、周りがまた生きるようになった。
一方、松江オフェンス。
吉澤が個人技勝負を始めた。
ポストで背負ってパワーで押し込む。
単純だけどかなり効果的。
前半のイメージより相手が明らかに軽い。
踏ん張りが効かないのだろう。

点差は開きはしなかったが縮まりもしなかった。
吉澤は、ジュンジュンがボールを捌くのまでは抑えきれないが、その分自分で点を取り返す。
この状況で、点差が開きもせず縮まりもせずは松江のペースということになる。
焦るのは青鵬の役目。
吉澤を止めきれず、ジュンジュンが三つ目、四つ目と続けてファウルを犯す。
そして、オフェンス力も発揮できなくなって行った。
多少休んで回復したが、それでも序盤のような元気は無い。
五分持たすのがやっとだった。
70−50
吉澤がフリースロー二本を決め二十点まで差を広げたところで、青鵬はジュンジュンを下げてリンリンを入れた。

ここから青鵬が取った手段は、大きなビハインドを負ったチームが取る典型的なやり方だった。
オフェンスはスリーポイント多投。
ディフェンスは可能な限り前から当たってプレスをかける。
誰もが考えついて多くの場合実行するのだけど、それで逆転まで持っていけるケースはめったに無い。

青鵬のスリーポイントはことごとく入らない。
また、点が取れないので前から当たる、というシチュエーションにもできないし、たまに前から当たれることがあっても、福田が問題なく運んでしまう。
青鵬が早打ちするので、松江も釣られて早い展開になり、余計に点差が開くという悪循環に陥った。
三分を切って二十六点まで差が開いたところで、松江はメンバーを下げ始めた。
松浦、市井、あやか、とまとめて三人下げる。
前から当たるプレッシャーがあるので福田は残し、控えメンバーたちの統率者として吉澤を残す。
あとは、時間が経つのを待つだけだった。

最終スコア 84−56
終わってみれば余裕のあるスコアで松江が三回戦進出を決めた。

「強いね」
「強い」
「ずっと余力があるまま戦ってて、勝負どころで本気出したら一気に走った感じかな」
「滝川カップの頃より吉澤さんが強くなってる」
「留学生に負けてなかったよね」
「オンコートワンじゃなくても松江が勝ったんじゃないかな?」
「ガードの方なんて問題にもされてなかったもんね」

自分たちの試合から二時間の間があっての松江−青鵬戦。
富岡のメンバー達はスタンドの一角を陣取って見ていた。
柴田と石川。
青鵬は関東大会の記憶、松江は滝川カップの記憶、どちらもしっかり、対戦した実感のある記憶が鮮明に残っている。

「福田さんいると別のチームっていうのは本当だったね」
「でも、いないチームも十分強くなかった? 滝川カップより絶対強いって」
「ガードの一年生がしっかりゲーム作ってた気がする」
「あとやっぱり吉澤さんだよ。なんか、ゴール下には入れてくれなさそう」
「その辺は相手もあるんじゃない? 梨華ちゃんならインサイドでプレイさせてもらえるかもよ」
「私押し込む力はないよ」
「だから。吉澤さんからしたら外でボール持つ梨華ちゃんのがいやでしょ。あの留学生はゴール下でもたれるのが嫌だったからああなっただけで。梨華ちゃんの場合ゴールに近いところの方が吉澤さんとしては扱いやすいんじゃない? 身長どれくらい違う?」
「んー、5cmくらいかな」
「飛べば勝てる程度?」
「しっかり飛べれば。でも、ゴール下でもつれながらは厳しいかな」

石川はジャンプ力はある。
それで多少の身長差なら問題にはしないが、ゴール下の混戦でしっかり跳べない状況からではそれも発揮できない。

「前はゴール下でもそんなに厳しい感じしなかったけど。今日の感じだと外勝負のがいいかな。引っ張り出してなか広げて誰かが飛び込む。柴ちゃんには六番? 七番?」
「滝川の時は六番だったかな」
「あの試合柴ちゃんの試合だったよね。そうだ。高橋は七番に抑えられちゃったんだ」

市井が六番、松浦が七番を付けている。
滝川カップでは柴田が前半だけでスリーポイントを五本決めて、スコアリーダーだった。

「福田さんいなかったしね。あんまり参考にもならないんじゃない? まず、その前に、明日だよね」

青鵬、松江、試合は終わりそれぞれベンチから引き上げて行く。
代わって男子のチームがベンチに陣取り出す。
富岡のメンバーたちもスタンドから引き上げて行った。

松江のメンバーは簡単なミーティングの後ロッカーで着替え外に出てくる。
三回戦の相手の試合は自分たちより前に終了しているので今から見るものは無い。
後は宿に帰るだけ、であるがその前に体育館の玄関口で立ち止まる。
玄関口には大きなトーナメント表が張られている。
試合が終わったばかりの自分たちのスコアはまだ反映されていない。
ただ、午前中に終わった試合の結果は並んでいる。

「滝川勝ってる」
「これ、インターハイのスコアか? なに、73−21って。73はともかく、21って意味わかんないし」
「でも、そんなもんなんじゃないの? うちだって向こうメンバー落としてたのに40点ちょっとしか取れなかったんだし」
「そうは言ってもさあ、21点てありえないでしょ」

滝川山の手は別会場で試合をしている。
やはりシード校なので今日が初戦。
まったく危なげない点差で勝ち上がっていた。

「富岡、やっぱ強いよね」
「百点ゲームのダブルスコア。ちゃんとした大会だとやっぱ違うよね」
「聖督帰っちゃったかなあ」

富岡と東京聖督の試合は、吉澤たちはスタンドの上で全部見ていた。
それを見終わってすぐアップを始めて試合をして今に至っているので、聖督のメンバーたちとは顔をあわせていない。

「帰ったよ。おいら以外」
「矢口さん」
「よっ、おつかれ。強かったじゃんか」
「おつかれさまです。っていうか、ごっちんたちは?」
「だから帰ったって。東京は遠いんだよ。負けたらさっさと帰る」

大会は九州で行われている。
飛行機で、といきたいところだが、予算の都合と予約のフレシキブルさから、在来線移動プラス東海道山陽新幹線振るコンプコースでの帰郷となる。

「なんだ矢口。後藤たちに置いてかれたの? 迷子のアナウンスはなかったけどなあ。迷子のお届けはどこ行けばいいんだ?」
「よっすぃーたちこれで宿帰るの?」
「はい。もうすぐ帰りますよ」
「さらっと無視かよ、おい」

市井の方はチラッと見ただけで、矢口は吉澤の方を向いて話す。

「おいらも泊めてくれない?」
「は、はあ? え? なに言ってるんすか?」
「だから、泊めて。お願い。なんでもするから。洗濯するから。食事当番もやるから。矢口の分のごはんなくてもいいから。泊めて」
「いや、泊めてって、吉澤に言われても。宿の人に言ってくださいよ」
「大部屋二つくらいに泊まってるんだろ。一人ちっちゃいのがまぎれてもわかんないじゃん。泊めてよ」
「無賃宿泊かよ!」

市井の突っ込みに、今度は矢口は反応した。

「紗耶香、もうちょっと言葉を選んでよ。お友達がお友達の試合を見るためにお友達の部屋にお泊りしたいだけなんだよ。だから、お願い」
「聖督の子?」

何事かと中澤が首を突っ込んでくる。
吉澤が説明した。

「はい。先生、滝川で見てますよね」
「大学生臨時コーチやったっけ? 今回も一人旅?」
「臨時じゃなくてちゃんとコーチになったらしいですよ」
「チーム負けたけどコーチだけ残りたいの?」

いまいち要領を得ない、という風に中澤は矢口のことを見る。
矢口が自分で説明した。

「富岡に、全然手も足も出ないでこてんぱんに負けました。うちには後藤とか、あの、四番の、ああいういい選手もいたのに、まともな試合にもならなかった。矢口も自分でちょっと思ったけど、でも、それ以上にきついことを試合終わった後に富岡のコーチに言われました。正直、腹が立ったしむかつくし。だから、松江が富岡に一泡吹かすっていうか、勝つところが見たい。それには今日試合した矢口の力が役に立つと思うんです」
「泊めてくれって頼みの理由が役に立つからっていう風には見えんのだけど」
「正直に言えば、役に立つかどうかはどうでもいいんですけど。泊めてもらえるならなんでもします。もう少し見て行きたいんです、この大会。強いチームが本気で戦うところを生で見て行きたいんです。それも、部外者じゃなくて、部外者は部外者なのは仕方ないけど、それでも、強いチームの中にいて見て行きたいんです」

中澤は腕を組んで考え込む。
自分の生徒たちの顔を見渡した。
吉澤が聖督の出身だということは当然知っているし、それ以外のメンバーもいくらかはこの聖督というチームと接点があるようだ、というのも分かっている。
接点があまりなさそうな福田あたりも表情は変わらないし、市井なんかは昔のいたずらっ子顔を見せていたりする。
特に不快そうな顔をしているものはなく、その辺が中澤にとっての判断基準になった。

「生徒たちの部屋に泊めるわけにはいかん。ただ、うちの部屋は元々二人部屋でそれを一人で使ってるからベッドは一つ空いてる。そこなら差額分払えばええよ。無賃宿泊はさすがにさせられへんけど」
「差額って、どれくらい?」
「それは宿帰らんと分からんけど、部屋でいくらが基本で、一人でも二人でも差はほとんど無かった気がする。まあ、食事代とかあるから、その辺をしっかり払ってもらえばええよ。あとは、邪魔をしないこと。東京の悪い遊びをうちの純粋な子らに吹き込んだら追い出すから」
「分かってます分かってます。そんなことはしません」
「矢口、うちのチームに下働きやるの? じゃあ、先生、洗濯一年生じゃなくて矢口にやらせればいいんですね。あと、マッサージもさせよう。まだまだうちは勝ち残ってるから連戦だし。しっかり働けよ、矢口」
「紗耶香。あかん。仕事は仕事。一年生の仕事は一年生がやる。マッサージなんかは、まあ、紗耶香はこの子と仲良さそうだし、コミュニケーションとして仲良く二人でやればええけど」
「別に仲良くは無いって。ただ小学生のおちびちゃんをかわいがってあげてるだけで」

矢口は反論しない。
ここで余計なことを言うのは得策では無い。
素直に従順に振舞っている。

「まあ、とりあえず帰ろか」

体育館入り口、トーナメント表前の喧騒を離れ、二回戦を終了したチームは宿に向かった。

 

トーナメントで進むインターハイ。
会場が九州なので、遅い時間に試合のあった東日本のチームあたりは負け残り宿泊というケースも多いけれど、それでも、日一日と宿泊客は減って行く。
二回戦が終われば残るのはベスト16
56チームいたのがもう三割しか残っていない。
選手たちは当然勝ち残りたいが、それだけでなく宿の側も選手たちを応援してくれる。
一つ屋根の下で過ごして親しくなったから。
という部分はあるにはあるが、それ以上に、宿泊料宿泊料宿泊料、という現実がある。
今の御時世、予約取り消しキャンセル料金100%とはいかない。
チームが負けて帰ってしまうと、売り上げが減ってしまうのだ。

「明日からは移動のバスが二台になる。二台目はベンチ外のメンバーで上から誰か仕切って決めろ」

滝川の泊まる宿では余所のチームがさっさと負けてしまった。
バレーボール会場なんかも近場にあるのでそちらのチームもいたのだがこれも一チームしか残っていない。
バスの回転に余裕が出来てしまったので一台多くまわしてもらえることになった。
他にも、洗濯もしましょうか、という申し出もあったのだが、これは石黒が断っている。
また、試合後のクーリングダウンやベンチ外のメンバーが体を動かすために地元中学の体育館を借りたりもしているが、それらの手配も宿が行ってくれる。
滝川カップの時に藤本が値切り倒した旅行会社は、意外と頑張って宿にそんなこともしっかりさせられるのだ。
勝ち上がって行くことが見込まれる上に人数が多いチーム、という宿からすれば理想的な団体ということでそういう便宜もはかれたりするし、そういう背景があるから、藤本の値切り倒しが通用したという部分もある。

食後のミーティング。
事務的必要事項を先に伝えて、それから今日の自分たちの試合の映像をまず確認する。
大会議室も後ろに待つチームがもういないので時間が十分取れているのだ。

「まわりは21点に驚いていたようだし、おまえらもそれで気分良くなっているものもいたようだが、はっきり言っておく。甘い。インターハイは地区大会よりレベルが高いかというとそうでもないからな。もちろん優勝するのは地区大会より難しいけれど、下のラウンドは地区大会の決勝レベルより相手が弱いことが多い。今日の相手もそうだ。21点はディフェンスが良かったからじゃない。相手が弱かった。ただそれだけだ」

地区によるレベル差、というのは四十七も都道府県があるとどうしても大きくなる。
その結果、下の方の回戦では大味な試合も多い。
ただ、そういう場合は大抵、120点とか150点とか、そういう方向で目立つもので、21点みたいな目立ち方は少ない。
大差の時は、点を取ってやるという意識は続いても、抑えてやる、というディフェンスの意識は薄れがちになる部分だ。

「この先も40点以内、各クォーター一桁に抑えろ。それが出来れば勝ち上がっていけるはずだ。その意識で次の準備をすること」

そう言って石黒は映像を切り替える。
翌日の三回戦の対戦相手。
桜華学院の二回戦の映像である。

ここは明らかに留学生ソニンのチームだった。
周りもしっかりインターハイレベルのチームではあるが、ソニンの力量が頭二つ抜けている。
小型中村学院か? と組み合わせ発表時に藤本は新垣に聞いて、それはちょっと違うというやりとりがあったが、小型中村学院だよなあ、と藤本はあらためて思う。
里田は最初の山場は三回戦だ、と最初から思っていた。
自分がソニンに勝てるかどうか。
負けてしまうと互角の戦いに持ち込まれてしまう。
石川、後藤、滝川カップや去年の選抜で当たった相手。
どうも最近自分はそういった各チームのエース級に勝てていない。
その意識がある。
チーム力では上回っていると思える相手だが、それと関係なく、自分で、この留学生に勝ちたい、と思った。

映像は全編までは見ない。
あまり長く見るとダレルからだ。
突き放してリードを広げた二クォーターと、相手の追い上げにあって一旦一桁点差に戻された三クォーターを流した。

「藤本、感想は?」
「六番のチームです」
「まあ、誰が見てもそう見るだろうな。それでどうする?」
「序盤から圧力かけてボール運べなくして六番に入らなければ勝ちです」
「去年の出雲戦のイメージのつもりか?」
「この六番と出雲の四番だとポジション違いますけど、イメージ的にはそんな感じです」
「随分と自分に自信があるようだけど、桜華のガード陣と去年の出雲のガード陣はレベルが違うんじゃないか? あそこまで簡単に行くのか?」
「それが出来ないなら四十点には抑えられないと思います」
「そうか? 私はそうは思わないけどな。里田はどうだ?」
「美貴達ガードでボール運ばせなければ四十点まで行かずに勝ちです。だけど、ボール運ばれても私が六番を抑えれば同じように四十点まで行かせないはずです」

テレビ画面を囲むように生徒たちは半円形に座っている。
石黒はテレビ側に立ち生徒たちを見渡す位置。
里田の答えに腕を組んで考える。
やがて口を開いた。

「お前たちの言っていることは一つ一つはもっともそうには聞こえる。ただ、それらは一つ一つに過ぎない。全体が見えていない。見えていないというか見て無いんだろうな。自分の役割しか考えていないと言うか。自分の役割を考えるのは大事だけど、こういう場では全体を考えた発言をするのが藤本や里田の立場じゃないのか? 安倍。安倍、なつみ。どう思う? どうしたらいい?」

一番後ろに座っている安倍を石黒は指名した。
復帰してからチーム内の練習などでそのような形で石黒が安倍を指名することはなかった。
練習自体にもまだ参加していないし、悪く言うと空気のような存在として安倍がコーチに扱われているのではないかと感じている部員もいる。
それが、ここに来て唐突に指名した。

「圧力をかけてボールを運ばせないようにする。六番はまいが勝負して抑える。だけど、その前に六番にボールが入らないことを意識してディフェンスする。全部つなげればいいんだと思います。相手は全員しっかりしたレベルだし六番は抜けてるし。一つだけ決めごとつくってもそれで終わりそうには無いから。ガードが抑えて八秒でマイボールならそれでいいし、運ばれたらそこからハーフコートのディフェンスで。六番はゴール下にはいれない。外のディフェンスも少し開いたところで六番が受けたらはさみに行く。ゴール下に入られたらもう一人のセンターもそちらをフォローする」

相手がボールを持った時点から、シュートまで持っていかれる一連の流れ。
その一つ一つの段階でどうするか、という言葉である。
石黒は安倍から視線を外し、前列に座るレギュラーメンバーの方を見ながら語った。

「自分が試合に出る前提だと自分目線での思考になる。自分の役割に責任を持つのは大事なことで、そこから自責の意識を持つのも大事なことだ。ただ、乾いた視線で全体を見ることは常に必要だ。それは他人のせいにするということではなく、何が有効かを冷静に考えるということだ。ここから上の回戦ではそれが出来ないと難しい場面が出てくる。一人一人が頑張れば全面的に相手を上回れる、というレベルではなくなるからな。勝っているところで勝負。負けているところはそれを打ち消すことを考える。コート上ではそれが難しいからタイムアウトというシステムがあるわけだが、コートの上にいない、こういう映像を見ているような時にはその感覚を常に持っているようにしないといけない」

石黒は、結局、明日の試合の具体的対策については何も言っていない。
具体的対策、を口にしているのは生徒たちだけで、石黒は考え方のことだけを語った。

ミーティングは解散。
その後はそれぞれやることがある。
バスに乗る割り振りなんかはあさみが仕切っているし、里田は新垣に解説させながら映像をまだ見ている。
藤本は安倍と連れ立って部屋を出た。

「なんなんですかあれ。美貴じゃガード陣止められないって言うんですか? 止まりますよあれくらい」
「美貴はその考えで良いかもしれないけど、止められないことも考えないとダメでしょ。五人でやるんだから」
「それはそうですけどー」
「まあでも、当たり前のこと話しただけのミーティングだよね」
「そうですよ。なんかもうちょっと変わったこと言えないんですかあの人は」
「言う必要ないって思ってるんじゃないの?」
「たまには褒めるってこともして欲しいんですよね。美貴は褒めれば育つ子なんです」
「美貴は・・、そうじゃないような・・・」
「なんでー。なつみさんまでそうなんですかー」

ミーティングの結論が不満で、何か別なことを建設的に考えよう、という会話ではない。
分かっていることをわざわざ言われてうざいむかつく、わーわーわー、と藤本が言いたいだけだ。
安倍も、そんな藤本の気持ちは分かっていて、ただ適当に話を返している。
ガスが抜ければそれで良い。
そんな感覚だ。
歩きながら話してやがて自分たちの部屋に着く。
藤本と安倍は同じ部屋。
安倍の扱いは特殊で、登録も不可能なんだけどスタメン組み扱いで部屋割りされている。
ベンチには入らないけどコーチ格扱い、遠征などの時にはそういう位置扱いにする、と藤本がとりあえず決めた。
二人は、和室八人部屋の奥、窓際備え付けの椅子に向かい合って座った。

「まいが結構真剣でしたよね」
「そう? 別に普通のこと言ってなかった?」
「そうじゃなくて。残って映像まで見てたりとか」
「明日のマッチアップ相手のエースでしょ。やっぱり気になるんじゃない?」
「留学生。なんで留学生なんか連れてくるんですかね。そうやってお手軽に強くなるの美貴嫌いなんですよ」
「あんまり人のこと言えない気もするけどねうちのチーム。日本中から留学生集めてるみたいなもんだし」
「美貴は地元ですよ」
「美貴が逆に特殊例外じゃない。なっちだって北海道だけど家から通うの不可能だし。ほとんどみんなそうでしょ?」
「そうかもしれないですけどー。でもまだ日本人じゃないですかー。なんでわざわざ外人呼ぶかな」
「なっちは悪いことじゃないと思うけどな。特に美貴みたいな子にとっては」
「美貴にとって? 意味わかんないです」
「美貴はさ、この先もバスケ続けて行くわけでしょ。それで、わかんないけど、そのうち日本代表なんかになっていくかもしれない。そうすると日本代表だから試合する相手は外人ばかりになるわけじゃない。その予行練習っていうか、そんな感じで高校くらいの時から外人と試合するのって悪くないと思うよ」
「いらないですよそんなの。外人に慣れるならアンダー何とか代表でいいじゃないですか」
「そういえば、そのアンダー何とか代表で集まって富岡の石川さんとかとお友達になったでしょ?」
「お友達にはなってません。顔と背番号しか知らないところから、顔と名前を一致するようになっただけです」
「でも、一緒に試合出たりしてでしょ? 味方として」
「その時はポジションかぶってたから同時に出ることは無かったし。今なら・・・、まあ、そういうことが起きるかもしれないですけど」

藤本の中学時代の思い出だ。
まだ年齢が若すぎて、世界大会は無かったが、環太平洋なんとかというイベント的な大会に出場した。
ハワイに集まって、アメリカや南米のチームにこてんぱんにやられたが、台湾には何とか勝った、そんな記憶。
まだまだみんな背が低く、藤本も石川も同じようなことをしていた。
里田や柴田と知り合ったのもそのときだ。
区切り的に安倍の学年以下、というかたちだったので、安倍もその場にいたはずなのだが、あまり他人のことについての記憶が残っていないらしい。
中学以降に伸びた人、あるいは止まってしまった人、それぞれいるので、今の上位層とは大分メンバーが違ってしまっているが、そんな中で藤本や石川は順調に伸びてきている方だ。
安倍はもう、そういう世界からは脱落してしまった。

「そういえば柴田のとこ100点ゲームで勝ってましたね。やっぱイベント大会とは違うのかな」
「相手の問題じゃない? なんか先生みたいなこと言うけど」
「相手も来てたんですよ。うちでやったとき。そんな百点ゲームダブルスコアで負け、みたいなチームじゃなかったんだけどなあ。まあ、あっちはあれで精一杯だったってだけで、上積みが無かったらダブルスコアになっちゃうのかもしれないですけど」

吉澤や石川が滝川の試合を見られていないように、別会場にいた藤本は富岡や松江の試合は見られていない。
会場が一つになるのは女子は準々決勝からだ。
明日勝てば、明後日からはメイン会場に滝川も移ることになる。
滝川からは映像撮影要員をメイン会場に送っているが、その映像自体をこの段階で藤本たちが確認することは、まだない。

「決勝まで当たらないチームは後で気にすればいいんでないかい?」
「まあ、そうですね。向こうは途中で負けちゃうかもしれないですし」
「うちは負けないって?」
「負けませんよ」
「中村とか地味に強かったっしょ」
「あれ、地味って言うんですか?」
「なっち的にはボックスワンって地味な印象なんだけど」
「地味なボックスと派手なコレティかな」
「コレティ?」
「なんでもないです」

中村学院は滝川と同会場にいる。
初戦の二回戦は96−45
割と普通に勝った、という印象だ。
滝川よりも後の時間に試合が組まれていて、藤本たちは四十分通して試合を見ている。

「今年のチーム、まとまってるなってなっちは思うよ」
「・・・。どこがですか? みうなとかコミュニケーション不能な生き物がスタメン入ってるし、二号は美貴のこと嫌いだし、二番ポジションは日替わりだし。不安定要素いっぱいじゃないですか。でも勝ちますけどね」
「去年のチームはなっちわかんないけど、一昨年のチームと比べるとまとまってると思うよ。点差が開くと美貴が浮いちゃう、みたいなとこが一昨年あったじゃない」
「あー。ありましたね」
「あれはなっちも悪いんだけど。それでもまだなっちの代は美貴とはなんとか合わせていられたけど、ベンチにいた先輩たちとコートの上が一体感がないみたいなのとかそういうのがあって。結構やりづらかったでしょ」
「あの代、一年通してスタメンっていう人がいなかったですしね。それで美貴につらく当たってもうっとうしいだけって言うか」
「そこをなっちたちがちゃんと繋げて上げられれば良かったんだけど、それが出来なくてさ。その頃と比べるといまはコートとベンチとスタンドの一体感があっていいなあって思うよ」
「りんねさんの遺産じゃないですか? その辺は。美貴キャプテンやらされてみてホント思いましたもん。あの人にはかなわないって。バスケの技術みたいなものじゃポジションはあれだけど、まあ負ける気しないんですけどね。リーダーの資質っていうんですか? そういう部分じゃあの人すごかったんだなって、この半年で思いました。ああなる前は美貴から見たら、ただあさみに甘いだけの人って感じで、なつみさんの代わりにキャプテン代行やりますって言ったときも、他にいないから仕方ないけどこの人で大丈夫なの? って思ったんですけどね。なんていうか、あの人、なんでも受け止めるって感じで。美貴にはあれはできないって思いますもん」

藤本が前キャプテンのことを語る、というのはチーム内ではあまりないことだ。
相手が安倍だから言える、という部分でもある。

「美貴もしっかりやれてると思うよ。りんねとは方向性は全然違うけどね。美貴だからついて来るっていう子も結構いるんじゃない? ガキさんとかそんな感じ」
「ついてこないでいいですよあれは。ていうか、なつみさん戻ってきたならホントキャプテン代わって欲しいんですけど」
「いまさらなっちに代わって欲しいなんて言ってるの美貴だけだって」
「なつみさんにはともかく、絶対影でまいさんのが良かったとか、そんなん言われてますって」
「考えすぎだってば」

藤本の、誰かキャプテン代わって、的発言は割と定期的に出てくる。
無理なことは分かっているのだけど、口に出して言いたいのだろう。
安倍は適当にたしなめるけど、そんなこと口に出すな、とは言わない。
藤本に愚痴があれば、それを聞いて一番差しさわりが無いのは自分だろう、と思っている。

そんな二人のところに大きな袋を持った一年生が割って入ってきた。

「美貴さん、他に洗濯物ありますか?」
「ない」
「なつみさんはありませんか?」
「なっちはいいよ。動いてないし」
「いや、あの、あるなら洗濯しますんで」
「なつみさん、動いてなくても私服ありますよね? 下着とか」
「いいよそれは。別に。寮戻ってから洗濯すれば。なんかベンチにも入ってないのにスタメン組み扱いで洗濯までしてもらうの悪いし」
「ごちゃごちゃ訳わかんないこと言ってないで、さっさと出してください。どうせ寮戻ったってなつみさんじゃなくて一年が洗濯するのは同じなんですから。担当はちょっと違うかもしれないですけど」
「そうだけど、気にするっしょ」
「ああ、もううざいなあ。いいからさっさと出す。なつみさんがうじうじやってると美貴達のユニホームが乾かないで明日になっちゃったりするんですよ。さっさと出してください」
「なんか悪いねえ」

安倍は一年生に微笑んで立ち上がる。
よたよたしながら自分の荷物のところへ向かった。
藤本はため息一つついてその姿を座ったまま見ている。
なつみさんだし仕方ないか、と思った。
すべて何が起きても、なつみさんだから、という理由で許されそうだよなこの人、とも思った。

 

会場が二つに分かれているのは、選手たちにとってもそれなりに面倒ではある。
勝ち上がってから当たる相手が別会場にいると、映像撮影班は自分たちの試合をまったく見ることが出来なかったりする。
悲惨な場合は、映像を取りに行ったら自分のチームが負けていた、なんてこともある。
ただ、本当にもっと大変なのは、記者たちだ。
見たい試合が同じ日に別会場である。
大人数派遣している社なら、二手に分かれてとなるのだろうが、インターハイにそんなことをする社はまずない。
そうすると、タクシー使って右往左往、行って戻って三試合見る、なんてことにもなる。

「おごるとは言って無いんだけどタクシー代」
「細かいこと言わないでくださいよ。どうせ領収書切ってるんじゃないですか。ほら、席取っときましたから」
「ホントに新卒社会人? 世慣れすぎてる感じなんだけど」
「これくらいずうずうしくないとフリーの記者なんていきなり出来ませんて」
「じゃあ、ずうずうしい社会人。社会人としての礼儀だけは見せなさい」
「稲葉様、タクシー代ありがとうございました」
「よろしい。斉藤君」

メイン会場の第一試合を終え、選手、監督などのコメントを取ってからタクシーで移動してきた二人。
雑誌記者の稲葉と、新米フリーライターの斉藤である。
第二試合にあたるところは丸々何も見られていないが、第三試合、滝川山の手vs桜華学院を見に来た。
走って駆け込んできてはみたが、実際には該当コートでは第二試合がちょうど終わるところで、見ていた記者たちは関係者にコメントを取りに席を離れて椅子がいくつか空いた、というベストタイミング。
アップに出てきた両チームを見つつ、、記者席に陣取る。

「さすがですよね。計ったようにぴったりで、向こう出る時間とかここまで計算してるんですか?」
「ここまでぴったりなのはただの偶然だって。立ち上がりは始まってても仕方ないっていうつもりでコメントとってたんだから」
「でも、なんか向こうは二三回戦、あんまり話し聞くような試合展開じゃなくなかったですか?」
「和田先生も、明日から、って感じだったね確かに。勝った負けたじゃなくて、ガードがガードがって。松江さんは、松江さんは、って、松江の三回戦終わってないのに連呼してるし」
「あんまり前評判聞かなかったチームなんですけど、富岡の対抗馬になるようなチームなんですか? シードは付いてるけど中国地区だからそんなにあれですし」
「二回戦の勝ち方が良かったからね。今日も見たいところだったけど」
「なんでこっちを選んだんですか?」
「滝川のディフェンスは本物なのかなって気になったから」

二人はメイン会場で富岡の三回戦を一試合目に見てきた。
試合は108−51
連続百点ゲームでのベスト8進出。
石川三十一点、高橋二十五点などなど。
前半で66点取って試合を決めて、後半に入ってからは控えに代えていった関係で得点力が大分落ちたがそれでも100点ゲームのダブルスコアである。

「一試合じゃ信用しきれないってことですか?」
「信用って言うか、生で見たいってとこかな。相手も今日は甘くないし。それに、三回戦で一試合選ぶってなったらこれじゃない?」
「まあ、そうですねえ」
「滝川って伝統的にオールコートのマンツーやるけど、あれ、選抜では効くんだけどさあ、インターハイだとなかなかうまく行かないんだよね。なんでだと思う?」
「チームの熟成度がまだ低いからですか?」
「そういう部分もあると思うけど、それよりも体力的にきついと思うんだよねあれ。四十分前から当たってそれを五試合。冬の選抜はまだしも真夏のインターハイ冷房なしコートの五連戦はさすがにきつい」
「ああ。確かに。若くたって暑いのはきついですよね」
「私、滝川ってインターハイは最初から捨ててて、冬のためにチーム作ってるんじゃないかって思ったりしてるんだけど、実際どうなのかなあ」
「そんなことありえるんですか?」
「まあ、そうだとしても絶対そうですとは言わないだろうしね。それに今年はコーチも変わっちゃったし。また違う考え方でやるでしょ」

インターハイ自体は各チームにとって当然大きな目標となる大会ではあるが、そこが最終形ではないというのも事実である。
そういう意味で、最初から冬に照準を絞りきって、夏は単なる通過点、という位置づけで臨む、というやり方も無いわけではない。

やがて両チームのアップは終わりメンバー達は一旦ベンチに下がる。
三回戦は二会場それぞれで二コート同時進行。
反対側のコートでは男子の二回戦が行われている。
まだまだ、スターティングメンバーが一人一人コールされて登場、というようなラウンドではなく時間になったら選手がセンターサークルに集まり、挨拶を交わして試合が始まった。

ジャンプボールはソニンが制し、桜華がボールを確保する。
ソニンのマッチアップは里田。
他もそれぞれマークを捕まえる。
いつもと変わらずマンツーマンディフェンス。
ただ、内へボールが入る時の絞りが厳しいように稲葉は感じた。
外で回している分にはそれを取りに行く、ということまではしないが、インサイドへ入れるとすぐに外から囲みに来る。
内と外二人で挟む、などというものではなく、外からは一気に二人来て三人で囲む。
三人に囲まれればさすがにそのまま勝負とは行かずボールを捌くことになるが、外へ戻したときのディフェンスの外への戻りがしっかり早い。
桜華最初のオフェンスは、二十四秒計に追われながら、ソニンが0度の外から一対一で里田と勝負。
里田はストロングサイドは抑えてソニンをウィークサイド、エンドライン側へ寄せる。
逆サイドのみうなが前を押さえ、さらに上から麻美が下りてきて里田も含めて三人でエンドライン際囲い込む。
シュートも出来ず、パスも出せず、そのまま二十四秒のブザーが鳴り滝川ボールになった。
ボールを確保してから二十四秒以内にシュートを打たないと相手ボールになる。

マイボールなので滝川エンドで麻美がレフリーからボールを受ける。
単純に藤本に入れてさあオフェンス、と行きたいところ。
普段ならなんでもないところだが、ボールを受けて、インコートを見た麻美、戸惑った。

「桜華は滝川相手に守り合いするつもり?」

記者席の稲葉。
いつもなら引いてハーフのマンツーマンディフェンス、というチームなのだがここでは引かなかった。

「1−2−1−1ですかね?」
「マンツーじゃないね。それだ」

藤本、右サイドでディフェンスに面を取り、それからゴール下を走り抜けるようにしてボールを受ける。
そのまま加速すると、トップの1と2の左側、二人に挟まれる。
間を抜けようとするが抜けられない。
ドリブル突いたままステップバック。
ディフェンスを見ながら、ボールを突きながら、味方を探す。
麻美が受けに後ろへもう一度戻りかけて、それを見たディフェンスがそちらのコースを消そうとしたところで藤本は相手ディフェンスの間を抜けた。
バックコートにいられるのは八秒まで。
その間にハーフラインを超えられないと相手ボールになる。
頭の中で数字のカウントはされていない。
感覚的にはやばいかな、と思うけれど、前にいる里田もみうなもパスを出したら狙われる、というディフェンスの位置関係。
ドリブル加速でなんとかフロントコートに入る。
正面ゴール上にある二十四秒計は17 レフリーのコールも無い。

出だしのオフェンスからいきなり慌しい。
藤本はそのままドリブルを突いて味方の上がりを待った。
場を落ち着かせたい、というか自分も落ち着きたい。
一呼吸置いて状況確認する。
ハイポストには里田が上がってきた。
ソニンは背負っている。
藤本、バウンドパスを送ろうとドリブルを止めると、ディフェンスがすっと前に一歩でて圧力をかけられた。

パスを入れ損ねる。
ピボット踏んで避けて、右の麻美へ。
麻美はフリー。
右0度に開いて出て来たみうなへ入れたいが、パスコース上にはディフェンス。
出しづらい。
ハイポストの争いから上に一旦出て来た里田へ。
里田にソニンは付いて来ず、トップのディフェンスに受け渡される。
時間があまり無い。
さすがにここから勝負は出来ない里田。
ゴール右側のみうなへ長いパスを送る。
しかし、みうなとの呼吸が合わず、ゴール下のディフェンスが取りに来る圧力のせいもあって、みうながキャッチできずにエンドラインを割った。

「オールコートで1−2−1−1の、突破されての1−3−1?」
「そうみたいですね」
「てっきり、ソニンちゃんが滝川をどう崩すかみたいな試合になると思ってたけど、全然違う展開になるかもしれないなあ」

スコアが重い。
両チームとも立ち上がり三分間無得点。
シュートまでも持っていけない。
桜華の方はオフェンスチャンス四回のうち三回が二十四秒オーバータイム。
滝川は里田、みうなにゴールに近いところで勝負させようとするのだが、ボールが1−3−1の3のラインを思うように通り抜けられない。

均衡が破れたのはようやく四分過ぎ。
二十四秒が迫って仕方なく放った麻美のスリーポイントが、狙いと異なりボードに当たって跳ね返って決まったシュートだった。
それをきっかけに滝川は、藤本のミドル、さらに相手ゾーンが組まれる前の早い展開から里田のゴールに近いところでの一対一、二つゴールを重ねて7得点。
桜華の初得点は六分過ぎ、ハイポストで受けたソニンがターンして突破をはかり、里田とみうなに前を抑えられながらもシュートを打つと、結果としてブロックに飛んだ里田の手に当たりファウルをもらったところ。
フリースローを二本決める。

結局第一ピリオドは9−4 滝川リードで終えた。

「なんか、さっき見てきた試合とは同じ競技と思えない」
「桜華を十分で四点に押さえちゃうのはすごいけど、それでもリードが五点だけっていうのは滝川としてはどうなのかなあ?」
「ていうか、これ、最後まで持つんですか? どっちも」
「よく足動いてるよねどっちも」
「あ、代わってる」

第二ピリオド、各選手が出てくる。
両チームともスタメンと違う顔が並んでいる。

「そういうやりくりかあ」
「控え使うってところですか?」
「滝川なんて、ベンチ外のメンバーだけの大会、なんてのをやったら間違いなく全国で一番強いもんね。桜華も部員多くて結構そういう傾向あるけど」
「にしても、滝川は藤本さん外して大丈夫なんですか?」
「でも、どこかで休ませないとさすがにきついだろうしねえ」

滝川の方は藤本、里田、さらにみうなと三人スタメンから代えてきた。
桜華もソニン以外は全員代えている。

滝川はボール運びのメインを控えメンバーではなくて麻美に任せた。
桜華のディフェンスも控えに代わっているので、フロントコートまで運ぶことに関しては、麻美で十分出来ている。
ただ、上がってからの組み立てはそうは行かない。
麻美が運んで、控えのガードに預けて組み立て、というところなのだが、やはり1−3−1の3のラインを越せずに、インサイド勝負ができない。
一方、桜華オフェンスも滝川のオールコートマンツーに手を焼いた。
控えメンバーは藤本よりは落ちるが、桜華のガードもスタメンより落ちるのでボール運びがおぼつかない。
第二ピリオドも、メンバーが代わりこそすれ、守り合いの展開は変わらない。

多少違ったのは、ソニンが独力勝負が出来るようになった、というところだ。
里田から代わったことによって、囲まれる前の一瞬で勝負を付けることが出来る場面もある。
それにより、桜華の得点力が多少は上がった。

滝川の得点源は麻美。
コーナー、45度からのスリーポイント、もしくはそれを見せての揺さぶり。
それらによってなんとか点を取っている。
新垣も代わって入ってきているのだが、ゲームの中に埋没している状態だ。
ただ、ディフェンス自体はしっかりやっていて、足を引っ張っているということはない。
五分過ぎに桜華が先に動いてスタメン組みを戻してくる。
次のタイミングで滝川は藤本、里田、みうなというスタメン組みを戻して、ここまで休みが無かった麻美を下げた。
コート上の人間が半分くらい入れ替わったのだが、それでも展開は変わらない。

前半は19−16 滝川の三点リードで終えた。

「これはどっちのペースなんですか?」
「うーん。ロースコアゲームってのは滝川のいつものパターンなんだけど。今日は桜華もそれを受けて立ってる感じだしな。まだどっちのペースってこともないんじゃない?」
「ハーフまで見て、稲葉さんの目で、昨日の21点は本物だったって見ます?」
「んー、ディフェンス力はやっぱり本物なんだろうね。ソニンちゃん、前半、んー、9点か。里田さんが付いてる場面だと4点。しっかり抑えてるし」
「でも、不満そうですね」
「ソニンちゃんを抑えられても是永さんを抑えられるか? 控えを織り交ぜないと持たないやり方で富岡と四十分戦えるか? いろいろ考えちゃうんだよね」
「控えメンバーでもディフェンスはしっかりしてるんじゃないですか?」
「まあ、そうかもしれないけど。ただねえ。もう一個大きな問題が見えちゃってるよね」
「もう一個?」
「桜華も良いディフェンスしてると思うよ。でも、それにしても19点っていうのはちょっと厳しいかなって」

19−16というスコアは、前半終了時というよりも、一ピリオド終了時のスコアに見えるほどのものだ。
16失点はいいにしても、19得点はやはり少ない。

「滝川ってスーパーエースっていうのかな。そういう感じの、飛びぬけた子がいないんだなって思った」
「藤本さんじゃだめなんですか?」
「んー、あの子は飛びぬけた力はあるかもしれないけど、自分で点を取る子じゃないからなあ。こういう局面を打開するにはちょっと違う力が必要なわけで」
「そうすると、里田さんですか」
「そうなんだけどねえ。石黒先生も前言ってたな。里田に伸びて欲しいんだって。確かに、言っちゃ悪いけど、よそのエース級と比べてどうしてもちょっと見劣りする部分は感じちゃうんだよね」
「確かにちょっと薄いですよね」
「富岡の石川さん、中村の是永さん。そこまで行かなくても、今日のソニンちゃんもそうだし、松江にも松浦さんって、あの子だけ二年生だけど、そういう子達がいて。ちょっと上位を狙うにはチーム力が落ちるけど聖督の後藤さんなんかもかなりの力がある。その辺と比べてどうしても見劣りしちゃう」
「これだけしっかりしたディフェンスしてて、今五分ですもんねえ。里田さんに限らないけど、オフェンス力がディフェンスの力に伴ってないですね」
「ひょっとすると桜華が行っちゃうかもしれないな」
「私が高校生だった頃考えると、桜華のが格上ですもんね」
「最近力落としてるけど、でも、伝統校だし。競った試合に勝ちきる力はあるから。こういう守り合いはスタンドのファンにはつまらないかもしれないけど、私は後半楽しみだな」

スリーポイントが乱れ飛ぶということも無ければ、鮮やかな速攻が決まるでもない。
ボールが回らず、シュートまでもなかなか持っていけない守り合いに派手なところは無い。
NBAでゾーンディフェンスが禁止されている理由でもあったりするが、あまり初心者が楽しめるような展開ではなかった。

後半、どちらもスターティングメンバーに戻して入ってくる。
三分過ぎまで滝川が得点できず、桜華七番がゴール下から出て来たパスにミートしてジャンプシュートを決め、20−19と逆転する。
ここで滝川は踏ん張って、それ以上のリードを許さない。
再逆転は藤本のスリーポイントフェイクからワンドリブルでディフェンスを交わしての、距離のある二点シュート。
さらに里田がゴール下から出てディフェンスが離れた一瞬に、トップの藤本からのキラーパスが通りそのままジャンプシュートでリードを保つ。
残り三分のところでみうなと麻美を下げて休ませた。
残り一分を切ってゴール下、ソニンのシュートを里田がブロックに飛び、笛が鳴ったがそのままゴールも決まった。
カウントワンスローで里田は三つ目のファウル。
ここで石黒は里田をベンチに下げた。

両チーム足が止まらずしっかり守って、29−26 滝川の三点リードで最終ピリオドに入る。

どちらもしっかり守りあう地味な好ゲームだったが、最後になってきてようやく差が出始めた。
戦術に対する慣れ、の部分があるだろうか。
このやり方でどうすれば最後まで自分の体力が持つか。
オールコートのマンツーマン、というのは滝川の通常のスタイルだ。
対する桜華にとって、オールコートの1−2−1−1から下がってハーフの1−3−1というのはイレギュラーな形。
従来のハーフコートのマンツーマンと比べて、どうしても足を使い体力を使う。
これが最後に効いてきた。
じりじり離されはじめてからもよく耐えていたが、残り三分を切って滝川が連続で速攻を二つ出して43−32としたところでほぼ勝負は決した。
最終スコアは47−35
苦労したが滝川山の手が準々決勝進出を決めた。

試合後、記者陣による監督たちの囲みがある。
サッカーや野球のプロの試合のように、記者会見の席がしっかり設けられているわけではないが、話を聞けるタイミングというのは設けられている。
いくつかの専門誌や、チームの地元の地方紙の記者など、甲子園と比べて注目度は二桁くらい落ちるインターハイではあっても、それなりの人数はいる。
斉藤は、てっきり滝川の方に話を聞きに行くと思っていたが、稲葉は桜華の監督の方へ話を聞きに向かった。
なんとなく斉藤もついていく。

「先生、桜華はいつもハーフのマンツーだと思うんですが、今日の形というのはいつの段階でこれを用いようと決めたんですか?」
「そうですね。昨日今日、ということではなくてちゃんと準備はしてきましたよ。見てていただければ分かると思いますが。完成度としてはそれほど高くは無かったかもしれませんが、思いつきの付け焼刃というレベルではなかったのは分かってもらえると思います」
「というのは、戦術の一つのオプションとして持っておこう、という意思で準備していたものなのか、それとも、対滝川戦用に準備したものなのか、どちらなんでしょう?」
「それは後者ですね。われわれの今回の目標はベスト4に進む、というものでした。また今年もシードを取り損ねて一回戦からだったわけですが、それでも何とかシードを二つ喰ってベスト4まで残ってやろうと。そう考えて組み合わせを見た時に、山は三回戦で当たるだろう滝川さんだな、と思いました。まあ、当然ですが、あのディフェンスか、と考えるわけですね。うちにはソニンがいます。だからオフェンス力はある程度計算は出来る。だけど、ある程度なんですよ。滝川さん相手に最低限60点、出来れば70点取る試合をどうやって作るか? それだけ取れば勝てるとは思ったんですが、あれを崩して70点取るのは今のうちの力では相当難しいだろうと。じゃあ、逆行ってみるかと考えたわけですよ」

「守り合いの試合にしよう、ということですか?」
「そうです。70点取ることを考えるよりも、50点に抑えることを考えた方が容易なんじゃないかと。70点取る試合じゃなくて50−49で勝つことを、それは滝川さんの土俵ではあるんですけど、それでもその土俵に乗る方が、こちらの土俵に乗せようとするよりもたやすいんじゃないかと思いました。実際うまくはいったんですけどね。47失点ですから。ただ、それを上回ってあちらさんのディフェンスが良すぎた。昨日の試合を見て、70点取ることを考えなくて良かった、とホントに思いましたけど。結果、50点どころか40点にも届かずで。完敗です」

昨日試合を見て対戦相手が決まって、そこで思い立った策、というわけではなく、組み合わせが決まった段階で準備を積んできての今日の試合だと言う。
それは見ていた稲葉も分かっていた。

「守り合いということですが、1−2−1−1の1−3−1というのを採用した理由はどの辺にあるんですか?」
「最初に1−3−1がありました。里田さんにはソニンのマッチアップでいけるとは思ったんですが、地方大会の映像を拝見して、一年生の十二番。このフックシュートが嫌らしいなと思いまして。それを考えるとマンツーマンだとちょっと難しい。それでゾーンを引っ張ってきたんですが、インサイドだけ考えると藤本さんや九番の二年生のスリーポイントもある。どちらも抑えたい、と考えると、バランス取れた1−3−1になるな、というのが結論でした」

「そこに1−2−1−1をつけたのは?」
「前から当たることで慌しい感じを向こうに持ってもらいたかったっていうのがまずあります。それで早打ちしてくれれば早い展開になって、まあ、守り合いという形からは外れますけど、うちのペースに持ちこめる。あとは藤本さんを休ませたくなかった。休ませないというか、コートの上で休ませないことで休むにはベンチに下がるしかない、という形にしたかったんですね。最終的にはこれが墓穴を掘ったのかもしれません。前から当たればうちの方も足を使うわけで」
「結局、ディフェンス面では思い通りに行ったけれど、オフェンスが通じきらずに50点まで乗せられなかったのが敗因、ということでしょうか?」
「そうですね。足が止まるまでのディフェンスはうちのレベルで言えば文句つけられないレベルでやってましたから。足が止まらなければ、というのは思わなくも無いですが、それでも35点では勝てません。向こうが控えに代わって多少ディフェンス力が落ちる場面で、こちらもメンバーを代えざるを得なかった。その辺もあって、どうしても得点力が足りなかったですね。ソニンも里田さん一人が相手になる瞬間は勝てるんですが、それが一瞬過ぎて苦しかったですね。ただ、後一歩だったかな、と思ってます。第三ピリオド途中で里田さんが三つ目のファウルで下がった。そこからもう一押しが足りませんでした。最終ピリオドの早い段階で里田さんにもう一つファウルさせてれば、後はソニンで、というチャンスがあったんですが。そういう意味で紙一重だったかな。まあ、敗因ということで言うなら、私の見通しの甘さでしょう。あれだけ足を使って最後まで持たせろというのは選手たちには酷です。いろいろな意味で。選手たちは良く頑張りました。あのスタイルで四十分持たせてしまった滝川さんに素直に脱帽です」

ファウルは五回すると退場。
四回ファウルをすると後一回で退場になるので、ファウルをしてはいけないという意識が働きディフェンスで強い圧力をかけにくくなる。
ファウル三つの段階は、その状況になる一歩手前であり、大事に至る前に里田は一旦下がったのだが、戻ってきた最終ピリオドにファウル四つ目を乗せられれば、あるいは、というのが桜華の監督の主張だ。

ここまで稲葉一人で聞いていたが、大体聞きたいことは聞いたのか、次の質問は出さずに他の記者に譲った。
自分で質問した以外は稲葉としては大した話は聞けずに終わる。
一応、反対側、滝川の方にも行ってみたが、すでにチームは去っていて石黒コーチを捕まえることは出来なかった。

第二会場の第四試合。
稲葉も斉藤も記者席に戻るとゲームはすでに始まっていた。
第二シード、中村学院の三回戦である。

「このスタイルはこの一年も変わらないのかね?」
「これって、是永さんシフトですよね?」
「是永さんシフトって言い方だと、是永さん対策になっちゃうから変でしょ」
「是永さん入ってからですよね? 中村がこのスタイルになったの」
「二年前の冬からだったんじゃないかな? 確か。去年は一年通じてこのスタイルで」

中村学院は是永美記がマンマークで一人捕まえて、後の四人はボックス型のゾーンを敷く。
去年の形と同じやり方である。

「是永さんがエースを抑えるのはいいとして、周りをボックスディフェンスにする必要あるんですか?」
「必要って意味じゃ、確かに必要は無いんじゃないかな。普通は相手のスタイルによって代えるよね。スーパーエースが一人いるようなチームにはこのスタイルがすごく効くけど、平均型チームにはあんまり意味ないような気がするし」
「やっぱ、是永さんシフトに最適なんじゃないですか? これ」
「そう言われればそうかもね」

斉藤は、中村学院がボックスワンを敷くのではなくて、中村学院を相手にする時にボックスワンが良いんじゃないか、と言っている。

「なんかバリエーションつければいいと思うんですけどね」
「でも、単純だけどしっかりしてるよね。ローテーションでカバーとか完璧だし」
「五人より四人の方がその辺はやりやすいんですかね?」
「押さえる空間の線の引き方は四人の方が間違いないのかもね。ここから先はどっちの領域っていうのが。コートの四分割は五分割より明らかに分かりやすいし」
「是永さんが怪我とかしたらどうするんだろ」
「記者がめったなこと言わないの。まあ、でも、そしたらマンツーにするんじゃない?」
「是永さん中心じゃなくて是永さんと心中っていうチームなんですかね」
「うまいこと言ったつもり?」

ボックスワン、という形が一つの特色にはなっているが、滝川のような極めてディフェンスの堅いチーム、というわけでもない。
形が特徴的なだけで、ディフェンス力はこのレベルのチームのそれなりのものである。

三回戦の相手は一回戦、二回戦と競った試合を勝ってきた四国のチーム。
中村は地元に近いこともあり、また、九州チャンピオンということで声援は多い。
圧倒的な大差、という展開にはならないが、じわりじわりとリードを広げて行く。
第一ピリオド16−9
前半を終えて38−22
オフェンスはやはり是永にボールが集まり次々に加点して行く。

後半に入ってリードは広がって第三ピリオドを終えたところで63−36
ここで是永はお役御免で下がる。
最終ピリオドはマンツーマンにしてリードを保ち、最終スコアは79−49
ベストエイト最後の切符を掴んだ。 

 

インターハイは連日連戦。
男子の半分のチームが一回戦と二回戦の間で一日挟む以外は休みは無い。
女子は休養日なしで一回戦から決勝まで行われる。
シード校でも準々決勝は三連戦目だ。
朝起きて会場に向かい試合をして戻ってきて、翌日のためのミーティング。
そんなスケジュールが、多少試合の時間によって前後にずれるだけで繰り返される。

松江もしっかり三回戦を勝って翌日の準々決勝へ向けてのミーティングを宿で行っていた。

「この猿がやけに去年と比べて伸びててさあ。シュートは入るしスピードもあるし、ディフェンスも強くなってる」
「ていうか、負けた矢口の解説つきで見るの?」
「負けたから分かることもあるんだよ」

メンバーたちは半円形にテレビ画面を囲んで見ているのだが、矢口は画面の横にたって指し棒で指しながら解説する。
市井は、本当に気に入らないのか、言ってみているだけなのか、矢口に絡む。

「落ち着いて見せてよ。私たちは明日も試合があるんだから」
「矢口がせっかく体験を語ってあげてるんだろ」
「矢口さん、ちょっとおちついてもらえます?」
「矢口、おとなしくせんと、後でいわすよ」
「ちぇ、なんだよみんなして・・・」
「居候、下がってな」

吉澤、中澤、最後に市井に追い討ちまで掛けられて、矢口はテレビ画面から離れ、メンバーたちの側の空いている席に座った。

「矢口って結局、ゆうちゃんと一つ布団で寝たの?」
「一つ布団言うな。一つ屋根の下だけど布団は別!」
「紗耶香は、あんまりおおっぴらに裕ちゃん言うなや」

そんな矢口を中心としたやり取りを見ながら吉澤は、矢口さんが来てなんか市井さんが元気になったな、と全然別のことを思っている。

流れている映像は当然富岡の試合のものだ。
二回戦は全然参考にならないからなあ、などと市井がわざと言いつつ、今日の三回戦の絵である。
矢口と市井がわいわいやっている、という松江のミーティングとしてはあれな光景が繰り広げられる中映像は先へ進む。
吉澤やあやかは黙って見ているし、誰かに振られなければ福田は絵が流れている間に自分から口を開くことは無い。
一年生は当然おとなしいし、松浦さえも、市井が話しているからか口を開かない。

意見の交換らしきものはあまりなく映像は最後まで流れて終わった。

「さて、山場やな」

中澤は立ち上がり、全員を見渡す位置に立つ。
メンバー達は座ったままだが吉澤も中澤の隣に立った。

「正直言って、ここまでたどり着けたことは上出来だと思う。私も、ただ、こっちでもバスケがしたいと思って転校してもバスケ部に入った。ただそれだけだった。それが、福田や松浦や新入生が入ってきて、保田さんや市井さんに引っ張ってもらって、去年はインターハイに出た。去年は、こういう言い方したら保田さんに失礼かもしれないけど、去年は、出ただけだったと思ってる。インターハイに出るのが目標で、インターハイに出た。目標達成。それから一年経って、辻達一年生が入ってきて、今ここにいる。今年は出るのは目標じゃなかった。出て当たり前。その上でインターハイでどこまで勝ちあがれるか。トーナメント表を見て、ここまでは来たいと思ってた。そしてここまで来て、私はもう一歩先へ行きたいと思ってる」

あまり普段のミーティングで吉澤はこういう語り方をしない。
改まって自分の思いのようなものを伝える言葉が公式なミーティングの場で出てくるのは、昨年末の県新人戦ブロック予選の初戦、すなわち、新チーム結成初戦の試合直前ミーティング以来だろうか。

「簡単な相手じゃないよ。そんなのは分かってる。私のマッチアップは多分日本一の高校生だと思うし。チームとしては間違いなく日本一で。滝川カップで試合したけどさ、あれはやっぱり練習試合の延長でしかないよね。向こうは明らかに練習モードで選手も入れ替わりだったし、こっちにしても福田がいなかったし。それが明日、日本一のチームと真剣勝負が出来る。それはとても幸せなことだと思うんだ」

滝川カップでは立ち上がりに松江がリードする場面もあったが、最終的には危なげなく富岡が勝利している。
松江には福田がいなかったが、富岡の方は後半の途中からスタメン組みが次々に下がって行くというような構成。
真剣勝負、とは言い難い試合だった。

「去年の国体、富岡と試合して、私は何も出来なかった。本当にもうどうしようもないくらい何も出来なかった。出来る出来ないの問題を通り越して、もうびびりまくってお手上げで白旗降参であんな惨めな試合はなかったよ。ホント。だけど、それから一年掛けて私たちは結構強くなった。自分たちの力でここまで来たんだ。だから、明日は勝ちたい。日本一のチームに私は勝ちたい。そして、勝てると思ってる」

国体で富岡相手に通用していたのは福田とこのチームではない飯田の二人だけだった。
その頃の吉澤は、リーダーでもエースでもなんでもなく、ただのへたれだったと感じている。

「明日は、強い気持ちで。勝てると思ってみんな戦って欲しい。吉澤は勝てると思ってる。連戦でそろそろきつくなってくるかもしれないけど、それでも最後まで足動かして、頑張りましょう」

ミーティングでの指示、というよりも、吉澤の演説だった。
中澤が後を受ける。

「吉澤は、滝川カップでの試合、去年の国体の話をしたけど、うちは、明日が初対戦だと思うんよ。国体はあややが柔道で怪我してな、ベンチ座ってたよな。座ってたっていうか、一番元気だった気がするけど、とにかく試合には出られなかった」

松浦は大会直前に、授業の体育での選択柔道という全然関係ない場面で怪我をして試合に出られなかった。

「滝川カップはみんな知っての通り明日香がおらんかった。向こうも途中でメンバー落として行ったかもしれんけど、こっちに言わせたら明日香おらんのやからハンデ戦みたいなもんやんか。うちの方が全員そろって、ちゃんとハンデなしで試合できるのは明日が初めてやんか。ハンデ戦で負けたことなんか関係ないと思うんよ。だから明日が初対戦な」

福田と松浦、今大会の前評判がそれなりに高かったガード陣がそろって富岡と戦えるのは明日が初である。

「吉澤は、向こうが日本一のチームだって言ったけど、本当にそうなんやろか? 私は疑問やと思う。去年は日本一だった。一昨年も日本一だったみたいやな。でも、今年はまだ日本一のチームは決まってないやんか。これから、後三試合で今年最初の日本一が決まる。違うか?」

松江の全国デビューは昨年。
日本一のチームがどうとか興味を持って実際に関わったのは去年が最初だ。
一昨年のことは知識として知っている。
そして今年は、それを争う立場にある。
高校生の全国レベルの大会はインターハイが一番にやってくる。

「向こうは確かに過去の実績はある。そういう意味で格上に見えるかもしれない。あんまりびびったりすると自分たちが勝ってる部分が何も無いように感じることもあるかもしれない。だけど、それは錯覚やから。間違えたらあかんよ。ここにいる全員、ああ、明日香はおらんかったけど、明日香は平気そうだからいいや。そのほか全員、滝川で富岡の子らと接したよな? バスケ以外の部分でも。話し込んだりもしたやろ、吉澤とか、あややなんかも。私は見てて思ったよ。なんだ普通の高校生やんって」

試合もしたけれどそれだけじゃなく、企画立案準備、いろいろな部分で吉澤を中心に連絡を取り合ったりもした。
歓迎レセプション、では実際に話し込んだりもした。
会場での運営、テーブルオフィシャル、1on1大会、などなど、試合以外でもそれぞれ接点があった。
日本一のチームの高校生、イメージ映像が実在の存在に変わり、実体のあるものになっている。

「私は、まあ、悪いけど、バスケの力量のこの部分で絶対勝ってるとか、そういうのはちょっと自信を持って言えない。それを判断する力が私には無い。でもな、高校の先生として言わせてもらう。キャプテン同士比べたら、うちのキャプテンのが頼りがいでは上やね。間違いない。吉澤のが頼りがいがある」
「何言い出すんですか」
「いや、本当に。みんなもおどろかんかった? 日本一のチームのキャプテンがこれですか?って」

1on1大会の抽選で、「ハッピー」とかやって引かれたのは日本一のチームのキャプテンだった。
特に誰も、中澤の発言を否定はしない。

「まあ、あれはあれである意味普通じゃないのかもしれへんけど、でも、雲の上って感じじゃないやんか。そういう意味じゃ、明日はその辺の高校生とこの辺の高校生が試合するだけで、何も特別なことがあるわけじゃない。ただそれが、後三つ勝てば日本一に?がるっていうところなだけでな。だから、いつも通り思い切りやれば良いと思う。怖がったりせずに」

そこまで言って、一旦言葉を切って中澤は全体を見渡す。
福田は特に表情を変えないし、松浦はうっすら楽しそうな笑みを浮かべている。
あやかは何度かうなづいていた。
辻はちょっとうつむき加減でいて、市井は腕を組んで中澤の方は見ずに止められたテレビの方を向いている。
他に何か言うことは無いか? というといを含めて中澤は隣の吉澤の方を見たけれど、特に反応は無かったので自分で続けた。

「明日のスタメンは明日伝える。具体的な策とかも、基本的には真っ向勝負でいくつもりやけど、何かあれば明日、試合前のミーティングで伝える。それでいい?」
「そうですね。他、なにかある?」

吉澤から全員への問いかけ。
福田、松浦、いつも、何かの頻度が高い二人の表情を伺って見るが、何も応答は返ってこなかった。

「じゃあ、明日は第一試合で早いから。朝食六時半の七時半出発ね。なるべく六時までに起きること。ユニホームも今日と同じで青だから、一年生準備よろしく。じゃあ、そんなところで解散」

普段のミーティングと違い、中澤吉澤が一方的にしゃべる形になって、全体ミーティングは終了した。
中澤、吉澤は別室へ、今日は矢口もそこにのこのこ付いて行った。

移動先は中澤の部屋、兼現在は矢口の部屋でもある。
スタメンは明日伝える。
これは、明日まで黙っておこうという意味合いの他に、現実的にまだきまっていない、というのがあった。
今から決めるのだ。
部屋は和室で畳敷き。
布団は片してあり、三人は車座にそれぞれあぐらをかいて座った。

「なんかミーティング昨日と違ってなかった?」

口火を切ったのは矢口だった。
矢口は昨日の夜から混ざっている。

「もうちょっと何かいろいろ出てくると思ったんですけどね。みんなおとなしかったですね」
「やっぱり他とは違うんやな富岡は。福田松浦が黙ってるってどんな意味なんやろ」

昨日は当然今日の三回戦向けのミーティングをした。
相手の弱点、つぶすべきところ、注意点、二年生から結構言葉が出てきていたし、あやか吉澤も意見交換的に発言が多かった。

「あれでいいの? ミーティングっていうより精神論の演説だったじゃん。矢口、口挟もうかと思ったよ」
「富岡の映像は散々見たからかなあ、これまで。矢口はしらんやろうけど、散々見たのよ、ホント。でも今日の相手は正直昨日映像で見るのが初めてやったから話すこともいろいろあるし、そういう意味ではいまさら何も言うこと無いってことでええんかな?」
「なんか、ここまで来ると後はもう気持ち、みたいなとこあるかなあ、って私は思うんですよね。細かいことはもういいや、当たって砕けたくないから砕けみたいな。なんか隠しだまあれば別ですけど、特徴は全部頭に入ってるし」
「それでいいの? 勝つためにはいろいろやることあるんじゃないの? なんかやたら得点力上がってたけど精神的にもろそうな七番を何とかするとか、そういう個別にいろいろと」
「矢口、わるいけどそういうのは明日はやらない。真っ向勝負するっていうので多分みんな納得してる」
「私もそうですね。勝ちたいんですよ。だから奇策はとりたくないっていうか」
「勝ちたいなら何でもやるってなるんじゃないの?」
「なんか、勝った気しないじゃないですか。その、奇策で勝った。それは確かに勝ちでベスト4進めますよ。でも、そうじゃなくて、勝ちたいんですよ。なんかことばでうまく説明できないんですけど」
「たぶん、よっさんの言いたいのは、勝ちたいっていうより力を試したいってことなんやないの? 力を試して、その力が相手を上回っているという結果が欲しいっていう。奇策ってなんていうかある種ドーピングみたいなもんで、試合に勝つのに有効ではあるけど、力とはちょっと違うって言うか」
「えー、矢口全否定ですか?」
「そうじゃなくて、目的が違うってこと。勝負は度外視じゃないけど、自分たちの持っている今の力で勝負して勝ちたいっていう目的だから、あんまり変なことしちゃうとそうじゃなくなるやんか」

矢口は納得は仕切れていないという表情をして黙り込む。
矢口にとってはここはよそのチーム。
自分の考えを押し付けることは出来ないけれど、自分の持っているものを提供したいという思いもある。

「まあ、奇策と真っ向勝負の境界線って難しいと思うよ。初スタメンの子を使うっていうのは奇策っぽいけど自分たちの持っている力であるのは確かだし、それはどっち? とか言われると答えに窮すやんか。そういう意味で矢口の言っていることを全部否定する気はないんやけど、感覚的に、多分うちのチームは今全員真っ向勝負したいって思ってるから、それで行かせてや」
「はいはい、わかりましたよ。矢口のやり方でやれなんて言うつもりは無いですよ。おいらは居候ですから」
「そんないじけないでくださいよ」
「いや、いい。忘れて。勝つためには手段を選ばないがおいらのやり方だったけど、ちょっと最近それを全否定されるパターンが続いてるからムキになってみただけだから。よっすぃーにはよっすぃーのやり方がある。そんなことをキャプテンどうするか迷ってる時に言った気がするけど、それと同じだね。松江には松江のやり方がある。奇策がどうこうはおいらの問題だ。これ以上そこに口出しはしないよ。それを考えたくてここに混ざってみたっていうのもあるんだし」

矢口の頭には富岡の和田コーチに言われた言葉がある。
それを全面的に否定するには自分たちの出した結果はひどすぎた。
それからまだ丸一日半。
吹っ切るにしても納得するにしても、まだ時間が足りない。

「で、スタメンどうしましょうか?」

吉澤が話題の舵を切った。

「どうするかねえ」
「辻ちゃん、悪くなかったですよね」
「ガードの目で見てどうやった? 辻ちゃん」
「悪くは無かったんじゃないですか? 良かったか? って聞かれると普通って感じでしたけど。ああ、うちの加護ちゃんと中学では良い組み合わせだったんだろうなってのは見てて思いましたよ。滝川でやったときより良くなってるし、それにやっぱ二番の使われる側のが生きる感じがしましたね。一番で全体仕切るのはまだ無理そうで。そういう意味で加護ちゃんとの組み合わせは良い感じだったんだろうなあってのは思いました」

今日の三回戦、スタメンに辻を使った。
福田、辻、松浦、吉澤、あやか。
市井を最初はベンチに座らせていた。
試合は77−54
前半の段階で二桁リードを作って、後はじりじり拡げて行くという展開で、危なげなく勝っている。

「身長的には富岡も辻ちゃんでいける相手ではあるんですよね」
「今日の相手とかわらんやろ」
「マークずれるかもしれないですけど、辻ちゃんは向こうの一番に一年生同士で当てて、七番に福田。松浦が五番でちょうど釣り合い取れるんですよ」
「うちがディフェンスのときはそれで、向こうのディフェンスだと明日香に一年の方が来たりするんかな?」
「そうなればゲームコントロールはしやすいですよね」
「紗耶香の場合はどうするの?」
「福田が一年についてあややが七番。市井さんが五番ですかねえ」

富岡のスタメンは田中、高橋、柴田、石川、道重で来るという想定で考えられている。
身長の低いガードで一年生といえば田中、七番は高橋、五番は柴田だ。

「おいらさあ、七番と五番だと五番の方が怖い印象あったんだずっと。七番はなんかもろい印象あってさ。でもなんか七番育ってたんだよな。なにあのシュート力」
「七番て滝川のスリーポイント大会優勝してたじゃないですか。シュート力はあのときからあったでしょ」
「でもあれフリーでしょ。ちょっとディフェンスでつつけば問題ないみたいに思ってたんだけど。どっちかっていうと五番の方がおとなしかったな」
「ああ、そうですね。五番おとなしいですよね、昨日今日」

ほとんど話しは吉澤と矢口で進んでいる。
中澤はたまに言葉を挟むけど、基本的には聞き手だ。

「滝川カップの時は七番はあややが抑えてたんだったかな。五番にさんざんやられたけど。市井さんスタメンパターンだと同じ展開なのかなあ。辻ちゃんスタメンパターンだと七番には福田。国体の時は抑えてたけど、こっちはどうかなあ?」
「おいらは結構厳しいんじゃないかって思う。おいらとにかく七番の印象強烈だったんだよね昨日。福田さんは確かにうまいしすごいけど、七番とちょっと身長差がある。突破に対応する力は全然あると思うけど、早いモーションでシュート打たれたら福田さんじゃ厳しいかもしれない。オフェンス的にはどうなの?」
「やっぱり辻ちゃんの方が得点力は落ちるのかなあとは思いますね。身長は問題ですよ。七番が成長してるとなると福田も自由にやるわけにはいかないだろうし。その点市井さんケースだと、身長的には福田には一年生の方が付くしかないだろうから、そうすれば自由にやれるだろうし、あややに七番でも五番でもある程度計算できるから、攻撃力は高いかなあ」
「ゆうこー、ずっと黙ってるけどどうなんだよー」
「裕子言うな!」
「昨日の夜何かありました?」
「ない。あるかボケ。ったく。いまどきの高校生は・・・って大学生か矢口は。ったく」

話しはずれたが、中澤が口を挟まない、というところに突っ込まれた事実は消えない。
中澤が答えた。

「真っ向勝負、私も参加させてもらってええか?」
「どういう意味ですか?」
「よっさんにあれこれ背負わせすぎやなって思うんよ。キャプテンとしてチームを引っ張り、コートの上でも大黒柱で、ゲームプランも考えて。キャプテンにはキャプテンの役割ってあるけど、ゲームプラン考えるのは本来コーチと言うか先生と言うか、とにかくキャプテンの仕事やないやんか。明日はよっさんにはコートの上でのことに専念してもらおうかと思ってな」
「先生がそれ全部やるってことですか?」
「うん。私も参加させてってのはそこ。まあ、選手と違ってコーチの方は明らかに向こうと比べて格下なのはやる前からはっきりしてるんやけども。でも、三年ちょっとバスケ部顧問やってきていろいろと思うところもあった。最初は、バスケなんてやったこと無いのに顧問かよって思ったし、今でもちょっと思ってるけど、でも、その一方で、自分が教師になってやりたかったことってこれかもしれないなってちょっと思ったんよ」
「バスケ部の顧問がですか?」
「バスケ部のってのは多分たまたまなんやけど。私別に国語の授業を教えたくて先生になったわけじゃないんよ。担任として、なんかこうあれこれ生徒と接したいっていう、そこが多分やりたいことだったんだと思う。でも担任って毎年変わるやんか。クラス四十人、割とどうしても薄い付き合いになる部分もある。その点、部活の顧問ってちゃんとやると濃いなって思ったのが最近かな。クラス担任と違って義務性が薄いから逃げようと思えば逃げられちゃって、矢口のとこみたいにただいるだけの人になることも出来て、最初はそうしようと思ったんだけどさ、意外にちゃんと接してみると面白いやんか。なんかあんたら勝手に強くなるし。その成長して行くさまを間近に見られて。だから、一人だけちょっと長い先のことまで考えてて悪いんやけど、私のこの先の人生、教師でいる間はなるべくバスケ部の顧問っていう仕事をやっていこうって思ったからさ。全国優勝チームを何度も作ってるあちらさんとは全然力がつりあって無いのは分かるんやけど、それでも、勝負してみたいってな」

吉澤は何度かうなづきながら聞いている。
生徒相手に自分の思いを語ってしまい、多少テレもあったのか笑みをこぼして中澤は両手を後ろに突いてため息をふーっと一つ漏らす。

「ここまでつれてきてくれたのはよっさんであり紗耶香でありあやかや明日香や他の部員全員で、あと圭坊とか卒業生も含めてあんたらでさ、私は付いてきただけやから、それでここまで来てそういうこというのは虫が良すぎる、心配だ当てに出来ないってよっさんが言うなら、私も大人しくしてるよ。ああ、もちろんこれからもこういう前日ミーティングとか、それ以前に大会メンバー決めるところとか、そういうのではよっさんなり、その後を継いで行くキャプテンたちと相談しながらっていうことを思ってるけど、その決めるところっていうのかな。明日のスタメンは誰、どんな方針で、ってそういうのは私が全部決めて行くべきであり、そうしたいと思ってる」

神妙な顔で聞いている吉澤の横で、先に矢口が口を開いた。

「いいなー、おいらもこういう先生欲しかったよ。裕ちゃんみたいな」
「だからあんたは面と向かって裕ちゃん言うなって。そういうのは影で言わんかい」
「おいら別に裕ちゃんの生徒じゃないし、大学生だもん。うちの先生にもこれくらい言って欲しかったよ。まあ、あいつにいきなりこんなこと言われても却下なんだけどさあ。自分もバスケ覚えようくらいの気概ってもんを持って欲しいんだよね。いまさらだけど」
「それも一つのやり方やと思うよ。まったく関わらないっていうのも。それだから矢口みたいなのが育ったって部分があるんやろと思う。変に中途半端に口挟まれてもどうせ矢口はうざいって言うやろ」
「まあ、そりゃあ」

「私の場合は、面白いって思っちゃったからさあ。逆に言うと、力量ともなってないのに口だけ出して支配力示そうとする最悪なタイプっていうことにもなりかねないわけで」
「いや、いいですよ。今の先生なら全然心配なく吉澤は頼ろうと思います」
「別におだてんでいいよ。却下なら却下で、多少オブラートに包んで柔らかく断ってくれれば」
「私も、単純に石川さんと勝負してみたいって思いはあるんですよ。それには全体考えてどうのこうのっていうのは多分明日の試合に関してはやっぱり負担だと思うんで。そんなの考えながら出来る相手じゃないし。先生が言うなら、私じゃなくてあややを石川さんに当てて吉澤はベンチスタートとかでも文句は言いません。出たいけど」
「言ったやろ、キャプテンとしてはよっさんのが向こうの石川さんより頼りがいがあるって」
「それは持ち上げすぎだと思いますよ。確かにひょっとしたら、なんかイベント企画するときのなんだろう、文化祭の運営とかだったらあの子より私の方がしっかり出来ちゃったりするかもしれないですけど、滝川カップってそんな感じだったし。でも、それとコートの上では違いますよ。石川さんのコートの上での頼れる感は吉澤じゃちょっと勝ててないと思いますよ、ホントに」

普段の生活で頼れるということと、試合の中で頼れるということは大分意味が違う。

「明日は先生に任せます。吉澤はコートの上で頑張りますよ。打倒石川梨華で。いや、出られるかわからないけど」
「出す。よっさんは出す。それはここで言っとくよ。変にそんなとこで不安持たなくていい」
「よし、じゃあ、お願いします。吉澤は先生を信じてさっさと寝ます」
「風呂は入れよ」
「ミーティング前に入っちゃったんで」

もうお役御免だとばかりに立ち上がる吉澤。
座ったままの矢口が吉澤を見上げて小さく言った。

「後藤もそういう思いあったのかなあ」

吉澤が動きを止める。
何か違う話を矢口がしだすっぽいと感じてもう一度座る。
中澤も吉澤ではなく矢口の方を見た。

「おいら、万に一つの勝てる可能性を何とか作ろうと思って富岡戦にあれこれやってみた。うちは一回戦から簡単には勝てないようなチームだから、富岡用に何かを用意するってことは出来なくて、全部前日の思い付きだったけど、それでもあそこに勝つにはまぐれ当たりの何かでばっちりはまるってことが無い限り無理だろうって思って、可能性が低いのは分かってたけどそれでもやってみた。結果はひどいもんだった。手も無くひねられたっていうか。でもさあ、勝つ可能性を作るには何かやるしかなかったんだよ。宝くじだって買わなきゃあたらないじゃんか。買ったら買ったより少ない金額になる可能性が高いけどさ、それでも買わなきゃ一億円は絶対当たらないんだよ。だからおいらは可能性が低いってわかってても宝くじを買ってみたんだ。だけど、そういうことじゃなかったのかなあ。後藤に、そういう全体の勝ち負けのために、わけのわかんない変なことやらせるんじゃなくて、石川さんっていうすごい子と単純に戦わせてやるっていうのがよかったのかなあ。亀ちゃんに変な奇襲みたいなことばっかりさせるより、やたら得点力身につけた猿顔二年生相手に力を試させるみたいなことさせた方が良かったのかなあ。おいらのエゴか? あいつらになれないことやらせて、富岡に手もなくひねられたのは、おいらのエゴのせいか?」

なんと答えたらいいんだろう、という風に、中澤も吉澤も、腕を組んで考えこんでいる。
そんな二人の姿にはっと気づいた矢口が繋げた。

「あ、ああ、ごめん。おいらの話しはどうでもいいんだよな。明日は松江と富岡の試合で。おいらはもう全部終わった後も居残ってる居候なだけで。ごめん、勝手にべらべらしゃべって。なんかよっすぃーと裕ちゃん見てるとちょっとうらやましくて」
「矢口さあ。私は矢口と話をしたのは昨日が初めてで、まだ二十四時間ちょっとしか経ってないし、矢口のことよく知ってるわけじゃない。まして聖督の子たちがどんな子なのかも知らないし、矢口と聖督の子らの関係も、あのすごい勉強は出来そうだけど他はちょっとって感じだった先生との関係も、私にはわからない。でも、一日ちょっと話すだけで、矢口はバカじゃないっていうのはわかったよ。まあ、あれこれ好き勝手やってるところはあるけど、人の気持ちがわからないってわけでもないしな。たぶん、強圧的に他の年下の子を従わせるっていうのもしないだろうっていうか出来ないと思う。強圧的に従わせようと矢口がしたとしても、下の子を従わせられるような能力がない。だから、矢口が言うとおりに下の子らが試合をしたんだとしたら、それは矢口の言うことが説得力あったか自分も同じことを思ったか、面白そうだからそうしようだったか、どれかなんじゃないかと思う。あとは、何も考えてないってパターンもあるか。何も考えてなくて、矢口が言ったからじゃあそれで、みたいなこともあるかもしれない。多少はな、それぞれの思いってもんはあっただろうけど、相手が矢口なら本当に不満なら言うこと無視して従わないって選択肢を選ぶはずだから、そこまでエゴとかどうとかは悩む必要ないと思うけどな」

矢口はあぐらから体育座りになった。
ひざにあごを乗せるかのようにして話を聞いている。
矢口は中澤の生徒では無いけれど、高校の教師から見れば今の立ち位置はほとんど生徒のそれと変わらない。

「自分で明日やらせてくれって言っておいてこういうのもなんなんやけど、全部自分で決断して采配を振るうって言うのは重いことやと思う。自分で決断したんだから、その結果は自分で背負わないといけない。矢口はいままでもそれをしてきたっていうのは偉かったと思う。だけど今回、その結果があまりに大きくて背負いきれてないってところなんかな。悩むだけ悩めばええんやないの? 結果がそう出たってことに関しては。もっと良い結果を出すにはこれからどうすれば良いのかっていうのは悩むだけ悩めばええと思う。だけど、エゴってことはないんやないかな。もちろん、生徒らの考えてること、思い。っていうのはいつも計りながらやらなあかんと思うけど、矢口と聖督の子らの距離は私とよっさんたちよりもっと近いんだろうと思うから、その距離感で矢口のエゴで全部動かせる力は無いはずやから」

矢口は視線を上げず、畳に向けたまま答えた。

「一人一人の気持ちは考えてなかったかなって思う。チームで勝つにはみたいなことは考えてたけど。その為に後藤たちを駒みたいに扱ってたかもしれない。それに、富岡の先生に言われたんだ。あれじゃ後につながらないって。ハーフタイムに加護ちゃんにも言われた。後半はマンツーでやりたいって。最初からマンツーでやってればもうちょっとまともな試合になったかもしれないし」
「大丈夫なんじゃないですか? 後半は加護ちゃん? その子の言うとおりにマンツーにしてたじゃないですか。矢口さんのエゴだけでやってたんなら、うるせー黙れっていってそのまま押し通すところじゃないですか?」
「でも、加護ちゃん、最初からマンツーでやりたかったのかもしれないなって。おいら、そりゃあ見た目はガキだし小学生って言われたりするし、裕ちゃんの言うとおり生徒たちとの距離は近いよ。でもそれでも大学生でコーチでさあ。それって一年生から見ればやっぱもの言いにくかったりするじゃんか。だから実際に点差開くまで言えなかったのかなって思うよ」
「矢口、十分生徒らのこと考えてるやんか。一年生だから思ってても言い難いかもなんて発想、長い間教師やってても持てないジジババいっぱいおるよ。失敗は誰でもする。私に言わせれば矢口がそういう作戦をとったのが失敗だったかどうかも分からんと思うよ。まあ、失敗じゃないって言っちゃうのも逆に生徒らの力が足りないっていうことになっちゃうから失礼なんで言わんけど。どうしたらもっとうまくいくか、考えながらやってくしかないんようちらは。それで、出た結果は背負う。重たいけどな。生徒らの一生の思い出やもん。それがどんな形になるかの責任もたなあかんのよ。重いって」
「そこまで考えないでコーチやってくれって言われて、結局のところ面白そうだからって引き受けちゃったのが悪いのかなあ。あ、ああ、いや、ごめん。もういい。もういい。後は自分で考える。自分で考えます。よっすぃー、ひきとめるみたいなかんじになっちゃってごめん」

松江と富岡の明日の試合をどうするかの打ち合わせであって、矢口真里の悩み相談ではない。
それをもう一度思い出して矢口は打ち切った。

「先生、じゃあ、明日、頼みますよ」
「よっさんも頼むよ。打倒石川梨華で」
「打倒まで行かなくても、負けないように頑張りますよ。矢口さん。矢口さんの仇はあややがとります」
「あややかよ。あの子ちゃんとボール回すようになったな」
「一時期ひどかったんですけどね」
「あややじゃなくてよっすぃー取ってくれよ、仇」
「聖督、七番にやられたんで別に石川さんにやられたわけじゃない感じだし。仇はあややがとってくれますって」
「そっか、そうだよな。後藤は石川さんとある程度出来てたもんなあ」
「いや、そういうんじゃなくて、ああ、あややが七番につくとも決まってないのか。まあ、あの頑張りますとにかく」
「おう、期待してるぞ」

最後は明るく矢口が矢口の笑みを見せて軽く手を上げる。
吉澤はぐっと右手の力こぶしを見せ、それから中澤に、矢口に、軽く会釈をして部屋を出て行った。

 

インターハイでもまたベンチには入れなかったあさみ。
それでも副キャプテンは副キャプテンであり、役割というのはしっかりある。
試合に直接関わる以外の部分、移動のバスの割り振りであるとか洗濯であるとか、そういう細かい部分の全体を仕切り、誰がどうするというのを遺漏なく行わせるのがその主な役割だ。
ただ、それ以外にも自分の立ち位置だとやるべきことがあるとあさみは思っている。

ミーティング後、一年生への指示を終えてから、各部屋をあさみはまわっていた。
レギュラー部屋では一年生も含めてリラックスモード。
六人部屋で四人が部屋の中にいて、そんな中でみうなが意外な才能を見せている。

「あっ、あっー、そこ、そう、そこ。いい、いいー、そんな感じ。あぁー、いぃー」

もだえているのは藤本である。
藤本の上にみうながまたがって座っている。

「美貴、おっさんくさいって」
「うるさいなー。気持ちいいんだからいいだろ。あっ、あぁー。せめてエロティックって言ってよ」
「はいはい。みうなも試合でて疲れあるんだから、あんまりこき使わないでよ」
「でも、こいつ、いいって。最高。こんな才能あるならもっと早くやらせるんだった」

みうなは藤本をマッサージしていた。
タイ式でも台湾式でもなんでもなく、みうな式スポーツマッサージである。
足の裏、ふくらはぎ、ふともも、と下から上に上がって行く。
うつ伏せになる藤本、それにまたがるみうな。
Tシャツと短パン、まあ、服は着ている。

「まいに見られたら笑われるよ。うつぶせになって背中に全体重掛けるなんてありえないって」
「うるさい」

藤本は答えと同時に枕を投げてきた。
しっかりキャッチ。
藤本のところまで歩み寄ってあさみは枕を顔の前に置く。
藤本ではなくて、その上に乗っているみうなと視線が合う。

「みうなは疲れとか無いの?」
「ちょっと暑いです」
「ああ、でも、冷房きかしすぎて風邪引いたりしないでよ」
「冷房コントロールくらい美貴がやるよ」

うつ伏せのまま藤本が答える。
手が止まったみうなに、続けろとうながす・

「美貴一人で温度決めないでよ。寒いっていう子がいない確認してよねちゃんと」
「わかってるよ、それくらい」

相変わらずみうなに体預けっぱなしの藤本。
あさみの方は向かずにつぶれたままだ。

「それで、まいは?」
「んー、まだ映像見てるんじゃない?」
「一人で?」
「たぶんおたガキもいる」
「そっか」
「お、おい、なにを、yamerohanse」

あさみは手元の枕を藤本の頭の上にかぶせてちょっと押しつぶしてから立ち上がった。

「みうなもゆっくりやすむのよ」
「はーい」
「hanasetteoi」

やたらにこやかに答えたみうな。
あさみが手放した枕をそのまま藤本に押し付けている。
キャプテンにこんなこと出来る一年生ってどんなだよ、と思ったけれど、それ以上は突っ込まず部屋を出て行く。
たまには美貴にあんなことしてやるのも良いだろう、と思ったけれど、大会期間中のレギュラーメンバーにはもうちょっと気を使うべきかな、とも少しは思う。

隣の部屋をのぞく。
ここも六人部屋。
レギュラー部屋には入らなかったベンチ組みがここにいる。
レギュラー部屋とベンチ部屋、とはっきり分けられるほど正確な区切りがあるわけではなく、なんとなく藤本がいるほうの部屋がレギュラー部屋と呼ばれている。
実際、ここのところスタメンの麻美はこちらの部屋にいる。

「この部屋寒くない?」
「あ、戻ってきて暑かったから強めに点けたら冷えすぎちゃいました」
「二度くらい上げるよ」
「すいません」

入り口すぐのところにある空調、あさみが温度設定を変える。
奥の方に麻美を中心に八人ほど二年生が集まってトランプをしていた。

「あさみさんもやります?」
「なにやってるの? ババ抜きて三年生は抜きとかじゃなくて?」
「あさみさん駄洒落言う人でしたっけ?」

真顔で問われて、あさみは苦笑する。
冗談は通じたのか通じなかったのか。

「まい見なかった?」
「まだ会議室にいたと思いますよ」
「そっか。あんまり騒いで疲れ残さないようにね」
「はい」

麻美の番だったらしく、なにやら二枚カードを場に出していた。

部屋を出て会議室へ向かう。
万が一どこかの誰かが使っていると嫌なので、一応ノックをして扉を開ける。
中には里田と新垣、さらにもう一人いた。

「あれ、なつみさん?」
「あさみ。なっちをおさがしかい?」
「いえ、別にそういうわけでもないんですけど。なんか意外だったんで」
「ガキさんにガードとしての極意をですね、教えてるわけですよ」

全体ミーティングの時は机をどけて椅子が並べられていたが、今は現状復帰されて机も並んでいる。
テレビ画面が中央前側にあり、机は両サイドに並ぶ。
右側の列一番前に里田が座り、左側には新垣と安倍が。
両サイドの机は少しはなれて向かい合う関係にあり、あさみは里田のとなり、安倍の正面に座った。

扉を開けてあさみが入って行ったときから、安倍や新垣はこちらに反応しているけれど、里田は完全無視で映像を見ている。
隣に座ったけれど声をかけられる雰囲気ではない。
映像は、明日の対戦相手の今日の試合だった。
明日は完全アウェーの雰囲気が予想される地元熊本のチームとの対戦。
また外人かよと藤本が言って、外人じゃない、ハーフで日本国籍だという石黒コーチとのやり取りがあった見た目からして日本人離れしたスザンヌというプレイヤーと、柄悪いなあ、と映像を見ながら一堂思った木下という二人の長身選手を中心にした適材適所、力のあるチームである。
前評判はそれほど高くなかったのだが、一回戦からの登場で75−67 二回戦82−70 三回戦69−65
いずれも終盤までどちらに転ぶかわからない試合を制してきた。
島田監督の手腕がここに来て注目を集めているチームである。

あさみにとっては、自分が試合に出るわけでも無いし、それほど興味を引くものでもない。
もちろん、ミーティング中は映像を見てあれこれ思ってはいたが、それが終わってからもまた見ようと思うようなものでもない。
ただ、里田がじっと見ているので、その隣であさみも黙って見ている。
まいはいつも大変だよな、と思った。
今日も相手のエースのマッチアップだった。
明日も外人、じゃなくてハーフのこのスザンヌとかいうやっぱりエース格の選手とマッチアップすることになっている。
いつもそうだ。
里田が付く相手はエース級ばかり。
副キャプテンを自分に振られたときはちょっと恨みはしたが、でも、こうやってあらためて考えてみると、それくらいの役目はこっちで背負ってあげようかな、と思う。
コートの上でこれだけ大変なのだ。
コートの外ではちょっとは楽させてあげたい。

ミーティングの時が一周目とすると、二周目にあたるのだろう流れている映像が一通り終わって途切れた。

「まいまいは納得したかい?」
「いつも思うんですけど、映像見ててもあんまりわかんないんですよね。ガッキーみたく、絵を見てるだけで楽しめるみたいな域にはなかなか」
「なに言ってるんですか。私なんて、ただの頭でっかちなオタクだって美貴さんによく言われますもん。実戦でちゃんと対応できるまいさんとは全然違いますよ」

この子、いつもおどおどしてたのに、はきはきしゃべるようになったなあ、とあさみは思う。
なんでかわからないけれど試合に使われていた頃と比べて、今は試合に出ている自分の立場と自分の持っていると思っている能力との間にバランスがある程度取れているんだろう。
あさみは、プレイヤーとしてはこの子にはもう勝てないかも、とも感じている。

「勝てそうかい?」
「やっぱり、うちがそんなに失点するような相手じゃなさそうだなとは思いますよ」
「じゃあ、大丈夫」
「失点しなくても点を取れないと勝てないですからねえ」
「なーに言ってるんですかぁー。まいさんとみうなと、インサイドがばんばん決めて、外から麻美さんが打って、百点ゲームにしちゃいましょー」
「そうなればいいけどね」

里田は立ち上がり映像機器の片づけを始める。
慌てて新垣も立ち上がる。
全体ミーティングではないので、義務として一年生が片付ける必要は無いのだが、普段の生活習慣と上下関係というものがある。
やります、やります、と言っててきぱき片付け始める新垣に、里田は苦笑しつつも任せる。
ようやくあさみの方に向いた。

「散歩でもする?」
「うん」

レギュラー三年生に、やらなくてはいけない仕事、というものはない。
あさみも、最初からそのつもりで里田を探していたので当然付き合う。

夏の夜。
昼と比べれば大分気温は下がっているけれど、北海道育ちの二人にとっては、やはり多少の暑さは感じる。
それでも、冷房の効いた部屋の中ではなくて、宿舎の外に向かう。

「私って分かりやすい?」

先に口を開いたのは里田だった。

「なにが?」
「なつみさん、ガッキーに付き合うみたいなこと言って映像見てたけど、実際には私に何か言いたいことあった感じなんだよね。あさみが来たから何も言わなかったみたいだけど」
「何かって?」
「あさみも何か言いたいことあって私のこと探してたんでしょ?」
「別にそういうわけじゃないけど」

十センチ以上身長の違う二人が並んで歩く。
短パンにTシャツ。
女子高生の無防備すぎる格好ではあるが、治安を心配するような場所でも無い。
買出しに行く一年生集団だってみんなこんな格好だ。

「そっか。言いたいことがあるって言うより、話したいことがあれば話してみなってことかな? なつみさんも」
「何か話したいことがあるの?」
「落ち込んで見えたんでしょ? なつみさんも。あさみも」
「まいがそう思うならそれでいいよ」
「じゃあ、そうしておこう」

里田が右側、あさみが左側。
目的地はしっかり決まっているわけではないけれど、あさみの中では帰りのバスで見かけた公園くらいまでが行動範囲圏かなと定めてある。

「三年生って重たいわ」
「重たい?」
「何をいまさらって感じかもしれないけど。キャプテンは美貴で、副キャプテンもあさみに押し付けて。二人にとっては新チームになったところでもういろんな責任背負ってたんだろうけど、私はあんまり何もかわんなかったんだよね。それがなんか今になって思う。三年生って重い」
「それ、三年生が重いの?」
「するどいね。でも、やっぱ三年生が重いんだと思う」

どういう風に? とあさみは聞こうと思ったけどやめた。
あまり余計な質問せずに、ただ、里田が話すのを聞こうと思った。

「私さあ、けっこうへたれでしょ、実は。美貴みたいな、なんかこう、わが道を行くみたいなこと出来ないんだよね。自分最強、みたいな感じ? ああいうの無いの。美貴に限らずよそのチームでもそういう感じの子に限って中心選手だったりするんだけど、私にはそういうのが無い。困ったなあ、って時にはとりあえず周りを見回すタイプ。こまったなあ、りんねさんどうしよう。って去年は見られたんだけど、今年はそうは行かなくてさあ。インハイ来るまでは困らなかったからそういうの感じなかったんだけど、やってみて思ったよ。やばい、これ、自分で何とかするしかないんだって」

滝川にとって北海道予選は歯ごたえの無い相手しかいない。
滝川カップ、という親善大会を開いたけれど、それはやっぱり勝負の真剣度という意味ではインターハイのような大会とは違う。
新チームになってから、本当の意味で追い込まれた状況での試合というのは、このインターハイまでなかった。
それは、他の強豪校にとっても同じかもしれず、一年の最初の全国大会、というのはそういう場でもある。

「みんなすごいじゃん。なんかうまくなって。今日当たった子もなんか外人ってだけで最初からうまそうにみんな見るけどさあ、実際前見たときより迫力でかかったもん。最初から結構すごかったけど、それだけじゃなくて、ちゃんとうまくなってるんだよ。梨華ちゃんとか、富岡の四番、一年の頃はそんなに変わんないって思ってたんだけどな、この前うちで試合した時、なんかもう全然違う星の人って感じだったし。二年生、三年生ってなって、うまくなってるなあって思う」
「まるで自分がうまくなってないみたいじゃん」
「なってないよ、たぶん。たぶん。麻美とかみうなとか、二年生一年生のがコートの上じゃしっかりしてて、それを美貴が仕切って点を取る。私今日、八点だよ。ポジションどこですか? って感じだよまったく」
「しょうがないじゃん、マッチアップの相手が他とは違うんだから」
「それでも勝つのがエース様でしょ。私は今日、五分の一すら果たせてなかった。明日、明後日。特に明後日。中村の是永さんと自分がマッチアップするなんて考えると怖いよ。何点取られるんだろう。一点くらいは取れるんだろうかって」

ふらふら歩いてたどり着いた公園。
入り口で立ち止まって中を見渡して、変な生き物が居ついていないか確認する。
特に異常は無いし、電灯もしっかり点いて、明るさも確保されている。
まあ大丈夫だろう、と二人は中に入って行った。

「試合に出ない私にはわかんないけどさ、レギュラーで試合に出てエース扱いされるのって大変だと思うよ」

像の鼻型滑り台、シーソー、ブランコ、微妙の高さのジャングルジム。
それなりに遊具が揃った住宅地型公園。
あさみはなんとなくその中からブランコを選んで座る。
里田はブランコには乗らず、あさみの正面。ブランコの周りを囲う柵に座った。

「美貴じゃないけど、やっぱ外人連れてくるのはずるいだろって思うし」
「今日の子、留学生とよく間違えられるけど、ホントはずっと日本にいたらしいよ」
「それならそれでもいいけど、でも、どっちにしても、毎試合エース級とマッチアップするまいは大変だと思うしすごいと思う」
「マッチアップだけなら誰でも出来るよ。それで止めて、点を取れるからすごいんであって、私は勝ててないからねえ」
「そんなことないでしょ。まいが向こうのエースにやられちゃってたら35点のゲームは出来て無いんじゃないの?」
「私が抑えたわけじゃなくて、周りのフォローがあったからねえ、あれは」
「インサイド入ったら周りを囲む、はうちのスタイルでしょ。それをしっかり出来てるんだからいいじゃない」

あさみはブランコを漕ぎ出す。
あまりしっかりメンテナンスはされていないらしく、あさみが漕ぐたびに金属のこすれる音がする。
前後にゆれるあさみ。
里田からすれば遠ざかったり近づいたり。
会話をじっくり続ける、というのはちょっとやりにくい。
里田があさみの動きをただ目で追っていると、やがてあさみは勢いをつけてブランコから飛び降り、里田のすぐ前に着地した。

「まいは考えすぎなのよ」
「私だってたまには考えるよ。ていうか、あさみから考えすぎってあんまり言われたくないんだけど」
「悩みがレベル高いから、私には解決は出来ないんだけどさあ、そんなに悩みこまなくていいんじゃないかなあ。別に、まい一人でやってるわけじゃないし。まあ、チームのエースが大変なのはわかるけど。エース様が勝てないならしかたないもん。やるだけやってダメならしかたないでしょ」
「そもそも、私はエースなんだろうか、って思ったりもするよ」
「まいがエースじゃないなら誰がエースなのよ」

あさみは里田の隣に座る。
あさみが飛び降りたブランコは、まだ一人でゆれている。

「まいでも自信なくしたりするんだね」
「だから、私は自信過剰タイプじゃないって」
「タイプの問題じゃなくてさ、一年生からレギュラーでずっと出てるのに、それでもまだたりないっていうのがさ。私にはうらやましい限りなのですよ」
「他に無いから、私には」
「そんなこと言ったら、私なんか何もないよ」
「美貴とかさあ、悩んだりするのかね、あれ」
「あれはあれで結構悩んでると思うよ。一年の頃とか、割と上との関係で悩んでる感じだったし。今は今で下との関係で悩まないわけでもないみたいで。はっきり口に出して、相談するとかいうタイプじゃないけどさ」

リーダーの孤独、みたいなものをあさみは藤本に感じていた。
最近は、直接下になる新垣からも、なつかれると言うには雰囲気は違うけれど、憧れ畏敬の念程度は向けてもらっているようだし、結構驚いたけれど、みうなとも枕をぐりぐりされるくらいの距離感も作れているらしい。
あれはみうなだからなだけかもしれないが。
チーム全体のトップとして、暮らしの面での長としてどうかはともかく、試合で並んでコートに立つ面々とはそれなりの関係は作れているみたいで、あさみは良かったと思っている。

里田はふとあさみのとなりから立ち上がりブランコの方へ行き座ってみる。

「これやっぱり低いなあ。子供向けだよね当たり前だけど」
「大人向けブランコとか無いでしょ」
「あさみにはぴったり合ってたよ」
「うるさいよ」
「あさみ座ってよ」

里田はブランコの上に立ち上がる。
えー、という顔をしたけれど、それでもあさみはブランコの方へやってきた。

「一回降りなきゃ無理」

里田は足の間に座らせようとしたけれど、あさみは入りにくいらしく。
一回下りて、あさみが座って、その後ろに里田が足を掛けて立った。

「一回転するまで漕ぐよ」
「ちょっと、本気?」

里田が足を使ってブランコを漕ぎ出す。
二人分の重さで反動をつけられるブランコ。
すぐに四十五度、さらに九十度近い角度にまで回転する。

「落ちる! 落ちるって! 危ないからー」

慌てるあさみ。
やめない里田。

「ストップ! ストップ! ストップー!」

あさみの声に、里田は笑いながらブレーキを掛けて行く。
座っているあさみより、動きに自由度があってバランスは取りやすい。
しがみついているしかないあさみより、自分でコントロールできる里田の方が恐怖感が無い。
やがてブランコは減速し、里田は後ろに飛び降りる。
あさみも足でブランコを止めて前に降りた。

「落ちて怪我でもしたらどうするのよ」
「おしっこ漏れちゃった?」
「バカ! そんなわけないでしょ」

ちょっと本気で怒り気味のあさみである。
怖いし危ないし心配だしの足し算からようやく開放される。
ブランコを離れ、公園の小さな広場を回るように歩きだす。
里田もついてきた。

「まいって結構ガキだよねこういう時」
「あさみほどじゃないけどね」
「私はそういうところはガキじゃない」
「まだ怒ってる?」
「ちょっと」

腹立たしい部分は感じながらも、まいが元気ならそれでいいか、と思わないでもない。
だけど、そうは答えたくも無い。

「夜の公園って、なんか悪い子の場所って感じで結構どきどきするんだよね」
「まいだけだよ」
「そんなことないって」
「普通、夜に公園来ないもん」
「それがたまにこうやって来るからいいんじゃん。花火とかしなかった? 中学の時」
「そんな不良な中学時代を送ってません」

どうせ地味メンだよ私は、とあさみは思った。

「帰ろっか」
「これ以上不良の深夜徘徊に付き合ってられないしね」
「不良じゃないし深夜でもない」

あさみはなんだか脱力して苦笑を見せる。
これだけ元気ならまあ大丈夫か、と思う。

公園を出てしばらく戻った頃に里田が言った。

「優勝したら花火しよう」
「花火?」
「みんなで。さっきの公園で」
「最終日は勝っても負けても最終日だから夕方の便で帰るでしょ」
「じゃあ、前の日」
「前の日じゃ優勝して無いでしょ」
「そっか」

当たり前である。
当たり前すぎるあさみの言葉に、妙に納得した里田。

「大体、公園って結構花火禁止なんじゃないの?」
「あさみは堅いなあ」
「インターハイ優勝の滝川山の手高校のメンバー、深夜に公園で祝い花火を打ち上げて補導、とか私いやだよ」
「花火くらいでそんなのないって」
「まったく、まいはお気楽なんだから」

あきれた声を出しながらもあさみは続けた。

「寮戻ってやればいいんだよ、次の日に」
「そっか。いる子たちでやればいっか」

インターハイから帰った直後は二日間休み。
滝川山の手のルールである。
北海道民はわりとその二日で実家に帰るが、里田もあさみも寮に残るタイプである。

「後三つ」
「後三つ」
「明日勝てるかなあ」
「勝てる」
「明日点取れるかなあ」
「取れる」
「言い切るねえ」
「私が信じないで誰が信じるの?」
「頼れる副キャプテンだなあ」
「エースの方が頼りになるよ」
「エースって言われて違和感無い様に頑張るよ」
「そうそう。その意気」

明日は準々決勝。
滝川の試合は三試合目。
八月の九州の午後。
相手に関係なく、暑く厳しい試合が明日も待っている。

二人は宿まで戻った。

「お風呂入る?」
「私、一年生見てくるから」
「副キャプテン様お仕事ご苦労様です」
「これくらいはやらないと」
「美貴がサボってるからね」
「ゲームキャプテンはいいの。試合の時は。試合の時は私がそういうの全部見るって決めてるんだから」
「そういうルールだったっけ?」
「今回だけね。いままではベンチに入らない副キャプテンなんて無かっただろうから知らないけど。今回は私が見るって、そうしたの。話し合って」

階段の前。
里田は上がって部屋に戻り、着替えを選んで風呂に行きたいところ。
あさみはこのまま洗濯場へ行き、一年生のお仕事確認へ向かう。
そんな分かれ道。

「じゃ、お仕事よろしく」
「お風呂でのぼせないでよ」
「そこまで過保護しなくていいって」
「そっか。じゃね」

一段一段階段を上がりながら話している里田に、あさみが軽く手を上げて廊下を歩いて行った。

 

ここから三つが本番。
松江が来るにしても青鵬が来るにしても、どちらにしても準々決勝からが本番。
大会前からそう思っていた。
そこまでの道のりで大事なのは過程。
勝つのは当然、勝ち方、各メンバーの成長、調子の上がり具合。
そういうのを見てきた。

和田コーチは不安だった。

目論見通りに来ていない。

ミーティングでスタメンははっきりと告げた。
田中、高橋、柴田、石川、道重。
マッチアップは下二人ははっきり決まっていて、石川が四番吉澤、道重が五番あやか。
上三人は大会前からいろいろと想定があった。
それがさらに、今日の試合を見て決めにくくなった。
一年生がスタメンで出てくるかもしれない。

松江のガード陣は強力だ。
それは大会前から分かっていたし、実際に目の当たりにしてその実感は強くなった。
福田、松浦。
一枚だけなら問題ないが、二枚いると手を焼く。
ゲームメイクする福田、外から攻撃力のある松浦。
どちらを重視するべきか。

相手の問題の他に、自分たちの問題もある。
柴田の調子が上がってこない。

本来は、柴田を松浦に当てたかった。
福田に高橋をあてがって、相手の六番、市井はそれほど怖くないので、田中を下げて身長のある控えメンバーを使う、という線も考えた。
福田に田中で市井に高橋でもいい。
田中が福田を押さえられるとは思えないが、他を全部抑えられればポイントガード一人ではどうにもならない。

それらの線は、全部選べなかった。
今の柴田は相手のエース級には当てにくい。
ディフェンスは多少調子が落ちていてもある程度は計算できるのだが、どうもそれ以上に柴田が自信をなくし気味である。

一方で高橋が伸びてきた。
伸びてきたのか単に調子が良いのか。
いずれにしても、今大会好調である。
周りの評価もいいらしく、囲みでも高橋のことについて記者陣によく聞かれる。
技量が上がった、という面もあるが、それ以上にプレイ面で安定感が少し出て来たな、というのを和田コーチは感じている。
高校での試合に慣れ、かといって責任を背負い込みすぎるほどの立場ではなく、プレイ面では程よい立ち位置なのだろう。
二年生同士、相手のエースに多少身長差があっても当てて見るのも良いかもしれない、と思った。
身長差は、インサイドと違って、外のプレイヤーにとってはそこまでクリティカルな要素では無い。
多少押される部分はあっても、ある程度何とかなるんじゃなかろうかと踏んだ。

ただ、問題はある。
高橋はプレイ面で安定感が出てきているように見えるが、人間的にはまだまだ不安定だ。
周りが見えていない。
人の気持ちが分かっていない。

田中と高橋の関係がどうにも心配なのだ。

人と人との連携は、些細なところで崩れることがある。
特に、高校生年代の女子にはそれは顕著だ。
長年、高校女子チームを率いてきた和田コーチには、それはひときわ強い実感としてある。

相手に前から当たられるような場面。
ボールを運ぶのは田中と高橋の二人だ。
和田コーチの見立てでは高橋の方が総合的に上で、そういう場面では高橋に主導権を渡した方が良い、と思っている。
しかし、田中が同じように思っているとは思えない。
自分で行ける、そう意地を張りたくなるのはごく自然だろう。
パスの出し先に見えるのが高橋。
ふと一瞬ためらいが出てボールをさらわれる。
そんな光景がイメージされる。

ホテルの一人部屋。
ブザーが鳴った。

ドアを開けると高橋と石川が立っている。
和田コーチが呼んだのだ。
中に引き入れ、テーブル備え付けの椅子に二人を座らせた。
自分はベッドに座る。

本当は高橋一人を呼びたいところだったが、ベッド備え付けのホテルの一人部屋に高校二年生の女子を呼びいれるのはかなりはばかられる。

「高橋、ここ二試合調子いいじゃないか」
「ありがとうございます」
「二回戦見た時は感情的なところだけかなと思ってたんだが、三回戦見るとそうでもなくてしっかり力つけて調子良いように見えるな」
「早いモーションでスリー打っても入るようになったよね」
「あ、あたし、小さいんで。マーク付かれるとスリー打てんこと結構あったから、なんとかちょっとでも早く打てるようにって」
「早く打っても入らないんじゃ意味無いけど、確率変わらず打ててるからな」
「さゆがオフェンスリバウンドも拾ってくれるし」
「まあ、そういうところもあるだろうけど、打ってるのは高橋だ。そこは自信持っていい」
「ありがとうございます」

印象値として道重がリバウンドを拾う数というのは多くなっているが、実際にはスリーポイントシュートのオフェンスリバウンド、というのに限るとそれほどでもない。
外れるときは近距離シュートより大きくボールが跳ねることが多いスリーポイントは、そもそもセンターの行動範囲外へ飛んで行ってしまう事も多く、高橋の外れたシュートを道重が拾う、という場面は高橋が思っているほどは多くない。
和田コーチは、そういう具体的な説明はしないで錯覚させたおいた方が良い、と思っているので、ただ単純に高橋側の数字だけをほめた。

「プレイ面では二年生らしさというのかな、新人じゃなく落ち着きが出て来たというか、しっかり中堅選手していると思う。ただ、ちょっと心配もあってな。高橋。自分個人のプレイ面だけじゃなく、チーム全体の中の立ち位置として、二年生の中心にいる、一年生を指導する立場であるっていうのを分かって欲しいんだ」
「分かってます。一年生はちゃんと先輩が指導せんといかんて。去年石川さんがうちらにしてくれたように、あたしもがんばらんといけんて分かってます」

石川は隣で満足そうにうなづいているが、和田コーチとしては、そういう面での石川は決して良い例ではないんだが・・・、とおもいつつ続けた。

「そうか、そうだな。分かっているな。うん。そこはわかっているみたいだな確かに。ただ、少しだけな、やり方考えて欲しいんだ」
「やり方ですか?」
「高橋。こう言ってはおかしいかもしれないが、誰でも高橋のように出来るわけじゃない、それはまず分かってくれ」
「それは・・・、はい、分かるような気はします」

誰でも高橋のように出来るわけじゃない、というのはある意味では褒め言葉にも取れる。
誰でも高橋のように早いモーションでシュートが打てるわけじゃない。
嘘で言っているわけではない。
和田コーチは実際そう思っている。

「特に一年生は下級生だ。ある意味では先輩と同じようには出来ないのは当たり前のことだ。それをな、まず認めて欲しいんだ。高橋が石川と同じようには行かないって言うのと同じことでな」
「でも、それを出来るようになろうと頑張らんといけんのじゃないですか?」
「それはそうだ。そうだけど、人には感情というものがある。高橋はいろいろな場面で不満を感じることがあるかもしれない。でもな、試合の目的は勝つことだ。勝つためにやっている。感じた不満を解消するためじゃないんだ。後輩を強く責めることで、高橋の不満は和らぐかもしれない。でもな、それは勝つことっていう目的に?がることじゃないんだ。勝つという目的に繋げるためには、相手を納得させないといけない。そうしないとただ反発されるだけだから」

高橋は不満そうに唇を真一文字に結ぶ。
答えは返ってこない。
何のことを言っているかは高橋に伝わっているようだ、と和田コーチは受け取っている。

「そうじゃくてもゲーム中は熱くなりがちだ。石川なんかもよくあるな。熱くなって周りが見えなくなること」
「ありますねー。そのまま熱いままだとたいていうまく行かないんですよね」
「高橋が熱くなって、がーっと言いたいことが出てしまうのはわからないでもない。でもな、言われた方はもっと熱くなるわけだ。うるせー、って思ったりもするだろ。特に高橋。もう二年生なわけだから、一年にそういう風に感じさせない配慮ってものが必要なんだ。高橋の方が先輩なわけだから。今まで思い起こしてみろ。まあ、石川あたりは熱くなってゲーム中にがーっと高橋にあれこれ言ったこともあったりしたかもしれないけど、基本的には先輩たちは後輩たちの状態に配慮しながらいろいろと言ってきたはずだ」

和田コーチの頭の中には、今はもう卒業していないが平家であり、あるいは柴田が浮かんでいる。
そういう部分もあるから、多少不調でも、大事な試合で柴田は外せない。

「田中は高橋から見てまだまだ未熟に見えるんだろう。特に高橋自身あのポジションできるだろうから、自分がやればこうなのにって思うところはあると思う。だけど、高橋。お前は一人しかいないんだ。高橋が二人も三人もいるわけじゃない。そして今は近いけれど違うポジションを高橋自身はやっていて、ポイントガードは田中だ。田中だってある程度感じてるはずだ。高橋さんは自分よりこのポジションうまくできるんじゃないかって。そこに強圧的に高橋本人から何か言われたら、コートの上で萎縮するだろ。そうしたら困るのは誰だ? まあ、田中も困るが、チーム全体が困るんだよ。高橋が、各場面場面で田中に言うことは、内容としては正しいかもしれない。コートの外にいる俺には全部が聞こえてくるわけじゃないからわからないけどな。でも、正しかったとしても、相手に伝わらないと意味無い、というかマイナスなんだな」

高橋としてもこの大会に掛ける意気込みはかなりのものがあるのだろうと和田コーチは感じている。
コートの上で、あるいはタイムアウトなどでベンチに戻ってきたとき、田中に向けてあるいはチーム全体に向けてあれこれ言うようになったのはこのインターハイが初めてだ。
一年生だった昨年や、これまでの県大会、関東大会レベルの大会ではそういったことはなかった。

「まあ、高橋にも不満はあるだろうけど、こういう言い方あれだけど、先輩になってるんだから、先輩として、ちょっと気を使ってやれ」
「先輩って大変なのよ。高橋もなってみてわかっただろうけど」
「石川も、良い手本を見せないとダメなんだぞ。高橋から見て石川の方は先輩なんだから」
「分かってますよ」
「どうも、そういうところたよりないんだよなおまえは」
「そんな言い方されたら、生徒の石川はコートの上で萎縮しちゃいますよ」
「何を生意気な。お前がそんな玉か? まあ、石川も変わったよ。一年の頃は確かにそんな玉だった気がするけど。まさかこうなるとは思わなかった」
「人間って簡単には変われない、って思ってたけど、結構変わっちゃうんです」

高橋を説教するために呼んだ、という風に高橋は感じるだろう。
実際そうなのだが、それが多少なりとも薄れるように、和田コーチは石川も軽くなじっておく。
それくらいで凹むような玉、とはもはや和田コーチは石川のことを見ていない。

「とにかく、後三つ、頼むな」
「分かってますよ」
「高橋。ここまでの相手と比べると一段厳しい相手になるけど、高橋は十分通じるはずだから。ディフェンスもそうだし、点を取るって部分もあるし、それに場面によってはボールを運ぶのが高橋中心になることもある。負担は大きいだろうけど、それに耐えられるものはもう身につけてあるはずだ。そういう部分では心配してない。後三つ、頼むな」
「はい」

まじめな顔で答える高橋。
隣にいる石川が、それに微笑みかけた。

二人を下がらせて一息つく。
まだ仕事は終わらない。
間十分。
またブザーがなる。

今度は石川と田中が立っている。
これも和田コーチが呼んだ。

「田中にとってこの辺は地元って感覚で良いのか?」
「地元っていうにはちょっと遠いです」
「そうか。じゃあ、中村なんかと決勝で当たってもアウェーって感じにはならなくて済むかな?」
「中村だとやっぱ、地元からここに見に来る人もいるし、アウェーって感じだと思います」
「そうか。なんか、田中にとって損だな。せっかく地元っぽいところまで帰ってきたのに地元感が無いってのは。ご家族が見に来たりはしないのか?」
「決勝残れば日曜だから、家族で来るって言ってました」
「そうか。じゃあ、残らないとな決勝まで」
「別に、家族なんて関係なかです。いつでもどこでも富岡は勝たないといけなかです」
「れいなも頼もしくなったじゃない」

さっきの高橋の時もそうだったが、石川が楽しそうだ、と和田コーチには見える。
後輩の保護者役っぽい先輩、という立ち位置が好きなんだろうと思う。

「どうだ? ここ二試合。高校の全国大会は初めてだと思うけど」
「関東大会のがきつかったです」
「ははは。そうか」

二回戦、三回戦、スコア的には楽勝だった。
実際、関東大会の準決勝以降の方が試合の面では危ない場面もあった。
田中としては、関東大会で終盤まで苦労した印象の方が強いのだろう。

「でも、ここからはそうはいかないからな」
「それがわからないほどれいなはガキじゃなかです。青鵬のガードが空気になる相手なんだから簡単じゃないのくらい分かります」
「明日はれいなが頼りなのよ。頼むわよ」
「正直な話しどうだ? ゲームコントロールできるか?」
「十二番相手なら全然問題ないです」
「八番、福田明日香が相手なら?」

和田コーチは福田を高く評価していた。
高橋、小川よりも福田に来て欲しかったのだ。
実際に中三の夏あたりから声もかけてきた。
なかなかはっきりした答えはもらえずにいたのだが、いよいよ受験期という頃になって地元の公立高校に行きます、と返事が返ってきた。
地元の高校、というので、日本一になる気は無いのか? と問うと、「地元だからなれないとは思ってません。先生も地元の子供達だけ集めて日本一のチームを作ったんじゃないんですか? その方針は捨てるんですか?」と逆に問われた。
中学生の子供に言われた言葉であるが、今でも胸に残っている。
そんな福田が、本当に地元の高校で、飯田の出雲を破って、昨年インターハイに出てきたのは大きな驚きだった。
その一年前は、まだまだ福田一人が浮いている、というレベルだったのが、この一年で回りも力をつけて、いよいよ自分たちの前に出てきた。

「やれます。相手が誰でも富岡のガードは負けちゃいけんのです」
「田中、プライドを持つのは悪いことではないが現実は考えないといけない。あれは全国屈指のガードだ。一年生であれを圧倒するのは難しい」
「先生はれいなのことを信じて使ってくれてるんじゃなかですか?」
「信用はしている。ただ、冷静に力は見極めないといけない。たとえば石川にしてもそうだ。石川は攻撃力はある。守りもまあ多少不満はあるがそれでも大分しっかり出来るようになってきた。ただ一つ、どうにもなってないのがあって、それがリバウンドだな。ちょっとこれは弱い。スクリーンアウトとかそういう基礎は出来てるから全然ダメってわけじゃないんだが、それほどリバウンドをたくさん取れる選手じゃない。高さはないしな。そうするとインサイドでリバウンドが取れる選手がどうしても欲しくて、他の部分に多少目を瞑っても道重を使うことになる。状況は冷静に考えないといけない。田中。あの福田明日香にきっちりつかれたら、さすがに苦しいだろう」
「簡単じゃないのはわかってます」
「場面場面で状況は代わってくるが、高橋を頼る部分が結構出てくると思う。それは分かってるな」

田中の口からすぐに言葉は出てこなかった。
高橋の名前が出た時に、少し表情が代わるのが和田コーチには読み取れた。

「青鵬戦の映像。八番が前からついている場面あったな。あれと同じことをやってくることがあった場合、ミーティングでも言ったけど周りがフォローする。それは高橋であり柴田でありだ。田中。これは田中の問題じゃない。例え、田中ではなくて高橋なり柴田なりがガードでボールを運ぶ役割だとして、そこにつくのが向こうの八番で同じように前からついてきたら、その場合、周りにいる田中がフォローすることになる。ただ、その逆なだけだ。田中の問題じゃない」
「柴田さんでもそうですか?」
「運ぶのが柴田でもフォローがいるか、ってことか?」
「はい」
「いる。柴田でも石川でも。誰でもそうだ。田中だからってことじゃない。フォローするのも高橋だからってことじゃない」

田中と高橋の関係は、問題は高橋の側に大きくありそうだけど、解決の鍵は田中の側にあると和田コーチは思っていた。
高橋は性格的に、コートの上で田中を無視したり避けたりするようなことはしないはずだ。
そもそも悪意や害意があるわけではない。
プレイレベルに対する不満はあるにしても、対人間として感情的な何かがあるわけではない。
ただ、表現力が決定的に欠けているだけだ。
一方、田中の方は完全に感情的な問題だった。
まだ、ここまでの試合は、ゲームの中では精神的に余裕のある状況でのやり取りだったので、不満はあっても自分で処理してある程度平穏無事にやってこれた。
ただ、精神的に追い込まれた場面で、さらにあれこれ言われた場合どうか。
感情が先に立つ。
そんな光景が想像される。 

「田中。人はいろいろいる。好きな人間もいれば嫌いな人間もいる。嫌いな人間に、さらに嫌なことを言われれば腹も立つだろう。それは当たり前なんだけど、それでもそれを抑えて振舞わないといけない場面というのがある。それが、例え、相手の方が悪かったとしてもな。そこで感情に押し流されて暴発すると、損をするのはその嫌いな相手ではなくて自分になるんだ。そこを忘れないでくれ」
「何が言いたいんですか」
「ポイントガードらしく冷静にってことだな。それを一試合通して続ける。大会通じて続ける。そういうことだ」
「わかりました」

本当に分かったかどうかはわからない。
ただ、この微妙な反発具合は、誰とのどんなやり取りのことを言っているのかは分かっているということだろう。
腹の中ではそんなこと言ったってむかつくむかつく自分悪くないあーだこーだ、と葛藤しているだろうがその辺を一晩で処理してもらえれば、と思った。

「石川、悪いな。何度も何度も」
「いえ。キャプテンですから」
「しっかりしてるんだかしてないんだかわからんやつだな」
「しっかりしてるわよねー、れいな」
「コートの上では」
「ちょっと、それどういう意味よ」
「田中、もっと言ってやれ」
「先生までなんですか、もうー」

怒った顔を作って見せる石川に、田中が笑みを浮かべる。

「まあ、話はそんなところだ。戻ってゆっくり寝なさい」
「はい」
「ありがとうございました」
「失礼します」
「失礼します」

二人が出て行く。
オートロックが掛かった音を聞いて、和田コーチはベッドに仰向けに倒れこんだ。

「後三つ」

そう言って大きくため息を吐く。
優勝まで後三勝。
三年間無敗で一つの学年を送り出すまで、後三大会。

和田コーチの今日の仕事は終わった。

いつもいつもチームの下支えで、損な役回りが回ってきて苦労する。
滝川カップも、言いだしたのは石川なのに、実質富岡で準備していったのは柴田だった。
スポンサー取ってくるとか、そんな目立つところは石川が持って行ったけれど。
チーム運営だって横で柴田が見てないと大抵、とんでもないことになっていってしまう。
そんなわけで、いつもいつも気が抜けないのだけど、大会期間中は案外、はっきりとすることはなく時間に余裕があったりする。
ミーティングが終わってからは、なんとなくぼーっとしていた。

和室の八人部屋に一人。
他のメンバーはどこかへ行っている。
丸く巻いて端に押しのけられただけの布団。
それを枕代わりにして柴田は横になっている。

ミーティングから戻ってきてからずっとそのままだ。
お風呂行くとか、どこかいくとか、そんなことを同室のメンバー達は言っていたが、柴田は特に答えなかった。
周りもそんな柴田をかまうでもなくそっとしておく。
そっとしておいてオーラが周りに見えたらしい。
その場にいたらそれが見えたかどうか怪しい石川は、一年生二年生の保護者としてコーチ部屋に出入りしたり、それが終わってもそもそも部屋が別でここには来ず、柴田と顔をあわせていない。

眠ってはいけない。
それくらいは思っていた。
何時に寝て何時に起きる。
大会時のスケジュールは決まっている。
どこまで勝ち上がっても第一試合、と固定の位置にいるのでスケジュールは安定している。
まだ、寝るには少し早い。

気使われてるなあ、なんてことを考えた。
そっとしておいてオーラは確かに出したけれど、本当にそっとして置かれるとなんとなく悪いような気がしてしまう。
六人部屋なのに誰も戻ってこない。
戻ってきても荷物を置いてそのまますぐ出て行く。
明らかに、たまたまではなく、意図的に誰もここに戻ってこないんだろう、というのは分かる。

自分のせいで負けるのは、一年でも二年でもつらいけど、三年になって自分のせいで負けるのは嫌だなあ、と思った。
松浦亜弥。
多分、明日当たるんだろうと思って準備してきた。
青鵬が来れば自分は楽な相手だけど、松江が来たら多分この子につく。
その場合、ここが最初の関門だ。
ポイントガードは確かにすごいけど、自分で点を取るタイプじゃない。
自分が、相手の二年生エースさえ抑えてしまえば勝ちだ。
そう、思っていた。

「柴田は相手のスタメン次第だけど六番のつもりで」

ミーティングでの和田コーチの言葉。
ちょっと力が抜けた。
そう来るか、という感じだ。
ここ二戦で、いや、それよりもっと前、県大会、関東大会から、少しづつ自分はプレイヤーとしての信頼を失ってきていたらしい。
そう、思った。

六番。
あまり印象に残っていない選手だ。
試合で自分がマッチアップについたという事実の記憶はあるけれど、プレイヤーとしての印象はあまり残っていない。
外のシュートを忘れて離れて付く、なんてことをしなければまあ大丈夫だろうとは思う。

体の疲れは無いんだけどなあ、と考える。
二回戦、三回戦、対して仕事をしていない。
二試合合わせて、稼働時間は一試合分程度。
疲れがたまる、などといえるような試合はしていない。
足が痛いとか肩が痛いとか背中が痛いとか、そういうこともない。
体調面に問題は無い。

ただ単に下手になっただけかな、とも思う。
シュートが入らないのはシュート練習が足りないからだろうか?
数は減らしてないはず。
集中力の問題か?
試合で集中力が無い、ということではなく、練習で、ただ数こなすだけになっていて、練習になってないんじゃなかろうか。
そんなことを今考えても、明日から改善できるわけも無い。
そうだとしても改善できるのは大会が終わってからだ。

もう一度一年生に戻りたい。
そんなことも思う。
気楽な立場に戻って、しっかり考えて練習したい。
今の自分のまま一年生に戻って二年間しっかり練習すれば、きっと強くなれる。
でも、そんなのはSF小説でも無い限り不可能だ。

「おーい、寝てるのか?」

そっとしておいてオーラが破られた。
ドアが開いたことにも気がつかなかった。
久しぶりに声をかけられたので、反応してそちらを見てみると、三好がいた。
柴田の横に座り込む。
柴田は体は起こさず視線だけ向けた。

「お風呂入って無いでしょ。そろそろいかない?」
「一人で行きなよ」
「でも、もうあんまり時間ないよ。それともお風呂入らずに寝ちゃう? さすがにきついでしょ、試合してお風呂入らず寝ちゃうのは」
「後で行くよ」
「だから、時間無いって。寝る時間後ろにずらしちゃダメでしょ」

めんどくさそうに時計を見る。
確かに三好が言うとおりに、後で、などというような時間でも無い。
仕方なく、腹筋使って体を起こした。

「みんなは?」
「どっかでなにかしてるよ」
「すごい答えだね。絵梨香はお風呂入ってなかったの?」
「うん。なんかね、入りそびれて」

柴田は立ち上がって自分の荷物のところへ向かう。
三好も自分のカバンをあさりだした。
着替えなどを掘り起こす。
声をかけたのは三好なのに、準備が遅い。

「なにやってるの?」
「シャンプー出てこなくて」
「昨日置いてきちゃったとかじゃないの?」
「あったあった。お待たせしました。参りましょうか」

それぞれ荷物を持ち、大浴場へ向かった。 

宿に今泊まっているのは富岡の他には男子サッカーの代表校だけだ。
部屋は埋まっていて、食堂なんかは混んだりするけれど、大浴場に男子サッカー部は関係ない。
女湯に入るのはせいぜい二三人の女子マネージャー以外は富岡関係者だけだ。
他のメンバー達はもっと早い時間に大体済ませているらしい。
脱衣場を見渡しても荷物が何も無い。
二人の貸しきり状態になるようである。

「あゆみとお風呂入るの初めてだね」
「なに、その、ちょっといやらしい感じの言い方」
「なにって、はだかの付き合いですよあゆみさん」
「だから、その言い方でその目でこっち見ないでよ」
「女同士でなに気にしてるんですか。ほら。バーンと行きましょうバーンと」

先に服を脱いだ三好。
本当にバーンといって、タオルで隠すこともなく柴田の横に。
まだ複数の生地をまとっている柴田はそれを、しっしと手で追い払う。
普段は特に気にしないが、三好の言い回しが、なんだか妙に意識させられてしまう。

「じゃあ、中でお待ちしてますよー」

先に三好が浴場へ入って行った。
ちょっと間を置いて、柴田も残りの生地をはがし中へ入って行く。
目の前で三好が待ち構えている、などということはなく、背を向けて鏡に向かっている。
広い浴場で隣に座る気もなんとなくせず、少しはなれたところに柴田も座る。 

浴場には備え付けのボディソープなりシャンプーなりがあるが、二人ともそれらは使わず自前のものを使う。
それぞれにお風呂で済ませる所用をすませていく。
先に三好が湯船へ。
しばらくしてから柴田も。
今度は離れたところ、ではなくて、タオルで前を隠しつつ三好のところまで歩いて行って横に座った。

「きれいな体ですねー」
「やめてって。絵梨香ってそういう趣味のある人?」
「そういうって?」
「だから、・・・なんでもない」
「だから、なに?」
「なんで、顔がエロオヤジなのよ。もー」

ちょっとむくれた柴田を見て三好が笑う。

「かわいい子の体とかちょっと気になるじゃん」
「だから、その言い方完全にエロオヤジなんだけど」
「本当にエロオヤジがいるよりいいでしょ」
「それはそうだけどー」
「ていうかさあ、もっと上下関係厳しくて、三年生一番風呂、一年生は最後、とかそういう世界かと思ってたらそうでもないんだね。先輩、お背中お流しします、とかそういう世界でも無いし」
「え、あー。うん。ないね、そういうのは」

突然まともな会話になったので柴田は戸惑ったが、それなりの答えを返す。
そういう極端なヒエラルキーは富岡には無い。 

「スタンドメンバーの私が、スタメンのあゆみ様のお背中流しても良かったんだけど」
「だから、ないってそういうのはうちには」
「でも、疲れてるんじゃないの? やぱり、見てるだけの私らと比べると」
「そうでもないよ。もっと試合でてれば疲れがどうとかなってくるだろうけど、まだそこまでいってないし」
「問題は体の疲れじゃない?」

柴田が三好の方を見る。
壁際に並んで座る二人の正面は脱衣場につながる扉。
人は入って来ず、二人だけの大浴場。
微笑む三好から視線を外し、入り口ドア辺りを見ながら柴田が言った。

「問題はそこじゃないね」
「そう思ってるだけじゃなくて?」
「体は元気だよ」
「じゃあ、何が問題?」
「それが分かれば苦労してないって」
「そっか」
「そうだよ」

柴田は湯船の水を掬って、両手の平を少し離して間にこぼす。
一度、二度。

「結構みんな気を使って私のことほっといた?」
「あゆみが近づくなオーラ出すのは珍しいみたいだからね。心配してたよ」
「そっか。申し訳ないです」
「別に謝ることは無いし。でも、めずらしいなとは私も思った。やっぱ調子があんまり良くないってのが理由? それとも、相手のエースのマークを高橋に取られたから?」
「マークがどうってのはあんまり関係ないかなあ。ああ、でも、先生の信用も無くしかけてるかなとは思ったけど」
「信用無かったらスタメン外すでしょ」
「形を変えたくないだけかもしれないよ。スタートの」
「ネガティブだなあ」
「あんまり今、自分が自分のこと信用してないからね」

先に湯船に使っていた三好。
顔に染み出ている汗をタオルでぬぐう。 

「絵梨香とか、唯ちゃんとか。他にもベンチに入れなかったり、ベンチで試合に出られなかったりする子たちの分まで頑張らないといけないんだけどね」
「いいんじゃない、別に。そこまでがんばらなくても」
「いいって?」
「私の分はそのうち私が頑張るよ。人の分まで頑張らなくていいって思う。石川は周りの気持ち考えなさすぎだけど、あゆみは周りの気持ち考えすぎ。考えすぎっていうか背負いすぎかなあ」
「一年生や二年生ならまだ許されるけど、三年生で試合出てたらそれくらいは考えるよ」
「石川にそのあゆみのつめの垢か、この浮いてる毛を煎じて飲ませたいよ」
「ちょ、なに、なにそれやめてよ」
「冗談冗談。別に、あゆみのって限らないし」

三好が掬い取ったなにやら黒いものに柴田は動揺して、それを奪い取ろうとするが、三好はそのまま捨てた。

「もうちょっと気楽にやってもいいんじゃない? 気楽にっていうか好き勝手にっていうか。あゆみはそれくらいでちょうどいいと思う。石川はもうちょっと周りのことも考えろって感じだけど」
「二人で足して二で割った真ん中がちょうど良いって言われるよ」
「ホントそんな感じ」
「梨華ちゃんだって考えて無いわけじゃないんだよ」
「だからそこで今度は石川のことを考えてフォローしたりしなくていいの。石川のバカヤロー、お前のせいで私が苦労してるんだー、くらいのこと、本人がいないとこでは言っちゃえばいいじゃん。特に、私なんか、あの子のこと嫌いなのはっきり分かってるんだし」
「梨華ちゃん、そんなに悪い子じゃないよ」
「私が煽っても無駄か。まあ、あんまり人の悪口言ってるあゆみって想像できないからしかたないけど」

三好も両手で体を支え、少し浮き上がって足を伸ばして湯の上に出してちゃぷちゃぷと液面をかく。
しばらく無言。
柴田は湯の中でひざを抱える形に座り込む。
三好も子供が遊んでる姿から座りなおして、顔に浮かぶ汗をタオルで拭いた。 

「自分のせいで明日負けたらどうしよう、とか思うよ」

三好は一度手に持ったタオルを背もたれにしている段の上に置く。
話は聞いているけれど答えない。

「先輩たちはこんなプレッシャーの中戦ってたんだな、なんて改めて思った。私たちはずっと負けずに今日まで来てる。私は三年生になった。スタメンでコートに立つのは私と梨華ちゃんの二人。もう誰にも頼れない。ピンチの時には一年生二年生が私たちの方を見る。だけど、自分は今、それに答えられる力が無いなあって思うんだ。どうしようって顔で見る一二年生に、こうすればいいって言ったり、私に任せなさいって言ったり。そういう自信がいまない。そういうの、梨華ちゃんはできるんだけどね、けっこう。私は、できない。でも、出来ない、無理って言うわけにはいかない立場でさ。どんなに怖くても、大丈夫って顔、私たちはしてないといけないし。明日。たぶん田中は苦労すると思う。あそこのマッチアップだけははっきり今の力で負けてるって思うし。高橋も簡単な相手じゃない。明日は高橋次第でずいぶん展開代わってくると思うけど、もし、高橋がダメなら、その辺全部フォローしなきゃいけないのは私なんだ。ディフェンスでもそうだし、点を取る方でもそう。変な言い方だけど、高橋はダメでも許されると思うんだ。相手エースとのマッチアップだし、まだ二年生だし。でも、私がダメなのはもう許されない。まだ、今日までは、私一人ダメでも全然問題なかったけど。明日は多分許されない。怖いんだよね。自分のせいで負けるかもしれないっていうのが。去年までもそういうことは考えなかったわけじゃなかったけど、でも、自分がダメでも先輩たちが何とかしてくれるみたいな甘えがあった。でも、いまは、甘えられる人はいないんだ。さすがに、梨華ちゃんに甘えるわけにはちょっといかないしね」 

部屋で一人、布団を枕にして横になって考えたこと。
明日の試合展開をどうするか、というようなことだけを長々と考えていたわけではなかった。
もっと継続的に、長い間ひきづっている問題だ。

「そのあゆみの悩みに正解を出して上げられるほど私は立派な人間じゃない。全部自分で背負うことは無いって思うけど、でも、三年生だから後輩たちの分を背負うって考えは悪いことではなさそうだし。リーダーって確かにそういうものって気もするし。だから、それを否定はできないし。じゃあ、その怖さを克服できる何かを私が出してあげられるかっていうと、やっぱりそれはできないし。あんまり私じゃ力になれないなあって気がするけど。でも、一つだけ言えるよ。明日、明日じゃなくて、いつでもそうだけど、もし負けても、それも例えば、もう明らかに誰が見てもあゆみのせいで試合に負けましたって感じの試合になったとしても、私はあゆみのことを、おつかれって迎えるよ。別に、あゆみのことを責めたりしない。こういうチームだと、あんまりこういうこと言う人いなさそうだけど、負けてもいいんじゃない、別に。普通みんな負けるんだからどっかで。負けたらどうしようじゃなくて、勝ったらすげー、ってレベルだと思うよ、この辺ってもう。まあ、勝っても負けてもあゆみはあゆみってことよ。戻ってきたら、私が裸の胸で抱きしめてあげる」

最後になって柴田が三好の方を向いた。
困った子を見るような顔をしている。

「なんかいいこと言ってるみたいだったのに、なんで最後にそうなるのよ」
「冗談冗談。まあ、気楽にやったらってことですよ。やるだけやってダメなら仕方ないでしょ。誰もあゆみを責められるような人はいないって。まあ、でも、明日は大丈夫なんじゃない? マッチアップの六番? 私レベルでしょ。あゆみの相手じゃないって」

柴田が今度は苦笑い。
市井が三好レベルという発言は、肯定しても否定しても、どちらかに失礼だ。
なんとも答えられない。

「ちょっとは私、お役に立てましたでしょうか?」
「え? ああ。うん、役に立った立った。ありがとね。愚痴聞いてくれて」
「なんか、投げやりな役に立っただなあ」
「そんなことないって」
「まあ、小さいこと心配しなくて良いってことですよ。勝っても負けても、あゆみのことはこの絵梨香さんがこうやって抱きしめてあげます」
「ちょっと、やだ、やめてって」

はだかの三好が、はだかの柴田に、本当に抱きついた。
左から抱きつかれた柴田、右手で引き剥がそうとするけれど逃げ切れない。

「うーん、引き締まったスポーツ選手の筋肉と、このやわらかさを兼ね備えて、あゆみはすばらしい」
「もう、やめてって!」

三好の右手が柴田の上半身の真ん中あたりに触れる。
腕力で引き剥がすのをあきらめて、右手でお湯を三好にかけまくった。
ひるんだのか満足したのか、三好は離れる。

「あ、照れてる。かわいい」
「もうー・・・。絵梨香ってそういう趣味の人なの?」
「そういう趣味ってわけじゃないけど、でも、かわいい女の子は好きだよ」
「もう絵梨香とはお風呂入らない」
「えー、そんな。あ、それとも、私のこと意識しちゃう?」
「バカ!」

両手でばしゃっと三好に水を掛ける。
柴田は立ち上がって少しはなれたところに改めて座った。
三好は追いかけて横に座る。
柴田は立ち上がって離れる。
繰り返し。
浴槽の済みまで行って終わる。

「ホントに怒った?」
「怒った」
「ごめんなさい」
「もうしない?」
「はだかで抱きついたりとか?」
「そう」
「胸触ったりとか」
「口に出して言わなくていいから。もうしない?」
「じゃあ、あゆみにはしません」
「もしかして昨日とかもこういうことしてたの?」
「さあ、どうでしょう?」

はあ、と柴田がため息を付く。
冷たい視線を三好に送り、タオルで顔を拭いてから言った。

「絵梨香がこんなエロオヤジだなんて知らなかったよ」
「エロオヤジは言いすぎでしょ」
「全然」
「あゆみは厳しいなあ」
「自分が悪いんでしょー」
「おっしゃる通りでございます」

三好が柴田の方に向き直って正座する。
液面すれすれまで頭を下げる。
その姿がなんだかおかしくて、柴田は笑った。

「そろそろ出ようか」
「そうだね」

結構長時間湯船に浸かっている。
のぼせ上がるわけにもいかないし、就寝時間も近い。
髪を乾かす時間もなくなってしまう。
二人は浴場から出た。 

貸しきり状態だった大浴場。
二人が服を着終えた頃一人入ってくる。
田中だ。

「独り占めはいいけど、あんまり遅くまでいちゃダメよ」
「はい、分かってます」

柴田が声をかける。
鏡を見たり荷物をいじったり。
田中は服を脱ぐ様子を見せない。
二人が出て行くのをしっかり目で追っていた。

「あの子昨日も確か一人で遅くに荷物持ってお風呂行った気がするんだけど、友達いなかったりするのかな?」
「そんなことないでしょ。道重なんかとは仲いいはずだよ。あれじゃない。絵梨香みたいなのがいるから警戒してて一人で入りたいとかかもよ」
「私、すっかりエロオヤジ扱い?」
「うん」
「ためらいなく肯定ですか」
「だってそうでしょ」
「まあ、仕方ないか」

それほど強くは抵抗することなく、エロオヤジ称号を受け入れた三好。
それを見て柴田は笑い、三好も笑った。

 

意外に緊張は無かった。
食事がのどを通らないと言うことは無い。
普通の朝だ。
インターハイベスト8
なんだそりゃ?
実感はあまり無い。
県大会ベスト8に初めて進んだときも、まあ、こんなもんだった。
目が覚めた場所が家ではなくてホテルの七人部屋なところが違うけれど。

県大会ベスト8のときは飯田圭織に負けたんだよな、なんてことを思った。
あの時は自分がエースだった。
キャプテンでエースですべての中心に自分がいた。
飯田のマークは保田がしたけれど、試合自体は自分と飯田の試合だったと思ってる。
飯田一人に51点取られたが、市井自身も25点取っていた。
個人の力としてダブルスコア。
そのままチームとしての力もダブルスコアだった。

あの頃が自分の頂点かおい、と窓に映る自分の顔を見ながら思う。
宿からバスで会場へ移動。
隣には小さなガキが座っている。 

「よく寝れた?」
「あぁ? 寝れたよ。冷房かけとけば暑くも無いし」
「緊張で寝れないとかないの?」
「別に無いね」

強がりでもなんでもなく、緊張はとくになかった。
緊張するほど実感が無いという方が確かかもしれない。

県大会ベスト8は自分の力で勝ち取ったものだった。
去年インターハイに出られたのも、自分の力がすべてではないけれど、けっこう大きなところを占めていたと思っている。
三連続スリーポイントなんて、実戦でそうそうあるもんじゃない。
私がいなけりゃ去年も県大会で終わってたはずだ。

今年は・・・。
今年、自分は何かしたか?
実感が無い理由はこれだろう。 

二回戦、速攻でミスってスティールされて逆速攻くらって流れを持っていかれた。
もう少し早い時間帯で、相手の留学生が余力の十分あるところだったらひっくり返されていたかもしれない。
三回戦、スタメンから外れてベンチに座っていた。
余裕のある相手だから辻ちゃんに経験を積ませる。
そういう説明を受けたし、周りもそれで納得したように見えたけど、本当か?
自分がコートに上がったのは、もう点差が二桁開いている状況だった。
勝負が決まる、というところまでは行っていないが、すでに大きな余裕があった。
まるで、経験を積ませるために控え選手を使っておこう、みたいな場面に、市井には感じられた。

「紗耶香、頼むよ。さやかは四年生の代表なんだから」
「誰が四年生だ。自分が小学四年生だろ」
「なにをー。これでも紗耶香と違って大学生なんだぞ」
「じゃあ、大学行けって。若い高校生に混ざってるんじゃないよ」

試合に対する緊張感。
そんなものあるわけないのだ。
それ以前の問題。
自分は出られるんだろうか?
そこからすでに怪しい。
相手が強くてどうしよう、なんていう恐怖を感じる必要がある立場なのかどうかがもはやわからない。 

「なに、矢口は寝れなかったの?」
「なんでおいらが寝れないのさ」
「裕ちゃんに寝かせてもらえなかったんじゃないの? 女にされちゃった?」
「バカ! アホ! んなわけあるか」
「かわいいじゃんか照れちゃって。私別にそういうのに偏見とか無いから、応援してあげてもいいよ」
「あるわけないだろ!」
「叩くな、叩くなって。こっちは負け犬と違って今日も試合なんだぞ」
「本当に緊張もしてないのはよく分かったよ」

矢口が両手でバンバンと叩くのを、市井が両手を掴んで止める。
両手をつかまれると矢口も大人しくなった。
顔は呆れ顔だ。

「あんまり緊張感無いのもあれだけど、頑張れよ」
「出れたらな」

そう言って市井は矢口の頭をぽんぽんと二度、撫でるようにたたく。

「子ども扱いかよ。大学生扱いしたと思ったら今度は」
「どっちでもいいよ。ガキでも大人でも」

窓の外には体育館が見えてきた。
市井は矢口への興味を失い、窓の外を見た。
試合に出たいな、と思った。 

体育館に入ったのは試合開始の二時間前。
まだ、観客が集まっているような時間ではない。
今日は女子の準々決勝と男子の三回戦。
二コートで十二試合。
女子はすべて同じコートで第一試合から第四試合までで行われる。
この時間だと体育館にいるのは運営関係者と試合に出るチーム関係者がほとんどだ。
第二試合以降のチームはまだ来ていない。
会場にいる女子は、自分のチームでなければ対戦相手のチームだ。

松江のメンバーが入って行くと、女子の集団が見えた。
富岡のメンバーだ、と誰もが認識する。
遠い場所だったけれど、石川、柴田あたりの顔も見えた。
声をかけに行ったりは誰もしない。
認識だけして、ロッカールームに入った。

いつもとタイミングが違うが、荷物を置いたこの段階で簡単なミーティングをする、と中澤が告げた。
宿からジャージ姿出来ているのでここで今から着替える、ということはない。
部屋に入って荷物を置いて、そのままミーティングだ。

「いつもと違ってあれかもしれんけど、一応、この段階で言っとこう思ってな。今日のスタメン」

今までは、わざわざ事前にスタメンを告げなくても、ほとんど暗黙の了解で分かっていた。
たまにいつもと違うメンバーを使うときも、いつもと違う本人だけは事前に知っている、という状況になっていた。
今日は違う。
昨日のミーティングの時点で、本当にスタメンが決まっていない。 

「四番吉澤」
「はい」
「五番あやか」
「はい」
「六番紗耶香」
「ん? はいはい」
「返事が軽い」
「はい」
「七番松浦」
「はい」
「八番明日香」
「はい」

スタメンか。
普通に、事実として、ただ、そう思った。
まだ、使ってはもらえるらしい。

「相手のスタメン、変わって来たらまた考えるけど、昨日までのスタメンのままだとして。うちは何も変えずにハーフのマンツーね。マッチアップは、よっさんが四番。キャプテンマッチアップな」
「はい」
「あやかが十四番。一年生のリバウンド取る奴。オフェンスリバウンドはともかく、ディフェンスリバウンドは取られないこと。スクリーンアウトしっかり」
「はい」
「紗耶香は五番。オールラウンドに何でも出来るタイプのはずだけど、まあ、紗耶香も本来そういうタイプだし、ベテランの味を見せてやって」
「了解」
「明日香は十二番な。自分から代えてくれって頼みたくなるくらいにいじめてやって」
「前から当たれってことですか?」
「そこまでしなくてええよ。そこまでして四十分持てばええけど、そうもいかないだろうから」
「はい」
「あややが七番ね。シューターっぽいけど、あややのが身長あるからいけるでしょ」
「当然です」
「二年生同士だし、あややがハンデ背負うところは無いはずやからしっかり押さえ込んでや」
「はい」

五番。
市井としては出るならマッチアップはそこだろうとは思っていた。
嫌な相手だ。
滝川カップではスリーポイント七本を含む35点を取られた。
それも四十分ではなくて、三クォーターで下がったにもかかわらずだ。
力量的には完全に向こうが上だろう。 

ミーティングを終えアップを始める。
ストレッチ、ジョグ、フットワーク。
まだコートに入れないので開いている通路などで行う。
しばらく時間が経ち、会場使用オーケーになったところでコートに入る。
第一試合、前の試合がないので早い時間からアップで使用できる。
ロッカーから荷物を持ちコートへ。
同じように富岡のメンバーたちもコートに入ってきた。
コートの反対側で和田コーチが軽く頭を下げている。
ふと見ると、中澤が会釈していた。

選手同士は視界に入っているけれど、特に挨拶を交わすということはしない。
まだそれぞれTシャツ姿なので番号は確認できないのだが、お互い主要メンバーの顔は覚えている。
市井にも柴田の姿は目に入った。

コートに移動してからはボールを使うアップに入る。
スクエアパス、ランニングシュート、ツーメン、三対二。
体は動く。
疲れが残って体が重い、ということも無い。
大体、昨日はそんなことを言うほど出ていない。

十分前、とレフリーがコールする。
会場を見上げるとスタンドは満員だ。
入場料、という概念のないインターハイは地元の観客がよく集まる。
小学校、中学校、高校のバスケ部員や、各種のマニアなど。
この暑い中わざわざご苦労なことだ、と市井は思う。

タイマーが数字を刻む。
七分を切った頃、一連のアップは終わりフリーシューティングになった。
このタイミングで一部のメンバーはロッカーに一度引き上げる。
市井もその口だ。
ここまで上はTシャツでやっていたのをユニホームに着替える。
ユニホームの上にTシャツを着込んでいるメンバーは関係ないが、そうでないメンバーは人目の付かないところで着替えないといけない。

「調子良さそうだね」
「そうか?」
「三対二でスリー決めてたでしょ」
「あんなノーマークでシュート打つなんてことこの試合でありえると思うか?」
「あるんじゃない?」

部員で唯一ため口なあやか。
他には福田もロッカーに戻ってくる。

「明日香、私って調子いいの?」
「知りませんよ、人の調子なんて」
「じゃあ、パス出す気にはなる?」
「空いてれば出しますよ。調子悪くても」
「悪くても出すのかよ」
「松と市井さんが外から決めれば、あやかさんなんかは大分楽になりますよね」
「私も今日は点を取らないといけない立場みたいだからね」
「そうだよ。あやか、一年相手だろ。ていうか、明日香もじゃんか。おまえらいいよな楽で」
「市井さんも年下相手ってことじゃかわらないでしょ」
「変わるだろどう考えても」

話しながらも手は動かす。
さっさと着替えて福田が出て行く。
あやかも出て行こうとしたのだが、市井が着替え終わっているのに長椅子に座った。 

「行かないの?」
「ああ、先行ってて。ちょっとバッシュ」
「わかった」

シューズの紐を直す。
あやかが出て行き部屋に一人になった。
おそらく試合開始まで後五分くらい。

左足、右足、どちらも結び直す。
顔を上げた。
部屋には誰もいない。

緊張はしていなかった。
スタメンを言い渡されても、ああそうか、と普通に受け止めただけで、特に緊張感が増してくるということはなかった。
落ち着いている。
場数を踏んだというのともちょっと違うんだろうな、と思う。
四十分後、いや、四十分のゲームを終えた、大体一時間半後くらい。
自分はどんな顔をしてここに帰ってくることになるんだろう。
そんなことを考えてみたけれど、意味無いなと思い鼻で自分を笑った。
立ち上がる。

「やってやろうじゃないの。久しぶりに」

ひとり言。
そう、つぶやいてロッカールームを出た。 

 

記者用の席はここからは二ヶ所。
AコートとBコート、それぞれに対応した場所にある。
すべてメイン会場での試合になったので、タクシーで移動などということはない。
朝から居座れば最後まで席は取れる。

「稲葉先生、この試合のポイントはどこですか?」
「なに? 今度は先生扱いなの?」
「なんでもいいですよ。稲葉さんはどの辺に注目してこの試合見るのかなあと思って」
「富岡の一年生はどれくらいの力があるか、ってところかな」
「へー。なんか意外」
「そう?」
「石川さんとか高橋さんとか、そういうところに眼が行くもんなんじゃないかなっと思って」
「富岡が足をすくわれるとしたら、一年生が全然ダメだったとき、だろうと思うからね」

稲葉と斉藤。
専門誌への記事は当日書き上げる必要は無いのだが、二人ともウェブ媒体との契約があった。
大会四日目、そろそろ朝は眠い、となって来る時期である。

「足をすくわれるって言い方するってことは、富岡のが強いって理解ですか?」
「真ん中三枚が手厚いからね。松江はどうしても外外になるだろうから。よっぽど松浦さんが頑張って一人で点を取るか、福田さんが自分で取りに行くか。それも中だるみなく継続的にね。そうでもしないと一時的に互角の展開を作れても最後は厳しいんじゃないかなあ」
「インサイドは厳しいですか?」
「リバウンドが取れればね。チャンスはあるだろうけど。富岡の一年生はその辺は強いみたいだから。厳しいんじゃないかなあ。それと、先生の経験の差も大きいだろうから。競った試合だとそこがポイントになることもあるし。そうすると、競った合に持っていけても松江は厳しいってなっちゃうんだよね」
「確か松江って創部四年目とかでしたっけ」
「そう。だからやっぱり、積み上げた経験値の大きさも富岡のが大きいんじゃないかな」

記者席の感覚は、富岡に分があるというもののようである。

 

スタンドの上には勝ち残っているチーム関係者もまだ陣取る。
待合室、のようなものはなく、試合に関係ない時間は勝手にどこかにいてくれ、というシステムだ。
一方、第二試合のチームはそろそろアップを始める時間だ。
前の試合の開始時刻、というのがアップ開始の大まかな目安としている場合が結構ある。
中村学院のメンバーたちは、すでにアップを始められる体勢になり集まり始めている。
スタンドには上がらずに、フロア入り口から中の様子を覗き込んでいた。

「ワンプレー終わったくらいでアップ始めるよ」

アップは完全に生徒たちに任されていて、コーチはここにはいず、ベンチに入れないメンバーたちと共にスタンドの上にいる。
今年、是永はキャプテンになった。
柄じゃないよ、と本人はいったが、実力が圧倒的なことと、なんだかんだでチームをまとめる力はある、周りが感じていて本人以外からの反対は無かった。

「松江ってどんなチームか誰か知ってる?」

周りに振るが誰からも要領を得た答えは返ってこない。
中村学院も昨日までは滝川と同じくサブ会場の方にいた。
メイン会場の試合は一つもまだ見ていない。
中国大会優勝で松江はシードはついていたがまだまだ全国的な知名度は無い。
是永にとっては、対戦したことも無いし、対戦するかもと思うようなく組み合わせの位置に入ったことも無いし、まったく未知のチームだ。

「石川さん、今日は何点取るかな?」

ほとんど石川にしか興味は無かった。 

今日の滝川の試合は第三試合。
一試合目は観戦して、それが終了後アップ、という流れになっている。
まだ宿にいてもかまわないような時間ではあったが、全員すでに会場に入っていた。

「二三回戦、やっぱり圧倒的だったよね点差だけ見ると」
「中身がある試合だったのかは実際見てみないとわからないけどね」

別会場にいた滝川は、本会場での試合は一つも見ていない。

「相手が松江くらいになってくるとちゃんと試合になるかな?」
「なに言ってるの? 美貴は松江が勝つと思ってるよ」
「はぁー? 本気で言ってるの?」
「松江のガードと富岡のガードじゃ差があるから。松江が勝つと思う」
「美貴はガードの力だけでチーム力を全部見すぎ。大体松江の、誰だっけ? 八番? うちで試合したときも来てなかったし、生で見て無いでしょ。実際見てみないとわからないってその口で言っておいて、それで判断できるの?」
「昔のままでも富岡の一年よりは上だし、時間も経ってるから伸びてるでしょ。それに、七番と富岡の猿でも松江の七番のが上だし」
「七番って美貴が1on1で負けた子だっけ?」
「あれは負けたとは思ってない」

滝川のスタメングループは最前列に陣取っていた。
早い時間に出たスタンド組みが場所を押さえて、後からきたベンチ入り組みが前の方に座る。

「麻美はどう思う?」
「出てきましたね」

里田が麻美に振ったタイミングで、両チームのベンチからメンバーがコートに入ってきた。

「富岡、一年二人いるからどうかと思いますけど、でも全体的には富岡のが上じゃないですか?」
「私もそう思うんだけどね」
「美貴さんがそんなに言う松江の八番がちょっと気になります」
「美貴よりちょっと下手くらいで思っておけばいいよ」
「じゃあ、富岡の七番のが上じゃないの」
「ありえない」

里田目線では、藤本は高橋を抑えることが出来なかったという認識なので、会話から推定して順列つけようとすると、高橋、藤本、福田の順になってしまう。
そこまで言っておいて、まあ、美貴の人物眼もそれほど当てになるわけじゃないからなあ、と思った。 

並んだ両チームが挨拶を交わし、センターサークルを囲む。
サークルの中に入ったのは吉澤と石川。
キャプテン同士。
握手も交わす。

他は、サークルを囲んで滞りなくそれぞれどちらからともなくマッチアップを捕まえた。
田中に福田、高橋には松浦、柴田が市井に歩み寄り、道重のところにあやかが向かう。
何か変なことをやってくる可能性が無いわけでは無いけれど、基本線はハーフコートのマンツーマンだろう、と互いに相手のことを考えている。

レフリーがサークル内に入ると石川、吉澤、共に構える。
レフリー、ボールをトスアップ。
タイミングよく高く飛んだ石川の方がボールをコントロール。
田中が拾いゲームが始まった。 

すぐに走ったのは高橋。
田中もパスを送る。
いきなり松浦と一対一の状況。
ドリブルで加速しそのままゴール下まで持ち込もうと試みるが松浦の方がしっかりコースを押さえる。
高橋はそのまま右0度の方に大きく開いた。
ボールをキープしたまま全体の上がりを待つ。
あわよくばそのまま速攻崩れのアーリーオフェンスの形で決めてしまおうかという場面だが、中央に駆け込んでくる石川、ついで道重にはマークがしっかりパスコースを押さえていて入れられない。
上にいる柴田、さらにトップの田中へとボールを戻す。

「まず一本!」

田中がコールする。
目の前には低く構えた福田。
周り見ても特におかしなことは無い。
ハーフのマンツーマンで間違いないだろう、と思っている。

ハイポスト、上がってきた道重へ福田の頭上、パスを通す。
そのままパスアンドランで駆け込むが、福田がしっかり道重と田中の間を遮断する。
道重は左サイド、視界に入った高橋へボールを送り反対側へ下りて行く。
そちらの方面から石川がゴール下を抜けてきた。
高橋がバウンドパス。
石川、受けてそのままターンしジャンプシュート。
遅れた吉澤、遠い位置からブロックに飛ぶが効果なく、石川のシュートが決まった。 

松江のオフェンス。
エンドから福田が受けて持ち上がる。
オールコート、あるいはスリークォーターから張ってきたらうざいな、と思っていたが田中にその気配はなく、富岡の方も全面的にハーフコートのマンツーマンの様相だ。
福田から右の松浦へ。
中を見て混んだままなので松浦はトップの福田へ戻す。
インサイドから吉澤が外へ出た。
福田が松浦を飛ばして吉澤へ。
低く構える石川。
外から一対一はせず、上から下りてきてローポストを抑えたあやかへ。
背負った道重を軸にターンしようとあやかは考えていたが、その前に外の高橋と石川が囲みにきた。
あやかは頭上を通して外の松浦へ出し、自分はゴールの後ろから逆サイドへ切れる。
受けた松浦、スリーポイントラインの外、四十五度からシュートの構え。
高橋が戻ってブロックへ飛ぶ。
それを左から抜き去りカバーにきた道重の足元をバウンドパスで抜く。
受けたあやか、一歩踏み込んでゴール下、ボードに当てて簡単なシュートを決めた。 

富岡はエンドからゆっくりと入れる。
柴田から田中へ。
ボールを受けて田中、少し考える。
福田が中途半端な位置にいた。
前から当たってくるでもなく、さっさと引いてハーフコートだけのマンツーマンという感じでもなく。
自分から少し離れたところ、でも、下がりきらない位置に、中途半端に立っている。
スリークオーターで捕まえに来るかな、とドリブルでゆっくり上がると、捕まえには来ず福田もゆっくり下がった。
キャッチアップしたのは結局田中がフロントコートへ上がってからだ。
なんかの嫌がらせか? と少し思ったが、気にせずとりあえず柴田へボールを送る。
柴田から石川、石川から柴田。
ボールは周る。
トップの田中に戻して、また、外に開いた石川へ。
外から勝負? と吉澤は身構えるがボールはすぐ石川の手元を離れた。
上から駆け込んできた高橋へ。
松浦を振り切れていないがそのままゴール下まで。
右手で、ブロックに合わないようにスナップを効かせてボードに当てシュートを決めた。 

序盤は両チーム、オフェンスが頑張って動いた。
ボールも回すし人も動く。
松江は次のオフェンスは0度の離れた位置からのあやかのミドルが外れたが、その後は外からの1on1での松浦、さらにトップの福田からゴール下に駆け込んだ吉澤へのキラーパス一本、さらにミドルレンジでの松浦のジャンプシュートと三つ続けてオフェンスで点を取る。
富岡の方は0度からの柴田のシュートが外れたリバウンドを道重が決めたのと、高橋が外から突破して、カバーに吉澤が入ったことで空いた石川へ送り九十度からしっかりシュートを決める。
ただ、高橋のスリーポイント、また柴田のスリーポイント、どちらも外れて松江に速攻を出されそうになる場面があった。
開始五分過ぎ、8−8の同点。
富岡のオフェンス。
ここまで、ターンオーバーはなく、すべてシュートまでは持っていけている。
外でボールを回す。
石川も外に構える。
外に四人、中には道重一人。
外でも、いや、外だからこそ石川さんは勝負してくるはず、と吉澤は思っている。
左0度、石川がボールを受けると吉澤は低く構えた。
そろそろ一対一が来る。
そう思ったが、またボールは頭上を越された。
ローポスト、道重。
ターンしてシュートフェイクしてあやかを飛ばす。
もう一歩踏み込んでジャンプ。
簡単なシュート、なのだが外した。
スクリーンアウトをしっかりしたわけでもないのだが、シュート前の位置関係からボールはあやかの手元へ落ちてくる。 

サイド、下りてきた松浦へ。
松浦から福田へ。
前には田中、右サイド市井が走り柴田もいる。
二対二。
抜き去れる、そう判断し、左側を押さえられたので右へ。
いける、と思ったのだが市井から離れて柴田がこちらに構えている。
市井へ落とす。
市井は開いた位置からシュートの構え。
柴田が前に出てきたのでドリブル突破へ切り替える。
柴田は抜き去りきれずウィークサイドへ押し込まれる。
ゴール裏、とも言える位置にはまり込みシュートは出来ずに田中にまで囲まれそうになるところを何とか逆サイド福田へ。
四人目、駆け込んでくる吉澤へパスを入れたいが石川がコースに入る。
速攻、アーリーオフェンス、決まらない。
上の松浦へ戻す。

松浦がキープで場を落ち着かせる。
福田がトップにもどりボールも福田へ。
その位置から福田が自分で切れ込んだ。
田中は止めきれない。
フリースローレーンあたりのところでゴール下から道重が押さえに来るがその前にジャンプシュート。
これが右に外れてこぼれる。
リバウンド。
石川が先に触ったが吉澤がはじき出す。
こぼれたボールがたまたま道重に当たりボールは外に出た。
松江ボール。 

エンドからボールを入れるのは松浦。
吉澤、あやか、ゴールに近いところへ一本入れて即シュートというのが欲しいところだが出来ず、トップの福田に長いパスを送る。
もう一度組み立てなおし。
ハイポストに上がってきた吉澤へ。
吉澤、後ろの様子を伺いながら勝負はせず右四十五度の松浦へ送る。
全体見回して攻めどころが無い。
ドリブルつきながら中央へ移動。
あやかがゴール下を抜けて左サイドへ。
松浦から長いパス一本通す。
ターンして勝負したいところだが、先に柴田が外から囲みにきた。
逆に、離れた市井が構えて待っている。
柴田の頭上を速いパスで通す。
受けた市井、フリーの状態で左三十度からスリーポイントを放つ。
今日の一本目。
来るか? 来るか?
視線が集まるボールはリング中央を通過した。
レフリーが指三本をオフィシャルに示す。
11−8 松江リード。
富岡ベンチがタイムアウトを取った。 

「勢いに乗せるな」

ベンチに戻ってきたメンバーたちに和田コーチはまず最初にそれを言った。

「点の取り合いやってる分にはいい。ただ、向こうを勢い乗せるな。速攻とかスリーポイントとか。その辺はださせるな」
「すいません」
「柴田も高橋も、中を気にしなくていい。基本的にマッチアップに集中してればいい。特にそこ二人はスリーポイントな。三点取られることそのものはそんなに気にすることないけど、いい気になって勢いづかせるのだけは避けたい。乗せさえしなければ、点の取り合いならうちの方が分がある」

七番が派手にスリーポイント決めてきたらタイムアウトを早めでも取ろうと和田コーチは思っていた。
それが六番になったのは多少意外ではあったが、方針は変えずにすぐにタイムアウトを取った。
時計を切ることで、流れを作らせるのを避けたい意思がある。

「全体的にちょっとボール回されすぎだな。もう少しスローダウンさせたい。中、スクリーン使って動かれてるけど声の連携しっかりしろよ」
「相手、結構ちゃんとパスアンドランしてくるから注意していこう。特にトップから走ってくるのあるから」
「オフェンス終わった後の戻り、もうちょっと早くしましょう。石川さんとかさゆとか、あの位置でピックアップして一緒に戻ってくるんやなくて、まず戻ってください」
「そうだね。常に速攻だそうとしてくるから。ピックアップの前に戻りだね」

和田コーチの言葉の後に石川、さらに高橋と続く。

「田中は、相手がボール持ってるときはあれでいいけど、パス出した後気を抜くな。石川が言うようにパスアンドランだったり、一拍おいてからランだったり、上から飛び込んでくるっていうのを結構狙ってるから」
「はい」

確認はすべてディフェンスに関わる事項だった。 

松江ベンチは雰囲気よくタイムアウトを迎えた。
スリーポイント決めて帰ってきた市井。
吉澤が、あやかが、それぞれハイタッチしにいき、近くにいた福田もお義理で手を出す。
松浦は来ない。
調子に乗って先生に手を出したら、一番強く叩かれた。

「やるやんか。一本目から」
「たまたまっすね」
「全体的にボール回ってるしここまでいい感じかな」

中澤は上機嫌だし、周りのメンバーも明るい。
全国ナンバーワンチーム相手に序盤も序盤ではあるがリードしているのだから、そうなる。

「明日香ちゃん、私も前に残った方が良いの? 向こうエンドで始まる時」
「いや、いらない」
「あれ、なんなの? 中途半端な位置に残って」
「ただの嫌がらせだから気にしないで」
「嫌がらせって?」
「前に私がいるとボール運ぶときちょっとは気になるっていうかストレスになるっていうか、そういうのあると思うから。まともに当たると私もばてるけど、あれならただゆっくり戻ってきてるってだけで体力も使わないし」
「私もいた方がいい?」
「松がいてもあんまり関係ないかな。七番くらいになるとそんなに気にしないだろうし。一年生だからちょっと怖がってもらおうっていう、ほんとのただの嫌がらせだから」
「性格悪いなあ、福田」
「性格良いなんて言われたことないですから」 

富岡エンドで始まる時、福田は田中を捕まえるでもなく戻るでもなく中途半端な位置にいて、田中がボールを運んでくるのを見ている。
向こうが上がってくればこちらは当然下がるのだが、その時もディフェンスの構えをしながらではなくて、軽いジョグの様相で戻ってきて、自陣コートに田中が入ってきてからやっと捕まえる。
松浦も前に残れば、それは一つの戦術であり、相手に圧力がかかるのであるが、そこまでする気は無い、と福田は言っている。

「よっさん、割とついていけてるやんかディフェンス」
「そうでもないっすよ。向こうが私のこと振り切ろうとしてないだけで。一歩目が本気の時は唐突に速い。今は周り使ってって感じだから何とかなるところもありますけど、自分でってなってきたら怖いっすね」
「あややはディフェンスで手一杯?」
「そんなことないです」
「でも、案外七番にやられてるよね」
「だから、ちょっとたまたまですって」
「なるべく身長差生かせるようにした方がいいと思うよ。あややのとこははっき身長差あるんだから。ちょっとスピードで負けちゃう部分が厳しいかもしれないけど」
「スピードも負けてませんて」
「あやや。七番はあややに任せるけどノーファウルな。スピードはトップスピードは負けないんだろうけど、よっさんが言うみたいに一歩目が速いとかそういうのあるかもしれへんから気をつけて」
「はい」

ここまで富岡の八点中高橋が決めたのは二点で、高橋のアシストで取ったのが四点ある。
印象としては、高橋、石川のところでやられてる、と松江のメンバーは感じている。

「よし、このままの流れで一クォーター持って行こう」

中澤がそう締めて、メンバーはコートに戻って行った。
相手に飲まれて何も出来ないような奴はいなさそうだな、と中澤は思った。 

富岡ボールでゲーム再開。
両チームとも、オフェンスに関しての指示はほぼ無かった。
どちらも攻撃はうまく行っているという認識である。
最後のシュートの部分で外れるところはあるが、そこは指示でどうにかなる部分ではない。

富岡オフェンスはここでもやはり特に変わったことをするわけでもなかった。
オーソドックスにボールを動かす。
右サイド、高橋が受けたところでゴール下を石川が抜けてきた。
松浦の小脇をバウンドパスで通す。
受けた石川ターンしてそのままシュート、といきかけたが吉澤はそこまでは許さない。
シュートフェイクでひきつけてドリブル。
抜き去るほどの距離は無いが、マークが外れたと感じられる程度の距離には出来た。
ただ、あやかがすぐにカバーに来る。
ゴール下、吉澤、あやかに前をふさがれた格好だが、すぐに判断してバウンドパスを道重に。
左0度、あやかが戻ってブロックに飛ぶがそれよりはやくシュート。
あまり得意ではない位置と距離とタイミングだったが、ボールはしっかりネットを通過した。 

点の取り合いは続く。
松江はスリーポイントを決めて市井が調子に乗るか、と思われたが案外そうはならない。
調子に乗りたそうにスリーポイントラインの外でシュートの構えは見せるのだが、柴田が打つことを許さない。
ただ、そんな市井、あるいは松浦の外を見せることでディフェンスが拡がってインサイドが薄くなる。
吉澤までも外に出てきて、ゴールに近いところであやかが道重と一対一で勝負、という場面が二本続いた。
これをどちらもあやかがしっかりと決める。

ディフェンス面では道重が穴っぽさを見せていたが、オフェンスではそれを取り戻す働きをする。
ミドルレンジでフリーになった柴田のシュート。
せっかくフリーだったのに長くなって外れる。
柴田がシュートを打った瞬間に、道重はもう落下点にいた。
リバウンド拾って、外に戻してもう一度展開する。
石川、田中、高橋、石川、と外で?がる。
今度は高橋、受けてすぐに速いモーションでスリーポイント。
ここではあやかがしっかり道重をスクリーンアウトはしたのだが、道重はそれを押しのけてゴール下へ入ろうとはしなかった。
自分で外に動く。
リング奥に当たって跳ね返ったボール。
道重の手元にすっぽり落ちてくる。
三度富岡オフェンス。
三度目の正直。
ゴール下、壁を使って石川が吉澤を振り切る。
上の田中から送られてきたボール。
フリーでのミドルシュートをしっかりと決めた。

富岡は一本外してもオフェンスリバウンドをかなり拾えている。
それによりもう一度チャンスが来てきちんと決めなおす。
自分がオフェンスの時にしっかりゴールを決めていれば、スリーポイント連発でもされない限り点差が離れて行くことはない。
次のオフェンスもインサイド、道重から出たパスにミートして柴田がシュートフェイクし、市井を飛ばしてからワンドリブル移動して打ったシュートが決まる。 

一進一退、点差は拡がらず縮まらず。
23−20 松江の三点リードで残り十五秒、富岡のオフェンス。

柴田が外でドリブルついてボールをキープしていた。
パスの出しどころとしていいところがない、というのもあるが、時間一杯使ってシュートで終わるという戦術の面が強い。
十秒を切る。
中央、高橋へ。
高橋、ボールを頭上に上げ全体を見渡す。
ハイポストに入ってきた道重へ、松浦の小脇を通す。
ボールを受け、ひじをぴっと張る道重、ただ、そのままでターンはしない。
外から松浦が囲みに来たので高橋へ戻す。
高橋は右サイド田中へ。
田中はインサイド、ローポストの位置で市井を背負った柴田へ。
柴田、勝負しようと思ったが背中から圧力を受け、自分の体勢でターンできない。
外、少し上がった田中に戻す。
柴田は開いて外に出た。
田中が落とす。
受けた柴田、今度はドリブル突破を試みる。
ウィークサイドから市井を置き去りにしようとしたが抜ききれなかった。
ゴール下のところで押さえられ、逆サイドから吉澤にも挟み込みに来る。
捕まる寸前、吉澤の脇をパスで通した。
逆サイドで待つのは石川。
ミートしには行かず、手元に届くのをスリーポイントライン外側で待つ。
受けて構えてそのままシュート。
吉澤も遠めの位置ながらブロックに飛ぶ。
第一ピリオド終了のブザーがなり、会場の視線が集まるボールはリング手前、何にも触れることなく落ちて行った。

23−20 市立松江のリードで第一ピリオドを終えた。 

「珍しいねエアボール」
「エアボールっていうか、触ってたもん」
「ホントに? ブロック遠くなかった?」
「マジ触ったって。中指の先で。そうじゃなきゃエアボールするような子じゃないでしょ」
「よく触れたねあのタイミングで」
「絶対シュートしかないからためらい無く飛んだし。ちきしょー、あれ、ブロック触ったの誰にも分かってもらえてない?」
「よっすぃーと石川さんしかわかってないと思うよ」

ベンチに戻りながらのあやかと吉澤の会話。
目に見えるはっきりしたボールの軌道の変化は無かったので、傍目にはブロックが届いたようには見えない。
あの石川がエアボールってことはブロックが触ってたのかな? と推測するレベルでしかない。
確信持ってブロックがあたったと言えるのは当事者だけだ。

「先生、なんかやれそうな気がしてきた」
「なんや、よっさん。やれそうな気してなかったん? 最初は」
「そうじゃなくて、いや、そうだけど。吉澤、石川さんブロックしちゃいましたよ。びっくりですって」
「びっくりしてる場合じゃないだろ。普通に試合してる相手だろ」
「市井さんもスリーポイント決めて、調子こいちゃってるんじゃないっすか?」
「上機嫌なとこ悪いんですけど、まだ十分終わっただけですからね」
「分かってるよ。福田。気分だけでも盛り上げさせてくれって。最後は止まったけど、他は割りにやられてた自覚はあるから。そこまでアホじゃないから心配するな」

第一ピリオド、石川6点 柴田2点 道重2点 高橋10点
吉澤は、十分間抑えきったというような印象は当然持っていないが、あまりやられなかったなとも思っている。
エースに十分で六点で済んだのなら悪くは無い。
その辺がしゃべっている言葉の内容と裏腹なテンションの高さだ。 

「七番はスリーポイントケアした場合、後ろでカバーが必要かもしれないな」
「必要ないです。あれくらい一人で止めますから」
「いや、後ろでケアした方がええと思うよ。スリーポイント連発されるのが五番七番には一番怖いから、ボール持ったときは多少タイトに行かないけないわけで」
「タイトに行っても抜かせませんから」
「松。ディフェンスっていうのはフェイルセーフで一人抜かれても対処できるようにって、次を考えるものだから、どんな相手でも抜かれた仮定で対処策を考えとくのは必要だよ。松が信用できないとかそういう問題じゃないから」

松江はチーム結成以来、常勝チームであったわけではない。
負けることも多かったし、実際に去年までの三年間を見ると勝率は五割程度しかない。
勝つことの方が普通になったのは最近になってからだ。
ただ、個人個人の感覚は違った。
松浦は、試合でチームとしては負けても、自分がマッチアップの相手に負けていたという印象を持ったことは無い。
滝川カップの三戦でさえ、自分のところは勝っていたと思っているし、そう主張してもそれは通りそうなくらいの働きはしていた。
まだ十分だけとは言え、自分のところが一番失点が多いなどというのは初めての経験だ。
周りはあまりわかっていなかったが、福田にはその辺の松浦の心境が手に取るように見えている。 

「五番、七番、あと四番も。スリーのある相手はスリーケアだから外でボール持たれたら後ろは突破されるイメージを強めに持っておく、でいいと思います」
「どこもそうやけど、抜かれるの自体は相手が相手だからしかたないけど、常にカバーな」

松浦対高橋という一箇所の話から、福田は全体のことへと話はそらした。
それでいて、必要な対処は打つ。

「オフェンスはあやかのところでもうちょっと攻めてみよう」
「私やっぱり外出てた方が良い感じ?」
「実際勝負する場面はね。でも、そんなに考えなくていいよ。私の方がちょっと外目で受けるパターンもあるし」

松江の方は福田2点 松浦4点 市井5点 吉澤4点 あやか8点
スコアリーダーがあやかである。
道重のところが一番もろい。
それは当初からの印象であり、それを使ってオフェンスしている。

「外、狙えたらどんどん打ってええよ。さっきの紗耶香みたいに、空いたら打つくらいの感覚で」
「そうそう空かないって。あんなうまく行くこともう無いかもよ? あの後明らかに警戒されてるもん」
「そしたら飛ばしてカットインでいいじゃないですか、それこそ」
「できたらな」

当然それは市井の頭にもあるが、そう簡単に1on1から抜き去れるとは思えない。
飛ばしてカットイン、と見せて実際に打つのもありかな、などと市井は考えてもいる。

「あややも当然そうだけど、明日香も狙っていかへん? 自分で打ってもええと思うんやけど」
「そうですね。チャンスがあれば」

外のスリー、広げてインサイドのあやか。
二本立てあるといろいろとやりやすい。 

「あと、よっさん。あやかとの合わせだけやなくて、自分オフェンスでも勝負せんと」
「あんまりタイミング無いんですよね。外から勝負できる相手じゃないし、かといってインサイドは広げてあやかでって線で来てるから。私が中で勝負するタイミングってなかなか無くて」
「一本、外から勝負してみたら?」
「外から?」
「意外に面白いかもよ」
「あやか、それでまたインサイド広げようとしてるだろ」
「細かいことは気にしない」

吉澤の四点は、あやかが道重と勝負したところで石川がフォローに行き、空いたところで受けたパスを決めたのと、一瞬のフリーでゴール下へのキラーパスとの二本である。
ボールを持って石川と勝負した、という点は無い。

「じゃあ、打っちゃおっかなー、スリーポイント」
「アホか。入るわけないだろ」
「なんすか、市井さん決めたんだから、吉澤だって」
「私が決めたのと吉澤でも決められるの相関が何も無いだろ!」
「はい、終了。そろそろ時間。まあ、打ってもええけど、リングに当ててな」
「先生まで、もうちょっとなんかフォロー無いんですか」

インターハイ準々決勝のクォーター間インターバル、とはとても思えない雰囲気のミーティングを終え、選手たちはコートに戻る。 

第二ピリオドは松江ボールでゲームが再開される。
松浦が入れて福田が受ける。
セットオフェンス。
一本目にどこを使うか、という統一的見解を決めているわけではない。

この子に自分が負けるはずは無いんだ。

それが頭にあった。
確かに、これまでやってきた相手と比べればレベルが高い。
だけど、自分が負ける、なんてことは考えたことが無かった。
石川さんならまだ分かる。
滝川の美貴さんとか、そういう人でもわからないでもない。
エース級、チームの中心。
そういう人たちと勝負してみたいし、勝負した時に勝てると思ってるけど、負ける可能性が無いわけじゃない、というのはわからないでもない。
だけど、今目の前にいるのはただの二年生じゃないか。
高橋愛。
滝川カップでも負けてなかったはずだ。
遊びでやったスリーポイント大会で十本近く続けて決めた時は、すげー、と確かに思ったけれど、自分は1on1大会で優勝しちゃったのだ。
フリーでシュート打つだけのスリーポイント大会より、各校のキャプテン格に勝った私の方が上なはずだ、いろいろな意味で。

松浦はそんな思考をしながらプレイを続ける。
ボールは回ってインサイド、第二ピリオドで出しもあやかが勝負。
シュートまでは持っていけたが、道重がしっかり圧力を掛けていて、ボールはリング手前に当たって外れる。
リバウンドは道重が拾った。 

富岡オフェンスは速い攻めを目指すがサイドでボールを受けた田中を福田が簡単に捕まえてスローダウンさせる。
周りの戻りを見てから福田も引き、田中がゆっくりとボールを持ちあがる。

単純なフリーでのシュート力はひょっとしたら向こうのが上ということもないかもしれない。
だけど、オフェンス力、ディフェンス力、トータルで自分が負けているなんてことはありえない。
十分で十点取られた。
自分よりもはるかに身長の低い相手に。
理解できない。
無意識に手を抜いていたのだろうか?
点を取ることに意識が行き過ぎて、守りは無意識に手抜きになっていたのだろうか?
そうだ、そうに違いない。
とにかく、スリーポイントは打たせない。
突破にはついていく。
もう、点は取らせない。

そう考える松浦の目の前には高橋。
外で開いてボールを受ける。
シュートか?
そう、反応したら左手でドリブルをついた。
ディフェンスでついて・・・、いけない。
壁にぶつかった。

田中がスクリーンを掛けていた。
高橋は福田がフォローするが、すぐにバウンドパスを出された。
松浦を軸にゴール側にターンした田中へ。
田中の背後に立つ形になった松浦、そのままではどうすることも出来ない。
もうワンドリブル付いてゴール下、レイアップシュートを打つ田中に後ろから手を伸ばした。 

シュートのが早くゴールが決まる。
松浦は田中に覆いかぶさるようにのしかかる。
当然笛が鳴った。
二人はコートに転げ落ちた。
田中のカウントワンスロー。

「大丈夫?」

かなり激しい音がしたので両チームのメンバーが二人を囲む。
上になっている松浦のが先に起き上がり、下になった田中も痛そうな顔をしながらも立ち上がる。

「もうしわけない」
「いえ」

一言わびておく。
どちらも体に異常はない。

田中のフリースロー。
上二人はリバウンドには入らない。
「スクリーンの声聞こえてなかったの?」 
「全然。会場うるさいし」
「後ろからファウルは無いでしょ。あれは打たせた方がいいって」
「わかってるよ。ちょっと慌てただけ。明日香ちゃん声小さいんだよ」

スクリーンとか、後ろ、とか、空いたとか、コート上では適宜声が飛ぶ。
その一つ一つの情報を瞬時に判断して動くことも必要だ。
福田の声は、松浦には全然聞こえていなかった。
ベンチの方を見る。
辻が中澤から声をかけられて立ち上がりベンチの隅へ。
別の一年生を捕まえてアップを始めた。

まさか、私を代えようっていうんじゃないでしょうね。
そう、チラッと思ったところで田中のフリースローが決まる。

23−23 これで久しぶりに同点。 

取られたら取り返す。
やられたらやり返す。
高橋の得点ではなかったが、いまやられたのは自分だ。

ここは自分で勝負したい。
そう思ったがそういうタイミングでボールは回ってこなかった。
市井が柴田の頭上を抜いてローポストのあやかへパスを入れる。
あやかはエンドライン側にターンして道重を抜いてバックシュートを打とうとするがうまく行かない。
石川にはさまれそうになって、逆サイド開いた吉澤へパスを送る。
受けた吉澤、0度の位置からワンハンドでスリーポイントシュートを放った。

本気かよ、とプレイヤーやベンチばかりか、スタンドの上でもそんな反応があったが、ボールはしっかりまっすぐ飛んで行く。
ただ、やや長くリング奥に当たって大きく跳ね上がった。

「リバウンド!」

打った吉澤自身が叫ぶ。
タイミング的にセンター陣がリバウンドにしっかり入れていない。
松浦は飛び込んで取りに行った。
高橋も追う。
どちらも落下点近辺に入り込んだが、身長分松浦のが優位でボールをさらう。
着地してもう一度ジャンプ、と見せて高橋を飛ばし左に交わしてあらためてシュート。
ところがこれが石川にパーフェクトにブロックされた。
こぼれたボールを柴田が拾い上げ、田中に送り走る。
田中、柴田と福田、市井の二対二。
早い段階で田中は柴田に戻す。
柴田は突破かストップジャンプシュートか、あるいはパスか、迷って迷って進みながら決めきれずボールを持ったまま右サイドに下りる。
三人目、駆け込んだのは高橋だった。
松浦は並行する位置を走らされていてボールサイドはがら空き。
なんとかゴールに近づかれるのを防ごうと体を張るのだが、ボール受けた高橋はゴール下へは駆け込まず台形のやや内側で止まりジャンプした。
反応が遅れた松浦、ボールを見送るしかない。
一応しっかりスクリーンアウトはしたが、シュートが決まった。
富岡逆転。 

松江オフェンスは松浦がブレーキ気味で多少苦しくなっているが、それでもここから富岡について行った。
本気かよ、と総突込みを受けた吉澤のスリーポイントが意外と影響した。
石川に吉澤も外があるかも、というイメージが入ったことでインサイドが広がる。
あやかがさらに道重と勝負しやすくなった。
また、もう一つ、外から飛び込んで行った時にも中が広いのでやりやすい。
福田くらいの身長だと中に飛び込んだとき、ちょっと手を伸ばされるとそれだけでシュート不可、ということになったりするのだが、それがある程度自由に打てる。
ただ、福田の動きの良さが逆に多少心配で、中澤は辻にアップをさせた。
福田の相手を見ていると、辻に代えても耐えられる、と踏んでいる。
勝負どころでは難しいが、そこに至るまでは辻を適宜使い福田の消耗を抑えたい、という考えだ。

富岡は相変わらず高橋が好調だった。
今日はスリーポイントこそ一本も無いが自分で打ってよし、パスで捌いてよし、攻撃の中核を担っている。
石川はそれほど目立ってはいない。
目だってはいないが、着実に点を取っているし全体的な貢献度も高く悪くない。
意外とオフェンス面で頑張っているのが道重だ。
ゴール下、リングに数十センチの距離を外したりと頼りなさも随所に見せてはいるが、リバウンドでの貢献度がやはり高い。
リバウンドを拾うことそのものもあるが、拾った後の判断が早く、シュート後のバラケタ状態であいているところ、というのにパスを送って、そのパス一本でシュートまでいけるということが結構ある。
あとは、拾ったリバウンドをそのままねじ込めれば言うことなしなのだが、なぜかそこは苦手分野らしい。 

35−33 富岡の二点リード

富岡エンドで高橋がボールを入れる。
受けた田中、視界の範囲内に福田。
田中視点に立てば大変目障りだ。
松浦は引いているので高橋は空いていて、ボール受けようか? という素振りでたまに手を上げるのだが、田中にすればそれもうっとうしい。
自分で持って上がる。
福田はゆっくり下がって行くのでボールを運ぶ点では特に問題は無い。

ボールを展開。
第二ピリオドも半分をすぎた。
リードしている状況、というのを常態にしたい富岡。
どこで勝負するか?
ボールを展開。
外、中、めぐって田中に戻る。
右サイド。
トップに高橋、パスを要求しているが田中は無視して左サイド、視界に入った柴田へ送った。
長いパス。
松浦の背後を抜けて柴田へ、というものだが田中がパスを出した瞬間、はっとした顔をした柴田にボールが届く前に、ほとんどパスコース上に最初からいた市井がカットする。 

ボールを奪ってそのままドリブルで上がる。
柴田は市井の背後。
同時に動けたのは松浦と高橋のところ。
二対一。
高橋がとらえに来たので早めに市井は松浦へ。
松浦がゴール左からドリブルで持ち込む。
二対一でのディフェンス、高橋はここでは必然的にばくちを打つことになる。
高橋がどこまで松浦の性格を知っているかはわからないが、直感的にここでは自分で勝負してくる、に賭けた。
右手に走る位置を見ながら松浦は自分で持って行く。
高橋は自分に近い側。
こういう時はパスを出すことを読んでいる、という松浦の読み。
視線だけ市井へ向けてさらに加速。
そのままドリブルシュート、と持って行ったが高橋がコースに入り、松浦はレイアップシュートをしながら高橋に体当たりする、という形になった。
シュートそのものは決まり笛が鳴った。

「青、七番。チャージング!」

松浦のオフェンスファウル。
ゴールは無効。
コールされたところで松江ベンチもブザーを押した。 

中澤が呼んだのは辻だ。
ある程度の準備はしていたけれど、あらかじめ待たせておいたわけではない。
慌てて走って来ながらTシャツを脱ぎユニホーム姿になる。
中澤が指示を与えると少し驚いたような顔を見せてから中に入った。

「あややさん」

意外そうな顔は一瞬見せたが、松浦は素直にベンチに戻る。
辻と松浦メンバーチェンジ。
さらに辻は福田を呼ぶ。

「マークチェンジって言ってます」
「私が七番ってこと?」
「はい」
「わかった」

福田を高橋につけて田中には辻を当てる。

中澤の当初の予定は、第二ピリオド途中で福田をベンチに下げて休ませる、というものだった。
相手が田中なら辻でもある程度何とかなる。
そう踏んでいる。
それが急遽、松浦の頭を冷やさせたい、という展開になったので予定を変更した。
福田はコートに残したまま辻を投入。
辻をそのまま高橋につけたのでは傷口が広がってしまいそうなので福田にマッチアップを代える。

高橋はベンチの方に歩み寄って自分で指示を受けに行った。
考えていることは中澤と同じようなこと。
松浦が下がって入ってきたのが一年生なのだから、自分たちもマッチアップ代えた方がいい、という指示を期待している。
和田コーチは確認にきた高橋にそのままで良いと伝えた。
高橋はわざわざそのままでいいという情報も田中に伝える。

「代えてくれって言いに行ったんですか?」
「言いにっていうか確認した」

もう一言、田中が何か言いたそうにしたが、レフリーがボールを持ってエンドラインで待っているのを見て高橋が去って行った。
高橋がボールを受け取り中へ入れる。
田中が受けた。 

すっと寄ってきたのが辻。
瞬間慌ててボールをファンブルした田中だが、すぐに確保し事なきを得る。
ただ、こぼした一つがドリブル扱いにされ、ダブルドリブルを取られるのを恐れて高橋に送る。
当然のようにリターンパスを受けてもう一度運びなおす、というシナリオを田中は持っていたが、高橋は自分で上がって行った。
マッチアップが田中だったときと違い、福田は最初から大人しく自陣コートに下がっている。

上がった高橋はボールを展開。
高橋−石川−高橋−柴田。
右四十五度にいる柴田はローポスト付近から外に拡がって出て来た道重へボールを落とす。
スリーポイントライン上で道重はあやかと正対。
どう考えても外がある子じゃない、という判断はあるが、あやかは一応ケアするためそれなりの距離には近づく。
トップから高橋が駆け込んできてそこにパス、という流れだったが福田がコースを塞ぐ側を押さえていて入れられない。
柴田が上がって入れ替わりに入ってきた田中へ戻す。
田中は受けた瞬間加速。
右手でワンドリブルからバックチェンジで持ち替え中央側から辻を抜きに掛かる。
しっかり反応した辻、ドリブルコースは押さえたが田中はジャンプ。
ブロックには飛べず空中フリー状態でのシュート。
しかしこれが入らずにリング左奥に当たって右側にはじけ飛ぶ。
そこに飛び込んできたのが道重。
リバウンドを拾ってそのままのテンポでジャンプしてシュートを決めた。

「あやか! スクリーンアウトせえ!」

ゴールから遠い位置にいて油断があり、あやかはスクリーンアウトの体勢に入らなかった。
ここに落ちてくる、というところを見定めて入ってくる道重の通過を許してしまった。
これで四点差。 

ベンチでは中澤が松浦を呼んで隣に座らせていた。

「らしくないやんか」
「なにがですか」
「いつものあややさまっぷりがないやんか」
「なんですか、あややさまっぷりって」
「天上天下唯我独尊自信満々傲慢不遜。絶対自分のがうまいっていう余裕? そういうの」
「ありますよ。私のがうまいですよ。あんな子より」
「そういいつついらいらしてるやんか」
「私のがうまいはずなのにうまく行かないんだからいらいらするに決まってるじゃないですか」
「自分のがうまいっていうのは自分で思ってるだけじゃあかんやろ。証明して見せないと」
「だったらコートに戻してくださいよ」
「戻れば証明できるんか?」
「できますよ。当たり前じゃないですか」

コートの上は松江オフェンス。
ボールはゆっくり回ったがシュートまでなかなか持っていけない。
二十四秒計が刻まれ、残りわずかという時に、展開も何もなく、時間に追われる形で福田が九十度からスリーポイントシュートを放った。
これが決まり一点差に戻す。 

「あれねじ込むって、さすがだなあ、明日香」
「さすがにたまたまですよ」
「いや、あれが明日香なんだと思う。ああいう、あきらめの悪いっていうか、仕方なく打たされるシュートでもしっかり狙って打つ。そういう粘り強さが明日香の強さかな。あややにちょっと欠けてるとこかな」
「欠けてませんて」
「あややは妙に同じやり方に固執するところあるやんか。むかついた、もう一度、みたいな。同じやり方っていうのが大前提でむきになって勝ちに行く。明日香にはそれがない。どうしたらよりうまく行くかを常に考え続けて、常に最善手を打とうとする。万全じゃないところでも万全な結果を出そうとする。まじめすぎて融通効かないとか、周りがついていけない時とかあって、そういうところはあややにある遊びの部分をちょっと見習って欲しい気がするけど、あの冷静なしつこさはちょっと見習うとええと思うよ」

松浦は答えずにゲームに視線を送る。

富岡オフェンスは、ここでボールを高橋に運ばせた。
ベンチの指示なのか、エンドで柴田がボールを拾い高橋に送る。
福田は高橋相手には前から張らず自陣に下がるので、何の障害もなく高橋が持ちあがる。
上がってから田中に戻してセットオフェンス。
ここは石川が外から個人技で勝負した。
吉澤相手に突破を計る。
吉澤は当然押さえに行くが、石川のスピードにわずかに負け、足を入れて前に入りはしたが石川がそれにつんのめる形で接触しファウルを取られた。

エンドからのボールを柴田が入れる。
回してもう一度石川が右三十度くらいの位置から勝負。
シュートフェイク、ドリブル、そのまま突破と見せてドリブルは一つでストップジャンプシュート。
すべて後手を踏んだ形の吉澤は対処しきれず石川は空中でフリーの形だったが、シュートはリング奥に当たって跳ね上がる。
道重はあやかが九十度の位置でスクリーンアウトして追い出す。
ボールが落ちてくるのを待ってゆっくりとあやかが拾いに行こうとすると、逆サイドから高橋に飛び込まれた。
福田が追いきれていない。
リバウンドを高橋が拾い、あやかの下をかいくぐってリング下を抜け、ゴールに背中を向けたままボードにボールを当ててシュートを決めた。 

「明日香でも簡単には押さえられないきつい相手やんか」
「身長分、明日香ちゃんより私のがディフェンスしやすいですもん」
「あの子止められるのはあややだけって思ってええんやろ?」
「当然ですよ」
「なあ、松浦。このレベルになると、いくら松浦でも、簡単に全部勝つってわけにはいかんやんか。試合の流れの中で良い時もあれば悪いときもある。でも、その、悪い時、相手の強いところ、そういうのを目の当たりにしても、我慢して耐えて、最後に勝つから楽しいんやないか? 弱い相手にただ勝つより、強い相手に勝つ方が面白いやんか。その為にはポイントポイントでは自分の方がやられることもあるって。それで一々いらいらしてたらあかんと違うか? やられたらやり返す。やり返せなくても次何とかする。場面場面、自分で行くことにこだわらず周りも生かしながらな」

松江のオフェンス。
今度も時間がかかる。
勝負出来ずに仕方ないパス、出しどころがなくて苦し紛れに繋ぐパス。
その繰り返しで攻め手が見えない。
また、二十四秒計が五秒を切る。
左四十五度、福田へ。
中には吉澤がいるので石川もいる。
それでも福田はドリブルで突っ込んだ。
田中を置き去りに出来そうになるが、石川が視界に入る。
そのまま進めば壁になる、かといって吉澤にパスを出す間合いにもなっていない。
福田は進まずにジャンプ。
横から田中もブロックに。
シュートの方が早い。
ボールはブロックを避けてボードに飛ばす。
田中が福田に接触して笛がなる。
跳ね返ったボールはリングに接線方向から滑り込み二回転、会場の視線を集める間を持ってから内側に滑り落ちた。

「白十二番、ハッキング。カウント!」

バスケットカウントワンスロー。
入ったシュートはゴールとカウントされ、さらにフリースローが一本与えられる。
ここで富岡ベンチがタイムアウトを取った。
第二ピリオド残り二分二十一秒 39−38 富岡一点リード。 

両チームベンチに下がる。
スリーポイントの後、カウントワンスローでの三点プレイ、そんな福田のところにメンバーはハイタッチをかわしに行くが、福田自身は明るく無い顔でおざなりに返す。
試合に出ていた五人がベンチに座り。ベンチメンバーは立って五人を囲む。
タオルで簡単に汗を拭いた後、福田が口を開いた。

「私が二本続けてシュートを打ってるっていうのがその時点でもう非常事態だって分かってますか?」

先ほどのスリーポイントも、ここでの持ち込んでのジャンプシュートでファウルをもらったのも、二十四秒ぎりぎりでの出来事。
ようするに、攻め手がなくてしかたなく福田が最後に自分でシュートまで持って行ったという形だ。

「たまたま入ってるからいいですけど、そんなに確率高くないことやってるんですからね」

他に選択肢が無い中でのチョイス。
福田の感覚としては、相手が田中だったからなんとかなっているが、もう少しレベルが高ければこの二本は無かったかもしれないと感じている。
この二本がなくて、仮に今のシュートのところで相手に速攻でもされていたら八点差になっているところである。 

「そろそろよっさん中で勝負かな」
「中でですか?」
「なんちゃってスリーが意外にちゃんとシュートになってて勘違いして外にも開いて出てきてくれてたけど、それももう無いみたいだし。それであやかが中で勝負すると気づけば一対二になってる。だったらもう素直に中で勝負した方がええんちゃう?」
「吉澤さん外出てくると、外の選択肢が逆に減ってるんですよ。スペース埋められる形になっちゃって動きにくい時もあるし。中入ってくれた方が、市井さんとか外も勝負しやすいと思う」
「中に楔が二本あるとつなぎやすいしね。そろそろあやか一人じゃきついだろ」

外は松浦、中はあやか、で序盤は手数を多く出していた。
松浦が下がって、あやかだけが残った。
吉澤が外に出て石川をひきつけることで、中を広くしてあやかを道重と勝負させて点を取っていたが、ここに来て石川が中へのケアの度合いを強めている。
松浦が下がったなら外から市井なり辻なりが勝負できれば良いのだが、個人での打開力は松浦と比べて落ちる。
さらに、中途半端に吉澤が外にいて、外で吉澤が受けてもそこから勝負できないので流れが止まるのだ。

「じゃあ、本格的に中でゴリゴリ勝負してみようかな。だけどさ、逆もありだと思うんだよね」
「逆?」
「基本私は中でいいけど、やっぱりそれでも外に出る場面て出てくるから、その時に市井さんとかが中に入って五番と勝負とかそういうの。さすがに辻ちゃんが中でってわけにはいかないけど、市井さんならありでしょ」
「そんな場面あったらな」
「悪くは無いけど、よっさん、余計な頭使わないでええよ。ここはゴリゴリインサイド勝負行ってみよう」

タイムアウトが開ける。 

「相手替わったよ!」

声を上げたのは市井だ。
各自マッチアップの確認。
フリースローでの再開なので、直接マークを捕まえる場面ではなく、意識して確認する必要がある。

「私五番ね」
「四番」
「十四番」

リバウンドに入るメンバーは隣や向こう側にさっきまでの相手がいる。
吉澤は石川だし、あやかは道重だ。
リバウンドにここでは入らない市井はリバウンドに入っている柴田。
きょろきょろ探しているのが辻。

「辻、八番ね。私七番のままで」
「はい」

替わったのは田中だった。
福田が後ろを向いて辻に指示を出す。
田中が下がって控えの二年生が入っている。

マッチアップの確認。
それが済むまでレフリーは待っていて、福田が正面を向くと、ワンスロー、とコールしてボールを送った。

多少苦手意識の残るフリースロー。
それでもここはしっかりと決めた。
同点。 

「あやや、前半はこのままベンチね」
「向こうがタイムアウト取ったときちょっと期待したのに」
「ハーフタイムと合わせて頭冷やせ。無駄に熱くなりすぎやから」

現実的問題として、松浦がファウル二つしている、というのもある。
前半の間に三つ目のファウルをさせたくはない。
危ういところではあるが、福田が踏ん張って同点でここまで耐えているので、何とか前半は持ちこたえてもらって、後半に松浦投入と行きたい中澤の腹積もりもある。

「私は悪いけど、向こうの監督みたいにバスケをよう知ってるわけじゃないからな、どうやったらあの子に勝てるか、なんてことわからへんし、教えてやられへん。でもな、あややがいつもの力が発揮出来て無いのは見ててわかる。だからベンチに下げた。頭冷やさそう思ってな。もったいないやんか。ここ、インターハイの準々決勝やで。そこで、いらいらしながら自分の力が出せないってのは」

説教の続き。
コートの上は富岡オフェンス。
ボールは高橋が運んでいた。
福田もちょっかいは出さない。
シュートまで持って行ったのは石川。
やや遠めの位置でフェイドアウェー気味に打ったシュートはリング手前にあたって落ちる。
道重がオフェンスリバウンドをここで拾ったのだが、自分でそのまま打ったシュートがはずれ、結局あやかにさらわれた。 

「場面場面でな、うまく行かなくても、いつものあややでええんちゃうの? ちょっと態度悪いって言うか相手小バカにした感じの入った、って教師がそれ推奨しちゃいかんけど、その、自信たっぷりな感じで。これがダメならあれ、それでもダメならこうだ、って次々に向かって行けば。本当に自信があって、本当に天上天下唯我独尊なら、一本や二本やられても動じないで勝負するべきなんよ。そんな姿が松浦亜弥には似合ってると思うけどな」
「先生公認でマーベラスやっていいってことですか?」
「周りとはあわせんと。状況判断はしっかりする。その上で、マッチアップの相手とはタイマン勝負なら自分のが上ってことよ。とにかく、一々いらいらしない。これがポイントな」
「試合出れないのが一番いらいらしますけどね」
「後半は休みないよ」
「望むところですよ。七番は私が踏み潰す」
「ファウルだけはせんといてな」
「分かってます」

タイムアウトでゲーム全体の流れが変わったのか、両者ともに点が入らなくなった。
シュートまでは行くのだが、そのシュートが入らない。
どちらかがディフェンスをはっきり変えた、ということは無い。
松江がオフェンスを多少変えたのと、富岡がメンバーを一人替えたこと。
それがタイムアウトでの変化だったが、目の前に現れた結果としては、どちらも点が入らない、というものである。

福田のフリースローから点が動かずそのまま第二ピリオド残り二十秒を切る。
リバウンドを競りあって石川が吉澤にファウル。
松江エンドの松江ボールで前半の最終局面を迎える。 

持ち上がった福田は隣の辻へ。
辻から右サイド開いたあやかへ。
あやかがキープして待って、辻と入れ替わった市井へ戻す。
シュートまではなかなか持って行かない。
二十秒を使い切ってシュートで前半を終わるのが理想系。
市井からトップの福田まで戻る。

ハイポストに上がってきた吉澤へ高橋の小脇を通してバウンドパス。
ゴールからは遠い位置。
吉澤は左サイドの辻へ送る。
辻からトップの市井へ。
市井からまた辻へ。
残り五秒を切る。

「はい!」

吉澤が呼んだ。
ローポスト。
石川をしっかり背負っている。
辻はバウンドパスを入れる。
吉澤、ボールを持って背中に圧力を掛ける。
外から寄ってきたら戻して辻のスリー、というのも頭にあったが外のディフェンスは来ない。
ターンして勝負。
シュートフェイクを掛けてワンドリブル。
踏み込んでジャンプしたが石川はしっかり全部対応してきた。
身長差はあるがジャンプ力差もある。
シュートは吉澤の手からゴールに飛んで行かず、空中で押し合う形になってこぼれ落ち笛が鳴った。

「白四番」

レフリーのコール。
え? という顔をしたのは吉澤だ。
石川のファウル、という判定。
吉澤の感覚としては、全部しっかり対処されてシャットアウトされた、というものだったが、レフリーの判定はファウルだった。
吉澤は、石川の表情をのぞき見たが、特にどういう感想を持っているのかは分からなかった。 

「やるじゃんか」

市井に声をかけられたが、なんとも回答が出てこない。

「しっかり一本決めろよ」

残り一秒二。
吉澤のフリースロー二本である。

一本目、力が入って長めになりリング根元に当たって手前に跳ね返り落ちる。
大きく深呼吸。
リバウンドゾーンにいるあやかと市井、それぞれ出てきて吉澤の手を一度づつぱちんと弾く。
右、左、肩の力を抜いてボールを受けて二本目。
今度はリング中央、しっかり決めた。

ボールを拾った道重、すぐに入れる。
受けたのは柴田。
ドリブルで一歩前へ出て助走をつけてそのままボールを投げる。
自陣からの超ロングシュート。
前半終了のブザーが鳴り、柴田の投げたボールはリング手前に当たって跳ね返り、会場のどよめきを呼んだ。

前半終了 40−39  市立松江の一点リード。 

スタンドから滝川のメンバーは言葉少なに見ていた。
会話があるのはタイムアウトの時くらいか。
ワンプレーワンプレー、各自に感想はあってもそれを話している余裕はない。
ハーフタイムは十分。
藤本は座りなおして大きく伸びをした。

「七番下がってもついていくねー」

藤本は福田と松浦の評価が高い。
そのうちの一人がベンチに下がったところで差がつくかと思ったのだが、逆に松江がわずかながらリードして前半を終えている。

「松江の八番、シュート力もしっかりあるんだね。七番下がってからはあの子が一人で何とかした感じじゃない?」
「つーかさあ、富岡の十二番はなんだあれ? あんなにひどかったっけ?」
「そこまで言うほどひどくはなくなかった? 結局下がったけど。相手が悪かったって感じじゃないの?」
「まともにボールは運べないわ、ゲーム組み立てられないわ、ディフェンスできないわ。あれで富岡のスタメンってどういうこと? って美貴は思ったけど。オタガキ。あれならお前でも富岡でスタメンになれるかもよ」
「その言い方はないでしょ。美貴も」

滝川集団の最前列。
藤本と里田は並んで座っていて、新垣も藤本の隣にいる。
藤本が隣に座らせたわけでもないのだが、なんとなく雰囲気で新垣は後から付いてきて藤本の隣に座っている。

「まあ、確かに、ちょっとねー。あの十二番も。もうちょっと出来るはずなんじゃないの? 本当は。相手も悪かったし」
「しっかし七番うぜー。富岡、全体的に今日あんまり良くないのに七番だけうぜー」

里田は苦笑い。
藤本は矢口にしろ高橋にしろ、まともに対戦したことのある他チームのガードのことが大抵嫌いだ。
嫌いイコールてこずった相手、なので、田中はその範疇には含まれていないようではある。

「柴田と石川がおとなしいんだよな。だから七番さえ止まれば終わりなのに」
「七番止まったらあゆみんや梨華ちゃんが大人しくなくなるんじゃない?」
「石川はおとなしいってことも無いのかな。なんかシュートが入ってないってだけで」
「吉澤さんのディフェンスが効いてるのかな?」
「どうだろ。上から見てるとわかんないけど、威圧感とかあるのかね、近くだと」

石川は第二ピリオドに入っても高橋より得点は少なかった。
シュート自体は打っているのだが、案外入っていない。
柴田はシュートの本数そのものが少ない。

「松江のオリエンタル美人って結構出来るんだね。あんまりイメージ無かったんだけど」
「あやかさん? 戦術的なとこじゃない? 富岡相手ならあそこで攻めたくなるでしょ」
「うちだとみうな? うわ、なんか安定感のかけらもないな」
「オフェンスそのものもそうだけど、リバウンド課題だよね。みうなに限らず、富岡のあれ相手にするには。あやかさんもディフェンスリバウンドも取れてなかったりすること多いし」
「富岡の一年がリバウンドシュートをしっかり決めていったらいきなり一方的になるかもな」

藤本、組んでいた腕を頭の後ろにまわした。

「オタガキ、どっち勝つと思う?」
「十点差で富岡」
「根拠は?」
「石川さんは後半のが強いです」
「あいつ、感情で動くタイプだからな。確かに終盤のが強いかも。でも、前半打ってないならともかく、打ってたけど入ってなかったじゃんか。調子悪いんじゃないの?」
「最初悪くてもあわせてくるはずです」
「ふーん。松江勝ったらオタガキ、美貴に何してくれる?」
「美貴、いつから賭けになってるのよ」
「いまから」
「賭けなら美貴も何か賭けないと」
「美貴はいいの。先輩だから」
「無茶言うなー」

賭けは、ただの笑い話で終わり、質草は定められなかった。 

 

記者席は記者席で別の会話がある。
前半富岡ビハインドはそれだけで一行分の記事にはなる。
松江が頑張るだろう、とは認識されていたが、前半リードする、という予想はなかった。

「七番下がって終わりかな、と思ったんだけどね」
「我慢しましたよね、下がってからも。福田さんがすごいっていう理解でいいんですかね?」
「んー、富岡の田中さんがちょっとね。なんか今ひとつだったから。それがあるんじゃないかな」
「富岡が足をすくわれるとしたら一年生のところって言ってましたけど、それが当たったってことですか?」
「そうなるのかなあ。後道重さんのところも。リバウンドは取れてるけどシュート決められてるからねえ。あの辺は全体的に考えた方がいいと思うんだよね」
「全体的にって、どういうことですか?」
「最後ちょっと違ったけど、中広すぎるんだよね。実際にはどっちもそうだったんだけど。多分、スリーポイントをどちらも意識しすぎなんじゃないかな?」
「そういえば富岡のスリー一本も無かったですね」
「多分、ディフェンスの方針としてどちらもやってるんだろうと思うけど。松江にしても、市井さんの最初のはともかく、あとは苦し紛れの福田さんのが入ったっていうだけでしょ。それ以外はほとんど打ってすらいないし。スリーを気にしすぎて中が広いからあやかさんが自由にやれてたってのが前半じゃないかな。富岡の方は中が広くても道重さんが個人で勝負出来てないから生かせてない。石川さんも外からやりたいタイプだしね。そういう意味で松江が外をケアしてるのは当たってて前半リードで終われたんだと思う」 

前半、富岡のスリーポイントシュートは一本も入らなかった。
滝川カップでは前半だけで石川四本柴田五本の九本もスリーポイントを決められた。
その反省が生きている、という見かたは出来る。

「松江がリードして終われたっていうのを良い風に後半に持っていけると面白いかな」
「例え一点だけでも気分としては大分違いますよね」
「そういう意味で、最後のフリースロー、二本外したらキャプテン失格って言ってやりたいとこだったよ」
「あれ、ファウルでした?」
「わかんない。ここからじゃ。でも、ファウル取ったから面白くなった」
「なんて記者だ」
「面白い試合が多い方が記者も儲かるのよ」
「それでまた寝れない日が続くと」
「新米、後三日だ。頑張りなさい」
「正直きついっす」

フリーといえど、新卒後の仕事開始。
インターハイは斉藤にとってまとまって何日も続く初めての仕事ということになる。 

スタンドで見ていた矢口は、ただ一人のベンチ外メンバー紺野と共に前半終了と同時に下に下りて行った。
階段から降りたところで、タオルを持って一旦ロッカーに下がろうとする市井と出くわす。

「こら! 仕事しろ紗耶香!」
「なんだよ。痛いなー」

矢口、いきなり市井の頭をはたいた。

「二クォーターサボりすぎでしょ。攻め手がなくなったのは紗耶香のせい」
「なんでだよ」
「相手関係なく点とって行くのが紗耶香のポジションでしょーが」
「それは私じゃなくて吉澤に言ってやれよ。つーか、見てたら分かるだろ。まともに一対一で勝てる相手じゃないって五番。一本は打てたけど、その後はもう外から打つチャンスなんか無いし、だからってボール持ってから一対一で抜ける相手じゃないだろ。どっちかっていうと、あれをひきつけて中拡げてるだけで感謝してもらいたいよ」
「一人だけ抜けた最上級生なんだからそんな感謝を望んじゃダメでしょ。五番ぶち抜いてくくらいの感じで」
「だから無理だって、まともに勝負したら。あれどうにかするにはパスもらう時点で勝負決めてないとどうにもなんないって。だからいいんだよあれで。五番が私に引っ付いて外に拡がって出てくるなら、あやかが中で勝負してれば。出来るなら吉澤でもな。私が働くのはインサイド狭くなってからだろ。そうなったらフリーでもらえる動きとか、そういうのが必要になってくるんじゃないの?」

紺野は矢口とはくっつかずに一人でコートの方に向かっている。
吉澤がコートの方からやってきた。 

「どうしたんすか? 二人仲良く」
「なんでもないって」

二人のところに吉澤が来ると、市井は二人を置いて去って行った。

「よっすぃーが点取らないのがいけないって」
「はぁー? いや、まあ、そうとも言いますけど」
「それは冗談ぽかったけど、まともに一対一やって五番に勝てる気はしないってさ」
「へー」
「だから今はひきつけてるだけでいいんだって。それでインサイドが勝負出来るなら。自分が働くのはインサイド狭くなってからだって」
「そうですか」

口に出しては言わなかったが、めずらしいなと吉澤は思った。
市井が、相手と自分の力量差をはっきり口にした上、ゲームの中での自分の役割とか、そういうことをまともに語っているのを吉澤は聞いた記憶が無い。 

「でもすげーじゃん。富岡相手に前半リードだって」
「まだ前半だけですよ」
「でもすげーって」
「まあ、悪い気はしないですけどね。つーか、最後のフリースローは二本決めたかった」
「一本目外したとき、こりゃダメだと思ったけど、二本目よくきめたじゃん」
「内心かなりびびってましたけどね。これ決めたらリードで終われる? 富岡相手に前半リード? って。一本目は、あれファウルかなあ? みたいなこと考えてたから、案外プレッシャーは無くて、集中力に欠けた感じだったけど。入った二本目の方が心臓バクバクでしたよ」
「これで満足?」
「いやいやいや。全然。まだまだやり足りねーって感じっすよ。石川さんもパワー全開って感じじゃないし。後半はがちんこ勝負行きますよ。まじで」

吉澤は持っていたタオルを右肩にかけて、風呂に向かうおじさんスタイル。
見上げる矢口と見下ろす吉澤ではどちらが先輩だかさっぱりわからない。

「スピードもシュート力もセンスも多分負けてますけど、パワーじゃ負けないっすからね。やりますよ。インサイド勝負。前半あやか頑張ったから、後半は私の番でしょ」
「頼むよ、ホント」

矢口はタオルをかけた吉澤の肩をたたいてすれ違って行った。 

富岡はハーフタイムになると全員ロッカーに引き上げてミーティングをする。
前半のポイントを和田コーチを中心に確認した。
後半の指示というのがここで出るわけではなくて、前半こうだったな、という確認である。
それを持ってハーフタイムの間考えてろ、というような感じで、後半へ向けての指示は後半開始前に出される。
二分ほどの短いミーティングを終え、最初に和田コーチがロッカーを出た。

ロッカーの中で汗を拭いたり飲み物を飲んだりするメンバーもいるが、狭い空間を嫌って外へ出るものもいる。
柴田は引き上げる時になんとなく持っていたボールをそのまま持って外へ出る。
小脇にボールを抱えたままベンチへ。
コートの上では二試合目のチームがハーフタイムアップをしている。
反対サイド、松江ベンチ前の側であるが是永の姿もあった。

「是永美記ちゃん、キャプテンしてるねー」

柴田の後ろから石川が声をかけた。
ベンチをまたがって越えて柴田の座りに座る。

「梨華ちゃんだってキャプテンしてるでしょ」
「私、ああいう感じじゃなくない?」
「それは分かってるんだ」

是永の姿を見たのは久しぶりだった。
全国レベルの大会は昨年末の選抜以来。
開会式は同じ会場であったが、チーム数が多すぎて探し出して話をするような余裕はあったものではない。
ここまでは別会場で試合をしていた中村学院がこちらに移ってきたのは今日からだ。
シュートを打って戻ってくる是永の方に石川が手を振ると、是永が微笑んで小さく手を上げた。 

「メールやり取りとかしてるの?」
「たまにね」
「うざがられてない?」
「失礼な。ちゃんと返ってくるよ。絵文字なしのオール文章メールだけど」
「うーん、絵文字氾濫ギャル語メールの是永さんとかイメージできないしなあ」

結局参加できなかったが、滝川カップには一度招待している。
そのときのやり取りで二人はアドレス交換していた。
柴田もアドレス持っているが、そういうメールのやり取りはしていない。

「是永美記ちゃんとはあさってかあー」
「その前に今日でしょ今日。負けてるんだよ今。分かってる?」
「分かってるよー」

石川はなんともお気楽に見えるように振舞う。
もうちょっと考えろ、という顔で柴田が見ると、石川が続けた。

「なんかシュート入らないんだよね。いまいち」
「シュートまでは行ってるよね」
「微妙なずれなんだけど。入らないものは入らない」

石川は空でシュートの真似をする。 

「高橋がなんかおかしいからね」
「あれはおかしいよね確かにある意味」
「あれに救われてるって言うか頼っちゃうって言うか」
「あそこまで当たってると当てにしちゃうけど、最後まで行くとは限らないし」
「近くで打ってみようかな」
「近く?」
「遠いから外れるんだよシュート。だから近くで」
「なんだそりゃ」
「えー。だってそーじゃん。調子悪くたってゴール下レイアップ外さないでしょ」
「道重外すけどね」
「あの子はいいの」
「いやいやいや。良くは無い良くは」

富岡のスタメンで試合に出ていて、ゴール下のレイアップを外していいわけがない。 

「よっちゃんみたいなインサイドタイプだと、外から勝負すれば抜ききれるって印象なんだけど、そうも行かないんだよね」
「そう? ドリブル突破は出来てない?」
「出来てそうに見えるでしょ? 意外にね、完全に外れるところまでは外れてくれないの。外れた、と思うとあやかさんいるし」
「地味にあやかさんのカバー、嫌だよね」
「だから、なんかジャンプシュートで片付けたいんだけど、これが入らない。スリーが一本決まればね。ボール持ったときもう少し近くで当たってくれるだろうから突破もしやすいんだろうけど、それも決まらないとねえ」
「何か一本きれいなの決まれば違うかな?」
「うん。そうかもしれない」

受け答えしながら柴田は、他人事じゃないんだよな、と思った。
点が取れてない度合いで言えば、石川に輪をかけて柴田は取れていない。
石川は石川だからいまいち、と感じるだけで、姿形と過去実績を見ずにスコアブックだけ見るならばそれほど悪くないスタッツなのだ。
柴田の前半二点はちょっとまずい。 

「ディフェンスは、悪くないよね? なんか点入ってるけど」
「梨華ちゃん、外出すぎじゃなかった? 途中まで」
「だって、よっちゃんスリーポイント打つんだもん」
「あれ、流れでたまたまああなっただけじゃない? ぽんぽん入ると思えないんだけど。道重のカバーのが重要度高いでしょ」
「だから最後の方はさがったじゃん。ていうか、柴ちゃんももうちょっと引いたら?」
「私も? スリー打たすなって先生の指示だよ」
「んー、そうだけど。なんか、柴ちゃんとこ消えてない?」
「消えてるって?」
「柴ちゃんと向こうの六番と。流れの中で繋ぐのはあるんだけど、そこで勝負ってなかったよね」
「そういえばそうかも」
「柴ちゃんは柴ちゃんで勝負するとこだし、向こうが勝負してこないならちょっと引いてもいいんじゃないかな?」
「引いたら打ってこない? そうだよ。私、それで最初中のケア行ったら打たれたんだもん」
「先生の指示待ちかなあ、その辺は。どっち重視するかってことだし」
「そうだね」

レフリーがコートに入ってくる。
二試合目のチームがハーフタイムアップを終えて下がって行った。 

柴田はボールを持って立ち上がり、空いたコートに入って行く。
ミドルレンジからジャンプシュート。
入らない。

簡単な試合じゃなくなってきている。
最後までぎりぎりの勝負になるかもしれない。
自分は、エースというような立場じゃない。
だけど、こういう試合でしっかり働けてこその三年生じゃないか、と思う。

ボールを拾ってもう一度シュート。
リング奥に当たって跳ね返ってくる。
拾って同じ場所からもう一度。
今度も奥に当たって小さく跳ね上がり、左側にこぼれた。
小走りで駆け寄って拾い上げ、そのままゴール下でジャンプ。
ボードに当ててゴールに入れる。

ため息一つはいてボールを回収し、ベンチに向かって歩いて戻った。
全員、ロッカーから出て戻ってきている。

「集合」

和田コーチがメンバーを集めた。 

松江ベンチは全員立って輪になる形でのミーティングになった。
前半リードは悪くないどころではない。
上出来だ。
後半勝負。
ここまでは持ってこられた。

「後半、明日香、あやや、紗耶香、よっさん、あやか。スタートに戻す。マッチアップも最初の通りのつもりだけど、明日香んとこは向こう次第な。12外れて大きいの入ってくるようならスライドさせるかもしれないけど、基本そのままで。8が来た場合も明日香ね」
「はい」
「後半出だし、当たってくるかもしれんとこやけど、いつもの通り。明日香中心で、あややフォロー。まあ、最初の一本慎重にな。エンドからふぬけたパス入れて取られないように。しっかりケア。特によっさんな。すぐ入れようとして簡単に取られないように」
「分かってます。一本目は確認しますよ」
「当たってくるようなら紗耶香がエンドまで出て入れる」
「了解」

富岡は一試合のどこかで前から当たってくる時間帯を作る。
それが一番多いのは後半開始のところだ。 

「オフェンスは、あやや。仕事せえよ」
「当然です」
「前半休んでたんだから、もういい訳はあらへんよ」
「はい」
「インサイド。よっさんも勝負。あやかもいけたら当然継続で。それで、外から囲んでくるようになったら、外に捌いて紗耶香のスリー」
「スリーもあるけど、飛び込んできたところをカットインもあるから。そしたら中、はけてよね」
「そこはジャンプシュートじゃないっすか?」
「ジャンプシュートよりゴール下だろ、当然。まあ、中混んでたらそりゃジャンプシュート打つけど」

中と外の使い分け。
中で吉澤と石川、外で市井と柴田、ここの二対二で勝てるようならかなりの希望が出てくる。

「そこに至るまで、しっかり全員動いてくださいね。前半の終わりの方、パスあんまり周ってなかったですから」
「とにかく足動かしていこう。オフェンスも、当然ディフェンスも」
「特にディフェンス。手出すより足な足。足動かしてノーファウル。リバウンドも全員で飛び込む。サボらない。ここがインターハイの準々決勝で、相手が二連覇中のチャンピオンいうこと忘れへんように。それだけの舞台で戦ってるってことに誇りと自信を持って行ってきな」

後半、松江の五人がコートに上がって行く。 

「あやか、リバウンドもうちょっと取れない? やっぱあの一年生読みが良いの?」
「読みも確かに良いんだけど、それだけじゃないね。地味にスクリーンアウトなんかはしっかりやってくるし、逆に自分はそれに押し出されないようにしっかりしてるし」
「あんなの吹き飛ばしちゃえ」
「あれで意外に重いよ、あの子。逆にこっちが吹き飛ばされそうだよ、スクリーンアウトされると」
「それじゃ困るって」
「か弱そうに見えるんだけどね。ぶつかり合い強いよあの子。ジャンプ力は無いから、空中のルーズボールって感じのは取れるんだけど、先にポジション取られたらもうアウトだね」
「読みが良くて、ポジションしっかりとってか。面倒だなあ」

吉澤とあやか、先にコートに上がってゴール近くのポジションで富岡のメンバーを待っている。 

松江がコートに上がっても富岡ベンチのミーティングは続いていた。

「距離感な。距離感。打たせるんだけどフリーじゃない距離感。特に高橋。七番出てきたらだけど」
「はい」
「柴田もな。ボール持ったときの距離感。石川は気にしないでいい。外までついていくことないから」
「はい」
「後はスクリーンアウトしっかりして、向こうのチャンスは一度だけで終わらす。道重や石川だけじゃないからな。外からも飛び込ませるな」

レフリーがこちら側に歩み寄ってきたのを見て和田コーチは話を切り上げる。
富岡のメンバーもコートに入って行った。

第三ピリオドは富岡ボールで始まる。 

サイドでレフリーから高橋がボールをもらい、笛が鳴ると簡単に八番へボールを入れた。
富岡のセットオフェンス。
田中はベンチに下がったままだ。
ゆっくりと外でボールが回る。
高橋が受け、柴田へ落とし、外に出てきた石川へ。
また高橋に戻る。
右四十五度、目の前にはコートに戻ってきた松浦。
しっかり構えられた松浦相手に、静止状態からの一対一は仕掛けにくい。
ハイポストに道重が入ってきたので送る。
道重、そこから勝負の素振りはまったく見せずに反対側の柴田へ。
ゴール下を石川が抜けてきたので柴田はバウンドパスを送る。
石川、受けて切り返してドリブルで中へ。
ディフェンスは振り切れないが、そのままゴール下へ回ってバックシュート。
無理目なシュートだったが、吉澤も無理目にブロックに手を伸ばすと接触しファウルを取られた。

石川のフリースロー二本。
二本とも決まり、富岡が逆転して第三ピリオドが立ち上がる。 

当たってくるか?
ここは身構えて市井がボールを拾ってエンドライン外へ出たが、富岡ディフェンスは引いて行った。
簡単に福田に入れる。

「田中!」

富岡ベンチ、和田コーチが田中を呼んだ。
それほど遠く無い位置にいた田中、はいと答えて立ち上がると、和田コーチは自分の隣を指差す。
そこへ来て座れ、と言うことのようだ。

「どこでとはまだなんとも言えないけど、流れ見て入れるから」
「はい」
「田中が入るところが前から当たるタイミングな」
「はい」

コートの上では松江オフェンス。
早いタイミングで松浦がスリーポイントを放つが、やや長めになって外れる。
リバウンドは道重が拾った。

「田中。マッチアップの相手がきついとか、試合展開があんまり良くないとか、あと、なんだ、先輩むかつくとかか? そういう、いらいらする要素がいろいろあるのは分かるんだ。だがな、それでバランス崩したら外されるのはお前なんだ。分かるか?」

田中は答えを返さない。
分かったのか? わからないのか?
納得いっているのか? いっていないのか?
和田コーチは完全にはとらえ切れていないのだけど続けた。 

「試合展開見てれば分かるだろうけど、今、高橋は外せる状態じゃない。外すとしたら田中になる。今日はマッチアップも厳しいし、いろいろストレスたまる状況なのは分かる。だけど、それを乗り越えてもらわないと困るんだ。感情を押し殺せとは言わん。ただ、ある程度コントロールして対処しろ。それが出来るのがポイントガードだ」

富岡オフェンスは速攻は出せずにセットオフェンスに。
外で回して高橋が右三十度あたりから一対一での突破を試みる。
ここは松浦が抑えゴール裏へ追い込み吉澤と挟み込む体制に。
しかしこれをなんとかかいくぐって、コートの外まで上体は飛び出しながら逆サイド石川へ。
外からシュートの構えの石川に、ローテーションで下りてきた市井が前に入り込むと、石川はすぐに柴田へパス。
ここには福田が来るが身長差は大きく、柴田がそのままジャンプシュート。
ボールはリング手前に当たり跳ね上がる。
それを拾ったのは道重で、そのままリバウンドシュートを決めた。
三点差。 

「田中、向こうの八番は確かに良いプレイヤーだ。今のお前に全面的に勝てというのは確かに難しいと思う。ただ、一つだけ明らかに勝っている部分があるとすれば、それは若さだな。技術と関係ない部分に勝負を持ち込め。そうすればなんとかなる。ディフェンスでは当然粘り強くついていく。オフェンスも動き回れ。ゲームの組み立てはもちろん出来た方がいいけど、落ち着いたポイントガード像は今は必要ない。田中もそれほどスタミナがあるわけじゃないだろうが、ベンチで十分休めてるはずだ。泥仕合に持ち込めば八番相手でも何とかなる」
「はい」

持ち上がった福田が簡単にハイポストのあやかへ入れる。
そこから勝負はなく、外、市井へ戻す。
市井から松浦へ、松浦から福田へ。
ローポスト、吉澤が石川を背負って呼んでいる。
福田からバウンドパス。
肩でワンフェイク入れて内側へターン。
シュートフェイクも入れてから飛んだが、石川、すべて見切ってぴたりのタイミングでブロックショット。
こぼれたボールを拾ったのは柴田。
すぐ前の高橋へ。
ワンマン速攻、高橋対松浦。
加速する高橋に松浦は付いて行く。
バックチェンジで切り返すが松浦も振り切られない。
味方の上がりを待つ選択肢もあるが、高橋は待たなかった。
右側から強引に切り込んでレイアップシュート。
最後まで付いて行った松浦は、ファウルにならないように気をつけながら、高橋の手から離れたボールをエンドラインの向こう側まで弾き飛ばした。 

「一つ具体的なことな。八番のシュート。ジャンプシュートはともかく、スリーポイントはリリースポイントが低いな。身長が低いってだけじゃなくて、構えたときのボールの位置から普通より低い。それは頭に入れとけ。モーションもそれほど早くないから、そうそう連発されることは田中ならないだろ。突破やパス捌かれる方がよっぽど怖い。その辺は七番とは違うから。それ相応の対処にしろよ」
「はい」

シュートのリリースポイントが低い、ということは、シュートの軌道に手を入れ込むのが容易である、という意味になる。

富岡オフェンスは外から飛び込んだ石川がフリーでボールを受けてゴール下簡単なシュートを決めて五点差。
松浦がスリーポイントを打ち、これがリング手前に当たって大きく跳ね返り、手元に落ちてきたボールを福田がすぐにバウンドパスでゴール近辺にいたあやかへ送って、これもゴール下のシュートを決めて三点差に戻す。
その後、富岡、松江、二本づつオフェンスチャンスをミスでつぶして富岡のオフェンス。 

ここは自分が、と柴田は思っていた。
あまりそういう発想を通常はしない。
流れの中で自分がシュートの間なら自分が打つし、そうでないなら誰かが決めれば良い。
常に流れの中で決まるもので、ボールを持ってゆっくりとガードが持ちあがっているような段階で、ここは自分が決める、という発想は、柴田はあまりしない。
だけど、ここは自分が、と思った。

高橋も七番相手に前半のようにはいかなくなっている。
負けているということはないのだが、自由に点を取っているという状況ではない。
第三ピリオド、お互いにゼロとゼロだ。
石川は点を取ってはいるが、やはり好き放題にやれるという展開ではない。
四番は外からの揺さぶりは大分効くが、ゴールに近いところではなかなか簡単ではないようだ。
一年生の道重や、控えメンバーに頼る状況でも無いだろうと思う。
石川一人で頑張っていても、どこかで抑えられてしまわないとも限らない。
ここは、自分がやるべきなのだ。

自分のところのマッチアップが一番力の差がある、と感じるのはうぬぼれでは無いと思っている。
流れの中で周りとの兼ね合いで点を取られている場面はあるが、個の力として六番のオフェンス力は柴田から見て特に脅威ではない。
ディフェンスも、さほど怖さはないと感じている。
問題なのは、マッチアップの相手ではなくて、自分自身なのだろうと思う。 

持ち上がったボールは高橋へ送られトップに入れ替わった柴田へ渡される。
柴田からハイポストの道重へ。
道重がここから勝負するということはなく、上の高橋へ戻る。
右サイド、開いて出て来た石川へ。
低く構えて正対する吉澤。
シュートの構えを見せて石川は牽制すると、手を上に上げ、上体を一瞬うわづらせるがそれだけ。
ストロングサイドは完全に抑えられているし、ウィークサイドへ切れ込んでも、ゴール裏まで誘導されて挟み込まれるだけだろう。
高橋へ戻す。
高橋は逆サイド柴田へ横断パスを送った。
ゴールに近い方を市井がケアしているので、この長いパスも問題なく通る。
左四十五度。
結構得意な位置、と柴田は思っていた。
ボールが来るのに呼応して市井も寄ってくる。
ミートしてシュートフェイクを見せると、市井はそれに反応した。
柴田は右手でドリブルを付き中へ。
ゴール下には元からいた道重あやかと、逆サイドから入ってきた石川とマークの吉澤。
石川は道重のところを壁として抜けて行くが吉澤は壁に引っかかっている。
ゴール下は混戦。
あいたのは石川だが、抜き去りかけて追いすがってくる市井がちょうどパスコース上だ。
柴田が選んだのはミドルレンジからのジャンプシュート。
ファウルを恐れた市井はブロックには飛んで来ず、空中ではフリーといえる状態だったが、シュートはリング左内側に当たって右側にこぼれた。
拾ったのはゴール下であやかと競り合っていた道重。
ゴールから離れながらリバウンドを取り、そのまままたジャンプ。
無意識にフェイドアウェーの形になった道重のシュートはブロックに飛んだあやかの上を越えるがリング手前で跳ねる。
これが、もう一度リング奥に当たり、今度は内側に落ちて決まった。
富岡五点リード。 

吉澤がすばやく拾ってすぐに入れようとしたが、ここで松江ベンチがタイムアウトを取った。

「ここや! ここ! ここでついていかな!」

ベンチに戻ってきた松江メンバーを迎えたのは、中澤の激だった。

「よっさん、小細工いらんて。オフェンス、もう一歩踏みこまな。シュートフェイクで飛ばそうとかフェイドアウェーでかわそうとか、そんな小細工いらんて。よっさんにそんなん誰も期待してへんよ。もう一歩踏み込んでゴール下で無理やりでも何でも決めてくる。それがゴール下ゴリゴリ勝負ってことなんと違うか?」
「はい」
「怖くない。怖くないから。身長もパワーも明らかに勝ってるやんか。何を怖がる必要ある。ゴール下ではよっさんのが絶対強いから。飯田圭織とずっとやりあってたやんか。あれより強いインサイドなんておらんて。外から勝負考えたらどうか知らんけど、ゴール下でやりあう限り、あんなん怖く無いって」

フェイクで飛ばそうとしてからジャンプシュートを打ってブロックを喰ったり、フェイドアウェーでかわそうとしてシュートが短くなったり、というのがこの第三ピリオドの吉澤だ。
それも含め、チームとして得点力が落ちてきている。 

「あやか、スクリーンアウトしっかりせな。ただ追い出せばええってもんやないやんか。出来るだけ動きにくい形で背中に入れ込まんと。うちのディフェンスリバウンドだけは取らせたらあかんよ」
「はい」
「じりじり離されたらあかんよ。一気に逆転まで持っていかれんでも、この点差のまま追いかけてこ。まだまだ全然勝負になる点差やから。あやや、紗耶香。外からもこわがらんで打ってええから。打てるときは」
「次は決めます」

松浦は後半に入り二本スリーポイントを外している。

「ディフェンス、足動かそう足」
「スクリーン、連携ね。ゴール下もあるけど、中から出て行ってっていうのもあるから。声出して」

吉澤、あやか、ディフェンス面の基本的な確認。
いつでもあてはまることではある。

「速攻、決められてはいないけど、それに近い場面はあるから戻り早くね。攻守の切り替え」
「あやや、速攻の時は七番キーだから、すぐ捕まえてね」
「分かってますよ。さっきのも私は捕まえてましたから。生意気に一対一で突っ込んできましたけど」

富岡が速攻を出すときは高橋が早い。
先ほども結果として高橋のワンマン速攻になり、そこは松浦がブロックして事なきを得ている。

「ここ、勝負な。勝負。追いかけてこう。あ、辻ちゃん、アップしといて」
「はい」

最後に、辻にアップの指示を出して、中澤が締めた。 

富岡ベンチでは試合に出ていたメンバーはベンチに座り、控えメンバーが後ろからうちわで扇いだりしながら、向かい合う位置に和田コーチが作戦板を持ってかがみこんだ。

「田中、入れ」
「はい」
「ここで当たって行く。基本は三クォーター終わりまでのつもりで。狙いは六番、そして八番な。八番に入った場合はこう。柴田と田中で囲んで、高橋はここケア。石川が前目に出て七番も見る。道重は中央で」

作戦板のマグネットを動かしながらの指示。
唐突に決めたこと、ではなくて、従来からほぼ決まっていたことだ。
その場その場で狙いを変えることはあるが、動き方などはいつもの前から当たるときとほぼ共通のフォーマットになっている。

「七番に持たれたときは高橋がそのままつけ。周りは圧力かける雰囲気を作る。特に柴田。柴田は七番に圧力をかけに行く雰囲気を作って、六番をフリーに見えるようにする。石川は前に出ないでそのまま。高橋はなるべくパスを出させるようには付くけど無理はしない。手は出さなくていい」
「はい」
「多分、六番がエンドから入れることになってくるだろうけど、六番にすばやく戻ったら、柴田とパサーのマークマンが六番に当たれ。石川が開いた方、パサーの方をケア。八に入って時間かかってから六に戻るようなら、高橋がすぐ当たりに行って、柴田も六に戻る。この場合も石川が七をケア。田中は八番そのまま」

最初に福田にボールが入ったら福田に二人で当たるけど、松浦に入った場合は一人で済ませる。
市井にボールが渡ったら、そこも二人で囲む、という算段である。 

「当然、ボールの位置と相手の位置で状況は代わってくるから、全部この通りにはする必要は無いし出来ないと思うけど、基本線はこれで。状況判断しっかりな。前三人。どこでダブルチームに行くか、しっかり判断すること。ダブルチームに入らなかった一人はしっかりローテーションな。石川もそのカバー。道重は長いボールを狙うこと。ボールが通ったときはスローダウンさせること」

いつもやっていることである。
残り時間がなくなってきて、ビハインドを負って、仕方なく一発ばくちで前から当たる、というのとはわけが違う。

「これで一気に走れたらそれでいいけど、そうじゃなくてもダメージだけ与えられれば良い。特に田中。八番に負担をかけろ。十分休んで足は余ってるはずだ。ここが働きどころだと思え」
「はい」
「大事なことな。突破された場合の戻り早く。三対二や二対一にされるケースもあるだろうけど、周りの戻り早く。それが大事だからな」

選手からしたら、特に目新しいことは無い。
いつもやっていること。
それを確認して富岡のメンバーはコートに上がって行った。 

松江エンドからゲームは再開される。

「相手変わったよ。十二番」

マッチアップが代わった福田がナンバーコールする。
それと同時に、相手が自陣でマークを捕まえに来るので、各自状況を悟った。
エンドから簡単にボールを入れるつもりだった松浦が中に入り、代わりに市井がエンドに出る。

「練習通りやればええ! 問題ない!」

ベンチから中澤の声が飛ぶ。
声を出しながら、辻の方を見た。
本当は、ここで前から当たってこないのが確認できたら辻を入れて福田を休ませたかったのだが、それが出来る状況ではなくなった。
それでも、アップをやめろという指示は出さない。

エンドで市井がレフリーからボールを受け取った。

「入った! 入ったよ!」

柴田は市井と少し距離を取って立つ。
やや右足前の半身。
福田と田中、松浦と高橋、それぞれが競りあってボールを受けに動く。
先にディフェンスを振り切ったのは福田。
中央、ゴール下へ向かって駆け込みながらパスを要求する。
市井がバウンドパスを入れようとしたが、柴田が足を出した。
ボールはその伸ばした足に当たりキックボール。
松江ボール。

時間経過なし、同じ配置でもう一度。
今度は松浦がスクリーンを掛けに動いた。
高橋はパスコースに入っているが松浦はそのまま田中の方へ。
田中もその状況は分かっていて、ファイトオーバーでかわそうとするが、福田は逆に遠い方へ動いた。
市井は山なりのやや長めのパスを送る。
福田には通ったが、ボールの滞空時間が長く田中も福田正面に戻っている。
松浦が走るが高橋はパスコースを塞ぐ。
柴田は福田の方に近づきつつも、市井にボールが戻ればすぐに捕まえられる位置。
福田はドリブル突破を試みる。
中央側へ。
田中は付いていき、さらに石川が前に出てくる。
二人に囲まれる前に福田は左サイドへ開いた吉澤へパスを送った。
吉澤はキープ。
場が落ち着くのを待つ。
松江メンバーも全員上がり、富岡は各自の元々のマッチアップを捕まえたところで吉澤がトップの福田に戻し中へ入って行く。

運ぶのに時間がかかってのセットオフェンス。
ハイポストのあやか。
ターンしたがゴール下が混んでいる。
右サイド市井へ。
市井からトップの福田を経由し左サイドの松浦へ。
ローポスト、道重と競りあってポジションの取りきれないあやか、ハイポスト、石川にパスコースに入られた吉澤。
シュートクロックは残り五秒。
松浦は一対一の素振りを見せてから外からスリーポイントを打った。
リングの左内側に当たったボールは、大きく跳ねて右サイド、誰もいないところに落ち、そのままサイドラインを割った。 

「松、打たされてない?」
「なに? どういう意味? 今のは確かにシュートクロック無かったけど」
「それもあるけど、モーション変に早くない?」
「そうかな?」

転がったボールをレフリーが確保するまでの小さな間。
福田が松浦に声をかける。

「ディフェンス気にしない方がいい気がする」
「そんなことないって。気にして無いよ。大丈夫、次は決めるから」

レフリーがボールを確保しサイドの高橋に渡す。
福田も松浦もディフェンスに戻った。
そんなこと無いといいつつも、ちょっとそうかも、と松浦は思った。
前半よりも微妙に高橋のマークが遠いのだ。

富岡のオフェンス。
運んでくるのは田中だったが、福田はここでは特にちょっかいを出さなかった。
ゆっくり組み立て。

外で回っている間、ボールを持つと一対一をしたさそうな素振りを柴田が何度か見せるが、突破できたとしてもその先が混んでいる、という状態で実際には出来ない。
ここで勝負したのは石川だった。
外に開いたところから中へ入り込んでボールを待つ動きを見せて吉澤を揺さぶって絡もう一度外へ出てボールを受ける。
寄ってきた吉澤。
左0度、シュートフェイクを見せて内側からドリブル突破。
吉澤も追いすがるが石川のスピードが上回る。
逆サイド、道重についていたあやかもカバーに来るが、そのあやかの手と吉澤の伸ばす手の間、石川はゴールに近いところでレイアップシュートを決める。
七点差。 

ボールを拾った吉澤、急いで入れようとするが富岡のピックアップが早い。
市井がエンドに出てくるのを待ってボールを渡して自分は上がる。
富岡のオールコートマンツーマン。
これを突破しないとオフェンスにならない。
じりじり開きだした点差。

松浦が左サイドにボールを要求する。
後ろに戻る形であまり良い状況では無いが市井はそこにボールを入れた。
コーナー、タイムアウトの時の原則からは外れるが、柴田も松浦を押さえに行く。
しかし、それよりも松浦の動き出しの方が早かった。
二人の間を突破する。
高橋が何とかコースだけは制限するように追いかけるので、松浦は徐々に中央よりへ。
そのままハーフラインを超える。
すばやく戻っていた田中がこれを捕まえた。
一対二。
松浦はドリブルを止め冷静にボールをキープ。
あいている福田へボールを送る。
福田から右に開いたあやかへ。
ゴール下、吉澤が入っていこうとするが石川にコースは切られる。
あやかは上の市井へ。
一旦左にはけていた松浦が斜めにコースを取ってフリースローライン辺りへ駆け込んで行く。
そこに市井がパスを入れた。
スピードに乗ってドリブル。
高橋は付いて行くが、ゴールまで二メートルあたりのところで松浦はジャンプ。
身長差がありこの位置で飛べばフリー。
無理に押さえ込もうと飛んだ高橋に接触されながらもジャンプシュートをねじ込んだ。
笛が鳴りカウント、さらに高橋のファウルがコールされてフリースロー一本が与えられる。

「ディフェンスなんて気にならないよ」
「ふん」

つまらなさそうな顔を見せながらも福田が手を出すと、松浦が両手でぱちんと答えた。 

レフリーがファウルの中身をテーブルオフィシャルに告げに行く間、柴田が石川と道重に声をかけた。
ゴール下、フリースロー時にリバウンドに入る三人で輪が出来る。
松江のメンバーは松浦を囲んでいてそこには寄ってこない。

「オフェンスさあ、梨華ちゃんもうちょっと開いてみない?」
「外から勝負しろってこと? してるつもりだけど」
「そうじゃなくて。道重も外開いて、中開けてみてくれない? 私がインサイドでやってみたい」
「どういう意味?」
「二人が外に大きいのを引っ張り出して空いたスペースで六番と勝負したい。たぶん、私のところが一番勝ってるから。外だとシュートで勝手にミスるかもしれないけど、ゴール下ならそうそうはずさないし」
「それ、私がやろうとしてることじゃん」
「もちろん、流れの中で梨華ちゃんがやってもいいんだけど、私のとこでもそれが出来るなって」
「さゆみはリバウンドだけで、本当に全然オフェンス参加しなくていいってことですか?」
「そうそう。さすが物分りがいい。道重、今日もかわいいよ」
「はい、さゆみはいつでもかわいいです」

センターもおだてれば外に開く。
柴田はウソは言わない。
真実が一部でも含まれているなら、心がこもって無くても気がとがめない。
ある意味で、扱いやすくて良いと思ったりもする。

「分かった、流れの中でね」
「そう。いつでもじゃ不自然だから。流れの中で。道重もね」

梨華ちゃん、今日もかわいいよ、と言おうかと一瞬思ったけど言わなかった。
石川には、それが一見通用しそうでも、こういう場面では通用しない。

松浦のフリースロー一本はしっかり決まった。
四点差。 

毎度のように田中が持って上がる。
ここのオフェンスは、柴田が意図したような形にはならなかった。
常に中を開けていて柴田がインサイド、という約束事ではない。
流れの中でそういうのもやるから頭に入れておいて、程度のものだ。
今回は、めずらしく道重がローポストでしっかりとあやかを背負い込んで面を取ってボールを受けられた。
ターンして単純にシュート。
これが決まって六点差になる。

出来れば同点まで押し戻したい松江と、二桁点差まで拡げたい富岡。
どちらも狙いを百パーセント結果に繋げることは出来ていない。

富岡はプレスにかけて連続得点というのを目論んでいるが、松江のガード陣は苦労はしながらもボールを何とか運んで行く。
オフェンス面でも、柴田が描いたようなパターンはなかなか生じなかった。
石川、道重も考えて、中を開ける場面もあるのだが、そこに柴田よりも判断はやく高橋が飛び込んで行く。
相手が松浦なので、飛び込んだ後覆いかぶさられるようになってシュートまでいけなかったりという展開もあったりして、なかなかうまく行かない。
外に戻してもう一度、というようなことに結構なる。
ただ、前半よりもさらに道重がオフェンスリバウンドを拾えている。
一度、二十四秒オーバータイムを取られる場面はあったが、とにかくシュートまで行けばリバウンドを取ってもう一度仕切りなおしが出来たりして、形はともかく富岡は点を積み重ねることが出来ている。

対する松江は前半の決め手だったあやかのインサイドというのが機能しなくなってきた。
ボールを持って道重と一対一の勝負、となればあやかの方が強そうなのだが、そのボールを受けるところまでいけない。
良いスペースを取ることが出来ないのだ。
ただ、それに入れ替わるように松浦が復調してきたことでなんとか追いかけることは出来ている。
吉澤のインサイド勝負は、まだまだそこを本線というようなオフェンスの柱にはなっていない。
一本良い形でゴール下で決めたのはあったが、それくらいだ。 

第三ピリオド、残り一分少々のところ。
高橋のスリーポイントライン内側からの長めのジャンプシュートが外れてリバウンド。
競り合った道重とあやかだが、あやかは弾き飛ばされるようにしてコートに倒れ、道重がリバウンドを拾い、そのまま簡単にシュートを決めた。
これで九点差。

富岡はまだ前から当たってくる。
福田は田中を簡単には振り切ることが出来なくなってきていた。
ここでは右サイド、前に振って後ろに戻る形でボールを受ける。
すぐにドリブルを開始したいところだったが、ボールを受けた時にバランスを崩し、体勢を立て直す間があった。
柴田がさっと寄ってくる。
それでも二人の間を抜けようとするがコースをふさがれ、バックターンで田中のサイドを抜けようとするが前を押さえられた。
ドリブルを止める。

「とまった! とまった!」

柴田、田中に囲まれる。
伸びてくる四本の手。
狭い視野の中から開いているメンバーを探す。
見つからない。
ピボットを踏んで耐える。
それでも、後ろから伸びてきた手に叩かれた。
慌ててボールを追いかけるが、その前に笛が鳴った。

柴田のファウル。 

松江ボールでサイドから。
ここでも入れるのは市井。
近いサイドで福田は、やはり田中を良い形で振り切ることは出来ず、後ろに戻りながらボールを受ける。
そうすると柴田も寄ってくるのは分かりきっているので、すぐに市井へリターンパスを送る、というのを想定していたのだが、それも出来なかった。
石川がすぐにカバーで市井を抑えたのだ。
また二人に囲まれる。
ドリブルを開始して突破できるような体勢ではなかった。
石川が市井のところを押さえているということは、吉澤が空いているはず。
しかし、長いパスを送れる状況でもない。
ボールは三人で運ぶ、吉澤、あやかはバックコートには戻ってこない、それがプレスを受けたときの松江の基本線としての約束事だ。
無理やりに、後ろに戻りながらドリブルをついて周り込んで上がっていこうとしたが、それはあまりに現実的ではなかった。
コーナーに押しやられてさらに状況は悪化する。
ピボットでこらえるが、パスコースなどとても無い。
やがて、柴田にボールを叩かれた。
福田の体に当たりコート内側へ跳ね返る。
ルーズボールを柴田が拾い、そのままゴールへ突進。
松浦が押さえに来たのでその小脇をバウンドパスで通した。
反対側で受けた高橋、ゴール下のシュートを決める。
今日最大の十一点差、二桁点差に乗って富岡リード。
残り五十五秒。 

ここでもう一度同じようにプレスの網に引っかかったら、一気に富岡に持って行かれる。
誰もがそう感じた場面。
再びエンドで松江ボール。
ここは松浦がうまく動いた。
最初からゴール下にいた松浦。
市井を見ている柴田と自分に付いている高橋と、二人に挟まれる立ち位置。
そこに高橋サイドから福田が寄って来て、高橋がスクリーンを気にしたところで柴田の背後を通って逆側へ。
市井が入れたボールを走りながら受け、後はよどむことなくフロントコートまでボールを持って上がった。

松浦から左に開いたあやかへ。
あやかは松浦と入れ替わった市井へ戻す。
市井から福田、福田から松浦。
中へ入れるところが無くて、松浦はドリブルを付いて中央、トップの位置へ移動。
市井がゴール下を抜けて右サイドに開いて出て来たのでそこへボールを送る。
柴田は一定の距離で付いている。
ローポスト、吉澤が石川を背負ってボールを呼んでいた。
柴田の頭上を抜きパスを入れる。
そこへ柴田がすっと近づき挟みに行った。
吉澤、石川を背負いボールを持ったまま囲まれ動けない。
市井は一歩下がってパスを要求した。
柴田が離れて空いている。
身長差で吉澤は柴田の頭上から市井へパス。
柴田も市井へすっと近づいてくるが、それを待たずに市井はスリーポイントシュートを放った。 

ボールはきれいな弧は描いたが、リング奥側に当たって大きく跳ね返る。
ボールを追ったのは吉澤と柴田。
落ちてきたボールに同時に手を伸ばしたがもぎ取ったのは吉澤だった。
ボールを要求する声は二つ。
柴田が離れ、内へ駆け込んで行く市井と、その市井が空けた場所へ駆け込んでくる松浦。
吉澤の視界に入ったのは松浦。
スナップ効かせて早いパスを送る。
受けた松浦、シュート体勢だったが高橋がコースに飛び込んでくる。
それをやり過ごしてからシュートを放った。
スリーポイント。
リング中央をボールが通過し、落ちてきたボールを道重が受け取った。
富岡リード八点差、第三ピリオド残り三十四秒。 

富岡の攻め上がり。
道重が入れたボールを田中が受けてすばやく一人で持ちあがる。
福田がしっかり付いているが全体として二対二の状況。
手早くシュートまで持っていけないこともないが、ここは田中、自重した。
味方の上がりを待って、トップの位置まで戻る。
時間一杯使ってのオフェンスを選択。

田中から高橋へ、高橋から石川へ。
シュートクロックを見ながらパスは回る。
石川から大きく戻ってトップの柴田へ。
今度は左サイドに移った高橋へ落とす。
シュートクロックは十秒を切る。
高橋は上の柴田へ戻す。
柴田はもう一度高橋へ。
ここでローポスト、道重がボールを呼んだ。
松浦の小脇をバウンドパスで通す。
中で勝負かな、と一瞬松浦が思ったさなか、高橋はパスアンド一拍おいてラン。
あやかを背負い込んで無力化した道重から手渡しパスを受けてゴール下へ駆け込む。
そのままジャンプしてシュートに持ち込んだところ、逆サイドから大きな影が飛んだ。
吉澤。
ぴったりブロックショット。
弾かれたボールは大きく飛ばされる。
追いかけたのは松浦と道重。
スピードは松浦が上。
拾い上げながらドリブルを開始し上がって行く。 

第三ピリオド残り十三秒。
持ち上がった松浦、やはりここはすぐにシュートまでは行かない。
周りの上がりがないというのもあるが、それ以上に時間をぎりぎりまで使って自分たちのシュートで終わりたいところである。
ただ、十三秒は、たっぷり時間がある、というのとも違う。

慌しさを伴ってボールは回る。
ベンチからの声も飛んでくるが、内容のある単語として選手たちの耳には入って来ない。
時計は刻まれる。
流れよく、良い雰囲気で、少しでも点差をつめて終わりたい。
頭の中にいろいろ駆け巡らせつつも、ゲームへの集中力を求められる。

五秒を切った。
ハイポストに吉澤が入ってくる。
市井がトップからふわりとパスを入れた。
ターンしながらドリブル。
石川は振り切れないし、道重まで正面に入ってきた。
前には二枚。
強引に踏み込んでシュート、という選択肢もなくは無いが、それには少し吉澤のイメージとしてはゴールが遠い。
右サイド、あやかへ、と思ったが、高橋が下りてきてカバーしている。
吉澤、ゴールに背を向けてパスの出し先を探すと、柴田があいていた松浦の方へ移動していて市井の方が空いていた。
トップの市井へ。
市井がシュートモーションを見せると、柴田が戻って横からブロックに飛ぶ。
右の松浦へ。
時間が無い。
受けた松浦は高橋が押さえに来るより早くスリーポイントシュートを放った。

これがしっかりと決まって五点差。
落ちてきたボールを石川が拾い上げたところで第三ピリオド終了を告げるブザーがなった。
松浦、親指、人差し指、中指と立てるレフリーが示すスリーポイントの手の形を作って両手を高々と掲げる。

「おまえ、すげーよ。ホントすげーよ」
「前半の恨みは返しますよ。まだまだ」

吉澤が松浦に歩み寄り、両手でがっちりとハイタッチをかわす。
両チームのメンバーはベンチに戻る。
第三ピリオド終了。
富岡リード、62−57 

「やれば出来るやんか」
「当然じゃないですか。私を誰だと思ってるんですか」
「前半涙目でベンチに下がったおこちゃまですか?」
「なんなんですか。おまえすげーって言ったのはどの口ですか?」

三十秒で六点詰めて戻ってきた松江ベンチ。
当然雰囲気は悪くない。

「あやや、まだ借金残ってるからね」
「えー、ちゃらじゃないですかー? 今ので。後は貯金の積み立てですよ」
「借金でも貯金でもなんでもええから、まだまだ頼むよ」
「分かってますよ。あんな田舎者丸出しのガキに負けるわけ無いじゃないですか」

微妙な笑いが起きる。
埼玉から越してきた吉澤はともかく、他のメンバーは松江およびその周辺の出身だ。
他人に対して田舎者呼ばわり出来るものだろうか、という自嘲も入った笑いである。

「ボール運ぶところ。たぶん、この辺で前から当たってくるのは終わるとは思うけど、まだ続くようなら何とか考えんとあかんよ」
「私の方が割とあいてるし、あんまりダブルチームこないから、私の方に最初入れません?」
「それもいいけど、それも含めて、一本目のパスが入った直後の動き出しだよね。ドリブル突破できればいいし、そうでなくても、二本目のパスがすぐ出るようなら大体大丈夫だから」
「よっさんも受けに行ってみる?」
「そうですね。四番の動き見ながら考えます」

ボール運びの面の話しだが、しゃべっているのは中澤、松浦、吉澤だ。
福田の主張が特に無い。 

「あと、リバウンド。リバウンド。疲れ出てくるの分かるけど、あやかもうちょっとがんばらな」
「はい」
「よっさんもリバウンド、特にディフェンスリバウンドは向こうの四番に負ける要素ないやんか」
「はい」
「外からもな。全員、とにかくリバウンドを取りに行く。せっかくシュート外してもらっても、何度もリトライされると結局やられるやんか。その差だけやと思うよ。外から見てて。リバウンド、とくにディフェンスリバウンドだけでもしっかり取れればもう一回逆転できる。絶対や絶対。絶対逆転できる」
「やりましょう。富岡相手に五点差だよ五点差。ここまで来たんだ。最後一勝負。絶対行ける。絶対行けるから」
「よし、後十分。自信持って勝負してきな」

クォーター間インターバルのミーティングはこれで終わる。
他のメンバーがコートに上がって行こうとしている中で、中澤は福田に声をかけた。 

「なんか、言いたいことはないんか?」
「なにがですか?」
「おとなしいやんか。いつももっと意見言うやろ」
「別に、おかしいと思うところ無かったから」
「明日香。悪いけど、明日香を休ませてられる状況やないし、多分終わりまで休ませられへんと思う。後十分、何とか持たせてな」
「分かってます。大丈夫ですよ」
「ボール運びとか、支障ない範囲で松浦に任せてええから」

ここまでで中澤としての最大の誤算は、福田を休ませる場面を作れなかったことだ。
他は、ある程度想定の範囲にに収まっている。
前半に休ませようと思ったが、辻は松浦の頭を冷やさせるのに使ってしまった。
後半に入り、余裕があればベンチに下げたかったのだが、前から当たられる場面で下げられるわけが無い。
万全な状態なら、相手が富岡とは言え、何度も続けてボールを運べずにコーナーに追い込まれるような場面に福田が合うはずが無い、と中澤は思っている。

「私だけじゃないですよ、きついのは」
「そりゃあ、向こうだってきつい。だから何とか後十分」
「そうじゃなくて。途中休んでた松や体力バカの吉澤さんはともかく、あとはみんなきついはずです。相手のレベルもいつもと違うんだから。ここから勝負なのに、一人できついとか言うほど私はガキじゃないですよ」

そこまで言って福田もコートに上がって行く。
中澤は答えを返せなかった。 

富岡ベンチは、やはりコートに出ている五人をベンチに座らせ、対面の位置に和田コーチがかがみこむ形でのミーティン。

「プレスはここで終わり。ハーフコートのマンツーに戻す。ただ、田中。おまえだけスリークォーターから付け」
「はい」
「手はまったく出さなくていい。足動かしてついていくだけで。とにかく八番を休ませるな。抜かれそうになっても追いかけるだけでいい。抜かれてもいい。ファウルはするな」
「体力使わせれば良いってことですか?」
「そうだ」

ハーフコートのマンツーマンなら、ボールを持つガードは相手コートに入るまでは気持ちと体に余裕を持っていることが出来る。
ここでは田中だけスリークォーター、前四分の三の位置から福田に当てることで、その余裕をなくさせようとしている。

「高橋はとにかく七番を抑えろ。フェイスでつくとまでは言わないが、基本、周りのフォローをすることは考えなくていい。三線でもいつもよりマッチアップに一歩くらい近いところにいろ。逆サイド抜かれて点取られるようなら他が悪いってことで気にしなくていい。多分、そういう場面はあまりないから」
「はい」
「逆に、周りは、七番がボール持ったら、なるべくフォローできるようにな。特に逆サイドの三線。すぐカバーに入る。そして周りはローテーションする。外からの攻撃は七番だけ気をつけてればいい」
「六番も離していいんですか?」
「いい。もちろん、ボール持ったらケアだけど、今は七番を優先する」

松浦を何とかして止めろ、という指示だ。 

「三年生、そろそろ仕事しろよな。もっと点とっていいだろ。柴田。ボール持ったら全部勝負くらいの感覚でいいよ。なるべくゴールに近いところまで持ちこめ。石川も自分で勝負。身長で負けても飛べば高さで負けないっていうのがお前の強みだろ。ゴール下で受けて勝負は難しい相手になってるかもしれないけど、外からは完全に勝ってるだろ。外でボール受けてジャンプシュートとか混ぜてみろ。リバウンドはオフェンスリバウンドも拾えてるから外からもどんどん打っていい」

石川はここまで17点。
それほど悪くは無いのだが、道重でも16点取れていたりするので、エースですと名乗るのはちょっと、という得点力である。
さらに柴田に至っては、まだ4点である。
高橋が点を取り、道重がリバウンドを取る。
一二年生ばかりを目立たせずに三年生しっかりしろ。
和田コーチの思いだ。
石川も柴田も、こんなもんじゃないはず、というのを和田コーチはまったく疑っていない。

「自信持ってシュート打て。外れても問題ないが入るっていう自信は持っていろ。それだけの力はあるはずだから」
「はい」

残りは十分。
三年生が普通に力を発揮すれば問題ないはず、と和田コーチは思っていた。 

先にコートに入っていた松江のメンバーは富岡の選手たちを待つ形になる。
松江オフェンスで最終ピリオドが始まるので、入ってきた富岡の選手たちは松江のメンバーのところに歩み寄ってくる。
それは当たり前で、どんな試合でどんな相手でもそうなのだが、市井は、ふと思わず自分に歩み寄ってきた柴田の顔を確認した。

なんだ? この威圧感は?

実力的に相手の方が上だろう、というのは自覚はある。
それを認めていないわけでもないし、ここまでの三十分でもそれは感じていた。
だけど、こんな威圧感のようなものは感じたことは無かった。
雰囲気が何か違う。
思い返してみれば、一年生の頃、初めて対戦した時の飯田に感じたようなものだ。
近づいてくると道をあけたくなる。
そんな雰囲気。

やばい、あと十分持つか?
そんなことを考える冷静さは失っていない。
さっきまでので百パーセントじゃなかったっていうのか?
だとしたら、あと十分こちらが持たないんじゃないか、ということも思う。
確かに、滝川でやった時と比べるとシュートの本数も少ないし、自分で仕掛けてくることも少なかった。
七番が調子よかったし、そっちに任せる部分も結構あったのだろう。
それが自分で勝負してくるようになったら。
止められるんだろうか・・・。
そんなことを考えていたが、サイドラインでレフリーが松浦にボールを渡した。
四の五の考えてても仕方ない。
やるしかない。
そう、思考にけりをつけて、市井は走り出し、トップでボールを受けた福田からのパスをもらった。 

松江オフェンスでの最終ピリオドの立ち上がり。
三点差にしてスタートしたいところだったが思い通りには行かなかった。
ローポスト、吉澤が受けて単純に勝負する。
スピンターンしてそのままジャンプシュート。
石川のブロックの上は通ったのだが、意識して力が入りシュートは長めに外れた。
リバウンドを道重がしっかりと拾う。

柴田には確信があった。
この試合、残り十分、鍵になるのは自分である。
石川も並んで和田に怒られたが、石川は決して悪くは無い、と柴田は感じていた。
石川だから、要求レベルが高いから、それを満たしていないといわれるだけで、最低限の水準は保ったプレイをし、結果も残している。

チーム力は自分たちの方が上だ。
このままやりあっていても、しっかり勝てる可能性は結構ある。
ただ、足をすくわれかねない点差でもある。

今の状況に、自分の得点力を上積みすれば勝ち。

これが柴田の現状認識だ。

自分は、石川や是永のようなスペシャルなプレイヤーではない。
どこまで行ってもエースでは無いと思う。
エース扱いしてもらえるのは、インタビュアーが他に使える単語が無くて言ってみたときくらいのものだ。
だけど、富岡のユニホームを着て一年生の頃からコートに立ってきた。
スペシャルではないかもしれないけれど、普通の選手には負けないはずだ、と思う。 

今日のマッチアップは普通の選手だ。
一対一なら押さえ込まれるということはないはず。
あとは、自分がシュートを決めることが出来るかどうか。

クォーター間インターバル、和田コーチの言葉を聞きながら、柴田は冷静に思っていた。
たまには自分が主役になってもいいじゃないか。

自分が点を取れれば勝ち。
取れなくても負けないかもしれないけど、取れれば勝ち。
相手の弱いところで勝負する。
それは自分のところだ。
わがまま勝手に自分で全部やってしまおうというのとは違う。
ゴールに近いところまで入り込んで勝負。
調子が良い、というわけではないけれど、ゴールに近いところまで持ち込めれば行けるはず。
とにかくそういう勝負をしてシュートまで持って行く。
それでダメなら・・・、ベンチにでもスタンドにでも下げてもらおう。

だけど、ダメじゃない。

今日は、私の力で勝たせてもらおう。 

これまで決して派手に目立ってきたわけでは無いけれど、柴田にはこつこつと積み上げてきた自信があった。
調子がそれほど良くない、そういう迷いを抱えながらのシュートもここまでの展開ではあったけれど、終盤まで来て迷いを捨て去った時に、自分なら出来る、と短時間でも信じられる自信の土台を、柴田はこれまでに築き上げてきていた。

道重が拾ったリバウンドを、柴田がサイドで受ける。
ガード陣が上がっていなかったので、自分で持ちあがった。
はなから市井を抜き去る、という選択肢もあったが、福田、松浦の戻りが早い。
自信はあっても冷静さも兼ね備えていて、無駄に突っかけたりはしない。
右コーナーまで持ち上がって味方を待つ。
全体が上がったところで高橋に戻した。

高橋から一旦外に出てきた道重へ。
その道重があけたスペースにゴール下を通って柴田が入ってくる。
しかし、道重が判断悪く上に上がってきた田中へ戻す。
パスを出した道重は柴田を壁につかってゴール下へ。
逆に柴田が外に出る。
田中からパスが下りてきた。
パスを受けてゴールの方を向く。
道重は向こう側へ通り抜け、市井の背後にはスペースがある。

勝負。 

一瞬ゴールの方に視線を向けると、すぐに右手でドリブルをついた。
雰囲気で突破してくる、というのは感じていた市井はついていく。
周りのカバーはなかった。
あやかも道重に引っ張り出されて反対サイド遠く、ゴール下のスペースは広い。
どこかで切り返す、という迷いは柴田にはなく、市井にはあった。
その差か、柴田のスピードが上回る。
ゴール下まで駆け込んでジャンプ。
右手でボードに当ててシュートを決めた。
小さくガッツポーズ作ってすぐにディフェンスに下がる。

松江のオフェンスは、外で回してチャンスを探るが、インサイドで良い形でボールを受ける動きが出来なかった。
最後は福田が個人技で勝負。
田中を抜きに掛かり、そこまでは果たしたものの、インサイドにいた石川がカバーに来て一対二の形になる。
シュートするタイミングが無かったので、時間が無いと思いながらもあいた吉澤にパスを送ったのだが、バウンドパスのボールが床を跳ねたところで二十四秒オーバータイムのブザーが鳴った。
流れで吉澤がジャンプシュートを打ち、これは決まったが当然無効。
こういう時に限ってよく入る、とため息つきつつディフェンスに下がる。

エンドから高橋が入れたボールを田中が持ち上がる。
最終ピリオドの立ち上がりに連続得点で流れを持ってきて一気に勝負を決めたいところ。
しかし思ったとおりにはいかない。
トップにいた田中が、ゴール下へ駆け込もうとする高橋へ、イメージ的にはキラーパスを送る。
そのままきれいにアリウープとなれば鮮やかだったのだが、パスが高く、高橋の手に届かずそのままエンドラインを割った。 

松江も、第三ピリオドラストの松浦の連続スリーポイントの勢いで行きたかったのだが、その流れが持ちこめない。
インサイドでの体のぶつけ合いが厳しい、と感じたあやかが、ここは外に道重を引っ張り出して、ドリブル一対一を試みる。
道重の反応は鈍く、スピードがあれば抜きされる、という風だったがあやかも外からのドリブル突破などという慣れないシチュエーションで速さはなく、カバーに来た石川と二人に囲まれ止められる。
逆サイド吉澤へパスを二人の間は通したのだが、ローテーションで下りてきた柴田に奪われた。

柴田から高橋へ。
形としては速攻が出せそうな場面だが、松江ディフェンス、福田松浦がよく戻った。
二対二になり、そのまま攻め崩すのをためらい高橋はキープ。
柴田が上がってきたが、ここは市井もついていて三対三。
アウトナンバーになっていない、ということで結局全体の上がりを待って普通のセットオフェンスを選択する。

道重は、意外に人の言うことをしっかり覚えている。
周りが自分に好意を持っているかどうかに敏感で、それに伴って、周りが何を言うのかということに関しては記憶力が強くなった。
「道重も外開いて、中開けてみてくれない? 私がインサイドでやってみたい」
第三ピリオド途中の柴田の言葉。
まだ頭にあるし、その後とくに何も言われていないので、この柴田の言葉はまだ道重にとって有効という風に認識されている。
意識して外に位置する。 

石川も割合外目が好きなので、当然のようにインサイドのスペースが広くなる。
そこに柴田は入り込んだ。
市井を背負ってポストプレイ。
ローポスト、外、石川からのパスを受ける。
ターンしてシュートフェイクしてからワンドリブル付いて一歩踏み込む。
逆サイド、あやかは遠くカバーにには間に合わない。
市井、シュートフェイクには腰を浮かせるくらいでとどまったが、それでもワンテンポ遅れた。
踏み込んだ柴田のシュートに無理にブロックに飛ぶ。
ゴール下、伸びてきた市井の手と接触しながらも柴田はこのシュートをねじ込んだ。
笛が鳴り市井のファウル、バスケットカウントワンスロー。

「ナイス、三点プレイ」
「柴田さん、センターも出来るんじゃないですか?」

石川と、道重、二人が寄ってきたので、それぞれに両手でパンパン、とハイタッチを交わす。
高橋と田中も、間が空いたこの一瞬、三人のところによってきた。
五人の輪が出来る。

「ここで一気に離そう」
「はい」
「私にボール頂戴。六番は穴だし、ゴールに近いところまで持ち込めればあとはどうにでもなる。それでディフェンスでも抑えれば勝負は終わるから」

ゴールに近ければシュートは入る。
六番は普通のプレイヤー。
自分は出来る。
現状認識は正しい、と再確認する。 

フリースロー一本。
レフリーから渡されたボールを三度両手でバウンドさせてから両手でシュート。
リング中央をしっかりと通過させた。
67−57
再び点差は二桁に乗って十点差。

松江オフェンスはここでもリズムに乗れない。
福田から松浦へ。
松浦から右外に降りたあやかへ。
パスアンドランでゴール下に向かう松浦だが、パスコースは高橋に塞がれる。
松浦が空いたスペースに市井。
あやかは戻す。
ゴール下、逆サイドから吉澤が入ってこようとしたので市井はバウンドパスを送った。
ところが、石川が振り切れてはいず、伸ばした右手にはたかれる。
こぼれたボールはすぐ前の柴田が拾った。

前を見たが高橋、田中共にマークがしっかりいてワンパスで速攻が出せる状況ではない。
自分で持ちあがろうかとも思ったが、速攻は無理、と判断した田中が戻ってきたのでボールは渡した。
一呼吸置いて攻めあがる。 

ゆっくりと展開。
中を経由しながらも、勝負はせずに外にボールが戻る。
右サイド柴田へ。
道重はハイポスト、石川は逆サイド。
また、中は広い。

柴田で攻めてきている、というのは松江の方も感じていた。
中を広くして柴田で勝負。
広くされている対象、吉澤。
石川に付いて外に出てはいけない、と感じていた。
石川を離すのは当然気になるところだが、柴田が持ったところでゴール下寄りに位置を戻す。

そこに柴田は突っ込んできた。
エンドライン側に市井を抜き去ってゴールに迫ってくる。
察知していた吉澤すぐにカバー。
柴田のジャンプシュートに対してブロックに飛ぶ。
ただ、柴田の視野は広かった。
吉澤が迫ってきたのも見えていたし、その向こう側、石川が空いているのも見えていた。
ジャンプしてからシュートをやめてパスに切り替える。
吉澤の小脇を通して逆サイド石川へ。
左0度、フリーで石川がジャンプシュート。
松浦が下りてきて抑えようとするが間に合わない。
石川のシュートはリングを通過した。
十二点差まで開く。 

最終クォーター、得点が止まっている松江。
ここで追いかけないとゲームが終わってしまう。
流れが富岡に傾いている場面、きれいに全体で崩して点を取れれば流れを止められそうだが、そう簡単にはいかない。
自分たちの流れに無い中、点を取るために選んだのは松浦の個人技。
さっきの柴田のプレイが松浦にとってもヒントになった。
自分がポストプレイやったっていいじゃないか。
柴田−市井よりも、松浦−高橋の方が身長差ははるかに大きい。
背負ってターンしてシュート、ならブロックされる恐れもほとんどない。
幸か不幸か、あやかが外目に出てのプレイが多くなっていた。
道重に当たり負けしていて、中で思うようにプレイできない。
その分、松浦が中に入りやすい条件は整っていた。
外のあやかからボールを受けて、高橋を背負った松浦がターン、さらに一歩踏み込んでゴール下のシュート。
どちらがセンターだかよくわからない展開ながら、これでゴールを奪い十点差には戻す。

「ここ! 一本ディフェンス! 足動かして!」

吉澤が両手をバンバン叩いて叫ぶ。
点を取っても、また取られたら永遠に点差は縮まらない。

しかし富岡に傾いた流れは止まらなかった。
柴田−市井の一対一からの得点、というのが三つ続いているが、ここでは少し違う形になった。
松浦にやられて怒った高橋、無理気味な一対一から抜きされずにジャンプシュートを放つ。
これはリング右側に当たって外れたのだがリバウンドを道重が拾った。
外にいた柴田へすぐにパス。
柴田、外からゴール下へ向けて駆け込む石川へパス、というフェイクを見せて市井を揺さぶり、自らスリーポイントシュート。
今五番が打てば入る。
そういう雰囲気が会場中でかもし出される中放たれたシュートはやはり決まった。
72−59
十三点まで点差が開いたところで中澤がタイムアウトを取った。 

「五番だけ、五番だけ。全体崩されてるわけじゃないから。あれだけ抑えればなんとかなる」

戻ってきて口火を切ったのは吉澤だった。
パスで全体を崩されてフリーでシュートを打たれているわけではない。
柴田の一対一で崩されているだけ、最後のも柴田の個人技なだけで、全体がやられているわけではない、という見方である。

「紗耶香、しっかり足動かさんかい。疲れてきてるのは分かるけど、ここ勝負やから」
「分かってますよ」
「後ろも常にカバーで行こう。カバーのカバーもね。あやや、さっきの四番が外から決めたとこ、あれ、ローテーションでしっかり下りてこなきゃ。私がパスコース残したのも悪かったけど」
「はい」
「マークマンは外からは打たせずに、突破は後ろがカバーって方針でいいですか?」
「明日香の言うとおりでええと思うよ。もうこれ以上点はやれんし。外も入るみたいだから、打たせられへん」

残りは七分二十三秒。
今でも厳しい点差になっているが、これ以上開くと手に負えなくなる。

「オフェンスも休まず足動かしてこう。崩せてないよ」
「よっさん、もっと力勝負でええよ」
「はい。あと、あややのさっきの。あれ結構効きそうだから中でも勝負してみよう」
「中もええけど、外もどんどん狙ってな。明日香も含めて、点差あいて来たからスリーポイントで追いかけたいとこやし」

ディフェンス面、オフェンス面、課題は多い。
そんな指示を、市井はなんとなく上の空で聞いていた。
耳に入っていないわけじゃない。
ただ、実のある指示として、頭にまでは入ってこない。

五番を止められる気がどうにもしなかった。
力の差がありすぎる。
それでもやるしかないのはわかっているが、何をどうすればいいんだ、という気持ちになっていた。
足を動かせ。
動かしてるよ、今でも、必死に。
頑張ってどうにかなる相手じゃない。
どうしろっていうんだよ、あんなの。
市井の頭にあるのはそれだけだ。 

富岡ベンチでは、やはりメンバーは椅子に座らせて、向かい合う位置で和田コーチが指示を出していた。

「オフェンスはあれでいい。ただ、この辺からは多少時間使ってもいいな。もう少し競ってきたら別だけど、この点差がある分には時間使いながらでいい」

オフェンスに時間を使うとその分残り時間が減って行き、攻撃チャンスの回数が両チームとも減ることになる。
その場合、二桁点差でリードしている方がはっきりと得をする。
今、試合を終わりにすれば、リードしている側の勝ちなのだ。
点差が変わらずに時間が経てば、それだけリードしている方が有利になって行く。

「中、あけるのも良いけど、タメ作りましょう。さゆが中でボール受けて、外に戻すみたいな。外だけで回すんじゃなくて」
「そうだな。石川は、それをやるには厳しいけど、道重、勝負はしなくていいから、そういう動きも考えろ」
「はい」
「ディフェンス、高橋。さっきゴール下で背負われてたけど、あれはダメだ。お前にセンターのディフェンスは出来ないだろ。七番が中に入ってきたら前に立て。パスコースに入る。裏は誰かがカバーするから」
「はい」
「七番入ってきたら、なるべくケアするよ」
「お願いします」
「ただ石川、あんまり七番だけに引きづられるなよ。四番はまだ元気だし、ゴール下で競り合ったら強い。ゴール下に入れないか、入られたらやっぱり高橋と同じで前に立つしかないからな」
「分かってます」 

石川も、元々は前に立つ型のディフェンスしかできなかったのだが、最近は吉澤のようなタイプ相手にも、良いポジションを取らせないで、中に入ってこようとしても体張って踏ん張って止める、ということが出来るようになってきた。

「あとは、ファウル気をつけろ。無理に手を出すことは無いから。抜かれてジャンプされたら抜かれた本人はあきらめて、後ろに任せる。無理に後ろから取りに行ってファウル取られたりするな。シュート決められても二十秒以上使わせたら成功と思ってればいい」

インターハイで怖いことの一つは、新チーム結成後、競った試合を経験せずに臨む大会になりがち、という点だと和田コーチは思っている。
十点程度の差でリードしている終盤、残りの時間をどうやって使って勝つか。
その経験は、石川や柴田、三年生個人はともかく、このチームとしてはまだ少ない。
そこを間違うのが和田コーチとしては怖かった。

タイムアウトがあける。 

市井は、歩きながら思っていた。

勝てねーよ。
勝てるわけねーよ。

どう考えても、五番を止める力が自分にあると思えなかった。

なんでこんなところにいるんだ自分たちは。
いまさらにしてそんなことを思う。

見せ掛けに、余裕のある態度を取るのは得意だ。
今だって多分、傍から見ればひょうひょうとした、まだ自信がありそうな、そんな表情に見えたりするだろう。
だけど、本当はそんな自信なんかなかった。
たぶん、今だけじゃない。
今までずっとだ。

いや、最初は自信があったような気がする。
自分が作って自分が中心だったチームの頃。
周りが皆、自分のことを崇め奉っていた頃。
その周りが描く偶像に、自分自身がしっかりシンクロしていたような気がする。

でも、そんな錯覚は、もう解けてしまった。

今、自分のことを崇め奉るような連中はこのチームにはいないだろう。
多少は、昔の自分を知っている人間たちには、昔のイメージが残っているかもしれない。
だけど、今だけを知っているメンバーからしたら、きっと自分は、ただの市井紗耶香だ。

福田や中澤の頭の中にある、市井紗耶香だったものの名残より、松浦あたりが見ている市井紗耶香の方が、多分真実の姿に近い。
なんとなく、それは感じていたことだけど、そんなこととてもじゃないけど認める気にはなれなかった。

自分は、自分が、市井紗耶香である限り、足手まといになんかなるはずはない。
相手がどこの誰であろうと、自分がマークに付けば止めることが出来る。
たとえ、二年連続三冠のチームの中心選手が相手でも、自分なら止めることが出来る。
やれば出来る。
何とか出来る。

そう、自分に言葉で言い聞かせてみても、自分の言葉が自分に対して説得力が無かった。 

この期に及んで、最後の一線で、それでも自分を信じる自信、それを裏付けるだけの積み上げてきたものが、市井紗耶香の体の中にはなかった。

タイムアウト明け、最初の松江のオフェンスは松浦が中に入って高橋だけでなく石川までひきつけたところで吉澤がボールを受け、ゴールに近いところに入り込み石川と競り合いながらのシュートを決めて十一点差。

富岡オフェンスはためらいなく柴田にボールを集める。
外から勝負でも、中に入ってでも、どちらでもいいのだ。
入れやすいところで入れれば柴田が勝負を決めてくれる。

ゴール下を抜けて外に出てくるタイミングで、上に上がっていた石川からパス。
ボールを受けながらターンしてそのままジャンプシュート。
市井はゴール下の壁に掛かっていてやや遅れる。
滑らかな弧を描いたボールはリングを通過し再び十三点差。 

一本一本、時間が経つごとに柴田の自信は再確認されて行った。
これまでの積み上げによる裏づけプラス、今現在の目の前で起きている事実による自己催眠。
相手がこの六番である限り、絶対に自分が止められることは無い。
その自信のおかげで、シュートを打つときにも、ディフェンスを意識しないでいられるため、確率も高くなる。

ただ、柴田には、自分に対する万能感のようなものまではなかった。
条件付で限定のある部分での確信レベルでの自信だ。
相手が六番なら。
何人相手でも大丈夫、というような無謀に近い万能感ではない。
中にはその万能感ですべての困難を乗り越えて行くようなタイプもいるが、柴田はそうではなかった。
二人三人に囲まれるような状況になれば、冷静に空いているところにパスを出す。 

松江も必死に追いかけたが、得点力自体も落ちていた。
あやかが道重に封じ込められている。
スペースの奪い合いはパワーでもう勝てなくなった。
動きのスピードで何とかしたいところだが、ここに来て疲労の蓄積があり、思うように体が動かない。
前半から頑張った、ということもあるが、道重とのゴール近辺での体のぶつけ合いのダメージも大きい。
市井はこの状態でオフェンスどころで無いし、福田も元々自分で点を取りに行くスタンスでない上に、彼女もやはり疲労の蓄積が大きい。
まだ、全体を見て、しっかりしたパスを供給することは出来ているが、切羽詰った時に最後の切り札として自分が決めて帰ってくる、というほどの余力はもうない。
もうあとは、松浦と吉澤が何とか頑張る、文字通り、戦術とか何とかではなく、頑張って何とかする、という状況になってきている。

富岡は柴田中心で押し進めて行く。
それが松江にも見えていて、柴田の動きをケアしていると、そこにディフェンスがひきつけられて空いたスペースを使われたりする。

ハイポスト、市井を背負った柴田がターンすると目の前には市井だけではなくあやかもいる。
その脇を通してバウンドパス。
ゴール近くの道重に渡りシュートしようとすると吉澤がブロックに飛んだ。
シュートはやめてパス。
逆サイド、石川が受けてジャンプシュートを決める。 

大波が止まらない。
松江も時折点を取り追いかけるが、富岡が得点を続ける限り差は開く一方だ。

トップの柴田が右サイドの高橋に送りパスアンドラン。
市井を振り切ってそのままジャンプシュートで加点。

ローポストで受けた柴田、ターンする前に福田が外から挟んでくる。
すぐにバウンドパスで捌いて外の田中へ。
ミートしてジャンプシュート打つがこれは長めに外れる。
リバウンド、あやかを押しのけてスペース取った道重。
拾ってそのままゴール下、踏み込んで簡単なシュートを決める。

残り五分を切って点差は十九点まで開く。
もう、相手に一点もやらなかったとしても追いつけるかどうか厳しいという点差。
そういう、全体の状況はまだ、市井の頭にも入ってきていた。

もう、どうしようもねーよ、ちきしょー。

まるで手も足も出ない、という状態。
でも何とかならないものか。
市井に残る最後の矜持。
技量レベルだけでなく、体力的にもどうにもならないところに追い込まれている。 

また、右外で柴田がボールを持った。
シュートフェイクを一つ見せてドリブルで突破してくる。
市井は、そのスピードにしっかりとは付いていけなかった。
上体だけで追いかける。
柴田の側からすればほとんど抜きされて、あとはシュートというところだったのだが、その前に笛が鳴った。

市井のファウル。

伸ばした左手が接触していた。
ファウルの数はまだ少なくて二つ目。
足は出なかったけど、手は出せた。

市井としては、柴田を止める手段は、もうこれくらいしか残されていなかった。

富岡ボールでエンドから。
高橋が長いボールを田中へ送る。
田中は右サイド柴田へ。
まったく同じ形をもう一度。
柴田もまったく同じようにシュートフェイクを見せてドリブル突破してきた。
ついていけない。
まったく同じように手を伸ばしてファウル。

恥も外聞も無い。
ファウルゲーム、という時間でもまだ無い。
何でもいいから止めてやる。
市井に残された最後のプライド。

またエンドから。
高橋が左サイド外の石川にパスを入れた。
即勝負、という素振りを石川は見せたが、吉澤はどっしりとディフェンスの構え。
少し間を置いて、石川はふわりと吉澤の頭上をパス通した。
ローポスト道重。
ターンして踏み込んでジャンプしてシュート。
この、ゴールに近い場所からのシュート、ボードに当たって跳ね返ったボールがリングを一回転してから外に零れ落ちた。
こぼれたのはあやかの側。
ここは道重に奪われず、しっかりリバウンドを取る。
ようやく、大波は止まった。 

場が混戦で早い展開は出来ない。
富岡ディフェンスが引くのを待って、あやかは福田へパスを送る。
福田はボールを受けてからはすばやく持ち上がった。
時間は無駄に使えない。

福田から松浦へ。
松浦から吉澤へ。
早めにシュートまで持って行きたい。
それが松江のメンバーの総意だ。
左サイド外から吉澤はドリブル突破を試みる。
石川相手に吉澤が外から勝負するのはさすがに無謀に見えたが、まったく予想していなかった石川、抑え切ることはできない。
ただ、それでもエンドライン際に追い詰めはした。
逆サイドから道重もはさみに来る。
そこはパスで向こう側に出した。
あやか。
少し上にいた柴田がローテーションで下りてきたのだが、ローテンション無視でここに戻ってきた道重とかぶる。
目の前になぜか二人。
あやかは上の市井へ戻す。
ボールを受けて市井、無心、ではなくて、ちくしょーこのやろー一本くらい返させろ、という邪心が詰まったシュートを放つ。
しかし、疲労からか動きが緩慢で、遠い位置から戻ってきてブロックに飛んだ柴田にはたかれてしまう。

ボールは松江陣側へ。
追いかけたのはジャンプした勢いのままの柴田と、奪われた市井自身。
勢いのある柴田の方が当然早くボールを拾い上げる。
このままならワンマン速攻、というところへ市井も必死に追いかけた。
ほとんど体当たりのような勢いでボールに飛びかかる。
二人はもつれ合うように倒れて笛が鳴った。 

レフリーが走ってきて、右手の指を六を意味するように折り曲げ、左手で市井を指す。
倒れた市井は仰向けになっていた。
自分を指差しているレフリーが見える。
ただのファウルで済んだか、と思った。
シュートにたどり着く前に飛び込んで、フリースローにならないようにしたかったし、かといって、故意を取られてアンスポーツマンライクファウルでシュート前とか関係なく、相手にフリースロー二本プラスマイボールにされるのはもっといやだった。
ただのファウルで済んだのは僥倖だ。

上体を起こして座り込む。
レフリーはテーブルオフィシャルのところへ行き、市井のファウルを告げている。
四つ目か、と思っていると、ブザーが鳴った。
ベンチの方を見ると辻が入ってくる。

正解だよ、裕ちゃん、と市井は思った。

あたし? と自分を指差すと、辻がはいと小さく返事をする。
ゆっくりと立ち上がって、五番ね、と告げてベンチへ向かった。

正解だけど、ちょっと判断おせーよ、裕ちゃん。

中澤と視線が一瞬ぶつかったけれど、お互い何も言わなかった。
市井はドリンクボトルと自分のタオルを控えメンバーから受け取ると、ベンチの一番隅に座った。
ボールを、ベンチを、いや、なんでもいい、なんでもいいから蹴り飛ばしたかった。
みじめだった。 

富岡ボールでゲームは再開される。
ここの富岡オフェンスは時間を使って攻めていたら、道重の三秒オーバータイムで松江ボールになった。
ファウルで無理やり止めたのが三つあったが、それで何とか大波は本当に収まったらしい。

対する松江の攻め上がり。
福田からパスを受けて、即、松浦がスリーポイントシュート。
これはさすがに流れ無関係すぎで決まらない。
大きく跳ね上がったボール、吉澤と石川が競り合う。
吉澤の位置に落ちてくるボールに、横から石川がジャンプして手を伸ばす。
ボールは空中で掴み合いの形になったけれど、肩から当たって行った形の石川がファウルを取られた。

市井の連続ファウルをきっかけに時計が止まる頻度が急激に増してきたこの終盤。
中澤が最後のタイムアウトを取った。

第四ピリオド、残り四分五秒。
84−65
富岡のリード。 

「もう一勝負。させてもらおう。まず、ディフェンスチェンジ。五番は松浦にして、七番が明日香。辻が十二番」

メンバーチェンジの時は単純に市井と辻を入れ替えたが、ここで、身長に従って組み替える。
辻と柴田では身長差が大きい。
そこを松浦に組み替えて、高橋は力量的に福田の方が良いという判断で、一番やりやすい田中に辻を付ける。

「それから、当たっていこう。前から。オールコートのゾーンプレス」
「足動かそう足。みんなきついだろうけど。あと五分無いから。倒れるまで足動かそう。前、追いかけて。抜かれても後ろでカバーするから」

富岡が、ゲーム途中で一時期前から当たったり、前日、滝川が桜華にやられたような一試合通じての1−2−1−1のゾーンプレスのような、事前に準備を積んできた最初から想定してきたもの、とは違う。
一応、ゲーム終盤に前から当たる、というシチュエーションは常に考えられるものであり、それようの練習も多少はしているが、ここでのゾーンプレスは、やむを得ずという感じで取る作戦である。

「で、抜かれて下がってもボール追いかけよう。ボールマンには二人行くつもりで。周りはそれを見ながらカバー。とにかくボールを取りに行く。もうそれしかない」
「圧力掛けてれば早打ちしてもらえるから、それでリバウンドとって、一つづつ追いかけてこう」
「オフェンス、辻ちゃんも外からどんどん打ってこう。あややも当然。明日香もな」
「リバウンドは私とあやかで何とかするから」 

時間を掛けなければトータルでオフェンス回数は増える。
外から、スリーポイントを決められれば、一本のシュートで入る点数は五割り増しだ。
終盤に追い込まれてくると誰もが行き着く作戦である。

「中、楔は残してください。一本、吉澤さんとか経由してから外出てくるといいと思うから」
「分かった」
「外はスクリーン使ってどんどん入れ替わっていこう。たぶん、私も打てるけど、相手一番楽なの明日香ちゃんだから、ここまで来たらどんどん打って行くしかないよ」
「打てれば打つけど、外、外って見せておいて、中一本使うっていうのもありだから、吉澤さん、あやかさんは当然として、松も、外にこだわらず中でも勝負して。スリー一辺倒で点差が詰まるっていうのはありえないから」
「うん、わかった」
「時間無いけど、追いかけていこう。足動かして。倒れるまで足動かして」
「もう一勝負、もう一勝負な」

劣勢は明らかだが、まだ、メンバーたちの戦う意思は消えていなかった。 

富岡ベンチは、誰かが何かを鼓舞する、という風ではなく、冷静なタイムアウトミーティングになっている。
試合に出ていたメンバー五人はベンチに座り、控えメンバーが後ろから氷入りビニル袋をうなじに当てつつ、別途うちわで全体を扇ぐ。
五人はそれぞれにドリンクボトルを渡され、飲みたければ飲むし、なんとなく額に当てて冷やしたりもする。
反対側の手にはタオル。
汗を拭きつつ和田コーチの話を聞く。

「残り時間、打ち急ぎはするな。シュートは余裕を持って打てばいいから。時間十分ある段階で勝負する必要も無いし。ただ、田中、高橋。ボール運びはスムーズにな。そこだけはもたもたやらずに、さっと運ぼう」
「はい」
「ディフェンスは、無理気味なシュートは打ってきたら打たせればいいから。スリーポイントラインのすぐ外なんかは、七番あたりには打たせたくないけど、それより遠いようなところから打ってくるようなら打たせればいい。そうそう入るものじゃないから。間違って入っても気にはするな」
「十二番も気にせず打たせるでいいですか?」
「いい。もちろん、フリーで打たせていいってわけじゃないけど、無理な状況でも打ちたがったら、打たせればいい。シューターとして入ってきたというわけではないし、特別シュート力があるわけじゃないだろう。普通に相手してればいい」

こちらは、市井と辻がチェンジしても、ディフェンスのマッチアップを代えるということをしていない。
そのまま柴田が辻に付く。 

「展開早くなってせかせかした感じになるかもしれないけど、ガード陣落ち着いてね。ボール持ったら場を落ち着かせてそれからオフェンスって感じで」
「石川の言う通りだな。ここからはもう、速攻を出して、とかそういう状況じゃない。道重にしろ石川にしろ、リバウンド取ったらまずはキープ。それでゆっくり周り確認して田中なり高橋なりに送る。そこから持ち上がってオフェンス。どこかで当たってくるだろうから、ボール運びは注意が必要で、なるべくスムーズにしたいけど、速攻だそう、なんて考えなくていいからな」

心配なところは、田中の経験の無さ。
高橋にしても、この大会好調でオフェンス、ディフェンス、どちらでも活躍しているが、安定感、のようなものを感じられるタイプではない。
そういう意味で、ガード陣全体が和田コーチにとっても、石川にとっても心配ではある。

「ノーファウルね。ノーファウル。こっちからファウルして時計止めること無いから」
「前のタイムアウトでも言ったけど、抜かれたら本人はあきらめていいから。無理に取りに行ってファウル取られるよりその方がいい」
「あと四分。しっかり締めてこよう」

控えメンバーたちにタオルやドリンクボトルなどを渡して立ち上がる。
五人は再びコートに上がった。 

最終局面を迎えていた。
宝くじが当たるかどうか。
松江はそこに賭けるのみ、という情勢になっている。

富岡エンドで松江ボールでゲーム再開。
辻が長いボールで上の松浦まで戻した。
スリーポイントラインよりも1メートルほど離れた位置。
ボールを受けた松浦はそのままシュートを放つ。
高橋はブロックもせずにそのまま打たせた。

ボールはリング奥に当たって大きく跳ね上がる。
ゴール下でのリバウンドではなくて、外まで返って来た。
拾ったのは福田だ。
はっとした田中をシュートフェイクで固まらせてワンドリブルでかわす。
ゴール下からカバーが出てくる前にミドルレンジからのジャンプシュートを決めた。

「当たれ! 入れさせるな!」

ベンチから声が飛ぶ。
ボールを拾って道重が安易に入れようとしたが、ディフェンスに各選手が捕まえられている。
柴田が手で、チェンジチェンジと示してエンドラインの外へ出てくる。
道重はボールを置いて中へ。
田中が辻を振り払いつつゴール下へ駆け込んできたので柴田は入れた。
そのままドリブル。
辻は振り切れず、さらに前には福田。
一対二の状況だったが、柴田が後ろで呼んだ。
柴田はパスを受けたが松浦はしっかり張り付き。
ただ、そこからドリブル突破は計らずに、すぐに前の高橋に出した。
田中を抑えに福田が行っていたのでフリーである。
そのまま持ち上がって三対二。
序盤ならすばやく攻めてシュートまで、という場面だがここはボールキープで周りの上がりを待つ。

福田が高橋をキャッチアップする。
一対一の状態ならキープしていれば大丈夫、と思った高橋だったが、不意に後ろから手が出て来た。
松浦。
こぼれたボールを辻が拾う。 

逆速攻。
すぐに走り出した福田と松浦。
辻は簡単に福田にパスを出した。
ディフェンスは高橋だけ。
福田は捕まえられたが松浦のが先を走っている。
福田から松浦に通ってそのままランニングシュートが決まる。
十五点差。

「高橋、キープじゃダメ。散らさないと」

柴田が一声掛けてエンドライン外へ。
また松江は前から当たってくる。
今度は高橋がゴール下へ駆け込んできた。
柴田から受けてそのままドリブル加速。
福田は追いかけ切れていないが辻が前に立ちはだかった。
右サイドの田中へ。
田中が持ち上がる。

ハーフラインに近づくあたりで吉澤が捕まえに来る。
開いている石川へ。
石川のところにはあやか。
これは自分で振り切る。
前には道重と、いつの間にか戻っていた松浦。
二対一の状況だが石川は攻めには行かず、右隅に切れて行く。
周りが戻ってきたところで松浦が石川の方へ寄っていき、吉澤も近づいてくると上の高橋に戻した。

「ほら、ほら! 相手当たってきてるんだから、四つ角ハイポ作れ! 四つ角ハイポ! 石川真ん中で」

自陣でも関係なく松江がボールだけを追いかけに来ていると見た和田コーチ。
ベンチから指示を飛ばす。
四人をコーナーに散らばらせ、あとの一人を真ん中におく。
コート全体を広く取りディフェンスが簡単にボールを追いかけられないような形を取らせる。 

パスはコーナーからコーナーへ、あるいは中央の石川へ。
四隅では常にパスコースが三つあることになる。
二人が自分のところに寄って来て、あとの三人が三つのパスコースを抑えているようならば、対角線に長いパスを送れば良い。
中央石川はパスの出し先は四箇所。
ただ、下手をすると四方を囲まれることもあり、一番判断力が必要な場所である。

富岡は松江ディフェンスを休ませなかった。
ボールに人が近づいてくるとパス。
受けて、また誰か近づいてくるのを待ってパス。
二人に囲まれる、という状況を作らない。
そして、シュートクロックがなくなってくると動かしきって形になっていない松江ディフェンスを尻目にシュートへと持って行く。

ディフェンスで足を使い、その上ボールは奪えず失点したあとのオフェンス。
すばやく富岡ディフェンスを崩す、などということは到底出来ない。
ゴールから遠いところで放った辻のスリーポイントシュートがリングにも当たらずに道重の手元にすっぽり落ちてくる。

ここでは柴田が持ちあがって、また同じ形を作った。
パスを散らして松江ディフェンスを寄せ付けない。
時間を使って、最後は右コーナーから放った柴田のスリーポイントが決まった。
とうとう二十点差。 

あとはもう同じことの繰り返しだった。
その上で、松江ディフェンスの足は限界だ。
最初に崩れたのは福田。
限界ぎりぎりまで足を動かしてボールを追いかけて、とうとう動けなくなった。
自分たちのオフェンスになって、単純にボールを持ちあがる場面で、ふっと膝から崩れる。
すぐに立ち上がったが、もう、まともにディフェンスをする足は残っていない。

オフェンスそのものでも点が入る展開にはならなかった。
外から無理やり打つスリーポイントというのはなぜかなかなか入らないもの。
外はダメだ、と見て取った吉澤が、外一辺倒だと見て油断していた石川道重の虚を付いて、ゴール下に持ち込み意地の一本を返すのがやっと。
残り時間がほとんどなくなってきて、ファウルをしてでも時間を止めて何とかしよう、というのも多少は試みるが、相手のフリースローは入るし、それ以前に、ファウルする前にパスを散らされてしまいどうにもならない。
もう、打つ手は何も残っていなかった。

最後の最後、ハイポストでボールを受けた吉澤、ゴールの方に向き直ってシュートフェイクをしてドリブル。
石川がついていくる。
ゴール下までは行かずに吉澤がジャンプシュート。
このボールを石川がぴったりブロックショットで弾き飛ばしたところで試合終了のブザーが鳴った。

最終スコア97−71
富岡が準決勝進出を決めた。 

互いに選手たちは相手ベンチへ挨拶に行く。
それぞれが戻ったところで両コーチが同時に歩み寄った。
ベンチから離れた、ちょうどテーブルオフィシャルの前で握手を交わす。

「ありがとうございました。完敗です」
「いえ、創部四年でこれだけのチームを作ってこられたんですから。最後まで気の抜けない試合でした」
「選手はともかく、監督の差を思い知らされました」
「そんなことないですよ。要所要所でタイムアウトとって、メンバーも替えてきて。しっかり采配されてたじゃないですか」

やっていることが全部みえみえだったよ、と中澤は言われているような気分だ。
文句の言える立場ではないが、フォローしているようでいて上から目線で語られているな、とも思っている。

「これからも怖い相手に、あっ」

和田コーチが中澤から視線を外し、その後ろの方を見た。
松江ベンチでは悲鳴のような声が起きている。
中澤も和田コーチの視線と後ろで起こった声で異常な雰囲気を察し振り返った。
福田が倒れていた。

「あ、ありがとうございました」

和田コーチに一礼してベンチに戻った。 

「どうした、どうした、明日香!」
「立ち上がろうとしてそのまま倒れたんです。足がもつれた感じで」
「大丈夫か?」

中澤は福田の前へかがみこむ。
福田は軽く手を上げた。
本人は、大丈夫、と示しているつもりなんだろう、と周りには見える。
ただ、その意思表示の仕方自体が大丈夫ではないように見える。
言葉での問いかけに言葉が返ってこない。

「うーん、この状態だと熱があるかどうかもさっぱりわからへんな。とりあえず誰か水」

疲労なのか熱中症のような方向なのか、判断が付きかねる。
とりあえず、周りにあおがせ、水を軽く飲ませる。
福田が荒い呼吸をしながら体を起こした。

「だいじょうぶ、です」
「大丈夫って、大丈夫に見えんて」
「つかれた、だけ、です。休めば、だいじょうぶ」
「とにかく涼しいとこまで行こう。誰か明日香起こして二人で支えてやって。控え室まで戻ろう」

控えメンバーで試合に出ていない二年生が二人、福田を抱え起こして両脇を支える。
その他のメンバーも荷物を抱えてロッカールームへと引き上げた。 

「最後は大差でしたね」

記者席の斉藤と稲葉。
息を呑むように見つめていたが、試合が終わり斉藤が口を開いた。

「中盤まではどうなるかって感じでしたけど」
「前半、松江がリードしてたってのが信じられないような結末だったね」
「どの辺でこの差は出たんですか? やっぱり五番と松江の六番の差ですか?」
「それは当然あると思うよ。松江は一枚足りなかった。そこに柴田さん並みの選手がいればもっと良い勝負になったかもしれない。でも、単純にそれだけではないかな」

斉藤にとって稲葉は先生のような扱いである。
二人とも記者で、どちらもそれぞれに自分で記事を書くのだが、斉藤はことあるごとに稲葉の見解を聞きたがる。 

「全体的に、一言で言っちゃうと経験の差っていうか、そういうのも出てた感じがする。四十分をまとめる力って言うの? 松江の方にはそれがなかったかな」
「勢いだけで前半リードしてたってことですか?」
「んー、勢いだけって言っちゃうとちょっと違う気がするけど。自力はしっかりあってのベスト8で、前半のリードだったと思うし。ただ、試合ってやっぱり動くじゃない。その局面局面に対処する能力っていうの? あと、対処じゃなくて局面自体を動かしてしまう力というか。そういうのが富岡の方があったかな」
「気がついたら富岡優勢って感じになってましたもんね」
「松江は、結局、四十分を作れなかったよね。創部四年目、コーチはバスケ未経験者っていうのが出ちゃったと思う。選手の方も、例えば松浦さんなんか、確かに後半よく点とってたけどエースって感じじゃなかったなあ。まだただの点取り屋ってところで」
「スリーポイント連発は盛り上がりませんでした?」
「あれは盛り上がったけど、でも、どうしようもなくなってもここに回せば何とかしてくれるっていう、そういう信頼感? そこまではまだ無いっていう。その辺が石川さんや次の是永さんとはまだ一レベル落ちる感じかな。福田さんも結局最後まで持たなかったし。どうみても田中さんと比べると福田さんのが上なのに、そこがチームとして生かしきれなかった。木村さん。センターの子。あの子も前半だけで、後半はほとんど道重さんに封じられちゃったしね。単純に体力の問題かもしれないけど、福田さんにしても、その辺の体力的なことはある程度分かってるんだから、それを踏まえたゲーム作りを本人もそうだけど、ベンチがしなきゃいけなかったかな」 

前半39−40
それが後半は58−31
ほぼダブルスコアである。
特に最終クォーターは35−14
あと五分、あと十分、試合時間を延ばしたら、どんどん点差が広がって行くだろう、というような終わり方だった。

「一試合通じて力を発揮するって難しいんですね」
「そういう意味では吉澤さんしっかりしてたなあ」
「四番ですか? 最後はあんな状態でも頑張ってたけど、全体的にはあんまり目立ってなかったような気がしますけど」
「まあ、もちろん、石川さんをシャットアウト出来てたわけじゃないし、オフェンスでも前半は木村さん、後半は松浦さんで、エース格の仕事をしたわけじゃないけどさ。でも、ディフェンスは石川さんの突破は置いといて、ゴール下は抑えてたし、高橋さん柴田さんが入ってきたときの後ろのカバーっていうのも出来てて、あれで止められた点って結構あったと思うよ」
「意外に評価高いんですか?」
「持ってる力を四十分安定的に出せたっていう意味じゃね。ああいう子が一人コートにいると頼りになるのよ」
「それ、逆に言うと、技術的なこと褒めてなくないですか?」
「その辺は、まだ石川さんとかと比べると差はあるかなって思う。インサイドって意味じゃ去年の飯田さんとか、平家さんとか。単純に力量勝負すると見劣りするよね。そのあたりはこれからって感じかな」

手元の公式プログラム。
開かれている松江のメンバー紹介のページ、斉藤は話を聞きながら、四番の吉澤の名前のところをボールペンでぐるぐるぐるぐると印をつけた。 

スタンドの上では藤本が不機嫌そうだった。

「結局富岡かよまた」
「ガキさん予想より点差開いたねえ」
「柴田さんが爆発するとは思いませんでした」
「松江の六番見掛け倒しじゃねーか。なんなんだよあれ」
「途中まではそれでも五分だったのにね」
「一度崩れると歯止めが聞かないタイプかもしれないですね」
「柴田は石川と違って、一度図に乗ると止められないってタイプじゃないんだけどな」

藤本、里田、新垣。
なんだかんだで結局藤本になついた新垣を、意外に藤本は嫌がらずそばに置いている。

「それより、私、十四番意外だったんだけど」
「道重さんですか?」
「お前、よく一々名前覚えてるよな」
「あの子うちで試合した時はもっとダメダメな感じだった記憶があるんだけどなあ」

里田にとっての道重の記憶は滝川カップでのものだ。
リバウンド拾うけど、あとはなんで富岡で試合に出てくるかわからないレベル、というのが里田の印象だ。 

「でもなんか、ありえないミス多くなかった? どうやったらそのゴール下を外せるんだ、みたいなのとか。何度か三秒もやってたし。センターなら三秒くらい体で覚えろよって感じだけど」
「それはそうなんだけど、後半、あやかさんつぶしちゃってたよ。それが無かったら結構危なかったと思う、この試合」
「前よりずっと安定感がある感じがしました」
「ゴール下外して三秒連発して、何が安定感だよ」
「ゴール下しっかり決めて、三秒みたいな基本的なミスしなくなったらすごくない?」
「・・・、うちだと、みうな? あいつも結構三秒やらかすよな。似たもの同士か?」
「みうなもそうですけど、一年生ですごいですよね。試合出て活躍して。一試合安定してリバウンドとって」
「あれがすごいんじゃなくてオタガキがだめなの。美貴だって一年の夏から試合出てた」

ゴール周辺の、ラインで仕切られた台形の制限区域には、オフェンスプレイヤーは三秒以上継続して入っていることは出来ない。
常識レベルのルールで、インサイドのプレイヤーはカウントしなくても体感で三秒はほぼ感じることが出来る。

「まあ、それより次だな。あの四番どんなディフェンスするのか見てやろーじゃないの」

コートには第二試合の中村学院が入ってきてアップを始めようとしていた。
共に勝ち上がれば、明日の準決勝で滝川と対戦する。
藤本は、相手エース格のマッチアップに付くという是永が、すっかり自分のマークに付きに来るつもりでいた。 

 

中村学院がアップを始めた頃、松江のメンバーはロッカールームへ引き上げた。
重い空気を引きずっている部屋。
とりあえず福田は置かれた長椅子に横たえる。
控えの二年生が横について、タオルで汗を拭いたり、うちわであおいだりしている。
まだ、息は荒い。

「試合終わって、気が抜けただけかな。限界まで走ってたし。しばらく寝かせとこう。一人ついてて」

ロッカールームはエアコンが効いていて涼しい。
疲れただけにしても熱中症の直前にしても、寝かせておくのにはちょうど良い。
疲れただけなら、汗が引く前に着替えさせた方が良いのかもしれないが、そこまでさせる余裕は無い。
中澤は一人の二年生に任せておくことにする。

ノックがありドアが開いた。
スタンドで見ていた紺野と矢口が遅れて入ってきた。
遅くなってすいません、と紺野が言おうとしたけれど、場の空気がそういう言葉を吐くことを紺野に推しとどめさせた。
何かを言えるような雰囲気では無い。

「じゃ、ミーティング」

全員集まったところで吉澤が重い口を開いて中澤に促す。

「先生、お願いします」

中澤を中心とした半円形。
中澤から見て右端に吉澤が立っている。
離れた位置の長椅子に福田が横たわっていて、二年生が一人付いている。
遅れて入ってきた紺野と矢口は入り口に近い左側に二人。
あやかは吉澤の隣にいて、松浦は中央前列。
辻は吉澤の後ろに隠れるように立っていて、市井もそのとなりにいた。
福田とそれに付いている二年生を除いて十二人。
中澤は、一人一人の顔をゆっくりと見てから言った。 

「これが結果やな」

もう一度、一人一人の顔を見る。
メンバーたちから言葉は返ってこない。
良い勝ち方をしたときなんかは、ミーティングの中でも中澤が一言しゃべっただけで、あとはメンバーたちが勝手に話を拡げて行ったりする。
今日は、誰も口を開かない。

「いいところまで行ったんやと思う。前半リードして終われたし。全面的に負けてるわけじゃなかった。終盤まで勝負できる局面はあったしな。だけど、あと一歩。その一歩が遠かった。一つ、みんなに謝らんといけないと思う。一番差があったのはコーチの差やな。これはどうにも否定できない。後半、追い詰められて行くところで私は局面を打開することがまったくできなかった。全部後手後手にまわってた。それで対処しきれなくなってこの結果だ」

中澤の本音だった。
失敗の責任は指導者が背負う、というような責任論ではなくて、事実として、一番差を感じたのが自分と和田コーチの部分だった。 

「そんなことないです。先生じゃなくても、誰がコーチやっても同じ結果でしたよ。同じメンバーでやる限り」
「ええよ、あやや。慰めてくれんでも。事実として私は受け止めないといけない。コーチの差が一番大きかった」
「先生、事実として受け止めないといけないのは私たちも一緒です」
「吉澤、それは、一つ一つみんな考えるところはあると思う。でも、それはそれとして、私は受け止めんといかんのよ」
「そういう問題じゃないですよ。先生のせいで負けたんじゃない。途中まで良い試合だったじゃ無いですか。それが最後にぶち壊しになったんですよ」

中澤、松浦、吉澤。
中澤は自分が悪かったといい、松浦と吉澤は選手が悪かったと言っている様に聞こえる。
ただ、松浦の言わんとしていることと吉澤の思っていることはまったく違った。

「何が言いたいんだよ」

一番早くそれを感じ取ったのは市井だった。
市井は、松浦が言いたいことが何なのか、聞き返す前からはっきりと正確に感じ取っている。 

「先生のせいなんかじゃなくて、最後に試合をぶち壊しにした人がいるって言ってるんです」
「それが私だって言いたいのか?」
「そうですよ。最後だけで五番に何点やられたと思ってるんですか」
「ちょっと待てよ。なんでそういう話になるんだよ」
「吉澤は黙ってろ。じゃあ、なにか? 私がいなけりゃ良かったって言うのか? 私がいなけりゃ勝ってたって言いたいのか? 松浦は」
「勝ってたとは言いませんよ。それは最後までやってみないとわからないから。でも、最後まで勝負になる試合にはなってましたよ」

市井も松浦も、吉澤は抑えることが出来ない。
松浦を押さえられる福田も、今は長椅子に横たわっていて、二人の声が耳に入っているかどうかもわからない。 

「ああ、そうですかそうですか。全部私が悪うございましたよ。五番に手も足も出なくて最後はファウルでしか止められなくて、一気に試合ぶち壊しにしましたよ。そうですよ、全部私が悪いんですよ」
「わかればいいですよ」
「ちょい、待ち。一人を責めるような試合じゃなかったやろ」
「いいですよ別に、先生もなぐさめてくれなくても。どうせ全部私が悪いんですから」
「市井さん一人の問題じゃないですよ」
「ふん、吉澤も偉そうにキャプテンぶりやがって。ついこの間まではおろおろおろおろしてたくせに。お前だって思ってるんだろ、市井ばばあがいなければ最後まで勝負になったって。目障りだいなくなれって、なんで四年生のくせにまだ居座ってるんだって」
「そんなこと思ってないですよ」
「お前らの望み通り出てってやるよ。私抜きで冬にでもあいつらともう一回やればいいさ」

市井は持っていたタオルを一度壁に叩きつけてからドアの方に歩いて行く。

「市井さん」

吉澤が背中に言葉を投げかけるがそれを無視してドアを開け出て行った。 

「松浦! あんたなんてこと言うんや!」
「事実を言ったまでです」
「ちょっと私行ってきます」

吉澤が市井を追って出て行こうとすると、そこは矢口が止めた。

「待って。多分、こういう時は部外者の方がいいと思う。紗耶香の荷物どれ?」

市井はタオルは持っていたがそれ以外は手ぶらで上下ユニホーム姿のままだ。
逆に遠くまでは絶対に行けない姿な分安心ではあるが、そのまま放っておくことも出来ない。
部外者の方が、という矢口の言葉に吉澤は納得したのか、すぐ足元にあった市井の荷物を渡して、あとは矢口に任せた。

「松浦、言いすぎだよ」
「事実じゃないですか。五番に何点やられたと思ってるんですか? あれで全部ぶち壊しですよ」
「例えそうだとしても、流れの中でそうなっただけで、それを全部市井さんのせいにすることじゃないだろ」
「全部とは言いませんけど、ほとんどはあの人のせいですよ。だいたい、下手なくせに練習もいい加減でちゃんとやらないし。あんな人いなくなって当然ですよ」
「松浦!」

中澤が松浦の方に歩み寄って行く。
吉澤の方を向いていた松浦が近づいてきた中澤の方を向くと、渾身の力が込められた張り手が飛んだ。
松浦は叩き飛ばされて床の上に崩れた。 

「言うてええことと悪いことがある。なんだその言い草は。あんたは全部完璧にこなしたんか! 前半まるでダメでベンチに下がったのは誰だ。そういう問題じゃない。一緒にプレイした、一緒にコートの上で試合をした仲間を責めるな! 何様だお前は」

床に倒れこんでいた松浦が顔だけ上げて中澤の方をにらむ。
周りは、吉澤も含めて誰も口を挟めない。

「最低や。なにしに来たんやここまで。もういい。もう一泊して学校戻るのは明日。あとは各自勝手にしろ。解散」

床に座り込んだ松浦もそのままに中澤はロッカールームを出て行った。

二年生の一人が松浦を引っ張り起こす。
どうするの、という雰囲気で周りが吉澤の方を見ている。

「松浦、言いすぎだよ。あれは市井さんも怒るし先生だって怒るよ」

とりあえずそこから。
だけど、松浦はむすっとした顔をするだけで何も答えを返さない。
吉澤はため息を一つはいて続けた。 

「とりあえず着替えて出よう。このままミーティングしても何にもならなそうだから。あとで改めて全員揃ってからやる。帰りのバスとかは先生捕まえて話してから伝えるよ。だから、あんまりみんなばらばら一人で出歩いたりしないで。福田は大丈夫か?」

輪の外側。
吉澤がそちらを覗き込むと、その方向のメンバーが場所を空ける。
吉澤の視界に福田の姿が目に入る。
本人ではなくて、付いている二年生が答えた。

「寝てます」

一人夢の中の福田の姿に、ぎすぎすしていた場の空気が少しだけ緩む。

「まあ、いいや、寝かせておいて。悪いけど起きるか、起きる前にここどこかが使うようなら無理やりに起こして上連れて来て」
「はい」
「とりあえず着替えてあとは自由で。帰りのバスとかは連絡するけど、どうしても捕まらなかったら、仮で四試合目終わったところで入り口集合で」

ミーティング終わり、なら、「ありがとうございました」と締めるところだが、ミーティングの終わり、という感じではないし、なんとなく締まりなく終わり、各自着替え始めた。
一番最初に松浦が無言のまま着替え終わり、自分のカバンを持ってさっさと一人で出て行った。
出て行き際、ドアを大きな音をばたんと立てて閉めて行った。 

ロッカールームを矢口が出たときには市井の姿はもう見当たらなくなっていた。
コートの方に戻ったわけは無いので、あとはスタンドに上がったか出口から出て行ったか。
一度階段を上がってスタンドを見渡してみたけれど矢口の視界に市井の姿は入らなかった。
ユニホーム姿でいれば嫌でも目立つ。
見当たらないということはここにはいないのだろうと判断して出口の方へ向かう。

出入り口付近を見渡してもいない。
どこかトイレにでも篭ってたりすると見つけようが無いな、と思いながら外に出る。
あの格好で街中まで出て行くとは思えない。
いるなら近くにいるはずだ、とあたりを捜索するとようやく見つけた。
人通りの無い、道から体育館へ上がってくる、階段を迂回する車いす用のスロープの途中、植えられた樹木で日陰になっている部分に市井は座っていた。

「おう、パシリご苦労」

矢口が近づいて行くと、先に市井の方が声をあげた。
矢口はあきれたようにかすかに鼻で笑う。
持ってきたカバンを市井に押し付けた。

「上からでいいからTシャツでも着なよ。かぜ引くよ」
「まったく、この暑さなんとかならないものかね」

市井は自分のカバンを開けてTシャツを取り出す。
矢口は正面に立ったまま。
市井の足元を見ると、屋外にもかかわらずバッシュを履いたままだ。

「靴もかえなよ」
「え?」
「靴。大事なバッシュで外歩いちゃダメだよ」

Tシャツから顔をのぞかせた市井が言った。 

「もう必要ないだろ、こんなもの」

市井の言葉に矢口は悲しげな顔で見つめるだけだ。

「そんな顔すんなよ」

市井がそう言っても、矢口は視線を落とすだけ。
どちらが慰めに来たのだかよくわからない。

「ったく、この暑さどうにかしてくれよ矢口。はぁ。ちょっと散歩するか」
「ダメ」
「なに」
「靴変えなきゃダメ」
「しつこいなあ。分かったよ。まあ、バッシュじゃ足締め付けられて歩きにくいしな」

カバンから靴を取り出し、屈みこんで履き替える。
矢口は黙って待っていた。
市井が立ち上がり歩き出す。

スロープを下りて道へ。
会場ではもう二試合目が始まる頃。
中途半端な時間になっているので、外も人通りは少ない。

「矢口さあ、大学楽しいか?」
「なに唐突に」
「散歩しながら女が二人会話するんだ。山なし意味なし落ちなしのおしゃべりが始まるに決まってるじゃんか」
「楽しかったらこんなとこ来てると思う?」
「ちげーねーや」

二人は並んで歩く。
身長差はあり、足の長さの差もあるはずだが、歩く速度に差はでない。 

「暇なんだよね、大学」
「暇?」
「そう。暇。勉強大好きとかだったらまた違うんだろうけど、矢口はそういうんじゃないしさ。遊び歩くのも楽しくないかって言われれば、楽しくないことはないけど、すぐ飽きるんだよね」
「飽きっぽいだけじゃないの?」
「それもあるかもしれないけど。それよりも、刺激が足りない感じかな」
「東京の女子大生が何言ってんだか」

市井の格好が、バスパンにユニホームの上からTシャツ、という組み合わせであることを除くと、もう、さっきまで試合をしていてその後のミーティングを飛び出してきた、という状況には感じられない。
せいぜい、田舎の部活帰りの姿というところだ。

「自分で言っちゃうけど、結構勉強偏差値の良いところ入っちゃったんだよね。だけど、あんまり考えてなかったんだけど、どうも、女偏差値は低いところみたいでさ」
「なんだよ女偏差値って」
「何とか女子大とかミッション系とかが高いの女偏差値。理系単科大とかが最下位クラス。女子大とミッション系を除くと、勉強偏差値が高めだと女偏差値は低くランクされるの。男は勉強できる女がめんどくさいみたいよ」
「矢口のくせに勉強できるのか?」
「そういうところにいるとね、あんまりいい話し来ないんだよね。学内の男どもは外ばっか見てるし。学外からはわざわざあそこを選ばなくてもみたいな扱いだし」
「ていうか矢口。刺激って男ばっかかよ」
「夢見るじゃん。大学入ったら、とか。とくに高校があんな感じで、結構まじめに部活なんかに命賭けちゃうと。でも、現実はそうじゃないのよ。ろくなのが寄ってこない」
「類友じゃねーの?」

矢口がため息を付いて言った。 

「正解だよ、それが。矢口もバカだったから大学デビューなんか目指しちゃって、おかげで入って出来た友達はバカばっか。せいぜい、代返要員くらいはおべんきょうの出来る子みたいだけど。男も女もみんななんていうか、薄い。薄っぺらい。まあ、紗耶香が正解で、矢口が薄っぺらい暮らしを望んで大学生始めたから自業自得なんだけど」
「それで、飲み会とかには行かなくなったと」
「いや、行くんだけどさ」
「行くのかよ」
「まだ捨てきれないのもあってさ。どっかにいい男いるかもしれないじゃん。でも、毎回毎回虚しいだけだよ」
「それで後輩に寄生し始めたのか」
「あれは後藤が頼みに来たんだよ。驚いたけど。でも、実際、あいつらなら薄くないなっていう思いはあったな。寄生。寄生か。そうかもしれないな。卒業してもいつまでも居座って。矢口があの中にいるのって、実際、大学つまんないからっていうのが大きいからなあ」

二人は川沿いの堤防に。
そのままそれに沿って歩いて行くつもりだった市井だが、横の矢口が階段を上り始めた。

「おい、いいのかよそこ」
「いいの。向こう側川だよ。橋の下とか結構涼しいし」

階段を上って堤防の向こう側に下りて、草むら書き分けて川岸へ。
直射日光のあたらない橋の下は、周りと比べれば確かに涼しかった。 

「出来ればもう一回戻りたいんだよね」
「どこに?」
「高校生だった頃。大学で暇してるよりは楽しいよ、コーチやってるのも。でも、やっぱ矢口は中に入って動き回ってる方がいいな。そんなこと言ったって戻れないんだけどさ。コーチってどこまで行ってもコーチで。どんなに矢口と後藤たちの距離が近いって言ったって、コーチはコーチで選手は選手なんだよ。矢口はもう、自分主役でチームに参加することは出来ない。別にエースでもなんでもなくたって、ベンチに座ってるだけだって、選手な限り自分主役でいられるけど、コーチやってるとそれはもう出来ないんだよね」
「だから辞めるな頑張れ、とか言いたいわけ?」

橋げたにもたれて川面に向かって座り込んだ二人。
矢口は左に座った市井の方を見る。
市井は転がっていた石ころを拾ってポーンと川に向かって投げた。

「矢口が考えてることくらいお見通しだよバーカ」
「お見通しでも何でもいいよ。そうだよ。こんな一回の負けで全部投げ出すこと無いって。あの子はあんなふうに言ったけど、みんなそう思ってるわけじゃないし。何かの試合で誰かのミスで負けるっていうのは実際あったとしても、その子が辞めなきゃいけないってことはないよ」
「事実だよ」
「え?」
「あいつが言ったのは事実だよ。あいつが言ったのは事実だ。ただそれだけだよ」

足の間に置いたカバンを市井はグーで殴る。
それから額をカバンに当てしばらくの沈黙。
矢口も掛ける言葉がなく、黙って見つめていると、やがて市井が顔を上げた。 

「最初に会った時から嫌いだったんだよ、あいつ。多分向こうもそうなんじゃないかな。吉澤なんかもいけ好かないガキだとは思ったし、明日香はクソ生意気だし、めんどくさい奴らが多いけど、でも、別に嫌いじゃないんだよな、あいつら。でも、あいつだけは嫌いだった、最初からずっと」

語りだした市井。
矢口はそっと視線を外して川の方をむく。
二人並んで、互いの方は見ず、市井は話を続けた。

「あいつに限らないけど、みんなしてどんどんうまくなりやがって。ったく、素直に私の駒でいればいいのにさ。あのチームは私と圭ちゃんで作ったんだ。別に、インターハイに出たいとかまして優勝したいなんてそんなことまったく考えて無かったよ。ただ、自分が作ったものの中で自分が中心で三年間いられたら気分がいい。それだけだったんだよ」

矢口に知らない名前が出て来たが、特に解説も無いし、矢口も聞き返したりはしない。

「あのチームは私と圭ちゃんが作ったんだよ。なのに、圭ちゃんは卒業しちゃうし。私のこと追い出してスタメンとろうとかする奴は出てくるし。居心地悪いったらありゃしない。でも、私が作ったんだよ。私のものなはずだったんだよ。だからここまで付き合ってきたんだ」

矢口は口を挟まずに聞いていた。
何度かうなづきながら、黙って聞いていた。 

「あのチームは私のもので、私がチームの中心で、頼りない周りのメンバーを引っ張って、だけど最後は力尽きて負けるんだ。それで、みんなよく頑張ったよって言って、あとは後輩に託して去って行くんだ。そのはずだったんだよ。それが、それが、なんで。なんでだよ。私のせいか? 私のせいなのか? 私のせいで負けたのか? そんなわけないだろ。私のチームだったんだよ。チームの中心だったんだよ。なんでだよ。なあ、矢口! 私のせいなのか!!」

開いた足の間に置かれたカバンを何度も何度も力任せに殴る。
それから、カバンごとひざを抱えて市井はうつむいた。
矢口は何も言わなかった。
何も言わず、ただ、市井の嗚咽を聞きながら、何度も背中を撫でてやった。

夏の日差しが川原を照らし、橋の下の影との光のコントラストは鮮明だ。
時折、橋の上を通る車の音がする
川の流れや風の音が聞こえるほどの静寂は無い。

やがて、市井は大きなため息を一つはいてカバンから顔を離す。
意味ありげに矢口の方を見て、頭をぽんぽんと軽く二度叩いた。

「負け犬が二匹川原に座り込んで。情けないなまったく」
「紗耶香・・・」

市井は、涙目のまま薄く微笑む。 

「松浦には勝てないなって、割と早くから思ってたんだ。私も人を見る目はあるからね。でも、こんなに差がつくとはな」
「そんなに言うほど差は無いよ」
「あるよ。あいつなら本気の五番だって抑え込めたかもしれない。まったく気にいらねえ、どいつもこいつもうまくなりやがって」

矢口の困ったような顔を見て、市井は笑みを見せる。

「矢口は、まだ高校生やってる私のことがうらやましいわけ?」
「うらやましい。うらやましいよ。選手として試合に出られる、その立場がうらやましいよ」
「私は矢口の立場がうらやましかったな。自分は安全地帯にいて、駒として選手動かして、偉そうに振舞ってられる立場が。私が矢口の立場なら、あいつだってただ駒として使えばいいだけで、自分と比べてどうのこうのって悩まなくて済むし」
「駒って言うなよ」

矢口の言葉を市井は鼻で笑う。
視線を外して地面を見て、左手で石ころを拾い上げるとそのまま投げた。
利き手ではなかったけれど、結構飛んだ。 

「もしかしたら、もしかしたら、確かに、紗耶香の力がちょっと足りなくて、最後は勝てなかったのかもしれないよ。でもさ、紗耶香頑張ってたもん、最後まで。頑張って負けたんなら仕方ないよ」
「頑張ってないよ」
「頑張ってた」
「上からはそう見えただけだよ。ていうか、まあ、今日は頑張ったよ一応。でも、今日一日頑張ってどうにかなる相手じゃなかったんだよ。今日に至るまで、私はあんまり頑張ってなかったんだよ。あいつに、あいつだけじゃない、吉澤とか明日香とか、そういう連中に置いていかれない様に頑張る、真剣に練習する、っていうのをしてこなかったんだよ。それがあいつらと私の間に出来た大きな差だろ、たぶん。先輩面して余裕ぶっこいて、上から目線で生きてきたからな。そのつけを全部払わされたんだよ。だから、むかつくけど、あいつの言うとおりなんだよ。私がいなくても勝ってたかはわからないってとこまでな。そこまではまだあいつらも強くねーし」

矢口は市井の横顔を見つめている。
市井は矢口の方は向かずに、他人事のごとくはき捨てるように言った。

「逃げ回ってた現実にとうとう捕まえられたって感じだな。自業自得なんだよ」 

右手で手ごろな大きさの石を拾って力いっぱい投げる。
川上から流れてきたものなのか、地面は適当な大きさの石で一杯だ。

「矢口さあ、誰も知らないだろうけど、試合終わったあと、うちの試合ね、富岡との、試合終わったあと向こうのコーチに挨拶した時、すげーめちゃくちゃ言われた。もう、矢口全否定って感じ。あれだけの人に試合が壊れたのはおまえのせいだって言われてさ。凹むなんてもんじゃないよ。それで、ここで泣いてた。一時間くらいかな、わかんないけど」
「それでうちに居候に来たのか?」
「そのまま帰る気しなくてさ。もうちょっと見て行きたいっていうのと、あんまり後藤たちの顔見たくないってのと、両方あった。どうしていいのかわからない、っていうのはまだあるんだ。でも、今日の試合見て、とにかくもう一回やってみようって思った。もう一回、チームに戻って、冬、富岡に挑戦したい。どうしていいのかは、まだわかんないけど。紗耶香もさ、負け犬同士、もう一回頑張ろうよ。まだ最後じゃないんだもん。まだ試合に出られるって、矢口からすればすげーうらやましいよ」
「負け犬同士って一緒にするなよ」
「あ、いや、ごめん」

市井が大きくため息を吐く。 

「矢口がなに言われたのか知らないけど、敵の監督に言われただけだろ。別に、後藤からお前いらないって言われたわけじゃなし。私と矢口は違うんだよ。後輩からお前要らないって言われたんだぞ。それに対して、必要とされるように頑張ります、か? ありえないだろ」
「あの子だって試合でテンション上がってて、ふっと出ちゃっただけだって」
「本音がな」

矢口に続いた市井の言葉があまりに正確すぎて、矢口は何も言い返せない。
戸惑った矢口の顔をチラッと見て、市井が続けた。

「吉澤もいつの間にかしっかりキャプテンらしくなっちゃって。生意気に。私が戻ってきたときには、ただのでかいだけのでくのぼうって感じだったのが、ミーティングしっかり仕切るし、試合でもなんか安定してるしな。あやかが横でしっかりサポートして、下に明日香がいて戦術的なとこは見てるし。松浦のバカも点は取れるからな。まあ、自分のことしか考えないガキだから次のキャプテンは明日香がやるんだろうけど。裕ちゃんもただの飾りだったんだけどな最初は。今じゃしっかり監督さまだ。一年生も育ってきたし。いらないんだよ、実際、私、もう」

ふーっとため息を吐いて、市井は足元のかばんを両手でバンと叩いた。
矢口が口を開いた。 

「なんだかんだで紗耶香ってチームのことよく考えてるよね」
「別に考えてるわけじゃないよ。中にいたら感じるだろそれくらい」
「ううん。そうでもないよ。例えば、あのあややって子はたぶん自分しか見えてないし。紗耶香もさ、もうちょっとわがままになっていいんじゃない? チームの役に立つとか必要にされるとか、大事なことだけど、それだけじゃなくて、自分がこうしたいってあるじゃんか。それをもっと出してもいいんじゃないの? お前要らないって後輩に言われたら、お前こそ要らないよわがままガキ、って言ってやればいいんだよ」
「私に向かって、もっとわがままでいいなんて言うの矢口が初めてだよ」
「そう?」
「まあ、でも、そうだな。大分周りの目を気にして生きてるからな私は。勝手ではあるけど、自分の思うままとはちょっと違うのは確かかもしれないな」

そこまで言って市井が立ち上がった。
矢口は座ったまま見上げる。 

「さて、戻るか」
「もうちょっと休んでいかなくていいの?」
「いい。早くパンツ脱ぎたい」
「な、なに言ってんの」
「着替えたいんだよ。さすがにここで着替えるわけいかないだろ」
「いいんじゃない? 誰も見てないし」
「周りの目を気にして生きてるって言ったばかりだろ。ほら、立て」

市井が伸ばした手を矢口が掴んで立ち上がる。

「紗耶香」
「ん?」
「辞めないよね」

二人は歩き出して川原を離れる。
階段を上って下りて、堤防を超えて道へ出た。

「私がどうするかは私しか決められないからな」

矢口の問いかけへの回答は、イエスでもノーでもない。
ほぼ無回答といえるようなものだったが、矢口はそれ以上聞かなかった。 

体育館まで戻ると、玄関のところでうろうろきょろきょろしている吉澤の姿があった。

「お前、何してんの?」
「何してんのって、心配してたんですよ。良かった戻ってきて。どこ行ってたんですか」
「散歩だよ散歩。悪かったな、抜け出して」

大丈夫だったんですか? という顔色で吉澤は市井と並んでいる矢口の方を見る。
矢口はあいまいに笑うだけだ。

「私、着替えてくるから」
「は、はい」

すれ違いながら市井は吉澤の肩を二回軽くたたいて言った。

「ガキに付き合って修学旅行なんか行ったのも無駄じゃなかったよ」
「え?」

去って行く市井の方を振り返る吉澤。
市井はカバンを掛けていない方の左手を上げた。
じゃあな、なのか、あとでな、なのか、吉澤には判別できなかった。 

 

一番最初に着替え終わって部屋を出て行った松浦はスタンドの上にいた。
会場では第二試合、是永たち中村学院の試合がすでに始まっている。
松浦は、その女子のコートの方ではなくて、男子のコートに近い側、席には座らずにスタンドの一番上の手すりにもたれかかりながら試合を見ていた。
他のメンバーが着替え終わっても、出てきて見に行くのは普通女子の方の試合だ。
こちらにいれば、まとまって出て来たメンバーに捕まることは多分無い。

ぼんやりと試合を眺めていると、早ハーフタイム。
試合も中断され、第三試合のチームがアップしている。
試合もそれほど目に入っていたわけでも無いが、アップなんてさらに目に入らない。
ぼんやりしていると近づいてくる人影があった。
一度だけそちらの方に目をやる。
紺野だった。

すぐにコートの方に視線を戻す。
紺野は松浦の隣に来て同じようにコートの方に目を向けた。
何も言わない。

男子の試合の方が先にハーフタイムが終わり第三ピリオドへ。
片方のチームはベンチに入れないメンバーも大勢いる大所帯のようで、会場からの声援が大きい。
男子の声の揃った声援は、味方を鼓舞するというよりも、相手に威圧感を与えるような迫力だ。
タイムアウトに入ってそれが止む。
その合間に、ふっと松浦が一言言った。

「明日香ちゃんどうしてる?」
「今は分かりませんけど、さっきまでは寝てました」
「そっか」

試合が再開される。
ただ、ぼんやりと見ていた。
やっぱりあまり意識には入ってこない。
参考にして勉強する、という感覚は、今日の今のところない。
それでも試合が流れている間は黙って見ている。
第三ピリオドが終わったところで、また、松浦が口を開いた。 

「親にも叩かれたこと無いんだよね、私」

紺野は黙って聞いている。
元々、あまり自分から率先して意見を言うタイプでもない。
問われればしっかりした答えを返すけど、最初からそれを言うことはあまりしない。

「腫れたらどうするのよまったく。裕ちゃん、本気で叩きやがった。裁判でも起こしてやろうかな」

紺野がコートから視線を自分の方へ向けたのが松浦には分かる。
松浦はコートに視線を向けたまま続けた。

「裁判起こしたら紺野ちゃん証人になってくれる? 慰謝料取れたら分けてあげるよ」
「明日香さんが止めるから、あややさんは裁判しないと思います」
「紺野ちゃん、こういう時はマジレスはいらないの。分かる?」
「すいません」

止められる前にそんなことしないよ、とはわざわざ言わなかった。

「スコアブック持ってきて」
「え?」
「スコアブック。さっきの試合の」
「はい」

紺野をパシリに出す。
いつものこと。
別に嫌いじゃないけど、ちょっと今はうざかったのと、本当にさっきの試合のスコアが見たいのと両方だ。 

手前の男子は第四ピリオドに入ったけれど、奥の女子はまだ第三ピリオド途中のようだ。
遠すぎて、誰が誰だかはよくわからない。
電光掲示板に目をやると、中村学院がわずかにリードしているようだ。
もう、どちらが勝とうが関係ない。

視線をコートから上に上げる。
向こう側の観客席の上の方、体育館を半周して行った紺野の姿が見えた。
他のメンバーはその辺にいるらしい。
そこから少し下りたところに、あやかと二年生の二人が座っているのがわかる。
あいている席がそれくらいしかなかったのだろう。
一年生は上の通路に立っている。
吉澤の姿は見えなかった。
福田もいない。
四年生も見当たらない。

紺野が階段を下りてあやかのところに行ったのも見えた。
探して来い、様子見て来いって言われてて報告してるのかな、なんて思う。
話し終えた紺野が階段を上がった。
一年生の中に馴染む。
輪の中入って試合を見る体勢になっていたので、もう戻ってこないかもな、と思った。 

目の前の試合には、やっぱり興味を惹かれない。
松浦の瞳には映像として移っているが、ほとんどそれは見ていなかった。

高橋愛。

頭にあるのはそれだ。

後半、やっといい感じになってきたのだ。
第三ピリオドラストのスリーポイント連発は、松浦の感覚としてはまぐれなんかじゃない。
あの時間帯に自分にボールが来たのはたまたまだったかもしれないけれど、決めたのは自分の力だ。
前半はひどかったけれど、後半コートに入って自分の流れを作ることが出来た。
自分より10cm小さい相手にてこづったのは問題だ。
ちょこまか動きやがってむかつく。
なんか、普通と違うのだ。

滝川の時は全然勝ってたと思っていた。
富岡だって大したこと無いじゃんかと思っていた。
三ヶ月で向こうが伸びたのか、本番の本気の姿はやっぱり違ったのか。
それでも後半は自分の方が勝っていたはずだ。
五点差で残り十分。
自分が点を取っていけば十分にひっくり返せる状況だったはずだ。

それを、足引っ張りやがって・・・。 

他の人だったらあんなこといわなかっただろうなと思った。
あやかも吉澤も福田も、皆それぞれ自分の役割を果たそうと必死だった。
皆、思い通りには行っていなかったけれど、それはある程度仕方なかったと思う。
しっかりしろよ先輩、と思ったりはしても、終盤へろへろになったあやかにしても、責める気にはならなかった。
いい人だから。
というのとはまた多分違う。
日々の練習の姿を見てきたからだ。

あいつは違った。
日々の暮らしがもうむかつく。

ろくに練習して無いからああなるんだ。
四年生のくせに足引っ張りやがって。

向こう側のコートで歓声が上がっていた。
目をやった時点では中村学院がディフェンスに戻る場面だったので、何があったのかははっきりわからないけれど、選手たちの動きと、両手を掲げた姿から想像するに、是永がスリーポイントを決めたところなのだろう。
スコアは67−67
リードされていたのを同点に戻したようだ。

「是永美記か」

遠くて顔は見えないし、背番号も位置関係的に見えないけれど、走り方で分かった。
名前は知っている。
有名どころの名前は最近覚えた。
前はあまり興味なかったけれど、最近意識するようになった。
石川、是永の二人を始め、ソニン、里田、さらにはジュンジュン、後藤、木下、なんていう最近出て来た名前もある。
二線級の高橋愛なんかにてこづっている場合じゃないのだ。 

反対側の遠く離れた場所からでも是永美記の姿は目立っていた。
会場の雰囲気も中村学院寄りになっているのをこちら側からでもなんとなく感じられる。
ボックスディフェンスが相手を押さえ込んでルーズボールを奪う。
パスが一本是永へ。
一人で持ちあがった是永は二人をかわしてシュートまで持って行った。
中村学院が逆転し、相手タイムアウトへ。

「あれが、エースか・・・」

まあ、中村学院には足引っ張る四年生が試合に出てたりすることはないだろうしな、なんて思う。

視線はいつの間にか手前のコートは無視で、向こう側の女子の試合に向いていた。
真剣に、というところまではいかないけれど、興味を持って、うつろではない目で試合を見ていた。
最後の最後までもつれたけれど、結局中村学院が五点差で押し切ってベスト4への進出を決めた。
是永美記のためにチームが作られている。
松浦の目にはそう映った。
なんともうらやましい限りだ。
自分のチームはそうはなっていない。
そこまでお膳立てしてくれれば自分だってあれくらい出来る。 

そんなことを考えていたら、また人影が寄ってきた。
紺野。
ちゃんとスコアブックを持ってきた。
試合が終わるまで向こうで落ち着いて見ていたのだろう。

「遅いじゃない」
「すいません」
「ありがと」

スコアを受け取る。
スコアブックじゃなかった。
試合の時、テーブルオフィシャルがつけていたランニングスコアのカーボンコピーだ。
オフィシャルがつけたものが試合終了後両チームに渡される。

四つに折られていたそれを広げて見る。
誰が何点取ったか、というのが一目で分かるような形式にはランニングスコアはなっていない。
何点目を誰が取ったか、という形式のものだ。

点数の低いところでは富岡は7の数字が頻出している。
出だしは散々やられたからなあ、実際と思った。
終わりの方は5が多いが、最後の最後まで行くと、4や12などフリースローで一点づつ入っているのがよく分かる。
松江の方は序盤は5が多く後半は7が多い。

全体感をぱっとつかんだ後、松浦は一つ一つ数え始めた。
富岡の7 松江の7
それぞれ何点取ったのか。 

「私の負けか・・・」

高橋、31点 松浦25点
後半、かなり追いかけたつもりだったけれどそれでも足りていない。

自分のところで負けている、というのは試合前にはまったく考えていないことだった。
相手は石川梨華だったわけでもない。
なんであんな子に。

スコアシートをびりびりに破りたいところだったけれどさすがにそれはしない。
大体、向こうはエースでもなんでもないただの二年生じゃないか。
そこまで考えて、あれ、と思って石川の得点を数え始めた。

ランニングスコアに刻まれる4の数字を数え上げる。

25点
自分とかわらない。
そういえば、それほど目立っていた印象は無かった。
自分と石川梨華は互角?
それは、なんか違う気がする。

そもそも、エースってなんだ?
高橋愛がなんで石川梨華より点を取っているんだ?

なんだか、いろいろなことが納得行かない。

「エースって、なんなの? 一体」

スコアシートを畳んで、松浦はつぶやいた。 

手前の男子のコートでは第三試合が始まっている。
奥は女子の第三試合のチームがアップをしていた。
さっき勝っていれば、その試合の勝者と準決勝で当たるはずだった。
そんなことを思っていると、紺野が言った。

「エースは、一番速い人でも、一番点を取る人でも、一番早い球を投げる人でもなくて、試合に負けた時に、自分の出来に関係なくその結果を自分の責任として受け止める人だって中学の時に習いました」

驚いて松浦が紺野の方を見る。
紺野から答えが返ってくるとは思っていなかった。
ちょっと考えて、納得したように松浦は何度かうなづきながら言った。

「そっか。紺野ちゃん、中学の時陸上部のエースしてたんだよね」
「私は、ただの一番速い人だった気がします」
「一番速い人ねえ・・・。一番速い人か・・・。一番速い人。一番点を取る人・・・」

紺野から視線を外して、手すりにもたれかかった。
もう一度、スコアシートを開く。
もう一度数えてみても、やっぱり高橋愛は31点だ。
でも、あの子は富岡のエースじゃないだろう。
スコアシートを見ても、誰がエースかなんてことは書いていない。 

「紺野ちゃん。負けたのは私のせいなのかな?」
「それは自分がエースだと思うからですか?」
「生意気なこと聞くね」
「すいません」

コートの方を向いたままだった松浦。
横で、紺野がしゅんとした顔をしていたので頭をくしゃくしゃっとなでてやった。

「紺野ちゃん見てると、なんか自分がすごいガキのような気がしてくるよ」
「そんなことないです」

余計なこと言うんじゃなかったな、といまさらながら思った。
誰が見ても、最後はあの四年生が足を引っ張っていたけれど、それを自分が言うことなかったのだ。
前の自分はもうちょっと要領が良かったような気がする。
八方美人、もとい、八方から見て美人に見えるように振舞っていたはずだ。

エースとは、一番点を取る人のことでは無い。

今の松浦にとっては、なかなか厳しい言葉だった。
後輩に叱られたような気分だ。
気分じゃない、たぶん、叱られたのだろう。 

「さっきさあ、ミーティングの時、やっぱ、私、感じ悪かった?」
「ちょっと」
「ちょっと?」
「だいぶ」
「グレードアップしたね」
「やっぱり、負けた時に誰かのせいにしちゃいけないと思います」

本当に叱られてしまった。
松浦は、叩き飛ばされたあと、中澤に何を言われていたのか覚えていない。
痛い、というのと叩かれたことそのものへの驚きで、そのあとの言葉は頭に入ってこなかった。
ただ、中澤先生があんなふうに怒ったのは初めてだな、とはあとから思い返して思った。

「私のせいってことにしておこうかな。高橋愛に負けてるしね。うん。私も悪かった」

紺野の方を見ると、そういうことじゃないんだけどなあ、という顔をしている。
松浦は、もう一度紺野頭をくちゃくちゃと撫でた。

「それ以上は何も言わないの。いいの。わかってるから」

明日香ちゃんのように、もうちょっと感情コントロールが出来ればいいんだけどな、と思った。
でも、多分無理だろうな、とも思った。 

福田が揺り動かされて目を開くとすぐ前に市井の顔があった。

「そろそろあけろってよ」

ここはロッカールーム。
試合をしていたところから記憶が飛んでいる。
富岡との準々決勝、最後はボールを追い掛け回さないといけない状況にさせられて・・・。
そうだ、負けて、その後ベンチに戻って倒れたのだ。

「みんなは?」
「さあ、上で見てるんじゃない? 私も散歩してたから知らない」

ずいぶん寝ていたらしい。
こうやって、寝かせててもらえる部屋があるだけ全国大会は恵まれている。
県大会レベルなら、こんな控え室なんて臨むべくも無い。

「なに、ずっと寝てたの?」
「寝てました」
「のーてんきなもんだな。そろそろあけろってさ。居座ってると男子が着替えに来るよ」

確か、女子の第四試合のチームが次は使うはずだった気がする・・・。
福田は体を起こした。
掛けられていたジャージがはらっと落ちる。
上下まだユニホーム姿のままだ。
体は重い。 

「なんか飲むか?」
「いえ、大丈夫です」
「まあ、いいから飲んどけ」

残されていたドリンクボトルを市井に押し付けられる。
受け取って一口飲んだ。

「すいません、迷惑掛けて」
「いや、寝てて良かったんじゃない?」

市井も笑っているが、もう一人付いていた二年生も意味ありげに笑っている。
自分が寝ている間に何かあったのだろう、とは思った。

「試合の最後までは、私、持ってましたか?」
「途中で引っ込められた私に難しいこと聞くね」
「持ってたって、いや、持ってなかったのは自覚あるんですけど、倒れたのって試合終わってからですよね?」
「それも覚えてないの?」
「なんとなくしか」
「倒れたのは終わってからだよ。明日香の責任感で試合中に倒れるわけないんじゃないの?」

福田はもう一口、飲み物を飲んだ。

「じゃ、私行くから。さっさと着替えて出ろよ。男子が襲ってきても知らないぞ」

男子は来ないはずだけど、負けた立場でこれから試合をする女子のチームと鉢合わせるのは嫌だな、と福田は思った。 

市井が出て行って福田は立ち上がる。
両手を伸ばして、首をこきこき。
どうにも体が重い。
それでもTシャツを取り出して着替える。
真夏だけど上下ジャージも身につけた。

「ごめん、ずっと付いててくれてた?」
「座ってただけだよ」

二年生同士だけど、比較的距離のある相手。
福田は、スタメンクラスとは割と距離近く話せるけれど、そうでないメンバーとは少し距離があった。
部活動として、チームとして、それはあまりよくないと自分では思っているけれど、なかなか距離を縮められない。
元々松浦のような社交的な性格ではなく、吉澤のように黙っていても周りから人が集まるタイプでもない。
試合に出ないメンバーはいらない、とは思っていないが、どうしても会話の開始点が見つからないのだ。
スタメンクラスなら、バスケの話し、で会話がつながる。
そうでないメンバーとは、何から話し始めればいいのか、いつもよくわからない。

「お弁当届いてるけど、どうする?」
「市井先輩が持ってきてくれたの?」
「ううん。辻ちゃんが上から持ってきて。市井さん、私の分ないのかよって文句言ってたけど」
「市井先輩、みんなといたんじゃないの?」
「そっか、寝てたもんね」
「なんかあったの?」

まあ、そのうちわかるよ、とごまかされて話してもらえなかった。

ここでのんびり食べている時間はなさそうなので、弁当は抱えてロッカールームを出る。
かといって、あまりメンバーのところに行く気にもならなかった。

「ちょっとトイレ行ってくる。先行ってて」
「うん。Aコートのさっきのベンチ側で一番上の方にいるって」
「わかった」

トイレの前で別れた。 

走って走って、へたばって倒れて。
汗は散々出したので、トイレに入ってもすることはない。
さっき飲んだばかりの飲み物は、まだ胃にたどり着いたくらいだろう。
個室に入ってから、お弁当持ってトイレ入るんじゃなかったな、と思った。
ここで弁当拡げて食べ始めたら、それこそいじめられっ子だ。

洋式に座り込んで、特に何もしなかったけれど、しばらくしてから水を流して出た。

Aコートのさっきのベンチ側で一番上の方にいる。
とのことなので、そうじゃない方に出ることにした。
ロビーで弁当食べてもいいのだけど、そもそもおなかが空いていない。
ぼんやり過ごしてもいいのだけど、なんとなく試合は見たかった。

階段上がってスタンドへ。
Aコートのさっきのベンチじゃ無い側ゴール裏の一番上。
コートを縦に見ることが出来る、この位置が福田は試合を見るときは好きだった。
自分が試合に出る時はこの角度で視点がある。
コートの横からみるのはベンチから見る視点だ。
全体を見て考えるには、縦から見る方がいい。

そういえば、寝てたから試合後のダウンもストレッチも何もしてないな、と気づいた。
コートの上は第三試合前半。
試合が見える位置から下がって、壁際によって座り込む。
ちょっと一人でやるのはかっこ悪いのだけど、ストレッチを始めた。 

頭の中で試合を振り返った。
一つ一つの場面。
全体の流れ。
自分はどの辺まで足が動いていて、どの辺から足が止まったか。
その時その時の局面、状況を思い起こす。

四十分持たない、というのはやっぱり問題だな、と思った。
四十分持つような動き方をする、というのは当たり前のことだけど、そもそもの基礎体力を上げないといけない。
技術面が十分というわけではないけれど、やはり根本的に体力が欠けている。

その他にもいろいろ問題はあった。
解決策はすぐに出てくるものでもない。
間に昼寝時間を挟んでいる分、福田にとっては富岡に負けた試合がほんの数時間前、という感覚は薄い。
大分時間がたった一つの出来事、という印象だ。

ストレッチをしながらいろいろ考える、というのは福田は割と好きな時間だった。
場内の歓声の沸き沈みで時間の流れをなんとなく感じ取る。
ブザーの音が聞こえて、雰囲気が緩んだので立ち上がり試合経過を確認しにいくと、ちょうどハーフタイムになったところだった。

福田はストレッチをやめてに持ちロビーに下りた。
一人で弁当を食べる。
本来はお茶もあるはずなのだけど、辻がロッカーまで持ってくるのを忘れたかサボったのだろう。
自分で、その辺の自動販売機でペットボトルを買う。
一人で、誰とも話すことなくのんびりとお昼ごはんを済ませた。 

それから入り口近くにあるトーナメント表を見に行く。
もう、いまさら見ても、戦線離脱しているから仕方ないのだけど、それでもなんとなく見る。
97−71
最終スコアがそうなっているのは記憶に残っていなかった。
最後は26点もあいたのか。
終盤、叩き潰されたんだな、というのをあらためて感じる。
そこに、地元の高校生ボランティアというか駆り出されて動員された係員がマジックインキを持って入ってくる。
二試合目の結果を記していた。
五点差で中村学院が勝ちあがり。
ベスト4二つ目の枠が埋まる。

ワンツーシードが順当に、か。
ポツリとひとり言。

順当といいつつも、中村学院も前半負けているところからの逆転勝ち。
結構競った試合はしたらしい。
二チームが抜けている、という去年の状況とは違うようだ。

よく考えてみれば他人事ではないのだ。
富岡だって、前半負けているところからの逆転勝ち。
最後に叩き潰されたけれど、序盤から明らかに力の差、というような試合ではなかった。 

何が問題だったのか。
点の取り合いやるのはそれほど間違った選択ではなかったと思っている。
滝川のような守り倒すバスケットが自分たちに出来るとは思えない。
97点はやられすぎな気はするけれど、40点以内に抑える、というよりも100対99で勝つ、という方が現実的だろう。

福田の感覚としては、一つ一つのオフェンスディフェンスでそれほど大きな差があるとは感じなかった。
練習のハーフコートの五対五なんかをやれば、勝ったり負けたりちょうどいいくらいだったはずだ。
だけど、試合が終わってみると大差がついていた。

自分個人的には体力の問題。
全体の結果的には、市井と柴田の差。

だけど、それだけの問題ではなくて、勝ち慣れているとしか言いようのない、何か違いを福田は感じた。
勝つことが当たり前のチームと、勝てたらいいなというチームの違い、だろうか。
それぞれが考えるあたりまえのレベルの違い。
他にもいろいろあるのだろうけど、そんなようなこと。

冷静に思い返してみて、向こうの方が一枚上手だった。
だけど、それは一枚であって、百枚でも十枚でもない、たったの一枚だ、と思う。

トーナメント表を眺めているのにも飽きたのか、福田はロビーを離れた。
階段を上がる。
もう一度スタンドへ。
のんびりとお昼を食べていたせいだろう、第三試合はすでに最終ピリオドに入っていた。
この試合も競っている。
今日、勝っていれば明日対戦したいたのはこの試合の勝者だ。 

どちらも名前はよく知っている、この世界ではしっかり有名なチームだが、中身の情報は持っていなかった。
準備してきたのは富岡戦までだ。
その上のラウンドまでは事前に情報を得たりはしていない。

しっかりと見たのは短い時間に過ぎないけれど、どちらが相手でも勝てないという相手では無いなと思った。
十回やれば三回から四回は勝てるレベルの相手だと思う。
富岡は、今日を思い返してみれば、十回やって一回勝てるかどうかだろう。
それと比べれば、全然勝負になる。
自分たちは、ベスト8に、このレベルにいるのが恥ずかしいチームではない、とあらためて思った。

第三試合が終わり、そろそろメンバーのところへ戻ろうかな、と思った。
どこにいるのかは見渡して確認してある。
松浦や市井や、姿が見えないのが何人かいるが、だからといって自分までいつまでも離れているわけにも行かないだろう。
そんなことを思っていると、観客席から上がってくる見知った顔と目があった。
友達、ではないけれど、明らかにお互いがよく知っていて、目と目が合ったら避けようがない関係である。 

「あ、お疲れ様でした」
「お疲れ様でした」
「まだみんないるんですか?」
「はい。向こうに。私は、なんか、縦位置で見るのが好きだから」

富岡、石川と柴田だった。

「席、一つくらいなら空いてますけど、入ります?」
「いえ、いいです」

それはそうだろう、という顔で柴田は石川を見ている。

「大丈夫でした? 最後」
「ああ、いえ、大丈夫です。御心配おかけして申し訳ないです」
「すごいですよね、あそこまで足動かす根性。尊敬します」
「いえ」

やめなよ梨華ちゃん、という素振りで柴田が横から突っつく。

「準決勝からも頑張ってください」
「はい、ありがとうございます」

福田の方から会話をうちきるフレーズを出した。
石川も普通にそれを受けて話を終える。
トイレにでも行くのだろうか、内階段の方へ向かって行く。
柴田も、すみません、という感じで会釈をしていった。

ラスボスめ、と福田は声には出さずに毒づく。
嫌味じゃなくて普通に天然なんだろう、とは思った。

上手なのは一枚だけじゃなかったな、と思い返す。
今日だけ見ると一枚向こうが上手、そこに、本気モードまで入っていなかったラスボス分が加わるのだから、二枚分向こうが上手だったな、と思った。

第四試合、滝川のメンバーたちが藤本を中心にコートに入ってきて試合前アップをはじめるのを見て、福田はメンバーたちの方へ足を進めた。 

 

二回戦、三回戦と勝ちあがってきての準々決勝は三試合目。
最初の山場は昨日の桜華戦だと思っていた。
次の山は中村学院、というより、是永美記だ。
準々決勝はその谷間。
名門校らしく、ピシッと締まった空気でアップはしているが、心境的にはそれほど思い入れたものはない。

試合前のアップは三年間代わることなくほぼ同じ内容だ。
第一試合だと最初から試合コートでアップする分、時間が長くてメニューが代わるが、それ以外は全国大会レベルでは前の試合が終わってから十五分でいつもかわらない。
体を動かすアップは終わった状態でコートに入ってきて、スクエアパスからスタート。
ランニングシュートへ移行して、次にハーフの三対二。
それが終わると全体アップは終了で、ランダムにフリーシューティングになる。

昨年はインターハイは出られなかったし、冬の選抜も組み合わせが悪く三回戦止まり。
全国大会のベスト8は二年前の選抜以来だし、ベスト4へ進むとなれば国体を除いた滝川山の手名義では四年ぶりになる。
それでも、メンバー達は特に何かすごいことをしようとしている、という感覚は無かった。
今のメンバーは、まともな形で負けたことのある相手は富岡しかないのだ。
普通にやれば負けることは無い、という自信が、無理に煽り立てることもなく、自然に感じられる。
そんな中、里田だけが危機感を感じていた。 

そろそろきっかけが欲しい。

次は中村学院戦、すなわち是永美記戦である。
里田にしても、今日に対する危機感、というのではないのだが、今のままではまずい、という思いが今日の試合に対しても向いている。
まず、自分がどの程度是永美記を抑えられるのか。
次に、是永にある程度の点数を取られるのだとしたら、それに対応するだけの点を自分が取ることが出来るのか?
そこに対する自信は、いまのところない。
チーム全体として、勝てない相手ではないと思っているが、それとこれとは別だ。
少なくとも今日、是永よりは落ちるであろう相手との四十分で何かを掴みたかった。

「いつものように。ディフェンス中心で。適宜代えるから。足を惜しむな。以上」

この大会、試合前のミーティング、石黒のコメントが淡白だと里田は感じていた。
具体的な指示がほとんど与えられない。
いわゆる精神論とはちょっと違うけれど、精神的なというか頭の中的なことに関するコメントが多い。
相手がどう動くから次はどうして、こうなっているからこうせよ、という指示は出てこない。
せいぜい、途中でメンバーチェンジで入った控えメンバーが中心の時のタイムアウトで、一言二言注意するくらいなものだ。 

「相手、どう考えてもインサイド中心だから、まいとみうな、しっかり頼むよ」
「基本的には中に入れない方針で行くから。裏は取らせない。その代わり、ハイポローポで背負われたら外からフォローね」

仕方ない、という感じで試合前のミーティングでは藤本が具体的なことを言う。
それにあわせてコメントを繋ぐのは、周り見渡すと自分の役目か、と里田は思っている。

「足動かしても、手はあまり動かすなよ。ノーファウルねノーファウル」
「後ろは戻りも早くね。切り替え。前はすぐピックアップでスローダウン」

基本的なことを最後に確認し、藤本が手を二つ叩いて、よし、いくよとばかりにコートに五人が上がって行った。 

準々決勝の相手は熊本友愛女学院。
木下とスザンヌ、二枚のインサイドのプレイヤーを中心としたチームだ。
前評判は高くなかったが、地元ということもあってか大会に入ってから評価を上げてきた。
一回戦からの登場で三試合とも競った試合を制している。
三回戦ではシードチームを破り勢いに乗っている。

立ち上がりから割とてこづった。
点が取れない。
インサイド二枚は想像以上に強力だ。
里田にはガラの悪い木下、みうなにはへにゃへにゃなスザンヌというハーフをつけてきた。
これが打ち破れない。
また、藤本にはどこの場面でもマークがぴったりと張り付いている。
全体はハーフのマンツーマンなのだけど、藤本のところだけいつも向き合ったフェイスと呼ばれる徹底マークで、それも上がってくる前、エンドでボールを受ける段階から張り付いている。
藤本のところは力量的にはボールを運ぶという点では何も問題は無いのだが、こういううっとうしいのが藤本は基本的には嫌いだ。
とにかくしつこく張り付いているのだ。 

前日とは状況が少し違うがまた守り合いの展開である。
0−0からようやく点が動いたのは開始四分後。
外から麻美が1on1で突破しミドルレンジでジャンプシュートを決めてようやく先制する。

点が動かないのを見て、第一ピリオド五分過ぎ、2−0というなんだかわけのわからないスコアの時点で石黒がタイムアウトを取った。

「分かりやすくするために里田と斉藤、マッチアップチェンジ」

ここまで滝川がディフェンスの場面では木下にみうな、スザンヌに里田、オフェンスの場面では里田に木下が、みうなにスザンヌと、非対称になっていたのだが、石黒の指示で攻守いつでも同じ相手にさせる。

「ここまで来たら十分ゼロで抑えてみろ」

それだけ言って石黒はベンチに座ってしまう。
タイムアウト取っといて指示も無いのかよ、と思いつつ藤本が後は仕切った。

「中、外、繋ごう。まいもみうなも時折外出てきていいよ。それで空いたところに外から飛び込んでもいいし」
「いや、みうなはともかく私は中でがちがちやってた方がいいと思う」
「まい、それでやるならしっかりポジション取らないと入れられないよ」
「分かってる。何とかするから」
「中二人もそうだけど、外もボールもっと回さないと。単発じゃ意味無いから」
「美貴、あんまりいらいらしないでよ、フェイスでつかれても」
「大丈夫。うざいけど、レベル的には大したことないから」

オフェンス面での確認だけだ。
五分で失点ゼロ。
ディフェンスの確認なんて何も必要は無い。
それがメンバーたちの認識だ。
一つだけ出した指示というか注文というか、それがディフェンス面のことだった石黒の言葉とは無関係に選手同士の会話は進む。 

そんなタイムアウトが開けて最初のオフェンスは熊本友愛ボールから。
お、マッチアップ代わりやがった、という顔をした木下。
里田のユニホームを引っ張って、自分はゴール下を抜けて逆サイドへ。
そのままバウンドパスを受けてターン。
ユニホーム引っ張られたくらいでは里田も振り切られたりはせずに前に立ちはだかる。
コースは塞いでいるのだがそれを無視して一歩踏み込んで体当たりのような形で里田をよろめかせてから足を引きジャンプシュート。
よろめいた里田はブロックに飛べずシュートは決まったのだが笛が鳴った。
木下のオフェンスファウル。
里田の胸に木下の肩が入ったのをレフリーは見ていた。

「ちっ、ファウルかよ」
「しょうがないです。はい」

ガラわる、と里田は改めて思ったけど、不満はもっともなような気はした。
あれくらいのあたりはゴール下ではよくあること、のような気はする。 

第一ピリオドは、結局どちらもオフェンスで打開できず、得点が伸びなかった。
熊本友愛は、ひたすらゴール下、スザンヌと木下を使ってくる。
微妙にどちらも里田、みうなより背が高く、しっかり持たれると脅威な部分はあった。
初ゴールは六分経過後、三人に囲まれたスザンヌが何とか通したバウンドパスを受けた木下のジャンプシュート。
次のオフェンスで木下がボールを受けてすぐの強引な一対一で里田を圧倒してゴール下を決める。
滝川の方がまだ攻め手は多く、一旦逆転されたところで追いついたのは麻美のミドルレンジからのジャンプシュートだった。
第一ピリオド残り二分を切ってみうなのフックシュートで6−4
残り三十秒のところ、シュートクロックが無い中で藤本が外から一人で持ちこんできてジャンプシュートを決めて8−4
それで終われればよかったのだが、終了間際、外、中、三人に囲まれながらも木下が向かってきて、押しのけるようにしながら踏み込んでのジャンプに、思わず手だけが出て里田のファウル。
このシュートまで決まって、カウントワンスローを与えてしまった。
木下はフリースローを決めて8−7として第一ピリオドを終える。

「里田、頭より先に体動かせ。体が後だからファウルになる」
「はい」

最後にファウルで終わって戻ってきた里田に石黒を渋い顔で言う。
第二ピリオドまでの二分間のインターバルで石黒が出した指示はこれだけだった。 

第二ピリオド、メンバーが代わる。
外三人を引っ込めた。
スタメン組みは里田、みうなだけが残る。
メンバーが代わったところで熊本の方も、対藤本にやっていたフェイスディフェンスは解消する。
滝川でこの場面でボール運びを担当するのは新垣だったが、これで特に問題はなかった。

ディフェンスは相変わらず堅かった。
フレッシュな外三人はとにかくよく動く。
里田とみうなは相手インサイドと体の張り合いだ。
体を張って押しとどめているところにパスが入ると、外から囲んで勝負できなくさせる。
第一ピリオドの七点はすべて木下だったが、第二ピリオドは押さえ込まれた。
それよりもここはスザンヌの方がなんとかした。
木下と違い、単純な体のぶつけ合い、という感じではなく、するっとかわしてみうなを外すところがある。
また、少し外まで出てふわっとジャンプシュートを決めたりもした。
12−13 逆転された場面でメンバーチェンジ。
藤本、麻美とスタメン組みを投入する。

一人残った新垣を含めた上三人。
二人が入ったところで軽く打ち合わせをした。
ここからオフェンスの方針が変わる。 

考え方は簡単だった。
木下とスザンヌ、ゴール下が強いんだろ、だったら外からやればいいじゃないか。
当然、藤本の指示である。
広く取って回した外からのスリーポイント。
いまや立派な中心選手となった麻美は自信を持って放った。
一本目からしっかり決めてみせる。
これで雰囲気が出来たのか、それほどシュート力があるわけでもない新垣も、前が空いたから空気読んで打った的スリーポイントを決める。
18−13
ここで里田、みうなのインサイド二枚を下げて休ませる。

相手の中心がインサイド二枚の時に、スタメンのインサイド二枚を下げると、さすがに多少ディフェンス面で難が出た。
一人ならまだ良かったのかもしれないが、二人の連動した動きがなかなかよいのだ。
スリーポイント連発で離した差はすぐに縮められた。
前半残り二分を切って23−21の場面で里田、みうなをコートに戻す。

前半ラストはこれ以上失点はしない、としっかり守り、最後の場面で藤本のワンマン速攻で加点し25−21で終えた。 

「集中力無いぞ!」

ハーフタイム、藤本がどーんと里田に体当たりしてきた。
どうやら藤本の機嫌はいいらしい。

「そうかな?」
「なんかごちゃごちゃ考えてない?」
「考えないことも無いけど、考えるでしょ」
「頭悪いんだから考えても仕方ないでしょ」
「美貴に頭悪いって言われたくないから」
「まあまあまあまあ。でも、前半21点はやばいね。40点超えるペースじゃん。勝っても何言われるかわかんないよ」
「分かったよ、悪かったよ、私のディフェンスが悪いから点取られてるんですよ」
「何すねる。あのメンバーならヤンキー娘が得点源なのは仕方ないでしょ」
「点は取られるし、点取れないし。何やってるんだかわかんないよ」
「だーいじょうぶだって。たいした問題じゃないよ。今日は外でけりつけるから」

藤本の機嫌はいいらしい。
里田の機嫌は悪いが。

「美貴も最初てこづってなかった?」
「大丈夫。何の問題も無い。雑魚だねあんなの」
「そこまで言い切る?」
「言い切る。雑魚雑魚。大雑魚」
「大雑魚って、雑魚より強いの? 弱いの?」
「どっちだろ?」

のーてんきに笑ってんじゃねーよ、と里田は思った。 

後半はスタメン組みでスタート。
出だしはこう着状態。
ただ、点が入らないというのは滝川のペースである、ということではある。
三分過ぎ、外目に開いた里田がジャンプシュートを決めようやく点が動く。
追撃したい熊本友愛はスザンヌが距離の長いジャンプシュート一本と、木下がハイポストの位置からチャージング気味の突破からのゴール下を決めて追いかける。
そのあたりまでは互角の展開だったのだが、五分過ぎ、里田、みうなを下げて休ませたあたりから一気に形成が傾いた。

きっかけは藤本のスリーポイント。
これが決まってもまだ30−25 五点差、普通にいい勝負というところだったのだが、このゴールで、エンドから熊本友愛がボールを運ぶところがこの試合の勝敗を分ける場面になった。
滝川のあたりに熊本のガード陣が耐え切れなくなったのだ。
前半から苦労はしていたが、それでも何度かボールを運んでゲームを作っていた。
それがここに来て、藤本ら滝川ディフェンスが実地に対戦して慣れてきたことプラス、試合時間が経過してきての疲労で振り切れない。
ガード陣にボールを入れられなくて、無理出したパスを麻美が奪った。
ゴール近くまで持ちこんでのジャンプシュートを決める。 

ここだ、と判断した藤本が指示を出した。
単純なオールコートマンツーマンから、前ではボールに二人があたりに行って奪い取る形にシフトする。
ここだ、の呼吸を他のメンバーも同じように感じ取っていたので、藤本の指示を違和感なく受け取って体が反応出来ている。
さらに二本続けて奪い36−25と二桁点差に乗ったところで熊本友愛ベンチがタイムアウトを取った。

「里田、斉藤、入れ」

石黒の指示。
もう一つ続けた。

「後三分で終わらせろ」

第三ピリオドは後三分少々。
その間に決着をつけろ、という意味合いである。

「まい、みうなは長いパス狙って、入るところは」
「オーケー」
「前三人はとにかく足を動かそう」
「スクリーンの連絡ね。声出して」
「なるべくコーナーに。ダメでもサイドライン際へ」
「ノーファウルねノーファウル」

滝川の、得意なパターンに試合の方向性が向いてきている。
石黒に指示されるまでもなく、藤本もこのタイミングで決着をつけに行くつもりでいる。 

ここが勝負どころだろう、とは里田も思った。
ただ、それはちょっと気に入らないことだ。
ガード陣が勝負を決めに行っている。
自分の力はあまり必要とされていない。
後ろでサポート、せいぜいそんなところだ。
気に入らないからディフェンスさぼる、という発想はさすがに無いが、若干のむなしさは感じた。

コートに上がる。
里田の立ち位置はセンターサークルの中、全体の中央だ。
相手が上がってくるのを待つ。
タイムアウトの時間の終わりを告げるブザーが鳴っても、熊本友愛ベンチはまだ作戦版を囲んでミーティングが続いている。
腰に手を当ててぼんやりと待った。
前三人は相手ゴール近辺で話をしている。
このまま前三人で押しつぶして勝ったら、私のところのマッチアップだけは負けのままだな、と思う。 

レフリーに促されてようやく相手がコートに入ってきた。
マッチアップをそれぞれ捕まえる。
木下とスザンヌは、自分から里田、みうなのいる中央に寄ってきた。

「入った!」

レフリーがエンドで熊本友愛のメンバーにボールを渡す。
同時に全体が動き始めた。
ガード陣、一人目がゴール下に向かって走る。
これは藤本がコースを抑えてまったく無力。
木下、スザンヌは、それぞれ里田、みうなに体をぶつけた後に両サイドに開いた。
里田、みうなはそれを追う。

これで中央が空いた形になり、熊本のもう一人のガードがその空いたスペースへ走る。
新垣に対して裏を取った形で、長いパスを入れることを想定した動きだったが、エンドからのパスがそこには飛ばなかった。
ジャンプ一番、麻美がキャッチ。
エンドからのパス、フェイクだったら横を通されそうな場面だったが、裏、という新垣の声が聞こえたので、長いパスがあると踏んで飛んだら当たった。
取れて逆に驚いた麻美、ぎこちない様子でワンドリブル付いて後ろに下がり、ゴールが見える場所に戻って飛びなおし、ボードに当てる簡単なシュートを決めた。

ほとんどまぐれのような出来事だったが、相手にとっての心理的ダメージは大きかった。
三つ続けてプレスの網に引っ掛けて滝川が連続得点。
一気に十九点差。
タイムアウトは使っているので取れない。
流れが一方的に滝川へ。
ボールが来なくていい加減いらいらした木下が、自ら自陣フリースローラインまで戻って受ける。
里田は追いかけて張り付いた。
振り返って木下はボールを運ぼうとするが、そんな能力は備わっていない。
ボールを突き出したところで、後ろから麻美に弾き飛ばされた。
ルーズボールはみうなが拾い上げる。

すぐに藤本が呼んだ。
みうなも呼ばれれば簡単にボールを送る。
左外、突破される、と相手が身構えたところで、藤本はシンプルにスリーポイントシュートを放った。

ゲームの流れが完全に滝川に来ている場面。
こういうシュートも入って行く。

結局、このまま第三ピリオドが終わるまで、熊本友愛はフロントコートへボールを運ぶことが出来なかった。
56−25
試合の大勢は決した。 

最終ピリオド、上三人は下がった。
里田とみうなは残る。
もう、交代に休ませるというのではなく、控えメンバーを鍛える時間帯という扱いになっている。
それでも点差は縮まらないどころか開いて行った。
相手のガード陣の心理的ダメージも大きいのだろう、メンバーが代わってもボール運びからおぼつかない。
点差が開いた場面では、余裕を感じ始めたスタメン陣よりも、試合に出たい、出してくれ、、スタメンを奪うんだ的な意識を持った控えメンバーの方が高い集中力を示すこともある。
滝川の控えメンバーはディフェンスの面ではスタメン組みとそれほどの遜色がなくなってきており、多少メンバーを落としても、相手に余裕は出てこない。
ボールを運んでシュートまで行って終わればまだいいのだが、そうではなくて運んでいる間に取られてしまうと、そのまま簡単に点が入るケースが多かった。
点差が一番開きやすい展開である。 

ボールが運ばれてくれば、まだ何とか勝負になる。
前半までと同じ、インサイド勝負。
木下ががちがち体を張ってくるのと、スザンヌの気の抜けたミドルなど。
一番の得点源は木下。
里田が必死だ。
相手に体を張られると、自分も体を張るしかない。
体のぶつけあいが最後まで続く。

スコア自体は89−37
ダブルスコアで滝川が勝利。
ただ、里田個人としては、圧勝したというような感慨は残らない試合だった。

「滝川だけ完勝って感じですね。他三つが終盤まで競って最後に突き放したって感じだったのに」
「んー、そうかなあ」
「ああ、富岡も割と最後は余裕ありましたけど。でも、ダブルスコアってことはなかったし。強くないですか? これ」
「まあ、見た目はね、点差開いたよね。でも、点差が実力差ってわけじゃないよ」

女子の準々決勝四試合は終わり、ベスト4が出揃った。
稲葉と斉藤には、目の前の試合の感想があり、同時に、準々決勝全体の感想がある。 

「それはそうですけど。でも、強い勝ち方じゃないですか。ここまで三試合、失点が極めて少ないし」
「失点はね。ディフェンスが一番堅いのは間違いないよ」
「なんかもう、完璧な勝ち方って感じで。点も入っているし。死角が見えないですよ」
「そんなことないよ。滝川は問題点が全然解決されてない」
「なんですか? 問題点」
「得点力の無さは解決してないよ」
「89点も入ってるじゃないですか」
「あれは得点力で取った点じゃない。ディフェンスで取った点だから」

そんな話をしていると、記者席に、二人のところにテーブルオフィシャルが付けたスコアのコピーがまわってきた。
稲葉、斉藤、一部づつ取りそれぞれに眺めつつ話を続ける。

「点は入ってるから言葉の意味としては得点力が無いわけじゃないでもいいや。でも、本来の意味では、相手のディフェンスを崩して取れるのが得点力だと思うんだよね。まあ、崩せないでも無理やり取るでもいいんだけど。今のは、相手のディフェンスが無いところで取ってる点だから。ディフェンスがボールを奪うことで取ってる点だから、得点力とは私の感覚では言えない。まあ、あれも、広い意味では速攻のうちに入って、速攻で点を取るってことなのかもしれないけど、ちょっと違うでしょ」 

「スリーポイントとかも入ってましたよ」
「たまたま、って言ったら失礼だけど、そういう感じだったと思うよ。ああ、前半リードされたところでの麻美さんのとか、後半きっかけになった藤本さんの。そういう価値あるシュートはあったし、それは確かに得点力だけど、まだ足りないかなあ。相手に恵まれた感じがあるんだよね」
「相手ですか? 確かにノーシードから上がってきたチームですけど、木下さんとか強いじゃないすか」
「元々の力としてベスト8に上がってきたチームの中ではちょっと落ちるっていうのが一つ。あと、滝川が一番勝ちやすいタイプのチームってどんなチームだと思う?」
「勝ちやすいチームですか? スタミナの無いチームとか?」
「うん。まあ、それも含むかな。滝川が強いのは、ガードが弱いチーム。強力なセンター陣で勝ちあがってきたけれどガードが弱くて前から当たられるとボール運びが出来ませんって言うチーム」
「今日の試合じゃないですか」
「そう。去年の出雲戦なんかもその典型。前から当たってボール運び封じちゃえばセンターがどれだけ強力でも関係ない。出雲戦は最初からガードの力の差が大きかった。だから十分で終了した。今日も力の差はあったけどそれでも何とか運んでたのがスタミナ面で後半きつくなってきたところで終了って感じで。そういうパターンだと点が入る。でも、昨日みたいにエースが一人ぬけてるのは確かだけど、他もしっかりしてますよっていうところにはそれは効かない」
「それは明日も同じってことですか?」
「そう思う」 

明日、準決勝では滝川山の手は是永美記の中村学院と対戦する。
抜けたエースが一人いるけれど周りもしっかりしている、というタイプに属するチームだ。

「是永さんはスーパーな選手だから、そもそもそれを守りきれるかどうかからわからないよ。でも、それを何とか守ったとしても、滝川がボックスワンから点が取れるかがわからない」
「滝川ってそんなに得点力無いチームでしたっけ?」
「そうでもないはずなんだけどね。ディフェンス力は去年より一段かそれ以上上がってる感じだけど、オフェンス力は落ちちゃってるんだよね」
「じゃあ、明日は中村の勝ちですか?」
「それはやってみないとわからないよ。点が取れなくても是永さん封じ切って30−29で勝ち、なんて試合をするかもしれないし。得点力が無いっていう私の認識は変わらないけど、あのディフェンスはやっぱり脅威だよ。ディフェンス面だけなら文句なしに大会ナンバーワンだとは思う。まあ、その辺の、今後の課題とか聞きに行きますか」

ミーティングが終わったであろう頃合を見計らって稲葉は記者席から立ち上がる。
二人、話を聞きに向かった。 

石黒の周りにはすでに記者が集まっていた。
いくつかの質問も出ている。
後からやってきた稲葉、空気読まずにすぐに問いかけた。

「お疲れ様でした。今日はすばらしい試合だったと思います。ただ、89点入ったことは入ったんですが、それはかなりの部分ディフェンスの力でもぎ取ったものだと思いました。明日以降に向けて得点力の面で課題があるんじゃないかと思うのですが、そのあたりはどう対処されるおつもりですか?」
「得点力ですか? そうですね。まあ、昨日、一昨日。今日もかな。確かに、それが発揮出来ているわけじゃないとは思いますが、得点力が無いとは決して思っていません」
「そこが課題ではないと?」
「ないというより、あるけど発揮出来ていないというのが課題だとは思います」
「それを発揮するための方策とかは?」
「方策? さあ。コーチ暦一年なもので、難しいことはわからないですが」

記者連に笑いが起きる。
被取材者が冗談で言ったっぽいことには笑っておくのが得策だ。 

「里田がなんとかするでしょう」
「個人技頼みってことですか?」
「個人技っていうか、里田がなんとかしますよ。あの子がこの先のポイントでしょう。まずは明日、是永さんを抑えてもらわないといけない」
「是永さんには里田さんをつけると思っていいですね?」

明日の話が出たところで別の記者が問いかけた。

「そう思ってもらって結構です」

そこから、明日の試合のことに話が進んで行き、稲葉が質疑の主導権を得る場面はもうなく、他の記者の質問が続いた。
攻撃力の話をしていたのに、対是永のディフェンスの方に話が進んでいて、稲葉としてはなんだかはぐらかされたような、そんな気がした。 

 

夜。
負けた松江は翌朝帰郷する。
試合後は割合ばらばらに過ごしていたメンバーたちだったが、戻ってこないというものはさすがにおらず、夕食は全員きちんと宿でとった。
ただ、全体的に無口だ。
試合に出ていた面々が口を開かない。
普段のムードメーカー松浦まで無口なので、全体が暗い雰囲気に覆われたままだ。
スタメン組みが無口な中、控えメンバーだけが元気に明るく振舞えるはずも無い。
食事後もメンバーはそれぞればらばらに過ごした。
明日の試合、というものがないということで夜のミーティングもなしだ。
福田は布団に転がって本を読んでいるし、市井も別の部屋で、こちらも読んでいるかはわからないが本を持って横になっている。
松浦は一人で散歩に出かけてしまった。
夜に一人で出かけるなよ、と吉澤は少々心配したりはしているが、気持ちはわからないでも無いので携帯で戻って来いと呼んだりはしない。
さすがにこの雰囲気のままはまずい、と吉澤は仕事が割り振られていずに暇そうな二年生を捕まえて、輪になってトランプを始めた。
あやかも吉澤の感覚を察してそこに混ざる。
空元気。
J三枚とジョーカーでの革命に、3も4も使い切っちまったよ、と大げさに嘆いてみせる。
大貧民吉澤。 

そんなメンバーたちの状況を知ってか知らずか。
中澤は町に飲みに出ていた。
お付は矢口。
生徒ではない、という立場の矢口を中澤は無理に引っ張り出した。
矢口も、一人で行かせない方が良さそうだと思ったのでしぶしぶながら付いてきた。
大人の中澤と19歳の矢口が飲み屋に入る。
もう一人、稲葉もついてきた。
話を聞きたいと宿に来た稲葉に、ええよ、場所変えよ、と連れて来てしまったのだ。

今日の試合の話し、今日以前の今大会の話し、この先、冬までの展望について。
そういうことを聞きたくて稲葉は来たのだが、そんな話は一つも出来なかった。
中ジョッキを2分で空けて、二杯目を3分で空けて、それから冷酒に進んで行った中澤。
ものの十分でまともにチームのことが話せる状況ではなくなっていた。
話を聞くつもりで、付き合い程度に頼んだ中ジョッキがまだ半分以上残っている稲葉と、烏龍茶の矢口は困ったなあ、という顔で酔っ払いを相手にするしかない。 

「やぐち、なあやぐち。あんたにはわからんやろ。選手としてインターハイ出てたようなあんたには。バスケ経験まったく無いのにコーチやってる私の気持ちなんか。なあ。やぐち。やぐち。裕ちゃん慰めてや」
「出てねーよ、インターハイは」
「ああ、わかる。わかるぞやぐち。ああやぐち。うちの嫁にならんかやぐち」
「なんで嫁が必要なんだよ。裕ちゃんが嫁に行けよ」
「やぐち。やぐちまでそうやって裕ちゃんのこといじめるんか。お姉さん、中ジョッキもう一杯」
「日本酒じゃないのかよ」
「まどろっこしいんだよ。女はがーっといかながーっと」

一々相手している矢口のことを、稲葉はある種慈愛の篭った目で見つめる。
この子はなんでここにいるんだ? という疑問は解消されていないが、なんだかどうでもよくなっていた。

「いいかやぐち。生徒に手は上げたらあかん。手だけは上げたらあかん。わかるな」
「そうかもしれないけど、あの場合仕方なかったって」
「わかるなやぐち。無能で役立たずで足引っ張って生徒から同情されて相手に見下されてその上生徒に手を上げる、そんな教師になったらあかんよ。そんな教師は人間失格や。生き物失格や。生命体失格や。地球に生きてたらあかん。月でもあかん。火星でもあかん」
「考えすぎだって。どうやって考えたら月や火星が出て来るんだよ」
「ああ、やぐち。やぐちよやぐち。やぐちは火星人なのか?」
「火星人でも土星人でもなんでもいいよ、もう」

毎週飲み会を重ねているような矢口、人が酔いつぶれる姿を見慣れていないわけではないが、つぶれる方向へ行かず絡む方向へ進むタイプは初めてだ。 

「火星に、火星にバスケはあるか?」
「はいはい。あったらいいね」
「ある? あるのか? そうかあるのか。火星にもインターハイがあるのか?」
「あと1000年くらいしたらそんな時代も来るんじゃないの?」
「1000年。火星は1000年掛けてインターハイやるのか」
「お待たせしました、中ジョッキのおきゃくさまー」
「うち、うち、うちや」
「裕ちゃん、そろそろやめときなって」
「やぐち。やぐちもそうおもうか? 裕ちゃん、コーチ辞めた方がいいって思うか? 教師辞めた方がいいって思うか?」
「辞めるって、その辞めるじゃなくてさ、ってあ、あ、ああ・・・」

中澤は中ジョッキをぐっと掴むと口へ持って行き、そのまま一気に流し込んだ。
矢口が止める間はなく、ただ呆然と見ているしかなかった。
一息に飲み干した中澤はジョッキをどんっと置くと矢口に抱きついた。

「わたしのせいなんだよー。ぜんぶわたしのせいなんだー。まけたのはぜんぶわたしのせいだ。素人コーチだからよー。それは覚悟してたさ。それで生徒たちにお前くびって言われるならそれでもかまわないって思ってたさ。打つでが何もかも向こうが一枚も二枚も何枚も上手で、それは覚悟してたさ。受け入れるさ。でもなあ。ゆうちゃん、暴力教師にだけはならんとこって思ってたんよ、やぐち。ほんまやよ。ほんまに暴力教師にはならんとこって。それが、あややに手あげて。あかん。あかんよ」
「体罰はよくないって言うけど、仕方ないじゃんか。どうしても必要な場面ってあるんだよ」
「やぐちー。ちがうんだよー。やぐちー。教育的指導とかバツとかそういう問題じゃないんだよー。うちは、わたしは、ゆうちゃんは、頭に来たから殴ったんよ。頭に来たから。何にも考えてなんかいかなったんよ。ただ頭に来たからな。頭にきたんよ。やぐちー。裕ちゃん暴力教師になっちゃったよ。やぐちー」 

矢口は中澤が松浦を殴ったという現場は見ていない。
ただ、吉澤から話を聞いただけだ。
中澤は自分に抱き付いて泣いている。
しばらくそのままにさせていた。
嗚咽がやんだな、と感じて体を起こさせようと思ったら逆にずり落ちて行った。
酔いつぶれてか泣きつかれてか眠ってしまったようだ。

「しばらく寝かせとくしかないよ」
「そうですね」

ここまで来てようやく稲葉が助け舟をだす。
酔いつぶれを放っておくというのは矢口にとってもよくあるケースだ。

「しかし、災難ですね。話し聞きに来て本人酔いつぶれて何も聞けないなんて」
「まあ、でも、ある意味本音が聞けたような気もするし。そのまますぐには使えないけど、後々、冬にでも、インターハイの時は負けた夜にコーチは一人で酔いつぶれて、とか書かせてもらうわよ」

矢口と稲葉は事実上初対面だ。
稲葉の方は矢口のことを聖督の関係者として認識はしている。
矢口は稲葉のことを、記者であると今日聞かされて、ああ、なんか顔は何度か見たことあるような気がする、と思った。

「でも、あなたさあ、なんでここにいるの?」

場が落ち着いたので聞いてみる。
矢口はことのあらましを去年の修学旅行にまでさかのぼって話した。 

「ちょっといい話しって感じ」
「そんないいもんじゃないですよ。結局負け犬が傷を舐めあうみたいな感じになってますし」
「そうかなあ。そこのつぶれてるのの介抱はともかく、余所のチームを見てみたいとか残って試合を見て行きたいとか、思ってもなかなか実行できることじゃないし。横のつながりでそういうことが出来るのっていいんじゃないかな」
「そんなもんですかねえ」
「それで、何かヒントは得られたの?」

矢口は何かが掴みたくて松江のメンバーに混ざって大会に残った。
聖督の惨敗の様子は稲葉も見ていた。
そこから何か変われるものはあったのだろうか?

「試合の後の様子が全然違ったんですよね、うちと松江だと」
「どうちがうの? 矢口さんが後藤さんを殴ったとかはなさそうだけど」
「そんなのないですよ。大体、あいつら元気でしたもん。試合終わって。まあ、体力的には疲れてたんだろうけど、その、お葬式な雰囲気なかったし」
「勝ちへの意欲が違ったってこと?」
「そうですね。意欲っていうか、そもそも勝てると思ってなかったんじゃないかなあ。実際、おいら、私も勝てないってかなり思ってた気がするし。松江は本気で勝とうとしてたし勝てると結構思ってたんじゃないかなあ」
「その辺の気持ちから変えないとって思ったの?」
「それがまた難しいんですけど。なんか、あの子ら、あの子らってうちのチームですけど、あの子らはあのままでいいんじゃないかって気もするんですよね」 

「そのままでも勝つ方法はあるってこと?」
「それは無いと思う、思います。でも、勝つことがすべてじゃないって言うか。人それぞれ目指すものってあるじゃないですか。勝つためにすべてを賭けるっていうのも一つのやり方で、それはそれで充実した日々っていうのがあると思うんですよ。だけど、そういうやり方だけじゃなくて、自分たちの出来る範囲で出来ることをやって、頑張って、それで負けたら、あー負けちゃったね悔しいねって笑って話して終われるのもありかなって。笑って話して、でも、これで終わりなんだねって、そこで哀しむっていうか。そういう。なんだろう。勝つことを目指すだけがすべてじゃないって言うのかなあ」
「松江の試合後の様子とか裕ちゃんの酔いつぶれた姿とか見てそう思ったの?」
「別に、これを否定するつもりは無いですけどね。酔いつぶれるのはともかく。今日は負けたけど、もう少し積み上げればこのチームなら富岡に勝てるんじゃないかって思わせてくれるものもあったし。それに、勝つためにすべてを賭けてそれで負けても得られるものって絶対あると思うし。でも、それを全員に求めることは無いのかなって。今日の試合見て、うちのメンバーのことも思い出して、その辺の感覚の違いとか考えると、同じことは出来ないなって思いました」 

東京聖督は女子バスケ部が創部してからは大分長い年月が経つが、まともに強くなった、東京都内の強豪高の一つ、という位置づけになったのは矢口が入ってきてからだ。
それまでは文字通りどこにでもあるチームだった。
練習面での工夫、試合での戦術の工夫、などなどを凝らして強くはなったが、チームの本質としては富岡や滝川とはまったく違うものがある。
今でも定期考査三日前からは部活道停止期間で、それを冬の選抜直前期のような特殊な例を除いては遵守しているし、幽霊部員だって存在する、普通の部活の範疇のチームだ。
松江なんかも、チームが出来て早々はどちらの方向性になるのかははっきりしなかったが、チーム数が少ない地域なのですぐに県の強豪という状態になり、さらに福田らが入ってきた時点でその方向性はほぼ決まったような形になった。

「記者やってさ日本代表レベルから中学まで見てて。幅広くいろいろなものを見てるつもりでも、見えないものってあるんだな」
「なんですか急に」
「いや。日本代表から中学まで見てるけど、でも、私が見てるのは各年代での全国トップレベルだけなんだよね。トップレベルっていうのはピラミッドの頂点で、その下にその何十倍もの選手がいて、そういう人たちがどういう風に活動してるのかっていうのが目に入ってこないしそういうのを忘れがちだなって。矢口さんの話し聞いてて思った。トップレベルだけ見てると、みんなそれぞれの考え方があってその範疇の中でバスケがある。全体のレベルを上げるのにはあまりお勧めしたくないし、後藤さんとか見てるともったいないって感覚はあるけど、矢口さんの言ってることも一理あるんだな、って思った」 

稲葉が、稲葉に限らず専門誌の記者が、県大会二回戦で負けましたというようなチームを取材することは基本的にはありえない。
上の方だけを見ていると、普通の人たちの日々の暮らしの感覚がわからなくなるということはある。

「でも、そう言いつつも、なんか、打つ手なしであきらめで逃げでこんなん言ってるのかななんて自分で思ったりもしますよ」
「その辺は、自分たちで決めるしかないしねえ。ただ、私から見て、聖督はまだ伸びしろあると思うよ。富岡に勝つっていうのは確かに難しいかもしれないけど、でも、後藤さんはかなりスーパーな選手だし、一年生、亀井さんだっけ? とか面白い子もいるし」
「まあ、勝利に命を賭ける方向へ行くとしても、あいつら、規律にはめ込んで統制して、って滝川みたいなのは無理だからなあ」
「ははははは」

あいつら、の前にこの子自体が無理だろうな、と稲葉は思ったけど、ただ笑っただけでそれは言葉にしなかった。

「それで、烏龍茶でいいの?」
「なんですか、唐突に」
「ビールとか飲みたいんじゃないの?」
「いいですって、烏龍茶で」
「無理しなくていいよ。どうせ大学なんかじゃ飲んでるんでしょ」
「私だってアホじゃないですよ。学校の先生が飲み屋で未成年にビール飲ませたってなったらまずいじゃないですか。目の前記者だし。居候させてもらって、そんな変な形で迷惑かけるわけ行かないじゃないですか」
「ふーん、うわさのトラッシュトークと違って、意外に律儀ね。じゃあ、一人で飲ませてもらうわ」

稲葉は店員に二杯目の中ジョッキを頼んだ。 

「聖督が、どんな方向に進んで行くのかは置くとして、試合見てて松江はどう思った?」
「なんか、私がインタビュー受けてるみたいですね」
「一年三百六十五日二十四時間、いついかなる時も取材中なのよ、記者ってものは」
「大変ですね」
「それで、どう思った? 松江は」

店の店員の動きはよく、飲み物が出てくるのは早い。
稲葉の頼んだ中生はすぐに出てきた。
矢口もついでに烏龍茶を頼む。

「強いなって思いましたよ。そりゃあ。ガードはきっちり組み立てる、フォワードは点を取る。インサイドもしっかりしてて」
「それで昨日一昨日は勝てたけど、今日は勝てなかった」
「相手が相手ですからねえ」
「足りなかったのは何?」
「知りませんよそこまで。いろいろ細かいところに差はあったと思いますけど」
「じゃあ、質問変えよう。松江のチームの中で、一個だけ何か気になるなあ、変わって欲しいもしくは伸びて欲しい、みたいなところを上げるとすれば何?」

店員が、お待たせしました、と割って入ってきた。
飲み物は本当にすぐ届く。
矢口の前に烏龍茶が置かれ、空のグラスを下げて行った。 

「なんていうのかなあ。ちょっと本人にも話したんですけどね。私の場合、松江の子たちは、まあ、何人かとはそれなりにちゃんと話すようになってますけど、でも、それでも、やっぱり、よその人っていうか、友達っていう部分はちょっとはできたかもしれないけど外部の人なんですよ。でも、吉澤だけは、最初の何ヶ月かでしか無いんだけど、後輩としてみちゃうんですよね。だから、あの子に一番やっぱり目が行く」
「吉澤さん? へー、そうか。そうだよね。それで、どの辺が不満なの?」
「不満っていうのとはなんか違うような気がするんですけどね」

矢口は烏龍茶に手を伸ばす。
稲葉は何も言わずに先を待った。

「ちょっとなんか、小さくまとまっちゃったかなって感じがあったんですよね」
「へー、そう見るんだ」
「不満ですか?」
「いや、それぞれの見方だから。一番最初を知っている人の貴重な言葉だし。続けて」
「稲葉さん、記者だから、話しにくいなあ」
「気にしないで」
「気になりますよ。余計なこと書かないって誓えます?」
「誓う。誓う。この世のあらゆる神様に誓う」
「薄っぺらい誓いだなあ」

胡散臭そうな顔をして矢口は稲葉の方を見る。
テーブルに置かれた、乾き始めたさしみに箸を伸ばした。
烏龍茶も一口飲む。
それでも稲葉が黙って続きを待っているので、根負けしたように矢口は話し始めた。 

「あの子、あんなに全体のバランス考えて動くような子じゃなかったんですよ。悪く言うと視野が狭い、になるんだけど。自分がうまくなるのに必死で他のことよくわからないって感じで。うちにいた頃なんか、多分、スタメンが誰なのかも頭に入ってなかったんじゃないかなあ。それが転校して、まあ、うちにいる頃からうまくはなるだろうなって思ってたし、修学旅行で来た時に見て、ああやっぱりうまくなってるって思って。そこまでは予想通りだったんだけど、キャプテンになったって聞いて、そこはちょっと驚いたんですよね。でも、まあ、この子なら背中を見せて俺に付いて来いって言うか、私か、私に付いて来いっていうのは向いてるかもしれないなあって。だからキャプテンもありかななんて思ったんですよ。うちの体育館に来た時は不安そうでしたけどね。それでも、ちょっと自信持てばそういうキャプテンになれるだろうなって思ってました。それが今回、チームの中に混ざらせてもらって意外だったんですけど、あの子、いつの間にか調整型のキャプテンって感じになってたんですよね」
「調整型?」
「背中を見せて付いて来い、じゃなくて、さあみんな、考えてることはちょっとずつ違うかもしれないけど同じ方向に歩いて行こうね、みたいな、前を歩いていついてこさせるんじゃなくて、自分が一番後ろでみんなの進路を同じ方向に何とか向かせてるっていう感じで」
「なるほど」 

「中に入って分かりましたけど、個性強いんですよメンバーの。あの子もしっかり個性強いんだけど、それに負けないくらい周りも強い。だから、俺に付いて来いってわけには行かなかったのかなとは思いましたよ」
「攻撃の中心は二年生が担ってたりするしね」
「そう。二年生が中心で三年生が下支えみたいなところがあるチームなんですよ。それでなんでしょうけど、一歩下がった位置に立つみたいな感じになってて。もちろんリーダーシップが無いとかそういうことじゃないんですよ。ただ、本当に良く全体を見てる感じになってたんですよね。見過ぎなくらい全体を見てる」
「そういえば、裕ちゃんが知り合いだからって理由で、松江が弱い時から試合何度か見てたけど、吉澤さん、前と比べて極端にファウルが減ってるのよね。ファウルアウトとか昔は平気でしてたのに、最近はそういうことも無いし。それは単に成長の現われっていう風に私は取ってたんだけど」
「成長だとは思いますよ。無駄に手を出さないからファウルが減るとか、そういう、技術的な成長もちゃんとあるし。成長したから全体をしっかり見るようになったんだとも思う。多分、松江にはそういうキャプテンが必要だったんだと思います。でも、あの子にはもっとがむしゃらな、なんていうんだろう、いのししみたいな、ちょっと無茶な部分を、最初から見てた私は期待しちゃうんですよね」
「それが、小さくまとまっちゃったに?がるんだ」

ちょっと話しすぎてるかもな、と矢口は思いながらもここまで来て止まれない。 

「最後まで五分の一してたんですよね。あのチームには松浦っていう五分の一じゃなくて五分の五になりたがる子がいるから、周りまで自分が自分がをやっちゃうとバランス崩れて崩壊するっていうのは確かにあるんですけど。でも、そういうことを考えて自分を押さえ込んでても、後半には終盤には最後には、きっと、自分が何とかするんだっていうのが見られるんじゃないかなって思ってたんですよ。昨日のミーティング後とか、今日もハーフタイムの時なんかにそういうこと口で言ってたんですけど。でも、最後まで五分の一だった。合理的に考えると決して悪いことじゃないとは思うんですけど、でも、つまんないなって。つまんないっていうか面白く無いって言うか。一緒か。とにかく、なんかその辺がちょっと不満で。枠にはまらないっていうのがあの子の魅力だったんで、それが、うん、小さくまとまっちゃったなって感じで、少しがっかりしたんですよね」
「なるほどねえ。最初から見てるとそうなるのか」 

「稲葉さんはどう見たんですか?」
「松江で四十分間安定したプレイをしてたのは吉澤さん一人だけだった。技術的には石川さんにやっぱり負けてる部分が多かったし、パワーとかゴール下での強さなんかも去年の飯田さんとかと比べるとやっぱりちょっと落ちるけど、でも、この安定感は魅力だなって。あの下支えがあったから松江は後半まで勝負できて、最後はちょっとあれだったけど。松浦さんや福田さん、そういう目立つ二年生だけじゃなくて、吉澤さんの存在って案外大きいんだなって思った」
「安定感。そうですね。それはあったと思う。安定したよっすぃーか。なんか私にとっては違和感ある表現だなあ」
「松江って私は福田さんのチームっていう認識だったのよね。去年、福田さんが入った段階で。松浦さんが伸びてきて、面白い子が出て来たなあとは思ったけど、それも、福田さんあっての松浦さんって感じで」
「あの子はすごいですよね。すごさって意味じゃ、私もガードやってたから、石川是永みたいなそういう人たちよりもあの子のすごさの方がよく分かります」

矢口と福田は対戦した経験は無い。
滝川カップでも見ていなかったのでこの大会が初見だ。
それでもこの三試合で感じるものはかなりあった。 

「ガードって言えば藤本さんとか、滝川の。どう思う? 去年やりあったでしょ?」
「やりあったって。いや、やめてくださいよ、私が出てた試合のことは」
「ああ、うわさのトラッシュトークが藤本さんともいろいろあったのかもしれないけど、その話じゃなくて。藤本さんの印象ってどうなの? 福田さんと比べて」
「そこ比べてどうこう言えるほど私も分かって無いですけど」
「じゃあ、マッチアップするのにどっちがいや?」
「顔が怖いのは藤本さん、っていや、いや、やめて、冗談です冗談です。書かないで」
「書かないってば」
「二人とも私の遥か上ですよ」
「でも、去年、マッチアップとしては藤本さんと結構ちゃんと渡り合ってたと思うよ私は。こんなチームがあったのか、とも思ったし」
「今は知らないですけど、滝川の子は精神的にもろい、うーん、ちょっとちがうな、もろいとか弱いっていうよりも、かっかしやすいとは思いましたよ」
「怒らせたんだ」
「もう時効にしてくださいよ」
「それ判断するのは私じゃないし」
「やり方として汚いのはわかってますけど、弱いものが何とか勝とうとするにはいろいろやらなきゃどうしようもないんですって」
「分かった。分かったから。それは置いておこう。私はそこを責める気は無いから。じゃあ、試合するなら松江と滝川どっちがいや?」

松江トーク、吉澤トークから離れて話題は広がって行く。 

「滝川」

矢口の顔を見て稲葉は声を出して笑う。

「何がおかしいんですか?」
「だって、即答で答えて本当に嫌そうな顔するから」
「そんなの即答ですよ。誰に聞いたってガードやってたら滝川がイヤだって言うに決まってますよ」
「あのディフェンスはいやだよね」
「二度とやりたくない」
「でも途中までは結構いい勝負してたじゃない」
「あんな奇襲は二度は通じないって、富岡さんにも教えていただきましたし。二度と結構ですって感じですよ」
「じゃあ、中村と滝川だとどう?」

また別の名前が出てきて矢口は少し考えた。
手元の烏龍茶に手を伸ばす。

「あの辺の、ちょー強いチームのなかじゃ、中村だけはうちがやっても勝ち目あるかもしれないなって思うんですよね」
「へー。なんで?」
「スーパーエース一人のチームじゃないですか。もちろん、周りもしっかりしたレベルのチームですよ。でも、やっぱり四番のチームで。うちには後藤がいる。今の後藤と今の是永さん比べたら是永さんのがはっきり上だと思いますよ。でも、後藤はなんていうか底が知れないから。ああいうのと当たったらその一つ前なにか目覚めるような、そんな気もするんですよね。それである程度互角にやりあってもらえば、ほかは攻撃力っていう意味ではそれほどないから。うちが後藤抜きでボックスディフェンスを破れるかっていうと、難しいかもしれないけど、その辺は、外から打って入ってもらうのを期待して。いろいろ期待しすぎだけど、こうやってうまく行けば勝てるっていう絵があのチーム相手には描けるんですよ」 

東京聖督が中村学院に当たりそうな位置に入ったことは無い。
だけど、矢口は立場的に性格的に、よその試合を見るときも、自分たちが試合するならこうかな、というのをイメージしながら見る部分がある。
今日の準々決勝を見ていて、そんなようなことを考えていた。

「そっか。言われて見れば聖督は中村学院と同じタイプのチームなのかな」
「うちはあんなしっかりしたボックスゾーンとか出来ないですけどね」
「しっかりしたゾーン出来ないのに富岡にトライアングルツー仕掛けたの?」
「初戦ならもうちょっと準備積んでましたよ。でも、二回戦だったからそこまで準備できなかったんですって」
「完全に後藤さん頼りのチームを作ろうっていう発想は無いの?」
「それじゃ面白くないじゃないですか。それに、難しいんですよね・・・」
「なにが?」
「後藤が。あの子、うますぎるんですよ。もちろんうちのレベルでですけど。なんか後藤に一番申し訳ないなって思うんですよね」
「だから何が?」
「もっとちゃんと強いチームにいればあの子を育てられるような指導者がいるんだろうなって思うんですよ。でも、私じゃそれはできなくて。まだ、加護ちゃん亀ちゃん、一年のガードですけど、あの辺ならポジション一緒だし、自分が出てた頃をあの子たち見てないから、自分を棚に上げて理想像を偉そうに教え込むことも出来るんですけど、後藤はポジションは違うし、もう、教えようが無いんですよ、私じゃ」
「それは難しい問題よね、確かに。その辺は松江も同じなのかなあ。松浦さんはまだ福田さんを見ながら、まあ、ポジション一緒ってわけじゃないけど、ある程度近い部分もあって育ってこられたけど、吉澤さんやあやかさんは手本がいないし教えてくれる人もいないし。身体能力が高いからあそこまで指導者なしでも育ってきたし、比較的身近なところで飯田さんあたりを意識しながらやっては来たみたいだけど、あの辺のレベルまで来るとそれ以上は独力じゃ難しいだろうからなあ。もう少し、しっかりした指導者につく機会がもてればいいんだろうけど」 

稲葉は眠りこけている中澤の方に視線をやった。
指導者っぽくなってきたとはいっても、元々初心者で創部四年目だ。
戦術的面の取り決めくらいは机上の学問プラスいくらかの実地でそれなりに格好は付くようになったけど、センタープレイヤーがここから先どんな練習を何を考えながらして行けば良いか、などと言うことの指導はまだまだ不可能な領域だ。

「松江は松江ですけど、うちはうちで。やっぱ、私も責任感じるんですよね、そういう部分では。まあ、顧問の先生、に任せておくよりはましだろうとは思うんですけど。でも、私がやってる限り、後藤の潜在能力は殺しちゃってるんだろうなっていう」
「チームとしての、今年のチームでどうこうっていうのはまああるとして、それとは別に、矢口さんの将来で考えることは無いの?」
「なんですか? 将来って。結婚とか?」
「そういう将来じゃなくて。本気で指導者やってみるとか」
「どうやってなるんですか? 今の立場なんてホントたまたまだし。大学卒業して、働きながらとか、そんなのありえないですよ。まあ、大学時代は卒業した高校のコーチやってました、なんて言うと就活アピールには、サークルの幹事をとかより強いとは思いますけど。せいぜいそれくらいの時期までじゃないですか? 大体、頼まれたのは後藤にであって学校からじゃないから今年一杯で終わりですよ、たぶん」
「先生になればいいじゃない」
「はぁ? 先生? おいらがー?」

予想外で驚いて、言葉遣いが崩れた。 

「そんなに驚かなくてもいいじゃない。そこの寝てるのだって先生になったから顧問になってこんなことになっちゃってるんだし」
「コーチはまだしも先生はありえないですよ。だって先生ですよ。何教えるんですか」
「それは知らないけど。今の専攻に合わせる感じで教職とって」
「教職? そういえばなんかあったなそういうカリキュラム。何の先生になるのかしらないけど」
「あるなら取ってみればいいじゃない」
「下期から? ありえないですって。ないないない。矢口先生? うわっ、なんかきもちわる。やっぱないですよ。さすがに先生はもうちょっとちゃんとした人がならないと」
「そうかなあ。結構いけると思うけど。まあいいや」

どこまで本気で稲葉が言ったのかはわからないが、それ以上は踏み込まなかった。

「ベスト4揃ったけど。どこ優勝すると思う?」
「なんか私専門家みたいな扱い受けてません?」
「専門家でしょ」
「どこがですか。まあ、裕ちゃん寝ちゃったし、話し相手としてはちょうどいいのかもしれないですけど」
「そんなんじゃないって。本当に。高校出たばっかりであれだけしっかりコーチやって、采配振るって。専門家って言えると思うよ」
「記者さんって、そうやって選手とか監督とかおだてて、いろいろと口を滑らせさせてるんですか?」
「何を言ってるの。一杯飲む?」
「だからいいですって」

稲葉が飲みかけの中ジョッキを渡す素振りを見せたが、矢口は嫌そうな顔をして烏龍茶に手を伸ばした。 

「それで、どう思う? どこ優勝すると思う? 興味本位で」
「当たったらなんかくれます?」
「じゃあ、強豪校に大学生コーチっていうミニコラムを書いて主人公にしてあげよう。載せられるかはわからないけど」
「本気で言ってます?」
「テーマとしては面白いから。ネタ候補の一つにはしておくよ。で、どこが優勝すると思う?」

どこまで本気で言ってるんだか、と矢口は思ったが、それでも真剣に考えてから答えた。

「滝川」
「へー。そうなるんだ」
「なんですかその、バカにした感じ」
「いやいやいや。意外だったから。自分たちがやられて、今日松江も負けちゃったから富岡って答えるかなって思ったんだけどね」
「富岡は強いですよ。そりゃあ。でも、私から見て滝川は強いを通り越して恐ろしい」
「そこまで評価高いんだ」
「去年、実際にやってみて、前半だけで死ぬかと思いましたよ。実際後半死にましたし。今日見たら去年のチームよりディフェンス強くなってるじゃないですか。あれ相手に無事でいられるチームなんてあるのか? って感じですよ」
「でも、是永さんクラスならそれでも点を取ってこれるんじゃない?」
「どうかなあ。うーん、是永さんの力って私ちゃんと見たことないんですよね。今日見たくらいで」

矢口からみて中村学院、是永美記は接点の無い遠い相手だ。
四十分通して試合を見たのも今日が初めてである。 

「私さあ、滝川ってオフェンスに問題があると思ってるんだよね」
「ああ、言われてみると、確かにそっちの方はあんまり目だってなかったですね。昨日とかもそうだったんですか?」
「うん。相手を崩して点を取るっていうのがあまり出来てないし。個人技で点を取るっていうのもそれほど強力なわけでもないし」
「でも、あれだけディフェンス強かったらたいした問題じゃなくないですか? オフェンスだって是永さんとか富岡よりも落ちるっていうくらいで、比べちゃ悪いかもしれないですけど、うちなんかと比べたらよっぽど強くないですか?」
「そうでもないなって思うんだよね。確かに、みんな満遍なく駒は揃ってるんだけど柱となるエースがいない。ゴール下もそれほど支配力があるわけじゃない。外もないわけじゃないけど際立ってすごいというわけでもない」
「そうですかねえ」
「藤本さんとか、もっと外から打てばいいと思うんだよね。シュート力はあるんだし」
「センターの一年生の子とか面白くないですか? フックシュートの」
「あれって、確かに面白いんだけど、でも、ひ弱さのあらわれのような気もするんだよね」
「フェイドアウェーは逃げか技術か? みたいなのの一種ですか? フックシュートは逃げか? 技術か?」
「技術だと思うよ。でも、ゴール下の弱さから生まれた技術のような気がするのよね。だからゴール下の競り合いに弱い。ディフェンスリバウンドは何とか取ってるけど、オフェンスリバウンドを奪いに行くほどの強さは無い」
「今日見ただけじゃそこまでは感じなかったなあ」
「相手がまだ良かったから。出だしにさりげなくマッチアップ替えてたけど、あれあのままだったら結構やばかったと思うよ」

みうなはまだ、強力なセンター相手に真価を問われる、という場面に遭遇していない。 

「ディフェンスも不安があるってことですか?」
「全体的には強いと思うよ。ただ、ディフェンスで穴があるとしたらそこかなって。そしてオフェンス力が決定的に欠けている」
「だから富岡には勝てないってことですか?」
「ううん。私はその前に明日勝てないんじゃないかって思ってる」
「ああ、確かにここまでの相手とは違いますからねえ。でも、そうそうやられると思えないけどなあ。うーん、でも中村学院だし。強いか。難しいですよ。稲葉さんはどこが優勝すると思ってるんですか?」
「そんなのわからないわよ」
「ずるいですよ、聞くだけ聞いてそれは」
「いや、決勝は去年と同じ二チームが残ってくるんじゃないかって思うのよね。で、どっちが勝つか? 富岡も去年のチームと比べるとちょっと駒が落ちる感じがあるし。中村も同じかなあ。そうすると、石川さんの成長分と是永さんの成長分、どちらが上かってとこかな」
「もしその二つなら富岡勝ちじゃないですか? 石川是永比較はわかんないですけど、富岡の七番。あれ、去年とレベル違いましたよ」
「ああ、高橋さん。そうね、うん。復調してきた柴田さんも含めて、真ん中三人で点を取っていけば富岡の方が強いかな。ただ、精神面でどうかってあるよね。仮に石川さんが是永さんに完全に押さえ込まれたとき。エースが押さえ込まれるってやっぱりチームの雰囲気にかなり影響するし、その中で、自分が何とかしないといけないっていうところで、高橋さんがその重圧を超えて何とかできるか?」
「あの子も一年前は分かりやすい子だったからなあ」
「怒らせたんだ」
「いや、もう、時効です時効。私のことは忘れてください」
「そっか。だから高橋さん、聖督戦のあとやたら喜んでるように見えたんだ。初戦勝っただけの段階にしては珍しいなって思ってたけど。あの子が成長したのは矢口さんのおかげかもよ」
「なんかわたし、いつか背中から刺されるんじゃないかって気がしてきました」

苦虫を噛み潰したような顔をして矢口がそういうので、稲葉はまた、声を上げて笑った。 

酔いつぶれた中澤の存在を余所に二人の話は続く。
年は多少離れているが、矢口はもう、高校生側ではなくこちら側の人間になっている。
年下と混ざってバカやってるのも似合うが、年上と混ざっても違和感なく、気にいられるように振舞うことには長けていた。

「おい、裕子、起きろ。起きろって」

肩を揺さぶって、次にほっぺたをたたく。
何とか目は覚ました。

「帰るよ。まったく、よっすぃーたちに会ったらどうすんだよこんなになっちゃって」
「まあ、先生のこういう弱い姿を見ておくのもいいんじゃない?」
「もうちょっと強い人かと思ったんだけどなあ」
「そっかあ。矢口さん、裕ちゃんとは三日くらいしかまだまともに付き合いないのよね」
「付き合い浅いのに介抱させて。こういう無防備女は危ういんだよなあ」
「大学で学んだこと?」
「そうとも言います」
「あなた面白いわよね。いろんな意味で。なんかもう、今日初めて話をしたような気がしないわ」
「あー、もう、寝るな。起きろ起きろ起きろ。いいからとにかく立て」

矢口は中澤を引っ張り起こす。
テーブル席の外まで何とか矢口が引きずり出して、そこからは稲葉も反対側を支えた。 

「あ、稲葉さん、ごちになります」
「いいえ、どういたしまして。まあ、あなたはいいけど、裕ちゃんまでおごるつもりは無かったんだけどな」
「その分、記事でネタにし放題ですよ」
「その為にはこの口からしゃべらせないといけないんだけどね。この口から」

稲葉は引きずりながら逆の手で中澤のあごをぽんぽんと叩いた。

二人でタクシーを拾い宿まで中澤を連れて行く。
タクシー代も稲葉持ちだ。
宿では部屋まで生徒たちに会うことなく連れて行くことは出来た。

「じゃ、あとはよろしく」
「おつかれさまでした」
「おつかれ。ごゆっくり」
「ごゆっくりってなんすか!」

稲葉はいたずらっぽい顔を見せて部屋を出て行った。

翌日、松江のメンバー達は準決勝は見ることなく帰って行った。
中澤は、昨日の迷惑料ということでか、矢口の分の差額部屋代も自分で払った。
矢口は、二日間の無賃宿泊に成功した。 

 

準決勝。
昨日はほぼ正攻法で向かってきた松江を最後は力でねじ伏せた富岡。
今日は、対富岡を大会前から準備してきた相手と対することになった。
3−2ゾーンディフェンス。
マンマークで石川初め真ん中の三人を抑えるのは難しい、と見た相手はゾーンでその攻撃力を抑えようと試みてきた。

3−2ゾーンは、矢口が二回戦でしたようなトライアングルツーなどの変則ゾーンとは違う。
2−3や1−3−1と並んで、普通に選択肢として上ってくる形だ。

富岡は序盤、このゾーンを崩せなかった。
上に三枚ディフェンスがいるので、高い位置からのスリーポイントは打ちにくい。
かといって、中、中、と勝負するとゾーンが狭くなっていってそのうち塞がれる。
最初に狙ったのはコーナーからのスリーポイントだった。

これがなかなか入らない。
シュートは水物。
よく言われることだが、それを感じさせられる場面。
高橋、柴田のコーナーからのシュートがことごとく入らない。

第一ピリオドは10−9と1点のリード。
守り合い、というのとはちょっと違い、シュートがただ入らないという少々締まらない感じ。 

第二ピリオドも同じことを繰り返した。
今日はシュートが入らない、そう見た相手がコーナーは打たせるけど中には入れさせない、というのを徹底する方針を採ってきた。
その為、打たせてはもらえる。
しかし入らない。
そのままその流れになってしまうとまずいところなのだが、そこは全体でフォローした。
シュートが入らなくてもリバウンドを取る。
道重はもちろんだが、全員でリバウンドを取りに行く。
リバウンドを拾ってそのままシュート、あるいはもう一度上まで戻して組み立てなおし。
そういった形で何とか得点にまで持って行く。

ディフェンスはしっかり頑張った。
点が取れない時は点を取らせないことが大事。
これもまたメンバー一同分かっている。
外から個人技一対一で突破、というのが出来るような相手ではない。
ただ、道重のところでしっかりと勝負されるとそこはさすがに苦しい。
センターのところだけ抑え切れず、追撃は許している状況ではあるが、全体的には優位に試合を進めて行く。
前半終わって29−22とリードを広げる。 

後半に入ると試合がはっきり動いた。
和田コーチの指示は前半と同じように攻めろ。
さすがに本数打っているとこのレベルのシューターなら入ってくる。
コーナーからの柴田のスリーポイント、さらに次のオフェンスでは逆サイドから石川のスリーポイントが決まる。
これでディフェンスが広がりがちになったところに高橋が飛び込んで、上、田中からのキラーパス一本でランニングシュートを決める。
不思議なもので点が入る流れになると試合全体がアグレッシブになり、相手の得点率も上がったりして一気に差が開くということは無かったが、常に優勢に試合を進めた。
第三ピリオド終わって60−43

最終ピリオド、ちょっとした暗雲が流れたのが二分過ぎの田中の連続ファウル。
一対一はしてこない、と思っていた相手に突破を試みられて思わず手が出た。
二回連続で二度。

「きつくなってきても足で追え足で」

和田コーチのお小言。
ファウル四つになった田中はベンチに下げられる。

そんなことはあったが大きな痛手とはならず、後は最後までしっかりと時間を使いきった。
77−59
まず、富岡が決勝進出を決めた。 

「見た目ほど簡単な試合ではなかったと思います」

試合後の和田コーチの言葉。

「勝因はリバウンドを、オフェンスリバウンド含めてしっかり取れたことと、苦しい場面でディフェンスが頑張ったこと。シュートは打たせてもらえていたので、そのうち入るとは思っていました。ただ、それまでに離されてしまうと苦しいなとは思っていて、とにかく足を動かせと。ディフェンスはしっかりついていって簡単なシュートは打たせないこと、これを徹底させました。そのせいで多少ディフェンスに意識が行き過ぎてオフェンスが雑になっていた部分もありますが、結果的にはあそこでリードされなかったことが大きかったと思います」

元々ディフェンス重視なチームというわけでは無いけれど、この程度はいつでも出来る、という自負も和田コーチには多少ある。

「明日はどちらが来るにしても難しい試合になると思います。中村さんはやはり是永さんが脅威ですしボックスディフェンス、もしかしたらアレンジもあるかもしれませんが、周りのメンバーも堅いですし。滝川さんが来たら、とにかくあのディフェンスは厳しい。我々としては、どちらが相手になるとしても、自分たちよりも強い相手、という認識で、挑戦者の意識で向かって行きたいと思います」

途中でてこずりながらも、最後にはセイフティリードまで広げて、富岡は決勝まで勝ちあがって行った。 

チャンピオンへの挑戦権を掴むのは中村学院か滝川山の手か。
中村学院のスーパーエース是永美記を、滝川山の手のディフェンス力が抑え込むことが出来るか?
試合の注目ポイントはそことされている。

「里田。今日、お前の力が問われている。分かるな?」
「はい」
「個人の力としてはあれはこの世代のナンバーワンだろう。評価は分かれているようだけど、私は富岡の石川よりも上だと思っている。アメリカに行きたい、なんてことを口走っている記事を見たような記憶があるが、私から見てそれは特に違和感を感じない発言だった。向こうで通用しても特に驚くようなことではないだろう。今日のお前の相手はそういう相手だ」
「はい」
「負担か?」
「いえ」
「四十分間あの四番と戦え。四十分間、常に向かい合っていろ。相手が相手だ、お前が圧倒的に勝つということはないだろう。むしろ圧倒的にやられる可能性はある。それでもその状況に向かい合え。逃げるな。自分で打開することを考えろ。お前が四番との戦いをやめない限り、私は四十分間お前を代えない」
「はい」
「やり方は任せる。普通でいいと思うが、フェイスで付きたいと思ったらついてもいい。パスが入るのを防ぐか、持たせてからの突破を抑えるか、外のシュートはどうするのか。まずは自分で判断してやれ。自分がやりやすいやり方でいい。場面場面、点差や展開見ながら指示することもあるかもしれないけど、まずは自分の感覚でやってみろ」

試合直前のベンチミーティング。
是永美記には里田を当てた。
石黒は他の選択肢はまったく考えなかった。
是永のマークは里田以外ありえない。 

「まわり、当たり前のことは当たり前にやれよ。抜かれたら後ろがカバー、カバーに動いたらローテーションで穴を埋める。それを意識しながらも、当然自分のマッチアップを頭からは外さない。里田以外のメンバーはいつもと同じ。適宜替えるから。足を惜しむな」

石黒から出るのはいつも通り、ディフェンスに関する指示だけである。
是永以外の相手は、普通の相手、という位置づけで対処させた。

「出だし、向こうのディフェンス見てからだけど、美貴にマッチアップ来るようならオフェンス、インサイド中心ね。まいに行くようなら外。それかまいが外に掃けたところで中に切れ込む感じで」

石黒が指示を出さないので藤本がオフェンス面の指示を出す。
是永が誰のマークに付くのかはこの段階ではまだ滝川サイドではわからないことである。

「しっかりいつも通りやれば勝てるから。多少リードされても最後にはひっくり返せる。足動かして、四十分集中していこう」

藤本の激で締めて、滝川のメンバーはコートに上がって行った。 

今日が山場だ、と里田は大会前から思っていた。
ここに来るまでの間に、桜華のソニンとか手ごわい相手がいないではなかった。
もう一つ先へ進めば待っているのは石川だ。
だけど、それよりも、ここで当たる是永が里田の頭にはずっとあった。
富岡は石川だけのチームじゃない。
もちろん、最後の最後は石川にボールが集まるというぶぶんもあるだろうけれど、それが四十分続くチームではない。
中村学院は違う。
四十分是永美記にボールが集まるチームだ。
石黒に言われた。
今日、お前の力が問われている、と。
言われるまでも無く分かっていた。
今日、自分の力が問われることになる。
自信は、あまりなかった。
一昨日のソニンの時も、一人では止め切れていなかったというのが自己採点だ。
是永はそのさらに上。
里田でも、その簡単な不等号の式はわかる。
相手の方が自分よりも張るかに上だ。
だけど、もう一つのことも分かっていた。

それでもやるしかない。

無い頭使って出した単純な結論。
やれるだけやるしかない。

コート中央、視線の先には是永が映っていた。 

ジャンプボール。
里田はサークルに入るが是永は入らない。
是永が捕まえたのはみうな。
これは自分のマークだろうな、と里田は思った。
藤本マークならこの時点で藤本に付く。
さすがに、みうなマークという線は薄いだろう。
ジャンプボールが終われば、後は四十分、オフェンス、ディフェンス関わらず、是永美記と向かい合うことになる。
自分が下げられさえしなければ、だ。

レフリーが踏み込んでトスアップする。
ジャンプした里田がボールコントロールし藤本に落とした。
中村学院はさっと引いてゾーンを作る。
一人余る是永は里田まいを捕まえた。

ちっ、と舌打ちした藤本。
里田の耳に入る。
とりあえずエース扱いはしていただけたらしい。
オフェンスはあまりどうするか考えてないんだよな、と冷静に思いながらゴール下方面へ向かう。
なんか広いな、と思っているとトップの藤本が声を上げた。

「ダイヤモンド! ダイヤモンドだよ!」

中村学院ディフェンスが、ボックスワンではなくてダイヤモンドワン、らしい。
昨年、選抜の決勝で富岡相手に途中から敷いた陣形。
名前そのまま、ダイヤモンド型、あるいはひし形に四人を配置したゾーンである。
ボックスならゴール近辺に二人いるが、ダイヤモンドの場合はゴール下一人である。
里田は是永が抑える、みうなは一枚で十分、後の三枚が外からのシュートを抑える。
そういう意思は滝川のメンバーはそれぞれ感じ取った。 

里田はゴール下に入る。
外から勝負はまったく出来ないわけではないが、ゴール下が広いのでそちらを自然と選んだ。
是永はパスコースを抑える構え。
滝川オフェンスは外でボールを回した。
様子見、という雰囲気を漂わせつつ、適宜人とボールが動く。
最初のオフェンスの選択しとして、ここはみうなを選んだ。
やや外に開いたところでボールを受けてターンしディフェンスと正対。
フックシュートを打つには距離が遠い。
ドリブル一対一を試みてジャンプシュートを放ったが短く外れた。

ディフェンスの戻りはさすがに早い。
簡単に相手に速攻を許すようなチームではない。
出だしから滝川のディフェンスは厳しい。
中村学院はゆっくり持ち上がってセットオフェンスと行きたいところであるが、ガード陣が前から捕まえてくるのでそれも出来ない。
神経を使ってボールを運び、落ち着かない状態でセットオフェンス。 

里田はしっかり是永についた。
ゴール下に入ってこようとすればそれは抑えて入れさせない。
外に開いている分には無理に抑えに行かずボールは持たせる。
そういう方針で入ることにしていた。

是永は最初、右0度に開いていた。
里田はボールの位置を意識しつつ構えは是永の方を向いている。
是永は全体を眺めた後ゴール下へ入って行こうという素振りを見せた。
これはさせない、というのが里田の方針。
体を張ってコースを塞ぎそれでも入ってこようとする是永をエンドラインの外側まで追い出す。
是永は外を回って逆サイドへ抜けた。
そこまでは追って行かない。

トップから下りてきたボールを是永が受ける。
里田は腰を低く、やや半身の構えでストロングサイド、コート中央側に厚みを持たせて向き合う。
是永はまずシュートの構えを取った。
フェイク。
里田は反応しない。
もう一度シュートの構えを入れてから右手でエンド寄りへドリブル。
自分の体とエンドラインとで是永を挟み込む。
そういう意思でコースを切ろうとしたが是永はワンドリブルで止めてジャンプした。
里田はそれを見送る。
遅れたのはブロックに飛ぶのは無駄、と判断し飛ばずにそのままスクリーンアウト。
0度よりもさらに角度の無い位置、少しでもシュートの軌道がずれればバックボードに横からあたってしまう、という視覚的プレッシャーを感じながらのシュート。
この難しい位置からのジャンプシュートが決まった。 

仕方ない。
里田はそう思った。
全部抑えるのは無理だ。
それはやる前から分かりきっている。
相手が是永でなくたって、通常一試合に50点から100点入るバスケットボールというゲームで、すべてを抑えるというのは無理なのだ。
難しいシュートを決められたことを重大視してそこまで押さえ込もうとしても無理である。
気にしない、気にしない。
そう言いきかせて走る。

滝川オフェンスは立ち上がり、中村学院のダイヤモンドワンを破れなかった。
是永が里田に付いてきたら外からメインで。
それがゲーム前の約束事だったが、その前提はボックスワンを組んでくるというものだ。
相手のスタイルが違うのでそのまま適用するのは意味が無い。
それは藤本にとって当たり前のことだったが、他のメンバーにとってはそうではなかった。
相手の四番が里田さんについているんだから勝負は外から。
そう思っているみうなにとっては、なんで私にボールが集まる? という感じだし、麻美は打たなきゃ、打たなきゃと思いつつ、試合前の想定より余裕が無い。
里田は、そんな約束事がどうだろうと、その前に是永相手にいい状態でボールを受ける、ということが出来ていないのでオフェンスの核になれない。
立ち上がり五分で滝川が取れた得点は、藤本の長めのジャンプシュート一本と、みうなが受けたファウルから決めた二本のフリースローの四点だけ。 

中村学院はやはり是永がオフェンスの核だった。
周りがボール回しに苦労しているが、是永に入れば強い。
是永がゴール下勝負より外の方が良さそうだとの判断で外に開いてボールを受けていた。
里田は外でボールを受ける部分は自由にさせている。
そこからの一対一。
抜き去られてゴールしたまで来て簡単なシュートを決められる、というシーンはなかった。
まだ一つも1on1で突破されてはいない。
しかし、長い距離のジャンプシュートが入るのだ。
ブロックに飛ばないので距離は長いが空中でフリー、という状態でのシュートになる。
五本打って四本決めた。
序盤の中村学院の得点はすべて是永のもの。
8−4
中村学院四点リードで前半五分過ぎ、滝川がタイムアウトを取った。 

「どうする里田? 今のまま行くのか?」

戻ってきたメンバーに石黒コーチが問いかける。
大雑把な問いだが、里田は何を言われているのか分かる。

「外でボール持たせすぎかなって思います。もうちょっとタイトに当たっていこうと思います」
「そうだな。あれを相手に一つも抜かれていないというのはいいことなんだけど、その分シュートを自由に打たせすぎてる。あのレベルが自由にシュート打ったらそれなりに入るだろ。抜かれても後ろでカバーすることはある程度可能だ。だけど、シュートを打たれたらそれはもう落ちてくるのを待つしかない。難しい体勢でシュートを打たせるっていうのはもちろん一つの立派なやり方なんだけど、難しいのレベルは人によって違うからな。もっとタイトについていいし、ボール持たせないくらいの勢いでもいいかもしれないな。その代わり、周り。今までとは違う動きが必要だからな」
「タイトに付くから抜かれるの前提くらいのつもりで後ろはいて。中に入れないのは今まで通りの方針で行くから」
「直接のカバーも当然だけど、捌きもあるからな。全体でフォローな」

そこまで行って石黒は下がった。
後は任せる。
石黒が下がって口を開いたのは藤本だった。 

「オフェンスさあ、なんかばらばらだよ。向こうのディフェンスが最初のイメージと違うんだからそれにちゃんと合わせてオフェンスしろよ。中が広いんだから中でもっと勝負。みうな、おまえ鍵だからな。あと、外から打つならコーナーだろ。それと一対一もあり」
「私、外目にいるよ。四番引っ張り出して中あけるから、外からも飛び込んでみて」

指示が無いからオフェンスは藤本が仕切る。
里田もそれに合わせる。
四番に圧倒されて冷静さを失う、というような状態にはなっていない。

「ディフェンス、足動かして。周りも四番に簡単に入れさせないようにしよう。それに、四番へっていうのがみえみえなんだから、関係ないところからもスティール狙っていこう」

ディフェンスは、とにかく四番をどうするか、しか考えていない。

タイムアウトがあける。 

滝川のオフェンスで再開。
タイムアウトの時、自分は外にはける、みたいな言い方をしたが、それは自分が言っていいセリフだったのだろうか、と里田は考えていた。
四番を引っ張り出して中を広くしてみうなで勝負。
ありえる戦術だし、それを先生が言ってもいいし、美貴が言ってもいいと思う。
でも、自分が言っていいんだろうか?

向かい合っている相手が一番レベルが高いのは明らかに自分だ。
自分だけしっかりマンマークで付かれていて他はゾーン。
ゾーンの各場所の選手、それぞれの力量を取ってもこの四番にはかなわない。
この四番を相手にして点を取ることが一番難しい。

だけど、自分はそれをしないといけない立場なんじゃないか、とも思う。
先生は四十分間向き合え、と言っていた。
昨日、明日は里田が何とかするでしょう、とも言っていたらしい。
相手がどうあれ、それでも点を取るのが自分の役割なんじゃなかろうか。
そう考えた場合、自分が外に開いてスペースをあける、というやり方はありなんだろうか? 

そんなことを考えていたが、実際の動きとしては外に開いてスペースを作るということをしていた。
直前にそういう約束事を決めておいて、いきなりそれを破る、は里田にはありえない。
是永は、里田が外に出た場合はぴったり張り付くというほどの付き方はしないがそれでも付いてくる。
里田が是永相手に序盤に取ったやり方を同じものだ。

その空いたスペースに駆け込んだ麻美に藤本がいい形でパスを入れる。
ゴール下のディフェンスが抑えに掛かるが、そこはパスで捌いて逆サイド、踏み込んできたみうなに落としてゴール下のシュートを決めた。

オフェンスも問題だがディフェンスもやはり問題だ。
ここは里田に自分の役割に迷いは無い。
四番を止めること。
今日は、周りのカバーまで考える必要はまったく無い、と思っている。
ただ、やり方に付いての迷いはつきまとった。
タイトに付いてみよう、と思ってそれを選んだが、それでもダメだったらどうしよう、という不安はある。 

ボールの位置、是永の位置、ゴールの位置。
その三つの関係を常に意識しながらマークに付く。
外に出ている場合でもボールのある側に体を入れて直接是永へパスが入らないようにする。
そういった立ち方への意識を強めると、是永がその気になればゴール下へ入ってこよう、という動きについては止めることは出来ない。
そこはある程度許容することにした。
外でも中でも動きたい場所へ動くことは許す。
その代わり、パスコースを塞ぐ。
ゴール下に入られた時にボールもうまい具合に動かれるとパスコースに入れていない、というつらい状況になることもあるが、そこは基本的には混んでいる場所なはずなので、里田以外のディフェンスの存在も使うことにする。
とにかくなるべく是永にパスを入れない。

ボールも是永も両方動くので、実際には簡単なことではない。
それでも、何とか十分な体勢でボールを受ける、という状況は作られないようになった。
ゴールに近いところではボールを持たせない。
うまく面を取って外に開かれるとパスが回ってくるが、それでも後ろへの動きの中でボールを受けるので、そのままあっさり抜かれる、ということは無い。

外でボールを持たれたときの対処。
先ほどよりも近い位置に立つ。
それだけでそのままシュート、というのは難しくさせる。
ドリブル突破はとにかくコースを狭めることだけを考えた。
止める、ということまでは望まない。
コースを制限する。
向かう場所が決まってさえいれば、あとは後ろのディフェンスがカバーに入って囲む形になる。 

それでも是永はうまかった。
囲まれる直前にしっかりボールを捌く。
是永の方も相手の力量は測っているのだろう。
昨日までだったら二人くらいまでなら自分で行ってしまう、というところもあったが、滝川のディフェンス陣相手にそれは通用しにくいと感じているようだ。
周りのメンバーも、是永が捌いたボールをゴールに繋げる、という練習はしっかり積んでいる。
是永に里田にプラスした二人目が向かった瞬間、残りの四人のどこか一人はあくのだ。
そこをカバーするうまさを当然滝川は備えているが、空いた瞬間をしっかり生かすうまさも中村学院にはある。
すべてゴールにつなげられる、というわけではないが、すべてつぶされる、ということはない。

一クォーターの残り時間でその形で中村学院がゴールまで繋げたのは二本だった。
ただ、滝川の方もタイムアウト明けに藤本−麻美−みうな、と繋いで決めたの以外ではみうながフリースローレーンから少し中に入った位置で前後囲まれながら決めたフックシュートと、自分で圧力かけて相手がぽろっとこぼしたボールを拾い上げた藤本のワンマン速攻の二本のみで、リードを奪って行く展開にはならなかった。

第一ピリオドは14−12 中村学院の二点リード。 

第二ピリオド、滝川はみうなを下げて休ませた。
このあたりは人こそ特定ではないが、第二ピリオドに入ったあたりでスタメンを下げて休ませる、というのはいつものこと。

里田はある程度の手ごたえは感じていた。
自分一人で四番は止められない。
だけど、五人がかりでなら止められる。
自分がやるべきことは是永にシュート以外の選択肢を取らせること。
シュートよりドリブルさせた方がましだし、周りのメンバーを使ってでもシュートまで持っていかせずパスを出させた方がましだ。
捌いた後のボールは周りがきっと何とかする。

ただ、それはそれとして、ここまで零点はまずいよな、とも思った。
こちらは手ごたえなんか何も無い。
ほとんどボールも持たせてもらえない。
ボールが持てるのは外まで開いて出た時だけで、それは自分のシュートレンジから外れた場所。
点を取るどころかシュートの一本も打っていないのだ。

ただ、今はそんなことを考えている状況ではなかった。
自分の仕事は是永美記を封じること。
一人じゃなくてもいいから周りを頼ってもいいから是永美記を封じること。
点を取ることはその後で考えればいいことだ。 

第二ピリオドに入って是永のスタイルが変わった。
第一ピリオドは外から勝負がメインだったのだが、うちに入ってくることが多い。
里田が体を張っているのでゴール下に駆け込まれて簡単にシュート、という場面はないし、いいポジションを最初から抑えられるということも無い。
是永に出来るのは、多少苦しい体制でも、里田を背負って面を取って外からボールを受ける。という形だけだ。
こうなった場合は外からも挟みに来る、というのが滝川のディフェンスの約束事。
外、中に囲まれるまでの一瞬での勝負を是永は余儀なくされる。

是永としても昨日までの相手のようにボールを持てば勝ち、というわけには行かなかった。
里田のディフェンスはしっかり強いし、周りのカバーも早い。
余裕を持ってのオフェンス、という場面が無い。
それでも自分で打開して行く。
エースの自覚がどうたらこうたら、というような段階は是永はとっくに卒業している。
もう、無意識のレベルですべてを背負っているのだ。 

すばやくターンしてシュートフェイクで里田を飛ばす。
さらにワンドリブルで位置をずらしてジャンプするともう一人のセンターがブロックに飛んできた。
バウンドパスで捌いて受けた七番がシュート、というところには麻美が下りてきて抑えに掛かるが、さらにパスで上の五番へ。
ローテーションで藤本が前に立ちはだかると七番はその脇をバウンドパスで通す。
四十五度、ミドルポストとでもいうような位置で是永がボールを受けた。
先ほどの攻防で場が動いて、いい位置を陣取った是永が完全に里田を背負っている。
ターンしてフェイドアウェーに飛ぶ。
里田もブロックに飛んだが、遠ざかる方向にジャンプした是永のシュートの軌道には入れない。
手数掛かったが、是永のシュートが決まった。

中村学院の、是永の得点力はやはりいつもと比べて落ちる。
滝川のディフェンスは効いているのだ。
それでも完全に押さえ込むことは出来ず、少しづつは入っていく。

これを滝川が追えていない。
みうなを下げて休ませた。
次に麻美。
みうなを戻したけれど次に藤本を下げる。
スタメン組みが順番に休む。
ディフェンス力はメンバーを代えてもさほど変わらなかった。
攻撃力が落ちるのだ。 

第二ピリオド六分過ぎて20−14 中村学院の六点リード。
この六分で是永は二点のみ、後の二本も是永発でパスが捌かれたところからのものではあるが、六分で六点にこの相手を抑えられれば悪くは無い。
しかし、取れた点数が二点だけなのは問題だ。
この二点は相手のパスミスを藤本がさらい、すぐに走った麻美へ出して速攻を決めた、というもの。
崩して取った点は無い。

こういう時は自分が何とかしないと、と里田は思った。
だけど、それをさせないためにこの四番が付いている。
ここまで、第一ピリオド途中のタイムアウトの場面から一貫して里田は外目にポジションを取ってきた。
相手によっては外から勝負も里田は出来ないわけではないが、是永相手にそれは不可能。
外にいる限り無力化されたのと同じことである。

中を広げて誰かが勝負して点を取るならそれはそれでいい。
だけど、それが機能していないなら、外にポジションを取る意味が無い。

中村学院のダイヤモンドワン。
ゴール下の一枚はみうなを見ている。
里田はみうなの逆サイドからそのゴール下へ入っていこうとした。
是永は体を張って止める。
それでもぶつかり合いながら中へ。
ローポストで面を取る、というのをイメージしていたがポジションがうまく取れなかった。
逆サイドへ切れる、という動きを見せてから中央、ハイポストへ上がる。
トップの麻美が簡単にパスを入れた。
里田はフリースローラインあたりで走りながら受けてターン。
是永、半身で構える。
シュートフェイク、を見せてドリブル。
是永は簡単にコースを塞いできた。
前が詰まる。
パスコースも見えず、周りの呼ぶ声も無かったので、他に選択肢がなく里田は飛んだ。
ジャンプシュート。
無理やり打ってみたが是永のブロックにあった。
中村学院が拾い上げる。 

そのまま速攻へ、という流れ。
滝川は戻りながらマークマンをピックアップする。
二対二、三対三、四対四。
アウトナンバーは作らせない。
滝川はこのラウンドまで相手に速攻を決められるという場面が無かった。
全員上がり、全員戻り、速攻もアーリーオフェンスも成立せず、中村学院はセットを組むしかない。

パスはゆっくりと回った。
効果的なパス、というのがなく、ただボールが別の選手へ移動する、といったニュアンスのものだ。
外、外、と周り、中へボールが入ってこない。
是永はその様子を、右0度に開いてただじっと見ていた。
里田は是永にぴったりと張り付く。
動かないな、と不審な感じを抱く。
何も動きが無い、というのは気持ち悪い。

是永は動かなかったが、ボールの動き、ディフェンスの位置、そして二十四秒計をそれぞれしっかり見ていた。
里田はじりじりと待つ。
二十四秒計が8を示した時、是永は動いた。
上へ、という動きを見せて里田を動かしゴール下へ向かう。
ワンフェイクくらいでは里田も対応する。
ボールは逆サイドに下りて行ったが、是永はそれが見えていて里田には見えていない。
ゴール下に近い位置、里田は体を入れてコースを抑えると是永はもう一度上へ上がる動きを見せた。
ハイポストか、と里田は反応する。
是永の実際の動きは逆だった。
するりと里田と入れ違いにゴール下を抜けて逆サイドへ。
ディフェンスの頭越しのパスが入る。
ボールを受けながらターン。
里田は何とか追いついた。
シュートフェイクからドリブル。
全部反応はするが、是永の動きは早い。
コースには入りきれない。
是永はジャンプし右手を伸ばしてシュート。
里田もブロックに手を伸ばすと接触した。
まず手先の接触があり、その後里田の体が流れて体当たりの形になった。
ボールはそれでもボードに当たってからリングを通過、是永は後ろ向きで落ちながら先に着地した右足で大きく地面を蹴って派手に後ろに転がった。
里田のファウル、カウントワンスロー。
当たられた衝撃を派手に転がることで逃がした是永、無傷だ。
転び方もうまい。 

ブザーが鳴って滝川メンバーチェンジ。
藤本が入ってくる。
前半残り二分少々。

「たまに個人技が当たっちゃうのは忘れた方がいいよ」
「美貴にそういうこと言われると思わなかったな」

数分休んで外にいた藤本、冷静である。

「オフェンスさあ、中入って勝負もいいけど、中は入るだけで勝負しなくてもいいよ。中にまいが入ってつないで外勝負とかでも」

ファウルのコールがあり、それから是永のフリースローが一本ある。
そのわずかな時間の、藤本中心の数秒ミーティング。

「中から出て来たボール、外から中へ入ったボール、そういうので勝負ね。わかった?」

最初の会話は藤本が里田に歩み寄った一瞬のものだが、すぐに他のメンバーも集まってきた。
最後は全体への指示である。
中村学院の小さな輪も解けて、リバウンドポジションにそれぞれが入っていたので滝川も解散する。

是永のワンスローは決まった。
23−14
今日最大の九点差。
少し詰めて前半を終わりたい。 

次のオフェンスは里田は最初から中に張っていた。
是永とのポジション争い。
時間を掛けながら自分の入りたい位置を取りに行く。
ゴールに向かって右0度。
是永を背負った状態で立ちたい。
みうなは逆サイドからハイポストへ上がっていったりする。
ダイヤモンドゾーン、真ん中がぽっかり空いていて受け渡しのミスが出やすい場所でもあるのだが、みうなが入った場合は下から付いて行く、というルールになっているようだ。
ここまでゴール下があくと自分が受けて勝負したくなる。
右0度、ようやく外からボールが受けられる状況は出来た。
藤本がバウンドパスを入れる。

里田は勝負するつもりだったのだが、ボールを受けて見ると、意外とターンしてシュートが打てるような体勢になっていなかった。
右足が是永相手に深い位置にあり、軸足としてターンするには窮屈だ。
左足を軸にターンすると、たぶんボード裏になってゴールが見えない。
外、藤本が手を上げた。
ディフェンスは自分の方と藤本と両睨み。
それで迷っていると、当のディフェンスが自分によってきた。
前後囲まれる形だが、結果として藤本があいた。
バウンドパスを通す。
受けた藤本、そのままスリーポイント、をフェイクにドリブル。
きれいにディフェンスをかわし、目の前は里田。
是永が里田をよけて藤本のシュートをブロックに行きたがるが、里田はしっかり壁になった。
里田の目の前で藤本がジャンプシュート。
二点返して七点差。 

もう一本くらい差を縮めて前半を終わりたいところ。
中村学院の次のオフェンスは二十四秒ぎりぎりの場面で是永がスリーポイントシュートを狙うがこれは決まらずリバウンドをみうなが拾う。
滝川は最初はあさみが、次に藤本が外からドリブルで勝負という場面で続けてファウルをもらった。
さらに今度はみうながローポスト付近からフックシュートを放ち、外れたものの里田が是永と競り合った上でオフェンスリバウンドを拾う。
長いオフェンス。
もう一度トップの藤本まで戻して組み立てなおし。
前半残り三十秒を切った。
時間はぎりぎりまで使う。
里田はゴール下勝負がしたかった。
前半のうちに一本取っておきたい。
ボールは外。
上から下りてきたボールをあさみが受けた。
里田が呼ぶ。
また右0度、今度は完全に是永を背負った。
麻美からディフェンスの頭越しのパス。
受けて単純にターン。
シュートフェイクを見せてから左手でワンドリブル移動しさらに踏み込んで飛んだ。
是永は、振り切れなかった。
左手のスナップで決めようと放ったシュートは、是永の伸ばした右手にはじかれた。
ボールより先に二人が着地。
飛びなおす前にボールが落ちてくる。
手を伸ばすのは是永の方が速かった。 

取り返そうとする里田をピボットで外し是永は自らドリブルで上がって行く。
危機を察知した藤本が自分のマークマンを外して捕まえに来た。
是永、無理に抜きには行かずパスを出す。
その間に里田も戻って追いついた。
藤本は自分のマークのところへもどって行く。

前半残り十秒を切る。
セットオフェンス、というには慌しい時間帯。
崩してから、ということではなく、是永以外のメンバーも早くシュートまでという意思を持って中村学院もボールを回す。
ただ、それでシュートまで持って行かれるほど滝川ディフェンスは甘くも無い。
是永は外で受けよう、という意思を見せていたが、里田はコースを常に抑える。
五秒を切って、外で受けるのをあきらめたのか是永はゴール下へ走った。
里田は当然ついていく。
上からのパスなら抑えられるが逆サイドからは危うい位置関係。
その逆サイドへボールが下りた。
是永が呼ぶ。
それに答えてバウンドパスを出したが、里田の前にマッチアップの藤本が反応した。
小脇を通されそうになったボールに左ひじが当たる。
藤本後方、是永前方のルーズボール。
二人が飛びついてつかみ合ったところで前半終了のブザーが鳴った。

23−16

中村学院7点のリード。 

ミーティングを終え、着替えを済ませた富岡のメンバーは第二ピリオドの始まりあたりからスタンドに上がり試合を見ていた。

「是永さん、かなり押さえ込まれてるね」
「いいボールが入ってないよね。だから本当に是ちゃん頼りになってる。ボール持ってそれから勝負って感じで。ここっていう一瞬でパスが入ればもっと行けると思うんだけど」
「それはー、滝川のディフェンスだときつくない?」
「うん。でも、ボールもらってからの一対一でなんとかしてるよね」
「昨日よりはそれでもボールもってからだけ見ても抑えられてる感じするけど」
「やっぱ堅いもん。是ちゃんでも二人目来たら捌くしかない。その捌かれたボールをシュートへつなげさせない堅さもあるし」

このラウンドまで来ると負けたチームが帰って行って関係者は減ってくるのだが、逆に一般人の観客も増えて席が空いていない。
最初から抑えてしまえば別だが、途中で入ってきた二十人以上の団体がまとまって座れるスペースは無い。
二つや三つなら空いてないことも無かったので、当然、石川と柴田が席を勧められたのだが、二人は一番上から立ち見を決め込んだ。
最近は三好と行動することの多い柴田だが、こういう場面では石川の隣にいる。
石川との会話が必要だ。

「うちはあそこまでの堅さはどうしてもないよね。二人目が行った時のカバーはあんなにきれいには行かないし。中村は是永さんがこう捌いてこう動くっていうところがうまいから、たぶんもっとやられる」
「なんかその、私が是ちゃんを一人じゃ止められないのが前提なの気に入らないんだけどー」
「止めたらもう何も考えるとこ無いでしょ。是永さん止めたら勝ちなんだから」
「私が是ちゃん止めたら勝ち?」
「勝ちでしょ」

当事者として見ても、是永以外のメンバーだけでの攻撃力は怖さは無い、と感じている。 

「でもさー、中村のダイヤモンドワンってそんなに堅いかな?」
「うーん、しっかりしてるとは思うけど、16点てことないよね」
「うちにもダイヤモンドかな?」
「ダイヤモンドじゃない? 私ならダイヤモンドにする」
「そうだよねー」

ボックス型よりダイヤモンド型の方がゴール近辺が薄い。
石川にマンマークをつけたなら、富岡のゴール下は後は道重だ。
リバウンドはともかく、普通のオフェンスで、ゴール両サイドに二人を配置する必要があるか? と考えると、柴田も石川も同じ結論に達する。

「外から打っていけばいいのかな? 高橋と柴ちゃんで」
「んー、打って入ればいいけど、今日みたいなこともあるからねえ・・・」
「今日、よく勝ったよねあれで」
「なんか他人事っぽくない? その発言」
「私、ゾーン嫌いなのよね。なんか、誰が相手かはっきりしない感じが」
「自分がゾーンでディフェンスするのも好きじゃない?」
「好きじゃないなあ。オールコートの1−2−1−1くらいかな。ありだなって思うのは」
「あれ、ちょっと意味合い違うでしょ」

今日の準決勝は相手の3−2ゾーンにてこづった。
てこづったのは3−2というゾーンディフェンスに、であって相手の誰それに、という印象は石川には残っていない。 

「うちはゾーンやらないから良かったなって思うよ」
「マンツーはシンプルで分かりやすいよね。でも、だから、ゾーン相手に苦戦するのかも」
「練習でもあんまりゾーン相手にしないしね。オールコートマンツーくらいはあっても、後は普通のハーフのマンツーだし」
「滝川のオールコートマンツー、めんどくさいんだよなあ」
「滝川相手だったら柴ちゃんの負担増えるよね」
「梨華ちゃんあんまり関係なくていいよね」

オールコートマンツーマンとハーフコートマンツーマンの一番の違いは、エンドからボールを運ぶ時にディフェンスがついてくるか来ないか、という部分だ。
上がってしまってハーフコートバスケットになれば、オールコートマンツーマンもハーフコートマンツーマンも何も変わらない。
富岡でボールを運ぶのは基本的には田中である。
前から当たられると田中一人では不安を感じるので、高橋や柴田がフォローしないといけない。
実際に柴田までが直接ボールを運ぶ、ということは少ないのだが、神経使う、というだけでも負担が大きい。
一方、石川はボール運びには参加しないで、エンドにボールが出たらまず上がる、という役割なので、相手がオールコートマンツーマンでもハーフコートマンツーマンでも大差なかった。 

「オールコートマンツーかあ。でも、滝川は、ディフェンス堅いっていっても、是ちゃんを抑えきれるわけはないんだから、もうちょっと点取れないと負けるよね」
「シュートまで時間かかるからロースコアになるのはある程度仕方ないんじゃない?」
「だけどさあ、16点は無いんじゃない?」
「二クォーター、4点だっけ?」
「是ちゃんがまいちゃんを完璧に抑えてるし。きついと思うよ。後はミキティや安倍さんの妹が外からどうにかしないと後半もっと開くでしょ」
「フックシュートの一年生って線もあるでしょ」
「あの子ちょっとやだよね。さゆじゃきついかも」

富岡は基本的に点の入る試合をする。
その感覚で生きている石川からすると、前半終わって16点、というゲームは論外であった。

「あ、入ってきた」
「是ちゃん、後半調子上がってくるかなあ?」

石川の視線は是永だけに向いていた。 

三分前。
次の試合、男子準々決勝のチームがハーフタイムアップを終えて出て行く。
空いたコートに中村学院、滝川山の手、それぞれの気が向いた選手が入って行ってシューティングをする。
滝川は麻美が右六十度くらいの位置からスリーポイントを放つ。
もう一人、里田が右0度でポストで背負ってからターンしてのシュートを何本か打っている。
ジャンプシュート、もしくは踏み込んでゴール下でボードを使ってのシュート。
シュートそのものは難しいものではない。
麻美と違ってシュートを慣らしているというのではなく、動きのイメージの確認。
シュートが入るかどうかは特に気にしていない。
レフリーの一分前のコールでベンチに戻ってくる。

「里田、前半悪くないからな」
「はい」

戻ってきた二人も座らせてからの石黒の最初の言葉。
ディフェンスのことを言っているんだろうな、と里田は認識した。 

「まわり、直接のカバーは必要だ。一対二を作る状況な。それだけじゃなくて、その後。ボールを捌かれた後。ボールだけを見過ぎな部分があるな。ボール、四番の動きは当然見ないといけないが、自分のマークマンをしっかり把握しろ。それと、その隣な。ローテーションで動く先。理想は一対二になって四番が捌いたボールをそのまま奪う。それが出来なくても、捌いた直後にもうフリーはどこにも無い、という状況を作ること。ミスマッチはある程度仕方ないが、それ以外でフリーでシュートというのは許すな」

一人が是永のカバーに行って空いたところを埋めるためにディフェンスがずれて行くのをローテーションという。
ローテーションでディフェンスがずれるということはマッチアップが変わるということ。
例えば、みうなが里田と合わせて是永を抑えに行った時、そのカバーとしてローテーションで下りてくるのが藤本だった場合、そこにボールが入っても合い手がフリー、という状況自体は消えているが、みうなと藤本の身長差があるので相手の身長とマークマンがそぐわないミスマッチが生じる。
それ自体は仕方ないだろう、というのが石黒の言葉の意味だ。

「四番は抑えられる。飛びぬけた選手だが里田を中心に全体のディフェンス力で抑えられる。前半で十分分かっただろう。それほど心配するな」

対是永美記。
石黒の指示はそれだけだ。 

「相手ゾーンだけどさあ、後半少し一対一を増やしてみようと思うんだ」

石黒が自分の席に戻った後、立ち上がった藤本が後を続けた。

「ゴール下ゆるいから、外から一人抜けば行けると思うんだよね。普通のゾーンみたいに抜いても抜いてもディフェンスってことなくて。外から突破するっていうのと、インサイドも自分で勝負。動きの中でパスで崩すっていうのもありだけど、意識して一対一やっていこう」
「私も勝負するから。スペース作る時もあるけど」
「アメリカ様相手に行ける?」
「アメリカ様? アメリカだろうがケニアだろうがやってやろうじゃないの」
「よし。ハイポ、ローポ、スペース取れたら入れるから。まいだけじゃなくて。方針としてちょっとあれだけど、オフェンスは一対一中心で行こう」

ポイントガードが打ち出す方針が、みんな個人技で何とかしろ、というのはどうなのかと藤本は自分でちょっと思っているが、キャプテンとして、それが点を取るのに一番いいんじゃないかと思ってそう決めた。

コートに上がる五人はスタメンに戻した。
中村学院も五人は変わらない。
中村学院ボールで後半が始まる。 

ハイスコアゲームとロースコアゲームでは二点の重みが違う。
100−99なら二点の重みは五十分の一だが、50−49の試合では二十五分の一である。
七点、という点差が二十点前後でついているというのは、同じ時間帯で四十点前後入るゲームで付いているのと比べて重い。
後半の入り、これが九点差になるのか五点差になるのか、というのは重要なことだ。

中村学院の最初のオフェンスは、やはり是永が仕掛けた。
左0度、スリーポイントライン上、ゴールから距離のある位置から一対一。
エンドライン際をドリブルで進むが里田を抜ききれず逆サイドからみうながカバー。
前に壁が出来た状態でそれを避けてパスを通そうとするが、下りてきた麻美がそのボールを奪った。
ハーフタイムのイメージ通りの展開でボールを奪う。

一方の滝川、この麻美が奪ったボールをすばやく藤本に送り、一人で持ちあがる。
ワンマン速攻、と行きたかったが、戻ったディフェンスは二枚。
無理はせずに左側へ下りて行く。
味方の上がりを待つ。
三人目、四人目とディフェンスが付いていたが、遅れて上がってきたみうながフリー。
フリースローラインあたりでボールにミートしたみうな。
ディフェンスが寄ってきたのでジャンプシュートをフェイクにドリブルでゴール下に切れ込もうとしたら自分の足に当たって蹴り飛ばしてしまった。
ドリブル突破は得意じゃない。
中村学院ボール。 

また、点が入らない流れになった。
滝川のディフェンスは相変わらず堅い。
是永になかなかボールを渡らせないし、ボールが渡っても、外に開いたところで里田が付いて、ゴール下見るとみうななどが埋めていて、勝負してもおいしくなさそうなシチュエーションになっていたりする。
捌く、というニュアンスとは違うパスが是永からも出ることが多くなってきた。
全体的にうまく抑えている状況である。

滝川の方は各個人の仕掛けが多くはなっていた。
麻美が四十五度からカットインで切れ込む。
みうなが零度からジャンプシュートを放つ。
そこまでは行くのだが、シュートが入らなかった。
特別難しいシュートを打っているということではないのだが、リングに嫌われる。
里田も自分こそが打開するべきだ、と試みたが、ボールを受けるところまでは行き、一本はなんとかシュートまで持って行ったのだリング手前に当たって落ちた。

三分間両チーム無得点。
重い雰囲気を打開したのはディフェンスの力だった。 

みうながパスを受けた時にエンドラインを踏んでいて中村学院ボールで再開となった場面。
エンドから入ったボールを相手ガードが運ぶ。
マッチアップは麻美。
よく追い掛けてコースを押さえ込み進路を遮断する。
そこから出されたパス。
しっかり狙っていた。
戻りながらの形だがボールを奪う。

ターンオーバー。
藤本と麻美が上がっている状況での二対二。
振り向いてゴールに向かい、藤本はそのまま勝負を決めに行く。
前に入ったディフェンスはバックチェンジ一発で抜き去った。
麻美のマークマンが寄ってくる。
藤本は中央、麻美は右サイド、ディフェンスは中間、二対一。
麻美を見ながらディフェンスを見ながら麻美を見ながら、藤本は最後まで自分で持って行った。
ゴール下まで来るとディフェンスも寄ってきたが、藤本は遠い側の左手でレイアップシュートを決める。 

もう一本ディフェンス。
オールコートマンツーマンは休める時間が無いが、相手を休ませる時間も無い。
エンドからのボールにまた前から当たる。
今度は突破されたが、ハーフコートのディフェンスになってから押さえ込んだ。
突破を試みてきた相手をエンドライン際に押し込む。
囲んだのは藤本とみうな。
困った相手はエンドライン外にジャンプしながら無理やりトップに長いパスを戻そうとするが、これは麻美が待っている場所に飛んできた。

振り向いて突進。
一対一のシチュエーション。
自分で型をつけようと抜き去ろう、抜き去ろうとフェイクを織り交ぜながらドリブル突破を試みるが振り切れない。
フリースローラインまで来たところで、麻美は一人での突破をあきらめた。
コースを変えて、右サイドへ捌けていきドリブルを付いてキープ。
味方の上がり。
二人目、三人目、里田が入ってきたが是永にコースは遮断されていてダメ、ゴール下を抜けて逆サイドへ抜けて行く。
もう一人待つか、トップへ戻すか、という場面だったが麻美は別の選択をした。
再びドリブル突破。
ディフェンスはまったく予想していなかったのか、バックチェンジで左手へ切り返すとそのまま振り切れた。
ゴール下は空いている。
素直に自然なレイアップシュートを決められた。

23−20 三点差。 

流れが来るか?
もう一本続ければ。
ベンチのテンションもスタンドのテンションも上がるが、コートの選手のテンションはもっと上がる。
ここまでの三試合の相手なら、ここでオールコートマンツーマンが威力を発揮し大波を起こして試合を決めて行くという場面だが、中村学院のガード陣はしっかりボールを運んできた。
セットオフェンス。
是永で来る、是永で来る、四番で来る。
流れが傾くかどうかの正念場。
スーパーエースを百パーセント使ってくる。
里田は当然そう意識していたし、周りもそれを想定してのディフェンスになる。

是永はインサイドに入って来た。
里田との押し合い。
左ローポスト。
反対側にいるみうなも是永を見ていた。
ボールは左サイドへ。
里田は前を取れない。
バウンドパスが入る。
ターンはさせない、シュートには持って行かせない。
体を張ったディフェンス。
ボールを是永が受けところで、外からディフェンスが殺到した。
藤本、麻美。
三人で囲む。
ターンはさせない、ボールを奪い取る。
そういうディフェンスだったが、是永はその二人の間を速いパスで通した。
外、0度、七番。
藤本が戻ってブロックに飛んだが間に合わない。
スリーポイントシュート。

「リバウンド! リバウンド!」

藤本がシューターをスクリーンアウトしながら声を出す。
里田は是永をきっちりスクリーンアウト。
みうなもリバウンドポジションをしっかり確保したが、ボールはリングを通過した。
六点差。 

うまいな、と里田は素直に思った。
自分で勝負、自分に引きつけて周りを生かす、二つの使い分けがとてもうまい。
周りも、その是永から出てくるボールというのをゴールに結び付けて行く力がある。
自分たちのディフェンスが悪いということはないのだけど、どうしてもある程度の失点は出てしまう。
昨日までのようにはいかない。
こちら側もある程度の点を取ることが必要だ。

試合の流れは混沌としていた。
行ったり来たり、というようなものではない。
どちらに傾く、という時間帯が無い。
ただ、ロースコアゲームというのは滝川の望む展開だった。

両チームシュートまでに時間がかかる。
あるいは、シュートまで持って行くこと自体が出来ない場面も出てくる。
一点の価値が大きなゲーム。
第三ピリオド、というのは滝川としてはスタメンを下げてもう一度少し休ませたい時間帯でもあるのだが、石黒はここはメンバーチェンジをしなかった。
じっと黙って試合を見ている。 

得点自体は止まっている、というものではなかった。
シュートまで持って行くことに両者苦しんでいるが、打ったシュートの確率は上がっている。
滝川は藤本自らが得点源になっていた。
一対一で打開しろ。
その指示をハーフタイムに出していたが、周りがそれに答え切る力を出せていなかった。
それぞれ仕掛けはするのだがシュートまでなかなか持っていけない。
それが出来るのは藤本自身だけになっている。

中村学院は当然是永中心ではあるが、周りも捨てて置けない。
是永はインサイドに入ってくる。
そのまま自分で里田と勝負、というのもある一方、外に捌くこともある。
先ほどのスリーポイントがあるので、滝川も、中を囲んだ後の外への戻りはしっかり意識しているが、シュートを許してしまうこともあるし、その行きつ戻りつをついて、もう一度是永に入れて、今度は一対一で、ということもある。

第三ピリオド残り十五秒、是永が二本のフリースローを決めて36−28とリードする。 

各ピリオドラストはシュートを決めて終わりたいところ。
持ち上がった藤本は自分で行くことを考えた。
とはいえ、上がってそのまま自分で勝負、ということはせずまずはボールを回す。
スタンドからベンチに入れない部員たちのタイムコール。
時計を見なくても残り時間の情報は耳に入ってくる。
自分で、と思ったのは里田も同じだった。
藤本が決めてもただの一本だ。
それは悪くは無いが、ここで自分が決めれば是永相手に一本奪うということで、さらにいい雰囲気が作れる。

ボックスの真ん中、ハイポストに入った。
是永は背中の側に付いている。
背負う、というほど相手をコントロール出来てはなく、背中にディフェンスが立っている、というシチュエーションだ。
五秒を切ってボールはトップの麻美に入った。
藤本が右零度で呼んでいる。
みうなはそれを見て左サイドへ捌けて行った。
同時に、里田もボールを呼んだ。
麻美の選択は里田。
どちらにもターンできる状況。
是永が自分の背中に手を当てているのが分かる。

右肩を後ろに動かしてから左にターン、シュートの構えを見せる。
是永は飛ばない。
右手でドリブル、と一歩踏み込んでから足を戻して飛んだ。
反応が遅れた是永、ブロックには飛ばない。
里田、右手でワンハンドシュート。
着地すると是永のスクリーンアウトに押し出されよろめいた。
リバウンドに入れる体勢ではなく、視線だけボールを追っていた。
第三ピリオド終了のブザーが鳴り、同時にボールはリングに吸い込まれて行った。

36−30
中村学院6点リード。
ようやく、里田が是永に一矢報いて第三ピリオドを終えた。 

両チームベンチに戻る。
藤本は里田の方に歩いていき、両手をばちっと合わせた。
他の三人もそれぞれ里田とハイタッチをかわす。
第三ピリオド、最高の終わり方だった。
石黒コーチが立ってメンバーを出迎える。
試合に出ている五人をベンチに座らせて、向かい合う位置に立って石黒は言った。

「安倍、一旦下がれ」
「はい」
「新垣。三分を目処に百二十パーセントの力で動いて来い」
「はい」
「とにかく足を動かせ。マークマンに張り付くんじゃなくて、ボールの位置を考えながらな」
「はい」

二分間のインターバル。
石黒はまずメンバーチェンジを告げた。

「ディフェンスの力っていうのは大きなものだ。六点くらいは十五秒あればひっくり返せる。シュートを決めて、ボールを運ばせずに奪い取ってを繰り返せばすぐだ。お前たちならそれくらいは出来るだろう。相手のガード陣には恐怖を与えろ。インサイドには自由にシュートが打て無い不安感を与えろ。ここまでの三十分でその積み上げは出来てきているはずだ。後は仕上げだ。これくらいの点差は問題ないと思っていい。慌てる必要は無い」 

残り二分を切ると、シュートを決めた後、一旦時計が止められる。
次に入る相手のパスをそのまま奪ってすぐにシュートに結び付けられれば、理論的には一秒でも二点入る。
ロスタイム、というあいまいな概念で試合の残り時間を計るサッカーやラグビーや、ファウルでも何でも比較的時計が止まらないハンドボールなどと、このあたりは大きく違う。
残り五秒で試合がひっくり返る、という確率は他の競技と比べて格段に高い。
強いて言えば、野球で九回サヨナラ勝ちが起きる確率あたりがこれに近いレベルだろうか。

「里田」
「はい」
「ここまで四試合で間違いなく今日が一番いい」
「ありがとうございます」
「自信を持ってやれ。一人では止め切れなくても周りを使えば抑えられるだけの力はあるし、実際それがここまで出来ている。それに、四十分持つだけの体力もお前には備わっているはずだ。シャットアウトは出来る相手じゃないから、跡の十分でも一本一本決められる場面はあるだろう。痛い場面でやられることもあるかもしれない。特に気にするな。悩みたかったら後で宿舎に戻ってから悩め。残りの十分、自信を持ってやれ」
「はい」

中村学院の36点のうち、是永美記の得点はここまで19
今大会で最小なのは言うまでもなく、昨年の三大会でもここまで少ない数字はなかった。 

「切り替え早くね。切り替え。ボール取ったらすぐ走る。多少ディフェンス離れきってないなって思っても、どんどんアーリーで勝負しちゃおう。セットでも一対一になるんだったら、アーリーで一対一っぽくなっちゃってもいいよ」
「リバウンド、どんどん飛び込もうね。取れなくても簡単に取らせないで」

石黒の演説は終わり。
後は藤本が引き継ぎ里田が続く。

「一対一の後の周りのあわせ、大事だからね。仕掛けたところで仕掛けた本人に任せきりにしないで」

ディフェンスはそれほど悪くない。
それは藤本も里田も思っている。
それでも負けているのだから点を取ることが必要だ。
実際、オフェンスはあまりうまく行っていない。
ただ、終わり方が良かったのでチームの雰囲気は良かった。

両チームコートにもどって行く。
藤本は里田を捕まえて言った。

「まい、ファウル大丈夫?」
「まだ二つだよ。大丈夫」
「でも、相手が相手だから気をつけてよ。まい下がったら終わるからね」
「分かってるよ。美貴にファウルアウト心配されるとは私も落ちぶれたな」
「美貴だから心配するんだよ。残りの時間をただベンチから見てるってのはみじめだよ」
「大丈夫。気をつけるから」
「よし、四番は任せた」

藤本は左手で里田の腰の当たりをパシッと叩く。
里田は右手で握りこぶしを作って見せた。
一年生の頃から試合に出続けてきた二人。
今、コートの上にいる三年生はやはり二人だけだ。 

第四ピリオドは中村学院ボールで再開された。
最終ピリオドともなると会場の雰囲気も盛り上がってくる。
特にこの準決勝は名門校同士の戦い。
両チームとも、ベンチに入れない部員、という存在が他チームと比べてかなり多い。
その、スタンドにいる部員たちの声を合わせた声援が、会場の空気を作り上げている。

第三ピリオドの終わりから滝川は流れをつなげたかった。
慌てる必要は無い、と石黒コーチは言うが、一気に追いついてしまいたいという感覚を当然ゲームに出ている選手たちは持つ。
いいディフェンスでシュートまで持って行かせなかった。
二十四秒計ぎりぎりで外から投げられた中村学院のシュート。
ディフェンスが指先で触り、勢いの死んだボールがみうなの手元に落ちてきた。

「スタート!」 

速攻、一本で。
藤本の一声。
ボールを受けに来たそんな藤本を、みうなはさらっと無視して長いボールを投げた。
新垣。
背中から飛んでくるボールを体をひねりながらしっかりキャッチする。
切り替えよく走っていたが、ディフェンスもよく戻っていた。
一対一。
勝負するか? それとも味方の上がりを待つか?
ドリブル突破にはさして自信のある方ではない。
エンドに下りて待とうか、という思いが新垣をよぎったが、自分で勝負した。
一対一でもどんどん仕掛けろ、藤本の言葉の方が新垣の頭に強くある。
一旦止まる、と見せて再加速、チェンジオブペース。
ディフェンスは振り切れない、付いてくる。
それでも強引にゴール下まで。
前に入られる、そう感じつつも新垣はジャンプした。
レイアップシュート。
ディフェンスに体当たりする形になりながらもボールはコントロールした。
ボールはリングを通過し、レフリーの笛が高々と響いた。

「白、十三番、チャージング。ノーカウント」

もつれ合って倒れている新垣をレフリーは指差していた。
シュートはノーカウント。
新垣のファウルである。
藤本が駆け寄り新垣を引っ張り起こした。

「すいません」
「ナイスチャレンジ。あれでいい。あれでいいから。よく走った」

スタンドから、部員たちの新垣コールも起こる。
もう、引っ込めなどとは言われない。 

中村学院ボールでエンドから。

「ディフェンス一本! 足動かせ!」

藤本も、いつになくリーダーシップを発揮している。
石川梨華をぶち倒さなくてはならない。
そこに至るまでに立ちはだかるものはすべてなぎ倒して進んで行く。

ファウルはファウルであって、反則であり悪いことであるが、場の空気というのはそういったルール上のこととは別に動いたりする。
里田が是永相手にシュートを決めて第三ピリオドを終わり、第四ピリオドの出だしで一年生新垣が点には結びつかなかったが頑張りを見せた。
滝川の方が心理的に押している、という時間帯になりつつある。

オールコートマンツーマンに当たられるという状況で、心理的に押された感覚でボールを運ぶことになるとガード陣はきつい。
中村学院は、是永を中心に、といういつでもどこでも誰にでも取っているゲームプランが作れなくなる。
パスを奪われたり、受け手の無いボールを出してエンドラインを割ったりと、シュートまで持って行くことが出来ない。
一方、滝川のオフェンスにリズムが出て来た。
一対一を多用しろ、という方針であったが、それをせずともパスを回して崩せるようになった。
どうしても外、外で単発をまわすしか無い状況だったところから、里田も使えるようになったことで中を経由させることも問題なく出来るようになった。
里田から外に出たボールで藤本がジャンプシュートを決める。
フリーになった新垣へ落としたボールをゴール下のディフェンスが奪いに出てきたところでみうなに落とし簡単なシュート。
さらに、右0度でフリーになったみうなへボールを入れたら、しかたなしに是永がカバーに来て、その小脇をバウンドパスで通して里田がゴール下のシュートを決める。 

立て続けに三連続ゴールで第四ピリオド二分半を過ぎたところで一気に同点にまで追いつく。
もう一本、もう一本、俄然勢いづく滝川ベンチ、滝川サイドのスタンド。
煽り立てられるようにしてせかせかしたオフェンスを中村学院は強いられる。
ローポスト、里田を背負った是永にパスを入れようとしたが、藤本が右手で止めた。
こぼれたボールを拾い上げるとすばやく前に出した。
走っているのは新垣。
今度はディフェンスを振り切れている。
前には誰もいない。
そのまま一人で持ちこんで簡単なレイアップシュートを決めた。
38−36
滝川、逆転。

流れは完全に滝川に傾いている。
押せ押せムードが出来上がった。
一気に決着をつけるところまで持って行きたい。

それを押しとどめたのはやはり是永美記だ。
しばらくインサイド中心にプレイしていたのだが、ここで外へ出て来た。
外からのドリブル突破にはとても対処できない、というのが里田の認識。
ボールをまずは持たせない。
持たれてしまったら離れ目について抜かせない。
その方針で付いたら、立ち上がりと同じことになってしまった。
ドリブル突破、をフェイクに是永が取った行動はスリーポイントシュート。
鮮やかなゴールが決まり、中村学院が再逆転する。 

会場の盛り上がりは最高潮。
ゲーム展開も慌しくなってきた。
滝川オフェンスはここではみうながフックシュートを放つが短くなって落ちる。
中村学院の攻め上がり。
連続失点はしたくない。
里田はタイトに付くが是永は何とか面を取り大きく外まで開いてボールを受けた。
遠い位置からの一対一。
ドリブルで突っ込んでくる。
抜かせない、そう、里田は足を動かす。
確かに抜かせなかったが、是永は途中で止まりステップバックした。
ラインの外へ出てスリーポイントシュート。
見送るしか無い里田。
ボールは美しい軌道を描き、リングを通過した。
42−38
中村学院リード、第四ピリオド三分三十五秒。
滝川山の手がタイムアウトを取った。 

    「里田、気にするな。四番はあれくらいのことはやってくるだろう。それほど驚くことじゃない。ただ、三本四本続くようなプレイじゃない」
「はい」
「簡単なシュートは打たせてはいけない。外からであっても黙って打たせていい相手じゃない。ただ、難しいシュートは打たせてもいい。今のは難しいシュートだ。たまたま入ったけど、それは仕方ない。そういう事故は時折起きる」

ステップバックしてのスリーポイントというのはビッグプレイだ。
そうそうめったに見られるものじゃない。
それを目の前でやられた里田としては当然気分は良くないが、石黒は気にするなと言った。
ようは確率の問題だ。
あんなものまで抑えようとしていったら、それ以外の部分で止められない状況が生まれてくる。

「今日の里田は悪くない。最後までくらいついていけ」
「はい」

石黒の口から出る、悪くない、はほぼ最大級の褒め言葉なんだろう、と滝川のメンバーには認識されている。

「安倍、入れ。新垣アウト」
「はい」
「一年があれだけやって見せたんだ。もう十分休んだだろ。残りの時間しっかり足動かせ」
「はい」

予定の三分は少し過ぎたが、ここでメンバーチェンジをする。
石黒はそこまで告げて場を藤本に預けた。 

「二号、スリーポイントで返そうと思わなくていいから。打てれば打てばいいけど、無理にスリーで返さなくていい。一本一本返せばいいから」
「はい」
「ボール回ってるから崩せるよ。なるべくゴールに近いところでシュート打とう」
「それでゾーンが小さくなってきたら外、だからね」
「当然。状況見ながらね。外に広がってきたらうちに飛び込めばいいし」
「私はインサイド入るから、ここは。勝負出来たら勝負するよ」

点差は四点。
スリーポイントを多投して追いかけるような差ではない。

「ベンチ、もっと声出して。特にディフェンスの時。ベンチからも圧力かけて」
「はい」
「よし、行こう」

藤本が両手を二回叩いてミーティングを締め、コートに戻った。

ここから両チームの攻防は激しさを増して行った。
滝川に傾きかけた流れを是永が押しとどめた。
そのビッグプレイで中村学院に流れが行くかとも思われたのだが、タイムアウトで間を取ってそれを断ち切る。
もう一度滝川の追撃、というところだったが、これもうまく行かなかった。
中村学院のディフェンスも必死だ。
一時気圧されて動きが後手後手に回っていた場面から、自信を取り戻してしっかり対処してくる。
滝川のボール回しだけでは崩れない。 

一方、滝川のディフェンスもやはり強固だ。
簡単に是永に入れさせないし、是永に入っても勝負が出来ないシチュエーションになっている。
タイムアウト後両チーム二分間無得点。
無得点どころかどちらもシュートまで持っていけなかった。

その均衡を破ったのは意外なところだった。
中村学院のオフェンス。
是永はここ数分は外を中心にポジション取りをしている。
自然、中が広い。
是永が外でボールを受けて、里田を抜き去っても後ろからカバーが入れるように、という位置を滝川は抑えてはいるが、それでも中は広い。
その中を使われた。
是永にではない。
相手センター。
みうなのマッチアップ。
広くなったインサイド、単純な一対一だった。
みうなが振り切られゴール下のシュートを決められる。
残り四分を切ったところで中村六点のリード。 

残り時間が短くなってきたところで、点差が八点、さらに十点と二桁に開いて行くと絶望ムードが流れてしまう。
一本やられたらすぐに一本返すことが必要だ。
ここで頑張ったのは里田まい。
左ローポスト、麻美がバウンドパスを入れる。
振り向いてシュートフェイク、ワンドリブルで移動してシュート、と見せかけてさらに一歩踏み込む。
是永はすべて対処する。
里田は体を入れ替えるように動き、ゴールに背を向けて右手のスナップでバックシュートを打とうとするが、是永はこれもブロック出来る位置にいる。
そのままもう一歩右足を動かして、結局一回転し、フェイドアウェー気味にジャンプシュートを放った。
ここも是永がブロックに飛んだが、シュートの軌道の方が高い。
ゴールにボールが向かっていない、と周りは一瞬思ったが、ボードに当たってからリングを通過した。
押し戻して四点差。 

ここから二本、両チームのオフェンスチャンスは生かせなかった。
両チーム一度づつタイムアウトを取り、打開をはかるが、どちらも効果は無かった。
中村学院は二本とも二十四秒オーバータイムでシュートに持っていけない。
滝川は藤本がエンドライン際のみうなにキラーパスをイメージして出したボールをキャッチできずにラインを割って相手ボールになったのと、里田がハイポスト付近で勝負したものの、資料映像のごとくきれいに是永にブロックショットを喰ったものの二本。
四点差のまま残り二分を切る。

中村学院は相変わらず滝川ディフェンスを崩せない。
この時間帯に六点差にされるとかなり厳しい。
守る滝川の方にも大きなプレッシャーが掛かる。
みうなが先ほどゴール下で簡単に崩された、というのが多少頭に残っていた。
是永は外にいるのだが、他のプレイヤーであってもゴール下の簡単なシュートを打たれれば同じだ。
滝川のディフェンス全体が、多少内に狭い陣形になる。
ボールは外を回っていた。
中には入れられない。
里田も、やや内に意識があった。
みうなの方を見る。
その刹那、左三十度付近、是永にパスが渡った。
まずい、身構える。
ドリブル突破の構え。
里田は反応した。
フェイク。
是永は足を戻してシュートを放った。
残り一分十二秒、四点ビハインドでの相手のスリーポイントシュート。 

「リバウンド! リバウンド!」

悲痛な叫び。
決まれば決定的。
視線はボールに集まる。
放物線を描いて落ちてくる。
リング奥に当たって、大きく跳ね上がった。

こちら側に戻ってくる。
是永は里田をかわしてリバウンドに飛び込んだ。
はっとしたが、もう是永は自分の前にいる。
リバウンドは是永の手に。
しかし、もう一つ伸びてくる手。
藤本もボールを追っていた。
一瞬のヘルドボール。
腕力なら体格から是永の方があるはずだが、藤本がもぎ取った。

「スタート!」

速攻で一本決めたい。
滝川は最低でも後二本必要だ。
時間を使いたくない。

しかし、中村学院の戻りは早かった。
試合終盤の呼吸は常勝チームはよく知っている。
アーリーオフェンスも成立せず、セットを組まされる。
中村学院のディフェンスも内に堅かった。
ゴールに近いところでシュートを打たれたくない、という意識が働く。
それを滝川のプレイヤーは冷静に見ていた。
みうなや里田、インサイドのプレイヤーで勝負しようとしたここまでのプレイがある種布石にもなっている。
ディフェンスの雰囲気を見て、麻美、狙っていた。
トップの藤本から右三十度の位置でボールを受ける。
ディフェンスはこちらをケアしているが、ゴールには近づけない、という姿勢。
自分のリズムで打てるだけの時間の余裕があった。
得意な位置からのスリーポイントシュート。
リングに触れず、ネットをパサッと音をさせて通過した。
44−43
中村学院のリードは一点。
残り五十秒。 

「ディフェンス! ハンズアップ!」

藤本が叫ぶ。
オールコートマンツーマン。
休んでいる間は無い。
エンドからボールが入る。
麻美が付く。
ドリブルで抜けようとするがさせない。
止まる。
後ろへ戻した。
藤本のマッチアップ。
ここもドリブルで来ようとするが抜かせない。
麻美も付いて一対二を作った。
コーナーへ追い込む。
フロントコートには八秒以内に運ばないといけないルールがある。
四秒、五秒と経ってくると、運ぶガード陣は八秒が無意識に頭に浮かぶ。
無理やりでも何でも博打でも、前へ出すしかなかった。
意思の薄い長いパス。
里田がさらう。

ターンオーバー。
里田はすぐに麻美に出した。
麻美、藤本はすぐに散っている。
麻美からゴール近くの藤本へ。
ボールを受けて藤本はランニングシュートを決めた。
45−44
滝川逆転。
残り四十二秒。 

追い詰められた中村学院。
もう一度ガード陣が引っかかるようだとひどい状況になるが、ここは何とか運んだ。
リードした滝川、ボールを無理に奪いに行く必要は無い。
ここのディフェンスで点を取られないことが大事だ。
点を取らせなければ、こちらが点を取らなくても勝てる状況である。

奪いには行かないがシュートは自由に打たせない。
競ったゲームの終盤をイメージした練習は積んできた。
負けたらバストの値公開、などという罰ゲームが賭けられたこともあった。
どうするべきなのかは知っている。
ただ、それでも、練習と実戦はどうしても違う。

勝負は是永で来る。
そう思ってはいるが、そうではないという布石もここまで見せられてきた。
ゴール下でみうながあっさり抜き去られた。
是永に三人で殺到したら外からスリーポイントを決められた。
意外な選択肢が選ばれるんじゃないか?
頭の中で、是永に賭けきれない。 

中村学院は、そんなことは考えていなかった。
最後の最後は是永。
これ以外のカードは無い。
時間を使って、それはある意味では使わされたというだけな部分はあるが、時計が刻まれて、二十四秒計が五秒を切ったところでようやく是永に入った。
ここではインサイドで是永は勝負してきた。
単純だった。
ターンして踏み込んでくる。
止めてやる、と里田は思った。
止めれば勝てる。
ここで止めれば勝てる。
止められる。
是永が飛び、里田が飛んだ。
是永は右手を伸ばしてボードを使ってのシュートの姿勢。
里田はそのボールを叩きに行く。
接触。
里田は確かにボールに触れたと思った。
それでも、是永はボールをコントロール仕切った。
狙った場所に当ててボードから跳ね返らせてシュートは決まった。
同時にレフリーの笛も鳴る。 

「青、五番。ハッキング。カウント」

46−45
中村学院再逆転。
残り二十秒。
是永のフリースロー一本。

「あ゛ぁーー!」

里田がうなり声を上げて自分の両太ももをばんっと叩く。
強烈な敗北感、いらだち。
藤本が歩み寄ってきた。

「まい、残り二十秒ある」
「分かってる。分かってるよ」
「おちついて。フリースロー。入っても入らなくても、うちは一本決めればいい。四十分で勝てなくても延長でもいい。次のオフェンス。普通に二点で勝負」

両チーム、コート上で輪が出来る。
残り二十秒でのフリースロー。
簡易ミーティングが開かれる。
ルール上、あまりいいことではないが、こういう場面ではレフリーも大抵黙認する。

「フリースロー決められたら、向こうは外から打たれるのを嫌がると思うんだ。同点ならまだしも三点入れば逆転だから、それが絶対嫌なはず。二号と美貴で外から打つぞ打つぞって見せるから。それで実際の勝負は中で」
「分かった」
「時間は使うけど、ぎりぎりまで使うことにこだわらなくていい。十秒切ったら勝負出来たらしよう。基本、美貴はまいで勝負だと思ってる」
「適当に中でも動くけど、できればローポストで欲しい。ゴールに近いところで勝負したい」
「分かった。美貴からだけじゃなくて他から入るかもしれないけど。みんないい?」
「はい」
「まい、大丈夫。勝てるから」
「ごめん、止められなかった、最後に。美貴にファウル気をつけろとも言われたのに」
「次、決めればいい。決まるから。大丈夫。自信持って。美貴はまいを信じるよ」
「決める。決めるよ」
「よし、まずはリバウンドね。フリースロー、外れて取られるようなこと無いように」
「はい」 

滝川が先に解散する。
中村学院は是永を中心にまだ話しこんでいた。
レフリーも待っている。
里田は目を瞑った。
一本、勝負。
今日、お前の力が問われている。
そう、先生に言われた。
今、私の力が問われている。
最後の勝負。
目を開くと、中村学院の輪が解散して、是永がフリースローレーンに立っていた。

ワンショット。

いつもと変わらないリズムで放たれたシュート。
里田やみうながリバウンドに入るが、ボールはリングに吸い込まれていった。
47−45
中村学院二点リード。

「当たってきたよ!」

エンドに出て里田がボールを入れようとすると、中村学院ディフェンスは滝川のガード陣を捕まえていた。
慌てて入れていたら危ないところであった。
麻美が外に出てくる。
里田はボールをその場に置いて中に入った。 

残り二十秒、仕切りなおし。
麻美がボールを拾い上げる。
藤本が動いた。
ディフェンスを振って、ゴール前に出てくる。
麻美はバウンドパスを入れる。
藤本はそのまま加速してドリブルで上がって行く。
落ち着いていた。
突然のプレスも問題なく対処してフロントコートまで持ち上がる。
上がって三対三の情勢。
残り十七秒。
急いで攻めることはしなかった。
味方の上がりを待つ。
場の空気、特にコートの外、ベンチやスタンドの空気がせかせかしたものになっているが、コート上の藤本はしっかり落ち着いていた。
急かされて慌ててシュートまで持って行く必要は無い。
一本決めれば追いつける。

藤本が落ち着いてボールをキープしていたので、周りのメンバーも落ち着くことが出来た。
横の麻美にパス。
麻美はゴールを見るがそのまま打つことはしない。
外、開いて出て来たみうなへ落とす。

外からみうなは勝負できない。
また上の麻美へ。
麻美から逆サイド藤本へ。
残り十秒を切る。
みうながゴール下を抜けてきた。
藤本はパスを入れる。
勝負はせずにボールは戻ってきた。
リターンパスを受けてシュート、という素振りを見せてもう一度上へ。
麻美、ここもシュートの構えを見せてからドリブル。
一人かわして、中にカバーが来たところで藤本へ捌く。
ここでもシュートの構え。
ブロックに来たのと、インサイド、里田がローポストでポジションを取ったのを確認してパスを入れた。
残り五秒。 

体は自然に動いた。
右、エンドライン側にターンするような肩の動きを見せてから左へターン。
シュートフェイクをしてからさらに一歩踏み込んでジャンプした。
右手を伸ばす。
是永も前には立ちはだかれず、腕を伸ばしてブロックに来た。
手首と手首で接触。
笛が鳴る。
里田の放ったシュートはリングに乗り、一瞬静止して会場中の視線を集めた後、外が輪にぽとりとこぼれ落ちた。

「青四番。ハッキング。ツースロー」

是永のシュートファウル。
残り二秒七
二点ビハインドで里田に二本のフリースローが与えられた。

惜しかった。
ボールが落ちた瞬間はそう思った。
カウントワンスローなら。
それから改めて気がついた。
二点差で残り二秒七でのフリースロー二本。
二本とも決めないといけない。
決めなければ、負けだ。 

「外したらバストの値公開だな」

藤本が声を掛けた。

「気楽に打てばいいよ。二秒七ある。リバウンド取って決めればいいんだし」
「うん」
「目瞑って打っても入るってあんなの、まいなら。たまにやってるでしょ」
「うん」

フリースローラインに立ってから目を瞑ってシュートを打つ、というのはバスケ部員の遊びの一つの定番ではある。
目を瞑っているのをいいことに、後ろからくすぐりを入れたりするのまで含めて定番だ。

「リバウンド、取ります」
「おまえ、ゲームの流れの中でもっと取れよリバウンド」
「ボールがこっちに飛んでこないんです」
「理由になってねーよ」

みうなも、状況に合わせた発言はできるらしい。
藤本は自分より十センチ以上高いみうなの頭をポカリと叩いた。

「まいさん一人で打つシュートじゃないです。みんなで、チームみんなで打つんです」
「うん、ありがと」

麻美が言う。
言っていることがむちゃくちゃなようではあるが、何を言いたいのかは里田は分かる。
里田はあさみの頭を撫でた。

「みんなで打つかどうかはともかくさ。試合の勝ち負けは一人の責任じゃない。コートにいる五人であり、ベンチに入った十二人であり、スタンドのあさみたちとか、もっと言えばりんねさんとか先輩たちから引き継いだものとか、全部の責任だから。一人で背負い込むことないよ。気楽に打てばいい。まあ、一番責任あるのは、オフェンスの指示何も出さなかった鼻ピ女だけど」
「うん。大丈夫。外したら美貴のバストの値全国公開するよ」
「ちょ、な、なにを」
「本気でうろたえすぎ、美貴は」

冗談が言える程度には落ち着いていた。

「美貴、背中一発ばしって叩いて」
「なに? マゾ?」
「ごちゃごちゃうるさい。いいから」
「分かった」

右手手の平で里田の背中を一発叩く。

「後は任せた」
「オーケー」

滝川のメンバーは散る。
里田はフリースローレーンに入った。

今、里田まいの力が問われている。

そう、思った。 

「ツーショット」

レフリーがコールする。
里田は二度、三度と屈伸してから立ち上がる。
エンドにいるレフリーからボールを受け取った。
何も考えまい。
そう、考えた。

フリースローは割と入るほうだ。
ポジション柄打つことが多いので練習もしっかりしている。
りんねのスペシャルなフリースローを引き継いだわけではなかった。
あれはりんねが一人で身につけたものであって、チームの伝統、というようなものではない。
それでも、フリースローに苦手意識は無い。

一本目。
二度、ボールを弾ませて、大きく息を吐いてから構えてシュート。
リングの奥に当たってそのまま吸い込まれた。
47−46 

「ワンショット」

何も考えるな、何も考えるな、何も考えるな。
そう、考えている。
準決勝からは会場には一コートしか無い。
観客の目はすべて里田に注がれている。
先ほどまでの盛り上がりがウソのように静かだった。
相手チームの関係者がフリースローの妨害のために何かを振り回す、というようなNBAみたいなこともない。
しんと静まり返った会場に、里田が二度弾ませたボールの音が響く。

構えたが打てなかった。
なにが気になった、というようなことではない。
ただ、打てなかった。
もう一度弾ませる。
息を呑んでいた観客が、呼吸を吸いなおす。
その間に二本目、放った。

ボールはリング手前に当たった。
小さく跳ね上がって奥へ。
リバウンドに周辺のプレイヤーは入っている。
中村学院の三人が、滝川の里田を含めた三人をしっかりとスクリーンアウトしている。
奥に跳ねたボールはもう一度リングに当たってバックボードへ。
ボードで跳ね返ってきて、リング中央に吸い込まれた。 

「ピックアップ! 捕まえて!」

叫んだのは藤本。
47−47
同点、だけど終わりじゃない。
二秒七ある。
中村学院はエンドからボールを入れる。

ここで一番されてはいけないことは、長いパスを通されること。
中村学院のガード陣はボールを受けには行かずに前へ走った。
そこにボールが投げられる。

藤本はきちんとフリースロー後まで考えていた。
この動きは想定済み。
ハーフラインを超えたあたりの位置でボールを奪う。
藤本が触れたところで時計が動き出す。
ワンドリブルして勢いをつけて、両手で力いっぱいボールを投げた。
タイムアップのブザーが鳴る。
投げたボールはゴールへ向かって飛んで行く。
バックボードに当たり、リング手前に当たって大きく跳ね上がった。
まさか、と誰もが思ったが、その、大きく跳ね上がったボールはリングの中へは入らずに、外側に落ちてきた。

47−47
延長戦へ。 

藤本の投げたシュートがコートに落ちると同時に、その場にへたり込んだのは里田だ。
すぐに思い直したように立ち上がる。
それでも、目を必死に手で拭っていた。

「ナイスシュートです」

近くにいた麻美が歩み寄る。
里田は何も答えられず麻美に抱きつく。
後輩の麻美が先輩の里田を抱きとめ、背中をさするという不思議な光景が出来る。
しかし、それも数秒だった。
里田は顔を上げベンチに戻る。

「里田、泣くのはまだ早い」
「はい。すいません」
「よく決めた」
「はい」

極度の緊張があり、それから解き放たれたのだろう。
まだ、平静さを取り戻せていない。

「やることはこれまでと変わらないと思っていい。向こうも四番中心で来るのは変わらないだろう。ただ、ファウルは常に意識しろ。里田、三つしてるからな」
「はい」
「ただ、向こうも三つだ。四つ目はするな。向こうも四つ目をしても変えられないだろうが、お前が四つ目をしても変えられない」
「はい」
「ここまで来るとスタミナの面でもきついだろう。だが、それは向こうも同じだ。気力で足を動かせ」
「はい」

石黒の言葉はここまで。
後は藤本が引き継ぐ。 

「流れが来る。来るよ。あそこでフリースロー二本決めて追いついたんだ。絶対流れはうちに来る」

虚勢か、本気で思っているのか、藤本はそう言い切る。

「足動かなくなってきてるから、ボール狙っていこう。パスが出るとこ常に。持ってるボールに手は出さなくていいけど」
「オフェンスも足動かそう」
「足と、ボールね。ディフェンス振り回せば行けるから。振り回しておいてから勝負」

体力勝負。
本来持っている体力なら滝川の方が明らかに上であると思われるが、その消費量が多くなる戦術をここまで取っている。
滝川のメンバーたちにもそれほど余裕はない。

二分間のインターバルの終わりが近づき、ミーティングを切り上げた。
藤本は顔を上げる。
視線の先には、高みの見物を決め込む富岡のメンバーの姿があった。

延長は五分。
それでも同点ならさらに五分。
いつまででも五分単位で続いて行く。
バスケットボールの場合、延長の前後半という概念は無い。
延長は五分単位で、五分経過後にリードしている方の勝ちだ。
PK戦のような概念も無い。
決着が付くまで何度でも五分単位の延長が続く。

一番体力的にきついのは里田だった。
この四十分、里田だけベンチに下がって休むという時間帯が無かった。
その上、相手は高校最高のプレイヤーとされる是永美記である。
最終ピリオドはオフェンスにもしっかり参加した。
実は、単純に体力だけを考えるとかなり限界が近い。 

延長一本目は滝川ボールで始まった。
中村学院のディフェンスは内に堅いという姿勢。
外でボールを回すことは許せてもらえる状況だ。
出だしで三点取れればかなり優位に立てるな、と藤本は思った。
ただ、慌てて打つことはしない。
外で回す。

里田は別のことを考えていた。
是永相手に自分が決めれば、出鼻をくじくことが出来る。
是永頼みのチームで、その当の是永がやられてしまえば、チームとしての力は失われるはず。

みうながゴール下にいた。
相手のディフェンスと競っている。
そこから、三秒オーバーを避けるために外に出てきた。
里田はそれとすれ違うように入って行く。
是永をみうなにぶつける算段。
動きのタイミングが悪いとファウルを取られるようなプレイであるが、それは取られなかった。
右サイド、ボールを持つのは麻美。
上の藤本、ゴール下抜けてくる里田、両者がボールを要求する。
麻美は里田を選んだ。
ボールを受けながらターンしてジャンプシュート。
是永は遠い位置からブロックに飛ぶがその上を超える。
ただ、是永の手を意識したか、シュートは長くなり外れた。 

リバウンドは中村学院が拾う。
すばやく速攻を狙って展開してきた。
少し休んだ直後、足はまだ動かせる。
滝川も戻って、三対三の情勢。
決まらない。
スローダウンさせてセットオフェンス。

是永は外に構える。
里田はなるべくボールを渡さない、渡ってしまったらシュートはなるべく打たせない、という方針。
抜かれそうと思っても、シュートの構えを見せたらつぶしに行く、というやり方だ。
是永が外に出て、里田も付いて行ったので中が広い。
中村学院はめずらしく是永ではないところで一対一を仕掛けてきた。
一対一、というのはイメージしていなかった八番をつけた二年生が外からの突破を許してしまう。
ゴール下にいたみうながカバーに動くが、パスを捌かれて相手センターに簡単なシュートを決められた。

藤本が言ったような流れ、というものは来ていない。
中村学院のリード。
流れで一気に持って行くのではなく、しっかり点を取って上回って行くことが要求されている。 

外でボールを回す。
速く、速く、と藤本は指示した。
ボールを動かしディフェンスの足を動かさせ、休ませない。
ボールマンの目の前までディフェンスは寄ってこないにしても、ボールの位置が動くとそれに対応する場所へ移動しないといけない。
オフェンスが一歩も動かなくても、ディフェンスは動かないといけない。
一本、アクセントで中のみうなへパスを入れた。
中村学院のディフェンスは、外からも挟みに行く。
ゴールに近いところでは誰も自由にプレイさせない、という方針らしい。
みうなは外に戻した。
待っていたのは藤本。
前は広い。
じっくり構えてスリーポイントシュートを放った。

これがリングに当たり大きく跳ね飛ぶ。
飛んだ先にはたまたま麻美がいた。
受けてそのままシュート。
このスリーポイントが決まった。

ここまで来ると、お互い、意地と気迫というものが基礎体力や技術戦術というのと同じレベルの重要さでゲームに影響してくる。
気力が続けばまだ走れる。
気力が尽きると足が動かなくなってくる。 

残り二分半。
滝川の鉄壁のディフェンスもほころびを見せ始めた。
しっかり戻る、ボールの移動に合わせてついていく。
そういったことは出来ていた。
ただ、一瞬の判断、すばやい動き、そのあたりが鈍くなってくる。

外からの一対一。
相手のフェイクに体が無意識に反応してしまう。
その反応を押さえ込んで次の動きへ移る、ということが出来なかった。
延長最初の得点と同じ形、八番が一対一で突破される。
ここではみうながカバーに入ろうとしたが、その前にジャンプシュートを決められた。
滝川山の手がタイムアウトを取った。
51−50
中村学院一点のリード。

「まだ動けるはずだ。気持ちを切るな。足を動かせ。とにかく気持ちを切るな。それが出来るだけの練習は積んできたはずだ」

ここまで来て石黒が語ったのは、完全に精神論だった。
与えるべき戦術、というのは、もう、特に無い。
残っている力でどこまでできるか。

「向こうもつらい。特に、始終追いまくられたガード陣は特につらいだろう。うちは四十分間前から当たるというのはいつものことだけど、向こうからすればいつものことでは無いからな。お前たちはやりなれたことをしているだけだ。その分。慣れて無いことをさせられている向こうの方が体力的には厳しいはずだ」

藤本が小さくうなづいている。
それは、肌で感じられるところだった。 

「新垣、入れ」
「はい」

六番の代わりに新垣を投入する。
代えないと仕方なさそうだな、と思ってタイムアウトは取ったが、誰に代えようかというのは名前を告げるぎりぎりまで石黒は迷っていた。
力的には六番手とは言えない。
だけど、今日の試合で光っている部分を見せた新垣に期待した。

「自信を持て。ただ単純な持っている力で言えば、新垣は向こうのメンバーに劣るかもしれない。マッチアップの相手に劣るかもしれない。でもな、フレッシュな状態なのは新垣だけだ。今、コートに立つ十人の中で一番元気なのは新垣なはずだ。周りは四十分間動き回った奴らばかりだ。それだけのハンデがあれば、新垣も十分同じレベルで戦えるはずだ」
「はい」

切り札というようなものではない。
不安はある。
それでも、そんな不安は石黒は見せずに言い切った。

「必ず勝てる。とにかく最後まで足を動かせ。自信を持って足を動かせ。必ず勝てるから」

戦術的な指示ではなく、精神的な事柄ばかりではあったが、この大会で初めて、タイムアウトの一分間を生徒たちに任せず、最後まで石黒が仕切った。

「新垣、ボール狙っていいからな。パス入るところ、常に」
「はい」

コートに戻りながら藤本が新垣に言う。
珍しくきちんと名字で呼んだ。 

新垣がエンドからボールを入れてゲーム再開。
藤本がボールを運ぶ。
外でボールを回すと、先ほどまでよりはディフェンスが寄ってきた。
里田はゴール下へ入って行く。
是永との競り合い。
だが、そこへボールは入れなかった。
逆サイドで競り合うみうなへ。
みうなは勝負の素振りだけ見せて外の藤本へ戻した。
藤本、シュートフェイクを見せてドリブル突破の構え。
ディフェンスは付いてきたが、ワンドリブルでやめてジャンプした。
ブロックはない。
長めのジャンプシュートが決まって再び滝川が逆転した。

一進一退。
一本のシュートで何度も立場が入れ替わる。
時間もまた押し迫ってきて、会場の雰囲気も盛り上がってきた。
滝川のディフェンスコール、中村のオフェンスコール。
両チームとも全国でも屈指の部員数を誇るチームなので、スタンドの控え部員たちの声も大きい。

会場の空気に新垣は押しつぶされそうだった。
周りは体力が減っているとかそういう理屈は関係ない。
逆に、新垣だけは、こういう場にまったく慣れていないのだ。
それでも必死に周りに付いていこうとする。
その、伸ばした手にボールが当たった。 

「スタート!」

自分の緊張を吹き飛ばすように大声で叫んだ。
走ったのは麻美。
一本パスを出す。
中村学院ディフェンスも戻って一対一。
麻美は迷わずそのまま勝負した。
ドリブルでゴール下までゴール下まで、フェイクもなしに突き進んで行く。
ディフェンスがそれに必死に追いすがったところで足を止めた。
ストップジャンプシュート。
空中でフリー、力みなく打ったはずのシュートだったが、短くなってリング手前に当たって外れた。

リバウンドはブロックに飛ばなかったそのディフェンスが拾う。
全員走っていた滝川、全員戻りかけていた中村学院。
拾ったリバウンドは一本、長いパスが投げられた。
ボールの目指す先は是永。
里田は振り切られている。
渡れば簡単なシュート、というところだったが、途中でみうながカットした。

ターンオーバーのターンオーバー。
上がって戻ってまた上がって。
みうなはすぐに藤本へ。
藤本は新垣へ。
すでに上がっている麻美と、これから上がる新垣と藤本。
かなりいびつだが三対二の状態にはなっている。
新垣は麻美にパスを落とした。
ディフェンスはそちらによって行く。
新垣へリターンパス。
ボールにミートしてジャンプシュート。
フリーで打ったこのシュートがまた外れる。

リバウンドは中村学院。
行ったり来たりで場が落ち着かない。
ドリブルで中途半端に動いてから一旦場を落ち着かせようと止まってあたりを見渡した。
その、動きが緩慢になった瞬間、持っているボールを藤本が叩く。
こぼれたボールを藤本が拾い、再度上がってくる新垣へ送った。
中央、今度はディフェンスもいない。
藤本にボールを奪われたガードがゴール下に戻っていこうとするが、それよりは新垣が速かった。
一人でゴール下まで持ち込んでレイアップシュートを決めた。 

53−50
滝川リード。

何度も続いた、上がったり戻ったり。
体力面で余裕のあった新垣だけが、最後まで繰り返せてゴールに繋げた。

残り一分少々。
もう一本、もう一本。
俄然盛り上がる滝川側スタンド。
気持ちが足を動かす。
この、大事な場面で中村学院のガード陣にボールを運ばせなかった。
圧力をかけて藤本、麻美の二枚で取り囲んだところで相手ガードがトラベリングの反則を犯す。
中村学院ベンチがタイムアウトを取った。

「時間使って一本。時間使っていこう」

戻ってきて、まず藤本が口を開いた。
石黒が話しだすより早く、藤本が口を開いた。

「外で回して開いたところで勝負。時間ぎりぎりまで使っていこう」
「確認するぞ。残り五十九秒。マイボールで三点リードだ。チームファウルは四つづつ。ファウル四つした奴はいない。三つは里田。向こうだと四番と七番、二人だ。二十四秒使い切ったら残り三十五秒。残り二十四秒まで後十一秒になる」

石黒が現状確認を促した。
チームファウル四つというのは、ファウルをすれば状況に関係なく相手のフリースローになるということを意味している。
二十四秒はボールを保持してからシュートを打たなくてはいけない時間の制限。
残り五十九秒をパスを回しきって逃げ切る、という選択肢は無い。
必ず二十四秒以内にシュートを打たなくてはならず、それを過ぎると相手ボールになる。 

「里田、もう一回、お前の力が問われる場面が必ず来る」
「はい」
「周りは、百パーセントまで信じきっちゃいけないけど、里田は百パーセント四番で勝負してくると思っていろ」
「はい」
「再延長は恐れるな。ただ、逆転になるようなシュートは打たせないように」

もし、二点リードの場面でスリーポイントを打たれそうになったらブロックしろ、その結果抜かれて二点のシュートを打たれても仕方ない、というような意味合いのことだ。

「藤本、残りの時間帯、状況判断はお前がしろ」
「はい」
「ボールを奪いに行かないといけないのか、シュートを打たせなければいいのか、仮にシュートは打たれてもいいけどファウルはしちゃいけないのか。オフェンスのところも含めてお前が状況判断してコートの中で指示を出せ」
「はい」

タイムアウトは延長時に一回プラスされる。
その一回はすでに両チーム使い切った。

「新垣、この二分、しっかりコートの上のレベルで出来ている」
「はい」
「残り一分もできるはずだ。残り一分は自信を持ってやれ。四十分同じレベルでやるのは難しいかもしれないが、周りが四十分走ってへとへとな残り三分なら出来るはずだ」
「はい」

競った試合の終了間際というのは、単純に体力的に優位である、というのだけでは埋めきれない、経験であったり自信であったり、いろいろなものが求められ、ずっとスタメンで戦ってきた人間と比べて控えメンバーは弱さを露呈することがある。
石黒はそれは頭にあったが、そういったことはすべて無視して、新垣に自信を持てと言い切った。
お前ちょっと不安だ、とこの場面で言ってしまう指導者はありえない。

「よし、まず、ボール回していくよ。勝負は状況見ながら。全員、自分が最後はシュートというような意識でいて」

最後は藤本が締めた。 

ゲーム再開。
新垣がサイドでレフリーからボールを受ける。
藤本は簡単にボールを受けるつもりでいたが、中村学院ディフェンスがコースを抑えに来た。

「ゾーン崩して当たってきてるよ」

声を出したのは里田。
自分のところにはかわらず是永がいる。

藤本はそれでも自分で動いてディフェンスをずらしボールを受けた。
ディフェンスは、ゾーンのポジションに戻らず藤本に当たってくるし、他のディフェンスも一人一人捕まえている。
藤本はドリブルで逃げた。
まだ、ファウルゲームで止めに来るというようなことはされない。
当たりが厳しくなった、という変化だけだ。

さすがに藤本のドリブルだけでキープしきることも出来ずパスを回す。
トップへ上がってきた麻美へ。
ハイポストの位置にいるみうなへ。

みうながボールを受けたら周りからディフェンスが殺到した。
藤本へ戻す。

当たられながらも二十四秒計は見ている。
パスを回しながら時間の経過を把握し、シュートへ持って行くタイミングをはかる。
藤本−新垣−麻美−藤本。
ボールが動き人も動く。
二十四秒計が6を示したところで藤本は里田へボールを落とした。
ボールを受けながらターン。
右0度、少々遠めの位置で是永と向き合う。
自分の勝負位置より遠い、と里田は思ったが時間も無いし勝負した。 

シュートフェイクを入れて左手でワンドリブルして移動。
そのままジャンプ。
読まれていた。
ブロック、タイミングは完璧。
里田の後ろへボールは飛ばされる。

たまたま、その場所にいたのは麻美だった。
飛んできたボールにミートしてそのままジャンプシュート。
二十四秒のブザーも鳴る。
ボールはリングを通過した。

「カウント! カウント!」

レフリーが右手で得点は有効、というジェスチャーをした。
シュートを放ったの自体は二十四秒の直前。
入れば有効、入らなければ中村ボール、というシュートが入った。
55−50
時間をぎりぎりまで掛けて点を取る、という結果百パーセントオーライな形になった。
残り三十五秒。

「足動かせ! ハンズアップ!」

ここまで来ても滝川のディフェンススタイルは変わらない
オールコートのマンツーマン。
中村学院はボール運びにもたつく。
苦し紛れの長いパスを飛ばす。
それはみうなが奪い取った。
残り二十八秒。
そのみうなに突進してきたのが是永。
無理やり奪い取ろうとしてファウルになった。 

レフリーに笛を鳴らされて素直に手を上げる。
是永、ファウル四つ目。
自覚のある、というよりも意図的なファウル。
ボールが奪えればもちろんいいけれど、そうでなくてもファウルをすることが時間の経過を止めるのが目的だった。
四つ目になる自分じゃない、他のメンバーがした方が好ましかったけれど、状況判断が自分が是永が一番早かった。

みうなのフリースロー二本。
ファウルで止めるファウルゲームは、このフリースローが外れてくれる、というのを何かに願うという戦術である。
五点差ならシュート二本でまだ追いつける。
六点でもスリーポイント二本だが、七点になると最低でも三本のシュートが必要になる。
二十八秒で三本シュートを打つということ自体が難しいことなので、この二本のフリースローは大変重要なもの。
そんなプレッシャーを感じているのかいないのか。
みうなは二本ともしっかり決めた。
57−50 

中村学院のボール運び。
予想外の動きをされた。
ガード陣が二人上がって行き、入れ違いに是永がボールを受けに来たのだ。
エンドからのボールを是永が自分で受ける。
里田は意外に思いながらもついていった。
ドリブル。
切り返しもチェンジオブペースもなにもなかった。
ただ、右手でドリブルをついて走る。
そのスピードに里田は振り切られた。

上がったガードに付いていた藤本。
カバーに入る。
ハーフラインを超えた先。
パスを落とすだろう、と読んでいて、元々の自分のマッチアップの方もケアしていたら、是永の視線はずっとそちらに向けられたままで、結局パスは出さない。
そのまま突破か、と藤本が悟って対応しようとしたときにはもう付いていけなかった。
ゴール下まで一本道。
みうなが最後に抑えに来るが、そんなものはもろともしない。
みうなのブロックの上をふわりと超えるシュート。
これを決めて見せた。
57−52
残り二十三秒。

ボールを回しきれば逃げ切り、という場面。
エンドの新垣から藤本へ入れる。
藤本はファウルをさせる気はなかった。
フリースローを決める自信はあったが、それよりも時間を使いきってしまいたい。
ファウルしようとしてくる相手ディフェンスを避ける。
二人目が来て囲まれそうになった時、ファウルを待たずにパスを出した。
新垣。
こちらはそこまでの考えは頭に及ばない。
ボールを運ぶ。
それだけを考えて、上がっていこうとして普通にファウルを受けた。
新垣の二本のフリースロー。

ゲーム中は夢中だが、時計が止まって自分のリズムでシュートを打っていいよ、となると余計なことを考え出す。
五点リードで残り十九秒。
このフリースロー二本を決めれば勝ちだ、ということが新垣の頭にははっきりと浮かんだ。
シュートを二本とも外す。 

リバウンドを中村学院が取って展開。
ガードに送って速攻を狙うが、藤本がスローダウンさせた。
速攻は決まらない。
それでも、いずれにしても早いシュートが必要な中村。
セットオフェンス、と呼べるようなしっかりした形にはならず、ばらばらと攻めあがる。
残り十秒の場面で、外から無理気味なスリーポイントシュートを放った。
リング奥に当たって大きく跳ね上がる。
リバウンドの飛んだ方向には里田と是永。
先に落下点に入りボールを取ったのは里田。
この取ったボールをすぐに是永が両手で掴んで引き剥がした。
勢いあまって是永もボールをキープしきれずこぼれる。
飛んだ先には中村学院の五番がいた。

「はい、入れて!」

是永が要求。
里田は是永に背負われた形。
五番からボールが供給される。
スピンターンでそのままドリブル。
里田、フェイクがあるものと思っていて反応が遅れた。
ここで二点なら打たせておけばいい、という考えは浮かばず、強引に手を伸ばす。
里田のファウルを受けながら、是永はこのシュートを決めた。
笛も鳴り、里田のシュートファウルでカウントワンスロー。

57−54
滝川三点リード
残り五秒で是永のフリースロー一本。
首の皮が後一枚、はがしきれない。 

「まい、みうな。リバウンドね」
「分かった」

すぐに簡易ミーティング。
当然藤本が仕切る。

「リバウンド取れたらファウルしてくると思うから。慌てずキープでいいよ。フリースロー決めてきたら麻美がエンドから入れよう」
「私ですか?」
「そう。新垣はエンドで考えてパスを入れるより考えずに動く立場のがいいだろ、こういう場面だと」
「はい」
「だから麻美」
「はい」

麻美のことを麻美と藤本が呼ぶのも珍しいことだ。

「なるべく美貴に入れて。無理なら新垣でもいいけど。二三秒キープしたら大きく投げよう。いい?」
「わかりました」

エンドにボールが出ている間は時間は経過しない。
一旦中に入ってプレイヤーがボールを触れば、後は空中にあろうがどこにあろうが時間は経過する。
残り三秒くらいになって、三秒以上滞空時間のあるボールを投げてしまえば勝ちだ。

「とにかく、リバウンドね。どっちで来るかわからないけど、リバウンドしっかりとろう。麻美、シューターしっかり抑えて」

是永がフリースローを決められない、という意味合いではない。
時間が無いので、わざと外してリバウンドを取ってスリーポイントシュートで同点を狙ってくる可能性がかなり高い、という読みだ。

中村学院の方も簡易ミーティングを解散し、それぞれがフリースロー時の位置に付く。 

「ワンショット」

レフリーがコールしボールを是永へ。
是永はそのボールを受けて、予備動作なしに放った。
リング手前に当たって跳ね返る。
すばやい動きを予想できなかった麻美。
跳ね返ってくるボールは是永の手元へ。
これに遅れて反応した麻美が奪い取りに入る。
笛が鳴った。

麻美のファウル。
笛を鳴らされて、自分だ、と思った。
やってしまった、という顔をする。
三点差のまま、時間も残り五秒のまま、是永のフリースローが二本に増える。

「忘れろ忘れろ。もう一回」

藤本が麻美に声をかける。
いらないファウルだった。
ゴールに近いところで是永にボールを持たれても、そのままシュートを打たせればよかった。
入ってもまだ一点リード。
そこからマイボールで逃げ切ることを考えた方がいい。
三点を取りに外に逃げたら、それから抑えればいい。
ファウルで止めるは、滝川としては選ぶべきでない選択肢だった。
是永の動きへの反応が遅れたけれど、その分、頭で考えるより反射的に手が出てしまった。 

「すいません」
「カウントワンスローやられるよりはいい。もう一回集中」
「はい」

シュート前だからまだ良かった。
あれがシュートまで持っていかれていて、ファウルしつつ決められていたら一点差でさらにフリースローだ。

「ツーショット」

もう一度同じ陣形に散る。
シューターの是永がボールをレフリーから受け取った。

一本目、しっかり決めてみせる。
二点差。

「ワンショット」

レフリーから送られたボールを受け、すばやくシュートモーション。
同じ手は二度喰わない、と麻美が踏み込むと、是永はボールをリリースしなかった。
フリースローだったけどフェイク。
麻美は足を戻す。
その、重心が後ろに移動しているタイミングで是永はシュートを打った。 

ボールはリング手前に当たって跳ね返る。
麻美もすぐに飛び込んだ。
是永がキャッチしそうになるボールを跳ね上げる。
ボールは再度頭上へ、時計も動く。

反応したのは里田。
キャッチはせずに、チップアウトで外へ大きく跳ね飛ばした。
飛ばした先には藤本。
自分の方にディフェンスが近づいてきたところで、逆サイドの新垣の方角へボールを高い軌道で投げた。

3、2、1・・・。

ブザーが鳴り、ボールが落ちてきた。
誰もキャッチしなかったボールが床で大きく跳ね上がりゲームセット。

57−55

滝川山の手が決勝進出を決めた。

終了のブザーが鳴った瞬間、麻美が飛びついてきた。

「まいさん! 決勝、決勝ですよ。決勝」
「うんうん。頑張った」

先に泣かれてしまった。
見れば新垣も泣いている。
自分はまだ大丈夫だ。

藤本が歩み寄ってきた。

「おつかれ」
「おつかれ」

右手と右手、ハイタッチを交わす。
何がどうなってどうだったのか、なんて話しは後だ。

「ほら、並ぶよ」

藤本が泣いている新垣と麻美の背中を右手、左手で叩く。
みうなは笑顔だった。 

ハーフラインを挟んで両チームが整列する。

「スコア通り 青、滝川」
「ありがとうございました」

挨拶して、両キャプテン、藤本と是永が握手を交わす。
里田は、是永に一声掛けたかったのだけど、泣いてしまっていて儀礼的な握手をシステマティックに交わす以上のことをさせるのはどうか、という雰囲気だったのでしなかった。

相手のベンチにも挨拶をして戻ってくる。

これだけ厳しい試合を勝ったのは初めてだった。
一年生の時は競った試合というのはあったような気もするけれど、まだ責任も軽くて遠い記憶のかなただ。
二年生の時は競った試合、といえるようなのはほとんど無かった。
強いて言えば、選抜の旧富ヶ岡戦だが、あれは最終的に結局突き放されて負けている。
三年になってから、今大会も三回戦、準々決勝とてこづったはてこづったけれど、ここまで薄氷を踏むような試合ではなかった。
延長なんて、里田のバスケ人生で多分始めてだ。

それを、勝ったのだ。
チームとして。 

「あそこでフリースロー二本決めるってすごいですよねー」

荷物を抱えて引き上げる。
並んだ麻美に言われた。

「たまたまだよ」

たまたま、だったと思う。
もう一回やれといわれても無理だ。
別に、フリースローを二本決める、というだけならいつでも出来るけれど、あの状況を与えられて、あんなプレッシャーの中で二本フリースローを決めろ、なんてそんなシチュエーションは二度とやりたくない。
あの二本目、リングの上をボールが跳ねていた時間はほんの一瞬だったのだろうけれど、里田にとってはこの上なく永かった。

ロッカールームに入った。
試合は終わった。
大きくため息をつく。
メンバーは皆戻ってきた。
藤本と目があった。

「美貴・・・」

なんだかわからないけれどこみ上げてくるものがあり、そのまま藤本のところまで歩み寄って行き抱きついた。

「勝ったよまい。決勝だよ。決勝」

ここまで戻ってきて、緊張感が解けた。
ダメだ、何もいえない。

ただ、藤本と抱き合った。

「まい、頑張った。四番よく抑えたよ。大事なフリースローも決めたし」

藤本は平静を保っているようだ。
藤本にとっては、中村学院と言う相手は特に思い入れを持つ相手ではないし、マッチアップが印象に残るような相手でもなかった。
とても苦労した一戦、ということでうれしさはあるが、里田のような四十五分は戦っていない。
もう、次に目が向いている。 

里田は、緊張感が解けて、もう、何も言えなかった。
ただ、涙を流して藤本にしがみついているだけだ。
藤本は言葉を掛けてくれていたけれど、途中でそれもやんだ。
里田の背中を、藤本が抱き合ったまま撫でていた。

「感動的な場面で悪いんだが、そろそろいいか?」

石黒だ。
試合が終わってロッカーに戻ってきたらミーティングである。
少々、茶化しは入ってはいるが、少しは時間は待ってくれていたようだ。
その言葉には里田ではなく、周りのメンバーたちが笑いをおこすことで答えた。
里田も多少落ち着きを取り戻し、藤本から離れる。

「里田、いっぱい宿題が出来たな」
「はい」

涙声で答える。
チームは勝った。
延長の末勝った。
自分も出来ることはやった。
だけど、プレイヤーとしての能力が是永の方が圧倒的に上だった、という点は自分でもまったく否定できる部分はなかった。

「あれがお前の世代のナンバーワンだ。それと四十分どころか四十五分まともにぶつかり合えたんだ。お前にも悪く無い経験だったろう」
「はい」
「チームとして戦うことを考えた場合、今日のように、後ろを使ってディフェンスするのは正しい。それが出来たから最終的に何とか勝つことが出来た。ただ、一人の選手として考えた場合、里田はあれを一人で止められるように。普通のマッチアップとしてマンツーマンのディフェンスで対処できるようになるべきだ。これから先もあのレベルを常に意識していろ。向こうも当然まだまだ伸びるんだろうが、まずはあのレベルに対処できるようになれ。今日の四十五分を忘れるな」
「はい」 

「ただ、あの場面でフリースローはよく決めた。インターハイの準決勝まで来て、あの場面。二本決めないと負けっていう、そういうシチュエーション。ああいうプレッシャーの掛かる場面というのは、バスケに限らずお前の人生の中でこれから先、そうそうないだろう。お前はそれを乗り越えた。なんでもないところでフリースローを二本決めるのは誰でも出来るだろうが、あの場面で二本しっかり決めて追いつけたっていうのは、そのことについては自信を持っていい。

残り五秒二点差となると、回ってきたボールをシュートするよりも、じっくり時間を与えられてフリースローを二本打てと言われる方が、技術的な部分とは別のところで難しい。
しっかりとプレッシャーを感じ取る時間を与えられた上で、二本のシュートを決めることが出来た、というのは大きなことだった。

「さて、まだ決勝がある。今日は四番のチームということで四番だけを考えて対処してきた。里田以外にとってはマッチアップ自体は普通の相手だったという印象かもしれない。だけど、明日は違う。明日は一人抑えればオーケーと言うようなチームじゃない。五人が五人とも、それぞれに自分のマッチアップを抑えることが高いレベルで求められる。今日の四番が五人いるくらいの気持ちで臨んでいいだろう」 

 

決勝のカードは富岡総合vs滝川山の手と決まった。
富岡は中村学院のようなスーパーエース跳びぬけ型のチームとは違う。
少々、ガードとセンターの一年生が落ちるかもしれないが、基本的にはどこからでも点が取れるチームである。
一人がダメなら別の誰かが、一箇所ダメなら他のどこかで、攻め手が豊富にあり、日によって変わってくる。
誰か一人をさえればいい、というわけにはなかなかいかない。

「家に帰るまでが遠足です、なんて言葉もあるが、それをもじっていうなら、ロッカールームを出るまでが今日の試合ですってところだろう。試合が終わったばかりだ、ああいうゲームで勝ったことを喜ぶなとはいわない。ただ、それは、このロッカーを出るまでにしておけ。今日はよく戦った。だけど、まだ完成形では無いことと、終わったわけでは無いことを忘れるな。以上」

そうまとめて、ミーティングは終わらせた。
今、これ以上あれこれ言っても、耳に入らないだろう。

石黒は一人、ロッカールームを出て行く。
自分が扉を閉めたと同時に、部屋の中から明るい歓声がまた起こっていたことで、少し苦笑した。 

記者たちの取材。
ここまで来ると人数も増えてくる。
準決勝はもう、同時進行の別試合が無い。
来ている記者は二チームのどちらかに皆話を聞きに来ることになる。

「先生、今日の勝因は何ですか?」

いきなりストレートな質問。
会見席に入って椅子に座って、向かい合う場所に記者席が多量にあり、司会がいて、というようなシチュエーションじゃない。
立ったまま、周りを囲まれての話しだ。
質問は雰囲気見ながら口を開いたもの勝ち。

「運が良かった。これに尽きるんじゃないですか」
「運ですか?」
「あそこまで行くと運だったような気がします。もちろん、ポイントポイント、いろいろなことがありましたよ。後半の最後、里田がフリースロー二本決めなければ負けだったでしょうし。延長入ってからも危ない場面はいろいろとありました。でも、もう、こういう試合は、何をどうしたから勝った、というようなものではないです。勝ったのは運が良かった。それしか言いようがありません」
「では、言葉を変えて。負けなかった理由はどこにあると思いますか?」

同じ現象に対して、別の視点での回答を求めた言葉を投げたのは稲葉だ。 

「負けなかったのも運が良かったから、と言っても開放はしてもらえなさそうですね。まあ、ああいう強い相手にきわどい勝負まで持っていけた理由っていうのかな、最後は運、というレベルで勝負できた理由っていうのであれば、いくつかあるんでしょうけど、一つはさっきも申し上げたとおり、里田がよくあのぎりぎりの場面で決めてくれたこと。私、現役の時、ああいうフリースロー外したことありますからね。よく決めたと思いますよ、ホント。他には、やはりディフェンス面でしょうか。四十分、という時間で見ると47失点。40点以内に抑えればどんな相手でも勝てる、という考えでこの大会に臨んでいますが、さすがにあの相手にそれは通用しませんでした。それでも50点以内に抑えることが出来たから何とか勝負になったと思ってます」
「ディフェンスがすべてのポイントだったと?」
「そうですね。ディフェンスではなかなかシュートを打たせず、オフェンスも時間を掛けて、ロースコアなゲーム、というのはうちの展開ですから。それに持ちこめたことで格上のチームと勝負になりました」

相手は第二シードで昨年三大会準優勝のチーム。
それを指して、石黒は格上、という言葉を使った。 

「ディフェンスといえば、ずいぶん体力を使うやり方なように外から見えます。それで、ずいぶんと控えメンバーを使っていた印象を今日に限らず、大会通じてここまで受けました。控えメンバーの奮闘振りについてはどう評価してますか?」
「うーん、評価ですか。そうですね、よくやってると思いますよ。まあ、でも、短い時間であればスタメン組みと差は無いと私は思ってますから、あれくらいは出来るという想定で彼女たちは使っています。その中で三分五分十分、ではなくて、二十分、三十分と出来るな、と思えばいつでもスタメンは代わって行きますし。強いて言えば、コートに立ってる瞬間は、自分が控えなのかスタメンなのかは忘れてろって言いたいですね。その瞬間の五人がその瞬間のゲームメンバーなのであって、自分だけ控えだ、とかそういうおびえは持って欲しくないですし、そんなレベルであるならば私は試合に使いません」

石黒は言葉を選んで話していた。
話している相手は記者だが、記者がその場で話を聞いて終わり、というわけにはいかないのがこういう場面で自分の発した言葉だ。 

「是永さんについての印象を聞かせてください。アメリカでプレイしたいというようなことを言っているようですが、通用すると思いますか?」
「とてもいいプレイヤーであることは間違いありません。今の高校生年代では明らかにトップクラスでしょう。それは私に限らず誰に聞いてもそう答えると思います。アメリカで通用するか、ということですが、それは私が判断することでは無いと思います。正直に言って、アメリカのWNBAのレベルを私ははっきりと把握していませんし。極端な話し、それを判断していいのは、彼女自身とアメリカのチームそのものだけでしょう。ただ、割と最近まで自分もプレイヤーであった身としては、そういうことが素直に口に出せることが、それも17歳? 18歳? どちらかな? とにかく高校三年生という時期にそれを口に出せるのがうらやましいですね。どんどん挑戦してみればいいんじゃないかと思いますよ」

長い文章で答えたが、ある意味ではノーコメントに近い回答だった。
チーム内のミーティングでは、石川梨華より上だ、と述べたことは、明日の試合を控えてこんなところでは言えない。 

「その是永さんを抑えきったというのは自信につながりますか?」
「自信? 誰の? 里田のですか? そこは、ミーティングで、ついさっき本人にも言ったのですが、宿題がたくさん出来たなと。結果試合は勝ちましたけど、抑えきったかといわれると、抑えきったというのとはちょっと違いますよね。特に一対一としては。明らかに里田より向こうの力は上でしたから。ただ、まあ、自分のレベルはこれくらいなんだ、というのを把握できたという意味では自信につながったんじゃないですか? 昨日までと比べれば良かったですから、里田が。昨日までの自分よりももう少し高いレベルの自分があると言うのは感じ取ってくれたんじゃないかと思います」
「チームとしてはどうですか?」
「自信ですか?」
「はい」
「そうですねえ。これもやはり、抑えきった、というのは少々おこがましいですから。ただ、ああいうレベルのチームが相手でも百回やって一回も勝てないというようなことはないなと。しっかり試合が出来る。まあ、もちろん百回やって百回勝てる相手じゃないですし。そういう、無鉄砲な自信みたいなのはないですけど。でも、高校レベルならどんなチームが相手でも勝つチャンスはしっかりあるぞ、という自信は持てたかもしれません」

記者の質問に順に答えて行く。
発言者はランダムだ。 

「オフェンスの面ではどうですか? 57点と苦しんでいたようでしたが」
「うーん、見慣れないシステムが相手でしたし。ボックスワンなんて、たぶん全員初めて当たった相手じゃないですか。私だって自分がプレイヤーだったことから振り返ってほとんどないですし。まあ、苦労しますよね。うちの得点源の里田が抑えられちゃうわけですから。そういう意味では、想定の範囲内だったかと思います。苦しんでいたかと言われると、苦しんではいたけれど、それ自体が想定の範囲内です」
「特に、ボックスワンの対策というのは事前に用意していなかったのですか?」
「まず、うちは、ここまで勝ち上がってくるのが前提、というようなチームでは無かったですから。中村さんを想定した練習、というようなものを大会前から積んでくる、というのはありえませんでした。それで、前日に何か対処するか、というと、やめておこうと。基本的には選手に、藤本にですね。任せました。よっぽどおかしなこと言ってたら口挟もうとは思ってましたが、とくにそういうことはなかったので」
「藤本さんからはどういう方針が出て来たのですか?」
「どういうっていうほど変わったことやったわけじゃないですけど。まあ、里田は置いといて他の四人で勝負しようと。あとは場面見ながら外と内の使い分け。ゲーム始まってみて、ダイヤモンドになってて多少面食らった部分もあったようですが、それでも基本線は変えてませんでしたね。ただ、状況見ながら里田も使おうと。やはりエースは里田なんだ、という意識がメンバーの中に自然とあったようですね。マッチアップは当然一番厳しいわけですが、それでも里田で勝負する場面は特に後半出てきていました」 

実際には、準決勝までの道筋がどうのこうのと言うことよりも、滝川は、相手にあわせて戦い方を変えるタイプのチームではなく、自分たちの戦い方で勝負する、というタイプのチームだ。
石黒はそういう意識を持ってチームを作ってきているが、そこまで説明する気は無い。

「明日、富岡と決勝で対戦することになりましたが、どういった戦い方をされるつもりですか?」
「まだなんとも。今日で必死でしたから。何も準備はしていませんし考えていません。ただ、今言えることは、胸を貸していただこうと。それだけです」
「挑戦者の気持ちで臨むと言うことですか?」
「挑戦者の気持ちも何も、うちは間違いなく挑戦者じゃないですか。女王陛下はあちらですよ。うちは滝川山奥高校ですから。負けなしの三年目に入っているあちらとは違い、失うものは無いんです、負けたって。ここまで来て怖いものは何も無いですから。決勝まで残らせていただいて、高校としてはいつ以来なんでしょう? ちょっとはっきり把握してませんが、とにかく久しぶりなことは間違いないですし、今のメンバーで全国大会の決勝を経験したメンバーはいません。生徒たちの力と幸運と、あと、これまでのチームの歴史。卒業して行ったOGや、あるいは、卒業できなかった先輩たちもいます。そういうものの積み上げでここまで来ることが出来ました。そういったことすべてに感謝して、戦えたらと思います」
「では、明日へ向けての意気込みを聞かせてください」

今言っただろ、と苦笑しつつ石黒はもう一言何とか話した。

「女王として君臨するチームに挑戦させていただきますので、観客の皆さんには判官びいきということでうちの方を応援していただけるように、記者の皆さんも、とくに今日中に記事を上げる方はよろしくお願いいたします」

笑いが起きたところで、石黒は話を打ち切った。 

 

「滝川が来たね」
「うん」
「ディフェンスかあ」

柴田がそう言ってため息をついた。
ディフェンシブチームはあまり好きじゃない。
石川ほどではないが、柴田だって勢いに乗ったような試合の方が好きだ。
堅く守ってロースコアゲーム、というのはあまり好きじゃない。
石川の応答がおざなりなのが不満で、柴田が言った。

「なに? 滝川じゃ不満?」
「不満ってこと無いけど」
「無いけど不満なの?」
「是ちゃんと勝負ってつもりでいたからなあ」

石川は是永が、中村学院が勝ちあがってくるのを待っていた。
昨年三大会、試合はすべて旧富ヶ岡が勝っているが、石川は個人として是永に勝ったとは思っていない。
今度こそ、という思いで待っていたら、相手は勝ちあがってこなかった。

「滝川だって甘く無い相手だよ」
「分かってるよー」
「あのディフェンスどうするの?」
「二人来たら捌く、一人なら勝負、いつもと一緒だよ」
「まいちゃんはあまり梨華ちゃんの視界には入っておりませんか?」
「そういうわけじゃないけど」

気分屋だからなあ、と柴田は思う。
視界に入ってなくは無いかもしれないけれど、もう、マッチアップとして楽しみに待てる相手ではないのだろう。 

「どこよりもディフェンス堅いのは確かだからね」
「分かってる」
「そこから点を取らないといけないんだよ」
「大丈夫だよ。一人一人で見れば是ちゃんほど厳しいディフェンスはいないんだし。二人目三人目が来ても、捌いた後の攻撃力は中村学院よりうちのがあるでしょ。柴ちゃんでも高橋でも、十分点が取れる。大丈夫。どうしてもダメなら、私が何とかするよ」
「さらっとそういうこといえるのがすごいと思うよ、ホント」

敬意と軽蔑を半ば混ぜながら、柴田が言った。

「さて、移動移動。少し体動かして、ごはん食べて、それからミーティング!」

女子の準決勝二試合が終わったこの時間はまだ午後の早い時間だ。
富岡のメンバーは近くの中学校の体育館で控えメンバーやスタンド組みを中心に少し体を動かしてから宿に戻る。
インターハイ決勝は二十時間後だ。 

宿は、もうずいぶんと空いていた。
同じ宿にいた男子サッカー部はみんな負けて帰ってしまったようだ。
搬送バスも、食事の時間も、会議室も、みんな富岡ペースで好きに使い放題である。
入り口のところの歓迎プラカードも名前が残るのは富岡だけになってしまった。

控えメンバーを中心に午後は体育館で体を動かした。
スタメン組みが入らない五対五、十分ゲーム、外から好き放題口を出す。
ベンチ組み対スタンド組み、という区分けだったが、元々の実力もさることながら、士気の違いが大きくベンチ組みが圧倒する。
宿に戻って一年生が洗濯物を集めたりしつつ食事の時間を待つ。
柴田はバスケ雑誌を開いて眺める。
あんまりまじめに読んでいるわけではない。
ひまつぶしだ。
誰かとおしゃべりするような気分ではない。
寄ってくるなオーラを出せるほど、一人になりたいわけじゃない。
寝てしまう、という手も無くは無いが、睡眠時間はしっかり管理しておきたかった。
今寝て、夜中に眠れないなどというのでは最悪だ。 

インターハイ特集号。
富岡で取り上げられたのは石川と高橋。
先輩後輩トークが載っている。
美記の夢、とかいう是永が語らされたらしいインタビュー記事や、日本と韓国、どちらの国籍を選ぶのかなんていうソニンを中心とした、他にリンリンジュンジュンなどの載った留学生を取り合えたコーナーなんかもある。
当然のように、悲劇から一年、なんて表題をつけられた滝川のページもあった。
大会前にも読んだものだ。
もはや誰のものだったのかもよくわからないバスケ雑誌がこういう遠征先にはなぜか転がっているもの。

「当たらないものですねえ、記者さん・・」

ひとり言。
厳しい相手が並び、勝ち上がるのは難しいかもしれないが健闘して欲しい。
誰だ、こんな締めで滝川の記事を書いた人は。
しっかり勝ち上がってきたじゃないか。

柴田は、中村学院より滝川の方が相手として嫌だった。
石川のように、えー美紀ちゃんいないのー、というような理由とは違う。
あのディフェンスが嫌なのだ。

オールラウンドに満遍なくいろいろなことが出来てバランスが取れた選手。
器用といえば器用だが、突出した何かが無い。
それが自分だ、と柴田は思っている。
普通の選手が相手なら、しっかりやりさえすれば取りこぼしなくしっかり勝てる。
昨日の松江戦、市井を相手にした終盤のような展開だ。
ただ、特徴のはっきりある相手にはそれほど強くない。
強烈な個性のある選手とのマッチアップはこれまであまりしてこなかった。
是永を相手にしたことはあるが、あれはディフェンス限定だ。
ディフェンスだけなら、ある程度誰が相手でも、それこそある程度出切る。
ただ、オフェンスはそうもいかない。 

滝川とは去年も試合をした。
今年も二度、滝川で公式戦では無いけれど試合をしている。
マッチアップについたのは、去年は麻美、今年の二試合は相手がいろいろ代わりすぎてよく分からなかったが、まあ、基本麻美だろう。
明日も多分そうだ。
マッチアップ自体は、それほどすごい相手じゃない。
普通だろう。

ただ、滝川のディフェンスはマッチアップだけの問題ではなかった。
全体で堅い。
ボール運びから苦労させられる。
去年の試合の終盤もそうだった。
高橋がなぜか良く、マッチアップの藤本に負けていなかったこともあり、中盤過ぎまではそれほどの苦労はなく試合が進んでいた。
それが終盤、藤本がファウルアウトしてこれでもう安心、くらいの感覚でいたらそこからが大変だった。
優位に立ったのに体力へろへろで高橋がボール運びも満足に出来なくなる。
最後は押し切ったけれど、後五分あったらきわどかったと思っている。

向こうのディフェンスはそのときよりも明らかにレベルが高い。
対して、こちらは、今の田中は明らかにそのときの高橋より落ちるだろう。
周りがカバーしないといけない。
高橋であり自分であり。

当然、やって出来ないわけではないけれど、柴田はその辺のフォローはあまり好きではなかった。
柴田に限らないけれど、前から当たられる場面でボールを運ぶというのはほとんど苦行だ。
それが好きだというのは、よほどのマゾか自信があって自己顕示欲が強いかどちらかしかない。
柴田は、前者、の可能性はゼロではないが、表向きはたぶんどちらでもない。

運んでから堅いのは許せる。
でも、運ぶ時に当たられる堅いディフェンスがとりわけうざいのだ。 

そして、田中は一年生。
高橋だって二年生。
自分は、三年生だ。

「おーい、寝るな。寝たら死ぬぞー」
「起きてるって」
「いーや、意識が消えかけてた」
「そんなことないよ」

仰向けになって顔には雑誌。
寝ていた、と突っ込まれても仕方はないだろうか。

「寝る時間はちゃんと管理するんじゃなかったの?」
「だから寝てないよー」

体を起こす。
三好だ。
仕事が割り振られるでもない、試合に出るでもない。
そんな三年生は今の時間帯、柴田にも増して暇なはずだ。

「今日、ごはん何?」
「知らないよ私に聞いたって」
「とんかつとかべたなこと言わないよね」
「ああ。一昨年のインターハイで泊まったとこそうだった。やたらとんかつ出したがるの。初日はいいとして二日目も出てきて、先生がやめてくれって言ったんだって」
「あるんだ、そういうオヤジギャグ旅館」
「毎回同じところに行くわけじゃないからね。当たり外れいろいろあるよ」

冬の選抜は東京固定だが、インターハイや国体は全国持ちまわりなので、毎年遠征先は違う。
遠征慣れしているチームといえども、その宿に泊まること自体は初めてなことが多い。 

「マッサージとかしてあげようか?」
「ん? なんで急に。いいよ別に」
「疲れがたまっていらっしゃるかと思って。全身を隈なくほぐしてあげようと」

柴田は三好の方を向いて、上から下まで見た。

「なにそのエロ発音は」
「気にしすぎだって。疲れたまってるんでしょ」
「いい。絵梨香に触られるのは危険な気がする」
「もうー。すっかり危険人物扱いですか」
「当然です」

なんとなく、それほど本気での他意はないような気はしたけれど、別にマッサージをしてもらいたい気分でもないので、そういう断り方をした。

「どうですか。決勝を翌日に控えた晩のエース様の調子は」
「変わらないよ、梨華ちゃんは」
「石川じゃなくて、あゆみ」
「どの辺がエース様なのよ」
「全体的に」
「私をエース扱いするのは、他に人がいなかったときのテレビ局くらいだよ」

自分がエースだと思ったことは無い。
たぶん、他人からも本心からそう思われたことは無いだろうと思っている。

「エースじゃなくてもいいけどさ。実際、どんな気分なの? インターハイの決勝を前にしたチームの中心選手の気持ちっていうのは。私には想像付かない世界なんだけど」

三好は柴田の隣に座った。
追い払われたらさっさとどこかへ行こう、という感じだったが、相手をすること自体はまともにしてもらえそうだと判断したようだ。 

「怖い」
「へー」
「へーってなによ」
「案外素直にそういうこと言うんだなと思って」
「まあ、絵梨香ならいいかなと思って」
「もう三年目でしょ? 七回目? 慣れたりするものでもないの?」
「三年目だからかなあ、余計。最初は最初で怖かったけど、今は今で怖い。三年生だからね」
「三年生だからか。結構背負っちゃうもの?」
「背負うね。特に明日はガード陣負担掛かると思うし。フォローしなきゃいけないのは私だから。私まで崩れたら一気に持っていかれる」
「あのディフェンスは鬼だよね、たしかに」
「梨華ちゃんはそれでも自信ありそうだったからなあ」
「何にも考えて無いだけじゃないの?」
「梨華ちゃん、普段はああだけど、バスケする時は違うよ」
「いや、あいつがボール持ったらすごいのは、私だってわからないわけじゃないけどさあ」
「梨華ちゃんは普通に自信持ってた。自信っていうより眼中に無いくらいの感じだった」
「それ、本当に見てないだけなんじゃないの?」
「それもあるかも」
「だめじゃん」

是永美記ばかりを見ていて、滝川のディフェンスは目に入っていない、という可能性は実際ある。 

「見てないだけかもしれないけどさ、でも、私は梨華ちゃんみたいな自信の持ち方は出来ないなあって思った」
「あれじゃダメだって?」
「そうじゃなくて。ああやって自信がもてていいなあって」
「自信ありすぎるのも困るけどね」
「やっぱり梨華ちゃんがキャプテンでよかったんだな、なんて思うよ」
「なにそれ」
「実際さ、普段はああじゃない。だからちょっと、私がキャプテンやった方が良かったかもと思ったりもしたけど、でも、こうやって試合やってみると違うね。梨華ちゃんキャプテンでいいんだよ」
「なんかこの前もそんなようなこと言ってたよね。自信ないって。でも、そういいつつ試合すごかったじゃん、昨日。あゆみが勝負決めたって感じで。そうやってぎりぎりまで怖がってても試合でちゃんとできるんだから。それでいいんじゃない? 石川だって実際には怖いのかもよ」
「梨華ちゃんに怖いって感情あるのかなあ? ああ、でも、ちょっとそんなこと言ってたな。だけどそれ、是永さんがってことだったかな。そっか。私は梨華ちゃんより一年遅れてるのか」
「何一人で納得してるのよ」

自分のせいで負けるかもしれないと思うのが怖かった、と石川が言ったのは一年前のインターハイ後のことだ。
試合自体は勝ったけれど、石川はマッチアップの是永にパーフェクトに抑えられた。

「あの子、そういえば昔はもっと暗い子だったなあ」
「今の姿って最初の頃と違うの?」
「空気は最初から読めなかったけど、もっと遠慮がちと言うか控えめだった。なんでも自信が無くて、そう、それこそ、自分が何でも悪いんですみたいな。なんでああなったんだろう」
「慣れじゃない? 案外人見知りはするのかもよ。それでなれちゃえば本性が出たって感じじゃない?」

三好の石川評は常に厳しい。
客観的で冷静な見方は出来ていないなんてことは自分でも分かっているが、客観的に石川を評価しようなどとはまったく思わない。

「食事の用意が出来ました」

入り口から一年生が声を掛けた。
二人も立ち上がり、食堂へ向かった。 

 

食後は少し時間を置いてミーティング。
資料映像は今日の準決勝である。
和田コーチにとっては滝川が勝ちあがってくるのは想定の範囲内ではあった。
決勝の相手の本命、ということではなかったが、三つくらいの候補の中の一つとして、最初から気にはしていた。

「うちが何点取れるかが勝負だな」

適当に語りながら映像を見た。
生徒たちから出てくる言葉はどうやってディフェンスを崩すか、というところばかりだ。
そういう意味では中村学院はやり方がはっきりしていてある意味で参考にはなった。

「60点後半の勝負に出来れば勝ちだと思っていいだろう。50点台になると分からなくなってくるな」

去年の選抜三回戦では61−54
何とか60点まで乗せて勝利した。
それよりも点数を上積みできるようなら勝てるだろう、というのが和田コーチの言葉だ。

「三回戦あたりだったかな。滝川と守り合いをやったチームがあったんだが、最後は押し切られた。うちはそういうことはせず、うちのペースでやろう。守り合いはやらない。普通に点を取りに行く。高橋」
「はい」
「エンドからボールを入れるのは高橋な。これは必ず」
「流れ関係なくですか?」
「基本そう。それ以外を選ぶ時は指示する。リズム変えるために柴田にしたり田中にしたりはする場面は作るけど、石川や道重がボール拾ってそのまま入れるっていうのは基本やらない。向こうは四十分前から当たってくるから、四十分気をつけてボール運びはする」

点を取られた後エンドからボールを入れるのは、何も考えていない場合はゴールの近くにいてボールを拾った人間になり、道重であることが結構多い。
そこからなんとなくボールを入れて、受けたガードが運ぶ。
前から当たられなければそれでいいのだが、当たられると、その、ボールを入れる一本目のパスから大事になる。 

「受けるのは当然田中と柴田な」
「はい」
「ドリブルで一人で持ちあがるってケースもあるだろうけど、出来ればパスで運ぼう」
「れいなもですか?」
「田中もだ。お前たちが、高橋も含めてな、三人が多少前から当たられたくらいでボールを取られるとは思ってないけど、その後を考えるとさっさとボールを運びたい。その為にはドリブルよりパスが早い。分かるな石川」
「私ですか?」
「他人事じゃないだろ。お前、パス受けるんだぞ前で」
「はい」

田中と柴田でパスを繋いで運ぶ、ということでもなくて、前に石川がいて出せるシチュエーションにしてさっさと繋げ、ということだ。

「向こうのペースに付き合いたくない。オフェンスは二十四秒づつお互い掛けて、ロースコアな展開でっていうのが滝川のバスケだけど、うちはそれはやらない。石川、道重。あと、柴田か田中か、その辺、速く持ち上がったところで三対三ですぐにシュートまで持って行きたい」
「プレス対応みたいな感じで四十分やるってことですか?」
「そうそう。そんな感じ」
「一対一多用でいいんですか?」
「石川がボール受けて、前が五番で道重が反対側にはけてるなんて状況だったら、すぐ勝負でいいよ。ただ、一対一な。一対二になる状況で仕掛けるなよ」
「はい」

一対一で勝負しろ、和田は石川にそう言う。
柴田が口を挟んだ。 

「それって、全部早打ちして行くってことですか?」
「それに近いイメージでいいと思う」
「今までの相手と比べてディフェンス厳しいし、簡単にシュートが打てる気がしないんですけど」
「そんなことないよ」

柴田の疑念には石川が答えた。

「確かにディフェンス堅いけど、組織として堅いって感じでさ。一人がボール持ったらそこをさっと囲むとか、一人抜かれても後ろをすぐカバーして挟み込むとか。一対二を作るのがうまくてそれでシュートまで持って行かせなかったり、ボール取ったりっていう強さはあるけど。一対一で見るならミキティ、四番はちょっと一枚上かなって思うけど、あとは普通だよ。普通ってことは無いかもしれないけど、めちゃめちゃ硬いって感じじゃない。是永美記ちゃんと比べれば一対一の相手としてはそれほど怖くないよ」
「俺も、石川と同じ印象を持ってる。ディフェンスしっかり戻ってこっちがセット組んだオフェンスで崩そうっていうときはかなり強いと思う。だけど、戻りきっていない状態で、一対一で単純勝負なら行けるはずだ。だから、早打ちでいいよ。持ち上がってアウトナンバーになってれば最高だけど、そうじゃなくても、一対一、二対二、三対三くらいまでの数だったら即勝負だな。それが石川の一対一になるシチュエーションが一番率が高そうだけど、そうじゃなくて、上がった柴田でも高橋でも、ボール受けて前が三対三なら即勝負でいい」
「さゆみは?」
「道重はよほどゴール下でボール受けられればいいけど、外でボール受けたらそれはちょっとなしだな。逆に、ボール受けられなかったら最初は開いてろ。石川たちがすぐ仕掛けられるようになるべくゴール下はあけとく方がいい」

言われてみればそうかも、と柴田は思った。
今日の中村学院も、そういう早い攻めは無かった。
持ち上がってセットオフェンスで崩すことに苦労している。
是永が個人技で何とか、というやり方だった。
個人技で何とか、だったら早い攻めでいいのかもしれない。 

「特にガード陣、持ち上がって一息つくなって意味だからな。分かるな。前から当たられると取られずにフロントコートまで上がったっていうところで一息つきがちだけど、そうじゃなくて一気にシュートまで持って行く」
「はい」

田中が返事をした。
田中は外からのシュートが無い。
一気にシュートまで持って行く、というのは自分で抜き去るかパスを捌くかしかない。
ここまで聞いた和田コーチの指示からすると、自分が持ちあがった場合は前にいるのは石川と道重になり、結果としてパスの出し先は石川しかないだろう。
マッチアップは四番だろうか。
あれに付かれたら、自分が抜き去る、という選択肢はほとんど無いような気がする・・・。
他の相手なら一対一ならまだ何とかなると思うけれど。
とにかく、パスにしろ、ドリブルにしろ、ボールを運ぶところまでが自分の仕事だろう、と田中は思った。
セットオフェンスでゲームを組み立てる、ということはほとんど求められていないようだ。

「シュートまで持っていけなかった場合は、当然セットオフェンスになるんだけど、その場合でもシュートまではやくな。勝負できたらすぐに勝負。特に高橋、柴田」
「はい」

そこで自分の名前? と柴田は意外そうな反応をした。
ここで出てくる名前は普通なら石川だ。 

「外を多投しろ。スリーポイントラインより離れた位置でもいい。外からどんどん打っていけ」
「確率気にせんでいいんですか?」
「いい。外で打てる時はすぐ打つ」
「私も打っていいですか?」

石川が聞いた。

「いい。石川でもいい。石川の場合は石川が外に出てきたら中が拡がっている可能性が高いから持ちこんだ方がいいかもしれないけど、打てるなら打てばいい」

なんとなく、和田コーチが何を考えているのか柴田は分かってきた。

「たぶん、まあ、考えるまでもないけど、それだけ早いシュートにこだわると確率は低くなると思う。確率下がって上がり前だから、その辺はあまり気にするな。百発百中なんてありえないんだし。フィールドゴールなんて50%決まればかなりなものなんだから。早打ち繰り返すと50にも届かないと思うけど、それでいい。何も気にせずいいから。ただ、リバウンドはなるべく取りに行けよ」
「とにかく早い展開で点の取り合いが出来ればうちのペースってことだからね。そうですよね?」
「石川も分かるようになったじゃないか。そう。そのイメージ。手数多くして展開早くする。滝川はディフェンス固めてシュートまで時間を掛けさせて、自分でもじっくり時間を掛けて、展開遅くしてロースコアでっていうチームだから。それにお付き合いするな。主導権はボールを持っている方にある。早くシュートまで持って行くと決めたら、早くシュートまで持って行く権利はボールを持っているオフェンスの方にあるんだ。相手が待ち構えているところを完全に崩そうと思うといけない。うちはうちのペースでやればいい」 

自分の理解は正しそうだ、と柴田は思った。
点の取り合いにする。
一方的に点を取るのでもなく、本当に点の取り合いになって五分と五分のような形であっても、ハイスコアな展開になればそれは自分たちのペースだ。
松江戦はそうだった。
松江もどちらかといえば点を取って行くタイプのチームだったのだろうけれど、富岡の方が一日の長があった。
まして、滝川はそういうチームでは無い。
逆に、点数は五分と五分でもロースコアだと相手のペースと言える。
ロースコアになるにしても、展開が速ければペースはそのうち上がって行くだろう。
先生はそういうことを考えているらしい。

「ディフェンス。四番には高橋がつけ」
「はい」
「五番には石川」
「はい」
「なんだかんだでこの二人だろうなオフェンスは。石川、五番は中村の四番が相手でも終盤はオフェンス参加してそれなりに点は取ってきてたから気を抜くなよ」
「分かってますよ」
「ホントに分かってる? 美記ちゃんが良かったー、とかさっき言ってたでしょ」
「だからって気は抜かないよ」
「中村の四番との物差しになるのがあの五番だからな。別に、中村の四番を忘れろとは言わないけど」
「だから分かってますって。美記ちゃんがちゃんと抑えてた相手に私がやられるわけには行きませんから」

石川のここ一年でのディフェンスの意識の向上は目覚しいものがある。
その理由はほとんど是永美記の存在なんだろうと考えると、和田コーチは中村学院にある種感謝に近い気持ちを感じている。 

「気をつけるのは戻り早くってことだな。ロースコアなんだけどその中で速攻で取る点が多い。しっかり速攻って言うのもあるけど、シュートまで行けずにターンオーバーからのものが特に多い。ああいうチームだからそれが当然多くなるんだろうし、うちもそういうのを喰うことはあるだろうと思う。切り替え早くは当たり前だけど、二対一、三対二でも何とか持ちこたえろ。シュートを打たせない、が一番いいけど、そうも行かないだろうからゴールに近づけないが基本方針で。三対一とかになったらゴールの近くを守る。スリーなんかは打たせればいいし、ミドルから打ってくるならそれでいい。簡単なランシュー、レイアップはさせるな。周りも三対一、になってるのが見えてもあきらめずに戻れ」

すばやく運んでシュートまで持って行け。
戻りは早く。
切り替え早く。
アウトナンバーにされていてもあきらめずに戻れ。
言っていることは分かるが、柴田は一つの不安を感じた。

「先生、四十分持つ気があんまりしないんですけど」

体力が最後まで持つ気がしない。
柴田の発言に高橋が大きくうなづいた。
去年、体力面で一番ひどい目にあったのが高橋だ。
その去年よりも、明らかに多くの運動量を要求されている。 

「その辺は見ながら考える。休む時間帯、スローな時間帯も作るかもしれないし。まあ、基本はメンバーチェンジでベンチで休むってあたりだけどな。向こう見てるとずいぶん入れ替えて体力を最後まで持たせるってやり方出来てるみたいだから、うちもある程度それにあわせて行くことになると思う」
「私は四十分出る気でやるつもりですけど」
「持てばいいよそれでも。体力的にきついのはガード陣だろうから。石川は持つならそれでいいよ。ただ、ペース落として最後まで持つようにっていう調整してるように見えたら下げるからな」

そうは言うけれど・・・、と柴田は考えた。
石川を下げる、は多分かなり難しい。
滝川から点を取るには石川の力は確実に必要だと思っている。
攻撃力の面で石川の代わりを出来る選手などいない。
梨華ちゃんが休むとしたら、十点前後のリードがあるか、ファウルがかさんでどうしようもないときくらいだろうな、と思った。

「とにかく、早い展開にすること。勝負するかどうか迷ったら全部勝負でいいよ。一対一のディフェンスも弱いわけじゃないから止められることもあるだろうけど、勝負した結果ならそれでいいから。チャレンジしろ。チャレンジな。受けて立つな」

ミーティングは締めに入ってきている。
和田コーチは実際の戦術的な事柄と合わせて、精神的な部分にも言及している。
ある意味で、挑戦者の気持ちでぶつかって行きたい、という準決勝終了時のコメントを具現化したのがこの戦術でもあった。 

「四十分間とにかく攻め続けろ。相手のペースには乗らない。うちはうちのバスケをやる。流れを作れない場面もあると思うけど慌てなくていい。とにかくボール持ったら勝負。ボール持ったらチャレンジだ。あと他、何かあるか?」

特に反応は返ってこない。
それぞれはそれぞれに納得したようだ。

「じゃあ石川、一言」
「はい。戦術は戦術で、まあ、いろいろあるんだけど、気持ちとしてはさ、普段通り行こう。あんまり決勝だっていうのを考えずに。一回戦でも決勝でも同じ。相手がこういうチームで私たちはこういうチームでっていうのがあって、その上で向かって行くだけ。それでいいと思うんだ。もちろん簡単に勝てる相手じゃないよ。でもそういうことを考えるのはやめよう。あと、スタメンはスタメンで試合に出るんだけど、ベンチスタートでも気持ち入れといてよね。声だし大事だし、ベンチも盛り上げないといけないけど、でも、それだけじゃなくて、呼ばれたらすぐに試合に出られる状態でいること。スタンドはめいいっぱい盛り上げて。四十分、いつものように走り続けましょう」

キャプテンがキャプテンらしく、ミーティングを締めた。 

滝川のメンバーにはさすがに激闘の後の疲れの色が見えた。
元々、体力を非常に使うスタイルのチームだ。
その上今日はいつもよりまたさらに五分長い。
競った試合で神経もすり減らした。
勝った直後は当然沸きあがっていたが、時間が経過して落ち着いてみると、さすがに体は少々重い。

だけど、それを口にするものはいなかった。
あと一つ。
ここまで来るのが当たり前、という感覚のチームではなかったが、ここまでくることを考えていなかったわけじゃない。
ここまで来て、向かい合うのは王者富岡。
滝川にとっての大きな壁だ。

「さて、見て分かったと思うけど、強いチームだ。当たり前だけどな。実績は当然ナンバーワンだし、攻撃力も一番あるだろう」

ミーティング。
石黒コーチは富岡の準々決勝、松江戦の映像を見せた。
序盤は競っていたし、中盤も松江が付いて来たが、終盤に叩き潰した。
そんな試合だ。
得点ペースは松江の方が上がったり下がったりしたけれど、富岡は終盤のファウルゲームのあたり以外はそれほど上下せず割合一定だった。 

「十二番が少々得点が少ない感じはあるが、それでも自分で切り込んで点を取る場面もあるし、カウントワンスロー取ったりもしてる。十四も自分で崩すってとこは無いけど、リバウンド拾って決めるから点数はそれなりに取ってくる。内、外、いろいろなシチュエーションで点が取れるチームだな」

スクリーンを使って高橋からボールを受けて、松浦のファウルを受けながらシュートを決めてカウントワンスローを取った、という場面が田中にもあった。
道重のリバウンドシュートは、あまりに簡単なものでも外したりするが、数がかなりあるので得点としてかなり積まれている。

「メインは中三人。五、七、四だな。一対一あり、外からスリーあり。繋いで崩してもあり。藤本」
「はい」
「藤本は七番。自分で点も取ってくる選手だから、いつもの相手とは違うと思うけどしっかり対処するように。身長差がないからあまり先読みしなくてもシュートをぽんぽん打たれるってことは無いと思う。ただ、シュートに対処しないといけないっていう意識はいつもより高めの方がいい」
「はい」

去年、高橋とマッチアップして藤本がファイブファウル退場したことを石黒は覚えていないわけは無いし、藤本も当然頭に残っている。
だけど、それには触れなかった。 

「五番には安倍。安倍麻美。安定してるタイプに一見見えるんだけど、私はそうでもないと思ってる。頭で考えるタイプだからかな。この時間帯は自分で行く、この時間帯は周りが行くっていうのを使い分けてる感じに見える。だから一本調子にはならないで、波があるっていうのとはちょっと違うけど、よく言えばメリハリがあるって言うのかな。自分が決めてやるっていう意思がそれほどない時間帯が多くて、そういうときにはちょっと当たればパスを捌くっていう選択肢を取らせやすいはずだ」
「はい」

柴田には麻美を当てる。
力的にはやや負けるかもしれない。
それでも、去年の選抜も今年の滝川カップも、あまり目だって一方的にやられる、という場面は無かったように石黒は感じている。

「四番は里田。総合力で見て、今の高校ナンバーワンは今日の中村の四番、是永さんだろうと私は思う。それを相手に里田は今日よくやった。ただ、最低限、同じパフォーマンスが明日も必要だ。富岡の四番は攻撃力だけ見れば中村の四番に匹敵する。中村と違って富岡の場合、他の攻撃力も高いから、お前も四番だけ見ていればいいというわけにはいかない。そこが難しさだと思う。ただ、富岡の四番、石川さんの方が是永さんより上だっていう意見は、その辺の、周りの力の差を考慮してない意見だと私は思う。個人と個人の戦いでいえば、今日のレベルでお前が戦えるなら、同じように富岡の四番ともやれるだろう。難しいのは、周りも見ながらディフェンスしないといけないっていうのが今日とは違うってところだ。五番や七番が外から飛び込んできたときのカバーとか、そういうのを今日と違って明日は後ろでカバーすることも考えないといけない。里田の負荷は大きいと思うが、やれ」
「はい」

映像で流した松江戦、目立っていたのは前半の高橋であり終盤の柴田だった。
石川はこの試合、それほど目立ってはいない。
それでもしっかり二十五点を取っている。
今大会、比較的おとなしい存在になってはいるが、それでも警戒は十二分に必要だった。 

それから石黒は、ガード、センターに田中、道重それぞれの対処を指示する。
全体として守りの指示。
しっかり戻ること、という基本的なことから、オールコートマンツーで前から当たる場面での田中、高橋あたりのパス、ドリブルそれぞれの選択の時の動きなど、多岐にわたる。
雰囲気的に、あと少しでミーティングは終わりだな、というところで、藤本が口を開いた。

「先生」
「なんだ藤本」
「オフェンスの指示は無いんですか?」

今日のミーティング、ずっとディフェンスについての指示だった。
今日だけじゃない。
昨日も一昨日もそうだ。
試合中の指示もディフェンスのことばかり。
オフェンス面は藤本に任されている、というよりも、放置されているので藤本が指示を出しているという状態だ。

「無い」
「なんで無いんですか?」
「指示が欲しいのか?」
「はい」
「オフェンス面は藤本が考えてチームに指示を出している。そう言う状態なはずだ。その状態におまえ自身が不満なのか?」
「不満です。私たちはディフェンスが堅いけれど点が取れない。そう一部で言われています。それは私自身も思うところです。私が考えて指示を出す。そうやって確かにやってます。だけど、それだけで勝てる相手だと明日は思えません」
「なぜそう思えない?」
「先生は一試合四十点以下に相手を抑えろといいました。今日は出来なかったけれど昨日まではそれが出来た。だから必要な点数は五十点程度でした。五十点なら確かに取れたし、ターンオーバーからの速攻みたいな形だけで十分なところもありました。でも明日は違う。必要な点数は増えると思うし、富岡はディフェンスもちゃんと堅いです」

石黒は、高圧的に断定的に言葉を飛ばすが、生徒たちの話を聞かない、ということはない。
言葉をさえぎってしゃべらせない、ということはしない。
まともに話させて、言いたいことを言わせて、その上で論破して従わせる。
そういう風にやってきた。
ここでも、藤本に言いたいことは言わせている。 

「じゃあ、同じことを言おう。明日も四十点以内に抑えろ。そうすれば勝てる」
「抑えられなかったら?」
「自信が無いのか?」
「そういうわけじゃないんです。でも、あまりにオフェンスの指示が無さ過ぎる。ディフェンスが大事なのは分かります。うちはそれでやってきました。ディフェンスは大きな武器です。だけど、それだけで勝てるとは限らない。美貴は勝ちたいんです。明日。富岡に、石川たちに勝ちたい。勝って優勝したい。一年前、このチームはなくなる寸前でした。もう、本当になくなるんじゃないかと思った。なくならなくても、美貴はもうやめちゃおうかなって思ったりもしました。寮にいるのもつらかった。いなくなりたかった。それをりんねさんが、りんえさんだけじゃない、先輩たちが立て直してくれました。だから今がある。なつみさんも戻ってきてくれました。あれから一年経ちました。一年掛けて、私たちはここまで来ました。美貴は、先輩たちに優勝した姿を見せたい。それと富岡には負けたくない。石川にも負けたくない。勝ちたいんです。ここまで来たからには勝ちたいんです。それにはディフェンスだけで本当にいいんですか? 勝てるんですか!?」

石黒は藤本の言葉を眼を瞑って聞いていた。
あれから一年と藤本は言う。
石黒にとっても、あれから一年だ。
藤本たち、生徒たちとは違い、後から来た立場ではあるが、その自分が来てからの一年の集大成でもある。 

「気持ちが前面に出るのはお前のいいところであり悪いところでもあるな、藤本」
「茶化さないでください」
「茶化してるわけじゃないが、まあ、いい。ディフェンスだけで本当に勝てるか? という部分だが、それはわからない」
「判らないんじゃ駄目じゃないですか」
「少し聞け。ディフェンスだけで勝てるか? と聞かれて、勝てると言ってやれればいいがそれは甘いだろう。明日はそういうレベルの相手じゃない。去年、うちは富岡に負けた。あの時は何とか試合になったというレベルだったと私は感じた。去年のあの時期のチーム力で言えば、ディフェンスだけで勝てるかというのは、無理という答えになっただろう。今は違う。ディフェンスをしっかり鍛えてきた。ベスト8レベルのチームを相手に四十点に抑えてきたし、今日も四十分では四十七失点っていう試合が出来た。富岡に明日ディフェンスだけで勝てるか? 私は少なくとも、やってみなければわからないと言うレベルのチームになっていると思う」

石黒の認識では、去年のチームと比べて今年のチームはワンレベルもツーレベルも上がっているというところにある。 

「うちのディフェンスはどこが相手でも通用する。もちろん日本代表なんてチームになれば話は別だろうけど、高校の一チームが相手ならどこが相手でも通用する。その一つの武器に磨きを掛けてきた。富岡が相手でもどのレベルまで抑え切れるかはやってみないとわからないが、ずたずたにされると言うことはないだろう。それは今日までの積み上げがあるからだ。富岡は強い。そういう相手にはきちんと積み上げてきたものしか通用しないだろう。うちはオフェンスに関しては個人の力量に頼った部分が主で、全体としてこうという練習をしてきていない。藤本。富岡は付け焼刃が通用する相手だと思うか?」
「いえ」
「私もそう思う。付け焼刃が通じる相手じゃない。もちろん、その場その場で相手の状況に応じてこう攻める、というやり方はあってそれは通じていくだろう。じゃあなんでオフェンス面を今まで積み上げてこなかったかってことになるんだが、それはやはり、はっきりと一つの武器を持ちたかったからだな。元々ディフェンスはある程度強かった。オフェンスよりもディフェンスに力を入れてきたチームだからな。それをはっきりと強力な武器にしたかった。オフェンスを強化して平均的なチームにしても富岡に、富岡に限らないけれど、トップレベルのチームに勝てるチームにできるとは思わなかった。もちろんオフェンス力もあるに越したことはないんだけど、その前に、ディフェンスをはっきりと日本一のチームにしてしまいたかった。それは達成できたと思ってる。そのディフェンス力でどこまで富岡を押さえ込めるか。それで勝負するのが正しいやり方なんじゃないか?」
「先生の言うことは判ります。ここまでそれで来ました。結果もついてきてます。だけど、私は、どんなことをしても明日勝ちたい。だから、状況に応じたオフェンス面での指示も欲しいんです」 

藤本は、なんだかんだといいつつある意味で石黒をのこと信頼していた。
むかついたり頭に来たりすることは多々あるけれど、コーチとしての石黒のことは信用している。
たぶん、自分よりもバスケをよく知っているし、ベンチにいて試合の状況をよく見えているだろうと思っている。

「ディフェンスにな、集中させたかったんだよお前たちを。とにかくディフェンスの力を上げる。それを考えてきたからな。他の指示はあまり出さなかった。藤本がオフェンス面は指示を出していたし、それは特に変なことはなかったからな。ただ、藤本にはそのせいでいろいろなことを考える必要があって負担が大きかっただろうと思う。そのせいでおまえ自身どうも成長したようではあるがな」

オフェンスは、返ってから積み上げていけばいい、と石黒は思っていた。
インターハイは通過点。
冬の選抜がチームの最終目的地だ。
新チームから練習試合などで中核メンバーを選び出し、その後夏まではディフェンスに注力する。
その方針でここまで来て、オフェンス面はこれから、という感覚だった。 

「オフェンス。そうだな。まず、点が取れなくても気にするな。うちはディフェンスがやはり重視のチームだ。点を取らせないが大事で、点を取るのは後からついてくる、という考え方だな。それと、言えることは、やはりディフェンスからの速攻。ターンオーバーからの速攻、アーリーオフェンス。これで点を取ることだな。オフェンス力とは違う部分だけどな。そこで点を取ることだ。セットを組まざるを得なくなったら時間を掛ければいい」
「時間を掛けて、掛けた後どうすればいいんですか」
「実際には時間を掛けながらパスで崩して行くというのが理想だけど、なかなかそうも行かないだろう。明日の場合は最後は一対一で何とかする、しかないと思う。現状のうちの力では。一番やりやすいのは斉藤のところ。十四番相手に勝負すればいい。あとは藤本や安倍のスリーポイント。里田もインサイドで勝負できるだろう。あまり外からドリブル突破というのは考えない方がいい。ただな、もう一回言うが、点は取れなくても、シュートが入らなくても気にするな。ディフェンスが柱だ。六十点取られるようなら、ディフェンスを打ち破られたんだと反省して帰ろう。五十点以下四十点以下に抑えて、その点数もうちが取れなかったのなら、後四ヶ月、オフェンス力も鍛えていけばいい。オフェンスで点が取れればもちろんいいが、基本はディフェンスだ。これくらいでいいか? 藤本」
「大体わかりました」

全部が全部納得しているというわけではない、という顔を藤本はしている。
それでも、石黒が何を考えてきたのかはわかったということで引いた。

「明日は楽な試合じゃない。それは判りきったことだ。特に五連戦の五戦目で体力的にも厳しい部分はあるだろう。だが、明日でひとまず終わりだ。倒れるまで足を動かせ。交替は適宜する。だから、とにかく足動かしてプレッシャーを掛け続けろ。強い相手だがお前たちも十分に力を積んだ。チャンスは十分あるはずだ」

一年前とは違う。
昨年末の対戦の時とも違う。
実績と経験を積んで、滝川は富岡に挑むことになった。 

 

ミーティングが終わった後、やはり残ったのは新垣だった。
いつもと同じだ。
映像をもう一度見る。
麻美も残った。
麻美のマッチアップはこれまでの相手とはレベルがはっきり違ってくる。
里田もいた。
最近は新垣に付き合って映像を見ることが結構増えた。
他には二三年生が何人かいる。
みうなや藤本はいなかった。

先生もいない、二度目のビデオ映像は、ざっくばらんに会話しながら見ていた。
準々決勝前の里田のように、見入るという感じでは無い。
ああでもないこうでもない、議論というにはやややわらかい会話を交わしながらの視聴。
前半部分が終わる頃に藤本も入ってきた。

「めずらしいね」
「結構暇でさ」

大会中は面倒ごとはあさみが全部引き受けてくれている状態になっている。
いつもあれこれやっているのと比べて、逆に暇になってしまった。
それに、やはり相手が気になる部分もある。

「新垣も飽きないなホント、いつもいつも」
「なんかねえ、お気に入りみたいよ」
「だから、入寮した頃言っただろ。石川のファンですとか言うなって。あれは敵なんだから」
「そうじゃなくて。美貴のお気に入りがお気に入りみたいよ」
「はぁ? 何、美貴のお気に入りって」

里田と藤本の会話、新垣は答えにくそうである。
自分は関係ない、という風に装って画面の方を向いていると、里田が答えた。 

「美貴のお気に入りといったら七番でしょ」
「はぁー? なんでそうなる」

七番、高橋愛である。

「ていうか、新垣、あれがお気に入りって、おまえは、なんでこう美貴の敵ばっかりそうやって」
「いや、あの、お気に入りっていうか」
「かわいいって言ってたじゃん」
「いや、そのかわいいとかそういう問題じゃなくて。美貴さんが全然止められないってすごいなって、去年の試合の映像見て思って。それで何か秘密があるのかなって思うから、気になるんですよ」
「ガキさん、それ、かわいいからお気に入りって言うのより余計に美貴にけんか売ってる感じだよ」
「あ、あの、そうじゃなくて」
「つーか、まいがうざいんだけど」

新垣煽って失言引き出して楽しもうと里田がしているのも藤本はしっかり読み取っている。

「で、実際どうなの? 見てて何か秘密だかなんだか分かったわけ?」
「やっぱり気になるんだ。参考にしたいんだ」
「まい、いい加減叩くよ」
「ごめんなさい」

今日ちょっとうまくいったからって調子に乗りやがって、と藤本はちょっと思ったがそれは言わないでいた。
わざわざ身内でつぶすことはない。 

「なんか、不思議な人ですね」
「不思議な人?」
「松江の松浦さんも読みを外されてる感じなんだけど、高橋さんは読みを外そうとして裏をかいてるって感じじゃないんですよね」
「何にも考えて無いんじゃないの?」
「何も考えないガードってなんだよそれ。まあ、いまはポイントガードではないのか。でも、それにしてもさあ」
「なんとなくですけど、心が読める能力があって、その能力を使って心を読んだとしてもそこに何も書いてなさそうな、そんな感じがします」
「結局何時間ビデオを見ても、その秘密とやらはわからずじまいですか」

そういいつつも、藤本も立ったままではなく開いている席に座る。
残りの部分をもう一度見ようという意志はあるようだ。

「実際、美貴、止められる? この大会、あゆみより梨華ちゃんよりもこの七番が点取ってるし。美貴がこれ止めないと、結構やばいよ」
「去年は前半だけで四十点近くやられたんだよな。後半追い上げたっていっても、ハーフで四十点取られる試合しちゃだめだよなうちが。それで、まあ、あれは認めるよ。美貴に結構責任あったとは思う」
「で、どうなの?」
「ボール持った一対一なら大丈夫じゃないかな。技術っていうか、そういうのでやられてるって感じじゃないし。たまには一本どこかでやられたりとかは現実あるかもしれないけど、そんなにどうしようもなく止められないってことはないとおもう」
「じゃあ問題は」
「ボール持ってないとき。何し出すかわかんないんだよね。それでボール持たれた瞬間勝負は決まってます、みたいなの」
「それ、相手誰でもいっしょじゃないの? 私のとこだってそういうボール持ってないとこからの勝負で結構厳しそうだなって思うし」
「だからー、その辺の動き出しとかの感覚がなんか違うんだよこいつ。ガードのくせにすぐシュート打つとかはもう関係ないけど、ポジションがどうのじゃなくて、動き出しのタイミングとかがなんか違うの」
「なんかって何?」
「それが分かれば苦労しないって」 

速い、というのとは違う。
うまい、というのとも違う。
藤本はそう感じているのだけど、それが何なのか説明できない。

「でも、なんかそういう相性みたいなのってありますよね」

麻美が言った。

「相性ねえ」
「なんか自分よりも下手だなって思ってるのに、どうしても負けちゃう相手っているじゃないですか」
「ああ、あるねえ、そういうの。何で一対一でこの子にだけ勝率悪くなる、みたいなの」
「合わない相手って確かにあるかもなあ。マッチアップっていうのもそうだし、力量的には高いのに同じチームでやるとうまく行かない組み合わせとかもそうだし。美貴と麻美なんかがそうだな」

アサミ、という発音と前後の会話のつながりから、麻美が私ですか? と自分を指出す。

「他にいないだろ」
「えー、うまくいってるじゃないですか」
「自分こそどうなんだ? 五番。この後、柴田大当たりのシーンだろ?」

映像は第三クォーターの後半に入ってきている。
柴田大当たりまではまだしばらく時間がある。

「それこそ相性ですよ。能力で言ったら柴田さんのが全部上ですもん。ただ、私には後ろで守ってるディフェンスがいますから。そこまで付いていければいいから、まだ何とかなるような気がします」
「あいつ、最近それほど打ってないように見えるけど、スリー打ち出すとしっかり入るからな。外打たすなよ」
「滝川カップで見ました、散々。松江がやられてましたよね」
「あいつ、バランスとれてるから怖いんだよな」

藤本の柴田に対する評価は高い。
ただ、藤本の人物評は、人間性に対する感情がかなり入るので、プレイヤーの能力という点だけを取り出して考えると、正確性のほどは怪しいと里田たちは思っている。 

「シュートは打たせずにドリブル突破してきたとして、麻美がついて、まいがカバーに入った。その後、だよな」
「一対二になると、絶対勝負しないでパス捌くよね」
「それ、狙えるといいんだけど」
「そういうとこの視野は広いよねあゆみは」
「石川あたりだと一対二から勝負して自爆してくれるんだけどな」
「自爆ならいいけど、あの子はその勝負で決めてくるのが恐ろしいんでしょ」
「なんで一対二で止められないんだよ。美貴は1on1で止めたよ」
「いや、美貴、確かに勝ったけど止めてはいないでしょ」

滝川での1on1大会、藤本は5−4で石川に勝ったけど、三回の攻防で石川に点を取らせなかったのは一回だけである。
藤本の中には勝ったという事実だけが残っていて、細かい経過は無かったことになっている。

「実際、あんなお遊びとは試合は違うよな」
「試合が違うっていうか、気分に乗った梨華ちゃんは違うって思う」
「まあ、こんなもんじゃないっていうのは確かなんだろうな」

画面には、石川が吉澤をかわしきれず、無理気味に打ったシュートがリングにもあたらず落ちたシーンが流れていた。

「でさあ、やっぱ、点取るのが結構きついなって思うんだよね、美貴は」
「富岡ってディフェンスもバランス取れてますよね」
「上、下、穴はあるように見えるけどね、美貴には」
「先生、なんかオフェンスは捨ててるって感じだったよね」
「ちょっと思ってたけど、オフェンス捨ててるって言うかインターハイ捨ててたでしょあれ。ディフェンスだけでどこまでやれるか力試し、みたいな扱いで」
「でも、それで決勝まで来ちゃいましたよね」

藤本、麻美、里田。
この三人がチームの中心だ。
里田が元々麻美の指導係りだし、幸か不幸か、藤本と麻美の間にはあれこれとあったので、どちらからも影響力が強いような関係になっていて、いろいろなことを注ぎ込まれている。
次のキャプテンは麻美なんだろうなあ、とまだ先のことではあるが誰もが思っていた。 

「美貴の言う穴ってやっぱ一年生?」
「上、下、それぞれ一年生。あれは穴でしょ。上は誰にマーク付くかわかんないけど、下のあれはみうなだろ。やっぱそこが入りは勝負なんじゃないかな」
「先生の指示通り?」
「指示通りっていうか、普通に考えるとそうなる。松江も出だしはオリエンタル美人で攻めてたでしょ」
「でもさあ、あやかさんはそれなりにミドルあるけど、みうなってあんまり長い距離入らなく無い? フックの射程距離って短いよあれ」
「あいつ、なんでいないんだ。自覚が無いな」

みうなはこの場にいない。
藤本だって準決勝までは追加で映像を見るなんてことをしていなかったのだから、お前が言うなよ、みたいな空気が少しその場に流れるし、藤本も分かって言っているので笑いを浮かべている。

「この子、ゴール下意外に強いんだよね、見てると」
「なんか、尻相撲で強いタイプだよな」
「重心が低いんですよ、たぶん」
「しっかし、足遅いな、こいつ。うちじゃ絶対試合出られないタイプじゃないか?」

道重は堅守速攻、というのにはまったく向かないタイプである。

「はっきり言えばデブだよね」
「でも、筋肉でも贅肉でも重さは重さだからなあ。足遅いのは足短いのかな? 足短いと重心低くなるし。ゴール下にいられるとうざいのは確かだよね」
「この動きの遅さでリバウンドポジション取れるんだから、どんだけ読みがいいんだ? って話だよな」
「スクリーンアウトしっかりしないとね」

いつのまにか道重評に話がなっている。
麻美が話を戻した。 

「みうなをどこで生かすのがいいんですかね?」
「ゴール下でしっかりポジションとってもらうしかないよな。そうじゃなきゃシュート打てませんって言うなら」
「別にすぐシュートじゃなくても、ワンドリブルで移動して揺さぶってジャンプシュートでいいと思うんだけどね」
「まいならそれで簡単に行くだろうけど、みうなだしなあ」
「出来ますよ。みうなだって。ボール持って普通に一対一させれば勝てる相手じゃないですか?」
「まあ、信用してみるか、その辺は。ただ、一対一で済めば、だけどな」

欠席裁判と言うかなんと言うか。
本人がいないので辛らつな言葉が飛んでいるようで、実際には本人がいても藤本はこれくらいの言葉は飛ばすが、みうなはあまりダメージを受けるタイプではない。
威力の強い攻撃を放ったつもりでも、呪文は効かなかった、と表示されてしまうタイプだ。

「ここから、みるの? まだ」

映像は最終クォーターに入っている。
富岡が一方的に柴田無双でリードを広げて行く、という場面だ。

「私にとってはここからが大事なんですよ」
「柴田がここまで1on1連発してくるのは初めて見たよな、確かに」
「1on1にこだわってっていうんじゃなくて、自分のところの1on1が一番点が取りやすいって判断したんだろうね」
「その辺は同じ1on1の連続でも、松江の猿二号との違いなんだろうな」
「あっちが二号なんだ。美貴のお気に入りの方が一号か」
「お気に入り言うな。新垣。なんか分かったか、猿一号について」

え? と突然振られて振り向く新垣。
猿一号、という名称は藤本以外はつかわないので、瞬時には理解できない。 

「美貴、なんだかんだ言って苦手意識あるでしょ」
「ない。ない。そんなものはない。無いけど一応聞いておこうかと思って」

あると答えてるのと一緒だよ、と周りは思ったけれど、誰もそれは言わなかった。

「美貴さんは、頭が良すぎるんだと思います」
「ガキさん、それどんな嫌味、いたっ。ちょっと、叩かないでよ」
「まいに言われたくない!」
「ごめん、ごめんって。ガキさん続けて」
「美貴さんはバスケの知識がいっぱいあるし、いろいろなセオリーを知ってます。だけど、みんながそうってわけじゃないから。それに従って動かない人もいて。でも、美貴さんはその頭にあるいろいろなことを考えながら対処しようとするんだけど、相手がそれに当てはまらないから、うまくいかない。高橋さんとの関係はそんな感じなんじゃないかと思います」
「何も考えるなって言いたいの?」
「相手のレベルに合わせるって言うか。その方がいいのかなって」
「セオリー無視とか、普通は全然ダメで自爆するけど、能力しっかりある上でそれやると、全部裏かかれる感じになるのかもね。美貴って、そういうとこ、なんか普通の人だから」
「変って言われても腹立つけど、普通って言われても腹立つのは何でだろう」

不機嫌そうにそう言う藤本に答えるものはいなかった。 

麻美が見入っていた柴田無双の時間は過ぎ、あとは試合のエンディングへと進んで行く。
もう、あまり何か参考になるような部分は無い。
試合終了の笛が鳴ったところで、まだ映像は切れていないが藤本は立ち上がった。

「美貴、三回目を一人で見たりとかしないの?」
「なんで美貴だけ。しないよ」
「じゃあ、何か演説したりしないの?」
「なんで演説。だいたい、みんないないでしょ」
「ちょっとね、美貴のお言葉を聞きたい気分なのよ」
「誰も聞きたくないだろそんなの」

そう言って見渡すと、そんなことはない、という無言でもかもし出される雰囲気が回答として返ってきた。
なんだかんだで、藤本は下から信頼はされている。

「決勝前だからさ、そういう気分にさせてほしいんだよね。先生がちょっとなんか言ってはいたけど、私は美貴から聞きたい」

嫌そうな顔をして藤本は麻美の方を見ると、麻美もうなづいていた。
小さく一つため息を吐いてから藤本は言った。 

「美貴は、明日、勝ちたい。勝って優勝したい。それは、美貴が石川が嫌いだからとか、そういうのもある。あいつにだけは負けられないっていうね。去年も一昨年も、ちゃんと負けた相手は富岡だけだから、今年こそ勝ちたいっていうのもある。それは、美貴の想いね。だから、みんなに同じことを思えとは言わない。みんなそれぞれ、ここにいる理由っていうのがあると思うんだ。ここって、二度目の映像を見に来たっていう意味じゃなくて、滝川に来てバスケをやっている、寮で三年間暮らす。そういう意味ね。みんなそれぞれ想いがあると思う。その想いを持って試合に臨めばいいと思う。だけどね、試合に出る美貴や、まいも麻美もそうだけど、それだけじゃいけないんだ。美貴たちはチームを代表して試合に出る。試合にはみんなが出られるわけじゃない。ベンチに入れない子もいる。そういうのを背負って試合に出るんだ。美貴たちは、試合に出られない、ベンチに入れない子たちのことを忘れちゃいけない。そして、これまでこのチームを作ってきた先輩たちのことを忘れちゃいけない。うちは、すごい足を使うバスケをするから、終盤絶対苦しくなる。でも、自分が苦しいからって、試合に出ている以上、自分だけの理由で足を止めちゃいけないんだ。明日は、みんなそれぞれ、自分の想いと、それと、チームのみんなの気持ちを背負って、戦いたいと思う。そして、勝ちましょう。勝って、日本一になって、滝川に帰りましょう」

明日の試合に向けての準備で、改めて試合映像を見ている部屋である。
ここにいるのは、スタメンか否かは別として、みな、ベンチには入り、試合には出ることを意識することが出来るメンバーだった。

「よし、終わり。美貴はお風呂に入る。じゃあ、明日。頑張りましょう」

真面目に語って、ちょっと照れた顔を見せて、藤本は部屋を出て行った。 

 

富岡のメンバーは決勝前夜でも普通にすごしているように見えた。
昨日までと何も変わらない。
毎年優勝しているチームというのはこういうものなのか、と田中は思った。
自分は、どうしても明日のことを考えてしまう。

四番とのマッチアップのつもりでいたら、それは外された。
四番、藤本には高橋を当てる。
仕方ないか、とは思った。
自分をなぜ四番のマッチアップにしないんですか! と主張できるような結果をこの大会残せていない。
高橋に取って代わられたのはむかつくけれど、それは我慢するしかない。
正直に言えば、ちょっと助かったと思わないこともないのだ。
マッチアップの相手が四番かそうでないかでは、負担が全然違う。

問題はオフェンス。
和田コーチのゲームプランを聞いている限り、自分の役割はボールを運ぶこと、以外ない。
外からシュート、という選択肢を田中は持っていない。
ドリブル突破、というのはあまり期待されていないように感じた。
田中に課された仕事はそれほど多くない。
ボール運びの二分の一、あるいはパスを入れた後は高橋も参加することを考えると五分の二くらいが、オフェンス面での田中の仕事のすべて、ということになるかもしれない。

他のメンバーと比べると仕事の量は多く無いように見える。
それでも田中は負担に感じた。
逆に、仕事の量が多くないからそう感じたように思っている。
いろいろ役割があれば、一つ失敗しても許されるような気がするが、一つしかない仕事を失敗したらただではすまない。

そして、そのボール運びの場面で、四番が自分に付いてきたら・・・。 

試合は明日だというのにすでにプレッシャーを感じている。
富岡で試合に出る、それは大変なことでそれを覚悟してやってきたつもりだったけれど、こんなにプレッシャーに感じるものだとは思わなかった。
昨日までとはまた違う。
決勝を前にすると、また一段と重い。

自分がそう感じているのに、道重にそんな雰囲気が全然無いのが納得行かなかった。
普段は隙をみつけては擦り寄ってくるくせに今日はそれも無い。
別に、誰かと話したいとかそういうわけでもないのだが、道重なら今の心境を分かってもらえるような気が一瞬したのだけど、道重だから分かってもらえないような気もする。
はぶられているわけではないはずだけど妙に孤独感を感じる。

お風呂にはいつものように一番最後に入った。
いろいろとあって、あまり他の人とと同じ時間にお風呂には入りたくない。
広い湯船を独り占めは悪い気はしない。
決してはぶられているわけではない。
自分で一人を選んでいるだけだ。 

風呂に入り、髪を乾かして、少しうだうだしていたらすぐに消灯時間になった。
布団が拡げられ、それぞれの所定位置へ。
六泊目ともなると、もはや日常生活として一つのペースが出来上がっている。
修学旅行ではないし子供でも無いから枕投げなどしない。
素直に布団に入る。
入り口近くの一年生が電気を消す。

四番相手にボールを運べるんだろうか。

頭にあるのはそればかりだ。
布団に入り、電気が消えても、田中の頭には藤本美貴の姿が浮かんでいる。
準々決勝の松江戦もうっとうしかったが、はっきり前から当たってくる滝川の方がはっきり厳しい。

決勝まで残れば家族が見に来る。

これも田中にとっては重かった。
家族の前でかっこ悪いところを見せたくない。
福岡からは電車で二時間。
中学の同級生あたりも見に来るだろう。
自分を見に来るかどうかはともかく、バスケをやっていてインターハイの決勝を近場でやっていれば、見に来そうなものだ。

なんだか結構時間が経ったような気がする。
時計は手元には無い。
部屋の時計、なんてものが見えるような明るさでは無い。
ふと、トイレに行こうかと起き上がった。 

部屋の真ん中は入り口に向かって一列、通路のように空いている。
そこを通ってトイレへ向かった。

音立てていいものなんだろうか。
そんなことを思いつつちょっとためらって時間がまた経ってしまったが、音立てないわけにも行かないのであきらめて水を流した。

トイレの戸を空けて出ると、人が立っていた。

「あ、すいません」
「眠れないの?」
「いや、別にそんなんじゃ」

小川だった。
薄暗くても、先輩の顔はさすがに分かる。

「ちょっと外出て話そうか」
「いや、あの」

トイレの順番待ちじゃないのかよ、と思ったが口には出せない。
別に寝れなかったわけじゃないし、何を言い出すんだこの人は、と思ったけれど、すでに部屋の戸をあけて動き出されると、嫌とはいえなかった。 

田中は、二年生との相性がどうにも悪かった。
猫と猿は仲がいいのか悪いのかはわからないが、自分と高橋は犬猿の仲だと思っている。
ただ、実際には高橋の方は田中に対して、嫌い、という感情は特別持ち合わせていないのかもしれない。
好き嫌いの問題ではなく、田中の気持ちなんて考えたことが無い、というだけに近い。
だから余計、田中からすればうっとうしい。

入部する前から、自分がとりたいポジションを占めているのはこの人だ、という意識があった。
ただ、入った時点でなぜか高橋がポジションスライドして行ったので、田中がスタメンを取ることが出来た。
それでも、自分がいまやっている一番ポジションは、多分自分より高橋の方がうまくこなせる、というのをなんとなく感じている。
自分は、二番ポジションの控えメンバーを出すよりも相対的にましだから試合に出ているのであって、自力でポジションを奪ったというわけではない、という不安感が拭えない。
その上、高橋が本当は一番ポジションをやりたがっているのも感じていた。
性格的にむかつくわ、ポジションは争う関係だわで、もうとにかく高橋が目の上のたんこぶなのだ。

しかしながら、高橋は田中にとって理解可能な存在ではあった。
同じ土俵の上にいて、むかつく、という関係だ。
力量は認めているし、認めざるを得ない。
ただ、あれが来年キャプテンやるのか、と思うとちょっとつらい。 

二年生に対するのと異なり、三年生に対して抱いている感情は好意的だ。
キャプテン石川は、田中にとって、この人に憧れてここにやってきました、という存在だ。
あまりはっきり口にしたことは無いが、敬意を持って接しているつもりだ。
入部するまでは、あんな性格だとは夢にも思っていなかったが、それはそれであり、と思っている。

柴田との接点は日常生活の上では少ないが、やはり一目置いている。
石川さんと柴田さん、両方いるからこのチームがうまく回っているんだろうな、と田中は感じていた。
石川さんが二人いたらたまらないし、柴田さんが二人だったらつまらない。
石川さんと柴田さん、この二人のバランスがあって、ゲームもチーム運営もうまく行っている。

田中が好意的に見ているのはスタメン、幹部クラスに対してだけではない。
入部して当初、何なんだこの人? と思った存在が三好だ。
富岡で三年目でこれか・・・、と反面教師位置に置きそうになったのだが、事情とその後の姿を見て印象が変わった。
田中から見てはっきり分かるように、日々うまくなって行っていた。
もちろん、まだ、いろいろな技術で負けるとは思っていないが、よそで二年やって突然ここに混ぜられた人間が、日々うまくなっている姿を見ると、和田先生の練習っていうのは多分正しいんだろうな、というのを感じさせてもらえる。
キャプテンだったとは言え、二年生までその辺の普通のチームにいたのに、たった一年で富岡のスタメンクラスと張り合おうなんていうのは、無謀とはっきりいえるようなこと。
だけど、それを本気で目指しているのがはっきり分かるし、敵愾心むき出しで石川に1on1を仕掛けて弾き返されたりしている姿を見るのは、田中は結構好きだった。
分かりやすく頑張っている姿を見せてくれる先輩、というのは練習の士気を上げるし、石川に対するのとは違う意味で田中は尊敬している。 

それと対称的に、岡田の存在は意味が分からなかった。
事情は三好と同じ、と聞いてもますます意味がわからない。
やめればいいじゃんか、やる気無いのなら。
それ以外の感情を岡田に対しては持てなかった。
この大会からマネージャーになる、ということで、まあ、それなら理解できないことは無いか、とは思ったが、なんで合併する時に辞めずにここに残ったのか、やっぱり意味がわからない。

そして目の前に小川がいる。
田中は、この人のことも理解できなかった。

インターハイの頃は、なんとなく地元の中村に行こうかな、という感覚だったので、そっち目線で決勝の試合をテレビで見ていた。
小川もその試合に出ていたのだが、田中は記憶に残っていない。
冬の選抜の頃にはスタメンを外されていて、控えメンバーとしてたまに投入されていたが、それも見覚えが無かった。

一年の夏にレギュラーだったんだよ、というのは聞いた。
自分が入った時点で、その面影は無かった。
試合に出るには誰に勝って、などという皮算用を入部当初にはよくしていたが、田中のその計算の中に小川は最初から入っていない。
越えるべきハードル、という位置に小川は最初からいなかった。

最初からいないだけなら視界に入らないのだが、一年の夏にスタメンだった、という話は聞いているので、目の中には入ってくる。
それがこんな風になって、しかも、復活を目指すと言う雰囲気でもなく、辞めていくでもなく。
何がしたいのだかさっぱりわからない。

田中から見て高橋は、好き嫌いという軸の嫌い、という場所に位置づけられている存在。
乗り越えて行くべきハードルであり、認めたくないがある部分では目標であり、仕方なくだけど優勝という同じ目標を目指す同士ということにもなってしまう存在である。
田中から見た小川は、好きとか嫌いとか、目標とかライバルとか、仲間とか、そういう判断軸には存在せず、ただただ、軽蔑する存在だった。 

「緊張するよね、一年生で決勝出るってなると」
「いや、別に、そういうんじゃ」

したり顔でなにやら言っている。
エレベーター前の椅子に小川は座る。
自販機が隅に置いてあるが、誰かが買いにくるという様子は無い。
エレベータも表示は1のまま動かない。
田中も、ごちゃごちゃ言うのも面倒なので、小川の隣においてある椅子に座った。

「いやー、私もね、今じゃ想像もつかないかもしれないけど、一年生のインターハイは試合出てたんだ」
「聞いたことはあります」
「そっか」

とりつくしまもない。
とりつくしまはなるべくつくらない。
話は途中で断ち切る。
そんな田中の答え。

「私も、寝れなかったなー、決勝の前」
「別にねれんかったわけじゃないです」
「そうなの?」
「トイレに起きただけです」
「そっか。なんかもぞもぞ動いてたから、寝れなかったのかと思ったんだけど」
「ちょっと寝つかれんかっただけです」

偉そうに先輩面しやがって、と思う。
ただのへたれなくせに。 

「明日が最後かもしれないよ」
「何がですか?」
「れいなが試合に出られるの」

相手にしないつもりでいたけれど、田中は思わず小川の方を見た。

「明日で最後になっちゃうかもしれないよ」
「普通、そうやって一年生を緊張させるようなこと、先輩は言わんもんじゃなかですか?」
「緊張してるんだ」
「そういうことじゃなかです!」

田中は立ち上がる。
座ったまま小川は続けた。

「私が、まともに試合に出たのは、勝負が付いてないような状態でちゃんと試合に出たのは、滝川との試合が最後だった」

小川が、戦力として公式戦に出たのは、去年の選抜の三回戦、滝川山の手戦で高橋に代わって途中で出たのが最後だ。
それ以降も今大会の前までは、ベンチには入っていたが、小川の感覚として、戦力として試合に出た、というのはない。
小川の口調が郷愁を帯びていたので、田中もむげに無視して部屋に戻ることも出来ず、また、椅子に座った。

「滝川の藤本さん相手に何も出来なかった。ホントに。まったく何も出来なかった。その前からスタメン外されたり、愛ちゃんと差が開いちゃったなって感じてたけど、あれがもう決定的だったな」

自分は、あんたとは違う、と思ったけれど、さすがにそれは口から出なかった。

「それまでもいろいろな迷いはあったけど、チャンスがいきなり無くなるとは思ってなかったな。今日はダメだった。でも、次何とかなるかなって。何がいけないんだろう。愛ちゃんばかり活躍してって、なんか妬むような気持ちもあって。でも、そんな急に、チャンスがなくなるとは思わなかったよ」

チャンスがいきなり無くなる。
そうなんだろうか、と田中は思った。 

「なんでそういうこと言うんですか?」
「なんでって?」
「先輩が、そういう後輩を脅かすようなこといわんもんなんじゃないんですか?」
「うん、そうだね・・・」

あっさり肯定するなよ、と思う。
何なんだこの人は。
この、覇気の無さが情けないと思う。
田中が何も言わないでいると、小川は続けた。

「れいながちょっと自分とかぶるんだ」
「は?」
「れいなは違うって言うと思うけど。いつも強がってるように見せてるけど、本当は、結構れいな、心が弱いよね」
「な、そ、そんなことなかです」
「うん。おおやけに認めることないとおもうからそれでいいけど、でも、自分でちょっと分かってるよね」

なんだ、なんなんだ、分かったような顔をしてこの人は。

「れいなが愛ちゃんに対して、いろいろと思うところがあるのは分かるんだ。だけど、そういうのは横に置いておいて、試合に集中しないと、後で後悔することになるかもしれないよ」
「小川さんがそうだったって言うんですか?」
「うん。私の場合は愛ちゃんにどうのこうのってだけの問題じゃないけどね。自分の力不足が自分の中で認められなくて、深みにはまっていった。コートにもいろいろなことが頭にあって集中しないままに立ってたな」
「何が言いたいんですか」
「れいなには自分のようになって欲しくない」

田中は小川の方を向いた。
小川は正面を向いている。
横顔からは何も読み取れない。 

「眠れなかったり緊張したりするのは仕方ないと思う。それでも一晩くらいなら、そんなに問題なくてちゃんと試合できるから体の心配はしなくていいよ。寝れなかったら横になってるだけでいい。大丈夫だから。だけど、余計なこと考えず、集中して試合には出ないとダメだよ。厳しい言い方だけど、れいなにとって、いつ、それが最後の試合になるかわからないから。明日かもしれない。その悪い例が目の前にある私だから。力及ばず、は仕方ないと思うけど、集中できなかったとか余計なこと考えながらでダメだったとか、そういう思いを持ったまま終わって欲しくないんだ」
「何言ってるんですか。何終わったようなこと言ってるんですか。小川さんバスケやめたとですか? チャンスが無い? チャンスなんていくらでもあるじゃなかですか。なんでチャレンジしないんですか! 三好さんとかより、全然小川さんのがチャンス大きかったはずじゃなかですか」
「そっか。うん。そうだよね。うん」

いろいろなことがむかついた。
自分と一緒にしないで欲しい、二年生の夏に何終わったようなこと言ってるんだ、大体へらへらしすぎなんだ。
言いたいことはいろいろとある。

「れいなの言うとおりだと思うよ。でもさ、実際にその立場になってみると、なかなかそう思えないもんなんだよね。だから、れいなには、実際にその立場にならないで欲しいんだ」

小川が立ち上がった。

「うん。れいなは私とは違う。大丈夫。自信もって、迷いなくやるといいよ。ただ、一試合一試合を大切にして。余計なお世話だけど、ちょっと心配だったから。ごめんね。寝よっか」
「小川さん一人で戻ってください」
「寝ないの?」
「目、覚めちゃいましたよ」
「ごめん」
「いいです、別に。いちいち謝らなくて」

謝るなら余計なことするな、と思った。

「じゃあ、先に戻るね。おやすみなさい」
「おやすみなさい」

小川は去っていった。
ドアの音は聞こえないけれど、部屋まで戻っただろうと思える程度の時間がたったところで、田中は大きくため息をついた。 

なんだったんだいったい。
ただ、先輩面したかっただけなんだろうか。
そういうタイプではないような気がするから、たぶん、本当に何か変に心配したのだろう。

いつ、試合に出られなくなるか分からない。
あの人がそれを言うと、変に説得力があるなと思った。
確かに、他人事ではないのかもしれない。
心が弱い。
あんたにいわれたくない・・・。

しかし、何か嫌な予言をされたような、そんな気分もあった。
確かに、一年前の小川に重なる部分が結構あるのかもしれない。
今大会、自分はろくに結果を残せていない。
自分のようになって欲しくない。
言われなくてもなりたくないわ。
二度とあんなこと言わせないように明日見せてやる。
そう、思った。

田中は立ち上がる。
一晩くらい眠れなくても、一日だけなら体は動くらしい。
そういった小川さんは去年、決勝前に眠れなかったのだろう。
あの人で大丈夫なら、自分でも大丈夫な気はする。
だけど、緊張して一晩眠れなかった、などといわれるのは気に入らないので、根性で眠ってやろうと思った。
部屋に戻り布団に潜り込んだ。 

 

朝、快晴だった。
九州の八月上旬の快晴の日。
測定するまでもなく気温は極めて高い。
誰に聞くまでもなく猛暑日だ。
心地よい風、などというものが吹くでもない。
湿度もしっかり高い、絵に描いたような日本の夏の姿である。
まだ、朝の時間なところなのが救いなくらいだ。

会場に先についたのは滝川だった。
いろいろな種目の何チームもいた宿の隣人たちは皆いなくなっていた。
宿持ちの二台のバスを連ねての登場である。

遅れて登場した富岡は、五日間共同じ時間の到着である。
二回戦からの五試合すべて第一試合の富岡は、朝起きてからのタイムスケジュールも五日間何も変わらない。
五日間同じことを繰り返すと、バスの席順までほぼ決まってくる。
一番後ろの女王様ポジションに座っていた石川が一番最後に下りてきた。

選手の会場入りを待つファンの姿、というようなものはさすがにない。
それぞれ、まだ静かな体育館へ入って行く。

富岡は言うまでもなく、滝川の方も、緊張で体がこわばる、というようなことはこの段階では特に誰の身に起こることもなかった。
第一試合のチームの特権、朝一からコート上でアップが出来る。
どのコートで?
試合をするコートで。
当然、真向かいに相手のチームがいることになる。 

誰もいないコートに先に入って行ったのは滝川の十二人。
エンドラインに一列に並んで、藤本主導でよろしくお願いします、と一礼してから適当に散らばって、各自ストレッチを始める。
飽きたもの、気が向いたものからなんとなしにボールに触り始める。
アップ初めに最初にするのは、ボールを特に使わないランニングなのに、まずボールに触れたくなるのはバスケ部の性なのだろう。
富岡は十分くらい遅れて入ってきた。
先にコートにいた滝川は後から入ってきた富岡に特にアクションは取らない。
特に触れることなく、気軽なおしゃべりとストレッチを続けている。
富岡も富岡で特にアクション取るでもなく、荷物を置きストレッチを始めた。
石黒と和田、大人同士は遠めに視線を合わせて軽く目礼する。
特に変わったこともない、通常の流れだ。

会場に付いたのもコートに入ってきたのも滝川が先なら、体を動かし始めたのも滝川が先だった。
十二人が二列縦隊でジョッグを始める。
ハーフコートを周回。
これくらいのあたりから観客席に人が入り始めてきた。
少しづつ、当事者では無い人たちの存在が増えていって、ランダムな会話が行われて、その、無関係な声の集まりが場のざわめきと空気を作って行く。

やがて富岡もアップを始める。
それぞれのメンバーのバッシュのすれる音、ボールの弾む音、手を叩く音。
少しづつ少しづつ、熱を帯びてきて、たたかいの準備を積み上げて行く。

互いに、アップの最中に相手に視線をやる、ということはなかった。
石川は七回目の決勝だし、藤本も決勝は初めてだが三年生になった。
相手のことばかり気にしていられる立場でも無い。
そんな上級生とは違い、一年生は反対側のコートが気になるようだった。 

田中はしきりに藤本のことを見ていた。
列に並んでいてダッシュの順番で手が叩かれても反応できず、背中を小突かれていたりする。
小川の昨日の言葉は、ちょっと気になっているような気がしないでもないような気がする。
夜はたぶん、眠れたんじゃないだろうか。
部屋に戻った時に手元に置いた時計で、二時と三時と四時半という針が見えたような気はするが。
スタンドは見ないようにしていた。
両親はきっと来ているだろう。
中学時代の友達、チームメイトも、決勝ともなれば来ているだろう。
そんな姿が目に入ったら緊張してしまうし、目に入らないで一々探すのもなにか精神衛生上よくないような気がしている。

滝川でも新垣が同じように相手を気にしていた。
新垣は高橋をよく見ていた。
身長も近く、ポジション的にも重なる存在だ。
藤本がいる以上、一番を自分が今すぐやる、というのは考えにくく、出るとすれば二番ポジションになる。
少しは何か真似して見たいような、そんな感覚もある。 

両チームのコーチは、ベンチの隅に大人しく座って見ていた。
試合中常に怒鳴り声を上げているようなタイプのコーチでも、試合前アップで指示を出し続けている、というようなケースはあまりない。
まして二人とも、試合中も割合冷静というタイプだ。
アップの間は大人しくしている。

ただ、視線はそれぞれメンバーに向けていた。
体は動いているか。
過緊張になっていないか。
気負いすぎは無いか。
調子はどうか。

石黒は、特に問題なさそうかな、と自分たちの生徒を見ている。

和田の方は、怪我をしている素振りは無いか、というのを少し注意して見ていた。
幸いここまで両チーム、怪我人無く勝ちあがってきている。
ただ、それは見かけだけで、実際どうかはわからない、と和田は思っていたりもした。
先生、怪我をしました、足が痛いです、明日は十分くらいにしてください。
そんなことを自分で言うような生徒がいるとは和田は思っていない。
痛くても隠したりするだろう。
石川しかり、高橋しかり。
田中だってそっちのタイプだ。
柴田にしても、責任感で無理して頑張ろうとするだろうと思っている。
道重の、痛い痛い、さゆみ痛いの、は大抵無視していい、とこの四ヶ月で和田も学んだ。 

フットワーク、対面パス、スクエアパス、ランニングシュート。
ハーフでツーメン、くらいまで来て、意外に体が動くな、と麻美は思った。
昨日は延長まで戦った。
その前だって、二回戦からの三試合も、初戦はともかく後はそれほど簡単ではなかった。
結構足を、体を使ってきたと麻美は思うのだ。
なのに、結構体軽く動いてくれている。
昨日は自分のミスで、延長最後の場面で危うくもう一度追いつかれそうになった。
今日は、足を引っ張りたくない。
実は、一番力の差があるのは自分のマッチアップのところなんじゃないかとちょっと思っている。
何とか互角まで。
自分が五分に張り合えれば、後は周りが何とかしてくれる。
そう、思っている。

スタンドの上で小川はぼんやりと見ていた。
スタンド組になるのはこの大会が初めてだ。
つまんないな、と思った。
大会通じて、つまらない。
一年前の今頃が自分が一番輝いていた頃だろうか。
今は、なんだ?
スタンドにいる他のメンバーは、小川から見て言葉は悪いが、スタンドにいることに慣れている。
滝川のような大所帯ではない富岡は、トップメンバーから万年控えまで、意外と一体感があった。
スタンドにいるメンバーも、本当に仲間として友達として、チームが勝つことを願っていて、スタンドの上にいるけれど試合を、小川目線で見ると楽しんでいるように見える。
自分も、チームが負けて欲しいとは思っていないし、もちろん頑張って欲しい、と思っている。
でも、ここにいて、素直に楽しむ、というのはちょっと出来ないな、とも思った。
やっぱりせめて、あの中にまでは戻りたい、そんなことを考えている。 

安倍は、皆には黙っていたけれど、大会に来る時にお守りを一つ持ってきた。
お守り、というか写真だ。
尋美の写真。
遺影とは言いたくない。
お守り、と自分で呼んでいる。

ずっとジャージのポケットに入れていた。
まだ、思い出にするにはいろいろなことが生々しすぎるし、みんなが思っているほど、自分は自分を許しているわけでもない。
いつまでも寝ているわけにはいかないだろう、と思って戻ってきただけだ。
試合に勝ってほしい、優勝して欲しい、そういう雰囲気がスタンドのメンバーの中にある。
だけど、安倍はもう、ここまで来た今の段階でそういう願いは特に持っていなかった。
ただ、頑張ってくれればそれでいい。
もう、自分が戻ることは出来ない場所だ。
うらやましさはある。
それよりも、いまは、後輩たちの姿を慈しんで見ていた。
ポケットにある写真と語りながら。

道重は、このチームで不満なことが一つある。
いつも第一シードで、いつもホーム扱いで、いつもしろのユニホームを着させられることだ。
二つ持ってるんだから両方着させてくれたっていいじゃないか、と思っている。
それに、洗濯も面倒だ。
交互に着られたら、ちょっとくらい洗濯サボったって次の試合大丈夫なのに、と思う。
それに、白のユニホームばっかり痛んでいく。
青のユニホームを着られるのは練習試合のときくらいなものなのだけど、それも、関東近県のチームは、女王チームに気を使って、わざわざ訪問していただけてしまうことが多いので、やっぱりホームの白になってしまう。
その点、滝川カップは良かった。
入学早々旅行が出来たし、あんまりその頃はまだ気が付いていなかったけれど、青のユニホームを着せてもらえたし。
二泊した滝川の田舎っぷりもよかった。
山口出身の道重が、ためらうことなく田舎者呼ばわり出来てしまうレベルで、非常に楽しい遠征だった。
だから、滝川は結構好きなチームなのだ。
今日は結構機嫌がいい。 

始まる前から泣きそうだった。
自分たちのチームが決勝まで勝ちあがってくるなんて思っていなかった。
やっぱり美貴達はすごい、と思う。
自分もあの中にいられたら、と思う。
あさみにとってこのチームは自分の一部だし、自分もこのチームの一部なのだけど、でも、ここまで勝ち上がってきたのは自分じゃないという二重の枠組みの狭間にいる。
副キャプテンでスタンドにいると、なんだか声だしリーダーのような役割になってしまっていたりする。
別に声が大きなわけでも無いのに。
相手チームのことはやっぱりよく分からなかった。
何度も見ている富岡。
強いのはよく分かっているし、柴田さんとか無茶無茶いい人だったけど、それはそれで、どこがどう強くてどういう相手でどう対峙すればいいのか、というのを、まだ自分視点で考えるような位置に立ったことが無いのだ。
あの中にいたい、という想いが無いわけでは無いけれど、今思うのは一つだけだ。
みんな、頑張って。

夏は苦手だった。
静岡の夏も案外暑いのだ。
夏が嫌で北海道の学校に来たのに、なんでわざわざこんなところで試合なんだ、と思った。
まあ、体育館の中はエアコン効いてるし、許せないではないけれど。
みうなにとってバスケは遊びだ。
バスケがじゃなくて、人生が遊びなのかもしれないが。
美貴さん、そんな怖い顔してやらなくてもいいじゃんか、と思ったりもする。
でも、遊びに一生懸命なのは結構あり。
そんな怖い顔したセンターの頭上をふわっとフックシュートで抜くのもやっぱり結構あり。
なんだけど、今日の相手は怖くも無いし、なんかふわふわしてるし。
センターは不思議ちゃん対決かよ、と美貴さんが言っていたけれど、里田さんのポジションもセンターって言うのかなあ? なんて考えた。
冷房、もう二度くらい下げて欲しいなあ、なんて思った。 

観客は続々と詰め掛けていて、コートの上の両チームはアップを大方終えてフリーシューティングに入っている。
いんたーはいはすげーなあ、と岡田は素朴に思った。
やっぱこの中にいるのは悪くない。
試合に出たいとは思わないけれど。
ちょっと選手のふりしていることに未練はあった。
同じ練習して、同じ立場にいることが、なんか一体感が感じられる、そんな気が、やっぱり今もしている。
でも、まあ、実際足を引っ張ってしまう部分はあったのだろうな、とは素直に思った。
マネージャーになれ、は絵梨香さんは多分本当に自分のためを思って言ってくれたような気はしてるけど、先生はたぶん、じゃまだなあ、と思う部分がなかったわけが無い、と岡田は思っている。
でも、いいのだ、この中にいられれば。
そして、たぶん、この中にいるメンバーの中で、一番自分が、今日勝つことにこだわりも無いんだろうな、とも思った。
頑張ってるみんなの中にいる。
それだけでいいのだ。
いいじゃないか、負けたって。
別に死ぬわけじゃなし。
でも、負けて悔しくて泣くのは気持ちはわかるし、そこで泣けるのはちょっといいな、ってそれはそれでやっぱり思ったりするのだ。 

三好は岡田の隣に立っていた。
柴田がいない時の立ち位置はやっぱりそこになってしまう。
あのディフェンスを本当に破れるのだろうか?
杉田西キャプテン視点で見ると、滝川のディフェンスは鉄板どころかダイヤモンド板みたいなものだ。
破るどころか傷一つつけられる気がしない。
それを石川は、組織が強いだけで一人の力はそれほどでもない、とためらい無く言ってのけたのだ。
実は、最近はもうそれほど石川に対して、感情的な強いこだわりは持っていなかった。
許してあげるとかわざわざ言う気にもならないし、石川当人に至っては何を許してもらうのかすらわからなさそうだし、接するスタンスは変えていないが、気持ちの部分で嫌悪感はもはやほとんどない。
時折、無神経な発言にむかつくことはやっぱりあるけれど。
柴田と違って、石川とはこの先も仲の良い友達になることは決して無いだろうけれど、なんだかもう、いちいちいらいらしているのもめんどくさくなっている。
この大会、上で見ていてやっぱりベンチに入りたい、試合に出たい、と思った。
遠征宿泊約一週間、自分も完全にこのチームの一員で、戦力にはなれていないけれど、ここにいることに違和感はなくなった。
一人の力はそれほどでもない、と言い切った石川、お手並み拝見といこうじゃないか。
そして、勝て。
勝てなかった殺す。
やっぱお前嫌いだ。
スリーポイントラインから一メートル離れて打ったシュートを決めた石川のことを見ながら、そんなことを三好は思った。 

試合前アップ最後のシューティング。
高橋は外からのシュートよりも、ドリブルで突っ込んでからのジャンプシュートを繰り返し打っていた。
そちらを優先して使おう、ということではなく、体を動かしていたい、という感覚だ。
同世代のライバルは福田明日香だと思っていた。
自分がポジションずれてしまったけれど、それでも、今の二年生で一番目障りになるのは福田明日香だと思っていた。
そうしたら、同じチームに松浦とかいうのが出て来た。
去年の国体の時までは姿形も無かったのに、滝川カップでいきなり目立っていて驚いた。
本質的に目指しているポジションは自分とは違いそうではあるけれど、今現在はかち合ってしまう立場だ。
だけど、とりあえずそれは準々決勝で蹴り飛ばしたつもりだ。
福田明日香は直接沈めてやったわけではないが、終盤の体力不足の低たらくは一年前の自分を見ているようだった。
あの落ち着いたゲームを仕切るやり口は自分とはスタイルがもう違う。
まことに学ばせてもらった、と高橋は思っていた。
自分で点の取れるガード。
今の時代はこれだ。
ガードだからシュートは打ちません、なんて時代は終わったのだ。
チャンスがあれば、あんたは時代遅れや、と福田には言ってやりたいと思った。
自分が日本一のガードになって、代表チームのスタメンを取って、石川さんと一緒にオリンピックに出る。
その為の、近い世代の残りの障害が、今日当たる藤本だと感じている。
れいなじゃ相手にならん、というのが高橋の見立てだ。
直接マッチアップするのは自分。
全体のボール運びは、ちょっと頼りないれいなを自分が導いてやりながらなんとかやればいい。
運んでしまえば後は、石川さんと自分と、まあ、柴田さんなんかもいれて、打ちまくればなんとかなるだろう。
石川さんを負けなしで卒業させる。
自分の力で。
それがとりあえず今の自分のミッションなのだ。 

三分前、レフリーのコールで両チームがシューティングを終えてベンチに戻って行った。
試合前、最後の確認。
毎試合毎試合、なんで自分はこんな相手ばっかりなのか。
里田は冷静に思っていた。
一つ、大きな大きな山を越えた。
超えたと思ったらこれかよ、というのは分かっていたけれど、ちょっと愚痴も言いたくなる。
ただ、石黒の話しを耳に入れつつ、それとは関係ないことを考えた。
決勝まで来たけれど、案外緊張しないものだな、と。
昨日の方ががちがちだった気がする。
それが一山越えたってことなのかな、と振り返る余裕が今はある。
石黒の話が一段落つき、、里田は立ち上がった。
まだ座っている藤本を今度は囲むように、座っていたスタメン組みではみうなも立ち上がっている。
里田は、座る藤本の方へ視線を落とすのではなく、スタンドの方へ顔を上げた。
あさみが目に入る。
軽く手そちらに向けて手を上げた。 

藤本も立ち上がる。
十二人で円陣を組む。
最後の一言は石黒ではなくて藤本。
なんとなく、そんな流れになっている。
すでに一分前の笛も鳴った。
メンバーは皆、藤本を見ている。

「ここまで来たら勝つ。それだけ。よし、行こう」

いまさら、余計な言葉は必要なかった。
気の利いた言葉なんか必要ない。
コートに上がって行こうとして止められた。
決勝は場内アナウンス紹介システム。
スターティングメンバーはアナウンスでコールされてから入って行くのだ。
変な間が出来た。
里田が隣に来る。

「美貴」

右手を顔の前に出してきたので、藤本は握り返した。

「勝とう」
「当然」

それから、里田が藤本の左腕を見ているので差し出した。
腕に巻かれた黒いリストバンド。
公式戦だけつけている。
何年ものなのかもはやわからないリストバンド。
里田がそれを握る。
腕を開放されてから藤本は、左手に強い力を込めた。 

場内アナウンスに従ってコート中央には行って行った両チームのメンバー。
そのスタメンは、互いに相手の予想通りのものだった。
改めて、正面に並ぶ五人の顔をそれぞれが見る。
キャプテン同士が一歩前に出て握手をする。
藤本が口を開いた。

「石川のところ、いつから動物園になったんだ?」
「動物園?」

石川が藤本の視線を追う。
端に並んだ、少し大きめな番号を背負った一年生二人。
視線が集まったと感じた道重、頭に両手を乗せてうさちゃんピース。
藤本、鼻で笑う。

「去年からかな」
「なるほど」

二人の目線の先には、なんで見られているのか分からず、きょとんとした顔をした高橋がいた。

挨拶も済んでジャンプボール。
センターサークルを囲む。
ジャンパーは石川と里田。
他はそれぞれ、試合前に設定された自分のマッチアップを捕まえる。
特に誰も違和感が生じることはなかったようだ。
想定通りの相手。
オフェンス、ディフェンス、相手が変わるということはなさそう、と感じる。 

レフリーが二人の間に入って行く。
ボールをチップ。
石川が最高点でボールをとらえた。
手前に引き込んで田中へと落とす。
簡単にパス一本でいければ、と全体の様子を伺うが、そううまくは行かず、センター人、フォワード陣がゴールに近づくも、しっかりディフェンスが捕まえていた。

「一本!」

富岡のセットオフェンスからゲームスタート。

滝川が何か奇策を弄してくる、ということは富岡はまったく想定していなかった。
いつもの厳しいディフェンスをやってくるだろう。
その前提で組んでいて、目の前にはそれと相違ない光景が広がっている。

すばやく外からシュートを打て、というのが昨日与えられた方針だった。
ただ、中央から始まったゲーム開始直後は、ボールを持ちあがった場面とはちょっと違う。
セットオフェンスです、という形から始めざるを得ない。

それでもシュートへ、という意識はあった。
最初に動いたのは柴田だ。
この展開でいきなりスリーポイントラインから離れたところからのシュート、というのはない、という感触を持った。
狙いはカットイン。
滝川ディフェンスは広く富岡を抑えに掛かっていた。
中は開いている。
トップで受けてワンフェイク入れてからドリブル突破を計った。
立ち上がり、しっかり集中していた麻美。
コースを抑えてそのままの突進を防ぐ。
バックチェンジで持ち変えて左側から抜こうとしたがこれも抑えられた。
単独攻撃失敗。
ピボット踏んで味方を探そうとするともう囲まれた。
それでも何とかバウンドパスで外に戻す。 

二十四秒計が刻まれていく。
シュートクロックは五秒。
今度は右サイド、石川にボールが下りた。
そのままシュートの構え。
里田が腰を浮かせて反応すると、右手でドリブルの構えに変える。
想定通り、対応して体を動かすと、石川は逆に体を入れた。
左側からの突破。
一気にトップスピードへ。
里田はもう振り切られていた。
広いゴール下、みうながカバーに来る。
少し距離を置いて道重、逆サイドからゴールに近づきフリー。
しかし石川は、あえて自分で勝負した。
ジャンプ。
みうなもブロックに飛んできて接触したが、石川はゴールにねじ込んだ。

開始二十三秒、バスケットカウントワンスロー。
みうなのシュートファウルで、石川の得点は認められ、さらにフリースローが一本付いてきた。

昨日、あんなこと言っていたけれど、一番決勝を意識してるの梨華ちゃんじゃないか。
柴田は、そう、思った。

富岡総合学園vs滝川山の手  決勝、石川の先制ゴールで幕を開けた。 

「三線が甘い。みうな、もうちょっとゴール寄り。抜かれてもすぐ対処できる位置」

開始直後。
それでもすぐに輪が出来た。
立ち上がり一本目でいきなり点を取られる、というのは滝川には珍しいケースである。

「十四外開いたら使い物にならないんだからほっといていいって。石川にみうながカバー入って、一対二から十四に捌かれたら周りがカバーするから」
「ごめん」
「まいも、ついていけるってあんなの。足動かして」
「分かってるよ。とにかく突破は簡単にさせない」
「止めろとは言わないけど、コース絞って、追い込んで」

今の場面では、まず、里田がきれいさっぱり抜かれすぎた。
うしろ、みうながカバーに入ったが、その時点でまた、一対一である。
実質的には、道重もいたので二対一。
ゴールに近い場所とはいえ、これを止めるのはみうなには荷が重すぎた。 

石川はフリースローを決める。

エンドから入れたボールを滝川はいつものようにゆっくりと持ち上がった。
やっぱり猿一号か、めんどくさい、と思いつつも、普通に持ち上がる場面で手間取る藤本ではない。
ボールは外で回した。
里田も外に出てくる。
インサイドではボールを入れさせない、という風の石川だが、外に開いた里田にはボールを持たせる。
里田に外は無い。
ドリブル突破、という選択肢も確率は低いだろう。
ボールを回す一員、という役割は出来るが、その場面から攻撃、というのは難しい。
この一本目のセットオフェンス、滝川の選んだ選択肢はみうなだった。
シュートクロック残り五秒、ローポすと遠めでみうなに入れる。
フックシュートのレンジではない。
普通のジャンプシュートのフェイクを入れてからドリブルで移動した。
道重を外しきれない。
それでもジャンプすると、逆サイドから柴田のカバーも入った。
前には壁二枚。
みうなは器用にそれを超えるようにボールは投げたが、リング向こう側に当たって落ちた。
二十四秒計はなったが、そのまま続行。
リバウンドは柴田が振り向いて拾う。 

下りてきた田中へ一本パス。
縦に走っている高橋へ。
高橋には藤本がしっかり付いている。
一番前で一対一の状況。
抜きされる雰囲気を感じなかった高橋は、そのまま右サイドに開いてから上の田中へ戻す。
道重、石川がゴール方面へ駆け込んで行く。
五人目、自分でリバウンドを取って遅れていた柴田。
中央に走りこんできたので田中からパス。
そのままドリブルでゴール下まで、という意図を見た麻美はコースを制限しようとするが、柴田は切り込まずにステップバックした。
正面からのスリーポイントシュート。
シュートブロックは遅れる。
柴田のシュートはリング右に当たって左サイドへ大きく跳ねた。
まるで分かっていたように待っていたのが道重。
ゴール下へ寄っていたみうなは追いつけず、道重がリバウンドを確保する。
しかし、その時点でみうなと里田、ディフェンスが殺到した。
二人に囲まれた状態。
狭い視野の中、無理やり上にいる柴田へ戻そうとすると麻美にさらわれた。

麻美がドリブルで上がる。
柴田は反応して戻るが、周りは戻れない。
一対一、付け加わった一人は藤本。
高橋はボールサイドを抑えられず、藤本の反対側。
麻美から藤本へ。
藤本は自分で中央をドリブル、左側から競りかける高橋に前に入られないように加速する。
まだ、開始間も無い時間帯。
ここで無理に止めに入ってファウルを取られたくない、という思考が働いた高橋、手は出さずに足だけで付いて行ったが、藤本はそれでは止めきれず、速攻を決めた。 

エンドからボールを入れるのは高橋。
入れた相手は柴田、パスアンドランで走る高橋に柴田はボールを戻す。
受けた高橋はそのまま左サイド上がっている道重へ長いパス。
みうなはこれを抑えにはいかない。
外でもらっても何も出来ない道重、上がってきた田中へパスを戻す。
みうながさすがにボールを持っている道重に多少近寄り、里田は逆サイドの石川へ寄り目。
ゴール下が広いこのタイミングで田中は1on1の勝負をした。
中央側から抜きに掛かるがディフェンスを置いていけない。
里田が自分の方によってくる、というのを見て、右サイド開いた石川へパスを捌こうとした。
しかし、これは里田の読み筋。
パスコースに手を伸ばす。
ボールが手から離れる最後の一瞬、反射的にこれを避けようとした田中のパス。
結果的に、里田の手は避けられたが、誰も受けられる者が無くそのままサイドラインを割る形になった。
滝川ボール。 

立ち上がり数分は、事前の富岡の予定通り、早い展開が作られていた。
手数を掛けない早い攻め。
これが徹底されている。
ただ、やはり確率は通常時よりは落ちていた。
田中が仕掛けた後にパスミスをしたような、シュートまで持っていけないというケースも出てくる。
それでも、この後、高橋のスリーポイント、ゴール裏を駆けて抜けてボールを受けた石川がターンしてそのまま決めたシュート、柴田の一対一からのミドルレンジからのジャンプシュートと決めて行く。
一対二の状況から勝負して放った石川のシュートがこぼれたところを、道重が拾って押し込んだ、というのもあった。

対する滝川は速攻と手数の掛かったセットオフェンスである。
ただ、速攻は最初の藤本の一本しかうまく決まらなかった。
富岡の攻めが速く、その分ミスもありターンオーバーで滝川が速攻を出せそうな場面はあるのだが、富岡もしっかり戻り、二対二、三対三、となってアウトナンバーにならず攻めきれない、という部分がある。
セットオフェンスも、効果的にパスで崩す、というよりは、時間使って一対一が出来るタイミングを探す、というようなものだった。
里田がゴール近辺で勝負して石川にもらったファウルでのフリースロー二本、ミドルレンジからのみうなの普通のジャンプシュート、このあたりがせいぜいである。
滝川のオフェンス、みうながいい位置でボールを受けてフックシュートを放とうとしたら、無理やりつぶしにきた道重のファウルを受けてフリースロー二本、という場面で滝川ベンチが今日最初のタイムアウトをとった。
12−6 富岡六点リード、第一ピリオド七分三十五秒。 

「意識して早い展開に持ち込もうとしてるな」

石黒コーチの感想一言。
外で見ていれば普通に感じ取れることだった。

「ボール持ったら全部仕掛けてくると思っていいんだろう。そのつもりで対応。中まで入り込まれるのは仕方ないけど、コースは制限する。はいってきたところを一対二でつぶす。いつもと同じ」
「はい」
「里田、四番は確かにエースだけど、ある程度普通の対応をしろ。昨日のようなボールを持たせないように、というディフェンスじゃない。今日は周りも見ないとダメだ。周りのフォローの免除は今日は無い。ボール持たれたら勝負してくる、という一対一のイメージでいいけど、ボールが無い時には周りのケアをいつものようにしろ。二線、三線でのディフェンスな」
「はい」

中村学院と富岡では周りのメンバーが違う。
是永の方が上だ、と石黒は評価したが、だからと行って是永を止めるより石川を止める方が簡単、というわけにはいかない。

「切り替え早く。切り替え。せっかく、向こうミスが多くてターンオーバー出てるんだから、速攻でもっと点取れるよ。四人目、五人目、はやく」
「それもあるけど、藤本は、あと安倍なんかももっと勝負していい。前で持って二対二くらいの時は。立ち上がりの速攻みたいに。人少ない場面で勝負しちゃった方がいいだろう」
「速攻からのスリーポイントとかもありってことですか?」
「いや、スリーはちょっと確率低くなるけど、もっとゴール近辺での勝負はそのまましちゃっていい。アウトナンバーを作るに固執せず」

藤本がオフェンスに注文を出したら、石黒がその点も指示を足した。 

「速攻でいけるときはそのまま行く。ただ、これは無理だとなったら、一旦上まで戻して、そこは少し休んでもいい」
「休むんですか?」
「休む。そう。セットオフェンスは休む。向こうは休ませずにこちらだけ休む。パスで散らして崩すほどの攻撃力はなくて、どうせ一対一やるしかないんだから。だったら十秒、十五秒くらい攻める素振りだけ見せて休む」

四十分のゲームコントロール。
体力というのはあればあっただけ当然いいけれど、限りある資源として四十分にどう配分するか、というのも大事なところだ。
その、一つのやり方を石黒は提示している。

「もちろん、露骨に休むなよ。攻める素振りは見せないといけない。休んでるのがみえみえだと向こうも楽できるから。あと、展開がいつもと違うから、結構点が入ってるけど、それ自体はそれほど強くは気にするな。なるべくペースは落とさせる。その方針は変わらないけど、一本決められるそれ自体を一々気にするな。前半は得点版は見ないくらいのつもりでもいい」
「はい」

タイムアウトの最初から最後まで、それも前半の始まったばかりの段階で石黒が指示を与えるのは珍しいことだった。 

「柴田交代」

富岡ベンチはメンバーが戻ってきたところで和田コーチがまずそれを告げた。

「他も適宜変えるからな」

柴田の何が悪い、ということではない。
プラン通りといえるような展開をしている状況なので、プラン通りに主力を休ませる時間を作る。
休ませる、というと代わって入るメンバーに響きが悪いし、何も解説しないと柴田が不安がる。
和田コーチは、他も適宜変える、と加えることでその意図するところを全体に伝えた。

「外、もうちょっと打ってもいいな。高橋。入らなくてもいいから、外をもっと相手に意識させろ。遠い位置から一対一を始められれば、中まで入った時に捌きやすい。できるだけ引っ張り出せ。出てこないようならゆっくり打ってればいいから。多少遠くてもリズム合えば入るだろ」
「はい」
「ディフェンスはあれでいいぞ。ターンオーバーはすぐ戻るな。ターンオーバーが出ること自体はそれほど気にするな」
「まず戻るって感じでいいんですか?」
「いい。まず戻る。戻ってから捕まえる」

しっかり戻ることでアウトナンバーが出来ず、滝川の速攻が決まりきらない、というのがここまでの流れとしてある。

「さゆ、もうちょっと中でもいいんじゃない?」
「中ですか?」
「私が外出ちゃって、さゆまで開くと中に誰もいないのよね。変に外が狭くなってパスが回しにくいっていうよくわかんないことが起きてたりするから」
「中に楔があってもいいな。外から勝負してきたらそのタイミングでうまくあけてやると、パスも受けられるしいい」
「でも、ハイポストなんかでさゆがボール持ったら、周りから殺到されてつぶされんですか?」
「道重はその位置だとボール持っても勝負は無いだろ。最初からパス出す前提でいれば、殺到されてもどこかには出せる。大丈夫だな?」
「それくらいは出来ますよ」

道重のポジションで、外に捌けていろというのは、お前オフェンス時いらない、というのと同義語に近い。
石川も和田も、道重をそこまで軽視はしていなくて、自分で勝負できる地域は小さいけれど、つなぎは出来るしリバウンドも拾えて、ちゃんと十分戦力だ、という認識がある。

「よし、ペース落とさず続けろ。得点ペース自体は落ちてもいいけど、リズムな、リズム。展開早く」

和田コーチは選手たちを送り出した。 

みうなはフリースローを二本決めた。
12−8 富岡四点リード。

やっぱり強え、と藤本は思っていた。
ここまでの相手とは次元が違う。
昨日の相手も強かったが、昨日苦労したのは里田一人であって、藤本個人としてはそれほど負担は大きくなかった。
一人化け物がいただけで、全体が強いということはなかった。

今日は、全体が強い。
石川一人じゃない。
目の前の猿も十分強いし、下がったけど柴田もさすがだとここまでの短い時間で思った。
一年の動物二匹は、トータル能力は大したことは無いかもしれないけれど、得意分野はしっかりしている。
気が抜ける間が無いのだ。

そういう意味で、石黒の、セットオフェンスの時に休め、という言葉は救いだった。
その手があったか、という感じだ。

まず、自分が判断する。
ボールを受けた時点で速攻までいけるかどうか。
いけそうなら走るし、無理な場合はもうそこでスローダウンさせる。
ゆっくりと持ち上がる。
主導権を持っている間が休み時だ。 

パスを回しているところでも、ただ立ち止まる、というのは無いが、体に負荷が掛からない程度の速度で動く。
ただし、ある瞬間突然加速してマークを外そうという動きをみせるときもある。
これがないと、相手も休めてしまう。
その後、シュートクロックが無くなってきたら誰かが勝負する。

藤本は、その勝負を自分で、という選択肢を選ぶことを最近はためらわなくなった。
自分で全部やる必要は無いけれど、自分が点を取ってもいい。
ガードが自分でシュートを打つのは最後の手段。
そういう感覚をかつては持っていたが、最近はそれが薄れてきた。
去年の選抜、高橋とやりあったあたりからかもしれない。
場面場面で、取りやすいところで取ればいいじゃないか。
そう、思うようになってきた。
だいたい、パスで崩すゲームの組み立て、なんてものが上位のレベルになると通用していないのだ。
一対一から点を取るというスタイルだけでやっていくなら、だれが点を取りに行っても一緒だ。

ただ、マッチアップ高橋は手ごわかった。
選手としての能力は柴田や石川の方が上だろ、とやりあいながら今も思っている。
だけど、実際に対峙すると、その二人以上にやりにくい感じがしている。
相性ってこういうものなのか? と昨晩の会話を思い出す。 

富岡の手数を掛けない攻めは続いていた。
二本続けて、上がってすぐの遠い位置での高橋のスリーポイント。
そこからシュートはありえないだろ、と藤本が考える位置からのシュート。
どちらも入らなかったが、自由に打たせるのは気持ち悪い、と藤本が思う程度にはしっかりリングに向かって飛んでいる。

そのリバウンドは滝川が拾えたのだが、あがりきっていない状態での富岡のシュートなので、ゴール近くで里田がボールを持っても速攻はとても出なかった。
結果、セットオフェンスを組むことになる。
滝川の攻めも、二本とも同じで時間を使ってからの藤本の一対一。
一本は外から打ったがリングに弾かれ、もう一本は切れ込んで行ったが抜ききれず、囲まれてつぶされたところで二十四秒オーバータイムとなった。
そこで田中が下がる。
滝川の方もみうなを下げた。

外、外か。
そう、滝川のメンバーの頭に入ってきたところ。
三本続けてまたか、というような高橋の構えに、今度は藤本も抑えに行く。
さすがに三本続けては無く、高橋はその小脇をバウンドパスで通した。
受けたのは石川。
振り向いて里田。
広いスペースがあっての一対一。
シュートフェイクからドリブル。
エンドライン側に里田は押し込もうとする。
石川はゴール下までは行かずにステップバックしてジャンプした。
フェイドアウェー気味のシュート。
里田のブロックの上、ふわりと超えたボールはリングを通過した。 

後一回づつか、とまだ冷静に藤本は思う。
第一ピリオド、残り時間からすると、後一回づつの攻防だろう。
それを踏まえて持ち上がった。
滝川は決まっている、ボールを回して最後は一対一。
もうちょっと何とかなら無いものか、と思ったりもするが、現状は仕方ない、出来ることで対処するしかない。

ピリオド最終盤までくると、セットオフェンスで休憩、などということはなく、皆、緩急つけつつしっかり動く。
仕掛けを見せたのは麻美だった。
相手が代わっている今なら行ける、と踏んだ。
抜きに掛かったら、間が悪くインサイドに里田が入ってきたので方針転換、ジャンプシュートに切り替える。
しかし、これはぴったりとブロックに飛ばれた。
空中でまた判断を変えて、里田へ落とす。
麻美を避けるように上へ上がる動きを見せていた里田。
台形の右上あたりの位置でボールを受ける。

里田に当たっていた石川だったが、ボールが渡ったところで一歩引いた。
足を踏み込んで里田はドリブルで切れ込む姿勢を見せる。
腰を落として反応した石川、里田は実際には足を戻してジャンプシュートを放った。
遅れてブロックに飛ぶ石川、間に合わない。
そのままスクリーンアウトをして里田は外に追い出されていくが、シュート自体が決まった。 

14−10 富岡の二点リード。
滝川としてはこのまま第一ピリオドを終わっておきたいところ。
最後の富岡のオフェンスは抑えておきたい。
残り十五秒。
ここでは富岡は早い攻めはしてこなかった。
運んで三秒で外からシュートなど打とうものなら、滝川にもう一度オフェンスチャンスを与えてしまうことになる。
十五秒しっかり使って最後にシュートを打つ。
改めて言わなくても、富岡のメンバーはこういう時間帯ではそれまでとはやり方が違ってくる、というのはわかっていた。

手早くフロントコートまで運んでからはつなぎ。
こういうセットオフェンスを前にした場合は滝川は強い。
パスを優雅に外で回す、というような雰囲気にはならない。
ディフェンスの圧力に負けて、逃げるパスになるというのが目立つ。
その流れの中で、石川が外に出てきながらボールを受けた。
勝負するには苦しい体制。
ボールを受けてターンしてゴールの方を向くと、当然目の前には里田だし、その向こうにもディフェンスがいる。
そのままスリーポイントを打たせてもらえるような立ち居ちに里田はいなかった。
時間も無い。
一応シュートの構えは見せて、右にフェイクを入れてから左、中央側へ。
里田は付いてきたし、中央よりにいた麻美もコースに入ってこようとする。
バックターンで右に持ち変えて加速。
里田は半身、コースを制限はするが塞ぎ切れはしない。
正面、みうなに代わって入ったセンターがいる。
ゴール下までは無理。
石川はジャンプ、里田と、ゴール下から出て来たセンターと、壁は二枚。
ゴールがしっかり見えないままに放たれたシュートは、リング奥に当たってそのまま中に落ちた。
麻美が拾い上げてエンドライン外に出たところで第一ピリオドタイムアップ。
最初の十分は16−10 富岡リードで終えた。 

「速い・・・」

ベンチに戻ってきた里田がつぶやいた。

「石川?」
「うん。速い。映像のイメージより全然速い。前までの体感よりも多分速い。後ろに押し戻してからの正対での一対一なら止める自信あったのに、あれで持っていかれると思わなかった」
「確かに昨日までの四番とは違うな」

里田と藤本の会話に石黒が割って入った。

「エンジンがもう一機ついた感じだな。ただ、四番だけに限らないけど、ずいぶんうちのことは認めていただいているようだ」

石黒の言葉にメンバーはきょとんとして意味を取りかねる。

「あの早い攻めは完全にうちのディフェンスを警戒してのもの。それだけディフェンスの力を認めてくれていて恐れてくれているんだろう。女王陛下様が自分たちのスタイルを多少崩してるわけだから」

なるほど、と藤本は思った。
繋いで崩して一対ゼロにしてシュート、というのが本来の富岡のパターンなはずだ。
最初からそれを放棄しているという理解が出来る。 

「そうは言っても対処はしないといけないな。まず、藤本」
「はい」
「七番にはもう少しタイトに付け。ゴールから遠くても。取りに行く必要は無いけど、位置関係無く、関係なくは言いすぎだけど、フロントコート入って来たらどこでもシュートがあるという前提で。当然そうすると突破を狙ってくるんだけど、それはそれでちゃんと対処しろ。無理やりシュート打つようなら打たせてもいい。ブロックにまで飛ぶ必要は無い。腰は低く保ったまま。ただ、最初から近い距離にいること。それで基本打たせない。位置近いと突破されやすいけど、そこはなんとかしろ。何とかできるはずだ
「はい」

入ったのは一本だけだが、高橋のスリーポイントが結構本数多く打たれていた。

「安倍も同じだが、藤本ほどは近寄らなくていい。役割の違いなのか性格の違いなのかわからないけど、五番は七番ほどは外から打たないようだから。ただ、シュートもある、というのは忘れるな。特に、上がって来ばなな。上がってすぐシュート、というのがパターンみたいだから」
「はい」

柴田は高橋ほど素直に外を連発はしなかった。
どちらかと言うと、突破を目指す選択肢を多く選んでいる。 

「里田。あれはもう、素直に相手するしかないな。まあ、若干突破を主体に考えてもいいけど、そうするとそれを見透かしてシュートを打ってきたりもするだろう。ああいうレベルの相手と次々に当たるのはきついだろうが、自信を持っていい。お前も傍から見れば、ああいうレベルの一員なんだ。場面場面でやられるところはあるだろうけど、一々気落ちするな」
「はい」

里田への指示は中身はほとんどなかった。
ほぼ精神論に近い。

「とにかくスローダウンさせよう。セット組ませてボールを回させる。それが向こうの本来の形なんだけど、それには対処できる力はあるはずだから。四、五、七。この三枚に上がって即シュート、というのをさせなければセット組まざるを得ないんだから。そうすればスローダウンする。あとリバウンドな。外れた時にしっかりゴール下にリバウンドが落ちてくるシュートっていうのがすくなくて、どこ飛んで行くかわかんないのが多いんだから、全員リバウンドの意識を持っとけ。飛び込ませるな。場所関係なくスクリーンアウトね」

早いペースでのゲーム。
石黒は、その、相手の思惑をはずしたいと思っていた。 

富岡サイドは三人だけがベンチに座っていた。
普通は、試合に出ていたメンバーが戻ってきたらベンチに座る。
いま、落ち着いて座っているのは三人だけ。
石川と高橋は、受け取ったタオルで汗を拭きながら立っている。
落ち着いて座っているようなテンションじゃない。

「もっと速攻出せるよ。相手戻っても捕まえきれてないんだから。シュート入ってエンドから入れる時はそうも行かないけど、落ちてリバウンド取れたら、もっとどんどん行こうよ。それですぐ勝負でいいって。できなさそうなら、四人目くらいで私が入って行くから、そこにボールくれれば勝負するよそのまま」

テンポ早く攻撃出来ている富岡だったが、石川はもっと早く行ける、と感じていた。

「エンドから入れる時と、リバウンド取ったときでは状況が違うからな。リバウンド取ったときは石川がどうこうよりも、高橋あたりがポンと走っていいんだよ。長いパス一本で通れば最高だし、田中あたりを経由してもいいし。まあ、そうそう前でフリーでもらえるとは思わないけどな。といいつつ、高橋、次さがれ」
「まだいけます」
「まだいけても最後までいけるとは限らないだろ。ちょっと四番の目先も変えたいし」
「はい・・・」

シュートを決められたら、高橋はエンドに出てボールを入れる、という役割を今日は持っている。
リバウンドを取れたら走る、というのはそれとは逆の動き、逆の役割だ。
簡単なようだが、瞬間瞬間で判断するのは意外と難しい。 

「エンドから入れた時、パスで繋いで運べ、と昨日言ったけど、パスにこだわらなくてもいいや。柴田、田中、早い段階でドリブル一対一で仕掛けてそのまま持って行っちゃってもいい。抜ければもう三対二があるはずだから。向こう、オールコートでマンツーで、どうも、ボールをつぶそうというのは今のところないみたいだから。状況変わったらまた指示するけど」
「エンドからボール受けて、そのままゴール下までもって行くくらいの感じでもいいんですか?」
「出来るならな。さすがにゴール下までにはカバー来るだろうから、実際にはどこかに捌くことになるだろうけど。そういう時、変な場所で持って止まるなよ。後ろにたくさんいるから、変なところで止まると後ろから手が出てくるから。ドリブル止めるときはそのままパスまで終わらせること」
「はい」
「れいなも柴ちゃんも、運んでるときも前は見てよね。結構、私あいてると思うから」
「エンドまで出ると梨華ちゃんはしっかり上がってるんだけど、道重まだ変なところに結構いるよね」
「みんな早いんですよ」
「道重は速く走れとは今は言わないけど、上がって行くときは真ん中はあけとけよ。石川の位置を見ながら反対サイドで。で、たまには道重に落としてリターンパスとか、五人目待ちとか、そういうパターンも混ぜよう。アーリーじゃ無理だな、と思った段階で道重は中に入る」

道重は、エンドから入ったボールを田中や柴田が運んでいる段階でも石川と異なり前まで上がりきれていない。
練習段階なら、しっかり上がれ、と毎回和田は指示するところだが、今日、今、足が速くなることはありえないので、もう少し現実的な指示をした。 

第二ピリオド。
滝川はみうなをコートに戻して麻美を下げた。
富岡の方も田中と柴田を戻して高橋を下げる。
スタートから全部出ているのは滝川では藤本と里田だけ、富岡は石川と道重だけ、もう両チームとも二人だけだ。
入れ替わりの激しい、消耗が大きい前提でのゲームの組み立てになっている。

高橋が下がって藤本が楽になった。
控えとスタメンの差は富岡の方が滝川よりは大きい。
また、能力そのものよりも、とにかく高橋ではない、という事実が藤本を楽にする。

入りすぐ、滝川のセットオフェンスから藤本が外から一対一で突破。
カバーに道重が来たところでみうなに捌く。
そこは石川が抑えに来たが、みうなはフリーになった里田へ。
ミドルレンジからのジャンプシュートを里田がしっかり決めた。
一対一で崩してからまわしたパスで点を取る、というのが形になってきている。

高橋が外れたのは富岡のオフェンス面にも影響した。
ボール運び。
柴田を使えばそれほど難儀なところではないはずだったのだが、田中と控えの二年生でボールを運ぼうとすると齟齬が生じた。
エンドから田中に送ったボールが戻ってきて、そのままドリブル突破をしようとしたが、ワンドリブルで藤本がしっかり前に入った。
中途半端な位置で止まる。
パスの出し先がこの瞬間無く、ピボットで耐えるべき場面だったが、藤本がすばやくボールを叩いた。

こぼれたボールも藤本が奪い取る。
右コーナーの位置。
拾ったところでマッチアップの相手と田中と、コーナーの逃げ場の無い位置で囲まれた藤本。
しかし、しっかり全体は見えていた。
中央から駆け込んでくる里田へ、ディフェンスの間を通してパスを入れる。
里田は石川を引きずっていてゴール下には柴田もいる。
柴田のところまでは行かずにジャンプシュートを狙った。
石川は強引に止めようとする。
横からあたりに行く形になり、里田は満足にシュートは打てなかったが、ファウルはもらえた。

ここのフリースローは二本目だけ里田は決める。
16−13
富岡三点リード。 

次のエンドからのボール運びは柴田が受けてそこから自分でそのまま運んだ。
自分でゴール近辺まで行って右サイド、道重に捌く。
四人目、五人目と入ってくるが、滝川ディフェンスはしっかりパスコースを抑えている。
セットを組まざるを得ないところ。
ここで、道重が外から一対一を仕掛ける、といういまだかつてしなかったことをした。
慣れないドリブル、それも左手。
利き手とそうではない側で扱う感覚にまだ差があるという、ドリブルに関しては初心者レベルの道重。
ドリブル突破してくるなんてまったく考えてなくてさぼっていたみうなが一瞬遅れるが、視界にその先のディフェンスが入ったところで床に向けて弾ませるはずのボールが自分のひざに当たって跳ねた。
飛んだ先には田中。
ありえない位置関係を繋いだナイスパスを受けてジャンプシュート。
このシュートが決まり、富岡ベンチは変な盛り上がりを見せた。

なんなんだあれは、と呆れ顔を浮かべつつ石黒は新垣を呼んだ。

「次行くよ。相手は十二番。外はないってのは頭に入れときな」
「はい」
「前からさぼるなよ。タイトに。あとオフェンス、セットで休んでいい、なんてのは長い時間出るメンバーの話しだからな。分かってるね」
「分かってます」

短い時間出る控え選手は、四十分のペース配分なんてものは必要としない。 

滝川のオフェンス、やられたらやり返せ、という感覚だったのか、これも珍しくみうなが外から一対一。
足には当てなかったがうまくも行かず、前に道重と石川の二枚の壁、という状況でジャンプシュートを打ち、きれいなブロックショットを喰っていた。

ここからゲームが少し流れる。
柴田がスリーポイントを放つが決まらず、大きく跳ね上がったボールは滝川が拾う。
すぐ前の藤本が受けて、一人で持って行く。
ディフェンス一枚をかわして、もう一枚戻った田中を相手にしながらゴール下まで持って行ってのレイアップはボールコントロールを誤り外してしまう。
リバウンド拾って田中が長いパス。
石川へ向けたものだったが、みうなが飛び込んできてさらった。
ところがそのみうなも藤本へ長いパスを出そうとして田中に奪われる。
ラグビーのパントキック合戦みたいなことになっている。

展開は早いのだけど得点は動かず、時計は止まらず、時間が流れて行ってメンバーチェンジが出来ない。
ようやくとまったのは滝川がセットオフェンスで時間を掛けたもののシュートまで持っていけず二十四秒オーバータイムになったところだった。
最初は新垣だけが呼ばれていたのだが、時間も大分たったので、滝川ベンチは麻美もコートに戻す。
一方富岡も高橋を戻した。 

手数掛からず早い展開、という意味では富岡の作ろうとしたゲームが続いているが、この第二ピリオドだけを見るとまだ3−2と言う点数で、滝川のやりたいロースコアなゲームになってきている。
どちらの狙いの方へこのゲームがシフトして行くか。
この、慌しいけど点が入らない、という流れの中で、先にゴールを奪ったのは滝川だった。

ここしばらく、一対一で切れ込んで崩してからのパスでシュート、というパターンがセット組んだときの滝川で続いていた。
それに富岡のディフェンスは対応してきていた。
まず、一対一で簡単に抜かれない。
抜かれそうになっても後ろのカバーがしっかりいる。
当然パスが捌かれるのだが、そこもローテーションで回してフリーでのシュートを打たせない。
その一連のディフェンスの中で要になるのは、まず、一対一で抜かれない、というところだった。
きれいに抜かれてしまうとカバーも何も効かなくなってしまう。

まず抜かれない。
そういうディフェンス心理になっているところに麻美が違う選択肢を提示した。

外からシュート。

中と外の使い分け。
ドリブル突破とシュートの使い分け。
いつでもケースバイケースで代わってくるし、どちらも意識しないといけないのは当たり前なのだが、実際にゲームの中にいると、瞬間瞬間でどちらかが頭から消えてしまうもの。
そういう瞬間に麻美がスリーポイントシュートを狙った。
自分がボールを外で受けたとき、ディフェンス、柴田がちょっとづつちょっとづつ離れているのを感じたのだ。
打てる間合い。
そう感じて放ったスリーポイントはものの見事に決まった。
18−16
滝川が流れを持って来れそうなシュートを決めて二点差になった場面で富岡ベンチがタイムアウトを取った。 

「オフェンスを少し変えよう。急いでシュートまで持って行く展開はしばらくやめよう

第二ピリオドに入って、富岡はまだ二点。
それも、道重のひざに当たったボールが跳ね返ったのを拾った田中のジャンプシュートという、ラッキーゴール一本だけだ。
オフェンスプランがうまく行っているとは言い難い。

「積極的に一対一、というのは変わらないけど、持ち上がってすぐロングスリーというのはなし。スリーが打てる場面があればもちろん打っていいけど、いつもの普通のシュートレンジからな」

早い展開に、富岡の方が自身でリズムを少し崩していた。
展開早いのはいいのだが、中身が、せかせかしたものになっていて、リズムが悪い。

「四枚外で中が広いから、随時飛び込んで行くイメージを持ってろ。まわりも、飛び込んで行くところにパスを入れるイメージな」
「中飛び込んでダメならはければいいし、そのまま中で勝負もありだよ。高橋もれいなも、身長変わらないんだから出来るでしょ」
「いや、あまりやらない方がいいな。中でそれやると囲んでくるのが早い。マッチアップだけ見れば平気だけど、他は高いんだから周り囲まれたとき出口が無くなる。それやっていいのは柴田までだな。ただし、やるにしても判断早くだぞ」
「梨華ちゃんは最初から中にいるっていうのどうなの? 梨華ちゃんが中にいるとそれだけで圧力になるから、そとからうちやすくなったりもしそうなんだよね」
「それもありだな。その辺は石川の感覚でいいよ。どっちにこだわるって必要はない。中で石川が持って三人に集めて捌いて外でシュートっていうのは結構いいパターンだと思う」

石川なら、二人に挟まれようが三人に囲まれようが、キープする、捌く、というくらいまでは特に問題ない、と和田は思っている。
ただ、シュートまで持って行くのは厳しくなる、という程度のことだ。

「うーん、ちょっと外で勝負したいんですよね。外だと持たせてくれるみたいだから」
「それならそれでいいよ。ただ、変化つけろよ。自分が勝負するのは外って決めてても、中にいる数秒、楔になるワンプレイっていうのを見せておくと、外からの勝負もやりやすくなるからな」
「わかってます」

里田は、石川にボールを持たせない、というディフェンスはしていない。
石川としてはそれはちょっと不満でもある。
昨日の試合を見ていた。
里田の是永へのマッチアップ。
立ち上がりは普通に付いていたが、すぐにボールを入れさせないディフェンスにシフトした。
もたれたら簡単には止められないと思ったのだろう。
自分には、前半も大分時間が過ぎてきたのに、まだ、普通の立ち位置でのディフェンスだ。
納得行かない。 

「ディフェンス。柴田。気持ちは分かるけど、相手シューターなんだから」
「すいません」
「警戒しなくてもお前が簡単に抜かれるレベルの相手じゃない。それよりも自由に打たせるな。そっちの方はちょっと怖い」
「はい」

お互い分かりきっているので言葉は省略されているが、ディフェンスにつく時の立ち位置が遠すぎ、ということを言っている。
遠いからシュートを打たれた、近ければ打たれにくい。
近すぎると、ドリブル突破に対応しにくくなるのだけど、力関係として柴田ならそれでも抑えられるだろ、ということを言っている。
和田コーチは、麻美のことはオフェンス面では外のシュート以外はほとんど評価していない。

「石川は集中。ボールがない時の集中が甘い。確かに中村の四番ほどの相手じゃないのかもしれないけど、ボーっとしてて止められるほど甘い相手じゃないだろ」
「はい」
「外は持たせても平気だという判断はいいけど、飛び込んでくるっていうのがあるんだから、息を抜くな」
「はい」
「向こうは時間かけたいみたいだから、そこは時間掛けさせてもいい。全部二十四秒にさせるくらいのつもりでもいい。簡単にシュートを打たせるな。特に外な。ドリブル突破からの捌きだけを頭に置くんじゃなくて、シュートを常に頭に入れておくこと」

和田コーチは、ここではメンバーを代えずにスタメンに戻った五人をそのまま送り出した。 

「相手代わってるよ」

声を出したのは石川。
藤本がいない。
二点差になったところで藤本を休ませるらしい。

ただ、滝川は誰が入ってきてもディフェンスのレベルは高い。
一人下がったからと行って、ボール運びが桁外れに楽になるわけでもない。
ただ、威圧感は多少は減る。

富岡エンドから。
高橋がボールを入れて田中が受ける。
新垣相手に引っかかること無くフロントコートまで持ち上がる。

富岡二点リードで第二ピリオド中盤。
石黒は悪くないな、と思いながらベンチで見ていた。
これまで三回戦、準々決勝の段階で前半終わって三点差四点差のゲームをしてきたのだ。
昨日に至っては片手じゃ足りないビハインドを負っていた。
今日はまだ二点差。
後半強いとされる滝川にとってはこのままいければ上出来だ。

富岡の方もそれほど悪いとは思っていなかった。
少し流れがきていなかったけれど、それでもまだリードしている。
富岡にしても準々決勝では前半負けている状況から後半大きく突き放して勝っている。
これくらいの競ったゲームを別に苦にするでもない。
このままでもそれほど悪くはない。 

そういうベンチの思いを知ってか知らずか。
点を取りに行ったのが石川だ。
外から勝負したい。
そう言っていた石川。
ここのオフェンスは単純に勝負した。
ボールを受けて早いモーションでシュート。

このスリーポイントが決まって21−16

和田コーチは苦笑い。
それは持ち上がってすばやくシュート、という展開じゃないか・・・、と思った。
せっかくキャプテンがスリーポイントを決めて、ベンチが盛り上がっているのに、注意するわけにもいかない。
それで決められるなら、まあ、いいか、とも思った。

滝川の方は麻美が今度はスリーポイントのフェイクからドリブル突破を試みるが、柴田にがっちり止められる。
ミドルレンジでピボット踏みつつ、シュートクロックもないので窮屈な姿勢から無理にジャンプシュートを放ったがリング手前にあたって落ちた。
リバウンドは道重が拾う。

道重から田中へ。
状況判断。
速攻は出せる状態ではない。
目の前に低く構えた新垣。
オールコートの一対一の練習の要領で、手を出されないように気をつけながら、確実にボールを運ぶ。 

中が広いセットオフェンス。
石川は、インサイドで楔になる意思はまるでないらしい。
中を経由する時は道重になる。
道重自身はそのまま勝負、ということをあまりしない。
ローポストでみうなを背負った道重。
里田が挟みにきたところですばやく外に捌いた。
石川。
先ほどのスリーポイントが頭にある里田がすっと近づくと、石川は左側からドリブルでかわす。
道重は捌けて逆サイドへ向かったが、石川の前にはみうなが残る。
パス、という選択肢が十分にあったが、石川はそのままゴール下へ。
みうなは止めきれない。

23−16

「里田! ついていけ! 足動かせ!」

ベンチから声が飛ぶ。
里田がきれいに抜かれてしまっては、みうながカバーに入っても止めきれないのだ。
試合最初の場面と同じである。

滝川のオフェンス。
責任を取ろう、と里田がハイポストでボールを受けて勝負を狙う。
背後に石川。
その存在だけを意識して、肩でフェイク入れて、さてターンという動きをしようとしたところでボールを叩かれた。
外から来た小さい高橋。
視界には入っているはずなのだけど、意識に入っていなかった。
こぼれ玉、田中と新垣のつかみ合い。
互いに譲らずジャンプボールシチュエーション。
ここはルールで富岡ボールになった。 

タイムアウト後、三度富岡のオフェンス。
また石川。
右サイド外。
今度はエンドライン側にドリブルで里田を抜きに掛かる。
三本続けて自分でやられたくない里田、なんとかついていく。
後ろからみうな。
エンドラインと合わせて三方を囲む。
シュートまで持っていける状態ではないが、石川はしっかりパスを捌く。
逆サイド道重。
上からカバーに下りてきた新垣が前に立つ。
大きなミスマッチだが、道重、ジャンプシュートを打つには距離が遠い。
上の田中へ。
田中の前にもディフェンス。
高橋へ送る。

ローテーションで回してしっかりノーマークを消した滝川。
シュートクロックは刻まれて行く。
石川、一本外で決めきれず、今度は中に入った。
高橋は柴田へ落とす。
柴田からローポスト石川へ。
石川の背中にはみうな、外からも挟みに来るがその前にターンする。
ただ、ターンしたら前に壁二枚、みうなの他に里田も付いてきた。
ワンドリブルで移動するが壁も付いてくる。
向きを変えてゴールに背を向ける。
外から新垣。
三方囲まれた石川、目に入ったのは構えて待つ柴田だった。

ノーマークの柴田へバウンドパス。
そのまま受けてのスリーポイントシュートを柴田が決めた。

26−16

点差が十点に乗ったところで石黒がタイムアウトを取った。 

出ていたメンバー同士でハイタッチをかわし、戻ってきてベンチメンバーともバチバチやっている富岡。
和田コーチは冷静に告げた。

「石川、下がれ」
「今ですか?」
「今だよ。今。後でってことないだろ」
「はい・・・」

露骨に不満そうな石川。
和田コーチは解説を加えた。

「このタイムアウトで多分向こうは石川への対策を何かしてくるだろう。それを受けてどうするかっていうのを次出て考えてもいいんだけど、そもそもそれ全部無駄にさせるのにはここで下がってしまうのが一番いい」

十点開いたし休ませようってことだよなあ、と柴田はドリンクボトルを手にしつつ思った。

「道重も交代。インサイドは少し向こうの目先を変えよう」

これでスタメンは全員一回づつ休みを取ったことになる。

「ここは少し時間掛けていい。一気に離すってことは考える必要はない。キープで。まあ、前半二桁点差で終われれば上出来だな。一気に開こうとするな。一本づつ丁寧に。ここは時間掛けていいからな」

試合前の方針、序盤の方針から大きく転換してきた。
手数掛けない、というのは自分たちのペースに持ち込むための方策である。
自分たちのペースに持ちこめてしまえば、その手法にこだわる必要は特にない。
ゲーム中にプランを変えても対処できるだけの適応力はこのメンバーは備えている。 

滝川ベンチはメンバーを出迎えて最初に口を開いたのは藤本だった。

「囲んだ後の対処が遅い。新垣は外から囲んで、石川が自分より背が高いんだから、外に捌かれるのは頭に入れとけよ。それですぐ戻るっていうのが出来てないから、フリーのスリーポイントになるんだよ」
「それはそうだけど、そこの一本はちょっと横に置くぞ」

新垣が答える前に石黒が口を挟んだ。

「里田。ああ何本も続くと少し考えないといけない。周りも周りであるが、ちょっとしばらく四番にはフェイスで付いてみよう」
「はい、すいません」
「これまでが目立ってないだけで、単純に一対一の攻撃力を取り出すと富岡の四番も中村の四番と同等なのかもしれないな。ボールを持たせるな」
「はい」
「たいしたことないよ、まいなら抑えられる。ただちょっとスピードが前よりある気はするから気をつけた方がいいかもしれない」
「フェイスで付かれるのも当然なれてるだろうから、フェイスでついとけば大丈夫とは思うなよ。息を抜かないこと」
「分かってます」

フェイスでつけ、というのは、他のオフェンスのことは気にせずマッチアップだけを考えろ、と言うのと意味合いは近い。
そうせざるを得ない、と石川のことを認めたということでもある。

「前、もうちょっと圧力掛けてみろ。特に藤本。フレッシュで入るんだからな」
「プレスで行きますか?」
「いや、そこまでしなくていい。ただ、積極的にスティールはしに行け。それで取れなくて一瞬五対四を作られてもかまわない。もちろんすぐ戻るべきだけど」

ここで藤本をコートに戻す。
里田が休めていないが、休ませられる状況ではない。

「プレッシャーな。プレッシャー。プレッシャー掛け続けて、ガード陣が耐え切れなくなるようにしていけ。そうなればこんな点差はないのと同然だから」

ガード陣が崩壊すると一気にゲームが滝川へ傾いて行く。
去年の東京聖督戦しかり、今大会では熊本友愛戦しかり、得意のゲームパターンである。
ただ、それらの相手とは違う、ということは石黒も当然わかってはいた。 

ブザーが鳴る。
メンバーチェンジ。
藤本が入るというのと同時に、富岡は石川が下がった。
え? という顔で里田がベンチの方を見る。

「普通で」

石黒が声を掛けた。
和田コーチほくそえむ。
やっぱり何か対処してたところだ。
石川を休ませる、プラスアルファの何かを小さいながら得た気分だ。

第二ピリオドは残り三分。
滝川オフェンスで再開。

藤本はゆっくりと持ちあがった。
富岡は前から当たっては来ない。
じっくりと全体を眺めながらゆったりと上がって行く。

「三番! 三番!」

藤本がコールした。
ナンバープレイ。
今までと同じ繰り返しは避けたかった。
目先を変える。 

藤本は中央やや左側、右に麻美がいる。
新垣が左サイドに動いて、中からみうながあがってきた。
かなり高い位置、フリースローラインとスリーポイントラインの間あたりに立つ。
里田は右0度に開いていて、ゴールに近い場所に滝川のプレイヤーはいない。

藤本はみうなにいれた。
麻美がみうなをめがけて走る。
柴田は二人の間を遮断、麻美はそのまま左0度まで抜けて行く。
次に動いたのは藤本。
同じようにみうなをめがけて走る。
高橋はしっかりと二人の間に入る。
藤本は駆け抜けて里田の方へ。
みうなはターンしてゴールに向く。
遠い位置で前には道重。
駆け抜けて行った藤本をスクリーンに使って里田がゴール下へ向かって駆け込んで行く。
ディフェンスはゴールサイドにいて、みうなと里田の間の線は塞がれていない。
みうなはシュートフェイク一つ入れてから里田にバウンドパスを落とした。
ディフェンスは完全に振り切れてはいなかったがそのままゴール下まで入ってジャンプした。
無理にブロックに飛ぶ選択肢もない場面ではなかったが、ファウルを恐れたのかディフェンスは止めに来なかったので、里田がそのまま決めた。 

前半残り三分を切っての攻防。
じっくりセットを組んでの両者のオフェンスはなかなかシュートまで持っていけなかった。
田中がキラーパス一本、とばかりにトップからゴール下へ駆け込んで一瞬フリーに見えた柴田へ長いパスを送るが、柴田とは関係なく、狙っていた途中のみうなに奪われる。
滝川オフェンスはシュートクロックぎりぎりでの麻美がジャンプシュートを放つと柴田のブロックにあった。
次の攻防では柴田のドリブル突破に麻美が付いて行き、ゴール下で里田と二人挟んでつぶす。
外に逃がそうとしたボールを田中がキャッチミスしてサイドラインを割った。
滝川オフェンスがここでようやくシュートまで持って行ったが、そのみうなのフックシュートは外れて道重にリバウンドを拾われた。

残り一分。
富岡のオフェンス。
石川がいないのに離されてたまるか。
藤本の心境。
現在八点差。
悪くても一桁のまま、できればもう少し詰めて終わりたい。

立ち上がりと違って、富岡が時間を掛けるのをいとわなくなったのは藤本も感じ取っていた。
ボールをしっかり回してくる。
いつもの富岡のやり口だ。
田中が一本キラーパスを狙ったりもするが、手数を掛けない、という序盤のものとは違うオフェンスだと感じている。

怖いのは自分のところと柴田。
一対一で抜き去られること。
それさえされなければ、しっかりと全員のディフェンスで守ることが出来る。
藤本の認識。 

一対一はボールを持った時に限らない。
ふとした瞬間にインサイドへ飛び込む、というのを高橋がしきりにやりたがっていた。
そういう、縦に加速度を持ってボールを受けられると、単純スピード勝負なら負けない自信はあってもちょっと気持ち悪い。
ドリブル突破も含め、自分を振り切られて高橋に中に入られるのは避けたい。
もちろん外のシュートも気にしないといけないが、通常のシュートレンジまでカバーしておけば問題ない。

その藤本の常識思考をまた高橋が外した。
遠い位置からのスリーポイント。
あっ、と思い、いや、その距離は外してる、と信じてゴールの方に向き直ったが、ボールは無情にリングを通過した。

29−18

今日最大、十一点富岡のリード。

ここまで終始冷静さを保っていた藤本。
それが、今のこのシュートで少しかっとなった。
そんなところから打たないだろう普通、という相手への怒りと、この相手を普通の人間として対処しようとした自分への怒り。
やり返してやる、という強い感情が湧く。 

ボールを運んで少し回してからの右外。
やり返してやる、という発想の時の藤本は、外からスリーよりも一対一でのドリブル突破に選択が傾きがちだ。
ここでもそうだった。
ワンフェイク入れて右へドリブル。
バックチェンジで持ち変えて左から抜きに掛かる。
しっかりとコースを塞がれ前に立ちはだかれた。
そのままあたりに行く形になり、高橋はばったりと後ろへ倒れる。
笛が鳴った。

「オフェーンス! チャージング」

前半残り二十七秒。
ブザーが鳴る。
富岡メンバーチェンジ。
石川梨華投入。

もう一本決めて終われ。
そういうベンチの意思を富岡メンバーは感じ取る。
その一本、当然、石川は自分が取るつもりだ。

基本、回して石川勝負。
柴田や高橋は、特に打ち合わせなく、そう思った。
道重も、そういう空気は読めている。
読めていなかったのが肝心の田中。
ここ三本のオフェンス、高橋のスリーポイントの前は、田中のパスミスと田中のキャッチミス、二つの基本的なミスで終わっている。
最後に取り戻さないと、後半、休憩ではなく普通に外されるかもしれない。
そのまま試合に出られなくなるかもよ。
小川のそんな言葉が脳裏をよぎるが、首をぶんぶんと振って振り払う。 

逆サイドからの横断パスを受けたとき、新垣が自分の方によってくる速度を持っていて抜き去りやすい、と見えたのだ。
一対一の形じゃない。
一対零点七くらいの状態だ、という瞬間の判断があった。
すれ違うように中央よりへ右手でドリブルして抜き去ろうとする。
新垣は田中のコースには入れず付いてくる形になった。
ゴール下にはみうながいる。
道重は開いているが、ゴールから遠い。
パスを出しても勝負できる位置ではない、と思い、田中は自分で勝負。
ゴール下まで行けば高さで負けるので、そこまで行かずにジャンプした。
付いてきていた新垣もブロックに飛ぶ。
小さいもの同士だったがタイミングが合っている。
新垣がシュートをブロックした。 

こぼれたボールに飛びついたのも新垣。
倒れこむようにして拾い上げる。
麻美の呼ぶ声がしたので転がったままパスを送った。
麻美はすぐに藤本へ。
藤本は持ちあがる。
高橋と一対一、という状況。
勝負したい、という想いはあったがここは自重した。
自分は流れが悪い。
左サイドへ切れていきボールキープ。
上がってきた麻美が中央を駆け抜けるが柴田がパスコースは塞いでいる。
三人目、里田。
石川は向こう側、パスは入れられる。
高橋の横からバウンドパス。
フリースローラインあたりで里田は受ける。
石川は引き連れた状態で、ゴール下には柴田もいる。
右サイドに開いた麻美も待っていたが、里田は自分で勝負した。
ストップジャンプシュート。
石川も遅れてブロックに飛んだ。 

シュートは決まる。
遅れて飛んだ石川は里田と接触しファウルも取られた。
バスケットカウントワンスロー。
久しぶりに滝川の速攻がきれいに決まった。

残り四秒七。
里田はフリースローを決めて29−21と八点差まで戻す。

前半最後の富岡のオフェンス。
高橋は長いパス一本狙ってエンドから投げる。
飛ばした先は道重。
通ればラッキーレベルの制度の低いボール、それでも道重は追いかけてキャッチする。
時間がない。
右サイド。
道重はそのままスリーポイントシュートを投げた。
リング奥にボールが当たり大きく跳ね上がる。
落ちてきてもう一度リングにあたり、滝川のメンバーの肝を冷やすが、ブザーが鳴って、次にボールが落ちた先はコートの上だった。

前半終了。

両チーム、メンバーはタオル程度の荷物を持ってロッカールームへ引き上げて行った。
決勝、ということで次の男子の試合のチームハーフタイムアップもここではしないことになっている。
誰もいないベンチとコートが残った。

「何とか一桁で終わりましたね」

 

記者席。
斉藤が口を開いた。
隣はいつものように稲葉だ。

「最後、石川さんでもう一押しをされなかったのは大きいよね」
「一気に流れきてたんですけどね。なんであそこで下げたのかな?」
「そのままの流れじゃ行かないと思ったんじゃないの? 二桁まで行ったけど、そのまま一気に押し切れるディフェンスじゃないでしょ今年の滝川は」
「でも、当たってますよね、今日の石川さん」
「うん。割に持たせてもらってるし。ただちょっと余計なファウルが一個付いたけど」
「三つ目でしたっけ?」
「まだ二つだけどね。最後にわざわざ投入しておいて、点を取るんじゃなくてファウルじゃちょっともったいなかったなあ」

石川を外したままだったら、たとえ点を取られたにしても、石川にファウルがつくことはありえない。
ファウル二つはまだ問題はないが、余計なファウルではあった。 

「富岡は外一辺倒で最後まで行くのかなあ」
「外一辺倒ってこともないんじゃないですか? カットインで入ってくるし」
「勝負開始のポイントは外でしょ。道重さんがもうちょっとインサイドでうまいプレイが出来ればいいんだろうけど。それがないから。石川さんは外でやりたがるし。結局、外、外になる」
「滝川のディフェンスに囲まれること考えたらしょうがないんじゃないですかねえ」
「やっぱり一年生の小粒さなのかなあ」
「道重さんですか?」
「うん。小粒って感じじゃないんだけど、そうだなあ、普通に未熟さってとこか。リバウンド拾えるんだけど普通のオフェンスがまだあのレベルには達してないかな」
「田中さんもあんまり力が出せてない感じありますよね」
「こっちは小粒かなあ。いいパスが出せてない。狙って出すとミスになってるし」
「ゲームは作れてないですよね」
「それでリードしてるんだから、真ん中三枚がどれだけ強力かって話しよね」

高橋の外、柴田の内と外、そして石川の個人技。
前半はほとんどその三パターンで得点が入っていた。 

「滝川もしっかりディフェンスしてるんですけどね」
「高橋さんの外はもうちょっと止めたいけど、柴田さんは割と止めてるのよね。後は結局石川さんか。前半いくつ?」
「・・・九、十二、十四。十四点ですね」
「でも、そんなもんか。欲しいところで取ってるから印象強いのかな」
「前半三十点切ってるゲームで十四点取ってたら十分じゃないですか」
「そう考えると、里田さんも結構しっかり抑えてのね。そっか」
「外が余計なんですよ、たぶん。滝川はいつもそういうの打たせないのに、今日は前半だけで三本もやられてる。中から捌かれての柴田さんは仕方ないにしても、石川さんの狙った一発や、高橋さんの二本が余計」
「不思議よねえ。一番固そうな藤本さんのところでスリーを二本やられてるんだから。後半はその辺かな。滝川はファウル少なく終われたから、そっちの心配はまだないし」
「一桁ならまだまだですよね」
「うん。まだチャンスある」

昨年の対戦ではファイブファウルで退場になった藤本、今日はまだ前半最後のオフェンスファウル一個だけである。
みうなや里田にも一つづつファウルは付いているが、複数のファウルがカウントされている選手はいない。
一方、富岡の方が道重と石川に二つづつついてた。 

インターハイの決勝は、国営教育テレビでの録画放送が一般的だが、今回は珍しく生中継されている。
インターネットでも随時得点経過がアップされ、どこでも誰でも、端末さえあれば状況をリアルタイムで確認できる。

 

昨日敗れてそのまま帰郷した是永。
昨日の今日で一日オフが与えられている。
当然のようにテレビを食い入るように見ていた。
負けた翌日。
みんなで集まって決勝見ようよ、というような会話が起こるはずも無く。
親も出かけた自宅で一人、ジャージ姿で見ている。

「チーム力じゃ勝てないなあ」

誰もいないとひとり言が出る。
学校じゃ言えないけれど、自宅で一人なら言えた。
ハーフ見て、自分たちのチーム力では富岡には勝てないなあ、と思う。

「もう一回やりたいんだけどなあ」 

実は、渡米の準備をしていた。
夏休みに、一度チームを離れてアメリカに渡る。
国体予選があるが、それは不参加。
十日ほど、アメリカの空気を吸うことと、力試しを目的にしたものだ。
是永はハイスクールの一チームの練習に混ぜてもらう。
ある意味で短気留学だが、夏休みで授業なんかないので留学ですらない。
つてを頼って頼って、行き当たった。
本当に、ただ、ちょっと夏休みに混ぜてもらう、以上のことは多分なにもない。
夏休みに入ってから、練習後に図書館なんかによってみたりして、川島に、何があったの? 明日は雪? なんていわれたりもしたが、ちょっとは英語の勉強もしてみたりもしている。
本格挑戦は来年以降の予定だけど、代理人候補とも顔を合わせて軽い売り込みも始めるのだ。
すべてが何もかもあまりに順調に行けば、来シーズンからアメリカで、というコースもまったくないことは無く、そんな夢を頭に描きつつ、でもそれだと、もう一回はない、ということを映像を見ながら思う。
いいような悪いような。
いや、どう考えてもいいことなんだが、それと比較しても、もう一度がないのはちょっともったいないなあ、と思ってしまうくらい是永にとって価値のあるものであったりした。 

 

福田も家にいた。
松江も負けたのは中村学院より一日早いが、帰郷したのは同じ昨日だ。
明日までがオフ。
朝、軽いジョギングくらいはしたけれど、後はボールに触ることも無くのんびりするつもりだ。
毎日顔をあわせてるのに、毎日送られてくるうっとうしいメールが松浦から来ない。
自分が寝ている間にロッカールームで何かあったらしい、というのは口ごもる辻から話を引き出したが、具体的に何がどうなってるのかはまだよくわからない。
うざいと思いつつも、毎日送られてくる開くと目がちかちかしそうなおはようメールが来ない、というのは少々気持ち悪い。

試合は富岡視点で見ていた。
富岡に勝つにはどうしたらいいのか?
冷静にそれを考えながら見るつもりはあったのだけど、いつの間にかそういう視点になっていた。
和田コーチに誘われたのは福田にとって遠い過去の記憶だ。
あの時そちらを選んでおけば、というような思考は存在しない。
それでも、この試合を見ていて、自分がこの十二番の代わりに入っていたらどうか、と思ってしまう。
四番、五番、七番。
ゲームプランを考えるのにはあまりに魅力的な顔ぶれだ。
十二番の代わりに自分がいれば、相手が滝川のディフェンスでも個人技に頼り切ること無くパスで崩すこともできるんじゃないか、と思う。
松浦、市井、吉澤。
そこに差があるか?
ない、というわけにはいかないだろうけど、どうにもならないほどの差なんだろうか?
そこまで思考して、自分のことに戻る。

滝川相手に四十分自分は持たないだろう。

県大会レベル、中国大会レベルでやっているうちは、周りを何とか自分のレベルに引き上げる、というようなことを考えていた。
ここまで来るともうそういう段階じゃない。
自分のレベルそのものが十分じゃない。
自分のことだけ考えて練習出来たから、七番はここまで伸びたのかな、なんてことを思った。 

 

「おう、真希、おっせーぞ」
「ごめんごめん」

後藤は普通に出かけていた。
負けて帰って二日休んで、昨日は普通に練習していた。
矢口別行動でチームが先に帰る時、練習じゃじゃあ三日後から、と後藤がなんとなく決めて伝えたのだ。
それまで矢口が帰ってこない、とは思っていなかった。
何をしている、という連絡は後藤には来ていたが、矢口いないから練習中止、とみなに連絡するのは面倒だったし、それもなんか違う、というような気がしたから昨日は普通に練習した。
今日は休みにした。
明後日から練習出るから、と矢口から昨日連絡が来たので、今日は休み。
なんとなくだ。

後藤には、どこで知り合ったの? と聞かれて、説明に窮するよくわからない友達が結構いる。
学校と関係ない、ましてチームと関係ない、どこで?がったのかよくわからない友達。
カラオケボックスにいるから来い、という朝からテンション高めのメールが起きたら届いていたので、暇だったから着た。

座った途端に電話だ。

「んー、今、バイト終わったところ」

午前中からそんなわけないだろ、と分かるような受け答えをしておく。
そっちはそっちで来い、と言っているけれど、めんどくさいので拒否。

「忙しいから切るね」

まったく勝手なんだから、と思った。
三日も自分たちのことほっといて!

「バイトなんかないくせに」
「無理しちゃって」

マイクを持っていないのがなにやら言っているが気にしない。
電話の先が言っていたことちょっと気になったので携帯をいじった。

29−21
富岡のリード。
どっちも頑張るねえ、と思った。 

後藤に電話を掛けたのは矢口だ。
昨日東京に戻った矢口、今日は加護家にいた。
高校一年生にして一人暮らしの加護。
実は結構寂しがりやで、家にいろいろと呼びたがる。
亀井が昨日から泊まりに来ていた。
高校一年生の女子が二人、平和にお泊り会。
酒類が散乱していたりはたぶんしない。
そこに朝から押しかけたのが矢口だ。

「たいちょー、朝からテンション高すぎ」
「絵里ねむいー」
「いいからよく見てろって」
「見てますよー。道重さんかわいい」
「どこ見てんだよ」

こいつらやる気あるのかないのかわからん、というのが矢口の気持ちだ。
やる気がない、とはちょっと違うけれど、どこまで勝つ気があるのかがよくわからない。
自分は添え物であって、自分が引っ張って行くというのは何か違う、という想いが矢口にはある。
メンバーが何を望んでいるのかを自分は見極めなくてはいけない。

「お前らガードだろ。ガードを見ろガードを」
「えー、この人、こわいんですもん。絵里のエックス攻撃をふざけるなって怒ったんですよー、試合中」
「怖いサル。ボスザル?」
「ボスザルボスザル」
「そっちじゃなくて十二は何かないのかよ」
「えー、十二番興味なし」

亀井がばっさり切り捨てる。

「ガード、みんな怖いですー。たいちょーも、ボスザルも。滝川の四番も」
「ああ、滝川の四番は怖い。あれは怖い。って、まて。矢口も同類かよ」
「矢口さん、おなかすいたー。何か作ってくださいよ」
「加護もおなかすいた」
「作るって、冷蔵庫まともに何も入ってないだろ」
「じゃあコンビニで何か買ってきてください。絵里、おにぎりがいい」
「加護はー」
「まて。人をパシリに使うな」
「えー。ハーフタイムの間に買って来れますよー」
「そういう問題じゃない」
「じゃあ、試合終わったらでいいんで、マック行きましょう」

異常に距離の近いコーチと選手である。
頭いてー、と思いつつも、まあ、試合を最後まで見る気はあるんだな、とは思っていた。 

 

平和な光景は紺野家にも広がっていた。
辻が来ている。
ここは泊りではなく、朝、辻が来た。
決勝を見て勉強をしよう。
福田先生の教育方針と、紺野の元からの性格と、二つが足し合わさって、一年生二人での見学会になっている。
松浦先生の教育方針は多分影響していない。

「あややさんも呼んだりした方が良かったかな?」
「誰かと見るなら明日香さんと見るんじゃない?」
「明日香さんもまとめて呼べば、解説もしてくれて良かったかなあ」
「うーん、あややさん、試合の後あんまりみんなと馴染んでなかったんだよね」
「あんなに静かなあややさん初めて見たよね」
「だから、今日も明日香さんとは会ってない気がする」

試合後、学校に戻るまで、松浦と市井はチームの中で腫れ物扱いだった。
何事もなかったように明るく振舞う場面が多かった市井も周りは扱いにくそうにしていたが、いつもとはまるで違う、周りを遮断する空気の松浦とも誰も絡めない。
辛うじて松浦と会話を交わしていたのは紺野だけだ。
ちょっと松浦見てて、と吉澤から紺野は言われていた。 

「明日香さんならこの試合の中入っても全然普通なのかな」
「のんちゃんは普通じゃないの?」
「無理無理無理。全然無理だよ。のんがついていけるのたぶん、富岡の十二番くらい」
「そうなんだ」
「それでものんのが全然下手だけど。でも、十二番くらいには何とかなれるかなって気がする」
「私は遠いなあ」
「そんなことないって。紺野ちゃんも、うん、富岡の五番くらいになれる」
「五番って。この人すごい人でしょ。そんな」
「なれるって。だって初めて四ヶ月くらいなのにもう、のんのこと止めちゃうし。一対一のディフェンスならうまいじゃん」
「のんちゃん遊んでるだけだもん。ちゃんととめてるわけじゃないし」

練習後、遊びで一対一、というのをよくやる。
一対一、というしっかりしたところまで行かなくても、ドリブル付いてゴールに向かうようなことをしたい時に、ちょっと前に立って、と言うのに紺野は便利な存在になっていた。
仲がいいので辻がよくそんな感じになるが、それ以外にも松浦が重宝がっていて、紺野ちゃん、ディフェンスの練習、と称して便利に自分に都合よく使っている。
松浦はただ自分本位に使っているだけな部分はあるが、それでも実際練習にはちゃんとなっていて、松浦を止めてしまうこともある。
パスという選択肢がなくて、絶対にシュートを打ったりもしない、ドリブルで来る、というのが百パーセント分かっている条件なので、試合に対応したディフェンス力という意味では疑問だが、それなりのことは出来るようになっている。

「それでさあ、それ、いつ食べ終わるの?」
「んー、そのうち」
「試合終わっちゃうよ」

二人の前にはテーブルがあり、試合前から朝食が並べられていた。
辻はさっさと食べ終わっていたが、紺野はいまだに鮭の切り身に箸を伸ばしたりしていた。 

市井は遅い朝食を取ろうとのそのそと部屋を出て行ったら母に言われた。

「決勝テレビでやってるわよ」
「はあ? 関係ないって」

知ってるよ、とは言わなかった。
うちの子インターハイに出て、とか団地内コミュニティで吹聴してまわるんじゃない、と親には言いたい。

自分が外面ばかり気にしてしまうのは血筋の問題だろうか、とそんな時に思ってしまう。
子供本人は関係ない、と思おうとしているのに、親がテレビをつけていると、嫌でも情報が入ってきてしまう。
幸い、キッチンの市井の座る席はリビングに着くテレビとは逆に向く位置なので、視界には入らない。
それでも、シュートが入る時の歓声と、実況のNHKらしい落ち着いた言葉は耳に入っていた。
聞きたくないはずだが耳はダンボだったりもする。

「富岡ってあなたたちに勝ったところでしょ?」
「あぁ? そうだっけ?」
「強いわねえ。決勝も八点もリードして勝ってて」

母親が出来上がった朝食を並べながら言う。
わざわざ状況を説明して自分に伝えようとしなくていい。
その音量でテレビが付いていれば嫌でも耳に入る。

「やっぱり強いの?」
「何が?」
「試合したんでしょ?」
「あのさ、ゆっくり食べさせてもらえる? おなか空いてんだけど」

休みってのもひまなものだな、と思った。
休みは明日までだったかな、と思った。 

じっと試合を見ていた。
石川梨華を見ていた。
エースとはなんだ?
紺野の言葉が耳をついて離れない。

「エースは、一番速い人でも、一番点を取る人でも、一番早い球を投げる人でもなくて、試合に負けた時に、自分の出来に関係なくその結果を自分の責任として受け止める人だって中学の時に習いました」

自分の出来に関係なくその結果を自分の責任として受け止める。

それはなんだ?
自分の責任とはなんだ?
一人で五人分の仕事をすること。
そうではない、ような気はする。

明日香ちゃんのように全体に目配りしていればいいのだろうか?
それでも違うような気がする。
明日香ちゃんはチームの柱でなくてはならない存在ではあるけれど、エースとは何かが違う感じがする。

石川梨華が持っているものはなんなんだ?
それは自分は持っていないものなのか?

技量の問題なのか、経験値の問題なのか、精神的なものなのか。
全てのような気はするし、そうでもないような気もする。

ただ、わかるのは、まだ自分はその域には達していないらしい、ということだけだ。

 

画面の向こうでは、むなしく映っていた誰もいないコートに両チームが戻ってきている。
レフリーが、三分前のコールをした。
ベンチでそれぞれのミーティングが行われていた。 

七番を何とかしなくては。
藤本の頭にはそれがあった。
オフェンスの指示は無いのか、と昨日、石黒を問い詰めたりしたが、今の状況で藤本の頭にあるのはディフェンスだ。
それもチーム全体ではなくて自分個人のマッチアップの部分。
相性みたいのってありますよね、と昨晩麻美が言っていた。
相性で割り切れれば苦労しないって、と頭の中で十五時間くらい前の光景に突っ込む。
第三ピリオド直前のミーティング、藤本のそんな頭の中に、石黒の回答が飛んできた。

「新垣、後半も残れ。マッチアップ代える。新垣が七番。藤本十二」

他人事、と最初聞き流しそうになったが、自分事だった。
えっ? という表情を新垣がしていて、藤本も同じ表情だった。

「藤本は十二を徹底してつぶせ。お前と十二番なら差がかなりあるから何もさせないくらいのことは可能なはずだ。新垣は距離近く七についてみろ。足がよく動いてるから抜きに掛かられてもついていけるはずだ」

十二は田中。
確かにつぶせそうな気はするけれど、それよりも、高橋のマークから外されたことが藤本の頭で引っかかってしまう。
そんな藤本の表情を見て取ったのか、石黒は続けた。 

「藤本。お前は常識人相手には強い。だけど、そういう常識から外れた相手も自分の常識の枠に入れて対応しようとする部分がある。そういう意味で七番とは合わないだろう。逆に十二番相手なら強いはずだ。まず十二をつぶす。七番も体力的に強いわけではないはずだから、十二を使えなくてボール運びに力を費やさないといけなくなったら最後までは持たないだろう。新垣。そこがお前の役割だ。とにかくしつこくな。力は向こうのが上かもしれないから、抜かれる場面、シュート決められる場面もあると思うが、それは四十分のゲームの中の一つの経過だ。力をとにかく使わせろ。終盤までに」

納得行くわけがない。
ただ、それを主張しているような場面ではないことも分かっている。
新垣で大丈夫とも思えないけれど、ここで文句言ってる状況ではない。
七番を自分が抑え切れていないのも事実だ。

「里田。ボールを持たせないが第一。持たれたら次はシュートを打たせないが第二。シュートを抑えに行って抜かれたらそれはそれでしかたない。ただ、あきらめるな。五センチでも十センチでもコースを制限しろ。少しでもいいからプレッシャーを掛けろ」
「はい」
「周りは四番が持ったらケアな。特に三線。四番が捌くときは自分で勝負してからしかない。最初から横断パスで繋ぐというのはないから」 

七番を抑えきれず、石川にまでやられたら点差は開く一方だ。
自分たちはディフェンスが柱。
いろいろな意味でいらだつが、とにかく堅く守るしかない。
足を動かして、前からプレッシャーかけて、相手オフェンスに負担を掛けさせる。
滝川のキャプテンが、一人のマッチアップに固執して、ふてくされている場合ではないのだ。

「リバウンドしっかり入ろう。リバウンド」

手を叩きながら藤本が言った。

「シュート打ったらスクリーンアウト。基本しっかり」
「外から唐突に打たれるのを減らせば、シュートを打ってくる、というのが周りも分かりやすくなるはずだからな。ゴール下抑えて、スクリーンアウト。それと、シューターもな

藤本の言葉に石黒が合わせる。

「まだ慌てなくていい。早く追いつこうとか考えなくていいから。残り五分まで行っても一桁点差なら十分勝負できるんだから。慌てなくていい。きっちり守ってればチャンスは来るから」
「しっかり抑えて行こう。うちは終盤強いんだから。集中切らさずに」

滝川は終盤に強い。
そう、信じていた。
去年は自分が退場になって、それでも確かに終盤追い上げて行った。
今年は、最後までコートの上にいて、その、終盤の強さを真に証明するのだ 

富岡のミーティングが先に終わっていた。
五人はコートに上がっている。
田中、高橋、柴田、石川、道重。
スターティングメンバーに戻っている。
後半は滝川ボールでの再開なので、富岡はディフェンスから。
マンツーマンなので相手が出てくるまではただ待っていることになる。

「梨華ちゃん、今日のために取っておいたの?」
「取っておいたって?」
「昨日までと全然違う気がするんだけど」
「そういうつもりじゃないんだけど。ただね」
「ただ?」
「美記ちゃんに挑戦するまで負けられないからね」

美貴ちゃん? と柴田は一瞬思ったが、ちゃんと言うからには是永の方だろうと気がついた。

「あんまり気合入れすぎて暴走しないでよ」
「大丈夫」

滝川のメンバーがコートに上がってきた。 

サイドからボールを入れるのは新垣。
富岡の方はディフェンスマッチアップは代えず、藤本には高橋をつけて新垣に田中をつけている。
新垣から藤本にボールが入って後半が始まった。

29−21

滝川には八点のビハインドがある。
後半の入りでいきなり差を広げていかれる、という展開は避けたい。
慌てることはないと言われたが、点が取れなくてもいいやといオフェンスはない。
点は取りたい。

今日の自分はそれほど悪くない、と里田は感じていた。
前半、石川に連続でやられた場面もあったが、あれは石川が一枚上手だったというだけで、自分の調子が悪いとかそういうことではないと思っている。
調子が悪くないのに止められなかったことは問題かもしれないが、それを今言っても仕方ない。
調子は悪くない。
なら、自分オフェンスの勝負は石川相手に十分出来るはずだ、という感覚が有る。

相手によってやり方は違ってくるが、石川相手ならインサイド勝負が自分に割がいい。
ゴール下、ぶつかり合いながらポジションの奪い合い。
スピードは負けてもパワーは自分の方があるはずだ。
そう考えて押しのけると、前に入られてパスコースをふさがれたりもする。
裏、と呼んでも、奥に入りすぎていて、裏はゴールの裏になってしまったりする。
それを見ていた藤本、逆サイドにいる麻美へ横断パスを飛ばした。
里田は反対サイドへポジションを取り直す。
それをさせまいと石川は追いかけ、里田はそれを背中に押し入れようとする。
ボールを受けた麻美、エンドライン際に里田へバウンドパス。
中央側から無理に奪おうと入る石川、ボールをキャッチした里田の左腕に接触してファウルを取られた。 

「三つ目」
「四番三つだよ」

滝川ベンチから声が飛ぶ。
石川、三つ目のファウル。
後半開始早々、富岡ベンチで控えメンバーが和田コーチに呼ばれてアップを始める。

エンドから新垣が入れる。
藤本が受けて、簡単にインサイドの里田へ入れた。
三つ目のファウルの直後、まだ後半開始早々。
石川の腰が引けている。
ローポストでの一対一、里田がスピンターンでゴール下に入り込み、ボードを使った簡単なシュートを決めた。

滝川は四十分間前から当たる。
富岡はエンドからボールを入れるのは高橋の役目。
目の前にはさっきまでと違う顔がある。

「ディフェンス! ハンズアップ!」

小さな顔が自分を鼓舞するかのように声を出していた。
マッチアップが変わったらしい。
左サイドを見ると、田中ががっちりと藤本に押さえ込まれていた。
ボールを受けに来られる状態ではない。
オールコートのマンツーマン、というのを超えるレベル、プレスに近い形相で藤本が田中を抑えている。
柴田の方は比較的余裕があるように見えたのでそちらにボールを入れた。
パスアンドランで自分が受けて、という絵を描くが、新垣にコースに入られる。
じゃあ大きく裏へ、という動きをするが柴田は迎えに着た石川に縦にパスを送った。
柴田が走って石川からリターンパス、ハーフラインを超える。 

柴田はボールをキープして周りの上がりを待った。
場が落ち着いて送った先は高橋。
なんとなくシュートの構えをしてみると、しっかり反応してきた。
突破してやろうかと思ったが、フリースローライン付近に上がってきた石川が見えたので新垣の小脇を通してパスを送る。
弧を描くように入ってきて走りながらボールを受けてゴールの方を向く。
シュートの構えを見せてからドリブル一つ。
ブロックに飛ぶ里田。
ぴったりボールは叩かれて見事なブロックショット、に見えなくも無かったが、レフリーは笛を鳴らした。
ファウルの判定。
やられたらやり返せが成立した。

石川がフリースロー二本を決めて31−23
ここで和田コーチは石川をベンチに下げた。
勝負どころはまだ先と見る。
ファウルが三つのうちに、リードしているうちに、石川を温存しておく。

「当たってくるみたいだけど落ち着いてやれよ。十二になら取られることはない。ただ、パスの出し先は気をつけろ」
「はい」

石川が下がっていくところで藤本が新垣に声を掛けた。
富岡ディフェンスが引いて行かない。
いつものことだが第三ピリオドに入ったところでしばらく前から当たってくるのだろう、というのが読み取れた。 

藤本には高橋、麻美には柴田、それぞれ付いている状況でエンドの新垣にボールが渡されてゲーム再開。

対プレスの練習は滝川は嫌でも積めている。
いつでも前からあたるオールコートマンツーを練習しているのだから、オフェンス側はいつでもボール運びの時点で当たられるのだ。
ただ、実戦ではやはり少々勝手は違う。
新垣はとにかくボールを早く入れたかった。
プレッシャーのある場面では、脳内の五秒のカウントがやたらと早く感じるもの。
一瞬相手見えた麻美に急いでパスを送ったのだが、場所が最悪で、左コーナーに下りたところ。

受けた麻美、前に柴田でさらにすっと田中も寄ってきた。
コーナーなので後ろにエンドライン、左にサイドラインと動ける場所がない。
新垣が何とか受けようと動くが、高橋が押さえに来た。
結果、藤本は開いたが、新垣が邪魔で麻美から受けられるような位置に入れない。

麻美は強引に新垣にパスを出す、というところで田中の手に当たって外に出た。
滝川ボールだが、後四秒でフロントコートまでボールを運ばなくてはならない。

またエンドで新垣。
今度はコーナーに近い位置になる。
麻美が中央にいた藤本の方へ寄っていく。
高橋にスクリーンを掛けて入れ替わる。
藤本は上がって行って高橋もスクリーンを避けて付いていくところに新垣がバウンドパスを送ろうとした。
反応したのが田中。
思わず手より先に足が出た。
ボールは足に当たってとめられたのだが、バスケで足を使ったら当然笛が鳴る。
キックボールで反則。
ファウルじゃないけどバイオレーションでもう一度滝川ボール。
二十四秒計もリセットされてフルタイムでやり直し。

足が出る気持ちはわかるだけに、和田コーチもベンチで苦笑いしている。 

エンドから三回目。
今度はエンドライン際でうまく高橋を振って藤本がボールを受けられる位置に入ってきた。
素直にそこにボールを入れる。
ドリブルで藤本が上がると柴田が寄ってきたので開いた麻美に送った。
麻美が持ってそのままフロンとコートまで上がる。
散々てこづったけれど、まずは被害無しでボールを運べた。

セットオフェンスは里田で勝負だろここは、と藤本は思っていた。
認めたくないが最近の石川は去年の夏までの石川とは違う。
ディフェンス力が格段に上がっている。
去年までなら石川が下がったところでそこのディフェンス力は上がる、という式になるところが、今はたぶん逆だ。
ファウルトラブルで下がってくれたというのは、その面でもかなり大きい。

里田にもその意思があったようで、攻め気を見せる。
石川の代わりに入ってきたのは背が高いタイプ。
ならば外から勝負、と考えた。

スリーはないが少し中に入ってのミドルなら里田は打てる。
シュートフェイクを見せて中央側からドリブルで切れ込む。
抜ききれず、さらに三線でいた柴田に前を押さえられた。
高さは里田の方が上。
しかし、逆サイド、開いた麻美が見えたのでそこに長いパスを送ろうとした。
これがうまく行かない。
上から降りてきた高橋にスティールされる。 

高橋はすばやく田中へパス。
田中、ドリブルで上がっていこうとすると藤本に阻まれた。
速攻を繋げる出し先を探したが、周りも捕まっていて出せない。
高橋に戻す。

新垣は少し離れ目に付いていた。
厳しく付いてボールを奪える相手じゃない。
ただ、映像を何度も何度も見て、なんとなく動きのイメージは把握しているつもりだ。
自分がマッチアップとして付く、ということがあるとは思っていなかったが、なんとなく気にして何度も見た相手だ。

藤本には説明しなかったし、実際言葉で説明は出来ないのだけど、なんとなく感じていたこと。
外から唐突に打つときは、むずむずした雰囲気がある。
美貴さんは理解できない奴という言い方をしていたけれど、新垣にとっては、割りと分かりやすい人、という印象を高橋相手に抱いていた。
とはいえ、コートの上で相対すると力の違い、経験値の違いというのは感じずにはいられない。
肌で感じるプレッシャー。
向こうはすでにスター級だが、自分はどうしても場違い感がある。
運動量以外の理由で心拍数が上がっているのは自分でも感じているけれど、それでも、体はとっさに反応した。

上がってきた高橋がパスを出さずにそのまま遠い位置からのスリーポイントを放とうとする。
少し離れ目にいた新垣、踏み込んでジャンプ。
パーフェクトなブロックでボールは高橋の背後へ。
そのまま横を抜けて新垣がボールを拾い上げる。
後ろから迫った高橋、ボールに手を伸ばすがボールに届く前に新垣へ体当たりの形になりファウルを取られた。

「ナイスディフェンス! ナイスディフェンス!」

ベンチから声が飛ぶ。

「やるじゃないか」

藤本が頭を軽く小突くと、新垣は恥ずかしそうな笑みを浮かべた。 

石川が下がってしばらく経ったが、どちらも得点を挙げていくどころかシュートまで持っていけない。
どちらも厳しいディフェンスで相手の思うとおりのオフェンスをさせない。
ただ、ファウルが絡みがちにはなっていた。
新垣から奪い返そうとした高橋、ルーズボールを追った田中、スティールしようと飛び出したら先に相手に入られた柴田。
滝川にしても柴田の突破に対処が遅れた麻美や、ボールのないところでのポジション争いで笛を鳴らされたみうなというのがある。

点の入らない展開にさきにじれたのは富岡。
和田コーチがタイムアウトを取る。

ここで石川の投入かと思われたがそれはなかった。
逆に田中を下げる。
送り出すときの指示は、出だしのスタイルに戻すこと。
すなわち、手数を掛けずにすばやくシュートまで持っていくこと。
滝川もメンバーを代えた。
麻美と新垣を下げる。
ディフェンスは今のままでいい、という指示が出た。
八点差は後半開始時と変わらないが、オフェンス面はまだあせらなくていい、ということを繰り返し言っている。

富岡が石川を投入してこなかったのを見て、次のワンプレー後、滝川は里田を下げて休ませる。 

点の入らない均衡を破ったのは意外なことに道重だった。
滝川ディフェンスがパスカットで弾いたボールがエンドに出て富岡ボールとなった場面。
高橋が簡単に入れたボールを右零度、やや遠目の位置からジャンプシュートを放ったのだ。
これがきれいに決まって十点差。

すぐに返したのは藤本だ。
前から当たってくる富岡ディフェンス。
エンドからのパスは別の人間が受けた。
それに従って富岡ディフェンスが動く。
二人に囲まれる前に開いていた藤本にパスが通った。
前には誰もいない。
一人で持ち上がっていく。
先に上がったセンター陣と合わせて三対二の状況。
石川の代わりに入っているディフェンスが捕まえに着たが、パスで捌くのをおとりにバックチェンジ一本で抜き去った。
ゴール下、残っているのは道重。
藤本、道重の一対一では問題にならず、揺さぶりかけて無力化してしっかりシュートを決めた。
プレスはきれいに抜かれるとその後がひどい、の典型のような展開でまた八点差。 

第三ピリオドも半分が過ぎた。
滝川は麻美をコートに戻し、富岡は高橋を下げて田中を戻す。
富岡の手数掛けない攻めは効かなかった。
柴田がスリーポイントを放つが不発。
田中が持ち上がってすぐにジャンプシュートというのもあったが、これも決まらず、リバウンドを拾った道重も、そのまま打ったジャンプシュートが入らない。
滝川も富岡ディフェンスを崩すには至らなかったが、何とか得点チャンスは得られた。
ゴール下で勝負したみうなが道重からファウルをもらう。
フリースロー二本。
ここで富岡が石川を投入してきた。
滝川の方も里田と新垣をコートに入れる。

みうなが二本決めて六点差。
オールコートで付いてくる滝川ディフェンスに、高橋を外した富岡ガード陣はボール運びの面で苦しそうであったが、ここは柴田がうまくドリブルで運んだ。
ボールは受けに着た石川へ。
ターンして即勝負。
里田に油断があったわけではなかったが、読みは多少甘かったかもしれない。
単純にドリブル突破を石川は選んだ。
体は付いていききれないけれど、心は反応している、という状態。
逆サイドからみうながカバーに来て、石川はゴール下までは行かずにジャンプした。
遅れながらもブロックを試みた里田。
体が流れて接触しつつ、ブロックも遅くて効果なく、石川にジャンプシュートを決められた上、シュートファウルを取られフリースロー一本を与えた。
里田のファウルもこれで三つ目だ。

第三ピリオド七分三十五秒経過。
35−27
富岡八点リード。 

ここで滝川ベンチがタイムアウトを取った。

石黒の指示は、里田にもう手を出すな、ということと、とにかく足を動かしてしっかりディフェンスをしろということと、みうなには、道重が外に開いた時は捨てていいから、逆サイドから石川や柴田あたりが突破してくるのをカバーするイメージでいろ、といったところ。
また、オフェンス面でも指示が一つ出た。
里田に一対一で突っかけてみろ、というもの。
ゴール下で一対一をしていると、何かの弾みでファウルをもらいやすい。
石川に四つ目のファウルをさせたい、という狙いがある。
ただ、石川−里田のマッチアップのところはお互い様でファウル三つづつだ。
ファイブファウル退場までリーチは掛かっていないが待ちの広いイーシャンテンといったところ。

富岡の方は普通に戻そう、という指示だった。
オフェンスで、手数を掛けない、というやり方はやめて普通に戻す。
ディフェンスも、前から当たるというのをやめて普通に戻す。
後半に入ってから、和田コーチのいくつかの施策は当たっていない。
前から当たってもボールは取れず、手数を掛けない攻めでは点が取れず。
ただ、策が当たっていないのに、点差は後半開始時と変わらぬ八点のまま。
自分たちに波は来ていないが、向こうに流れを捕まれる、ということもしていないという状況である。 

こういった展開でストレスをためていたのは田中だった。
先輩たちほど厳しい試合に慣れていない。
マッチアップが、特に自分がオフェンス時に藤本になって、ボールもなかなか受けられなくなってきている。
前半から足を使わされていて、体力的にも疲弊してきた。
今日の試合、自分が活躍出来ていない、と感じている。
今日の試合自体へのプレッシャー、この先に待つ未来の姿へのプレッシャー。
いろいろなことが頭にある。

滝川エンドからのゲーム再開。
新垣が入れて藤本がボールを運ぶ。
田中から見て藤本は格上感を感じずにはいられないが、新垣なら意識の上では雑魚扱いだ。
実際には前半にシュートをブロックされたりもしているし、大きな力の差があることの実証は出来ていないのだが、田中の意識の中では、控えの一年生だろ、という位置づけである。
ボールを持たせないようなディフェンスをするのはやれば出来ると思う。
ただ、そういう指示は出ていないし、それをするのはボールをもたれたら怖い相手だけだ。
新垣相手にそれは必要ない。
何らかの形でボールを奪い取りたかった。
後半に入って、オフェンス面で自分は何も出来ていない。
ディフェンスは大過なく時間が経過しているが、相手が相手なだけで、それほど意味有る活躍ではないと思っている。
活躍したい、という自意識と、役に立ちたいというチーム意識とがあいまぜになりつつ、田中は足を動かしている。

狙ったのは、外で回すなんでもないパスだ。
何も考えずに送れば通る、と見えるだけの距離を置きつつ、実際にはパスが出る瞬間を狙っていて飛び込む。
奪うことが出来ればそのままワンマン速攻でゴールまで。
練習の時によく、逆のシチュエーションで高橋が自分にパスを送るところで、控えメンバーにそれをやられたりしている。
それは、田中にとって馴染みの有る映像ではあった。 

持ち上がった藤本から麻美へ。
麻美は里田へ送るが、ターンして勝負するには少々遠い。
外へ戻す。
受けた麻美、周りの状況を見ながらドリブルを付きつつゆっくり上へ移動した。
柴田は麻美を見たままで、特に強いプレッシャーは掛けない。
横のラインには新垣。
ここで田中は狙った。
罠を張ったつもりだったのだ。
しかし、麻美には田中の狙っている雰囲気が見えた。
自分が柴田を抜いたらそこをカバー、という体勢ではなく、前に飛び込むぞ、という重心の位置に見える。
頭で考えたわけではなく、ぱっと見てなんとなくそう感じる。
それでも、パスの出し先は新垣だった。
新垣に送ってそこから逆サイドへ回して、オフェンスの打開をしたい。
麻美は、田中を見ながら、気のない横パスではなくて、しっかりと早いパスを新垣に送った。
狙っていた田中は飛び込むが、足を踏み込んだところで取れないのは察知した。
受けた新垣、田中がその動きなので自然と開いた前にドリブルで切れ込む姿勢。
慌てた田中は足より先に手を伸ばした。
前には当然入れず横から接触する形でファウルを取られた。

勝ちながらも経験を積ませて一年生を育てたい。
和田コーチはそういう考えを持っているが、ここは我慢の限界だった。
田中を下げる。
経験を積ませる、を優先していられる場面じゃない。
田中はレギュラーだ、という位置づけに和田コーチは置いているが、それでも現状、石川や柴田と違って、紙一重のレギュラーポジションだ。
調子を落としていたり、流れが悪い場面では、代えた方が合理的なことが多い。
試合展開に余裕があれば、それも一つの経験とそのまま使っていたりもするが、今日、今はそんな状況ではない。
同時に高橋をコートに戻す。 

チームファウルがかさんでいるので、このファウルで新垣にフリースローが二本与えられた。
新垣も新垣で大舞台の経験がない。
シュート力とか、フリースローの得意不得意とかの問題ではなく、変な緊張感から二本とも外してしまった。

富岡のオフェンスは石川が戻って、それもすぐに一本決めたからといって、石川一辺倒というやり方はしなかった。
エンドから柴田が受けてボールを運ぶ。
中、外、いろいろ回して、ここで勝負したのは高橋だ。
逆サイドからゴール下を抜けてきてパスを受ける。
受けながらターンしてゴールの方を向くと前には新垣。
シュートフェイク、ワンドリブル、すぐにジャンプシュート。
シュートはリング手前に当たって向こう側へ跳ねて行く。
リバウンド、シュートが打たれてから場所移動した道重がみうなより外の位置にいながらボールを奪った。
そのままもう一度ジャンプ。
ボードに当てたシュートは決まり、さらにみうなからファウルまでもらった。

37−27
富岡十点リード。

「スクリーンアウトをしっかりやれ!」

ベンチからみうなに声が飛ぶ。
みうなはスクリーンアウトをしたつもりだったが、ゴールサイドに入った、というだけで道重の動きを背中で押さえ込むことは出来ていない。

「二人、三つだから気をつけてよ」

コート内の簡易ミーティング。
このファウルでみうなも三つ目。
里田と合わせてインサイド二人がファウル三つだ。
一方、富岡の方も石川も道重もファウル三つである。
この合間に、富岡は柴田をベンチに下げた。
滝川も新垣を下げる。 

道重はフリースローを決めた。
道重の三点プレイは珍しい。

第三ピリオドは残り一分半少々。
大体あと二回づつの攻防。
二桁点差のまま最終ピリオドには入りたくない滝川。
狙ったのはインサイド。
石川、道重がファウル三つなのを踏まえてのもの。
勝負したのはみうな。
前に道重、さらに石川と反対側から柴田、三人に囲まれる状態になったのに、すべて無視して半身の姿勢で飛んだ。
ゴールとの距離、体勢がぴったりだったのだ。
フックシュート。
きれいに決まって九点差に戻す。

しばらく点の入らない流れだった。
点が入ってもファウルがらみだったのが、フィールドゴールが決まるようになってきた。
富岡オフェンス、ボールがよく回った。
滝川ディフェンスがここまでボールを回されるのは珍しい、というくらいによくボールが回った。
最後は右サイドでフリーになった柴田のジャンプシュート。
得意の位置でフリー、きっちり決めてまた二桁点差に拡げる。

滝川オフェンスはそこまできれいにボールは回せなかった。
第三ピリオド残り時間は少ない。
ここは決めないといけない場面。
無意識に、最後の勝負は里田に頼った。
ゴール下、石川と道重まで付いてきて壁が二枚、という状況に追い込まれる。
シュートクロックが無く、もう一度外へ、という選択肢はなかった。
強引に打ったシュートは二枚の壁は越えたがリングには吸い込まれず、ボードに当たって跳ね返ったところを道重に拾われた。 

道重から高橋へ。
高橋が一人で持ちあがる。
富岡の速攻。
戻ったのは藤本。
高橋は冷静に時計を見て、そのままワンオンワンは試みずに右サイドに捌けて味方の上がりを待った。
残り時間二十六秒、シュートクロック二十二秒。
時間を使いきった方が賢いという判断。

富岡で田中が下がり、滝川で新垣が下がったところで、高橋のマークは藤本に戻している。
ボールを外でまわした。
時間を使いきろう、という意識が強く、崩す意思を持ったパスを出さない。
思い切って奪いに動いたのは藤本だ。
高橋からパスが出る。
田中に代わって入った十五番。
そこに、本来のマッチアップと、さらに藤本が奪いに行った。
二人で囲む。
柴田が後ろ、戻して、と声を掛け、それに反応する形でボールが出て来たが、麻美がうまく奪い去った。
麻美と柴田の一対一、その前にはゴールだけ。
そういうシチュエーションだったが、すぐに走ったもう一人が藤本だ。
ボールを奪った麻美は左サイドへ抜けてドリブル。
藤本は中央側へ走って行く。
柴田は両にらみ。
二対一、アウトナンバー。
麻美と藤本。
九割以上の確率で藤本に一度はパスが出る、と柴田は踏んだ。 

スリーポイントラインあたりまで来たところで麻美は中央の藤本へパスを送る。
ここまでは柴田の読み筋。
そこで自分が藤本の方へ動いて、もう一度麻美へリターンパスが出るかどうか?
五分五分。
両天秤に掛けておくか、藤本に決め打ちするか、麻美へのパスと読むか。
瞬時の判断、パスは出ないに賭けた。

ボールを受けた藤本、突進。
柴田は麻美を捨てて前に入って行くが、パスコース遮断も出来るようには見せる。
藤本視界で左に麻美、フリーに見えるが、パスコースを柴田が狙っているようにも感じる。
自分で持ちこんだ。
右へ少し回りこんでボードを使ったドリブルシュートをイメージする。
柴田、ブロックに入ってきた。
素直にレイアップに行くと叩かれる、と見た藤本はスナップ利かせてボードに当てるシュートを選んだ。
ボールは柴田の手を避けてボードへ。
柴田と藤本は空中で接触する形になったが、ボールは止まらず、ボードに当たって跳ね返りリングを通過した。
柴田のファウル、藤本のカウントワンスロー。

上がってきたメンバーと藤本はハイタッチをかわす。

「よし、残り五秒。フリースローあと集中ね。すぐ捕まえること。シュートは打たせない」
「ノーファウルねノーファウル」
「柴田も三つだから。四、五、十四。三人三つだから。うちはファウル抑えよう」

柴田もこれでファウル三つ目。
富岡のファウルがかさんでいる。

藤本は与えられた一本のフリースローをきっちりと決めた。
残り五秒、富岡はボールを入れたがフロントコートまで運べず、そのまま第三ピリオドはタイムアップとなった。

40−32

富岡の八点リード。 

「もう、見てられないです」

最後のクォーター間インターバル。
スタンドの上の声出し部隊も最後の休憩である。

「最後までしっかり見る。最後までしっかり声を出す。スタンドの上にいるものの勤めでしょ」
「わかってます。わかってますけど。でも」
「でもじゃない。あさみがそれじゃ周りが困るでしょ」

滝川のスタンドの上にいるメンバーの中で、副キャプテンやってるあさみは一番の権威者だ。
その上に安倍がいるが、これは例外種扱いで、この場を仕切るのはあさみの役割である。

「勝てるんですか。向こう四番とかファウル三つですよね。でも、まいも三つだし。八点。ハーフタイムと変わってないし。あー、もう」
「私たちは信じて声を出す。これ以外はないでしょ」

今、この場で、この瞬間、あさみに、ベンチに入りたかったとか試合に出たいとかそういう感覚はない。
はらはらどきどきしているだけだ。
自分が出てる方が気が楽だ、というのは一度その中を通過してきた人間が感じられる感情で、そのレベルにあがったことのないあさみはその感覚はもてない。
勝ちたい、ではなくて、勝って欲しい、なのだ。 

反対サイド。
富岡側スタンド上では同じように三好がはらはらしながら見ていた。
こちらはスタンド上のリーダーと言うような立場でもない。
こういうときは新参者な顔をして楽をしている。

「あれだけ動いてよく体力持つよね」

隣の岡田に語った感想はこれだ。
技量どうこうの前に、ここまで足が動かせてることがまずすごいと思っている。

「ディフェンス堅すぎて、どっちも足使って、うちなら五分で倒れてますよ」
「だからどっちも次々代えてるんだろうけど、道重って出ずっぱりじゃない? あの子大丈夫なの?」
「だいじょーぶじゃないですかー? あの子動いてへんもん」
「動いてないってことないでしょ」

道重はベンチに下がることなくここまでずっと出ずっぱりである。
岡田には他の選手と違って道重だけはゴールの周りでマイペースにやっているだけでほとんど動いてないように見えているが、果たして実際のところはどうか。

「絵梨香さん、どの色がいいですか?」
「え? なに?」
「紙テープ。今のうちに準備しとこうかと思って」
「ちょ、早いでしょ。まだ全然わかんないって」
「いいじゃないですか」
「そういうフラグはやめなさい」
「えー・・・」

優勝したときにはスタンドから紙テープを投げたりする。
岡田は早々とそれを準備しようとしたが、さすがに早いと三好に止められた。

「石川さんが何とかしてくれますって」
「甘いっての」

あいつ、調子はいいみたいなんだけど、ファウルがかさんでて大丈夫なのか、と三好は思った。 

「流れが傾きませんね」
「そうね。でも、どっちかというと滝川のペースな気がする」
「そうですか?」
「点が入らなかったからね、第三ピリオド」

記者席も束の間のブレイク。
どちらかを応援する、という立場ではないが、ある意味では両者のことをどちらもよく知っていてどんな試合になっても感情をより動かされやすい立場でもある。

「でも、。点が入らないなりに点差は縮まらなかったですよ」
「途中石川さん下がったりしたのにね。そういう意味では富岡が我慢した時間帯だったってことかな」
「我慢して、ファウルがかさんじゃってたりしますけど」
「三つが三人でしょ。滝川も二人いるし。特にインサイド」
「そういうところで勝負が決まったりしますかね?」
「うん。そういうところ直接だけじゃなくて、フリースローをしっかり決められるとか、そんな細部で勝負が決まっていくかも」
「なんて言ってると、どっちもファウルを気をつけてディフェンス甘くなって点が入っていく展開になったりするかもしれないですけどね」
「どうかなー。あるかもしれないけど。インサイド四人。誰が最初に四つめのファウルをするか。その辺が見ものかな」
「こうやって、十点前後でずっとやってるゲームって、どこかで負けてる方が一気にひっくり返して持ってったりしますよね」

両チームの五人がコートに戻ってきた。
第四ピリオドは富岡ボールで再開する。 

富岡は田中は下げたままだが、他はスタメンに戻っている。
滝川の方は新垣を入れてきて、麻美が下がった。
藤本、里田、みうなは残っている。
新垣は高橋につけた。

第四ピリオド最初のオフェンスは、ベンチからの指示なのか、二十四秒、一杯時間を使ってのものになった。
ただ、パスでまわしてきれいに崩した、という結果を得ることは出来ず、最終的には外から柴田の一対一。
一人交わしたが中からみうながフォロー。
しっかり道重に捌いたが、フリーの道重がジャンプシュートを外してしまう。
リバウンドは里田が拾った。

対する滝川は、見ていて狙いの分かりやすいオフェンスをした。
里田とみうな。
中に二人置いて、とにかくパスを供給する。
いい体勢なら勝負、駄目なら外へ戻す。
インサイドの一対一が狙い目。

結局打ったのはみうな。
右零度からエンドラインの方を向いてのフックシュート。
リングに一度当たったが、内側に落ちた。
六点差に迫る。 

その後、両者ミスもありシュートまで持っていけなかった。
ボールを運ぶ場面で眺めのパスを出して受け手がなくそのままサイドラインを割る。
キラーパス一本ゴール下、という狙いが受け手に伝わってなく、普通にディフェンスへのパスになる。
一対一の突破でドリブルをファンブルしてこぼす。

最終段階に近づいていく前の、緊迫感が薄くはないが、少々集中力の持久性を休ませがちな時間帯。
次に一本決めて四点差に出来ると、ぐっと近づいた感じになれるのだが、富岡はそれをさせなかった。
推し戻したのはやはり石川だ。

ゴール下を駆け抜けて逆サイドでボールを受けられるようにする、という動きを見せて里田をうちに振る。
実際には外へ開いて、トップにいた高橋からパスを受けた。
そのままジャンプシュート。
距離の長い二点シュートが決まって八点差。 

時間がただ過ぎて行くと、点差が変わらなくても、負けているほうへの負担は大きくなってくる。
八点差はまだ、一つの流れで追いつける、という意識はあっても、時間の経過はもどかしい。
第四ピリオドに入ってから、インサイド勝負、という雰囲気が滝川には出来ていた。
変なミスでシュートまでいけていないが、基本線はそれだ。

麻美は、そういう、内と外の距離感を図るのが自分の役割だと思っていた。
インサイド勝負を続けて、相手が内に引いたときに、自分が外から決める。
そのためのスリーポイントシューター。
前半はそれで一本決めた。
ここでも一本欲しい。
ここでの一本は、流れを引き寄せる一本に出来るかもしれない。

その辺の距離感を、中にいる里田の方も感じていた。
外からパスを受ける。
そのとき、外のディフェンスが来る圧力が徐々に強くなる。
外に戻す。

二回繰り返した。
麻美から里田へ、里田から麻美へ。
右零度。
三度目、今度こそ勝負、ではなくて、柴田をしっかりひきつけて囲まれる状況を作ってからうまくバウンドパスで外に捌いた。
待っていた麻美。
ただ、柴田もこれは承知していた。
すぐに戻りながらブロックに飛ぶ。
早いモーションから麻美のスリーポイント。

ボールはわずかに長くなりリング向こう側に当たって高く跳ね上がった。
落下点にいるのは里田と石川。
スクリーンアウトで石川が里田を追い出しているのだが、ちょうどその里田のスペースにまでボールが跳ね返ってくる。
二人、競り合いながらジャンプ。
両手を伸ばした石川と、右手を出した里田。
里田がもぎ取る形になったが、レフリーの笛が鳴った。
どちらかのファウル。
どちらの?
コートに駆け込んでくるレフリーに視線が注がれた。

「白、白、白、白四番」

白四番。
石川梨華、四つ目のファウル。 

残り時間は七分を少々切ったところ。
和田コーチは石川をベンチに下げた。
このまま最後まで引っ張るにはまだ時間がありすぎる。
八点のリードがある。
きわどい勝負に持ち込まれた時に石川がいない、という状況になることは避けたい。
ここは石川を温存する。

「すいません」
「気持ち切るな」
「はい」

ベンチに戻ってきた石川に和田コーチが声を掛ける。
常識的な会話だ。
石川は和田のすぐ隣に座る。
いつでもコートに戻るつもりでいる。 

エンドから滝川ボールでゲーム再開。
新垣が右サイドに開くみうなにボールを入れた。
みうなの前には距離を置いて道重。
里田が石川に代わって入った二年生を背負っていい位置を抑えたのだが、道重がみうなとの間の位置にいてボールが入れられない。
直接シュートには距離があり、みうなは上へ戻す。
受けたのは藤本、すぐに逆サイドの麻美へ。
麻美はシュートの構えだが、ここは打たせてもらえない。
ハイポストに上がってきた里田へ入れる。

どう考えても自分が勝負する場面だった。
石川が下がって直後。
エースがフォーファウルでベンチに下がったのだ。
そこを突くのは当然。
受けてターンしてシュートの構えを見せてからドリブル。
ゴール下まで行って、そのままレイアップではなくてしっかり両足でジャンプし、両手でボードに当ててシュートを決めた。

「ここ! ここ! 運ばせるな!」

滝川ベンチから声が飛ぶ。
畳み掛けたいところ。
ディフェンスはすばやくピックアップする。
エンド、外に出たのは高橋。
新垣は正面に構えた。
柴田が麻美と競り合いながら中央へ走りこもうとしてくる。
そこへバウンドパスを通そうとしたが、反射的に新垣が出した足に当たり跳ね返って外に出た。
時計が止まってもう一度、富岡ボールでエンドから。 

新垣はやはり高橋の正面に立つ。
藤本、麻美はしっかりマークマンを捕まえた。
高橋は今度は長いパスを狙った。
ターゲットは道重。
予期していなかったのか、みうなは道重から離れている。
しかし、里田の方が高橋が振りかぶったところで長いパスを察知して動いた。
自分の方ではなくてあいている方へ来る。

道重に届く前に里田がスティール。
そのまま持ち上がる。
抑えに来たのは柴田。
ドリブル突破で里田が抜ける相手ではない。
柴田が離れて自然と開いた麻美へ。
麻美のところには高橋がカバー。
麻美は高橋の頭上を通した。
ディフェンスを振り切って逆サイドからゴール下に入ってきたのは藤本。
受けてそのままバックシュートを決めた。

残り時間6分5秒。
42−38
富岡の四点リードとなったところで和田コーチがタイムアウトを取った。 

「田中」
「は、はい」
「田中入れ。落ち着いてやれ。無理をするな。自分の出来ることをしろ」
「はい」

田中をコートに戻す。
不安を感じてはいても、今のスタメンガードは田中だ、と和田コーチは認識している。
ボールが運べない、という場面でベンチには置いておけない。
滝川相手にはこういう局面はありうるとは思っていた。
ただ、一番起きて欲しくない展開でもある。
さらに、石川がファウルトラブルでコートに戻しづらい、というのまで加わっていて、考えていた中で最悪の状況に近い。
今日の田中はあまりよくない。
それ以前に、そもそも藤本を相手にするには力で負けている。
そうは思っていても、持っているカードの中で一番強いのは田中だった。
最善手を選ぶ、という感覚で田中をコートに送り込む。

「田中、高橋、柴田。お前たち三人を押さえ込み続けられるディフェンスなんてものは俺は日本中探しても存在しないと思ってる。それがたとえ日本代表チームでもな。まして、高校生に押さえ込まれるはずがない。もちろん、局面局面で、一本止められるってことはある。パスミスをして取られることもあるだろう。ただ、それが何本も続くってことはないはずだ。自信を持ってやればいい。

本音か事実か、そんなことはわからないが、和田コーチは生徒たちを前にためらい無く言い切った。

「高橋は視野広く。長いパスがいいこともあるから。ただ、基本は田中柴田だぞ。長いパスをむやみに狙うことはない。二人はなるべく中央で受けろ。中央で受ければ囲まれてもパスの出しどころはあるから。一瞬空けられるからってコーナーへ降りるなよ。コーナーで開いても高橋はパスを入れるな」
「はい」
「持ち上がってからのオフェンスはじっくりやっていい。普通の選択を普通にしろ。まだ特別なことをする時間帯じゃない」

四点リードでの六分五秒だ。
急いで点を取りに行く必要はない。
まだ、試合の締めという時間帯でもない。

「声出していけ。中も。ベンチもな」
「声だしていこう。まだリードしてるんだから。大丈夫」

柴田が言った。
石川が下がって、コートに残る三年生は柴田だけだ。 

滝川ベンチでは石黒が指示を出していた。

「里田、インサイド勝負続けて行け。他はまだしも、四番が下がると大分落ちる」
「分かってます」
「まい、シンプルに入れるよ」
「普通に一対一でいいだろう。ただ、向こうもそれを意識するはずだから、すぐ囲んでくるかもしれないし、十四がカバーに来るのも十分ある。捌くことも当然頭に入れろよ」
「はい」

石黒が珍しくオフェンスの指示を出していた。
ファウルトラブルで相手エースが下がった局面。
どこから攻めるか、と考えたら当然行き着く選択肢である。

「その前に、このままプレスで押しつぶせればもっといい。どんどん狙っていけ前三人は。ただ、里田は無理に取りに行くな。お前まで四つやったら意味が無くなる」
「新垣大事だからな。パス入った直後の動き」
「はい」
「ボールマンと新垣、二人で当たって、出て来たところを周りで奪う。これが理想形。ただ、理想形にこだわるな。取れれば何でもいいんだ」
「はい」
「ディフェンスは足だからな。足。とにかく足動かせ」

締めはいつも言っていることである。

五人がコートに上がって行くと、石黒はベンチを、スタンドを煽った。

「お前ら声出せ。今声出さずにいつ出すんだ。盛り上げろ」

場の空気の圧迫感というのは、時によっては選手の技量以上にゲームの流れに影響を与えるものである。 

タイムアウト明けは富岡エンドから始まる。

藤本は考えていた。
ここの一本が大事だと。

石川がベンチに下がり、オールコートのディフェンスの網に掛けて点を取り四点差。
タイムアウトで一旦切ったが、ここでまたボールを奪って点が取れれば、完全にゲームは滝川の流れになる。
藤本は、それは自分だけでなく誰もがそう思うだろうと思った。
里田もそうだし、石黒もそう、そして、富岡のベンチや選手もそうだろうと思った。
ここの一本の攻防が大事。
そういう時に、最初の一本目のパス、誰に入れるか。

メンバーチェンジがあって自分の前には十二番が戻ってきた。
後半、この十二番とマッチアップしているが、自分が相手をするに足らないレベルだと思った。
それは自分だけではなく富岡サイドもそう考えていると思っている。

長いパス一本、というのがないではないが、確実に行くなら最初のパスは自分の前の十二番か柴田かの二択。
大事な場面でどちらを選びたくなるかは、考え込むまでも無く明らかだ。
自分なら百パーセント柴田を選ぶ。
柴田と麻美の力関係なら、藤本評価で柴田が上だ。
最初のパスは柴田に入れた方が安全度が高いはず。

高橋がエンドに出て、新垣が正対する。
高橋視野で左側に柴田、右側に田中。
それぞれに麻美と藤本が付いている。
ボールがレフリーから高橋に渡った。 

「入った!」

一斉に動く。
柴田は外に麻美を振って中央側に走った。
田中も同じ動きをしようとしたが、柴田の動きを見て中央に入って行くのを辞める。
麻美は柴田と高橋の間の線には入れず反対側。
ただし、柴田がボールを受けてもそのままフリーではなく、麻美と相対さないといけない位置関係である。
高橋からバウンドパスで柴田へ、というイメージが藤本に浮かんでいた。

柴田が受けた瞬間に、麻美と自分が囲んで、新垣まで来れば一気にボールを奪える。
そのひらめきで動いた。

少し藤本の動きが早かったのかもしれない。
それとも、藤本の論理はやはり高橋には通用しなかったのかもしれない。
高橋は、柴田へ入れずにフリーになった田中へ単純にパスを送った。
受けた田中はドリブルで持ち上がる。
藤本が田中に追いついたのは、自陣に戻されてからだ。 

捕まった田中。
パスの出し先を探す。
状況は三対三。
相手のレベルが低ければ自分で突破、ということを考えるが、ここではその選択肢は最初から外していた。
ベンチで見ていて素直に認めていた。
滝川の四番は今の自分が勝てる相手じゃない。
ベンチに下げられて時間を置いたことで、少しは冷静さを取り戻していた。
上がってきた高橋にボールを送る。

高橋キープで場が落ち着く。
セットフェンスで五対五。
ボールは外で回るだけでは無く、インサイドも経由した。
道重が自由にボールが受けられる状態になっている。
外だけで回すよりも、道重を経由することでボールがスムーズに周り、滝川ディフェンスも揺さぶれる。
ただ、勝負は外からかな、と富岡のガード陣は思っていた。
タイムアウトの直後。
しっかり点を取って、タイムアウト前の流れを断ち切りたい。
石川がいれば石川勝負、という場面だが、いないのならば高橋か柴田か。
二人とも自分が、と思っていたが、先に動いたのは高橋だった。 

トップで受けたボールを右サイドの田中に預ける。
高橋はそのままパスアンドラン。
自分の好きな形だ。
田中は藤本の小脇をバウンドパスで通し、高橋はボールを救い上げた。
新垣は付いている。
ワンドリブル付いてゴール下へ、と目論んだがそこまで行くと混戦になる恐れが有る。
次のドリブルで外に開いた。
そのままゴールの方へ体を向けてジャンプ。
新垣はぴったりこれに反応してきた。
トップで持ってパスアンドランからこの形、というのは高橋が好むもの。
新垣はそれをよく知っていた。
最後に外に逃げることも読み筋。
ただ、身体能力は高橋の方が高い。
新垣のシュートブロックは高さが足りず、ボールは頭上を越える。

「リバウンド!」

叫んだのは道重。
自分はゴールから遠い位置にいて取りには入れない。
高橋のシュートを見て、リングに入る軌道ではないのは分かった。
新垣の手を避けて打たれたためにリングへ向かっていない。
誰かが飛び込めば拾える。
そう、道重が感じたボールは、リング手前に当たってぽとりと落ちる。
飛び込んで拾ったのは里田だ。

ボールを受けに麻美が下りてきたが、里田と繋ぐ線上に新垣が入ったので、そこにボールを入れた。
走りながら受けた新垣だが高橋にコースを押さえ込まれる。
ボールを持ってピボット。
フォローに来た麻美へ。
スローダウンしていて速攻はもうでない。
藤本に送って、滝川はゆっくり持ち上がった。
富岡も高橋が藤本の方へ来て、田中が新垣を捕まえなおす。 

滝川のオフェンスに迷いがなかった。
富岡のディフェンスも簡単な相手ではなく、自由にパス回しが出来るということはないのだが、滝川の狙いははっきりしていて全員がそれを心得ている。
いいタイミングで里田へ。
石川と代わって入ったディフェンスは、割合センタータイプなので、外から勝負、という手もあったが、ここはインサイドで勝負を選んだ。
ゴール下、相手を押し込んで完全に自分のスペースを確保した里田。
麻美のパスが入って簡単なシュートを決める。
42−40

会場の雰囲気は完全に滝川に流れてきた。
後半に強く、第四ピリオドに追い上げ、相手エースをファウルトラブルでベンチに下げ、連続得点。
タイムアウトをとっても流れが止まらず、簡単なシュートを決めてついに二点差。
これはいける、とメンバーは思ったし、中立観戦者も、一旦追いついてそれからだろう、と感じていた。
滝川ベンチ、スタンドの滝川応援団、俄然ヒートアップする。
コートを覆う空気は完全に出来上がっていたが、富岡はそれに抗った。 

普段から自信家なわけじゃない。
自分はエースではない。
光り輝くような存在ではないと思っている。
別に、はっきり自分の方が負けてるというようなことを思っているわけじゃないけれど、このチームの主役は梨華ちゃんで自分ではない、と柴田は思っていた。

富岡に来て二年半。
自分は完全にスタメンだ、と認識したのは二年生になってからだが、試合には一年生の時から出ていた。
苦しい場面は何度も経験している。
今の状況は、冷静さを失った慌てふためくほどのひどい局面ではない。

石川がコートにいない。
ならばここで打開するべきは自分だろうと思った。
自分で思っているよりも、準々決勝の松江戦が自信につながっていたりもした。

体はまだ十分に動く。
マッチアップの相手に力量的に負けているとは思わない。
自分たちは負けたことはない。

追い込まれても、それでも無意識に自分を自分たちを信じられるものを柴田はここまで積み上げてきた。

どこでどういう形で点を取ろう、というのは考えていなかった。
流れの中で勝負する。
自然な判断だった。
ローポストでボールを持った道重、麻美が挟んできたがその頭上を簡単にパスで通した。
受けた柴田。
零度からのスリーポイント。
ボールがネットを通過する音が、柴田には確かに聞こえた。 

会場が一瞬沈黙した。
それから歓声。
この流れから富岡がスリーポイントを決めてくる、というのは観客の予想外のことである。

一本で追いつける二点差から、二点シュートでは二本でも追いつけない五点差へ広がる。

五分を切っていた。
五分で五点差はまったくわからない点差。
滝川は変わらないオフェンススタイルで攻める。
いいタイミングで里田へ。

ただ、富岡も何度もそれをやすやすとはさせてくれない。
滝川の方も工夫が必要になる。
アクセントをつけようと、あるいはそのまま行ければ行こうと、藤本がドリブル突破を試みる。
ここは高橋がファウルで止めた。

エンドから。
新垣が長いパスでトップにいた麻美へ。
麻美から藤本。
ローポストでディフェンスを背負った里田へ。

ターンしてそのままシュートの姿勢をとると、もう一人道重が前に立ちはだかった。
逆サイドみうなは開いている。
里田はパスを選択した。
しっかりキャッチすれば簡単なシュートが待っていたのだが、みうなはファンブルしてこぼし、エンドラインを割ってしまう。 

せっかく一度二点差まで迫ったのに。
次に富岡オフェンスを止められないとまた七点差にまで開かれてしまう。

今度は滝川のガード陣が踏ん張った。
高橋がエンドからボールを入れる。
柴田が受けると麻美と、さらに新垣で囲む。
柴田は高橋に戻すが、藤本が張り付く。
ドリブル突破を計った高橋、サイドライン際に追い詰められて抜ききれない。
新垣が戻ってきてディフェンスが二枚になったところで、逃れようとピボットを踏んでいるとレフリーが笛を鳴らした。
藤本あたりのファウル? と周りは思ったが、判定はラインクロス。
ピボットを踏む高橋の足がサイドラインを踏み越えたというもの。

一進一退。
時間が刻まれて行く中せわしない展開で試合は進む。
滝川は里田で追いかけた。
インサイド勝負が続いている、と自分で判断して外に開いてボールを受けてからの一対一。
しっかり抜き去ってゴール下のシュートを決めて三点差。

対する富岡も次のオフェンスはゴール下勝負をした。
道重。
単純なプレイだ。
センター同士で押し合いながらゴール下でポジションを取る。
外から高橋が入れて簡単なシュート。
道重がシュートを決めたとき、押し飛ばされたみうなは床に転がっていた。
ファウルになるような当たりはなかった。 

回して里田、の繰り返しになっていた滝川。
さすがに今度は単純にそれは通じなかった。
ゴール下で待つ里でへ長めのパスを送ろうとすると、間に飛び込んだ高橋に弾き飛ばされた。
ルーズボール。
手を伸ばした柴田は同じように飛びついてきた新垣とつかみ合いになるのを避けるため、拾い上げるのではなく、もう一度ボールを手で弾く。
これを拾ったのは田中。
そのままドリブルでワンマン速攻、というところだったが、すぐ後ろにいた藤本に気づいていない。
ボールの突き出しを奪い取られる。

崩れた陣形の中、藤本は瞬時にパスの出し先を見つけた。
ゴールに向かって走りこむ麻美。
早いパスを送る。
アリウープの形で麻美がシュートを決めた。
また三点差。

エンドからボールを入れるのは高橋。
高橋もすぐにパスの出し先を見つけた。
いままでなかった形。
長いパス一本で道重へ。

陣形が崩れていたこともあり、最初から高い位置にいた道重、足が遅くても十分速攻の形になっている。
みうながついていなかった。
長いパス一本で道重のワンマン速攻。
稀有な形で富岡が五点差に押し広げた。
みうなはまったく道重を追えていなかった。

残り三分二十五秒。
49−44
富岡五点リード。
石黒コーチがタイムアウトを取った。 

追いつけそうで追いつけない。
滝川の方も点を取って追いかけるのだが、富岡に突き放されてしまう。
この展開は石黒の感覚としてはあまりいいものではない。
どちらも点を取れない、ならいいのだが、どちらも点を取れる、は富岡の展開だ。

石黒コーチはみうなをベンチに下げた。
判断が少し遅かった、とわずかな後悔がある。
センターは、ガード陣のような足を動かしての体力消費とは別の形での消耗が有る。
ゴール下での体のぶつけ合い。
みうなは道重と比べれば大分華奢だ。
思い返してみれば、映像で見た松江のセンターも、序盤は富岡相手に攻撃の中心になる活躍をしていたが後半は試合から消えていた。
同じことだ。
富岡のセンターは、動きはあまりよく無く、そういう面での消耗も少ない上に、あたりに強い重たい体があって見かけによらず終盤まで強かったということなのだろうと思った。

柴田のスリーポイントは仕方ないにしても、道重に連続失点して五点差から縮められない、というのは滝川にとって大きな誤算だった。

タイムアウト明け、滝川はみうなを下げたが富岡はメンバーチェンジがなかった。
石川はまだベンチにいる。
どこで投入するか。 

滝川エンドで再開。
そろそろ残り時間が気になって来る滝川、すばやくボールを持ち運ぶ。
里田に集めて勝負、という方針は生きているが、違う選択を選ぶこともしないと攻撃が単調になる。
藤本がパスアンドランからゴール下へ切れ込もうと試みた。
これに対して高橋が接触、ファウルを犯す。
高橋のファウルも三つ目。
富岡は全体的にファウルがかさんでいる。

会場は、観客たちのある希望が、全体の雰囲気を作り始めていた。
とにかく一度追いつけ。

関係者たちの思いは違うが、多少、どちらかのファンくらいの人、さらには完全に中立的に試合を楽しんでいる観客は、面白い試合を望む。
面白いとは、終盤も競っていること。
ここまで来たら、一度追いついてもっと面白くして欲しい。

レフリーのコールで少し間が開いたとき、藤本は富岡ベンチを見やった。
正確には、石川梨華を見た。
あいつを引っ張り出してやる。

石川がベンチに座っているということは、まだ、富岡の側に余裕があるということだ。
早く、イーブンの条件に持ち込みたい。 

サイドから新垣が入れる。
ボールをまわした。
ボールは回るが勝負のポイントは見えない。
外、藤本が受ける。
スリーポイントを打ちたかったが高橋の激しいチェック。
藤本はウィークサイドから抜きに掛かる。
この時間帯になってもスピードは落ちていなかった。
高橋も追いかけるが、コースを抑えきれない。
ゴールに向かって藤本と高橋は平行に走る形。
藤本ジャンプ。
前には入れない高橋はファウルを恐れて見送るが、逆サイドからカバーが来てブロックに飛ぶ。
一瞬早く藤本は腕を伸ばし指先でボールをコントロールし、ゴールにねじ込んだ。
レフリーの笛がなる。
富岡のファウル。
藤本にフリースロー一本が与えられる。

このフリースローを藤本は決めた。

49−47 富岡のリードは二点。 

「ディフェンス! 足動かせ!」

滝川は前から当たる。
ここは柴田に入ってドリブルで運んで行こうとする。
麻美が追いかけて、前に立ちはだかるのは藤本。
柴田は田中に落として、田中は前の道重に送る。

「あいつは化け物か」

和田コーチがつぶやいた。
視線の先にいるのは藤本。
自分のチームの石川は高校レベルではトップの選手だと思っている。
匹敵するのは中村学院の是永くらいだろう。
それとは別の次元で、藤本のことを見ていた。
四十分間の試合の最終盤。
それでなくても滝川はひたすら足を使うディフェンスをするチームだ。
特に前三人。
疲労は激しいはずだ。

途中で入ってきて、五割六割くらいの出場の新垣が動けているのはわからないでもない。
麻美あたりはよく動いてはいるが、それでもさすがに疲労の色は隠せず、柴田に振り切られる場面が増えている。
それと引き換え、多少の休みを挟んでいるとは言え、ここまできても動きの衰えない藤本は脅威だ。
和田コーチがこれまで見てきた高校生で、ここまで走れる選手は他にはいない。

「石川、行け」
「はい」

石川は立ち上がった。
オフィシャルに告げ、交代選手が待つ椅子に座る。
細かい指示は与えなかった。
ファウル四つなのは十二分に分かっているだろう。
こうやって点を取れ、というような指示はいらない。
何か必要があれば、残りの一回のタイムアウトを取ればいいだけのことだ。 

富岡オフェンスは高橋がジャンプシュートを放ったが決められなかった。
リバウンドを里田が拾う。

滝川の攻め上がり。
会場は滝川を後押ししていた。
富岡がその波を止めきれるか。
リードを守ったまま石川梨華をコートに迎え入れられるか。

滝川も石川がメンバーチェンジを申請しているのが見えた。
早く追いついておきたい。
ミスが出た。
麻美がインサイドの里田へ入れようとしたパスが甘くなった。
柴田の手に弾かれる。
こぼれだまは道重が拾った。

走ったのは田中。
今、体力的に一番元気なのは田中だ。
道重にはその姿が見えていた。
長いパスを一本送る。

通らない。
追いかけてジャンプ一番、藤本が奪い取る。

すばやい攻め戻り。
五対四。
ほころびを少しづつカバーしながらの富岡ディフェンス。
田中は戻ってきたが、完全にディフェンス陣形は整え切れなかった。
右四十五度、フリーになった藤本へ。
余裕を持って藤本のスリーポイントシュート。
リング奥に当たって派手な音をさせつつ、内側、ネットを通過した。

50−49

この試合初めて滝川がリード。
残り一分五十八秒。
時計が止まる。
オフィシャルがブザーを鳴らした。

富岡総合学園、和田コーチが石川梨華を投入した。 

石川がコートに上がって行くと、自然と二つの輪が出来た。
富岡は富岡で集まり、滝川は滝川で集まる。

「オフェンス、ボール頂戴」
「外? 中?」
「外から勝負する。とにかくボールもらえれば何とかするから」
「ファウル気をつけて」
「分かってる」

石川は入って行くなりボールを要求した。
自分が勝負する。

「ディフェンスは多分私のところで勝負してくると思う。なるべくボール入れられないようにするけど、ボール入ったらあとは立ってるだけになるかもしれない。さゆ、フォローお願い」
「はい」
「外からもなるべく抑えに行くよ」
「うん。でも、それで外に戻されてスリーが一番怖かったりもするから、点差と時間見ながら判断して」
「分かった」

ファウルを四つしたあとのディフェンスは難しい。
それを見越して、そこでオフェンスが勝負してくるというのは常套手段である。

「人のこと言えないけど、みんなもファウル気をつけて。高橋も柴ちゃんもさゆも三つだからね」
「でも、ファウル怖がって甘いディフェンスしちゃダメだから。気をつけはするけど、しっかりディフェンスしよう」

残り時間は少ないのだ。
この勝負どころ、退場も出来ないが、甘いディフェンスはもっと出来ない。
まだ三つの周りは怖がっている場合ではない、という柴田の感覚はもっともだ。

「ボールをしっかり運んで、足動かしてしっかり守る。ボールが運べればあとは私が何とかするから。れいな、高橋、頼むよ」
「はい」

終盤に来て苦労しているボール運び。
これがうまく行かないと、数秒で連続得点されて一気に苦しくなってしまう。
一つの鍵だった。 

「ここから勝負だよ」

藤本は言った。
一点リードして石川がコートに戻ってきた。
ここからが本当の勝負。

「オフェンスはまい勝負ね」
「インサイドで勝負するからボール入れて」
「分かった」

四つファウルの石川のところで勝負する。
滝川にしても、里田がエース格であり自然な選択だ。

「ディフェンス、足動かして。とにかく足動かす。ここまで来たら体力とか関係ないから。気持ちね気持ち。試合終わったら死んでもいいから。とにかく足動かして」
「むこうは、四番で勝負してくると思うから、周りもプレッシャー掛けて」
「うん。ただ、四番だけ気にしてその前のところで自由にボール回されると逆に四番にいいボール入りやすいから、ボールマンは厳しくね」

藤本だって無限の体力が有るわけではない。
気持ちで、執念で、富岡に向かっている。
ここまできて、疲れた、が理由で負けるなんてことは許せない。

「石川、四番もそうだけど五番七番あたりで意外に外、スリー打ってくることもあるから。ボールマン気をつけよう」
「まず打たせないが基本で」

富岡のメンバーがコートに散っていた。
それを見て藤本が話を切り上げる。
レフリー黙認のコート上ミーティングが終わる。

「十二番オーケー」
「四番オーケー」

ピックアップ。
マッチアップの確認。
改めて声を出す。
滝川がそれぞれ捕まえたところで、レフリーがエンドに立つ高橋にボールを渡した。 

滝川が追いついて、石川がコートに上がったところで、会場の空気は変わった。
ここまで数分、滝川に肩入れする空気だったのが、ニュートラルに近いものになる。
一部には、入ってきた石川の力が見たい、というところもある。
全体の空気に関わり無く、スタンドの滝川応援団のコールは続く。
スタンドの上での戦いなら、富岡よりも滝川の方が圧倒的に戦力がある。
前から当たられるあのディフェンスで、さらにスタンドから声が降ってくる、この組み合わせが嫌だった、というのが一番の感想になる、対戦相手のガードもいる。

残り一分五十八秒。
高橋はまず田中にボールを入れた。
ここは藤本、変に柴田に山を張ったりはしなかった。
むしろ、田中に入るように少しあけた。
ボールを持った田中をつぶす方がやりやすい、という思惑がある。 

藤本を振り切ろうとコーナーに降りた田中へパスを入れた高橋の選択はあまりいいものではない。
ただ、そのあとの動きは良かった。
ここから運ぶのは難しい、と感じた田中がドリブルはせず、新垣が自分のところに来る前に高橋にリターンパスを戻した。
高橋には反対側から麻美があたりに来る。
一対一ならドリブルで持ちあがってもいいし、柴田に渡せばそれで大丈夫かもしれない。
高橋はそれとは違う選択をした。
コーナーに田中が下りたのを見たところでボールを受けに戻ってきた石川へ縦にパスを送る。
戻りながらパスを受けた石川、サイドを走って上がってきた柴田へボールを送る。
そのまま早い攻め、という選択もあったが、柴田はフロントコートに入ったところで自重した。
周りの上がりを待ってセットオフェンスにする。

石川はインサイドにいた。
里田は前を抑えに入る。
ボールは入れられない形。
しかし、石川は大人しくしていた。
インサイドでボールをもらう意思はほとんどない。
ボールの位置と里田の位置を測りながら、外に開いてボールを受けるタイミングを選ぶ。 

道重がスクリーンを掛けに来た。
ボールはトップにいる高橋にある。
道重を壁に使って石川はゴール下をぬけて逆サイドへ。
里田はその背後から追いかける形になった。
高橋から横の柴田へ。
石川は大きく開いて出て来たところでボールを落としてもらう。
右三十度、スリーポイントの打てる位置。
里田はやや遅れていたが、完全にフリーにはさせなかった。

シュートの構え。
わずかに里田は状態を上ずらせる。
石川は右、ウィークサイドで突破、というもう一つフェイクを見せて左手でドリブルをついた。
シュート、右へのドリブル、どちらへもしっかり反応した里田、反応した分、本当のドリブルの突き出しに少し遅れる。
横に入られたが里田も追いかけた。
周りも石川の進路を覆いつぶすようにディフェンスが寄ってくる。
その、狭いスペースを石川は突破しジャンプ。
里田もジャンプし右手を伸ばす。
それを避けるように、石川は利き手と逆の左手でふわりとリングの上にボールを乗せた。
そして、ボールは内側に転がり落ちる。
ジャンプした体が流れた里田、落ちながら石川に接触し、笛を鳴らされた。

「青、青五番。カウント、カウント」

レフリーも興奮気味で、無駄にコールを繰り返している。
51−50
富岡が逆転して石川がフリースロー一本を得る。
そして、里田もファウル四つになった。 

残り一分三十七秒。

「里田! そのまま! そのまま!」

ベンチ、石黒から声が飛ぶ。
ファウルが四つになったからベンチに下げて温存しよう、というような情勢ではない。
このままコートに立たせる。

「ごめん」
「周りフォローだよ。四番ボール外で持ったら三線は四番見ればいいよ。横断パスで展開してきたら足使って戻る。まず四番抑えること」
「インサイドは今と変わらず行くから」
「まい、あいつインサイドでボール受ける気なかったように見える。ボール受ける気になったら、簡単に前抑えられないと思うから気をつけて」
「分かってる」
「四つやってるのは石川も同じだから。オフェンス勝負しよう」
「オーケー」

コート上の打ち合わせ解散。
石川のフリースロー一本。
リング奥に当たりはしたが決まった。
52−50
富岡二点リード。 

滝川のオフェンス。
里田への石川の対処も、里田が石川にしたのと同じものだった。
前を抑えてボールを入れさせない。
インサイドでボールを持った里田を相手にしたら、どうしてもファウルの危険が付きまとう。
そのシチュエーションは石川は作りたくない。

ゴール下で里田は石川の圧力を受けていた。
ボールがないところは多少あたりが厳しくて接触があってもファウルは取られにくい。
明らかに腕で押した、などとなると違ってくるが、体をぶつけてスペースを奪い合うのは普通のことだ。
この最終盤、十分に休んでコートに入ってきた石川は体力十分である。
このままではボールを受けられないと感じた里田は、コートの外まで回り込んでアウトサイドへ出た。
三十度くらいの位置、それもスリーポイントラインの外、というような場所でボールを受ける。
ここからの勝負ならなんでもない、というのが石川の認識。
距離を置いて構えている。

里田も、ここから石川相手に勝負する気はなかった。
ボールを上に戻す。
一拍置いてからラン。
ゴール下へ。
という動きに釣られて石川が戻るので、体を入れ替えてハイポストの方角へ。

走りながらボールを受けられた。
ターンしてゴールに向き直る。
石川は正面にいた。
一対一。
シュートフェイクからドリブル。
前に入られる、と里田は感じたが、石川はコースを防ぎきらなかった。
ぶつかるかも、と感じた時に石川の方からコースを開けた。
そのままゴール下、里田がシュートを決める。

52−52 同点。
残り一分十九秒。

富岡ベンチがタイムアウトを取った。 

両チーム、与えられたのはディフェンスの指示だった。
和田は四番をとにかく抑えろと言い、石黒は四番をとにかく抑えろと言う。
両エース、互いにファウル四つ。
攻撃力のある二人が互いに相手がファウル四つなのに点け込んで勝負しているという展開。
条件は五分に近い。

具体的な指示とは別に、それぞれに精神的なことも言った。
とにかく最後まで自信を持て。
これも両チーム同じだ。
絶対に負けない、という強い気持ちで最後まで戦えと。
自信の無さが判断の遅さに?がると、この最終盤ではそのまま敗因になってしまう。

メンバーは変わらない。
滝川もみうなはコートに戻さなかった。
石黒は、みうなはもうダメだ、と踏んだ。
体力と同時に集中力も切れている。

先にコートに上がったのは滝川だった。
藤本が新垣と麻美を集める。

「三人でボール運ばせなければ、もうそれで勝ちだから。分かるな。前から当たるところ、三人で勝負決められる。一本、二本やられても、五秒でひっくり返せるから。とにかく足動かせよ」
「はい」
「美貴さん」
「なんだよ」
「勝ちましょう」
「当たり前だ」

こいつらとはいろいろあったな、と藤本はふと思った。
半分は自分の方が悪かったような気がするけれど。

富岡のメンバーがコートに上がってくる。
変な感傷に浸っている場合ではない。

「十二番オーケー」

ディフェンスピックアップ。
富岡エンドからのゲーム再開。 

高橋がレフリーからボールを受け取る。
柴田と田中が動いた。
藤本、麻美、どちらもコースを抑えてパスを入れさせない。
高橋は長いパスを出した。
石川が受けに来たのだ。
里田は無理して追わない。

石川はフロントコートまで運んで、周りの上がりを待つ。
高橋が上がってきたところでボールを預けた。

高橋から柴田へ。
柴田から開いて出て来た道重へ。
道重は上に入れ替わってきた田中へ戻す。
スタンドからの滝川メンバーたちの降り注ぐような声援はコートを覆っていた。
しかし、富岡のメンバーたちにはもう、それは耳に入らない。
その声援に圧倒されて萎縮することは無く、ゲームに集中している。

右0度から石川が上がってきた。
中央、高橋が簡単にパスを送る。
受けてそのまま石川、ドライブイン。
里田は付いて行った。
麻美も横からフォロー、石川の前に壁が二枚になる。
瞬時に捌ききれずに台形の右上あたりで止まると、外から藤本も寄ってきた。
前後三人に囲まれる。
視界が広がらない。
パスの出し先が見つからない。
五秒オーバータイムを恐れて無理にボールを出そうとしたが、藤本にはたかれた。

こぼれたボールには藤本自身が飛びついて拾う。 

すばやく上がりたいところだったが、高橋がしっかり前に立ちはだかった。
新垣が走っている。
田中が追っていたが新垣の方が前。
藤本は一本パスを飛ばす。

拾い上げられればワンパス速攻が決まるところ。
田中にさらわれないように、と速く長めなパスを藤本は飛ばした。
後ろからのボール。
田中は取れない。
ゴールとの距離を測りながら新垣も追っている。
取れる、そう思ってジャンプ。
右手には触った。
触ったけれどキャッチは仕切れない。
それでも、ボールの勢いは死んでコートに落ちた。
エンドを割る前にと、さらに追いかけ弾んだボールを捕まえる。
捕まえたのはゴール裏。
改めて戻ろうとしたが、その前に笛が鳴った。
新垣の足がエンドラインを割っていた。

残り五十八秒。 

また富岡エンドから。
藤本と体をぶつけ合ってコーナーに降りた田中に高橋はすばやくボールを入れた。
サイドライン際をドリブルで抜けてしまおうとした田中だったが、藤本がそれをさせない。
新垣も挟みにきた。
二人の間を通して高橋に送ろうとしたが、狙っていた麻美に奪われた。

プレス成功。
麻美はそのままジャンプシュートを放とうとしたが、高橋がそれをさせない。
左サイドに下りた新垣にボールを送った。
田中は中央側に回りこんだ藤本を追うことを選んだので新垣はフリー。
自由にシュートが打てる状況だったが、新垣は打たなかった。
フリーで打っても自信が持てる位置、距離、ではない。

高橋が新垣に寄れば、すぐに麻美にリターンパスというところだったが、高橋も打たれるなら仕方ない、という判断で麻美を自由にはさせず新垣を自由にさせておいた。
そうこうしているうちに、上がっていたセンター陣も戻ってくる。
ガードは改めてマークの組み換えはせず、柴田が開いていた新垣を捕まえる形になる。

セットオフェンス組みなおし。
新垣は上、藤本に戻す。
藤本から麻美。
ボールは展開される。 

セットになったら狙いは一つ。
里田へ。
その里田には当然石川がついている。
前に入るディフェンスでボールを入れさせない。
動きの中で里田はその状況を崩した。
逆サイドへ移動する。
それにあわせたようにボールも逆サイドへ移ってくる。
ローポスト、前に今からは入れない、と観念した石川が里田の背中にぴったり当たっているところにパスが入る。
押し込むかターンするか。
背中の石川の様子を伺いつつ肩でフェイクを入れる。
続いてターンしてシュート、という動きの前に、低い位置で構えてしまっていたボールを叩かれた。
柴田。

里田の手を離れたボールは真下に落ちて跳ね返る。
そのままキャッチした里田だが、柴田もボールを掴んでいる。
腕力だけでボールを持つ形になった里田と、足の位置関係のおかげで全身でボールを引っ張れる状態の柴田。
ボールは、柴田の勢いで里田から剥がし取られた。
柴田も自身の勢いのせいでボールをこぼす。

ルーズボール。
もう一度、柴田と、そして里田が争って奪い合った。
今度はどちらも譲らずボールのつかみ合い。
レフリーの笛がなる。
ヘルドボールでジャンプボールシチュエーションか、と誰もが思ったが、レフリーの判定は違った。 

「青、青五番」

ヘルドボールではなく、ファウルを取った。
青、五番。
里田。
里田の五つ目のファウル。

「なに! なんで! なにもしてないよ!」
「こぼれだま拾いに行ったところ。体当たりの形になってる。そこがファウル」
「当たってないって! 何もしてないって」

場内は騒然としていた。
里田のファウル、というのが何を意味しているのかは会場中がよく分かっている。
きわどい判定のファウルでもめったに不満を言わない里田も、この状況では落ち着いてそれを受け入れられない。

収まらない里田だが、レフリーにあまり文句を行ってテクニカルファウルを追加で取られてフリースローを富岡に無条件で与えるわけにはいかない。
そこも分かっている。
言いたいことは山ほどあったが、ぐっと抑えた。
地団駄を踏み、それから、騒然としている場内にも響き渡るくらいに、両手の平でコートを三度、パンパンと叩いた。

滝川山の手ベンチが最後のタイムアウトを取った。 

「藤本、四番に付け」

戻ってきたメンバーを前に、石黒が開口一番言った。

「お前と四番だと身長差がある。四十分抑えるのは難しいだろう。だが、四十秒なら抑えられるはずだ」

里田のファウルの判定は微妙だった。
自分なら取らない、と石黒は思う。
そんな判定でこのゲームを決められてたまるかと思った。
ベンチから怒鳴りもした。

だけど、それも気が済んだ。
里田が床を叩いて戻ってきたのを見て、冷静さを取り戻した。
自分が切れている場合ではない。

「中に入られるな。中で押さえ込まれたらどうにもならない。とにかく中に入れるな。外での勝負だったらお前の力で何とかなる」
「はい」

藤本しかいないと思った。
ディフェンス力だけなら、控えメンバーと里田の間にそれほど差はない。
はっきり差が有るのは攻撃力だ。
そういう意味ではそのまま交代でもかまわないはずである。

だが、場面が場面だ。
インターハイ決勝、残り三十七秒で同点。
石川梨華にマッチアップさせるには、ある程度の格がないと太刀打ちできない。
普通に控えメンバーを付けたら、心理的に萎縮して終わりだろう。

石川相手に心理的に気圧されることなく対峙できるのは、里田を欠いた今、藤本しかいない、というのが石黒の判断だ。
考えに考えて決めたわけではない。
ベンチに戻ってくる里田と藤本の表情を見て、瞬間的に決めた。 

指名された藤本は、それほど驚きもしなかった。
相手の四番プレイヤー、身長差のある選手に藤本がマッチアップするというのは普通ない。
だけど、石黒に言われて普通に受け止めた。
積極的にスリーポイントを狙えとか、足を動かせとか、そういうレベルの指示と同じように、石川に付けという指示を藤本はごく普通に受け止めた。
この場面であの女を止められるのは自分しかいない。

富岡のメンバーが先にコートに上がっていた。
エンドに高橋がいて、田中と柴田がすぐそばで待っている。
道重と石川は上がっていた。
メンバーチェンジは無くそのままだ。
藤本は田中の方にではなく石川の方に近づく。

「四番オーケー」

石川と藤本、視線がぶつかった。
藤本から見て、石川の表情に特に変化はない。

そういえば、プレスの時どういう動きするのか分かってないや、と藤本は思った。
こんな位置でプレイしたことも練習したこともない。

富岡は滝川が里田のファウルアウトに絡んでメンバーチェンジしてきたので、マークの確認をしている。
ベンチの指示もあおいだ。
石川のところに藤本が来ていて、滝川は大分変則的な形になっている。
和田コーチの指示は、普通にマッチアップしろというもの。
高橋が藤本、田中は新垣、などなど、改めて指差し確認する。
確認が済んで、高橋がもう一度エンドラインの外に出た。
レフリーがボールを入れる。
藤本は石川に張り付いた。

残り三十七秒。
52−52 

里田がベンチに下がり、富岡で楽になったのは石川ではなかった。
石川にとって藤本は、身長差はあるけれど楽な相手だとはまったく思っていない。
このゲーム中に、滝川カップのワンオンワン大会のことなんかはまったく頭に浮かんではいないが、藤本のディフェンス力は十分に感じている。
この場面、楽になったのは田中だった。
目の前から藤本がいなくなった。
滝川の控えメンバーのディフェンス力は甘くないが、藤本ではないというだけで心理的な圧迫感はかなり軽減されている。
中央に走りこんでで高橋からのボールを受けると、一気にフロントコートまでドリブルで持ちあがった。

外から勝負。
石川はそう決めていた。
相手が藤本になる、という想定はなかった。
タイムアウトの時のベンチからの指示は、外から勝負しろというもの。
相手が長身のセンターが入ってくるという前提でのものだ。
藤本が相手なら中で勝負した方が有利だろう。
それは分かっているけれど、石川は自分の得意なやり方を選びたかった。 

藤本にはその石川の心理は読めない。
外でも中でも、とにかくボールをもたせない。
これに集中した。
コートに残っている滝川のスターティングメンバーは、もう、藤本と麻美の二人しかいない。
それを考えてくると、自分が当たっている石川ではなくて、他の選択肢を富岡が選んでくる可能性は十分にある。
しかし、それは気にしないことにした。
石川は、全体のことを考えながら抑えきれる相手ではない。

足は十分に動いている。
石川の動きに藤本はしっかり対応出来ていた。
周りも見えている。
スクリーンが来ても、ファイトオーバーで避けて石川を追って行ける。
上を通されて、最高到達点で石川がパスをキャッチするなら藤本は届かない。
それは、そうなったら仕方ない、という割り切りもあったが、体を常に当てていて十分にジャンプすることが出来ないようにもしている。

外から高橋や柴田が勝負の気配を見せていた。
田中もパスアンドランで中へ飛び込んだりもしている。
全部、成立はしてはいないが、無警戒に出来る相手ではない。
そういう前振りがあった上で、石川は外でボールを受けようとする。

足を入れて面を取って外へ逃げる動き。
場所さえ選ばなければ、それで上からボールがくれば受けられる。
これを抑えに行こうとすると、石川は裏を付いてゴール下へ走る、という狙いを見せた。
しっかり反応してパスコースを遮断する。
石川はくるりと向きを変えて外へ。
一瞬の隙を、田中がしっかり見て取ってパスを通した。 

残り二十二秒。
右三十度。
ボールを受けたところでシュートが打てるような位置関係ではなかった。
外に動きながらパスを受けて左足を接地。
そのまま右手でドリブルを突いた。

動きは一々頭で考えてはいない。
相手の動き、視界に入っている周りの位置関係、自分の持っている力量。
無意識下でそれらの情報が処理されて、一つ一つの動きが決定される。
そのまま行くのか、切り返すのか、パスを捌くのか。
石川は瞬時に選択肢、藤本は相手の選択をやはり無意識下で推定する。
ゴール下は広かった。
石川がボールを受ける動きをした時点で、道重は逆サイドに捌けてスペースを空けている。
柴田、高橋、あたりの仕掛けの素振りという前振りがあったので、滝川の周りのプレイヤーも、完全に石川だけを抑えに行く、という動きはしていない。
完全に一対一。
抜き去ればそこにゴールがある。

石川の視界にはその広いゴール下は当然入っていた。
もう一つドリブルをついて踏み込んで飛べば、ゴール下の簡単なシュートが打てる。
しかし、その選択を石川はしなかった。
一つ目のドリブルを突いてそれが手元に戻ってくるまでの間に、塞がれる、というイメージの方が強く脳内に、いや、脊髄に広がり、反射的に違う選択肢を取ることになる。
藤本の石川の動きに対する反応は、抜き去られずにエンドライン際に押し込めるだけのすばやいものだった。

切り返して内側に入って行くか?
あきらめてパスを捌くのか? 

石川はどちらも選ばない。
ワンドリブル突いて、手元に戻ってきたボールをそのまま掴んでジャンプ。
右十五度あたり、遠めの二点シュート。

とても珍しい、というような動きではなかった。
石川が弾んで戻ってきたボールを掴んだところで、藤本は後ろへ下がる動きから、前へと重心をずらす。
ジャンプした石川に合わせて、藤本もブロックに飛んだ。
タイミングはぴったりと合っている。

一番難しい状況は作り上げた。
距離のある位置からのジャンプシュートを、目の前にブロックのある状況で打たせる。
これが、田中、あるいは高橋が相手でも、藤本のブロックにそのまま引っかかっただろう。
しかし、石川だった。
藤本とは身長差とさらにジャンプ力の差がある。
ボールを藤本の壁の上を通すことは出来る。
あとは、この難しいシュートが入るか否か?

「リバウンド!」

叫んだのは石川だった。
ボールの軌道は打った本人が一番よく見える。
少し、左に傾いているように感じた。
着地した瞬間叫ぶ。
自分で飛び込もうともした。
しかし、藤本にがっちりスクリーンアウトされている。

道重も入ってこれていない。
ゴールに近い側は滝川のセンター陣がすべて抑えた。

ボールは石川から見てリング左側に当たって跳ねた。
跳ねた先はバックボード。
ボードに当たって跳ね返ってくる。
また、リングに当たり、そのまま内側に落ちて行った。

54−52

富岡リード、残り十九秒。 

歓声と悲鳴が同時に巻き起こる。
悔しいとかやられた、という感情は特に無かった。
藤本は、すばやくボールを入れることを要求する。
ボールを拾ったセンターがエンドから藤本へ。

一人で持ちあがった。
高橋が目の前に現れたがバックチェンジ一つでかわす。
このままゴールまで、と思ったがスリーポイントラインあたりまで突入すると石川に捕まえられた。
柴田が戻ってゴール下を抑えていた。
藤本一人で石川、柴田と相手にしてゴール下まで行きシュートを決める、という選択肢はない。

右サイドに下りて行って一旦麻美にボールを戻す。
何とかして二点を取らないといけない。
里田がいない。
みうなもいない。
インサイド勝負はない。

十秒を切った。

ボールがよく回っている、とはとても言えなかった。
インサイドは前に入られるということはなく、シュートはともかくボールを受けることは出来る。
結局外に戻すのだが、ボール自体は受けられる。
回らないのは外。
何とかボールを受ける、というだけで効果的にパスを回す、という流れではない。
三点取れば勝ち、二点取れば延長、点が取れなければ負け。
里田を欠いて富岡相手に延長、というのは出来れば避けたいが、そんなことを言っていられる状況でもなかった。
とにかく負けを確定させない。
何でもいいから点を取る。 

富岡の方で本当に怖いのは、スリーポイントを決められることだった。
まぐれでも何でも、スリーポイントを決められると負けになってしまう。
二点リードしていることで、逆に、ガード陣はスリーポイントシュートに対して余計過敏になっていた。

遠い位置で藤本はボールを受けた。
普段の藤本ならシュートはない。
残り六秒。
左六十度あたり、スリーポイントラインから二メートルほど離れたところでシュートの構えを見せる。
手を伸ばして脅しを見せるだけでいいような場面。
ここで高橋はジャンプしてブロックに行った。
右側からドリブルでかわす。

一番近いところにいたのは田中だったがカバーには来られなかった。
新垣にぴったり付きすぎていて、間に合わない。

スリーポイントラインを突破。
ゴール下にいた石川が出てくる。
パスを捌く先はなかった。
自分で勝負しかない。
抜きにかかってゴール下まで行くか、捕まる前にジャンプシュートか。 

藤本の選択はジャンプシュートだった。
フリースローライン手前。
ゴール正面。
藤本が飛び、石川もジャンプ。

残り四秒。
藤本の手からシュートが放たれる。
石川のブロックの上は通過した。

長い、とボールから離れた瞬間、藤本は思った。
ブロックに当てまい、と思って打つと弾道は高い弧を描いて手前にボールが落ちがちである。
それを意識して強めに打った。
意識しすぎた、とボールが手から離れたところで思った。
残り三秒、ボールはバックボードに当たる。
藤本はリバウンドに入り込みたかった。
石川がそれをしっかりスクリーンアウトしている。
バックボードに当たったボールはリング手前に当たって跳ね上がった。

入れ。
外れろ。

相反する二つの願いが、一つのボールに向かってコート上、会場中から送られる。 

残り二秒。
もう一度落ちてきてリングに当たる。
それから、こぼれて外に落ちた。

残り一秒。
リバウンド、拾ったのは石川。
藤本は背中に押し込めたままボールを確保。
タイムアップのブザーが鳴った。

最終スコア54−52

富岡総合学園が滝川山の手を下し三連覇を果たした。 

ブザーと同時にボールを放り投げた石川の元に、周りのメンバーが飛びついてきた。
田中が、高橋が、石川にしがみつく。
少し離れたところで柴田が泣いていた。
三連覇。
去年も一昨年も優勝している。
高校に入ってから優勝は通算七回目。
だけど、同じことの繰り返しではなかった。
今年が一番苦労した。
大会そのもの、というだけでなく、三年生になり、キャプテン石川を支える立場。
変なイベントの運営はするわ、チームは合併するわ、練習に出てこなくなる二年生がいるわ。
気苦労の絶えない半年だった。

富岡のベンチメンバーがコートになだれ込んでくる流れと逆に、滝川のメンバーはベンチに引き上げて行った。
石黒は一人一人握手で出迎える。
麻美が泣いていた。
スタメンで最後まで残っていたのは麻美と藤本だけだ。
実力が増し、責任感も増し、役割の重みも増した分、悔しさも大きいのだろう。
藤本の目に涙はなかった。
出し切った、という満足感とは違う。
ベンチに戻ってきて、中央に座り込んだ。
周りは撤収の準備をしているけれど、藤本はぼんやりと座り込んでいる。
うつろに優勝チームの光景を見ていた。
頭の中には何もない。
ただ、疲れきっていた。 

「紙一重か」

試合が終わってしばらく黙っていた記者席の稲葉はつぶやいた。

「紙一重ですか」
「うん。文字通り紙一重だった。リングで跳ねたボールがどっちに落ちるか。リングの方に落ちた石川さんと、外にこぼれた藤本さん。紙一枚、当たる角度が違えば、結果は逆だったかもしれない」
「石川さんって何か持ってるのかもしれないですね」

二人はコートの石川を見た。
国営放送のインタビューも終え、メンバーたちと記念撮影をしている。
こうして見ると、普通の女の子にしか見えない。

「私も見る目なかったなあ」
「何がですか?」
「滝川がここまでやれると思ってなかったよ」
「最後までわからなかったですもんね」
「今日だけじゃなくて。今日、ここに至るまでも。決勝に残ってくるようなチームだとは思わなかったのよね。ディフェンスだけのチームって感じで。でも、そのディフェンスだけでここまで勝ち上がってきた」
「堅かったですよね。最後まで」
「是永さんも力を出し切れなかったし、今日も最後負けたけど、でも、54点でしょ。富岡を54点に抑えたチームなんていまだかつてないよ」

稲葉は戦前の予想では、滝川は三回戦からベスト8レベルのチームであって、決勝まで来るというイメージはまったく持っていなかった。 

「今日もだから、ゲームとしては滝川のゲームだったのよね」
「いいゲームでしたよね」
「滝川は滝川のゲームをやりきった。序盤から堅いディフェンスでロースコアゲームに持ち込む。富岡は手数をかけない攻めってことでやってたけどうまく行かなかった。石川さんで一気に点差を拡げたところもあったけど、そのままゲームを決めるところまではいけない。足を使って厳しいディフェンスなのに、滝川の方がファウルが少なかったのよね。富岡の方がファウルがかさんで行く。オフェンスに意識が行き過ぎてたのかな? 10点圏内でずっと付いていって、相手のエースがファウルトラブル。ガードも疲弊させてボールをスムーズに運ばせない。徐々に徐々に追い上げて、試合終了直前に同点。たぶん、三十九分リードしてたのは富岡だけど、三十九分自分のゲームをやったのは滝川だったのよ。だから、いいゲームで、惜しかった」

滝川のゲームプランは、ロースコアゲームにして守り勝つこと。
体力とディフェンス力にものをいわせて、終盤の強さを見せて最後にはひっくり返して勝つ。
それがぴったりはまり、ぎりぎり間に合ったのが昨日の準決勝。
同じ展開に持ち込めた、と感じられたのだけど、最後にもう一度突き放されたのが今日の決勝だった。 

「でも、そういう意味じゃ、最後まで相手のペースでやらされたのにそれでも勝っちゃう富岡っていうのもすごいですよね」
「実際、きわどかったと思うよ。これもやっぱり紙一重で。石川さんがファウル四つっていうのはかなりの危機だったし。終盤、ガード陣は恐慌をきたしかけてたんだけどね。そこをどっちも何とか柴田さんが支えきってた」
「柴田さんですか」
「ああいう子が一人いると、監督はホント助かると思うよ。ボール運びに参加できる、自分で点も取れる、精神的支柱にもなる。チームの運営面もかなりの部分を背負ってるみたいだし」
「大会通じてだと高橋さんの方が目立ってた感じでしたけどね」
「肝心な場面だと柴田さんの方が場慣れしてるってことなのかなあ。うーん、それだけじゃないような気もするけど」
「石川さんのファウル四つってのも珍しいですよね」
「意識がオフェンスに行き過ぎたのかなあ。調子は良かったみたいだけど。オフェンス面だけ見たら今大会最高の出来だったかなあ。でも、最後の藤本さんとのワンオンワンは運に救われたね」
「運ですか?」
「うん。運。ってしゃれじゃないけど、ホントに。藤本さんにあと五センチ身長があったらアウトだった。今日の石川さんをあの場面で抜き去られずにタイミングぴったり合わせてブロックに飛べるっていうのはすごいよ。今大会一番伸びたのは藤本さんかもしれない」
「是永さんと違って、藤本さんなら石川さんと両立できるから、あの二人が同じチームでやるところを見てみたいですね」
「仲悪いみたいだけどね」
「仲悪いんですか?」
「どっちかっていうと、藤本さんの方が石川さんをちょっと嫌がってるみたい。話し聞いてるとそんな感じがする」
「へー」

滝川カップを見ていて、稲葉はそう感じていた。 

優勝した富岡のコートの上での一騒ぎおよび国営放送によるインタビューが終わり表彰式へと移る。
代表者にトロフィー、賞状あたりが渡され、ベンチ入りの選手にメダルが渡される。
滝川の列に一人姿がなかった。
藤本美貴。
富岡が騒いでいるのが落ち着くのを待つ間に、滝川は一旦ロッカールームに戻った。
藤本は、そこまで戻って動けなくなった。
周りに促されて立ち上がろうとしたのだが、視界がすっと薄れて暗くなる。
そのまま座り込んでしまった。
疲労プラス脱水症状だろう、と石黒は見て、長椅子に寝かせた。

意識はあった。
大丈夫だから、と周りに告げる。
他のメンバーは表彰式に出ないといけない。
スタンド組から一人藤本に付けることも出来たが、石黒はあえてそうしなかった。
ドリンクボトルを足元に置いて、皆出て行った。
一人、部屋に残された。 

横になっている限り大丈夫そうだった。
全身に疲労はあるけれど、病院送りになるような必要はない、と思う。
一人になると静かだった。
エアコンの音がしている。

負けた。
富岡に、いや、石川梨華に負けた。
石川梨華に。

滝川のキャプテンというのはいろいろなものを背負っている。
特に今年のキャプテンは背負うものが多い。
三年間培ってきたもの、試合に入れない仲間、ベンチに入れない仲間の想い、伝統あるチームの歴史、応援してくれる地元の人々、そして、事故で亡くなった先輩。
大会期間中はいろいろなことを確かに思っていたけれど、最後の最後、残り四十秒、石川と対峙していたときには、そんなことは全て頭の中からは消えていた。
ただ、目の前に石川がいた。 

今、頭にあるのも、その最後の四十秒の攻防だ。
足は動いていた。
試合が終わったらこんなざまだけど、試合中は問題なく体は動いていた。
体力的な面は、影響していない。
あの場面、あれ以上の動きは出来なかったと思う。
ディフェンスについては、あれ以上はない。

オフェンスの方は、最後、少し力が入っていた。
ブロックを意識しすぎた。
距離があってももう少し早めに打っていても良かったかもしれない。

悪くない試合だった。
長い時間相手にリードを許していたけれど、このレベルの相手ならそれは織り込み済みだ。
いい試合は出来たと思う。
次やって勝てるかどうかはそれこそやってみないとわからないけれど、何度やってもいい勝負になるんじゃないかと思う。
ここまで積み上げてきたものは多分正しい。 

それだけに、勝ってしまいたかった。
体を横たえていると、すこしづつ回復してきて、思考も進んでくる。
意識がまともになってくるにつれて、悔しさもはっきりと沸いてきた。
優勝は、手の届くところにあったのだ。
それを、最後、自分の手で引き寄せられなかった。

石川梨華に勝つには、もう一段階上のレベルが必要なのか。

ここまで積み上げてきたものは正しいのに、それでも足りない、というのはつらい。
最善手でも勝てないというのは、最初から詰んでいたというようなものだ。
ただ、幸い、まだ、今日で終わりではない。
チャンスはまだある。

今のままでも、また、いい勝負は出来るんだろうと思う。
だけど、いい勝負では駄目なのだ。
最後、ボールがどこに跳ねたかは運。
運がよければ勝っていたかもしれないし、負けたのは運が悪かったかもしれない。
じゃあ、運を頼ってもう一戦するのか?

運の良し悪しに左右されるところにいてはいけないのだ。
どう転んでも勝てる、というくらいにはっきりと力で上回りたい。

今日の決着はついたけれど、チームとしての決着はまだここでついたわけじゃないのだ。 

体を起こした。
足元のドリンクボトルに手を伸ばす。
まだ、ふわふわした感覚はある。
立ち上がって歩けないことはないけれど、倒れないとは言い切れない。
自分は準優勝チームのキャプテン。
表彰式には出るべきだろう。
遅れて入っていっても、周りに心配されつつも受け入れてもらえると思う。

だけど、もう、そんなセレモニーなんてどうでもよかった。
今日は負けたのだ。
二位を誇って何かをもらおうという気にはならない。
優勝チームのキャプテンとにっこり笑って握手、なんてとてもじゃないけどする気にならない。

負けたのは、自分のせいだな、と思った。
みうながへたばったり、まいが退場したり、そんなことは些細なことで、最終的に自分が石川のシュートを抑えられなかったこと、自分のシュートを決められなかったこと、これがすべてだ。
それを背負って、もう一度挑戦するしかない。

ドリンクボトルを置いて、もう一度横になった。
疲れきっているのは間違いない。
表彰式に出ないのは、仮病と言うことはなく、本当にきついのだ。

勝ちたかった。
勝ちたかった。
後一歩だったのだ。
本当に、後一歩。

仰向けに転がったまま、一筋の涙をこぼして、藤本はそのまま眠った。 

 

移動の間はほとんど会話もなかった。
これでいいの? あってる。 こっちかな? たぶん。
電車の乗り継ぎ、交通手段の捜索、道順の確認。
必要最低限の事務的な会話は交わす。
それ以上の話しはしなかった。

高校三年生の夏休み。
半分が過ぎた。
夏のメインイベントは終了した。
こんな風にふらふらと遊びに出るのも今日くらいなものだろう。
話すことはいくらでもある。
だけど、何も話をしなかった。

電車は冷房がよく効いていたけれど、降りてからがひどかった。
一番近い、という駅で降りたものの交通機関がまるでない。
聞いてみると、全然違う駅からバスが出ているだけだと言う。
タクシーは電話で呼べば来るらしいけれど、田舎の高校三年生が気軽にタクシーもない。

「歩こう」

無計画な吉澤に付いて来たことをあやかがちょっとだけ後悔した瞬間だった。
それでも、ちょっとあきれた顔しただけで素直に突いて行く。
歩き出してしばらくすると、あちぃ、とか愚痴いいながらタオルで汗を拭いている。
ハンカチも持たないいい加減女子だった吉澤も、バスケを始めてからハンカチは通り越してタオルを持ち歩くようになった。

「鳥取砂丘に行こう」

そうあやかの携帯にメールが入ったのは昨日の夜だ。 

なぜ砂丘? と思ったけれど聞かなかった。
微妙に距離があって、それなりに観光地で、行ったことのないところ。
まあ、石見銀山とか言われるより夏っぽくていいか、と思った。
ものすごく日焼けしそうだけど。

別に砂丘に本当に行きたかったわけじゃないんだろう。
ただ、目的地が必要でそれが砂丘だっただけどのことだと思う。
あやかはただついて行った。

電車はボックス席に並んで座った。
前の方に乗ってきた男子四人組みがこちらをちらちら見ている。
吉澤はただ窓の外を見ていてまったく気づいていない。
あやかは気づいていたけれど、そんな扱いは慣れっこで、特にリアクションを取るでもない。

親子連れの子供が騒ぎ、男にしだれかかる厚化粧な田舎ギャル風な女がいて、男子四人組みもしょーもない会話をしている。
夏休みの夏休みらしい光景だろうか。
いや、接頭語に、田舎の、という一語が必要だろう。 

あやかはさらさらのロングヘアで、試合の時はいつも後ろで一箇所止めている。
普段の生活では涼しい時は長いまま止めることも無く髪をなびかせているが、こう暑いとうっとうしい。
歩きながらゴムを取り出して鏡も見ずに即席でポニーテールを作る。

しかし暑い。
隣でバドミントン部が練習しているときの閉め切った体育館も暑いが、今日のこれは暑いというより痛い。
強い日差しがあやかの肌を刺す。
よっすぃーはこれでも焼けないのかなあ、なんてことも思う。

人通りはまばらだった。
真夏の真昼に外を無防備に歩く、なんてことはしない。
車と時折すれ違うだけだ。
途中、見かけたコンビニに寄って飲み物を買った。
あとは黙々と歩く。
やがて、目的地にたどり着いた。

「すげー。すなすなしいよ」
「なに、すなすなしいって」
「砂。砂だよ砂。砂漠、砂漠。サハラ砂漠だよ」

確かに、絵で見る砂漠の光景そのものだ。
無駄に苦労したけれど、たどり着いた、という変な達成感があった。 

鳥取砂丘はたぶん、鳥取最大級の観光地である。
それなりに楽しめるようになっている。
妙な達成感による、変なテンションの高さがある吉澤に、あやかは付き合う。
らくだ、らくだ、と乗りたがったが、高すぎると却下で写真を撮るにとどめる。
写真だけでも有料であったりしたが。

ひとしきり遊んで、ごはんも食べて、お子様の夏休みらしく楽しんだ。
夏の陽は高く、時刻は夕方を示しても、周りの雰囲気は真昼である。

「なんか空気違うんだよなあ」
「なにが?」
「もうちょっと日が傾いて夕暮れな感じで砂漠ってのがいいんだけどな」
「暑いよね、確かに」
「それもあるけど。まじめな話をするには雰囲気が違うんだよ」

そういう本題があるんだろうな、とは来る前からあやかも思っていた。

「どっか入ろうよ。涼しいとこ。落ち着けるとこ」
「そだね」

観光地仕様なので、ムーンバックスみたいな外資系メジャーコーヒーショップはないが、それでも、ごはんを食べるだけの店ですとか、観光客で稼ぐための店です、というのを避けつつ、座って一息ついて二息ついて会話を出来るようなところを探す。
完全に満足できるようなのは見つからなかったが、適当に何とか妥協できるレベルの店を見つけて入った。 

「しっかし、こう暑い中遊び歩くと、話しする気力も無くなるよ」
「座ってれば落ち着くよ」
「まあ、そっか」

吉澤はグラスをテーブルに置いたまま首をすくめてストローを加え、オレンジジュースを飲む。
その姿を見てあやかは微笑んだ。

割と混んではいる店の中、二人は窓側の席を確保していた。
冷房の風がこちらに向いてきていて、即効性の涼しさを与えてくれる。
外を行きかう観光客を眺めて、じっとこちらを見ていた子供に手を振ったりしていると、汗は十分引いてくる。
吉澤は、一つ大きなため息を吐くと言った。

「昨日、見た?」
「決勝?」
「うん」

朝から二人でいたけれど、バスケに関わる話を口にしたのは初めてだ。
あやかは、イエスともノーとも答えなかったけれど、オレンジジュースを口にして、吉澤は続けた。

「すごい試合だった。どっちも。ああ、やっぱり決勝まで残るチームは違うなって思ったよ」

あやかは、うん、うんと聞いている。
一人語りのような形で吉澤が続けた。 

「滝川ディフェンスすげーしさ、富岡もそれを崩して行って点を取る。そういうなんてーの? 技術? それはもちろんすごいんだけどさ、なんかそれ以上にエースの力っていうか、すごさっていうのを感じたんだよね」

吉澤はグラスのストローを回す。
ストローの先に視線を向けたまま続けた。

「エース、エースじゃないか。リーダーって感じかな。四つファウルで崩れかかってたのに、最後は石川さんでしょ。あの子、滝川で顔合わせて、初めてまともに長い時間話したって言うか関わったていうのかな。今まで試合でちょっと話しただけの印象じゃなくて、こういう子なんだってのをちゃんと知った気がしたけど、あの時はずいぶん意外な感じがしてさ。こんな抜けてる子なのかっていう。私が言うこっちゃないけど。仕切ろうとするんだけどうまく行かない感じ? ああいう運営ごとには柴田さんなんかの方がしっかりしてて。ちょっと安心って言うか、この子も完璧じゃないんだななんて思ったんだけど、やっぱりコートの上じゃリーダーなんだよね。最後、石川さんがコートに入って雰囲気変わったもん、富岡。滝川に追い上げられて逆転されて、やばい、っていう空気があったのに、石川さん入った瞬間、みんな、五人とも、大丈夫、ここから勝負って感じになってた」 

あやかは黙ってうなづく。
もちろん、あやかもテレビで試合を見ていた。
石川が入った場面、すぐに出来た富岡の輪を映像はアップで写していた。
ガードの二人、一年生、二年生だったろうか、その二人がすがるような目で石川を見ていたことを覚えている。

「負けちゃったけど滝川もすごかったよね。ミキティがほんとに大黒柱って感じで。どんだけ走るんだよっていう。あのディフェンスは鬼だった。点取るポジションじゃないからエースっていうのとは違うんだけど、ホントにリーダーって感じで。あの人数で寮長やってキャプテンやってると自然とそうなるのかもしれないけど。みんなミキティについていってる感じがしたな」

試合中の場面ももちろん記憶に残っているが、あやかの印象に強く残っているのは終わったあとの光景だった。
燃え尽きたようにベンチに座りこむ藤本の姿。
優勝してはしゃぐ富岡のメンバーと対照的だった。
引き上げ時、里田に背中をぽんぽんと叩かれて、行こう、という風に促されてのを強く覚えている。 

「矢口さんに言われたんだ。準々決勝のあと」

話が飛んだ。
富岡戦のあと。
引っ叩いたりいなくなったり倒れてたり、二年生四年生のあれこれで右往左往していたころ。
あやかは、輪の真ん中にただ黙っていよう、と思ってよその試合を見ているときも、宿に戻っていたときも、ただそうしていたので、そこから離れたところで吉澤や矢口が何をしていたのかは知らない。

「小さくまとまっちゃった感じがしたって言われた」

チームが? よっすぃーが? と思ったけれど、あやかは聞かなかった。

「小さくまとまっちゃダメだよって、小さい矢口さんに言われちゃったよ。小さくまとまってもいい人はいる。でも、よっすぃーは小さくまとまっちゃダメだって。正直、意味わかんなかった。別にまとまったつもりはないし。まして、小さい言われても。そりゃあさ、バスケの実力は石川さんには全然負けてたと思うよ。石川さんだけじゃないけど。ミキティとか、ポジション違うのに比較も変だけど、負けてるよ。でも、その負けてる中で石川さん相手にどうすれば良いか考えたつもりだったし、実際そうしてさあ。私、スコア見ると、意外に石川さんに点取られてないからね。だから、出来自体は、元々の力がないなりには悪くなかったと思うのよ。もちろん、力量が足りてないこと自体が問題なんだけどさ。あの日の出来自体はね」 

準々決勝の富岡戦で、確かに石川にやられたかと言うと、そういう印象はあやかも持っていない。
高橋であり柴田であり、そして、自分のマッチアップの道重に、点を取られた印象はないけれど、後半はリバウンドを中心としてセンターとしてのプレイをまるでさせてもらえなかった印象があり、石川以外のインパクトの方があの試合は強かった。

「みんな結構思い入れ強くあの試合だったから、終わったあといろいろあってさあ、そういう意味で、キャプテンとして私がどうだったかっていうのはあるよ。でも、小さくまとまったはないんじゃないの? って、あの状況で矢口さんに向かっては言えないけどさ、腹の中では結構思ったのよ」

あやかにとって矢口というのは、よその学校の小さくてかわいい人に過ぎない。
滝川で試合して、最後聖督に負けたのは矢口にしてやられた痛さではあるのだけど、試合はコーチとするものではないので、あやかの矢口評は、小さくてかわいい人、で止まっている。
そんな矢口が、そういうことを吉澤に言うんだな、というのは意外な感じがした。

「でも、決勝見てなんとなく分かった。矢口さんが言ってたこと。小さくまとまったの言葉自体はよくわかんない気もするけど、言いたいことはなんとなくわかった。小さくまとまっちゃダメだ、のあとに、矢口さんもう一言言ってたのね。それがさ、サラリーマンの中間管理職みたいだよって」

なんだそれは? とあやかも思った。
サラリーマンには吉澤もあやかも、多分、矢口もなったことがないはずだ。 

「中間管理職なんて、益々分けわかんなくて、お父さんに聞いちゃったよ。それ何やる人って? お父さん、珍しくかわいい娘から仕事の話し聞かれたと思って喜んじゃってさ、なんか、長々と自分の仕事について語ってたけど、要するに中間管理職って、みんなの調整役で、主役でも実働部隊でもない感じ? リーダーは上にいて、実際に動く人が下にいて、サラリーマンが実際どうだかまではよくわかんなかったけど、あれこれ調整するだけで実際には何もしない人なのかなって思った」

調整って、実際、それだけで十分大変な気がするけどなあ、とあやかは思ったが、口は挟まない。

「なるほどなあ、って思った。決勝見て思ったよ。石川さんはエースでミキティはリーダー。私は、うん、確かにそうだよ、そのどっちでもなくて、中間管理職だよって」

うーん、とあやかは考える。
同意なような同意ではないような。
確かに、よっすぃーはみんなの調整役をやってるところがあるけれど、それを中間管理職と言ってしまうのは、何か違うような気もあやかはする。 

「私、変わったのかなあ?」

一人語りだったのが、はっきりと自分への問いかけになったので、あやかは吉澤の顔を見返した。

「キャプテンになってから変わった? 私」
「うん。みんなの話しよく聞くようになったなって思うよ」
「それがキャプテンの姿だと思ったんだよね」
「なんか悪いみたいな言い方に聞こえるけど」
「小さくまとまったってのはその辺言われてるのかなあとも思ってさ」
「みんなの話し聞くのは悪いことじゃないんじゃないの?」
「まあ、そうなんだけど」

吉澤はオレンジジュースに手を伸ばす。
あやかもアイスコーヒーを一口飲んだ。 

「自分でさ、なんとかしようっていうのが確かになくなっちゃったのかなって思った」
「自分で何とかするって?」
「福田がボール運んでゲーム作って、あややが点を取る。私は別に主役じゃなくていい。それはそうなんだけど、困ったときも、あの二人であったり、あやかもそうだけど、周りに期待してて、全体を見ながらどうしようか考える感じでさあ。自分がコートの上にいるのに、本当に自分が五分の一で。前はそういえばそうじゃなかったなって。周りみんな先輩で、でも、試合に出てると、自分で何とかしようっていうのがあったなって。下手なのは、すぐにどうにかなることじゃないけど、でも、コートの上で、ピンチになった時、みんなが見るのが福田や松浦じゃ、確かにちょっとまずいかなって思った。昨日の決勝見てて」
「もっと自分で点を取りたいってこと?」
「それは、うん、取りたいけど、そういうことじゃなくて。点を取るのはあややでもいいんだよ。相手のエースを抑えるのも別に私じゃなくてあややでいいし、あやかでも、ミキティは福田が押さえ込むとかでもいいんだけど、その、あれだ。精神的支柱っていうの? そういうのにならなきゃいけない。いけないって言うか、うん、自分で言うのも変だけど、なりたいなって思った」

あやかは小さく何度かうなづく。
二年生が自由にゲームを動かせる、というのはこのチームのいいところではあるのだけど、確かにそれだけじゃ何か足りないのだろう。 

「てまあ、いろいろごちゃごちゃ頭で考えたわけですよ。小さくまとまっちゃったとか矢口さんが言うから。考えてみるといろいろ分かったんだけど、実際には、決勝見て思ったのは、こいつらに勝ちてーっていう。やっぱすげーよ。石川さん。それにミキティ」

うんうん、とあやかはまたうなづいた。

「よっすぃーにはたぶん、ぶつかっていく相手が必要なんだろうね」
「ぶつかっていく相手かー」
「選手として飯田さんがそうだったし、チームの中じゃ保田さんがそうで。そういう人たちがいなくなちゃって、しばらく内輪でやってるしかなくて。明日香やあややはあんな感じだから、よっすぃーが大人になるしかなかったんだよね。私は、そんな大人のよっすぃーでも別にいいし、ちゃんとついていくけど、そうじゃなくて、このやろーってぶつかっていくよっすぃーでも、どっちでもいいよ」
「あやかはいつもそれなんだよなあ」

あやかはいつでも吉澤を肯定する。
いつでもどこでも、どんな吉澤でも、あやかは肯定する。 

「負けちゃったけどさ、良かったんじゃない? また、ぶつかっていくものが見つかって」

滝川カップで強いチームと試合はしたが、公式戦にしようだなんだと息巻いてみても、所詮は大掛かりな練習試合だった。
百パーセントの力を出した、富岡や滝川、石川や藤本を見ることが出来たわけではないし、肌で感じることが出来たわけではない。
吉澤たちが負けたのは、昨年の冬の選抜予選以来では、滝川カップは別として、このインターハイの富岡戦が初めてなのだ。

「キャプテンシーってやつだよね、よっすぃーが欲しいのは」
「キャプテンシーか。なるほど、それだ」

吉澤の方は、ちゃんと言葉の意味をしっかり判っているわけではないが、なんとなく、それだ、という気分になった。

「簡単じゃないんだろうけど」
「ミキティすごかったなあ、そういう意味だと。ミキティのあのリーダーシップと石川さんの点を取る力と、飯田さんのガチのインサイドと、全部手に入れられたらなあ」
「よっすぃー、それは欲張りすぎ」
「やっぱり?」
「うん。でも、よっすぃーはそれくらいでもいいのかも」

ふーっと吉澤が大きく息を吐いた。 

「明日からもう一回やり直しかあ」
「うん」
「私が、もう二回りくらい大きくならないと、いけないからなあ」
「大丈夫」
「あやかはいつもそれだよ」
「いいの」
「まあ、いいけどさ」

あやかはいつでも吉澤を肯定する。
吉澤に限らない、割と、周りの人をみな肯定する。
自分が主役になりたい、とは思っていなかった。
頑張る人のそばにいて、力になりたい。
吉澤のようになりたい、とは思わないが、より高いところを求めて頑張れる強さには憧れる。
そういう強さは自分にはないな、と思う。

「帰ろっか」
「うん」

飲み物を片して店を出る。 

あやかと吉澤は一年半少々のつきあいになるけれど、二人だけで一日遠くに行く、というのはこれが初めてのことだ。
別に、話がしたいなら電話でもいいし、その辺のどこかで十分。
だけど、いつもとは違う、何か変化が欲しかったのだろう。
そんなことをあやかは思う。

陽は傾いてきたけれど、まだまだ明るい。
外は相変わらずの暑さだ。
あやかは吉澤の手を引いて走り出す。

「行こう」
「ちょっと、なに突然」

なんだか気分が良かったのだ。
それと、現実。

「バス、来てるよ」

駅までのバス乗り場を見つけたのだ。
帰りも歩きは御免だ。

「もう、急に走り出すんだから」

数十メートル走ったが、二人とも息を切らすようなこともなかった。
始発なので、あわてなくてもバスは動かない。
まだ空席もあって、二人とも、前後に並びの席で座れる。

座ってからはもうあまり話さなかった。
別に、普段から取り澄ましている二人、と言うわけではないけれど、今日はこれでいいのだ。
もう、吉澤は話したいことを話したし、あやかも、ただ、話を聞いていただけで満足している。

やがてバスは動き出した。
帰り道はまた結構遠い。
バスに揺られて、前に座る吉澤はもううとうとしている。
あやかは、そんな振動のリズムに合わせて揺れる吉澤を後ろから見ていた。

あと、半年よろしくね。