ファーストブレイク

 

第九部

「分かるような分からないような人選だね」
「なにそれ」
「選ばれるべき人間はちゃんといるような気はするけど、なんでこの子? っていうのや、もっと行くと、この子誰? ってのも混じってるし」

信田が見せたノートに並ぶ名前を指差して小湊は言った。

「目的は一つじゃないからさ」
「一つじゃないって?」
「勝つだけが目的じゃないでしょ、こういう場合」
「何が目的なの?」
「まず、勝つこと。そして、もう一つは育成すること」
「まあ、一理あると思うけど、でも、そんな悠長なこと言ってられるの?」
「簡単じゃないのは分かってる。でも、必要なことでしょ。長い目で見て考えれば。それに、この年頃の子は一週間あれば変わるのよ」
「それに期待してるのがこの中に何人かいるわけだ」
「まあね。もう一段階選抜するわけだし」
「私はただのアシスタントだから、メンバーに文句はつけないよ。ただ呼ばれたメンバーを相手にするだけだから」
「大会期間中に成績不振で私が解任されたりするかもよ」
「サッカーでもないんだから、無い無い」
「でも、アシスタントが気づいたら監督になってるってことはあるから」

信田はそう言ってふーっとため息を大きく一つ吐く。

「まあ、いいや。信田ヘッドコーチ殿の手腕を得と拝見させていただきましょう」
「私にとっても新たなスタートだからね」

信田はノートを閉じて言った。

「まずは一週間、生き残りをかけて戦ってもらいましょう」

宿舎は別にあるが、初日はまず直接体育館に荷物も持ったまま集められた。
集まったのは高校生を中心とした二十四人。
19歳以下のメンバーたちだ。
先にメンバーたちが集まっている中、最後に時間ぴったりに信田と小湊が体育館に現れた。
世界のトップから、初めてバスケをする小学生まで、開始時間に監督が現れれば、その前に全員集合するのはどこへ行っても変わらない光景である。
この手の集まりに慣れている者いない者。
それぞれ、最初の信田の言葉を待った。

「今日から、長い人は三週間、短い人は一週間で終わりだけど、よろしくお願いします、監督の信田です」

全体を見渡す。
やはり自然と、同じチームのメンバーというのは固まってるものだな、と信田は思った。

「今回のチームとしての目標は一つ。来年のU-20の世界選手権の出場権を取ること。これだけだから。ただ、みんなはそれぞれね、個別に目標を持つことになると思う。メンバーに残ることだったり、試合に出ることだったり、まあ、それぞれかな。長期的には、ここを踏み台にして、年齢別じゃなくて、フル代表にも入って行って欲しいと思う。たぶん、ここに入ってくるメンバーは、大体お互い顔くらいは知ってるだろうけど、ちょっと年離れちゃうと分からない部分もあると思う。大学生、社会人から中学生までいるからね。というわけで、今日は一日かけて全員に自己紹介をしてもらおうと思ってます」

なんだ? 一日かけて自己紹介って? とメンバーの顔には書いてあって、互いに顔を見合わせている一団もいる。

「はい、じゃあ、まず、一列に並んで。背の順」

スポーツの指導者がよくやるように、指示の直後に信田は二回、手を叩いた。

戸惑いながら、監督の指示なので集められたメンバーたちは周りを見ながら動いて行く。
背の順。
見回したそれぞれの視線を集めたのは飯田。
飯田はそのまま黙って立っていたので、センターっぽい人間が飯田の近くに集まり始め、自分はガードだ、と言う認識のある人間は遠ざかって行く。

「身長は自己申告じゃなくて、きわどいところは並んで比べろよ。どうせみんな、登録身長はさば読んでるんだから」

どういうわけか、登録身長というのは、159cmや169cmや179cmは少なくて、161cmや171cmや182cmみたいな、0をちょっと超えたところの数が多いもの。
バスケはそういうスポーツだし、人の心理というのもそういうものなのだろう。

飯田を基点に一つの流れが出来る。
その反対側、小さい集団からは、矢口を基点にした別の流れが出来た。
小さいものは小さい同士、大きいものは大きい同士、背中合わせに身長比べて、周りが判定していたりする。
初対面なこともあるメンバーたちのそんな光景が、小湊からはほほえましく見える。

「大体、納得行った? じゃあ、はい、ここ。ここ、ここ。で、ここ、そしてここ。四人づつ分かれてじゃんけんしろ。勝った方から一、二、三、四な」

二十四人を六つのグループに分けてじゃんけんをさせた。
え? なに? 最初はグー? 普通? 子供みたいな会話をそこかしこしている。

「一はここ。二はこっち。三はその辺、四はじゃああっちで。集まって」

背の順に並べられただけのところでは、自己紹介で歌でも歌わされるの? と思ったメンバーもいたが、じゃんけんで四つの組に分けられるあたりで、何をするのかはなんとなく皆理解した。
背の順四番目グループが、異様に長いあいこを繰り返していたが、それも終わって四つのグループが出来上がる。

「各チーム六人いるね。今日の予定を発表します。四チーム総当たりのリーグ戦をします。順番は1-2 3-4 1-3 2-4 1-4 2-3  各チーム三試合で合計六試合になるはず。連荘は不利とかあるけど、細かいことは気にするな。ルールは八分ハーフで個人ファウルは気にしない。フォーファウルは取る。各ハーフでタイムアウト一回づつ可。六人いるけど、各試合で全員出ること。あと、全員一度は休むこと。ハーフタイムは二分間。メンバーチェンジはそのハーフタイムの時だけね。それで、ディフェンスは、それぞれ自分のチームでいろいろあるだろうけど、今日は、ハーフコートはマンツーマンにすること。ガードが前から当たるとかは好きにやればいい。どっちでもいい。あと、後半、前からオールコートなんてもの好きにやればいい。ただ、ゾーンは禁止。マンツーマンでやること。どうせ初日で、連携がどうのとか無理なんだから、一対一多用でもいいです。自分はこういう人です、という自己紹介を、私に、周りのメンバーに見せてください。開始は一時間後。アップは各チームでそれぞれ済ませる。あと、一時間後の開始の時点で、一応、それぞれゲームキャプテンだけ決めといて。じゃあ、あとは任せます。解散」

信田はそう言って場を離れる。
任せるって言われたって、という感じで戸惑った集団が四つ。
知り合い多い組みもあれば、互いに初対面だらけ組みもある。
ただ、初対面でも、やはりここは信田が言った様に、なんとなく互いの顔くらいは知っているというレベルである。
そうすると、この人大学生、この人高三、などのヒエラルキーは見えるので、自然と年長者が仕切る形になった。

大学生は自分がその輪の中の最年長だ、ということを考えなくても分かっている。

「ばらばらもいいところね」

最初に口を開くべきは自分かな、という風に感じた村田が言った。

「チームも年齢もばらばらっすね」
「うちが一番若か」
「中学生三人ですもんね」
「三人?」
「私と、みっちーと田中っち」
「中学生じゃなか!」

中学生扱いされた田中が軽く切れる。

「村田さん、センターでいいんですよね」
「うん」
「キミたちポジションは?」
「小春は点取り屋です」
「そんなポジションはなか」

自分を中学生扱いした久住に対して、田中はまだつんつんしている。
学年は一つ違いの二人。
去年まで中学生だった田中は、当然、その中学生の枠組みのなかで久住のことは知っている。

「みっつぃーはガードだよね」

久住は田中を相手にしていない。

「点も取れますよ」
「取れるにしても、基本ガードなんでしょ? なんか、上と下だけで真ん中がいないなあ」
「大丈夫。小春に全部任せてくれれば、全部点取りますから」
「ははは。若いっていいね」

高三以上の世代は、中学三年生の久住や光井のプレイはまったく知らない。
口だけなのか、本当にそれが可能なのか、判断はまったく付かない。

「とりあえずアップします?」
「そうだね。ゲームどうするかはあとで考えよう」

よくしゃべる中学生を中心にアップを始めた。

チーム1 村田 吉澤 みうな 田中 久住 光井

「もうちょっと公平に分かれるもんだと思ったけどなあ」
「最初からこっちでチーム分けした方が良かったんじゃないの?」
「それだと変な意図が伝わりそうだから、自然に任せたつもりなんだけど」

信田、小湊、首脳陣はコート脇で壁に寄りかかって座っている。
それぞれの輪を眺めている。

「やる前からチーム2最強って感じ」
「穴がないねあそこだけ」
「六人とも大会メンバーに普通に入りそうだもんね」
「下手するとそのままスタメンってことにもなりかねない」
「スタメンも、もう、頭の中にあるの?」
「チーム作る時間がそんなにないからね。富岡のスタイルをベースにして、ガード、センター、駒は代えるにしても、あとは足し引きでやっていこうとは思ってるよ」

「富岡ベースなんだ」
「あれが一番オーソドックスでベースにするにはいい。滝川のスタイルなんか他のチームには出来ないし、中村学院だと特殊すぎるし。このチームはやっぱり高校生が中心のチームだから、その優勝チームのスタイルをベースにっていうのが一番自然だと思ってる」
「その足し引きの一つが、石川さんと是永さんってこと?」
「そうなるかもしれないしならないかもしれない。ただ、そこは足し引きするにしても、四番じゃなくて三番になるけどね」
「本来あの二人はそっちの方が生きるよね」
「海外に出たら四番やるには身長足りないでしょ、あの二人だと」
「いずれにしても、チーム2はベースになる形になるかもしれないってこと?」
「一つのね。一つの。やってみなきゃわかんないよ。この間言ったでしょ。この年代は一週間あれば伸びちゃうかもしれないって」

チーム2 飯田 藤本 里田 是永 柴田 高橋

「センター多くないっすか?」
「私、大学入ってからフォワードもやるようになったから大丈夫だよ」
「あたし、五番以外やだよ。ていうかできないし」
「そういう、ポジションの適正とか、幅とかも見られてるんじゃないですか?」
「福田さん、二番三番出来るの?」
「このメンバーで、私が二番三番やる必要あると思います? 私よりも石川さんが二番やらされる可能性のが高いですよ」

ヤンキーあり、つんつんあり、キャラ的幅が広めなチーム3である。

「キミ、名前なんだっけ?」
「亀井、亀井絵里です」
「聖督の子ですよ。一年生だよね?」
「はい」
「石川は相変わらず、年下見ると仕切りたがるんだな」
「いいじゃないですか。平家さん分かってないみたいだから解説くらいしたって」
「つーかさあ、先輩後輩なつかしのご対面やってないで、アップ行かないんすか?」

チーム3 平家 石川 あやか 木下 福田 亀井

「あの一番小さい子は誰なの?」
「資料で見せたでしょ」
「いや、所属なし(東京聖督大付属高校コーチ)、って意味わかんないから。現役じゃないってことでしょ?」
「たぶん」
「たぶんて。なんで呼んだのよ?」
「面白いかなと思って」
「面白いって、意味わかんないんだけど」
「カンフル剤的な刺激になるかなと思って。力的にはそれほど目立ったわけじゃないし、そのうえ、今はまともにやってないみたいだからちょっと落ちるんじゃないかとは思ってるけど」
「信田コーチ様の考えてることはよく分かりませんなホントに」
「あの子に限らないけど、多様性が欲しかったのよ」
「多様性?」
「チーム内の競争っていう意味でも多様なタイプがいた方がいいし、それに、海外と試合するんだから、いろんな、日本じゃ見ないタイプの相手も出てくるわけよ。そういうカルチャーショックをいきなり試合で受けるよりも、選抜の練習の中で、まず、ワンクッション、いろんなタイプがいるんだなってのを感じさせた方がいいと思ってさ。プレイヤーのなかにコーチ的視点を持った人間がいるっていうのも一つの多様性だし、あと、あの子口が立つらしいから、そういうところもぜひ発揮してもらえたらいいんじゃないかな。あの子自身のためにも、こういう経験積むのは悪いことじゃないと思うし」
「でも、大学でやってない人間に将来も何もないんじゃないの?」
「同業者になる可能性が高いと思うよ」
「コーチってこと?」
「うん。まあ、そんなところまで私が責任持つところじゃないけど」

呼ばれた矢口自身が、意味わかんないんだけど、と今回の選抜を思っていた。
選抜メンバーは、紙一枚電話一本で呼ばれたのであって、これこれこういう理由で期待しているのであなたを選抜チームに選びました、というような解説はない。
この合宿期間中に、一人一人面談の機会を持とうかと信田は思っているが、この段階では矢口に限らず、え? なんで自分が? と感じているメンバーが他にもいる。

「チーム4は期待枠っていう感じのが集まってるなあ」
「21世紀枠かよ」
「いや、そうじゃなくて。伸び代たくさんで、まだまだ無駄が多い連中が多い。ちゃんとした指導者に付けばって思う子や、指導者はちゃんとしてるけど本人がまだガキっていう感じのがかなりあの中に集まってる」
「育成が云々って言ってたね」
「一週間で変われるかは分からないけど、少なくともそのきっかけは与えたいんだよね」

チーム4 矢口 麻美 松浦 後藤 道重 スザンヌ

一時間かけてのアップは、各コートに散らばって好き勝手にやらせた。
好き勝手にやらせることによって、自然とリーダーが決まる。
リーダーがいないと、ランニングもパスもシュートも、始まらないし終わって次へも移行できない。
最初に集まったときは、なんとなく大学生が一番最初に仕切るべきかな、という空気だったのが、実際に動き出すと大学生を脇に置き、高三生がチームキャプテン風に振舞うところもある。

チーム1は吉澤が仕切っていた。
全員チームが違う、というばらばら感があり、また、村田、吉澤という年長者からみると中学三年生の二人は未知の生物だし、みうな、田中にしても、顔は知ってるけどまともに会話をしたことがない、という相手だ。
いつのまにか村田ではなく吉澤が仕切る形になっていた。

チーム2は普通に最年長の飯田が引っ張る。
最年少でも高2という、今回集まったメンバーの中では比較的大人のチーム。
実力的にも高いレベルが揃っているので、この世界の中の有名人ばかりで全員顔はよく知っている。
四人の高三生が、自然と飯田を仰ぎ見る形になり、飯田が仕切っていた。

チーム3も大学生平家がキャプテン役に自然と納まっている。
石川の力量は周りの誰もが認めるところだ。
その石川は、無条件に平家先輩を立てる。
平家が全体を仕切るしかない。

チーム4は矢口が、おいらじゃないだろ、と渋ったため、リーダー不在でだらだら動く、という感じになった。
じゃあ、私が、という感覚は後藤にはないし、スザンヌも上に立つタイプではない。
松浦当たりは上に立ちたがりではあるが、高校二年生でこのわけの分からないメンバーをいきなり仕切り出すということはさすがにしない。
未知の世界では最初は猫をかぶっておく、というスタイルである。

「よーし、一時間経った。チーム1,2集合」

信田が笛を鳴らして集めた。

「チーム3,4も話しだけ聞いて。ルール追加。ルールと言うか商品だね。商品つけます。優勝チームは今日の夕食のデザートが追加されます。二位はなにもなし。三位は夕食のデザートを失います。ようは、三位の分を一位がもらうってことね。四位は今後一週間洗濯当番です」

他愛もないことであるが選手たちも多少盛り上がる。

「よし、じゃあ、始めよう。ビブスはチーム2がつけて」

チーム2は飯田以外の五人がコートに入ってきてビブスを受け取る。
最初の休みは飯田のようだ。
チーム1の方は、誰を最初に外すか決めていなかったようで、慌ててじゃんけんを始めた。
負けたのは田中である。

チーム3と4も、アップの足を止めてコートサイドに集まった。
あとは、あまり体を冷やさないようにしつつ観戦、という風に決め込んだ。

信田と小湊はノートを抱えてミニスタンドの上に上がって座り込む。
プレイ面の指示を出すつもりは今日はない。
ただ、観察するつもりだ。
自己紹介は、二人に対しての自己紹介でもある。

U-19日本代表候補

飯田圭織   C ジョンソン化粧品
村田めぐみ  C 関東女子体育大学1年
平家みちよ  F 常陸ローテク
矢口真里   G なし(東京聖督大付属コーチ)
是永美記   F 中村学院女子高校3年
石川梨華   F 富岡総合学園高校3年
柴田あゆみ  F 富岡総合学園高校3年
藤本美貴   G 滝川山の手高校3年
里田まい   F 滝川山の手高校3年
吉澤ひとみ  C 市立松江高校3年
後藤真希   F 東京聖督大付属高校3年
木下優樹菜  C 熊本友愛女学院 2年
山本スザンヌ C 熊本友愛女学院 2年
高橋愛    G 富岡総合学園高校2年
安倍麻美   F 滝川山の手高校2年
松浦亜弥   F 市立松江高校2年
福田明日香  G 市立松江高校2年
田中れいな  G 富岡総合学園高校1年
道重さゆみ  C 富岡総合学園高校1年
斉藤みうな  C 滝川山の手高校1年
亀井絵里   G 東京聖督学園大付属高校1年
久住小春   F 和島村立南辰中学3年
光井愛佳   G 大津市立比叡山中学3年

木村あやか  C 市立松江高校3年   追加召集

 

ゲームは予想通りチーム2優位で展開した。
元々の力でチーム2の方が上回っている上にチーム1はメンバーのバランスも悪い。

「じゃんけんでチーム分けするとやっぱり無理が出るね」
「身長順とポジションが合致してるわけじゃないからね」
「みうなの三番は無理があるな。あれなら吉澤に三番やらせた方がバランスはまだいい」
「ガードも、中三が藤本相手に張り合うってのが厳しいんじゃない?」
「まあ、その辺はしょうがないんだろうね。一転、久住はいいね」
「自信持ってやってるっていうのもあるけど、あそこは身長差じゃない?」
「そうね。まあ、ただ、ちょっと勝手すぎるってのはあるけど。みうな、吉澤、村田がいるのに、無視して久住がインサイドで勝負ってどうなんだっていう」
「それは、自己紹介って言っちゃったから」
「私のせいか」

ゲームは前半、チーム2の16-8リードで折り返す。
後半はチーム1は田中が入って光井がはずれ、チーム2は飯田が入って里田が外れた。

「是永はやっぱり強力だな」
「こういう形態になると、完全に一対一で、周りがフォローしにくいしね」
「完全に吉澤相手じゃ一枚上かな」
「でも、腐らず、出来ることはやってるね吉澤も」
「指導者なしであれだけ出来るんだから、うちらがもう一段あれは引き上げてあげないといけないよね」

選抜チームのコーチクラスから見ると、中澤というのはベンチに座っている顧問の先生、という扱いでしかない。

「村田がもうちょっと頑張ってくれると助かるんだけどな」
「飯田のバックアップ?」
「うん。候補はいろいろ呼んだんだけど。平家は怪我がちだし身長の問題もあるからもうちょっと外で使いたい。村田あたりがバックアップの一番手で使えるといいんだけど」
「飯田のが一枚上って感じだね」
「オフェンスは、パス出す周りが悪いから仕方ないんだけど、ディフェンスがね。飯田を抑えられないんじゃ中国韓国とは戦えない」

8分ハーフのゲーム、チーム2が40-18で圧勝した。

続いてチーム3とチーム4

「チーム4 ゲームキャプテン誰だ!」

スタンドから信田が叫ぶ。
あ、という顔で互いに顔を見合す。
それからどうする? と見ていると矢口、後藤、松浦、スザンヌでじゃんけんを始めた。
負けたのは後藤。

「ゲームキャプテン、後藤です」

じゃんけんかよ。しかも負けキャプテンかよ、と信田は呆れ顔だ。

チーム3はあやかがはずれ、チーム4は矢口抜きでゲームが始まった。

「福田は相変わらずだなあ」
「お気に入りの福田さんですか」
「別にお気に入りってわけじゃないよ」

信田は以前はU-15でアシスタントをしていた。
いろいろあって、今はU-19のヘッドコーチへと昇格している。
しっかりとチームを掌握して指揮を取るというのはこれが初めての経験だ。
メンバーだけでなく、信田にとっても一つの勝負である。

「指導者のいないチームに入って、いろいろと考えてやってるんだろうけど、なんていうか、頭でっかちさに磨きが掛かっちゃってまったく」
「不満なの?」
「不満不満。インターハイとか見てても不満だった。がつんと一言言ってやらないといけないかも」
「がつんとねえ」

信田と小湊は、多少考え方が違うので、信田が問題だと思う点を小湊はそれも一つのやり方としてありかな、と思わないでもない、というような食い違いが出る。
福田に関しては、小湊は、一つのやり方であって、変えないといけないとまで思ってはいない。

「チーム4はインサイドぼこぼこだ」
「同じ学校のAチームBチームみたいな感じだしね」

木下がスザンヌに、平家が道重にマッチアップしている。
現チーム内にいる木下-スザンヌはまだいいとして、社会人一年生の平家と高校一年生の道重の差は歴然だ。
遠慮があってやられている、というようなことは道重に限ってはなく、普通に力の差がある。

「というか、全体ぼこぼこか」
「メンバー的に仕方ないんじゃない?」
「松浦、後藤っていうところはもうちょっと期待してたんだけどね」
「どっちがどっちだっけ?」
「名前くらいすぐ覚えてよ。七番つけてるのが松浦、後藤は八番のビブス。松浦は出だし良かったんだけど、全部自分で一対一するもんだから、亀井ははずせても周りのカバーにつぶされる。あそこまで分かりやすいと初対面でもカバーは簡単」
「後藤って子は、あっ。おー」

名前を挙げた途端、後藤はステップバックからのスリーポイントシュートを決めた。

「ああいう意外性を期待してるの?」
「ううん。意外性でも何でも無く、期待してるよ。弱いチームに埋もれてるけど素材はいいんだ。ただ、圧倒的に経験不足なだけで。経験って、試合経験とか大舞台とかっていう意味だけじゃなくて、練習も不足してる。量の問題じゃなくて質的に」
「期待の矢口コーチが付いてるんじゃないの?」
「周りに人がいなさすぎるんだよ、たぶん。近いレベルで練習できる相手が。ここなら嫌でもそれがたくさんいる。まずはそれだけで何か進化してくれたらなって思うよ」

チーム3 vs チーム4 前半は20-9でチーム3がリードする。
後半は、チーム3は平家が抜けてあやかが入り、チーム4は松浦が抜けて矢口が入った。
大勢はかわらず、チーム3が優勢のまま進み、43-22でチーム3が勝った。

チーム1 vs チーム3 チーム2 vs チーム4と続く。
それぞれ、チーム3,チーム2が勝ち、二連勝。
チーム1と4は二連敗となる。

最後に、チーム1とチーム4

「負けた方しばらく洗濯係だぞー」

信田コーチが檄を飛ばす。
本来は、洗濯係どころか、選抜チームとして年齢別の日本代表に入れるかどうかというものが掛かっている合宿の初日である。
コーチ側にそういう雰囲気はない。

選手の方も、そういうものを争っている、という空気は無かった。
ただ、二戦二敗の両チーム。
自分の力はこのレベルでは通じていない、という無力感を少々感じているものもいる。
何とか最後に一矢、と真剣な部分もある。

チーム1はみうながはずれ、チーム4は麻美がはずれて8分ハーフのミニゲームが始まった。

先手を取ったのはチーム4
松浦がスリーポイントをガツンと決める。
その後も、松浦、後藤を中心に加点して行った。
矢口-後藤のラインが、ミニゲーム三本目になって感覚を取り戻したのか機能し始めている。
この、松浦、後藤というところに中学生二人を当てているチーム1は厳しい。
田中は元々得点力がない。
村田はスザンヌと五分。
唯一の得点源は吉澤になっている。
道重相手のインサイド勝負は吉澤の方が強いようだ。

「田中は適応力があんまりないね」
「チーム1は元々所属チームばらばらなんだから仕方ないんじゃないの?」
「関係ないでしょ。他のガードだって、同じチームでやってるのは大体一人しかいないんだし。あれじゃ、ただボール運んでるだけで、セットオフェンスのとき何の役にも立ってない」
「高一だから遠慮があるんじゃないの?」
「それこそコートの上じゃ関係ないし、それに、中学生二人にも指示出せてないんだから、上下関係の問題でもないね。司令塔としての機能はまるでなってないよ」
「短期間の選抜チームには向いてないタイプなのかな」
「かもしれない。まあ、和田先生のとこにいて一年でスタメン張ってるんだから、長い目で見れば育ってくるとは思うけど、まだいろいろと足りてないよね」

チーム1はボールを回して相手を崩す、というシーンが無く、インサイド勝負一辺倒になっていた。
ただ、吉澤が道重に勝っている。
それを見てスザンヌがフォローに来て一対二になる場面もあるが、村田にパスを捌くなど、中のつなぎが出来ていて、何とか追いかけている。

前半終了11-8 チーム4リード

チーム1は村田が下がりみうなイン。
チーム4はスザンヌアウト、麻美イン。

後半はチーム4がリードを広げた。
後藤の欲しいタイミングでパスが入る。
マッチアップは吉澤。
割と互角に抑えているのだが、そのあと、後藤がしっかり捌く先がある。
松浦であり麻美であり。
聖督でやっているときよりも選択肢が幅広い。
外で待つ二人が受ければスリーポイントがあるので、光井、久住はそれぞれフォローしないといけない。
かといって、ただ外で黙って待つだけではなく、動きを見せて走りこみながらフリーになって受けることもある。
ミニゲーム三本目の後半、その辺の周りとの呼吸がつかめてきている。
最初は全部一対一だった松浦も、いつもとは違うんだ、ということを理解し始めていた。
相手は誰をとっても選抜レベル。
一人抜いても、選抜レベルがカバーに入るのだ。
一人で全部出来たもんじゃない。
生存競争に残って代表のユニホームを取ってやる、という欲望が松浦にはある。
チームのためには我慢できなくても、自分のためなら我慢も出来る。
自分内エゴ1と自分内エゴ2の戦いで、エゴ2の代表に残りたい、という方が勝ち、エゴ1の一対一へのこだわりは少し横へ置いておくことが出来た。

対するチーム1はここに至ってもばらばらなままだった。
田中は仕切れない、光井はやや空気になっていて、久住は松浦型の貪欲さはなく好きにやろうとする。
吉澤も何とか村田までは理解できたがみうなは理解不能なままだった。
というよりも、みうなの側が吉澤と合わせようという意識が欠如している。
つながり、というものがない。
点差も開き始め、またか、という風に中学生あたりからあきらめの感覚が広がり始めている。

「松浦、後藤は、安倍も含めて、適応力はあるね」
「なつみがあんなことになっちゃったけど、妹も悪くないね」
「タイプは大分違うけど。この今の感じでもう一度チーム3とやらせたら面白かったかもね」
「矢口って子も意外に悪くないね」
「んー、どうだろう。後藤とはずっとやってたんだからそことぴったり合うのは当たり前なんであって。藤本や福田とマッチアップしてた時にポロポロやってたあの感じだと、個の力としてはちょっとね。まあ、感覚取り戻した上で、さらに上積みがあれば話しは別だけど」

残り三分。
チーム1のオフェンス。
光井がボールを久住に送ろうとする。
そのなんでもない何の意図もないボールを松浦に狙われた。
スティールしてそのままワンマン速攻。
光井も久住も追うことなく、そのまま簡単なレイアップシュートを松浦に決められた。

「何やってんだよ! 追いかけろよ!」

エンドに出たボールを拾いにいこうとゆっくり向かっている光井や久住の背中に、吉澤が怒鳴った。

「ミスは仕方ないけど、追いかけろよ! 何やってんだよ!」

その光景を見ていた信田は持っていたノートで開いている椅子をばんばん叩き大きな音を立てた。
メンバーたちの注目を集めてから立ち上がり、手を二回叩いて信田は言った。

「タイムアウト。タイムアウト。特別ルールでここでタイムアウト。二分。それぞれミーティングしろ。コートの上でもいい」

スコアは25-12でチーム4のリード

十三点というのは大きな差ではあるけれど、実際のゲームで残り三分で遭遇する点差としては、まだ諦めきってしまうほどの差ではない。
チーム1は、ごく自然と吉澤の周りにメンバーが集まった。
この場面では下がっていた村田も参加している。

「なんか急に機嫌よさそうだね。特別ルールとか言って」
「いやあ、意外だったから」

両チームのミーティングの会話は遠く離れている信田、小湊には届いていない。
逆に、二人の会話もメンバーたちには聞こえない。

「もっとおとなしいスマートなタイプだと思ってたんだよね」
「吉澤?」
「そう」

信田にとって、吉澤の行動、発言はイメージと違うものに映っている。

「高校のチームの中じゃ、福田先生に飼いならされたタイプかなあ、って思ってたんだけど、そうでもないんだなって」
「言っちゃ悪いけど、力量的にこの中入ると別に高いわけでもないし、あの六人だと初対面だらけっていう中で、ああやってちゃんと怒るって、結構難しかったりするよね」
「意外に熱いハートタイプだったりするのかな、吉澤」

チーム1の輪は吉澤中心に作られている。
吉澤の説教を中学生が大人しく聞いている、という図に信田小湊の位置からは見える。

「相手が中学生だから怒れたってだけかもしれないし、その辺はまだまだ見ていかないと分からないんじゃないかな」
「そうね。まあ、でも、なんにせよ、いいことだ」
「あとは実力を身につけてくれれば言うことなし?」
「そういうこと」

レフリーがしっかり時間をはかる、ということはなく、なんとなく雰囲気でこれくらいかな、というところで両チームのミーティングが終わる。
チーム1のエンドからゲームは再開。
光井がボールを入れて田中が受ける。

「とにかく一本! 一本づつ返そう!」

声を出すのは田中ではなく、上がっている吉澤である。

前から張ってくるということはないので田中は簡単にボールを運ぶ。
残り時間や点差を考えて早くシュートまで、というような感じではない。
とにかく一本しっかり決めること。
練習ゲーム型のやり方である。

チーム1のバランスの悪さの一つに、久住が中に入りたがるというのがある。
みうな、吉澤がすでにいて狭くなっていてもかまわずに久住が中に入ってくる。
ボールを持ってカットインというようなことではなく、中にいて受けたがるのだ。
中学生レベルの中では背が高い方に属する久住。
そういうプレイはいつもよくやっているし、中学チームの中ではお姫様なので好きな場所でプレイできるが、こういう時はそうは行かない。
各地のお姫様や女王様がやってきても、平気で平民扱いされてしまうのが選抜チームなのだ。

久住が入ってくると仕方ないと言う感じで自分が捌けて外に出てバランスを取ったりしていた吉澤。
そういう気がなんとなくうせてきた。
チーム1は大人のチームではない。
いつもの松江のチームも大人のチームではないと思っていたが、あれがまるで老成した大人のチームに思えるくらい、今の状況はお子ちゃまチームそのものだ。
自分がひいてバランスをとれば松浦が決めてくれたり、福田がゲームコントロールしたり、開いたスペースであやかが勝負したり、という一年二年かけて少しづつ築き上げてきた阿吽の呼吸はここには存在しない。
松浦のワガママ勝手ぶりなんて、かわいいものだとも思えてしまう。

後藤を腕で止めながら、半身で構える。
近い位置にいた田中がボールを送ってきた。
受けながら外に開いてシュートの構え。
十分にシュートレンジなので後藤は反応した。
ドリブル。
中央側に左手でドリブル。
逆サイドから松浦、フリースローライン当たりの上からスザンヌが抑えに来る。
後藤も合わせて前方三人。
強引にシュート、という姿勢でさらにひきつけておいてスザンヌと松浦の間をパスで通した。
ボールにミートした久住、フリー。
近い位置で零度からのシュートをしっかり決めた。

「それ、それ! あわせ! いいよ!」

吉澤が左手を差し出し、久住がそれをぱちんと弾く。
こちらばかり引くと図に乗って好きにやるけれど、状況を見て周りと合わせる、ということもやれば出来るらしい。

「久住って、もっと外で勝負できる子だったよね? 中学だと。中勝負の方が自分では得意なつもりなのかな?」
「相手との兼ね合いで外勝負は難しいって思ったとか」
「中学じゃ背が高い方でもこのメンバーに入ると普通だし、まして国際試合で通用する高さじゃないわよね。先々はともかく、今は試合で使うこと考えたら、外で勝負してもらわないと困るんだけど」
「あの子、身長は止まってないのかな?」
「その辺は聞いてみるか」

チーム1が一気に追いかけるという展開はならない。
次のディフェンス、久住が簡単に松浦に抜き去られてまたリードを広げられた。
オフェンスはまだしも、ディフェンスがさっぱりである。

「中学生二人は守りの意識が低すぎる」
「まだまだ子供だね」

チーム1は吉澤が奮闘し、インサイドでファウルをもらうなどして追いかけたが、大勢に影響はなかった。
29-16でチーム4の勝ち。
チーム1は三連敗で洗濯係の刑となった。

最終ゲームはチーム2vsチーム3
今晩のデザート追加を賭けた戦いである。

チーム2は高橋抜き、チーム3は木下抜きの構成で始まった。

「いきなりバチバチだね」
「互いにやる気十分って感じ」

チームとチームとして、もそうだが、二人の目線は一組のマッチアップに注がれている。
是永美記vs石川梨華。
今年の夏、インターハイでは実現しなかった対戦である。

「信田コーチとしてはどっちの評価が上なの?」
「まだ何も評価してないよ」
「またまた。あるんでしょ、今の段階での評価」
「二人ともチームでは四番の役割だから。ここでやってもらうのは基本的には三番。二人を両立させるなら片方は二番になる。いつもと違う役割をやってもらおうと思ってるんだから評価はこれからだよ」
「でも、四番って言ったって、実際は外目で好き勝手が多いんだから判断は出来てるんじゃないの?」
「判断はここでするって決めてたから。しかし、あの二人を両方そろえてどっちが上か決めて使うなんて、代表監督っていうのは贅沢な立場だね」

自己紹介ゲームが始まる前に信田は言っていた。
どうせ連携がどうのとか無理なんだから、一対一多用でいいです。
その一対一多用が、露骨に是永、石川のところで出ている。

優勢なのは是永の方だった。
ただ、これは、是永と石川の力関係を反映したもの、とは少し言い難い。
違うところの力関係が反映している。
石川へ対するパスの供給源がないのだ。

「お気に入りの福田さんが苦しんでますよ」
「二年もぬるま湯浸かってたから。そろそろああいう刺激が必要なんだよ」
「ぬるま湯ねえ・・・。ああいうチームでベスト8まで上がってくるのって大変なことだと私は思うんだけど」
「チームとしてはね。でも、福田個人としては競争環境のないああいうチームはある種のぬるま湯になってるんだと思う。プレイヤーとして以外の部分、戦略眼とかそういうのは身に付いていってるかもしれないし、周りのプレイヤーをどう生かすのかっていうのは、自分で考える分伸びてるんだろうと思うよ。でも、私から見たら、頭でっかちに磨きが掛かっただけにも見える。個人としての力量、技術的な部分がまるで代わってないんだよね、中学生のころと。多分、練習含めても藤本クラスのガードとマッチアップするのが二年ぶりとかそういうのになるんじゃないかな。まあ、藤本にしたって福田クラスを相手に出来る場面っていうのはそれほど多くはないんだろうけど、それでも、まだ、福田よりは、自分に近いレベルとマッチアップする試合経験も多いし、練習環境は違うしね。滝川のスタメンと松江のスタメンが試合したらまともな試合になるけど、滝川の六番手以下と松江の六番手以下が試合したら、全然試合にならないでしょ。その辺が結構効いてると思う。あと、指導者ね。福田は周りを鍛えてきたかもしれないけれど、自分自身の技量を鍛えることはほとんど出来てないんだよ、この一年半」
「中学の時と変わらないって、逆に言うと、久住、光井を見たあとで、福田は中学の時からこうでしたってことだから、すごいけどね」
「まあね。だからこそ、もったいない」

福田が藤本に手を焼いていて石川にいいパスを供給できない。
亀井も柴田に押さえ込まれている。
あやかは里田にうまく抑えられ、平家も飯田相手に勝ちきれない。
石川にパスを供給できる選手がいない。
石川が是永と勝負するには、大きく外に出てボールを受けて、まともな形で一対一をするしかない状況だ。

対する是永は動きの中でボールを受けることが出来る。
藤本はもちろんのこと、柴田もここ、というタイミングでしっかりパスを渡せる。
里田、飯田も、インサイドで自分が勝負もするし、そうではない選択肢、是永に限らないが、外へ捌くということも出来る。
全体が全体としてチーム2の方が上回っているという状態である。

前半は18-8でチーム2のリード。

後半はチーム2が藤本アウトで高橋イン、チーム3は亀井アウトの木下イン
是永石川のマッチアップはずれて、石川は柴田とマッチアップする形になった。

「あの子、体力的にもあれなのかな」
「あの子?」
「福田」
「インターハイの時も終盤きつそうだったし、確かにそうだね」

多少、遊び感が入るミニゲームとは言え三試合目である。
相手のレベルもかなり高い。
丸々一試合闘うのと同じだけの時間コートにいるわけで、体力面では確かにきつくなってきている。

「昔は、福田、高橋だと福田が二枚くらい上って感じだったけど、高橋もやるようになったなあ」
「和田先生のところでしっかり磨かれたんじゃない?」
「インターハイもそうだったけど、最近調子に乗ってるみたいだから、誰かがつんとやって欲しいんだけど」
「調子に乗ってるんなら、そのまま乗せたまま試合に出せばいいんじゃないの?」
「あの身長だと二番では使いにくいんだよね。相手によってはありではあるけど」
「中国とかにはまあ、無理か」
「逆に、スピード重視で外は小さいの集めてみるって手もあるけどね。ただ、本人はどうも一番をやりたいけどチーム事情が許さないって感じだから、ここでは藤本福田と争ってもらおうかなって思ってる。もしかしたら、高橋先輩が参戦することで田中に火が点いて何か目覚めたりするかもしれないし」

目の前には福田と五分以上にやりあっている姿がある。
また、インターハイなどで、対藤本の相性がなぜかいいのも信田は見て知っていた。
高橋vs藤本という一対一の勝負ではなくて、対外国で使う場合の能力としてどちらが上か、と考えると話しは違うのだが、高橋にガツンと入れられる対象に藤本はなれていない。
痛い目見させるには別の何かが必要で、それが国際試合になるケースというのはよくあることだが、和田コーチの立場ならそれでオーケーでも、信田の立場ではそれは遅すぎるのだ。
出来れば、ここにいるメンバーの中で誰かにそれをやってもらいたい。

「センターは飯田の天下なのかなあ」
「平家は?」 
「あの子はもう、私の中じゃフォワードなんだよね。社会人になって自分の身長じゃセンターとして通じないっていうのがわかったみたいだし。試合に出る時はフォワードとして使われてるわけで、もう、センターに戻ることはないでしょ」
「他には、木下、スザンヌ、んーと、道重とか?」
「木下は荒い、スザンヌは弱い。道重は・・・、あれはなんだ? リバウンドはいいけど、あとはなあ。富岡の中でもあの子だけカラーが違って浮いてるし」
「あのスピードの無さで富岡でスタメンやってるのが不思議だよね」
「あとは、村田、吉澤、みうなもあるのか。みうなは見てる限りでは当たりに弱い。あやかもそうかな。吉澤は面白いけど力不足。村田に頑張って欲しいんだけど、これも飯田からは落ちる」
「飯田が社会人になって伸びたってのもあるけど、でも、飯田も含めてみんな線が細いよね」
「ガードだらけでセンターがいない。ディスイズ日本人って感じだよまったく。一応後藤や里田も候補になるのか。でも、五番じゃないんだよな明らかに。身長不足だけはどうにも指導の方法がないからなあ」

背が高い、の基準が国際大会になると代わってくる。
アジア人は体格があまりよくないというが、中国人は数がいるため大きな人間もごろごろいる。
日本は背が大きい女子はバレーに周りがちで、バスケにはあまりまわってこない。
バスケに回ってくる女子は、背はそれほど高くないけれど激しく動けて頑張れる子、というのが多い。

チーム2vsチーム3は、32-23でチーム2が勝利、優勝商品、夕食デザート一品追加権を得た。

 

直接体育館に集合した代表候補選手たち。
練習終了後、宿舎に移動してようやく一息つける。
ただ、学校のチームでの合宿とは違う。
学校の合宿なら、宿に戻った時点でくつろぎムードに入れるが、ここでは別の緊張感を与えられる。

宿舎は二人部屋。
今日初めて会いました、という相手と同室ということがあるのだ。
それも多人数ではなく、二人部屋である。
部屋割りは信田が作成して全員に渡した。
そんなものは代表コーチがするような仕事ではないが、わざわざ信田が自分でした。

「うげー」

手書きの部屋割り表のコピーを渡されて、不快な声を上げたのは藤本だった。
矢口真里と同室である。
離れた場所にいた矢口も苦笑い。
声を上げたのが藤本なのはわかったし、自分だって出来れば避けたかった。
矢口は天然ちゃんではない。
トラッシュトークは、頭を使って相手が嫌がりそうな言葉をわざわざ狙って選んで使っている。
自分が嫌われる、ということは自分でしっかりと認識しているのだ。
二度と会わない、という前提だからやってきたことであって、まさかこんな未来が待ってるなんて思っていなかった。
世界は矢口が思っていたよりも大分狭いらしい。

部屋割りの悲喜こもごも。
わいわいがやがや、同じチームからやってきた仲間たちと部屋割り表を見せ合いながら、相手の名前を指差して各々話している。
同じチームからきたものは同じ部屋にはしない。
これが最低限の基本方針らしい。
自分と同室に割り当てられた名前を見ても、人柄がイメージできず首をひねるものもいる。
柴田もそんな一人だ。
村田さん。
名前は知っているが、はて、どんな人だろうか?

福田と組まされた後藤も同じ感想だ。
いや、もっとひどい。
誰だっけ? と周りを見渡して、結局誰だか分からない、状態である。
福田の側は後藤のことはしっかり知っていた。
新垣のようなオタクスタイルとは違うが、この世界の情報通ではあるので、後藤真希レベルの存在はきちんと知っている。

話をしたことはないけれど存在はよく知っている、という相手と組まされるものもいた。
憧れということはまったくないけれど、チームの中での位置づけがうらやましいと感じていた是永と、松浦は同じ部屋を割り当てられた。
どうやったら、あの女王様ポジションを確保できるのか少し聞いてみたいと思う。

明確に、やりづらいなあ・・・、と思うものもいた。
例えばあやか。
同室は道重。
滝川カップなどで素の姿に接したこともあるので、どんな人間なのかはなんとなく分かっている。
会話が成り立てばいいけれど、とちょっと心配だ。

普段のキャラは知らないが、コート上のキャラから、やりづらそうだと思ったのは里田。
同室木下はちょっと御勘弁願いたかった。
スザンヌと合わされた麻美も似たような感想である。

亀井と同室になった田中。
お友達ゲットのチャンス、と違う方面で頑張ろうとちょっと思っている。
一対一ならはぶられることはない、はず。

まわりから、この二人は同じ部屋でどんな会話するんだろう、と興味をもたれた組み合わせもある。
光井とみうな、飯田と高橋、久住と石川。

そして、吉澤は平家と同室になった。
昨年の富岡のキャプテン。
石川や柴田の先輩に当たる人。
そう考えると吉澤にとっては雲の上の人のような存在だ。

「夕食後、一人五分十分くらいの個人面談するから。今日は六人。田中、吉澤、是永、斉藤、後藤、矢口。呼ばれた順に七時から。終わったら次々呼ぶから。基本、面談ある時は洗濯係免除ね」

面談? え? 私なんかした? なんて顔をしてると、なんかやったでしょ、と吉澤にあやかが突っ込んでいる。
それを見て信田は一言付け加えた。

「なんかやったからだけじゃなくて、順番に全員やるから。まあ、個別の課題を話したりとか、どんなこと考えてるかとか、そういうはなしね。別にお説教じゃないよ。中にはいるかもしれないけどそういうのも」

中には、とあやかに指差されたので、吉澤が、中にはと矢口を指差した。
矢口の隣には後藤もいたが、矢口はそちらには振らなかった。

荷物を持って鍵を受け取って、それぞれ部屋へ引き上げて行く。
国立トレーニングセンターに付随の宿泊施設。
練習場所からの移動の負担もなければ、時間の制限もない。
合宿チームの都合に合わせてすべてを動かすことが出来る。
部屋の鍵は一人一つづつ渡された。
自分で鍵を持っているので身動きは自由である。

「ベッドどっち使います?」
「どっちでもいいよ。吉澤はどっちがいい?」
「自分もどっちでもいいっす」
「じゃあ、私奥使わせてもらおうかな」
「自分手前で」

二人部屋でベッドが二つあり、テレビが置いてあってテーブルも別途ある。
そのほかにはユニットバス。
一泊一万円程度の宿の二人部屋に雰囲気としては近い。

「いやー、なんかいいわ。その運動部敬語。久しぶりに」
「なんすかそれ」
「いや、社会人一年目じゃない私。そうするとさあ、周り全部先輩で。上は五つ六つどころか十以上年上の人とかいて。同期いないからほんとの一番下っ端でさあ。久しぶりなんだよね、こうやって先輩気分出来るの」
「自分も、なんか、後輩気分になれるの久しぶりですよ。柄にも無くチームでキャプテンになんかされちゃったから、考えること多くて。周りうまい人だらけでそれはたいへんっすけど、でも、久しぶりに一部員でやれるのがなんか気持ちいいです」
「そんなこといいながら、びしっと中学生叱ってたじゃない」
「あれは、なんか、ホントに頭来たから。あきらめるの速すぎるだろって。なんなんですかね。ゆとり教育? っていうよりも、あれなのかなあ。勝ちなれてると諦めが早いとかあるんですかね? うちなんかだとあれくらいの点差でリードされるのなんて普通にあるから、まだ全然あきらめるなんて感覚出てこないんですけど」
「ホントに勝ちなれてるチームってのはあきらめ悪いもんだよ」
「あー、そっか、平家さん、富岡のキャプテンだったんですもんね。それは失礼しました」

昨年の国体で対戦があるので、まったく未知ではないし、半径10cm未満で接触したこともあるが、二人が会話をしたのはこれが初めてのこと。
それでも無理なくスムーズに会話は成り立っている。

個人個人の問題か、組み合わせの問題か。
スムーズに行くところもあれば行かないところもある。

藤本、矢口あたりがうまくいかないところは意外でもないが、特に過去の因縁もなく、同い年でポジションも重なって、仲良くやりやすそうな要素が揃っているのに微妙な空気の部屋もある。

ユニットバスのトイレに座った田中は、一人もだえ悩んでいた。
おなかが痛いわけではない。
どーやってはなしかけたらいいんだろー・・・。

すぐそばに後藤-福田部屋がある。
エレベーターで上がってきて、部屋に入るまでは二人とも一緒に来ていて、亀井は後藤と話していた。
正確には、ほとんど亀井がしゃべっていて、後藤はふんふんと聞いているだけである。
田中は後ろをついて歩いていた。
隣に福田はいたが、これも会話する要素がない。
あまりいい思い出のある相手でもないし。
隣り合っていたけれど一つ奥まで行った部屋の鍵を亀井は開けた。
田中はついて入っただけだ。

奥がいいと言って奥のベッドを占拠し、荷物の整理を始めたかと思えばこちらには背中向けっぱなし。
なにかきっかけ、きっかけ、はなしかけるきっかけ、と必死に頭をめぐらす田中をよそに亀井はマイペースだ。
そんなこんなで、いたたまれなくなって、なぜかトイレに篭る。

何かきっかけ、テーマ、はなしのテーマ。
いつの間にか難しいことになっている。
バタン、と音が聞こえたので出てみると、どうやら亀井が部屋から出て行ってしまったようだった。
ふーっと大きなため息を吐いてベッドに寝転がる。

バスケもムズカシイケド、トモダチ作るのもムズカシイネ・・・・。

すぐ打ち解けたり、そうでもなかったり、それぞれありつつも、決められた時間には皆夕食に出てくる。
その後は全体ミーティングも無く自由時間。
ミーティングは、代表候補から、代表選手を絞り込んでから行うようにしよう、と信田は考えている。
夜は基本、皆それぞれ暇だ。

暇でないのは洗濯係と面談待ちの面々。
何話すんだろう、とこんなことになれていない吉澤は、少々びくびくしながら待っていたが、やがて田中が部屋に呼びに来た。

「どんな話したの?」
「あ、あの、プレイ面の課題とか、そういう」
「そっか。ありがと」
「んじゃ、行ってきます」

ベッドで寝転がったまま見送る平家に、吉澤は敬礼して見せた。

部屋に通された吉澤は、ああ、二人いるんだ、と思った。
よくよく思い返して見ると、自分はこうやって、きちんとコーチらしいコーチから指導を受ける、ということはなかったなあ、と思う。
転校前は生徒主体で運営されいたし、今の松江のチームだってそうだ。
先輩や後輩にある種指導されていたりはするけれど、先生との遠い縦の関係に従うということはなかった。

「まあ、座って。飲み物もないけど。全員に別々に一つづつ用意するのは面倒でさ。悪いね」
「いえ」
「代表候補に呼ばれてどう思った?」
「どうって言われても・・・」
「うれしいとか当然とか、そういう」
「うれしいとかの前に、何それ? って感じだったかな」
「なにそれって。なにそれ? 興味なかったってこと?」
「そういうんじゃなくて、ホントに何それって感じです。アンダーナインティーン。なんですかそれ? って。ホントに意味わかんなくて、福田に、あいつうちの二年なんで、福田に解説してもらっちゃいましたもん。それで、年代別の日本代表なんてものがあるの初めて知りました」
「そっか。そこからなんだ・・・。そうか、そうだよね。そもそも知らないのか・・・」

びっくりしましたとか、うれしかったとか、そういう感想を想定していた信田たちの想像を上回る答えを吉澤は返した。
トップレベルは、最初からこの代表の日程が自分の年間スケジュールの中に入ってくるのを想定しているが、吉澤にとってはこんなものは無関係の世界のはずだったのだ。
当然呼ばれるものと思っていた福田、福田と話していて知識はあって自分は呼ばれるべきと信じていた松浦と違って、吉澤は本当に何も、存在すらも知らなかった。

「一日やってみてどう?」
「イヤー、全然だめっすね」
「来なければ良かったと思ってる?」
「いえ、全然。楽しいですよ。いや、悔しいけど。でも、楽しいです。久しぶりですよこんな、余計なこと考えないでいろいろ出来たの」
「そう? 中学生叱ったりとか、周りもしっかり見てるじゃない」
「あれは、叱ったっていうかホントにただ頭に来ただけで。むかついたからそのまま怒鳴ったってだけですよ。叱ったってなんかきちんと理性的に指導してます、みたいな感じに聞こえるけど、そんなんじゃないっすよ」
「そうかなあ。ゲームの時も自分が自分がってアピールするのが多い中で、全体のバランス考えて動いてたようにみえたけど。まあ、そうね、あの怒鳴ったあとは吉澤も、自分でやったるって感じになってたか」
「いやあ、最後はもう、そうですね。いつもチームにいる時はそうでもないんですけど。今回はみんな初対面だったから。私が言えるレベルじゃないですけど、もう誰も信用できない、自分でどうにかしようって感じに最後はなっちゃいました」
「いいよ、それで。これからもしばらく」
「え? それでいいんですか?」
「うん。言葉悪いけど、このレベルのメンバーの中で、吉澤はまだ、全体考えて動けとかいうとこにいない。必死にやってようやく何とかついていけるっていうレベルだから」

自分が、失敗した、と思ったことをそれでいいといわれ、吉澤の顔ははっきり戸惑っている。

「石川や是永みたいなの、あるいはインサイドがちがちで飯田みたいなのを、いろんなこと考えながら一対一で自分がとめられるレベルにあると思う?」
「いやー、あんま認めたくないですけど、簡単じゃないかなあとは・・・」
「バランス考えるのは大事なことで悪いことじゃないけど、今はそれはいらない。吉澤はまず、自分の力量としてその辺のメンバーに喰らいつくことだけ考えればいいよ。吉澤にもあったでしょ、初めてバスケ始めて、全然何も出来なくて、速く先輩たちに追いつきたいって頑張ってた頃」
「まあ・・・、はい」
「その感覚で今は練習してればいい。五対五の中で、きちんとバランス考えて動けるのは今日見てて分かったから。それは、試合に出られる立場になってからもう一回発揮してくれればいいよ。今の吉澤は、まず、メンバーに残ること。その為に自分の力量を上げる。これだけ考えればいいから」

コーチ様からの指示は、ようは目立たない一部員の立場に戻って、もう一度這い上がることを目指せというもの。
全体に対する責任は負わなくていいから、ほぼ、自分のことだけ考えろということだ。

「ポジション的には、もしかしたら本当は外目のがいいんじゃないかと思うんだけど、ちょっとこれはチーム事情でインサイドやってもらいたいと思う。三番争うにはハードル高いからね」
「石川さんとか三番やるんですか?」
「そういうこと。外人でかいから。そうするとインサイドが薄いんだ。その薄くなったメンバーの中だと吉澤もチャンスあるよ」
「飯田さんにぶつかっていけばいいってことっすか?」
「そうそうそう。村田、後藤、里田、あと木下とか、そういう面々と生き残りをかけて戦ってもらうことになるかな。まあ、後藤や里田は外に回しちゃうかもしれないけど」
「外人かあ。アメリカ人とかでかそうっすね」
「アメリカ人はいないよとりあえず。まずはアジアだから。それともあれか。出場権は当然取るし、来年自分も当然出るとそういうことか」

今回の選抜チームは、来年のU-20の世界選手権のアジア予選のために呼ばれた。
今回戦う相手はアジアのチームである。

「へ? あ、そうか。いやいやいや。来年のことなんかわかんないっすよ。バスケやってるかどうかも」
「こらこらこら。そういや進路はどうなってるの? あのチームだと社会人とのパイプとかなさそうだけど」
「いやあ、実は何も考えてないんですよね。就職か進学か。進学にしても大学行くのも専門も、なんか、実感湧かなくて」
「専門て・・・。あのさ、吉澤。自分がどういう人間か分かってる? バスケ始めて二年半でアンダー19の代表候補に呼ばれてるんだよ。高校出たら社会人のチームに入るか、大学行くか、二択なの。社会人から呼ばれるにはチームのパイプもなかったり力的にももしかしたら認めてもらえてないかもしれないけど、もし、そうだとしたら大学でバスケをやる。それがこういうところに選抜される人間の義務よ義務。もちろん、アメリカ行ってWNBAを目指すとか思い切ったことやってもいいけど。それを、勉学に専念とか下手なアイドルの引退理由みたいなこと言わないでよ。資格を取って就職するために専門学校へとか。まあ、人の人生だし、あんまり無責任なこと言えないけど、すくなくともこの先も本格的な形でバスケはやってもらわないと。いくらなんでももったいない」
「はあ・・・」

吉澤は、本当にその点については何も考えていないだけだった。
考えていないわけではないが、まったくイメージが湧かないというところだろうか。
資格を取るために専門学校へ行きたいというわけでもないし、遊ぶために大学へ行こうかと言うことでもない。
まして勉学に専念なんてこともない。
ただ、イメージが浮かばないのだ。

「まあ、いいや、それは。ここで話すことでもないし。でも、進路はきちんと考えた方がいいよ」

言っていることはごもっともであるが、吉澤はなんとも返事は出来なかった。

「吉澤は、二年半でここに呼ばれるだけの力を身につけてきたんだから、ここで一週間なり三週間なり、そういう短い期間でもいろいろと学べることがあると思うんだ。年上、年下関係なく、周り全部から学ぼうっていう姿勢で、まず、一週間頑張って。そうすれば、メンバー残れるかもしれないし。いいよー、国際試合は。国内の試合とは経験値の積みあがり方が全然違う」
「何とか頑張ってみます」

話はその辺で終わった。
帰る途中、そういえばプレイ面の課題がどうのと富岡の子は言われたと言っていたけど、自分は具体的なことは何も言われなかったな、と思った。

 

「意味わかんないんですけど」
「なになになに、入ってくるなり」
「だってそうでしょ。いまや選手ですらないのにこんなとこに呼ばれても意味わかんないんですけど」

信田コーチに呼ばれて部屋に入るなり矢口は言いだした。

「意味って、U-19の代表候補として練習して、代表に選ばれたらアジア予選を戦って、三番以内に入れば来年の」
「そういうことじゃないです!」
「どういうことよ」
「もう、選手としてやってないんですって、矢口は。その上、力量だって別にたいしたことなかったんだし。ただの女子大生してるんですってば。それがなんでこんなとこに呼ばれたのか分からないって言ってるんです」
「そう言いながら来たじゃない、素直に。辞退も出来たのに」
「呼ばれたから来たんですよ。だから、説明してくださいよ。矢口の選出理由」
「理由ねえ・・・」

そういうのを説明するために面談をしようと思ったのだが、こんな剣幕でガキに詰め寄られると、素直に説明したくなくなってしまうのも大人の一つの心理だったりする。

「矢口だってバカじゃないんだから、自分が藤本とか福田とか、ああいう子達と比べて力の差があるのなんか分かってますよ。自分がやってたときでさえそうなのに、今になって呼ばれたって勝てるわけないじゃないですか普通に」
「そう? 福田はともかく、藤本とは試合で結構ちゃんと渡り合ってたでしょ? 去年の選抜だったかな」
「それ見たなら余計分かりそうなもんじゃないですか。前半は何とかなってたけど一試合終わってみたらぼこぼこにやられたっての」
「丸々一試合なんて期待してないよ。五分、いや、三分でいいんだよ。三分で流れ変える何かを出してくれれば。四十分なんて期待しない。悪いけど、全部押しのけてスタメン張れるほどの力は確かにないと思うから。今から伸びてくれれば可能性ゼロじゃないけど、そこまで期待したわけじゃない」
「そういうキャラでもないと思うんですけど・・・」
「そういうキャラって?」
「短い時間で流れを変えるような、そんなキャラでもないですよ、たぶん。スリーポイントとか、リバウンドとか、得意な一芸があるわけでもないし」
「あら、うわさと違って意外に謙虚なのね」

どうせ、ろくでもないうわさが流れてるんだろうな、と矢口は苦い顔をする。

「あなた入るだけで会場の空気は変わると思うよ。だって、バスケでその身長だもの。国際試合に出たらギネス載るんじゃない?」
「矢口は見世物ですか・・・」
「いや、それで入って行って二十センチ三十センチ自分より大きい相手をさくっと抜いてジャンプシュートなんて決めたら盛り上がるじゃない」
「まあ、そんな気がしないでもないですけど」

映像をイメージしたのか、矢口は悪くないな、という顔をしている。

「あと、ボール運びかな。プレスで当たられたとして、そこをパスで突破じゃなくてドリブルで突破することを考えた場合、その身長のドリブルを叩いて奪うって結構難しいのよ。相手の身長が大きいと特にね」
「でも、そんなにキープ力ないっすよ。そういうシチュエーションだと自分でぽろぽろやるし」
「だから、そこは鍛えろって話しよ。今日も、確かに自分で言ってるように藤本、福田にそう当たられてポロポロやってたのは見て分かってる。でも、そこ一点だけなら短い時間でも克服できるんじゃない? もちろん、四十分全部出て、試合組み立ててシュートも決めてディフェンスも出来るっていうのが望ましいけれど、それを期待して呼んだわけじゃないってこと。特定のワンポイント、ツーポイント。そこで力を発揮してもらう可能性に期待して呼んだ。そういうこと。分かる? 納得した?」
「・・・、なんかうまく言いくるめられたような気がしますけど」

また苦い顔をしているが、それでも矢口は矛を収めた。
信田は薄い笑みを見せている。
きゃんきゃん騒ぐ小動物がちょっとかわいらしく見えた。

「そしたら、あの、一つお願いがあるんですけど」
「なに?」
「部屋、変えてもらえないですか?」
「ダメ」

信田は即答した。

「そんな、即答しなくても」
「即答よ。考える余地ないもの。即答。ダメ」
「いや、ほら、人間関係っていろいろあるじゃないですか。相性とか。あの子とちょっと難しいんですよ」
「なに? 負けたこと根に持ってるの? そんなんじゃやっていけないよ」
「あー、どっちかっていうと、根に持ってるのは多分向こうっていうか、その。とにかくいろいろあるんですよ」
「そのいろいろを飲み込んでうまくやる。選抜チームなんてそんなものよ」
「そうかもしれないですけど・・・」

具体的な理由は言葉に出来ない矢口。
説得力を欠いている。

「まあ、頑張ってよ。いろいろと。期待してるから」
「あんまり期待されてる気がしないんですけど、その言い方」
「そんなことないよ。私は全員に期待してる。まあ、今日はゆっくり休んで、また明日から」
「ゆっくり休めないですよ、あの部屋・・・」

グチグチいいながらも矢口は席を立つ。
扉に手をかけた矢口に、信田が声を掛けた。

「中国語と韓国語の勉強しときなさいよ。そういうところも期待してるから」
「大学行ってるからって、別に語学得意なわけじゃないっすよ」

信田はいたずらっぽく笑っている。
矢口は扉をあけて部屋を出た。
部屋を出てから気がついた。
あれって、試合中に使えってことか???

今日の面談は矢口が最後である。
小湊が言った。

「部屋、代えてあげたら」
「だからダメだって。藤本-矢口部屋は一番最初に決まったんだから」
「そうなの?」

信田は適当に選んで部屋割りを決めたわけではない。

「元々さ、藤本ってメンタルに問題があったでしょ。それが、ここ最近は割と克服出来てきてるって。特に、今年に入ってキャプテンやるようになってからリーダーとしての責任感とともに、メンタル面でも強くなったって聞いてる。インターハイの決勝も最後までよく走ってて、そういう部分では確かにメンタルも強くなったかなって思うんだ。ただ、精神的な不快感に耐えられるかどうかっていうのはちょっとまた別なのよね。ここでの立場はチームでの立場とはまた違ってくるから、リーダーとしての責任感みたいなのは失われると思うし。そういう中で、メンタル的にどうなのかって。それを試すというか鍛えると言うか。そういうのに同じ部屋に矢口を入れてみたんだから」
「仲悪いの分かっててあえてやったの?」
「うん。根に持ってるのは向こうだって矢口が言ってたけど、多分そうでしょ。試合の時にあれこれ言ったんでしょ矢口がきっと。多分、他にもいるんじゃないかなあの子とそういう因縁のある子」

信田はU-19のコーチだ。
高校生年代の試合は当然よく見ている。
矢口はそれほど有名な選手ではないが、選抜の滝川戦で印象に残っていた。
スタンドからの観戦ではなく、映像をしっかり見ていると試合中に矢口と藤本が会話を交わしているのは分かる。
その度に、不快そうな顔をしているのはいつも藤本の方だった。

「そういう子入れて、チームの雰囲気悪くならない?」
「最初の一週間くらいはいいんじゃない? それでも。大会期間中までそうだと困るけど」
「結局、一週間で帰ってもらう前提なんじゃない」
「もちろん、力量的に残すべきだって思ったら残すよ。それは二十四人誰をとっても同じ。今の序列が何番目でも、最終的に誰を選ぶかを決める時に、チームに残すべきだって思えば残す。ダメだと思ったら帰ってもらう。ただ、実際には、悪いけど、ある種かませ犬みたいな位置づけで呼んだっていうのはある」
「ひどいなあ」
「かませ犬は言葉悪すぎるとすれば試金石っていうあたりがいいかな。でも、チャンスは与えてあるって。さっき言った期待してる内容は本人に即してて。ホントにそこが役に立つようなら連れて行くし。考え方とか、多様性っていう面でこういうのもいるんだって、藤本は知ってるだろうけど、他に当然知らない面々もいるだろうから、そういうのを感じ取らせたいとも思うし。意味があって呼んでるんだよ、あの子だけじゃなく、全員」

小湊は納得したようなしてないような、あいまいな顔を見せる。
完全に納得してるわけではなさそうだな、と信田は思ったけれど、その点についてはここで話しを打ち切った。

「さて、一日終わってのみわりんの感想は?」
「感想?」
「アップの光景とミニゲーム連続と六人の面談と。その辺見ていろいろと評価もあったでしょ」
「是永、どうするのかな」
「ああ・・・」

是永は今日の面談三人目で長々と話して行った。
プレイ面の課題をこちらから具体的に提示してどうこうする、という段階ではないと信田は思っている。
主に、夏のアメリカでの話を聞いた。
結局、ハイスクールでの練習に混ざるのと代理人候補にあって身分照会をするくらいでそのときは帰ってきた。
それでも得るものはあったという。

向こうはとにかく一対一の世界だったと言っていた。
信田も小湊も、肌感覚としてアメリカのバスケを知っているわけではない。
信田は一度代表として試合をして子ども扱いされた経験はあるが、アメリカに行ってその中に混じってゲームをしたことはないので、是永の言葉は指導するべき立場の側にいながらも新鮮に聞いていた。

「本人が決めることだからねえ」
「あら、吉澤の時とはずいぶん違うんだ」
「あれはないでしょだって。まだあっちは芯が出来上がってないからああいうこと言うんだろうと思うけど。是永はその辺の芯は強固に出来上がってるはずだから。迷いがある風なことを言ってたけど最後はきちんと決めるでしょ」

いざアメリカに行ってみると、それなりにいろいろと迷いも出てくるものらしい。
結構通用したと自分では言っていた。
ただ、性格として言葉を選んでいたが、日本の中でなら出来たような無双状態にはさすがになれなかったらしい。
一つのハイスクールでそれなんだから上行ったらどうなるんでしょうね、と笑顔交じりに言っていた。
信田にすれば、迷ってるんじゃなくて楽しんでるじゃないか、と思ったが、それはいわなかった。
いざ決断を迫られたとき、どういう決断をするかは信田には見えている。

「あと、面談やるなら中学生二人は早めに呼んだ方がいいと思う」
「ああ、そうだね。確かに」
「一番変われるとしたらあの二人なんだし」
「なんか、吉澤と後藤ばっかり早く何とかしようと思って、中学生忘れてた」
「忘れないでよ」

面談は六人一ターンで毎晩ではなくて、二日目からは午前練と午後練の間の昼にもやろうと思っている。

「プレイ面ではどう?」
「今日は、ほとんど一対一の強弱しかわかんなかったけど、松浦は良かったね。無名組みの中では」
「無名組みって。二十四人横一線で見てよ」
「そうは言っても、やる前からある程度できるのが分かってるメンバーっているでしょ。是永しかり石川しかり。平家や飯田や藤本みたいにこれまでの実績十分っていう有名人たちと、中学まで無名で高校入って今年初めてインターハイベスト8まで来ましたっていうところの二年生じゃこれまでのこっちの知識が違うんだから」
「それは認めよう」
「周りとのあわせがしっかり出来るかとか、ディフェンスはどうなんだとか、わかんない点はまだたくさんあるけど、今日見た限りじゃ面白いなって思った」

小湊は松浦についての情報はあまり持っていなかった。
インターハイの富岡戦くらいのものだ。
前半自滅したのと、後半盛り返したのは高橋との身長差があってのこと、という程度の印象で、それほど買っているわけではなかった。

「無名組みで言うならあとは後藤かな」
「うん」
「やる気あるんだかないんだかって感じで。時々ありえないミスもするけどポテンシャルは高いんだなってのはわかったよ」
「あの子も経験不足だからなあ。ここで経験積めば一気に伸びそうな気はするんだよね」
「いい方はそんな感じ」
「悪い方は?」
「ああいう学校を選んでここまでの成績を上げてきたっていうのは私は悪い選択ではなかったとは思うんだけど、実際、今日見てみると、美帆の言うとおりなのかなあって思った」
「福田?」
「うん」

今日の福田は、田中や矢口といった自分よりはっきり落ちるというような相手には徹底的に強かったかが、藤本や高橋といったところには手を焼いていいところがなかった。

「周りとしっかり合ってればまた違ったのかもしれないけど、今日みたいにとにかく一人の個人としての力だけを純粋に見られちゃうシチュエーションだと、確かに伸びてなかったね」
「ああ見えてチームの輪を大事にするんだよねあの子。もちろん、日常生活でのなかよしこよしの輪ではなくて、コートの上でのことだけど。一対一を嫌うっていうか」
「合理的なようでいてその辺不合理になってるのかな」
「一対一は自分が自分がタイプのが伸びるからねえ。あんまり試合で自分が自分がをやられちゃ困るけど、それだけの力は備えていてもらわないといけないわけで」
「ただ、それでもレベルは相当高いと思う」
「いろいろな面でバランスとろうとして逆に偏っちゃった感じなんだよなあ」

評価は高いけれど今日は悪かった、という見方と、ポテンシャルは高いけれどそれを生かしきれていないという見方と二つできる。
いずれにしても、今日の福田は二人の期待している水準には届いていないというものだった。
ただ、期待している水準が、その辺の選手たちとは違う、という事情もある。

このあと二人は明日の練習メニューなどを打ち合わせてから解散した。

 

「暫定的だけど、このチームのキャプテンは飯田ってことにします。まずは代表メンバーが決まるまでそれで行きます」

翌朝の練習開始時。
信田がメンバーに告げた。
平家か飯田か、という二択が信田の中にあったが、飯田を選んだ。

どんなレベルでもランニングして、フットワークがありそのあと走る系のメニューに進むというパターンが多い。
ツーメンだのスリーメンだの、基礎的な練習も、リズムを作るためにこのレベルのメンバーが相手であってもやらせる。
そういった体を動かす的メニューの後に信田は一度メンバーを集めた。

「次はポジション別の一対一ね。それぞれチームでやってるポジション、希望のポジションあると思うけど、今日はこちらで分けたのにしたがってもらえます。これは暫定で、明日にはもう違ってるかもしれないし、メンバー選んだ後に変わることもあるかもしれない。その辺は柔軟に受け止めて」

どう考えてもガード以外の選択肢がない矢口のようなのもいるが、どっちも出来る、あるいは両方の狭間にいる、などで何をさせられるか分からないものもいる。

「ガード 矢口 藤本 高橋 福田 亀井 田中 光井」

信田は持っているメモを読み上げる。

「フォワード 平家 是永 石川 柴田 後藤 安倍 松浦 久住」

自分の名前が呼ばれて、後藤が意外そうな顔をした。
ここで呼ばれるとは思っていなかったようだ。

「センター 飯田 村田 里田 吉澤 木村 木下 スザンヌ 道重 斉藤」

センターが一番多い。
競争が激しいと取るか、どんぐりの背比べと取るか、受け取り方は選手それぞれ様々だ。

「相手は随時変わるように。同じ相手が何度も続かないようにな。その辺は適宜調整して。ガードはそこ、フォワードはあそこで、センターは向こうね」

コートは二面、どちらも占有している。
隣のコートではバレー部が練習、などということはない。
指示に従って、それぞれ散らばった。

所定の場所に向かう前に自分の持ち物を回収する。
端においてあるタオル。
松浦はそれを拾い上げる時につぶやいた。

「そっか、学年順か」

隣のタオルを取りに来た福田、つぶやきを聞いて、??? という顔をする。
松浦は、その顔を見て解説した。

「何順で呼んでるのかなって思って。学年順ならまあいっかな」

信田の呼んだ順番を気にしていた松浦。
平家、是永、石川と続いていたので、実力認定順? と一瞬思ったのだ。
自分が後ろから二番目は納得がいかない。
それで頭の中で何度か反芻していた。
実力順で、ガードが矢口一番手はない。
じゃあ、背の順? とも思ったのだが、それもなんか違う。
というところで学年順に行き当たった。

いろいろはしょっているが、松浦の言葉の意味は福田には通じた。
そんなこと気にしてたのか、とも思ったが、気にする方が正しいのかもしれないとも思う。

 

さて、一対一だ。
こういう時に、ぎらぎら出来るのが、松にあって自分にないところだなと福田は思った。
自分は、よし、やるぞ、みたいな雰囲気を表に出すことはしないし出来ない。

自分が人の足を引っ張る、というのは久しぶりの経験だった。
昨日のミニゲーム。
最初の二戦はいいとして、最後の一戦、明らかに自分は足を引っ張っていた。
藤本美貴。
こんなに強力な相手だっただろうか。

スタミナ面の問題は確かにあった。
それはそれで克服しないといけない問題だ。
最後の高橋愛はそういう問題で、だから許されるということではないけれど、想定の範囲内ではあった。
万全の状態で向かい合えばそうそう負けるものではないと思う。

体感として、藤本は違った。
負けている、と感じてしまったのだ。
傍から見れば、藤本を相手にしていたときと、高橋を相手にしていた場面と、大差はなかったかもしれない。
しかし、福田にとっては大違いだったのだ。

ガード陣の一対一。
やってきたものから適当に並ぶ。
福田は、誰かと意図的に当たるように、という並び方はしなかった。
他の誰かがそういう風な何か意図を持っているようにも見えない。
ただ、それは見えないだけど、それぞれに思うところがある人もいるんだろうな、とは思っている。

一対一の練習はあまり好きではなかった。
なぜなら、一人でシュートまで持っていかないといけないからだ。
また、相手も一人でシュートまで持って行く、という前提でディフェンスをすることになるから。
フォワードならまあいい。
だけど、自分たちガードは、そんな選択はなかなかしないもの。
練習として少々不自然だと思っている。

ただ、技量を磨く、という点では無意味ではない。
だから文句は言わずにやる。

最初は対矢口でオフェンス。
スピードで抜き去ってゴール下まで入り込んでシュートを決める。
続いて田中相手のディフェンス。
厳しいディフェンスに耐え切れなかった田中が遠い位置でそれも逃げるような形でのジャンプシュートを放って、リングにも当たらずに終わった。

力関係はなんとなく分かる。
藤本、高橋、自分の三人と、他の四人の間に少し差を感じる。
ただ、他の四人の中では、光井という中学生は個人技はあるんだなと感じた。
自分ディフェンスで、ミドルレンジからのジャンプシュートをきっちり決められてしまった。
でも、オフェンスは良くてもディフェンスがひどすぎるので自分なら使いたくない。
ディフェンスだけ見たら七人の中で一番落ちるし、辻をつれてきた方がましなくらいかもしれない。

全体にぎこちないな、と思った。
会話がない。
練習中に私語がないのはいいことなようではあるが、活気がなさすぎる。
ふと、フォワードの一対一グループに視線を向けると、ワンプレーワンプレーに変な盛り上がりがあるのが見えた。
一喜一憂見えやすい石川がいて、まわりに柴田に平家、富岡勢の会話が弾んでいる。
その三人を中心に、感情が表に出る松、名前忘れたけど物怖じしない中学生がいて、外からの声も飛んでいる。

対称的に自分たちの練習は淡々としたものだ。
盛り上げ役がいない。
インターハイのときに突然入り込んできてた時の感想からすると、矢口って人は性格的にはそれに当たるはずなのだけど、このメンバーだと遠慮があるようだ。
藤本は馴染みのないメンバーの中でリーダーシップを発揮する気はないらしい。
続く年長者は、自分か高橋だけど、明らかにキャラじゃない。
同じ富岡でも、石川平家柴田と違い、高橋田中では、場の空気が弾むような会話は起きないらしい。

見かねたのか信田がやってくる。
中央のパサーポジション、そこからオフェンス役がボールを受け取った時が一対一のスタート、というところに自分で入った。

「盛り上がりに欠けるなあ。せっかくいつもと違う相手と練習できるんだから、もっと楽しまなきゃ」

田中のジャンプシュートが外れたリバウンドを拾った光井がボールを信田に返す。

「お、矢口、選抜のリベンジチャンスじゃん。止めてみろ」

左サイドで矢口ディフェンスの藤本オフェンス。
信田の言葉に矢口だけで無く藤本も微妙な表情をする。

ここの一対一は藤本が簡単に切れ込んで、ゴール正面からボードを使ってジャンプシュートを決めた。

「矢口、簡単にやられすぎ」
「すいません」

軽くなじって次へ。
右サイドで田中ディフェンス亀井オフェンス。

外でボールを受けてドリブル突破を計るけれど抜ききれない。
バックターン一つ入れて距離遠めのジャンプシュート。
リング手前に当たって跳ね上がる。
二人で追いかけ、背の高い亀井の方がボールを確保する。

「もう一本! もう一本!」

信田が亀井のボールを戻させる。
もう一度。
意図的にか無意識にか、亀井はまったく同じ動きをしてボールを受け、まったく同じようにドリブル突破を試みた。
やはり抜ききれず同じような形でシュート。
今度はリング奥に当たって小さく跳ねる。
ボールに近い側にいたのは田中だが、横から入り込んで亀井がボールをさらった。
ワンドリブルでゴール反対側へ抜けてボードに当ててシュートを決めた。

「いいよ、いいよ。あきらめないその形。田中は打たれたらボールじゃなくてまずスクリーンアウト。スクリーンアウトはインサイドだけのものじゃないんだから。まずスクリーンアウト。ボール追うのはそれから」

亀井は照れたように笑っている。
ただ、それをハイタッチで迎える列、というのもないし、軽く頭を下げた田中を慰めるような声もない。
それぞれが次の順番を待っている。

福田も、全体の雰囲気がどう、とか言っている場合じゃないな、と自分のことに集中することにした。
まわりは、知っている顔ばかりではあるけれど、ほとんど話をしたことのないメンバーだ。
自分が何かを変えるのには力不足すぎる。
特に意図したわけではなかったけれど、高橋相手になることが結構多かった。
勝率は悪くなかったと思う。
スタミナ十分で対すれば大丈夫な相手だ。
ただ、藤本を相手にした時は、オフェンス自分でぴったりとブロックショットを喰らった。

ポジション別の一対一の練習はやがて終わり、三対三、五対五へと移行していった。
五対五は、スタメン候補が誰かが見えやすいメニューである。
選手の側は当然それを意識する。

「Aチーム 福田 久住 是永 斉藤 村田  Bチーム 光井 松浦 平家 後藤 吉澤」

一同、なんだそりゃ? という顔をした。
スタメン候補がどうとか、そんなメンバーには到底見えない。

「呼んだ順番に上から下ね。適宜変えるから。いつもとポジション違うって思ったのが結構いると思うけど、それで慣れて。ディフェンスはマンツー」

ハーフコートの五対五で、ディフェンスだけ指定付きである。
まだ、チームを固める気がないんだな、と福田は思った。
慣れないポジション、慣れないメンバーを組み合わせて、いろいろと見て見たいことがあるんだろう、と理解する。

ハーフコートの五対五。
Aチームがオフェンス、というのがこういう時の相場だ。
福田からしたら、四人が四人ともまったく同じチームでプレイしたことのないメンバーだ。
マッチアップの光井がディフェンスザルなところが大きな救いではある。

一本目。
相手との力関係もよく分からないし、とりあえず外で回してスタート。
適当に動いていると自分の前が空いたりもしたが、安易に勝負はせず、是永や里田がいい状態で受けられるところまで待つ。
最後はボールを受けた是永に松浦の意識も釣られて、空いた久住がゴール下へ駆け込み、是永からのパスを受けてシュートを決めた。

「変わらないなあ、福田は」

にこやかに信田が語りかける。
今の流れでなんで自分? と福田は思ったが、軽く頭を下げておく。
信田は中学時代の自分を知っている。
その頃の姿を前提にしての言葉だろう、とは思う。

二本目は右0度外に福田で中に里田。
バウンドパスを入れて、外に出して、またバウンドパスを入れて、外に出してを三本繰り返す。
光井は行ったり来たりしていたが、やがて遅れた。
0度でボールを持ってフリーの福田のところに平家がカバーに来る。
シュートの構えのままゆっくりそれを待って空いた是永に送った。
ミドルレンジで是永はジャンプシュートを決めた。

「福田は相変わらずだなあ」
「ありがとうございます」

ここで声を掛けられるのは理解できるし、近くにいたのでお礼を言ってみた。
そうしたら、予想外の言葉が帰ってきた。

「福田、私、褒めてないよ」

なんなんだ? と思いながら三本目。
今度はうまくいかなかった。
里田の一対一からのシュートが長くなりリング奥に当たって跳ねる。
リバウンドを吉澤が拾った。

「福田交代」
「え?」
「高橋、入って」

適宜交代とは言っていたけれど、三本で交代はないんじゃなかろうか?
福田としては予想外である。
人数多いし仕方ないのかな、なんて思っていたらそのまま信田に呼ばれた。
信田の手元には作戦板が置かれている。
五対五はそのまま続けられているが、信田はそこから目を話して小湊に任せるようだ。

「福田、二本目の時の動き覚えてる?」
「二本目ですか?」
「そう」
「目に入った範囲なら」
「ちょっと動きをこれで示してみて」

自分に見えてなかったところがあったということだろうか?
そんなことを思いつつマグネットで全体の動きを再現する。
二本目はそれほど複雑な動きは無かった。
自分と里田は動かずに三本ほどパスのやり取りをしていて、全体にも目を配っていたつもりだ。
だから、はっきりと動きを再現できる。

「よく覚えてるね」
「まあ」
「じゃあ、それが最善手だった? 他に選択肢はなかった?」

そう問われると、はいとは言い難い。
里田が勝負するという選択肢もあったと思うし・・・。
ただ、自分が聞かれているのはそういうことでは無く、自分の選択が最善だったかどうかということだろうとは思っている。
そして、これがイエスかノーかの問いかけではなくて、反語であって他に選択肢はあったでしょ、と言われているのだというのも感じた。
それを無視して、はい、なかったです、とこたえる気にはなれない。

「全体のことを言ってるんじゃないんだ。福田自身の選択ね。例えばここの場面とか。あと、三本目もそうだし一本目にもあった」

何を言っているんだ?
話が広がってきた。

「ちょっと考えてみてよ。そのうち聞くから、また」

強い言葉を投げつけられたわけではないが福田は理解した。
自分は叱られているのだ。
具体的な理由は分からないけれど。
懲罰、とまではいかないようだけど、叱るために五対五から外されたのだ。
自分から離れて五対五の方へ向かって行く信田の背中を見つつ、福田は少し不快感を感じた。

五対五は、実際、適宜メンバーを代えて行った。
ただ代えられるものと、下がった後信田に呼ばれて少し話をするものとそれぞれいる。
作戦板使ってまであれこれさせられたのは福田くらいだけど、それぞれ身振り手振り交えて、あの場面でどうだったこうだったというやり取りはあるようだ。
吉澤も言われるし光井も言われたし、是永も言われているのだから、プレイヤーのレベルはきっと関係ないのだろうと思う。
それでも、福田は自分が不満を感じているのだというのが分かった。
プレイ面でコーチ陣から何か言われるのは、それだけで不満を感じるようなことではないのだけど、なぜだか納得行かない。
言われたことが抽象的で、答えを提示されていないからだろうか。
わからない。

やがて五対五が終わり、そのまま午前の練習が終了した。
ダウン、ストレッチは適宜やりなさいということだ。

「昼の休みにも面談やるから。また六人ね。久住、道重、柴田、平家、村田、木下。呼んだ順に順番。後のメンバーは、まあ、呼ばれたメンバーもそうだけど、しっかり休むこと」

練習は午前と午後の二部構成だ。
学校の合宿のような、ひたすら走れ、我慢だ我慢、というようなメニューはない。
宿が大部屋じゃないというのも一つの違いだろう。
食事もどこそこ旅館の名物メニューとかそういう方向性ではなくて、栄養士が考えたスポーツ選手向けのもの、という風になっている。
年代別ではあるが、その辺は国の代表選手、あるいはその候補選手、に対しての扱いである。
サッカーほど莫大な予算があるわけではないが、それなりにはメジャーな側に入る競技であるバスケは、それなりには予算があった。
男子の方は、競技レベルが低く、アジアでもベスト8に残れるかどうかというところで、国内もトップのリーグが二つに割れていたりと問題山済みであるが、女子の方は割と平和にやっていて、アジアの中ではトップレベルを保っている。
その辺の事情を知ってか知らずか、部屋でのんびり昼寝なんかをして休憩時間を過ごす。

午後も午前と似たようなメニューが組まれた。
ポジション別の一対一。
その後は多少アレンジして、ガード陣はエンドから三対四でボール運びであり、センターはリバウンド練習であり、とポジション別に多く時間を使う。
最後の五対五は二組に分けた。
合計二十人がコートにいる計算で、午前と比べて個々人の練習時間が長くなる。
まだ、どこを見てもスタメン組みなどの区別は感じられなかった。

 

二日目夜。
福田はここで面談に呼ばれた。

「答えは出た?」

信田に問いかけられる。
午後の練習では一言も掛けられなかった。
それは多分、たまたまではなくて、意図的にそうだったのだろうと福田は思っている。
答えは、なんて口に出せば正解と言われるかはなんとなく分かったのだが、それは福田にとっての正解ではなく、まだ、納得いっていなかった。
福田が答えないでいると信田は続けた。

「私、変わらないねって言ったよね」
「褒めてないよとも言いました」
「そう。よく覚えているじゃない。答えも出てるんじゃないの?」

福田は口をつぐむ。

「私ね、どのプレイヤーも局面に応じてすべてのプレイをこなすべきだと思ってるのよね。シチュエーションによってはガードだってリバウンドに入ることもある。それは分かるよね」
「はい」
「うん。まあ、福田は一対一の練習の時なんかでもきちんとスクリーンアウトするんだから、その辺は問題ないと思う。逆にセンターだってリバウンドだけ取れればそれでいいってことはない。局面局面でやるべきことがある。ガードもボール運んでパス出せればいいってものじゃない」
「シュート打てって言いたいんですか?」
「分かってるじゃない」

黙っていられなくて針のついたエサに、針が見えているのに喰いついた。

「作戦板使って聞いたあの場面は、インサイドの里田とパスのやり取りが何本もあったところだった。ディフェンスが光井だから右往左往して、福田はボールを受けてフリーな時間が結構あったわけだ。それでも勝負はせずに是永がフリーになるのを待ってパスを出した」
「フリーの是永さんがゴールに向かって走ったあの場面が一番得点の可能性は高かったと思います」
「最終的にはね。平家が福田の方に寄ったあの時点で是永が空いた。そこでパスを出したのは正解ではある。でも、なんでそこまで待つの? フリーでボール持って時間もあった。あの間合い、あの位置。打てるでしょ」
「他に選択肢はいろいろとありました。まだ時間は十分あった。その時間を使って十分に崩しきって最良の形でシュートに持っていけました」
「そうね。でも、打つ選択肢はあったでしょ?」
「ガードが自分で勝負してシュートというのは最後の選択肢です」
「なぜ? なぜ最後なの? 最初じゃいけないの?」
「全体に目を配ってゲームを作るのがガードの役割です。それが自分でシュートを打ち始めたらゲームが壊れます」
「本当に? 本当に壊れる?」

はい、と答える空気ではなかった。
相手が吉澤ならはいと言ったかもしれない。
でも、信田になると、いかに福田といえどもここではいとは言えなかった。

「ボール持ったら全部一対一で自分で全部決めろ、なんてことは私は言わないよ。ただ、打てるときには打つべきだってはなしで。それはガードもセンターも関係なくね。局面によってはガードだってリバウンドを取ることになるのと同じように、局面によってはシュートを打つのは何の不思議もないでしょ。外からのシュートは届きませんっていうなら話は別だけど。困ったら打てるんだったら、困る前から打てばいいのよ」

福田にはしっかりとシュート力はある。
インターハイなどを見ていて信田はそう捕らえていた。
ただ、打つ本数は少ない。

「全部自分でコントロールして、自分が一人だけ図抜けてるというようなチームだったら、ガードの立場で福田がシュートも打ち始めたら周りもしらけるしゲーム壊れるっていうかチーム壊れると思うよ。でも、はっきり言うけど福田は図抜けた存在じゃない。この中で五人選んで五人のチームを作ったら、少なくとも福田と同等ってレベルの選手は入ってくるし、福田より上ってのもいるでしょ。そんななかで別にシュートの一本や二本打ったって何の問題もないよ」
「でも、ガードがシュートを打つのはそれほど確率の高い選択肢ではないです」
「じゃあ、それが問題。シュート力がないっていうのは問題。それは身につけてもらわないと困る」
「入らないわけじゃないですけど・・・」
「じゃあ、打つ」

議論にならなくなってきた。
いくらしっかり見えても福田は高校二年生。
吉澤程度が相手だったり、バスケにそれほど自信のない中澤が相手なら何でも言えても、世代別代表チームのコーチという立場の人間に、思っていることをすべてなんでもはっきり言えるほど強くはなかった。
信田に揺さぶられれば、福田だって揺れてしまう。
信田が続けた。

「私が福田に求めるのは二つ。まずはスタミナ。これは五分出ることが目標って選手なら別に問わないんだけど、福田はそうじゃないでしょ。四十分出たいでしょ?」
「はい」
「うん。福田はスタメンとして四十分を考える選手として考えるから。逆に、五分だけを考えるならもっと一芸タイプをメンバーとして入れたい。福田はそういうタイプじゃない。スタメンに入るか、あるいは少なくとも二番手として入るか。そうではなくてワンポイント要員なら他を当たるから。三番手になったら残れないと思っていいよ。福田は二番三番で使うってことはありえないんだから」

藤本と高橋。
二人ともに負けるようなら一週間で帰す、と言われているのだ。
藤本や高橋を他のポジションで使う可能性は信田の頭の中ではゼロではないが、福田を他のポジションで使う可能性はゼロだった。

「まあ、スタミナ云々は四十分までいかなくても三十分三十五分持てば、周りでつなげるしこのメンバーの中ではそれほどクリティカルな部分ではないんだけど。もう一つはシュートを打つこと。百パーセント決めろなんていわないよ。普通の試合でフィールドゴールの確率がどの程度かなんてことは私だって分かってる。ただ、福田は本数が少なすぎる。昨日今日の話じゃなくて、高校に入ってからの試合を見てるとって話ね。特に前半のシュートが少ないことが多い。最後の選択肢だから、どうにもならないと選択して、ある程度ゲームが進んでくると打つ場面が出て来るんだろうけど、私は、最初からそれを求めます。これはチームとしての方針ね。ボールを持ったら誰でもシュートが打てることが望ましい。私は出来れば飯田や村田にもスリーポイント打って欲しいって思ってるのよ。だから当然、福田にもそれは望む。点を取るのは三番四番っていうような分業体制は敷かない。それは古典的なバスケだと思ってるから」

福田は答えなかった。
信田も、この時点で、はい分かりました、と素直に答えが返ってくるとも思っていなかった。

「オーケー、終わり。福田から何かある?」
「信田さんから見て、私はこの三年で、本当に何も変わってないように見えるんですか?」

一つ下の世代の代表チームに福田が呼ばれたのは三年前のことだ。
そのときは怪我があり辞退したため、結局、藤本や石川といったその時呼ばれたメンバーとは顔をあわせていない。
信田は当時その世代のアシスタントで、回復後の福田の試合などにも顔を見せて面識もあった。

「スタミナはあの頃よりはあるんじゃないかな。まあ、インターハイなんかだと最後まで持たなかったみたいだけど、それでも中二の頃よりはまだスタミナ付いたんじゃない? 技量的にはあんまり代わってないと思う。端的に言えば、昔は高橋と福田を並べて比較する、という発想が持てないくらいのところにいたんだけど、今はそうじゃないよねってところかな」
「そうですか」

福田は表情は代えなかった。

福田は出て行って次のメンバーを呼びに行く。
二日目夜の面談一番手が終わっただけだ。

「なかなか厳しいね」
「あの子にはねあれくらい言ったほうがいいのよ。身近に言える人がいないんだから。その辺が滝川や富岡の連中とは違う。滝川や富岡の連中には私が厳しいこと言う必要なんかないけど、あの子に言えるのは多分私だけでしょ」
「吉澤にはもうちょっと優しくなかった?」
「吉澤には福田が叱ってるからたぶん。他にも、亀井とか後藤とか、叱ってくれそうなのがいないのは他にもいるけど、その辺はあんまり、叩いてもいいことなさそうだから。あの子だけかな、叩いた方が伸びそうな印象あるの」
「顔色は変わらなかったね」
「それがあの子のプライドでもあるだろうし」
「何も変わらないって言ったけど、そういう精神的なところは成長したんじゃない?」
「うーん、そうかな。そうね。そんな気はする。昨日、今日じゃわからないけど、たぶん、視野も広がってると思うよ。ああ、視野ってコート上での視野って意味ね」
「さて、明日からシュート打つようになるかな?」
「素直に明日からシュート打つようだと、それはそれで、どうかな。少し考えた上で消化してから変わって行くようでないと、単なるよくぶれる人になっちゃうから」
「私は、ガードがシュートを打つのは最後の手段っていう考え方、結構分かるんだけどなあ」

小湊は福田の考え方にそれほど否定的ではない。
自分コーチ、信田アシスタントだったら、特に何も言わなかったんじゃないかと思う。

「それが通用するのは国内だけだと思うのよね。特に、福田がっていうだけじゃなくて、石川とか是永とか、そういう本当に点を取るのがメインの仕事の人間が点を取れるためには、周りも打たないと」
「藤本も前はそういうイメージだったんだけど、ちょっと変わったよね」
「あれは何がきっかけなんだろう? あやっぺに散々言われたからなのか、試合の中で何かそういう方向へ移行する何かがあったのか」
「高橋の場合はポジション代わったからなんだろうけど、藤本はきっかけよく分からないね」
「まあ、理由は何でもいいんだけど」

そうこう話しているうちに、扉がノックされた。
次のメンバーが来たようである。

その頃、吉澤は洗濯場にいた。
全自動洗濯機に突っ込んでボタン押すだけなので、その場に居続けることはないのだが、また戻ってきて干す、というところが面倒なので居ついている。
ある程度の予算はあっても、ある程度でしかないので、洗濯みたいなところはセルフになっている。
洗濯場には吉澤の他に、村田、久住、田中といた。
みうなと光井は、今日は面談待ち免除である。
洗濯している、というよりは溜っているというのに雰囲気は近い。

「村田さんって、どこ出身なんですか?」

口を開いたのは吉澤。
田中とは、吉澤は試合をしたことがある。
滝川カップやインターハイ。
久住は初対面だが、自分からべらべらと何者かしゃべっているので、周りはそれなりに情報を持っていた。
村田だけ吉澤にとって情報量が少ない。

「高校は、宮城の聖和」
「去年ベスト4残ってましたよね」
「富ヶ岡に片付けられちゃったけどね」

とりあえずの話のきっかけ。
ここに来るような選手なら、どこかしらで必ず何かの実績がある。

「今、社会人? 大学ですか?」
「大学。関東までは出たけど、中途半端に東京までは行かずに東京女子じゃなくて関東女子」
「なんか、大人のおねーさんって感じっすね」

見たままの村田に対する吉澤の感想である。

「ガード陣、ポジション別の時くらーい雰囲気じゃなかった?」

今度は田中の方へ吉澤が話題を振った。
最年長の村田が、自分から積極的にしゃべって話題を振る、というタイプではないので、なんとなく吉澤が口を開いている。

「ああ、そうかもしれないですね」
「フォワード楽しいですよ」
「小春ちゃんフォワードにいたんだっけ?」
「はいー。小春、フォワードです」
「石川さんとか是永さんとか、すごい人多くて大変じゃない?」
「大丈夫です。小春もすごい人ですから」
「ああ、そう・・・」
「たまーに、ほんとにたまーに、石川さんとかにきれいに抜かれたりしますけど、たまにはいいかなって。ちゃんと、小春と練習できる人がいて楽しいです。それに、みんな明るいし。ガードはなんか田中っちとか暗いじゃないですかー」
「別に、暗くなか」

久住は完全に田中のことを舐め切っている。
吉澤は、自分のチーム、ガードは福田、フォワードに松浦を頭に浮かべて、意味合いは少し違うけれど久住の言葉に苦笑いを浮かべつつも同意してしまう部分がある。

「ガードはやっぱみきてぃが仕切ってるの?」
「みきてぃ?」
「藤本。藤本美貴」
「そんな感じでもないですけど」
「じゃあ、矢口さんとか?」
「あの人おとなしいですよ。話しに聞いてたのと大分違って」
「遠慮してるのかなあ」
「フォワードは石川さんと平家さんって感じです」

聞いてなくても久住からは答えが次々と出てくる。

「ポジション別でどうってのもあるけど、まだ、全体が馴染んでない感じがするよね」

しばらく黙っていたけれど、村田が最年長っぽく少し高めの視点からの発言をした。

「選抜チームってやっぱ最初はこんな感じなんですかね」
「最初だけならいいけどね。馴染めないと最後まで馴染めないことってあるから」
「人生経験抱負な村田さん、そういうことあったんですか?」
「去年、県選抜の国体のチームがそんなだったかな。半分が私のチームで、残りの半分が県内のそれぞれのチームから来た人たちで。なんか、派閥争いみたいな感じになっちゃってさ。ぎすぎすしたまま試合もしてたんだよね」
「それつらいですねー」

それまで面識が余りなかったメンバーが集まって、チームを作って試合をするのだ。
いろいろなことがある。
自分のところもそうなりかけたな、なんてことを思い出した。

「これだけいろいろなところから来ると派閥も簡単には出来ないかもしれないけど、でも、人数多いところなんかはやっぱり中心になっていったりするし、一人で来て、性格的に周りと簡単に馴染めないタイプ、人見知りっていうの? そういうのもあるしね。田中さんとか?」
「べ、べ、べつに、そんなことなかです」

村田がからかうように言うと、田中はことばとしては否定の意味の言葉をいった。
態度は、全然否定出来ていなかった。

「小春ちゃんとか、周り年上ばかりでやりにくいとかないの?」
「んーー、別に、小春はそんなことないんですけどー、なんか、みんな必死で顔真っ赤なのはちょっと感じるかも。田中っちとか」
「いちいち、れーなを引き合いにださんでよか」

顔真っ赤にして怒ってみる。

「メンバーに残るのに必死ってのはちょっとありますよね。その辺、石川さんや平家さんだとそういう心配がないから余裕もって練習出来ててフォワードは雰囲気いいのかもしれないなあ」
「そうでもないと思うよ。あの二人だってスタメン取るには奪い合わなきゃいけない相手がいるんだし。その辺は性格なんじゃないかなあ。藤本さんなんかだってメンバーに残るのは目に見えてる人だけど、それでもガード陣の練習を仕切るって感じでもないんでしょ?」
「無口に淡々とやってる感じです」
「石川さんは練習中は明るいタイプ。藤本さんは練習中はそうでもないタイプ。田中さんはいつでもくらいタイプ」
「なんでみんなそうやってれいなのことばっかりいじめるんですかー」

笑ってる三人にすねて見せる。
一つの洗濯機のブザーが鳴った。
吉澤がふたをあけて洗濯物を取り出す。
ちょっと全体の雰囲気を変えた方がいいのかなあ、と吉澤は思った。

田中は、はぶられるよりもいじられる方がありがたい、ということにまだ気づいていなかった。
それがたとえ年下からであったとしても。

深く考えたわけではないけれど、洗濯物を干し終えて部屋に戻ってから吉澤はメールを送った。
二人からは返事がすぐ返ってくる。
一人は反応なしだ。
空いているレクレーションルームに集合をかけた。
やってきたのは石川と後藤である。

「ミキティ応答してくれないんだよなあ」

吉澤は携帯をいじっている。

「メール送ったの?」
「うん」
「ミキティ携帯もってないよ」
「へ?」
「滝川の寮は電波来ないから持ってないって」

そういえばそんなことを言っていたような気がする。
どんだけ田舎なんだよ、と思って滝川カップで行ってみたら、いろいろと納得したことを覚えている。

「よっすぃー、どこにメール送ったの?」
「滝川カップの時に連絡用にって聞いたアドレス」
「それたぶん、学校のかなにかだよ。ミキティ見てないってもう。ていうか見れないし」

なんで藤本美貴と自分の携帯には登録されていたんだか。
とにかく待っていても藤本から連絡が来ることはない。

「探しに行きますか」
「ところで何の用で呼んだの?」
「んー、なんとなく」
「滝川カップ2をやろうとかじゃなくて?」
「なくて」

三人はとりあえず藤本の部屋へ向かう。
ブザー鳴らしてみたけれど中からは反応がなかった。
矢口も藤本も居ないらしい。

「どこ行きそうかな?」
「やっぱり同じ学校の子のところにいるんじゃない?」

里田部屋へ行く。
いない。
なんか中にいっぱい居ない? と雰囲気で聞いてみると、スザンヌと麻美もここにいると言う。
二部屋合併してるようだ。
和気藹々四人で過ごしているらしい。

というわけで麻美部屋にも藤本がいないこと確定。
二学年下の子の部屋行くかなあ? なんていいながらみうなの部屋へ行くといた。

「何やってるの?」
「何って見れば分かるでしょ」
「なに中学生こき使ってるのよ」
「こき使ってるわけじゃないよ。ただ教えてるだけだって、マッサージはこうやるって。先生はみうなだけど」

石川になじられてちょっとむきになって藤本は否定した。

「みうながマッサージうまいんだよ。だからマッサージさせようと思って来たら愛華が教えてって言うから。ああ、でも、みうなはかさないからな」
「別に貸してなんて言ってないよ」

この四人が顔を合わせると、目的のない雑談の場合は藤本-石川間で会話が広がるらしい。

「それで、そっちこそ何しに来たの?」
「ちょっと集合ってよっちゃんが言うの」
「どうしたの? よっちゃんさん」
「んー、ちょっとね」

一年生と中学生の前で話すのもどうかと思ったので場所移動した。
吉澤が場所移動と言えば藤本も文句を言わずに従った。

二十四人全員入りそうなレクレーションルームへ戻る。
レクレーションルームと言っても、家庭用ゲーム機などが置かれているわけではなく、広いスペースとトランプなど原始的なゲームが備えられているだけだ。

「なんかさあ、結構ばらばらな感じない?」
「ばらばらって?」
「ばらばらっていうか、自分たちのチームだけで集まってるって言うか。まだ全体が馴染んでないなって」
「まだ二日なんだしこんなもんじゃない?」
「まだ二日って言うけどさ、あと五日で帰ったりするんだよ。ミキティや石川さんはそんな発想ないかもしれないけど、私は結構そっち側になる可能性があるし。もう少し早めに一体感を持ちたいなって。ポジション別の練習なんかでガードは暗いとか、そんなん言われてたりするし」
「なにそれー。美貴が悪いって言うの?」
「ミキティって意外と人見知りするよね」
「石川に言われたくないんだけど」

この二人無駄にぶつかるんだよなあ、と吉澤と後藤は思う。
ぶつかる、というより藤本がうざがる、という方が正確に近い。

「別に、自然に任せておけばいいんじゃないかなあ」

後藤が口を開いた。

「話せば話すんだし。さっきだって部屋二つくっついたみたいなところもあったし、ミキティが意外に中学生ともなじんでたりとか」
「意外って・・・、いや、意外かもしれないけど・・・」

石川にははっきり言えても後藤には少々言い難いようだ。

「ガードが暗いってれいなが言ってたの?」
「そういうわけでもないんだけど。見ててなんかそんな感じだなあって」
「れいなって、あの猫娘だっけ?」
「うん。あの子もあんまりね、知らない人たちといきなり混じったりする感じの子じゃないし。あれ、でもよっちゃんとはおはなししたんでしょ?」
「洗濯の時にね」
「ああ、よっちゃんさんチーム罰ゲームだったよね」

最初のミニゲーム大会の時は四人とも別々のチームだった。

「でもさあ、よっすぃー。全体が馴染んでないって、馴染ませるのにどうしたいの?」
「それ言われると困っちゃうんだけど」
「まあ、でも、確かに、合わないと二人部屋で居づらくて、かといって全体も馴染んでなくて、居場所がなくてやりにくいってのは出てくるかもしれないな」
「ミキティ、二人部屋がいづらいんでしょー」
「んなことないって」
「えー、部屋割の時すごいいやそうな声出してたじゃん」
「気のせいだよ」

気のせいじゃないよ、と後藤も吉澤も思った。
特に後藤は、矢口と藤本の間に試合の時に何があったのかは大体知っている。

「はい」

突然石川が手を上げた。

「で、よっちゃんさん、どうしたいの?」
「なんで無視なのよー」
「石川がそういう態度の時ってろくなことがない」
「もうー。聞いて。聞いて。よっちゃん聞いて」
「後藤は聞かなくていい?」
「後藤さんまで私のこといじめるのー?」
「梨華ちゃんいじめるのちょっと面白いかも。ミキティもたぶん、楽しいんだよ、梨華ちゃんいじめるの」
「それって、ミキティ、私のこと好きってこと?」
「今すぐ神奈川帰れ」
「なによー、携帯も持ってない田舎者のくせにー」
「はいはいはい、ストップストップ。聞きます聞きます。石川さん、なに? なんですか?」

わけの分からないおかしなところへ話しが行きそうになっているが、何とか吉澤が元に戻そうとする。

「仲良くなれるゲーム知ってるよ」
「却下します」
「なによー。なんでミキティは私の言うこといつもそうやって」

この二人テンポよく会話進んで、仲悪いふりしてるけど結構いいコンビだよなあ、と吉澤は思っている。

「だからミキティ梨華ちゃんのこと」
「ないないないないない」
「まだ好きまで言ってないよ」
「ミキティ、私のこと意識しすぎなんだよ」
「あー、もう、うざい。なんでそうなる」

後藤まで二人に絡みだしておかしなことになっている。
こういうリズムに後藤が入って行くのは珍しいなあ、と吉澤は感じた。

「わかった。わかった。聞けばいいんでしょ。なんなの、そのゲームとやらは」
「ひみつー」
「お前、バカにしてるだろ」
「うん」
「夫婦漫才いい加減にしなさい」

いい加減我慢できなくて、吉澤も突っ込んだ。

「梨華ちゃん、そこで秘密はないんじゃないの?」
「えー、だってー、なんか、その場のお楽しみにしておきたいじゃん」
「まあ、ゲームの中身なんかどうでもいいけどさ、実際、どうする? よっちゃんさん。美貴は別に、余計なことしなくてもいいんじゃないかと思うんだけど」
「でも、馴染んでないのは確かだと思うよ。実際、ガードとか暗そうだもん横で見てると。馴染める子はいいよ。私たちとか、平家さんとか、年上メンバーも別にいいと思うけど、中三高一あたりの若い子とか、性格的に自分から入っていけないことかいるじゃん。そういう子が入ってきやすいシチュエーションにはゲームが一番」
「お前、自分が言いだしたゲームやりたいだけだろ」
「ごっちんはどう思うの?」

二人の間で閉じがちな夫婦漫才を横に、吉澤が後藤へ振った。

「んー、別にどっちでもいいんだけど、実際夜はひまかなってのがあるから、なんかゲーム? やってもいいんじゃない?」
「なげやりだなあ」
「そうでもないよ。どっちでもいいんだから特に反対なわけじゃないし。やって悪いこと特に思いつかないし、やればいいんじゃない? ゲームでも何でも」
「まあ、プロならぱっと集まってぱっと試合して解散、ってのもあるんだろうけど、まだそういうレベルじゃないしね。よっちゃんさんが言うみたいに、全体がチームとして馴染むようにとか、そういうのはあってもいいと美貴も思うよ。もうちょっと偉そうになると選手だけでミーティングとかになるんだろうけど、まだそういう感じじゃないし、遊びでみんな集まろうでいいんじゃない?」

反対意見、と言うものはとくに出てこないらしい。
なんとなく石川の言いだした「ゲーム」なるものをみんなでやろう、というような形でまとまりつつある。

「明日夕食後にここみんな集まってわいわい、って感じでいいかな」
「いいんじゃない? それで」
「飯田さんだっけ? キャプテン。そこに話し通してからのがいいと思うけど」
「そうだね。後で話してみる」
「しっかしさあ、よっちゃんさん、やっぱキャプテンキャラだよね」
「うん。私も思った」
「なに? なんで?」
「いきなり集められて二日目でしょ。それで全体見て馴染んでないから何とかしよう、なんてキャプテンキャラじゃなきゃ考えないって。別にキャプテン指名されたわけでもないんだし。美貴なんかせっかくキャプテンから解放されたからって自分のことしか考えてないもん。よっちゃんさんには悪いけど、福田明日香ぶっつぶす、みたいな感じで。ぶっ潰すは言いすぎだけど、あの子に勝つのがスタメンの条件だから、頭の中そればっかりだもん」
「私も、是ちゃんに勝ってやるー! ってほとんどそれだけかな」
「その辺がうまい人との違いなのかな。信田さんにもいわれたんだけどさ、周り気にせず自分のことだけ考えていいって。でも、れいなちゃんだっけ? あの子と話したりしてると、やっぱ気になっちゃうんだよね」
「れいなが周りと馴染めないのは、あんまり気にしない方がいいよ」

石川は、田中のことについてそれ以上は解説しなかった。

 

出会ったばかりのメンバーたちの人間関係はまだ固まりきっていない。
無口と無口が同じ部屋だと、問題は起きないが平穏静か過ぎて、分かりやすく親密さが深まるということがない。
片方がよくしゃべるタイプで、もう片方がそんなにしゃべらないけれど話しかけられれば適度に答えられる程度の社交性というのがあると、割とうまく行く。

「なんかよく電話してますけど、彼氏とかですか?」

一旦部屋から出て、話しが終わって携帯片手に戻ってきた是永に松浦が問いかけた。

「え? いやいやいやいやいや、全然全然。そんなじゃないよ」
「そんなに否定しなくてもいいじゃないですか」

違うだろうな、とは思っていた。
部屋を出るまでの間に聞き取れた是永の言葉は明らかに丁寧語だった。
彼氏に丁寧語で話すというケースはそうそうあるものではない。
部の先輩、とか、そういうケースもないでもないが、中村学院は女子高だ。
女子高の先輩とそういう関係というケースは・・・、考えすぎだろう。

「キミの方がそういうのいそうなタイプに見えるけど」
「それこそないですね。まったく。周りにいるのは田舎のガキばっかりですよ。私と釣り合うようなのはいないんです。あんまり興味ないんですよね、今、そういうの」
「ちょっと意外かな」
「意外ですか?」
「男子を引き連れて歩いてるタイプかと思ったから。すごくきれいだし」
「おてて繋いで歩いたり、お弁当作ってあーんとか、めんどくさいだけな気がします今は。もっと暇ならそういうのもありかもしれないけど、面白いものは他にあるから今は。そんなのに時間使う気にならないですよ」
「そっか。ここに来るようなのはそんな子ばっかりかもね」
「わかんないですよー。石川さんとか、都会の女子高生は何してるかわかんないし。矢口さんなんて、男子大好きって感じでしたもん」
「えー、石川さんは、ないんじゃないかなあ。どっちかっていうと潔癖な感じで、男子なんて不潔とかそういうタイプな気がする」
「是永さん、女子に夢見ちゃってる男子みたいなセリフですよそれ。ていうか、是永さん、石川さんにはそうあってほしいみたいに思ってませんか?」
「んー、確かに。彼氏に甘える石川さんとか見たくないかも」

松浦は都会と言ったが、神奈川の富岡は普通に郊外にあって、都会の雰囲気はまるでない。
都会、に当てはまるところにいるのは亀井であり矢口であり、そして後藤である。

「是永さんも、なんか、石川さんを特別視してますよね」
「ん? んー、うん。そうかも」
「なんでなんですか? みんな。一人でアメリカ行って、来年にはWNBAに、なんて言ってる是永さんのがすごいんじゃないかと思うんですけど。チームの周りのメンバーが違う中で、是永さんの力で中村は強いんだし。私は石川さんより是永さんの方がすごい人扱いされていいと思うんですよ」

是永が松浦をどう思っているのかはわからないが、松浦の方は是永にはっきりと興味を持っていた。
松浦は無駄にお世辞を言うタイプではない。
猫被り期にはそういうこともするし、出会って二日目夜というのは猫被り期を脱してはいない時期ではあるが、石川より是永、というのはお世辞ではなくて本音でそう思っていた。
一人で何とかするタイプの方が松浦には理解しやすくシンパシーを持ちやすい。

「入部以来負けてないってのはやっぱりすごいって思うよ。周りの力っていっても、うちだってみんなちゃんと力のある子だよ。システムが私中心に作られてるっていうのがあってそうは見えないかもしれないけど、みんなインターハイの準決勝、決勝まで残って恥ずかしくないメンバーだもん」
「是永さんに仲間否定しろとは言いませんけど、でも、実際ここに呼ばれたの是永さんだけじゃないですか。富岡はスタメン全員呼ばれてて。それに、入部以来負けてないだけなら石川さんじゃなくて柴田さんでもいいじゃないですか。なんで石川さん石川さんなんですかみんな」
「なんなんだろうね。柴田さんももちろんいい選手で、柴田さんがいるから富岡が強いっていうのは確かなんだけど、でも、富岡はやっぱり石川さんのチームで、みんな、高校生はみんな、石川さんを目標にやってる。藤本さんなんかもそうなんじゃないかな。なんか、カリスマって感じかなあ。石川さんはもう、理屈じゃない部分もある。理屈の部分で十分すごいんだけどさ。私も負けてないつもりでもちろんやってるけど、でも、チームとして一度も勝てなかったって言う事実があるし」
「でも、試合のスタッツでも、昨日今日の練習見てても、是永さんのが勝ってる感じあるじゃないですか」
「その辺は、ただの練習だしね」

松浦はどうにも納得できない。
もやもやもやもやしたものが胸の中に溜る。
是永が言った石川のカリスマ性のようなものに、松浦は感応していない。

「あー、もう、わっかんないなあ。是永さん体育館行きましょう」
「へ?」
「いつでも使っていいって言ってましたよね。行きましょう。付き合ってください」
「疲れてないの?」
「全然平気ですよ。夏合宿なんかと比べれば。夜とか暇すぎなんですよここ。行きましょう」

かなりわがままで、鼻っ柱が強くて、自信過剰で、つらさに耐えながらこつこつ努力をするのなんて嫌いだけど、練習はしっかりする。
バスケは好きだから。
うまく行かないことにストレスは感じるけれど、練習することそのものにストレスを感じたことは無い。
本人はあまりわかっていないが、松浦は、我慢しながらこつこつ努力する人たちと同等以上の練習量をそれほど苦にせずこなしている。

是永も断ることなく付いて行った。
バスケをしようと言われてすぐそこにボールと体育館があって、それを断ることはない。
是永も是永で、ちょっともやもやしたものがあった。

体育館の鍵をもらいに行ったら先客がいるから開いてるよと言われた。
二人で行ってみると確かに明かりが付いている。
中には福田が一人で居た。

「明日香ちゃん、何してるの?」
「シューティング」

イズ、ディス、ア、ペン? みたいな、見れば分かるだろという会話だ。
質問と答えが文法的にはあっているが、コミュニケーションとしてはあってない。
相手にしてくれそうにないな、と感じた松浦はそれ以上福田に絡むのはやめた。
福田が出していたボール籠からボールをいくつか奪って別のゴールへ向かう。

「是永さん一対一やりましょう」
「んー、一対一はしっかりとアップして体動くときでないとやりたくないな」
「もー、まじめだなあ」

ちゃんとアップなしでそういうことをするのは怪我のもと。
是永はそこまで松浦に付き合う気はないらしい。
是永の感覚としては、練習しにきたのではなく遊びに来ただけだ。
遊びに来て怪我をする危険を犯すわけにはいかない。

松浦としては、是永独り占めでワンオンワンというのを期待していたのだけど、つれなく断られてしまった。
インターハイで張り合った高橋愛をなんとかしたい、という思いで選抜合宿に来たのだが、どうやらポジションを分けられてしまったようだ。
今は石川や是永、柴田などなどといったなかなか手合わせできない面子との練習を楽しんでいる。
高橋は置いておいて、じゃあ今回は是永をターゲットにしてみよう、と思い始めたところだ。

ボールがあってゴールがあって、でも、ワンオンワンしてくれる人がいないと出来ることは自ずとシューティングになる。
セットしてしっかりスリーポイント、という気分ではなかったので、もう少し近い距離でワンアクションつけつつのシュートを打つ。
特に目的があってシューティングしているわけではない。
入ったり入らなかったり、集中力もそれほど高いわけではない。

すぐにシュートを打ち始めた松浦と異なり、是永はしっかりとストレッチをしていた。
バッシュもまだ履いていない。
松浦は壁際のそんな是永のところへ歩み寄って行く。

「ホント、まじめですね」
「え? なにが?」
「遊びに来ただけなのにそうやってしっかりストレッチやってるところなんかが」
「ちょっと思うところもあってね。前は私もあんまりそういうの気にしてなかったんだけど」
「アメリカで学んできたとか?」
「んー、そんなところかな。体のケアはしっかりしないとね。もう若くないですから」

高校三年生が年下相手にリアクション取り難いことを言っている。
それでも、松浦は、ちょっと微妙だけどこの人そういう冗談も言うんだ、と思った。

ふと、今までと体育館に響く音の鳴り方が変わったな、と感じて松浦が振り向く。
黙ってシューティングしていた福田がドリブル突いて走っていた。
ストップジャンプシュート。
入ったボールを拾い上げて一息、それからまた走り出す。
軽く、という感じではなく、松浦の知っている福田のトップスピードがそこにある。
あれこそ怪我しそうなんだけど、と思いつつ是永から離れて歩いて行く。
福田の方に向かうわけではなく、邪魔にならない別のゴールに向かった。

結構へこまされてたからなあ、と思う。
普段の練習でああいう目にあうことはまずありえない。
それこそもやもやしているのだろう。
自分が声をかけるようなタイミングじゃない、と思ったのでシューティングしていたが、二本、三本打っても、なんだか集中できない。
福田の方に視線をやる。
やがて、バッシュを履いた是永が松浦の方にやってきた。

「声掛けてあげないでいいの?」
「なんでですか?」
「なんか、そういう雰囲気に見えるんだけど。それとも、同じ学校の同じ学年だけど仲は悪いとか」
「仲はいいですよ、明日香ちゃんとは。でも、ほっといた方がいい雰囲気かな」
「あんまり練習でもうまく行ってないって言うか信田さんに認めてもらえてないって言うか、そんな感じあったし、愚痴か何か聞いてあげた方がいいんじゃないの?」
「無駄ですよ。どっちかっていうと、そういうグチグチしたこと言うの私の方だから。あの子はそういうの言わないんです。頭の中でしっかりまとまってから結論を言われることはありますけど。まとまってない時に愚痴って形で私に話す子じゃないし、そんなの期待されてないから。余計なこといわない方がいいんですよ」
「ふーん」
「なんですか」
「仲がいいってのはホントなんだなって思った」

松浦はそれにははっきり答えずに笑みを見せる。
ああ、この子はかわいいなあ、と是永は思った。

 

翌日。
合宿三日目。
練習の傾向は特に変わるものではなかった。
二日目とほぼ同じようなメニュー。
五対五のメンバーは昨日ともまた違うけれど、やはりスタメン組みはここ、というような見立ては出来ないような分け方をされている。

信田コーチは、練習中にはあまり厳しいしかり方というのをしないタイプのコーチだった。
自分の要求は呼びつけて穏やかに言って聞かせる。
感情的に怒鳴りつける、というようなことはしないし、理詰めで追い込むこともしない。
個人個人に接し方を代えているようで、多少、福田相手には厳しいやり取りがあるが、それ以外は物分りのいいお姉さんというような立ち位置をキープしている。

それでも、選手たちにはしっかりと緊張感はあった。
コーチはやさしく接してくれていても、置かれている状況は結構シビアなのだ。
ダメなら一週間で帰すからね、というのは全員共通の立ち位置である。
メンバーには残れるだろう、と踏んでいても、スタメンはしっかり確保した大丈夫、というような自信を持っていられるメンバーはまだ誰もいない。
そういう風に、現段階では信田コーチが作っている。

スタメン決めてから大会までの時間が短すぎるのではないか、という懸念は小湊も言っていた。
それでも信田はこのやり方を選んでいる。

面談はこの三日目の昼で全員終了した。
五分やそこら話したくらいで大きく何かが変わる、というものでもないだろうとは信田も思っているが、それでも何かのきっかけくらいにはなるのだろう。
久住や光井が多少はディフェンスも頑張るようになったりもしている。
相手が中学生レベルの中でやっていると、好きなオフェンスだけやってればディフェンスサボったって誰も気にしなかったが、このレベルに混じるとそうは行かない。

吉澤も、キャプテンキャラだよね、などと藤本や石川あたりに言われつつも、練習中は自分のことになるべく集中しよう、と思ってはいた。
確かに、いろいろなことを考えながらやっていて通じる相手たちではないし、普段とは練習のレベルが違い張り合いがある。
飯田や村田、里田あたりとのぶつかり合いを二本三本、五本十本と続けられるのは、日常のチームでの練習ではありえないことだ。

福田は昨日よりもプレイに精彩がない。
自分の中で葛藤がある。
フリーになれば打てばいいじゃないか。
昨日から何百回頭の中で問答があるだろうか。
自分の仕事はゲームを作ること。
外からのシュートは技術として習得しておくべきではあるけれど、選択肢としては最後の手段。
フリーでボールを持つ度に、そんな思考が頭の中でぐるぐるぐるぐる繰り返されている限り、プレイに切れは戻ってこないだろう。

そして矢口は大人しく、後藤はマイペースに淡々とプレイを続け、田中は場の空気に混じれずにいた。

夜。
昨日話し合ったのは四人で、その四人を招集したのは吉澤だったのだが、なぜか、石川仕切りによる全員招集、という連絡が全メンバーに入った。
集合時間は初日の罰ゲーム洗濯組みの仕事が終わった頃合に。
ただ、それでも、是永が所用で遅れるとのことだったので、ひとまず二十三人が集まったところで石川が演説を始めた。

「えーごほん。みなさん、本日はお忙しいところお集まりいただき、ありがとうございます」
「忙しくないから別に。自由時間だし」
「みきてぃは黙ってて」

めずらしくぴしゃりとはねつける。
それでも、藤本の突っ込みは効果があり、石川の前口上も収まった。

「うん、簡単に言うとね、せっかくさ生まれも育ちもチームも違う24人が集まってチーム作ろうとしてるんだからさ楽しくやろうということで、今日は親睦会を開くことにしましたー。はいはくしゅー」

まばらな拍手。
まともに拍手しているのは高橋と田中くらい。
藤本や柴田は冷ややかな目線を浴びせる。
吉澤は苦笑しながら、適当に手を叩いていた。
石川の仕切りを見ていると、最初に召集したのは自分であることはなかったことにしておこう、と思う。

「で、何やるの?」

冷たく響く藤本の言葉。
拍手もまばらで石川は不満顔。
それでも、場を仕切る者として、言葉をちゃんとつなげた。

「ゲームをやります」
「どんなゲームやるんですか?」

無邪気な声を出して高橋が石川に問いかける。
石川は、そんな高橋に向かってウインクをした。

「はい、高橋、あなたは今死にました」

ぽかーんとして、高橋ははてなマークを頭に浮かべている。
意味が分かったメンバーは数名。
そのうちの一人、呆れ顔の柴田が口を挟んだ。

「梨華ちゃん。全然意味わかんないからそれじゃ」
「ウインクするとね、された人が死ぬの。だから、チャーミーはウインクキラーなの」
「通訳して欲しい人?」

仕切りが石川だからか、昨日の四人の中には居なかった柴田がフォローする。
藤本や吉澤はじめ、石川とそれなりに近しいところからぱらぱらと手が上がる。
その中には田中や道重の手まであった。

「待って、待って、ちゃんと説明するから」

石川が慌てて柴田をせいする。
今度こそ、ちゃんと説明を始めた。

「このゲームには、犯人と共犯と一般人がいます。トランプ配って、ジョーカー引いたら犯人、エースは共犯ね。他のカードは一般人。目と目が合って、ウインクをされたら、された人は死んでしまいます。この、ウインクが出来るのは、犯人と共犯だけ。で、共犯が犯人に向かってウインクしても死なないけど、犯人が共犯にウインクすると、共犯は死んでしまいます」

ゲームを知らないメンバーは神妙に聞いている。
場を仕切っている心地よさで、石川の舌は滑らかだ。

「それって、犯人と共犯以外面白いの?」
「はい、藤本さんいい質問です。一般人は告訴する権利があります」
「告訴?」
「はい。犯人たちによる殺人現場。つまりウインクする場面を見かけた人は告訴できます。告訴が成立するには補佐が必要です。誰かが、告訴! と手を上げたときに、別の人が補佐! と手を上げなければ不成立。手を上げた場合は、その人が信用できなければ却下も出来るけど、信用できると思ったら、せーので誰かを指差します。それが一致したら、指差された人はアウトです。指差す相手が違う人になったら、告訴した人がアウト、補佐は特に何もなしでそのままゲーム続行ね。犯人と共犯、全員がアウトになったら一般人の勝ち。犯人と共犯以外の一般人が残り一人になったら犯人側の勝ち」

なかなかルールの把握がめんどくさい。
道重あたりは首をひねっている。
それでも、イヤだ、という声は上がらなかった。
もっとも、こういう場面で、いいよめんどくさい、帰る、とはなかなか言い出せるものではない。

「とりあえずやってみよ。細かいルールはやりながらってことで。ウインクされたときにすぐ死にましたって言っちゃダメなのだけ注意ね。それやると、犯人分かっちゃうから。ちょっと時間経ってから、カードを表にして死にましたって、やるの。オーケー?」
「あ、あのー」

恐る恐る亀井が口を挟む。
微妙に盛り上がっていた場が急に静まり返り、亀井に視線が集まった。

「私、ウインクできないです」

なんだそりゃ? というリアクションがありつつも、そういう問いかけがあると、石川先生としては答えないといけない。

「じゃあ、じゃあ、じゃあさ、練習してみよう、ウインクの。二人一組、隣同士向かい合って、ウインクウインク」

石川に促され、それぞれが向かい合う。
向かい合って、ウインクをしている姿はところどころにだけある。

「これって、チョー恥ずかしいかも」

ウインクの練習。
二人で向かい合ってウインクウインク。
目と目を見詰め合ってウインクウインク。
照れないはずも無い。
藤本は、となりの松浦にウインクをして、そのした瞬間の恥ずかしさで顔を覆って畳に転がった。

「えーと、えりりん? 出来た?」
「あんまりうまくいかないですー」

ためらいがちにえりりんと呼んでみる。
その亀井は、隣の田中と向き合いしきりにウインクしようとしているが、つぶる方の目の側に首ごと動いていた。

「あはは、えりりん下手すぎ。まあ、やってみたら? とりあえず」

先輩後藤のお言葉。
下手なウインクをされた田中は、突っ込むことも出来ずに妙に照れている。
亀井がウインクできないのは置いといて、ゲームが始まることになる。

「じゃあ、共犯は三人で。エース三枚入れてトランプ配るから、自分だけが見えるように確認してね」

そう言って、石川はトランプを配り始めた。
それぞれトランプをめくってカードを確認する。
抱え込んで胸元でこっそり見る道重。
畳に置いたまま、一度端だけめくって自分のカードを把握する後藤。
何度も何度も、繰り返し見て確認する田中。
さまざま。
石川が配り終わり、自分のカードも確認するとゲームが始まった。

互いに顔を見合す。
慣れないゲーム。
どうしたらいいのだろう。
沈黙の中の駆け引き。
そんな中、開始二十秒、最初に口を開いたのは田中だった。

「あー、むかつくー! もう! 死にました」

そう言ってオープンされたカードはスペードのエースが開かれた。

「れいな共犯じゃん」
「だからいっぱいころそーと思ったのにー」

これだけ聞くと物騒な会話。
ゲームである。

田中に続いて、隣に座る久住、さらに矢口も殺される。
それでもまだ残り二十人。
人数はなかなか減らない。

田中の隣の亀井がきょろきょろしている。
目が合ったのは道重。
亀井の首が大きく動いた。

「告訴!」

手が四五本一気に上がる。
あまりに分かりやすくて場に笑いが起きた。

「こういうときどうするの?」
「えー、誰でもいいんじゃない? じゃんけんとか」
「じゃあ、降りる」
「私も」

手を上げたあやかや松浦が降りた。
告訴するのはリスクを背負う。
他の人がやってくれるなら、自分がリスクを背負うことは無い。
結局、後藤が告訴して、松浦が補佐で、せーので亀井を指差した。

「なんで分かるんですかー」
「えりりんわかりやすすぎ」

一同爆笑。
その隙に暗躍する影がある。

「あー、油断したー」

吉澤もカードオープン。
さらに木下、村田、光井、スザンヌも。
どんどん減りだした。
人数が減ってくると緊張感も高まる。
残っているのは、柴田と、一つ飛んで藤本松浦後藤の三人続き、少し飛んで福田、さらに高橋の六人。
この中に、犯人一人と共犯一人がいる。

みんな自分の立場は知っている。
目と目が合ったらころされるかも。
目と目が合ってどっきどき。

「あー、もう怖いよー」

隣り合う松浦と後藤。
お互い顔を見合わせて、すぐに背ける。
両手で顔を覆って、畳にしなだれかかる。
オーバーアクション。

「怖い! 怖い! 目見れない!」

畳にふせったまま、松浦がそうわめく。
これまであまり話したことの無い子と、目と目を合わせて顔を見合わせる。
どきどき。
相手は犯人かも。
もしかしたらころされちゃうかも。
どきどき。
その結果が、顔を覆って畳に伏せることになる。
それはそれとして、初回から、自分が犯人なのに、どきどきしてる振りをしている演技派もいるかもしれない。
真実は本人だけが知っている。

「そろそろ決めちゃってよー。犯人も一般人も。勝負に出ないと終わらないよー」

場を仕切る石川の言葉。
さっさところされてしまうと、ゲームというのはつまらなくなってしまうもの。
しぶしぶ、という感じで手を上げたのは福田だった。

「告訴」

他の五人、手が上がらない。
誰か補佐しろよー、と野次が飛ぶ。
ゲームが終わらないと生き返らない死者たちから。

「補佐」

しぶしぶ、といった感じで高橋が手を上げる。
高橋の方を見て、福田が考え込む。

「どうしたの?」
「うーん、怖いんですよ」

固まった福田に石川が問いかける。
告訴はリスクを背負う。
外せば、自分が死ぬリスク。
補佐者と指す人が合わなければ、自分が死ぬリスク。
自分と高橋、以心伝心で同じ人を指差す、なんてことはまったくイメージできない。

「どっち、どっち?」

高橋が問いかける。
高橋の中で候補は二人。
多分、その二人で主犯と共犯だろうと思っているけど、指す人がづれれば、福田が死ぬ。

「えー、じゃあ、犯人ぽい人で」
「わかった」

どんな人だよ、と突っ込もうとした人もいたが、なんとなく分かったので誰も突っ込まない。

「せーの」
「待って、待って!」

高橋が声を上げる。
何をいまさら。
そんな目で高橋に視線があつまる。
高橋は、おずおずとカードを開いた。

「死にました」
「えー」
「すげー。犯人は恐ろしいヒットマンだ」
「もうー。確認するのに見たらころされたー・・・」

おちこんで、畳に伏せる高橋。
負けず嫌いが凹んでいる。

「えー、だれー、全然わかんない」
「ごっちん。分かるだろ! 分かってよ! 終わらせてよ!」

吉澤の叫び。
自分を殺害した犯人の犯行現場は今も見ている。

「告訴」

福田がまた手を上げた。

「補佐」

手を上げたのは松浦。
視線を下げ、誰とも目線を合わせないようにして手を上げる。
犯人が分かっている死者達は苦笑。

「せーの」
「藤本さん!」
「なんだよ、ちくしょー」

藤本のカード、ジョーカーがオープンされた。
ゲームセット。

「なんで分かったの?」
「後藤さんは、さっき顔見合わせてあんな感じだから違うし、明日香ちゃん、自分で告訴してるから違うし。残りは二人で犯人二人で。それで、犯人っぽいほうっていうから」
「美貴が犯人ぽいのは全員納得なのかよ」

藤本の叫び。
皆、あいまいな笑みを浮かべて何も言えない。
柴田か藤本かの二択で、犯人ぽい方、と言われたらどちらを選ぶか残りの二十二人でアンケートをとると、どんな結果が出るだろう。

「柴田、もうちょっと働けよー」
「私だって三人ころしたもん」

物騒な会話をしつつ、第一ゲームは、こうして終わった。
そこでちょうど是永が入ってくる。
遅くなりまして、どうしましょうか、どこに入っていいのかな、という顔をしていると石川が言った。

「はーい、是ちゃん。レッツ、ウインクウインク!」

なになになになになに????
ゲーム中の光景はまったく見ていないタイミングで入って来た是永には、石川の発言は前後の脈絡が無く理解できないが、戸惑いつつも、無理にあわせてみた。

「う、ウインクウインク」

石川の無茶振りや、入って来たばかりで空気読み取れないところや、それが是永なところや、それでも無理して石川に合わせてあげたところや、ホントにウインクして照れているところや、全部ひっくるめて、是永の行動は、なんだか場には受けた。

「石川無茶振りしすぎ」
「是永、無理して石川に合わせなくていいよ」
「いいじゃないですかー」

藤本に平家に叱られる石川。
その合間に、是永は飯田に導かれて、空けられたスペースに座った。
飯田がゲームの説明をしている。

「圭織の説明って難しいんじゃない?」
「みっちゃん、キャプテンに向かってそんな口聞くの?」
「だって、ねえー・・・」

最年長二人には、ちょっと周りも絡みづらいのか合いの手は入らない。
是永には、飯田と反対隣の村田が話しを引き取ってゲームの説明をした。
是永は何度か小首をひねっていて、よくわからないけれど、まあとりあえずいいか、という面持ちだった。

そんなこんなで二ゲーム目。
また田中が最初にころされる。
続けてころされたのは、松浦、福田、さらにあやか。
そこで石川が告訴し、高橋の補佐で吉澤がハートのエースをオープンした。
石川曰く、チームメイトばかりころしすぎ。
その後、人数は減っていき、藤本、里田、矢口、飯田、光井が残り、矢口告訴の里田補佐で、藤本の犯行が暴かれた。
藤本美貴、二回連続二回目の犯行。
犯人ぽい人がやっぱり犯人あたるんですかね? と小声でボソッと言った麻美の頭を、藤本は軽く叩いた。

三ゲーム目。

「なんでー! なんで、れいなばっかりー!」

田中れいな、三回連続三回目、最初の被害者。
カードを投げつける。
さすがに一同爆笑。
田中は、畳の上に仰向けに転がる。
隣の亀井が微笑みながら、そんな田中の顔を覗き込んでいた。

「またれいながころされたってことは、またみきてぃが犯人じゃないの?」
「人を殺人鬼みたいな言い方して」

石川と藤本がそんなやり取りをしている間に、飯田と後藤が死去。
さらに、みうな、平家、木下もカードオープンした。

そこかしこで、顔を見合わせて、どきどきしながら視線をそらす、という光景が隣同士で起こっている。
腹の探り合い、駆け引き。
吉澤と里田、矢口とあやか、福田と石川。
さらには、藤本と松浦は顔を見合わせてうなづいている。
そんな中、高橋がころされる。

「告訴」

手を上げたのは松浦。

「補佐」

あやかが手を上げる。
松浦はアヤカを見つめ考え込む。

「却下」
「なんでよー」
「なんか、あわなそうなんですもん」

あやかもあきらめる。
ゲームがこう着状態に入った。

残り17人

「ねえ、ねえ、見ていい?」

田中が隣の亀井にカードを見せてとせがむ。
亀井は、小首をかしげつつ微笑んでからうなづいた。
畳の上にうつぶせになり、田中は、他の誰にも見えないように亀井のカードの端をかすかにめくる。
田中は、その体制のまま、亀井を見上げ、目と目を合わせウインクした。

「こうやって、ころしたいのになー」

ゲームを始めてからトータルでもう三十分近い。
だけど、田中の参加時間は一分にも満たない。

「ねえ、見ていい?」
「いいけど」

さらに隣の吉澤へ。
それから、生き残っている人を端から見ていく。
見ていい? 見ていい? を連発しながら。

そんな最中にもゲームは進む。
久住、是永、スザンヌ、とカードオープン。

「れいな! ちょろちょろしないの」
「はぁぃ」

石川にたしなめられて、不満そうに田中は答える。
それでも、最後に藤本にカードをねだった。
藤本は、後ろの田中に向けて、背中を向けたままカードだけ見せた。

田中は仕方なく自分のいた場所に戻る。
座った途端、福田と石川が立て続けにころされた。

「告訴」

村田が手を上げる。

「補佐!」

松浦、藤本、柴田、矢口と手を上げる。

「補佐! 補佐!」

さらに慌てて里田も。

「じゃあ、柴田さん。見たね? 見たよね?」
「はい」
「せーの、里田さん」
「もうー」

カードオープン。
最初の共犯者が逮捕された。

「自分が共犯で補佐とか必死すぎ」
「だってー、見られたの分かったんだもん」

ふてくされたように言う。
そんなさなかでも殺人は発生。
矢口が死んだ。

「うっ、人生ははかない〜」

そう言ってカードを開いた。

残り10人。

残っているのは亀井、麻美、みうな、光井、村田、松浦、藤本、柴田、あやか、吉澤。
犯人一人と共犯者が二人、この中にいる。

「早く決着つけちゃってよー」
「自分が死んだからって都合よすぎ」

石川を藤本がぴしゃりとはねつける。
だけど、石川の言葉が効いたのか、あやか、吉澤と立て続けにころされた。

「告訴!」

舌足らずな声で亀井が手を上げる。
誰も答えず、少し間があってから手が上がった。

「補佐」

松浦だった。

「せーの」
「柴田さん」
「みうなちゃん」
「もうー!」

亀井がふくれっつら。
二人の指名する人がずれた。
亀井絵里、死亡。

「告訴」

柴田が手を上げた。

「えー、違うのー?」

亀井の声。
自分が指名した柴田が、誰かを告訴しようとしている。
つまり犯人じゃない?
そんな連想からの不満の声。
さっき、村田の補佐で里田を告発したことは頭に入っていない。

「補佐」

松浦がまた無表情に手を上げる。
今度は二人そろってみうなを指差した。

「ばれちゃいました」

みうなのハートのエースが暴かれた。
残り6人。

という間で、光井もカードオープンで残り五人。

「えー、全然わかんなーい」

田中が声を上げる。
残りは柴田、麻美、村田、松浦、藤本。
柴田と村田で里田の犯罪を暴き、柴田と松浦でみうなの犯罪を暴いた。
まだ、犯人と共犯一人が残っている

「れいなはほとんど見てるでしょ」
「だって、だって」
「普通に考えれば、あの二人だけど、でも、なんか違う気がするんだよなあ」

犯人予想、それぞれに。
矢口が考えた“あの二人”、が誰なのか。
勝手に納得してうなづくもの有り、首をかしげるもの有り。

「告訴」

動いたのは柴田。
視線が柴田に向けられる。

「自信ないけど、補佐」
「補佐」

村田と松浦が手を上げた。
柴田は松浦と村田を交互に見る。

「うーん、どうしよう」

外せば死ぬのは自分。
だけど、勝負に出るかどうか。

「えー、うそー」

迷っていた柴田。
次の瞬間、そう叫んでカードをオープンした。
ダイヤの10

「えー・・・。死にました」
「いぇーい!」

藤本と松浦が両手でハイタッチを交わす。
残る一般市民は一人。
このゲームは殺人者の勝利に終わった。

「うそ、あやや犯人なの?」
「共犯だよー」

松浦はスペードのエースを開いて見せた。

「犯人は、また美貴だよー」

得意げに胸を張って、藤本がカードを開く。
鎌を持ったジョーカーが現れた。

「松浦さん、告訴とか補佐とかしまくってたでしょー!」
「だって、作戦だもーん」
「告訴で目が合ってころされるなんて思ってなかった」

藤本と麻美だと確信を持って最後に手を上げて殺された村田は悔しさをにじませる。
私も、私も、告訴や補佐に動く松浦に油断して目を合わせた高橋やあやかが訴える。

「でも、なんでみきてぃが犯人だって分かってたの? 予想ってだけじゃない感じだったでしょ?
「顔見合わせて、ウインクしたの。そしたら、笑ったんだよね」
「だって、私、ウインクされたの初めてだから、なんか恥ずかしくてさあ」
「それで、死なないから、ああ、犯人なんだって」
「顔見合わせてうなづいちゃったんだよね」
「あれで、周りにばれちゃうかもって、焦って告訴って手上げたり、補佐したりしてたけど、うまくいってよかったー」

犯人は藤本だったけど、今回は共犯松浦の計算勝ち。

「れいなはやっぱりみきてぃにころされたの」
「そうですよー。もう無いだろうって最初に確認したら、その最初にころすんですもん」
「だって、こっち見るんだもん。やっぱりころしたくなるよー」
「じゃあ、何が全然わかんないー、なのよ、しらじらしい」
「美貴さん、見ててもあんまりころしてる感じしなかったから、じゃあ共犯だれだろうって、わかんなかったんですって」
「犯人とか共犯が誰でも、田中っちは最初にしんじゃうんだけどね」
「うるさい!」
「気に入られたんだよ、美貴に」
「なんで、気に入られたらころされなきゃいけないんですかー・・・」

憤慨している田中がいる。
上からも下からもおもちゃにされている田中を、みんなが笑っている。
気に入ったのかそうではないのか、特にコメントは足さずに藤本も笑っていた。

目と目が合ったら殺される。
ウインクキラー。

「じゃあ、次のゲーム行きますか」

その場を仕切る石川。
カードを配る。
四ゲーム目が始まった。

「もうー、むかつくー!!!」

開始10秒、田中れいな死亡。

「告訴!」
「補佐!」
「せーの、みきてぃ」

石川と柴田で藤本を指差す。

「さすがにばれたか」

藤本はスペードのエースを開いた。

ゲームは延々つづいた。
毎回毎回、何ゲームやっても盛り上がる。
勝ったり負けたり、しんだりころしたり、時折席替えも挟みながら、笑いの絶えない部屋。
深夜近くなって、スタッフの一人が顔を出し解散させられるまでゲームは続いた。

 

ゲームの効果はすぐに現れた。
分かりやすかったのは、朝食に田中が亀井と連れ立って現れたことだ。
その光景を見て石川が涙を流さんばかりに喜んでいる。
そんな石川も、これまで接点の少ないメンバーからは多少神聖視される部分があったのだが、それは全部消え去った。
上滑りでちょっと世話焼きな普通の高校生なのだと周りが認識した。
ボールを持てば少々違うがコートの上以外ではただの人である。
無口で無表情な印象があっても福田だって笑うときは笑うし、きれいで何でもしっかり完璧そうでも飯田は実際にはぬけたところだらけだったり、既存の設定されたイメージが、現実の人間のそれにしっかりと置きかわる。

練習の形態は前日までと同じように、体を動かす練習を全体で行った後ポジション別に散って行く。
ガード陣も声が出るようになった。
藤本さんは怖そうだし、ゲームの時も実際よく怒っていたけれど、それは別に本気で怒っているわけでもないんだ、というのを周りも感じ取った。
まだそれでも矢口は絡みづらそうにしているし、そういうの関係なく福田はやっぱり無口だが、高橋や田中、あるいは亀井光井といった若いメンバーが好き勝手声を出すようになった。
藤本も自分で意図して引っ張るようなことはしないが、周りが声を出せば、適当に自分も突っ込みを入れたりもしている。

ガード陣は一対一の練習は早めに切り上げて別の練習へ移行した。
オールコートで二プラス一対四
ボール運びの練習である。
エンドからボールを入れる係りが一人。
これは入れたら終わり。
ボールを運ぶオフェンスが二人。
ドリブルとパスで運ぶ。
ディフェンスは四人で、二人は最初からマンマークで付いて、一人はエンドのボールマンにつき、残りの一人がセンターサークル内に立っている。
ボールが入った時点からディフェンスの四人の動きはフリー。
四人を相手に二人でボールを運ぶ。
フロントコートまで運べたらオフェンスの勝ちである。

「オフェンス、運べるまでノーチェンジな」

信田の仕切り。
取れるまでディフェンスノーチェンジ、というのが練習罰ではよくありがちだが、この手のプレス系のシチュエーションはオフェンスの方が苦しいので、オフェンスノーチェンジは結構な罰ではある。

「とりあえず、二人組み作っとくか。オフェンスはしばらく組は固定で」

誰と組む?
ふと、福田と藤本の視線がぶつかった。
この相手と組んじゃダメだろ、と二人が二人とも思う。

「福田さん、お願いします」

声をかけたのは矢口だ。
二学年下の、自分のもの呼ばわりの吉澤のさらに後輩の福田に、敬称つきの丁寧語で頼み込む。
この合宿中の矢口はやけにしおらしい。

「なに、れいな、美貴と組みたくないの?」
「いや、いや、いや、その、別に、別に、そ、そんなんじゃなくて、絵里と組もうかなって」
「じゃあ、いいや。後でれいなはつぶすから。みっつぃー、組もうよ」
「はい」

田中は、亀井をがっちり放さない作戦に出た。
別に、バスケ的には特に関係ないのだけど、そうじゃない意味で、田中にとっての作戦だ。

「あ、あのー・・・」
「なんだ、高橋余りか。じゃあ、とりあえず高橋がエンドで。オフェンスは、んー、藤本光井から行ってみよう」

田中は余らなかったけれど、高橋が余った・・・。

四人のディフェンスを相手に二人でボールを運ぶ。
ここに集まっているのは十代後半のトップクラスのメンバーだ。
ガードなら当然ボールを運ぶ能力は極めて高い。
ただし、ディフェンス側もトップクラスになるわけで簡単にはいかない。

藤本光井は、高橋が藤本にボールを入れて、そのまま目の前の矢口をさらっと抜き去って、中央から捕まえに来た田中も寄せ付けず、フロントコートまで上がってそのまま一人でゴールまで駆け込んで流れでシュートまで決めてきた。
続いて福田矢口は二本引っかかった。
一本目、福田に入れてすぐに矢口に送る。
バックコートの中央でボールを受けた矢口は自分のディフェンス田中を振り切れていない状態で、前に現れた亀井の圧力で止められる。
後ろからは光井まで来て一対三。
福田は藤本がパスコースを遮断していて受けられず、囲まれた矢口が田中にボールを叩かれて終了。
二本目は逆、まず矢口に入れてすぐに福田に送るが、これが矢口のマッチアップの田中の手に当たる。
こぼれたボールを光井が拾い上げてオフェンスの負け。
二対四、という設定だとボールが止まったらほぼ負けで、それを嫌って早めにボールを動かしてもなかなか隙はないのだ。
三本目、ボールは福田に入り、藤本相手にドリブルで持ち上がる。
亀井が抑えに来て一対二、というところで矢口へ。
矢口と田中で一対一の状況だが、これなら抜きされなくてもボールは運べる。
ドリブルで持ち上がってフロントコートへ。
ようやくオフェンスの勝ちである。

続いて亀井田中組。
亀井には福田、田中に藤本と、嫌なディフェンスがどちらもついた。
矢口がボールマンに張って、光井がセンターサークル内で待つ。

福田はボールと亀井の間を塞ぐディフェンス、藤本は田中と自陣ゴールとの間に経つ形でボールが入るのは許容するディフェンスをしている。
自然、高橋は田中にボールを入れた。
ただ、受ける位置はあまりよくない。
それでもドリブルで持ちあがろうとする。
しかし、藤本は簡単に抜きされるほど甘くはなかった。
そもそも、ボールを受ける時にマイナス方向へ重心が乗っているので、すぐに進みたい方向へ加速度を持ってドリブルで進んで行く、ということが出来ていない。
この、零コンマ何秒、というのが大きな意味があって、この間にボールマンに付いていた矢口が田中を捕まえに来る。
通常のゲームなら、ボールを入れた高橋が上がるのでそこにリターンパス、という選択肢があるのだが、ここにはない。
田中はそのまま捕まって、それでも強引に突破しようとして、自分の足にボールが当たって一本目は終了した。

二本目もボールは田中へ。
高橋にとって田中にボールを入れるというのはいつもの自然な動き出し、ディフェンスの付き方も田中に入れやすいようになっている。
同じようにドリブル突破をしようとするのだが引っかかってしまう。
中央に居た矢口にも捕まり一対二。
コーナーに追い詰められてどうにもならない状態になり、ラインを踏んで終了。
三本目も田中。
亀井がいい動きで福田を外して田中からボールを受けられる状態になっていたのに視界に入っていない。
藤本を抜きに掛かり、テクニックでどうにかしようとしてバックチェンジでかわそうとしたらボールが手に付かなかった。
こぼれだまを矢口が拾って終了。

「一人でやりすぎだろ」

ディフェンスの藤本が思わず突っ込む。
こういう向かってくるタイプは嫌いではないがそれとこれとはまた別の話し。
自分でどうにかすることにこだわりすぎて視野が狭くなっている。
先輩からの指導、というようにも見えるが、藤本の感覚としては、あきれて思わず突っ込みを入れた、くらいなものだ。

「ボール繋ごうよ。あいたら出してボール動かさないと」
「一人で運べる」
「藤本さんとか福田さんとかすごい人いっぱいいるんだし。捕まったら終わりだよ」

違うのだ。
すごい人いっぱいだから、自分でどうにかしたいのだ田中は。
それが生き残りの条件だと思っている。
亀井と仲良くお話できるようになれたことは、ここ最近の最大幸福事であるが、それはそれこれはこれ。
藤本高橋福田の三人の側に、田中は行きたいと思っている。
他の三人より自分は上。
それを見せないといけない。
信田が見ている。

亀井の方はそんな細かいことは何も考えていなかったが、ともかく今の状態は何とかしないといけないと思った。
いつまでも自分たちのターンが続くのはうざい。
スリーメン、シュート入るまで、で延々走らされているのと状況は近い。

四本目、今度は亀井が受けに動いた。
田中も藤本が入れさせるスタイルなのでパスは入れられたのだが、高橋が気分で亀井を選んだ。
左コーナー隅、位置としては最悪だ。
矢口も挟みに来る。
ぎりぎりの状況、亀井はサイドライン際に一度福田を振ってから中央より、すなわち矢口が近づいてくる側、まだ辛うじて残っていた狭い隙間をすり抜ける。
ドリブルで持ち上がる亀井。
左に福田、右に矢口と二人ひきづって、前には光井。
亀井に三人来れば、田中には藤本だけだ。
これまた光井と福田の狭い間とバウンドパスで通し、田中が受けてハーフラインを越えて行った。

「いえぃーい」

満面の笑みを浮かべて亀井が田中にハイタッチを求める。
田中は戸惑い顔ながらそれに答えた。

「えりりん、こういうのだけはうまいからなあ」
「矢口さん、だけは余計ですー」

矢口コーチ様は亀井の力量はここにいる誰よりもよく知っている。

「信田さん、あたしいつまでパサーなんですか?」
「ん、んー、そうだな。田中。高橋とチェンジ」
「え? え? れいな、エンドですか?」
「そう。オフェンスもう一度藤本光井から。また一周やって」

信田はそう言ってフォワード組みの方へ去って行った。
田中は、ボールを投げつけるか蹴り飛ばすかしたい気分だった。

フォワードは八人。
とにかく一対一をやらせている。
一対一は、勝ち負けがはっきりあって負け続けるとちょっとあれだが、基本的には楽しい練習だ。
まあ、万人にとってそうである、といは言い切れないが、少なくともここにいる八人はこういうことを楽しい、と感じる生き物たちである。

ここは上位と下位の明確な線引きがなさそうだなあと信田は感じていた。
石川是永といったところは今の高校バスケ界の二枚看板だ。
その二人が圧倒的に強いかというとそうでもない。
一学年上の平家は石川の姉貴格であり、過去のポジションとちょっと違ってはいるがやはり力がある。
後藤、松浦といったところも健闘していた。
その二人と比べると意外に柴田が攻撃力が弱いんだなあ、と感じている。
純粋に一対一を切り出してしまうよりも、五対五の中で一対一をする形の、実戦の方が柴田にとってはいいのだろう。
ただ、一対一だけ見た場面でもディフェンス力は随一だ。
逆に久住はディフェンスがひどい。
自力で止めたのを見たことがないくらいにディフェンスはザルだ。
二年くらい前の石川を見ているようだと信田は思う。
ただ、攻撃力はやはりあるのだ。
このメンバーの中に入っても遜色ない。
少々苦しんでいるのが麻美。
オフェンスはスリーポイントをポンと放って決める場面はあるが、ドリブルでゴール近くまで持ち込んで勝負、となるとあまりうまく行っていない。
ディフェンスはさすが滝川のレギュラーといったレベルではあるのだが、やはり一対一だけを切り出すよりも五対五の中での一対一、というディフェンスの方がしっかり出来るタイプなのだろう。

「ちょっとルールチェンジ。負け残りディフェンスで」

オフェンスをやったら次にディフェンスをやりそれで一セットやって抜けて行く、というのがこれまでのシステム。
信田が言ったのは、負けた方がディフェンスをやるということで、オフェンスで勝ったらそのまま抜けていいということだ。
ディフェンスで負けたらもう一度ディフェンスでまた負けたらまたディフェンスで、永遠に終わりはない。
実際には、右サイド左サイド両方に列があるので休みは入るが、延々ディフェンスというのはなかなかつらい。

「小春ルールだね」
「小春はずーっとオフェンスだけでいいっていう意味ですか」
「その自信は私がへし折ってあげるよ」
「ていうことは、石川さんはオフェンスで負けて次ディフェンスやるってことですね」
「石川、口では完敗だぞ」

平家、石川、久住、の順に並んでいる。
ルール変更前の順番でディフェンスにいた是永相手に平家が向かって行ったが、零度からのジャンプシュートが短く外れてリバウンドを拾われて負けた。
逆サイドが一戦後、石川vs平家。
石川がスピード勝負とエンドライン川から突破を試みるが平家がコースに入れない。
塞がれはしなかったがシュートは打てない石川は、ゴールの裏を抜けてそのまま逆サイドまで行っていったんボールをトップに戻す。
ハイポストの位置に上がって平家を背負ってボールを受ける。
ターンしてジャンプシュート。
ブロックの手の上は越えたがリング手前に当たって零れ落ち、ボールは平家が拾った。

「私相手にポストで勝負なんて百年早い」
「平家さん、向こう行ってくださいよー」

向こうと石川が言う先はセンターの七人が居るところだ。
良いところ悪いところ、全部知られている平家先輩はちょっと苦手なのだ。

「あー、石川さんがディフェンスだー。負けたんですかー。負けたんですね。石川さん負けたんですね」
「うるさいうるさいうるさい」
「石川さん、小春に負けたら洗濯係変わってください」
「なんでよ。なんでそうなるのよ」
「それいいね。石川負けたら洗濯係ね」
「勝手に決めないでください」

元々物怖じしない上に、久住と石川は同部屋だ。
久住も松浦あたりとは違って意味で、対石川の偶像崇拝的信仰はない。

久住vs石川
石川も、いいわよそれで、と気軽に言い切れないくらいには久住のオフェンス力は認めている。
洗濯係委譲の件はあいまいなままだが、ここで負けるのはなにがなんでも嫌だ。
アホバカやってふざけているようでも、自分の順番が来れば久住だって真剣だ。
真剣にやった方が面白い、というだけの理屈ではあるが。

外に開いてボールを受ける。
左へ振って右へドリブル、バックチェンジで持ち変えて左、中央よりへ。
すぐにバックターンで右へ、加速してゴール下へ向かう。
石川は前に立ちはだかっていた。
ターンした関係で一度後ろを向いていた久住はそれが見えていなかった。
体当たりする形になってもつれて倒れこむ。
練習なので笛は鳴らないが、ゲームなら笛がなる場面なのは誰の目にも明らかだった。

「オフェンスじゃない? 今の」
「オフェンスだね」
「正面突っ込んだもんね」

倒れた二人、特に怪我もなさそうに普通に立ち上がる。

「ファウル。ファウルです、石川さんの」
「小春のでしょ、今のは」
「えー、石川さん、負け惜しみは良くないですよ」
「久住」
「はい」
「オフェンス」
「えー・・・」

久住のオフェンスファウル。
満場一致の判決だった。

「久住」

信田が手招きする。
逆サイドの一対一の間にお説教。

「ここ一番って感じで勝ちに行ったのはわかるけど、テクに頼りすぎ。頼りすぎって言うか、無駄にテクニックを出しすぎ。バックチェンジで持ち代えたところでそのまま行った方がチャンスあったのにそのあとバックターンで戻るから石川対応しきっちゃったのよ。最初から決めうちでどんな動きでやるか、っていうやり方は中学の下の回戦くらいまでにしておきな」

返す言葉もございません、という素振りな久住。
完全な決め打ちプレイだった。

「じゃ、小春ルール頑張りな」
「なんですかそれ!」

ご機嫌斜めの田舎のお姫様。
なんだかんだ言ってもディフェンスが苦手なのはここ数日で自覚は持たされている。

逆サイド側は終わってすぐに久住ディフェンスの番。
やってきたのは松浦だ。
さくっと簡単に抜き去られワンアウト。
続いて麻美はゴール近くまで持ち込んでのレイアップシュートを横から止めに行ってファウルというジャッジで負け。
柴田がやってきてこれもきれいに抜き去られてスリーアウト。
もう一回松浦。
今度は久住がディフェンスを決め打ちしてウィークサイドについていく、と決めたらしっかりとはまったのだけど、じゃあ、という感じで放ったジャンプショットがブロックの上を越えて決まった。

「あーら小春ちゃんお元気? どうしたの? あれ? ディフェンス? さっきもディフェンスやってなかったかしら?」
「石川さんを待ってたんですよ」

続いてやってきたのは石川。
強気なポーズはまだ変わらない。

中央からパスを受けての一対一。
石川はまず面を取って外に開いてボールを受けた。
正対。
シュートの構えからすぐに右手でドリブル、久住は付いていけず簡単にゴールしたまで行ってレイアップシュートを決めた。

「小春はフェイクに弱すぎるのよ。反応しちゃうのはまだしも、その後に対応できてない」

久住はなにも言わない。
そろそろ本当にいらいらし始めている。

石川は列に戻ると平家に言われた。

「なんか聞いた事あるようなこと言ってるね」
「いいじゃないですか」
「まず、数こなすしかないでしょ、あれは。それは石川が一番よくわかってるんじゃないの?」
「平家さん、引っかかる言い方しますね」
「石川より一年二年早く現実に気づいた感じになるんだから、そんな風にお姉さん面してられるのもそんなに長くないかもよ」

久住はこの後、是永に麻美に柴田と次々に軽く遊ばれてしまう。
石川や平家はもうそちらの列に並ばなかった。
久住がディフェンスから解放されたのは後藤の回だ。
後藤は、ワンフェイク入れてからワンハンドでスリーポイントシュートを放った。
これが入らず大きく跳ね上がる。
後藤はボールを追わず、久住が追いかけて拾ったので、後藤の負けという形になった。

「後藤! リバウンドは追いかけろ!」

練習の一対一では勝敗に割合淡白な後藤であった。
久住は久住で、そんな形で解放されても不機嫌は直らなかった。

センターは九人。
最も多いが、激戦という感じを信田はあまり持っていない。
飯田がはっきり抜けていた。
社会人で半年経験を積んで力強さも付いてきている。
技術的にも高く、なかなか周りが互角に太刀打ち出来ていない。
もう一人力的に高い位置にありそうに見えるのが里田だ。
ただ、五番として飯田と張り合うような立場には見えない。
ここにいる九人の中で最もフォワードライクなプレイをする。
純粋に飯田の次、という場所はどんぐりの背比べになっていた。
村田、木下、スザンヌ、あやか。
道重も四番はないだろうという意味ではこちらの区分だろうか。
みんなそれぞれ一長一短。
リバウンドに強い道重、荒っぽくインサイドのぶつかり合いに強い木下、割合バランスの取れた村田、意外せいのスザンヌ。
あやかは個の能力だけを見られるポジション別の練習ではやや落ちるが、他の練習で周りとの連携、他のプレイヤーの理解度の高さを見せていた。

高校のチームでは五番を割り振られているみうなだが、プレイ振りを見ている限りでは四番やらせた方がいいだろう、と信田は見ている。
そういう意味で飯田の控えの争いからは外れている。
微妙なのが吉澤だ。
同じ県にて国体で一緒のチームだった、とのことで今回も一番飯田に向かって行っているのが吉澤だ。
ただ、信田から見ていてこの子は五番はないな、と思った。
四番、あるいは三番の方がいいのではなかろうか。
しかし、三番としての力量があるかというとそれはないのだ。
石川是永と争えるか、否。
外のシュートが無いというところで、その二人と張り合うのはまったく無理だ。
今から外のシュートを身につける?
U-19の代表コーチとして、十日後には大会に望む立場としては、それも時間が無さ過ぎて否だろう。
中・長期的には間違っていないと思うが。

「優樹菜、それファウル」
「何にもしてないよ」
「Tシャツ掴んでるでしょ」
「ばれないって」
「外からファウルって言われてる時点でばれてるでしょ」

オフェンスリバウンド役の木下があやかのTシャツを引っ張って中に入り込もうとしていたのを外から里田が突っ込んだ。
センターは逆サイドにリバウンド要員付きのローポスト一対一をやっている。
基本は一対一で、シュートが放たれた直後から二対二になる。
シュートが入ればそのまま終わりだが、入らない場合リバウンドを争い、オフェンス側が取ったならそのまま二人でもう一度、ということだ。
ただ、フォワードの一対一と違い、リバウンドを取ったら戻してもう一度初めからという選択肢はない。

「エンド側のレフリーからは丸見えでしょ」
「そもそもばれなきゃいいって問題?」
「村さん、堅いこといいっこなしっすよ」

センターは同チーム出身者が多い。
里田とみうな、吉澤とあやか、木下とスザンヌ。
さらに飯田も吉澤やあやかと近い。
松浦や久住のような、私が私がタイプも存在せず、大きいのが揃った見た目の迫力と比べ、割合和やかに練習が行われている。
強いて言えば、木下の荒っぽさが波乱要因だが、飯田や村田といった最年長者たちの妙な包容力がそれも包み込んでいた。

「ほら、次、次」

オフェンス、オフェンスリバウンド、ディフェンス、ディフェンスリバウンドの四バージョン一セットでメンバーは順繰り回っている。
自分の前に並んでいる人が自分のディフェンスをする人で、自分の後ろに来る人が自分がディフェンスをする人だ。

「飯田さん、お願いします」
「えー、もういいよ、ポチ。誰か他の人来てよ」
「ひどいですよ、その言い方・・・」

吉澤は飯田のいるところを選んで並ぶ。
ひどいのはポチという呼び方か、他の人を望むことか。
何度でも挑戦してやる、というのは吉澤の方としてはいいが、飯田としては飽きてきた。

「分かった。せめて順番変えよう」
「順番?」
「ポチが先」
「私がディフェンスってことっすか?」
「そういうこと」

飯田が吉澤を前に入れる。
どちらにしても吉澤の相手をしないといけない、というのは変わらないが、それでも今まではずっと飯田が吉澤のディフェンスをする、というものだったのが吉澤が飯田のディフェンスをするという状態に変わった。
先に入れられた吉澤、すぐに対みうなでオフェンスとして参加することになる。
面を取った状態でボールが出ると、一歩外に開いてターンしながら受ける。
シュートフェイク一つ入れてワンドリブル、それからジャンプ。
ジャンプシュートはしっかり決まった。
吉澤は首をひねっている。

続いてオフェンスリバウンド。
ここは逆サイドの里田が一対一で決めてしまったので出番はなかった。

「なに変な顔してるのよ」
「いや、やられたと思ったのにシュート入ったから」
「圭織よりブロックが低かったってだけじゃないの?」
「はぁ」

飯田が入ってきたのでディフェンスする。
ボールを受けた飯田はターンして踏み込んでこようとする。
そこは体で抑えた吉澤。
飯田は足を少し戻してシュートの構え。
吉澤が見事に引っかかりジャンプしたのを見定めて、飯田は遅れて飛んだ。
吉澤が落ちきったところが飯田の最高点、空中フリーでボードに当ててシュートを決めた。

「ポチ、速さはあるのよね。パワーもまあまああるのに。単純な性格だからだまされやすい」
「飯田さんの考えてることなんかわかる人いないっすよ」
「むらっちの考えてることわかる?」
「・・・、わかんないっす」
「やっぱり圭織の問題じゃないのよ。ポチの問題」

うまくまるめこまれてしまっているが、それも何か違うような気が吉澤はしている。
それにしても、飯田からの呼び名がポチで根付いてしまった。
他のメンバーからは一度二度冷やかしで呼ばれたくらいで定着はしなかったのが幸いではあるが。

ポジション別の後は集まって三対三をしばらくやった後五対五へ移行していった。
代表メンバーに入るのは十五人と聞いていた。
落ちるのは九人だ。
吉澤はその辺のことは考えないようにしていた。
力関係考えて予想屋みたいなことをしてもしかたない。
とにかく目の前の練習をしっかりやる。
残れればラッキーだし、残れなかったら力が足りなかった、それだけだ。
センター陣見渡して一番力があるのは飯田だと思っている。
だからなるべく飯田にぶつかって行く。
それは逆に、自分はこれだけ出来るんだと言うのをアピールすることを考えると厳しい条件になる部分はあるのだが、その辺のことは考えていなかった。

「私、単純な性格なんすかねえ?」
「なにそれ?」
「飯田さんに言われたんですよ、今日。吉澤は単純な性格だからだましやすいって、練習中に」

ポチの部分を吉澤と置き換えて説明する。
練習終了後部屋に帰ってからの平家との会話だ。

「単純。んー、そうね。単純と言うか一本気と言うかそういうのは感じるかな。犯人や共犯になるとすぐばれるタイプだよね」
「私、ああいうゲーム苦手ですよ。まあ、面白かったですけど」
「性格出るよね、あれ。一般人でも告訴告訴で自分から動こうとするのとか、犯人になってるのに自分じゃほとんど何もしない人とか」
「あややみたいに性格悪くてカモフラージュのうまいのとかですか?」
「こらこら、自分の後輩を性格悪いとか」
「まあ、いいんですよ、あいつは。でも、ゲームだと石川さんなんか分かりやすかったけどなあ。バスケやるとそうでもないのはなんでだろう。どっちかっていうと分かってても止められないってのもあるんだろうけど」
「石川はバカだからしかたないよ」
「平家さん、自分の後輩をバカはまずいんじゃないっすか?」
「ん? いいのいいの。石川だから」
「ひどいなあ」

バカとか性格悪いとか、平気で言えるのも一つの信頼関係ではある。

「なに? だましやすいってのはディフェンスの場面とかそういうこと?」
「へ? あー、はいはい。そうです。フェイクで外して決められて。その後、吉澤だますのは簡単だって。去年国体の時一緒にやってて力は分かってたはずなんですけどね。あの頃よりは自分もうまくなってた自信があったのに、なんか飯田さんとの差が拡がってる気がして、ちょっとショックでした」
「高校と社会人は全然違うから。あの子、高校じゃまともにやりあえる練習相手がいなかったとこから、いきなりジョンソン化粧品なんていう周りは日本代表クラスですってとこに入って練習の質から何から全部変わったからね。そりゃあ伸びるよ」
「平家さんの方が試合に出られそうって聞きましたけど」
「チームのレベルが違う。私は確かに、実戦が積めそうなところを選んでって部分があって、まあ、高校からのルートとか他にも理由はあるけど今のチームに入ってポジション代わりつつも試合にはまあまあ出られそうな気はするよ。でも、圭織が普通に試合に出るってなると、それはもう代表レベルを押しのけないといけないわけだから、それは意味合い違ってくるのよ」

話が元に戻りつつも、また、別のところへ展開する。
社会人バスケのシーズンは秋-春制である。
彼女たちの入団後、まだリーグ戦は行われていないが、チーム内での力関係など、それなりに情報はそれぞれ入ってくる。

「そういえば今日、石川が小春ちゃんに偉そうに似たようなこと言ってたな」
「なに言ってたんですか?」
「小春はフェイクに弱すぎる! って」
「ははは、私は中学生と同じ注意を受けてるわけですね」
「ディフェンスってなんとなくじゃうまくならない部分あるからねえ。オフェンスはなんとなくでも数こなしてると、慣れでシュート入るようになっちゃったりすることもあるけど、素質あると。ディフェンスは意識してやらないとさくっと抜かれてそれで終わりになっちゃうから。シュート練習なんかと違って一人じゃ練習できないし」
「そうか。吉澤は中学生と同じ意識レベルだってことですね・・・」
「なに言ってるの。バスケ暦二年半なんでしょ。小春ちゃんにしろ愛華にしろ中学生でもバスケ暦はもっと長いはずだよ。小さなこと気にすることないって」
「でも、意識レベルってそういう問題じゃないじゃないですか。ようはガキだってことですもん」
「最初は誰でもオフェンスの方がうまくなるもんなのよ普通。自分で練習しやすいし。主導権が自分にあるからね、いろいろと考えて試しやすい」
「インハイの時なんかは結構出来たつもりでいたんですけどね。でも、あとから決勝なんか見てると、石川さん、吉澤相手には全然本気じゃなかったんだなとか思いました。ああいうレベルの人たちの本気を相手にちゃんとディフェンスするっていうのはまだまだ出来てないんだなあ」
「経験よ経験。その辺は。石川だってディフェンスひどかったんだから。意識して高いレベルを相手にやっていけば一気に身に付いて行くと思うよ、いろいろと」
「確かに、うまい人に挑戦って言うか、ぶつかって行くとかそういうのって、自分がオフェンスでやっちゃいますもんね。あんまりディフェンスの意識もって練習してなかったなあここ来てから」

久住はともかく、吉澤は別に一年生の頃の石川のような能力の九十パーセント以上がオフェンスに偏っているというようなタイプではない。
ただ、今日現在の意識として、ややディフェンスが手薄な感覚はあった。

 

妙なうわさが流れたのは翌日の朝だった。
是永がチームを出て行くかもしれないというのだ。
うわさの出所はたどると高橋である。
面談設定日はとっくに終わっているのにコーチ部屋に入って行くのを見たと言うのだ。
なかなか出てこなかった、ずいぶん長い話し合いだったんだと思う、という。
廊下で見張ってたのかよ、ドアに耳でも当てて話し聞いてたの? と周りから突っ込まれていたが、あながち外れてもないらしい。
で、なんでチーム離脱のなるの? と問われると、だってあんなに長く話し合ってたんですよ、という回答が返ってくる。
考えすぎよ、と柴田と石川が一笑に付した。
コーチと長話しただけでチーム離脱につなげられたらたまったものではない。
平家はさらに一言、変なうわさを流すな、と上から目線で高橋を叱った。

高橋の話は論理の飛躍がありすぎる。
日常生活を近いところでおくったことがあると、一々全部相手にしていたらきりがない、という風に感じる。
五日目ともなると、なんとなく人となりは把握してきているので、出所が高橋と分かると、他のメンバーも九割がた、ガセガセと聞き流していた。
別に、いざこざなんかはないのだ、少なくとも各自自分が知る限りの範囲において。
出て行くような理由はない。
強いて可能性があるなら怪我かな、というのはあるが、練習に入って行く姿を見る限りそれはまったくなさそうだ。
選抜チームから自分の意思で離脱、というのはあまり本人に聞きやすい話題でもないので、九割がたガセと踏んだら、それをわざわざ本人に聞きはしない。

ただ、一人だけ引っかかったメンバーが居た。
松浦だ。
なんだかピンと来たのだ。
是永の行動がどうにも不審だ、と思っていた。
よくわからない電話をよくかけているし、この前みんな集合というときも遅れてきたし。
同室の人間として不審に感じる行動が多い。
なにやら思い悩んでいる風はあるし。
チームを離れる、は割と違和感のない回答だった。
高橋の言葉は論理の飛躍がありすぎるけど、論理が飛んでいるだけで直感的には間を埋める何かを感じているのだろうと思う。
なんでチームを離れるのか、それが本当に答えなのか、というのははっきり言い切れないけれど、少なくともそれに近い何かはあると松浦は感じている。

「なんか変なうわさ立ってますよ」

その日の昼、部屋で休んでいる時に聞いてみた。

「変なうわさ?」
「是永さん、帰るんですか?」
「帰る?」
「チーム離れるって」
「え? あ、あー、あのー、うん、そんなメンバーに選ばれるかとかまだわかんないし、その、そういうこともあるんじゃない?」
「そういう意味じゃないんです。大体、そんなことまったく思ってませんよね。メンバーに入る入らないじゃなくて、是永さんの意思で出て行くって」

隠し事が得意なタイプではないらしい。
いや、というよりも、うそがつけるタイプではないらしい、という方だろうか。

「何があるんですか? 怪我? それとも国体出たいとか? 出たくないけど先生が帰って来いって無理やり言ってるとか。石川さんが嫌いになったとか。それはなさそうだけど。なんかチームがいやとかそれとは違う理由でなにかありますよね?」

是永は答えない。
二人は隣り合うベッドで布団の上に横になっていた。
松浦が起き上がって話しかけたので是永も体を起こしている。
真剣な瞳で松浦が是永の顔を見ていた。

「なんかよく電話で話してましたよね。ん? 身内に何かあったとか? 違うな。それなら黙ってない。んー、ん? そうか。アメリカだ。アメリカですね。オファーが来たんだ。そうだ、それですね」

是永の目が泳いだ。

「分かりやすいですね。正解だ。アメリカですね。そっかー、アメリカかあ」

一人で問い詰めて一人で納得した松浦は、満足してベッドに横になった。

「そんな、隠さなくてもいいじゃないですか。別に、イヤミったらしいとかそんなの思う子いませんって。まあ、ちょっと悔しいとかうらやましいとかそういうのはいるかもしれないですけど。あとまあ、残念、かな。松浦は是永さんと試合したかったし」

松浦はすっかり自分はメンバーに選ばれて試合にも出るつもりでいる。
是永はまだ松浦の言葉に答えない。
ばれたんだから後は素直に話すだろう、というのが松浦のイメージしている展開なのだがそれが起こらない。
違和感を感じて松浦は体を起こした。

「違うんですか?」

自分が出した解にちょっと不安を感じて聞いてみた。
是永からはイエスでもノーでもない答えが返ってきた。

「迷ってるんだ」
「迷う?」

松浦は一瞬理解できなかったが、すぐに聞き返した。

「迷うって、迷うほどオファーが来てるんですか? すごいな」
「そうじゃなくて。行こうかどうか迷ってる」
「行こうかどうか迷う?」

説明されて、余計意味がわからなくなった。

「アメリカ行こうか、このままここにいようか、このチームに大会まで居ようか迷ってる」
「大会後でもいいんですか?」
「よくないんだけど」

意味が分からない。
自分でアメリカに行って売込みしておいて、オファーが来たこの段階で迷っているらしい。
ハテナマーク一杯の顔をする松浦に、是永は観念して説明し始めた。

「予想してなかったんだ、こんなに早くオファーが来るとか。来年っていうつもりで話してたのに、代理人の人はもう本格的に売り込んでたみたいで」

アメリカのNBAは秋-春のシーズンで行われる。
対して、女子のWNBAは春-秋シーズンだ。
男子のシーズンを外すこと、また、海外の各国リーグのオフシーズンに行うことでファンをひきつけようとしている。
そういう意味では今はもうシーズン終了、というところだ。
ただ、それは、トップチームで普通に試合に出る人々のスケジュールである。
これからチームに入って行こうとする新人、契約のまったく約束されていないものたちは、このシーズンが終わった秋からが、春のメンバー入りを目指した戦いの始まりである。
是永には、その、メンバー選考の初期の段階のようなものに参加しないか、というオファーが来ているという状況である。

「高校卒業してからね、アメリカに渡って一シーズン見て、その後チャレンジするつもりだったんだ。だから予定より一年早いの。よっぽどうまくいけば、来シーズンからとは考えてたけど、この時期からセレクションに臨まないといけない立場なら、来年のこの時期からって、そういう意味で来年って言ったのに、来年のシーズンにメンバーに入るためにみたいに、なんか通訳のところで食い違いがあったみたい、たぶん。だからまったく予定外」
「いいじゃないですか、それでチャンス来ちゃったんだから。高卒の資格がどうとかそういう世界でもないんだろうし」
「高校は、籍は残していいって言ってくれてる。レポートとかそういうので卒業できるようにしてくれるって。うちはそういう学校だから」
「じゃあ、何も問題ないじゃないですか」
「このチームでね、試合したいなって」
「このチームで」
「アメリカのWNBAでプレーオフに出て私のシュートで優勝する。それが夢。だけど、オリンピックも出たいんだ。日本代表。日本を代表してオリンピックに出たい。金メダルっていうのは現実的じゃないかもしれないけれど、でも、金メダルを目指して戦いたい。日本代表として。このチームはアンダー19っていう限定がつくけど、でもやっぱり日本代表ではあって。まず、第一歩としてこのチームで戦いたいって想いはあるんだ。そのつもりでここに来た。せっかく代表候補に選ばれたのに、それを捨てて行くのは難しいよ」

松浦は何度かうなづきながら聞いていた。
出会ってまだ五日目の人から聞く身の上話。
アドバイスをするとか背中を押すとか、本来そういうような立場でもないだろう。
そもそも年下であるし。
でも、思ったことがあって言いたいことがあれば、松浦は口にするのだった。

「日本代表には、どこにいてもなれるんじゃないですか? 南極とかじゃだめかもしれないけど、アメリカでバスケやってるのと日本でバスケやってるのとじゃ、呼ばれる可能性はそんなに変わらないんじゃないですか?」
「そうかもしれないけど、そういう先のことじゃなくて、今、このチームで試合がしたいんだよね」
「本当は怖いんじゃないですか? 是永さん、ここに居れば間違いなく代表メンバーに入りますもん。中国とか韓国とかどれだけ強いのか私知りませんけど、是永さんは普通に試合に出て普通に活躍するんだと思う。試合に勝つかどうかは知りませんけど。負けても多分ごめんなさいで済んで、次の時も普通に代表に呼ばれるんですよ是永さんは。是永さんでダメならみんなダメ、ってことになるから。それがアメリカ行くと通用するかどうか分からないじゃないですか、やってみないと。ダメならごめんなさいってわけにはいかないで帰れってなって日本に帰るしかない。もうチャンスが来ないかもしれない。それが怖いんですよ是永さんは。だからこのチームで試合がしたいってのを理由にしてるだけなんです」
「・・・キミは、キミはストレートだね」
「よく言われます」

是永は苦笑いを浮かべた。
松浦の方が真剣な表情だ。

「このチームで試合がしたいっていうのは間違いなく本当で。石川さんとか藤本さんとか、レベルの高い人たちと練習するのは楽しいし、代表権取ることを目指して、ううん、優勝を目指して戦うのは楽しみなんだ。それを手放したくないっていうのはどこにもウソはない。でも、そうだね。本当は、迷っているのは、キミが言うとおりのことがあるのかもしれないな。アメリカに行って活躍したいのは確かに夢なんだけど、一人でアメリカに行って、本当の意味で横一線からのスタートで、自分ひとりでいろいろな人に混じって勝負する、挑戦するっていうのが怖いっていうのは、うん。正直、あるな。そっか。そういうことか」

是永は仰向けにベッドに横たわった。
代表候補の合宿中だから。
代理人に話したことであり、信田に話したこと。
迷っている理由としてそう言っていたし、自分でもそういうものだと思いつつ、何かすっきりしない部分があったのだが、松浦にオブラートを剥がした苦い薬を飲まされてはっきり自分で理解した。
自分は怖いのだと。
怖がっている自分が分かって、少しすっきりしてしまった。
このチームが捨てがたいのは確かだが、悩みの原因はそこだけではなかったのだ。

「なに納得してるんですか。それでどうするんです?」
「わかんない」
「わかんないって、向こうは待っててくれるんですか?」
「まだね。日にち的には中国行く前の日にアメリカ飛べば間に合うタイミングだから一週間はある」

是永は天井を見つめている。
松浦はそんな是永の顔をベッドに座って見ていた。

「チームにばれると良くないって、ばれないようにしてたんだけどな、どっちに決めるにしても。火のないところに煙は立たないっていうけど、煙がみつけられちゃったか。うわさってどこからたったの?」
「高橋愛」
「あの子かー。あんまり鋭いタイプでもなさそうなのに」
「コーチ部屋に長く入り浸っているのを見たのが元らしいです。それだけの理由でチーム離脱って論理の飛躍だってみんなは言ったんだけど、私は、なんか挙動不審な是永さんを見てたから、当たってるんじゃないかって」
「ホントに鋭いのはキミか」

是永はなんだか穏やかな顔をしている。
話せずにいたこと、代理人だの信田コーチだの親だの、大人には話さざるを得ず話したけれど、同世代の話し茶まずそうだと思っていた人に話すことが出来て、抱えていた何かが軽くなったのだろう。

「キミならどうする?」
「私なら? オファーに答えるかですか?」
「そう」
「アメリカ行きます」
「即決? 怖くはないの?」
「はい。チャンスは全部掴み取りますから」
「すごい自信だなあ」
「是永さんも自信があったんじゃないんですか?」
「いざ現実となると怖いのよ。いろいろなものを捨てて挑戦しないといけないし。結構大事なんだ、私にとって。一緒に練習する、一緒に試合をする仲間って。まだ何日かしかいないけど、キミもね」
「私だって大事ですよ。でも、捨てるってのはちょっと違うかなって思います」
「違う?」
「置いていくだけですよ。捨ててなくなるわけじゃない。置いて行ったものを捨てちゃう人もいるかもしれないですけど、そんなの仲間じゃないから。仲間なら置いて行ったものは置いて行ったまま持っていてくれます」
「でも、これから一緒に試合をするっていうのを捨てて行くんだよ」
「それは捨てるんじゃないんです。掴み取るものをどちらにするか決めるだけです」
「キミはなんでもはっきりしてて気持ちいいね」
「当事者じゃないですから。いざ、本当に是永さんの立場になったら私だって迷うかもしれないです。でも、当事者じゃないから冷静に考えられるとも言えると思います」
「当事者じゃないからか・・・」

二人の話はなんとなくそれで終わった。

午後の練習、迷いによる是永の集中の欠如、というようなものは見られなかった。
どちらかというと、切れているという風だ。
今の是永を止められるものは誰もいない、というような。
あれのどこを見たらチーム離脱なんてなるの? と高橋は先輩方から集中砲火である。
松浦も、通常はおしゃべり性格であるが、この件に関しては周りに吹聴してまわったりしなかった。
選択までの一週間、自分だけが知っている、という状態で見ている方が面白い、という感覚がある。

しかし、実際にはそうはならなかった。
その日の夜。
信田が是永に最後通告をした。

「明日中にどちらにするか決めろ」

このチームの代表選考、信田は明後日の晩に決めて明々後日通達、としている。
代表チームには代表チームの都合がある。
どちらにするか決めかねている選手を、とりあえず代表に選ぶ、などということをして、席を一つ埋めるわけには行かないのだ。

是永は部屋に戻ってその話を松浦にした。
そして付け加えた。
みんなに話してもいいよと。
キミは多分本当はおしゃべりな性格だろうしと。
またコーチ部屋で長話してたと高橋が話して回っていて、いい加減にしろといわれていたが、松浦がことの真実を告げて話に信憑性を与えた。
うわさはあっという間に合宿所中に広まった。
そして、夜が開けた。

聞きたくても聞けない。
朝食時にそんな空気が是永の周りに出来ていた。
おはよう、のあとに、ねえねえ、と聞くには話題が重過ぎる。
すでに真実味のある話が松浦発で伝わっているので、興味本位では聞きにくい。
誰それの寝相がひどい、といったような該当者以外にとっては無難な話題だけですぎて行く。

そういう空気を読めずか、あるいは読みつつ無視したのか。
体育館に集まって、練習前のストレッチなんかをしているとき、少し遅れてやってきた石川が、是永の下へ直行した。

「アメリカからスカウトが来てるって聞いたけど本当なの?」

座ってストレッチをしていた是永に、立ったまま問いかける石川。
周りの会話は自然と止まり、視線が二人に集まる。
是永は座ったまま答えた。

「ちょっと意味合い違う気がするけど、ようはセレクション受けに来いって話しが来てる」
「行こうかどうか迷ってるって聞いたけど、本当?」
「うん。迷ってる」
「このチームの大会と重なってるからってこと?」
「それだけじゃないけど、それも一つの大きな理由」
「そうなんだ」

それだけ言うと、石川は是永から離れて行った。
壁際に座りストレッチを始める。
周りは、軽くずっこける。
そこまで聞いたなら、問い詰めるとか背中を押すとか、何かあるだろ、という感じである。

全員、耳はダンボ状態であったが、その後はなしを展開させたものはいなかった。
石川だから聞けたのである。
飯田、平家、村田、このチームの年長者たちは、興味はあったけれど本人が決めることであまり口出しはしたくない、という意見で一致している。
もう一人の年長者矢口は蚊帳の外だ。
藤本、後藤といったリーダー格も、他人事感覚なところがある。
吉澤では、是永との距離感がありすぎて一対一で聞けるような話ではなかった。
距離と立場と性格と、全部揃っていたのが石川だけなのだ。

チームは是永のために存在するものではない。
やってきた信田コーチは、何事もないかのように普通に練習を始めさせた。

是永のことに興味があっても、皆それぞれ、そろそろそれどころではない。
今日中に是永が決めないといけないのは、明日には代表メンバーが決められるからだ。
選ばれる側は必死である。

練習時間の割り振りが変わってきた。
ポジション別を短くしてその後の三対三、五対五が長い。
特に五対五。
メンバーを頻繁に入れ替えながら、トータル時間は長く取っている。
誰が使えて誰が使えないか。
一人一人見極めて行く。

是永はやはり強かった。
普段のチームでスーパーエースであり、ワンマンプレイヤーなイメージがあるが、実際にはディフェンスをひきつけてからのパスの捌きがかなりうまい。
一対二を作ってパスを捌いた先に一対ゼロがある、という構図だ。
そのあたりの状況判断の目に今日も曇りがない。

その点で松浦が少し失敗していた。
自信たっぷりな態度を取りながらも、不安があるのだ。
アピールしないと残れない。
石川や是永はともかく、柴田とか平家と比べても、自分を見る周りの目はそれほど認めてくれていないものを感じている。
自己採点に、他者の認識が合致していない、と松浦は感じている。
周りを生かしてチームで点を取る、というこの合宿の入りの頃に出来ていたことが、ここに来て出来なくなっていた。
自分の力を見せないといけない、という焦りが出てしまっている。

やっていることが似ているのに、うまく行かないとならないのが石川だった。
アピールするとかそういう意思ではなくて、一人で勝負していっている。
一対二になる前に、一を抜き去って、一対一が二回、なら負けないし、一対二になっても一で勝ってしまうところがある。
いつもここまでワンマンなわけではないのだが、いろいろな機嫌の悪さが石川にそうさせていた。
メンバーを見極めるというのにどうか、という部分があるので信田は石川をさっさと代えてしまう。

福田はやはり今ひとつ調子が出ない。
オフェンス側でばかり起用されるのはどういう意味なのか、本人は分かっているつもりだ。
ただ、それでも、納得行かないものを納得行かないまま実行して、それでメンバーに残っても仕方ない、という思いがある。
信田の言っていることが間違っているとは言い切れない。
でも、自分はこのスタイルで今日までやってきたのだ。
それを簡単に捨て去れと言われて、簡単に納得行くものではない。
迷いを抱えたままのプレイは、パスで味方を動かすという本来の福田のスタイルまでも崩してしまっている。

ガード陣では田中も必死だ。
福田がなんか変なのは見て分かってきた。
チャンス到来。
しかし壁は厚い。
藤本、高橋と直接対決を迫られると心理的に一歩引いてしまう部分があるし、実際プレイの面でも敵わない。
藤本のディフェンス力というのは試合でも実感があったが、田中にとって意外だったのが高橋だ。
普段ともに練習をしているのは高橋の方なのだが、実際にはあまりマッチアップするというケースがない。
田中が一番、高橋が二番、同じチームの側にいてコートに立っている。
それは練習の時でも同じだ。
ここまで手強い相手だったのか、と改めて思い知らされる。

そんな必死な田中先輩を見つつ、久住はのんきなものだった。
メンバーに残る自信がある、というのとはちょっと違う。
毎日いろんなことが起こって楽しいなあ、という感じだ。
残れたら残ればいいし、ダメならダメでまあ良いかと言うくらいなもの。
ただ、後二週間このチームで合宿-遠征に参加できれば、中間テスト受けずに済む、というのは魅力的である。
という程度ののんきな久住であるが、それでも合宿に入ってから一番分かりやすく変わったのは彼女かもしれない。
なんといっても、まじめにディフェンスをしようとするようになったのだ。
まだまだ、というのは仕方ないが、それでも、止めようという意識は出て来た。
久住をディフェンス側で使っているのは、その意識および能力の向上を見ようという信田の意思の表れだろう。

普段の持ち味が生かせていないメンバーは少々苦しくなってきている。
みうなが力を発揮出来ていない。
このレベルが集まると、インサイドで体を張って勝負というところではみうなは少々弱い。
かといって、外から勝負、という技がみうなにはない。
フックシュートという武器はあるのだが、それが出来る場所でボールを受けられない。
中途半端で生きる場所がないのだ。
持ち味が生かしきれないという意味では道重も苦労していた。
リバウンドというのは安定して力を発揮しやすいものではある。
しかし読みで取りに行くオフェンスリバウンドが思うように取れなかった。
どこにボールが落ちるかを一番早く読み取っても、基本のスクリーンアウトをきっちりされて身動きが取れないとボールは取れないのだ。
飯田、村田といったあたりはこの基本のスクリーンアウトをしっかりとやってくる。
ただ、ディフェンスリバウンドはしっかり確保出来ていた。
その面では生きる道があるかもしれない。

練習中は、それぞれ自分のことに集中している。
調子のいいもの悪いもの、今後の展望に明るいものが見えたもの、それぞれだ。
練習が終わると、周りへの興味がまた出てくる。
選抜メンバーに誰が残るのか?
誰もが興味のあることだけど、自分も当事者なので、なかなか話題にしにくい。
是永がどうするのか?
これは、自分が当事者ではないので話題にしやすい。

そんなはなしがあちこちでされているだろうことを是永は知ってか知らずか、練習終了後、夕食も済ませると部屋の中で大人しくしていた。
ベッドで横になっている。
沈思黙考。
松浦も部屋に居た。
和やかにおしゃべりできるような雰囲気ではない。
近くにいて、何か力になれれば、と思ったわけでもない。
ただ、一人の人間の決断を、近くで見ていたいと思った。

松浦は自分勝手だが空気は読める。
ベッドに仰向けに横たわる是永のことをじっと見つめていても、自分からは何も口を開かない。
是永が考えているように、松浦も考えていた。
この人はどういうきっかけでどういう決断をするのか、この人にあって自分にないものはなにか? そんなものはあるのか? 自分ならどうするか? 自分の将来は?
考えることはいくらでもある。
壁に寄りかかりつつベッドに座っている松浦。
横たわったままの是永が口を開いた。

「どこか行かないの?」
「邪魔ですか?」
「さすがに遊んであげられるほど余裕はないよ」
「そんなこと期待してないですよ。余計なこと気にしてないで自分のことだけ考えてください」

まったく人がいいものだ・・・、と松浦は思う。
それと比べて、思い悩んでいる是永を見て楽しんでいる自分は、なんて人が悪いのだろうか。
そう思うだけで、別に落ち込んだり悩んだりはしない。
人が悪くて何が悪い。

「医者とバスケ。どっちを選ぶか悩んでる友達がいたんだ」

しばらく黙っていた是永がまた口を開いた。
答えは、特に求められていないらしい。

「医者になるには勉強しないといけない。バスケをしながら両立できるほど甘くはない。どちらを選ぶか。私はバスケにしようよって言った。親が反対してるならって家まで押しかけて行ってまでバスケを続けさせようとした。だけど、幸は医者になることを目指す道を選んだ。バスケは捨てた」

自分は、壁ではない誰かであって、これはほとんど独り言で何か答えたり意見を言ったりする必要はないだろうと思った。
ここに人が存在して、耳が存在して、聞いていれば、多分それでいいのだ。
どうやら、自分の友達の決断に、今の自分の状況を照らし合わせているらしい。

「バスケがなかったら幸とは出会ってなかったし、一緒にバスケを続けられたらどんなに良かったかと思うけれど、バスケを辞めたからって幸は幸で、私の友達なことはかわらない」

明日香ちゃんがバスケをやめたらどうだろうか? と思った。
他に何かを見つけて辞める、というのは考えにくいけれど、怪我か何かをきっかけにそういうことが起きるかもしれない。
でも、バスケをやめても明日香ちゃんは明日香ちゃんであって、友達であることは変わらないだろうと思う。

「周りがなんて言うかとかどう思うかとかは関係ないんだ。これは私の問題で、私が何を望むかで決めるべきで。それだけを考えて決めるべきなんだろうと思う。この今のチームで試合がしたいっていうこと、日本代表で世界に挑みたいっていうこと、それは確かだけど、大きく見ると目先のことかなって思う。来週の大会は今離脱したら出られないけれど、先々の日本代表としての試合はキミが言ったように、どこであろうとバスケを続けてさえいれば、力さえあれば呼んでもらえると思う。だから、そこははっきりしてるんだと思う。ただ、後の問題は、これもやっぱりキミに言われて気づいてしまったことだけど、怖いんだな。自分が通用しないことが怖い。それを越えなくちゃいけないんだ」

キミ、といわれたからには独り言ではなくて、私に向かって話しているのだろうと思う。
それでも松浦は答えようと思わなかった。

「自分がこんなに弱い人間だなんて思ってなかったよ。迷ってる理由が怖いからなんて。情けないったらありゃしない。でも、今の私はそんな程度なんだってのもわかったよ。怖さが理由で迷う程度のものなんだって」

背中を押してあげるべきなんだ、というのは分かった。
だけど、自分が何を言っても空虚なような気もしてしまう。
自分には、言いたいことが言えるずうずうしさはあっても、こういうときに背中を押す説得力のあることがいえるような、人としての大きさがない、というのを感じた。
何を言うか、よりも、誰が言うか、が大事である場面がどうしてもある。
例え自分であっても、背中を押せば是永はそれに押されて決定を下すかもしれない。
だけど、それよりも、松浦は、自分自身が自分の言葉に納得しないような気がした。
それが、自分に足りないかもしれない何かなのかもしれない。
自分は感じたことは無いけれど、昔あったという市井が持っていたという妙な説得力というのがそれなんだろうか?
その場にまったく関係ない、大嫌いな先輩のことを少し思い出す。

答えを待っているのかいないのか、是永はそれ以上言葉をつなげなかった。
松浦の方は壁に寄りかかったまま目を瞑っている。
答えを返す気はない。
名指しで指されたら何か言おうとは思うけれど。

そんな時、部屋のインターホンが鳴らされた。
コーチのお呼び出しか?
それなら部屋の電話が鳴るだろう。
誰だ空気が読めない奴は、と思いながら松浦が動く。
応対に出るのは年下の役割だ。

扉を開けるとそこにはバッシュを持った空気の読めない人間が居た。

「なんですか?」
「是永美記ちゃんいる?」
「いますけど」

どうぞ、といわれるのを待たずに松浦を押しのけるようにして部屋に入ってくる。

「石川さん?」

自分の名前が聞こえたので体を起こした是永。
入ってきたのは石川だった。

「体育館へ行こう」
「体育館?」
「答えはコートが知っている」
「なに?」
「いいから、はやく。バッシュ用意して」

有無を言わさぬ石川の迫力に、抵抗する気力は無く是永は従う。

「タオルは? 着替えも持ってく?」
「う、うん」

言われたものはとりあえず全部準備する。
論理的に考える、などという感覚は石川を前にして少し麻痺している。
引っ張るように是永を連れて石川が出て行った。

「私より強引な人、初めて見た」

扉が閉まると、一人部屋に残された松浦があきれたようにつぶやいた。

柴田は予定通りにコンビニで買い物を終えてふと考えていた。
体育館行ってみた方がいいだろうか。

部屋から出てくる時にばったり石川と会ったのだ。
バッシュ持ってタオル持って、いかにもこれからバスケをします、という格好。
体育館に行くの? シューティング? と聞くと、意外な答えが返って来た。

「是永美記ちゃんと勝負するの」

はぁ? と思わず声に出して言ってしまった。
向こうはそれどころではないだろう。
そう言うと、今しかないんだもん、とものすごく自己中なことを言って去って行った。
まあ、確かに、アメリカ行かれてしまったらそうそう次のチャンスというのはやってこないだろうけれど。

悩める是永さんと、今一番話しが出来るのは梨華ちゃんかもしれないなあ、とは思った。
梨華ちゃんが自分のポジションで自分と対等と本気で認めているのは是永さんだけだろう。
是永さんがどう思っているのか聞いたことはないけれど、意識してないってことはないだろうなとは思う。
少なくとも、自分よりは梨華ちゃんのことを認めているだろう。
マーク代わって自分が付いたら不満そうな顔をされた記憶は消えてはいない。

ただ、梨華ちゃんのあの様子はそういう感じではなかった。
単純に本気で、今しかないから勝負しろ、という乗りにしか見えなかった。
大丈夫なんだろうか・・・。

とりあえずは素直に部屋に戻った。
先輩様に頼まれた買い物もある。
それを持ったまま体育館へ、というのはない。

「あゆみん、保護者モードだね」
「なんですかそれ」
「石川クンのそばにはあゆみんみたいなパートナーがいるから、ああやって奔放に振舞えるんだね」

廊下での出来事を、部屋に戻って村田へ話すと、そう言われた。

「心配なら見てきたら? 面白そうだし。なんか男の子の決闘って感じだよね。こぶしとこぶしで想いをぶつけ合うって。あゆみんは石川クンを取られちゃわないか心配なんだ」
「そうじゃないですって」

そうは言いつつも、見に行こうかな、という気にはなっていた。
面白い、というのは間違いない。
というか、まあ、気になる。

「あゆみんも参加してきたら?」
「参加?」
「多分、一対一やってるんでしょ」
「・・・、たぶんそんな気はしますけど、それに混ざる気には・・・、ならないなあ」

混ざってどうする、という突っ込みは口には出さなかった。
外から見たいのであって、一緒に混ざりたいわけではない。
明らかに絵にならないし、意味不明だろう。

「まあ、ちょっと見てきます。一緒には混ざらないけど。めぐさんも行きます?」
「私が行ってもねえ。なんかそれこそ部外者だし。あとで実況中継して、面白そうだから」
「じゃあ、気が向いたら」

明らかにバスケをするというのとは程遠い格好で柴田は部屋を出た。

体育館は素直に入って行くとフロアにまっすぐ出るが、それはなんか嫌だったのでフロアに入る扉は開けずに階段を上った。
二階からフロアの様子を見下ろす。
廊下で石川と鉢合わせてから随分と時間が経っている。
二人は、お互い相手とボールとゴールしか見えない、という雰囲気で一対一を繰り返していた。
見ている限りでは、会話はない。
黙々と、オフェンスディフェンスを交代しながら一対一を繰り返している。
どちらが郵政とか、どちらが押している、ということは特になさそうだった。
オフェンスが抜き去るときもあるし、ディフェンスが止めることもあるし、外から決めるときもあれば外れることもある。
石川が勝つこともあれば是永が勝つこともある。

最初からそんな気はなかったけれど、とてもじゃないけど自分が混ざれる雰囲気じゃないよな、と柴田は思った。
二人は揃って、人を近づけない空気を作り出している。
二階から声をかけて手を振る、なんて真似なんかとてもじゃないけれど出来ない。
ただ、手すりにもたれて二人を見ていることしか出来ない。

練習とか勝負とか、そういうんじゃなくて、何か相応しい言葉。
決闘。
村田の言っていた言葉が一番ぴったりはまる。
そんな感じがする。
背中を押すとかそんなことは必要ないんだな、と思った。

石川がジャンプシュートを決めれば、是永が抜き去ってレイアップを決める。
ゴール下まで持ち込んだ石川のシュートを是永がブロックすれば、外からのジャンプシュートが短くんったのを、スクリーンアウトして石川がきっちり拾う。
時折、コート脇に投げ捨ててあるタオルを拾って汗を拭く。
一本のドリンクボトルをそれぞれ口にする。
また戻ってボールを持つ。

「若いってうらやましいな」

後ろから声がしたので柴田が振り向くと、そこに信田が立っていた。

「そんなに驚いた顔しないでよ。物音は普通にさせながら来たつもりなんだけど」

それだけコートの上の二人に見入っていたということだろうか・。

「どうしたんですか?」
「石川が鍵借りてったって言うから見に来てみた」

様子を見に来たらしい。
信田は柴田の隣に立ってコートを見下ろす。
しばらく黙って見ていた。
その間も二人の一対一は続く。

力と力、技と技、スピードとスピード。
それぞれぶつけ合っている二人。
どちらが何勝して、オフェンスとディフェンスどちらが勝率よくてとか、そんなことはまったく数えてもいないだろう。
ただ、ボールがあって、相手がいる。

うらやましいな、と柴田も思った。
梨華ちゃんが取られちゃう、なんていう村田が言っていたようなことは思っていない。
そうではなくて、無心にボールを追いかけてお互いにぶつかり合える、そういう姿がうらやましかった。
石川にとってそれは是永でなくてはいけないし、是永にとってもやはり石川でなくてはいけないのだろう。
自分と石川は二年半いつも一緒に暮らしてきた。
でも、暮らしてきた時間の長さは関係ないのだ。
石川と是永は、ほとんどコートの上での付き合いしかない。
合宿に来てからも、宿舎で仲良く話しこむなんてことはなかった。
せいぜい、ウインクキラーではみんなと混ざって笑いあっていたくらいだ。
それでも、石川にとっては是永でなくてはいけないし、是永にとっても石川でなくてはいけない。

自分には、そういう存在はいない。

羨んでも仕方のないことかもしれないけれど、それがうらやましく、寂しかった。
自分と石川は、ああいう何かをぶつけ合うような関係ではないし、他にああいう相手がいるかというとそれもない。
石川とそうなりたい、ということではなくて、そういう誰かが存在する、ということがうらやましかった。

「まだやってるんですか?」

また、別の声がした。
振り向くとやってきたのは久住だ。

「いつまでも戻ってこないと思ったら」
「久住も混ざってきたら?」

久住は石川と同部屋だ。
信田コーチの言葉には答えずにコートの二人の光景を見ている。
たっぷりワンオンワン二本分見つめてから口を開いた。

「小春はあれに混ざって来ようってほど空気読めない子供じゃないです」

コートを見つめたまま信田は久住の言葉を鼻で笑った。
本気で言ったわけではないのだろう、それ以上、久住に勧めることはなかった。

いつまで続けるつもりなのだろう。
柴田が来てからですらずいぶん時間が立っている。
タイマーがあるわけでもないので、どこで終わり、というのが決まっているわけでもない。

「すごい・・・」

久住がつぶやいた。
二人の気迫は遠く離れた二階にまで伝わってくる。
技術的などうこうよりも、それを久住は感じ取ったのだろう。
ほっとけば一人ででもしゃべっているような久住ですら、余計なことは何も言わないのだ。

二人それぞれタオルで汗を拭きに行く。
ドリンクボトルを石川が手に取った。
口に持って行く前に軽く振っている。
もう、残りがほとんどないようだ。
自分で一口飲むと是永に渡した。
是永がその残りをぐっと飲む。
ボトルは空になったようだ。

オフェンス位置に是永が立ち、石川が待ち受ける。
ボールを一旦ディフェンスに渡して、もう一度オフェンスへ。
ワンフェイク入れて右エンド側からドリブル突破を試みる、と見せてストップジャンプシュート。
シュートは短めに外れる。
スクリーンアウトした石川をかいくぐって是永はボールを奪いに入ろうとするが、石川の方がしっかり拾い上げた。
石川のオフェンス。
シュートフェイクを入れてから右エンド側へワンドリブルの後、左手にバックチェンジで持ち変えて突進。
是永がコースを抑えてきたのでストップジャンプシュート。
ややフェイドアウェー気味のそのシュートを、是永は踏み込んでブロックに飛ぶ。
きれいなブロックショットが決まって、ボールはコート反対サイドまで飛んで行った。
しりもちついた石川は、首を振ってボールの行方を確認する。
取りに行こう、という気がちょっとしないところまで転がって行ったのを見て、そのまま仰向けに倒れこんだ。

「たのしいー」

声を上げた石川。
それを見て、是永も笑って、となりに座った。

人のいない体育館は二人が弾ませるボールの音が響いていた。
それもいまはない。
仰向けになった石川の呼吸の音だけが是永に聞こえてくる。
二階から見ていた三人も、二人が動きを止めたので去って行ったようだ。
静かになった体育館。
しばらく座っていた是永も、石川の隣でそのまま仰向けになる。

見上げる先には体育館の照明。
何か美しいものがあるわけでもない。
視界の隅にゴールが見える。
いつもとは違う体育館だけど、コートで仰向けになって見える光景にたいした違いはない。

汗でびちゃびちゃな体もなんだか心地よかった。
ずっとこのままじゃ風邪引くな、と冷静に思う部分もありつつ、このまま眠ってしまいたいという感覚もある。
何日かいろいろとぐちゃぐちゃと悩んでいたのなんか、まるで嘘のようだ。
今は、爽快感だけがある。

「いつからアメリカに行きたいって思ってたの?」

隣から石川の声がする。
お互い大の字になったままだ。

「んー、いつからだろう。何かきっかけがあってアメリカに行きたいって思ったわけじゃなかった気がする。いつの間にかそう思ってた。中学、ううん、中学の頃はそんなに思うほどのところにいなかったから、高校に入ってからかな、たぶん。はっきりしないけど、いつの頃からかそうなりたいって思ってた」
「小さい頃からの夢ってわけでもないのかあ」
「うん。小さい頃はアイドルに憧れてたとかそんなだった気がする」
「小さい頃バスケなんてわかんないもんね」

いついつからの想い、というようなものでは是永にとってなかった。
気づいたときには自分の中にそういう想いがあった。
それにいつ、どんなきっかけで気がついたのかも忘れてしまった。
ただ、気がついた事柄だけが残り、今に至っている。

「石川さんは、将来どうとかあるの?」
「んー? んー、とりあえず、梨華でいいよ」
「なんか、急にそう言われると呼びにくいなあ」
「慣れるよそのうち」

石川は、梨華、と名前を呼び捨てされるケースはあまりない。
でも、自分の呼称としてそれを指定した。

「で、なんかあるの?」
「うん。あんまりねえ、そういう先のこと考えたこと無いんだよね。聞かれるとオリンピックの金メダルって答えることにしてるけど。アメリカなんて、そんな発想がなかったなあ。人から言われると、確かに、そういう発想が出てくるのは分かるんだけど」

女子のバスケの世界で、ここが頂点でこれを目指すんだ、という場所はそれほどはっきりしたものがない。
サッカーならワールドカップ、野球だとメジャーリーグ、テニスならウインブルドン、そこらのマイナー競技ならオリンピック。
比較的分かりやすいところがある。
男子のバスケならNBAで、これもわかりやすい。
じゃあ、女子は?
普通に日本で生きているのならオリンピックというところになるのだが、世界最高峰のリーグはアメリカにあって、そこを目指す、というのも一つの頂点を目指す形だ。
石川のように、周りに何か聞かれたらオリンピックの金メダル、と答えるのが周りが納得しやすい答えなのだろう。

「ちゃんと考えなきゃダメだよねえ」
「いいんじゃない? オリンピックの金メダルで。それには私も乗っかれるし」
「私もアメリカ行こうかなあ。英語の勉強とかしたの?」
「ちょっとね。ちょっとだけ」
「出来そう?」
「どうだろう。慣れるしかないしねそればっかりは。中入っちゃった方が必要に迫られてしゃべるから覚えは早いよなんて言われるけど」
「暮らすだけでも大変だよね」
「一人暮らしもしたことないし。そっから大変かも」

是永の頭の中には、夏に訪れた先の町の光景が浮かんでいた。
実際には、そこに行くわけではないが、知っているアメリカの町はまだそこしかない。

「一回行ったんでしょ? やっぱアメリカ人てうまいの?」
「ハイスクールに混ざっただけだからなあ。そこだけ見るとそれほどすごいわけでもないような気はしたけど、でも、普通にうちと試合して勝つだろうなくらいにはうまかった」
「是ちゃんで試合出られそうだった?」
「周りとの連携なんかがあるから、いきなり入ってスタメンですって顔は出来ないと思うけど、十二人のメンバーには入れるんじゃないかと思う」
「是ちゃんくらいのが普通にいるってこと?」
「うん。私が行ったところは州のトップのレベルだけど、全国回ればもっと強いところは普通にあるよっていうようなことを言ってたから、たぶん、そうなんじゃないかな」
「そっかあ。アメリカってやっぱりすごいんだね」

石川はまだ、是永を超えるような存在と対峙した経験はない。
もちろん、日本のトップ選手たちはそうなのであろうと思うが、それはまだ石川の世界の外にあった。

なんとなく会話が止まった。
それでアメリカ行くの? なんていう質問は出てこない。
二人とも天井を見上げたまま転がっている。
是永がどうするのかは、もう、二人にとって決まった未来だった。
それがうまく行くかどうかは分からないけれど、明日、どういう解が提示されるのかを石川は聞こうという発想がなかった。
背中を押すだの決断を促すだの、そんなことを今言葉に出してしようなどということを、石川はまったく思っていない。

「ありがとう」
「ん?」
「なんでもない」

聞こえなかったのか、石川が是永の方へ首を向ける。
是永は天井を見上げたままだった。

「なんでもないってなによ。気になるでしょ」
「楽しかったよ」
「なにが?」
「いま」
「ああ、うん。楽しかったね」
「いきなりやってきて何かと思ったけど、楽しかった」

力量が同等、そう思っている相手と、これだけ長く向き合っていることが出来たのはいつ以来だろう。
力量が同等、なんて思える相手は今はもう、この二人にはお互い相手しかいない。
どちらが勝ったとか負けたとか、そういうのはなかった。
厳密に数え上げていれば、何かはっきりするのかもしれないが、そんなものは今、本当には必要ないのだ。
ただ、二人で向き合い、長い時間ぶつかり合った、ということが楽しかった。

二人のそんな空気が、体育館のドアがバタンと開く音によって破られた。
誰かが歩いてこちらに近づいてくる。
二人、体を起こして顔を向けると、やってきたのは松浦だった。

「勝負してください」

松浦は石川を完全無視して是永の下へ歩み寄り言った。

「え?」
「この前は断られたけど、勝負してください。一対一」
「どうしたの急に」
「いいから勝負してください」
「いや、急に動いたら怪我するよ」
「アップしてから来たんで平気です」

汗まみれの是永から見ると、まったく動いていた形跡が見られない松浦であるが、主張としては今すぐトップギア可能と言っている。
この状況に入ってきて遊び半分で言えるセリフではないし、遊び半分で勝てる相手でもない。
少し考えてから是永は立ち上がった。

「よし、オフェンス、ディフェンス、一本づつだけね」
「私が勝ったら、是永さんのメアド教えてください」
「べつに、そんなの勝たなくてもいいけど」
「いいんです。勝ったらで」
「まあ、いいけど・・・」

この子は本当にメールアドレスを教えて欲しいんだろうか?
教えて欲しいのかもしれないけれど、それよりも、勝った、という記憶を何かに伴わせたいのかな、と是永は思った。

松浦は自前でボールを持ってきていた。
そのボールを持って、1on1をするのにそれらしい位置へ歩いて行く。
空気を無視して突然やってきた闖入者に、何なのこの子、と思いつつも口を挟めなかった石川は、意外に素直にコートから退去した。
スペースをちゃんと開ける。
是永も松浦の動きに従った。

「本気でやってくださいよ」

是永は答えなかった。
負けてあげるつもりなんかない。
そして、手を抜いて勝てるレベルでもない、とは認めていた。

 

是永がシャワーを浴びて汗をすっかり流し、着替えてベッドにくつろいでいても松浦はなかなか部屋に戻ってこなかった。
年長者特権で片付けなどを命じて先に出てきてしまったが、それだけでこんなに時間は掛からないだろう。
何をしているんだか。
気にならないでもないけれど、まあ、どうでもいいような気はしている。
軽くセルフマッサージなんかをしていると、ようやく戻ってきた。

「遅かったね」
「すいません」
「別に、悪くないし」

いろいろとすっきりしている是永は機嫌が良かった。
一方、松浦の方は機嫌がいいとは言い難い空気をまとっている。

松浦は自分の荷物を空けがさごそと始めている。
バスパンとTシャツの上にトレーナーという装いは、そのまま部屋着としてある組み合わせであるが、一応体を動かしたということもあり、シャワーを浴びて着替えるつもりなのだろう。

「携帯のアドレス欲しい?」
「別にいらないですよ」
「欲しかったんでしょ?」
「いいですって」

自分のアドレスを、欲しいとまとわり付かれるのも相手によってはうっとうしくて怖いが、一週間近く同じ部屋で過ごしたものから、いらない、と言われるのもカチンと来るものである。

「いいってことないでしょ、ほら携帯出して携帯」
「知りませんよ」
「知りませんじゃないの。通信させなさい」
「いりませんって」

松浦、断固拒否。
意地になって拒否。

是永は少し考えてから作戦を変えた。

「じゃあ、わかった。私だけもらっとこう。キミのアドレス」
「教えるなんて言ってないですけど」
「勝ったらメアド教えてくださいって言っておいて、自分は教えないの? ん?」

松浦、答えない・・・。
言葉に窮している。

「勝ったもーん。どっちも私が勝ったもーん。アドレス教えてよ」

事前にそんな約束はなかったが、それを理由に拒絶するのは、癇癪起こした子供のようである。
癇癪起こした子供である松浦は、癇癪起こした子供のような振る舞いをしたくなかった。

「あやまつあっとまーくはーどばんくえぬいーじぇーぴー」
「へー、ハードバンクなんだ」
「あやですから」

当たり前でしょ、と言わんばかりの口調の松浦に、是永は声を出して笑った。

「つ、はティーエスユー?」
「はい」

是永は自分の携帯をいじって登録している。
そのあいだ、松浦はシャワーの準備をしていたが、不意に携帯がぶるぶる鳴った。
手にとって開く。
すぐに、是永の顔を見た。

「ハロー」
「ハローじゃないですよ!」

松浦は怒っている。
是永は笑っていた。
是永がメールを松浦に送りつけたので、松浦の携帯に是永のアドレス情報が送られている。

「消去します」
「そんなに嫌がらなくてもいいじゃん」
「次勝ったら聞こうと思ってたんですから」
「そんなこと言ってたら一生聞けないよ」
「次には聞けますから」

そう言いながら、松浦は自分の携帯を持ったまま間是永の携帯を見ている。

「ん?」
「私のアドレス、高いんですよ」
「高い・?」
「アイドルの携帯アドレスは高いに決まってるんです。でも、仕方ないから通信させて上げますよ」
「ははははは」

可愛くないから可愛いなあこの子は、と是永は声を出して笑いながら思った。

翌朝。
是永はアメリカへ渡ると信田へ告げた。
幸いにして、海外に渡る準備は行き先の国こそ違えしてきている。
飛行機のチケットさえ手に入れれば、渡米することが出来る。

「どうする? 結論さえ出てれば、向こう行くぎりぎりまでここで練習しててもいいぞ。練習相手には是永はもってこいだし」
「いえ、一旦帰ります。それからすぐに向こうに渡って勝負です」
「そんなに肩肘張らなくてもいいんじゃないか?」
「けじめですから」
「そうか」

荷物もパスポートもあるので、チケット確保と渡米後のスケジュールが固まるまでここで練習していてもいいのだが、是永はあえて一旦帰ることを選んだ。

「是永。行く前からあんまり言うべきことじゃないんだろうけど、あえて言うぞ。一度でうまく行くと思うな。外国で力を発揮するっていうのは、是永のバスケの力量だけでは測りきれない部分がある。それに周りのレベルも高い。是永と同レベルの選手っていうのも日本より多いだろう。そういう中で勝ち抜くには運も必要だ。一度でうまく行けばそれでいい。でもな、一度でうまく行かなくてもあきらめるな。何度でも何度でも何度でも。また、挑戦すればいい。まだ18、いや17だったかな?」
「17です」
「17だろ。若いんだからな。何度でも挑戦すればいいんだ。一本で入らなかったらリバウンド取ればいい。リバウンド取れなかったら、ディフェンスすればいい。あきらめずにな。すげー奴とかいるかもしれないけど、一日一日追いかけていけばいい。夢は諦めなければ適う、なんて子供だましなこと言うつもりはないぞ。ただ、無心に追いかける価値はあると思う。そして、是永は追いかけるだけの権利がある。十分にな。うまくいくかどうか、夢がかなうかどうか。それはもう、私が予想できるレベルじゃない。ただ、簡単じゃないことだけは分かる」

是永がアメリカに渡って成功できるかどうかは誰にも分からない。
信田も、きっとうまく行くよ、と無責任に言える立場ではなかった。

「是永がまともに英語がしゃべれるとも思えないし。言葉も通じない中で、セレクションでもうまく行かなくてとか、まあ、いろいろあるかもしれない。でも、それも全部自分で選び取った道だ。是永は、自分が主役として生きる道を選んだんだ。それも全部含めて楽しんでくればいい」
「はい」
「あと、余計なことだけど、ちゃんと、卒業しとけよ学校。日本戻ってくるにも、向こうでNCAAとかでやるとか、そういう選択肢を広く持つのに高卒って資格は案外大事だから」
「その辺は、多分、大丈夫みたいです」
「まあ、背水の陣とか言って、無茶したりしないことだな。頑張って来い。というか、楽しんで来い」

信田が右手を差し出したので、是永もそれをがっちりと握った。

「信田さんの下で試合がしたかったです」
「なにを、心にもないことを」

怒った言葉を出しつつも信田は笑っている。
間違いなく戦力だった選手が、大会を前にチームから去って行く。
痛いはずは無かったが、信田は是永を引き止めるようなことは一つも言わなかった。
迷っている段階から、言わなかった。
目の前の世代別の試合より、是永の人生であり、長期的展望の方が大事だ。

是永も、信田の下でがどこまで本音かは分からないけれど、このチームで試合がしたかったのは確かだった。

信田の下を去り是永は部屋に戻った。
荷物をまとめて帰る。
午前中だけ練習に参加するとか見て行く、という選択肢もあったのだが、それはしない。
決めたからさっさと帰る。

松浦は部屋にいた。
これから練習へ向かうところ。
小荷物準備中の松浦は、大荷物抱える是永にはなむけの言葉を捧げたりはしない。

「変な意地張らないで練習してけばいいじゃないですか」
「いいの。けじめだから」
「自分中心じゃないチームでの生き方を練習しといた方がいいですよ、美記さんは」
「キミもね」

是永は荷物を持って立ち上がる。
先に、一人で部屋を出て行くつもりだ。
松浦を待ちはしないし、松浦も一緒に途中までなんて言うつもりもない。

「キミに最後に忠告しておいてあげよう」
「なんですか?」

是永は荷物を置いてしっかりと松浦の方を見た。
座ったままの松浦も、是永の声色に何かを感じたのか是永の方を見つめ返し、まじめな顔で言葉を待った。

「キミはとても才能があるし、自分じゃ意識してないかもしれないけどとても努力もしてると思う。だから、無名の学校の無名の選手から短い時間でここまでこられたんだと思う。キミは確かに才能があると思う。それを自分で分かってる。だから自分で何でも出来ると思ってる。周りより自分が優れてると思ってる。だから、自分中心に動くべきだと思ってるんだろうと思う。周りが自分の足を引っ張っていると感じてる。でも、そうじゃないんだ。チームって言うのはそうじゃないんだ。自分に力があるなら、自分に才能があるなら、チームのために使うべきなんだ。誰かがミスをしたら、自分の足を引っ張ったって思うんじゃなくて、そのミスを自分がカバーしよう、取り返そうと思うべきなんだ」
「美記さんがそれを言うんですか? 今から、一人でアメリカに行こうっていう」
「チームのみんながいたから、今の私があるんだと思ってる。みんながいたから、アメリカに行こうって、そう思えるくらいの自信をつけさせてもらえたんだと思う。ちょっと怖くなって迷ったりはしたけどね」

何かを言いたげな顔をしているように是永からは見えたけれど、松浦が口を開く前に是永が続けた。

「もっと周りを信じた方がいい。そして、もっと周りのメンバーに敬意を払うこと。キミが信じてるのは福田明日香さんだけなのかもしれないけど、彼女は確かにいいプレイヤーだけど、二人でやっているわけじゃないんだ。吉澤さんだってあやかさんだっていい選手だよ。それに、選手としていいかどうかっていう問題でもなくて、キミみたいな子がいれば、逆に試合になんか一生出られなさそうな子だっているんじゃないの? そういう子達まで含めて一つのチームで、キミはそういう中の代表なんだ。自分の目指すところへ到達しようとするだけじゃなくて、チームを、チームの目指すところへ到達させたいって、キミの意思で考えられるようになった時、多分、キミはもっと力を発揮できるようになれると思う」

吉澤に言われたら反発したかもしれない。
中澤に言われたら素人に何が分かると言ったかもしれない。
是永に言われると、苦々しく思っても口に出して強く反論は出来なかった。

「インターハイの富岡戦も、キミがもっとしっかりしてればもっと抵抗できたと思うよ」
「見てたんですか?」
「逆ブロックで富岡を止めるとしたらキミたちかもしれないって聞いてたからね」

松浦は不快そうな顔をしているがそれ以上は何も言わない。
見てたかどうか、よりも、本当はなんで自分のせいなんだ? というところの方が引っかかる部分だ。

「キミは別の誰かが悪いって思ってるかもしれないけど、前半ベンチに下がらなきゃいけなくなったこととか、終盤もキミが引っ張って行って流れを止める、変える一本を決められていれば別の展開もあったかもしれない」
「やっぱり一対一で打開しろってことなんじゃないんですか?」
「そうでもあるけど、そうでもない。流れを変える一本云々は結果論だったかな。ただ、あの試合を人のせいにしてるようだと、この先危ういよ」

松浦は答えない。
言いたいことがあるのかないのか。
あっても言葉が浮かんでこないのか。
是永は、荷物を持った。

「ちょっと余計なこといいすぎたかな。まあ、考えてみて。じゃ、帰ります」
「おつかれさまでした」
「おつかれさま」

最後はさらっとしたものだった。
一週間の付き合い。
先輩が帰るというのに、年下の松浦は座ったまま見送った。
ぺらぺらと、余計なことをしゃべりすぎたな、と是永は思った。
結構、気に入ってしまったようだ。

暑くもなく寒くもなく、花粉が飛び交うでもなく、日本の四季の中でも最も恵み多い時期。
秋晴れに恵まれた空の下、是永は帰って行く。
みんなでお見送りというようなものはない。
他のメンバーは普通に練習があり、明日には代表メンバーが決まるのだ。
是永には是永の歩く道があるように、他のメンバーにも道がある。

建物を出て数十メートルほど行ったところで、背中から声が飛んできた。

「待って!」

振り返ると、石川がいた。
走ってくる。
練習へ向かう途中のようだった。

走ってくるその勢いが是永の想像以上で、あれ、と思ったときにはもう抱きつかれていた。
結構な勢いで走ってきたようで、多少息が切れている。
それでも、ゼエゼエいうところまで行かないのはさすがトップ選手だろうか。
是永も、石川の勢いに圧倒されつつも、なんとなく空いている右手を石川の背中へまわした。

石川の思いが伝わって・・・、いや、あんまりこない。
走ってきて抱きつかれるなどという経験は是永にはない。
男子からはないし、女子からもそういうスキンシップ体験が多い世界には住んでいない。
それでも、なんだか石川さんらしいなあ、と意外に冷静だ。
ドキドキしたりもしない。
やがて、抱きつきに満足したのか、石川の方から体を離した。

「帰っちゃうんだ」
「うん」
「そっか」

走ってきたけど、石川の方も何か具体的なことを言おうとしてやってきたわけではないようだった。

「美記」
「ん?」
「ちょっと言ってみたかっただけ」
「なにそれ」
「呼びなれないからさあ」

周りのメンバーとは違う呼び方で是永のことを呼びたかっただけのようだ。
もっとも、中村学院の中では、普通に美記と呼ばれているので、是永の側には違和感はない。

「梨華」
「なに?」
「ちょっと言ってみただけ」
「なによそれ、もうー」

二人は声を出して笑う。
他愛も無さ過ぎる会話。

「練習始まっちゃうよ」
「うん」
「遅刻したらメンバーから外されちゃうよ」
「そしたらアメリカ行くよ」
「お手軽だなあ」

特別親しく仲良く暮らしていたわけではない。
ただ、この一年、自分と向かい合う位置にいつも立っていた人。

「頑張ってきて」
「うん」
「また、どこかで」
「また。飽きるまで一対一やろう」
「飽きるまでっていうか、ばてるまでかな」
「そうだね」

飽きることは、たぶん、ないのだ。
選手を辞めるまで。

「じゃ、また」
「またね」

もう一度抱き合う、というようなことはしなかった。
是永は、別れを告げて石川に背中を向けて歩いて行く。

場所が変わるだけだ、ちょっとレベルは上がるけど。
是永はそう思った。

二十三人になった。
是永が居なくなったことに対する具体的な説明は誰もしなかったし、選手の側も問いかけもしなかった。
改めて、いないことを話題にするものもいない。
いないということはそういうことだ、と誰もが理解した。
石川も、その件についてあとに引いたりしない。

二十三人で普通に練習は行われた。
今日の夜、選抜メンバーを決めて明日通達、ということを信田は選手たちに言っている。
それも練習中に口に出すものはいないが、全員頭の中に入っていることである。

五対五。
信田のメンバーの選び方で、誰が本線で、誰が押さえで、誰が当落線上なのか、なんとなく見えてきたような気がそれぞれしている。
藤本、石川、飯田。
ガード、フォワード、センター。
この三人は主軸なんだな、というのを誰もが感じ取った。
後の二人のところを誰が埋めるのかは今ひとつ分からない。
柴田、高橋、松浦、久住、あたりを順繰りに入れてみたり、もう一方は後藤、里田、平家あたりが入っている。
その他に、村田は五対五では飯田のマッチアップを長時間していて、センターの控えとしてメンバーから外れることはなさそうだな、というように見えた。

当落線上に見える、あるいは本人がそう感じるようなメンバーは結構いる。
吉澤もその一人だ。
最初は、ここにいられるだけでなんかすげー、と思っていた。
メンバーに残れるかどうか、というのはしばらく考えないようにして、ただ、高いレベルの練習を楽しんできた。
それが、いざ、メンバーが決まる、という段になるとやはり気になってくるものだ。

チームの中での立ち位置も、この一週間で少し変わってきた。
最初は、高い位置に目線があって、しっかり全体を見ているような部分があった。
日が経つにつれてそれが薄れてきている。
そんなことしなくていいよ、という周りの言葉もあった。
それよりも、やはり、メンバーがいつもと違うというのがある。

普段、吉澤が何かしようとすると、となりにいるのはいつもあやかだった。
あやかは本質的には上品なお嬢様だ。
そして、下には福田や松浦がいる。
個性が強すぎて、誰かが統率しないといけない。
市井、というのはやはりそういう役割ではなく、どうしてもキャプテン吉澤の役割なのだ。
その役割に馴染んでいた。

選抜チームに来て状況は変わった。
自分より年長者がしっかりいる、というのが大きい。
市井とは意味が違う。
元々馴染みのあった飯田、同室の平家、洗濯係で話す機会も多い村田、一番最初の飼い主矢口。
特に今回は、飯田、平家というところに、吉澤の感覚としては可愛がってもらえている。
そして、なんとなくな空き時間、練習終了直後のまだ体が元気でもう一動きしたい時に一対一なんかを一緒にしちゃうのは後藤だ。

先輩がいることと、後藤がいること。
これが吉澤に一つの感覚を思い出させていた。
悪ガキ感覚だ。
隣があやかではなかなかそれが発露しない。
後藤だと、ちょっと悪さがあるのだ。
無意識な。

統率するべき後輩もいない。
全体は信田コーチが見ている。
そもそも自分自身が目立つ立場ではない。

自分のことだけを考えて、好き勝手が出来るという状況に馴染んできた。

そんな中での、メンバー決定前最終日である。
ここにもう少し残りたい。
そういう欲求が出ている。

やるべきことはそれほど変わっていない。
とにかく、飯田であり村田であり、というところに向かって行く。
飯田さんこんなに強かったっけ? と一年ぶりの対戦で何度も思った。
それは、社会人になって飯田が手に入れたものだ。
一週間かけて、それにも慣れてきた。

「根性じゃ負けねー」

一本づつ止める五対五のディフェンスで、こぼれたルーズボールに飛びついて確保して立ち上がっての吉澤の言葉。
見ていた信田が冷静な突込みを入れた。

「プレイ止まってなかったら、それトラベリングだから」
「えー、ボール取ったところで勝ちでいいじゃないっすか」

吉澤の抗議に信田は笑っている。
まじめな注意ではなく、茶々入れたという部類の発言のようだ。

「次、里田アウトで吉澤がそこにスライド。村田が吉澤のところに入る」

五対五は適宜入れ替えている。
今まで飯田のマッチアップで吉澤がやっていたのだが、一つ上の里田が外れてマッチアップが後藤に代わり、村田を戻して飯田のマッチアップになった。

藤本、柴田、石川、後藤、飯田。
福田、高橋、平家、吉澤、村田。

五対五。
このメンバーで五本続けた。
柴田のスリーポイント、飯田のインサイドでオフェンスの連勝。
次は藤本がミドルレンジから放ったジャンプシュートがはずれ、リバウンドを吉澤が拾った。
石川が外から平家を抜いて、カバーに入った吉澤の前でパスを捌き、後藤が受けて目の前に村田、開いた飯田が零度からのジャンプシュートを決める。
最後は後藤が外から勝負した。
右サイドから左手でドリブルを突いて切れ込もうとしたが吉澤はコースに入る。
切り替えしてエンドライン側。
きちんと吉澤は付いて行った。
後藤、抜ききれない。
外から平家が来てエンドライン際で後藤を囲む。
行き場を失った後藤は長いパスを強引に送って逃れようとしたが、ボールの飛んだ先には福田が待っていた。

「ナイスディフェンス、ナイスディフェンス。次、吉澤アウトみうなイン。柴田アウトで松浦イン。福田アウトで高橋スライド、高橋のところに亀井」

吉澤がコートから出てくる。
あやかがボトルを渡した。

「よかったじゃん」
「うん。なんとかついてけた」
「飯田さんともしっかり勝負出来てたし」
「なんか、飯田さんのパワーとか、ごっちんとかが外から勝負するスピードとか、ちょっと慣れてきたかも」
「飯田さんとか、私なんか、差が拡がってばっかりな感じするのに」

社会人になって、ひとまわりがっしりした感のある飯田。
あやかにとっては荷が重い相手という印象になっている。

「もうちょっとやってたかったんだけどなあ」

タオルを掴み取り、汗を拭きつつ吉澤は言う。
適宜代えられてしまうので、こなした本数としては少し物足りなかった。

練習終了後、吉澤は珍しく自室のベッドの上であぐらを組んで座り込んでいた。

「どうしたの? なんか考え込んで」
「いやー、帰りたくないなあって思って」
「ああ。メンバー残れるか不安?」
「不安って言うか、厳しそうだなあって」
「そう? 結構信田さん、吉澤のこと気に入ってたように見えたし、いけるんじゃない?」
「そうっすか? あの人、割とみんなにあんな感じじゃないですか? 福田だけちょっと扱い違うって思いましたけど」

平家から見ると、信田は吉澤に眼をかけていたように感じている。
ポジション別は違う場所だし、自分も石川や是永を相手にする位置にいたので、人のことどころではなかったが、平家から見た吉澤も悪い評価ではなかった。

「冷静に見て、自分が何番目っぽいとかある?」
「わかんないっすよ、そういうの全然。どっちの方がうまいとか、実際やってみないとわかんないタイプです。やってみても、みんなそれぞれ特徴あるから、実際どっちのがうまい? って聞かれてもよくわかんないって言うか。コーチとかやってて人選んで試合に出すなんて人、すげーなって思いますよホント」
「なに言ってんの。ちゃんとしたコーチがいないチームでキャプテンやっててそれやってるんじゃないの?」
「うちは、選ぶも何も、六人から五人選んで後はちょっとアレンジってくらいだし。こんな、二十四人集めてその中から十五人選んで、さらにスタメン選んでとか、よく出来ますよね」

吉澤はベッドから足を下ろして平家の方に向きなおす。

「あー、もうちょっとこのチームで練習させてほしいなあ」
「気に入った?」
「気に入ったっていうか、まあ、気には入りましたけど。なかなかないですもん。こんなレベルで毎日やらせてもらえるの」
「部員十三人だっけ?」
「はい。もちろん、それに不満があるってことじゃないんですけど。このチーム当たり前だけどすげーじゃないですか。飯田さんがいて村田さんがいて、もうちょっとそとやりたければごっちんがいたり、たまには平家さんに相手してもらえたりとか。やっと、少しレベルに慣れてきたところだから、まだしばらくいたいんですよね、ここに」
「まあ、こればっかりは信田さんが決めることだからわかんないしねえ。私もどうなることやら」
「平家さんはずれるとかありえるんですか?」
「藤本、石川とかおりんくらいじゃない? 決まってるのは。あとは誰が残っても誰がはずれでもわかんない気がする」
「それが専門家の見かたっすか」

本音とも冗談ともつかない吉澤の言葉に、平家が笑った。

「まあ、考えててもどうにもなんないしね、もう。大人しく明日を待つしかない」
「それはそうなんですけどねえ」

選抜メンバー15人の発表は明日。
一週間休みなしで午前、午後の二部練習してきたので、明日は、いずれにしても一日オフとなっている。

「さて、洗濯行ってきます」
「洗濯係どうすんだろ、明日から」
「村田さんが全部一人でやることになったりして」
「それ面白いな。他みんな帰ったら。全部やらしたろ」

現、洗濯係は、久住、光井、田中、みうな、吉澤、村田。
下手するとみんな帰る、ということもありえるメンバーだ。
細かいこと過ぎて、誰もまだそんなことは考えていなかった。

洗濯して、洗物は干して、仕事は終わり。
今日も一日良く頑張りました。
後はもう寝るだけでも問題ない。
田中は、そんな中、部屋に戻らずに宿舎のロビーにあるソファでぼんやりと座り込んでいた。

「どうしたの? こんなとこで」
「別に」

石川が通りかかって声をかけた。
別に、なんということもないが、部屋に戻る気にならないだけだ。
どこかへ行こうということもない。

「どう? こういうレベル高いとこで練習するのって」
「別に。学校にも石川さんおるし、十分レベル高い思ってます」
「でも、私、ガードじゃないしさ。福田さんとかみきてぃとか、レベルの高いガードの人と練習するのって違わない?」

石川は田中の横に座り込む。
田中は、ソファに深く寄りかかり遠くを見つめながら言った。

「あんまりわからんです」

そっけない。
目線はロビー奥の白い壁。
石川の方を見るでもない。

隣に座る石川も、田中の方を見るでもなくぼんやりとしていた。
人通りも少なく静かな時間が流れる。
口を開いたのは田中だった。

「私、才能無いんでしょうか」

ロビーの奥を見つめたまま。
石川は、この言葉を聞いて田中の方を見る。
田中は見られているのが分かっていながらも、石川の方を見ずに続けた。

「もっと出来るって思ってた」

口が重い。
それでも、心の内を言葉にしているのは、隣にいるのが石川だから。

藤本、高橋、福田。
三人に歯が立たなかった。
藤本にはまったく手も足も出ず。
高橋は、いざ対峙してみるとレベルの差を感じてしまった。
この人が本当に一番をやろうとしたら、自分のチームでも明らかにポジションを取られてしまいそうだ。
福田もなんか調子が悪そうなのは分かるのだけど、それでも明らかに自分の方が負けていた。
あらゆる面で。

「ボールは運べんし、ゲームも作れんし。ディフェンスも出来ん。なんも出来んかった」
「れいなはまだ一年生だもん。周りは二年生三年生ばっかりで。仕方ないじゃない」
「でも」
「私は、れいなのパスが受けたいな」

田中が、初めて石川の方を見た。
今度は石川が視線をはずす。

「福田さんとか、みきてぃとか、いいガードだと思うよ。でも、私は、れいなのパスが受けたいな」

そう言われ、田中も視線をはずす。
ひざに手を置き、うつむいた。

「れいなじゃ、石川さんにつりあえない」
「れいなは、まだまだこれからだよ」

石川は田中の方を見て、頭をぽんぽんと叩く。
叩かれて、田中は石川の方を向いた。

「れいな、子供じゃないんですけど」
「いいからいいから」

母親顔の石川。
そんな石川を見て、田中も苦笑した。
石川は、こういう先輩ぶることが出来るシチュエーションが大好きである。

「頑張れ」
「でも、もう遅いです。明日決まっちゃうし」
「いいの。どっちに決まっても。どっちでもいいから、これからも頑張れ」

石川に真顔でじっと見つめられ、田中は苦笑いしながらも答えた。

「はい」

石川は、一つも論理的なことを言っていないのは、田中も気がついていたが、それは言わないでいた。

「柴ちゃん、おそーい」
「ごめん。重さんが離してくれなくてさ」
「どっか行くんですか?」

柴田と道重がやってきた。
小首をかしげて田中が問いかける。

「コンビニ行くの」
「重さんがおごっておごってってしつこくてさあ」
「柴田さんおごるんですか?」
「うん、まあね」

柴田の答えを聞いて、田中は石川のほうに向きなおす。

「石川先輩、ごちになります」
「なんでー! 勝手に決めないでよー」
「柴田さん、さゆ、行きましょう」
「レッツゴー」
「待ってよー!」

先頭を田中、その後ろに道重と柴田がついていく。
出遅れた石川も立ち上がって後を追った。
四人はロビーを出てコンビニに向かった。

一週間、あまり部屋では会話がなかった。
元々二人ともよくしゃべる方ではない。
普段の生活から、聞き手になることの方が多い。
話をしないのは、相手が嫌だとかそういうことではない。
ただの性格の問題だ。

小学校で二年と中学で半年、高校入ってから二年。
そのバスケ経験で選抜候補に選ばれ、場合によってはスタメンもありえるような位置にいる。
そんな、ルームメイト。
ある部分で松に似ているな、と思った。
天才型に見えるところ。
努力で積み上げてきた、という感じがしない。
実際に努力がどの程度あったのかは分からない。
それとは別に、見た目の印象として、頑張ってバスケやってます、という雰囲気がない。

ただ、全然違う部分もある。
がつがつしたところがまったくない。
松浦は、こつこつ努力していますという雰囲気はないのだけど、上昇志向はやたらと周りから見えやすい。
福田から見て、後藤にはそういうものが感じ取れなかった。

それでも、代表には残るだろうし、場合によってはスタメンになることもありそうな、そんな位置づけに見える。

人として、嫌いということはまったくないが、今夜、あまり大人しく部屋で二人でいるという気にはなれなかった。

自分に絶大の自信がある、ということはない。
いつでもどこかに不安は持っている。
それでも、冷静に、自分のレベルというのは見極めていたつもりだ。
この年代が集められれば、ガードには藤本美貴がいる。
タイマン勝負して勝っているかどうかは分からない。
ただ、他にはいないだろうと思っていた。
スタメンになるかどうかはやってみないと分からないし、コーチによって評価が分かれるかもしれないし、周りとの組み合わせの兼ね合いもあるだろう。
だけど、なれないにしても、二番手としてチームに胎動して、計算できる戦力の一人であることは間違いない。
ここに来るまでの、福田の客観的自己評価ではそうだった。

現実は、ずいぶん違った。

完敗、ということもないかもしれないが、藤本相手には敗北感を感じる程度にははっきり負けていた。
他にいない、と思っていたら高橋愛がいた。
もちろん、顔も名前もプレイ振りもよく知っていたけれど、叩こうと思えばいつでも叩ける相手のつもりでいた。
インターハイの松との試合振りで気づくべきだったのかもしれない。

そういうプレイ面でのはっきりした結果も受け入れがたいものであったが、何よりもショックなことがあった。
「三年前と技量的には変わっていない」
信田はそう言ったのだ。
中学の後半と高校の前半。
この三年間をほぼ全否定されたようなものだ。

こうまで他人に否定されたことは、バスケに関しては福田は一度もなかった。

そして、明日、代表メンバーが決まる。
メンバーには入れないかもしれない、などという不安はここに来るまでまったく感じていなかった。
それが今、たぶんダメなんじゃないかと感じている。

どこへ行くともいつ戻るとも言わずに部屋を出た。
行きたい場所があるということでも無く、どこかへ行きたかった。
なんとなく足が向かうのは体育館だ。
電気は消えている。
鍵は閉まっている。
借りれば開けられるのだが、中で何かをする準備はしてきていない。
それで鍵だけ借りるのは何か違う。

自然と足が体育館へ向かう、というのは性格なんだろうか。
自分にはバスケしかない。
そういう思いがある。
顔がきれいで勉強が出来てお金があって、なんてのをあやかさんは全部持っている、というようなことを少し前にケーキを食べながら話したことがあった。
自分にはそれはどれもない。
自分にあるのはバスケだけだ。

その、自分が続けてきたバスケを全否定されたのだ。
信田としては全部を否定したつもりはないのだけど、福田としては、全部を否定されたようにとらえている。

頭の中はまとまらなかった。
シュートは打つべきか打たざるべきか。
自分のこれまでの数年間はなんだったのか。
成長はまったくなかったのか。
メンバーに残れるのだろうか。
高橋愛。
藤本美貴。
松、松、松・・。。

なんとなく足が向いていた。
外へ気晴らしに買い物へ、というタイプでもない福田は体育館が空いてなくて宿舎に戻った。
部屋に戻る、ということはなくて、ふらふらと向かった先は、今日現在ただ一人一人部屋になっている人のもと。
一人部屋だから他に人がいないだろうとか、そういう前提条件をいろいろと考えたわけではなく、なんとなく、本当になんとなく、そこに足が向いていた。
インターホンを鳴らすと、すぐに松浦は出て来た。

「どうしたの?」
「ん? うん」

答えになってない応答を返して福田は部屋に入る。
中まで進むと、松浦が使っていると思しき、掛け布団の乱れがある方のベッドに倒れこんだ。

「ちょっとー、そっち私のベッドなんだけどー」

答えは返さない。
うつ伏せになって、首だけ一応横に向けている。
方向は松浦のほうだけど、松浦を見ているわけではない。
松浦は、隣の空いているほうのベッドに座った。

「美記たん帰っちゃったよ」
「うん」
「まったく、うじうじ悩んでたくせに、最後はすっきりした顔しちゃって。私には余計なこと言ってくし。あれでアメリカで通用するのかね」
「うん」

声を出して相槌らしきものをしている福田だが、松浦から見れば、はなしを聞いているんだかいないんだか。

「私もアメリカ行ってみようかな」

横になっている福田の顔、視線が動いた。
初めて松浦の方に目を向ける。
言葉はしっかり耳に入っているようだ。

「松もアメリカ行くの?」
「うん。卒業したら行ってみようかなとか思った。明日香ちゃんも一緒に行く?」
「いいね、松は。いつでも自信があって」
「うん。私は、いつでも自分に自信があるよ」

うつぶせになったまま福田がため息をつく。
今の自分にはとてもじゃないけど言えない言葉だ。

「私から見たら明日香ちゃんの方がいつでも自信がある感じに見えたけどね」

そんなことはない。
意見を言うときは自信を持ってはっきり言う。
そうしているだけだ。
意見が決まるまでの迷いは、とても深い。

「どうしたの? へこんでるの?」

福田は答えない。
答えはイエスだ。
この場合、ノーですとはっきり答えない限り、答えはイエスであると誰もが受け取るだろう。

「明日香ちゃん頭いいもんね」
「意味わかんないんだけど」

会話の脈絡が福田にはわからない。

「うちは、各学年一人づつ、頭のいい人いるよね。三年はあやかさん。二年は明日香ちゃん。一年は紺野ちゃん。セットでアホもいて、あやかさんには吉澤さんで、紺野ちゃんには辻ちゃん。私は例外だけど」

どうでもいいことを言っている松浦の言葉は、左の耳から入って右に受け流した。
一応、一度は脳を通過している。

「考えすぎなんだよ。頭で考えすぎ。ほとんどみんな明日香ちゃんよりバカなんだから、明日香ちゃんが頭で考えても、周りは分かってくれないの。いいじゃん、おばさんがなんかごちゃごちゃ言ったって気にしなければ。いつも考えすぎなタイプだけど、今回余計に考えすぎだよ。そんな、頭ごちゃごちゃです、って顔して私の部屋来ると思わなかったもん」

自分だって思ってなかった。
別に、悩みを聞いて欲しい、というようなのとも違う。
ただ、なんとなく来ただけだ。
なんとなく、顔が見たかったか側にいたかったか、そういうことだろうと自分では思っている。

「話したいことがあれば、聞くよ。ちゃんと壁になるから」
「壁?」
「美記たんが意外にぺらぺらしゃべる人だったから。最近聞き役やってたんだよね。明日香ちゃんが話したいっていうなら聞くよ」
「壁に耳あり障子に目ありって、壁になるなら聞いたことはあとでぺらぺらしゃべるってこと?」
「誰に? 高橋愛じゃないって、私は。誰かに聞いたことを明日香ちゃんにぺらぺらしゃべることはあっても、明日香ちゃんに聞いたことを誰に話すのよ」

本人に向かって言ったことはないけれど、この、特別感が福田には心地よい。
時折不安にはなるけれど、時折こういう特別感を自分に見せてくれるときには安心が出来る。

「って、そこで寝ちゃうわけ?」

心地よくて目を瞑ったら、そう言われた。
この子には、自分が友達からどう思われているかを不安で推し量る、という感覚はないだろうし分からないだろう、と思う。

「寝てるわけじゃないよ」
「まあ、別にいいけど。言いたいことがあれば黙って聞きますよ」
「いい、別に」
「そう」

別にいいのだ。
何か具体的に話がしたい、ということはない。
あたまのなかのことは自分で解決するべきだ。
ただ、ちょっと顔が見たくて、ちょっと、側にいてほしいだけだった。

「是永さんとはなに話したの?」
「さあ、なんでしょう」
「ぺらぺらしゃべるんじゃなかったの?」
「ん? んー、どうしようかな。そうね、キミには才能があるとか、そういうこといわれたよ」
「そう・・・」

どこまでホントのことやら。
でも、そういうようなことを言われたのだろう。
言われてもいないことを言われたと言う子ではない。
どういうニュアンスで言われたのかはわかったものではないが。
ただ、福田から見ても、松浦に才能がある、というのは感じている。
松浦に才能があるからそばにいる、というわけではないが、本当に下手でどうしようもない子だったらこういう仲にはなっていないだろうというように感じるのもまた事実だ。

うつぶせになってぼんやりしていると、自然と目は瞑るようになる。
人が動いた気配があって、ふと目を開けるとなんだかまぶしかった。
松浦亜弥のどあっぷ。

思わず、もう一度目を瞑って、反対側に顔を向けた。

「何でよけるのよ」

まぶしかったから、とは言わない。
無視、無視。

「まったくもー。素直じゃないんだから。お姉さんがいつでもお話聞いてあげるのに」

松浦は横になっている福田の頭をなでる。
福田は、ただ黙ってなでられていた。

松に置いていかれるかも、と思った。
松に置いていかれたくない、と思った。

翌朝、朝食の際に信田がメンバーに告げた。

「一人づつ呼ぶから。そこで伝える。早く呼ばれれば残って後からだとアウトとか、そういうことでもない」

また、面談方式である。
残すにしても帰すにしても、信田は一言伝えたかった。
なぜそうしたのか、今後の課題は何か、そういうようなこと。
代表チームの監督、という立場であるが、育成、という側面が信田はなんだかんだで好きだった。

一人十分話しこめば四時間かかってしまう。
そのあいだずっと部屋で待っていろ、と言うのも難なので、呼ぶ時は携帯で呼ぶというと藤本に猛抗議された。

「じゃあ、大人しく部屋にいるんだね」

育成、が楽しいとは言っても、いまどき携帯持っていない高校生のことまで頭に入っていない。
どうやら他に、里田も持っていないようだ。

メンバーに残ればこの先一週間合宿継続で、さらに中国上海へ飛んで一週間試合である。
残れなければ荷物をまとめて今日帰宅。
昼食までは出るらしい。
そんな今日。

信田は最初に藤本を呼んだ。
冷たく部屋に居ろと言ったが、最初に呼んで済ませてしまおう、とやさしさを見せた。

「最後まで部屋で待たせようかとも思ったんだけどね」
「意地の悪いこと言わないでくださいよ」
「いらいらした藤本は、私が怖いから最初に済ませることにした」
「四時間缶詰とか耐えらんないですよ」

信田と小湊がいて、テーブルで向かい合って藤本が座る。
小湊が立ち上がって、二セットのユニホームを差し出した。

「藤本は六番。受け取って」
「今もらってくんですか?」
「ありがとうございますとかないの? 可愛くないなあ」
「え? ああ、ありがとうございます」

うれしい、とか、その手の感慨は特にないらしい。
当たり前のこととして、藤本はユニホームを受け取った。

「番号にはあんまり意味はない。意味があるのは四番くらいかな。あとは身長で割り振っただけだから。8番までがスタメンってことでもないし、年齢順でもないし。ただ、身長に合うユニホームは選んだけど」

四番から番号が始まるので、4,5,6,7,8の五人がスタメン、というのが分かりやすい。
そういう誤解を生みやすいので、スタメンとは限らないからな、と釘を刺した。

「他のメンバーは教えてもらえないんですか?」
「教えない。嫌でも午後には分かるよ」
「つまんないなあ」
「藤本さあ、今回割とおとなしかったよね」
「おとなしいですか?」
「高校じゃキャプテンでしょ。そういう感じがここでは見られなかった」
「ああ。久しぶりに羽伸ばした感じです。いいですね。一人の選手で好きにやれるっていうの」
「うん。それはいいんだけど、でも、ポイントガードとして、出るときはしっかり仕切れよ」
「それは分かってます」
「キャプテンていうのとは違う意味のリーダーシップがガードには必要だから」

今回、藤本はポジション別の練習など、仕切るべきかもしれない状況でも前に出ずに、普通の一人として通した。
まだスタメンが固めていない、ということもあって、五対五の場面でも、藤本から周りへの要求、指示というのがほとんど出ていない。
信田はその辺を多少気にしていた。

「相手によってとか状況によってとか、分からない部分もあるけど、大会全部を通して試合に出る心積もりでいて。全試合スタメンって固まったわけじゃないけど、ワンポイント流れを変えるために、みたいなそういう使い方は想定してないから。どの相手も、自分がゲーム作るっていうイメージでいて。この先対戦相手の情報なんかも出して行くけど、そういう心積もりで準備して」
「はい」

保証はしないが、信田は藤本は中心選手の一人とするつもりでいる。

それから、周りの選手の印象などの話をして藤本は解放した。

田中が呼ばれたのは七人目だった。
先に呼ばれた亀井が戻ってきている。
部屋に入るなり、ブイサインをしやがった。
おめでとう、と口では言ったが、田中としては意外だった。

田中の認識として、亀井は自分より下だった。
当落線上は自分。
そういう感覚を持っている。
亀井がメンバーに残ったというのは自分にとってはいい兆候だろうか?

ガードの枠が意外に広かったのか。
それとも、ガードやるには身長あるし、是永さん居なくなってフォワードが一つあまってそこに入ったのかな?
前者なら自分も合格、後者とするとまだ分からない。
フォワードだと、石川さんに柴田さんに・・・、と指折り数えながら監督ルームへ向かった。

部屋の扉は開いていた。
オートロックなので、二十三人が来るたびに扉を開けに出てくるのが面倒なのだろう。

「ああ、入る時は締めて」

さすがに話すときは密室にするようだ。

二人の表情を田中は伺うが、答えは分からない。
話し始めればすぐに分かることなのに、あらかじめ予感を感じようとしてしまうのはなぜだろう。

「一週間どうだった?」
「つかれました」
「そっか。思うとおりにプレイできた?」
「いえ、あんまり。もっと出来るのに、と思いながらな部分もあったですけど、でも、、ちょっと慣れてきたからもう少しやってればうまくやれると思います」

結果はもう決まっているだろうに、田中としては採用面接のような受け答えになってしまう。
自分のポテンシャルはもっと高いんだ、と主張する形になる。

「ガードは藤本とか福田とか、怖そうな奴多かったしね。高橋なんかはチームの先輩でやりやすいかと思いきやなんか、二人はそんな感じでもないし。結構気疲れするとか、そんなのもあった?」
「はい、ちょっと・・・」
「田中は、こういう選抜チームに呼ばれるのは多分初めてだよね」
「はい」
「普段のチームだと時間を掛けてチームを作っていけると思うし、長い時間一緒のメンバーでやっていけるから時間を掛けて馴染んでいけると思うけど、こういうチームだとそうはいかないんだ。まだ上の方、飯田と平家とか、藤本石川とか、そういうところは常連になってて、こう集まっても最初から顔なじみってとこだろうけど、田中みたいに新参者はすぐに周りの雰囲気とかを掴んで馴染んでいかなくちゃいけない。コートの外でも、中でもね。コートの外はまあ、暮らしにくいってくらいで済むかもしれないけど、コートの中でそれが出来ないと致命的だな」

プレイ面以前の田中の苦手分野だった。
でも、今回はコートの外では何とかなったような気がしている。
少なくとも、部屋に戻ってきた絵里がブイサインしてくれる程度には馴染めたのだ。
自力でそういう関係を作った、というのではなさそうだけど。

「その辺の適応力がもうちょっと欲しいかな。それが、もうちょっと出来るのに、っていう想いに?がるんだと思う。自分の100%の能力を伸ばすのもあるんだけど、100%の能力、自分のもそうだし、周りの、パスの受けてのもそうだし、その100%の能力をすぐに出せるように、いつでも出せるようにするっていうのは一つの課題だね」

そんなこと簡単に出来るもんじゃないよ、と思ったけれど、言えるわけもない。
久住や道重のように、ある種傍若無人になれってことなんだろうか。
ああはなれない、と思う。
いろいろな意味で。

「あと、100%の力自体が、まだちょっと未熟かな。これは経験もあるし。いいチームにいるからね。そこで揉まれていれば伸びるだろうとは思うけど」
「れいなはダメだってことですか?」
「ダメとまでは言ってないけど。ダメだったら最初から代表候補に呼んでないし」
「そうじゃなくて、メンバーには入れないってことですか?」
「なんだ、積極的に物言えるんじゃない」

話の流れが、落選、という雰囲気だったので、待っていられなくて田中は自分から聞いた。

「答えはイエス。今回田中は代表メンバーからは外します」
「なんでですか? なんで、絵里が入って、れいなが外れるんですか?」
「ん? ああ、そっか。亀井と同じ部屋だから聞いてるのか。田中を外す主な理由は二つある。さっき言ったのは田中の課題ね。それとは別に、15人に選ばなかった理由は二つ。まず一つ目、総合的に力が足りていない。大体感じ取ってたと思うけど、ガードでこれはって思うのは藤本、高橋、福田の三人。三者三様、タイプはある。田中はその中では比較的藤本に近いタイプだと思う。藤本はメンバーに入れた。で、田中は? 匹敵する力があればサブで入れることもありえる。でも、藤本と田中ではちょっと差が大きすぎる。全面的にね。どこが、というより、もう、全面的に藤本の方が上回っている。試合のシチュエーション考えようか。藤本が何らかの理由で代えざるを得ない状況になった。ファウル四つでもいいし、怪我でもいいし、相手との相性でもいい。そこに、田中を入れたと仮定しよう。ただの劣化藤本になっちゃうんだよね。相手から見れば、メンバー変わって単純に力が落ちて楽になった。こうなる。それはサブとしてどうなんだ? ってこと。タイプの近い藤本に力で劣っているっていうのが理由の一つ」

信田にとってガードの本線は藤本だった。
系統の近い田中は、サブとして相応しくないという。

「なんで亀井が入って田中が外れるのかって聞いたね?」
「はい」
「田中は藤本に勝っている部分、何か一つでもあると思う?」

田中は答えに窮した。
福田よりは背が高い、高橋よりはまだ空気が読める、そう言える。
藤本よりは・・・、自分でも感じ取っていたけれど、どこそこが勝っているというのが出てこない。

「さっきも言ったけど、全面的に藤本が上になっちゃう。だけど、亀井は違う。亀井には藤本より上回っている部分があって、それは試合のどういう場面で使うかというイメージがはっきり私の中である。だから選んだ」
「どこですか?」
「相手にプレスで当たられたとき。理由は分からないけど、亀井のボールキープ力はチームで一番だと思う。一対二になって前後ろ、狭く挟まれてピボットで耐えるのも大変なのに、あいつはなぜかドリブル突いたまま耐えられたりする。その点では藤本よりはっきり上。使いどころもプレスで当たられたときってはっきりイメージできる。そのシチュエーションは十分起こりえるもので、何らかの対処を私の立場ではしたい。その武器として亀井のキープ力は貴重」

田中の頭に、オールコートでのボール運びの練習の時の映像が浮かんだ。
亀井と組んだ時の自分は、足を引っ張っていたし、亀井の引き立て役になっていた。
245 :第九部 :2010/11/20(土) 23:38
「なんで亀井が? って思ったってことは、総合的には自分の方が上だっていう意識がある?」
「一応・・・」

メンバー落ちを伝えられ、理由まで納得せざるを得ない形で告げられた今、その意識を自信を持って答えることは出来なくなっている。

「その認識は間違っていないと思う。チームに田中と亀井っていう二人のガードがいて、どちらをスタメンに選ぶか、だったら田中を選んだと思う。でも、藤本がいて他にもガードがいて、サブにあと一人誰を選ぶか、という選択になると田中ではなくて亀井になる。まあ、亀井を一番ってのはないと思うけどね。使い方としては二番に入れてボール運びのサポート。田中に二番はないでしょ。まあ、それは置くとして。スタメンで四十分試合に出るっていうのと、サブで五分出るっていうのは役割が違うのよ。もちろん、総合力の高いサブっていうのも欲しいんだけど、それとは別の選び方もあるっていうこと」

言っていることは悔しいけれど理解できた。

「何か一芸を身につけろってことですか?」
「んー、ちょっと違うかな。選手の選び方は一通りじゃないってこと。富岡のスタメンやっていくのには一芸選手ってわけにはいかないでしょ。私たちは、当然、この大会で来年の世界ユースの出場権を取ってきます。それを踏まえて、来年のメンバーに選ばれるためにはやり方は一つじゃないよってこと。ただ、本質的には総合力で藤本を越えることを目指すべきだと思うよ私は。それを目指すのに富岡というチームはいい環境だと思う。なにせ、高橋柴田石川を田中が動かしてコントロールしなきゃいけないんだから。私からのアドバイスとしては、総合力で藤本を越えることを目指すっていうのがいいと思うんだけど、それは頭の中に一つ置きつつ、まずは、高橋柴田石川と対等にやりあえる力を身につけようとするっていうのが日々の練習の中ではいいんじゃないかな」

具体的なことではなくて、考え方を一つ提示された。
具体的なことは、和田先生がいつでも側にいて言うだろうというのもある。
田中自身も、その三人と対等な関係である、とは思えていなかった。
何とか三人に合わせようとするので必死な立場だ。
学年の問題はあるけどそれだけの問題ではない。
一つ学年は違うけれど、高橋はいつの間にかコートの上の立場は柴田や石川と同等くらいなところにいた。

「まあ、そういうことだから。今回は残念だったけど、また来年も期待してます。頑張って」
「ありがとうございました」

田中は席を立ち、扉を空けて部屋から出て行った。
背中から、あ、ドアは開けて行って、という声が飛んでいたが、耳に入っていなかった。

部屋に戻ると扉を開けてくれたのは亀井ではなかった。

「さ、さゆ」
「れいなお帰り。早く帰り支度しよ」
「な、な、なんばいいよるか。勝手に決め付けて」
「顔見れば分かるもん。ねー」

部屋に入って行くと、道重が亀井に話を振っている。
なんなんだ。
二人、いつからこんななんだ?
道重の明るさはなんだ?

「さ、さゆも、残ったの?」
「残ったって?」
「選抜メンバー」
「落ちたよー」
「な、なんで、そんな明るくできる」
「飯田さんきれいな人だったからしょうがないよ」
「意味わからんし」
「ボールもたまにはさゆから浮気して飯田さんみたいな人のところ行きたいんだって」
「さゆ、飯田さんの顔じーっと見つめて、ちょっと怖がられてたもんね」

どんなに読みが良くても、しっかりスクリーンアウトされてしまうとリバウンドは取れない。
甘さがあると道重はするりとボールを取ることが出来たが、飯田みたいにしっかりそういったところを抑える相手だと、強みのリバウンドも生かすことが出来なかった。
現状の道重では、他に何もない。
和田先生のところで鍛えて出直しな、と信田には言われていた。

「外されて機嫌いいとか意味分からん」
「あー、れいなすねてるー」

田中は手前がわの自分のベッドに倒れこんで二人に背中を向ける。
メンバー外されたこと、亀井が選ばれたこと、絵里とさゆがなんだかいつの間にか仲いいこと、いろいろなことが、なんだかいらだたしかった。

福田は静かに部屋で待っていた。
ルームメイトは早々にどこかへ行ってしまった。
自分も部屋を空けてどこかへ行くことは出来るけどしなかった。
一人部屋状態の松浦のところへ行く?
そんな、結果が不安で一人で居られない、みたいな振る舞いを今はしたくない。
ベッドに座り、文庫本を手にして静かに審判の時を待つ。

合格発表を待つ受験生。
でも、高校受験の時なんかより、今日の方が明らかに緊張感がある。
おなかに置かれた文庫本は、時折開いてみるけれど、結局朝食後五ページも進んでいない。

荷物をまとめておく、というようなことはしなかった。
そういうことになるかもしれない、という怖れはあるが、あらかじめそんな準備をする自分は許せない。
元々にもつが散らばる方ではないので、帰れといわれればすぐに片付けて帰れないこともないが、それ以上に何かを準備しておこう、とは思えない。
練習に携帯用のミニバックの方が外に出ていて、タオルやなにやらはそこに突っ込まれていて、バッシュはベッドの横に置かれていて。
すぐに帰る、というよりもすぐに練習に向かえる、という状況になっている。

福田の携帯が鳴ったのは十一時過ぎだった。
もう、結果通知は後半に入っていることだろう。
自分は、いつものように表情を変えずに最後まで話を聞くことが出来るだろうか・・・。

部屋に入ると、座るようにと信田に手で促された。
福田、座る。
何も言わなかった。
信田も無言、福田も無言。
おかしな状況だ。

「あの・・・」
「ん?」
「なんで黙ってるんですか?」
「うん。何話していいのかなってね」

そういわれても、福田は困ってしまう。
何かを話すのは、この場合福田の役目ではなくて信田の側の役目だ。

「どう思う?」
「何がですか?」
「自分で。自分はメンバーに残って遠征に参加すべき選手だと思う?」

結果を伝えられる前に問いかけられた。
また、しばしの沈黙の後、福田は答えた。

「分かりません」
「分からない?」
「分かりません。正直なところ。自分がそういうメンバーに選ばれるのに相応しいのかどうか」
「そう」

質問をされて答えても、それへのリアクションが薄い。
感想すらない。

「福田ならどんな十五人を選ぶ?」
「十五人上げろってことですか?」
「十五人は大変か。スタメン五人、今いるメンバーから選ぶとどうなる?」
「今いるメンバーからですか・・・」

また、問いかけだ。
何でそんなこと聞かれないといけないんだろう。
そう、思いながらも、福田は答えた。

「センターに飯田さん。これは動かないと思います。あと、これは好みでかわるかもしれないですけど石川さんも入ってくると思います。二番のところには柴田さんかなと思いますけど、松浦さんもありえる。四番は平家さん」
「ガードは? ガードは誰を置くの?」

聞かなかったことにしたい質問だった。
それでも、福田は答えた。

「柴田さん石川さん平家さんと並べた場合、即席チームとして考えるなら組み合わせ的には高橋さんかな、と思います」
「じゃあ、石川じゃなくて是永がいて、平家のところにはそうだな、後藤あたりがいて、柴田じゃなくて亀井がいた場合は? ガードはどうする?」

それはもう全然別のチームじゃないか、と思ったが少し考えて何を聞かれているのか分かった。
そのメンバーの場合、滝川も富岡も松江も関係ない人間が揃っている。
組み合わせ的に、という条件付回答を塞がれたのだ。
福田に答えは・・・、でてこない。

「誰がいいと思う?」

改めて問われても、何もいえない。
黙っていると、やがて信田が語りだした。

「今の福田はそこで、自分が入ります、と言えないんだね。そういう自信が失われている。まあ、それはちょっとは私のせいでもあるんだけどそれだけじゃないな。多分、ここに来るまでは自信あったんでしょう。初日はそんな風に見えたし。まあ、虚勢もあったかもしれないけど、少なくとも今の福田よりは自信を持ってやっているように見えた。二日目だったかな。私、福田のプレイスタイルを問題にしたよね。それについて福田はまだ結論を出していないのか、私の意見は無視したのか分からないけれど、今のところプレイスタイルの面ではっきりした変化は感じられない。でも、それだけじゃないよね。プレイスタイルの問題は五対五の場面、実際の試合の場面での話し。個々の技量の話はまた少し別のところにある。面談の時言ったよね。中学の時と技量的には変わってないと思うって。その時点であんまり納得してなかったでしょ? でも、今は多分、受け入れがたいと拒否してるかもしれないけれど、体は納得してるはずだ」

福田は答えない・
顔色も変えずに話を聞いていた。

「周りとの兼ね合いがどう、プレイスタイルがどう、そういうのを横に置いても、個人と個人の技量のぶつかり合いという面で、今日現在、福田は藤本にはっきり負けている。その現実を認めるね?」

やはり福田は答えなかった。
はっきりと否定できる要素を、この一週間の練習の中から見出せない。
また、根拠の薄い事柄を持ち出して、ムキになって否定する気にもならなかった。

「松浦にしろ吉澤にしろ、あとあやかにしろ。ある部分、福田がその力を引き出してきたっていうのはあると思うんだ。あの三人、一人一人がばらばらに別々のチームにいたら、学校のヒロインレベルで終わってここまで来ることはなかったと思う。それが三人同じ所に、福田という人間とともに居たからここまで来られた。だけどさ、残念ながら、福田の力を引き出す人間がいなかったんだね。福田もいろいろ考えてやってきたんだろうと思う。チームが強くなるために。それで力を尽くしてきたからみんな伸びてきてチームが強くなった。だけど、福田は変わらなかった。福田のプランを周りに浸透させていく、という形だっただろうからね。福田を変える要素が存在しなかったんだ。でもね、そろそろ、福田自身も変わるべき頃なんじゃないか?」

違う、と言いたいような気はした。
自分だって自分自身の技量について、いろいろと考えながらやってきたつもりだ。
毎日毎日つけてきた練習日誌は、その思考の塊だ。
だけど、頭の片隅で、自分のこれまでの日々は、ただの、昨日と同じ今日が来て、それがまた明日もやってくる繰り返しだったのではないか、という気もしている。
過去の延長線上を、自分がそのまま歩いている。
途中に、何らかの飛躍が存在していない。

「十六番」
「へ?」

信田が番号を口にすると、小湊が二着のユニホームをテーブルに置いた。

「受け取って」
「あ、あの・・・」
「課題は課題。問題点は問題点。それはそれとして、福田は上海へ連れて行く。プレイスタイルに不満があったり自信を失っているにしても、福田はある一定レベルの技量は持っている。チームの構成要素として必要だと判断した」

福田は二着のユニホームへ視線を向けている。
年代別とは言え、ジャパンのユニホームである。
国を代表するメンバーの一員になるのだ。
信田への答えは何も返さなかった。

「私は福田にプレイスタイルを少し変えてもらいたいと思ってる。一人のプレイヤーとして切り出した時に、福田は藤本に今日現在は負けていると思う。それでも、福田を私はメンバーには選んだ。なぜだと思う?」

ユニホームから視線を外し、信田をの方を向く。
何も、言葉は出てこなかった。

「まず、藤本をスタメンの本線として使うにしても、少なくとも代わりに入ることが出来る控えメンバーが必要なこと。それが誰かと考えた時に、候補はやっぱり福田か高橋になる。他の人間は候補にならなかった。で、この一週間の印象では、一対一の強さは高橋のが上だろうと思ったよ。特に、自分で点を取る能力は高橋の方が高い。点を取るっていうところを考えると藤本より高橋かもしれない。それは一つの選択肢として魅力だから高橋は必要だと思った」

結局三番手ってことか、と福田は思った。
点を取る能力は確かに負けているだろう。
松といい勝負してしまうのだ。
是永さんもいないし、枠があまり気味で、怪我のバックアップ要員を広く取ったのかな、と考えた。

「福田は福田でいい点はある。高橋と比べたとき、あるいは藤本と比べても今現在、十分負けてないところもある。それは、全体を見る力かなと思った。まあ、実際にはこの一週間ではあまりそれは発揮されてないような気もするけど、三年間の間に一番伸びたのはそこなんじゃない? 技量的には変わってないって言ったけど、そこは認めるよ。視野は広くなった。それに伴って判断力も高くなった。瞬時の状況判断という意味でもあるし、流れ全体の中で今おかれている状況を考えてゲームを作るっていう意味でもあるし。そういう力は高校に入ってついたと言うか伸びたんだろうと思ったよ」

自分に指示を出してくれる人がいない、というチーム事情では、否が応でもそういった力はついていった。
石黒が、和田が、それぞれ適切な言葉をかけていてくれそうな藤本や高橋とは、そこは確かに違う、と自分でも福田は思った。

「あと、福田なら、途中で入るところでもすぐにゲームには入れるんじゃないかと思った。例え、何試合もベンチでも腐らずに集中も切らさずに、突然呼ばれてもゲームに入っていけるだろうと思った。今回、福田はそういう難しい役回りになる可能性がある。それは覚悟しておいて欲しい」
「分かりました」

フォローではなくて、確かにそれが選んだ理由なのだろう、と福田はその点は素直に受け取った。
ただ、それでも、自分は三番手なんだな、という風にも捕らえたままである。
藤本美貴にも、高橋愛にも、自分は今の時点で負けていると扱われているんだな、と思った。

「改めて、十六番。受け取って」
「ありがとうございます」
「うれしい?」
「いえ、別に」
「福田。日本に何万人かいる中学生高校生、大学一年生くらいの中から選ばれた代表の十五人だからな。分かるね?」
「はい」
「福田が今の自分の状態に不満がある、納得行っていないのは見れば分かる。だけど、それはそれとして、チームの一員として最後まで力を尽くそうとして欲しい」
「それが出来ると思ったから、信田さんは私を外さずに残したんですよね?」
「そうよ」
「だったら、四の五の言わないでいいです。私は私のやれることをします」
「よし。頼むよ」
「ありがとうございました」

福田の方から、話しを終わらせて立ち上がった。
二着のユニホームを手に取る。

「ドアは開けていってね」
「分かってます。横着ですね」

嫌味の一つくらい言わずにいられない程度には、ささくれ立っていた。

廊下に出た福田は白の方のユニホームを広げて眺めた。
言われたとおり、納得はいっていないけれど、何とか生き残りはしたな、と思った。

史上最小の代表候補は時計が正午を指す頃に呼ばれた。

「お世話になりました」
「何、その挨拶は」
「荷物はまとめてきました。能力的にはあれですけど、矢口だって、自分と周りの能力の差くらい一週間いればわかります」
「そっか。でも、残念だったよ」
「最初から期待してなかったんじゃないですか?」
「いや。そんなことはないよ。本当に全員に期待してたんだ。矢口は、その、何が何でもどんなやり方しても、がつがつ勝ちに行くバイタリティがあるというか、ハングリーと言うか。そういうところに期待してたんだけどね。それで伸びてくれればもちろんいいし、そうでなくても周りに、そういう影響力を与えてくれればいいなって。それが途中から諦めムードが見えて残念だったな」
「自分の中では選手は終わってましたからもう。何が何でも勝ちたい、みたいな想いはなかったですもん。大体、チームの中での練習ってとこだと、あんまりがつがつやりにくいじゃないですか。試合なんかだと、敵、ってのがはっきり見えるからいいですけど」
「矢口もそういうところはまっとうな日本人だったってことか」
「そう言っちゃうとそうかもしれないですね」

トラッシュトークも、あれこれ頭使った戦術も、矢口にとっては試合でやることであって、自分のチームの中でそういうことをしたことはない。
今まで、チームの中で試合に出るために苦労する、という経験はないのだ。
もう少し時間があって、矢口自身に代表になりたいという想いがあればもう少し違ったかもしれない、と信田は感じた。

「納得しちゃってるみたいだけど、一応ちゃんと説明すると、やっぱり総合的な能力として代表に残る力は足りてなかったっていう判断でした。特殊技能っていうところで残すっていうのもそれぞれ見ていったんだけど、それもねトラッシュトークで残すっていうのもどうかと思ったし、それを発揮するには語学力も足りてなさそうだしね」
「韓国語中国語なんて分かるわけないじゃないですか」
「相手が何人でも、なんかやってきても全然気圧されずにやり返せるそんなタイプかと思ったから期待してたんだけどね。今回は残念ながらご縁がなかったってことで」
「なんか、就活のお祈りみたいですよそれ」
「なにそれ?」
「ああ、いいです。大学生用語だから気にしないでください」

矢口にとっては、次回の挑戦も別の会社へのチャレンジもないのだ。
ご縁も何もしったことか、というところではある。

「じゃあ、まあ、あの、選手としての話しはこれで終わりで。聖徳大付属のコーチとして」

矢口は立ち上がった。

「後藤を。後藤真希をよろしくお願いします」

小さな体で最敬礼する。
その矢口の後頭部に信田は答えた。

「亀井はいいの?」
「へ?」

矢口、顔を上げる。

「亀井も連れてつもりなんだけど」
「ホントに? ホントですか? やった。亀すげー。ありがとう、ありがとうございます」
「立っても小さいなあ。まあ、それはいいけど。微妙に話しづらいから座ってよ」

矢口、改めて席につく。

「今、コーチって形にしてもらってるんですけど、やっぱり、選手の指導みたいなのはちゃんと出来なくて。後藤や、亀も、亀井もそうなんですけど、本当はちゃんとしたコーチに見てもらった方がいいと思ってたんですよ。それが、こんな、ユースの代表コーチなんかに見てもらえて。あいつらにとってもすごくいい経験だと思うんで。ホントに、あいつらのことよろしくお願いします」
「うーん、そうは言うけどさ。あのね。私たちのところにいるのは三週間で終わりなんだよね、二人とも。もちろん、代表になって国際試合に出るっていうのはいい経験だよ。だけどさ、やっぱり基本はいつもの所属チームでの練習でありしあいなんだよ。そういう意味で矢口自身のコーチとしてのスキルアップが大事だし、日々二人のことは見ていかないといけないんであって。脅かしてるんじゃなくて本当に責任重大だからね」
「分かってます。それは分かってます。だけど、亀井はまだガードで、自分もあんなレベルではあるけど、それなりに頭でわかってる部分はあって指導の真似事くらいは出来るかなって思ってます。だけど、後藤は、あの子は正直に言って矢口の手に余ってます。ポジションが全然違うっていうのもあるんですけど、それ以上に、持ってるポテンシャルが違いすぎるんです。あいつ、ああいう性格だから別に矢口に反発することも無く立ててくれてます。戦術的なことを考える頭がないとか言って矢口を引っ張り込んだのも後藤だし。そういう部分で矢口を認めてくれて入るんですけど、でも、矢口の方がチーム全体はともかく、後藤真希っていう一人のプレイヤーの力を引き出す能力がないんです。どうしても」

信田はうなづきながら聞いていた。
言っていることはよく分かった。

「全然バスケに興味なくなってた後藤にもう一回やらせたの矢口なんだって?」
「そういうつもりで説得したんじゃないんですけどね。やらせてみたらこっちがびっくりって感じで」
「あの子にバスケをやらせたってだけでも矢口の大功績だよ。だからこれはこちらからのお願い。あの子に高校卒業後もバスケ続けるように道をつけてやって」
「そんな、そこまで大それたこと出来ないですよ。道をつけるとか」
「進路話し聞いたら、なに? 高校卒業したら実家の小料理屋手伝おうかな? バスケ? 高校で終わり? バカ言ってるんじゃないっての。あれで経験積んだらどんなレベルにまでなって行くか分からないんだから。どんな形でもいいからバスケ続けるように矢口が導いてやって。これは私たちじゃ多分出来ないことだから。進路の先、大学へとかWJBLとか、そういう相談なら私たちで答えられる。力になれる部分はある。でも、後藤自身がこれからも続けるっていう風に考えるようになるためには、矢口っていう人間、聖督というチームが必要なんだと思う。もちろん、続けたくなるように私たちもするけどね」
「あー。自分でそんな大それたこと出来ないと思うんですけど。でも、後藤の将来って考えた時に、やっぱりあいつはそうですね、バスケ続けて行くべき人間だとは確かに思うんで。出来る限りのことはしたいと思います」
「矢口を一番見習わせたいのは後藤なんだよなあ」
「見習わせるようなとこないですよ」
「いや、プレイ面じゃなくて。勝ちにこだわるところ。後藤、あいつ、練習の時見ててもそういうとこが淡泊なんだよ。そういう意味じゃ、見習わせるべき矢口が今回諦めちゃってたから、そこはホントがっかりだよ」

信田は、後藤には、負けて悔しいとか勝ちたいとか、そういった感情が非常に乏しいものに感じていた。

「本当はあいつも、そういう感情あると思うんです。一回だけ試合で負けて泣いたことがあるんですよ。去年の選抜の滝川戦でした。三クォーターにプレスで当たられて矢口が袋叩きみたいな目にあって。最初に諦めたの後藤じゃなくて矢口だったんですよ。それで三クォーター終わってベンチ戻ってボーっとしてたら後藤に言われました。矢口のために点を取るから後藤にパスをくださいって。四クォーター、本当にあいつにみんなでパスを送り続けた。戦術後藤ってやつですか。でも、試合はそのままで。それでロッカー戻って、あいつが泣いたんですよ。悔しいって。あれって、今思い返して見ると、自分が負けて悔しいってことじゃなかったんだなって思うんですよね。自分自身のことだと、勝っても負けても、あー面白かったで終わっちゃうんですよあいつの場合。でも、たぶん、ちょっと自惚れ入るけど、矢口のために勝ちたかったのかなって。矢口が勝ちたがってたから、それを自分の力で勝たせることが出来なかったから、それが悔しかったのかなって。今思うとそういうことだったかなって思います。だから、人のためなら頑張れるし、ある程度勝ちにこだわることもあるんじゃないかって。それで、今、キャプテンやってて、自分の力じゃ勝たせられないかもって、矢口を呼びに来たみたいな、そんな風に思ってます」
「人のためなら頑張れるか・・・」

聖督の滝川との一戦は信田も見ていた。
本当は滝川を見ようと思ってみた試合だったが、そこで拾い物を見つけたという感じだった。
第四クォーター、戦術は後藤、に急速にシフトしたのは見ていてよく分かった。
裏でそんなことがあったのか、という内幕。

「分かった。とにかく後藤は、後亀井も、後二週間しっかりみるから。どちらかと言うと、各チームのコーチ様、後二週間選手をお貸しくださいって立場なんで。矢口コーチ様、後藤さんと亀井さんをもう二週間お借りしますのでよろしくお願いします、って頭下げないといけないんだよね」
「いやいやいや。そんな。よろしくお願いします」

本当に頭を下げた信田に矢口は恐縮する。
矢口への不合格通知は、ほとんど本人の話はせずにこうして終わった。

 

一番最後の最後、予定時間を大幅に過ぎ、順番まだー? 昼飯まだー? くらいのところまで待たされて吉澤ひとみはようやく信田に呼ばれてコーチ部屋へやってきた。

「ごめん。散々待たせたね」
「待ちくたびれましたよ」
「人数多いからね。仕方ない」

一番最後である。
まだか、まだか、まだかまだかまだか。
待って待って待ち続けてようやく最後である。

「どうだった一週間?」
「いやー、楽しかったですよ。なかなかこんなレベルの中で練習できないですから」
「もう満足?」
「まだもうちょっとやってたいですね」
「吉澤。一つ言っとくけど、これは練習のための合宿じゃないからね。アジアユースに向けての合宿だから、練習楽しいだけじゃ困るのよ」
「すいません」
「あんまり意識ないでしょ。日本代表のユニホームを着る、そのための合宿っていう」
「そうですね・・・。そういう意識は正直なかったです。まだこのメンバーで練習したいっていうのがあるんで、代表に選ばれたいと思ってますけど、そうですね。代表になって外国に勝つとか、そういうのないっすね」

吉澤の場合、ここに呼ばれた最初の反応が、何それ? である。
代表候補としての意識がどうのと言われても、そんなところにまだ至っていない。

「まあ、その辺はちょっとあれだけど、でも、この一週間で伸びたよね」
「ホントですか?」
「うん。急にシュート力が付いたとか、ディフェンス力が上がったとか、そういう感じじゃないんだけど。総合的にレベルが上がった感じがする。このレベルに馴染んだっていうのかな」
「なんか、まだまだな感じ、自分ではしますけどね」
「そう思ってくるくらいがちょうどいいよ。ここは自信過剰な連中の集まりだから。吉澤くらいの感覚が一番まともだよ」

吉澤自身の認識として、多少の手ごたえを感じてはいるが、それでも自分の満足するようなレベルには達していない。
飯田のようなセンタータイプにしろ、石川のようなフォワードタイプにしろ、どちらにしてもまだ自分より上にいる。
その限り、まだ、自分はまだまだなのだ。

「この一週間で伸びたなあって思ったのは、小春と吉澤って感じだな」
「中学生と一緒っすか?」
「それだけ伸びしろがあったってことでしょ。小春はディフェンスがよくなった。まあ、良くなったって言っても、元がどうしようもないレベルだったから、ようやくまともに少し近づいたってくらいだけど。その上でオフェンスも最初はこのメンバーの中だと埋もれちゃう感じだったけど、一週間でちゃんと個性発揮して出来るようになってるんだよね」
「あれで中三ですもんね。普段、どんだけ無双状態なんだって感じですよ」
「だから、自分と対等のレベルで練習出来る人間が居なかったんだろうね。たぶん、吉澤もそれと一緒。普段の練習で同じポジションでまともに練習出来る相手がいない。それがここに来ると周り中がそういう対象だったからいつもの二倍三倍、それじゃ効かないくらいの密度の練習になってたんでしょう」
「でも、他にもそういう感じの立場の子っていたんじゃないですか?」
「うん。そこに意識の違いが出たんだろうと思う。小春なんかそういう点で貪欲というか負けず嫌いというか、そういうのがあったんだろうね。吉澤もそう。こういうメンバーの中で練習出来るんだからうまくなりたい、っていうのがよく見えたよ」

信田の頭には、後藤の存在があった。
状況は同じなはずなのだ。
普段の練習では同レベルのメンバーがいない。
バスケ経験も吉澤と同じように浅い。
それでいながら、この一週間、信田は後藤からそういった貪欲さを感じることはなかった。

「吉澤は九番。受け取って」

小湊が最後に残った二着のユニホームをテーブルに出した。

「え? まじっすか? 九番?」
「番号はあんまり関係ないからね。協会がケチってるからユニホーム新調してくれなくて使いまわしで、身長に合わせて番号割り振ってるから。一桁番号とか関係ないから」
「いいんですか? 吉澤で。ありがとうございます」

吉澤は二着ユニホームを受け取り両手にそれぞれ持った。
左手に白、右手に黒。
胸に日の丸である。
ユニホームに視線を向けたまま、吉澤は言った。

「もしかして、数合わせですか?」
「卑屈だなあ」
「いやあ、だって。あのメンバーん中で選んでもらえるってなかなか思えないっすもん」
「理由、ちゃんと聞きたい?」
「聞きたいです」

ユニホームを机において、吉澤は身を乗り出して信田の言葉を聞く。

「吉澤を選んだ理由は二つ。まず一つ目は、さっきも言ったけどこの一週間ですごく伸びたってことかな。そういう成長期な選手っていうのがチームの中には必要だと思ってる。それともう一つは、このチーム、結構個性のあるのが揃ってるんだけどさ、意外にムードメーカーがいないんだよね」
「ムードメーカーですか」
「そう。全体を盛り上げるような存在。みんな自分のことは出来るのよ。それで、チーム全体のことも見えてはいるんだ多分。試合の流れなんかもちゃんとわかってプレイできる人間が多い。今ここをこうやられたから、こう改善してみようみたいなことが言えるのも多い。だけど、盛り上げ役が居ないんだよね。ある種まじめっていうのかな。判りやすい例は吉澤のチームにも一人いるでしょ」
「うちのチーム? ああ、ははは、あいつが周りを盛り上げるなんてイメージできないっすね」

信田と吉澤のイメージはきちんと同じ一人を捉えていた。
福田明日香である。

「そういうのが吉澤には出来ると思うんだ。悪く言うと道化になるっていうのかな。そういうようなことが時には出来る。いい意味でのバカ。空気読まずにというか空気を読んでそれをぶち壊そうとして立ち上がる、正面から向かって行くばかりじゃなくて、なんか違う方法でもなんでも壊そうとするそういうの。一つの大会を乗り切るっていうのは簡単じゃないじゃない。まあ、高校生だと全部トーナメントだから、一つ負けてもそこから立て直すなんてことは必要ないだろうし、そういう感覚分からないかもしれないけど、国際試合はそうもいかない。全部勝って優勝出来れば苦労はないけどそう簡単じゃないのよね。予選リーグがあって、その先も負けても三位決定戦があったりとか、負けてもすぐ次の日にある意味その負けた日よりも重要な試合っていうのがありえるシチュエーションがあるんだ。そういう時に、悩んで悩んで悩みつくして落ち込みそうな面子が多くてさ。その辺を壊せるムードメーカーが居て欲しいなって。もちろん負けてどうこうより前に試合中のあまりよくない展開でも雰囲気悪くしないとかそういうのも含めてね」

今回の大会には八つの国と地域が参加する。
まず四チームづつのグループリーグがあり、上位二チームが準決勝へ進出、下位二チームも順位決定戦へ。
順位決定戦で下位になった七位、八位のチームはアジアBゾーンの上位二チームと次回大会は入れ替わることになる。
準決勝で勝てば決勝だが負けても三位決定戦がある。
来年のU-20世界選手権の代表権は三枚なので、三位決定戦で勝てれば出場権獲得、負けると何もなし、となる。

「なんか複雑そうな顔してるね」
「いやー、やっぱ実力認められたわけじゃないんだなって。わかっちゃいたけど、そうはっきり言われると考えちゃいますよ」
「実力は認めてるよ。ある一定レベルとして。はっきり言うとまだ少しスタメンレベルと比べれば落ちると思う。だけど、十五人を選ぶって考えた場合、そんなに差がないっていう人間が多い。その差が無い中に吉澤は入ってる。その差がない中から何か差を見出してメンバーを選ばなきゃいけないわけよ私は。その差として出て来たのが今言った理由。ここでは言わないってみんなに言ってるから吉澤にも今は言えないけど、もう、すぐに十五人のメンバーはわかって、それ見れば分かると思うけど、吉澤、結構試合出るチャンスあると思うよ」
「センター少ないってことですか?」
「たぶんそういうことだろうね」

自分で選んだだろうに、信田はたぶんと口を濁した。

「ポジション別の時には一番多かったのに」
「一人抜けてたからね。頭二つくらい。他のポジションの方が均衡してた。そうするとバリエーションとして違うメンバーを入れたくなるのよ。センターの場合柱が決まっちゃってて差があるからバリエーションっていう風にならない。ただ、力が落ちたになっちゃう。もちろん、ファウルアウトとか怪我とかあるから、サポートメンバーなしとはならないんだけど、でも割合としては少なくなっちゃうのよ」

吉澤が小さく何度かうなづいている。
飯田さんだけレベル違ったな確かに、と思った。

「まあ、そういうわけだから。自分が試合に出ることもちゃんとイメージしておいてね。他のメンバーを押しのけて自分が代表に残ったってことは忘れないこと」
「はい。わかってます」
「ホントに? 国を代表するっていうのは重いからね。ホントにわかってる?」
「いや、うーん、わかってないかもしれないですね、正直」
「うん。正直でよろしい。まあ、たぶん、試合でコートに立てば分かるよ、嫌でも」

つい最近まで、アンダー19ってなんですか? だった吉澤である。
代表になるのを夢に見ていた、というようなこともない。
夢よりも遠い世界だ。
その重み、と言われても、まだピンと来てはいなかった。

コーチ部屋から出ると吉澤は廊下を走って、エレベータを素通りして階段を駆け上がって部屋に戻った。
ピンポンピンポンピンポンと、呼び鈴を連打して平家にドアを開けさせる。

「ユニホーム、取ったどー!」

そう言って部屋に飛び込んでベッドにダイブ。
若干古いな、と思いながら平家はそんな吉澤の姿を微笑みをたたえて見ていた。

U-19女子日本代表チーム

飯田圭織  C ジョンソン化粧品
村田めぐみ C 関東女子体育大学1年
平家みちよ F 常陸ローテク
石川梨華  F 富岡総合学園高校3年
柴田あゆみ F 富岡総合学園高校3年
藤本美貴  G 滝川山の手高校3年
里田まい  F 滝川山の手高校3年
吉澤ひとみ C 市立松江高校3年
後藤真希  F 東京聖督学園大付属高校3年
高橋愛   G 富岡総合学園高校2年
松浦亜弥  F 市立松江高校2年
福田明日香 G 市立松江高校2年
亀井絵里  G 東京聖督学園大付属高校1年
久住小春  F 和島村立南辰中学3年
光井愛佳  G 大津市立比叡山中学3年

遅くなった昼食を皆で取る。
落ち込んでいるものはいない。
少なくともこういう場面で、落ち込んでいる、と周りに思われることを是とするメンバーがいなかったのだろう。
メンバーは比較的年長者が残り、若いメンバーは落とされていた。
一年生は四人いたが残れたのは亀井だけ。
二年生も六人いたのだが三人になった。
一方、三年生は自分で去って行った是永以外では落ちたのは一人。
大学、社会人で落ちたのは矢口だけだった。
ただ、中学生二人は二人とも残されている。

食事を終えてからメンバーから外れるものは、荷物をまとめて準備の出来たものから各々帰って行く形になった。
今日は一日オフということで代表組みも全体練習はない。
ただ、中には鍵を借りて体育館を開けるものもいる。
それはそれとして、帰る仲間を見送るというものもいた。

帰り支度が早かったのは矢口だった。
事前に準備をしていたのだから当たり前だ。
食事を終えて戻ってきた部屋では藤本がベッドに横になっている。
矢口には背中を向けていた。

「あ、あの」

恐る恐る矢口が声をかける。
さすがに何も言わずに居なくなるというわけにはいかない。
藤本は聞こえているのかいないのか、反応がない。

「藤本さん」

年上の矢口が敬称付きで呼びかける。

「なんですか?」
「これで、帰るから」
「はい、お疲れ様でした」
「で、あの、一言いいかな?」

こちらを向いてくれない。
矢口がもう一押しする。
感情的にはともかく、年上様から話を聞けと言う類のことを言われても無視して背中を向け続けるのは、体育会世界で育ってきている藤本には難しい。
体を起こして矢口の方へ向けた。

「申し訳ありませんでした」

いきなり詫びられた。
小さな体での最敬礼。
藤本としては意味が分からない。
何について詫びているのか。
この一週間、同室だったのにほとんどまともに口を利かなかったことだろうか?
それはどちらかというと藤本の側が会話をしない空気を作ったせいである。

「矢口は、勝つためには何でもしようとそう思ってた。滝川はうちらより圧倒的に強いチームだったし。その為には戦術的にはいろんなことを考えなきゃいけなかった。でも、それだけじゃ足りなくて。だけど、どうしても勝ちたかったんだ。ていうか、勝つために考えられることを全部やりたかった。滝川だけじゃない。どんな相手にでもそうなんだけど。そう思った時、やっぱ、人の心を揺さぶるのって割と効果的で。だから、口八丁手八丁で相手の気に触るようなことをしてきた。二度と会わない敵だと思ってたから。まさか、こんな風にあとで会うこともないと思ってたから」

藤本は何も言わずに矢口のことを見ている。
口は挟まずに黙って聞いていた。
何のことを言っているのかはわかった。

「うちらが勝つには必要なことだから、やりました。でも、それはそれとして、終わった後には謝るべきなんだと思う。だから。すいませんでした。それと、あれは矢口一人のやったことだから。後藤とか亀井とか、うちの連中は関係ないから。これからまだ二人ともチームに残ることになるけど、あれは矢口だけの責任だから、二人のことは責めないで。気分よくバスケしてもらえたらなって思う」

ベッドに座っても、立っている矢口をそれほど見上げる角度にはならない。
そんな角度から藤本は視線を外し、頭をかきむしってから視線を戻して言った。

「もういいですよ。あんな昔のこと。思い出したくもないし。ここでも同じことするならぶっ潰してやろうと思いましたけど、それはないみたいだったから」
「さすがに、チームメイトにあんなことはしないって」
「勝つために手段を選ばないんなら、メンバーに残るために手段を選ばないなんてこともあるかも、と思いましたけど」

七日間同室にいた二人だが、一文以上の会話が成立するのはこれが最初だった。

「勝つためにはなんでもしてやろうってのは美貴にもわからなくはないです。最初から勝つ気のない、覇気も何もない人間よりよっぽどいいと思う。でも、さすがにあれはやらない。どんだけ美貴が頭にきたかわかります?」
「ごめんなさい」
「ただ、美貴が頭に来たってことは、それだけ効果があったってことなんだなって、大分後になってから思いましたよ」

自分が冷静さを欠くとチームの危機を生む。
藤本にとってはそれを学ばされた試合だった。

「後藤さんに、亀ちゃん。別に二人に恨みはないですし、普通にやってきますよ。もちろん、亀ちゃんの場合はポジション奪いに来たら叩き潰しますけど。だから、もう忘れてください。美貴も忘れます。ていうか、忘れたいし、あんなの」

藤本からすれば、東京聖督というチームに恨みはなかった。
ただちょっと条件反射的に、げっ、と思ってしまう対象ではあったが。
問題は、矢口真里という個人だった。
当然、後藤や亀井に対して特別な悪感情は持っていない。

「ありがとう」
「なんでお礼かな。いや、あの、その手はなんですか」
「仲直りの握手」
「・・・、別に最初から仲良かったことないと思うんですけど」
「いや、気分だから」

意味わかんねー、と思いながらもしぶしぶ藤本も手を合わせた。

「じゃ、帰ります。頑張って」
「お疲れ様でした」

矢口が出て行くと、あきれたようなため息を一つ吐いて藤本は仰向けにベッドに転がった。
あんな人でも、仲間意識はあるんだな、と思った。
仲間は大切にする。
ヤンキーと同じ、藤本も持っている感覚だ。
藤本の場合、仲間、と認めるまで多少時間がかかるきらいがあるが。
ともかく、藤本にとって矢口は、もう過去の人だった。
一週間、意外に腹立つような場面はなかったな、と思った。

ロビーにはあやかも出てきていた。
吉澤もお見送りにいる。

「よっすぃー、すごいよね」
「びっくりしたよ自分でも」
「またまた、結構自信あったんじゃないの?」
「そんなことないって」

あやかは帰宅組みである。
元々追加召集だったのだ。
そこから何人も抜いて代表に入るのは簡単なことではない。
あやかも、完全ではないものの荷物がまとまっていた口だ。

「福田、あややはともかく、自分が残るっていうのはあんまり考えてなかったよ。ていうか、残るとか残らないとかっていうより、毎日夢中だったかな。残れたらいいなとは思ってたけど」
「頑張って試合も出てね」
「うん。あやかも、チーム頼むよ。あと二週間も空けることになっちゃうし」
「チームは、市井さんがしっかり見ててくれると思うから大丈夫だよ。心配しないで」

各チーム、この時期には国体もあり本来なら主力を手放したくないところだ。
松江は主力四人が一週間留守で、さらに二週間福田松浦吉澤という中心どころが居ないのだ。
富岡にいたってはスタメン五人が一週間留守という状態で、二人ここで帰るがどう考えてもチームを仕切る権力はなさそうな一年生二人である。
それでもコーチがしっかりしている富岡は何とかなりそうだが、中澤だとすべて頼り切るというわけには行かない。
その点に関しては、吉澤も申し訳ないなと思っていた。

「やぐちさーん」

荷物をひきづってロビーにやってきた矢口にあやかが歩み寄って抱きつく。

「うわっ、なに、なに。苦しいって」

抱きついて頬擦りして。
一般男子がされたら卒倒して喜びそうなことをあやかが矢口にしている。

「お姉さんチームは私と矢口さんだけみたいですね、帰るの」
「そっか。あやかもお帰りか」
「お帰りです」

にこやかに、とはいかず、二人とも苦笑いという面持ちだ。

「一緒に帰りましょ」
「ケチんなくてもタクシーチケット一人一人出してもらえるってよ」
「矢口さん、上野案内してくださいよ」
「はぁ? 帰んなくていいの?」
「飛行機最終だから東京まで出てもちょっと時間あるんですよ。だから上野の美術館行きたい」

都心からは少し離れた場所にある。
個人の都合で帰った是永は、自力で駅まで路線バスに乗っていったが、スケジュール通りのご帰宅メンバーは、駅までのタクシーチケットや家までの交通費は出してもらえるらしい。
あやかの言う、上野まで行くにしても、美術館が開いている時間には着けそうではあった。

「じゃ、よっすぃー頑張って」
「おう、って寄り道してくの?」
「今日中には帰るよ」
「連れてくって言ってないでしょ」
「矢口さーん。かーわーいーいー」
「だから、抱きつかないで」

矢口限定で抱きつき魔になるあやかである。
笑っている吉澤に見送られて、二人は出て行った。

明るく振舞っていたロビーでのあやかと対称的に、タクシーに乗ると大人しくなった。
矢口も、この一週間の体力的さらには精神的な疲れもあって、べらべら一人でしゃべるという心境にはなっていない。
特別親しくしてきたという間柄ではないが、あやかによる矢口の扱いはああであるし、矢口の方もあやかに対して悪感情はもっていない。
ノー、ノー、と言いながらも、上野に付き合ってやろうとは思っている。

駅までつくと、さほど待たずに列車はやってきた。
他の御帰宅組みはまだやってきていない。
みんなで一緒に、と待つようなことはなく二人はさっさと乗り込む。
特急の自由席。
本来上座の窓側席にあやかが座り、並んで通路側に矢口が座る。
列車が動き出すとすぐに矢口は眠ってしまったが、あやかは車窓に映る田園風景を眺めながら物思いにふけっていた。

上野には本当に二人で行った。
田舎住まいのあやかにとって、美術館に行ける機会などめったにない。
修学旅行は個人のわがままは効きにくいし、実際には丸一日矢口に捧げたのだ。
半日くらい取り返させてもらってもバチは当たらない。
高校生二枚、とあやかが生徒手帳を見せて注文すると、係員はもう一人を確認もせず二枚売ってくれた。
矢口は苦笑いするが、あやかはその場では素で気づかず、中に入ってから、「あ、矢口さん高校生じゃないんでしたっけ」とやってバシッと背中を叩かれている。

自分の意思でやってきたあやかはいいとして、矢口は絵画だの工芸品だのに興味はまったくなかった。
せめて宝石でもあれば話しは違ったのだが、今回それはないらしい。
田舎育ちでもいいとこ育ちってのはいるんだな、なんてあやかの熱心な後姿を見ながら思っている。
ぱっと全体見渡して、まったく興味が持てないな、と自覚してしまった矢口は、あくびをかみ殺しながらあやかの後をついて回った。

特別展の展示を見終わり、あやかは常設展の方も見たかったが開館時間がもうあまりない。
諦めて外に出る。
それでも飛行機の時間には多少時間があった。
公園を抜けて、その辺にあったムーンバックスに二人で入る。

「帰りに美術館寄ろうって来る前から決めてたの?」
「時間があれば寄ろうかなって思ってました」
「なんかハイソだねえ。矢口には全然わかんないよああいうの」
「私だってよく分かって見てるわけじゃないですよ。ただ、きれいだなって。それくらいです」

美術館帰りにムーンバックスに寄ってカフェラテを手にしながらおしゃべりをするお嬢様。
若干住んでる世界が自分とは違うような気が矢口はしている。

「そうやって、帰りのことなんか考えてるから帰ることになっちゃうんですかね」
「ん? ああ。でも、そういうの気分の問題だけだし、あんまり関係ないんじゃない?」
「気分の問題って、大事な気もするんですよね。よっすぃーなんか結構必死に練習してたじゃないですか。あれと比べると、あんまり自分は頑張ってなかったなあ、なんて思いますよ」
「矢口は途中で諦め入っちゃったけどね」

矢口にとっては、これは無理だと割と早い段階で思ったし、ダメでもオーケーな合宿であった。
日本代表のユニホームは、どうしても欲しいというようなものではない。

「落ち込んでるの?」
「んー、ちょっと違うんですけど」

あやかはセンター組みに入っていた。
ポジション別で一緒にセンターで練習した九人のうち、残ったのは四人だけだ。
あやかも含めて半分以上がご帰宅である。
矢口のように、周りみんな残って、中学生まで残ったのに、田中と二人落選、というようなのと比べると、相対評価としての合格ラインがかなり高い位置に引かれていたという感覚である。

「ちょっと寂しいんですよね」
「よっすぃーにおいていかれちゃった感じで?」
「そう。それです。さすが矢口さんです」
「さすが言うほど矢口のこと知らないでしょ」
「そんなことないですよ。人の気持ちをいっぱい考えてる人だって知ってますよ」
「そんないい人じゃないよ。どっちかって言うと敵が多い人だし」
「人の気持ちを考えるから、相手を動揺させるような言葉を選んで使えるんじゃないんですか? うちも滝川カップでやられちゃいましたもんね。市井さんのスリーポイントを言葉封じで」
「ん? ははははは・・・」

矢口が乾いた声で笑う。
人を傷つけるには、無神経な結果な場合と、効果的に狙いをつける場合とそれぞれあるものだ。
矢口ははっきり後者。
たぶん、無神経と違って確信犯な分、罪が重い。
そう自覚もしている。

「わたし、うすうす気づいてたんですけど、今回の合宿でよく分かっちゃいました。他の人たちと比べて、あんまり勝ちたいっていう気持ちが強くないんだなって」
「見ててあんまり闘争本能とかそういうの感じないよね、あやかさんって。そういうところはうちの後藤なんかに似てる」
「負けても、負けちゃったって感じであんまり悔しくないんですよね。悔しくないってことないですけど、たぶん、周り見てるとみんなはもっと本気で悔しいんだろうなって思います。私の場合、悔しいっていうより悲しいって感じ」
「どう違うの?」
「よっすぃーが悔しがってたり、あややや明日香が悔しがってたりとか、そういうのを見るのが悲しいのかな。負けたことそのものよりも」
「あやかさんもみんなのためなら頑張れるタイプか」

矢口ははっきりとあやかのことを後藤と重ねてイメージしている。

「みんなのためって感じじゃないんですよ。そこまで含めて自分のためで。喜んでるみんなの中にいたい。みんなが喜んでればそれでいいんじゃないんです。その中に自分がいたいんです。たぶん、中にいられれば本当は、勝っても負けてもいいのかもしれない」
「だから、よっすぃーに置いていかれて寂しい」
「そう。よっすぃーに負けて悔しいとか、そういうのはないんです。でも、寂しいなって」
「三人選ばれて、あやかさんだけだもんね」

吉澤も落ちてもらって一緒に帰りたい、と思っていたわけではなかった。
頑張っている吉澤を見て、選ばれるといいなとは思っていた。
自分は可能性は低そうだけど、吉澤だけでも通ればと思っていた。
でも、実際そうなってみると、さびしかった。

外の陽はもう暮れていた。
店には比較的若い女性が多いが、中には年配もいて、一部には背伸びした中学生二人組みがお茶していたりもする。
そんな雰囲気の店に似合わない幼児が一人駆け回っているのをあやかは目を細めて見つめる。
母親らしき人が、やめなさいと子供を抱き上げて連れて行った。

「悔しい、とか思えないからダメなんですかね?」

あやかが表現を変えて最初の問いに戻った。

「ダメって?」
「メンバーに選ばれなくて、悔しいって感じて、チームに戻って猛練習とかするべきなのかなあって」

あやかの口から、猛練習、という似合わない単語が出たので矢口が少し笑う。
背もたれに寄りかかっていた矢口が、身を乗り出してテーブルに両肘ついて語りだした。

「勝つためにはなんでもするって感じだった矢口が言うのもなんだけどさ。いいんじゃないかな。ひとそれぞれで。矢口も思ってた時期あったな。負けて悔しいって思わないなんて人間じゃないくらいに。でも、後藤と会ってちょっと変わった気がする。その辺の考え方。勝った方がいいけどその為に何でもするみたいなことはしなくてもいい、みたいなところ? ちょっとそういうのが分かった。よっすぃーなんかはそういうところじゃ矢口に比較的近い感じだからね。あの子、まあ勝つために何でもするはないけど。滝川とか富岡とか、そういう、バスケこそわが人生みたいなチームだとそうはいかないけど、おいらんとこもあやかさんとこも、別にそこまではないじゃん。だから、人それぞれの考え方でやればいいんじゃないかなって思った」

真剣な顔で語る矢口に、あやかは変化球を返す。

「まじめな顔の矢口さんもかわいいですね」
「な、な、何を言うんだ、人がせっかくまじめに話してるのに」

頭をなでようと伸ばしたあやかの手を矢口は振り払う。
至近距離でじっとあやかが見つめると、ふてくされた顔で矢口はそっぽを向く。
そんな小動物を見て微笑を浮かべてからあやかは自分で話を戻した。

「でも、自分の周りの人には頑張って欲しいんですよね」
「勝手だなおい」
「私、結構自分勝手なんですよ」
「意外とそういう要素はあるんじゃないかって気はするよ」

気まぐれに抱きつかれたり頭を撫でられたりする矢口からすれば、それはあやかの勝手要素の発露と感じるだろう。

「頑張ってる人のそばにいたい。それで力になりたい」
「よっすぃーは頑張ってるけど、自分はそれを支える力が足りないんじゃないかって?」
「さすが矢口さん」
「もういいから、それ」

一々無駄に褒められるのにリアクション取るのが面倒になってきている。

「頑張って成長する人を側で支えるには、自分も成長しないといけないんですよね。あたりまえだけど。でも、本当に頑張ってる人と比べるとその速度が遅いから置いていかれちゃう」

あやかから見た、吉澤との距離だった。
あやかと吉澤の立ち位置。
吉澤が主役で自分が脇役。
その立ち位置を変えたいとは思わない。
自分が主役になりたいなんて思わないし、吉澤に脇役をやって欲しいなんて思わない。
この、今の位置関係を変えたいとはまったく思わない。

ただ、その位置に自分がいるのが、少しづつ力不足になってきているような気がしていた。

「そろそろいい時間ですし、出ましょうか」
「微妙に悩み話しっぱなしで、解決させずに終わりかよ」
「いいんですって別に。ちょっと言ってみただけですから」

解決することはまでは期待されてないんだろうな、と矢口は思った。
美術館に行きたかったのは本当にしろ、別にそこを案内することが自分の役割なのではなくて、話が出来る相手が欲しかったのだろう。
吉澤ひとみをよく知っていて、かつ、同じ高校にはいない人。
その条件を一番よく満たすのは自分だし、今日のこのタイミングでは、他に選択肢もなかった。

「やっぱ、あやかさん、実はわがままだよね」
「周りにわがままが多いと目立たないんですよ」

カップを持って二人立ち上がる。
わがままと言うかマイペースと言うか。
まあ、別にそんなに嫌な感じがしないから良いか、と矢口は思った。

二人は駅で別れた。
矢口は家に帰るし、あやかは空港に向かう。
空港まで付き合え、と言われるかと矢口はちょっと身構えたが、あやかはそこまで要求しなかった。
言うだけ言って満足したのか、一人で帰って行った。

 

残った十五人で大会に臨む。
五日間国内合宿を続け、六日目が移動日で上海へ。
上海入り後三日で大会である。
U-19アジア選手権は、参加国は多数があるが、グループ1として優勝を争うのは八チームだけだ。
四チームづつのグループリーグがある。
一回戦総当りの三連戦で、上位二チームが準決勝へ進出。
下位二チームは5-8位決定戦へ。
一日休みを挟んで、順位決定戦と決勝トーナメント。
順位決定戦で8位になると、グループ2への降格、7位はグループ2の2位と入れ替え戦へ。
上位は、決勝へ進めば、来年のU−20世界選手権の切符を掴むことが出来る。
準決勝で敗れても、3位決定戦に勝てば、U-20世界選手権の出場権確保、となる。

日本はB組に入った。
A組、中国、台湾、マレーシア、インド
B組、韓国、日本、タイ、北朝鮮

アジアのスポーツでは男女で勢力図が大分違う。
男子であれば中東、イランあたりが優勝に絡む力を持っているケースが多々あるが、女子は宗教上の理由からその地域のチームは力が無いし、そもそも出場してこないことも多い。
バスケもご多分に漏れずその例に従っている。
女子の球技は大抵、東アジア四チーム+α、というのが実体だった。
中国、韓国、日本、台湾。
四チーム間の序列が変わることはあるが、ベスト4はほとんどこの四地域で占めていて、優勝を争う可能性がゼロでないのはこの四チームだけ、という共通認識がされている。
ソ連崩壊後は多少、中央アジアのチームが絡むことが出て来た。
カザフスタンでありウズベキスタンであり。
東南アジアではタイあるいはインドネシアが強いことが多いが、東アジア勢と比べると格下になっている。

今回は、そんな勢力図から外れている不気味なチームが一つ日本の組に入った。
北朝鮮である。
前回大会、グループ2を圧勝で優勝し、今回大会でグループ1に昇格してきた。
国際社会に出てこないのでいろいろな部分が未知であり、また、U-19の大会なのであるが、実年齢も未知って感じだ、という見方もある。
グループリーグ三戦目に北朝鮮戦が組まれているが、信田としては、嫌な相手に当たったな、と思っていた。

十五人を選んだことで、メンバー構成は信田の中で見えてきた。
藤本-石川-飯田
この三人が柱になる。
間に入るのは、まず、柴田、松浦、高橋あたりから一人。
もう一方は、里田、後藤のいずれか。
セカンドチームでは福田-平家-村田、というところがスタメン三人とのマッチアップの位置にいる。
亀井、光井、久住、吉澤、というところは、本当のサブという位置づけになっている。

セカンドチームで仮想○○、というチームを組むには情報が不足していた。
ユース世代の国際大会というのは、お互い様であるが、どんな選手が出てくるかもはっきりしていないことがある。
石川、是永、くらいの情報は韓国、中国あたりも持っていただろうが、是永が出てこない、なんてことは想像できない事柄である。
それと同じで、こちら側も韓国なり台湾なり、どんな選手がいるらしい、といううわさは聞いていても、チームとしての各国の状態、というのは分からない。

吉澤は、もうちょっと練習したいな、と思っていた。
十五人のメンバーがいる中で、今の吉澤の立場はサードチームというところになる。
このチームは選抜チームで、当たり前であるがスタメンで出て行くであろうチームがコンビを合わせて、お互いの考えを理解し、チームとして形作って行って試合に勝つために練習している。
そのトップチームの相手役はどうしても必要なので、セカンドチームなら同じ量の練習が出来る。
サードチームになってしまうと、トップとセカンドが五対五をしている間、暇なのだ。
見ていて声だし。
メンバーを選ぶ段階と違い、序列がはっきりついてきた今の段階だと、そういうことになってしまう。

「つまんないんすよねー。せっかく残れたのに」

十五人になってからの練習初日終了。
部屋に戻って吉澤が言った。
帰宅組みが大分出たので引越しもあった。
奇数なので一人部屋が一つ出来てしまうが、これはキャプテンの飯田、ということにした。
飯田の部屋にいた高橋は、松浦部屋へ。
藤本のところに光井が移り、里田部屋へ亀井が。
他は、二人とも残るか二人とも帰るかで変動なし。
吉澤は平家と同室のままである。
練習終了後、部屋がえを伝えられたとき、特に言葉は発しなかったが、松浦が一人苦い顔をしていた。

「なーんか、いきなり練習量減っちゃって」
「五対五混ざりたい?」
「はい」
「じゃあ、実力つけるんだね」
「ははは・・・。厳しいお言葉ですね」

言っていることは百パーセント正しくて否定は出来ないのだが、あんまりな言葉ではある。

「よくさあ、体育会は後輩は先輩に絶対服従な世界、なんて言う人いるけどさ、本当の体育会は違うのよね。実力のある一年生がエースとして試合に出て、能力のない三年生はベンチにも入れずスタンドから声だし。力のある人間が主役で、力がないと年齢が上だろうがキャリアが長かろうが脇役どころか役ももらえない。そういう世界なんだよね」
「絶対服従してくれる後輩なんてもったことないっすよ」

福田や松浦が吉澤に絶対服従してくれるか?
考えるまでもないことである。

「分かる? この私が、石川の相手役をやらされてるっていう屈辱。あの石川がスタメン組みにいてその相手役よ。ビブス引きちぎってやろうかと思うわよ」
「過激っすね・・・」
「でも、しょうがない。あの子の方が私より上だって信さんに認識されちゃってるからね。それが嫌だったら、私が力でその認識を覆すしかないのよ」
「吉澤もそうするしかないと」
「そういうこと」

試合に誰を使うのか決めるのは監督だ。
試合のメンバーも練習メニューも、自分の意向がほぼ通る高校でのチームとは違う。
吉澤がゲーム練習に混じりたいなら、後藤か里田か、あるいは村田なり飯田なりを蹴落とさないとならない。
蹴落とせたかどうかを判断するのは、吉澤でも相手でも無く、信田なのだ。

「でも、実際難しいよね。セカンドチームくらいにいるとたぶん試合も出ることになると思うしチャンスも多いんだけど。その下だとチャンスそのものがあんまりないから」
「外で見てるだけってのはさみしいっすよ」
「少ないチャンスを生かすしかないよね」

チャンスは実際与えられていたのだ。
この一週間の期間がそうだった。
ある意味では、そのチャンスを生かしてここに残ったとも言える。
ただ、主力の中に入る力がある、ということまでは見せることが出来なかった。
一週間、全員にチャンスを与えた反動で、短期間にチームを熟成させないといけない分、これからは吉澤たちがゲーム練習に混ざる機会は大分少ないかもしれない。

夕食後、少し休んでから吉澤は体育館へ向かった。
うさばらし、という部分もあるが、単純に動き足りないのだ。
同じ練習時間であっても、トップメンバーたちと練習量は大分違う。

「吉澤さーん」

なんかひょろ長い細っちいのが走ってきてどーんと体当たり。
吉澤、抱きとめてくるっと半回転、着地させる。

「なに? なに? どした?」
「体育館行くんですか?」
「うん」

いかにも、という格好で荷物を持った吉澤。
誰が見てもどこに行くかは分かる。

「小春も行く」

状況は久住も同じ。
有り余る成長期の体力をもてあましていた。

鍵借りて、体育館開けて・・・、と準備をしたのは三つ年上の吉澤。
久住はその間に自室に戻って自分の準備をしてくる。
ストレッチをしながら待っていた吉澤が、おお、きたきた、と思ったらなんか一人増えていた。

「ピンポンピンポンピンポンうるさいんですもん」

増えたのは光井だった。
久住が部屋まで予備に来て、インターホンを連打したらしい。

「美貴様、すっごい不機嫌なの。子供かおまえはって。いいじゃないですかねえ」

いや、よくないだろ、と吉澤は思ったがそれは言わなかった。

「ていうか美貴様なの?」
「なんか、えらそーなんですよあの人。だから美貴様って。小春じゃないですよ。みっつぃーが言ったの。美貴様って」
「私が言ったとか言わなくていいやん」
「えー。言ったじゃん。後輩にマッサージさせたりして美貴様って感じって」

光井は苦笑いしている。
それにしてもあれこれよくべらべらしゃべるものだ、とある種吉澤は感心した。
この子にはめったなことは言えない。
久住が聞いたことイコール全員が知っていること、になりかねない。

「小春、吉澤さんと一対一やりたい」
「ポジション違うでしょ」
「えー。吉澤さん石川さんのマッチアップしたりしてたじゃないですかー。出来ますよ。小春の相手も。小春オフェンスね。みっつぃーが真ん中でパサー」
「オフェンスねって。小春はディフェンスが問題で一番鍛えなきゃいけないんじゃなかったの?」
「そんなこと言って吉澤さんもオフェンスやりたいだけでしょー」
「自分だろ! それは」

いつの間にか久住ペースで場が動いている。

「じゃあ、じゃあ、いいですよ。かわりばんこにしてあげます」

そもそもの最初、久住と吉澤が一対一をする、というところを同意してない、ということを吉澤はもう忘れていた。
呼び鈴連打されて呼び出された光井をただのパサーにさせていいのか、という面まで含め、おかしな点が山済みだが、すべてうっちゃって、久住の思うとおりに、物事が決められていた。

センター型ではなく、フォワード型の外からの一対一。
引っ張ってこられた光井はそもそも特にやる気はなかったのか、ただのパサー役に文句を言わない。
吉澤も、何か課題がということでもなく、主目的が体を動かすことだったので、これでもまあ良いかという気分で久住の相手をしている。
意外に、力量的にはちょうど良かった。
久住は攻撃力はしっかりある。
石川と遜色ないは言い過ぎにしても、吉澤にとって適度なレベルの相手だ。
しっかりと練習になっている。
一方、久住のディフェンスはひどい。
これが、外からのオフェンスというのをあまりしない吉澤にとってちょうどよかった。
レベルの高い攻防と初歩の攻防。
それが交互にやってくる。
お互いに適度な相手だ。

やがて、体育館に人が入ってきた。
福田だった。
先客三人に挨拶するでもなく、端に座ってストレッチを始める。
吉澤が自分の一対一を中断して福田に声をかけた。

「福田、みっつぃーの相手してくれない?」
「相手って?」
「一対一してやってよ。一人半端で余っててさ」
「誰かと一対一やろうと思ってきたわけじゃないんですけど」

後輩が先輩に絶対服従、なんてのとは程遠い世界に住んでいる先輩後輩である。
これが本当の体育会? 違うだろ、とさっきの平家との会話を思い出して吉澤は頭の中で一人突っ込みをしつつも、話は進めた。

「たまには若いのの相手もしてやってよ。辻を相手にするみたいにとは言わないけどさ」

高校では後輩を相手に指導する、という精神的余裕がある立場でいる。
それがここに来てそんな余裕はまったく無くなっている。
蹴落とすべき相手、というほど対後輩では切羽詰ってはいないが、周りを見る余裕が福田には今、ない。
そんな二人に臆することなく久住が絡んできた。

「ガードの人たちみんな怖いんですよ。美貴様はいーっつもしかめっ面だし。おしゃべり愛はコミュニケーション不能って感じだし。みーんな、自分のことばーっかし。いいじゃないですか。けちけちしないで」

お前が言うなよ、と吉澤は思ったがそれには触れない。

「私や小春もそうだけど、みっつぃーも昼間がああだからちょっと練習量足りない感じでさ。頼むよ。相手してやってよ」
「そうまで言うなら分かりましたよ」

藤本や高橋を引き合いに出され、急所を突かれた感のある福田は話を受けた。
お願いも拒否もしなかった当事者光井。
どっちでもよかったようだ。

福田はしっかりとストレッチをするまでは動かない。
それから光井の相手をした。
二人の力量差は一目瞭然だ。
一週間、同じグループで練習していたが福田は光井のことを歯牙にもかけていなかった。
その他、という扱いで、個人として数え上げていない。
こうやって、継続して一対一をすることで、初めて光井愛佳が一人のプレイヤーとして福田に認識される。
辻よりは骨はあるかな、と思った。
単純な辻と比べて、だましのテクニックはある。
ただ、やっぱりディフェンスがひどかった。
ディフェンスだけ取り出せば紺野の方が上、というくらいな印象を福田は受けている。

「もう、半歩くらい下がって」

黙々とやっていたのに、構えた状態から唐突に声を掛けられて光井は戸惑った顔をしている。

「外のシュートを抑えるにはこれくらいの位置にいる必要はあるけど、突破をはかられた時にその位置でもついていける力量がまだない。それだと私の練習にならないから、半歩下がって」

言われて光井は素直に半歩下がった。

「実戦だったら外から打たれて終わりって思うかもしれないけど、その半歩の距離を埋めるにはディフェンスの力量を上げないといけない。あと、外からジャンプシュート打たれたら、見てるだけじゃダメ。スクリーンアウトをしっかりする。内がわに入られちゃったら身長関係なくリバウンド取れたりするから。そういう細かいところをサボらない」

なんだかんだいいながらも、福田は本質的に先輩然として教えを垂れるのが好きだった。

しばらくしてまた体育館の扉が開く。
人が増えてくると、扉が開いたくらいでは特に誰も反応しなくなってくるが、自分のほうに向かってこられて最初に光井がそちらを振り向いた。
松浦亜弥だった。

「明日香ちゃん貸して」
「なに?」
「相手してよ」
「また勝手なことを」

私は無視か? 状態でぽかんの光井を横に、二人の会話。
福田にとっては、よくある出来事慣れた事、ではある。

「向こうのが合ってるでしょ、松には」
「えー。明日香ちゃんがいい」
「どこの外国で私みたいな身長が出てきて松のマッチアップになるのよ。吉澤さんくらいのとあたる可能性のが高いでしょ」
「どっちでもいいんですけど、ちょっと飽きません?」

光井が絡んだ。

「飽きたって。ほら。明日香ちゃん相手してよ」
「そうじゃなくて。もう一人くらい増やして三対三にしません?」
「それだ。吉澤さーん」

松浦がコート反対側の吉澤を呼んだ。
一対一の真っ最中、ドリブルついた瞬間なのはまるっきり考慮していない。
先に久住が動きを止めて、抜き去った吉澤はシュートを決めてから反応した。

「そのタイミングで呼ぶなよ」
「吉澤さん、誰か一人調達してきてくださいよ」
「なに?」

松浦が入ってきたのは気づいていたが、福田たちと何か話していたので気にしないでいた。
まだ、話が見えていない。
福田が中身を解説した。

「じゃあ、あややがあの子つれてくればいいじゃん。高橋」
「いやです」
「即答かよ。なんでだよ」
「あの子いやなんです」
「理由になってないし・・・」
「ポジション争ってるからいやなんじゃないですか?」

福田が横からもっともらしい理由をつけてフォローする。
いや、違う、ただ単純に人付き合いとしてうまく行ってなさそうなのが理由だ、と吉澤は思ったけれど、それを言うことはしなかった。
大体、部屋にいづらいから出てきたんじゃなかろうか、という気もちょっとしている。
福田は福田で、自分もちょっとそれは避けたかった。

「そもそもセンター呼んだ方がいいんですよ。小春、フォワードやるんでしょ。明日香ちゃんと愛佳、私と小春。余るの吉澤さんじゃないですか」
「それもそうか」

松浦に丸め込まれた吉澤。
実際、自分もちょっと飽きている。
そうなると、人選するのも吉澤だ。
候補はそんなにいない。
スタメン組みでしっかり練習してて疲れていそうな飯田さんを呼ぶ度胸はない。
後残ってるのは、村田、里田、後藤、あたりだろうか。
こういう場合、なんとなく年上は呼びにくい。
二択、吉澤は自分との距離が近いほうを選んだ。

「福田。ごっちん呼んで来てよ」
「私がですか?」
「うん、同室でしょ」
「そうですけど・・・」

めんどくさい、とはちょっと違う。
誘いにくいのだ。
福田から見て後藤真希はとっつきにくい。
後藤も後藤で無言の環境が続いても平気でいられるので、特に会話もなく過ごすルームメイトになっている。

「ちょっと行ってきてよ」
「はぁ・・・」

人見知り、と突っ込まれるのが嫌だ、という少々自意識過剰な理由で、福田は吉澤の言葉に従った。
呼ばれた後藤は、珍しいね、と一言言っただけで特に嫌がるでもなくすぐに準備をして福田についてきた。

後藤は軽くストレッチをしただけですぐに皆に混ざった。
福田-久住-後藤vs光井-松浦-吉澤
なんとなくで決まった組み分け。
一対一の時と違って、三対三だと一本一本会話が生まれる。
本練習と違うので、真面目なやりとり、という感じではなく野次に近いものが多い。

「吉澤さーん。その距離外します? 普通」
「うるさい。あややにインサイドの圧力はわからないんだ」

「あややさんファウル。ファウル。ファウルです」
「ボールしか触ってないでしょ」
「抜かれてから後ろから手出したら全部ファウルです」

「みっつぃー、あややなんか無視していいから自分で外から打っちゃえ」
「あややさんは置いといて、吉澤さん、パスの入れ時ないんですけどー」
「瞬間瞬間あるだろー」
「吉澤さん、明日香ちゃんとか周りの力量に頼りすぎなんですよいつも。自力で出来ないんだから。だから愛佳は私にパス入れてればいいの」

光井-松浦-吉澤の方が喧しい感じである。
ただ、そこは久住、パートナーたちの無口ぶりを一人でも破壊していく。

「後藤さーん。小春のシュートのリバウンド取ってくださいよー」
「えー。今のは無理」

「みっつぃーに外から決められて、明日香さん困りますー」
「ごめん」
「・・・」

真面目に謝られるのが、一番リアクションを取りにくくて困る久住である。

「ナイス、ナイス、ナイスブロックです。後藤さん。いえーぃ」

歩み寄ってきた久住の求めに応じて、苦笑いしながら後藤はハイタッチしてあげる。

「元気だけど、小春ちゃん、自分はあんまりうまく行ってないよね」
「気のせいです」

気のせいでは、あまりない。
それでもオフェンス側ではやっぱりそれなりに出来ていて、互いの感覚も掴めて来たのか、一本、松浦の裏を取ってゴール下に駆け込んだところで福田からのワンパスが入り、アリウープの形でシュートを決めた。

「最高。明日香さん、最高。最高です」
「分かった。分かったから。抱きつかないで」

走ってきて抱きついて離さない久住。
福田がうろたえている。
松浦がボールを拾って久住の頭にぐりぐり押し付けた。

「明日香ちゃんに抱きつくだなんて百年早い」
「そういう時は、私に勝ってからにしなさいって言うもんですよ。あ、でも、負けたから言えないんですね。裏取られてアリウープですもんね」

そう言いながらも久住は福田から離れた。

割りと長い時間三対三を続けていて、最初に音をあげたのは、最後にやってきた後藤だった。

「もう、いいんじゃない?」

吉澤にシュートを決められてネットから落ちてきたボールを持っての一言。
それをきっかけにお開きになった。

 

中学生二人に片づけを任せる、ということはせず六人みんなで片付けてそれぞれの部屋へ帰って行った。
大体ばらばらだったのだが、同室二人、後藤と福田は一緒に同じ場所へ帰る。
先、シャワー浴びちゃいなよ、と年上後藤が気さくに言うものだから、福田も恐縮しながらも先に使わせてもらった。
入れ替わりで後藤が入って行く。
福田は髪を乾かしてから練習日誌を開いた。

ノートと向かい合うのは自省のときだ。
今日、一日を振り返る。
日記、ではないので日々の暮らしはここには記されないが、頭の中には思い浮かぶときもある。
朝食のメニューと練習時の体調に相関があったりなかったりとか、そんなことも考えるのだ。

とはいえ、基本はコートの上、体育館の中での練習の中身についてである。
今の立場は藤本のサブ、というよりも練習相手といったところだった。
この一週間、高校に入ってからのいつよりもきつい。
向かい合う相手のレベルがいつもと違うのだ。
公式戦ですらこんなことはなかった。
富岡に負けたときも、体力的な面はともかく、プレイヤーとしての力量はマッチアップの田中を凌駕していた。
今回は、体力的にもまああるが、精神的な面での苦しみが大きい。

そんな中で、久しぶりに夜の三対三は楽しかった気がした。
練習、という考えをとる場合にはあまりいいことではないのかもしれないが、プレッシャーを感じずにバスケを楽しむことが出来た。
少々うるさすぎるが、久住って子や、言うに事欠いて自分との一対一を飽きたと言い放った光井にも、三対三を提案した点で感謝していいと思う。

一つ、発見があった。
実力的にははっきり負けないと自信を持って言える光井。
でも、それなりにオフェンスの一対一は力があって、やられるっていう怖さもあったし、実際やられる場面もあった。
なぜか。
シュートを打ってくるからだ。

それを感じた時に突然思い出した。
「ディフェンスとしてはシュートが一番怖くて、次に抜かれるのが怖い。ボール持ちかえるのとか割とどうでもいいから。もっとシンプルにやった方がいいよ」
自分が高校に入ったばかりの頃、まだ中学生だった初対面の辻に向かって言った言葉だ。
そう、シュートを打たれるのは怖いものなのだ。

すっかり忘れていたことだった。

ガードがシュートを打つのは最後の手段。
そう、自分の中に決め付けがあった。
ガードがシュートを打つ、というのを続けているとゲームが壊れてしまう。
そういう想い。
なぜだろう?
思い返してみれば、それは一対一否定論へつながる。
特に、自分が一対一をしてシュートまで持って行くこと。
これをしたくない理由があった。

ポジションはガード、っていうか全部やってた、というようなことを高校に入ってすぐの頃松浦が言っていた。
実は一時期、福田もその傾向があった。
中学二年、市井と保田が卒業したころだ。
点を取るためにそれが一番手っ取り早かったのだ。
チームの中で明らかに自分の力が頭一つ以上抜けていた。
だから、全部自分でやろうとしていた。

それで壊れたのはゲームというよりもチームだった。
ああしろこうしろと、福田は口に出してはっきり言う方だ。
その上ゲームでは自分で全部やってしまう。
周りが面白いはずがない。

人間関係としてもそうだし、技量の面でも問題があった。
周りが育たないのだ。
完全なワンマンチームになった。
中学のチームは、例えそうなってしまっても、福田は目立つので県の選抜メンバーには選ばれて大きな大会にも出ることが出来ている。
でも、チームとして、これは失敗した、という想いがあったのは事実だ。

三年になって、その辺の考えを改めるようにはなっていた。
自分で全部やるということはしない。
それでも、時間が足りず、手遅れだった。

高校では同じ失敗はしないようにしようと思っていた。
全部自分でやるということはしない。
ガードにはガードの役割がある。
それに徹する。
もちろん、小さい自分は外からのシュートを持っている必要があるし、そういった技量を磨く必要はある。
ただし、それは奥の手であり最後の手段であり、最初から選択肢として考えるものではない。

その考えでやってきた。

間違ってなかったと思う。
松がいて、吉澤さんがいてあやかさんがいて。
そう、信田コーチが言ったように、周りの力をそうやって引き出してきた。
自分が一人でやるよりずっと良かったはずだ。

振り返って見るとそうなる。
だけど、今現在を考えた場合、どうだろう?

自分が早い時点でシュートという選択肢を考えないのは、ガードがシュートを打って行くとゲームが壊れてしまうから。
この論理は、そうだ、もう、前提条件が変わっているんだ。

確かに、自分が持ちあがって全部自分でシュートを打っていたら、それはゲームが壊れるだろう。
だけど、それが可能なのは自分がスペシャルな存在であるときだ。
今は・・・、違う。

松が、全部自分で一対一をしてもうまくいかないように、自分が全部シュートまで持っていこうとしたってうまくいかない。
最初からそんなこと心配する必要がないのだ。
松がいて、吉澤さんがいて、あやかさんがいる。
去年は保田先輩だっていた。
市井先輩だって、きちんと戦力なんだ。
時には辻だっている。
まして、今のこの選抜チームは、それよりもさらにレベルが高い集団だ。
自分は、スペシャルな存在なんかじゃない。
コートの上に立つときには、悲しいくらいに五分の一に過ぎないんだ。
だったら、数ある選択肢の一つとして、自分がシュートを打つ、というのが最初からリストの中にあってもいいのだろう・・・。
その選択肢を持つことによって、他の選択肢の確率も高い方へ振れるはずだ。

福田は、大きくため息をついて、それからシャープペンで自分の頭をかつかつと二回叩いた。

悔しいけれど、信田コーチの言うとおりだった。
チームの力を伸ばすために頑張ってきた。
自分の力も伸ばそうとしてきたつもりだった。
だけど、自分は、狭い視野の中で生きていたのだ。

シュートを打つ、打たない。
それだけの問題じゃない。
自分が、いつまでもチームで突出した力の人間である、という勘違いをしたままだったのだ。
それがこういう自体に?がったのだと思う。
改めて認識するべきだ。
もう、自分は突出した力なんか持っていないのだ。
場合によっては、松に追い抜かれ、さらには置いていかれてしまいそうな、そんな、一選手に過ぎない。

・・・・。
自分がたどった思考が、まるっきり信田コーチに言われたシナリオそのままだ、ということにここまで来てまた気が付いた。
なんとも言いようのない感情が腹の内に湧いてくる。
怒りとは違う、納得感というのとも違う。
いらだちでもないむかつきというのに近いようでそうのものでもないような。
指導者の存在、というのはそういうものなのだろうか。

「また、ノートと語り合い?」

唐突に声を掛けられた。
シャワーから出て来た後藤だ。
扉が開いたのはまったく気がつかなかった。
濡れた髪をタオルでくちゃくちゃとやっている。

「みんな、バスケ好きだねえ」
「後藤さんは好きじゃないんですか?」
「んあ? バスケ? 好きだよ」

これまで、あまり部屋の中でフリートークというのをしていない関係だ。
近くにいるのが不快、ということはないが、お互いに黙っているのが自然である、という一週間だった。

「福ちゃんは、バスケがすきっていうよりバスケのことを考えるのが好きって感じだね」

二人称は福ちゃんなのか、というのが最初に引っかかったが、それよりも文末の言葉の方が福田に強く響いた。

「考えること?」
「実際にバスケやってるときはあんまり楽しそうじゃないけど、ボール持ってない時もいつでもバスケのこと考えてみたいに見える。好きな人と過ごすより、好きな人のことを考えてるのが幸せ、みたいなそんな感じ」

そう見えるのか、いや、もしかしたら見えるのではなくて、実際にそうなのかもしれないと福田は思った。

「実際にバスケをすると、いろいろなことがついてまわるから」

から、なんなのだろう。
から、楽しくない、なのだろうか。
自分でもよくわからなかった。

「後藤さんは、いつでも楽しそうて言うかいつでもつまらなさそうて言うか、どっちか分からないですけど、あまり変わらないですね」
「んー、そうかもね」

福田から見て後藤はよく分からない人種だった。
理解できないから嫌い、というようなことはない。
ただ単に、分からないのだ。
何を考えているのか、何を欲しているのか、よく分からない。

「ノート、なに書いてるの? いつも」
「何って、練習内容とか、そういう」

後藤はベッドに座った。
鏡も見ずに髪をくしでとかしている。
福田は背中を向けることも出来ず、机と反対の向き、後藤の方に体を向けた。

「家に帰ったら何冊もあったりするの?」
「何冊も?」
「いままでのやつが」
「ああ。小6の時につけ始めて、もう九冊目です」
「九冊目?」

後藤の声が裏返った。
福田が持っているノートは百枚ノートの分厚いものである。

「私のことは気にしないでドライヤー使っていいですよ」
「んあ、いいよ別に。そのうち乾く。九冊目ってよく続くね」

自分の髪よりも、練習日誌に興味を持ったらしい。

「日々思ったこと、気づいたことを綴って行くとそれなりの文量になっちゃうから。もうすっかり習慣だし、書かないと気持ち悪い」
「思ったことをわざわざ書こうっていうのがもうすごい気がする。なんか、福ちゃんなんかが完全にそうだけど、ここに来た人たちってみんな、バスケ一直線って感じですごい向き合ってるよね」
「他の人は知らないですけど、私の場合、バスケしかないですから」
「なにが?」
「なにがって?」
「なにがバスケしかないの?」
「なにが? うーん、その、バスケを取ったら何も残らないって言うか。そういう感じです」
「何も残らない? そんなことってあるのかなあ?」

そんなことは、少なくとも福田の中にははっきりとあった。

「バスケがないと生きていけないって感じ?」
「はい」
「そこが即答なのがすごいね」
「後藤さんは、バスケが無くても生きていけますか?」
「うん。って私も即答か。でも、うん、無くても生きていける。でも、あるのかなあ? バスケがないと生きていけないって。そういうの。後藤にはわかんないや」

福田にとっては当たり前の感覚だった。
自分にはバスケしかない。
後藤は、自分にとってまるっきり異文化世界に住む人間だった。
でも、ここでふと思うのだ。
これもまた、自分の思い込みなのだろうか?
自分にはバスケしかない、というのも、思い込みなのだろうか?

「なんかごめん、おとりこみ中のところ。後藤のことは気にしないで続けて」

乾ききっていない髪のまま、後藤はベッドに横になり携帯をいじりだした。
福田も机に向かいなおす。
やっぱり、福田にとって後藤真希はよく分からない人だった。
でも、それはそれで、特に不快ということはなかった。

福田のプレイ振りは翌日から小さな変化はあった。
とにかくボールを持ったらシュートを狙う、というような急激な変化ではない。
しっかりと一つの選択肢として常にシュートであり自分勝負のドリブル突破であり、そういったものを握っている、といったところだ。
目に見えて大きな変化ではないのだが、最初にそれに気が付いたのは藤本だ。
マッチアップする立場として、そういう変化はめんどくささが増すのでわかるのだ。
それだけで一気に立場逆転というわけには行かないが、状況は多少変わった。

信田もさすがに気が付いた。
すぐに、というわけにはいかず練習終盤、ゲーム形式に移行したところでだ。
外に開いた村田からのボールをインサイドに駆け込みながら福田が受ける。
ゴール下は空いたスペースを埋めた石川がいる。
そこまで持ち込まず、ボールにミートしてそのままジャンプシュートを決める。
高橋や松浦や柴田がやるならなんてことないプレイだし、藤本だってこれくらいのことはするが、福田が自分でそういう動きで自分で決める、というのはあまりなかった。
ゲーム終盤であったり、シュートクロックが無い場面ならともかく、持ち上がってすぐの場面である。

ん? と思って注目して見ていると、なるほど少し変わったかな、というのが信田にも見て取れた。

一言褒めるようなことを言おうかな、と考えてからやめた。
そういうのを喜ぶタイプでもないだろう。
福田の小さな変化への信田の回答は翌日。
十五人選抜後は藤本と高橋で回していたスタメン組み練習のガードに福田を短時間だがいれたことだ。
それでいい、と伝えたつもりだ。
福田がそれについてどう感じ他のかは誰も分からない。

全体練習後の夜練というか夜のボール遊びと言うか。
吉澤をリーダー格としたサブ組みたちの夜の体育館集会は続いた。
メンバーは後藤が呼び寄せた亀井も含めて七人。
主に三対三をやっている。
一人余り、休みが多いのは後藤だ。
昼の練習量が他より多いというのもあるが、それだけなら松浦も同じはずである。
松浦の場合、黙って見ているということが出来ずうずうずしてしまうので常参加状態になるが、後藤の場合そういう感覚が無いので休みがちだ。
自分が休めるように亀井を呼んだというのもある。

福田も常にセカンドチームで練習しているので練習の量自体は多く、体力的にはきついはずなのだが夜練習も付き合った。
福田のことなのでいやいやではない。
今の自分にとってこれはプラスである、という判断をしてのものだ。

結果、福田-光井、亀井-松浦、久住-吉澤、というマッチアップの三対三になることが多い。
三人、のチームわけは随時適当だ。
勝ったり負けたり。
まじめな指摘が繰り返される練習ではなく、からかい混じりの野次、突込みが飛び交う。
「中学生にさくっと抜かれるなー」松浦に突っ込まれて吉澤がちょっと痛い思いをしたりとか、そんな絵柄だ。

そんな日々の中、夜遊びを終えて部屋に戻った久住が言った。

「チャミさんも行きましょうよー」

久住の同室は石川である。
どういう流れか石川は三つ下の久住にチャーミーさんと呼ばせようとしたら、久住が伸ばすのを略してチャミさんと呼ぶようになった。

「いいよ、私は」
「えー」

不満不満、不満です、という顔をして石川の顔を上目遣いに見つめる久住。
チャーミー石川です、とハートマークつきで石川が返すと、久住はベッドの方に倒れこんだ。

「いい年して寒いですって」
「いい年ってなによ。三つしか違わないでしょ」

中学三年生と高校三年生の三歳差は大違いである。

「昼間練習してるんだから、夜までそんなしないの私は」
「是永さんとは鬼の一対一やってたじゃないですか」
「あれはあれ。それにもう時期が違うでしょ。そんなことやってる時期じゃないの」
「小春たちもやんない方がいいって言うんですか?」
「そうじゃないのよ。小春が昼間動き足りないって言うなら夜にそれを補うのはいいと思う。でも、私は昼間に十分動いてるし、大体、この先すぐ大会なのよ。六日で五試合。それへの調整時期なんだから余計なことしてられないでしょ」
「後藤さんとかあややさんとかやってますよ。あー、後藤さん割と見てるだけだけど」
「その辺は人それぞれだから。今の自分に必要なことをやればいいの。私に必要なことは休むこと。小春に必要なことは体を動かすこと。高校生と練習出来る機会とかそんなにないもんね。それに、動いとかないと試合出るにしても感覚鈍っちゃうから。小春が夜遊びするのを止める気は無いのよ。ただ、私は付き会わないって言ってるだけで」

この部屋の二人は割と良好な関係だった。
お姉さんぶりたい石川と、生意気言うけど割合妹キャラを演じられる久住。
相互補完性もあるし、その他の面でも相性がいい。

「それでどうなの? ちょっとはディフェンスできるようになった?」
「ちょっとはってなんですかちょっとはって」
「じゃあ少しは」
「一緒ですよ」

むー、とか言いながらも久住は自分の実力が把握できないほど愚か者ではない。

「吉澤さんでインサイドだと力で負けちゃうから止まらない。でも外からなら割合何とかなる気がします。あややさんに外からやられると早いなあとは思う」
「小春はたぶん、外のがいいのよね」
「背はまだ伸びてますよ」
「背の高い外、でいいんじゃない? インサイドでパワーで勝負って感じには見えないし」
「外から勝負できる方が、小春の華麗な感じが生きそうです」
「小春の場合、華麗っていうより食べるカレーって感じ」
「なんで、そういうオヤジギャグ言うんですか。だから美貴様に嫌われるんですよ」

久住としては、会話の流れで軽い気持ちで言ってみただけなのに、石川は腕を組んで考え込んで答えを返してこなかった。
あれ? と久住が怪しんでいると、石川が今までとは違うトーンで言った。

「外から見てもそう見える?」
「外から見ても?」
「なんか、ミキティと合わないのよね」

だから嫌われてるんですって、といえるような雰囲気ではない。
何か違うことを言っている、というのは久住も感じ取れた。

「うざいとか何とか言われても、あんまり本当に嫌われてる気はしなかったのよ。たまに本当に怒られるときもあったけど、それは私が確かに悪かったし。もちろん、二人でごはん食べよとか言ったら、はっきり拒否られると思うんだけど、でも、三人いる中で四人目で私が入って行っても、その場で席を立っちゃうような、そういう嫌われ方はしてないと思うのよ」

何の話だ? と思ったけれど、久住は珍しく石川の話を黙って聞いた。

「だから、普通にうまく行くと思ったんだけどね」
「そういえば、あんまり合ってないですよね」
「でしょー」

そう、合っていないのだ。
その話をしているのだと久住は分かった。
言葉は大分はしょっているけれど久住には分かる。

スタメン組みの連携がいまいちうまくいっていない。

その話しだ。
アイコンタクトであり阿吽の呼吸であり以心伝心であり。
いろいろ表現はあるが、コートの上でのプレイヤー同士の関係がうまく行っていないように久住には見えて、石川も感じていた。

「やっぱり選抜チームって難しいのかなあ」
「全中オールスターでも、そんなに難しい感じしなかったですよ」
「それは小春が一人抜けてたから小春だけは難しくなかったんでしょ」
「高校生も国体とかやってるんじゃないんですか?」
「うち県選抜って名前のうちの高校だからなあ」

中学生は年度末に県の選抜チームが集まって行う全中オールスターという全国大会がある。
久住は当然選ばれるし、県レベルなら頭一つ以上抜けた大エースである。
石川も当然そういうような存在だったが、もはや昔話である。
国体も事実上自分の高校チームでやっている石川にとって、選抜チームで集まったメンバーでチームを作るというのは久しぶりの経験だ。
藤本も、高一の時はほぼ滝川山の手単独チームであったし、二年の時は事情により選抜に入らなかったので同じように中学以来の選抜チームである。

「五人固定しないとダメなのかなあ?」
「でも、美貴様とチャミさんはいつも一緒なんだから、他が替わっても関係なくないですか?」
「そうなんだけど、全体の動きってあるじゃない」
「うーん、そうかもしれないですけどー」

藤本、石川、飯田は中心になっているが他の二枚は随時交代という風である。
その上、藤本のところを高橋にしてみたりとアレンジすることもある。
同じ五人で五対五の練習をする時間、というのがかなり短くなっている。
ぎりぎりまで競争を煽る、というやりかたの副作用が出ていた。

「なんかー、最初の洗濯係ゲームの時のが合ってましたよね。小春のところは合ってなかったけど」
「洗濯係ゲーム? ああ。最初のね。うん。ミキティのとこは合ってる感じだった。三試合目やったとき。ってなに? 今、合わないのは私のせいってこと?」
「是永さんいたらすごくうまく行ってたかもしれないですよー」
「なによ。美記がいたら小春なんか家に帰ってたくせに」
「小春じゃないですよ。たぶん、吉澤さん」
「よっちゃんってことないでしょ。よっちゃんはずしたらセンター少なすぎるもん」

代表候補メンバーが集まった一番最初の日、四チームに分かれて八分ハーフの試合を行った。
久住が言っている洗濯係ゲームとはそれのこと。
藤本 高橋 柴田 是永 里田 飯田
この六人のチームが全勝で優勝した。
このチームがうまく行っていたのだったら、是永が今残っていたら、石川ではなくて是永にするだけでしっくりいく、ということになる。

「もう、あんまり時間ないのよね」
「明後日までですよね、ここで練習するの」
「で、次の日出発。小春、飛行機乗ったことある?」
「石川さんこそあるんですか?」
「あるわよ。あるに決まってるでしょ」
「外国行ったことは?」
「それはない」

石川くらいになると、試合の遠征で飛行機に乗ることは日常茶飯事だ。
滝川に行くにはどう考えても飛行機というのが交通手段の第一選択肢になる。
久住は、たまたまだけど、試合の遠征先も飛行機で行くような場所になったことが無かった。
ただ、石川にしても、また、その他の多くの選手にしても、これが海外へ行くこと自体始めてであったりする。
国際試合の経験、の前に、国際経験、海外経験から不足している。

「パスポートちゃんと持ってます?」
「あたりまえでしょ」
「写真見せてくださいよ」
「めんどくさいからいや」
「可愛くないんですね」
「そんなことないけどめんどくさいからいや」

パスポートの写真も、運転免許証ほどではないが、結構あれなタイプの写真になりがちではある。

「そんなことよりそろそろシャワー浴びちゃいなさいよ」
「めんどくさいー」
「そういうこと言ってると臭いわよ」
「はぁーい」

石川と久住、二人は割合うまく行っていた。

別の部屋では別の人が別のことを考えていたり同じようなことを考えていたりする。
十五人、それぞれ今、チームの中で何らかの状況の下に自分の存在がある。
試合にスタメンで出る気でいるもの。
出る機会があるかどうかさえ怪しい、と思いつつ、それを受け入れているもの。
スタメンになれるかどうか、どちらなのか分からないで不安なもの。
試合に出られなさそうな現状に不満なもの。
自分のことを考えるものもいれば、チーム全体のことを考えるものもいる。
自分のことを考えることと、チーム全体のことを考えることの区別が付かなくなっているものもいる。

「私の言ってることって自己中なんですかね?」
「そんなことないと思うよ。あゆみんは冷静に自分のこと見えてると思う。でも、こういう時にそういうこと言うと、そう感じちゃうのも分かる」

柴田は村田に、チームについて、自分について、思っていることを語っていた。

「行き着くところが、なんか、自分に都合のいい方へいい方へ向けちゃってる気がするんですよ」
「別にそれでもいいと思うけどね。あゆみんがそれいくら考えてもどうにかできるもんじゃないんだから」

柴田はどういうメンバーでチームを組むのが良いか、という話しを村田としていた。
ポジションとして、二番、大雑把に言うと身長が低い方から二番目、というようなところにスタメンで入るか入らないか、というくらいのところにいる柴田。
どんなメンバーでチームを組むか、というのを考えた場合、自分が入る、という結論になることが、冷静に客観的な結論かどうか、自分で怪しんでいる。
それに対して村田は言うのだ、決めるのは信田さんであって、いくら柴田が考えたってその通りにはならないんだから、別に自己中でも恣意的でもなんでもいいじゃないかと。

「なんか、でも、いやなんですよ。その、人がうまく行かないのを望んでるみたいな気持ちで参加するの」
「人と競争するときにはどうしてもそういう部分あるし、仕方ないよ」
「だけど、同じチームじゃないですか。なんか、いやなんですよ」

柴田は石川と同じことを感じていた。
藤本と石川が、今ひとつ噛み合っていない。
それに派生して、藤本、石川とその他三人という五人のチームも、機能していない。
間に入るのが自分であっても、松浦であっても、高橋を入れ込んでも、ピンと来ない。

それと引き換え、すっきりうまく行っている組み合わせがあった。
高橋-柴田-石川。
こう三人並べるとうまく行くのだ。
あたりまえだ、田中が入ってくるまでの一年間、高橋をポイントガードとしてずっとやっていたのだ。
さらに平家まで入れても、しっかり練り上げられたものが出せる。
プラス一人は飯田が入る。

この組み合わせなら急造チームの不安感はほぼ消えてしまう。
実際、高橋-柴田-石川、と並べるチーム編成はこの合宿中にも練習していた。
そうすればしっかり力を発揮できる、という結論は、柴田が自分でスタメンで試合に出る、というのとイコールになる。

「最後に決めるのは信田さんだから。あんまりそういうところまで悩まなくてもいいんじゃないの?」
「そうなんですけど、でも、なんか、自分が試合に出ることばっかり考えて練習する感じなのが嫌なんですよ」

柴田は言っていないことがあった。
藤本と高橋だと、藤本の方が力があるな、と感じていた。
だから、藤本を入れて機能した場合の方が、高橋-柴田-石川と並べてうまく行っている現状よりも、トータルとして強いチームになれると感じているのだ。
つまり、高橋-柴田-石川、で試合に臨むことを期待するのは、チーム力を一番高いところへ到達させることを目指していない、ということになる。
そこに引っ掛かりを感じていた。

「あゆみんはまじめだねえ」
「そんなことないですよ」
「普通はそこで迷いなんて持たないんだよ。自分が試合に出ることばっかり考えて練習するのが普通なの、割と。わざわざこうやって集められてさ、それで試合に出られないってなると、腐っちゃったりもするのよ。私も、スタメンで出たいしなあ」

柴田は、はっと気がついてそれ以上何も言えなかった。
今の村田の立場は、本人の認識としても周りの客観的な印象としても、はっきり差のある飯田の控えの二番手だ。
そういう人を相手に、自分は、スタメンをどう並べるべきか、なんて話をしているのだ。

油断していた。
普段の柴田ならもうちょっとしっかりと気を使うはずだった。
いつも隣に石川がいることで、その石川発で生じる摩擦を自分が低減する。
そんな役割を演じている。
先輩たち、平家の代が卒業してからはチーム運営に関してしっかり相談できるような人もいなくなっていた。
外からやってきた異分子三好とは仲良くなってはいるが、せいぜい愚痴を聞いてもらうという程度のことであって、あまりきちんと意見を聞いてもらうということをしていない。
そんな中で、村田は、久しぶりにあった頼れるお姉さんだった。
頼れる、それはなにか表現として違和感がある。
包容力、それもどこか違う気がするけれど、まだそちらの方が近いだろうか。
どうも、無防備に頼ってしまう部分がある。
いけないいけない。
村田だって一人の人間で、考えるところはあるのだ。
こういうところに呼ばれるだけの人、試合にスタメンで出たい、という個人の思いは持っている。

「あゆみんの役割は大事だよ。どっちにしても」
「どっちにしても?」
「試合に出るにしてもでないにしても。出るなら当然だし。出ない場合さ、あゆみんみたいな立場、試合に出られそうで出られなくなっちゃったっていうぐらいの子が、一番チームの雰囲気悪くしたりしがちじゃない。そうならないようにするの。自分の気持ちに折り合いつけてさ。だから、どっちにしても大事なの」

村田だって、自分の気持ちに折り合いつけて、今の役割をこなしている、ということでもある。
柴田は、少し反省した。

翌日の練習。
五人の固定度合いは前日までよりは固まってきた。
大まかに二パターン。
藤本-松浦-石川-後藤-飯田
これがパターン1
高橋-柴田-石川-平家-飯田
こっちがパターン2
パターン2では平家を四番に入れて、去年の富岡−小川+飯田という形になっている。

信田も感じていたのだ。
藤本と石川の合わない感覚を。
どちらかをはずす、という部分では藤本を外す選択になった。
パターン2は当初から考えていた、富岡ベースプランにほぼなっている。

今まではパターン1の松浦、後藤の部分は組み替え組み替えでやっていたのだが、ここに来てこの五人をセットにするようになってきた。
松浦や後藤が、他のメンバーと比べてはっきり勝っている、というよりは、もういい加減選ばないとどうにもならない、と信田が腹をくくっただけ、というところがある。
しかし、腹をくくったと言っても、まだ、残っている二択で迷っている。

ポテンシャルならパターン1
安定感ならパターン2

相手を見ながら選ぶということになるのだろうか。
選手も、監督も、確証をもてていない。

国内での練習最終日となったその翌日も、状況は変わらないままで出国の日を迎えた。

いまや、上海へは羽田から飛べるようになった。
一般的に見ると、成田まで出るのと比べその負担は大違いである。
ただ、彼女たちにとってはあまり関係ない。
せいぜい、皆、羽田の方がなじみがある、という程度のことだ。
地方のメンバーは、冬の選抜大会には飛行機で羽田にやってくるし、関東圏のものは、インターハイなどで羽田から飛んで行く。
国際線は、パスポートがどうのこうの、出国手続きがどうのこうの、と少し違うこともあるが、大人数の集団でわいわいやってれば、それも一つのイベントごととして過ぎて行く。

乗って行く飛行機が、経費削減で現地系のエアラインやパキスタ航空だったりはせず、会社更生中の元国営、親方日の丸航空だったのは、日本代表としての矜持か、バスケ界の同胞への気遣いか。
いかにも出張、なビジネスマンたちに囲まれた、女子高生±一年の集団は明らかに機中で浮いている。
修学旅行か? という視線を受けるが、それにしては人数があまりに少ないし、どんな集団なんだろう? という疑問だけを周りに振りまいて、誰も解は与えない。
3-4-3の座席列、進行方向左側の3の列に集められたチーム関係者。
大人は前で、選手たちは、なんとなくなお互いの距離感で自然と椅子が埋まっていき、最後の方だけ不自然に席が決まる。
部屋割り、なんてものはここでは関係ないようだ。
一緒に座ろうね、なんてわざわざ前振りしなくても、福田の横には自然と松浦がいたりする。

新幹線のように、座席をひっくり返して六人向かい合わせでトランプ、なんてことはありえない。
エコノミークラスの狭い三列シートは、そろって何か娯楽をするだけの余裕はない。
せいぜい、隣同士でお話、くらいしか出来ない。
飛び立って、安定飛行になって、食事がサーブされて片付いて。
まだ、目的地までは二時間ほどある。

「よっちゃんさん、起きてる?」

窓際席に座る藤本が隣を見て言った。

「ん? うん」

メンバーたちは静かだった。
食事のころまでは、メニューがどうの、味がどうのとわいわいしゃべっていたが、それが片付くと、合宿の疲れもあるのか、多くのメンバーは眠ってしまっただろうか。

「みんな寝てるのかな?」
「どうだろ? ごっちんは寝てるみたい」

吉澤の隣、通路側には後藤が座っている。
真ん中の座席で、吉澤には前後の状況など分からない。

「よっちゃんさんは寝ないの?」
「うん、別にどっちでもいい感じかな」
「そっか」
「ミキティは?」
「眠くはないかな」
「練習引っ張って一番疲れてそうなのに」
「それくらいの体力はあるから」
「そりゃそうか」

日本の高校生で一番足を使うチーム、滝川山の手のキャプテンである。
普段の鍛え方が違うだろうしな、と吉澤は思う。

「よっちゃんさんは疲れてないの?」
「わたし? 最近、昼間の練習量少ないから。ゲームにあんまり混ぜてもらえないし。どっちかっていうと、疲れるほど練習させて欲しいって感じかな」
「そういえば、愛佳とか引き連れて夜練やってるんだって?」
「引き連れてってこともないけど。体力余ってる奴集めて発散って感じかな」

藤本は合宿後半は光井と同部屋だった。

「なんか、よっちゃんさんって、誰とでもうまくやっていける感じだよね」
「そうでもないって」

吉澤としては、自分のチームの中でさえもそれほどうまくやっているようには思っていない。
あやかは別として、市井との間には何か壁を感じるし、福田や松浦ともスムーズにやり取り出来ているとは感じていない。

「石川ってどう思う?」
「どうって? どう? なに?」
「人としてと言うかプレイヤーとしてと言うか、なんでもいいよ」

石川は二人の三列後ろの真ん中の席に座っている。
藤本と吉澤の会話が直接本人に聞こえることはない。

「やっぱうまいよね。うまいし速い。中入っちゃうと、外人にはきついかもしれないけど、外から勝負なら誰相手でも完全に負けるってことはなさそう」
「そっか」

藤本はふっと窓の外を見る。
飛行機は雲の上。
見下ろしても白い雲しか見えない。

「ミキティはどう思うの?」
「うん・・・」

藤本はすぐに答えを返さない。
しばらく考えてから言った。

「敵なんだよね、私にとって石川って」
「敵」
「うん。敵。中国とか、外国に勝ちたいとか、あんまり考えたことない。実際試合すりゃ勝ちたいに決まってるけど。それ考えてずっとやってきたかって言うとそんなことなくて。何考えて普段練習してるかって、石川に勝ちたいとか富岡に勝ちたいとか日本一になりたいとかであって。それがなんか、こうやって世界を突きつけられると、日本一になりたいって、なんか、おまえちっちゃいなって言われてる気分になったりもするんだよね。是永美記がアメリカ行ったりとか。そういうのも含めて」

見ている世界の違い。
それを言っているのだということは吉澤にも分かった。
日本一を目指しているか、そこは通過点か。
それを言い出したら、自分はもっとちっちゃいよな、と吉澤は思っている。

「でも、私にとって、負けたくない相手は石川なんだ」
「うん」

その感覚は、とても自然なものとして吉澤にも理解できた。

「あいつさあ、うざいでしょ。いろいろと」
「いろいろと」
「人の気持ちわかんないし、勝手に一人で突っ走って周りの計画ぶち壊したりとか。普通にしゃべててもなんか空気読めてないし。たぶん、柴田がすごいいろんなとこフォローして何とかうまくやってるんだろうと思うんだよね、富岡って」

吉澤から見ても、石川はプレイヤーとしてはとてつもないレベルで、コートの上でのキャプテンシーのようなものは感じるが、部活のキャプテンとしてはどうなんだ、と思うところはある。

「あんなのキャプテンで、下の人間ついて来るのか? ってかなり怪しげじゃん。自分勝手でガキだし」

石川のことをぼろくそに行っている藤本の話を、吉澤は止めずに聞いている。
藤本は、そのあたりまで話してから一呼吸置いて続けた。

「そういうどうしようもない奴なんだけど、でも、たぶん、美貴は、本当にあいつのことを嫌いなわけじゃないんだと思う」
「うん」

吉澤は、驚きはしなかった。
吉澤が関わるよりも、藤本石川の付き合いの方が長いので、最初の頃どうだったのかを知る由はないが、うざい、というポーズが定着していて、それを変えずにいる方が楽である、というだけなんじゃないかという気はしていた。
大好き、とか、親友とか、そんなことはありえないけれど、本当に忌み嫌うという存在ではないのだろうというのは感じている。

「でも、石川は敵なんだよ」

一周まわって元の位置に戻る藤本の言葉。
吉澤はさっきから、適当な相槌とおうむ返しくらいしかしていない。
ほとんど藤本の一人語りだ。

「なんかさ、美貴自身よくわかんないんだよね。嫌いだから口聞かないとか、そういうことじゃないんだけど、でも、石川と仲良くやる自分ってのも違和感あって。別に、仲良くってことでもないのかもしれないけど。一つ一ついろんなことを話し合うとか、そういういの? やんなきゃいけないことなんだって思わなくも無いけど、なんかね」

藤本と石川の間でまったく会話がないということはない。
コートの上で、五対五の練習なんかをしていると、プレイの合間合間でやり取りくらいはある。
でも、それくらいなものだ。

「よっちゃんさん、眠い?」
「いやいやいや、別に、そんなことないって」
「悪いね、なんか、ぐちぐち言っちゃって」
「そんなことないって」
「飯田さんとかよりよっぽどキャプテンキャラだから、よっちゃんさん、なんか話しちゃうんだよ」
「自分だってチームじゃキャプテンでしょ」
「美貴には向いてないよ。石川よりは大分ましだと自分で思うけど」

ここでも、引き合いに出てくるのは石川だった。

藤本の語りが、自分に解を求めていたのかどうか、吉澤には分からない。
仮に求めていたとしても、吉澤にはその答えは思い浮かばなかった。
藤本の感覚は自然なものだと思う。

話は終わり、とばかりに藤本が座りなおして腕組んで眠りの姿勢に入ったので、吉澤は結局何も答えなかった。

藤本は、実際には眠ってはいなかった。
沈思黙考スタイルに変化しただけだ。
誰かになんとなく思っていることを話したかった。
誰か、といいつつ誰でもいいわけじゃなくて、今居るメンバーで考えれば吉澤がベストだったのだと思う。
だから、食後のゆったりとした雰囲気かつ移動不可な状況の中で口が開いたのだろう。

滝川にいるときと、この選抜チームの中では、自分の立ち位置も想いも違う。
滝川山の手とは藤本美貴のことである。
そう、石黒が言ったとか言わないとか。
藤本自身の感覚としては、チームイコール自分は言いすぎだけど、チームの勝利イコール自分の勝利という部分はあるな、と思った。
自己犠牲してでもチームに貢献する、というのとは少し違う。
チームが勝った時点で、自分は犠牲になっていないのだ。
少なくとも、キャプテンスタメンポイントガード、として試合に出ている現状では。
たぶん、自分が点を取るポジションでは無く、また、特殊な条件下でない限り、石川と、あるいは他校にしても是永などいわゆるエースと呼ばれる選手とマッチアップすることが無いのでそうなるのだろう、と思っている。
石川や是永などと、個人の勝負で勝った負けたが出来る場所に居ないので、チームとして勝たないと自分の勝利が手に入らないのだ。
だから、チームが勝った時点で、自己犠牲という部分は消えている。
もっとも、寮での暮らし、という面では自分を犠牲にしてわざわざ寮長やってやっている、ということは思っているが。

この選抜チームの中では違う。
U-19日本代表とは藤本美貴のことである、はありえない。
チームの一員、もっと表現を悪くすれば、一枚の駒だ。
チームの勝利イコール自分の勝利、ではない。
自分の思うようにプレーして勝つことが自分の勝利である。
滝川にいるときのように、コートの外でも中でも自分が仕切って引っ張る、ということもしない。

周りと合わせようと言う意識が薄い、と藤本は感じていた。
自分が、そう、自分がそうなのだけどそれだけじゃない。
石川もそうなのだ。

富岡ベースチームの時はスムーズに行っていた。
一年間培ったものを取り戻せばいいのだから、それはそうだろうと思う。
それと同じものを後三日で作れるのだろうか。
しかし、高橋と石川というのも、お互い好き勝手やりそうな組み合わせだな、とも感じる。
相手に合わせる、なんて発想はどちらも持っていなさそうだ。
それでも一年やっていれば何とかなるもんなんだろうか?

その辺は柴田がうまくつないだのかな、と考える。
石川と自分、二人で何か話そうとすればけんかになるだろう。
多分、先に怒るのは自分だ。
心のそこから嫌い、というのとは違うけれど、敵であるという認識は変わらないし、やっぱり二人で和やかに話して何かを作り上げて行く、という姿に違和感を感じる。
柴田がいればなんとかなるか、と思ったが、ここでもう一つ思った。
柴田にとっては、なにもいいことがない。
あいつ、自分と石川がうまく合わない方が、富岡ベースで試合出られるもんな、と思った。

高橋-柴田-石川。
これと同じ文脈を考えるなら、今のメンバーだと、藤本-松浦-石川となる。
松浦・・・。
石川のことばかり考えていたが、よくよく考えると、この子ともうまく行っていなかった。
人間関係的なことではなくて、コートの上のプレイ面で。

あの子も周りに合わせるってことを知らないよなあ、と自分を棚に上げて思う。
上三人、全員の問題か、と思った。
コートの上ではあれだけど、外でのあれやこれや、松浦の姿を思い浮かべると笑みが浮かんでしまうのはなぜだろう。
少なくとも、石川に対するようなごちゃごちゃしたいろいろな想いは、松浦に対して藤本は持っていない。

あの子とだけでも、少し話してみようかな。
そう、思った。

そんなことを延々考えていると、飛行機は、虹橋国際空港へと到着した。

日々開発が進む、新バブル都市上海。
半年経って訪れて、同じ道を歩こうとすると道に迷うと言う。
それくらいの変貌のスピードである。
ここが、今大会の舞台になる。
オリンピックは北京で行われた。
アジア大会は広州だ。
上海は、万博。
政治や文化よりも、商業都市としての存在感が強い。

バスケットボールというたった一つの競技で、しかも、U-19という年齢制限のついたものであり、世界大会ですら無くアジア限定の大会。
地方都市ならいざ知らず、娯楽のあふれる上海のような都市では本来注目を集めるようなものではない。
それがなぜか今回は違った。

大会開幕前日、会場で練習をする機会を得ることが出来た。
まだ、アリーナ席は組まれておらず、普通の体育館仕様で、コートも二面存在している。
時間帯の関係で、別のチームが隣のコートで練習することになっていた。
この、たかが前日練習に、マスコミ陣が集まり、さらには一般市民が見学に訪れている。

「なんなの? この盛り上がり?」
「反日運動とかじゃないですか?」
「でも、うちら、敵視されてるっていうより、相手にされてない感じじゃない?」

吉澤、福田、松浦。
会場に入って行くなり、異様な雰囲気で戸惑った。
吉澤、松浦はともかく、福田は、歴史がどうとか領土がどうとか、そういう知識があるので、中国の国内で予想もしないことが起きることは想定していた。
ただ、どうも、それとは方向性が違う空気がある。

「まあ、気にせずやろう。実際は、アリーナ席組まれて今とは違う向きのコートになるけど、フロアの状態とか適当に味わっといて。あと、トイレの場所とかそういうしょうもないこともしっかり確認しとくこと」

ばらばらと秩序無く荷物持って会場に入ってきた、という段階である。
これから各自テーピング巻いたりストレッチしたりと準備を整える。
こういう時、立場の違い性格の違いで立ち居振る舞いに違いが出る。
いつもとまったく変わらず準備をするものあり、スタンドを見上げきょろきょろするものあり、ふらふらと出かけて行くものあり。
どうやら大事な場面で試合に出ることがなさそうで、かつ、最年少な中学生二人は連れ立って建物探検に出かけて行ってしまったりしている。

「ニーハオじゃなかった」
「普通でしたよ普通」
「なにが?」
「トイレ」

探検して戻ってきて先輩様たちに喜び勇んで報告。
誰が吹き込んだか、中国のトイレは敷居がない、と久住は思わされていた。
真っ先に確認してみたが、そんなことは当然ない。
ここは、現代の上海の国際試合も行われる体育館である。
一番興味あったことをすぐに確認して、報告を終えて、また、出かけて行く。
年の離れた飯田あたりは、そんな中学生たちを、愛玩動物でも見つめるような目で見ていた。
子供っぽい振る舞いが多いが、問題は起こさず手が掛からないところがとてもよい。
マスコットキャラクター扱いである。

柴田は、そんなものを見て和んでいる余裕がなかった。
まだ、はっきり明言されていないが、どうも、明日の初戦、自分はスタメンで出ることになりそうな雰囲気である。
どうやら強いらしい、ということくらいしかはっきりとは分からない韓国。
育成面でどうだとかこうだとか、そういう情報はあるのだが、選手の特徴などなどは少なくとも柴田がマッチアップする相手については得られていなかった。
高校レベルでは、弱い相手はともかく、強い相手と初見で戦うというシチュエーションはほぼ無かった。
隠し玉的に当てられた、中村学院の川島にてこづったということもあった。
この前日練習、自分たちの次の時間に韓国が組まれているので、それを見ることくらいは出来るが実際の試合の光景をみることは出来ない。
相手も自分たちの試合を見ることがありえないのだから、条件は同じであるが不安なものは不安なのだ。
事前準備はしっかりしたいタイプである。

後藤はのんびりとストレッチをしていた。
外は暑かったけど冷房効いてていいねえ、とか、まさしく雑談を亀井と交わしている。
会場の雰囲気とか、そういうものへの感想も特に見られない。
後藤が、何をどう思っているのか、というのはまわりにもよくわからない。

そろそろ準備が出来て、アップ前のミーティングしたいのにガキが戻ってこない、なんて信田が思っているところへ、久住と光井が走って戻ってきた。

「なんか、なんか、なんか、来る」
「なによ、何かって」

久住が、自分が出て来た通路を指差して言っている。
そうされると、一同そこへ視線が向いてしまうもの。
なにが来るの? と見ているとやがて、集団がやってきた。
スタンドの一般人がわっと沸き、マスコミ陣がカメラのフラッシュを焚く。

「ああ、CHN48か」

まともに情報を持っている信田がつぶやいた。

中国は予選リーグでは当たらない相手である。
メンバーたちへは特に情報を与えずにいた。
当たるにしてもまだ先の相手である。

「すごいね、地元の人気って」
「でも、日本でやってもこんな観客来てもらえます? しかも練習ですよ、今日、ただの」
「つーかさあ、何人いるんだあれ?」
「48人なんじゃないっすか? 信田さん、CHN48とか言ってたし」
「登録15人でしょ」
「56人」

メンバー間の会話に信田が入る。

「中国の全国各地から集められた面々だな。元々48人のはずだったんだけど、なぜか増えちゃって今は56人いるらしい。当然大会の登録は15人だけど。で、あんな顔とかで、一般人にもなんか人気があると。そういうことらしいよ」

わっと沸いた観客にも、蟻のように群がるマスコミ陣にも、慣れているようだ。
大会そのものじゃないし、練習は全員でするのかな、と見ていると、実際にコートに上がるのは20人ほどなようだ。
後は声だしなりタオル渡したりとか、補助に徹するらしい。

「生存競争激しいらしいよ。あれだけ人数いると」

56人からの15人である。
その56人のさらに外にも何らかのまとまった人数がいるという話だ。

「ふん、ちゃらちゃらしちゃって。人気があるんだかなんだか知らないけど」

ストイックまじめ権化型チームのキャプテン、藤本から見ると、コートの上まで来てマスコミ相手ににこやかにやっている姿はあまり気分のよろしいものではないらしい。
その、緩んだ空気が一人の選手の一声で一気に変わる。
異国語なので、日本のメンバーには誰一人理解できなかったが、メンバーの中で一番小さい、頭にリボンつけた選手が声を出したのは分かった。
その一言でマスコミ陣は離れ、中心選手たちの一つの輪、その外にサポートメンバーたちのもう一重の輪が出来る。
それから、その、頭にリボンをつけた小さいのが、なにやら演説していた。

ぱっと変わった空気は、日本チームの練習コートにも伝わってくる。
思わずこちら側も黙り込んでいた。
中国チームの円陣が解散し、張り詰めた空気が崩れてから信田が口を開いた。

「さて、こっちも始めよか。どうせ予選は当たらないんだから、あんまり向こうは気にしないように」

気にしないでいられるわけがなかった。

練習自体はものの一時間程度の簡単なものだった。
見られて困るような練習は出来ないのだから、具体的な戦術練習はしない。
しっかりと五対五の練習など、するわけもなく、体を動かす程度のものだ。

もう一つのコートでもそれは同じで、やはりたいしたことはしていないはずなのに、メンバーたちの一挙手一投足に反応して観客が盛り上がる。
敵対的なアウェーとは少し違うが、日本にいるときとの明らかな空気の違いはやっぱりアウェーだ。
そんなことをそれぞれ思いながら引き上げる。

「信田さん言ってたみたいに、やっぱ、国際試合ってなんかすごいんすね」 
「いや、今のはなんか違うぞ。特殊だ特殊。ああいうのじゃない」

日本代表のバレーの試合と違い、日本代表だろうがどこそこ代表だろうが、バスケの試合はあんまりアイドルアイドルした空気にはならない。

そんな話をしながら引き上げて行くと、次の時間に練習するらしき集団が前方からやってきた。
当然外国人なはずだが、顔はそれほど違和感がない。
東アジアの人種のようだ。
とはいえ、外国人なのだから知っている顔は無いはずなのだが、一つ、ここにるほぼ全員が知っている顔があった。

「ソニン」

信田が声をかける。
返ってきた言葉は、予想外のものだった。

「アニョハセヨ」

ソニンのリアクションを見て、信田も少し身構える。
しかし、それは表に出さず、平静を装って続けた。

「韓国代表に選ばれたのか」
「ネー」
「スタメンか?」
「モルラ」
「そうか」

ご丁寧に身振りをつけてくれた。
わからない、と言っているようだ。
本当に分からないのか、言えないのか。
それこそ分からない。

「まあ、こうなった以上、どういう結果になっても恨みっこなしだ。お互い頑張ろう」
「カムサハムニダ」
「また、次は会場でな」
「アンニョン」

韓国代表チームはソニンを置いてさっさと行ってしまっている。
ソニンは悠然と歩いてコートに向かって行った。

「下手な韓国語使いやがって」

ソニンの背中に、信田はつぶやいた。

信田は、日本の代表候補にもソニンを選出していた。
生まれも育ちも日本のソニンだ。
当然その実力は知っていて、代表候補に相応しいと思って呼んだ。
韓国籍を持っているのは分かっていたが、それでもこちらを選ぶものだとすっかり思っていた。

すぐに断られなかったのは、迷っていたからなのか向こうからの召集が遅かったからなのか。
いずれにしても、辞退を告げられたのは合宿直前だった。
それで急遽あやかを追加召集したりしたのだ。

高校三年生にして自分の国籍を選ぶ。
二者択一。
選んだのは、血は流れているけれど、一度も土を踏んだことのない国の国籍だ。
言葉もほとんどしゃべれない。
国籍を自分で選ぶ、というのがどういう自体なのか、どういう精神状態で決断を下すものなのか。
想像も付かない。
ただ、重い選択を強いてしまったな、という思いは信田にあった。
それでも、今は、敵と味方に別れて、初戦で戦うことになる。

「ソニンが選ばれてるってことは、うちとあんまり変わらないくらいってことですかね?」
「さあね。ソニンがどういう位置づけに置かれてるかわかんないからなんともな」

スタンドに上がる階段の途中、飯田から問われる。
実際、信田にもそれは判断できない。
ただ、メンバーの情報はある程度は信田は持っていた。

中国チームほどではないけれど、韓国チームが姿を現したときも、ただの前日練習というのには相応しくないマスコミの集まり方があった。
当然、今度は韓国マスコミであり、また、なぜか少し日本人らしき姿もある。
また、スタンドに、数は少ないながらもファンらしき姿もあった。

「国際試合ってこういうものなんですか?」
「いや、だから、これもおかしいって」

韓国のメンバーも、CHN48と比べると負けているが、それでもファンが付き注目を集めている部分がある。
生存競争の激しいCHNとは違い、韓国の方はメンバーはほぼ固定だ。
少女時代KARA鍛えられた14人のメンバーが注目を集めている。
そこにソニンが加わった15人が韓国の登録メンバーとなっている。

やっぱりソニンは浮いているな、と信田は思った。
韓国チームの公用語は当然韓国語である。
それがソニンは大して話せない。
少女時代KARA続いている14人もなぜか日本語をかなり話すらしいと聞いているが、わざわざ日本語でコミュニケーションはとらないだろう。
ただ、ソニン以外のメンバーの結束が堅いか、というと、意外にそうでもないのかなあ、というのが上から見ていての印象だ。
淡々と練習をこなしている姿が見て取れる。

「やっぱり大した練習はしないんですね」
「そりゃそうだろうな。まあ、敵の顔を拝めただけでも、少しはイメージ沸くだろ」
「どれが来るかわかんないんですけどね」

分かったのは顔だけだ。
スタメンが誰なのかも今ひとつ分からない。
ただ、誰を取っても、誰一人簡単な相手はいなさそうだ、ということだけは感じ取れた。

ここに集まるようなメンバーになると、遠征自体には大分慣れている。
全国レベルの大会に出れば、当然泊まりでの遠征になるのだ。
とはいえ、海外遠征、というのに慣れている、というようなものはいない。
日本でなら気軽に行ける、ちょっとコンビニへ、がここでは簡単ではない。
そもそも、ふらっと外を出歩いたりしていいものかどうか。
全員、お年頃の女子である。

ただ、それでも、会場が上海、というのは恵まれていた。
治安が極度に悪い、ということはないし、しっかり発展した都市なので、比較的清潔でもある。
また、食事の面で苦労することがなかった。
食事が合わなかったらとにかく中華街を探せ、というのが世界を旅する日本人バックパッカーの一部ではよく言われていたりする。
それくらい、日本人にとって、中華料理というのは食事の面で安牌と言える。

そういった意味で、環境面で変なストレスをためることは無く、開幕前夜を迎えることができた。

後の問題は、コートの上でどうなるか、である。

前夜ミーティング、信田は明日のスタメンを告げた。
高橋、柴田、石川、平家、飯田。
一年前の富岡ベースに飯田を足したもの。
計算の出来るメンバーにしている。
同時に、四十分これで行くことはないから、とも言った。
適宜代えて休ませるつもりだ。

自信たっぷりで偉そうに若い子たちを率いて試合に臨むという態度でいる信田であるが、実際には戦う前から心臓バクバクであった。
実は、実戦経験がほとんどなくて、計算できないのは自分かも、と思っている。
現役時代は当然しっかりとした実績を残してきた。
そういう意味での実戦は十分すぎるほど積んでいる。
ただ、指揮官としての経験は薄い。
長年高校のチームを率いて戦ってきました、というわけではない。
現職の前はU-15のアシスタントコーチである。
アシスタントはアシスタントであって、自分で責任を持って采配を振るう、という立場ではなかった。
采配を振るう人間のサポートと、選手たちへ直接、手取り足取り型指導で育成する、という立場である。
実戦で采配を振るう、というのはこれが初めての経験になる。

そんな信田のことを藤本は、無難な選択しやがって、と冷ややかに感じていた。
予想はしていたから驚きはしなかったけれど、不満は不満である。
ただ、原因は自分の方にある、とも感じてはいた。
主に、気持ちの問題だ。

石川梨華とわかりあう。

考えたくないけれど、多分、必要なこと、なんだろうとは思う。
それが出来ていないからこういう状況が目の前に現れたのだ。
なんとかしないといけない。

でも、やっぱり抵抗があった。
あなたのことを教えてください、とでも言えばいいというのだろうか。
ありえない。
まず、もう少しハードルの低いところから何とかしようと思った。

宿泊先の部屋は、国内合宿の時の部屋割と同じである。
藤本は一つの部屋の前に立った。
二人部屋の片方に用があっても、もう片方とは出来れば顔をあわせたくなかったりする。
インターホンを押して出たのは、はずれくじだった

「どっか行っとる」
「わかった。ありがとう」

スタメン取られたとか、そういう問題以前に、なんかこの、高橋愛とは合わない、と藤本は思っている。

さて、どうしたものか。
松浦亜弥と少し話がしたかったのだ。
どっかってどこだよ、と思うがそれを推理する術は藤本にはない。

仕方ない、もう一つの候補の方へ行ってみることにする。
松浦よりはこちらの方が少しは付き合いが長いのだけど、どうも、謎な部分が多い相手である。
こちらは、部屋にしっかり居た。
さらに、おまけもついていた。

「なんだ、ここに居たんだ」
「私のこと探してたんですか?」
「うん。まあ。ちょうどよかったや、なんか」
「なに、まっつーと福ちゃんに用で、後藤は関係ない?」
「いやいやいやいや。関係あるある」

藤本は後藤の部屋へやってきた。
松浦がいなくて石川を飛ばすと、次に自分と組んで試合に出る組み合わせが多そうなのが後藤だったのだ。
後藤部屋は福田が同室で、そこに遊びに来ていた松浦がセットでいたの図である。

「黒美貴たんが人を探して出歩くなんて珍しいですね」
「な、なに、その、黒美貴たんって。黒ってなによ黒って」

黒、に引っ掛かって、たん、には特に絡むことはなかった。

「是永美記たんと区別しようとすると、黒美貴たんの方が黒な感じだから」
「だから、なんで黒」
「白美記たん、なんか善人だし」
「それじゃ、美貴が悪人みたいじゃない」
「ミキティ、悪人ぽいもんね」

後藤まで平然と絡む。
険悪、ではなくて、和気藹々、に分類される図にはなっている。

「まじめな話し、ちょっと話しようと思ったの。ほら、なんか五対五とかでうまく行ってない部分結構あるでしょ。意思の疎通というか、なんか、感覚的な部分で」
「いまさら?」
「いまさら」

いまさらである。
それでもやらないよりいい、と藤本は思った。
大会は六日間ある。
形式は違うが、インターハイの開幕から決勝までも同じ六日間だ。
六日あれば、チーム状態、個人の調子、いろいろ変わる。
それが、この前のインターハイで初めて六日間しっかり戦って、藤本が感じたことでもあった。

「ミキティ、それ、梨華ちゃんと話すのが一番必要なんじゃないの?」
「そういう難しいことは美貴には分からないな」
「またそうやって照れちゃって」
「黒美貴たんって、石川梨華のこと好きなんですか?」
「なんでそうなる!」

後藤、藤本、松浦。
まじめな話まで進まない、枕としての雑談。
一人、蚊帳の外になっていたのが口を開いた。

「私、席外しましょうか?」
「ん? ああ、いや、別に、そんな気にしなくていいよ」
「いや、いいです。ちょっと出てきます」
「明日香ちゃん、出てきますって、どこに」
「どこか」

そう言うともう福田は立ち上がって、手荷物まとまっているカバンを手に取る。
財布なんかも入っているのだろう。

「どこかってどこ行くのよ」
「どこか」

まともな答えを返さずに、福田は部屋を出て行った。

「なんで明日香ちゃん追い出すようなことするんですか」
「ちょっと、美貴は別に何も言ってないでしょ」
「明日香ちゃんをいじめる奴は、この私が許さない」
「だからなんで。美貴は何も言ってないって。ホントに。別に、福田明日香いてくれても良かったし」

藤本は福田に対して、人柄面で個人的悪感情はまったく持っていない。
警戒するべきライバルである、という認識はあるが、性格的にどうこう言うほどの付き合いそのものがないのだ。

「福ちゃんからすれば、気分悪いでしょ。なんか、試合に出るの前提で意思の疎通がどうとかみたいな話を目の前でうちらがするのって。まっつーや私はともかく、ミキティポジション一緒なんだし。あの子すごい試合出たそうだったもん」
「もう、黒美貴たんなんだから。私、呼び戻してくる」
「待て待て待て待てって。なんて言って呼び戻すんだよ。そういう感覚で出てったんなら何言っても無駄でしょ。ごめんね、試合出られなさそうなのに、試合に出そうな人たちが試合の話しようとして。気持ち考えてなかったね、ごめんね。とでも言うのか? まあ、確かに、あんまり考えてなかった美貴は悪いかもしれないけど、でも、もう、こうなっちゃったらしょうがないじゃん、ほっとくしか。試合に出られるとか出られないとか、そんなのは自分で受け止めるしかないんだよ。うちは人数多い共同生活だから、そういうのいっぱい見てきたけど。もちろん、後で、松浦亜弥が福田明日香をフォローするのはいいと思うけど。少なくとも、美貴に気使われるのは一番腹立つと思うよ。少なくとも、美貴は、高橋愛に、スタメン取っちゃってごめんねなんて言われたら脳天カチ割ってやるくらいに思うもん」

松浦は、言っていることは分かったけど、でも納得行かない、という顔をしている。

「でも、確かに、よく考えてみると、福田明日香のあの扱いはないと思うよな」
「あの扱いって?」
「信田さん。ちょっと、福田明日香を干してるみたいな感じあるじゃん」
「なんか、結構みんなにやさしい姉御な感じ出してるのに、明日香ちゃんにだけ冷たいんですよね」

藤本が福田に対する同情の感を示したので、松浦も少し機嫌を直した。

「美貴か福田明日香か、って思ってたんだけどな。もちろん、美貴は福田明日香に負けてるなんて自分で絶対思わないけど。でも、福田明日香は危険だっていうのはちょっと思ってて。それがまさか高橋愛に持ってかれると思わなかったよ。まあ、実際、高橋愛なんて、柴田石川平家さんの補正でそこに合うって言うだけでスタメンに並べただけだろうけど」
「なんか、その、同じチームのメンバー並べて一番安定してるとかやられるの、納得行かない気がするんですよね。同じポジション争ってて、絶対私のが勝ってるとか思ってたら、なんか気づいたらガードやってるんですもんあの女。黒美貴たんも明日香ちゃんもしっかりしてよとか思いましたよ」
「だから、そこが問題なわけよ。美貴は、今のこのチームだと、まい以外のメンバーとだと、ただの一掛ける五にしか出来ない。それが、明日のスタメンだと、それより大きい何かになるってのが信田さんの見立てでしょ。それをひっくり返したいわけよ美貴としては。だからこうやってのこのこやってきたの」

松浦は何度かうなづいている。
この場合、藤本の言っていることは松浦の利害と完全に一致するのだ。
もちろん、藤本が単に高橋とチェンジで松浦は関係ない、ということはありえるが、松浦としては自分が試合に出る場面で高橋がガードであるというイメージはしにくいし、藤本といろいろな意思の疎通をしておくことは悪いことではない。
後藤は、話を聞きながら、繰り返しては言わなかったが、それならやっぱり梨華ちゃんと最初に意思の疎通が必要でしょ、とは思った。

「結構さ、みんな勝手だよね」
「それを黒美貴たんが言います?」
「美貴も含めていいよ。その勝手の中に。認める。だから松浦亜弥も認めて」
「その前に、私、フルネーム扱いなんですか?」
「じゃあ、松浦も認めて」
「苗字はいやです」
「じゃあ、なんなんだよ」
「あややで」
「却下」
「なんで」
「そういう可愛い系の呼び方いやなのよ」

誰かをニックネームで呼ぶ場合は、割合、マイナスなニュアンスが含まれた言葉になりがちである。

「わかったわかった。じゃあ、普通に亜弥ちゃんってことにする。だから、亜弥ちゃんも認めて。自分は勝手だって」
「まあ、それは認めますよ」

呼び方もプレイスタイルも、松浦は妥協して認めた。

「後藤さん、は、ごっちんにしようそろそろ。ごっちんも認めて」
「勝手。勝手かなあ?」
「ごっちんはただのマイペースのつもりかもしれないけど、マイペースって結構勝手だからね」
「じゃあ、認めるよ」
「よし。その上で、美貴達は、みんな合わせないといけない。そうしないと試合に勝てないしそれ以前に出られない。試合に出るためにみんなで合わせよう。オーケー?」
「黒美貴たんって、こんなに理屈っぽい人だったんですか?」
「美貴だってこんなごちゃごちゃ言いたくないよ。人と合わせるとかめんどくさいし。でも、試合に出るにはそうするしかないの。それを自分にも納得させないといけないんだから、ごちゃごちゃ理屈もこねるって」

藤本は藤本で、いろいろと感情的に抱えているものがある。
それでも、今の現状がなんか納得行かなかった。
それを打破しようとするとこうなった、というのが今の状態だ。
自分より年下の松浦をてきとうになだめすかしたりしながら話を進める。
部屋を出て行った福田のことは、もう、横に置かれている。

「ごっちんてさ、実際、外と中、どっちが好きなの?」
「外と中って? 出かけるのが好きかってこと?」
「なんでそうなる。バスケの話しでしょ今は」

藤本はまだ、それぞれのプレイスタイルについてしっかりと把握しきってはいなかった。
なんとなくは分かっている。
この人はこんなことが出来る、というような大雑把な部分。
ただ、それが、本人が好き好んでやっているのか、というような部分まではまったくわかっていない。

そんな、バスケのプレイそのものの話、バスケに対する考え方の話、日々の暮らしの話。
後藤、松浦、藤本、三人で二時間近く話したろうか。
ちょっと熱く議論ぽくなるような場面も一部あった。
そういうのはたいてい、藤本と松浦。
後藤がなんとなく丸く治める。
何か方針を決める、というものではないので、妥協して鉾を収めるという風ではなく、そんな考え方もあるのね、と認めて終わる、というやり取りである。

「なんかイメージ湧いてきた。ゴール下抜けて出てきたごっちんに上からパス落とすと、ターンしながらボール受けてそのままジャンプシュート決めるの」
「出来ればいいけどねえ」
「出来ればじゃなくて、やるの。明日か明後日かいつかわかんないけど」
「結構いい感じですよね、この三人で。3on3なんかやったらかなり強いでしょ」
「でも、ミキティはやっぱ梨華ちゃんと話した方がいいと思うんだけど」
「つーかさあ、亜弥ちゃん石川追い出して試合でてよ。空いたところは柴田入るから。たぶん、すごい強いよ」

ボールを持たずに二時間話しただけで、全てが解決してうまくいく、とは限らない。
それでも、感情的な距離は、大分縮んだようではある。

夕食も、ミーティングも、その日の予定を全部終えてからの二時間。
もう、大分遅い時間になった。
旅行に来たわけではない。
明日から、もう、試合なのだ。
話が盛り上がったからといって、朝まで話し込む、というようなわけにはいかない。
時計を見て、そろそろ戻るわ、と藤本は立ち上がる。
ここは後藤部屋。
部屋の主ではない松浦も一緒に立つかと藤本は思ったけれど、松浦は動かなかった。
まあ、人のことだしいいか、と松浦は置いて藤本は一人、部屋へ戻っていった。

藤本が出て行って、部屋は後藤と松浦の二人になる。
扉が閉まって松浦は大きなため息を吐いた。

「もうちょっと怖い人かと思ってたけど、割とまともでしたね」
「ミキティ? うん。あれで大人数のチームのキャプテンだもん。しっかりはしてるよ」

親しげに話しているが、実際には松浦と後藤だってさっきまでそれほど親しくしていたわけではないのだ。
誰がいても大して気にしない後藤の部屋に、福田がいるからとやってきた松浦が、やっぱり他に誰がいよう時にせず、明日香ちゃん明日香ちゃんとやっていただけで、松浦と後藤の間のやりとりはそれほどなかった。
後藤と藤本の間は、滝川カップの件でやりとりはあったが、三人の中でまともにつながっていたのはそのラインだけだったのだ。
二十四人が十五人になって、部屋が一緒とか境遇が近いとか、そんな理由で一つ一つ線がつながって行っても、一気に全部が相互作用するところまではなかなか行っていない。

「なんか結構話しこんだよね」
「うん。もう九時ですね」
「九時?」

松浦がポケットから取り出した携帯を見て言う。
後藤は違和感を感じて、部屋の時計を探した。
ベッドの間の備え付け。
デジタル時計は22時近い時間を指している。

「まっつー、それ、日本時間だったりしない?」
「あっ」
「もう十時近いみたいよ」
「十時って、こんな時間まで明日香ちゃんどこ行ったの??」

松浦はベッドから立ち上がる。
福田の部屋はここ。
どこかへ行くと言って出て行った。
もう、二時間ほど前のことである。
どこかって、どこへ?

「もう、明日香ちゃんカバン持ってましたよね。ちゃんと携帯出るかな。あの子、メールもあんまり返さないし」

携帯のアドレスをたどり、福田に掛けようとする松浦に後藤が言った。

「まっつー、その携帯?がるの?」
「?がる? あー、旗立ってない」
「まっつーも福ちゃんも、国際携帯なんて便利なもの持ってなさそうな気がするんだけど」

携帯を見つめていた松浦が、はっとして顔を上げた。
ここは上海、異国の地である。
世代別日本代表とはいえ、通常は普通に日本に暮らす単なる女子高生な福田も松浦も、持ってる携帯はごく普通なものだった。
松浦だって、羽田で飛行機乗る時に、これでしばらくメールできないと各地に送ったのだから分かってはいたのだ。

「どうしよう。どこ行ったのよ明日香ちゃん」
「替わりにまっつーの部屋行ったとか?」
「わざわざ高橋愛のいるとこ行かないですよ」
「よっすぃーの部屋とかは?」
「あの子が私以外の部屋に行くとか考えられない」
「じゃあ、どこかって、外?」
「外出歩いて二時間? ありえないですよ」
「道に迷ったとか」
「怖いこと言わないでください」

言葉の通じない異国の地の夜、少女が歩いていて道に迷いました。
さあ、どうなる?
想像したくもない。

「探してきます」
「探すってどこを」
「ホテルの中、どっかいるかもしれないし」

結構大きなホテルだった。
ロビーはしっかりと広くあるし、一階には飲食店が各種ある。
一人で本場の中華料理店に入ったとは思えないが、軽喫茶系統の店もある。
ショーウインドウにはチャイナドレスが並んでいる衣料品店もある。

「鍵、持って出てたっけ?」
「あります?」
「後藤の分は」

部屋のキーは二つもらっていた。
一人が一つ。
福田が持って出たかは分からないが、もう一つのキーは見当たらない。

「たぶん、持ってるよ。後藤も行く」

ここは、福田にとっても異国の地だが、松浦にとっても異国の地だ。
外にまで探しに行きかねない松浦を、一人で行かせられなかった。

オートロックで部屋を出てエレベータへ。
アラビア数字は誰でも読めて、日本だろうが中国だろうが、一階のボタンは押せる。
他に乗客はいなかったが、狭い閉鎖空間で二人は無言だ。
松浦はとても心配そうだったが、後藤はそれほど心配はしていなかった。
後藤から見て福田は、頭が良くてしっかりしている、というタイプだ。
無茶はしないしおかしなこともしない。
道に迷ったとか、言ってみたけどないと思っている。
誰かの部屋じゃないかなあ、と思うが、よっすぃーを否定されると、誰のとこ、という想像を後藤が出来ないのでそれ以上は言えなかった。

エレベータは一階についてドアが開く。
広いロビーに出た。
ぱっと見渡して、入り口ドア、フロント、その辺のソファ。
福田の姿は見当たらない。

「あー、もう、どこ行ったんだろう。写真持ってくれば良かった」
「写真?」
「この子見ませんでしたかって聞くんですよ」
「この子見ませんでしたかってなんて言うの?」
「そんなのフィーリングで通じますって」
「それよりお店の方見てみようよ」

後藤が先に立って歩く。
松浦はすぐに追いついた。
数件の飲食店街、松浦があっさり見つけた。

「あー、もう。心配させて」
「え? いた?」
「あれ」

ため息ついて立ち止まった松浦が指差す。
その指す先には福田らしき存在がいた。
テナントになっている世界的コーヒーチェーン店、ムーンバックスに福田は座っていた。

オープンテラス形式の席が、店内から仕切り無く続いている。
その、一番外側で福田はこちら側に背中を向けて座っている。
後藤にとっては、この距離で後ろ向きだと、多分福田だと思われる、というレベルでの認識しか出来ない。
松浦が後藤を置いて、小走りで福田のところに駆け寄った。

「何やってるのよこんなところで」

文庫本をテーブルに置いてぼんやりしていた福田、唐突に後ろから声を掛けられて振り向く。
松浦は、自分の姿を福田に認識させると、前に回った。

「もう、心配掛けて」
「どうしたの?」
「どうしたのじゃないわよ」
「話は終わったの?」
「話し? ああ。うん。終わった終わった。それより何やってるのよこんなところで」

後藤が追いついて、松浦の横に立つ。
後藤さんまで来たの? という顔で福田は見た。

「何やってるって、見たまんまだけど」
「ここにいるならいるって、メールくらい入れてよ」
「どこにいたって関係ないでしょ、松には」
「まっつー、だからメールは送れないって」
「そんなの気合で何とかするんです。二時間出てるなら、二時間出てるからって出て行く時に言いなさいよ」
「二時間も話しこんでたのは自分たちでしょ。なんで私が松から文句言われなきゃいけないの?」
「だからって、途中で一度くらい戻ってきたっていいじゃない」
「関係ないでしょ、どうせ、私のことなんか忘れて話しこんでたんだろうし」
「二人とも、仲良くこんなところけんかなんかしないの。成田離婚になっちゃうよ」
「行きも帰りも羽田ですよ」

本筋と関係ないところで福田が突っ込みを入れる。

「ああ、もう、心配して損した」

そう言うと松浦は、福田の席を離れなぜかカウンターへ向かった。
と、思ったらすぐに戻ってきた。

「明日香ちゃん、何語で注文したの?」
「チェ、イーガって中国語で」
「チェ、イーガが普通のコーヒー?」
「これ一個って意味で、メニュー指差して」
「なるほど」
「結構遅いんだけど、戻らないでここに居座るの?」
「明日香ちゃんだけ優雅に海外のムンバでコーヒーとかなんか許せない」

勢い込んでもう一度カウンターへ向かって行く松浦。
後藤はそんな松浦を見て、苦笑いを浮かべつつ、あんな感じだからもうちょっと付き合って、と福田に言って自分も松浦の後に続いた。

松浦と後藤。
いざやってみると、注文するだけで一苦労であった。
メニュー指差す、と簡単に言うが、メニューのメインがまず中国語である。
隣に英語で書いてあるがCoffeeはギリギリ分かるにしても、それ以上の単語は難しかったりする。
時間が時間なので、後ろに行列ができる、ということにはならなかったが、選ぶだけで時間がかかる。

それでも無難なホットコーヒーの類を頼んで済ますと負けな気がした松浦、意地になって多数あるメニューの中から選んだのが、キャラメルマキアート、と思われるものである。
それに対して、店員が何かを言った。
何か言っているのは分かる。
口から音声が発せられたから。
しかし、当然、何を言われているのか分からない。
国際都市上海、英語も結構通じたり、空港土産店あたりだと日本語でコレヤスイデスヨくらいは言われるが、さすがにムンバの店員レベルだとそうはなかなか行かない。

「砂糖とかミルクとかいるかって言われてるのかな?」
「キャラメルマキアートに足すの?」
「そこが違うかもしれないじゃないですか」
「そうかもしれないけど、ムンバってそこはセルフでしょ」

正解は、ホットかアイスか。
サイズは日本語英語で指定したけれど、そこは何も言わなかった。
ここは店員側が根負けで、機転を利かせて英語で言ってくれた。
ホット、アイス程度の英語は松浦も店員も英語で分かる。
でも、次の、御注文は以上ですか? はどうにもならなかった。
店員も諦めたのか、次の言葉へ進む。
松浦は、次の言葉になったことも分かっていないが、今度は店員もジェスチャーをつけた。
レジに映された数字を指差す。
金払えという意味である。

「後藤さん、この硬貨っていくらなんですか?」
「後藤にわかるわけないじゃん。大きなお札出せば足りるでしょ」
「ぴったり.5とか払いたいじゃないですか」

お札に書いてある数字は理解できる。
しかし、両替の時にもらった硬貨の価値がよくわからなかった。
ここは諦めて、お札の足し算をして支払い、お釣りをもらった。
多分、お釣りをだまされていても分からない。

「チップっているんですかね?」
「中国はチップ要らないって聞いた気がする」

松浦、注文終了。
続いて後藤のターンである。
めんどくさかった後藤、松浦と同じものを指差して頼んで、同じ流れで済ませた。

「で、なに出てくるかね?」
「絶対、キャラメルマキアートです。大丈夫」

空いていて、もう注文待ちなのが二人だけだから問題ないが、大勢いてあれこれ次々に出てきたら、たぶん、自分たちが頼んだのがどれだかわからない。
何を注文したのか自信が無いのに、言葉まで通じないのだから。
やがて、二つ並んで同じものが出て来た。
キャラメルマキアートで正解だったようだ。

「それ飲んで、すぐ戻るよ部屋」
「なによ、一人で自由時間満喫してたくせに」
「明日から試合なんだから。早く寝ないと」
「自分だってそうでしょ。なのに、外出歩いて戻ってこないし」

福田は答えない。
二人からは視線を外して、人通りの少ない通路の方に目を向けた。

「でも、明日香ちゃん、よく一人でお店入って注文して座ってられたよね」
「別に。コーヒー飲んでるだけだよ」
「怖くなかったの?」
「別に」

松浦に視線を合わせない。
機嫌悪そうだなあ、と後藤は感じているが、松浦は意に介していない。
福田と松浦が揃うと、もう一人いる後藤は空気に近くなる。
部屋に居たときもそうだったが、後藤にとってそれは、特に不快なことでも無く、居心地悪いということもなかった。

松浦も福田に言われたからかどうか、それほどここに長居する気はなかったようだ。
ほとんどしゃべっていない後藤よりも早くカップを空にした。

後藤が飲み終わるのを待って席を立つ。
もう、本当に夜遅い時間だ。
それぞれに部屋へ戻る。

より上の階の松浦を残して二人がエレベータを降りる。
後藤が先に立って歩き扉の鍵を開けた。
後ろに付いている福田、部屋に入ると大きなため息を吐いた。

「疲れた?」
「まあ、ちょっと」
「ずっとそこにいたの?」
「最初はあの辺うろうろしてて、でも、外出るのはちょっとなって思うとあんまり行くところもなくて、入れそうな店もあそこしかなかったし」

衣料品店で一人でチャイナドレスを見る、なんていう選択肢はなかった。
本格中華の店に入るというのもありえない。
飲茶系の店もあったのだが、そこに一人で入るにはムーンバックスに入るよりも百倍くらい勇気が必要だっただろうか。

「ずいぶん話しこんでましたね」
「うん」
「松と藤本さん、うまくいきそうでしたか?」
「大丈夫じゃないかな。ミキティの問題は梨華ちゃんとうまく行くかどうかってとこだから」
「そうですか」

福田は自分のベッドに仰向けになる。
また、一つ大きくため息を吐いた。
本当に疲れたように後藤には見えた。

「探しに行かなかったずっと戻ってこないつもりだったの?」

隣のベッドに後藤は座る。
福田はそれには答えずに仰向けに天井を向いたままだ。

「結構遅い時間になっちゃったけど」

二時間近く話して十時近くなっていた。
松浦と後藤が部屋を出て、ムーンバックスで福田を見つけたのは、もう十時をいくらか回った頃。
切りよく十時に戻ろう、ということもなくまだ座っていた、ということだ。

「長い間ごめんね」
「別に謝ることじゃないですよ。試合に出る人が話し込むのは必要なことだし」
「福ちゃんも混じってよかったのに」
「私が藤本さんと一緒にコートに立つなんてことはありえないですから」
「でも、人数多くわいわいやった方が楽しいじゃん。ミキティと福ちゃん。個性の違うガードがそれぞれどんな考え方でやってるのか、って話があってもよかったし」

明日香ちゃんとなんか違うー、という発言が松浦からよく出ていた。
松浦としては福田との関係がベースで、それ以外はイレギュラーなものだ。

「ミキティと話すのイヤだった?」
「別に。そういうことじゃないんですけど」

後藤が言葉をつながないでいると、福田が続けた。

「難しいですね。控え選手って」
「難しい?」
「それも、試合に出られない可能性のが高い控え選手は。どういう役割をこなせばいいのか。わからない。盛り上げ役とか、私には絶対出来ないし。だから、邪魔だけはしちゃいけないんだろうなって」
「邪魔なんて、そんなことないよ。福ちゃんが気にしないなら」
「私の感情とか、関係ないじゃないですか。チームが勝つためには。でも、難しいですね。試合に出る可能性もゼロじゃないから、気持ちも切らないようにしないといけない。気持ちがどうとか言ってちゃいけないんですけどね。私の気持ちとかどうでもいんですよ。どうでも」

福田の言葉に、後藤は考え込んでしまった。
言っていることと、本当に思っていること、どちらもなんとなく分かるが、それに対してなんて言ったらいいのかわからない。
後藤が何かを言う前に福田がベッドから体を起こした。

「もう寝ましょう」

福田は、そう言ってユニットバス型洗面所へ向かった。

大会の日の朝は早い、というのは高校生の常識だ。
国際大会はその常識は通用しない。
平日の試合は平然とナイトマッチが組まれている。
健全な高校生にはありえない。
第一試合は十時から、下手すると九時から、なんて組まれるのが高校生の大会だ。
今回は違う。
第一試合は十三時から。
最終の第四試合は十九時からだったりする。

日韓戦は第三試合、十七時からに組まれていた。
メインのナイトマッチは当然のように中国戦である。

日本チームは午前中、別の場所で軽く体を動かした。
ただ、中にはフルパワー全開でプレイしているものもいる。
吉澤だ。

「ポチが一番気合入ってるんじゃないの?」
「なんか、全然動き足りない感じっすよ。でも、吉澤はともかく、飯田さんとかスタメン言われてる組は淡々と落ち着いてって感じっすね」
「試合前に気合入れてもね」

午前練習の終了後、移動のバス、隣りあった飯田に吉澤は声を掛けられた。

「調子はどうなんですか?」
「調子? うん。悪くはないよ」
「絶好調、とかないんですか?」
「試合前から吉澤テンション高すぎでしょ」
「いや、だって、日本代表ですよ。国際試合ですよ。テンションも上がりますって。こんなん考えたことも無かったですもん。上海の町もなんかかっけーし」
「日本代表か。U-19だけどね、所詮は」
「なんですか、その冷めた感じは。U-19でもなんでも、代表は代表じゃないですか。日の丸ですよ日の丸」

つい最近までまったく代表なんてものを意識せずにいた人間の方が、いざそこに呼ばれてそういう肩書きを与えられると、急にそれを大事に思うものらしい。

「コレティ、うまくやってるかな?」
「コレティ?」
「是永美記」
「ああ。どうなんですかね。もうアメリカ行った頃でしたっけ?」
「うん。圭織は入ったばかりの今のチームを蹴飛ばしてアメリカなんか行けないけど、なんかああやって飛び出していけるのがうらやましいな」
「すごいですよね」
「すごいって言ってちゃいけないのよ」
「はぁ」

なんとなく飯田の言わんとしていることは吉澤にも分かった。

「世代別じゃなくて、まず、代表に入りたいのよね」
「代表って、日本代表のことですか?」
「そう。日本代表。うちのチーム、周りがそんな人ばっかりだし。だから試合に出るのもなかなか難しい、なんて思ってたけど、飛び出して行ったコレティ見て思ったのよ。日本代表になりたいって。だから、こんな世代別の大会でてこずってるわけにはいかないの。当たり前に勝たないと」
「ははは。なんか熱くなってる吉澤がガキみたいですよ、それ聞いてると」
「ポチはガキでいいのよ。ガキで。高校の時も粗いなこの子って思ってたけど、バスケ暦二年半なんだって? 今でも。私と最初にやったの半年とかそんなころでしょ。それは粗いよね」
「粗いも何も、何も分かって無かったですよ、あの頃は」
「バスケ暦半年でよく私に向かってきたよね」
「ははははは。なんかありましたね。結構飯田さんとは試合したんですよね」
「結構怖かったよ、ポチ。あの頃から。だから、ポチはガキでいいのよ、ガキで」

今度は、分かったような分からないような。
ガキでいい、と言われても、なにがいいのか悪いのか。

「圭織この前、ポチは単純でだましやすいって言ったでしょ」
「はい」
「あれ、少し訂正する。ポチは頭が悪いから頭使ってるとだましやすい」
「余計ひどいじゃないですか」

単純、改め、頭悪い。
単純、の方がまだいくらかましか。

「そういえば試合の時はそれほどだましやすいわけでもなかったなって思って。下手で弱かったから、力とスピードひねりつぶせはしたけど、だませた記憶はあんまりなかったかなあ。だから、練習の時は頭使ってああしようこうしようとか思っててそれが理由かなあってね。たぶん、余計なこと考えてない試合の時の方が、最初のバスケ暦半年でも怖かったのかなあって思った」

吉澤、なんとも言えず、顔をしかめることしか出来ない。

「だからガキでいいのよ、ポチは」
「すげーバカにされてる気分なんですけど」
「それはそうでしょ。だって、圭織、バカにしてるもん」
「ひどいですよー」

ふてくされた顔して見せるが、吉澤にとっては、こうやって先輩族からいじりまわされるのはそれほど不愉快な事柄ではなかった。
手の掛かる後輩たちをなだめすかして纏め上げるよりも、よっぽど自分に向いている、と思う。
藤本や石川に言わせると、また、違う意見が出るのであろうけれど。

「だから、なんかの弾みで試合に出ることがあったら、無心でやりなってこと」
「飯田さんも頼みますよ」
「圭織が日本を背負う」
「言いましたねー」
「コレティに負けてられないからね」

バスは昼食の場所へと着いた。

豪華中華料理満漢全席、ということはさすがにない。
中国の宿に泊まっていながら昼食はイタリアンだ。
すぐにエネルギーになる、という理由でパスタが選ばれている。
めいめい好き勝手に座りテーブルを囲む。
注文をとる、ということもなく、待っていればチームが指定した料理が届く仕組みだ。
中華型円形テーブルではなく、普通の四人掛けである。

「なんか悪いことしちゃったかなあ?」
「いいよ、気にしないで別に」

自然な感じで石川柴田と並んで座っていた向かい側が開いていたので、吉澤と後藤が埋めた。
その後ろに居た高橋が、どうしよう、とおろおろした後に、福田松浦亀井のテーブルを通り越して、飯田平家村田のテーブルの空いていた席に収まった。
明らかに自分たちが追い出した、という意識が吉澤にはある。

「ああいう子だから」
「同じチームで分かり合ってるって感じ?」
「分かり合ってるってことはないけど、ああいう子だから」

柴田は細かい解説をしない。
それ以上聞いてはいけないような気がして吉澤は話題を変えた。

「やっぱ、同じチームでやってきたメンバーでやる方がやりやすいもの?」
「それはね。うん。次どうするって、大体なんとなく分かるし。変なパスミスは起きないよね」
「高橋はやるけどね。意味の無い横パスをスティールされてワンマン速攻喰うの」
「ああ、あるある」
「その辺は、やりやすいとはあんまり関係ないけど」

高橋、柴田、石川、平家、飯田、が今日のスタメンとされている。
飯田以外の四人は、去年の富岡のスタメンと重なる。

「調子はどうですか?」
「悪くはないよ」
「勝てそう?」
「それはやってみないと。でも、勝つけど」
「相手わかんないしねえ。その辺が私はちょっと心配」
「柴ちゃんは慎重すぎるのよ」
「梨華ちゃんがキャプテンのチームにいると柴田さんも自然に慎重になるんじゃない?」
「もうー、なんでみんなそうやって私のことを困った子扱いするかなあ」

後藤の茶々に石川が反応する。
後藤の正面は柴田、石川の正面に吉澤。
広い店で、割合客も多くがやがやしていて、テーブル内の会話は何とか成立するが、よそのテーブルからの声はほとんど届いてこない。

「私、韓国にも中国にも、美記以上の選手はいないと思ってるから」
「ミキってミキティ?」
「ううん。是永美記ちゃん」
「そっちか」
「美記以上の選手のいないチームには負けない」
「それが言い切れちゃうのが梨華ちゃんのすごさって言うか怖さって言うかでさ。韓国はよくわかんないけど、中国なんて人たくさんいるんだから是永さん以上の選手だっているかもしれないし、いないにしても、私とか他の選手がどうなるかわかんないのにさ。梨華ちゃん、言い切るから」

石川の発言には理屈が伴っていなかった。
そう思っている、というだけのことだ。
柴田にとってそれはいつものことではあるのだが、今回は相手の未知度合いがいつもよりも大きいので、心配もより大きい。

「いいの。勝つから」
「これだもんね」

柴田は笑っていて、後藤も吉澤も笑った。

「もう、なんでみんな笑うかな。予選で負けてる場合じゃないのに」
「準決勝、決勝でCHN48に勝たないとってこと?」
「それもあるけど、予選ってそういうことじゃなくて、世界選手権の予選に過ぎないのよこれ。こんなの当たり前に一位で通過しなきゃ。で、世界選手権でアメリカにも勝って優勝するの」

女子は、世代を問わずまともにやればアメリカが最強である。
それに勝つ、は並大抵のことではない。

「そういうのが石川さんの強さなのかもしれないなあ」
「吉澤さん、梨華ちゃんを甘やかさないで」
「なによ、甘やかすって」
「柴田さん、梨華ちゃんのお母さんみたい」
「私そういう役割ばっかり押し付けられるのよね」

大きなこと言い始めた石川であるが、吉澤からはそれが石川の自信に見えた。

「さっき飯田さんも言ってた。当たり前に勝たないとって。飯田さんの場合は、予選がどうこうじゃなくて、世代別じゃない日本代表に入りたいから、こんな世代別では勝たないとって感じだったけど」
「ジョンソンにいると普通にそういうこと考えるのかもね。フル代表の大会もこの後しばらくしたらあるから、ジョンソンだとそういう話普通に先輩たちがしてるだろうし」

飯田が所属するジョンソン化粧品は、代表に多数の選手を送り込んでいる、日本屈指の強豪チームである。

「石川さんとか卒業したらどうするの?」
「まだ決めてない」
「結構いろいろ誘われたりするの?」
「んー、どうだろう。先生のところで断わってたりするのもあるかもしれないけど、WJBLはそんなに。大学はいくつかって感じ」
「柴田さんは?」
「私は大学かな。どこかは決めてないけど」
「そういうよっちゃんはどうなのよ?」
「全然。白紙」
「後藤さんは?」
「あんまり考えてないなあ」

聞いた方はあまり考えてなくて、聞かれた方がよく考えている。
進路のイメージは最初から与えられている強豪高と、バスケで進路のイメージが湧かない普通の学校の差が大きい。

「なんか、でも、すげーなー。吉澤はどっちかっていうとベンチウォーマーな感じだけど、それでも、日本代表で試合するって。なんか、すげーって感じ。二人はスタメンとか言って。実際どうなの? テンション上がらない?」
「それはね。さすがに。美記がアメリカ行っちゃったし、まずは私はアジア制覇、とか思うよ」
「アジア制覇の前にまずは今日よ今日。四十分考えずに最初から飛ばしていかなきゃ」
「珍しいね柴ちゃん」
「随時交替、みたいに信田さん言ってたから。スタミナ配分考えずにどんどん飛ばしていこうかなって」
「ああ、言ってたね」
「相手もよくわかんないし、様子見って感じじゃなくてどんどん行こうって思う」
「なによ、柴ちゃんだって勝つ気満々なんじゃない」
「あたりまえでしょ。ただ、甘くないって話なだけで。やる前から負ける気でやるわけないじゃない」

発言が慎重であることとやる気が無いことは、たまに混同されてしまうが本人の中では大きく違うものである。

「じゃあ、吉澤もしっかり準備して待ってようかな」
「よっちゃんテンション高いよね今日」
「だって国際試合よ国際試合」
「うん。いいことだ」
「ごっちん。なんか冷静に、上から目線だしー」
「いいからいいから」

そうこうしているうちに、パスタが運ばれてきた。

食後はまた移動して今度こそ会場へ。
すでに第一試合が始まっている。
平日の昼間、第三国同士の試合、ということで観客の入りは乏しい。
北朝鮮vsタイ

「本当に十代なのか? あれ」

着替え-アップは第一試合が終わってからということで上から観戦である。
北朝鮮メンバーを見て藤本が言った。
世代離れをした選手たちに見える。
いろいろな意味で。

この試合は序盤から差がついていた。
北朝鮮が力の差を見せている、という展開である。
明日の相手がタイ、明後日が北朝鮮。
タイはともかく、北朝鮮は手ごわそうにメンバーたちは感じていた。
いろいろな意味で。

最終スコアは103-46
北朝鮮の圧勝だった。

第二試合は別グループの試合。
その間に着替えてアップである。
多くのメンバーは、ここで初めてきちんと意味を持って日本代表のユニホームに袖を通した。
試着は別カウントである。

「なんかすげー。写真。写真。記念撮影しなきゃ」
「よっちゃんさん、更衣室でデジカメ出さない!」

更衣室で写真を取っていたら、同性であっても多分犯罪である。
もしかしたら、中国ではそうでもないかもしれないが。
そんなことはお構いなしに、吉澤はデジカメを取り出した。
上半身は未成熟な小学女子かスポーツ選手が身につけるタイプの下着一枚の藤本に一瞬カメラを向けたら、本気で切れられそうになったけれど、そこは冗談で流し、着替え終えた一部のメンバーで記念撮影を始める。
乗って来るのは久住、光井、お子様面々である。

さすがに隅に寄り壁を背にして、後ろに着替え中メンバーが入らないようにはしているが、はしゃぎながらの撮影会である。
一人でモデル型ポーズを取ってみたり、バスケ選手らしくシュートの構えをしてみたり。
三人でまとめて映るときには亀井を呼んでシャッターを押させた。
基本、主力と遠いメンバーが騒いでいる。

テーピングを巻いたりと基本的な準備まで大体みな終えたと見えたところで飯田が両手を叩いて呼びかけた。

「ちょっとみんな集まって」

信田始めコーチ陣はここにいない。
いまいるのは、選手登録されている15人だけである。
その15人が、飯田を中心に輪を作った。

「吉澤、元気だね」
「いやー、はい」

いきなり指名され、吉澤は照れ笑いした。
テンションが高いのは自分でも分かっている。

「日本代表のユニホーム自体は着るの初めてじゃない人もいるかもしれないけど、たぶん、こうやってちゃんと、日本を背負って大会に出るのはみんな初めてだよね」

もっと下の年代では、トレーニングのような形で代表として集められ、トレーニングマッチの形の大会には臨んだ。
しかし、こういった大陸選手権やそれを予選という位置に置いた世界レベルの大会は、この世界ではこの年代からになる。

「大人から子供までいて、年齢もばらばらだし、普段いるチームもばらばら。合宿期間もそんなに長いわけじゃなくて今日まで二週間くらいできちゃったから長い付き合いってわけでもないし。思ってることもそれぞれ違うと思うんだ。私にもまだ、このユニホームの重さみたいなものはちゃんとわからない。初めて着てはしゃいじゃう吉澤の気持ちは分かるけどね」

たびたび名前を出されて吉澤は頭を掻く。
公式っぽい場なので、ポチ、と呼ばれないのが救いだろうか。

「圭織も何言ってるのかよくわかんなくなってきたけど、とにかく、一週間力をあわせて頑張りましょう。はい、じゃあ、手出して」

別に何か決め事があったわけではないけれど、手を出して、と言われれば団体競技の選手なら、大体何やるのか想像はつく。
飯田の周りの輪が縮んで中心に向かって十五人の腕が伸びる。

「それぞれチームで掛け声あるだろうけど、今回は圭織風でやらせて」
「ジョンソン風じゃなくて?」
「圭織風で」

自分のチームのやり方ではなくて? と平家が聞くが、飯田は自分オリジナルだと言った。

「映画見てね。感動したのよ。がんばっていきまーっしょい、って言うんだけど、キャプテンががんばっていきまー、までいくから、後全員でしょいって言うの。分かる?」
「圭織って変なとこでこだわるよね」
「みっちゃん、キャプテンの圭織に従ってね」
「古さが圭織って感じだよ」
「いいでしょ別に」
「ていうか、手痺れるんで早くしません?」
「もう、みんなで圭織のことバカにして」
「わかったわかったわかった。やろう。はい。圭織仕切って」

年下の藤本にまで余計なことを言われてちょっとへこんだ飯田であるが、平家がなんとかなだめた。

「じゃあ、相手も多分強くて簡単な試合じゃないと思うけど、全員、コートの上もベンチも、力をあわせて頑張りましょう。せーの、がんばっていきまー」
「しょい!」

初めてやるのでこなれていないが、それでも15人の声は揃って、さして広くは無いロッカールームにこだました。

U-19女子アジア選手権、開幕。

コートの上の日本チームは強そうに見えた。
それはそうだ、全国から選りすぐりの十五人を集めたのだから。
スタメンで上がった五人。
高橋、柴田、石川、平家、飯田。
昨年の富岡のメンバーを中心とした並び。
自分たちが手も足も出なかった相手だ。
そりゃあ、強そうに見える。

こんなに早くこの日が来るとは思っていなかった。
いつか来るとはわかっていた。
ただ、もう少し先のことなんじゃないかと勝手に思っていた。

選択肢は二つ。
日本か韓国か。

18にしてソニンに与えられた人生の岐路。
チームを選ぶだけではない。
自分が何者であるか、アイデンティティーの決定をしないといけない。

最初に召集の案内が来たのは日本チームからだった。
出来れば呼んで欲しくなかった。
ソニンのこの二択は、一度決断したら二度と後戻りの出来ない二択だ。
無かったことには出来ない。
やり直しも効かない。
一生、決めた道を歩くしかない。

もう少し先送りしたい、と思っていた最中、韓国からも招集が掛かった。
両方からお呼びが掛かったということは、もう、今決めろ、という天の御達しなのだろう、とソニンは捉えた。

日本か韓国か。

地を選ぶか、血を選ぶか。

生まれ育った高知の町は好きだった。
日本の田舎町。
たいした場所じゃない。
それでも好きだった。
バスケを始めたのはなんでだったか、よく覚えていない。
友達に誘われたとか、そんなレベルのことだったような気がする。
日本で生まれ、日本で育ち、でも、血は日本人ではない。
小さな頃は、それが理由で苦労した、という記憶は無い。
年を重ねてからだろうか、自分が人とは違う、というのを理解し始めたのは。
自分が人とは違う、というのは人が教えてくれる。
特に、大人が教えてくれた。
それから、そんな大人に教えを受けた子供達。
名は体を現す、とは違うかもしれないが、名を名乗るとみんな引っ掛かりのある顔をするんだな、というのを少しづつ学んで行った。
通名、というのがある、というのは随分年を重ねてから聞いたが、親の方針なのか、ソニンはそれを持っていない。

バスケは見る見る間にうまくなっていた。
周りにソニンと同レベルでやりあえる人間はいない。
男子に混じっても勝つ、そんなレベルになっていた。

高知にバスケが強い学校は無い。
せっかくだから本当に強いところへ行こうとして、選んだのが桜華だった。
各地からトップクラスの選手が集まる学校。
時には留学生だってやってくる。
木は森に隠せ。
そんなつもりなわけではなかったが、結果的に、そんな感じか。
ど田舎高知から、割合華やかな名古屋へ。
選んだチームはかつての名門だが、時代がもう動いていた。
今は富岡の時代。
それでも高知の田舎よりは、大分レベルは高かった。
周りのレベルが上がったことで、ソニン自身のレベルも上がる。
自分は周りとは違う。
このチームの中にいる限り、血や名前でそう感じることはもう無かった。
周りとの違いは、力量についてだけだった。
その結果、自分が思っていたよりも早く、目の前に問いが投げかけられてしまったのだ。

日本か韓国か。

選んだのはまともに言葉も話せない、足を下ろしたことも無い国、韓国だった。

韓国チームのスタメンは前日に発表された。
ソニンのリスニング能力ではミーティングでのコーチの言葉は聞き取るのがやっとである。
適当にうなづいていたりしても、実際には内容は半分も分からない。
それでも、ようやく覚えたチームメンバーの名前が五人呼ばれたのは分かった。
スタメンだ。
ギュリ、スンヨン、ニコル、ハラ、ジヨン。
自分の名前は無い。

相手を見ながらスタメンも変える、というようなことをコーチは言っている様に聞こえた。
対日本ならこの五人、ということなのだろうか?
日本戦が終わったら、この五人とはまた別のスタメンが組まれる?
よく分からないが、自分の名前が無かったことは分かる。

日本から来たからそう思うのかもしれないと感じながらも、ソニンは韓国チームのメンバーの日本への意識に不自然な印象を受けた。
勝たなくてはいけない大敵、ということを思いながら、それとは別に憧れがある。
高知と比べれば問題外に、名古屋と比べたって十分都会なソウル。
それでも、そこで育った選手たちには、自分たちは地方都市にいて、いつかトウキョウという大都会に出て行きたい、という意識があるように見えた。
シブヤ、ハラジュク、ショッピング。
そういうものに自分が疎いので、会話が噛み合わなかったが、馴染めないでいる自分に彼女たちがはなしを振るのはそういうことばかりだった。
全米デビューアーティストを無駄にありがたがる日本人を、もう一回りアクティブにしたようなものだろうか。
そのくせ、日本で育った自分を下に見る意識はなんなのだろうか。

試合が始まる。
日本チームのメンバーの情報は、分かる限りのことはコーチには話した。
裏切り者、とは思わない。
幸か不幸か、日本チームに桜華のメンバーはいない。
もし一人でもいれば、自分はここにいなかったかもしれない、と思ったりもするが、結果としてここにいるのが事実だ。
日本チームは迷い無く敵である。
その敵の情報を指揮官や他の兵士に伝達するなんてことは、自分が勝ちたかったらだれでもやることだ。
それでも、誰がスタメンで出てくるか、なんてことはソニンにも分からなかった。
お互い様なのだろう、こちらの出て来たメンバーを見て、日本チームは戸惑っている。

韓国チームに合流したソニンが最初に驚いたのは、ガードがでかい、ということだった。
日本では、高橋や藤本といった小さいガード陣を全国トップレベルでも見ている。
果ては福田なんていう150にも満たない選手もいる。
そういう世界で戦っていたソニンにとって、自分と身長の変わらないガード、というのは違和感があった。

今日のスタメン五人、身長があまり変わらない。
事前情報がなければ誰がガードなのかもよく分からないだろう。
高橋がベンチに指示を求めている姿が見える。
韓国チームのこの五人で、ポイントガードを勤めるのはギュリだ。
五人のリーダー格でもある。
自分に対する絶対的な自信を持っている、という点で滝川の藤本に近いかな、というのがソニンの見立てだ。
その上で十分な身長がある。
ガードであの身長があるというのはもうそれだけで大きな武器だ。

先手を取ったのは韓国だった。
オフェンスがミスマッチだらけである。
身長差がある、というだけではない。
ポジション情報が掴めていないので、マッチアップのポジションが合っていないのだ。
その場の存在感から実際よりも大きく見えたのか、ポイントガードのギュリに日本チームは平家を当てている。
フォワードで時にはゴール下にまで入っていくスンヨンになぜか高橋。
単純に身長を見て、なんとなくでしかたなくマークを割り振った日本チームだが、韓国チームは身長とポジションが対応していないのだ。
登録メンバー表は、実際のポジションの記載は少なく、ほとんどのメンバーをフォワードとして登録してある。
登録と違うポジションをこなそうが、そんなものは反則でもなんでもない。

スンヨンにゴール下で高橋と勝負させて得点を奪う。
ゴール下が得意な選手の守り方なんて、高橋が分かっているわけがないのだ。

日本チームはオフェンスもなっていなかった。
高橋がゲームを組み立てられない。
否、ボール運びもおぼつかない。

日本チームのスタメンが誰かなんてことはわからなかったが、ポジションがどこかは分かっていた。
大体、身長と対応しているし、ソニンがしっかりと伝達してある。
高橋にはギュリをつけた。
それも前から当たる。

精神的にムラがあるタイプ、というのが高橋に対するソニンの見立てだった。
シュート力はある、意外性のあることをする、安定感はない。
直接の対戦は一年遡るので古いデータではあるが、それがソニンの肌感覚だ。
高橋愛が出てきたら前から圧力かけてみよう、というのが韓国首脳陣の出した方針だった。

ギュリのディフェンスは、日本の身長の低いガード陣と比べても、脚の動きに遜色は無い。
その上で身長があるのだから、ボールを運ぶ側からすれば大きなプレッシャーだ。
一人で持ちあがることが出来ない。

サポートは柴田に石川。
そちらには厳しく当たるマークが居ないのだから、パス出せば簡単なのに、いろいろ勝手に背負った高橋の視野は極度に狭くなっていた。
一人で無理に運ぼうとしてポロポロこぼす。

さすがにこれはダメだ、と見て取った柴田が、エンドからボールを入れる時点で高橋には送らず石川へ出すようになる。
それでボールは運べはしたが、ゲームを作る、という風にはならない。
石川はそういう選手では無いし、フロアにいる中では高橋で無ければ柴田だが、大会開始五分でベンチからの指示もなしにいきなり自分で仕切り出す、という大胆さはない。
ボール回しがおっかなびっくりで、単発で送られてくるボールを各自が個人技で勝負。
しっかり熟成された富岡ベースプラス飯田、というメンバー編成の意義がまったく出ていなかった。

立ち上がり五分で12-4 韓国リード。
ここで日本チームがタイムアウトを取った。

複雑な気分だった。
タイムアウトの指示はあまり聞いていない。
短い時間に急いで伝達しようとするコーチの言葉は、まだソニンのヒアリング力では、流し聞きではさっぱり何も分からない。
まあ、いまのところこちら側に何か直すようなところは無いと思う。
自分の出した情報は効いていた。
それが余計複雑な気分にさせる。

当然勝ちたい。
韓国チームに所属しているのだから、韓国チームとして勝ちたい。
でも、楽勝してしまう展開はなんかいやだった。
自分が生まれ育った地からやってきたチームが弱い、というのは納得行かない。
特に、ベースは自分たちが手も足も出なかったメンバーなのだから。
それに、日本に勝つなら、自分の手で勝ちたい。
いや、自分の手で勝つのでなければ、意味が無い。
自分が何者であるか、それを決めるためにはそうすることがどうしても必要だった。

スタートからベンチにいた藤本は、日本チーム劣勢の立ち上がりを見ていても割と冷静に、なにやってんだか、と思っていた。
自分や高橋や、あるいは福田とか国内トップレベルのガード陣と比べれば、確かに相手の背は高いが、別に、あれくらいの身長なんて珍しいことではないだろうと思う。
どこかで出番はあるだろうとは試合前から思っていたが、こんなに早くこの展開で、というのは予想していなかった。
タイムアウトになる前に信田コーチから藤本は呼ばれた。

交代で入って行ってゲームを立て直す。
常にスタメンで出ることに慣れている代表メンバーにとって、そういう役割はあまり経験の無いものだ。
ただ、藤本はこのシチュエーションを与えられたときに思った。
なんか新垣がしっちゃかめっちゃかにした後に入れられた滝川カップのときみたいだ、と。
相手が強すぎるというのではなくて、勝手に自爆して試合を壊しているところも新垣そっくりだ。
まあ、強すぎるかどうか、の基準を自分のレベルに引くのが間違ってるか、とも思う。

「マーク確認。4番」

タイムアウト明け、マークを付け直した。
メンバーチェンジは高橋アウトの藤本インのみ。
相手のポジションに応じて、マークを確認する。
藤本は4番付けたギュリにつく。
メンバー表は確認しなかったけれど、ざっと目測で10cmかな、と藤本は思った。
身長差10cm
結構なミスマッチではあるが、一大会、決勝まで勝ちあがる中では一戦や二戦こういう相手に国内でもぶつかることは普通にある。
ただ問題は、身長差プラス、実力がここまで伴った相手と国内で対戦するケースはまれだということだ。
それでも藤本は思った。
どうせ石川よりは簡単だろ、と。

ゲームは日本チームエンドから再開した。
藤本に代わったところで、ギュリはボール運びの段階でプレッシャーを掛けるということをしなくなる。
藤本もゆっくりと持ちあがった。
今必要なことは早い攻めではない。
じっくりとペースを取り戻すことだ、と思った。
慌てている、という雰囲気を感じさせてはいけない。
相手にも、自分たちの中でも。

韓国ディフェンスをどう崩すか。
事前の情報はなかったし、立ち上がり五分で何か糸口が見えたかといえばそれも無かった。
最初の五分はまだそこまで行っていない、という感じだ。
藤本としてもプランは特に無い。

とりあえず様子見。
それで外をゆっくり回して、だと、結局さっきまでと同じで特に意思の無いパスが回って後は個人技勝負、ということになった。
右0度開いてボールを受けた飯田が自分で勝負。
ワンドリブルついて長めのジャンプシュートを放ったがリング奥に当たって外れた。

ディフェンス、しっかりピックアップして速攻は出させずスローダウンさせる。
全体的にマークが変わって、韓国チームがどう攻めてくるか。
各々身構えたが、韓国チームのチョイスはギュリに突破させる、というものだった。
身長差を生かしてインサイド、ではなくてガードらしく外から勝負。
こういうのは藤本お手の物だった。
コースにきっちり立ちはだかってチャージング、オフェンスファウルをもらう。

押し飛ばされた格好で仰向けに倒れこんだ藤本を引き起こそうと日本チームメンバーが集まってくる。
簡単なコート上ミーティング状態になった。

「相手でかいから外から勝負しましょう」

立ち上がった藤本が言った。

「美貴は打てるし、石川も打てる。柴田も外あるだろ。三枚で外から打って行きましょう。飯田さんくさびで中も経由したりして」
「私も仲間に入れてよ」
「平家さん、どうしてもインサイドのイメージなんですけど」
「二週間合宿したんだからそろそろ外も出来るって認めてよ」
「去年の選抜のイメージが強すぎるんですよ、美貴にとっては」
「平家さんまで出てきちゃうと外が逆に混んじゃわない?」
「そこは梨華ちゃんも適当に中入ったりとかで調整しながらで」
「まあ、とりあえずそのイメージでやってみよう。圭織はそれでいいと思う。ハイポ、ローポ適当に楔になるから」

タイムアウト時、オフェンス面の指示は特に出ていなかった。
高橋を藤本に代えること、立ち上がり少し離されたけど慌てるなという精神面のこと、マッチアップを代えようというディフェンス面のこと。
一分で伝えられたのはこの三つまでだ。
ビハインドを負った立場であったが、追いかけるためのオフェンス面の指示まで手が回っていない。

外から勝負、はボールを適当に回していたさっきのオフェンスの間の藤本の思いつき。
別に真新しいことでもない。
藤本の言葉そのまま、相手でかいから中じゃなくて外で勝負、というのは単純で分かりやすくいたって常識的な対処だ。
周りのメンバーにとってもいたってわかりやすい方針である。
細かい点まで打ち合わせるような時間はないが、大まかな方針は決まった。

外からのシュートといっても、持ち上がっていきなり打つというようなことは高橋でもなければあまりするものではなく、普通はボールをまわしてから流れの中で打つ。
フロントコートまで上がった藤本は、左手をぐるぐる回して声を飛ばした。

「広く! 広く!」

それに応じてギュリが韓国語でなにやら言っている。
広くという日本語が分かったのか、藤本のアクションとバスケ経験値で何をしようとしているのか想像付いたのか。
大きな相手に外から、というのは大きい側だってやられる前から普通考えているものである。

具体的なことは言わなかったが、藤本は、単にスリーポイントを打つ、ということではなくて、さらに遠距離からのシュートもイメージしていた。
自分は打てるし、柴田も石川もそこまで出来ると思っている。
平家の名前が出てこなかったのは、ポジション的な面もあるが、そこまでは出来ないだろう、という感じがしたからでもあった。

コートを広く使って、早い動きも混ぜればパスは回る。
韓国ディフェンスは遠めの位置では突破だけを警戒していた。
スリーポイントラインの際まで出て行くと、シュートへのケアも入ってくる。

藤本から柴田、柴田はハイポストに上がってきた飯田へ入れる。
石川がゴール下から抜けて右サイドへ出て来たところへ落とす。
受けてシュート、が厳しかったので上の柴田へ。
柴田はもう一度、今度は入れ替わってハイポストに来た平家へ入れる。
平家から外の藤本へ。
藤本はボールにミートするとシュートを放った。

長めのスリーポイント。
フェイクだろうと無視したギュリの頭上、ブロック無く越えて行く。
きた、と藤本自身は思ったが、ボールはリング奥に当たって大きく跳ねた。
距離が長いシュートほど、リバウンドも大きく跳ねる。
飛んだ先は石川。
ぴったりスリーポイントライン上でシュートのフェイクを見せてニコルを揺さぶってワンドリブルでさっくりかわすと、距離のあるジャンプシュートを決めた。

メンバーチェンジで何とか建て直し、ようやくバスケットボールになってきた日本チーム。
ただ、まだ、立て直しただけであって、相手を圧倒するというような状態ではない。
第一ピリオド後半は一進一退といった展開になる。
情報量が不足している初見の対戦は、主導権を持つオフェンスが有利、ということもあるだろうか、よく点が入った。
韓国チームは身長差を生かしたギュリの高いリリースポイントからのジャンプシュートや、ボールをよくまわしてからのニコルやスンヨンのフリーでシュートで加点する。
また、シュートが入らなくても、センターのジヨンがよくリバウンドを拾っていた
日本チームは藤本が二本目のスリーポイントは決めたのと、そうやって外からのシュートを見せておいて、今度は突破という形で石川がミドルレンジでジャンプシュートを決めたり、また、コートを広く使うことでゴール下も広く、邪魔が入らない形で飯田が勝負してインサイドからも点を取って行く。
第一ピリオドはタイムアウトの後、点差が大きく開くでも縮まるでも無く、26-19で韓国がリードして終えた。

第二ピリオドはそのままのメンバーで入って行く。
韓国ディフェンスは少し代えてきた。
ここまでは基本のハーフのマンツーマンだったが、ここでニコルを石川選任という形でぴったりつけてきた。
ボールがどこにあろうと、周りのカバーはせず、ただ石川だけに張り付いている、という役割。
第一ピリオドの石川の動きを見て決めたのか、あるいは、事前情報から予定していて、日本チームが機能し始めたのを見ての対処か。

石川としては、そうやって付かれても一対一で勝負すれば負けない、と感じていた。
美記に張りつかれるのと比べればなんでもない。
ただ、問題が一つある。
一対一で勝負はボールを持たないと始まらないのだ。
そのボールが入ってこない。

こうぴったり張り付かれると、本当にフリーというのは一瞬だ。
その一瞬が作れない、ということではなくて、その一瞬にボールが入ってこない。
パスの出してとの呼吸があっていない。

第一ピリオド中盤からの方針で、インサイドは広く開いていた。
藤本は、外から勝負と言ったが、本当に外から勝負にこだわっているわけではなくて、中が広くなれば中で飯田や平家が勝負すればそれでいいと思っている。
それと同時に、外からも打つし、中が広いので一人かわせばフリーでジャンプシュートが打てるという状況にもなっている。
選択肢は石川以外でもいろいろとあり、実際いろいろと使っていてそれなりに点は入っているが、それなりでしかなかった。
シュートが入ればいいのだが、確率はそれほど高くなっていない。
また、セカンドチャンスが無い。
リバウンドが取れないのだ。

オフェンスリバウンドがとりづらいのはある程度仕方の無いことではあるが、致命的なのはディフェンスリバウンドもあまり取れていないことだった。
相手に確率の低いシチュエーションでシュートを打たせるところまでのディフェンスは出来ている。
なので、ファーストチャンスの得点率で言えば日本も韓国もそうかわらない。
しかし、リバウンドをうまく拾うのだ。
それによって得点力が上がりリードを広げられてしまっている。

44-29 韓国リードとなって、第二ピリオドも先に日本がタイムアウトを取った。

「後藤、里田イン。平家と柴田アウト。石川が二番にスライドして後藤が三番に入る」

信田コーチ、悩んだ末の苦心の選択。
こんな五人でゲームするということは事前に想定していない。

「とにかく、リバウンドリバウンド」

リバウンドを取れていないので、そこを補強ポイントとして里田と後藤を投入した。
全体的に大きくする。

「なんか、ケツの使い方がうまいから気をつけて」
「リバウンドの時だけじゃないけど、くねって当ててきたりもするから」

リバウンドが取れていなかった平家と石川のコメント。
殴ったり蹴ったりしたら反則だが、ヒップアタックはあまり反則としては取られない。

「全員意識してリバウンド入ろうな。ポジション取っちゃえば身長もあんまり関係ないし、大きく跳ねるシュートなんかはそれこそ外から掻っ攫えるんだから」

里田と後藤が入ることで、藤本のところ以外は目立ったミスマッチは無くなってくるはずだ。

「ごっちん、頼むよ。外から、ワンハンドスリー」
「んー、まあ、流れでかな」
「一発そういうのかませば流れ変わるから」

リリースポイントの低い両手のシュートで、かつ身長差のある相手につかれて、スリーポイントも距離のある位置から打たざるを得ない藤本。
後藤の場合は、片手で打てて、さらに相手との身長差もほぼないので、スリーポイントが普通にスリーポイントライン近くで打てるはずである。

「んじゃ、まっつー、行ってくるよ」
「真打のために舞台を整えてきてください」
「なにをー、偉そうに」

後藤、松浦、藤本。
昨晩話しこんだ三人、うち二人が途中交代で舞台に上がって行く。
後藤は福田の方も見たが、ちょっと距離があったので何も言わずにコートに上がった。

十五点というのは大分大きな点差だ。
二十点開くと限界とも言われている。
流れ一つで簡単にひっくり返るような状況ではない。
石川にとってこういう戦況はとても久しぶりのことだった。
高校入学後無敗。
すべて完勝というわけではなく、競った試合も当然あったが、二桁のビハインドを負うという展開は経験が無い。

不思議な感じがした。
相手が圧倒的に強い、という感触は無い。
14番は確かにでかいし、4番のプレイ振りには雰囲気がある。
でも、ただそれだけだ。
飯田さんなら14番も対処できるし、ミキティが4番にそんなに負けるという感じはしない。
高橋が4番に飲まれてしまったのは意外だったけれど。

問題は二つあると思っていた。
一つはみんなが言っていたけれどリバウンド。
これがきちんと取れていれば悪くても点差は半分だと思う。
立ち上がりのもたつきの後、つまり藤本が替わって入ったところからは点差を拡げられるどころか縮めていたはずだと思う。
もう一つは、自分がパスを受けられないことだ。
パスを受けさえすればなんとかなる、と感じている。
個人技頼りはあまりいいことではないと思うけれど、そんなことを言っていられる状況でもない。

「マーカー確認。7番」

メンバーを替え、受け持つポジションも代えたので、マークも替わる。
石川は9番をつけているニコルから、7番のスンヨンへ替える。
後藤が12のハラ、里田がニコルを受け持つ。
日本チームが替わったのを見て、韓国チームもベンチに指示を仰いでいたが日本側がピックアップした通りにマークを付けることにしたようだ。
石川のマークがニコルからスンヨンへ替わる。

スンヨンにベンチからなにやら指示が飛んでいた。
自陣エンドラインの外に向かい、レフリーからのボールを受け取りに行く石川。
そこまで付いてくる、ということはマッチアップが変わるけれど同じように貼り付けと指示を受けたのだろう。
海外に来てここまで歓迎してくれるとはありがたい限りだ。
でも、まずはこの、韓国の壁くらい破れないことには、アメリカを打ち破るなんて程遠い。
美記に負けていられないのだ。

石川がボールを入れて藤本が持ちあがる。
韓国のハーフコートマンツーマン×石川だけ特別、というディフェンスシフトはメンバー替わっても継続。
日本チームは高さが増したので中で勝負してもいいところだが、攻撃スタイルはメンバーチェンジ前と変えなかった。
外へ広く。
藤本への警戒は変わらないし、石川へは張り付かれているしだが、後藤のマークは外に出ると比較的ゆるい。
高さ対策で入った選手である、という認識になっていて、外から打ってくることは想定されていないのだろう。
ボールが回ってシュートクロックは十秒。
石川が降りて行って藤本と後藤、上二枚の状況で、藤本が後藤に簡単にパス。
横から受けたボールをマークと距離があった後藤は右六十度くらいの位置でスリーポイントシュートを放った。

ボールはリング奥に当たって高く跳ね上がる。
リバウンド。
里田とニコルが競り合っている。
先に左手でさらったニコルに右腕があたりに行く形になって里田のファウルを取られた。

「ミキティ」

石川が藤本のところに歩み寄って行く。
後藤も来た。
飯田はぶつかって倒れた里田を引き起こしなにやら話している。

「ミキティ、もっとパス頂戴」
「別に出したくなくて出してないわけじゃねーよ」
「マーク替わって身長差もなくなったし、一番私のところに当たられてるから他で勝負したくなるのは分かるけど、でも、一対一でも勝てるから。もっとパス頂戴」
「ちょっとまて」

レフリーがオフィシャルにコールしている。
相手ボールで再開、という場面なので日本チーム側が話しこんでいてもゲームが動き出してしまう。
時間はあまり無い。

「めんどくさいから正直に言うぞ。今の美貴はあんな一瞬で石川にパス入れられない。美貴には石川の動きがいまいち読めないんだよ。だからもう少し、もう少しでいいからパス受けられる間を長くしてくれ。スクリーンでも何でも使って。富岡でのイメージでやらないでくれ。美貴と石川の間には目と目で通じ合うような関係はないんだよ。それを理解しろ」
「わかった。なんとかする」

石川が離れていく。
まだ近くにいた後藤に藤本が声をかけた。

「ごっちん、いい感じじゃん。あんな感じで次決めてよ」
「うん」

それぞれ、マークマンを捕捉しにいく。

第二ピリオドは残り三分。
韓国オフェンスはじっくり時間を使ってきた。
一本一本、ゆっくりまわして、ボールを持ったものが各々勝負できるかどうかを探る。
はっきりと狙いを絞った風ではなく、フリーオフェンスでそれぞれの判断に任されているようだ。
一つ一つの揺さぶりで、少しづつ崩して、最後は少し外目に出たニコルがシュートフェイクを一つ入れてからのジャンプシュート。
フェイク、さらにフェイク、と見て飛ばなかった里田の頭上越えてゴールが決まる。

これ以上前半で開かれるとつらい日本代表。
石川の動きのイメージがここで変わった。
とにかくボールを受けられることだけを優先する。

ボールを持てば一対一で勝てる。
そう、思っていても、なるべくボールを持った瞬間にすでに優位に立っている状態でいたい、というのが選手の心理だ。
富岡でやっているときはそれが出来た。
この一瞬、ボールを受けられればオフェンス有利、という瞬間にしっかりパスが来る。
それを変えろと藤本が言った。
石川はそれを素直に受け取った。

ボールを受けられればなんでもいい。
そう、頭でしっかり考えれば、そういう動きはできる。
ゴールから遠い場所で、ゴールから離れながらでもいい。
ボールさえもてれば。
そこまで譲歩すれば、藤本でも後藤でも、動きが読めなくてもパスは入れられる。

通常、そうやってボールを受けた場合、そこから勝負はせずにまたつなぎのパスを出す。
しかし、石川はここのオフェンス、とにかくボールを持ったら勝負、と決めていた。
距離のあるところからの静止状態での一対一。
百パーセント、個人の能力だけで対処しないといけない勝負である。

ゴール下にいた飯田は逆サイドに掃けた。
石川、スリーポイントラインのさらに二メートル外、シュートの構えを見せてから左手で中央側へドリブル。
パスが防げ無いと判断した時点でやや距離を取って突破を警戒していたディフェンスはしっかり対処してコースに立ちはだかるが、石川はバックターンして右手に持ち替えた。
ディフェンスと並走、スピード勝負。
そのままゴール下へ突進すると、右コーナーの里田を見ていたニコルがカバーに来た。
それでも強引にシュートまで、と見せかけて左にスンヨン、正面にニコルと二人引き寄せた状態で、ノールックパスを里田に捌く。
受けた里田は零度の位置でそのままジャンプシュート。
力が入ったか、やや長くなったシュートはゴール奥に当たって先へ落ちる。
ボールを両手でスンヨンが掴んだが、石川がそれをチップアウトしてもう一度ボールは空中へ。
しっかり飛びなおした石川、今度はゴールに背を向けた状態ながら奪い取り、ターンしてジャンプ。
目の前、スンヨンがブロックに飛ぶが、石川はゴールから遠ざかる側へ斜めに飛んでフェイドアウェーシュート。
ブロックの上を通過させてボールはネットを通過した。

すぐにディフェンスへ戻る石川。
藤本は、ボールを受けに行くギュリを見ていて戻らず前に出てくる。
すれ違いざま、藤本が左手を差し出したので、ぱちんと叩いて答えた。

「ディフェンスから! ディフェンスから!」

藤本が声を上げる。

点を取ったり取られたりでは永遠に追いつけない。
ベンチからの指示は特に無かったが、藤本は自分の判断でギュリに前からつくことにした。
体力的には問題ない。
滝川スタイルと比べれば、体への負担は格段に軽い。

ギュリの方は藤本を無視して自分で持ちあがることをしなかった。
韓国オフェンスはここでもゆっくり回して最後の勝負はジヨンのゴール下。
踏み込んできてのシュートを、飯田がブロックしてボールを弾き飛ばした。

跳ね飛んだボールは石川のところへ。
石川はすぐに前の藤本へと送った。
藤本とギュリ、一対一。
ギュリさえ越えれば後はゴールしかない。

右手でドリブルをつきながら左へ行くぞ左へ行くぞと肩でフェイクを見せる。
そのまま右、コート中央へ突っ込んで行く。
センターサークル付近、フェイクは効かずしっかりとコースを塞がれたのでバックチェンジで左に持ち代えて突破を諮る。
しかしそれもダメ、前に入られる。
今度は一瞬スローダウンしての再加速とチェンジオブペース。
多少揺さぶることは出来たが、ついてこられた。
スリーポイントラインをまたぐ。
このままゴール下まで踏み込むと、藤本とギュリの身長差が効いて来てしまう。
藤本は左サイドへ降りて味方の上がりを待つ選択をした。

二人目石川、スンヨンがついている。
ボールは入れられそうだが、藤本はその先が見えていた。

三人目、後藤、ノーマーク。
そのまま待ってゴールに向かうところへパス、が正統的だが、藤本はとっさに早いパスを出した。
ゴールに向かって左側六十度付近。
受けた後藤はそのまま片手で構える。
ファーストブレイクでのスリーポイントシュート。

ノーマークで後藤のペースで放たれたシュートは、イメージ通りの軌跡を描いてネットに吸い込まれた。
12点差。
これには、次の試合のCHN48待ちだった観客も沸いた。

第二ピリオドはこの後、ハラのミドルレンジからのジャンプシュートがこぼれたところをニコルがリバウンドシュートで決めて一本返す。
日本代表は石川、後藤警戒で拡がったインサイド、飯田がワンオンワンからシュートを決める。
韓国オフェンスが長いパスがミスになってエンドラインを割り、残り時間が無い中での日本のオフェンス、藤本-里田の滝川ラインでいいパスがゴール下に飛び、アリウープの形になったのだが、里田がこれをゴール根元に当ててしまい決められず、そのまま前半終了となった。

48-36

韓国の十二点リード。

ハーフタイムは一旦ロッカールームに引き上げる。
20分間ベンチに座っていた。
選手交代はなし。
五人で戦って十二点リード。

なんか、ばらばらだったな、というのがソニンがもった前半の日本代表への感想だ。

第二ピリオドの終わり近くになってようやくまともなチームになってきたけれど、そこまでは本当にばらばらだった。
それと比べると韓国の五人の熟成度は高い。
新参者の自分はよく知らないけれど、同じメンバーでゲームをしてきた時間が長いのだろう。
誰と誰がなんてことはちゃんと聞かなかったけれど、合宿所に五人で一緒に長年住んでいる、なんてのが居たはずだ
それが今出ている五人なのだろうか。
寄せ集めの日本とはそこが違ってのこの点差なのだろうと思う。
ただ、個々の力がそんなに勝っているとは感じなかった。
最初から相手がどんなタイプの選手なのか、それをある程度把握している分の優位がこちらにはあるけれど、前半見て向こうだって対応してくるだろう。

ハーフタイム、ロッカーに戻ってすぐに監督がなにやら訓示を垂れていた。
にっくき日本になんたらかんたら、と言っていたようだが、長い文章を最後まで聞き取るのは、その気が無いとまだ無理だ。
分かったのは、あんまり技術的な話はなくて精神論だけだったようだ、というくらい。
言うだけ言うと監督は出て行った。

その後はギュリがなにやらメンバーに指示を与えている。
十五人のキャプテン、という肩書きは別にいるが、今の五人の中でのリーダーは見るからにギュリだ。
女王様みたいなギュリが、ガキみたいな顔したスンヨンと同い年なのは驚いたけれど、力関係は実年齢よりも見た目に対応している。

なんか変だな、と思った。
ギュリが熱弁を振るっても、まわりはあんまり聞いていないように見える。
言葉の理解は半分くらいしか出来ないけれど、その場の空気ははっきり見える。
そういう空気が見えてしまうのは、自分が異分子だからだろうか。

五人の中の空気は異分子だから読み取れるのかもしれないけれど、五人と他の九人の間の壁は、多分誰でも見えるものだった。
練習している時点でも、中のいいメンバーと悪いメンバーがいる、というのははっきり分かったし、それはどのチームでも一緒だろうくらいに思っていたが、こうやって見てみるともっと深い部分で問題があるように見える。
練習の段階ではいろいろメンバー替えながらだったのでよくわからなかったけれど、こうなってみるとはっきり見える。
スタメンの五人と後の九人がまるで別のチームのようだ。

自分は、この十五人の中で、どこにはまるピースなのだろうか・・・。
何でここにいるのだろうか・・・。

日本代表はロッカーに戻ると、やはり信田がメンバーへコメントを与えた。
問題はとにかくリバウンドだ、というのが主な趣旨。
スコアブックを見ると、リバウンドの本数は韓国が倍とっている。
韓国のオフェンスリバウンドと日本のディフェンスリバウンドがほぼ同数、というのは異常である。
それさえ解消できればこれくらいの点差は問題ない、大丈夫大丈夫、ということを繰り返していた。

「いたっ。何すんの」
「堅いよ、まい」

監督トークが終わって休憩時間。
背後から近づいた藤本が、座っていた里田の頭をはたいた。

「動き堅すぎ。はい、リラーックスリラーックス」

藤本、里田の肩を揉む。

「別に肩こって無いから」
「いーや、結構こってる。ていうか、力入ってる」

藤本は肩から手を離し、長椅子をまたいで里田のとなりに座った。

「せっかくのアリウープ外したのは悪かったよ」
「まあ、あんなこともあるって」
「あれ入ってれば十点差だったのに」
「まいなのに小さいこと気にしない気にしない」
「まいなのにってなによ」

里田が藤本とかわらなく見えるくらい縮こまっている。

「美貴だって結構てこづって無かった? あのビックガードに」
「あのババア、でかいくせにしっかりスピードあってついてくるのな。ワンマン速攻で行こうと思ったのに封じられちゃったよ。あれは、美貴が小細工しすぎたからってのもあるししょうがないけど。でも、おかげでごっちんのスリーポイントに出来て一点得したな」
「ババアって・・・」
「ババアで十分。美貴、ああいうタイプ嫌いなんだよ」
「でかいのにスピードあるタイプ?」
「顔が派手で自信たっぷりなタイプ」
「バスケ関係ないじゃん」

ほとんど言い掛かりである。
それでも、そんな藤本の言葉に、里田は笑みを見せた。

「まいのマッチアップは外人だっけ?」
「みんな外人でしょ」
「あ、そっか。じゃなくて、なんか韓国人ぽくないやつ?」
「言われてみればそんな気もする」
「大したことないって」
「簡単に言うけどさあ」
「簡単だよ簡単。見慣れない相手ってだけで、慣れれば簡単。五分出てもう慣れたから後半は大丈夫でしょ」
「だといいけど」

リバウンド競り合ってファウルを取られ、その後のディフェンスは一対一でシュートを決められ、自分は石川からのいいパスをノーマークで決められず、マークマンにリバウンドシュートを決められ、最後にアリウープを外して終わった。
そんな里田の前半残り五分。
藤本は言うだけ言って、背中を二度ぽんぽんと叩いて里田のもとから立ち去る。

「ごっちん、いいじゃない外からのシュート」
「速攻であそこにパス出されると思わなかったよ」
「これだって思ったんだもん。この流れなら絶対スリーで入るって」
「そんなこと言いながら、しっかりリバウンド飛び込もうとしてたじゃん」
「それは、どんなシュートでも飛び込むって。無駄かもしれないけど取りに入るのがリバウンドってものでしょ」

壁に寄りかかって飲み物を飲んでいた後藤に今度は声をかけている。
なんとなくもの欲しそうに見えたのか、後藤が持っていたドリンクボトルを藤本に渡してくれた。
一口飲んで返す。

「ごっちんのマッチアップって意外に外無くない?」
「ていうか、あんまり全体的に外無いよね。インサイドがちがち勝負が多い感じ」
「美貴の相手のばばあくらいかな。あ、いいださーん、スコアブックいいっすか?」

少し離れたところで平家とスコアブックを見ていた飯田。
藤本が見に行くと、あっさり渡してくれた。

「あんまりどころか、スリーの成功率ゼロじゃん。打ったのもばばあ二本だけだし」

藤本と後藤、横に並んで一冊のスコアブックを覗き込む。

「こっちもそんなに入ってないね」
「ごっちんのあれと、美貴が一本決めた二本だけか」
「もうちょっとあってもいいよね」
「本数の割りにはって感じだなあ」

飯田と平家も話しに入ってきた。

「外と中の距離がありすぎる感じがするのよね」
「距離がありすぎる? スリーポイントを遠目から狙いすぎってことですか?」
「遠くから狙ってもいいと思うんだけど、間がいないのよ。つなぎと言うか楔」
「ハイポストかそれよりもうちょっと高い位置でもいいから一度受ける人間がいるといいのかな。上と下のちょうど真ん中くらいに。それがないから上は上だけ、下は下だけになりがち」
「さっきのメンバーだとまいとかごっちんとか。出てれば平家さんとか、その辺の役割ですか」
「うん。外が外だけで狙いすぎると良くないんだと思う。中から戻ってくるパスでスリーポイントってのが一番きれいなかたちでしょ」

一言でまとめると、ばらばらでした、となるだろうか。

「あとはやっぱ、圭織が言いたくないんだけどリバウンドだよね」
「なんとかなんないんですか」
「なんとかで何とか出来るならセンターいらないよ」
「へー、圭織が理にかなったこと言うのめずらしいじゃない」
「みっちゃん、圭織はとっても論理的な人間なの」
「はいはい。でも実際、なんとかしないとね。藤本以外はもう高さだけの問題じゃないんだし」
「あの日本人離れしたケツの使い方がやっかいなのよ」
「ていうか日本人じゃないし」

みんな外人と里田に突っ込まれた藤本が、それを裏返したような突込みを飯田に入れる。

「ファウルは? あんまりみんなないのか」
「一つづつばらけてて二つもいないのね」
「みんなディフェンスサボりすぎなんすよ」
「ミキティんとこ基準だと誰もついていけないって」

滝川の厳しさで全員がディフェンスをしたら、体力的に厳しすぎるし接触が増えてファウルが嵩んでしまうだろう。

「つーか、前半だけで48点も取られるとか、何の屈辱ですかこれ。絶対止めますからね後半」
「止めるっていうか、リバウンドかな」

行き着くところはそこだった。

後半、韓国チームは前半からと替わらない五人が出て来た。
日本チームは藤本、石川、後藤、里田、飯田。
前半ラストのメンバーで入る。

最初に得点したのはインサイドの一対一から飯田。
その一本は割と早く入ったのだが、そのまま二分間両チーム無得点で流れる。
日本チームは平家、村田イン、里田、飯田アウト。
ここまで出ずっぱりの飯田を休ませる。

韓国チームのリズムがいたって悪くなっていた。
特にオフェンス。
互いの連携がうまくいっていない。
パスをスティールされたり、誰も触れずにエンドを割ったりとターンオーバーが続きシュートまで持っていけない。
ただ、ディフェンスはそれぞれが目の前の相手としっかり対峙し、シュートまで持って行かれてもリバウンドは拾えるので一気に日本代表が追い上げるという展開にはならない。

54-46
韓国八点リードで第三ピリオド残り四分。
ここで柴田、松浦イン、石川、後藤アウト。
こう着状態で勝負どころはまだ先と見た信田コーチが石川もベンチに下げて休ませる。
さらに一分後、高橋、飯田インの藤本、村田アウト。

「向こうリズム悪いのに、なんで一気に追いつけないかなあ」

ベンチに戻ってきた藤本、端まで来て立ったままタオルで汗を拭きつつ吉澤にこぼす。

「前半と比べて四番が孤立してる感じだよね」
「孤立っていうか、もうばらばらにやってる感じなのに、こっちもうまくいかない」
「五対五じゃなくて一対一が五箇所あるゲームって感じ?」
「そう割り切っちゃった方がうまくいくのかなあ」

連携が取れていない中で無理にパスで崩そうとすると、意思の疎通が出来ず誰も触れないパスが飛んでしまう。
三本に一本でもそういうパスが通り、九十分で一点でも取れればそれで勝ててしまうことがあるサッカーと違い、四十分で少なくとも四十点は入るバスケでは、たまに通ればいいキラーパス、なんて思想は無い。
韓国チームのリズムの悪さは、何とかパスで崩そうという意思のあるギュリと、周りの連携が取れていない部分にある。
日本代表も、藤本が自身の後半に入ってのプレイ振りにそういう部分を感じていた。

目の前では柴田がミドルレンジからのジャンプシュートを決めて六点差。
スリーポイント二本分、一つの流れで追いつけるところまで来た。

韓国はつながりの無いオフェンス。
ここで、マッチアップの替わったギュリが自分で勝負を選んだ。
高橋、対応しきれずに抜き去られてしまう。
ゴール下で飯田がカバーしようとしたが、ガードながら身長のあるギュリ、ジャンプシュートを決めた。

エンドから、柴田が高橋へ入れる。
ギュリが圧力を掛けた。
先ほどまで藤本相手にはしていなかったこと。
試合開始当初、同じことをされたのに、替わって入ったここでは頭に無かったのか、高橋、慌ててボールをファンブルしてしまう。
こぼれたボールはギュリが拾って、攻守反対になっての一対一。
ギュリのドリブル突破に今度は高橋、しっかりと付いて行ったが、進路を阻むことは出来なかった。
ゴール下まで進撃されると、後は身長差が生きる。
待ち構えている柴田は高橋自身を壁にするようにして避け、ギュリがゴール近辺での飛べばフリーというシュートを決めた。
再び十点差。

「亜弥ちゃん、フォローしろって」

ベンチから藤本が声を飛ばす。
すっかり上がりきってボール運びは柴田高橋にお任せ状態だった松浦。
今度はギュリと高橋の位置関係を見て、ボールを受けに戻る。

第三ピリオドはこのメンバーのまま最後まで引っ張った。
韓国もメンバーチェンジなし。
二本づつ取り合って 62-52
韓国十点リードで終える。

第四ピリオドに入る前のインターバル。
韓国ベンチは荒れていた。
いや、冷めていた、という方が正確かもしれない。

この二年半、桜華学園の理詰めでよく語るコーチの下にいたソニンにとって韓国代表チームの感情的かつ精神論が中心の話しは、ある種新鮮ではありつつも、そればかり続くとある種ばかばかしいものにも感じていた。
最初は外国語ヒヤリングテストレベルにまじめに聞いていたが、慣れてくると、まあ分からなくてもいいや、と聞き流すようになっていた。
言葉の問題は置くとして、そういうのを聞き流してしまうのは育ちの違いなのかな、とも思っていたが、どうやら聞き流すのは自分だけではなかったようだ。
最終ピリオドに入る前のこの韓国ベンチ、試合に出ているメンバーの過半が明らかにまともに話を聞いていない。
それどころか、冷めた口調で言い返していた。

感情的にまくし立てるコーチの早口よりも、冷めた選手の言葉の方が聞き取るのは容易だ。
ただ、言葉の意味は理解できたが、言っている内容は、なにいってんだこいつら、というようなものだった。

「あんな狭い寮に押し込められてやってられない」
「練習して帰って寝て、練習して帰って寝て、それの繰り返し。これじゃ奴隷と一緒だ」
「勝ったら待遇改善してよ」
「勝利ボーナスも欲しいな」

あんな寮がどんな寮か、ソニンは知らない。
でも、今言うことか? と思う。
国際大会が始まった初戦、宿敵日本との対戦、残り十分十点リードという場面である。
チームの中にあった変な空気の下地はこれだったのか、とやっと分かった感じだ。

選手の中で一人だけ反応が違った。
ギュリだ。
他のメンバーたちに何か切々と訴えている。
半分くらいしか分からなかったが、言っているのはソニンが思ったのと同じことなようだ。
今言うことじゃないだろと。

「ギュリ姉はいつもそうやっていい子ぶるよね」

返ってくるのはこれもやはり冷めた言葉だった。

クォーター間インターバルは二分。
そんなやり取りで終わる。
ごちゃごちゃ言うような奴替えろよ、とソニンは思ったが、韓国ベンチは同じ五人をコートに送り出した。

第四ピリオド、日本代表はメンバーを替えた。
藤本、石川、後藤、平家、飯田。
藤本、石川、後藤、第三ピリオドの終盤休ませていた三人をコートに戻す。
残り十分で十点を追いかける展開。
そろそろ勝負を掛けたい時期である。

いいリズムでまず得点したのは石川だった。
ローポストで相手を背負ってボールを受けた平家、勝負の素振りを見せて外からエィフェンスが挟み混んできたところで石川に戻す。
石川は、平家のところから戻ってきたディフェンスをシュートフェイクで揺さぶってドリブルでかわす。
前には平家がいて、ゴール下のディフェンスは抑えこんでいる。
十分に余裕を持って、フリーで石川がジャンプシュートを決めた。

ここから二本、点の取り合い。
韓国はギュリのスリーポイントが外れたリバウンドを拾ったニコルのジャンプシュートと、ゴール下でジヨンが飯田と勝負してシュートまで持って行ったもののこぼれたところを、石川を追い出したスンヨンが拾って再び押し込む。
二本ともオフェンスリバウンドを拾っての得点。
日本代表はハイポストで持った平家が走りこんでくる石川に手渡しパス、石川はディフェンスを平家に引っ掛けてゴール下へ向かい、ディフェンスがカバーに来たのでバウンドパスを飯田に送って簡単なシュートを決める。
もう一本は速攻を狙って持ち上がった藤本が右サイドに切れて、上がってくる後藤にパス、前半に見せたような速攻からのスリーポイントの構えを見せてディフェンスを引き寄せてドリブルでかわし、ゴール下まで行って、後藤石川とスンヨンの二対一、パス、パスと見せて自分で後藤が決めた。

いい連携で崩して点を取った日本代表と、オフェンスリバウンドを確保して点を取った韓国代表。
八点差で時が刻まれていく。

リバウンドを何とかしたい日本。
韓国はもう、一本ではシュートが決まらなくなってきているのだ。
効果的なパスで崩す、ということは出来ていない。
そうなると一対一で勝負となるのだが、日本のディフェンスも韓国のそれぞれのメンバーに慣れてきた。
簡単に抜かれはしない。
奪い取るところまでは行かないが、難しい状況でのシュートを選択することを強いるところまでは行っている。
あとは、その難しいシュートが外れたリバウンドを取れさえすれば、流れを引き寄せられる。

日本オフェンス、藤本のスリーポイントが外れてリバウンドを韓国に奪われる。
韓国はゆっくりとセットオフェンスでまわして、ギュリがゴール下へのパスを通そうとして誰も触ることができずエンドを割った。
早く六点差、最小シュート二本で追いつけるところまで持って行きたい日本代表はここではハイポストで持った平家が自分で勝負。
ターンしてドリブルで中へと見せてその場でジャンプシュート。
これがブロックにあいボールは大きくはじき出される。
日本陣内にまで飛んだボールを拾い上げたのはギュリ、そのままゴールへ向かおうとして藤本との一対一。
必死に喰らいつく藤本、コースを抑えゴール下へ侵入させない。
諦めて外へギュリは掃けるが、周りのフォローが無く速攻は成立しない。
ここの韓国のセットオフェンスは、珍しくスンヨンが外からカットインを試みた。
しかし、これはうまく行かず石川に正面を抑えられて体当たりする形になりチャージング、オフェンスファウルを取られる。

残り五分二十秒。
66-58 韓国リード

場面は膠着していた。
ここで韓国にやられてまた二桁まで開かれると心理的にかなり追い込まれた状態になる。
逆にここで一本決めて六点差に出来れば、行ける、という希望が持て、勢いが生まれてくる。
先に一本欲しい、誰もが思う場面。

日本のオフェンスはこの時間帯になってもよく動いていた。
国際大会の初戦という緊張で消耗し、スタミナがきつくなってきそうな頃合であるが、元々鍛えられているということと合わせて、途中で休みが取れているというのも大きい。
そして、各チームのキャプテンクラスで組まれたこの五人、ここが勝負どころということが十分に頭に入っている。

藤本から石川へ、石川が右外に開いてきた飯田へ落とす。
ローポストで構えた平家だがディフェンスが前に入ってきて入れられない。
逆サイドから上がってきた後藤へ戻す。
後藤は左サイド藤本へ落としてパスアンドラン、ゴール下へ走りこむ。
パスは入らない。
トップの平家へ、平家は右外に出て来た石川へ。
ディフェンスがまだやや遠かったので、スリーポイントラインよりさらに遠いこの位置で石川はシュートの構えを見せた。

スンヨンがブロックしようとすっと出てくるところを右から抜きにかかる。
置き去りにしたいところだったがそこまでは出来なかった。
前は空いているが左半分は塞がれている。
ゴール下、逆サイドの後藤を見ていたハラが石川を捕まえに来た。
前、左、二箇所つぶされる前に、二人の間をバウンドパスで通す。
左零度、待っているのは後藤。
ボールにミートしてジャンプ。
視界には横からブロックを試みて飛び込んできたギュリが入ってくる。
とっさにそれを避けようという意識が働いて放たれたシュートは、やや長めになり後藤から見てゴール奥に当たり向こう側へ跳ね落ちて行った。

リバウンド。
こちらの位置に居たのはパスを捌いた石川。
流れでハラにスクリーンアウトされていてこのままではボールは取れない。
そう誰もが思った時に、「ひゃっ」 と場違いな声がゴール下から発せられた。
次の瞬間、石川がハラの前に入り、落ちてくるボールをジャンプして掴み、そのままゴールに押し込んだ。

何が起きたんだ?
周りは怪訝そうな顔で見るが、そこにあるのは石川がリバウンドを取って点が入ったという事実だけだ。
笛が鳴って止まるでもない。

なぜ? と思ったのは日本だけでなく韓国も同様だ。
ゴール下は支配しきっていたはずが、なぜ?
嫌なところで点を取られた、という空気が漂う。
オフェンスはリズムが悪いままで、インサイドへのパスを平家にスティールされる。

藤本がすぐに受けに降りて速攻を狙うが、とっさに抑えに来たギュリに阻まれワンパス速攻は成立しない。
一呼吸入れて、周りも上がりギュリも少し離れてからゆっくり持ち上がる。
ここは流れが来ている、そう藤本は感じていた。
スリーポイントは実力×流れ×運 で決まる。
実力十分、運も持ってる、流れが来ているんだから決まるはず、その方程式を藤本は信じた。

中、外、展開してから戻ってきたボール。
九十度の位置、スリーポイントラインから二メートル離れた遠い場所からシュートを放った。
手ごたえは感じていた。
来た、と思った。
ボールはリング奥、わずかに左側にあたり大きく跳ね上がった。

リバウンド。
飛んだ先にいるのはスンヨンと石川。
スンヨンがきっちりスクリーンアウトして石川を背負っている。
これはスンヨンが確保する、と誰もが思ったところで、また「ひゃー」と場違いな声がした。
石川がスンヨンの前に入り込む。
落ちてきたボールをさらうとそのままゴール下まで入り込み、簡単なシュートを決めた。

韓国ベンチがタイムアウトを取った。

66-62 韓国四点リード

ベンチに戻ってきた日本代表。
開口一番平家が言った。

「石川、何したの?」
「別に何もしてませんって」
「何もしてないって、どんな魔法使ったらスクリーンアウトされたところから二本続けてリバウンド取れるんだよ」
「なんか変な声したよね、二回とも」
「別に、ちょっと撫でてあげただけですよ」
「なでる?」

意味が分からない。
声がしたのはハラでありスンヨンであって、石川ではない。

「なんかヒップアタックとかするから、触って欲しいのかなあって思って」
「触って欲しいのかなあって、梨華ちゃん、おしり触った?」
「ちょっとなでてあげただけだって。下から手入れたから、指は前の方まで入ってたかもしれないけど」
「前の方って・・・」
「事故ですよ事故。ちょっとなでただけだし、ファウルでも無いし、オッケーオッケー」

スクリーンアウトされてはいたが、完璧な形ではなかったので石川の右手は自由だった。
一本目、ハラの時は事故である。
なんとかスクリーンアウトを外して横から前に入り込もうと動いた時に、右手の平がハラの後ろ側の柔らかい部分にふれ、かつ、中指はそのあいだの部分にたまたまそって入ってしまっただけだ。
事故だから石川は慌ててそこから右手を引き出そうとして、さらにその部分に摩擦で刺激を与えてしまう。
それは悲鳴も漏れて力も抜けるだろう。

一度目の事故的犯行で車掌に捕まらなかった石川は、次の列車では今度は半ば意図的に別の女性をターゲットに手を伸ばした。
今度はさっきよりも深く入る。
後ろからというよりも下から、というのに近い場所、柔らかい両側から挟まれた間、石川の中指は下を通って前側にまで届いた。
そして、指を、手を、引っ張り手前に戻す。
後ろどころか前までも刺激を与えられたら、それは悲鳴も出る。

突き飛ばしたわけではないからプッシングではない。
掴んだわけでもないからホールディングでもない。
叩いたわけでもないのでイリーガルユースオブハンズともちょっと違う。
ちょっと触っただけ、ちょっとなでただけだ。
ゴール下ではよくあること。
背中あたりならよくあること。
それがちょっと場所が違っただけである。

「なんでもいいっすよ。とにかく四点差四点差」
「ディフェンス、ボール持ったら一対一仕掛けてくるって思って対処ね」
「四番だけは外もあるから、藤本、忘れるなよ」
「分かってますよ」

事故でも故意でも痴漢でもなんでも、オフェンスリバウンドを二本続けてとって四点差まで迫っているという事実がここにある。

「同じ手は通用しないと思うから、リバウンドしっかりな。ディフェンスリバウンド特に。押してくるけど飛ばされるなよ」
「オフェンス、二点づつね。まだ時間あるから。外三人は流れで打ってももちろんいいけど、スリーにこだわるな」

キャプテンの飯田が、コーチの信田が、メンバーに告げる。
流れが来ているという認識の中で、ミーティング時のチームのあるべき姿に近い形が出来てきている。

「一対一なら怖くないから」
「足動かしていこう」

メンバーたちも、思い思いの言葉でチーム全体を鼓舞する。
ブザーがなって五人がコートに戻って行く。

輪が解散してベンチの隅に戻って行くところで松浦がポツリとつぶやいた。

「おしり触ってもファウルじゃないんだ」

その場では誰も答えなかったけれど、席までもどって座ると、となりに居た福田が言った。

「ハッキングでもプッシングでもホールディングでも無いけど、かなりアンスポーツマンライクな気がする」

声は出さずにその奥に座っていた柴田が何度もうなづいた。

スポーツマンらしくない行為は、本来アンスポーツマンライクファウルを取られ、相手チームにフリースロー二本を与えた上、相手ボールでゲーム再開となる。

同じタイムアウト、韓国ベンチは今度こそ本当に荒れていた。
冷めてなどいない。
痴漢被害者スンヨンとハラが猛烈に不満をまくし立てている。
おちつけ、おちつけ、となだめるコーチ陣だがメンバーたちは聞くを持っていない。
もっとしっかり繋いでいこうとギュリが言っても、もうどうでもいいこんな試合、というようなことをニコルが言い返している。
試合に出ていない九人は、形だけ輪を作っていたが、まったく無関係を装っていて話には参加しない。
残り時間四分を切って、宿敵日本と四点差、という状況にあるチームとしてありえない姿。
ここまでずっと黙って見ていたソニンが切れた。

「てめーらいいかげんにしろ! 今どういう状況か分かってるのか! 痴漢だなんだごちゃごちゃ言ってる場合じゃないだろ! 寮がどうとか。目の前の相手を見ろよ! コーチもコーチだ。替えちまえよこんなぐちゃぐちゃ言ってる奴ら」

ソニンの剣幕に圧倒されたのか、強い縦社会で生きているはずの韓国のコーチ陣が、いや契約がとかなんとかもごもご言うのみである。

「なにが契約だよ。目の前の相手に勝つ。それがバスケだろ。なんなんだよこのチーム。勝つ気ないなら国に帰れよ。

勝つ気が無いなら国に帰れ。
自分が帰るべき国は果たしてどこなんだろうか・・・。

もう、それ以上は言わなかった。
瞬間沸騰的怒りは長くは続かない。
タイムアウトがあけるブザーがなり、五人以外のメンバーはそれぞれ座っていた椅子に戻って行く。
ソニンも戻っていこうとしたが、我に返ったコーチに呼び止められた。

「ソン」

言われて振り返るとコートを指差して何か言われた。
入れ、と言われているようだ。
ハラと交代。
交代を命じられたハラがコーチのところに歩み寄ってなにやら言っているが早口すぎてソニンには理解出来ない。
文句を言われているコーチだが、交代を撤回する様子は無かった。
ハーフタイムに軽く体を動かして以来、ずっと座ったままで体も温まっていないし、チーム状態は最悪に近いところにあるが、それでもチャンスが来たようだった。
まだ何か言っているハラの後ろを通って、オフィシャルのところに行き交代を告げコートに入る。
マーク誰だったのかも確認もしてねーよ、と思って少し迷っていたら、ギュリが近づいてきた。

「ソン、ソニン」
「なに、フルネームなの?」
「おこってくれて、ありがとございます」

日本語だった。
そういえば、ソニンが切れた時に使った言葉は日本語なはずだ。
それでも、だいたいは通じていたということだろうか。

「パク」
「ん?」
「マークどれだっけ?」
「ナンバーテン」
「あいつか」
「よくしってる選手?」
「いーや、あんまり」

日本代表の今コートに出ている五人のうち、藤本、石川、平家は直接試合をしたことがあるし、飯田は一つ上の学年を代表する有名選手だ。
10番を付けた後藤だけは、ソニンにとって持っている情報の少ない選手だった。

「そっか、しっかりたのみます」

あの貫禄女が、たどたどしく日本語話すとそれだけで可愛いじゃないか、とソニンは思った。

韓国エンドから試合再開。
ギュリが持ち上がるというスタイルは変わらない。
ソニンには後藤がついてきた。
様子見をしている時間帯では無いが、体が温まっていないというのも事実としてある。
ソニンはコート内を動き回った。
フリーになってボールを受ける、ということよりも体を温めるという方が目的としてある。
ファーストタッチは大きく外に出たところ。
プレースタイル的に勝負できるような場所ではなく、簡単に戻すことになる。
それからまた走り回る。

ここのオフェンスはスンヨンが石川相手に突破を試みてうまく行かず、自分の足にボールを当ててエンドラインを割った。

10番をつけた後藤真希。
あまり知識は無いが、今日ここまで見てきた限りでは外でも内でも勝負できるバランスの取れたいいプレイヤーだとソニンは思った。
ディフェンスでサボらせてもらえるような相手ではない。
ただ、実際こう対峙してみて、迫力のようなものは無いなと感じた。
身長は自分と変わらない。
否、身長の問題ではなかろう。
身長は変わらず、後藤と比べても華奢と言える石川も、ボールを持たれると怖さを感じる。
脳で考えて、こいつはうまいからボールを持たれると点を取られる可能性が高くて怖い、というようなものではなく、もっと本能的なところで怖いのだ。
それが後藤には無い。
たしかにうまいし、たしかにこのメンバーの中にいて何の遜色もないけれど、不思議とそういう怖さは無かった。

流れは日本に向いている。
外に一旦開いて中に駆け込んだ飯田へ石川からパスが入り、ゴール下のシュートをきっちり決めて二点差。

韓国は早い攻め上がりから時間を掛けずにインサイドでジヨンが勝負して、ここはジャンプシュートが決まり四点差に押しもどす。
引き続いての攻防はどちらもシュートまで持っていけず、四点差のまま三分を切った。

こいつらやっぱり勝つ気が無い、とソニンは思った。
勝つ気が無いわけではないのかもしれないが、勝つことよりも優先される何かがあるという感じだ。
目の前の試合だけを見ている、日本をぶち倒すことだけを見ているのは、自分とギュリの二人しかいないんじゃなかろうか。

ならば、自分の力で勝たなくてはいけなかった。
そのチャンスを与えられ、そして、自分にはその力があると信じている。
この試合で背負っているものは、誰よりも重い。
代表の重み、なんてものじゃない、人生の重みだ。

後藤はがたいはいいが、馬力で勝負すればやっぱり自分が勝つと思った。
インサイド、体のぶつけ合いなら負け無い。

ゴール下、ポジションを確保しようと圧力を掛けるとあっさりと押しのけることができた。
零度の位置からボールを受ける。
飛べば目の前にはバックボード。
簡単なシュートを決めた。
六点差へ広げる。

こんなにもろいものか?
そう考えたが、自分がフレッシュで体力が有り余っていることと、まだ動きに慣れていないことあたりのせいだろう、と思った。
頭の中でそんなことを思ったのはシュートを決めて、ディフェンスに戻ろうと走り出すほんの一瞬のことであったが、その一瞬の間に局面はもう動いている。
エンドで飯田が拾って、長いパスを石川に飛ばした。
ワンパス速攻、石川vsスンヨン、スピード勝負で置き去りを狙ったが付いてこられたのでストップジャンプシュートを放ち四点差へ引き戻す。

二回同じことはさすがに通用しなかった。
押し込もうとしても踏ん張られる。
それでも押し合いでスペースを確保する自信はあったが、外のディフェンスもソニンを警戒していた。
ソニンが日本をよく知っているように、日本代表メンバーも多くがソニンをよく知っている。
桜華学園と対戦するとき、まずソニンのプレイスタイルをチェックするのだ。
石川や平家の頭には、ソニンがどういう選手かはしっかりと刻まれている。

押し込んで場所を奪っても、外から挟み込みに来られてボールが入らない。
今出ているメンバーは、ギュリ以外スリーポイントはない、と見られていた。
その場の流れ、平家がソニンをケアしていて、外で開いたニコルが迷った素振りを見せながらもスリーポイントを放つが長くなってリングにも当たらずに外れる。

残り二分少々からの攻防。
日本代表は石川がミドルレンジからジャンプシュートを放つが外れてリバウンドをジヨンに拾われる。
対して韓国はギュリがエンドライン際藤本を抜き去ろうとしてかわしきれない。
逆サイドのソニンに出したところを後藤がパスカット。
すぐに石川が受けて一人で持ちあがるが、韓国ディフェンスは二人、一対二で勝負にはいかずに周りの上がりを待つ。
セットオフェンスになり、日本代表はボールを回す。
最初から狙っていたわけではないけれど流れでそうなった。
混んでいるゴール下を抜けて逆サイドへ出て来た藤本、ギュリはゴール下で飯田に引っ掛かっていた。
トップにいた平家から送られたボール。
受けながらターンしてゴールに向かい、ギュリとの距離がまだあるのを確認してシュートを放つ。
終盤に来てのスリーポイント。
後半入っていなかったが、ここで決まった。
ついに一点差。
沸きあがる日本ベンチ、また、どちらよりでもない中立の観客も、この展開この時間帯のこのシュートで盛り上がっていた。

残りは一分半。
韓国としてはリードは守っておきたい。
どこで勝負?
ソニンは自分がと思っていたし、周りも自分がと思っているようだ。
ソニンがニコルがジヨンが、そう思うと、インサイドが混雑する。
実際に自分で勝負したのはギュリだった。
外から突破をはかろうとする。
結果的には、突破されたとしてもインサイドは混み混みでゴール下まではいっていけるような状況ではなかったのだが、藤本にそこまでは見えていない。
突破されないように、と付いて行ったところでギュリはジャンプシュートを放った。
タイミング的には藤本はしっかり対処してブロックに飛んだのだが、いかんせん身長差がありすぎる。
空中フリーの状態で放たれたシュート、しかしこれは外れた。
リバウンド、誰も痴漢がいなかったからなのか、ニコルが奪い取る。
上まで戻して仕切りなおし。

韓国はボールを回すがディフェンスは崩されない。
勢い、また一対一の勝負が選択されることになる。
ここはニコルvs平家。
ローポストでボールを持ってゴール下押し込もうとするが、平家はそれでやられたりはしなかった。
ニコルはフェイドアウェー気味のシュートを放つ。
平家のブロックは藤本のブロックと違い、しっかり効果のある高さである。
フェイドアウェーで打ったのでそのブロックは越えて行くことが出来たが、ボールはゴールも越えて行ってしまった。
リバウンド、ここで競ったのはソニンと後藤。
ヒップアタックで突き飛ばす、なんてことをソニンはしない。
先に手に触れたのは後藤でそれを両手で抱え込もうとしたが、ソニンはそれを怪力で引き剥がした。
奪ったボールは上まで戻す。

仕切りなおして三度韓国オフェンス。
一分を切って一点差。
本当の勝負どころ。
ソニンはゴール下で勝負をしたかった。
後藤との勝負。
その気迫は韓国のメンバーに伝わったのだろうか、ジヨンがニコルが外にはける。
ローポストで後藤を背負い込んでボールを受けられる体勢を作る。
しっかり見ていたのはギュリ。
遠めの位置であったが、目の前の藤本は頭の上ならボールは通る。
サイドを経由せずに長い距離のパスを出した。
もう一人、しっかり見ていたのが石川だった。
上からでもパスが入る。
読んでいたところに飛んで行ったものだから、横から飛び込んで奪い取った。

すばやく左サイドに出た藤本へ石川はボールを送る。
受けながらターンしてスタート、前にいるのはギュリ一人、味方の上がりも相手の戻りも遅れている。
この試合、何度かあったシチュエーションだったが、ここでも藤本はギュリを抜き去ることが出来なかった。
左零度のあたりまで下りて行って味方の上がりを待つ。
パスを入れられるような入って来方をしたものは居なかった。
藤本は自分でそのままトップまでドリブルついて戻って行く。
残りは三十秒。
ここのオフェンスで取れないと、韓国に持ちきられて逃げ切られる展開が見えてくる。
確実に。
それが藤本の頭にはある。

地元CHN48の登場を前に、最終盤の一点差ゲームで会場は盛り上がっていた。
どちらにも強い思い入れが無いと、こういう競った試合はいい見世物である。
その、がやがやした雰囲気の中で最後の攻防。
残り二十秒、シュートクロックも無くなってくる。
右ローポストで平家がボールを受けた。
韓国ディフェンスはとにかくシュートが怖い。
外からスンヨンも囲みに来る。
一対二、この状況は平家にとって慣れたものだった。
スンヨンが近づいてきたところ、バウンドパスで小脇を抜く。
外、待っているのは石川。
一点差で最終盤のこの場面、石川はスリーポイントラインの外側でボールを受けた。

シュートの構え。
スンヨンはもちろん戻ってくるが間に合いそうに無い。
一点差で残り二十秒を切っている、それが頭にあるか、スリーポイントはフェイクで突破に来てくれ、という願望に賭けたか、ブロックに飛ばなかった。
石川の構えはフェイクではない。
ブロックに飛ばれても間に合っていないが、心理的圧力にはなるもの。
それも無い状態で放たれた石川のスリーポイントは、きれいにネットを通過した。

土壇場逆転、72-70 日本リード。

負けるわけにはいかなかった。
自分が入ってから逆転された。
自分に責任のあるプレイではないが、自分が入ってから逆転されたというのは事実である。
誰が悪い?
日本から来たあの女が悪い。

そんなことを左脳でぐちゃぐちゃ考えたりはしなかった。
二点差、残り十七秒、それだけを見て、ただ走った。
パクは自分にボールを預ける。
そして自分が決める。
そのイメージがはっきりあった。

後藤との競り合い。
前に入られるとパスコースがさえぎられてうっとうしい。
それを逃れて動く。
力と力の勝負なら負けなかった。
前に入られて逆サイドへ移動して、ゴールに背を向けて後藤真希を背負い込む。
パクギュリ、正面に居た。

今度は距離が近い。
藤本の頭上を抜いたパス。
それを飛び込んで奪えるものは居ない。
どっしりと両手で受ける。
押し合いのゴール下、ソニンはさらに背中に圧力を掛けた。
それからターンする。
目の前にさえぎるものは無かった。
ただ、飛べばそこにバックボードがありリングがある。
逆サイドから飯田がカバーに来るが関係なかった。
簡単なゴール下のシュート。
それを決めて着地すると、足元に後藤が転がっていた。

笛はならない。
ファウルになるようなプレイは無い。
残りは四秒、ボールを拾った飯田が藤本へ入れ、持ち上がっている途中に終了のブザーが鳴った。

72-72

延長へ。

延長までのインターバルは二分ある。
日本代表はメンバーは替えなかった。
藤本、石川、後藤、平家、飯田。
この五人で延長にも臨むようだ。
後藤がソニンを抑えられていないが、信田コーチは他に適任はいないと踏んだようだ。

「しっかりしろ! 後藤真希」

藤本が頭をぱちんと叩いた。

「ごめん」
「あれ、桜華のやつだろ。たいしたことないって。ゴール周りだけで外出たら使えないんだから」
「後藤が止めてたら延長になってなかったんだよね」
「美貴が途中のスリーポイント二三本決めてたらとっくに勝ってたよ。だからそういうのはいいっこなし」

信田コーチからのコメントは比較的簡単なものだった。
こまごまと時間一杯使って伝達するような事柄は無い。
メンバー同士ではなしをしながら、延長の開始を待つ。

「ソニンちゃん、体力的にフレッシュだし、怪力だから押し合い勝負するのきついよやっぱり」

今度は石川が後藤に語りかける。

「前を抑える感じのがいいかなあ」
「そう思う」
「ごっちんも結構怪力なイメージだったんだけどな」

出番の無い吉澤も入ってきた。

「なんか、圧力半端ないよ。すごい気合入ってる感じ」
「じゃあ、ごっちんも気合入れないと」
「んあ? うん、そうだね」

そろそろ時間になる。
五人はコートに上がって行く。

「ごっちん大丈夫かなあ」

自分の席に戻りつつ、誰へとも無く吉澤がつぶやく。
受け手のいない言葉を柴田が拾った。

「大丈夫だよ。のんびりした雰囲気でも結構すごいじゃんあの子」
「うーん、そうなんだけど、なんか珍しく気持ち的に圧倒されちゃってる感じに見えたんだよなあ」

能力の問題ではなく、気持ちの部分で吉澤はなんとなく後藤のことが心配だった。

後藤真希にとって、経験したことの無い感覚だった。
このメンバーで戦うのは初めて。
日本代表のユニホームを着るのは初めて。
海外に渡航するのは初めて。
国際試合は初めて。
延長は初めて。
初めてはいろいろあるけれど、それらの何かが一つ、後藤に影響を与えるわけではない。
いろいろな初めてがあわさって、今までに無い感覚を与えている。

日本国内の試合でも、対戦相手の勝ちたいという必死な思いが伝わってくることはあった。
激しい接触もあるし、ゴール下のどつきあいに近い攻防だって経験はある。
粗いプレーで言葉ではっきり罵られたりしたこともある。
それらと戦ってきた自分。
仲間たちの勝ちたいという想いももちろん今まで感じてきた。
矢口の必死さは見ていて愛らしかった。
だから、辞めずに付いて行ったのだろう。
そうして今がある。

今日は、そういうのとは何か違う、嫌な重苦しさを感じていた。
特に、ソニンが入ってきてからは、体が思うように動かないレベルでの圧力を感じている。
試合の最終盤に来て、体力的なきつさかと思ったけれど、どうもそれだけではなかった。
スタミナ面の問題ではない、技術的な問題でもない、直接的には力の問題なのかもしれないけれど、なんとなくそれとは違いそうな何か。
後藤は、よくわからなかったけれど、とにかく、頑張らなくっちゃとだけ考えた。

延長は素直に一本のシュートで点が入る、ということがなかなか無い展開になった。
パスで崩してフリーを作って簡単なシュートを決める。
そういう展開を日本も韓国も作れない。
一対一選手権、対戦順はランダムに、という装いだ。
日本代表は石川が外から一対一をしたがるが、マッチアップのスンヨンは、石川にしっかりとマークでついている。
ボールを簡単に受けられず、ゴールからかなり離れたところからしか勝負が出来ない。
距離が遠すぎてスリーポイントシュートという選択肢が取りにくく、勢いドリブル突破を無理やりはかることになる。
その、勝負条件の悪さに関わらず、石川は個人技でスンヨンは上回った。
しかし、個人的な恨みでもあるのか、スンヨンは必死に喰らいつき自由にシュートを打たせない。
本来なら抜き去られている状態でも、自覚を持ってファウルをしてでも止めてきた。
ファウルで止められた場面が二度ほどあり、どちらもフリースローとなり石川は一度目は一本だけ、二度目は二本決めている。

その他には飯田がインサイドでファウルを受けてやはりフリースローで一本決めたのと、ルーズボールを藤本が取りに入ってたまたま受けたファウルでフリースローになり二本決めたのと、すべてフリースローで加点している。

韓国はギュリ、ソニン、スンヨンあたりが一対一で勝負してくるが、いずれも相手を置き去りにしてフリーでシュートとはいかない。
それでもシュートまでは持っていけるのだが一本では決まらない。
オフェンスリバウンドを拾って点を取って行く流れである。

延長も残り二分を切って78-78同点。

韓国はソニン以外はスタートから出ずっぱりであるし、日本代表にしても途中休みを挟んでいるが、終盤のプレッシャーが掛かる場面になってからはメンバーを替えていない。
いい加減足が動かなくなってきているが気力で走っている。
日本代表、パスは回るがディフェンスを崩せない。
一対一、という場面も無くシュートクロックが刻まれて行く。
ゴールからかなりの距離、左六十度。
藤本はシュートクロックが五秒を切るのを見てその位置からシュートを放った。

「リバウンド!」

打った直後に自分で叫んだ。
力が入った、ちょっと長い、そう、感じた。

距離の長いシュートはリバウンドも大きく跳ねることが多い。
ゴール下、飯田、平家、後藤が入り込もうとするが韓国ディフェンスはしっかり内側は囲い込む。
ボールはその外へ大きく跳ね飛んだ。
そちらにいるのはスンヨン、それから石川。
石川はここで、また、手を伸ばした。
上に、ではなくて、下に。

一瞬反応したスンヨンだったが、すぐに身を固めた。
その一瞬の反応の分、石川がボールを取りに横から前へ入ろうとする隙が出来る。
しかし、反応が一瞬だった分、スンヨンも対処できた。
落ちてきたボールは二人で掴み合い。
どちらも譲らずジャンプボールシチュエーション。
こういう場合はルールで順番にどちらかボールになるのか決まっているのだが、ここは韓国ボールになる順番だった。

笛がなってプレイが止まると、スンヨンが石川に怒鳴りつけた。
言葉は分からない石川、だけど、自覚があれば何を怒っているのかは分かる。
それでも石川は悪びれずに返した。

「なによ。ちょっと触れただけじゃない。事故よ事故。そんな怒っちゃって。自意識過剰なんじゃないの?」

スンヨンの剣幕に、両チーム慌てて二人の間を引き剥がしに掛かる。
スンヨンはギュリが、石川は平家がなだめ、あとの三人は壁になって二人の間を隔てる。
場が騒然とする中、日本ベンチがタイムアウトをとった。

「石川、もうよせ」
「事故ですよ」
「分かったから。とにかくもうよせ。例え事故でも」
「はい」

冤罪でも捕まると、罪を認めるまで留置場から出られない。
事故だなんだと言っても、疑われるだけでリスクが大きいのが電車内犯罪だ。
混んでいる押し合い車内ではホールドアップが基本である。

「疲れてるとは思うが、もう一分半もない。とにかく足を動かせ。一瞬の勝負だ。外からの一対一をする力が残ってるならその分パスアンドランでゴールに向かう動きで崩した方がいい」

延長に入ってから完全に一対一の連続になっている。
もう少しチームとして機能させたかった。

「ディフェンスもね、足動かそう」
「パス取れるよ。ボールマン以外もサボってなければ」
「リバウンド。特にディフェンスリバウンド、スクリーンアウトきっちり」

飯田、藤本、平家それぞれが思うところを述べる。
次の一本を取るための指示、というのではなく、やるべきことの確認だけをした。

荒れた場を収めたタイムアウト。
日本代表はコートに戻って行く。
先に出てきていた韓国代表は、センターサークル付近で円陣を組んでいた。
4番をつけたギュリがなにやら言っているのが見える。
周りのメンバーもしっかり聞いていた。

韓国チームの内紛は、女の敵が現れて怒りが外へ向かうことで収まり、チームとして再び一つになったのかもしれない。

あまり顔には出ていないようであったが、後藤自身ははっきりと疲弊を感じていた。
スタメンではなかった。
第二ピリオドの途中からの投入だ。
第三ピリオドも一時期休んでいた。
延長に入っているとはいえ、プレイ時間は東京聖督で絶対的エースとして試合をする時と比べれば短いものだ。

それなのに、この疲労感はなんだ?
速攻で走るべき場面で十分に走れなくなっている。
パスアンドランをしっかり、といわれたが一番出来ていないのは自分だろう。
一対一も、延長に入ってから、否、ソニンに替わってから、仕掛ける場面がなくなった。
インサイドでは勝負できる状況に無いし、外でもボールを持って対峙した時に勝てる気がしない。

タイムアウトでベンチに戻るとき、替えられるだろうな、と思っていた。
だけど、そのコールは無かった。
もう残り一分少々。
再延長ならわからないけれど、この延長で終わるとしたら、最後まで任されたということなのだろう。
もっと余裕のありそうな子に替えればいいのに、と思う。

韓国オフェンス。
ボールをまわしながら声が飛び交っていた。
何を言っているのかは分からない。
ただ、今までと雰囲気は違う。
連携が出来てきている。
パスアンドランとか、日本と同じことをベンチで言われたのだろうか?
単発のパスが回ってから気が向いた人が一対一、というここまでの展開とは違う。

本来バスケはそういうものだ。
だから、その本来の形に戻っただけであって、日本のディフェンスだってそれにまったく対処出来ないなんてことはない。
ハードルが多少上がっただけで、越えられないものではないのだ。
ここは踏ん張る。

残り一分になる頃、ミドルレンジからニコルがジャンプシュートを放った。
フリーにはさせていない。
シュートクロックが無くなってきて、確率高くないけど打たないと、という消極的選択からのシュート。
ニコルから見て奥のリングに当たってその先へボールは落ちる。

シュートの時点で後藤は、反対のサイドでボールとソニンを両方見る形になっていたが、リバウンド、スクリーンアウトが出来ずソニンに飛び込まれた。
オフェンスリバウンドを取られる。
取ったソニンはぴったりゴールの真下に着地。
後藤はリバウンドを奪うよりも、その後のシュートをさせない方向で対処した。
ニコルをスクリーンアウトしていた平家もソニンを囲みこむ。
ゴールの本当の真下にはまり込んで、右か左か後ろに出ないとシュートが打てないソニンは、外へパスを出して逃れる。

仕切りなおし。
韓国オフェンスのパス回しに日本代表は耐える。
マークマンを見る、ボールの位置を把握する、フリーにさせない。
後藤はソニンをゴール下へ入れたくなかった。
だが、力の勝負になるとどうも負けてしまう。
しかたなく、中に入られても外を抑える、という方針でいる。
ソニンと後藤のポジションの奪い合い。
自分の望む位置関係を作ることが出来ず、ソニンがじれて外へ一度出て行く、ということも多い。
今の攻防は負けていない。
シュートクロックを刻ませて追い込む。
その、外へ出ているソニンへボールが回ってきた。
ここからなら抜きに掛かられても大丈夫。
そう八割の自信を持っている後藤を前にしてソニンはそこからシュートを放った。
通常のシュートレンジより遠い位置。
距離感は合わせられたのだが方向があっていなかった。
リングの淵にあたり大きく外へ飛んで行く。

意外な位置へ飛んだボール。
最初に触れたのは石川だったが、その両手の間のボールをスンヨンが叩く。
もう一度ルーズボール。
拾ったのはギュリ。
三度韓国オフェンス。

オフェンスもディフェンスも、どちらも当然体力は使うが、ディフェンスの方が心理的につらかった。
よし、攻撃へ、という一瞬の開放感が、相手にリバウンドを取られることで失望にかわる。
もう、一分近く継続してディフェンスを強いられている日本代表。
第四ピリオド終盤も同じ展開だった。
それに耐えて、石川の逆転スリーポイントがあった。
ここも耐え切れば。

そういう思いがありながらも、サボれる隙を見つけてサボってしまいたくなるのが人間の嵯峨だろうか。
ソニンが外に開いているときは安全。
ここまでのゲームで後藤の頭にはそうインプットされていた。
距離のあるシュートは外れたし。

そのソニンが外でボールを持って、やはり自分で勝負はして来ずにパスを戻す。
ボールを持っていても不安は無い位置、ましてボールを手放していれば何の心配も要らない。
そんな感覚が、反応を遅らせた。
パスを出したソニンが走る。
後藤の横をすっと抜けてゴール下へ、走る。
ギュリから正確なパスが入ってきた。
後藤はもうソニンの背後、手は出せない。
反対側から飯田がブロックに来たが、ソニンはワンドリブル入れてやり過ごし、ゴール下簡単なシュートを決めた。

80-78 韓国リード。
残り二十二秒。

百二十パーセント自分のせいだった。
集中が切れた一瞬。
そこを突かれた。

完成とも怒号とも悲鳴ともつかない声が会場を埋めている。
日本のベンチからも、韓国のベンチからも、スタンドからも。
二点差は、残り百分の一秒まで分からない。

エンドからボールを入れたのは飯田。
藤本が受けて持ち上がる。
そのまま一気に自分で勝負、という選択は藤本にはなかった。
しっかりまわして一本決める。
味方が全員上がり、騒然とした雰囲気の中でのセットオフェンス。

どこでも勝負できる。
それだけの五人がコートに立っているはずだ。
最後の最後は誰で勝負、そういう約束事があるチームではないし、ごく自然に誰で決まりでしょうということもない。
そういう風になるとしたら石川なのだけど、有利な状況でパスが入れずらい状況になっている。

流れの中でなるようになるしかなかった。
藤本から平家へ。
平家から後藤に渡って、また藤本へ戻る。
石川がどこに動いてもスンヨンが張り付いていた。
飯田はインサイド。
平家は割と外目で、後藤は内でも外でも選択肢がある状況だったけれど、外にいたいと思った。

流れだった。
最後はこうやって、と思っていたわけではない。
ただ、流れだった。
残り五秒をきったところ、後藤はゴール下を抜けて右四十五度、スリーポイントラインの外側まで出て行った。
ソニンは飯田に軽く引っ掛けていて少し距離が出来ている。
トップの藤本からボールが降りてきた。
ゴールの方へ向きながらボールを受ける。
ソニンが追ってきた。
ゴール下には飯田がいて、ジヨンもついている。
突破してもその先が難しい。
瞬間判断して、後藤は飛んだ。
スリーポイント。

ソニンは、離れた距離からもブロックに飛んだ。
打ってくる、そういう確信があったわけではないけれど、体が反応した。
高いリリースポイントで放たれた後藤のシュート。
ソニンの伸ばした右手。
ぴしゃりと叩き落すことは出来なかったけれど、指先にしっかり当たった。
ボールは失速し、ゴールには届かない。
ソニンの背後、ゴール下にいた飯田の手前に落ちる。
ルーズボール。
飯田が拾い上げようとしたが、着地したソニンがすぐに飛び込んで右手で弾き飛ばす。
転がってきたボールを藤本が救い上げたところでブザーが鳴った。
藤本は流れでボールを投げるとリングに吸い込まれた。
タイムアップ後、ノーカウント。

80-78

日本のグループリーグ初戦は、延長の末韓国に屈した。

倒れこんでいたソニンは、ゲームの幕切れがしっかり確認出来ていなかった。
ブザーが鳴ったことは分かったし、ボールがリングに吸い込まれていったところも見た。
どちらが先でどちらが後で、どこまでが有効でどこまでが無効か。
レフリーを見てオフィシャルを見て、周りを見て、確信した。
勝ったのだ。
瞬間、両手を高々と掲げて吼えた。

ギュリがソニンに抱きつく。
他の三人も輪を作っている。
ベンチに居たハラも入ってきた。
一番盛り上がっているのは、ベンチのコーチ陣である。

後藤はコートサイドで無表情にそんな光景を見ていた。
シュートを打った場所のすぐ外。
ベンチは遠い反対側にある。
勝者が盛り上がる時、敗者はさっさと引き上げて場所を空ける。
飯田が、石川が、藤本が、それぞれベンチに戻って行くと信田が握手で出迎えた。
後藤のことは平家が迎えに来た。

「あと二つある。帰ろう」

ポンポン、と肩を二回たたいてそのまま肩を抱くようにベンチに向かって歩いて行った。

日本戦が終わって30分、本日のメインイベント、中国vsインド、もとい、CHN48の登場である。
試合を終えミーティングをして、その後この試合を観戦するのは、試合前からの予定の行動であった。
決勝トーナメントに進んで必ず当たる相手、という認識である。
普通、世代別のアジア選手権など、空席が目立つ、というよりも椅子の並んだ中に一部観客がいることが目立つ、というようなものなのであるが、この大会、この試合は違う。
会場、ほぼ満席。
それでも、日本チーム、選手、スタッフが観戦できるよう、二十名分ほどのスペースは確保してあった。

吉澤は、その観戦視察スペースにはいず、スタンドの一番高いところで手すりに持たれながら遠いコートを眺めていた。
隣には藤本がいる。
藤本が吉澤を付き合わせた。

「よっちゃんさん、ミーティング、信田さん何話してたか覚えてる?」
「ん? うん。グループリーグの一つの負けは関係ないとかそんな話しだったかな。あとは、延長までやって体力的に明日以降にきつくなるってことになるかもしれないけど、それより実戦を長い時間できたことがこのチームにとっては良かったと思うとか、そんなこととか」
「そっか」

グループリーグで一敗して、二位通過になったとしても、準決勝決勝と勝てば優勝である。
そういう意味では一つの負けは関係ない、となる。

スタンドの一番上でも冷えた空気はなかった。
すぐそこまで観客がいる。
前回大会まで二部にいたインド相手にCHN48は快調である。
湧き上がる観衆が熱を発散している。
第一ピリオド41-5
圧倒的だった。

「なんか、負けた気しないんだよね」
「日本のが強かったってこと?」
「それはわかんない。わかんないけど、なんか、負けた気しない。変な感じだよ。負けたけど明日も試合があるとか」

負けたら終わり、という世界に藤本は生きている。
インターハイ、国体、冬の選抜。
全部負けたら終わりだ。

「だから逆に負けた気しないなのかな」
「吉澤は、出てもいないのに結構悔しいけどね」
「美貴だって悔しくないわけじゃないんだよ。でも、なんかそういうんじゃなくて、負けた気があんまりしない」

吉澤には藤本の言っている感覚が分からなかった。
藤本自身も捕らえ切れていなくて、しっかり言葉に出来ていないもどかしさを感じている。

「向こうの四番、うまかったな。ああいうのとやりあえるのが国際試合ってことなんだろうけど。日本にはあんなの居ないし。日本だとでかいのはスピードで勝てちゃって逆に美貴の相手にならなかったりするのに、あの四番はしっかり付いてきてたな。そういう意味で、結構今日負けたのは美貴のせいなはずなんだよな」
「そんなことないでしょ。あれだけ身長差あるのに、外から見ててミキティは負けてなかったよ」
「勝ち方が足りないってとこかな。でもなんなんだろう。スタメンじゃなかったからかなあ。でも、割と早い時間に入って結構長く出てたしなあ」

視線の遠い先、コートの上で試合は進んでいた。
第一ピリオドで大きくリードした中国は、メンバーチェンジを次々として、第二ピリオド途中にして、ベンチ入り十五人がすべて一度はコートに上がっている。
試合、というより顔見世興行に近い状態になっている。

「そういえば、美貴、高校に入ってから富岡以外に負けたこと無いんだった」
「まじで?」
「うん。だからかなあ」

インターハイも国体も、冬の選抜も、滝川が負ける相手は富岡ないし、旧富ヶ岡だった。
昨年のインターハイ予選が例外としてあるけれど、それは藤本の中ではカウントされていない。

「富岡に負けると、すげーむかつくんだよね。なんていうのかな、負けたって感じ。あいつら、自分たちの方が強いから勝つんです、みたいなのを分からせる感じの試合するじゃん。小細工なしで。むかつくけど女王なんだよねやっぱ、あれ」
「うん、逃げないでまっすぐ向き合って跳ね返される感じ」
「だから、百パーセントだしたのに勝てなくて、すげー負けたって気分にさせられるんだよなあれ」

吉澤も、インターハイで経験した。
真っ向勝負で叩き潰されての敗戦。
藤本にとってそれは一度や二度ではない。

「そうか、その辺かな。そっか。そうだよ」
「なに、どうしたの?」
「ひどい試合だったよね、今日」
「なに? 急に」
「ひどい試合だったんだよ、今日。向こうも途中からばらばらで、こっちは最初からばらばら。まあ、なんかごまかしごまかしやってたけど。別に、ディフェンス堅いってわけでもないのにしっかりパス回らないし。みんな、単発の一対一。だからだよ」
「だからってなに?」
「全然百パーセントの試合じゃなかった。美貴と石川とか全然合ってないし。だから負けていいってわけじゃないけど、なんか、力で負けましたって感じられないから、あんまり負けた気しないんだよ」

なるほど、これはなんとなく吉澤も分かった気がした。
力を出し尽くしての負けではないから、敗北感が伴わないのだ。
ただ、負けは負けなので悔しさや怒りのような感覚はないわけではない。

「石川は、すごい悔しがってたな」
「うん」
「あいつにしてみたら、高校入ってから初めて負けたわけか。そうすると、力で負けましたも何も無いな」

二年半無敗の富岡総合学園の三年生。
石川と柴田は、高校入学後無敗。
今日の試合が久しぶりの敗戦ということになる。

「なんだかんだであいつ中心に回ってるんだよな、うちらの世代」
「日本一だからね」
「是永美記もすごかったけど、あの子にしたって石川を見てバスケやってた。それを捨てたのかまだ頭にあるのかわかんないけどアメリカ行っちゃったけどさ。どう考えてもアメリカ行くのって行かないよりすごいけど、でも、是永美記がうちらの世代の中心かっていうと違うじゃん。どっちと組みたい? って聞かれたら、美貴は是永美記選ぶし、プレイヤーとしては是永美記のが上なんじゃないかって思ったりするけどね。でも、ハンカチ世代とかいうのと同じようなことをうちらで言うなら、石川世代って言うことはあっても、是永世代って言われることはないでしょ。たぶん、藤本世代とも呼んでもらえない」

うちらの世代、という時一学年でも上下は含まず、同じ学年の選手だけが含まれる。
石川、是永、藤本、柴田・・・。
吉澤だって、指折り数えれば片手には入らなくても両手のうちには入ってくるくらいの選手であって他人事ではない。
この大会には一つ上の学年を差し置いて、最大の六人が選出されている。
強力なセンターがいないが、それ以外では黄金世代、となる可能性を秘めている学年だ。

「ミキティ、石川さん好きだよね」

今まで言ってみたかったけど言わないでいたことを吉澤が言った。

「キライだよ。誰よりも。あいつを悔しさで泣かせるのが美貴の夢なんだから」

遠くのコートを見つめながら藤本は言った。
吉澤が、何も答えないでいると、続けた。

「美貴、人間ちっちゃいよね。ホント、最近思う。飯田さんでさえ言ってたんだって? 日本代表に、フル代表に入りたいとか、そういうようなこと。石川はアメリカに勝つとか言い出すし、是永美記は実際にアメリカ言っちゃうし。みんなして、セカイ、とかいうなんか大きそうなこと考えて。それが、美貴は、石川倒して日本一、それも、高校とかいう小さな世界でのこと、それが夢? ホント人間ちっちゃいよ」

一番高い位置にいる二人に関係なく、スタンドは沸きあがっていた。
途中で入った控えメンバーのスリーポイントが鮮やかに決まっている。
スタメン、エース、中心選手だけでなく、サブのメンバーまでも人気があるようだ。

「身長ちっちゃいからかな。胸が小さいからとか? それは絶対関係ないけど。よっちゃんさんも結構人間大きいよね」
「そんなことないでしょ」
「美貴は、キャプテンやらされたり寮長やらされたりするからチーム全体のこと考える。でも、こういうところにきて一人の選手でいられるなら、好き勝手やっちゃう。でも、よっちゃんさん違うじゃん。こういうところに来て、別にキャプテンとかでもないのに、チーム全体のこと考えて。試合出られなそうな子の面倒とかまで見てさ。すげーと思うよ」
「別に面倒見てるってわけじゃ、たまたま、自分がそういうレベルで自分がそうしたいってだけだから」
「美貴、たぶん、高橋愛よりプレイヤーとして上だと思うし、福田明日香にも悪いけど今は負けて無いなって思った。信田さんが高橋愛を使いたがるのは組み合わせだからしょうがないけど、でもそれはそれとして、このチームで一番ポイントガードなのは美貴なんだ。だから、相手が誰でも美貴がゲーム作って、メンバーが誰でも美貴がしっかり使えなきゃいけない。一試合終わって、負けて、こうやって振り返ると、美貴にもわかるよ。ああ、自分のせいだなって。それなのに、負けた気がしないもないよな。百パーセント出せてないから負けた気がしない。百パーセント出せてないのはチームが熟成されてないからだ。百パーセント出せれば勝てるんじゃないかな? どんないい訳女だよって感じ。まったく、小さい小さい」

そこまで言わなくても、と吉澤は思った。
そこまで自分に求めるのは厳しすぎる。

「ごめんね。ぐちぐちぐちぐち聞かせて。あんまりこういうの話せないんだよね。でも、美貴も、ちょっとは、セカイっての? 気にはなってきたよ。すぐとなりの国にあんなのがいて、その先の国には、なに? 中国四千年がいるんだろ」
「中国四千年って・・・」
「美貴自身もいろいろあるけど、やっぱチームとして勝つには今の状態ってわけには行かないんだよね。どうしなきゃいけないってのも、まあ、少しは分かる気がするけど。分かってて、それをすぐ実行しようと出来ないところが、ちっちゃいな、美貴は」

吉澤は吉澤で別のことを思っている。
自分は、そういうことを考えるレベルにまでも達していない。
上には上がいる、それをまだ、国内で十分に体感できるレベルにいる。

「美貴は、石川、キライだよ。やっぱり」

そういうと藤本は、トイレに行ってくると告げて去って行った。
コートでは前半終了のブザーがなり、ハーフタイムに入っていた。

中国戦が終わり、宿舎に戻ってから明日へ向けてのミーティングをこなした。
明日はタイ戦。
真昼間からの第一試合である。
今日の第一試合をリアルタイムで見ているのでチームとしての特徴は全員大体イメージ出来ている。
普通に戦えばそれほど怖い相手ではない。
スタメンは、今日は告げられなかった。
信田自身が確定させていないようでもある。

大分遅い時間になっており、ミーティングまで終わったらあとは寝るしかない。
特に、中心メンバーはしっかり疲労しており、さっさと寝るべきところであるが、後藤はベッドに座りぼんやりとしていた。

「気にしてるんですか?」
「へ?」
「いや、いいです」

無口に流れて行くことが多い二人の時間。
さすがに今日は松浦が押しかけてくることも無い。
そんな中珍しく福田の方から声をかけた。
電気を消すとか起きる時間とか、年上でありしっかり試合を戦った後藤主導で決めるべきである。
そう、福田は考えていて、早く寝るべきだと思いつつもぼんやり座っている後藤を無視して電気を消して強制的に寝かせる、ということはしない。

「ごめんね」
「なにがですか?」
「んー? うん。後藤、ダメダメで」
「別に私に謝ることじゃないじゃないですか」
「でも、なんか、人のこと押しのけて試合出たのに、悪かったなって思う」
「別に。私を押しのけたのは別の人ですし」

後藤が福田を押しのける、はそのポジションの違いからしてありえない。

「ちょっと覇気が無いなとは思いましたけど」
「覇気?」
「途中までは、後藤さんこういう人だしな、と思ってました。いつでも変わらないというか。でも、マッチアップがソニンさんに替わってからは、そうじゃなくて、ただ自信が無いみたいな感じでした」

福田は四十五分間、ずっとベンチで試合を見ていた。
自分が途中で替わりに入る、という心理的な身体的な準備をすることもなく、ただ、試合を見ていた。
高橋や藤本だけでなく、全体をよく見ている。

「自信かあ。自信は、なかったな」
「ソニンさんと試合したことありましたっけ?」
「んー? 前に? 学校で? ないよ」
「でも、いろんな情報で、負けてるなって思ってたんですか?」
「ううん。日本にいる子だってのは分かったけど、どれくらいうまいのかとかそういうのは知らない。ただ、なんか、怖かった」

東京聖督と桜華学園が戦ったことは、過去の歴史まで遡っても一度も無い。
後藤は、どこそこの学校にこんな子がいる、というような情報は、自分で直接接した相手以外のことまでしっかり把握しているというようなタイプではなかった。

「私が知っている限り、あんなに圧倒されるような差が後藤さんとソニンさんの間にあったと思えないんですけど」
「でも、後藤は、並んで立った時に、もう怖かったよ」

福田は、どこそこの学校にこんな子がいる、というような情報を、自分で直接接した相手以外のことまでも、結構把握しているというようなタイプである。
ソニンについてのインターハイまでの印象、後藤真希の今日までの印象、比べてみてそれほど差があるとは思っていない。
頭の中で行われるシミュレーション比較。
後藤はそういう頭の中ではなくて、並んで立った時に、本能的に、直感的に、怖さを感じていた。

「あの子が怖いってだけじゃなかったかな。なんか、あんなにいろんなこと考えちゃったの初めてな気がする」
「いろんなこと?」
「負けたらみんな悲しむんだろうなとか、福ちゃんもそうだけど、出てない子は出たいんだろうなって。だから出てる後藤はしっかりしなくちゃとか。すごいよね、みんな。試合に出るのにチームの中で競い合って。出られなくて悔しくても、それに対して不満も言わないし」

言わないだけで不満は山ほどある。
そう、福田は思った。
でも、それもまた、今口にする気は無い。

「なんか、無理だなって思っちゃう自分がいた。みんなのために勝たせてあげたいって思ったけど、でも、自分の力じゃ無理そうな気がした。延長になったのも、延長で負けたのも、どっちも後藤のせいだったよね。だから、なんか、ごめん」
「別に、私に謝らなくても。ていうか、そうやって謝られる方が出てない身分としてはみじめだったりするんですよ」
「ごめん」
「もう、いいですよ」

試合に出ている人間だけの責任じゃない、というのが福田の考えだ。
試合に出られない人間は、出ている人間より劣っているのだから、少なくとも試合に出た人間を責めることは出来ない。
それを責めても、自分が代わりを出来るわけでもないのだ。
そう、福田は思っている。

「松に聞かせてやりたい。そういうの」
「まっつーに?」
「石川さんもそうだった。藤本さんなんかもそうでしたね。自分の力が至らずに負けたんだ、みたいなそういう態度だった。飯田さんや平家さんあたりはそれよりも明日以降に向かって切り替えて行くんだ、っていう態度だったんでよく分からないですけど。少なくとも、後藤さんは自分の責任だって思ってて、他の人たちも、見た目に直接的な原因になった後藤さんのことを責める人はいない。ちゃんと、負けたことを自分の責任としてとらえてる。それぞれのチームで屋台骨になってる人たちだから、やっぱり違うなって思いました」

なぜ松浦に、の直接的な説明になっていないけれど、福田の中でははっきりしていた。
自分は完璧、チーム力の足りなさはまわりのせい。
括弧明日香ちゃん除く、という注釈をつけることが多いけれど、人のせいにすることが松浦は多い。
そんな松浦を嫌いでは無いけれど、プレイヤーの振る舞いとしては問題だと福田は思っている。

「代表の重みっていうんですか? それに耐えられる人たちなんだなって。私は、プレイヤーとしても足りない何かがあるってことでスタメンを外されたんでしょうけど、それだけじゃなくて、そういう重みをまだしっかり受け止め切れない人間なのかもしれないなとか思いました。もしかしたら後藤さんも、受け止め切れていないからソニンさんに怖さを感じて、感じるところまではいいとしても、怖さを感じた後にそれに向かって行くってことが出来なかったのかもしれません」
「代表の重みかあ・・・」

年代別とはいえ日本の代表。
そんなユニホームをしっかり着て公式な国際大会を戦うのは皆初めてである。
それでも、それぞれに受け止め方は違った。

「背負えてなかったね、それは。全然。うん。なんか、ほんとダメダメだったな」

後藤は、今日ここに来ているほかのメンバーと比べれば、試合で負ける率が比較的高いチームに属している。
負けることに慣れていない、ということはないのだが、今日のように明確に自分のせいである、というような負け方はなかった。
人のせいにする、ということも無いのだが、普段の負けは後藤一人じゃどうにもならなかった的なものが多い。
後藤が周りの足を引っ張る、というようなシチュエーションはこれまでに経験の無いことだった。

「後藤さんはやる気が無いんですよ」

ここまで言葉を選んでいた福田が、ここで急に冷たく言った。

「簡単にいろんなものが手に入っちゃうから、それを手にしたことの価値が分からない。だから自然体でいられていいってこともあるのかもしれないけど、でも、価値が分かってないから、掴んだものを手放さないようにっていう力が働かない。やる気が無いんです。自分の中にやる気が無いから、怖いっていう時にそれに向かっていこうみたいな気持ちが出てこないんですよ」

試合にも出られなかった年下が、結構きついことを言っている。
後藤は反論しなかった。
かといって、同意するような言葉も出さなかった。
ただ、黙っていた。

答えが帰ってこなかったので、福田はそれ以上何も言わなかった。
明かりはついたままであるが、かまわず自分は布団を剥がしてベッドにもぐりこむ。
頭の中には後藤のことよりも自分のことがあった。
今日はあまりいいゲームではなかったと思う。
でも、藤本さんの出来は悪くなかったな、と思った。
高橋はへにゃへにゃだったけど、藤本さんはさすがだった。
技量として負けている、それは練習の中でも多少感じていることだった。
今日感じたのはそれを越えたものだ。
プレイヤーとしての振る舞いはまったくレベルが違う。

プレイヤーとしては五分の一であること、にこだわっていた自分がまったく持っていないものを藤本美貴は持っている。
それはとても認めたくないことであったけれど、他の誰かが否定してくれることもなく、自分の頭の中で事実として刻まれてしまっている。
ますます試合に出ることは遠ざかってしまった。
そういった、いらだちも、話しているうちに膨らんでいって最後は後藤に当たってしまうようになってしまった。
そんなつもりはまったくなかったのに。
そこがもう、人としてなってない、と福田は思った。

しばらくして後藤が立ち上がり扉の方へ向かう。
スイッチを押して部屋が暗くなった。
がさごそと音がして、後藤もベッドに入ったようだ。
音には出さずに、ごめんなさい、と福田はつぶやいた。

夜中。
選手たちは昼間の疲れで寝静まっているであろう時間。
まして今日は延長にまで及ぶ試合だったのだ。
ベンチにいたメンバーはともかく、終始コートに出ていたような選手は疲れがないわけがない。
明日も明後日も試合である。
勝とうが負けようが関係なく。

どうするべきか考えるまでも無く、しっかりと眠るべきである。
しかし、石川は布団から体を起こした。
大きくため息を一つはいて手近に合ったものを掴む。
枕。
それを、壁に向かって投げつけた。

周りが寝静まった夜中である。
やわらかい枕といえども、壁に当たれば音もする。
もう一つのベッドから手が伸びて、二つのベッドの間にある間接照明のスイッチが押された。

「大人しく寝てくださいよ、いい加減に」

三つ年下の久住が大人じゃない石川をなじる。
ごちゃごちゃうるさい石川を、明日も試合なんだから、と無理やり寝かしつけたはずだった。

「寝れないんだもん」
「だからって物に当たらないでくださいよ。まったくもー」

そういいながら久住はベッドからずりでて来る。
久住は当然、普通に眠い。

「あー悔しい。しつこく張り付きやがってキムチ女が。なんなのよいったい。大したディフェンスでも無いくせに。ボールさえ持てば、全然、美記と比べてなんでもないのに」
「何時間同じこと言ってるんですか。その次は、なんであんなのに勝てないかなあ、でしょ」
「なんであんなのに、って小春! そうやって人のことバカにしないの」

部屋に戻ってきてから延々同じことを言っている石川。
実際には、部屋に戻る前から、いろいろな相手ににたようなことを言ってたんだろう、ということが久住には想像されている。
敗戦直後の茫然期を過ぎて、怒り期に移行してから長い。

「よくそこまでずっとずっと怒ってられますよね」
「だって、悔しいんだもん」
「小春も負けたら悔しいって騒ぐけど、そんな、寝れないほどしつこくないですよ」
「しらないよ、小春のことなんか」

大人と子供、もとい、子供と子供のやりとりである。

「調子は悪くなかったはずなのよ。体は動いてた。シュートも結構入ってた。ボール受けられる回数が少なかったのよね」
「小春、思うんですけど、それ、あんまり関係なくないですか?」
「なによ。別に、私がボール受けられなくても関係ないって言うの?」
「だって、今日負けたのってほとんどリバウンドの問題じゃないですか。直接的には後藤さんがいろいろと止められなかったってのがあるけど、それ以前にリバウンド取られすぎじゃないですか。オフェンス、関係ないですよ」
「でも、もっと私が点取れてれば勝ててたもん」
「そうかもしれないですけど・・・」

なんとなく、久住は感じていた。
自分を周りから見るとこんな風に見えるのかも、と。
人の振り見て我が振りなおせ。
そんな感じだ。
やたら感情だけで話してる部分と、頭の中にオフェンスしか残っていないところと、両方。

「あー、悔しい」
「だから、枕壊れますって」

今度は投げつけずにこぶしでぼこすか枕を叩いている。

「もっと一瞬の間でも何でもボール受けられなきゃいけないのよ。ミキティとあわせなきゃ。でも、ミキティに嫌われてるからなあ」
「確かに、嫌われてると思いますけど、美貴様、そういうところは石川さんみたいにガキじゃないと思いますけど」
「なによ、私みたいにって」
「好きでも嫌いでもパスくらい出してくれると思う。怖いけど」
「出す出さないじゃないのよ。合わないの」
「小春に言われても知りませんて」

久住、さじを投げた。
普段、周りと合わせるなんてことを久住は必要としていない。
ボールを持って後は好きにやる。
そんなスタイルだ。
周りが自分に合わせてくれるわけでもないが、そんなことも求めていない。
いつもの中学のチームだと、レベルが違いすぎるのだ。

石川の場合は、なんとなく合うようにチームがなっていた。
高橋と石川、田中と石川、それぞれ空気は読めなくてもなんとなくイメージ通りのパスが伝わる。
もちろん、柴田と石川でもいい。
周りのレベルがしっかり自分と近いし、周りもそういうレベルで無いと勝っていけないのが高校のレベル、石川が戦っているレベルだ。

「なんで最後もフリー作れなかったのかなあ。絶対私がボール受けて勝負しなきゃいけなかったのよ。なのに、一度もボール回ってこなかった。あれはミキティのせいとかじゃなくて私が悪いのよね。なんであれくらい振り切れなかったのかなあ。ゴール下で飯田さんとかに引っ掛けられれば良かったんだけど。そうよ、大体、その前にリバウンドせっかく掴んだのに取られたのがダメなのよ。あれ取られてなかったら逆転されて無いんだし・・・・」

久住が立ち上がり石川の横まで来て枕を奪う。

「ちょっと、なにするの」

久住、何も言わずに枕をベッドの正しい位置に置いて、石川をベッドに押し倒し布団をかぶせた、。
ちょっと抵抗できずに石川は久住のされるがままになっている。

「もう、いいから寝ろー! 明日も試合なんだから! 寝ないなら明日は小春が代わりに試合出ます!」

そう言って、間接照明を消し、自分もベッドにもぐりこむ。
布のこすれる音が消えてから、石川が言った。

「分かった。根性で寝る」

根性とか意味わかんないし、と久住は思った。

朝食時のテンションはなにかおかしかった。
祭りと葬式が同じ会場で行われているような状態。
テンションが低いものの中に高いものが混じっている。
疲れからなのか悔しさからなのか、単に朝だからなのか、テンションの低いメンバーが多い。
その中に、やたらめったら試合への抱負を語ったり、今日は勝つの絶対勝つの、とやっているものがいたり。
藤本や後藤や平家あたりは明確に前者。
福田や松浦あたりもおとなしい。
おかしなくらい後者なのが高橋。
ただ、周りに相手にされていない。
吉澤と久住は並んで座って姉妹漫才的に後者の振る舞いを最初はしようとしていたが、何か空気が違う、と吉澤が読み取ってやめた。
飯田も意外に後者で、なんとか周りを盛り上げようとしているのだが誰も乗ってこない。
石川が相変わらずごちゃごちゃ言っているのは、全部柴田が受け止めていた。

「すごく嫌な雰囲気ですね」
「負けてすぐだからね・・・」

朝食後、出発前のわずかな時間。
部屋に戻った柴田がポツリと漏らした。
同室の村田と二人、昨日は中途半端に試合に出て不完全燃焼、という立場だ。

「特に、試合に長く出てた人たちのテンションがちょっと変ですよね」
「あゆみんはそんな中で冷静だねえ」
「わたし、途中で替えられてそんなに出てませんもん、大事な時間帯」
「おとなだねぇ」

褒められてるんだかからかわれてるんだか。
村田の言葉はどこまでそのまま受け取っていいのか柴田には今ひとつはかりきれない部分がある。

「みんな、負けたら終わりみたいな試合しかほとんどしたことないからねえ」
「そういえば、大学って違うんですよね」
「うん。週二日のリーグ戦だからねえ」

大学にもいろいろと大会はあり、トーナメントのものも当然あるが、○○大学リーグ、というのが一番ベースにある。
所属するリーグによって少しづつ形式は違うが、村田は、八チーム二回戦総当り、というシステムの大会を終えてきたばかり、という時期にこの選抜チームに合流した。
高校の大会にそんなシステムは無いし、社会人なりたての飯田や平家は、まだ長いリーグ戦を戦ってなどいない。

「負けて翌日試合、ってのもあるし、負けて一週置いて試合ってのもあるし、いろんなシチュエーションあるからね。一つ負けたくらいで落ち込んだりしてられないっていっても落ち込むんだけど、それでもすぐ次があるから。あんまり負けが続くとチーム状態がひどいことになったりすることもあったりするみたいだけど」
「どうしたら立て直せるんですか?」
「それはわかんないけど。でも、自信は持たないといけないんだろうなって思う」
「自信、ですか」
「石川くんはよくわかんないけど、高橋ちゃんは自信が無いからしゃべらずに居られないって感じだったかな」
「あの子は・・・。最近は落ち着いてきたと思ってたんですけどね。選抜来てからまたなんか子供に一気に戻った感じがします・・・」

何で私の周りは空気が読めない子ばかりなんだろう・・・。
と柴田は思う。

「かおりんじゃないけど、とにかくまず、今日勝つことよ。今日。全員でて、すっきり勝てば、また変わるよ。そして明日、決戦」
「明日、なんか怖いですね」
「大丈夫。あゆみんは私なんかよりよっぽど修羅場通って来てるでしょ」
「そんなことないですよ」
「いやいやいや、石川くんが痴漢で補導されたのを引き取ったりとか、高橋ちゃんがストーカーで訴えられそうなのをもみ消したりとか」
「・・・、そういう修羅場は、たしかにめぐさんよりよっぽど多いかも・・・」

本当に困ったような顔で柴田が言うので、村田が声を上げて笑った。
それに釣られて柴田も少し苦さが混ざりつつも笑みを見せた。

タイ戦のスタメンは、着替えてコートに入ったところの最初のミーティングで告げられた。
昨日と同じ。
高橋、柴田、石川、平家、飯田。
富岡ベースプラス飯田である。
柴田は意外に思った。
自分の昨日の出来はすごく悪いというものではなかったし、途中で外されたのは主に高さ対策という理由だったろうとは思う。
だから、自分がまた入るのはわからないでもないけど、意外なのはそこではなく、まだ高橋使うの? というところだった。
昨日の高橋の出来は、一年半見ている自分から見て、最低レベルのものだった。
あんなひどい高橋はなかなか見ない。
それを我慢して使う、というのは柴田から見て予想外の選択だった。

タイは確かに格下だし、多少もたついても問題ないとは思うけれど。
それくらい、ミキティと梨華ちゃんが合わないのが気になるのかな、と思った。
あの二人が合うようになるよりも、高橋が自分を取り戻す方が早い、ということなんだろうか・・・。
でも、柴田は、そういう面での高橋の修正力はあまり信用していなかった。

昨日の中国戦と同じ大会の一試合であることが信じられないくらいにガラガラの会場。
第一試合の日本vsタイは観客よりも選手関係者マスコミ陣の総和の方が多いくらいの環境で試合が始まった。
一敗同士、生き残りを賭けた戦いではある。

柴田の心配は的中した。
今日も高橋がなんだかおぼつかない。
相手のタイははっきり格下だ。
平均身長も高くなく、特にプレッシャーを感じるような部分も無い。
それなのに、高橋が機能しなかった。

個々の力で日本の方が上回っているので一対一で点は取れる。
しかし、チームとしていい連携で点を取る、というシーンが無い。
高橋を使い、富岡ベースのチームを組み、連携が出来ているメンバーでやらせている、という利点がまったく出ていないのだ。
タイの方は負けて元々、のびのびやっている。
観衆が少ないこともあって、タイベンチのワンプレーワンプレーに対する盛り上がりが、会場の空気を支配していた。

第一ピリオド14-12
メンバー替えずに第二ピリオドも戦って29-24
前半終わって日本の五点リード。
まだまだ事故が起こりかねない点差である。

ハーフタイム。
メンバーチェンジが告げられる。
高橋のところに藤本、平家に後藤。
切り替え早く、という指示が出た。
前半二十分間で速攻が一本も無い。
途中、必ず経由する高橋が機能していなかったせいもあるが、全体的に動きが良いとはいえない。

後半に入り、流れは何とか日本へと傾かせることができた。
ディフェンス、時間半分でいいんだろ、と余裕のある藤本が前から厳しく当たる。
藤本の体感で、インターハイ一二回戦レベルと見た相手は、これだけでボール運びが苦しくなった。
シュートまで持って行かせずにボールを奪えることで心理的に優位にも立てる。
藤本と周りの連携がとてもよい、とはまだまだ言い難い関係性であるが、それでも、ターンオーバーから周りもしっかり反応して、二対一や三対二を作れてしまえば、そこはしっかりシュートまで持っていける。
第三ピリオドの途中、十五点の点差が開いたところで飯田アウト村田イン、柴田アウト松浦イン。
スタメン組みに休みを与えて行く。

流れが来てしまえば、後はそれほど苦労はなかった。
苦しい場面も耐えて粘る、というような精神性が東南アジアのチームにはあまりみられないようだ。
石川のスリーポイントで二十点差。
そこまで来て第三ピリオド終了。

「石川、後藤、アウト。久住、里田入れ」

ここまで出ずっぱりの石川を下げる。
明日もあるので余裕があるなら休ませたい。
後藤はどうにも精彩を欠いていた。
十分間ノーゴールでリバウンドも一つだけ。
そんなことが許されるポジションではない。

「小春、行っきまーす!」
「しっかりやりなさいよ。中学校とは違うのよ」
「分かってますよ。ホテルの備品壊す石川さんみたいな子供と違うんですから!」
「何壊したんだよ石川」
「何も壊してませんて」
「ベッドの枕壁に投げつけるんですよ。あー、悔しいとか言って」
「小春! 余計なこといわなくていいの!」

久住の口にチャックなんてものはついていない。

「吉澤さん吉澤さん。小春、世界デビューですー! 世界が見てます」
「あんまり見てない気がするけど」
「気のせいです」

観客席を見回す吉澤。
純粋な「観客」と扱える人間は、まだ百くらいだろうか。

「ガキ、まだわかんない点差なんだからな。真剣にやれよ」
「分かってますよ。美貴様こわいー」
「誰が美貴様だ!」
「いいじゃないですかー。美貴様っぽいんだから」
「ったく、どいつもこいつも・・・。シュート決めた本数だけ、美貴様って呼ぶの許可してやる」
「ラジャー」

久住、すっかりチームのマスコット兼ムードメーカーになっていた。

第四ピリオド、藤本の心配は当たらずとも遠からずといったところであった。
点差が開いて行かない。
点を取るポジション、里田と藤本の息はぴったりなはずなのだが、里田がノーマークのシュートも外してしまったりとゴールにつながらない。
久住の方は混んでいる中へ入って行って自爆したりしている。
それでも速攻からの三対二の場面で、パスで捌かずに自分で一人交わしてシュートを決めてきており、「いい度胸してるわ」と信田に言わしめている。

自分より子供がいると、人は大人になるものなのだろうか。
全体のバランスを考えて動いて、藤本との息もしっかり合わせているのは松浦だった。
目と目では通じ合わない、というのを前提に、しっかりと声を出して手を上げてパスを要求している。
再びもつれる点差に迫られそうになるのを、スリーポイント二本で突き放している。

オフェンスの自爆は他を頼ればいいとして、ディフェンスはそうは行かない部分があった。
たまたま、というか、分かっていての交代ではあったのだが、久住のマッチアップはタイのエース級。
一対一で翻弄されっぱなしである。
いい経験、と割り切って温かく見守るには危険な点差。
信田は、柴田にいつでも入れるようにとアップを命じてある。

そんな、危なっかしさをはらみ、多少どたばたしながらも、大きなダメージは無く時間は進んで行った。
残り一分を切って71-52
相手がファウルゲームをしてくるでもなく、セイフティーリードだなと言えるところまで来て信田がメンバーチェンジを告げた。
松浦、久住、里田アウト。
亀井、柴田、吉澤イン。
藤本は残し、柴田くらいに信用度のある選手も入れておかないと不安らしく、全部交代とは行かなかったが、これで亀井と吉澤も国際大会デビューである。
しかし、一分ない時間ではたいしたことは出来ない。
吉澤は、流れの中でボールに触ったのは一回だけでシュートもリバウンドも関わることがなかった。
最後の最後、ボールが回ってきた亀井がスリーポイントを放つが外れ、そのままゲームセット。
71-54
二戦目にして日本代表が初勝利を上げた。

「明日が不安ね」

試合が終わった直後、コートサイドの記者席で見ていた稲葉が開口一番言った。

「前半ひどかったから点差はこうですけど、でも、後半はまあまあじゃないですか? さすがに予選は通るんじゃないかと思いますけど」
「選手もそうだけど、監督も不安なのよね」
「信田さんですか?」
「うん」

バスケットボールという一つの競技の、しかも世代別のアジアの大会。
ホームならまだしも、会場は上海と海外。
一般紙の記者などやってこないし、スポーツ紙もほとんど人を派遣してきている様子はない。
日本から来ているのは稲葉と、フリーでまだ何でもやってみるという段階の斉藤くらいのもの。
また斉藤は稲葉への寄生状態になっている。

「スタメン替えて来ると思ったんだけど、なんで信田さんはあの五人こだわるのかな?」
「チーム作る時間がなかったから、って稲葉さん昨日自分で解説してくれたじゃないですか」
「でも、今日もその五人で引っ張る必要ないでしょ。昨日も今日もスタメンの五人が全然うまく行ってない。より正確に言えば、高橋さんがまったく力を発揮出来てない」
「インターハイの時はもっと良かったと思ったんですけどね」
「なんなんだろう。ポジションの違いなのか、国際大会っていうものへの対応力のなさなのか。昨日は相手が悪かったって部分もあるけど、今日はそういういい訳も効かないしね。あれが実力ってわけじゃないのは確かだけど。でも、どっちかって言うと私は、高橋さん自身じゃなくてそれを使い続けた信田さんの方に疑問を感じるな」

インターハイで松浦をベンチに下げるところまで追い込んだり、藤本を苦しめたりしたとき、高橋は自分がポイントガードという立場ではなく、そこには田中がいた。
今回は自分がポイントガードという立場で試合に出ており、ポジションが少し違う。

「考えてみると、信田さんもこうやって采配を振るうの初めてなのよね。それが心配。昨日も初戦で相手が韓国で、そりゃあプレッシャーが掛かっただろうけど、それでも負けたら終わりって試合じゃなかった。それが明日は本当に正真正銘負けたら終わり。目標は優勝で最低限世界選手権の出場権を取らないといけない、それが予選リーグで負けましたなんて許される話じゃないでしょ。そういうプレッシャーが信田さんの肩にのしかかるわけだけど、それに耐えて冷静に采配振えるかなあ」

日本は、過去、フル代表、世代別代表合わせて、アジアのベスト4に残れなかったことなど一度もない。
選手たちはそこまでの知識を持っていないものも結構いるが、信田は当然知っているはずである。
日本はタイに今日71-54で勝った。
北朝鮮は昨日タイに103-46で勝っている。
一応、韓国が今日北朝鮮に、明日タイに負ければ、日本が北朝鮮に負けても、日本韓国タイと一勝二敗で三チーム並んで後は直接対決の得失点差で勝ち抜ける、という可能性はあるが、韓国がタイに負けるという可能性はきわめて低い。
明日の北朝鮮戦は負けたらおしまい、という戦いである。

「なんか、守りに入ってる采配な感じなのよね」
「守りですか?」
「できあいのもので何とかしようってところが。最低限計算できるわけじゃない。まあ実際にはたぶん、その計算の最低限を下回る結果が出てきてる感じだけど。でも、それでもスタメンを替えるのが怖かったんじゃないかな」
「今のままじゃダメだと思っても、替えるのって怖いもんですかね?」
「怖いでしょ。もっと悪くなるかもしれないし。でも、こんな程度のメンバーじゃないと思うんだよね」
「それは、そうですね。高橋さんもそうですけど、藤本さんにしても、石川さんにしても、インターハイの時のが生き生きと輝いて見えたんだけどなあ」
「輝いていたとは情緒的な意見ですね斉藤君」
「そういう輝いた姿を伝えたいからスポーツライターなんて職業やろうと思うんと違います? 私は偉そうに選手たちに説教するような記事は書きたくないんですよ」
「説教もまた愛なのだよ斉藤君。それがわかる時がきっと君にもいつか来る」
「愛のない記事もいっぱいある気がしますけどね」

そろそろ行くか、という風に稲葉が立ち上がり斉藤もそれに続いた。
国際大会の試合終了後。
注目ゲームか否かに関係なく、一応全試合監督記者会見は準備されている。
韓国戦、中国戦なら別であるが、日本vsタイとなると、日本の監督に話を聞こうなどというのはほぼ日本人しかなく、今来ている日本人と、現地在住の臨時雇われバイト特派員を除くと、ほとんど二人しかいないのだった。

昨日は韓国の記者、また予選B組最注目の日韓戦ということで中国の記者もいたが、今日はそれほどの数はいない。
稲葉と斉藤、二人で聞きたいことをほぼ質問は出来た。

前半の苦戦の要因は何か?
後半、藤本選手が入るところでどんな指示で送り出し何が変わったのか?
最年少の久住選手のプレイ振りにはどういう感想を持ったか? またこの先の試合の戦力としてカウントしているのか?
今日のスタメンはいつどのように決めたのか?
明日のスタメンはどうするのか?

二人が聞いたのはそういったところだ。
一つ目については、タイはしっかりと組織された強豪チームであるので苦しい試合になるのは当然である、という建前を全面に打ち出した答えをしつつ、昨日の悪い流れをひきづっていたというコメントも入っていた。
二つ目は、切り替えを早くして速攻を出すことを指示した、という事実が伝えられ、それによって、互いのセットオフェンスだけが繰り返されるスローテンポな試合が、ミスも増えてターンオーバーも増えはしたが結果的に早い展開になりリズムに乗れた、とも言っている。
久住については、あの年齢で物怖じせずにこういう試合に臨めるのはたいしたものだといいつつも、ディフェンス面での不満が口にされた。
また、今後の戦力かどうかについては、十五人全員が戦力であり当然久住もその一員だ、という無回答が得られただけだった。
今日のスタメンをいつ決めたかについては、アップを初めて全員の調子も見た上で決めたと言い、明日についてはまだ何も考えていないという。

「最後に、このチームがこの先勝ち抜いて行くのに必要なことはなんだと思われますか?」

稲葉が聞いた。
日本語での質問で回答者も日本語なのであるが、通訳がいて英語で質問を繰り返しアナウンスしている。
その間を挟んだあと、信田が答えた。

「今の十五人にはこの大会を勝ち抜いて行く力は十分にあると思っています。ただ、その力を発揮できていない部分は確かにあるでしょう。その日の体調であったり、国際大会の経験の無さであったり、監督むかつくとか、まあ、いろいろな理由において、百パーセントの力が発揮出来ないことはあります。この先必要なことはその百パーセントの力を発揮することなのではないかと思っています。それが出来れば結果はついてくるでしょうし、逆に、それが出来ても結果が付いてこないのであればそれはもう力不足を認めるしかありません。幸いにして少しづつ見えてきたこともあります。試合を積み重ねることによって選手たちもやりやすくなってくるでしょう。とにかく、まず、明日勝たないと先がないわけですが、選手たちの力を、私がしっかり百パーセント出せるようにしてやることが大事だと思っています」

その後中国人の記者が二三質問していた。
稲葉目線で、こいつらバスケ分かってんのか? というようなものも混じっている。
石川選手はどういう生活をしてこんな選手になったでしょうか、とかここで聞いてどうするんだ、というような、おまえはただのファンかと突っ込みたくなるようなものもあった。

閑散とした記者会見が行われている裏ではAグループの試合が始まっていた。
インドvsマレーシア
一敗同士で負けた方が終わりというような試合。
終盤まで拮抗していたが、最後はマレーシアが押し切った。

その次、第三試合、北朝鮮vs韓国。
この試合を日本代表は当然視察した。

韓国代表は昨日とは違うメンバーがスタメンに顔を連ねている。
相手によってスタメンをそっくり入れ替える、というのはまったくないやり方ではないがそれほどあるケースではない。
そのそっくり入れ替わった韓国代表相手に、北朝鮮はまったくの五分に試合を展開した。
第一ピリオド16-16
第二ピリオド終えてハーフタイムに入り34-34

韓国は昨日と違いメンバーも頻繁に入れ替えている。
昨日と今日と、どちらの韓国がやりにくいかというと微妙だけど、後半の連携がなくなった昨日のチームよりは今日の方がいやだな、というのが上から見ていてのメンバーたちの印象だ。
そんな韓国チームと北朝鮮は五分の試合をしている。
北と南、公式戦で対戦すると熱くなりがちであるがこの試合も例外ではない。
ファウルがかさむ。

「あんまり関わりたくない相手だね」

石川が隣に座る柴田に言う。
痴漢まがいのことをしておいて何を言うか、と思わないでもないが、試合を見ての感想としては柴田も同意である。
日本国内の試合でも、多少荒っぽいチームというのはいるが、こういう、ボールを奪いたいというよりも危害を与えることの方が目的なんじゃないか、と見えてしまうほどのものはなかなかない。

「時間掛かりそうでいやだな」
「時間って、ファウル多いと時計よく止まるってこと?」
「うん。休みが多くなるって部分もあるんだろうけど。フリースローも別に苦手じゃないけど、なんか気分出ないから好きじゃないのよね」

フリースロー二本で二点取るのも、フィールドゴールで二点取るのも同じ二点であるが、チームに勢いを与える可能性があるのはフィールドゴールの方だけである。
フリースローを決めて盛り上がる、というのはなかなかない。

「前半だけでチャージング何回あった?」
「三つ? 四つかな? コース入ってもかまわず突っ込んでくし」
「あれも危ないよね。シュートに無理に行ってひざ入ったのとか」
「明日もあんな感じで来るのかなあ・・・」

強い弱い以前に、荒い相手はいやなものである。

この試合、どちらが勝とうと日本としては明日勝たなくてはいけないことにはかわりない。
どちらが勝った方が都合が良いというのはないのだが、見ていてなんとなく韓国の方に肩入れしたくなるような展開である。
後半、韓国が少しづつ突き放し始めた。
きっかけはソニンだった。
北とか南とか知るか、という少し違う位置づけに居る彼女。
インサイドで多少きつく当たられようと動じないだけの体を作ってある。
ひじ打ちされようがひざ蹴りされようが、跳ね返してゴールを決めて行く。
背負っているのは国家ではなくて自分のアイデンティティーだ。

一箇所勝って、流れが韓国へ傾いて行った。
昨日のチームと異なり、今日のメンバーには外からのシューターもいるようだ。
ソニンをつぶそうと北朝鮮がインサイドをさらに固めてムキになっていると、薄くなったアウトサイドからシュートを決める。
第三ピリオド終わって54-43韓国リード。

第四ピリオドは点差が急激に開くということはなかったが、縮まっても行かなかった。
十点前後の差で時計は進んで行く。
残り五分を切るあたりからますます荒い試合になって行った。
焦り、というのもあるのだろう。
残り三分切って76-65
北朝鮮はこの段階でファイブファウル退場がもう二人もいる。
さらに、前から当たるディフェンスもしてきた。

「あんなん、怪我しそうで嫌です」

柴田の反対側で石川の隣に座る高橋が言う。

「パスでかわしていきたいよね。ドリブルで抜いて行こうとすると怖いなあ」
「この頃だとこっちもばててるから嫌や」

石川と高橋の会話を聞きながら、この子明日もスタメンで出るつもりでいるんだな、と柴田は思う。
柴田の印象だと、昨日今日の出来からすると外されるんじゃないかと思うけれど。
出来の悪さは能力不足というのとは少し違う気がするので、気持ちの部分に対して先輩として何か言って上げたい気がするけれど、何を言えばいいのかというところが浮かんでこない。
別に嫌いとかそういうことではないのだけど、柴田にとって高橋というのは少し扱いにくくて苦手な後輩だった。

試合は最終的に87-70で韓国が勝利した。
試合時間残り三分から、実時間では十分以上掛かっている。
最後はファウルの連続で韓国の得点はフリースローだけで積みあがって行った。
北朝鮮は最終的にファイブファウル退場を四人出している。
大きなけが人が出た様子がないのだけは救いだった。

第四試合は中国vs台湾
スタンドはまたすっかり埋まっている。
日本代表は前半だけ見て帰る予定である。

藤本はスタンドの上から一人の選手だけを見ていた。
これから試合に臨むにあたっても頭にリボンをつけている小さな女。
その姿勢が気に喰わないが、それとは別になにか怖いくらいの迫力も感じる。

ホームの中国は、会場のあちこちにファンたちの貼るバナーが出ているし、ロビーなどにも選手紹介の看板が出ていたりする。
そこに中国語が分からなくても漢字は読める日本人なら理解できるような表現とともに、リボン女の写真が貼られていた。
中国四千年の歴史の中で最高のポイントガードになるだろう選手。
藤本にだって「中国四千年」という漢字は読めるし、PGがポイントガードの略なのはバスケやってれば嫌でも覚える。
強力なキャプテンシーがどうのこうの、に値する部分は当然藤本には読めなかったが、自分が出た場合にマッチアップとして当たるのがこの選手なことは分かった。
#4 高 南
藤本の中では中国四千年という名前になっている。
CHN48のキャプテン格だ。

昨日のインドは格下過ぎたため調整という感じでスターティングメンバーも本当のレギュラーという感じではなかった。
今日はAグループの中では最も警戒するべき相手台湾戦である。
CHN48と言えどもしっかりレギュラークラスを投入しているように見えた。

平均身長は日本とそれほどかわらなさそうだ。
藤本より小さいのから始まって、飯田くらいの高さまで、均等に五人いる。

試合は立ち上がりほぼ互角の展開だった。
台湾もよく健闘している。
どちらも攻撃力があり派手に点を取り合う展開。
駒のそろえ方が富岡に似ているな、と石川は感じていた。
真ん中三人が点を取って行く。
高橋、柴田、石川で点を取る、という自分たちのスタイルに近い。
ガードの統率力、なんてところには大きな差はあるが。

今のポジションだとぶつかるのは12番の選手だろうか。
プレイスタイルや技量とは別なところで自分に似ているなあ、と石川は本気で思った。
美少女なところ。
二人並んで一枚ぱちりと写真を撮りたい。
のんきにそんなことも思った。
#12 麻 友友
顔は互角、スタイルで自分の勝ち。
バスケは? やってみなくちゃ分からない。

#6の優 子や、#7の敦 子も惜しいが、勝負して面白いのは麻 友友だと思った。

第一ピリオドは26-22 中国リード。
台湾も二人のフォワードの得点力でしっかり追撃していた。
#4の松 玲奈がいい。
それともう一人、#15番が目覚しい活躍をしている。
藤本がプログラムを確認してつぶやいた。

「14歳? ホントか? ずいぶん老けてるな」

#15 珠 理奈
高さもありスピードもありシュート力もある、いい選手だ。
14歳にはとてもとても見えない。
プレイ振りも、見た目も。
マッチアップの麻 友友の方がよほど年下に見える。

この二人は中国でも人気があった。
民族も同じ台湾のこの二人。
中国でCHN48の人気投票をすると、この二人も上位に入ってきてしまう。
台湾は中国の一部であり、二人はCHN48の一員として認めるべきだ。
そう主張するファンが増えている。
これを、一つの中国問題と言い、政治問題となっていた。

今日のこの試合では、二人は当然台湾チームにいて、打倒CHN48を目指して戦っている。

台湾は惜しむらくは、この二人に続く選手がいない。
他のポジションが弱いのだ。
CHNのガード陣、高南と優子がきつく当たるとボール回しが苦しくなる。
ゴール下もCHNがはるかに強かった。
#10 麻里 子様
澄ました顔しながらも圧倒的な存在感でゴール下を支配する。

第二ピリオドに入って中国が徐々にリードを広げ始めた。
自力の差だろうか。
台湾のエース格二人はアジアではトップレベルのプレイヤーで確かに得点力は極めて高いのだが、その二人をしてもCHN48のスタメンクラスからすればそこそこ互角に戦える相手にすぎない。
得点力の変わらない中国が、やや得点力が落ちてきた台湾を突き放す。
前半終わって54-40 中国リード。

強いなCHN、という印象を受けて日本代表はその時点で帰って行った。
CHNの前に、明日、北朝鮮に勝つ必要がある。

中国-台湾は、後半、峯南や指子といった、タイプの違う選手も次々と全員投入する余裕まで見せて中国が101-79で勝利した。

宿舎へ戻ったのはもう夜遅い時間だった。
明日は第三試合でそれほど朝が早いということはない。
だから夜更かししていい、ということは当然ないが、余裕はある。
特に、試合に出場するわけではない立場は、それほど強く体のコンディションに気を使う必要がない。
だからということもないのだろうが、信田は一人、部屋で起きていた。

信田は一人部屋だ。
小湊も別室で一人部屋。
中国のビールを買って、部屋で一人ちびちび飲んでいた。
青島?酒。
青島は地名なのだが信田の中では人名になっている。

寝酒、ではない。
ただの飲み物だ。
大会中は禁酒、ということも特にない。
選手だけ禁酒でコーチは飲んでいいのか?
そもそも選手は未成年であるので関係ない。

考える時間が必要だった。
一人で考える時間が。
小湊と相談すれば何か見えてくるかもしれないし、そうする方が本筋だろう。
だけど、一人で考えたかった。
つまみもなしでグラスに注がれたビールと、開かれたノートがテーブルには置かれている。

自分という人間の小ささを信田は感じていた。
明日、勝たないと予選リーグ敗退。
日本の女子バスケットボールの歴史上、世代別だろうとフル代表だろうと、アジアのベスト4にも残れなかったということは一度たりともない。
それが起きる可能性が明日ある。

怖かった。
今、自分の頭にあるのは、負けた時に自分が叩かれることへの怖さだ。
それが頭にあることを冷静に見つめている別の自分もいる。
あの子たちを勝たせてやりたいとか、日本のバスケ界のためにとか、そういうことよりも、負けた時に自分が叩かれることへの怖さを感じている自分。
同時に、それを冷めた目で、こいつ小さいなと見ている自分もいる。
そんな自分本位な苦悩は小湊にも見せたくなかった。

選手たちの力を引き出せていない、と信田は感じていた。
選手たちがきちんと力を発揮すれば、あんなものではないはずだ。
それを感じているから余計に、負けたら自分のせいだと叩かれる未来も頭に浮かぶのだ。
選手たちではなくて自分が悪い。
間違いないと思う。

スタメンが機能していなかった。
高橋、柴田、石川、平家、飯田。
富岡プラス飯田圭織。
これで安定した力を発揮してくれるはずだった。
なにが問題か?
富岡のメンバーと飯田の連携?
違う。
高橋愛だ。

韓国戦もタイ戦も、藤本を入れたところで明らかにチームが立て直されていた。
高橋愛の力が足りていない、否、力が発揮出来ていない。
国際試合の重圧、なのだろうか。
藤本はその点では問題はない。

ただ、石川と合っているかといえば、それは合っていないのだ。

いろいろと考えてみたけれど、信田は、このチームは石川のチームだ、というところに落ち着いていた。
石川が中心にいて、それと合うメンバーで周りを構成する。
実績関係なし、横一線、合宿で力を見る、と言って二週間見た結果、是永-石川の力関係は保留のまま終わってしまったけれど、それを除くとやっぱり石川、ということになったのだ。

藤本-石川ラインは、大会までに間に合わなかった。
石川に合うのは高橋で、そう二人決まれば、力として遜色ない中からなら富岡ベースで組み上げるのが一番計算できるだろう。
そう考えたのだけど、その計算が成立していない。

今大会での出来ははっきり藤本の方が良かった。
控えの気楽さで好結果、ということではないのは見ていて分かる。
高橋の出来の悪さが重圧につぶされたものなのかどうかははっきりしないが、藤本の方は少なくともそういうことはおきていない。
現在の、自分のいる高校の中での立場の違いから来るものなのだろうか。
それこそ、二年生の気楽さ、で好結果を出していたインターハイの高橋、だったのかもしれない。
藤本の方は、気楽さ、などという言葉が出てくる立場ではない。
石川以上に、チームの中ではすべてを背負って、というのに近いくらいの立場だ。
元々技術的に藤本が高橋に劣る、ということもない。
一長一短はあるし、直接相対した時の相性の良さ悪さというのも別にあるが、一年後に試合をすることを考えたならば、まずは藤本を主軸に据えてチーム構成するだろう。
一年後ではなく、明日試合をしなければならないことが問題なのだ。

今日の出来を考えたら藤本を選ぶべきだった。
しかし、そろそろ高橋も調子が上がってくるのではないか、と思う部分もある。
国際試合のプレッシャーも二試合経験すれば慣れてくるのではないだろうか。
でも、また同じことを繰り返したら・・・。
今日の相手は格下だから問題なかった。
明日はそうはいかない。
韓国戦、序盤のビハインドをなかなか跳ね返すことができず苦しんだのだ。

ふっと、選択肢はもう一つあるのか、と思った。
福田明日香。
重圧には、なんとなく強そうだ。
印象としては高橋愛よりはそういうものへの耐性はありそうに感じられる。
でも・・・。
石川とのあわせ、周りとの連携・・・。
四十分それを計算できるだけの準備を福田には与えていない。
合宿の後半から上海へ来てからは、高橋と藤本、二択、という前提でチームを作ってきている。
せいぜい緊急時の五分だろう。

もっと早くスタメン組みを固めていたら、状況は違うものになっていただろうか。
藤本と石川、組ませる時間を長くしていたら。
藤本と柴田にしても藤本と平家にしても、そこが松浦や後藤に代わったとしても。
すべてのパスがポイントガードから出る、というわけではないけれど、ポイントガードが変わるとチームの性質が変わってしまうのは否めない。
昨日、今日のスタメンは、石川梨華色のチームだ。
藤本というのはコートにいると通常、藤本美貴色のチームを作る。
そこも高橋とは違う。
高橋は石川梨華色のチームに加わるエッセンスであって主役ではない。
藤本美貴色のチームに石川が染まるか? といえばそれもまたノーだろう。
昨日、今日、藤本が入って立て直されたチームは、藤本色と石川色が別々に存在した中でそれぞれの力の単純合計値で戦っていた。
二つの色が混じって、戦力が融合して、単純合算以上の力を出すチームがこの短期間に出来るのか?
色が混じった時に、ただ濁りが生じるだけで、単純合算以下のチームになってしまうのではないだろうか?

信田の思考は行きつ戻りつする。
明日負けたら終わり。
失敗は出来ない。
それでも、決断は下さなくてはならない。

先を考えれば、答えは一つなんだろうな、と信田は思った。

CHN48

この山を越えるためには、
二つの色の融合は、最低必要条件だった。

ただ、怖かった。
藤本と石川がうまく行かなかった場合、試合に負けて叩かれるのは自分であろう。
そこに考えが行く、小さな自分を、を空中から見つめるもう一人の自分がせせら笑っていた。

昼の第一試合で韓国はタイに簡単に勝ち、三連勝でグループBの一位通過を決めた。
第二試合、台湾が二勝目を上げて、中国と並んでグループA通過を事実上決める。
ベスト4残りは一席。
日本か北朝鮮か。

嫌な予感を後藤は感じていた。
試合前のアップ。
プレッシャーの掛かるゲームであるが、チームの雰囲気は堅くはない。
予選リーグ最終戦の重圧と、国際大会三試合目の慣れ。
差し引きは慣れの部分の方が大きいのか、周りのメンバーは、合間合間に談笑する余裕は見せている。

嫌な感じがするのは自分だけなのか、と後藤は思った。
初戦の韓国戦は自分のせいで負けた、と感じていた。
それをひきづっているのは自分でも分かる。
あまり試合に出たくないな、と思った。
誰かのために頑張る、というのには、日本という国のため、はあまりに大きすぎる。
今の、不安を感じた、自信のないままコートに立っても、また足を引っ張るだけだろう。
それでも、どこかの場面でコートには立つのだろう。というのも分かっていた。
五人固定で最後まで行く、というスタイルにはなっていない。
適宜代わりながら。
その替わって行くローテーションの一人に入っているのは間違いない。
それが、競った展開の終盤、とかにならなければいいな、と思う。

だけど。
嫌な予感がするのだ。

スタメンはアップに入る前にロッカールームで伝えられた。
藤本、柴田、石川、平家、飯田。
三試合目でのスタメンチェンジ。
意外とは思わなかった。
周りもあんまり驚いたリアクションというのはなかったし。
ちょっと高橋が顔色を変えたくらいなものだ。

あの子は出たかったんだな、とそれを見て思った。
後藤の目から見ても、一試合目、二試合目、高橋の出来はよくない。
良くないではなくて、悪い、と言った方がいいだろうか。
自分のことを棚にあげて言うならば、韓国戦は高橋の出来が悪くなければ序盤のビハインドが無くて勝っていたかもしれない。
そんな状態なのに、あの子は試合に出たかったんだな、と思った。

荒れたゲームになるかもしれないけれど、冷静に戦え、という指示があった。
コム カイ という昨日は早い時間帯で退場になった選手や、一人落ち着いたプレイ振りに見えたのに後半突然ファウルアウトしたラ リピー、荒っぽいプレイが多いのに消えそうで消えずに最後まで残ったエリ カサマ というあたりが要注意だという。

平家さんや飯田さんは大丈夫だろうと思うけど、ミキティや梨華ちゃんどうかなあ、と思った。
冷静に、というタイプにはとても見えない。
自分からひざ蹴り入れるようなことはしないだろうけど、かーっとなってまくし立てるタイプには見える。
いや、梨華ちゃんは冷静におしり触って対処するのかもしれないけれど。

アップのラスト、各自でランダムシューティング。
ミドルレンジからのジャンプシュートは割としっかり入った。
肝心な時に入らなかったりして。
そんなことが頭に浮かんで一人で苦笑する。
なんなんだこの自信の無さは。

三分前、とレフリーが多分英語で言ったと思われるところでメンバーはベンチに下がった。
コーチからもう一度多少の指示と檄が飛び、円陣を組む。
選手十五人とコーチ二人、十七人の輪。
ガードからセンターまで、身長ばらばらなので肩を組むのは窮屈だったりするけれどそんなぎこちなさが後藤は嫌いじゃない。
こういう時に、ふらふら街をあるっているより、バスケやってて良かったのかな、と思ったりもする。
三試合目にしても、まだ、意味のよく分からない激を飯田が飛ばしていた。
不思議な人だ。
でも、たぶん、意味なんかどうでもいいのだ。
飯田さんが何かを言っていれば。
戦術がどうこう、が出てくるのは別の場面。
今は、気持ちの問題。

「乱闘になったら真っ先に出ていくっす」
「小春も」
「小春は戦力外だと思う」

吉澤と久住の姉妹漫才。
たいして面白くないのだけど、しょーもないやりとりが場を和ませる。
ただ、和んでいる状況でもなくて平家がしっかりしたことを言って最後を締めた。

国際試合、ナンバーと選手名が中国語-英語でコールされるなか、スタメンの五人がコートに上がって行く。
日本チームにも少し地元ファンが付き出したようで、石川のところで会場がやや沸いた。
北朝鮮の方も、ラ リピーにコアな人気があるようだ。

試合が始まる。

後藤の、嫌な予感はなんだか消えなかった。

悪くない立ち上がりに見えた。
ついに交代したスタメン。
自分は、その選択肢の中にも入っていなかっただろう。
高橋でも藤本でも、どちらでも関係ない、福田はどちらにしてもベンチにいるだけだ。

コートに立つ五人は、追い込まれた雰囲気を纏っていない。
落ち着いた入りだった。
立ち上がりからエンジン全開、ということもない。
自分でもこの試合はそうやって入ると思う。

ファーストゴールは石川のミドルレンジからのジャンプシュートだった。
いろいろな選択がある中で藤本が石川に送り、いろいろな選択がある中でその場でのジャンプシュートを選んだ。
いきなりスリーポイントを打ったり、一対一でゴール下まで持ち込んだり、そういうことはせず、隙を見てのジャンプシュート。
派手さはないが、その瞬間の一番確率の高い選択肢である。
気負い無くゲームに入って行っている。

勝ってもらわなくては困る試合だった。
勝ってもらう、この表現がまず忌々しいけれど、そう表現せざるを得ない立ち位置に自分はいる。
でも、ここで藤本が崩れれば自分に出番が回ってくるのではなかろうか、と思う気持ちがどうしても正直なところあった。
高橋愛は使えない。
自分のその見解は、自分の立場によるバイアスが掛かったものだろうか?
高橋がダメ、藤本が崩れたら、自分が入るしかない。

すんなり勝たれると自分にちゃんとした場面での出番は周ってこないだろう。
自分が出るためには、藤本が崩れて、かつ、試合が競っている場面、というのが望ましい。
チームのためには、藤本の調子が良くて、すんなりリードしていけることが望ましい。
二律背反。
口には出さない、口には出せない、福田の願望。
自分は醜い、と思う。
でも、チームが勝ってほしい、と思うのは掛け値なしで福田の本心でもある。
ベンチに座っているのが、こんなに苦しいことだというのは初めて知った。

北朝鮮はインサイド勝負で序盤は入ってきた。
体のぶつかり合い。
こっそり肘打ちなんて当たり前のようにある。
日本のインサイド二人はどちらも、選抜チームでは希少な社会人。
高校生たちと比べれば、多少、経験は積んでいた。
怒って切れるようなことはせず、派手に倒れて痛がって見せる方を選んでいる。

インサイドの単純な一対一だけでは、飯田、平家の壁を簡単に崩すことはできなかった。
一方で、日本代表は石川のミドルレンジからのジャンプシュートが当たっている。
いらだってファウルで止めに来たのももろともせずシュートも決めて、プラスフリースローまでもらってくる。

第一ピリオドから19-12とリードを奪う。

第二ピリオドに入って日本代表は早めのメンバーチェンジをした。
飯田アウト、村田イン。
柴田アウト、松浦イン。
何かが悪い、というよりも、休ませるの面が強い。
ただ、今この時に外しても大丈夫、というところを選んでいる、というのはある。

「亜弥ちゃん、どつかれたくらいで切れたりするなよ」
「分かってますよ。黒美貴たんに言われたくないです」
「外はまだいいけど、村さん、中は半端ないですからね。たまにやり返すくらいの気で居た方がいいっすよ」
「大丈夫。レフリーの印象も悪いみたいで、ファウルもらえてるみたいだから」
「ああいう人でなしバスケに負けるとか絶対ありえない。ひねりつぶしてやらないと」

石川が第一ピリオドだけで十一点と好調で今下げるような状態ではない。
一方で、石川がよく打つ分、柴田はじゃまをしない、しっかり繋ぐ、すばやく戻る、というあたりに徹していて自分で行く場面が少ない。
飯田も、当たりがきつい分ディフェンスに力を割いているという部分が大きく、オフェンスではあまり目立っていない。
その辺から信田は休ませる。

コートの上で、あるいはベンチに戻ってきても一番熱いのは藤本だった。
対称的に石川は静かだ。
プレイ面で目立っているのだが、ベンチに戻ってきても一言も発しない。

「石川、なんかないの?」

平家が振った。
平家も好調だ。
当たりのきついインサイドでディフェンスをこなしながら、攻撃面でも石川に次ぐ六点を取っている。

「人でなしは相手にしない。同じレベルの目線で見る相手じゃない。ハエやゴキブリに一々怒っても仕方ないんです。ただ、打ち払えばいい。あんなラリッタの相手にしていらいらしたら負けです。ただ、点を取ればいい」

石川らしからぬ言葉に周りがあっけに取られていた。
特に、富岡の関係者からすれば、こういう相手に真っ先に切れるのが石川である、という感覚があるだけに驚きがある。

「ボールをください。今日は入ります。外からももう少し打って行こうと思うんで」

石川の目は対戦相手にではなくて、ただ、勝つことにだけ向けられていた。

第二ピリオドは一進一退、という展開。
立ち上がりよりも石川のところにきつく当たるようになってきた。
ボールが受けられない。
第一ピリオドの十一点は、ボールをもらってから石川が勝負、という形で取ったものがほとんどで、ボールを受けた時点で勝負が決まっていた、という全体崩しての点は少ない。
石川はしっかりとボールを受けられる状況を自力で作るのだが、周りがそれに合わせられない。
また、動き自体をかなり制限されてしまっている。
ボールのある周辺でのファウルの監視の必要性が高すぎて目を向けてもらえていないが、ボールのないところで石川のユニホームは捕まれまくり、引っ張られまくりで、十分に動けないのだ。

その辺を埋め合わせるように、松浦がと平家が頑張った。
一方、北朝鮮はインサイドのエリ カサマが当たってきた。
マークが飯田から村田に替わって少しやりやすくなったのだろうか。
チャージングすれすれのプレイでゴール下を支配する。
エリ カサマは、荒っぽく、マークマンが肉体的ダメージを受けることも多いが、ファウルを取れるかとなると迷う、というプレイが多い。

はっきりファウルなのはコム カイである。
この人はあからさま過ぎて隠すのが下手だ。
しかも、常習犯で目をつけられているのですぐにファウルを取られる。
プレイヤーとしては悪くないものを持っているはずなのに、長い時間コートに居られない。
コートの上での失態は喜び組みとして舞台に立つことで国家に対して埋め合わせをしている、といううわさがある。

石川の当たりが止まったこともあり柴田と入れ替えてここで休ませる。
ポジションはそのまま。
また、村田を下げて飯田を戻した。
エリ カサマ対策だ。

第二ピリオドも半分が過ぎ、どちらも点が入りにくい流れになってきた。
頑張っていた松浦も、ちくちくちくちく攻められてイライラが募り始めプレイが雑になってきている。
そんなこともあって、藤本が自分で切り崩しにかかった。
外から一対一で勝負を仕掛け、中まで入って行き、カバーが来たところで捌く。
捌く相手は平家ないし飯田でミドルレンジからノーマークでジャンプを打つシチュエーション。
このパターンが二本あったのだが、飯田が続けてノーマークを外していた。
そんな飯田だが、エリ カサマ相手のディフェンスはしっかり対応している。

残り三分を切った頃、北朝鮮も変化をつけてきて、ラ リピーが外からスリーポイントを決めてきた。
すぐに次のオフェンスで藤本がスリーポイントを決め返して突き放す。
外もある、というのを見せられた次のディフェンス、その意識をついたつもりかエリ カサマがインサイド勝負。
踏み込んできてシュートを放ったが、きれいに飯田が弾き飛ばした。
ファウル、ファウル! と訴えるが、日頃の行いからレフリーは相手にしない。

サイドで柴田が拾い、藤本を探すが出せない。
ゆっくりキープしてディフェンスが戻るのを待ってから藤本へ。
藤本もゆったりと持ち上がる。
ハーフコートのマンツーマン。
大会通して北朝鮮もディフェンスはいたってオーソドックスなものだ。

藤本から柴田へ。
動きの無いまま柴田が藤本へ戻す。
藤本はゆっくりドリブルでキープして少し移動してから、左零度付近に下りた松浦へ送る。
松浦はシュートの構えを見せたがディフェンスが寄って来たのでインサイドの飯田へ。
ボールが飯田へ行ってから、松浦は軽くひじ打ち喰らったが、ちんぴらのように肩で当たり返して上へ上がる。
飯田は背中でユニホームをつかまれているのも感じていたのもあって勝負しなかった。
松浦に替わって下りてきた柴田へボールを戻す。
柴田から長めのパスでトップの藤本へ。
藤本はボールにミートして左にディフェンスを揺さぶる動きを見せてから右手でドリブル。
一人かわしてゴール正面、左からエリ カサマ、右からコム カイがカバーに来る。
自分でシュートまでは持っていかない。
ディフェンスをひきつけて捌く。
左は混んでいたので右。
コム カイが外れた平家へ。

平家はここでその場で受けずにボールに向かってミートしてさらにゴール下へ踏み込んできた。
遅れて押さえに戻るコム カイ。
タイミングは間に合っていない。
平家のシュート自体は本来簡単だった。
問題は身体バランス。
意識はボールとゴールへ。
その飛んでいる足元をコム カイが文字通り掬った。

シュートはしっかり決まった。
しかし、足元を掬われ、上半身もボールコントロールに向けていて、バランスを失った体は受身を取ることもできずコートに叩きつけられた。

鈍い音がした。
どこから落ちた?
ひざから。
最悪である。

レフリーの笛が鳴った。
アンスポーツマンライクファウル。
普通のファウルではなくて、悪質であると取られた。
入ったシュートはカウント、それプラスフリースロー二本が与えられて、フリースロー後は日本ボールで再開されることになる。
ファウルを告げられてもコム カイは悪びれる様子もなかった。

コートの上の日本メンバーは平家を取り囲んでいた。
苦悶の表情を浮かべた平家は立ち上がれない。
右のひざを抑えている。
普通に倒れただけなら引っ張って起こそうとするところだが、起こしていいような状況ではないのは誰が見ても分かる。

「担架! 担架!」

柴田が悲痛な声でベンチを呼ぶ。
担架はないが、レフリーの許可を得てチームドクターがコートに入っていく。
ベンチから怒号が飛んでいた。
怒鳴りながらコートに入って行こうとする石川を里田が後ろからはがいじめにして止めている。
そういう歯止めのないコートの上の藤本は、チームドクターが平家の治療を始めるのを見てその場を離れた。
松浦も付いて行く。

「てめー、何考えてんだよ!」

日本語は通じていない。
ラリ ピーあたりは神妙な顔をしているが、コム カイは知らん顔だ。
口では効かなくなって手を出したい衝動が体を揺さぶる。

「藤本! よせ!」

意外な声で呼ばれて藤本は振り向いた。
平家だった。
小走りで戻ってくる。

「よせって、大丈夫なんですか?」
「大丈夫なわけあるか」
「だったら」
「同じ土俵に立つな。同じレベルで相手にすることない」
「でも、こんな怪我させられといて黙ってろっていうんですか!」
「黙ってなくてもいい。頭に来たらどなってもいい。でも、同じレベルでやりあうな。あんなのと、まともにやりあっても損するだけだ。明日以降も考えろ。ついてない女は私一人で十分だ」

平家の目は藤本を捉えていない。
コートに横になり、足をドクターに預けて顔は苦悶の表情を浮かべて目は閉じている。
藤本は平家に答えはせずに、立ち上がった。

「あいつら、ぶっ殺す」

そう言って、両手で自分の太ももを力いっぱい叩いた。

「後藤!」

ベンチでは信田が後藤を呼んだ。
チームドクターは信田に向けて×印を出している。
平家でなければ後藤。
それが今の序列だ。

「後藤!」

もう一度呼んだ。
後藤は、呆然とコートを見ていて耳に入っていない。
吉澤がそんな後藤の肩をたたく。

「ごっちん。ボーっとしてる場合じゃないって」
「へ?」
「へ? じゃないよ。出番だよ出番。ほら!」

吉澤は後藤の背中をバシッと叩いた。
後藤は促されてTシャツを脱ぎユニホーム姿になる。
信田コーチのところへ向かった。

ようやく出てきた担架がコートに入って行く。
ところが、平家がそれに乗ることを拒否した。
起こせという。

「無茶ですよ」

柴田が止めるが聞かない。

「無茶は分かってる」
「無茶しても無理は無理ですよ」
「分かってる。でも、フリースローだけ打たせて」

ファウルを受けた人間がフリースローを打つ。
基本的なルールだ。
怪我などのよほどの理由があれば代えることは出来るので、今のよほどのことの状況なら替わることが出来る。

「ちょっとくらいやり返させてくれって」
「でも、無理ですよ。立てる状態じゃないじゃないですか」
「左足は生きてる。軸足生きてるからなんとかなる」

柴田はチームドクターの顔を見た。
チームドクターは渋い顔はしたがそれでもうなづいた。

柴田と飯田の肩を借りて平家が立ち上がる。
そのまま左足だけを地に付きつつ二人の肩を借りてフリースローレーンまで向かった。
その間に、コム カイと目が合う。
平家がにらみつけると、おびえた表情で目をそらした。

フリースローレーンに立つ。
アンスポーツマンライクファウルのフリースロー二本は、リバウンドに誰も入らない。
ただ一人、平家がゴールと向かい合って立つ。
左足一本で立ち、右足は地についてはいるが体重は乗っていない。
通常のフリースローとは体の状態がまったく違う。

レフリーからボールを受け取り、構えてみる。
左足だけで何度かシュートのリズムを取ってみた。
案外いけそうだ、と平家は感じた。
軸足側なのでいつものリズムと近い感覚で動かせる。
問題は、どうしても手打ちになってしまうところだ。
それでもなんとかなる、と思った。

一本目、手打ちになる分少し強めに放ったらリングを越えてバックボードに当たったが、逆にそれがぴったりで跳ね返って決まった。
もう一度レフリーからボールを受け、大きく息を吐いて二本目。
今度はイメージ通りの軌跡を描いてパサッとネットを通過した。

ベンチから、スタンドから声が飛び、拍手が起きた。
柴田と飯田の肩を借りながら平家がコートから去って行く。
後藤が歩み寄った。

「大丈夫ですか?」
「柴田が小さいから歩きにくくてしょうがない」

身長差のある二人に肩を借りると、どうしてもバランスは悪い。
不安顔の後藤に平家が続けた。

「持ってるとか持ってないとか言うけど。私はなんか変なものを持ってるみたいだ。いつも大事な時にこうなる。悪い運は私が持っていなくなるから、後は頼んだよ」

平家が右の飯田の肩から腕を外し、握りこぶしを出す。
後藤もあわせて出すと、平家が軽くぶつけた。

コートサイドには担架がいる。
そこに、飯田と柴田が平家を乗せると、平家がうめいた。

「痛てー!!」

担架が平家を乗せて去って行く。

第二ピリオド残り一分二十七秒。
42-31
日本のリード。

日本ボールでゲーム再開。
サイドから松浦が入れて藤本が受ける。

冷静に、冷静に。
藤本は自分に言い聞かせる。
自分がそういうメンタル面で危うい部分があるという自覚は持っていた。
この一年、石黒に鍛えられてきた部分でもある。
そして技術面含めても、この一年で一番成長した部分でもあった。

トップでキープする。
今の乱れた感情で、スリーポイントを打っても多分入らない。
ドリブル突破で入って行くには中が狭すぎる。
普通の選択、まわして崩すというのが正しいはずだ。
とにかく冷静に。
感情を押さえつける。

そんな、押さえつけている感情を煽るようにスタンドからは日本人には意味の分からない言葉が飛んでいた。
国民感情に、見た目の可愛さは時折勝つことができる。
CHN48目当てにコートに通っていた中国のファンたちも、少女時代から鍛え上げられた韓国チームのメンバーや、朝から田舎でメロン食べて時にはひとり立ちして頑張る日本チームのメンバーたちにそれぞれお気に入りを見つけ始めている。
それと比べるとどうしても、コム カイのような選手にファンは付きにくい。
ああいうプレイがあると観衆は日本側に付く。

その声援に押されるように、なら良かったのだが、煽られるように、感情のまま一対一で突進したものがいた。
いつも冷静なはずの柴田。
自分よりも先に暴走して、自分が抑えに入らないといけない石川や高橋がコートに居ない。
平家先輩が相手に怪我をさせられた。
その怒りは、今月だけチームメイト、というメンバーよりも、二年間付き従いやってきた柴田にとってより大きい。

右、外でボールを受けた柴田はフェイクを入れて目の前のディフェンスは簡単に抜き去った。
ゴールが近づく。
飯田に付いていたエリカサマがカバーに出てくる。
いつもの冷静なスタイルなら、捕まる前にジャンプシュートなのだが、柴田はそのまま突っ込んだ。
ゴールに向かって突進、何もないかのようにレイアップシュートの体勢をとるが、前にはエリカサマの壁がある。
壁に当たって砕いた、という形になった。
ジャンプした柴田のひざがエリカサマのみぞおちに入りそのまま後ろに倒れこむ。
柴田のシュートは決まったが、これはオフェンスファウルを取られノーカウント。

両者倒れこんだが、上に乗った形の柴田が先に立ち上がる。
そこに北朝鮮のメンバーが詰め寄ってきて何かを言っている。
藤本、松浦が柴田を後ろに隠して言い返すような状態でいたが柴田がその二人を押しのけて前に出た。

「うるさい! 文句あるか!」

飯田が止めに入る。
北朝鮮もラリピーが抑えに入った。
乱闘寸前の状況でブザーがなる。
日本代表がタイムアウトを取った。

「柴田! 平家がなんて言ったか分かってないのか!」
「でも」
「でもじゃない! 同じ土俵に立つな。そう言ってただろ。その通りだ。同じ土俵に立つな」

バスケのコートはそれほど広くない。
コート上の会話までは聞こえなくても、しかりつける大きな声くらいはベンチにいても十分聞こえる。

「石川」
「はい」
「柴田と交代。冷静にやれ。冷静にだ」
「はい」

柴田のプレイ振りがどうこう関係なく、そろそろ石川をコートに戻す時間だった。
石川のメンタル、というのも不安がないわけではないがそうかといって他の誰かでいいという場面でもない。

「全員、ここまでの展開を少し頭から外せ。今の状況を見ろ。前半残り一分ちょっとで11点リード。一気に走るチャンスなんだよ。リードを広げることを考えろ」

平家の離脱、ということを横に置くと、今の状況はようやく二桁点差に乗せることが出来たというものだ。
場が荒れている今、一気に走りたい。
前半終了間際にリードを広げることが出来ればこの後の展開が大いに楽になる。

「インサイドは結構強いな。飯田はそれでも中にいてくれ」
「はい」
「後藤も同じ。怪我に気をつけるのは当然だけど心理的に押されるな。飯田と後藤と二人中にいて、ディフェンスが外に出てこないように中狭くしとく」

飯田のマッチアップがエリカサマ、後藤がコムカイである。

「外は藤本のところ以外は弱い。さっきの柴田、最後がよくなかったけどワンフェイクでかわすところまでは良かった。松浦、石川はそれを狙っていけばいい。ただ、中まで行くと狭くなってるからと言うか狭くさせるんだけど、前が開いたと思っても中まで入っていかずにミドルレンジからのジャンプシュートで勝負」

藤本にはラリピーが当たっている。
世代が違うんじゃないかというくらいの雰囲気がある。

「ディフェンスはとにかくノーファウルな。これ以上場を荒らすな。こっちもファウルをし出すとさらに荒れて行くから怪我の危険が高くなる。もちろん甘いディフェンスでいいってことはないけど、ノーファウルで」

相手が荒いからといってこちらも荒くなると火に油である。
また、実際的に、こちらだけクリーンにやっているとレフリーが味方についてくれるという効用もある。
精神論ではなくて、現実的利得を追い求めたものだった。

先にコートに上がったのは日本代表。
石川がじっと北朝鮮ベンチを見ている。
不穏な空気を感じて藤本が声を掛けた。

「石川」

それには答えずにつぶやいた。

「あいつら、ぶっつぶす」

自分も、ブレーキを外したい、と藤本は思った。

北朝鮮ボールでゲーム再開。
エンドからボールを運んでくる。
ゲーム展開から考えるなら、北朝鮮は一桁点差にして前半は終わっておきたいところである。
勝負はインサイド、エリカサマのところでしてきた。

少し開いてミドルレンジから飯田と正対してシュートフェイク入れてから中へ。
難なく対応した飯田、エリカサマはファウルをもらうことを狙って飯田のブロックめがけて手を伸ばしてシュートを試みるが、きれいにボールだけ叩かれて、美しいブロックショットが決まった形に。

ボールが飛んだ先では競り合いがあったが石川がさらった。
速攻を狙って藤本がボールを受けようと動いて声を出すが石川は答えない。
自分で運んだ。
まず、最初に競り合った相手を交わす。
藤本が呼んだ声自体が北朝鮮に対してのフェイントになっていて、石川の進路には一人しか居ない。
これもバックチェンジ一つでかわす。
逆サイド藤本が走っていて、それについていたラリピーが石川の側へ向かってくるがまったく間に合わなかった。
ボールを取ってからの二人抜きワンマン速攻。
蹴り飛ばすよりも、鮮やかな展開で取る得点の方が相手へのダメージは大きい。

北朝鮮はゆっくりボールを運んできた。
前半残りはわずか、オフェンスディフェンス一本づつ、というくらいしか残っていない。
時間を十分使ってから最後はコムカイ。
とくに荒っぽいことはせず、後藤を外してゴール下のシュートを決めた。

残り十五秒。
どうやって点を取るか。
冷静さを保とうとしつつも、やはり怒りのマグマは藤本の中に湧き上がっている。
ただ、それで蹴り飛ばすのが正解ではない、というのはわかっているつもりだ。
さっきの石川を見ていても分かる。
点を取る、これが正解だ。

自分で点を取りたかった。
そこは冷静な判断、ではなくて多分エゴだ。
でも、怒りと冷静さの狭間にある妥協点はそこだった。

インサイドは混んでいる状態だった。
一人かわしてジャンプシュートを狙え。
その指示は松浦と石川に出ているもの。
藤本は、同じことを自分でも試みた。

左サイド、エンドライン際にいた松浦が勝負しきれずにボールを持って上へ戻ってくる。
トップの藤本へ戻す。
それを右へ動きながら受けて、すぐ左へ揺さぶりを入れてやっぱり右から抜きにかかる。
ラリピーは振り切れなかった。
藤本の左側、付いてくる。
それでも前は開いていたのでかまわず突き進む。

ゴール下から出てきたのはコムカイ。
また、右サイドからも一人カバーが来た。
捉まる前にジャンプシュートと行きたいところだが、付いてくるラリピーが気になる。

「はい!あいた!」

声と同時に、藤本の視界に状況が見えた。
右零度、マークが外れた石川が待っている。

変なわだかまりは無い。
ジャンプシュートを打つならここ、というところからさらに一歩踏み込んでディフェンスを寄せてからノールックパスを送った。

石川、ボールを受けながら後ろへ下がる。
ディフェンスとさらに距離が出来、スリーポイントラインの外へ出た。
そのまま両手でシュート。
しっかりと決めて見せた。

北朝鮮がボールを拾い、エンドから出たところでブザーが鳴った。
前半終了。

藤本が石川へ歩み寄り、両手を上げる。
石川もそれに答え、力強くハイタッチをぶつけた。

47-33
日本のリード。

平家の状態についての詳しいレポートは、ハーフタイムには入らなかった。
コートから下がった後、そのまま病院に向かったようだ。
頭を打ったというようなものではないので、命に別状系の懸念はないのだが、ひざやってしまうと選手生命に別状系の懸念がある。

ロッカーに戻ったメンバーたち、平家の心配はしながらも、それとは別に、後半へ向けての対策を立てる。
選手同士の話し合い。
中心で仕切っているのは藤本だった。
最年長でもなければキャプテンでもない。
昨日まではスタメンでもなかった。
でも、そこに遠慮はない。

最年長でありキャプテンである飯田は、そういうところで余計な先輩風は吹かせなかった。
一人の選手として、藤本の言葉に答え、自分の意見も発している。
そこに絡むのが石川であり柴田であった。
柴田がいつになく熱くなっている。

そのテンションに、後藤はついていけていなかった。
平家さんのために、と頑張りたい気持ちがないわけではないのだが、それ以上に不安が勝っていた。
平家さんの代わりなんて出来やしない。

いつも余裕のあるレベルで戦ってきた自分。
自分でダメなら仕方ない、と周りも認めてくれる存在としてチームではやってきた。
それがここでは、ただのチームの一員で、余裕なんかなくて、本当に自分のせいで負ける可能性があって、本当に自分のせいで一つ負けた。
足を引っ張るくらいなら、誰かに替わってもらった方がいい。
試合に出たい、という人がいるのだから。
そういう想いが頭にある中で、後半どう戦うかの議論に混じって行くことなど出来ない。

後半開始の時間も近づいてベンチに戻った。
信田が後半のメンバーを告げる。
藤本、松浦、石川、後藤、飯田。
コムカイがファウル四つだから出てきたら勝負に行け、と後藤に指示が出ている。
様子を見ずに一気に突き放せ。
その指示に、藤本、石川、しっかりうなづいた。

後半の立ち上がりは北朝鮮がしっかりとゲームを作ってきた。
ラリピーがうまくコントロールしている。
一方、日本代表も外から石川、中で飯田と攻め手をしっかり複数持って対抗している。
韓国戦と違い、リバウンドをきちんと取れるのが強みだ。
エリカサマ相手に飯田が負けていない。

57-42
第三ピリオドも半分ほど過ぎて点差があまり替わっていないところ。
ここで局面が大きく変化した。

外から勝負して来たコムカイ。
シュートをケアした後藤があっさり抜かれてしまう。
あまりにもきれいに抜きされて気を良くしたのか、飯田がゴール下カバーに入ってもかまわず突っ込んでレイアップシュートを試みる。 
さっきの柴田の逆だった。
悪意があったか無かったか、ひざ蹴りが飯田に入る。
シュートも入って笛が鳴った。

常習犯である、レフリーも甘くなかった。
オフェンスファウル、チャージング。
五つ目のファウルで退場。

さっきがあっての今。
今度は飯田が、と周りは心配したがけろっとして立ち上がる。
ただ、ちょっと首周りが気になったのか、髪をとめていたゴムを一度外して首を何度か振る。

「別の意味で怖いっすよ。貞子っぽくて」

問題なさそうで安心した藤本がポツリと言う。
長い髪を振り乱した飯田を見て、二年前の吉澤と同じ感想を持った藤本だった。

荒くて退場ばかりするコムカイ。
それでも試合に出てきているのは力があるからだ。
メンバーが代わることで北朝鮮の得点力が落ちた。
日本の得点力は変わらない。
今日は石川が当たっている。
飯田がリバウンドも取れている。
平家の事故を除けば、実は順調に試合を運べていた。

北朝鮮が退場の補充をする場面で日本ベンチもメンバーチェンジを申請した。
後藤に替えて里田。
後藤が試合のリズムについていけていない。
休ませるではなくて、出来が悪いので交代、という意味合いである。
同時に松浦に替えて柴田も投入した。

柴田、石川、里田。
この三枚で突き放しに掛かる。
北朝鮮の攻撃力は落ちていて、難しいシュートを選択せざるを得ず、リバウンドを飯田がしっかり拾う。
藤本が全体をコントロールする。

韓国戦の出来の悪さを里田は払拭する活躍を見せた。
三戦目の慣れ、平家の怪我、マッチアップの相性、いろいろな要素があるのだろう。
柴田も少し間を置いて落ち着きを取り戻していた。
石川は本日好調。
点差は開く。
第三ピリオド残り二分、二十二点までリードが広がったところで、飯田を下げて村田を入れた。

北朝鮮は精細を欠いている。
元々荒いチームだが、さらに手が出て無駄にファウルがかさむようになってきた。
しょっちゅうゲームが止まるので実時間は掛かっているが、ファウルで与えられるフリースローをしっかり決めて行くことで、ゲーム時間の消費は短い中で日本代表がリードを広げて行く。
第三ピリオドは77-48
安全圏に入ってきた。

「亀井、柴田と交代」
「は、はい」
「あとは」
「信田さん!」

ゲームの大勢が見えてきた。
信田のメンバーを徐々に落としていこうという意思を、亀井の投入から見て取った藤本が言った。

「美貴と石川は最後まで残してください」
「なんだ、やぶからぼうに」
「石川と実戦で合わせる時間が欲しい。それはもう後十分しかないんです。だから、美貴と石川は残してください」

信田はすぐには答えなかった。
何を言わんとしているのかは分かった。
CHNとしっかり戦うためには、藤本と石川が違和感無くコートの上で共存することは最低必要条件だ。
今日はそれが出来ているように見える。
だけど、藤本自身には多少の違和感があるのだろう。

信田が一番怖いのは、更なるけが人の発生だった。
言葉は悪いが、怪我をするなら主力よりも控えメンバーの方が痛手は少ない。
その意味では早い段階でメンバーを落とせる方がいい。
そういう計算もある。
藤本と石川、ここにいたって怪我をされたら本当に困る二人でもある。

そういうことが頭の中を駆け巡ったが、最後にはこう言った。

「試合展開見て、四つファウルになったり、休ませる必要があったり、プレイの質が落ちてきたり、そういう場面が来たら当然下げるけど、とりあえずは好きにやりな」
「ありがとうございます」

CHN48はリスクを怖れて戦える相手ではない。
やれるだけのことはやっておきたい。
藤本をスタメンで使ってこなかったのは自分の判断ミスだ。
それを少しでも補えるなら、多少のリスクは冒してもやらせてやるべきだった。

「村田、飯田と交代」

藤本、石川もそうだが、飯田もこの先欠かせない。
今日の試合はここまで飯田がしっかりとリバウンドを取っていたというのが大きい。
韓国戦と違いそれがあるからこういうリードを得ることが出来ている。

「点差は考えず普段通りやれ。第四ピリオドの戦い方とかそういうのも要らない。0-0で始まる序盤のつもりで行け」

この試合をどう勝つか、という段階は信田の中では過ぎている。
この先につなげるために後の十分をどう使うか。
藤本と石川を最後まで残す、という選択をしたのだから、勝ち逃げるというのを目指す十分ではなくて、普通にディフェンスをし、普通にオフェンスをするということが必要だった。
ただし、相手が普通にやってくれるとは限らないが。

普段の日常生活よりもコートの上の方が余計なことは考えないからだろうか。
何かが必要な時に、それが必要だと素直に言える気がする。
その相手が好きとか嫌いとか、そういう部分の影響度が減少する。
石川と合わせる時間を持つことが今は必要だ。
そう、藤本は感じていた。
あさって、CHN48に勝つために。

だから言った。
怪我? もちろん可能性はあるけれど、それを怖がっていられる情勢じゃない。
先に備えて体力を温存する、なんて考え方もあるけれど、それこそ自分には不要だった。
滝川での鍛え方が違う。
それに、昨日までは控えだったし。
石川の体力、なんてことの心配はしなかった。
そんな分かりやすい弱点を持っててくれれば、今まで苦労してないだろう。

藤本から見てオフェンスの選択肢は石川と里田の二枚だった。
亀井は二枚か三枚レベルが落ちる。
里田とはずっとやってきた仲だ。
ここが滝川のコートでも東京体育館でも、上海でも同じだ。
どういう動きをするのか分かるし、どういうところでボールを求めているのか判る。
韓国戦ではボールを受けたあとが悪かったが、今日はそれもない。

そういうもう一枚選択肢がある中での石川。
藤本もなんとなく少しづつ分かってきた。
口で論理的に説明できるようなことではない。
なんとなく判ってきたのだ。
動きにあわせてパスが出せる。

三十点開いたゲームでの集中力ではなかった。
一桁点差の中の試合の集中力。
それを藤本も石川も出している。

残り五分、久住と吉澤を信田は呼んだ。
亀井と里田を下げる。
今日は良かった、と里田に声をかけた。

藤本と石川の連携。
そんなものは久住や吉澤にとっては関係ない。
自分たちがわずかな時間に何ができるか。
二人に大事なのはそれだ。
変に気を回されるよりは、その方が全体が自然に動いて都合がいい。
ただ、やはり藤本から見て久住や吉澤は石川と比べて落ちる。

残り二分で村田を下げて光井を入れる。
ポジションは藤本以外がみんなスライド。
光井がセンターなんて当然できるはずがない。
光井愛佳、アジアデビュー。

でも、大したことは出来なかった。
本来ポイントガードである。
誰かに使われる、なんて立場ではない。
試合の週末が見えたので、国際試合の経験を積ませるために無理やり入れた、というのが実態だ。
それでも無駄なファウルを一つもらって得たフリースローはしっかり決めた。

残り一分になって久住を下げて後藤を入れる。
一分で何ができる、という部分であるが、信田としては何かいいイメージを後藤に取り戻させるきっかけを与えたいのだろう。
とはいえやはり、一分で何ができる、というところで、何も出来なかった。

お味噌の光井を挟んで、藤本、石川、後藤、吉澤と高三生が四人並んでコートにいる状態で北朝鮮戦を終えた。

104-74
日本が勝利し、グループリーグ二位通過を決めた。

グループリーグ全試合が終わり、ベスト4が出揃った。
地元の中国と、それに続いてグループAで二位だった台湾。
日本を延長の末下しグループBを全勝で通過した韓国、そして日本。
当初予想された四チームが順当に勝ちあがってきた。

準決勝は各組一位と二位のたすき掛けで対戦。
すなわち、韓国vs台湾があり、日本はグループA一位通過の中国と対戦することになった。

グループリーグは三連戦だったが、その後決勝トーナメントの二日間の前に一日中休みが入る。
日本代表は、午前中に一時間ほど軽く調整を入れた。
平家以外の十四人が体を動かす。
試合に長く出ていたメンバーは三十分ほどで切り上げた。
ベンチに座っている時間が長いものは、スリーオンスリーなんかをして、多少ギアを上げた動きも入れている。

平家の怪我は軽くはないが再起不能というようなものでもない、というものであった。
少なくとも今大会中にコートに立てる状態ではない。
帰国してしっかり診療を受けたら、という勧めもあったのだが、平家は最終日までチームに帯同すると自分で決めた。

午前の軽い練習を終えて宿に戻り昼食。
その後、午後は完全フリーとした。
どっか出かけても寝てても好き勝手していいよ。
そういう指示が信田から出ている。

何をするかは人様々。
とはいえ勝手分からぬ異国の地。
一人でふらっと出かける、なんて選択を取ったものはさすがにいない。
一人を選ぶなら寝てるか、ホテル内の入りやすい店にでもいるくらいしかない。

複数まとまればタクシー捕まえて出かけることもできる。
発展著しい街、とはいっても日本と比べれば物価、交通費はそれほどのものではない。
ガイコクニイク、と言われれば親が持たせざるを得ない程度の金額で、半日くらいなら自由に動ける。

試合に対して出ることも無く、体力もてあまし気味の吉澤は当然外出組みだった。
子分状態の久住も付いてくる。
後藤に声をかけてみたが、断られた。
吉澤も一応気は使う。
表情変わらなくても、一年半共に暮らしてきた先輩から見てなんとなく塞ぎ気味に感じた福田にも声を掛けてみたが、やっぱり答えはノーだった。
それを無理に連れ出そうとするほど、吉澤は福田から先輩として信頼されている自信はない。

逆の意味で気を使って誘い出しにくいのはスタメン組み。
しかし、反対にアプローチされた。
どっか行くの?私も行く。連れてって。
石川梨華である。

おまけがもう一人。
三人で出かけようとしたらロビーでぼんやりしていた高橋愛が声をかけてきた。
石川先輩、拒絶するわけも無く連れて行く。

出かける、どこへ?
どこかへ。
タクシーの交渉、片言英語で吉澤が始めて、なんで英語と久住に突っ込まれ、仕舞いには日本語で押し通した。
国際試合に出向くのに、ガイドブック持ってくるところがさすがベンチウォーマーである。
ここ、と吉澤が地図を見せ、日本語で価格交渉をし、通じるわけないだろと久住に突っ込まれ、最後は筆談。
数字ならアラビア数字でも漢数字でも書ける。
中国語は一つも使わない。知らないし。
メーター倒さぬタクシーに乗って、ガイドブック持った吉澤本人もよく分からないところへとりあえず出かけた。
ちょっと冒険の真似事がしたいだけで、どこだっていいのである。

タクシー降りて、適当に歩いて、なんか都会だねと話して、歩き疲れて店に入る。
世界に広がるハンバーガーショップに入ってしまうところが少々情けないが、そもそも国に関係なく、遊びなれていない吉澤たちが気軽に入れるような店はそうそうないのだから仕方ない。

「あややとか誘わなくて良かったの?」
「んー、なんかあいつ疲れてるっぽいから連れ出しちゃ悪いかなって」
「じゃあなんで石川さんよんだんですかー」
「自分で来たいって言うから。って、でも確かに、やすまなくていいの?」
「休んだ方がいいと思う」
「だめじゃん」
「体はね。休める時に休んでおいた方がいいと思うんだけど。でも、ちょっと変化が欲しくてさ」

四人でテーブルを囲むと、まるっきり学校帰りの女子高生私服バージョンの絵柄である。

「私たちってさ、なんか、バスケやるために学校行ってるみたいなとこあるし、実際、バスケやるために学校行ってるけど。でも、なんだかんだでいろいろあるじゃない。昼は授業で寝てたりさ。一応テストはちゃんと受けないといけないし。その辺先生も厳しかったりするしさあ。あんまり役割もらえなくても文化祭があったり、合唱コンクールとかイベントがあったり。いろいろあるじゃない、学校行ってると。でもさ、選抜で呼ばれてからそういう変化がないのよね。選抜されて人数減ったりとか、スタメンが組み変わったりとか、試合の相手も変わるんだけど。全部バスケなの。飽きるとかはないんだけど、でも、ちょっとね、気分転換したかったかな」

三週間の合宿生活。
途中で日本から上海へと場所は変わったけれど、周りのメンバーが変わるわけではない。
朝から晩まで一緒。
バスケをするために学校へ行っていると言ったって、石川は普段は家に帰れば親がいる、という暮らしだ。
朝から晩まで皆一緒、が通常モードな藤本たちとはその辺は大きく異なっている。

「私たちってさ、なんか、バスケやるために学校行ってるみたいなとこあるし、実際、バスケやるために学校行ってるけど。でも、なんだかんだでいろいろあるじゃない。昼は授業で寝てたりさ。一応テストはちゃんと受けないといけないし。その辺先生も厳しかったりするしさあ。あんまり役割もらえなくても文化祭があったり、合唱コンクールとかイベントがあったり。いろいろあるじゃない、学校行ってると。でもさ、選抜で呼ばれてからそういう変化がないのよね。選抜されて人数減ったりとか、スタメンが組み変わったりとか、試合の相手も変わるんだけど。全部バスケなの。飽きるとかはないんだけど、でも、ちょっとね、気分転換したかったかな」

三週間の合宿生活。
途中で日本から上海へと場所は変わったけれど、周りのメンバーが変わるわけではない。
朝から晩まで一緒。
バスケをするために学校へ行っていると言ったって、石川は普段は家に帰れば親がいる、という暮らしだ。
朝から晩まで皆一緒、が通常モードな藤本たちとはその辺は大きく異なっている。

「そういえば、福田さんとか誘わなくて良かったの?」

試合にもあんまりでないで、のくだりで思い出したのか、石川が福田の名を上げた。

「誘ったんだけど断られたんだよ。元々、あんまり出歩くような奴じゃないし、それに吉澤といたって面白くないってのもあるだろうしね。気分転換っていうより、とにかくバスケと向き合うってタイプだからなあ。半日どうするんだって聞いたら、部屋で本でも読んでますだと」
「福田明日香って、休み時間一人で本読んでるタイプって感じですよね」

高橋の言葉に、石川も吉澤も、久住でさえも、突っ込みを入れることが出来ず黙り込んでしまった。
三人は、場を持たせようと、ハンバーガーをかじったり、ストローを口に持って行ったりしている。
二の句が次げなかったのではなくて、ただ、食事を進めたかっただけだとアピール。

「味はあんまり変わんないんですね」
「変わるとか変わんないとかいうほど味わかんないけど、でも早々変わるもんでもないんじゃないの?」
「いーえ、小春、パンの味にはうるさいんです。これは日本と同じパンです」

全然違う話しに飛ばす。
年齢は二つ若くても、人との関わりは久住の方が経験豊富だ。

「肉とか犬の肉使ってるとか言うよね」
「猫とかね」
「小春、肉の味は分かるの?」
「わかりません。小春がわかるのはパンだけです」
「役立たずだなあ」
「誰が犬の肉の味なんか分かるって言うんですか」

チェーン店全店で、ほぼ同じような味の肉を出しているとして、それだけの頭数の犬や猫を均質的にそろえるのは無理な話である。
でも、話を繋ぐ雑談は、根拠やなんかはどうでもよくて、こんなものでよいのだ。

「そういえば、後藤さんは?」
「ホテルにいるって。そういえば福田と同じ部屋なんだよなあ。二人で部屋に居るのかなあ。あの二人が会話してるのって想像付かないんだけど」
「自然に静かそうですよね」
「なんか、後藤さんも元気なかったから心配なのよね」
「うん・・・。ごっちんの場合試合も結構出てるから単純に疲れてるって部分もあるだろうけど」
「なんかー、小春、後藤さん第一印象と最近違う感じがします」
「へー、どの辺が?」

吉澤、石川、久住。
三人でトークが進んで、高橋が入ってこない。
そういう構図を作り出している。
高橋の正面が久住なのだけど、久住が完全に隣の吉澤と斜め前の石川の二人の方へ体を向けていて、石川も隣を見ないので、高橋が入って来れない。

「第一印象は、結構怖かったんですよ。すごいクールっていうか周りに興味なしって感じで。石川さんとか普通に話してて、それだけでなんかおーすげー、さすがとか思ってたんですけど。なんか今はすごい臆病な感じで。試合見てるとびくびくしてて」
「ちょっと、自信なくしちゃってる感じはするよね」
「韓国戦、結構背負っちゃう負け方だったからねえ。吉澤も自分のせいで試合に負けたって何度かあるけど、やっぱ引きづるもん。普段は負けたらしばらく試合ないのに、昨日の今日ですぐ試合とかじゃん。ごっちんといえども、やっぱ怖いよね」

昨年の冬の選抜大会の県大会。
最後に決めれば勝ちのノーマークのシュートを吉澤が外して負けた。
翌日からキャプテンね、と言われてもすんなり受け入れられず、右往左往して、修学旅行で転校前の学校に行ってみたり、全国大会へ出かける直前の飯田のところへ乗り込んでみたり、いろいろもがいてようやく自分の立ち位置を決めることが出来た。
後藤の場合は、負けて、じゃあ翌日、スタメンではないにしてもすぐ試合で、その翌日もまた試合である。

「でも、平家さん怪我しちゃったから、もう、そんなことも言ってられなくて、後藤さんに頑張ってもらわないと困るのよね。まいちゃんもいるけど四十分全部ってわけには多分行かないんだから。もちろんよっちゃんでもいいんだけど」
「ははは・・・。そりゃあ出るなら百パーセント二百パーセントやらせてもらうけどさ。現状、ごっちんやまいちんと比べて評価が下の扱いされてるのは自覚してるから。そこでフォロー入れなくていいよ」

北朝鮮戦でもそうだった、後藤がいて里田がいて、吉澤に回ってきたのは決着がほぼ付いた後のことである。

「一回やってみたかったのよ。完全アウェーってやつ。滝川カップの滝川戦もちょっとそうだったけど、でも、国同士だとはるかに超えるでしょあれよりも。なんか人気らしいし。CHN48とか言って。麻友友を下敷きにしてダンクとか決めてやりたい感じ」
「ダンクって・・・」
「結構面白いマッチアップですよね。麻友友と石川さんの勘違い対決とか」
「なによ勘違いって」
「二人とも鏡見つめてにやけてそうじゃないですか。笑顔の練習とか言って。あとは、敦子に後藤さんで仏頂面対決とか、麻里子様に飯田さんでモデル対決とかも」

久住小春、言いたい放題である。
そこに横から高橋が乗っかってきた。

「じゃあ、高南に高橋で高高対決!」

自分で言うからなんとも絡みづらい。
そもそも、まだスタメンで出て高南とやりあう気でいるのかよ、と久住は思っている。
今の調子から言えば、高南に対するのはどう考えても美貴様だろう、というのが久住の見立てだ。
さすがにそれは久住といえども口に出しては言えることではなかった。
おしゃべりだけど、空気は読めるのである。

「仏頂面でもモデルでもなんでもいいけどさ、実際、強いよね。CHN」
「大丈夫。なんとかなるから」
「石川さん、いつでも何とかなるじゃないですか?」
「高さじゃなくてスピードで勝負ってところが結構にてるのよね。高南なんてミキティよりもちっちゃいでしょ。矢口さんよりは大きいかもしれないけど。優子だってたぶん、あややちゃんでも柴ちゃんでも身長勝ってるし、高橋でもあんまり変わらなくない? 麻友友は多分私よりちっちゃいし」

体格で中国相手に負けていない日本、というのはどんな競技で見てもなかなか無いシチュエーションである。

「上三人がしっかり走るから速攻がばんばん出るし、敦子はのんびり上がってくるんだけどボールもってからのタイマン勝負は強い。とにかく点の取り合いだよね、たぶん。スリーポイントが多投出来るといいんだけど。そういう意味だと後藤さんが四番でいるとすごくいいんだけどなあ。外から四人打てて。それでディフェンス広がれば、中にも飛び込みやすいし。韓国の時と違って私も普通に麻友友ならインサイド勝負もいけるだろうからそういうスペースも作ってもらえて」

石川がゲームプランを語る。
吉澤は、ふんふんとただ聞いていた。
言葉を挟めるレベルにない、ということはないが、こうやって語ってくれるのを聞くのはなんか心地よかった。
福田だって同じようなことをしているだけなはずなのに、それよりも心地よく聞いていられるのはなぜだろう。

「ディフェンスも問題よね。敦子の一対一をどうやって止めるのかって。その辺はまいちゃんのがいいのかなあ。滝川のあのディフェンスで。滝川って言えば、ミキティは一人ででも前から当たる気あるかなあ。ポイントガード一人なら前から当たっても全体崩れないし。インターハイ決勝でもほとんど一人で四十分持たせられたんだから、休み一日挟むしいけると思うんだけどなあ。ああ、でも、うちのれいなと高南比べるのはちょっときついかぁ」

語っているのはひたすら石川。
黙っていられなくなった久住が口を挟んだ。

「ホント、石川さん、バスケ好きですよねえ」

久住が口を挟んだので、吉澤が続けた。

「気分転換したかった、って言いながら話すのは明日の試合のことだもんね」
「だって、気になるじゃない」
「そうだけど、あんまりバスケの話しない方がいいのかなと思いきや、自分からどんどんそっちに突っ込んでいくし。うちら、確かに、バスケが共通点で集まったメンバーだからどうしてもそっちにいっちゃう部分はあるけどさあ」
「この人、韓国に負けた日の晩、寝ないでぶつぶつぶつぶつ言っててうざいんです」
「もう、言わなくていいでしょそれは」

石川と同室の久住は、最年少でわがまま言い放題のはずが、時に部屋では保護者しないといけない状況に陥っていたりする。

「逆に考えると、後二日なんだよね」
「試合?」
「うん。試合っていうかこのチーム。明日と明後日で終わり。勝とうが負けようが。まあ、勝てば来年の世界選手権も付いてくるけど、それはまたきっとメンバー選びなおしだから、石川さんなんかにとっては当たり前に選ばれる場所かもしれないけど、私なんかだと全然どうなるかわかんないから。そう考えると残りは短いなって思う」
「そういえばそうなんですね。小春も、試合あんまり出てないけど、まともに小春と出来る人たちとバスケしたの初めてだから結構楽しかったかな。試合出られればもっと楽しいんだけど」

選抜チームとは、長い間活動するチームではない。
基本、大会限定で集まるものだ。
次回があるという保証はどのメンバーにもなされていない。

「何終わったみたいなこと言ってるのよ小春は。いい、明日からが本番なの。後二つ。絶対勝つのよ」

石川の言葉に、高橋が力強くうなづく。
吉澤も遅れて。
久住は、そんな三人を見てニコニコ笑っていた。

同じ頃、福田は部屋で本を広げていた。
一人ではない。
隣のベッドでは後藤真希が横になっている。
時折飲み物に手を伸ばすくらいで、もう一時間以上二人の間に会話はない。
福田は、会話がないことが不快ではなかった。
これが高橋愛あたりだったら、会話の無さも不快だったかもしれない。
吉澤であっても、会話がない不自然さにとまだっただろう。
松浦だったら、会話がないがありえないので問題ない。
後藤は、自然と静かに時を送っていられる。

開いている本は数ページ読んでは止まり、数ページ読んでは頭に入っていなくて戻り、また数ページ読んでは止まり。
本を読むことが目的になっていない。
別の思考が頭を占めるときは、その思考を動かしておく。

グループリーグ三試合、試合に出なかったのは自分だけだった。
高橋と藤本のスタメン争いの間で埋もれた形だ。
福田は控え。
ユニホームを渡される時にはっきりそういわれた。

ただ、信田さん自身の考えも迷走しているように感じている。
本線は藤本美貴だったんじゃないのか?
三試合目にして当初のイメージ通りの構成に落ち着いたけれど、一戦目二戦目は高橋愛スタートだった。
藤本美貴と比べて力が落ちるのははためにそう見えてしまうのは仕方ないと思う。
だけど、ポイントガードとしての技量で高橋愛に負けている、とは今現在も思っていない。
点を取る、という面については向こうが上手かもしれないが、そこは松と争ってもらえばいい部分だ。

グループリーグ三試合、試合に出なかったのは自分だけだった。
あと二試合。
準決勝と、多分決勝。
このままベンチに座っているのだろうか。

藤本美貴でさえ、石川梨華との関係では苦労していた。
北朝鮮戦、二人は最後まで使ってくれ、と言ったのは理にかなっていたと思う。
チームの今後を考えれば。
ただ、自分としては、何かを蹴飛ばしてやりたくなった。
藤本美貴が最後まで出る、イコール、自分は最後までベンチ。
この方程式は崩すことが出来ない。

そしてこの先、自分が試合に出たとして、周りのメンバーとのあわせがうまく行くかどうか。
自信を持ってあわせられると言えるのは、松しかいない。
吉澤さんとも合わせられないことはないけれど、でも、自分と吉澤さんが同時にコートに立つのは、試合の決着が付いた後だけだろう。
試合の決着がついていない場面で自分がゲームに入るとしたらどんなときか?
藤本美貴の怪我、あるいは、ファウルトラブルといったところだろう。
いずれにしても、チームの危機だ。
いろいろな条件は悪い方に揃っている。
時間を掛けて作りこんだチームのスタメン、という状況で力を発揮してきた自分。
短時間で結成し、スタメンですらなく、ほとんど合わせていないメンバーの中で、国際試合というレベルの高さ。
そこにぱっと入って力を発揮できるのだろうか?
いや、力を発揮できたとしても、その発揮した力が通用するのだろうか?

どちらにしても不安だった。
このまま一度もコートに上がることなく日本に帰るのはいやだ。
でも、チームの危機にコートに上げられ、いきなり結果を求められることも怖かった。
試合に出ない日が続くことで、怖くなっていた。

「福ちゃん、飲み物予備ある?」

唐突に後藤が声をかけてきた。
後藤は、空になったペットボトルを持っている。

「予備? いえ別に。これだけです。飲みます?」
「いや、いいや。買いに行かない?」
「外にですか?」
「うん。コンビニあったでしょ。ロートン? ファミマ? なんか青系のやつ。一人で行くの怖いし」

飲み物が欲しいだけならホテルの中で十分手に入る。
たぶん、飲み物はただのきっかけで少し出歩きたいんだろう、と福田は思った。

「いいですよ」

夜までずっと部屋にいて、本を抱えながら考え事をしている、というのもどうかと思ったので、福田としてもいいきっかけだった。

ホテルを出てぶらぶらと歩く。
行き帰りのバスから見ただけなので、徒歩でどれくらいかかるのかは分からない」
ただ、一本道なので迷うことはない。
急ぐということはなく、のんびりぶらぶら歩く。

「悪かったね、本読んでたとこ」
「いえ。あんまり読んでもいなかったですし」
「寝てた? 寝てはなかったよね」
「ボーっといろいろ考えてました。後藤さん風に言えば、ノートと語り合うってやつですか。ノートは持ってませんでしたけど」

練習ノートを拡げていたわけではないけれど、やっているのはそれに近いことだ。

「やっぱ、いろいろ考えちゃう?」
「一番考える必要ないんでしょうけどね、私が。でも、そういう性格なんで。無駄に考えちゃいます」
「一番必要ないって?」
「試合に出ない人間が考えたってチームには関係ないじゃないですか」
「そんなことないでしょ」
「そんなことありますよ。私なんか、いてもいなくてもなんだし」

なぜだろう。
別に、後藤にあたるつもりなんかなかったのに、きつい言葉になってしまう。

「キミのこと見てると、後藤が苦しくなるよ」
「なんでですか?」
「うちのチーム、うちの高校ね。結構楽しく部活やってるんだ。勝っても負けても。まあ、なるべく勝てるように頑張るんだけど、でも、その前提は楽しいっていうのがあって、それでやってる。だから、勝てたらいいよね、と思いながらやってるけど、いろんなもの、ベンチの子達の気持ちとか、そういうのを背負ってたりはしないのよ。ミキティたちみたく古くからやってる学校だと、チームの伝統なんてのを背負ったりとか、そういうのもあるだろうし、そういうのと比べて、後藤は背負うものなく学校ではバスケやってた」

背負うべき伝統がない、というようなところは福田にもわかる。
創部四年目のチームである。
伝統も何もあったものじゃない。

「だからかな、あんまり人を押しのけて試合に出るとか、そういう感覚もなくてさ。それがここに来て初めてそういうのを感じるようになった。特に、キミが同じ部屋にいて、試合に出てなくて。でも、見るからに試合に出たそうでさ。だから、試合に出るのってすごい責任なんだなっていうのを思い始めたよ。でも、負けたじゃん、後藤のせいで」
「別に、後藤さんのせいってわけじゃ」
「後藤のせいだよ。五人でやってるからとか十五人でやってるからとか、いろいろ言い方はあるにしてもさ、でも、決めたら勝ちのスリーポイント外して、止めたら勝ちのワンオンワンで止められなくて。後藤の責任でしょ、明らかに」

信号に突き当たった。
歩行者は赤信号、立ち止まる。
車はひっきりなしに通っている。
上海の結構中心近い場所、信号待ちの人が増えて行く。
立ち止まったところで止まった会話は、信号が青になり歩き出したところで、福田が口を開き続けた。

「私も、後藤さんも、三日間変わらないですね」
「三日間?」
「韓国戦の夜も似たような話しましたよね。後藤さんはまだそれをひきづってて、私はまだ試合に出られず腐ってる」
「後藤はともかく、福ちゃんは別に腐ってはいないでしょ」
「腐ってますよ。完全に。発酵十分って感じです」
「でも、試合に出られない不満をぐちぐち言ってまわってチームの雰囲気を悪くするなんてこともないじゃん」
「そこまで堕ちる気はないですけど、でも、ぐちぐち悩んではいますよ」
「それは感じるけど、だから、それを見てると後藤が苦しくなるんだよね。試合に出てるのにダメダメでごめんなさいって感じで」

選抜チームでの立場というのはいつもいるチームとはそれぞれ違ってくるもの。
そして、集まるメンバーが違うのだから、雰囲気も当然違ってくる。
後藤がチームの足を引っ張って責任感じる、というのは聖督では起こらないことだし、福田が試合に出られない自分と向き合うということも松江ではありえない。
和気藹々型で楽しい部活生活な聖督と、国まで背負っちゃう代表チームの雰囲気は当然違うし、選手中心運営型の松江と、コーチが万事を決める代表チームの雰囲気もやはり違う。

明るい日差しが降り注ぐ異国の街歩き。
重い話をするには似合わないシチュエーションである。
通りの空気と会話の内容が合わず、二人の言葉は止まった。
やがて、後藤の目的地、青系のコンビニ、にたどり着く。

「これ、ロートンだよね?」
「色は」

看板の漢字は読めやしないけれど色合いは日本でもなじみのあるものである。
だから、行きかえりのバスからでも目に止まっていた。

「入れるのかなあ?」
「昼間から閉店ってこともないんじゃないですか?」
「入場料取られたりとか」
「ただのコンビニですよ」

外が明るいせいもあり、店の中は暗く見える。
後藤が先に立って店に入った。

中は普通にコンビニである。
お菓子系食品類の種類が現地化してるという程度で中は普通である。
雰囲気は日本のそれと変わらない。
これって結局いくらくらいなの? という後藤の問いを、福田が為替換算掛ける暗算で答えて行くようなやり取りをしながら、当初の目的の飲み物と、意図的に怪しげな方向を選んで菓子類を買った。

店を出てそのまま別のどこかへ、ということはしない。
来た道をそのまま戻る。
帰りは雑談だった。
後藤が話して福田が答える。
いつも何読んでるの?
上海ってなんでシャンハイって読むの? 中国はチュウゴクで日本語っぽいのに、なんで上海だけ急にシャンハイってどう考えても日本語じゃない読み方になるの?
福ちゃん彼氏いる?
よっすぃーたちどこ行ったんだろう? 上海の観光地ってなんかあるの?
市井ちゃんって卒業したらどうするの?

合宿初日から同部屋だったけれど、あまり雑談をしない二人だった。
もうすぐ三週間。
会話が無くても、それぞれのペースというのは三週間同じ部屋で暮らせば、まともに空気が読めるならば大体分かってくる。
部屋の外で二人、というシチュエーションは今までなかなかなかった。
別に、会話で繋がないと場が持たない、というようなことはないのだが、街の雰囲気がなんとなく後藤に口を開かせたようだ。

福田の答えは、彼氏はいません、興味もありません、のところだけが明快だった。
後藤は、そんなに力いっぱい興味ありませんを主張しなくていいのに、と笑った。

宿まで戻ってロビーに入る。
エレベータに乗れば部屋まですぐだ。

「お茶でも飲んでかない?」
「なんですかその軟派みたいなセリフは」
「福ちゃんも軟派されたこととかあるんだ」
「いや、あの、そういうわけじゃないですけど」

部屋には向かわずに、コンビニの袋持ったままムーンバックスへ向かう。
大会開幕前日、福田が一人で長時間座ってた店だ。

店では先に福田が注文して、後藤は同じもの、と身振りで伝えた。
この前と同じ席は埋まっていたので、店内の明かりの少ない場所へ二人で座る。
たいした距離ではなかったけれど、少し歩いたのでちょっと一服。
座ってからの方がしばらく静かだった。

ぼんやりしだすと本当にぼんやりして何も言わない後藤。
考え込み出すとじっと考えて口も開かずにいられる福田。
でも、二人、正面で向かい合っている。
先に口を開いたのは、考え込んでいたわけではない福田の方だった。

「明日明後日、後藤さん、自信ないんですか?」
「ん? 試合?」
「はい」

行きの話しの続きだ。
話がまとまらないまま、街の空気に流されて薄れて行った部分。
同じ思考の淵に戻りたくないから、後藤は部屋に戻らずにお茶に誘ったんじゃないかと福田は思った。
だから、話しをそこに戻す。

「自信はないね。ない」
「でも、信田さんは後藤さんを選んで使ってるじゃないですか」
「明日どうかはわからないけどね」
「わからないですけど、昨日も一昨日も出てたじゃないですか」
「なのにダメダメで、キミには悪いと思ってるよ」
「そうじゃなくて」

福田の声が少し大きくなった。

「私みたいな試合に出られないような人間のことを気にする必要はないんですよ後藤さんは。でも、それはそれとして責任を果たそうとするべきだとは思います。代表チームのコートは、弱い気持ちのまま立っていい場所じゃない」

同情して欲しいわけじゃない。
試合に出る出られないは自分の問題だ。
後藤の問題はそこじゃない、と福田は思う。
ただ、見ていて歯がゆい思いになるのも確かだ。

「少なくとも信田さんから見て後藤さんは出来ると思ってるから試合に出てるわけじゃないですか」
「うん、そうかもしれないね」
「だから出来る、とはもちろん言い切れないですけど、でも、出来るとしたら後藤さんだってことじゃないですか?」
「キミ、しゃべるときは結構しゃべるんだねえ」
「いや、なんかすいません」

後藤の言葉に皮肉のニュアンスを感じた福田は、年下としてわびた。

「でも、後藤さん、勝ちたいとか負けたくないとか、そういうのないんですか? 負けて悔しい、何とか見返してやるみたいなの。明日勝てば、反対側は他人事だからいいきれないけど決勝でもう一回韓国来そうじゃないですか。そうしたら今度こそって」
「後藤、正直言って、そういうのあんまりないんだよね」
「ないんですか?」
「うん」

ない、といわれて福田は繋ぐ言葉を失った。
福田にとって当たり前の当然過ぎる価値観を、後藤はそんなものは持ち合わせていないと言ったのだ。
異文化だった。

「後藤は、本当は勝っても負けても笑っていたいんだ。楽しいことっていろいろあるじゃん。バスケもその中の一つ。でもさ、そうでもない人もいるでしょ。勝ちたい勝ちたいって頑張る人。それが悪いとは思わないけど、後藤はあんまりそうは思わない。だけど、自分がそう思わなくても周りがそう思ってると、自分だけ関係ありませんって顔は出来ないじゃん。出来ないって言うか、後藤、自分が好きな人が悲しい顔するの嫌だもん。だから勝つために頑張ろうかなって思う。なのに、自分のせいで負けたらさあ、自分が周りの人泣かせたのと一緒だもん。それをまたやっちゃうのかな、って思うと怖いよね」

福田にはない論理だったけれど、言っていることは分かった。

「やさしいんですね」
「そう? 自分がない、みたいなこと言われたりするよ」
「そこは紙一重かもしれないですけど。自分をしっかり持ってるのとただのわがままも紙一重だし、一緒ですよ。そういう話を聞いちゃうと、自分がただのわがままな気がします」
「そんなことないよ。自分は自分で多分大変なのに、後藤の話をこうやって聞いてくれちゃったりしてるじゃん」
「いや、ただ一人試合にも出られない立場の人間が、自分のことなんか考えてるってのがもうダメじゃないですか。戦力になってないんだから、コートの上以外の場所で何かチームに貢献することを考えないと。そういう面で、吉澤さんてすごいんだな、って思いました」
「よっすぃー?」
「あの人たぶん、私のこと口うるさい生意気なガキって思ってて、自分は嫌われてると感じてるような気がしますけど、私は結構認めてるんですよね、高校のチームの時から。失礼だけど、吉澤さんもこのチームじゃあんまり戦力として役に立ってないじゃないですか。でも、チームを盛り上げようとして久住とバカやってみたり、今日もなんか適当に声かけて出かけるメンバー募ってたみたいですけど、実際には考えて声掛けるメンバー選んでるんですたぶん。割と親しそうにしてるのに藤本さんとかスタメン組みは多分誘ってなくて、後藤さんはともかく、私みたいな本当はうざいって思ってるだろうに、試合出てなくてつまんないだろうからって気を使ってみたりして」
「うざいってことはないんじゃないの? 頼れるポイントガードでしょ、チームじゃ」
「最初はそうだったかもしれないですけど、もう私なんか抜きでも、吉澤さんも松も、みんな十分力ありますから」

松江のチーム事情まで後藤の知ったことではない。
戦力としてどうかの分析なんてことは、性格的に福田相手に後藤が発言して説得力を持つ、というのは非常に難しいことだった。

「でも、私が吉澤さんみたく出来るかって言われると出来ないし、やったって周りから変な目で見られるだけですし。どうせ藤本さんが最後まで行く、と思ってても、どうしても高南相手に自分だったらどうするかを考えちゃう」
「それは考えて悪いってことはないでしょ。ていうか、後藤とか他の人も、もっとちゃんと考えなきゃくらいな感じで」
「そうですけど、考えた挙句結局出られないんじゃ意味ないんですよ。考えるだけで試合にも出ないんじゃ役に立ってませんし。ただの頭でっかちな生き物なんですよ」

後藤をなじっているようでいて、途中から福田の話しになっていた。
愚痴というか、悩みというか。
試合に出られなくても考えてしまう試合での対処方法。
考えても考えても、結局出られないことが、福田の苦しみを増していく。

「後藤のことは、試合に出られる分だけ幸せだって風に見える?」

一呼吸置いてから後藤が問いかけた。

「そうですね。うらやましいっていう部分はあるかもしれません。だから、失礼なことを言ってしまってるのかもしれません」
「失礼ってことはないよ。当たってると思うし」
「もっと自分のことをコントロール出来る人間のつもりでいたんですけど、ダメですね。余計なこと言ってしまって。すいません」

失礼、とは思わないが、きつい口調になるな、とは後藤は感じていた。
自分に向けて、というよりもただ福田の中にあるトゲトゲしたものが表に出てきてしまっている、というだけのことだと感じている。

「後藤は、たぶん、日本を背負うとかそんな大それたことは言えないけど、明日とか明後日とか、もし試合に出ることがあったら、キミの思いは背負おうと思うよ」
「だから、試合に出られない人間の気持ちとか考えなくていいんですよ後藤さんは」
「いいや。考える。もちろん、誰かが替わりに頑張れば満足、なんてタイプじゃ福ちゃんはないんだろうから、いつか来るチャンスに向けてしっかり準備して待てばいいよ。それこそ後藤が何考えてるのかなんて関係なく。でも、後藤はキミの気持ちは背負おうと思う。キミのためには頑張ろうと思う」

そんなこと言わなくていい、とまた言おうかと福田は思ったけれど、やめた。
後藤さんなりの歯止めであり支えなんだろうな、と思ったから。
今のままじゃいけない、ということを考えての、試合に向けての支え。
それを否定する権利はないんだろうな、と思った。
それこそ、試合に出られない立場の人間の役の立ち方、の一つなのかもしれない、と思う。

奥に座っていた後藤が福田ではなくてその後ろの遠くを見ている。
何かを見ている、というのを感じた福田が振り向いた。
視線の先には飯田がいた。
二人を見つけた飯田、店に入ってくる。
後藤が手を振った。

「珍しい組み合わせだね。何つながり?」
「何つながりって、部屋一緒だもん。ね」
「初日から一緒ですよ」
「そうなの?」

いまさら驚くことではない。
飯田は福田の隣に座る。

「散歩?」
「うん。外まで出かける気しなかったから適当に」
「ていうかなんか買ってきなよ」
「注文できるかな? 言葉自信ないけど」
「日本でも言葉あんまり出来なくても大丈夫なんだから大丈夫じゃない?」
「なんだとー。見てなさい。しっかり買ってくるから」

飯田はバックから財布を取り出しカウンターへ向かう。

「後藤さん、年上相手でも敬語とかないんですね」
「んあ? うーん、あんまりないな。怖い先生とかには使うけど。一応信田さんなんかはなんちゃって敬語くらいは使うくらいかな」

体育会にあるまじき人間である。
でも、なんとなくそれで後藤は許されていた。
面と向かって苦情を言ったのは市井くらいなものである。

飯田は普通にアイスコーヒーを買ってきた。
松浦のように凝ったものを無理に買おうとはしなかったようだ。

「部屋で休んでなくていいんですか?」
「ずっとごろごろしててもなんかね。リズム狂っちゃうし。二人こそいいの? 休んでなくて」
「後藤もなんかごろごろしてて飽きちゃった」
「私は別に。休みが必要なほど疲れてないですし」
「だったら吉澤とどっか行ってくれば良かったでしょ。あいつ、私のことは一言も誘わずにどっか行ったんだって。オフ日のためにガイドブックなんかも用意してきちゃって」
「飯田さんは誘われたら出かけたんですか?」
「うーん、どうだろう。さすがに観光地歩き回る系はちょっとあれだったかな」

ここ三試合で飯田の出場時間は石川についで長い。
韓国戦、北朝鮮戦、体を張ったインサイドのプレイは疲労を蓄積させているはずである。
ずっとごろごろしてても、と言ったものの、ようは寝起きの散歩といったところだろう。

「しかし、圭織と違って明日香たちは子供のくせにムーンバックスでお茶してるとか生意気よね」
「そんなこと言って、一つか二つしか変わらないでしょ」
「社会人と高校生は違うもん。そういえば、後藤なんかは卒業したらどうするの?」
「さあ。卒業できるのかな」
「なによそれ。後藤は大学って感じじゃないから、うちにでも来る? って圭織が決められるわけじゃないけど。明日香は? まだ先だろうけど」
「私は大学には行こうと思ってますけど」
「明日香は大学とかむいてそうだもんね。圭ちゃんみたいに受験失敗で浪人とか面白いことしてくれてもいいけど、声かけてくるとこがいっぱいあって選ぶだけか」
「保田先輩は受けた大学が難しいところばっかりだったってだけで、別にダメなわけじゃないですよ」
「そうかもしれないけど、素直に推薦もらっとけば良かったのよ。浪人したけど東京出て一人暮らしの予備校通いって、どこの昭和時代って感じで。インターハイ出たんだから拾ってくれるところもあっただろうに。紗耶香はどうするって?」
「さあ。あの人はよくわかりません」
「圭織って市井ちゃんのこと知ってるの?」
「国体で一緒にやったしね。ていうか、後藤が紗耶香のこと知ってる方が圭織には驚きなんだけど。しかも市井ちゃんって。紗耶香がちゃんて。なんか笑える」

人と人がどこで?がったかなんて、傍からは分からないことが多いものではある。

「そっか、圭織と市井ちゃんていうか福ちゃんは一緒のチームでやったことあるんだ」
「そうよ。ほとんど二人だけで富ヶ岡を振り回してあげたんだから」
「試合的には惨敗って感じでしたけどね」
「でも、圭織楽しかったよ。本当に強い相手とぶつかる時に明日香みたいなガードにサポートしてもらえたのって、高校三年間であの一試合だけだったから。

飯田は高校生活三年間は、自身のワンマンチームで過ごした。
最後の選抜大会は貧弱なガード陣を弱点と突かれ、滝川に序盤で勝負を決められている。
そんな中で、福田と組めた三年時の国体は貴重な体験だった。

「そうよ。久しぶりに明日香と組んで試合できると思ってたのに、なによこれ。全然そんな展開ないじゃない。ミキティもいいんだけどさ、明日香も頑張ってよ。感情丸分かりのミキティと違って、いつもクールな明日香のゲームコントロール結構好きなんだよね」
「別にクールってわけじゃないと思いますけど」

そう見えるように振舞っているだけで、頭の中ではいろいろな感情がうごめいているのだ。

「しっかり準備して待っててよ。中国は簡単な相手じゃないし。あのリボン女とやり合ったらミキティだって簡単にはいかないんだから、明日香に出番が来る場面もあると思うし」

これは、認められているのだろうか、それとも慰められているのだろうか、と福田は思った。
試合に出られない若手の感情をなだめるキャプテン、というようなシチュエーションだ。
どうしてこうなった?
まさに一年前、国体の頃は自分と飯田、二人でゲームを組み立てていて、二人だけが通用していて、年の差はあっても対等な力関係だったはずだ。
それが今や、慰めると慰められるの関係になっている。
社会人と高校生は違う。
社会人になって伸びた飯田と、成長のない自分の違いなんだろうか。
技量面で成長していない、と信田に言われた。
それも、福田の中で引っ掛かっている。

「後藤もだよ。なんか変に自信なくてしる気がするけど、明日香と違って細かいこと考えるのに向いてる性格してないんだから。何にも考えずにがんばればいいのよ」
「圭織に言われたくないよ。こまかいこと考えるのに向いてないって」
「何を言う。圭織は細かくて細かくて仕方ないんだぞ」
「意味わかんないし」
「とにかく、明日はみっちゃんの敵討ちなんだから。絶対勝つの。だから明日香もしっかり準備して待つ。後藤も集中して頑張る。いい?」
「敵討ちって、中国にやられたわけじゃ・・・」
「細かいこと気にしない」

福田と後藤は、そこはもう突っ込まなかった・・・。

吉澤たちが出かけたり、飯田が散歩していて後藤と福田の間に乗り込んで行ったりしている頃、平家は当然のように部屋にいた。
この足で用もないのに出かける、というのはない。
同室の吉澤は出かけてしまった。
最初は気を使って部屋に居ようかという振る舞いをしていたのだが平家が追い出したという部分がある。
私は腫れ物じゃないよ、といったところだ。

無念じゃない、ということはありえない。
どうして自分は肝心な時にこんなんばっかり・・・、と思う。
高校三年間の締めくくりの大会、準決勝で怪我をして決勝は途中でベンチに下がらざるを得なかった。
あの時は最後自分がいなくなって、決勝、石川が逆転して勝ってくれた。
悪い思い出ではない。
そうするとこれは吉兆か?
自分の怪我がチームにとって吉兆になるというのは、なんとも嫌な人生である・・・。

インターホンが鳴る。
部屋に客が来た。
杖ついてよたよたしながらドアを開けに出る。
やってきたのは柴田と村田だった。

「元気そうだね」
「元気なもんか」

そう言いながら杖を振り回す。
暇だったので来客は基本歓迎だ。

「日本帰らなくて良かったんですか?」
「帰ったって寝てるだけだし。それならこっちでベンチに居た方がいいよ」
「でも、ちゃんと日本で診てもらった方が」
「ちゃんと診てもらったし、チームドクターもその診療で納得したんだから私もそれは信じるし、日本帰っても一緒だよ。リハビリできるくらいまで回復すれば話しは違うけど、それまではただ待ってるしかないんだし。勝ち試合目の前で見る方が薬だね」

大会が終わったら、WJBLの試合に向かって行くはずだった。
リーグの中では弱小の部類に入るチーム。
平家は新人にしてスタメン候補。
この三週間チームから離脱した分、合わせの面で不安があって、開幕当初はベンチスタートになるかなと思っていたが、それでもシーズン中にレギュラーを掴む自信があった。
なのに、それも全部御破算だ。
今シーズンは多分無理。
だったら、せめて、自分が関わった、グループリーグ突破に貢献した、このチームに最後まで付き合いたい、そう思うのは自然だろう。

「痛くはないの?」
「痛み止め飲んでるから今は問題ない。まるっきり試合出られないからドーピングも気にしなくていいし、はっきり怪我しちゃった方が痛みは消せるって、なんか変なの」
「そういえば、いまさらだけど謝っとこうかな」
「なにを?」
「選抜のとき。怪我させてごめん」
「ああ・・・。あったね、そんなこと」

平家がちょっと前に頭に浮かんでいた思い出。
村田の方も怪我をした平家の姿を見て思い出したようだ。
選抜準決勝の平家の怪我、原因は村田とのゴール下での競り合いである。

「あれは昨日のとは違って、怪我させられたってのとは違うでしょ。私の方がバランス感覚が悪かったというか、運が悪かったというか、ただそれだけで。でも、あれでベンチに下がった後見てて思ったよ」
「なにを?」
「この子強いなーって」
「私のこと?」
「うん。責任感じる必要のない、私の自損事故みたいなもんだったけど、でも、ぶつかりあってたのは確かで、変に責任感じてその後のプレイが変になるとかあるじゃない結構。なのにそれがなくて、私が抜けた後のゴール下支配してどんどん追い上げてきてさ。強いなって。それと対称的に、この柴田なんかまさにそれで、国体で是永美記を後ろから押しつぶすファウルして、その後のプレイがひどいのなんのって」
「そんなこともありましたけど・・・」
「でも勝ったんでしょ?」
「是永美記が別に怪我も何もしてなかったからね。ファウルのとき痛かったってだけで。あれがなんかあったら、柴田のノミの心臓じゃ再起不能だったかも」
「怪我させて平気な方がおかしいんですよ」
「肝に銘じておきます」
「あ、いや、めぐさんのこと言ってるんじゃなくて」
「柴田もねえ、もうちょっとしたたかになってもらうといいんだけど。もういい年なのにいつまでたっても素直な良い子やってるんだよね」
「平家さんからはそう見えるだけで、私だって梨華ちゃんとか後輩相手にはそういうところだってありますよ」
「意外と、先輩からは素直な良い子に見えるように振舞うしたたかさがあるのかもよ」
「まあ、私が怪我して、珍しくコートの上で相手を怒鳴りつけたりしてくれたらしいからこの辺で許してあげようか。そのまま感情に溺れて相手にひざ蹴りいれるくらいメンタルは安定しているようだから、素直な良い子は見せかけっぽいし」
「もう! 平家さん全然元気じゃないですか!」

許してあげようと言いながら、最後に追い討ちを掛けた平家の腕を柴田は軽く叩いた。

「あゆみんもサイボーグじゃないからね。仕方ないよ」
「体がサイボーグで心は人間のままくらいが丁度いいのかな」
「もう、知りません!」

ぷりぷり怒りながらも、柴田は居心地の悪さは感じていなかった。
本来、こんな風な方が自然なのだ。
後輩相手に立派に振舞っている方が気が張って疲れる。
先輩たちに手の平の上で転がされているくらいな方が楽でいい。

「でも、ホント、案外元気そうで良かったよ」
「泣き腫らした目で、私のために優勝して、とか訴えた方が良かった?」
「平家さんがやっても似合いません」
「そういうのこそ、良い子の柴田がやるといいのかな」
「だから、もう、良い子は置いといてくださいよ」
「分かった分かった。でもさ、アクシデントがあった時に泣いて絶望するんじゃなくて、その現実に向き合って、さて困ったもんだどうしようか、と割とすばやく考え始められるのは自分の美徳だと思ってるのよ、私」

泣いても現実は変わらない、とかそういうような類の話だ。
そこについて、村田も柴田も否定はしない。

「ベンチ下がって、というかそのまま医務室直行して、痛い痛い痛い言いながらも、これは今日は無理だな、明後日までに回復するかな、無理だな今大会無理だな、あれ、選手生命やばい? 大学行っとけば良かったかな、うちの会社選手崩れでも働かせてくれるかな、事務? なんか無理っぽいし工場勤務かな、そっちの方が向いてるか、いや、体育会を生かして営業? 中国に売り込みとか別に怖がらずいけるし貴重な戦力じゃない? あ、大学出てないとそっち系はやらしてもらえないか。いやいやまて、選手生命を諦めるな。この後のリーグ戦に間に合うかを考えろよ、とかそんなことが頭の中をぐるぐるとね、めぐってた。意外なほどね、あの誰だっけ、名前知らないけど、まあ、あの暴力女? あれへの怒りとか恨みとかはなかったね。というかそこに発想は行かなかった。いや、腹立つけどさ、あんなむちゃくちゃやられたら。でも、怒ってる場合じゃないって言うか、私の将来どうなる? どうする? みたいな。て言いつつ、頭の半分というか八割くらいは、痛い痛い痛いで占められてたから、怒りへエネルギーが向けられないってだけだったかもしれないけど」

二人は神妙に聞いている。
平家さんは大人だな、と柴田は思った。
というよりも、まるっきりあの後の自分の行動が子供そのものではないかこれでは。

「試合の心配とかはしてくれなかったの?」
「うん。負ける相手じゃないって思ってたし。別に、私がスーパー大エースってチームじゃないから、私一人いなくても大丈夫でしょって感じで。ちょっとね、柴田はこんなだし、石川あたりもメンタルに問題あるから変に爆発したりしないかそっちは心配だったかな。一応、二年ほど先輩やってた仲だから」
「高橋の心配はしなかったんですか?」
「あいつにメンタルの問題がないっていうのはありえないけど、でも、私のことで切れる気はしないなあ」

自分や梨華ちゃんと、高橋では扱いが違うらしい。
柴田はなんともいえない気分だ。

「一応、結果は気にして待ってたよ。勝ったって聞いた時はさすがに、あそこまでやっといてあの暴力女、炭鉱送りかなあ、ざまあみろとは思った」
「女子でも炭鉱送りなの?」
「穴掘るんじゃなくて掘られる方だったりしてね」
「な、なに言ってるんですか平家さん!」
「なに照れてるの柴田。何を想像したんだ?」
「し、し、しりません」

顔赤くしてむくれる柴田を平家と村田は笑って見ている。
先輩たちの手の平で転がされているだけなら悪い気はしないが、これは居心地が悪い。

「次のシーズンは無理そう?」
「たぶんね。リハビリで終わっちゃうかなほとんど。出来ればシーズン最終戦に間に合うようにっていう目標でリハビリやって行く感じになると思う。変な話、うちは最後は入れ替え戦に回る可能性がかなりあるから、リーグ戦全然出られなくても、そこで仕事できればチームへの貢献って意味じゃ十分あるしね」
「半年近いリーグ戦ってどんな感じなのかなあ」
「私もそれを体験したかったんだけどね。まあ、しょうがない」
「リーグ戦てのがそもそもなんか感覚わかんないんですよねえ」

大学生の村田、社会人の平家、高校生の柴田。
三者三様の立場。
高校生は基本トーナメントだし、大学はリーグ戦がメインだけどせいぜい二ヶ月で終わる。
それに対して社会人のリーグ戦はプレーオフまで含めると半年に及ぶ長丁場だ。

「あー、でも、こうやって冷静になってみると、明日出たかったなあ」
「中国と一戦交えるなんてあんまりない機会だしねえ」
「柴田、明日はスリーポイント十本がノルマね」
「十本て。無茶苦茶ですよ」
「大丈夫、柴田なら出来る」
「あゆみんなら出来る」
「勝手なことばっかり言わないでください」
「十本決められなかったら炭鉱送りね」
「だから無茶苦茶ですって」
「そんな顔真っ赤にして否定しなくても」
「何考えてるんだ?」
「知りません」

先輩たちの手の平で転がされている方が楽で心地よい・・・、のは錯覚だったかもと思う柴田だった。

目が覚めたら一人だった。
一人じゃなかったから寝てた、という部分はあるが、大人しく部屋にいたい、というのは宿に戻って最初に思ったことではあった。
ただ、部屋に二人で居るのはちょっと・・・。
明日香ちゃんなんかだったらもちろんいいし、吉澤さんでもまあ許そう。
他の人たちもたいていそんなに問題はない。
松浦亜弥は社交性抜群なのだ。
誰とだって適当には合わせられる。
この人きらーい、と腹の中でも思っていても、短い付き合いならニコニコ笑って猫被っていられる。
長くなってくると、猫の皮は破けてしまうが、二三週間なら耐用性はあるはずだ。

だけど、こいつだけはそりが合わなかった。
高橋愛。
いろいろな点で問題がありすぎる。
インターハイではマッチアップして、雑魚のくせにてこづらせてくれた。
あの試合の敗因は四年生がダメ人間だったことだけど、そのハンデを差し引いても、自分がこんな雑魚にてこづらなければ確かに勝てたかもしれないのだ。
そこがまずむかつく。
その上、ここに来てからは明日香ちゃんのポジションを奪いやがって。
下手なくせに。
黒美貴たんならまだ分からないでもないけれど、なんでこいつが、と思った。
それに、ポジションがスライドして自分のところを奪っていきかねない存在でもある。

ついでに、ここに来るまで全然知らなかったけれど、性格的にも難あり、いや、ありすぎる・・・。
なんなんだあのからみづらさは。
陸上とか卓球とか、人と関わらないスポーツでもやってろと言いたくなる。
いや、紺野ちゃんはオッケーだけど、別に陸上部に恨みはないけれど、そういうことじゃないけれど、そういうことなのだ。

というような存在となんで同部屋・・・。
ババ抜きのばば引いてしまったようなものだ。
美記たんがアメリカ行っちゃうのが悪い。

部屋でごろごろしながら和やかにおしゃべり。
とてもじゃないけれど、そんなことしようと思うような相手ではない。
そういうオーラをこっちは発しているはずなのに、あの絡みづらい女は、なにやらぺちゃくちゃ話を振ってくる。
全然分かっちゃいない。

かといってどこかへ出かけるのも億劫だったので、本格的にベッドにもぐりこんで眠ることにしたのだ。
さすがに寝ているところを引っ張り起こすほどの無茶はしてこない。
気がついたら眠り込んでいた。
いや、気がつかなくなっていた、という方が正しいか。
気がつかないでいる間に高橋愛は出かけていたようだ。
どこ行ったのかなんか知らない。
興味もない。
いない、という事実が大事なのである。

寝ていたのは大体二時間くらいだろうか。
まあ、この辺が限度だろう。
これ以上長く寝ていたら夜に寝られなくなってくる。
そろそろ起きるべきだろう。

窓の外は晴れ渡っていた。
光あふれる異国の街。
そう表現すれば素敵な気がするが、松浦からすればここはただの中国である。
中国なのに意外に都会だな、と思ったがそれだけだ。
せっかくだから街を歩きたい、とはあまり思わない。

部屋で大人しく本を読む、というタイプでもない。
メールでも、と言ったって松浦の携帯は海外に出たらただの時差ずれした時計でしかない。
テレビをつけてみたが、何言ってるのかさっぱり分からない。

必然的な展開として、鍵を持って部屋を出ることになる。

何の迷いも無く向かった先は福田-後藤部屋だった。
いない・・・。
二人とも出歩くタイプでもなさそうなのにどこ行ったんだ? と思うけれど探す術はない。
さて、どこへ行こうか。
福田部屋前で考える。
吉澤さん、というのはなんか違った。
あと面白そうなのは・・・。
あのちょっと偉そうな黒美貴たんの顔でも見に行ってやるか、と思った。

今度はいた。
扉が開く。

「亀ちゃん?」
「あややさんでした」

中に向かって報告している。
ここは藤本-光井部屋なはずだ。
なんだ先客かよ、と思いつつ中に入る。

「なに、亜弥ちゃんも美貴に合いたくて来ちゃったの? 美貴、人気者だなあ」
「なんでそうなるんですか。ていうか、なんです、その偉そうな態度」

偉そうな態度。
藤本はベッドに寝そべっていて、足を光井にマッサージさせている。
隣のベッドには里田が座っていた。
里田と亀井が同部屋で、二人揃ってこの部屋にやってきていたという構図である。

「中学生に仕事させて何が悪い」
「そんなんだから黒美貴たんって言われるんですよ」
「それ言ってるの亜弥ちゃんだけだし」

間違いなく体育会の世界に住む人間たちが集まる代表チームの中でも、藤本はその権化のような立場である。
年下をこきつかうことはなんとも思っていない。

「亜弥ちゃん一人? 友達いないの?」
「なんでそうなる。寝てただけですよ」
「誰だっけ、部屋」
「高橋愛。寝てる間にどっか行ったみたい。望むところだけど」
「梨華ちゃんとかと出かけたみたいよ」
「石川と? あとはなに、柴田とか?」
「あゆみんは行かなかったんじゃないかな。よっすぃーが誘ってまわってた。亀ちゃんも誘われてたよね」
「なんか外暑そうだから行きませんでした」
「美貴誘われてないよ」
「あんまり試合出てない子選んで誘ってたみたいだから」
「じゃあ何で石川」
「自分で行きたいって割って入ったみたい」
「体休めろよ。ガキかあいつは」

里田は午後の早い時間にちょっと買い物に出ていて、出かけていく四人と鉢合わせていた。

「それで亜弥ちゃん一人で寂しくて美貴の部屋着ちゃったんだ」
「違いますよ」

たいして違わないが、そうですよとは言えない。

「みっちーにマッサージしてもらおうかと思って」
「貸さないよ。亀にでもしてもらいな」
「亀子、マッサージうまい?」
「いえ、全然。でもやります」
「無理しなくていいのに」
「あややさんの体触ってみたいから」
「怖いこと言うね」

もう一つのベッドの方に松浦はうつ伏せになる。
里田は苦笑しつつもどいた。
亀井が松浦の足の部分に座りまず、右足のふくらはぎから触る。

「くすぐったい、くすぐったいって」
「亀、それ全然マッサージになってないよ」
「人のマッサージなんてやったことないですもん」
「なにそれ、じゃあ、もういい」
「ダメです。頑張りますから」
「いや、いいから」
「大人しく実験台になってなよ」

起き上がろうとする松浦の体を里田が抑えた。
うつ伏せの松浦の背中に里田が座り込み、足を亀井が掴んでいる。
抵抗出来ない体勢になっている松浦のふくらはぎを亀井がさすっていた。
同性だから許されるけれど、結構すごい絵柄である。

「くすぐったいくすぐったい」
「亀、もうちょっと力入れてあげないと」
「こうですか?」
「痛い! 痛い!」
「なんか面白いからみっちー、あっちに混ざっていいよ」

藤本が面白がって光井を自分のマッサージから解放した。
亀井が右足、光井が左足、里田が背中、押さえ込まれてうつ伏せな松浦。
松浦は自由になる両手でばんばんベッドを叩いている。

「もういい、もういいって」
「大人しくマッサージされてな亜弥ちゃん」
「マッサージじゃない。全然マッサージじゃない」

みうなに教えられて、ちゃんと上手にできるはずの光井も、面白がって松浦の太ももをくすぐっている。
亀井はまじめなのかそうでないのか、ふくらはぎをつまんでいるのだが、これがまたくすぐったい。

「ギブアップ! ギブアップ! ごめんなさい! 許して!」
「そろそろ解放してあげたら」

藤本の一声で里田は背中から降り、亀井と光井もくすぐりマッサージを終了する。

「もう、なんてことするんですか!」
「友達のいない亜弥ちゃんにスキンシップの楽しさを教えてあげただけじゃん」
「友達はいますから」

松浦が一人でぜいぜい言っている。
それを見て、また四人が笑った。

ただの夏合宿のような平和な光景。
実際には、国際大会の中日休養日である。

決戦は明日。
CHN48戦。

スタメンは朝のミーティング時に告げられた。
藤本、柴田、石川、里田、飯田。
特に、意外な顔はあがっていない。
メンバーの側もごく自然に受け入れた。
試合は夕方からだった。
前座が二試合、5-8位決定戦が早い時間にある。
準決勝第一試合、中国vs日本はその後。
土曜日のこの日、夕方からの試合、たかが年齢別のアジアの大会にもかかわらず、第二試合が終わる頃には観客席は満員だった。
国民的アイドルのコンサート並みの人気である。

第二試合が終わり、日本チームが試合前アップでコートに入っても、CHN48は現れなかった。
何をもったいぶってるんだ? とぶつぶつ言いながらのアップ。
会場には熱気が渦巻いているのに、それが自分たちを後押ししているわけではないという空気は、やけに肌触りの悪いものだ。
気にするべき相手がいれば、まだ、ちらちら見ながらである意味落ち着けるものも、その存在すら現れていないのでは逆に気になってしまって落ち着かない。

自分はスタメンではない、というのは朝のミーティングで分かっているし、それ以前にその可能性を感じたこともない。
それどころか、きちんと戦力として自分がカウントされている可能性すら低いかもしれない。
そんな立場なことを理解していながらも、吉澤はこの妙な空気の中で落ち着きを無くしていた。
ボールがまるで手に付かない。
体を動かす、というのが主目的な、単なるスクエアパスでボールのキャッチミスをする。
軽い動きでのランニングシュートが入らない。
三対二のディフェンスで足が動かず簡単に抜かれる。
落ち着きが無くボールが手に付かず足も地についていない。

グループリーグの時とは空気がまるで違った。

日本チームがランダムシューティングに入っているころ、試合開始五分ほど前、突然、会場全体から地鳴りのような完成が起こり、体育館が揺れた。
CHN48のメンバーが入ってきた。

会場のボルテージが上がるのと対称的に、入ってきたCHNのメンバーたちはリラックスしたものだった。
観客席に手を振っているものもいる。
ベンチにタオルやら飲み物やらを置いているメンバーを尻目に、一人ボールを突きながらコートに入ってきた。
流れで六十度くらいの角度からスリーポイントシュートを放つ。
ストーリー的には、しっかり決めて会場を沸かせたかったのだろうが、ボールはリング手前に当たり、シューターとは全然違うところに跳ね飛んで行った。
本心かポーズか、ガクッとこけて見せて頭を掻く。
会場、笑い。
隅に居たコートキーパーがボールを拾って投げ返す。

「峯南!」

ベンチからリボン女が呼んだ。
呼ばれた当人は、観客席の何箇所かに向かって小刻みに頭を何度か下げてからベンチに戻った。

「なんだありゃ」
「目立ちたいだけでしょ」

吉澤のつぶやきに藤本が答える。

「いやー、アウェーだね。いいね。悪役。ゾクゾクするね」

何言ってるの? という顔で吉澤は藤本の方を見る。

「国際試合ってのも悪くないね。美貴も、世界一ってやつになってみたくなってきたよ」

試合開始三分前。
日本ベンチがメンバーを呼び集めた。

中国人の係員が一人、日本ベンチについていた。
スターティングメンバーは場内でコールされてそれに従ってコートに上がって行く。
コールは中国語。
分かるわけがない。
それで、入って行くタイミングを告げる係りが付けられている。

コーチがスタメンをメンバーに告げるときは、大抵ポジション順に名前を呼ぶが、場内アナウンスの時は背番号順になるものだった。
なにやら前置きを中国で言ってるらしい、と思っていたら飯田の肩を中国人がたたいている。
ああ、行けってことね、と飯田はベンチメンバーたちとハイタッチを一人一人して、最後に信田とタッチを交わしてセンターサークル付近に入って行く。
日本チームのキャプテンとして、ゲームキャプテンとして、コートに先に入っている主審副審と握手する。

四番飯田の次は六番の藤本。
会場からいくらかの拍手が出てから肩をたたかれつぶやいた。

「アウェーの割りに、美貴も人気あるんじゃん」

アイドルオタクは国境を越える。
ただし、次に七番石川の名前の時にそれよりも大きめな拍手があったものだから、藤本は多少機嫌が悪くなった。
向かって前と後ろ、向き直って観客席に手なんか振っている石川の頭を軽く小突いてやった。
十一番柴田、十三番里田、全員コートに入っていき、最後に監督として信田が呼ばれて軽く手を上げてから頭を下げる。

CHN48のメンバー紹介。
日本チームとは比較にならないほどの歓声、と思われたが、それとは違う種類の声に会場が包まれた。
歓声と言うよりはどよめき。
中にはブーイングまである。
おいおい、人気のチームなんじゃないのか? と思ったが、入ってきた顔を見て藤本は思った。
誰だこいつ?

顔はただ覚えていないだけという可能性もあるのだが、背番号が明らかに想定していた人間たちと違う。
ベンチでは信田がメンバー表をめくっている。
その間にもコートにはメンバーが入ってきている。
戦前に想定していた顔とは随分違った。
敦子も高南も麻友友もいない。

ようやく一度、はっきりと会場が沸いた。
こっちが来たのか、と日本側メンバーで反応したのは里田。
里田は戦前の想定ではおそらく敦子がマッチアップと考えていたが、高さを生かしたメンバー構成にした場合、麻友友を外して、敦子を三番に上げて、四番には小陽が入ってきて麻里子様と並べる、という選択もありえる、と伝えられてはいた。
その小陽がスタメンに顔を連ねている。

他の四人は結局、誰だおまえ? というメンバーだった。
グループリーグにはCHNは全員出ていたので、今日のスタメンも一度はコートに立ってはいるのだが、日本チームのアンテナにはひっかかっていない。
スタンドのファンたちからしても想定外だったようであるが、それでもこの想定外を喜ぶ一部のコアなオタもといファンの姿は見える。

「身長順にマッチアップしろ」

ベンチからは半ば投げやりな指示が飛んだ。
それ以外対応しようが無い。

「なんでこのメンバーなんだ?」

コート中央に向かって大きな声で指示を出した後、今度は小さな声で信田はつぶやいた。
小陽は分かるとして、他のメンバーがスタメンで入ってくる意味が分からない。
まったく試合に出てきていないなら秘密兵器という可能性があるのだが、グループリーグで試合には出ていて、特に目を引く部分がなかったメンバーなのだ。
怖さは感じないが気持ち悪かった。

コート上、ゲームキャプテンの飯田は、試合前の儀礼として相手のリーダーと握手を交わそうと思ったが、誰に手を伸ばせばいいのか分からなかった。
小陽かなあ、と思うのだがメンバーの真ん中に入っていてなんか違う。
順当に行けば自分の正面にいる人間なのだけど・・・、と迷っていると向こうから出てきて手を伸ばしてきた。
やっぱりこの子なのか・・・、と思うが、やっぱりというよりなんでという想いが強い。
こんな小デブがゲームキャプテンとか舐められてるんじゃなかろうか。

ゲームの始まり。
ジャンプボール。
飯田がジャンパーで、後の四人は身長に合わせてマッチアップを捕まえる。
今度こそ小陽、と思ったけれどジャンプボールに入ってきたのは同じくらい身長のある別の人間だった。
だれなの? このまゆげ、と口に出さずに思う。

小デブに藤本、小陽に里田、などなど。
それぞれしっかり捕まえて、飯田は構えて、レフリーが入ってくる。
ボールを投げた。

ジャンプボールは飯田が勝った。
藤本に落とす。
石川はさっと走ったが、藤本はそこにパスを送るということはせず、ボールを持って待った。
オフェンスは上がり、ディフェンスは付いていって。目の前には小デブ。

奇襲なのかなんなのか、よく分からないメンバー構成なので、藤本はとりあえず様子を見た。
ゾーンを組む様子はない。
普通にマンツーマンで付いて来るようだ。

バックコートにいたのでドリブル付いてフロンとコートに入る。
自分のディフェンスは低く構えてやる気は見えるが、そんなに怖さは感じない。
石川にフェイスでつくというようなこともなさそうだし、全体的にタイトということもなさそうだし普通だ。
とりあえず、崩そうというような意思も無く柴田へボールを送る。

柴田も戸惑っていた。
ディフェンスに怖さがない。
いつでも抜きされそうな。
まあ、とてつもなく下手というようなことはないけれど、自分が問題にするレベルではないような印象だ。
ただ、なにかあってもいやなので、いきなり勝負はしない。
インサイド、小陽を背負った里田へ入れる。

里田は他のメンバーとは感覚が違った。
敦子じゃなかったけど小陽だった。
どっちにしても十分怖い相手だ。
様子見、なんてしていられる相手ではない。
ローポストで小陽を背負って、自分のポイントを確保した。
いきなり勝負をしようとしたが、背中からの圧力が強い。
ボールを持った里田の方が押し出されずに堪えることしか出来ないような状態だ。
外、柴田と入れ替わって降りてきた石川へボールを戻して自分はゴール裏を抜けて逆サイドへ切れて行く。

受けた石川。
麻友友じゃない。
敦子でもない。
だれだこいつは? の極みみたいな相手だが、余計なことは考えなかった。
インサイドからボールが戻ってきて、前にはディフェンスが一人いて、中にいた里田はディフェンスをつれて逆サイドへ切れて行った。
ためらい無く勝負。

シュートフェイクを入れて右へドリブルを突く。
エンドライン側、ディフェンスはあっさり抜きされた。
ゴール下には小陽が里田を捨てて抑えに入ってきている。
その脇を抜いて逆サイドの里田へという選択もあったが、石川は自分で勝負した。
小陽が迫ってこれない位置でジャンプシュート。
今日の一本目、しっかり決めた。

立ち上がり、あっさりと点が取れてしまった。
予想外のスタメンは、特に強力なディフェンス、ということではないらしい。
じゃあ、やたらと得点力があるとか、運動量が多くて日本のスタメンクラスのスタミナを消耗させるとか、なにかあるんだろうか?
なんなのだろう?
そんな疑念をまだ持ちながらのディフェンス。

CHNガード陣はゆっくりと持ち上がってきた。
藤本、柴田、石川、アウトサイドはシュートを警戒しておく。
なんだか分からない相手、というのは得てしてシューターなことが多い。
タイトについてみる。
そうすると力のあるプレイヤーならディフェンスが近いのを生かして鮮やかに一対一で抜き去って行ったりするものだが、それもなかった。

外はボールが回るだけ。
日本のガード陣は崩れない。
CHNは単純な勝負をしてきた。
インサイドで小陽。
二十四秒がぎりぎりで、戻すという選択肢がなかった小陽は、ゴール下を抜けてきて振り向きながら受けたボールをそのままジャンプしてシュートを放つ。
これは里田にも見え見え。
そのブロックの上を越そうとしたシュートはリングにも当たらず向こう側に落ちて行くところで二十四秒オーバータイムのブザーがなる。
落ちたボールは飯田がキャッチして、そのままゲーム続行。

小陽プラス無名軍団は単なるこけおどし?
そう思いながらも、まだ疑念が晴れきらない。

日本チームはそういうおっかなびっくりさを全体がはらみながらのオフェンスだったが、一人、石川だけが細かいこと考えずに目の前の相手をそのままの姿と捉えてプレイしていた。
五本あったオフェンスのうち三本、石川の単純な一対一で得点している。
CHNは外の攻撃力がまるで無く、インサイド頼りだった。
主に小陽。
ただ、もう一人のセンターもそれなりに頑張っていた。
小陽が里田とミドルレンジから勝負し、ゴール下まで入って飯田もカバーにひきつけて一対二にしてから逆サイドに捌いたボールをノーマークでジャンプシュートを決めている。

そのあたりまで来て、これは怖がるべき相手ではないんだな、と全体が認識し始めた。
早いパスである程度崩れた状態になってから、藤本がゴール下へパス一本、相手いた飯田が踏み込んで簡単なシュートを決める。
あるいは里田がハイポストで背中に小陽、さらに外からのディフェンスも引きつけておいて、外の柴田に戻して、きれいなスリーポイント。
さらには里田のミドルレンジのジャンプシュートが外れたところを飯田がリバウンドで拾って決めたゴールもあった。
CHNはゴール下二枚でそれぞれ一本づつ決めて追いすがる。

第一ピリオド六分過ぎ。
13-6
日本オフェンスで柴田のスリーポイントが外れて大きく跳ねたボール、リバウンドを取りに行った石川が、先に落下点に入っていた相手にあたる形になりファウルを取られる。
時計が止まったこの場面で、藤本が石川と柴田を呼んだ。

「なんかスタメン、変な奴らが出てきたけど、大したことないって認識で良いか?」
「いいと思う」
「全然、韓国のが怖かったよね」

柴田も石川も、相手に怖さを感じていない。
今の石川のファウルは無駄なファウルであって、相手がうまくてせざるを得なかったファウルというようなものではない。

「よし。美貴、向こうのセンター陣は結構やるように見えてるんだけど、ガードはひどいと思うんだよね。だから、ここで一気に行きたい。前から当たろうと思うんだけど、二人は足動く?」
「プレスであたるってこと?」
「そう。ベンチからの指示が出てないからプレスとまではあれだけど、マンツーって言われてるからそれを拡大解釈してオールコートマンツーって感じで。でもきつめにやってボールを取りに行く」
「いいねえ。乗った」
「体力持つのか? 石川」
「自分で提案しといて何言ってんのよ」
「柴田は?」
「私はばてたらいくらでも代わりがいるし。やるよ」
「オッケー。一気に行こう」

レフリーが戻ってくる。
CHNエンドからの再開。
藤本が小デブを捕まえる。
これは試合開始直後から、割とオールコートでちょっかい出していたから、それがより近づいただけであまり違和感はない。
そこに石川も加わる。
さらに柴田はエンドのボールマンについた。

観客席もざわつく。
序盤からリードされて、観衆も不機嫌なのだ。
そこに、こんな早い時間から前から当たられるというようなあまり見ない展開を見せられて、穏やかではない。

日本ベンチでは信田が少し苦い顔をしていた。
勝手なことを・・・、という想いがないではない。
ただ、やめろ、と指示を出すことはしなかった。
一気に行けるなら一気に行きたい。
仕掛けてみるのは悪い手ではないとも思っている。

エンドからのボール、一本目のパスはディフェンスから逃げながら受けたオフェンスがすっぽりコーナーにはまっていた。
藤本の目論見通り。
柴田もすっと寄って来て、二人でコーナーに追い詰める。
苦し紛れに出そうとしたパスは柴田の手にあたり、こぼれたボールは柴田が自分で救い上げる。
目の前には、こぼれ玉を拾いに来た相手だがエンドライン側にさっと避けてゴール下、ディフェンスを避けて向こう側まで手を伸ばしてバックシュートを決める。

二本目も、と行きたいところだったが、そうは小陽が卸さない。
ガード陣が捕まっているところ、受けに戻った小陽へ長いパスがエンドから通る。
自分で持ちあがることはせず味方の上がりを待つ。
これを無理に取りに行くような、追い詰められた状態でのプレスではないので、日本のガード陣は素直に戻る。
CHNのセットオフェンスになって、最後は小陽がやや長めのジャンプシュートを決めた。

日本のオフェンスは次は藤本が外から持ち込んでディフェンスに囲まれる寸前に捌いて、受けた里田のジャンプシュート。
これでまた突き放して、前から当たる。

今度はがっちり捕まえた。
ガード陣の意図を理解した里田や飯田、小陽が戻って受けようとしてもそれが出来ないように対応している。
CHNの上三人は、藤本、柴田、石川の壁を破る力がなかった。
二本続けて止められる。
二本目、奪ってからセットオフェンスの形になり、最終的に藤本がスリーポイントを決めて22-8になったところでCHNベンチがタイムアウトを取った。

スタンドから野次が飛んでいた。
日本に対するものというよりは、ふがいないCHNのメンバーたちへ対するものが主なようだ。
ここまでの展開、力の違い、というようなものがはっきり現れている。
勝っているときの声援もすごいが、こういう展開の時の罵声もなかなかすごいものだ。

「おお、こわいこわい。アウェーだね」
「ていう感じじゃないけど」
「藤本、一言ベンチになんかあるだろ」
「マンツーっていうから普通にオールコートマンツーしただけですよ」
「下手な言い訳するな」

柴田と談笑しながら戻ってきた藤本に、信田が小言をいう。

「一気に勝負してみようっていう判断は悪くなかった。結果も良かった。まあ今回は事後承諾で許すけど、あんまり勝手はつづけるなよな。小陽にパス通った場面なんか、チーム全体で意思統一出来てれば抑えられたかもしれないんだから。思いついたら言え。そんなに否定はしないから」
「すいません」

前三人の判断で動いたから、里田はそれに対応した動きが出来なかった、というのがあの場面だ。
それは言うとおりだったとは藤本も思っている。

「メンバー変わらないようなら第一ピリオド終わるまで続けてみろ。結構効いてるから」
「はい」
「里田、今日の小陽は外からも勝負してくるみたいだから対応しろよ」
「はい」
「外から勝負は抑えに行っていいから。打たせてもいいっていう選択じゃなくて抑えに行く。後ろは飯田がカバー。底通り越してゴール下で逆サイドに繋いでくるようなら、上からローテーションで下りてきてつぶすこと。上三人は雑魚だから、とにかくインサイド二人ケアな」

信田からの指示はこの辺までだった。
あまり言うべきこともない。

タオルを汗で拭きながら柴田が言った。

「結局、なんであのスタメンなのかな?」

誰もが首をひねる。
何か狙いがあったにしては何も見えない。
タイムアウトの終わりを告げるブザーがなったところで藤本が言った。

「じゃんけんとかじゃね?」

そんな理由でもなければ、スタメンには顔を連ねないような力量にしか感じられなかった。

コートに戻る。
藤本はもう一言言った。

「ボーナスステージは終わりらしい」

頭にリボンをつけた女が、藤本を待ち構えていた。

藤本、柴田、石川。
一度三人集まる。
相手の上三人は丸々替わっていた。

「やっと真打登場ってことか」
「まだ本当の真打は出てきてないみたいだけど」
「確認するぞ。美貴がリボンで石川がCG 柴田が」
「しぶや女?」
「柴田も言うようになったな」
「バカ話してる場合じゃないよ。前からあたるのは終わり?」
「だな」

高南、麻友友が入ってきた。
それぞれ藤本と石川がマークに付く。
もう一人は友朕という選手。
十分に主力急で事前情報も確認している。
そこは柴田があたる。

「ここからが本番だな」
「関係ないよ。誰が出てきても」

ガード陣だけでなくセンターも替わっていた。
麻里子様が入ってきている。
当然、飯田がマッチアップ。
CHNは、高南、友朕、麻友友、小陽、麻里子様という布陣になった。

第一ピリオドは残り二分弱。
主力級が入ってきて、一気に試合を決めるというような展開は難しいだろうと考えられる情勢になってきた今、日本代表としては一気に流れをひっくり返される、ということだけは起こさないようにしたい。
五分と五分、膠着状態にして今の点差のままいければ御の字だ。

友朕が入れたボールを高南が運ぶ。
藤本はちょっかいは出さない程度に素直に付かず離れずついている。
フロントコートまで上がって高南は麻友友へボールを落とす。
麻友友は右零度で開いた小陽へ。
小陽は勝負の気配を見せたが動かない。
トップから友朕が飛び込んでくる。
柴田がコースに入って抑えている。
小陽は上へ戻して高南へ。
高南はすぐに反対サイドの麻友友へ送る。
受けた麻友友はシュートの構えをしたところを石川が抑えに掛かる。
シュートは打てなかったが、石川の小脇をバウンドパスで抜いた。
ゴール下に入り込んできた小陽へ。
里田は追いすがるが、そのままシュートを決めた。

全体でしっかり繋いでの得点。
さっきまでのメンバーとは違い、きちんとパスが?がる。
繋いで動いて動かしてスペース作ってフリー作ってシュートまで持って行ける。

ディフェンスも堅くなっていた。
さっきまでの調子ではパスも回せない。
同じペースで動いていると簡単に捕まる。
開いた、と思って柴田がメンバーチェンジ前の感覚でジャンプシュートを放ったら、あっさりと友朕のブロックにはまった。
ルーズボール。
藤本も追ったが、リボンの乱れも気にせずに高南が飛び込んでさらう。
倒れたまま高南はボールを投げた。
走っているのは麻友友。
左のサイドライン際に飛ばされたボールを確保すると、ゴールサイドに石川が入ってくる。
一対一。
抜きに掛かって止まってまた抜きに掛かる。
チェンジオブペースでも石川は振り切れなかったが、もう一度止まって今度はジャンプ。
やや距離のあるジャンプシュートを石川は見送る。
シュートは正確に決まった。
石川がしてやられた形だが、相手の速攻で比較的難しいシュートを選択させた、というのは悪くない。

相手のレベルが一気に上がり、日本代表にやや戸惑いが見られる。
さっきまでと同じリズムでプレイしていると対処しきれない。
ただ、その中で一人だけ相手のレベルがというか相手そのものが替わっていなかった里田が、次のオフェンスでさっきまでと同じように勝負して今度は決めて一本押し返す。
しかし、CHNは第一ピリオド最後となったオフェンスで高南がスリーポイントを決めて差を縮めてきた。

第一ピリオドは24-15
一桁点差に戻されて終わる。

第二ピリオド、日本代表はメンバーを代える。
柴田のところに松浦、飯田には村田。
CHNはそのままのメンバーで入ってくる。

メンバーが替わってから、第一ピリオドはすべてのオフェンスでシュートを決めてきたCHN
第二ピリオドはさすがに日本ディフェンスも対応してきて、そこまで圧倒はされないが、それでもじりじりと詰めてくる。

日本代表のメンバーが替わって力を発揮したのが麻里子様。
しっかりとリバウンドを取って、日本代表のオフェンスを切り、CHNのオフェンスはリスタートさせてチャンスを増やしている。
高南も全体をよく引っ張っていた。
自分単独で勝負しようとすると、藤本に封じられたり、勝手に滑ったりと今ひとつなところを見せることもあるが、周りの動かし方は極めてうまく、周りから戻ってくるボールの扱いもうまく、そういうときにはスリーポイントをきれいに決めたりも出来る。

日本代表は松浦が頑張っていた。
ここは一対一で打開している。
友朕と松浦だと、身長差もあり単独で個人を抜き出すと松浦が一枚上なようだ。
全体の連動で考えるとわからないが、この二人の勝負の相性では松浦が上回っている。
友朕がムキになって一対一で勝負してきて、松浦がチャージングをもらう、というような場面もあった。

石川と麻友友のところは、やや石川が押し気味というところか。
麻友友のプログラムで作られたような精確さを、石川の予想出来ない奔放さで振り回しているというやりとりだ。
チームのエース格で比較的ボールが集まる石川と、特にそういうわけではない麻友友の差が出ている、という部分もある。

第二ピリオド、五分過ぎ、34-32 二点差まで迫られたところで日本代表が先にタイムアウトを取った。

信田コーチはまずメンバーチェンジを告げた。
休ませていた飯田を戻す。さらに里田から後藤へ。
里田も小陽相手に今日の出来は悪くはなさそうだが、信田コーチは休ませるためなのか変化が必要だと考えたのか、後藤を投入する。
それからリバウンドへの意識を高くすること、オフェンスディフェンスの切り替え早く、ということを求めた。

「福ちゃん、行ってきます」
「リバウンドもありますけど、オフェンスだと外から勝負で後藤さんならいけると思います」
「外からか。わかった、やってみる」

コートに入って行く前に、後藤は福田に声をかけた。
福田のために、とはさすがにこの場では言わない。
ここ二試合のように、怖さが先にたつばかりではない。

「気合入れていけよ」

平家が言った。
平家さんの弔い合戦。
いや、弔っちゃいけない、敵討ちだ。
仇じゃないんだけど。
細かいことはどうでもいいってキャプテンも言ってたし。

コートに立つ限り、他の人のに替わって欲しい、なんて思っちゃいけないのだ。
自分が頑張ることで、喜んでくれる人がいるのだから。

「九番」

マークの確認。
後藤のマッチアップは小陽。
身長はわずかに向こうの方が高いだろうか。
外から勝負でいけるはず。
福田の言葉を頭の中で反芻した。
後藤は、そういうところは結構人のいうことを素直にそのまま聞く。
信頼できる人の言葉なら、という条件付であるが。
後藤にとって福田は、信頼できる人、の範疇に入っている。

外から勝負、と後藤が思っても、周りの状況がすぐにはそれを許さないことも当然あった。
次のオフェンス、後藤までボールは回ってこず、早いタイミングで松浦がスリーポイントを放った。
リング根元に当たって小さく跳ねたボール、麻里子様がリバウンドを拾う。

ディフェンス。
後藤は外からの突破なら止められると自信を持っていたとしても、主導権はオフェンス側にある。
替わって入ってきた後藤の力を試したいのか、CHNは単純に小陽で勝負してきた。
小陽が選んだのはインサイド勝負。
ゴール下まで体をねじ込んで簡単なシュートにしたい、という動きであるが後藤はそれにしっかり対処した。
シュートをブロック、とまでは行かなかったが、無理な体勢からのシュートにさせることが出来た。
リバウンド、後藤が自分で拾う。

「スタート!」

藤本の声。
後藤はすばやく反応してパスを送る。
受けた藤本、中央へ入ってきた松浦へ。
ボールを受けに動いた松浦のさらに前に、ひたすらゴールにむけて走った石川がいたので素直にボールを送った。
石川はフリーではなく麻友友がついている。
しかし、コースを抑えることは出来ず、並走の形。
振り切ることは出来なかったが抑えられることも無く、ゴール下まで駆け込んで、ブロックしようとする手を避けながらスナップ効かせてシュートを決めた。

セットオフェンスの中での地味な二点よりも、速攻での二点は流れに影響を与えやすい。
じりじり迫ってきてもうすぐひっくり返る、という空気になっていたのを押しとどめる。

CHNは麻里子様がゴールから少しはなれた場所からのジャンプシュートを外す。
リバウンドを後藤が拾って、日本代表のオフェンス。
切れ込んで行った松浦が零度に開いた石川にパスを捌こうとして麻友友にカットされる。
そこからのCHNの速攻、友朕、高南との二対一になったが藤本が友朕のレイアップを叩き飛ばして難なきを得る。
しかし、エンドからのCHNのオフェンスは、石川が裏を取られて麻友友にゴール下でシュートを決められた。

ここまで数分、思い通りに外から勝負という場面はなかったが、後藤はやれるという感覚は持っていた。
小陽くらいなら、今の自分で十分対処できる。
相手が下手と感じてるわけではないのだけど、相性の問題なのだろうか。

ようやくイメージ通りのプレイが出来たのは次のオフェンスだった。
松浦が変化をつけてインサイドに入って友朕とやりあおうとしている。
入れ替わるように、後藤が外に出た。
そこに藤本からボールが降りてくる。
外に出ながら受けるボールだけど、左足をつっかえ棒に重心はゴールの側に向ける。
迫ってきた小陽と入れ替わるようにドリブルで切れ込んで行く。
エンドライン側に小陽を抜き去った。
ゴール下、松浦は向こう側に捌けたが友朕がカバーに入ってくる。
気にしなかった。
小陽は左側にひきづった状態、前に友朕。
それでもゴール下まで進む。
後藤が飛べば友朕では届かない。
ボードに当てて、きっちりとシュートを決めた。

ディフェンスに戻りながら、後藤はベンチに向けて親指を突き上げてサムアップのポーズをしてみせる。
福田がそれに同じポーズをして答えた。

CHNオフェンス。
やられたらやり返せなのか、小陽で勝負。
これを後藤がブロックショットで弾き飛ばした。
こぼれたボールは高南に拾われそのままジャンプシュートを決められたが、ブロックそのものは完璧だった。

また二点差。
少なくともリードして前半を終わりたい日本代表、追いついて終わりたいCHN
日本代表は時間を掛けたオフェンスになった。
時間を掛けさせられたのではなく、意図的に時間を掛けた。
時間を消費して、CHNのオフェンスの回数を減らしたい。
それでも、ただ消費して終わりではなくて、当然最後はシュートまで持って行って得点を奪うことが理想だった。
後藤がゴール下を抜けて逆サイドへ出てくる。
ボールは上にいる藤本が持っている。
たまたま、さっきと同じシチュエーションになった。
二十四秒計は残り五秒。
外に開きながら後藤はボールを受ける。
同じ展開が小陽の頭には浮かんだようだ。
ついてこないで少しはなれて構える。
後藤は、同じ動きにこだわらず、今の状況にしっかり対処した。
シュートクロックはほとんどなくて、ディフェンスは身構えて待っている。
頭で考えたわけではないが、瞬間的に判断した。
ボールを受けてジャンプ。
虚を突かれた形になったのか、小陽は慌ててブロックに飛んだ。
遅い、間に合わない。
外に開いてボールを受けてのジャンプシュート、後藤の得意なプレイ。
きれいな弧を描いたボールはネットに吸い込まれる。
ブロックに飛んだ小陽の体は流れていて後藤に接触する形になった。
笛がなる。

バスケットカウントワンスロー。
ただし、レフリーのジェスチャーは、今のシュートは二点、ということを示していた。
後藤はわずかにスリーポイントラインを踏んでいたようだ。
そして、オフィシャルのブザーが鳴った。

CHNがメンバーチェンジ。
ここまでスタートから引っ張ってきた小陽を下げる。
代わりに由麒麟が入ってきた。
今大会に入って急激に評価を上げてきている要注意人物だ。

後藤のフリースロー。
フリースローレーンに後藤が入り、リバウンドポジションにそれぞれのメンバーが入る。
その中でマークの確認。
そのままでいいよね、というやり取りがあって日本代表は小陽についていた後藤が由麒麟につくことになる。
一方、CHNは一悶着。
リバウンドポジションにいる由麒麟が隣の石川のマッチアップを主張する。
石川を挟んでもう一つ上にいる麻友友が、身長合わないだろ、とばかりにあっちあっち、と後藤の方を指差す。
あまりにも当たり前のような顔をして由麒麟が石川のマッチアップを主張するので、指示が出ているのかと麻友友がベンチに確認すると、そんなわけないだろ、という返しがあった。
不満げな由麒麟。
なぜか石川に手を差し伸べる。
戸惑った顔しながらも、県大会くらいではそんな握手サービスをすることもないではない石川はそれに答えた。
なにやってる、と麻友友がもう一言言うと、由麒麟は分かった分かった、とばかりに、後藤の付ける10番をコールした。

なんだかなあ、と思いながらの待ちを入れられてからの後藤のワンショット。
リング手前に一度当たったが、内側に落ちて行った。
日本代表五点リード。

第二ピリオド、残り時間は二十五秒。
前半最後の攻防。
持ち上がった高南がなにやら大きな声を上げる。
中国語なので日本のメンバーには分からないが、ナンバープレイなどのサインではなく、気合系の意味合いなもののようだ。
時間をぎりぎりまで使ってシュートまで持って行く。
その意思があることは試合経験を積めば頭では分かりきっている状況であるが、CHNの各選手は常に攻め気を見せてくるので、隙を作ったら打たれる、という怖さから逃れられないままのディフェンスになる。
そんな中での一瞬だった。
四十五度の位置から高南がすっと早いパスを出した。
藤本の顔の横、反応できずに飛んで行く。
飛んだ先は逆サイドから由麒麟がゴール下へ走りこんでいた。
マッチアップの後藤、由麒麟の動きは追えていたが、ボールの位置を掴めていなかった。
あっと思ったところでゴール下、飛んだ由麒麟が空中でボールを受けてそのままシュート。
後藤は条件反射で止めに行ってしまった。
状況としては手遅れ。
どう手を出そうとどうにもならない。
ゴールが決まって笛が鳴って、バスケットカウントワンスロー。
はっきりと、無駄なファウルだった。

代わったばかりの由麒麟の三点プレイ。
フリースローもしっかり決めて、残り四秒、日本代表はボールを持ちあがる途中で藤本がゴールに向かってボールを投げたところで前半終了のブザーがなる。
投げたボールがバックボードに当たり、跳ね返ってリングにもあたったので観衆はどよめいたが、どよめかせただけでボールは外に弾かれ、得点にはならなかった。

前半終了 41-39 日本代表の二点リード

「ごめん」

ハーフタイム、ロッカーまで下がると後藤が言った。
誰にとも無く。

「気にすることないって」

藤本が軽く答える。

「まだ二点リード。全然問題なし」
「いや、あれは後藤のミスだった。だから、ごめん」
「一々凹まなくていいって。次ぎ取り返せば」

藤本は、ガラにも無く気を使っていた。
この半年あまり、キャプテンをやっていて少し学んだことだ。
グループリーグでの後藤の姿も頭にある。
とにかく落ち込ませてはいけない。

「大丈夫落ち込んでるわけじゃない。でもあれは後藤のミスだった。相手代わったばっかりで集中してなかった。この子なんなんだ? って気になってそっちばかり見てボール追えてなかった。だから後藤のミス。ごめんなさい。でももうしない」

後藤は淡々とそう言った。
さっき起きた出来事の事実認識とそれに対する反省に詫び。
感情の問題ではなかった。

「メンバー替わってからは一気にレベル上がったよね」

柴田が言った。

「たいしたことないよ」
「そう言いながら結構やられてたでしょ梨華ちゃんも」
「あれくらいはやってくれないと面白くないでしょ。別に驚くほどじゃない」
「私の相手も大したことなかったですよ」
「何生意気言ってるんだよ」
「だって、大したことなかったんですもん。あれくらい日本にだっていくらでもいますよ。それこそ白美記たんのが全然上。あんなのCHNの看板背負ってるからすごく見えるだけの見掛け倒しです。周りとのつなぎとか考えるとちょっとありますけど、でも、ソロの能力取り出したら全然大したことないですよ」

出場最年少の松浦の感想。
友朕にまったく怖さは感じなかったようである。

「まあ、でも、確かにそんな感じもちょっとあったかも。リボン女も言うほどすごくはなかったかな」
「一人で生きるタイプじゃないよね。ガードだから当たり前なんだけど」
「うん。でも、気合はすげーな。美貴、結構ああいうタイプは好きだな」
「そういいつつ大分パス捌かれてたでしょ」
「好きってそういう意味じゃなくて。まあ、いいけど。なんか、周りを使うっていうか、動かすっていうのかな。その力は確かにあると思う」

藤本は一対一で負けているという場面はそれほどなかったはずなのだが、ゲームコントロールはなんとなくされているという第二ピリオドだった。

メンバーたちがめいめいしゃべる中、福田は静かにスコアーブックを見つめていた。
この前半はどういう試合だったのか。
一度もコートに上がることはなかったが、紙の上の記録から振り返る。

スタートのチームは論外だった。
インターハイに出てくるかどうか、くらいのレベルだ。
個々の力も大したことなかったし、やりなれてないメンバーなのか連携もなっていなかった。

メンバーが替わってからはがらっと違うチームになった。
一人一人のレベルが上がった。
安定感がありしっかりとリバウンドを拾う麻里子様、正確なシュートを放つ麻友友、気合で全体を引っ張る高南。
数字がそれを示している。
第一ピリオドにCHNがオフェンスリバウンドを拾うことは一つもなかったのだが、第二ピリオドは三本拾ってきている。
シュート確率も段違いだ。
スリーポイントもメンバーチェンジ前にはなかったものが、主力が入ってきてから二本ある。

福田はその個人の力量よりも気になったのは、全体のつながりだった。
動きの連動性。
誰がどう動いた時には、周りはこうしてその後はこうなる。
すべてが有機的に?がってシュートまでしっかりと持っていけているし、一人交わして二人目がカバーに来た時に周りがローテーションで穴を埋めて、というようにディフェンスでもそれが出来ている。
個人の力ではなく、動きの連動性で全体で崩して点を取る、というのは福田の理想形だった。
代表チームのような急造チームではそれが難しい。
自分が外される理由はそこにもある、と言いたいところだが、それはいい訳と言うものかな、とも思う。

自分のことはともかく、このCHNというチームは急造チームではないのだろう、と思った。
一人一人の力が生きるように、全体が作られている。
時間を掛けてそう作ってきたのだろう、と前半を見て思った。

そんなCHNに対して、自分が試合に出るならば。
マッチアップは高南。
自分とは違うタイプだな、という印象を持った。
理論と実践、というタイプではなく、気合と直感でチームを動かしている。
あるいは、情熱、でもいいだろうか。

情熱は、外から見てどうかは別として、自分の中にはあるつもりだ。
ただ、ああいう目に見えて分かる気合、というのは自分にはないものだ。
それに周りは引っ張られている。
自分に欠けたものを持っている人、と言っていいだろう。

でも、一人のプレイヤーとしては別にそんなに・・・、と思った。
今、自分が、このチームで出て、同じように周りを動かせるかと問われれば、もしかしたらそれは否かもしれない。
だけど、それは時間の問題だと思う。
高南がやっているのはその程度のことじゃないか、と感じた。
ボールキープ力、スピード、パスワーク、シュート力。
プレイヤーとしての技量は、特別すごいわけではない。
あのチームにはぴったりとはまっている、それだけなんじゃなかろうか。

「福田。福田明日香」

じっとスコアブックを見ながら考え込んでいたら声をかけられた。

「怖い顔しないでよ。美貴にも見せて」

藤本だった。

「すいません」
「さすが頭脳派だね。じっくりとデータを見て」
「別に、そういうわけじゃ」
「よっちゃんさんみたいな割と熱くやれるタイプに、福田明日香みたいな頭脳派がいて、亜弥ちゃんみたいなわがままっ子がいたり、松江ってバランス取れてて面白いね」

福田は何も答えなかった。
亜弥ちゃんって気安く呼ぶな、と思ったけれど。
それ以前に、自分に対して藤本がこうやって気安く話しかけてくる、という展開は合宿初日に出会ってから今に至るまでなかったことだ。

「うーん、結構アシストやられてるのかと思ったけど、そうでもないな。直接高南につくのってあんまりなかったのか」

独り言か自分に語りかけてるのか、区別が付かない。
福田が黙っていると、今度ははっきりと福田に対して問いかけた。

「どう思う? リボン女。って何だっけ。そう、高南」
「どうって」
「中国四千年の歴史で最高のポイントガードになる、だっけ? そんなこと言われてるらしいけど福田明日香の目から見てどう映った?」

なんでこの人はフルネームで自分のことを呼ぶんだろう。
そんなことが頭に浮かんだが、それは横に置いておいて素直に答えた。

「中国の四千年の歴史を知らないですけど、歴史上ナンバーワンになる、っていうほどではないなって思いました」
「どんなあたりが?」
「個人の力量としてはそれほどすごいわけじゃないなって。滝川カップでワンオンワン大会なんてのやったって聞きましたけど、そういう、個人技だけを競う大会みたいなのがあったらそれほど上位にはこないタイプなんじゃないかなって思いました。もちろん、全然下手ってわけじゃないですけど。すごいのは周りを引っ張る力量と、高南個人ではなくて全体のあわせの部分。ようするに、立派なリーダーでその点は非常に優れているけれど、プレイヤーとしては並なんだと思います」
「そうか。それだ。なんか美貴も引っ掛かってたんだよ。すげーなこいつ、って実際思う部分は結構あってさ。だけどなんとなく拍子抜けなところもあって。その落差はなんなんだろうって思ってたんだけど。リーダーとしてのすごさとプレイヤーとしてのすごさは別のことってことか」

問われて答えながら、福田は自分が感じた印象がなんだったのか理解できた。
プレイヤーとしての力量とリーダーとしての力量の意味合いの違い。
ただ、ポイントガードというのはある部分でリーダーとしての力量も兼ね備えなくてはいけない部分もある。
それを含めればたしかに、高南はすごいのだろう、とは思ったがそこまでは付け足さなかった。

「美貴は、リーダーとしてよりもプレイヤーとして日本五千年の歴史でナンバーワンになりたいな」
「日本は五千年の歴史なんですか?」
「さあ。知らないけど、リボン女が四千年なら、美貴は五千年で」

滝川でキャプテンやってるような人なんだから、リーダーとしても結構ちゃんと出来てるんじゃなかろうか、と思った。
少なくとも、自分よりはリーダーとしての資質は上だろう。
それでもたぶん、吉澤さんたちが抜けたら、松ではなくて自分がキャプテンやらなきゃいけないのかな、と考えることがある。
ポイントガードとしての力量、というのを高めて行くためにはそういうリーダーとしての資質も身につけていかなくてはいけないだろうか。

「とりあえずすっきりしたわ。ありがと。一人のプレイヤーとしては怖がることないんだってイメージ持って後半はやってみるよ」

この人がうまく行かなければ自分が出られるかもしれないという思いと、私を押しのけて試合に出ているんだから高南なんか踏み潰してくれという思いと、半々で、福田は藤本に、頑張ってください、とは口に出して言えなかった。

後半。
日本代表はメンバーを入れ替えた。
藤本、松浦、石川、里田、飯田。
後藤を外して里田を戻す。
点の取り合い上等、という気持ちで入れという指示を信田はメンバーたちに与えていた。
切り替え早く。
一対一で積極的に仕掛けていい。

CHNは後半のラストと同じメンバー。
高南、友朕、麻友友、由麒麟、麻里子様。

第三ピリオドに入り先手を取ったのは日本代表だった。
一対一で積極的に仕掛けていい、という指示に素直に従った松浦。
友朕をチンチンにして二本立て続けに決めてくる。
一旦六点リードまで広がったのだが、CHNも麻友友のジャンプシュートと麻里子様のゴール下で簡単には離れて行かない。
三分過ぎ、日本ベンチは石川を下げた。
勝負どころは先と見て休ませる。
替わりに入ったのは柴田。
その直後、CHNがタイムアウトを取った。

麻友友には抜かれてもいいからタイトに付いてシュートは打たせるな、など信田が指示を与えているとスタンドが突然沸いた。
何事だ? とスタンドをメンバーが見上げると、なにやら二つのコールが入り混じって飛んでいる。
何を言っているのかは分からない。
ただ、CHNベンチの方を見ると動きがあった。
今までジャージ上下フル装備だったエース級の二人がユニホーム姿になっている。
そして、オフィシャルに交代を告げていた。

優子と敦子。
CHNの二枚看板。

「相手ばっか見てないで、お前たち集中しろ」

信田がメンバーの視線を引き戻す。
もう一度指示を与えなおした。

「松浦が優子、柴田が敦子な。松浦、身長差あるからオフェンスは思いきって今のままやっていい。ただ、ディフェンス面では気をつけろ。突破スピードが友朕の非じゃない」
「どんどん突っ込んで行っていいんですね?」
「もちろんそれでもいいけど、あまり無理はするな。飛べばブロックされないだけの身長差があるんだから、ある程度の位置からなら多少距離があってもジャンプシュートを狙って行く方がいい」
「はい」
「柴田はディフェンスに集中しろ。オフェンスは参加しなくていいくらいのつもりで最初は。とにかく敦子は乗せると怖い。気持ちにむらがあるタイプだからとにかくシュートが自由に打てないでいらだたせるというように持っていけ」
「抜かれるよりシュートを防ぐイメージでいいんですね」
「いい。抜かれそうになったらファウルで止めに行ってもいい。とにかく気持ちよくシュートを打たせるな。いやらしくないやらしく」

優子と敦子は友朕と麻友友に替わって入るようだ。
それぞれのマッチアップをそのままつけることにする。

「藤本、高南にはパスを捌かせるな。外は打ちたいなら打たせていいから突破してパスを捌くという形を作らせないように。高南-敦子のラインであっさりやられるようなことがないように。外のシュートはそれより優先度を落としていい」

信田は敦子をとにかく警戒していた。
気分が乗らないときは平凡なプレイヤーだが、乗せた時が怖い。

「ここからだからねここから」
「足動かしていこう」
「切り替え早く」
「ノーファウルね」

それぞれ、声が出ている。
ベンチの雰囲気は悪くない。

タイムアウトが空けてコートに戻る。
松浦は、優子と敦子、代わって入ってきた二人を見ていた。
CHNの二枚看板。
人気の面でもこの二人が頭一つ他より抜けているらしい。

本当か? と思った。
スポーツ選手とはいえ、女子は女子、どうしたって人気には見た目の要素が大きく影響する。
二人、間近にみてみて、別にそれほど突出してるわけじゃ・・・、と正直思った。
自分のが勝ってる。
自信ある。
それでも人気があるということは、よほど突出した実力があるとでもいうのだろうか。

言うほど大したことないじゃないか、というのがCHNに対する松浦のここまでの感想だ。
友朕なんて今までの経験であれくらいのレベルの選手はいくらでもいた、と思った。
白美記たんのがよっぽど上だ。
自分がタイマン勝負相手としてはまだまだ役不足。
代わって真打が出てくるのは望むところだ。
この山を越えればアジアのナンバーワンになれるのだろうか。
日本一になる前に、アジアナンバーワンになるのも悪くない。

その想いがタイムアウト明けすぐのプレイに出た。
友朕を相手にしていたときと同じパターンで一対一。
身長差があるからジャンプシュートで、なんて計算はしなかった。
抜き去ってやる。
そう、決めうちで突っ込んだら、ものの見事に壁を作られた。
壁、いや、低いからフェンスくらいだろうか。
押しつぶす、というような勢いで松浦は当たっていき、優子は真後ろに倒れた。
絵に描いたようなオフェンスファウル。

このプレイに、反省もなかったが後悔もなかった。
ちっ、やってしまった、くらいなものだ。
さっきまで程甘い相手じゃない、ということは認識した。

CHNオフェンスは優子、敦子と二人入ってきたからには、この二人を中心にしてくる、というのが想像に難くなかった。
柴田は信田に指示に忠実に振舞う。
敦子相手にフェイスガード。
自分の役割は分かっていた。
このチームでは四十分を期待されている状況にはない。
スタートから出てはいるが、二番三番を一定のレベルでこなせるつなぎのプレイヤーというところだろう。
最後まで敦子の相手ということはない。
自分が下がるか、松浦が下がって自分が二番にスライドするか。
いずれにしても敦子の相手は石川が出てくるまでのつなぎだ。
ファウルがかさんでも個人としては気にする必要はない。
とにかく、石川が出てくる時に敦子が調子に乗っているという状態にしないことが大事だ。

最初のCHNのオフェンスのところでは一つファウルで止めた。
フェイスガードを外されてパスが入ってすれ違うように抜かれそうになったので手を出した。
ボールを持たせたら確かに怖い。

オフェンスはあまり積極的に参加しなかった。
外で繋ぐくらい。
全体が動くので、ここは自分が飛び込まないと動きとしておかしい、と感じて中に入って行く場面もあるにはあるが、そういう場面でも場に合わせただけで自分で勝負するという意思はない。

CHNの真打登場、といったところであったが、ここから数分は華麗な、というには程遠い展開になった。

松浦が一対一を仕掛けようとした突き出しを、後ろから高南が叩く。
こぼれたボールを由麒麟が拾い、走った敦子に長いパスを出すが届かず柴田がカット。
折り返してオフェンスでは飯田がゴール下勝負で麻里子様の他に由麒麟まで引きつけて開いた里田へパスを捌くが里田がファンブルしてこぼす。
こぼれたボールを拾いなおしてシュートを打つと戻った由麒麟がブロック、弾かれて飛んだ先に居た藤本がミートしてそのままジャンプシュートを決める。

一方CHNは速攻を出そうとして敦子に飛ばした長いパスを柴田に奪われる。
ドリブルで持って上がろうとしたところ、後ろに居た敦子が弾いて飛ばし、こぼれたボールは高南が拾う。
行って戻ってまた走って優子。
ターンオーバーの連続からシュートを何とか決めた。

締まりのない攻防だが、結果的に点差はそれほど代わらず推移して行く。
敦子にボールが渡りドリブル突破を計られてゴール下まで付いていって最後のシュートを柴田がファウルで止める、という場面もあった。
自由にやらせてもらえず機嫌が悪くなってきた敦子、このフリースローを二本外したりしている。
二枚看板のうち優子の方は比較的安定していて、泥臭くルーズボールを拾って自分で決めるというような場面がある。

CHNでは敦子が柴田相手にいらだっていたが、日本代表では松浦がいらだっていた。
自由にやらせてもらえない、というのとは少し違うが、思惑通りに行かない。
最初の一回以外はマッチアップの優子に直接やられていると言うわけではないところがまた腹が立っていた。
後ろから高南の手が出てくる。
抜ける、と思ったらコースは制限されていて前に麻里子様の壁。
ディフェンスでは由麒麟の壁がスクリーンになって優子に振り切られる、という場面もあった。
ルーズボールも取れそうで取れない。
いらいらして、たまにはパスでも捌いてやろうと、すかすかの頭上を早いパスで抜いたら、受け手が走りこむ動きがフェイクで誰も居ないところへボールが飛んで行く。

噛み合わない。
そう、自分でも感じていた頃、ベンチがブザーを鳴らした。
石川と後藤が入ってくる。
今のポジション素直に代えるなら柴田さんの方だろうけど、自分かな、と思った。
知らん振りしていると、「松浦!」とベンチから声が飛んできたので、やっぱり自分か、と思った。

ほんの数分で感情をかき乱されて冷静にプレイ出来ないなんて、ガキだな、と思った。
まだ、この試合、もう一回コートに上がる機会は来るはず。
気持ちを切るな、落ち着け、大人になれ、我慢しろ、白美記たんを越えるんだ。
ベンチに戻ると吉澤がタオルをドリンクボトルを渡してくれた。

「お疲れ」

無言で受け取る。

「顔こえーよ」

うるさい、黙ってろ。
もう一回、チャンスを待つんだから。
そう、言いたかったけど、口にはしなかった。

56-54
日本代表二点リード。

入った石川、後藤、マークを確認する。
石川が敦子で柴田は優子へスライドする。
後藤は里田と交代で由麒麟。

CHNの方も同じようにマークを確認していた。
柴田に付いていた敦子が石川へまわり、優子が柴田につく。

日本代表ボールでのゲーム再開。
自陣低い位置から柴田がボールを入れて藤本がゆっくり持ちあがる。

石川はボールが上がってくるのを、ゴール右四十五度のところで待っていた。
マッチアップの敦子が、まだ、ディフェンスをしっかり構えるでも無く石川の隣に立っている、という状態。
敦子のディフェンス力、というのは未知数だった。
さっきまでマッチアップでついていた柴田はオフェンス参加しないという方針だったので敦子の力は見えていない。
ビデオ映像でも、あまりはっきりしたことは分からなかった。
攻撃の場面ばかり見ていて、ディフェンスがどうなのかしっかり見ていない。

さて、どうするか。
ふとゴールの方を見ると、敦子の顔が目に入った。
不機嫌そうな顔が、急に、にっと笑う。
営業スマイルだった。
なんで今笑う、と石川は無視する。

藤本が上がってきた。
ハイポストに入った後藤に上から単純に入れる。
ターンしてみたが、由麒麟は立ちはだかっていてシュートも打てないし切り込める間合いもない。
ゴール下抜けて右に開いた飯田へ送る。
飯田から少し上の石川へ。
石川はトップに上がった柴田へ戻す。
パスアンドランでゴール下へ駆け込もうとする石川を敦子が体で塞ぐ。
ターンして逆付いてそれでも中へ、と動いたが入れない。
ボールは逆サイドの藤本へ渡り、すぐに柴田に戻っていた。
石川は進行方向を九十度変えてハイポストの位置へ駆け込みそこにボールが入る。
ボールを受けながらゴールに向き直りジャンプシュート。
遅れてブロックに飛んだ敦子、指先ギリギリ触れて軌道が変わった。

ゴール左サイド。
落ちてきたところに居たのは由麒麟。
近くにいた高南へ送る。

先頭を走る優子には柴田が付いている。
敦子は石川が捕まえている。
パスの出し先はすぐにはない。
高南は自分でドリブルで持ちあがる。

藤本は付いて行った。
抜き去られはしない。
しかし、手を出してボールを攫えるほど甘い相手ではない。
付いて行って付いて行って、スローダウンさせようとする。

高南はパスの出し先を探しながら上がって行ったが、柴田も石川も優子と敦子をしっかり捕まえていた。
由麒麟、麻里子様の上がりは遅い。
スピードのあるドリブルだった。
藤本といえども前を抑えることが出来ない。
それでも最後までくっついて行った。
どこでパスを捌く? どこで諦めてセットオフェンスに切り替える? どこでジャンプシュートの決断をする?
無意識下でそれらの可能性を考えながらも藤本は付いて行った。
高南は、最後までドリブルで突き進んで行った。
ゴール下、簡単なレイアップが出来る位置関係にはない。
それでもジャンプした高南は同時にブロックに飛ぶ藤本の手を避けるようにスナップを効かせてボードに当てた。

左サイドにいた敦子を捕まえながらも高南、藤本の動きはしっかり見えていた。
高南が放ったシュートは外れる、と思った。
センター陣は戻ってきていない。
ボールを拾いに入る。

柴田は右サイドでセオリー通り優子をスクリーンアウトしていて入ってこさせない。
ボールは拾えるはずだった。
シュートはバックボードにあたりリング手前に当たって零れ落ちてくる。
ここに、シュートを打って駆け抜けたはずの高南自身が飛び込んできた。
シュート後、着地して駆け抜けるということをせず、そこで止まったのだ。
シュートを打った自分自身で、外れた確信があった。
藤本は勢いそのまま駆け抜けていて戻ってこられない。
着地の衝撃を右足一本でしっかり受け止めて、高南がボールに飛び込んだ。

二人が飛び込むより、ボールが落ちてくる方が早かった。
一度コートで弾む。
その弾んだボールに先に触れたのは高南だった。
石川が手を伸ばしてくる。
倒れこむようにしてボールに触れた高南は、右手の先だけでボールをコントロールし、石川の横をバウンドパスでボールを通して自身はつぶれた。
飛んだ先にいるのは敦子。
敦子は石川がボールを拾いに行った時、それに付いていかずに外で待っていた。
右三十度、スリーポイント、どフリー。

しっかり構えて打ったシュートは放物線を描いてリングに吸い込まれて行った。
CHN この試合初めてリード。
スタンド席から地響きのような歓声があがる。
敦子がゴール下、つぶれていた高南を助け起こす。
なにやら高南が真剣な顔で敦子に言い、それから両手を出した。
敦子はその両手をばちっと叩いて答え、にっと笑った。
営業スマイルではなかった。

一連の流れで日本代表のどこが悪い、ということは特になかった。
強いて言えば石川がジャンプシュートをブロックされたのが悪いとも言えるがそこは勝負したくなる場面だった。
速攻はアウトナンバーを作らせず走った二人を捕まえ、ボールを運ぶ高南に藤本はしっかり最後まで付いて行き難しいシュートを選択させた。
実際、そのシュート自体は外れている。
リバウンドを取りに入った石川も悪い動きではない。
ただ、高南に珠際の強さがあった。
そして、ノーマークの敦子がしっかりと決めた。
泥臭さと鮮やかさの融合。

この一つのプレイが流れを傾かせた。
ホームの利。
スタンドの盛り上がりはCHNの背中を押す。
そして、乗せてはいけない敦子が、ノーマークスリーポイントから乗ってしまった。

ボールを持って外からじっくり自分で一対一。
そういう選択はそれほど多くなかった。
全体の中で動いて瞬間のフリーを作ってそこでシュートまで持って行く。
この周りとのあわせが良かった。
敦子を主役とする動きに、二枚看板の一人とされる優子も抵抗無くあわせている。
高南と敦子のラインもしっかり?がっていた。

そしてディフェンス。
気分が乗らない敦子だと、ディフェンスはサボタージュという場面が多いようであるが、気分が乗った上で相手がきちんとしたレベルのプレイヤーだとしっかりと足を動かして止めに掛かってくる。
石川は、敦子が本気になってやる気になるレベルにいるプレイヤーだった。
一人で完全に押さえ込まれるということはないのだが、敦子を振り切っても他に誰かがいる、という制限のされ方をしていてフリーになりきれない。

いつもは自分がチームの大黒柱という立場の藤本。
ここでは少し違った。
口では嫌い嫌い言いながらも、無意識下で石川の力は認めている。
この日本代表は石川のチームだ。
そう、無意識下で感じながらゲームを動かしている。

滝川のチームでやっているときなら、周りの誰が止められようと動揺することはなかった。
叱り飛ばしたりはするが、最後の柱は自分だ。
今は違う。
悪い意味で五分の一の感覚が体の中にあった。

柴田はいつもと同じ状況なはずだった。
石川梨華のチームの中の二番手。
口に出して認めたりはしないけれど、それもやはり無意識下に潜んでいる意識。
富岡でやっている時にも石川が押さえ込まれるというケースはあった。
二年時の中村学院戦。
初見の是永美記に石川がシャットアウトされた。
それに限らず、石川の調子が上がらない時に何とかするというのが自分の役目になっている部分があし、その役割は割とこなしてきたはずだ。

今日違うのはマッチアップの相手だった。
石川梨華と同じチームでいつもプレイしているのだ。
自分にマッチアップするのはせいぜい実力二番手。
自分がディフェンスとして付くなら、エースをつぶすという形でついたりするが、自分にエース級を向こうが当ててくることはない。
でも、今日のCHNには敦子だけでなく優子もいた。
このレベルの選手ととまともにやりあって押さえ込んだという経験はあるが、攻撃面で叩き潰したという経験が柴田にはない。

このままではまずい、と感じた藤本と柴田。
百戦錬磨のはずの二人だが、百戦した戦いのさらに上の経験が今日の試合である。
ボールを運ぶ二人。
その二人がなんでもないミスを連発した。
流れに飲まれている。

逆転され、流れが向こうに渡り、凡ミスも出て、六点のビハインドにまでなったところで信田がタイムアウトを取った。

指示は、まず落ち着けということ。
敦子にはさっきまでの柴田と同じようにフェイスガードでタイトに付いてみろ、と石川へ指示が飛ぶ。
慌ててシュートまで持って行こうとするな、と全体へ言った。
藤本がボールキープして待つ感じでもいいから、少しスローダウンさせろという。
時間を掛けることで、流れをうやむやにしようという意図がそこにはある。

メンバーチェンジはしなかった。
この場面、誰かに代えるよりも藤本、柴田の方がいいと信田は踏んだし、まして石川を外せる場面じゃない。

「気持ちで押されてるよ。ミキティもいつもの怖い顔でゲームしきんなよ。柴ちゃんも、一昨日の乱闘寸前くらいの勢いでいいって」

輪の中から吉澤が言った。
戦術的なアドバイスを自分ができるとは思っていない。
今、口を挟めるなら、ハートの部分だけだ。

「石川、あんたもだよ。いつからあんなお嬢様みたいなバスケするようになったんだよ。向かっていけ向かっていけ。言っただろ、おまえはただのへたくそだって」

両脇に杖を抱えた平家。
戦術云々もあるが、流れに飲まれると先に気持ちが切れやすい。
そこを心配している。

ブザーが鳴ってコートに戻った。

いつもと全然違う状況なのに、いつもの自分を取り戻しているのが一人いた。
後藤だ。
ある部分、相手に関係なく悩みこんでいたので、そこから自分を取り戻すのにも相手関係なかった。
福ちゃんのために頑張る、みんなのために頑張る、相手が強くても関係ない。

相手の実力もしっかり見えていた。
さすがCHNのトップ選手だけど、化け物クラスじゃない。
自分で十分たたかえると思う。
二番、三番、四番、柴田、石川、後藤。
自分は点を取るべきポジションだし、マッチアップも他の二人よりは比較的分の良い相手なんじゃないかと思う。

オフェンスは時間を掛けてみようとは言ったが、実際にどう崩すかという決め事はとくにタイムアウトの中ではなかった。
どういう選択肢があるか?
石川はもちろんいつでも選択肢なんだけどあまりうまく行っていない。
柴田も優子相手に自由にオフェンス出来るという状態になっていない。
ならインサイド勝負、というところだがそちらも簡単ではなかった。
残る選択肢は?
柴田でも石川でも無いアウトサイド。
藤本?
違う。
後藤が由麒麟を外に引っ張り出して勝負。

一本、素直にスリーポイントを放ったらやや長くなって決まらなかった。
ただ、それで怖さを感じた由麒麟との距離が中途半端に縮まる。
後藤にとって、一対一で抜きやすい間合いになった。
抜き去ってもカバーが早い。
それが急造チームではなく、長い時間作りこまれて今日があるCHNの強み。
抜き去って中まで行くと囲まれる。
選ぶべきは、かわしてすぐのジャンプシュート。

中から出てくる動きをしてトップから降りてくるボールを受けた。
スリーポイントの構え。
ひきつけた由麒麟を右、エンドライン側に交わす。
ゴール下には麻里子様。
そこまで行かずにやや距離のあるジャンプシュートを放った。
今度はしっかり決めてみせる。

しかし、流れは簡単には戻ってこない。
地元の利。
観客は全面的にCHNの味方だ。
場の雰囲気もすべて持って行っている。

敦子、敦子と来てそちらに意識が行ってカバーに入らなきゃが先行したところで、柴田のマークが甘くなった優子へ渡ってスリーポイント。
第三ピリオドのラスト、石川が怒りのスリーポイント返しをしようとしたがリングに弾かれ、リバウンドを麻里子様が拾ったところで終わった。

64-71
CHNが逆転して7点リード。

スタンドはライブ会場さながらだった。
片や敦子への声援チャントで盛り上がったかと思えば、反対サイドでは麻里子様コールが起こる。
美貴様にお仕置き希望するファンなどもはやいない。

「しばらくは我慢しろ。とにかく我慢しろ。流れなんてものはそうそういつまでも続くものじゃないから」

第四ピリオドまでの二分間のインターバル。
信田はまずそう言った。

「早いペースに煽られるな。じっくり構えて、シュートセレクションをしっかりしろ。慌てて打たなくていい。時間は十分あるんだから」

十分で七点差。
やや不利、という程度のものでまったく絶望的な点差ではない。

「動きも緩急しっかりつけよう。フリーを作ろうと急ぎすぎて動きすぎに見えるところがあるから。動く前に止まる。スピードだけで振り切ろうとしない。面取って押さえて外開くだけでボールは受けられるんだからさ。パスアンドランもとにかく動けばいいってもんじゃないからね」

ベンチで見ている平家の感想である。
さらに続けた。

「柴田、少しまじめすぎるんだよ。オフェンスは少しサボってから動くくらいでちょうどいい。いつでもきちんと動くってむこうが頭に入ってるから迷いがないと言うか覚悟がある状態で常にディフェンスされてるから。それこそむこうの敦子? あのやる気あるんだかないんだかで突然エンジン掛かって動き出す感じを見習うくらいでちょうどいいから」

高校時代からよく見ている柴田。
そこに動きについて意見した。

スタンドではウェーブが巻き起こっていた。
たかが世代別のアジアの大会である。
盛り上がり方が異常だった。
飯田がきょろきょろとそのスタンドを見回してから言った。

「あのスタンド、黙らせよう。最後には」

こんなアウェーで試合をした経験はこの中の誰にもない。
藤本も、アウェーって感じだなどと言っていた前半の余裕が無くなっている。

ベンチに座っていた五人が立ち上がった。
メンバーチェンジはなし。
このまま第四ピリオドに入る。
五人がコートに上がって行く。

「ベンチ声出そう。声。十人で一万人分声出そう」

吉澤が、両手を叩きながら言った。

最終ピリオドに入ってもCHNの勢いは止まらなかった。
かさに掛かって攻めてくるという言葉がぴったりな状況だ。
敦子がミドルレンジからジャンプシュートを放ち、外れたリバウンドを拾った麻里子様が押し込む。
ゴール下勝負しようとしてし切れなかった由麒麟が、開いていた外の優子に戻してジャンプシュート。
この試合最大の十一点まで差を広げられる。

どうにかして追いかけないといけない日本代表。
スローダウンさせろというベンチの指示は今ひとつ徹底されていなかった。
リードしていれば冷静にそういうゲーム捌きも出来たのかもしれないが、二桁点差のビハインドという情勢で落ち着いてゆっくりとオフェンス、というのはなかなか難しい。
滝川のように徹底してディフェンスのチームとして作られてきた場合は、それも可能だが、石川柴田を擁して点を取るチームの中で、今の状況はこうだからとペースを落とそうという意識は今の五人には徹底しきれない。

藤本が右四十五度から高南に一対一を仕掛けた。
エンドライン側で抜きに掛かるがゴールに突進出来ない程度にコースを制限される。
結果、押し込まれた先はゴール裏、逆サイドから由麒麟も包み込みに来るところを辛うじてパスで捌く。
向こう側後藤、受けたときには目の前に敦子のカバー。
上へ戻して石川、ここがフリーでスリーポイントを放つがリング根元に高く弾かれた。

リバウンド。
スクリーンアウトがしきれてなく飯田が麻里子様と競り合う形。
右手一本でオフェンスリバウンドをもぎ取って確保。
一旦上の柴田に戻す。

自分だけが社会人なんだ、という意識が飯田にはあった。
自分がキャプテンなんだ、という意識もある。
だけど、うまいこと言ってみんなを仕切って力を引き出すというようなことはどうもうまくない、ということは自分でも感じていた。
おかしなこという圭織さん。
そういう定評なのは分かっている。

でも、自分はキャプテンなんだ、という意識があった。
今いる五人の中で社会人は自分だけなんだ、とも。

高校時代、百パーセント自分ワンマンのチームに君臨していた。
このチームは違う。
自分と同等の力を持った仲間、いや、それぞれの分野で自分には出来ない力を持っている仲間と一緒に戦っている。
言葉できちんと、みんなが理解できるような表現で伝えることが出来ていないけれど、このチームが好きで、このチームで勝ちたかった。
どうやら、点を取る力は今の自分よりも石川や後藤の方があるんじゃないかと思う。
だけどそれでも、シュートは一本で簡単に決まることばかりじゃない。
だから、自分に出来ること、リバウンドを取ることで、何度もチャンスを確保してやりたい。
あれもこれも、全部が通用するレベルじゃない。
せめて、リバウンドだけでも、しっかり取ってやりたい。

柴田から右に開いた藤本へ。
藤本はローポストで面取って待っている後藤へ入れた。
後藤はターンして、踏み込もうとしたが前を塞がれ、仕方ないという形でフェイドアウェー気味にシュートを放った。
由麒麟のブロックを意識したシュートは長めになる。
リバウンド、その位置には誰も居ない。
ハイポスト付近に居た飯田と麻里子様の争い。
肩ぶつけ合いながらのルーズボールは飯田が先にボールを確保する。
そのままゴールの方を向こうとするがそこは麻里子様が立ちはだかっている。
外から敦子も挟んでくる。
囲みを避けて石川へ戻す。

リバウンドを二本取られたCHN
スタンドからはため息も聞こえる。
何やってんだ的な怒号も飛んでいた。

「一本! 一本! 三度目の正直で!」

ベンチから吉澤が叫ぶ。

ボールはトップに戻った藤本に渡る。
オフェンスリバウンドを二本とっての三回目のオフェンス。
少し、藤本が間を取った。

「広く! 広く!」

スタンドからベンチから、飛び交う声にかき消されて、藤本の声自体は全体には届かないが、アクションでなんとなくメンバーは理解する。
セットオフェンスの建て直し。
ここまで粘ってリバウンドを取るのは立派だが、だからこそ逆に、ここまで粘って得点に結び付けられないと、流れが二度とやってこなくなってしまうという瀬戸際。

ハイポストに入ってきた後藤へ入れる。
後藤ターンして前に由麒麟、ゴール下を抜けて動く飯田へパスを飛ばす。
パスが今ひとつ合わず、受けて間をおかずシュートとは行かず麻里子様の壁が目の前に。
上、柴田へ戻す。
柴田から左サイド藤本へ。
藤本はドリブルでボールキープしたままトップへ戻る。
仕切りなおし。
もう一回時間を掛けるか、という雰囲気だったが藤本は左サイドに開いた石川へパスを落とすと走った。
石川は敦子の脇をバウンドパスで通す。
走りながら受けた藤本、ゴール下は麻里子様が抑えに来る。
高南も振り切れてなく、ゴール下へ突進というより少し外に開き目に逃げた。
零度の位置からジャンプシュート。
高南のブロックの上。
このシュートもリング向こう側に当たって入らなかった。

リバウンド。
麻里子様は藤本をケアに入った分ゴールの下側まで入り込んでいて飯田をスクリーンアウト出来ていない。
落下点、ちょうど五分と五分のところに落ちてきたボール、右手を伸ばす麻里子様から両手で飯田がもぎ取った。
外から由麒麟が奪い取ろうと囲んでくる。
ゴール下のリバウンドシュートを選択したくなる位置だったが、飯田は違う判断をした。
由麒麟が離れ、手を上げている後藤の姿が視界に入っていた。
麻里子様、由麒麟に囲まれた中から飯田が外へパス。
受けた後藤のところには上から優子がカバーに入る。
シュートの構えに優子が飛び込んでブロックしようとするが、後藤はそれとすれ違うようにワンドリブルついて移動。
優子をやり過ごし、完全にフリーになったところで改めてシュートを放った。

右十五度あたりの位置からのスリーポイント。
目標が見えにくく、あまり練習もしない位置で難しいシュート。
わずかに長くなりリング向こう側に当たって大きく跳ね上がる。
ゴール下、また麻里子様と飯田が競り合っている。
今度は麻里子様が飯田を押しのけて良い位置を確保した。
逆サイドから石川がスクリーンアウトをサボった敦子をかわしてゴール下へ飛び込んでくる。
それらの競り合いを無視して、跳ね上がったボールは落ちてきてリング中央を通過した。

四度目の正直。
後藤が、両手で力強くこぶしを握りガッツポーズをしている。
ここは日本代表の粘り勝ち。
ベンチも盛り上がった。
吉澤と松浦がハイタッチをしているという珍しい光景もある。

オフェンスリバウンドを四回も取られるというCHNとしては嫌な点の取られ方だった。
スタンドからは落ちてきたボールがリングを通過した瞬間、一万のため息がもれていた。
流れが変わりそうな局面。
経験値があるほど、そういう局面であることが直感的に理解できて、それだからこそ、流れが変わることを受容してしまいそうな場面。

すばやく高南が動いた。
麻里子様にボールを要求する。
エンドから麻里子様が入れて高南が運ぶ。
藤本は捕まえているが、ボールを運ぶことそのものは防げない。
高南に呼応して上がっているのは優子。
ここも柴田がしっかり捕まえている。
二対二の状態のまま勝負してくるか?
あるいは一対一でゴール下まで行くか?
どちらもありえたが、ここは味方の上がりを高南は待っていた。
三人目、四人目。
そうみせてアーリーオフェンスで簡単にシュートまで持って行く、というのはよくあることなので敦子、由麒麟にそれぞれ石川、後藤がしっかりついて簡単なパスを入れさせない。

改めてセットオフェンス。
ボールは外を回った。
由麒麟、麻里子様はゴール周辺、台形のあたりでポジションを確保しようとしている。
どこで勝負してくるか?
ボールはトップの高南へ。

ハイポストに由麒麟、ゴール下麻里子様が抜けて逆のローポストに入ろうとしている。
右外には敦子が開いていて、優子は麻里子様が空けて左のスペースへ埋めている。
高南は動きのあるところ、麻里子様へ長いパスを送ろうとした。

そこに手を伸ばしたのが後藤だった。
後藤の位置は由麒麟の背中。
高南のパスの狙いがしっかり見えたのだ。
由麒麟を外して、飛んだパスに飛びつく。

右手で触れたがキャッチは出来なかった。
軌道の変わったボール。
右サイドへ。
麻里子様の方をケアしようとして動いていた石川と、外で待っていた敦子。
動きが逆のベクトルを持っていた石川よりも早く、敦子がこのルーズボールを拾い上げる。
石川は一歩送れていてボールを取りに行くところをすれ違うようにかわされた。
ゴール下へ向かう敦子。
飯田がそこは押さえるが、簡単に敦子はパスを捌いた。
流れのままにフリーになった麻里子様。
敦子と麻里子様、飯田が一人で二人を抑えることも出来ず、零度からのジャンプシュートを麻里子様が決めた。

また十点差に。

ここから、ペースを落とすという方針はどこかへ行ってしまったかのような早い展開が続く。
石川がワンオンワンを試みて敦子を抜き去って持ち込み、ゴール下麻里子様、由麒麟の壁を無視してシュートまで持って行ったがブロックショットで弾き返される。
拾った高南が長いパスを優子に送ったが、これは狙い済まして柴田がスティール。
逆に持ち上がって五対四、崩れた陣形の中開いていた後藤へ入れてジャンプシュートを決める。

CHNはゴール下へボールを入れて混戦、という中、外の優子へ戻してジャンプシュートで点を取り返す。
日本代表ははやい攻め上がり、持ち込んですぐに後藤がジャンプシュートを放つが外れる。
このリバウンドを飯田がもぎ取ってここはゴール下で簡単なシュートを決めた。
一方CHNはパスアンドランのカットインから高南が藤本とのちびっ子勝負に今度は勝ち、ゴール下まで入ってレイアップシュートを決めて帰る。

点差が広がるということもないのだが縮まって行かない。

日本代表、外で回してここは珍しく柴田が勝負した。
状況次第で一対一で相手を抜き去るくらいの力は柴田にも十分ある。
ただ、優子を抜いた先、ゴール下には麻里子様、これは柴田から見れば高い壁である。
外、石川に捌いた。
ゴール下は混んでいてそこに突っ込んで行っても価値がない。
そう瞬間的に判断した石川はその場でジャンプシュート。
これがリングに嫌われる。
飛んだ先には由麒麟、すぐに高南へ。
高南は長いパスを送った。

この試合後半、何度も出ている高南-優子の速攻ライン。
今まではことごとく柴田がそれをなんとか封じていたのだが、ここは自分が抜き去った直後な分、戻りが遅れている。
高南のパスはしっかり優子に届いた。
ただし、パスを受けるところでわずかに優子がボール待ちで減速している。
ここで柴田が追いついた。
追いついただけでまだ優子の後ろ。
そのまま走ればゴール下までさえぎるものがない。
柴田は、肩からあたるようにして手を伸ばした。
ボールを取りに行く、という姿勢。
しかし、ほぼ後ろから手を伸ばしてもボールに届くはずが無く、体の方が当たって笛が鳴った。
柴田のファウル。
ただ、ボールを取りに行くんだ、という姿勢を示した分、アンスポーツマンライクファウルは取られず、ただの普通のファウルで済ませてもらえた。

「ナイスファウル! ナイスファウル!」

日本代表ベンチから声が飛んだ。
松浦だ。
不思議な光景だが、バスケでは味方のファウルに対してナイスファウルと言うことがある。
今の場面、どうやってもファウルで止める以外にはゴール下まで持ち込まれてシュートを決められるのを防ぐことは出来なかった。
アンスポーツマンライクファウルも取られず、普通のファウルで収めたことは、今の場面の最良の選択で最良の結果である。
柴田のファウルがかさめば松浦に出番が回ってくる、という意味合いのコールではない、はずである。

日本代表ベンチは、全員が立ち上がっていた。
松浦も、吉澤も、久住も、村田も、福田も。
平家も杖振り回しながら怒鳴っている。
信田コーチも立ったまま指示を送っていた。

十点差から縮められない。
どうしたらいい。
どうしたら点差が縮められる。

この時間帯になってきて、藤本は疲れを感じ始めていた。
ただ一人、この試合コ−トにでづっぱりである。
CHNはもはや全員スタメンと違うメンバーがいる。
日本代表は、石川にしても飯田にしても、途中で休みを入れる時間帯があった。
藤本だけそれがない。

ある種、信田からの信頼でもあった。
スタメンを高橋にするか、藤本にするか。
周りとの兼ね合いで迷ってきて、ようやくしっかり固まったように見えたのがグループリーグ三戦目。
そういう部分では藤本に賭け切っているわけではないのだが、今日、藤本をベンチに下げて休ませるということはここまでしていない。
信田コーチは、藤本のスタミナという部分は絶対的に信頼していた。
途中で休ませなくても四十分間ベストパフォーマンスを発揮できる選手、という理解である。
メンタル面での必要性でベンチに下げることはあっても、ここで体を休ませておこう、という配慮を藤本にはする必要がないと考えている。

そんな藤本が疲れを感じていた。
ただ、まだ行ける、とも思っている。
いつもだって疲れ自体を感じないわけではないのだ。
疲れを感じていても最後まで足を動かすことが出来る。
そういう鍛え方をしているだけだ。

女子の試合にしてはハイレベルな点の取り合いになってきていた。
特に藤本にとってはあまり最近経験していないハイスコアな展開。
すでに失点は81と、延長まで戦った韓国戦の80も越えている。
失点することの重みよりも、オフェンスで点が取れないことの重みの方が大きくなっている。

石川が今ひとつ点を取れていない、と藤本は感じていた。
今、一番乗っているのは後藤だ。
結果、点を取るのが後藤でない場合でも、点を取れる状況を作り出しているのが後藤になっている。
後藤へパスを入れるのが一番確率が高い。
それが藤本の頭にある。

その意識がパス回しを単調にした。
藤本は常に後藤の動きを見ている。
そのことに、藤本がボールを持っていない状況で全体を見ながらマークしている時に高南が気が付いた。
ボールを持ったら後藤に良いパスを入れよう、という感覚が藤本の頭にある。
トップへ上がってきた藤本へボールが送られてくる。
付いて行った高南の視界にハイポストへ入ってこようとする後藤の姿が目に入った。
トップで藤本がボールを受けたとき、高南にとって後藤は背中で見えていない。
藤本が高南の左脇をバウンドパスで通そうとした。
後藤にパスが入る、という前提があればディフェンスにとっては上からか下からかの二択。
身長が低いからか下に賭けた高南。
自分の横で弾んで通り抜けて行くはずのボールをキャッチした。

瞬間走ったのが敦子だった。
石川はオフェンスへ意識が行っていて、ターンオーバーへの反応が遅れている。
高南がドリブルで持ち上がる。
日本代表ディフェンスは藤本だけ。
高南敦子と藤本の二対一。
パス、パス、パス、と二人で三本繋がれ、後ろへ戻りながら左右に翻弄される藤本。
最後は追いきれず、敦子に左からきれいなレイアップシュートを決められた。

今日最大の十二点差。

「落ち着いて!」
「一本! 一本!」
「切り替え! 切り替え!」

ベンチから声が飛ぶ。
それでも、今のは自分のミスだ、というのは藤本は感じている。

「小さい相手は上からだよ」
「悪い」

ボールを拾って柴田が声を掛ける。
普段、自分より大きな相手とあたることが多い藤本。
バウンドパスで脇を抜く、という選択を選びやすい。

柴田がエンドから藤本へ入れる。
すると、今までとは違って高南が前からついてきた。
かさに掛かってきている。

舐めやがって、とムキになって抜きに掛かる藤本。
高南は付いてくる。
抜き去りは出来ず、かといってミスしてボールをこぼすことも無くフロントコートへ。

藤本から簡単に柴田へ。
柴田は零度に開いた後藤へ送る。
後藤がそこから単純に勝負した。
外へフェイクをかけて内から由麒麟を抜きに掛かる。
わずかに外せて突き進む。
前、麻里子様。
まだ距離があるけれどジャンプシュートを選んだ。
遅れていたはずの由麒麟。
シュートモーションの間に追いつかれている。
横からはいってくる形でのブロックショット。
きれいに叩かれてボールが飛んだ。

飛んだ先は優子。
連続速攻は柴田が前をさっと抑えて封じる。
周りが落ち着いてから高南がボールを受けてゆっくり上がってのセットオフェンス。
スローダウンさせてからのオフェンスなのでじっくりまわしてくるだろう。
そう無意識に思っていた柴田。
スリーポイントラインから1mほど離れてボールを受けた優子。
万が一のドリブル突破だけを気にして距離を置いて柴田は構えている。
ここで優子がポン、とシュートを放った。
虚を突かれた形。
はっとしたときにはボールはリングを通過していた。

信田コーチがブザーを鳴らしタイムアウトを取った。

残り五分四十七秒。
71-86
CHN15点リード。

「藤本、足は動くな?」
「はい」
「柴田も石川もいけるな?」
「はい」
「よし、まだ時間は十分あるけど早めに仕掛ける。プレスで当たっていこう」

15点という差はこの時間帯にはかなり厳しい点差になっている。
しかしノーチャンスではない。

「一対二作って追いつぶす。カバーをすばやく。当然だけど後藤、飯田も足が必要な」
「はい」

四十分間前から当たるが標準フォーマットのチームにいる藤本。
勝負どころで前から当たって試合を決めに行くのが持ち味の一つというチームにいる柴田と石川。
前から当たる役割の三人にとってこの戦術は、一か八かで最後に行うものというより、日常的に行うものになっていて慣れている。
その破壊力は皆知っていた。
久住、光井を除けば、ここにいるメンバーはほぼそのディフェンスの被害を直接経験しているか、その当事者であるかのどちらかだ。
その両チームの主力のいいとこ取りをしたのが前三人。
あれが決まれば15点なんて一気にひっくり返る。
それを誰もが信じられた。

コートにメンバーが戻って行く。
藤本が石川に声を掛けた。

「石川、中で勝負出来ないか?」
「中で? 私が?」
「ごっちんが結構当たってるだろ。それも外から。ごっちんが出てくるから中広いじゃんか。おまえいつも四番でインサイド勝負もするだろ。相手も身長差あるわけじゃないし。空いたスペース飛び込むって感じでもいいし、センターっぽくがちがちのインサイドっぽいやり方でもいいし」
「分かった」

攻撃の選択が後藤に偏りすぎている。
自分の意識がそう傾いているからであるけれど、それがさっきの失敗につながっていた。
少なくとももう一枚、石川には選択肢になってもらわないと困る。
そう、藤本は感じていた。

柴田がエンドからボールを入れる。
高南が藤本に付いて来た。
終盤はこれで来るらしい。
目障りだが、それくらいなんでもない、という顔で藤本は上がって行く。
早い攻めだった。
ハイポストに入った石川へ入れる。
石川はターンしてそのままドリブル。
敦子は前を押さえられない。
麻里子様がカバーに入ったところをバウンドパスで飯田へ送ってゴール下のシュートが決まった。

「当たれ! 足動かせ!」
「ハンズアップ!」

ベンチから声が飛ぶ。
エンドに出て麻里子様がボールを入れようとしていたが、日本代表のディフェンスを見てボールを置いて上がって行った。
優子が外に出てきてボールを拾う。
高南がゴール下へ駆け込んでボールを受けようとするが藤本が塞いだ。
ならば裏、ということで優子は二人の頭上を越えるボールをふわっと入れる。
高南が走りながら追いつけば良い、というパスだが、石川も追いかけた。
高南がキャッチしようとするところを石川が叩く。
ルーズボールが転がった。
転がった先は飯田と麻里子様。
動き出しの速さで麻里子様がボールを拾い上げる。

急げば麻里子様由麒麟と、飯田後藤の二対二、という形にも出来たが、麻里子様はボールを抱えて味方の上がりを待った。
高南に預ける。

ここのところディフェンスで止められていない日本代表。
ただ点を取り合っていたらいつまで経っても追いつけない。
この場面、敦子がやり返そうとしたのか零度の位置から石川に一対一を仕掛けた。
石川はエンドライン際に追い込む。
逆サイドから後藤も包みに来る。
敦子はその後藤の外側から向こう側へバウンドパスを送ろうとした。
後藤が離れて空いているはずの由麒麟のところへ。
これを、ローテーションで降りてきた柴田がきっちりカットする。

すぐに藤本へ送った。
藤本はバックチェンジ一つで高南を抜き去った。
前には誰もいない。
ひたすらゴールへ突進して行くと、後ろから手が伸びてきた。
抜かれても背後から追っていた高南。
ボールは叩き飛ばされたがこれはファウル。
笛がなる。

簡単に点差を詰めさせてもらえない。
サイドから入れての次のオフェンスは、藤本がスリーポイントを放つが外れる。
リバウンドを競った飯田と麻里子様。
ジャンプした時体が流れた飯田が、麻里子様に体当たりする形になってファウルを取られた。

しかし、そのエンドからのCHNボールにはプレスをかけて奪い取る。
そして零度からの後藤のスリーポイント。
これが決まって十点差。

「もう一本! もう一本!」
「足動かして!」
「ノーファウルで!」

ベンチから次々声が飛ぶ。
会場、スタンドからの歓声・怒声も大きく、ベンチの声が文章として単語として、コートの上の選手たちに聞き取れる形で届いているとはとても思えないが、それでも声を出さずにはいられなかった。

その中で信田は頭は冷静に働かせて見ていた。
五分を切ってきたが十点差まで詰めた。
前三人のプレスは効いている。
このまま一気に追い詰められるか。
それならそれで良いが、そうではない時にどういう手が打てるか。

次のディフェンスはエンドから長いパス一本で突破された。
優子から麻里子様へ。
ところがここで初歩的なミス。
麻里子様フロントコートからバックコートに戻りながらパスを受けた。
これがバックパスを取られて反則。
日本ボールに。

このチャンスはしっかり生かした。
パスアンドランで走りこんだ石川へ柴田がふわっと入れ、そのままゴール下まで持ち込むと見せかけてのジャンプシュート。
しっかり決めてついに八点差、一桁まで戻す。

CHNエンドから。
プレスの網にかけてどんどん追いかけたいところ。
しかしここも長いパス一本で突破された。
由麒麟が飯田にスクリーンを掛けて麻里子様を外そうとする。
後藤が飯田とスイッチして麻里子様を捕まえていたが、その受け渡しの判断が少し送れ、由麒麟の方を飯田がフリーにしてしまう。
そこに長いパスが入った。

CHNオフェンス。
時間を使われるのが一番怖い日本代表。
ディフェンスは厳しく当たって行ってボールを取りに行く。
外、高南から敦子へのパス。
石川が飛び込んだのだがかすかに触るだけで奪えなかった。
届いた敦子へのボール。
結果的に目の前フリーでスリーポイントを放った。
きれいに決まり十一点差まで押し戻される。

この場面を見て少し考え込んでいた信田。
ベンチメンバーに対して声を飛ばした。

「吉澤!」

本人呼ばれていることに気づいていない。
スタンドの声と自分たちの声で、中央側にいる信田から、端側にいる吉澤への声はかき消されている。

「吉澤!」

もう一段ボリュームを上げて信田が呼んだ。
本人にまで届いていないが、となりにいる松浦が呼ばれてますよ、と声を掛けた。
何を呼ばれているのか理解出来ないまま、吉澤は信田の下に駆けつけた。

「次、飯田と交代」
「え?」
「何ふぬけた声出してるんだ。次飯田と交替。入るんだよ」
「は、はい!」

プレスの網は効いていた。
前三人、さすがに慣れている。
三人の動きがばらばらになることだけが心配だったが、それもなく、強力なディフェンスになっていてその三人をしっかり突破するというシーンは見られない。
突破されているのは長いパスだった。
飯田の足が動いていなかった。
リバウンドを取りに飛ぶ脚力はまだ残っているようだ。
一方、平面での移動、連続した動きについていけていない。

リバウンドは当然大事であるが、ここはプレスをもっと機能させることを信田は考えた。
長いパスを封じれば、一気にひっくり返すところまでいけるかもしれない。
それには飯田のところに補強が必要だった。
今までの選択で言えば代わって入るのは村田だ。
しかし、信田から見て村田は足で追いかけるタイプの脚力があるようには見えない。
他の選択肢は?
そう考えた時に浮かんできたのが吉澤だった。
センターとしての能力は飯田に劣るし、村田にも負けているだろう。
だからこそ今の立ち位置になっているのだが、平面を動く脚力は二人より高いと信田は見た。

吉澤はいそいで上着を脱いだ。
それからオフィシャルに交替を告げる。
交替メンバー用の待機椅子がおいてあるのだが、そこには座らなかった。
立ったまま戦況を見つめる、いや、声を出している。

自分がこのタイミングで試合に出ることは考えていなかった。
この点差での投入は、明らかに敗戦処理ではない。
ここまで、この大会での吉澤の出番は、リードを拡げてからのクルージング的な場面でしかなかった。
戦力として当てにされていない、という認識が本人にもあった。

「吉澤、リバウンドとかゴール下のプレイは根性で何とかしろ」
「根性ですか?」
「難しいこと言っても出来ないだろ。だからそこはそんなに期待してない。お前の役割はとにかくボールを追いかけること」
「ボールを追いかける」
「今、前から当たるプレスはしっかり効いてる。ただ、長いパスで何本か抜かれてる。飯田が疲れてるってのもあるんだろうし、元々ああいう役割はあまり得意じゃないんだろう。その点、吉澤は体力関係ないし、長いパスを取りにいけるだけの瞬発力はあるはずだ。あと、突破されたとしても、ディフェンスは喰らいついていけ。外に開いて余裕持とうとしてもタイトに当たっていい。麻里子様ならシュートは無い、っていう距離でもな」
「わかりました。やってみます」

信田コーチの指示を受けた。
このタイミングでわざわざ自分な理由はなんとなく理解できた。
今の戦況でコートに上がるのが怖くないかと問われれば、怖いというのが正確な解答だろう。
ただ、怖いと言っていられる場面ではない。
まだ、試合に入っていないのに、心拍数が上がっているのがはっきりと分かる。

コートの上では日本代表がボールをつないでいた。
藤本から柴田へ。
柴田から後藤へ。

後藤が外から勝負、はしなかった。
由麒麟の脇をバウンドパスで抜く。
中には石川がいた。
敦子を背負っている。
ボールを受けてターンし、シュートフェイクを一つ入れてから飛んだ。
フェイクで上体が上ずった敦子、ブロックに飛ぶのが遅れる。
石川のジャンプシュートが決まった。
九点差。

「ディフェンス! 足動かして!」

さっきまでと同じように、交替待ちでも声を出す。
いや、声を出さずにいられなかった。
黙ってなど見ていられないチームへの思い。
そういうことではなくて、じっと待っているなんて出来ない、という精神状態だ。
飛んだり跳ねたり、足を動かし体を動かしながら、落ち着きなく出番を待つ。

エンドからのCHN
優子が敦子へ入れて、敦子が優子へ戻した。
そのパスを奪いにかかった柴田。
優子と接触して笛がなる。
きわどいところだが柴田のファウルを取られた。

レフリーがオフィシャルにファウルの対象者と内容を告げている。
そして、ブザーが鳴った。
吉澤投入。
飯田と交替。

「気合入れて行きな」
「はい」

飯田と両手を力強くぶつけた。

第四ピリオド残り3分32秒
89-80
日本代表9点のビハインド

「足動かして」
「ボール取ったらとにかく誰か探して。すぐに前にね」
「長いパス結構来るから」

吉澤が入って行くとメンバーたちが声を掛けてきた。
なんでおまえが、というような反応はない。

藤本、柴田、石川。
この三人はプレイヤーとして考えた場合、吉澤にとって雲の上の人間だった。
石川、柴田との出会いは、一読者と雑誌の表紙写真、という関係だった。
伝統ある名門校のキャプテン藤本だって、創部四年目全国大会出場二回の松江にいる吉澤からしたら比較になる相手ではない。

「結構、スクリーン使ってくるよ」

一方、後藤だけはそういう殿上人たちとは違い、本当の意味で気安さが吉澤から見てあった。
後藤真希は、バスケ関係なく、単なる同級生である。
そんな後藤が、普通の調子で情報伝達してくれる姿で、少し落ち着けた。

柴田のファウルでCHNエンドから。
レフリーからボールが優子に渡った瞬間に、CHNのメンバーが動き出す。

吉澤は麻里子様の背中に手を当てていた。
視線はボールの方に向けていても動き出しが感知できるように相手のプレイヤーに手を当てておくのはよくやること。
敦子、高南が激しく動くのと対称的に、麻里子様は動かない。

「スクリーン!」

後藤の声。
由麒麟が自分にあたりに来たのは吉澤も視界に入っていた。
元々距離がある位置に居たわけでもないし、このシチュエーションではよくあることだし想定内。
麻里子様の背中が手から離れて吉澤も動いてからが想定外だった。
壁、の意味のはずのスクリーン。
その動かないはずの壁が動いた。
麻里子様だけが抜けて、吉澤の進路が塞がれる。

「スイッチ!」

吉澤が叫んでマークの交換。
麻里子様の動きには後藤が対処する。
スイッチ、ではなくて、動いた! と叫んでもいいところ。
スクリーンの壁役が動くのは本来ファウルである。

優子は麻里子様へ向けた長いパスを送る。
あまり良いパスではなかった。
パスを通したいだけなら、ディフェンスがいない側へ投げて麻里子様へ追わせるべきである。
ところが、麻里子様がいる位置に向かってボールが飛んだ。
そこにはマークの受け渡しをしっかりしていた後藤が入り込んで奪った。

奪ってそのままドリブルで突っ込む。
ゴールに向かってまっすぐの位置、正面から優子がスペースを抑えようとするが、柴田が背負い込んでスクリーンアウトのような状態。
両サイドに散ってボールを受けようとしていた高南、敦子も中央をカバーに来られる状態ではない。
後藤が一人で持ちこんでそのままシュートを決めた。

CHNベンチがタイムアウトを取った。

「行ける行ける!」
「全部つぶしていこう」

三分半で七点差になった。
完全に射程圏内である。
ガード陣のプレスが効いているから長いパスで逃れようとする。
長いパスも奪って封じ込めれば、あとは一気にひっくり返すところまで持っていけば良い。
ただ、問題が一つあった。

「柴田、下げないからな」
「はい。分かってます」

柴田。
前三人の中ではベンチで休んでいる時間が一番長かったので体力的にはまだ何とかなっている。
問題は、ファウルだった。
さっきの吉澤投入直前のもので四つ目。
後一つで退場である。

早い時間帯なら、一旦下げて勝負どころまで温存するものであるが、勝負どころは今、下げられるはずもない。

「藤本、石川。きついと思うけど、一分耐久レースだと思え」
「一分?」
「三分半あると思うときつくなるかもしれないけど、タイムアウトが後一回づつあるから、一分ごとに休めると思って何とか頑張れ。三分半持たそうと考えるな」
「問題ないです。行けますって」

リードしているなら時間と体力の配分を考えるところだが、7点ビハインドでプレスで当たっていて、ペース配分もなにもない。
最後は体力じゃない、気力だ、というのが滝川スタイルである。

「オフェンス、普通で良いから。あまり時間掛けないに越したことはないけど、普通でいい。二点づつで十分な。ディフェンス、セットになったらとにかくボールに圧力掛けて。余裕持たすな。早い選択を強要しろ」

信田コーチの指示は以上だった。

「よっちゃんさん、体力余裕あるでしょ」
「おうよ」
「オフェンス、セットになったら動き回って引っ掻き回して」
「とにかく動けば良い?」
「うん。適当に。悪いけど、よっちゃんさんで勝負って選択は多分あんまりないから。ごっちんと石川が中に入っていけるスペース作るのに引っ掻き回して」
「分かった」

点を取るのは後藤と石川。
藤本の中でそういう仕組みになっている。

「足動かしていこう」
「切り替え早く」
「ピックアップ早くね」

それぞれ声が飛ぶ。
行ける、という雰囲気でタイムアウトが終わりコートに戻って行く。

メンバーチェンジ後すぐにタイムアウトがあったことで、逆に吉澤はゲームにはいっていけた。
さっきのワンプレーを体験して戻ってきて、しっかりと指示を受けて再度コートに入る。
スクリーンが本来ならファウルだった、ということもあるが、数秒だけのワンプレー、自分が足手まといにはなっていなかった。
状況判断がしっかり出来て、マークの受け渡しを要求し、それに応じて後藤も動いてボールを奪いそのまま得点につながった。
ほんの五秒ほどの出来事だ。
その五秒の動きを頭の中で再生し、悪くなかったと自己認識する。

総合力としては敵味方合わせた十人の中で確かに落ちるかもしれない。
だけど、残りほんの三分半ならある程度気持ちで押し切れるんじゃないかと自分の中に期待感がある。

タイムアウト明けはCHNのエンドから。
メンバーは変わっていなかったが、構成が少し変わっていた。

高南がエンドに立っている。
さっきまでは優子が入れていたボール。
その役割が高南に代わって、優子はコートの中。
タイムアウトで与えられた指示なのだろう。

試合の後半、長いパスでワンパス速攻を出そうと高南が何度もしていたのは吉澤も覚えている。
自分がやるべきは、その長いパスを奪うこと。
とにかくどんな形でも良いから奪い取る。

そう考えて待つ吉澤だったが、麻里子様、由麒麟はあまり動かなかった。
レフリーから高南にボールが渡されて、CHNのガード陣は動き出す。
パスはすぐに入った。
高南から優子へ。
柴田がついてはいるが、抑えるということは出来ていない。
藤本が挟み込みに来るまで動きを封じておく、ということも出来ず、優子がドリブルで上がっていきそれに付いて行く、という形。
ファウル四つの柴田、強い当たりに行けない。

優子は一人でハーフラインを突破して持ちあがった。
日本陣内で三対三の情勢。
吉澤がゴール下まで突っ込んできそうな勢いの優子をケアしてゴール近くにポジションを寄せると、優子は外にパスを捌いた。
サイドに開いた麻里子様。
この試合、この位置から麻里子様がシュートを打ったケースはない。
緩慢な動きの麻里子様に、吉澤が激しく当たる。
ボールを頭上に上げ取られないようにするが、そこにも吉澤は手を伸ばす。
ガード陣の上がりを待ってパスを戻したいという意思があったはずだが、吉澤のしつこさに根負けしたか麻里子様はドリブル突破を選択。
距離がない、びた付きのディフェンスは半分ずらすだけで抜き去りやすいが、元来外から勝負するプレイヤーではない麻里子様、エンドライン側から勝負するが吉澤は付いて行く。
麻里子様、体勢を崩しボールをファンブルした。
こぼしたボールは吉澤の左足すねに当たる。
堅いところに当たって跳ねたボールがエンドを割った。

「ナイスディフェンス! ナイスディフェンス!」
「くらいついて!」

流れが来ている。
そう、日本ベンチは感じている。
スタンドからの怒声もすごいが、日本ベンチも負けていない。

エンドからのCHNボール。
優子が由麒麟に入れる。
由麒麟は突破を試みたがワンドリブルで諦めてパス。
逆サイド、敦子への長めのパス、ここにゴール下にいた吉澤が飛びついた。
右手で弾くがキャッチ出来ない。
こぼれたボール、飛んだ先には高南。
拾ってそのまま麻里子様へ。
ボールを取りに飛び込んでいた吉澤はゴールサイドを抑えることが出来ておらず、麻里子様の簡単なシュートが決まった。

九点差。
すぐに一本返したい、というオフェンス。
自分に出来ることは動き回ること。
藤本の指示だ。
そうだろう、と吉澤は納得していた。
麻里子様と真っ向勝負してそれほど確率が高い気がしない。
自分のところが一番勝率が低そう、という見立てに反論できる実績は持ち合わせていない。

自分に出来ることはサポートだ、
動き回る。
正確には、動いて止まって動いて、と緩急はつけた。
止まる、が一瞬入る方がトップスピードでひたすら動くより効果的だ。

ただ、藤本の指示は吉澤が動き回って中で勝負できるスペースを作って、であったが、勝負は外で決まった。
ボールを持った石川、マッチアップの敦子。
敦子に柴田がスクリーンを掛ける。
それを使ってドリブル突破、という全体をフェイクにして石川はスリーポイントを放ちきれいに決めた。

一本決めれば前から当たれる。
やはりCHNは高南がエンドから入れるようだ。
今度も長いパスは選択せず、ボールは優子へ。
ただ、柴田も無意識を押さえ込んで今度は厳しく当たっている。
正面を向かせずに横への動きのままドリブルを開始させて、サイドライン際まで追い込む。
藤本が追いかけてサイドラインも使って囲む。

優子は苦し紛れに高南へ山なりのパスを戻す。
これを石川が身長差を生かして奪い取った。
着地して振り向きながらジャンプシュート。
流れるような動きだったが、流れすぎていてもう一人の動きに気づいていなかった。
高南だったらとどかないところだが、その後ろから追いかけてきてブロックに飛んだのが敦子。
ブロックショットがギリギリ間に合う。

ルーズボール。
打った石川自身とシュートとブロックで蚊帳の外にされた高南が追う。
一度コートに落ちて跳ね上がったボールを手にしたのは同時。
石川と高南のボールの奪い合い。
決着が付く前に笛がなり、ボールの保持者が決まらないジャンプボールシチュエーションである、と判定され、ルールてきに順番でここはCHNボールとされた。

またCHNエンドから。
タイムアウトの時の指示なのか、高南は長いボールは使わない。
三回目、また同じ選択をした。
高南から優子へ。
優子はさっきよりもまずい選択をした。
コーナーへ引きながらボールを受ける形。
捕まえてください、と言わんばかりの動きである。

柴田は前を塞ぎ、すばやく藤本も囲みに来た。
裕子はピボット踏んで耐える。
その持っているボールを引き剥がそうと、柴田も藤本も手を伸ばす。
パスの出し先はない。
レフリーの笛が鳴った。

ラインクロスか? 五秒オーバータイムか?
日本ベンチはそう期待したが、レフリーは、柴田を腕で指していた。

「松浦!」

信田が呼んだ。
レフリーのコールの前だが、松浦を呼んだ。
柴田も覚悟があったのだろう、苦い顔しながらも手を上げている。
日本語ではない言葉でレフリーがオフィシャルに柴田のファウルを告げ、場内にもそれらしいことが日本ベンチには理解出来ない言語でアナウンスされていた。

「松浦、そのまま入れ。柴田のところ。プレス継続」
「はい」
「勝負して来い」
「はい!」

やばい、心臓がバクバク言ってる。
松浦は、そう感じていた。

残り二分四十二秒 91-85 CHNリード

緊張している、というのが自分でも分かる。
こんなの初めてだった。
なぜなのか、自分でも分からない。
試合でこんなに緊張したことはない。

「後は任せるよ」
「はい」

何か言われたから、とりあえず返事をした。
改めてスコアボードを見る。
CHN 91-85 JPN
2:42

CHNが中国で、JPNが日本だということが分かれば、点差と残り時間は理解できる。
点を取らなきゃいけないんだ。
そう、思った。
自分は、是永さんのように出来るだろうか。

「ディフェンスそのまま!」

信田コーチが指示を出している。
藤本と石川が松浦のところに歩み寄ってきた。

「ボール入れるの変わるかもしれないけど、マッチアップはそのままで対応しよう」
「そうだね。高南が今のまま入れるなら今のままで。優子が入れるならマッチアップそのままでミキティが高南、あややがエンドで優子につく」
「はい」

藤本と石川、二人を交互に見ながら松浦はうなづいた。

「最後は気持ちだよ気持ち。自信持って、足動かして」
「はい」
「はい、ばっかじゃなくてなんか言いなよ。いつもの生意気口で」
「はい」
「ああ、もう、大丈夫か? しっかりしろ」
「リバウンドは私入るね」

石川がそう言って離れて行く。
日本代表のチームファウルが規定数に達しているので、CHNにフリースロー二本が与えられている。

「オフェンス、無理打ちしないでいいからね。まだ十分追いつける。とにかくプレスにはめてれば一気にひっくり返せるから」

松浦は、もう一度スコアボードを見た。
六点負けている。
そしてフリースローが相手に二本という状況。
点を取らなきゃいけないんだ、と思った。

優子のフリースロー二本。
二本ともしっかり決めてきた。
これで八点差。

エンドから吉澤がすぐ入れる。
藤本が受けて持ち上がる。
高南びたつき。
それを引きづったまま上がって行く。

ゴール下まで、というのは厳しそうだったので外へ開く。
石川が後から駆け込むが敦子が付いていて入れられない。
その後、猛然と走ってくるのが吉澤。
麻里子様が必死にボールサイドを抑えていて結局入れられない。

その吉澤がゴール下を通って藤本と逆サイド、石川の側へ向かった。
敦子にスクリーン。
石川がそれを使って中に入ってくる。
藤本がボールをぴったり入れたが石川が受けたのはゴール真下。
流れでそのままゴール位置は感覚だけで把握してバックシュートを放ったが、きれいに叩かれた。
麻里子様のブロックショット。

大きくはじき出されたボールは松浦の頭上に飛んできた。
優子が奪おうとしてジャンプするが届かない。
松浦自身がジャンプしてやっと確保。
そのままもう一度飛んでジャンプシュートを放った。

シュートは長くなりボードにまで当たって跳ね返る。
向こう側、敦子が拾う。
敦子から高南へ。
優子も上がり、高南優子と藤本松浦で二対二。
高南が持って持って持って持ち上がって優子へパス。
フリースローラインを少し過ぎたゴール右サイドで受けた優子はボールを受けてそのままジャンプシュート。
と見せかけて松浦をブロックに飛ばし、その横を抜けてゴール下、レイアップシュートを決めた。

残り二分を切ろうかというところでまた十点差、二桁まで開く。

「すぐ! 入れて!」

藤本が呼び、松浦がエンドからボールを入れる。
また、高南を引きづったまま藤本が上がって行く。
今度は先に三人が上がっているという状況。
石川へパスを落とす。
石川から吉澤へ。
吉澤は激しく動きながらも全体をよく見ていた。
すばやく優子が引いたのに対して遅れて上がってきた松浦が空いている。
そこへボールを戻した。
やや距離があるがボールを受けた松浦はそこからスリーポイントシュートを放つ。

軌道は大分ずれていた。
ゴール左側に当たり、急角度急速度で飛んで行く。
飛んだ先には藤本と高南。
不意に飛んできたボール、高南がキャッチできずに右手に当ててこぼし、その後ろ藤本の手元へ。
さっと振り返って藤本の動きを封じようとするが手遅れ。
ワンドリブル動いて外しジャンプシュートを決めた。

「ディフェンス! ここ! 足動かして!」

藤本が叫ぶ。
エンドに出たのは高南。
すぐに敦子に入れたがこれは石川が左手で叩いた。
キャッチは出来ず、弾き返しただけでエンドを割り、もう一度CHNボール。

今度は高南は優子へ入れた。
そのままドリブル。
松浦はコースを塞ぎきれない。
無理にボールを取りに行ってファウルを取られた。

日本ベンチがここで最後のタイムアウトを取った。

皆、息が上がっていた。
三十八分休みなしで来た藤本は当然のこと、ここ数分プレスで前から足を使い続けている石川も肩で息をしながらベンチに戻ってくる。
代わって入ってすぐのはずの松浦さえも息が荒かった。
すぐに呼吸が元に戻ったのは吉澤くらいなものだ。

「時計止めていこう」

信田が言った。
時計を止める。
相手ボールになったらファウルでもいいから止めに行って、ファウルになったらなったら時計の進みが止まるからそれでよし、という戦術である。
ファウルゲームと呼ばれる。

「プレス自体は効いてるから、一つの流れで一気に行けるから。プレッシャー掛け続けて」
「ボール持ったらシュートまで早くね。それでリバウンドは全員飛び込む」

残り時間が少なく、ある程度の大きさのビハインドがあって、でも逆転不可能ではない状態。
そういう時に誰もが取る、普通の戦術であり、普通の指示だった。
ここまで来ると、もうそれしかない、という感覚だ。

その、当たり前の指示、当たり前の声掛けを、タイムアウトの間中日本ベンチは続けた。

優子のフリースロー二本。
しっかり決められて十点差。

すばやくエンドに出て吉澤が入れる。
藤本へ。
高南がスローダウンさせる。
自分で運ぶのは時間がもったいないと藤本は石川へ繋いだ。
とにかく早くシュートまで。
その意識はあるのだが、当然CHNもそれはわかっている。
敦子が離れない。
松浦へ戻す。
松浦はハイポストに入った吉澤へ入れた。
吉澤、勝負よりも外、上がってきた後藤へ戻す。
流れでカットイン、を警戒した由麒麟を相手に、後藤は外からスリーポイントシュートを放つ。
これはリング手前に当たって跳ねた。
スクリーンアウトをしっかりした麻里子様が拾う。

サイド、すぐに敦子へ。
敦子が自分で持ちあがろうとするところを石川がファウルで止めた。

残り時間が三分を切ってから、時計の進みが遅い。
一旦六点差まで迫ったところから追い詰められない。
場内の歓声を向こうに、アウェーの日本代表の空気は重くなってくる。

敦子のフリースローが二本。
一本目が入って十一点差。
二本目はリング奥に当たって手前に落ちた。

リバウンド。
吉澤が拾う。

「はい! スタート!」

藤本が呼んだ。
すぐに出す。

スティールに飛び込んだ高南、届かなかった。
ボールを受けた藤本、前には誰もいない。
松浦に付いていた優子が藤本の側をケアしに来る。
持ち上がりながら二対一。
松浦の方を見ながら見ながら見ながら、結局最後までパスは出さなかった。
一人でゴール下まで進んでレイアップを決めた。
九点差、一桁まで押し戻す。

CHNはゆっくりと戻ってきた。
残り時間が二分を切ると、点を取られた後のエンドからのシーンでは時計が止まる。
ゆっくり戻ってきて、各自が所定の位置についてから、高南が藤本がエンドにセットしたボールを拾う。

同時に動き出した優子、きれいに松浦を振り切った。
サイドから弧を描きながら中央へ走りこむ優子に高南がパスを入れた。
藤本の小脇を抜くバウンドパス。
走りながら受けて優子はドリブルで上がって行く。
松浦は振り切られていてファウルも出来ない。
上がって三対二。
ボールをケア、ゴールに近いところをケア。
その意識で後藤と吉澤。
ところが優子は、サイドに開いた麻里子様へ送る。
ゴール下抑えていた吉澤が麻里子様へ近づくと、上の優子へ戻す。
シュートまで持って行かず、ディフェンスを振って時間を使う。

もう一度麻里子様へ送った。
吉澤が近づくと、上がってきた敦子へパスを送るが、少しレイト気味になりつつ吉澤は麻里子様の手を叩いた。
ファウルで時計を止める。

残り時間五十九秒。
麻里子様はフリースローを二本決めてついに100点に乗った。
100-89

追い込まれてきていた。
点差的にも、精神的にも。
諦めたら試合終了ですよ、は身に染みて知ってはいるが、諦めなくてもやがて試合が終わることも知っている。
それを知っていると、諦めがちになるものだ。
諦めまい、と意識すると、感情が前に出て細かな状況判断が効かなくなる部分もあり一長一短である。

麻里子様の決まったフリースロー。
吉澤はすぐに拾い上げてエンドから入れた。
送った相手は藤本。
藤本は一人で持ちあがった。
とにかくシュートまで。
気持ちが先走っている。

こういうときは得てしてミスをしがちであるが、藤本はボールコントロールは過たず高南を引き連れたまま持ち上がった。
ただ、判断が正しかったかどうかは分からない。
周りを見ればフリーのパスの出し先があったかもしれない。
それでもゴールまで突進した。
相手の気迫に思わず体が反応したのが高南。
ムキになって止めに行く。
藤本がシュートまで持ち込む前に手が出てファウルを取られた。

気持ちが先走るというのは他のメンバーも同じ状況だった。
とにかく点を取らないと追いつけない。
それが頭にあり、シュートセレクションを考えずにとにかくシュートまで持って行こうとしている。
エンドから入ったボール、セットオフェンスでまわして崩す、という展開にはならなかった。
入って、横パス一本出して、受けた後藤がスリーポイント。
リズムのないシュート、入らない。
リバウンド、大きく跳ね飛んだボールは石川がもぎ取る。
崩れた体勢、目に入ったところにいた松浦へ送った。
松浦の正面には優子、それでも気にせずそのままジャンプシュートを放つ。
これも決まらず、今度はリバウンドを麻里子様が確保した。
吉澤がすばやくファウルで止める。

この麻里子様のフリースローは一本目だけ決まり二本目は外れた。
リバウンド、吉澤が拾って藤本へ。
藤本、さっきと同じように一人で持ちあがって行く。
今度はさっきとは少し違い、ゴール下まで突進はしなかった。
スリーポイントラインで止まりシュートを放つ。
これも外れた。
リバウンド、というよりルーズボール。
藤本自身と高南の二人で追った。
先に藤本が奪ったところに高南が当たってファウルを取られる。

CHNベンチがブザーを鳴らした。
ファウルが続いた高南を下げて峰南を入れてくる。
同時に優子を下げて指子を投入した。

「ディフェンスからディフェンスから! シュートの後、ディフェンス止めればいけるから!」

藤本がメンバーを鼓舞する。
残りは三十五秒で十二点差。
それでもプレスに引っ掛ければ逆転まで持っていけると藤本は信じようとしている。

実際には、一番つかれているのが藤本だった。
四十分間休みなしは両チーム通じて藤本だけだ。
それでも、この時間帯はこういうものだ、という覚悟がある。

「ピックアップしてコース入って五秒取ろう」

呼応したのが石川。
ディフェンス、というのは本来石川はそれほど好きなわけでもない。
一対一ならまだしも、こういう組織の歯車的なディフェンススタイルは好みじゃなかった。
でも、それよりも、負ける方が嫌いだ。

藤本のフリースロー。
しっかりと二本とも決めた。

エンド、指子がボールを持つ。
峰南に藤本、敦子に石川。
入れる先がない。
由麒麟、麻里子様と上がっているところへ送ろうにも、後藤、吉澤が罠を張って待っている。
苦し紛れに出したのは、走った敦子への山なりのパス。
石川を越えて向こう側の敦子へ、という意図。
こういうパスへの対処は頭の中で準備していた石川、ジャンプ一番奪い取る。
ただ、取られる、と分かった段階で敦子はすぐにディフェンスに回った。

石川へすぐのシュートを許さない。
結果、パスを回すことになる。
三本回った後、後藤がスリーポイント。
外れて跳ね飛んでリバウンド。
拾ったのは指子だった。

ボールを取りに行った松浦、振り切られる。
他は誰ももどれていなかった。
指子のワンマン速攻。
藤本が追うが、初動時の距離が大きすぎた。
一人で運んで簡単なレイアップを決める。
自陣に戻りながらジャンプしつつ右手でガッツポーズ。
試合全体の1%ほどしかプレイ時間のない指子のこの喜びように、スタンドも沸いた。

「ちくしょー! 指子のくせに!」

追っていた藤本、自分の両太ももをバンと叩いてそう叫ぶ。

続いて戻ってきたのは石川だった。
本来その役割は担わないのだが、エンドから石川が入れる。
藤本が運んだ。

最後のセットオフェンス。
最後だからしっかり一本崩して決めよう、というものではなかった。
とにかく早くシュートまで。
時間も無い。
藤本から松浦へ。
松浦、シュートの構えだが指子が激しくディフェンス。
ハイポすと入ってきた後藤へ入れる。
後藤は外、石川へ戻す。
石川構えると敦子がブロックに飛ぶ。
ワンドリブル、横にかわして改めて構えシュートを放った。

スリーポイント。
ようやく決まった。
94-103
残り三秒。

もう時間がない。
それでも前から当たる。
指子は長いパスを入れる。
麻里子様へ。
このボールを吉澤がもぎ取る。
そのままドリブルで上がる。
ゴール正面、スリーポイントラインの位置まで来たところでブザーが鳴った。
構えて放ったシュート。
きれいに決まったがノーカウント。

タイムアップ。
103-94
CHN48が日本代表を下した。

 

三位に入れば世界選手権の出場権を取ることは出来る。
でも、三位を目指してここへ来たわけではなかった。
目指すは優勝。
この大会で優勝するために来たのだ。
アジア予選を通過する、という意識では来ていない。

でも、世界選手権の切符の大切さは頭では皆分かっていた。
その切符が賭かった試合は明日である。

誰も口を開かない帰りのバス。
この大会、ムードメーカーやってきた吉澤も黙っていた。
試合に出ていなければ、無理にでも盛り上げようとしたところだが、今日は自分自身が最後の場面で当事者になっている。
無邪気に騒ぐなんて真似はとても出来ない。

もう一人のムードメーカー久住。
一人では無理だった。
空気を読む、というよりは空気に呑まれて黙り込んでいる。

藤本は窓の外を見ていた。
特に興味のある風景と言うわけでもない。
異国の町並みではあるが、同じ道のりをもう何度も往復している。
ただ、視線をバスの外へ向けていたいだけだ。

四十分間出ていたのは藤本だけだった。
同じ量の練習をした帰りのバスだったら疲れ果てて眠っていただろう。
いまは、神経の方が高ぶっていてそんな状態にはない。

ショックな負けだった。
最終的な点差は九点。
一桁点差の競った試合に競り負けた、という見方もスコアだけ見れば出来る。
藤本の受け取り方は違った。
雑魚相手に十四点のリードまで行ったところから1.5軍が出てきてハーフまでに追いつかれた。
後半、一軍勢ぞろいであっさり逆転されてあとは必死の抵抗をしただけだ。

なによりも103点という失点が理解出来ない。
富岡にだってそんなに点を取られたことはない。
中学に遡っても、試合時間が短いこともあって、そんな百点ゲームでの敗戦なんて経験のないことだ。
この自分が、四十分間試合に出て、マンツーマンで相手のガードについているのに、百点ゲームで負けた。
しかも出だしは雑魚相手で一軍揃ったのが後半だけなのに。

自分がマッチアップの高南にそれほど負けているとは思わなかった。
自由にやらせてしまったというイメージも残っていない。
なんだか分からないけれど、いつの間にかひっくり返され、いつの間にかリードを広げられ、もがいてももがいても追いつけない状態になっていた。

自分ひとりが負けたわけではないというのは頭ではわかる。
落ち込んでいる場合ではなく、明日のもう一試合が大事だということも分かる。
でも、どうにも今日の負けは頭から離れて行かない。

松浦は窓側に寄りかかり目を瞑っていた。
毎日同じメンバーで乗り込むバス。
指定席というものはないが、自然と誰がどこに座るかは決まってくるもの。
暗黙の了解で隣の通路側には福田が座っている。

いつでもべらべらしゃべっているような松浦でも口をひらなかった。
目は瞑っているが眠っているわけではない。

松浦は、他のメンバーと比べれば負ける経験は結構豊富にあった。
百点ゲームの負けだってこれまで振り返ればそれなりにある。
高校のチームだっって今年に入ってからはそれなりに強いような気がしてるけど、去年なんかは県大会すら勝ち抜けないチームだった。

ただ、チームが負けるのはいつもひとのせいだった。
まあ、自分はやるべきことはやった、でも、足を引っ張ったやつがいた。
そんなことが多い。
傍から見れば違うのかもしれないが、松浦の自己認識としては、これまでの経験はそういうものだった。

今日は違う感想だった。
バスケを始めてから初めてのことかもしれない。
自分が足を引っ張ったかもしれない、という認識がある。

最後の場面、負けている状態で投入されてそのまま負けたのだから、負けている状態を作ったメンバーが悪い、という部分はある。
でも、頭で考えてあれこれ理屈をこねる前に、松浦の本能が認めてしまっていた。
ぎりぎりの局面で投入されて結局何も出来なかったというのが、松浦の中の事実だ。
力を発揮したけれど足りなかったというのとは少し違う。
何も出来なかった。

自分のせいで申し訳ない、という感情は無かった。
ただ、無力感がある。
自分はこんなもんだったのか、という感覚。
意識して今日の試合を振り返ろうとしなくても、頭の中で勝手にリプレイが流れている。
みじめだ。
自分のいるチームが負けた、というのではなく、自分は負けたんだ、という感情が沸きあがる。

相手が強かった、というのとは何かが違った。
相手がどうこうというところまで行っていない。
いや、友朕を相手にしている間はなんてことなかったのだ。
後半、相手が代わってから一気に状況も変わった。
そして途中で外されて、最後の最後にコートに戻った。
外される前もひどかったが、最後に戻ってからがもっとひどかった。
悔しい、というよりも情けなかった。
あんなことなら出ない方が良かったのだ。

柴田さんが最後まで出ていたら勝てたのだろうか?
そんなことはもう一度やってみないと分からない。
でも、プレスは効いていた。
チャンスはあったんだろう。
それをぶち壊しにしたのは、やっぱり自分なんだろうか・・・。

自分が足を引っ張るとか、そんなことは断じて認めるわけにはいかなかった。

吉澤にとっても、それほど珍しい負け方ではなかった。
バスケを初めて二年半。
ぼろぼろの惨敗を喫することもそれほど珍しいことでもなかった。
百点ゲーム負けだって何度もある。
この半年は結構勝っているが、それでもバスケを始めてからの通算の勝率は六割とかそんなもんじゃないだろうかと思う。

でも、大事なところで負けたんだな、という実感はあった。
そういう経験も結構ある。
自分がこのシュートを決めれば勝ち、という試合のラストで外し、その負けによって上の大会へ進めなかったということだって一度ではない。
今日はそうではなかったけれど、喪失感という意味ではやはり大きかった。

終盤、突然呼ばれて試合に使われた。
まったく想定していなかったけれど、その割りには何とかそれなりにはやれたような気はした。
ただ、それは、実力的にその水準に十分達していたというのとは多分違う。
ああいう追い込まれた場面でコートに立つということに対しての耐性があったということなんだろうと思った。
前から当たるプレスで、ディフェンスはボールをとにかく追いまわせが役割で、オフェンスは外が中心になっていて自分はおまけ、という立場だ。
四十分トータルを考えると、イレギュラーすぎて能力水準を計るには無理がある。
ただただチームのために、出来ることをやる。
それだけで夢中だったから、実力として通用したという実感を持った、というところにはとてもとても至っていない。

その当たりは割と冷静に捉えていた。
それもあって、チームとして大事な試合に負けたという喪失感はあるが、負けたら上へ進めないという試合は明日あるんだ、という認識は吉澤の中に残っている。

バスはホテルまで戻りついた。
いつもの場所だ、言われなくても着けば分かる。
誰が何を言うでも無く、扉が開いて一人一人荷物を持って降りて行く。
動きが起これば多少会話は起きる。
あ、ごめん、先いいよ、飲み物忘れてる、エトセトラ。
でも、ただそれだけで、ワイワイ雑談、とはならない。

明日の試合に向けてのミーティングは明日の朝食後ということになった。
さっきの今だ、明日の戦術がどうこう言っても頭に入らないだろう、という信田の判断だ。
ロビーにて、今日はこれで解散というところだったのだが、飯田がそれを引き止めた。

「選手だけでミーティングやろう」

誰からも、賛同の声も反対の声も上がらない。
飯田が続けた。

「特に反対の声もないみたいだから三十分後ね」

そう言って時計を見て、改めて時刻を告げる。
やはり、メンバーたちの反応は薄かった。
それでも、自分の時計や携帯を見て時間を確認しているものもいた。

信田は、悪いなという感じで飯田の肩を軽くたたいた。
今必要なのは、もう一度戦う気力を起こすことであって、試合の戦術どうのこうのというところではないだろう。
そう思っていても、信田の立場だと短時間でどうにかするのは少し難しい部分を感じていた。
あれこれ言っても、偉い人の訓示になってしまう。
偉い人に頑張れと言われたから頑張る、というのは今のこの状況で起きる流れではないだろう。
同じ立場の人間で話をする、というのが一番良いだろうな、と信田も思った。

三十分後、荷物を片し、人によっては部屋着に着替え、人によってはジャージ姿で、メンバーたちは会議室に集まった。

ここのところよく使っている部屋だった。
日本なら、畳引きの広い部屋というのが合宿所にはありがちだが、上海の中級ホテルではそうはいかない。
椅子と机が並んだ会議室スタイルだ。
明日の対戦相手について確認する、という目的のミーティングを行ってきた部屋なので映像設備はあるが今は使わない。
前にテレビとホワイトボードと、それに向かい合う形で並ぶ座席。

飯田はまず、集まったメンバーに座席の並べ替えを命じた。
自分が前に立って、一同がそれに向かい合って、前に立つ人間の話を聞く。
そのスタイルはここではいらない。
真ん中にテーブルを二つ並べて、それを囲むように椅子を置かせた。
中に机はあるけれど、それをメンバーが囲んで輪になるスタイルである。
本当は、畳の上に車座に座るが理想だったけれどこれで手を打つことにする。

誰がどこに座る、というのも特に設定はなかった。
何日も同じ場所で同じメンバーで開いていたミーティングは、いつの間にか自然と座席が固定されてくる。
中央最前列に石川がいて、隣に柴田が座り、吉澤は最後列で藤本が並び反対側に久住、右の真ん中列に福田と松浦が並び、と指定席でもないのに遅れた一人の席もいつのも場所が空いていたりする。
それが今日は違って、本当に適当に座ることになった。
誰それの隣がいい、というのもなく、机と椅子を並び替えたときのタイミングで自分が居た場所に座る。
吉澤は別に石川の隣に座ろうと思ったわけではないし、まして松浦は高橋の隣に座ろうなんて思ったわけではないが、その場の流れでそうなった。

「みんな、今日はお疲れ様」

場の空気は明るくはない。
ただ、少し時間を置いたことで真っ暗お通夜ということもなくはなっていた。
誰もが理性のレベルでは明日もう一試合ありそれが大事な試合だというのは分かっている。
どうするべきか、というのは分かっていて、でもそうする気にはなれないというところにある。

「CHN強かったね。でも、うちもやれるとこまではやったと思う。って言いたいんだけど、もしかしたらそうでもないのかもしれないな、っていう気は圭織もちょっとはしてるんだ。キャプテンとしてじゃなくて、圭織個人としてね。最後代えられちゃったし。プレスで当たってるのに足が動いてなかったっていうのがたぶん吉澤に代えられちゃった理由だと思うんだけど、そこは、もうちょっと気持ちで何とかするべきだったのかなって思う。今日の試合振り返ってって意味じゃそれだけじゃないけどね。麻里子様と自分で比べて、自分が足りないのは何かとか、そういう反省もいろいろあるんだ。だから、長い目で見ればこういう試合を出来たことは大事で、この負けは忘れちゃいけないんだと思う。でも、まず、今大事なのは明日なんだよね。明日勝つか負けるかで大違いだから」

飯田は思ったところを語った。
今日の試合の感想。
それを述べた上で、明日のことを話す。

「だから、明日まで引きずらずに、今日で一回リセットして欲しいんだ。明日。三位決定戦っていうか敗者復活戦ていうか、どっちでもいいけど、とにかく明日勝てばもう一回世界への道がつながるからさ」

今日負けたことで、この大会の優勝はもうない。
でも、明日勝てば、アジア地区の予選を勝ち抜いたという意味で先の大会へ?がり、世界一への道は残ることになる。
飯田はどこまで話すというのを決めて話しているわけでもない。
話しながら周りの様子をも見ながら、言葉が出てこないようならまだ話す、というような流れでここまで来た。
そのちょっと中途半端な間を取っているところで、村田が拾って続けた。

「一回負けたら終わりってわけじゃないんだよね。予選リーグもそうだったでしょ。もちろん優勝はなくなっちゃったんだけど、でも、一つの流れとしてみて世界選手権の切符を取るってのが大事なことなんだよね」

村田自身も中盤試合に出ていたが、それでもメンバーの中では比較的冷静に試合を振り返ることが出来る立場にはいた。
しっかり戦力として試合に出て、最後の最後の負けた瞬間にコートの上にいたわけではなく、何か大きなミスをして代えられたわけでも無く、かといって予想以上の働きをしたわけでもない。
そんな村田の言葉に、最初から最後までコートの上にいた藤本が腕を組んだまま反論した。

「一つの負けってそんなに軽いもんじゃないと思うんですよね」
「もちろんそうだけど」
「そうだけどじゃないですよ」
「だから、それはわかってるけど」
「むらっち、聞こう。藤本の話し。言いたいことは言った方がいいよ今は」

飯田が村田を抑えて藤本に振った。

「負けたんですよ。分かってますか? 初日に韓国に負けて、その上また負けたんですよ。それで凹むなとかありえないじゃないですか。みんな甘いと思うんですよ。美貴も甘かった。韓国に負けた後、ホントに思ってましたよ、なんかまけた気しないって。それがもう大甘でした。試合で負けといて負けた気しないなんて何様だって感じですよ。その辺の甘さが今日も出たんですよ。最初様子見で入ったじゃないですか。意味不明な連中が出て来たからって。そんなことせずに最初から百パーセントで入ってぶっちぎるべきだったんですよ。実際にはそうしたらメンバーチェンジが早まっただけかもしれないですけど。で、途中も後半も最後も甘い甘い。後半とか終盤とか、足きついにきまってるじゃないですか。きついから動けない走れないってどこのガキだよってはなしですよ。情けない。みんな、気持ちに甘さがあったんですよ」

「うん。藤本の言うとおりかもしれない。圭織には甘さがあった。それは認めるよ」
「それに、気持ちだけの問題じゃないですよ。みんな分かってますか?序盤雑魚相手に十点以上リードしてたのに最後あの結果なんですよ。ハンデもらって、エースが出てくるのなんて後半の途中からで、それであの結果ですよ。気持ちの問題だけじゃなくて実力的にも全然ダメだったってことですよ。それで凹まないとか忘れて明日とかありえるわけないじゃないですか」

最初は背もたれに寄りかかっての、のけぞり腕組み体勢で話していた藤本だったが、途中から身振り手振りを交えて前のめりで話していた。
熱く語る藤本に答えたのは、今日はまったくコートにたつことも無く、明日も絶対コートに立つことがない平家だった。

「それはそうだよな。力が足りなかったのは認めて受け入れないといけないでしょ。それは忘れちゃいけないし、悔しいって気持ちも忘れちゃいけない。でも、それはそれとして明日勝たないといけないってのも確かなんだよ。藤本の気持ちは分かるよ。分かるって言うか、それくらいに思える方がいいんだろうと思う。藤本自身も言ってたけど、負けた気しないとかいってぽわーっとしてちゃだめなんであって、でも、明日勝たないといけないんだよ。どんだけ凹んでようと。それはわかるでしょ」
「それは、まあ」
「今日の負けを忘れようなんていわないよ。でも、明日勝つために力を尽くそうって、そういうことよ」

平家の言う言葉はおかしくはないしそれはそうなんだろうけれど釈然としない、という顔を藤本はしている。
負けたら終わりのトーナメント世界に生きる高校生と、それを卒業したリーグ戦世界に生きる大学社会人との違いが出てきている。

「平家さんの言うことは分かるんですけど、でも、悔しいんですよ」

今度は石川が言った。
三人の大学社会人の中では平家が一番石川にとって話しやすい相手だ。

「敦子は気分やだから乗せるなって言われて、本当はそれだけでもむかついたんですよ。私は気分が乗った敦子にだって勝って見せるって。なのに全然ダメだった。ボール持つ前に勝負決められてたりとか、こっちは一対一では抑え切れなくても周り使って止められたりとか、シュートが打てないわけじゃないんだけど確率低いし。なんでこれくらいって思うんだけどだめだった。めちゃめちゃ悔しいですよ。あんな情けない負け方して。明日がどうのこうののまえに、とにかくもう、悔しいんですよ」
「石川の場合は、なんていうか八つ当たりするなにかがあればいいんじゃないか? 小春、今晩相手になってやって」

久住は口で答えずに、ぶんぶんぶんぶんと首をしきりに横に振っている。
藤本が割って入った。

「認めたかないですけど、石川のそういう感覚が正常なんだと思いますよ。韓国に負けたときも石川、部屋で荒れてたって聞きましたけど。それ聞いて、ったくダメな奴だって思ったけど、やっぱ今にして思えばそれが正常なんですよ。負けた気がしないなんて言ってた美貴がおかしい」

さっきほどの身振り手振りはないが、ふんぞり返った腕組姿勢でもなくなっている。

「今日も最初から最後までそういう姿勢でいたのって石川だけなんですよ結局。美貴も甘さがあったし。しっかり点とってしっかりディフェンスして役に立ってたかっていうと違うけど。でも、気持ちの面では石川が一番しっかりしてたと思う」
「ミキティー、うれしい、認めてくれるの?」
「おまえ、そんなことより敦子をもっとしっかり止めろよ。その前に麻友友のときからかなりやられてたじゃねーか。一番最初の雑魚はさすがに止めてたけど。なんで止めらんねーんだよ。つーか、美貴もだけど。高南だって、実際それほどいうほどすごくなかったじゃねーか。それがなんで百点ゲームなんだよ。意味わかんないんだけど」

認めたということを本人相手には認めなくて文句垂れ流しになっているが、前半の文脈はどうとっても藤本は石川のことを認めていた。

「藤本は普段ディフェンスメインのチームにいるからああいう展開は慣れてないかもしれないけど、点の取り合いっていうゲームだったからね。百点ゲームで負けたってとこだけとるとどうしようもない試合だったみたいだけど、うちだって94点取ったわけで。ディフェンスがどうこうっていうとこだけとりだすんじゃなくて、たぶん、十点足りなかったっていうところを見るべきだと思うんだよね」

平家が引き取る。
今は藤本の石川に対しての感情の話ではない。
そこに持って行くと何か違うところへ行き着きそうだ。

ここで意外なところから声が出て来た。
一度も試合に出ることのなかった福田だ。

「チームの熟成度に差があったと思います。藤本さんが高南と能力的に差があったかって言うと、タイプとして少し違うんでしょうけどでも総合点ではそんなに負けてたとは思えない。石川さんと敦子、石川さんと麻友友にしてもそうです。でも、チームとしてははっきり負けた。平家さんは十点足りなかったっておっしゃるけど、私は藤本さんが言うように、十四点ていうリードを最初にもらっていたのに、メンバーがまともに代わってから三十分で二十三点負けたって見かたをする方が適切だと思います」
「熟成度って、時間が経てば解決するって言いたいわけ? 明日には解決しなきゃいけないんだけど」
「解決するかどうかの前に、どこに差があったのかっていう話です。私はそれがチームの熟成度ってところにあったと思います。向こうは時間を掛けて作ってきたチームです。誰がどんな役割をこなして誰がどう動いたら周りはどう動くっていうのが考えなくても出来るレベルまで刷り込まれてたと思います。特に敦子優子が入ってからのメンバーは。高南っていうポイントガード、というよりはリーダーと呼んだ方が相応しい選手を中心にして周りとの連携がとてもよく取れてました。たぶん、実戦も小さなものからたくさん積んできたんだろうと思います。それに対してうちはそういうところが出来てなかった。突然シャッフルされてさあ今年はこれでって言われて今回限りだけど頑張れと送り出されただけです。個人技の集合体であって熟成されたチームじゃない。もちろん藤本さんと石川さんみたいな予想外に分かり合って相乗効果が出てる組み合わせとかはあるけど、でも、作り上げた熟成度はない」

一種のチーム批判とも取れるような選抜チームの構造に触れる部分であるが今日の試合を見ての福田の現状認識ではあった。
藤本はそこよりも、最後のところで余計なこといわなくて言い、という顔をしていた。

「いいね、若い子もっとなんか言ってよ」

飯田から見れば高校二年生は十分に若い。
自分は若いかなあ、と疑問を持ちつつも、後藤が言った。

「熟成度はどうしようもないよねえ。でも、韓国に負けてもなんか負けた気しないって他人事だったミキティが今日はすごい悔しがってたりとか、チームの一体感って言うの? そういうのは出て来たのかなあって思う。一体感っていうか、自分のチームなんだっていう意識? 後藤もあんまりなかったんだよね、自分のチームっていう感覚が。それと日本の代表だって言う意識。日本の代表ってところはまだあんまりな感じだけど、自分のチームって感覚は出て来たかな。みんなのために頑張ろうって思えるようにはなった。その辺の頑張ろうっていう気持ち? ミキティ風に言えば試合終盤の覚悟とか、そういうのが欠けてたなとは思う。あんまり精神論ぽいことは好きじゃないんだけど、でも、一日で何か変えようとしたら精神論しかないのかなあ、とは思う。気持ちで全部なんとかする、なんて逆におきらくすぎない? って思うからそれだけに頼っちゃうのはたぶんダメだけど、でも、気持ちで結構変わるんだなってのは最近思った」

何かを話す、ということで気持ちは代わってくるものなのだろうか。
負けて悔しいああむかつく、で止まっていたところから、明日勝つために立て直さないといけないんだというような方向へ少しづつ舵が切られている。
そんな流れに違うところから小石が投げ込まれた。

「そういう覚悟みたいなもんが試合の終盤に全然見られん人もおったじゃないですか」

高橋だ。
彼女も福田と同じで今日は一度もコートにたつことはなかった。
ただ、福田とは違って最初の二戦はコートに立っている。

「うん。圭織も日本を背負うとか言っといてあのていたらくで代えられちゃったしね」
「飯田さんはそこまでも麻里子様とのぶつかりあいとか十分体張ってたりしたしええんです。それよりも体力十分で入っていったのにてんで自分の役割も分かってなかった人とかおったじゃないですか。ふわふわって感じでコートに立って集中もしてなくて」

また何を言い出すんだこの子は、という周りの視線がある。
軌道修正しなきゃな、と上級生たちが考えている間に、自意識の強い人間の方が早く反応した。

「はっきり言えばいいじゃない言いたいことがあるなら遠まわしに言わないで」
「プレスで当たってディフェンスから、っていう役割が全然わかってなくてスカスカ抜かれてシュートセレクションも悪くてせっかく追い上げてたのにぶちこわしたんよ」
「だからはっきり言いなさいよ」

テーブルを挟んで二人のやり取り、ではない。
松浦は高橋の隣、伸ばせば手の届くところに座っている。
言葉の応酬は周りが口を挟む間が無く進んだ。

「オフェンスしか意識がないのにあんなプレスかける場面で試合に出てあんたがぶち壊したんよ。あーしが出てればもっとしっかりディフェンスできたのに」
「大事な試合で一度も使ってもらえなかった人間がなに言ってるのよ!」

松浦が先に立ち上がる。
釣られて高橋も立ち上がった。

「せめて気持ちだけでもしっかりしてればあんなにはならんかったのに、集中もしてんでぶちこわしや」
「うるさい!」

松浦、手が出た。
右手でビンタ。
しかし、高橋は首をすぼめて左手も出して直撃を避ける。
続いて松浦が掴みかかる。

「あんたに何が分かるのよ! 一試合目からろくに役に立ってなかったくせに」

手が出たところで周りも動いた。
松浦の後ろから里田、高橋には久住。
つかみ合っている二人を近い席に居た人間が後ろからはがいじめにして、さらに数人がかりで両者を引き剥がす。

「はっきり言ったらびんたするならはっきり言えとか言うな!」
「うるさい、べらべらべらべらしゃべって何も黙ってられないくせに」

引き離されながらも罵りあい。
もはや試合で云々すらどこかへ行っている。

松浦の方には吉澤が、高橋の側には柴田が、それぞれ保護者のような役割で寄って来てとりあえず部屋から出した。
別々の扉から両者を部屋から出したが、二人とも部屋から出ると今度は廊下で鉢合わせ状態である。
とりあえず、手を出した松浦の方を部屋に戻し、高橋は柴田がついて廊下で待機。
二人とも部屋に戻そうにも、その二人が同じ部屋である。

吉澤は、少し大人しくしてろ、と松浦に言って部屋に置いてきた。
戻ってくると廊下では柴田がなにやら高橋を叱っている。
そこの役目は石川さんじゃないのかよ、と思ったが口は挟まずに会議室に入る。

「どうだった?」
「とりあえず部屋に置いてきました」
「おちついた?」
「んー、なんていうか、ふてくされてます」
「まあ、暴れるよりはいいか」

社会人二人に報告。
吉澤がいない間に明日の試合について云々かんぬんということはさすがになく、待っていたようだ。

「ったく、ガキなんだから。しょーもない」
「美貴だって結構あちこちとぶつかってきてたでしょ今まで」
「はぁ? あんな人のせいにしたり、まして引っ叩いたりなんかしたことないって」

藤本に里田が絡む。
まわりはなんとなく、里田の言葉の方が信用できるな、という印象を受けていた。

「あの個人攻撃はどうかと思うけど、でも、それ受けて切れちゃうってことは、まっつーも気にしてたってことかなあ」

後藤が誰に向かってともなくぽつりと言う。

「あいつ、プライド高いから。それに、あんま負けたことないんだよね。試合でうちがまけることって結構あるけど、あいつが責任感じる負け方ってたぶんいままでなかったから。練習で福田に押さえ込まれちゃうとかそういうのはあったけど」
「負けてへらへらしてるよりはいいんじゃない?」
「ガキガキ言ったのは誰よ」
「美貴だよ美貴ですよ、悪かったね。でも、負けてもへらへらしてたりとかさめざめと泣かれるよりはあれくらいの方がいいんじゃないの? まあ、実際、あの子だけのせいで負けたってわけじゃないけどさ。あの子も責任感じる程度にはダメな部分あったわけで。負けを認めきれないみたいな感じで。美貴はああいうの嫌いじゃないよ」
「でも、手、上げるのはね」
「そこが我慢出来ないところはガキだとは思いますけど」

やがて柴田が入ってきた。
高橋はとりあえず自分の部屋に置いてきたと言う。

「すいません。監督不行き届きで」
「こっちこそ、うちのガキンチョが手出して申し訳ない」
「二人とも気持ちは分かるけど、このチームの問題だから、高校の先輩後輩はあんまり気にしないでいいよ。学校帰ってからどんな教育するかはちょっと置くけど。とりあえず怪我とかはなかった?」
「はい、その辺はなんでもないみたいです」

柴田と吉澤に村田が言った。
高校は高校、日本代表は日本代表だ。

「あの子負けず嫌いだから。今日CHNに負けたっていうよりたぶん、自分が試合に出られなかったってことのが悔しかったんだと思う。それで高橋押しのけて試合に出たあややも後半は出来が良くなかったから。おまえなんか、みたいな気持ちになって。でも、口に出していいことじゃ無いよね」
「どっちもどっちでガキだな。同じ学年なのになんで、福田明日香だけこう落ち着きがあるかな」
「美貴よりずっと落ち着きがあって大人だよね」
「だから、まいはうるさいって」

福田は困惑した表情でいる。
吉澤は何か口を挟もうかという風であったが何も言わなかった。

「本当はさ、圭織、最後には、チーム一丸となって明日はもう一回頑張ろうってまとめが欲しかったんだよね」
「チーム一丸どころか仲間割れっすか」
「茶化さないでよ」
「すいません」
「でも、藤本がそうやって笑い飛ばすみたいにしてくれたから返ってよかったかもしれない。

試合に負けた挙句の仲間割れ。
雰囲気がさらに悪くなってもおかしくないところだが、そういう風でもなかった。
また高橋か、みたいな空気は流れているが。
藤本が茶化したというだけでなく、飯田にしても、心労が増えてというような重いリアクションではなく、困った子供がまったくもう、程度の反応で、切れることも無く、この場に残っているメンバーたちのことはまとめている。

明日は一丸となってもう一回頑張るよ、と飯田が締めようとすると、藤本が一丸とかどうでもいいけど早々何度も負けてたまるか、と返す。
ぐだぐだな感じはあったが、それでも、今日の負けをひきづって後ろ向いたまま明日に、という流れは断ち切れたようには見えた。

その後、目先の善後策を決めてから解散。

高橋と松浦。
さすがにこのまま部屋に返して一晩過ごさせるわけには行かない。
密室キャットファイトでもさせたらええやん、と光井が先輩を舐めた口利くが、上級生はさすがに止めた。
今現在松浦がいる部屋には、お目付け役として学校の先輩吉澤を送り込むことにする。
試合にも出て疲れてるでしょうし、明日に差し支えても困るから代わりましょうか? と福田が申し出たが吉澤が却下した。
疲れを気にするほどは試合に出ていないし、明日に差し支えたら困るのは福田も一緒だという。
自分の部屋から荷物を運び出し、鍵を高橋から奪い取って部屋へ向かった。

呼び鈴は鳴らさずに鍵を開けて入る。
さてどうしているか、と思いながら入って行くとベッドの上に寝ていた。
後で起こして布団の中に入れないといけないのかなあ、などと考えながら荷物を置き一息つく。
松浦が寝返りを打ってこちら側を向く。
すると、唐突に上半身を起こした。

「吉澤さん」
「なんだ起きてたのか」
「なんだじゃないですよ。どうしたんですか」
「どうしたって、部屋チェンジ。夜中中けんかされてテレビとか投げて壊されても後で困るからチェンジ」

どうやら寝てたのではなくただの寝たふりで、部屋に戻ってきた高橋の様子を伺おうとしたら違う人だった、ということのようだ。
気が抜けたのか、もう一度ベッドに仰向けになる。
それからため息を吐いていた。
それなりに気を張り詰めていたんだな、というのが吉澤にも分かる。

しばらく吉澤は何も言わなかった。
移動させてきた荷物の整備がある。
一式全部持ってきたので、無理やり詰め込んだ中から、明日の試合に必要なものを取り出して仕分けないといけない。
何も話をしなくても、吉澤としては間は持つ。
その間、松浦は黙ってベッドで寝ていた。
眠り込んでいるわけではなさそうである。
その辺の様子は吉澤は時折伺っていた。

荷物のまとめが一通り済んで、吉澤は松浦の隣のベッドに座る。
座るだけで横にはならない。
横たわっている松浦の方を向いている。
松浦の方は、先輩がそうやって自分のことを見下ろしているのに気づいているのかいないのか、目を瞑って横になったままだ。

こういうのは気が重い、気の進まない作業であるが、立場上言わなくてはいけない場面である。
吉澤のお説教タイムスタート。

「まあなあ、あの言い方はどうかと思うし、一人を責めてどうにかなるもんでもないしさあ、かなりむこうが悪いんじゃないかって気は吉澤にもするよ。なあ、だからまあ、松浦の気持ちも分からないでもないけどさあ。でも、なんていうかさあ、その、やっぱ、手は出しちゃダメだろ」
「だったら中澤先生にも言ってくれますか?」
「へ? 先生?」
「あの先生も私のこと引っ叩いてるんですけど」

吉澤にとって思いも寄らぬ名前が唐突に出て来た。
ただ、松浦の声色は冗談や茶化して言っているのではなく、不機嫌さが大きな部分を占めてはいるものの真剣なものに聞こえる。

「うん、まあ、あんまり吉澤からいうのもむずかしけどさ。でも、あれはあれで先生も結構気にしてたみたいよ。自分は教師失格だとか言って酔いつぶれちゃったりとか」

インターハイ、富岡戦後のロッカールーム。
コーチの中澤が松浦のことを引っ叩いていた。
しかもあの時は、今日の松浦のそれとは違い、完全にクリーンヒットして松浦は吹っ飛んでいる。

吉澤がどう言葉を繋ごうかと思案していると、松浦がむくっと上半身を起こし、それでも吉澤の方は見ずに言った。

「あの時の私も、今日の高橋愛みたいな感じだったんですか?」
「へ? あの時?」
「へ? じゃなくてさっきからちゃんと聞いてくださいよ。二度も言いたくないんですから。はたから見て、あの時の私は今日の高橋愛みたいに見えたんですか?」

そういうことを考えて見ていなかったな、と吉澤は思った。
少し考え起こしてみる。
さっきの出来事とインターハイの時の出来事。
答えは明快だった。

「確かにあんな感じだったな。一人の人間を責めて、言葉も選ばず」
「そうですか」

いつもアクション大きめな松浦が、無表情に答えるだけだった。
どんな感想を持ったのかは一見しただけでは分からない。
でも、吉澤は、そういう質問を松浦がしてきたというだけでも考えるところがあったのだろう、とそれ以上の説教はこの場で続けてしても仕方ないかなあ、とも思う。
ただ、一方で、今しっかり分からせた方がいいんじゃないかという想いもある。

吉澤が黙り込んでいると、松浦の方が口を開いた。

「いいですよ、認めます。今日の負けは松浦のせいでした。紺野ちゃんに言われましたよ。チームの負けを自分の責任だと背負えるのがエースなんだって。是永美記さんもにたようなことを言ってた。だからいいです。今日の負けは松浦のせいでした」
「おまえ、それ、?がってるようで?がってないぞ」
「私の中ではしっかり?がってるからいいんです」

なんて不遜なやつなんだ、と吉澤は思った。
松浦が言っているのは、このチームのエースは自分である、というのと同義である。
高校ならともかく、ここはU-19とはいえ日本代表だ。
ポジションの重ならない飯田や藤本は横に置いたとしても、石川柴田がいるこのチームの中で自分がエースという意識でいるのは吉澤から見ればどう考えても不遜である。
でも、それがあややだよなあ、とも思った。
ここで、ごめんなさいもうしません、私が悪かったです、とか涙を流して反省するようでは逆に心配になる。
どこまで本気で言っているのかはわからないけれど、そこに突っ込むのはやめようと思った。

「それはそれでいいけど、しっかり謝っとけよ」

松浦は無視してベッドに横たわり吉澤に背中を向けた。
まったくもう、と思いつつ言葉を足す。

「おまえが、試合で一度も使ってもらえなかったくせにって言った時、福田がすごい顔してたぞ」
「明日香ちゃん?」

松浦、反応する。
吉澤の方をしっかり向いた。

「あいつが試合に使ってもらえなくて苦しんでるの、おまえだって分かってるだろ。それなのに、あややの口からあんな言葉が出るんじゃあいつ傷つくって、なおさら」

松浦はうつむいている。
めずらしく、本当に悪かったと思っている、と外からも分かるような態度だった。

「あれは、信田さんが悪いんですよ。明日香ちゃん使わないから」

思いなおしたように顔を上げて明るく言い放つ。
吉澤はそんな松浦にため息吐きつつ言った。

「そこで人のせいにするなよ」
「だって、そうじゃないですか。信田さんが明日香ちゃんを使わないのが悪い」

全然理屈になっていない。
吉澤も、まともに相手するのがめんどくさくなってきた。

「おまえ、似てるよやっぱ。高橋愛と」
「一緒にしないでください」

ふてくされてまた松浦はベッドに転がって吉澤に背中を向けた。

こういうやつだよこいつは、と吉澤は思った。
とりあえず、どこか一箇所くらいは反省しているような気がするから、今日のところはこれでよしとするか、と吉澤は自分を納得させることにした。

「明日も試合なんだから、寝るんならちゃんと布団入って寝ろよ、そのまま寝るなよ。チームのエース名乗るんなら」

松浦はそれには何も答えず、むっくりと立ち上がり洗面所に向かった。
寝るための身支度くらいはちゃんとしようという姿勢のようだ。
そのあいだに吉澤は、高橋の荷物をまとめて持って行くことにした。
なんで私がパシリ状態なんだよ、と思ったが、結構パシリ体質なので素直に受け止めている自分もいた。

高橋は吉澤と入れ替わり。
自然、同部屋は平家ということになる。
柴田が、自分が面倒見ますと言ったのだが、余計な気まわさなくていい、と平家が却下した。
柴田だって疲れているはずのだ。
変な負担掛けたくないという平家の姉心。
それに、自分がファウルアウトになって松浦が代わって入ったことが一つの原因として?がってくるのだから説教もしづらかろうという見立てもある。

そんなわけで高橋は平家の部屋にいた。
高校の二学年先輩。
自分が入学した時点でキャプテンだった人。
柴田先輩と比べれば怖さは格段に違う。

高橋視点でそうなることが分かっているからか、平家はいきなり説教は始めなかった。
吉澤に鍵を奪われ、荷物は自分の部屋に置いたままで、身一つで平家先輩のところに送り込まれた高橋は小さくなっている。
平家は何も言わずに冊子をめくっている。
身動きとれずに暇が増えることが目に見えていたので、今日会場で手に入れてきた大会グッズ類だ。
公式パンフレットもあるが、それ以外にCHN48ファングッズのようなものもあり、メンバーたちの情報も載っている。
なぜか投票券とかいうものが付いていたが、投票って意味わかんないし何かの応募に関することの中国語だろうと平家は解釈している。

そんな冊子類をパラパラめくりながらも、平家は高橋の様子はちらちら伺っていた。
優しい気持ちでいるので叱らない、という姿勢ではなく、小さくなっている高橋さえも無視、というのが今の状態だ。
ぎゃーぎゃーわめいたり、暴れだしたりでもしたら何か言ってやろうとは思うが、小さくなって大人しくしている分には特に何か言いはしない。
相手が自分なのだから気軽に雑談などし始めることなどできはしない。
荷物が届くまでは身動き取れないし、ベッドにもぐって寝入るわけにもいかない。
テレビつけるのも平家がノーと言えば絶対的にノーだ。
自然、高橋は一人静かに何かを考えることしか出来ない。

あんなことがあった直後だ、考えることしか出来ない時間を与えられれば、考えることはさっきのことになるはずだ。
高橋の頭の中まではこと細かく見ることは出来ない。
それでも、他のことを考えていられるほど視野の広い人間じゃなかろうと平家は思う。

平家がジャッジしていいと言われたなら、さっきのけんかは高橋が悪い、とジャッジする。
試合に負けて人のせいとか、藤本じゃないが、ったくガキなんだからしょーもない、という感想だ。
本当の意味で責任をきっちり背負ったことがないからああいう発言が出来るのだ。
そこは、先輩として、自分がきっちり指導するということをしなかったのが悪いという部分も感じる。
いや、石川にはその辺をしっかり分からせて卒業したつもりだ。
一年生からスタメンで試合に出ていても、肝心な部分では柴田石川頼りでやっていて、気楽な二年生、という立場でしかないのだろう。
二年下まで面倒見切れるか、という気がしなくもないが、先輩としての責任というようなものを果たそうかとは思っている。
村田が高校の先輩後輩とかあまり気にしなくていい、と言っていたが、それとこれとは別なのだ。
石川柴田と比べればどうしても距離が遠くなるけれど、それでも高橋は自分の後輩だ。
その不手際は黙って見ているわけにはいかない。
石川にやらせるべき役割なような気がするが、今日のところは特別に暇だから自分が担ってやろうと思っている。

無視して威圧感だけ出して、高橋を縮こまらせて、思考の海に沈めさせた。
怒られる、怒られる、という恐れは最初はあっただろうけれど、それが何も言われないので少しづつ薄れていって、次にはどこへ思考が向かっているか。
松浦亜弥むかつく、で堂々巡りしているか、試合に出られなかった自分のところに向かっているか、あるいは、たぶん一度は叱っただろうさっきの柴田に言われた何かを考えているか。

分からないけれど、平家はちらちらと高橋の様子は伺っていた。
やがて吉澤がやってくる。
高橋の荷物を持ってきた。
中まで入ってくる。
二言三言話すと荷物を置いて出て行く。
平家はずっとベッドで枕を背もたれにして座ったまま。
対応は高橋にさせた。
扉のところで出て行く時に吉澤が一言言っているのが聞こえた。
叩いた件については先輩としてわびている。
ただ、その前の発言についてはどうかと思う、という点を年長者として述べていた。
高橋が、一応侘びらしきことを述べているのも聞こえた。

吉澤が出て行き高橋が戻ってくる。
ここでようやく平家が口を開いた。

「ちょっとは頭冷えたか?」

ずっと黙っていたのが急にそう声を掛けられ、高橋はおびえた顔をした。
平家はそれが分かったが気にせず続けた。

「そこ、座れ」

窓際には椅子がある。
さすがに床に正座しろとは言わず、その椅子を指差して座らせた。

「なんであんなみっともない態度取ったのか言ってみな」

高橋、うつむいて答えない。
なんとなくそんなリアクションを予想していた平家、そこで畳み掛けて責めることはせずに黙って待った。
穏やかに待つ、という雰囲気ではなく、黙ってるままじゃ許してもらえないという威圧感を与えながら。
高橋は、平家のプレッシャーに負けて、訥々と語りだした。

「柴田さんがファイブファウルで退場した時、自分かなって思いました。相手小さかったからミスマッチでもないし、前からプレスで当たるってうちの得意なパターンで結構はまってたし。柴田さんで最後までいけたなら柴田さんだと思うけど、ファウルアウトになっちゃったんならそこに入るのは自分だって思ってました。信田さん、うちのメンバーを中心にチーム組んでたし」

最後の局面、柴田のマッチアップは優子だった。
優子は柴田と比べれば背が低く、高橋とそう差はない。
前からプレスで当たると言えば、ディフェンスの堅い滝川と、勝負どころの富岡。
この二チームのプレスは超強力で各チームのガード陣が二度と受けたくないと感想を述べるもの。
そのチームの一翼を担っている高橋としては、この試合ここまで使われえていなかったとしても、ここは自分だと感じていた。

「なのに、代わって入ったのはあの女で。どれだけ出来るのかと思ったらてんでダメで。ディフェンスが大事な場面で点を取ることしか考えてない。それで取れるならまだしも全然シュートもはいらんで。なんで、なんで、って思いました」

平家も見ていた限りでは最後の局面、松浦の動きはピントがずれているようには感じた。
そもそもああいう場面での戦術を理解出来ていないんじゃないか、という感想だ。
ただ、その結果を見る以前、柴田が退場になった瞬間、誰を投入するかという選択を平家がするならやっぱり松浦を選んでいただろうと思った。
高橋は、グループリーグまでの出来が悪すぎた。

「せっかく柴田さんと石川さんで優子も敦子も捕まえて結構追い上げかけられてたのに、あれで全部ぶち壊しで頑張ってそうなったならまだ仕方ないかとも思えたけど、全然集中もしてなかったみたいに見えたし。それで頭に来たから、わーっと・・・」

高橋は視線を落としたままだった。
平家の方は見てはいない。
高橋の言葉が止まったので、平家が口を開いた。

「自分ならもっと出来たと思ったのか?」
「はい・・・」

小声だが高橋はすぐに答えた。

「なんで自分があの場面で使われなかったのかは考えなかったのか?」

今度の問いにはすぐに答えは返ってこなかった。
平家は先に進めずに待つ。
じっと見つめて待っていたら、高橋がつぶやいた。

「昨日までが調子悪かったから」

昨日、試合としては一昨日までの高橋の出来はよくなかった。
その自覚はなかったわけではないらしい。

「韓国戦、負けたよな。私もあんまりたいした出来じゃなかったから人のことどうこう言える立場じゃないけど、多分言うべきだったんだろうな。高橋、あんたの出来はひどかったよ。立ち上がりに前から当たられてぽろぽろやって全然ゲームの組み立てもできずに。それですぐに二桁点差にまでなった。最終的には追いついて延長まで行ったからチャラって考え方もあるけど、チームとしてはそうでも高橋は最初の段階で引っ込んだよな。で、延長まで行って結局負けた。後藤がえらい落ち込んでたっけ。直接的には彼女の責任がないわけじゃないし、見た目にはあれが悪かったってことになりがちだったような終わり方だった。で、誰か後藤のこと責めたか? おまえのせいで負けたんだって」

平家の問いかけに、高橋はうつむいて首を振って答えた。

「そうだよな。落ち込んでたし。じゃあ落ち込んでたから許してもらえたのかってことにもなるけど、そういうもんでもないよな。序盤大きくリードされた原因でもあった高橋、おまえのこと直接的に責めたやついたか?」

また、高橋は首を横に振る。
誰も、高橋に対して何かを直接言う人間はいなかった。

少し、平家が間を置いた。
部屋に沈黙の空気が流れる。
高橋はうつむいたままだった。
じっと平家はそれを見つめている。
高橋に考え込む時間を与えた後、平家が口を開いた。

「まず、たとえそれが事実だったとしても言って良いことと悪いことがこの世にはあるっていうのが一つ。次に、事実と言うか問題点と言うか、そういう課題を追求することと人を責めることは違うっていうのが一つ。あとな、自分の責任を棚に上げて人の責任だけ追及しちゃいけないってのが一つある。最後の局面であややが自分のやるべき役割をしっかり理解出来てなかったってのは多分そうだったんだろうと思う。だからそれは問題で、あの子自身は反省しなきゃいけないし、それについて誰かが言ってやっても良いと思う。でもな、それをあそこでああいう形で責めてどうする? かなりみっともなかったぞ高橋。自分は韓国戦の立ち上がり、自分の役割をしっかり理解してそれをこなすことが出来てたか? それが出来てたからって人のこと責めて良いってことじゃないけど、そういう自分の責任を果たせてないのにそれを棚に上げて人を責めるな。今日試合で使われなかったのは、高橋に責任を与えてもそれを果たせないだろうって信田さんが考えたからだぞ、たぶん」

高橋は視線を落としたまま何も言わない。
何を考えているのかは平家から見て分からなかった。
自分の行っていることに納得しているのかいないのか。
判断は付かない。

「それと、高橋。もしあれがあややじゃなくて他の人間だったらああいうこと言ったか? おまえ。たとえばそうだな、後藤とかって年上じゃきついか。ああ久住でいいや。もしくは亀とか。その辺だったら言ったか?」

高橋は少し考えてから首を横に振って言った。

「言わなかったと思います」
「あややだから言ったってことか? それとも自分のポジションを取られたって感じた相手だからか?」
「松浦亜弥だからだと思います」

平家は高橋の答えに少し笑みを見せた。

「おまえ、人の好き嫌い多いよな。聖督の矢口のことえらい嫌ってたし。松江だと明日香のこととか嫌いだろ。国体でやったときこてんぱんにやられたもんな。ていうか、あれか。ガード全般きらいか?」
「そんなことないです」
「ミキティとかすきか」
「あの人は分かりやすいです」

性格的な部分かバスケのプレイの部分か。
どちらとも取れる答えだが、高橋は藤本には相性が良い。

「そういうライバル心持つのは悪いことじゃないけど、さっきみたいな見苦しい真似はよせ。あれじゃただ弱いものが強い相手が隙を見せた時に咬み付いただけにしかみえない」
「平家さんは高橋よりも松浦亜弥の方が強いって思ってるんですか?」
「昨日までの三日間くらいの間はな。インターハイ見た感じじゃお前の方が上かなって感じだったけど。でも、今日の感じだと大差ないかなどっちも」
「そうですか」

ようやく顔を上げて平家の方を見て話した高橋だったが、またうつむいた。

「なんにしても、おまえにはもう少ししっかりしてもらわないと困るんだよ。来年はキャプテンやるんだぞ、たぶん、うちのチームの。私が決めることじゃないからわかんないけど。わかるか? バスケの力量だけじゃないんだぞ、キャプテンやるっていうのは。背負わなきゃいけないものがたくさんあるんだよ。それをあんなみっともない真似して」
「すいません」
「あれがみっともない真似だったってことは分かってるのか?」
「はい」

このチームとして、ではなくて富岡の先輩として、平家はずっと話していた。

「よし、おわり。全体的にはもう少し大人になれってことだ。分かったら寝ろ。私と違って高橋も、あややも、他のメンバーも、明日もう一戦あるんだから。まったく、うらやましい限りだよ」

高橋は立ち上がってから平家に深々と頭を下げた。
平家は一言付け足した。

「あややにも謝っとけよ。あれはおまえが悪い」
「すいませんでした」

せめて、石川に対しての柴田のように、高橋にも横に付いている存在がいれば良かったんだけどな、と平家は思った。
二年後輩の誰かの顔が頭に浮かんだような気がしたが、名前がはっきり出てこなかった。
なんとか琴美だったか・・・。
あんまり頼りにはならなそうだ。
富岡の先行きが平家は心配だった。

 

最終日。
最終戦。
勝てば天国負ければ地獄。
世界への切符を賭けた三位決定戦である。

相手は、韓国だった。

準決勝、先に戦った韓国。
相手は台湾。
韓国有利と言われていたが最終盤に台湾がひっくり返して勝ち上がって行った。

台湾の最年少14歳、珠 理奈
これが大当たりした、というのが一つの理由ではある。
後半だけでスリーポイント八本。
尋常ではない。
当たると手がつけられない末恐ろしい14歳である。

もう一つの原因は韓国チームの中にあった。
リードして迎えた後半、主力が二人、立て続けに怪我をしたのだ。
この試合、日本戦に出ていたメンバーは試合に出ていなかった。
ジージージージーうるさいよく動くディフェンスと、相対的な高さで台湾を抑えていたのだが、接触プレイでもない場面で立て続けに足首をひねって捻挫、戦線離脱していった。
どうやら上げ底バッシュを履いていたのが原因なようだ。

結果として78-80での敗戦。
珠理奈の逆転スリーポイントでの大勝利。
CHN48の前座として見ていたファンもこれには沸いた。
入り待ちでコートサイドにいた藤本あたりは、そこは二点でいいだろ、と冷静に突っ込んでいたが、それを勢いでスリーポイントを打って決めてしまうのが14歳なのだろう。
おかげで決勝はCHNvsTPEの再戦となる。
日韓三位決定戦は完全なる前座だ。

チームの雰囲気は悪くはなかった。
昨日の今日。
吹っ切れない部分もありそうなところであるが、違う変な問題が夜に持ち上がったので、それも薄れていた。
松浦と高橋。
当人同士は完全なシカト状態である。
謝れよ、と昨晩それぞれに言った吉澤や平家もそれには何も言わない。
二人が同時にコートに立つということもないだろうし、そこは試合後に持ち越しとした。

韓国チームのスタメンはどうなるか?
日本の首脳陣は当然その検討をおこなうことになる。

韓国はここまで二つのチームを使い分けてきていた。
日本戦に出てきたメンバーと台湾戦のメンバー。
どちらのチームにも混じるのはソニンだけだ。
後は完全に分離している。

台湾戦タイプのメンバーはその試合で二人怪我で離脱していた。
日本戦に出てきたメンバーではジヨンが思いがけないことをしている。
グループリーグが終わった後の休養日に帰国したのだ。 
何をしに?
大学受験である。
戻っては来たが強硬日程過ぎて影響が未知数だ。

さて、どちらが出てくるか。
信田は、また同じメンバーが出てくるだろう、と予想した。
昨日、主力が二人怪我をし、さらに最終盤に逆転負けした構成で出てくることはないだろうという推測だ。
別の選択肢を持っているのなら、そちらを選びたくなるのが自然だろうと信田は考えた。

一方、日本代表。
初戦と同じスタメン、という選択肢はない。
平家が怪我で離脱している。
また、高橋も不調で前日、スタメンから外したのだ。

昨日負けたのは日本も同じ。
では、日本に別の選択肢があるのか?
そう問われると、ないな、という自問自答が信田の頭の中で行われた。

昨日負けたのはいろいろな原因がある。
相手が強かった、これは認めないといけない。
でも、何とかなる試合だったとも思っている。
相手は完成したチームでこちらが発展途上であるという差が出た試合。
でも、個人の能力としてそんなに差があったとは思えない。
最後だって一つ違っていればどう転んだか分からないところには持ち込んでいた。
結果論だけど、自分は最後に判断ミスをしたと信田は思っていた。

最後、なんで松浦だったのか?
記者からの質問も出た。
前から当たるのは滝川や富岡のお家芸。
柴田がファウルアウトになったのなら高橋で良かったのではないか?
信田はそれに対して、高橋は調子を落としていたので使わなかったと答えている。

その答えは自己弁護でしたものではない。
理由を問われたからその理由を答えただけだ。
その判断は間違っていたとは今でも思っていない。
あの場面で松浦を投入したのは多分間違え立ったのだろうけれど、高橋を投入しなかったのは間違えだと思っていない。

そのときには浮かばなかった選択肢。
帰りのバスに乗り込むときにたまたま視線がぶつかって気が付いた。
福田でよかったんじゃなかろうか。

あの場面欲しかったのは、前からのディフェンスをしっかりと出来る人間だった。
直接付く相手は優子。
それほど身長がある相手ではない。
あの時点での柴田のところ、二番ポジションの代わりは松浦か高橋。
緊急避難的に石川や後藤を上にスライドさせて里田を投入、くらいのことまでは視野を広げて考えたつもりだった。
その中からの選択が松浦。
瞬間的な判断、ではなくて、さすがに柴田がファウル四つになったところでそれくらいまでは考えていた。

福田という選択は視野にまったく入っていなかった。

福田に出来るのは一番ポジションだけ。
そういう意味でつぶしが利かない。
あの時点では藤本がダメになった場合だけの選択肢、という発想しかない。
しかし、ああいう限定的なシチュエーションでは福田でも良かったんじゃなかろうか。

柴田と比べれば大分身長は低い。
しかし、マッチアップで付く優子と比べれば、もちろん低いは低いがそれほど大きな差ではない。
求めているのは前からのディフェンスでボールを運ばせないことであってオフェンス面はほぼ関係ない。
極端な話し、セットオフェンスを組むことを想定していないし、もし組むことになったとしても藤本石川後藤で何とかすれば良い。
ああいう場面で投入されてやるべきことは何なのか?
そういうことを間違える人間では福田はないだろう。
バスケットボールというものの理解度はこのチームの中でも随一だ。
ああいう限定的なシチュエーションであったのだから、ポジションにこだわらず投入すれば良かったのだ。
吉澤、という存在を脳裏に思い浮かべられたのに、なぜ福田が出てこなかったのか・・・。

そういう思いを持ちながら、信田はメンバーたちのウォーミングアップの光景を見ていた。
一つの問題は、試合に出られないことで気持ちがチームから離れていないか。
それがある。
福田の姿からはそれは判断できなかった。
元々、ベンチにいてもチームを鼓舞するとか、そういうタイプではない。
腐っているから淡々と、というものでもなかろう。
いつでもそうなのだ。

吉澤が脳裏に浮かんだのはその辺のところなんだろうか、と思った。
明らかに意識して盛り上げ役をやっていた。
その姿は信田の眼にもはっきり入っている。
それをアピールと呼ぶのは違うと信田は思うが、でも、チームの中での存在感としてそれははっきりあるのだ。

だからそれをしない福田が悪い、という問題ではない。
そういう表層的な部分だけからしか自分が感じ取ることが出来ず、采配ミスをした。
それがいまの認識だった。

今日の相手は韓国。
昨日と同じシチュエーションというのは十分にありえるだろう。
同じでないにしても競った試合になるのはほぼ間違いない。
15枚の手持ちの駒をどう生かすかで、自分の未来も変わって来るし、駒たちの未来も変わってくる。
そう、駒は15枚あるのだ。
それを忘れずにいようと思う。

大会最終日。
7位決定戦、5位決定戦と終えての3位決定戦。
決勝の前の試合。
第三国での日韓戦。
観客は増えてきていた。
前座として見るにはちょうど良い。
ホームでもアウェーでもなく中立。
CHNはもちろん応援するのだけど、サブで日本の誰それ、韓国の誰それがいい、という見かたをするものも多い。

アップという顔見せを終え、一旦ベンチに下がり軽いミーティング。
その後、スターティングメンバーが発表されてコートに上がって行く。

チームジャパン スターティングメンバー
No.4 飯田圭織
全試合通じてのスタメン。
最年長、キャプテンとして、時折ボケを交えながらもチームを支えてきた。

No.6 藤本美貴
序盤は途中出場、北朝鮮戦以降、重要な試合ではスタメンを掴みその後は一度もベンチに下がること無くチームを引っ張っている。

No.7 石川梨華
なんとなくエースナンバーな7番
出場時間はチーム最長。チーム内得点王。痴漢容疑のある因縁の韓国戦、無罪放免を勝ち取るために負けられない。

No.10 後藤真希
迷いながらも続いて行く試合。自身が敗因だと認識している韓国との再戦。
たまには頑張っちゃおうかな、と思う。みんなのために。

No.11 柴田あゆみ
地味ながら全試合スタメンの一翼を担ってきた。
本当は華があるのに損な役回りを引き受けることが多いが、だからこそ首脳陣からの信頼も得ている。

「圭織が一番歓声が小さかった気がする。なんか納得行かない」
「つーか、誰か観客に石川の本性教えてやれよ。このだらしない女の」
「なんなのよ。試合前に」

飯田と藤本が石川に絡んだ。
緊張感抜けすぎな気もするが、堅くなっているという部分はないようだ。

一方の韓国代表もスタメンがコールされる。
ギュリが最初に入ってきて、初戦と同じメンバーかと思ったら一人違った。
ソニン。
強行日程をこなしたジヨンをスタメンから外してソニンを入れてきた。

「ヨロシク」

センターサークルに両者並ぶと、ギュリが一歩出て日本語で握手を求める。
飯田がそれに答えた。

「今度は勝つ」
「マケナイヨ」

韓国はチーム内の争いも熾烈だ。
日本相手に二戦二勝となれば、台湾相手に負けたメンバーと国内での扱いには大きな差が出来る。

勝てば天国負ければ地獄。
三位決定戦の舞台が幕を開けた。

ここでスタメンが巡ってくるとはソニンは思っていなかった。
ここまで全試合途中出場。
逆に、全試合出ているのはソニンだけでもある。

今日もそういう扱いだろうと思っていた。
スタメン発表の時、いきなりである。
何の前触れもなかった。
大学受験で一旦帰国とか意味不明だもんな、とは思う。
でも、それでも、メンバー固定で戦ってきたチームにいきなり放り込まれる。
途中交代は慣れっこだが、スタメンというのは想定外だった。

日本戦だからかな、と思った。
初戦、自分はそれなりの結果は出したと思っている。
マッチアップは後藤真希だった。
他のフロアメンバーについての情報は豊富に持っていた。
しかし、後藤に関しては直接対戦したこともないし、強いチームにいるわけでもないので知識がなかった。
せいぜい、弟は最初からいない、という自分の人生にはまったく関係ないことを知っていたくらいだ。

その後藤真希が今日もマッチアップの相手である。

初戦と日本代表のスタメンも違っているが、途中の構成ではこういう場面もあった。
韓国サイドとしても誰に誰を付けるかは迷い無く決めることが出来ている。
藤本-ギュリ 柴田-スンヨン 石川-ハラ 後藤-ソニン 飯田-ニコル
初戦は似たような身長に戸惑って、ポジション判別が付かずマッチアップに悩んでいた日本代表も、再戦となる今日は当然のように役割は分かっていて、そこに混乱はなかった。
後藤も、迷い無くソニンをマッチアップとして認識している。

マッチアップをそれぞれ捕まえてみて、よく初戦に勝てたな、とソニンはいまさらながらに思った。
個人の能力の単純な足し算なら多分日本のが上だ。
勝てたのは、チームとしての熟成度と、高さを中心に優位点で戦ったことと、自分たちは韓国であり相手が日本であるという意識、このあたりが理由だろうか。
自分には後藤真希相手にチームとしての熟成度は関係ないし、高さは変わらない。
ただ、自分は韓国代表の一員であり、日本代表は敵だった。
そして、自分とは、存在しない何かを挟んで向かい合うような位置に入るような気がする後藤真希という人間には負けてはいけないと思った。

立ち上がり、じっくり攻める韓国と、早い展開を目指す日本という構図になった。
韓国代表のスタメンが告げられたのは今朝だ。
昨日の台湾戦の負けは別のチームが負けたもの。
ソニン以外の四人プラスジヨンの意識はそれに近いものだ。
そういう意味で敗戦のショックはあまりない。
ジヨンも含めた六人で簡単なミーティングを昼食後に持った。
高さを生かすべきだろう、というのが共通認識だった。
高さ、途中どこかでは入るであろうジヨンやインサイドのソニンやニコル。
そういうことではなくて、外だけど高さがあってミスマッチになるだろうギュリを中心にしよう、という意思統一。
ギュリ自身がポイントガードであるが、ゲームコントロールをしつつ、自分が中に入ってボールを受けて勝負する。
それを前提とした組み立てをしようというもの。

うまく行かなかった。
藤本がうまくついている。
中に入られる場面では前を抑えて裏はインサイドのプレイヤーがカバーする。
滝川山の手のキャプテン。
ディフェンス能力は日本一、というのと同じ意味かもしれない。
身長差がある相手の抑え方も頭に入っているし自然に体は動くのだろう。
それに、試合前からこれくらいのことは想定されていたのだろう。

韓国が点を取るのは、そのギュリを抑えるために裏をインサイドの後藤や飯田がケアせざるを得ず、そこから離れたソニンやニコルがミドルレンジからシュートを決めるという展開が多い。

一方の日本代表のオフェンス。
早い展開でシュートまで持って行こうと試みていた。
藤本、柴田、石川。
前三枚のオフェンスでシュートまで持って行く。
後藤、飯田が上がるのを待たない。

ここも昼の時点でそういう意思決定をしていた。
特に前三人の意思確認。
藤本が嫌な顔しながらも、柴田が間を繋いで三人で話し合いをした。
点の取り合い上等。
そういうスタイルにあまり慣れていない藤本だが、この試合はそれで行くと納得した。
セットオフェンスにしてじっくり崩すというやりかたではなく、持ちあがって三人ですぐにシュートまで持って行く。
出来れば三対二、それがダメでも三対三なら勝負してしまおうというもの。
信田にそういう意向があって、前三人で打ち合わせの時間を持って具現化する。

結構うまく行った。
三対三になる場合はシュートまで無理に持って行ってもあまり確率が高くないが、三対二の形に出来ることがかなりある。
また、二対二でも良い形でシュートまで持っていけている。
前三人の切り替えの意識の高さが効いているのと、柴田、石川のシュートも当たっていた。
藤本プラス一枚で出来る二対二の場面で決めてくることが出来ている。
藤本自身は十センチ以上の身長差、見上げるくらいの高さの違いがあるギュリが相手なので、シュートはほとんど脅しにしか使っていない。

高さに頼りすぎている。
ソニンはそう感じていた。
高さで勝負することばかり考えての動き。
高さを生かすというのはギュリがスンヨンが、本来出来ることの一部でしかない。
その一部だけで何とかしようとして、すべてが相手に見通されている。
そんな状態だ。

それでも同じ形で勝負。
ギュリが中に入って藤本が前を抑える。
藤本の頭上を越えるけれどギュリが取れる高さ。
そういうボールをニコルが送った。
ここはギュリの裏、ゴールサイドを日本のディフェンスが押さえられていない。
通れば簡単なシュート。
それが分かっていた藤本、強引にそのボールを取ろうとして届かず、結果的にギュリにもたれかかる形になってファウルを取られた。

韓国代表がここでタイムアウトを取った。
第一ピリオド七分過ぎ、18-8 日本代表リード。

ベンチに戻って最初に言われたことはディフェンスについてだった。
まずスローダウンさせろ、速攻を出させるな。
シュートを決めて戻る場合は問題になっていなかった。
リングを通過して落ちたボールを拾って一旦エンドラインの外に出てから中に入れる。
シュートが入らなかった場合はリバウンドを取ってすぐにパスが出る。
この、拾って外へ出るというほんのわずかな時間の違いで速攻の形になって二対二や三対二の形にされているかどうかの違いが生まれている。
シュートが入らない場合でも、まずピックアップして、特に藤本、柴田を捕まえてすばやい攻めを出させるな、という指示だった。

オフェンスは、しつこく続けろ、というベンチの指示だった。
実際に、タイムアウトの場面ではパスが通れば簡単なシュート、そうはならずにファウルをもらえた、という状況だった。
しつこく続けていれば穴が開く、という見立てだ。

「たまには外からも混ぜないの?」

ソニンがギュリに振った。
ギュリ、??? という顔をしている。

「ワンパターン過ぎるから読まれてる。もっといろいろ出来るでしょ」

ギュリから色よい反応はなかった。
所詮、仲間内以外の意見は無視なのか、と思った。
タイムアウトの終わりを告げるブザーが鳴った。
ベンチに座っていた五人、立ち上がる。
コートに戻りつつギュリがソニンに言った。

「デキルヨイロイロ」
「なんで日本語」
「ソンノハングルキキトリニクイデス」

今頃そんなこと言われると思わなかった。
所詮は付け焼刃の韓国語。
決してうまくはない自覚はないではない。
でも、だったら早く言えよ、とも思ったが、思い返してみれば、それほど自分が韓国語を話す場面はなかった。
浮いているから話さなかったのか、話さないから浮いているのか。
鶏が先かタマゴが先か。
そんなことを考えている場面ではなかった。

「外からも普通にやってみろよ」
「ソノツモリデス」

桜華でメンバーに告げるように、普通に日本語で話してみた。
韓国語で話すより、ギュリの応答は速かった。

目論見通りの展開で序盤にリードした。
早い攻めでどんどん点が入るというのは気分が良いものだ。
柴田と石川、自分がボールを運んで、フィニッシュにはしっかり攻撃力のある二人を使うというシチュエーション。
これで点が入って行くのだから楽しくないわけがない。
堅守速攻は滝川の目指すバスケであるが、堅守はともかく速攻は完成していなかった。
二対二や三対三の場合はキープをして味方の上がりを待つ。
それが滝川のやり方だ。
自分が使う二人が柴田と石川なら、そこで待たずにシュートまで持っていける。

ディフェンスも相手の顔ぶれからすれば想定の範囲内だった。
でかい奴にああいう動きをされたときの対処は心得ているつもりだ。
タイムアウト前のファウルは余計だったけれど。

タイムアウト明け。
どこを変えてくるかと思ったらオフェンスが代わっていた。
ギュリが中に入ってこない。
うまく行っていなかったのだから、まあ、そういうこともあるだろうと思う。
ボールが何本か回った後、十五度くらいの位置に降りているギュリへ。
中のソニンに入ってまた戻る。
もう一本中に入った。
藤本はそれをケアしようと動くと、また戻される。
今度はギュリがドリブルを突いた。
突破はさせない。
そう、前を押さえ込んだらジャンプ。
ブロックに飛ぶタイミングはそれほど遅れてはいなかった。
しかし、元々の高さが違う。
この、長めのジャンプシュートを決められた。

後藤がエンドにすぐ出てボールを入れようとする。
藤本にはギュリがついていて入れられなかった。
柴田へ。
柴田が持ちあがっていくが相手の戻りが早く速攻という形にはならない。
味方も上がりきってからのセットオフェンス。
一旦藤本へ戻す。

こうやってじっくり構えられるとやっぱりでかいな、と藤本は思った。
日本ではこういう相手は動きが緩慢で、ボールキープがたやすく抜き去るのも簡単というイメージだ。
外からのシュートにこだわることさえしなければ高さに怖さを持つ必要はない。
でも、ギュリは違った。
きちんと速い。
壁がそのまま藤本のスピードについてくるようなものだ。

藤本は勉強は出来ないがバスケは出来た。
世界がどうなっているかなんて視野は持っていないが、バスケの世界がどうなっているかは全体を見渡す視野を持っている。
周りに駒が揃っているのだから、自分がこういう相手と勝負する必要はない、というのは迷い無く判断できた。
ハイポストに入ってくる石川へ。

昨日、立ち上がりはともかくとして、麻友友、敦子、といった当たりとマッチアップしていた石川。
それと比べるとハラにはそれほど怖さを感じなかった。
感じた怖さは別のところだ。
痴漢容疑はまだ恨まれているらしい。
でも、それはそれ。
能力がパワーアップするわけでもない。

あがりながらボールを受けてゴールの方へ向き直る。
シュートフェイクを入れた後、今来た側に戻るようにドリブルを突いた。
ハラはさっくりかわす。
ゴール下へ向かうがぴったりソニン。
前へ出て来たのでそのまま飛ぶと危険。
バウンドパスを後藤に落とした。
左零度、後藤は打とうとしたがソニンが動いた時点で逆サイドのニコルがカバーに向かってきていた。
そのニコルの横をバウンドパスで向こう側へ通す。
踏み込みながら受けた飯田、バックボードを使ってしっかり決めた。

セットオフェンスになっても日本代表はしっかり加点していけた。
韓国代表もきちんと内と外を使い分けるようになってからは簡単に止めることが出来なくなってきた。
タイムアウト後、点差は開かず26-16 日本代表十点リードで第一ピリオドを終える。

第二ピリオド、日本代表は一気に三人入れ替えた。
柴田、後藤、飯田を外して松浦、里田、村田を入れる。
懲罰で松浦、高橋は使わない、という考え方もあるにはあったが、チーム事情はそんな余裕を与えてはくれない。
その二人をまるっきる使わない、という構成にすると、柴田や石川を休ませるためには久住、亀井で繋がなくてはいけなくなる。
そういう起用をする勇気は信田にはない。

「頭冷えた?」
「何のことですか?」
「引っ叩くならクリーンヒットさせないと」
「試合中に後輩をいらいらさせるようなこといわないでくださいよ」
「あそこはクリーンヒットさせてれば美貴もスカッとしたんだけどな」
「ひどい先輩ですね」

いじりトークを交わして、まあ今日は今のところ冷静だな、と藤本は判断する。
やさしさ、否、パス送って大丈夫かどうかの確認。
昨日の最終盤のような動きをされては困るのだ。

第二ピリオドも点の取り合いという展開だった。
早い攻め上がりの場面では石川に松浦に、しっかり勝負して決める。
こういうのは松浦にとっても得意分野だ。
セットオフェンスは石川が中心だった。
特に今日は当たっている。

韓国代表は外のシュートは実際にはないのだが、勝負自体は外からしてくることが増えてきた。
ゴール下まで抜き去ってくるわけではないのだが、二三歩入ってきてのジャンプシュートが、高さの違いで防げないのだ。
それを無理にブロックに行って、藤本が意味のないファウルをし、カウントワンスローを取られたりしている。
ファウルするなら止めろ、と信田に怒鳴られていた。
そんな外を交えつつ、インサイドでソニンが勝負してくる。
また、ポジションの割りに中が得意なスンヨンも、マッチアップが松浦に代わってからゴール下にもぐりこんでシュートを決めてきていた。

一進一退。
九点リードでの日本代表オフェンス。
スンヨンのミドルレンジからのシュートのリバウンドを拾った里田。
すばやく藤本へ送り速攻へ動こうとするが、ギュリに阻まれスローダウンさせられる。
じっくり上がってセットオフェンス。
藤本から松浦、松浦から里田。
ローポスト村田へ入れるが勝負出来ず、降りてきた松浦へ戻す。
トップの藤本へ。

藤本、自分で切れ込もうと試みるがギュリに阻まれた。
ボールを持つと外からハラも挟んでくる。
ギュリ、ハラと藤本の一対二。
こういう場面でボールをこぼしたりはしない。
冷静にパスで外へ逃げた。
ハラが藤本を挟みに行ったのでフリーな石川。
シュートの構えにカバーでブロックに飛んできたスンヨンをやり過ごす。
改めて右四十五度からのスリーポイント。
打った瞬間手ごたえを感じたシュートはリング中央をしっかりと通過した。
今日最初のスリーポイント。

41-29
日本代表十二点リード

韓国ベンチがここでタイムアウトを取った。
ニコルを下げてジヨンを投入。
インサイドの高さを増してきた。
それを見た日本代表は飯田をコートに戻す。
ついでに松浦を外して柴田も戻した。

韓国代表のディフェンスが少し変わった。
基本はマンツーマンのままだったのが、石川にはハラがぴったりと張り付く形になったのだ。
全体を無視してのぴったりマーク。
かなりの警戒度である。

それでも石川は動きの工夫と運動量をそれを振りほどいた。
周りを無視してのぴったりマークなので、振りほどけるのは一瞬なのだが、その一瞬にしっかりパスが入ってくる。
藤本がよく見ていた。
外れた瞬間にパスを出す。
そうではなくて、石川がこう動くからこう外れる、そこまで見えていてパスが飛ぶ。
石川が動いた先にボールが飛んできている。

ただ、やはりそれを繰り返すと石川の負担が大きくなっていく。
終盤ならまだしも、まだ前半。
二桁前後のリードを保っているということもあり、信田は一旦石川を下げて休ませた。
後藤を入れる。

後藤が入って韓国代表のディフェンスはノーマルなマンツーマンに戻る。
じっくり攻める韓国と、早い攻めを望む日本。
どちらも少し得点力が落ちてきた。
韓国はせっかく入れたジヨンがあまり効いていない。
日本は当たっていた石川を下げた分迫力がなくなっている。
三番に後藤を回すと、セットオフェンスでは支障がなくても、速攻の三対二、三対三でシュートまで、という展開がうまく行かないのだ。
速攻で走る、というタイプの選手ではない。
勢い、藤本と柴田で二対一か二対二で持っていくことになるが、それはなかなか簡単に行かない。

ペースが落ちたところで日本代表がタイムアウト。
石川インで里田アウト。
韓国もニコルインのジヨンアウトでどちらもスタメンに戻る。
そして、機能していたオフェンスが、またしっかり機能しだして、どちらも点を取っていくという流れで進んで前半が終了した。
51-41
日本代表のリード。

「行ける。行けるって」

ハーフタイムのロッカールーム。
吉澤が言った。

「よっちゃんさん、盛り上げてくれるのはありがたいんだけど、ちょっと楽観的過ぎ」
「なーに、ミキティ、自信ないの?」
「うるさいよ。おまえ、最後まで持つんだろうな」

吉澤、藤本、石川。
三バカ和気藹々である。

「あたりまえでしょ。休みまでついてるんだよ」
「ミキティ、いらいらしてない?」
「あぁ? うん、ちょっとね」

吉澤には素直に答える藤本である。

「結構やられてるよねミキティ」
「ババア、でかいくせに速いんだよ。でかいだけなら大した問題じゃないんだけど」
「それ初戦のときも言ってたでしょ」
「速さのが問題?」
「速さだけならやっぱり大した問題じゃない。組み合わさるから面倒。つーか、ああ、腹立つ。ババア、畜生」
「どっちか捨てたら?」
「そんなことしたら負けましたって言ってるようなもんだろ」

藤本に取ってはプライドの問題になっている。
ずたずたにやられているわけではないのだが、個人技でやられているという藤本自身が感じる印象が納得行かないのだ。

「足動かすしかないんだろうな」
「あと二十分、頼むよ」

頑張ろうじゃなくて、頼むよ、という表現になってしまうのが、吉澤はすこし自分で情けなかった。

後半スタート。
日本代表は藤本、柴田、石川、後藤、飯田でスタメンに戻した形。
韓国代表も同じようにスタートに戻していた。

10点前後の点差が拡がらず縮まらず推移している。
大きな動きはどちらもなかった。
基本的な方針は前半の終わりの頃と両チームとも代わっていない。
韓国代表の方もビハインドを背負っているとはいえ、やっていることは悪くないという判断なようだ。

早い攻めが基本で、それが出来ない時にセットオフェンスを組む日本代表。
速攻はなく、基本的にはしっかりまわしたオフェンスでインサイドが中心、だけど時折外から勝負も見せるという韓国代表。
日本代表がインサイドを固めたり、韓国代表が石川にハラを張り付かせてみたり、それぞれ手をうとうとしているがディフェンス面は功を奏していない。
どちらもオフェンス優位な展開になっている。

外からのジャンプシュートに手が出せない。
これが藤本の泣き所だった。
どうあがいても、飛ばれてしまっては手遅れ。
後はシュートが落ちるのを祈るのみである。
それを防ぐには十分な体勢でジャンプシュートを打てないような付き方をすることになるのだが、そうなると突破を防ぐのが難しくなる。
日本にいるレベルのこういう高いガードは、距離を詰めていても抜きに掛かられた時に対応できる程度のスピードでしかなかった。
ギュリはそういうレベルではなくスピードもしっかり備えている。
そこが藤本としてやりづらいところになっている。

ディフェンスで抑えれば一気に走れるというのが見えているだけに、ディフェンスが得意な藤本は何とか抑えたかった。
その気持ちが出たのか、中から戻ったパスを受けて、ギュリがシュートフェイクを見せたあとのドリブル突破を無理に抑えに行ってファウルを取られてしまう。
藤本、ファウル三つ目。

レフリーのコールがあったところで福田が立ち上がった。

「光井」

一声かけてベンチの横に抜ける。
光井が付いて来た。

「付き合って」

まだ後半開始早々でポイントガードがファウル三つ。
自分はポイントガードの控えである。
準備をしておくべき。

迷いのない三段論法。
今日まで出番がなかったのは十五人の中で自分だけだ。
大会開幕当初はポイントガードは高橋だった。
今は藤本。
藤本がファウルトラブルを起こせば、普通は以前のスタメンガードに切り替えるところ。

でも、福田は、ここは自分だと思った。
信田へのアピール。
いや、そんなことは考えていない。
そんなことを考えるくらいなら、試合前のアップの段階でもっと目立つことをしている。
今日、藤本の替わりに入るとしたら高橋ではなく自分。
冷静に客観的にそうだろうと思った。
今日までの高橋の調子、自分の調子。
懲罰で高橋は出さない、という考え方は松浦が試合に出たことで否定されている。
それを考えないでも、周りとの柴田や石川との相性や、実戦経験をも考えたとしても、今日、藤本の替わりに入るとしたら高橋ではなくて自分だと思った。
贔屓目じゃない。
冷静に客観的に論理的に、行き着く結論だ。
高橋愛をまた使っても、ゲームを壊してしまうだけだ。
自分なら、壊さないで引き継いでいける。

ハーフタイムにも体はしっかり動かしている。
いつでも試合に入れる準備はしている。
今日も出られなかったら中国に来て何もせずに帰ることになる。
それを思いながらも、いつでも試合に入れるように準備はしていた。
体は動かせているのでボールに触っておきたい。
光井を引っ張り出して軽いパスに付き合わせる。

横目で試合は見ていた。
体が動かせても試合展開が頭に入っていなければ、コートに上がった時点で浮き上がってしまう。
出番が来て欲しい、とは思わないようにした。
ただ準備をし、ただ状況を見つめる。
出番が来るということは藤本がもう一つファウルを犯すということ。
ポイントガードをファウルトラブルで下げざるを得ないというのはチームの危機だ。
それを願う人間がそのチームで試合になど出てはいけない。
控えの駒として準備を続ける。
こういう形では出番が来ない方がチームのためなのだ。

韓国オフェンスは、特別藤本のところを突いて来るという攻め方はしてこなかった。
ソニンのところが一番の攻め手になっている。
一年前、インターハイで当たったときと比べて全然印象が違うな、と福田は思った。
あの時はあの時で十分すごかったが、今ははるかにパワーアップしている。
パワー、比喩でも無く、本当に力そのものも増しているし、能力という意味でも増している。
後藤が押されていた。
ゴール下の押し合いでも押し込まれているし、ボールを持ってからの踏み込みという部分でも止めきれていない。
心理的に押されているというような初戦の時に感じた部分は見られないが、総合的に少し負けているように見えた。

日本代表のオフェンスは石川が中心だった。
今日の石川さんはいつでもどこでも第一の選択肢だな、と福田は思う。
第二ピリオドの途中からハラがフェイスガードでぴったり付いているはずなのに、簡単に隙を作ってパスを受けてシュートまで持って行く。
いや、隙を作っているのは簡単なのではないんだろうと思う。
それほど余裕のある状態ではないところでもぴったりのタイミングでパスが入ってくる。
そこにぴったり入れられる藤本さんの方がすごいのだろうか。
そして、自分が替わりに入ったらそれを引き継がなくてはいけないのだ。

前後に振ってハラをほどいてゴール下に飛び込んだ石川へパスが入りアリウープの形でシュートを決める。
韓国代表はローポストでボールを受けたソニンが、ごりごりのインサイド勝負でゴール下のシュートを決めた。
日本代表は早いオフェンス、エンドから飯田が長めのパスを藤本へ入れてさらに石川へ、一気にゴール下まで持って行きスンヨンまでひきつけてから柴田へ送りジャンプシュートを決める。

韓国代表はゆっくり持ち上がってきた。
セットオフェンスでボールを回す。
その中でエンドに近いところでの横断パスを後藤がカットした。
すぐに藤本へ送る。
藤本は一人で持ちあがった。
ギュリとの一対一。
右サイドから、チェンジオブペースから片で振って片で振って結局一度も切り返さずにゴール下まで。
藤本はスピード勝負からのレイアップシュートを選択した。
ストップジャンプシュートなら許す、という判断で突進だけは防ぐという選択をしたギュリ。
藤本が正面から当たって行く形になった。
シュートが決まって笛が鳴る。
レフリーが二人に駆け寄っていきどちらかを指差した。

福田は光井から受けたボールを持ったまま判定の行方を見ていた。
チャージング。
そう福田には見えた。
ギュリの方が先にコースにしっかり入っていた。
藤本の方がファウル。

レフリーはその通りの動きをした。
藤本を指差し、手を上げるように促してからテーブルオフィシャルのところに向かい、白六番、藤本のファウルをコールした。

「福田!」

信田が福田を呼んだ。
ベンチメンバーの視線がすべて福田に集まる。
福田は持っていたボールを光井に預ける。
それから歩きながら上着を脱いだ。
脱いだ上着は亀井に渡し、小走りで信田コーチの元へ走る。
その間にブザーも鳴っていた。

「藤本と交代。基本方針は変えないけどセットになってからの組み立てとかは自由にやって良いから」
「はい」
「自信持ってやれ。ここまで試合に出してないから向こうにおまえのイメージがないはずだ」
「はい」

信田が福田の背中を叩いて送り出す。
藤本は誰に言われるまでも無く福田が信田に呼ばれたところでベンチの方に歩いてきていた。

「あいつ、でかいけど早いから。ただのでかい奴だとは思わない方がいい」
「分かってます」
「後は任せるよ。頑張ってもいいけど私の出番が残ってるくらいにしといてよ」
「それは約束できません」
「それくらいの気持ちでやってきな」

藤本が右手を出したので、ぱちんと叩いた。
後の四人のところに入って行く。
もう一度ブザーが鳴った。
ベンチの方を見ると、松浦が準備していた。
入ってくる。
石川を指差していた。

「私?」

納得行かない顔をして石川が出て行く。
福田はベンチの信田の方を見た。

子ども扱いされている。
そう感じた。
試合慣れしていない自分のために保護者をコートに上げた。
そう、見える。
柴田、石川、後藤、飯田。
こう、四人並べると、福田のチームメイトはいない。
それで松浦も投入。
柴田さんじゃなくて石川さんの方を替えたのは、たぶん、柴田さんの方がガードにあわせてくれるからだろうと思った。
石川さんのが徹底マークされていて、そこにパスを入れるにはガードの側がしっかりあわせるしかない。

「基本線はそのままって指示でした。セットの時の組み立ては任せるってことでしたけど特に変わったことをするつもりはありません。ディフェンスは、速さで負ける気はないですけど、頭の上がすかすかなのは理解して後ろにいてください」
「ギュリが中に入ってきたら?」
「なるべく前押さえます。藤本さんとそんなに違うことをするつもりはないです。裏のカバーはお願いするしかないです」

ベンチからの指示と自分が何をするかの連絡。
タイムアウトではないのであまり時間はないが、なんとなくこういう間が認められている。
福田に遅れて入ってきた松浦が言った。

「切り札二枚投入だから一気に勝負を決めちゃおう」

保護者気取りで前向きなコメントか?
違う、多分、松は本気で言っている。

ベンチの思惑なんかどうでもいい。
自分は今コートの上にいて、目の前の相手を打ち破ればいいのだ。

メンバーたちは散っていき、各マッチアップを捕まえる。
レフリーが早くしろよ、という風に見えているがそれを無視して福田はしゃがみこんだ。
バッシュの紐に手を伸ばす。

コートに入るのに紐が緩んでいるなどというほど準備がおろそかなわけがない。
ただ、それを締めなおすことでもう一度少し間が欲しかった。

自分の役割は、残り三分くらいまでを繋ぐこと。
四十分コートの上にいるときとは違う役割がある。
そして、時間が短い分違う動き方も出来るはずだ。

紐を結びなおして立ち上がる。
ギュリに歩み寄った。

第三ピリオド四分十五秒。
63-51
日本代表リード。

日本のポイントガードのメンバーチェンジ。
ソニンはそれを遠目に見ていた。
入ってきたのは福田明日香。
グループリーグなら高橋愛が出て来たところだ。

「アノコ ダレ?」

ギュリが聞いてきた。
初戦では立ち上がりで高橋愛を簡単に蹴散らした。
藤本美貴にはそれなりにてこづっていたが、この時間帯でファウル四つに追い込んだというのは今の時点では勝ちと言っていいだろう。
あとは初登場の小さい子を抑えれば、チームとしての勝負は別としても、ポイントガードギュリは日本相手に完全勝利である。

「ホケツ?」
「舐めてかからないほうがいい」
「ソウナノデスカ?」
「舐めてかからないほうがいい」
「ワカリマシタ」

どうして、という具体的な説明をソニンはしなかった。
藤本と比べてどうか。
それを簡単に説明する言葉を持っていない。

ソニンにとって福田のイメージは、弱小チームのスーパーポイントガードだった。
去年のインターハイ、自らが対戦して百点ゲームで勝っている。
初出場の弱小チームだった。
ソニンにとってはどうということのない相手だったが、ガード陣は一年生にてこづっていた。
最後はばててしまって足も動かずただの人であったが、そこに至るまでの技量面では唯一自分たちに抵抗出来ていたのが福田明日香、という印象である。

今年も対戦はないが見てはいる。
多分、最大の弱点は体力。
しかし、今日、この時間からの登場ならそれは多分関係ない。
高橋愛と比べてどちらが上、というのは判断しきれないけれど、安定感ははっきりと福田の方があると思った。
ホケツ、という言葉が似合う相手ではないのは確かだろうと思った。

韓国エンドで韓国ボールでのゲーム再開。
福田はスリークォーターのあたりからギュリについていた。
ハーフコートだけでなく前でもある程度プレッシャーをかけるという意思。
藤本と同じやり方だ。
体力的には完全なハーフコートのディフェンスより消費することになるが、四十分フルで考える必要がない立場ならそれほど気にすることもないのだろう。

ギュリはエンドからボールを受けて福田を相手にしてボールを運んだ。
エンドから入れたハラに戻せばフリーでボールが運べる状態だったが、福田に対する瀬踏みだろうか、自分で運ぶことを選んだ。
福田もそれを無理にさえぎることはしないし、ちょっかいを出すということもない。
足を動かして付いて行く。

ソニンがハイポストに上がった。
ボールを運んだギュリが簡単に入れる。
ソニン、ターンしてゴールへ向き直る。
後藤はディフェンスを構えて待っている。
シュートフェイクを見せたが微妙な反応を示すだけで隙は出来ない。
右零度、大きく外に開いたニコルに送った。
ニコルから上のスンヨンへ。
スンヨンからゆっくり上がってきたハラ、ボールを受けて急加速。
不意を突かれた松浦がさっくりかわされる。
ゴールへ直進、というところを後藤が抑えに入るが、自動的にソニンが空く。
バウンドパス入れてソニンが踏み込んで、ゴール下のシュートを決めた。

リングを通過して落ちてきたボールを後藤がすばやく拾ってエンドへ出た。
手を上げて呼んだ福田へ。
早い動き、早い攻め。
ギュリが付いているがそのまま自分で持ちあがって行く。
周りのリアクションが遅れ目。
いきなりの福田とギュリの一対一。

中央へ向かって行くがギュリも対応している。
スピードだけでは抜ききれないと福田がバックチェンジで右へ持ち替えた。
ギュリも切り替えす。
やはり抜ききれない。
スリーポイントライン当たりで止まる、と見せかけての再加速。
止まる、へも反応したが、再加速にも反応したギュリを振り切れない。
ゴール下まで。
駆け込んでそのままレイアップへ行く体勢だが身長差もあり素直に行ったら叩かれる。
飛ばずにボールを持って、やり過ごしてのシュートを狙おうとしたがギュリもとどまる。
ゴール下、ボールを持った福田を高さの圧力でギュリが押しつぶそうとする。
続いて上がってきた柴田へ福田はボールを戻す。
柴田から松浦へ。
松浦、スリーポイントの構えだがハラがチェックに入るとドリブルでゴール下へ向けて突っ込む。
読まれている、抜ききれない。

外にはけていた福田へ送る。
福田から上にまだいる後藤へ。
後藤はハイポストでハラを背負っている松浦へ入れた。
今度こそ自分で勝負、と松浦ターン。
ターンはしたが、松浦のターンではなかったらしく、ハラにボールを叩かれてしまった。
こぼれたボールはギュリが拾う。

今度はギュリが自分で持ちあがった。
さっきと逆の一対一。
ギュリが福田を抜き去ろうとするが付いて行く。
ついては行くがコースを抑えきることは出来ない。
両翼、ソニン、ニコルが戻っていなかった分上がりが早くすでに揃っているが、ギュリは自分の一対一を選んだ。
こちらは小細工なし。
バックチェンジもチェンジオブペースも何も見せずにスピード勝負でゴールに突っ込んで行く。
徐々に徐々にコースを塞ぐ位置に入れそうになって行く福田。
しかし、それよりもゴールが近づく方が早かった。
ギュリが駆け込んでレイアップシュート。
この、手を伸ばしたところで福田が手の上のボールを弾き飛ばした。
飛ばされたボールはそのままエンドはるかへ転がって行った。

レイアップではなくて高さを生かしてリリースポイントが頭の上になるタイプのシュートをすれば防ぎようのなかったところ。
結果として、福田とギュリの第一回戦はドローである。

福田と松浦の投入で流れが少し変わって行った。
ここまではノーガードの殴り合い、いや、ガードを打ち抜く殴り合い、という様相だった。
二人の投入でガードがパンチを止める殴り合いになってきている。

藤本石川から福田松浦に変わったことで、日本代表の攻撃力がはっきりと落ちていた。
韓国代表がディフェンスを特別替えたというわけではない。
強いて言えば、フェイスガードで石川につけていたハラが、松浦相手になって普通のハーフコートマンツーマンに移行したくらいだ。
早い攻め、速攻で上がって行って三対三までは持っていけるのだが、そこから決定打、選択率の高いシュートまで持って行くことが出来ない。

韓国代表も得点力が落ちていた。
流れ、というものなのだろうか。
それこそ、福田松浦に変わったからといって日本代表の防御力が上がったというわけではない。
しかし、セットオフェンスで崩すことが出来ない。
ギュリも、福田を翻弄する、ということは出来ていなかった。
福田のディフェンスはいつになく激しい。
必要体力は十分から長くても十五分と設定した動きで、ディフェンスの強い藤本と同じ水準を保とうとしている。

膠着した中でどちらへ流れが傾くか。
韓国へ傾けば一気に迫ってくるし、日本に傾けばほぼゲームの決着をつけられる。

福田が持ち上がり柴田へ落とす。
柴田から零度、外に開いた飯田へ。
飯田が勝負できる位置ではない。
インサイド、後藤が入って来ようとしたがソニンに抑えられて入れられない。
上、福田へ戻す。

福田は斜めに横断パス、逆の零度にいる松浦へ通そうとする。
頭上を抜こうとしたパスはギュリが左手に当てる。
こぼれたボール、両者取りに向かうがわずかに福田が早かった。
ボールに右手で触れ、そのままバックチェンジの格好で左に持ち代える。
広いに前へ動いたギュリを結果的に抜き去る形。
左六十度の位置からゴールへ。
カバーにはソニン。
ゴール左側、フリーになった後藤へバウンドパスを通す。
逆サイドからハラがカバー。
後藤はゴール下を挟んだ向こう側、ハラが離れて空いた松浦へパスを送った。
ノーマーク。
スンヨンが上からカバーに来るが間に合わない。
フリーでジャンプシュートを放った。

このシュートが、力が入ったのか長くなった。
リング向こう側に当たって落ちる。
リバウンドはニコルが拾った。
すばやくギュリへ。

福田はすぐにギュリを捕まえた。
周りの上がりはそれほど早くない。
ギュリにワンオンワンからゴール下まで持ち込まれるのを抑えれば、速攻は止められる。
チェンジオブペースで振り払おうと試みたが福田は対応した。
サイドライン側へ追い込まれるのを嫌いギュリはバックターンして左に持ちかえ中央側へ向かおうとする。
福田はコースをしっかり抑えていた。
ゴールに向かうコースは空いていない。

サイドのエンド、隅の方へギュリは降りて行く。
それは福田は許容した。
ギュリはドリブルを止めない。
福田は抜かれるのだけは許さない、という構え。
周りは上がってきたが、すべて日本のディフェンスが捕まえていた。
ギュリはゆっくり上に上がって行く。
一番最後に上がってきたソニンへボールを送り、ソニンはギュリにボールを戻した。

福田の頭の上。
ここはどうにもならない。
そのどうにもならないところを通してギュリがニコルへボールを入れる。
ニコルがターンすると飯田、構えている。
外に開いたソニンへボールを送った。

勝負はない位置。
後藤はそう思っていた。
そこへソニンが勝負を仕掛けてくる。
ディフェンスが一瞬反応が遅れた。
それでもソニンもこういう動きは得意ではない。
後藤も何とか前を押さえようとしたが、まだ距離のあるところでソニンがジャンプした。
初動に遅れたところから慌てていた後藤、条件反射で遅れていてもブロックに飛ぶ。
抑える、その意識が強い分、後藤はソニンに近づく角度でジャンプしていた。
ソニンのシュートがリリースされたわずかに後、後藤が接触する。
接触はシュートに影響を与えることが出来ず、ボールはリングを通過し、それでいながら接触は接触であったためレフリーの笛が鳴った。
バスケットカウントワンスロー。

いらだたしげに後藤が両手で自分の太ももを叩く。
日本ベンチがタイムアウトを取った。
70-60 日本リード。

「後藤。落ち着いて」
「分かってる」

最初に声を掛けたのは飯田だった。

「一本一本気にしてたら身が持たないよ。点が入るゲームなんだから」

ファウルは余計だった。
しかし、一本決められたことくらいはたいしたことではない。
2-1で勝負が決まるサッカーのようなゲームとは違うのだ。
五十点六十点、果ては百点入るのがバスケットボール。
一本一本ひきづっていたら気持ちが持たない。
特に今日はハイスコアな展開になっている。

信田からは早い攻めの時は確率が高いと自信がもてないときは打たずにセットオフェンスへ移行すること、ディフェンスは外からは打たせてもいいので突破されないようにすること、相手のポジションに関係なく外から突破はある、という全体で構えること、あたりの指示が出ている。

「松、三対三になったとき、無理にシュートに行きすぎだと思う」
「無理じゃないよ」
「二十四秒ならしかたないけど、速攻で上がったところでは無理する必要はないよ。もう一回組み立てれば良いだけなんだから。速攻出して流れ作りたいのはわかるけど」
「積極性はいいと思うけどね。でも、結果的に入ってないから。ちょっと力入ってない?」

福田と松浦のやりとりに柴田が入ってきた。
二人にとって、こういう部分で意見を挟んでくる先輩、というのは身近にあまりいない。

「持ち上がるときドリブルで持って行っちゃうこと多いけど、パスのが早いよね。その辺は私がしっかり早く上がらないと選択肢にならないからいけないんだけど。上がった時に人数は三対三でも、パスで繋いでの早い上がりだと崩れた三対二でフリーでシュートって形にも出来たりするんだから、それも意識した方がいいよ。二人には二人のスタイルもあるんだろうけど、私も仲間に入れてよね」
「そうですね。はい」

一番と三番が速攻についてトークしていて、二番が仲間はずれはいただけない。
柴田は藤本にも合わせてきたが、福田にも自分の方から出来るだけは合わせようとしている。
ただ、どうしても長く一緒にやっている福田-松浦のラインのような以心伝心はないだろう、というのはやるまでも無くわかっていた。

「このままくらいで頼むよ。あんまり点差拡げずに。美貴に楽しみ残しておいてよ」
「明日香ちゃんと私が入ったんだから、さっさとゲーム決めてきちゃいますって」
「亜弥ちゃんはシュート外しすぎ。それはシュートが下手なんじゃなくてシュート打つ場面じゃないところで打ってるのが多すぎる。それでリズム悪くなってフリーでまで外すんだよ。全体をもっと考えな。福田明日香。言うまでもないけど、あのババアはでかいから自分でシュートって選択はよっぽどじゃないとありえないからね」
「分かってます」
「ただ、あるとしたらスリーだと思う。早いモーションで打たないとそれも難しいかもしれないけど」
「突破は警戒してるけど、そこはあんまり気にされてないですね確かに」
「まあ、一本くらい決めてもいいけど、あんまり点差は拡げないでよ。ていうかむしろ五点差くらいに縮まって美貴登場ってのがいいんだよね」

この人は、自分にプレッシャーを与えないためにそういう言い方をしているのか、本気で言っているのか、福田には区別が付かなかった。

第三ピリオド終盤。
ソニンがフリースロー一本を決めて九点差。
次のオフェンスは、福田はゆっくりと持ち上がった。
セットオフェンスの形。
パスをまわして動きながら崩す、ということを当然意識していたのだがここは二十四秒ぎりぎりまでシュートに持っていけない。
最後は時間がないところでしかたくな打った松浦のシュートがブロックされる。
速攻を喰いそうな場面であったが、福田、柴田がしっかり戻り、松浦もボールを持ったハラをスローダウンさせてそこは事なきを得る。
しかし、韓国のセットオフェンス。
久しぶりに中に入ってきたギュリに福田がきれいに背負われて、身長差も加わってなす術なし。
簡単なゴール下のシュートを決められて七点差。
日本は飯田がローポストから勝負して一本押し戻すが、韓国代表はハラがミドルレンジからジャンプシュートを決めて七点差に詰めてきた、というところで第三ピリオドが終わった。

「石川、里田、入れ。松浦、後藤アウト」

信田がメンバーチェンジを命じる。
石川をコートに戻す。
福田に、初めて試合に出るという戸惑いや遠慮のようなものは見られなかった。
石川とあうかどうか、それはやってみないと怪しい部分はあるが、得点力を増したかった。
その為には駒単位で考えれば松浦より石川になる。
後藤と里田。
ソニンを抑えたい、ということだけを考えた場合、ディフェンス型の里田の方をここで入れようと信田は思った。
外で点を取り、中はディフェンスを固める。
そういう人の選択だった。

最終ピリオドに入る。
福田、柴田、石川、里田、飯田。
すげえわ、やっぱ、こいつ、と吉澤は福田を見ていて素直に思った。

市井には頭が上がらないし、あやかにはいろいろな部分で頼ってばかりだし、点を取るのは自分よりも松浦だし。
そういう自己認識の吉澤は、インターハイで上位に上がってくるレベルのチームのキャプテンとしては、周りのメンバーへのリスペクト度合いが極めて高い。
そんな吉澤にとっても、福田は特別だった。
お友達になりたいか、仲良くしたいか、と問われたら、それはそうでもないと答えるだろう。
とっつきやすいタイプではないし、言うこと聞かないし、生意気だし、チームを統率する立場としてもやりにくいはやりにくい。
ただ、言っていることの正しさ度は、同じく言うことを聞かない松浦の比ではない。
真っ正直に主張してくる福田にやり込められて、むっとする思いを抱く経験は一度や二度ではないが、それだからこそ、福田のことは認めていた。

そんな福田が初めて見せた、悩み苦しんでいる姿。
自分の方が先に試合に使ってもらった。
そんな優越感を持つことが出来る場面ではあったが、とてもそんなことは頭に浮かばなかった。
なんで福田が出られないんだ、とだけ思う。

ミキティがすごいのは認める。
でも、それでも、つなぎでも何でも使う場面はあったんじゃないかと思った。
可哀想、なんてことを思ったわけではない。
ただ、不思議だっただけだ。
あの福田が試合に出られない、という状況が。

どうしてやるのがいいのか、吉澤にはよくわからなかった。
少なくとも、プレイ面のアドバイスをしてやる、なんてことはできない。
話を聞いてやる、なんてのも自分では役に不足だろう。
黙って見ているしか出来なかった。

腐るかな、と思った。
腐ってしまうようなら、何か声を掛けてやるべきだろうと思っていた。
だけど、そうは見えなかった。
悩んで苦しみながらも、しっかりと試合を見据えているように見えた。
試合に出る自分の姿が頭の中にはっきり描かれているように見えた。
そうじゃなければ、ハーフタイムにあんなに食い入るようにスコアブックに目を通したりはしないだろう。

それでもぶっつけ本番の途中出場は難しいもの。
その難しさをものともせず、周りのレベルになんの遜色も無く、しっかりとゲームに入っている。
言うこと聞かないし、生意気だし、可愛くないむかつく後輩だけど、でも、すごいわ、やっぱ、こいつ、と吉澤は思った。

そんな吉澤の方を見向きもしない福田。
メンバーが代わってゲームプランに悩んでいた。
石川が入ると韓国ディフェンスは石川にフェイスガードをつけてくる。
うっとうしいな、と思った。
石川との合わせなんてものはこれまでしっかりと練習してきていない。
ぴったり付かれても、ボールを入れる一瞬の隙なんてものは石川なら作れるが、そのタイミングで福田は入れる自信がない。
石川の動きの感覚がコートの上にいて今一つ分からない。
理屈ではなく、肌感覚で感じるもの。
それがまだ感じられない。
同じ付き方を松浦がされてもボールを入れられるだろうと思う。
それは、松浦と石川の問題ではない、自分の問題だ。

ただ、スペースは広くなった。
石川が外に開いてもハラはぴったりと付く形なので、中の二人の自由度は大きくなっている。
使うならこっちだろうと思った。
石川梨華は、今の自分では使いこなせない。

第四ピリオドは日本ボールで始まる。

ハーフライン上からボールを入れてのセットオフェンス。
柴田が入れて福田が受ける。
石川にはやはりハラがぴったりマーク。

福田はハイポストに入ってきた飯田へ入れる。
飯田から右サイド開いた柴田へ。
柴田はトップの福田へ戻す。
福田はそのボールにミートしてドリブル突破をはかった。
ギュリ、ついていくが前は押さえられない。
ゴール下から里田が外に捌けて、ソニンは里田と福田を両睨みの位置。
福田はいけるところまで中に入り込んでから里田へ捌いた。
里田、そのままジャンプシュート。
これは、ソニンの射程内だった。
ブロックショットに合う。

ルーズボールは里田の背後へ。
スンヨンが確保する。
時間が掛かっていて日本のディフェンスは戻っている。
韓国のセットオフェンス。
最終ピリオド立ち上がり。
差が開いて始まるか縮まって始まるか。
大事なこの場面、韓国代表はソニンの一対一、というシンプルな選択をしてきた。
ゴール下、里田を相手に踏み込んで行ってのシュート。
ぎりぎりの場面で里田はファウルのためらいを感じて手を出し切れず、ソニンのシュートが決まる。
シュート二本圏内の五点差になった。

せっかく投入した石川を生かせない日本代表。
それでも一気にひっくり返される、という展開にはされずに持ちこたえていた。
インサイドは飯田。
そんなに難しいパスは必要なかった。
入れてやれば良い。
ソニンが離れた位置にいて、一対一だけ考えれば良い状態で飯田がボールを持てば後は何とかなる。

外は柴田。
今大会要所で決めてきている柴田のスリーポイントは韓国にも警戒されていた。
シューターとして危険なのは、松浦よりも高橋よりも柴田。
それが今大会での日本チーム評だ。
それを頭に入れて、時折素振りを見せてのカットイン。
一人かわせば比較的中は広い。
ゴール下からカバーが来ても、三対二のこの状態からパス一本二本でしっかりシュートまで持っていけるし、カバーが遅れれば自分でシュートである。

五点差から七点差、というのが一つの分水嶺になっていた。
その往復からどちらへ転がって行くのか。
柴田から受けた飯田のゴール下で七点差。
ギュリがミドルレンジからのジャンプシュートで五点差。
福田-飯田のラインで七点差。
ソニンのゴール下で五点差。
柴田がスンヨンからファウルを受けて得たフリースロー二本を決めて七点差。
ギュリからニコルへキラーパスが飛んで五点差。

間にシュートまで持っていけなかったり、シュートが入らなかったりというのもいくつもあるが、得点推移だけ取り出せば一進一退、交互に加点と言う流れになっている。

日本ベンチは里田を下げた。
後藤投入。
ディフェンスの強い里田、という形での投入だったがソニンを抑えきれていない。
一方でオフェンス面ではおとりの役しか担えていなかった。

石川が機能していないのが日本代表としては苦しい部分だった。
四対四のオフェンスで打開しているが、この五人ならエースは石川である。
沈黙したエースを抱えてのゲーム展開は、あまり気持ち良いものではない。

「もう少しパス入らないの?」

タイムアウトを取った日本ベンチ。
石川が福田に言った。
第四ピリオド、石川はほとんどボールに触れていない。

「あれだけしっかり付かれると難しいです。石川さんの問題というより私の問題だと思いますけど。ただ、あれだけぴったり付いてるから他での勝負はしやすくなってます」
「私はおとりってこと?」
「今の状態だとそうなります」
「もっと余裕を作ればパス入れてもらえるの?」
「それは入れられますけど、でも、今のままのが全体としてはいいとも思います」

福田だって石川を信用していないということではないのだ。
ただ、状況として難しいというだけである。

「飯田」
「はい」
「ゴール下支配出来てるからどんどん勝負していけ」
「はい」
「石川は今のままでいい。あまりに蚊帳の外だと向こうのディフェンスもじれてくるだろう。そうしたら隙も出てくると思う。今は今のままでいい。多少外でサボってる感じになってもかまわないから中の邪魔はするな。ただ、ディフェンスはサボるな」
「わかりました」

信田の指示。
オフェンス面ではゴール下で勝っていると見た。
石川は不満顔だが、納得はしている。

「外からもう少し打って見てもいいと思う。柴田は警戒されてる感じがあるけどチャンスがあれば打ってみる。後藤も福田もな」

信田と福田。
合宿当初から福田に与えられた課題だった。
ガードも自分で勝負しろ。
福田としては迷いながらもそれを受け入れつつあるというのが今の状態だった。

「やるよ、福ちゃん」

コートに戻って行くところ。
後藤が手を出した。
福田は何も言わずにぱちんと叩く。
残り六分、勝負どころ。

その、後藤が今ひとつだった。
ソニンを抑えられない。
ゴール下でぶつかり合って、パワーなら意外に負けてないという印象だった。
初戦でぶつかったときはパワーで圧倒されていたはずだが、その辺は後藤の方も一味違っていた。
問題はポジション取り。
ソニンの方がうまさがある。
後藤は経験値の足りなさからか、そういう部分は下手だった。

ソニンのゴール下が二本続く。
日本代表も柴田がミドルレンジから決めてきて点差は詰めさせない。
オフェンス面では後藤が外目からの勝負も好んで出来るので、選択肢は拡がっていた。
点は取りやすくなるはずなのだが、一方で、選択肢の多さに目移りする、ということも起きている。

福田は、その、増えた選択肢を使いたかった。
後藤が外から勝負で一本決めることで、飯田のゴール下支配力も増すはず。
そういう計算が頭の中で回る。
その欲がミスを誘った。
外に開いた後藤へのパスを、狙っていたソニンにスチールされる。

韓国の珍しい速攻。
ギュリと福田の一対一。
持ち上がったギュリ、今度はゴール下まで踏み込まずにジャンプシュートを放った。
飛ばれると手も足も頭も出ない。
ボードに当てたシュートはリングを通過する。
これで三点差。
スリーポイント一本圏内まで韓国が迫ってくる。

福田は軽く後藤に手を上げた。
申し訳ない、という合図だ。
後藤は首を横に振る。
しっかり面を取って外に開いてボールを受ける、その面を取る部分が出来ていなかった。
後藤は後藤でそういう認識だ。

福田はベンチを見た。
まだ藤本は座っている。
それでも自分の仕事は後一分か二分というところだろうか。
自分が出ている間に追いつかれるなどという失態は認められない。

福田がボールを拾ってエンドから自分で入れた。
柴田が受けてすぐに福田に戻す。
福田、持ち上がって行くとハーフラインあたりでギュリが捕まえに来る。

慌ててはいけない慌ててはいけない慌ててはいけない。
全体を見通し決断せよ。
石川にはハラが張り付いたまま、自分にはギュリの巨大な壁、飯田はゴール下、後藤は右零度外に開いている。
攻め気のない位置、シュートはないという場所でディフェンスの離れている柴田に簡単なパスを送る。
柴田は上がってきた後藤へ送る。
ハイポストに入ってきた飯田。
ふわっと後藤が入れてパスアンドラン。
飯田が手渡しパス、という狙いだがソニンが間に入って塞ぐ。
後藤とソニンが横を通過したのと同時に飯田は反対側にターン。
シュートを狙うがディフェンスの圧力にあい打てる状態ではない。
トップ、戻ってきた福田へ返す。

刻まれていく24秒計。
選択の余地なく福田は自分で勝負した。
ドリブル突破。
前を押さえられたのでバックターンで切り返す。
抜けた、と思ったが今度はソニンの壁があった。
後藤が空いている。
しかし、24秒のブザーが鳴る方が早かった。

日本ベンチはため息。
三点差、相手のオフェンス。
追い上げられる立場として苦しい場面になってきた。

「展開早く! 持ち上がりも、セットも落ち着きすぎだって!」

藤本が叫ぶ。
福田の耳には入っていた。
時計が止まって一瞬できた間、考える時間が出来る。
点の取り合いという展開の試合で、ゆっくり持ち上がるというのはペースを変えたい時のやり方だ。
それを今やることはなかった。
ゲーム勘が欠けているだろうか。
そこまで考えて首を横に振る。
それを今考えてもどうにもなるものではない。

福田はハーフラインの前からギュリについている。
韓国は福田を無視してサイドのスンヨンがハラにボールを送った。
ハラがフロントコートに入る。
入ってからギュリが受ける。

ボールは展開される。
外、外、と回る。
ギュリがゴール下を通過して反対側へ抜けよう、という姿勢を見せた時、福田はそれに素直に対応しようとしたが、途中で方向転換された。
ハイポストへ上がる。
福田は後ろから付いていく形になった。
ギュリにボールが入る。
ターンしてゴールに向いたギュリに対して身長差15cmの福田。
何も出来ずジャンプシュートを見送った。
リング中央に決まり一点差。

藤本がベンチで立ち上がった。
信田のところに歩み寄る。
残り四分少々。
いつ投入でもおかしくない時間帯になってきている。
信田は藤本に指示を出す、藤本はオフィシャルに声をかけた。

コートでは福田が持ち上がっていた。
やるべきことをやる。
それだけだ。
持ち上がって柴田へ落とす。
柴田から飯田へ。
飯田は福田へ戻した。

全体を見る。
左に柴田、ハイポストにいた飯田は下に下りていく。
後藤は右サイド。
四対四での構成。
そう、第四ピリオドはこだわってきた福田だが、ここで石川と視線がぶつかった。
突然だ。
石川が次にどう動くのかが分かった。
無意識でもここまで視界に入っていた石川の動き。
ディフェンスを相手にした時の癖、体の動かし方とその動きのつながり。
内に振って外に出る。
その先にぴったり福田がパスを送った。

左手でボールを受け、左足で体を止めて、コースを抑えに飛び出したハラとすれ違うように右手でドリブルを付いて交わす。
後藤のマークのソニン、ゴール下の飯田と競り合っていたニコル。
二人が石川を止めに掛かる。
ソニンは間に合わない。
ニコルは間に合って正面は塞いだ。
石川はかまわずジャンプ。
ニコルもブロックに飛ぶ。
右手でスナップを効かせて放ったボールは、ニコルをすり抜けバックボードに当たりリングに落ちた。

着地した石川、右手で人差し指一本掲げる。
それからディフェンスに戻りながら福田とその右手でタッチを交わした。
福田はギュリを捕まえるのに前に出てくる。
三点差。

分かった。
分かったのだ。
これなら四対四ではなくて五対五で十分行ける。
石川さんも生かすことが出来る。
まだ、コートから去りたくない。

石川の鮮やかなゴールで雰囲気も変わった。
韓国がいよいよ捕まえる、という空気だったのが、石川というエースが力を発揮して推し戻した。

「ディフェンス一本!」

藤本が声を出す。
ディフェンス一本。

福田が捕まえているギュリへボールが入る。
競り合いながらもギュリはボールをしっかり運ぶ。
フロントコートまで来てスンヨンへ。
外で展開。
さっきと同じ狙いがあったようだ。
中に入れば無力な福田を相手にギュリが勝負。
しかし、同じ手は喰わなかった。
今度はしっかり前に入る。

「裏! 裏カバー!」

前に入って福田が叫ぶ。
裏は飯田が抑えている。
ボールは、飯田から距離をとったニコルに入った。
ニコルのジャンプシュートが決まる。
一点差。

時計は止まらない。
福田が持ち上がる。
もう一度石川で勝負。
否、それにこだわってはいけない。
選択肢が増えただけだ。
こだわってはいけない。
冷静に。

後藤へ落とす。
後藤から柴田へ。
柴田がシュートの気配を見せるとスンヨンは反応する。
それを交わして中へ、という選択をするには間が悪く、飯田が入ってきて狭くなっていた。
福田へ戻す。

福田はすぐに左サイド石川へ送った。
さっきと同じ形で右左変わっただけ。
ハラはボールが石川に渡ることは許容するしかなかった。
正対しての一対一。
そういう局面だったがそうはならなかった。
福田がパスアンドランで走る。
石川は走った福田へバウンドパスを通した。
ギュリ、追いすがる。
福田の方がわずかに早い。
そのままゴール下まで入り込む。
ギュリも必死に手を伸ばすが、福田の左手の方が早かった。
利き腕と逆で自分より大きなディフェンスを引きづりながら伸び切った体勢で、簡単ではないシュートだったが福田はねじ込んだ。

着地、体勢が傾いていて素直に降りてこられない。
左足を付いてそのまま勢いで転がる形になった。
上手く転がって衝撃を散らす。
そのまま流れで立ち上がった。
すぐにギュリを捕まえる。
三点差。

福田が付いているのもかまわずボールはギュリに入った。
オールコートの一対一、という状況。
加速、バックチェンジ、チェンジオブペース。
抜き去ろうとギュリは試みるが福田は全て対応する。
そもそも、速攻が出せる状況ではなく、ガードが一人ここで抜き去っても余り意味は無い。

ギュリがソニンへ落とす。
ソニンはスンヨンへ戻した。
どこで勝負するか。
それを考えながら、勝負を狙ったパスではないパスを単純に送ろうとすると甘くなることがある。
スンヨンからハラへ。
この意図の薄いパスを石川が狙ってスティールした。

石川が一人で持ち上がる。
戻ったのはギュリだけ。
福田もしっかり反応して上がっていた。
二対一。
こういうときは石川は一人で勝負する。
それが韓国代表の持っているデータだ。

ギュリは完全に石川を捕まえに行った。
二対一の構図が一対一プラス一になる。
石川は自分で勝負に行かず、空いている福田に出した。
福田が受けたのはゴール左に六十度、スリーポイントライン外。
ゴール下まで行けばもう一度ギュリに捕まる。
それでも勝負かそこでパスか。
そういう選択になるところ。
福田はもっと大胆な選択をした。
そのままシュート。

ターンオーバー、速攻からのフリーでのスリーポイント。
リング手前に当たってボード側に飛ぶ。
ボードに当たったボールは跳ね返ってリングの中に落ちた。
ブザーが鳴る。
韓国ベンチがタイムアウトを取った。
福田と石川、右手を力強くぶつけた。

91-85
第四ピリオド残り三分二秒。
日本代表六点リード。

「自分でおいしいとこ食べてまとめやがった」

戻ってきた福田に向かって藤本が言った。
一点差、というきわどい場面で交代準備に入った藤本だったが、いざ入る場面では六点差にまで拡げた。
ここ二本、五点分、福田が自分で決めて帰ってきた。

「後は頼みます」
「まあ、ゆっくり見てな」

藤本投入である。

「時間使っていきますか?」
「いや、普通に行こう。流れ変えたくないから、まだ普通でいい。打ち合いっていう感じで。もちろんディフェンスは相手に時間使わせていいんだけど、オフェンスはまだ普通に。どんどん狙っていけばいい。時計見ながらその辺は指示するから」

六点リードで残り三分。
時間を消費すればリードしている方の勝ちである。
オフェンスでボールを保持したままシュートクロックの二十四秒ぎりぎりまで使う、というのがよくある戦術なのだが、ここではまだそれはしない、と信田は言った。

ディフェンス面では後藤に注意を与えた。
ソニンで全部来るくらいのつもりでいろ。
韓国代表で一番当たっているのはソニンだ、という信田の認識である。

信田からの指示が終わり試合に出るメンバーがベンチから立ち上がる。
後藤は韓国ベンチの方を見ていた。

「後藤さん」

福田が声を掛けた。
それほど大きくない点差での終盤。
そういう意味では初戦とあまり変わりはない。
ソニンと対峙する、というのまで後藤にとっては同じシチュエーションだ。
自分の役割を果たして戻ってきた福田は、人のことを気にする余裕があった。

「大丈夫。負けないよ」

韓国ベンチ、ソニンから視線を外し福田の方を向いて後藤が答えた。

「大丈夫。福ちゃんのために。みんなのために、後藤は負けないから」

そう言って福田の頭をくしゃくしゃとなでた。
福田は、子ども扱いされるのは好きじゃないはずだけど、悪い気はしなかった。

藤本は石川と柴田を捕まえて話をしていた。

「石川、しばらくサボってた分働かせるからな」
「なによ、サボってたのは自分でしょ」
「いいから黙って聞け。マッチアップ見た時、おまえのところが一番差がある。ボール入んなきゃどうにもなんないけど、ボールは入りさえすれば一対一で全然勝ってるはずだ。で、もし、一対一で抜けなかったら戻せば良いし、抜けた後カバーが来てそれでシュート出来ないとかなってもやっぱり戻せば良い。信田さんはああ言ったけど、時間使うのは使うでそんなに悪い選択じゃないはずだから。シュートセレクションはしっかりすること。それを飲めるならパス入れてやる」
「決めればいいんでしょ」
「大事なのは勝つことだ。おまえが気分良くなることじゃない。結果入らないシュートってのはどうしても出てくるけど、そこでシュートはないだろってとこで打ったら入っても次からパス入れないからな」
「分かったわよ。そんなこと言うミキティなんかファウルアウトしちゃえばいいのよ」
「柴田。ボール運び、任せるかもしれない。あのババア前からついてきそうな気がする」
「うん、ていうか、もう少ししたらプレス来るよね」
「だな。石川、意識しとけよその辺」
「えらそーに。チャージング気をつけなよ」

韓国代表がコートに散り、レフリーがボールを渡すぞ、という素振りを見せたので三人のミーティングは解散する。
韓国エンドからゲームは再開した。

スンヨンが入れてギュリが受ける。
藤本はギュリに近づきはしたがちょっかいは出さなかった。
視界に入るけれど手は届かない位置を保ちながら戻って行く。
変なところでファウルしかねないような振る舞いはしない。

ギュリがフロントコートに上がってきてから藤本はしっかり付き始めた。
ボールを回す。
韓国代表は身長差があるミスマッチでしかもファウル四つという藤本のところで勝負しようとしてきた。
前を抑えようとするが、上はスカスカである。
際どいボールを送られてもそれに飛びつくようなことが危なくて出来ない。
ボールがギュリに通る。
カバーは後藤。
その流れですぐ捌くところまでは読んでいた。
左零度ソニン。
ノーマークにはせず、後藤が戻ってブロックに飛ぶが、今度はそれがソニンに読まれていた。
飛んでしまった後藤をワンドリブルついてやり過ごしてゴール下、バックボードを使って簡単に決めた。
四点差。

もう、こんな一本一本は関係ない、と石川は思っていた。
一本決められたら一本決め返す、その繰り返しでいけばいいだけなのだ。
えらそーに、と藤本に向かって言ったが、石川も意見は同じだった。
自分のところのマッチアップが一番はっきり勝っている。
ボールが入りさえすればなんとでも出来る自信があった。
福田からは結局最後二本しか入れてもらえなかったから最終ピリオドは目立っていないが、今日の石川は自分が当たっているという意識がある。
そして、藤本からならパスは入ると思った。

韓国代表はどういう方針なのか知らないが、メンバーチェンジをほとんどしない。
自分は途中、たっぷり休みをもらっている。
ぴったり付かれたハラはうっとうしくはあったが、この時間帯まで来ると途中で休んだ分もあってスタミナ面で差が出てきていた。

単純だった。
持ち上がってから二本繋いで藤本に戻ってきてから石川に入れた。
外に出てきて受ける。
そこからの展開をしにくい動き方で受け方であるが、これが一番ボールをもらいやすい形になっている。
ディフェンスは腰を低くしてウィークサイドを空けて構えている。
ワンフェイク入れてドリブル。
空けているウィークサイド側。
分かっていて空けていてそちらへ追って行く、そういう状態の相手に注文通りに動いておいて、石川はディフェンスを置き去りにした。
一気にゴール下まで。
ニコルとソニンが抑えに来る。
かまわず勝負も出来たが、藤本の言葉が頭にあったのか、二人をひきつけた上で石川はボールを捌いた。
受けた飯田が簡単なゴール下シュートを決める。
六点差。

韓国はまだ慌てた動きは見せなかった。
時間はある。
持ち上がってボールを回すセットオフェンスをしっかり組んで、早撃ちはしない。
ソニンのところで勝負してきた。
ゴール下。
力と力で勝負、という対応をした後藤だったが、その後藤の踏ん張りをうまく外して交わしたソニンがボールを受けてミドルレンジからのジャンプシュートを決めて四点差。

日本代表はもう一回石川で勝負した。
藤本-石川からの1on1
サイドが逆に変わっただけ。
ただ、今度はハラも構えた時点でわずかにさっきより距離を広げた分ついていけた。
石川、そのままゴール下までは無理、と判断してバックターンでディフェンスを外しミドルレンジからジャンプシュート。
スタミナ切れからか、こういうポイントポイントでの早い動きに対応できなくなってきているディフェンス、ブロックにも跳べない。
きれいに決まって六点差。

韓国はギュリ-ソニンのラインで勝負。
早いパスを藤本の頭上飛ばした。
ソニンがジャンプ一番キャッチしてそのまま空中でゴールの側に向き直り、降り際にシュートを放つ。
降りてからが勝負、と考えていた後藤の上。
難しいシュートをねじ込む。
三度四点差。
韓国も離れない。

「ディフェンス一本止めろ!」

ソニンが日本語で叫んだ。
ギュリも何かを言っている。

二分を切っている。
四点差は十分射程圏内だが、時間が刻まれていけば追い込まれるのは韓国の方だ。

柴田が入れて藤本が受ける。
藤本にはギュリが前からついてくる。
藤本は柴田にボールを預け、フリーな柴田が持ちあがって行く。
柴田から後藤、後藤から藤本、藤本がまた柴田へ、柴田が藤本へ戻す。
石川がまた中から出てくる動きをした。
もう、石川がその気になればディフェンスを振り切れる、そういう状態になってきている。
同じように藤本がパスを送った。
ディフェンスも、パスを入れさせない、という方針には諦めが入ってきていて、外へ開いた場合はパスが入ること自体は甘受するようになっている。
その上で、ここ二本、1on1の突破で続けてやられていた。
さっきよりもさらに下がって構える。
その距離感が石川にはしっかり見えていた。
突破ではなくてそのままシュート。
スリーポイントが決まった。
七点差まで拡がる。

時間が流れて行く。
七点まで拡がった次のオフェンス。
ここが入らないと点差が重い。
韓国ベンチからは怒号も飛んでいた。
スタンドからは悲鳴に近い声。
第三国同士の試合ながらも、それぞれのファンが本人たちには通じない言葉で声援を送っている。

どこで勝負してくるか?
藤本の意識としては、インサイドに入って背負われるのだけは避けたい、という意識があった。
競り合うわけにいかないしそもそも身長差がありすぎる。
そういう意識の藤本を相手にギュリが違う選択をした。
点が欲しかったのか外からスリーポイント。
やや長くなってリング奥に当たり大きく跳ね上がる。
リバウンド。
ソニンをスクリーンアウトしていた後藤だったが、ボールはリングと後藤の間ではなくて二人の頭上を落ちてきた。
両手で確保する後藤、片手でそれを掻き出すソニン。
挟んで抑える力より、力任せに引き剥がす力が上回ってソニンがボールを奪う。
そのままターンしつつ体の流れでフェイドアウェー気味になりながらのシュート。
後藤も流れで前に飛ぶ形でブロックへ。
指先かすかに当たり、シュートはリングに届かず落ちる。
飯田が拾った。

藤本へすぐ送る。
藤本-ギュリ、オールコートの一対一の形。
柴田と石川は二人よりも後方。
右に左に振りながらゴールに向かう藤本。
ギュリは必死に対応する。
しかし、藤本は最初から自分一人で勝負する意思はなかった。
そろそろ時間を掛けていい。
ある程度のところでゴールへ向かうのをやめ、右サイドへボールをキープしたまま降りて行く。

柴田、石川は流れて、受けに来たのは後藤。
上にいる後藤に戻し、柴田に展開する。
後藤は中に入っていき、藤本が上に戻ってくる。
柴田はハイポスト入って来た飯田に入れた。
勝負はせずに藤本へ戻す。
藤本、また、外に開いて出てきた石川へ。
もはや完全にワンパターン。
張り付いてもダメ、離れてもダメ。
そういう迷いを持ったディフェンスを相手に石川は今度はドリブル突破した。
抜き去るところまでは鮮やか。
勢い余ってゴール下まで。
カバーに入ったソニン。
手前でジャンプシュートを放つが踏み込んでブロックにとんだソニンの高さの壁に弾き飛ばされた。

ルーズボール。
追いかけたのは藤本とギュリ。
先に藤本が追いついて、手を伸ばしたギュリをかわす。
そのまま距離の長いジャンプシュートを放った。
リング奥に当たってボードにも当たってはね落ちる。
リバウンド。
飯田がもぎ取った。
そのままシュート、というのはソニンが塞ぐ。
視界の向こう側、後藤が見えた。
バウンドパスで通す。
受けた後藤、ワンドリブル付いてステップバックしてスリーポイントラインの外へ。
零度からジャンプしてスリーポイント。
一番近くにいたギュリがブロックしようとするがまったく届かない。
リング奥に当たり手前に当たって跳ね上がったボールは、揺れているリングの中心に落ちてきた。
101-91
残り1分3秒
韓国ベンチが最後のタイムアウトを取った。

決定的な二桁点差にするシュートを決めた後藤と一人一人ハイタッチを交わす。

「そこで下がってスリーかよ!」

時間帯、点差、シュートクロック、ボールを受けたシチュエーション、総合して考えて藤本からすればありえないシュートセレクションなので、突っ込みいれながら笑ってしまう。

「調子に乗ってるからあんなきれいなブロック喰うんだよ」
「なによ、フリーでジャンプシュート外して」
「しょうがないだろ。シュートクロックあんまりなくて打つしかない状況だったんだから」
「はいはい。じゃれるのは試合終わってからにしろ。残り一分三秒、10点リード。ここから大事なのはディフェンスだ。無駄にファウルして時計を止めないこと。シュートまで持っていくのを遅らせること。特にこの二つ。それからボール持ったらなにが起きるかは分かるな。点取られてエンドからだとプレスは確実に来るだろう。ボール入れたらファウルゲームも来る。フリースローを自分が打つことになる、っていうのはそれぞれ頭に入れとけよ」

信田は藤本と石川に常識的なことを言い、残りの時間の方針についても常識的なことを言った。
一分の間に十点取られなければ勝ちだ。
一分をなるべく引き伸ばすために、ファウルで時間を止めるファウルゲームを負けている側はしてくる可能性は高く、それに対しては、ファウルで与えられたフリースローで加点していけばよい。

「ミキティ、スリー気をつけなよ」
「あんまり打ってこないけど時間帯が時間帯だからな。頭には入れとくよ。それより、おまえボール運びのところ頭に入れとけよ。忘れてすっと上がって行ったりするなよ」
「分かってるわよ」

柴田が入れて藤本が運ぶ、が通常スタイルだが、前からディフェンスが当たってくると、藤本へ入れる、が簡単ではなくなることがあり、その場合には石川がフォローに入るというのが約束事だ。

「簡単にあきらめるチームじゃないから、簡単に気を抜かないこと」
「無理打ち増えてくると思うからリバウンドしっかりね」
「ボール確保したら速攻出そうとあせらずに、しっかり確保ね」
「それでファウル受けたらフリースローしっかり打てばいいから。二本に一本でも十分だし」

この時間帯にこの点差があると、まだ決着がついたまでは言えないが心理的な余裕は出てくる。
メンバーたちの口は軽やかだった。

ゲームに戻る。
韓国はエンドから長いパスで入れてボール運びの時間を省略した。
二本回してギュリ。
やや遠目の位置からスリーポイントを放った。
リングに当たりボードにあたり落ちる。
リバウンド、競り合うソニンと後藤。
ソニンがもぎ取り、リバウンドシュートを決めた。
八点差。

エンドに出て後藤が入れようとすると韓国ディフェンスが前から当たってくる。
柴田が後藤を制して自分がエンドの外に出る。
後藤はボールを置いて中に入った。
一呼吸置いて柴田がボールを持ちリスタート。
藤本へではなく石川へ入れた。
石川にはハラ、そしてすぐにスンヨンが囲みに来る。
一対二、無理に突破はせず反対側ギュリが柴田のほうに向かってあいた藤本へ長いパスを送る。
ところがこの長いパスが山なりで滞空時間が長く、ギュリが戻れてしまう。
ジャンプしてもぎ取ろうとしたギュリ、それを阻もうとした藤本。
無理だ、と判断した藤本はギュリの前に回ろうとした。
ボールを奪ったギュリはもう一度ジャンプ。
その場でのジャンプシュート。
ゴールに近づいてくると思っていた藤本は反応が遅れてそれが余計に慌てを生んで無理なブロックを試みさせてしまう。
十分な体勢で打ったギュリのシュートは決まった、その上で藤本の遅れたファウルが付く。
笛が鳴ってバスケットカウントワンスローを取られた。

「福田!」

信田が福田を呼んだ。
藤本美貴、ファイブファウル退場。
一分三秒で十点取られなければ勝ち、という場面から、二十秒で四点取られた場面での再投入。

こういうことはありえること、として想定していた。
福田にとって、想定外ではなかった。

残り四十三秒 101-95 日本リード

「自分でやっといて説得力ないけどノーファウルな。まだ六点か五点あるから、無理に止めに行くことないから。ボール持って時間使うイメージで。福田明日香なら出来るから。自信持って」
「あとは任せてください」
「任せた」

すれ違う時に福田は藤本に背中をポンポンと叩かれた。
コートの四人が出迎える。

「大丈夫大丈夫。まだ点差あるから。落ち着いて」
「慌てることないから」

飯田と柴田。
自分に言い聞かせるようであり、この場面で入ってきた福田に伝えるようでもある。
福田が口を開いた。

「フリースロー決められたらエンドからは私じゃなくて石川さんに入れた方がいいかもしれません」
「ボール運び自信ない?」
「いえ、五点差で四十三秒って微妙で、ファウルゲームしてくるか、一本しっかりディフェンスしようとするかどっちかわからない。でも、ファウルゲームして来た場合、フリースローは石川さんのが確率高いから」
「フリースローの確率って、シャックじゃあるまいし。気にするようなレベルじゃないでしょ明日香は」
「普通の場面とは違います。国を代表してのゲームで負けると世界へ行けないゲームの残り一分でこの点差です。ずっとベンチに居た私だと、そういう場面で雰囲気に飲まれてしまうことがあるかもしれないです。でも、石川さんならそれはないし、石川さんでそうなってしまうとしたら誰がやっても同じです」
「それだけ冷静に話せる人間が雰囲気に飲まれるってこともないと思うけど、分かった。明日香が言うならそれで。柴田も石川もそれでいい?」
「はい」

飯田がまとめてメンバーが散る。
残り四十三秒。

ギュリのフリースローはしっかり決まった。
101-96
五点差。

ボールは遠くに居た柴田が拾ってエンドの外に出る。
韓国ディフェンスは全員マークを捕まえてからのリスタート。
福田はギュリに封じられている。
うまく動いたのが石川、斜めに動きながら柴田からのボールを受ける。
柴田のディフェンス、スンヨンの後ろをぬけて行く。
ハラとの一対一。
バックチェンジでかわして抜いた。
ファウルででも、という風にディフェンスは手を伸ばしてきたが届かない。
持ち上がって三対二。
ソニンが捕まえに来るが近づく前に後藤に捌く。
後藤キープ。
ニコルが後藤へ近づきソニンがゴール下へ下がる。
後藤は上、上がってきた福田へ戻す。
福田から柴田へ。
ここで柴田がスンヨンのファウルを受けた。

残り三十四秒。
柴田のフリースロー二本が決まる。

後は時間を使わせること。
それがとにかく重要、という場面。
福田はエンドからボールを受けたギュリに高い位置から付いた。
ボール運びにも時間を使わせる。
手までは出さずに付いて行ってのセットオフェンス。
シュートは自由に打たせない。
ファウルはしない。
ボールを奪う必要は無く、一人一人がそういう動きをしっかりとする。
切羽詰った韓国は、ギュリが遠い位置からの無理やりスリーポイント。
リングにはあたったが大きく跳ね飛ぶ。

リバウンド。
ソニンと後藤。
ソニンがもぎ取った。
ただ、実際には途中で後藤が譲った形だ。
万が一ファウルで時間を止めてフリースローを与えるよりは、ボールを与えても時計を流している方が良い、という選択。
残り十五秒。

一旦ギュリに戻し、もう一度ソニンへ。
明らかにソニンの位置ではない距離。
それでもソニンは打った。
後藤はこの位置なら許容、とばかりにブロックにも飛ばずに打たせた。
その遠い位置からのシュートが決まる。
残り十一秒 五点差。

エンドから柴田が石川へ。
すぐにハラがファウル。
残り十秒で石川フリースロー二本。
二本決めて七点差。

ここでの七点差は勝負あり、という点差だった。
エンドから入れてギュリが運ぶ。
もう時間がない。
それでもソニンが呼んだ。
ボールを入れる。
わずかでも可能性を。
ソニンは練習でも打たないスリーポイントを放つ。
リングに当たって跳ね返ってくる。
自分でリバウンドに入った。
後藤と競り合う形、ここでもファウルを恐れた後藤はソニンに譲った。
もう時間がない中その拾ったボールをソニンがゴールに踏み込んで打ち直す。
最後の最後、このシュートはバックボードにあたって入ったがそれと同時にブザーも鳴った。

振り返ってみれば、苦しい戦いではあったが終始日本代表がリードして終局を迎えた試合であった。
序盤のリードをさらに広げて一気に押し切るということは出来ず、どこまでもどこまでも付いて来た。
しかし、一度も相手に先を行かれることはなかった。
藤本をファウルトラブルで外さざるを得ない場面でも福田がよく踏ん張ったし、最終的に藤本が退場になっても、福田が後はカバーした。
その福田をはじめ、松浦、里田、村田といった控えメンバーをコートに送り込み、スタメン組みを休ませる場面を随時作ることが出来ている。
一方の韓国はほぼ固定メンバーでの戦いであった。
そのあたりの差が、終盤、石川が連続得点でリードを拡げた場面などに出てきたのだろう。
大会初戦に延長まで戦った両チーム。
そのときには日本代表がやっと何とか追いついてけれど、韓国代表が地力で勝利したという展開であった。
翻って今日はどうであろうか。
韓国代表がやっと何とか追いかけて、ギリギリで踏ん張って付いて来たけれど、日本代表が地力で勝利した展開であった、と言えるのではなかろうか。
今大会の五試合での成長度合い。
そこが韓国と日本とで違ったのであろう。
そういった意味ではメンバーを入れ替えながら使ってきた信田コーチの考えが、最後に来て報われたと言える。
アジアの三位という結果は決してほめられるものではないが、それでも世界への切符は掴んだ。
今後9ヶ月あまりの時間を経て臨むU-20世界選手権での選手たちの活躍が今から楽しみだ。

「45点てとこかな」

斉藤が書いた原稿を見て、稲葉が言った。
斉藤のベースはカメラマン、稲葉のベースは記者。
経験も含めて、文字原稿を作るという面では教師と生徒くらいレベルが違う。

「韓国には勝ったってことと大会では成長したってこと、あと来年世界選手権があるんだってこと、それくらいしかわかんないじゃないこの原稿」
「枠があんまりないんだから仕方ないじゃないですか」
「伝えたいことは何? 来年楽しみっていうのなら来年の展望載せればいいし、韓国戦の展開を乗せたいならそっちをもっと詳しく載せる」
「選手たちの成長」
「だったら、具体的な誰か一人選ぶ、あるいは組み合わせというか連携というか、チームとしての成長の部分としての項目を一つ選ぶ。それを中心に組み立てる」
「簡単に言いますけど、初心者には難しいですって」
「私に出来ないような難しいことも出来るからカメラマンやってるんでしょ。同じよ。難しくても書けなきゃ記者じゃない。写真が撮れて記事も書けてなら鬼に金棒って、確かにそうだと思うから助けてあげてるんじゃない。初心者には難しいとか泣き言言わない」
「はーい・・・」

不満そうな顔をしながら斉藤は、ひとまず原稿を書いていたノートPCをシャットダウンした。
締め切りがすぐあるようなものではない。
否、誰か買ってくれる人が決まっているような原稿ではない。
ただの練習だ。
こういう媒体でこういうイメージ、という条件を設定して、それへの原稿という前提で稲葉先生に見てもらうために書いたものだった。

「にしても、CHNは強かったわね」
「珠理奈が手も足も出ずに封じられちゃうんですからね」

決勝、CHNの完勝だった。
103-45
日本戦よりも遥かな大差。
TWNのエース珠理奈にCHNは麻友友を当てて徹底マークした。
それによりTWNの攻撃力は半減。
松玲奈一人ではいかんともしがたく序盤から大差が付くゲームになった。
TWNとしてはこの二枚看板以外の周りのメンバーの底上げが必要だろう。
ただ、それでも、CHNと一緒くたにされがちな分一般への押し出しは弱いが、地力はもう韓流よりも高いのだというところは直接対決を制したあたりで見せている。

一方のCHNはこの大差のゲームを、ほぼ、敦子優子の二枚看板抜きで戦った。
高南、麻友友、由麒麟、小陽、麻里子様。
この五人で十分だった。
自力ではなくて運だけで試合に使ってもらったようなメンバーは、多少の経験を得てもそれを生かすことが出来ていないが、運に頼らずに一歩づつ這い上がってきたメンバーたちは、スタメン組みと同等とは行かないが、アクセントとして投入できるレベルにまで、峯南や指子などといったところが育ってきている。
そこに優子敦子の二枚看板が四十分フルで戦ったらどうなるのか、今の力で言えばアジアでは無敵だろう。
強いて言えば、日本代表の完成形としっかり戦った場合どうなのか、という議論はあるが、それはもう、机上の空論でしかありえない。
この、アジアで無敵の力を持って世界へ出て行った場合どうなるのか、というのがこの先の楽しみだろう。

「今にして思えば、あのCHN相手に、よく一桁点差のゲームを出来たわね」
「はっきり力の差ありましたよね」
「完成形とぽっと出の差かな。ぽっと出っていうのはあれだけど、ぶっつけ本番というか。熟成度がなかった」
「CHNは完成形ですか」
「うん。もちろん、一人一人がもっと経験積めば伸びて行くんだろうけど、チームのつながりとしては完成形って感じだったかな。日本代表は三決まで来ても、まだ、個々の力の足し算って感じだった。藤本さんと石川さん、良い感じにはなってきてたけどね」
「じゃあ、完成形になれば」
「うん。個々の力はそんなに変わらないような気がするんだよね。典型的なのは松浦さんで友朕には勝てるっていうあたりとか。一人一人の力を取り出しちゃえば負けてない。友朕と周りが合うと大変だけど、ソロとソロなら松浦さんで十分勝ってる。その上、敦子と優子、エース級で見るなら、石川さんが負けてるかって言うと負けてない。でも、CHNはその二人を生かせてた。じゃんけんで負けたりしない限り、その二人が中心で、二人のうちの一人を選ぶなら、特別な一回とかを除くと敦子を選ぶことになってる。そういう風に出来上がってる。日本代表はそうじゃなかった」

翻って日本代表。
チームとしての完成度がCHNと比べるとどうしても落ちる、というのが稲葉の見立てだった。
本来一緒のチームではない藤本と石川が組まなくてはいけなかったり、周りとの合わせ方が分かっていない松浦を使わなくてはいけなかったり、難しい状況が多く見られた。
一人一人の力は負けていない。
それは稲葉たち記者の見立てでもあるし、メンバーたちの感想でもあった。
高南が自分より上か? という問いに、藤本はそんなことはないと即答するであろうし、試合に出ていなかった福田でさえもそうは感じていないだろう。
全盛期と全盛期でぶつかったらどうなるのか?
酒のつまみにはいいネタかもしれないが、現実にそれを見ることはとても難しい。

「チームとしての完成度ってのもあるけど、一人一人もまだ伸び代たくさんある子達だしね」
「U-19っていう世代ですけど、18歳の高三世代が多かったですね」
「石川さんですら完成形じゃないしね。高三ってことで言えば、後藤さん吉澤さんなんてまだまだ素材の力だけでここまで来ちゃえてるから、そこにしっかり味付けしたらどこまで伸びるんだかって感じで」
「後藤さん、初戦の韓国戦と、三決の韓国戦、全然違いましたね」
「初戦はひどすぎたけどね、そもそも。国際試合処女丸出しって感じで」
「二試合目見た時、この子はこの大会はもうダメかなって思ったのに、最終的には立て直しましたね」
「うん。一つたくましくなったんじゃないかな。吉澤さんなんかも、このレベルで通用するとは正直まったく思ってなかったんだけど、違和感無く戦ってたもんなあ。あの子は物怖じしないっていうか、そういうところでぶつかっていけるのがいいね。一年生、二年生のころは小さな試合でも結構びびりに見えたのに。あの場面であれだけしっかり出来るんだから見直したわよ」
「この大会で成長したってことなんですかね」
「この大会でっていうよりも、もう、日々の暮らしの中で毎日成長してるってことなんじゃない。インターハイなんかで、石川さんとやりあって、勝ったとは言えないけど手も足も出なかったってことはなくてそれなりに出来たこととか。選抜呼ばれたこととか、メンバーに残れたこととか、一つ一つが無意識のうちに自信につながってるんじゃないかな」

稲葉は遠い目で目の前の斉藤ではなくて少し昔の光景を思い浮かべていた。
まだまだ初心者、福田のチームと誰もが見る中のキャプテンですらない一選手としてコートに立っていた二年生の頃。
あの時点で、福田だけを見ていた自分の目は節穴だったんだろう、と思い返す。

「藤本さんも、石川さんと合わない合わないって感じだったのに、最後にはしっかりあわせてましたね」
「あの子もこの年代の顔だよね。もう少し身長があれば言うことなかったんだけど。石黒先生に鍛えられてメンタル面でも前と比べれば大分強くなったし、先が楽しみな感じ」
「大会の最初は高橋さんがスタメンだったんですけどね」
「やっぱり総合力では藤本さんのがはっきり上だったね。高橋さんは富岡でいま二番やってるってのも影響あったかもしれないけど。高校のチーム事情はともかくとして先々進めばあの身長だと一番やらないと生きていけないから、藤本さんをどこかで乗り越えないといけないんだけど、どうだろう。逆に、高校で二番やってることで点を自分で取る意識が出てきてそれはいいんだけど。あとは、子供っぽさが抜ければねえ」
「インターハイ見てると、成長したなあって感じだったんですけどね」
「結局、まだ、責任背負ってないってことなのかな。大変なところは先輩たちが背負ってて、自分はその期の中のエースなだけで。だから、自分が一番上に立ったときに一気にそういうところは成長するかもしれないな」

今大会、高橋はほとんどいいところがなかった。
代表チームの中の選手、という意味では評価を下げてしまっているが、稲葉はまだ先々は期待していた。

「その高橋さんの背負ってない大変なところってのを背負ってるのが柴田さんだったりするんですかね」
「あの子はしっかりしてるよねえ。縁の下の力持ち、でも時々縁の上にも出て散らかったところを片して、また縁の下に戻って支えますみたいな。ああいう子が一人チームにいると助かるのよね。ゲームプラン的にもチーム運営的にも」
「石川さんがいなければ、ていうか他のチームならどこでもすぐエースって感じですしね」
「でも、ああいう子はエースでない方が生きるのかもしれないなとも思う。エースになっちゃうといまいち光りきれずに、玄人ごのみのするチームって感じになって、全体として上位まででてこれなくなっちゃうような気がする」
「じゃあ、今のままがいいってことですか?」
「うん。石川さんみたいな子と一緒にいるのがいいんじゃないかな」

柴田は結局今大会、五試合すべてスタメンだった。
色々と組み替えたように見えるメンバーだったが、実際には石川、飯田と並んで三人はスタメン固定だった。
あれこれ悩んだ信田コーチも、それでも手をつけないくらいに柴田への信頼感はあったのだ。
CHN戦ではファイブファウルで退場になっているが、試合展開を考えれば致し方ないといえるもの。
難しい役割を要所要所でしっかりこなしていた。

「その辺と比べると、ちょっと里田さんが今ひとつだったんですかね」
「そうね。なんでだろう。力はあるのにね。藤本さんと並んで滝川の二枚看板でもあるし。もしかしたら、あの子はちょっと外に武者修行にでも出た方がいいのかな」
「武者修行?」
「うん。日本代表って言ったって、藤本さんはいるし、周りの同世代は割と仲いいでしょあの子。そういう知った世界を飛び出して、今までとは違う人たちの中でプレイすると、急に頭角を現したりするかもね」
「是永さんみたいにアメリカ行ったりとか?」
「アメリカじゃなくてもどこでもいいんだけど。アウェーな感じの中に一人で入ってやっていくの」

今大会、里田もあまり目だったところがなかった。
平家、後藤とのポジション争い、という風であったが、最初は平家に、後半は後藤に目立つところを持っていかれている。
ただ、それでも、大事なCHN戦のスタメンは里田だった。
里田への周りの期待は強いのだ。

「終わったばっかりでなんだけど、先が楽しみよね、ホント」
「先ですか」
「うん。すぐ次、選抜あるじゃない。高校生たちには。無敗の石川さんたち富岡がいて。富岡にしか負けたことがない滝川がいて。そこにいろいろな子達が挑んで行く。吉澤さんが伸びてきて、福田さんも一皮向けて、松浦さんが大人になったら、全部なぎ倒して行くかもしれないし、後藤さんもスーパーエースとして一人で点取り捲って勝ち上がって行くかもしれない。是永さんなんかが、あんまりこういうこと言っちゃあれだけど、もし日本戻ってきて出てくれたらね、ますます面白い。今日負けたソニンちゃんも日本で借りを返そうとするだろうし。見所一杯って感じ」
「そうですね。なんか、もう、今から楽しみです」

代表戦は終わったばかりであるが、高校生、特に三年生にとっては、高校生活最後の大会も近づいている。
チームに戻って、代表組みと残留組で、もう一度作り直さないといけない。

トップ選手ほど試合数が増える。
これはどんな競技でも宿命なのかもしれない。
三位、という結果で終わったこの大会も、終わればそれまでだ。
翌日には帰国することになる。
長々と余韻に浸っていることはない。
ただ、最低限の結果は残した最終日の夜は、多少、開放感のあるなかですごしていた。

酒が飲める年齢ものもはいないので、いっぱい引っ掛けてドンちゃん騒ぎ、とはならないが、それなりの軽食を集めて、確保している会議室にメンバーは集まって打ち上げ式もどきのことをしていた。

本人はいつもとかわらないように振舞って見せているつもりでも、周りから見ると違う、という人間はいる。
福田だ。
分かりやすくテンションが高い、というような振舞い方は当然しない。
それでも、尖ったオーラをまとっていないことは、空気が読める人間には分かる。

「あれで結果出しちゃうんだから、さすがだと思うよ」

ちょっと斜に構えつつ松浦が褒めた。
自分だったらどうか、と考えたりもしたらしい。

はっきりと控えであることを告げられて、大会通じて一人だけ出番がなく、それなのに準備をすることだけは強いられる。
その時点で自分なら腐ってただろうな、と松浦は思った。
その上で、最終戦の後半、スタメンガードがファウル四つで回ってきた出番。
簡単な局面ではない中でしっかりと役割を果たした。
さらに、最終局面、スタメンが退場になったところで投入されて、試合をまとめている。

全部、自分が出来なかったことだ。
一番近くにいる人間なだけに、悔しさもある。

「先に謝っちゃった方が勝ちだと思うよ。どっちの方がどれだけ悪いか、というのを横に置いて」

福田が松浦に言った。
昨晩の高橋とのつかみ合いの件だ。

悪いことしたんだから謝れ、ではなくて、こういう言い方をされると松浦も謝れる。
松浦の性格にあわせて福田が言葉を選んだ。
吉澤では出来ないことだ。

「引っ叩いてごめんなさい。謝ります」

福田がついて行こうか、と言ったが、それはいい、と松浦は一人で高橋のところに行き謝り、相手が言葉を返す前に戻ってきた。
高橋は不意打ちくらってあうあう言ってるだけで何も言えなかった。
見ていた周りの判定は完全に松浦の勝ちである。
しかし実体は、福田の勝ちなのだった。

まあ、本当の決着はコートの上でだな、と吉澤あたりは思ったが、松浦は、コートの上ではさらさら負けてる気がないのでそういう発想はしていない。
お互いがそう思っていても、二人のポジションはぶつかる。
冬、チームとして対戦することがあれば、また、直接マッチアップでぶつかることは必死だろう。

「高橋の方がはっきり悪いのに、謝るくらいなんで先に出来ないのよまったく・・・」
「柴田の教育が悪いからだろ」
「・・・、そうかもしれないですけどー・・・」

離れた位置からその光景を見ていた柴田としては非常に不満だった。
先輩として、高橋の不手際が、子供っぽさが我慢ならない。
コートの上ではあややよりも大人に振舞ってちゃんと周りと合わせられるのに、なんでコート離れるとこうなんだろう、と平家相手に愚痴る。

「性格、って言っちゃうとそれまでだけど。性格なんだろうね。負けず嫌いは悪くないと思うよ。こういう勝負の世界にいる限りにおいては。ただ、もう少し視野の広さが必要だと思う。世界は自分を中心に回ってるわけじゃないっていうのを理解できるくらいに。あいつ、うちに来てすぐスタメンだったろ。そういうの含めて、あんまり壁にぶつかったことがないんじゃないかな。中学のチームじゃ完全にスターだったろうし。その上であの顔だもん。みんなちやほやして、おだて上げて。初めてなんじゃない? こういう壁みたいなものにぶつかったの。あややが、ってことじゃなくて、試合でうまく行かなくてポジション取られる、っていうのが。あと、あんまり時間ないけど、柴田が壁になってやんなよしばらく。石川じゃ口出しても説得力ないし。プレイヤーとしても柴田なら相手できるだろ。壁になるっていうレベルで」
「梨華ちゃんに対する平家さんみたいな感じですか?」
「んー、まあ、そうね。そんな感じかな」

高橋相手に先輩面していい気になっている石川の鼻をへし折ったのが平家だった。
同じ学校にそのまままだいる柴田にとってはリアルな記憶だが、すでに卒業している平家からすれば遠き日の思い出だ。

「田中とか道重なんかもそういう意味じゃ手が掛かるタイプだよな」
「あの二人はどっちかって言うと道重のがまだ大人ですね。田中は素直というかいつわりなくあのままですけど、道重は計算してあれやってますから。計算してる分大人な感じです」
「ああいうのが下にいる中で来年はやってかなきゃいけないんだから、高橋も嫌でも成長するだろ多分。出来れば側にサポートできる人間もいるといいんだけど」
「小川あたりなんですかねえ、性格的には」
「誰だっけ?」
「・・・、名前くらいちゃんと覚えましょうよ。一緒に試合も出てたじゃないですか」
「まあ、難しいこと言うな」

小川琴美だっけ?
なんか違うような気がするけど。
と、自信のない平家は笑ってごまかした。

大会が終わってほっと一息、という空気を一番発していたのは後藤だった。
喜びを爆発させるでも無く、三位と言う結果を悔やむでも無く。
ほっとした、という空気をまとっている。
騒ぐでもなく、淡々と。
明日は帰国、ということではしゃぐ亀井の話を、にこにこ微笑みながら聞いてやっている。

長い一週間だった、と後藤は感じていた。
自分のせいで負けた、という想いのある初戦。
同じ相手との最終戦。
自分の力で勝ってチャラにした、とはちょっと言い難い。
勝ったのはみんなの力であって、自分の力はその中のごく一部だ。
でも、勝てて良かった。

「後藤さんて、こういう時でも落ち着いてるんですね」
「キミがそれを言うかい」

松浦を捨てて福田が後藤のところにやってきた。
松浦は学校に帰ってもいつでもとなりにいる。
今日しないといけないことはしたから、もう、あとは、松浦から離れて、今日じゃないと話せない人と話そうと思った。

「第一印象、もっと軽い人かと思ってました」
「後藤、そんなに太ってないよ」
「そういうこと言ってるんじゃありません」
「福ちゃんは第一印象そのままだね」
「よく言われます」

まじめな子なんだろうな、というのが後藤から見た福田の第一印象だった。

「福ちゃんのおかげで助かったよ」
「なにがですか?」
「キミがいたから後藤はがんばれた。たぶん、そういうことだと思う。昨日は負けちゃったけど今日は勝てた。後藤の力で勝ったってわけじゃないけど、初日みたいな足の引っ張り方はしないで済んだ。ずっと毎日同じ部屋に居た福ちゃんのためにがんばろうと思ってがんばれた。だから、後藤は、キミに感謝している」
「それって、私が感謝するべきなんじゃないですか?」
「そんなことないよ。後藤は福ちゃんのおかげで頑張れた。キミだけじゃないけどね。えりりんとか、みんなのおかげだけど。でも、ずっと同じ部屋にいて、うじうじ悩んでる後藤の話しも聞いてくれたキミには感謝したい」
「後藤さんみたいな人は初めてでした。私の中ではバスケは自分のためにやるものでしたから。もちろんチームが勝つために全体考えてバランスはとるんですけど、最初から人のことを考えてっていう発想はまったくなかったですから。でも、そういう人がいてもいいんだなって思いました」
「なに、後藤って、キミの中では居ちゃいけない人だったの?」
「そういう意味じゃないんですけど、ただ、とにかく、後藤さんみたいな人も素敵だなって思いました」

後藤にとっても福田のような人間は初めてだった。
そこまでひたむきにバスケに取り組むような人間は後藤の周りにはいない。
矢口はバスケ大好きで勝つために必死だが、キャラクター的には福田とは対極である。

「後藤もね、キミみたいな人と次々と出会えるなら、もうちょっとバスケやってても良いかなって思ったよ」
「辞めようと思ってたんですか?」
「高校でたらもういいかなってね。信田さんには怒られたけど、でも、卒業したらどうするとか、そんなのよくわかんないし。でも、福ちゃんとか、あややとか、ミキティとか、そういう子達と出会っていけるなら、もうちょっと続けてみたいなって思った」
「どこまでいっても、日本一を目指すとか世界一を目指すとかそういう発想にはならないんですね」
「いいんでしょ、そういう人がいても」
「はい」

日本一も世界一も、後藤にとっては友達と仲良くおしゃべりすることと比べれば、大した価値はないものに見えた。
でも、やぐっつぁんがそうなりたいなら、そのとなりで頑張ってあげてもいいとは思っていたし、今もそう思う。

「よっすぃーの場合元々うちにいたし」
「市井先輩とかも行ったんですよね」
「そっか。いちーちゃん、福ちゃんの先輩なんだよね。なんでこうも違うかな」
「私も修学旅行で後藤さんのところに行っていいですか?」
「え? 修学旅行で? うーん、わざわざそんなことしなくてもふつーに東京で遊べばいいじゃん」
「あんまり興味ないんです、観光地とか」
「じゃあ、あっちの方が面白いんじゃない?」

後藤が指差した。
指した先には石川がいる。

「あっちって・・・」
「ちょっと遠いけどね。でも、まっつーと高橋愛ちゃんをもう一回ぶつけて見るとか面白そうじゃん」
「それ、収拾するの大変なんですけど・・・」
「大丈夫大丈夫。なんとかなるって」
「そもそも、松が行くっていうとは思えないですけど」
「あはは、そっか。あの子は東京を満喫するタイプだよね。まあ、いいよ。向こう行きづらかったらこっち来ても。歓迎するよ」

去年は、そもそも松江が選抜に出ることもなかったので特に問題なかった。
今年は、多分出るんじゃないかなお互いに、という立場だ。
大会一ヶ月前にそんなご対面して、大丈夫な位置に組み合わせがなるかどうか、そこから疑問であるが、そういうことはまだ二人は考えていなかった。

藤本は子分相手に演説していた。
光井である。
高三から見て中三は完全に子供だ。
言いたい放題言える。
ポジション被るけれどしばらく利害はぶつからないというのもまた藤本が好き放題いえる状態を作っていた。
そこに里田が菓子皿もって入ってきた。

「美貴ってどこ行っても女王さまなんだなってホント今回思ったよ」
「なんだよそれ。どこ行ってもって。ここでも滝川でも素直な可愛い美貴ちゃんでしょ」
「・・・・・どう思う? みっちー」
「ノーコメントでお願いします」

ちょっと不機嫌な顔をして藤本は菓子に手を伸ばす。

「でも、正直ちょっと今回は美貴との力の差、感じたわ」
「高橋愛と?」
「じゃなくて。美貴と私」
「まいと? 全然ポジションも被ってないじゃん」
「そうじゃなくて。最初スタメン外されたりしてたけど、美貴は結局中国にも韓国にも通用してたでしょ。ファウルアウトはしたけどさ。でも、私は、あんまり通用してなかったな」
「そうかな? 小陽とか相手に全然問題なかったじゃん。まいが一方的にやられてたら、CHN戦の第一ピリオドのあのリードはないよ。他が力の差あったとしても。まいに関係なく点は取れただろうけど、まいのとこだけで点取られることになるから」
「うん。序盤はね。そういうところもあったけど。でも、なんか、肝心なところで頑張れないっていうの? そういうの感じた。ここっていう場面で力が出せるか出せないか。その違いって大きいなって。梨華ちゃんとの差はそこが大きいって思った。是永美記なんかともね。で、美貴はそういうところで力が出せてるなって」

里田はインターハイで大会序盤からソニンとぶつかり、準決勝決勝では是永美記、石川梨華という超高校級の選手たちと次々とマッチアップするはめになった。
そのときの敗北感のようなものをこの選抜の合宿および代表戦でも払拭することが出来なかった。

「なんか思っちゃったんだよね。エネルギーの量が違うなって」
「エネルギーの量?」
「負けたくないって奴? 美貴って完全にそういう感じだし。梨華ちゃんもそう。あややと高橋愛のケンカもそういうところから起きたものでしょ。そういうエネルギーの量が私には足りないんじゃないかと思った」
「ごっちんとかそっち系でしょ。でもあれだけできるじゃん。まいもいっしょだって」
「あの子は天才。私はただの人だよ。スタイルは美貴よりいいと思うけどね」
「なんでそういうこと言うかな」
「あーあ、このスタイル生かして、金持ちのプロ野球選手でも捕まえて、幸せ夫人にでも納まりたいよ」
「いまどき野球選手って・・・。サッカーならまだ分かるけど。どっちかっていうとお笑いのがお似合いだと思うよ」
「稼げない面白くないお笑い芸人とか・・・」
「まい。でもさ、そんな先のこと考えてる場合じゃないのよ。学校帰ったら、石川梨華殲滅計画を立てないといけないんだから。三度目の正直じゃなくて何度目か知らないけどさ。最後くらい勝って終わらせるからね。まいが頑張らなきゃ始まらないんだから」
「麻美とかガキさんとかみうなとかいるって。あとなつみさんが美貴の心は支えてくれる。あさみがチームのまとまりは見てくれる」

藤本と里田が滝川に入学して以来、滝川山の手は公式戦で六回負けている。
二年夏のインターハイ北海道予選の時以外の五回は、すべて石川のいる富岡に負けたものだ。

「まい」
「なんだかんだで、こういうこと言えちゃうの美貴とあとあさみくらいにだけなのかな」
「アジアとか世界とか、とりあえず来年まで忘れる。まいが石川梨華に直接勝てなくてもいい。五人で十五人で、チーム全員で、富岡倒せばいい。とりあえずそれだけしばらく考えよ」
「めずらしいね、美貴が人を慰めるようなこと言って」
「ちゃかすなよそこで」
「ごめん。でも、なんか、私はそういう後ろ盾がないと大して何も出来ない人間のような気がするよ」
「まい」
「分かってるよ。投げ出したりはしないから。最後まで頑張るよ。ただ、ちょっと言ってみたかっただけ」

そう言って里田は、皿に乗っているメイドインチャイナなポテトチップスを口に持って行った。

吉澤は石川と話しこんでいた。
二人で長いこと話す、というのはありそうでなかったこと。
滝川カップをきっかけに親しくはなってはいたが、二人ということはあまりなく多かったのは四人だ。
二人で話すのは吉澤からすれば後藤や藤本の方が多いし、石川にとっては是永が見るべき相手だった。
プレイヤーとしては吉澤にとっては石川は雲の上感を持たざるを得ない位置にいたということもある。
その力はこの機会にも見せ付けられる思いはあったが、それでも、この人と少し話しがしたい、という気持ちの方が今は強かった。

「どうだった? 石川さんから見て、世界の入り口としてのアジアってやつは」
「二回も負けたのが悔しいってのはあるけど、それはそれとして、こんなもんかっていうところもあったかな」
「こんなもんか、なんだ」
「今日なんか完全にそうだったけど、全然美記、是永美記ちゃんのがすごいじゃんて感じだった。フェイスで付くのも私にびびって付いてるだけで、別にディフェンスのスペシャリストって感じじゃなかったしね」
「たいしたことないって感じ?」
「ディフェンスの堅さなら滝川のが堅いよって感じ。ミキティとしっかり合うようになれば韓国のディフェンスなんかは全然怖くないって思った。ただ、麻友友とか、敦子? あの辺が本気になった時の攻撃力はすごいと思う。特に敦子なんてむかつくけど私が相手してても100%って感じじゃなかったし。オフェンスの破壊力ってところは日本の中でやってるときよりみんな強いなって思った」
「だから準決も三決も百点ゲームなわけか」
「韓国のギュリとか? ミキティが苦労するくらいだしね。みんな守りより攻めって感じ。アジアだとあんな感じだけど、世界ってなるとそれにさらにしっかりしたディフェンスが加わるのか、オフェンスがさらにすごくなるのか。来年、結構楽しみだな」

石川にとって、二回負けての三位という結果は満足の行くものではないが、この大会は通過点である、という認識もそれとは別のところで持っている。

「なんかすごいよね。そうやってセカイを見ながらバスケ出来るのって」
「何言ってんのよ。よっちゃんだって同じでしょ」
「私はまだまだ。社会化見学に来たおこちゃまみたいなもんよ」
「そんなことないでしょ。CHN戦とか、よっちゃん入って行けるかもって雰囲気になったし。高橋みたいな言い方は良くないと思うけど、でも、あの試合は確かに高橋が言うように、あややが入ってからがまずかったと思うよ。柴ちゃんのまま行ってたらひょっとしたらって思えたもん。少なくとも私はゲーム中そう思ってたよ」
「でも、あれって所詮ワンポイントじゃない。総合力で選ばれたわけじゃない」
「理由なんて何だっていいでしょ。試合に出て勝てれば」
「ううん。それが最後でそこで終わりならそれでもいいかもしれない。でも、今の私はしっかり分かってないといけないんだ。飯田さんと比べるとはっきり負けてるっていう位置なんだって。四番でやるにしてもごっちんを信田さんは選んで、私じゃないって。足りないものがあるんだって」
「そっか。それはそうだね」

友達であって人として対等であることと、選手として対等であることは違う。
吉澤から見て石川は、プレイヤーとして対等の力関係で話を出来る相手ではないし、石川から見て吉澤は、プレイヤーとしてライバル心を持てる相手ではない。
バスケの話をするときは、吉澤は少し下から目線になるし、石川は少し上から目線になる。

「よっちゃんは選手としてはまだちょっと足りない部分があるのかもしれないけど、でも、すごいなって思ったよ私は。この三週間で」
「三週間で?」
「インターハイで試合したじゃない」
「うん」
「滝川カップでも試合したじゃない」
「うん」
「滝川カップは試合だけじゃないけど、キャプテンだなあって思ったのよね、よっちゃんのこと」
「なにそれ」
「キャプテンだなあって」
「意味わかんないし」

キャプテンはキャプテンだ。
違うといわれても意味分からないが、キャプテンだなあ言われても、吉澤としてはそりゃそうだろってなものである。

「でね、合宿の時も思ったの。キャプテンだなあって」
「だから、意味わかんないから」
「私、そういうの出来ないんだ。ミキティにいつもバカにされてるけど。ちゃんと全体に目を配るみたいなこと。全部柴ちゃんに甘えちゃってる。チームの中だと。ボールしか見てないっていうかゴールしか見てないって言うか。ディフェンスは見てるけど。勝つことしか考えてない。ちゃんとリーダーやるのは自分には出来ないなあって思う。だから、よっちゃんのそういうところはすごいなあって思った」
「別に、大したことしてないよ」
「そう言えちゃうことがすごいのよ」

吉澤、頭をポリポリとかく。
こういう褒められ方には慣れていない。

「一緒のチームで出来て良かったあ」
「出来てっていうほど試合出てないけどね、私」
「試合だけじゃないよ。一緒に練習して、一つの同じものを目指して。休みの日に観光とかも連れてってくれたじゃない。ああいうのも全部含めてさ。一緒のチームで出来て良かった」
「試合も出られたらなお良かったけどね」
「ていうか、CHN戦、あそこからひっくり返せてたらねえ。いけると思ったんだけどなあ」

初戦で負けた韓国には、最後にリベンジすることが出来た。
負けたまま終わったCHN戦が石川にとって一番悔いが残る試合になっている。

「次は勝つけどね」
「次かあ。私に次はあるかなあ」
「あるよ。ある。だから、高校帰って練習練習」
「あとは選抜だけかあ。石川さん無敗で卒業なるか? ってやつですか」
「無敗で卒業します。簡単じゃないと思うけどね。よっちゃんたちと試合するのも楽しみだよ。もう一回。ミキティたちともね」
「みんなが勝ちあがれるってわけじゃないけどね」
「だからリーグ戦にして欲しいのよ。もっとみんなと試合できるように」

滝川カップの時のことをまた言っている。
でも、トーナメントですべてが片付けられてしまうのは高校までだ。

「次は勝つけどね、は石川さんじゃなくて私やミキティが言うべき言葉だな」
「なによそれ。誰に勝つっていうの?」
「石川さんに」
「ないないないない。負けないよ」
「ちょっとヒントはつかめた気がするんだ」
「なによ。言ってみなさいよ」
「言わない」
「けち」
「けちって・・・」
「じゃあ、意地悪! いいじゃない減るもんじゃないんだし」
「いやいやいや言えるわけないでしょ。でも、じゃあ、ヒント。そのヒントは石川さん自身がくれました」
「私? 私何か言った? それともした?」
「さあ。どうでしょう」

石川は言っていた。
オフェンスの破壊力は日本でやってるより上だなってのが今大会の印象と。
吉澤は思った。
石川を止められなくても、石川から点を取ることなら多分出来る。
インターハイ、ほぼ無策で臨んだ試合だったけれど、実際にやったことは点の取り合いだった。
相手ディフェンスの弱いあやかのところ、攻撃力のある松浦のところ、その二枚で点を取って前半五分の勝負をした。
いろいろと足りない面はあって後半結局離されたけれど、自分たちの性に合ってるのは点の取り合いだと吉澤も思う。
あややに頼らず、あやかに任せず、自分もオフェンスの選択肢として加われば、さらに点が取りやすくなるんじゃないかと感じた。
インターハイの時は、まだまだ石川のことを、石川梨華であるという理由だけで怖がっていたという部分が強かった。
次は戦いたい、と思っている。
それが、最後は市井のディフェンスが悪かったから試合が壊れたんだ、というあのときのあややの言葉に対する反証にもなることだった。

「石川さんに勝つチャンスは後一回。でも、その一回で勝てば勝ちだから。次は、勝つよ」
「あのさあ・・・」
「なに?」
「そろそろやめない?」
「なにが? 私が石川さんに勝つっていうのがそんなにおかしい?」
「そうじゃなくて。合宿の時から気になってたのよ。そのうち変わるだろうと思ってたんだけど、結局変わらず今日まで来てさあ。そろそろ変えて欲しいのよ」
「だからなにが?」

なぜか頭に手をやる吉澤。
寝癖でもついているか? と思ったらしい。

「ごっちんは分かるのよ。前学校一緒だったらしいし。でも、ミキティはミキティって滝川カップの時から呼んでたし。柴ちゃんも合宿来てしばらくしたら柴ちゃんになったし。で、なんで私だけ石川さんなわけ?」
「なんでって、なんでだろう。石川さんだから」
「だ・か・らー! もうちょっと他に呼び方ないわけ?」
「・・・。石川様とか? 梨華さまとか?」
「なんでさまになるのよ」
「じゃあ、どうして欲しいのよ」
「チャーミーとか。チャーミーとか。チャーミーとか」
「・・・」
「なによその顔」
「見ての通りの顔です」

世に言う、呆れ顔だった。

「分かったよ。じゃあ、次は勝つよ。んー、梨華ちゃんに」
「勝つよは余計」
「そこは譲れない」

吉澤にとって石川は、距離が近づいていても格上の存在だった。
先輩と後輩ではないけれど、どこかで敬意が入ってしまっていた。
雑誌の表紙に載る同世代の英雄と、バスケ暦半年のファウルアウト女、ほどの違いのある出会い、いや、出逢いどころか一方的な認識だった。
一歩一歩近づいて、二年生のインターハイの時にようやく相手側の視界の中に入った。
石川が中心にいる世界の片隅にようやく入ることが出来た。
国体では直接対決、マッチアップでついて相手をしてもらうことが出来た。
でも、胸を貸してもらっただけで、まったく対等な戦いではなかった。
滝川カップ、初めて人間石川梨華に触れた気がした。
プレイヤーとしては雲の上だったけれど、人としてはあんまり立派ではない普通の高校生だった。
バスケをしていなければただの女子高生だ。
バスケをしていたから近づくことが出来たのだけど。
インターハイ、再戦。
今度は本気で勝とうと思って戦った。
それでもその意識はまだ、格上に対するチャレンジで、あわよくばというレベルのものだった。
選抜メンバーに選ばれて、合宿から大会まで三週間、寝食をともにした。
プレイヤーとしてはまだ自分の方が格下だろう、という意識は吉澤の中にある。
だけど、チームとしてはそれほど大きな差があるわけではないんじゃないか、ということも感じ始めていた。
吉澤と石川だって、最初は1-9くらいの力の差があったかもしれないけれど、いまは4-6かそれよりもっと小さなところまで来ている。
全体で補えないような差じゃない。
福田にだって松浦にだって、色々と課題はあるし、完璧じゃないけれど、そういうのを全部束ねて、最後にもう一戦、石川梨華と交えたい。
そう、吉澤は思った。

「最後は私が勝つけどね。でも、楽しみにしてるよ。よっちゃんと試合できるの」
「最後は私たちが勝つから。梨華ちゃんの泣きべそ見るの楽しみにしてるよ」
「言ったわねー」
「ああ、言ったさ」

石川梨華はもう、手の届くところにいる。
自分が雲の上まだ上がったのか、最初から雲の上になんかいたわけじゃないのか。
どちらかわからないけれど、吉澤は、そんな風に思っていた。

そんな微打ち上げパーティーの後、石川は信田コーチに呼ばれて部屋へ行った。

「石川は、公立高校だったよな。ちゃんと学校行ってるか?」

石川が部屋に入って言われた第一声がそれ。
何の話しになるのかさっぱり分からない石川だったが、その後続いた信田の言葉は、もう一ヶ月近く学校行かなくても大丈夫か? 卒業ちゃんとできるか? というものだった。

「アジア大会があるのは知ってるな?」
「はい、ってまさか?」
「そのまさか」

日本代表への選出。
この段階では非公式なものだったけれど、つまりはそういうことだった。

「この世代から一人か二人って声は最初からあってさ。飯田の方が最初は本命だったみたい。ポジション的には石川の方が熾烈じゃない。フル代表でやってくには。でも、今大会の五試合を見て石川の方が面白いって思ったみたいね。まあ、若い勢いってのも石川のがあるし、フル代表にもなにかをもたらせるって判断なんじゃないかな」
「ありがとうございます」
「私が選んだわけじゃないよ」

代表メンバーは代表監督が選ぶものだ。
フル代表の監督はこの大会を視察して、終了した時点で信田にそう告げたのだ。

「ただ、学校卒業出来ないのはまずかろうってのがあって」
「大丈夫です。なんとかしますから」
「なんとかって、簡単に言っていいのか?」
「大丈夫です」

信田は笑っていた。
代表に呼ばれたと聞いて、石川がためらうような部分を見せるはずはない、というのは分かっていた。
ここまでがっつくかどうかは別だが、こういう感覚の選手である方が好ましいとは思っている。
石川の姿がほほえましく見えた。

フル代表の招集はまだ少し先だ。
実際には一度帰ってからになる。
召集されれば時期的には選抜大会の県予選には完全に重なることになる。
県大会含め、大事な時期にキャプテン不在になる。
でも、そんなことは、石川の頭の中にはなかった。