―――『後藤から市井ちゃんへ』―――

 

冬の或る日
後藤が死んだ

「市井…紗耶香さんですよね…?真希の為に…わざわざ来てくれてありがとう…どうぞ中へ…」

それは
あまりに突然すぎた

「顔…見てもいいですか…?後藤の顔…」
「あ・・はいどうぞ…見てあげて下さい…」

6畳程の狭い和室。部屋の中心に敷いてある布団に、後藤は白い布を顔にのせ、横たわっていた。
部屋には布団の横で正座をして俯いている、背広を着たサラリーマン風の男しかいない。
その男に、私は何故か許可を取った。

ゆっくりと布を取る。

「………」

そこには
声を掛けると
今にも起きだしてきそうな
後藤の顔があった

「綺麗…ですよね……これで死んでるなんて…信じられない……」
「……」
サラリーマン風の男は、俯き加減で眼鏡を上げながらそう呟いた。

「来たのは…私だけですか…?他には…」
「僕と…あなただけです……」
「……」

「これ、真希のアドレス帳です…あなたの名前しか無いんですよ…」
「え…?」
「見ます…?あと…この中に、雑誌を切り抜いたページが挟んであったんですけど…あなたに渡した方がいいと思って…。真希…時々思いもよらない事しますから…」
そう言って、小さな紙切れを手渡された。

「…ところで…あの…あなたは後藤と一体どういう……」

“―……僕は……”
“この子と……”

“愛人関係にあったんです……”

冬の凍えそうな寒さの中、帰路を急ぎながら、私はさっきのサラリーマン風の男が口にしたその言葉を思い出していた。

(そーか…)
(そーかそーか!あの男は後藤が昔援交相手だったあいつか!)
(何を今更驚く、後藤はそういう奴だ!いつだってチャランポランだったじゃんか!)

(…下手すりゃ私らの父親と同い年だぞ…)

(最後の最後まで…)
(私の気に入らない生き方をしてくれた……)

そんな事を思いながら、私は気付くと、まだ帰宅ラッシュではないので人の少ない電車の座席に座っていた。

ガタンッ
ガタンガタンッ

「っふ〜…」
大きく息を吐き、無意識でポケットに手をやると、指先に何かが当たった。
「?」

(ああ、さっき渡された雑誌の切り抜きか…)

なんとなく広げて中身を見てみた。

(なんだこれ?)
(…東京都、後藤真希、題名「後藤から市井ちゃんへ」)
(…うわ!)
読み始めた瞬間顔から火が噴出しそうになった。
赤面して思わずバッとポケットにしまいこんだ。

(うわーっうわーっガラにもな――…あいつポエムなんか送ってやんの……)
(恥ずっ…後で読も…)

(………)
(寒いな…鼻でそー…)

思えば
後藤に最後に出会ったのは2ヶ月も前だ

私と後藤の付き合いは長い

24歳
早過ぎた死だ

彼女の死の知らせを聞き
死に顔と対面して尚
涙が出てこない

そのせいだろうか

妙に冴え冴えとした頭が…
五感が…
強く訴えかける

  “後藤を思い出せ”と……

―――15年前の小学三年生
私の後藤に関する記憶はここから始まった―――

「今日からみんなのお友達になる市井紗耶香ちゃんですっ」
「紗耶香ちゃんはお父さんのお仕事の都合で横浜から来ましたっ。みんな仲良くしてあげてね〜」

「よ、よろしくお願いします……」

東北の山間の町、
とにかく私は緊張していた

(ドキドキドキドキ)

ザワザワ
「なんか暗いよね〜…」
ザワザワ
「ぷっ市井って変な名前〜」

――――
――――
「ゆみちゃん体育館行って鬼ごっこやろ〜」
「あっともちゃんも行こ〜!ようちんもっ」
「うんっ」

(……給食多いよ…残したいな……)

そして私は転校早々

「ねぇあの転校生も誘わない?」
「え〜〜だってまだ給食食べてるよ〜〜遅いよね〜〜」
「それになんか暗いんだもんあの子」
「ね〜」

完全に孤立してしまった。

(早く家に帰りたい……)

今はかなり変わったが
元来私はひどく内気で
クラスメイトと仲良くするきっかけも掴めず…

「ねぇ、私ん家近くなんだよ知ってるっ?」
「え…?」

そんな私に
最初に声を掛けたのが

「昨日帰りに見かけたんだ〜」
「ほっほんと…?」
「うんっ。今から体育館で鬼ごっこするから一緒に来ないっ?」
「う…うん」

「私後藤、後藤真希っ仲良くしよーよっ」
「ねっいちーちゃん!」

(いちー…ちゃん…?)
(…嬉しいな…♪)

私のそれからの人生で長い付き合いになる
後藤真希だった

「ま〜きちゃ〜ん〜早く行こうよ〜〜」
「あ〜うん今行く〜〜!!いちーちゃんも行こ?そんなの残しちゃってさっ」
「…うんっ」

―――――
―――――

後藤がクラスの中心の人間である事は
その日だけで十分掴めた

後藤は人の心を掴むのが上手い子だった

「用務員のおじさ〜〜ん!」
「おっなんだい真希ちゃん」
「後藤達ね〜おじさん大好きだよ〜〜♪」
「嬉しい事言ってくれるね〜〜」

単に馴れ馴れしいとも言えるが
私はそんな後藤が凄く羨ましかった

「おじさんも真希ちゃん達の事、、、」
「クスクスッ(笑)」
「プッ(笑)」
「??あっ!!こら!!誰だオジサンのカツラ取ったの!!」
「うわ〜〜い逃げろ〜〜〜!!!」
「キャ〜〜!!(笑)」
「いちーちゃんも早く!!」
(え!?なに!?)

「こら待て!!」
「おじさ〜ん取ったのその子だよ〜〜!!」
「捕まえたぞ!!」
「わっわたしじゃ、、!」

「あはは!!紗耶香ちゃんどんくさ〜〜い!!」
「いちーちゃんノロいよ〜〜(笑)」

「名前は市井紗耶香って言うんだな!親に連絡してやる!」
「私じゃないもん!!髪痛いよ離して!!」

今思えば、後藤は単に世渡りが上手かっただけなのかもしれない
いや私が下手だったのだろう

不思議なものだ
今では全く逆なのに…

その時の後藤は私の中でやたら大きくみえて
周りの誰よりも大人びて見えた

――――
――――

「紗耶香〜今日学校から連絡あったわよ〜…?」
「え…?」
「用務員のおじさんに何かしたんだって…?しつけがなってないって、お母さん凄い剣幕で怒鳴られたわよ…」
「違うよ!紗耶香なんもしてないもん!」
「分かってるわよ…っ。紗耶香が悪い事するはずないものっ」
「お母さん…」
「例のあの子でしょ?後藤真希ちゃん、、だっけ?」
「……」
「紗耶香〜付き合っちゃダメよ〜あんな子と〜」
「あんな子…?」

「親が親だからな」

「あらっお帰りなさいあなた」
「ただいま。有名らしいじゃないか後藤さんお宅の家庭環境。会社帰りに近所で主婦が噂してるのを偶然聞いたんだが、、酷いらしいな」
「そうらしいのよ…。やっぱ家庭環境が悪いと子供にまで影響するのね〜…」
「親が親なら子も子ってやつだろ」

「……ダメ!!!」

「…紗耶香…?」

「お父さんも…ック…お母さんも…ヒック…真希ちゃんの事悪く言っちゃ…エック…ダメ!!!」

私はその時そう叫んで部屋に閉じこもった。


後藤は長屋に父親と二人で住んでいて、その父親に問題があった

彼女の父親はアル中で、時々日雇い労働をしていたがその金の殆どは酒に消えていたと思われる

その状況を初めて目で見たのは、私が後藤の家に遊びにいった時だった。
学校帰り、二人で楽しくおしゃべりしながら後藤のアパートの部屋にたどり着くと、扉の前で泥酔状態で寝転んでる父親の姿があった。

「…クソおやじ……」
「……」
「…ごめんね市井ちゃん…今日家で遊べないや…」
「ううんいいよ…それより真希ちゃん、おじさん一緒に運ぼうか…?」
「いやいいよ。やっぱ後藤もうちょっと外で遊びたいやっ。市井ちゃん悪いけど帰ってくんない?後藤一人で遊びたいからっ」
「真希ちゃん……でも…」
「いいから帰ってっ」
「う…うん…」

後藤の家は大分貧しかった。
彼女の母親は彼女が小さい頃に逃げたと聞いた。
呑んだくれで甲斐性なしとなった亭主の苛立ちは暴力となり
耐えられなくなった嫁は全てを捨てて逃げたのだ。
後藤までも捨てて……

私は彼女の体に時よりついているアザは
父親の暴力のせいではなく
彼女の破天荒な性格のせいであってほしいと切に願った

――――
後藤は、好かれるか嫌われるかのどっちかしかなかった
大人の多くは彼女を忌み嫌った

いつしか私と後藤の関係は
徐々に変化していった

いつの間にか私は
周囲の大人たちの後藤に対する目を少しでも変えようという気持ちと
後藤を守ろうという感情が芽生えていたのだ

――――
――――
二年も経つと、二人の関係は見事に逆転していた

「いちーちゃんっ♪」
「なんだよ後藤〜あっついからひっつくなって〜」

後藤は、私の前だけではやけに子供になり、無邪気に甘えてくるようになった
私が変わったからだろうか

ハタから見ると、私たちの関係は不思議だっただろう
恋人同士のような、姉妹のような、先輩後輩のような、、
でも私は、多分後藤も、二人の関係を無理に決め付けようとは思ってなかった
あえて言うなら友達以上恋人未満、、
でもそんな単語も二人に取ってはどうでもいいものだった

しかしそんな二人の関係も
長くは続かなかった

あれは…
いつの冬だった…?

近所のあちこちの窓ガラスが真夜中に大量に割られるという事件が起きた

その夜、後藤の家から父親の大声で怒鳴りつける声がアパート中に響き、驚いて部屋から顔を出した隣の主婦が、泣きながら部屋を飛び出す後藤の姿を見たらしい。
割られた家は、丁度後藤の家周辺で、
誰もが癇癪を起こした小学生の後藤の仕業だろうと信じて疑わなかった。

噂は学校にも広まり、後藤は次第に浮いた存在になっていった。
そして小学校を卒業する頃には
後藤の小学生とは無縁の大人の世界の遊びっぷりに
誰もがついていけなくなっていた。

そして私も
次第に後藤と疎遠になっていった…

結局市井は後藤を守りたかったのではなく
市井自身が後藤の何かに嫉妬して
自分を変えたかっただけなのかもしれない
いや、きっとそうだったのだ

――――
――――
中学での私は
完全に後藤との交流をなくしていた

学校で時より後藤とすれ違う

「でさ〜マジムカついたのがさ〜、、」
「マジで〜〜!?何そいつ〜ウザくな〜い?」

髪は金髪になっていて、元々やる気のある子ではなかったが、倦怠感を前以上に全面に出し、ダルそうにしていた。
後藤はコギャルの中でも特に危ない遊びをしているという噂の、学校で一番浮いているギャル軍団の中心的人物になっていた。
ヤマンバと言われる顔黒に濃いメイクの軍団の中で、
一人だけ綺麗な顔をそのまま生かした自然なメイクが、逆に彼女を一際目立たせる。
やはり人を惹きつける何かがあるのは変わっていない。
彼女の名は他の学校にまで知れ渡る程だった。
元来内気で真面目な私とは、所詮は世界の違う人間だったのだ。

ところが何がどうなったのか
中三の夏、私は後藤と再び親しくなる

あれは友情復活だったのか?

隣町のバス亭前
私はただ、塾の帰りで…
そこに偶然後藤がやってきて、、
家が近所だから乗るバスも帰り道も一緒だし…

ただ

「うっすいちーちゃんっ」

彼女があまりに自然に声をかけてきたもんだから、、
だから市井も思わず、、

「うっす後藤っ」

分かるかなぁ
その時の市井ときたら、冷静さをつくろっていたけど
本当は叫びながら100メートルダッシュしたいくらい興奮していたんだぞ?(笑)

―――――
―――――
「紗耶香!」
「紗耶香!!」

「何?」

「紗耶香さっき廊下で2組の後藤さんと話してたしょ!?」

「ああ、、だって幼馴染だから」

「幼馴染〜〜!?今までそんな素振り全然見せなかったじゃん!」
「受験を控えた時期に辺な道に走らないでね紗耶香…」
「ハハ…大丈夫だよ…」

友人たちも母も
いい顔はしなかった

「紗耶香〜あんた金髪とかにしたらお母さん追い出すからねっ」
「する訳ないじゃん!」
「分かんないわよ〜紗耶香小さい頃後藤さんと凄い仲良くて何でも同じ事してたじゃない」

――――
それから後藤はしゅっちゅう市井の家に遊びに来るようになった。
後藤は私の前では学校でのスレた後藤じゃなく、
以前のよく知っている無邪気な後藤だった。

「アハッアハハハ!!」
「……」
「アッハハハハハ!!」
「…後藤漫画持ってくるのやめろよ!!漫画嫌いなんだよ市井は!!」

本当は漫画は大好きだった。
受験生って事で全部処分したが、私は無類の漫画好きだったのだ。
ただ、不安いっぱいで必死で受験勉強をしてる私の目の前で、そんな辛さ全く背負ってないような後藤の無邪気な顔が、のん気に漫画読んで笑ってる後藤が許せなくて…

なのに後藤ときたら

「ゴメンっ市井ちゃんごめんねっ!」

そう屈託の無い笑顔で答えるんだ…

「………」
(クソッ怒る気無くなるじゃんかよ…)

―――――
季節は夏から秋へと向かい…

「後藤高校行かないの?」
「高校?行かないよ〜」
「えっ…マジで!?」
「っていうかぁ〜行けないよ〜。後藤頭悪いし授業殆どサボってるし…、通知表1と2ばっかだもんっ…アハッ」
「アハッってお前な〜……市井4以下取った事ないぞ…」
「ねぇ市井ちゃん?」
「ん?」
「勉強教えてよ」
「は!?」
「勉強♪」
「こっこの時期から!?」
(だって1と2の成績なんだろ…?)
「大丈夫だって!要はやる気でしょっ?」
(一番下のランクの高校なら行けるかな…?)
「後藤、割り算掛け算ならバッチリだよ♪」

後藤はあっさりと決めてくれたが
市井の勉強時間が削られるという事には心遣いは無かった

(市井の迷惑考えろ!!)

――――――
――――――
「―…で、yとxをあてはめて、、」
「あっ傾きが出るんだ!おぉ〜…」

勉強を共にやり始めると意外な事に

「ね〜いちーちゃん休憩〜〜」

態度や集中力こそ悪かったものの

「じゃー帰れよ…」

彼女は中々優秀な生徒だった
やれば出来る人間だったのだ

そして彼女に基礎から教えているうちに、市井まで基礎からバッチリ復習する事になっていた。
自分自身の勉強のやり方に詰まっていたので方向としては良かった。

そして後藤はいつの間にか我が家にも一家族のように溶け込んでいた。

「おお真希ちゃんご飯食べていきなさい」

「真希ちゃんお風呂入るなら着てる物洗濯してあげるわよ〜」

―――――
「ふぁ〜〜いい湯だった〜〜〜あれ?市井ちゃんまだ勉強してんの?市井ちゃん頑張り屋さんだね〜〜」

「頑張り屋というより、この子は負けず嫌いなだけなのよ(笑)」
「そうそう紗耶香は昔っからそうだったもんな〜」
「え?おじさん小さい時からなの!?へ〜気付かなかった…」
「人には知られたくないから隠してただろきっと(笑)」
「あははっ市井ちゃんらしいな(笑)」

「「「あははは(笑)」」」

(…ムカッ…)
(ず、ずぅずぅしすぎる……)

この時私は後藤の事を嫌っていたはずの父と母の接し方が、
柔和になっていた事が面白くなかった。

―――――
―――――

ガタンッ
ガタンッガタタンッ

「――…せん…」
「すいません…」
「すいません隣いいですか?」

「――っ!?」
私はその声ではっと我に返った。

「あの…座りたいんで荷物…どけてもらえますか?」
「あっすいません!」

(ん!?あれここ何処…?)

「次は〜品川ー品川ー…」

(あっちゃ〜過ぎちったよ秋葉原…)
(っつーか…これ何周目だろ……)

あの時期の父と母は、後で知ったのだが
後藤に同情していたようだ。

後藤の家の貧しさは近所でも有名だった。

ご飯を食べさせ、汚れた体を洗わせてあげる。

私だったら、そんな同情は惨め過ぎて嫌だ…
後藤は図々しいから、その同情に気付かなかったんだと私は思っていた。

でも違った
彼女はポジティブな人間だったのだ
こう言っていたじゃないか

「あの時が一番幸せだった」―――と…

ガタタンッガタタンッ
…タタンッタタンッ……

電車の規則的な音がまた私の耳から遠ざかっていった。
―――――――
―――――――

――10月
後藤と勉強を始めて3ヵ月後―――

「あの…真希ちゃん…いますか…?」

後藤が勉強をしに来なくなった

「いーや。なんだ?あのバカがなんかやらかしたのか?」
「違います…。何処にいったのかは…?」
「知るわきゃねーだろ。毎日ちゃんと帰ってくるお利口さんじゃねーんだぜ」

久しぶりに見た後藤の父親は、相変わらず酒の匂いを漂わせ、
見た目は昔よりもやせ細っていた。

「どっかの男のモノでもしゃぶってんじゃねーの?ヒャハハハ!」
「………失礼します…」

私は沸々と込み上げてくる何かを抑えながら仕方が無く後藤のアパートの前で帰りを待つ事にした。
何時間経っただろうか。
ふいに顔を上げると目の先に後藤の姿が見えた。

「!後藤!!」

後藤は私の姿に気付くと、足を止め振り返って逃げるように立ち去ろうとした。

「後藤待てよ!!」
必死に追いかける。
全力で息を切らしながら走り、やっとで腕を掴んだ。

「待てったら!…ハァハァ…」
「なんなのさ!!待ち伏せしたりして後藤の追っかけ!?気持ち悪いよ!!」
「後藤が悪いだろ!!無断で来なくなったりするから!!勉強どうすんだよ!!」
「ウザイ教師みたいな事言わないでよ!!市井ちゃんはいつから後藤のカテキョになった訳!!」
「だって高校行くんだろ!?だったら真面目に、、、」

「高校?」

「行くん…だろ…?」
「だから…ここまで一緒に頑張ったんだろ…?」

「――…」
「なんか…もういいよ…」

「え…?」

「面倒くさくなったし」

「!?」
その瞬間、私は凍りついた。

“面倒くさくなった!?"

その言葉に体中の血が一気に沸きあがった。

怒りだ。
こんな怒りは15年の間で始めてだった。

(市井の苦労はなんだったんだ…)
(どうしてこうも後藤はあっさり人を裏切るんだ!!)

「じゃあね」

「後藤!!お前なんかっ最低最悪だよ!!」
「お前はいつも人の気持ちを考えずに振り回すんだ!小さい頃からっ…ずっと!!」

私の
罵詈雑言の中

後藤は姿を消した…

冬休みが明けても姿は見えず
結局卒業式にも現れなかった。

――――――
――――――

「紗耶香〜後藤さんって駆け落ちしたらしいよ〜」
「え…?」

高校入学を控えた三月に友人から聞かされた事実

「誰と!?いつ!?」
「卒業式の数日前、隣町の大学生。年上だよ〜!?」
「知らなかった…」
「それよりもさ〜、、、」
「え……ウソ…でしょ……?」

信じられなかった。
後藤はその男の子供を身ごもっていたらしい。
事実はかなり私にはキツかった。

暫く町や学校ではこの話題で持ちきりになったが
二ヶ月も経つと口にするものはいなくなっていた。

進学校に進んだ私も、後藤の事は忘れて青春青春した高校生活を送っていた。
部活はバスケ部だった。
中間・期末テストに苦しみ、
体育祭・文化祭で騒ぎ、
大学受験に勤しむ。
恋愛もした。

――――――
そんなごく普通の高校生活を送っていた冬のある日、
後藤の知らない所で突然の不幸が起きた。

「紗耶香〜台所に荷物運ぶの手伝ってちょうだ〜い!」
買い物をして帰ってきた私の母、
荷物を玄関にドサッと下ろしながら世間話のように私に話し始めた。

「ねぇ紗耶香救急車のサイレンの音聞こえた?」
「うん何だったの?」
「びっくりしたわよ〜真希ちゃんのお父さん、、死んじゃったのよぉ〜」
「……え?」
「酔っ払って長屋の前で寝ちゃったらしーの。この寒さでしょ〜凍死みたいよ」
「……」
「妻も子供も行方不明じゃない?自業自得だけど…可哀相ねぇ〜…」
「うん…」

(後藤は…悲しむだろうか…?)

―――――――
―――――――
ガタンッガタタンッガタタンッ
ガタタンッ

また、ふと我に返った。

(なんか…しらないうちに混んできたな…)

山手線は
何週目に入ったのだろう

(雪…積もりそうだなー…)
ふと外を見るとまだシンシンと雪が降っていた。

(田舎にいた時はあんなに雪道歩いてたのに…)
(上京してきたらダメだなー…)
(大学入ってこっち来たから…18・19・20…6年前?早いなー…)

後藤との再会は、、、

えーと…
ああそうだ…

―――――
―――上京したその年の夏

渋谷の交差点で信号待ちしてて…
信号が変わって…
そして…
向こう側から…
人ごみの中で突然見覚えのある姿が近づいてきて、、、

「うっす市井ちゃんっ」

後藤は、あっさり現れ
市井の名前を呼んでみせた。

その瞬間会ってない数年の溝は消えうせた。

どちらが言い出した訳でもなく、二人は他愛のない会話をしながら近くの喫茶店に入った。

「へぇ〜市井ちゃん今年から東京来てるんだ〜大学生かぁ〜凄いね〜〜」
「別に凄くないよ。市井の周りは大学生ばっかだし」
「でも後藤の周りにはいないからさ〜〜」

「後藤今何してんの?」
「色々と…。フリーターしてるよ。ねぇ市井ちゃんのお父さんとお母さん元気?」
「お…おう元気だよ…。それより後藤…知ってるかな…?」
「ん?何を?」
「…後藤のお父さん……死んじゃったよ……」
「……」

後藤は私の語る父親の死の情況を黙って聞いていた。
彼女の表情は何も変わらなかった。
そこから心理を読み取る事は出来なかった。

「へ〜…そうなんだっ」

後藤はポツリとそう言った。

「あと…後藤…子供は?」
「ん?」
「子供だよ。年上の男との…」
「まいったな〜…市井ちゃんなんで後藤の事なんでも知ってんの?(笑)」
「残念ながら後藤は田舎で有名なんだ」
「死んだよ1歳になる前に」

「……え…今なんて…」
「聞こえたしょ?死んじゃったんだ。なんてゆーんだっけ?ホラ赤ちゃんが突然死ぬやつ」
「……」

私は言葉を無くした

「駆け落ちみたいにしてこっち来ちゃったから、彼仕事無かったし、生活苦しいわでさ〜、それに加えて子供死んじゃったから、彼氏も逃げちゃったっ」

「――……随分あっさり言うんだね…」
「あっさり?そう?かなり苦しんだよ〜〜」
「……」
「後藤は確かに一児のママだったんだ〜すっごい可愛かったよ〜〜女の子だったんだよねっ」

そうか
そういえばそうだ

辛い事があってもサラリと言いのける
後藤は昔からそうだったじゃないか

「ねぇ市井ちゃんどこに住んでんの?住所教えてよ」
「あっ待って今書く物…」
「ペンだけでいいよっここに書いて」
そう言って後藤は紙ナプキンを取った。

「ありがとっ。んじゃ後藤行くね。用事あんだ」
「あっ伝票」
「いいって後藤のおごりっ」

「後藤…暇な時遊びに来いよ」
私はそう言ったが
「うんっ」

殆ど社交辞令に近かった。

――――――
ところが数日後

学校を終え家に帰ると、、

「うっす市井ちゃんっ」

「!?……」

後藤には社交辞令が効かない事が判明した。

―――――――

後藤はそれからも何の前触れも無く私の元へやってきた。
途中から私は「電話してから来い!」と怒った。
後藤は電話するよう努めたようだがそれも五割ほどの確立でしかなかった。
あまりに私の帰りが遅いときは来た痕跡を残していった。
コンビニのビニール袋をドアノブに掛けてったり、
「ラブリーゴマちゃん」
などのメッセージを貼っていったり…。

しかし後藤にはそんな辛抱も続かなく、
しまいには、、、

「合鍵ちょうだい♪」

と言い出した…。

「…お前は市井の彼女か!!」
「ム〜市井ちゃん冷たいな〜」
「何言い出すかと思いきや…全く…」

実際のところ私は後藤を信用してはいなかった。
私がいない部屋に彼女が無断で入るのは不安が多すぎる。

――――――
私が大学1・2年の時、アパートの隣の部屋に20代後半くらいのホストのお兄さんが住んでいて、
たまたまその人を見た友人は『プリンス』呼ばわりしていた。
「ちょっ紗耶香あの人誰!?すんごいカッコ良くない!?」
「…そうだね」
「挨拶とかしないの!?」
「しないな〜…」

そんな或る日、

ガチャッ
「いちーちゃんお帰り〜!やっと帰ってきた〜遅いよ〜〜今からそっち行くねっ」

「………」
隣の部屋から突然顔を出した後藤に驚いて、私は言葉を無くした。

「真希もう帰っちゃうのかよ〜もうちょっといろよ〜」
「ゴメンまた今度ねっ」

(………)
呆れて何もいえなかった…

――――――
「別にこっちわざわざ来る事無いじゃん…」
「え?何?なんか言った??」
「……っつーかどけっ。そこ市井の席だ!」
「イタッ何さ〜何処座ったって一緒じゃんっ」

後藤はいつの間にか『プリンス』の合鍵をもらい、
すれ違いざまに嗅いだ事のある彼と同じ香水の匂いをさせ、
首元にキスマークさえ覗かせていた。

「面白いテレビやってないな〜〜」
「………」

その時既に後藤には付き合ってる彼氏がいるという事に私は気付いていた。
なのに別の男ともそういう事をするのって…
後藤の精神構造は理解出来なかった。

(…泥沼になってもしらないからな…)

―――――
ある朝、私は初めて『プリンス』に話し掛けられた。
たまたまゴミ捨てで一緒になったからなので、必然的なものではない。

「ねぇ、君真希の友達だよね?」
「…はい…そうですけど…」
「彼女の携番とか住所とか教えてくれないかな…」
「え…知らないん…ですか…?」
「…教えてくれないんだよね…」
「……」
「別に何かするって訳じゃないから…たのむよ…」
「ごめんなさいそれは…」

彼は本気だったのだ。
でも後藤は多分…

―――――
――――大学3年になる寸前の春先、
私はアパートの契約更新の際の家賃値上げも伴い、
結局引越する事にした。
そして後藤は再び、私が帰るまでアパートの前で待つという情況になった。
まったく…いい気味だ。

思い返すと、私たちはよく喧嘩をした。
ほんの些細な事で怒鳴りあった。

「後藤!!お前の無神経さには愛想がつきたよ!!」
「無神経じゃないもん!!市井ちゃんだってガサツじゃん!!」

「なんでお前はそうなんだ!!食べたものくらい片付けろバカ!!」
「バカ〜〜!?あったまきた!!市井ちゃんなんか出てけ!!!」
「ここは市井ん家だ!!!」

そんなやり取りをしょっちゅうやっていた。

しかし後藤は謝る事もした。

「市井ちゃん…ごめんね……」

「…いいよもう…気にすんなよ…」

「うんっ♪」

後藤は、
気にするなと言えば本当に気にしない奴だった…。

(…ムカッ…少しは気にしろ…!!)

―――――――
―――――大学3年の夏、
コンパの人数確保の為友人から電話がきた。

「え゛〜今から〜…?友達来てんだよ〜…」
『男!?女!?』
「女だけど…」
『オッケー人数揃った!!そいつも連れてきてよ!!ね!!』
「え!?」
『場所は新宿の、、、』

―――――
「…後藤」
「ん?」
「でかけるから用意しろ…」
「え゛〜なんで〜〜?」
「いいから今日一日は我慢しろ…」
「めんどいな〜〜」

――――――

「じゃあ端から自己紹介いってみよ〜〜!!」
「えっと〜早稲田3年の中村で〜す!りさって呼んで下さ〜い」
「よっ!りさちゃん可愛い!!」
「きゃ〜〜うれしいぃぃ!」

アホな盛り上がりを見せるキャンパスライフ堪能中の大学生。
私もこの手の騒ぎは苦手だが、後藤はもろ不機嫌さを全面に出していた。
彼女にもともと愛想笑いや社交辞令は無理なのだ。

見かねて私は後藤に耳打ちした。
「後藤…少しは笑えよ…」
「なんで。後藤突き合わされてるだけじゃん」

「ねぇそこの可愛い子!何処の何科!?」
「あっその人部外者。紗耶香の友達らしいよ」
「へ〜。で?何処の大学?」

ガタンッ
「ゴメン移動する」

後藤は突然そう言って席を立った。

うちの大学の学生の多くは
色んな席で自分の大学名を強調させる。

私は後藤が何か言いやしないかと内心ハラハラしていた。

正直、後藤が一人離れた席に座ってくれてホッとした。
けれど男たちの視線はそんな後藤へと注がれ…
次々に移動していく。

「ちょっと紗耶香!なんであんな子連れてきたのさ!男達持ってかれてるじゃん!」
「連れて来いっつったのそっちじゃん!」

女達にはそれが面白くなったようだ。

実際、後藤は一歩引いて見ればかなり目立つ子だった。
でもそれは悟りたくない心理だった。
女としてのひがみが生まれるからだ。

後藤のアウトローぶりは、私らの誰よりも大人びて見えた。
不思議なものだ。根はきっと誰よりも子供なのに…。

「男があっちに流れてるよ〜〜!私連れ戻してくる!女のプライドにかけて!!」
「いってらっしゃ〜い…」

後藤が男にモテる原因は分からなかった。
彼女は男に尽くすタイプな訳でもなく、以外にも男に甘えたりしないのだ。私には甘えるのになんでだ…?
いつもダルそうで、可愛げはない。

―――――
後藤の元に何人か男が流れ、結局テーブルに3人だけ男が残った。
その中で、一人気になる男がいた。

「…向こうに移動しなくていいんですか?」
「移動なんてメンドイじゃん。それに、、俺はこっちにいたいし…」

某大学の3年だった。
数十分のうちの私達はうちとけ、住所交換が成立していた。

―――――
その直後、問題が発生した。

ガチャン!!
「私はあんたの自慢話聞きに来たんじゃないんだよ!!」

「じゃあ帰れよ!!ウザイんだよ!!あんたの顔も態度も全部!!」
ガシャン!!
後藤にキレた女は後藤に向かって中身の入ってるグラスを投げつけた。

「………」
ベシャベシャに濡れた顔を拭く訳でもなく、後藤は無言で割れたグラスの破片を手にし、殺気交じりの顔つきで女を睨みつけた。

その瞬間騒然としていたその場の空気が止まった。

「後藤……」

学生の生半可の血の気の多さと
彼女の奥底に眠ってる冷たい血は違うのだ。

私はとても恥かしい思いをした

―――――
帰り道、私はとにかく後藤の先程の行為にキレていた。

「一体どういうつもりだよ!!市井の大学の仲間だぞ!!後藤は市井の顔にドロ塗ったんだ!!」
「あんな事された相手の身にもなってみろ!!」

「…本気じゃないよ…ちょっとビビらせただけ…」

「ビビらせて何になるんだよ!!相手のプライド傷つけて!場の雰囲気壊して!!」

「…後藤が…我慢すればよかったの…?」

「そうだ!!」

そう言った瞬間後藤は足を止めて私の前に立ちはだかった。

「…っなっなんだよ…」

立ち止まって俯いてた後藤は突然泣き出しそうな顔をあげて叫んだ。
「…市井ちゃんはっ…市井ちゃんはいつも後藤を批判したような目で見る!!…後藤はっ…あの女達に散々バカにされたんだよ!?後藤のプライドの方が先に傷つけられた!!」
「なのに……っどうして後藤の事は考えてくれないの!!?」
「どうして後藤が酷い目にあったとは思わないの!!?」

「………」

なにも…
私は…
何も言えなかった…

ただ涙をこぼしながら走り去っていく後藤の姿を見ていた。

コンパの席で何が起こったかは未だに分からない。
でも、あの場にいた友人の一人が
「私が後藤って人の立場だったら惨めさを感じていた」
と言った…

――――――――
――――――――
それから私はコンパで出会った男と付き合いだした。
人並みにデートをしたりして、極々普通の恋愛。
見た目も中身も誠実そうで、でも堅苦しくなくてイイ感じの人だった。

大学と恋愛とを両立させてキャンパスライフを楽しんでいたそんな或る日、
あのコンパから3ヶ月後、
大学を終え家に帰ると、、、

「うっす市井ちゃんっ」

再び後藤は現れた。

「…うっす後藤っ」

今度ばかりは何事も無かったように現れる彼女の性格に感謝する。

「髪黒くしたんだっ?」
「うんなんか男に金渡されて黒が好きだから黒くしろ〜って言われた」
「ハハッ…」

―――――
―――――
それからまた後藤が毎日のように私の家に来るようになった。

そして…

ガチャッ
「市井ちゃんおかえり♪」

「!?なんでお前市井の家に入って、、、!!」

出迎える後藤の肩越しに彼氏の姿が見えた。
「……」
彼とは本気の付き合いだった。
だから合鍵も渡した。

その事を後藤のいない時に彼氏に聞くと、
「だって外で待たせるのは流石に可哀相じゃん」
彼はあっさりそう言った。
「――…」

私を間に、後藤と彼は友達だった。
だが気分は良くなかった。
みっともない嫉妬を見せたくなくて口にこそはしなかったが……

後藤の態度にも安心していた。
彼女は明らかに彼には興味が無かった。

「市井ちゃんあんなのがタイプなの〜…?」
「うるさい…」

―――――――
―――――私と彼が付き合いだして一年が過ぎた大学4年の夏。

「ゴメン…俺…もうお前と付き合えない……」

予感していた事だった…

「ホントに…ゴメン……」
「………」
「何度も…ダメだって言い聞かせたんだ…お前の友達だからって……でも…思えば思う程どんどん彼女の事で頭いっぱいになっちゃって………俺の事全然見てくれないあいつの態度が悔しくて……」
「………」

後藤が男にモテる理由。
決して捕らえる事の出来ない彼女の心に対して一種の狩猟的感覚が芽生えるのだろう…。

―――――――
その話を後藤にすると後藤は、、、

「――…何それ。市井ちゃん一発ぶん殴ってやればよかったじゃん」

「彼が悪い訳じゃないし…」

「あっちが悪いんじゃん。後藤あいつの事なんとも思ってなのにさ」

「…後藤って…なんでそうひょうひょうと言いのけんの…?」

「え?」

「後藤はっ…そうやって昔から市井を陥れるんだ!!なんでっ…いつもいつも市井を惨めな気分にさせるんだよ!!!」

「…市井…ちゃん…」

「……出てけ……」

「え…?」

「二度と市井の前に現れるな!!!」

あれは…怒りに任せて言った言葉だ。
本気じゃなかった…。

私は一生…
後藤のあの顔を忘れないだろう…
彼女には俯いて笑うしか残されていなかったのだ…。

「………」
ガチャッ

力なく笑った後藤は何も持たずに部屋から出て行った。

私はその場に崩れ落ち、テーブルに伏せてすすり泣いていた。

何時間泣いていただろう。
突然電話の音が聞こえた。

プルップルルルップルルルッ

「…はいもしもし…市井です…。もしもし…?」

『……いちーちゃん……ゴメン……』

「――…後藤……待てよ切るなよ…今何処にいる…?」

『近くの公園の電話ボックス…』

その日のうちの謝りの電話

「そ…か…いいよ…謝んなよ……」

彼女は何故謝ったのだろう…?
後藤は何も…何も悪くないのに…

『あんね市井ちゃん…』

「ん…?」

『後藤…本当はあの時…高校に行きたかったんだ……』

「……」

『でもお父さんに頼んだらボッコボコに殴られちゃって……だから後藤……』

あの時、後藤は普段より凄い厚化粧だった。
それを見て更に腹を立てたの覚えてる。
遊び呆けやがって…と…。
でもそれは…アザを隠す為だったんだ……。

『市井ちゃんの親、優しかったじゃん?こんな私にさー…』
『後藤…あの時が一番幸せだったんだー…本当ック…に…ヒック』

「後藤…?後藤泣いてんのか…?」

『泣いてなんか…ックない…っよ…』

「バカ泣いてんじゃんかよ…」

『バカって言った〜ヒック…市井ちゃんのバカぁ〜〜ック』

後藤…?
市井は気付いてたよ?
後藤は15歳のあの時から
市井の部屋で漫画読む事は無かったよね…

――――――
―――――大学卒業後、
社会人となった私は後藤と会う機会が急激に減った。
月一度会えればいい方だった。

“うっす市井ちゃんっ”

久しぶりに現れる彼女は
いつでも会わなかった時間を縮めるようにそういうんだ
厚底の靴で、首には携帯ぶら下げてさ…

―――――――
『市井紗耶香さんですか?』
「はいそうですが」

その電話は突然で…

『あの…僕…楠木と申します…』
「はい…」

『いきなりですみません…後藤真希は…ご存知ですか…?』
「はい…友人ですけど…」

『真希が…死んだんです……』

突然の悲報。いきなり言われても理解出来ない。
鈍る思考の中、電話越しに話す相手の男の言葉をただ聞いていた。

コンビニ帰りに車にひかれそうになった園児を助けた後藤。
彼女はアスファルトへと強く頭をぶつけた。
お礼を言う園児の母親にいつもの締まりの無い笑顔で答える。

彼女は平然と立ち去り、いつもの様にアパートへと戻る。
尋ねた後藤の男が家事を全くしない後藤に代わって料理を作りだす。
その間後藤は買ってきた雑誌に目を通している。

そして…
男が声を掛けた時…
後藤は眠っていた。

あまりにも穏やかな顔だったので気付くのに時間がかかった。

彼女は
永遠の眠りについたのだ…

死因は脳内出血だった

―――――――
―――――――
ガタタンッガタタンッ
ガタタンッ

またふと我に返った。気付くと電車は帰宅ラッシュを迎え、ひどく込み合っていた。
(頭…痛いな…)

(…あの男の人…明日が火葬って言ってたな…)
(きっと…後藤の遺体の前でまだ泣いてるんだろな…目が赤かった…)

私はその男の言葉を思い出した。

“真希は…変わった子でした…。出会いは、真希が高校生の時です…。ずっと忘れれなかったんですが…数ヶ月前、たまたま街で見かけて…。おかしいんですよ…年甲斐もなく少年みたいに胸がときめいちゃって……。で、愛人の件を口にしたら軽く言うんですよ”
“いいよって……”
“それからは…不安でした…いつ居なくなるのかって…でもちゃんといてくれて……”
“こんな形でこの子を失う事になるなんて…悲しすぎる……”

(何から何まで後藤らしいなー…援交に愛人…)

ガタンッガタンッガタタンッ

妙に、電車の音が耳についた。
私は伏せていた目をそっと開くと…
込み合っていたはずの人が全くいなくて、、
目の前のそこには、後藤だけが座っていた。

「!?…後藤…?」

「うっす市井ちゃんっ何シケた顔してんのさ〜〜」

「後藤…お前……」

「黙って逝ったら市井ちゃんに怒られそうでさ(笑)」

「ああ…怒るに決まってんじゃん……」

「ねぇ市井ちゃん?」

「ん?」

「後藤と市井ちゃんは…親友…だよね…?」

「当たり前だろ…」

「良かった…。後藤だけが思ってたらヤじゃん・・(笑)」

「…ポケットのそれ…笑わないでねっ(笑)初めて書いたんだ〜」

「これ?ああまだちゃんと見てないよ。ええと、、後藤から市井ちゃんへ…」

「後藤が読むよ。ちゃんと聞いててね」

『後藤から市井ちゃんへ』

  ありがとう
  ありがとう

  話してくれて
  ありがとう

  遊んでくれて
  ありがとう

  怒ってくれて
  ありがとう

  笑ってくれて
  ありがとう

  後藤は言葉を選ぶのが下手だから
  うまく言えないけど

  後藤から市井ちゃんへ
  大好きな市井ちゃんへ

  ありがとう…

ガタンッ!!!
ビクッ!

突然の電車の音が私の体を大きくビクッと跳ねさせた。

気付くと電車の中は満員で…

「……」

私はゆっくりとポケットの切り抜きを手にし、広げた。

その瞬間・・急激に…
涙が溢れ出た…
止め処なく・・溢れ出てきた…

「うっ…うっく…っく…うぅ…」

恥かしくなどなかった
笑いたい奴は笑えばいい

「うっ…ひっく…うぅ…っく」

見かねた誰かが何も言わずティッシュを差し出した。
私は黙ってそれを受け取った。
礼を言うべきだったんだろうけど、私の頭の中は真っ白で、何も考えられなかった。
ただそのティッシュが
街頭でよく配られている宣伝ティッシュだったという下らない事だけは記憶していた。

山手線は
もう何週目に入ったのか分からなかった。

結局私は最終近くまで乗り続け、
乗り換えて目的の駅へ着き、
人影まばらなホームに降り立った。

東北の雪とは比べ物にならないが
チラホラと降り続いている。
辺りはもう真っ暗だった。

白い息を吐きながら、私は人のいないホームで思いっきり叫んだ。

「後藤ぉ!!!お前なんか最低最悪だぁ!!!」
「いつもっいつもっ勝手にいなくなって、、」

「バカヤローーー!!!!!」

「ハァ・・ハァ・・」
「……」

私の
罵詈雑言に
後藤はきっとこう答えるはずだ。

“しょうがないじゃんっ後藤ってこういう奴だもんっ”

別に…

後藤が私の生活の上で何かやってくれるという訳でもなく

明日から普通にOLして

彼女がいなくても私の生活はいつも通りで

何も変わりなく…

なのに…

胸に大きな穴が開いた

なぁ後藤…この穴どうやって埋めたらいい……?

私は

一体何を失ったんだろう……

“私後藤、後藤真希っ仲良くしようよっ”
“ねっいちーちゃん!”

  ―――FIN――――