百姫夜行

 

 

闇はあなたの側にある。

闇はあなたのすぐ側にある。

気がつかずに見過ごしてはいないか。

駅のホームのベンチの下。
レンタルビデオ屋の棚の隅。
コンビニの横のごみ箱の陰。

闇はそこにある。

ほら、あなたの横にも。

気付いた時にはもう遅い。

悲鳴は闇に飲み込まれる……

 

第壱夜  始まりの夜明け

 

月も出ていない深夜の公園。

なかなか広い公園だ。
休日には何組かの家族連れが訪れるだろう。
子供たちがはしゃぎまわるこの場所も、暗闇の中昼間の面影は無い。

中央には小さなジャングルジム。
少し錆の浮いたその鉄棒からは赤いペンキがはげかけている。
ジャングルジムの横には砂場。
子供が置き忘れたプラスチックのくまでが砂に半分埋もれている。
砂場に影を落としているのは一人の少女。
小学生と見間違うほど小柄な少女。

その少女は余りにも場違いだった。
全身を包んでいるのは黒いボディスーツ。
時折ジジッと音を立てる街灯の光をスーツの表面はビニールのように反射している。
少女の金色に染めた髪をぬるい夜風がなでていった。

少女は静かに待っていた。
軽く体を動かし、スーツを体になじませる。
両手にグローブをつける。
ヘッドセットを頭にはめ、バイザーを下ろす。
視界の端にきらめく数字が見えた。

公園内は物音一つしなかった。
耳が痛くなるほどの静寂があたりを包み込んでいる。

すでに”結界”が張られているため人の気配は全くない。
――あくまでも人の気配は…

ナビゲート用の超AI『ミニモくん』の電子音声が聞こえる。
「モクヒョウハ3 こんたくとマデアト100デス」

「さて、いっちょやりますか」
胸の前で両の拳をあわせる。
体に不釣合いなごついグローブから青白い火花が走った。

静まり返っていた公園が妙にざわつき始める。

「モクヒョウこんたくとマデアト10。
9.8.7.6.5.4.3.2」


――公園に再び沈黙が落ちた。

「……あれ?」

突然、右隅の茂みから青黒いひも状の物体が伸びてきた。
それは少女の体に巻きつき、自由を奪う。

「うっわ、キショ」

締め上げる力は強くは無いが青黒い粘液がスーツにべったりとついている。
見た目どおりスーツの防水性は高いが不愉快なことこの上ない。
振りほどこうとしてみたが嫌な弾力性を持った物体は離れてくれそうもない。
あきらめて正面に目をやる。

闇が凝縮したような禍禍しい影がそこに立っていた。

地上のどのような存在にも似ていないその物体をあえて例えるなら
背中に針の生えたトカゲと、羽の生えたワニといったところだろうか。

トカゲとワニからはある共通の欲望――我々の世界でいう食欲――が感じられた。

「いやーーん。絶体絶命って感じぃ」

状況を理解していないようなその口調を理解したのかどうか。
ワニがその羽を羽ばたかせて上から、ほぼ同時にトカゲが下から、
見た目の愚鈍さとはかけ離れた意外な速さで迫ってくる。

ふうん。動きを止めておいて同時攻撃か――
少しは考えてるじゃん。
……やっぱり以前とは違う。

宙を飛んでくるワニの口ががばっと開く。
開いた口はそのまま止まらず体を割っていき尻尾まで裂けた。

――おいおい、どこに胃があるんだよ。

心で突っ込みを入れる。
他人より多少小さなその体。
あの口なら縦にでもぱっくりと入ってしまいそうだ。
出遅れたトカゲもおこぼれにありつこうとしているのか必死に牙をむいている。

最初に目には見えない欲望の塊が。
次に禍禍しく並んだ鋭い歯が迫ってきた。

充分引きつけたところ――ワニの歯が触れる寸前少女は叫んだ。

「聖雷撃フルパワー!!」

スーツとグローブで増幅された”雷念”が
一瞬あたりを大量のストロボを一気に光らせたような閃光に包みこんだ。

光が消えると再び完全な静寂。
光量を調節していたバイザーを上げた少女が見たものは、
焼け焦げたワニとトカゲがじぶじぶと溶けていく姿だった。

「いっちょあがり」

体に絡み付いていた物体にもたっぷりと電流を流しておいた。
おそらくは舌であろうそれをぐいと引っ張る。
しかしそれは思っていた手ごたえを返してこなかった。

「モクヒョウトウソウチュウ」
「うそ!!」

少女は始めてあせりの声をあげた。

――アレハヤバイ
逃走中の妖魔は軽く身震いした。
その外見はうろこの生えた犬のようだ。

とっさに舌を切り捨てて正解だった。
仲間はやられたようだが仕方ない。
なあに、所詮は”えさ”をとるための道具でしかなかったのだ。
確かに一人でやる時よりも効率よく”えさ”が取れた。
また次も仲間とやらを探してみることにしよう。
あんな役立たずではなくもっと強い仲間を。


公園の出口が見えてきた。
あそこを抜ければ、また”えさ”がたんまり食える。
近くには確かコンビニがあったはずだ。
あそこならこの時間でも”えさ”が手に入るだろう。

新鮮な”えさ”の味を思い出し、ちぎれた舌で舌なめずりをする。

もう少しだ…… ここを飛び越えれば……

公園内の結界から飛び出そうとした妖魔は空中で磔になった。

「昔っから詰めが甘いのよね。あいつは」
黒のロングコートに黒のパンツ。やわらかそうな黒のシャツに指先の開いた黒い皮手袋。
全身を黒で染め上げた女性が闇の中から現れる。

っぎしゃー
ヒトの聴覚には理解できないような鳴き声をあげて妖魔が暴れる。

「無駄よ。特殊鋼を使った糸に対妖魔コーティングをしてあるわ。あんたの力じゃ切れないわよ」
大きな吊り目で妖魔を睨みつけながらそういうと、醜悪なその体を絡めとった糸をつまむ。

はじかれた糸はぴんと澄んだ音を立てた。

そのはじき方か、あるいは糸のからめ方に秘術があるのか。
バラバラにはじけとんだ妖魔の断片は空中に消え去った。

「圭ちゃんさっすが。しびれる〜〜」
「ごまかそうとしてもだめよ」
いつのまにか追いついてきた小柄な少女に、圭と呼ばれた女がぴしゃりと言い放つ。
「うぐ、い、いやあたしはほら、圭ちゃんの結界を信用して……」
「矢口、次の始末書で減給だっけ」
小柄な少女――矢口真里の背中に冷や汗が伝う。
「うーーわかったよ。昼食2日分」
「3日分」
「……おに……」
「まいどあり!」
黒ずくめの女はふいに表情を変え、くひひと意地悪そうに笑った。

目に見えるもの、耳から聞こえるものだけが世界の全てではない。
世界の裏側からくる闇はいたるところに顔を覗かせている。
それを見たものは意外に多い。
ただしそれが伝わることは少ない。
たんに伝えようとするものが少ないからかもしれない。
あるいは伝えることができなくなるからかもしれない。

世界の裏側からやってくる闇の住人。
妖魔と総称されるソレがなぜ何の目的でやってくるのかは今もってわかっていない。
ソレらが持っているものは純粋な欲望。
食欲、性欲、破壊欲、その欲望を満たすためだけに表の世界を蹂躙する。
もちろん裏の世界から表の世界を守ろうとするものも存在する。
退魔師、エクソシスト、拝み屋、ゴーストハンター。
さまざまな呼び名はあるがやっていることは変わらない。
闇の存在を消し去ること。
誰にも気づかれないように。
その身を削り人々のために。
何も知らない他人のために。

長きに渡る裏と表の戦いは今も人知れず続いているのだ。

矢口真里と保田圭もその一員なのである。

「やぐちーー。怪我なかったか。ん」
待機してあったバンのところまで来るといきなり誰かが矢口に抱きついてきた。

「やーめろよぉ!裕子ぉ!!」
金髪に青のカラーコンタクトをした20代後半の女性
――東京の退魔師の元締めであり日本で唯一の民間の退魔結社の社長。
つまり矢口たちの雇い主でもある中澤裕子は矢口の小さな体を抱きしめ放さない。

「さっきのやつのせいで汚れてんだぞ」
「ええて、そんなん関係ない」
「祐ちゃん。それじゃただのセクハラ親父だよ」

逃げる矢口にキスをしようとする中澤を見て、いつものこととはいえ圭もあきれた顔だ。

「ええやん。あたしは元締めやで。これくらい役得役得」

「公私混同はあかんで姉さん」
バンから出てきた女性――中澤の秘書役である平家みちよがふたりを引き離す。
「んもう、みっちゃん。いけずやなぁ」
引き離された中澤はまだ矢口を見つめている。

そんな中澤に苦笑しながら平家が矢口たちに声を掛ける。

「悪いけど、もうひとつ仕事やで」
「えーー、シャワーぐらい浴びさせてよ」

矢口が不満を漏らす。

平家の後を引き取って中澤が言った。
「すぐ終わるよって頼むわ。朱雀の結界がなんか調子悪いらしいねん。
 ま、大したこと無いと思うねんけど、ちょお見てきてほしいんや。
 ここからやったら近いし、ちゃっちゃっと行ってきてや」

「今からなら割増料金もらうわよ」
圭が口をはさむ。

「相変わらずしっかりしてんな圭ちゃん。最近国のほうからの支払いも渋られてんねんで。
 このくらいサービスしてや」
「フキョーが悪ぃーんだ!フキョーが!!コーゾーカイカクだ!コーゾーカイカクしろ!!」
「矢口……あんた解ってないでしょ」
圭が冷静に突っ込む。

「ま、そういうことでよろしゅう頼むわ」
「どういうことよ。まったく……。OK、しょうがない。行くわよ矢口」
「はーーい」

 

「なあ姉さん」

矢口たちを見送った後のバンの中。何かを考え込んでいる中澤に平家は話し掛けた。
「ああ、やっぱり矢口はかわええなあ。仕事終わるん待ってお持ち帰りしたろかな」
「姉さんって!」
放置された平家は口調を強める。

「なんや、みっちゃん」
「姉さん。なんか隠してへんか?」
「なんやの急に」
「ここんとこ妖魔の出てくる回数が多すぎるやろ。
 この3日間で7件の事件やで。 
 それに今までなら単独行動しかしてなかったやつらが集団で行動するようになってきてる。
 ……なあ、姉さん。
 あたしの知らんところでなんか起こっとるんとちゃうやろか」

「みっちゃん」
先ほどまでのおちゃらけモードとは違うトーン。
退魔師元締めの顔になった中澤は静かに言った。
「別に隠してたわけやあらへん。確証が無かっただけや。
 せやからこれから言うことはあたしの推測や。
 何の根拠もあらへん。
 そう思って聞いとくれ」
平家がうなずく。
「ここ最近の妖魔の動き。同時多発的な行動に集団での活動。これが偶然でないとすれば…」
「すれば?」

「妖魔をまとめとる誰かが居るんかもしれん」

「誰かって……誰やのん」
「そんなん知らんがな。大体妖魔は自分の欲望にのみ忠実な存在や。
 誰かがまとめるなんてそんなんできるはずがない」

一転して自分で自分の言葉を否定する。
しかし否定する行為が逆に、中澤の不安を浮き彫りにしているように平家には思えた。

妖魔は明らかに人間よりも強い力を持っている。
爪の一振りで首を切り落とすことも。
鍵のかかった部屋にドアの隙間から進入することも。
体液を浴びせただけでひと一人を消し去ることも。
奴らにとっては朝飯前のことだ。

対抗するための力は普通の人間には無い。
矢口や圭のような力をもつものは希少である。

地下鉄の車内。駅と駅の間で人の数が減ってはいないか。
駅前の噴水。ふと目を離した隙にさっきまでいた人が消えたりはしないか

守るべきものは多い。
しかし守る人手はあまりに少ない。
それでもこちらの世界がなりたっているのは妖魔には基本的に組織という概念がないせいだ。

世界の平和は微妙なパワーバランスの上に成り立っている。
それが揺らぐということは……

ピリリリリ

色気のない携帯の電子音で平家は我に返った。

「はい、平家。あ、なんや圭織か。え、は?なんやそれ。……なんやて!!」
中澤の方を向いた顔にはすでに余裕はない。

「圭織からの連絡や。朱雀の結界でものごっつい妖気を感じたって!」
「朱雀の結界!?あかん矢口たちが!!」
思わず矢口たちが去ったほうに目をやる。

「後藤は?ちっ、大阪か。えーーい、なッちにも連絡しとけ!!」

「圭ちゃん。いくついった」
「もう30はいったと思うわよ」
「――ったく!きりがないじゃんかよ!」

とある雑居ビルの地下駐車場のさらに地下。
なんでもないようなそんな場所に東京を支える四つの結界のひとつ朱雀の結界はあった。
特に変わったものがあるわけではない。
体育館一つ分ほどの広い空洞の中心に注連縄の巻かれた大きな石がただ置かれているだけだ。
だが、これこそが帝都の霊的防衛の拠点。
妖魔の侵攻を食い止める要の一つだった。

「だいたい、結界の中になんでこいつらが入ってこれるんだよ!!」
「知らないわよ!そんなこと!」

結界の中にはおびただしい数の妖魔があふれていた。
これだけの妖魔が集まったところを矢口は見たことが無い。
もともと妖魔は群れることを嫌うのだ。
あっという間に取り囲まれた二人は手当たり次第に妖魔を倒した。
一体の能力は決して高くない。
先ほど倒したワニたちよりもあるいは低いかもしれない。
しかしあまりにも数が多すぎる。
倒しても倒しても切りがない。
矢口は絶望的な思いで戦っていた。

――既に体力も精神力も限界が近づいている。
流れ出た妖魔の血で床にはもう隙間が無い。

右から襲い掛かってきた青黒い蛇を圭が糸で真っ二つにする。
「やばいわね……」
「ちっきしょー!裕子の馬鹿!!何が簡単な仕事だよ」
「やっぱり割増料金もらわなきゃ割に合わないわね」

ともすれば倒れてしまいそうになる体を軽口を叩くことでどうにか支える。

「いけるだけいっとく?」
妖魔の体液で切れ味の鈍った糸を引き寄せ圭が言った。
「バッテリーの残りで、でかいの一発いけるよ」
お互いに最後になることは了解していた。
顔を見合わせ軽くうなずく。
いわゆる同期の桜だった。
特別な言葉は必要ない。

「いくわよ!」
「うぉーー!!」

最後の力を振り絞った。

掛け値無しに最後の力だった。
もう指一本すら動かせない。

妖魔の輪を何重かは消し去ったようだった。
数瞬を置いて輪がさっきより狭まる。

「圭ちゃん」
「なに?」
「お昼おごれなかったね」
「そうね」
「生まれ変わったら、フレンチのランチフルコース奢るよ」
「期待してるわ」

途切れそうになる意識のなか目線を下にやる。
妖魔の血。
床にたまったその血だまりがぼこりと泡だった。

「!?」

──空気が穢されていく。

湧き上がってきたのは瘴気の塊だった。
次々に厚さ1cmもない血だまりから瘴気が湧き上がってくる。
空気がとろりとした粘度を帯びてきた。
顔をこすればべっとりとしたなにかがこびりついていそうだ。
あまりの瘴気に周りを取り囲んでいた妖魔たちが耐え切れずに狂い死ぬ。
その怨念が瘴気にさらなる濃度を増してゆく。
疲れ果てた二人の体もこの瘴気に犯されていった。

「こ、これは……」

ふいに瘴気の流れが変わる。結界の中心に向かって流れ込んでゆく。
結界に張ってあった注連縄を弾き飛ばしその中心で渦を巻いた。

「な、なにがおこってるの!?」

朦朧とした意識のなか矢口が思わず叫ぶ。

突然後ろから声が聞こえた。

「穢れは満ちました」

目的地から空へ向けて光が上がる。
中澤が見たものは闇の中に浮かぶ視覚的にありえない黒い光の柱だった。
あせる気持ちがアクセルを限界まで踏み込ませる。
結界のあったビルは完全に崩壊していた。
というより、地上にあった部分は消失しておりぽっかりとあいた穴が残されているだけだ。

「矢口!圭坊!」
危険を顧みず穴の中に飛び込む。

駐車場部分も完全に消失しており結界の置かれていた空間が剥き出しになっている。
数メートルの高さを音もなく飛び降り中澤は周囲を探った。

二人の体は結界のあった位置から離れたところに仰向けに倒れていた。

「大丈夫や姉さん!二人とも無事や!」

倒れている二人に取り付いた平家が叫ぶ。
それに目をやり中澤は改めて周りの様子をうかがった。

「いったいナニがあったんや……」

そこに残されていたのは崩壊した結界のカケラと異臭を放つ大量の妖魔の死体。
中澤は信じられない思いでそれを見ていた。
四神の結界が破られるなど設立以来今までに一度も無かったことだ。

──いつのまにか中澤の隣には小柄な少女が立っていた。

「来たんか。なっち」
少女はふっくらとした顔を前に向けたまま小さな声で言った。
「裕ちゃん。これから何が起こるのかな」
「さあな」
中澤は硬い声で答える。

なにが起こるのかはわからん。
でもこれだけはわかる。
これが始まりだということや。
それもとんでもないことのな。

月も出ていない夜。その長かった夜もようやく明けようとしていた。

 

第弐夜  彼方からの来訪者

 

「ひとみちゃん。起きて。着いたわよ」
「うーーん」

起き上がったのは寝癖のついたメッシュの髪。
整った顔に似合わない大きなあくびがひとつ。

長旅のせいか、ついうとうとしてしまったらしい。
吉澤ひとみは寝ぼけ眼をこすり大きく伸びをした。

「ふあ、おはよう梨華ちゃん」
「おはよう。お紅茶飲むでしょ」
「ウン。ありがと」

ピンクのエプロンをつけた少女、パートナーである石川梨華が
かいがいしく紅茶の入ったカップを差し出す。

「もう、また寝癖ついてるわよ」
「へへへ」

ひとみは照れ笑いしながら上品な香りの漂うカップを一口すすった。

まだ少しぼんやりしている頭を振りつつ、正面のモニターに眼をやる。

漆黒の宇宙空間に青く輝く惑星が浮かんでいた。

自分も紅茶を飲みながら梨華がひとみに顔を寄せる。
やわらかな茶髪がひとみの頬を撫で
紅茶とは違う甘い香りが鼻腔をくすぐった。

「きれいな星ね」
「そうだね。あれが今回の対象?」
「そう、太陽系第三惑星──地球よ」

その日、矢口真里はひどく不機嫌だった。

お気に入りのグリーンのキャミソール。
かわいいデニムのミニスカ。
そして自慢の10センチ厚底。

だがしかし。

ほっそりした首には白い包帯。
ふっくらほっぺにはばんそうこう。
すんなり伸びた生足には青痣いっぱい。

今日の矢口は満身創痍なギャルだった。

──ったく、裕子の奴ヒト使い荒いんだよね。
こんな怪我人こき使うなっての。

しかし一週間前にビル一つ無くなる現場に居合わせてこの程度なら
普通は奇跡といえるかもしれない。

ざわつくファーストフード店内。
買うまでにえらく待たされた平日半額にかぶりつく。

──圭ちゃんも圭ちゃんだよ。
あの時の言葉を本気にしちゃってさ。

こんなところでハンバーガーをかじるのにも訳がある。
黒衣の糸使いは、死を目前にした矢口の言葉を聞き逃してはいなかった。

フレンチのランチフルコース。

きっちり一番高いコースを搾り取っていった。

──うわーー!!むかつく!!

だから矢口真里は不機嫌だった。

「ん!?」

ふとハンバーガーの置かれたトレイを見る。

白いポテトの袋とコーラの入った紙コップの間。
そこに立っていたのは身長10センチほどの女の子。

頭の上にはお団子二つ。
体を包むのは赤いチャイナ服。
笑った顔は悪戯っ子。

お子様用セットの景品でない証拠に女の子はひとりでに踊りだす。

たったかたったタップダンス。
右手を前にアィーンポーズ。
くるっと回っておしりぺんぺん。


「……加護ぉ」

「あらら、矢口さん。もしかすぃてご機嫌ナナメですかぁ」

テーブルの下からひょっこり顔を出したのは加護亜衣。
矢口と同じく中澤のところに所属している退魔師見習いだ。
幼いながら精神力で身体能力をアップさせる能力を持ち
精神感応金属<オリハルコン>を使った混、通称”如意棒”を操る。
さらには今矢口に見せたような式神に似た分身をも使う。
加護のように複数の能力を持つ人材は希少であり
数年後には退魔師のエースになるだろうと期待されているのだ。

「んもう。せっかくの新しい芸やったのに」
未来のエースはつまらなさそうに口を尖らす。
「いいから早く資料渡せよ」
にらむ矢口をものともせず加護は右手を差し出した。
「?」
加護は手を出してにこにこしている。
「なんだよ?」
「おだちんは矢口サンからもらえって」

……裕子めぇ……あのやろぉ


おだちんのシェイクをうれしそうに飲む加護を横目に矢口は仕事の準備を進めた。

未だ矢口真里は不機嫌だった。

資料に書かれていた場所はすぐ近くだった。
矢口は歩いて指定された場所に向かう。

結界崩壊以来、敵の動きに目立ったところはない。
さらに圭織の交神の結果、しばらく敵が大きな行動を起こさないことはわかっている。
今できることは瘴気の溜まりそうな所を見て回ることだけだ。

そこには相手を誘い出す目的もあるのだが……


──早速かかったかな。

空気がさっきよりも澱んでいる。
既に敵の結界に入っているようだ。

-

矢口は大きなかばんからグローブを取り出す。
はなはだ不釣合いな格好だが仕方ない。

今日の服装。
グリーンのキャミソールは防弾製。
デニムのミニスカには破魔結界。
10センチ厚底にはバッテリー。

これでも実はフル装備だったりする。

路地の向こうから黒い影が現れる。
その数はおよそ十。

ようやくフラストレーションを解消できそうだ。
矢口は不敵な笑みを浮かべた。

「まて!!」
結界内で聞こえるはずのない声が聞こえ、矢口は慌てた。

「うそ!」

いつのまにか電信柱の上に一人のボーイッシュな少女が立っている。

矢口の目が点になる。

「いくぞ!!瞬着!!」

<ナレーション>
宇宙刑事ヨッスィーは、わずか1ミリ秒で着装を完了する。
ではその原理を説明しよう。
「瞬着!!」
超次元高速機ホワイトドラグーンのメタモライズシステムから
プラズマエネルギーが照射される
照射されたプラズマエネルギーは純白のハイパーメタルに転換され
吉澤は宇宙刑事ヨッスィーに変身するのだ。

「宇宙刑事ヨッスィー!!」

メタリックなコンバットスーツに身を包んだ少女はポーズを決める。

矢口のあごはがくんと落ちた。

「チャーミー!民間人をたのむ」

ビシッとこちらを指差す白銀のメタルヒーロー。

「わかったわヨッスィー。さあ危ないですから下がっていてください」

これまたどこから現れたのかピンクのウエスタンスタイルに身を包んだ少女が
呆然としたままの矢口を誘導する。

「とう!!」

電柱の上から飛び降りた宇宙刑事は妖魔たちと向き合った。

「ゆくぞ!!」

チャーミーと呼ばれた少女と矢口は少し離れたところから様子をうかがう。
「もう大丈夫ですよぉ。後は私たちに任せてくださいねぇ」
特徴的な甘い声で話し掛けてくる少女。

矢口はまだ遠い世界にいったまま。

「うぉぉぉぉ!!」

大見得を切って現れただけのことはあるらしい。
右から来た妖魔をレーザーブレードで一刀両断。
さらに飛びかかろうとした別の妖魔をブラスターで一撃。
次々に妖魔を葬ってゆく。

2メートルを超える妖魔の渾身の一撃を発光する球体になってすり抜ける。
そのまま後ろに回りこみブラスターでシュート。


「ヨッスィー・スラァァァッシュ!!」

斬撃の体勢のまま動きを止めた宇宙刑事の後ろで
最後まで立っていた妖魔も真っ二つになって崩れ落ちる。

あれだけいた妖魔たちは既に一匹も残っていない。

「やったぁ! さすがヨッスィー!」
「いやあ」
頭を掻きながらこちらへ向かうコンバットスーツの向こうにかすかに動く影が見えた。

「雷撃破!!」

矢口の手から電撃が飛ぶ。
死んだ振りをして隙をうかがっていた妖魔はあっさり黒焦げになった。

──ふふん。少しはオイラにも見せ場がなくっちゃね。
……あれ、な、何でそんな目でオイラを見るんだよ。
ちょ、ちょっと、ナニ戦闘体制になってるのさ。

「あなたは何者なんです? どうやらやつらの仲間ではなさそうだけど……。
その力は一体……」

ゴーグルの中の電子アイがキラリと光る。

「ねぇ、その前にひとつ聞きたいんだけど」
「な、なんですか」

宇宙刑事は軽くあごを引き身構える。

「これってドッキリとかじゃないよね」

矢口は小さな体を伸ばしきょろきょろとカメラを探す。

「ふ、ふざけないでください!!」
「だってさ、ふつう信じらんないよ。大体宇宙刑事だなんて何の冗談だよ」
「冗談なんかじゃありません。
 私は銀河連邦警察所属吉澤ひとみこと宇宙刑事ヨッスィー!」
「そして私がパートナーの石川梨華こと女刑事チャーミーです!」

──うっわ、ややこしいのに関わっちゃったなこりゃ。
なんかポーズとってるし……
ああ、むかつく。

「あなたの力、それはこの星の文化レベルを大きく逸脱しています。
我々の調査ではこの星にその様な力は確認されていません」

──大体コレはオイラの仕事だったんだぞ。
それを横から出てきて……

「もしかしてこの間のあの時空の歪み、
 あれにもあなたは関係しているんじゃないですか?」

──ようやくストレス解消できると思ってたのに!
どうしてくれんだよ。この気分をよぉ!

「どうなんです?答えられないんですか?」

「あーーもう、うっせーーーー!!!!!」

やっぱり矢口真里は不機嫌だった。

 

「んで、何でそこであたしを呼ぶわけ?」

午後4時のファミリーレストランは閑散としていた。
ひそひそ話には最適だ。

自分ひとりでは収拾がつかないと判断した矢口は、圭に連絡をとった。
集合した4人はテーブルをはさんで向かい合う。

相変わらず黒でコーディネイトされた圭の顔にも白いばんそうこうが残っている。
猫の目に似たその目は矢口の前のオレンジジュースよりも冷たい。
ゆっくりと出がらした薄いコーヒーを口に含む。
目の前の宇宙刑事はベーグルサンドがお気に召したらしくうれしそうにかぶりついている。
女刑事はなぜかニコニコしながらその姿を見ている。

「いやあ、こういう交渉事は圭ちゃんのものかなぁと」
「厄介事の間違いじゃないの?」
「ま、まさか、そんなつもりは……ハハハ」
「青山にいいイタ飯屋ができたのよね」
「う、あ、きゅ、給料が入ったら必ず……」
「ワインもつけてね。安いやつはだめよ。体に合わないから」
「は、はいぃぃ」

「あ、あのー」
二人のやり取りをぽかんと見ていたひとみは我に返ると声をかけた。
「ああ、ごめんなさい。えっと、吉澤さんに石川さんだっけ?」
「はい!またの名を宇宙刑事ヨッスィー!」
「女刑事チャーミーです!」
「……いや、それはいいわ……」

「つまりあなたたちはこの間の結界の崩壊を調査に来た宇宙人だってことね。
 ……事情はわかったわ。にわかには信じ難い話だけど」
「それはこちらも同じことです。あなた方のような人がいるなんて、
 我々の調査では判らなかったんですから」
「ま、あたし達はあんまり表に出ることないからね」
「つーか、目立ちすぎだろ。あんたたち」

あんな派手な事して誰かに見られたら大騒ぎになるのは間違いない。

「そうですか?地球に来てからも何回か変身してますけど何も言われませんでしたよ」

……ああ、素晴らしきかな常識人達よ。

「で、あなたたちはこれからどうするの?」
「時空を歪める行為はA級犯罪です。見逃すわけには行きません」
「つまり目的は同じってことね。じゃあ、協力してもらえるかしら?
 何しろ人手が足りなくて」
「そうですね。こちらとしても本来は異例のことなのですが……」

「にしても、まだ信じらんないよ。大体アンタたちまだ若いでしょ。ひとの事いえないけど」
「そーなんですよ!!」
「うわ!!」

ふいにチャーミーとやらが話し掛けてきた。まるでアニメの主人公のような甘い声。

「ひとみちゃんって警察学校でもすっごく優秀な成績でー、もうとってもかっこよかったんですよー。
 あ、私もひとみちゃんほどじゃないんですけどー、学校時代はテニス部のキャプテンをやっててですね……」


ごちん。

「いったーーい。何するんですかー……」
「あ、ごめん。つい……」

無意識に手が出てしまった。彼女は殴られたところを抑え上目遣いになっている。
ちょっと涙目だ。 


──でも、なんかすっきりした。

「そ、それはともかく、教えてください。あの日何があったのか」
「いいわ。あんまり思い出したくはないことだけど」
圭はブラックコーヒーをひと口飲むと話し始めた。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

「穢れは満ちました」

動かぬ体を無理にひねり矢口は後ろを見た。

その顔は端整な顔立ちといえたかもしれない。
細面の顔にうすい唇がバランスよく収まっている。
鼻も程よく高く、やわらかそうな髪が凛々しい眉にかかっている。
甘い恋愛ドラマに出ている俳優だと言われても納得してしまいそうだ。
ただしその目を除いては。

敵だ。
矢口の心がそれを告げる。
あの目をしている奴は敵だ。
本能がそう告げている。

邪悪。
冷酷。
残忍。
非情。
狂気。
虚無。

そのどれでもなくどれもが当てはまる。
そんな目だった。

それはまるで闇そのもののような色をしていた。

「妖魔の血による蟲の呪法。どうやらうまくいったようです」

湧き上がる瘴気を見つめながら男は言う。

「あなた方にも感謝しますよ。本来妖魔達を殺し合わせるつもりでしたが、
 おかげで手間が省けた。これならば充分だ」

「あ…んた……なに…もん……」
矢口は力を振り絞った。
消耗した圭は既に意識を失っている。

「ほう、これだけの瘴気の中でまだしゃべれるとは……。たいした生命力をお持ちだ」
男は感心した声を出す。

「我は妖魔を統べし者。闇の王にして暗黒の支配者。そして究極の欲望を求める者」

流れ込む瘴気に結界が悲鳴をあげる。

「わが欲望を満たすため、この結界封じさせていただく」

「そ…んなこと……さ…せるか!」

……視界がかすむ

「残念ながらもう遅い」

……体が動かない

「これだけの瘴気を集めれば結界の気を中和できる。
 そうなればもはや結界はなんの意味も成さなくなるでしょう」

……意識が薄れる。


矢口の放った電撃は男の目の前で闇に吸い込まれた。

「……すばらしい。未だきらめきを失わないその生命の火……。実に美しい」

もう限界だった。
だからその言葉は幻聴かもしれなかった。
しかし、矢口の耳にその言葉はいつまでも残った。

「あなたこそ私の求める……」

フェイド・アウト

「それでどうなったんですか?」

真剣な表情で聞いていたひとみの質問に圭は肩をすくめた。

「それで終わり。気がついたら二人とも病院のベッドの上だったわ」

「でもー、よくお二人とも無事でしたねー」

涙目から回復した女刑事が声を掛ける。


確かに目立って大きな傷はなかった。
瘴気によって衰弱していた体も二日で回復した。
しかし、見えないダメージは残された。

自嘲気味に微笑んだ圭が頬のばんそうこうに触れる。

「無事……というより敵に見逃されたって感じね。
 その気になれば止めくらいさせたでしょう」

──そう、それが不機嫌の原因だった。
まんまと敵の罠にかかったこと。
自分たちが結界を壊すきっかけに使われたこと。
そのうえ敵に情けをかけられたこと。
あの男の手のひらでいいように遊ばれている。
そのことこそがこの一週間、矢口の不機嫌の源だったのだ。

だから矢口真里は不機嫌だった。

ちっちゃい体のでっかいプライド。
そこについた傷は簡単には癒すことなどできない。

いつか必ず借りを返してやる。
それまで傷が癒されることはないだろう。
矢口はそう思っていた。

そしてまた、矢口は理解していた。
あの男が再び自分の前に現れることを。
いつの日か決着をつけなくてはいけないことを。
そしてその日は決して遠くはないことを。

「あっ、わかりましたよ。矢口さん」

ふいに耳を刺激するミルキーボイス。

──いやな予感がした。

「その男の人はー、矢口さんに一目ぼれしたんですよ。きっと」

組んだ両手は口の前。夢見る瞳で上を向く。


ごちん。

……ふう、すっきりした。

 

第参夜  子供たちの聖戦

 

「よし、それじゃ10回やってみよう」
「へい!」

……よーやるわ。
修行なんて自分からやろうなんて思わへんわ。
ま、ののの場合、修行っていうより飯田さんにくっついとるだけなんやけど。

「いい、これはね……」

ああ、また口開いとるやんか。
ほんまにあんたは、うちが付いてないとあかんねんから。

「かごぉ。あんたもこっち来てやらない?」
「加護はぁ、修行しないでもじゅーぶん強いですからぁ」
「まぁったく、まぁだまだひよっこの癖にナニいってんだか」
「えへへ」

最近はどこに行くのも一緒。
なにかと、あいちゃんあいちゃんと寄ってくる。
ま、言うてみればうちはあの子の保護者みたいなもんやな。

「よーーし。今日はこれくらいにしとこっか」
「へい!」

ふー、やっと終わったみたいやな。

「あいちゃーーん」

きーんって聞こえそうなくらい勢いをつけて、手を横に伸ばしたののが一生懸命走ってくる。

あーあ、そんなスピード出したら危ないで。
そんな勢いつけたら止まりきれんやんかって…
うわっ ちょ、ちょっと

ごちん。

二人して頭を抑えて座り込む。

「うう、ごめんね。あいぼん」
「え、ええって」

いつものことやがな、相棒。

「それじゃカオリは交神に入るから」

飯田さんが前を向いたまま話し掛けてくる。

都内某所。
東京とは思えないほど落ち着いた空間。
きれいに掃除された境内では蝉の鳴き声が鳴り響いている。
清涼感あふれる空気に包まれたこの場所。

この神社に飯田さんは一人で住んでいる。

白い着物に緋い袴姿。
長い黒髪を背中にたらしたその姿はとっても美しい。
長身ですらっとしてて大人の女性って感じ。

黙って立ってれば。

「交神?交神ってなんですか?」
「うん。あのね、きちんと座って精神をこう集中するとね。
 ぱーっとあたりが白くなるのね」
「は、はあ」
「うーん。でも白っていうかちょっと青っぽくて、
 あ、カオリとしては赤いほうがいいんだけど」

いや、そんなことはええですから。

「それでね。裕ちゃんに頼まれたんだけどぉ、今回の敵がね、
 妖魔をどうやって操っているのか、聞いてみようと思って」
「聞くって誰にですか?」
「知りたい?」

い、飯田さん。何でそんな目でこっちを見るんですか。
ただでさえ大きな目なのに……。
そんなまばたきせんとじっと見つめんといてください……。

「い、いや、やっぱりいいです」
「そ、んじゃ気をつけて帰るんだよ」

……世の中には知らんでええこともあるんやな。

……ふう……。

きょうも飯田さんといっぱいしゅぎょうした。
まんぞくまんぞく。

わたしはおちこぼれだ。
あいちゃんはとっても強くて『未来のエース』って言われてるし、
あやちゃんももうひとりで仕事してるらしい。

でも飯田さんはそんなわたしをはげましてくれた。
いっしょにがんばろうって言ってくれた。
とってもうれしかった。

飯田さんは『光の巫女』ともよばれている。
日本でもゆうすうの巫女なのだ。
とってもつよいのだ。
ののは見たことないけど。

でも飯田さんといると安心する。
なんかお姉さんみたいだ。
このあいだ矢口さんにそういったら
「圭織も変わったな」
ってわらってた。
なんでだろ?

あいちゃんがまた物まねをれんしゅうしている。

あ、飯田さんだ。にてる!にてる!

えへへ、あいちゃんといると楽しいな。
わたし、あいちゃん大好きだよ。
私をひっぱっていってくれる人。
いっつもいっしょの親友。
飯田さんとはまたちがった大切な人。

「のの、帰りにアイス食べよ」
「うん、わたし8段アイスたべよっと」

わーーい、楽しみ楽しみ。

……あれ、なんかへんだな。

そんなに食ったらお腹壊すでまったく。
ほんまに食べ物のことになったら急に元気になるんやから……

ん、どないしたんや。のの。

「あいちゃん。なんかへんだよ」
「なにが?」
「しずかだよ」
「この辺は車も通らんからな」
「ちがうよ。せみの声がきこえない」

言われてはっとなった。
耳を澄ます。

静かだ。

確かにさっきまでうるさかった筈の蝉の鳴く声がやんでいる。

嫌な予感がした。
感覚を研ぎ澄ませる。

!?なんやこのにおい

「どうしたの?あいちゃん」

喋りかけてくるののを手で制し鼻に意識を集中させる。

「このにおい……風が……変わった?」

突然結界として張ってあったお札が燃え上がる。
「な、なに!?」
「結界が破られた!?もしかして敵!?」
「飯田さん!!」

駆け出そうとするののの腕を慌てて掴む。

「ここの結界破ってくるような奴やで。うちらに勝てるわけない」
「だって飯田さんが!!」
「どないしたん?のの。飯田さんなら大丈夫やって。なんせ『光の巫女』やで」

そう、あの人は強い。

「ちがうの!!交神のあいだは飯田さんうごけないの!」

なんやて!

「え、うそ!や、やばいやんか」
「このままじゃ飯田さんが…」

『未来のエース』などといわれていてもうちには実戦の経験はない。
いくら訓練の成績がよくてもそれは命をやり取りするものではない。
死を覚悟するだけの勇気は……まだない。

あかん、やっぱりうちらだけじゃどうしようもない。
誰かを呼びに……。だめだ間に合うわけない。
でもこのままじゃ……。
体が震える。
怖い。

「ど、どないしよう。どうしたらええの?のの」
「あいちゃん。わたし……」

(……きちゃだめだ!)
「?……飯田さん?」
「どないしたん?のの」
「飯田さんの声が聞こえる……」

(あたしは大丈夫だから、早く逃げな)
「でも、今の飯田さんじゃ……」

(あんたたちのかなう相手じゃない)
(すぐに誰か来てくれるよ。矢口とか)
(お願いだよ……約束して、辻。逃げるんだ)
「飯田さん……」
(辻。お願いだから……)
「……わかりました……」
(よし!や…そく…よ)

飯田さんの声がとおくなる。

(いいね逃げる…だよ。辻。約束…か…ね)
「飯田さん!」
(わ……たね……るんだよ…………てね)

声は聞こえなくなった。

こぶしをぎゅっと握る。

──大丈夫怖くない。

両手でほっぺたをパンとたたく。

──やっぱりわたしには飯田さんをみすてるなんてできない。

唇を引き結ぶ。

──ごめんなさい飯田さん。ののはまた約束をやぶってしまいます。

きっと目をあげる。


あいちゃんと目が合った。

わかってる。あんたはほんとは強い子なんや。
ここぞというときには一人でできる子や。
……うちとは違う。

いっつも勇気をもらってたんはうちのほうや。
一人じゃ何にもできないのも。
寂しくて独りになれないのも。

……一緒に居て欲しかったのはうちなんや。

「あいちゃん。あいちゃんは早く…」

ののの鼻先に手を広げる。

──だから、また勇気をおくれ。

「うちは未来のエースなんやで。行くに決まっとるやろ」

にひひと笑う。

「あいちゃん……」

顔を見合わせ、こんどは二人でにひひと笑った。

 

力の差は歴然としていた。

牛の頭をした怪物は動きが鈍かった。
加護のスピードに相手はついてこれない。
足に精神を集中する。
絶妙の加速を見せ一瞬にして後ろに回りこむ。
飛び上がって後頭部に如意棒の一撃。

──しかし効かない。

渾身の一撃ですら相手に何らダメージを与えられない。
「な、なんでや」
悔しかった。

身長の差は倍に近い。
腕の太さも加護の胴体くらいありそうだ。
その一撃はかすっただけでも致命傷になりかねない。

余りの緊張に息があがる。

次第に相手の攻撃が体の近くを通るようになってきた。

徐々に追い詰められていく。
もう交わすだけで精一杯だ。

「くうっ」

すがるような思いで相棒を見る。

辻も同様だった。
馬の頭をした怪物に呪符を投げつける。

「木気をもちて炎を成す。急々如律令!!」

怪物を包んでいた呪符が一気に燃え上がり巨体を炎の柱に変える。

炎に包まれたまま柱が一歩前に踏み出す。

恐怖を感じさらに呪符を取り出そうとする手を柱から伸びた腕が捕まえる。

身震い一つで炎を振り払ったその体には焦げ目一つついていない。

骨が砕けるかのような痛みに取り出しかけた呪符がはらはらと零れ落ちる。

もう一方の手が辻の細い首に伸びる。
一息に持ち上げられた。
足が宙に浮く。

「のの!!」

駆け出そうとする体を重い一撃が捕らえる。
大きく吹っ飛ぶ小さな体。
一瞬の油断は少女に死の淵を見せた。
余りの痛みに体を起こすことすらできない。

「なかなか良い力です。しかし、残念なことに経験が不足していますね」

二体の化け物を操っている男。

怖い目をしていた。

形容しがたい色の目だ。
闇を塗り固めたような目だ。
そんな目をした男が冷たく言い放つ。

「経験をつめば良い戦士になるでしょう。……もう遅いですがね」

力が欲しかった。
愛する人を守るために。
大切な人の涙を流させないために。

未来のエースなどとおだてられていた自分が情けなかった。
今の自分はあまりにも無力だった。

いつのまにか闇色の目をした男が加護の前に立っていた。

「絶望に満ちた良い眼だ」

薄く笑う。

力が欲しかった。
親友を守れるだけの力が。
うちはあほや。何できちんと修行せんかったんや。

吊り上げられた首がぎしぎし音を立てる。
目の前がぼんやりしてきた。

ごめんなさい。飯田さん。ののは飯田さんを守れませんでした……。

──しゃん。

鈴の音が聞こえた。
清涼感のあるその音色があたりに染み渡っていく。

──しゃん。

再び鈴の音が聞こえた。
澱んでいた空気が澄んだ色合いを帯びてくる。

──しゃん。

三度鈴の音が聞こえた。
辻を掴んでいた妖魔の腕に金の鈴が突き刺さる。

鈴を中心に不浄の肉体が光の粒子に変わった。

腕を抑え絶叫を上げる妖魔を振りほどき辻は振り返った。

涙は我慢しようと思った。

泣いている姿は見せたくなかった。

心配させてしまうから。

でも、頬を伝う熱いものをとめることはできなかった。

ぼやけた視界に緋色の袴姿が浮かんだ。

「よくやった、えらいぞ。辻」

光の巫女ここに降臨。

「い、いいらしゃーーん」

夢中で飛びつき腰にしがみつく。

「どしたぁ辻。どっか痛いか。ん?」
ふるふると首を振る。
「ありがとな、辻。加護も。カオリ感動しちゃったよ」

「計算違いでした。こんなに早く交神が終わるとは」

未だ冷静さを保つ闇色の目。
その目を見て飯田は言った。

「あんた、悲しい目をしてる」

「!!」

はじかれたように男は手を顔の前にやる。
鉤状に曲げた指の間から見える男の目に初めて動揺の色がうかがえた。

「……さすがは『光の巫女』。……やはりあなたは恐ろしい……」

手を振り下ろすと同時に後ろを向く。

「ゴズキ。メズキ。後は任せました」

男と飯田の間に二つの化け物が割って入る。

飯田の手がゆっくりと上がった。


痛みをこらえて体を起こす。

全てを見届けなくては。
これから起こること全てを。
あの人の強さを。

二度と後悔しないように。
大切な人を守れるように。
いつかそこにたどり着けるように。

加護はその黒目がちな目をしっかりと見開いた。

力の差は歴然としていた。

丸太のような腕の一振りは飯田の周りに浮かぶ鈴によって全て防がれる。

──しゃん

鈴がその涼やかな音色を響かせるたび妖魔の体の一部は光の粒子と化す。


しなやかな手の動きに合わせ鈴が宙を舞う。

鈴にあわせて光がはねる。

美しかった。

まるで華麗な舞を見ているようだった。

「凛!」

無数の鈴が妖魔の体に突き刺さる。
断末魔の声をあげ二つの呪われた巨体は光の柱に変わった。

暮れかけた境内に蝉の泣き声が蘇る。

懐に鈴を収めた飯田が目を細め小さくつぶやいた。

「くっそー、あいつ逃げたな」

境内には男の姿はなかった。

はは、やっぱすごいなあ。
うちなんか足元にも及ばんやんか。
なんか、ちょっとショックやわ。


うつむいた視界に入ってくる飯田さんの足先。

「加護。ありがとな。辻守ってくれて」

上げた視界にはやさしい笑顔。
全てを見通すような透明な笑顔。

飯田さん……
そんなんいうの反則ですやん。
そんなこといわれたら……

涙止まらなくなりますやんか……

「いいださん」
「ん、どした。辻」

「辻はおなかがすきました」

あれ?なんで笑うんですか?
あ、あいぼんまで。
もー、なくか笑うかどっちかにしたほうがいいよ。

「はは、何が食べたい?辻」
「あげぱんがいいです」
「よーし、カオリが作ってやる!」
「わーーーい」

みんなぶじだったし、あげぱんもたべれる。
きょうはとってもいい日でした まる。

 

第四夜  黄昏の住人

 

「ひ、ひええええ!」

転ぶように逃げ惑う一人の男。
明らかにチンピラとわかるその男。
その目に浮かぶのは暗い恐怖の色。

「な、なんなんだこいつ!!」

路地を曲がった男は目の前に現れた壁に絶望を感じた。

「くそっ」

背中に感じる気配。
怖いもの見たさか首が勝手に後ろを向く。


月明かりに浮かび上がるシルエット。

決して大きくはないその体。
しかし吹きつけて来る圧倒的な威圧感。

ゆらり。
影が一歩前に出る。

足音は響かない。
音もなく距離を詰める影。

兄貴分から使用を止められている拳銃を抜かせたのは
その恐怖だったろうか。

「く、くたばりやがれ!!」

冗談のように軽い音。
中国製の粗悪な銃は鉛の玉を打ち出した。

前のめりに倒れる影。
恐怖がその体のうえにさらなる熱い雨を降らせてゆく。
破裂音はすぐに撃鉄がむなしく空打ちする音に変わった。

「ざ、ざまあみろ」

音を聞きつけた奴がいるかもしれない。
急いで逃げようとする男の視界にぴくりと動く指先が見えた。
ゆっくりと上がってくるその頭。

絶望に顔を歪ませた男が見たものは
月の光に照らされて輝く白い仮面だった。

青く輝く星地球。

漆黒の宇宙空間に浮かぶその姿は本当に美しい。

超次元高速機ホワイトドラグーン。
銀河連邦警察の次元監視船であるそれは美しい星を鑑賞するには
最適な位置にあった。

もちろん、時空を少しずらしているため誰にも気づかれることはない。

「ほえー、これが宇宙船の中かぁ」
「正確には宇宙船ではないですけどね」

今日は矢口さんをご招待。
さすがに物珍しいのだろう。
小さな体を精一杯伸ばしてあたりを眺めている。
年下のあたしが言うのもなんだがとても可愛らしい。

「ねぇ、ひとみちゃん」
「なに?梨華ちゃん」

振り返るとかわいいエプロンを着た梨華ちゃんの満面の笑顔。

「ゼリーつくったんだけど、食べない?」

ぴくっ

「え、い、いや、あたしはいいよ」
「えーなんでー」

ハの字になる眉毛。

「あ、もしかして照れてるの?」

──い、いや、そうじゃなくて……。

「ほら、よっすぃー、あーーん」
「ちょ、ちょっと梨華ちゃん」

──ヤ、ヤバイっす。

「あ、いらないんならオイラ食べる!」
「だめですよ。これはひとみちゃんに」
「いいじゃんか」

──あ、や、矢口さん。それは……。

「いっただき!!」
「あーー」

一口頬張った矢口さん。
一瞬の間。
一気に噴き出す赤いゼリー。

「な、なんじゃこりゃあああ!!!」

──ああ、やっぱり……。

矢口さんに散々毒を吐かれた梨華ちゃん。
しおしおとうなだれて下がっていく。
ああ、見た目はあんなに女の子らしいのに……。

「ところで、やつらの居場所わかるんだって?」
「あ、はい。時空の歪みを測定することで敵の出現を感知することはできます」
「便利だね。圭織に頼るわけにもいかなくなったからなあ」

『交神』と言う能力で相手の動きを探っていた飯田さんは
先日その無防備なところを襲われたらしい。
どうにか撃退したようだがまた襲ってこないとも限らない。

「人手は相変わらず足りないしね」

肩を落とす矢口さん。

──大丈夫。あたしがついてます。

「じゃ、また連絡してね」
「はい」

用事があると言う矢口さんを地表まで転移しあたしはブリッジに入った。

「うっ」

どんよりした雲の下には膝を抱えた梨華ちゃん。
──やっばい、完全にネガティブモード突入だ。

「……ひとみちゃん」

「な、なに?」

「あたしやっぱり駄目な子なのかなあ」

「そ、そんなことはないよ」

背中を伝う冷たい汗。
ああ、こういうの苦手なのに……。
誰か助けて……。

日ごろの行いはこういうところに現れる。
あたしの祈りは天に届いた。
鳴り響く時空の歪みを感知したセンサー音。
ああ、神様。私は良い子にしてましたよね。

「い、いけない。すぐ出動しなきゃ」

上目づかいでこっちを見ている梨華ちゃんを押しやり慌てて出口に向かう。
心の中で小さなガッツポーズ。
今日だけは敵に感謝しなくては。

「矢口さんにも連絡しといて」

「ちょ、ちょっと、ひとみちゃん。……もう!」

ふくれっつらの梨華ちゃんを横目にあたしはブリッジの扉を閉めた。

時間は少しだけさかのぼる。

昼なお薄暗い裏通り。
歩いているのは妙に違和感のあるカップル。

前を行くのは派手なアロハシャツを着た若い男。
その後ろを行くのは端正な顔をした少女。
デニムの上下に身を包んだその姿は未だ幼さを残している。
左手はその体に似合わない大きなかばんを抱え
右手は男の腕を後ろ手に捻りあげている。

先に行くのは男のほうだが主導権は少女にあるようだった。

けだるそうな足取り。

一言も会話を交わさぬまま奇妙な二人連れはあるビルの前で足を止めた。

建設途中でいかなる障害が生じたのか。
完成には程遠い姿で放置されたその建物は巨大な動物の屍骸にも似ていた。

「ここ?」

少女の問いにうなずく男。
少女を見る目にはなぜか恐怖の色がある。

男の後ろからビルの中に入る。
周囲に目をやるが変わった様子はない。

「本当にここなの?」
「ま、まちがいねえ」

そのとき眠たげに半分閉じられていた少女の瞳が転がる物体を捕らえた。

小さな子供が遊ぶボールのようだった。
ピンクの表面にアニメのキャラクターがプリントされている。
薄汚れた二次元美少女の笑顔が物悲しさを誘う。

ボールはゆっくりと転がり、立ち尽くす二人の前に笑顔を見せて止まった。

顔の半分もありそうな大きな瞳。
ふいにその瞳に赤い液体が盛り上がる。
とろりと零れ落ちた液体は次第にその量を増しボールの下に紅い水溜りをつくった。

小さなその球のどこにこれほどの液体が溜め込まれていたのか。
紅の涙は留まる事を知らず床の色は見る間に血の色に侵食されていく。

ぬらり。
床に広がった赤い表面が丸い形に持ち上がった。
水面に浮かび上がるように丸い頭とその下の胴体がその姿を見せる。
幾何学的な球面で構成されたその体は明らかに異世界の物と知れた。
ぬらり。
浮かび上がった影は一つではなかった。次々と奇妙な体が浮かび上がってくる。

「ひ、ひいい」

零れ落ちそうなくらい目を見開いていた男はその光景を見ると
引きつったような叫び声をあげ外へと走り去った。

あいかわらず表情を変えない少女を幾何学な生物が取り囲む。

「めんどくさいなあ」

少女は軽くため息をつき懐に手を入れる。
取り出したものはこの場にはひどく不釣合いだった。

白い仮面──ホッケーのゴールキーパーがつけるようなマスクが
少女の気怠げなその顔を覆い隠す。


──周りの空気がその色を変えた。

 

『歪みが検出されたのはそのビルよ』

問題のビルの前に吉澤は一人立っていた。
念のためコンバットスーツを着装した後慎重に歩を進める。

『その先に強い反応があるわ。気をつけてヨッスィー』

ヘルメットの内側から聞こえるパートナーの声に新たに気持ちを引き締める。

開けた空間にその身を進めた白銀の体が目の前の光景に動きを止めた。

折り重なって溶け崩れる妖魔の死体。
そしてその中央には……
ホッケーマスクをかぶった謎の人物。

──敵?それとも味方?

確認するひまもなくホッケーマスクから何かが飛んでくる。
とっさに避けた体の後ろには一つの凶器が突き刺さった。
肉厚の刃をぎらりと光らせるそれは大ぶりのナタだった。

──話し合いの余地は無しか……

右手に持ったブラスターを謎の人物に固定する。

──殺すのはまずいかな。とりあえずはこれで。

死なない程度に威力を抑えたブラスターを撃つ。
避ける様子も無く光線を受けた体は後ろに倒れこんだ。

──ふう。

倒れていた体が操り人形のようにむくりと起き上がった。
その表情はマスクに隠され伺うことができない。

──くっ!やっぱり中途半端な攻撃じゃだめか。

突然こちらに向けて感情がぶつけられる。
空気の色さえ変わってしまうかのようなそれは
凝縮された殺気だった。

全身の毛がそそけ立つ。

──敵味方関係なくこいつはやばい。
今度は手加減なしだ。

ゆっくりとこちらに向かうその体に今度は通常出力で撃ちこむ。
体を貫いた光線が後ろの壁まで破壊した。
ニ撃目を加えようと構えたブラスターが強い衝撃に撃ち抜かれる。

「くうっ!」

弾き飛ばされたブラスターを貫いていたのは一本の五寸釘だった。

釘を投げ終えた体勢のまま止まっていたマスクがゆっくりと前進を始める。
確かに光線が貫いたはずの体には傷一つ無い。

──なんだこいつ!
こうなったら本気でいくしかない!!

「うわあ!!」

コンバットスーツの表面が火花を上げる。

『ヨッスィー大丈夫!!』

目の前で唸りをあげているのはチェーンソーだった。
ガソリンエンジンで鈍く光る刃を回すその凶悪な道具が
宇宙刑事に容赦なく襲い掛かってくる。

重たげなそれを軽々と振りかぶり白い仮面が切りかかる。

かわしたところにあった柱に回転する刃が半ばまで食い込んだ。

『ヨッスィー!さっきの攻撃でスーツの出力が低下してるわ。気をつけて!」

──これほどの相手とは……。
こうなったら自分の持てる全てをぶつけてやる。

レーザーブレードを構え、エネルギーを集中させる。
ゴーグルの奥の電子アイが光る。

「ヨッスィー・スラァァァッシュ!!」

一気に間合いを詰め、右上から左下に逆手に持ったブレードを一気に振り下ろす。
衝撃で吹っ飛ばされた体が十メートルは離れた壁を瓦礫にした。

──手ごたえ有り。


瓦礫を押しのけてホッケーマスクが現れる。
コンバットスーツの中を冷たい汗が流れ落ちた。

──通常攻撃では最大の威力を誇るあの技でもだめか……
これでだめだとすると後は……

『だめよ!ヨッスィー!あれは危険すぎるわ!!』
「でも、あいつを倒すにはもうあれしかない」
『でも、許可もなくあの武器を使うわけには……』
「そんなことをいってる暇はない!!」

ブウン。
コンバットスーツの肩に巨大な砲身が転送されてくる。

先ほどよりも高く純粋なエネルギーを砲身に集中させる。

──いくら不死身の怪物でも原子レベルにまで分解してしまえば!

高純度のエネルギーが臨界を迎えようとするその時!


「ちょーーーーっとぉまったあーーーー!!!!!」

いきなりこの場にはそぐわない声を上げて小さな影が飛び込んできた。

「あれぇ、やぐっつぁんじゃん。げんきぃ」

マスクを取った少女が気の抜けるような声を掛ける。
先ほどまで感じられていた禍禍しい空気は完全に消え去っていた。

「はいはい、あたしはいっつも元気だよ。
 それより、よっすぃーはあたしたちの味方なんだから攻撃しちゃだめだよ。
 わかった?」
「なーーんだ、この人味方なんだ。あたし後藤真希。ごっちんって呼んでね」
能天気な声であははと笑う。

「それよりも隠しなよ。それ」
「んあ」

必殺の一撃を食らった服は大きく裂けており胸元がすっかり露出していた。

(ちっ、こいつまたでかくなってやがる。……牛乳か?牛乳飲まなきゃだめなのか?)

思わず考えに浸ってしまった矢口にそれまで固まっていた吉澤が話し掛けてきた。

「や、やぐちさん」
「ん、どした。よっすぃー?」

「あの、あたし今すっっっげー怖かったんですけど……」
「ああ、こいつはこういう奴だから。ま、気にしないで」
「気にしないでって……」

バッグから出した服に着替えた後藤はなんだか眠そうだった。

「つーことは結局無駄足か」

後藤が追っていた男──新宿で50人の信者と共に姿を消した
カルト教団の教主への手がかりはここで完全に途絶えていた。


「奥の部屋に在ったよ。50人分」

きれいに円を書いて座っていた50人。
──その全てが首から上を失っていた。

「なんかの儀式をしたんだろうね。ここで」

淡々としゃべる矢口の目には抑えきれない怒りの炎が燃えている。

自分の目的のために他人を平気で犠牲にする。

──許せない。

『我は究極の欲望を求める者』

──そんな欲望なんか粉々に打ち砕いてやる!!

事後処理を任せるため中澤に連絡を入れた矢口は軽くため息をついた。

「こうなるとアイツの情報だけが頼りだなあ」
「あいつって?」

疑問の顔を見せるひとみを矢口が悪戯を思いついた子供の顔で見た。

「そうだね、よっすぃーにも紹介しといたほうがいいかな」
「?」

「今日ドイツから帰ってきたんだ。『青い狼』が」

眠たげに立っていた後藤の耳がぴくりと動いた。

急にハイテンションになった後藤を加え三人は指定された場所に向かった。

夕暮れの波止場。
こんな時間にこんな場所。
当然のように人気は全くない。

「久しぶりだね」

掛けられた声に振り向くとそこにはショートカットの髪をなびかせた
スレンダーな少女が立っていた。

「……いちーちゃん」

市井と呼ばれた少女はにこりと笑う。


ふいにその手が大型拳銃を取り出し後藤を撃った。
後藤の腹に拳大の穴が開く。
だがそのときには既に後藤の手からはナイフが飛んでいた。
ナイフは正確に市井の右目に突き刺さり
勢いで首の骨が折れるごきりという音が響いた。

倒れかけた体をふんばってこらえる。
ぐらつく頭を抑え短髪の少女が言った。

「やるねぇ腕あげたじゃんか。後藤」

右目からナイフを引き抜き笑う。
見る間に傷がふさがっていく。

折れていた首をぐるりと回す。
そちらも既に完治しているらしい。

「マグナムは反則だよ」

後藤も起き上がり穴のあいた服を引っ張る。
撃たれたところに傷は無くどういうわけか血までも消えている。

「たまには趣向を変えないとね」
「もー、この服お気にだったのにぃ」
「ふふん、ちゃんと代わりの服持ってきてるよ。ほら、プレゼントだ」
「きゅーーん。だからいちーちゃん好き」
「はっはっは。後藤は相変わらずかわいいなぁ」

     ・
     ・
     ・

「……やぐちさん」 
「……ばけもんの考えることはわからん」
矢口は憮然としてつぶやいた。

「ソロモンの笛?」
「そう、圭織のいってた妖魔を操る笛っていうのはたぶんそれのことだよ」

ドイツに出向中の市井紗耶香。
その市井がもたらした情報は敵が妖魔を操る方法に関するものだった。
前回の『交神』で得た情報を元に向こうで手掛かりを探していたのだ。

厳格な老学者が契約した悪魔によってもたらされた一本の笛。
それは全ての悪魔を従えることのできる恐ろしいアイテムだった。

「ベルリンの森の奥に封印されてたみたいだけどね。
 確認したら無くなっていたよ」
「それじゃ、その笛をアイツが……」
「たぶんね」

「でもそんなもの、いったい何の目的で……」
「そこまではわからない」
吉澤の疑問に市井が答えた。

先ほどの光景が頭をよぎる。

目的なんて関係ない。
アイツはこの手で倒してみせる。

矢口の小さな体には闘志が漲っていた。

「だけどちゃんと手も打っておいた。後で明日香のところに顔出しとくよ」
「明日香に?」
「こっちも切り札を用意しとかないとね」

不敵に笑う『青い狼』。

「どうせ、何が切り札なのかは教えてくんないんでしょ」
「良くわかったね」
「長い付き合いだからね」

笑いあう二人。
共に戦ったもの同士だけにある信頼。

「ねえ、いちーちゃん。今日は一緒にお泊りしようよ」
「そうだね。こっちには2、3日は居るつもりだから。
 明日香のところに寄ってその後食事にしようか」
「わーーい」

「んじゃ、解散にしますか」

吉澤はふと自分を待つ石川のことを思い出した。
気が重い……。

「あ、そうだ。よっすぃー」
「なんですか?」
「うちの後輩がさ、宇宙船見たいって言ってたんだけど
 今度行ってもいいかな?」
「あ、はい。そうだ!なんだったら今から来ませんか?」
「え、いいの?」
「はい!」

ふう、梨華ちゃんには悪いけどこれでどうにかごまかすことにしよう。

…………何をどう間違ってしまったんだろう。

目の前にはどよどよの雲を頭の上に置いた梨華ちゃん。
後ろにはけたたましい声で騒ぐちびっこ。

「のの!今度はこっちの部屋やで!!」

「あいちゃん!このへやぜんぶピンクなのです!きもち悪いのです!」

「あたしが……。あたしがきちんと注意しないから……」

目の前には青く輝く地球。
美しいその姿を見つつあたしは後悔と言う言葉を何度も頭の中で繰り返していた。

ああ、神様。私は何か悪い事したのでしょうか……。

 

第五話  最強の称号

 

強くなりたい。

そんなうちの願いを聞いた矢口さんが紹介してくれたのは
フリーの凄腕とのことだった。

原宿の駅前6:00集合。
すでに30分もオーバーしている。

この時期いまだ太陽の力は強く
日中に暖められたアスファルトが溜め込んだ熱を放出している。

正直暑い。

──しっかり鍛えてもらえ──
矢口さんの悪戯めいた笑顔が思い出された。

「はあ」
ため息を一つ。

仕方なく周りを歩いている人に目をやる。

原宿だし、お人がうじゃうじゃ。

定番のクレープをかじりながら歩くカップル。
──ええなあ。うちも恋してみたいなあ。

汗を拭きながら急ぎ足のサラリーマン。
――あーあ、まだ仕事かいな。大変やな、おっちゃん。

極端に短いスカートを穿き携帯で何かを話している女子高生。
――パンツ見えそうやな。今度うちもあんなん着てみようかな。

地味な白いワンピースを着て走っている少女。
――いまどきあんなカッコはないやろ。田舎の子やろか。

「いやぁ、ごめんごめん。おまたせ」
田舎の子が声をかけてきた。

にっこり微笑むお陽さまのような笑顔。

「あなたが加護ちゃん?。あらら、なまらめんこいでないかい」

それが、フリーの凄腕「安倍なつみ」との初遭遇だった。

安倍なつみ――日本で最強の念法使い。

彼女にはいろいろな伝説がある。
京都にあった巨大な呪詛を浄化した。
ドイツからやってきた数百年を生きた魔導師を滅した。
一人で邪神を崇めるカルト教団を壊滅させた。
1999年アンゴルモアの大王を止めた。
……最後のは嘘やろ。

ともかく、となりで太陽のような笑顔を見せている女性と
そんな伝説はどうやっても結びつかない。

「ごめんねぇ。つきあわせちゃって」
「あ、いいえ。こちらこそ」

安倍さんはこれから急に入った仕事があるのだそうだ。
修行は後日、日を改めてと言う安倍さんに
無理やりお願いしたのはうちの方だった。

この間のことでわかった。
いま自分に足りないのは実戦の経験だ。
そう思っていたうちにとって実際の現場を見れることは
とても勉強になる。
そう判断してその仕事に付いて行くことに決めたのだ。

「ところでさ、加護ちゃんはなんでなっちのところへ来たんだい?」

目的地へ向かう途中安倍さんが話し掛けてきた。

「……強くなりたいんです」
「強く?」

ふいに思いがあふれてきた。
唇を噛み締める。

「誰にも負けないくらい。
 妖魔なんか全部いっぺんに倒せるくらい。
 どんな奴にだって勝てる圧倒的な力。
 飯田さんや安倍さんのようなそんな強い力が欲しいんです」

それを聞いた安倍さんはなぜか少し寂しそうな顔をして微笑んだ。

「なっちたちは強くないよ」

「そんなこと無いです!だって……」
「着いたべさ」

着いたのはこのあたりでは珍しい小さなマンションだった。
周囲の喧騒が嘘のようにぽっかりと寂れている。
小さいながら玄関にはおなじみの計算機のようなパネル。
ここにパスワードを入れるとドアが開く仕組みだ。
管理人の姿は見えない。
というより電気すら通じていない。

──こんなもんどうやって開けぇっちゅうねん。

「あの、安倍さん。コレ鍵が……」
「ああ、電子キーっしょ。ちょっとどいて」

そういうと安倍さんは右手の木刀で軽くパネルをついた。
あっさりとドアが開く。

──!?なんでやねん。い、イヤそれよりも……

「さっ、行こうか」
「あ、あの、安倍さん。それどっからだしたんですか?」
右手に持ったままの木刀を見て尋ねる。

ついさっきまでは何も持っていなかったはず……
それどころか、かばんのたぐいも持っていない。
薄手のワンピースにももちろん隠せるような場所はない。

「やだなあ、加護ちゃん。そんな事聞かないでよ。なっち恥ずかしいっしょ」
肩をぺちぺち叩かれる。

……よけい気になるがな。

気が付くといつのまにか木刀は消えていた。
さすがにどうやって消したのか聞こうとは思わなかった。

 

念法。
それは精神の力である。
──らしい。

正直、うちには良くわからない話だった。
だからこれは全て保田さんから聞いた『ウケウリ』だ。

腰部
脾臓

心臓
咽喉
眉間
頭頂

7つの部位にある『チャクラ』と呼ばれる霊的機関をまわすことで
高純度の精神エネルギーを作り出す。

一般に訓練をつんだものでも臍のチャクラを制御するのが精一杯であり、
眉間、頭頂のチャクラの制御にいたってはよほどの修行を積んだ高僧でなくては
辿り着くことのできないほどの境地である。

これによって生まれた精神エネルギーを訓練によって練磨することで
媒介物を通して相手にぶつける事ができるようになる。

これが念法の極意なのだ。

……なんのこっちゃ。

なんやようわからんけど安倍さんはすごいのだ。多分。

目的の部屋は4階だった。
右から4番目4号室。

……すごい。
この位置からでも部屋から吹き付けてくる妖気を感じる。

「ここはね」

笑顔を消した安倍さんが話し始める。

「もともと霊気の通り道だったんだ。そんなところにマンションなんか建てたから……。
 行き場の無くなった霊気が凝り固まってしまった」

「一度澱んでしまった霊気は妖気へと変わり周りの霊気を集めようとする。そして……」

「その妖気に取り込まれた霊気──魂は自らも悪霊に変わる」

「悪霊に変わってしまった魂は……もう助けてあげることはできない……」

寂しそうに目を伏せる。

そんな安倍さんを見てうちは少し戸惑っていた。
悪霊──妖魔は敵だ。
今までそうとしか考えたことは無かった。
だからうちは……戸惑っていた。

何かに気が付いたように安倍さんは軽く眉を寄せた。
「聞こえる……」
「え?」

ふいに真顔になった安倍さんがこちらを見た。

「加護ちゃん」
「は、はい!」
「あのね、ちょっとお願いがあるんだけど」
「なんですか」

「これから何が起こっても手を出さないで欲しいんだ。
 何があってもそのまま見てて。
 なっち一人に任せて欲しいんだ。
 いいかい?」
「あ、はい」

もともと仕事の邪魔をするつもりは無い。

「んじゃ、指きり」

立てた小指を持ってくる。

「ゆーびきーりげんまーーん。うそついたらはりせんぼんのーーます」

指をきった。
再び現れるお陽さまの笑顔。

「じゃ、いこか」

再び現れた木刀でドアを軽くつく。
はじかれたように開くドアの向こうから怨嗟の声が聞こえた。

部屋のなかが見える。

そこは悪夢のような場所だった。

壁は血液が流れているかのように脈打ち、床は歪に盛り上がっている。
そしてその部屋の中には黒い影が所狭しと飛びまわっていた。

「加護ちゃんはここにいてね」

木刀を床に滑らす。
いくらも力を入れたようには見えなかったのに床には
丸い円が刻まれた。

「この中なら悪霊も入ってこないから」
「わかりました」

おとなしく簡易的な結界に入る。
最高級の退魔師の実力しかと見せてもらう。
うちは少しわくわくしていた。

部屋の中央に進む安倍さんの体が薄く光っていた。
腰のあたりから喉に掛けて、一直線に光がとおっている感じだ。

あれが『チャクラ』なのだろうか。

その光におびえるように悪霊たちが少し引いたように見えた。

きっとあの木刀でばっさばっさと悪霊を切り捨てていくんだろう。
うちはそう思っていた。

しかし安倍さんは中央までたどり着くと木刀を持った右手を下げ
そのままゆっくりと目を閉じた。

──なんで!?
なんで一気に倒さへんねん!!

おびえたように様子を見ていた悪霊がその周りを取り囲み始める。
悪霊たちは見る間にその数を増し安倍さんの体を押しつぶした。

「安倍さん!!」

思わず腰に下げていた『如意棒』を取り出す。

「大丈夫!約束だよ。手を出さないで」

悪霊の塊のなかから落ち着いた声が聞こえた。
その声にあわせるように安倍さんの頭のあたりの悪霊がはじけた。

額に輝く光。

古来、高位の霊力者に見られる第三の目。
それは頭頂のチャクラに次ぐ高位のチャクラ
──眉間のチャクラだった。

眉間を中心に悪霊がぐずぐずと解け崩れていく。
再び現れた安倍さんは目を閉じ何かに集中していた。

「みつけた」

ふいに目を開けた安倍さんが木刀を青眼に構えた。

鋭い気合の声と共に壁の一点に木刀が突き刺さる。

吹き飛ぶ窓ガラス。
外の空気が一気に室内に流れ込んできた。

形容しがたい声をあげて悪霊が部屋中を飛び回る。
あまりの怨嗟の声に目が開けていられない。

やがてその声は小さくなり禍禍しかった空気も元の落ち着きを取り戻してゆく。

目を開けたうちの視界には中央でたたずむ安倍さんの姿が映った。

風にたなびくワンピース。

そしてその手の上には光る球。

……あれは……まさか取り込まれていた魂?
……まだ残っていたんだ。

「ごめんね。あなたしか助けてあげられなかった……」

安倍さんは悲しそうな声でつぶやいた。
しかしあの強烈な呪詛の中であんな小さな声を聞いていたというのか。

「サ、サムイ……。サムイ……」

「大丈夫、もう寒くないよ」

手のひらに柔らかな光が集まる。

「ア、アア、アタたかい……。あたたかい……。ありがとう……」

「さあ、ゆっくりおやすみ」

小さな光が天へと帰ってゆく。

そしてうちは見た。
最高位のチャクラ──頭頂のチャクラを。
頭の上で輝くそれはまるで天使の輪。
風を受け翻るワンピースは天使の羽根。
そしてその笑顔は……。

「ありがとうございました」
「ほんとにいいのかい?なっちまだなんも教えてないべさ」
「いいえ、とっても勉強になりました」

戸惑った顔の安倍さんに御礼を言って別れを告げる。
安倍さんはうちの姿が見えなくなるまでずっと見送ってくれた。

うちが求めていたものはなんやったんやろう。

妖魔なんか全部いっぺんに倒せるくらいの強さ。
どんな奴にだって勝てる圧倒的な力。

でも……。

強さだけが全てじゃない。
力だけが全てじゃない。
うまく言えないけど今はそんな気がした。

あの笑顔。
心のそこから素敵だと思った。

きっと矢口さんはこのことを伝えたかったんや。
そう思った。

まっすぐ帰るのがもったいなかったので飯田さんのところに寄ることにした。
偶然にも矢口さんが来ていた。

もしかしたら今日の結果を聞きたかったんだろうか。
うちはなんかちょっと感動していた。

「おう、加護。どうだった?」

「はい、とっても勉強になりました。
 あの……矢口さん……ありが……」

「いやぁ、いっつも子守りを押し付けられてるからさ。
 なっちにも苦労を味あわせてやりたかったんだ。
 ザマミロ、きゃはは」

…………そういうオチかい。べたべたやんか……。
……はあ……少しでもこの人に感謝したうちがアホやった……。

 

番外編  チャーミーにお任せ

 

──調査報告

太陽系第三惑星「地球」について。
この星には我々の調査では確認できなかった不可解な力が存在する。
この力は主に精神を物理的な力に変化させるものであり……

「まてー、ヨッスィー」

またオカルティシズムをベースとした……

「にげたらだめなのです。おとなしくするのです」

さらにこれらの……

「ちょ、な、なにするんだ。やめろって」

パタン
報告書を作成していた端末を閉じる。

そうよ、今日こそはびしっと言わなくちゃだめよ。
でも、あの子達私の言うこと聞いてくれるかしら……。
ううん。だめよチャーミー。もっとポジティブにならなくちゃ。

「ちょっとあなた達!」

三人の動きがぴたりと止まる。

「船の中で大騒ぎしないで!私たちには仕事があるんだからね!!」

顔を見合わせる子供二人。
小悪魔めいたその笑顔。

「りーかちゃんごめんねー。へへへ」
「ごめんなのです。てへへ」

「何?その心のこもってない謝り方」

「……心の狭い女」
「おせっきょうはやめてです」

「ちょっと、何開き直ってるの」

「偉そうにゆうとるで」
「りょうりもできないくせに」

ぐさっ

「か、関係ないでしょ。料理のことは」

「この間の焼きそばもひどかったな」
「そうです。梨華ちゃんのつくったやきそばトイレのにおいがするのです」

「な、何てこというのよ。あなた達」

「わーー!トイレ!トイレ!」

はやしたてる小悪魔とあわてふためくひとみちゃん。

ああ、石川もうだめ……。


──調査報告

太陽系第三惑星「地球」について。
この星きらい……。

はあ。

ため息。

きっと頭の上には黒い雲がのってるに違いないわ。

「どうしたの?梨華ちゃん」

ひとみちゃんの声。

「わたしだめなの」
「なにが?」
「矢口さんにはいつも殴られるし……。あの子達には馬鹿にされて……。
 わたしもう自信が無くなって……」

自分がネガティブになっていくのがわかる。
心が冷たく沈んでいく。

駄目……。
もう涙が……。

「梨華ちゃん」

温かいひとみちゃんの声。

「落ち込むこと無いよ。
 梨華ちゃんはいつも一生懸命やってるじゃない。
 それに心配しなくてもいいよ。
 みんなきっと梨華ちゃんのこと好きだよ」

やさしい笑顔。
ほんわか暖かい笑顔。
なんだか、心の中がすうっと軽くなった気がした。

「ありがとうひとみちゃん。わたし元気が出てきたわ」

やっぱりひとみちゃん素敵。
そう今がチャンスよ。

「ひとみちゃん。あの……わたし、ひとみちゃんのことが……」

上目遣いで見上げる。
潤んだ瞳。きっときらきら輝いているはず……
そう、上出来よ。これならきっと。

見詰め合う二人。
ひとみちゃんの手がわたしの肩に……。

「梨華ちゃん……」

ああ、もうわたしどうなっても……。

目を閉じて期待に胸を膨らませる。

「あ、定時連絡の時間だ」


………………そう、長い付き合いでわかっていたわ。
ひとみちゃんはとっても……鈍感だってこと……。


うう、ファイトよチャーミー……。

報告から帰ってきたひとみちゃんの様子がおかしい。
左手で頭を押さえて目を閉じている。

「どうしたの?ひとみちゃん」
「なんでもないよ。ちょっとめまいがしただけだから」
「ちょ、ひどい熱!」

頭に手をあてて驚いた。
燃え上がるような体温。

ふらつくひとみちゃんに肩を貸し何とか医療室まで連れて行く。

ベッドに横たわったひとみちゃんは荒い呼吸を繰り返している。
医療ユニットが全身をスキャンしマスクが口元に降りてくる。

やがて規則正しい呼吸で眠りについたひとみちゃんを残し
わたしはブリッジに戻った。

この星に赴任する前に一般的な検疫の手続きは済んでいる。
しかしこの星特有のウイルスに感染したのだとしたら……。

頭を振って悪い考えを追い出す。

──とにかく今は待つしかないわ。
すぐにコンピュータが診断の結果を知らせてくれるだろう。

はあとため息をついてテーブルに突っ伏す。

その時緊急連絡用の鋭いアラーム音が鳴り響いた。

──なに!?

急いでコンソールを操作する。

     *** 報告 ***

 手配中の逃走犯「AK−26号」が地球に飛来した模様。
 至急調査されたし。

──そんな……こんなときに……。

もちろんほおっておくわけにはいかない。
どんな被害が起きるとも限らないのだから。

──どうしよう。矢口さんに連絡……。
ううん。これは私達の問題。
あの人たちに迷惑を掛けるわけには……。

医療室のあるほうに目をやる。

──わたしが……わたしがやるしかない!

逃走犯のものらしい隕石が落ちたのはこのあたりだった。
幸い山の中だったのでそれによる被害は無い。

──街に入る前に見つけなくちゃ。
近距離用のレーダーであたりを探る。
電波を妨害されているのか何の反応も無い。

わたしは改めて自分の格好を見た。

いつもの定番のコスチューム。
白いフリルのついたブラウス。
ピンクのウエスタン調のベスト。
同じくピンクのミニスカート。
そして白いブーツ。

右手にブラスターを持ってはいるが
余りにも頼りない。

「!?」

緊張していた体が後ろからの気配を感じる。
あわてて前に飛び込み前転。
さっきまで立っていた場所が
じゅうじゅうと得たいの知れない煙を上げていた。

膝立ちのままブラスターを構える。

銃口の向こうに醜悪な怪物が立っていた。

その姿は二足歩行の蟹を思わせた。
口からはぶくぶくとあわが噴き出している。

びゅっとそのあわがこちらに飛んできた。

横に転がって交わす。
さっきと同じように煙が上がった。

再びブラスターを構える。

しかし怪物は見かけによらぬスピードで一気に
間合いを詰める。
あっと思ったときにはもうブラスターが蹴り飛ばされていた。

でもその隙にしゃがんだままの体勢から相手の腹を蹴り上げ
そのまま前に転がる。

間合いを取って立ち上がると敵は既に間合いを詰めてきていた。

「くっ!」

ミニスカートから伸びた足を甲羅のような顔面へと伸ばす。
しかしその攻撃は見切られ逆にはさみのついた手で殴り飛ばされた。

「きゃあ!!」

草むらに倒れこむ。

このままじゃやられちゃう……。
こうなったら……。

口に滲んだ血を拭い立ち上がる。
怪物は組し易いと踏んだのかすぐには襲ってこない。

きっと相手をにらみポーズを決める。
鋭く叫んだ。

「瞬着!!」

コンバットスーツは装着者に合わせてメタモライズされる。
だからサイズの心配は要らない。

一応、研修のときに一通りの操作方法は教えられている。
ただ、実戦で試したことは無い。
不安だ。
でもやらなくては!

一ミリ秒の間にそれだけのことを考え装着は完了した。

「宇宙刑事チャーミー!!」

白く輝くメタリックな体。
それを見た怪物は再びあわを飛ばしてくる。

大きくジャンプしてかわし腰のブラスターを打ち込む。
光弾を浴びた体が大きく揺らいだ。

今だ!!

重力に身を任せその勢いも利用し逆手に持った
レーザーブレードを一気に振り下ろす。

「チャーミー・ダイナミック!!」

やった!!

甲羅に包まれた体はぴくりとも動かない。

後はこのフリージングカプセルに圧縮冷凍すれば……。

近づいた足をつかまれた。
心臓が跳ね上がる。

そのまま投げ捨てられた。
2〜3回バウンドして木にぶつかる。

痛みをこらえ顔を上げる。
既に目の前まで迫っていた怪物がわたしを仰向けに押し倒した。
目の前には醜悪なその顔。
開いた口からは草むらを焼いたあわが垂れてくる。

「ひっ!」

かわしたすぐ横で雑草がその色を変える。

両肩を押さえられた。
今度は逃げようが無い。

やっぱり…わたしじゃあ……。

死の予感に思わず目を閉じる。

ズギューン!

銃声と共に圧迫感が消える。
目を開いた。
目の前には肩を押さえた化け物。
振り向けば……。

ひとみちゃん!!

「おまたせ」

ブラスターを構えた美少女は口の端で笑った。

「ひ、ひとみちゃん!!どうして!!」

「話は後!梨華ちゃん、空中サーカスといこうよ!」

瞬時に理解する。

「空中サーカス?。うん!わかったわ!」

お互いに向かい合い走り出す。
その勢いのまま飛び上がり交差する二人。
手を取り合いくるりと体を入れ替える。
その瞬間。
わたしを包んでいたコンバットスーツは姿を消し
ひとみちゃんの体を包み込んでゆく。

お互いの位置を交換して着地する。
振り返った。

怪物の前の白銀のヒーロー。

「宇宙刑事ヨッスィー!!」

やっぱり本物は格好良い!!

「広域逃走犯「AK−26号」。銀河連邦法第136条により逮捕する!」

それを聞いた怪物ははさみを振り上げ切りかかってきた。

集中していくエネルギー。
ゴーグルの中で光る電子アイ。

「ヨッスィー・スラァァァッシュ!!」

交差し、通り過ぎた体がどうと倒れる。

右手を振ってレーザーブレードを収めた。
倒れた体をフリージングカプセルに圧縮冷凍した後
ホワイトドラグーンに転送する。

「ひとみちゃん!!」

「ああ、梨華ちゃん。よかった、無事で」

「なにいってるの!病気はどうなったのよ!」

「あ、あれはね……」

検査の結果『風邪』という地球ではポピュラーな病気だったようだ。
免疫のないひとみちゃんには強烈だったのだろう。
急遽作られたワクチンを打ちすぐにこちらに向かったらしい。

「もう大丈夫。すっかり元気になったよ」

……嘘。
顔色なんか真っ青じゃない。
足元だってまだふらついて……。
それなのに……それなのに……。

「ごめんなさい……。
 わたしが……わたしがもっと強ければ……」
「それは違うよ」
「え?」

ひとみちゃんはにっこり笑っていった。

「強くなるのはあたしの仕事。
 梨華ちゃんには梨華ちゃんの仕事があるでしょ。
 梨華ちゃんがんばりすぎだよ。
 もっとあたしを頼っていいんだよ」

わたしは……無理しすぎてたんだろうか。
初めての仕事に気を張りすぎていたんだろうか。

「年下だけどさ。あたしがんばるから」
「ひとみちゃん……」

ひとみちゃんの胸に顔を埋める。

「駄目だよ。風邪うつっちゃうよ」
「いいの」

今だけはこうさせて……。

「ありがとう……。ひとみちゃん」

顔を上げ、わたしより少し上にある目を見つめる。
わたしを安心させてくれるその目。
やっぱりひとみちゃんって素敵。

潤んだ瞳で見上げる。
見詰め合う二人。

こ、これは……。
そう、こんどこそ……。

ひとみちゃんの手がわたしの肩に……。

「梨華ちゃん……」

ああ、もうわたしどうなっても……。

目をつぶり期待に胸を膨らませる。

「顔が赤いよ。梨華ちゃん」

……はい!?

「今度は梨華ちゃんにうつったのかな?」

心配そうに頭に手を当ててくれる。

…………ひとみちゃん。あなたって娘は……。

「よいしょ」
「きゃ」

いきなり抱きかかえられた。
これはいわゆるお姫様抱っこ。

「ちょ、ちょっと」
「今日はあたしが連れて帰ってあげる」

見上げた先にはほんわか笑顔。
……こつんと胸に頭を当て、そのまま身を任せた。

そうね。
無理せず自分にできることを精一杯やる。
それでいいのかもしれない。
いつかきっと願いは叶うと信じて。

それに。
良く考えたらこの状況。

……ああん…チャーミー……幸せ……。

 

第六夜  欲望の意味

 

逝く夏を惜しむかのように暑さの残る夜だった。

川原には涼を求めた親子連れ。
浴衣を着たその小さな手に握られた線香花火。

夜空に輝く星のようなその小さな光。
光の球は熱を失いぽとりと落ちる。

寂しげに顔を上げた幼い目に映る黒い影。
水面に浮かぶ闇の影。

不審な顔が母親を求め振り返る。
そこに広がる深い闇。

再び振り返る怯えた目。
目の前に迫る恐怖の影。

声もなく立ちすくむ小さな体。
小さな球がぽとりと落ちた。


──そして後には何かを齧る小さな音だけが残された。

「んだってんだ!ここ最近!」

地球を離れたここホワイトドラグーン。
矢口たちの見つめるテレビのニュースでは最近増加した異常犯罪を特集していた。

浅薄な口調で教育問題を語るコメンテーター。
しかし事情を知るものの目で見れば
それらの事件は裏の世界からの侵略に間違いなかった。

「いくらなんでも数が多すぎるよ」
「今の結界じゃ奴らが来るのを押さえきれないのよ」

黒ずくめの圭がため息混じりに言った。
朱雀の結界が崩壊した後、こちらに流出する妖魔の数は増大していた。
パワーバランスが崩れた今、守る側の戦力は乏しい。

「紗耶香はドイツに帰ったし、なっちは気まぐれだしなあ」
「このままじゃ、お子ちゃま達の実戦投入も近いかもね」
苦い顔をした圭がつぶやく。

「……嫌な話だね」
「そうね。正直それだけは避けたいわ。あたしにも涙ってものはあるから」

「あの……。あたしがんばりますから!」

それまで黙って聞いていた吉澤が決意を込めた目で語る。

「……頼りにしてるよ。よっすぃー」

その目を見た矢口はやさしい声で答えた。
自分よりもかなり高い位置にある吉澤の髪をくしゃりとなでる。

「今までのことでこちらの戦力は把握されたでしょうね」
それを微笑ましそうに見た圭は再び冷静な口調で続けた。

「守る側の戦力が足りない。そこを突いてくることは十分考えられるわ」
「どういう事さ?」
「例えば、残る三つの結界を一度に攻めてくるとか……」
「戦力の分断を狙ってるってことですか?」
吉澤も話に加わる。

もしそうなってしまえば……。
厳しい戦いになることは間違いない。

「そのための戦力を今は蓄えているのかもしれないわね」

妖魔による事件は増大しているが、あの男が絡んでいる形跡はない。
敵はここしばらく目立った動きを見せていない。
嫌に現実味のある予想に心が重くなる。

もしすべての結界が破られるようなことがあれば
裏と表の境はなくなってしまうだろう。
東京は……恐怖に包まれる。

「何が目的なんでしょうか」
「さあね。世界征服とか、そんなもんじゃない?」

『我は究極の欲望を求める者』

あの声が蘇る。
妖魔を操り四神の結界を破壊する。
それほどの力を持った男が望むもの。
その欲望とは一体何なのか。

考えて解るようなものではなかった。

プルルル

ブリッジに呼び出し音が響く。
通常の電話回線からのコール。
吉澤がヘッドセットを取った。
石川は買出し中のため今はいない。

「あ、はい、吉澤です。はい。……わかりました。すぐ操作します」
そのままコンソールを操作する。

「どうしたの?」
「ああ、中澤さんからの連絡です」
操作を終えた吉澤が答える。

「なんだって?」
「これからすぐにお客さんが来られるそうです」
「客?」
「はい。たしか石黒さんとか……」

びくっ。

「あ、あたし用事思い出したから……」
「ま、待ってよ圭ちゃん!矢口一人にするつもり?」
「だ、だって早く逃げないと……」

「あら、ご挨拶じゃない」

まだ若い女性の声が聞こえた。
矢口たちの体が固まる。

こわごわ振り向いた矢口たちの前に黒のツーピースを着た
一人の女性が立っていた。
その顔の中心に光るピアス。

「あ、彩っぺ……。元気ぃ……」

「おかげさまでね。旦那も娘も元気でやってるわ」

石黒彩──元退魔師にして現役の情報屋。
そして、矢口たちの先輩でもある。

ほぼ同時期にこの世界に足を踏み入れた矢口と圭は
この石黒に退魔師としての心得を叩き込まれた。
もっとも、この先輩に一番厳しく指導されたのは
『青き狼』こと市井紗耶香だったが。

そのエキセントリックな指導は三人に
退魔師としての十分な実力と一つの教訓を与えた。

すなわち『石黒彩には逆らうな』と。

「どうしたの?圭ちゃん。何か用事があるんじゃなかった?」
「い、いや。そういうわけじゃ……」
「顔色悪いわよ。針打っとく?」
「だ、大丈夫。心配しないで……」

石黒の前でだらだらと汗を流す圭を見ながら
矢口は隣の吉澤に囁いた。

「吉澤……」
「なんですか?」
「悪いことは言わん。石川だけはあの女に会わすな。
 ……死ぬぞ……」
「……ら、ラジャ」

得体の知れない恐怖を感じた吉澤は訳もわからずうなづいた。

 

写真の中には一人の男がいた。
後藤が追っていた男。
新宿のカルト教団の教主。
目を闇色に染めあげる前のあの男の顔があった。

「こいつが……」
「そう、こいつが今回の事件の主犯らしき男よ」

目を細めて石黒が言った。

「残念ながら名前は不明。本名はずっと隠してたみたいね。
 戸籍も操作された後があったわ」

「こいつのやってた宗教団体ってのは?」

「ありがちな奴ね。教団に寄進すれば『病気が治る』『健康になれる』『幸せになれる』。
 ま、典型的な宗教詐欺ってやつ?
 ただ、この教団が変わっていたのは神ではなく悪魔を信仰してたところね」

「悪魔?悪魔と契約しろってこと?」

「いいえ、悪魔と契約しているのは教主だけ。
 信者はその教主に悪魔の力を使ってもらうって訳よ」

「えらく他力本願な話ね」

圭があきれた顔で言う。

「そうね。ただ、結構はやってたみたい。一時は数百人の信者がいたみたいだし」
「それがなんで駄目になったの?」
「ある事件があったのよ」

石黒は右手のメモを見る。

「一ヶ月前に教団の幹部だった女性が一人死亡しているの」
「まさかその人をそいつが?」

勢い込んで矢口が聞く。

「ううん。本当に病死だったみたいね。ただ、その人を助けられなかったってことで
 信者の数は大幅に減ったみたい」

「そっか」

「それからこれはただの噂よ。そう思って聞いてね」

「うん」

「その亡くなった女性と教主は…………。
 ううんやっぱりなんでもない。
 情報屋は不確実な情報を流しちゃいけないのよ。
 ごめん、忘れて」

「そう……」

地上に降り、圭や石黒と別れた矢口は一人雑踏の中を歩いていた。
胸の中にもやもやがある。
なんだかパーっと騒ぎたい気分だった。

辻加護誘ってカラオケにでも行こうかな。

ぶらぶらと歩く足取りがぴたりと止まった。
矢口の目は雑踏の中、切り抜かれたように黒く染まった影をみた。

!?まさか!!

影はこちらに闇のように深い目を向けた。
矢口は転がるように人ごみを掻き分ける。

男は場違いな黒のローブを着ているが
周りの人間は目を向けない。
というより気付いていないように見える。

闇の目は閉店間際のデパートの中に消えた。
少し遅れて飛び込むように入り口を抜ける。
正面のエスカレーターに影は吸い込まれていった。

くそっ

立ち止まっている客を押しのけ
二段抜かしでエスカレーターを駆け上る。

どれだけ走っても距離が縮まらない。

最上階にたどり着いた矢口の目は屋上への階段を上る影を捉えた。
息を整え後を追う。

……絶対ワナだよな。

中澤や圭に連絡しようとは思わなかった。
自分でも何にそんなに拘っているのかわからない。
ただ体が動いていた。

夕暮れ時のデパートの屋上は人気がない。
忘れ去られたように100円で動く乗り物たちがその身を夕日に焼いている。
ピンクのゾウは雨風に晒され白に近くなっていた。

ゾウの向こうに黒い影。

「どういうつもりだよ」

誘いだということはわかっていた。
乗ったのはその答えを知りたかったせいもある。

「あなたに会いたかった」
「ぶっ!?」
「と言ったらどうします」

……バカにしてんのかよ。

「あんたがナニしようとしてるのか知らない。
 でも、あんたの欲望はこの手で叩き潰してやる!」
「変わらぬ心を清く胸に抱いているものは、幸福だ。
 どんな犠牲を払っても悔いることはないだろう」
「なに?」

男は薄く笑うと「ゲーテですよ」と続けた。

「あなたの命のきらめき……美しかったですよ。
 死を目前にした究極の美だ。
 ……もう一度見せてもらいましょう」

手のひらに闇が集う。

「ふっざけんな!」

雷が光の糸を走らせる。

そして光と闇が交差した。

ちっ、スーツもグローブも置いてきちまった。

能力自体は単体でも使用可能だ。
しかし、力の制御が利かない。
常に全力だ。
そしてそれゆえに消耗が激しい。

長引くとまずいな……。

「どうしました。実力が出ませんか?」

「うっさい!」

男が投げてくる闇をかわして広範囲の雷撃を打つ。
あたりが強い光で満たされる。一種の目くらましだ。

「くっ」

一瞬視界を奪われた男の前に矢口が飛び込む。
腰をひねり、まずは膝そしてすねまでを伸ばす。
ミドルからハイへ。フェイントをかけた蹴り。
男はぎりぎりでかわした。
しかし頂点まで駆け上ったつま先がさらに真下へと振り下ろされる。

縦蹴り。

ブラジリアン空手の必殺キックもどうにかかわした男だが
矢口のつま先がローブを掠める。
体勢は完全に崩れていた。

チャンス!!

こぶしに雷をため振りかぶる。

そのとき矢口の目に小さな光が飛び込んできた。
振り上げた腕が止まる。

つま先の掠めたローブから零れる光。
男の首筋で金色に光るペンダント。
ありふれたデザインのシンプルなもの。
それが夕日を浴びてかすかにきらめく。

矢口の手を止めたのはそれだった。
それはこの戦いの中にあってひどく人間臭かった。


攻撃のチャンスは通り過ぎた。

距離をとる。

男は矢口を見たまま胸のペンダントを握り締めた。
そのまま、じっと立ち尽くす。

その目は今までと少しだけ違う色をたたえているように見えた。

無言のまま男は右手を振った。
その体が影の中に沈んでゆく。
矢口は男が影の中に身を消し終わるまで何も言わず立っていた。

独りになった矢口は一枚の写真を取り出した。
石黒からもらった資料にあった一人の女性。
病死した教団の元幹部──その女性の胸には金色に輝く光があった。

 

第七夜  欲望の宴

 

カコーン

鹿おどしが風流に音を立てる。
夏の終わりを感じさせる涼やかな風が風鈴を揺らす。
横手には白壁が伸び、その上には鮮やかな緑が萌えている。
世俗の喧騒を切り離したような閑静な屋敷。

矢口の目の前には古びた大きな門があった。


年若い少女に案内され屋敷の奥へと進む。
よく手入れされた庭を横目に見つつ廊下を渡る。
磨きぬかれた廊下はとろりと光る飴色の輝きを見せていた。

目的の部屋は屋敷の一番奥にあった。
前を行く少女が中に声をかけ、すっと木でできた扉を開く。

まるで茶室のような部屋だった。
六畳ほどの部屋の中には窓はなく、中央に置かれたろうそくが一つ
ぼんやりとあたりを照らし出している。
中に座っていたのはきっちりと和服を着こなした一人の少女。
少女は閉じられたままの目をこちらに向け静かに声をかけた。

「久しぶりね。矢口」
「元気そうだね。明日香」

福田明日香──盲目の天才少女は薄く微笑んだ。

「これが紗耶香から頼まれていたものよ」

そう言って福田は脇にあった箱から何かを取り出した。
その動きはとても視力に不自由があるようには見えないほど
流れるように自然だ。
差し出されたのは一つの壷。
渋い色合いをみせるそのラインは優美にして力強い。

「これが……『切り札』」
「紗耶香の情報が確かならこれが『切り札』になるでしょうね」

「ありがと。これで奴を倒すことができるよ」

壷を受け取る矢口のほうを向き、福田は微かに表情を変えた。

「どうしたの?矢口。あなたの心には迷いがあるわ」

壷を抱えていた矢口の手がぴたりと止まる。

「……いやぁ、敵わないなぁ。明日香には」
「見えないからこそ良く見えるものもある。
 そういうことよ」

壷を左手に置き矢口は背筋を伸ばした。

「倒さなくちゃいけない奴がいる。止めなくちゃいけない奴がいる。
 でも……」

目を伏せる。

「オイラには無理なのかもしれない。止める事なんかできないのかもしれない」
「矢口」

福田が声をかける。その表情は目を閉じているせいか窺い知れない。

「迷いは死につながるわ。どちらでもいい。あなたが信じる道を行きなさい」

凛とした調子で言い放つ福田を、矢口はしばらくの間じっと見つめた。

「……ありがとう。明日香」

福田は口の端を微かに緩ませた。

『続いては天気予報です』

都内某所の神社。

『切り札』を受けとった矢口は飯田の住むこの場所に来ていた。
神聖なこの場所には、事務所に詰めている中澤たちと
この場所を苦手とする後藤以外全員が集まっていた。

『それでは明日の天気です。 明日は全域で一日中雨でしょう。
 波浪警報が出ています。 十分な注意が必要です。』

一時の事件が嘘のようにこのところ敵の動きは無い。
テレビのワイドショーも今は芸能人の不実な恋愛を報じるだけだ。
しかし、それが嵐の前の静けさであることは誰もが実感していた。
その証拠に幼い二人まで日ごろのようにはしゃぐことをやめている。
ただテレビの声だけが響いていた。

『……続いて今日午前零時の天気です。青龍、白虎、玄武の結界には
 血の雨が降るでしょう』

はじかれたようにテレビ画面を見る。
癒し系の笑みを浮かべたお天気お姉さんは
何事もなかったかのように狂った天気を読み上げていた。

『また、新宿の東京都庁には大きな落雷の可能性があります。
 お気をつけください』

テレビ画面は若い女性アイドルが出演するお茶のCMに変わった。

「また、偉くロコツな誘いね」
目を吊り上げた圭が画面を睨む。

「三つの結界と都庁、計4箇所ですか」
腕組みした吉澤が唸るように言った。

「どうする?」
「行くしかないね。ご指名だし」

誰が落雷だ。痺れさせてやる。

「結界はあたしと後藤それに宇宙刑事の三人で守るしかないわね」
「そうだね。なっちは気まぐれだから」

最強の念法使いはその力を振るう対象を選ばない。
その慈悲の心は全てにおいて平等だ。
彼女にとって目の前でおぼれている子犬と世界の破滅は等価値なのである。
おそらくは今も目の前の力無き人々を人知れず救っているのだろう。

「ま、いざとなったら手助けしてくれるでしょ。あの子の事だから」

午前零時まで後7時間。

境内で矢口は独り考えていた。

──倒せるのか、あいつを。

今までのことがフラッシュバックする。

  「穢れは満ちました」

  「……すばらしい。未だきらめきを失わないその生命の火……。実に美しい」

  きれいに円を書いて座っていた50人。 
  ──その全てが首から上を失っていた。

  「その亡くなった女性と教主は…………。
   ううんやっぱりなんでもない」

  つま先の掠めたローブから零れる光。
  男の首筋で金色に光るペンダント。
  ありふれたデザインのシンプルなもの。 
  それが夕日を浴びてかすかにきらめく。

「迷いは死につながる……か」

「矢口さん」
振り向くと夕日に照らされた高い影。
「最後の戦いですね」
吉澤は矢口に声をかけた。

厳しい戦いであることはわかっていた。
生きて帰ってくる保証はなかった。
思わず向けるその表情が硬くなる。

「ハイキング行こうよ」
「え?」
気の抜けるほど軽い口調。
「もうすぐ涼しくなるしさ。お弁当持って。
 辻加護誘って」
「矢口さん……」

「広い草原があるようなところでさ」
「……はい」
「テーブルとか持ってってさ」
「……はい」
「そこでコーヒーなんか飲んじゃったりしてさ」
「……はい」
「ね、きっと楽しいよ」

小さな体をじっと見つめた。

「……そうですね。あたしも楽しみにしてます。
 みんなで行きましょうね」

「うん。みんなでね」

そういって笑う小さな笑顔は吉澤の胸に残った。

「矢口さん」
「ん?」
「あたしがんばりますから」
「……うん。任せたよ。よっすぃー」

「矢口さー―ん」
「やぐちさーーん」

「ん?」

声のほうを向くと
こちらに走ってくるちびっ子二人。

「なぞなぞしましょう」
「しましょう」

「なぞなぞ?なんで?」
……ナニ言い出すんだこいつら。

「いーですか。いきますよー」
「いきますよー」

……って聞けよ!

「子供が好きなお茶ってなーーんだ」
「なーーんだ」

……お茶!?な、なんだ?
「えっ……。わ、わっかんないよ。そんなの」

「ブー!正解はおもちゃでした。それでは罰ゲームです」
「です」

……くっだらね。って、おい!
「罰ゲームぅ?」

「明日アイスおごってください」
「ください。あ、あしたですよ」

「…………」

「矢口さん……いいですか。明日ですよ」
「あしたですよ」

……おいおいおまえら。
それはさっきやったって。

不意に笑いがこみ上げる。

「わーーった。明日おごってやる」

「絶対ですよ。約束ですよ」
「ですよ」

真剣な顔をしてこちらを見る二人。
笑いをかみ殺す矢口。

そこへやってきたのは袴姿の飯田。

「あ、矢口」
「なに?圭織」

「あのさ……」
「もしかして、明日いっしょにあげパン作ろうとか言わないよね」

「……何でわかったの?」

もう我慢できなかった。
爆笑する矢口を不思議そうに見る飯田と辻加護。
そして隣で苦笑いする吉澤。

……どいつもこいつも馬鹿ばっかだ。
せっかく感動的な雰囲気だったってのに。


大丈夫。あたしは死なない。
もう迷わない。あいつを……倒す。

午前零時まで後5時間。

 

◆結界 0:00

そして午前零時。

それぞれの結界の前は溢れんばかりの妖魔で満たされていた。

「さすがにこれはきついわね」

迫りくる妖魔を片端から真っ二つにしていく。
結界内に瘴気を貯めるわけにはいかない。
そのためには殺しすぎてもいけない。

「まったく、厄介な話ね」

糸で数体をまとめて絡めとる。
とにかく時間を稼がなくては。

「早いとこ頼むわよ。矢口」

  ◆

『ヨッスィー!右からきてるわ』
「うおぉぉぉ!!」
横っ飛びにかわしレーザーブレードで切り捨てる。
『それで12体目よ。残りは……』
聞きたくない。目で見える範囲だけでも倒した数の数倍はいそうだ。

「お願いします。矢口さん」

  ◆

ぐじゃ

後藤の右手には鉄パイプ。
頭らしき部分から濃紺の体液を噴き出して妖魔は崩れ落ちた。
後ろから伸びた爪が後藤の胸を貫く。
振り向きざまそいつの頭をスイカ割のスイカに変える。
既に着ている物はぼろぼろだ。

「もー、早くしてよね。やぐっつあん」

◆東京都庁 0:06

矢口は都庁の階段を駆け上がっていた。
既に都には中澤から話が通してある。
誰もいない建物の中をひたすら駆け抜ける。

『テキセッキンチュウ』
ナビゲートAIの声が聞こえる。

来たか……。
バイザーを下ろした。
右手に抱えたものを守るように引き寄せる。

「聖雷撃フルパワー!!!」

都庁の階段を何度もフラッシュさせながら
小さな影が上へと走る。

何体もの妖魔を黒こげにし、さらに
絡みつくように襲ってくる妖魔を振り切る。
扉を突き破るように悪評高い都知事室に飛び込んだ。

闇の目が出迎えてくれる。

「ようこそ。お待ちしてました」
相変わらず表情を出さない暗い闇の眼。
「その余裕もこれまでだよ」
小脇に抱えた箱を右手に下ろす。

「これだけの妖魔をあなた方だけで倒せるとお思いですか?」
「倒す必要はないよ」

そういうと箱から一つの壷を取り出す。
それは福田から預かった『切り札』だった。

「それは……」
「封魔の壷……。半径10メートル以内の特定の魔を封じる。
 これがあれば……ソロモンの笛の効力はなくなる」

自らの念を物品に込めることで魔を封じる力を宿す。
天才少女は光を失ってなお、天才という名を頭に冠していた。

「もう、終わりだよ」

市井のもたらした情報により、今やソロモンの笛の力は
完全に封じられていた。

結界内の妖魔たちの様子が変わった。
ソロモンの笛の効力が切れたためこの世界で体を維持していくことができなくなっている。
次々と空気に溶けるようにその体を消していった。

「間に合ったのね。矢口」

「まさか、そんなものが出てくるとはね」
男はその目を細める。

「ですが、まだ終わりませんよ」
不敵に光る闇色の目。

自らの右手に左手の爪を滑らせる。
血が溢れた。
流れた血が中空に吸い込まれる。

「契約により我が命を成せ!」

低く叫ぶ。

  ◆

「まだ残っていたのか」

白銀の体に映る凶悪な鎧。

  ◆

「いよいよ真打ね」

黒衣の糸使いの前に現れる異形の影。

  ◆

「めんどくさいなあ」

眠たげな声を跳ね返す邪悪な姿。

  ◆

「こんなこともあろうかと、血の盟約を交わしておきました。
 三体の最強の妖魔。
 果たしてあなた方は守りきれますか?」

笛とは違う形での契約は壷では押さえられない。
だが、矢口の表情は変わらなかった。

「大丈夫さ」

「信じてるからね。仲間を」

攻める者と守る者。
ラストバトルが始まった。

◆青龍の結界 0:12

「なによ、こいつ。ム〜カ〜ツ〜ク〜」

圭の糸は敵をあっさりと切り裂いた。
しかし切れた次の瞬間にはもう復元している。
市井をしのぐ驚異的な再生能力。
この妖魔の武器はそれだった。

「0.1秒で再生か……。やばいわね」

妖魔のぶよぶよとした体を糸で封じ込める。
しかし次の瞬間にはまるでところてんのように
抜け出されてしまう。

圭の表情にあせりの色が浮かんでいた。

◆玄武の結界 0:14

後藤の腕がぼとりと落ちる。
切断面からは一滴の血も流れていない。
それどころか、切られた腕についている指先を動かすことさえできる。

直接の肉体は切らず、空間自体を切断することで
実際には体はつながったまま、ばらばらに切り裂く。
あの触手についているメスのようなものには
そのような能力があるようだった。

後藤の復活は『死』がキーワードだ。
死なないまま、ばらばらにされてしまえば
もう動きが取れない。

首だけになってなお生き続ける。
文字通りの生き地獄を味あわせる。
妖魔は残忍な考えでその醜悪な顔を歓喜の表情に変えていた。

「ふうん。そういうこと」

危機感を感じているのかどうか。
眠たげな表情を変えぬまま後藤は妖魔を見つめた。

◆白虎の結界 0:17

こ、こいつ超空間跳躍まで!

光の球体となり、相手の攻撃をかわしていた宇宙刑事に衝撃が走る。

『あの剣は次元を超えて攻撃できるみたいよ。気をつけて!」

煙を上げるコンバットスーツに目をやる。
先ほどからこちらの攻撃は何度も命中している。
しかし目の前のまるで中世の騎士のような妖魔には全く効いていない。
恐ろしく硬い鎧だった。
ブラスターを何発当ててもすべてはじき返される。
レーザーブレードの一撃も同様だ。
必殺の『ヨッスィー・スラッシュ』でも傷一つ負わせられなかった。

……『ボルカニック・ボンバー』は使えない。
こんなところで使ったら、結界ごと破壊してしまう。

でも、負けるわけにはいかない。
あの人との約束だから。

気負った足が瓦礫を踏んでしまう。
体勢が崩れた。
その隙を逃さず妖魔が飛び込んでくる。

しまった!!

慌てて後ろに飛び下がる。

一瞬遅れた。

白銀のコンバットスーツを呪われし魔剣が深々と貫いた。

『ヨ、ヨッスィーーーー!!!』

視界が真っ赤に染まった。

 

最終夜  欲望の果てに

 

『いやあぁぁぁ!ヨッスィーが!ヨッスィーが死んじゃうぅぅ!!』

悲鳴を上げるパートナーの声を聞きながら吉澤は意外と冷静だった。
内臓までいってる。下手に動くとはみ出そうだ。
こりゃ、やばいっす。

ふと、頭に小さな笑顔がよぎる。
そう、あたしには約束がある。
まだ、死ねない。

鎧は距離をとってこっちを伺っている。
様子を見ているのかそれとももう勝ったつもりなのか。
なんにせよ、すぐに攻めてくる気はないようだ。

立ち上がろうとする足に力が入らない。
くっそー!動け!

不意に傷口に暖かさを感じた。
目を下にやる。
光る手のひらが見えた。
慌てて目をあげる。

電子アイに映るお陽さまの笑顔。

「いやあ、なっち、宇宙人治すのなんて初めてだべ」

相変わらず場違いなセリフで安倍なつみ登場。

◆白虎の結界 0:21

ふらつく足で立ち上がる。

「表面くっつけただけだべさ。中はまだボロボロだよ」
「大丈夫。いけます」

出血のせいか目がかすむ。

「無茶したら死んじまうっしょ」
「矢口さんはあたしに任せるって言ってくれました」

奥歯を噛み締めながら小さな声で呟く。

「だから……あたしにやらせてください。
 矢口さんは、あたしを信頼してくれました。
 ……その期待に応えたいんです」

最強の念法使いを真正面から見つめる。

「……わかったよ」
いつもと違う淡い笑み。
「矢口はいい仲間を持ったね」
そう言って木刀を持った右手を上げる。

「でも、ちょっとだけサービス」
木刀を鎧に向かって飛ばす。
鎧にあたった木刀はまるで金属同士がぶつかるような音を立てた。
跳ね返った木刀がちょうど振り上げた安倍の手に収まる。

「あそこだべ」

吉澤はうなづいた。
目の前の鎧に神経を集中させる。

呼吸を一つ、二つ。

走った。
全力で疾走しつつブラスターを発射する。
全弾同じ位置に。
それは安倍の木刀があたった場所。
正確にその一点だけにぶつける。

鎧が近づく。
その剣がゆっくりと振りかぶられる。
空になったブラスターを捨てレーザーブレードを構えた。

「うおぉぉぉぉ!!!」

カートリッジ一本分の光弾を浴びた部分がうっすら赤みを帯びている。
振り下ろされる魔剣を紙一重でかわし
その一点に渾身の力でブレードを突き刺す。


一瞬の停滞の後ブレードは突き抜けた。

「おみごと」

安倍の声が聞こえた。

◆青龍の結界 0:25

右手に続いて左足も切断されていた。
もう逃げ回ることすらできない。
それでも表情を変えぬまま妖魔を見つめる後藤。
妖魔は邪悪な顔に暗い欲望をたたえたまま
その首へと空間を切り裂くメスを伸ばした。

後藤は奥歯を噛んだ。

突然巻き起こる爆炎。
後藤の体が炎に包まれる。
予想外の出来事に妖魔もその動きを止めた。

そして煙の中から伸びる一本の腕。
その腕が動きの止まった触手をむんずと掴む。

げぎぃぃぃ

触手からメスを引き抜かれる痛みに妖魔が苦悶の声をあげた。
引き抜いたメスを投げ捨て腕は再び煙の中に戻る。

妖魔の狂った頭にもそれを理解することは難しかったかもしれない。
自らを復活させるためとはいえ
体に仕込んだプラスチック爆弾を爆破するなどということは。

異界の思考すら及ばぬ狂気の中
煙を押しのけ白い仮面が現れた。

◆青龍の結界 0:32

もう既に何度切り刻んだろう。
特殊鋼の糸が再び虚しい作業を繰り前す。

圭のむき出しの肩を敵の攻撃が掠めた。
ぱっと闇の中に血の華が咲く。
防御を考える必要の無い攻撃は
次第に黒衣の糸使いを追い詰めてゆく。

──この際、なりふり構ってられないわね。

動きを止めその大きな目を細める。
右手を顔の前まで持ちあげ妖魔を見据えた。

小細工のいらない敵は真正面からぶつかってくる。

きぃん

いつもより高い音を糸が奏でた。

二つになり血を撒き散らすぶよついた体。

「0.1秒で再生するなら0.05秒で斬ればいい」

再び持ち上げた圭の指先はずたずたに切り裂かれていた。
限界を超えるほどの動き。
必殺の糸は自らの身すら傷つけていた。
それは文字通り諸刃の刃だった。

「こっちは片付いたわよ。矢口」

 

◆東京都庁 0:37

「あなたのお仲間は本当に強いようですね」
最強の妖魔三体は全て打ち倒されていた。

ラストバトルの結果が出るまで二人は黙って立ち尽くしていた。

「これで本当に終わりだね」
「まだですよ」

矢口は目を細め闇色の目を睨む。

「私の欲望はまだ満たされていない」

男の表情は変わらぬままだ。

「笛が使えなければ、私の闇の力も使えません」
両手を広げて男が言う。
「今なら簡単に倒せますよ」

矢口は男を睨んだままゆっくりと手を上げた。
グローブを掴み腕から引き抜く。
二つとも横へ投げ捨てた後バイザーも放り投げる。

「……あんたはこの手で叩きのめす!」

「いいでしょう。できるものならね」

左のジャブから入る。
ガードの上から数発あて、上に注意を向ける。
左手を引く動きに合わせボディへの右フック。
肘で受けられた。
休まず今度は左のロー。
膝を立ててしのいだ男が右の抜き手を撃ってくる。
髪の毛を掠めるほどの見切りでかわし右アッパー。

掌底。
左ミドル。
裏拳。
右ストレート。
前蹴り。
左後ろ回し。

喉を狙った突きを体を沈めて避ける。
そのまま半回転して足を真上に跳ね上げた。

虎尾脚!

真下から顎へと食らった一撃に男は後ろに倒れこむ。

今だ!!

男に向かって一直線に走る。
起き上がろうとする膝を踏み台にし、
右の膝を顔面に叩き込む。

まさに閃光の魔術!

吹っ飛んだ男はうつぶせに倒れた。


肩で息をする矢口の前で男がゆっくりと立ち上がる。
口から流れ落ちる血をふき取り闇の目を向ける。

「そんな攻撃では私を殺すことはできない」
目の中の闇があたりに染み出しているように思えた。

「それとも……」
闇がその深さを増す。

「殺せないのですか?」
矢口は拳を握り締めた。

「あなたには失望しました」
握った手に力がこもる。

「今のあなたには輝きが無い」

「うっさい!!」

矢口は男を睨んだ。

「そう……。その目だ。生命のきらめきを感じさせる強い目」
闇の目が細まる。

「その目が、私を……」

不意に男はローブから出したナイフを投げた。
かろうじてかわす矢口。
しかしその延長線上には……。

かしゃーーん

乾いた音を立てて封魔の壷はその役目を終えた。

目をむく矢口の後ろで闇が凝縮してゆく。

ぶつけられる闇をとっさに雷の壁ではじく。
男は闇を剣のように固めこちらに切りかかってきた。

雷撃!
でもグローブが!
制御が利かない!

ずらした顔の横を剣が通り過ぎる。
矢口の頬から血が飛び散った。
しかしそのときには矢口の拳が男の心臓を打ち抜いていた。
それはとっさの一撃。
渾身の雷撃を乗せた一撃だった。

「私は満足ですよ」

崩れるように膝をついた男は
初めて見せる表情でそう言った。

「あなたに殺されるのが私の望みだったんですから」
矢口は黙って聞いていた。

「欲望には果てが無い。一つの欲望を叶えたら次の欲望が生まれる」

「欲望を満足させたまま終わらせる」

「それは自らの欲望のままに死ぬこと。これこそ究極の欲望だ」

「あなたのように生命をきらめかせている人こそ、私を殺すにふさわしい」

「だから……私は今非常に………幸福です……」

泣くべきなのか笑うべきなのか。
ナニが正解でナニが間違いなのかわからなかった。

矢口は泣き笑いの表情を浮かべて男に聞いた。

「あんたの……名前は?」

「死に逝くものに名前など必要ありません」

男はそのまま仰向けに倒れた。
倒れる寸前、男の目は胸のペンダントを見たように思えた。
そしてその目は闇の色を失っているようにも見えた。
しかし確認する間もなく男はボロボロの灰へと変わった。

だからそれはただの勘違いかもしれなかった。

疲れた……。
何も考える気にならなかった。
考えたくもなかった。
ただ、ゆっくり熱いシャワーを浴びようと思った。

矢口は子供のように膝を抱えうずくまった。

「んじゃ、まだ残るんだ」

「はい。事後処理もあるし、報告のための調査も結構かかりそうです」

矢口たちは約束どおり辻加護をつれてハイキングにきていた。
9月の日差しはまだ強いが草原に吹いてくる風は意外に涼しい。
テーブルの上にはコンロで沸かしたコーヒーとベーグルサンド。
もちろん、アイスとあげパンの義理は既に果たした。
ちなみに圭は「そんな健康的なことはできないわよ」と参加を拒否した。

宇宙人の技術はやはりすごいらしく、腹を貫かれ瀕死の重傷だった吉澤も
今ではもうぴんぴんしている。

「よっすぃーどーーん」
「どーーん」
「うわぁ!」

小さな破壊者たちが吉澤にぶつかってきた。

「こらぁ!おまえ達!!」

むしゃぶりついてくる子供たちを振り回す吉澤を見ながら矢口は再び物思いにふける。

矢口はあれからずっと考えていた。
自分は何のために戦ってきたのか。
自分のやったことに意味はあったのか。
未だにその答えが出せないでいた。

ただ死ぬためだけにあれだけの事件を起こしたあの男(圭ちゃんは史上最大の自殺と評した)
結局、自分がしたことはその手助けに過ぎなかった。
その思いが消せない。
満足げな顔をして死んでいったあの顔が忘れられない。

結局オイラの負けか……。

「うぉー!あちーんだよコノヤロー!!」

キレタ吉澤の声にそちらを見る。
荷物を整理していた石川が話し掛けてきた。

「ひとみちゃん。残ることが決まって本当に喜んでましたよ」
「ふーん」
「ひとみちゃん気に入ったんですよ」
「この星が?」
「この星もですけど、みなさんが」

石川のほうに目をやる。

「わたしもですけど」

うつむいた顔に照れがある。


「のの、しっかり押さえとくんやで」
「へい!」
「へへ、よっすぃー。ちゅーしよ。ちゅー」
「こ、こら加護ぉ」
「あ、あなた達!!なにやってんの!」

目に見えて慌てた石川がおませな小悪魔のところに駆けて行った。
きゃあきゃあ言う声が草原に広がってゆく。

矢口は一つため息をつき草むらに横になった。
白い雲がゆっくりと流れていく。

まあいいさ。風は気持ちいいし、コーヒーも美味い。
こんな気分を味わうために戦ってきたってのも悪くない。


――それはそれでよしとしよう。


 百  姫  夜  行。

 〜完〜

 

番外編  ののあい の てーぞくれーがり

 

「うきゃぁぁぁ!」

陽光に翻るミニスカート。
背中までめくれ上がったデニム。
かわいいヒップにはキティちゃん。

「だ、誰や!!!!」

後ろを振り向くお団子頭。

「……あれ?」

空しく広がる無人の空間。

チッ

舌打ちの音。

「チッて、ナニがチッやねん!!!
 ……あれ?」

再び広がる無人の空間。

「どうしたの?あいぼん」

真横から問い掛けてくるお下げ髪。

「……スカートめくられた」
「えー、だれもいないよ。かぜじゃないの?」
「風であそこまでめくれるかい!」

クソッ ガキカ

「誰がガキやねん!!!って
 ……あれ?」

三度広がる……。

ヒヒヒ
   ガキダ
      ヒヒヒ 
  ソンシタ

ぶつぶつと聞こえる無気味な声。
しかしその姿はどこにも見えない。

「ううう、もーーー!!なんやねーーーーーーーーん!!」

加護亜衣十三歳──まだまだ多感なお年頃。

「あーー、そりゃ、低級霊だね」
「低級霊?」

『中澤コンサルティング』──表向き企業相手の経営相談を行っている
この会社は、実は日本で唯一の民間退魔業者なのである。

その見習であるうちは、のの──辻希美とともに当初の目的地であった
このビルへ来ていた。
そして、そこに詰めていた矢口さんと保田さんにさっきの出来事を
説明したのである。

「てーきゅーれーってなんですか?」
「悪霊になるほどの力もない弱っちい霊のことね。
 大抵たいした悪さできないからほっとくことが多いんだけど」
「ほー」
「しっかし、スカートめくるなんて変な低級霊だね」
にやにやしながら矢口さんが言う。
「そうね、低級霊って言うより低俗霊ってとこかしら」
保田さんも口の端が緩んでる。
「はー、てーぞくれーですか」

なに感心しとんねん!

「んで、加護はどんなパンツ見られたんだ?」

どきっ!!!
い、言えへん!それだけは絶対に言えへん!!
なんぼお気に入りやって言うてもアレだけは……。

「キティちゃんでしたよ」

ののーーーーーーーー!


あ、ああ……。
や、やめて……。
そんな目で見んといて……。
そんな、何かをこらえるような顔せんといて……。
な、なにをひそひそと……。
あ、小声で「中学生のくせに」って……。


あ、ああ。おしまいや……。
未来のエースも今日でおしまいや……。

……ゆるさへん。
ぜったいにゆるさへん。
あいつは絶対この手で叩き潰してやるーーー!!

「ちゅーことで、あんたも協力するんやで」
「へい。わかりました」

まったく、元はと言えばあんたがいらん事言うから……。
とりあえず、敵の姿が見えへん事にはどーしよーもない。
うちの『如意棒』は霊体にもダメージを与えられる。
せやけど、相手がどこにおるか判らへんかったら
攻撃しようがない。

「あんたの呪符でどうにかならへんの?」
「うーーん。やったことないからわからないです」

むぅ、頼りにならん奴。

「ペンキかけてみるとか」

そら、あかんやろ。相手は霊やで。

「あとは……うーーん」

いきなり打つ手無しかい。

「飯田さんにきいてみよっか」

おっ!ナイスアイディア!

ということで、電車に乗って飯田さんの神社へ。

「へー、あんた達が霊退治ねえ。
 それでどんな霊なの?」
「てーぞくれーです」
「……低俗霊?」
飯田さんの眉間にしわが寄る。
「ち、ちがいます!低級霊です!」
あわてて訂正する。
「ああ、低級霊ね。
 ま、あんた達の修行にはちょうどいいかもね。
 で、カオリに何が聞きたいんだ」

うちは今回敵の姿が見えないこと。
その見えない敵を見つける方法について知りたいのだ
ということを飯田さんに話した。

「はあ……」

あれ?何で頭抱えてるんですか?

「辻ぃ……。それこの間教えたじゃんか……」

へ!?
隣にいるののの顔を見る。

こら、なに口開けてぼーっとしてんねん。

「ほら、修行の後クリームパン食べた日だよ」
「ああ!!」

なんちゅう覚え方や。

「あのクリームパンはおいしかったです」

……おい。

「とにかく、やり方はまだ忘れてないよね。
 まあ、これでそっちは大丈夫だろ。
 あと、これあげるから持ってきな」

と、お札を一枚もらう。

「これを霊に貼り付ければ相手の動きを止めることができるよ」
「ありがとうございます」

さて、これで対策は万全や。
あとは敵をおびき出すだけ……。

ちゅーてもなあ。

うちは子ども扱いされてもーたし。
このセクシーなうちでだめなら、ののは絶対あかんし……。

……やっぱりあそこかな。

「え、わたしに相談!?」

ここは地球を離れた宇宙船。
青く輝く地球がモニターに映っている。

「ああ、やっと心を開いてくれたのね。
 わたしとってもうれしいわ!」

両手を顔の前で組んで斜め上を見とる。

……なんか勘違いしとるで梨華ちゃん。

独りで感動して、どっか遠い世界に行ってしまっているらしい
梨華ちゃんをどうにかこっちの世界に引き戻す。

「それで、相談って何?」
「あんな、悪い霊を退治するのを手伝って欲しいんやけど」
「えー、それってよっすぃーのほうがいいんじゃないの?」
「い、いや、梨華ちゃんじゃなきゃできない仕事やねん」
「ほんと!?
 ああ、わたし信頼されてるのね。とってもうれしい!」

また、斜め上見とる。

ああ、なんか、胸が痛んできたわ……。
い、いや、ここは心を鬼にして!!

「それで手伝ってもらうことなんやけど……」

乙女の心を傷つけた呪われた場所。
事件の始まりの地であるここに、うちら三人は来ていた。

「ね、ねえ、あいぼん。なんでわたしこんな格好してるの?」

問い掛けてきた梨華ちゃんを見る。

黒のローファーに白いソックス。
青いリボンのついたセーラー服は丈が短くおへそが見えそう。
濃紺のプリーツスカートは膝上20センチ。
ぴちぴちのその格好は梨華ちゃんのスタイルをそのまま
浮かび上がらせている。

「ちょっと小さすぎるよ」

赤い顔をしてセーラー服を下に引っ張りながらそう言う。

そら、そうやろ。うちの制服なんやから。

「胸が苦しい……」

むかっ。

こうみえても、結構なもの持ってんねんで。
後2年したらあんたよりでかくなっとるわい!

……しかし、確かに梨華ちゃんスタイルええなあ。
足長いし……。
はっ!なに見とれとんねん、のの!!

「ま、まあ、あんまり気にせんと。
 あーー。とりあえずこの道まっすぐ行ってくれる?」
「うん。わかった」

スカートの後ろを気にしつつ、梨華ちゃんが通りを進んでいく。

うわ。
歩いてるだけで見えそうやんか。
ちょっとこれは……。
うちからみてもやらしいで……。

梨華ちゃんはうちらが隠れている所から50メートルくらい
離れたところまで来ていた。

そろそろやな……。

ゲヘヘヘ コリャ ジョウダマダ

「きぃゃあああぁぁぁぁぁぁ!!!」

脳を刺激する高周波。

うぉぅ!
ありゃひどいわ。
台風の日の傘みたいになっとるやんか。
あー、やっぱりピンクやねんな。
ってゆーとる場合やない。

「いやあぁぁぁぁ!な、なにーーー!」

なんや、うちのときよりえらく長いやないか。

「のの!いけ!!」
「へいい!」

ののが呪符を取り出す。

「天地陰陽の理をもって、汝の存在を示せ。急々如律令!!」

なんでいつもそこだけ漢字なんやろ。
あ、いやいや、こっちの話。

呪符に囲まれた低級霊がその姿をあらわす。

ナ、ナンダ

ぼんやり浮かび上がる小太りな体。
顔にはうっすら眼鏡のような影まで……。
こ、こんなやつにうちはパンツを……。
うーーーー、むっかつくーーー!!

「のの!お札や!」
「へい!」

ののの投げたお札はぴたりと霊のおでこにくっついた。

ウ、ウゴケン

どん。
如意棒を横について仁王立ち。
ぎろりとそいつを睨みつける。

よーーし、いっくでーーー!

「このー!乙女の敵め!覚悟しーや―!!」

思いっきり伸ばした如意棒で力いっぱい霊を殴りつける。

ばっこーーーーーん!

ギヤアアアアアア

殴られた霊は黒い煙になって消えた。

やった。
やったで。
うちは自分の敵を討ったでー!
ああ、霊退治ってこんな気持ちええもんやったんや……。

「あ、あいぼん……」

はっ!

「わたしにやらせたかった事ってこんな事なの?」

り、梨華ちゃん。そんな涙目にならんでも……。

「ひ、ひどいよ。わたし一生懸命、力になろうと思ってたのに……」
「ち、ちゃうねん。これは梨華ちゃんにしかできん事やってん」
「え?」

「梨華ちゃんみたいにスタイルがよくって色っぽい人じゃなきゃ
 あいつをおびき出すことができんかったんや」
「わたし……色っぽい?」
「も、もちろんやんか。な、のの」
「そうです。梨華ちゃんいろっぽいです。ののはうらやましーです。
 これなら、よっすぃーもいちころなのです」
「そ、そうかな……」

「そうやで。うちは今日ものすごい梨華ちゃんに感謝しとるんやから」
「え、そうなの?あ、ごめんね。わたしちょっとショックだったから……」
「ええて、わかってもらえたんなら」

ほほに右手を当てちょっと反省の表情を浮かべる梨華ちゃんを見て
うちは思った。

ああ、梨華ちゃんてほんとええ人やな。
今日は、ほんまにありがとう。

……また頼むで。   にひひ。

 

市井紗耶香外伝  泣き虫の子犬

 

それは哀れな子犬だった。

  「ありゃあ、狗神様の……」
  「そんないまさら……」
  「呪いじゃ!呪いじゃ!」
  「馬鹿な。こんなことって……」
  「殺せ!殺せ!」
  「ひぃい、ば、ばけもの!!」

──目が覚めた。

またあの夢……。

体中が冷たい汗にまみれていた。

もう、いやだ。
どうして、あたしは……。

また、涙。
これだけ泣いてもまだ尽きない。

顔を上げる。
正面には鏡。
そこに写るのは……。

泣き虫の子犬。

「なにやってんだ」

冷たい目。
自分の全てを否定されるような拒絶の目。

「す、すいません」
「ゆっとくけどね。アンタがミスるとあたしが死んじゃうんだよ」
「すいません……」
「ったく、毎回毎回。アンタやる気あんの」
「すい…せ………」
「びーびー泣いてんじゃないわよ。うざいな。あっちいけ」
「す…っく…う……」

「……紗耶香」
「ム〜カ〜ツ〜ク〜。なによ、あの石黒って女。
 いくら先輩だからって、あそこまで言うこと無いでしょ」

ここは退魔師たちの訓練に使われる秘密の地下室。
離れたところから同期の訓練を伺っていた矢口真里と保田圭は
その様子を見て憤っていた。

近年増加する傾向のある妖魔たちの侵攻に、
ようやく退魔師たちも組織としての活動を開始した。
だから、このような施設もつい最近になって造られたものだ。
その真新しい壁に怒声と泣き声がこだまする。

市井紗耶香を加えた三人は現在、退魔師の見習として教育を受けている。
指導者の名は石黒彩。
鼻にピアスを開け、鋭い目をした一流の『針師』。
既に退魔師として名を馳せている彼女の指導は容赦なく厳しい。
三人は何度もその枕を涙で濡らしている。
その中でも、もっとも枕を重くしているのが市井だった。

「そういえば、紗耶香の能力って何なの?」
「さあ?そういえば聞いたことないわね」

退魔師とは特殊な能力を持った人間たちである。
その数は恐ろしく少ない。
まして、その力を使いこなせるものは余りにも希少である。
そのため『スカウト』という形がとられる。
特殊な能力を持ち、さらに強き心をもったもの。
そう判断された人間は秘密裏に退魔師への誘いを受け指導される。
自らの力の使い方さえわからず、常に居場所を探している
ものにとって、それは安住の地を与えられる誘いでもあった。
力あるものが必ずしも生き易い世の中ではない。
むしろ、『糸使い』として、一子相伝の技を伝える家系に生まれた
保田のようなケースは珍しいといえた。

「それにしても、厳しすぎるよね」
「ストレス発散してるんじゃないでしょうね」

「なに甘いことゆーてんねん」

突然後ろから聞こえてきた声に二人はギョッとなった。
恐る恐る後ろを振り返る。
腕を組みそこに立っていたのは中澤だった。

中澤裕子。
退魔師たちが組織を作ろうという動きを見せ始めた、
その創世期から関わっている重要人物だ。
『破魔の眼』という強力な力を持つが、その能力よりも卓越した政治手腕により、
まだ20台半ばと若いながらも、次期退魔師元締との呼び声も高い。

「あたしらの仕事は自分の命かけてんねんで。
 厳しくして厳しすぎることなんてあらへん。
 そんな甘い考えでやっとったら……。
 おまえら死ぬで」

次期元締はそう言うと、ぎろりと矢口を睨みつけた。
その目は思わず身震いするほどに鋭い。
あまりの迫力に視線は自然と下を向く。
中澤は矢口から目線を切ると無言のまま去っていった。

「な、なんであたしだけ睨むのー?」
「し、知らないわよ」

戸惑う二人の後ろでは、しゃくりあげる声が変わらず続いていた。

泣きはらした顔をタオルで隠し、市井は独り膝を抱えていた。
誰もいなくなった訓練場は、空気までが冷たく沈んでいる。

記憶がフラッシュバックする。

  「呪いじゃ!呪いじゃ!」
  「殺せ!殺せ!」
  「ひぃい、ば、ばけもの!!」

あれ以来、自分の中には力が無くなっていた。

力も無いくせに何故こんなところにいるのだろう。

あの力のせいで自分には居場所が無かった。
安住の地を求めて辿り着いたはずの場所は
力無き者には冷たいところだった。

もう……いやだ。
なんで……あたしだけ……。

また頬を伝う涙。
自分はもう涙を流すためだけに生きている。
そう思えてしまうほど毎日涙は流れた。
そして、それをとめる術を心弱き少女は持っていなかった。

タオルで隠された視界にパンプスのつま先が見えた。

「仕事だよ。用意しな」

顔を上げる。
見下ろす目。
冷たい目。

「……いやです」
頭を下げ膝をぎゅっと抱える。
「あたしには……できません」
膝に顔を押し付ける。
「力も使えないのに……」

「まだ引きずってるのかい」

はじかれたように顔を上げ、思わず目を見開く。

「なんだよ、知らないと思ってたのか?
 あたしはアンタ達の教育係だよ」

「知ってたら……わかるでしょう!
 あたしはそんな仕事なんかできません!
 もう、ほっといてください!!」

「アンタ……」

びくり
体がこわばる。
目が……合わせられない。

「甘ったれるんじゃないよ。あたしたちの存在ってのは
 アンタが考えるよりずっと重要なんだ」

体が硬直している。
ぴくりとも動けない。

「……とにかく、ついてきな。
 アンタに仕事ってものを教えてやる」

 

向かった先はある廃ビルだった。
空間の歪みが感じられたらしい。

市井は重い足取りで先へ進んだ。
強引に連れてこられたが納得できたわけではない。
力の無い自分に何ができるというのだろう。

ふと、後ろに気配を感じ慌てて振り返る。

そこには目を丸くしたフリルのワンピース。
異様な気配に怯えたのか幼い少女は身動き一つしない。

「どうしたの?こんなところで」
少女の目線まで姿勢を下げた石黒がやさしく声をかける。

この人……。こんなやさしい顔ができるんだ……。

場違いな感想を持つ市井をよそに石黒は少女に微笑みかける。

「ペルがいなくなったの」
「ペル?」
「そう、りむのわんちゃん」
「りむちゃんって言うんだ。いい名前だね。
 あたしに娘ができたらつけようかしら」
そう言ってにっこりと笑う。
その顔に安心したのか少女は説明を続けた。

「あのね、ペルといつもこのへん散歩してたんだけど、
 きょうは、きゅうにあのなかに走っていっちゃったの」

そういって少女は廃ビルの方を指差した。
あるいは動物の本能が妖魔を感知したのだろうか。

「わかったわ。ペルはお姉ちゃん達が探してきてあげる。
 だから、ここで待っててくれる?」
「でも……」
「大丈夫。お姉ちゃん達を信じて。ね」
不安げな目が石黒の目を見つめる。
「……うん、わかった。よろしくおねがいします」
深深と小さな頭を下げるその姿にもう一度微笑みかけ
石黒は立ち上がった。

「……いくよ」
そのまま、ビルの中へと進む。

中は既に瘴気が渦巻いていた。
しかし、その源の姿は見えない。

「ふん。生意気に自分の姿消してるみたいだね」
「どうするんですか?」
「いぶりだすさ」

そういって顔の前まで上げた指は細長い針を掴んでいた。
何かを探すように細められた石黒の目が、空間の一点を見据える。
「ここだね」
言葉とともに突かれた針が目の前の空間に突き刺さる。

──空間が身悶えした。

まるで押し出されたニキビのように、何もない空間からのたうつものが現れる。
それは巨大なミミズに似ていた。

「地虫か……。ま、軽く遊んであげるわ。いらっしゃい」

口無き顔から声無き雄たけびをあげミミズが突っ込んでくる。
かわしたと見えないほど軽く体を引いた石黒は
再び取り出した針をぬらついた体に突き刺す。

聞こえぬ叫びをあげ妖魔が身を震わせた。

「どう、あたしの針は。よく効くでしょう?」

その戦いを呆然と見ていた市井の足元を小さな影が通り過ぎる。

え?
子犬!?
ま、まさか!?

「あぶない!!」
思わず飛び出した石黒がのたうつ妖魔に捲き込まれる。
「くっ!!」
子犬を抱えたまま壁際まで跳ね飛ばされた。

「石黒さん!!」

あわてて駆け寄る市井の横で妖魔は再び空間に潜り込んでいった。

「しくじったな。足をやられたよ」
「だ、大丈夫ですか」
「大丈夫じゃないね。これじゃ相手の攻撃もよけられない」
「そ、そんな……どうすれば……」
「アンタがやるんだよ」

その目が心に突き刺さる。

また記憶がフラッシュバックした。

  「呪いじゃ!呪いじゃ!」
  「殺せ!殺せ!」
  「ひぃい、ば、ばけもの!!」

──そう、あたしは力を使えないのだ。

「あたしは……力を使えないんです」
「使えるさ」
「え?」
「この針を打てばアンタの力は使えるようになる」
「そ、そんな」
「あたしの腕を見くびるんじゃないよ。
 それくらい簡単さ」

そう言って目を細める。
鼻のピアスが鈍く光る。

「どうする?この針ならアンタの力を引き出してやれる」
「あ、あたしにはできません!
 あたしは……もう、あんな力使いたくない!」

また涙がこぼれる。

「じゃあ死ぬしかないね。
 もちろん、外にいるあの子も含めて」
「えっ」

死…ぬ……。
真剣な顔で見つめる小さな顔がよみがえる。

「力ってものはね。誰かを守るために使うもんだよ。
 自分のために使うもんじゃない。
 そんなものはただの暴力だ」

誰かを……守る……。

「守るための力を持っていて使わない奴をあたしは許さない。
 あたしたち一人が守れる人数は少ない。だからこそ人手が要るんだ。
 力は使わなくちゃ意味がない。
 いつまでも泣いてちゃ……前には進まないよ」

前に……進む……。

……そう、あたしは後ろを見ているだけだった。
前を向いて先に進む。
そんなこと考えたことも無かった。

「決めるのはアンタ自身だよ」

あたしは……変われるのだろうか……。
前へ……進めるんだろうか……。
誰かを……守るために……。

ぐっと唇を噛み締める。
涙をぬぐい前を向く。

「お願いします」

未だ妖魔は姿を見せない。

針を打たれたところから、
おなかの下の方へ何かが流れているように感じる。

さあ、おいで。
呼びかけた体の底の方から何かが登ってきた。
呪われた力。
忌むべき力。
これに身を任せた時、あたしの運命は大きく変わった。

あたしは、もう一度この力に身を任せようとしている。
今度は運命を引き寄せるために。

妖魔がまたのたくり出てきた。
刺さっていた針はもうなくなっている。

登っていたものは喉のあたりまできていた。
自然と顔が上を向き開いた口がゆっくりと尖る。

登ってきたものが口から溢れた。

うるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ

切なくなるほど高く伸びる声をあげ、あたしは妖魔に飛びかかった。

長く伸びた爪が妖魔のぬらついた皮膚を切り裂く。

  あの時とは違う。

体当たりを片手で受け止め、壁に放り投げる。

  自分の心からも血を流しながら爪を振るう。 
  そんな意味のない力の使い方じゃない。
  そう、確かにあれはただの暴力だった。

ギラリと光る牙が醜悪な体を食い破る。

  人を傷つける力。
  必要の無い力。

長く伸びた体毛が穢れた血を受け濡れ光る。

  そうだ、あたしは力が使えなかったんじゃない。
  力を使わなかったんだ。

気が付けば目の前の妖魔はボロボロの黒い塵に変わろうとしていた。
そのときになって初めて、自分が肩で息をしていることに気づいた。

石黒さんは子犬を抱いた姿勢のままあたしを待っていた。

「いい目になったじゃないか」
「ありがとうございました。その針のおかげです」
「明日の朝が大変だよ」
「え?」
「お通じに効くんだよ。そのツボ」
「え、ええ?」
「今のはあんたの実力さ。よくやったよ紗耶香」

胸にぐっと来た。

「あ、ありが…ござ……」
「ほら、また泣いて」

自分の力で敵を倒した。
そのことよりも初めて名前を呼んでもらえた事に
あたしは涙を流していた。

「なにやってんだ!紗耶香」
「すいません!もう一回お願いします!」

「なんか変わったね。紗耶香」
「そうね。なにかふっきったって感じ」

心地よい疲れ。
体から力が溢れ出しているみたいだ。
汗をぬぐい正面を見た。
訓練室の壁に掛けられた鏡が目にはいる。

凛々しく前を見るその瞳は誇り高き野生の目。

そう、あたしはもう振り向かない。
前を見て進んでゆく。
自分を信じて。


泣き虫の子犬はもういない。