かちゃり
鎖が音を立てる。
それは両の手足をつなぎとめる枷。
誰にも見えない透明な鎖。
「わ!」
「うわああ!」
大きな声をあげて高橋愛は振り返った。
そこには戸惑った顔を向ける同期──小川麻琴の姿。
「もう、そんなにびっくりしないでよ。こっちが驚いちゃった」
「ご、ごめんな……。考えごとしとったんで」
「まあ、愛ちゃんはいつもびっくりしてるような顔だけど」
「もう、ひどいなあ」
にっと笑った小川は、高橋の向かいの長いすにどかっと腰を下ろす。
今しがた訓練の模擬戦を終えたところだ。
首に下げていたタオルで額の汗を拭く。
「これで5勝4敗。あたしの勝ち越しだね」
「ほやってね……」
「なに? 元気ないなあ。これじゃせっかく勝った意味無いじゃんか」
「あ、ごめんな」
視線を落とす高橋を、小川は怪訝そうに見つめた。
「……ねえ、前から聞こうと思ってたんだけど」
「なに?」
「もしかして、愛ちゃんって力をセーブしてない?」
「え、ほんなことないよ」
「そう? なんか、本気を出してないように見えるんだけどな」
かちゃり──鎖が揺れる。
「うらはいっつも本気だよ」
「ならいいけど」
「……ねえ、まこちゃん」
「なに?」
「まこちゃんにとって『強さ』って何?」
いきなりの質問に小川の眉がよる。
「うーん、そうだな。あたしにとって『強さ』は憧れかな」
「憧れ?」
「そう、あたしは強くなりたい。
もっともっと強くなって、いつかは日本一…ううん、世界一の退魔師になる。
それがあたしの夢」
「強く……」
「そう、強くなるんだ! もっともっと」
目の前で力説する小川を見て、再び高橋は目線を下げる。
そこまで言い切れる彼女がうらやましい。
わたしは力なんていらない……。
力なんて……。
「そういや、今日あさ美ちゃんと、里沙ちゃんは?」
「なんや、講習があるってゆうてたなあ」
「ふーん」
不意に小川の携帯から着信音が流れる。
「あ、事務所からだ。
はい、小川です。
……あ、はい…………」
話を続ける小川の前で、高橋は物思いに沈んだ。
◇
会議室のような一室。部屋の中には机が四つ。
座っているのは三人の少女。
上座には黒板が置かれ、その前に一人の女性が立っている。
その身を包むのは黒のスーツ。
黒衣の女性はシルバーフレームの眼鏡を押し上げ、静かに語り始めた。
「いいかい、今日はびしびし鍛えるからね。覚悟するんだよ」
保田圭は、眼鏡の下の猫目をいっそう吊り上げる。
その眼光に三人の生徒──加護亜依、紺野あさ美、新垣里沙は身を振るわせた。
「だいたい、みんな専門知識をおろそかにしすぎなんだ。
知識はしっかりと身に付けないと意味ないからね。
それじゃ講習始めるよ」
「──ここまではわかったね。ここんとこは重要だから良く覚えとくんだよ」
そう言って、黒板にチョークでぐりぐりと丸をつける。
「それじゃ、問題。『鬼』について説明せよ。はい、加護」
「……わかりません」
「馬鹿、新垣」
「『鬼』とはこちらの世界に深く結びついた妖魔のことである」
「60点。紺野」
「……『鬼』とはこちらの世界と結びつき…人間の想念を吸収することで実体化する。
人の恨み、嘆き、怖れといった感情を糧とし…力とすることができる……」
「よし、合格」
「うひょー、紺野ちゃんすごいね」
「何言ってんだ加護! あんた先輩なんだから、ちゃんと答えなさい!」
「加護はぁ、ずのーろーどーは苦手なんですぅ」
「馬鹿、敵の本質がわからないで、戦いなんてできるか!
相手の特性を見極めないと、長生きできないよ」
「敵を知り…己を知れば……百戦危うからず……です」
後輩の紺野からも突っ込まれ、加護はしおしおと小さくなる。
「うう……ののは…ののはどこ行ったんですか?」
「……あいつさ、ばっくれたんだよね」
「ひきょーや! ののだけ遊んでるなんてひきょーや!!」
「……安心しな……。あいつには特別メニューを用意してやるから……」
レンズが光を受けてきらりと輝き、保田の目を隠す。
ごくり。
見たらあかん。
あの目を見たらあかん。
見たら石になってまうで。
ああ、うち、まじめにやってて良かった……。
「はい、ああ、裕ちゃん。なに?」
携帯で話を始めた保田を横目で身ながら、
加護は親友の身を案じ、その年の割にふくよかな胸を痛めた。
◇
「たー!!」
「きぃゃあああぁぁぁぁぁ!!」
淡い桜色をした、ミニのフレアスカートがふわりと花開く。
同時に聞こえる高周波。
遠く、地球を離れたホワイトドラグーン。
石川梨華はスカートの後ろを押さえ、真っ赤になった顔で悪戯っ子を睨んだ。
「の、ののちゃん! スカートめくらないで!」
「梨華ちゃんが油断してるのがいけないんだよーだ」
子供の理屈を振り回すのは辻希美。
「油断って……」
「それに、細い足を見せびらかすから」
「見せびらかしてないわよ!」
「細いってことは否定しないんだな」
「そーですね。ああ見えて意外と冷静ですから」
ぼそりと呟くデコボココンビ。
テーブルの上に肘を突いて、お馬鹿なやり取りを眺めている。
「もー、よっすぃーも矢口さんも、見ててないでなんとか言ってくださいよ!」
「あー、梨華ちゃん。毛糸のパンツはどうかと思うけど」
宇宙刑事──吉澤ひとみの動体視力は、悩ましいラインを描く曲線と共に
毛糸で編まれたウサギちゃんもしっかりと捕らえていた。
「み、み、見たの!? よっすぃー!!」
石川は両手で紅潮した頬を包み込む。
「ああん、梨華もうお嫁にいけない……。
──よっすぃー、責任とってね」
「な、なんであたしが!!」
「あ、オイラも見たよ。ウサギのパンツ」
「矢口さんはいいです」
「あ、そ」
こいつ最近性格変わったな……。
矢口真里は複雑な気持ちで、石川を見た。
「でも、梨華ちゃん。毛糸のパンツはやばいって」
「う、いいじゃない、寒いんだもん」
「あ、オイラも毛糸のパンツはいてるよ」
「え? そうなんですか?」
「暖かいもんね、あれ」
ねー、と首を傾けあう二人に、吉澤はテーブルを叩く。
「だーめですよ。毛糸のパンツなんて!」
「なんでさ」
「やっぱり女の子なんだから、もっとこう、
かわいーってゆうか、色っぽいってゆうか、そういうヤツ穿いとかないと」
「よっすぃー、おじさんみたいです」
拳を握って力説する吉澤に、意外な伏兵辻が突っ込みをいれる。
「ぐ……」
声もなく立ち尽くす吉澤は、鳴り響く電子音に救われた。
「あれ? 通常回線からの連絡だ」
「保田さんからなら、ののはいないといってください」
「つーじー、おまえもしかして訓練サボったな」
あきれたような矢口の声。
「あとで怒られても知らないぞ」
そう言って、吉澤はヘッドセットを取った。
◇
都内某所の神社。
8畳ほどの和室の真中には、小さなコタツが一つ。
コタツの中には、妙齢の女性が二人、首まで潜り込んでいる。
「暇だね、なっち」
「そだね、圭織」
「…………」
「…………」
「そだ。なっち、みかん食べる?」
「あ、うん、食べる」
「…………」
「…………」
「おいしいね、このみかん」
「うん、おいしい」
「…………」
「…………」
「平和だね」
「そだね」
「…………」
「…………」
「ふう……」
「あ、赤ちゃんみかんだ」
「え、どれどれ見せて」
「ほら、これこれ」
「あ、いいなあ。カオリそれにすればよかった」
「だーめ、これはなっちのだべ」
ジリリリリリ
「ねえ、そろそろ電話買い換えたら?
いまどき黒電話なんて誰も使ってないっしょ」
「まだ使えるからいいの。
はい、もしもし。あー、裕ちゃん。
え? いいけど。
なっち? うん来てるよ。
うん、わかった。伝えとく。
はーい。んじゃねー」
「裕ちゃんなんだって?」
「なんかね。今からここにみんなが来るんだって」
「みんなが? 何しに?」
「さあ、知らない。それでなっちもここに残っとけって」
「えー、なんだろ。面白い話かな?」
「どーだろ。あ、なっちお茶飲む?」
「うん、ちょうだい」
◇
「ねー、裕子ぉ。これから一体なにがあんのさ」
『光の巫女』飯田圭織の住む都内某所の神社。
既に中澤裕子率いる退魔結社の面々が顔をそろえている。
その中には、『日本最強の念法使い』安倍なつみや、
『宇宙刑事』吉澤ひとみ、石川梨華の姿まであった。
「そーだよー。ごとーなんか、病院から急いで駆けつけたんだから」
『不死の少女』後藤真希も不満の声を上げる。
その後ろでは、こぶのできた辻の頭を、松浦が心配そうにさすっていた。
「いやな、今日あんたらを集めたんは、あたしやないねん」
「んじゃ、誰が……」
「俺や」
言葉と共に現れたのは、髪を金色に染め、青いサングラスをかけた怪しげな男。
「て、寺田さん」
「あほ! 寺田ゆうな! 『愛のマジックマスターつんく♂』いわんかい!」
「長いよ!!」
「あの……矢口さん……あの人は一体……」
「あ、そっか。よっすぃーは初対面だよね。
あの人は、オイラ達みたいな特殊な力を持った人間を探してくるスカウトやってる人なんだ」
「それだけやないで」
「うわ!」
急に目の前に顔が現れ、矢口はのけぞる。
「俺はそれぞれの能力に合った修行の方法や、仕事の振り分けなんかもしとる。
ま、ゆうたら、プロデューサーみたいなもんやな」
「は、はあ」
「お! おまえが宇宙刑事やな。うん、ええやないか。インスピレーションが沸いてくるわ。
こら、天才的やな」
「そ、そうですか……」
つんく♂の勢いに押され、吉澤は後ろに下がる。
「あの……もう一つ訊きたいんですけど」
「ん? なんや?」
「なんでそんな格好してるんですか?」
「そんなって、この白のタキシードのどこに不満があんねん」
そう言ってタキシードの襟をピシリと直す。
ちなみに頭にはこれまた白のシルクハット。
「……主にタキシードって所に」
「あかんな。大人の男のお洒落ってもんがわかってへんわ。
まあ、まだ子供やからしゃーないけどな」
「…………」
「……それで。何の用だったんですか?」
そのやり取りを冷たく見ていた矢口が、たまりかねたのか訊ねる。
「お、せやった。今日おまえらを呼んだ理由はこれや」
おもむろにタキシードの胸ポケットから、一枚のハンカチを取り出す。
宙に向かってふわりと投げると、ハンカチは大きな看板へと変わった。
空中に浮いたままになっているその看板には……
LOVEトーナメント21 〜最強は戦わなきゃ決められない〜
とあった。
口をあんぐりとあけて唖然とする年少組。
ため息をつき諦観の表情を見せる年長組。
「なんや、なんや。元気が無いな。もっとびっくりしろや」
「いえ、あたし達はもう慣れましたから」
年長組を代表して飯田が答える。
「あ、あの……。これはどういうことなんですかぁ?」
年少組代表、加護は引きつった顔で聞いた。
「見てのとおりや。ここにおる面子でトーナメントしてもらうで」
「何でそんなことするんですか?」
「サービスや」
「へ?」
「あ、いやいや。やっぱりそれぞれの実力を確認しときたくてな」
「…………」
「な、なんやそのジト目は。こら、辻まで同じ目をするんやない」
「まあまあ、みんな。しょーがないよ。……いつものことだから」
その場を代表して飯田が言う。
はー、といっせいにため息が漏れた。
「とにかく、そういうことや。開催は明日。
組み合わせは当日発表するからな」
「……はーい……」
「なんや、気合が入っとらんな。もちろんただとはいわん。
優勝者には賞品出すで」
「賞品ってなんですか?」
「なんと、USJゴールドパスポートや」
「「!!」」
全員が息を飲む気配がした。
つんく♂はにやりと頬をゆがめる。
「乗ってきたな。ほんならあんじょう頼むで」
頭に載せていたシルクハットをくるりと回すと、ぶわりと広がる。
巨大化した帽子は、インチキくさい関西人を飲み込む。
ぷしゅーっと空気の抜けるような音がして、シルクハットが崩れ落ちると、
そこにはすでに何者もいなくなっていた。
「はあ、相変わらずだね。あの人は」
「てか、何であたしまで」
口をむにゅっと曲げて吉澤が抗議の声をあげる。
「よっすぃー」
「なに? 梨華ちゃん」
「がんばってね」
「え?」
「遊園地のパスポート。二人っきりのデート。ああ、素敵」
「あの…梨華ちゃん」
「だって、この間のときは結局邪魔が入ったし……」
「あ、おぼえてたんだ」
「ということでがんばってね。応援してるから」
「はいはい」
「いやー、おもしろそーでないかい。なっち楽しみだよ」
「カオリ、そう思ってるのはなっちだけだと思う」
「めんどくさい……」
「しゃきっとしなさい。しゃきっと」
「よっしゃ! いっちょ、うちらの力を見せてやるで!」
「へい!」
「日本一に……あたしはなる!」
「力なんて……」
「トーナメントかあ」
「……どうやって…戦えばいいんだろ……」
──何はともあれ、様々な思惑を秘め、今ここに戦いの幕が上がろうとしていた。
LOVEトーナメント21 〜最強は戦わなきゃ決められない〜
出場者
中澤裕子
飯田圭織
安倍なつみ
保田圭
矢口真里
後藤真希
りんね
あさみ
松浦亜弥
辻希美
加護亜依
高橋愛
紺野あさ美
小川麻琴
新垣里沙
吉澤ひとみ(銀河連邦)
以上16名
おなじみ、都内某所の神社。
普段は閑静なこの場所は、時ならぬ熱気に包まれていた。
「お、みんな集まっとるな」
金髪に青いサングラス、白のタキシードにシルクハット。
この上なく胡散臭い格好の敏腕スカウトは、集まった退魔師達を見回す。
「それじゃ、さっそく始めよか。今回の舞台はアレや」
手に持ったステッキで指した先。
そこには、直径20メーターほどの円形のリングがあった。
地面より30センチほど高くなった表面は、石でできているように見える。
「あんなもん、一体いつ造ったんだよ」
矢口の小声の突っ込みを当然のように無視し、つんく♂は上機嫌で説明を続けた。
「ルールは簡単や。10カウントのダウン、ギブアップ、リングアウトで負け。
ま、みんな怪我せんようにがんばってや」
にやり、とその唇が不敵に歪む。
「まずは一回戦、第一試合。組み合わせはカードで決めるで」
そう言って、つんく♂は空中をつまむような仕草をする。
白い手袋をした指先には、どこから現れたのか一枚のカードが挟まれていた。
右手を軽く振るとカードは扇形に広がる。
パラパラっとシャッフルされたカードの中から、一枚を抜き出した。
「最初はこいつや。……吉澤ひとみ!」
「おー、いきなりか。がんばれよ、よっすぃー!」
「ファイトだよ。よっすぃー」
「ま〜かせてくださいよ〜。あたしやりますよ〜」
無意味にジャケットを広げてポーズを決める宇宙刑事。
昨日の文句はどこへやら、すっかりノリノリだ。
「対戦相手は……松浦亜弥!」
「はーい、松浦亜弥いっきまーす」
呼ばれて立ち上がったのは、小柄な少女。
「矢口さん、あの子初めて見ますね」
「あ、そっか。よっすぃー、今まで会う機会なかったもんね。
あの子も辻加護と同じ見習だったんだけど、最近正式に独り立ちした子なんだ。
能力は『太陽の光』を操ること」
「へー、なかなか可愛い子じゃないっすか」
「……よっすぃー」
「い、痛いって梨華ちゃん!」
やや栗色がかった肩までの髪。
パッチリとした瞳。
華奢な体つき。
どっから見ても正統派の美少女。
しかし、その身が纏っているものは、かなり異質なものに見えた。
「あんまり甘く見ないほうがいいよ。実力はともかく、あの鎧は厄介だから」
「鎧? あれのことですか?」
それは鎧というよりも、古いアイドル歌手の衣装のように見えた。
肩には羽根の形をしたプロテクター、ミニスカート状の腰当て、膝上までのブーツ。
何より特徴的なのはその腕部である。
振袖のように垂れ下がった袖は、強靭さと柔軟さを兼ね備えた
特殊な素材でできているようだった。
それ以外の部分は、白を基調としたエナメルのような光沢の素材が覆っている。
ただし、なぜか腹部──おへその辺り──だけはむき出しになっていた。
「オイラのスーツと同じ、能力増幅装置つきの万能鎧(マルチプルメイル)。
加護の『如意棒』なんかもそうだけど、ああいうのって特殊な技術が使われてるんだ。
んで、そういった技術をいろいろ試してみたい人たちもいる。
企業とか、国とかね。ま、上のほうの話は知らないけど。
そんな人たちが、造ったものをいろいろ持ち込んでくるんだよね。
で、それをオイラたちが使ってデータを集める、と。
つまり、オイラ達は特殊技術の実戦テストしてるってわけ」
「なるほど」
「なかでも、あの子の鎧はめちゃめちゃ金かかってるらしいんだよ」
「いやー、スーツの性能だったらこっちだって負けませんよ」
「そうよ! 宇宙刑事の意地を見せてね!」
「もちろん!」
パートナーの熱い言葉に、吉澤は親指を立てて応える。
「よっすぃー」
「あ、ごっちん」
相変わらずの眠たげな声をかけてきたのは、『不死の少女』後藤真希。
「トップバッターだね。がんばって」
「うん、応援してね」
「いーよ、まーかせて。ごとーの応援があったらきっと勝てるからね」
「あはは、ありがと。期待してるよ」
「……おい、石川。目が怖いぞ」
めらめらとした何かを背負った石川に、矢口が恐る恐る声をかける。
「じゃ、いってくるね」
リングに向かう吉澤。
手を振る後藤の後ろに、にこやかな笑顔で近づく石川を見て、
こっそりと矢口がため息をついたのを、幸いなことに彼女は知らない。
「よろしくおねがいしまーす」
「うん、よろしくね」
リング上で握手を交わし、二手に分かれる。
吉澤は既にコンバットスーツを着装していた。
そのまま自然体で対戦相手を見つめる。
「レディー…ゴー!!」
合図と同時にリングが光に包まれた。
松浦の太陽光。
光量を調節しきれず、チュィーンと音を立てる電子アイに、
一気に間合いを詰めた白い鎧が飛び込んでくる。
特徴的な袖が振られると、鞭のようなしなやかさで宇宙刑事を襲った。
「ぐ!」
ガードした腕がみしりと音を立てる。
そのまま休む間もなく左右の連打。
「こなくそーー!!!」
連撃の隙を突いて、レーザーブレードで抜き打ちの一刀。
ふわりと白い体は後ろに飛んだ。
若干の距離をおいて、再び対峙する両者。
──可愛い顔してやるじゃないの子猫ちゃん……。
マスクの中の吉澤の唇が、不敵に吊り上がる。
のほほんとした顔の下を、アドレナリンが駆け巡っていく。
小悪魔めいた笑顔を見せる松浦の目の前で、きらめく光が集まる。
「プリズム・レーザー!」
シュっと小さな音を立てて、一直線に向かってくる光の線を、
白銀のコンバットスーツは大きく横に飛んでかわす。
一回転した後、膝立ちのままブラスターを三連射。
長い袖を羽根のように広げ、松浦は宙へと舞い上がった。
「あの…後藤さん」
「んあ。梨華ちゃん、なに?」
「あの、後藤さんはよっすぃーとは仲良いんですか?」
「うん、よっすぃーとは友達だからね」
「友達……」
「そ、買い物行ったり、ご飯食べたり」
「買い物……ご飯……」
「仕事の合間なんかで都合がついたときとかにね。
ほら、よっすぃーってお肉嫌いでしょ。ごとーもなんだよね。
だから、一緒にお魚食べに行ったりとか。
なんかー、ごとーとよっすぃーって趣味が似てるみたいでさ」
「そ、そうなんだ……」
「あは。もしかして梨華ちゃんヤキモチやいてる?」
「な! いや、そ、そんなこと……」
「いやー、よっすぃー男前だもんねえ。
ごとーもたまにクラクラしちゃうもん」
「ちょ、ちょっとそれって……」
「あぶない!!」
矢口の悲鳴に、二人は慌ててリングに目を戻した。
宙に浮かぶ松浦の周囲が陽炎のように揺らぐ。
「地球の技術、馬鹿にしたらあきませんよー」
巨大なレンズを置いたかのように、光が一点に収束される。
「サン・フレイム!!」
必死にかわした吉澤の足元で、リングの表面がぶすぶすと煙を上げる。
続けざまに放たれる技に、防戦一方の宇宙刑事。
「なかなかしつこいですね。一気に決めちゃって良いのかな?」
両手の袖が、ぴんと真っ直ぐ伸びる。
その広げた袖の間に、無数の光の玉が現れた。
「サンラァイズ・シャワァー!!!」
無数の光の玉が一気にリング全体に降り注いだ。
「あれ?」
焼け焦げたリングに吉澤の姿はない。
「ど、どこに!?」
「後ろだよ」
振り向いた松浦の目に、超空間跳躍を終えた白銀のコンバットスーツが映る。
飛びつかれた勢いのまま、重力に導かれ二つの体は落下する。
ずん、と軽い地響きをさせて、もつれ合った白い塊はリングに激突した。
「いたた……」
頭を押さえる松浦の首筋に、かちゃりと冷たいものがあてられる。
視界に映るのは、刃を消したままのレザーブレードと、こちらを睨む電子アイ。
「ゲームオーバーだよ、セニョリータ」
「うーー、ギブアップです……」
カンカンカン
「そこまで!! 勝者、吉澤!!」
安っぽいゴングの音が鳴り響いた。
「もー、めっちゃむかつくー!」
「大丈夫?」
と、吉澤は倒れたままの少女に手を差し伸べる。
「ありがとうございます。優しいんですね」
「ま、ね」
「ふふ、強いしかっこいいし。憧れちゃうな」
松浦はひょいっと背伸びして、白銀のマスクにちゅっと口づける。
「な、な、な……」
「今度は負けませんからね!」
はずむような足取りで去ってゆく少女を、呆然と見送る宇宙刑事。
全く最近の若い子は……。
年の差はほとんどないにも関わらず、妙にババ臭い感想を持つ。
──さて、とりあえずは勝ったけど……。
背後から聞こえる、その大きな口が予想できる笑い声と、背中を貫かれるような鋭い視線。
──できれば早く帰りたい……。
トーナメント最初の勝者は、なぜかがっくりと肩を落とした。
第一回戦 第一試合
○ 吉澤ひとみ (ギブアップ) 松浦亜弥 ×
「リリムス・ララムス・ルルルルー!」
光がきらきらと舞う。
放たれた糸がぽろぽろと砕け散った。
すっと目を細めて右手を振る。
対戦相手から目を離さないまま、保田はぺろりと指先をなめた。
──甘い。
砂糖に変えられた糸を捨て、ロングコートのポケットに両手を入れる。
……なかなかやるわね。
生真面目な表情を崩すことなくこちらを見つめつづける新垣に、心の中で賞賛の言葉を送る。
つるりとした小さな顔、頭の両脇でまとめた黒い髪、まん丸のつぶらな瞳。
きっと口を引き結んでいるため、げっ歯類のような前歯は今は見えない。
トーナメント参加者中最年少の13歳。
実戦経験少ない割には、なかなか落ち着いてるし……。
とても新人とは思えないわね。
辻や加護よりよっぽどしっかりしてるじゃない。
相手の出方を伺いながら、ゆっくりと間合いを調整する。
あ、でも、考えてみたら後藤が入ったのも13の時だっけ?
ふうん、13歳にも色々あるんだねえ。
コートに手を入れたまま、リングの上をゆっくりと周回していた保田はぴたりと足を止める。
「どうした? 新垣。攻めてこないの?」
動く様子のない魔女っ子を軽く挑発する。
「保田さん。わたしは攻撃的な能力は持ってないです」
表情どおりの生真面目な声で新垣が答える。
「だから考えました」
「なにを?」
その問いには答えず、すっと息を吸って、新垣が走る。
ポケットに手を突っ込んだままの保田から、ふわりと糸が飛んだ。
「リリムス・ララムス・ルルルルー!」
砂糖に変わった糸が降り注ぐ中、さらに光がこぼれる。
「えい!!」
「な!」
振られたステッキの先にある保田の体がぴたりと固まる。
漆黒のコートは鈍色に変わっていた。
「着ている物を鉄に変えさせてもらいました。これでもう動けませんよ」
「考えたわね。でもこれからどうするの? あたしはギブアップしないわよ」
「10数える間だけ横になっててくれればいいです。
一度倒れたら起き上がれないでしょうから」
すたすたと保田の目の前まで歩いてくる。
「ごめんなさい。保田さん」
保田の肩へと新垣の手が伸びる。
その手が寸前でぴたりと止まった。
「え? あれ?」
自らの意思に反して、体が仰向けに倒れる。
「ダウン! 1、2……」
「な、何で……」
「なかなか良くやったけどね。まだ攻めが正攻法過ぎるわ」
身動きの取れない魔女っ子を、糸使いは静かに見下ろす。
「普通の糸と一緒に黒く塗った『影糸』を飛ばしといたのよ。
まだまだ経験値が足りないわね」
「うーー」
「10! 勝者保田!!」
カンカンカン
第一回戦 第ニ試合
○ 保田圭 (KO) 新垣里沙 ×
元に戻ったコートを翻して、保田はリングを降りた。
仏頂面を崩さない糸使いに、後藤が声をかける。
「いやー、圭ちゃん、さすがだねえ」
「まあ、新人にやられるわけにはいかないからね。
って、何してんの? あんたたち」
吉澤の左肩にあごを乗せ、体ごとだらりともたれかかった眠たげな少女。
反対側では、軽く唇を尖らせ、じとっとした目の石川がしっかりと腕を抱え込んでいる。
真中の宇宙刑事は、嫌な汗を流して引きつっていた。
「なんかさー、梨華ちゃんがごとーに嫉妬してるみたいで」
「ち、ちがいます!」
「うーん。僕にはわかる。僕には……」
「もー、ちがうってば!!」
「保田さーん、助けてくださいよー」
「嫌よ、バカバカしい。
それより後藤、あんたの出番次でしょ。早く行きなさい」
「んあ、そだっけ? しょーがないなー」
よっこいしょ、と勢いをつけて立ち上げる。
均衡が崩れたのを幸いに、吉澤をさらに引き寄せる石川。
吉澤の肩越しに後藤を見上げる。
その光景を、後藤は楽しそうに眺めていた。
「それじゃ行って来るね。よっすぃー、たくさん応援してね」
「うん。もちろん」
ぎゅうっ、と吉澤を掴む石川の腕に力が入る。
「梨華ちゃんも応援してよね」
「え!? あ、……うん。応援…するよ」
「ありがと。じゃね」
ひらひらと手を振って後藤はリングに向かう。
「うーー」
「どうしたの? 梨華ちゃん」
「……なんか悔しい」
「い、痛いよ。梨華ちゃん! 腕つねらないで!」
「……はあ、これも青春なのかねえ」
おばちゃん保田はこっそり呟いた。
「対戦相手は後藤さんか……」
「大丈夫? まこちゃん」
心配そうに高橋は小川に声をかけた。
「うん、相手にとって不足はないよ。全力でぶつかってみる」
「がんばってな。応援しとるから」
「ありがとう。仮にも日本一を目指してるんだから、簡単には負けられないよ」
にんまりと小川が笑う。
「ねえ、まこちゃん」
「なに?」
「なんで、そんなに力が欲しいん?」
俯いたまま、高橋が聞く。
「だって、かっこいいじゃん」
「え?」
予想してない答えに、高橋が顔を上げる。
「強いほうがかっこいいでしょ。やっぱり」
「ほ、ほりゃほうやけど……」
「あ、もういかなくっちゃ。じゃ、応援しててね」
「あ、……うん」
高橋は無意識に手首に手をやる。
かちゃり、と見えない鎖が鳴った。
小川はリングの反対に立つ後藤をじっと見ていた。
その姿には緊張感のカケラもなく、眠たげな目はあさってのほうを向いている。
新人相手だからって気を抜いてるな。
開始直後に一気に仕掛けてやる。
……油断大敵ってこと教えてやるぞ。
ぴんと指を伸ばし、静かにそのときを待つ。
「レディー…ゴー!!」
掛け声と共に手を水平に振る。
しゅ、と風を切る音。
空気が刃と化して襲い掛かる。
だが、後藤もまるで弾かれたかのように飛び出していた。
その体をかまいたちがえぐる。しかし、勢いは止まらない。
ニ撃目を放つ暇はなかった。
伸びた右手が小川の首を掴む。
小川は凍りついたように後藤を見つめていた。
鮮血の流れ落ちる端正な顔。
バサリとたれた髪の間からのぞく、無機質な……目。
す、と首の拘束が緩む。
ぺたり、と小川は座り込んだ。
まだ後藤の顔から目が離せない。
──体に力が入らない。とても立ち上がれそうになかった。
「そこまで! 小川戦意喪失。勝者、後藤!!」
ゴングが鳴り響いた。
「まこっちゃん!!」
高橋の手を振り払い、小川は走り去った。
その目からは光るものが零れ落ちる。
ひょこひょことリングから降りてきた後藤に、矢口が寄ってきた。
「ったく、手加減ってもんを知らないんだから」
「んー、あれがごとーの仕事だからね。こっからはやぐっつぁんのお仕事」
「もー、どいつもこいつも人使いが荒いんだよ!!」
「あはは。んじゃあとはよろしくー」
ぽんぽんと小さな肩を叩いて、眠たげな退魔師は歩み去った。
第一回戦 第三試合
○ 後藤真希 (TKO) 小川麻琴 ×
「まこちゃん」
神社の裏手。こちらに背を向けたままの小川に、高橋は声をかけた。
「あたし、負けちゃった……」
「うん」
「あたし、全然ダメだった……」
「しょうがないが。相手は後藤さんやもん」
小川の肩が、時折ひくひく動く。何かをすすり上げるような音が聞こえた。
「あたし…もっと戦えると思ってた……。もっと戦えると思ってた……。なのに……」
「……まこちゃん」
後ろを向いたまま、小川は顔を上げた。大きく息を吐く。
「あたし……かっこわるいよね」
「そんなこと……」
「あたしには……一緒に狗法を学んだ、修行仲間がいるんだ。
みんな、とってもいいヤツばっかりで……。
こっちに出てくるときも、がんばれって言ってくれて……。
そいつら…あたしに憧れてるって。
あたしを目標にするって……。
だからあたしは強くなりたかった。
強くなって、かっこいいって言われたかった。
日本一になりたかった……。
あいつらが自慢できるように……」
「まこちゃん……」
「でも……だめだった……。あたしかっこわるい……。あたしもう自信が……」
「小川!」
強い声に驚いて振り返る。
小さな体が仁王立ちでこちらを見ていた。
「自信が無いなんて言うんじゃないぞ。言ったらぶっ飛ばしてやる!」
「矢口さん……」
「だいたい、おまえの実力で後藤に勝てるわけ無いだろ。
まだまだあんたはひよっこなんだ。
自分の力を過信するんじゃない」
「……はい」
止まっていた涙が再び零れ始める。
ぽたぽたと地面に小さな雨が降った。
矢口はその涙をじっと見つめた。
「悔しいか」
「……悔しいです」
「だったら……」
「だったら大丈夫だべ」
「な、なっち!!」
ふわりと吹いた風のように、いつのまにか現れた安倍が、矢口の後ろから顔を出す。
「悔しいと思っているってことは、諦めてないってことだよ。
だったらまだ強くなれる。
いいかい、体はいくら負けたっていいんだ。
でも、心だけは負けちゃいけない。
いつも、強い心でいなくちゃいけない。
そうすれば……きっと強くなれる。
わかるかい?」
そう言ってにっこりと笑う。
それは雲間からのぞくようなお日様の笑顔。
「はい……。安倍さん……ありがとうございます」
「なーーんでだよー! なんでなっちがおいしいところ持ってくんだよ!」
「矢口最近怒りっぽいなー。カルシウム足りないんで無いかい。
牛乳のみな」
「あんたのせいだよ!! 矢口は牛乳嫌いだって言ってんだろ! だいたいなんで……」
「あ! なっち次の試合だった! 早く行かなくっちゃ!!
じゃ、がんばってね」
後輩二人に手を振り、ぱたぱたと小柄な念法使いは駆けていった。
「くわーーー!! なんだよ。これじゃ矢口はただの悪い人じゃないか!!
もーーーやだ!!」
「矢口さん…。あの…ありがとうございました」
「……もういいよ。いつものことだから……。
でも、がんばんなよ。まだまだあんたはこれからなんだから」
「は、はい!」
「それから……高橋。あんたもだよ」
「え!?」
「何を迷っているのかわからないけど、自分の力と向き合わないと先には進めないよ」
「矢口さん……」
「なっちの次は、オイラとあんたの試合だからね。全力でおいで。……いいね」
「…………」
振り返って立ち去る矢口を見送りながら、高橋は自分の腕を見る。
かちゃり、見えない鎖がまた鳴った。
「はあ、やれやれ」
「お疲れ様。矢口」
「まったく、なんでオイラがこんな役しなきゃいけないんだよ。
こういうのは、圭ちゃんの担当じゃないの?」
「何言ってんの。新しい子が入ってきたんだから、あんたがしっかりしなきゃ」
「つーかさ。現場のことは圭織がまとめるって話じゃなかった?」
「……やらせてみる?」
「……やめとく」
肩を落とした矢口は盛大なため息をつく。
「はー、なんでこんな中間管理職みたいなことを……」
「ぼやかない、ぼやかない。それより、あんた次出番でしょ。
早く行かなきゃ」
「あれ? なっちの試合は?」
「もう終わったみたいよ」
その言葉でリング上に目を向ける。
木刀を左手に下げた安倍の足元に、白い塊が擦り寄っている。
その横には呆然とした顔のあさみ。
「他人のトーテム手なずけたか。相変わらずだね全く」
あごの下をぐりぐりされた巨大な白犬は、気持ちよさそうに喉を鳴らした。
ゴングが鳴り響く。
すっかり戦意を喪失したあさみは、あっさりギブアップしていた。
リングを降りた安倍が、こちらに駆け寄ってくる。
「ねね、見た見た!? なっちすごい? なっちすごい?」
「はいはい、すごいすごい」
まとわりついてくる安倍を、矢口はうっとうしそうに振り払う。
「ったく。なんでこんなのに『最強』って名前がつくんだろ」
「しょうがないね。『なっちは天使』だから」
横目でちらりと見る。無邪気な笑顔の安倍。
矢口と保田は、顔を見合わせてため息をついた。
第一回戦 第三試合
○ 安倍なつみ (ギブアップ) あさみ ×
「次、矢口でしょ。がんばるんだよ」
ニコニコ笑顔の安倍。
「わかってるよ。新人相手なんだから、心配いらないって」
「高橋の愛ちゃんだっけ。今が一番大事なときっしょ。
自分から、前に出て行けるかどうかがポイントだべ。
それには自分で自分を好きにならなきゃ」
その言葉に少し驚いて、ふんわりとした顔を見る。
「見てないようで良く見てるね」
「そりゃ、なっちえらいもん」
「はいはい」
あきれた顔で矢口はリングに向かう。
今回のトーナメント。
昨晩、年長組で集まって話し合った。
いんちきプロデューサーの趣味にせよ、始まったからには有効に利用させてもらう。
若い子達を一皮も二皮もむかせてやる。
テッテーテキに試練を与えてやる。
それがオイラ達の親心。
あの子達が長生きできるように……。
ま、だからって勝ちはゆずら無いけどね。
ズザァッ
リングに倒れ伏した高橋はゆっくりと顔を上げた。
唇の端に滲んだ血を手の甲でふき取る。
「どうした? もう終わりか?」
少し離れたところから矢口が見下ろす。
一方的だった。
格闘能力には自信があった。
対妖魔用の武術。修行中にも一度も負けたことが無かった。
それが、全く歯が立たない。
攻撃力では明らかにこちらが上だ。
しかし、繰り出す攻撃が一度も当たらない。
逆にいいようにカウンターをもらっていた。
「この間は油断してたけど、
その気になればそのくらいの攻撃、簡単にさばけるんだよ」
高橋はぎゅっと手を握る。
自分の力を過信していたことに、あらためて思い至る。
「高橋……あんたの本当の実力を見せてみろ」
自分の力と向き合う。
矢口の言葉が思い出される。
自分の力。呪われた力。忌まわしき力。
「いやです!」
どうしても、この力は使いたくなかった。
力を使うことで全てを失ってしまう。
そんな気がしていたから。
「……しょうがないな」
ぱちぱちと矢口の周りで火花が散る。
「怪我すんなよ」
光の筋が矢口の手のひらに集まっていく。
目を見開いた高橋に向かって、拳が突き出された。
「聖雷撃フルパワー!!」
リング上をまばゆい光が包み込んむ。
「愛ちゃん!!」
リングの下から見ていた小川が大きな声を出した。
帯電した空気がぱりぱりと音を立てる。
わき起こった煙に包まれた少女の体。
煙がその体よりもふた周り以上大きな影を浮かび上がらせる。
それは禍々しき影。
可憐な少女と対極にある、恐ろしき影。
「見んといて! 見んといておくんねや!!!」
真紅に染まった目を両手で隠し、高橋はしゃがみこむ。
「鬼神憑きか……」
静かに矢口が呟く。
「人の体に鬼を憑依させることで、その力を得る邪法……」
「うらの体には、化け物が縛り付けられているんです」
かちゃり、と鎖が鳴る。
その先に繋がれているのは、恐ろしき妖魔。
鎖を通して、自らの動きを妖魔に伝える。
異なる次元に縛られた鬼を使役する。
それこそが、『鬼神憑き』の邪法。
妖魔を倒すために妖魔の力を使う。
矛盾した行為。
心清き少女には耐えられない行為。
それは果たして是か非か。
「うらは……うらは化け物を飼ってるんです。
邪法を使われて、自分の体に化け物を……。
お願い! 見んといて!!」
いつの間にか、高橋の目の前には矢口が立っていた。
「なんだ、大したこと無いじゃん」
「え?」
「まったく、そんなに嫌がってるから、
背中から毛でも生えてくんのかと思ったのに」
「あ、あの……」
戸惑う高橋に矢口はにっと笑う。
「ここにいるやつみんな、普通の人から見たら化けもんだよ。
おまえだけが、自分の力で悩んでると思ってんのか?
みんな、それを乗り越えてここまで来たんだ」
「でも……この力は……」
「一緒だよ。例え妖魔の力であっても、それを使うやつの心が大事なんだ。
力そのものに善悪は無い。全てはおまえの気持ち次第だよ」
「うらの…気持ち……」
「おまえはなんで退魔師になろうと思ったんだ?」
「うらは……守りたかったから…みんなを……」
「なら好きなだけ力を使え。遠慮することは無い。
──矢口が許可する」
「矢口さん……」
にやりと笑った矢口は、間合いを取って向き直る。
「さ、こっからが本番だ。今度は本気でこいよ。
手ぇ抜いたらぶっとばすぞ」
「……はい!!」
目を閉じ息を吐く。
迷いはない。真紅に染まった目を開く。
矢口に向かって走った。
風を切る拳。
見た目の何十倍もの質量を感じさせるその突きに、
避けた矢口の顔が引きつる。
ふわりと飛んだ高橋の足が、上から下に突き刺さるように伸びる。
どん、リングが巨大な足の形にへこんだ。
「うっわ、はっぱかけすぎちゃったかな。こりゃ」
風を巻き込むような廻しげり。
小さな体が真横に飛ぶ。
受けた両腕が軋んだ。
そのままころころと転がる金髪。
「ちい!」
リング際ぎりぎりで踏みとどまった矢口は、
再び伸びてくる掌底を雷光の壁で受ける。
雷に浮かび上がる小柄な体の半分もありそうな手のひら。
その手が更に前へと出る。
「やっば!」
「はあ!!!」
気合の声とともに壁がはじけた。一瞬、視界が白く染まる。
再び世界が色を取り戻したときには、矢口の姿は消えていた。
「ど、どこに!?」
「うりゃ」
背後から声。
振り向きかけた高橋の膝の後ろを膝で押す。──必殺『ひざかっくん』。
よろけた鬼神憑きを体ごと押しこむ。
すとん、呆然とした顔で高橋はリング下に着地した。
「そこまで!! リングアウトで矢口の勝ち!!」
ゴングの音を聞きながら、矢口は唇を吊り上げる。
「悪いね。矢口、USJ行きたいんだ」
第一回戦 第五試合
○ 矢口真里 (リングアウト) 高橋愛 ×
気合の抜けた顔で立っている高橋の肩に、小川が右手を乗せた。
「愛ちゃん。やっぱり、本気出してなかったんだね」
「まこちゃん……。ごめんな。ずっと隠してて」
「いいよ。気にしないで」
大きな口でにっこりと笑う。
「それに……」
照れくさそうに目が細まる。
「ライバルは強い方が嬉しいからね」
「ライバル?」
「そ、愛ちゃんが強くなればあたしも強くなる。
あたしが強くなれば愛ちゃんも強くなる。
二人で強くなろ。一緒にさ」
「まこちゃん……」
「二人で強くなって『無敵のライバル』になろうよ」
「……うん……ほやな……」
邪気のない笑顔が高橋の胸に染み込む。
「よーーし! ほんなら、どんどん前に出て行くでの」
「うん、その意気だよ」
顔を見合わせて二人で笑った。
「飯田さーん」
「どした? 辻」
「おなかがすきました」
「えー、さっきクレープ食べたでしょー」
「てへへ」
「しょーがないなー。はい、ドーナツ」
「……あの、おひざのってもいいですか?」
「ほんとにもう……。ほら」
「わーい! よいしょ。
へへ、どーなつおいしいです」
「つーじー。また重くなってるぞ。少しはおやつ減らしな」
「う、こればっかりは……」
「もー、あんまり重くなったらひざに乗せてやらないぞ」
「だめです。辻はここがだいすきなんです」
「……ったく、おまえってやつはー」
「あう。飯田さん、あたまぐりぐりしないでください……」
試合直前、目をつぶり静かにそのときを待つ飯田に、矢口が声をかける。
「大丈夫なの? 圭織」
無言のままたたずむ飯田。
「ちゃんとわかってるんだろうね。
どうすれば、あの子……」
「わかってるよ。矢口」
ゆっくりとその目が開く。
「わかってるよ。ちゃんとね」
大きな目がリングを見つめる。
きっと口を結んだ顔は、いつになく険しく。
鋭い視線は強い意志を秘めていた。
うわー、飯田さんとしあいかあ。
きんちょーするなあ。
でも、辻はだれかと戦ったりするのキライなんだけど。
それに飯田さんつよいしなあ。
辻にかてるとは思えないし。
あっさり『こーさん』しちゃおっかな。
でも、そしたらまたおこられちゃうかな?
あれ? 飯田さんどうしたんだろ。
下むいてる。
おなかイタイのかな?
開始の合図と同時に強い衝撃を受けて、辻は大きく吹っ飛んだ。
何が起きたのか理解できない。
よろよろと顔を上げると、厳しい顔でこちらを睨む飯田が見えた。
同時に全身に痛みが走る。
なんで……どうして……飯田さん……。
痛みよりもショックで体が動かない。
「さあ来い、辻。全力でカオリと戦え。そして勝ってみろ」
「そんな……むりです」
「なに言ってんだ。そんな弱気なことでどうする」
「だって……」
「カオリはそんな弱虫の弟子を持った覚えはないよ。
来ないんだったらこっちから行くぞ」
金の鈴が唸りを上げた。
飯田はぎゅっと唇を噛み締めた。
ふらふらと立ち上がる愛弟子を、大きな目で見つめる。
ともすれば、駆け寄って抱き上げたい欲求を必死にこらえる。
ここが……ここが大事なところなんだ。
今のままじゃ辻は強くなれない。
いつもアタシに甘えてるようじゃ駄目なんだ。
──でも、こうなったのはアタシのせい。
ごめんよ辻。
アタシがもっと厳しくしてれば。
うれしかったんだ。
妹ができたみたいで。
神社に縛り付けられてしばらくしたころ、あの子はやってきた。
おどおどと気弱そうで。
ちょっと怒ったらぴーぴー泣いて。
そのくせ、人一倍いたずらっ子で。
いつでも人を心配させて。
ずっと心配していたかった。
すっと守ってあげたかった。
大人になってほしくなかった。
だからあんたを子供のままにしてしまった。
ごめんよ。
ごめんよ辻。
早くカオリから離れて一人前になっておくれ。
涙をこらえるような顔をして、辻は立ち上がった。
そのまま、ゆっくりと前に歩を進める。
「どした! 辻! さあ戦え!!」
お下げ髪を揺らし、ふるふると首を振る。
「辻は戦いません」
「なして! なして戦わないんだ!!」
焦れた飯田が怒鳴る。
「だって…だって辻は……飯田さんが好きだから」
ぐっと飯田は息を飲む。
「ごめんなさい飯田さん」
一歩づつ前に進みながら、辻は唐突に謝った。
「辻が…辻が悪かったんです」
近づいてくる辻を飯田はじっと見詰める。
「もう、訓練さぼったりしません。
もう、ばんごはんをつまみ食いしたりしません。
もう、保田さんを『おばちゃん』って言ったりしません。
だから……だから……」
飯田の前に立った辻は、真っ直ぐに背の高い師匠の目を見上げる。
「だから……泣かないでください」
飯田はぼろぼろと涙を流していた。
「つぅじぃ……」
飯田は小さな弟子の体を抱きしめる。
ぷくぷくとした温かい体。
「ごめんな、辻。カオリ間違ってたよ。
こんなやり方、辻のためにはならない」
「飯田さん、辻のことキライになったんじゃないんですか?」
「嫌いになるわけないだろ。馬鹿だな」
「よかったです。辻がわるい子だからおこってるのかと思いました」
「そんなことあるわけないだろ」
くしゃくしゃと頭をかきまわす。
「へへへ」
照れた笑顔に八重歯が覗いた。
「──そういうわけで、カオリは辻を一人前にしてやろうと思ったんだ」
「そうなんですか。辻のためにありがとうございます」
長々とした説明を終えた飯田に、深々と礼をする。
この場の雰囲気はマイペースな師弟が完全に支配していた。
ジャッジですら口をはさむ余地はない。
「わかりました。辻、いっしょーけんめーやります。
だから、みていてください」
とことこと飯田から離れた辻は、ぎゅっと目を閉じる。
胸の前で合掌の形に手を合わせ、そのまま精神を集中させる。
眉間に皺が寄り、こめかみから一筋の汗が流れた。
ぎりっと辻の奥歯が鳴る。
心配そうに見守る飯田の前で、その体の周りがゆらゆらと陽炎のように揺らぎ始めた。
かっと、辻がその目を開く。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!」
辻の体から呪符が舞い上がる。
空間に固定された呪符が、輝く光を放った。
「これが…十二神将……」
仁王に似た巨大な式神。
憤怒の形相の神将が大ぶりな剣を振りかぶる。
「飯田さん……いきます!!」
「よし! 来い!!」
剣がすさまじい勢いで振り下ろされる。
金の鈴が迎え撃つ。
両者がぶつかった瞬間。すさまじい波動がほとばしった。
リングが軋みを上げ、所々が砕け散る。
そこにいた全員が、思わず目をつぶった。
波動が収まったときリングの上には、力を使い果たし
気を失った愛弟子を、やさしく抱きしめる飯田の姿があった。
第一回戦 第六試合
○ 飯田圭織 (KO) 辻希美 ×
「気が付いたか、辻」
ぱちりと目を開いた辻に、飯田がやさしく声をかける。
「飯田さん……辻は…辻はすこしは強くなりましたか?
すこしはいちにんまえになりましたか?」
勢い込んで尋ねる弟子の頭を、飯田は軽く指で突く。
「なーにいってんだ。まだまだに決まってるだろ」
「そうですか……」
肩を落とす辻のほっぺを、両方の手のひらで挟み込む。
「だから、カオリがまだまだいろいろ教えてやる。
びしびしと鍛えてやる。
覚悟しろよ」
辻の顔に笑顔が広がる。
「………はい!! 辻はがんばります!!
いままでよりもおとなになってみせます!!」
その笑顔を見て、飯田は心が癒されるような気がした。
アタシはきっと、師匠としては失格なんだろうな。
でも…いいよね。
辻と二人で成長していけば。
師匠と弟子、少しずつ立派になっていけばいいよね。
「あ、でも飯田さん。おねがいがあります」
「なに?」
「……おひざにはのせてください」
「……しょーがないなー。でも、がんばって痩せるんだよ」
「うう、わかりました……」
これからも、いっしょにがんばろうな。辻。
さっきの試合でぼろぼろになったリングの修理のため、しばらく休憩になった。
まったくやりすぎやっちゅーねん。
にしても……。
……のののやつ、あんな力持ってたんか……。
ずっと一緒にやってきた相棒。
その隠された力に少し戸惑う。
最近自信ついたなとは思っとったけど。
試合の後、すぐに様子を見にいかなかったのは、ほんの少し悔しかったから。
師匠に抱かれる相棒に、結局声はかけなかった。
一緒にいたずらして。
一緒におやつを食べて。
一緒に笑って。
一緒に泣いて。
でも、やっぱりいつまでも一緒ではいられない
考えてみたらええタイミングなんかも知れんな。
もう、ののは一人でも大丈夫や。
うちがいなくても……。
なんとなく独りになりたくて、神社の裏に回った。
立木にもたれかかる。
ぼうっと葉の落ちた枝を眺めていると、心の中にも冷たい風が吹いたような気がした。
ほお、と息を吐くと、わたあめのような白が空気に溶ける。
ゆっくりと目をつぶった。
うち、なにやってるんやろ。
次は試合やっていうのに……。
はは、それも関係ないか。
試合のことなんて考えることない。
だって……だってうちは……。
「あれ? あいぼん」
特徴的な高い声。
目を開くと、きょとんとした顔の梨華ちゃんが立っていた。
「どないしたん? 梨華ちゃん」
「ねえ、よっすぃー見なかった?」
「ううん、見てへんよ」
「そう……どこいったのかしら」
あごに人差し指を当てて考え込む梨華ちゃんに、うちは聞いた。
「なにかあったん?」
「うーん、急にいなくなっちゃったのよねぇ」
「けんかでもしたんとちゃうの?」
にひひと笑いながら尋ねると、梨華ちゃんはにっこり笑って答えた。
「やーね。そんなことないわよ。
ただ、ちょっと後藤さんの事を聞いてただけなのに……」
……梨華ちゃん。その笑顔、何でか知らんけどめっちゃ怖いで。
「あいぼんこそ、こんなところで何してるの?」
「別に」
目をそらして短く答える。
梨華ちゃんはふっと笑うと、軽く小首をかしげて近寄ってきた。
「なにかあった?」
「なんでもない」
手を後ろに回し、首を下に曲げて靴の先を見る。
梨華ちゃんは少し離れたところで止まり、少し大げさすぎる明るい声で言った。
「さっきののちゃんすごかったね。わたし驚いちゃった」
「そ…そうやな……」
「いつも、いたずらしてるだけじゃなかったんだ。
あいぼんもしっかりしなきゃね」
「……うん」
不意にじわっと視界が歪んだ。ぽたっと靴の先に水滴が落ちる。
「あいぼん……泣いてるの?」
「な、泣いてない。大丈夫やって。なんでもないから」
何時の間にか目の前まで来ていた梨華ちゃんは、少し腰をかがめてうちと目線をあわした。
「ね、わたしに話してみない?
わたし、退魔師とかとは関係ないから、あんまり役に立たないかもしれないけど……」
涙のにじんだ目をあげる。優しく笑う梨華ちゃんの顔が見えた。
本気で心配してくれてるのがわかる。
梨華ちゃんとは関係のない話なのに……。
いや、むしろ関係のない梨華ちゃんに聞いてもらったほうがええのかもしれん。
そう思ったうちは、おずおずと口を開いた。
「うち…自信ないねん」
未来のエースとか言われてても、結局、未だにただの見習い。
あややは正式に退魔師になったし。
ののもどんどん強くなって……。
それなのに、うちは何にも変わらへん。
初心に帰るつもりで、新メンバーの子と一緒に講習を受けたりもしたけど……。
「うちは、やっぱり向いてないんやないかって。最近そう思うようになって……」
うちの家は斉天大聖の血を引く由緒ある家系だ。
せやから、うちは結構期待されていた。
自分で言うのも何やけど、小さいころから結構器用やったし、
やれといわれたことは大体全部こなしてきた。
でも、ある程度以上のことはなぜかできない。
今以上強くなることができない。
自分の限界を感じてもいた。
「うちにはな、生まれたばっかりの弟がおんねん」
ついこの間、奈良の両親から、実家に帰ってこいと言われた。
うちのことを心配して言ってくれたんだと思う。
でももしかしたら、いつまでたっても見習のままの娘に愛想をつかして、
弟に跡を継がせるつもりなのかも知れなかった。
「でも、それもええかなって思うようになってん。
弟の面倒見ながら、普通の中学生になるのもええかなって」
「ほんとにそれでいいの?」
優しい笑顔のまま梨華ちゃんが問い掛ける。
「あいぼんを必要としてる人もいるはずだよ」
「そんなことないよ。ののには飯田さんがいるし。
後藤さんは市井さんの看病で忙しいし」
それを聞いた梨華ちゃんは、目を細めてうちの頭に、ぽんと手を置いた。
「そっか。寂しいんだね」
「ちが…寂しくなんかない」
「わかるよ。わたしも同じ経験があるから……」
梨華ちゃんは少しつらそうに眼を伏せる。
「一人ぼっちだって思ってたとき、本当に不安だった。
自分が何をしてもうまくいかないように思えて。
何もしたくないって思った。
何もかもやめてしまおうって思った。
でもね。ちゃんと助けてくれる人がそばにいるよ。
『がんばれ』って言ってくれる人がいれば、
『がんばったね』って言ってくれる人がいれば、
それだけで力がわいてくるんだよ」
「梨華ちゃんのそれって……よっすぃーのこと?」
うちが聞くと、梨華ちゃんはふわって笑った。
まるで、手のひらの上に落ちた雪のような、見ているほうが切なくなるような笑顔。
「うちには……うちにはそんな人おらへんから……」
唇をかんで、また靴の先を見つめる。
「ねえ…わたしじゃ駄目かな?」
しゃがみこんだ梨華ちゃんが、うちを見上げる。
「頼りないけど、『がんばれ』って言ってあげることはできると思うよ」
そう言ってにこっと笑う。
「なんかね。あいぼんといると、昔、妹といたときのことを思い出すんだ」
こちらに手を伸ばした梨華ちゃんの顔は、なぜか少し悲しそうに見えた。
ぐいっとその手を引っ張って、うちは梨華ちゃんを立ち上がらせた。
「しゃーないな。梨華ちゃんがお姉さんぶりたいんなら、付きあってやってもええで」
「うん、お願い」
「じゃさ、さっそくひとつお願いしてもええかな」
「なに?」
「……ぎゅってしてくれる」
「……いいよ」
うちは梨華ちゃんの胸に顔を埋めた。
◇
逃げ回ってばかりですっかり息が切れてしまった。
さすがにりんねさんには隙がない。
その『氷の視線』をかわすだけで精一杯だ。
足に精神を集中し、横に飛ぶ。
さっきまでうちのいたところが白く凍りついた。
「うわっ!」
着地した足がつるりとすべり、どすんとしりもちをつく。
「むふふ、もう逃げらんないよ」
いつのまにか、りんねさんの立っているところ以外、全てが氷に包まれていた。
立ち上がろうにもつるつると滑ってうまく立てない。
にまっと笑ったりんねさんは、余裕の表情を見せている。
「ギブアップしたら? もう勝ち目はないよ」
あかんかな、こりゃ。
やっぱり、うちはこの仕事向いてないんかも……。
「ギ…ギブ……」
「あいぼーーん!! がーーんばれーーー!!」
甲高い声が聞こえた。
「あいぼーーーーん! ファイトだぞーーーー!!」
そっちを見る余裕はないけど、どんな顔しとるんかすぐにわかる。
そんな声援だった。
……いややなー。やめてーや、もー。はずかしいやんか。
きっ、とりんねさんを睨みつける。
もう少し、もう少しだけがんばってみよう。
ぐっとおなかに力を入れた。
ふと、そのおなかが熱くなる。
……なんやこれ。そういや前にもこんな感じが……。
「あれー、ギブアップしないんだ。それじゃ、ちょっと凍らしちゃおっかな」
きん、りんねさんが睨む。
うちの後ろで、ピキピキとリングの凍る音がした。
風を切る音が耳に響く。
体の下に湧き出した白い雲にのって、うちは一直線にりんねさんに向かっていた。
そのスピードに、りんねさんは対応できない。
どん、とぶつかった。
「わわわ!」
りんねさんは、その勢いを支えきれず、派手にしりもちをつく。
そのまま、まるでカーリングのように、つつーっと滑ったりんねさんは、ころりとリングから落ちた。
「そこまで! リングアウトで加護の勝ち!!」
「やったーーー!!」
あまりのうれしさに雲から飛び降りたうちは、つるっと滑って、またおしりを豪快に打ちつけた。
第一回戦 第七試合
○ 加護亜依 (リングアウト) りんね ×
「おめでとう。よくがんばったね、あいぼん」
まるで自分のことのように喜んでくれてる梨華ちゃん。
それを見て、うちも胸がいっぱいになる。
今まで頼りなく見えたり、馬鹿にしてきたりもしたけど、
やっぱり梨華ちゃんはお姉さんなんだなと思う。
三年後、うちもあんなふうにお姉さんになれるんだろうか。
ごめんな、梨華ちゃん。今まで迷惑ばっかりかけて。
うち、これから梨華ちゃんからかったりするのやめるわ。
「あの、梨華ちゃん。今日はありが……」
「あーー! よっすぃー! そんなところにいたのね!!」
突然大きな声を出して、梨華ちゃんは走っていった。
その先には、後藤さんに腕を抱えられたよっすぃーの引きつった顔。
どうしてうちの周りの大人はみんな……。
ふん! ええわい。こうなったらまたいたずらの限りを尽くしてやる!!
うちは負けへんで!
ひひひ、覚悟しときや。
「紺野さん、次試合ですね。がんばってください」
「あ…うん……」
新垣に激励された紺野は、あいまいに言葉を返す。
沈んだ口調を不審に思い、新垣は紺野の顔色をうかがった。
ひとつ上の同期は、ぼやっとした顔でこちらを見ている。
そのなぜか焦点のぼやけて見える目は、真っ直ぐこちらを向いていた。
「どうかしたんですか?」
「……ううん。なんでもないよ……。ただね……」
「ただ?」
「…トーナメントでるの……やめようかと思って……」
「え!? なんでですか?」
新垣は、びっくりして珍しく大きな声を出した。
「わたし…自分がどうしてここにいるかよくわからないから……。
別に…なにか強い力を持っているわけでもないし、
特別な武器が…使えるわけでもないし……。
わたしなんて……必要ない。
わたしはここにいても……しょうがないから」
「でも……」
「この間の戦いだって…ただ足を怪我しただけだったし……」
「そんなことないです。矢口さんが助かったのって、紺野さんの力でしょ」
「……よく…わからない……。自分でやろうと思ってしたことじゃ…ないから」
能動的に使える能力と違い、『幸運』を操る能力は自らの意思とは関係なく発動する。
おまけにその効果もわかりにくい。
悩む気持ちも理解できなくはない。
「でも、すごい能力だって矢口さんも言ってましたよ。
使い方次第じゃ最強だって」
「あのね……。わたし…争い事好きじゃないんだ……」
言葉を頭の中でよく吟味するように、独特のテンポでしゃべる紺野。
ただし、吟味しすぎて話がかみ合わないこともある。
「いや、それは…私も好きじゃないですけど……」
戸惑った顔で新垣は答えた。
「……やっぱり…わたし……やめようと思う」
「トーナメントをですか?」
「ううん……退魔師を」
「え、ええ!?」
「……わたし…行ってくる」
「ど、どこへ?」
「中澤さんの……ところへ」
「ほ、本気なんですか!?」
退魔師元締めにして自分たちの雇い主でもある中澤裕子。
その眼光を思い出し、新垣はごくりと息を飲んだ。
一線を退いたとはいえ、その身がまとう独特なオーラは、
まだおしりに殻がついたままのひよっ子にとって、
尊敬よりも恐怖を呼び起こすものだった。
唖然とする新垣の横を、紺野はすたすたと歩いていく。
「ま、待ってください。紺野さん!」
成り行き上、新垣も紺野を追って立ち上がった。
「なるほど、言いたい事はようわかった」
中澤の目の前にあって、なお紺野の表情に変わりはない。
その隣で新垣は体をこわばらせていた。
ぐっと唇を引き締め、息を詰めている。
「それじゃ…短い間ですけど…お世話になりました」
「オイコラ、誰がやめてええゆうた。勝手な真似は許さんで」
頭を下げる紺野に中澤は鋭い言葉をかける。
新垣はぴくりと体を震わせた。
「でも……わたし…もう決めたんで……」
「そら、あんたが勝手に決めたことやろ」
「でも……決めたんです……」
退魔師を束ねるその鋭い眼光を、紺野はまっすぐに受け止める。
とらえどころのないその表情には、相変わらず変化はない。
中澤はふっとため息をついた。
「なあ、紺野。このトーナメントは全員で参加するって決まったもんや。
これが決まったとき、おまえはその場におった。
それやったらきちんと最後まで参加する。
それが筋ってもんやないか?」
その言葉を紺野は黙って聞いた。そのまましばらく動きが止まる。
「……わかりました。トーナメントには参加します。
でも…気持ちは変わらない……です」
中澤は黙って肩をすくめた。
一礼した紺野は振り返って歩み去る。
新垣は慌ててその後を追った。
「姉さんも大変やねぇ」
苦笑した平家が後ろから声をかける。
「でも、うまいこと納得させましたな」
「ああいう子は理詰めで説得した方が効果的やねん。
……にしても、みっちゃん」
「なんですのん?」
「……北海道の子って、何であんなに強情なんやろ」
「さあ?」
くすくす笑う平家を軽く睨んで、中澤は表情を引き締める。
「あの子には、なんとしてでもトーナメントに出てもらわなあかんねん。
でないと……」
◇
ゴングが鳴り、リングの上で向かい合う二人。
じっと動かないまま見つめあう。
「紺野。
あんた自分がここにいてもしょうがない。自分は必要ない。
そう思ってるってゆうたな」
「……はい」
まず沈黙を破ったのは中澤だった。
まっすぐ紺野を見据えつつ、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「なあ、あたしが何で退魔師をまとめて組織を創ったかわかるか?」
紺野は黙って首を振る。
「妖魔の力は強い。一人一人で戦ってたら勝ち目はない。
せやから、力を合わせる必要があった」
静かな口調で中澤は続ける。
「でもな、強い奴だけ集めてもあかんねん。
目立たなくても大事な仕事をする奴もいる。
きちんと下のもんの面倒を見る奴もいる。
いろんな人間が集まるからこそ、組織というものの意味がある」
ゆっくりと、リングの上を中澤は歩く。
「わかるか。ひとはそれぞれ、できることとできないことがある。
それぞれが、それぞれの力を補い合う。
そのために組織があんねん」
足を止めた中澤が紺野の目を見る。
「一人の力を二倍にも三倍にもする。それが仲間ってもんや」
「仲間……」
紺野はゆっくりと目を伏せる。
「……でも、わたしは…何もできません……。
ただ…ここにいるだけしか……」
「それでええねん。あんたはあんたのできることを精一杯やればええ」
「わたしは……わたしは…ここにいていいんですか。
わたしは…必要無くないんですか……」
その言葉を聞いて、中澤はふっと笑う。
「紺野。あんたもあたしらの大事な仲間や。
必要無いなんて事あるわけないやろ」
「中澤さん……」
紺野は顔を上げた。
「わかったか。紺野」
「……ありがとうございます。
わたし…もう少しがんばってみます……。
でも……」
「でも……なんや?」
「……それでも…わたしは争い事は嫌いです……」
ぷっと中澤は吹き出した。
「あんた、ほんまにおもろい子やな。気に入ったで」
再びゆっくりとその足が動き始める。
「ええか。このトーナメント、あたしのようなもんはもう学ぶことなんてない。
でも、あんたにはええ勉強になるはずや」
リングの端でその足が止まる。
「せやから……この後もがんばりや」
「中澤さん!!」
ひょいっと、中澤はリングの下に飛び降りた。
「そこまで! リングアウトで紺野の勝ち!!」
第一回戦 第八試合
○ 紺野あさ美 (リングアウト) 中澤裕子 ×
「カッケー! カッケーっすよ、中澤さん!!」
「うん……なんかわたしも感動しちゃった」
興奮する吉澤の隣で軽く涙ぐむ石川。
その手はパートナーの腕を力いっぱい握り締めている。
ちなみに、不死の少女は宇宙刑事の肩で熟睡中。
「いやー、さすがは元締めですよね。矢口さん」
「ああ……そうだね」
「なんですか? その曖昧な態度は」
「いや…別にね……」
不思議な顔をする二人に、矢口は引きつった笑顔を見せた。
「うまいことやりましたな。姉さん」
リングを降りた中澤に、平家が声をかける。
「どや、みっちゃん。うちの演説は。泣けるやろ」
「若い子には通用するかも知れんけど、矢口達にはあかんやろな」
「あいつらも昔は素直やったのになあ」
やれやれと首を振る中澤。
「それにしても情けないなあ、姉さん。
うまいことゆうて、自分からトーナメント棄権するやなんて」
「あほ。もっと小さい声で言わんかい」
周囲に目をやり、口に指を当てる。
「退魔師元締めがあっさり誰かに負けてみい。
若いもんに示しがつかんやろ。
だいたい、あたしの能力は一対一の戦いには向かんねん」
ひひひと邪悪に笑う退魔師元締め。
「でも、それはあの紺野って子も一緒やろ」
「あの子な……空手の茶帯やねん」
「あ、さよか」
平家は大きなため息を一つ吐いた。
「あは。よっすぃーがんばってね」
「うん。がんばるよ、ごっちん」
「なっちが相手か。無理すんなよ」
矢口が心配そうに声をかける。
「ええ、胸を借りてきますよ」
「んあ? そういや梨華ちゃんは?」
「それが、さっきから姿が見えないんだ」
「珍しいね。石川がよっすぃーから離れるなんて」
「そだ、よっすぃー。勝利の女神がおまじないのチューをしたげるよ」
「え、い、いいよ」
「遠慮しないで。ほら、んー」
「わ、わわ。ご、ごっちん……」
目をつぶり唇を尖らせる後藤に、わたわたと手を振る吉澤。
「ちょ、ちょと、後藤さん!!」
遠くから聞こえる甲高い抗議の声。
「あ、お帰り。梨華ちゃん」
全く動じない眠たげな声。
「お帰りじゃなくって! 何してたんですか!?」
「ん? おまじないだけど」
「お、お、お、おまじないって……」
「おーい。どうでもいいけど、そろそろ始まるぞ」
あきれたような矢口の声。
「あ。じゃ、じゃあ、あたしいってきますね」
険悪な空気が充満する中、逃げるように吉澤はリングを目指した。
「よっすぃー、ちょっと待ってよ」
後ろから追いかけてきた石川が声をかける。
「梨華ちゃん。どうしたの?」
「さっき、ドラグーンに戻ってコンバットスーツの最終調整してたの。
普段よりも出力高めにしといたから」
「え、まじで。ありがと。助かるよ」
「……本気なんでしょ」
「わかる?」
「うん。だってつきあい長いもん」
「……なんだかね。
一人の戦士として力いっぱい戦ってみたい。
自分の力を出し切ってみたい
悔いが残らない試合がしたい。
最強と呼ばれる人と……」
「うん、がんばって。
……そうだ。ちょっと目をつぶって」
「え、うん」
「もう少しかがんで」
「こう?」
腰をかがめた吉澤のおでこに、柔らかいものが触れた。
慌てて開いた目に映るのは、恥ずかしそうに唇を押さえてうつむく石川。
「あ、あの……。おまじない……」
「え、あ、うん。……ありがと」
おでこを押さえて間の抜けた声を出す吉澤。
「がんばって。絶対に勝ってね」
顔を紅くしながらも、石川はぐっと親指を突き出す。
「うん。あたしがんばるよ」
吉澤もにっこりと笑って親指を立てた。
◇
ゴングが鳴った。
ゴーグルの下の電子アイに映る小柄な退魔師。
薄茶色をしたツィードのジャンバーの下は白いセーター。
ボトムは裾の広い紺のパンツ。
いつもよりは活動的とはいえ、どう考えても戦闘には向いてない服装。
両手をポケットに入れて静かに佇む。
吉澤は大きく息をついて身をかがめる。
一瞬の間の後、放たれた矢のように飛び出した。
とにかく攻撃あるのみ。
一気に間合いを詰めて斬りかかる。
対する安倍は先ほどの姿勢のまま。
右上から襲い掛かるレーザーブレードを、いつのまにか現れた木刀が受け止めた。
──なんで木刀でレーザーブレードが受けられるかな。
理不尽さを感じながらも、刀をあわせたままぐっと体を押し込む。
火花が散るような鍔迫り合い。
黒いゴーグル越しに、微かに笑みをたたえた童顔を睨み付ける。
──むう、まだまだ余裕ありって感じっすね。
「わわ!」
不意に安倍の体がすっと引かれる。ぐんと力が真横に流された。
「こなくそ!!」
左に流れた体をそのまま一回転させる。
左手を低く伸ばして足への斬撃。
ふわりと浮いた安倍が、片手打ちで袈裟斬りの一刀を振るう。
必死で体を引く。木刀が、肩のプロテクターを割りながら振り下ろされた。
下からレーザーブレードが跳ね上がる。
しかし、大きく後ろに跳んだ安倍には届かない。
「これなら!!」
着地の瞬間を狙ってブラスターを撃ちこむ。
体の前で斜めに構えた木刀に、光弾がまるで吸い寄せられるように受けられた。
ジジっと音を立てながら刃に残った光の玉が、振られた木刀にあわせて投げ返される。
「うっそ!」
とっさにブラスターを撃ちこみ、光球を相殺する。
──やっぱり飛び道具は効かないか。
ったく、思いっきり物理法則無視してくれるし……。
木刀を構えたままじっと佇む安倍に、心の中で賞賛と呪詛の言葉を投げかける。
「どした、どした。もうおしまいかい?」
「なに言ってんすか。これからが本番っすよ!」
普段よりも動きが良い。パートナーの調整のおかげだろう。
ブラスターを収め、再びレーザーブレードを構える。
ダッシュで再び間合いを詰め、ブレードを振り下ろす。
だが、その一撃よりも早く、安倍の木刀が動いた。
神速の突きがコンバットスーツを捕らえる。
ブウン。宇宙刑事の体が光の球体へと変わった。
退魔師の体をすり抜け後ろに回りこむ。
しかし、まるでその動きを読み切っていたかのように、振り向きざまの一刀が真後ろを凪いだ。
木刀が斬り裂いたのは光の残像だった。
安倍の斜め後ろに逆さまに実体化する宇宙刑事。
その一撃を、体をそらし大きく後ろに跳んでかわす。
くるりと空中で一回転した体が、ふわりとリングに降り立つ。
うつむいた顔からはその表情は伺えない。
右手がざっくりと切り裂かれた上着をつかんだ。
「ああ! これ、おとといジャスコで買ったばっかりなのに!」
──どうしてこう、この人は緊張感の無い……。
頭を抱える宇宙刑事を、念法使いはきっとにらむ。
「ひどいなー、よっすぃーは。今度はこっちからいくべ」
正眼に構えたまま、すべるように間合いを詰める安倍。
その手の木刀から、まるで槍のように鋭い突きが延びる。
二段、三段、四段。目にもとまらぬ速さで繰り出される突き。
受けきれない攻撃がコンバットスーツから火花を作る。
五つ目の突きが触れる瞬間、白銀の体が再び光に包まれる。
時折実体化を繰り返しながら、連続して超空間跳躍。
安倍の周りを跳びまわり、隙を見て攻撃を加える。
予期せぬ位置からの攻撃に、防戦一方の念法使い。
──よし! いける!
木刀の切っ先が下がったのを見て、攻撃を加えるべく上空に跳ぶ。
跳躍中の電子アイが捕らえたのは、眉間に輝く第三の目。
両手に握られた木刀は、先端から半分までが中空に溶け消えていた。
吉澤の背がぞくりとざわめく。
──まさか!!
「うわああ」
衝撃を受けたコンバットスーツが強制的に実体化する。
ガシャリ、と音を立ててリングに叩きつけられた。
──空間を越える力まであるのか。さすがは……。
よろよろと起き上がった吉澤は、安倍の口元に満足げな笑みが浮かんでいるのを見た。
マスクの下の自分の顔も、きっと同じ笑みを浮かべているのだろう。
純粋な、強さだけを求める戦い。今二人はその高揚感に酔っていた。
──次で決める。この一撃に全てを賭ける。
出力を高めている分、スーツにかかる負担も大きい。そう長くは戦えない。
ふうーと息を吐いて、レーザーブレードを構え直す。
今度は逆手に。
ゆっくりと右手を後ろに引き、精神を集中させる。
ゴーグルの下の電子アイが激しく光った。
「うおぉぉぉぉぉ!!」
自然体で立つ念法使いに向かって一気に飛び込む。
右上から左下へ、青白い光を残してレーザーブレードが振り下ろされる。
「ヨッスィー・スラァァァッシュ!!」
宇宙刑事の必殺の一撃を、茶色の光と化した木刀が迎え撃つ。
「まだまだ!!」
左上から右下へ。左手が逆手に持ったレーザーブレードを振るう。
「ダブル! ヨッスィー・スラァァッシュ!!」
念法使いの小柄な体が大きく吹き飛んだ。
追撃しようとする吉澤が異変を感じる。
──体が重い。
すべての回路がその役割を放棄し始めた。
きらめくセンサーが、次々に輝きを失う。
「な、そんな……」
白銀のコンバットスーツの胸。
そこには何時の間にか、何かで突かれた跡が残っていた。
どこにも異常は無いはずなのに、システムが沈黙してゆく。
パワーサポートも切れた。コンバットスーツの重さを支えきれない。
思わず膝立ちになる吉澤に、音も無く近寄った安倍が右手を差し出す。
「良い試合だったべ」
その顔に浮かぶお日さまの笑顔。
──ふう、ここまでか……。
「あたしの負けです。ありがとうございました」
吉澤は差し出された手を握って立ちあがった。
第二回戦 第一試合
○ 安倍なつみ (ギブアップ) 吉澤ひとみ ×
「ごめんね、梨華ちゃん。負けちゃった」
「謝ること無いよ。
ね、悔いは残らなかった?」
「うん、全力が出せたと思う」
「そう、それなら良かった」
にっこりと笑う石川。
「なんかさ。負けたんだけど嬉しいんだ。
なんて言うか……とっても気持ちよかったんだ。
こんな風に戦えて」
「そうなんだ」
「あたし、もっともっと強くなる。今度こそ負けないように。
そのためにも、いっぱい訓練しなくちゃね」
「うん! その意気だよ!
それに……今回はきっとおまじないが足りなかったんだわ」
「…………え?」
「わたし……次はもっとすごいおまじないするから」
「あ、あの……梨華ちゃん?」
こちらを見上げるちょっと潤んだ上目づかい。
軽く開いたつややかな唇。
上気した頬。
清純さの中に垣間見える、むせ返るような『女』の気配。
「は、はは」
胸をよぎる期待と不安に、吉澤は引きつった笑みを浮かべた。
ギュッ
皮のこすれる音を立てて、指先の開いたグローブをはめる。
軽く手を握ったり開いたりを繰り返し、よく馴染ませる。
指先を見つめるその顔に、自然と笑みが浮かぶ。
アイツと戦うときが来るなんて思わなかったな。
コンセントレーションを高めながら、保田は妹分のことを思う。
入ってきてすぐに最強の名を冠せられた少女。
クールで無関心な表情を持つ少女。
無防備なまでの無邪気さを見せる少女。
少女との戦いを楽しみにしている自分がいる。
それは保田にとっても驚きではあった。
でも……悪いけど簡単には勝たせてあげないわよ。
あたしには、紗耶香からアンタを預かった義務があるんだからね。
保田は自分の左手に右手のこぶしを打ちつけた。
◇
先に仕掛けたのは後藤だった。
手にした鉈を真横に振るう。
ピン、と硬い音を立ててその一撃が糸に受け止められる。
かまわず力任せに振り切る後藤。
たまらず、体ごと吹き飛ばされる糸使い。
休む間もなく打ち込まれる鉈を、保田は大きくバックステップでかわす。
後ろに跳びながら、反撃の糸を飛ばす。
鋭い切れ味を持つ鋼の糸を、大ぶりの鉈が絶妙の角度ではじいた。
挨拶代わりのファーストコンタクトを終え、離れた位置で対峙する両者。
「本気でいくわよ。後藤」
右手を上げる保田の顔には、抑えきれない笑みが浮かぶ。
それを見た後藤も、口元だけで笑顔を作った。
勝負は間合いの取り合いになった。
一瞬の隙を突いて、ものすごい勢いで距離を詰めようとする後藤。
糸の結界を張り、それを嫌う保田。
どちらも決定的な攻撃が出せない。
一進一退の攻防が繰り広げられる。
「どう見る? 姉さん」
「ま、接近戦なら圧倒的に後藤が有利やな。
あのパワーには小細工なんぞいらんからな。
懐に入られたら圭坊の糸は使いづらいし。
ただ……」
「ただ?」
「大人には大人の戦い方っちゅーもんがあんねん」
中澤は平家に向かってにやりと笑った。
リング上を円を書くように移動していた保田から、糸が放たれる。
これで何回目になるのか、鋼の糸が鉈にはじかれた。
なかなか間合いは縮まらない。
焦れた後藤は一気に勝負に出る。
糸を引く保田の動きに合わせるように、右手が振られた。
その指から細長いものが飛ぶ。
「ち!」
飛んできた五寸釘を左手の糸で叩き落す。
だがその間に、釘とともに飛びだした後藤の体は間近にまで迫っていた。
「まだまだ我慢が足りないわね」
保田の顔には余裕の笑み。
右手の糸はすでに引き戻されていた。
誘いに乗ってしまった後藤に、鋼の糸を振るうべく右手が上げる。
間合いの外から鉈が振られた。
そのまま保田に向かって一直線に飛ぶ。
唯一の武器を投げつけるという意表をついた攻撃。
保田の顔が驚愕に引きつる。
「な!」
とっさに糸で上へとはじく。
その勢いに押され、体勢が崩れた。
糸を引き戻す余裕はない。
無類のパワーを秘めた腕が、無防備な糸使いの首へと伸びる。
「かかった」
不敵な笑みを浮かべたのは、しかし糸使いのほうだった。
後藤の指先は、保田の目の前で静止したまま。
「伊達に長いこと組んで仕事してたわけじゃないわ。
アンタのことはよくわかってる。
こういう状況でアンタがどう出るか。
次の行動の予測は立てられるのよ」
動きの止まった後輩に、優しささえ感じさせる口調で話し掛ける保田。
「──『弦縛陣』。
あたしがただ逃げ回っていたと思ったら大間違いよ。
アンタの動きを読んで糸を先に置いておいたの。
もう動けないわよ」
コートのポケットに手を入れたまま、糸に絡めとられた不死の少女を見据える。
「なるほど、あれが大人の戦い方ってやつやな」
「なまじ力があるだけに、後藤の戦い方は直線的や。
戦略に関しては圭坊の足元にも及ばん。
さすがに人生経験の差がでたな」
「いやー、人生の年輪を重ねた人の言葉は重みが違いますな」
「うっさいわ、みちよ!
あんたもええ加減に、減らず口叩いたらどうなるか、学習したらどないやねん!」
「あいたたた! 姉さん、足踏むのはやめてーな」
ぎしり
顔を伏せたままの後藤の体に力がこもる。
「やめな、後藤! そんなことしても糸は切れないわよ!」
その言葉を無視して、さらに力がこめられる。
後藤の白い頬に朱線が浮かんだ。
「馬鹿! それ以上やったら体が……」
ぱっと紅い霧が湧き起こる。
糸を体に食い込ませながら、後藤の動きは止まらない。
「うおぉぉぉぉぉぉ!!」
「ちぃ!」
気合の声とともに後藤の体が呪縛から逃れる。
一直線に突っ込んだ体は、肩口から保田にぶつかった。
真横に吹き飛ばされる黒ずくめの体。
その体がリングの端を越える。
しかし、まるで救助用のネットでもあったかのように、保田は空中にふわりと止まった。
会場に張り巡らせておいた糸の上によろよろと立つ。
「くっ! まだまだ!」
衝撃でまだふらつく視界に、両手で鉈を振り上げる後藤の姿が映った。
「でぇぇぇぇぇい!!」
渾身の力を込めて、鉈が空中の一点に振り下ろされる。
硬いものが断ち切られる音が、保田の耳にはっきりと響いた。
「な! そんな!」
足場を支えていた鋼の糸を切られ、黒衣の糸使いはリングの外に落下した。
「それまで!! リングアウトで後藤の勝ち!」
第二回戦 第二試合
○ 後藤真希 (リングアウト) 保田圭 ×
「結局ごっちんが押し切ってしもたか」
「まったく、相変わらず常識外れな子やわ」
「若さの勝利なんかもな」
「いちいち気に障る言い方やな、おまえは」
「せやから、足踏まんといてって!」
「うっさい!」
中澤に睨みつけられた平家はそっとため息をつく。
「ま、しかし、圭ちゃんもようがんばったんやけどな」
「ふん、あの子もまだまだ甘いっちゅーこっちゃ」
そう言って、退魔師元締めはにやりと笑った。
「何であんな無茶したのよ」
ぼろぼろになった服から白い肌を除かせる後藤に、保田は強い口調で声をかけた。
「圭ちゃんこそ、アタシをバラバラにだってできたくせに。
あそこで、糸緩めちゃうなんてさ」
へにゃっとした口ぶりに、ぐっと言葉に詰まる。
「……あたしもまだまだ甘いってことよ」
かわいい後輩に糸が食い込んだ瞬間、保田は無意識に糸を緩めてしまった。
結果的にそれが負けに結びついたのだから、怒りの持って行き場がない。
「でもね。ごとーは信じてたんだ。圭ちゃんは糸を緩めてくれるって」
「な!?」
「だって、圭ちゃん優しいもんね」
「あんたまさか……アタシを試したの?」
「えへへ。
だって、相手の行動を読めって教えてくれたのは圭ちゃんだよ」
唖然とする保田に、後藤は無邪気な笑顔を見せた。
「ったく、どこでそんな駆け引き覚えたのよ」
「ごめんねー、圭ちゃん。でも……」
「なに?」
「ごとーはそんな圭ちゃんが好きさ!」
「な! ば、馬鹿なこと言ってんじゃないわよ!」
「あっは。顔紅くなってるよ、圭ちゃん」
「こ、この……」
「い、いったーい! 圭ちゃん本気で殴った!」
「あたりまえでしょ、この悪ガキが!!」
「わ、や、ごーめんって! ゆるしてよー」
「うるさい! そこに座れ!!」
逃げ回る後藤を追いかけながら、保田は心の中でそっと呟く。
──ねえ、紗耶香……。あたし、この子の育て方間違ったのかな……。
「や、矢口さん。なんですか、それ?」
リングに上がった矢口の持っているものを見て、加護は目をぱちぱちさせた。
特殊な素材でできていると思われる50センチほどの棒。
その先端から15センチくらいのところからは短い横棒が伸びている。
その形は、ちょうどカタカナの『ト』に良く似ていた。
「オイラの新しい武器『ライジング・トンファー』。さっきつんくさんから貰ったんだ」
「な、なんで矢口さんだけ!! ひきょーやないですか!」
「なに言ってんだよ。おまえには『如意棒』があるだろ」
「だ、だって今までそんなもん使ってなかったのに!
加護相手に何ムキになってるんですか!!
そんなにUSJに行きたいんですか!?」
「それもある」
「あるのかよ!!」
微妙にイントネーションの異なるツッコミを無視し、矢口は続ける。
「嫌だ……矢口は…もう嫌なんだ。いっつもいっつもメンドクサイコトばっかり押し付けられて。
そのくせ、おいしいところはみんな他のやつが持っていって……。
もうコンナコトは嫌なんだ!!」
「あのぉ……矢口さぁん?」
「矢口ももっと注目されたい!! かっこいいって言われたい!!
いつになったら…いつになったら矢口の時代は来るんだ!!」
「なに言ってんですか! 矢口さん今まで一番活躍してるじゃないですか!」
「違う!! 使いやすいからってこき使われてるだけだ!!
矢口はもうだまされないぞ!!」
「だまされるって……。
アカン、この人何や知らんけどテンパってるわ」
「とにかく! おまえみたいに『未来のエース』なんて言われてるやつには
ずぇったい負けないからな!!」
「むかっ! うちかていろいろ悩んでんねんで! そんなことも知らんと……。
勝ったる……。この試合絶対うちが勝ったる!!」
ちっちゃい体に詰まったでっかいプライド。
(いささか間違った方向ではあるが)そのプライドをかけて女の戦いが今始まろうとしていた。
「うりゃぁぁぁぁぁ!!」
ゴングの余韻が消えきらないうちに仕掛けたのは加護。
伸ばした如意棒を横殴りに振る。
「あまぁい」
左手のトンファーでその攻撃を受けた矢口は、すかさず右手の一撃。
足に精神を集中させた加護は、急加速で後ろに回りこむ。
空振りしてバランスを崩す背中に、如意棒が伸びる。
しかし、その後姿は突然消えうせ、足元を襲った衝撃に加護は仰向けに倒れた。
後掃脚──身を沈めて足を払った矢口は、倒れたままの加護にトンファーを振り下ろす。
「なんの!!」
ごろごろと転がって距離を取り、膝立ちのままこちらを見上げる加護に、
矢口はにやりと笑って見せた。
「へっへーん。どこ狙ってんだ」
「ふん。ちっちゃかったからつい見失ったんですよ」
「んな! おまえとそんなに身長かわんないだろ!!」
「加護はぁ、まだまだセイチョーキですから」
「何言ってんだ。横にばっか成長してるくせに」
「う! お、女の子はふっくらしてるほうが可愛いんですよーだ」
「何がふっくらだよ。いくらなんでもやばいだろその腹は。
服がぱっつんぱっつんじゃないか!」
「う、うっさいねん!!」
距離を縮め、再び殴りあう両者。
「…………子供のけんかじゃないの」
リングを見上げる保田は、ポツリと呟いてため息をひとつつく。
「あいぼん……勝って欲しいなあ……」
「えー、いくらなんでも無理だよ。ここは矢口さんの勝ちでしょ」
「あーひどいよ、よっすぃー。がんばってるあいぼんが可哀相じゃない」
「へー、梨華ちゃん、いっつもイタズラされてるのに、加護のこと応援してるんだ」
「そうだよ。だって可愛い妹だもん」
「……妹? あ、でもやっぱり矢口さんのほうが勝つよ。きっと」
「……冷たいね、よっすぃー……。はっ! それともまさか矢口さんのこと……」
「ちょ! 待って。またあ!? 最近梨華ちゃんおかしーって」
「あ、そういや、よっすぃー、やぐっつぁんの事可愛いって言ってたじゃん」
「ごっちん! なんでそんな火に油を注ぐような事……」
「…………よっすぃー………」
「ま、待って梨華ちゃん! 誤解だよ!! ちょ、ちょっと、それはやっばいって!!」
「はあ……どいつもこいつも……」
がっくりと顔を伏せた保田は、先ほどよりも大きなため息をついた。
「いっけー!」
加護の手から飛び出した髪の毛が、風に乗って矢口に向かう。
ミニチュアサイズの分身は、矢口の体に張り付き、その小さな体を這い回った。
「きゃははは!! く、くすぐっ……。や、やめ……」
「今や!」
数メートルの距離を助走もなしにジャンプし、振り上げた如意棒を打ち下ろす。
「ぷくく……。さ、させるか! 聖雷撃!!」
体中にしがみついていた分身ごと、雷撃が加護の体を吹き飛ばす。
「く! まだまだ! キントウン!!」
空中で加護の体から湧き出たエクトプラズムが、雲となってその体を浮かせる。
そのまま上空に留まる後輩を、矢口はきっと見上げた。
「なんてことすんだよ、このエロ娘!」
顔を真っ赤にして叫ぶ矢口に、加護はへらへらと笑いかける。
「矢口さんの体触っても触り甲斐ないですよーだ」
「なんだと! 退魔師連合のセクシー隊長に何てこと言うんだ!!」
「へへん、矢口さんより加護のほうがおっぱいおっきいもーん」
うふん、としなを作ってセクシーポーズ。
「……あったまきた。本気でぶっつぶしてやる」
「加護は簡単にはやられませんよ。新しい能力も使えるようになったし」
にんまりと笑う加護を矢口は鼻で笑う。
「へん! 自分の力全部引き出してないやつなんかたいした事ないね」
「力?……」
「おまえが今使ってる能力は、まだ中途半端なんだよ。
いろんな能力が使える割に、一つ一つの力が弱い。
全部バラバラにしか使えてない。
だから強くなれないんだ。
おまえは自分の能力の使い方がわかってない」
「ど、どういうことですか? 能力の使い方って」
「教えない」
「な! けち!!」
「けちでいいよーだ。くらえ! 聖雷撃!!」
──考えろ。
キントウンで雷撃をかわしながら、必死で頭を動かす。
うちの能力って何や。
精神で身体能力を高める事。
オリハルコンを操る事。
髪の毛を分身に変える事。
エクトプラズムを作る事。
これをバラバラで使ったんじゃだめなんや。
それじゃ勝たれへん。
どうすれば……。
雷撃が体の横を掠める。
とっさに庇おうとした手の動きに合わせるように、
乗っていた雲の一部がぐいっと盛り上がった。
まるで攻撃から加護の身を守るように。
なんや、今の動き。
キントウンって形変えることできるんかいな。
まるで如意棒みたいやな。
ん? まてよ。もしかしたら……。
急に動きを止めた加護は、キントウンから飛び降りる。
「なんだ、ようやくあきらめたのか?」
「んなわけないでしょ。……試してみます。自分の力を」
「答えがわかったのか?」
「たぶん……」
「おもしろい、やってみな」
不敵な表情の矢口の前で、加護は精神を集中させる。
うちの能力を組み合わせる。
バラバラに使うんじゃなく、同時に使う。
そうすれば……。
いったん空中に溶け消えたエクトプラズムが再び体から溢れ出す。
それは先ほどまでと異なり、一つの明確な形を作ろうとしていた。
「へえ、なるほど」
矢口の口から軽い驚きの声が漏れる。
加護の頭の上に集まったエクトプラズムは、巨大な何かに変わろうとしていた。
如意棒を使うときのように、エクトプラズムの形をコントロールする。
身体能力を高めるときのように、エクトプラズムの質を変える。
そして、分身を操るときのように、エクトプラズムを動かす。
エクトプラズムを作り出し、
精神の力でその形を変え、
その強度から質までも変えてしまう。
これこそが……。
「これが…これが加護の答えです!」
頭の上に浮かんだエクトプラズムは、巨大なハンマーに変わっていた。
「正解だよ、加護。よく気が付いた。でもな……」
言葉を終える前に矢口は跳び込む。
「使いこなせなきゃ意味ないぞ!」
体を低くしてぐんと間合いを詰める。
「うおぉぉぉ!」
掛け声とともに振り下ろされるハンマーを、真横へのステップでかわしトンファーを振るう。
エクトプラズムが形を変え、盾となって矢口の攻撃を受け止めた。
「ちい! 使いこなしてんじゃんか!」
接近戦をあきらめ、バックステップで距離を取って雷撃を狙う矢口。
「一気に決めてやる! 聖雷撃フルパワー!!」
強力な雷撃が加護に襲い掛かる。
しかし、光の束は目標を大きく外れた。
「な、なんだ!!」
エクトプラズムはまたその形を変えていた。
地面から長く伸びた棒状の物体。
それは雷撃を浴び、受けきれなかった雷が青白い放電を造っていた。
「避雷針かよ!!」
戸惑う矢口に如意棒を構えた加護が飛び掛る。
「いっけー!」
「うわあああああ!!」
必殺の一撃が金髪の雷念使いに襲い掛かる。
「なーんてね」
「へ?」
振り下ろした如意棒の先に矢口の姿はなく、首筋にぱちっという衝撃を感じて、
加護はその場に崩れ落ちた。
「まだまだだよ、加護」
意識の薄れていく中、矢口の声が耳に届く。
「勝負をあせったな。あのままエクトプラズムで攻撃してれば良かったのに。
やっぱり詰めが甘いんだよ」
──くっそー、後ちょっとやったのに……。
無念な気持ちを噛み締めながら、加護の意識は闇の中に沈んでいった。
第二回戦 第三試合
○ 矢口真里 (KO) 加護亜依 ×
やはり手加減されていたのだろう。
すぐに加護はその目を開いた。
目の前には手を差し出す矢口の姿。
「がんばったじゃないか。少しは強くなったな」
手を引いて加護を起こし、矢口はその肩をぽんぽんと叩く。
「まあ、まだまだオイラには敵わないけどな」
「ふん! 今度やったときは加護が勝ちますよ!」
「言うじゃないか。それでこそ矢口が馬鹿な事言った甲斐があったよ」
「え?」
「おまえ最近悩んでたろ。自分の力に自信がないって」
「どうしてそれを……」
「ま、経験上ね」
そう言って矢口はにやっと笑う。
「だから本気出せるようにしてやったんだ。
力いっぱい戦えるように。
きちんと力が使えるように。
あんな心にもない事言ったりしてな」
「矢口さん……」
笑顔のままの矢口を、加護はじっと見詰める。
「うそでしょ?」
「うん、うそ」
じとっとした目の加護の前で、きゃははと矢口は笑う。
「矢口は本気だよ。
後二つ。後二つ勝って優勝してやる!
今度こそ……今度こそ矢口の時代が来るんだ!!」
はあ……もうどうでもええわ。
こぶしを握って気合を入れる矢口の横で、加護は大きなため息をつく。
「ああ、それから加護」
「なんですか?」
「オイラの雷撃を避雷針でかわしたあの判断は良かったよ。
おまえの最大の武器はそれだ。
一瞬で状況を判断して、他人が想像しないようなことをやってしまう。
その『創造力』がおまえの武器だ。
だれにも負けないおまえだけの力だ。
だから……自信持っていいんだぞ」
「矢口さん……」
ふっと矢口から目線をそらす。
まったく、なんでうちの周りの大人はこうなんや。
そういうことは……不意打ちで言わんで欲しいわ。
こみ上げてくる感情を押さえ、加護は矢口に気づかれないよう慎重に鼻をすすった。
どう……しよっかな。
はたから見ればボーっとしてるようにしか見えない表情で、
紺野あさ美は悩んでいた。
争い事は好きじゃない。
自分には戦うための力もない。
でも、自分に期待をかけてくれた中澤のためにもやめる訳にはいかない。
困った…な。
だから紺野はボーっと悩んでいた。
「紺野」
声をかけられて振り向いた。
すらりとしたプロポーション。
白い小袖と緋の袴。
長く伸びたつややかな髪。
こちらを見つめる大きな目に紺野は声を返した。
「飯田さん……」
『光の巫女』飯田圭織はくっきりとした顔を緩めて、
にっこりと笑顔を作った。
「どした? 紺野。元気ないな。
もうすぐカオリと試合だよ」
「飯田さん……わたし…悩んでます……」
呟くように答える紺野の横に、飯田は腰を下ろした。
「戦いたくないのかい?」
「はい……」
「ならやめればいいっしょ」
「でも……」
哀しそうに眼を伏せる紺野に飯田は微笑みかける。
「争い事嫌いなんでしょ。それはカオリも同じだよ」
「飯田さんも……」
「そう。カオリね、人はみんな自給自足をするべきだと思うんだ」
「……は?」
唐突な言葉に、紺野は怪訝そうな顔を作る。
「みんなが自分で自分の食べるもの作ってさ。
マンションの屋上とかで野菜作ったり。
必要なものを全部自分でそろえて。
そうしたら、争い事なんてなくなるじゃん。
ね、そう思わない?」
「でも……肉とか魚とか……あと洋服なんかも……」
「うーん、そういうのは物々交換とかして……」
「それに……妖魔は自給自足してても襲ってくるんじゃ……」
「そっか、そだね。これじゃ駄目かぁ」
自分の意見を自分で否定して、むうと飯田は考え込む。
「あの……」
「じゃあさあ、こういうのはどう?
お米を作る人にも専門家がいて、魚を取る人にも専門家がいて。
おんなじように、あたし達みたいな戦う専門家がいる。
お米やお魚を食べる代わりに、あたし達はみんなを守ってあげる。
これでいいんじゃない?」
うんうんと一人うなずく飯田。
「それって…今と変わらないんじゃ……」
「あ、そっか。じゃあ、今のままでいいんだよ。きっと
なーんだ。悩んじゃって損したな」
一つ手を打ってにっこりと笑う。つられて紺野も笑顔を作った。
「うん、いい顔だよ。やっぱり紺野は笑ってた方が可愛いよ」
そう言って、細くて長い指先でぷくぷくしたほっぺをふにふにいじる。
「戦う事が嫌なら無理に戦う事は無いよ。
思い悩んで暗くなっちゃ駄目だ。
もっとにっこり笑ってなきゃ。
みんなの笑顔のためにあたし達は戦ってるんだから」
「笑顔のために……」
「そう。みんなが笑顔でいてくれる。その笑顔を見せてくれる。
そう思ったら、どんな強い敵にだって立ち向かっていける。
どんなつらい戦いだってできる。
だって、それがあたし達の存在理由だから」
「存在理由……」
うつむく紺野に飯田は優しく語り掛ける。
「ねえ、紺野。カオリに紺野の一生懸命を見せてくれないかな?」
「……え?」
「戦いとか考えなくていいから、紺野がどれだけがんばれるのか、
それを見せて欲しいんだ」
「でも……わたし……」
「心配要らないよ。カオリは怪我したりしないから。だってカオリ強いもん」
と、袖をまくって力こぶを作ってみせる。
「紺野のできるところまででいいよ。
ただ、やるからには簡単にあきらめて欲しくないんだ。
一生懸命やって欲しい。
それだけだよ」
「飯田さん……」
瞬きもせずこちらを見つめる飯田の目を、紺野は見つめ返す。
「道産子魂、カオリに見せてよ」
「……わかりました。やってみます。
わたしに何ができるかわからないけど…一生懸命やってみます」
「うん、がんばろ」
先に立ち上がった飯田は、紺野の手を引いて勢いよく立ち上がらせた。
◇
「あれ? 姉さん、紺野ちゃんのところに行ったんとちゃいますのん?」
「ああ、いや。もうええねん」
「もうええって……どういうことです?
前の試合で面倒かけたから、責任があるとかゆうてたくせに」
「あたしが出て行くことも無かったわ。
なんかな……あの子らもしっかりしてきたんやなって」
「? 何やようわからんけど、姉さん嬉しそうやな」
「まあな。さ、次の試合は面白くなりそうやで」
「なら、じっくりと見ましょか。そろそろ始まりそうやしな」
──そして、第二回戦最後の試合の始まりを告げるゴングが鳴った。
カンカンカン
ゴングが鳴り響く。
「ある意味めちゃめちゃ面白い試合ではありましたな」
「まったくやな」
感情のこもらない会話をする中澤と平家。
リングの上の光景を見てため息を一つ。
試合開始直後、勢いよく飛び出した紺野の足はずるっとすべり、
見事にひっくり返った紺野は後頭部を打って気を失った。
後に残されたのは目を見開いて固まった飯田と、しーんと静まり返った空気だけ。
「そ、それまで!! ノックアウトで飯田の勝ち!」
第二回戦 第四試合
○ 飯田圭織 (KO) 紺野あさ美 ×
「ほんまに先の読めん子やなあの子」
「これからあの子どないなるんやろな、姉さん」
「……あたしにもわからんわ」
やれやれと首を振る中澤。
ようやく意識を取り戻した紺野は、リングの上に上体を起こす。
その顔は相変わらずボーっとして見えた。
トーナメントもいよいよ準決勝。
勝ち残ったのはいすれも劣らぬ精鋭ばかり。
中でも次の試合は、おそらく今大会で最も注目を集める屈指のカードであった。
「なっちとごっつぁんかぁ。楽しみな組み合わせだよね」
「そうね。あの二人って意外と接点無かったから、ちょっと新鮮よね」
「まあでも、あいつらのことだから、どこまで本気でやるのかわからないけどさ」
「ふふ、確かにね。めんどくさいって途中で止めたりしそうだからね、二人とも」
その強さと匹敵するくらい、マイペースなところも人並みはずれた二人。
その二人にいつも振り回されている苦労人コンビは、顔を見合わせて苦笑した。
「お、そろそろ時間だよ。圭ちゃん」
「あ、そうね。後藤はどこ行ったんだろ」
きょろきょろと見回すと、少し離れたところに見覚えのある後姿。
「ちょっと後藤、そろそろ出番……うっ!」
「どしたの? 圭ちゃん……。
って、うわぁ!!」
後ろを振り向いた後藤を見て二人は息を飲む。
つややかな光沢の黒いシャツ。
その上から千鳥格子のはいった茶のジャケット。
ジャケットと同色のスラックス。
手には黒い皮の手袋。
男性的なその服装も、この少女にはなぜかよく似合っていた。
だから、二人が息を飲んだのはその格好を見たからではない。
まるで作り物のように美しく、それでいて暖かさを感じないその顔を見たから。
表情を消した端正な顔、その手にあるものを見たから。
その手にあるもの、それは────白い仮面。
「あ、あんた何本気になってんのよ……」
「そうだよ、ごっつぁん。何もそんなもの出さなくても……」
引きつった表情の二人。
日も落ちかけ、肌寒さを感じる風の中、一筋の汗が背中を伝う。
「どうしたの? 矢口」
後ろから聞こえてきた声に、矢口は安堵のため息を漏らす。
そうだよ、ごっつぁんがいくら本気になっても、対戦相手がうまくあしらってくれれば……。
「もー、聞いてよ、なっち。ごっつぁんがなんかマジになってるみたいでさあ」
その場の空気を和らげるために、わざと軽い口調で言う。
そして、人を安心させるお日様の笑顔を求めて矢口は振り返った。
「なっちからも何とか言って……。
って、うをぉ!」
予期せぬ光景に矢口は思わず大きな声をあげる。
安倍の服装は先ほどまでと変わりは無い。
まるで急な用事を思い出して、近所に出かけるときのようなラフな格好。
宇宙刑事との試合で切り裂かれたジャスコのジャンバーに、両手を突っ込んで立っている。
その顔に浮かぶのは淡い笑み。
ただしその笑みは、いつものようなぽかぽかと暖かい太陽ではない。
その笑顔は──冷たく輝く蒼い月。
「な、な、な、なっち…………」
矢口の異変を感じて振り返った保田も、目を見開いたまま凍りつく。
次にリングに上るはずの二人は、無言のまま見つめあう。
空気が、まるで透明なガラスにでもなったかのように硬いものへと変わる。
身動きするどころか、息をする事すらできない。
肌の表面がちりちりとざわめく。
まるで彫像のように固まった四人。
最初に動いたのは後藤だった。
沈黙を保ったまま、手に大きな荷物を下げ、リングへと向かう。
そしてその後を追うように、安倍もゆっくりと歩み去る。
二人の姿が消えた後、ぎいぎいと音を立てそうな首を曲げて、
矢口は保田のほうを向いた。
「け、圭ちゃん……。ど、どうしよう……」
「と、とりあえず、みんなにリングからできるだけ離れとくよう言っといて」
「わ、わかった」
転がるように走り去る矢口を目で追って、保田はごくりとつばを飲む。
──あたし……生きて帰れるかしら……。
◇
耳が痛くなるほどの静けさの中、向かい合う両者。
安倍の手にはすでに木刀が握られている。
対する後藤はその顔を白い仮面で覆い、両手で大型のチェーンソーを掴んでいた。
チェーンソーのスターターが引かれると、パンパンと音を立ててガソリンエンジンが
回転を始める。それは静まり返った会場に妙に大きく響いた。
カァン!
沈黙に耐え切れなくなったかのようにゴングが鳴らされる。
示し合わせたかのように同時に飛び出す両者。
リング中央で激しい火花が散った。
上下左右、変幻自在に繰り出される安倍の剣戟。
重たげなチェーンソーを難なく使い、その攻撃を全て受け流す後藤。
息を詰めて見守る見習い達には、目で追いきれないほどの鋭く速い動き。
そしてそれが見えるものにとっては、思わず見とれてしまうほどの華麗な動き。
どちらにせよ、だれにも言葉を発することなどできない。
会場にはただ、二人が己の武器を打ち合わせる甲高い音だけが響いていた。
荒々しく、それでいて優雅な攻防は、まるでよくできた演舞のように
見ているものを捕らえて離さない。
ひときわ大きな火花を上げて、二人が大きく後ろに飛ぶ。
月の笑みを浮かべる安倍は正眼の構え。
白き仮面をつけた後藤はだらりと両手をたらす。
聞こえるのはただ、チェーンソーが回転する耳障りな音だけ。
つと、安倍の木刀の切っ先が下がる。
その剣先が、リングの表面をこするかのような位置で斜めに止まる。
下段の構え。
安倍が初めて見せる正眼以外の構えにも、無表情な白い仮面からは
動揺の色は伝わってこない。
かすかにそよぐ風に流されたかのように、安倍の体がふわりと前に出る。
軽やかな動きにそぐわない雷光の動きで、下段に構えられた木刀が上へと跳ね上がる。
その攻撃にも超絶な反射神経で反応を見せる後藤。
回転する鋼の刃が木刀を迎え撃つ。
再び激しい火花が散るかと思われた瞬間、
剣先がまるでチェーンソーを避けるかのように、きゅんと優美な弧を描く。
安倍の眉間には輝くチャクラの光。
「雪宮流奥義『胡蝶』……」
ポツリと呟いたのは平家だった。
無防備な白い仮面に木刀が伸びる。
その空間に、とっさにチェーンソーを捨てた後藤の右手が割ってはいる。
べきべきと何かが砕ける乾いた音が、静まり返った会場に響き渡った。
右手を失いながらも、力任せに突き出された左手が安倍のわき腹を捕らえる。
くの字に折れ曲がり吹き飛ばされる小柄な体。
リングの上で二度バウンドして、べしゃりと打ち付けられる。
うつぶせに倒れた体がゆっくりと起き上がった。
その顔に未だ貼り付く青き月。
そして輝く天使の輪。
清廉たるチャクラの光に癒されたのか、すくと立ち上がった足元はしっかりとしていた。
その光に照らされた不死の少女。
ありえない形に捻じ曲がり、だらりと垂れ下がった右手。
びくりとその体が震え、仮面の奥から真っ赤な血がひと筋流れる。
次の瞬間、何事もなかったかのようにその両手は禍々しい凶器を掴んだ。
「アイツ……舌を噛み切ったわね」
うめくような保田の声。
壮絶な死闘はいつ果てるともなく続く。
リングの上の闘気は時間とともにその濃度を増していった。
「ちょっ、ちょっと。これまずいんじゃないの?」
「あの二人、歯止めが利かなくなってるみたいね」
「なに冷静に解説してんだよ! このままじゃ……」
白い仮面が声無き咆哮を上げる。
体ごと飛び込んだ一撃を、まばゆい光を発する月の天使が受け止める。
すさまじいまでの気の波動。
リングだけでなく、神社までがびりびりと震える。
その余波に中てられた新垣はくなくなと崩れ落ちた。
「ま、まじでやっばいよ、圭ちゃん! どうにかしないと!」
「そ、そんな事言ったって、あたしにどうしろって言うのよ!」
「くっそ! こんなときに裕子の奴どこ行きやがった!」
「まぁったく、あいつら何やってんだか」
怒りに震える矢口の後ろでのんびりとした声。
「か、圭織!」
安倍、後藤と並び『最強』の名を持つ『光の巫女』飯田圭織は、
静かにリングへと向かう。
「ほぉら、なっちに後藤。いいかげんにやめときなー」
リング上に飛び散る火花。
「二人ともちょっと落ち着きなって。いくらなんでもやりすぎだよ」
二人の体が大きく吹き飛ぶ。
すぐに立ち上がりまるで引き合うかのようにぶつかり合う両者。
「こぉら! なっち! 後藤!」
後藤の一撃がリングを砕く。その破片が飯田の頬を掠めた。
大きな目がすうと細まる。
「そうかいそうかい。俺の言うことは聞けないってか」
男モードに変わった飯田がゆっくりと呟く。
「いい度胸じゃんかよ。それならこっちにも考えがあるぞ」
飯田の周りに無数の鈴が浮かぶ。
「ちょ、ちょっと圭織! 何あんたがむきになってんのさ!」
「いっつもそうだよ。みんな俺の事馬鹿にして」
矢口の言葉を無視して、無数の鈴がゆらゆらと揺れる。
「あの……飯田さん?」
「本当なら現場のことは俺に任せられてるはずやのに、
誰も頼ってこないし……。いったい、どういうことやねん!」
「ね、ねえ。なにか話の趣旨が変わってきてるんですけど。
ていうか、なんで関西弁?」
「や、やばいよ、矢口。この子目がイっちゃってる」
「おまえらなんか……おまえらなんか……」
すうと鈴が上昇を始める。
「ま、待って! 圭織!」
矢口の悲鳴も目を見開いた飯田の耳には届かない。
「おまえらなんか嫌いだーーーー!!!」
無数の鈴がいっせいにリングに降り注ぐ。
ものすごい衝撃。
神社がミシミシと音を立て、衝撃に吹き飛ばされた矢口の小さな体は
ころころと地面を転がる。
腹の底に響く大音量の後は、完全な静寂。
声を出す者も、動く者もない。
ちなみにこの日、首都圏では震度5を記録した。
ようやく起き上がった矢口は猛然と飯田の元に駆け寄る。
「ちょっと圭織! いくらなんでもやりすぎだよ! 何考えてんだ!
……って、あれ?」
「だめだね。さっきのショックで『交神』に入ったみたいだ」
目を見開いたまま固まっている飯田を見て、
保田がため息とともに言葉を吐き出す。
「な、なんて人騒がせな奴……。
あ! そういや、なっちとごっつぁんは!!」
慌ててリングに目をやるが、そこには人影はない。
「な、まさか! なっち! ごっつぁん!」
「いやー、まいった、まいった。まさか圭織の鈴が飛んでくるとは思わなかったべ」
後ろから聞こえてくるのんびりした声。
「な、なっち!」
「でも、楽しかったねぇ」
「ご、後藤!」
眠たげな目をした後輩にあきれた顔を向ける保田。
「したっけ、久しぶりに思いっきり体動かしたっしょ」
「んー、やっぱりなっつぁんは強いねぇ」
「なぁにー、ごっちんこそ腕上げたでないかい」
「あ、あんたらねぇ……」
がっくりと肩を落とす矢口と保田。
「あれ? そういや試合はどうなるんだ?」
「それは俺が答えてやる」
何時の間にか姿をあらわした白いタキシード。
「つ、つんくさん! 今までどこに!」
「細かいこと気にしたらあかん。それより結果を伝えるで」
こいつ……逃げてたな……。
矢口のジト目を無視し、つんく♂は青いサングラスをくぃっとあげる。
「この試合、両者リングアウト。引き分けや」
「え、てことは二人とも」
「失格や」
「えー、なんでだべ」
「あほ! あのまま続けとったらこの場所ごと無くなってまうわ」
「それじゃ次が決勝戦って事?
あ、でも、そういや圭織も」
「あれじゃ試合に出れそうにないわね」
「ってことは矢口優勝? まじで!?
ああ、やっと矢口の時代が来たんだ!!
うれしーー!! おかーさーん!」
両手を組んできらきらおメメの矢口。
その感動にインチキプロデューサーが水を差す。
「あまいで。
トーナメント公式ルール第三条第二項により、
選手が出場できない場合、前の試合で負けた選手が繰り上がりで出場することになっとる。
以上です。押忍!」
「K-1かよ! なんだよ、公式ルールって! そんなもんいつ決めたんだよ!!」
「ちょっと待って。繰上りってことは……」
保田の言葉に全員の視線が一点に集まる。
視線を集めた張本人は、わかっているのかいないのか、
焦点のボケた目でボーっと前を向いていた。
「決勝戦! 矢口VS紺野! これに勝ったほうが優勝や!!」
「うそーーーー!!」
準決勝 第一試合
× 安倍なつみ (両者リングアウト) 後藤真希 ×
……落ち着け、矢口。
後一つ、後一つ勝てば優勝だ。
もうオイラの時代はすぐそこまで来てるんだ。
目をつぶり、自分に言い聞かせる矢口。
カァン!
ゴングとともに猛然と敵に向かう。
その勢いに怯えたのか、紺野はくるりと背を向けてとっとこ逃げ出した。
「ま、待てー!」
予想外の反応に慌てて追いかける矢口。
しかし、見かけによらず紺野の逃げ足は速い。
「んにゃろ! これで!」
雷撃を飛ばし逃げ道をさえぎる。
能力を持たない紺野は飛び道具に対する術を持たない。
みるみるリングの端に追い詰められた。
「紺野には悪いけどね。本気で決めさせてもらうよ」
この状況でもボーっとして見える紺野に向かって、矢口は一直線に走る。
「たったかたーのアチャー!」
充分な助走を付けての跳び蹴り。
「きゃあ」
頭を押さえてしゃがみこむ紺野。
その頭の上を飛び越えていくちっちゃい格闘家。
「ちい、かわしたか」
かわされたときのこともきちんと計算に入れている。
そのまま、リング外に飛び出すような真似はしない。
ぎりぎりのところに計算通り降り立つ。
しかし、着地した矢口の足元がぐらりと揺れた。
合間合間に修復していたとはいえ、激しい試合を繰り返したリング。
それになんといっても先ほどの試合。
人知を超えた戦いの影響は計り知れないものだったのだろう。
さらには降り注いだ飯田の鈴。
もう限界だったのは想像に固くない。
矢口の足元でもろくも砕け散ったリング。
バランスを崩した雷念使いは大の字で空を見上げた。
「それまで!! リングアウトで紺野の勝ち!」
決勝戦
〇 紺野あさ美 (リングアウト) 矢口真里 ×
「ま、待って待って! 無し無し、今の無し!」
慌ててつんく♂に詰め寄る矢口。
「往生際が悪いで、矢口」
「そ、そんな……ここまで来て……」
呆然と崩れ落ちる小さな体。
「ほい、賞品のUSJゴールドパスポートや。おめでとさん」
「あ…ありがとうございます」
戸惑ったように目をぱちぱちさせる紺野。
「いやー、みんなようがんばってくれたわ。おつかれさん。
またなんかあったらよろしゅう頼むで。
ほな、さいなら」
ぱちん、とつんくが指を鳴らすとその体が大量の紙ふぶきに変わる。
冷たい風に吹かれ、さまざまな色が宙に舞う。
「あいかわらず、見事な引き際ね……」
「ちょっと待って! 矢口の……矢口の時代はーーー!!」
色鮮やかな光景の中、矢口の叫びが空しく響く。
「やれやれ、結局こうなっちゃったか」
首を振る保田に紺野が話し掛ける。
「あの…こんな勝ち方でいいんでしょうか?」
「いいんじゃない? ある意味あんたの能力で勝ったようなもんだし」
「はあ……そうなんでしょうか……」
小首を傾げる紺野の肩をぽんぽんと保田は叩く。
「気にしないでいいよ。仮にもこの面子の中で優勝したんだ。胸を張りな」
「……はい。ありがとうございます。
あの…ひとつだけ聞いてもいいですか?」
「なに?」
「USJって……なんですか?」
ぴしりとその場の空気が凍りついたような気がした。
「やっぱ、こんなの嫌だーーー!!」
再び矢口の声が日も暮れた神社に空しく響き渡った。
LOVEトーナメント21 〜最強は戦わなきゃ決められない〜
優勝 紺野あさ美
「さて、帰るべさ」
「……結局、あたし達ほとんど出番なかったじゃん」
「元気出してください、りんねさん」
「今度は松浦がんばりますよー!」
「あんたいっつも元気だね……」
「よっすぃー、一緒に帰ろー」
「あ、後藤さん! なにぴったりしてるんですか!」
「ちょっと、二人ともくっつき過ぎだよ。あ、ちょっと、あたってるって……」
「まこちゃん、この後訓練に付き合ってくれる?」
「いいよ、がんばろうね」
「うん、ほやね」
「大丈夫かいな、新垣ちゃん」
「うう……頭ふらふらします」
「あ!」
「どないしたん? のの」
「……飯田さんわすれてた……」
「結局、一回もまともに戦わずに優勝したか……」
「運は重要ですな、姉さん」
「なあ、みっちゃん」
「なんですの?」
「幸運ってトータルで一定の量しかないんやったよな」
「……そうでしたな」
「USJ……潰れたりせーへんやろな」
「さあ……」
とにもかくにもこれにてトーナメントは終了。
世は全て事も無く……。
ちゃんちゃん。
終焉そして……
冷たい風が吹いていた。
夜の帳が落ちた公園。
外灯の光を撥ね返す白いタキシード。
「やれやれ、相変わらずアイツ等は無茶ばっかりしよるな」
真っ白なシルクハットをかぶりなおし、男はステッキをくるりと廻す。
静寂が支配する寂れた場所に、そのきらびやかな格好は明らかに異質であった。
男は皮肉気な笑みをその顔に浮かべ、静かに呟く。
「アイツ等の力……俺の予想以上のものになっとったな。
新しく入ったヤツ等も思ってたよりは力をもっとる。
それに、あの宇宙刑事もな……」
男は青いサングラスをくいっと上げる。
そのレンズの下の目は、吹き付ける風にも負けず冷たい。
「にしても、やはりあの三人は要注意か。
フッ、おもろい。実におもろい。
まあ、全ては記録させてもろたしな」
男の手にどこからとも無く一枚のMOディスクが現れる。
くるくると手の中を踊ったディスクは、再びどこかへと消えうせた。
「これがあればアイツ等の能力は……。
さて、これからどんなことが起こるのやら。
楽しみなこっちゃ。ククク」
風に吹き消されたかのように、低い笑い声を残して男の体が溶け消える。
後には一本の白い羽根だけが、誰もいない公園に風に捲かれていつもでも漂っていた。
百姫夜行Special 〜幕〜
飯田圭織
通称『光の巫女』。アカシックレコードを読み取る『交神』の秘術を使う。
また、破邪の力を込めた鈴を操ることで、攻防一体の攻撃を仕掛ける事ができる。
ある理由で神社からは出られない。(正確にはあの場所から動けない。神社は後から建てられた)
一応現場のまとめ役。マイペースなメンバーに振り回され、胃薬と牛乳が欠かせない。
ただ、矢口や保田に言わせるとまとめているのは自分達らしい。
なぜか最近、たまに関西弁を使う。
モデルは特に無いが、戦闘シーンは『孔雀王(コ)』に登場した『黄泉御前』のイメージ。
安倍なつみ
日本最強の念法使い。雪宮流剣術免許皆伝。
住んでいるのはボロアパート、着ている物はバーゲン品。
一体どこにお金を使っているのか全くの謎。(別に裏設定はありません、あしからず)
基本的には平和主義で慈悲深いが、独特の価値観で動くため時として非情と見えることもある。
なお『月の天使』になった時はリミッター解除モード。周りの迷惑も考えず情け容赦なく戦う。
モデルは菊地秀行『妖魔シリーズ(小)』の工藤明彦。
性格的には同じく菊地秀行『魔界都市シリーズ(小)』の秋せつら。(二重人格風なとこなど)
保田圭
いつも黒で身を包んだ『糸使い』。『糸使い』の宗家に生まれるが、現在は家を飛び出している。
治療不能の弟のため、厳しい戦いに自ら身を投じている。
一見冷酷で厳しく見えるが、その目線は常に暖かい。
特に年下のメンバーには意外と甘い。あるいは過去に守れなかった者に対する贖罪か。
好きな食べ物はホルモンと餃子。
モデルは菊地秀行『魔界都市シリーズ(小)』の秋せつら。
矢口真里
雷念使い。自称『退魔師連合のセクシー隊長』。
雷を使った攻撃だけでなく、接近戦も得意。
格闘技術はメンバー中随一。(ただし技術関係なしの化け物もいるため最強とは限らない)
格闘ヲタクで好きな格闘家は武藤敬司とニコラス・ペタス。
いつも元気なムードメーカーであり、フットワークも軽く、さらに貴重な『ツッコミ役』という事もあり、
出番は多い。(残念ながら、報われてるとはいえないが)
モデルは秋恭摩『魔獣結社(コ)』の鳴神ジュン。
後藤真希
『不死の少女』。『死』をキーワードに復活する。また、そのパワーはメンバー中最強。
クールで無気力に見えるが、無邪気で子供っぽい一面もある。
いつも眠そうにしているのは、タナトスのエネルギーを元にしているため。
なお、白い仮面に特別な意味は無い。単なる儀式的なもの。
仮面というペルソナをかぶる事で、別の人格を作り出そうとする一種の変身願望。
モデルは秋恭摩『魔獣結社(コ)』ガス・J・加藤。
設定的には菊地秀行『戦士シリーズ(小)』の死なずの醍醐のほうが近い。
市井紗耶香
ライカンスローピィ、いわゆる狼女。驚異的な再生能力と怪力を誇る。
なお変身は獣人状態までで、狼形態にはならない。(手塚治虫『ヴァンパイア』とは違う)
後藤の教育係を務め、当時の二人はまるで姉妹のように仲が良かった。
現在は記憶を失い、病院に長期入院中。
主治医であるドクター・タイセーのもと、治療に専念している。
モデルは秋恭摩『魔獣結社(コ)』のレイク・ダウニング。
吉澤ひとみ
宇宙刑事。必殺技は『ヨッスィー・スラッシュ』、『ダブル・ヨッスィー・スラッシュ』。
性格はのほほんとして楽天的。意外とこまめで綺麗好きな面もある。
体育会系で頭脳労働よりも肉体労働のほうが得意。
宇宙刑事の筆記試験に受かったのは、警察学校の七不思議といわれている。
故郷の星には年の離れた弟が二人いる。
モデルは来留間慎一『魔神伝(コ)』の宇宙刑事斬奸と、もちろん東映のメタルヒーロー。
石川梨華
宇宙刑事。ナビゲートと分析が専門で戦闘能力は無い。
女の子らしい外見に似合わず、家事全般が苦手。
また、負けず嫌いですぐムキになる。
幼いころに家族を殺された経験があり、そのときのトラウマから鳥の羽根と男性が苦手。
そのためか、同性である吉澤に依存する気持ちが強い。
最近やや耳年増。
モデルは吉澤に同じ。
辻希美
陰陽師。符術を使う。
最強の式神『十二神将』を持つ。(まだ一体を使うのがやっと、本来は十二体同時に使う)
最近太目の体型を気にしているが、食欲に対しては歯止めが利かないようだ。
一応自宅で暮らしているが、飯田の神社に泊まりに行っている事が多い。
好きな音楽は『もっきん』。
モデルは特になし。
加護亜依
現代風『孫悟空』。正当な血を引く斉天大聖の末裔。
その力の真髄は、精神の力により物質を生み出すこと。
『想像力』によってさまざまなものを『創造』する事ができる。その可能性は無限大。
奈良の実家に生まれたばかりの弟がおり、現在は両親と別れて祖母と暮らしている。
なお、関西弁を使うのは親しい相手にだけ。
モデルは特に無いが、格闘ゲーム『超人学園ゴウカイザー』のかりんが少し。
高橋愛
対妖魔用の武術を使う武闘家。
また『鬼神憑き』でもあり、その体には鬼が縛り付けられている。
見えない鎖を使い、異次元の鬼の力を使役することができる。
福井訛りを気にしてか口数は少ない。
モデルは八房龍之介『仙木の果実(コ)』のジュヌヴィエーブ・コトフォード(通称ジュネ)。
小川麻琴
狗法使い。狗法とは仙道の修行の一つであり人が天狗になる法である。
飛翔・剛力・念動・読心・隠形・透視・水歩・風刃・霊波・幻視などの能力がある。
ただしまだすべてが使えるわけではない。
気が強そうに見えるが意外と打たれ弱く泣き虫。
新潟での修行時代には、仲間五人でいろいろな事件に首を突っ込んでいたらしい。
ちなみにそのときはセンターでリーダーを務めていた。
モデルは水沢勇介『夢幻街(コ)』の牧豹介。
紺野あさ美
座敷わらし。幸運を操る。ただし、無意識のうちに発動するため、自分の意志では使えない。
また運の総量は一定のため、幸運が起こった場合は小さな不幸が付きまとうことになる。
ボーっとしてそうに見えるが、物覚えも速く運動神経も良い。
ただし、やり遂げる前に何らかの『不幸な』邪魔が入る事が多い。
争い事を好まない性格の割に、なぜか空手の茶帯を持つ。
モデルは特になし。
新垣里沙
魔女っ娘。無機物を他の物に変える力を持つ。
なお、持っているステッキには特別な力は無い。ただの趣味。
生真面目な性格で、歳の割には落ち着いている。
生まれは由緒正しい魔法使いの家系で、実は結構なお嬢様。
おそらく登場する機会は無いと思うが、父親のイメージは『サリーちゃんのパパ』。
特定のモデルは無いが、言うまでも無く『魔女っ娘シリーズ』がベース。
中澤裕子
退魔師元締めにして日本で唯一の退魔結社社長。
全ての能力を無効化する『破魔の眼』を持つ。
『破魔の眼』は視界の中の力を中和する力があり、こちらの世界との結びつきの弱い妖魔なら、
その存在を消す事すらできる。
妖魔を倒す事に対する姿勢は常に厳しく、時には非情に徹する事もある。
だが、根は傷つき易い心を持った京女。
モデルは特になし。
石黒彩
全てのもののツボを読み、針を打つ事でさまざまな事象を操る針師。
現在は情報屋として活躍中。
保田、矢口、市井の教育係でもあり、その厳しさから非常に恐れられていた。
ある事件で出会った針師(普通の)と恋に落ち、退魔結社が出来上がったのとほぼ同時に結婚。
一線を退き一児の母として幸せに暮らしている。(そのため本名は山田彩)
モデルは菊地秀行『退魔針(コ・小)』。
福田明日香
念法使いであり、安倍と組んで退魔師をしていたが、ある事件がきっかけで失明。
退魔師としては引退し、特定の魔を封じる『封魔の壺』をつくる。
なお、本編で登場した家は東京の自宅。
父親は何の力も持たないが、祖父が高名な念法使いであり、いわば隔世遺伝。
幼いころから期待をかけられており、プレッシャーから自爆自暴になっていた時期もあった。
モデルは奥瀬早紀『火閻魔人』の明怜依。
平家みちよ
元『日本最強の念法使い』。清景流抜刀術免許皆伝。
安倍を覚醒させるため自らの力を失った。現在は中澤の秘書(というより雑用係)をしている。
ちなみに『百姫夜行。』第五夜で、安倍の伝説として語られていた『京都の呪詛』を封じたのは
実際には平家。(安倍なつみ外伝参照)
『最強の念法使い』違いだったわけだが、まあ伝説なんてそんなもんである。
モデルは安倍と同じ。
松浦亜弥
太陽光を操る。新人ではありながら正統派な力を持つ実力者。
また、巨額の宣伝費、もとい巨額の開発費をかけた万能鎧(マルチプルメイル)を使用
することで、実力以上の力を発揮する。
辻加護と違い絵に描いたような優等生。そのため一足早く正式な退魔師となった。
モデルは秋恭摩『夜光闘姫スカーレット』。
<カントリー娘。>
りんね
全てのものを絶対零度にまで下げる『氷の視線』を持つ。
退魔師としてのキャリアは意外と長い。飯田と組んで仕事をしていた時期もあった。
おっとりしているようで結構意地悪。
最近はあさみとコンビを組む事が多い。
モデルは特になし。
あさみ
体内に住まわせている守護獣(トーテム)を使う。
守護獣の見た目は大きな白い犬。(もののけ姫の三輪明弘みたいな)
現在りんねとコンビを組んでいる。
性格は温厚で真面目。最近金髪にしたらしい。
モデルは特になし。
<メロン記念日>
陸上自衛隊特殊機械化部隊。
Member of Lost Original
Number 通称メロン(Me-LON)。
人工的に作られた超人。
強化された肉体に自信とプライドを持つため、基本的には重火器は使用しない。
村田めぐみ
階級は一尉。調整はバランス型。部隊の隊長。
武器は千本と呼ばれる投げ針。
予想もつかない角度から繰り出される攻撃は、巧妙にして正確。
斎藤瞳
階級はニ尉。調整はパワー型。
武器は大型のハンマー。
ボリューム感溢れる体を利用した肉弾戦も破壊力満点。
大谷雅恵
階級はニ尉。調整はスピード型。
マーシャルアーツの達人であり、武器は使用しない。
安定感のある足腰から繰り出す蹴り技が得意。
柴田あゆみ
階級は三尉。調整はバランス型。
最後にロールアウトしたため、ほかのメンバーと比べ基本性能が高い。
武器は金属繊維を使用した鞭(ウイップ)。
今は経験不足のため、部隊のマスコット的な扱いだが、いずれは主戦力になるであろう人材。
<ココナッツ娘。>
アメリカの開発した体の80%以上を機械に置き換えたサイボーグ。
コンセプトは『小さな軍隊』。
アヤカ
コードネームは『コマンダー』。日系のアメリカ人。
ペンタゴンの地下にあるスーパーコンピュータと直結した頭脳を持つ。
カオス理論を使用することで限定された『未来予知』すら行う。
ミ カ
コードネームは『ガンナー』。アメリカ人と日本人のハーフ。
右腕に小型マシンガン。左手に中型ミサイル。全身に小型のミサイルを装備。
まさに歩く弾薬庫。
レフア
コードネームは『セイバー』。オールアメリカン。
両手が液体金属でできており、状況に応じて様々な形状を取ることができる。
他にエイプリル(コードネーム『マリオネット』)、チェルシー(コードネーム『ソニック』)、
ダニエル(コードネーム『ツイスター』)がいる。
なお、ネイティブなアメリカンが少ないのは、計画自体が非人道的かつ実験的色合いが強いため。
<おまけ>
つんく♂
自称『愛のマジックマスター』。本名は寺田光男。
退魔師連合のスカウト兼総合プロデュース担当。
立場的には中澤の方が上だが、なぜか強い発言権を持つ。
常に白のタキシードとシルクハット。金色に染めた髪に青いサングラス。どっから見ても怪しい人。
能力のベースは手品。ただし『タネ』は無い。無意味に派手な仕掛けを好む。
モデルは特になし。(魔界都市シリーズにこんな人がいたような気もする)
──── 百 姫 夜 行。
「ふはあぁぁぁぁ!」
大きく体を伸ばしてぐるりと首を廻す。
ぱきぱきと小気味良い音が耳元に響いた。
軽く息をついて目を開く。
日本で唯一の退魔結社『中澤コンサルティング』。
その社長秘書──という名の雑用係、平家の目にさほど広くもない殺風景な一室が映った。
一日篭りっきりで事務作業をしているとさすがに気が滅入る。
おまけに今日は事務所に誰もいない。
最近大きな事件こそ起こってないものの、なんやかやと仕事は多い。
ようやく見習の文字が取れたわんぱくコンビも含め、全員が出払っている。
社長である中澤も今日は大阪に出張中。
新人達は訓練中。
残っているのは能力を持たない平家だけだ。
静かな分だけ仕事は進むが、なんだか物足りない。
「一休みしようかね」
静まり返った部屋の中に独り言が響く。
机の上の伝票の束も半分以上片付いた。
ふと見上げた時計は3時を指している。
よっこいしょ、とおばさん臭い声を出して、コーヒーでも淹れようと立ち上がった。
ピンポーン
軽快なチャイムの音が響いた。
こんな時間に客なんて珍しい。
もともと”特殊”な業務をする会社だけに、突然の客が来ることはめったにない。
首をひねりながらドアを開けると、そこにはひとりの少女が立っていた。
Morning-Musume。 in
百 姫 夜 行。
―― 番外編 平家さんの平凡な一日
ふんわりと柔らかな茶髪。
微笑みをたたえた切れ長の目。
ぷっくりとつややかな唇。
すんなりとした手足を包むのはラフなシャツとジーンズ。
──ただし、色は全てピンクだが。
「こんにちは」
「ああ、なんや宇宙刑事さんか」
「はい、この間お借りした資料を返しにきました」
銀河連邦所属『宇宙刑事』石川梨華は、両手に持った重そうな荷物を軽く上げて
にっこりと微笑んだ。
「そら、ご苦労さん。あー、悪いけどそこのロッカーの上に置いてくれる?
今、お茶でも入れるわ」
「すみません。それじゃ、お邪魔します」
紙袋を下げて部屋の中に入る。
「よいしょ」
石川は自分の身長よりも高い位置にある空間に、荷物を押し込むためうーんと背伸びする。
その後姿をじっと見つめる平家。
すすっと音もなく背後に回る。
ぺろん
「きぃやああぁぁぁぁぁ!!!」
臀部を押さえて高周波を発生する石川。
「な、な、な………」
「いやー、思ったとおりええお尻やね。形といい張りといい最高やわ」
感触の残る右手をわきわきと動かす。
「か、勝手に人のお尻触らないでください!」
真っ赤になって目を潤ませる石川を見て、平家の目が妖しく光る。
「ええやん、減るもんやなし」
「駄目です! これはよっすぃーの……」
「ううん、初々しい反応もええねえ。ほら、心配せんでお姉さんに任せとき」
「ちょ、ちょっと平家さん!
だ、駄目です……そんな……や……あん!」
「なにしてるんですか? 平家さん」
「うわわわわ!!」
背後からかけられた声に、平家は慌てて振り返る。
きょとんとした丸顔が、まるで水族館の魚のようにこちらを見つめていた。
焦点がボケて見えるまん丸の目がゆっくりと二回瞬く。
「ただいまー。あれ、どしたのあさ美ちゃん」
部屋の入り口には小川を先頭にした新人たち。
石川は胸の前で両手を組んで硬直している。
「あ、あんたら、く、訓練はどないしたんや」
「今日は夏先生が用事あるからってもう終わりました」
生真面目な口調で新垣が答える。
「なんかあったんですか?」
大げさに表情を変えた高橋が、微妙なイントネーションで尋ねた。
「あの…平家さんが石川さんの……」
「ああ! いや! なんでもないねん。なんでも。
な、紺野ちゃん!」
ぼそぼそと問題発言をしかける紺野の肩をぱしんと景気よく叩く。
よろけた紺野はロッカーにぶつかり──
石川が返しにきた資料。
ロッカーの上の資料。
平家が途中でちょっかいを出した所為で、きちんと載ってなかった資料。
──お約束どおり、崩れてきた資料は紺野の脳天を直撃した。
「あ、あさ美ちゃん! しっかり!」
「や、やばいよ、なんか白目むいてる!」
「きゅ、救急車を!」
大騒ぎする新人達を顔を引きつらして見つめる平家の後ろで、
新たな登場人物の声が聞こえた。
「どうしたの? 何の騒ぎ?」
入り口には、ひとり佇む落ち着いた雰囲気の女性。
「あー! 有紀さん! ええところに!」
平家は大声を上げると、その手を引いて紺野の前に連れてゆく。
「実はこの子、荷物が頭にあたってもうて……」
「あらあら大変。それなら私の出番ね」
そう言って、紺野の額の上に手のひらをかざす。
すぅっと目を閉じると、手のひらから柔らかい光が零れ落ちた。
その光は、まるで流れる水のように紺野に降り注ぐ。
光を浴びた紺野はぱっちりと目を開いた。
「あさ美ちゃん! 大丈夫!?」
「あれ? ……全然痛く……ない……」
「うーん、さすが有紀さんやね」
「そんな、たいしたことないわよ」
ぱちぱちと瞬きする紺野に、すまなさそうに平家が話し掛ける。
「大丈夫かいな、紺野ちゃん。ごめんな」
「あ、大丈夫です……最近落ち着いてきましたから……」
「へ?」
「トーナメントが終わってから……ずっとこうなんです。
毎日犬にかまれたり……ボールがぶつかったり……。
でも…今日はまだ、自転車に引かれてないんで……」
訥々としゃべる紺野を複雑な顔で見つめる平家。
「さよか……。あんたも大変やねんなあ……」
紺野あさ美。無意識のうちに運を操る少女。
大きな幸運を手に入れたそのツケは──まだ払いきれてないようだった。
「あの……平家さん」
ようやく硬直から溶けた石川が、平家の肩をつつく。
「ん? ああ、紹介するわ。こちら前田有紀さん。うちらの仲間や。
ほんで有紀さん、こっちの娘はほら、例の宇宙刑事さん」
「初めまして。前田有紀です」
「あ! こちらこそ初めまして。
銀河連邦所属、宇宙刑事チャーミーこと石川梨華です!」
慌てて挨拶を返す石川を見て、前田の目が細まる。
「あなた……」
「え!? あの……なにか……」
「そのまま、じっとして」
「あ、はい」
緊張する石川に優しく笑いかけて、前田が手を伸ばす。
「大丈夫。目をつぶって、気持ちを楽にして」
手のひらを頭の上にかざす。
柔らかな光が石川を包み込んだ。
すうっと何かが体に染み渡ってゆく感覚に、石川は自然と体を弛緩させた。
「もういいわよ。どう? 気分は」
「あ、なんだか体が楽になりました」
「有紀さんの『ルルドの光』の効果はすごいからな」
前田有紀。戦闘能力はないものの、あらゆる傷を癒し、全ての毒素を浄化する
卓越した治癒能力、『ルルドの光』を使う最高ランクのヒーラー。
常に危険と隣り合わせの退魔師達にとって、とても頼りがいのある人物といえた。
「それにしても、体中が青痣や生傷だらけだったわよ。
一体何をしてたの?」
「あ……それは……」
眼を伏せる石川を前田は訝しげに見つめた。
「まあ、人数も増えた事やし、みんなでお茶にしよか」
何かを察したような平家の言葉に、ほっとしたように石川の顔があがる。
「あ、わたしお礼にクッキー焼いてきたんです。いっしょに食べましょう」
「お、ええね」
離れたところで様子を伺っていた新人も、食べ物の事と聞いて嬉しそうに寄ってきた。
「ところで、有紀さん。今日は何の用やったん?」
「あ、そうそう。稲葉さんがね、また人手を貸して欲しいって」
「またかいな、あの悪リス。こっちやってイッパイイッパイやっちゅーのに」
「なかなか良い人見つからないみたいで、苦労してるみたいよ」
「しゃーないな。ま、姉さんに話しとくわ」
「あ、そうそうもう一つ」
「なに?」
「また一緒にゲームしようって」
「ふん、今度は負けへんで! あいつにボンビーつけたる!」
手のひらに拳を打ち付ける平家を見て、前田はくすくすと笑う。
「平家さーん、お茶入りましたよ」
「お、サンキュ」
小川から受けとったカップを一口すする。
テーブルの上には石川手製のクッキーが並べられていた。
「おいしそうやないの。それじゃさっそく」
昼下がりの和やかな雰囲気。
笑顔に満ちたひととき。
小さな幸せに包まれた空間。
◇
「うー、ひどい目に会うたわ」
平家は苦い顔でひとりごちる。
悪魔のクッキーの所為で大騒ぎになった事務所も、今は再び静けさを取り戻していた。
ぺこぺことコメツキバッタのように頭を下げる石川をどうにかなだめ、
他のみんなとともに送り出したのがついさっき。
もちろん、全員が『ルルドの光』を浴びておいたのは言うまでもない。
「人は見かけによらんもんやな。あんなに可愛い娘やのに」
やれやれと肩をすくめて椅子に腰掛ける。
「しかし、あのお尻は一級品やね」
あの感触と真っ赤になった顔を思い出し、くくくと笑う。
「ま、そのうち自分からお尻を出すようにしたるわ」
妖しい目つきで鼻歌を歌いながら書類を整理する。
その頃、石川は原因不明の悪寒に襲われていたという。
「さて、すっかり時間食ってしもたな。残りの仕事片付けんと」
見上げた時計は5時前を示していた。
「さて、いっちょ気合を入れて──」
「こんにちワイ〜ン」
場違いに明るい声を出して入ってきた小柄な少女。
にっこりと微笑んだ顔は、温かな陽だまりを思わせた。
「ああ、なっちか。なんや今日は客の多い日やな」
「あれ? 今日裕ちゃんは?」
「大阪に出張中」
「えー、この間のギャラもらいに来たのに」
「ああ、それなら預かっとるよ。
ま、せっかく来たんやから、お茶でも飲んでき」
「うん、ありがと。あー、よかったぁ。それが無いと今月の家賃払えないんだよ」
「あんた、一体何にお金使うとるんや」
木造の小さなアパートに住む、日本一稼ぎの多い退魔師に疑問をぶつける。
「へへへ、内緒」
大量販売のカジュアル衣料品店で買ったと思われる安物のコートを脱いで、
安倍はふんわりと笑った。
◇
「したらさ、そんな事言うんだよ。ひどいと思わなぁい?」
「ははは、でもそれはなっちが悪いわ」
「えー、そうかな。そんなことないっしょ」
口を尖らせる安倍を微笑ましく思いながら、平家は背もたれに身を預けた
「久しぶりやね、こんなになっちと話するのも」
「そうだね」
そのまま柔らかな沈黙が流れる。
「ねえ?」
「ん? なんや」
「前から訊いてみたかったんだけど」
「ええよ、なに?」
「どうして指導係の話断ったの?」
安倍の表情は変わらない。それを見る平家の表情にも変わりは無い。
「裕ちゃんから聞いたんだ。近接戦闘のトレーニング教官の話。
ずっと断ってるんでしょ。前から誘われてたのに。
なんで?」
「あたしには教える事なんか何もあらへんよ」
「そんなこと無いよ。まだまだ腕は錆付いてない。見てれば分かるよ」
平家は無言のままテーブルの上のカップに手を伸ばし、さめかけたコーヒーをずずっとすする。
「なあ、なっち」
「ん?」
顔を上げないまま声をかける平家に、軽く首をかしげて答える安倍。
「久しぶりに一勝負してみよか」
事務所の裏の駐車場。暮れかけたその場所には冷たい風が吹いていた。
点いたばかりの街灯の光を受けて、両者は静かに向かい合う。
互いの手には一本の木刀。
すっ、と流れるように安倍が取った構えは右正眼。
対する平家は左足を引き、腰だめに木刀を構える。
体をたわめたまま、ぴたりと安倍を見据える。
清景流抜刀術。神速を誇るその型は初太刀が命。
相手の実力を考えると、一度抜き放ってしまえば二の太刀を打つ余裕は無いだろう。
無論、安倍もそのことが分かっている。
初太刀を決めれば平家の勝ち。かわせば安倍の勝ち。
勝負は一瞬で決まる。
双方、型を崩さぬままじりじりと間合いを詰める。
制空圏が触れ合うぎりぎりのところで、動きが止まった。
二人は、まるで彫像のように街灯の光を撥ね返す。
ぴん、と張り詰めた空気。
辺りが澄み渡ってしまったかのような、凛とした空間。
世界がただ二人だけになったかのような清涼たる瞬間。
どこかで犬が鳴いた。
大きく一歩踏み出し、木刀を手の中で走らせる。
平家の目には全てがまるでスローモーションのように見えた。
右手が前に出る。
木刀が左手をすべり、その速度を増す。
先手を取った。安倍にはまだ動きが無い。
左手を抜ききった。肘を伸ばし右の手首を返す。
安倍の左足が引かれ、頭が斜めにかしぐ。
剣先が優美な弧を描く。相手に対して最短にして最適なライン。
風にそよぐ落ち葉のように、安倍の体が流れてゆく。
木刀の作る円。その外側へと向かう体。追う剣先。
──届け!
空気を断ち切るような音をたてて、木刀が振り切られた。
下から上へ。剣先が空気に溶け込んだかのような鋭い一刀。
ぷん、と何かが焦げたかのような匂いが鼻をつく。
安倍の鼻先を掠めるようにして、剣先が通り過ぎる。
ぶわ、と音を立てて前髪が跳ね上がった。
──まだや!
くるり、と平家の手首が返る。
螺旋を描くようにして、一度通り過ぎた木刀が今度は斜め上から襲い掛かる。
──清景流奥義『落葉扇』!
がしぃ!
鈍い音を立てて木刀と木刀が噛み合っていた。
受け止められた必殺の一撃を見て、ふっと平家の顔が緩む。
体を引き、木刀を納めた。
「さすがやな。あの一撃を止められたら、あたしには打つ手が無いわ」
「そんなことない。今のはたまたまだよ」
「いや。今のあたしじゃあ何回やってもなっちには勝てんよ」
平家は自嘲気味に頬をゆがめる。
「命をやり取りするところに身を置いてる者。
そこから身を引いた者。
その差は……大きいんや」
「……」
「せやから、あたしには教えられるものは何も無い。
あたしはもう……終わった人間やから」
夜の帳が落ちた。
向き合う二人、その表情も定かではなくなってきていた。
何気ない口調で安倍が問い掛ける。
「ねえ……なっちに念をくれた事……後悔してる?」
またどこかで犬が鳴いた。
駐車場の脇を車が通り過ぎる。
ヘッドライトが光の帯を描き出した。
ゆっくりと平家は口を開く。
「ああ、後悔しとるよ」
「あの時、あんたにあたしに残った念を全部与えた。
おかげであたしは力を失った」
ぽつり、と言葉が零れ落ちる。
「あの所為であたしは『日本最強の念法使い』の称号を失った。
それはあんたのところへと移った」
再び車の近づく音が聞こえた。
「せやから……あたしは後悔しとる」
ヘッドライトに浮かび上がった顔。
「なあ、なっち……」
その顔はほんの少し、辛そうに歪んで見えた。
「すまんかったな」
車が通り過ぎた。その顔もまた暗がりに消える。
「あんたに全部押し付けてしまった。
最強の念法使い、その戦いも、その辛さも、そのプレッシャーも。
ホンマやったらあたしがやらなあかんことやった。
あたしが全部被らなあかん事やった。
それなのに……」
一歩前に出る。街灯の明かりに照らされた顔は、厳しい目をしていた。
「あたしは生死をかけた場所から身を引いた。
せやから、もう誰かに何かを教えるような……そんな資格はないねん。
あたしには……もう……」
「前にも言ったよね」
静かに安倍が言葉を挟む。
「なっちの力はなっちだけのものじゃない。
福ちゃんとみっちゃん、なっちを助けてくれた二人の力が宿っている、って」
その顔には柔らかな微笑み。全てを包み込むような暖かな微笑み。
「なっちはね、ひとりで戦ってるつもりはないよ。
なっちの中にいる二人と、いつでも一緒に戦ってるよ」
「なっち……」
「だから……なっちは辛くなんかなかったよ。
いつも二人を感じてたから。
それに、みっちゃんに資格がないなんて事はない。
例え身を引いてたって、なっちを…ううん、みんなを全力で見守ってるはずだよ。
みんなのためなら、命だってかけられる……そう思ってるはずだよ。
だったら……資格は充分あるよ。ね? そうでしょ?」
すっかり暗くなった駐車場。そこを照らすかのような太陽の笑顔。
その笑顔を見た平家は、まぶしそうに目を細めた。
「ふ、なっちに説教される日が来るとは思わへんかったな」
「なぁにぃ、その言い方。せっかく人が真面目に話してるのに!」
「いやいや、あの問題児だった安倍さんがこんなに立派になってくれるなんて……。
姉さんが聞いたらきっと草葉の陰で喜んでくれるやろ」
「あー、ひどいんだ。裕ちゃんに言いつけてやろっと」
くすくすと笑い声が薄暗い駐車場に流れた。
「さてと、それじゃなっちは帰るね。裕ちゃんによろしく」
「ん、伝えとくわ」
「じゃ」
「あ、なっち」
「なに?」
「……あんた、ええ女になったな」
安倍は無言で手を振る。
その後ろ姿が見えなくなるまで、平家はそのままずっと見送った。
──やれやれ、今日も一日終わってしもうたか。
なんだかいろんなことが起きた気がする。
それでも今日という日は過ぎ、明日という日がやってくる。
これもまた、平穏で平凡な一日と言えなくもない。
「あ!」
突然、平家は大きな声をあげた。
……仕事結局放りだしたまんまやった。
半分ほど残った伝票を思い出してため息をつく。
ふと、木刀を右手に握ったままだった事に気が付いた。
──まあ、ええか。たまにはこんな日もあるさ。
ひゅん、と音を立てて木刀をふる。
久しぶりに素振りでもしてみようと思いながら、事務所に鍵をかけるため平家は階段を上った。
番外編 〜幕〜