百姫夜行。−翔− 巻の弐

 


新しい年が明けた。

静かだった。
慢性的な不況。逼迫した世の中に喘ぎながらも、人々は変わらぬ毎日を過ごしていた。
不平不満を抱えながらも、平凡で平穏な日々。
そう見えた。

──表面上は。


「へん! どないや、あたしの能力は!」

爆炎に包まれた妖魔がゆっくりと崩れ落ちた。
塵へと帰る敵を見下ろすのは一人の小柄な女。

すその広がった黒のパンツ。
チューブトップの上から羽織ったレザーのジャンバー。
げっ歯類に良く似た不敵な顔つきの上には、大きく盛り上がったアフロヘアー。

「あたしに手ぇ出すと火傷すんで」

思念の力により対象の空間を爆発させる能力、
通称『ボンバーヘッド』を使うベテランの退魔師。

「だいじょーぶですかー? アツコさーん」
「お、そっちも片付いたようやな」

声をかけてきたりんねに笑いかけ、稲葉貴子は両の手を腰に当てた。

「いやー、アンタ等が来てくれて助かったで。
 にしても、一体何やねんなコイツラは。
 こんな風に妖魔が襲ってくるなんて普通ありえへんやろ」
「きっと安倍さんたちを連れてった宇宙人の仕業ですよ」

りんねの後ろから顔を出したあさみが口を挟む。
その横で里田が神妙な顔でこくりと頷いた。

姿を消した三人の行方は依然不明なままだ。
生死すら定かではない完全な消失。
しかし、失われたのは彼女達の姿だけではなかった。


「成程、ここんところアタシ等にチョッカイかけて来とるのはソイツか。
 ……しっかし、こうも見事にしてやられるとはなぁ」

何も起こっていないように見えながらも、裏では激しい戦いが行われていた。
退魔師たちを包み込む敵の策略。
動き始めたドミノは、未だその進みを止めてはいなかった。
組織を失った退魔師達。その連携は完全に絶たれていたのだ。

「池袋界隈の退魔師はほぼ全滅やな。
 全然連絡がとれんようになっとるわ」
「……どっこも同じようなもんですよ。
 手分けして無事な仲間を捜してますけど、いつものメンバー以外に
 まともに出会えたのって、 アツコさんが初めてですから」
「そうか……」

辛そうに顔を歪ませるりんね。
稲葉も神妙な顔で俯いた。

都内に散らばっていた下級の退魔師達。
寄るべきものを奪われた力弱き者達は、押し寄せる力に対抗する事はできなかった。
情報を遮断され、恐怖に囚われた退魔師達は、一人また一人とその命を失っていた。

「みんな……みんなひどい姿でした。
 命が無事だった人も、とてもまともな状態じゃなくなってて……」
「まともじゃない?」
「ええ、戦意をすっかり失ってるんです。
 ずっとガタガタ震えながらブツブツ同じ言葉を呟いて……」
「……いったい何て?」
「『天使が来た』って。
心に刻み込まれてるんです──恐怖を」
「……シャレにならんな、しかし」

大きくため息を吐いて稲葉は腕を組んだ。

「それで、裕ちゃんは今どないしとるんや?」
「事務所も国に押さえられちゃいましたからねぇ。
 あの神社もずぅーっと監視されてるみたいだし。
今は例の宇宙船が作戦本部になってますよ」
「宇宙人と戦うために協力してくれるのは宇宙人だけか。
 皮肉なもんやな、全く」

苦々しげに吐き捨てる稲葉。

退魔師というものに誇りを持っていた。
自分達の力に自負を持ってもいた。
闇の勢力から弱き人を守る。
それは決して光の当たる仕事ではない。
だが、絶対になくなる事のない崇高な行為。

それがこうも呆気ない崩壊を見せるとは。

国からのバックアップが途絶えた。
例え敵の策略にせよ、それは退魔師が必要とされていないことを意味する。
傷つけられた誇りと自負。
思わず稲葉の胸に虚無感が沸き起こる。

「でも、まだ全員やられたって決まったわけじゃないですよ。
 希望を捨てちゃダメです」

里田の言葉に、稲葉は虚を突かれたように顔を上げた。
自分よりもやや上にある健康的な美貌。
浅黒い顔に浮かぶ決意を見て、稲葉の唇の端が吊り上がった。

「そうですよ。きっとまだ無事でいる人はいますよ。
 あたし達が信じないでどうするんですか。
 がんばって探しましょうよ」

あさみの色の白い丸顔。そこにも里田と同じ決意の色が浮かぶ。

フフ、と笑って稲葉は顔を臥せた。

──なるほど、新しい力……か。
さすがは裕ちゃん。よく鍛えてあるやないの。
あーあ、イヤやイヤや。
トシは取りたぁないもんやね。全く。

「……せやな。あきらめたらアカンな。
 よし! アタシも手伝うで。
 無事でいる奴を一緒に探そう」
「はい!」

稲葉に言われ、里田は笑う。
くっきりとした目がぐうっと下がり、大きな口がぱかっと開く。
大人びた顔が無邪気に笑み崩れた。

しかし次の瞬間、その顔がすっと強張る。

「どうしたの? まい」
「土が……騒いでる」
「まさか新手か? やれやれ、しつこいヤッちゃな」

アフロヘアーをバリバリとかきむしりながら、のんきな台詞を吐く稲葉。
その口調とは裏腹に、全員が一瞬にして臨戦体勢をとった。

ざわ……ざわ……。

姿は見えないが、複数の気配がこちらの様子を伺っているのが分かる。
まるで空気の詰まった風船のように張り詰めた雰囲気。

「来るで」

呟いた稲葉の言葉に呼応するように、黒い影が飛び込んできた。
その数は3。
里田は細く長い指を地につけた。
そこを中心に、ぼこぼこと地面が盛り上がる。
ひび割れたアスファルトを突き破って、中からしゅるしゅると何かが伸びた。

飛び込んできた影達を絡めとったモノ。
ソレはぎしぎしと音を立てて敵を締め上げる。
見た目以上に柔軟な動きを見せる物体。
それは巨大な木の根であった。

『土に愛されし娘』里田まい。
彼女は全ての植物を自在に操る能力を持つ。

「あさみちゃん!」
「まかせて!」

動きを止められた影に白い塊が飛んだ。
鋭く伸びた牙が敵の喉笛を食い破る。
地面に着地したあさみの守護獣は、天に向かって高い咆哮を上げた。

どさり、と影が地に落ちる。
その隣に横たわるのは、りんねの視線によって凍らされた氷塊、
更には稲葉の爆弾で煙を上げる消し炭。

「やった!」

むくり、と影がその身を起こした。
その顔に張り付いているのは、白い──仮面。

「な、コイツラ……まさか!」

起き上がる影の後ろから、同じ仮面が姿を現した。
感情を映さない白い仮面。
夕闇の中から出づるソレは、次第にその数を増していく。

「やばい! コイツは相手が悪すぎんで。
 この場は引き上げや!」
「わ、分かりました!」

三人に指示を出し、稲葉は右手を振るう。
ドン、ひときわ大きな爆発が起こった。
もうもうと湧き起こる煙に乗じて、退魔師達は退却を始める。

煙を突き破り、なおも追いすがる数体の仮面が、真っ白い霜を吹いて凍りついた。

「りんね! ソイツ等にはかまうな! 早いとこズラかるで!」
「はーい」

仲間の後を追おうと振り返ったりんねの足がぴたりと止まった。
目の前には純白のコートを纏った青年。
その陰に隠れるように立つ、白いワンピースを着て俯いた少女。
まるで最初からそこにいたかのように、静かに佇む白い二人。

「え? ええ? な、なに?」

青年は穏やかに微笑んだ。
それは思わずりんねが見とれてしまうような魅力的な微笑。

下を向いていた少女の顔がゆっくりと持ち上がった。
その顔を覆う……髑髏の面。

ばさり、青年の背から音を立てて白い羽根が広がった。

「りんねちゃーーーーん!!」

あさみの悲鳴を切り裂くように、少女の木刀が空気を裂いて振り下ろされた。


 Morning-Musume。 in 


         百 姫 夜 行。 ─ 翔─  


            ―― 第九夜   戦士達の決意

吉澤は一人、憂鬱な顔でドアの前に立っていた。

──りんねさんが……。

敵の攻撃に倒れたりんね。
幸いなことに、命には別状が無かった。
しかし、ついにこの宇宙船の中にいるメンバーからも犠牲者が出てしまった。

敵の攻撃は熾烈を極めている。
その策略によって孤立無援にされた退魔師達。
取り囲む包囲網は着実にその輪を縮めていた。
迫り来る脅威。

吉澤はノックしようと持ち上げた手をそのまま下ろした。
ドアの向こうのパートナーの事を思う。
最近まで、石川はりんね達に訓練をつけて貰っていた。
その相手が傷つけられた。
それも自分と因縁浅からぬ敵に。
きっと酷いショックを受けているだろう。
心優しき少女の胸の内を思うと、吉澤の気持も沈みこむ。

ぐっと扉を睨む。
覚悟を決めた。拳を握りドアを叩く。
中からの返事を待たずに勢い良く扉を開いた。

「梨華ちゃん!」

決死の覚悟で飛び込んだ吉澤。
その耳に飛び込んできたのはデジタルなサウンド。
部屋の主は激しいリズムに合わせて腕を振り振り、腰を振り振り。
聞く者を熱狂させるグルーブ。
狭い空間に響き渡る官能的なトランスミュージック。

あんぐりと口を開けた吉澤の前で、時折奇声を上げながら、
ひとりレイブ・パーティを繰り広げる石川。

「り、梨華…ちゃん……」
「あれどうしたの? よっすぃー」

ようやく吉澤に気がついた石川が、きょとんとした顔でを音楽を止める。

「ナニやってんだ。アンタは……」

魂の抜けた顔になった吉澤は、ずるずると床に崩れ落ちた。

「だってさ、こういう時は気分転換しないと」
「だからって部屋の中でトランス踊る事はないと思うんだけど」

笑顔を浮かべる石川を軽く睨む。

「やれやれ、人が心配して様子を見に来てみれば。
 これじゃ、あたしバカみたいじゃん」
「ごめんね。でもいつまでも落ち込んでちゃいられないから」

明るい口調。普段と変わりの無いその態度。
しかし、その明るさに吉澤は何か違和感を感じた。
不審さに顰められた目が石川の手元を見てぴたっと止まる。

──ああ、そうか。そうだよね。

手のひらに爪の跡が付いてしまいそうなほど固く握り締められた拳。
込められた表に出さない思いがその手を小刻みに揺らす。

──変わったな梨華ちゃん。

自信を持てずに、すぐに暗く沈み込んでいた弱気な少女。
しかし、この星に来てからの彼女は何か強いものを手に入れたかのように見えた。
あるいはそれは、あの忌まわしき事件によって失われたはずの、彼女の本来の資質
なのかもしれなかった。

吉澤は石川の手にそっと自分の手を重ねた。
笑顔を引っ込めた石川と目を合わせる。
そのまま、こくりと小さく頷いた。

「……あさみ、泣いてた。まいちゃんも」

静かに石川が呟く。
決して声を荒げるわけでもなく、しかし確かな意思を込めて。

「よっすぃー、わたしは悔しい。
 力のない自分が。みんなを守れない弱い自分が。
 でも、わたしは泣かない。落ち込んだりもしない。
 だって、そんな事したって誰も喜んでなんかくれないから。
 わたしは……わたしはアイツに勝たなくちゃいけない。
 そのためには、まず自分に負けちゃいけないと思うの。
 もう誰も傷つかないように……」
「……うん、そうだね」

──凄いね、梨華ちゃんは。

目の前のパートナーが急に大人になったように思え、吉澤は複雑な気分を感じた。
いつも自分の後ろに隠れていた少女。
彼女は今、羽化しようとしている。
自らの殻を脱ぎ捨てて。

──梨華ちゃんは弱くないよ。あたしなんかよりもずっと強い。

言いようのない思いを抱いたまま、吉澤は石川の手を握り続けた。

──もしかしたら、今の梨華ちゃんにはもうナイトなんて……。

ピーピーピー。
ブリッジからの呼び出し音に吉澤の思考は中断させられた。

「どうしたんですか? 石井さん」
『ヨッスィーさん、チャーミーさん。
 本部から通信が入ってます』

石川に代わってオペレーションを担当している石井リカ──宇宙刑事ピーチーの声が、
スピーカーから響いてくる。

「通信? 本部から? なんだろ、一体?」
『なんだか緊急の用件みたいですよ。
 そちらの端末に回しますね。チャンネルは954です』
「わかりました」

石川がボタンを操作すると天井からディスプレイが降りてくる。
チャンネルを指定されたものに合わせると、軽いノイズの後で映像が映し出された。

「あ、あなたは!!」

画面に現れた男性を見て、二人は驚きの声を上げた。

歳は五十歳くらいだろうか。
油断無く鋭い眼光。
逞しく日焼した浅黒い顔。
鼻の下に蓄えられた髭。

「ほ、堀内長官!!」

それは、元凄腕の宇宙刑事にして現銀河連邦警察長官。
吉澤や石川にとってはまさに雲の上の存在。
『冬の稲妻』の異名を持つ伝説の人物。
堀内孝雄長官こと『宇宙刑事ベーヤン』その人であった。

「あ、あの、なんで長官がわざわざ……」
「残念ながら敵の存在は想像以上だったということだ」

良く通る甘い声が画面から響く。

「彼のカリスマ性を甘く見すぎていたようだ。
 思っていた以上の内通者が内部に紛れこんでいる。
 もはや信用できる人間はほとんど残っていない状態だ」

向こうでも事態はかなり逼迫しているようだった。
伝説の人物を連絡係に使わなければならない程に。

「このままでは埒があかない。
 事態を収拾するためには全ての元凶、すなわち敵の本体を叩く以外に方法はない。
 つまり、我々の命運は君達の働きにかかっているという事だ。
 そこで……だ。君達の元へ助っ人を送っておいた」
「助っ人?」
「安心したまえ。間違いなく信用できる相手だよ。
 既に五木連邦主席にも了解は取ってある。
 三人で協力して、できる限り迅速に敵を逮捕してもらいたい」

──れ、連邦主席って、そんなに大きな事態になってんの!?

三百を超える星系から成る銀河連邦の最高責任者。
ニュース映像でしか見たことのないその細い目を思い出して、
吉澤は頬をひくつかせた。

「私からは以上だ。それでは健闘を祈る」
「あ! ちょ、ちょっと」

慌てる吉澤を尻目に、通信は一方的に切れた。

「ったく、相変わらずだな、もう」
「でも、助っ人が来るなんて良かったじゃない。
 戦力は多いに越した事はないよ」
「まあ、そりゃそうなんだけど……。
 なーんか、イヤな予感がすんだよね。あたし」
「イヤな予感?」

石川の疑問を断ち切るように、再び呼び出し音が鳴り響く。

『ヨッスィーさん、チャーミーさん、連邦の小型艇が着艦を求めてます。どうしますか?』
「来たみたいだね。助っ人さん」
「やれやれ、それじゃ出迎えに参りましょうか」

どことなく重い気分を抱えたまま、吉澤はよいしょと立ち上がった。

「ハーイ! 二人とも元気してた?」
「み、美貴ちゃん!?」

先に出迎えていた石井の後ろから現れた少女。
ボーイッシュなショートカット。
蟲惑的に吊りあがった瞳。
すらりと伸びた長い脚。
宇宙刑事ミキティー──藤本美貴は小悪魔的な笑顔で手を振った。

「助っ人って美貴ちゃんの事だったんだ」
「そ、あたしが来たからにはもう大丈夫よ。
 どーんと任せてちょうだい」
「でも、まさか美貴ちゃんが来るなんて……」

困惑気味の吉澤の前で、藤本はチチチと指を振る。

「言ったでしょ、呼んだらいつでも助けに来るって!」
「いや、誰も呼んでな──」
「それに! この状態を打ち破れる人材なんて、あたしくらいしかいないじゃない!」

つん、と胸を張る藤本。
自信たっぷりなその態度に、吉澤と石川は思わず顔を見合わせる。

「ま、それはともかく。ちょっとヨッスィー!
 来る途中にコンバットスーツのチェックをしたんだけど、何?この装備は!?」
「え? な、何って」
「肩にマイクロミサイル。
 腰と腕には追加装甲。
 脚部ユニットは大型バーニア。
 バックパックも超長時間用に換装されてるし。
 こんなに重装備にしてどうするのよ!」

「い、いや、せっかくの装備なんだから使わなきゃ……」
「何言ってるの! こんなの全然美しくないわ!!
 もっと全体をシェイプアップさせなきゃ!
 これじゃ、ここのフォルムの良さが出ないじゃない。
 肩から胸部にかけてのエッジ。
 胸部ユニットからベルトに繋がる滑らかなライン。
 そしてそこから腰へと抜ける三次元的曲線。
 この優雅なデザインを台無しにするなんて、一体どういうつもりなの!!」
「あ、あの、そ、それは……」
「まあまあ、美貴ちゃん、よっすぃーもいろいろ考えてたわけだし」

ぎろり、藤本はフォローにまわった石川を今度は睨む。

「あなたもよ! チャーミー!!」
「え、ええ!?」
「なによ! このカラーリングは!」
「あ、可愛いでしょ。よっすぃーと区別するために変えてみたの」
「……全身ピンクだなんてどんな趣味してんのよ。
 もういいわ、これもあたしがやります」
「えー、だぁってぇ」
「まったく、このヴァージョンは肩と腕の色彩のコントラストがウリだってのに……。
 そうよ、思い出した。大体、昔っからあなたのセンスはいつも──」

「やれやれ」

石川に絡み始めた藤本からこっそり距離を取り、吉澤は深々とため息を吐いた。

「ここも大分にぎやかになりましたね」

隣を見ると、いつも通りの石井の笑顔。

「……にぎやか過ぎるのもどうかと思いますけどね」
「大人数でいるのは新鮮で楽しいですよ。
 いつもこうならもっとこの仕事続けても良かったのにな」
「え! 石井さん刑事辞めちゃうんですか!?」
「実は昔からやってみたいことがあったんです。小さな夢ですけど。
 今回の仕事が終わったら、それを追っかけてみようかなって」
「そうなんですか……。がんばってくださいね」
「はい。ありがとうございます」

笑顔のままの石井を見て、吉澤も笑顔になる。

「そっか。じゃ早く今回の事件片付けないと」
「そうですね。だからミキティーさんが来てくれて良かったですよ。
 わたしはナビゲートが専門で戦闘力はないですから」
「にしても、この間は人手が足りないって言ってたのに」

確かに敵の本体を叩かなければ事件は終わらない。
しかし、先ほどの通信内容からすればも連邦自体にもかなりの被害が及んでいる。
そんな中、突然の助っ人は予想外であった。

「……それがですね」

急に声を潜めて石井が顔を寄せた。

「どうも、どこ行ってもあの調子だったらしくって」

笑顔を崩さないまま藤本を見る石井。
藤本は腰に手を当て、まだ石川に詰め寄っていた。
既に石川は半泣き状態だ。

「……もしかして、厄介者を押しつけられたってことですか」
「そうとも言うかもしれませんね」

表情の変わらない石井をまじまじと見詰め、吉澤は今日何度目かのため息を吐いた。

「やれやれ」

今回の話を考えた時点(昨年年末)で、助っ人ミキティは登場する予定だったのですが、
まさか本体加入なんて事が起こるとは思ってもいませんでした。
最近、現実が小説を越えてしまって書く側としては大変です。

さて、後半はまだ未定です。済みませんがもうしばらくお待ちください。

「邪魔すんで」
「平家さん……」

ここはホワイトドラグーン船内。
行き場所を失った退魔師達が拠点に選んだ場所。

平家の入った部屋の中にいるのは良く似通った二人。

加護はトレードマークのお団子頭。
辻は長い髪を今日はポニーテールにまとめている。
ゆったりしたワンピースとワンショルダーのオーバーオール。
もちもちした柔らかそうな白い肌と健康的に灼けた浅黒い肌。

決して顔かたちが似ているわけではない。
しかし、お互いの纏う雰囲気。
セットになる事で生まれる空気が、二人を特別なものだと感じさせる。
最初からあつらえたかのような、一対の少女たち。
切り離す事のできない永遠のコンビ。

「どうしたんですか? 急に」
「すまんかったな圭織の事」

ぽつりと吐き出すように平家は呟いた。

「あの穴のこと……なんとなく言い出せ無くってな。
 あんた達に余計な心配させんとこと思うとったんやけど。それが裏目に出てしもた。
 まさか敵にあれを利用されるなんて……。
 こんなことなら……、こんなことならいっそ……」
「なんだぁ、そんなことかぁ」
「は!?」

思わず呆けた顔になった平家を見て、二人の少女は顔を見合わせて笑う。

「気にしなくていいですよ。もう済んだことだし」
「で、でもやな」
「平家さん」

落ち着いた口調。普段と違うその声に平家の動きが止まる。

「うちら決めたんや。もっともっと強くなるって。
 自分の可能性を信じようって。
 それが飯田さんの望みやから」
「圭織の望み? どういうことやねん」

平家の疑問に辻が口を開いた。

「へーけさん、飯田さんはどうしてつれて行かれたんでしょう」
「それは……それはあの娘の力を利用するために」
「そうじゃなくて、どうして飯田さんはスナオにつれて行かれたんでしょう。
 あそこには戦ったあともなかった。
 だいいち、飯田さんには『交神』があった。
 テキが来ることを予感することだってできたはずなのに。
 なのにどうしてあっさりつかまったんでしょう」
「そ、それは」

言葉に詰まる平家に辻はにっこりと笑いかけた。

「多分、飯田さんはわざとつかまったんです」
「な、なんで!? 圭織は何でそんなこと」
「わたし達を”しんよう”してるから。
 どんなにクルシクてもがんばるはずだって」

そう言って辻は加護と顔を見合わせて笑った。

「飯田さん、前にいってた。
 ツライこと、クルシイこと、それをのりこえたとき、人はツヨクなるって」
「だからこれは全部飯田さんが望んだ事なんやと思うんです」

辻の言葉を加護が引き継ぐ。

「飯田さんはきっとこうなる事を知ってた。
 でも、その運命を受け入れた。うちらを鍛えるために」
「飯田さんはのんたちを”しんらい”してる。
 強くなるってしんじてる。
 だからきめたんだ。もう迷わない」 

交互に話す少女達を見て、平家は思わず言葉に詰まる。

「あんたら……」
「これはウチらだけで考えたことじゃないです。
 愛ちゃんも、まこっちゃんも、あさ美ちゃんも里沙ちゃんも。
 みんな気持ちは決まってる。
 強くなって飯田さんを、みんなを取り戻すんやって」
「飯田さんはきっとのんたちを待ってる。
 これもゼンブ自分をブチ破るためのシレンなんだ」

少女たちは目を合わせてゆっくりと頷きあった。
そんな二人を見つめる視線は限りなく優しく、限りなく暖かく。
平家は薄く笑って首を振った。

「ホンマにな」
「え?」
「姉さんがゆうとった。
 新しい力、それが勝負の決め手になるやろう、ってな。
 そうか、あんた達も立派な退魔師になったんやな」
「中澤さんが、そんな事……」

お日様の匂いがしそうな二人の頭を、平家はぽんぽんと二度叩いた。

「そんなら、二人とも圭織の期待に応えられるようがんばらんといかんな」
「はいぃ、張り切っていきましょ!」

部屋の中に笑い声が広がる。
薄皮一枚脱ぎ捨て、輝きを増して見える二人に手を振り、平家は部屋の外へ出た。
扉が閉まると、その表情がすう、と厳しいものに変わる。

「自分をブチ破る……か」

一言呟くと平家は自分の手をじっと見詰めた。

「さて……と」

喧騒から逃げ出した吉澤は、一人通路に立っていた。
目の前には壁一面に映し出された宇宙空間が広がる。

「まだ続いてるのかな」

石川と藤本のやり取りを思い出し、吉澤はくすりと笑った。
だがすぐに表情を引き締めると、再び漆黒の空間に目をやる。
吸い込まれそうな一面の闇。
それを見ながら、吉澤の心は思考の海へと沈んでいった。

──ごっちん。

地球に来て初めてできた友人。
第一印象は最悪だったが、付き合ってみると意外とウマがあった。
壁を作らない性格のせいか、いつも素直な自分を出す事ができた。

その親友が奪われた。

──まさかごっちんが……。

手を合わせたことのある吉澤には、不死の少女の恐ろしさは身を持って分かっている。
まさに最強と言ってよい強さ。
その彼女があっさりと敵の手に落ちるとは。

アイツはやっぱり──

「あ、ヨッスィー。こんなところにいたんだ」
「げ、み、美貴ちゃん」

物思いに耽っていた吉澤は、後ろから聞こえてきた声に身を震わせた。

「やーねぇ、そんな怖いものを見るような目で見なくてもいいじゃない」
「あ、はは……。ねえ、もう終わったの? さっきの話。
 そういや梨華ちゃんは?」
「さあ? なんだか肩を落として自分の部屋に帰ってったけど」
「ああ、そうなんだ……」

最近、落ち込むこともなくなってたのになあ。
石川の身を案じた吉澤は、腰に手を当て首を振った。

「ねえ、ヨッスィー」
「なに?」

のほほんと答えた吉澤を見て、藤本の唇の端がすうと吊りあがった。

「そんなに怖いの?」
「え!?」

予想外の言葉に吉澤は驚いて藤本を見る。

「あんな重装備にしたの、怖いから、不安だからなんでしょ」

こちらを凝視する吉澤からするりと目線を外し、藤本はゆっくりと話を続けた。

「まあ当然だと思うよ。あんな資料見ちゃったなら。
 なにしろ銀河連邦最大にして最凶の犯罪者な訳だし」
「美貴ちゃん……」
「いくら新型装備だからって勝てる気なんかしないよね。
 実際に地球の人たちだってみんなやられちゃってるし。
 ううん、地球の人だけじゃない。
 連邦にしたって好き放題引っ掻き回されてる。
 これはもう、ただの宇宙刑事が一人でどうにかできるレベルじゃないよね」

ひどく整った怜悧な横顔を、吉澤はただじっと見詰めていた。
会話の中に含まれた小さな刺が、容赦なく吉澤に突き刺さる。

「あ、あたしは──」
「知ってる? ミキ、本当は地球に派遣されるはずだったんだよ」
「え?」
「この星に来るってことはものすごく期待されてるってことなの。
 だって銀河の特異点なんだから」
「ちょ、ちょっと待ってよ。
 それってあたし達の報告で分かったことじゃないの?」

吉澤の疑問に藤本は首を振る。

「この星の特異性は一部の人間には以前から知られていたの。
 もちろん、ごく限られた上層部の人間だけだけど。
 あたしは偶々その話を知っていた。
 その頃からスーツの開発スタッフとしていろんな人と会ってたからね。
 だから、あたしはこの星に来たかった。
 だって、この星に派遣されるってことは、何万人の宇宙刑事の中から
 特に選ばれた存在だってことなんだから」
「知らなかった、そんなこと……」
「でなきゃ、いくらなんでもこんな大きな事件、
 新人二人に任せっぱなしな訳ないでしょ」

確かにそれはずっと疑問ではあった。
なぜ本部はこんな無茶な起用をするのか、と。

「凄いでしょ。期待されてるのよ、あなた達は」
「あたしは……。あたしにはそんな──」

吉澤の全身にぐうっと力が篭もった。
固く握り締められた拳。
苦しそうに細められた目。
噛み締められた奥歯。

──あたしは……あたしはそんな凄い人間じゃない。
あたしは何一つ変わっていない。この星に来てから。宇宙刑事になってから。
多分梨華ちゃんは何かを手に入れた。
自分の持つ可能性のひとつを。
それに比べてあたしは……。
あたしは何もしていない。
ただ怯えて無駄な装備を体に貼り付けただけ。

──あたしには自信がない。
梨華ちゃんを守る自信も。
ごっちんを助け出す自信も。
この間、中澤さんには大きなことを言ったくせに。
あたしは……あたしは……怖い。
あたしには……あたしにはできない。

「昔からの悪い癖だよね。
 そうやって自分から後ろに引いちゃうの」

藤本は真っ直ぐに見詰めてくる。
今の吉澤にはその視線を受け止めることはできなかった。

「自信がなくなるとすぐあきらめてしまう。
 ねえ、ヨッスィー。あなたは何が怖いの?
 敵いそうにないほど巨大な敵?
 それとも──」

一度途切れた言葉。絶妙な間を置いて藤本の口が再び開く。

「それとも誰かの期待を裏切る事?」

びくり、吉澤の体が震えた。

「ヨッスィー」

俯いて首を振る吉澤に藤本の冷たい目が突き刺さる。

「戦えない宇宙刑事なんていらないわ」

弾かれたように顔をあげた吉澤は藤本と目が合った。

アーモンド形の吊りあがった瞳。
口元は微笑んでいるがその目が笑っていない。
くっきりとした二重が吉澤を見据えた。

──そう、あたしは怖い。
みんなの期待を裏切る事が。
みんなから信頼されることが。

「あなたは昔からしっかりしてる、って言われてた。みんなから頼りにされてきた」
「違う! あたしはしっかりなんかしてない。
 あたしは……頼りにされるような人間じゃない!」
「そうやって後ろに下がってしまえば楽だよね。
 誰からも期待されなければ、その期待を裏切ることもない」
「だって……だってあたしは強くなんかない。
 あたしは弱い。本当は弱い人間なんだ!」

──あたしはごっちんのように強くない。
梨華ちゃんのように大人でもない。
あたしは……あたしは……。

「そうだよ。ヨッスィー、あなたは弱い」

言葉の纏う温度が変わった気がして、吉澤はゆっくりと顔を上げた。
藤本の表情は先ほどまでと比べて心なしか穏やかに見える。

「でもね、それはあなただけじゃない。
 みんな弱いの。強い人間なんか本当はいないの。
 だからあたしたちは仲間を作るんだよ。
 ひとりひとりは弱くてもいい。
その弱さを補い合う、それが仲間なんだから」
「美貴ちゃん……」

──あたしはみんなの期待を裏切るのが怖い。
いつも強い自分でいたい。
でも本当のあたしは弱い。
だからあたしは……あたしは……。

「うおおおおおおおおおおおおお!」
「な、なによ。突然」

突然叫びだした吉澤。驚いた藤本は思わず後に下がる。
息が続く限り叫びつづけた吉澤は、大きく息を吸うとふうと息を吐いた。

「あー、すっきりした」
「あ、あのねえ……」
「忘れてたよ。あたしバカだったんだ」
「はあ? 何いってんの?」
「バカはさ、難しいこと考えてもだめなんだよね」

にかっと笑う晴れやかな顔をしばらく呆然と見ていた藤本は、
ぐったりとした顔で頭を抱えた。

「まったく、単純なんだか複雑なんだか……」

──仲間……か。
あたしはずっと誰かに頼りにされてきた。
それが普通だと思ってた。
みんなの期待に応えること。
みんなを守ってあげること。
それが仲間の証だと思ってた。
だから、みんなの期待を裏切るのが怖かった。
でも……。

自分の弱さをきちんと認める。それが大事だったんだ。
弱い部分をさらけ出すことができる。
それが本当の仲間ってことなのかもしれない。

「ありがと、美貴ちゃん。あたし……」
「あーあ、いいっていいって。
 どーせ、チャーミーが急に大人っぽくなったから、
 どう接して良いか分かんなくなってたんでしょ。
「ぶ! な、なんでそれを──」
「ホンット子供なんだから。
 いっそのことべったり甘えちゃえばいいのよ。
 チャーミーはあなたにいろんなものをもらったかもしれないけど、
 あなただってあの娘からいろんなものもらったはずよ。
 二人で力を与え合う。それがパートナーってもんでしょ」
「あ!」
「ん? なに?」

──そっか、そうだった。前に矢口さんに同じ事……。

ちっちゃくてセクシーな退魔師。その部屋で聞いた台詞が蘇る。

「それ、前に同じこと言われたよ。
 こっちに来て知り合った人に」
「そう、良い人たちに出会えたんだね。
 ……なんかちょっと羨ましいな。
 あたしはずっと一人でやってたから」
「大丈夫。これからは美貴ちゃんも一緒さ。
 みんなで……助け合っていこう」
「おーお、切り替えが早いねえ。
 ま、でもこれだけは言っておくわ」

茶化すように言った後、藤本は表情を引き締める。

「ヨッスィー。あなた達はあたしの代わりに選ばれたの。
 だから、もっと自信を持たなきゃだめだよ」
「……うん、頑張るよ」

再び微笑んだ藤本に、吉澤も笑顔を返した。

「あ! それともうひとつ。
 ミキの持ってきた新型、下手に傷つけたら……どうなるか分かってるよね」
「ええ! は、はい。努力します……」

ひくり、吉澤の頬が恐怖に引き攣った。

第九夜は後ちょっとだけ続きます。
続きは早ければ明日。遅くとも今週中には更新予定。
ではまた。

すっかり日の暮れた路地。
人気のないその場所を並んで歩く二人の女性。
二人の間に会話は無い。
ただ沈黙だけがその場を支配していた。

「ねえ、圭ちゃん」
「なに」

沈黙を破ったのは矢口の方だった。
隣にいる同期──保田圭を見上げる。

退魔師の生き残りを求めて捜索の途中だった。
成果はない。全くの無駄足だった。
それに──りんねの事は先ほど聞いた。
ぴりぴりとした緊張感が押さえきれずに空気に溢れている。

「本当に……本当に紗耶香は」
「何度も言ったでしょ」

それはここしばらく二人の間でずっと繰り返されてきた会話。
ここにいないもう一人の同期。
治療のために戦線を離れていた市井との、想像もつかない再会。
重くのしかかる非情なまでの運命。

「信じらんないよ。まさか紗耶香が……」

現実のものとして受け止めるには、あまりに大きな出来事ではあった。
矢口の呟きが闇へと溶ける。

「……あの時──」

今でも鮮明に思い出す事のできる場面。
静かに保田は口を開いた。

「そんな! まさか、つんくさんが!」

冷たい風の吹きすさぶ空き地。
衝撃的な言葉に動揺する保田。
顔色ひとつ変えず、タイセーはサングラスを人差し指で押し上げた。

「残念ながら事実や。
 アイツは敵についた。俺たちの敵にな。
 恐らく安倍達を狙ったのも奴の差し金だろう」
「なぜ……なぜつんくさんはそんな事」
「それは分からん。
 ただ一つだけ言える事は、アイツが本気で俺たちをつぶそうとしてるって事や。
 退魔師にとっての最強の敵として……な」
「そんな……」
「俺はアイツを止めなイカン。何があっても。
 そのためには──」
「紗耶香!!」

まるで最初からそこに存在しなかったかのように、闇に消えようとする三人。
保田の悲痛な叫びがあたりに響く。

「市井にはスマンと思っとる。
 でもな、もう全ては始まってしまった。
 今更止めるわけにはイカンねん」
「どうして! どうせなら一緒に──」
「俺等は俺等でやる。
 おまえ達はおまえ達の信じる道を進め。
 ……多分それが全ての答えなんやろうから」
「待って! 待──」

「結局、そのまま紗耶香達は」

矢口の言葉に保田はコクリと頷く。

「追う気にはなれなかった。
 何が何だかもう分からない。
 何が正しいのか、あたし達はどうすればいいのか。
 あたしには……もう……」
「圭ちゃん……」

矢口の目には黒いコートの背中が小さくしぼんだかのように見えた。
言いようのない虚無感。
それが保田の体を捕らたまま離さないでいた。

「一つだけ」
「え?」

俯いたまま、保田がぽつりと呟いた。

「一つだけまだみんなには話していない事があるの」
「なんなの? それ……」
「彼等が残した……たった一つの手掛かり」
「手掛かり?」
「別れ際にタイセーさんが言った言葉。
 ヤツがいる場所のヒントだって」
「な! そんな事なんで黙ってたのさ」
「残念だけど意味が分からなかったの。
 下手に混乱させるのもよくないかと思って」
「それで? どんな言葉だったの?」

矢口に促され、保田は口を開いた。

「ソレは常に汝の傍らにあり。
 しかし決してその顔を見せず。
 輝く狩の女神。
 その胸なる海にヤツは抱かれり」
「何? ソレ」
「だから言ったでしょ。分からないって」

「その答え、私になら分かるかもしれないわ」
「あー! あんた達!!」

突然聞こえてきた声に二人は慌てて振り返った。
そこに立っていたのは二つの人影。
ひらひらと手を振るスレンダーな美貌。
その横にはニコニコと 人懐っこい笑顔。

「ハーイ、元気だった?」
「ちょ、なんであんた達が……」

それはアメリカが生んだサイボーグ部隊、通称『スモール・アーミー』。
”コマンダー”アヤカと”ガンナー”ミカの二人だった。

「シ、CIAがこんなところでなにしてんのさ!!」
「私達の目的はただ一つ。
 宇宙から来た天才犯罪者。驚異的な力を持つ人物。
 ──彼よ」
「さすがね。既にその事もお見通しって訳」
「なんだよ! ヤツの力を利用しようとか考えてんじゃないだろうな!
 ったく、アメリカってのはいつだって自分勝手なんだから」
「単刀直入に言うわ」

矢口の抗議を軽く受け流し、アヤカは真っ直ぐ二人を見据えた。

「ソイツを倒すために協力させて頂戴」
「な、なんですって!?」
「ちょ、ちょっと! どういうことさ?」

思いもよらなかった申し出に保田と矢口は大きな声を出した。

「狙われたのはあなた達だけじゃなかったって事よ」

対照的に静かな口調でアヤカは話し始めた。

「ヤツの手に入れた情報の中には、私達のものも含まれていた。
 ヤツは私達にも干渉してきたのよ。
 あなた達にしたのと同じようにね。
 つまり……アメリカ政府は私達の存在を凍結する事に決定したの」

そう言って自嘲気味に肩をすくめる。

「表向きは軍縮だか、予算の削減だか知らないけど。
 ま、もともと私達はイリーガルな存在だったからね。
 なんの事前通達も無しに命令一つで……よ」

上に向けた手のひらをぱっと開く。
そんなアヤカに矢口は憮然とした表情を見せた。

「悪いけどオイラは信じらんないよ。
 確かにあんたには前に借りがあるけどさ、あまりにもタイミングが良すぎるじゃん。
 裏に何か隠してるんじゃないの?
 第一、どうしてオイラ達のところへ来るのさ。
 他人の手を借りようなんて、あんた達らしくないじゃんか」
「確かにそうね。でも、なりふり構ってもいられないのよ」
「どういうこと?」

保田の問いにアヤカは辛そうに顔を歪めた。

「さっきも言った通り、これは極めて迅速に行われた。
 ……逃げ出せたのは私達二人だけなの。
 他のメンバーは厳重な監視の元で隔離されたままよ」

きっと顔を上げたアヤカは、今までに見せた事のない真剣な顔を二人を向ける。

「だから……だからお願いするわ。私達にも協力させて頂戴。
 仲間を……救いたいの」
「分かったわ」
「圭ちゃん!」

驚く矢口に保田は首を振ってみせる。

「なりふり構ってられないのはこっちも同じよ。
 戦力は多いに越した事はない。
 敵はそれだけ……強大なんだから」
「でも……」
「ありがとう……感謝するわ」

二人のサイボーグは深々と頭を下げた。
納得しかねる顔のまま腕を組む矢口に苦笑しつつ、保田はアヤカに向かい目を細める。

「それに、さっきの言葉の意味を教えてもらえるなら協力する価値は十分あるわ。
 本当にあなたには分かるの? ヤツの居場所が」
「あのリドル(謎かけ)ね。
 『ソレは常に汝の傍らにあり。
  しかし決してその顔を見せず。
  輝く狩の女神。
  その胸なる海にヤツは抱かれり』」

目を閉じ朗々と暗誦して見せたアヤカは、ゆっくりと開いた目を保田と合わせる。

「その答えは恐らく……アレよ」

アヤカはそのすらりと長い指を真上に向ける。
釣られて顔を上げた保田達の目に入ったのは煌煌と照らす青白い輝き。

「常に汝の傍らに……。まさか……答えは……月?」
「狩の女神とはダイアナ。つまり月の女神の事。
 決して見えない顔。それは多分……月の裏側の事よ」

月の自転と公転の速度はほとんど変わらない。
そのため、月は常に同じ面を地球に向けている。
従って地球から月の裏側を見ることはできないのだ。

「胸なる海……月の裏側にはいくつか海があるわ。
 モスクワの海、スミスの海、東の海、南の海。
 でも、そいつのいる場所は多分アソコね。
 うってつけの場所があるのよ」
「それは?」
「ラテン語で『Mare Ingenii』、
 英語では『Sea of Cleverness』。
 日本語に訳せば……『天才の海』」

ぴいんとその場の空気が硬質なものへと変わる。
誰もが確信していた。
理屈ではなく本能で。
その答えが──真実であると。

「圭ちゃん」
「月……か」

保田は再び空を見上げた。
細められたその双眸は猟犬の鋭さ。
目標は与えられた。後はそれに向かって突き進むのみ。
保田の心は退魔師としての強さをすでに取り戻していた。

頭上には白く輝く真円。
冷たい月は静かに戦士達を見下ろしていた。


           第九夜  〜幕〜

「月……か」

中澤を中心に集まったメンバー。
退魔師、宇宙刑事、そして米国サイボーグ部隊。
因縁を超えて居並ぶ面々。
その顔には一様に緊張の色が見える。

別行動をとるタイセーによってもたらされた情報。
謎めいた言葉に隠されたそれは、敵の本拠地を示すものであった。

「保田さんに言われた場所をスキャンしてみました。
 これがその結果です」

吉澤の言葉とともにモニタに明かりが点る。

「これって……島やろか?」

素っ頓狂な高橋の声。
画面の真中にひょっこりと映し出された不鮮明な影。
暗い海にチャプチャプと浮かぶ巨大な物体。
それは中央部分がくびれており、ちょうど半球を二つくっつけたような形をしていた。

「もちろん、こんなものもともと月にはありませんでした。
 明らかに人工物、それもつい最近造られたものですね」

藤本が横から口を挟む。
そちらにちらりと目を向け、中澤は肘を突いた腕に顎を乗せた。

「それで、この宇宙船でここへ突入するのは可能なんか?」
「無理です」
「なんでや?」

鋭い視線が吉澤に向けられる。

「どうやら空間に干渉してるみたいなんです。近づくのは無理だと思います」

体を引き攣らせた吉澤に代わって石川が答えた。

「敵もそこまで甘くはないって事ね」
「んじゃ、どうすりゃいいのさ」

冷静な保田の言葉に、頭の後ろで腕を組み、椅子の背にもたれかかって
足をブラブラさせていた矢口は唇を尖らせる。

「あのぉ、他の道は無いんですかぁ」
「残念ながら、かなり広い範囲にわたって時空間固定フィールド、
 まあバリアみたいなもんですね。それが張り巡らされてます。
 少なくとも月の表面上から進入するのは不可能でしょう」

小さく手を上げて訊ねた加護の質問に石井が律儀な口調で答えた。

「付け加えておくなら、その場所の近く、
 ツィオルコフスキーのクレーターを調査中だった、
 アメリカの研究チームが消息を絶っているわ。
 もちろん、公の場では発表されていないけどね。
 多分ヤツの仕業に間違いないでしょう」
「そんな情報一体どこから……」
「もちろん、ここからよ」

と、アヤカは保田に向かって自分の頭を人差し指でトントンと叩いてみせる。

「ちょっと、軍から追い出されたのに、何でそのコンピュータ使えるのよ?」
「こんな事もあろうかと廃棄される人工衛星にバックアップとってたの。
 何重にもプロテクトかけておいたから見つかる可能性は薄いわね」
「ふん、用意周到ね」
「その割にゃあっさり敵の罠に引っかかったんだな」

矢口の皮肉にアヤカは肩をすくめる。

「それだけ、敵の動きが迅速かつ用意周到だったってことよ」

呟いた言葉に沈黙が落ちる。
それは彼女達だけの事ではない。
この場にいる全員に共通する思いだった。
敵の策略は予想以上のものだった。
全ては後手後手にまわっている。
起死回生の一手、敵の本体との直接対決は残された最後の手段だった。

「なんにしても、問題はどうやってそこへ乗り込むか……やな。
 ま、とりあえず解散。
 なんかあったらまた呼び出しかけるから、それまで待機しとってや」

立ち上がってそう言う中澤の言葉に、ようやくその場の空気がほどけた。

行き場のない思い。
ベクトルを持たない虚しい力だけを残して。


 Morning-Musume。 in 


         百 姫 夜 行。 ─ 翔─  


            ―― 第拾夜   月の裏側

「ふう」

矢口は一人ため息を吐いた。
壁のスクリーンには青白い月が大きく映し出されている。

「すぐそこに見えるのになあ」

もどかしい気持ちを抱え、再びその口からため息が漏れる。

「矢口さん」

後ろからの声に振り返る。
そこには腕を組んで突っ立っている宇宙刑事。

「どしたのさ、よっすぃー」
「なんであの人たちがここにいるんですか」

不服そうな顔に、矢口もああと納得して手を打つ。

「ヤンキー姉ちゃん達のこと?」
「あたし、どうしてもあの人たち信用できないんですけど」
「まあ、一度は敵味方でやりあった相手だしね。
 でもソレはソレ、コレはコレ。ジジョーがあるんだよ色々と。
 それよりさ、さっき一緒に着替えたんだけど、すっごいよ。
 二人ともTバックだぜ、Tバック。
 いやー、やっぱ外人さんは違うよね。
 オイラも今度試して──」
「矢口さん!!」

宇宙刑事の剣幕に、ちっちゃい退魔師は首をすくめた。

「……オイラだって別に納得したわけじゃないけどさ。
 仲間のためだとか言われたら文句言えないじゃんか。
 ま、一度は助けてもらったわけだし、そんなに悪いヤツでもないよ。きっと」
「でも……」
「そうそう、テイキッティージー。あんまり気にしないほうがいいわよ」

後ろから聞こえてきた皮肉めいた口調。
いつの間に現れたのか、当の本人のアヤカが右手を腰に当てた姿勢でそこに立っていた。
まるでファッションモデルのような立ち姿。
タイトなミニから伸びる、すらりと長い脚が艶かしい。

「仲間を助けたいという気持ちに偽りは無いわ。
 それは信じて欲しいわね。
 ねえ、この際わだかまりは捨ててもらえないかしら。
 お互いの信頼関係が無ければミッションは成功しないわよ」

言いながら、これまた完璧なモデルウォークで歩み寄る。
そのまま吉澤を通り過ぎ、矢口の方を向いたまま足を止めた。
その背に向かって吉澤は語りかける。

「何を言われても、気持ちは変わらないから。
 悪いけど、あたしはあなたのこと好きになれそうもない」

言われたアヤカは両の手のひらを上に向け、ハリウッド女優のように肩をすくめる。

「それならそれで結構よ。
 自分の信念を曲げないことは素敵なことだもの」

拒絶の言葉を軽く受け流すアヤカ。
ウェーブのかかった長い髪をかきあげ、斜め後ろの仏頂面を肩越しに見上げる。

「でもね──」

す、とその目が細まる。真赤な唇が妖艶に綻んだ。

「私は貴方の事嫌いじゃないわよ」
「な、な、ななな!!」
「ウフフ、ソー・キュート。とっても良い反応ね。
 初々しくって、ホント……おいしそう……」
「あ、アンタねぇ!」
「あー、よっすぃー。顔が赤いぞ。やーらしー」
「や、矢口さんまでなに言ってるんすか!!」

慌てふためく吉澤にウインクと投げキッスを贈るアヤカ。
それを見た矢口はキャッキャとはしゃぐ。

「いーかげんに──」

大声をあげた途端、艦内に呼び出しの電子音が鳴った。

「あれ? なんだろ? 何かあったのかな?」
「とりあえず行ってみましょう。良い知らせならいいのだけれど」

何事も無かったかのように話を変える二人。
振り上げた手の下ろし場所を失った吉澤は、憮然とした表情で振り返る。
腕を絡ませようと擦り寄るアヤカを振り払うと、矢口の笑い声がまた響いた。

「あーーー!!」

再び会議室に戻った矢口は、良く見知った懐かしい顔を見つけ目を輝かせた。

「彩っぺ! 明日香!!」

元退魔師にして心強い仲間。
石黒彩と福田明日香の二人は、旧友の元気な姿に顔をほころばせた。

「二人とも無事だったんだ!」
「どうにかね。明日香のところに転がり込めたから。
 旦那と子供達は今そっちで預かってもらってるわ」
「そっか。あそこなら安心だね。
 ……って、子供”達”?」
「まったく大変だったわよ。こっちは二人目産んだばっかりだって言うのに」
「えー!? 彩っぺ妊娠してたの!!」
「フフ、みんなをびっくりさせようと思って内緒にしてたんだけどね」
「あはは……そうなんだ。
 ……でもホント……良かったよ。
 オイラてっきり二人とも……」

目を潤ませる矢口の肩に遅れて姿を現した保田が手を置く。
その後ろには既に石川や加護たちも揃っていた。

「それで? 裕ちゃん。全員を集合させた理由は何なの。
 何か新しい情報でも見つかった?」
「ああ、それもとびっきりのビッグニュースや。
 見つかったで……月に行く方法」
「マジで!」

ざわつく室内。その中心に和服を着た福田が歩み出る。

「わたし達がここへ来たのは理由があるの。」

目を閉じたままの福田の言葉に、部屋の中がシンと静まり返る。
盲目の小柄な少女。だがその身に纏う雰囲気は常人と違う何かを感じさせた。

「導かれたのよ……タイセーさんに」
「タイセーさん!? それじゃまさか」
「そう、わたし達ならできるの。
 月への道を作ることが」

再びざわつく室内。
福田に代わって石黒が説明を続けた。

「考えてみて。敵は何度も地球に現れてる。
 でも宇宙船なんかを使ってる様子は無い。そうでしょ」
「あ、はい。そんなものは観測されてません」

石井の報告に石黒は満足そうに頷く。

「ということはヤツは他の方法を使って地球に来ていることになる。
 多分月と地球の空間を繋げてるんでしょうね。
 明日香の念法ならその空間に干渉することができる。
 もともと空間を操るのはこの娘達の十八番だしね。
 ヤツが使ってる道を見つけて他の空間と結びつけてやることができれば、
 後はあたしの針でその空間を固定すればいい」
「でも、ヤツの使ってる道を見つけるなんて……そんな事できるの?」
「向こうにはなっちがいるはずだからね。
 あの娘の念を辿っていけば、多分見つけられると思う」

静かに福田が答える。
泰然としたその姿に吉澤は眉を寄せた。

「でも空間を捻じ曲げるなんて凄いエネルギーが必要ですよ。
 とても個人でどうにかなるような……」
「大丈夫、心配要らないわ。
 こう見えても修行は欠かしてない。
 こんな体になっても力は衰えていないつもりよ」

目の前の少女から発せられる静かな気迫。
その迫力に気圧され吉澤は思わず息を呑んだ。

福田明日香。
最強の念法使いが天才と称した少女。

「とはいえ、いくらあたし達でも好きなところにホイホイ道を繋げられる訳じゃないわ。
 空間が不安定な場所でないとね。
 プラス、力を集中させるのに最適な環境も必要だわ」
「でも、そんな場所どこに……」

その疑問に石黒は悪戯っぽく片頬を上げる。

「あるじゃない。
 長年に渡って異界との繋がりを持っていた場所。
 つい最近塞がったばかりの巨大な穴の開いていた、空間的に不安定な場所。
 力を集めるのにとても適した環境にある場所」
「あー!! もしかして!」
「あの神社の地下ぁ!」

辻と加護が顔を見合わせて叫ぶ。
唖然とした表情で平家が呟いた。

「ちょい待ちーや。あそこは国の管轄下に……」
「もちろん、拝借するのよ。一時的にね」
「やれやれ、思い切った作戦立ててくれるな」

言葉と裏腹に笑みを浮かべて中澤がぼやく。

「圭ちゃん、矢口、それから辻、加護、高橋、紺野、小川、新垣。
 あんた達は明日香と彩っぺを連れて神社の地下へ向かってくれ。
 あっちゃんは、あさみ、里田とバックアップ。
 できるだけ地下に人を近づけんようにしといて。
 ただし、あそこに居るのは普通の人達やからな。
 くれぐれも手荒な真似は避けるんやで」
「了解!」
「向こうへの通路が繋がったら全員で乗り込む。
 後は敵に向かって一直線。
 三人を助け出して全てにケリをつける。
 ええな!」
「よーし! やってやるぞ!!」

ようやく目の前に進む道が示された。
否応も無く士気が上がる。

「ヨッスィー、チャーミー、あたしはバックアップのほうに回るわ」
「うん、頼んだよ美貴ちゃん」
「わたしは船に残ります。後の事は任せてください」
「お願いします。石井さん」

「いよいよだね、よっすぃー」
「うん、やっとここまで来た。
 あともう少し。もう少しで全てが終わる」
「ありがとうよっすぃー。わたしはあなたがいたからここまで来れた。
 本当に……あなたに会えて良かった」
「まだ早いよ。全てはアイツを倒してからでないと」
「うん……そうだね」
「それに……あたしも梨華ちゃんがいたからここまで来れた。
 梨華ちゃんがいたから頑張れた。
 あたしも……梨華ちゃんに会えて良かったよ」
「よっすぃー……」

言葉に出来ぬ思いが溢れる。
吉澤は顔を上げた。
その場に居並ぶ面々。その顔にはそれぞれに決意の色が浮かぶ。

最終決戦の幕明けは、もうすぐそこまで迫っていた。

「静か過ぎるね」

目の前には朱色の鳥居。
もともと閑静だったこの場所は、不気味なほどシンと静まり返っている。

「ここがマークされてるとは思えないけど」
「でも、だからって誰もいないって事は無いと思います」
「考えても仕方ないよ。とにかく先へ進もう」

いつものように行き当たりばったりの作戦。
とはいえ、こっそり忍び込むには人数が多すぎる。

「オイラが様子見てくるよ。高橋、ついて来て」

先行した矢口と高橋。門のところから中を伺う。
しかし、玉砂利の敷かれた境内にも人の気配は全く無い。

「誰もおらんよおですね」
「よし、もう少し奥まで行ってみよっか」
「え、でも……」

渋る高橋を引き連れ、堂々と進んでいく矢口。
きちんと管理はされているらしく、良く掃き清められた境内。
辺りに注意を払いながら真中まで歩を進める。
突然、甲高いブザーの音が鳴り響いた。

「いやぁん、見つかっちゃったぁん。 
 どうしましょぉん」
「……矢口さん、嬉しそうやないすか。
 は! もしかしてぇわざと!」
「しょうがないわねぇん。強行突破! 強行突破よぉん!」
「や、矢口さぁん!」

どこからともなくわらわらと現れる黒ずくめの集団。
どこの管轄なのだろうか。おそろいの制服を着た男達に向かって矢口は走る。

「むふふ、ヒサブリヒサブリ。
 いっくぞ! 聖雷撃!!」

辺りを照らす閃光。雷撃を食らった男たちは抵抗する事も無くばたばたと倒れた。

「ちょっと矢口! アンタ勝手にナニしてんのよ」

合流した保田からカミナリが落ちる。
当の矢口は久しぶりに雷を落とし、スッキリした顔で微笑む。

「いいじゃん。最近、オイラ体動かす事無かったからさぁ」
「ったく、まさかやり過ぎてないでしょうね」
「モチ、ちゃんとミニマムパワーで撃ったよ。
 ま、三十分は目が覚めないだろうけどね」

「つ、辻さん、倒れてる人つついちゃダメですよ」
「ねえ、里沙ちゃん」
「なんですか?」
「この人……うごいた」

横たわっていた男達はむくりと体を起こす。
その顔に張り付く白い仮面。

「ゲゲ! コイツらは!」
「What’s! まさか先手を打たれた!?」

戸惑う退魔師達をゆらゆらと取り囲む仮面たち。

「むむむ、こうなったら」
「強行突破や!!」
「とっぱーー!!」
「……やれやれ、結局このパターンなのね」
「圭ちゃん、相変わらず大変そうだね」

肩を落とす保田に福田が声をかける。
濃い紺の和装。
盲目でありながら、先頭を進む辻加護を追うその足取りにハンデは全く感じられない。

矢口の雷撃、小川の風が前方の敵を吹き飛ばす。
一塊になった一行は、転がるように神社の中へと駆け込んだ。

「どうする?」

ばたんと締めた扉を体全体で押さえ矢口が聞く。

「どうもこうもあらへんがな。アンタラは早う先に行き。
 バックアップはウチラの仕事やで」
「アツコさん……でも──」
「そうだよ、梨華ちゃんたちも先に行って。
 ここはわたし達に任せてよ」」
「まいちゃん……」

「……分かった。それじゃ後は頼んだわよ」
「でも保田さん……」
「いい、加護。全てを終わらせるためには先へ進まなくちゃいけない。
 ……何があってもね」

「ほら、あさ美ちゃんそんな顔しないの。
 もっとしっかりしなきゃ、おんなじ名前として恥ずかしいぞ」
「……あさみさん」
「大丈夫よ、あたしもいるんだし。
 すぐに追いつくからね、よっすぃー」
「うん、待ってるよ。美貴ちゃん」

一瞬の間。
その場にいる全員に共有される思い。
次の瞬間、全てを振り払うかのように退魔師達は二手に別れた。

地下へと降りていく仲間達を見送り、残されたものはメキメキと音を立てる扉を睨む。

「さて、いっちょやってやろうかい」
「よーし、行くぞ! りんねちゃんの敵討ちだ!」
「うぉぉぉぉ!」

ボンバーヘッド。稲葉の能力が密集する敵を扉ごと吹き飛ばした。

どおん、と大きな爆発音が頭上で響く。
しかし先を進む退魔師達は決して後ろを振り返る事は無い。
隠された通路を抜け、螺旋階段をひたすら地下へと向かう。

そこに会話は無い。あるのはただ、前に向かうという意志だけ。
志を受け取ったものができることはただ一つ。
それは進む事。ひたすら前へと。

「そこの階段から地下へ」

一見、普通の床に見える場所に隠された扉。
その下には長い螺旋階段が続いていた。

「よし、みんな行くよ」
「そうはさせません」

不意に割って入った声。
振り返ったメンバー達の目に映る三人の人影。
真中には蟲惑的な肉体を迷彩の戦闘服で包んだセクシーな女性。
その左に金髪を逆立てたボーイッシュな女性。
そして明るい髪を肩まで伸ばしたナチュラルな女性。

メロン──自衛隊特殊機械化部隊の三人は力の篭もった目で退魔師達を睨んだ。

「あんた達……」

「申し訳ありませんが命令です。
 あなた方をこれ以上進めるわけにはいきません」
「どういうことだよ!?」
「問答無用!」

飛び込もうとする自衛隊の足元で地面が不可視の糸に切り裂かれる。

「彩っぺ、みんなを連れて先に行って」
「でも圭ちゃん!」
「言ったでしょ、矢口。全てを終わらせるためには先へ進まなくちゃいけない。
 何があっても」
「オイラは残るよ。
 ……もうヤだよ。置いてかれるのはさ」
「矢口……」
「聖雷撃!!」

再び距離を縮めようとした斎藤に矢口の雷撃が飛ぶ。

「早く行って! みんな!」
「……しょうがないわね。
 彩っぺ、明日香。後は頼んだわ」
「分かった。……無茶しないのよ」

メンバーが階段に駆けこんだのを見届け、保田はゆっくりと向きなおる。

「さぁて、それじゃひさびさに二人で暴れるとしますか」
「いいねぇ。同期の絆、見せてやろうじゃん」
「行くよ! 矢口」
「よっしゃぁぁぁ!」

「なるほど、クローンとは言っても粗悪なコピー。
 本物ほどの不死性は無いようやな」

稲葉の前に崩れ落ちる白い仮面。
その体は二度と起き上がることは無い。
不死の力はやはり選ばれたものだけが得られるものなのか。
クローンの仮面には無限の復活は不可能なようだった。

「とはいえ、数が多いわな。こりゃ」

数回の復活しかできないとはいえ、それを補って余りある敵の数。
ベテラン稲葉の動きにも疲れの色が見え始めていた。

「他の子ともはぐれてしもたし、こりゃやばいかもしれんな」

自嘲気味に頬をゆがめる。

「プロミネンス・ビ────ム!」

七色の光が仮面を一気に吹き飛ばした。
戸惑う稲葉の横に降り立った笑顔の少女。

「じゃっじゃじゃぁぁぁん。松浦亜弥、ただいまさんじょおです!!」
「松浦!? あんた今までどこに」
「実はですねぇ。タイセーさんに助けてもらってまして」
「タイセーさんに!?」

襲い掛かる敵を爆弾で吹き飛ばし稲葉が聞く。

「はい。そぉうなんですよ。
 いやー、ホンット助かりましたぁ。
 もう、エネルギー切れかかる寸前だったんですから」

松浦も光で敵を焼きつくしながらニコニコ答える。

「なあ、ところで聞いてもエエか?」
「なんですかぁ?」
「どうしてアンタはこんな状況なのに新しい装備を着てるんや?」

松浦が身に纏っているのは、今までと違うオレンジの万能鎧。
その独特な袖の形状こそ変化が無いものの、膨らんだ腰周りや
ティアラに似たヘッドパーツなど、細部は大きくデザインが異なっていた。

「ああ、これそのときタイセーさんから頂いたんです。
 あ! そだそだ、見てください。これ色が変わるんですよぉ。
 どうです? セクシーですか? キュートですか?
 ね〜え、アツコさぁん」
「どうでもエエわ! そんなの」

──ったく、みんな若い子には甘いんやから。

擦り寄る松浦を一喝して振り払う。
爆発を食らった敵がいつもよりも多めに吹き飛んだ。

「まあええ、そんならその新型の威力。存分に発揮して来い!」
「はぁーい! 松浦亜弥、いっきまぁーす!」

軽く首をかしげて可愛く決めポーズ。
砂煙を舞い上げて、松浦は宙へ舞い上がった。

矢口に襲い掛かる大谷のローキック。
膝を立ててブロックするが、衝撃は吸収しきれない。
意識が下に向いたところへ跳ね上がるハイキック。
咄嗟に矢口は身を沈めた。
掠めた髪の毛を数本巻き添えにして、足が上へと通り過ぎる。
蹴りの後の無防備な体勢に、電撃のこもった拳を打ち込もうとした矢口は、
気配を感じて慌てて後ろに飛びのいた。
さっきまで矢口のいたところに打ち込まれる鞭。
柴田は表情を変えぬまま再び鞭をしならせる。
しかし、鞭の動きは空中でぴたりと止まった。
絡みついた鋼の糸。保田は黒い手袋をはめた右手をぐいと引く。
二人の間に飛び込んできたのは斎藤。
きらめくものの握られた右手を振るうと、引き合っていた糸と鞭は勢い良く離れた。

「高周波ブレードを使ったナイフです。
 あなたの糸でも斬れますよ」

虫の羽ばたくような音をさせた大型のナイフを構え、斎藤は静かに言った。

「さすがにやるわね。
 自衛隊も伊達に税金使ってないってか」
「へん! まだまだこれからだよ!」

鼻を擦る矢口の横で保田は鋭い目を自衛隊に向けた。

「もう少し……あと少しだけ時間を稼げればいい」

右手の糸を引き寄せ、保田は再び自分に気合を入れた。

階段を降りきった一行の前には、複雑な文様の刻まれた扉が姿を現していた。
前と変わらず静かに閉ざされた扉。
何年もの間、決して開くことなく封じられていた扉。
感慨深げに見詰める辻の肩に、加護はそっと手を乗せた。

高橋とミカが重い扉に手をかける。
巻かれていたはずの注連縄は取り外されたままになっていた。

ミカが歯を食いしばり、高橋の体に鬼の姿が重なると、きしむ音を立てて扉が動き始めた。
ほどなく、そこにいる者達の前に部屋の中の光景があらわになった。
中央に描かれた魔方陣のような円。
何でできているのか分からない、薄暗く自然発光する明かり。

あの時と違い吹き付けてくる鬼気は既に失われている。
すえたような匂いを放つ濁った空気。

部屋の中に全員が入る。
大きな穴の開いていた部屋はそれなりの広さを持っていた。
人数の割に圧迫感はさほど感じない。

中央の円に向かい福田は歩み出た。

「どう? 明日香」
「なるほど、これなら十分ね」

声をかけた石黒に頷きかけ、福田は静かに部屋の中心に向き直った。

「いくわ」

軽く呟いて福田は印を組んだ。
目を閉じたままのその姿が、ぼう、と白く輝く。
ぞんざいな福田の態度と対照的に、残るものは息を詰めてその姿を見つめた。
耳が痛くなるほどの沈黙。
石黒は長い針を構えたまま、じっと盲目の念法使いを伺う。
暖かく柔らかな念の光に照らし出された顔。
そこにはさすがに苦悩の色が見受けられる。
これだけの距離の離れた空間を繋げようというのだ。
例え天才と言え、その負担は想像することさえできない。
ふっくらとした頬をつうと一筋の汗が流れた。

「明日香……」
「見つけた」

耐え切れなくなった石黒が声をかけようとした瞬間、和服の少女は静かにそう告げた。

「サンライズ! シャワーーー!!」

光球が降り注ぎ、地上の仮面達を焼き払う。

「さて、この辺はこれで片付いたのかな?」

地面に降りた松浦は呟く。
ぶすぶすと黒い煙を上げる敵が目に入らないかのような能天気な口調。

突然、その後ろで焼け焦げた仮面の下から無傷の敵が立ち上がった。
長く伸びた爪が松浦の首筋に伸びる。

ぼっ。光弾が撃ち込まれ、白い仮面の額に小さな穴が開いた。

「油断してたらダメよ」

ブラスターを構えて現れたのは藤本。
紫を基調としたキラキラと輝くコンバットスーツを着込んでいる。

「あのぉ、あなたはどなたなんですかぁ?」
「ふ……ん。なるほど」

その質問に答えず、藤本は松浦の足元から頭の先まで、熱い視線を送り込む。

「うーん、いいねぇ、そのスーツ。
 デザインも独創的だし、色合いがとってもキュートだわ」
「でしょぉ、松浦もすっごく気に入ってるんですよぉ」
「特にこの腰のラインなんかホントに良くできてるわ」
「にゃはは、ヘンなところ触らないでくださいよぉ」

誤解を招くような会話を繰り広げる二人に、新たな敵が襲い掛かった。
後ろからくる仮面を、振り返ることなく肩越しに撃ち抜く藤本。

「ったく、邪魔しないでよね」

二人の周りは無数の仮面に取り囲まれていた。
その包囲網に向け、藤本は冷たい視線を浴びせる。

「しょうがない。先にコイツラ片付けようか。
 あなたのことはその後でゆっくり見せてもらうわ」
「はぁーい。じっくり見てくださいねぇ」

暢気な口調をゴングに、再び激しい戦いの幕が開いた。

神社の中。地下へと続く階段の前で対峙する退魔師と自衛隊。
斎藤達から目を離さないまま、保田は矢口に声をかけた。

「そろそろ時間ね。
 矢口、アンタは先に行って」
「ちょ、ちょっと待ってよ、圭ちゃん。
 それどういうことさ。
 いくらなんでも一人じゃ……」
「いいから行って。
 アンタはまだあの娘達に必要なの」

有無を言わせぬ強い口調。

「新しい力。裕ちゃんはそう言ったけど、まだまだあの娘達だけじゃ心もとない。
 誰かが付いててやらなくちゃ」
「だからってなんでオイラが! さっきも言ったじゃん、もう置いてかれるのは──」
「来る!」

風をまいて振るわれた斎藤の拳。
避けた矢口の近くの壁がもろくも吹き飛ぶ。

「ちい! この!」

糸を振るおうとした保田に大谷の蹴りが飛んだ。
腕を十字にして受けたものの、その勢いに大きく吹き飛ぶ。

「今だ! 行け! 柴田!」
「しまった!!」

分断された二人の間をすり抜けて、柴田が階段へと飛び込んだ。

「矢口! 行って! 早く!!」
「っく! 圭ちゃんのバカ!!」

大きく叫んだ矢口は柴田を追って階段に飛び込む。

「頼んだわよ……矢口」

日も暮れかかり、夕日に照らされた境内。
紅く照らし出されたのは、異界の返り血を浴びた色鮮やかなスーツ。
過酷な戦闘、しかしそれに負けない能天気さを持った二人。

「あーあ、ドロドロになっちゃった」
「あ! そおだ。これ終わったら一緒にお風呂にはいりましょお」
「ハァ? なんであなたと一緒にお風呂入らなきゃいけないのよ」
「いいじゃないですかぁ。泡風呂気持ちいいですよ」
「ん、泡風呂かあ……。ちょっといいかも」
「でしょでしょ。背中ながしっこしましょぉ」
「んー、しょうがないなあ。分かった。一緒に入ってあげる」
「やったあ!!」

きゃっきゃとはしゃぐ少女達の足元には、累々と横たわる死体の山。
シュールな光景にも関係なく戦闘は続く。

「それじゃ、もうひと頑張りやりますか!」
「よぉぉぉっし!!」

ごう、と部屋の中に風が渦巻いた。
その中心、少し前まで禍々しき奈落への穴のあった場所に、再び深き穴が開いていた。
しかし、まるで古いビデオを見ているかのように、その存在は不安定にブレて見える。

「彩っぺ」
「任せて!」

打ち込むツボを探していた石黒の手が、くん、と動く。
銀色に輝く長い針が、何も無い空間に深々と突き刺さった。

「穴が……」

ぶるぶると脈動していた穴がぴたりと固定される。
最終決戦の地。月の裏側へと続く道はついに開かれた。

「さあ! みんな早く!」
「でも、保田さんと矢口さんが!」
「この空間は予想以上の大きさだわ。
 あたしの針にも限界がある。いつまでも繋ぎとめていられない。
 さあ! 急いで!!」

「待て!!」

突然の声に振り返る。
入り口には迷彩服の柴田が立っていた。
瞬時に状況を把握したのか、柴田は精神を集中したままの福田に向かって走る。

「明日香!!」
「そうはさせるか!!」
「矢口さん!!」

後ろから飛び込んできた矢口が柴田にタックルをかます。
もつれ合った二人は、そのまま中央の穴へと転がり込んだ。

「矢口さん!」
「……っく、もうダメ。持たない。
 みんな、早く飛び込んで!!」

石黒の言葉に全員が意を決したように穴へと飛び込む。
最後に飛び込んだ新垣の髪の毛が吸い込まれた瞬間、刺さっていた針が弾け飛んだ。

「ここまでか……」
「彩っぺ」
「明日香……。これで良かったのかしら。本当にこれで……」
「後はみんなを信じるだけ。
 わたし達にできるのはそれしか残っていないわ」
「そう……そうだね」

──がんばって、みんな。

既に野球のボールほどの大きさになった穴。
消え行くその穴に向け、石黒は心の中でエールを送りつづけた。

空間が震えたのを感じ、保田は糸を振るう手を止めた。
──終わったのね。
目の前の二人の自衛隊に声をかける。

「どうする? まだ続けるの?」
「いえ、我々に与えられた任務はあなた方を穴に近づけない事でした。
 穴が閉じた今、その任務は終了しています」
「そう……」

静かに戦闘体勢をとく保田に、斎藤は辛そうな顔を向けた。

「申し訳ありませんでした。
 こんな事になってしまうなんて……。
 しかし、我々は自衛官。これも任務なのです。
 それに……」
「人質……でしょ」
「はい、村田一尉が……」

入院中の村田。その命運が握られている以上、彼女達に選択権はない。

「みんな、仲間のために戦ってる。
 そのことに変わりはない。
 悪いのは全て、それを利用しようとするヤツだけよ」
「……ありがとうございます。
 もう任務は終了しました。これからは一人の戦士として協力させてもらいます」
「大丈夫なの? そんなことして」
「我々にも協力者はいます。
 全てヤツの手の内に落ちたわけじゃありません。
 こんな命令はそうそう出せないはずです」
「そう……」

「それに、アイツもいます」
「アイツ?」

斎藤はこくりと頷く。

「はい、どうやらあちらに進入できたようです。
 アイツは我々の中でも一番高い可能性を秘めています。
 今はまだ未熟ですが、今回の戦いで何かを学んでくれれば……。
 いえ、きっと学んでくれる。そう信じています。
 そうなれば、きっと役に立ってくれるでしょう」
「新しい力……そう、そっちにもいるのね。可能性を持ったものが」

保田は顔を上げた。
神社の外にある、見えない月を見上げる。

──あたしのやるべき事は終わった。
後はあの子達の可能性に賭けるしかない。

その顔に浮かぶのは穏やかな表情。
全てを託した退魔師は、ただ静かにその場に立っていた。

保田の視線の先。
太陽の沈んだ夜空に浮かび上がるのは青く輝く月。
決戦の舞台となるそれは、いつもと変わらぬ姿で、
全てを飲み込みただ優しく辺りを照らしていた。


           第拾夜  〜幕〜

「ここは……」

ふらつく頭を振り、石川はゆっくりと顔を上げた。
意識を取り戻した頭が急速に回転を始める。
空間を飛び越える通路。
月へ続くという穴に飛び込んだところまでは憶えている。
それならばここは……。

辺りを見渡すと右手に無機質な壁が並んでいた。
どうやら広い部屋のようなところにいるらしい。
どこに明かりがあるのか、周りはぼんやりと暗く全体を見通すことはできない。

「石川さん!」

声をかけられ石川は振り向いた。
こちらに駆け寄ってくるのは見覚えのある二人。

「紺野ちゃんに新垣ちゃん。
 二人だけ? 他のみんなは?」」
「分かりません。気が付いたらここにいて……」
「そう……。バラバラになっちゃったんだね」
「石川さん、ここは一体どこなんでしょう?
 もしかして……」
「その通り、ここは月の裏側だ」
「な! 誰!?」
「あ、あなたは!!」

冷たい声とともに、闇の中から現れた人影。

肩までの長さの明るい髪。
長い睫毛に猫のような大きな瞳。
通った鼻筋、形の良い薄めの唇、透き通るほどに白い肌。
全てに整ったパーツ。しかし、それが逆にその冷たい表情を際立たせている。

陸上自衛隊特殊機械化部隊。
Member of Lost Original Number──メロン。
迷彩の上下に身を包んだ柴田あゆみは、左手の鞭を軽くしごいた。

「こんなところまで!」

構えを取る退魔師達に柴田はゆっくりと首をふる。

「心配することはない。
 君達の足止めをする命令は終了している。
 ここで戦うつもりはない」
「そ、そうなんですか」

あっけなくそう言われ、石川はかくりと肩を落とした。
信用していいのかどうか分からない。
しかし、確かに相手からは全く殺気を感じない。
第一相手の実力を考えれば、こちらに声をかけることなく全滅させる事も可能だったはずだ。

──それに、そんなに悪い人には見えないしなぁ……。

能天気に石川は考える。

「第一、私には既に次の命令がでているからな」
「次の命令?」
「そう、君達に同行して敵の本体を叩く。
 それが今の私に与えられた命令だ」
「それじゃ、わたし達に協力してくれるんですか」

嬉しそうに紺野が言った。
正直、このメンツでは戦闘力が心もとない。
自衛隊の実力は前から噂に聞いている。
願ってもない申し出だといえた。

「これ以降、私はそちらの指揮下にはいる。
 君達の中で指揮官は誰だ?」
「し、指揮官!?」

聞きなれない単語に目をパチパチさせる三人。

「えっと、リーダーって事ですよね」
「それじゃぁ……ここはやっぱり石川さんに……」
「え! わ、わたし!?」
「だって、一番年上だし……」
「そーですよ! 石川さんお願いします!」
「えー、しょーがないなあ」

紺野と新垣から推薦され、石川はまんざらでもなさそうな表情で頭をかいた。

「分かった。ではおまえが指揮官だな。
 この場の指揮権はお前にある。
 なんでもお前の命令に従おう」
「は、はあ」

表情を変えず柴田が言う。
その冷たい美貌に睨まれ、石川はせっかくふくらんだ小さな自尊心が、
しおしおとしぼんでいくのを感じてた。

──それにしても。

自分たちの前途にそこはかとない不安を感じつつ、石川はふと後ろを見上げた。

──よっすぃー。まさか離れ離れになるなんて思わなかった。

無事だろうか、そう考えて薄く笑う。
心配なんて要らない。
信じているから。大事なパートナーの事を。

例え離れ離れになっても、お互いベストを尽くしていればきっとまた会える。
目指す場所は同じなのだから。

──わたしも頑張る。だからよっすぃーも頑張ってね。

「うあー!! ちきしょ、どこなんだよここは!!」
「吉澤さーん! こっちに道がありましたー!」
「おー! でかした小川! すぐ行く!」

──愛ちゃん。
あたしは今、なんだかよく分からないところにいます。
隣には駆け寄ってきた吉澤さんがいるわけで。
辺りは不思議なほどに光を通さなくて、全てのものがぼんやりとしか見えず、
まるで黒っぽい霧か靄の中を歩いているみたいです。
あたしが指差した先は、通路が長く伸び、今いるところよりも明るくなっているようで。

「よし、行ってみよう」
「……吉澤さん」
「ん? なんだ」
「……みんな、無事でしょうか」

ついそんな気弱な事を言ってしまうのは、愛ちゃんだけでなく、
あさ美ちゃんや里沙ちゃんとも離れ離れになってしまってるせいで。
それがどれだけ不安な事なのか、今身に染みて感じていて……。

「なあ、小川」
「はい」
「高橋とか紺野とか新垣とかと仲良いよな」
「あ……はい」
「信じてるか? あいつらのこと」
「え?」
「あたしは信じてる。あたしの仲間を」

「あたしの知ってるあたしの仲間はこんなことでどうにかなるようなヤワな奴らじゃない。
 だから心配なんて要らない。
 信じてるから。あの人たちのこと。
 今まで一緒に戦ってきた仲間のことを」

そう言ってニヤリと笑う吉澤さんの姿はとても頼もしく見え、あたしの不安は和らぎ……。

──愛ちゃん。
ひとつわかったことがあります。
仲間を信じるってことは簡単そうで難しいことなんだってこと。
愛ちゃんたちのことを信用してないわけじゃない。
でも……それでも……だからこそ。
無事でいてほしいという思いは募ってしまいます。
それはやはり、完全に信用できているのではないということで……。
だから、それが自然とできている吉澤さんはやっぱりすごい人だと思うわけで。
まだまだあたしのようなヒヨッコには敵わない存在だと実感したわけで。

「大丈夫。みんな無事さ。
 すぐに合流できるよ。絶対にまた会える。
 だって目指すところは一緒なんだから」
「……はい」

こくりと頷いたあたしを見て、吉澤さんは見るものを安心させる笑顔を見せ、
ただそれでもまだ問題は残っているのであり……。

「うーん、素敵な言葉ね。
 仲間を信頼するのはとても大事なことだわ」
「あのねえ」

吉澤さんは突然怖い顔になると、横から声をかけてきた三人目に向き直り──。

「なんでアンタがここにいるんだよ!!」
「あら、同時に突入したんだから当たり前でしょ」
「そりゃそうだけど、なんでよりにもよって!!」
「よ、吉澤さん」

──愛ちゃん。
なぜかここには、あたし達の他にCIAの人がいるわけで。
アヤカさんというその人に、吉澤さんはなぜかひどく厳しく接していて。
険悪な二人の間に挟まれて、あたしはひどく肩身が狭いわけで。

「もう、つれないわね。
 そんなに冷たくしなくてもいいじゃない。
 はあ……あの時とは大違いだわ。
 やっぱりあれは遊びだったのね」
「ちょ、あの時っていつの事だよ!
 あ! な、なにすんだ。や、やめ……。
 ちが、違うって小川!
 なんでそんな目でこっち見てんだよ!
 あーもー! こんなメンバーいやだーー!!」

──愛ちゃん。
あたしもこんなメンバーでは先行きが不安なわけで。
もっと仲良くして欲しいと思っていても、なかなか言葉は出てこないわけで。

──愛ちゃん。
そちらは……無事にやっていますか?

「びゅぃあえっくしょい!!」
「うお! きったないな! 高橋!!」

相変わらず豪快なくしゃみを飛ばした高橋に、前を歩いてた矢口は露骨に眉をしかめた。

「やー、誰かウワサしとるんですって」

ずず、と鼻をすすって高橋が答える。

「あー、きっとあさ美ちゃんかまこっちゃんだよ」
「みんなどこにおるんやろな。
 せっかく月に来たってのに人数少ないと寂しいやんか」
「てか、オマエラ今の状況分かってんのかよ!」

スキップを踏んでピクニック気分。
お気楽極楽な二人組を矢口は睨む。

「ナニゆーてんですか。
 月にきてるんですよ、月に。
 はしゃがなきゃウソやないですか」
「なんでそうなんだよ。
 大体アンタラは緊張感ってもんが──」
「ねえ、あいぼん。月ってことはさ。
 うさぎいるかな。うさぎ」
「そらおるやろ。月ゆうたらウサギが餅ついてるのが定番やんか」
「ホント! ののおもち食べたい。
 きなこでしょ、あべかわでしょ、さとうじょーゆでしょ。
 あ! おしることかもいいね」
「あほかオマエラは!
 月にウサギがホントにいるわけないだろ!!
 二人とももうすぐ高校生だろうが!
 ジョーシキをわきまえろよ、ジョーシキを!!」

とうとうブチぎれた矢口が大声で叫ぶ。
しかし辻は別人のように冷たい目で矢口を見詰め返した。

「しってるよ。それくらい」
「ったく、せっかく人が子供らしい無邪気な会話をしてるってのに。
 矢口さぁん、もっと空気呼んだほうがエエですよ」
「うっわ、ホントむかつくわコイツラ。
 よし! 決めた! 殴る!」
「ちょ、ちょお待って矢口さん。落ち着いて」

慌てて後ろから矢口を抱えるようにして高橋が止めに入る。

「止めるな! つか、高橋! おまえも何とか言ってやれ!」
「あ、あの、あたしはあんころもちが」
「ちげーよ!
 だれが好きな餅の話してんだよ!」

そのやり取りを見て、辻と加護はまたけらけらと笑う。

「まあまあ、ミナさんナカヨクしてクダサイ」

てんやわんやなメンバーをとりなしたのは、星条旗柄のバンダナを頭に巻いた女性。
西洋の血が入ったくっきりとした目鼻立ち。小柄ながら、ボリューム感あふれる体。
米国サイボーグ部隊、”ガンナー”の異名をもつミカ・トッドは人なつこい笑顔を浮かべた。

「だってミカちゃん、矢口さんが悪いんだよ」
「そーそー、ミカちゃんもなんとかゆーてーな」
「おいマテ。いつの間に馴染んでんだよオマエラ」
「だってミカちゃんエエ人やし」
「そーだよ、だってののにチョコレートくれたもん」

ねー、と顔を傾けあう二人。

「ったく、あっさり食べ物で釣られやがって。
 ゆっとくけど、オイラはまだ信用した訳じゃないからな」

睨む矢口の視線をミカはふんわりと笑顔で受け止める。

「とにかく、今はケンカしないで先に進みまショウ。
 きっとこの奥にテキのホンキョがあるハズですから」

実に正当、かつ有効な言葉。
さすがの矢口も二の句が告げない。

「なー、やっぱミカちゃんの方がリーダー向きやって」
「矢口さん、たよりないもんね。おばけニガテだし」
「ウチラよりもちっちゃいしな」
「うっさいよ! オバケがキライなのもちっちゃいのも関係ないだろ!!」

「あ、ミカちゃんアメあげるね」
「OH! アリガト。辻ちゃんは優しいコだね」
「へへへ」
「あー、ミカちゃん、加護は?」
「カゴちゃんもいいコだよ」
「ホント! やったあ!」

「……無視かよ。くっそー、オマエラ。
 いいよ、そんなにソイツがいいなら勝手にしろよ!」
「大丈夫。矢口さんにはあたしがいますって」
「なあ、高橋……」
「なんスか」
「いいかげん抱きついたままでいるのはやめろ」

先ほど抱きついた体勢のまま、まるでぬいぐるみを抱っこするように矢口を抱えている高橋。
矢口の足はぷらぷらと宙に浮いていた。

「や、だってぇ、矢口さんちっこくってカワイイから」
「うっさい! ちっこい言うな!」
「うーん、そんなところもカワイイですよ」

高橋はそう言うと、抱きついたまま矢口をぶんぶん振りまわす。

「やめろバカ! 離せ! つーか下ろせ!!」

じたばた暴れる矢口。
辻と加護はお腹を抱えて大笑い。

──ホント、もうカンベンして……。くそ、圭ちゃん上手い事逃げたよなあ。

ちっちゃな苦労人、矢口の子守りはまだ終わらない。


 Morning-Musume。 in 


         百 姫 夜 行。 ─ 翔─  


            ―― 第拾壱夜   三つの戦い

ぶっちゃけ「北の国から」って見たことないわけで。
使い方間違ってるのはわざとですけど。

時間が取れないのとネタ切れの所為でまたしばらく開くかもしれません。
すみませんがまたしばらくお待ちください。
それと、羊のほうで投票していただいた方ありがとうございました。
予想外に高い順位にびっくりしてます。
少しでも期待に応えられるよう頑張ります。

ではまた。

地球からはるか38万キロメートル離れた衛星──月。
決して地上から見ることのできないその裏側。
隠された場所の更にその奥、顔をつき合わせているのは四人の少女達。

「さて、どうしますか? 石川さん」
「そうねえ……」

新垣の質問に眉をハの字に寄せて考え込む石川。

「とにかく先へ進みましょう。
 みんなとも早く合流したいし。
 それでいいかな? 紺野ちゃん、新垣ちゃん」
「あ…はい。
 あのー、石川さん。わたし達…年下ですし、名前……呼び捨てでいいですよ」
「そーですよ! 石川さんはなんてったってシキカンなんですから!」

どことなく楽しそうな紺野と新垣に言われ、石川は人差し指を口に当てて首をかしげる。

「そお? じゃあ、紺野……新垣。それに……柴田……さん」

案の定、最後がグダグダになった石川に、若い二人は顔を見合わせてやれやれと首を振る。

「だぁってぇ。
 やっぱり……出会ったばっかりだし、
 なんていうの……その…遠慮ってもんがあるでしょ」
「指揮官が余計な気を使う事は無い。
 そんなことでは戦場では生き残れないぞ。
 指揮官の命令にはどんな事があっても従う。
 それがどんな命令であっても。
 チームとはそういうものだ」

当の本人から冷たくそう言われ、石川はほおとため息を吐いた。

「ねぇ、あなたも女の子なんだからもっと可愛い言葉遣いしたほうが良いと思うよ」
「それは命令か?」
「あのねぇ」

石川はがっくりと肩を落とす。

「女らしさか」

それを見てさすがに気が咎めたのか、柴田は少し困ったように腕を組んだ。

「その……可愛いとか……よく分からないんだ。
 小さい頃にバイオソルジャーとしての適性が認められてから、
 ずっと普通の子達とは違う生活をしてきたからな」
「それじゃ、おしゃれとかしたこともないの?」

当然といった顔で柴田は頷く。

「小さい頃からこう育てられてきた。
 父も自衛官だったしな。
 毎日、戦う事だけを教えられてきた。
 こういう生き方しか……知らないんだ」
「もったいないなあ、せっかく美人なのに」

人形のように整った容姿。
雪のように白い肌。
スラリとした肢体には無骨な戦闘服は似合わない。
石川は頭の中で、目の前の美少女をリボンたっぷりの洋服で着飾ってみて、
ひとりニヤニヤと悦にいってみた。

「だから、その命令に逆らうわけではないが、命令を実行することはできないんだ」
「いや、あの、だから命令ってわけじゃ──」
「あのぅ……笑えばいいと思いますよ」
「笑う?」

突然会話に加わった紺野を、柴田はびっくりしたように見た。
話し掛けた当の本人も、なぜかびっくりしたような顔で見詰め返す。

「そうです。笑顔です。
 素敵な笑顔になるように。
 みんなの笑顔を見るために。
 そのためにわたしたちは戦ってるんですから。
 笑顔……それがわたし達の存在理由なんです」

真顔でそう言う紺野の顔を、まじまじと柴田は見詰めた。

「笑顔が存在理由か。面白い子だな君は」

そう言って、ほんのわずかに相好を崩す。

「ここに来るとき、斎藤一尉に言われた事がある。
 君達と出会うことで、きっと私には学ぶべきものがたくさんあるだろうと。
 もしかすると、これもそのひとつなのかもしれないな」

紺野の肩に手を置いた柴田は、穏やかな声で話し掛けた。

「これからも私に色々と教えてくれないか」
「はい、いいですよ」
「ああ、よろしくお願いする」

ぴしり、と空気が鳴りそうなほどきっちりした敬礼を見せる柴田。

「あ、あの、そんな堅苦しくしなくても」
「しかし、君は私の教官になるわけだし」
「きょ、教官……ですか?」
「すっごーい! あさ美ちゃん、教官なんだ。
 紺野教官って呼んだげるよ」
「や、やめてよ。里沙ちゃん」

慌てる紺野に新垣の笑い声があがった。
硬かった雰囲気が和らぐ。
柴田の頬にもわずかながら笑みが浮かんでいるのを見て、石川も笑顔に変わる。
これなら大丈夫だろう。
心配されていたチームワークもどうにかなりそうだ。
急造の指揮官はほっと胸をなでおろした。

『ようこそ、美しくも凛々しき退魔師の皆さん』

どこからともなく聞こえてきた声に、四人は身を硬くした。

「……この……この声は……」
「石川さん。どうしたんですか」

辛そうに顔を顰める石川を、紺野は心配そうに見やった。

『まずは君達の素晴らしい行動力に拍手を送らせて貰おう。
 私の予想より、2,576分も早くここに到着するとはね。
 それでこそ、私の見込んだ人材だ。実に素晴らしい』

声はたっぷりと感情を込めてそう続けた。
高すぎず、低すぎず、すんなりと耳に馴染んでくる声。
こんな状況であっても、敵であることが分かっていても、
誉められた事がつい嬉しくなってしまう。そんな声だった。

『さて、さっそくだが、本題に入るとしようか。
 君達にはひとつ、ゲームを用意させてもらった。
 私と君達の間で行われるゲームだ。
 ぜひこのゲームに参加して欲しい』

「げーむ?」

不服そうに眉を寄せて新垣が呟く。

『なに、ゲームといっても簡単なものだよ。
 君達の今いる位置から先に進んだところに、私の捕らえた君達の仲間がいる。
 制限時間内に彼女達を取り返すことができれば君達の勝ち。
 できなければ私の勝ち。どうだい? 簡単なゲームだろう』

「ふっざけんなよ! 目の前まで攻めてこられてるってのに何がゲームだ!
 おまえにそんな余裕なんてあんのかよ!!」

吼える吉澤。その迫力に押され、小川は不安そうな顔で宇宙刑事を見上げる。
その声がまるで聞こえていたかのように、静かな口調で声は続けた。

『ひとつ断っておくが、君達を全滅させる事は簡単な事なんだよ。
 ここは月の裏側だ。どこにも逃げ場はない。
 ここで、この基地ごと君達を爆破したらどうなると思う。
 私を追い詰めたつもりかもしれないが、同時に君達も一箇所に集められた事と同じなんだ』

「んにゃろ! 苦し紛れに。
 そんなことでき──」
「できるでしょうね。彼なら」

冷静なアヤカの声に、吉澤の勢いが止まる。

「ここは宇宙空間。いくら私達でも外に放り出されて生きていけるほど無茶な体はしてないわ」
「そ、そんな! それじゃ──」
「心配要らないわ。彼はそんな事はしない。
 私の計算では、彼の目的は私達を殺す事ではないから。
 いえ、むしろ生かしてこそ意味のあるものなのでしょうから」
「……どういうことですか?」

訊ねた小川に答えるように、声が再び辺りに響き始める。

『君達の仲間。
 念を使う少女。その生命のエネルギー。
 不死の少女。そのタナトスのエネルギー。
 そして、光の巫女。その無尽蔵な霊的エネルギー。
 素晴らしい力だ。さすがは銀河の特異点。
 この三つを使えば、時空そのものを揺り動かす事も可能なんだよ』

「時空を? 一体何考えてんだ! コイツ!!」

悲痛な表情を見せる高橋の横で、矢口はイラついたように拳を手のひらに打ちつけた。

『君達の敵。妖魔とは一体何か。彼等はどこから現れるのか』

唐突に声は話題を変えた。

『彼ら──妖魔は君達とはかけ離れた存在に見える。
 しかし……だ。彼らの遺伝子配列は君達人類と非常に酷似していた。
 同じといっても差し支えないほどにね。
 何故だと思う?
 そう、彼らはもうひとつの人類だからさ』

ぽかんとした顔を見合わせる辻加護。
そんな二人にはお構いなしに、声は淀みなく世界の秘密を紐解いていく。

『妖魔とはアナザー・ディメンションの住人だ。
 君達の住むこの世界とは少しずれたところにある別世界。
 銀河連邦で言うところの時空とはまた違う。
 もうひとつ高次元の平行世界。
 分かるかい? 彼らはもうひとつの君達。
 もしかしたらこうなっていたかもしれない、君達の別の可能性なんだよ』

「ジーザス……」

呟いてミカは胸の前で十字を切る。

『彼らは別の可能性として様々な能力を手に入れた。
 全てを引き裂く爪。何ものをも跳ね返す皮膚。自在に変えられる体。
 ほんの少しの可能性の違いが、それだけ大きな変化をもたらしたんだ。
 実に興味深い話じゃないか。
 それだけじゃない。並行する世界は互いに影響を与え合う。
 世界が近づくとき、物理法則が交じり合う一瞬がある。
 その時、異なる世界の力がこの世界に影響を及ぼし、異質な力を持ったものが生まれる。
 この世の法則に左右されない不可思議な力を使うもの。
 そう……君達のような存在がね』

「そんな……あたし達は……あたし達の力は……」

うつむく小川の肩にアヤカがそっと手を置く。

『無数の平行世界が絶妙なバランスで絡み合っている場所。
 それが地球という星の実態。特異点の正体なんだよ』

無情なまでに冷静に、声は全てを語り終わった。

『さて、話を戻そう。
 最強の力を持った三人。
彼女たちの力を使えば、君達の世界と平行世界を完全に重ね合わせる事ができる。
 そうなればどうなると思う?
 世界の境はなくなり、二つの世界はひとつのものとなる。
 全ての可能性が一つとなった世界。
 人間達と妖魔が、同時に存在する新しい世界が生まれるんだよ』

「そ、そんな事になったら……地球は……オイラ達の世界は!!」

矢口の声が無情にこだまする。

『無論、今の人類で生き残れるものは少ないだろう。
 いや、もっとはっきり言おうか。
 君達の今の世界は──破滅する。実に簡単にね。
 それを止めたいならば、先へ進みたまえ。
 君達の進む先には、それぞれ捕らえられた君達の仲間が待っている。
 彼女達を助け出す事ができれば、それで世界は救われる』

「なんで! なんでそんな事!!」

高橋が叫ぶ。

『恐らく君たちは疑問に思うだろうね。何故私がこんなことをするのか、と。
 答えは簡単だよ。
 それは刻み込むためだ。
 君達の心に。
 恐怖を。
 憎しみを。
 守るべきものを守れなかった無念を。
 君達のような強い力を持った存在の記憶に残る。
 実に名誉あることだよ。これぞ、存在するという事だ』

「ひどい……そんなことのために……」
「あいぼん……」

『さあ、ゲームを始めよう。
 おっと、言い忘れていたが、時間制限をつけさせて貰うよ。
 月が日本の中天にかかるまで。
 それだけの時間があれば、世界を重ね合わせる準備も整う。
 タイムリミットは、後三時間だ。
 それでは……健闘を祈るよ』

始まったときと同じように唐突に声は消えた。
あまりのことに誰も一言も発しない。

「また……またこんなことを。
 人の気持ちをなんだと思っているの」
「石川さん……」
「最強にして最悪の犯罪者か。
 確かに狂っているな。
 あんな目的のためにここまでのことをするなんて」
「あたし許せないです!
 安倍さんを……みんなを助けましょう!」
「行こう。こんなことさせちゃいけない。
 絶対にアイツを止めなくちゃ。
 これ以上、誰かを悲しませる訳にはいかない」

顔を上げた石川に浮かぶ決意の表情。
残る三人もそれを見て大きく頷く。

自分のエゴのために世界を滅ぼそうとするもの。
その狂気を止めるべく少女達は戦いに身を投じる。
守るべきものを守るために。
心からの笑顔を取り戻すために。

声に導かれるまま、通路を進む小さな小さな少女が五人。

「ん? どうした辻」

急に立ち止まり、表情を硬くした辻に矢口が訊ねた。

「この先に……飯田さんがいる」
「圭織が!?」

辻の視線の先にはまっすぐに続く通路。
通路は全体に薄暗く、その向こうがどうなっているのかはっきりとは分からない。
声が聞こえてから、かなりの距離を歩いてきた。が、未だに敵が現れる様子はない。
といって、盟友の気配もない。少なくとも矢口には何も感じ取れない。
この師弟だけに分かる特別な何かがあるのだろうか。

「ちゃうちゃう関西弁はそんなんちゃう」
「OH! チャウチャウ?」
「チャウチャウちゃうんちゃう?」
「うっさいよ! オマエラ!」

この期に及んで緊張感のないメンツに矢口は大声を出す。

「いこう。飯田さんを助けなきゃ」

そんなやりとりも耳に入っていないかのように、辻は静かに通路を先に進んだ。
毅然としたその態度に呑まれたのか、残るメンバーも神妙な顔でその後に続く。
果たして辻の言葉通り、少し進むと大きな扉が現れた。
ここまで分かれ道はなかった。敵の指定した場所はここで間違いないのだろう。

いよいよ決戦の時が近づいている。
矢口は腕にはめたグローブをかちゃりと鳴らし、腰に下げていたトンファーを抜いた。

部屋の中は思っていた以上に広かった。
なによりも天井がびっくりするほどに高い。
まるでどこかのコンサート会場のようだ。
あまりに大きな舞台に、自分たちが小人になってしまったのではないか、
という疑問さえ湧いてくる。

「あ! あれは!」

叫んだ高橋の指の先。
薄暗い室内にぼんやりと浮かぶもの。

「飯田さん!」
「圭織!」

飯田は透明なガラスケースのようなものに閉じこめられていた。
ケースの中は、やや青みがかった液体で満たされており、
時折下の方からぽこりと気泡が浮かび上がる。
液体はそれ自体が、淡い光を発しているように見えた。

ぬめるような光に浮かび上がる飯田の体。
目を閉じ、意識をなくして見える光の巫女は、
このような仕打ちを受けてなお、妖艶なまでに美しく見えた。

「ちっきしょ、ひどいことしやがって! 
 待ってろ圭織、今助けてやるからな」

捕らわれた仲間の元へ駆け出そうとした足が、どこからか聞こえてきた異音に止まる。
何かがこすれあうような耳障りな音。
徐々にその音が大きさを増していく。

「な、なんだこの音」
「あ、あれは!」

加護の声に指された先を見る。部屋の中央が陽炎のようにぼんやりと揺らいでいた。
どうやら音はそこから聞こえてくるようだ。
空間がうねっている。きしみをあげ、捻れた部分から何かが現れようとしていた。

「妖魔!?」

裂けた空間から現れたもの。それは恐ろしいまでの質量を備えていた。

「な、な、なんじゃありゃあ!」
「OH! Jesus!」
「うわ、でっかいよ! これ! くじらかゴリラみたいだ」
「象は来ないの?」
「来ねーよ!」

地上から10メーターほどの位置にある大きな口には、鋭い歯が並んでいた。
腕にあたる前脚は小さく、逆にその体を支える後ろ脚は恐ろしく太い。
ごつごつした堅そうな皮膚。ギザギザの背びれ。
丸っこい頭で光る目は、どう猛な色をたたえている。
五人の前に現われた敵。
それは直立して歩く、巨大なは虫類の姿に似ていた。

「こ、こんなの反則やんか。どないして倒せっちゅーねん」
「でも、コイツをたおさないと飯田さんが」
「そですよ。いくらでっかくっても、みんなで力を合わせればなんとかなるやろし」
「Yes ガンバリましょう!」
「よっしゃ! いっちょやるぞ!」
「おー!」

雄叫びとともに飛びかかる面々。

辻の呪符が太い脚に張り付く。ごう、と音をあげて符が燃え上がった。
逆の脚には加護が飛びつき、のばした如意棒を振り下ろす。
ミカの全身から打ち出された無数のミサイルが、妖魔の体で爆炎をあげた。
湧き起こる白い煙を割って、鬼の腕をまとった高橋の拳が打ち込まれる。
さらには矢口の雷撃。巨大な妖魔の全身が青白く光った。

鈍重な見かけ通り、敵は動きが鈍かった。
きれいに散開し、それぞれが息のあった波状攻撃を見せる退魔師達。
しかし、敵はダメージを受けているように見えない。
巨大にして重たげな体。
妖魔が身動きするだけで、部屋全体がびりびりと震えをあげる。

攻撃し続けてはいるものの、退魔師達の顔には焦りの色が浮かんでいた。
気を抜くと、あの大きな脚に踏みつぶされてしまいそうだ。
ぺちゃんこにされないよう気をつけながら、ちょろちょろと走り回る様、
それはまるで、小さなハムスターがじゃれているかのようだった。

「ちっきしょ、こんなんじゃラチがあかないよ!」

叫ぶ矢口に妖魔は顔を向けた。
すう、と息を大きく吸い込む。
ぴかぴかと、まるで蛍のように、とがった背びれの外周が光を放った。

「まさか……。やべ! みんな! 散らばれ!」

矢口の叫びで、全員が一気に散開する。
その中心に向け、妖魔の口から青白い炎が吐き出された。
薄暗かった部屋が、真昼のように照らし出される。
間一髪避けた矢口のスーツがじりじりと音を立てた。

炎は予想以上の熱量を持っているようだった。
まともに炎を受けた壁は、真っ赤に溶けてその形を変えていた。
それを見た矢口は、ひくりとほほを引きつらせる。

「どうしろってんだよ、こんな相手……」

助け出すべき仲間を目の前にして、矢口達はこれ以上ないほどの巨大な壁にぶち当たっていた。

「あれは!」

新垣の声に、歩き疲れてうつむいていた石川は顔を上げた。
いつまでも続くかと思われた通路の先。しかしそこには重たげな扉がそのゴールを示していた。

「あれが声の言っていた場所なんだろうか」
「さ、早く行きましょう!」
「あ、ちょっと待ってよ」

ずんずんと、勢いよく前に進む新垣を見て、石川はとまどいの表情を浮かべていた。
先ほどの声を聞いてから、新垣の小さな顔には、なぜか気合いが増している。

「どうしたの? 急に張り切っちゃって」
「だって、この先に安倍さんがいるかもしれないんですよ」
「安倍さん?」

首をひねる石川に、紺野が代わって答えた。

「あの……里沙ちゃんは安倍さんに憧れてるらしいんです」
「憧れてる?」
「はい。詳しくはわたしも聞いてないんですけど、昔何かあったらしくて。
 里沙ちゃんが退魔師になったのも、安倍さんが原因なんだって……」
「そうなんだ……。それで……」

その会話の間にも、新垣はそそくさと、ひとりで扉を開けていた。

「安倍さん!」

扉を開いた新垣がまた叫んだ。
広い部屋の向こう側には、ガラスケースの中に捕らわれた安倍の姿。
ぬめるように光る水の中に、念法使いの少女はゆらゆらと眠るように漂っていた。

「待って! 里沙ちゃん!」

勢いよく飛び出した新垣に、紺野が大きな声をかける。
しかし、走り出したその足は止まる様子がない。

「危ない!」

声とともに、柴田の手から何かが飛んだ。
ひゅんと風を切って、柴田の鞭が新垣の細い足にからみつく。

「わ、わわわ!」

ぺしゃんと、豪快にすっころぶ新垣。

「いたた……なにするんで──」

顔を上げた新垣は、目の前のものを見て息を呑んだ。
そこには、いつの間にか地面に突き刺さった一振りの木刀。

「な、な、な」
「残念。せっかく長いこと待ってたのに、あんまりおもしろいメンバーではないわね」
「だ、誰!」

ゆっくりとこちらへ歩いてくる少女。
その身を覆うのはシンプルな白いワンピース。
その顔を覆うのは……真っ白い髑髏の仮面。

「その格好……。りんねさんをあんな目に遭わせたのはあなたね!」
「さあ、どうかな? もう忘れちゃった。
 たくさん、たくさん、いろんな人間を倒したからね。
 それに、強いものが弱いものを倒すのは当たり前のことでしょ」

仲間のところへ戻った新垣と入れ替わるように、少女は木刀の前に立った。
床に食い込んだ木刀を、何の苦もなくするりと抜き取る。

「許さない。簡単に人を傷つけるような、あなたみたいな人。
 ……絶対に許せない」
「だったらどうするの?
 あなた達にわたしが倒せるかしら?」

少女は木刀を握っていない手を仮面にかけた。
手が下がると、その素顔がゆっくりとあらわになる。

「安倍さん……違う、誰?」

現われた顔は念法使いのものとよく似ていた。
暗い色の髪は、見知ったものよりも少し長い。

「わたしは麻美。安倍なつみの……妹よ」
「妹? 安倍さんに妹が?」
「お姉ちゃんはわたしのこと覚えてなかったみたいだけどね。
 ま、でもそんなことはどうでもいいわ。
 さあ、いらっしゃい。
 お姉ちゃんを取り返したければ、わたしを倒すことね。
 ……できるのならば」

ふわり、と白いワンピースが翻った。

「うおりゃ!」

真っ赤なコンバットスーツが、白い仮面を吹き飛ばす。
さらに詰め寄ってくる敵の囲いから、吉澤は青い体にフォームチェンジして抜け出した。
わらわらと湧いてくる仮面の集団に、高出力のブラスターを立て続けに撃ち込む。

「どうだ!」

吹き飛ぶ敵を見据え、宇宙刑事は大きく見得を切った。

「右30度。水平に」
「はい!」

アヤカの指示通りに、小川のかまいたちが音をあげて飛ぶ。
仮面の身にまとっていた紫のマントが、大きく切り裂かれた。
これ以上ないほどのベスとな角度で攻撃を受けた仮面達は、
声を上げることもなく、ばたばたとその身を地に伏せる。

「OK、とっても上手よ。いい子ね」
「は、はい」

しかし、倒れたうちの何体かは、呪われた生命を示すように再び立ち上がってくる。

どぉん、と雷が鳴るような音がした。
立ち上がりかけた仮面の頭が、内側から弾けたように吹き飛ぶ。
目を丸くしえT耳を押さえた小川の横で、長い銃身の先から白い煙が立ち上った。
アヤカがいつの間にか取り出した拳銃。それは拳銃というにはあまりに巨大な代物だった。

マグナム500。
米銃器メーカーの「スミス&ウエッソン社」が、「マグナム44」を超えるべく作り出したハンドガン。
1発の弾丸で熊でも牛でも射殺できる、「民生用」では史上最強の殺傷能力を持つ武器である。
銃身だけで20センチ以上、重量、実に72・5オンス(約2・05キロ)の鉄の固まりを、
アヤカは楽々と片手で振り回す。

隣で立ち上がりかけたもう一体も、同じように頭を吹き飛ばし、
アヤカはばさりと髪をかき上げた。
そこでふと、ぼけっと口を開けたまま、こちらを見ている小川に気が付く。

「なに?」
「や、なんか、かっこいいなあって思って」

こんな状況下でも、のほほんと照れたように頭をかく小川を見て、
アヤカも思わずくすりと笑った。

「あたしもがんばらないと。保田さんと約束したんだし」
「ケイと?」
「保田さん、あたしに言ってくれたんです。
 あたしにはまだ可能性があるって。もっと強くなれるって。
 だからもっと自信持ってがんばれって。
 そう言ってこれくれたんです」
「それは?」
「お守りです。保田さんの糸、入れてもらって。
 ハハ、なんかあたし、保田さんと同じ匂いするって言われちゃって。
 だからあたし、がんばらなきゃ。保田さんとの約束、守らなきゃ」

そう言って一人頷く小川のことを、アヤカは優しい目で見つめた。

「それじゃ、まずはここの敵を全部倒しちゃわないとね。
 さ、ぼやっとしてちゃだめ。次、来るわよ」
「あ、はい!」

アヤカの言葉に、小川は元気よく答えた。

三人の攻撃力は思ったよりも高い。
生命力と数だけを頼りにしていた仮面達は、あっという間にその数を減らされていった。

「吉澤さん! こっちは全部片づきました!」
「よーし! こっちもこれでラストだ!」

気が付けば、その場にたっている仮面はもう一つしか残っていなかった。
白銀の体、プラチナフォームにチェンジした吉澤は、両手にレーザーブレードを構えてつっこむ。

「いっけーー! ハイパー・ヨッスィースラッシュ!!」

まばゆいばかりの光の固まりが、突っ立ったままの仮面にぶち当たる。
あまりのパワーに、仮面の身に纏っていたものが勢いよく弾け飛んだ。

「うわああ!」

しかし、吹き飛ばされ、地面に体を打ち付けたのは吉澤の方だった。
よろよろと起きあがり、先ほどと全く位置を変えていない敵を睨み付ける。

フードの下から現われた髪は、後ろで一つにまとめられていた。
放射状に広がった髪が、攻撃の余韻にひらひらとなびく。
体にぴったりと密着した紫のミニドレスは、均整のとれたスタイルを浮かび上がらせ、
膝上まである同じ色のブーツは、太股の白さを際だたせている。

その立ち姿を見て、吉澤の心臓がびくりと跳ねた。

「ま、まさか!」

肘まで手袋に覆われた腕が、ゆっくりと持ち上がった。
破れたマントがまるで悪魔の羽根のように背中に広がる。

「そんな……嘘でしょ……。なんで……なんでさ!
 ごっちん!!」

吉澤の叫びは、目の前の白い仮面に吸い込まれていった。


           第拾壱夜  〜幕〜

「どうしてだよ! ごっちん!!」
「危ない!」

蹲ったままの吉澤に向かって、白い仮面が踏み込む。
間一髪、句法仙術『飛翔』を使った小川が、吉澤を抱えて跳び去った。
不死の少女によって殴られた地面が、すり鉢状にへこむ。

「吉澤さぁん、しっかりしてください!」

すっかり戦意を喪失して見える吉澤の肩を、小川は必死で揺さぶった。
しかし、白銀のコンバットスーツに反応はない。

「なんで……ごっちん……」
「まだ本物だって決まった訳じゃないですよぉ!
 もしかしたら、あたし達を混乱させるための──」
「それはないわね」

いつの間にか小川の横に立っていたアヤカが、とまどいの欠片もない口調で言う。

「私のメモリーと照合した結果、99.998パーセントの確立でアレは本物の後藤真希よ」
「そぉんなぁ……」

小川の視線の先、白い仮面はこちらを伺うようにゆらりと立ち上がった。

唐突に吹き付けてくる殺気。
再び飛び込んできた仮面の攻撃を、大きく後ろに跳んで避ける。

「どうすれば……どうすればいいんですかぁ!!
 何で後藤さんはあたし達を!!」
「おそらくあの仮面ね」
「仮面?」
「そう、ほんのわずかだけど通常より動きが鈍い。
 多分、自分の意志で行動してるんじゃないわ。
 きっと何らかの手段で操られている。だとしたら、やはりあの仮面が怪しいわね」
「それじゃ、あれを壊せば──」

希望に顔をほころばせる小川の顔面を、風のように忍び寄った仮面の鋭い一撃が襲う。

「う、うわああ!」

思わず、小川はぎゅっと目をつぶった。しかし、衝撃はいつまでもやってこない。
おそるおそる目を開ける。視界に入ってきたのは、強力な攻撃を受け止めた深紅のコンバットスーツの腕。

「よ、吉澤さん」
「ホントウだな」

仮面の拳を握ったまま、吉澤はアヤカに問いかける。

「何のこと?」
「さっき言ったこと。あの仮面を壊せばごっちんは元に戻るんだな」
「タブンね」
「よぉおおっし!!」

掴んだ拳ごと、紫のドレスを力一杯ぶん投げる。
投げられた相手は、受け身をとる様子もなく地に落ちた。
何のダメージも無く起きあがってきた仮面を、吉澤はゴーグルの下から睨み付ける。

「っしゃ! だったらカンタンじゃんか!
 あの仮面、あたしがぶっ壊してやる!」
「そう簡単にいくかしらね」
「あんたの力なんか借りないよ!! あたし一人で十分だ!」

言い捨てて、レーザーブレードを抜いた宇宙刑事は、仮面に向けて飛びかかっていく。

「よぉし! それじゃあ、アヤカさん。あたし達も行きましょう!」

しかし、アヤカはその場から動こうとしない。

「アヤカさん?」

──まさか、さっきの吉澤さんの言葉を……。

「ちょ、ちょっとアヤカさん」

大見得を切って飛び出していった宇宙刑事は、高い戦闘力を持つ相手に責めあぐねているように見えた。
こちらの攻撃は不死性によって無効化され、相手の単純な攻撃は恐るべき腕力によって驚くべき破壊力を備えていた。
圧倒的不利な戦いを見つめるアヤカの目には、しかしなんの感情も浮かんでいない。

「もう!」

焦れた小川はアヤカに見切りをつけ、援護のためにかまいたちを打ち込んだ。
風を切って襲いかかる『風刃』。しかし、白い仮面は右手の一振りで鋭利な風をあっさり打ち砕いた。

「だめだ。やっぱり、あたしの力じゃ、どうにもこうにも……」

あの最強の先輩を倒すのに、小川の力はあまりに不足している。
とてもではないが、正面から立ち向かって敵う相手ではない。
戦術が、勝つための創意工夫が必要だ。

「アヤカさん、お願いします。早く指示を出してください」

未来予知さえ可能なスーパーコンピュータと繋がる脳を持つアヤカ。
米国サイボーグ部隊の『指揮官』の戦術こそが、現状を打破する鍵になる。
小川は期待を込めた目でアヤカを見上げた。
しかし、アヤカは黙ったまま身動き一つしない。
小川の目が不安に垂れ下がる。

……まさか、ホントウに手を貸さないつもりなんじゃ。

「アヤカさん!」
「だめ……なのよ」
「だめって、どうして!」

アヤカは初めて、その端正な顔を苦々しく歪めた。

「……答えがでないの。ずっといろんなシミュレーションをしてるんだけど……。
 あの娘、後藤真希に勝つ手段が……見つからないの」
「そぉんな! それじゃどうやって」

驚愕に見開いた小川の目に、これで何度目になるのか吉澤が壁に叩きつけられるのが映った。
宇宙刑事は不屈の闘志で何度でも起き上がってくる。しかし、明らかに旗色は悪い。

──どうすれば……どうすればいいんですか、保田さん。

小川は、保田からもらったお守りをぎゅっと握りしめた。


Morning-Musume。 in 


         百 姫 夜 行。 ─ 翔─  


            ―― 第拾弐夜   三つの戦い(2)

「うあー! っきしょ! 相手がでかすぎるって!
 これじゃいくら攻撃しても──ってアブね!!」

愚痴りながらも、矢口は巨大な妖魔の吐き出す炎を横に転がって避ける。
華麗に回転した後、すたっと膝立ちになり、くるりとトンファーを回す。

「弱気やないですか、矢口さん。
 あーあ、トシは取りたないもんやねえ」
「うっさい! 矢口はまだ若いよ! 肌だってピッチピチだっつーの!
 見てろよコラ! んにゃろ、くらえぇぇ!! 聖雷撃ぃ!!」

加護の挑発に刺激されたのか、敵の足下を狙った矢口の雷撃は踏みだしかけた脚に見事にヒットした。
巨体がぐらりと右にかしげる。

「よし! 今なら!」
「バカ! 高橋! まだ早い!!」

勝機と見て飛び込んだ高橋。
しかし、予想以上にダメージは少なかったのか、妖魔はすぐに体勢を整えた。
思わず呆然となった高橋に、カウンター気味に鋭い爪が横殴りに振られる。

「いやあああああ!!」

強い衝撃に吹き飛ばされた高橋は、勢いよく壁にぶち当たった。
しかし、無防備な状態で攻撃をまともに受けた割に、ダメージは少ない。

「あれ?」
「あててて……。っきしょ。ドジった」
「矢口さん!」

高橋に覆い被さるように身を預けていた矢口。
光沢のあるスーツに包まれたその背中が、ざっくりと切り裂かれていた。

「矢口さん! その……背中……」
「ああ、心配ないよ。見た目ほどダメージ無いから。
 ……とはいえ、前みたいにピョンピョン跳ね回るのは無理っぽいな。
 ったく、相変わらず粗忽モンだな、オマエは。
 あんまりオイラに世話焼かせんなよ」

軽口を叩く矢口。にも関わらず、高橋の顔は真っ青になった。

「あたしの……あたしのせいで……」
「って、おい! 聞いてんのかよ!」

「むむむ、やぐっさんまでやられてもーたか。
 さすがにこれはヤバいかもしれんな」

おちゃらけた口調だが、加護の目は真剣だった。
あまりにも巨大な敵。未だに攻略の糸口さえつかめない。

「あいぼん、アレためしてみよう」
「アレ? ってアレか……。せやけど、今までまだ一度も成功したことないんやで。
 いきなりこんなところでぶっつけ本番やなんて」
「そんなの、いつものことじゃんか。
 だいじょうぶだよ。ぜったい成功する。
 だって、のん達は『せーぎのみかた』でしょ。
 負けるわけないよ」
「はは、あんたらしいな。
 ん、分かった。やってみよ。うち達の力、見せてやろ」
「うん!」

にやり、と不敵に笑った二人。奥の手を使うため、もう一人のメンバーに声をかける。

「愛ちゃーーん!」
「おーい。アレいくで。アレ」

しかし、二人の呼びかけも、今の高橋の耳には届いていない。

「あたしのミスで矢口さんが……。あたしが……あたしがあんなことしたから」
「おい、高橋、落ち着け。オイラは大丈夫だから……。
 って聞けよ! 人の話!」
「あたしが……あたしがやらんと。矢口さんの分まで、あたしが……」
「ちょ、ちょと高橋。なにテンパってんだよ、コラ!
 そんなんじゃまた──っつ、アイテテテ。
 くそっ! こんくらいの傷で……。
 あ、待てって! オイ!」

まっすぐに飛び出した高橋。その目が深紅に染まる。
うっすらと、華奢な体にごつい鬼の体が重なった。

「いっくぞー!」
「やめろ! それじゃさっきと同じだ!」

再び襲いかかる妖魔の爪。立ち止まった高橋は、その攻撃を鬼神の拳で迎え撃つ。
室内が揺れるほどの振動とともに、二つのパワーがぶつかり合う。
下からかちあげた高橋の鬼の手は、見事に妖魔の攻撃を上にそらしていた。

「やった!」
「バカ! 安心するのは早い!」

高橋が気を抜いたところに、妖魔の次の攻撃が襲いかかる。

「しまっ──」
「ミンナ! ふせてクダサイ!」
「ミカさん!」

するりと妖魔と高橋の間に割って入ったミカ。
すでに全身から、まるでハリネズミのようにミサイルが突き出している。

「オールレンジ・シュー!」

小柄な体のどこにこれだけの弾薬が隠されていたのか。
ミカの全身から放たれたミサイルは、妖魔だけでなく、部屋のあちこちへと飛んでいった。
目を開けていられないほどの閃光があたりを照らし出す。
至る所で断続的に起こる爆発。
この部屋だけでなく、基地そのものが揺れるほどの衝撃が起こった。
がらがらと、部屋の壁の一部が崩れ落ち、もうもうと白い煙が立ちこめる。

「うう……」

衝撃に吹き飛ばされた高橋は、よろよろと身を起こした。
かすむ視界に映ったのは、頭を吹き飛ばされた妖魔の姿。

「やった……んか」

喜びにほころびかけた顔が、異変を感じて途中で引きつる。
妖魔の傷口がぼこぼこと泡立っていた。
泡は、少しずつその量を増し、妖魔の失われた部分を埋めていく。

「そんな……再生……。これじゃ、いくらやっても……」

絶望に力をなくした高橋は、その場にぺたりと座り込んだ。

部屋の中央に悠然と立つ一人の少女。
その右手には一振りの木刀が握られていた。
少女はなんでもないそぶりで、軽く頭を振る。
肩までの柔らかな髪がふわりと揺れた。

少女の前に倒れ伏したコンバットスーツ。
淡い桜色をしたメタルスーツが、きしみをあげながら起きあがる。

「石川さん!」
「大丈夫! わたしは大丈夫だから、二人は下がってて」

どうにか膝立ちになった石川。目線は少女からそらさない。
その後ろに立つ柴田も、すぐにフォローができるよう油断無く身構えている。

──強い。
その言葉しか口にできないほど、目の前の敵は恐ろしく強かった。
前に吉澤と安倍が戦ったことがあった。
そのときよりも一方的な展開。
こちらの攻撃が全く通用しない。
石川のブラスターも、レーザーブレードも、柴田の鞭も。
まるで子供がじゃれてくるのをあしらうかのように、あっさりと受け流されてしまう。
逆に、いくらも力を入れているようには見えない相手の攻撃は、石川達に大きなダメージを与えていた。

震える脚を踏ん張り、石川は立ち上がった。
この恐ろしい敵に、戦闘向きでない若い二人を立ち向かわせるわけにはいかない。
自分達が何とかしなければ。

「どうするの? もう終わり?」
「まだまだこれからよ!」

自らを鼓舞するように大声をあげた石川は、レーザーブレードを抜いて少女に飛びかかる。
すかさず、柴田は手にした鞭で敵の足下を狙い、石川を援護した。
空気を切り裂いてのびる鞭。しなるその先端は遠心力で優に音速を超える。

「な!」

柴田の目が驚愕に見開く。
空気を灼くほどの勢いで白いワンピースに向かった鞭は、木刀の先であっさりと床に繋ぎ止められていた。
そのまま跳ね上がった木刀が、飛び込んだ石川の体を弾き飛ばす。

「きゃあああ!」
「ちぃ!」

倒れ伏した石川をかばうように柴田が身構える。
悠然と立つ少女。その位置は最初から一歩も動いていない。

「つまらないな。この程度なんて。
 あーあ、もっと歯ごたえのある相手と出会いたかったな。
 こんなんじゃ楽しめないじゃない」
「ま、まだまだ!」
「無駄だよ。もう、分かってるでしょ。
 あなた達じゃわたしには勝てない」

ふわりと少女は笑った。
その笑顔は、取り戻すべき仲間の顔にとてもよく似ていた。

「里沙ちゃん、お願いがあるの」

絶望的な戦いを、ただ見つめることしかできない新垣に、紺野が声をかけた。
いつも捕らえどころのないその顔は、緊張のためかきりりと引き締まっている。

「ど、どうしたの? あさ美ちゃん」
「耳……貸して」

新垣の小さな頭に紺野は口を寄せた。
小さな声で行われた提案を聞いた新垣は、そのくりくりした目を驚愕に丸くした。

「だ、ダメだよあさ美ちゃん。そんなことしたら!」
「でも……これしか方法はないんだよ。
 このままじゃ、石川さんも柴田さんもやられちゃう。
 安倍さんだって……。だから、お願い」
「でも……でも……だってホントウにうまくいくかどうかも分かんないのに」
「それでも……やらなきゃいけないんだと思う。
 わたし達にできることは……これぐらいしかないから」

いつもと同じ口調。しかし、今までにない毅然とした態度の紺野に、新垣は返す言葉がない。

「お願い、里沙ちゃん」

再度懇願され、新垣はどうして良いか分からず、ぎゅっと目をつぶった。

少女は木刀を正眼に構えた。

「もう終わりにしましょう」

吹きつける迫力。石川はぐっと奥歯を食いしばる。

「柴田さん。三十秒だけ時間を稼いでもらえますか?
 最後に、一つだけ賭けてみます」

前を向いたまま石川が言う。

「了解した」

言葉少なに柴田が答えた。
間髪入れず、勢いよく手にした鞭をふるう。ランダムで予測の付かない鞭の軌跡。
そのスピードと相まって、常人には見切ることは不可能だ。
しかし、その攻撃が届かない。
わずかに木刀の切っ先が動くだけなのに、柴田の攻撃はすべて無力化されてしまう。
たった三十秒。しかし、永遠と思えるほどのじりじりした時間。

木刀がそれまでよりも少しだけ早く動いた。
ひゅん、と空気が切り裂かれる音。
あらゆる角度から少女に襲いかかっていた鞭は、中程から真っ二つに切り裂かれていた。
唯一の武器を失ったバイオソルジャーは、わずかに顔を歪めた。

「今だ!!」

石川が叫んだ。
横に飛んだ柴田。その後ろから、最大限までエネルギーを貯めたブラスターの光球が飛んでくる。
生半可な攻撃は通用しない。今の石川にできる最大限の攻撃。

「無駄よ。わたしに光学兵器は通用しないわ」

しかし、その攻撃にも少女は余裕を持って木刀を構えた。
念法の前では、レーザー光線すら単なる切り裂く対象でしかない。

滑らかな木刀の刃先が輝く光の球に触れる瞬間、ぐらりと突然部屋が揺れた。
予想外の事態に、麻美の体勢が一瞬崩れる。
受けきれなかった光球が、少女の体を吹き飛ばした。
そのまま勢いをゆるめることなく飛び去った熱の塊は、向こうの壁にぶち当たった。
がらがらと巻き添えを食った天井が崩れ落ちる。

最強の敵すら反応できなかった、突然の振動。
ここにいる者には無論知る由もないが、それはミカが放ったミサイルの爆発によるものであった。

「どう……なったの?」

何が起こったのか分からないまま、石川はぼんやりと呟いた。
偶然であるとはいえ、アレが残された最後の攻撃だった。
これでダメなら本当に打つ手はない。
祈るような思いで、倒れ伏した少女を見つめる。

「残念だったわね」

白いワンピースは、しかしすぐに立ち上がった。
ぎりぎりのところで直撃は避けたのだろう。
その前髪がほんの少しだけ焦げていた。

「恐ろしい力。忘れてたわ、その力のこと」

少女の目は、自分を傷つけた石川ではなく、その後ろに向けられていた。
余裕を無くした、全てを消し去ってしまうかのような憎悪の目。

紺野は真っ正面からその視線を受け止めた。
新垣の魔法によって、鋭利な刃物となったハンカチを自らの足に突き立てたまま。

「幸運を操る能力者。あなたのこと」

紺野の能力は幸運を操ることにある。
他人に幸運を与える力。
しかし幸運の総量は常に一定である。
幸運を与えれば、それに見合った不幸が紺野の身に起こる。
加えてこれは紺野自身がコントロールすることができない。
しかし裏を返せば、自ら不幸を呼び込むことで、幸運を与えることも可能なのではないか。

「まさか、自分の体を傷つけることで幸運を呼び込むなんて。
 信じられないことを思いつくわね。
 でも、同じ手は二度と使わせない。
さっきの攻撃でわたしを倒すことができなかった。
あなた達の──負けよ」
「それはどうかな」

その声に麻美の体はぴたりと止まった。
すうと表情をなくした顔。
後ろから流れてきた青白い水が、足元でぴちゃりと音を立てる。

「そう、そうなんだ。
 やっぱりきちんと決着をつけないといけないのね。わたし達……姉妹の」

呟く麻美の肩越し。
崩れた天井によって押しつぶされたガラスケース。
もうもうと立ちこめる煙の中、ついに最強の念法使いがその姿を現した。

静謐な室内。
対峙する姉妹。
ぴんと張りつめた空気。
目の前の少女から目を離さず、安倍なつみはゆっくりと口を開いた。

「梨華ちゃん」
「は、はい」

突然声をかけられて、びくっと石川の体が痙攣する。

「先、行きな」
「え?」

前を向いたまま、ふわりと念法使いは笑った。

「ここはなっちたちに任せて、梨華ちゃんはアイツのところへ。
 いろいろ……あるんでしょ。アイツとは」
「で、でも……」
「いいから行きな。行って、自分の全てをぶつけて来な。
 梨華ちゃんが手に入れたものを全部。
 ちゃんと自分の手でケリをつけておいで」
「安倍さん……」

なつみは一度だけ振り返って軽く頷いた。
久しぶりに見る暖かな笑顔。
意を決したように駆け出した石川を背中で見送り、なつみは温度の変わった微笑みを妹に向けた。

「さ、うちらもケリをつけようか」
「いいの? お姉ちゃん。
 今のままじゃ、お姉ちゃんは絶対わたしに勝てない」

麻美は余裕たっぷりに姉を見つめ返す。

「念法、それは体の中で高めた念を、媒介物によって増幅し、相手にぶつける技。
 念の威力は、使う者の念と媒介物の組み合わせによって決まる。
 つまり……使い慣れた木刀を持たない今のお姉ちゃんは、普段の半分の力も出せない」

すい、と木刀の切っ先がなつみの喉へと向けられる。

「わたし達の念の力はほぼ互角。片方は武器を持ち、片方は素手。
 どっちが勝つか、誰にだって分かるわ。
 それでもやるって言うの?」
「ああ、やるさ」

気負う様子もなく、なつみは軽く答え、そのまま表情を引き締めた。

「やらなきゃいけない。たとえどんなに不利であっても。
 あなたを……止めるためなら」

その場に流れる空気が、ゆるゆると渦を巻き始めていた。
来るべき戦い。その予兆を感じさせるように。

麻美は一歩踏み込んだ。
瞬時に間合いが詰まる。
まるでフィルムの何コマかを切り取ったかのような、尋常ではない速度。
だらりと下がっていた木刀。
その切っ先が、下から上へと走り抜ける。
空気が灼かれるほどの斬撃。

ふわりとなつみは後ろへ跳んだ。
麻美の恐るべきスピード。その勢いによって起こった風に乗ったかのように。
大きく距離をとったなつみは、軽やかに着地した。
優雅ともいえるその姿を見て、麻美は冷ややかに笑う。

「やるわね、さすがお姉ちゃん。
 でも……遅いわ」

つう、となつみの額から血が伝った。

「あの時、母さんはお姉ちゃんを助けた。
 でも、その手の方向が少しだけ違っていたら、 ほんの少し運命が代わっていたら、
選ばれたのはわたしだったかもしれない」

ゆっくりと麻美はまた間合いを詰める。

「だから……今度はわたしの番なの。
 今度はわたしが生きるの。……お姉ちゃんの代わりに」

神速の斬撃。
なつみの肩から、血しぶきが舞った。

「安倍さん!!」

想像を超えた二人の戦いを、何もできず見つめていた新垣は、信じられない光景に思わず声を上げた。
尊敬する先輩退魔師。最強の力を持つ念法使い。目標としていた相手。
常に底を見せない戦いを見せてきた安倍が、初めてその血を流した。
新垣にとってそれは大きな衝撃だった。

──安倍さんが……あの安倍さんが苦戦している。

それだけ恐ろしい敵なのだろう。
同じ力を使うもの。手の内がしれた相手との戦いほどやり辛いものはない。
まして不利な条件を抱えているとなれば……。

麻美の木刀が唸りをあげる。
なつみもどうにか直撃は避けているようだが、このままではじり貧だ。
ペースは常に向こう(あっち)。反撃の糸口がつかめない。

──どうしよう。……どうしたらいい。

きょろきょろと辺りをうかがう。
隣の紺野は、傷ついた脚を押さえ、戦いに見入っていた。
その大きな目は泣きそうに潤み、それでも一瞬も目の前の戦いを見逃すまいと見開かれている。
向こうに見える柴田は、先ほどまでの無茶な戦いが響いたのか、膝をついたままだ。
もっとも、唯一の武器である鞭も失い、実力にも大きな差のある相手に何ができるわけでもない。

──あさ美ちゃんは自分の体を傷つけてまで安倍さんを助けた。
  石川さんも、柴田さんも、あんな怖い相手に必死で立ち向かった。
  あたしだけ……あたしだけまだ何もしてない。
  やらなきゃ……。次は……次はあたしがやる番なんだ。

決意に満ちた顔で新垣は立ち上がった。
その目がある一点を見つめる。

──アレさえ……アレさえあれば。……そのためには。

「里沙ちゃん……どうしたの?」

不審に思った紺野が新垣を見上げる。

──あそこまで行って、それでアレを。……大丈夫、あたしならできる。……きっと。

「里沙ちゃん!?」

紺野の声をきっかけに、新垣はその一点に向かい猛然とダッシュした。
最後に残された希望を掴むために。

「ちょろちょろしないで」

じわじわと、嬲るように姉を追いつめていた麻美は、その動きに即差に反応した。
手にした木刀を新垣に向けて振るう。
衝撃波が、ばきばきと床を割りつつ襲いかかった。

「うわああ!」
「里沙ちゃん!!」

簡単に吹き飛ばされた新垣。しかし、その目の闘志はまだ燃えたまま。
小さな頭をぐいと上げ、元気よく立ち上がる。

「まだまだー!」
「しつこいね。今度は外さない」

再び走り出した新垣に、麻美は木刀を向けた。

「あぶない!!」
「邪魔よ、お姉ちゃん」

妹を止めようと飛びかかったなつみに、くるりと木刀を回した麻美はカウンター気味に突きを決めた。
吹き飛んだ姉をちらりと見やり、麻美は再び木刀を振るった。
小柄な体が、またも衝撃波にはね飛ばされる。

「里沙ちゃん!」
「くっ!」

紺野の悲痛な叫びが響く。
どうにか立ち上がったなつみは、倒れたまま動かない新垣の下へ駆け寄った。

「お豆ちゃん、しっかり! しっかりして!」
「せっかくの戦いなのに水を差されちゃった。
 ま、いいわ。もう終わりにしよう、お姉ちゃん。
 その子と一緒に送ってあげる。暗い暗い世界に。
 ……わたしの代わりにね」
「安倍さん! 里沙ちゃん!」

するすると上がった木刀が勢いよく振り下ろされる。
紺野は思わず目を閉じた。

「なに!?」

硬いものどおしが強く打ち合わされる音。
麻美の振り下ろした木刀は、なつみの体に届く前に受け止められていた。
──突然現われた一振りの木刀によって。

「そんな! いったいどこから!
 お姉ちゃんの木刀は処分したはずなのに!」
「あたしが……あたしが作ったんだ! 魔法を使って!」

新垣が目指したのは、先ほど真っ二つにされた柴田の鞭。
それを魔法──無機物を別のものに変える力──によって木刀へと変えた。
そして今その木刀はなつみの手の中にある。
条件のハンデは、これで無くなった。

「くっ、でも所詮それは間に合わせのもの。
 使い慣れた武器でなければ念の力を100パーセント出すことはできない。
 お姉ちゃんの不利はかわらないわ」

言い放つ麻美に、なつみは静かに言葉を返した。

「違うよ。
 この重さ、この握り心地、なっちの木刀と全く同じもんだ。
 これなら……最大限の力を出すことができる。
 良く覚えててくれたね、こんなにはっきりと。すごいな、お豆ちゃん」
「へへ、あたし、安倍さんの大ファンですから」

傷だらけになりながらも笑顔を見せる新垣をそっと横たえ、なつみはゆっくり立ち上がった。

「今のなっちには仲間がいる。支えてくれる人、頼ってくれる人がいる。
 だから負けない。負けるわけにはいかない」

すうと木刀が正眼に構えられた。

「あなたを……倒す」

運命の姉妹対決。
悲しき運命を秘めた戦いが、ついに始まろうとしていた。

小川は目の前の戦いに拳を握りしめた。
絶望的な戦い。それでも一歩踏みだそうとした小川の肩を、アヤカが後ろから掴んだ。

「やめなさい。あなたが行っても犬死にするだけよ」
「でも!」
「これ以上は無駄なあがきだわ。
 もう終わり。ゲームオーバーよ」
「そぉんな! 何でそんなこと言うんですか!」

くってかかる小川に、アヤカは力無く首を振った。

「わたしの計算に間違いはないわ。残念だけど。
 ……未来が見えるって残酷ね。今ほど自分の能力を恨んだことはないわ」

小川は一度目をつぶり、きっとアヤカを見上げた。
二人の視線が交差する。

「でも……それでもあたしは行きます。
 あたしは……あたしにはあがくことしかできないから」

そう言って小川は取り出したバンダナを頭に巻く。
今度は何も言わず、アヤカはすっと身を引いた。

「吉澤さん!」
「小川!」

苦戦する宇宙刑事に声をかけ、小川は仮面に向けて風を撃った。
しかし、鋭い攻撃も相手の右の手のひらであっさりと受け止められてしまう。

「一つでダメなら!」

続けざまに風を撃つ。角度を変えつつ、何度も何度も。
四方から襲いかかる風。ダメージこそ与えられないものの、後藤の動きが止まった。

「よぉっし! 今だ!」

フォローを受けた吉澤は、下から上へとレーザーブレードを振るった。
目指すは一点、無表情な白い仮面。

「な!」

高温の刃を、後藤は躊躇することなく左手で受けた。
刃先を腕に食い込ませたまま、ぐいと押しやる。
狙いは見事に逸れ、どぼっと鈍い音がして紫のドレスの肩口が弾けた。
吹き出した血しぶきで、白い仮面が真っ赤に染まる。

「う、うわ!」

思わず武器を引いた吉澤に、仮面の腕が伸びた。
白い二の腕からは、既に傷どころか血糊すら消え去っていた。
勢いよく突き飛ばされ、宇宙刑事の体が転がる。

「吉澤さん!」

その隙に仮面の体を、後ろから小川が羽交い締めにした。
句法仙術『強力』。一時的に小川の腕力が跳ね上がる。

「くっ、今度こそ!」

吉澤は再びレーザーブレードを構えた。
白い仮面。親友を縛り付ける鎖に狙いを定める。

「ヨッスィー・スラッシュ!」

宇宙刑事の得意技。簡単には受け止める事の出来ない威力を持った攻撃。
しかし、輝く刃が仮面に触れる寸前、その攻撃はぴたりと止まった。
ぐぅ、と吉澤が呻く。
そのコンバットスーツの腹に、紫のブーツの先がずぶりと食い込んでいた。

「吉澤さん!!」

カウンターの前蹴りで吉澤を沈めた後藤は、背中にいる小川を掴む。
次の瞬間、小川の体は宙を舞っていた。
勢いよく、背中から壁にぶち当たる。

「ぐふぅ! くぅぁ」
「だから言ったでしょ。無駄だって」

倒れた小川の傍らに、いつの間にかアヤカが寄り添っていた。
細い指が、心配そうに小川の額をなでる。

「ま、まだまだ──あぅ!」

起きあがろうとして小川は呻いた。
あどけない顔が苦痛に歪む。

「腰をやられたのね。それじゃ立って歩くこともできないわ」
「立って歩けなくても、風を撃つことはできます!」
「どうしてそこまで」

悲痛なまでの小川の決意に、アヤカの整った眉が寄せられた。

「だって、寂しいじゃないですか」
「寂しい?」
「なんか、簡単にあきらめちゃって。まだできることはあるはずなのに」
「……さっきも言ったでしょ。もう手はないの。
 人にできることなんて、所詮限りがあるものよ」

冷たい口調のアヤカの言葉。小川は軽く目を伏せた。

「あたし、戦ってるのが好きです」
「え?」
「あさ美ちゃんは嫌いだって言ってたけど、あたしは好きです。戦うこと。
 戦うことで、誰かのために何かをしてるんだって実感できるから」

そう言って小川は表情を引き締めた。
いつも締まりのない口元が、きりりと引き結ばれる。
戸惑いながら、アヤカはその顔を見つめ返した。

「イヤなんです。何もできないまま後悔するのは。
 キライなんです。弱くて情けない自分が。
 だから……じっとしてるのはイヤ。
 うじうじ考えてるくらいなら、何も考えずに必死であがいてる方がいい。
 あたしは……あたしを嫌いになりたくないから」

静かな、それでいて力強い言葉に、アヤカは何も言う事ができない。

「へへ、でもこれ、保田さんの受け売りですけどね」
「ケイの?」
「はい。後悔するような事はするな。
 自分で自分を好きになれって。
 保田さん、あたし達に託してくれたんです。自分を犠牲にしてまで。
 だから、応えなきゃ。その信頼に」

小川は、ぎゅっと手にしたお守りを握りしめた。
そのとき、小川の脳裏に小さな光が瞬いた。
それは微かな、本当に微かな希望の光。

──そうだ、もしかしたら……。

「アヤカさん! ちょっと聞いてください!」

顔を寄せてきた小川。耳元で囁かれたその言葉に、アヤカの目がすうっと細まった。

絶望から、高橋は何も考えることができないでいた。
目の前で、敵が回復していく様をただ眺めるだけ。
へたり込みそうになる体を、最後に残った気力でどうにか押さえ込む。

「ウ……」
「ミカさん!」

うめき声が聞こえ、振り返った高橋は、右腕を押さえてうつむくミカのもとへ駆け寄った。
至近距離からあれだけのミサイルを撃ちこんだのだ。
衝撃は自分にも跳ね返っていたはずだった。
満身創痍の体を抱え起こす。

「大丈夫ですか……ああ!」

押さえた右腕は、肘から先が吹き飛んでいた。
柔らかそうな皮膚の下は、鈍く光る金属のパーツ。
ちぎれたコードが小さく火花を放つ。
米国サイボーグ部隊。生身の体を捨てたキカイの体。

「あたしの……あたしのせいで……」
「ダイジョウブだよ。ワタシの体、ほとんどキカイだカラ」

そう言ってミカはにっこりと笑う。

「ダカラ、気にしなくてイインダヨ」
「だって、だって……」

傷ついた仲間、自分の軽率な行動を思いだし、高橋は唇を噛む。

「なんで……あたし……いつも、こんな……」

ぎゅっと高橋は手を握りしめる。

「あたしは……なにもできない。
 みんなに迷惑かけてばっかり……」

歯を食いしばる。それでも、涙はぽたぽたと床に落ちた。

「どうしたの? ナカナイで」
「だって……だって、あたしのせいで、矢口さんもミカさんも!」
「おちついて。ね、ダイジョーブだから」
「あたし……もうヤだ。
 こんなんじゃ、誰にも相手にされない。
 また……一人に……」
「あほ!」

ぱしん、と乾いた音が響いた。
打たれた頬を押さえ、高橋は目の前の加護の顔を見上げる。

「いつまでウダウダやってんねんな!」
「だって……だって……」

目をつぶってうつむく高橋に、ミカが優しく声をかけた。

「ナカナイで。愛ちゃんも、みんなもとってもイイコ。
 だから愛ちゃんがブジでうれしい。きっと矢口さんも同じキモチ。
 こんなケガなんてどうってことない。
 だって、大切なナカマを守ることができたんだから」
「ミカさん……」
「なあ、愛ちゃん。
 愛ちゃんはいつも一人で先走りすぎなんや。
 自分で自分にプレッシャーかけすぎなんや。
 もっとリラックスせな。
 一人で全部背負い込むことないねん。
 もっと周りの仲間を信じてええねん。
 みんなから信用されるには、まず自分が皆を信じんと。な」
「ま、あいぼんはいつもリラックスしすぎだけどね」
「あんたに言われたないっちゅーねん」

横から現われた辻に、加護が手の甲でツッコミを入れる。

「チャンスはいつもミスの後にやってくる………らしいよ。
 前に矢口さんがゆってた」
「辻さん……」
「いつまでも下むいとったらあかんやんか。
 さ、行こう。うちら三人の力を合わせるときがきたんやで」
「加護さん……」

すくっと高橋は立ち上がった。
涙に濡れた目。しかし、その中には強い意志の光が見える。

「よし! うちらの力、見せてやろ」

加護の言葉に頷いて、高橋は巨大な敵を見上げる。
既に黄色く光る右目が再生されていた。
狂気をはらんだその目と目が合う。
しかし、高橋は怯えることなく相手を見返した。

「あたし、やります。命の限りで戦います!」
「そう、その意気や。
 問題なんてナイゼ、うちらは負けナイゼ。なんせうちらは勇者ナンデ」
「うん。ぜったい守りとおすんだ。あたしたちの地球を」
「いくぞ!」
「オーーー!!」

「やれやれ、やっと落ち着いたか」

鬨の声をあげる後輩達を見て、まるで他人事のように矢口は呟いた。
傷ついた背中を壁にもたせかけ、だらしなく座ったままの体勢。
恐ろしい力を持った敵。若く未熟なメンバーだけに任せるわけにはいかない。
そう思いつつも、矢口は自分から動こうとはしなかった。
なぜか見守っていなければいけない、そんな気になっていたから。

「んで? なにするつもりだ、アイツラ」

矢口の視線の先、高橋が真ん中に立ち、辻と加護が両脇に寄り添う。
平べったいトライアングルのようなフォーメーション。
両足を広げ、高橋はぐいっと気合いを入れる。

「いくよ、愛ちゃん」
「はい!」

辻は古びた護符を取り出した。
最強の力を持つ式神、十二神将の護符。
静かに、力強く呪が唱えられる。

「臨める兵、闘う者、皆、陣烈れて前に在り。
 臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!」

護符が風に吹かれたように独りでに舞い上がった。
ばさばさと飛んだ札が、高橋の額に張り付く。
ぶわっと長い髪の毛が跳ね上がった。
高橋の後ろに現われた巨大な式神。
憤怒の形相、禍々しき蓬髪。

「うおおおおお!」

高橋の雄叫びとともに、ジャラリと鎖の鳴る音が聞こえた。
か細い体が中空へと浮かび上がる。
護符より出でし十二神将が、その体へと重なった。

「十二神将を……憑依させたのか!」

矢口は目を丸く見開いた。
「鬼神憑き」──目に見えぬ鎖で妖魔を縛り、使役する邪法。
今、その鎖は最強の式神へと結びつけられていた。

「なるほどね。辻一人だけじゃ、神将を召還し、使役するには負担が大きすぎる。
 だから今まで短時間しか使えなかった。
 でも、行動の制御を高橋に任せることで、辻は実体化に専念できる。
 これなら、自由に神将を使うことができるってわけか。
 考えたじゃんか。……もっとも、高橋が持ちこたえられればの話だけどね」

真剣な表情で矢口が言う。
その言葉通り、高橋の顔は苦痛に歪み、噛み締めた歯がきりきりと音を立てた。

「愛ちゃん!」
「だ、だいじょうぶ。あたし……あたし……やります!」
「よぉっし! よぉゆーた!
 いくで! まだまだ、こっからが本番や!」

加護の体からエクトプラズムが湧き出る。
もくもくと白い雲のような物体が、上空で一つの形を造っていく。
新たに目覚めた加護の力。思念の力により、エクトプラズムで望むものを創造する力。

「いっけー! 愛ちゃん!」
「おおお!!」

エクトプラズムは、巨大な剣を形作っていた。
最強の式神に相応しい、神々しき力を感じさせる神の剣。
高橋の動きに合わせ、神将は両手を振り上げた。
中空に浮かぶ剣を握る。

んぎゃぁああぁおぉぉん
妖魔が一声吼えた。
既にその体のほとんどは再生を終えていた。
目の前の敵の強さを本能で分かっているのか、妖魔は先手を取るべく大きく息を吸い込んだ。
その背びれがまた蛍のように輝く。

「危ない!」

思わず飛び出した矢口の叫び。
吐き出された灼熱の炎。
振り下ろされた神剣。
決着は一瞬だった。
何物をも溶かす火炎ごと、妖魔の体は真っ二つに断ち割られていた。
勢いを無くした炎が、それでもちりちりと矢口の肌を灼く。
長ささえ自由に変わるエクトプラズムの剣。
その切っ先は部屋の端にまで届いていた。

「コンビネーションか。やるな、アイツラ。
 だけどまだ終わってないぞ」

妖魔は二つになった体を自分の腕で抱き寄せていた。
その断面がぼこぼこと泡立ち、再び再生が始まろうとしている。

「あいぼん!」
「分かってる!」

辻に声をかけられ、加護が印を結ぶ。
エクトプラズムの剣がその形を変えようとしていた。
先端が左右に伸び、大きく膨らむ。
逆に刃の部分は細く伸び、棒のような形へと変化した。
出来上がったもの、それは巨大な、神将と同じほどに巨大なハンマー。

「いっけーー!」

三人が同時に叫んだ。
ハンマーが妖魔の頭へと振り下ろされる。
ぎゃあ! と一つ吼えて、妖魔はエクトプラズムの塊をがっしりと受け止めた。
ハンマーはその場で止まり、それ以上振り下ろしきれない。
妖魔の二つになった体は、もうくっつきかけていた。
パワーだけでなく、その不死性も恐るべき相手。
しかし次の瞬間、知性もなさそうな妖魔の顔が、驚愕の色に変わった。
攻撃を受け止めた腕。鋭い爪を生やした腕が光へと変わっていく。

「な! あれは!」

まるで金粉をまき散らしたように、きらきらと輝きながら妖魔の体が消えていく。
ハンマーが少しずつ下へと沈んでいく。
妖魔の体が少しずつ光へと変わっていく。
再生することさえ適わない。
細胞の一つ一つが光の粒子になっていく。

妖魔の全身が光に包まれた。
まるで何かが爆発したかのような、しかし静寂を伴った輝き。
声なき咆吼をあげ、不浄の体は光へと還っていく。

「すっげ……。
 この攻撃、まるで……」
「あたしと同じ、だね」
「圭織!」

懐かしい声に矢口は振り返った。
そこに立つすらりとした長身。白い狩衣に緋の袴。
再会を待ち望んでいた仲間の姿。

「無事……だったんだ」
「うん。やってくれたね、あの子達」

飯田はそう言うと目を細めた。
ハンマーは完全に振り下ろされていた。
妖魔の姿はもうどこにもない。
光の粒子が天に還っていく。同時に巨大な神将の姿も消え去った。

「高圧のエネルギーをぶつけることで、妖魔の体を光に変えてしまう力。
 あたしの鈴と同じ攻撃。
 もっとも、あたしのは神楽の音霊を利用したものだけど」
「飯田さーん!」

飯田の姿に気がついた辻が、転ぶような勢いで駆け寄る。
その後ろに、残る二人もそっと立った。
しばしの別れを経て、今またここに正対する師弟。

「飯田さん……」
「よくやったね、みんな。……お疲れ様」

まるで聖母のように両手を広げ、飯田は微笑んだ。
誘われるように、とことこと前に進んだ辻は、そのまま勢いよくその胸に飛び込んだ。

「うわぁあん、いいらさぁぁん」

辻を受け止め、飯田はその髪を優しく撫でた。
続いて寄ってきた加護も、その手の中に抱きしめる。

「飯田さん、のんがんばったよ。いっしょーけんめい、がんばったよ」
「うん」
「か、加護もぉ。加護もがんばったんだよぉ」
「うんうん。分かってる」

二人の少女の背中を叩いてあやし、飯田はおどおどと所在なさげに立ちつくす高橋に目を向けた。

「さ、高橋もおいで」
「え! で、でも……ええんですか」
「あったり前じゃん。……よく頑張ったね。えらいぞ」
「い、飯田さ……。
 うわああああああん」

先に行った二人よりも大きな声で泣き出した高橋は、辻と加護の間に体を割り込ませた。
飯田の腰にむしゃぶりつくようにして泣きわめく。

矢口は、ミカの肩に掴まってその光景を眺めていた。
その顔に浮かぶのは、あきれたような、嬉しいような複雑な表情。

「やれやれ、まだまだ子供だね、あいつらも」
「でも、スゴかったですよ、サンニンとも。
 あんなにすごいテキを倒してしまうなんて」
「そう……だね。ま、ようやく使い物になるようになったかな」

そう言いながらも矢口の視線は暖かかった。

新しい力。
中澤や保田、それに飯田が期待していた次代の力。
ようやくそれが形になったのかもしれない。

──こっちは片が付いた。他の奴らは……。

心配しかけ、矢口は軽く息をついた。

──そっか、心配することはないよな。

そう、心配することはない。
新しい力は他にも育っているのだから。

──限界……かな。

震える脚で立ち上がり、吉澤は歯を食いしばった。
白銀のボディが軋みをあげる。
今の吉澤を支えているのは気合いだけ。根拠のない空っぽの闘争心。
とはいえ、いくら何でも攻撃を食らいすぎた。
これ以上やられたら、いくら最新型のコンバットスーツといえど無事では済まない。
対称的に、目の前の仮面は平然とした姿で立っていた。
不死身の体には傷一つ無い。

──最初に闘ったときもこうだったな。

ふと、その時のことを思い出した。
朽ち果てたビルの中での死闘。
あれからどれだけの時が流れたのだろう。
遠い昔のようにも思えるし、ついこの間だったような気もする。
圧倒的な実力差。
その時に刻みつけられた恐怖と畏怖。
仮面の下、あっけらかんとした笑顔に潜む孤独の色。
その影に惹かれ、彼女を親友と呼ぶようになっても、それは何ら変わることはなかった。

──ごっちん、あたしは……。

仮面が踏み込んだ。
頭の中の思いを振り切るように後ろに下がる。
疲れと絶望のせいか、戦闘中だというのに、やくたいもない思考に気をとられてしまった。
ほんのわずか、対応が遅れてしまう。

ぴんと伸ばした仮面の指──細くしなやかな──鋭い手刀が振りかぶられた。

右、左!?
判断力も鈍っている。体が動かない。一瞬の、しかし致命的な空白。

「左よ!」

反射的に体を左に倒した。手刀がスーツぎりぎりのところを通り過ぎていく。
そのまま床を蹴り、体を投げ出すようにごろりと転がった吉澤は、距離をとって膝立ちになった。
その背に、いつの間にか近づいてきたアヤカが寄り添う。

「いい? これからあなたのスーツにデータを送るわ。
 それが私たちのラストミッションよ」

冷静な声でアヤカが言う。
命の恩人とも言える相手に対し、吉澤は悪態を吐いた。

「なんだよ、今更!
 言ったろ、あたしはあんたの手なんか借りないって!
 あたしは別にあんたに助けてなんか──」
「別にあなたを助けるためじゃないわ。
 ただ……あがいてみたくなったのよ。……私もね」

その口調に何を感じたのか、吉澤は黙ってアヤカを見上げた。

「とにかく、ここは私に任せてちょうだい。
 生きて還りたければ、そして……後藤真希を助けたいならば」
「……どうしろってんだよ」
「OK。
 今からデータを送るわ。その指示通りに動いてちょうだい」
「ホントに……ホントにごっちんを助けられるんだろうな!」
「残された手はこれしかない。
 でも……本当に成功するかどうか、それは神のみぞ知る……だわ」
「何──」

襲いかかってくる白い仮面。
アヤカは手にしたマグナムを抜き撃ちでぶっ放した。
着弾の勢いに、さすがの仮面もふっとぶ。
そのまま続けざまに引き金を引く。
紫のドレスが、ぼろ人形のようにきりきりと回転しながら後ろに下がっていった。
全弾撃ち尽くしたアヤカは、チェンバーを開く。ごとりと音がして大きな薬莢が転がり落ちた。
仰向けに倒れた後藤。だが、起きあがってくる体には、当然のごとく傷一つ付いていない。

「さあ、早く!」
「っくしょ! 分かったよ!」

コンバットスーツの色がプラチナからエメラルドグリーンへと変わる。
吉澤は腰からブラスターを抜いた。
同時に、スーツの背に付いていたパーツが外れ、ブラスターに合体する。
続いて腰のパーツ、そして脚。
組上がったブラスターは、大型のライフルのような形状へと変化していた。

「っしゃ、いっくぞー!」

レンジの広いスナイパーモードから、連射の効くバーストモードへスイッチさせ、
吉澤は親友へと狙いを定めた。

連続して放たれる光弾。
先ほどのアヤカの攻撃に懲りたのか、仮面は驚くべき反応速度を見せその全てをかわしてみせる。
しかし、さすがの不死の少女も、息もつかせぬ攻撃に満足に動きがとれない。
防戦一方、避けるだけで精一杯、そう見えた。
だが吉澤は気がついていた。白い仮面が、少しずつその間を詰めてきていることを。
最強の退魔師と呼ばれた少女。その実力は、やはり伊達ではなかった。

──さすが、ごっちん。ま、これで仕留められるとは思ってないけどね。

そう、この攻撃は、それ自体が本来の目的ではない。
吉澤の攻撃にはある法則があった。敵の動きを制限するという法則。
徐々に、後藤はあるポイントへと足を進めていた。いや、進めさせられていた。
それは、アヤカからスーツへと送られてきた座標。

限界を超えた連射に、灼け付く寸前まで熱を持った銃身。
壊れかけのブラスター、その最後の一発が、仮面に運命の一歩を踏み出させた。
コンバットスーツのモニターの中で、目標と座標がついに重なる。

「今だ!!」

仮面の真横、そこにはひっそりと影をひそめてスタンバイしていた小川の姿があった。
立ち上がれないまま、壁に体を預け、まっすぐに前を向く。
若き狗法使いは、渾身の力を込めて風を撃った。
狙うは勿論、全ての元凶たる白い仮面。
米国の誇るスーパーコンピュータ。アヤカの予測は完璧なタイミングだった。
死角から襲いかかる攻撃。
不死の少女が、その風をかわすことは不可能だと思えた。
その場にいる者の思いを乗せ、風が猛然と襲いかかる。

びしり、と耳に突き刺さるような音があたりに響いた。

ぽたりと鮮血が床に零れた。
不死の少女の右手が真っ赤に染まっていた。
小川の風を握りつぶした右手が。
完璧なまでのタイミング。
だがそれでも、最強の退魔師の反応速度を上回ることができなかった。
風は、あっけないほどに砕け散ってしまっていた。

「そんな……これでもダメなのかよ……」

最後の希望まで失われた無力感から、吉澤はがっくりと膝をついた。
脳天気ともいえる楽天家も、さすがにこれ以上は気力が続きそうになかった。

「いえ、成功よ」

静かにアヤカが呟いた。
慌てて吉澤は顔を上げた。
白い仮面は、先ほどと変わらぬ体勢でそのまま突っ立っている。

不意に仮面の滑らかな表面に、一筋の線が刻まれた。
ずるりと仮面が斜めにずれる。

「な、なんで」
「風はおとりよ。本命は……あれ」
「あれ?」

アヤカは座り込んだままの小川を指さした。
その手が握り締めているのは小さなお守り袋。

「あれは……」
「あの中に入っていたものを一緒に風に乗せたの。
 ……ケイの糸をね」
「保田さんの……」
「可能性はゼロに近かった。
 でも、私たちは賭に勝った」

小川はこちらを向いてぐいっと親指を立てた。
受け継がれた戦士の魂。
それは今ここに、紛う事なき奇跡を生み出していた。

不死の少女がぐらりと揺れる。

「ごっちん!!」

からりと乾いた音がした。
二つに割れた仮面が床に転がる。
長い黒髪がふわりとなびいた。
後藤真希──不死の少女の白い顔が、しんと静まりかえった部屋に現れた。

木刀が空気を切り裂いた。
甲高い音を立てて、もう一本の木刀と噛み合う。
まるで金属同士がぶつかったかのように、その場には小さな火花さえ生まれた。
きゅん、とぶつかった反動を利用し、また木刀が弧を描く。
優雅にして鋭い攻撃。しかし、それもまた、一振りの木刀に阻まれていた。
再び翻る木刀。弾け散る火花。
二本の木刀が舞い踊る。
一体、どれほどの時が流れたのだろう。
姉妹の動きは、できの良い演舞を見ているかのように、
あらかじめ決められた動きを繰り返しているかのようにさえ見えた。
ひときわ甲高い音を立てて、木刀はようやくその動きを止めた。
離れて対峙する二人。

「無駄だよ。お姉ちゃんの動きは全て読める」

同じ能力、同じ思考。
そして、なつみの動きは全て敵によって研究されつくしていた。
動きが読まれる。
どれだけ攻撃を繰り出しても、それが敵の体に届くことはない。
つう、となつみの額から一筋の血が流れた。

「安倍さん!」

新垣が叫ぶ。
いつの間に反撃を受けていたのか。
条件は五分になったはずなのに、なつみの不利は変わらない。

「お姉ちゃんとわたしの潜在能力は同じ。
 念の力も互角。
 でもわたしは、ほんの少しだけあの人から力を貰った。 
 その分だけ、お姉ちゃんよりも強い」

麻美は薄く微笑んだ。対するなつみは表情を消したまま。
大陽でも月でもない。真っ暗な夜空のような無表情。
麻美の目がすうと細まる。

「気に入らないな、その目。
 この状況で、まだあきらめてないような目。
 何を……考えているの、お姉ちゃん」

何も言わず、なつみは構えを解いた。だらりと木刀が垂れ下がる。
怪訝そうに麻美は眉をひそめた。

「なんのつもり?」
「あきらめたりなんかしないよ。
 あなたとは、背負っているものが違うから」
「負け惜しみ? お姉ちゃんの攻撃はわたしにはあたらない。
 それでどうやって勝つつもりなの?」
「だったら、試してみるかい」

麻美は反射的に顔を捻った。
木刀が髪の毛を掠めて通り過ぎる。

「く!」

無意識の動きだった。いや、意識していては間に合わなかっただろう。
いつの間に突きを放ったのか、麻美には気が付くことができなかった。
きっと姉を睨みつける。
吊り上った目に映るチャクラの光。
頭上に輝く天使の輪。
なつみは先ほどと同じ姿勢で立っていた。
その表情も変わらないまま。殺気は全くない。
いや、攻撃するという気配すらいっさい感じられなかった。

「……無拍子か。
 さすが、お姉ちゃん。こんな技まで使ってくるなんてね」

言いおいて麻美は体を捻った。
振り抜かれた木刀が、今度はワンピースの裾を持っていく。

刀を構え、そして斬る。二つの呼吸、ゆえに二拍子。
間合いに入れば即座に斬る。一つの呼吸、ゆえに一拍子。
予備動作を無くし、いつ攻撃したのかどころか、いつ攻撃されたのかすら分からない斬撃。
ただ一つの呼吸も無し、ゆえに無拍子。
剣を使うものにとっての、最大の奥義。

休む間もなく麻美は体を動かし続けた。
髪の毛や、服の切れ端が辺りを舞う。
攻撃のタイミングが読めない。
かわせているのは、ただのカンだ。
しかし、それでも麻美の口元に笑みが浮かぶ。

「そう……そうでなくっちゃ。
 最強の念法使い。お姉ちゃんの真実の力。
 そうよ、最初からこうしてれば良かったのよ。
 小細工なんていらない。
 命を削るような遣り取り。
 それこそが……わたしを強くする」

黙したまま、なつみは木刀を振るった。
いつ、どこから攻撃が飛んでくるか分からない。
それでも麻美は、ぎりぎりのところでその全てをかわしていた。

「見えた」

再び木刀が噛み合う。
なつみは後ろに飛び退いた。その肩から血が噴き出す。
麻美の頭上。そこにあるのはチャクラの光。
それは姉と同じ、最高位の力を持つ輝き。

「追いついた。
 わたしはお姉ちゃんに追いついた。
 ううん、わたしは……お姉ちゃんを超えたんだ」

笑みを浮かべる妹に、血を流しながらも姉は静かに呟いた。

「違う。
 あなたはわたしに追いつく事は出来ない。
 あなたはわたしに勝つ事は出来ない。
 あなたには……足りないものがあるから」
「ふふ、もういいよ。
 わたしは強くなる。お姉ちゃんを倒す事で。
 最強の念法使いは……安倍は二人もいらない。
 わたし一人だけで──」

なつみが一歩間合いを詰めた。
木刀をだらりと下げたまま、再び無拍子を狙う。

「ダメよ、お姉ちゃん。ソレはもう見える」

麻美はその攻撃を余裕を持って待ち受けた。
木刀と木刀が触れ合う。最後の反撃を狙い、麻美の口元が吊り上がった。
しかし、受けられたはずの木刀は、麻美の木刀にぐるりと巻き付いた。

「な!」

なつみの木刀は、新垣の魔法で変身する前──柴田の鞭に戻っていた。
驚愕に隙の生まれた麻美。一瞬、しかし致命的な間。
ぐいと引かれた木刀が、するりと手から離れた。
背を向けながら、なつみは妹に話しかける。

「お豆ちゃんの魔法ってね。十分しか持たないんだって。
 時間が切れたら元に戻ってしまうのさ。
 そして今がちょうどその十分」
「そんな、そこまで計算して……」

奪われた木刀が、なつみの手の中に収まる。

「たとえ同じ力を持っていても、あなたには実戦が足りない」

回転する勢いを利用し、なつみは木刀を横殴りに振るう。
ひゅん、と風を切る音。振り抜いた体勢のまま、なつみは小さく呟いた。

「あなたに欠けているもの。絶対に埋まらないわたしとの差。
 それは死地を潜り抜けてきた回数。経験の差」
「おね……ちゃ……」

どさりと力を無くしたものが倒れる音がした。
ソレを見下ろすなつみの目は、珍しくどこか翳って見えた。

果たしてこの存在はなんだったのか。
幼い日に死に別れた妹なのか。
それとも自分が封じ込めた記憶の作り出した幻影だったのか。
だが、もうそんな事はどうでも良かった。
ただ、この少女が不憫だった。
利用するためだけに蘇らされ、力を与えられた哀しき存在。

──せめて覚えていてあげましょう。
  ずっとずっと。
  あなたのことを。
  もう二度と忘れたりはしない。
  わたしの記憶の中に、あなたはずっと存在し続ける。

「安倍さん!」

名前を呼ばれて振り返った。
紺野に肩を貸す新垣。後ろには片足を引きずる柴田。

「さすが安倍さんですね! あたしずっと信じてました。
 絶対に安倍さんは勝つって」
「ありがとう、お豆ちゃん。みんなも。
 みんなのおかげで助かったよ」
「そんな、安倍さんがいたからあたし達は勝てたんです」
「ううん、なっち一人じゃ勝てなかった。
 みんながいたから、仲間がいたから勝てたんだよ」

これまで、安倍はずっと一人で戦っていた。
組織に協力をすることはあっても、戦いの場では常に一人でいた。
それは最強という称号を持つものの、誇りと自負。
そして自分に課した枷でもあった。
一人で戦うこと、それこそが強さの証だと思っていた。

──今頃になってこんなことを思うなんて……ね。

最後まで自分のために戦った麻美。
仲間に助けられ、仲間のために戦ったなつみ。
仲間の存在。それこそが勝利の鍵だったのかもしれない。

「後は石川さん……。
 大丈夫でしょうか、一人っきりで」
「大丈夫、きっと梨華ちゃんはやってくれるよ」

心配そうに言った紺野に、安倍は力強く答えた。

「信じよう。うちらの仲間を」

安倍は笑った。
久しぶりに現われる心からの笑顔。
それは日溜りのように柔らかく、そして暖かい笑顔であった。

石川の目の前には、閉ざされた扉があった。

この戦いの最終目的地。
父の敵。友の敵。全ての災いの元凶。
語り尽くせぬ思いがこみ上げる。

滑らかな表面に触れた。
コンバットスーツはいったん解除している。冷たい感触が指先に広がった。
何の抵抗もなく、すっと扉は開いた。

「ようこそ」

良く通る声が聞こえた。
耳馴染みの良い、それでいて恐怖と怒りを呼び起こさせる声。

「まさか、ここまでたどり着くとはね。正直予想していなかったよ。
 まさに奇跡だな」
「奇跡じゃない」

はっきりとした声で、石川はそう言った。

「わたしがここに来れたのは、みんながいたから。
 みんなが闘ってくれたから、わたしはここにいる。
 みんなに託された思い。それがあるからここまでたどり着けた。
 それは奇跡なんかじゃない。
 これは……必然よ」

ぐいと向けられた鋭い視線。
中央の椅子に腰掛けたまま、男はその視線を正面から受け止める。
石川は静かに呟いた。

「マグラ・グリフォス。
 あなたを……逮捕します」


           第拾弐夜  〜幕〜


殺風景な部屋。
その中に満たされていたのは、ただ光だった。
真っ白な光。
壁や天井がどこにあるのかも分からないくらいに溢れた光。
中央に座したのは一人の男。
白い光に溶け込むかのように、純白の服に全身を包んだ男。
これまた真白いスツールに腰掛け、優雅に脚を組む。
整った顔に浮かぶ柔らかな笑顔。
だが、見るものを魅了するその笑顔の下に、毒々しい悪意が潜んでいることを、
石川は既に知り尽くしていた。

「逮捕? 私を? ふふ、なるほど」

男──マグラ・グリフォスは喉の奥でくっくと笑った。

「何がおかしいの!」
「いや失礼、確かに君たちは素晴らしいよ。
 私の仕掛けたトラップを全てかい潜り、見事に仲間を助け出すなんてね。
 私の計算も狂ってしまった」
「え! それじゃ、飯田さんや後藤さんも……」
「見せてあげよう」

ぱちりと指が鳴ると、中空に複数のスクリーンが浮かび上がった。
傷付きながらもしっかりと立った仲間の姿を見て、石川の胸が思わず熱くなる。

「みんな……」

ここまでの長かった道のり。一人では決してたどり着くことはできなかった。
信頼する仲間達、その支えがあったからこそ──。
こみ上げる思いを押し殺し、石川は部屋の中央に厳しい目を向けた。

「覚悟しなさい。
 あなたはもう終わりよ」
「覚悟? 私が?
 何故そんなことをしなければならないんだね」
「今更何を……。
 分かっているでしょう、あなたはゲームに負けたのよ」

石川の視線を純白の男は真っ正面から受け止める。

「真っ直ぐな目だ。
 自分の信念を疑うこともない、清らかな瞳。
 強い意志のこもった視線、その輝きはいつ見ても美しい。
 そう、もっと私のことを見ておくれ。
 その心に刻み込むために」
「ふざけないで!」
「ふざけてなどいないさ。
 しかし……だ。私はまだ負けてなどいない。
 君は私を逮捕する事は出来ない。
 絶対にね」

追い詰められているようには見えない男の態度に、石川は奥歯を噛み締める。

「そう、君たちの活躍は本当に素晴らしかったよ。
 しかし、残念ながら私の計算を大きく上回る程ではなかった」
「どういうこと?」
「最初に言っておいたはずだよ。
 このゲームにはタイムリミットがあるって」
「タイムリミット……」
「月が中天にかかるまで。
 世界を重ね合わせる準備が整うまで。
 そう言っておいたはずだ。覚えていないかね」
「まさか……」
「……指定しておいた三時間は、ついさっき過ぎ去った。
 既に時空をずらすだけのエネルギーは集まっていた。
 ニューロコンピュータによる座標の計算も完璧だ。
 後は発射を待つばかり。
 君たちはほんの少し遅かったんだよ。悲しいことにね」
「そんな……なんてこと……」
「今までの事は全て余興に過ぎない。
 本番はこれから始まる。
 ……いや、既に終わっているのかもしれないな」
「止めて! 止めなさい!」

叫んで石川はブラスターを向ける。
銀色に輝く銃口が男の頭に狙いを定めた。
しかし、その先はまるで熱病にかかっているかのようにぶるぶると小刻みに震えていた。

「申し訳ないがそれは無理だね。
 既にスイッチは押してある。
 今からそれを止めるなんてことは、私にも不可能なんだよ。
 時空は歪む。人類は滅びる。予定通りにね」
「そんな……ここまで来て……」

敵の言葉に嘘はないと悟ったのか、石川は糸が切れた人形のようにがっくりと膝をついた。
何かに祈りをささげるように両手を握り締める。
その姿を見て、マグラ・グリフォスは穏やかな顔で笑った。
ばさりと音を立てて、背中から翼が現れる。真っ白な部屋の真っ白な主。
それはまるで、地上に舞い降りた神の御使いのように見えた。
残酷な天使は薄い唇をゆっくりと開く。
低く良く通る声が部屋の中に響いた。

「私の……勝ちだよ」


Morning-Musume。 in 


         百 姫 夜 行。 ─ 翔─  


            ―― 第拾参夜   お終いの夜明け

「っきしょ! なんてヤツだ!」

白い部屋の会話は、建物全体にも行き渡っていた。
無情なる宣言に行き場のない思いを抱えた矢口は、拳を壁に叩きつける。

「矢口さん……」

心配そうに顔を寄せる加護達。
しかし、だからといって何ができるわけでもない。
ただただ、互いの手を握り合うことしかできなかった。
すがるような目で飯田を見上げる。

「飯田さん、どうにかできないんですかぁ?
 このままじゃ……このままじゃ……」

その問いかけには答えず、光の巫女は木彫りの仏像のようなまなざしで、
真っ直ぐに前を向いていた。
まるでこれから起こる出来事を知っているかのように。
全てを見透かしているかのような澄んだ目で。

「どうしよう……どうすれば!」
「里沙ちゃん、落ち着いて!」

取り乱す新垣を紺野がなだめる。
二人を見つめる柴田の目も、いつものように凛とした光を失い、悲しげにけぶって見えた。

「手は……あるよ」
「え?」

喉の奥に詰まった何かを吐き出すかのように、ぽつりと安倍が呟いた。
その声に新垣が涙に濡れた顔を上げる。

「そう……一つだけね」

後輩の顔を見詰め、安倍は再び言葉を搾り出した。
何かを悟ったのか、新垣は奥歯をぐっと噛み締めた。
念法使いの顔、そこからはいつも仲間を照らす明かりになっていた笑顔が顔を潜め、
なぜか泣いているかのような印象さえ感じられた。

「ごっちん! 何するんだよ!」

吉澤の声が響いた。
長い苦労の末、ようやく助け出すことのできた親友。
今、その友との間には、二人を隔てる透明な壁があった。

先ほどの敵の言葉は、当然この部屋にも届いていた。
勝利を目前にしての思いもかけない衝撃。
無力感から吉澤は顔を上げることが出来ないでいた。
だから吉澤は気が付かなかった。
後藤が部屋の奥へと身を翻したことを。

「ごっちん! ごっちん!」

部屋の奥には吉澤たちが入ってきたのとは違う出口があった。
後藤はそこに飛び込み、ボタンを操作した。
慌てて後を追った吉澤の目の前で、降りてきた透明な壁がその行く手を阻んだ。
扉は何でできているのか、向こうが透けて見えるのに、いくら叩いてもびくともしない。
必死な顔で呼び続ける吉澤を、後藤は壁越しに見詰め、静かに口を開いた。

「あるんだ、ここに」
「ある? あるって何が!」
「さっきアイツが言ってた装置。
 時空をねじ曲げるってヤツ。
 この先に……あるんだ」
「ええ! 何だって!?」

吉澤は思わず声をあげた。
後藤はわずかに片頬を上げて笑った。
その笑顔に吉澤は息を飲む。
最後に会ったときからそう経ってもいないはずなのに、妙にげっそりとやつれて見える顔。
頬の線が細くなったせいか、目が大きく強調されているように感じる。
外見の変化だけではない。
前にはなかったはずのある種の儚さが、後藤のその表情を際立たせているように思えた。

「あたしね、覚えてるんだ。仮面を付けてるときのこと、全部。
 だから知ってるんだ。この先にその装置があること。
 こうなったら、アレを止めるには直接その装置をぶっ壊すしかないってこと」

コンバットスーツの中の吉澤の目が丸くなった。
後藤は淡々と話を続ける。

「なんか、ここにはね。全てのエネルギーが集まってるんだって。
 なっちから、圭織から、あたしから集めた力。
 それを止めなきゃいけない。そうでしょ。
 大丈夫、みんなはあたしが守るよ」
「ちょっと待ってよ、ごっちん!
 だったらあたし達も行く。皆で力を合わせれば──」
「だめだよ」

静かな一言に吉澤の勢いが止まった。

「アレを爆発させたらきっとすごい事になっちゃうよ。
 だからダメ。あれは後藤がやるんだ」
「だからって、そんなこと、ごっちん一人にさせられるわけないじゃんか!」
「大丈夫さぁ、ごとーは不死身だからね。
 どんな事があっても、なんてことはないよ」

再び後藤はあの笑顔を見せた。
何かを達観したような笑顔。
それを見て、吉澤の胸がさわりと騒いだ。

「ごっちん──」
「退魔師はさ、弱き人のために戦うんだ」

二人の会話に口を挟むものはない。
アヤカに肩を借りた小川も、じっと黙って耳をそばだてていた。

「退魔師は戦う、その笑顔を守るために。
 その身を削り、みんなのために。
 それこそがあたし達の生きる道」

透明な壁は全てを透かしてみせた。
不死の少女の決意さえも。
吉澤は何も出来ず、原因の分からないまま込み上げてくる感情をただ持て余していた。
手が届きそうなほど近くにいる。
か細い手を取り、力強く握ってやりたい。
しかし、そのほんのわずかな距離が恐ろしいほどに遠かった。

「ね、出会った日のこと覚えてる?」

唐突に後藤が聞いた。

「あ、ああ、もちろんだよ」
「そっか、やっぱよっすぃーは優しいね」
「何言ってんだよ! おかしいよ、ごっちん!」

こみ上げる感情を押し殺すこともできずに吉澤が叫ぶ。

「へへ、ごめん。ヘンなこと聞いたね。
 やだな、なんて顔してんのさ。
 大丈夫、きっと大丈夫だよ。こんなの簡単さ。
 さっきも言ったとおり、ごとーは不死身だからね。
 あたしは帰って来るさ」
「ホントだな。本当に帰ってくるん──」
「よっすぃー」

その言葉を遮るように、後藤は友の名前を呼んだ・

「いっこだけ……いっこだけゴメンね。あやまっとく。
 さっき言ったでしょ。全部覚えてるって。
 よっすぃー達と戦ってたことも、もちろん覚えてる。
 操られてた。それはホント。
 でもね、その時ほんのちょっと、ほんのちょこっとなんだけど思ったんだ。
 ……このまま、全てが消え去ってしまえばいいって」
「ごっちん?」
「さよなら、よっすぃー」

すっと後藤は身を翻らせた。
通路の奥へとその姿が消えていく。

「ま、待ってごっちん! ごっちん! 待てって、おい!!」

吉澤の声は届かない。
紫のドレスは闇にまぎれて見えなくなった。

「あの子……死ぬ気ね」

アヤカの言葉に吉澤は弾かれたように顔を向けた。
冷静な美貌、その横顔を見上げる。

「いくらあの子が不死身だからって、あれだけのエネルギーが蓄えられたものを壊して
 無事でいられるとは思えない。
 第一、こんな宇宙空間でそんなことをして、外に放り出されてしまう可能性が高い。
 そうなったらいくら後藤真希といえども……」
「嘘だ! 何でごっちんがそんなこと──」

ムキになる吉澤を、アヤカは優しいとも思える眼差しで見つめ返した。

「あの子の情報を集めていて気になってた事があったの。
 前にあの子が自分の分身と戦ったときのこと。
 あの時、ファントム──ユウキと呼ばれた不死の存在は自分を消そうとしていた。
 呪われた生命を捨て去ろうとしていた。きっと後藤真希はそのことを感じ取っていた。
 ……痛いほどにね」
「何……何言ってんだ」
「彼女はずっと自分の能力を嫌悪していた。
 不死の力、その力ゆえに彼女は生者と同じ道を歩むことはできない。
 永遠にゴールの来ないマラソン。
 彼女は常に取り残される立場でしかない。
 どれだけ他人と関係を築いたとしても、それはいずれ消滅する。
 別れ……それが彼女にとって常に恐怖の対象だった」

吉澤は黙ってアヤカの言葉を聞いていた。
アヤカは意識的なほど事務的に話を続ける。

「これは自衛隊の資料にも書かれていたことよ。
 その後、退魔師になった彼女は他の退魔師と触れあい心の安定を得る。
 でも、それでも彼女は悩んでいたのよ。心の奥でずっとね。
 そして望んでもいた。全てが消え去ってしまうことを」
「嘘だ!」
「嘘じゃないわ。だから彼女は一人で行ったのよ。全てを終わらせるために」
「っくしょー!」

急に振り向いた吉澤は壁に拳を叩きつけた。
コンバットスーツは紅く変わっている。
しかし、ガラスのように見えるその材質は、見た目に反してびくともしなかった。

「無駄よ。材質は分からないけど、今の私たちの攻撃力ではこの壁を破ることはできないわ」
「っさいよ! それでもやらなきゃ、ごっちんが!」
「あの子の気持ちを無にするつもり?」
「……どういうことだよ」
「あの子が言ったとおり、あの装置を破壊しなければ人類は滅びるわ。
 そして今それができるのは彼女だけ。
 彼女を止めれば人類は滅びる。
 どうする? あなたはどちらを選ぶの?
 一人の親友と、多くの力無き人々の」
「そんなの……そんなの選べるわけないじゃんか!」
「でしょうね。
 ……でもね、仕方がないのよ。これしか方法はないのだから」
「うわああぁぁぁ!!」

再び吉澤は壁に拳を打ちつけた。
休むことなく叩きつけられる攻撃にも、壁は何の変化も見せない。
その姿を小川はじっと見つめていた。何も言わないまま。

いつしか、吉澤はその場に崩れるように座り込んでいた。

後藤の目の前には紅く輝く小さな球体があった。
透明なケースに収められたそれは、直視できないほどの光に満ちている。
装置自体はあっけないほどに小さい。
しかし、これこそが最強の退魔師達から集められたエネルギーの塊。
人類を滅ぼす力を持った装置であった。

「いいんだよ、これで」

後藤はひどく穏やかな気持ちでいた。
前からずっと感じていた。
大勢の仲間に囲まれていながら、自分の居場所はここではないのだという違和感を。
何か足りない、何か足りない、いつも心の中で叫んでいた。
そう、彼女は常に異質であり特別であった。

──裕ちゃん、みっちゃん、カオリ、なっち、他のみんなも。
 一緒にやっていくのは楽しかった。
 みんなに会えて嬉しかった。
 でもね、あんまり近づいちゃいけないって思ってた。
 きっと最後は悲しい思いをするから。

ゆっくりと前に進む。
装置にはコンソールが付随しており、ディスプレイにはカウントダウンが進行していた。

──昔なんかでこういう話読んだな。
 ああ、そうだ。ギリシャ神話だっけ。イカロスとか言う人の話。
 大陽を求めて空を飛ぼうとした英雄。
 でも、やっと空を飛べたイカロスは、待ち望んでいた太陽の熱で羽が溶けてしまい墜落する。
 あたしも同じだ。
 求めるものに近づけば近づくほど、みんなのことを好きになればなるほど、
 あたしの羽根は、みんなのあったかさで溶けちゃうんだ。

カウントがゼロになるにはまだ少し時間があった。
後藤はゆっくりと目を閉じた。

──ずっと忘れてた、こんな気持ち。
 ううん、忘れたつもりになってた。
 あの時、いちーちゃんに一緒にいようって言われた時から、
 あたしは大丈夫だって自分に言いきかせてきた。
 でも、やっぱダメなんだよね。
 あたしはやっぱり一人なんだ。

それは不死の能力が発現したときから、家族を失ったときから、
ずっと胸の内に抱えていた感情。

320 第拾参夜 2003/11/30(日) 19:02
──いちーちゃんもどっかに行っちゃった。
 よっすぃーだって、これが終われば自分の星に帰っちゃうんだ。
 ううん、あたしは誰ともいっしょにいることはできない。
 みんなあたしを置いていってしまう。
 もう嫌だよ、さよならって言われるのは。
 もう誰かを見送るのは嫌なんだ。

そっと目を開く。
その顔に浮かぶ確かな決意。
それは端正な美貌にさらに凄みを加えていた。

──もう疲れちゃったよ。
 苦しみを捨てるには、何も持たなければいい。
 手に入れたものをすべて捨ててしまえばいい。
 何も持たなければ、何も失うことはないのだから……。

すっと息を吸い込む。
自分を鼓舞するように笑ってみせる。
つり上がった唇がゆっくりと開いた。

「さ、派手にいくべ」

そう言うと、後藤はコンソールに手を伸ばした。

後藤の指がコンソールにかかった。
ディスプレイの中ではいくつもの数字が画面の中を踊っている。
淡い光が、後藤の顔に陰影をつけた。
固めた拳を振り上げた。
そのまま勢いを付けて振り下ろす。
それだけでコンソールは真っ二つに割れるだろう。
そうすれば、球体の内部に蓄えられたエネルギーは暴走を始める。
暴走したエネルギーが何を引き起こすのか、後藤にも良くは分からない。
しかし、自分が無事でいられないだろうということはわかっている。
あるいは、これこそ死というものを軽く扱ってきた報いなのかもしれない。

「これでいいんだ……これで……」

自分の判断を後悔なんてしていない。
この呪われた命と引き替えに、かけがえのない人たちを守れるのならば本望だ。

──無事でいてね。よっすぃー。

先ほど別れた友。二度と会うことのない親友を思う。
生涯で初めてできた対等の友。
そののほほんとしたキャラクターは、無気力という仮面の下に隠していた繊細な心を
再び表面に引き上げてくれた。
そんな親友と、こんな別れ方をしなければならなかったことに心の中で謝罪する。
きっと今頃は大きな声で「バカヤロー」と叫んでいることだろう。

後藤はそっとまぶたを閉じた。

万感の思いを秘め、うつむいた顔に柔らかな髪がかかる。

しかし、一度閉じた目はすぐに開かれた。
顔を上げ後ろを振り返る。
さっきまで哀しげだった後藤の表情が、すぅと無くなっていた。

退魔師の本能が、迫り来る大きな圧力を感じ取っていた。
首の後ろがちりちりするような感覚。
これまで感じたことがないほどのプレッシャー。
それは後藤がやってきた方向から感じ取れた。

──まさか……敵?
 でも、ここまで来て、誰にも邪魔はさせない。
 させるわけにはいかない。

厳しい退魔師の目になった後藤は、すっと身構えた。
自分が先ほど通ってきた場所。
閉ざされた扉を睨み付ける。
何であろうとと関係ない。
覚悟は既にできている。
何が起きても動じることはもうない。

これが最後の戦いになるだろう。
そう決意して、後藤はぎゅっと拳を握り締めた。

まばゆいばかりの青白い光が、部屋を横切るように突き抜けた。
壁は一瞬で消し飛んだ。
後藤の身長ほどもある光の束。
触れるものを全て原子のチリに変える、莫大なエネルギーの奔流。
それは後藤から向かって右から左へと、ものすごい勢いで通り過ぎていった。

「な! な! な! 何!?」

先ほどの決意を吹き飛ばすほどの出来事に、後藤は尻餅をついて顔をひくつかせる。
光がやんだ。
じゅうじゅうと音を上げて溶け落ちる壁。そこから現れた一人の人物。

「ごっちん!」
「よ、よっすぃー!?」

壁に空いた大きな穴から飛び込んできたコンバットスーツを見て、後藤は大きな声を上げた。
先ほど別れた友。二度と会うことのない親友との再会。

「な、何で!? 何でよ!?」
「石井さん、成功です。ありがとうございました」
『本当に撃っちゃったんですね。
 でも、いいんですか? 惑星上でボルカニックボンバーなんてもの使っちゃって。
 しかも連邦からの許可も貰わずに……』
「う、はは……あたし、歴史に名前残っちゃうかも」

吉澤の両肩には大きな巨大な砲身がくっついていた。
先ほどのエネルギーはここから放たれたものだったのだろうか。

「ちょ、ちょっとよっすぃー! 何してんのよ!」
「うっさいよ! ごっちんのバカチン!」

勢い込んで尋ねかけようとした後藤は、吉澤の勢いに逆に押され言葉に詰まる。
ぷし、と小さな音がしてコンバットスーツのゴーグルが開いた。

「本当は死ぬつもりだったんだろ。
 帰ってくるなんて嘘だったんだろ。
 全部ここで……終わらせるつもりだったんだろ」
「よっすぃー……」

真っ直ぐな目がこちらを射抜くような鋭さで向けられる。
その強さに耐えかねて、後藤はそっと目を伏せた。

「勝手に悲劇のヒロインになんてならないでよね。
 そんなのあたしが絶対許さないから」
「ごめんね。
 でも、でもこうでもしないとみんなが……。
 それにいいんだよ、あたしのことは良いんだ。
 あたしはみんなを、力無き人たちを守るんだ。
 それが退魔師の道。そのためなら──」
「あたしはさ、宇宙刑事なんだ」
「え?」

唐突な言葉に、後藤は言葉を止める。

「あたしは退魔師じゃない。あたしは宇宙刑事だ。
 だから、退魔師の道なんて知ったこっちゃない!
 誰かを守るために自分を犠牲にするなんて、そんなのはイヤだ!!」
「……」
「ごっちん、あたしは馬鹿だからね。
 一人の仲間と、多くの力なき人たち、どちらかを選ぶなんてそんな難しいことできない。
 だから……どっちも助ける。
 どっちも犠牲になんかしない。
 全部あたしが面倒見てやる。
 例えソレがどんなに無茶苦茶でも」

言い切った吉澤。
ぽかんと口を開けていた後藤の顔が、ほんの少しだけほころぶ。
そう、そうだった。
この人物は、この親友は、いつもこうやって自分を勇気づけてくれる。
気持ちを穏やかにしてくれる。
本当に……かけがえのない……。

「カッコいいこと言ってるけど、何か勝算はあるんでしょうね」

後ろから冷たい声が響く。
溶け崩れた穴から、小川を抱えたアヤカがその姿を現した。

「え、そりゃ、この措置を全部ぶっつぶして……」
「馬鹿ね。この装置は次元を変異するための装置よ。
 下手に破壊すれば、次元そのものに穴があいてしまう。
 もし次元の狭間に落ち込んでしまえば、決して元の世界に戻ってくることはできない。
 例え不死の体であっても、そうなってしまえばもうどうすることもできないのよ」
「じゃあ、どうしろって言うんだよ」

アヤカの言葉に吉澤は唇を尖らせる。

「まったく、やっぱり何も考えてなかったのね。
 あなたの勇気は立派だけど、それだけじゃ何にもならないわ」
「し、しょーがないだろ! あたしにはこれしかないんだから。
 だいたい文句言うくらいならついて来なきゃ良かったんだよ」
「そうも行かないのよ。こうなってしまったらね」

無鉄砲な宇宙刑事に、アヤカは困ったように片頬を上げる。
高性能のコンピュータでも割り切れない、複雑な感情。
その思いをもてあましつつも、アヤカの気分は決して悪いものではなかった。
とはいえ、確かにこの危機的状況は、気合いだけでどうにかなるものではない。

「エネルギーにエネルギーを重ね合わせたんじゃ何にもならない。
 このエネルギーをまるまる無にするなんてこと……。
 一体どうすれば……」
「確かに普通にエネルギーぶつけただけじゃダメだろうね」
「その声は……。安倍さん! 飯田さんも!」

いつの間に現われたのか、後ろから声をかけたのは光の巫女と最強の念法使い。
全てを悟ったような顔で、二人はついと宇宙刑事達の前に進み出た。

「真打ち登場、ってね」
「無事だったんですか? でもどうしてここに……」
「ケリをつけないといけないからね。
 もともと、アレはあたし達の力だ。自分の蒔いた種は自分で刈り取るよ」
「でも、これどうするんですか!? 何か良い手があるんですか?」
「エネルギーをエネルギーで相殺する……しかないだろうね」
「はぁ!?」

頭の上に大きなハテナマークを浮かべる吉澤。
その横でアヤカはきゅっと顔をしかめた。

「まさか……霊的エネルギーの対消滅?
 そんなこと……いいえ、アカシックレコードを読みとる光の巫女、
 それに時空を操作できる念法使いの力があれば……。
 うん、理論的には確かに可能だわ。でも……」
「おい、なんだよ。何言ってんだ!?」
「今蓄えられているエネルギーと完全に対になるエネルギーをぶつけるの。
 さっきのあなたの攻撃、あれならあそこにあるエネルギーと同等の力が出せる。
 それをあの二人の力で変換して──」
「それをぶつければ、あのエネルギーを消すことができるってのかよ」
「さっきも言ったように、理論的には確かに可能よ。
 でも、エネルギーの量、変換する質、ぶつけるタイミング。
 どれか一つが狂っても失敗してしまう。成功するには奇跡の大安売りが必要よ。
 そして、失敗すれば全て終わり。
 増幅されたエネルギーは、この部屋どころか月ごと破壊してしまうかもしれない」

アヤカは唇をかみ締める。静かに飯田が口を挟んだ。

「あらかじめ言っておくけど、あたしが”見た”のはここまで。
 これからどうなるのかは誰にも分からない」
「それでもやらなきゃなんないのさ。それがあたし達の存在理由なんだから」

穏やかに安倍が呟く。
決意を込めて、吉澤は顔を上げた。

「そうだよ! 今までだってこんなヤバい状況は何度だってあった。
 それを全部あたし達は乗り越えてきたんだ。
 奇跡だって起こしてみせるさ!」
「そう、その意気さ」

安倍が静かに笑う。

「でもね、奇跡なんて本当はないんだよ。
 今までやってきたことを全てぶつければ、結果は自然とついてくる。
 それは奇跡なんかじゃない、必然なんだ。
 なっち達はずっと、ずっとそうやってきた。そしてそれは、これからも同じ」
「も、もう時間がないですよぉ!」

情けない声で小川が叫ぶ。
ディスプレイのカウントダウンは順調に進んでいた。
ゼロになるまでもうあまり時間はない。

「……分かったわ。エネルギー量の調整は私がやります」

覚悟を決めたアヤカの硬い声、それが合図となった。
ラストミッション。
戦士たちは黙って配置についた。

「石井さん、聞いての通りです。もう一発ブチかましますよ」

吉澤は、ホワイトドラグーンの石井へと通信を開いた。
隣ではアヤカが猛烈な勢いでエネルギーの計算を始めていた。
かっと見開かれた瞳が、白く変わっている。

『しかし、いいんですか?
 無許可で2発もボルカニックボンバー使うなんて、こんなこと今までに例がないですよ。
 いくら任務のためとはいえ、ただじゃ済みませんよ。
 いったい、どんな処分を受けるか……』
「へへ、そんなの関係ないっすよ。
 大丈夫、責任は全てあたしが取ります。
 石井さんには迷惑かけませんから。
 あたしは自分の大切な人たちを守るために力を使います。
 全てが終わって、みんなで一緒に笑いあえる。
 それがあたしにとって一番大事なことなんです。
 後の処分なんて、知ったこっちゃない。
 だから、お願いします。撃たせてください。
 これは、あたしの……存在理由なんです」
『……準備はもうできてます。トリガーはそちらに』
「ありがとう、石井さん」

「そういえば、圭織と二人で何かをするって初めてかも」
「ふふ、そだね。
 ずっと一緒にいて、ずっとお互いの存在を意識してたはずなのにね」

奇妙な因縁に縛られた二人。表現のしようがない絆で結ばれた戦友。

「今、日本じゃ何時頃かね」
「夜中でしょ、あっちじゃこの月が出てるんだから」
「あー、そっか。
 道理で眠いと思ったよ」
「ふふ、寝ぼけたりしないでよ。
 まあ、なっちはいつもぼんやりしてるけどね」
「なぁーにぃ、圭織の方こそ大事なときに交信なんかしないでよね」

緊迫した事態とは思えないほど軽いやりとり。
それも、長いつきあいから来る信頼ゆえか。

「無事に地球に帰れたら、一緒にコーヒー飲もうよ。夜明けの太陽見ながらさ」
「いいね、モーニングコーヒー飲もうか。二人で」

二人で目を合わせ、軽く微笑む。

「んじゃ、いこか」
「あいよ」

それまでの空気を振り切るかのように、二人は装置に厳しい目を向けた。

飯田が懐から鈴を取り出す。
──しゃん。
清涼な音を立てて、鈴は宙に舞い上がった。
くるくると、風に煽られたかのように、鈴が空中に輪っかを作る。
その輪が二重になり、さらに複雑に絡み合っていく。
それはまるで、空に描かれた大きな曼陀羅のように見えた。

「んじゃ、なっちもいくよ」

安倍が木刀を構える。
その切っ先からゆらゆらと気が立ちのぼり、曼陀羅へと吸い込まれていった。
溶け合う二つの力。そして生まれるある種の力場。

鈴に囲まれた部分が、まるでレンズのように空間を歪めていた。
その向こうに見えるエネルギーの詰まった球体。
カウントはもうすぐゼロになろうとしていた。
全ての結末が、すぐそこまで迫っていた。

「よし来い! よっすぃー!」
「うぉぉぉ! いっけぇぇぇーーー!」

コンバットスーツの肩から、エネルギーの奔流が放たれる。
光の束は歪んだ空間を抜け、その力を変換しつつ、真っ直ぐに目標へと向かった。
全ての人の思いを乗せて。

「いっけぇえええええ!」

変換されたエネルギーが、弾ける寸前にまで達していた球体にぶつかる。
あふれ出す光が、辺りにフレアを作った。
音もない圧力が耳元を通り過ぎていく。
荒れ狂う空間の中、安倍と飯田の二人は微動だにせずフィールドを維持していた。
飯田の長い髪が翻り、安倍のワンピースがばたばたと音を立てる。

吉澤の肩から放たれた巨大なエネルギーの塊。
三人の退魔師から集められた高純度の力。
両者がせめぎ合い、ぎしぎしと耳障りな音を立てて空間がきしむ。

ここが本当のデッドラインだった。
人類が滅びるか否か。
それが今決まろうとしている。

「くっそ、静まれ……静まれよ!」

突き上げてくる思いを堪えきれず、吉澤は大きな声で叫んだ。

──不意の静寂。
祈りが通じたのか、嵐のようだった騒ぎが嘘だったかのように、部屋の中は一瞬で静まりかえった。

「やった……の?」

声を出すことも出来ず、ずっと息を詰めていた石川は呆然と呟いた。
真っ白な部屋。
そこに浮かぶスクリーンの中の仲間の活躍。
何も出来ず、ただ見ているだけというのは思った以上に苦しいものだった。
しかし、それももう終わる。

「素晴らしい。
 実に素晴らしいよ、君たちは」

部屋の中央で、優雅に座していた男は手を叩いた。
ぱちぱちと乾いた音が響き渡る。

「私の仕掛けたゲームをことごとくクリアしていくなんて。
 さすがに私が見込んだだけのことはある。
 とても素敵だ。私も非常に嬉しいよ」
「これで終わりね。今度こそあきらめなさい」

石川はきっと男を睨み付ける。
しかし、男はゆっくりと首を振った。

「それはどうかな」
「どういうこと!?」
『な、なんだ!』

せっぱ詰まった声が聞こえ、石川は慌てて振り向いた。

「ダメ! これじゃ、何にもならない!」

アヤカの悲痛な叫びが部屋の中に木霊した。
吉澤は球体のあった場所に目をやる。
そこの空間がぐにゃりと歪んで見えた。

「ほんの少しだけ出力が足りなかったんだわ。
 人一人分の質量だけずれてしまってる。
 このままじゃ、いずれ次元に穴が開いてしまう」
「なんだって!」

吉澤は思わず叫んだ。
もう一度あれを撃ちこむだけのエネルギーはもう残ってない。
打つ手はもう何もないのだ。

「チェックメイト……ね。
 結局私たちは敵の手のひらを超えることが出来なかった。
 ……私たちの負けよ。残念ながらね」
「まだだよ……まだ終わってない。終わらせやしない!」
「え?」
「吉澤さん!」

小川の声を背に、吉澤は勢いよく走り出した。
向かう先は空間の歪みそのもの。

「まさか! 自分の体で質量の差を補おうとするつもりなの!?」
「そんな! そんなことをしたら……」

とっさの判断だった。
体が勝手に動いたのだと言っても良い。
ただ、終わらせたくはなかった。
今まで出会った大切な仲間も。
居心地の良い第二の故郷も。
だから走っていた。その結果、自分がどうなるかなど考えもせずに。

歪みは肉眼でもはっきり見えた。
こんなことで本当に歪みが消えるのかどうかも分からない。
長年、いろんなものを見てきてのカンだ。
しかし、ためらう気持ちは吉澤にはなかった。
集中しているせいか、周りの声も聞こえない。

歪みまで後少し。
走っている勢いは止めない。
そのまま飛び込むつもりだった。

ふと、パートナーの顔が思い浮かんだ。
出会った頃と同じ、眉毛を下げた気弱そうな顔。
それでいて頑固なまでの意志の強さを持った顔。

──ごめんね、梨華ちゃん。ずっと一緒にいるって言ったのにね。

歪みはもう目の前だった。
右足に力を込め、思いっきり床を蹴る。

どん。
真横から衝撃を受けた。
バランスを崩し、床に崩れる吉澤。
慌てて顔を上げたとき、そこに見たのは歪みに飲み込まれていく後藤の姿だった。

「ごっちん!」

後藤は微笑んでいた。
次元の狭間に体を半分めりこませたまま。

「なにしてんだよ! ごっちん!」
「へへへ、今度は怒ったりしないよね。
 だって、よっすぃーと同じことしただけだもん」
「馬鹿!」

後藤の体は既に歪みに消えようとしていた。
吉澤は慌てて手を伸ばす。
指先が、後藤の服に触れた。
だが、無情にもその感触は一瞬で消えた。

それはとても穏やかな微笑みだった。
同じ自己犠牲でも先ほどとは違う。
全てをあきらめたわけではなく、希望を見いだした前向きな死。

「ごっちん!!」

叫ぶ吉澤をよそに、歪みは完全に消え去った。

「そんな……そんな……」

石川は呆然と呟いた。
あまりのことに何も考えられない。
大切な仲間がこの世から消え去った瞬間。
その大きな衝撃を受け止めることができないでいた。

「いくら彼女でも、次元の狭間で生きられはしない」

低い声に反応し、石川は声の主を睨んだ。

「生身ではあの歪みに耐えられない。
 バラバラに引き裂かれてしまうだろう。
 さ、ゲームは終わりだ。楽しんでもらえたかな?」
「あなたは!」
「良い表情だ。
 希望が絶望に変わる瞬間。魂の奥に刻み込まれる慟哭。
 まさに極上の瞬間だよ」
「許せない……あなたを許しておけない!」

石川は手にしたブラスターを男に向けた。
マグラ・グリフィス──狂気の天才へと。

引き金にかかった石川の指がぶるぶると震える。

「どうした? 撃たないのかい」

グリフィスは表情も変えず石川を見つめ返す。
しかし、石川の体は凍り付いたように動くことはなかった。

「さっきも言っただろう。
 私を逮捕することはできないんだよ。
 なぜなら私は不死身だからね。
 人の記憶に住み着くアンデッド」

グリフィスは淡々と会話を続ける。
ひどく、嬉しそうな口調で。

「肉体の死など無意味だ。
 多くのものの記憶に残る。それでいいんだよ。
 私は彼らの中で生き続ける。
 もちろん、君の頭の中にもね。
 リカ・イシカワ。レツ・イシカワの娘よ」

石川は目を見開いた。
信じられないことを聞いたように、ふるふると首を振る。

「どうして……まさか……全部知ってて……」
「勿論覚えているよ、彼のことは。
 私を追いつめた優秀な宇宙刑事。
 そしてその娘のことも……ね」
「……やめて」
「君の父親は本当に素晴らしい捜査官だったよ。
 だから私も最大限の敬意を払ったつもりだ。
 そう、私を記憶に刻み込む対象として選んだんだからね」
「やめて、やめなさい!」

静かに語るマグラ・グリフォスを、石川は唇を噛み締めて見つめた。
そこにいるのは素粒子レベルまでに純粋な悪意。
絶対悪の標本、悪意の結晶体。

「本当に彼は見事だったよ。最後の最後まで彼は私の計算を裏切ってくれたんだから」
「いや! 聞きたくない!」

醜悪な悪の化身から石川は目をそらした。
しかし、聞こえてくる声は止まらない。

「彼の目の前で最愛の人間を奪う。そうすれば彼は私のことを忘れない。
 それが私の計算だった。
 そう、本当はあの日、君が死ぬはずだったんだ。
 母親や姉妹とともにね」
「うああ、ううう……」
「だが君はこうして私の前に現われてくれた。彼の代わりに。
 私を記憶の中に刻みつけた少女。
 父親の最後の姿とともに──」
「いやぁぁぁぁぁ!」

石川の叫び声と同時に、ブラスターの銃声が部屋の中に響いた。

丸く開いた穴から小さく細く煙が伸びる。
石川はまるで熱病にかかったかのように荒く息をつきながら、両手を真っ直ぐに伸ばしていた。
ブラスターを撃った体勢のままで。
銃口の先、男は表情も変えず、自分の顔のすぐ横にある穴をちらりと眺めやった。

「残念だな。君の手にかかれば、より強く私を君の心に刻み込めると思ったんだが」

男が口を開く。石川は何の反応もしない。

「私は自分の肉体が滅びる事に、何の躊躇もない。
 私はもう十分なほどに刻み込んだ。
 君にも、他の多くのものにも」

男は座っていた椅子から立ち、静かに前に歩み出た。
そのまま男は石川の目の前に立った。石川の体勢は先ほどと変わらない。
ぶるぶる震える銃口は、まだ男の眉間に向けられていた。

「君たちの負けだよ。
 いや、最初からそれは決まっていたんだ。
 私の用意したゲーム。クリアできるかどうかは重要ではなかった。
 ただ、私を記憶に残させる。それこそが目的だったのだから」

不意に力を無くした石川の手から、ブラスターがぽとりと落ちた。

「最初に言っただろう?
 私を逮捕する事は出来ないんだよ。
 なぜなら、私の肉体を拘束しても意味がないのだから。
 私の心を捕らえない限りね。そしてそれは不可能だ」

「君が殺さないというなら、私は自分で死を選ぼう。
 それでもかまわないんだよ。私は既に目的を果たした。
 私は永遠の命を手に入れたのだから」

両手を広げて、男──マグラ・グリフィスは高らかに叫んだ。
目の前の哀れな子羊に言い聞かせるように。

「……違う」
「何?」
「違う。あなたは間違っている」

静かに石川はそう言い、伏せていた顔を上げた。
決して声を荒げたわけではない。しかし、その中にみなぎる何かを感じたのか、
マグラ・グリフィスは光の戻り始めた視線を真っ正面から受け止めた。

「あなたがわたし達に刻み込んだもの、それは本当のあなたなの?
 あなたが刻み込もうとしたのは、あなたが見せようとした面だけ。
 いくら恐怖や怒りを植え付けても、それはあなたの作った影であってあなた自身じゃない」
「そうかもしれない。だがそれでも良いんだよ。
 いいかね、君の見ている私と他の者が見ている私はもともと同じものではない。
 人とは多面的な生き物だよ。様々な視点がキュビイズムに重なって出来たもの。それが人だ。
 であれば、多くの人の記憶に残り、その集合体として生まれる私もまた、
 やはり生きているといえるのではないかね。
 心の傷は決して癒えることはない。常に変わらぬ恐怖、その影は消え去ることはない。
 そしてその恐怖は伝播する。人の口を伝って、ウイルスのように。
 ならば私は永遠に生き続けるだろう。私は純粋なる恐怖。私は……不死だ」
「そんなのは……生きているとはいえない」

石川の顔に浮かんだ表情を見て、マグラ・グリフィスは顔をしかめた。
それは怒りでも恐怖でもなく……憐れみの表情に見えた。

「後藤さんは、ずっと悩んでいた。
 自分の運命、死ぬことの出来ない不死身の運命を。
 生きてもいない、死んでもいない。そんな呪われた体を悲しんでいた。
 でも、そうじゃない。
 後藤さんは生きていた。確かに生きていた。
 だって、彼女は変化することが出来たから」
「変化?」
「生きていることは変化することだから。
 変わるからこそ生きているといえるから」

ずっと恐怖してきた対象を石川はじっと見据えた。
その表情に揺るぎはない。

「わたしは、地球に来て変わった。
 たくさんの人と出会い、たくさんのことを学んだ。
 それはわたしの大切な記憶。
 それはわたしが生きてきた証」

石川は落ち着いていた。
恐るべき相手を前に、動揺することもなく、対等に渡り合っていた。

「あなたは他人の記憶の中で生きていくと言う。変わらない恐怖で。
 でもずっと変わらないなんて、それは生きてるとは言わない」

「あなたの事は忘れない。多分忘れることは出来ない。
 でも、あなたの恐怖に打ち勝つことは出来る。
 だってわたしには仲間がいるから。
 支えてくれる人達がいてくれるから。
 みんなに包れているのを感じる。
 みんなに愛されてるのを感じる。
 いつか絶対にあなたの恐怖から自分を解き放ってみせる。
 わたしは生きているから。わたしは変わっていくことが出来るから」

一息に言い切り、石川は真っ直ぐ敵の目を見つめた。

「だから、わたしはあなたを許す。
 怒りにも恐怖にも飲み込まれたりなんかしない。
 わたしは……わたしはあなたに負けない」

マグラ・グリフィスは黙って石川の言葉を聞いていた。
強い意志を秘めた目、その視線に射抜かれながら。

「なるほど、他者との関わりの中で自己を確立していく、ということか。
 しかし、それでは不確定要素が多すぎる。
 変化は必ずしも良い方向に向かうとは限らない。
 あまりにリスクの大きい考え方だ」

冷たい視線。
文字通り、冷徹な研究者の目で男は言葉を返す。

「所詮、机上の空論に過ぎない」

『あ、あれは!』

突然、それまで静かだったスクリーンから叫び声が聞こえた。
石川はそちらに目をやる。
あまりに辛い仲間との別れを経験した場所。
どこにあるのかは知らないが、カメラは依然そこを写し続けていたようだった。
スクリーンの真ん中に見えるパートナーの姿に、石川は胸が熱くなるのを止められなかった。

カメラがゆっくりと動く。
向こうにいるものの視線の先、そこには本来あってはならないはずのものがあった。
ゆらゆらと陽炎のように景色が揺れる。
それは先ほど消え去ったはずの次元の歪みであった。

「なんで! なんでまだこれが残ってるんだよ!」

吉澤の叫びが響く。

「そんな……さっきの歪みは完全に消え去っていた。
 復活するなんてあり得ない。
 どうしてこんなことが!」

歪みからは何かが現われようとしていた。
きらきらと光を受けて輝く物体。
それは徐々に体積を増し、一つの形を作り出していく。

ついにその全てがこちらの空間に現われた。
どさり、とその物体が床へと落ちる。
鋭角的なデザイン。
水晶のようにきらめく、透明感のある素材。
薄暗い部屋に光るクリスタルの鎧。

「これは……確か市井さんの!」

オリハルコンを使って造られた究極の鎧。
それはまさしく、『立方体の闘衣──キュービック・クロス』であった。

慌てて吉澤は鎧の元に駆け寄った。
抱え起こそうとすると、かちりと小さな音がして鎧の表面がざあっと波打つ。
鎧が小さな板の集まりに変わっていく。
その名の元となる小さな立方体に。
そしてその下から現われた顔。それは──。

「ごっちん!」

そう、それは先ほど次元の狭間に落ち込んだはずの不死の少女。
後藤真希のものであった。

「ごっちん、なんでごっちんが!」
「助けられたのさ。アイツにな」
「やっぱり来てたんですね。タイセーさん」

声とともにひょろりとした男に、飯田が声をかけた。
ゴムのような質感の肌。金色に染めた短い髪。
キュービッククロスを造りしアルケミスト、
DR.タイセーは端の釣り上がったサングラスをくいとあげた。

「その鎧は次元の狭間であろうと耐えられるだけの耐性を持つ。
 心配はいらんよ」
「待ってください! アイツって……まさか」
「ああ……もちろん、市井だよ」

タイセーは哀しげに頬を吊上げる。

「皮肉なことやな。
 ヤツの記憶が戻らないのを良いことに、俺は市井を利用してきた。
 だが、体は覚えていたんやろうな。あるいは本能かもしれん。
 戦いの中でアイツは少しずつ自分を取り戻し始めていた。
 そしてここへ来て、後藤が次元の狭間に落ちたのを見たとき。
 ……アイツは自分も次元の狭間に潜っていった。
 鎧の力を使ってな」
「そんな!」
「記憶が戻ったのかどうか、それは俺にも分からん。
 一瞬のことやったしな。
 どちらにせよ、アイツは自分の鎧を後藤に与えた。
 そして自分は狭間に落ちていった。
 アイツは自分の命を犠牲にして──」
「違うよ。いちーちゃんは生きてる」
「ごっちん!」

いつの間にか後藤はその目を開いていた、

「いちーちゃんは生きてる。
 あたしには分かるんだ。
 あたしには……」
「ごっちん……」

断言する後藤に、タイセーは冷静な調子で口を挟む。

「次元の狭間は生身の人間が生きていける場所じゃない。
 その体はバラバラに引き裂かれてしまう。
 例え市井の再生能力でも、無事でいられるはずはない。
 それに、あそこからこちらの世界に道が通じるのはごくわずかの間だけだ。
 ちょうどその時にその空間にいない限り、こちらに戻ってくることは出来ない。
 そんなのは……ほとんど不可能だ」
「でも可能性は0じゃない」

はっきりとした声で後藤は言い返した。
その口調に淀みはない。

「だったらいちーちゃんは帰ってくる。
 絶対に。
 あたしは……そう信じてる」

後藤の目は力強かった。
何かを信じているパワーが感じられた。

「あたしも信じるよ、ごっちん」
「よっすぃー」
「もちろん、あたし達も……ね」

飯田の後ろで安倍や小川達も頷く。
信じる心。それこそが未来を変える大きな力となる。
誰も口に出さずとも、その場の全員が同じ思いを噛み締めていた。

「全く、君たちは本当に私の予想を裏切ってくれる」

スクリーンを見つめていたマグラ・グリフィスはそう言うと首を振った。

「計算は完璧だった。
 君の仲間の大半は倒れ、地球は魔の世界と化すはずだった。
 それなのに、君たちは私のゲームをクリアした」

まるで独り言のように語る男を、石川は黙って見詰めていた。

「いや、ゲームをクリアしても私の勝ちは変わらない。
 なぜなら、君たちの仲間は必ず失われる。
 君たちの中に悲しみが、私への恐怖が生まれる。
 そのはずだった……」

マグラ・グリフィスは言葉を止めると石川を見詰め返す。

「私の計算に狂いはない。それは間違いない。
 しかし、結果は私の予想していたものと違った。
 それが君たちの変化の所為だとしたら……。 
 他者との接触により自己を進化させる、か。
 面白い。実に魅力的な考えだ」

マグラ・グリフィスは薄く笑った。
その笑みは自嘲気味にも、新しいおもちゃを見つけた子供のようにも見えた。

「私は自分の考えを変えるつもりはない。
 これは私が出した結論なのだから。
 しかし……君の意見もまた検討に値する。
 まあ良い、ゆっくり考える事にしよう。この問題を。
 なに、たいしたことではないさ。
 ──時間はたっぷりあるのだから」

そう言うとだらりと下げた両手を石川に差し出す。

「この答えがでるまで、私は死ぬ訳にはいかない。
 ふふふ、どうやら私の心は捕らえられてしまったようだ。
 そう、これが正解だ。唯一にして絶対の正解。
 リカ・イシカワ。君の……勝ちだ」

石川は電子手錠を取り出した。
言い知れない思いを込め、手錠を振りかぶる。

「マグラ・グリフィス。あなたを逮捕します」

手錠を振り下ろす。
かちり、と小さな音が石川の心に突き刺さった。

「梨華ちゃん!」
「よっすぃー!」

白い部屋にたどり着いた吉澤は、大きな声でパートナーの名前を呼ぶ。
弾かれたように振り向いた石川は、潤んだ瞳でその胸に飛び込んだ。

「やったよ……わたし、ついにやったよ」
「うん、やったね。すごいよ梨華ちゃん」

吉澤は自分の目の少し下にある頭を、ぽんぽんと二回叩いた。
銀河史上最悪にして最高の犯罪者、マグラ・グリフィスはすでに圧縮冷凍され、
銀河警察本部へと転送されていた。
今この部屋に残っているのは二人だけだ。
あの重犯罪人が、これからどのような刑に処せられるのか、それは分からない。
しかし、二人にとって、事件はもう終わりを告げていた。

「わたし一人じゃ絶対に勝てなかった。みんなが、みんながわたしに力を貸してくれた。
 中澤さん、飯田さん、安倍さん、保田さん、矢口さん、後藤さん、辻ちゃん加護ちゃん、
 高橋達、それにミキティや、石井さん、りんねさん達。
 みんなのおかげ。今まで出会ったみんなのおかげ。
 そして……もちろん、よっすぃーのおかげ」
「あたしは……あたしは何も出来なかったよ。
 ごっちんを助けたのも、あたしじゃなくて市井さんだった。
 最後のときに、梨華ちゃんと一緒に戦うことも出来なかった」
「いいんだよ、それで。よっすぃーはいてくれるだけで良いの」

石川は顔を上げた。
間近にある吉澤の顔を下から見上げる。

「何もしてくれなくても良いの
 何も出来なくっても良いの。
 一緒にいてくれなくても良いの。
 だって、よっすぃーはよっすぃーだから」
「なんだよそれ」

聞きようによってはひどい台詞に、吉澤は思わず苦笑を漏らす。

「それって誉めてんの?」
「うん。よっすぃーは、よっすぃーでいてくれるだけで勇気をくれるから。
 よっすぃーは絶対にわたしを信じて待っていてくれる。
 そう思うだけで力が湧いてくるから。
 だからわたしは一人で戦った訳じゃない。
 よっすぃーと二人で戦った。そう思ってる」

訥々としゃべる石川に、吉澤は言葉を無くした。

「……まいったな。最高の誉め言葉じゃんか」

目と目があった二人は、どちらからともなく微笑んだ。

「でも、これで任務は終わっちゃうんだね」
「そうだね。今回の事件が起こってうやむやになってたけど、任期はとっくに切れてるし。
 今度はどこに配属されるか分かんないよ」
「みんなと……別れなきゃいけないんだね」

石川の声が曇る。
銀河連邦全体を巻き込んだ今回の事件。
『特異点』である地球の扱いは、これまで以上に厳しいものになるだろう。
おそらくもう、地球には誰も近づけない。
そういった決定が下されることになるだろう。
二人の居場所は、もうここにはないのだった。
それだけではない。
宇宙刑事のパートナー制は任務によって組み替えられる。
つまり、次に二人が同じ任務に就くとは限らないのだ。

「梨華ちゃん。あたしは梨華ちゃんと──」
「さっきも言ったよね。
 一緒にいてくれなくても良い。
 よっすぃーは、よっすぃーでいてくれればそれで良い。
 だから、大丈夫。わたしは一人でも大丈夫」

いつの間にか吉澤から離れ、石川は自分の脚でしっかりと立っていた。
それを見た吉澤の目が、ほんの少しだけ細められる。

「梨華ちゃんは本当に強くなったよ」

そう、目の前にいるのは、昔のようにひ弱な少女ではない。
自分の力を信じられず、いつもおどおどしていた女の子。
気持ちだけが先走り、どこか空回りしていた娘はもういない。

お姫様を守るナイトはもう必要ないのだ。
だってお姫様は立派に、自分で戦う力を持ったのだから。

──嬉しいような、寂しいような、複雑な気分だな。

吉澤は軽く苦笑した。
あの時。初めて出会った時。
あれ以来、石川の力になること、石川に頼られることが吉澤の存在意義でもあった。
哀しい色をした目から流れた、寂しい涙を見たときから。
でも、それももう終わる。
それは吉澤をひどく空虚な気分にさせた。
このままの時間がずっと続けばいい。
自分の背中に、石川を庇っておきたい。
頼られる存在であり続けたい。
むしろ今となっては、自分にこそ石川が必要なのではないか、吉澤はそんな気さえしていた。

でもそれは叶わぬ願い。
いずれこんな時が来ることは分かっていた。
人は進まなければならない。
一歩ずつ、一歩ずつ。
目の前へと。

「ヨッスィーさん、チャーミーさん、本部から通信が入ってます」

二人の耳に石井からの連絡が入った。
通信用のブレスレットに画像が表示される。
口元に髭を生やし、厳しい目をした男の顔。

「堀内長官」
「ごくろうだったな二人とも。
 あの恐るべき相手を無事に逮捕するとは、たいしたものだ。
 五木連邦主席もお喜びだったぞ」
「は!」

二人は踵を合わせて敬礼する。
あらためて仕事の終わりを実感したのか、二人の顔に隠しきれない喜びが溢れた。

「ただ……問題もある」
「へ?」

急に硬くなった長官の声を聞き、吉澤の胸に嫌な予感がわき起こる。

「先ほど報告があった。
 ヨッスィー、君はボルカニックボンバーを使用したそうだな」
「あ、あれは……その……」
「ボルカニックボンバーは第一級兵器だ。
 その無断使用はいかなる理由があっても認められない」
「で、でもあの場合は」
「そして、チャーミー」
「は、はい」

心配そうに話を聞いていた石川は、急に自分に話が振られ思わず叫びそうになった。

「廃棄になったはずのコンバットスーツを自分で使用したそうだが」
「う……そ、それは……」
「どちらも重大な規則違反だな。
 宇宙刑事規定第27条3項。お前達もよく知ってるだろう」
「宇宙刑事の力は絶大であるため、むやみにその力を利用してはならない。
 それは分かってます。でもあの時は仕方なく──」
「残念だが、既に処分は決まっている。
 君たちは懲戒免職……クビだ」
「く、くびぃ!?」
「そんなひどい!」

思いも寄らない処分に、二人は思わず大きな声を出した。

「ちょぉっと待ってくださいよぉ。
 アタシ達がこっちでどれだけ大変だったか、分かってるんすか!
 銀河最大級の犯罪者相手に、応援もほとんど無い状態で放り出されて。
 挙げ句の果てにクビだなんて──」
「これは既に決定事項だ。
 抗議はいっさい認められない」
「なぁんだよそれ! 銀河警察ってこんなオーボーなとこだったんかよ!」
「よ、よっすいー落ち着いて」

ふーふーと興奮して息を切らす吉澤を、石川は必死で宥める。

「なお、退職金代わりだ。
 現在の装備、それにホワイトドラグーンは好きに使って構わない」
「っきしょ、このヒゲオヤジ──って、ええ!?
 そ、それはどういう……」

堀内長官はにやりと笑った。
先ほどまで堅苦しかった表情が、急に砕けたものに変わる。

「現在の装備は全部そのまま好きに使えってこった。
 ホワイトドラグーンには自立型のエネルギー供給システムが積んである。
 無茶な使い方さえしなければ、ずっとそのまま使えるだろ」
「あ、あの……もっとわかりやすく説明してもらえますか。
 あたしもう、なにがなんだか……」

訳が分からず頭を抱えた吉澤は、情けない声を出した。

「ま、つまりだ。お前達はもう自由にして良いってことさ。
 故郷の星に帰るも良し。
 静かな惑星に移住するも良し。
 もちろん、そこに残っても構わない。
 ただ、今お前達に銀河連邦に帰ってもらうわけにはいかないんだよ」
「え、ええ!? なんでですか」

長官は苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。
その表情がまた厳しいものに変わる。

「こっちは今、ひどく混乱している。
 知っての通り、ヤツによって我々の組織はずたずたにされてしまった。
 誰が信頼できて、誰が疑わしいのか、全く分からない。
 私にも信頼できる人間がほとんどいない状態だ。
 情けないことだが、これに乗じて利権争いまで始まっている。
 今連邦は非常に不安定な状態にあるんだよ。
 そしてそんなヤツらの中には、英雄を利用しようとする連中もいるに違いない」
「英雄って……あたし達……ですか」

呆然としたまま口を挟む吉澤に、堀内は重々しく頷いた。

「なにしろ、今回の事件を解決した立役者だからな。
 これだけの騒動を起こしたのはマグラ・グリフィスその人だ。
 その人物を少ない人数で見事逮捕した。間違いなくお前達は英雄だよ」
「そんな……別にあたし達は──」
「お前達がどう思おうと、周りが思うことを変えられる訳じゃない。
 だからほとぼりが冷めるまでこっちに帰って貰いたくはないのさ」

釈然としないまま、吉澤は口をムニュっと曲げた。

「で、どうする? お前達の好きなようにしていいんだぞ」

──好きなように……か。

ふと顔を横に向ける。
目と目が合うと、石川はふんわり笑ってこくりと頷いた。

先ほどの決意。人は進まなければならない。それは分かっている。
だが……そう、もうしばらく、もうしばらくだけ……。

「あたし達の答えは決まってますよ」

吉澤はにっこり笑ってそう言った。

「タイセーさん、どこへ?」

飯田が声をかけた。
吉澤の飛び出していった部屋。
ひっそりとその場を去ろうとしたタイセーは、光の巫女へと振り返る。

「探しに行ってみようと思ってな」
「探す?」
「ああ、後藤が言ってたやろ。
 アイツはまだ生きてるって」

そう言ってタイセーは後藤を見た。
つられて飯田もそちらに目をやる。
力を使い果たしてしまったのか、後藤は安倍の膝ですうすうと眠りこけていた。

「生きてるんなら、探してやらなきゃな」
「でも、次元のほころびはどこに現われるか分からない。
 いいえ、それどころか、同じ時代に戻ってくるのかも分からない。
 砂漠の中で一粒の砂を探すようなものですよ」
「それでも探してみるさ。
 それが、俺の出来るせめてもの罪滅ぼしやからな」

呟くタイセーの後ろに、いつの間にか一人の男が立っていた。
彫りの深いエキゾチックな顔、真っ黒な服に包まれた細身の体。

「ナオキか。
 ……そやな、お前の仕事はアイツを守ることやったな」

次元刀の使い手、吉澤直樹は黙ったまま頷いた。
軽く頬を緩ませたタイセーは横を向く。壁のモニターには輝く青い星が映し出されていた。

「この一件もこれで終わりか。
 あっちももう、ケリがついてる頃なんやろうな」
「あっち?」

問いかける飯田に応えず、タイセーは壁に映る地球をじっとそのまま見詰めていた。

月はもう、高層ビルの向こうに消えようとしていた。
もうすぐ朝日が昇る。
新しい日が始まろうとしている。

男は沈みゆく月を黙ったまま見つめていた。
その身を纏うのは白いタキシード。
ぱさついた金髪の上に乗るこれも白いシルクハット。
青いサングラスをかけた男は、手にしたステッキでとんと地面を叩いた。

「やっぱり怖い女やな。お前は」

不意に男が声を発した。
自分の背中、闇の中に向かって声をかける。

「なんでここが分かった?」
「忘れたんですか。
 ここはあたしたちが初めて会った場所やないですか」
「そう……やったかな」

薄闇の中から現われた女。
『退魔師元締』中澤裕子は、自分を裏切った昔の仲間──つんくを、静かにじっと見つめていた。

「見てみ、もうすぐ夜が明ける。
 この世界は無事に生き残ったようや」

中澤からの応えはない。

「どうやら、アイツラは仕事をきっちりこなしたようやな。
 いやいや、全くたいしたモンや」
「なんで……」

震える声が思わずこぼれた。
こみ上げる感情を抑え込むように一度言葉を切り、大きく息を吸い込む。

「なんであんなコトしたんですか。なんであたし達を裏切ったんですか」
「せやな。月が青かったから……なんちゅー理由はどや?」
「そうやって道化を演じて──」

やはりこらえきれず、中澤は言葉に詰まった。
唇を噛み、裏切り者を睨み付ける。

「覚えてますか? 組織を作ろうとした日のこと。
 一人の力には限界がある。相性の悪い敵と当たることもあるだろう。
 それでも、退魔師一人一人の力は弱くても、その力を合わせることができれば、
 どんな敵にだって勝てるはずだ。
 あの時あなたはそう言った。
 それに──」
「それに、いろいろおったらモーニングセットみたいでお得やろ、か
 そんなこともゆうたなあ」

のらりくらりとした返答に、中澤の限界はもうすぐそこまで来ていた。
自制心を必死で振り絞るが、思いが口をついて出てきてしまう。

「つんくさん!」
「なあ、中澤。退魔師にとって最大の敵とはなんや」
「え?」

絶妙のタイミングで挟まれる問いかけ。
一瞬固まった中澤に、つんくは目を向けた。
優しいといっても良い、柔らかな視線を。

「妖魔の王? 蘇った独裁者? 宇宙から来た天才犯罪者?
 違うな。俺達の最大の敵は退魔師以外の人間や。
 なんの力も持たんただの人間達や」」

流れるようにつんくの言葉は続く。

「組織というのは生き物や。
 そして、生きると言うことは変わり続けることや。
 常に前へ前へと成長し続けなきゃいけない。
 それはお前達退魔師も同じ事や。
 止まったらそこでお終いの生き物。
 変わり続けなきゃいけない。
 戦い続けなきゃいけない。
 戦い続ける事、それがお前達のレゾンデーテルなんやからな」
「まさか……まさかあなたがしたことは」

震える声で中澤は聞いた。つんくの唇の端が、きゅうっと吊り上がる。

「俺たちは戦い続けなきゃアカンねや。
 力無き者の期待に応えなアカンねや。
 小物の妖魔を倒すだけじゃ、奴らの欲求を満足させる事は出来ん。
 敵が必要なんや。
 前よりも凄い敵が。
 より強大な怪物、より壮絶な事件。
 考えてみ、敵がいなくなった時、ヒトの恐怖が次に向かうのはどこや?
 ただのヒトには過ぎた力。
 倒すべき相手のいない俺たちは、ただの厄介者に過ぎん。
 戦う相手のいない退魔師は恐怖の対象でしかないんや。
 だから俺は敵を用意した」
「その為にみんなを犠牲にしてもですか!」
「その通りや。
 理解して貰おうとは思わん。
 でもな、これが俺の考えた方法や。
 お前達を生き残らせる為にな」

中澤は拳を握った。
言いようの無い思い。纏まらない考えが頭の中をぐるぐる回る

「あなたは……間違ってる」
「そう……なんかもしれんな。
 それでも俺は、こういうことしかできんかった。
 中澤、ええなお前は純粋で。
 俺も信じたかった。
 信じ続けていたかった。
 信じていた人の、あんな目なんか見たくなかった」

ステッキを握った指先に力がこもった。
シルクハットとサングラスに隠された顔。そこに浮かぶ表情は一体どんなものだったのか。
残念ながら、それを確認する事は出来なかった。
つんくはすぐにいつもと同じ漂々とした態度に戻っていた。

「中澤、お前はお前の信じた道を行けばええ。
 俺は俺の信じた道を行く。
 いずれ道は一つに交わるやろう。
 そのとき、どちらが正しいのか答えは出てくるはずや」
「つんくさん……」
「一つだけエエコト教えといてやろう。
 お前等は次元を重ね合わせる事を阻止した。
 せやけど、あの力は確かに地球に降り注いだ。
 月に溜め込まれていた力。
 安倍と後藤の持つ生と死の力が。
 あの力を浴びて多くのものが目覚めるやろう。
 退魔師として、ヒトならざるものとして」
「あなたは……そこまでして……」
「俺を破ってみせろ。
 俺を止めてみせろ。
 俺を超えてみせろ。
 お前たちの信念を貫いてみせろ。
 それが・・・・・・お前たちに送る俺の最後の言葉や」

つんくは静かにそう告げた。
その顔の向こうに町の明かりが透けて見える。
インチキ臭いその体が、徐々に色を薄め始めていた。

「つんくさん!」

中澤の目が青く光った。
全ての力を雲散霧消させる『破邪の瞳』。
力のこもった退魔師元締の目が手品師のそれと真正面からぶつかり合う。

全幅の信頼を与えていた男。
恐るべき思いに取り込まれた男。
その瞳の中にどんな色を見たのか。

中澤の目が急速に力を失った。青かった目が元の色に戻っていく。

「そう、それでええ。
 やっぱりお前はエエ女やな」

その一言を残し、つんくの体は完全に消え去った。
中澤はがっくりとその場に崩れ落ちる。
握り締めた拳で、力なく地面を叩きつけた。
涙に濡れた顔を朝日が照らす。

──長かった夜は今ようやく明けようとしていた。


           第拾参夜  〜幕〜


epilogue 「NightMare is Neverend」


「ぷふう」

ベンチにどさりと腰をおろし、矢口は大きく息をついた。
タオルを頭からかぶり、ごしごしと汗をふき取る。

「どう? 新しい装備は」
「うん、なかなか良いよ」

手を止めないまま言葉を返す。
それを聞いて、ベンチの横に立った保田は軽く微笑んだ。

「矢口のために作られた新装備だからね。
 ちゃんと使ってくれなくちゃ困るわよ」
「つったって結局は実験材料みたいなもんでしょ。
 相変わらず人使い荒いんだよね、ここは」
「ぼやかない、ぼやかない。
 核となる使用者の能力を大幅にアップさせる新兵器。
 自立型AIを搭載した15のパーツを、作戦の状況に応じて自由にパーツを組替え、
 臨機応変に対応する事が可能な万能鎧(マルチプルメイル)。
 『Kernel Interact Defending System(核と相互に影響し合う防御機構)』。
 通称『KIDS』。新しく出来た開発部イチオシの品なんだから」
「開発部かぁ。なんだっけ、『最上級の付加価値をつける』のがお仕事ってヤツでしょ」
「そ、ベリーズ(very's)工房ね」

矢口の問いに保田は笑って答えた。

「それで、今日はどのフォーメーション試したの?」
「あー、なんかね、特に攻撃に特化したフォーメーションだって。
 短時間だけど空を飛ぶ事も出来るし、結構凄かったよ」
「ああ、あれね。確かにバランスも良いし一番使い易いんじゃない?
 なんて言うフォーメーションだっけ」
「フォーメーションZYX、とか言ったっけな。
 ね、この名前にもなんか意味があんの?」
「えーっと確か……絶対(Z)矢口を(Y)倍に(X)だっけ」
「いや、しなくていいから。てか何だよ倍とか。
 つーか、うちってネーミングセンス間違ってんだよね、昔から」
「前はほら、つんくさんの趣味だったから」
「つんくさん……かあ。」

二人の間に微妙な空気が流れる。
半年前。
退魔師全体を襲った未曾有の事件。
あれ以来、つんくは姿を消したままだった。
中澤から事の顛末は全て聞いている。
矢口も保田もそれぞれ強いショックを受けた。
他のメンバーもそうだっただろう。
信じられない気持ちと同じくらい、どこか納得できる部分もあった。
そういう人だった。
きっとまた、どこかで出会うことになるだろう。
再び矛を交えることになるだろう。
それはけっして遠い未来ではない。
何の根拠もなく、二人はそう確信していた。

「そういえば、圭ちゃんこそどうなのさ。
 裕ちゃんの補佐の仕事は」
「今のところ順調よ。だいぶ慣れてきたわ」
「にしても、みっちゃんがあんなことになるなんてね」
「……そうね、意外だったわ」

元々中澤の補佐をしていた平家が、会社を辞めたのは突然のことだった。
ある日いきなり、中澤の机の上に手紙がひっそりと置かれていたのだという。
一時は混乱状態になった退魔師達だったが、ちょうど退魔師としての戦いに疑問を
持ち始めていた保田がその後を引き継ぐこととなり、また前と同じ状態へと戻りつつあった。

「自分の可能性に賭けてみる、か」

平家の向かった先はチベットであった。
その奥地にあるという霊薬「仙水」を求めての旅。
一部の高僧にのみ受け継がれているというその秘薬は、失われたチャクラを蘇らせると伝えられていた。

もう一度戦いたい。
退魔師として自分の技を振るってみたい。
しかし、「仙水」が本当に手に入るのかは分からない。
なにしろ、ほとんど伝説に近い存在なのだから。
それでも賭けてみたい。自分の可能性に。
平家の手紙にはそう書かれていたという。

「知ってる? あれね、加護と辻の影響らしいわよ。
 二人が立派に成長した姿を見て思ったんだって、自分も可能性を信じてみようって」
「あの二人がかぁ。分かんないもんだね、そんなことになるなんて」
「矢口はずっと一緒にいるから、気が付きにくいのかもしれないよ。
 あの子達の成長に」
「そう……なのかな」

確かにあの二人に対して、自分の見方は少し厳しいのかもしれない。
昔から一緒に組んでやってきたせいかもしれないが、妹のように猫かわいがりする飯田と違い、
生徒を見守る教師のような気分でいた。
だから、なかなか認められないのだ。二人が一人前になった事実を。

「なんかね、二人だけで独立したいとか考えてるみたいよ」
「マジで!? アイツラいつの間にそんなことまで……」
「ずっと言わなかったけど、憧れてたんだって。なっちに」
「なになに? あいぼんとのんちゃんがどうしたって?」
「あ、圭織。珍しいわね、どうしたのよ?」
「裕ちゃんとこ行ったら留守でさ、んで、二人はこっちだって聞いたから」
「そう、何の用なの?」
「てかさ、何でそんなカッコしてんだよ」

矢口の言葉に、飯田はきょとんと目を大きく見開いた。

「光の巫女」飯田圭織。
あの月での一戦以来、彼女の力は大幅に減少してしまった。
天から得ていた無尽蔵のエネルギーはどこかへ消えてしまっていた。
今の彼女は、他の退魔師と同じ程度の力しか持っていない。
だがそれが逆に、今まで飯田を縛り付けていた枷から解き放った。
望んでも手に入らなかった本当の自由。

「なに? おかしい、このカッコ」
「てかさ、派手すぎんだろ、いくら何でも」

矢口は飯田の姿を見て眉をひそめた。
肩口で袖をばっさり切り取ったデニムのジャケット。
形の良い胸の下あたりで大胆にカットされたTシャツ。
ボトムは、所々わざと破かれたものすごいローライズのジーンズ。
そのせいで、白くなまめかしいお腹が見事なまでに露わになっている。
もともとすらりとしたモデルのような体型の所為もあり、
男なら思わず振り返らずにはいられないような姿であった。

「いくら好きに出歩けるようになったからって、ちょっとやりすぎじゃない?」
「だってさ、今までは神社から出られなかったじゃない。
 だから巫女さんのカッコばっかでさ。つまんなかったんだもん。
 なんか、少しでもオシャレしたいんだよね」
「いやいや、あんた別に本職の巫女じゃなかったんだから、好きなカッコしてれば良かったじゃん」
「だめだよぉ。神社にいるからにはあのカッコじゃなきゃ。
 それが様式美、ってやつなんだから」
「様式美ねえ」

二人のやりとりを黙って聞いていた保田は、喉の奥でくくっと笑った。

「それで? 何か用があって来たんでしょ」
「あ、そうそう。忘れるところだった。
 それがね、久しぶりに見たんだよ」
「何を?」
「あれだよあれ。アカシックレコード」
「なんですって!」
「マジかよ!」

勢い込んで尋ねる二人を見て、飯田はにんまりと笑う。

「へへへ、すごいでしょ」
「あぁもぉ、威張ってる場合かよ!」
「それで、どんなビジョンを見たのよ?」
「『わたしはまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。
 これには十本の角と七つの頭があった。
 それらの角には十の王冠があり、頭には神を冒涜するさまざまの名が記されていた。
 わたしが見たこの獣は、豹に似ており、足は熊のようで、口は獅子の口のようであった。』」
「なんだそりゃ」
「黙示録──アポカリプスか」

エーゲ海のドデカニソス諸島、パトモス島で執筆したとされる『ヨハネの黙示禄』。
人類や世界の終極的な運命と、神による最後の審判を描いた寓意的な話は、
未だにその解釈をめぐって諸説が入り乱れている。

「『小さき者にも、大いなる物にも、富めるものにも、貧しき者にも、 自由人にも奴隷にも、
 すべての人々に、その右手あるいは額に刻印をおさせ、 この刻印のない者はみな、
 物を買うことも売ることもできないようにした。
 この刻印はその獣の名、またはその名の数字のことである。
 その数字は、人間をさすもので、“666”である』。
 ヨハネの黙示禄第十三章に記された獣。
 一体、このビジョンが何を表すのか」
「また……戦いが始まるのかな」
「……多分ね。でもそれがわたし達の運命。わたし達の存在意義。
 例えどんな敵が相手でも、わたし達は勝ち続けなくちゃいけない。
 そうでしょ」
「うん、そうだね」

つかの間の平和。
そして訪れる戦いの日々。
今まで当たり前だと思っていたそれが、ひどく非現実的なものに感じてしまう。
それでも歩みを止めるわけには行かない。
彼女達はそういう生き方を選んだのだから。

迫り来る予感に、三人は言葉をなくしてただ佇んだ。

「あ、梨華ちゃん、出かけるの?」
「うん、ちょっとね」

吉澤は、部屋に入ってきた石川に声をかけた。
めかし込んだ格好、はしゃいだ様子。
もっとも吉澤の目から見て、そのセンスはちょっと首をかしげるものではあったのだが。

あの事件の後、結局吉澤達は地球に残ることを選んだ。
ここに来て出会った人達とともに生きることを選んだ。
二人にとって、これが一番の選択だった。そう信じている。
そんな吉澤達を仲間は快く受け入れてくれた。
共に戦う退魔師として迎え入れられたのだ。
とはいえ、元々互いに助け合って来た仲。
やっていることは今までとさほど変わりはない。
そう、一部の人間関係を除いて。

「また……ですか」
「いいじゃない。息抜き息抜き。
 今日はお仕事お休みなんだし」
「まあ、そりゃそうだけど」
「あ、急がなきゃ、柴ちゃんもう待ってるよ」

石川の待ち合わせの相手は、『自衛隊特殊機械化部隊』柴田あゆみ。
月での最終決戦以来、二人の親交は急速に深まっていた。

「しっかし、えらく変わったよね、柴田さん」
「そうだね。
 まあ、わたし達からいろいろ学びたいって言ってたし、変わったのはいいことじゃない?」

戦闘しか知らなかった少女は、石川達との交流により様々なものを学んだ。
ファッション、おいしい食べ物、仲間との語らい。
無味乾燥な生き方ではなく、生きる楽しみを彼女は覚えたのだ。

「つーかさ、変わりすぎだよ。いくらなんでも」

過去に冷酷と言えるほどのクールな様子を見ていた吉澤としては、石川の部屋に遊びに来て、
DVDを見ながらピザにかじりつく姿には、どうにも奇妙な感覚がぬぐえない。

「ふふふ、いいんだよ。柴ちゃんはあれで。
 あ、やばいな、本当に急がなきゃ。じゃ行ってきます」
「やれやれ、いってらっしゃい」

慌てて出て行く石川を、吉澤はため息をつきながら見送った。
心に浮かんでくるのは若干の寂しさか。

「しょーがない。ミキティ誘おっか」

あの事件を機会に宇宙刑事を辞め、故郷の星に戻った石井とは別に、
宇宙刑事ミキティこと藤本美貴は、吉澤たちと共に地球に残ることを選んだ。
気まぐれな彼女が、わざわざ地球を選んだ理由。それは──。

プシュー。

「おーい、ミキティ」

開いたドアの隙間から、吉澤は部屋の中に声をかける。

「くんくん、あれぇ、ミキたん香水変えたんだぁ」
「あ、うん。新しいの買ってみたから」
「えぇー、せぇっかくあたしがプレゼントしてあげたのにぃ」
「いいじゃない。たまには気分転換したかったんだよ」
「……ああ、きっとミキたんはあたしのことキライになっちゃったんだ」
「はあ? 何それ。なんかキモイんですけど」
「ひっどーい。もう怒ったんだからね!」
「ごめんごめん、冗談だって。そんなに怒んないで」
「やだ。許してなんてあげない」
「だからゴメンって。そんなに拗ねないでよぉ」
「だってミキたんひどいんだもん」
「やれやれ、どうしたら許してくれるの?」
「えへへ、んじゃあチューしてよ、チュー」
「もー、しょうがないなあ」
「にゃはははは」

プシュー。
何も言わず吉澤はドアを閉めた。
ドアにもたれかかってため息をつく。

「ここもか」

どこで馬があったのか、あの二人は偉く親密な関係になっていた。
もともと松浦の万能鎧に藤本が興味を持ったのがきっかけだったようだが、
今ではすっかり『友達以上恋人未満』な関係になってしまっていた。

「ごっちんは……まだ帰ってこないしな」

『自分を見つめ直してくる』そう言って後藤は一人、旅に出た。
仲間から離れ、自分だけの力で自分の思ったように生きる。
一人になることを恐れていた後藤が、どんな心境でそういう決断を下したのか。
おそらく、仲間を信じているからこそ。
例え離れていても、いざというとき、迎えてくれることを信じているからこその決断。
吉澤はそう思っていた。

何にせよ、今日も吉澤はひとりぼっち。
せっかくのオフなのに、寂しい身の上であることには変わりない。

「しょうがない。麻琴でも誘って飯でも食いに行くかな」

月での戦いをともにしたせいだろうか、
最近しきりに懐いてくる小川の顔を思い浮かべる。
記憶の中の彼女は、なぜかいつも口をぽかんと開けていた。

「そういや、おそろいのブレスレット買うとか言ってたっけなぁ」

ぶつぶつ呟きながら、ホワイトドラグーンの通信を通常回線へと繋ぐ。

『ただいま電話にでることが出来ません……』

だが残念ながら、聞こえてきたのは無情な電子音声であった。

「はあ、ついてないなあ」

運に見放された吉澤は、がっくりと肩を落とすとどさりと椅子に腰を下ろした。

「こんのお!」

ずん、地響きを立てて高橋の鬼の手が、地面に大きな穴を空けた。
しかし、パワフルな攻撃も敵の体を捕らえることが出来ない。
しなやかに動く影は、軽やかに木の上に登った。

「いけ!」

狙いを付け小川の手から飛んだカマイタチは、しかし木の枝に傷を付けただけで終わった。
敵の姿は既にそこにはない。
木の上から飛び降りた影は、ネコのようにくるりと回転すると、ふわりと音もなく着地した。
長く伸びた爪をぺろりとなめ、少女は上目遣いに二人を見やる。

「こんなもんか。噂に聞いてたけど、たいしたことなかね」

ふわふわとした巻き毛。軽く釣り上がったアーモンド型の瞳。
少女は表情豊かな顔を、不敵な笑みで満たした。

「なんだとぉ!」

声を荒げる小川を、少女は冷たく見詰めた。

「まったく、あの人も心配性やけんね。
 こんな相手に手間暇かけんでもよかとに」
「何言ってんの! あの人って誰のことなんよ!
 だいたい、あんたぁ、何もんやの!」

すう、と少女の顔が引き締まった。
幼さを残していた顔が、ひどく怜悧なものへと変わる。

「6番目の娘」

静かに少女はそういった。

「6番目の娘?」
「そう、あの人は、あたし達をそう呼んだ」
「何を言って……。あれ? あたし……『達』だって?」

小川の疑問の声に、じゃらりと金属のこすれる音が重なった。

「うわあああ!」

二人は思わず悲鳴を上げた。
その体に巻き付いた細身のチェーン。
中空から湧き出たように現われた鎖は、どういう巻き付き方をしたのか、
いくら力を込めても外れる様子がない。

「無駄ですよ」

戦いの舞台に現われたもう一人の少女。
艶やかな黒い髪。切れ長の目。
形の良い口元には仏像のそれに似た薄い笑みが張り付いていた。

「『ゴルディアスの結び目』。それは絶対に外れません。
 キーマスターであるわたしの命令がない限り」

「遅かったね、絵里」
「あんたぁ、そいつの仲間なんね!」
「そうですよ。わたしも6番目の娘。
 獣の数字をその名に抱く、破滅の使者」
「あぁ、もぉ。訳の分かんないことばかり言ってんじゃないよ!
 ええい、こんな鎖なんて!」

思いっきり力を込めた小川の肩で、キチキチと小さな音が聞こえた。
不審に思い、顔を横に向けた小川は息を呑んだ。
そこにはいくつもの小さな影が、ぎらりと並んだ歯をかちかちと鳴らしていた。

「う、うわあ!」
「こら! さゆ。
 勝手に『レギオン』動かしたらいかんゆーたばい」

少女達の後ろから、もう一人の少女が姿を現した。
大きくぱっちりとした目。後ろで二つに結んだ髪の毛。
怒られた少女は、色白の柔らかそうな頬をぷぅっと膨らませる。

「えー、だってぇ」
「だってやなか。あんたのレギオンは容赦がなかと」
「えーでも、れーなぁ」
「なんね」
「この人たちさ、敵なんでしょ。
 だったら食べちゃってもいいじゃない」
「ダーメ。今はダメだって言われたばい」
「ぶー」

気の抜けるような口調だが、その内容は捕えられた二人には背筋が寒くなるような内容だった。
言い争う二人をそのままにし、鎖を操る少女は一歩前に出る。

「さて、いろいろとお聞きしたいことがあるんですよ。
 お二人には」
「アンタらみたいなんに、教えることなんてアタシらには無い!」
「あらあら、しょうがないですねぇ」

ふうと少女はため息をついた。
と同時に、巻き付いていた鎖がぎりぎりと締まる。

「ぐ! くぅぅぅ」
「うふふ、どうですか?
 きゅぅって締まるでしょ」

楽しそうに尋ねる少女の口元には、相変わらずアルカイックスマイルが浮かぶ。

「素直にしておいた方が良いですよ。
 そのままでいたら、体がちぎれちゃうかもしれませんから」
「だ、誰があんたらなんかにぃ……」
「ふう、困りましたねぇ。
 それじゃ、すこし痛い思いをしてもらいましょうか」

さらに締め付けを厳しくしようというのか、少女は右手を高々と上げた。

ぴしり、頭上で小さな音がした。
上を向く三人の少女の目に、先ほど小川が傷を付けた木の枝が落ちてくるのが映る。

「リリムス・ララムス・ルルルルー!」

どこかから聞こえてきた呪文の声。きらきらと光の粒が辺りにきらめく。
と同時に、落ちてきた枝が大きな網に変わった。
その網が、三人の少女の上に覆い被さる。

「きゃああ!」
「どうだぁ!」
「里沙ちゃん!」

ステッキを持って現われたのは『魔女っ子』新垣里沙。
捕らわれていた仲間に向かってぱちりとウインクしてみせる。

「二人とも大丈夫?」
「あ、あさ美ちゃん。
 それじゃさっきの枝が落ちてきたのは」
「そう、あたしの力だよ」

運を操る娘、『座敷わらし』紺野あさ美はにっこり笑う。
不意をつかれたせいか、体を締め付けていたチェーンが緩んでいた。
紺野の助けを借り、二人はようやく戒めから抜け出した。

「この……ふざけた真似ばしよって!」

叫び声とともに三人の少女の上に被さっていた網が、勢いよく引き裂かれた。
長く伸びた爪を振りかざして立ち上がった少女。
その顔は真ん中から左半分だけ、茶色い猫のものに変わっていた。

残った網も、溶け崩れるようにその姿を消していく。
かりかりと何かを囓るような小さな音が聞こえてきた。
邪魔な障害物を邪妖精に食べ尽くさせた少女もまた、ぼんやりした顔で立ち上がる。
その横に立った少女の顔から、あのアルカイックスマイルが姿を消していた。

「邪魔が入りましたね。もう少しだったのに」
「へん、さっきは油断したけんどな。
 もう、そういうわけにはいかんでの!」
「そういうこと。今度はこっちの番だ」
「こっちこそ、遊びは終わりばい!」

ぎりぎりとたわむ空気の中、対峙する7人の少女達。
膨らんだ風船が弾けるように、一斉に互いに襲いかかる。

少女達の戦いは終わらない。
例え血反吐を吐き、地に伏そうとも。
そう、永遠に。
しかし、それでも彼女たちは戦い続ける。
闇は必ず払えると信じて。
朝になれば太陽が昇るように。

──明けない夜など無いのだから。

 

   百姫夜行。  END。

 

 

 

※作者後書き

▽6期設定集

・藤本美貴
 宇宙刑事。
 兵器ヲタにしてパワードスーツふぇち。
 兵器開発に関する知識は豊富で、現在はベリーズ工房の特別顧問も勤める。
 モデルは例にして例のごとくアレです。

・亀井絵里
 キーマスター。
 「ゴルディアスの結び目」の故事に習った絶対に解けない鎖を使う。
 クロストロフィリア(閉所愛好症)で、いつも体を鎖で締め付けている設定ですが、
 なんかえっちなので本編では使ってません(w
 モデルはイダタツヒコ「ゴルディアス」(能力は全然違いますが)。

・道重さゆみ
 邪妖精使い。
 「レギオン(軍団)」と呼ばれる無数の邪妖精を己の影に住まわす少女。
 邪妖精とは、単体では小さく非力であるが、数を頼みに何でも喰らい尽くす恐るべき妖魔。
 基本的には甘えんぼで恥ずかしがり屋だが、邪神を崇める邪教で「神子」として
 育てられていたため、イマイチ善悪の区別が付いていない。
 モデルは細馬信一・菊池秀行「魔界都市ハンター」のコロサス神父(ごめんよ)
 と「平成ガメラ」。

・田中れいな
 ライカンスロープ(半獣人)。
 肉球ぷにぷにな猫娘。由緒正しき鍋島藩の化け猫「こま」の血筋を引く。
 なぜか顔の半分しか変身しない。猫面の女神、バステトとも関係があるとかないとか。
 今この子に萌えると石川さんから「大の大人が」と言われる特典付き(時事ネタは風化するって)
 モデルは特になし。

藤本を除く6期の3人は、月の波動で目覚めた、やや妖魔よりの能力を持つ娘達です。

 

▽ボツネタUP

「いしよし外伝『運命の出会い』」
石川と吉澤、二人が初めて出会ったのは刑事として地球に配属されるよりも前のことだった。
刑事学校時代、憎い敵が警察に逮捕され目標をなくした石川。
無気力なまま毎日を送る彼女は、一人の少女を見かける。
生命力を溢れさせる少女を石川はいつもまぶしく見つめていた。
そんな時、訓練中に起こった事故。無謀とも思える救出作戦。
命の危険を犯してまで仲間を守った少女の横顔は、石川の胸にいつまでも残った。
誰も知らない石川だけの思い出。
だが、暗い眼をした石川の涙もまた、その少女の胸に刻み込まれていたのだ。
まるで運命がそうさせたように。

「新垣里沙外伝『あこがれの人』」
幼い頃から魔女として育てられてきた新垣は、クラスの中でいつも浮いた存在だった。
魔女としての宿命、だが多感な少女には辛すぎる運命。
ある日、新垣に対して特に辛く当ってきていた少年が妖魔に襲われる。
必死で守ろうとする新垣。しかし力の差は歴然としていた。
死を覚悟した瞬間、妖魔は一瞬で滅ぼされた。
木刀を手にし、暖かな笑顔を浮かべる小柄な少女によって。
クラスメイトとも和解した新垣は、退魔師を目指す事となる。
憧れのあの人を目標にして。

「松浦亜弥外伝『闇の歌姫』」
妖魔の結界に捕らわれた松浦。マルチプルメイルのエネルギーも残りわずかとなる。
報告を聞いた中澤は顔色を変えた。
松浦の万能鎧は、体を守るためのものではなく、心を守るためのものだった。
幼い頃、冒険家である両親とともに闇の世界に落ちた松浦。
数ヵ月後救出された彼女は、奇跡的にも一人だけ生き延びていた。
だが、その体は闇の世界に半分以上順応してしまっていた。
闇に染まった体と心に残った大きなトラウマを押さえつけるもの、それがあの鎧だったのだ。
それが機能しなくなったとき、松浦の心は粉々に壊れてしまう。
事情を聞いた藤本は、決死の覚悟で松浦の救出に向かう。

 

▽キャラの解説と思い出話

・安倍なつみ
 最強の念法使い。
 何となく必死になって戦ってる姿が思い浮かばなかった、と言うだけなのですが、
 結果的に恐ろしく強い人になっちゃいました。
 実は過去に(現在でも)バトルもので強い安倍というのはあまりありませんでした。
 無いなら書いちまえ。これが自分で小説を書こうと思ったきっかけでもあります。

・飯田圭織
 ”光の巫女”
 今だから告白しますが、私の好きな某小説のスレで「飯田さんには巫女姿が似合う」
 とのレスがあり、それがきっかけでできあがったキャラだったりします。
 神社という枷を付けてしまったせいで、あまり使えなかったのが心残りです。
 それも実は勢いで付けたものだったり……。ごめんよかおりん。

・矢口真里
 雷念使い。
 初回の主役。単に貴重な狂言回しで使い易かっただけだったりしますが。
 なにげにいろんな装備を持ってたりしますが、矢口パワーアップ計画は他にもいろいろあり、
 ロボットに変形する原チャリとか使えない設定が眠ってたりします。
 ちなみにこのへんの開発チーフは「まこと(シャ乱Q)」の予定でした。

・保田圭
 糸使い。
 前にも書きましたが、この人を格好良く書くというのが当初の目的でもありました。
 元ネタに一番美形な人を使ってるのはそのせいです。
 矢口同様、非常に使い易い人でした。

・吉澤ひとみ、石川梨華
 宇宙刑事。
 羊で連載中の某特撮系リレー小説を読んでいて思いついたのがこのキャスティング。
 しかし、件のスレで、この二人は既に別のキャラで使われており、
 宇宙刑事物は「宇宙刑事HEIKE」という名作がある。
 ならば、昔読んだ漫画の設定を使って伝奇系と絡ませて……。
 こうしてできあがったのが「百姫夜行。」です。
 いわば本当の意味での主役はこの二人だったりします。

・辻希美、加護亜依
 陰陽師、孫悟空?。
 肉弾戦な加護、遠距離攻撃な辻、というのは逆の方が一般的なようです。
 ま、単に衣装の都合でこうなっただけなのですが。
 私の場合、飯田さんも含めて衣装込みでイメージ決めることが多いです。
 衣装にこだわるのも娘。小説としては珍しいみたいです。ただのコスプレ好(ry

・高橋愛、小川麻琴、紺野あさ美、新垣里沙
 鬼神憑き、狗法使い、座敷わらし、魔女っこ。
 5期メンは能力は決めてたのですが、どれを誰に振り分けるかが長いこと未定でした。
 高橋と小川が逆だったり、魔女っ子コンコンなバージョンもあったりします。
 当時はあんまり長く続けるつもりが無かったので、使いにくい能力もそのままにしてましたが、
 当然後で大変な苦労をすることになりました。この子達ももっと使ってやりたかったです。

・中澤裕子、平家みちよ
 破魔の瞳、元念法使い。
 姉さんは攻撃できないけど誰よりも強い。ってことでこういう設定に。
 みっちゃんは現実のイメージと重ねて(ごめん)。
 使った回数は少ないけど好きなキャラだったりします。

・市井紗耶香
 現実でも小説内でも、波乱の人生を歩んだ人。
 次元のほころびは場所、時間ともにどこに開くのか分かりません。
 もしかすると過去や未来に行ってしまう可能性もあります。
 いずれ何らかの話が生まれるかもしれませんね。

 

登場人物はいっぱいいましたが、メインな人だけにしときます。
実は他にも、サブタイトル全て「〜の〜」で統一してるとかいろいろネタはあるんですが、
自分でもうざくなったんでもうやめときます。

あ、大事なことを言い忘れてました。安倍さんの木刀、アレが隠してある場所、あれ実は