魔鬼なつみ・完結篇

 

序幕 難破船と少年

 

少年はたったひとりで船に乗っていました。
その中で、自分と同じくたったひとりで船に乗っていた少女に出会います。
「僕は両親が死んじゃったから、これからおじさんの家にお世話になりに行くんだ」
「私はおばあちゃん家から両親のもとへ返る途中なのよ」
長い旅の中でお互いしか知り合いのいないふたりは毎日一緒に遊んでいました。
しかし。
知り合って何日目かのある夜。ふたりを乗せた船は岩にぶつかり沈んでしまいます。
「ああっ」
なんとか板につかまり海に浮いていた少年の目に、あの少女の姿が映りました。
「こっちへ! さぁ、早く!」
少女は必死になって少年のもとへ泳いできます。しかし、ふたりが板につかまると
その重さに耐えられないのか板は沈んでいきそうになるではありませんか。
――どちらかが手を離さないと、ふたりとも沈んでしまう?
それに気づいた少年は微笑みを浮かべながらこう言いました。
「君が死ぬより、僕が死んだほうが哀しむ人間がふたり少ないよね」
そっと板を手離した少年は暗い海の中に消えていき、海には少女だけが残されました。

 

第一話 その声は運命と私達を変える

 

『暗い話だねぇ。なっち、昔っからこんなのが好きだったんだ』
感心するような声が頭に響いて、私は「ほっといてよ」と口をとがらせた。
久しぶりにクロゼットの掃除をしていたら出てきた絵本に、私達は動きを止めていた。
その絵本は私がまだ中学生の、いじめられていない頃によく読んだ本で、ページを
めくるたびに「なっちも誰かのために人生を送りたい」なんて思ってたっけ。
黄ばんだ表紙を手でさすりながら、私は続ける。
落ち込んだときに読むと、自分は恵まれてる、頑張らなきゃ、って励まされたんだ。
『じゃあ、いじめられてるときにも読めばよかったのに』
真希の声に私はくすっと笑う。もう笑って言えるようになった。
…嫌だったんだ。
『なにがさ』
毎日この本を読んじゃって、嫌な想い出が染み込ませていくのが。

急に掃除なんか始めた理由は単純なことで、カレンダーにつけた赤いマルが、真希と
なっちが一緒になってからちょうど一年の記念日が明日に迫ったから。
改めてクロゼットの奥にしまい込んだあのオレンジの傘と向き合うには、ちょうどいい
けじめの時期だと思ったから。
衣装ボックスの後ろに放り込まれた傘を久々に引き出すと、ほこりにまみれてはいた
ものの、色あせてもいなくて、私のお気に入りのままで時間を止めていた。
『まぁね。陽にあたらなきゃ色も落ちないよね』
うん。
ほこりを払い水ぶきした傘は、本当にただの傘だった。
クロゼットに放り込んだときはまるで、この傘自身があの誘惑や魔鬼であるかのように
罪を着せていたけど。

手に取ったオレンジの傘に、白い傘のイメージが重なる。ふっと、笑顔の可愛い
はにかみ屋さんの想い出が頭をよぎった。
『あぁ、居たねぇ』
私達は結局、あの別れの後で梨華ちゃん達に会うことはなかった。
横浜には二度行った。梨華ちゃんに会った一週間後と一ヶ月後。
でも。
駅を出た場所に白い服の女の子は居なくて、それだけで私達は手がかりを失くして
しまい、真希の希望通り中華料理を食べただけで帰ってきた。これが一度目。
しわをぴんと伸ばして、きれいに整えた傘を見つめる。
『きれいになったね』
そうだね、と私はうなづいた。…使わないけど、ね。
ひとみちゃんお勧めの教会のようだったベーグルショップはまるで示し合わせた
ように雑貨屋さんに姿を変えていた。それが二度目で、なんとなくあのふたりには
もう会えない気がした。そして私は横浜に行くのをやめた。

梨華ちゃん達に会った日から横浜連続殺人はぱったりと止まった。
連日流れていたニュースはみるみる時間が減り、そしてとうとう誰も話題にしない
ようになった。私は微笑む。きっとさ。
『うん』
梨華ちゃんは人を殺すなんかよりずっと胸が躍ることに出会えたんだよ。
うらやましかったけど、それ以上に嬉しかった。
心から思える。
『わかんないよ』真希はいじわるく笑う。『なっちと同じ生き方を選んだのかも』
私はあはっ、と笑った。
なっちの選んだ生きかたは、日々を簡単に生きること。
ささやかなことで笑い、悲しみを冷静に見つめ、怒ることを放棄した。
眠る時間だけが増え続けるような生活の中に身体を沈めていた。

『ほら、これ』
まだ着る服ともう着ない服を分けていく作業の中で、私はお気に入りだった
ジャケットを見つけて手をとめた。袖口のレースがよれて色あせてしまい、もう
着ることもないと思ったけど、私はていねいに小さく折りたたんだ。
私にはふたりの友達が居た。
美しき殺人鬼と、おだんご頭の魔法使い。
私に許しの言葉を届ける必要のなくなった梨華ちゃんと、魔鬼を渡してくれた
亜依ちゃんには再び私達に会う理由なんてなかった。
――事実、会っていない。
ひとりよがりの友情とは思わなかった。
すべてが特別な私達は、顔を合わせればきっと会わなかった時間なんて簡単に
飛び越えてしまえる。私はふっ、と息を吐く。
ジャケットをクロゼットの隅に押し込むと、その上に違う服を重ねて扉を閉じた。

思ってたより時間がかかり、帰って来てからすぐ始めたのに、もう夜になってた。
でもクロゼットの整理は終わったし。
『あとはいらないものをまとめるだけかな』
そうだね。明日は約束通り、放課後はケーキ買いに出かけよう。
『わぁい』
ひと息つくと同時に、下の階から「なつみ、ご飯食べなさい」と呼ぶ声がした。
「はぁい」
タイミング良いなぁ、と思いながらひとつにまとめていた髪をほどく。肩よりも
垂れ下がるほど伸ばしたのは物心がついてから初めてだった。
軽く頭を振る。
『うん』真希もうなづいた。『今日はカレーライスだね。においでわかる』
手すりに左手を置いたまま、音を立てずに階段を降りる。
キッチンのテーブルにはまだなにも盛られていない白いお皿がふたつ並んでいた。
「カレー大好き」
『私も』
そう言いながら席に着く。私も真希も笑顔になっていた。

「幸せよね、なつみは。カレーくらいでそんな笑顔になっちゃうんだから」
そう言いながらお母さんも「ふふっ」と笑顔をつくる。
私はテーブルにひじをつきながら「幸せだよ」と答えて、心の中で本当にね、と
つけ加えた。
『うん。本当にね』
明日には忘れてしまいそうなささやかな楽しみ。
お皿にまずご飯が盛られて、真希はスプーンをつかんだ。…気が早い。
私はテレビのニュースに顔を向けたけど。
「実はね、ただのカレーじゃないのよ」
お母さんのその言葉で視線を戻した。

「はい」とカレー盛られたお皿の上には、平たく黒い物体が乗っていた。
これって。
「ハンバーグカレーにしてみたの」
「わぁい」
私はくすくす笑う。
胸を張るお母さんには悪いけど、そんな大した驚く――。
…えっ?
右手からスプーンがこぼれ落ちた。かしゃん、と冷たい音が響く。
「なつみってば驚きすぎよ」
目の前と頭が真っ白になった。
お母さんの笑い声も、はるか遠くから聞こえるよう。だって今、私の口唇から
もれた声は。
『うん、確かに』
真希が私にだけ伝えたはずの言葉だったのに。

 

第二話 少女時代にさよなら

 

ふたりっきりの食卓。
私は上の空でお母さんの会話に受け答えしていた。それどころじゃなかったから。
ねぇ、真希。
『私だってわからないよ』
本当にいつもと同じように思っただけだったの?
真希は『そう』とうなづいた後、スプーンを口に運んだ。
そっかぁ。
「お母さん」それまでの会話なんて無視して切り出す。
「なぁに」
「さっきお母さんがさ、今日はハンバーグカレーにしたよ、って言ったじゃない?」
「…言ったけど」
「そのとき私さ、わぁい、とか言ったっけ?」
つばを飲む音が聞かれそうなほど静かになる。顔を上げたお母さんとなっちの目が
合って、そして。
「言ったわよ」お母さんは、そんなことなの、とでも言いたげに笑った。「高校三年に
なっても、なつみは昔のまま変わらないわねぇ」

なにが起きてるのか考えた。答えなんか出なかったけど。
『でも今は出来ないよ』
真希はさらっと言った。『さっきと同じように言ってるつもりなのに』
瞬間の沈黙の後で。
でもさ、と私は思いを告げる。きっとこれは良いことだよ。真希が自分の思いを
素直に口に出せるようになったってことだもん。
『前向きだね』
そうだよ。…真希のおかげでね。
でも、と私は思う。
喫茶店に行くときとか気をつけなきゃ。真希が勝手に注文しちゃわないように。
『あはは』

「なつみってば落ち込んじゃった?」
いつの間にか無言になり、スプーンを動かすだけになってしまっていた。それが
お母さんにはショックを受けたように見えたんだろうか?
私は「落ち込んでないよ」と笑顔をつくった。
「でも変わったところもあるわよ」
そう言ったお母さんは口数の多さに合わせて、スプーンを運ぶ手を止めていた。
私は「食べながら話してよ」と先をうながす。
「あらいけない」とひとくちカレーを飲み込んだお母さんは、またしても簡単に
時を止めてしまった。
「なつみって前ほど、自分のことを『なっち』って言わなくなったもの」

湯舟のへりに左腕をかけ、その上に頭を乗せた。
目を閉じてふぅ、と息を吐く。お母さんの言葉が頭をめぐっていた。
『確かに「なっち」って言わなくなったかもね』
そうだよね。
確かに自分でも言っていない気がする。私は。なっちは。私の。なっちの。…うぅん。
昔は間違いなく口にしていた。
何かあるごとになっちは、なっちが、って騒いでいた気がする。
肩に水滴が落ちてきて、私は目を開く。
残った右手でお湯をすくって混ぜながら、こういうものなのかな、って思った。
自分だけはずっと子供だと思ってたけど。
『成長してるって?』
うん。大人になっているのかもなぁ、って。
『そうかなぁ』と真希のいじわるそうな声を聞いて気づく。
私は先手を打って「胸のことは置いといて、ね」と言った。

シャンプーを手に取り、ゆっくりと泡立てる。
「そっか」
ふいに気づいた。梨華ちゃんがなっち達との別れ際に言ったあの言葉。
それまでと雰囲気がまったく変わったわけ。
『なるほどね』
あれはきっとひとみちゃんの言葉だったんだ。だから驚いたような顔をして
いたんだよね。
やっとわかったよ。ねぇ、可愛いお姫さま。
――もうちょっとで一年になります。
――じゃあね、なっちゃん。
半年前にそう言っていたふたりは、今なにをしているんだろう?
手のひらの泡もそのままに、そんなことを思った。

脱衣所で髪をふきながら、姿見に映る自分を見た。
一年前、真希と一緒になった後にこの鏡で自分の顔を確認したっけ。
あの時に比べて、見た目はかなり変わっている。
『そう?』
そうだよ。肌もきれいになったし、目や口唇のかたちが整って可愛いくなってる。
腕も脚も細くなったし。
『私はそんなに変わってない気がするけど』
聞いた瞬間、真希は嘘をつくことを憶えたのかと思った。だって、顔も身体も
こんなに違うのに。――ってくらべる対象は記憶の中の姿だけど。
『嘘なんてつきません』
わかってるよ。
理由もなく嘘をつく真希じゃない。今までずっとそうだったし。
パジャマに着替え髪をタオルでくるみ、私は脱衣所を出た。

髪をドライヤーで乾かし、クロゼットから出てきた捨てるものをビニール袋に
投げ込む。最後に明日の時間割りと買いに行くケーキ屋さんの場所を確認してから
ベッドに潜り込んだ。明かりを消す。
真希、おやすみ。
『おやすみ、なっち』
横を向き身体を丸めて目を閉じる。小さく響く時計の秒針の音もそのうち
聞こえなくなった。

人間の登れないような高い木の枝に腰掛けていた。
見下ろす里にはいくつかの家が夕焼けに長く影を伸ばしている。食事の用意を
してるらしく煙が窓からもれていた。
「毎日毎日。よくやるよね」
私は持ってきていたびわの実をかじる。「そのまま食べちゃえばいいのに」
食べ終えると私はそのまま幹に寄り掛かった。
ふぅ。
夕陽で赤く染まる遠くの空や木々や山をただ見つめる。きれいな色だな、と思った。
この世の中で鳥と私だけが見ることを許された景色。
優越感と一緒にわきあがる不思議な気持ちがあったけど。
「眠ろうっと」
涼しい風と落ち着いたお腹の誘惑に負けて、私はそっと目を閉じた。
――そんな夢を見た。

カーテンを開くと陽射しが部屋中を照らした。「おはよう」と問いかけると、ほんの
ちょっとの時間を遅れて『おはよ』と返事が聞こえる。
なにも変わらない朝。
いつもの時間に目を覚まし、いつものトーストを食べて、いつもの道を歩いて
学校に行く。そしていつも通り校門をくぐった瞬間から私はひとりになり、誰とも
会話しないままに授業を受けていた。

真希は身体を動かすことだけじゃなくて、憶えることも簡単にやってのけた。
授業を流し聞きしてても、ノートを取らなくても、教科書にラインを引かなくても。
「進路、ですか」
「今のお前だったらかなり上のランクの学校を狙えるぞ、安倍」
急激に成績を上げた私に寺田先生は進学率のアップを考えてか目を輝かせて
いたけど、私はうつむくことでその輝きから目をそらした。
日々を簡単に生きることに決めた私には、たったひとつゆずれない目標があった。
「先生、私」
どんなことでもすぐに飲み込んでしまえる真希のために、私はもっともっと
学びたい、と思っていた。そしてそれ自体が真希に役立つようなことを。
『ありがと。でも良いの?』
もちろん。
そっと顔をあげ、先生の目を受け止めながら。
私は「調理師の専門学校に進もうと思っているんです」と言った。

『見られてるよ』
屋上でお昼ご飯を食べた帰りの廊下で、真希の声が響いて私は振り返る。
窓辺に寄りかかってる飯田さんと保田さんが、こちらを見ているのが目に映り、私は
歩みを止める。
こんな場合にいつもするように、私達は小さく笑みを浮かべた。
「うっ…」
瞬間、ふたりは動きを止める。
目をそらし、何かをささやき合うと逆方向へと歩いていってしまった。
『なっちにもわかったみたいだね』
うん。
その口唇の動きはあまりに単純で、私にもわかってしまう。
私達はまた歩き出す。…確かに「怖い」と話していた。

夕陽は長い影を教室に落としていた。
そろそろ行こっか、と私はゆっくり鞄をつかむ。相変わらず一番遅く教室を出た私達は
静かに階段を降りて玄関で外靴にはき替えた。
校門でそっと振り返ると、人の気配のしない校舎が赤く染められていた。
『きれいだね』
うん。
私達は微笑みを浮かべる。いつからかついた習慣。この景色が大好きだった。

 

第三話 魔術師の見せた種と仕掛け

 

ガイドを片手に電車を乗り継ぎ新宿に出る。ケーキがおいしいと評判のお店で
それぞれ好みのケーキをふたつずつ買う。
本当に不思議だ、とこんなとき思う。食べても太らないし、肌が荒れることもない。
『ふふっ。早く帰ろ』
鞄とケーキの入った袋を揺らしながらの帰り道。
めったに来ない新宿は、会社帰りの人達であふれていた。珍しさにきょろきょろしてる
私とは正反対で、みんな一目散に駅を目指しているよう。
人波に流されないように私はそっと端に寄る。
『ケーキがつぶされないないようにね』

スクランブル交差点で長い待ち時間を過ごしていた。
陽はとっくに落ちているのに、人が居なくなる気配もない。私はちょっと疲れていた。
うつむいて目を閉じようと思った途端。
『なっち、前見て』
そう自分で言っておきながら、真希は視線を上げた。
…あっ。
また、この感じだ、と思った。
『結構居るのかなぁ』
人であふれた交差点の反対側でたったひとり、私の心を呼び寄せる――。

信号が変わり、誰もが歩き出す。向こうも私達を見ていた。徐々に距離が縮まり、それと
同じ速さで謎も解けていく。
そっか、と思った。
考えられることなのに、考えもしなかった。予想できた展開なのに、予想できなかった。
思わぬミステリー小説の結末に、私は笑顔になってしまう。
手を振ると、向こうも微笑みながら手を振り返してくれた。
『知ってる人なの?』
うん。
あの人が、なっちと真希を出会わせてくれたんだよ。

『ずっと前に聞いたね、そう言えば』
スクランブル交差点のちょうど真ん中で私達は立ち止まり見つめ合う。変わらない笑顔が
私達の時間だけを一年前に戻した。可愛いお店、輝く手鏡、そして。
「久しぶり、かな?」
変わらない声が響いた。
「はい」と私は笑顔でうなづく。「お久しぶりです」
目の前に立つ素敵な偶然。
『ふぅん』
薄暗がりの中に溶け込むような黒のスーツと、ネオンをはね返す金髪と碧い瞳。おでこには
うっすらと二本の角が透き通っていた。
「元気そうですね――裕ちゃん」

裕ちゃんに連れられて、私達は喫茶店に入った。きれいだけど薄暗い店内の、奥の席で
向かい合う。ぼやけた明かりに照らされた裕ちゃんが「ここ好きなんよ」と笑った。
おでこの角もゆらゆらと光りを反射していた。
『私達しか客いないね』
うん、とうなづく。そういうところも好きなんじゃないかな、と思いながら渡された
メニューを開いた。…違った。
『知らないのばっかり』
喫茶店じゃない。こういうのって何て言うんだろ? バー? パブ?
「カフェバーやな」裕ちゃんは私の疑問にさらっと答えてくれた。「ここ昼間はカフェを
やってんねんで」
私はそっと店内を見回す。やっぱりまだまだ子供なのかな、と思い返した。
バーに変わりそうなカフェくらいわかるつもりだったけど、実際にバーに変わったカフェを
見抜くことはできないし。
『そんなことで?』
そう言えばなっち、学校の制服なのに何も言われなかった。いいのかな…?

「お酒飲める?」と聞かれて、私達は首を横に振った。
『まずかったよね』
うん。
ずっと前、真希の好奇心に負けてビールを飲んだことがあった。一口飲んで、後は捨てた。
それを言うと裕ちゃんは「そっか」と微笑みを見せた。
オレンジジュースと聞いたことのない名前のお酒が運ばれてきて、私達は小さく乾杯をする。
「再会に乾杯、って感じやな」
ゆっくり流れる音楽に混じって、カチン、と高い音が響いた。

「こんなにおいしいのになぁ」
裕ちゃんは頬に手をあてて、ほぅ、と息を吐いた。そのしぐさがあまりに大人っぽくて
やっぱり私はまだまだ子供だと思い知らされる。
「裕ちゃんって」
「なんや?」
いろいろとわきあがる疑問の中で、私が最初に選んだのは――。
「いったい誰なんですか?」
テーブルに置かれたオレンジ色の明かりの向こうで。
裕ちゃんは目を細めて「みんな最初にそれを聞くんやなぁ」と微笑んだ。

『みんな?』
その言葉で私達は一瞬、動きを止める。
…そっか。ひとつの身体でふたり生きてるのが、なっちや梨華ちゃんや裕ちゃんだけ
って考えるほうが変だよね。
『よくわかんない』
まぁ、この一年でふたりしか見たことないけどさ。
「私達みたいな人って他にもいっぱい居たりするんですか?」
「おったよ」
裕ちゃんはうなづくと、左手をテーブルの上に置いた。静かに指を折る。一本、二本。
「まずうちと魔鬼やろ」
「はい」
三本、四本ときて五本すべてを折り曲げたところで止まった。
「そのほかに、魅鬼と殺禍と人魅。うちが関わったのはこれで全部」
「ミキとアヤカと――」

ヒトミ。
その名前に、やさしく微笑む顔がすっと記憶をよぎった。梨華ちゃんも、私と同じように
こうして裕ちゃんと向かい合ったのだろうか?
「うちはあんた達の先輩ってだけやで」
質問への回答は、まるで真希に聞いたときのように簡単に返ってきた。その真希は
手の中でオレンジジュースのグラスをもてあそんでいる。
裕ちゃんはもう一口、お酒を飲んでから続けた。
「四年前にな」

「みちよと一緒になったんやけど、ひとりに戻ったらなんか淋しくてな。それで」
薄暗い明かりの中でかすかに聞こえるメロディと裕ちゃんの声。
ミチヨって名前がやけに頭に響いた。
「うちと同じようなのが他にもおるやろと思って、色んな文献とか読んで探して」
なにかが変だ、と思った。
私と裕ちゃんが同じ立場にいると考えると、だんだん話がかみあわなくなってる。
浮かんだ疑問は頭から離れなかった。
「閉じ込められた鬼を助けては、見える人――欲しがってる人に渡してあげたんよ」
「お代わり」
のどをうるおしたかった。「頼んでいいですか?」
裕ちゃんは「どうぞ」と微笑んだ。

「オレンジジュース好きやなぁ」
「あはは」
お代わりを持って来てくれた店員さんに、裕ちゃんが「どうも」と言った。私もあわてて
頭を下げる。両手でグラスを持ち上げ、ゆっくり口をつけた。
その甘味は私の頭と気持ちをすっきりさせる。
店員さんがテーブルを離れる前に裕ちゃんは「なっ」と口を開く。「先輩やろ?」
その変わらない微笑みを見てて思う。
裕ちゃんはなっちにじゃなくて、真希に説明しているんだ。ゆらゆらと揺れるグラスの中の
オレンジジュースは、静かに波を消した。こんなことまで予想できないよ。
疑問が確信に変わる。
ねぇ、真希。さっきからずっと黙ってるのはさ、気づいたからなんでしょ?

 

第四話 ツートップからソロデビューへ

 

不思議と落ち着いていた。
いつかこんな日が来るかもって思っていた、なんてわけじゃないけど。
――まずうちと魔鬼やろ。そのほかに、魅鬼と殺禍と人魅。
初めて見た裕ちゃんにも、そう言えば不自然さなんてなかった。涙も出ない。
『なっち』
私の口からもれた真希の声の意味。
『まだ決めつけないで』
――ひとりに戻ったらなんか淋しくてな。
ひざの上に両手を落とし、そっと握りしめながら。大丈夫、と真希に答えた。
悲しくなってるわけじゃないよ。ちゃんと受け止めるつもりだから。

「裕ちゃんとみちよさんは、どうやって出会ったの?」
「わからん。突然、うちの居る場所に光りが射して、みちよが現れたんよ」
夢で見た。
「みちよがうちをこう、ぎゅっと抱きしめたら、いつの間にか」
真っ白の中でひざをかかえていたっけ。
「みちよの身体の中に居たんや」
梨華ちゃんは私の半年前を歩いていた。裕ちゃんは私の三年前を歩いている。三年後の
私は同じように制服を脱いでスーツを着こなせるようになっているんだろうか?
『なっち』
わかってる。聞くまでもないって。

でも私は聞いた。
「みちよさんは――その身体の持ち主はどうなったんですか?」
「わからん」裕ちゃんはまた首を横に振る。笑顔の消えた顔で「出会って一年くらい
経ったあたりにな、突然この身体から居なくなったんよ」と言った。
「それって、裕ちゃんが言葉を話せるようなったあたり?」
裕ちゃんがこくん、とうなづいて、私の身体はちくっ、と痛んだ。

「まぁ、声を出さんだけでまだ身体の中に居るのかも知れんけどな」
裕ちゃんはお酒をひとくち飲むと「うちにはわからん」と言った。
静かな店内を見渡す。
もしかしてここはみちよさんのお気に入りだったんじゃないか、と思った。みちよさんの
身体に裕ちゃんだけが残っても来るくらいの思い出がつまった場所。
「あんた達も、もうそろそろ一緒になって一年くらい経つやろ?」
その言葉が身体にささる。
「はい」と答えると同時に、裕ちゃんは「魔鬼はしゃべった?」と続けて聞いてきた。
今度は私がうなづく番だった。

「ちょうど今日で一年なんですよ」
そう言いながら私は、横の席に置いた店名入りの青いビニール袋を持ち上げた。
「ふたりでお祝いしようとケーキ買ってきた帰りに」
「うちに会うたんか?」
「はい」
「そっか」と言って裕ちゃんはだまってしまった。
私はオレンジジュースをもうひとくち飲んだ。

もうすぐ私は消える。
頭では理解できてるのに、まるでどこか他人事のように現実感がなかった。そんな生き方を
選んできた。悲しみは冷静に受け止め、怒ることを放棄する。
それに――。
私がいなくなっても、真希がなっちとして生きるから、誰も私が消えたなんて気づかない。
…誰も、気づかない。
迷子のようだ、と思った。
当事者だけが見慣れない景色に心細くなり、他の人達は日常となにひとつ変わらない。
消えるとき痛くなければいいな、なんてことを思った。
身体がまたちくっ、と痛んだ。
「裕ちゃん」
「なんや?」
私は微笑みを浮かべる。ぼやけた明かりの中で、まるで裕ちゃんは夢の中の人のよう。
「裕ちゃんは、みちよさんのこと、好きだった?」
「今でも好きや」と裕ちゃんも微笑んだ。「みちよは良い子やったからな」

瞬間、体温が上がった気がした。左手に力が込められる。…真希?
『だったらなんで今になって』
裕ちゃんの笑顔が固まる。音楽も消えた。スローモーションだ、と気づいたときには
私だけが置き去りにされていた。
見えない。
真希が左手でオレンジジュースのグラスをつかむのと同時に、裕ちゃんの左手は真希の
左手首をつかんでいた。
『こんなこと言うんだよ』

「びっくりしたわぁ」
真希は裕ちゃんをにらんでいた。裕ちゃんも真希を見ていた。そのままゆっくり、私達は
つかんでいた手を離す。
もしかして真希、怒ってる?
『怒った。こっちもただじゃ済まないのを忘れて、こいつを殺したくなった』
あっ。
心臓が一度だけ大きく鳴る。
ふわっと身体が浮いたような感じ。
…ありがと。
でも、と私は真希をなだめる。裕ちゃんの行動は間違ってないと思うよ、とささやいた。

新しいお客さんが来たけど、私達の席からずっと離れたカウンターに座った。
それでも私は心持ち声のトーンを下げて話しかける。
「真希が、今さら言わないで、って言ってます」
「あんたもそう思う?」裕ちゃんは真希ではなく、なっちに聞いてきた。
私は首を横に振った。
いきなりの別れがたくさんの後悔を生んだのが私の目の前から伝わってくる。
「裕ちゃん、悲しそうだから」
裕ちゃんは優しい微笑みを浮かべて、そしてお酒をまたひとくち飲んだ。おでこの角が
光りを受けてオレンジ色に揺らめいていた。

 

第五話 魔とか鬼とかそれがどうだって言うのさ?

 

駅までの帰り道を、裕ちゃんと並んで歩いた。ケーキの袋がこすれて音を立てていた。
「ごめんな。制服姿で長いこと寄り道させて」
「あはは」
もうすでに九時近いのに、街は一層活気を増してるようにすら思える。さっきのスクランブル
交差点が、今度はタイミング良く待たずに渡れた。
「うちは地下鉄で帰るんやけど、あんた達も?」
「いえ」
「そっか。じゃあ、ここでお別れやな」
「庶民的ですね、私達」
「便利やからな」
歩道の端で私達は立ち止まり向かい合う。私が微笑むと、裕ちゃんも笑顔をつくってくれた。
出会ったさっきと同じ状況なのに、何もかもが違って見える。
魔術師の仕掛けた壮大なトリックは、私を変えた。――いや、換えた?

「梨華ちゃん、って言ってわかりますか?」
裕ちゃんは一瞬空を見つめてから「わからん」と言った。私も視線を移したけど、街が
明る過ぎてか星は見えなかった。
「ひとみちゃんが一緒になった子です」
「あぁ。あの色黒の子」
「私、そのふたりがまだ一緒だった頃に会ったことあるんです」
そう言うと裕ちゃんは驚いたように「よく会えたね」と言った。
「ふたりとも友達――だったんです」
裕ちゃんは答える代わりに、どこかで見たような淋しそうな笑みを浮かべた。

「梨華ちゃんにひとみちゃんを渡したのが横浜なのは、どうしてですか?」
「勘…って答えは信じられへん?」
「いえ」私は首を横に振った。「信じます」
――うちの勘、良く当たるやろ?
「横浜に行けば、人魅を欲しがる人に会えるとふと思うたんよ」
「私のときも?」
「そう。魔鬼と波長の会う、上手くやっていける人が居る気がしたんや」
「お店はどうしたんですか?」
裕ちゃんは眉間にしわを寄せて「お店?」と言った。
「あの、私に鏡をくれたときにやっていた可愛い――」
「あぁ」
裕ちゃんは前髪を指で払いながら「あれは魔法。心にちょっとだけ入り込むんや」と言った。
本物の魔術師のように。
「今日、私に新宿で会ったのも、勘ですよね?」
裕ちゃんは簡単にうなづいた。「居る気がした。おかげであの店にも久々に行けたわ」

私は疑問の対象を変えた。もし裕ちゃんが真希と同じように突然に一緒になったのなら必ず
迷うはずの分岐点。
「裕ちゃんは今、なにをしているんですか?」
「建設会社の受付」
そう答えながら裕ちゃんは、右手でしなを作った。その姿は受付というよりはエレベーター
ガールのようだったけど。
「裕ちゃんがやりたくてやってるの?」
「別に」
裕ちゃんは「みちよがやってたのを続けてるだけや」と言った。
そしてこれが最後の――最大の疑問。
「今、楽しい?」
裕ちゃんはさっきとまったく同じ口調で「別に」と答えた。

「あの時も今も同じや。なんとなくしたいことをしてるだけ」
通り過ぎていく駅へ向かう人達の、その横で声をひそめながら。
「殺禍もそのまま大学生を続けてるし、人魅もそのまま高校に進学したしな」
あまりの人の多さに、みんな流されるように生きてしまっているのかな。
アヤカさんも、ひとみちゃんも…って、あれ?
『もうひとり居たよねぇ』
「魅鬼は」
裕ちゃんは首を横に振りながら「わからん」と言った。
一緒になって一年くらいで人間がいなくなることを告げてから、会えなくなったそうだ。
「あの子だけ、勘が働かんのや」

「魅鬼も魔鬼と――あんた達とおんなじ」
私が何が、と聞く前に裕ちゃんは「後先考えず、うちに対して怒ってん」と笑った。
つられて私も微笑んでしまう。
ふいに。
「人を殺したことある?」
質問された。目を配ると回りだけ切り取ったように人の流れがなく、裕ちゃんもすでに
真顔に戻っている。私は目の前の未来の私だけにわかるように小さくうなづいた。
「ふぅん。ないんかと思ったわ」
「最近はありませんけど。…なんでです?」
「サカナ」
『はぁ?』

「死んだ魚みたいな目やから」裕ちゃんが私の瞳を覗き込む。
「失礼ですよ」
私達はまた笑った。
笑ったまま裕ちゃんは「たまには人を殺しい。人からの優位性がうちらの存在の証になる」と
つけ足した。「また、会おうな」
真希に向けての裕ちゃんからの言葉に、真希は答えなかった。真希の振りをして「はい」と
答えようかなと思った瞬間、左手が頬をつねった。
『余計な真似しないの』
私達の様子を見ていた裕ちゃんは「仲良しやな」と言うと、駅へ歩き始めた。
「元気でな」
その言葉で別れるのはおかしい、と思ったけど、私は「裕ちゃんも」と答えた。
離れていく背中にかけた「親友ですから」の言葉は聞こえなかったようで、振り返ることは
なかった。そして私達もその場を後にした。

 

第六話 あなたに会えてよかった

 

帰りの電車の中でずっと、色々と考えていた。
死が間近にせまった状態ならすべてが愛おしく感じるかと思ったら、そうでもないし。
むしろ私に関係なく進む世界から、拒絶されてるのかと思えてしまう。
「ふぅ」
一番端の席に座り、ひざの上に鞄とケーキの箱を置いた。
壁にもたれそっと目を閉じる。
そうすると小さな揺れが下から、規則的に伝わってくるのがよくわかった。
真希も私も無口だった。と言っても私の考えはこうしてる今も真希には聞こえて
いるんだろうけど。

…ねぇ、真希。
呼びかけに返事はなかったけど、私は続けた。
私達はさ、殺し続けることでしか自己を肯定できない、なんてことないよね?
だとしたらとても、かわいそうだもの。
『うん』
その答えに私は、ふふっ、と笑った。やっと話してくれたね。
『加護との約束を守った生き方は、かわいそうなんかじゃなかったもの』
そうだよね。
思い出すのは小さなおだんご頭。生意気で可愛いくて悲しみを背負った魔法使い。
全然、勝てなかったっけ。

助かる方法について亜依ちゃんの能力に頼る手も考えた。
でもダメだった。今の状態でなくなってしまうなら、どれも意味なんてない。
『なっち』
真希を鏡の中に戻すなんてさせたくない。
だからって真希を他の人の身体に渡してしまうのは、結局その人を殺すのと同じだ。
なにより私が、他の人に真希を渡したくなんてない。
ひとりきりじゃ生きていけないから、もうひとりを受け入れた身体。出来ないことの
なくなった身体で、私がしたいことは、ない。
自分の意志で人を殺したときから、きれいな着地なんて望めると思ってなかった。
『加護の力を借りよう。そうしなきゃなっちが助からない』
違うよ。
この身体はもう、なっちと真希の身体だよ。途中から真希が入って、途中でなっちが
出て行く。それだけのことなんだから。

結論はたったひとつ。
『まだだよ。そんなの許さないからね』
私は目を開く。車内の人影を照り返す窓の中に、流れて行く外のネオンが映っていた。
乗り合わせた人達はそれぞれ勝手なことをしていた。
どうでもいい、と心から思える。
ねぇ、真希。
『言わないで』
裕ちゃんもアヤカさんもひとみちゃんも、元の人の生活を続けてるみたい。
…真希も続ける?
『絶対、答えないから』
痛っ。
私の左手が右手の甲をつねった。いつもと違って痕が残りそうなほど、きつく。
でも私は聞いた。この結論を変えるつもりなんてないから。
ねぇ。
なっちが死んだら、真希はどうする?

死を目前にして私のやりたいことは?
考えてるうちに思い出した、大好きだったあの絵本。誰かのために人生を送りたい。
そんな機会がめぐってくるなんて。
私の身体は生き続けるから、お父さんもお母さんも悲しまない。
梨華ちゃんは居なくなってしまった。
亜依ちゃんは私の心が消えたら悲しんでくれるかな?
真希を待ってるのはミキさん以外の裕ちゃんとアヤカさんとひとみちゃん。この身体には
私の心より真希の心を待ってる人のほうが多い。
だったら。
微笑みながら『板』から手を離すべきはなっちだよ。
残してあげるのが人殺しの過去のある板なのは申し訳ないけど、ね。

もっと良い方法があるのかも知れなかった。
でも残された時間がわからない。
考えている今にも、私は消えてしまうのかもしれない。
今思いつく最善の結末を実行しなくちゃ。
ぎりぎりに言うなんて。
向かい側の窓に浮かぶ裕ちゃんの影に私は「ずるいよ」とささやいた。
あなた達がうそをつく人達なら良かったのに。

右手の甲にあざは、しばらく赤く残っていた。
痛みを何より嫌っていた真希が、こんなことをするなんて。
私はすぐぼうっとしてしまい、ふと気がつくたびに入れ替わっている乗客を
見つけては降りるはずの駅を見過ごしていないか確認した。
そして私達はまた無口になる。
ケーキの袋のロゴをなんとなく目で追っていたとき、ふいに真希が立ち上がった。
『着いたよ』
電車が停まったのも気づかなかった。

鞄とケーキを右手にまとめ持ち、空いた左手でポケットから切符を取り出す。
小さな厚紙は改札に吸い込まれるように消えていった。
隣の改札ではベルが鳴り、スーツを着たお姉さんが足留めをされていた。
『不思議だよね』
改札からだいぶ離れた場所で真希が言った。切符のこと?
『うん』
私達は物言わぬ機械を振り返る。
今まで気にしたことなかったけど、とても便利で精巧なんだと改めて思った。

なっちが子供の頃はね、切符を見るのは駅員さんの仕事だったんだよ。
言いながら自分の言葉で記憶が戻る。
私がまだ小学生で、まだお父さんとお母さんが仲の良かった頃。借家だったし車も
なかったけど色々なところに連れてってもらったっけ。
『今からは考えられない』
私は笑みを浮かべる。
真希はあのふたりが笑いながら話す姿なんて想像もつかないよね。
無理もないよ。
だって私もうっすらとしか思い出せないんだから。

こういうことなんだ、と息をもらした。
人は変わるし、世の中も変わっている。それがなっちの番になっただけ。
考えている間にも真希は階段を降りて駅を出ようとしていた。
色々な人達が一緒の方向に歩いて行くけど、誰ひとり知ってる人はいなくて、私は
こんなに辺りに気を配っている自分に驚いた。
そして気づいた。
私ひとりの問題じゃないのに、私だけ先走ってる。恥ずかしい。
ねぇ、真希。
『うん。考えてる』
真希はどうするのが良いと思う?
『秘密』と真希は笑って最後の一段を飛び下りる。『家に帰ったら教えてあげる』
…家?

真希の声は頭の中に静かに響いた。
『もう結論は出たから。それに人の死に慣れてるし』
人の死。
真希が人を殺すシーンは夢の中で何度も見た。それはいつも夢とは思えないほどに
リアルで、感触が伝わり、美しくて酷たらしかった。
『そっか』
真希は口唇に左手のひとさし指をあてて『でも慣れたでしょ?』と聞いた。
私はこくん、とうなづく。
最初は毎日汗びっしょりで起きてた。そのうち左手を見つめるだけになり、今じゃ
また見たなんて思うことさえない。
そっと口から離して左手を見つめた。力を込めて爪が尖るか尖らないかが夢と現実の違い。
音を立てて車が隣の道を走って行った。
気がつけば私の身体は駅から遠く離れていて、大通り沿いを歩いていた。

頼りない街灯の下。
私達は見知らぬ誰かを追い越し、見知らぬ誰かに追い越される。回りのすべてが
他人になる中で真希は普通に暮らしていける?
答えはイエスだ、と言い切れる。
亜依ちゃんは私と一緒にいれば真希は悪さをしないだろうからって許してくれたけど
今の真希ならひとりでも普通の暮らしができると思う。
『いやいや。普通って何さ?』
前を行く人達の背中を見つめ、私は目を細めた。
普通って、昨日までの私達の生き方だよ。
退屈だけど鏡の中ほどじゃないし、おいしいものもいっぱい食べられる生き方。
『わかんないよ』

真希はいじわるく笑う。
『もし私がひとりになったら、梨華とひとみの生き方を選ぶかも』
街灯と街灯の間の少しだけ暗い場所を歩いてる途中で、私も笑みを浮かべた。
私は真希を信じてる。
青空に手のひらを差し伸べた私の、役目は終わったんだ。
大事だと思った場合には、必ずなっちの意見を聞いてくれた真希を私は信じてるから。
『先手を打つのは、ずるい』
真希は口唇が尖らせて私は得意げに笑う。
だてに一年も一緒に居たわけじゃないんだよ。
私はケーキをぶらさげてる右手を鞄ごと持ち上げる。家に帰ってケーキ食べながら
真希の意見を――。
『ちびっ子だ』
聞かせて、と続ける前に言葉がさえぎられた。ちびっ子って?
真希の見つめる視線の先、街灯のそばのバス停にひとりの女の子の影が見えた。明るい
色の髪を背中までたらし見慣れた制服を着ている少女。しきりにうなづいて。
矢口さんだった。

矢口さんの後ろにサラリーマンらしき人が並んで、その背中は見えなくなった。
高三の初夏。まだ部活とかやってるのかな?
そう思った自分に、ふふっとまた笑う。
昨日までの私だったらその背中が見えなくなっても目で追い続けるなんて
しなかったと思う。
前は私をいじめてて、途中から真希にいじめられていた矢口さん。梨華ちゃん達に
会ってからは、その瞳に爪を立てるようなこともしなくなったけど。
『なっちが言うから止めたんだけどね』
私の中に芽生える不思議な気持ち。なっちの高校生活で、おそらく彼女が真希の次に
多く関わった人だろうな、なんて思った。
『ふぅん』

あっ。
ふいに私の体温が上がった気がした。これは真希――?
『なっち。家に帰る前に』
言うなり歩幅のサイズが広がり、私の身体が駆け始めた。それまでがさがさと
揺れていたケーキの青い袋も音を立てなくなる。
『私の考えを教えてあげられるみたい』
むだのない動きで歩く人を追い抜いていく真希。そして私の身体は矢口さんの
斜め後ろで止まった。
でも矢口さんは振り返らなかった。ヘッドフォンをして音楽か何かを聞いているよう。
そっか、と気づく。
だから遠くから見たときしきりにうなづいて見えたんだ。

『ちびっ子』
真希がその肩を二度叩いた。音楽を止めることなくヘッドフォンだけを外しながら
振り返る矢口さんは、私達の顔を見て一瞬だけ視線を泳がせた。
でもすぐに笑みを浮かべて「安倍じゃん」と言った。
矢口さんの前に並んでバスを待ってたおじさんがちらっと振り返った。
「安倍から話しかけてくるなんて珍しいね」
『話しかけてはないけどね』
私はすぐに言葉が出なかった。
また横の通りを車が勢いよく走り抜けた。
真希ってば、なんで矢口さんを呼んだの?
『まぁ見てて』
矢口さんとの間に沈黙がおとずれて、とりあえず私も微笑みを浮かべた。

「新宿に行ったんだ」
矢口さんは私のビニール袋を見て言った。私はこくん、とうなづく。私の手を
見たまましゃべる矢口さんは、いつもより何だか早口だった。
「知ってるの?」
「雑誌とかよく載ってる。超有名だよ、その店」
「そうなんだ」
そこで会話は途切れてしまう。それでも矢口さんは手から視線を動かさなかった。
一瞬の間。
『行くよ』
そう言って真希は、ゆっくり左手を矢口さんの顔に伸ばした。

「ひぇっ」
私の手を動いたのを見て矢口さんは高い声を出す。ぎゅっ、と力強く目を閉じた。
だから手を見ていたんだ、と気づいた。
私達にして見ればもう半年も前にやめてしまったことなのに、矢口さんは忘れて
いなかったんだ。
矢口さんの声にもう一度、前に並んでいたおじさんが振り返った。
家まで秘密って真希ってば、まさか瞳に爪を立てたかったの?
『まさか』
真希は気にせず左手をその閉じられた目の下の、ほっぺに添えた。そしてそのまま
矢口さんの小さな顔を引き寄せながら、私の顔も近付けて――えっ?
まさか…。
『そう。そのまさか』
油断していた。考えもしなかった。真希の言葉が終わるのと同時にわかったのは
矢口さんの口唇はふっくらしていてやわらかいってことだった。

 

第七話 なっちありがとう( ● ´ ー ` ● )

 

口唇の感触を感じながら一秒。
矢口さんがさっきまできつく閉じていた目を大きく見開いた。
三秒後。
その大きな目が揺らいで、じわっ、と潤んだ。
四秒後。
真希が『だめか』と笑いながら顔を離した。
六秒後。
真希が口唇を左手でこすった。矢口さんがすとん、とその場に座り込んだ。

バスを待つ人や通り過ぎる人達の視線が集まっても、矢口さんは立ち上がらなかった。
「もうやだぁ…」
かすれた声を出しながら上げた矢口さんの顔は泣いていた。「怖いんだよ、お前」
『なっちに内緒でなっちに近い人の身体を奪おう、って思ってたんだけど』
怖いんだ、私って。やっぱり。
うずくまる矢口さんがとてもかわいそうに見えた。その姿でなぜか真希と一瞬だけ
一緒になったののちゃんを思い出して、胸が痛んだ。
帰ろう。
頭の中でささやいた。他の誰かの人生を奪うのはだめだよ。言ったじゃない。
『私さ』
でも真希は動かなかった。『一度だけなっち以外の身体に移ったでしょ?』

ふいに体温が下がった気がした。
「気持ち悪ぃんだよ、お前さぁ!」
矢口さんはせきを切ったように叫んだ。だんだんと声が大きくなってることに
きっと気づいてないと思う。
「バカでドジでクズの安倍がさぁ、急にまったく変わってんじゃねぇよ!」
私の顔がふっ、と微笑みを浮かべる。
怒鳴られても笑ってる姿は一年前の私のよう。
真希?
『あれ暗くて本当に嫌だったけど、今度こそふたりとも助かるならって思ったのに』
目の前の矢口さんを無視するかのように――いや、無視して?
真希はやわらかな口調で話していた。
『またひとりだけ助けられるのは、もうたくさん』

「お前、私達を見下してるだろ?」
『こんなことを考える人間をばかにしてた』
何の騒ぎかと、通り過ぎずに立ち止まる人も居た。
「わかんないとでも思ってんのかよ」
『でも今は、教えてくれたことに感謝してる』
早くバスが来て、みんな居なくならないかな、と思った。
「黙っててなに考えてるかわかんねぇし、そんなんだからいつもひとりなんだよ!」
『なっち、気が変わった。さっきの質問に答えてあげる』
さっきの?
『なっちが死んだら――』
「有名店も知らない常識知らずのくせにへらへら笑ってんなよ!」
叫びながら立ち上がり私の胸元をつかもうとした矢口さんの手をかわして、私の
身体が一歩、後ずさった。
「私も死ぬ」
えっ?

「死ぬ?」
歩道のふちに立つ私のすぐ後ろを車が勢い良く走り抜けて行った。
どくん、と心臓が鳴る。…まさか。
『そう。そのまさか』
呆然と手を伸ばした矢口さんを見つめて真希は、じゃあねの形に口唇を動かす。
「じゃあね」と声がもれた。
…真希?
「安倍?」
『なっち』
待って。
ヘッドライトを視界の隅に捕らえた。エンジンの音がだんだんと大きく響く。
『ありがとう』
ギャラリーの視線を一身に背負った私の身体は、ヘッドライトに照らされた
車道へと飛び込んだ。

身体が浮く。
足が地面を感じるまでに、いろいろなことが頭をめぐった。
これで罪滅ぼしになるだろうか。自分の写真の飾られたお通夜。
せっかく部屋を片付けたのに。矢口さんはどう思って見てるんだろう。
誰か泣いてくれるだろうか。
昨日までとは全然違う。ヘッドライトまぶしい。
ケーキ食べてこればよかった。痛そう。
すべて現れては、あっという間に消えていった。足元がやけに遠く思えた。

光りと地面がすこしずつ迫った。
まるで真希が人間相手に見せるスローモーションのようだと思った。いや、もっと
遅いかもしれない?
身体が震えてこわばる。すっとよぎる感覚。その一瞬が頭から離れない。
…。
ふと。
このまま前に飛べば死なない気が、した。

右足が地面に着いた瞬間、身体をかがめる。手からケーキの袋と鞄を離した。
『えっ?』
前のめりになる勢いと曲げたひざの力を利用して身体を跳ねさせる。
ぶつかる、と思いながら飛んだ。
こういう死に方もありかも知れない、そう思う気持ちもあるのに身体は
止まらなかった。ブレーキのような高い音が耳に残った。
「飛ぶの?」
遅れて真希の声が響く。外から聞こえるその声に、まるで役割が入れ替わったみたい
に思えた。私は舌で口唇を潤した。

視界にゆっくり青い車が割り込んで来た。そのまま私の腰にあたり、まるで焼かれた
みたいに熱くなる。身体が真っ二つに裂けたみたいな痛み。吐きそう。
車の表面がへこんだのが見えた。
『痛ぁぃ!』
真希が当たり前のことを叫ぶのが頭に響いた。頭を守らなきゃ死ぬ気がして
両手で頭を抱え込む。
次の瞬間、私の身体は浮いたままぶつかった反動でぐるっと回った。車のドアに
頭が腕ごとあたる。耳のそばで大きな音がした。世界がぐらぐら揺れた。
『もぅ…』

跳ね飛ばされた私の目に切り取られた景色が映った。
『なっちのばかぁ』
青いケーキの袋と鞄は踏みつぶされていた。青い車は路肩をこするように
真ん中の安全地帯に突っ込んでいた。バス停に居たおじさんは目を見開いていた。
お姉さんは逆に目をそむけていた。
立ち上がったはずの矢口さんは、また座っていた。
『あのまま動かなかったら、痛みを感じる間もなく死んでたのに』
そっか。ごめんね。
そう言おうとして動かす口唇も、声にはならなかった。

スローモーションの世界はこんなに長かったんだ、と初めて気づいた。
視界に空が映る。ひとつだけ星が見えた。
腕は頭にからみついたまま。
道路の傷が見えるほどに身体が近づく。吹き飛ばされた勢いを利用して
身体をひねった。そうしないと助からない気がして。
そのまま着地。
「……っ!」
頭の先から足の先まで電気が駆け抜けた。そのまま身体と世界は回転を続けて
十回、空と地面が視界をくるくると入れ替わったところでようやく止まった。
最後に見えたのは、空だった。

『こんな痛い思いをしながら死ぬなんてさ』
死ぬの?
「……っ…ぁ…」
死なない気がしたのに。
『こんな状態じゃ死ぬよ。人の身体なんて簡単に壊れるし』
そっかぁ。私は助かる気がしたんだけどな。
「…ぉぃ……」
星が見えるよ。真希、好きだったじゃない。
『うん。明星。時間と方角からわかる。加護が教えてくれた』
きれいだね。
『昔はもっときれいに見えたんだよ』

固い道路に寝っ転がった私の身体は、首を起こすこともできなかった。
手は、足は、くっついているのだろうか?
「救急車!」
「動かさないほうが良いんじゃない?」
そっと息を吸わないと身体が壊れてしまいそうな気がした。体中が熱い。
「誰でも良いから早く!」
ひんやりした地面が気持ちよかった。
「死んだの?」
『まだ』
回りの声がだんだんと大きくなる。それに合わせるかのように世界は
ゆがみ、光を放った。眠い。
「安倍? 聞こえる、ねぇ安倍」
うん。
「あの子が飛び出して来たんだ。僕の、せいじゃない」
「こっちです、こっち!」
ふわっ、と。
身体が浮いた。痛みも熱もない。声と音が消える。まわりの人が、星が、すべてが
真っ白に染まった――。

 

第八話 失なわれた時を求めて(前篇)

 

記憶にある風景だった。真っ白な空と真っ白な地面。
夢の中?
そう思ってすぐに違うと気づいた。…カラダ。
真希の身体じゃない。胸がぺったんこだった。私は裸の身体を抑えてうずくまる。
白の中なのに夢を、真希の記憶を見てるわけじゃないって…?
口唇が指に触れるまでもなく思い出した。
ここに来る直前の記憶がよみがえり身体を見つめる。痛みも傷痕もなく、手も足も
自由に動かせた。足元には薄く青い影もある。夢とは、思えなかった。
私は口を開く。「あっ、あ――」と声が出ることを確認してなぜかほっとした。

そのままきょろきょろと回りを見渡しても、誰も居ないし何もなかった。
白いだけ。
地面を指で押すとぽこんとひっこむ。そしてじわじわと元に戻った。
「入れかわったのかな」
ふっ、と息を吐きつぶやいた。きっと今ごろ真希はなっちの身体の中で、私は
自分の身体を離れてここに来たんだろう。この白い世界――鏡の中へ。
私はやけに落ち着いていた。一応これも助かったと言うのかな?

私の身体にひとり残された真希はどうしてるだろう、と思った。
助からないと言っていた。人間の身体なんて簡単に壊れるとも。もし助かってると
しても重度の後遺症が残るかも知れない。長く生きられないかも知れない。
そして私はきっとここで千年を超える時間を過ごすんだろう。
真希が戻るくらいなら、と死を選んだここで。
…どっちが幸せなんだろう?

ふいに。
――耐えられるよ。死なないし、死ねないんだから。
ずっと昔の真希の言葉が頭をよぎった。
私はそっと舌に歯を立てた。瞬間、身体中から力が抜けた。私はその場でくたっ、と
前のめりになった。
「あれ?」
もう一度試してみても同じだった。言われた通り。確かに死ねなかった。

時間の感覚がないまま、ぼ――っと座っていた。たまに床を押したりしながら。
裸に慣れた私は大の字に転がった。ふわふわと気持ちが良いのに、目を閉じても
眠れない。しばらくそうした後に、やがて私は身体を起こした。
「うん」
とりあえず歩いてみよう、と思った。私は立ち上がっておしりをぱんぱん叩くと
今見ている方向へなんとなく、ぺたぺたと足を運んだ。

どれぐらい歩いたのか時間も距離も疲れも感覚のない中で、はるか遠くに小さな
肌色のかたまりが見えた。目をこらすと人のように見える。
立ち止まり、手を胸の前で握りしめた。
この世界になっちの他に誰かが居るとしたら、その誰かには心当たりがある。
…梨華ちゃん?
音を立てないようゆっくりと近づく。長い髪で相手も女性であることが確認できてから
私は走り出した。

徐々にその身体の線がはっきりしてきた。こちら側に背中を向けて、ひざを
抱えて座り込んでいるようなシルエット。怒られた子のように小さく。
それが誰だかわかった瞬間、私は止まった。そしてすぐに、もっと速く走り始めた。
どうしてここに?
そんな疑問は一瞬で頭から払った。一年前に見たきりなのに、見間違えじゃないと
信じて歩幅を広げる。
距離はぐんぐん縮まり、やがて追いついた。そのうずくまる身体の後ろに
ひざをつき、垂れた髪ごと背中を抱きしめる。私は名前を呼んだ。
「真希」
「…なっち?」
顔を上げて言う真希の声はやわらかく、心地良く耳に響いた。
「会えると思わなかった」

「どうぞ」と言われて私は巻の斜め横に腰を下ろし、同じようにひざを抱えた。
お互いのつま先を合わせるようにしてひざを抱える。お互い裸で恥ずかしい、なんて
思ったのもつかの間で、私は久々に見た真希の全身から目が離せなくなっていた。
「なっち?」
夢の中で真希の視点から見たときよりずっときれいに思えた。本当に歳下?
おろした腰はすっとくびれていて、折り曲げられた脚は細く長い。そして脚と身体に
やわらかくつぶされた胸は大きくて、まるで、その、何て言うか。
…ボール?
「なっちってば」
はっ、と気づいて顔を上げる。真希がにやにや笑っていた。「おっぱい見過ぎ」
私はあはは、と笑ってほっぺをこすった。熱かった。

「一年ぶりだね」私は微笑みを浮かべる。「こうやって真希と会うの」
「うん」とうなづく姿がやけに可愛いかった。
取り囲む白の中で私と真希とその影だけが色づいていた。真希のおでこの角の、その
透き通るような白さは、回りに溶け込まずにやけに目立った。
真希を見ていた。その垂れ気味の瞳を、整った鼻筋を、薄い口唇を見つめた。そして
そのつくりのまとまりに気づいた。…幼ない。
夢の中の真希は揺れる水鏡ばかりでまともに顔が見えなかったし、そのしぐさや
身体つきに惑わされてしまうけど。
まだ十四歳なんだ、と改めて思った。

「でも私も真希に会えると思わなかった」私は指で床をなぞって言った。白い床に
青い影で小さく円の跡が描かれた。
「本当にね」と真希が私の指を目で追いながら言った。
「最初に人影が見えたときさ、もしかして」私は華のような笑顔を思い出しながら
言った。「梨華ちゃんかなって思った」
真希が眉間にしわを寄せる。
「…私ってあんなに黒い?」と心配そうに聞いてきて、私は笑った。

髪が揺れて、たまに風が吹くことに気づいた。私は指をとめて、空気をかき混ぜる
弱く緩い流れを胸いっぱい吸い込んでみた。
それだけの間にまるい軌跡は消えて、私はここが砂浜だったら良かったのに、と
思った。
「ここ気持ち良いね」
「うん」
そう答える真希はもうやわらかい笑顔を浮かべていた。
「たぶん鏡の中、だよね?」
「うん、そうとしか思えない。封印されたわけじゃないけど、ここだよ。間違いない」
「そっか」
千年居た真希が言うならそうなんだろう。私は髪をかきあげた。
「もう来たくなかったけど、来ると落ち着くんだよね」と真希は目を細めて言った。

「どうして『私達ふたり』は『鏡の中』に居るんだろ?」
「同時だったのかな?」
「同時?」
「そう」真希がうなづいた。「死ぬのと、消えるのが」
「あぁ」
あまりにも早い答えに、すでに考えていたのかな、と思った。そしてその答えは
当たっている気がした。私も「なるほど」とうなづいた。

もしあの事故で死んだのならここには来ないだろうし、ただ私が消えただけなら
ふたりして居ることもないだろう。
それが同時に起きたから、何かが狂って私達ふたりそろって鏡の中に居るんだろうな、と
真希の言った通りで終わりにした。正解なんてわからないし。
ここが死後の世界という気は、何の根拠もないけど、しなかった。死んだことなんて
もちろんないけど、今の自分と目の前の真希が死んでいるとは思えなかった。
そしてここが鏡の中だとしたら、私達はもう一度――。

事故と同時に有効期限切れにもなったみたいなのが、人生を使い切ったようで
なんとなくすっきりした。振り返るほどの人生じゃないけど。
ここから出るための手段――他人の身体を乗っ取る方法は、私は使わない
つもりだった。
そう思うのも今だけで、千年経たないうちに私は他人を乗っ取ってでも出たいと
思うようになるのかも知れない。でも今はここに居ようと思った。
…ただ。
真希がそうしてでも出たいと言ったら、私は止められない、とも思った。

「他人の身体を乗っ取るしか出る方法って、ないのかな」
私はひざを抱える手にきゅっ、と力を入れて言った。同時に耳が痛むほどの
静けさが私達を包んだ。でも。
「出られるかもよ」
包んだ途端に真希に追い払われた。

「出られる?」
「そんな気がするだけ。前と違って今回はふたり居るから」
言いながら真希は口唇にひとさし指をあてた。それは私の身体で何度も行なわれた
真希のくせだった。
「ふたりだと出られそうなの? 乗っ取らなくても? ふたりとも?」
聞き返す私にひざを抱えたまま真希は首を横に振った。そして「出られる、って言うの
とは違うかも知れない」と言った。
私は真希の左手を見た。その手はいつの間にか握られていた。

「…殺すんだ」
「そう。それがぱっと思いついた方法」
私はその幼い顔を見つたまま「でも死ねるの?」と聞いた。「さっき試したら
死ねなかったよ」
「試したんだ」
そう言って真希は浮かべていた笑みをすっと消した。でもすぐに取り戻すと
「なっちは人間だね」とつけ加えた。
自分だって飛び込んで自殺したじゃない。「だったら」と私は口唇をとがらせる。
「真希も人間でしょ?」

「私が人間なんだ」
真希は私を殺せる? とは聞かなかった。真希ならできる、と思ったから。
「そう。真希も人間」
いつもそうだった。大切と思えることの判断は私の言葉を聞き入れてくれた。
「そっか」
『殺して』と言えば笑みを消して『うん』とうなづいて殺してくれる。
でも。

ひとりになるのが嫌で死のうと思った真希を、なのに誰も探そうとせずここで
うずくまっていた真希を私は置いて行けなかった。
見かけ以上に真希は幼いって、私は出会った次の日には知った。その身体ほど
クールでもセクシーでもない。子供なんだってこと。
だから私は真希より永くここにいなきゃいけない。
私は自分の左手を、そのまるい爪を見た。そんなこと出来ない。
真希が「殺して」と言ってきたとき、私が殺さなきゃいけないなんて。

出来るよ。
ふと、手に感触がよみがえった。そうだ。私の手は何人も殺していた。夢の中でも
現実でも、血に汚れるようなことなく。
子供の首を斬り落とした指のしびれ、自分より大きな男達を一瞬で動かなくさせた
腕の震え、泣き叫ぶ母親を後追いさせたとがった爪。
そうだね。うん、出来る。
ちょっとその左手に力を込めるだけ。表情も変えることなく。それはとても簡単な
気ばらし、退屈な日常を彩る遊び、私達だけに許された運命の――。
「なっち」

はっ、として意識を戻す。…今の何?
顔を上げると真希の姿がなかった。あわてた。どこかへ行ったのかと回りを見た。
「真希?」
そう言って立ち上がろうとする私の後ろから「はい」と声がした。同時に背中が
押されて、私の浮きかけた腰はまた白い地面に降りた。首だけで振り返ると、真希の
横顔が目に入った。
真希は笑って「背もたれ欲しかったんだ」と言った。

お互いの背中に寄り掛かかり、私達は座っていた。暑さも寒さもなかった。私はまた
床を指で押した。じわじわ戻る床を指先に感じるたびに押し直した。
私はもう誰かを探して歩く気はなかった。もういい。世界にふたりだけの、いつもの
状態に戻ったんだから。
「ここ落ち着くね」
「うん」
たまにどちらかが口を開いては、どちらかがあいづちを打った。もう何度目にもなる
会話を、私達は飽きずにくり返していた。

こんなことを試してしまう自分がおかしくなり、私はふふっ、と口唇の端をあげた。
そんな訳ない、ってわかっていながらも、私は放課後に自分の声を確認してしまうし
用もないのに真希に声をかけてしまう。なにも変わってないなぁ、と思った。
背中に背中を感じるこんな状態でも同じことをしてしまうなんて。
…。
どれぐらいそうしていたかもわからない。
ただもう真っ白い景色も見飽きて静かさに耳も慣れた頃に、ふいに真希が「ひとみが
居た世界は赤かったのかもね」と口を開いた。

「ひとみちゃん?」
「そう。赤い手鏡に封印されたって言っていたから」
そう言われればそうだった気がする。私はあのとき一瞬だけ見た顔を思い出そうと
した。でも梨華ちゃんの顔しか浮かばなかった。
「赤かったらさ」背中からの声はくすくすと笑いを含んでいた。「ずっと居ると
目が疲れそうだよねぇ」
確かに。
「だとしたら真希は良い手鏡に封印されたよね」と私も微笑む。私達はしばらく
そうやってくすくすと笑い声を立てていた。
やがてそれも止んだ頃、真希がまた沈黙を破った。

「私が一度だけなっちの身体から出たときのこと、覚えてる?」
背もたれに向かい「もちろん」と答える。同時に緑に囲まれた道で、木漏れ日を
浴びる女の子の姿が頭に浮かぶ。
一年前に一度会ったきり、記憶の中で成長しないふたりの女の子。そのかわりにか
黒目がちな亜依ちゃんと八重歯のののちゃんは絶えずくるくると表情を見せた。
「亜依ちゃんもののちゃんも、ちゃんと覚えてるよ」
「私が自分の体の頃から加護はあんなだった。一枚うわてなところなんて特に」

いきなり現れて私達の秘密を当てて、不思議な力で私と真希を離して、小生意気で
ちゃっかりしてて、可愛いくてかわいそうで。
「出会ったばっかりの頃だったね」
真希は「そうだね」とやけにおだやかな声で答えた。「あの八重歯のちびっ子の
身体の居心地の悪さったらなかったよ」
「じゃあ矢口さんのちっちゃな身体も」
「うん」背中からふふっ、と聞こえた笑い声。「居心地悪かったかも」

「どうしたの、急にそんな話しをして?」
私の問いに真希は寄り掛かったまま伸びをした。そして「や、色々あったな、と
思って」と言った。
それから私達はこの一年の想い出を話し始めた。ゆっくり色々と。
一緒になって初めて食べたご飯のおいしさに感激した、矢口さん達のいじめへの
仕返しに心がすっとした、京都から帰ったときお父さんとお母さんがふたりで
迎えてくれた、賞品目当てで参加したバドミントン大会でインターハイに出た
娘に勝った、生理が大嫌いだった、なぜか山登りをした、クリスマスはふたりだけで
祝った、トイレでは話しかけてこなくて助かった、遊園地でジェットコースターに
乗った、海で真夏の光線を浴びた、ラーメンを食べた、映画にも行った。裕ちゃんが
出会いと別れをくれた――。

「もう百年くらい経ったかなぁ?」
「経ってないよ」真希が笑った。「ちょうど一日過ぎたくらい」
「時間がわかるんだ」
「うん」
「あ、時間で思い出した。真希さぁ、誕生日の夜に生卵を――」
「なっち」
突然だった。それまでよりも低くゆっくりしたトーンで真希が私の言葉を
さえぎった。私は床を押していた指まで止める。
「お願いがあるんだけど」

「目を閉じて欲しい」
もしかしてキスをするんだろうか、と思った。考えもしなかったけど、ここでキスを
しても私達は一緒の身体になれるんだろうか。お互いに身体がある――いや、お互いに
身体がない状態で?
とりあえず私は言う通りにした。
「はい。閉じたよ」
「ありがとう」と声が聞こえるのと同時に、背中が離れてく感覚が私の背中に伝わる。
私は軽く口唇をなめて、そして真希を待った。

させない。
…えっ?
瞬間、頭の中を影がよぎった。私は頭を後ろに引いて、そのまま両手は自分の顔の
前に出て空中を握りしめた。なのに手応えがある。
「そんな」
開いた目の前に、私の手と真希の手があった。
左手は真希の右手首を、右手は真希の左手首をそれぞれつかんでいた。もし頭を
引いてなかったら、その手をつかんでなかったら、その指先は間違いなく私の首に
届いていた――はず。
「だめか」
震えが来た。私の手首から肩を駆け抜けて行った。視線を上げると、目を細め
口唇の端をあげ、はにかんで笑う真希がいた。…可愛い、と思った。
そっか、と息を洩らす。私もこんな笑みを浮かべて人を殺していたんだ。

「殺せなかった」
真希はつぶやいた。その腕力にも関わらず、簡単に振りほどけるだろう私の
手につかまれたままで。
「どうして」
息がつまりそうなのどを振り絞って、私はそれだけを言葉にする。
「なんかねぇ、私ってば」
吐き出すように聞いた私と違って、真希は笑顔も崩さず簡単に答えた。そしてその
答えかたと同じくらい簡単に私の時間も止める。
「消えそう」

真希の勘が外れればいい。でもきっと外れない。そんな気が私もした。
私が殺すまでもなく。
私だけがあせっていた。自分が消えると聞かされたときより、私の身体が車の
前に飛び出したときよりあわててるかも知れない。
死ぬのは耐えられるのに死なれるのは耐えられないなんて。
大好きだったあの絵本の内容がふと頭をよぎった。ひとり助かった少女は、板から
手を離した少年と同じくらい苦しんだのかも知れない、と思った。

私が両手の力を抜くと、真希の手首がするっと抜けた。その手は私の首へは向かって
来ないで、両手首に赤く残った痕をさする。
「痛かったぁ」
ふと気づいて右手の甲を見た。死ぬ前に真希がつけたあざは、なかった。私はきれいな
自分の手をじっと見つめながら、そうだよね、と息を洩らす。
車に跳ねられた傷もないんだから。

「ずっと前なっちにさ、両親は憶えてないって言ったじゃない?」
真希の言葉に私はゆっくりと顔を上げる。目線を合わせてから、声を出さずに
首だけでうなづいた。
「たぶん私は、ずっとひとりだったんだと思う。産まれたときも、きっと」
「まさか」
私は首を振った。誰にだって何にだって親はいる。いなきゃ産まれない。
たとえこの一年で数えきれないほど見た夢の中、真希は確かにずっとひとりで
過ごしていたとしても。
「憶えてないならさ、居ないと同じじゃない?」
「違うよ。それは絶対に違う」

「誰かと過ごしたのは、加護との一週間となっちとの一年だけ」
さっきまでの想い出話しとまったく変わらない口調で真希は続けた。でもその中身は
千年の時間と空間を埋める想い出話しだった。
「ごめんなさい。またひとりだけ」
「私、真希が好きだよ」
「すごく楽しかった」
「私も。この一年が、今まで一番楽しかった」
私達の会話は少しだけずれていた。私の声と目の前に座るもうひとりの私の声が
どこか遠くですれ違って戻って来る。
「ここは自由で良いところだよ。ひとりきりで永遠に過ごすんじゃないならね」
「真希、もういいよ」
「なっちだけをここに残して行きたくない。なっちも出してあげたい」

もうひとりの私が過ごした千年を私ひとりで過ごす。
ここに来たばかりのときは、おだやかな空気に包まれながらそれも良いと思った。
でも今は違う。
この真っ白の中に包まれていても、中で別れを憶えた私はきっと変な息苦しさを
感じてしまう。ゆるい風にすら悲しくなってしまうかも知れない。
止まった時間の中。
ここに居る限り、それこそ永遠に。

千年を超えて心を閉じ込め続ける鏡。
そして私も繰り返すんだ。真希のように誰かの身体に入って、でも真希と違って
誰かの心を表に出られないくらい奥に閉じ込めて、私として生きてしまう。
車の前から逃げ出したように。
したいことだってないくせに。
私は真希の手を見た。赤みを帯びた手首の先の、やけにとがった爪を。私ひとりを
ここに残さないために真希が選んだのはキスじゃなかった。
だとしたら。

「殺して」
私は言った。今度は避けないから。ねぇ。私がお願いしたら真希は、笑みを消して
『うん』とうなづいて殺して――。
「無理」
即答だった。
真希はちょっと淋しそうに笑った。それは亜依ちゃんや梨華ちゃんが浮かべていた
ものと同じく見えた。「私にはなっちを殺せない」
またゆるやかな風が吹いて、私達の髪を小さく揺らす。そしてその髪は突然に
不自然な位置で止まった。
そんな。
音を立てずそっと近づいてくるふたつの手。よけるなんて簡単にできる。でも私は
目を閉じた。出るならふたりで出たい。同じ未来へ消える小さな可能性に賭けるよ。

させないってば。
また聞こえた。次の瞬間、私の手が跳ね上がり真希の手首をつかんだ。死ねない。
死なないの同様に死ねないんだ、と気づかされる。
「ほら、ね」
スローモーションまで起きた。この身体には私しかいないのに。まぁここは鏡の
中だから私の身体もここにもないけど。私が手を離すと、真希はそのまま床に
両手をついた。私達はぺたんとおしりをついた格好で向かい合った。
「いつ…わかった?」
「死ぬ直前」と真希は笑みを消して言った。「だって私には、車の前から逃げようと
するなっちの身体を止められなかったんだから」

「あの瞬間からもしかして、と思い始めてた」
声が出て、消えるのを覚悟して、車の前に飛び出して、車の前から逃げ出して、そして
ここに来た。どっかで狂った。どれがどっちの行動であるべきなの?
真希を見つめた。真希も私を見ていた。
「そして殺せなかった今、やっぱり、って思った」
透き通る肌、ふくらんだ胸、白い角、やや離れた瞳。そして薄い口唇がゆっくりと動き
やわらかく言葉をささやく。
「私達は――」
「入れ替わろうと、してる」
真希の言葉を打ち消すようにそれだけ言って、私はまた黙った。そんな私に真希も
こくん、とうなづいて口唇を閉じる。音が消えた。

私達はどちらからともなく――本当にどちらからとなくお互いに顔を寄せた。
ずっと一緒には過ごせない。寄りそって暮らしたりできない。失われた千年の時は
戻らない。それでも私達は出会いの儀式を繰り返そうとしていた。
はなの頭がぶつかる寸前で、ふたり一緒に止まる。
「目を閉じて」
「やだ」
閉じたら終わりだ。目を開けたらなっちだけになる、そんな気がした。「ひとりに
なるの嫌だ」
「真希お姉さんの言うこと聞きなさい」
「なっちのほうがお姉さんでしょ? 真希は私よりも四歳も下なんだから」
「違う。私はなっちより千歳もお姉さん」
「…こんなときだけ、ずるい」

言う資格なんてないけど私は言った。離れて心の読まれないこの状態で、真希を
安心させるための嘘もつけない私はもっと子供だ。
「会えると思わなかった。でも会えた」
くだらない意地を張る私に、真希はくすっと笑いを浮かべた。それこそがお姉さんの
余裕とでも言いたげに。
「なっちお姉ちゃん」
言いながら真希は目を閉じて、素早く顔を近づけた。その勢いに私も反射的に目を
閉じてしまう。しまった。見てなきゃ。でも。まだ。もう。
『また会える』
んっ――。

 

第九話 失なわれた時を求めて(後篇)

 

そっと目を開けると私は汚れた白さに包まれていた。やがてそれらは形をつくり
クロスの模様がついた天井と端の汚れた蛍光燈だとわかる。
…なんで?
私は寝ていた。起きようとしても起きられなかった。固定されているように、もう
ひとりの私が抑えつけているように。
「もしもし。えぇ。外科棟に回して」
ぼやけたままの視線をさ迷わせて、そっと自分の身体を見る。鼻に刺さる色の違う
二本のチューブ、青い服を着たお腹に潜る太いパイプ、その服からはみ出した
手足はギプスで先まで固められていた。
「お疲れ様です。安倍さんが、はい、気づかれました」
声の先には真っ白の服。そして私は気づく。ここは病院で――鏡の外だと。

安倍さん、と言っていた。
この身体は死んでなかったんだ。そしてまた疑問がわきあがる。
…どうしてここに居るの?
「はい。了解です。お待ちしております」
規則的に響く電子音が乱れる。機械をあやつる看護婦さんから視線をそらして
口唇を動かすけど、声は出なかった。口唇が本当に動いているかも自分じゃ
わからないその状態で私は呼んだ。もうひとりの私に向けて。
――ねぇ、聞こえる?

返事はなかった。わかっていたけど。
「安倍さん、もうすぐお医者様が来られますからね」
呼びかけに割り込む声にちょっといらいらする。回りが騒がしくなるのも気にせず
私はもう一度呼んで待った。そうしているとさっきと違う太い声で「安倍さん」と
呼ばれた。お医者さんが来ていた。
「失礼します。見えますか?」
その声と同時に目の前に強い光りが射した。それはそのまま左右に揺れて、私は
またちょっとだけいらいらした。そんなこと試さなくても私は見えてるのに。
「大丈夫ですね」
その声の先に目だけを向けると、貼りついたような笑顔がふたつ、あった。

人の声が聞こえる。機械が音を立てる。ごった返す物に包まれて、私はあの真っ白の
世界の中よりもずっと孤独だった。
ギプスで指まで固められているのか、私は手を握ることもできない。床も押せない。
包帯の巻かれた手のひらからこぼれ落ちた、もっとも大切なものが拾えない。
並んで歩いて手もつなげない。
「なつみ!」
突然に聞き慣れた声が割り込んだ。お父さんの声。そして直後にお母さんの声もした。
ふたりともなんだかやけに久しぶりに顔を見た気がする。
私が目を覚ましてから時間はそれほど過ぎていない気がするのに、色々なことが
変わっていく。あまりに速く回転する世界に、私だけが置いていかれる。

ふいに包帯でぐるぐる巻きにされた右手が持ち上がった。びっくりした。固定されて
いると思ってたのに、そうじゃなかった。
「痛かったでしょうに。なんでこんな」
そこでお母さんは顔を私の手に埋めた。お母さんの泣く姿と声で、私の心に小さな
痛みが走った。麻酔でもかかっているのかまったく痛まない身体に走るたった
ひとつの後悔の傷。
私はごめんね、とつぶやいた。聞こえてないだろうけど、言わないではいられなかった。
親しい人がいなくなる悲しみを私も知ってるのに。
上手く出来ないと思いながら、私は目を細めて口唇の端を上げる。笑顔をつくった
――つもりだった。

「丸一日、眠っていたんですよ」
お母さんの涙がおさまるのを待って、お医者さんが言った。私は目をそちらに向ける。
知ってます。
そして私は目を閉じた。眠りたかったわけじゃないけど。真上の蛍光灯がまぶたの
裏を照らし、光りをおびた暗さが視界を埋めた。
「先生、なつみが」
「大丈夫、心拍も呼吸も安定してます。疲れたんでしょう」
「そうですか。ありがとうございます」
ざわざわとした声、床をこする音、ドアのきしみ。やがて部屋が静まる。たまに
ささやかにうなる機械の心地良いリズムにあわせて、私は息を吐く。ひとりになった。
――ねぇ、聞こえる?
真希。
ごめんなさい、ひとりだけ。私はなぜかこの身体に帰ってきてる。
一粒が右のほっぺをすべる。それをきっかけにあとからあとから涙があふれた。
自分を哀れんで泣くのはもう最後にしたはずなのに、もうひとりの自分を思って
私は泣いた。

天井の模様を目で追いながら単調な生活を繰り返す毎日が続いていた。なんてこと
ない。今までと同じ簡単な日々。ただもうちょっと、眠る時間が増えただけ。
窓の外に寝ぼけた目を向けると青い空をバックに若い枝が揺れていた。運良く六人
部屋でも窓際のベッドに回された私は、横になったままよく空と枝を見ていた。
そっくりだな、なんて思いながら。
ベッド越しの窓から見える緑の葉っぱが全部落ちたら――。ずっと昔に読んだ小説の
シーンが目の前の現実と重なる。

ただ小説と違って枝に茂る葉は強い風にも散切れることはなかったし、私も日を
追うごとに回復していった。呼吸が落ち着いて鼻のチューブが抜かれた。夜ごとに
訪れる熱と痛みも時間が短くなっていった。内臓の機能も安定したようでパイプも
外された。点滴じゃなく食事で栄養を摂り始めた。
もう声も出せるし、身体を動かすことも、車いすでの移動も許された。ただ手足の
ギプスはそのままなので、すべてについて私はお母さんや看護婦さんのお世話に
なる必要があったけれど。
お医者さんもお父さんもお母さんも事故の原因については触れなかった。知ってる
だろうと思うけど、なにも聞いてこなかった。私も言わなかった。
ただ私からベッドの脇の棚に飾ってある花について聞いた。お母さんは私が眠って
いる間にクラス委員と担任の先生が持ってきてくれた、とだけ教えてくれた。

「奇跡としか言いようがありません」
私の意識が戻ってすぐの頃、お医者さんが笑顔で私達にそう言った。
手足の骨折裂傷、消化器官の損傷にくらべて頭や首、背骨は無傷と言ってもいい
状態だったそうだ。こういう『事故』で一番怖い後遺症も出ないでしょう、と言う
お医者さんの言葉に、お母さんはまた泣いてしまった。私の固められた手を握って。
「神様に感謝しなくちゃな」
お父さんの言葉に私は、ベッドで横になったまま、心の中で反論した。
違うよ。
頭や脊椎を守れたのはそうしなきゃ助からない気がしたから。そう思えた真希の
能力が、私の身体を助けてくれたんだ。感謝するのは神様なんかじゃない。
それとは対照的な魔とか鬼とか、気まぐれに人を殺す――神?

あまりある時間を使って考えた私は、私達が過ごしたあの白い空間は真希の
記憶がつくりあげた世界じゃないか、という結論に行き着いた。だからこそ
真希が消えたのと一緒に私がここに戻ってきたような気がして。
時間と自由と孤独が無限に存在し続けるあの場所から、すべてが制限された
ここへ。
目を閉じるたびにすっと記憶をよぎる幼い笑顔。私はまだなんとなく、自分が
夢の中にいるように思うことがあった。
私は夢を見なくなった。普通の夢も、この間まで見ていた夢――真希の
記憶も。いつも真っ暗。夢の中だから夢を見ないんじゃないかな、なんて。

「皆さん、お昼ご飯ですよ」
声と同時に看護婦さんがカートに六人分の食事を乗せて現れた。向かいのおばさんや
隣りのおばあちゃん、それぞれのテーブルにご飯を置いていき、最後が私。
「はい、なつみちゃん」
「ありがとうございます」
背中を支えられて身体が起こされる。
運ばれてくるのは真希が見たらため息をつくような薄味で少量のおかゆ。いくら
内臓が回復してきたとは言え、今はまだこんなご飯を食べていた。
「はい。お口あけて」
私の手はまだものが持てないので、食べさせてもらう必要があった。隣りの
おばあちゃんからもよく桃やみかんを『あーん』させてもらっていた。

看護婦さんがスプーンをゆっくり運んでくれる。私は口唇を近づけてそれをすする。
「おいし」
笑顔になる。
「なつみちゃんだけだよ」
看護婦さんは私にだけ聞こえるようなため息をついた。「他の患者はやれもっと
食べたいだの、やれ味が薄すぎるだのうるさくって」
「あはは」
「窓、開けるかい?」
私は首を横に振る。「風、強そうだから」
「そっか」と看護婦さんはつぶやいて、ふたくち目を私の口に運ぶ。私はまた
音を立てないようにすすった。何度か繰り返すとやがてお皿は空になった。
「ごちそうさまでした」
「なつみちゃんさ、看護婦さん仲間で評判いいんだよ」

どうしたんだろ、と思いながら看護婦さんを見る。笑顔と目が合ってしまい
私も笑顔を返してしまう。
「病院の暮らしに不満ひとつ言わないし、だからってヤケになってるわけでもないし」
カチャカチャと食器を片づける音に混ざる突然の言葉。ほめてくれている
ようだけど、私はだまって聞いていた。
「大人だって私達がご飯やお風呂を手伝うのを嫌がるわよ。トイレなんか特に」
それはそうだろなぁ、と思った。私だって真希と一緒になった直後はお風呂も
トイレも本当に嫌だった。落ち着くまで時間かかったっけ。
「なつみちゃんはどれも文句ひとつ言わないしさ、偉いってみんな言ってる」
「慣れてるんです」

「…何に?」
聞かれてから、言わなきゃよかったと気づく。きょとんとした目にみつめられて
私は「えっと」と口ごもる。「海とかプールとか銭湯とか好きだから」
すぐばれそうな嘘。
でも。
「そっか」
それ以上の追求はなかった。
「どうする、起きてるかい?」
私は首を横に振る。「横になります」
看護婦さんが私の背中に手をそえてくれて、身体がゆっくりと水平になる。
「たまにはさ、わがままも聞かせて。そしたらもっと仲良くなれるよ、私達」

やっと気がついた。私は「はい」と声を出す。
良い人だな、と思った。この人に限らず接してくれる看護婦さんは
みんな良い人。なのに私は誰の名前も憶えていない。顔しか憶えて
いなかった。
「なつみちゃんは、したいことってないの?」
「ありますよ。でも今もちゃんとしてます」
私が眠ることと食べることが大好きだと告げると、看護婦さんは
若さがないと笑った。
「せっかくこんな若くて可愛いんだから。他にはないの?」
「他には――」
そして私は思いついたことを口にした。

「読書がしたい」
「へぇ。でもさっきのよりずっと良いよ。なつみちゃんはどんな本が好きなの?」
「童話です」
「どうわ?」
看護婦さんの目がまたきょとんとして会話が止まる。私はいけないと思いながらも
くすくすと笑ってしまった。うん。久々に読みたい。
あの世界へ。
看護婦さんには悪いけど私だけで旅をしたい。自分の手、手伝ってくれる手の
代わり、ふっと息を吹きかけて先のページをめくろう。紙の端っこを口唇で折って
しおりにしよう。

口唇で紙を折るのもだいぶ上手になった頃、お医者さんが「右手のギプスはもう
外しても良いでしょう」と言った。両足と左手も今週のうちにギプスを取っても
問題ないだろうとのことだった。
お医者さんがたった一ヶ月半でここまで治るとは、と珍しそうに言って私は
そんなにも入院していたことに気づいた。
自由になった右手を二度、握る。陽を避けて真っ白になった右手。これでページ
だけはめくれる、と思った。床も押せるし手をつなげるけど、その床も手も
もうない。私は指で口唇をなぞった。
「残念。なつみちゃんの身体を洗ってあげることももうないのか」
車いすにおされて帰る途中で看護婦さんが言った。その明るい口調に私も「お姫様
気分で良かったんですけどね」と笑った。

「あら?」
運ばれて帰る途中、看護婦さんの声に顔を上げた。私のベッドの脇、白い棚に
乗った花瓶の横に見慣れない青が見える。
「…あっ」
近寄ってわかる。
青いビニール袋に包まれて見覚えのある白いロゴの入ったそれは――。
「お友達が来てたわよ」
隣りのベッドに寝ているおばあちゃんが言った。「それを置いて帰ったけど」
お友達。
このケーキの袋を置いて帰れるただひとりの人は友達なんかじゃないけど
そんなことは言うことじゃない。私はおばあちゃんに笑いかけて「ケーキ
食べますか?」と聞いた。
翌日様子を見に来たお父さんとお母さんは、実際にギプスの取れた右手と
友達がお見舞いに来たという話しにやけに喜んでいた。私あての二回目の
お客様がそんなにも嬉しかったのかな、ってくらいに。

そして私は無事に退院をした。すべてのギプスが取れて味の濃い料理を食べても
良い、と言われて「ありがとうございました」と頭を下げる。報告すると
看護婦さんや同じ病室の人達も喜んでくれた。
「なつみちゃんが居なくなると、淋しくなるよ」
「じゃあずっと居ようかな」
「何言ってんの。若いくせに」
乗り込んだ車の中でお母さんが私の横に座る。家までのちょっと遠い道、家族で
ドライブなんていつ以来だろう。車を買って電車よりも気楽に出かけられるように
なってから、なのに私達は電車を使ってたときより出かけなくなってしまった。
「なんか久しぶりだね、こうやってみんなで出かけるの」
出かける先は我が家だけど。
「そうだな」と運転しながらお父さんが言う。お母さんは――。
「なつみ」

呼ばれてそっと声の先を見た。お母さんの口唇が小さく開いて閉じる。また
開かれた口から「何でもない」と言葉が洩れて、私の胸がちょっとだけ痛んだ。
「髪、ずいぶん伸びたわね」
「うん。でも結構気にいってる」
「そう」
お母さんが微笑み、私も同じようにする。
「なつみ、疲れたでしょ?」
「うぅん」
そう答えておきながら、ごとごと揺れる車の中で私はお母さんの肩にもたれて
目を閉じた。眠ろう。何も考えなくて済むから。
起きたらきっと住み慣れたあの部屋にいる。人やものに囲まれて孤独だった
汚れてる白の中を抜けて、すべてから包み守ってくれた私だけの世界に。
幼い顔が浮かび、消える。光りが消えたのに続いて音、そして揺れも消える。
心地良い真っ暗の中で私は、ふっ、と息を吐き出す。夢から現実へ。
…おやすみ。

 

第十話 奇蹟は何度でも

 

雲ひとつない空の下を、私はひとり学校に向かっていた。
周りを行く生徒達の笑い声が耳をすり抜けて行く中、校門をくぐり階段を
あがって、音を立てないようにドアを開けて教室に入る。
それでも一瞬だけ私に視線が集まり、またすぐにそれぞれ離れていく。そんな中で
最後まで残ったふたつの目に私も目を向けた。でもその途端そらされる。
保田さんと矢口さんだった。そして私はケーキのお礼を言わなきゃいけないことを
思い出した。
ちょっとだけのざわつきを横目に、ゆっくりと自分の席へと歩く。制服こそ冬服
から夏服に変わってたけど、それだけ。そっと運ぶ一歩一歩が二ヶ月間の空白を
埋めていく。しかし私は足を止めた。
…あれ?

座ろうと向かった私の席には他の子が座っていて、後ろの席の子と話しを
していた。
「ごめんなさい」
私の声にふたりは「あっ」と声を出し、話しを止める。「久しぶり…」
「そこ、私の――」
「席替えがあったんだよ。安倍さんの席は」さしだされた指の先は、教室の
一番後ろ、窓側の特等席だった。「あっち」
病室と同じような場所だな、と思った。顔を戻すと、ふたりは私を見ていた。
顔と半袖からかすかに覗く包帯を。
「ありがとう」
微笑むと、私を見ていた目はあわてたように伏せられた。

新しい席に座り、新しい鞄を机の横にかける。一時間目の授業の道具を
取り出して、机の角にあわせて置く。そこまで終わってから私はやっと
顔を上げた。
始業時間ギリギリなのにみんなは席を移ったり後ろを向いたりして話しに
夢中になっていた。たまに大きな笑い声や、ぱたぱたと床を鳴らす足音が
響いたりして。
やがて先生が現れて教室は静かになった。寺田先生が私の顔を見て「もう
大丈夫なのか、安倍?」と聞いてきて、私は「はい」と答えた。

久しぶりの授業はまったくついていけず、私はひとり教科書をさかのぼる。
ぱらぱらとめくりながら私は、真希との言葉をやりとりを改めてかみしめて
しまった。
――私達は。
――入れ替わろうと、してる。
わかる。
こういうことなんだ、と改めて思い知る。
めくる教科書に現れる数式や英単語と流れる先生の声が一緒に頭に入って、そのまま
形になる。要点だけが頭に残り、無駄な部分は削り落とされていく。
本当に埋まった。
二ヶ月の空白はもう私の中から消えてしまって、残りの時間は空を眺めて過ごした。
ただ先生方や学校側には空白は残っていたようで、私はこれから毎日しばらく
放課後に補習授業を受けるように言われてしまったけれど。
しばらく図書館に行けなかったりするのかなぁ。

お昼休み。私はお弁当箱を持って屋上へと向かった。気持ち良い風と陽射しを
期待しながら、久々のお母さんのお弁当にちょっとわくわくしながら。
あっ。
階段を登ってる途中で、屋上から高い声が聞こえた。そうだ、また忘れていた。
あのときはまだ自由に食べられなかったから、結局全部同じ病室の人達に
配ってしまったケーキのお礼。
風に押され重くなったドアを開ける。お弁当箱を下げたほうの手で、はためく
スカートを抑えた。間違ってなかった。
思った通り。
フェンス際にまとまる女の子達の内の一組。飯田さんと保田さん、そして矢口
さんが楽しそうに笑いあっていた。

「…おい、あれ」
「安倍じゃん」
保田さんと飯田さんと目があう。こんなときいつもするように私はやっぱり
笑みを浮かべてしまう。前に「怖い」ってささやかれたのにも関わらず。
「行こう」
飯田さんの言葉を合図に三人は立ち上がる。おしりをはたいてから、下へ
戻ろうとこちらへ向かってきた。
「あの」
すれ違う瞬間に声をかける。誰も止まらない。それでも私は続けて「ケーキ
ありがとう」と言った。
同時に矢口さんが止まった。そしてそのまま首だけを動かして私を見た。

「ケーキって? なに矢口、もしかして安倍の見舞いに行ったの?」
「へぇ――。えらいじゃん」
「そうでもないよ」
「まぁ良いや。行こう」
「矢口ってば。戻ろうよ」
保田さんと飯田さんは止まらずに校舎に戻った。ふたりは明らかに私を避けて
階段を降りて行く。少しずつ声が離れていくけれど、矢口さんだけ動かない。
そして。
「圭ちゃん、カオリ。ごめん、先に教室帰ってて」
私を見たまま矢口さんは言った。その言葉でやっと残りのふたりの足音も止まる。
階段の下、おそらく踊り場から「矢口ぃ」と心配そうな声が響いた。
「そっち行こっか?」
「ほんとごめん。すぐ追いつくから先に行ってて」

ふたつの足音がまた聞こえ出した。それが遠ざかり聞こえなくなってから
矢口さんは大きく息を吐く。どこかで見たような笑顔になった矢口さんに私も
微笑みを返した。開けっ放しのドアを間にはさんで私達は話し始める。
「退院おめでとう」
「ありがとう」
「ケーキさ、私からだってわからないと思った。名前も言わずに帰ったし」
「わかったよ」風が吹いた。「あの青いビニール袋だけで」
「おいしかった?」
私は笑顔のまま「うん」とうなづく。食べてないけど、そう答えた。
「そっか。わざわざ新宿まで行ったかいがあった」
「嬉しかった」
「その代わり、ってわけじゃないけど――」
矢口さんがうつむいて会話が途切れる。ちょっとの沈黙。そして聞こえた小さな声。
「お願いだから、もう私に構わないで欲しい」

「もう、本当に怖い」
自分達がいじめていたことを棚に上げて言う矢口さんは、下を向いたせいで
その髪の分け目まで見える。こんなに小さかったんだ。胸がちくっ、と痛む。
わかっていたのに。
「うん」
時が動き出して、矢口さんはうつむいたまま階段を駆け降りていった。私は
そのまま立ち止まっていた。彼女には私がどんな人に見えたんだろう?
「ごめんね」
色々と怖がらせちゃって。言いたくない言葉を口にさせちゃって。
足音が聞こえなくなってから私は風にもつれた髪を手でとかし、フェンス際の
他に人が居ない場所に座ってお弁当箱を広げた。
「いただきます」
ゆっくり箸を運ぶ。
栄養のことまで考えられたカラフルなお弁当はとてもおいしかった。

「じゃあ、また明日」
「ありがとうございました」
ひとり居残りで補習を受けた私は、そのままひとりで教室を後にする。教わる
までもなく補習についていける私に先生は、入院中も勉強してたのかと聞かれた。
余計な面倒をかけないよう私は「はい」とうなづいてしまう。
靴に履き替えている途中で、部活の終了を知らせる予鈴が鳴る。
夕陽に照らされて長く伸びた影を追うように私は学校を出た。そしていつも通り
校門で振り返り、赤く染められた校舎をしばらく眺めた。二ヶ月前ならもう夕陽は
沈んでる時間なのに。
「きれいだね」
大好きな景色を見上げて、私はそうつぶやいた。

突然の補習に時間を奪われたにも関わらず、私はさらに回り道までして家へと
向かった。早くに家へ帰りたくなかった。私が家にいる間中ずっとお父さんや
お母さんに気を遣わせるのが申し訳ないから。補習がなかったら私はきっと
図書館が閉まるまでその中で過ごしただろう。
また来ただけ。
中学校では友達が居たけど、高校では居なくなった。真希が居たけど、今は
居なくなった。繰り返されているだけ。そう自分に言い聞かせる。
道端に落ちていたふたつの空き缶。
こんな。
私は回りに誰も居ないのを確認してから、そのうちひとつを爪先で起こす。
浮かせた空き缶を足の甲で何度かお手玉のように跳ねさせた後で。
大きく空へと蹴った。

カン、と小気味良い音がして、くるくると回りながら空き缶が高く上がる。それを
見上げながら私は左手に力を込めた。
同時に缶の回転がゆるやかになりだす。私はそれをにらんだまま、もうひとつの
空き缶を爪先で転がした。軽く息を吸う。
こんなことが。
これくらいの角度、これくらいの力、これくらいの時間を置いて。
蹴った。
ふたつの空き缶は空中でぶつかると、高い音を響かせて落ちた。もう一度やれと
言われても、こんなことなら簡単に出来る。いつどこででも、何度でも。
でも。
私は左手をぎゅっ、と握った。こんなことが出来るようになったって――。

あの場所に着いた。
私と真希が離れてしまったバス停に今は誰も並んでなくて、私だけが
立ち止まっている。ここが見たくて回り道をしたのに、車が乗り上げた跡も
私達が流したはずの血の跡もなくなっていた。
「ねぇ、真希」
車が何台も勢い良く通りすぎて行く。なにごともなかったように変えられた
ここを見て、花を持ってこれば良かった、と思った。私しか真希がここで
消えたことを知らない。私しかお花を添えられないんだから。
胸に鞄をきつく抱く。
「本当に『また会える』の?」

真希と過ごした証しがだんだんと消えてしまう。
部屋の整理なんてしなきゃ良かった。形に残る想い出をもっと残しておけば
良かった。日記をつけていれば良かった。
ヘッドライトの眩しさにたまに目を閉じてしまう。後ろを行く人の
何気ない視線まではっきりと感じる。泣きはしないけど空っぽになる。
「真希ぃ」
お父さんとお母さん、矢口さん、飯田さんと保田さん、同じ病室だった
おばあちゃんやおばさん、そしてお医者さんと看護婦さん。誰かの優しさや
誰かの冷たさがよりいっそう私をひとりになったと気づかせる。そして
その人達のためにも私は、ひっそりとでも生き続けてなきゃ行けないのに。
「会いたいよ」
…とん。
鞄を抱きしめたまま、私は一歩だけ、前へ踏み出した。

車の風を身体に感じながら、私はもう一歩、車道へと近寄る。同じことを繰り
返して、もし死んだとしても真希に会える保証なんてない。また汚れた白さの
中へ送り返されるだけかもしれない。
わかってるのに私は歩みを進め――られなかった。
だめ。
…えっ?
あの真っ白い中で聞こえた声が響いて、私の足はぴくりとも前に動かない。
そのまま一歩、後ろに下がった。死ねないんだ。頭の中がぐるぐる回る。
誰なの?
返事はやっぱりなかった。真希と離れていた間にも聞こえていたこの声。真希よりも
私の身体を縛りつける。裕ちゃんは声を出さないだけで身体の中に居るのかもと
言っていた。真希と私は入れ替わりだと感じた。でも誰かが居る。死のうとしておき
ながら。できるよと言った。だから声がする。嘘なんかつかない。させないってば
とも言った。また会おうって答えた。もうわかんないよ。どうする? 誰かに聞く?
誰かって誰に? 誰って。

決まってる――!
顔を上げて回りを見つめた。暗いながらも景色は、はっきりと瞳に飛び込んでくる。
時間なんて時計を見なくてもわかる。七時十九分だ。勘だけど、でも絶対当たってる。
止められない。
私は走った。道を引き返し家へと向かう。まかれた包帯をはぎ取りたかった。こんな
もの巻かなくても治る。胸が心地良く弾んで、顔が勝手に笑ってしまう。距離なんか
気にせず私は走り続けた。好奇心のおもむくままに。
やがて我が家が見えて私は立ち止まる。汗をふき呼吸を整えてからドアを開けた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
予想通り。お父さんとお母さんがそろってお迎えしてくれた。

「学校はどうだった?」
「別に何もなかった」
「久しぶりの学校なのに? なつみはいっつもそう言うわね」
「あはは」
食事と食事中の会話をさっと切り上げる。その足でシャワーを浴びに行った私は
「疲れたからもう今日は休むね」と言って二階へ上がる。ふたりは新しい包帯を
巻き直さない私を怪しむ様子もなく「おやすみなさい」と答えた。
まだ八時前なのに。
ふふっ。
鍵をかけるなりパジャマを脱ぎ捨てる。シャツとスカートに着替え、バッグに
着替えや財布を適当に放り込んだ。

そっと部屋のドアを開け様子をうかがう。音を立てずに階段を降りる。すべてを
簡単にこなし玄関に着いた私は、ローカットのブーツをはいた。やや季節外れ
だけど、良い。この旅はブーツをはかなきゃ始まらない気がする。
そっとドアを開けて、私は振り返る。ごめんなさい。聞こえないように小さな声で
「いってきます」とささやいた。
家出じゃない。置き手紙も残してきた。登校二日目にして欠席だし、もうだいぶ
遅い時間からの外出だけど。
バッグを抱える。私は走り出した。魔法使いに会うために、頼りない星明かりの
照らす、夜へ。

聞いても何もわからないかも知れない。わかったからって、どうなるものかも
私にはわからない。何がわからないかもわからない状態なのに、こんなにも。
ドキドキしてる。
可愛らしい笑顔を思い出す。私の足は止まらない。まずは駅だ。駅に行かなきゃ。
たったひとり居場所のわかるあの子を信じるしかない。亜依ちゃんならきっと
この謎を解いてくれる――。

電車を乗り継ぐ。東京駅のホームを走って、お釣りも確認しないまま切符を買う。
「乗ります!」
十時半発の最終便ひとつ前、今にも出そうな夜行バスを声で呼び止めて駆け込んだ。
一年前のときより二時間遅れの便だけど、間に合えばそれで良い。
ほとんどお客さんの乗ってない車内で、胸を抑えながら私は空き席に座る。
「お嬢ちゃん、まさか家出とかじゃないだろうね」
振り向いて問い掛ける運転手さんに、私は「まさかぁ」と笑顔で返す。バスが
ゆっくりと動き出す。私は目を閉じた。嘘じゃない。
そう。
これは正真正銘、自分探しの旅なんだから。

相変わらずの真っ暗闇。
どこまでも続く黒い世界のようで、壁の中に埋められているようで。
何もない。
時間すら進まない。
動けなくてずっとそのまま。ただ深くて、重くて、怖い。
――そんな夢を見続けて。

 

第十一話 そしてふたりでしずかにくらしていこうよ

 

京都駅をバックに私はそっと伸びをする。身体はどこも痛むことなく、腕の骨が
ぱきん、と音を立てただけだった。
サラリーマンや学生でごった返しているロータリーで私は、制服のまま来たほうが
目立たなかったかも、なんて思った。さて、と息をつく。
とりあえず歩こう。
永い眠りから覚めた私は、バッグを抱えて駅前通りへ向かう。確信があった。
前に京都に来たときは亜依ちゃんに会えたように、横浜に行ったときは
梨華ちゃんに会えたように、答えを求める旅にはそれに値する何かがが待って
いると信じているから。

「あっ」
ロータリーを通り駅前へ抜けた私の予想は、はずれて当たった。亜依ちゃんは
見つけられなかったけど。
見つけた。
駅から出てくる人や駅へと向かう人の中で光りを放っているよう。セーラー服を来た
女の子が道路脇の段差にぽつん、と腰をおろしてその流れを見送っていた。ゆるめに
指を組んで、ひざの上に置いたりしている。何回目でもどきどきするこの感覚。
その子を見つめる。
少しずつ距離をつめながら、私はだんだんと笑顔になる。やがて彼女も気づき笑顔を
見せた。そして私は心の中で、ほらやっぱり、なんてつぶやいてしまう。

その子の前にたどり着いた私は、ひざに手を当てて前かがみの姿勢になった。
「おはよ」
「おはようございます」
見下ろす私と見上げる彼女。私達はにこにこと笑いあった。たまにお互いくすくすと
声を洩らしたりして。
…可愛いな、と思った。
背中へと流れるストレートのきれいな黒髪、そして浮かび上がる真っ白な肌。笑えば
整いを保ったままにやわらかい顔になる。きれいと可愛いの中間のこの子は私より
ずっと年下、たぶん中学生だろう。
敬語で返事をくれた彼女の横を私は指さす。「ここ、いいかな?」
「はい」
私は隣りに腰をおろし、バッグを地面に置いた。

朝の空気は湿気をふくみ少しだけ肌にまとわりついた。肩のふれそうな距離で
私達は、通り過ぎる人達の視線も気にしない。
「会える気はしてたんですけど、本当に会えるとやっぱり驚きですね」
その言葉に「私も」とうなづく。「会える気はしてたんだけど、会いにきた人と
違う人に会えたから」
「そうなんですかぁ」そこでその子は一度言葉を区切ると「あ、もしかして
ミカさんに会いに来たんですか?」と微笑みながらつけ加えた。
細まり黒目がちになる瞳。両手の指で口唇をおさえて笑うしぐさ。すべてに
引き寄せられるのに、そのおでこに角は見えない。
…ミカさん?
私は「うぅん」と首を横に振った。

その目と鼻筋を、口唇と輪郭を、そして最後におでこを見つめた。
「そんなに珍しいですか?」
その問いに答えない。私は自分の勘を信じた。梨華ちゃん達にもう一度
会いに横浜に行った私と真希は結局会えなかったのに、ここ京都で今こうして
この子には会えている。
「あのぉ――?」
おでこに角が見えないけど間違ってるわけじゃない、はず。裕ちゃんの言葉が
すっと頭をよぎった。欲しかった答えは手のひらにきれいに着地する。
知ってる。
「もしもぉ――し」
目の前で振られる左手をそっと左手で包み込んでも、その笑顔は変わらない。
私はこの子を知ってる。あどけなく振る舞うこの子は、未来のなっちの姿だ。
「ねぇ」

そして私はその名前を口にする。ミカさん、じゃなくて。
「ミキちゃん、だよね?」
この問いかけにその子は私が包んだ手をほどこうともせずに「おぉ」と
驚きの表情を見せた。わざとらしいほど目を見開いてるような、そんな
仕種もかえって可愛さを増して見せる。
「知ってたんですか」
私は「うぅん」とまた首を横に振る。視線をふと朝の人混みに移してから
目の前の可愛い顔へと戻した。
「知ってたのは名前だけ。…なんて呼べば良いかな、私?」
ふたつ目の問いかけにその子は「迷うなぁ」と照れたように。お互いの手が
空中でつながれたまま、回りすべてを置きざりに私達だけ時間が止まる。
「亜弥って呼んでください」

アヤ。
「ちゃんと松浦亜弥って名前もありますんで」
その小さな口から洩れる言葉が私の胸をきゅっ、と包む。鼓動が一度だけずれた
リズムで鳴った。よくあること。曲がり角をどれだけ曲がっても行く先に道標が
あって、私は迷子になんてなることがない。
「可愛い名前だね」
「美貴ですか? それとも私?」
私が「どっちも」と答えると亜弥ちゃんは「そう言うと思いました」と笑った。
亜弥ちゃんが包まれたままの左手で、私の左手を握りかえす。そのまま下に
ゆっくりおろすと、私達は手をつなぎながら向かいあって座る形になった。
「手はこのままなの?」
「つないでいましょうよ」なんて、可愛い微笑みを浮かべて。

「私も名前とか聞いて良いですか?」
言われてみれば言ってなかった。「安倍なつみ。高三だよ」
「そんなにお姉さんなんだぁ。私まだ中二です」
亜弥ちゃんは感心したようにうなづいた後で「もうひとりの名前も聞いて
良いですか?」とつけ足す。そして私は真希の名前を告げた。
「あともういっこ聞きたいんですけどぉ」
「うん」
亜弥ちゃんは私の足を見ながら「こんな暑いのにローカットとは言え
どうしてブーツなんでしょう?」と微笑んだ。

時間が経つほどに駅の回りには人が増えた。それでも私達は立ち上がらず
誰のじゃまにもならないこの道路脇で、それぞれの左手を重ね見つめ合い
続ける。たまに吹く風が髪をゆらすのも気にとめないままに。
…。
考えるまでもない。
私達ふたりともに存在するもうひとり。この道に導いたのはきっと同じ人。
手の中の切り札をさらさなきゃ話しは進まないから。
私はストレートに「裕ちゃん、って知ってる?」と聞いた。

「なるほどぉ」亜弥ちゃんはひとり納得したようにうんうんとうなづいて
「美貴のことも裕ちゃんから聞いたんですね」と言った。
「うん。魅鬼だけ会えない、って言ってた」
「そんな気はしてました」軽い口調で亜弥ちゃんがつぶやく。「また会おう
とか言っといて、最後に会ったのってもう一年も前ですもん」
そして私は来るとわかっていた痛みを受けきれない。覚悟していたはず
なのに、と口唇をかんでしまう。
――あの子だけ、勘が働かんのや。
亜弥ちゃんの言う最後は、きっと私も体験したあの別れの宣告。なにかが
つまって息苦しくなったのどから吐き出すように私は。
「私は」

「二ヶ月前に裕ちゃんに会ったよ」と言った。
きっとあれが最後。
入れ替わって身体に残った亜弥ちゃんと私、入れ替わりに身体を手に入れた
裕ちゃんとひとみちゃん。出会って一年後に訪れた分岐点で、私達は別々の
道を選んでしまった。
「そうですかぁ」
――いつでも呼んでください。
うそつき、と心の中でつぶやいた。そう言ってくれたのに、お互いの存在を
感じあえない今、出会うこともないんだ。
「相変わらず金髪で碧い目でした?」
たとえ同じように交差点で隣りをすれ違っても、駅の改札を抜けた先に
立ちつくしていても。
「…もしもし?」

「ねぇねぇ。なつみさんってばぁ」
目を伏せてしまう。
大人っぽい黒のスーツを着た金髪で碧い瞳の魔術師と、白いワンピースを着て
絵本から脱け出したようなお姫様が、頭をよぎって消えた。もう本当に会えない。
いつもそう。出会いも別れも突然に簡単に訪れる。
「ねぇってばねぇ?」
左手の中の左手が揺れる。
顔を上げた先には、やわらかみのある可愛い笑顔があった。私は「ごめんね」と
つぶやき笑って、その視線を受けとめる。聞かなきゃ、と思った。ここに来た
目的を果たさないと先には進めない。
「あの、さ」

「はい」
ずっと前、私は梨華ちゃんを未来の自分だと思った。裕ちゃんと久しぶりに
会ったときも未来の自分が重なって見えた。そして今、私は亜弥ちゃんに自分の
未来を重ねている。その過去まで重ねてしまう。
美貴ちゃんも自分の身体で生きていた頃に、ひとりだけになる淋しさを知ったの
かも知れない。人を殺すことをしないと誓ったのかも知れない。
私は口唇を舐めて潤す。
「亜弥ちゃんの中に今」
「はい」
色が消えた世界でひとりだけ真っ白く光りを放つ存在。
私と同じように、鬼の心が入り出ていった亜弥ちゃんの身体にも別の誰かが
居るのなら、それがそのまま私の求めていた答えになる――はず。
道路脇の段差の上、包んだままの亜弥ちゃんの左手をそっとにぎって、聞いた。
「誰か、居る?」
「えっ?」

「なつみさんの中には居ないんですか?」
「えっ?」
亜弥ちゃんが驚きを隠そうともせずに聞き返して、私まで驚いてしまう。
ちょっとだけの沈黙と見つめあう時間が流れてから。
「…居る」
「なぁんだ」
亜弥ちゃんは胸を抑えながら「驚かせないでくださいよぉ」と笑った。
十ヵ月も未来を行く目の前の私は、昨日あんなに頭をめぐらせた私にあっさりと
答えをくれた。この人達はみんなそうだ。大変なことほどさらっと話す。
「そうですよね」
その正体を聞こうと私が口を開く前に、亜弥ちゃんが先に口にした。そしてそれは
私の時間を簡単に止めてしまう。
「さっき魅鬼、って当ててましたもんね」

すっと体温が下がるような感覚が走った。亜弥ちゃんの中に居るのは――?
「ミキちゃん?」
「はい」
待って、ごめん。頭が冷静にならない。疑問が口唇を開かせてしまう。なのに。
「だって裕ちゃんには一年前から会ってないんでしょ?」
「はい」
亜弥ちゃんは冷静にうなづいた。
そんなはずない。美貴ちゃんが居るなら、裕ちゃんにだって会えるはず。その証拠に
裕ちゃんはひとみちゃんやアヤカさんのその後を私に教えてくれた。
「夢は見てる?」
「美貴って踊りが好きだったんです。だからダンスとかやりたいなって」
「じゃなくて夜に見るほう。見てる?」
あらら、と亜弥ちゃんは舌を出す。そして「真っ暗闇で重たそうで深そうな
夢を見ます」と答え直した。

同じ夢に間違いない、と思った。それを。
「あんな怖い夢を見せるのが美貴ちゃんだって言うの?」
真希が見せてるって言うの?
「怖くないですよ。私もう慣れましたもん」
違う。
絶対に違う。あの夢には誰かの気持ちなんか感じられないから、とにぎった
ままの左手にぎゅっ、と力を込めてしまう。
いつも一緒でいつだって私を怖い思いから助けてくれたんだ。私は思いの
すべてを口にする。
「中に居るのは美貴ちゃんじゃない、と思う」
真希じゃないと思う。
「じゃあ、誰でしょう?」
――えっ?

「なつみさんの中に居る、真希さんと別れた後でも残ってる人は」
私の勢いをさらりとかわして亜弥ちゃんはくすくすと微笑みを浮かべ続けて
いた。朝の陽射しを受けるその愛らしい微笑みで、ざわめきにまぎれるほどの
小声で続ける。
「あの超無口で、たまに居るのを忘れそうになる人を誰だと思いました?」
私は首を横に振るだけ。そんなこと――。
「わかんないよ」
想像もつかないからこんな遠くまで、確かめに来たんだもの。

亜弥ちゃんは「ぉゃ」と不思議そうに首をひねった。「裕ちゃんに会ってから二ヶ月
経つんですよね」
「経つよ」
「ですよねぇ」と眉間にしわが寄って、可愛い顔がちょっとだけゆがむ。その本数に
目がいってしまう。二本だった。
「ちなみに自分の中に誰かが居ることに気づいたのは?」
私が「昨日」と答えて亜弥ちゃんは「なるほどぉ」とまたうなづいた。やがてその
揺れもおさまり、薄い口唇が笑顔をともなって開かれる。
「魅鬼です。美貴じゃないです」

その口唇から流れた言葉を、私は一瞬だけ意味に変えられない。
美貴じゃなくて?
魅鬼?
「だって、ほら」
言いながら亜弥ちゃんは私の手の中、包まれた左手をきゅっ、とにぎる。
瞬間。
涼しさを運んでいた風と、駅へと向かう人達が一斉に動きを止めた。すべてが
遅いスローモーションの中で、私はつないでいた左手を離して胸の前に寄せた。
亜弥ちゃんは左手を動かさないままで、世界はすぐに色を取り戻す。
どうして左手を離さなきゃ危ない気がしたんだろう、と思いながら私は床に
置かれたままの亜弥ちゃんの左手に視線を移した。
「ねっ?」
思った疑問の答えはすぐそこにあった。

亜弥ちゃんの左手は、さっきまでとまったく変わっていた。その爪が――。
「おそろいです」
そんな、と言われて見た私の左手は、私の左手じゃなかった。信じられない
けど変わっていた。こんなになってたなんて。
覚えのある細長い指に、親しみすら感じる尖った爪に、夢の中で見慣れた
鬼の手に私は見とれてしまった。
「これって…」
「どうして私達が会えたのか、の最高の証拠ですよね」

「私は今まで一度だけ、美貴としか一緒になったことないですから」
その言葉を聞きながら私は左手を陽にかざす。眩しさに目を細めた瞬間に
その手は今まで通りの私の手に戻っていた。そしていつの間にか亜弥ちゃんの
手も。
「中に居るのは魅鬼でしかありえません。そして――」
亜弥ちゃんはそこで一度区切った。次の言葉が簡単に予想できて私はそっと
左手首を右手でつかんでしまう。体温の上がる感覚におそわれる。
「なつみさんの中に居るのも」
真希じゃなくて。
「…魔鬼?」
亜弥ちゃんは微笑んだ。

尖った爪の消えた左手で亜弥ちゃんは髪をかきあげる。私はその指の動きを
目で追いながら考える。左手の手首をつかんだままで。
忘れていた。
――忘れていた?
お互いが入れ替わろうとしてることに気づいたあの白い夢の中で、私と真希が
離れていても聞こえた声。真希が私を殺そうとしたときも、私が私を殺そうと
したときも、ふいに現れて私を操った声。
違う。
忘れようとしていた。
私と真希の影でひっそりと産声をあげて、声も立てずにすくすくと育っていた
もうひとりの私を。この身体から追い出したはずの三人目の私を。

駅へ向かう人が減り、駅から出る人が増えたのに気づいた。スーツ姿も減り
制服の男女が目立ち出した。視線も多く感じる。たぶん七時五十分。今が一番
混む時間なのかも知れないと思いながら、私は「怖くないの?」と聞いた。
「魅鬼と居るのが、ですか?」
口を開かずにうなづきだけを返すと亜弥ちゃんは「全然です。おかげで事故も
怪我もしません」と笑った。
「夢も怖くないんだよね?」
「はい。もう見慣れましたから怖くないです」
そうだった。
私の中の『魔鬼』が出てきたのは、私を救おうとしてくれたときだけ。
真希がそうしてくれてたように。
でも――。

私の命の危機に現れ声を響かせる誰か。
それを魔鬼だ、と亜弥ちゃんは言う。さっきの自分の手を見た限り、それが
正解のように思える。
でもそうだとすると解けない謎がひとつだけ残る。私は手首をにぎったまま
もう一度だけ左手に力を込めた。私達に集まる視線のすべてを見つめ返しても
私には見つけられなかった。
やっぱりわからない。この謎を解かなきゃ、私は私を言い聞かせられない。

ふと思いついた。私の疑問を簡単に解決できるかも知れない方法を。同じ境遇の
私達ふたりが居るからこそ試すことができる、ずっと前に梨華ちゃんと試して
偶然にもわかった秘密。
「お願いがあるんだけど」
「はい」
微笑みを浮かべ続ける亜弥ちゃんの、その整った顔を色どる薄いピンクの口唇を
見つめて聞いた。
「キスしていい?」
「ダメです」亜弥ちゃんは即答して口元を両手で隠す。「怖いから」

そして謎は胸の中にわだかまったまま。ふたつの疑問は交わり、より大きな
疑問に変わる。その顔にあてられた指のすきまから小さな声が洩れた。
「なつみさんは」
確かめたくないんだ、と気づいた。亜弥ちゃんもキスするとお互いの
中の『誰か』の顔が見られると知っているから、だからキスを拒否したんだ。
本当に私達は同じ道を歩いているんだね。それにしては意見が異なってるけど。
「怖くないんですか?」
私を見つめて聞く亜弥ちゃんからあの可愛い笑顔は消えて、私は横に首を振る。
怖いけど、それ以上に想いが私を駆り立てる。
「でも知りたいから」
「私は怖いです。魅鬼じゃなかったら、なんて考えるのも嫌」
体温が上がる感覚。なっちや梨華ちゃんがそうだったように、亜弥ちゃんも
美貴ちゃんが大好きなんだ。そんなの、聞くまでもないことなのに。
「強いですね」
そう言われて私は笑ってしまう。弱いからふたりになったんだよ。

少しずつブレザーがセーラー服が減り始めたのに気づき、私は「そろそろ学校に
向かわないとまずくない?」と聞いた。
「大丈夫です」
「そうなの?」
「えぇ」と亜弥ちゃんは笑みを浮かべる。「もうとっくに遅刻です」
それを聞いて私は、うそ、と口を手で抑えてしまう。
「ごめんねぇ。長々と引き止めちゃって」
「なつみさんのせいじゃないです」亜弥ちゃんは照れたように笑う。「姫路から
来た私のせいですから」

そう聞いてぱっ、と場所が頭に浮かばない。かろうじてわかるのは――。
「兵庫県…だよね?」
「はい。ここからだと二時間くらいで着きます」
それを聞いて私も「それは遅刻だね」と苦笑いした。きっと私に会うためだけに
来てくれたんだろう。セーラー服を着てるってことは、学校に行くつもりの
予定を変更してのことだろうか、それとも学校に行くふりをして会いに来て
くれたんだろうか。私には回りを行き交うセーラー服と亜弥ちゃんのセーラー服の
区別もつかないけど、考えると胸がちくっ、と痛んだ。
「ありがとね」私は声に出して言う。「ここまで来てくれて」
亜弥ちゃんはいやいや、と小さく手を振る。
「姫路がわからないってことは、なつみさんも遠くから来たんじゃないですか?」
私が「東京」と言うと亜弥ちゃんは「おぉ」と声を洩らした。

「じゃあ時間はたっぷりあるんだよね」
言いながら立ちあがる。それは私達には今に限ったことじゃないけど。おしりを
ぱんぱんと払いながら「ねぇ、お腹空いてない?」と聞いた。
「実はすっごく空いてます」
私を追いかけるように立ち上がる年下の可愛い先輩に「おごってあげるよ」と
お姉さんぶる。亜弥ちゃんは、やったぁ、と両手をほっぺにあてた。
「あ、でも」
「ん?」
「あんまり長く居ると補導されちゃうかも」
これですし、とセーラー服のスカートを持ち上げながら。

人混みの中にまぎれて、京都駅から離れるよう歩き出す。私は、駅の近くの風景に
なんとなくの見覚えを感じていた。一年前の記憶とちょっとだけのずれ。あのとき
泊まったホテルに行ける曲がり角を通り過ぎる。
亜弥ちゃんは楽しそうだった。
「誰かとご飯って久しぶりなんですよぉ」
「そう言えば私も」言いながら口唇に左手のひとさし指をあてる。「裕ちゃんが
最後にカフェへ連れて行ってくれて以来かな」
「ずるい」亜弥ちゃんは口唇を尖らせた。「裕ちゃんってば、私と最後に会った
ときは公園だったくせに」

「私はミカさんとファミレスに行ったのが最後です。もう一年半は前ですけど」
ミカさん。
もう一度出てきたその名前に、私は亜弥ちゃんに視線を移す。左手に下げた
通学鞄を右手に持ちかえる姿がやけに幼く感じた。
「ミカさん、って?」
「アヤカさん、って言ったほうがわかりやすいですかねぇ?」
私はそっちの名前ならわかる、とうなづいた。そしてやっぱり、と思わずには
いられない。私達は不思議とつながっていく。
「可愛い人でしたよ」
「うん」
亜弥ちゃんは「結局一度しか会えなかったなぁ」とつぶやいた。

やがて通り沿いのはるか向こうにファミレスが現れた。それは京都でたった
ひとつ覚えのある、一年前に真希と行ったファミレスだった。あのときの味が
恋しい、なんてわけじゃないけど私はなぜかそこを目指した。
指で差しながら「良いかな?」と聞くと笑顔と一緒に「はい」と返ってくる。
そしてそのまま目的地を目指して歩き続ける途中で突然。
「…亜弥ちゃん?」
「会いに来た人って、私達の中の『誰か』が誰かわかる人なんですか?」
立ち止まった。
私を見つめて聞く亜弥ちゃんにあの可愛い笑顔はなかった。いつ聞こうか
迷っていたのかも知れない。そう思いながら私はうなづいた。

「たぶんあの子ならわかる。って言うよりきっとあの子しかわからない」
「会いに行くんですよね?」
亜弥ちゃんは答えがわかってて聞いている。それでも私は嘘をつこうかなんて
一瞬思って、また一瞬で思いを消した。私は「行く」と答えた。
「そうですかぁ」
そう言って亜弥ちゃんははにかみを浮かべる。それは亜依ちゃんが、梨華
ちゃんが、夢の中の真希が浮かべた笑顔と同じものだった。こんなときでも
こんな顔しかつくれない私達がよく浮かべる笑顔。
「ちなみに美貴ちゃんと京都に来たことあった?」
亜弥ちゃんは「ないです」と首を横に振る。やっぱり、と思った。未来の私と
今の私の過去での、たったひとつの違い。亜弥ちゃんは亜依ちゃんを知らない。
ここだ。
この分岐点を境に、私と亜弥ちゃんはくい違った結末へと歩き出してたんだ。

私達はお互いに気づいている。
私の中に潜む『誰か』の正体を知ってしまったら、それが魔鬼でも、魔鬼で
なくても、もう二度と亜弥ちゃんには会えない。そうしなければ真実を
告げてしまうのと同じになってしまう。
だから私は結果のすべてを秘密にしてここから帰る。この特別な私達の間に
だけは嘘は持ち込みたくないから。亜弥ちゃんに嘘をつきたくないし、私に
嘘をついてもらいたくないから。
そして私は自分の中の『誰か』を魔鬼だとは思っていない。私が魔鬼なら
気づいてくれるはずの人達が誰も気づかない。
誰も私に気づかないし、気づいてくれた人とも別れてしまう。それでも自分に
嘘がつけない。私は、知りたかった。

私は嘘を重ねてきた。家でも、学校でも、病院でも。それは私なりに相手を
思いやったつもりで、亜弥ちゃんが未来の私であればきっと同じことを
してきていると思う。
自分の都合で他の誰かを苦しめるなんて絶対したくないから、良いことじゃ
ないけど、誰も傷つけないようにとつい嘘を重ねてしまう。
そしてそれこそ裕ちゃんとひとみちゃん、亜弥ちゃんと私を分ける決定的な
違い。私達は相手のために、自分のために嘘をつく。だから亜弥ちゃんの
おでこには角が見えない。
きっと私のおでこにも、角は――。

歩きながらそっと回りを見る。誰も居ないのを確認しても、私は小さな
ささやきで「人を殺したことはある?」と聞いた。
「ありません」
亜弥ちゃんは首を横に振る。この質問を予想していたかのようにあわてる
ことも騒ぐこともなく。
「一度も?」
「えぇ。美貴と一緒だった頃も、魅鬼と一緒の今も。もちろん――」
亜弥ちゃんは笑って、美貴と一緒になる前も、とつけ加えた。
「ミカさんも裕ちゃんも言ってたけど、私達にはできませんでした」
軽く目を伏せて言う姿に私は「そっか」とだけつぶやいた。
「なつみさん」
「うん?」
「なにがどうなっても私達はもう」考えを読み取った亜弥ちゃんが
「友達ですから」と言う。私は「うん」とうなづく。
私達は顔を合わせて、出会ったときのように微笑みあった。

交差点へ差しかかり、ふいに見晴らしが良くなった。ファミレスへ向かって
左に曲がろうとする亜弥ちゃんをよそに今度は私が立ち止まる。
まっすぐ前、両側に街路樹の広がる通りのはるか先をながめて目を細めた。
まばたきを何度かくり返して確かめる。
…あれは?
遠くからでもわかる、じゃれあいながらこちらに歩いてくるふたり。
紺のブレザーとチェックのスカートを着て、黒い鞄を肩からかけたその姿には
まったく見覚えなんかないのに、その制服の上のおだんご頭だけは、ふたつ
ともはっきりと見覚えがあった。
やがてそのうちのひとりがこちらを指差し、もうひとりの肩を叩く。顔を
見合わせたふたりは走り出し、私達の向い側、車が一台も通らない交差点の
赤信号で律義に立ち止まった。
すべてが。
まるで映画のフィルムのように、細かく鮮明に私の瞳に飛び込んでくる。

「夕方に来てほしい、って言うたのに。まぁた朝早くに来るし」
ちょっとだけ大人びた顔から洩れる変わらない声が道路の向かいから届く。
亜依ちゃんは黒目がちの目をさらに細め、口唇を尖らせながら「一年振りに
学校さぼったわ」と言った。
その横で亜依ちゃんの袖をつかみながらののちゃんも「おばちゃんってば夢も
希望も失なったような顔してる」なんて八重歯をのぞかせながら軽口を叩く。
「もしかして?」
つぶやく亜弥ちゃんにうなづきながら、私は「遅いよっ」と目を伏せる。
気づいてくれた。
「ののが朝に弱くて約束の時間に起きれなかったんやぁ」
「あいぼんだって、ふたつの手鏡が見つからないって騒いでたくせにぃ」
「手鏡、ってなつみさん。なんか嫌な予感するんですけど?」
そう言って苦笑いする亜弥ちゃんに私は微笑みで返す。
手にしたすべてをこぼしてしまったわけじゃなかった。分岐した道はまた
交わり、輝きは手のひらに残り続ける。

大丈夫、きっと大丈夫。
不安も怖さも乗り越えて、すべてが上手くいく。根拠なんて何もないけど
そんな気がした。
「私が来てるってわかったんだ?」
「当たり前やろ。うちの勘を疑うんか?」
叫びあう声がこだまのように。
いや、私が来てるってわかったんじゃなくて、なっちの中に居る――。

じわっ、と。
世界がにじんだ。別れてもう二回目。なっちってば泣き過ぎだ。そう思いながら
目をこすろうと左手を持ち上げる前に、そのにじみは別の指に消される。
亜弥ちゃんだった。
「私達には似合いませんから」
はにかみながら言うその顔に、私も微笑んで「ありがと」と返す。そのまま
視線を亜依ちゃんとののちゃんの笑顔に移す。
――おばちゃんの中に居る鬼って『魔鬼』っていう名前?
うん、魔鬼だよ。
ゆっくりと息を吸って、吐き出す。ねぇ亜弥ちゃん聞いて。
「紹介するね。すごいんだよ、真希とふたりがかりでも全然勝てなかったんだから」
「はい。…良かった」亜弥ちゃんが胸に手を当てている。「なにも失くさずに
すんで」とつぶやくのが聞こえた。

そして信号が赤から青に変わる。私は亜弥ちゃんの左手を取り、横断歩道の
反対側で待つふたつの笑顔へ向かって駆けだした。
差し出された手に手を差し伸べて。
ざわめきと光りの中にブーツのかかとの、はじめよう、って声を響かせながら。

 

終幕 千年後の物語

 

小さく鳴る電子音に呼ばれて起きた私の目に、見なれた風景が飛び込んでくる。
昨日も見たこの風景は、きっと明日も見る風景。
そう思っていたのはいつの頃だっただろう?
ゆっくりと立ち上がり伸びをする。階段を降りて朝の挨拶をする。トーストをかじり
終えて顔を洗う。歯を磨いて階段をのぼる。背中までの髪のブローと簡単なお化粧を
して出勤の格好に着替える。あとは靴を履くだけになった私は、いつもの儀式を
しようと机に向かって歩き、その上に飾られた手鏡――であったものにそっと触れた。
「おはよう」
鏡の面に貼られた銀はまだらにはがれ、囲む白い木枠も黒ずみひび割れて。その主を
失なって一気に千年の時が訪れたような、元の用途をまったくなさない形として残る
唯一の宝物を左手でつかんだ。
「真希」

あの一年間は、すべてが特別だった。平安時代の鬼に取り憑かれ魔法使いにお祓い
してもらい同じ鬼同士で戦ったなんて話しを、突然になくなる当たり前の日々や
数え切れないほど降り注いだ奇蹟の結晶を、いったい誰が信じてくれる?
そしてそれから鏡を見るたび指で触れるくせがついた。
…。
映らない鏡に向かって、私は微笑みを浮かべる。
魔鬼が居るなら、真希だって居る。この声も届く。また会える。
待ち続ける孤独の日々だってこれまでのように、耐えてみせるよ。死ねないんだから。
かなり上達した料理の腕をいつか存分にふるってあげるね。
「いってきます」
残った右手で前髪をかき上げ目を閉じる。私は鏡に、こつん、とおでこをあてた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ねぇ。なっちが死んだら、真希はどうする?
 
なっちが死んだら――私も死ぬ。

 

なっちは?
 
えっ?
 
私が死んだら、なっちはどうする?

 

ふふっ。
 
なに、急に笑って?
 
何でもない。そうだなぁ、なっちは――。

 

――。
 
…。

 

魔鬼なつみ 終了