バトルロワイヤルTV版にモーニング娘。が!
一瞬、慣れ親しんだテレビ局の控え室にいるという錯覚が、真理を包んだ
「うっぅ・・・あれ、・・なんで、矢口ここにいるんだ・・・」
広く、しかし長年使われてなかったであろう古ぼけた会議室のような部屋。
窓はなく、青白く輝く蛍光灯だけが微かに瞬きながら全体を照らしている。
部屋の中心には長机が置いてあり、それを取り囲むようにして、
いつもの収録待ちの風景と代わらず娘。たちが座っている
ただ、みんな思い思いに机や椅子に寄りかかり、眠っている様子なのは別にしても。
真理はまだ起ききらぬ頭を持ち上げて辺りを見回すと、眠っている
メンバーの中に福田や市井、石黒がいることに気づいた。
そして何故か平家のみっちゃんまで。
みんな確か、ハワイロケ第2弾のために飛行機にのっていたはずなのに・・・。どうして・・。
その時、バン!!っと大きな音を立て入り口の扉が勢いよく開き、その音でみんな飛び起きた。
入り口から誰か入ってくる・・あれは、藤井アナ!?
「おはよーございまーす、みなさーん!よく眠れたかなぁー!」
突然の事に状況を理解できていない娘。の耳にそのハイテンションは耳障りに感じたに違いない。
しかし、藤井アナの口から出た次の言葉はそれを許さなかった
「いいですかー!注目してくださーい!じゃあ、説明しますよー!
今日皆さんに集まってもらったのは他でもありませーん!」
そして、言った
「今日は、皆さんにちょっと、殺し合いをしてもらいまーす!」
その声に、娘。達の動きがスチル写真のように一瞬にして止まった。
−ただ、真理は気付いた。さやかだけがガムを噛み続けている。
その表情にはいささかの変化もなかった。ただ少し−苦笑いに
にた表情が、その面貌をかすめたような気もした
藤井アナは相変わらず神経を逆なでするような作り笑顔を浮かべたまま、さらに続けた
「皆さんですねー!今年の”ソロプログラム”対象グループに選ばれたんですねー!」
誰かが、うっ、とうめいた
【残り14人】
・・・「ソロプログラム」。
芸能界に生きる人間ならその名を知らないものはいないであろう。
毎年数多くのアイドルグループから無作為に一組選び出し、最後の一人になるまで戦わせる。
そして勝者はソロとして新たにデビューできるのだ。
噂でしか聞いたことはなかったけれど、もちろん真理もそのことは知っている。
去年は確かチェキッ娘!?その前はD&Dだったかな。
でも、ソロプロジェクトなんて人事だと思ってたし。
あれは落ち目のグループが選ばれるものじゃないの!?
そもそもソロデビューといっても名目上だけであって、実際に再び活躍できる人なんてそういない。
大昔の勝者、持田かおりが活躍しているのは例外といっても過言ではない。
「なんでやねん!」
椅子を倒さんばかりの勢いで中澤が立ち上がった。ただ、その声は確実に上ずっていたけれども。
「うちら、人気絶頂のモーニング娘。やで! なんでソロプログラムなんかに参加せなあかんねん!
そんなのハイパーなんちゃらとかにやらせとけばいいんちゃうん!」
それを機にメンバーがいっせいに騒ぎ始めた。
その中においても辻はいつもどうりボーっとしているし、
飯田は表情すら変えずどこかと交信しているようだったが。
「おーい!まだ信じられないみたいですねー!じゃあ、あれ持ってきてーちょーだい!」
藤井アナそういうと入り口から新たに2つの大きな袋を抱えた男たちが入ってきた。なにか寝袋のような・・・
男の一人がその大きな袋のジッパーに手をかけると、ゆっくりと開いていく。
「きゃあああああああぁあぁぁぁ!!」
最前列にいた石川が耳を劈かんばかりのハイトーンボイスを上げた。
その悲鳴は娘。全員を現実に引きずり戻すには十分すぎた。
ジッパーが半分以上開かれ、真理の目にも袋の中身をはっきり確認することが出来る。
真理はごくりと息を飲んだ。
「あ、あれは・・シェキドルの大木さんに、北川さん!? な、なんで・・・」
いまやほとんど開かれた袋の中から、シェキドルの2人がのぞけていた。
いや、もうそれはもとシェキドルですらあった。
営業の途中であったのだろうか、その舞台衣装は血に染まり生気のまったくなくなったその眼は
ぎょろりと明後日のほうを向いている。
額にあいた穴、あれは銃創なんだろうか。そして胸にもいくつかの穴。
いまだにそこは乾かぬ血の赤みを帯びたまま、青白い蛍光灯を反射していた。
「いやぁぁぁあああぁああ!!」
再び石川が悲鳴をあげる。その悲鳴に周りの娘。達が続いた。
「みなさーん!注目してくださーい!静かにして!静かにしてくださーい!まったくお前達は・・」
娘。の金切り声をかき消すがごとく、銃声が部屋にこだました。
気付いたときには藤井アナがいつ手にしたであろう銃を真理に向けて、
いや正確には真理のすぐ後方、平家に向けて撃っていた。もちろん顔は笑顔のまま。
平家は勢い、椅子にもたれかかったと思うとそのまま床に崩れ落ちた。
さらに後方に座っていた保田のズボンに飛び散った鮮血がにじんでいる。
床にはみるみる赤黒い血溜りが広がっていった。その血溜りに真理の顔が移り込む。
場違いかもしれないが、ふと真理はその地溜りに移った顔を見て
今までに自分でも見たことのないような表情になっている自分に驚いた。
焦点の定まっていないその目は、もう平家がこの世界の人間ではないことを伝えている。
「み、、み、みっちゃん・・・・!? み・」
声にもならない。真理の全存在が震えているのが自分でもわかった。
みんなの動きがまた止まった。悲鳴はもう止んでいた。
【残り13人】
「あーやっちゃった。ごめんごめん。司会者が殺したら反則だよねー。
でも、もう私語しちゃだめですよー。僕つらいけど撃っちゃうよー。
シェキドルの2人はソロプログラムを世間に公表しようとしていたんだよー
事務所も扱いに困ってね、しかも売れてないし。だから、ね。
それにしても、平家さんには今回がラストチャンスだったのに、残念。」
表情一つ変えずそういい終わると、藤井アナは娘。たちをゆっくり見回した。
さらに続けて
「じゃあ、ルールを説明させていただきまーす。
・
・
(ルール割愛。詳しくは原作、映画をみてね☆)
・
・
以上でーす。簡単だろー。最後の一人まで生き残ればいいだけでーす。
そうそう、ここは縦横一キロメートル四方の小さな菱形の島です。
このイベントのために住民の方には速やかに出ていってもらいました。みんな貸しきりだぞー。
はーい。ややこしい説明はそれまでです。司会者からひとつアドバイスさせていただくよー。
みんなはメンバーが殺しあうなんて信じられないと思っているかもしれないだろー。
しかし、忘れちゃだめだよー。ほかのみんなはやる気になってるからね。」
真理は、そんなことあるはずない!と心の中で叫んだ。
ただ、このときある変化が起こり、真理は確かにそれを見た。
ほんの一瞬ではあるがメンバーが誰ともなく周囲に目を配り、青ざめた顔で視線を走らせたのだ。
真理は唇をかみ締めた。ああ、このままじゃメンバーがバラバラになっちゃう。
「はーい。それでは皆さんこれから2分おきに一人ずつ部屋から出て行ってもらいまーす。
先頭はくじ引きで決めて、後は名前の順でいきますね。あと、部屋を出るときに武器や食料が入った
デイバッグを渡すのでそれを受け取るようにね。」
どうして?どうしてこんなことになったの?
「それじゃあ、一番最初に出発するのはー・・・吉澤さんに決定。次は最初に戻って安倍さんでーす」
「吉澤さん、早く立って!」
藤井アナにそう叫ばれてからも吉澤の動きは緩慢で、
まるで夢遊病患者のようにふらふらと立ち上がった
定まることのない視線は娘。に助けを求めているようでもあったが、みんなどうすることも出来ない。
「吉澤さん、このバック持って早く消えてね。後ろつかえてるから」
銃をすぅっと、水平に構えながら藤井アナが笑顔で催促する。
今にも泣き出しそうな吉澤の顔が入り口から消えて廊下を力なくあるく音だけが響く。
しばらくするとその足音も消えて、静寂が部屋を包む。
幾ばくの時がたっただろうか。永遠とも思える時間。
安倍、飯田、石川、石黒、市井が部屋からいなくなり、
次の順番である加護も今、部屋から出ようとしている。
いつもはメンバー位置明るい加護だが、いまは足取りもおぼつかない生まれたてのバンビのように。
真理はその様子を眺めながら何か答えを見つけるわけでもなく、
ただただ心の中で自問自答しては、必死で自我を保とうと頑張っていた
その時
「きゃあぁーーーーーーーーーーーーーーーーぁぁ」
加護の叫び声。もう外にいるはずのその声はまるで耳元で叫んでいるかのようだ。
残っているメンバーが青ざめた顔で互いの目を見合わせた。
何!?なぜ!?どうして!?何があったの!?
みんな何も言わないが、表情はそう語っている。多分私の顔もみんなからそう映っているだろう。
その叫び声は続いたまま、あっという間に遠ざかっていった。
遠ざかっていく・・・といことは、あいぼんは無事なのかしら。なにか、恐ろしいものを見たとか・・
気持ちの整理もつかないまま次の後藤が呼ばれ、そして出て行った。
後藤。さっきの悲鳴のとき、気のせいかもしれないけれど、
わざと驚いているようにも見えた。いや、それだけじゃない。口元には、あれ、笑顔!?
そしてまた悲鳴。今出て行った後藤のものだ。
外に何かあるんだ。だから加護や後藤はそれを見て・・。なにか得たいのしれない恐ろしいものが・・
でも、加護の前に出て行ったさやりんは悲鳴をあげていないのに・・・
何も答えを見出せないまま時間だけが過ぎていく。
後藤の後に出て行った辻、中澤、福田もまるで儀式のように悲鳴を続けた。
その悲鳴を聞くたびに真理の心の中を悪いイメージが支配していく
・・・誰か、死んでる、とか!?
いくら心の中のそれを打ち消そうとしても、悲鳴がそれを許さない。
「次は矢口だね。じゃ、準備して。」
藤井アナはいまだ笑顔を保ったままだ。
何があったの?、藤井さん。前回のハワイの時の藤井さんはどこいったの?
そんなことを考える余裕もなく、デイバッグを投げ渡されると銃を向けて出るように催促する。
「悲鳴とか聞こえてたけれどがんばってね〜。あろ〜は〜。」
そう、外には何か現実がある。この廊下の先、あの、扉の向こう。
古ぼけた板張りの軋む廊下を進むと、すぐそこに玄関はあった。
外は・・夜?部屋にいるときはわからなかったが、雰囲気的にも深夜なんだろう。
あまりに暗すぎる夜。月明かりが外を照らす。
そして真理はその月明かりが玄関のすぐ先にある何かを照らしてるを見つけた。
なんだろう。誰かのカバンかな、っともおもったが、すぐにその正体がわかり目を見張った
・・・あ、あや。
玄関のすぐ先、まるで眠っているかのように横向けに石黒が倒れている。
ただひとつ違うといえば、のど元がすっぱり割れてややいつも以上に顔が上を向いていることぐらい。
これだ。これを見てみんな悲鳴をあげたんだ。
真理は今にも喉のすぐ傍まできている悲鳴をこらえ、石黒に恐る恐る歩み寄った。
なんで!?なんで、メンバー同士が殺しあわなければいけないの!?
その目ただ見開かれ、眼球に月が空しく映っている。
あ、あや・・・。かすかな希望をもって石黒の体に手を伸ばそうとする。
その直後、向こうの草むらに動く人影を、確かに真理は見た。
そう、もし誰かやる気になっているメンバーが待ち伏せしてたら・・
あやはそいつに殺されたのなら・・・・・今すぐ、逃げなきゃ!
そう考えるが先か、さっとデイバッグをつかんで真理の体は近くの林に向かって駆け出していた。
【残り12人】
木の陰にすわったまま、安倍は手に持っている血に染まったサバイバルナイフを見て一人震えていた。
「ああぁ、なんでこんなことになったんだべ。大変な事してしまったべ」
紫色の唇が大きく上下に震えている。
安倍は一度建物を出た後、木陰に隠れてバックの中身を見てみた。
地図、時計、パン、水といったものの他に、一本のサバイバルナイフが入っていた。
もしかしたら・・・という不安が安倍にナイフを握らせたが、決して殺しあうつもりはない。
あくまで自衛のため、そう決めて握ったナイフだった。
その後、あまりの心細さに誰かを誘おうと入り口に戻った時、丁度石黒が出てきた。
安倍は単に話し掛けるつもりで近づいたのかもしれない。いや、少なくとも敵意はなかった。
ただ、石黒には月明かりに光るナイフを握り締めた安倍を見て身の危険を感じたのも事実である。
「ねえ・・・」
眼前まで迫った安倍が声をかける。
「ああ・あ・あぁ・・」
声にならない声で石黒が一歩後ろに引いた。運悪くその足を小石がすくった。
反射的に石黒はデイバッグを振り回し、安倍に掴み掛かってきた。
「まって!ねぇ、話を聞いて!」
そんな声も空しく、石黒は安倍のナイフを奪おうとしていた。明らかに恐怖におびえた目で。
「いやー!」
安倍はそれを振り払おうとナイフをつかまれた手を大きく振り払った。
いや、なぎ払ったというほうが正しいのかの知れない。
ナイフが何かに触れた感覚。
目を開けると首を切られた石黒が足元に横たわっていた。流れ出た血が足先に届かんとしていた。
記憶はそこまで。
気が付くと木陰に身を潜め、血のついたナイフを握って震えていたのだ。
何故かデイバッグが2つ傍らにあった。しかしそれを持ってきた記憶もない。多分石黒のものだろう。
「あぁ・・どうしたら・・・わたしどうしたらいいんだべか・・・」
その時、安倍の背後で何かが動く音がした。心とは関係なく手にしたナイフの柄に力が入るのがわかる。
「あ、安倍さん?安倍さんですか?あ〜ん、よかったぁ〜。」
そこには今にも泣き出さんばかりの顔で立っている、石川がいた
「りかちゃん?りかちゃんなの?あ、ああ、あの、なっち・・・」
安倍の目から涙がどっとあふれ出た。
嗚咽の混じったその声は、あまりに弱々しく闇に吸い込まれていきそうで。
石川の視線がナイフを握る右手に注がれるのを感じた安倍は、
まるで情景反射のようにそのナイフを草むらへ放り投げた。
「ああぁ、違う、違うの! なっちはなにも、なにも・・」
石川はそれを見ても脅えることなく、まるですべてを理解しているかのように歩み寄ってきた
「大丈夫よ、安倍さん。石川見てたの。
あの建物を出たときどうしていいかわからなくて途方にくれていたら後ろで物音がして・・・
振り返ると安倍さんと石黒さんがもみ合っているのが見えて、それで・・・
逃げ出す安倍さんを追っかけてきたの。
大丈夫よ、ちゃんとわかっているから。安倍さんは悪くないって。
ううん、私だって同じ状況だったら・・・」
そこまで一気に話すと、言葉を詰まらせ何かを振り払うかのように安倍の手を強く握り締めてきた。
安倍はそのまま石川の体を引き寄せ、しがみつくように石川を抱きしめた。
「ああ、ありがとう、ありがとうりかちゃん。私怖くて怖くて・・・。」
もはやその顔は泣き顔で歪み、マスカラがのびたのであろうか目元は幾分黒ずんている。
「大丈夫、もう安心して。私も今はそばにいてあげるから。
石川ね、このプログラムをいきなり聞かされてどうしていいかわからなくて・・・。
でも、もう大丈夫よ。私答えを見つけたの。」
”今は”って!? 自分の嗚咽で聞き取りにくくなっていた石川の言葉だが、
そこだけは聞き逃さなかった。今って!? 今ってどういうことなんだべ。
「石川ね、ソロで頑張ろうと思うの。」
いつもより2オクターブは低いであろう声で、わざと安倍の耳元に囁いた。
それと同時に安倍の背中に走る衝撃。
い、息が・・・出来ない・・・!?。
安倍は猛烈に背中が熱くなるのを感じたが、一体何が起きたのかは理解できていないようだった。
ただ、石川の表情、そう目線は斜め上を向いて笑顔を浮かべている。
まるでスポットライトを浴びて恍惚の表情を浮かべるチャーミーの様に。
それを見て安倍は全てを悟った
「りかちゃん・・・どう・し・・・て・・・・・!?」
安倍の背中に生えた果物ナイフを石川はもう一度握りなおし、さらに2度、突きたてた。
それと同時に安倍の頭は生まれたての赤子のように、だらんと石川の肩にもたれかかってきた。
石川がそれを鬱陶しいといったような感じで立ちあがると、安倍は勢い、前のめりに崩れ落ちた。
安倍の口元から流れる一筋の血が闇に沈む深緑の草を赤黒く染めていく。
石川はその乾いた涙をさっと拭うと、安倍の背中に刺さった果物ナイフを抜いた。
すぐに安倍が放り投げたサバイバルナイフを回収すると、
そのまま石黒のカバンに手をつけ中身を確認する。
中には黒く大きな鉄の塊。ベレッタF92Mが一丁、手付かずのまま入っていた。
それを見つけた石川は口元に暫時笑みを浮かべ、すぐに出発の準備をする。
次のターゲットを探さなくちゃ
足元に転がる安倍の死体をチラッと一瞥すると、またあの低い声でつぶやいた
「安倍さんなんかより石川の方がソロにふさわしいにきまってるじゃない。チャオ☆」
【残り11人】
もうどれくらい走ったんだろう。
石黒の死体を見て以来無我夢中で走りつづけた中澤だったが、
気が付くといつのまにか深い森を抜け、雑に均された農道の上にいた。
その道の先、暗くてわかりにくいが道沿いに幾つかの民家らしき建物が点在している。
さらにその先、あれは? 海!?
波間にゆれる月明かりと、潮のにおい、僅かに聞こえる波の音。
水平線の向こう、微かにゆれる影、あれは町の明かりやろか。
恐怖におののき幾分混乱していたが、海との出会いにより僅かながら落ち着きを取り戻したようだ。
「とりあえず何処かに隠れて落ち着かんといかんね。考えるのはそれからやわ。」
そう確かめるように呟くと、両手を大きく広げ、胸に詰め込めるだけの息を吸い込んだ。
気温はそう寒くないが火照った体にこの島の空気は冷たく染みる。夜明けが近いのかもしれない。
中澤は長い深呼吸を終えると、一軒の民家に目を付け歩を進めた。
娘。一背の高い飯田ほどはあろうか垣根に囲まれたその家は、
テレビや雑誌なんかで見かける農家のイメージを裏切らない佇まいをしている。
人気のまったく感じないその家の玄関までたどり着くと、中澤はそっと引き戸に手をかけた。
・・・どうやら鍵はかかっていないようだ。
「ごめんなさ〜い。おじゃましますよ〜。」
誰に話し掛けるわけでもなくそう囁くと、土足のまま一番奥の部屋に向かう。
キッチンにテーブル。つい先程までの生活のにおいが残る台所。その床に中澤は腰を下ろした。
そういやこのカバン、まだ中身見ていなかったなあ。
力を入れて握りすぎたのであろう、バッグの取っ手がその華奢な手に食い込み跡を残している。
月明かりの元で中身を一通り確認すると、アルミ製の警棒を引っ張り出してその身の傍らに置いた。
ここで篭城してうまくいけば、最後まで残れるかもしれへん。
・・でも、メンバーが殺しあうなんて。やっぱりそんなこと信じられへん。
みんな辛苦を共にした仲間やないか。
ああ、なんで最後まで残れるかも、なんてばかなこと考えたりしたんやろか。
誰か、誰かと合流したほうがいいのかもしれへん。みんなで協力し合えば・・・・
だって、私たちモーニング娘。やんか。だけど・・だけど・・・
―ガラガラガラ
中澤の心臓が飛び出さんばかりの勢いで脈打った。あれは、入り口の扉が、開く音!?
だ、誰か入ってくる。どうしよう。声をかけてみようかな・・。
とりあえずその姿を確認すべく、
右手に警棒を握り締め音を立てないよう這うようにして廊下が見える位置まで移動する。
声をかけるのは誰か見極めてからでも遅くない。
中澤は這った状態のまま恐る恐る首を伸ばして廊下を見た。
やっぱり誰かいる!
廊下のその先、玄関に立つシルエットは姿かたちからして、後藤やろか!?
ああ、後藤なら出発前に見たあの怯え様、きっと不安に違いないはずや、私のように。
だから私と同じようにこの家に入ってきたに違いあらへん。
声をかけてみよう。そして一緒ここから脱出するんや。
「なあ、あんた後藤やろ。うちや、中澤や! よかったー、ひとりぼっちで心細かってん。」
そのシルエットは一瞬びくっと反応したかと思うと、こちらの存在にも気付いたようである。
「なあ後藤。・・・後藤!?」
なにかおかしい。なんでなにも言ってくれへんの?
もう一度名前を呼んでみようと口を開いたとき、入り口に立つシルエットが動くのがわかった。
右手に持つ何かを、こちらに向ける、そんな動き。
ただ、中澤は右手に持つ何かをはっきり見てしまった。あの形は・・サブマシンガン!!
ひっ! っといううめきと共に反射的に身を伏せる中澤。
シルエットの右肩辺りから閃光が瞬く。そのフラッシュに映る顔。やはり後藤にまちがいない!
その目は氷のように冷たく、口の端には、笑み!?
そう、ふと頭によぎると同時に頭上の食器棚が砕け散り、破片が降り注ぐ。
中澤はまるで胎児のような形に身を縮めて、廊下から隠れるよう体を引いた。
に、逃げんと殺される!
心ではそう強く叫んでいたが、腰が抜けているのか台所の隅に後ずさりするのが精一杯だった。
・・コツ、コツ、コツ
廊下を歩く足音が確実に大きくなり、塵の舞う台所に反響する。
震える両手で警棒を握り締めたまま体育座りの格好で壁にもたれ、
中澤は廊下に通ずる台所の入り口を凝視したまま固まっていた。
ウージーを肩の高さまで掲げたまま、後藤が悠然と入ってきた。
なんでや、なんでいきなり撃ってくるんや!?
まるで頭が壊乱したような感じのまま必死に事態を把握しようと試みてみるが、
その答えが見つかるはずもなく。
後藤の冷血な視線だけが先にゆっくりとこちらを向き、顔が後からついてくる。
あ、あかん。あんな表情の後藤、今まで見たことあらへん。
「なあ、うちや!中澤や!中澤やで!あんたホントええ加減にせ・・・」
裏返らんばかりの震える声で訴える中澤の言葉も、全て喋る前にかき消されていく。
―パララララララ
まるで古いタイプライターのような音と、オレンジ色の閃光。
その明るさは部屋の様子を昼間のようにくっきり映すだす。
中澤は当座、ほぼ反射的に横に飛んでいた。
体制が低かったせいか弾は頭上に着弾し何とか交わすことが出来たが、
中澤の先程いた辺りの壁に弾痕が無数に生まれている。もしよけていなかったら・・・。
勢い、台所から通じる居間に飛び込もうとする。その軌跡を銃弾が追う。
「あうっ!」
思うようについてこない足に鋭い痛みが走った。何か焼けた鉄串を刺されたような激しい痛み。
そのまま居間に転がりこんだ中澤は、とりあえず逃げる事だけに思索をめぐらせた。
あ、あそこから廊下に出て、玄関にいけば・・・
そう考えるまでもなく体は一刻も早くここから逃げ出そうとしていたが、
・・・た、立てない!?
痛がる余裕さえ忘れてた中澤だったが、ふと自分の足に視線を映す。
右足の太ももにかけて小さな穴が3つ、いや4つかもれない。
ただ異常に赤黒く染まったジーンズだけは、その右足が使い物にならないことを黙示している。
中澤はこのとき初めて、死の恐怖を感じた。
震えが止まらない。もうだめだ。
先ほどの戦闘が嘘のように、また部屋は閑寂さを取り戻す。微かに雀の囀りまで。
半ば死を覚悟した中澤だったが、後藤が追ってこない!? 私だって気付いてくれたの!?
「― わたしねー・・」
その静寂を破り後藤が始めて口を開いた。ただその声はあまりに冷徹で冷淡で冷酷だったが。
「わたしねー、ホントはどっちでもよかったんだー。
このプログラムに反抗することも、ゲームにのることも。
だからみんなといるときはいつもどうり、自分を隠して演技してたんだ。
でもね・・・」
何!?なにいってんのよ後藤!?
また後藤が歩き出す。散らばる破片を踏みつける音がノイズとして中澤の頭を錯乱させていく。
「でもねー、石黒の死体を見たとき、わたしさー、おもっちゃった。
”ゲームに参加してみるのも面白いんじゃないか”って。
もちろん演技は忘れてなかったけどね。でも、もう自分を偽る必要はないわ。」
中澤の頭を絶望だけが支配していた。もう目を開けていられない。現実を見るのが怖い。
―パララララララ
また乾いたあの音。まるで部屋全体を覆わんばかりにウージーを滑らせる。
目をきつく閉じた中澤の頭に3つの銃創があいた。
もはや確認するまでもなく即死だろう。
後藤はそのまま踵を返すと部屋に立ち込める血の匂いを纏い、
中澤のデイバッグをつかんでそのまま立ち去った。
夜が明けようとしていた。
【残り10人】
黎明の空。
徐々にではあるが白く目覚めゆく島と海を見下ろせる高台に吉澤は立っていた。
綺麗・・・」
水平線が日の光を受けて眩いばかりに輝きだす。
幾分冷えた潮風がほのかに紅く色づいた彼女の頬を優しく撫でていく。
今置かれている状況を忘れ、吉澤はしばしその情景を楽しんだ。
そう、あのタイプライターのような音を聞いたのはそんな時だった。
眼下右前方、2〜300Mはあろう先に民家が点在している。
音はその辺りから聞こえてくるようだった。
「何かしら・・あの音。」
今までの人生で出遭った事のないような音。一体なんだろう?
訝りながら目を凝らしてその辺りを見つめてみる。
・・・また同じ音。それに伴いなにかが砕けるような音!?
窓が少しオレンジを帯びて点滅している。
「な、何か起こってるんだ。一体何なの!?」
吉澤の五感にも、それが只事でない事態がおこっているという雰囲気がビンビン伝わってきた。
吉澤の視線はその民家にくぎ付けになったままだったが、
3度目の音が聞こえた後はこれといって変化はない。
「もう、何も起こらないのかしら・・・」
寸時の時。吉澤の緊張がわずかだが緩みかけていた時。
そんな時あの民家から人が出てくるのを見た。遠く離れているとはい再び体が強張り、息が詰まる。
あ、あれは後藤さん!? 今の騒ぎの中、後藤さんは無事だったのね。
まさか、いましがた後藤が中澤を殺してきたとは思うはずもなく、
騒ぎの中で後藤が無事だったという安堵の念だけが、吉澤の緊張を解いた。
なにがあったのか後藤さんに聞いてみよう。
「おーい!後藤さーん!だいじょうぶで・・・」
次に吉澤が見た光景は後藤がこちらに何かを向けて・・・なんなの?あれ?
その瞬間、指の先ほどのでしかない後藤の肩口がオレンジ色に点滅する。
と同時に足元の岩場が弾け飛んだ。乾いた土煙の匂いが鼻を擽る。
ほぼ同時に耳に届くあの音。パララララララ。
マシンガン!後藤がわたしに向けて銃を撃ってきたの!? なんで!?
でも、でも、あれはどう見たって後藤さん・・・
あまりの事態に呆気に取られていた吉澤だったが、
後藤が冷静にマガジンを詰め替える姿に本気で、ヤバイ、と感じた。
と、とりあえず逃げよう!
スポーツが得意というだけあって反射的に身を翻した吉澤は、
そのまま自分の後方のにあった木立に向かってダッシュする。
パン!パン!という音と共に、さっきまで自分がいた所の足場が砕け散った。
まるでヘッドスライディングするかのような格好で木立に飛び込んだ。
右の袖が枝に引っかかり、その裂け目から細い二の腕が大きく露出している。
体は、無事、のようね・・
寸刻、体の各部の無事を確認したあとまたすぐに走り出す。
・・・まさか、後藤さん”やる気”なの?
はるか後方でまたあの音がした。
身長145センチのその体に無骨で大きなデザートイーグルはあまりに不釣合いで、
映画「ニキータ」の主人公にはおおよそ程遠い様相ではあったが。
真里はデイバッグからその銃を両手で取り上げると、まじまじと見つめた。
「こんなもので人が死んじゃうなんて信じられない・・・」
腫れ物に触るかのような感じでしばらくその感触を確かめたあと、
まるで覆い隠すかのように再びバッグの底の方へ押しやった。
「使う機会がなければいいんだけど・・・
でも、どっちにしろ矢口にはあつかえないよ・・・こんなもの。」
そう呟いたきり、再び目線を足先に落として俯き考え込む。
こんなことばかりを繰り返してどれぐらいの時がたったのだろうか、
気が付けば東の空も白さを増しまだ僅かではあるその光の温もりを小さな手の甲に感じることが出来る
だめだ!こんなことをしてても埒があかない。誰かを探そう。
熟考のうえに出した結論は何の解決にもなっていないものだったが、
今の真里にはなにかしら行動目的が必要だった。
そうでもしていないと不安に押しつぶされてしまいそうで。
そう心に決め顔を上げた直後、何かが真里の視界に飛び込んできた。
ほんの10メーター先、やや小走りで横切っていく姿、あれは・・よっすぃーだぁ!
ただその格好は部屋を出る前とは異なりまるで戦場帰りのようなっていたが、
真里がそのことを気にする様子もない。
誰かに出会えた―それが吉澤だったからというのもあるかもしれないが―
その事実が真里には嬉しく、心強かった。
「よっすぃー!よっすぃー!こっちだよー、こっちー!矢口だよー!」
気が付くと真里は夢中で叫んでいた。お願い、気付いて!どこにも行かないで!
「や・・矢口・・さん!?」
あれ?なんで矢口をそんなに警戒しているの?
吉澤は今にも逃げ出さんばかりの体勢でこちらを凝視したまま固まっている。
ただ、真里が吉澤を捕まえんばかりに両手を前方へ突き出したその格好が、
武器を持たない丸腰であることと矢口の感情の全てを表出していた。
その姿を確認した吉澤は、
まるでそこから全てを汲み取ってくれたかのように警戒を解いて歩み寄ってきてくれた。
「・・・矢口さんは、無事だったの?」
その言葉に真里は初めて、吉澤の身なりが激しく疲弊していることに気が付いた。
「よっすぃー、どうしたのその格好!? 何かあったの!?」
「しー。もっと静かに喋ってください矢口さん。じゃないと・・・」
そういいながら吉澤はしきりに自分のきた道を振り返っている。
「実は・・・吉澤さっきね、ごっちんに殺されそうになったんです。」
うそ!? 真里は一瞬冗談かとも思ったが、吉澤の表情がそうでないことを証明している。
「民家で物音が聞こえて、そこからごっちんが出てきたんです。
吉澤心配になってごっちんに声かけたらね、・・・声かけたらね、」
吉澤は一呼吸置いたあと、続けた。
「・・いきなり撃ってきたんです。
だから私、夢中で逃げてきて・・・。そこで矢口さんとであったんです。」
そういえば、さっき聞こえてきた乾いた連続音。あれ、銃声だったんだ・・・。
「よっすぃーは先に出発したから知らないと思うけど、
最初の建物の前で石黒が、死んでたんだ。
でも、それは後藤が殺したんじゃないよ。多分、後藤以外のメンバーが・・・。」
そこまで言うと真里は目線を下に落とした。
その表情にはもう娘。が昔に戻れないことへの絶望の面差しを含んでいた。
「取りあえず移動しましょう、矢口さん。ここにいては危険です。」
石川は次のターゲットを探して彷徨い歩いていた。
―さっき銃声が聞こえたけれど、そこに行くのは危険だわ。取りあえず数を減らさなくちゃ・・
もう石川は3時間ほど歩いているが、一向に人と出会う気配がない
サバイバルの特性上、動き回るというのは非常にリスクが高いというのはわかっていたが、
ただ石川自身持久戦も不利だとわかっていた。
その面貌にはやや焦りと焦燥が浮かび始めている。
赤のワンピースは動きやすいように膝上10セントほどで切り取られてしまっていた。
手には石黒のものであり、安倍のものでもあったベレッタが固く握られている。
・・・・みーつけた。
次の獲物をその発見した石川は微かに顔をほころばせた。
ソロへの野望もそうだが、単に殺人という本能的な快楽が含まれたその容貌。
「あれは・・・ののね。あの手に握ってるのなにかしら。
ピコピコハンマー? まさかあれが武器なの?うふっ、ほんとかわいいわ。
石川、どうしてもののの泣き顔見たくなっちゃった。近づいてもあれなら大丈夫よね。」
辻は木立の向こうに広がる、そう大きくない空き地の隅に生えた大木を背にして腰をおろしている。
顔は横を向き、まったくこちらには気付いてないようだ。
物音を立てないよう慎重に辻の死角に回りこみ、銃を構えたまま背後からゆっくり近づいてゆく
「つ・じ・の・ぞ・み・ちゃん」
石川は声をかけた。あくまで優しく冷血に。
息も詰まらんばかりの驚きで、はっと振り返った辻は
自分の額に向けられた銃口を見て目を丸くした。あまり事態を飲み込めてはいない様子だが。
「のの、悪いけど石川のために死んでもらうことにしたの。」
そういうと、辻は何かを言わんとばかりに口を動かそうと懸命になっている
―あ〜ん、この表情もほんとかわいいわ。そう、石川この顔が見たかったの!
はやく泣きなさい!泣いて命乞いしなさい!
今にも泣き出さんばかりに崩れたその顔を眺めた石川は満足そうな笑みを浮かべた
・・微かだが辻が何かを言っている。助けて、とでも言ってるのかしら
「た、助けて・・・あいちゃん」
え!? 亜衣ちゃん!?
背後に気配を感じた石川がパッと振り返ると、そこにはニューナンブを構えた加護が立っていた。
日本の警官が持つその銃は、小型とはいえ加護の手にはいささか大きく
指をつらんばかりに張り詰め、いまにもトリガーを引かんとしている。
―しまったぁ。こいつら2人で行動してたのね。
「りかちゃん・・・なんで、なんでそんなことすんの」
意外にも加護はしっかりした口調でそういった。
いつもはおちゃらけてばかりいる加護だが、今ばかりは違う。目が本気だ。
―でも石川、この二人にだけはソロ譲れない
こんな状況の中でも暢気に石川はそんなことを気にしていた。
ただ、今回ばかりは本当に死を覚悟もした。でも、あきらめるわけにはいかない
「あ、あの、あのね石川ね、辻を見つけて声をかけようと思っただけで、そう・・」
にやつきながら辻に銃を向けておいていまさらそんな言い訳が通るはずは無いとはわかっていたが
とりあえず今は時間を稼いで・・ 何か考えなきゃ、何か・・
「亜衣ちゃん、早く撃ってー!撃ってー!」
手にしているピコピコハンマーで必死に顔を隠している辻が石川の思考を掻き乱すように叫ぶ。
僅かなきっかけでも発砲してしまいそうなほど強張った加護の肩が小刻みに震えている
―・・・やばい。
その時、横手の草むらが激しくざわめきだした。すかさずみんな一斉にそちらへ視線を送った。
奥のほうに人影が見え隠れしている。
まだ誰かいるの? 半ばあきれ気味に石川が呟いた
背の高い草を掻き分け走り込んできたのは、いつもと変わらぬ保田だった。
違うといえば右肩に携帯対戦車砲M1A1、そうバズーカを乗せている事ぐらい。
たまたま近くにいた保田は物音を聞きつけ駆けつけてきたのだ。
その様子が石川にはあまりに滑稽にうつり思わず吹き出しそうになっていた。
「あ、あんたたちなにやってんのよ!」
勢いよくかけつけて来たわりに保田の声は裏がえっている。
まさかこんな状況に出くわすとは思っていなかったんだろう、無理もない。
―これはチャンスだわ
そう思った瞬間、石川は見事なまでに即座に泣き顔を作っていた
「助けてください保田さん!あいぼんがみんなぶっ殺してやるとか言って、それで・・」
あまりに完璧なその演技に、辻と加護両方は呆気にとられていた。
保田はこんな状況でもきっと先輩面するはず、石川はそうよんでいた。
人の上に立とうとする性格、それを利用しよう。
そして保田はまさにそのとうりの行動をとったのだ
「ちょっと!ふざけんじゃないわよ!それ本当なの、加護!」
保田はなめられまいと声を張り上げ、バズーカの口を加護に向けて威嚇している
加護はあまりの展開にいい返すことも出来ず、ただただうろたえている。
―チャンス拡大。ひとまずここは逃げたほうがよさそうだわ。
そう考えるやいなや、石川は保田のいる方向に身を転じ駆け出した。
バズーカの性質上、近距離では発射した本人も被害を受けるため打つことが出来ない。
石川はそれを見抜いて保田とすれ違うように草むらに身を隠そうとした。
少し遅れてそれに気付いた加護の銃口が、その後ろを追う。
しかし石川は保田の驚く顔を尻目に陰に隠れるようにして逃げようとしている。
―まさか撃ってはこないでしょう。勝負はもう一度体勢を立て直してからね
パン!
そう考えながら保田を壁に身を隠して走る石川の背後で、まさかの銃声がした。
「うっ」といううめきとともに保田が崩れ落ちる気配がする。
それと共に、ボン!という衝撃音。思わず保田が明後日の方向にむかってレバーを引いたのだ。
でも、もう振り返れない。とりあえずここから離れなくちゃ。
また銃声。加護は保田の存在に委細構わず発砲しているようだ。
幸いというか、石川は何とか草む逃げ込むことが出来たが、白く細い足が傷だらけになっている。
なんて子なの、本当。
ふぅ、っと一息ついた時左手遥か後方でバズーカの着弾音が聞こえた。
福田が意識を取り戻したとき、もうそれは以前の福田では無くなっていた。
建物を出るときに見た石黒の死体、
1時間ほど前に見つけた足元に転がる安倍の死体、
そして今の突然の閃光、爆発、衝撃音。
いままで必死に自我を取り繕うとしてたが、今の衝撃で福田は完全に壊れてしまった。
「なんでみんな私を殺そうとするの?もういや!もう、みんな許さない!」
今の爆発で後方に吹き飛んでいたボウガンとバッグを引っ手繰るように掴むと
左手の小指と薬指が無くなっていることにも頓着せず駆け出した。
「何でみんな私を妬むの?! みんな私なんかに追いつけるわけ無いじゃない!
もう回りはみんな敵ばかりだわ! 殺らなきゃ・・殺らなきゃ殺されちゃう!」
福田はテープレコーダーのようにそう繰り返したながら駆けずり回っていた。
もう眼つきは飢えた野生のハイエナよろしく、動こうもの全てに飛び掛らん勢いでめぐらしている。
この時後藤は福田の右手前方30mのところを歩いていた。
もちろん今の福田がそれを見逃すわけが無い。
―あれは後藤!あいつも私を妬んでるに違いないわ!
どこから理由付けしてきたのであろうか、福田の心の中は怒りで一杯になっていた。
そう思った時には、すでにボウガンを構え発射していた。
―もらった!
しかし次の瞬間、あまりに信じられない光景に福田は目を見開いた。
後藤はこちらを一瞥することさえなくさっと身をかがめたかと思うと、
矢の軌道へ手にしたウージーを合わせ空高く弾き飛ばした。
すかさずその体勢のまま福田のいる辺りへウージーを打ち込んだ。
まるで弾がもったいないと言わんばかりに、ほんの6〜7発程度。
しかし、その弾全てが吸い込まれるように福田の胸や腹に吸い込まれていった
その熱さ、痛み、衝撃。貫通した数発の背中の穴から狂気が抜けていくような気がした
あぁ、私なにをやっていたのかしら・・・
遠のいていく意識の中で何度もあの頃の輝いていた自分そして、周りのメンバーが浮かぶ。
―ああ、私ステージに立ってるのね。スポットライトが体に熱いわ。
福田の顔は自分が意識することなく―単に痙攣していたのかもしれないが―笑顔になっていた。
そう、あの頃のように。
後藤が近づいてくる音は、今の福田にとって会場のざわめきでしかなかった。
【残り9人】
「ここまでくれば、もう・・・大丈夫よね」
吉澤と矢口の2人は浜辺に近い一軒の民家の軒先に腰を下ろした。
目の前には眩いばかりに白い砂浜が海岸線に沿って続いており、
幾分先にある小さな港らしき所にはパッと見にも使い古されたとわかる漁船が陸に留まっている。
気が付けばもう太陽は完全に姿をあらわし、海鳥はいつもと変わらぬ生活を始めていた。
先程、後藤がいた辺りが農村とすればこちらは漁村と形容するのが正しいか、
まあ町とはいかないまでも漁で生活していたであろう景色が色濃く残っている。
「・・・よっすぃー、これからどうしよっか?」
「・・・どうしましょう、矢口さん」
2人は今までの緊張感が少し薄れたようにボーっと目の前の海をただただ見つめていた。
「なんで、こんな事になったのかな?みんな昨日まであんなに楽しくしてたのに。
矢口、実はまだ思ってるんだ。これ、夢じゃないかって。」
「私も、・・・私もまだ信じられません・・・
でも、あの時・・・ごっちんが撃ってきたあのときの感覚。あれは、夢じゃないです。」
吉澤のこぶしに力が入り、爪がその柔らかい皮膚にくい込んでゆく。
矢口も言葉に出さないが、これが夢でないことはわかっていた。
平家の死体、あやっぺの死体、地溜りに映る自分の顔、血液の匂い。
全部はっきり覚えていた。いや、忘れえるはずも無く。
でも、それを口に出すと全てが終わってしまいそうで。
吉澤がまた口を開いた。まるで自分に問い掛けるかのよう呟く。
「このプログラムのルールって、一人になるまで続くんですよね。
最後の一人になるまで・・・私たち、一体どうなるんでしょうね・・・」
矢口は何も言わなかった。はっきりその言葉は聞こえていたけれども、何も言わなかった。
沈黙だけが続く。海鳥たちの楽しそうな会話も少し腹立たしく思えた。
「アロ〜ハ〜! 皆さん元気ですか〜! おはよ〜ございま〜す! 藤井で〜す!」
またあのハイテンションが小さな島に響いた。
スピーカーが古いのであろうかその声は幾分割れてハウリングも混じっているが、
間違いない!この声は藤井アナだ。
この島には幾つかのスピーカーが存在するのだろう、エコーのかかったその声はやや聞きづらい。
「さあ、最初の6時間が過ぎました!果たして誰が死んだんでしょうか。」
真里はまるでバラエティ番組の予告のようなその言い方に、心底怒りを感じた。
なんて人なの!最低!
しかし藤井アナの次の言葉を聞いたとき、その感情はどこか遥か彼方へ消えていた。
「今残っているのは9人ですね〜。なかなかいいペースですよ〜、みんな〜」
え!?9人ってどういうこと!? 矢口が出たときは13人だったのに。
ただ・・・あやっぺもみっちゃんももうここにはいないけれど・・・
・・・でも、それでも12人いるんじゃないの?
「それでは死んだ人を言いますね〜。まず、安倍なつみさん。」
・・・アベ?・・・アベ、ナツミサン!? 安倍、なつみさん!?
一瞬にして真里の思考回路全てが真っ白に消されていく。安倍なつみさんって、なっちのこと?
真里の呼吸が一瞬止まる。
なっちが・・・なっちが死んだの!? そんなの嘘・・・
このゲームにおいて早かれ遅かれ誰か死んでいく。真里も心の中ではわかっていた。
この6時間のなかで少しでも心の準備が出来ているものだと思っていた。
でも、真実は違う。次々に頭の中になっちの顔が浮かんでは消えていく。
あの笑顔、あの声、あの言葉・・・なっちにもう逢えないの?
真里の横では吉澤が鏡写しのように固まっている。
「次に石黒彩さん、中澤裕子さん、福田明日香さん、そしてもう知ってると思うけど平家みちよさん。
以上5人がプログラムから脱落です。」
藤井アナの感情のこもっていない言葉の羅列。
しかし、その言葉に真里は自分でもどうしていいかわからないぐらい動揺していた。
それはもちろん、隣にいる吉澤にもいえたことだが。
ただただ名前の挙がったメンバーの色々な思い出が頭の中で物凄い勢いでめぐっている。
今までに島のあちこちから聞こえてきた銃声、悲鳴、爆発音。
そのときは信じなかったが―いや、信じようとしなかったのだが―
やっぱりあれはメンバーが他のメンバーを、殺しあう音、だったんだ。
やっぱりみんな、ごっちんに殺されたのかな・・・それとも・・・
考える暇さえ与えることなく、藤井アナが言葉を続ける
「それでは次にペナルティーエリアを言うからね〜。ちゃんとメモしなきゃだめだよ〜。」
・・そう、そんなルールがあったんだ。出発前のルール説明の時、たしか・・
―マップの指定したペナルティーエリアに入ったら私が殺しに行くから気をつけてね〜。
なんでペナルティーエリアに入ったか分かるかって?大丈夫、安心してちょ〜だい。
こっそり皆さんに発信機をつけさせてもらいました〜。あ、探しても無駄だよ。
絶対にわからないからね〜。
事実、真里は何度となくその発信機を探したが結局分からなかった。
でもきっと嘘ではないだろう。ペナルティーエリアに入らないよう用心に越したことは無い。
「今は9時だから〜、10時からA8地点・・・
傍らのバッグから地図を引っ張り出した真里は、
藤井アナの述べたペナルティーエリアを半分上の空で聞きつつメモしていた。
真里が地図にメモするのを確認した吉澤は、一人抱えた膝の間に顔をうずめてしまっている。
吉澤は声を出さないよう必死にこらえていたが、その嗚咽は真里の耳にも届いていた。
それにつられるかのように真里の目にも涙が浮かび、手にする地図がぼんやり霞んでいる。
「連絡事項は以上で〜す。じゃあ、がんばってね〜」
放送はそこで途切れた。寸時、耳がまたさっきの海鳥の声を拾いはじめる。
真里の小さな手にのせられた地図は、涙で幾分重たくなっていた。
「保田さんは・・・無事やったんやな」
加護は幾分俯きながらそう呟いた。
たくさんのメンバーが死んだという事実、
夢中で石川を狙ううちに思わず撃ってしまった保田さんが生きていたという事実、
小刻みに震えたその小さな肩が、加護の入り乱れた感情を如実に表している。
その傍らにはあの現場から共に逃げ出してきた辻が両手で顔を隠しながら、
泣き声をもらさないよう必死にその咽びをかみ殺している。
本当は泣きじゃくりたいに違いない、いや加護も同じ気持ちだった。
でも、泣いてもどうしようもないのだ。ゲームの終了へ先に近づくぐらいだろう。
とにかく加護はあの現場に残してきた保田のことが心配でたまらなかった。
今なら・・今ならまだ間に合うはずや。
謝っても許してもらわれへんやろうけど・・・でも、とにかく保田さんに会わないと・・・。
自分で誤って撃ってしまったということ、怖くてその場から逃げ出してきたこと
それが加護の心の中にこびり付いて離れない。
「ののちゃんここに隠れてといてくれへん。加護、ちょっと保田さんとこ行ってくる。」
それを聞いて辻は反射的に加護の足を掴んだ。それは加護さえ驚くほど力強く。
「大丈夫や、すぐ戻ってくるから。それに保田さんあのままほっとかれへんやろ。」
やや時間を置いた後、辻はゆっくり手を離した。
そしてその代わりに、傍に置いてあったピコピコハンマーを手にして両手で抱えるように抱きしめた。
「必ずすぐ戻ってくるから。大丈夫や。」
その言葉は辻に向かって言っている様でもあり、自分に言い聞かせているようでもあり。
加護はやや後ろ髪引かれる様子でゆっくり踵を返すと、
辻と2人夢中で駆け抜けてきた道を慎重に戻り始めた。
5分ほど歩いてきたところで加護は一旦歩みを止めた。もうすぐ、この辺りやな。
・・・・泣き声が、聞こえる。
加護はさっと木の幹に身を隠しその声の主を捜した。
・・・保田さんが、泣いてる。
保田は右膝を着いた中腰の格好で先ほどの現場とほぼ同じ所にいた。
左手で加護に撃たれた右肩の傷を押さえている。
加護にはなぜ保田さんが泣いているのか痛いほどよく分かった。
孤独、不安、心配、恐怖、裏切り・・・
そして、その原因の一つに私がいることも。
ただ、いつもは気丈に振舞っている保田さんが泣いている。
加護にはその事実がもっとも辛かった。あの、あの保田さんが泣いている・・・
出て行く機会を失った加護は、しばらくその様子を見つめることしか出来なかった。
そんな時、保田の後ろに人影を見つけた。
ひときわ背の高いその人影、そう飯田さんだ。
ただ、様子がいつもと違う。
いや、見た目はいつもの飯田さんなのだが、こう、なんていうか、雰囲気が違うのだ。
その右手には農家で使われていたのであろうか年季のはいったひときわ大きいナタ、
左手には―加護にはそれが何なのかよく分からなかったが―電動釘打ち機をにぎっていた。
視線は前を、いや幾分上を見上げたまま静かに保田の背後に近づいていく。
なにか、口元は歌っているようにも呟いているようにも見える。
ぴたっと保田の背後で足を止めると、すうっとナタを頭上高く振りかぶった。
そこから先の光景、
加護の目には昔の映画のように白黒で、細切れで、ノイズのひどいフィルムの様に映っていた。
飯田が儀式のようにナタを勢いよく振り下ろす。
保田の右腕が壊れたりかちゃん人形のように、どさっと、落ちた。
加護は必死に視線を逸らそうとしたが、体が鉄のように固い。
保田も固まったままだった。その様子は右腕のあった以前となんら変わりない。
飯田は勢い、こんどは横に振りかぶった。
反射的というか本能的に、加護は目を閉じていた。
ただ、頭の中ではその続きが克明に続いていたが。
何かが落ちる音が頭の中の映像と寸分狂わずリンクする。
あぁ・・・ああああぁぁあぁ・・
次の瞬間加護は、その場から一目散に逃げ出していた。何かを振り払うように頭を何度も降った。
遥か後方から、何かを発射する音が数発。明らかにう銃とは違うその音。
加護は一心不乱に辻の下へ駆け込んだ。辻が加護の形相に驚き目を丸くしている。
「のの、ここから逃げるんや!早く!」
加護は駆け込んだ勢いそのままに、辻のその細い腕を引きずらんばかりに掴んで引っ張り上げた。
辻はやや戸惑っているようだったが、加護の様子から事態が只事でないことを理解したようだ。
さっき取り落としたピコピコハンマーをすばやく拾い上げると、
加護の手をしっかり握って駆け出した。
【残り8人】
「や〜ぐち」
俯き心ここにあらずといった2人にその明るい声は、かなり衝撃的な出来事だったに違いない。
今は懐かしすぎるその声、忘れるはずが無い。紗耶香だ!
「なんか2人とも顔色よくないねぇ。だいじょうぶ?」
吉澤はやや驚いた様子で矢口から手渡された銃をかまえている。
「よっすぃー大丈夫だよ。沙耶香なら大丈夫。銃を下ろして。
・・・沙耶香、無事だったんだね。よかった・・・ホントよかった。」
なんだか自然と涙が溢れてくる。なにかそんな感情さえ忘れていた気がした。
ただ、口では大丈夫と言いながらも目は意識することなく市井の手元を確認している、
矢口はそんな自分がたまらなく悔しくもあった。
「私なら大丈夫。吉澤もひさしぶりだね。」
「・・・ほんと久しぶりですね、市井さん。
銃なんて向けてごめんなさい。私とっても不安で・・・。」
市井は全て見抜いているかの様にニコっと笑顔を返すと、その場に腰を下ろした。
この島ではもうすでに色々な事が起こっていたが、それは全て悲しい出来事ばかり。
3人とも話題を切り出しにくそうに視線を彷徨わせている。
ぐぅ〜〜〜〜
突然、矢口のお腹が鳴った。市井を見て安心したのだろう
「あはは。矢口お腹すいちゃったよ。」
それは照れ笑いではあったが、矢口がここにきて始めて見せた笑顔でもあった。
吉澤、市井もつられて笑いだす。
みんな声をかみ殺して笑っているが、本気で心の底から笑った。
友と笑いあえることの喜び。日常のそんな些細なことも、今はたまらなく嬉しい。
・・・ずっと、こうしてたいな。
それは無理な願いだとわかっていても、矢口は本気でそう思った。ずっと・・・
「よおし、とりあえずめしにでもしよっか。」
市井が笑いながら言った。
この家は最近建てられたのであろう。
都会ではどこにでもある平凡でモデルハウスのような形をしたその家は、
この島では風景に溶け込めているとは言い難い。
加護と辻はその家の前にいた。
「とりあえず、ここに隠れようか。」
辻の意見を聞くまでもなくその手を引っ張り、玄関に歩み寄った。
幸い鍵はかかっていなかった。
さっと扉を開き素早く中にもぐりこむと、音を立てないよう慎重に鍵をかける。
外界から遮断された空間にいるという事が、今の2人にとってとても心地よく感じた。
一通り家の中を確認すると2人は手を取り合い2階へ通じる家の階段を上がった。
その階段の先は壁になっていて、
T字路のように左右に部屋が一つずつあるいたってシンプルな作りになっている。
加護は両方の部屋をさっと見比べた後、右側の寝室を選んだ。
8畳ほどのその部屋には、やや大きなベッドと壁に埋め込まれたひときわ大きいクローゼット、
そしてどの家にでもあるような家電類が綺麗に配置してある。
「・・・ちょっと休憩したいのれす」
ベッドの上にちょこんとのった辻が久しぶりに話した。かごはなんとなくその事が嬉しかった。
「そうやな。パンでも食べよっか。」
そういうと、加護は自分のデイバックに手を伸ばした。
そこには水の入ったまだ真新しいペットボトルと形の崩れてない蒸しパンが一つ。
その形の綺麗さに加護は少しに苦笑いした。ぼろきれのような自分の手を少しの間見つめた。
やや力を込めてペットボトルの封を切る。
今まで意識していなかったが、水に口をつけて始めてその体がとても水を欲していることに気付く。
一気に半分ほど飲みほし、まだの飲みたい気持ちをぐっと堪えて蓋をきつく閉めた。
・・・まだ、・・・まだ終わりやあらへん。
次の瞬間、2人は自分の耳を疑った。
―歌が。・・・歌が聞こえる。
その冷たく透き通る歌声は、まるでオペラの序曲のように今から起こる何かを暗示していた。
ただ、今の2人にはその歌声に優雅に耳を傾けている余裕は無いのだが。
「・・・飯田さんや!」
その声の主はすぐにわかった。それにしてもなぜ、なぜ気付かれたんや?
廊下から聞こえてきたのは、その玄関でドアノブを激しくまわす音。
まるで頭を掻き毟るようにその音が加護を激しくつらぬく。
全神経をその歌声と気配に集中しつつ、2人は脱出路を捜して部屋を見渡した。
その視界に窓を確認すると、加護はすぐさま駆け寄り身を乗り出して下をみる。
―あかん!高すぎる。たとえ無事に飛び降りられたとしてもすぐに追いつかれてしまうはずや。
窓の下は丁度その家の庭。地面はくしくも綺麗に舗装されタイルが敷き詰められていた。
あきらめきれない加護はその身をさらに乗り出して窓の左右を見るが、
逃げられそうな足場一つ無い。
「こっちからは出られへん!」
そういう前から辻がもうすでに絶望的な表情を見せている。
その時、とてつもない爆発音。
飯田が鍵のかかった玄関にためらうことなくバズーカを放ったのだ。
もちろんそれはもうこの世にはいない保田のではあったが。
もうそこは玄関と呼ぶのが相応しいのかどうかさえわからないほど
開け放たれた空間が出来上がっていた。
歌声がよりはっきりと聞こえるようになったが、そんなことはもうどうでもいい。
爆発音に反応するかのように手を握り合った2人は恐る恐る階段から階下を覗き見た。
ひときわ大きな人影。見つかるのも時間の問題だろう。
加護はいまさならながら2階へ上がってきた事を後悔していた。
・・・下にいたなら、逃げられたかもしれへんかったなぁ
飯田の足がチラッと見えたのを確認すると、もといた部屋にさっと頭を引っ込めた。
加護が手をついていた床には小さな手形が消えないで残っていた。
飯田はどうやら下の部屋一つ一つを片っ端からしらみつぶしに破壊しているようだ。
さっきは居間で聞こえていた破壊音も、今は台所から聞こえてくる。
ガラスの割れる音、木材の折れる音、電動釘打ち機の発射音。
その全てが不思議にも飯田の歌声と奇妙なアンサンブルを奏でていた。
もう、まもなく2階にもやってくるだろう。
加護と辻は微かな望みを託してもう一度部屋を見回した。
―まさかベッドに下に隠れるわけにはいかへんしなぁ。
やっぱり、戦うしか方法はないんか・・・
戦う、それはつまり人を、いやと仲間であるメンバーを殺すこと。
確かに加護は夢中だったとはいえ石川に向けて発砲した。
でも、保田を撃ってしまった後、我を取り戻した今の加護にはそんなことはしないと心に誓った。
メンバーを殺すこと。
それが加護にはどうしても踏み超えられない一歩だった。
たとえそれが、目の前で仲間が殺されるのを目撃した後であっても・・・。
そこに、辻がまるですごい名案でも浮かんだかのように加護へ囁いた。
「あそこにかくれるのれす」
そう指差す先は大きなクローゼット。確かに人2人ぐらいは十分に入れそうな大きさではある。
「・・・そうやな、あそこに隠れよう」
もう迷っている暇は無かった。そう言うと2人は取り急ぎバッグを掴むとクローゼットの扉を開けた。
なかに詰まった服を掻き分け潜り込むと、内側から扉を閉める。
さすがに座るだけの余裕は無く、2人は手を握ったままの状態で立っていた。
完全な暗闇の世界。家の破壊音と飯田の歌声だけが全てを支配している。
加護は物凄く怖かった。きっと一人では泣き喚いていただけだっただろう。
左手に伝わる微かな温もり、それだけが今唯一の救い。
「のの、怖い?」
そう話し掛ける自分の声が震えている。そう、一番怖いのは私自身なのだ。
「・・・ううん。あいちゃんがいるから大丈夫。」
辻の声も震えていた。加護は微かに笑みを浮かべ、辻の手を一段と強く握り締めた。
一階は破壊しつくしたのか、もう破壊音は聞こえなくなっていた。
ただ飯田の歌声の存在が、まだその恐怖の終わりを告げていないことを証明していた。
いや、まだ始まりさえも。
2人の握り合った手にさらに力が入った。
トン、トン、トン・・・
飯田が階段を上ってきたのだ。しかし今の2人にはどうする事も出来ない。
できるとすれば、それはただ祈ることだけ。万に一つの可能性に賭けて。
―このまま見つからなければ
そんな気持ちとは裏腹に加護は前ポケットに入っていた銃を取り出すと、
扉の外に銃口をむけていた。
そこには先程つめたばかりの真新しい弾が5発、詰めるだけ詰めてある。
銃を持つ右手は何故か震えていなかった。それが、それが最後の手段だとわかっていたから。
歌声はもう、すぐそこに聴こえる。
私たちももちろん知ってるその歌、加護はクローゼットの中でそれに合わせ無意識に口ずさんでいた。
ただそれは、自我を保つために今できる唯一の方法だからそうしたまで。
飯田は迷うことなく最初にこちらの部屋を選んだようだ。
その気配が、歌が、足音がクローゼットに近づく。
加護は目をつぶらなかった。たとえつぶってもそこは今と変わらぬ暗闇だったから。
一瞬の静寂。
―ダンッ!
まるできこりが木を切るような音、今度はそれがクローゼットを支配した。
最初2人には何が起こったかわからなかったが、
今生まれた隙間からこぼれる光がその様子を映し出す。
それは丁度2人の間の隙間にナタが刺さっている光景だった。
加護は頭を正面に向けたまま目で必死に辻のほうを見た。が、ナタがそれを遮る。
ただ、しっかり握られた手が辻の無事を唯一伝えていた。
飯田は歌いながら固く突き刺さったナタを左右に揺すって勢いよく引き抜く。
ナタの抜けたその隙間からクローゼットの中に久しぶりに光が差し込み、加護は反射的に目を細めた。
もう何も考えられなかった。次に起こることも今までのことも。
ただ、次に起こったことは加護にも想像しえなかったことだが。
―カンッ!カンッ!カンッ!
小気味のよい音、それとともに2人の目の前に釘の列が横一直線に並んだ。
飯田がクローゼットに向けて連射した釘が、加護や辻の鼻先寸前で止まっている。
「あぁぁ・・あぁぁぁぁ」
もう、加護には限界だった。
―パン!
その銃声と共にクローゼットの中が一瞬明るくなった。
恐怖で固まった辻の顔が一瞬浮かんで、また闇に溶けた。
またも一瞬の静寂。ただ、それは歌声さえしない本当の静寂。
扉の向こうでどさっという音と共に飯田が倒れる気配がする。
隙間からの木漏れ日は静かにクローゼット内を映し、外の閑寂さを伝えている。
加護と辻は30秒ほど固まっていたが、意を決したように扉に手をかけた。
さらにまぶしい外の光に目を細めたその先、胸に銃弾を受けた飯田が床に倒れている。
「飯田・・さん?」
銃を構えたまま慎重にその体近づいていく。
背中には辻が張り付き、加護の肩越しにその世界を見ていた。
目を見開いたまま仰向けに倒れた飯田の胸には一発の銃創が空いていた。黒の衣装が血に濡れている。
―ああぁ、・・・とうとう撃ってもうた。
・・・ほんとに、ほんとにこれしか方法はなかったんやろか。
焦点の定まらぬ目でぼんやり飯田を見つめながら、そんなことを呟いた。
次の瞬間、また信じられないことが起こった。
飯田の目がぎょろりと動き、加護を見たのだ。
その冷たい目と目線があったかと思うと、
田はまるでターミネーターのようにすくっと上体を起こしナタを振り上げた。
「うわぁぁぁぁぁーーーーー」
加護は夢中で引き金を引いた。
シリンダーに残った4発全てが飯田の胸に、腹に注ぎ込まれた。
飯田は銃弾をうけた勢いのまま再び仰向けに倒れると、口から血を吐いた。
飯田の背後の壁には先程振り上げたナタが飯田の手を離れ、壁に突き刺さっている。
弾を全て撃ち尽くしても加護は引き金を引くことやめなかった。
加護の叫び声と撃鉄の空打ちする音がカチッ、カチッと空しく部屋にこだまする。
ようやく弾が尽きたことに気付いた加護は素早くポケットに手を突っ込むと、
まるで昔からの愛用の玩具を扱うようにあっという間に弾を交換した。
そして、また撃った。
飯田の体がまるでリズムを刻むように小気味よく跳ねた。
またすぐに弾は尽きた。最後に手にした銃さえも加護は飯田の体に投げつけた。夢中だった。
「もうやめて!もういいよ、亜衣ちゃん!」
気が付くと辻が加護の体にしがみついて必死に静止しようとしていた。
自分の手、いや体全体が震えているのわかった。
加護は肩で大きく深呼吸を一つすると、振り向いて辻を抱きしめた。
「ごめん、もう大丈夫や。もう大丈夫。」
―そう、ここでおわりやない。
もう一つ深呼吸をした後、
加護は飯田の死体から視線をはずし部屋の隅に転がった銃を再び拾い上げた。
【残り7人】
笑い声は絶えることなく続いていた。
3人は各々に割り当てられた方向を向きながら、以前の軒下で背中合わせに座っている。
もう、どれくらい喋ったであろうか。太陽は頂上を越え幾分西に傾きかけていた。
久し振りに3人の会話に間が出来た。いや、話しつかれたと言うほうが正しいか。
真里はふと足元に綺麗に揃えられて置いてある3つのバッグに目が止まった。
市井が持ってきた半分開き気味のバッグから、銃らしき物体が光っている。
「あれー、紗耶香の武器かっこいいじゃん」
真里は自分の足元にそれを引き寄せ少し触ってみた。
一人で居たときに触った銃と違って、今はなんだか安心できる。そんな感じの触り方だった。
「あ、それねH&Kって言うんだって。説明書に書いてあったよ、マシンガンなんだって。
わたしもさー、こんなの映画でとかしか見たこと無かったから
カバンから出てきたときはビックリしちゃった。
本当はね使いたくないんだけど・・・用心に越したこと無いから矢口もってていいよ。
そういや、矢口武器持ってないんだね。何が入ってたの?」
ほんの僅か忘れていた現実を思い出したせいか、先程の会話よりはややトーンが下がっている。
「矢口の武器はよっすぃーが持ってるやつだよ。名前忘れちゃったけどね。
あまりに大きいからよっすぃーに使ってもらってるんだ。
その代わりによっすぃーからこれ、もらっちゃった。」
そう言うと矢口は自分のポケットに手を突っ込んだ。
その小さな手の中には黒い鉄の塊が握られている。
「これ、私のカバンに入っていたんです。『すたんぐれねーど』ってかいてあったんだけど
なんなのかよくわかんなくて。でも、見た感じ手榴弾ですよね。
たくさんあるから市井さんも持っててくださいよ。」
吉澤が説明しながら、矢口が吉澤のカバンから2個ほど取り出して市井に手渡した。
「ああ、これスタングレネードだね。手榴弾とは多少違うんだけど、
ピンを抜いて投げつけると大きな爆発音と閃光、そう、まぶしい光で相手を怯ませるんだよ。
だからこれには相手をやっつける能力は無いんだよ。」
市井があまりにそれをスラスラと言ってのけたので、
矢口と吉澤は少し驚いた表情で市井の方を振り返った。
市井はまるで何かを決断したように一度だけ大きく背伸びをすると、向こうを向いたまま話し始めた
「・・・あのね、私が脱退した本当の理由、言うね。」
・・・え!?・・・”本当”の!?
矢口と吉澤はあまりに突然の告白にぽかんと口を開けることしか出来なかった。
「私ね、下川みくにと大親友だったんだよ。娘。に入る以前からの友達だった。
そう、でもね去年の今ごろプログラムがあったんだ。今の私たちとおんなじように。
矢口は知ってるでしょ?去年の対象グループがチェキッ娘だったこと。」
矢口はその言葉を聞いてハッとした。下川みくにと聞いたときはよくわからなかったが、
そう、チェキッ娘なら知ってる。
そして、その優勝者が下川みくにだったことも今、はっきりと思い出した。
市井がまた続けた。顔を少しあげ、空を見ながら囁くように。
「私がその存在を知ったときには、もうプログラムは終わっていたの。
そしてみくにが勝ち残った事も後から聞いたわ。
私いてもたっても居られなくて、すぐにみくにに会いにいったんだよ。
そしたらみくに・・・・別人のようになってた。」
そこまで言うと、今度は俯いた。なにかが落ちるのが見えたが、気付かない振りをした。
「廃人のように声も出せない状態で・・・
でも、私一生懸命みくにのもとに通ってなんとか笑顔が出るようにまで頑張ったの。
そしたらね、時間はかかったけどみくには快復したんだよ。
『ありがとう』って私の顔見ていってくれたんだよ。
でもね、ある日みくにに会いに行ったら表情がいつもと明らかに違ってた。
なんていうのかな。なにかお別れを告げるときのような寂しい表情、っていうのかな。
私が『どうしたの、そんな真剣な表情して?』って聞いたらね、
『私、思い出したの』って言ったの。
『私、プログラムが終わって薄れていく意識の中で確かに聞いたの。』って。
・・・『周りにいた一人が《来年はモーニング娘。の番だな。》って言ったのよ』って。
私、何も言わずその場から泣き出して帰ってきちゃった。あははは、馬鹿みたいだよね。
でも、でもね、私その時頭、真っ白になっちゃって・・・
そんなの、そんなの嘘だと思ったから、わたし娘。の活動しながら一生懸命調べたんだ。
・・・でもね、・・・・それ本当だった。」
そこまで言うと市井は手元に置いてあったペットボトルに手をかけて、少しだけ口に含んだ。
「私こんなこと誰にも言えなくて・・・一人であれこれ頑張ってみたんだけど、
あまりにも組織が大きすぎてダメだった。
もう、プログラムはもう誰にもとめられない所まで進んでいたの。
私もみんなもこの運命から逃れられない。そう、わかったの。
・・・だから、私」
市井はゆっくりこっちを振り向いた。その目は涙で赤く腫れていた。
「私、娘。をやめて先回りしてみんなを助けようとおもったんだ。
監視の厳しい芸能界にいては無理だと思ったから。
だから引退を名目に一時的に娘。を離れてプログラムについて調べようと思ったの。
幸いプログラムの会場だけは突き止めることはできた。ここ鹿児島の沖なんだよ。
それで事前に脱出路を確保しようと思って、大変だったけどこの島に船を隠したの。
一人でも多くメンバーが助かるようにて思って。
・・・だからさ、みんなそれで逃げよ」
市井は泣き顔のままにっこりと笑ってくれた。
矢口は市井の胸に顔をうずめて泣いた。その横では吉澤も一頻り泣いている。
みんな時間を忘れて泣いた。
加護と辻は一刻も早くこの場から立ち去らなければならなかった。
飯田の歌声、バズーカの爆発音、銃声。
今の騒動はこの島のどこにいてもきっと聞こえたはず。
”やる気”の人がいるならば、必ずすぐに駆けつけてくるに違いない。もちろん石川も含めて・・・
だから、だから一刻も早くここを離れないと。
加護は焦っていた。だけど、一体どこへ行けば良いのか・・・助かる方法なんてあるんやろか
「のの、とりあえずここから離れよう」
不安な気持ちを振り払うかのように、膝をポンとたたいて加護は立ち上がった。
辻も懸命に考えているのだろう、少し間を置いてからようやく返事をした。
隣の部屋には飯田の死体。
2人はそれを覗き込まないよう視線を逸らして階段を下りていった。
一階部分は最初入ってきた時の面影を微塵も残すことなく
まるで竜巻が通過した後のように徹底的に破壊されている。
加護は居間に転がった右手が無くなっている熊のぬいぐるみの笑顔に
何故か背筋が冷たくなるのを覚えた。
飯田さんのなにがここまでの狂気を駆りたてたんやろか・・・
「亜依ちゃん、はやく外に出たいのれす」
辻もこの異様な世界に嫌悪感を抱いているのであろう、
一刻も早くここを出たいと言わんばかりに加護をせかした
「そうやな、早いとこでよっか。」
そう言うと2人はまっすぐに玄関、いや、今となっては以前玄関であったその空間から外に出た。
―もしかしたらもうその辺りまで来てるかもしれへん。慎重に出て行かんと・・・
そう考えているすぐ横で突然、辻が駆けだした
「亜依ちゃんもはやく逃げるのれす」
5メーターほど先まで駆け出した辻が振り返って加護を手招きしている
「のの、飛び出したら危ないで!こっちに戻ってきて!」
加護があまりの剣幕だったのか、辻は驚きの表情を見せている。
パーン
突然、銃声が鳴り響いた。向こうに見える林から鳥が数羽、堰を切ったように飛びたった。
それに共鳴するかのように、辻が、ゆっくりと崩れ落ちた。
「のの! のの! 大丈夫か!」
カバンを放り出した加護が辻のもとに駆け寄ろうとしたとき、
今度は加護のすぐ横にあった玄関の門柱が火花を上げた。
・・・あかん!狙われている。
加護は反射的にその身を玄関脇の壁に投げだした。
また数発の弾が門の金属部分に当たって悲鳴ともいえるような甲高い音を上げた。
―しまった!もう駆けつけてきてたんか。ののは、ののは無事なんか?
右手にニューナンブを握りしめ、壁から少しだけ頭を出して様子をうかがってみる。
辻は道路の真ん中でやや横向けに腰をくの字に曲げて横たわっていた。
足を撃たれたのか左足のふくらはぎ辺りが異常に赤黒く染まっている。
湧き出していく血がまだ舗装されていない道に染み込んでいく。
手足をやや動かして身をよじっているようだが、ショックで声が出ないのか泣き声一つしない。
「のの!のの!大丈夫か?」
加護は声を殺して懸命に叫んだ。
その言葉に反応したのか、辻が突然泣き始めた。その目は明らかに恐怖で脅えきっている。
「痛い、足が痛いのれすぅ。助けて。助けて亜依ちゃん。」
その声はまるで生まれたての雛のようにとても弱々しかったが、
加護の心には深く深く突き刺さった。
・・・一刻も早く助けんと、ほんとにやばいで。
しかし、今出ていったら確実に2人とも殺られてしまう・・・
そう考えている加護の頭上の壁が弾け飛んだ。
さっと頭を引っ込めた加護だったが、その瞬間、確実に、見た。
道の向こう30メートルは先、やや高い斜面の上に続く森の影。
あの、赤いワンピース、忘れるはずが無い、石川だ!
加護は思わず右手の拳銃で壁を殴った。
―わざとののの足を撃って生かしておいたんや!それで、うちが出て行ったところを撃つ気なんやな
なんであんな卑怯なことができるんや!
うちはどうしたら、どうしたらええねん・・・
加護はまた壁から少し頭を出すと、石川のいる辺りに向かって銃を放った。
それと同時に石川の赤いワンピースが木の影に隠れる。もう間違いない。
しかし、加護の手にする銃は一度に5発しか装填できず、
石川のもつオートマチックのベレッタには到底かなうべくもなく。
さすがにこの位置から当てることも、牽制して辻を助け出すことも無理だろう。
「亜依ちゃん・・・たす・・けて・・」
明らかに先程よりも辻の声が心もとなくなってきている。
―くそぅ!どうしたらええねん!
このままでは辻を見殺しにしてしまうだけやないか!
加護は思わず声を張り上げて叫んだ。その小さな肩がわなないている。
ブォォォォォンン
加護は一瞬自分の耳を疑った。遠く微かだけれど、聞こえる・・・。
これは・・・バイクのエンジン音!?
その音のするほうへ加護がゆっくり目を向けると、
道のだいぶ向こう誰かが土煙をあげながらバイクに乗ってやってくる!?
その左手には、銃のようなもの・・・
その姿はあっという間に大きくなり加護の目にもそれが誰だかはっきりわかった。
―後藤さんや!助けに来てくれたんか!
加護はきっと後藤さんなら助けてくれると思った。後藤さんなら・・・
そんな淡い期待は一瞬にして奪い去られるのだが。
住民の物であったろうCBRに跨った後藤は100キロ近いスピードで辻の横を走りぬけていった。
いや、そうではない。走り抜けると同時に辻に向かってウージーを放ったのだ。
跳ね上げられたピコピコハンマーが空高く舞い上がって、空中で分解した。
「あうっ!」
小さな悲鳴と共に辻の体が小さく痙攣する。
あまりの事態に混乱気味の加護は、今の状況を忘れて思わず辻のもとへ駆け出していた。
「大丈夫か!大丈夫か、のの!」
いつもより幾分白くなったその小さな手を握り締めて加護は必死に叫んだ。
再び、この島にベレッタの銃声が響いた。
―しまった!
加護は反射的に目をつぶった。
今の無防備な状態では2人とも絶好の標的である。狙われたらひとたまりも無い。
あかん、うちも死ぬんや・・・
いや、それだけやあらへん。うちの不注意でののまで死んでしまうんか・・・
加護は辻をかばうように姿勢を低くして、唇をかみ締めた。
銃声が何度も島を包む。しかし、覚悟を決めた加護の身へ一向に弾が当たる気配が無い。
それどころか、私たち2人の周りを弾が掠める様子さえない。
もしかして、うちら狙われてへんの・・・?
加護が恐る恐る目を開けてみる。
外の世界は先程通過したバイクの砂埃のせいで少しぼやけていた。
その視界の先、石川が銃を乱射している姿が目に入った。
ただ、それはこちらを狙っているのではなく、今走り去っていった後藤に向けて撃っているようだ。
石川にとってもあまりに突然のことだったようで、
狂ったように後藤の背中に向けて引き金を引いている。
―今のうちや!
そう考えるやいなや、加護は辻の両手を掴んで塀の中まで引きずろうとした。
突然ボンッという爆発音。
その音につられるように加護が左手を振り向くと、
もう米粒大ほど小さくなった後藤のバイクから煙が噴出しているのが見えた。
きっと石川の銃によって被弾した燃料パイプかどこかに引火したのかもしれない。
ただ、そんなことは今の加護にとってどうでもいいことだった。
後藤の存在を見るのが怖い。あの、瞬間を思い出してしまうから。
まるで何事も無かったかのようにその光景をチラッと一瞥したかと思うと、
よりいっそうの力を込めて加護はそのまま辻を塀の内側へ引きずり込んだ。
遠くで何かが爆発するような音も加護の耳には届いていなかった。
何とか石川の狙撃を免れて辻を運び込んだ加護だったが、
いくら加護が怪我の知識に乏しいといっても辻が危険な状態にあるのは一目にわかった。
右の胸とふとももの付け根辺りが真っ赤に染まっている。
加護は口にくわえていた銃をその身の傍らに置くと、
小さく震える辻の手を掴み、未だ鮮血の湧き出すその傷口を押さえた。
2人の小さな手が瞬く間に朱に染まっていく。
「大丈夫や、のの。うちが助けたる。うちが助けたるからしっかりするんや。」
あいている方の手で辻の顔にかかった髪の毛を払いのけながら、加護が懸命に訴えた。
加護の指先についていた生々しい血液が辻の白い顔を紅く彩る。
辻は焦点が定まっていないのか加護に向けるその目線が僅かながらずれていた。
「・・・ごめん・なのれ・す・・・亜依ちゃん・・・・本当に・・・ごめんなの・・れす・・・」
血液が肺に入って息苦しいのであろう、その空気の混ざった喋り方は
辻がそう長く生きられない事を加護に認識させるには十分すぎた
「なんでや、なんで謝るんや。ののはなんにも悪くないやんか。
・・・きっと助かるから、、絶対助かるから。」
加護の声も咽びに震えていた。
涙がとめどなく溢れ、辻の首筋辺りにその跡を残している。
それにつられるかのように辻の目尻からも、血液ではない純粋で無垢な雫が流れ落ちた。
「い・・ままで・・・いままで・ありが・・とう・・・なのれす」
死ぬということ。辻本人が一番わかっているのだろう。
きっと気絶してしまいそうなほど激しい痛みに違いないが、
辻は口の端に笑みを湛え、搾り出すように呟いた。そう、蝋燭が消える前のように。
「もうええ!もう喋ったらあかん!お願いやから、喋らんといて!」
加護は号泣にしながら何度も叫んだ。
まもなく辻の存在が消えてしまう。そうわかってはいたけれども。何度も。
辻のあの小さな体のどこに入っていたのだろう、
いくら傷口をきつくきつく押さえてもその間から溢れ出る血潮は辺り一面を覆い尽くしている。
不意に辺り一面が暗くなった。小さな2人の体を影が包んだ。
瞬間、銃声が、一発。
と同時に、辻の額に銃創が生まれた。頭が一度だけやや小さくバウンドした。
辻の全機能が停止した。
「ひぃっ!」
加護は恐怖に引きつった顔で後ろを振り向くと、
まだ銃身から吐き出される煙も新しいベレッタを構えた石川がそこにはいた。
その勝ち誇った笑顔。今の状況を心の底から楽しんでいる、そんな表情。
「2人ともね、ちょっと悪戯しすぎなんです。ほんとに。」
加護を見下ろし銃を構えながら石川が言った。
勝利を確信したのか、声のトーンはいつもの、あの石川だったが。
・・・銃は、・・うちの銃はどこいったんや。
加護は固まった姿勢のまま、目線だけで必死に銃を捜した。
それはすぐに見つかった。手を伸ばせば届きそうなすぐ近く。
ただそれが石川の足の下に踏まれていることを除けばだが。
「あれ、もしかしてあいぼん、銃をさがしているの?
残念ね。まあ、あいぼんが死んだら私がちゃんと使ってあげるからね。
じゃぁ、バイバイ」
石川は嬉しそうにそこまで言うと、引き金に力を込めた。
加護は観念した。少しだけ目を瞑った。
―カチン
ベレッタがブローバックする金属音のみが空間を支配する。
石川の銃にもう弾は残っていないかった。
「えっ!?」
加護も石川も口裏を合わせたように同じリアクションをとった。驚きの表情もまた同じ。
加護はその一瞬を逃すことなく、石川に飛び掛かる。
不意を突かれた石川はベレッタをその場に取り落とすと
2人揉みあいながら道路のほうへ倒れこんだ。
「ううぐぅうぅ」
石川は倒れたときに頭をぶつけたのだろう、苦悶の表情を浮かべて頭を押さえた。
その手にはうっすら血が付いている。
ちょうど馬乗りのような体勢になった加護は、その赤く色付いた控えめなこぶしを大きく振り上げた。
が、暫時躊躇したかと思うと、そのこぶしを下ろしてすっと立ち上がった
―まず、銃を取らないと―
加護は自分の後方にあるであろう銃を拾うため、
その小柄な身を最小半径の起動でくるりと翻し駆け出した。
が、勢いよく前のめりに転んだ。
―足が動かへん!
素早く振り返った加護が見たものは、
自分の足首を強固に掴んでこちらを睨み付けている石川の姿だった。
その顔は今までの石川の面影を何一つ残すことなく変貌していた。
なんといえばいいのか、猟奇的なのか。ただ、その顔は言葉の範疇に収まりきらない。
「絶対に・・・もう、絶対に許さないんだからぁぁぁぁあぁぁぁ!」
あまりにヒステリックなノイズ。
加護は一瞬のうちに体の中を何かが通り抜けるのを感じたと共に、
やや遅れて全身が身震いした。
必死にその掴まれた右足を振り払おうと懸命にもがいたが、
まるで鉄の鎖のようにつながれた石川の手はまるでほどける様子も無い。
石川はやや上半身を浮かせた体勢のまま、
自分の背中、腰らへんに左手をいれて何かを探しているようだった。
一瞬石川の目元が綻び、ゆっくりとその左手を差し抜いた。
その手にはサバイバルナイフが、だいぶ西に傾いている太陽を背にして鈍く光っていた。
「ひぃっ」
加護が反射的に空気を飲み込んだ喉元から、悲鳴のような音が漏れる。
乾いた土のためにグリップが効かない地面へ懸命に腕を突っ張り、
必死で足を上下に振った。が、同じだった。
「悪いのはこの足ね!」
そう云い終わる前に石川はナイフを加護の右太ももに突き立てた。
一瞬にして石川の左手をそのナイフが真っ赤に染まる。
島に今度は悲鳴が響き渡った。もちろんそれは加護のであるが。
石川はそのナイフを2,3度太ももの中でえぐると、それを引き抜き再び振り上げた。
「いやぁぁああっぁ」
痛みに耐えかねた加護は闇雲に左足で石川を蹴った。
「うぐぅっ・・・」
その中の一撃が石川のみぞおちを見事に捕らえ、石川は起こした上体を丸めてうめいた。
その時、加護の足首をにぎった石川の手の力が幾分すうっと抜けていくのを確かに感じた。
―今や!
その機に乗じて痛む右足を引き抜く。一瞬遅れて石川の手が空を掴んだ。
勢いそのままに立ち上がると、再び銃めがけて駆け出した。
が、また転んだ。
素早く石川が足を引っ掛けたのだ。
加護は踏ん張りきれず土の地面にやや顔をぶつけ僅かながら意識が飛んだ。
すぐに気付いた加護は素早く両手を突っ張り立ち上がろうとしたとき、
またその体を大きな影が包んだ。
そう、あの時と同じように。
そして、あの時と同じように振り返った加護は、
両手にサバイバルナイフを握り締めて立っている石川を見た。
―表情は違っていたが。
加護はとっさに胎児のような格好にその身を縮め、後頭部を覆い隠すように手を組んだ。
そうやってもナイフが防げないことなど百も承知だが、加護はそうした。
それしか方法が無かったから。
もうすぐ背中にナイフが刺さるんやろか・・・
それとも頭かな。どっちにしろめっちゃ痛いんやろな・・・
不思議と冷静にそんなことばかりが頭に浮かんでは、消えていく。
加護は不意にその身を包む影が自分に迫ってくる気配を感じて、さらにその身を小さくした。
後頭部で組んだ手の指の爪が、まるでかんぬきのように互いの手の甲に食い込んでいる。
ただ、その影の動きはあまりにゆっくりだった。さすがに加護も少しおかしいと思った。
が、その直後には背中があまりに大きな衝撃に包まれた。その圧力に加護の呼吸が一瞬とまった。
ただ、その衝撃はあまりに大きすぎた。
加護は驚きを隠せなかった。
一度ふとももにナイフを突き立てられその痛みと衝撃はある程度予測はついていたのに
今、背中に感じる衝撃はまったくそれとは違い、背中全体に響き渡っている。
始めは、―背中にナイフが刺さるとこんな感じなんや―と
こんな状況ありながらで泰然と心に浮かんだが、やっぱり何かが違う。
その衝撃に遅れること数瞬、今度は前方の地面にザクっとナイフが刺さる音を耳が拾った。
―そうか、石川がうちの体に覆い被さるように倒れてきたんやな。でも、なんでや!?
視界の閉ざされた空間で色々な想像だけが頭を駆け巡る。
ただ、加護の背中にさっきまでナイフを振り上げて私を殺そうとした石川が乗っている。
それだけは紛れも無い事実。
加護は今の状況をどうするべきか躊躇っていると、
今度は背中にかかった圧力が右の方に滑っていくのがわかった。
それはまるで人形のように意志を持たず、ただ重力に従って滑り落ちた、そんな感じ。
どさっという音と共にその圧力は加護の背中を離れ地面に落ちたようだった。
ただ、やはり人形のように動く気配もまったく感じられない。
加護は意を決して、いま右に落ちた物体―いや、それは確実に石川であることはわかっていたが―
のほうを見やった。
そこには、右のこめかみ部分に矢の突き刺さった石川が喫驚の表情で空を見つめていた。
その体はこちら側に向いたまま石川の首から上だけが矢に支えられるように上空に向いている。
その耳からは一筋の赤い線が、
あっという間に後頭部にまで引かれていき、そのまま雫が地面に落ちていった。
白く細い腕を上方に投げ出しだらんと地面を擦っているその様子は、
もはや石川の脳が活動を終えた事を黙示している。
「ぅうわぁ!」
わけもわからぬまま、とにかく気が付くと隣に石川の死体。
加護は磁石のように、先程まで石川であったその物体と反発して対極の位置に後ずさりした。
そして、加護は、みた。
すべてが、線で繋がった。
石川の死体のその先、それはかなり向こうだったが、後藤が小走りでこちらに向かっている。
右手には先程まで矢が装填されていたであろうボウガンが握られていた。
―後藤さんがりかちゃんを殺したんか・・・あんなに遠い位置から
後藤はそれを後方に放り投げると今度は腰に刺したウージーに素早く手をかけ、
走りながら加護めがけて撃ってきた。
とっさに加護はその場に身を伏せた。目の前にある石川の背中に赤い穴がいくつも生まれた。
すぐに銃声は止んだ。
後藤が走りながらマガジンを交換している姿を確認した加護は、
遅疑逡巡することなく家の塀の内側に身を隠そうと駆け出した。
―とりあえず、逃げんとあかん!
とっさに落ちていた自分の銃を拾い上げると、逃げ先を捜して視線を巡らせた。
が、隠れられそうな場所は無い。一つを除いては。
加護はさすがに躊躇したが迷っている暇は無かった。
加護は再び玄関のような空間から家の中に飛び込んだ。
転がるように家の一番奥、台所にその身を放り込んで、素早く物陰から玄関の方を覗き込む。
―躊躇うことなくうちらを撃ってきたということは、後藤さんもやる気なんやな。
家に入ってきたらすぐに撃たんと確実に殺される・・・
両手で拳銃を構え柱にもたれながら加護は一つ大きく深呼吸した。
先程飯田に破壊された台所は未だに埃臭く、加護はすこし眉間にしわを寄せた。
その膝には壊れた食器の破片が少し食い込んでいたがまったく気にする様子も無く。
加護は左手をポケットに突っ込み、残りの弾を捜した。
―・・・あらへん!もう弾があらへんで!
慌てて加護は手にした銃のシリンダーを覗いた。
そこには暗い部屋で鈍く金色に光る薬莢が、2つだけ残っていた。
―たった、2発しか残ってないんか。予備は全部外のカバンに入れたままや。しもたなぁ・・・
幾度もの戦闘で薄く切れた唇を、きつくきつくかみ締めた。もう、それを取りには出て行けない。
ふと、加護は目の前が暗くなり意識が僅かに遠のくのを感じた。
そこで始めて加護は自分の足元に大きな血溜りが広がっているのに気が付いた。
その表面には荒れ果てた部屋を象徴するかのように埃が揺らめいている。
―・・・あかん、うちもそろそろヤバイで・・・
今まで気を張っていたが、その傷口を見てしまったことで一気に痛みが全身を駆け抜けた。
―このままでは後藤さんにやすやすと殺されてまうだけや・・・
体を壁のほうにあずけ、一瞬視線を玄関のほうから自分の周りに移した。
すぐ足元に、携帯コンロのガスボンベが転がっているのを発見した。
と同時に玄関付近から物音がした。
すぐに視線をそちらに向けたが、後藤はその体を表すことなく、
まず手だけを伸ばしてウージーだけを覗かせ入り口から全体を嘗めるように弾を放つ。
「ひぃっ!」
加護のすぐ脇の柱が小さく吹き飛んだ。その隣では鍋か何かが跳ね上がり、床で激しく踊った。
その銃声が止むのを確認してから、
加護はその身の傍らにあったガスボンベを掴んで玄関の方に放り投げ、
全神経を銃に集中させた。その先に太陽を背にした黒い人影が姿を表すのをはっきり見た。
―さよなら、後藤さん
その次の瞬間には加護はガスボンベめがけて引き金を引いていた。
銃声とほぼ同時に投げたガスボンベが白く閃光し空間全てを包み込む。
直後、物凄い大音響がこの家を揺るがした。
とっさに壁に身を隠し耳を押さえて伏せた加護を背中を、熱風が容赦なく擦っていく。
未だ出血とどまるところを知らない傷口がちりちりと痛んだ。
爆風で飛ばされた革靴が廊下を平行に移動し、
そのまま台所奥のガラス窓を突き破って外に飛び出していった。
また家のどこか一部が崩れるような音が響いた。
―・・・うちは、後藤さんに勝ったんか。
いまだ熱のこもった空間に頭をゆっくりと持ち上げ、入り口のほうを覗いてみる。
玄関のような場所は以前よりさらに大きな空間が出来上がっており、
その周りでは砕けた木材やらなんやらが小さく燻って煙をはいていた。
家の中は細かい粉塵がまっていて、視界はきわめて悪かったが
その玄関らしき空間の先、地面の上に人が吹き飛ばされているのが確認できた。
後藤さんをやっつけたんや、そう確信して数秒それを見つめていたが、
何かがおかしい。
後藤より幾分小さなそのからだ、血にまみれてはいるが見覚えのある服、
それの正体を加護が理解するのにそう時間はかからなかった。
―のの!?
煙や粉塵たちこめはっきりとは見えないが、間違えるはずが無い。あれはののなのだ。
その体はまるで糸の切れたマリオネットのように無造作に転がっていた。
その光景に加護は愕然とし、全ての力、緊張、考えが抜けていくような気がした。
それを見つめたまま思考が止まってしまった加護の視線を黒い影が遮る。
今度は本当の後藤が玄関に立っていた。少しだけにやりと笑った。
そう、後藤は辻の体を持ち上げ身代わりにして中の様子を覗ったのだ。
そんな考えも及ばぬうちに、すぐさま後藤は右手に持ったウージーをこちらに掲げて撃ってきた。
加護はまたすぐに頭を引っ込めたが、それは考えての行動ではなく
本能的に避けたという感じで、その思考回路そのものはもはや機能していないようだった。
再び加護の意識が遠のき、目に映る世界はもはやこの現実世界を捉えてはいない。
―あああぁ、ゴメン、ほんまにゴメンな、のの。
うち、もうダメみたいやわ。なんかめっちゃ疲れたわ。
・・・すぐに、すぐに行くから待っててな
そう呟くと同時に、銃を自らのこめかみに当てて、躊躇することなく引き金を絞った。
悲しくも乾いた音だけが少しの間だけその空間に少し留まった。
後から入ってきた後藤はその光景に幾分驚いた様子を見せたが、
すぐさま加護の手に握られた銃を奪うと、その体を蹴り倒して生死を確認し
もう死んでいるその体に向かってさらに銃弾を打ち込んだ。
この島に久し振りに静寂が戻った。
【残り4人】
「1階の台所には加護が、2階には圭織が・・・」
恐ろしいまでに破壊された家の様子を見に行った市井が、
その中で見つけてきた毛布を脇に携え、落胆の表情で二人の元に戻ってきた。
矢口も吉澤も途中で途切れたその言葉の意味する事はわかっていた。
―また2人死んだ
先に見つけた石川と辻の死体を見たときに枯れ果てたと思った涙が、
また2人の目から溢れ出しては、乾いた土の地面に染み込んでいった。
市井は手に毛布を一枚手に取り、さっと広げると
先程、端に移動させた2人の遺体の上にそっと覆い被せた。
遺体の両手はしっかりとそれぞれのお腹の上に添えられている。
石川の矢を抜いてやりたいと思ったが、さすがに抜くことはしなかった。いや、出来なかった。
矢口はその光景を見やることなく、ただただうずくまって泣いていた。
吉澤も目を瞑り、俯きながら必死にその咽びを殺していた。
「一緒に脱出できるメンバーを捜しに行きましょうよ。」
吉澤がそう言い出して30分もたたないうちであったろうか、
共に脱出するメンバーを捜して慎重に歩を進めていた3人の耳に、あの音が飛び込んできたのは。
最初は・・歌声!?
あまりにその音源から遠すぎて誰までは良くわからなかったが、きっと多分飯田さん。
その後は島を揺るがすような爆発音、銃声、あのタイプライターのような音も聞こえた。
そして、耳を疑うような声、
あれは、間違いなく、加護の、悲鳴。
3人とも夢中で駆けつけてきたが、今、目の前に広がるのは
その音が織り成したであろう惨劇の光景と、ついさっきまで生きていたであろう物言わぬ死体、
そして、血の薫り。
プログラムが開始して以来、初めてメンバーの死体を目撃した吉澤は
色々な思い出が頭に浮かんでくるうちに、突然胸の奥底から何かがこみ上げてくるのを感じ
惨劇の舞台になったその家の横手にまわって、少しだけ吐いた。
吉澤は何の目的があるわけでもなく家の裏に向かって歩き出した。
本当は吉澤もふさぎこんで泣きじゃくりたかった。じっとしていたらきっとそうしてしまう。
でも、彼女の性格がそれを許さない、辛いのは私だけじゃないのだから。
ここにいる他の2人も。
もちろん死んでいったメンバーたちも・・・
でも・・・でも、もうメンバーが目の前で死んでいくのは耐えられない・・・
「あろ〜は〜。藤井でーす」
場違いなほどのテンションの高い声が何処にあるともしれぬスピーカーから響き渡った。
吉澤はまた少し吐き気がした。
もし、すぐそばにスピーカーがあったなら叩き潰していただろう。
「みなさーん、ペースがめちゃくちゃ早いですねー。
開始から12時間がたちましたが、なんと残っているのは4人でーす」
不意に吉澤はその歩みを止めた。と同時に右手を家の壁に突いて倒れそうになる意識を守った。
・・・4人って!? さらに死んだ人がいるの!?
さっきの放送では残り9人、ここには4つの死体。
後、・・・後一人足りないよ・・・
「それでは死んだ人を言いますねー
まず、飯田圭織さん。石川里香さん。加護亜依さん。辻希さん。最後に保田圭さん。
以上でーす。」
吉澤は今、あまりに悲劇的な事態を2つ同時に迎えることとなった。
保田さんが死んでしまったという事態。
そして、あの、後藤が生き残っているという事態。
吉澤を今までに無いきつい吐き気が襲ってきたが、もう吐くことは無かった。
ただただ、あのときの感覚が頭の中を物凄い勢いで駆け巡った
―もしかしたらここのみんなを殺したのはごっちんかも・・・いや、きっとそうに違いないよ。
だとしたら、もうこの島にいる必要は無いんじゃないの!?
市井さんや矢口さんと一緒に、一刻も早くここから逃げ出さなきゃ。
そう思って踵を返そうとした時、家の裏手で物音がするのを、吉澤は確かに聞いた。
いまだ何かを喋っている藤井の放送とは明らかに違う、それを。
もう家の裏手はすぐそこだった。一歩踏み込んで首を伸ばせば簡単に覗き込める非常に近い位置。
でも、吉澤は体が固まったまま動かなくなっていた。
―・・・何の音だろう。
市井さんか矢口さんが反対側から先にまわったのかな!?
誰か、メンバーが生きていて助けを求めに来たのかも。
・・・それとも
先に他のメンバーを呼びに行ってから、そんなこともチラッと考えてみたりはしたが
とりあえず確認してからでも遅くない、そう決めた。とりあえず・・・
意を決した吉澤は物音立てぬようそっと差し足で一歩前に踏みだし、
ゆっくりゆっくり家壁の角から裏を覗いてみた。
吉澤は驚きで声一つあげることが出来なかった。裏庭があると思ったその視界があまりに狭く、暗い。
なぜなら、吉澤のまさに眼前に後藤が立っていたのだから。
後藤と吉澤の視線が重なった。
後藤は眉一つ動かすことなくにやっと笑うと、その冷徹で冷酷で冷血な声で言った
「あはは、ひさしぶりじゃん」
その言葉と同時に右手に持ったウージーをすっと持ち上げる。
撃たれる!そう思った吉澤は持ち前の運動神経を生かして反射的に頭を引っ込めた。
逃げて助けを求めに行こう、一瞬そう考えたがそこへ行くまでに必ず背後を撃たれてしまう。
―戦うしかない
そう決断した次の瞬間には後藤が持ち上げ壁際から側面を見せているウージーに飛びついた。
一つのウージーを2人してつかみ合ったまま
後藤と吉澤はその勢いのままタイル貼りの庭に倒れこんだ。
2人が倒れたと同時にウージーが互いの手を離れ、ツツーと緩やかに回転しながら滑っていく。
吉澤は前ポケットに挿したままになっていたデザートイーグルが
倒れこんだ時の衝撃でお腹にめり込み、一瞬呼吸が止まった。
後藤は手を離れたウージーに頓着することなく、寝転んだ体勢のまま吉澤の手首を捕まえると
そのまま捻りあげようとした。
吉澤はその回転に合わせるように体全体を素早く一回転させると、
そのままもう片方の手で後藤の手首を掴み立ち上がった。
そして、そのまま後藤のお腹めがけて蹴りを一発。さらにもう一発。
2発目の蹴りに後藤の表情が少し苦痛で歪んだ。
しかし、三度目の蹴りを入れるため足を振り上げようとしたとき、
後藤はもう片方の手でその足を掴んで、自分の体を反動にして勢いよく引っ張った。
と同時に、足元がすべり体勢を崩した吉澤はそのまましりもちをついて後方に倒れこんでしまった。
そのチャンスを後藤が見逃すわけが無い。
すぐに仰向けに倒れこんだ吉澤の上に飛びかかり、馬乗りのような姿勢になると
流れるような手つきで自分のポケットから加護のものであったニューナンブを取り出し、
素早く額を狙った。
しかし吉澤も抜群の運動神経を発揮し、
まるで演舞のようにその流れにあわせて拳銃を鷲づかみにする。
後藤は躊躇することなく引き金を引いたが、
吉澤の手がそのシリンダーの回転を押さえていて撃つことが出来ない。
吉澤はその銃口の先に後藤の顔が目に入ったが、
その顔はいまだ無表情を保ったままにいた。
後藤と吉澤の細い腕が共鳴するように小刻みに震え、
それにあわせてさすがの後藤も口の端のたがを幾分引き締めている。
この均衡状態に先に痺れを切らしたのは後藤だった。
このままでは引き金を引き切れないとみるや、
すぐさまあいた左手を背後に回して幾度も人の手をわたってきたサバイバルナイフを引き抜き、
白刃一閃、吉澤の顔めがけて切りつけてきた。
吉澤は素早く右手で顔を防いだ。
白く傷ついた細い腕に一筋の赤い防御創がうまれ、赤い鮮血が瞬く間にその体に滴り落ちた。
「うぅっ・・」
吉澤はあまりの痛さに表情を歪めてうめいたが、
ここで力を抜くと後藤の右手に握られた銃が火を噴いて額に穴をあけるだろう。
吉澤は集中力を切らすことなく後藤が2撃目を振り上げる軌跡を見逃さなかった。
後藤が左手を振り上げたためやや重心が右よりになったのを感じた吉澤は
そのタイミングにあわせて自分の体の左手に体を回転させた。
バランスを崩した後藤は吉澤の回転の勢いそのままに右側に倒れ、
今度は後藤の無表情な顔が下になり、先程と立場がまったく逆転したような形となった。
今だ血の滴り落ちる右手で後藤の左手首を掴み、またも2人の力量が平衡状態に陥る。
―集中力の切れたほうが、死ぬ。
吉澤は、こんな状況下においてもまだ後藤は無表情でいる後藤を見下ろしながら、確信した。
「よっすぃー、大丈夫!」
この緊迫した状況には場違いなほど裏返った声が辺りを包む。
騒ぎを聞きつけてやってきた矢口がその光景を見やり思わず叫んだのだ。
ほんの僅か遅れて市井の姿も見えた。
「矢口さん・・・」
吉澤の気がほんの少しだけ矢口と市井に注がれた。それがこの均衡を狂わせた。
吉澤が気付いた時には再び体を回転させられ、そのままくるっと後藤に背後をとられた後だった。
後藤はニューナンブを吉澤のこめかみにあてたままナイフをぽいっと足元に捨てると、
吉澤の首に腕を回しゆっくりと立ち上がった。
「ごっちん、なにしてんだよ! もう、やめようよこんなこと!
もう、沢山だよ・・・」
矢口が嗚咽を交えながら叫んだ。まるで終わりなき悪夢を振り払うが如く。
それに応えた後藤の解答はあまりに明快だった。また、にやりと笑った。
「あのさー、みんなうざいんだよね。
とりあえず、その銃捨ててくんないかな、市井ちゃん。」
吉澤の目にも、矢口と市井の表情がみるみる暗くなるのがわかった。
もう、ダメだと、思った。
市井は銃を置くことをしばらく躊躇していたが、
後藤が撃鉄を引き起こし再度吉澤の頭に押し付けるのを見て、ゆっくり足元にh&kを落とした。
後藤が続けた。
「あはは、感動的だよね。
でも、もう劇はお終い。ヒロインは一人でじゅうぶんじゃん。」
そういうと、後藤は銃口を吉澤の頭から外し2人に向けた。
―ああぁ、私のせいでまたメンバーが死んじゃう。
もう、そんなことはイヤだよ・・・
吉澤は一つの決断をした。もうそれしか思い浮かばなかった。
前ポケットからすっとデザートイーグルを引き抜くと、
素早くくるっと手元で回転させて、自らのお腹を、打ち抜いた。
バン!
銃を包み込みように撃ったその銃声はやや篭っていたが、後藤の耳にもはっきり届いただろう。
後藤は明らかに驚愕の表情を持って、お腹の辺りを押さえながら後ろに弾かれ、
その銃を撃つことなく仰向けに倒れた。
吉澤はどさっと手にした銃をその場に取り落とすと、直後崩れるように両膝を突いた。
そして、ゆっくりと前のめりに倒れた。
その背中には、一つの赤い穴が開いていた。
「よっすぃー!」
矢口と市井はすぐさま吉澤の下に駆け寄り、その上体を起こすと慎重に仰向けにして
その肩を掴んで一生懸命に揺さぶった。
「ごめん・・なさ・・い。
こうす・・る・しか、方法が・・・なく・・て。
もう・・・みんな・・死ななくて・・・済みます・・ね。」
吉澤はにっこりと笑った。口から溢れる血がその紫の唇を朱に染めてとても美しく。
「死んじゃダメだよ!よっすぃー! ねえ、よっすぃー!
そんなの・・・そんなの身勝手すぎるよ!
なんか言ってよ! なにか喋ってよ! よっすぃー!
あんまりだよ! そんなの、あんまりだよ!」
矢口の小さな手の中で吉澤はすでに事切れていた。その表情はとても穏やかだったが。
矢口はその事実が受け入れられないといった感じで、
何度も何度もそのこぶしで自分のももを殴った。
冷たいタイルの床が、吉澤の生きている証であった体温をみるみる奪っていく。
―死んで、みんなを助けようとするなんて、そんなのちっともかっこ良くないよ・・・
ちっとも。
矢口の緊張が全て解けようとしていた。その声を聞くまでは。
「矢口!逃げるよ!」
市井が確かに、そう叫んだ。逃げるよって。逃げるの!? なんで!? 何から逃げるの!?
次の瞬間には市井は自分の足元に落としたH&Kを素早く拾うと、駆け出していた。
「矢口!早く!」
なんで!? 矢口は市井がチラッと一瞥したその方向を見やった。
―後藤!
「あははははは! みんな最高だね!」
そこには自分のお腹に忍ばせたベレッタを取り出して、
仰向けの姿勢のままそれを上空高くそれを掲げて哄笑している後藤の姿があった。
そのグリップには、めり込んだ銃弾が西日を帯びて赤黒くが炯炯と輝いていた。
「矢口!」
また市井が叫んだ。その叫びに突き動かされた矢口は死角になる家の横手へ駆け出した。
その後方で後藤の表情がすぐさま豹変し、元の無表情に戻ると
さっと上体を持ち上げ矢口に向かって発砲してきた。
ただ、やはりお腹が痛むのであろう、その弾道は矢口のかなり上を通過して空に溶けていった。
【残り3人】
2人が転がるように家の正面まで逃げてきたとき、
その家の裏手から、もはや聞き慣れたあの音、銃声がこだました。
矢口はそれが何を意味する銃声かすぐにわかったが、あえてその事実を拒絶した。
それでも、涙は止まらなかったが。
ただただ心の中で―よっすぃー、ごめんね・・・―と繰り返すのが精一杯だった。
市井は走りながら素早くデイバッグを拾うと、そのまま玄関を抜け
直進して道路を横切り、なだらかな斜面を駆け上がって木立の中へ駆け込んだ。
矢口もそのぼやけた背中を懸命に追いかけ走った。
後藤はきっとすぐに追いかけてくるだろう。もしかしたら、もう後ろにいるのかもしれない。
でも、怖くて振り向けない。
今は、ただ懸命に走ること、それしか矢口には出来なかった。
周りを物凄い勢いで過ぎていくこの島の景色が、
涙でぼやけた矢口の視界にはさながら淡い水彩画のように見えた。
前を走る市井は、時々後ろを振り返っては後藤の様子を確認しながら
急に進路を変えたりするなどして林の中を突き進んでいた。
「ね、、ねえ紗耶香、どこ向かってるの?」
息を切らせた矢口が市井に問い掛けた。
「とりあえずこの林を抜けないと。
何か目印になるような建物を見つけて正確な現在位置を確認したいんだけど・・・
あまり大きく動くと禁止エリアに引っかかるから
とりあえずここをまっすぐ行って林を突っ切ろうよ。」
正面を向き辺りを警戒しながらその歩みの勢いを止めることなく、市井が答えた。
矢口の足がその柔らかくおぼつかない腐葉土の地面にようやくなれた頃、
ふとその視界が切れ、目の前建物が現れた。
どうやらそれはかなり古くに建てられたのであろう社の裏手にあたる位置であった。
「紗耶香、ちょっと休憩しようよ」
壁板を背にして先に腰をおろしてから、矢口がそう言った。
「そうだね、少しだけ体力を回復させたらすぐにここを離れよっか。」
市井もそういって矢口の横に腰をおろした。
2人の肩がやや大きな呼吸音にあわせて上下に大きく揺れている。
市井は手にしたデイバッグからペットボトルを取り出すと、
一口だけ口に含み、そのまま矢口に手渡した。
矢口も一口だけ口をつけ、すぐに市井に返した。
「どうしたの、矢口? もっと飲みなよ。私はいいからさぁ」
片手で矢口の手を掴み、その上に添えるように市井がペットボトルを再び返す。
「いや、大丈夫だよ。
それ、紗耶香のじゃん。何があるかわからないから、持っておいた方がいいよ。」
市井はそれを聞いて、にこっと笑うと
「矢口は優しいんだね。でも、私は本当に大丈夫だよ。
矢口すごい汗かいてるから、ちゃんと飲んでおかないとだめだよ。」
と言った。
その時、矢口は―私には紗耶香だけは絶対に、殺せない―と、思った。
深い木々の薫りを乗せた微風が、汗で濡れたその体を心地よく撫でていく。
―・・・カサッ
風邪が運んできたそんな音を矢口は確かに聞いた。
腰をおろした正面の林の奥、多分その辺りから・・・。まさか・・・
「さ、紗耶香」
矢口が小声で市井に囁いた。手にしたペットボトルが少しペコッとへこんだ。
市井も気付いたのか、人差し指を立ててそっと唇に当てると
足元に置いてあったH&Kをゆっくり取り上げ、林の方へ視線を巡らせている。
「矢口、逃げる準備しておいて。」
市井が視線を落とさずデイバッグを引きずり寄せながら、そう囁いた。
矢口は手にしたペットボトルを素早くデイバッグに放り込むと、
先程音がした正面の方向を凝視したままにいた。
その左手は自分でも気付かないうちに市井の袖をきつく握り締めている。
しかし、いくらそこに目を凝らしてもまったく人のいる気配がしない。
「・・・左から来るよ、矢口」
矢口が市井に思いもかけぬ方向を指摘されたことで、慌ててそこへ視線を動かした。
その動かした視線の先、チラッとではあるが何かが動くのが視界に入った。
―もしかしてごっちん!? もう追いつかれたの!?
そう思った次の瞬間には市井がその気配の方向へH&Kの弾を撒き散らした。
遠めにもその人影がいた辺りの幹や葉が弾ける様子が見えた。
市井の銃声が止むと、間髪いれずその人影が例のタイプライター音を奏でながら反撃してきた。
やはりその人影は後藤なのだ。
「走って!矢口」
市井のその言葉とほぼ同時に矢口は駆け出していた。足元の枯葉が音を立てて舞い上がった。
市井は後ろ向きに銃を撃って後藤を牽制しながら、2人して社の正面に回りこみ
そのまま細い林道に通じる石段を転げ落ちるように駆け下りた。
その後方には後藤が距離を保ったままぴったりとついてくる。
時折銃声が聞こえたが、幸い当たることは無かった。
また、市井の弾も後藤に当たることは無かったが。
2人は林道にでると、勢いそのままに下り坂の方を選んで全力で駆けた。
林道はすぐにその姿を終え、やや大きな広場に通じていた。
そこはどうやらこの島唯一の学校の校庭であるようだ。
ただ、校庭と呼ぶにはあまりに狭く荒れていたが。
端にぽつんと立つ平屋の木造校舎だけが、その事実を証明するように佇んでいる。
矢口と市井の2人はその小さな校庭をあっという間に横切ると、
そのまま半分開かれたままになっていた校舎の扉にその体を放り込んだ。
直後には、その扉に無数の弾痕が生まれ、やや赤みを帯び始めた西日をその向こうに映し出していた。
「このままじゃ、本当にヤバイね」
入り口の影から頭をのぞかせ、手にした銃を撃ちながら市井が言った。
矢口はその後ろで予備のマガジンを手に立ちすくんでいる。
「矢口、廊下の端まで駆け抜けるよ!」
入り口のすぐ左側が校庭に面して廊下が校舎の端まで続いている。
ここからでは廊下の先がどうなっているのかわからない。でも、ここにいるのも危険だった。
「せーの」
矢口と市井は声を合わせ、全力で廊下を走った。
ついさっきまで市井と矢口がいた玄関横の壁は直後無数の穴を作って、壁としての役目を終えていた。
廊下を駆け抜ける姿は外の後藤からガラス越しにはっきり見えている。
その2人の軌跡を追ってガラスが順番に砕け散った。
薄い光を帯びて輝きながらガラスの飛び散る光景は、
傍目にはどれほど幻想的な光景だろうか。
ただ、矢口も市井も一度として振り返らなかったが。
2人は廊下の端に向かって、勢いそのまま同時にダイビングした。
スゥーっと2人の体が廊下をすべり、その上を銃弾の列が追い越していく。
廊下の端は右手に折れ、校舎の奥に続いていた。
2人は埃まみれになった体を持ち上げることなく、その体勢のままその先を覗った。
その先は、・・・廊下に沿って左側にトイレ!? そして、まっすぐ行くと校舎の裏に通じる非常口。
―・・・助かった。
2人は声には出さなかったが、そんな表情を持って顔を見合わせた。
駆け抜けてきた廊下のほうから、ガラスの砕ける音が間の抜けたタイミングで大きく響いた。
後藤は校庭を斜めに横断して、2人がいる位置まで一気に距離を詰めると
そのまま割れた窓を飛び越えて校舎に入った。
ガラスまみれの廊下に着地するかしないかのタイミングで、
後藤はその先に何があるのかを確かめることも無く、いきなり廊下の端に向けてウージーを撃った。
ウージーの煙と廊下の埃と残響音だけがその空間に留まったが、
その先にはすでに市井と矢口の姿は無かった。
後藤はすぐに廊下の端まで移動すると、ウージーだけをその角からのぞかせ弾を滑らせた。
猪突猛進のように見えて沈着冷静。
直後、角から頭を少しだけ出してその先を覗った後藤は、非常口の扉が開いていることに気が付いた。
が、そんな子供騙しには引っ掛からないといった感じで外を一瞥すると、
迷うことなく廊下の左手に作られたトイレ向かって歩み寄っていった。。
まず、手前にある女子トイレの前に立ち、その扉を開けることなく弾を打ち込む。
空の薬莢が板張りの廊下で跳ね上がり、思い思いの方向に飛んでは乾いた音を連ねた。
撃ち終わりマガジンを取り替えると、その扉を勢いよく蹴り開いた。
長い年月で茶色く焼けた木製の扉が、
その勢いで蝶番を引きちぎりタイル張りの床でその身を散らす。
あけ開かれた扉、その向こうに見たものはすでにガラスの割られた窓だった。
―しまった。
表情には出さなかったが、さすがの後藤もそう思ったに違いない。
駆け足でその割られた窓から外を覗いて、2人の行方を捜した。
そして、すぐに2人の居場所がわかった
「銃を捨てて両手をあげて。じゃないと撃つよ」
後藤の背後で、そう市井の声がした。
後藤は肩を使って一つ大きく息をすると
後ろ向きのまま両手をゆっくり持ち上げ、ズルっとその手からウージーを滑り落とした。
「まさかこの私がはめられるとはね。」
後藤は後ろ向きのままそう吐き捨てた。市井はそれに対して何も言ってこなかったが。
「ゆっくり振り向くからさー、撃たないで欲しいんだけど。」
そう言ってゆっくり入り口の方に体を返すふりをして、
後藤は突然その体を反転させると、腕を振り下ろして何かを投げ、それと同時に床に身を伏せた。
飛んでいった物の正体、それは袖口に仕込んであった果物ナイフだった。
それは確実に市井のいた場所に飛んでいった。そう、市井の”いた”場所に。
すでにそこには市井の姿は無かった。ナイフは入り口を越え、廊下の壁に突き刺さって止まった。
後藤はすぐに腰から抜いた銃を構え伏せ撃ちの体勢をとっていたが、
狙うべき相手がもうそこにはいない。
代わりに自分が狙われていることに気付くのにそう時間はかからなかった。
西日を背に今度は本当のH&Kを構えた矢口が、
割られた窓の外からうつ伏せの後藤を狙って銃を構えていた。
その目には止まることを知らない涙と、何かを決意したようなような面差しを備えている。
「・・・ごめんね、よっすぃー」
一度だけそう呟いた後、矢口は引き金を思い切り絞った。
後藤は素早くその体を回転させて反撃しようとしたが、もう手遅れだった。
数十発の血の花が後藤の体に咲き、その両手をだらしなくタイル張りの床に落とした。
手にしていたデザートイーグルはその銃口から火を噴くことなく、
後藤の体から離れていくように床を滑っていった。
【残り2人】
夕映えの空も近い海岸沿いを2人は並んで歩いていた。
夕凪に運ばれてくる海鳥の会話も今となってはとても悲しく。
波の音と潮の香りだけが、これが夢でないことを伝えてくれる。
デイバッグはついさっき海に向かって放り投げたため、矢口は手ぶらになっていた。
市井が言うには、この少し先の小さな波止場に脱出用の船が止めてあるという。
「・・・ねえ、紗耶香。こんなこと聞いても、怒らないでほしいんだけど。
・・・本当に、私たち本当に助かるの?」
矢口が視線を前に向けたまま、市井に聞いた。
「大丈夫だよ。心配しないで。」
市井もまた視線を矢口にうつすことなく答えた。
「だって、藤井アナが放送で発信機を体に付けてあるとか言ってたしさ・・・
バレずにうまくいくのかなぁ、なんて少し思ったり・・・」
肌寒くなってきた潮風に合わせて矢口のトーンが幾分下がった。
市井は少し冷たく血に汚れた矢口の手を取り、その顔を見つめてもう一度言った。
「矢口、大丈夫だから。私に任せておいてよ。」
寸刻、沈黙が続いた。
「・・・そうだよね、ごめんね。変な事聞いたりして。
なんか矢口色々ありすぎて、混乱してて、それで・・・」
また、矢口の目に涙が浮かぶ。言葉の節々が幾度となく詰まってしまう。
矢口は市井を信じていない訳ではなかった。
でも、あの家の軒下で久し振りに会った市井、一緒に行動を共にしたときの市井、
以前の市井と何かが違う感じがする。そう、何かが。
ただ、矢口にはそれ以上のことはわからなかったが。
でも、今、頼れるのは市井しかいないのだ。
私はどんな事があっても紗耶香を殺せない。紗耶香だってきっと・・・
もし、裏切るつもりなら今までいくらでもチャンスはあったのだ。
それでも、私は生きている。
そう、それだけが紗耶香を信頼するにあたう十分過ぎるほどの証拠なのだ。
矢口がもう一度謝ろうと口を開きかけたとき、僅かに早く市井が喋った。
「ほら、あそこ! 見える?あの船。あれが脱出用の船だよ。」
そう指差す先、小さな波止場の傍に一隻の小さなモーターボートが細いロープで係留され
穏やかな海を示すように細かく揺れていた。
ただ、矢口はそれを見て少し正直少し驚いた。
その小さな船に乗れるのはせいぜい4〜5人だろう。
ということは、紗耶香は始めから全員脱出で出来ないとわかっていたんだろうか。
それとも、これが準備できる精一杯の船だったんだろうか。
いや、紗耶香が悪いと言うわけではないけれど。少しそう思っただけ。
ただ、矢口はこの後それ以上の、いや比較にならないほどの驚きを体験する。
「・・・矢口、驚いた? あれ、乗船定員4人なんだよね。
だからさ・・・矢口とはここでお別れしないとね。」
―・・・えっ!? 紗耶香、なにいってんの?
気が付くと矢口の手に携えられていたH&Kの銃口は、矢口の方を向き西日を浴びて赤く光っていた。
矢口は事態を把握できなかった。
いや、市井が裏切ったということはわかった。
それがこの現実を終わらせる為の結末の一つだというのは予想できたから。
ただ、心がそれを把握しようとしてくれなかった。
―まさか、まさか・・・いや・・そんなことって・・・
その時、矢口は自分の背後に人の気配がするのを感じて、バッと振り返った。
ただ、それは正面に控えていた現実を直視できなかったからでもあったが。
矢口が振り返り、そこで見たものは、夕日を受けて立っている3人の男の姿だった。
矢口にはその男たちのうち、2人はすぐにわかった
―藤井アナ、それにつんくさん・・・
そしてもう一人は高級そうな背広を着て、
いかにも偉いさんといった風貌の男、50代ぐらいだろうか。
口には先ほど点けたばかりといったまだ新しいタバコを加えている
そして藤井アナの手には、一番最初にあの部屋で平家を撃った銃が握られていた。
―・・・どういうこと!? 何がどうなってるのかわかんないよ!?
矢口は壊乱気味の頭で必死に事態を把握しようと試みた。
でも、それは叶わない。今の状況でどう冷静に物事を判断できるというのか。
まず、言葉を切り出したのは藤井アナだった。
「アロ〜ハ〜。なかなかいい映像がとれましたよー。
後はラストシーンだけですねー 2人とも良く頑張ったねー。」
―・・・いったいなんなの? ラストシーンって? これ、撮影だっていうの?
矢口はその考えを否定するように大きく頭を振った。
今までみてきた事、聞いてきた音、嗅いだ匂い、死の感触、すべて紛れもない事実。
一体どういうことなの?
その様子を見て次に喋り始めたのは、背広を着た男だった。
くわえていたタバコをピンっと人差し指で海の方に向かって弾いた。
まだ半分ほどは残っていたそのタバコはゆっくりとした回転を伴い、
緩い放物線を描きながら海のその身を賭した。
「あー、君はたしか矢口君、だったね。
どうやらまだ事態が飲み込めていないようだね。
いいか、藤井君が撮影といったのはだね、今回の様子を全て撮影させてもらったということだよ。
君は気付いていなかったと思うが、
この島には4500台の隠しカメラをセットさせてもらっている。
木の上、家の中、岩のへこみ、落ち葉の中、
熊のぬいぐるみに至るまでこの島の中に死角の無いようにカメラを配置させてもらった。
高空には無人ラジコンヘリまで飛んでいるんだぞ。
もちろん君たちに渡したバッグにも無線隠しカメラを仕込ませてもらっているがね。」
そこまで聞いても矢口は何一つわからなかった。
―なに? なんで? なんでそんなことするの? みんなは生きてるの? どういうこと?
ただ、矢口は別の事実を思い出した。
この背広の人、そういえばあのテレビ局の最高責任者の人・・・
矢口は助けを求めるように市井の方に視線をおくった。
しかし、そこには表情変わらぬ市井が相変わらず銃を向けたままこちらを向いているだけだった。
「ハハ、まだわからんのかね。
つまりだな、今年のプログラムはわがテレビ局が政府機関から裏工作で買い取ったのだよ。
そして、その舞台としてこの島を選んだ私たちはすぐにここを買い取った。
住民の方にはそれなりの金額を渡して移動してもらったよ。
あまり納得されなかった人もいたようだが、もうそれも過去の話だ。
そうして無人になったこの島を、私たちはプログラム用に6ヶ月かけて改装した
そう、この島は君たちモーニング娘プログラムのための巨大なセットなんだよ。」
そこまで喋るとその背広男は内ポケットに手を突っ込み、タバコを一本取り出した。
やや強く吹き始めていた凪を避けるように身をよじって反対を向きタバコに火を点け、
すぐにこちらに体を返すとゆっくりと大きく煙を吸い込み、時間をかけて吐き出した。
煙は、すぐに、後方に消えていった。
「では、矢口君に質問しよう。
なぜ、わがテレビ局が前代未聞の莫大な費用をかけてこのような事をしたのかわかるか?
君たちアイドル畑の能無しにはわからんだろ。
わがテレビ局は社運を賭けてこのテープを放送する。
ただし、この殺戮ゲームにわがテレビ局は関与していないことになるがな。
筋書きはこうだ。」
そこまで言うと背広男はまだ新しいタバコを足元に投げ捨て、高級そうな革靴で踏み消した。
矢口には少しこぼれて見えた背広男のヤニ色の歯に無性に嫌悪感を覚えた。
「『年末特番用に無人島生活のドッキリ企画を用意したテレビ局。
しかしその撮影中、島にいるはずのディレクターから
(私の最高傑作の邪魔はさせない)
という通信を最後にスタッフ全員から連絡が途絶えてしまう
すぐに様子を覗いに駆けつけた私たちが見たものは、
殺戮されたテレビスタッフと、島のあちらこちらに散らばる娘の死体
そして自殺しているディレクターの横には、一本のテープが残されていた。』
というわけだ。どうだ、興味をそそられんか矢口君?
まあ、もっともディレクターにもスタッフにももう死んでもらっているがね。
わがテレビ局はこのテープを2000年の年末と2001年の元旦にかけて2部構成で放送する。
これによって私たちは3つの栄光を手にすることができるんだよ。
一つ、20世紀の歴代最高視聴率
二つ、21世紀の歴代最高視聴率
三つ、紅白時代の終焉
どうだすごいだろ? おまえにはこの凄さがわかるか?
真の権力者といわれたマスメディアの根幹にあたる視聴率の最高峰に名を刻めるんだぞ。
おまえらアイドルなんかは2〜3年の命かもしれんが、テレビは違う。
歴史上もっとも偉大な文化に永遠にその名を残すことができるんだぞ。
いわば、君たちに感謝されても恨まれる筋あいはない。我々も命をかけてやっているんだ!
どうだ、人気絶頂のモーニング娘が殺し合いをするんだぞ!
これほどエキサイティングでエンターテイメントな番組が後にも先にもあると思うか!?
この事件はまもなく日本中の話題を独り占めするだろう。
そして、国民はその放送に熱狂するのだ!
21世紀のメディアはわがテレビ局から産まれゆくのだ!」
悦に入った表情をもってして、背広男はそうまくし立てた。
左手に握られていたタバコの箱はそのこぶしの中に握りつぶされている。
矢口はあいた口がふさがらなかった。思わずこんな言葉が出た。
「なにいってんのかわかんないよ!
そんなことの為に・・・そんなことの為にメンバーは殺しあったの!?
おかしいよ・・・そんなの。狂ってる。みんな狂ってるよ!」
矢口は背広男をきっと睨んでそう叫んだ。みんな相変わらずの表情だったが。
やや沈黙を置いた後、今度はつんくが話し始めた。
「まあ矢口、後のことは心配すんな。モーニング娘が無くなるわけやないんやから。
市井とはなぁ、プログラムの事前にソロデビューを了承済みなんやわ。
つまり、このプログラムは市井が勝つようにできとったんや。
市井の右耳にはインカムが入っていてなぁ、こっちから色々指示させてもらったで。
というわけで、矢口はここで死んでもらわなあかんねん。
市井は今後プログラムを生き残った悲劇のヒロインちゅうことで
新たなメンバーを率いて頑張ってもらう。
だからやなぁ、矢口には最後の最後で裏切って市井を殺そうとして、
反撃されて死ぬっていう役が理想的なんやわ。
まあ、編集でどうにでもできるから、別に演技せんでええで。
おい、市井!。後で悲鳴のシーンだけ別取りするから、よろしくな。」
そう言ったつんくの両脇では、2人が薄汚くにやついていた。
市井は何も言わなかった。ただ、今の矢口にはどれが現実かよくわからなくなっていた。
また、背広男が話し始めた
「まあ、そういうことだよ。わかったかね矢口君。
というわけでだね、まず最初にやらなければならないことがあるんだよ。
藤井君、君はテープの最初の方に映っているだろ?
あれ、編集しないからここで死んでもらわないといけないんだよ。」
藤井アナがはじめてその完璧な笑顔を崩した。
今までの顔からは想像できないようなとぼけた表情。えっ!?
その次の瞬間には藤井アナは眉間に銃弾をうけて、そのまま波止場から海に落ちた。
皮肉にも夕日で赤く染まる海面を藤井アナの頭から流れでる血液がよりいっそう際立たせ、
まるで海に咲く紅葉のような情景を作っていた。死体さえなければだが。
背広男は手にした銃口を今度は矢口に向けてきた。
矢口はいまだに混乱していたが、もうすぐ死ぬというのはわかった。
とりあえずえ瞑って、その瞬間を待つことしか出来なかった。
「次は矢口君、君の番だ。
色々ご協力感謝する。最高の番組が完成したよ。
後のことは全て我々に任せて、ほかの人たちと天国でよろしくやってくれたまえ。
それで・」
背広男が全てをいい終わろうとしていたその時、爆音と閃光がその全てをかき消した。
矢口は目をつぶっていたがそのまぶたの上からでも
太陽が産まれたような明るさを感じることが出来た。
また、それに伴った爆音のせいで耳も少しおかしい。
―・・・気のせいかな?いま、H&Kの銃声が聞こえたような気がした。
それに・・・人が・・・倒れるような音!?
矢口はその爆発にもあまり取り乱さなかった。もしかしたら、私、死んだのかなっとも思った。
でも、何かが違う。
さっきまでと同じように海の香り、凪の感触を肌に感じることができる。痛みもない。
それに、もう嗅ぎなれた、血の匂いまで・・・
矢口は意を決して恐る恐るその瞼を開いていった。もしかしたら、そこは天国じゃないの!?
でも、違った。目に映ったのはもう薄暗くなってきている、悲劇の島そのものだった。
ただ、目の前にもう彼らはいなかった。
足元に、転がっていたから。
―え!? どういうこと!?
矢口は反射的にバッと市井の方を振り返った。
そこには、仰向けに右胸を押さえて倒れている市井の姿があった。
そう、市井は吉澤から受け取ったスタングレネードを使い、彼らを撃ったのだ。
そして、その代償が市井の右胸に風穴を開けている。
矢口はさっきまで市井に銃を向けられていたことなどまったく気に留めず、その傍らに駆け寄った。
「ご・・・ごめんね・・・矢口・・・
一番・・・つら・・い役・・・・たのんじゃった・・ね・・
でもね・・・これしかなかった・・・んだよ。
私以外の・・・メンバーが・・・助かる・・・・方法・・が。
だから・・・」
市井はコホッと小さく咳をした。ささやかに赤い霧が生まれ、それを風が運んでいった。
矢口は顔をくしゃくしゃにして泣い叫んだ。
「なんで、なんでみんな死んじゃうの? なんでみんな私だけ置いていくの?
いやだよ。そんなのイヤだよ!
ねえ、生きてよ、紗耶香! 一緒に、ここから脱出しよう!」
市井は震える左手をゆっくり持ち上げると、その指で矢口の涙をふき取りながら言った。
「泣かな・・・いで・・・矢口。
あんたが・・・生きていく・・・事が・・メン・・バーの・・・為でもあ・・・るんだから。」
矢口・・・とっても・・・綺麗・・だよ。」
そこまで言うと、今度は銃を持った右手を動かし、
なんの変哲もないような物置のようなに向かって銃弾を全て打ち込んだ。
突然、その物置のような建物は物凄い火花を撒き散らして爆発した。
「これで・・この島の・・・電気は・・当分止まるから・・・
今のうちに・・・早く・・・
発信機なん・・・てついて・・ないから・・・・安心して。」
そういいながら、市井は左手で今となってはその艶を失いかけている髪を少しかきあげ、
耳についていたインカムをぽいっと海に捨てた。
矢口は何も言葉が出なかった。なんていっていいのか言葉が見つからなかった
「生きてね・・・私の・・分も・・・
他のメンバー・・・の・・・分も・・・
生きてね。」
そこまで言うと、市井の体から全ての力が解放された。
矢口はその市井であった体をきつくきつく抱きしめ、泣きじゃくった。
そう、全てを忘れるほど。
海鳥の声はもう止んでいた。
◆短すぎるエピローグ
時計はまだ午前6時を指していない。
カーテンの隙間から薄く差し込む白い光が、まだ朝も早いことを知らせている。
眠い目を擦りながら6階の部屋から見下ろす街も目覚めるにはまだ早く、
左車線を走る車の音も、まだ霧の路地に音を残せるほどだ。
もうすでに仕事準備を終え扉に鍵を掛けようとした時、ふと、隣の部屋のドアが目に入った。
―あれ、新しい人が引っ越してくるのかな?日本人みたいだけど
名前は・・・KOBAYASHI MARI
・・・まりさんかぁ
あはは、私もそう呼ばれてた頃があったね。
―・・・ねえ、みんな
彼女は右手を左胸にそっと添えて、つぶやいた。
みんなには秘密だけど、うちポケットのパスケースには未だ代わらぬメンバーの笑顔があるんだよ。
・・・・・・・でもね、 やっぱり、一人は寂しいんだよ。