市井紗耶香「我が闘争」

 

芸能界編

 

「よろしくお願いします」
新メンバーとして紹介された少女を見て動揺する市井。
まだ純粋さが残っていた幼き日「約束」を交わした相手にうりふたつのその少女こそ、市井と最後まで運命を共にすることになる「紗耶香の愛人」後藤真希であった。

「さやちゃん、タンポポ入れなかったけど頑張ろうね」
「うん。いつかは私達もユニット組もう」
年上ぶって自分 を慰めようとする不細工な女に表面的な相槌を打ちながら、「落選」という屈辱を噛み締め、次の策略を巡らす市井 だった。
とりあえず、このブスも下僕にしておくか…。
しかし、この狛犬女が将来自分を追い詰めることになろうとは、この時は知る由も無かったのである。

まだ幼い後藤にとって、市井の存在感は強烈なものに映っていた。
レコーディングやダンスレッスンで、年上の中澤や飯田を物凄い形相で罵倒する姿は、TVで彼女が見せる明るい笑顔からは、想像もできない ものだった。
「ごめんねえ。びっくりさせちゃった?」
あまりの場の雰囲気に萎縮する後藤の姿に気付いた市井が話しかけた。
「あたし、妥協できないタチなんだよ。例え憎まれ役になってもね」
汗を拭きながら爽やかに笑って見せる市井。
しかし、後藤は見逃さなかった。
彼女が時折浮かべる大人びた表情を…。
どこか翳(かげ)りを帯びた瞳に潜むものを、後藤は直感的に受け止めていた。
…この人は、何かを背負っている…。

「明日香…何が欲しい?」
「あのお星様がいい」
明日香…お前が望むなら、私はこの銀河さえ手中にできた。
なのに、何故?
あの時の自分に、もっと力があったら…。
明日香のような少女が幸せに生きて行ける世の中にするためなら、私は喜んで修羅になろう。
生涯を賭けて、約束を果たそう。
なのに、何故お前はそんな目で私を見るのだ?
何故、私を哀れむ?
何故なんだ?…何故??
「いさん、市井さん」
「…あすか?」
 いや、明日香ではない。
急に現実に返り、体を起こす。
目の前には心配そうな顔で覗きこむ後藤がいた。
そうか…。
プッチモニの合宿に来てたんだっけ…。
隣では保田が熟睡している。
「大丈夫ですか?凄く魘(うな)されてましたよ。」
まだ、あんな昔の夢を見るとは…。
どうやら、自分で自覚している以上に後藤を「だぶらせて」いるらしいことに気付き、思わず笑みを浮かべる。
「市井さん、ちょっと外の空気を吸いに行きませんか?」
「悪い!起こしちゃったんだね」
「いえ、もともと緊張して寝つけなかったんです。保田さん寝てるし、二人でもうちょっと、振りつけ練習しませんか」
「うん。そうしよっか?」この時、市井のほうも後藤が自分に向ける感情に、興味以上のものがあることを感じ取っていた。

プッチモニ合宿二日目。
その日、市井は朝から不機嫌な顔をしていた。
ジョギング、フラフープ等、昨日決めたメニューをこなし、部屋に戻って振り付けの練習を始めた時だった。
「圭、ビデオ止めな」 ASAYANのスタッフが部屋に残したカメラのスイッチをオフにした瞬間、市井の蹴りが保田の下腹部を直撃した。
「うぐっ」
「後藤、あんたもここに並ぶんだよ!!」
前夜、後藤に見せた笑顔が嘘だったように、市井の目にはサデステックな光りが宿っていた。
「圭!!あんた、あの時の屈辱を忘れたの?!タンポポを見返したいんじゃあ無かったのか??!!おらあァ!!」
容赦のない制裁は30分にも及んだ。
怯えて立ちすくむ後藤に市井の視線が向けられる。
後藤の顔は涙と鼻水で、すでにグシャグシャである。
だが、しかし、「なんで、ここに?」わけの判らない言葉を発して倒れたのは、市井のほうであった。
39度を超える高熱。無理もない。
既にメンバー、事務所、テレビ東京など、持ち前の知略と性技を駆使して着々と配下を広げつつある市井であったが、肉体は15歳の少女なのである。
寝るひまも惜しんでの活動のツケが回って来たのだ。

「すぐタクシー呼んでくるね」
保田が部屋を飛び出して行く。
あれ?後藤はこの時、保田が意外に軽傷なことに気付いた。
それに…、保田さん、顔は殴られていない…。
市井さん、ちゃんと気を遣っていたんだ。
ぐったりした市井を抱きかかえる後藤の胸が熱くなる。
市井さん…。「○○か」 まただ…。
よく聞き取れないけど、市井さん、昨夜と同じ人の名前呼んでる。
あたしと間違えてるのかな…。
切ない気持ちに襲われ、後藤は自分から市井と唇を重ねた。
熱のせいか、柔らかく暖かな感触だった。
朦朧(もうろう)とする意識の彼方で、市井は理解した。
何故、入ったばかりの後藤が、いきなりメインをやることに反対しなかったのか。
自分をメインにすることだって出来たのに。
そうか。
自分の中に、失ったはずの感情が残っているのに驚きながら、何時の間にか深い眠りに落ちて行く市井であった。

 

政界編

 

後藤から体を離すと仰向けになり、マルボロに火をつけ、深く吸いこむ。
「真希、次の選挙、出るぞ」
「えっ?」
快楽の余韻に浸る間も与えられず、驚いた顔の後藤を無視するかのように、市井の抑揚の無い声が響いた。
「アイドルはもう終りだ。明日、私は20歳になる。1ヶ月後に内閣解散の情報も既に入っている。勿論、根回しもな。トップ当選は確実だ。」
なんていう人なんだろう。この5年間で芸能界はおろか、マスコミにまで触手を伸ばしていたのは、こんな目的があったのだ。
後藤は今更ながら、市井の 底知れない権力への追求と実行力に驚くと同時に、一抹の淋しさを感じていた。
私は紗耶香様といつも一緒に居るのに、彼女のことを何も知らないのかも知れない…。
傍に居ながら、物凄く遠くに感じる時がある。
「そんな顔をするな。見ていろ、3年以内に大臣になってやるから」
「あん…。また」
首筋に受けるキスに、理性のスイッチをオフにされた後藤は、そのまま悦楽の行為に没頭して行った。

スロットルを全開にしてレッドゾーンまで叩きこむ。
V6エンジンの獰猛で官能的な咆哮が、真夜中の湾岸線に轟く。
アルファロメオのステアリングを握る時、全てのストレスから開放されるような錯覚に陥る。
だが、多忙な市井には楽しむ時間など、ほんのひとときに過ぎない。
案の定、携帯の着信が無粋な音で割りこんできた。
助手席の後藤が手に取る。
「おはようございます。御世話になっております」
後藤の応対には、かつての幼稚さは微塵も無かった。
「紗耶香様、つんく社長からです」選挙には莫大な金が必要になる。
既に芸能界とマスコミの一部を牛耳ってきた市井ではあったが、今や世界屈指のレコード会社社長のつんくの財力は心強い味方である。
「ええ、よろしく頼みますよ。お互いこれからも、持ちつ持たれつってことで」市井の野望は、まだまだ始まったばかりなのだ。

当選は市井の思惑通りだった。
根回しの見事さは勿論だが、10代のうちから政治や経済の勉強も怠らなかったことは正解だった。
特にアイドル時代、TVの生番組で田原総一郎、舛添要一といった並み居る論客を次々と論破 してみせたことは、世間の識者層をおおいに唸らせた。
立候補の時点で、既に彼女は単なる芸能界のスーパースターでは無くなっていたのである。
「トップ当選、おめでとうございます」
「先生、例の件、よろしくお願いしますよ」
華やかなパーティーの中、主役である市井は話しかけてくる政財界の大物のランク付けも怠らない。
どいつが使えるのかを見極めるのは、今回の重要なポイントなのだ。
真希のやつ、上手くやってるかな…。
鳩山の許へ裏工作に行かせた 後藤に思いを向けたとき、市井の視界の隅に小柄な女の姿が入ってきた。
彼女が化粧室に向かうのを見とめると、迷わず後を追う市井。
間違いない! 幸い、こっちの通路には人影がない。「真里!」見覚えのある顔が振りかえった。

「ちぇっ。あんたに見つかる前に消えようって思ってたのに」
「ばあか。お前みたいにちっちゃいの、見間違うわけ無いだろ」
脹れっ面をする矢口の顎に手をやり、顔を近づける。
「やだよ!あたしはもう…」市井の手を振り払おうとする矢口。
「うふふふ。どっかの御曹司と結婚したとは聴いてたけどね。ねえ、また昔みたいに協力してよ。旦那は旦那、あたしはあたし。それでいいじゃん。ネ。」
…この人から逃れるための結婚だったのに…。
廊下の壁に押しつけられ、市井の指が蠢(うごめ)きだすと、もう抵抗できなくなっていた。
「いや真希に悪いんっ」 3年たっても体は忘れていなかった。
市井の指と唇を忘れられる女など居る訳がないのだ。…お帰りなさい。小さなしもべ。
自ら舌を絡めてくる矢口の反応を確認しながら、早くも次の策略を巡らす美しい悪魔の姿があった。

「永田町のジジイどもめ…」またしても法案を潰され、市井の怒りと焦燥は限界に達していた。
議員になって1年。当初の計画とは裏腹に、未だろくな役職を得られない現状は、市井のプライドを大きく傷つけていた。
勢力の拡大が、これだけ 長く停滞するのは初めてのことだ。
永田町は確かに妖怪の巣窟だ。生意気な小娘に対する妖怪達の畏怖と警戒心 は、徹底した市井潰しとなって表れた。
このままでは3年で大臣の夢はおろか、現状維持すらおぼつかない。
急がねば…。
「遅い!遅い!遅い!遅い!遅い!遅い!!!!!」議員会館の一室で、叫びながらウロウロする市井に、秘書の一人である中澤がなだめにかかる。
「まあ落ちついて座りいな。焦らんでもええやんか」
「うるせえんだよ!あたしに指図するな!!!」
気を遣ったつもりの中澤の言い方が、却って癇に障ったようだ。
…どうしてそんなに急ぐの?
まるで運命に駆り立てられるかのような市井の姿は、後藤には生き急いでいるように思え、堪らない気持ちになる。
「ごめんなさい、紗耶香様。私が至らないから、私が力不足だから…ごめんなさい…ご、ごめんな…」
「わかった!判ったから泣くんじゃないよ。この子は。あんた達のせいじゃないよ」
ふう。やっぱり、この子には勝てへんなあ。紗耶香様の機嫌を直せるんは…。
中澤は軽い嫉妬を覚えながら、二人の様子を優しげに見守っていた。
「後藤、中澤、行くよ。場所を変えて練りなおしだ!」私は負けない。「約束」を果たすまで。

銃声がしたわけではない。市井の持つ、研ぎ澄まされた感覚のなせる技だった。
咄嗟に中澤を突き飛ばすと、自分も身を伏せる。
頬をかすめた銃弾が、特注のアルファロメオのボディに食い込んだ。
クソジジイが…。いよいよ力技で来たか。異変に気付いたSP達が、辺りの捜索を始めるが、ネズミは既に姿をくらましたらしい。
「やってくれるやんか」中澤がドスの効いた声で暗闇を睨む。
「目には目を。力には力…。ふっ権力を手っ取り早く掴むのは、やっぱりこれしかないようね…。」
「紗耶香様…?」
「あんた達、私について来る覚悟はできてる?」
「決まってるやん。そんなん。」
「紗耶香様の行くところ、地獄の果てまでお供します!」
「いいの?本当に地獄かもよ?うふふふ…」
笑いながら議員バッジをおもむろに外すと、暗闇に向かって投げ捨てる。未練は無い。
これが私らしいやり方かも知れない。 「さようなら。民主主義という名の老人達。未来は私が導いてあげる」

 

【番外編】

 

―――後藤はいつも独りで泣いていた。

あれ以来、紗耶香様は「あの人」の名前を口にしていない。
寝言にも出していない。だけど、やっぱり私は「あの人」の代わりなんだろうか?
「あの人」のことを訊きたい。市井が遠くを見つめる眼差しをする度、後藤はいつも同じ考えに囚われる。
しかし、何か決定的なことを言われそうで、怖くなる。
心の葛藤に耐え切れなくなる時、いつも独りで泣いていた。
元々泣き虫な後藤だったが、他の理由ならともかく、この事に限っては、決して市井の前で涙を見せなかった。
自分の部屋で。ロケバスの片隅で。TV局のトイレの中で。いつも後藤は独りで泣いていた。
モーニング娘。時代、そんな後藤を慰めてくれたのが保田だった。まるで後藤の心が解るかのように、何も言わず、そっと髪を撫でてくれた。
保田はいつも優しかった。後藤が苦しい時、辛い時、気がつけば傍らに居てくれた。
市井の持つ冷たさと激しさ。保田の持つ温かさと慈しみ。私は両方に惹かれていたのかも知れない。
圭ちゃん、どうしてるのかなあ…。
市井に殴られ、罵倒され、メンバーやスタッフの見ている前で鎖に繋がれ、陵辱されていた保田。
圭ちゃん…。んも紗耶香様を愛していたの?
無口な保田は何も語らないまま、後藤達の前から去って行った。もう一度、圭ちゃんに会える日が来るのかなあ。
なんだか、そんな気がする。
「真希!準備しな!予定通り、3時間後に出発だよ」
「はい。紗耶香様!!」
でも、私は一生この方について行く。
例え「あの人」の代わりであっても、私を必要としてくれるなら。
私が紗耶香様を支えなければ・・・。
泣いてる暇などない。紗耶香様の向かうのは戦場なのだから。

 

激闘編

 

都心を離れた別荘の一室で、市井をとりまく主要メンバーが、極秘裏に集められていた。
クーデターを起こすに当たって市井が心を砕いたのは、人材の配置であった。
米軍キャンプを押さえるには、それ相応の手腕が必要だ。
「沖縄には平家の部隊に行ってもらう。横須賀は飯田。安倍は北海道の自衛隊基地。舞鶴は中澤。国会議事堂と防衛庁は私と後藤が行く。それから…」
てきぱきと指示を出しながら、市井は昂揚感を抑えられずにいた。
暴力と計略に満ちた市井の半生だったが、直接人間を殺めるのは、これが初めて なのだ。
今回ばかりは確実に死者が出る。敵は勿論、恐らくは味方にも。仕方が無いのだ。
理想の国家建設のためには、何時の世も犠牲はつきものなのだ。
冷徹さを自負する市井も、さすがに今回は自分自身の心に折り合いをつけるのに苦労を強いられていた。
芸能界を支配するのとはケタ違いなのだ。 いつになく早口でまくし立てる市井の異常な様子に、中澤が声をかける。
「あんたの思うようにやったらええ。うちらみんな、覚悟は出来てる。私は私の責任で行動する。あんたを恨んだりせえへんよ。」
「私もです。紗耶香様。ご自身を信じてください。」
「かおりん的には〜、もっと〜、心の声って言うのかな…。あ、そうじゃなくってええ…う〜〜ん…」
「はいはい。あんたはもう喋らんとき」一瞬、懐かしい空気が流れた。
誰からとも無く笑い声が起きる。
「解った。あんたたちの命は私が預かる。私、市井紗耶香は、ここに理想国家建設を成し遂げることを誓います。」
全員がお互いの目を見詰め合い、血判を重ねあった。もう後戻りは出来ない。
前に進むだけだ。 奇しくも決行日は、2月26日。雪の降る朝だった。

無線機を手にした市井が、合図となる暗号を叫ぶ。
「只今より、作戦を遂行する!マル!マル!マル!!!」
黒い特殊スーツに身を包んだ一団が、各地で一斉に行動を開始した。そして……。

クーデターは、拍子抜けするほどあっけなく成功した。
オウムの前例があったとはいえ、日本人の平和ボケは相当なものだ。
自衛隊の駐屯地では、事態が呑み込めずに食事を摂りながら、ぼんやりと成り行きを眺める隊員の姿も見られたほどだ。
死者の数は敵34名。味方5名。まずは最小限に抑えることが出来たと言えよう。
ただ、北海道の演習中の部隊に対した安倍は、爆風を受け、内臓破裂の重症を負ってしまった。
今回、特筆すべき活躍をしたのは飯田である。最も攻略が困難と思われた横須賀基地を、僅か1時間で陥落。しかも、そのやり方が凄い。
とにかく、のべつ幕無しに手榴弾を投げつけるのである。その方向に敵がいようが味方がいようが、おかまいなし。
「なんで、みんな、かおりんを苛めるのよおお??!!」 支離滅裂なことを叫び、周囲を破壊しまくる滅茶苦茶振りに、兵士達は完全に戦意を喪失していた。
驚いたのは、これだけ出鱈目なことをしながら、一人も死者が出なかったことだろう。
本人は計算ずくだったと主張するが、怪しいものである。いずれにせよ、飯田圭織…恐るべし。飯田らしいな…。くくくく…。
各地からの報告を議事堂内の迎賓室で受けながら、市井はついつい笑ってしまった。
心配なのは安倍か…。命には別状なさそうだが、一区切りついたら行ってやらねば。
新宿アルタの大画面に、市井の姿が映し出された。道行く人々が見つめる。
「国民のみなさん、こんにちは。たった今、この国の元首となった市井紗耶香です。只今より、国名は市井帝国とし、軍事政権による統治を行います。」
悪魔の支配の始まりだった。

北海道の実家にほど近い病院の一室で、あどけない顔をした女が眠っていた。
「容態は?」
「安定していますが、意識が戻るのは、もう少し先でしょう。」
「そうか…。」
現在、東京では後藤と中澤が中心になり、旧政府の後始末、及び新政府の陣容を固めるため、不眠不休で任務に当たっている。
ベッドの横の椅子に腰掛けた市井は、マルボロを咥えかけて止める。
こいつの顔、こんなにじっくり見るの、いつ以来だろう?
(なっち)
囁くように呼びかけてみた。
微かに安倍の頬が動く。
「なっち?」
今度は少し大きな声で呼びかける。
「んんん…あたし」
ぼんやりとした視界に市井の顔が浮かぶ。
「…そうか、あたし、吹き飛ばされて」
「し!  喋らないで」1週間ぶりに目覚めた安倍の頬に、うっすらと赤みが差す。
「ここに居てあげるから、安心してお休み」
小さく頷いた安倍は、ほどなく寝息を立て始めた。
その横顔を、市井はいつまでも見つめていた。
つかの間の平穏…。 しかし、その3時間後、東京の後藤から受けた報告に驚愕することになるのである。

「首相官邸の近くの小さなビルなんですけど。それが、妙なんです。建物の中に もう一つ建物があるって言えばいいのか。とにかく二重構造になってて、隠し部屋とか…そう、日光の忍者屋敷がイメージに近いかなあ」
報告とは、政府の高官や財界人のごく一部が出入りしていた建物のことだった。
…二重構造…?まさか?!
「真希、いいかい?その建物の最上階の隠し部屋に、小学生くらいの女の子が幽閉されているはずだ!ただし、トラップがいっぱい在るから、3階の制御室のコンピューターを先にチェックするんだ。私も今からすぐにそっちに向かう!」
「ドクター!!安倍を頼みます。」
迎えのヘリに乗り込む市井の胸が、早鐘のように鳴る。…いよいよ始まるよ明日香…。

市井は到着するなり、出迎えの後藤と共に3階の制御室に急いだ。
「どうなってる?」
「はい。トラップの解除は終りました。現在、隠し部屋に中澤さんが向かってます。」
「よし、私もそっちに行く。平家に電子ロックも解除させておけ。」
迷路のように入り組んだ廊下を、市井は何のためらいも無く足早に歩く。
思ったとおり、同じ作りだ…。
後藤は急いで制御室の平家に指示を伝えると、自分も市井の後を追った。
何もかも知っていたかのような市井の態度に、後藤は困惑していた。
どうして紗耶香様はここを知っているの?
連絡を受けた時の紗耶香様の反応は只事ではなかった。胸騒ぎがする。
廊下にあいた穴に出現した階段を降り、薄暗く、細い廊下に出ると、再び階段をあがる。
3階と4階の間のような場所に、その部屋はあった。
市井に続いて後藤も部屋に足を踏み入れる。
…なにここ? 大理石の壁に囲まれた10畳ほどの部屋には、トイレ、バス、ヌイグルミでいっぱいのベッド、 本棚、机、沢山のおもちゃ…。
ちょっと贅沢な子供部屋といった感じだ。 但し、トイレやバスに仕切りは無く、壁からは3本の長い鎖が伸びていたが…。
その鎖に、さっきまで繋がれていたと思われる半裸の少女が、中澤の腕の中でぐったりしている。
「大丈夫。衰弱してるけど、まだ生きてるわ。すぐに救護班が来るはずです。」
市井は少女の前に膝をつくと、頬を優しく撫でながら呼びかけた。
「安心しろ。もうお前は自由なんだよ。」
「紗耶香様…一体この子は…?」
後藤の質問に、市井は静かに呟いた。
「この子はね、TOYなんだよ」

「TOY?おもちゃ?」
救護班が少女をタンカに載せて運ぶのを、無言で見送る市井に、再び後藤が問いかけた。
「どういうことなんですか?」
「読んで字のごとく、変態オヤジのオモチャってこと。。あの子はね、ずっとここで飼育されてきたのさ。」
足もとの鎖を踏みつけながら、マロボロに火をつける。
「中澤、この階にもう一つ部屋があるはずだから、調べて。」
「了解」 部屋を出て行く中澤を目で追いながら、市井はゆっくりと話しを続けた。
「幼い子供を飼いたがるオヤジどもは、大勢居るんだ。売買された子供は、こうしたTOYBOXで飼われ、ありとあらゆる変態プレイの道具にされるのさ。ここの持ち主は、世界中に沢山居るTOYコレクターの一人ってわけ。」
噂で聞いたことはあったものの、あまりの現実に後藤は大きなショックを受けていた。
「もう一つ訊いていいですか?」
「なんだい?」
「紗耶香様はどうして最初から『小学生位の少女』って解ったんですか?」
「TOYには寿命がある」
一瞬だが、市井の表情が険しくなる。
「5、6歳で連れてこられ、12歳になると、『加工』されるんだよ。」
「え?」
その時、後藤の声は、凄まじい悲鳴にかき消された。 中澤さん?
「どうやら、もう一つの部屋を見つけたらしい。」煙草を投げ捨てて出て行く市井についていこうとした後藤を、鋭い言葉が遮る。
「お前は来るな!あの部屋にあるものは、見ないほうがいい」どういう意味なの?
中澤の絶叫は、まだ続いていた。

薄暗い廊下の柱に見える部分に、小さな入り口があいている。背をかがめて細い通路の先にある小部屋に入ると、そこにはグロテスクな地獄図絵が並んでいた。
中澤は床に四つん這いになったまま、嘔吐を繰り返していた。
見るも無残に『加工』された少女達…。身体のパーツが収められた小ビン。
皮を剥がれたホルマリン漬け。剥製。塩漬けの生首…。 欲望のはけ口にされたTOYの末路は、酸鼻を極めた部屋にコレクションされていた。
もしかすると…。緊張した面持ちで、彼女達の顔を一つ一つ確認する市井。
しかし、みな見知らぬ顔ばかりのようだ。…ここには無いか…。 思わず、ほっと安堵の溜息が出る。
…でも、もう生きていないのは確かだな…。単にここには無かったという だけに過ぎない。
何しろもう10年になるのだから。震えて身体の動けなくなっている中澤を担ぎ起こし、腐臭の漂う部屋を出た。
「後藤、中澤を頼む。私はホテルに戻る。悪いが、暫く一人になりたいんだ。」
「紗耶香様…。」
「心配するな。ちょっと疲れてるだけだ。少し休めば大丈夫だ。」
虚ろな目をした中澤を、平家と後藤が支える。
市井が発した「加工」という単語と中澤の今の状態が、あの部屋にあるものを後藤に理解させた。
そして、市井が背負っているものの正体も、おぼろげながら 解ったような気がした。

 

明日香編

 

ホテルの部屋に戻った市井は、シャワーも浴びず、そのままベッドに倒れこんだ。明日香…この10年、お前のことは忘れたことが無かった。

11歳の市井が明日香に出会ったのは、まさに偶然以外の何物でもなかった。
その日、市井は小学校の校長と理事を脅し、地元の財界人の集まるパーティーに紛れ込んでいた。
広大な屋敷で行われる宴を、暫くは覚めた目で眺めていた市井であったが、やがて、敷地内の探索を始めた。
けっ。やっぱり大人ってアホ。くだらねえ…。敷地内には大きな屋敷が2つあるほか、大きな倉庫やマンションのようなものまであった。
そのうちの一つに目を留める。警備みたいなのが3人も立ってるじゃん。一見ただの簡素な建物なのに、何故?
市井は好奇心を刺激され、潜入してみることにした。
「おじさん、なにやってんの?」
「おや、お嬢ちゃん。迷子になったのかな?こっちには入れないよ。オジさんが お母さん達のところへ…う?!」
射精しながら気絶した男を隅に転がすと、残りの二人の目を盗み、建物に入る。
面白い!!ここ、いっぱいトラップがあるじゃん!既に世界中の兵器、殺人技、軍事知識を勉強していた市井は、ゲームをクリアするように、トラップを抜けて行く。
凄い!!凄いよ!こんなスリル、久しぶり!! しかし、その通路が開いていたのは全くの偶然だったのだ。
たまたま制御装置の不調があったからに過ぎない。 うっすら明かりが漏れてる…。部屋があるんだ。
半開きになった巨大な扉は、通常の2倍は厚みがあるだろう。
体重をかけて、扉を開き、中を覗きこむ。 天窓からの月明かりに照らされ、少女らしい人影が床に座っている。
「誰かいるの?」
薄明かりのもとで、ゆっくりと少女がこちらを向いた。
明日香との、初めての出会いであった。そう。明日香はTOYだったのだ。

小奇麗にまとめられた部屋をきょろきょろ見まわしながら、その少女に近づく。
「あたし紗耶香。あんたは?」
「明日香」
「あっちじゃ、パーティーやってるのに、あんたはここで何を…」
こちらをジッと見つめるその少女の姿の異様さに初めて気付き、ぎょっとする。
明日香の首と両手には鎖が繋がれていたのだ。
「…お前、誘拐されたのか?」
「わかんない。ちっちゃい時からここに居るから…。紗耶香には、どうして鎖がないの?」
明日香の異常な言動に、市井の頭の中は混乱していた。
「パパとママは?」
「わかんない。ずっと前には居たような気がする。」
間違いない。明日香は小さい頃誘拐されて以来、ここに監禁されているのだ。
「お前、誘拐されたのに何で笑ってるんだ?」
「お友達」
「は?」
明日香が紗耶香を指差す。
「お友達って言うんでしょ。本で読んだよ。お友達と遊ぶと楽しいんだよ。知ってる?紗耶香は私のお友達だね。」
無邪気に笑う明日香。
「その通りだよ…」
紗耶香はそっと明日香を抱きしめた。

それから暫く、二人は壁に凭れて話をした。
市井の身の回りの、他愛のない内容ばかりだったが、明日香は興味深そうに聞き入ってた。
にこにこ笑う明日香。その首と腕につけられた鎖に、どうしても目が行ってしまう。
ん?注射の跡?思わず明日香の腕をつかみ、その青痣になった部分を凝視する。
「時々ね、『先生』が注射するの。そしたらね、明日香、ふわあって、とっても 気持ち良くなるの」
…ドラッグの一種か?
「でも、いつもその後のことは、あんまり覚えてないの。ただ、気付いたら、いつも  身体のあちこちが痛いの。おしりとか、…あそことか」
恥ずかしげに俯く明日香に、市井の胸は激しい痛みを感じていた。 …ゲスども!!
「明日香、必ずお前をここから出してやる!!」
語気を強張らせる市井に、気圧され、戸惑う明日香。
「どうしたの?怒ってるの?明日香、悪いことしたの?」
「そうじゃない。いいかい、明日香。お前はここに居ちゃあいけない」
真っ直ぐに向ける市井の瞳に、明日香は小さく頷いた。

それからの市井は、情報の収拾にやっきになっていた。
制御室の人間の一人を手なずけることにも成功し、週に2、3回は明日香の部屋を訪れていた。
そして、明日香と時間を共にし、情報が集まるほど、市井の焦りは増して行った。
明日香がTOYと呼ばれる性の玩具人形にされていること。
12歳の誕生日に『加工』されてしまうこと。
なにより、その誕生日がもうすぐなのだ。 それなのに、肝心の鎖を解く方法が見つからないのだ。
壁に繋がれたその鎖は、通常の 鋸や刃物では、びくともしない。
鍵穴は無く、電子ロックで制御されているらしいのだが、制御室の人間さえ、その方法を知らないのだ。
腕の立つハッカーの力が必要だ。早くなんとかしないと…。
そんなある日のこと、突然明日香が切り出した。
「紗耶香、あのね。私、もうあなたに会えない気がするの。」
「何言ってるんだよ!絶対ここから出してやるって…」
「ほんとはね。知ってるんだ。注射打たれた後、何をされてるのかも。今度の誕生日にどうなるのかも…」
市井は言葉を失った。
「私ね。TOYって言われてるんだって。私みたいなコ、世界中にいっぱいいるんだって…。お願い、紗耶香。あなたが大人になったら、二度と私みたいなコを作らない世の中にして…。」
明日香の頬を涙がつたう。
「3日後だ!それまでの我慢だ。なんとかお前をここから出す方法が、見つかりそうなんだ。3日たてば、お前は自由だ。どこにでも私が連れて行ってやる!何でも欲しいものはくれてやる!!」
ようやくハッカーの腕利きにメドが立ったのだ。このまま明日香を死なせてたまるか!
「なあ、明日香。一番欲しいものは何だ?何が欲しい?」
明日香は天窓から見える星空を指差した。
「あのお星様がいい」
涙に濡れる彼女の横顔は、月光に照らされ、この世のものとは思えない美しさだった。

その日の屋敷は、いつになくひっそりと静まり返っていた。
通りに停めたワンボックスカーの中で、大学生風の男がパソコンと向き合っている。
「よし、いいぜ!うまく行ってるはずだ」
「ご苦労だったな。恩に着る」
「へへへ。こっちは、報酬さえ貰えりゃァ、いいのさ」
男の言葉を聞き終わらないうちに、屋敷に侵入を始める。
明日香!今行くぞ!!今夜からお前は自由だ!!
走りながら、市井は、敷地内の様子がいつもと違うことに気付いていた。
おかしい!!人の気配が全く無いじゃないか?!!
不吉な予感を振り払うように廊下を全速で走りぬけ、扉を開ける。
「明日香!!!」 闇の中を、静寂だけが支配していた。居ない??!!そんな?!
足元の妙な感触に、思い切って明かりをつけてみる。
「?!!」 その瞬間、絶望と喪失感が市井を襲った。
「なんでだよう…。なんで間に合わなかったんだよう…。誕生日まで、まだ1週間あるのに。明日香ああああああ」
そこには明日香の姿は無く、床には一面に血が飛び散っていた。

大規模な汚職に関与した屋敷の持ち主が、失踪したことを告げるニュースが流れたのはその2日後のことだった。

市井は己の無力さを憎んだ。小学校を支配し、給食のプリンを一人占めにして得意になっていた自分の、なんと幼稚だったこと。
大人達の醜い欲望に憎悪した。そして、それを容認する民主主義と称する嘘っぱちの社会を憎んだ。
もっと力が欲しい。私に力があれば、明日香は助けられた!!
「私みたいなコが居なくなる世の中にして」
明日香…。明日香はもう、この世に居ない。
市井の胸には、明日香との「約束」だけが残った。
市井紗耶香、11歳の秋だった。

いつの間にか、眠ってしまっていたらしい。
クーデター以来、殆ど睡眠をとっていなかったのだから、当然かも知れない。
気がつくと、ベッドの傍らに全裸の後藤が立っいた。
「真希…」 後藤と明日香は、厳密にはそれほど似て居いないはずだ。
似ているとすれば、言葉で交わさなくても、直感で市井の心を汲み取ろうとするところか…。
「ん真希?」後藤は一言も喋らずベッドに入り、貪るように市井を求めてきた。
後藤が自分から これほど積極的になるのは、初めてのことだった。
それに応える市井の唇も、いつになく熱いものだった。
激しく求め合う二人の営みは、いつ果てることなく続いて行った。

 

激闘編2

 

クーデター後の市井のスケジュールは殺人的だ。内政の再編。
国民に対する連日の演説。外交政策の建て直し…。
本来なら、まず戒厳令をひいた国内の沈静に集中したいところだが、国際情勢、とりわけアメリカがそれを許さない。
当然だろう。横田基地の制圧及び米兵の捕虜化、寄港中の空母ミッドウェイの乗っ取り等、クーデターと同時にアメリカにも喧嘩を売っていたのだから。
迫り来るアメリカの脅威に晒されながら、市井は苦悩していた。
「この国の国民はバカばっかりなのか?!!!」
市井の持つカリスマ性は、国民の7割を掌握していたが、やはり、思い通りにならない連中は居るのだ。
どうする?力で抑えこむか?いや待て、今はそれは得策ではない…。
「閣下、安倍上級大将の回復は順調だそうです」
軍人らしい言葉遣いに馴れ始めた後藤の報告に、市井は名案を浮かべた。
「真希、マスコミを使って病室の安倍を世間に流せ」
アイドル時代、市井に次ぐカリスマ性を誇った安倍の痛々しい姿を見せることで、一般層の好感度のアップは確実にできる。
不支持層の残りのカヴァーもしてもらおう。なっち、悪いけど利用させてもらうよ。
一刻も早く理想国家を築き上げるためには、手段は選んでいられない。

「カミカゼアタックの悪夢再び?!」ニューヨークタイムス
「東洋の魔女サヤカイチイの狂気」ワシントンポスト
アメリカのマスコミは、日本のクーデター騒ぎをセンセーションに伝えていた。
ペンタゴンやホワイトハウスでは怒声が飛び交い、軍部の高官達は、歯軋りを して悔しがった。
「日本人の奴らは不意打ちが得意なゲス野郎ばかりだ!!」
「21の小娘などに何が出来る?!ジャンヌダルクにでもなったつもりか?!」
一気に日本との本格的な開戦を望む合衆国の世論に、大統領の決断が迫られていた。
国連の同意など、あとからどうにでも可能だ。
「第七艦隊は?」
「既にハワイに集結が終り、補給も終りつつあります」
「よし、将軍達を集めろ!!!」
国際正義の盟主が本気になろうとしていた。多くの血が流れる、第4次世界大戦の序章が始まる。

アメリカが日本との開戦に向けて動き出していた頃、市井とて、ただ手をこまねいていたわけでは無い。
既にクーデター開始前から旧ソ連の兵器(主に空母、原潜、ミサイル等) を闇のルートから買い漁っていたし、
駐日米兵の洗脳による戦力の増強、北朝鮮やイランの最右翼派との提携と、着々と準備を行っていたのである。
まずは、初戦が大切だ。恐らくアメリカは第七艦隊の全戦力を投入してくるはず。
こちらとしては、一気に叩いて勢いに乗りたいところだ。 市井は、太平洋艦隊総司令官に堅実派の信田を任命した。
敗が許されない戦いなのだ。 戦略、戦術の研究に熱心で、慎重にことを運ぶ信田なら、悪くとも互角にやれるに違いない。
合衆国大統領による、捕虜および駐日大使の即時釈放の訴えを退け、市井は日本武道館で、演説を行っていた。
その模様は全国に中継されている。
「我が市井帝国の選ばれし国民よ。これより帝国は、神の命を受け、賊国であるアメリカ合衆国との戦いを行う!だが、私は約束する。戦いの先に、飢えも貧困も差別もない、真のユートピア、理想国家を実現することを!神は負けはしない!国民よ、神である私を崇めなさい。真の幸福を約束しよう!」
親衛隊長中澤が民衆を煽る。
「紗耶香総統閣下万歳!!!!市井帝国万歳!!!!!」 熱狂する群集。
武道館で、TVの前で、それぞれの職場、学校で、老いも若気もみな心を熱くしながら開戦を受け入れていた。
――――その頃、第七艦隊の旗艦のブリッジで、参謀達は、困惑と不安の表情を浮かべていた。
大統領は、どういうつもりでこの方を司令官に任命されたのだ?
まだ、年端もいかない少女ではないか?!!しかも言ってる事が、わけが解らん!!
参謀達の視線の先の少女、ダニエォは何故か自身タップリの笑顔であった。
「ノープロブレム!OK!OK!」 …本当に大丈夫なのか?ダニエォ…。

市井帝国海軍太平洋艦隊の旗艦は、米軍より没収した空母ミッドウェイである。そのブリッジで戦況を見守る最高司令官信田美帆の顔は青ざめていた。
「私が負ける?」傷つき帰還する艦載機。炎に包まれる護衛艦。
次々と報告が入る戦況は、明らかな劣勢を物語っていた。
思えば、かつての日本海軍が行った真珠湾攻撃をトレースするかのように奇襲を仕掛けた帝国軍であったが、真珠湾には既に第七艦隊の姿はなかった。
ただ、そこまでは予測できた展開である。諜報部の小湊との連携も、上手く行っていた。
だが…。 それからは、予測不能な事態の連続だった。普通なら、危険を避けるための海域に敵艦がいる。
常識を覆すような戦術を駆使する敵の戦い方に、信田の 頭脳は翻弄されるばかりであった。
「指令、無念ですが、ここは撤退するのが正解かと」ベテラン格の参謀が進言する。
苦渋の選択を強いられる信田のプライドは、今やズタズタに引き裂かれていた。

会議室に集められた帝国軍元帥達には、異様な緊張感が漂っていた。
無理もない。万全を期して挑んだ戦いに、惨敗したのだ。
中でも、その引責を受けるであろう信田の姿は、哀れなほど平静を失っていた。
「まずは責任を問う前に、お前からの報告を聞こう」
感情を込めない市井の声に慄きながらも、信田は振り絞るような声で喋り始めた。
「全て、裏をかかれました。私の力が及ばなかったということです。」
戦術の解説と惨めな戦果を報告すると、最後にそう締めくくり、市井の裁定を仰ごうとした。
その沈痛な信田の様子に、助け舟を出すかのように、平家が手を挙げる。
「何か解ったのか?」 先ほどから作戦結果の報告書を、熱心に解析していた平家に、市井が興味を示す。
「ええ。それが、妙なんです。確かにこの報告を見ると、一見、敵将は非常に優秀だと言えるかも知れません。なのに、一方でミスも異常なくらい多いんです。」
「ミス?」
「そうです。敵の損害の内訳を見ると、相討ち、自爆、自沈、座礁といった、事故が多すぎるんです。これは、通常考えられる範囲の3倍以上にあたる数です。」
「で、そこから言えるのは?」
「敵将は天才か、もしくは…ド素人です」平家の言葉に、どよめきが起きる。
「それ以外、考えられません。こんな戦術、滅茶苦茶もいいとこです。敵が信田に勝てたのは、とてつもなく運が良かったからです。」
「敵の司令官の情報は?」
「ダニエォという名前しか解りません。データにない人物です。」
「ダニエル…」
「いえ、閣下。ダニエォです。」

「滅茶苦茶ねえ…。」
「滅茶苦茶です!わけが解りませんよ、このダニエォっての。電波が悪いんじゃないですか。」
…わけが解らない電波が悪い…滅茶苦茶…。そうか…我が軍にも一人、同じようなのが居るな。
全員の視線がぼんやりしていた飯田に集中する。
「圭織、あんた、さっきから何で黙ってるねん?」
隣の席の中澤が、飯田の肘をつつく。
「だってね。この間ぁ、裕ちゃんが、かおりんにぃ、『お前、黙ってろ』って言った からあ…、センチメンタルな気持ちなの」
やはり、毒を持って毒を制すか…。市井は腹を固めた。やはり、それしか有るまい。
「圭織、あんた暫くハワイで遊んでおいで」
「えっ?ハワイ?!いいのおお?わ〜〜い!」
対ダニエォ秘密兵器飯田圭織、太平洋艦隊司令長官に就任。

燦燦と太陽の降り注ぐワイキキビーチ。モデルかと見まがうほど、見事なプロポーションの東洋人の女性が、サングラスをかけて寝転がっている。
…やっぱり、ハワイは最高!市井から与えられた、ハワイ占領のご褒美の休暇を、満喫する飯田であった。
やはり、飯田とダニエォでは格が違い過ぎた。ネジの外れ方が半端ではないのだ。
なにしろハワイ進軍の前日に、中澤のところに行き、
「かおりん。パスポート用意するの忘れちゃった」などと、本気で心配するのだ。
ダニエォ如きが、勝てるはずが無いのである。ついでに記すと、両者の戦いは、歴史上最低の決戦といえる。
両軍の損害は、殆どが自滅によるものであり、結果的に、自滅のを最小限に抑えた飯田が勝利したのである。
なんにせよ、市井はこの戦果に満足していた。
ハワイに拠点を作れば、アメリカ本土 に与える脅威は大変なものなのだ。
建国以来、他国との戦争で、本土を荒らされた経験が無い国。そんなアメリカが受けるプレッシャーが、どれほど大きなものか?!
考えるほどに愉快な市井であった。
「このアロハシャツ可愛い〜〜!いくらなのお?え?10ドル?10ドルっていくら? それって高くない?えええ!!7ドルにしてよお」
飯田圭織、恐るべき女である。

 

【番外編 中澤の憂鬱】

 

2ヶ月ぶりにマンションの自室に帰り、軍服を脱ぐ。
中澤が、親衛隊長から一人の女に戻る瞬間である。
明日から3日間の休暇。さて、どう過ごそうか…。
バスタブにゆっくり身を沈めながら、思いを巡らす。 デートしたいけど、相手もおらへんしなあ。はあ。
「…お嫁に行きたいな。」つい、言葉に出してしまう。 なんで結婚できへんのかなあ…。
自分で言うのもなんやけど、けっこうええスタイル保ってると思うんやけど…。
確かに彼女の身体は、32歳という年齢を感じさせないツヤとハリを感じさせる。
指先が、自然と下腹部の敏感な部分に伸びる。そこは温かくぬめっている。
最後にエッチしたん、いつやったっけ?「っんん」 身をのけぞらせ、上気した唇から思わず声が漏れる…最後のキスは、なっちやったなあ。
いつものように、じゃれあったキスだったが、柔らかな感触を思い出し、中澤の指の動きが激しくなる。
「んっはああ」 なっち…。病室の安倍を思い浮かべ、中澤は突然我に帰った。
…あたし、何やってんねん。なっちのこと考えながら、こんなこと。情けない気分になりながら、バスタブから立ちあがる。
決めた。明日は北海道のなっちの御見舞いに行こう。一旦火がついてしまった身体の疼きを持て余しながら、ぽつりとボヤキが出る。
「誰か何とかしてえな…」

病院の玄関には、中澤の到着を待ちわびた様子の安倍が、松葉杖を突きながらニコニコして立っていた。
心底嬉しそうな表情である。 「裕ちゃん!!!!」こちらに向かおうとした安倍が転ぶ…慌てて駆け寄る中澤。
「ああ、もう!なにやってんねんな」 抱き起こした安倍の目には、うっすらと涙が滲んでいる。
…なっち。「だって、裕ちゃんに会えるの、凄く嬉しくて…だから」
「アホ…」このコのこんな顔を見たら、何も言えなくなってしまう。二人は病院の中庭のベンチに腰掛けた。5月の陽射しが心地よい。
「今日は暑いくらいだな。」
「そう?…ああ、北海道だとそうなんかな」こうしていると、戦争中というのが、嘘のようだ。
「どう?リハビリは順調なん?」
「うん。抜糸もとっくに終ったし、骨も繋がってるけど、筋肉が弱ってて、まだ杖無しで歩けないんだべ。どう?なっち痩せたっしょ?」
確かに少し頬がコケ気味であるが、美少女ぶりはそのままだ。
中澤は昨夜の自分の行為を思いだし、ドギマギして目をそらしてしまう。…えっと…。なんか話題を。
「な、なあ、あんた今、彼氏居るん?」
「なっちけ?居ないさ。もう、別れて半年になるべ。裕ちゃんもそうなんだ?あの年下の彼、あれからずっと?」
「うん、まあ…」
自分から話題をふっといて、気まずい気持ちになってしまう。 中澤がかつて不倫に溺れていた頃、彼女を救ってくれた4つ下の男。

でも、悪いのは自分だ。不倫相手との縁をなかなか切れず、彼の気持ちに応えられなかった。
ようやく気持ちの整理をつけたとき、彼は既に中澤の許を去ったあとだった。
「何で待たれへんねん。ヘタレな男には私の相手は無理や!」
人前では強がり、悪態をつく中澤だったが、独りになると胸が痛んだ。…アホやなあ、私。いっつもタイミング逃すねん。
「裕ちゃん…?淋しいんだべ?」
安倍のつぶらな瞳が、中澤の心内まで見透かすようだ。
「なっち、何かできる?裕ちゃんが淋しいと、なっちも辛いよ。こんな時は、どうすればいいんだべか?」
心配する顔に、また涙を浮かべている。安倍はいつもそうだった。不器用で、口下手で、人見知りで、淋しがりやで…なのに、 いつも周りに気を遣っていた。
いつも自分より周りを心配していた。自分だって強くないくせに…。 私はほんまにアホや…。御見舞いに来てんのに、逆になっちに励まされてるやん。
中澤は解っていた。なっちを見舞いに来たのは口実で、本当はなっちに癒してもらいたかったのだ…。甘えてるのは私のほうだ。
「ありがとう、なっち。なっちの顔見てたら、力が湧いてきたわ。」
安倍の顔に笑顔が戻る。
「そや、明日、ドライブにいかへん?」
「え?」
「先生には私が許可取ったげる。病院の中ばっかりじゃ、退屈やろ?」
「ほんとに??」 春風が優しく舞う。木漏れ日を眩しそうに見上げながら、中澤は大きく伸びをした。
…私達は、どこに行くんだろう?私達は、どこまで行けるんだろう? 傍らで佇む安倍は、少女の頃と変わらぬ微笑を浮かべていた。

ハワイの占領に成功した後も、市井は帝国拡大の手を緩めなかった。いや、むしろ、戦いは 激しさを増していた。
市井は国連加盟国全てに対し、服従か戦争かを迫った。 圧力を賭けるだけではない。全世界に向け、理想国家建設による人類の統治を訴えた。
その熱い語りは、はからずも多くの人の心を揺さぶった。その結果、共鳴した国々が市井帝国の一部になることを進み出たのだ。
ただ、アメリカやヨーロッパ諸国の大半は、そんな市井を懐疑的に見ていた。当然ながら、戦線は拡大して行った。
しかし、勢力範囲が広がり、組織が肥大して行くと、どうしても市井一人では全てに目が届かなくなる。
市井は人心の掌握に、戦列に復帰した安倍を使った。 彼女の持つ愛らしさ、庶民性、それらは、占領地の人々に安らぎを与えた。
アメリカはしぶといな…。国連のリーダーという自負と、「強いアメリカ」「正義の砦」という国民のプライドが、帝国に対する服従を許さないのだ。
やはり、何か決定的なダメージを与え、戦意を喪失させる必要があるな…。建造されたばかりの総統府の一室に戻る時、親衛隊の一人が声をかける。
「閣下、部屋で客人がお待ちです」
「客人?」今日は、そんな予定はなかったはずだが…。
応接室に入ると、よく知った男が、葉巻を咥えてくつろいでいた。
「久しぶりやなあ。市井…いや、総統閣下とお呼びすればええんかな?」

「つんくさん??」暫く見ない間に随分恰幅が良くなったようだが、紛れも無くそれは、つんくだった。
「つんくかあ。その名前で呼んでくれる人間も少ななったな。」
「どうしたんです?何かご依頼でも?あなたには義理があるし、優遇しますよ。」
「いや、今日は商談に来たんや。」
灰皿に押しつけられた葉巻が、小さな音をたてる。
「商談?なんです?私の演説のCDでも発売したいんですか?」
「そうやない」つんくの顔から笑いが消える。
「核ミサイル、10基ほど買わへんか?」
「核?!」つんくの口から出た意外な言葉に、市井は戸惑いを隠せない。
「このご時世、CDなんか売ってるより、もっと儲かる方法がある。」つんくはゆっくりと立ちあがった。
「それは兵器や。戦争が起こって一番儲かるんは、兵器産業なんや。」
「じゃあ、つんくさんは…。」
「そう。早い話、武器商人やってるねん。今。」つんくの話によると、レコード会社は1年前にたたみ、既に市井帝国にも兵器の搬入 を行っているのだという。
「プロデュ―スするもんが、歌から戦争に替わっただけや。」
座っている市井の後ろにまわり、その肩に両手をかけて耳元で囁く。
「お前は権力を欲しがる。俺は金を欲しがる。似たもの同士なんや。」
つんくの口から低い笑いが漏れる。
「持ちつもたれつ、これからも、仲良くしようや。な?」
戦争は、人の心を変えて行く…。いや、眠っていた欲望が目覚めただけなのかも知れない。
市井は既にビジネスライクに徹するよう、気持ちを切り替えていた。

やはり、核を使うべきか…。既にアメリカ本土の軍事施設に対する攻撃、軍事衛星の破壊などに成功してはいたが、アメリカの抵抗は続いていた。
アジア、中東、南米、豪州…開戦から2年近くでその大部分を掌中に収めた市井帝国 であったが、ヨーロッパ、北米、アフリカでは苦戦を強いられていた。
何としても、アメリカを屈服させたい。アメリカさえ落とせば、残る国々の士気は、一気に低下するに違いない。
何故、解ろうとしないのだ?私は私利私欲のために戦っているのではない。
全ては理想国家 を築くためなのだ。民主主義?
悪い奴らが善人から搾取して肥え太り、己の欲望を満たす事 しか考えない政治家が横行する社会のどこに、真の幸福があるというのだ?
憎むべき民主主義の象徴であるアメリカ…。 一般人を巻き添えにすることは、決して本意ではない。しかし、やむを得まい。
これは大事 の前の小事なのだ。それに、これ以上長引かせては、犠牲者が増えるばかりだ。早く戦争を集結させるためなのだ。 そして……。
市井は核のスイッチを押した。「明日香、私は正しいのか?」

核の威力は絶大であった。この禁断の兵器の前に、合衆国大統領は条件付の降伏文書に調印した。
「合衆国市民の幸せを約束すること」それが唯一の降伏条件であった。
何故、アメリカは核による報復措置を取らなかったのか?アメリカにとっての核兵器は、使用することより、所有することに意義があったのだ。
核は外交の駆け引きを有利にする ための、見えざる脅威であることが全てだったのだ。報復は核戦争による滅亡への引き金 になりかねない。
まさか、本当に核を使う国があるとは、思っていなかったのである。
確かにアメリカの降伏は、市井帝国の進撃に大きな影響を与え、多くの地域では、帝国の統治下における平和と繁栄を実現しつつあった。
しかし、一方で抵抗を続けるヨーロッパやアフリカの局地戦においては、ゲリラ戦が泥沼状態に陥りつつあったことも事実である。
「紗耶香様。何を見ておられるのですか?」
二人きりの時だけ、後藤は「閣下」ではなく「紗耶香様」と呼ぶことが許される。
「この星空の下に何十億という人類が暮らしている。私は民を幸せにしているか?」
「勿論です。紗耶香様。」
総統府の寝室の窓辺から、空を見つめる市井の目には一体何が映っていただろうか?
野望の実現は、目前であるかのように見えた。

 

【番外編 飯田圭織の華麗なる戦争】

 

私は帝国軍広報部の記者である。
総統閣下の許可を頂き、この太平洋艦隊旗艦ミッドウェイ の乗り込み、伝説の司令官飯田圭織元帥を取材して、若き天才軍師の横顔をお伝えする。

2月某日 飯田様は朝から「寒い寒い」を連呼しておられる。
「ねえ、艦長。グアムに行こ!グアム!…あ、やっぱりグレートバリアリーフにしよ!」
「…オーストラリアまで行かれるのですか?!」
「だって、かおりん、まだ行ったことないもん」
「…承知しました」
気のせいか、初老の艦長に疲れの表情が見える。しかしその3日後、我が太平洋艦隊は、国連軍の潜水艦基地を発見。
敵に壊滅的ダメージを負わせ ることに成功した。
さすが飯田様である。全てお見通しだったのだ。
「スキューバ最高!!」 帝国軍艦隊をバックに一人、スキューバを楽しむ飯田様。
スケールの大きなお方である。「凄いよお!魚が!魚が!魚が!魚が!」

4月某日 飯田様はデッキから釣りを楽しんでおられたので、思い切って声をかけてみた。
「どうです?釣果のほうは?」
「は?チョ―カって?超カワイイの略?かおりん、いきなりそういう事言う男の人って、おかしいと思う。」
「ははは…」
ジョークの好きな方だ。もう一度訊いてみる。
「たくさん釣れますか?」言葉では答えず、飯田様は上のほうを指差した。
そこには、ひらきにされた魚が何十匹も干されている。
「あれは?」
「自給自足実行中なの。余ったら裕ちゃんにあげるつもりだけど。」
「自給自足?」
「そうだよ。かおりんが総理大臣になったら、ちゃんと自給自足できるようにするの。」
「……」
ジョークの好きなお方である。

5月某日 飛行甲板に全乗組員を集合させ、なにやら体操の指導をされているようだ。
スピーカーから楽しげな曲が、大音響で流れ始める。
う!!は!!う!!は!!ハンドマイクを持った飯田様が、ポーズをとりながら説明する。
「正拳突きはもっと腰を落として!」
さすが飯田様である。兵士達の戦場での緊張をほぐすために、自らこのようなことを。
なんと御優しい方であろうか。…更新するわ♪セクシービームで…♪
「ミュージックストップ!!艦長、セクスィビームはもっと大胆にしないと効果ないよ。」
「…せせくしいび〜〜〜む!」
「違〜〜う!!セクスィビ〜〜〜〜ム!!よ。せっかく美味しいパートふってあげてんだから。」
艦長は泣き笑いのような表情を浮かべている。きっと、飯田様のことが、大好きなんだろう。
いや、艦長だけではない。乗組員全員。そして、この私も…。
「行くよお!ミュージックスタート!!」

 

落日編

 

TOYコレクター組織の殲滅は、市井にとって大きな命題である。
戦闘と並行してTOY達 の開放を続けてきた市井であったが、組織の中心部の正体は、依然つかめずにいた。
膠着する最前線。繰り返し起きる、帝国内の叛乱。問題の多面化は、頭が痛い。そうだ!TOY開放活動を利用すれば?
「真希!」
「はい。閣下。」
「TOYの存在を、世間に公表しろ。」
「え?全てですか?」
「そうだ。我が帝国が行っているTOY開放活動を知れば、世間に帝国の正義を主張することができよう。すぐに準備しろ!」
「かしこまりました!」
後藤は内心、違和感を覚えていた。 紗耶香様は今まで、TOYのような子供達の居ない世の中の実現のため、権力を欲していた のではなかったの?
これではまるで、権力を伸ばすためにTOYを利用することにならないかしら?
…いや、紗耶香様はそんなこと。
市井に対する疑惑を打ち消しながら、後藤は広報部へと足を向けた。私は紗耶香様を信じるだけ…。

極東方面軍総司令官信田美帆、ヨーロッパアフリカ方面軍総司令官平家みちよ、太平洋艦隊総司令官飯田圭織 以上の3名が、
市井帝国軍における攻撃の3本柱である。中でも飯田は不敗神話を誇る将軍として、帝国内では別格の評価を受けている。
補足すると、総統府付親衛隊長中澤裕子、総統府付筆頭秘書官後藤真希、諜報室長官小湊美和、占領地区統治 元帥安倍なつみ…といったところが、
現在の主要メンバーの役職である。 ただ、安倍に関しては元帥の称号は残しているものの、実質前線からは引退の身にあった。
市井が彼女に求めたのは、一般層への求心力であり、軍事的な才能ではなかった。まさに安倍なつみは、モーニング娘。の顔であった。

市井を乗せた軍事車両は、ヨーロッパ北部の最前線に向かっていた。市井が最前線を訪れるのは、珍しいことでは無い。
現に世界各地に点在する総統府の屋敷は、前線に近いところに建造されていた。
一国の元首が、あえて危険な前線に 身を置くことで、兵士達の士気の昂揚に絶大な効果があることを、市井は熟知していた。
車両の窓から難民キャンプが見える。憔悴しきった難民達。毛布に包る痩せこけた子供達…。
大勢の「明日香」がいた。あのコ達を救わなければ。早く戦争を集結させねば…。
「真希、到着したら、私が直接叛乱勢力討伐の指揮を執るぞ。」
自ら起こした戦争とその拡大が、多くの戦争孤児を生みだしているという矛盾に気付く気配の無い市井の横顔を、後藤はじっと見つめていた。

「まあ!ロベルト!そっちに行っちゃ駄目よ」
広大な屋敷の中を小柄な母親が、ハイハイして逃げる1歳児を追いかける。
イタリア南部の小さな港町。穏やかな気候と風土に恵まれたこの土地で、真里バッジヨ―――旧姓矢口は、子育てに追われていた。
真里の夫は、ヨーロッパで名高いバッジヨ家の御曹司である。
有名ブランドの社長でもある彼は、クーデター騒ぎの直後に日本を離れ、生まれ故郷であるこの土地で、恵まれた暮らしを営んでいた。
当然ながら真里もクーデター以降、市井とは音信不通である。勿論その後の市井については、マスコミを通じてよく知ってはいたが…。
真里にはいくつかの気がかりがあった。それは、夫の動きである。どうやら夫はヨーロッパ 連合の中枢を形成する組織「黄色い狛犬」に資金援助を行っているらしいのだ。
事実上、市井と自分は敵対する組織に属していることになる。 そして、もう一つの大きな疑問…。
それは、ここに来た直後から続いている。 屋敷の有る敷地には、様々な建物が存在する。そのうちの一つが、どうもおかしいのだ。
見た目は何の変哲もない4階建てのマンション風のビルなのだが、夫は真里の立ち入り を、強く禁じていた。
更に、夫は月に2回ほど、そこに入るのだが、奇妙なのは来客のある時である。
小さな子供を連れた人々がやってくるのだが、何故か帰る時には大人 だけなのだ!
2階の自室から、この様子を見て知った真里は、胸騒ぎを感じていた。
夫はやはり、何か重大な秘密を抱えている。
「ロベルト…」腕の中で寝息を立てる息子を、慈母の眼差しで見つめていた母親は、暖炉の上の写真に目を移す。
優しく微笑む夫…。その部屋にの机に置かれた新聞には、市井帝国が発表した、TOY開放活動の文字が躍っているのを、真里はまだ知らなかった。

「極東方面軍総司令官信田美帆、ヨーロッパアフリカ方面軍総司令官平家みちよ、太平洋艦隊総司令官飯田圭織…以上の3名が、市井帝国軍の3本柱です。特にこの飯田という女、ハワイ海戦を始め、連戦連勝のツワモノです。今回の ターゲットは、勿論、この飯田です。」
ここはアメリカのとある場所に有る建物の一室。そこに集まった男達が会議を行っている。元軍人と思われる長身の男が、質問する。
「情報は確かなんでしょうな?」
「間違いありません。飯田は1週間後にロサンゼルスに現れます。既にホテルの部屋番号まで調べ終わっています。このチャンスを逃す手はありません!」
リーダー格の黒人が、立ちあがる。
「諸君、ヨーロッパでは、『黄色い狛犬』が善戦を続けている!我々も今回の計画を期に、一気に形勢を逆転し、自由を取り戻そうではないか?!!」
10数名の男達が、一斉に気勢を上げる。
「飯田圭織暗殺計画は、深く静かに動き出そうとしていた。 計画書に目を通していた、先ほどの長身の男が、ぼそりと呟く。
「…どうでもいいが、うちの組織名、どうにかならんのか?『青いスポーツカー』は無いだろ…」

もうすぐ飯田に会える。約1年ぶりの再会に、安倍は嬉しさを抑え切れずにいた。
そうだ!なっち特製の杏仁豆腐を食べてもらおう!
今度こそ美味しいって言ってくれるべ?!
「牛乳と寒天」とはもう言わさないよ。
ちょうどアメリカ地区の視察に訪れていた安倍は、飯田がロスに来ることを知り、上機嫌で杏仁豆腐作りにとりかかった。

「久しぶりの陸の上って気持ち悪〜〜い。地面が動かないのって、なんかヘン!」
歓迎式典もそこそこに、飯田は早速ロスのホテルを目指した。
なっちに会える…。どっか、買い物につきあってもらおうっと。
楽しい再会の予感に思いをはせながら、飯田はベンツの後部座席から外の景色を眺めていた。
「なによお。雨が降ってきちゃったよ。」 これから彼女に訪れる運命を暗示するかのように、雨は激しさを増して行った。

運命とは皮肉なものだ。ほんの小さなズレが、大きく明暗を分ける。突然の激しい雨に、ロス市内は渋滞が続いていた。
2台の護衛車に挟まれたベンツの中で、飯田は仏頂面をしていた。もう…こんな時に。

一方、安倍のほうはタッパーに詰めた杏仁豆腐を携え、一足早くホテルに到着していた。
VIPの到着に、スタッフが仰々しく出迎える。
「え?圭織はまだなの?」フロントから、飯田がまだチェックインしていないことを聞かされた安倍は、しばらく 思案した後、先に部屋で待っていることにした。
「いいべ?」
「勿論でございます。」
支配人から直接キーを受け取り、すぐに最上階の部屋に向かおうとする安倍を、SPが慌てて追いかけようとする。
「もう、大丈夫だって!上にもSPいるんっしょ?」やれやれ…。
VIP待遇っていうのも、窮屈だあ…。
部屋に入ると、早速タッパーの中身を皿に移し、飯田を出迎える準備にとりかかった。ふふふ。完璧な出来だ!圭織、驚くべ?
安倍が一人でにやけていると、ドアをノックする音がした。来た! 圭織!! しかし、勇んで開けたドアの向こうに立っていたのはホテルのボーイだった。
「なんだあ…。」 落胆した安倍は、その時、ボーイが笑うのと同時に、小さな音を聞いたような気がした。
「…え?何?」 安倍の胸から、熱いものが勢い良く噴き出して行く。「何じゃあ、こりゃ?」前のめりに倒れながら発した声が、部屋の中に虚しく響いた。

飯田がホテルに到着したのは、その30分後だった。

「安倍様が先に部屋で御待ちしております。」その言葉が終らないうちに、飯田は子供のように、エレベーターに向かって走り出した。
早くなっちに会いたい。いろんなことを話したい。はやる気持ちを抑えられず、エレベーターの数字を声に出す。
「21、22、23、24、25…」ようやく最上階に着き、扉が開く。「…?!!!」 目の前で倒れている二人のSPに、絶句する。
廊下の先の、自分の部屋のドアが、半開きになっている。
「なっち!!!」叫ぶ!走る! 御願い!なっち、無事でいて!しかし、ドアをあけた飯田の願いは、あっさりと打ち砕かれた。
血の海に倒れているのは、紛れもなく安倍なつみだった。
「嘘でしょ?冗談よね?なっち…」
抱き起こした飯田の軍服に、べっとりと赤い色がつく。
「なっちなっち…。」いくら呼んでも、安倍は二度と返事をしてくれなかった。
飯田がふとテーブルを見ると、そこには綺麗な皿に盛られた2人前の杏仁豆腐が並べられてある。
こみ上げる悲しみの衝動に、飯田はこらえ切れずに絶叫した。「なっちいいいいいい!!!!!!!」

生まれ故郷の室蘭市にある墓地で、安倍は小さな体を棺に納められ、かつてのメンバーと 悲しみの対面をしていた。
しゃくりあげながら号泣する後藤。安倍の顔をじっと見つめ、 唇を噛む中澤。そして、いつまでも棺から離れようとしない飯田…。
ホテルでの飯田の取り乱し方は酷かった。死亡の確認をする医師に向かって、
「なっちは死んでない!まだ生きてるよ!なっちを助けて!御願い!」悲鳴に似た声で、哀願し、号泣し続けていた。
駆けつけた稲葉が押さえつけて、鎮静剤を打たなければならなかったほどである。
「ほんとなら、殺されていたのは私だった。なっちは私の代わりに…。」
「圭織、自分を責めたらあかん。」中澤が飯田の肩を抱きしめる。
「裕ちゃんんん」 飯田は中澤の胸で、小さな子供のように泣き続けた。
市井は葬儀の間中、ずっと無表情にその様子を眺めていた。その瞳の奥には、確かに 蒼白い炎が燃え盛っていたが、そこに居る誰一人、それに気付く気配はなかった。
近しい者だけが集まった小さな葬儀を終らせるため、棺が閉められようとした。
「待って!!」 中澤は、もう一度棺の中の安倍を見つめると、その小さな唇に、自分の唇を重ねた。「さよなら…。なっち。」

国民的アイドル安倍なつみの訃報は、帝国内に限らず、全世界に衝撃を持って伝えられた。
一人の女性の死が、これほどのニュースになるのは、90年代のダイアナの時以来であった。
それほど、安倍は敵味方問わずに愛されていた。

しかし、どういうことだ?!占領地とはいえ、ホテルの周りには厳重な警戒体制をとっていたはずだ。
それを易々と正面突破を許すとは…。
帝国の支配力が弱まっているというのか? 葬儀の終ったその夜、市井は眉間に皺を作りながらブランデーを傾けていた。
「飯田は暫く休ませよう。代行には副官の稲葉を充てるよう、伝えてくれ。それから」
傍らでグラスに氷を入れていた後藤の手を止める。
「真希、今夜は独りで飲ませてくれないか?」後藤は無言で頷くと、静かに部屋を出ていった。
その時、市井の目に光ったのが涙だったのかどうか、後藤には確認するすべはなかった。

翌日、「青いスポーツカー」と名乗る組織が、犯行声明を出した。彼らにとって、暗殺する相手は飯田でも安倍でも良かったのだ。
帝国にダメージさえ 与えられれば…。帝国の牙城は、少しずつ揺らぎつつあった。

 

【番外編 保田の愛】

 

激戦が続くヨーロッパ戦線において、パリの町は数少ない中立地帯である。
夕暮れのカフェで、一人の日本人女性がエスプレッソを飲みながら、新聞に目を通している。
「なっち…。」 自分が日本で彼女と同じステージに立っていたのは、もはや遠い過去のことだ。
芸能界をやめた後、私は世界中を巡ってボランティア活動をしていた。そして、戦争…。
戦争孤児や難民の救済活動を続けているうち、いつしか私は銃を取り、帝国軍と戦うようになっていた。
紗耶香…あなたと戦うことになるなんてね。あなたは、私にサディスティックな愛を 与え、私はそれを受け入れた。
でも、若かった私は、そんな歪んだ関係から逃げるように、あなたから去った。
紗耶香、今度は私から愛をあげる…。この手であなたを殺してあげる。 エスプレッソを飲み終わり、通りに出ると、連絡員らしきオーストリア人の男が近寄る。
「ケイ、いよいよ、大規模な作戦が始まるぞ。」
小声で囁いた男は、はっと息を呑んだ。保田は決して整った顔の美人ではない。しかし、化粧すらしていないその顔は、夕陽に 照らされ、気高く輝いていた。

小湊が、やや緊張した面持ちで報告をする。
「閣下、『黄色い狛犬』のリーダーが判明しました。日本人の女性のようです。名前は…  ケイヤスダ…。」
市井は保田の名前を聞いたというのに、不思議と驚きは少なかった。
圭…あんたとは、いつかこんな風に逢うような気がしてたよ。私が死ぬか、あんたが死ぬか…。
私達の愛は、やっぱりこんな形でしか実を結ばないようね。

同じ時刻、市井と保田は、同じ夕陽を眺めていた。

「閣下、あと5分で到着します。」
「うむ。」1機の帝国軍ステルス機が、イタリア上空に静かに侵入していた。
いよいよ、奴らを叩き潰せる。永かった…。TOYコレクター組織の幹部による、大規模なオークションがあると判ったのは、1週間前のことである。
表面上はヨーロッパの財界人の社交パーティーということになっている。
「私も行く」
「閣下?!それは危険過ぎます。イタリアは連合の領域です。我々諜報部の精鋭にお任せ下さい!」
「小湊、これは、私が自分自身で決着をつけないと、意味がないんだ。」
静かだが強い市井の語気に、さすがに小湊もこれ以上は異論が言えない。
「判りました。では、私も同行して、閣下を御守りさせていただきます。」

とある海岸の上空で、ステルス機から10人の人影が降下した。
海岸には豪華客船といっていいくらいの、巨大なクルーザーが停泊している。
闇に包まれた海上から顔を出している10人は、御互いを確認すると、作戦の遂行にとりかかった。
明日香…。やっと、ここまで来たよ。

煌びやかな船上パーティーの片隅で、真里は所在なげにぽつんと座っていた。
こんなことなら自宅でロベルトの子守りしてるほうが、良かったなあ。
お義母様とメイドに任せて来ちゃったけど、あのコ、良い子にしてるかしら?
10代の頃とは違い、すっかりこういう所が苦手になっている自分に気づき、思わず苦笑する。
昔は芸能界辞めたらコギャルになりたいなんて、バカなこと言ってたのにね。夫のディノは、大切な商談があるとかで、どこかに行ったきりである。
こんな可愛い奥さん放っておいて、何やてんだか!もう…。

先に船に潜入していた諜報員が、小型マイクで手引きする。
「船首の右舷側から、上がってください。ワイヤーが降りているはずです。」
10人は静かにすばやく上がると、ウェットを脱ぎ、用意した服装に着替える。
武器は既に先行チームが、船の各所に隠してある。あとは船底で行われるオークションに、何食わぬ顔で出席するだけだ。
男装には自信が有る。我ながら、絶世の美男子ぶりだ。小湊が市井を見ながら、何故か顔を赤らめている。
…凄い。カッコイイ。 任務中だというのに、一瞬、あらぬ妄想をかきたてられる小湊であった。

「は?女性もご一緒で?」入り口の守衛が驚く。
「悪いかね?彼女もそういう趣味では。」
「いえ!そういう意味では。申し訳ございません。では係について、下に降りて下さい。オークションは15分後でございます。」
偽造した会員カードの照合が終り、市井と小湊は、まんまと潜入に成功した。
会場には、20名ほどのメンバーが顔を揃えている。みな、名の通った大富豪や政治家、 企業家ばかりである。
モニターによって参加している遠方の会員もいるらしい。こいつらはリストを入手したら、みな地獄行きにしてやる。
どいつが黒幕だ?オークションは、昔ながらの競売方式だ。通貨はドルらしい。
最初に連れ出された少女は7、8歳の白人である。手錠が痛々しい。
「さあ、1番はブロンドの髪、ブルーの瞳。正統派の美形ですよ。では、10万から!」
とにかく、あとは別行動のチームが、会員名簿のロムを手に入れるのを、待つだけだ。「15万!」
「15万8千!」 競り落とされた少女達には、次々と落札札が付けられて行く。
「さあ、みなさん。お待たせしました。最後は本日の目玉商品です!」
司会の声が、一段と大きくなる。

東洋人の少女がおずおずと現れると、会場から感嘆の声があがった。
「いかがでしょう?美しい黒髪。高い知能がかもし出す、知的な美しさ。どうです?こんな子をあなたの自由にしてみませんか?」
VIP席と思われる一段高いところから、若いイタリア人が一際興味深そうに質問する。
「年齢は幾つだね?」
「10歳です。しかし、主催者のバッジヨ様が購入されるのは、本来ルール違反ですぞ。」
司会者がニヤニヤ笑いながら答える。
「まあ、いいではないですか。その代わり、バッジヨ様も競売に加わって、正面から落として頂きますよ。」
近くの老紳士が、そのバッジヨと呼ばれる若いイタリア人に釘をさす。
「勿論!イカサマはなしさ。私もゲームを愉しむよ。」…この男が黒幕か?!!
ディノバッジヨ。名門の御曹司だな。
 「では、まいりましょう。100万からです!」「120万!」「128万!」「135万!!」
値段はどんどん釣りあがって行く。
「150万!」バッジヨが、一気に引き上げる。
「おお。さすがはバッジヨ様ですね。もういませんか?」
周囲の会員が、「やれやれ、またディノに持って行かれそうだ」と囁きはじめたその時。
「200万だ。」 それまで黙っていた新顔の東洋人が、手を挙げた。周りの視線が、その小柄な美男子に注がれる。
市井の予想外の行動に驚く小湊。
「ふ…。面白い男だ。では、私は220万だ。」「250万」顔色を変えずに対抗する市井。
「おやおや。失礼ですが、懐の方は大丈夫ですかな?あまり意地になると、あとで 泣くことになりますよ。」
「心配は無用だ。それより、あなたの方はもうお終いですか?」
「く…270万だ!」バッジヨの顔が引きつる。
「300万だ。」

「300万?!!どうです?バッジヨ様?」筋書きを乱された司会者が、バッジヨに助けを求める。
「うぬうう…。負けだ。私は降りる。」 会場がどよめく。
「22番様、落札でございます!!」司会がヤケクソ気味に言う。
拍手の沸き起こる中、バッジヨが市井に近づき、手を差し伸べる。
「いや、参りましたな。失礼だがあなたは?」
「市井…紗耶香」
「え?!」その瞬間、市井はバッジヨの手を掴みあげると、喉元に銃を突きつけた。
「動くな!!!!」
「き貴様…。市井帝国の」
小湊も腿に忍ばせた銃をかまえ、市井の傍らに駆け寄る。
「小湊、ロムのほうはどうなった?!」
「はい。たった今、終了しました。」
「よし、ではヘリを準備させろ!」素早く小湊とやりとりすると、市井は声を張り上げた。
「子供達を収容しろ!急げ!!」会場に駆け込んできた工作員が、子供達を船外に連れ出して行く。
「お前には脱出するまで、人質になってもらうぞ!」会場からデッキに移ろうとした時、激しい銃声がした。敵の警備員との 撃ち合いが始まったのだ。

「走れ!!小湊!!」悲鳴と銃声が飛び交う船内は、あっという間にパニックに陥っていた。
「貴様…。この俺にこんなことをして。」市井に引きずられながら、バッジヨが恨めしそうに呟く。その時だった。
「あなた!!」 呼びとめる女の声に、市井とバッジヨは同時に反応した。
「真里?!!」
「紗耶香…?なぜ?」
喧騒の中、3人の時間だけが凍りつく。
「やっぱり…。そうなのね。」動転しながらも、真里は二人に激しく詰め寄る。
「さっき連れて行かれたあの子供達は何なの??!!あの子達がTOYなの?」
「そうだ。」市井が冷めた声で答える。
「バカな!真里、こんなヒトラーモドキの女の言う事を信じるのか?!」その言葉と同時に、バッジヨの頬に平手打ちが飛んだ。
「私、知ってるのよ。時々、屋敷の南のあの建物の中に子供が連れて来られるのを。でも…。信じたかった。信じたかったのに!どうして?どうしてなのよお?!」

「いいか、真里、誤解だよ。落ちついて話せ…ぐふっ。」流れ弾が、バッジヨの胸を貫く。
「あなた!!」 駆け寄る真里に、市井は別れの言葉を告げる。
「さよならだ。真里。お前は生き残って幸せになれ。」
「待って!!」 走り出す市井を真里が追いかける。
昔からそうだった。走って行く紗耶香の後ろ姿を、いつも追いかけていた。
今、話さなければ、もう二度と逢えない。デッキに出ると、上空のヘリが、激しい風を巻き起こしていた。
「紗耶香様!!早く!!」 小湊がヘリからの梯子に掴まりながら、市井に手を伸ばす。
「紗耶香!!」 振り返った市井に見えたのは、涙に濡れる真里の顔。その後ろから、マシンガンを構えるバッジヨ…!!危ない!
「紗耶香、私はあなたのことを…」ヘリの爆音が、真里の声をかき消し、バッジヨのマシンガンが火を噴いた。
間一髪、市井の手を掴んだ小湊を、ヘリが引き上げる。しかし、真里は。
「真里いいいい!!!!!!!!!!!」 小さな真里の体は木の葉のように風に舞い、ゆっくりと暗い海に落ちて行った。

作戦は成功し、悲しみを乗せた船は、どんどん遠ざかっていった。

 

落日編2

 

中澤が矢口の死を知らされたのは、昨日の事だ。なっちも真里っぺも、私より先に逝くなんて…。
圭坊は敵に回るし…。 もう、なにが何だかわからへん…。
気持ちの整理がつかないまま、予定通り捕虜収容所の視察を行っていた中澤は、 上の空で所長の説明を聞いていた。
その中澤を現実に引き戻したのは、収容されている捕虜達の現状を、目の当たりにした時であった。 …なんやねん。これ?…まるで豚小屋やんか?!!

捕虜収容所の視察を終えた中澤は、応接室で所長と向き合っていた。
「すまないな。補給が分断され、帝国内の生産も滞りがちなのだ。」
「いえ、国情は承知しております。」セブンスターに火をつけながら、中澤の口から、ついつい溜息が出る。
捕虜達の健康状態は極めて悪い。この施設も1000人の定員に、2000人近く が詰めこまれているのだ。
明らかに食料は不足しているし、衛生状態も酷い。「失礼します。」副所長が、なにやら複雑な表情で入ってきた。
「どうした?」「はい。たった今、総統閣下からの通達があったのですが…。」心なしか、声が震えている。
「今すぐ、捕虜を全て『処分』しろと」
「何やて??!!!」あまりのことに、中澤が大声をあげて、立ちあがる。
「所長、少し時間をくれ。私が直接閣下に確認する。」
「それが…。親衛隊長殿が何を言っても、すぐに決行するようにと…。」
副所長は、苦悶の表情で、ファックスを差し出した。
「バカな…。なんてことを…。」紗耶香…。あんた一体何考えてんねん?!!

既に収容所では、慌しく虐殺の準備が進められていた。

「捕虜を殺すんですか?」後藤は自分の耳を疑った。
「これまでが、手ぬる過ぎたのだ。これからは、捕虜だけでなく、帝国人民であっても、厳しく罰をあたえる。やはり愚民どもは、私が厳しく統制してやらねばならん。」
市井の声には、一切の感情が汲み取れない。 …紗耶香様…。
「あ、それと。先日捕まえた『黄色い狛犬』のゲリラどもな。あいつらは公開処刑しろ。帝国に逆らったらどうなるか。見せしめだ。」
「公開処刑…そんな…」
「なんだ?私に意見があるのか?」
凍てつくような市井の目つきに、後藤は言葉を失った。やはり、紗耶香様は尋常では無い。
何かが狂い始めている…。 湧きあがる不安に押し潰されそうになりながら、後藤は無意識に、一人の女の顔を思い浮かべていた。
…圭ちゃん…。私、紗耶香様が解らなくなって来たよ。

難民達は熱狂していた。みな体も心も傷つき、飢えに苦しんでいたが、彼女の勇姿が人々を勇気付けた。
男も女も。老人も子供も。 野戦病院の兵士の頭をそっと撫で、飢えた子供達に、無け無しの食料を配り歩く様は、まさに聖母のようであった。
しかし、自分を神格化しようとする人々に対し、保田は常に諭し続けた。
「私は聖人なんかじゃあない。普通の女よ。ただ、今の世の中に、ただ黙っているのは嫌。みんなはどう?このまま、自分や家族の運命を他人任せにしていいのか、もう一度考えて。強要はしないわ。でも、気持ちが同じなら、私のところに来て。ともに戦いましょう!」
保田はゲリラ戦において、卓越した戦術を持っていたが、何より彼女の目線の低さは、兵士以外の多くの人々の心を一つに纏め上げていた。
「俺はケイと一緒に戦うぞ!」
「私も戦う!亭主の仇をとってやるんだ!」
「俺もだ!!」 農民が、猟師が、ビジネスマンが、主婦が、民衆の力は今、大きなうねりを生み出そうとしていた。
「みんな。戦おう!帝国を恐れるな!自由のために、ケイヤスダを信じよう!」

公開処刑は連日のように行われた。それは日に日にエスカレートし、目を覆うばかり の惨情が、スタジアムに観客を集めて行われ、TV中継で全世界に放映された。
市井はその日も処刑の様子を楽しんでいた。
「ひゃはははっはは!!最高!!見た?今のあいつ!泣きながら命乞いしてやんの!」
とうとう耐え切れずに中澤が、市井の前に立ちはだかる。
「閣下…。いや、紗耶香!!あんた、今自分が何やってるか解ってるん?!あんたは、こんなことする子とちがうぐっ…」
市井の右アッパーが中澤を打ち倒す。市井は椅子から立ち上がると、中澤を容赦なく 蹴り続けた。
目をぎらつかせ、無言で足を繰り出すその姿は、明らかに狂気を孕んでいた。
中澤は既に意識を失っている。
「やめて!!止めてください!紗耶香様!!」後藤が身を呈して間に入る。
「止めて…。御願いです。中澤さんが…裕ちゃんが死んじゃうよお…。」 市井は肩で息をしながら後藤を見ていたが、何も言わずに背を向け、去って行った。
もう、誰も止められないの…? 血まみれの中澤の姿に、絶望感を噛み締める後藤であった。

あのプッチモニ合宿の日。紗耶香様は圭ちゃんを、さっきの裕ちゃんと同じように 蹴り続けた。
でも、あの時の紗耶香様は手加減してたし、顔だって蹴ったりしなかった。…なのに…。 市井は昔からサデスティックな面は持っていた。
しかし、それはいつも計算されたものであり、常に冷静であった。
さっきの市井は、完全に「キレて」いた。以前では考えられないことだった。
目の前のベッドに横たわる中澤の顔面は、包帯に覆われていたが、鼻を折られ、赤黒く膨れ上がっていた。
「…なあ。真希…。」
「裕ちゃん?目を覚ましてたの?」
「なんか不思議な気持ちや」
「何が?」後藤は椅子から立ち上がり、顔を中澤に近づける。
「あんたがモーニング娘。に入ったばっかりのころ、私、何喋ってええか全然わからへんかってん。あんたも、私のこと怖がってたやろ?」
10年近く前の事を、懐かしそうに話す。
「だって、私はまだ子供だったし。なんだっけ…『あか組4』の時、ジャケット撮影の移動の車の中、凄く気まずかったね。」
「そうそう。あんた顔ひきつってたもん!」思わず、二人から笑いが漏れる。
「っつ…。イタた。」
「裕ちゃん、無理して喋らない方が。」
「うん…。ありがと。でな。だから、今あんたとこんなふうに接してるんが、なんか凄く不思議な感じがするねん…。」 …裕ちゃん。
「なあ、真希。もう、あのころの紗耶香はおらへんのかなあ。」中澤の声は珍しく弱気で、涙ぐんでいた。

旗艦ミッドウェイでの作戦会議。副官稲葉は不安に駆られていた。他でもない、戦線に復帰した飯田の態度である。
飯田の様子は、誰が見てもおかしかった。異常なくらいのハイテンション、飯田らしくないオーソドックスで、キレを欠く戦術内容…。
「さあ、みんな張り切っていこ〜〜〜〜!」笑顔が不自然に感じられる。 そして、ある日偶然、稲葉は見てしまう。
飯田が部屋で独り言をぶつぶつ呟きながら笑っているのを…。…指令長官殿?
稲葉の不安は、その数日後、的中する。第二ハワイ海戦における、連合艦隊の大敗という形で…。
その日を境に、帝国軍艦隊の撤退が続くことになる…。

「そうだ!真里っぺに連絡して、新曲の練習しなきゃね。」相次ぐ仲間の死と、急転する戦況が、飯田の精神を確実に蝕んでいた。

市井がシャワーを浴びる音を聞きながら、後藤は放心したように、ベッドにうつ伏せになっていた。
このところ、紗耶香様は毎晩のように激しく求めてくる。でも…。
「真希、お前もシャワー浴びろ。私は先に休ませてもらう。」
バスローブを着た市井が、事務的な口調で言う。いつもだ…。
昨日も、一昨日も、その前も。 ことが終ると、さっさと身支度を済ませ、自分の部屋に戻ってしまう。
私は単なる欲望のはけ口なの? 思えば、市井の口から直接愛していると言われたことはない。
言葉以上の繋がりを信じて、今まで関係を続けてきた。しかし。 紗耶香様の心の中は、今も「あの人」だけなの?
真希はいないの?何度も繰り返してきた想い。確かなものが欲しい。 後藤とて女である。
形の無いものを信じるには、今の状況は辛過ぎるものであった。判らないよ…。
私、どうしたらいいの? 以前はこんな時、いつも傍らで髪を撫でてくれる人がいた。その人は、私の前から去る時に言った。
「真希。この番号は変わらないからね。いつでも電話してきていいんだよ。」 でも、あれは7年前のこと。しかも今は戦争中だ。
もう、かかる筈がない…。考えとは裏腹に、携帯のメモリーを呼び出し、ボタンを押してみる。 呼び出し音が鳴る。…まさか?
「はい。保田です。」変わらぬ優しい声が返って来た。

中立地区パリのとある古びたバー。そのカウンターで頬杖をつきながら、後藤は落ちつかない様子で、何度も煙草に火をつけていた。
6本目の煙草を吸わないまま灰皿に押し付けた時、懐かしい声がした。
「元気にしてた?真希。」
「圭ちゃん…。」 顔を見るなり、後藤の目から、大粒の涙が溢れ出す。
「泣き虫は相変わらずのようねえ。」 後藤の隣に腰掛けると、あの頃と同じように髪を撫でてくれる。
「私はシーバスリーガルをロックで。この子にはマティーニをお願い。」 やがて目の前に出されたグラスを手に取ると、穏やかに微笑む保田。
「さあ、涙拭いて。まずは再会を祝して、乾杯しましょう。」
「うん…。」夜は静かに更けていく。

ほろ酔い加減で昔話に花が咲き、一時を楽しんだ後、二人はホテルの一室に入った。
「お水飲む?」
「ん。ありがとう。」 保田が差し出してくれたミネラルウォーターに、口をつける。
「ねえ。圭ちゃん…。」
「何?」
「どうして何も訊かないの?」 後藤の問いかけに、保田は暫く腕組をして黙っていた。
どれくらい無言で向き合っていただろう。やがて、保田はゆっくりとした口調で 切り出した。
「そうね…。上手く言えないけど、答えはあなたの中にあるんじゃないかな。」
意味がわからず、ぼんやりしている後藤に近づくと、髪を撫で、そっと額にキスをした。
「とにかく、今日はもう、休みなさい。傍についててあげるから。」
優しい言葉に促され、後藤は眠ることにした。今、この一時だけが、後藤を全ての圧迫から開放してくれるようだった。

翌日、後藤が目を覚ますと、保田の腕枕の中にいる自分がいた。
後藤が寝つくまで、ずっと髪を撫でていてくれたのだ。
気付かれないようにベッドを出ると、バッグの中から、数枚のCDロムを出し、机の上に置いた。
心臓が高鳴る。 …これでいいんだ。これで…。
「そのCDロムは何?」保田の声が、肩越しに響く。
「…圭ちゃん…。起きてたの?」起きあがり、近寄った保田がCDロムを手に取る。
「次の帝国軍の作戦、補給部隊の航路…現在の戦力の全てが判るわ。」
「真希…。あんた。」俯き、覚悟を決めたかのような後藤の姿に、保田は胸がつまった。
「判ったわ。あなたの思うようにしなさい。私も自分の立場があるから、この資料は、遠慮なく利用させてもらうわ。」

「また、連絡します。」帰り際の後藤の顔に、運命の糸に操られて来た女の哀しみが浮かんでいた。

 

【番外編 砂漠の虎平家みちよ 1】

 

帝国軍が、アフリカ戦線において苦戦を強いられた最大の原因は、なんと言ってもその気候と地形にあったと言えよう。
そして、敵を恐れない誇り高き民族の血。そのアフリカ諸国の将軍達が、唯一恐れ、敬意を払った帝国軍の女…。
ヨーロッパアフリカ方面軍最高司令官、平家みちよ…。将軍達は彼女のことをこう呼んでいた。―――「砂漠の虎」と。

「ラウドルップ少佐。」数少なくなった帝国との同盟国デンマーク生まれの若い将校に、平家が声を掛ける。
「次の補給が終ったら、一周間の休暇を与える。家族に会って来い。」
「ありがとうございます!…しかし、司令官殿は、もう半年も戻られていないのでは無いのですか?」
「私のことは心配いらん。ゆっくり羽を伸ばして来い。子供が生まれたばかりで、奥方も大変だろう。」
「…司令官殿。」部下達の、平家に対する信頼は厚い。冷静沈着で勇猛果敢。
そして何より部下を気遣う優しさがあった。 …もう、半年も逢っていないんだ。前線基地の司令官室。
そっと引きだしを開けて見る。 故郷の三重に残してきた恋人の、屈託なく笑う姿が眩しかった。
「砂漠の虎」平家みちよ。彼女もまた、女であった。

三重県四日市市。その日の勤めを終えた青年は、今日も国際電話を掛ける。
「みちよ。来月は帰れそうか?…そうか。わかった。じゃあ…。」 短い会話を終えると、机の上の小箱をみつめ、溜息えお漏らす。
箱の中に輝く小さなリングは、はめてくれる人の帰りを待っている。 …生きて帰ってくれよ。そして、プロポーズするんだ。

「なに?!どういうことだ?!3日後の作戦のための弾薬が、届かないだと?」
平家の顔が、青ざめる。備蓄分の弾薬しかない今、攻撃されたら一溜りもない。
連合軍側の、この前線基地に対する情報を掴んでいた平家は、敵の攻撃の直前にこちらから仕掛け、敵の主力を一気に叩くつもりだったのだ。
「今回の補給は…つんくさん…。」帝国軍は前線での武器弾薬の補給を、国内からではなく、外部の武器商人から仕入れていた。
どういうことなの?つんくさん…。

「つんくさん。何故補給が来ないんですか?!」
「悪い悪い!ちょっと、遅れててなあ…。来週にはなんとかするわ。」
電話の向こうのつんくは、悪びれた様子もない。
「来週じゃ、遅いんですよ!つんくさん、聞いてます?つん…。」
電話を途中で切ると、つんくはその突き出たお腹をさすりながら、ゆっくりと葉巻を くゆらせた。
…悪いなあ、平家。お前んとこより、向こうが高う買うてくれるんや。

なんてこと?!!一番近い味方の補給基地でも4日はかかる。間に合わないわ!!歯軋りをこらえ、平家は全軍に撤退指令を出した。
仕方がない。一旦退いて、機を伺わなければ…。しかし、引き上げに追われていた平家達を、悪夢が襲う。
「司令官殿!!敵の奇襲攻撃です!!」…遅かったか?!!!!
「みな、避難しろ!!」
「司令官殿は?」
「私は一番最後に出る!!」怒号が飛びかう司令塔から、敵の機影が迫っているのが見える。
弾薬のない基地など、張子の虎のようなものだ。それでも気休めの弾幕が張られる。
…ごめんな。私、やっぱり帰れそうもないよ…。 平家達の頭上に、激しい雨のようにミサイルが降り注ぐ。

「砂漠の虎」平家みちよ、凄絶に散る。

「社長、市井様よりお電話が入っておりますが。如何いたしましょう?」
「なんやねんな。もう…。食事中やっちゅのに。」
テーブル一杯に並べられた豪勢な料理を、名残惜しそうに目で追いながら、舌打ちする。
電話の向こうの市井は、苛立ちを隠さない。
「つんくさん。前線の部隊への納入が、遅延気味のようですが?」
「ああ、その件ね」つんくの態度は、あくまでも素っ気無い。
「悪いけど、お前のとことはもう取引できんわ。ウチはウチで、他の取引先との兼ね合いもあるしな。ま、そういうことで。今まで儲けさせてもうて、おおきに!ほな!」一方的に切ると、執事に電話を放り投げる。 今度は保田に儲けさせてもらおか…。戦争のプロデュースは堪えられんなあ。
「くっくっくっくっく…」 ビバリーヒルズの高級住宅街。その小高い丘の大豪邸のテラスからは、世界の全てが見えるようだった。いやあ、愉快やなあ…。
「金♪金♪金♪金♪金〜〜♪」踊りながら「ちょこっとLOVE」の替え歌を歌うつんくだった。

帝国陸軍は、アフリカからの完全撤退を余儀なくされていた。
太平洋艦隊の壊滅に続く この事態は、「黄色い狛犬」や連合国軍を調子付かせ、帝国の領土縮小に拍車をかける ことになった。
また、帝国の三本柱の一人、平家を失ったことは、戦略的なダメージだけでなく、幹部連の中に大きな波紋を呼んでいた。

「みっちい…。あんたまで。」執務室のソファーには、呆然とする中澤の姿があった。
シャ乱Qオーディションで、同じ大阪大会から最終選考に選ばれて以来、中澤にとって平家はライバルであり、親友だった。
デビューしてからも番組の司会を一緒にやったりして、御互いに「みっちい」「姐さん」と呼び合う仲だった。
「なあ。姐さん。私、ほんとは田舎に彼氏いるの。」
「え?マジかいな。」
「うん。ずっと、待っててくれてんのよ。」
「こいつ!姐さんより先に嫁に行く気かああ??!!」二人でじゃれあってたのが、昨日のことのようだ。
「親衛隊長殿!閣下より、至急会議室に来るようにとのことです。」ドアの外の部下の言葉に促され、ソファーから立ちあがる。
立ちあがった中澤の目の前には、壁に掛けられた鏡がある。そこに映っていたのは、疲れ切った中年女の顔だった。
「…ふう。」 溜息をつくたび、何かを失って行くような気がする中澤であった。

 

終焉編

 

中澤が会議室に入ると、飯田以外の幹部は、既に全員顔を揃えていた。やはり、正気に戻らないのか…。
治療は続けられてはいたが、もはや飯田の精神は 完全に破壊されてしまっているようだ。
元々、情緒不安定なコやったからなあ…。でも、正気にかえらんほうが、圭織に とっては、幸せかも知れへん。
だが、会議が始まるなり小湊の口から出た言葉は、更にショッキングな内容であった。
「内通者がいるようです。」 色めき立つ幹部達。しかし、市井はいつも通り冷静である。
「最高機密が漏れています。先日も、補給部隊が待ち伏せにあいました。同じような  ことが、この1ヶ月程続いています。どうもその…。」
一瞬、小湊が言いよどむ。「どうした?」
「裏切り者は、幹部の一人のようなのです。」思わず信田が立ちあがる。
「ばかな??!!!我々の中の誰かが裏切ったというのか?!!」 会議室の中に、言いようのない異様な空気が流れる。
市井の隣には、いつものように後藤が座っていた。表面上はなんとか平静を保っていた が、心臓から冷たい汗が噴出すのを感じていた。裏切り者は私。
紗耶香様を裏切ったのは、私…。 流石に市井の冷徹な頭脳も、そのことを察知できずにいた。
まさか己の最も信頼を寄せる 相手が、裏切り者だったとは。
後藤の異常に感づくには、今の市井は疲れすぎていたのかも知れない。帝国の崩壊は、内側からも加速して行った。

町外れの草サッカー場に集められた志願兵を相手に、銃の使い方を教え、訓練を施す。 志願兵といっても、みな民間人。
兵役経験者は少ない。年齢はバラバラだし、女性も多い。 だが、痩せこけた彼らの顔には闘志が漲っている。
家族や恋人を守りたい。平和をとり戻したい。そんな彼らを前に、保田が話し始めた。
「いい?みんな。これから私達が向かうのは戦場なの。そこにあるのは、破壊と殺し合いだけ。どんな綺麗ごとも通用しない世界なの。そこで、私達は殺されるかも知れない。あるいは誰かを殺すかもしれない。殺された相手には、家族が居るかもしれない。恋人が居るかもしれない。遺された人達は、きっと私達を憎むでしょう。私達がしようとしてることは、そういうことなのよ。矛盾してるようだけど、犠牲を乗り越えないと、平和や自由は戻らないってこと。それを言いたかったの。」
真剣な眼差しで聴いていた50近いオバさんが、静かな口調で話し出した。
「解ってるよ。ケイ。私はこの戦争で、息子を失った。だが、今度は私が誰かの息子を殺さなきゃならないんだ。それが、戦争。こんな思いは二度とごめんだよ。早く、この忌々しい戦争を終らせなきゃねえ。」 頷くみんなの心は一つだった。

「ケイ!」訓練を終えると、ブロンドの髪の青年が走り寄って来る。
「デビッド…。」保田の表情も、まんざらでもない。 大きな木の下で、二人は並んで腰掛けていた。

「今度のスロバキアの戦いが、戦争集結の決め手になるはずだ。」
「うん。帝国側の一大拠点であるあそこを叩けば、形勢は一気に有利になるわね。」
デビッドは保田の横顔をずっと見詰めている。髪を無造作に括り挙げ、擦り傷の残る横顔は、凛々しく輝いている。
…ケイ。 「どうしたの?デビッド。」視線に気付いた保田が、怪訝そうな顔をする。
「ケイ。戦争が終ったら、僕と結婚してくれないか?」
「え?っな、なに言ってるの?今はそんな話してる場合じゃないでしょう?」
「今だから言うんだ!」 保田の両手を握るデビッドの目は真剣である。
「今。話しておきたいんだ。生きて帰って来るために。」
「デビッド…。」 …私はあなたの愛に応えられない。
目の前の若いイギリス兵士に、自分の今の本当の気持ちを言うのは残酷だ。
「生きて帰ったら、返事を考えておくわ。」自分も随分な女だ。
保田は自嘲気味に笑って見せた。その時、無線に連絡が入った。 「…真希?」

「どうしたんだ?ケイ」
「ベッカム少尉、キャンプの無線をセットして。チャンネルは…。」
保田の口調が変わる。デビッドはすぐに走り出した。
「真希、待って。この周波数じゃまずいわ。チャンネルを替えましょう。」指示を出す保田も走り出す。

後藤は作戦室から盗み出した情報を、自室のパソコンにダウンロードしていた。
「スロバキア基地の情報と、防衛線の戦力配置よ。今からそっちに送るから。」
小声で話す後藤は、背後に人の気配を感じ取り、恐る恐る後ろを振り返った。「小湊さん…。」 銃を構えた小湊が、信じられないといった顔をしていた。
「まさか…。後藤さん、あなただったの?どうしてこんなことを?!」
「とうとう知られちゃったわね。」
「あなた。閣下を、紗耶香様を愛していたんじゃないの?」
「……。」 後藤はゆっくり立ちあがりながら、後ろ手に引き出し探る。
「愛しているから、こうしなくちゃいけなかったの。」
「言ってる意味が解らないわ。」小湊は油断していた。
大人しい秘書官の後藤に、人など撃てないと思いこんでいた。その隙をつく様に、後藤は手にした銃で小湊を撃った。
「っううっ!!」うずくまる小湊を見下ろす後藤。
「ごめんね。でも、麻酔銃だから安心して。」後藤は走り出した。
…もう、ここには居られない。さよなら。紗耶香様…。

「そうか…。真希が…。」中澤からの報告にも、市井は顔色一つ変えなかった。少なくとも表面的には。
「詳しい報告は、小湊の意識が回復次第行いますが、現場の状況から、無線とパソコンを使って情報を漏らしていたのは、まず間違い無いでしょう。」
「解った。どの程度漏れているのか確認して、前線に対処するよう、指示を出せ。」
中澤が部屋から出て行くと、市井は窓辺に立って物思いに耽っていた。
真希が何故、裏切ったのか解るような気がした。そして、市井は自分に真希を責める気持ちが無いことも知っていた。
明日香…。私のしてきたことは、間違っていたのか?
「明日香、何が欲しい?」
「あのお星様がいい。」
私は銀河さえ手に入れられると思っていた。だが、現実はどうだ?なっち、真里、平家… 私は自分の愛するものさえ守れない。
そして、真希も私の許を去った。自分には、力があると思っていた。自分には、神がついていると思った。どんなモノも 手に入れられると思っていた…。
―――愚かな私。私は一体何の為に戦い、ここまで来たのだろう?教えてくれ。明日香。 市井は生まれて初めて、迷いを感じていた。
ためらい、迷うことなど無縁だった人間が、何かに目覚めようとしていた。 遅過ぎた目覚めではあったが…。

スロバキアの前線基地は壊滅した。情報漏れに気付いたところで、もはや連合国軍の勢いを止める事は、不可能になっていた。
「総統閣下、信田司令長官殿が…戦死されました。」
「そうか。ご苦労であった。手厚く葬ってやれ。」 戦況は、連合国軍の圧倒的優勢にあった。
帝国の領土は全盛期の10%にも満たない、 このヨーロッパとロシアの一部のみになっていた。
日本すら、もはや帝国の 統治下には無かったのである。
外部の武器商人からの補給もなく、国内の生産と供給に 支えられていたが、国民は長引く戦争に、身も心もボロボロになっていた。
国内では暴動や犯罪が多発していたが、それを抑える術は無かった。何もかも失って行く…。「いよいよかな…。」市井は覚悟を決めつつあった。

「いよいよかな…。」ベッドで眠る、後藤の寝顔を見ながら、保田は決着が近いことを感じていた。

もうすぐ戦争は終るだろう。帝国の滅亡という形で。紗耶香様はどうなうのだろう?紗耶香様は…。紗耶香様は死んで行くのだろうか?独りで…。
私はどうするの?ここにいていいの?

連合国軍は市井帝国に対し、降伏勧告を行った。受け入れない場合は帝国総統府に向け、最後の一斉攻撃を仕掛けるというものだ。
その日の朝、出迎えのヘリに搭乗しようとする保田の前に、後藤が現れた。
「真希、あんたは私の部屋で待ってなさい。」
「・・・」
「…真希?」
「私、紗耶香様のところに戻ります。」
後藤の目には、一点の曇りもない。
「やっと、自分がどうすべきか判ったんだね?」保田が静かに微笑む。
「いいかい。真希。紗耶香の心の中の人は、もうこの世に居ない。生きている人を支えられるのは、生きている人だけなんだ。」
「はい!」
「じゃあ、一緒に乗りなさい。うまく帝国領内に戻れるように、取り計らってあげるわ。その代わり次に会う時は今度こそ敵同士。容赦無くあんたを殺すよ。」
「自分が何を言ってるのか、解ってるつもりです。」
後藤はもう、泣き虫な子供では無くなっていた。勇壮な狛犬のマークが入ったヘリが、次々と飛び立つ。
紗耶香様。もう真希は迷いません。死ぬときは真希も一緒です。私、馬鹿だった。自分のことばかり考えてたのは、私のほうだ。
今の紗耶香様を支えるのは私 だけなんだ。ずっと前から解ってたはずのことだったんだ。圭ちゃんは、それを知ってたんだ。
「ねえ。圭ちゃん。」
「なに?」
「圭ちゃんも紗耶香様のこと、愛してたの?」
「私は…」

紗耶香は降伏なんか選べへんやろうな。でも、これ以上犠牲者を増やすようなことできへん。
やっぱり、私がせなあかんのかなあ。 目の前の軍用銃を見つめる。これが私の人生やったんかなあ。
どうして、普通に結婚して普通に暮らす道を選べへんかったんやろ?みっちい、なっち、真里っぺ。もうすぐ私も行くよ。
「そや。」 中澤は引き出しからポーチを取り出した。その中には化粧道具が入っている。
鏡を見つめ、長い事していなかったルージュを引く。
「なかなかエエ女やんか。」ウェディングドレス、着てみたかったな…。

「閣下。最終防衛ラインを突破されました。」
「部下を全員連れて、総統府から撤退しろ。投降する準備をしておけ。」
「閣下…。」
「急げ!!」もう、私には何も無い。どれくらい時間が過ぎただろう。ゆっくりと人気の途絶えた総統府の敷地を歩く。
結局、私が辿り着いたのは、「あの星」ではなく、この地面の上だ。
私はここでくたばるのだ。 倉庫に火を放つ。じきに燃料に引火して、総統府の建物は、炎につつまれるだろう。
「誰だ?!!」 中澤の声に振りかえる。中澤も残っていたのか…。中澤の構えた銃の先の人影が、ゆっくりと近づいてくる
「真希…。」
「紗耶香様。」
市井は、皮肉な笑みを浮かべていた。
「真希…。圭のところじゃなかったのか?」
「はい。恥知らずにも、戻って参りました。」
後藤の瞳は、真っ直ぐに市井を射抜いていた。
「紗耶香様。最後のお願いがあります。」
「願い?」 市井の瞳にも、何の憎しみも宿っていない。
「私と踊ってくれませんか?」

3人は迎賓館の大広間に居た。既に炎は総統府の建物全てに燃え広がろうとしていたが、今の3人にはどうでも良いことだった。
「クラシックなら大抵の曲があるで。どれにする?」
「裕ちゃんが決めて。」
「じゃあ…。CDもあるけど、こんな時はやっぱりアナログのほうがエエねえ。」
中澤が見守る仲、二人は漂うようにステップを踏んだ。 市井の見せる笑顔は、今まで誰も見たことのない表情であった。
このまま時間が永遠に止まればいいのに…。
「なあ。真希。何が欲しい?」
問いかける市井に、後藤は迷わず答えた。
「何も要りません。紗耶香様の傍にいるだけで、私は幸せです。」
市井は初めて心が満たされるのを感じていた。それは後藤も同じである。
迎賓館にも炎と煙が牙を剥き始めていた。 中澤は銃を取り出した。
弾は丁度3発入っている。紗耶香の分、真希の分、そして私の分…。

紅蓮の炎に焼かれ、崩れ落ちて行く帝国のかつての象徴は、妖しいまでの美しさを放っていた。
長かった戦争は終ろうとしていた。

 

【エピローグ それぞれの明日 1】

 

「店長。ルルから電話で、今日休むって。」
「そう。仕方ないわねえ。あなた、今日8時まで残れる?」
「はい。一応、大丈夫ですけど。」
「じゃあ、悪いけどルルの代わりお願いね。」最近の若いコって、すぐにバイト休むのよね。
まあ。平和な世の中だから、当たり前か。千葉のとあるハンバーガーショップ。
保田は時々、昔を思い出す。戦争が終って、もう随分経つ。バイトのコ達は、店長の保田がかつて戦争中に自由の為に闘った叛乱軍のリーダーだったことを知らない。
「保田店長ってさあ、もういい歳なのに独身なんだよ。」
「やっぱ、ブスだから結婚できなかったんだろ?」若い子達が、自分の陰口を言ってるのも知っていた。
うふふ。これでもイギリス人のハンサムのプロポーズを断ったことだってあるんだから。
「どうしてなんだ?ケイ。」
「ごめんなさい。デビッド。私、もう恋愛はできない女なの。」紗耶香…。
あなたをこの手で殺したかった。 市井、後藤、中澤の3人は、総統府の焼け跡から遺体で発見された。
当時、世間は3人が心中したとか、暗殺されたとか、いろんな憶測が飛び交ったが真相 は藪の中だ。
最後の瞬間、3人の間にどんなやりとりがあったのか、誰にも解らない。
市井を殺すことで結実するはずだった保田の屈折した愛は、こうして消えてしまった。
後には片思いの感情だけが、永遠に残ったのである。 …紗耶香。あなた、幸せだったの?

 

【エピローグ それぞれの明日 2】

 

私の身元引き受け人として現れたのは、彩という水商売風の女性だった。
彩さんは、北海道で御主人とスナックを経営している。
少しぽっちゃりした御主人は、 とても気さくな人だ。二人ともとても良い人で、私は店を手伝いながら、居候させてもらっている。
毎日が、とても愉しい。
「圭織。散歩に行こう。」天気の良い午後、彩さんと散歩するのが日課になっている。
店の近くの川の土手を歩くのは、私の大好きな散歩コースだ。彩さんは散歩しながら、よく昔の話をしてくれる。
楽しかった芸能界でのことが殆どだ。 私には記憶が無い。
自分の飯田圭織という名前や、学生時代くらいまでは覚えているのに、アイドルだったころや、数年前の戦争中の記憶は全く無いのだ。
なんでも、思い出したくない辛いことが一杯あって、それが記憶を封印してしまっている のだそうだ。
私はA級戦犯といって、戦時中に悪いことをした人間だ。
戦争が終った時私は重度の精神障害を抱えていたこと、回復後も記憶を失っていたことが理由で、罪には問われなかった。
もう一人の違う自分が居るようで、なんだか複雑な気分だ。

 

【エピローグ それぞれの明日 3】

 

「紅白歌合戦にも出たことあるのよ。」彩さんは、楽しかったことだけを私に話した。
私が嫌なことを思い出さないように、気を遣ってくれるのだ。
最初会った時は怖い人かと思ったけど、本当に優しい人だ。
河原に咲く花や鳥のさえずりを聞いていると、戦争があったなんて嘘みたい。

不意に、強い風が吹いた。
髪をかきあげた私の目に、たくさんの種が空に舞うのが見えた。
…たんぽぽの種。…何故だろう?
涙がとめどもなく溢れてきた。
悲しいからなのか、嬉しいからか、切ないからか…気がつくと、私は無意識に歌っていた。

   どこにだって ある花だけど 風が吹いても負けないのよ      どこにだって 咲く花みたく 強い雨が降っても 大丈夫

横を見ると、彩さんも一緒に歌っている。

   ちょっぴり「弱気」だって あるかもしれないけど                     たんぽぽの様に 光れ

「この歌はね、私が辞める時、あんたが歌ってくれたんだよ。圭織。」
頬に感じる心地よい風が、涙を拭ってくれる。
たんぽぽの種は青い空に吸いこまれていった。

【完】