048

名無し娘。 投稿日: 2001/04/06(金) 01:40

ジリリリリリリリリ!!目覚ましが鳴る。
朝。
(もう、こんな時間か)
ようやく慣れはじめた早起き。ようやく慣れはじめた仕事。
キッチンの方からはミソ汁の匂いがする。
(あ、朝メシ作ってくれてるんだ)
何もかもが新しい生活。
でも、あの頃はここまで変化の大きいモノなのか想像だにしていなかった。
そう、あの頃は・・・・・


あれは、まだ蒸し暑さの残る9月の夜。
就職もなんとか決まり、バイトをしながらのんびりと残りの日々をただ過ごしていた、
そんなある夜。

友達とそれなりに飲んだ後、ひとりホームで終電を待つ。
さすがに夜の風は、酒で熱った頬には冷ややかで心地いい。
ふと、周りを見渡すと、ベンチに座っている人がいる。どうやら一人ではなかったらしい。
ちょっと派手めな格好をした、その女性は座っていると言うよりは、持たれかかっている。
うつむいて、動かない。

(寝てるんじゃないのか?)


終電もそろそろだ。ベンチに向かって歩いてゆく。
顔を覗き込んでみる。完全に目を瞑っている・・・
(酔っぱらいか?)「大丈夫ですかー?終電、もう来ますよ」
「・・・ん、ううん・・・大丈夫・・大丈夫・・・」
全然大丈夫に見えない。閑散としたホームにアナウンスが響く。
「ちょっと、全然大丈夫じゃないじゃないですか。終電、乗りますよね?」
「ん・・・乗る。帰る、帰る・・・」とは言ってても、立ち上がれそうにも無い。
(仕方ないな)「すいません、失礼しますよ」
酒のせいで気が大きくなっていたのか、今思えば、余り普段の自分らしくない大胆な行動に出た。
女性の肩に手を回し、半分担ぐようにして、ちょうどホームに入ってきた列車に乗り込んだ。

見た目の感じとは裏腹に以外に、華奢なカラダ。

とにかく、ガラガラの座席にふたりでドシンと座り込む。
「どこで降りるんですか?」聞いてみる。
「ん?うーん、××・・・」おんなじ駅だ。
(こうなったら、トコトン付き合うしかないか)腹をくくった。
「ボクもそこで降りますから、寝てていいですよ」


「うーん・・・すまんなぁ・・・大丈夫、だいじょうぶ・・・」
彼女はそんなことを言いながら、肩に寄り掛かってきた。
(ちょっと役得かな・・・)と思いながらもこの人はなんなんだろう?
という疑問が湧いてきた。服装や、色を抜いた髪を見ると、どうやら普通のOL、
という風には見えない。(おミズのお姉さんかな?)どうも、そんな感じだ。
「はぁ・・・、もう疲れたわぁ・・もうダメやわぁ・・・・」
うわごとのように何かつぶやいている。
まぁ、酔っぱらって愚痴っぽくなるヤツは何人も見てるんで、別段気にしなかった。
「帰りたい・・・帰りたいわぁ・・・・・・グスッ・・・」
そういえば、なんか訛りがあるように聞こえる。関西弁だろうか?
自分も田舎から出てきた身だ。(苦労してるんだろうなぁ・・・)
なんとなく同情してしまった。
彼女の頭をぐっと自分の方に寄せて、髪を撫でていた。
「グスッ・・・・グスン・・・・・」

ボクはそのまま、髪を撫でつづけていた。

「うーん・・・すまんなぁ・・・大丈夫、だいじょうぶ・・・」
彼女はそんなことを言いながら、肩に寄り掛かってきた。
(ちょっと役得かな・・・)と思いながらもこの人はなんなんだろう?
という疑問が湧いてきた。服装や、色を抜いた髪を見ると、どうやら普通のOL、
という風には見えない。(おミズのお姉さんかな?)どうも、そんな感じだ。
「はぁ・・・、もう疲れたわぁ・・もうダメやぁ・・」
うわごとのように何かつぶやいている。
まぁ、酔っぱらって愚痴っぽくなるヤツは何人も見てるんで、別段気にしなかった。
「帰りたい・・・帰りたいわぁ・・・・・・グスッ・・・」
そういえば、なんか訛りがあるように聞こえる。関西弁だろうか?
自分も田舎から出てきた身だ。(苦労してるんだろうなぁ・・・)
なんとなく、同情してしまった。
ボクは彼女の頭をぐっと自分の方に寄せて、髪を撫でていた。
「グスッ・・・・グスン・・・・・」

ボクはそのまま、髪を撫でつづけていた。
駅に着いた。彼女はまだうつむいたまま。一人でも歩けないようだ。
ボクはそのまま肩を貸して、駅を出た。
「家、どっちです?」
「あっち・・・」
彼女が指差した方向を見てほっとした。(おんなじ方向だ)
正直、ボクもそこそこ飲んでいたんで相当にダルい。反対方向でなくて良かった。
「こっち・・・」「そこ左・・」
彼女に指図されるまま、静まり返った街を歩いて行く。
しかし、驚いたことにますます自分の家に近づいてゆく。
方向どころではない。

「ココ・・・」

びっくりした。なんとボクのアパートのすぐ近く。歩いて5分、というところか。
白い、ちょっとこじゃれた感じのマンション。
(やっぱいい給料もらってるんだろうな)そんなことを考えているうちに、
足のしっかりしてきた彼女に、引っ張られるようにその建物に入って行った。

最上階、いちばん端の部屋の前で立ち止まる。
ハンドバックから鍵を出し、ドアを開ける。
「じゃ、大丈夫ですね?ぼくはこれで」体を離して一人で立たせようとする。
しかし、彼女は逆に僕に抱き着くようにしてきて、「ワッ」と、泣き出した。
靴でいっぱいの玄関先、ボクはバランスを崩して倒れ込んでしまった。

ドシャッ!!

「あたたた・・・」
「エグッ・・・グスン・・・グス・・・・・」

押し倒されたような形になってしまった。(またか・・・)
仕方が無いので、僕はそのまま髪を撫でながら彼女が泣きやむのを待った。

どれくらい経ったろうか。
「グス・・あ・・・何してるんやろ?わたし・・・」
「もう、いいですか?」
「あっ!ごめん!!」とっさに離れる彼女。
「えっと・・・、ん?」ちょっと怪訝な顔をする。
「あなたが駅のホームで・・・」
「あっ!そっか!送ってきてくれたんやな。そや!そや!」
「そうですよ。それ以上のことは何もしていませんよ」
「ごめんなぁ〜、なんかお礼しないとな・・・」
「別にいいですよ。まっ、ボクも近所に住んでるんで。また会った時にでも。」
「そっかー、とにかくゴメンな。ありがとな。」
「じゃ、ボクはこれで・・・」
立ちあがり、玄間から出ようとすると、彼女が腕を引っ張る。
「ほんとアリガト!でも、このことは誰にも話さんといてな。」
彼女はウインクしながら、舌を出して謝っている。
「はぁ、話さないでくれと言われれば、話しませんけど・・・」
「サンキュ!ありがと!!あんたエエ男や!!感謝しとく」
「はぁ、じゃあ・・・」
急にハイテンションな彼女に押されて、ちょっと戸惑いながら玄関を出ていく。
「ありがとなー」
ドアから顔を出して、手を振っている。
「話さないでくれ」って自分で言ってたくせに、
これじゃ近所の人が起きてしまうんじゃないか?
そんなことを考えながら、空を見上げるとかすかに白んできている。
まだ手を振っている彼女に、軽く会釈をしてから、階段を降りていった。

トゥルルルルルルル!ルルルルルルル!!
電話の音で目が覚めた。「おう、まだ寝てたのか?」近所の友達からだ。
「ケータイにも掛けたんだケド、出ないからさ。んで、学校行かねーの?」
もう、昼を過ぎている。今から行ったって・・・
それに、もう授業なんかどうでもいいし・・・
「今日はいいや」「今日もだろ?」電話の向こうで笑っている。
「メシでも食いに行かねー?」「うん、腹減った」
「んじゃ、いつものとこ」「ラーメン?今日はあっさりしたもんの方が・・・」
「なんだよ。んじゃ、とにかくおまえん家行くわ」「おう」
友人が来る前に、シャワーを浴びる。髪を拭いていると、ちょうどやって来た。
「どこ行くよ」「うーん、和食系」「じゃ、あの定食屋でいいか?」
「そだね」髪を乾かすと、サイフと鍵を持って、あとケータイ、ケータイ・・・
・・・・・ケータイが無い!!
「ケータイが無い・・・」「はぁ?」どこにも無かった。
「どーりでオレが掛けても出ないわけだ」

あんまり待たせても悪いんで、とりあえずメシを食いに行く。
飲み明けに定食屋のミソ汁はうまかったけど、気になって仕方が無い。
「なんだよ、昨日そんなに飲んだのか?おまえがそんなに
 酔っぱらうなんて珍しいな。俺も行けば良かったよ」
そう、コイツは昨日の飲みに来てない。一人で帰ってきたはずだ。
別れた後、一人で昨夜のことを思い出していた。
結構飲んで、終電しか残ってなくって・・・
(そーだ、あの女(ひと)!!)思い出した。(まさかスられた!?)
いや、彼女相当酔ってたし、第一サイフじゃなくてケータイなんか・・・
(そうだ!!あの時だ!!)彼女の家の玄関先で押し倒された時!
しかし、彼女の泣き顔と、別れ際の顔を思い出して、
もうひとつ重大なことに気付いてしまった。
あの女って、TVで見たことある!モー娘。の・・・

TVは良く見る、特に音楽番組はマメにチェックする方だ。
アサヤンもたまに見てるし、
モーニング娘。がだいたいどんなものかは知っている。
印象は、「メンバーの出入りが激しい」
「カラオケで女の子が歌うと、盛りあがるよね」そんなところ。
いたって平凡なもんだと思う。
しかし、事は重大だ。昨夜のことを思い出してみる。
フツーに考えても、すごい事なのに、その女性がブラウン管の向こう側の人間。
しかも、あのモーニング娘。リーダー、中澤裕子・・・・

「とにかく、電話してみよう」(出てくれるかな?)
家の電話から、自分のケータイにダイヤルする。
トュルルル・・・トゥルルル・・・
(そういえば、必ずしも彼女が持ってるってわけでもないんだよな・・・)
(それに、まだあの人“中澤裕子”って決まったわけでもないし)不安になる。
「あ、もしもし・・・」女性の声(出た!!!)
「も、もしもし、あの、その、で、電話の持ち主なんですけど・・・」
声が上ずっている。
「あ、昨日のキミか?よかった〜、本人からで」
「やっぱり、昨日の・・・あの、それで・・・」
「ケータイなくって不便やったやろ?で、どうしよか?取りにくる?」
「あ、ハイ・・・でも、いいんですか?また家まで行っても?」
「う〜ん、まぁ、大丈夫やろ。それよりキミも大変やろ。ケータイ無いと」
「ハイ、そうですけど・・・」
「そやな・・・11時頃、階段とこで待っといてくれる?」
「わかりました。それじゃ、その頃うかがいます」「んじゃ、またなー」

手が汗ばんでいる。気が付くと正座だった。

11時、時間通りにボクは昨夜のあの場所に来ていた。
マンションの入口、階段の手前で待っている。なかなか来ない・・・
10分ぐらい経ったろうか、タクシーが止まり、女性が出てきた。
「あー、ゴメン、ゴメン。ちょっと押してな」
やっぱりそうだ。“中澤裕子”本物だ。
昨夜と同じような派手な格好。目の前まで来て、サングラスを外す。
(昨日はしてなかったな)そんなことを考えていると、
「いやー、ほんとよかったわ。何回か鳴っていたみたいやけど、
 たまたま出たのが本人からの電話で。はい、コレ」電話を差し出す。
「昨日はほんとアリガトな。恥ずかしいとこ見せてもうたわ」
「いえ、全然そんなことないです。こちらこそ、わざわざ…」
「うーん、やっぱお礼したいわ。ちょっと上がってき。お茶飲んできーな」
「え!?いいんですか?まずいんじゃ、ないですか?」
「いいから、いいから。ヘーキ、ヘーキ」

(うわー!うわー!)
彼女の後をついて部屋に向かう。周りの景色が全て昨夜と違って見える。
ガチャ・・・ドアを開ける。「散らかってるけど、ゴメンなー」「いえ」
玄関先は靴でいっぱいだが、部屋はそうでもない。というか、何も無い。
TVにソファーに小さいテーブル。あまり生活感の無い部屋だ。
(寝るだけの部屋なんだろな)「紅茶でいーか?」「あ、ハイ。なんでも」
「じゃ、飲むか?」缶ビールを手にこっちを見ている。
「えっ!!」「あははは!冗談や、冗談」屈託無く笑う。
「昨日は久しぶりのオフでな。ちょっと調子に乗って飲みすぎてもーた」
関西弁を話す友人のいないボクは、彼女の一言一言が、すごく新鮮だった。
「あ、ボクも飲んでて。実は何もわかってなくって。
 今日気付いてビックリしました。ほんと、スイマセン」
「なんであやまるの?助けてもらったのはこっちやし。あやうく週刊誌ネタに
 なるとこやったわ。『娘。リーダー 駅で泥酔』ってな。あはっ」

紅茶を持ってきて、正面に座る。「学生さん?」「はぁ、もう今年で卒業ですけど」
(やっぱり、キレイだなー)TVで見るのと、直に見るのとではやはり違う。
間近にいる彼女は、ほんとに色が白くて、肌がきれいで。
化粧も、けっしてし過ぎていたりしない。そして、結構小さく見えた。
ぼーっとそんなことを考えながら、他愛も無い話をしていた。
「彼女いんのん?」「いえ、今は」「ウチどこ?」「すぐそこの角の・・・」
自分と違う普通の生活をしている人間に興味があるのか、質問攻めだった。
そして、彼女はよく笑う。気を使ってくれているんだろうか。
ボクの緊張もだんだんとほぐれてきた。

「あ、じゃそろそろ…」小一時間も話しただろうか、12時もまわっている。
「ん、そやな。またおいで。まだお礼になってへんし」
「え!でも、マズイですよ。うれしいですけど」
「ヘーキやて!ほら近所の人、誰も知らんやん?だからといって、
 挨拶回りもでけへんし。近くに男の人の知り合いがおると、何かと心強いしな。
 キミ真面目そうやし、仲良うしてくれるか?」
「も、もちろん!あ、ありがとうございます!!」
とりあえず、自分のケータイを教えて、彼女の部屋を出た。

「またなー」
なんか、夢でも見てたようだ。帰りの足取りは、軽い、なんてもんじゃなかった。

あれから一週間が経つ。やはりモー娘。の出ている番組はチェックしてしまう。
ブラウン管の向こうの彼女、目の前にいた彼女。不思議な気持ちだ。
そんなある夜。電話が鳴った。
「あ、中澤やけど。」「ああ、どーも」やっぱり緊張する。
「ちょっと、来て欲しいんやけど」「はい。いいですよ」

彼女の部屋に行く、3回目だ。「こんばんわー」
「急にゴメンな」「いえ。で、どうしたんですか?」
「コレなんやけど・・・」
部屋に入ると、玄関にパイプのようなものがいっぱい転がっている。
「靴の収納作ろうとしてな、でもさっぱりやわ」
「なるほど」「で、キミを呼んだんやけど」「簡単ですよ」

黙々と組み立てているボクの横に彼女はしゃがみ込んでずっと見ている。
じーっと見つめる視線を感じて、すごく緊張した。

「こんな感じかな?」「お〜、さすがやわ!男の人がおると助かるなぁ」
ちょっと羨望の眼差し、でこっちを見ている。悪い気分はしない。
「なんか不都合があったら、また呼んでください」「ありがとなー」
「じゃ、ボクはこれで」「あっ、ゴメンなぁ。アタシも明日早いし・・・
 今度必ずお礼するから」「別にいいですよ。たいした事じゃないし」
「なにゆーとんのん!受けた善意は必ず返す、
 ウチはそんな薄情なオンナやないでぇ!」
「あははは。じゃ、楽しみに待ってます」

いい事した後は、気分がいい。

二度目の、彼女からの電話。
「今日は早くあがってな、これから飲まへん?暇やったらでいんだけど…」
「あ、はい!暇です!暇です!」「じゃ、ウチで待っとるわ」
(気軽に食事にも行けないなんて、大変だよな)
当然外に飲みになんか行けない。彼女の家に行く。

「なんか、プローデューサーにな『手に入りにくい物』言うてもらってん」
テーブルの上にワインがある。
「一人で飲んでも、せっかく珍しいもんなんならな。お礼も兼ねて」
「夕飯は食べた?」「はい」「じゃ、ツマミだけでエエな」
チーズに、クラッカーに・・・次々と冷蔵庫から“ツマミ”が出てくる。

「「カンパ〜イ!」」ゴクッ・・・
「どや?」「う〜ん、いつも安酒しか飲みませんからねぇ…」
「私もわからんわ」「まぁ、酒は好きですから。おいしいです」
「お、エエなぁ。結構飲めるクチ?」「まぁ、人並みに」
「じゃ、ホラホラ・・・」ドンドン注いでくる。
「はぁ」

「でな、そん時マネージャー、なんて言ったと思う!?」「はぁ」
「もう、やっとられんっちゅーねん!!」「はぁ」
(愚痴りたかっだけなのかな。それとも飲むといつもこうなのかな?)
「やっぱあれか?学生っていうと、合コンとかすんのん?」
「まぁ、何回かは」「わぁ〜、やらし!わっかいなぁ〜」
「しょっちゅうやってるヤツもいますけど、ボクは何回かですよ」
「ボクゥ!?」「は?」「もう、いい歳して、『ボク』?」
「はぁ、いやきちんとしたとこでは、そりゃ、ちゃんと『私』って言いますよ」
「あっはっは!!『ボク』『僕』!『ボクちゃん』やな!カッワイ〜」
(酒癖悪いんじゃないかなぁ)ちょっと、ムッとした。
「あっ!怒った?ごめんねぇ〜ボクちゃん!あっははは!」」

ふと時計を見るとけっこう遅くなっている。「あっ、そろそろ」上着に手を伸ばす。
「えっ!もう帰んの?もしかして、ほんとに怒った?」
「いや、別に怒ってないですよ。もう、遅いし」「ゴメンな、ゴメンな。
 そんな怒らんといてぇな〜」「怒ってませんて」立ち上がり、玄関に行く。
「ほんまに帰るの?」「ごちそうさまでした」彼女はボクの上着の裾をつかんだ。
「まだええやん」「え?でもマズイですよ」ドアを開ける。雨が降っていた。
「ほ、ほら雨降ってるし」「すぐそこですから平気ですよ」裾を引っ張られる。
「泊まってき」うつむいてる。(え?泣いてる?)声がかすれて聞こえた。
「で、でも」「明日はウチ、午後からやし。なぁ」見上げた目が涙ぐんでいる。
(今度は泣き上戸??)「じゃあ…」「よしっ、じゃ!飲み直そ!」

泣き落とされた感じだ。(ひょっとして?)なんてことも考えたけど、
それから少しだけ飲んで彼女は寝室へ。ボクはソファを借りて寝た、
のは明るくなってきた頃だと思う。

「ちょっと、起きて!」
(ん……)激しく肩を揺すぶられる。
「もう、私出るから。キミは今日用事あんの?」
「ん…別に」「じゃ、留守番頼むわ。TVでも見てて。」
「んじゃ、夕方には帰ってくるから」彼女は走って行ってしまった。
まだ寝ぼけていたボクは、状況がよく飲み込めてない。(え!!留守番!?)
あわててドアを開け、下を見ると彼女が車に乗り込むところだった。
「な、なかざ!…」そこまで叫びかけて、言葉を飲み込む。(マズイだろ)
その車はものすごい速さで行ってしまった。仕方なくボクは部屋に戻る。
時計を見る。12時。
(もう一回寝るか)まだ寝足りなかったボクはソファーに寝転がった。

腹が減って目が覚める。(どうしよう?)鍵を掛けないで外に出れないし、
仕方なくテーブルの上にあったクラッカーの残りを食べ、
TVを見て時間を潰していた。(歯、磨きたいな……)

6時を過ぎた頃、彼女が帰ってきた。
「た・・ただいまー」「あ、おかえりなさい」
「あっ、あはは・・・ゴメンな。留守番押しつけて」
「いえ、今日は何にも無かったし」「オナカすいたやろ、いろいろ買ってきたんやけど」
彼女はビニール袋を下げている。
なかからパンやら、コンビニ弁当やら、ジュースやらが出てくる。
しかし、とてもひとり、ふたりの量ではない。「なんでもいいから、食べや」
(一日潰されたんだし、いいか)と思い、遠慮なくいただくことにした。
「いただきます」

「ごちそうさまでした。んじゃ」立ち上がろうとする。
「あ、あのな!実はな、お、お願いがあるんやけどな」「はい?」「ん、んと…」
話しづらそうにしている。
「勝手なお願いなんやけどな、もう今日のことで怒ってるかも知れへんけどな…」
「別に怒ってないですよ。なんですか?言ってみて下さい」
「・・・・・・ここに、住まへんか?」「えっ!?」
「ほ、ほら、何ていうの?ルームメイト?・・あたしも女の一人暮しで不安やし、
 仕事で忙しいからそんなに家にいるわけでもないし、
 好きに使ってくれてええから・・・」
余りに突然のことでびっくりした。ただじっと彼女の顔を眺めているだけだった。
彼女はちょっと赤くなりながら、目線を合わせずにキョロキョロしながら話している。
身振り手振りも派手で、かなり慌てているのがわかる。
「・・・やっぱりな、仕事で疲れて夜遅く帰ってきて、
 誰もいない部屋に帰ってくるのはな・・何て言うか・・・」

「良いですよ。ボクで良かったら」
田舎から出てきて数年間、一人暮しをしてみてわかる所もある。
けっこう寂しいもんだし、話相手がいるだけでもな、と思ったこともある。
(女の人だったら、余計だよな)変なファンだっているだろうし、女性であるだけで
いろいろな不安のなる事もあるだろう。
「ホンマか?ほんとにええのん?」「ハイ」
彼女は急にこっちを見る。満面の笑顔。ちょっと涙ぐんでいる。
「いや〜、良かった。変なヤツって思われたらどうしようかと思った〜」

「とりあえず、一回帰りたいんですけど。風呂入りたいし。着替えも」
「そっ、そやな・・・」「じゃ、また」
「『また』って、すぐ戻って来てくれるんやろ・・?」
うつむいてしまっている。「ええ、すぐ来ますよ」

ボクは家に帰りシャワーを浴びると、とりあえず洗面用具と着替え一式を
小さなカバンに詰めて家を出た。

インターホンを鳴らす。
「あのっ・・・」「おかえりぃ」「た、ただいま」今度は逆だ。
「よろしくなぁ」「よろしくお願いします」
ふたりとも照れくさそうに握手をした。

こうして、二人の生活が始まった。

週3日のバイト、学校は1日か2日。
残りは家でゴロゴロしながら彼女の帰りを待つ。
プレステも持ってきた。着替えも必要なものはほとんどある。
散らかった自分の部屋はちっともやらないのに、なぜか掃除はマメにやっている。
洗濯もまとめてやっている。最初は恥ずかしかったけど、一週間で慣れた。
食事も作っている。一通りは出来たし、嫌いな方でもなかった。
やはり、食べてくれる人がいると、作り甲斐がある。
一人でいるときはコンビニ弁当で済ませていたけど、大きな変化だ。
(これが“ヒモ”ってやつか?あ、でも夜のご奉仕がないか・・・)
寝る時は彼女は寝室、ボクはリビング。
最初はそんなことも考えたけど、二人の関係はルームメイト・・・
というより、姉と弟のようだったかもしれない。
(やっぱ家政婦、家政“夫”だな・・・)

「ただいまー」「おかえり」「はぁ〜、ほんっと疲れたわぁ〜」
帰りはいつも遅い。休みも丸一日というのはほとんどない。
「はぁ〜、やっぱ風呂上りの一杯がサイコーやわ」ビールを飲む彼女。
ほとんど毎日、晩酌に付き合う。基本的には愚痴、それに付き合う。
「明日は早く終わるから、夜、どっか食べ行こ」「お、珍しいね」

一緒に暮らし始めて、先ず彼女に禁止された事。『敬語』と『遠慮』。

「どこ行こかー?いつもどんなとこ食べに行ってんのん?」
「え?学生だからねー。ファミレスとか。あ、うまいラーメン屋知ってるよ」
「お、ええなぁ。」「近所で、たまに雑誌とかに紹介されてる」「ヨシ、そこ行こ」
「いいの?ラーメン屋で?」「えーの、えーの。」

次の日、夕方早く帰ってきた彼女とラーメンを食べに行く。
メガネを掛け、ちょっと地味な格好で外に出る。店はちょっと歩いたところにある。
「うわ〜、スゴイなぁ」会社帰りのサラリーマンを筆頭に列ができている。
「まぁ、今日はすいてるほうだね」「こんな近くにあったのに、知らんかったわ」
コソコソおしゃべりしながら30分、順番が来た。
カウンターに座ると、目の前で次々とラーメンが作られていく。
身を乗り出して、厨房を覗き込む彼女。「わぁ〜、スゴイわぁ。おっ、鮮やか!」
職人が慣れた手つきで、麺を湯切りしている。たしかにそうだけど・・・
「子供みたいだよ」「ええやんかー。こういうの見てるの好きやの。スゴイやん」
ときどき、すごく無邪気なところを見せる。
普段は、世をときめくアイドルグループのリーダー。
自分よりずっと若い子の面倒見ている。それも9人。
責任感も、気苦労も相当のものだろう。
家に帰ってくれば三十路まえの疲れたOLって感じがしないでもないけど。
「はい、おまち!」目の前に湯気を上げた二つのラーメンが並ぶ。

帰り道。とりあえずあのラーメン屋は気に入ってもらえたようだ。
「やー、うまかったなぁ。なにより、兄ちゃんの威勢の良さが気に入ったわ。
 『ヘイ!ラッシャイ』てな」モノマネを交えて説明している。
「あはは。雑誌に紹介されんのもわかるでしょ」「ほんとやわ」
彼女が腕を組んできた。

「また行こなぁ」
「・・・うん」

寒くなり始めた、秋の夜道を二人で歩いていく。

「おう、メシ行かねぇ」友達からの電話。
「あ、いいよ」ボクは暇を持て余していた。今日も彼女は遅いらしい。
「んじゃ、おまえんち行くわ」「ちょ、ちょい待って、それはちょっと・・」
「何だよ」「いや、その・・・散らかってるし」
「すぐ飯食いに行くし、気にしないって」「いや〜、あんまりにも・・」
「そうだ!コンビニの前集合。んで良いでしょ」「ああ、良いけどさ」
もともと、隠し事をするタイプではないのだが、これはワケが違う。
ルームメイトって言っても信じてもらえないだろうし、何より相手が相手、だ。

「なんか最近、お前付き合い悪くない?」「そ、そう?そんなことないでしょ」
「うーん、飲みに誘っても来ないし」たしかに、夜は彼女の帰りを待ってるし、
毎日晩酌してるから、ことさら飲む気にもなれない。
「なんか、最近おまえに女が出来たんじゃねーかって言う噂があんのよ」
「えっ!?」思わず、ほおばったパスタを吹き出しそうになった。
「なんかさー、親しげに女性と話しながらラーメン食ってる君を目撃したという
 情報があるのだよ」「・・・マジ?しばらく行ってないよ。あそこ」
・・・ヤバイ、内心相当焦っている。
「まぁ、通りかかったってやつの話しだからな」「そっ空似、空似。それにさ、
 そう言う事、今まで隠したこと無いじゃん」「まぁ、そうだけどな」
なんとか納得してくれたようだ。
「んじゃさ、今日オレんちで飲まね?久々に集まろうって話しがあんのよ」
「え?いきなり?」「いいじゃんかよ。なんだよ、やっぱアヤシイな」
「あ〜、明日はバイトだから」これは本当だ。
「なんだよ、昔は飲みつったらすぐに来たのにな」
「こりゃ、やっぱ疑惑は拭い切れねぇな」嫌らしい目でこっちを見ている。
・・・困った。「・・・朝までは居られないよ」「そうこなくっちゃ」
そう言えば、別に彼女に遠慮する必要もないんじゃないかと思えてきた。
(そうだよな。別に彼女でもなんでもないし・・・)

そいつのウチに行くと、しばらくして懐かしい顔が一人、二人とやってきた。
「久し振りだよなー」「おー、元気?最近どうよ?」・・・・・

久し振りの飲み会は、盛り上がった。やっぱり、友達と飲むのは楽しい。
あいつはイイヤツで、例の“噂”を酒の肴には持ち出さなかった。
「オレ、そろそろ帰るわ」「なんだよ!?」「バイトなんだと」「ワリィ」
「今度はおまえんちな」「えっ!・・まぁ、そのうち」軽いジャブだ。
「じゃあ」「おう」「またなー」
こりゃ、帰った後で肴にされてるな・・・・・・

12時もまわっている。酔ってたし、自分の家に帰っても良かったけど、
彼女「帰りは遅い」って言ってたし。
もう彼女の家のほうが居心地が良くなってしまっている。
鍵は持っている。二人で暮らし始めてすぐにもらった。
鍵を開けようとドアの前に立つ・・なんかヘンだ。ドアの隙間から光が漏れている。
(消し忘れ?おかしいな・・)試しにドアノブを回す。・・・開いた。
「なんだ、帰ってたの?あはは〜」彼女の靴がある。
TVも付けず、彼女が部屋の真ん中に座っている。着替えてもいないようだ。
「・・・・」キッと顔を上げこっちを睨む。目が赤い・・・・・・
「何よ!びっくりするでしょお!!アホー!!!!」
「へ?」

「急に居なくなって!!どこ行ってたん?お酒飲んで帰ってきて!なんやのん!!」
ムカッときた。
「なっ、友達んちで飲んでただけだよ!第一、何してたって、勝手だろ!
 なんで怒られなきゃなんないんだよ!!」
酒のせいもあり、柄にもなく怒鳴ってしまった。
「そ、そやけど・・・どこに行ってたとかじゃなくって、
 ベ、別にええけど・・・出かけるときに、その、電話とか、
 なんか連絡のしようがあったでしょお!」
彼女はポロポロ涙を流している・・それを見て、ちょっと冷静になったボクは、
「そんなこと言ったら、コンビニにも行けないじゃん。
 それに今日は『遅くなる』って言ってたから・・・」
「思ったより早く終わって、早く帰ってきて、また二人で夕食でも食べようかと
 思って、いっくら電話しても出ぇへんし・・・
 いつまで経っても連絡ないし・・・・
 もう帰ってこないんじゃないかって・・エッ・・エッ・・・」
ついに、泣き出してしまった。
そういえば、アイツんちケータイの入り悪いんだよな。

「ご、ごめん・・・」彼女に向き合うように座って頭を下げる。
「いや、ウチも言い過ぎやわ。どうかしてた・・・・・
 最近忙しくって・・・イロイロあってな・・ゴメンなぁ・・・」
あわてて涙を拭いている。やれやれ、どうにかおさまった。
「あー、泣き疲れたら、オナカすいたわ。夕飯も食べてへんし」
「そっか、なんか食べる?って、冷蔵庫何もないし」
「食べに行こ」「この時間じゃ、ラーメン屋ぐらいしか・・・」
「あそこでええやん」
アイツ等に会ったら・・・・・・まっ、いいか、そん時はそん時だ。

「んじゃ、行こっか」

あれからちょっと変わったのは、ボクのほうが少し出かけるようになった事。
「若い男の子が、一日中家で腐ってたらアカン!」
さんざん、自分で騒いだくせに・・・
夜、出かけるときには留守電にメッセージを残す。
自分の家に友達を集めて飲む、アイツとの約束も果たした。
でも、それは久し振りの我が家であったりもする。

そんなある日、バイトが終わり、休憩室で着替えていると、電話が鳴る。
「まだ帰ってへんのん?」彼女からだ。「もう終わったよ、今帰るとこ」
「んじゃ、迎えに行ったるわ」「え、マズイでしょ、それ」「大丈夫、大丈夫」
「ってか、もうそこにおるで」「えっ!?」
慌てて着替えて、「お疲れサマ」もそこそこに外に出る。
すると、反対車線から手を振っている人がいる。道路を渡り、彼女に駆け寄る。
「はは、びっくりした?」「マズイでしょ。こんなとこ来ちゃ」
「へーきやて。誰も気付いてへん。それにそんなこと言っといたら、
 どこにも行かれへんで」確かにそうだけど・・・

スーパーに寄って、夕食の材料を買い込む。
「今日は早かったね」「うん、前から言ってたやろ、明日から海外やから
 早めに帰してくれたんや」「あ、そっか」
ロケかなんかで香港に行くらしい。彼女とは3日間会えない事になる。
「だから、今日はたっぷり飲もーな」「どうせ、むこうでも飲むでしょ」
「あっはっは!それは言わないお約束」
食材と、お酒でいっぱいのスーパーの袋を下げながら、二人で歩く。

マンションに着いた。フロアに上がる。
と、彼女の部屋の前にしゃがみ込んでいる人影がある。背の小さな、女の子。
「あ、あんたどーしたん?こんなとこまで来て?」

「裕ちゃん・・・」
背の小さい、厚底履いた、いかにも今風な女の子、矢口真里?だ・・・
ここに、モー娘。のメンバーが二人も居る。
(すっげー)何てことをのんきに考えていた。
「どーしたんや、矢口・・?」「ちょっと、相談があって・・・」
と、その矢口さんと目が合った。びっくりして、表情が固まっている。
「あ・・・・・・」「どうも」「あちゃ〜、そうや」
「・・・裕ちゃん、もしかして・・ あ、アハッ。マズかったかなぁ〜。
 こんなとこ来ちゃって・・・」「いや、矢口。違うんや、この子は・・・」

「あ、ボク親戚なんですよ」
「!?・・そ、そう!この子、私の従兄弟でな、今東京来ててん。
 で、久し振りにって事でな。なんや、娘。になる前やったから・・」
「前に会ったのは4年前だね」「そうそう!」
「・・・ふ〜ん・・じゃ、せっかくの再会を邪魔しちゃ悪いかな」
「なに言うとんの。話しがあったんやろ。いいから上がり」

部屋に上がり、荷物を置く。
「じゃ、ボクはそこらへん散歩でもしてるから」
「そっか、悪いな、助かるわ」「すいません」「いえいえ」
ボクは部屋を出た。(本屋で、立ち読みでもしてるかな)

週刊誌を2冊も読み終わった頃、電話が鳴った。
「もう、終わったで」「じゃ、戻っていいの」「はよ、帰ってき」
部屋に戻るとまだ矢口さんが居た。
「すいませんでした。矢口のせいで。」「いや、ほんと気にしないでください」
悩みが解消したのか、矢口さんの表情は来たときのそれと違って、
やたらと、明るいものになっていた。じっとボクのことを見つめている。
「どうしてもお礼が言いたいっちゅーてな。ほら矢口、あんたも
 明日早いんだから、もう帰り」「頑張ってくださいね」
「あ、ありがとうございますぅ!裕ちゃんをよろしくお願いします」
「なに言うとんの、じぶん」「あはは」
「じゃ、また会いましょうね。さようなら〜」
キラキラの目が印象的だった。

「大変だねぇ、リーダーは」
「うーん、まぁ、みんなカワイイ妹たちやからな」
「しっかし、アンタもすごいなぁ。とっさにあんな嘘・・ビックリしたわ」
「うまく誤魔かせたかな」「うーん、たぶん大丈夫やろ」「どうだろ」
「まっええわ、さっ!はよ飲も飲も!!」

彼女の居ない三日間、ボクもちょっとした小旅行をしていた。

鈍行電車を乗り継ぎ、寂れた小さな港町で降りた。
ただ海が広がるだけ。もう、冬も近い。浜には誰一人居なかった。
ふと、彼女のことを思い出す。(スゴイ事だよなー)
余りに突然の出来事。でももう、それに慣れてしまっている。
ふたりの関係は、相変わらずの不思議なものだったが、
とても居心地の良いものだった。

でもそんな日々もいつまで続くかわからない。
ボクが卒業し、会社に勤めるようになったら・・・・・
配属によっては、東京を離れる可能性も十分にある。
そうなったら、今のこの生活もあと、数ヶ月・・・

冷たい砂に腰を下ろし、そんなことを考えていた。

「あんたの事、矢口が疑っとんねん」
「へ?」「ほら、従兄弟やって言う話」「あー」
確かに疑われてもしょうがないよな、とっさの嘘だし。
「でな、もう一度会わせろってうるさいねん。証拠見せろゆーて」
「へー」気の無い返事をする。
「でな、今度ウチに矢口と、あと圭・・あ、保田な、
 遊びに来る事になってん」「マジで?」
「まぁ、もともと遊びにおいでって話はしとったから」
「ふーん、ボクは別にいいけど・・・」「うーん、そうかー」
あんまり乗り気で無いらしい。ボクは、ただただ、びびっている。

来週、矢口さんと保田さんが来る事になった。
もちろん外に食事に行けないので、部屋で鍋。
(なんか、アイドルって感じじゃないな)
半分は部屋に来ることが目的だから、別にいいんだろう。

そして事前の打ち合わせ。
ボクは中澤裕子の従兄弟。
小さい頃は良く遊んでいたが、娘。が始まってからは疎遠になる。
その後、二人とも東京に出て来ては居たが、最近久し振りに会った。
ここで重要なのが、“呼び方”。ボクはいつも「中澤さん」と呼ぶ。
彼女は「キミ」とか、「あんた」とか、「じぶん」とか・・・適当だ。
とにかく、仲の良い従兄弟同士にしては不自然だ。そこで、
「わたしは名前で呼ぶわ。呼び捨てで。その方が自然やろ」
「そだね。じゃ、ボクは“姉ちゃん”かな。」「名前でええやん」
「え、なんか不自然じゃない?いくらなんでも歳離れてるし」
「う・・でも、メンバーはみんな“裕ちゃん”やで」
「まぁ、あっても“裕ちゃん”、“裕子姉ちゃん”とかかな」
「・・ま、ええわ・・・」

「帰ったでー」「こんばんわー」「おじゃましまーす」
二人を連れて彼女が帰ってきた。「こんばんは。この前はすいませんでした」
「いえいえ」「保田です。はじめまして」
「あ、はじめまして。中澤裕子の従兄弟の――です。よろしく」
いよいよやって来た。明日はモー娘。のメンバーはほとんどが休みらしい。
忙しい年末年始、過密スケジュールの中での一休みだそうだ。

ボクは一応、早く来て準備をしていたという事になっている。
「さ、どうぞ。準備は出来てますよ」「や、ありがとな」
「あー、おなか減った―」「すっごーい!おいしそー」
(うーん・・・)目の前にモー娘。のメンバーが三人も。
ボクはまた、そんな事にただただビックリしていた。
「悪いけど飲ませてもらうでー。あんたも飲むやろ」「あ、うん」
「そや、圭ちゃんもハタチになったんやったな。ビール飲むか?」
「えっ!?いいよ、いいよ」「あ、保田さんて成人してたんだ?」
「ついこないだ誕生日迎えたばっかりなんですけどね」
「まぁまぁ、イイから飲んどきー」「ずるーい!!みんなでお酒飲んで!!」
「うっさいなぁ。未成年は黙っとき。大人の楽しみや」
一人未成年の矢口さんはだいぶ不満そうだ。

「じゃ、気合い入れてこの年末乗り切ってこーちゅう事で」
「「「カンパーイ!!」」」「いただきま〜す!」
ゴクゴク・・「あっー!ウマイ!!」
保田さんは緊張した様子でグラスに口をつけている。「うーん・・・」
「わー、おいしー」矢口さんはもうお酒の不満は忘れて鍋をつついている。
「やっぱ、冬は鍋やなぁ。それよりアンタら話があるんやろ?」

「そうそう!矢口が裕ちゃんに彼氏ができたってうるさいんですよ」
「だから違うゆーとるやろ!わたしは矢口一筋やってー」「やー!」
「親戚だって言ってたけど絶対あやしいって。
 でも、結構かっこいいかもーって、
 矢口最近――さんの話ばっかりなんですよ」
「なんだよー!圭ちゃんだってそう言ったら目の色変えて
 見てみたーいって付いて来たくせに!!」「何よ!うっさいわねー!!」
「あはは」なんか照れくさい。「何やアンタら、結局そーいう事かい」
「でもさー、最近裕ちゃん仕事終わるとすぐ帰っちゃうしさー」
「しょっちゅう電話してるしアヤシイんだよねー」
「だから今日は本人まで来てもろて話そうゆーとるんやないか。
 ほらほら何でも聞きーや!白黒はっきりつけよーやないの!」
「よーし!」「んっとねー・・・」
どうやら質問タイムが始まったようだ。

「・・・でな、いっつも遊びに来ちゃ近所の悪ガキにいじめらて
 ビービーないとったんや。ホンマ――は泣き虫で困ったでー」
最初はスラスラと嘘の出てくる彼女に関心していた。
でもだんだんとエスカレートしてきてかなり好き勝手言っている。
だんだんむかついてきた。
「確かにそうだけどさ。必ずその後『泣かしたヤツどこや!敵とったる』って
 その子達の事泣かしてたじゃん。ちょっとやり過ぎだったよ」
「あはは!裕ちゃんらしー」「今も変わんないよねー」
「なっ!アンタよけーな事言うて・・・」
とにかく、二人は誤魔化せたようだ。たぶん・・・

「あー・・眠くなってきた」「あたしのベッド使いや」
「ありがと。じゃ、お先に失礼しまーす」
保田さんはまだ慣れていない酒のせいか早々に寝てしまった。
彼女も眠そうだ。矢口さんだけが元気で、ずっとボクに話し掛けてくる。
「・・そんときも裕ちゃんは矢口に抱きついてきてー・・・」
グラスが空になるとすかさずお酌をしてくれる。「ありがと」
「お酒っておいしいのかなー」「ま、人それぞれなんじゃない」
「矢口も飲んでみたいなー」上目遣いで見つめてくる。
(こういうのに弱いんだよなぁ)「コラ、何ゆーとんねん未成年のくせして」
「あっ!起きてたんだ」「いいじゃんか!もーすぐ18になるんだしー」
「アカン!それよりもう寝やー、休暇にならんで」
「あっほんとだー」3時をまわっている。
「そんじゃ、矢口ももう寝まーす。あやすみなさーい」

そう言って手を振りながら、寝室に入っていく。
矢口さんは保田さんと一緒にベッドで寝る事になっている。
テーブルに突っ伏している彼女をソファーに寝かせ、毛布を掛ける。
ボクも毛布を手に、座り込んだまま眠ってしまった・・・・

ガチャッ!
ドアを開ける音で目が覚める。
うっすら目を開けると寝室から人影が出てくる。
(矢口さんだ・・・トイレかな・・・)眠いので、また目を閉じる。
ペタ、ペタ、ペタ・・・
(ん・・・?)なんかおかしい。トイレなら寝室の目の前なのに。
足音がこっちに近づいてくるような気がする。目の前で止まる。
(なんだ?)目を開けようとする・・・と、その瞬間

(!?・・・!!!!!!)

唇に柔らかいものが当たる。視界には矢口さんの顔。
あまりの事で声も出ない。頭は真っ白だ。
思わず、目だけを動してソファーの方を見る・・・

(!!!!!!!!!!!)

目が合った。
彼女が目だけを開けてこっちを見ている。
ますます頭が白くなる。もう気を失いそうだ。

唇が離れようとするその瞬間、目を閉じ、寝たふりをする。
矢口さんは少しの間、目の前に立っていたようだが、寝室に戻っていった。

ドアが閉まる音を聞いて、もう一度目を開けソファーの方を見る。
彼女は目を閉じている。寝息が聞こえる。(寝てる・・・見間違い?)

ほんの数分の出来事だったが、ものすごく長く感じた。
しかし、それからの時間の方がずっとずっと長く感じた・・・

「「お邪魔しましたー」」昼を過ぎた頃、二人が帰る。

最後に「また遊んでくださいね」と矢口さんにウインクをされた。
(はぁ・・・)ほんとはうれしいことなんだろうけど、気が重い。
結局、昨晩はほとんど寝ていない。当然だ。あんな事があったんだから。
彼女は二人が帰ってから、口をきいてくれない。
それどころか、目も合わせてくれない。存在を無視されている。

彼女が食器を洗う。隣に立ち、食器を拭こうと、ナプキンに手を伸ばすと
すかさず彼女がそれを取って、一人で拭き始める。
布団を片付けようとしても、掃除機をかけようとしても一緒。

夜。彼女は自分だけ食事をすませ、TVを見ている。
堪えきれなくなったボクは
「あのさぁ、昨日のことなんだけど・・・」
「メンバーに手ぇ出さんといてな」言い終わる前に遮られる。
「はぁ・・・・」力なくうなだれる。
「そりゃ、矢口はかわいいし、ええ子やし、若いしなー。文句ないわ」
彼女はTVを消してこっちを見ている。
「4つも5つも年下じゃ、若すぎるよ」
「わたしはそんなことないで」
「えっ?」彼女が擦り寄ってくる。顔が近づく。

「――・・」二人でいるときに名前で呼ばれたのは初めてだった。

・・・・・・・・唇と唇が触れ合う


「『ゆうこ』って呼んで欲しい」耳元でささやく。「ゆうこ・・・・・」
強く抱きしめながら、もう一度、今度は深く・・・・・

真夜中、ベッドの上で目が覚める。彼女は背を向けて寝ている。

「いいの?」「・・ええよ。・・待ってた」

つい数時間前の出来事。
一緒に暮らし初めて数ヶ月、普通に考えればちょっと奇妙な、微妙なふたり。
しかし今までの関係も、今の状況も、ふたりとってはとても自然なことだった。

正直、彼女のあまりに緊張した様子がちょっと意外だった。
そういえば、そういう話はずっと昔の事しか聞いた覚えがない。
(ひとりで、自分の夢を追っかけることで、精一杯だったんだな)
そんなことを考えていると、
「あのなぁ・・」(起きてたんだ)「なに・・・?」聞き返す。

「娘。やめることになってん」
「!!・・・・・えっ???」

「春頃には、モーニング娘。やめるんや。脱退、やな」
「ほんとに?それは決まったことなの?」
「もう、決めてもうた。決まってもーた・・」「そうか・・・・・」

それ以上は何も聞かなかった。
彼女を振り向かせ、顔を胸に抱く。
「・・・ウゥ・・ウッ・グスッ・・・グスッ・・・・」
彼女は泣き出す。そのまま、朝まで抱いていた。

翌朝シャワーを浴びると、彼女はいつものように元気に仕事に出かけた。

「ごめんなー、間に合うと思ったんやけど、仕事が伸びて」
「ん、べつにいいよ」ボクはテーブルで居眠りをしていた。
「もう!全く何やっとるっちゅ―ねん!あのアホディレクター」
「まあまあ、そんなことより、料理温めなおさないと」

クリスマス。
当然、イヴは仕事が入っていて遅くなるのはわかっていた。
「25日でいいじゃん」「んー、でもなぁ・・しゃーないか」

そんなことを言いながら、25日も帰ってきたのは深夜1時過ぎ。
「もう、日付変わってしもーた。全然クリスマスやないやん!」
「べつにいいよ。25だろが、26だろが。変わらないじゃん」
「なにゆーとんの!ほんっと女心ってもんが・・・・」
「別にイイじゃん。二人でいられることの方が重要でしょ」
グラスを重ねる。
「そりゃ、そやけどー・・・」

「んー!おいしー!!アンタそんな事いいながら、
 結構料理張り切ってたりして、その気になっとるやないの」
「うーん、確かに・・・」
料理にはだんだん凝り出すようになってきてしまった。
確かに今日も、それなりに気合いが入っている。
(こりゃ、完璧に家政夫かな。あ、専業主夫か・・・?)

正月、さすがにこの時期は実家に帰らないわけにもいかない。
仕方なく、久々に家族でTVを見ている。
特番のバラエティー、彼女が出ている。
「この人なんていうの?なんかひとり違う感じだけど?」
普段は歌番組やバラエティーなんて見ない母親が、妹に聞いている。
「あー、中澤?オバさんだよ、オバさん。
 ゴマキの方がずっとカワイイよ。やー、福山さんだぁ」
むかついたんで、妹をこずいてやった。「何よ!いきなりー!!」

ピリリリリ!ケータイが鳴る。彼女からだ。慌てて部屋を出る。
「おめっとさーん!!」「それはさっきも聞いたよ」
「あれ?そやったっけ?忘れてたわ。まっ、ええやないのめでたいんやし。
 んで、いつ帰ってくんのん?」
「もう、明日帰るよ。こっちいたって暇だし」
「やー、ほんとに?良かったわー。洗濯物がたまり始めて、
 どうしよ思ってたとこなんや」
「なんだよ。たまには自分でやればいいのに」
(全く人のこと何だと思っているんだ)
「そんなツレない事いわんといてーな、ダーリン!」「ハイハイ」

「とにかく、待っとるで。はよ帰ってきてや」

(なんだよ、日に何度も電話掛けて来て結局寂しがり屋なだけじゃないか)

そう思いながらも、次の日朝早くの電車に乗り込み、彼女の家を目指した。

年が明けてからは、あっという間だった。
彼女の仕事はますます忙しくなり、帰りは遅く、朝は早い。
ロケだ、なんだで帰ってこれないこともしょっちゅうだった。
ボクも最後の試験に、論文の追い込み。
ふたりでゆっくりと過ごす時間は、ごくわずかだった。
「時期も時期やし、あたしの事で余計に忙しくなっているところもあるしな」
余りの多忙さに、ちょっと心配になる。

2月。
「ハイ」「なに?コレ」「『なに』ってないやろー、チョコやチョコ」
「へー、結構女の子っぽいこと好きだよね」
「うっさいなー!いらんの?じゃ、返してもらうで」
「ハイハイ、ありがたくいただきます」

「あたしからチョコもらえるなんて、
 めったに無いことなんやねんでぇ。感謝しときー」
「ハイハイ、感謝しときます」
「返事は一回でええの!!」

そんな、忙しくともささやかな日常。
しかし、ついにその日はやって来た。

「・・ウッ・・・グスッ・・・ゴメンなぁ、今んなって涙が出てきてしもた」
「でも、カメラの前じゃ泣かなかったんでしょ。
 いつも無き虫なのに、がんばったよ」
「ウッ・・エッ・・エッ・・・・」
(今は話せないな・・)彼女の泣く声が聞こえる。

記者会見の日。電話の後、TVで彼女の姿を見た。
無数のフラッシュがたかれるなか、凛とした表情で立つ彼女は
今までで一番キレイに見えた。ほんとによく泣かなかったな、と思う。

夜遅く、彼女が帰ってくる。「ただいまー」「おかえり」
「どやった?記者会見」「すごいキレイだったよ」
「なんや急に、照れるなぁ・・でもすっごい緊張しててん。
 手ぇ震えそうやったから、両手でマイクもってな。ホンマまいったわー」
寂しさと、照れくささを誤魔化しながら、彼女は苦笑する。
「あのさ・・」「ん?なに?」
「今日、会社から通知があってさ。勤務地が決まって・・・」
「・・どこやの?」彼女の表情も硬い。

「大阪だって・・・」

「!!・・・そっ、そうかー・・・・」
それは、二人の生活の終わりを継げる言葉だった。
いつかはこの日が来る事はわかっていた。
でも、わかっていたからこそ、互いにその話題は避けていた。
ふたりともうつむいたまま、しばらく沈黙が続く。
何を話したらいいのかわからなかった・・・・・

「あたしも、行こっかなー」

突然彼女が口を開く。思わず彼女の顔を見る。
「大阪やったら、京都も近いし。親孝行もできるわ」
「どう言うこと?娘。やめても仕事は続けるんでしょ!?」
「・・言ったやろ。走りつ続けて、もう疲れてもうてん。
 もちろん仕事はやめんで。でも、もともと娘。辞めたら、
 仕事のペース落とすつもりやったし。ちょうどええわ」

「ダメだよ、そんな!」
もちろん、彼女と離れてしまうことは嫌だ。
どうにかなるものなら、どうにかしたかった。
でも、自分のせいで彼女の夢が終わってしまうなんて事は絶対に嫌だった。

「・・娘。で夢、追っかけて。ほんとに『青春』やったわ。
 でもな、今度は、なんていうの?
 『女の幸せ』、みたいの。追っかけちゃ、アカン?」
「えっ・・・!?」
「あたしじゃ、アカン?」
「そんなことないよ。けど・・けど・・・」
「アカン言うても、追っかけてくで。・・・連れってってぇな・・」

決心した。
ボクは、目に涙を溜めている彼女をそっと抱きしめた。

「い、今、終わったとこなんやけど・・グスッ・・・」
「ご苦労様。でもダメだよ、こんな時に電話してちゃ」
「・・ウン」
「最後なんだから仲間との時間を大切にしなきゃ」
「・・ウン」
「それに、すぐラジオあるんでしょ。いつまでも泣いてちゃダメだよ」
「・・ウン」

あれから、ボクはアパートを引き払い、少しの間実家にいた。
「親孝行はできるうちにしとかんとな」
この時期、彼女をひとりにしておくのは心もとなかったけど、
彼女の言葉に従った。
そして、4月。新しい街にやってきていた。
研修に、初めての勤務に、とても忙しかった。
今日も電話だけ。それが彼女に申し訳ない。側にいたかった。

「元気出せ!しっかりしろ!中澤裕子!!」
「・・・・・うん、わかった!ヨシ!!気合い入れていくでー。
 めちゃめちゃオモロイ放送するから、しっかり聞いててや!!」
「おう!最後まで気ぃ抜くなよ!」
「まかしときー!!」

ラジオのスイッチを入れる。彼女の声が聞こえてくる・・・・

ジリリリリリリリリ!!目覚ましが鳴る。
朝。
(もう、こんな時間か)
ようやく慣れはじめた早起き。ようやく慣れはじめた仕事。
キッチンの方からはミソ汁の匂いがする。
(あ、朝メシ作ってくれてるんだ)
もう一度、目を閉じようとする。

「早よ起きやー!遅刻するでー」

その声を聞いて、ようやく布団から出る。
「まったく、目覚し時計の意味が無いやないの」
「おはよ」「ほんと、寝ぼすけで困るわ。朝ご飯できてるで。早よ食べやー」
「いただきまーす。・・あっ、ミソ汁うまい!」「ほんまに?」
「だいぶ料理うまくなったね」「まっ、ちょっと本気出せば軽いもんやわ」
彼女は得意そうに笑う。

「今日、仕事は?」「昼のラジオと、午後にちょっとだけ」
「じゃ、夜は空いてるね」「なんやのん?」
「外で食事でもしようよ」「どうしたのん?珍しー」
「いいじゃん、たまには」

ここで暮らし始めて一年。
出掛けに、カバンの中の小さな箱に触れる。指輪が入っている。

「じゃ」
「いってらっしゃーい!早よ帰ってきてなー」


〜〜〜〜『恋の記憶』〜〜〜終