049

オフライン作業 投稿日: 2001/04/08(日) 22:35

「なんてこったい…」
僕は思わず愚痴を吐いてしまった。
とても天気のよい日曜の朝。ここは近所の公園。
とても自然がきれいな桜の名所でよくスケッチをしにくるお気に入りの場所だ。
しかし目の前にはうんざりするような光景が広がっている。

「ったく常識ない奴多すぎだよ」
僕はまた愚痴をこぼした。
公園の桜はもうピークを過ぎ、枝にはほとんど花びらがついていない。
桜は散るからこそ美しい。そこは問題ではないのだ。
問題は桜が舞い落ちたその先だ。
空き缶、ペットボトル、プラスチックトレイ、お菓子の袋…

そう、いつもは閑散としているこの公園に毎年この時期だけは多くの人が花見をしにくる。
桜が咲きはじめるとともに嵐のように多くの人が現れ、桜が散るとともに人は消えていった。
そして嵐の過ぎ去ったあとに残ったのは大量のゴミだった。
これではスケッチどころではない。でも今日はどうしても描きたい気分なのだ。

「しょうがない、ゴミ拾うしかないな」
そうつぶやいて僕は公園の掃除を始めた。

そのときは気付かなかったのだが公園を掃除する僕を見つめる一人の女性がいた。
今思えばあの摩訶不思議な日々の始まりはこんな感じだった。

掃除を始めてからもう一時間くらい経っただろうか。
公園全体とまではいかないが、描きたいスポットの周辺は何とかきれいになった。
ゴミ拾いで軽く汗をかいたからか、とても気分がいい。
公園の掃除なんて初めてしたけどたまにはやってみるもんだな。
「よっしゃ描くぞぉ!」
と意気込んだ矢先、あるものがなくなっていることに気がついた。
「あれっ!?スケッチブックが…、あと鉛筆も…ない」
あたりを見渡したけれど、スケッチブックどころか人影さえない。
盗まれた?でもあんなもの盗んでどうするんだろ?
考えても仕方ないのでその辺をもうちょっと探すか。
と歩き出した瞬間、女の声が聞こえた。
「やった〜!完成〜!」
声は向こうにある茂みの奥の方からだったような気がする。
ここからちょうど死角になっていて、人の姿は見えない。
駆け寄ってみると満足げな顔をした若い女性がいる。
なんと僕のスケッチブックと鉛筆を持っているではないか。
向こうも僕に気づきお互いに目を見合わせた。

「あっ!それ僕のスケッチブック…」
「ああ、これあなたのだったの?ちょっと借りてたんだ」
「借りてたって…、勝手に人のもの使わないでくださいよ」
「そうカリカリしないの。怒ってばかりいると幸せが逃げちゃうよ」
「はあ…」
何なんだこの女。肩透かしをくらったような気分だ。
「そんなことよりさ、圭織の傑作を見てよ」
いい年して自分の名前を一人称にしてるのか。
「傑作って僕のスケッチブックに描いたんですか?」
圭織という女は返事をせず僕のスケッチブックを開いて差し出した。
「ねえ、この絵けっこうスゴクない?」
スケッチブックにはかがんでいる男と木々が描かれている。

「これ…僕ですか?」
「そうだよ。ずっと描いてたんだ。」
「はあ…」
返事につまってしまった。
自分みたいなつまらない男のゴミ拾いを描いてどうするんだ?
なんだかよくわからなかったけど自分をモデルにして絵を描いてくれたのは嬉しかった。
でもこの絵、よく見てみると何か変だ。
「どーして日本の公園にパンダがいるんですか?」
「だって描きたかったんだもん」
「描きたいからって風景画はありのままを描くもんでしょうが」
「別にいいジャン。好きに描いたほうが楽しいよ」
「はあ…」
圭織の言葉には妙な説得力があった。
確かにこの絵を描きあげた圭織はとても満たされた表情をしている。
「なんかさ、絵を一枚仕上げるって気持ちいいよね」
圭織はさらに顔をほころばせて言った。
なんだろう、何か不思議なオーラに包まれているような感じだ。
この圭織という女は何者なんだろう?

圭織が歩き出しながら言った。
「せっかくだからさ、そこのベンチでお喋りしようよ」
僕は「うん」とだけ答えて並んでついていく。
こうして改めて眺めてみると相当な美人だ。
背丈は僕より少し低いくらいの長身。
艶やかな栗色の長髪。印象的な大きな瞳。厚ぼったい唇。
華やかでインパクトのあるルックスだ。
トレーナーにジーンズ、それにスニーカーというラフな格好だけど、
スタイルがよいせいかサマになって見えた。
こんな可愛いコと話せるなんて今日はラッキー!

ベンチに腰掛けると圭織が切り出した。
「君は学生さんなの?」
「うん。去年、田舎から上京してきて美術大学に通ってるんだ」
「ってことは大学二年生?」
「うん」
「じゃあ圭織と同い年だね。美大生かあ…カッコイイね」
「そんな大層なもんじゃないよ。圭織さんも大学生?それとも専門学校?」
「いやそうじゃないんだけど…」
圭織の表情が曇った。
「じゃあ働いてるとか?」
「う〜ん、あんま言いたくないんだ。
君には言わせておいてズルいよね。ごめんなさい」
圭織の表情はさらに曇り、うつむいてしまった。
あちゃ〜、マズいこと聞いちゃったかな。
言えないってことは水商売でもやってるんだろうか?
どちらにせよ雰囲気は最悪だ。何とかしなきゃな…。

僕は無理に声色を明るくして言った。
「そんな謝らなくていいよ。全然気にしてないからさ!ねっ!」
「ホントに?」
「ホントだ〜ってば!」
「うん、ありがと!」
分厚い雲に覆われた空が晴れたように、圭織の表情に明るさが戻った。
さっきまで落ち込んでたのに切り替えが早いな。
すっかり元気を取り戻した圭織が意気揚々と話し始めた。
「それにしてもさ、公園の掃除をするなんてエラいよね」
「そんなことないよ、あの辺をスケッチしたかっただけなんだ」
自分で言って気がついた。僕はまだスケッチしてないじゃん。
思い出したらまた描きたくなってきた。
そうだな、よし、せっかくだから…
「あのさ僕今からあの辺のスケッチをするからさ、モデルになってよ」

「ええっ!?ヤダ、圭織恥ずかしい〜」
圭織は頬を赤らめて言った。本当に恥ずかしそうだ。
へぇ何だか意外だな。注目されることなんて慣れてそうなのに。
よし、わざとイジワルしてやる。
「人のこと勝手にモデルにしといて自分はイヤだなんてズルいんじゃないの?」
「えっ、まあそうだけど…」
圭織は困惑しているようだ。分かりやすいな〜、こいつ。
「でしょ〜!じゃあ決定ね!じゃあそこに座ってよ」
「え〜!?やっぱり恥ずかしいよ〜」
まだ渋ってるのか。こりゃ、いじり甲斐がある。
「お〜い、”また”逃げるわけ?」
「うっ…、分かった。じゃあやる!圭織腹をこさえたよ」
……こさえた??
「…それを言うなら腹を据えただろ?こさえてどーすんだよ」
「いーじゃん!ちょっと間違えただけでしょ!」
ムキになりやすいとこなんて可愛いな〜。
「はいはい分かったよ。じゃあそこのタンポポで首飾りでも作ってよ。
それを描くからさ。」

僕の提案を聞いた瞬間、圭織はピクッと反応し戸惑ったように薄笑いを浮かべた。
「あ…う…あっ、分かった。タンポポでなにか作ってればいいんだよね」
明らかに話し方がたどたどしい。絶対、変だ。
「ねえ何か変なこと言った?妙に喋りがカタいよ」
「そんなことないって!ほら、ロボットのマネしてただけだよ」
圭織はやぶれかぶれな言い訳をすると、ロボットの動きをマネ始めた。
……シュール……
目の前にある光景の馬鹿馬鹿しさが疑惑に勝った。
「ぶわっははははは!なにそれ!そのロボット絶対故障してるだろ!」
「ウルサイ!これでいいの!」
圭織のムキになったリアクションもおかしくて、もう笑いがとまらない。
「ッハッハッ…、わかった、わかった。じゃ始めるよ」
「ちゃんと美人に描いてよね。圭織の美貌を台無しにしないよーに」
「はいはい。オレのテクでマシに描いてやるよ」
「あーっ!ムカッツクー!」
圭織が頬を膨らませた。ホントに表情が豊かだな、このコ。
「冗談だってば。ピリピリしてるると幸せが逃げちゃうんじゃないの?」
「うっ…」
「一本とられたって感じ?」
「っもう!」
二人の空気が一気に暖まった。
うまい具合に描けそうな気がしてきたぞ。