053

石川革命21 投稿日: 2001/04/18(水) 16:39

「あなた 早く起きないと遅刻するわよ」
「ん? んんー」
妻の声で僕は目を覚ました。

朝ご飯を食べながら朝刊に目を通す。
今日は1月・・・19日・・・。

「・・・・・・」

・・・記憶の糸が弾けるように回り出す・・・

彼女が喜ぶのはどんなものだろう?
そう言えば ”くま”が好きだって言ってたっけ。
ぬいぐるみ、とか? ・・・子供っぽいな。
第一、学校で渡すんじゃ目立つ。
あ! このオルゴールなんかどうだろう?
・・・”くま”が可愛くお座りしている。
うん、いいな。大きさも、値段も手頃だし・・・。
「すいません、これ、プレゼント用に・・・」

僕は彼女に放課後、教室に残るよう頼んだ。

「何? 用って」
「あの、これ・・・」
「え?」
「誕生日・・・プレゼント・・・」
「あ、え? あ、ありがとう・・・」

彼女は突然のことに戸惑っていたが、顔を赤らめて受け取ってくれた。
ぎこちないながらも嬉しさを示すため、精一杯に微笑んでくれる。
それを見ると胸の奥がカーと熱くなる。気の利いた台詞も出てこない。
何を隠そう、女の子にプレゼントを贈るなんて、生まれて初めてのこと。
しかも贈った相手が僕の大好きな女の子ということで完璧に舞い上がっているのだ。

校舎の外からは、生徒の声が聞こえる。クラブ活動・・・。
しかし、やがてそれらの声もフェードアウトしていき、沈黙だけが残る。

こんなとき、どうすればいい?
苦しくて、それでいて幸せな、そんな複雑な沈黙が永遠に続くかに思えた。

と、そこに、

「見ーちゃった、見ーちゃった。お熱いね」

そんな声が聞こえたかと思うと、ドアが開く。
別に疚しいことをしていたわけではないのに僕と彼女は慌てふためく。
見るとクラスでも特に騒がしい奴がにたにた、いやらしい笑みを浮かべていた。

「お前ら、そんな仲だったんだ? へー」
「・・・・・・」
「・・・・・・」

彼女を見やると恥ずかしそうに俯いている。
奴は僕らの回りを時間をかけて一回りすると、ふんっと鼻を鳴らした。

「じゃあな」

意外なことに奴はそれ以上何も言うことなく消えていく。
何かから解放されたような気がして、思わず溜息をつく僕と彼女。
その気まずい雰囲気を取り去るように彼女はにっこり笑って僕に言う。

「ねえ、開けてもいいかな?」
「え? ここで?」
「うん!」

その申し出にしばし迷ったが、結局それを拒むことも出来るはずがない。
気に入られなかったらどうしよう? がっかりさせてしまったらどうしよう?
そんな思いが胸を駆けめぐっている・・・。
ゆっくりとそれでいて丁寧にリボンをほどいていく。
包装紙までをも破らないようにと、慎重にシールを剥がして開封する彼女。
そんな一つ一つの行動を見守りながら、僕は彼女の横顔を見た。
顔をうっすらと上気させて、瞳はわずかに煌めいてる気がした。
僕はもう、それだけで良かった。
かくして”くま”のオルゴールは彼女の手によって机の上に鎮座する。

「可愛い! こういうの、欲しかったんだ」

頭の芯が、ぼうっとする・・・。

「音・・・鳴らしても、いい?」

上目遣いで、懇願するような目で、彼女は言った。

「あ、え、だってもう君のものだよ。鳴らしてもいいに決まってるじゃないか」
「ん、ありがとう! それじゃ鳴らすね」

しばらくオルゴールの奏でる音に、二人して耳を傾ける。
泡のように音色が浮かび・・・そして消える。
消えたあとからまた浮かび・・・消え・・・浮かび・・・消え・・・。
窓から射す冬の光は暖かく、優しく、ゆったりと僕たちを包み込む。
まるで夢の中にいるような、そんな気分。
僕と彼女の二人だけの空間が今ここにあること、それが嬉しい。

・・・告白するチャンスじゃないのか?・・・
頭をよぎった。

・・・さっきの彼女、見たろう? きっと彼女も・・・
息を飲んだ。

・・・僕が告白するのを、待っている?・・・
彼女は目をつむって、口は軽く笑みを浮かべながら聞き入っている。

・・・よしっ!・・・
そう決心したときだった。

「あーあ、音、止まっちゃった・・・」

彼女は目をパッチリ開け、残念そうにそう呟く。

「・・・・・・」
「どうしたの?」

ちょっと小首を傾げて尋ねるその仕草に胸が跳ねる。

「いや、何でも・・・ない」

僕は結局その日、彼女に告白出来なかった。

次の日、学校に行くと案の定、奴が絡んできた。

「お! 来た来た! 旦那様が来ましたよー」
「?」

大きな声でそう言うと、僕に近付いて来る。

「なあ、あれからあいつとキスでもしたのか?」
「何言ってるんだよ」

僕は無視して席に着く。
彼女の方を見ると不安げに僕を見ていた。

「それともそれ以上のことしたのかなぁ? 学校でよくやるねぇ」
「何もしてないって」
「家に連れ込んで? か?」

奴を睨み付けても蛙の面に小便だ。

「どうしてあいつにプレゼントなんかしたんだ? 結局お前、好きなんだろ?」
「・・・・・・」

何も・・・言えなかった。

「下心でも?」

にやけた顔に触発されてか、僕は何かが切れるのを感じた。

「ない! そんなもの、ない! ただ誕生日を知ってただけだ!
 好きじゃなくても、プレゼントあげるのが悪いのか?」

・・・あっ・・・

僕は言ってはならないことを言ったかも知れない。
急激に周囲の温度が下がったような気がした。
彼女を見る。
一瞬、泣きそうな顔になっていたがきゅっと口を結ぶと一言、彼女は言った。

「私も、貰いたくて貰ったんじゃないもん・・・」

それから彼女とは口を聞くことが出来なくなっていた・・・。

2月14日。バレンタイン。
この日、彼女は僕にチョコをくれた。
他のクラスメートのいる前で僕に。
本当は嬉しかった。嬉しかったけど・・・
彼女の一言に意地を張っていた僕は冷たく言い放ったのだった。

「誕生日プレゼントの、お返しか?」

あの時と同じようにきゅっと口を結ぶ彼女。

「・・・貰ったら、お返ししなきゃね」

僕に無理矢理チョコの包みを預けると、その長い髪を振り乱し走り去った。
あとには甘いコロンがほのかに香っている。
僕の手にはただ、彼女がくれたチョコの包みが残っていた。

僕は何とか彼女と仲直りしたかった。

彼女が誰かと付き合ったとか、僕を好きだという人が現れたりした。
彼女はともかく、僕は長続きしなかった。

・・・いつも心のどこかに彼女がいた。
でも時だけがあまりにも早く過ぎ去っていく。

クラス替えで彼女とは別々のクラスになっていた。

春が過ぎ、夏が過ぎ、秋、冬を迎え、そしてまた春、卒業式。
別々の大学へと進学・・・。

結局、僕はこどもだった。
彼女が皆の前で僕にチョコをくれたのは、彼女が精一杯に僕への好意を示したものだったんだ。
周りに、そして特に僕にその気持ちを分かってもらいたかったに違いない。

・・・好きっていう気持ちを。

なのに僕は「誕生日のお返し」として受け取り、そう思い込もうとした。

・・・本当は心のどこかで分かっていたのに。

「ふふっ」

どうしようもなく幼稚で どうしようもなく不器用で
そんな少年時代が どうしようもなく懐かしかった。

「じゃあ、行ってきます」
「あなた、鞄忘れてるわよ」
「あ、悪い」

妻は半ば呆れた顔をして、僕に鞄を手渡した。

「本当にドジなんだから・・・」
「ははは、じゃ、今度こそ行ってくるから」
「いってらっしゃい」
「あっと!」
「何? まだ何か忘れ物?」

僕は今日、妻に言うべきことがあったのだ。

「梨華、誕生日おめでとう!プレゼントはやっぱり”くま”がいいかな?」

妻ははっとしたような顔をすると、少女みたいな笑顔を浮かべ、こくん、と頷いたのだった。


・・・そう、まるで僕があのオルゴールを贈った日のような笑顔で。

056

石川革命21 投稿日: 2001/04/22(日) 21:59

「私たち、他の人から見たら恋人同士に見えるかな?」
「ん?」

ひとみを見ると真剣な顔で俺を見つめていた。

「・・・かもな」
「やっぱそう見えちゃうよね。あんたと、っていうのが気に入らないけど」
「うるさいな」

それでも安心したように、そして嬉しそうに笑うひとみ。

俺は少し後ろめたいものを感じながらも気にしないように努める。

俺はクリスマスを一人で過ごすのが嫌でひとみを呼び出していた。
ただ一人が嫌だったから。
クリスマスの意味も何も考えていなかった。
女の子にとって今日がどんな日なのか、それを知らなかったわけじゃない。

鼻歌を唄うひとみの横顔。
いつもと同じ、友達の横顔。

ひとみとの出会いは高校時代にさかのぼる。
同じクラスになったことがきっかけだった。
初めて見たときの印象は「大人っぽい」。
でも親しくなるにつれ、その雰囲気とは裏腹に子どもっぽいのが以外だった。
そしてまたよく笑い、どんなくだらないことにもちゃんと耳を傾けてくれた。

最初、恋愛にも似た感情があったかもしれない。
しかし、時間が経つにつれ、いつしか仲のいい友達という形に収まっていた。

俺はひとみの友達に恋をした。
そのことを打ち明けるとひとみは力になってくれると約束してくれた。
事実、いろんな面でセッティングをして貰い、付き合う所までこぎ着けた。
すっかり舞い上がっていた俺は次第にひとみの存在を忘れていった。

結局、ひとみの友達と別れることになり、かなり落ち込んだ時期があった。
寂しさを埋めるように俺はひとみにすがりついていたが、
次の恋を見つけると再び舞い上がり、ひとみを忘れていく。

俺と出会ってからひとみに恋人は出来ていなかった。
俺が誰か紹介すると言っても、決まって「私はいいの」と返してくる。
俺はいつも応援されてばかりだった。

「何か食いたいものあるか?せっかくのイヴだし、奢ってやるよ」
「えー?何か企んでる?」

警戒の眼差しを向けるひとみに俺は苦笑した。

「何も企んでないってば」
「奢ってくれるなんて初めてじゃない?怪しいよ」
「たまにはな」
「ふーん」
「嫌だったらもういい」
「あ、ダメ!奢って」

本当はもっと豪華でおいしいものを奢る気でいたのだが、
やたらひとみが遠慮するので、結局ファーストフードに落ち着いた。
よく考えればそんな気取ったことをしなくても、俺たちはこれで十分だった。

「失恋したんだね・・・あの年上の人に」

注文をして席に着くや否や、いきなりそんなことを言われた。

「うん、あっさりふられた」

開き直って言葉にすると思った以上にすっきりした。

「・・・どんな人か見てみたいな」
「別に見る必要ないじゃん」
「でも、見てみたい」

俺はオレンジジュースをズズズとすする。

「どんな人なの?」
「別に」
「美人?雰囲気いい?」

上目遣いに見るひとみに目を反らして言う。

「ひとみの方が美人だよ。雰囲気はともかく」
「そう」

俺のボテトを盗み取る。

「その人社会人なんでしょ?やっぱいろいろ奢って貰ってたわけ?」
「いいや」
「じゃ、割り勘?」
「何でそんなこと聞くんだよ」
「あんたってば、いい格好していつも奢ってあげてたんじゃないかって思うから」
「・・・・・・」

さらに俺のポテトを盗み取る。

「私には全然優しくないくせに、他の人には優しいんだね」
「別にそんなことないけど」
「この前電話してきたとき、金欠で苦しんでたじゃない?無理するからだよ」
「別に無理してないって」
「その人、社会人で年上のくせにして、よく年下の学生に奢らすよね。」
「お前は保護者かよ。喧嘩売ってるのか?」
「・・・違うよ。ただあんたが可哀想だな、って」

そう呟いたひとみの顔を見ることが出来ない。

「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・出ようか」
「うん」
沈黙がたまらなくてそう言わずにはいられなかった。

クリスマスの街のざわめきが鬱陶しく感じる。
俺は半ばひとみを置き去りにするつもりで早足で歩き出す。

「待ってよ!待ってってば!」
「・・・そろそろ電車の時間だから俺、帰るわ」

もうひとみと一緒にいるのが嫌だった。
早く一人になりたかった。

「帰るの?」
「ああ。今日は付き合ってくれてサンキュな」
「う、うん。あ、ちょっと待って」

ガサゴソとカバンの中から小さな包みを出すと俺に押しつける。

「はい、これあげるね」
「あ・・・」

俺はクリスマスを一人で過ごすのが嫌でひとみを呼び出していた。
ただ一人が嫌だったから。
クリスマスの意味も何も考えていなかった。
女の子にとって今日がどんな日なのか、それを知らなかったわけじゃない。
なのに気の利いたプレゼント一つ、俺は用意していなかった。

「・・・俺、プレゼント買ってない」
「いいよ、最初から期待してないから」

見ると笑っていた。ただただ微笑んでいた。
自分のバカさ加減に呆れると共に申し訳なさがこみ上げる。

「ごめん」
「いいってば。じゃ、気を付けて帰ってね」

胸の前で小さく手を振るひとみ。
そんな何でもない仕草に何故かハッとしてしまう。

バレンタインにはいつも丁寧に「義理」と言ってチョコをくれるひとみ。
浪人したら一緒に頑張ろうと言っていたのが現実になった俺とひとみ。
どんなに夜遅く電話しても、文句を言わずに聞いてくれたひとみ。
こんなイヴの日に俺みたいな男に付き合ってくれる優しいやつ。

いつも近くにいたのに近すぎて何も見えていなかったんだ。

「あのさ・・・お前の部屋ここから近いよな?」
「あ、うん・・・」
「行ってもいい?」
「え? でも時間的に終電無くなっちゃうよ?」
「いいよ」

少し考えていたが「散らかってても良かったら」と言う。

思った以上に俺の心の中に入り込んでいたひとみ。
気がつくといつも隣にいるひとみ。
これまでも、そしてこれからも・・・・
ひとみは俺の隣にいるだろう。

途中、ピカピカと派手に自己主張している大きなツリーの前で足を止めた。

「やっぱり一人で見るのと二人で見るのとは違うね」
「メリークリスマス、だからだな」
「そうだね」

隣でクスクスと可愛く笑う人。
恋人未満の俺たちは今日、恋人同士になった。

057

石川革命21 投稿日: 2001/04/23(月) 14:28

雨が降っている・・・。
君が隣にいる・・・。
二人で一つの傘・・・。

「でね、その人こけちゃったんです」

思い出し笑いをして、クスッと微笑む。

「で、亜依ちゃんはこけなかったの?」
「やだなー、センパイ、私そこまでドジじゃないで」
「なんだ、面白くない」

肩をすくめてみせると、

「ひどいわー」

と拗ねて見せた。でも、その横顔もどこか嬉しそうだ。
亜依ちゃんはすごく照れ屋だから「雨が降っている」という名目で
僕の隣にいれることが嬉しいのだろう。
普段は手を繋ぐことすら恥ずかしがるのに、
今日はぴったりと体を押しつけて来る。
柔らかさと温もりが右腕に感じられて、亜依ちゃんの吐息がくすぐったかった。

「センパイ、もう少し歩きませんか?」
「うん」

雨が降ると君はいつも僕を町へ連れだしてくれたっけ・・・。

玄関の隅に少し大きな傘が掛けてある。
出かけ際にそれがふと視界に入って僕は足を止めていた。

亜依ちゃんとの想い出の傘。
君が去った今じゃ一人で使うには少し大きすぎる傘。

梅雨入り間近のある日、僕の下駄箱に手紙が入っていた。
差出人は不明。

文面は

「放課後、正門の東にある3本目の木の裏側を見て下さい」

とだけあった。

最初、悪戯かと思った。
捨てようとも思ったが、好奇心に駆られてその場所まで行ってみることにした。

例の木の裏を覗くと紙が張ってあり、

「体育館裏のフェンスの下にある大きな石の下を見て下さい」

とある。

その場所に行き、石をどかすと

「自転車置き場にあるゴミ箱の横を見て下さい」
「1−Bの掃除用具入れのバケツの中」
「音楽室にある木琴の裏」
「美術室、入って正面に掛けてある絵の裏」

などなど・・・。

指定場所を行ったり来たりを繰り返しているうちに日は随分と傾いた。
途中、馬鹿らしくもなり、やめようとも思った。
しかし、諦めより好奇心が勝る。

その先にあるのは何なのか
一体誰がこんなことをするのか
何のためにこんなことをするのか
興味もあったから。
そして・・・。

「あなたの下駄箱をもう一度、見て下さい」

言われたとおりに下駄箱を見ると一枚の紙が入っており、こう書いてあった。

「後ろを振り返って下さい」

振り向くとそこには見知らぬ女の子、亜依ちゃんがいた。

「え? この手紙の犯人って・・・君?」
「は、はい」
「どうしてこんな・・・?」
「・・・きです」
「?」
「好きなんです、センパイのこと」

蚊の鳴くような声で、俯いたままで亜依ちゃんは言った。
これが僕たちの出会いであり、始まりだった。

あとで聞いた話だが、僕を直接呼び出すのが照れ臭くてあのようなことをしたらしい。
もし途中で僕が諦めてしまうようだったら、亜依ちゃんも諦めるつもりだった、と。

ものすごく真っ直ぐなようでいて、ひどく屈折した心の持ち主。
しかしながら、そんな亜依ちゃんに妙に惹かれたのも事実だった。

そして始まりが僕にとって突然だったように、終わりもまた、突然だった。

「センパイ、お話したいことがあります」
「ん? 何? 今、何か言った?」

どしゃぶりの雨の音が、こんなにも近くにいる亜依ちゃんの声をかき消した。
同じ傘の下、二人して足を止めたあと、僕をジッと見つめる。
その瞳は何か思い詰めたように、その唇はわずかに動いた。

「・・・・・・」
「え?」

そしてどしゃぶりの雨の中へ飛び出す。

「おい!」

止めるのも聞かず、亜依ちゃんは走る。
僕は追いかける。

傘のない亜依ちゃんは人波を縫うように走っていく。
傘を持ってる僕は思うように前に進めない。

信号が点滅し、亜依ちゃんが渡りきった交差点は赤になる。
走り出す車に僕は足を止めるしかなかった。

「・・・・・・」

交差点の向こうで、びしょ濡れの制服で、手を振る亜依ちゃん。
何かを言っているけれど、聞こえるのは傘に当たる雨音だけ・・・。

「何だよ! 何て言ってるんだよ!?」
「・・・・・・」
「亜依ちゃん!」
「・・・・・・」
「どうしてだよ・・・」

一つお辞儀をすると再び駆け出した。小さくなっていく後ろ姿。
信号が変わった時にはもうどこにも亜依ちゃんの影は見つからない。
当てもなく歩く先にはいつ止むともしれない雨が僕を待っているばかりだった。

「亜依ちゃん・・・」

その呟きさえ、どしゃぶりの雨音に飲み込まれていく・・・。

次の日、朝一番に亜依ちゃんのクラスメートに聞いて分かったこと。
それは亜依ちゃんが遠くの学校に転校したことだった。

きっと別れが辛くて、最後まで言い出せなかったのだろう・・・。
亜依ちゃんの頬はきっと、雨だけで濡れていたわけじゃないと思う。

そのクラスメートから住所を聞き出し、手紙を書いた。

だけど・・・返事は返って来なかった。

夏休みを利用して4時間電車に揺られ、会いに行った。

だけど・・・すでに引っ越したあとだった。

亜依ちゃんの居所を知る手だてを失い、残ったのはこの傘と想い出だけ。
雨のメロディーが、想い出の傘が、記憶の波をゆさぶる。

亜依ちゃんとの想い出の傘。
君が去った今じゃ一人で使うには少し大きすぎる傘。

君がいることが、君がいる日々が、当たり前だったのに・・・。
君がいないことが、君がいない日々が、当たり前になっていく・・・。


「しまった! 時間!」

感慨に耽ってしまい、すっかり忘れていた。
慌てて靴を履いてドアを開ける。

亜依ちゃんへと続く、空の雨雲の下。
透明のビニール傘をさして僕は走った。
あの日、見つからなかった影を横目で探しながら・・・。

空からは今日もまた、雨が落ちている・・・。
たくさんの喜びと、たくさんの悲しみ・・・。
何もかもを飲み込み、洗い流してゆく・・・。

亜依ちゃんとの想い出の傘。
君が去った今じゃ一人で使うには少し大きすぎる傘。
二人の想い出と共にそっと・・・しまっておくよ。

058

石川革命21 投稿日: 2001/04/25(水) 21:24

「わりぃ、先に行っててくれ」
俺は仲間達にそう言うと、教室に向かって走り出した。

今日は卒業式だった。
長くて短い、そんな3年間。
受験勉強からも解放され、高校生活に思いを馳せる一方で、
どこかまだ卒業したくないという気持ちがあった。

俺の席の2つ前、右斜め40度に座っている後藤真希の横顔を見ていたい。
そんな気持ちがあったから。

「後藤はどこに行った?」

教室に残っている女子に聞く。

「真希?屋上に用があるって言ってたわよ。屋上にいるんじゃない?」
「屋上・・・?」

もしかして誰かが後藤を呼び出しているのか?
だとしたら・・・。

俺にとって後藤は特別な存在だった。
卒業する前にこの気持ちをどうしても伝えたい。
一目散に俺は駆け出す。

「せんぱい!」

途中、クラブの後輩に呼び止められたが時間がない。

「わりぃ!また後でな!」

そう言って屋上に走る。

「はあはあ」

受験勉強でここのところ、運動不足だった体に階段の連続は堪える。
あと一階上れば・・・と、そこに階段を下りてくる奴がいた。
隣のクラスの奴だ。
すれ違いざま俺に一瞥を投げかけ、下りていった。

屋上へと続く少し重いドアを開けると見慣れた後ろ姿があった。
俺が片想いし続けていた、後藤真希の後ろ姿。

暖かみを帯びたそよ風は春の匂いを含んでいる。
そして後藤の髪をふんわり撫でていた。

「後藤・・・」

俺が声を掛けると一瞬、体を硬直させたが返事は返ってこなかった。
それ以上近付くことを拒んでるような気がして俺は立ち尽くしていた。

どれくらい経っただろう。後藤はぽつりと呟くように言った。

「私、フラれたんだ」

その事実とともに俺の中の何かが大きく波打つ。

「もしかして、隣のクラスのあいつか?」

震える声をかろうじて押さえて、俺はそいつの名前を言った。

「うん。どうして分かったの?」
「さっき、階段ですれ違ったんだ」
「そう」

大きく息を吸い込み、吐くのが分かった。

「ずっとね、片想いしてたの。今日卒業でしょ、最後のチャンスだと思ったんだ」

後ろを向いたまま、淡々と話す。

「別に付き合うだとか、そんなことはどうでも良かったの。気持ちを伝えられるだけで幸せだもんね・・・」

そして後藤は振り向いた。

声は平静を装ってたのに頬は涙で濡れていた。
ぽろぽろぽろぽろ・・・そんな形容そのままに、後から後から流れていた。

それでも無理に笑う後藤の笑顔が、可愛くて愛しくて切なくて・・・。

後藤の隣に並んでみたものの、励ます術が見つかない。

ふと屋上から見える風景に目を落とした。
同じように後藤も目を落とす。

卒業証書が入った筒を抱え、記念写真を撮る奴ら。
卒業の開放感からか、集まってふざけあってる奴ら。
今日で通うのが最後の母校が名残惜しいのか、なかなか帰ろうとしない。

横目で後藤を見ると同じように生徒達を見つめている。
そうしている間にも後藤の目からは涙の粒が、頬をつたい落ちていく。

見ないふりをした。
こんな時、何て声をかければいいのだろう。
経験のない俺には良い言葉が何も浮かばない。

思い浮かぶのは、ただ1つの想いだけ・・・

「俺、後藤のこと、好きだ」

出た言葉はこれだった。

「え?」

俺は後藤の顔を見ないまま続ける。

「俺、勉強嫌いだから、本当は学校来るのが嫌だったんだ。もう仲間と会うために来てた感じ。
授業もてんで頭に入らなくてさ。でも、後藤と同じクラスになってから、
なんか俺学校行くの楽しくなって・・・。お陰で高校にも受かったんだぜ。ありがとうな」
「・・・・・・」

後藤にとっては俺の存在なんて、ただのクラスメート以外になんでもなかったのだろう。
こんなこと言われても迷惑に過ぎないかもしれない。

いや・・・迷惑なはずだ。
でも、俺にとってこれはけじめでもある。

「俺、後藤のこと、好きだった」

後藤を見つめて言う。
その目から涙の影は消えていた。

「嬉しいけど、でも私・・・」

俯く後藤に俺は付け加える。

「別に付き合うだとか、そんなことはどうでも良かったんだ。気持ちを伝えられるだけで幸せだからな」

後藤は驚いたように顔を上げた。
俺は精一杯、笑顔で強がる。

「なっ!」
「うんっ!」

後藤はとびっきりの、そして最後であろう笑顔を俺にくれた。

屋上から立ち去る後藤の後ろ姿。
その後ろ姿も見納め・・・そう思うと少し胸が痛い。

「『人は必ず誰かに愛されていると言えるよ』、か・・・」

後藤はあの隣のクラスの奴を、俺は後藤を好きだった。
きっとその隣のクラスの奴も、違う誰かを好きだったに違いない。
そういうものなのかもな、恋ってやつは。
だったら俺を好きな奴がいるかも・・・って考える俺はかなりおめでたい。

「ふふ」

失恋したのに妙にすがすがしい。
屋上に吹く春の風が俺を優しく包んでくれるからかもしれなかった。

ガチャリ

その時、後藤が消えていった扉が再び開いた。

「せんぱい!こんなところにいたんれすか?」

さっき俺に声を掛けてきた後輩だ。
息を切らしている。

「ああ、どうしたの?辻ちゃん」
「あの〜、わたし、せんぱいにいいたいことがあるんれす・・・」

歩み寄ってくる彼女の頬は真っ赤に染まっていた・・・。