084

加賀百万石 投稿日: 2001/08/14(火) 17:04

 ギラギラと照りつける陽の光を、頼りない手つきで遮りながら俺は空港に降り立った。
あの娘にもう一度会いたい。どこに行けば会えるのか見当もつかない。ただ、気がついたら
飛行機に飛び乗ってこの島へと足を向けていた。あのホテルへ行こう。彼女と出会って、
そして彼女と別れたあのホテルへ・・・彼女と過ごしたほんのわずかな時間は俺にとって
かけがえのないものだった。一生一緒にいてくれとは言わない。ただ、もう一度だけ、
もう一度だけでいいからあの優しい笑顔に包まれたい。もう一度でいいからこの手で感じたい。
出逢って、そして別れたこの場所で・・・

ホテルに到着するが、ロビーは観光客らしき人で埋め尽くされていた。ここにいるか
どうかもわからない。いたとしてもこれじゃあ見つけようがないな・・・
絶望感に打ちひしがれ、俺はソファに体を預けた。
どれくらい時間が経ったのだろう、眩しく真っ赤な陽光が目に飛び込んできた。

(そういえば二人で夕陽眺めたりしたな・・・ビーチに行ってみるか)

そんな想いに耽って佇む俺の横を
見覚えのある横顔が髪をなびかせながら通り過ぎていった。

「!!!」

呼びとめられて振り向く彼女の眩し過ぎる笑顔が俺の記憶を呼び覚ましていく・・・

 

「さあて、今年はどこに行こうかな」

旅行好きの俺は大学が休みに入ると決まって一人で旅に出る。
学食で飯を食いつつパンフを眺めてると、

「お前海外行ったことあんの?」

友人Aが聞いてきた。そういえば国外脱出はまだ経験していない。
これはナイスアドバイスだ。

「どっかいいとこある?」
「そりゃやっぱ南国だろ」
「南国かぁ・・・」
「夏だしね」
「じゃあ、南の島の方向で」

あっさりと行き先は決まった。一人で南の島に行くのもどうかと思うが、俺は旅行は
一人で行く主義だ。周りの人間は不思議がるが、連れがいると何かとうざったい。
旅先でまで気遣ってられない。そうと決まったら早速手配。予定は2週間、
たっぷりと時間をとってリフレッシュしてくることにした。

そんなこんなでいろいろと決めていたら、

「ねえねえ、どっか行くの?私も連れてってよ」

いつのまに現れたのか同じゼミの柴田あゆみが言ってきた。
この娘はゼミで知り合ったのだが、それ以来なにかと親しげに話しかけてくる。

「やだよ、一人で行くんだから」
「ケチだなあ」
「一人がいいんだよ」
「・・・ふーん、まあいいけど。どこ行くの?」
「○○島だけど」
「へえ、なんていうホテル?」
「××ホテルにしようと思う」
「期間は?いつから行くの?」
「来週の頭からだね、多分。2週間の予定だけど。なんで?」
「いや、べっつにぃ・・・」

なんか嫌な予感はしたがこの時は特別気に留めなかった。

飛行機のタラップを駆け下りると、南国特有のムッとした空気と併せて強烈な陽射しが
飛び込んでくる。タクシーを拾って予約していたホテルへと向かう。このホテルを選んだのは
プライベートビーチがあるのと日本語が通じるからだ。ホテルに着いて部屋に案内される。
多めに渡したチップを受け取るとポーターは嬉しそうに去って行った。
まずまずの広さだし眺めも良い。海が見える部屋を、と言っておいて良かった。
窓を開けてバルコニーに出ると生暖かい風が潮の香りを運んでくる。

(・・・悪くないな、2週間、ゆっくりしますか・・・)

そう思いながら疲れた体をベッドに横たわらせ、
一眠りしようと思った矢先、突然部屋のベルが鳴る。

「誰だよ、ぶち殺すぞ・・・」

一息入れたところへの訪問だっただけに俺の怒りは一気に膨れ上がった。

「まあいいや、無視無視」

相手にせずベッドに寝転がったまま放置していたが、ベル音は鳴り止まない。
俺は仕方なく重い腰を上げ、ドアを開けた。

「はいはい、何か用?」

俺はてっきりホテルの人間がいるもんだと思っていたので驚きを隠せなかった。
一瞬、時が止まった・・・・・・そして時は動き出す。

「え?誰??」
「あ、あの・・・」

それが俺と彼女の出逢いだった・・・

「何か用?つーかあんた誰?」

思いも寄らない女の子の訪問、しかも日本人。俺はぶっきらぼうに言い放った。
スカイブルーのキャミソールがよく似合う彼女は俯き加減にボソボソと何か呟いた。

「あ、あのですね、私旅行に来たんですけど、あの、部屋が手違いで取れてないらしくて・・・
今からじゃどの部屋も取れないって言われて、でももう夜だし・・・」
「へ?言ってる意味がわからない。俺のところに来るのは筋違いっしょ?」
「え・・・っと、さっき案内されてるの見て、あなた一人みたいだし、この部屋ツインだし・・・」
「だから何?泊めてくれとでも言いたいの?・・・なーに言ってんだか」
「だ、ダメですか?」
「ダメだね」
「でも私行くところなくて・・・」
「残念だけど俺には全く関係ない」
「ここで会ったのも何かの縁で・・・」

なかなか力強い子だなとも思いながらも俺は冷たく言い放った。

「ふーん、そりゃ残念、縁が無かったね」

俺は乱暴にドアを閉めた。わけのわからない訪問者に旅のスタートを邪魔された気分になり
苛立ちが込み上げてきた。悪い夢だ、早く忘れようとひとときの眠りについた。

「ふあぁぁぁ、よく寝たな。飯でも食うか」

ホテルのレストランで夕食を取るため、俺はエレベーターで下へと向かった。

「えっと、レストランはどこ?」

ボーイに尋ねる俺の視線の先にさっきの女の子がいる。
カウンターで部屋を取ろうと必死に交渉してるようだ。
また変なお願いされたらかなわないと思い、教えられたレストランへ足早に向かった。
食事を終え部屋に戻る途中に、ロビーのソファでぐったりしてる彼女が目に入り、
関係無いと思いつつもカウンターで尋ねてみた。

「ねえ、あの女の子どうしたの?」
「予約されたと言ってるのですが、如何せんこちらにはそういった連絡は入って
おりませんで。部屋も残念ながら満室でして、こちらとしては最善は尽くして
他のホテルも紹介してみたのですが、どうしても当ホテルでないと、とおっしゃって・・・」
「ふーん」
「お知り合いですか?」
「まさか」

なんとなく気にはなったが、部屋に帰ると長旅の疲れと満腹感からくる眠気に勝てず、
ベッドに体を預けてそのまま深い眠りについてしまった。

朝、眩しい光で目が覚めた。
窓を開けて大きく深呼吸をするが、ムンとした熱気が一気に部屋に入ってきて
不快指数が増してくる。朝早いにもかかわらず外はすっかり常夏気分のようだ。

(シャワーもいいけど目覚めにプールでも入るか)

24時間使用可能のホテル専用のプールへと向かう。
さすがにこの時間だと誰もいない。暑さに絶え切れず俺はいきなり飛び込んだ。
やっぱり夏はこれに限るな、などと思いながらひと泳ぎしてプールからあがると、
プールの外の砂浜から昨日のあの娘がこっちを見つめてるのに気付いた。

(なんかまずいな・・・)

えもいわれぬ気まずい空気。昨日の態度の申し訳なさからか、
気付いたら思わず彼女に声をかけていた。

「あのさ、昨日は悪かったよ。ちょっと言い過ぎたかも」
「・・・・・・いいんです」
「朝からそんな暗い顔すんなよ」
「昨日あんまり寝れなかったから・・・」

確かに彼女の顔は些かやつれて見える。一体どこに泊まったというのか。
なんか気になってきたので思い切って聞いてみることにした。

「昨日どこに泊まったの?」
「え・・・どこってここですけど」
「ここって砂浜で?」
「・・・はい」
「マジ?なんで?他のホテル泊まればいいじゃん」

俺は半分驚き、半分呆れて彼女を見た。

「ここじゃなきゃダメなんですっ!!」

彼女の言葉からなにか強い想いが感じられた。
何か特別の意味があるのだろうか、俺はそう思わずにはいられなかった。

「部屋、取れそうなの?」
「あと20日間くらいは一杯だそうです・・・」
「・・・」

彼女の儚げな表情は確かに何か訴えるものがあった。
それは昨日も見せていたのかもしれない。ただ疲れていたという理由で
それに気付かなかった自分を俺は恥ずかしく思った。

「俺の部屋、泊まる?」
「・・・え?でも・・・」

明らかに戸惑っていた。多分昨日のことが脳裏を過ったのだろう。
確かに昨日の俺はひどかった。でもなんとなくほっとけなかった。
罪悪感からくるものだけではなかっただろう、ただこの時はそれに
気付いていないだけだったかもしれない。

「だいじょぶだよ、何にもしないから(笑)」
「・・・ほんとにいいんですか?」
「うん、昨日のお詫びもこめてね」
「ありがとうございますぅ。でもなんで突然・・・?」
「ん?夏の気まぐれかな」

こうして俺はその女の子と過ごす事になった・・・

(ん、そういえば名前聞いてなかったな。。)

「ベッド入れてもらったから、君はこっちの部屋使って」
「ありがとうございます」

当然だがまだ何となくぎこちない。
俺はそう思っていたのだが、彼女はそうでもないらしい。
彼女は窓から見えるその景色がよっぽど気に入ったのか、しきりに外を眺めている。
その後姿に声をかけると、彼女は慌ててこっちにやってきた。

「まあ一緒の部屋で過ごすわけだけど、別にいつ出ていってもらっても構わないし
俺は俺で過ごすから、君も俺に気遣わないでよ」
「・・・」
「どうしたの?」
「・・・いえ、別に。なんでそんなに一人がいいんですか?私の事嫌いですか?」
「いや、嫌いも何もまだ会ったばっかりだし、うーん、まあ嫌いじゃないね。
嫌いだったら部屋にいれることはないだろうし」
「・・・よかった♪」
「ちなみに一人がいいってのは、せっかく落ち着いてるところを邪魔されたくないだけ」
「・・・私、邪魔ですか?」
「だから邪魔だったら追い出してるって。この部屋には遠慮しないでいてもらって
構わないし、さっきも言ったけどいつ出ていっても構わない。俺は君に干渉しないから
君も自由に過ごしてくれ。それだけ」
「・・・ハイ」
「あ・・・っと、それと名前だけ教えてくれる?」
「石川・・・石川梨華って言います」

シャワーを浴び終えて、昨夜の汗をすっかり落とした彼女が、遠慮がちに言ってきた。

「とりあえずご飯でも食べませんか?」
「ああ、そういえばお腹空いたね」
「このホテルのモーニングはとっても美味しいんですよ」

昨日の昼にここに着いたはずなのに、なんでこの娘はそんな事知ってるんだろう??
不思議に思ったが、この際そんなことはどうでもいい。
ちょっと遅めの朝食を取るために二人でレストランへと向かった。

彼女の言った通り、バイキング形式の食事は種類も豊富で、
俺は和食を、彼女はパンとサラダを取ってきた。食べ終わると、
新しく取ってきたレモンティーとケーキを満足そうに口にしている。
じっと彼女を見つめてると、視線に気付いた彼女がこちらに顔を向けた。

「私の顔、何かついてます?」
「いや、ごめん。美味しそうに食べるなあと思って」
「えへへ、でもあんまり見ないでください」

どうやらお腹も膨れて彼女も笑顔を取り戻したようだ。
と、突然彼女が顔を近づけて俺の顔に手を伸ばす。
近づく彼女の顔に、不覚にも一瞬ドキっとして動けなかった。

「も〜、ごはんつぶ、顔についてますよ」
「え・・・・あ、ありがと」

俺の口元から米粒をゲットした彼女は、そのまま自分の口に運んでしまった・・・
俺はすぐには何が起こったか分からず、ただボーゼンとしていた。
彼女はというと、何も無かったかのように相変わらずレモンティーをすすっている。
我に返った俺は、その後彼女の顔を直視できなかった・・・

(き、強敵だ・・・)

今にして思うと彼女と過ごした日々は、まるでフェデリーニの甘い生活を彷彿とさせるかのようだった。
そんな新鮮且つ驚きの連続が俺の気持ちを徐々に変えていったのかもしれない。

「あの〜」
「・・・・・・」
「あの〜、ちょっといいですか?」
「・・・あ、あぁ、ごめん。なに?」

ボーっとしているところへ声を掛けられたので俺は余計にドキドキしてしまった。

「どこか出掛けたりしないんですか?海で泳いだりとか、ショッピングしたりとか」
「出不精だからね、そっちは?」
「・・・私も出掛けません」
「んじゃ何しに来たの?」
「ん〜、なんとなくですよ、なんとなく。強いて言うなら夏の妙な雰囲気でついつい
出掛けてしまったって感じです」
「ハハハ、よくわからんけど家族とかは?若い娘が一人旅なんてよく許してくれたね」
「・・・」
「あ、ごめん、なんかヘンなこと聞いちゃったかな」

こっちから干渉しないといった手前、聞き過ぎたかなと思ってすかさず謝った。

「別にいいんですよ、パパやママにどうやって説明しようか悩んだんですけどね」

あっけらかんと言い放って彼女はテラスに出てしまった。
どうやらだいぶそこからの景色が気に入ったらしい。

「ま、俺は適当に過ごすからさ。君も楽しみなさい」
「・・・ハイ。あ、そ〜だ、そのうち二人でお出かけしましょうね♪」

俺の言ったことが理解できてなかったらしい。
適当に誤魔化してやり過ごすことに決めた。

「・・・」
「イヤなんですか?」
「え・・・んじゃまあそのうちね」
「そのうちって?」
「だから、いつかだね」
「いつかっていつですかぁ?何時何分何秒ですか〜?」
「子供みたいなこと言わないの、気が向いたらそのうちね」
「ぶーぶー、つまんないの〜」

大人っぽいところがあるかと思えば子供みたいにダダこねる。
これからも振りまわされるのかな・・・でもそれも悪くない・・・かも?

それから二日間、俺達はそれぞれの時間を過ごした。
俺は基本的に部屋で本を読んだり、音楽を聴いたり、涼しい時間帯には
ビーチで昼寝をしたり。彼女はというと出掛けたり帰ってきたり。
やっぱり出掛けてるじゃないか。
まあ干渉しないということなんでどこに行ってるかは定かではないが。
でも部屋にいるときは相も変わらず同じ場所から外を眺めてる。
俺は彼女がこの部屋にいることに気を遣ってるのだと思い、
気遣わないで自由に部屋使っていいんだよ、というのだが、
彼女は分かったような分からないような顔をして、ここでいいんです、
と言うばかり。おかしな子だなぁと思いながらもそんなに気にはしなかった。

三日目の朝、目覚めたのは良いが、頭が痛い。鼻水も止めど無く流れてくるし、
なんか体中が火照ってる感じだ。旅行に来たというのにどうやら
風邪を引いてしまったらしい。最悪の展開だ。でっかいクシャミを放ったら
それに応えるように梨華が隣りの部屋から顔を出した。
ピンクの花柄のパジャマがよく似合ってる。

「おっはようございま〜す♪」
「・・・・・・おはよ・・・」
「どうしたんですか?顔真っ赤ですよ?」
「・・・なんか風邪引いたみたい」
「お熱、あるんですか?」
「・・・さあ」

もう答える気力すらない俺に、彼女は近寄ってくる。

「どれどれ」

そういうと彼女は自分のおでこと俺のおでこをくっつけた。

「・・・!!」

俺は絶句したが、急激に体温が上昇している俺をよそに、
彼女は目を瞑って本気で熱を計ってる・・・つもりらしい。

「すっごい熱ですよ。今フロントに連絡してお医者さん呼んでもらいますね」
「・・・・・・ありがと」

天使に見えた。。

ホテル在中の医者の診察によると単なる風邪のようで、感染症などの心配は無いらしい。
それまで心配そうに見守っていた梨華は顔を綻ばせた。

「良かったですねぇ、治るまで私がしっかり看病しますからね♪」
「・・・ヨロシク」

そういうと梨華は電話でフロントと何やら話してる。
受話器を置くと嬉しそうにベッドの横に座り込んで話しかけてきた。

「今フロントの人に聞いたんですけど、特別にご飯作ってくれるって」
「・・・・・・別に食べたくない」
「ダメですよ〜、ちゃんと食べなくちゃ。治りませんよっ。何が食べたいですか?」
「・・・敢えて言うならお粥かな。鰹節と梅干に醤油たらしたやつ」
「お粥かぁ・・・」

そんな会話をしてるとドアをノックする音が聞こえた。

「ほいっ!」

梨華が返事をして走っていった。
ボーイが氷とおしぼりを持ってきてくれたようだ。

「そうだ、聞いてみましょうか?」
「・・・ハハハ、多分無理だと思うけどね」
「わかりませんよ、あの〜、お粥って・・・?」
「・・・」

ボーイの沈黙がなんとなく痛かった。
やっぱり無理かと思った瞬間、彼は振りかえってボソっと言った。

「あるよ」

「え、あるんですかぁ?でも鰹節と梅干はさすがにないですよね?」
そこまであったらギャグだろと思いつつ覗っていたら

「あるよ」

「え、じ、じゃあお醤油は?」

「あるよ、キッコーマン特撰丸大豆」

なんでもありかよ・・・しかも微妙に古いし。

「旅行に来たのに病気になって金だけ払って帰ったら踏んだり蹴ったりだな・・・」
「そうですよ、だから早く治しましょうね」
「もう不細工でデブな奴がハナクソほじってるところ見つかっちゃったって感じだ」
「なにわけわかんないこと言ってるんですか」

熱で少々おかしくなってるところに頼んだ食事が運ばれてきた。
注文通りのお粥だ。しかも蓮華もついてる(笑

「さ、ご飯ですよー。体起こせますか?」
「・・・うん、ありがと」
「それじゃ私が食べさせてあげますね♪」

さすがにそこまでおんぶにだっこというわけにはいかない。
もちろん恥ずかしさのほうが大きいのだが。

「い、いいよ。自分で食べれるから」
「ダメですよ〜、無理すると治りませんよ」
「で、でもさぁ・・・」
「はい、あ〜んしてください」

俺は押し切られたように口を開ける。

「美味しいですか?」
「・・・う、うん」
「それじゃあ頑張って全部食べましょうね」

ちょっと幸せ感じた夏の一日だった。

彼女は熱に魘されてる俺を一生懸命看病してくれている。
汗で濡れた俺のシャツを取り替えて、氷が無くなりは新しいのを頼み、
俺が起きてる間に彼女が寝ているところを見たことが無い。

「あのさぁ」
「はい?」
「あんまり寝てないでしょ?」

彼女の目の下にはくっきりとクマができてる。

「このくらいヘッチャラですよ」
「そう?あんまり無理すんなよ。逆に倒れられても俺は今看病できないからさ」

すると彼女は含み笑いをしながら嬉しそうに言ってきた。

「それじゃあ、治る頃に私が倒れたら看病してもらえますね♪」
「そりゃするけど・・・楽しそうに言うことじゃないっしょ?」

俺が呆れて言うと、

「冗談ですよ、冗談」

この子の場合はどこまでが冗談かわかんないからな。
まあこの際だ、治るまでは甘えることに決めて、深い眠りについた。

真夜中、熱に絶えられず目を覚ました。
俺は起きあがって氷を取りに行こうと思ったが、体の上に何か重いものが乗っかって
自由に身動き取れない。よく見ると梨華が俺の上に倒れ込む形で
静かに寝息を立てている。しかも俺の手を握り締めて・・・
俺はその手を外し、床にあった布団を彼女にかけてあげた。
そしてまた布団に潜った。氷は取りにいけないが、それで治るのが遅くなってもいいと
心から思った。彼女を起こすわけにはいかない。俺はまた眠ることにした。
再び、今度は俺のほうから、彼女の壊れてしまいそうなくらい細い手を握り締めながら・・・

梨華の懸命の看病の甲斐あってか二日後、やっと全快した。

「良かったですね、治って」
「マジでありがと」
「やめてくださいよう、お世話になってるんだから当然です」
「お礼といったらなんだけどさ、明日は二人で出掛けようか?」

前に出掛けようとしつこく言われたのを思い出して、俺は彼女を誘ってみた。

「ほんとですか?嬉しいですぅ」
「そっか、良かった」

内心断られるんじゃないかと思ってたのでほんとにホッとした。

「どこ行きます?あ、私が決めていいですか?」
「ん、いいよ」

俺は一応その日は大事を取って部屋の中で過ごした。

次の日、朝から彼女と出掛けた。
前の日に一生懸命予定を立てていたらしく、事は極めて順調に進んでいた。
海の見えるレストランで食事をし、ブランドショップをからかいつつ友達への土産も購入した。
梨華はほんとに楽しそうで、見てるこっちも自然と口元が緩くなる。
なーんか変な感じ。。

その日の夜はいつになく涼しかった。
ベッドに入ってからどれくらいの時間が過ぎたのだろう。
寒気を感じて目を開けるとカーテンが揺れている。
外を見ると梨華が一人でバルコニーに出ていた。

「何してるの?」
「あ、ごめんなさい。起こしちゃいましたね」
「いや、別に良いけど」

昼間とは全くちがう梨華の雰囲気にちょっと戸惑った。

「どうしたの?」
「なんか眠れなくて・・・」
「ふーん」

俺が話しかけても梨華はずっと俯いたままで、こちらを見ようとしない。

「絶対なんかおかしいんだけど?」
「そ、そんなこと・・・」

俺が無理矢理顔を覗くと、梨華の頬には一筋の涙が流れていた。
予想外の出来事に一瞬言葉を失った。

「・・・・・・ごめんなさい・・・そんなつもりじゃ・・・」
「・・・」

俺はなにも言えなかった。
引きとめようとする俺の手を振り払い、梨華は自分の部屋へと消えていった。
しばらくの間ボーゼンとしていたが、自分のベッドへ戻ってからも当然のように寝られなかった。

(でもなあ、干渉しないって言った以上向こうから話してくるまで
いろいろ聞けないしなあ。うーん参った・・・)

翌朝、といっても昼近くだが目を覚ますと梨華はもう起きていた。

「おはようございます♪」

いつもの梨華だ。昨夜何もなかったかのように振舞っている。
俺も敢えてその話題には触れなかった。

「おはよ」
「もうすぐ起きると思ってごはん頼んでおきましたよ」
「あ、そう」

長い沈黙が流れた。実際ルームサービスが来るまでほんの数分だったのだろうが、
永遠にも近く感じられた。梨華も何も言わない。彼女が何か喋ってくれないと
こっちは非常につらいのだが。。
耐え切れず煙草に手を伸ばしたらドアのベルが鳴った。
ふぅ・・・

「いただきま〜す」

改めて彼女を見るが昨夜の面影はどこにもない。
幸せそうにレモンティーを飲んでいる。
あれこれと考えていたら突然梨華が口を開いた。

「昨夜の事なんですけど・・・」

俺は意識的に目をそらした。意味もなく窓の外に目をやる。
いつものようなうっとりするほどの青さはかけらもなく、
どす黒い雲が空全体を覆っている。そういえば天気が崩れるって言ってったっけ。

「聞いてます?」

消え入りそうな声で梨華が呟く。

「だいじょぶ、聞いてるよ」

視線は未だに窓の外にあったが。

「昨夜はゴメンナサイ・・・」
「いや、別に気にしてないから」

男はいつもウソツキだ。

「私、男の人にあんなに優しくされたの初めてで・・・」
「ごめん、意味がわからないんだけど」
「なんていうか、あの・・・」

ためらっているようなので俺は可能な限り優しく言った。

「無理して言わなくていいよ。干渉しないって言ったしさ。言いにくいことなら
尚更時間が必要でしょ。それに昨夜の事だって全然気にしてないし」
「・・・ハイ」

ほんとは聞きたくて聞きたくてたまらなかったのだが、またまたカッコつけてしまった。
やっぱり男はウソツキだ、俺は特に。

ステージに向かう彼女達が笑顔で言ってくれたお礼がとても印象的だった。
「さっきはありがとうございました」
今まで信頼してきたマネジャーに殺されそうになったのに平気でいられる
はずが無い。
だが、それを感じさせまいとしていた。
そんな、彼女達に僕は心を打たれた。
(彼女達は絶対に守ってみせる)

ところが、コンサートは順調に進んでいった。スタッフの人の話だと振り付けを
何人かが間違えたりしているらしいが、素人目にはわから無い程度だ。
不審者もいないようだし、僕には何も感じなかった。アンコールの曲に入り、
このまま無事に終わるだろうとみんな思っていた。
(よかった。僕の勘違いだったんだな)

しかし、最後の曲の『ザ☆ピース』がはじまった途端に僕にいやな感覚が来た。
(来た!!)

 滞在予定の半分が過ぎた。当初の予定と大幅に違うがこういうのも悪くない。

(悪くない、か。普段の俺からは考えられないな・・・)

その理由はおそらく彼女だろう。良いにしろ悪いにしろ彼女の存在が影響している
のは明白だ。こんなところを日本の友達に見られたらなんて言われることやら。

そんな事を考えてると梨華が話しかけてきた。

「あのー、いつごろ日本に帰るんですか?」
「え・・・一応あと一週間だけど」
「ふーん」

何か考え込んでる顔だ。この一週間の傾向と対策から、あまり良い予感はしない。

「・・・ふーんって何さ」
「べっつにぃ」

最近はだいぶ慣れたのか、敬語を使わないことが多くなっている。
それがまた心地よさを演出しているのかもしれない。

(一週間か・・・)

またまた長く感じられそうだ。

――運命。
本当に決められているのだろうか?例えば俺が今回この島に来なかったら
梨華とは出会ってない。普通に考えればそうなる。ここに来るってことは
決められていたのか、それとも他の場所を選んでもいずれは出会っていたのだろうか?
現実は一つしかない。これは事実だ。過去も一つしかない。でも未来は
選択肢があり、どれを選ぶか決める権利が人間にはある。
それでも起こり得る事象は一つだ。そう考えるとどれを選ぶかは
決まっているような気もする。数ある選択肢も可能性はゼロではないが
一つを除いて確率はゼロだ。ということは人間は流れに身を任せてるだけなのか。
難しい問題だ。それでも流れに身を任せてる人と、自分で流れを変えようと
する人もいるはずだ。運命論者に言わせるとそれもなるべくして
そうしているというのだから、そう言われると何も言い返せない。
運命が定められていないという証拠が無い以上は、
運命は定められているという考えを否定する事は出来ない。

そんな事を考えながらその日は知らない間に眠りについていた。

「もし、私が日本に帰らないで、って言ったらどうします?」

外は荒れ模様だ。天気予報によると午後から夜にかけて大荒れらしい。

「は?」

一瞬の事だがかなり本気で考えた。
呆然としていると梨華は慌てた感じで続けて言った。

「じ、冗談ですよう」
「ちょっとドキドキしちゃったよ、ハハハハ・・・」
「真剣な顔してましたね、本気で考えたんじゃないですか?
それとも私と離れるのが寂しいとか?」
「んなこたあないけど」
「ふーん」

歪んでいる。異性に対するときはすくなからず発生するものだ。
あきらかに矛盾しているのだがその歪みこそが必要だと思う。
見方を変えれば(この場合は特に)逃げに当てはまるだろう。
しかし自分の気持ちを素直に受けとめると、必ずやってくる
不幸な結末が目に見えている。いや、そうなるだろうという予見を
理由にして殻に閉じこもっているだけなのか。
いずれにしてもなにかきっかけがないとこの状況は打破できないだろう。


ダラダラとした会話が続いていた。
外はどんどん嵐が近づいているようだ。
しかしそれとはまた別の『嵐』がそのきっかけ、いやそれ以上の
モノを持って、警報が鳴り響くこの島に上陸したようだ。