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関西人Z 投稿日: 02/01/05 20:57

ギュッギュッギュ
一人の青年が吹雪の中を歩いていた。
その身体は傷だらけで、頭からは血が流れている。
「・・・早く、逃げなきゃ・・・」
何かから逃げるように急ごうとするがうまく歩けない。
「ダメだ・・・。もう、歩けない」
ドサッ!
青年は雪の上に倒れた。
(・・・俺、一体何やってんだろう・・・)
青年はそのまま気を失った。

「みんな、欲しい物は全部買ったか?」
『はーい』
中年の男が女性3人に尋ねると、一斉に答えた。
「よし、じゃあ帰るぞ。車に乗れ」
全員乗ると男は車を走らせた。
「ねえ梨華ちゃん、何買ったの?」
「ん?これだよ」
そう言って袋の中を見せる。
「あー、これ前から欲しがってたやつじゃん」
「うん。せっかくだから買っちゃった。りんねさんは?」
「私はこれ」
「あ、これって結構高いんじゃないですか?」
「まあいいじゃない。せっかくなんだし」
「そうですよ。こういう時はパッとしましょうよ」
「そういうあさみは何を買ったのよ」
「これなんですけど」
梨華とりんねはあさみが差し出した袋の中を見た。
「たくさん買い込んでるね」
「はい、みんなの分が入ってますから」
後部座席で3人はお互い買った物を見て騒いでいた。
男は気にせず車を運転していた。

「ん?」
しばらく雪で覆われた道路を走っていると、視界に何か入ってきた。
「どうしたんですか?」
梨華が訊いてきた。
「いや、何かいま見えたんだ」
一体なんだと思い車で近づく。
男は車を降り近づいて確かめてみると、それは人だった。青年が倒れていた。
「こ、これは大変だ!」
急いでくる間に戻ると、中にいる女の子達に伝えた。
「おい、人が倒れてる。車の中にある毛布を持ってきてくれ」
そう言われてすぐ動いたのが一番年上のりんねだった。
毛布を持つと、急いで倒れている人の方へ向かった。
「おい、しっかりしろ!」
男が青年に声をかけるが、答えない。
「だ、大丈夫なんですか?」
りんねが訊いてきた。
「わからん。息はしているみたいだが・・・
 しかし、この男かなりの重傷だ」
りんねが見てもそれは明らかだった。
分厚い服は血を吸っているのだろう、赤く染まっていた。
頭からも血が出ている。
「とにかく、このままにしておけない。一度家に連れて行くんだ
 二人に、この男が横になれるくらいのスペースを作らせておいてくれ」
毛布で青年を包めながらそう言った。
「はい」
りんねは急いで車まで戻った。
「二人とも、後ろの座席スペースを作っといて。人運ぶから」
「「は、はい!」」
急いでスペースを作ると、そこへ青年を寝かした。
「よし、急いで戻るぞ」
男は急いで車を走らせた。

「大丈夫かな?」
青年が治療を受けている部屋を見つめながら、梨華がりんねに訊いた。
「多分大丈夫だよ」
「そうですよ。大丈夫ですよ」
あさみも答える。
3人はしばらく部屋の前に座っていた。
すると、
ガチャ
部屋から人が出てきた。
「あ、おじさん」
それはさきほど運転していた男だった。
「どうですか?」
りんねが尋ねる。
「とりあえず手当てはしたが詳しいことはわからん。
 ばあさんに訊いてくれ。俺はまだ仕事あるから」
「わかりました」
3人は部屋の中に入った。
「おばあちゃん」
「ん?ああ、あんた達かい」
「どうですか、その人の容態は?」
「別にどうってことないよ」
「え?でも血とかいっぱい出てましたけど」
「死ななけりゃどうって事ないんだよ」
「・・・・・・」
思わず黙ってしまった3人。

「まあ近いうちに目を覚ますじゃろ。
 それまで安静にさせることじゃな」
そう言うとおばあさんは立ち上がった。
「あとはお前さん達が世話しなよ。
 ほっといても目覚ますじゃろうけどな」
おばあさんは部屋を出ていった。
3人はそれを見送った後、青年に目を向けた。
青年は、頭に包帯を巻いて寝ていた。
身体は布団が掛かっていてわからないが、多分包帯だらけだろう。
「どうしよう」
あさみが誰に言うわけでもなくポツリと呟いた。
「なんにしてもまずおじさんに相談しないと。
 私たちだけで決めるわけには・・・。梨華ちゃん?」
りんねは梨華が青年の顔をジッと見ているのに気づいた。
「・・・え?」
「どうしたの?この人の顔をジッと見たりして」
「べ、別に何もないよ」
「そう?ならいいんだけど。
 とりあえず、おじさんの仕事が終わるまで部屋で待ってようか」
「そうですね。じゃあ一度部屋に戻りましょう」
あさみがそう言って部屋を出た。
続いてりんねが出て梨華も部屋を出ようとしたが、
最後にもう一度青年の顔を近くで見てみた。
「・・・・・・」
少しだけ青年の顔を見ると、静かに部屋を出ていった。

夕食時
3人はキッチンへやってきた。
「あら、3人とも仕事は?」
声をかけてきたのはこの家のお手伝いさんの稲葉貴子だった。
りんねが答える。
「今日は休ましてもらいました。あの、義剛おじさんは?」
「まだ帰ってきてないで。もうそろそろやと思うけど。先に夕食食べる?」
「そうしよっか?」
後ろの二人に尋ねる。
「「うん」」
「じゃあお先にいただきます」
「わかった。すぐに用意するから待ってて」
そう言うとお手伝いさんは奥へ入っていった。
しばらくすると、貴子は後ろに二人のお手伝いさんを引き連れて
夕食を運んできた。
「私たちも一緒でいい?」
「もちろんいいですよ」
「じゃあお言葉に甘えて」
りんね達の前に座ると貴子は早速雑談を始めた。

「そう言えば、買い物から帰ってきてから騒がしかったけど何かあったん?」
3人はこれまでの事情を説明した。
「へえー、そんなことがあったんか」
「はい。おばあちゃんは近いうちに目を覚ますって」
りんねが答えると、貴子が何やら考え出した。
「ふうん・・・。なあ」
「なんですか?」
「その青年て、男前?」
『え?』
3人は動かしていた手を思わず止めた。
ついでに貴子の横にいたお手伝いさんも止まった。
「そやから、男前かって訊いてんねん」
貴子はりんねに迫る勢いで訊いてきた。
その真剣な顔にうろたえる3人。
「ど、どうだろ?あさみはどう思う?」
「え?ええっと、どうだろうね、梨華ちゃん?」
「どう、て訊かれても・・・。人によって違うと思うのし、
 貴子さん自身が見に行けばいいと」
貴子はしばらく3人の顔を見つめ、
「んー、そうやな。自分で見に行った方が確実やな。うん、そうしよ」
そして何事もなかったかのように食べ始めた。
(良かったー。機嫌を損なわなくて)
3人は胸をなで下ろした。無理もない。
貴子はただでさえ関西弁で少し怖いのに、不機嫌になれば余計に怖くなる。
ここで下手に「男前です」と言って、
貴子本人が「男前じゃない」という判断を下せば、
3人は何をされるかわからない。

ああ恐ろしや・・・。

夕食後しばらくすると義剛が帰ってきた。
「義剛おじさん、少しお話があるんですけど」
最初に話を切りだしたのはりんねだった。
「なんだ?」
「あの男の人のことなんですけど」
「ああ、大丈夫なのか?」
「おばあさんが言うには大丈夫らしいです」
「ほう、それは良かった」
「それでですね、おばあさん「あとのことはあんたたちに任せる」
 て言ったんですけど、どうしたらいいでしょう?」
「なんだ、そんな事言ったのか」
「はい」
「う〜ん、そうだなぁ・・・」
義剛は腕を組み考え出した。

何故悩むのかというと、義剛の家は牧場をしていて、
梨華、りんね、あさみの3人はそこに住み込みで働いている。
従業員は何人かいるが少な目なので、ここで3人が抜けるのは
ちょっと厳しい状態だった。
そこで悩んだ結果、
「・・・あの男を放っておくのわけにはいかない。
 そこで3人の内1人が一日交代で家事手伝いとあの男の世話するって
いうのはどうだ?まあ、お手伝いさんに任せるっていう手段もあるが」
確かに3人がする必要はなかった。
3人は顔を見合わせ、頷いた。
「私たちにやらして下さい。やっぱり気になりますし」
梨華が答えた。
「わかった。じゃあ明日からそうしてくれ」
『はい』
3人は声を揃え、返事をした。

3人は相談した結果、梨華→りんね→あさみの順番で世話をすることになった。

次の日

梨華は朝早く起きると、貴子と一緒に従業員の朝食を作っていた。
「・・・・・・」
「なあ、なにかあったん?」
横にいた貴子が話しかけてきた。
「え、どうしてですか?」
「いや、なんか心ここにあらずって感じやから」
「そんなことないですよ」
と言いつつも、梨華の様子はおかしかった。
(怪しいなぁ)
貴子がそう思っていると、既に着替えを済ませたりんねとあさみがやってきた。
「「おはよう」」
「あ、二人ともおはよう。朝食の用意すぐするから」
そう言うと、梨華はキッチンの奥へ入っていった。

「・・・なあ二人とも」
「「なんですか?」」
「梨華ちゃんなんかあったん?」
「え?別にないと思いますけど。どうかしたんですか?」
りんねが答える。
「いや、なんか様子がおかしいから。うーん、なんか気になるんやけどな」
「あ、あれじゃないですか」
りんなの横に座っていたあさみが思いついた。
「なになに?」
「倒れてた男の人いるじゃないですか。
 今日から私たち一日交代でお世話するんですけど、
 そのことに何か関係あるんじゃないですか」
「そういえば」
「何や、りんねも思い当たる節があるんか?」
「昨日の梨華ちゃんもちょっとおかしかったんです」
「おかしいって?」
「なんか、その男の人の顔をボーっと見てたんです」
「ボーっと見てた?」
「はい」
(・・・・・・もしや・・・)
貴子の中で一つの結論が出た。
(あとで確かめたろ)

従業員が仕事に出て数時間後
梨華は貴子に言われた家事仕事を一通り終えると、
青年が眠っている部屋に向かった。
(どうしよう、一応ノックした方がいいのかな)

コンコン
「失礼します」

梨華は部屋に入った。
ベットを見ると、青年は昨日と変わらず眠っていた。
(そうだよね、そんなすぐに起きるわけないよね)

安心したような、残念のような、そんな気分になった。
ベットの横に座って、青年の顔を濡れたタオルで拭いてやる。
(・・・どうして傷だらけで倒れてたんだろう)

当然の疑問である。しかし青年は寝ているため理由は聞けない。
(そういえば、この人名前はなんて言うんだろう?)

ふと顔を上げベットの横にある棚を見ると、黒い鞄が置いてあった。
青年が持っていた物である。
誰もまだ中を見ていなかった。
(あれを見ればこの人がどういう人かわかるかも。
 でも勝手に触っちゃ怒られるかな)

そうは思って気になって仕方がない。
(・・・いいや、見ちゃえ)

手元に鞄を寄せる。以外に軽かった。
早速中身を見てみる。
そこには・・・。

「あれ?」

鞄の中には何も入ってなかった。
「何も入ってないのかな」

もう少し中を見ていると、ポケットがあることに気づいた。
探ってみると、何枚かのカードが入っていた。
「あ、あった」

その中に所々深い傷が付いている免許証が入っていた。
早速見てみる。
「えっと名前は・・・春斗(はると)、かな。んー傷で名字がわかんないなぁ。
 歳は・・・二十歳か」

傷のせいでわかったのはそれくらいだった。
「へー、春斗って名前なんや。それに二十歳かぁ。若いなあ」

不意に後ろから声が掛かる。
梨華が後ろを振り向くと、そこには貴子が立っていた。
「貴子さん!い、いつからそこに」

「いつって言われても、あんたが鞄の中あさってるところからやで。
 えらい熱心に見てたんやな」

「ノ、ノックくらいして下さい」

「したで。でもなんの返事もないから入ってきたんや」

貴子はベットに近づいて青年の顔を見た。
「あらー、結構良い線いってるやんこの子。結構タイプかも」

梨華の方を向いて、
「なあ、そう思わん?」

「そ、そうですか?」

目を背ける梨華。気のせいか顔が少し赤い。
それを見た瞬間、貴子はにやつきながらこう言った。
「梨華ちゃんあんた、この男の子に一目惚れしたやろ」

「えっ!!?」

一気に顔が赤くなった。
「図星やな」

「そ、そんなことなですよ!」

「そうムキにならんでも」

「なってません!」

と言っても端から見ればムキになってるようにしか見えない。
「なあ梨華ちゃん、別に私はどうこう言うつもりはないんよ。
 ただ仕事さえキッチリしてくれればええから」

そう言うと、貴子は立ち上がりドアに向かって歩き出す。
「ま、頑張ってや」

梨華にそう言葉をかけると、貴子は出ていった。
「・・・別に、好きじゃないもん」

梨華は春斗を見ながらポツリと呟いた。

数日後
その日の世話係はりんねだった。
春斗が寝ている部屋を掃除しているときのこと。
コンコン
「はい?」

「あさみです。入っていいですか?」

「あさみ?いいよ、入ってきて」

作業服姿のあさみが入ってきた。
「どうしたの?」

「おばあちゃんが話があるらしいです」

「話?一体なんだろ?」

立ち上がり部屋を出ていく。
それに続いてあさみも出ていった。

(・・・・・・なんか、眩しい・・・)

「・・・ん」

瞼をゆっくり開け、周りを見渡す。
(・・・ここ、どこだ)

見慣れない景色に戸惑う。
「痛っ!」

動かそうとした腕に激痛が走った。
その痛みを我慢し、掛け布団を上げて自分の身体を見てみる。
すると、その身体は包帯だらけであった。
(何故こんな傷だらけなんだ?)

どうしても思い出せない。
「そういえば・・・」

そして、ある重大なことに気づいた。
「俺、一体誰なんだ?」

「えっと、包帯と傷薬と・・・」

りんねはメモを取った紙を見ながら歩いていた。
「りんねさん、どうしたんですか?」

前からが歩いてきた梨華が声をかけてきた。
「ん?さっきおばあちゃんに呼ばれてね、明日辺りに色々と
 買ってきて欲しいって」

「何を買うんですか?」

「あの男の人の手当てに必要な物がほとんどだよ」

「まだ目を覚ましてませんか?」

「うん。いつ目を覚ますんだろうね」

二人は話しながら春斗の寝ている部屋に向かった。
コンコン ガチャ
ドアを開ける。そこには、
「あれ?」

「・・・いない」

寝ているはずの春斗がいなかった。

梨華とりんねはキッチンにいる貴子の元へ向かった。
バタバタバタ!
「貴子さん!」

「な、なんや?騒々しいな」

貴子はキッチンでテレビを見ている途中だった。
「春斗さん見ませんでしたか?」

梨華が切羽詰まった感じで尋ねる。
「春斗?ああ、あの怪我してる男の子のことか。知らんけど、どうしたん?」

「あの、部屋からいなくなったんです」

「なんやて!?」

貴子は思わず立ち上がった。
「どうしましょう、貴子さん?」

「どうするもなにも、とりあえず家の中全部捜さんと。
 あの傷の状態やったら遠くには行かれへんはずや」

「「わかりました」」

その頃・・・
「ハァ〜、身体が重てー・・・」

足を引きずる感じで歩く。
「でも、早く行かないと」

壁に手をつけながら必死である場所に向かった。
「どこにあるんだ、トイレは?」

「うー、漏れそうだ」

「・・・ぁ」

「ん?今何か聞こえたような・・・」

後ろを向いてみる。そこには、
「見ぃつけたーー!!」
ダーーーー!!!

3人の女性がもの凄い形相で、もの凄い勢いで走ってくる。
それもこっちに向かって。
「こ、怖!」

あまりの怖さに走って逃げようとするが、気持ちとは裏腹に
身体が思うように動かず、
「おわっ!」

バタン!
コケた。
「イテテ。ハッ!?」

立ち上がろうと顔を上げたその目線の先には、
「やっと見つけた」

先ほどの3人の女性が立っていた。
「(ヒエ〜、こ、怖ぇ〜)な、なんでございましょう?」

恐る恐る訊いてみる。
「何でございましょう、やあらへん!
 あんた大怪我してんねんから動いたらあかんやろ!」

「早くベットに戻って下さい!」

関西弁の女性とアニメ声の女性はかなり怒っている様子。
「い、いや、あの、戻る前に訊きたいことが」

「なんやの?」

「ト、トイレはどこですか?」

『は?』

「いや、だからトイレは・・・。すごい行きたかったので」

「・・・そこ曲がったとこにあるわ」

関西弁の女性が呆れた感じで教えてくれた。

『記憶がない?!』

そこにいた人達は一斉に驚いた。
「はい」

「名前も覚えてへんの?」

「・・・はい」

「これ、あなたの持ってた鞄の中にあったんですけど、思い出せませんか?」

そう言って数枚のカードを見せた。
「・・・・・・」

じっくり一枚ずつ見ていく。その中に免許証が入っていた。
「・・・春斗・・・」

「あなたの名前だと思うんですけど」

確かに本人だろう、写真で確認できる。
「・・・分かりません」

「そうですか・・・」

「本当すみません。ええと」

「あ、自己紹介まだでしたね。私、石川梨華といいます」

「戸田鈴音です」

「木村麻美です。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします。それから・・・」

「私か?私は稲葉貴子。ちゃーんと覚えといてや」

「は、はぁ」

「こらからどうします?貴子さん」

「そうやなあ。とりあえず義剛さんとおばあちゃんに報告しに行こか」

「そうですね」

4人は立ち上がり部屋を出ていこうとした時、
「あ、梨華ちゃんはここにいといて」

「え?な、なんでですか?」

「全員出て行くわけにもいかんやろ。一人くらい残って春斗君を見とかんと」

「別に私じゃなくても」

「まあいいやん。ほんなら私ら行くから、相手よろしく〜」

「ち、ちょっと」

梨華が止めようとしたが、3人は出ていった。

(ど、どうしよう・・・)

部屋には梨華と春斗の二人だけになった。
急のことなので、何をどうすればいいか梨華には分からなかった。
(と、とにかくなにか話さなきゃ)

そう思い春斗の方を見ると、
「・・・・・・」

先ほど見た免許証を真剣に見ていた。
その姿から何かを思い出そうという思いが感じられる。
梨華は一瞬躊躇したが、声をかけた。
「・・・あの」

「え?」

春斗が顔を上げた。
「あまり無理に思い出そうとしない方がいいですよ。
 精神的に負担が掛かると思うし」

「あ、ああはい。すみません」

春斗は免許証を棚の上に置いた。
「・・・・・・」

「・・・・・・」

お互い何を喋って良いか分からず沈黙。
「・・・身体の方は、大丈夫なんですか?」

その沈黙を破ったのは梨華だった。
「んー、大丈夫だと思います。痛いですけど」

「何かあったら言って下さい。私すぐ来ますから」

「そんな、いいですよ。自分でしますから」

「ダメです!!」

梨華はベットに身体を乗り出した。
「傷が悪化したらどうするんですか!?
 ちゃんと私に言って下さい。いいですね?」

「は、はい」

数pまでにせまり、迫力のないアニメ声の梨華に春斗は押し負かされた。
「あ、ご、ごめんなさい。怒鳴っちゃって」

急に恥ずかしくなり、梨華の顔は赤くなる。
その後またも沈黙が続いた。

「−ていうことなんだけど」

「そうかい、記憶喪失かい」

「うん、やっぱり病院に連れていった方がいいかな?」

りんねとあさみは春斗のことでおばあちゃんに報告を兼ねた相談をしに来ていた。
「ふむ、まあ多分それは一時的なもんじゃと思うが」

「そうなの?」

「ハッキリしたことは言えんがな。そのうち自然に思い出すじゃろ」

「その根拠は?」

「・・・ない。女の感じゃ」
(・・・ダメだこりゃ)

二人は黙って部屋を出ていった。
「どうしたんだ二人とも」

部屋を出たところに義剛と貴子が立っていた。
「ちょっと春斗さんのことの報告に」

「ああそうか。ところで、二人とも一緒に来るかい?」

「どこにですか?」

「その春斗君にちょっとした報告だ」

「ここで働く?」

「その通り。しばらくここで働いてみないか?」

義剛はそう問いかけた。
今、部屋には義剛と春斗しかいない。
他の人達は廊下にいる。
「そんな事言われても・・・」

義剛の言葉に春斗は戸惑った。なにせいきなりのことである。
「今うちの牧場は人手不足でね。特に男手が少ないんだ。
 だから君が働いてくれれば助かるんだが」

「・・・」

「それに、今君は記憶喪失ときている。だから記憶を取り戻すため、
 言うなれば精神(こころ)の静養に、というところだ」

「・・・」

「どうだい、やってみないか?」

「・・・わかりました。やります」

「そうか、やってくれるか」

「手当てして貰った恩もありますし、喜んでやらせていただきます」

「ありがとう。じゃあ早く怪我を治してくれよ」

「はい」

義剛は部屋を出ると、廊下には梨華と貴子が立っていた。
「おじさん。春斗さんはなんて言ってました」

少し心配そうな顔をして訊いてきた。
「働いてくれるそうだ」

「ホントですか?」

一気に嬉しい顔に変わる。
「もし断ったらみんなで説得しようと思ったんだが、
 その必要はなかったみたいだな。
 まあ働くのは身体が治ってからだが」

「わかりました。一刻も早く怪我が治るよう私頑張ります!」

「あ、梨華ちゃん待って」

そう言うとどこかへ行ってしまった。りんねもそれについていった。
「どうしたんだ、あの娘?」

貴子に訊いてみる。
「どうもあの春斗君のことが好きみたいです」

「何?本当かそれは?」

「私の感だと80%の確率で」

「ふーん。それじゃなおさらここにいてくれないといけないな」

「そうですね」

そう言って、二人は笑った。

ある日の春斗と梨華
コンコン
「梨華です。入っていいですか」

「あ、はい」

部屋に入ってきた梨華はお盆を持っていた。
「ご飯持ってきましたよ」

「すみません、いつもいつも」

「そんな気にしないで下さいよ」

お盆を棚の上に置く。
「身体起こしますよ」

食事をとるために春斗の身体をゆっくり起こす。
「はい・・・イテテ」

「大丈夫ですか?」

「まぁなんとか」

起きあがらせると梨華はお盆に乗っていた皿を取る。
中身は雑炊。
それを見ていた春斗は、
「あの」

「なんですか?」

「『はい、あーん』ていうのは無しですよ」

梨華は驚きの表情を表す。
春斗の予想はズバリ的中していたらしい。
「何でですか?」

ぶーっ、とふくれっ面の梨華。
「いや、だって恥ずかしいから」

すると春斗の眼前に人差し指を立て、ビシッと一言。
「怪我人は看護してる人の言うことをちゃんと聞くべし!」

「は、はぁ」

そう返事すると、途端に笑顔になって、
「じゃあ食べましょうね。はい、あーん」

「・・・あーん」

恥ずかしながらも、仕方なく口を開ける春斗。

「いい感じじゃないか?」

「ほんまですね」

その光景を廊下からそっと見守る義剛と貴子。

−あんたら、仕事はどうした?

数週間後
「ふむ・・・」

春斗はおばあちゃんに怪我の経過を見てもらっていた。
「どうだ、具合は?」

後ろで立っている義剛が尋ねる。
「これぐらい治っていれば、今日から働いても問題無いじゃろ」

「そうか」

義剛は春斗の方を向いていった。
「じゃあ早速で悪いんだが、今日から働いて貰う」

「は、はい」

「これに着替えて外へでてくれ。りんねがいるはずだ。
 仕事内容は全てりんねに聞くように」

そう言って作業服を渡した。
「わかりました」

部屋を出ていく春斗。
「・・・若いとは羨ましいのぉ」

「どうしたんだよ?」

「いやな、あの傷は1ヶ月以上かかると思っておった。
 しかし、あやつは数週間で治した。若いとはすばらしい事じゃ」

「ふーん」

(いつもは憎まれ口を叩くばあさんがこんなこと言うなんて珍しいな)

おばあちゃんの後ろ姿を見ながら思う義剛だった。

「春斗さんこっちです」

家から出てきた春斗を、既に待っていたりんねが呼ぶ。
「身体は大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫です」

「それは良かった。じゃあ早速仕事内容を教えます」

「はい」

「基本的には力仕事になるんですけど、いいですか?」

「全然構いません」

「わかりました。それじゃあ−・・・」

りんねから説明を受けている春斗の後ろ姿を梨華は見ていた。
「どうしたの?梨華ちゃん?」

「え?」

不意に声をかけられビックリした。
声をかけてきたのはあさみだった。
「何ボーっとしてるの?」

「べ、別に。さー張り切って仕事しよう」

そう言ってそそくさと行ってしまった。

「?・・・変な梨華ちゃん」

「−ていうことをやって下さい」

「了解」

「あまり無理しないで下さいね。病み上がりなんですから」

「大丈夫ですよ」

そう言い残し、春斗は指定された場所へ向かった。
「本当に大丈夫かな?」

後ろ姿を見ながら少しだけ不安になったりんねは呟いた。

「ここか、指定された小屋は」

春斗は指定された場所へ着いたところだった。
春斗の仕事は小屋の中にある鉄缶を少し離れた小屋へ移動させるという事だった。

「さて、さっさと終わらせるか」

気合いを入れ、勢いよく小屋の戸を開けた。
そこで見た物は、
「・・・マジでか」

山積みになった鉄缶だった。

「これ俺一人でやるのか・・・」

ため息しかでなかった。

「さあて、どんな感じかな?」

仕事を終え、りんねは春斗の様子を見に来た。
「春斗さん、どうですか・・・え!?」

りんねは目を疑った。
あんなに山積みになっていた鉄管がほとんど無くなっていたのだ。
「これは一体・・・」

「どうしたんすか?」

声をかけられ振り返ると、汗だくになっていた春斗がやってきた。
「春斗さん、これほとんど無くなったのって」

「もう疲れましたよ、ここまでやるの」

やれやれという感じで鉄管を持っていこうとする春斗。
「そんなハイペースでしなくても・・・」

「?」

「リハビリ代わりにじっくりやってもらおうと思ったのに」

「え、今日中に全部やるんじゃなかったんですか?」

頷くりんね。それを見た春斗は、
ガシャ!
力を無くし落とす感じで鉄管を降ろした。
「・・・先に言ってよ〜」
ドタッ
「だ、大丈夫ですか、春斗さん!?」

(大丈夫じゃね〜)

あまりのショックに倒れ込んだ春斗だった。

朝の5時、義剛はキッチンで朝食を取っていた。
そこへ、ある人が起きてきた。
「お、春斗君おはよう。今日は早いね」

「・・・お、おはよう、ござい、ます」

なにか挨拶がぎこちない。
「何か不自然だけど、どうしたの?」

「か、身体が、筋肉痛で・・・」

やっとの思いで椅子に座る。
「コーヒーでも入れようか?ホットミルクもあるけど」

「あ、じゃあホットミルクで」

義剛は席を立つと、ミルクを温め始めた。
「そういえば聞いたぞ。昨日あの鉄管を全部片づけたそうじゃないか」

「ええ」

「いきなりの重労働に、身体がついていかなかったんだな」

「そのようです」

「ま、お陰で君の今日の仕事が無くなったわけだ。ということで、
 今日は自由行動、ゆっくり身体休めてくれていいから・・・はい、ホットミルク」

「あ、どうもすみません」

春斗はホットミルクをソロソロと飲み始めた。

よく晴れ渡った空、溶けかけた雪に太陽が反射する。
春斗は外に出て、軽く身体をほぐしていた。
「イテテテ。く〜、筋肉痛にはこたえるね〜」

吐く息がとても白い。
自由行動と言われ何をしようかと考えた結果、
身体を少しでも慣らそうと、散歩をすることにした。
(このままじゃ、足引っ張るのは目に見えてるからな)

春斗は歩き始めた。

「お、確か春斗君だったね」

しばらく歩いていると、知らない男性に声をかけられた。
「え?は、はぁ。そうですけど」

「話は聞いてるよ。これからも頑張んなよ」

何を頑張ればいいのか解らなかったが、とりあえず「はい」とだけ返事をした。
その後も、この牧場で働いてるんであろう色々な人に声をかけられた春斗。
(何でこんな有名なんだ?)
疑問である。
(誰かが言いふらしてるのか?)

などと考えてながら歩いていると、馬小屋らしき建物が見えてきた。
何となくその建物に近づくと、ある女性の姿が見えた。

「りんねさん!」

声をかけられたりんねは振り返った。
「あ、春斗さん。どうしてここに?」

「ちょっと散歩を。ところで、何やってるんですか?」

「今ちょうど馬にご飯あげてたんです」

馬小屋の中を見てみると、何十頭の馬が干し草を食べていた。
「そうだ春斗さん。これから私、乗馬に行くんですけど一緒に来ます?」

「いいんですか?」

「はい」

「じゃあお言葉に甘えて」

馬に乗ると聞いて、春斗の心は少しだけ浮かれた。

馬小屋から少し歩くと、大きい建物があった。
「あの中で乗るんです」

二人は建物の中にはいると、馬に乗って軽く走っている人がいた。
「あ、ルルさん。調子はどうですか?」

ルルと呼ばれた女性は、馬を止めると軽やかに降りてきた。
「とってもいいヨ。りんねは彼氏とデート中?」

そう言いながら春斗の方を見た。
「や、やだ違いますよ。この人は春斗さん。貴子さんから聞いてるでしょ?」

「ああ、あの記憶喪失の人ネ。初めまして、ルルです」
(どうやら記憶喪失人間として広まってるようだ)

「どうも初めまして」

春斗はお辞儀をした。
「ルルさんは中国出身なんですよね」

「そうなんですか?」

「そうヨ」

「へぇー」

珍しい物を見るように眺める春斗。
「ルルさんは乗馬が上手くっていつも教えて貰ってるんです」

「そういうりんねも最近上達してきたじゃナイ」

「そんな、まだまだです」

などと話していると、一頭の馬がルルの背中を押した。
「どうしたんですか、その馬」
と健太が聞いた。

「まだ走り足りないようネ。そうだ」

ルルはりんねの方を見た。
「りんね」

「なんですか?」

「彼に乗馬を教えてあげなヨ」

「ええ!?私がですか?」

「ウン。私は横で見てるから」

「でも、どうやって教えれば良いんですか?」

「決まってるじゃナイ。彼の後ろに座ってあなたが後ろから手を取って教えるンだよ」

「「ええー!!?」」

大きな声で驚いた二人。
するとルルはりんねの手を引いて、側へ寄せた。
「なんで驚くノ?せっかくのチャンスじゃナイ」

声を小さくして喋る。
「チャンスって言われても」

「ほら、しっかりアピールしなサイ」

そう言って背中を押した。
「だからそういうんじゃないのに・・・」

こうなるとルルは何を言っても聞かなくなるので、
否定するのを止めた。
「あ、それからネ、その馬はちょっと気性が荒いから気をつけて」

ルルは後ろからそう呼びかけた。

近づいてくるりんねに、
「別にいいですよ、教えてくれなくても。その、迷惑だろうし・・・」
そう言って断る春斗。

「そんな、迷惑じゃないです。せっかくですから教えます」
すこし恥ずかしがりながら、馬を連れてくるりんね。
「じゃあ最初に春斗さんが乗ってください。ここに足を乗せて、一気にまたいで下さい」

言われた通りにし、馬に乗った春斗。
その後りんねはすぐに、後ろに座った。

「じゃあ教えますね。まずは手綱を持って・・・」

春斗が手綱を持つと、後ろから春斗の腰辺りから手を伸ばし、手綱を持つりんね。
今の状態はいわば、密着状態である。

(心臓の音が伝わってたらどうしよう・・・)
りんねの心臓は激しく鳴っていた。

それもそのはず、今まで自分と同じくらいの歳の男性に、
こんな風に乗馬を教えたことが無いのですごく緊張していた。

「歩かせ方はこう・・・」

しばしりんねの乗馬講座−

(ウーン、いい雰囲気になってきったネ)
二人の今の状態に満足しているルルは、微笑ましく見ていた。

「じゃあ次は走らせます」
そう言ってりんねは馬を走らせ始めた。

「おお、スッゲー」
春斗が感動していると、後ろに座っているりんねはクスクス笑い、
(子供みたい)
と思ってた。

しかしそんな時!
「ヒヒーン!!」
突然馬が暴れ始めた。
「うわっ!」
「きゃあ!!」
いきなりのことにビックリした二人。
何とか落とされないように手綱を握りしめる。

「イケナイ!!」
ルルは助けようと近づいたその時、

グアッ!!

馬が前両足を上げた。

「あっ」
りんねは不意を付かれ、手綱を放してしまった。

「くっ!」

春斗は地に落ちていくりんねに咄嗟に飛びついた。

地面に着く瞬間、かばうようにりんねの頭と身体に手を回す。

ドサッ!

春斗は地面に着くと同時にりんねを抱き寄せたまま横に転がった。
すると、

ドタン!!

先ほど二人が落ちたところに、馬が倒れ込んだ来た。

その間わずか数秒。
まさに一瞬の判断だった。

「あっぶねー」
顔を上げて落ちた場所を見た春斗。
少しでも遅れていれば今頃馬の下敷きになっていただろう。

そう考えるとゾッとした。

「ダイジョウブ?」
ルルは手綱を持ち、馬をおとなしくさせながら春斗に訊いた。
「ええ、何とか。そっちの馬は大丈夫ですか?」

「ウン。怪我はないよ」

「そうですか」

ホッとしたその時、
(あ、りんねさんは!?)

下を見ると、ジッと固まって春斗を見ているりんねがいた。
「りんねさん、大丈夫ですか?」

「う、うん。・・・あの」

りんねは春斗の服をギュッと握っていた。
「あ、ありがとう。助けてもらって」

「礼なんていいですよ」

数pの距離で見つめる春斗。

(そ、そんな近くで見つめられると・・・)
『ドキ!ドキ!ドキ!』

りんねの心臓の動きは最高潮に達していた。

「よっと」

春斗は立ち上がり、りんねに手を差し伸べた。

「立てますか?」

コクリとりんねは頷き、その手を恐る恐る掴む。
春斗は一気に引き上げてやり、背中の土埃を叩いてやった。

「春斗君」

「はい?」

ルルに呼ばれ、側へ移動する春斗。
「本当に怪我はナイ?」

「無いですよ。いやーしかしビックリした」

「春斗君、この馬の事嫌いにならないでネ。気性は荒いけど良い子ナノ」

「僕なら全然気にしてないですよ」

二人の会話を少し離れたところから見ているりんね。
(何だろう・・・、この気持ち。なんか苦しい・・・)

その目は無意識に春斗を見て、
その手は高鳴った心臓を押さえるように当てていた。

「りんねさん、今日は大変だったらしいですね」

「え?」

夕食時、食事をとっているりんねに、梨華が喋りかけてきた。
「ルルさんから聞きましたよ。落馬したって」

「あ、ああうん」

「怪我はないんですか?」

「うん。まあ、ね」

何となく上の空のりんね。

そこへ、
「あー、お腹空いたな」

「あ、春斗さん。お帰りなさい」

梨華の言葉にりんねはドキッとした。
「夕食もうできてるんで取りに行ってきますね」

「いや、自分で行きます」

「そんな遠慮しなくても」

手に持ったスプーンを止め見つめるりんね。
その手は、二人が喋っているの見て、無意識に強くスプーンを握っていた。