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我犬。 ◆N0E.Nono 投稿日:2002/02/27(水) 11:46

オレの名前は高崎弘樹(タカサキ ヒロキ)高校2年生だ。
隣に居るのは、石川梨華。歳は一つ上の3年生だ。

梨華とは元々幼馴染で家族ぐるみの付き合いをしている。
だが幼馴染と言っても中学校に入学するか、その前ぐらいになってからか
いわゆる思春期になってからだと思うが
梨華を異性として相手を見るようになったオレは梨華を避けるようになっていた。
それ以外にも友達の付き合いとかで家族から離れていく時期だし。
まぁ、それも今ではもう多少大人になったのかな?
普通に接するようにはなったけど。

そうそう、梨華の家は改築するのでしばらくうちで居候する事になった。
梨華の両親はお母さん方の実家にいる。
梨華も最初は両親と一緒にそこから学校に通っていたが、
学校までの道のりが遠いので大変だからと言ってうちにから通うことになった。

─朝、駅で電車を待っている時に不意に梨華が訊ねてきた。

「ねぇ。ヒロキはさぁ。もうひとみちゃんと付き合ってどれくらいになるの?」

今日で梨華と一緒に通学するのは3回目。
初めて一緒に学校に行ったときに、オレの彼女のひとみや
親友のシンゴ。そしてその彼女のごっちんを紹介していたが
一緒に暮らしてはいるが、家であまり話す事のない梨華には、
詳しい話は当然していたない。
「まだ、5ヶ月ぐらいかなぁ」
「ふ〜ん。結構長いんだね。それでもまだまだラブラブだね。」
冷やかすように言ってきた。

「まぁな。」

とは言ったもののあんまり余裕はない。
家が少し離れていたり、ひとみは部活で日曜日も試合や練習があったり
オレも道場に通ったりしているせいで学校以外ではあまり会う機会が少ない。

「そういえば梨華の方は、彼氏は?」
梨華は幼馴染のオレから見てもかわいかった。

「ん?いないよ。」
考えるわけでもなく即答するわけでもなく、
なんとも微妙な間があった。

「なんで?」
疑問に思ったことをそのまま口にしてみた。

「ど〜してだろ〜?告白されたことあるけど
その人の事好きじゃなかったしー
 部活で一生懸命だったから。
同時にいろんな事出来ないんだよね。」

「まぁ梨華ならすぐ彼氏の一人や二人すぐできるだろ。」

「ん〜。別に焦ってもしょうがないし、それに私は─」
電車がホームに滑り込む。
最後まで梨華の言葉を聞くことは出来ず電車に乗り込んだ。

ここから学校まではおよそ40分。
途中で親友のシンゴが彼女と、この電車に乗ってくる。
シンゴ達が乗ってくる駅の次の駅で、ひとみが乗ってくる。
それで、そのまま学校まで5人で行く。
その日によって途中で仲間が増えたりする時もあるが
まぁここ3日ぐらい前からはこの5人がほとんどだ。
梨華がうちに来る前、先週までは4人だったが。

電車に乗ってからさっきの梨華の言葉を聞こうと思ったけど
なんとなく、聞くタイミングを逃したのであえて聞かなかった。

「ねぇシンゴ君と真希ちゃんだよね。
あの二人は付き合ってどれくらいなの?」

「あいつらは、2ヶ月ぐらいじゃないかな?」

「真希ちゃんってかわいいねぇ。ひとみちゃんとはまた違った感じだね。」
確かに顔のつくりは違った感じで二人ともかわいい。
ついでに梨華もまたかわいいと思う。

「あ〜、そうだなぁ、ごっちんかわいいよなぁ。シンゴにはもったいねぇな。」

「そんだったら、ひとみちゃんもヒロキにはもったいないよ。」

「うるさい。」
まぁ、そう言われてもしょうがないくらい、ひとみはかわいかった。
なぜ自分と付き合ってくれるのかは不思議だった。
それも・・・

「ねぇ。今日帰り遅いの?」

「うん。たぶんな。シンゴと一緒に学校帰りに道場行くから」

シンゴとは同じ格闘技の道場に通っていた。
元々は二人とも高校の空手部に所属していたのだが
二人とも空手が好きと言うよりも格闘技好きだったのが災いして、
それから段々いろいろな格闘技を見ているうちに関節技などに
興味を持ち始めて総合格闘技の道場に通うようになった。
部活はその時辞めた。

「怖くないの?殴られたり、蹴られたりして」

「怖いから、上手くなろうと思って練習するんだよ。」

「ふ〜ん」

つま先から頭のてっぺんまで女の子している梨華には理解できないようだった。
前にひとみは「あたしも、やりた〜い」って、なんて言っていたっけな。

電車はシンゴ達が乗ってくるM駅に着いた。
ドアが開くとたくさんの乗客と一緒にシンゴ達が乗り込んできた。

「おっす。」
シンゴの正拳を手の平受け止める。

「いっつも二人ともなにやってんの。 ヒロキ君に梨華さんオハヨ〜」
笑いながらごっちんは挨拶してくる。

「おっすぅ」
「おはようございます。」
梨華の方が歳が上なのに遠慮があるのかキチンと挨拶する。

「なんか二人付き合ってるみたいだなぁ〜、なぁ真希」
シンゴが冷やかす。

ごっちんも悪乗りして
「うんうん。見える見える〜」

「おいおい。やめてくれよぉ〜
 オレにはひとみがいるんだぜぇ」

「モテモテじゃんかよ〜」
シンゴの冷やかしが続く。

「ちょっと待ってよ、もうひとみちゃん乗って来るんだから
辞めてよ〜怒られちゃう。」

困った顔して梨華が言うとシンゴは笑いながら言葉を止めた。

「そうだよ。梨華さんの言う通りだよぉ。よっすいー乗ってくるよ」
急にマジメな顔して、良い子ぶるごっちん。

電車は、ひとみが乗ってくる駅、O駅に停車した。
ひとみは乗客の先頭に立っていて走るように乗り込んできた。

「いやぁ〜おはよう!」
少しオーバーな身振りで挨拶した。

「?なんの話してたの??」
ひとみは、ごっちんに尋ねる。

「ん?んっとね〜忘れた・・・」

と言うと笑う。
その姿を見てみんなが笑った。

「なんだよぉ〜。ずり〜よぉ〜。おしえろよ〜」

ひとみは、オレに突っかかってくる。
突っかかってくると言っても笑いながらだ。
とは言うのも毎朝のお約束みたいな物になっていた。

「ねぇ梨華さん。コイツ家だと、どうなんですか?
 結構、甘えん坊?それとも偉そうにしちゃたりしてるの?」

「な。なに言ってるんだよ。急に!」

「おう。オレも知りたいぜ。真希も知りたいよなぁ」

「うん。どうなの?梨華さん」
うぁ。なんなんだよ、こいつら。

「そうねぇ〜」
梨華は少し考えていた。

「正直に言ってくださいよぉ」
ひとみが梨華に突っ込む。

梨華は一呼吸開けてから
「どうなんだろ?
 だって、ヒロキって夜遅くまで家に帰ってこないし
朝しかほとんどあわないからなぁ。
家ではほとんど顔会わせないから、わからないよぉ。」

「マジでぇ〜。ねぇ、なんか隠してない?」
ごっちんも笑いながら絡んでくる。

「断じて隠してない!!」
オレはハッキリと言い切った。

ひとみは笑わないで複雑そうな顔をして

「梨華ちゃん、いいなぁ〜。うらやますぅ〜ぃ〜
 うちらって全然会う時間ないんだよぉ〜」

「え。そ、そんな・・・。あ、えっとごめん。」
梨華は、困って俯いた。

「なぁ〜んてね。冗談、冗談。気にしないでよぉ〜
謝られたら、逆になんか惨めだよ。」

ひとみは笑いながら梨華を体を叩いている。

シンゴはニヤニヤしながらこっちを見ている。
隣のごっちんは、なんか冷めた目でオレを見ていた。
ごっちんは、オレがその視線に気がついたのがわかると
それを無視するように、ひとみと笑っている。
なんなんだ?あの冷めた目は・・・

オレは少し気になったが電車は学校のあるI駅に着いてしまった。
電車からたくさんの人が吐き出されるときにひとみが
ぶ〜って顔しながら腕にしがみついてきた。
ただ、駅に降り立って人が少なくなるとひとみの手も解かれていた。

駅から学校まで歩いて向かう時、オレはシンゴと話しながら学校へ向かう。
ひとみとごっちんは、梨華と三人で後ろを歩いている。
時折、爆笑する声が聞こえるがオレとシンゴはいつもの事なので
時に気にせず、歩いていく。前と違うのは梨華が加わっただけだった。

ふと、シンゴは小さな声で、

「お前マジで梨華さんと家で話したりしないの?」

シンゴは梨華の事を年上なので、さんを付けて呼ぶ。
ひとみとごっちんは梨華には、ちゃんを付けで呼んでいるが
体育会系のシンゴはどうも年上の人に、ちゃんをつけて呼ぶのは抵抗があるらしい。

シンゴが小さな声で話していたのでオレも小声で話をした。

「あぁ。マジだよ。梨華もオレを普段は部屋に居るからな。
 晩飯にオレが間に合えば一緒に食うけど梨華はうちのおふくろと
話してばっかりだよ。」

「ふ〜ん。そんなもんか。」
つまらなそうな顔したシンゴはそれっきりその話題はしないで
いつものようにバカ話をして学校に行った。

6組のオレと7組のシンゴは隣のクラスなので教室の前まで一緒に向かう
ひとみは2組で、ごっちんは4組、見事にクラスがバラバラだ。
一年の時は4人同じクラスだったのに。

─つまらない午前の授業を半分寝て過して
昼飯を食うために食堂に行こうと思って教室を出ると─

「動くな!いいか、そのまま小さく前へならえだ!」

ひとみの声だ。
オレは振り返らず、笑いながら声の通りそれに従う。

「よ〜し、良い子だ。手はそのままで回れ右!」

はぁ?なんだそりゃ?
まぁいいや。従うか。
小さく前ならえの、まま廻れ右をすると
「はい。」
自分の手の中には真っ赤な布に包まった物が収まった。

「ベーグルサンド。たくさん作ったから一緒に食べようぜ〜」
「おぉ〜さんきゅ〜。そのかわりシンゴと食堂に行くぞ。」
ひとみは右手でガッツポーズをする。

「シンゴ達は?」
いつもオレはシンゴと二人で食うことが多い。
女の子達は弁当持参で中庭や教室で食べている。

「ごっちんはあそこでシンゴくん待ってるよ。」

シンゴのクラスは授業が長引いてるみたいで
ごっちんは壁に寄りかかり弁当を持ってしゃがんで待っている。

オレ達が近づくとシンゴのクラスのドアが開き生徒達が出てきた。
シンゴの教室の前まで歩いていこうとすると、ひとみは腕を引っ張って

「ねぇ〜、どうやって渡すんだろうね。見てみたくない?」
目をキラキラさせて言う。
「だな。」
昼休みのごった返した廊下でオレは同意して足を止めて二人を見ていた。

教室から出てきたシンゴは、オレと同じように寝てたらしく
目をこすりながら出て来て、ごっちんに気がつくと
ごっちんは弁当を差し出す。
シンゴはそれを見ると、ごっちんに何か言ってっている。
それは周りの声でかき消されていたが、明らかに文句を言っている顔だった。
ごっちんは、慌てて言い訳?をしているみたいで、シンゴは無表情のまま
弁当を受け取った。
ごっちんは泣きそうな顔していた。

「やっべ〜。シンゴくん。コエ〜」
ひとみは、そう言うとオレの手を引っ張って後ろを向かせた。

「ねぇ。ヒロキ見なかったことにしようね。」

「あぁ。だな。どうしたんだろうな。」
シンゴは、普段温和で、あんまり怒った事がない。
ただ、前にシンゴの前の彼女に聞いたことがある。
シンゴは冷たいと・・・
まさか、ごっちんにも冷たいのか?今まで、そうは見えなかったけど・・・
シンゴたちに背中を向けるようにしてひとみと立っていると、ごっちんの声が聞こえた。

「よっすぃ〜」

その声でひとみは振り返って、いま気がついたような顔して
二人の方に歩いていった。
オレも振り返ってひとみについていくと、そこにはいつものシンゴとごっちんがいた。
その姿を見てちょっとホッとした。

そのあと、食堂で4人でメシを食いながらバカな話をして昼休みを過した。
でも、シンゴとごっちんの二人の間には会話がなかったかも・・・
その時はあんまり気には止めてなかったが、食堂から出るときにひとみが小声で

「ごっちんとシンゴ君ケンカしたのかな?なんだろうね?」

そっとオレに聞いてくる。
ひとみも二人の間に何かあったことを察したようだった。

「なんだろうな?弁当の事かな?シンゴ気に入らなかったのかな?」
それぐらいしか心当たりがない。
明らかに弁当を渡した時のシンゴの様子がおかしかった。
ただ、それが怒る理由に繋がるのか?
弁当を渡して怒るなんて・・・わからない。

「後で、ごっちんに聞いてみるね。じゃぁね。」

ひとみは走ってごっちんのもとへ。
シンゴはごっちんと食堂から出て来て特に何も言わず
ごっちんと別れてこっちに来た。

「シンゴ。お前ごっちんとなんかあったのか?」
あんまり聞くつもりはなかったが思わず聞いてしまった。

「いや、別になんもないよ。」

シンゴはあっけらかんとした顔で答えた。
そう言われてはこっちもそれ以上の事は聞かず、その話題には触れなかった。

オレとシンゴは高校に入ったときに知り合った。
お互い中学の時はカッコつけて過していたせいか、二人とも第一印象は悪かった。
同じ空手部なのに夏が過ぎるまで話すらしたことがなかった。
それにお互いが共に
「こいつだけは、なんか気にいらねぇ。絶対ぶっとばしてやる」くらい思っていた。
それが、テレビでやっていた格闘技の試合の話が部活で話題になっていて
何故か二人の試合の見方が同じだった。
その後、いろいろな格闘技の話をして意気投合した。

ただオレとシンゴ格闘技に関する考え方は似ていたが、性格などは
まるっきり正反対かもしれない。
ただ似ているところは、あまり他人のことに首突っ込まないところかもしれない。
それが二人の性格に違いのバランスを保つ物かもと思っていた。
シンゴとごっちんが付き合い始めたときもオレは知らなかったし
シンゴもオレとひとみが付き合い始めた事は最初知らなかった。
こういう事は、いつも事後報告だ。
それもお互い驚きもせず。

「そんじゃ、またなぁ。」
オレとシンゴはお互いの教室に戻った。
教室に着くと、ポケットの携帯がブルッと振るえた。
見るとメールが入っている。
ごっちんからだ。

【いやぁ、ひとみちゃんとラブラブだね〜
モテモテだね!いいなぁ。な〜んてね。】

わけわからん・・・
返事を返そうと思ったら、またメールが入った。
ひとみからだ。

【隊長!任務失敗しました。
 許してください。ヒ〜】

思わず笑ってしまいそうになる。
どうやらひとみもごっちんから聞き出せなかったらしい。
ひとみもオレと似ていてあんまり深く人の事を聞くタイプではない。

それにしても、ごっちんのメールは、なんなんだ?
ひとみには【許さん!お仕置きだ!】とメールを返した。

ただ、ごっちんにはメールを返そうと思うがなんて書いていいか迷う。
迷った挙句、【どうした?なんかあったのか?】とだけ入れておいた。

ひとみからまたメールが届く、【いや〜ん。やさしくして。またね〜】

携帯をしまおうと思ったら、またごっちんからメールが入る。
【なんでもない。ごめんね。ひとみが心配すると思うからメール消しておいてね。内緒だよ】
はぁ?わけわからん。とりあえず、メールは削除しておいた。
ひとみもシンゴもオレの携帯を勝手に見ることはないと思うが
もう一度前のメールを読み直してから削除した。
メールアドレス知ってるし、教えたけど
そういえば、ごっちんからのメールって初めてだ。

それにしても、ごっちんのメールは、なんなんだ?
ひとみには【許さん!お仕置きだ!】とメールを返した。

ただ、ごっちんにはメールを返そうと思うがなんて書いていいか迷う。
迷った挙句、【どうした?なんかあったのか?】とだけ入れておいた。

ひとみからまたメールが届く、【いや〜ん。やさしくして。またね〜】

携帯をしまおうと思ったら、またごっちんからメールが入る。
【なんでもない。ごめんね。ひとみが心配すると思うからメール消しておいてね。内緒だよ】
はぁ?わけわからん。とりあえず、メールは削除しておいた。
ひとみもシンゴもオレの携帯を勝手に見ることはないと思うが
もう一度前のメールを読み直してから削除した。
メールアドレス知ってるし、教えたけど
そういえば、ごっちんからのメールって初めてだ。

学校が終わるとオレとシンゴは道場に向かう。
ひとみはバレー部ごっちんは陸上部で練習がある。
二人で道場向かっている途中は主にバカな話や格闘技の話が多いが、
その日はシンゴが珍しく女の話をしてきた。

「お前さぁ。休みの日とかっでさぁ、よっすぃと一緒に居る時って
 何してるの?」

なんかシンゴはまっすぐ前を見たまま話してくる。
オレも隠すつもりもないので正直に言った。

「ん〜、街をブラブラしたり公園行ったり・・・だな。」

シンゴはサラッと
「セックスは?」

一瞬、ドキッとしたが正直に
「あんまりカネないから、たまにホテルでだな。」

「そっか、大変だな。二人とも家じゃ無理か」
笑いながらシンゴは納得していた。

「お前は?」
思わずオレもシンゴに聞いてみた。

「うち、片親でオヤジはタクシーの運ちゃんだから
 夜、居ないから家でやってる。真希の家は商売やってるじゃん。
 だから遅くまで結構うちにいるからな。あと泊まってくこともあるぜ。」

「で。どうした?何が言いたい?」
シンゴの質問の意味がわからないから聞いてみた。

「うち、片親でオヤジはタクシーの運ちゃんだから
 夜、居ないから家でやってる。真希の家は商売やってるじゃん。
 だから遅くまで結構うちにいるからな。あと泊まってくこともあるぜ。」

「で。どうした?何が言いたい?」
シンゴの質問の意味がわからないから聞いてみた。

「いや、別に意味はない。ただなんとなく聞いてみただけだ。」
なんか腑に落ちないが会話はそこで止まった。

まあ道場に着いてしまったからしょうがないのかもしれないが、
その日は道場から帰る時はいつもと同じように帰った。
ただ、オレはシンゴはこれからシンゴの家でごっちんとやると思うと
羨ましかった。

一人になると急にひとみとやりたくなったが、遅くてもう会えない。
ムラムラした気分で家帰るしかなかった。
駅から家まで歩いて帰る途中で思わずひとみにメールを打つ。
【今度の日曜日、部活何時まで?遊びに行かない?】

家に着く頃メールが帰ってきた。
ひとみからだ。
【ごめ〜ん。日曜日試合だから朝から夕方遅くまでだと思う。
 あれ、言わなかったけ?どうしたの?寂しいのか?
 あは。エッチは試合で負けてからやさしく慰めてね。
 それまで試合で負けるまで日曜日はずっと無理っぽい。
 それまで、が・ま・ん・し・て(はぁと)】

あ。そういえばそうだった。
なんだか、エッチ目的がバレた感じがして恥ずかしくなり
【忘れてた、練習で殴られてボケたのかも。
 そんじゃ試合ガンバレよ! また明日な。】
とりあえず、とぼけてメールを返しておいた。

「ただいま〜」
恥ずかしさと寂しさで家に帰ると
「おかえり〜」
そこには、風呂上りの梨華がいた。
パジャマの上に薄いカーディガンを着た梨華の顔は
うっすら赤くて思わずドキッとした。

「ヒロキ!ゴハンは?」
と後ろで、おふくろの声が聞こえて現実に引き戻される。
ただ、梨華はタオルで頭を乾かしていたのでオレの視線には気づいてないと思うが。

「食うよぉ〜、今から着替えてくるから温めておいて〜」
と、叫びながら階段を登ると、下から声が聞こえた。
「おばさん、私がやりますからお風呂でも入ってください。
 私もう先に入らせてもらっちゃいましたから、あとやります。」

部屋に戻ってから着替える。
それから階段を下りる。
テーブルには食事の準備がしてあった。
ただオヤジはまだ帰ってなくて、おふくろと梨華が先に食べたようだ。
「一人で食べるの寂しいでしょ?」
梨華はオレの正面に座ってお茶を飲みながら
食べているオレを見る。
正直食いにくい。

「いや、別にいつも一人で晩飯だぜ。」
黙々とメシを口の中に詰め込む。

「でも、誰かいたほうがおいしいでしょ?」
頬杖をついて梨華はまっすぐこちらを見てオレに「うん」と言わせようとする。

「全然変わらないと思う。」
意地でも「うん」とは言わない。
でも、ひとみとなら違うかもと思いながら・・・

「え〜うそ〜。ひとみちゃんいたら違うでしょ?」
梨華はオレの心を読んだように責めてくる。

「あ?ひとみは特別だからな。」
正直、図星をつかれて悔しいが今度の日曜日もひとみと会えない寂しさからか
素直に言ってしまった。
言ったあと、なんとなく恥ずかしかくて、顔を上げられなかった。

「どうせ、私はひとみちゃんじゃないですよ〜」
顔を上げずに見た梨華の顔はちょっと膨れた顔をしていて
かわいかったがオレはひとみとの寂しさが余計に身にしみた。
目の前にいるのが、ひとみだったら・・・
シンゴは今ごろごっちんとやってるのかな?
ムラムラした気持ちを味噌汁で飲み込んで食事を終えた。

「あ。片付けは私やるからいいよ。」
梨華は手早くオレの食器を重ねてシンクに持って行った。

「さんきゅ〜。そんじゃよろしく〜」
オレは階段を登って部屋に戻った。
なんかこれ以上梨華と二人っきりになると
ひとみと会えない寂しさに負けてしまいそうだった。

結局その日は梨華とは顔を会わすこともなく、
いつもと同じ夜を過した。

翌朝も昨日のようにオレと梨華は、ひとみとシンゴとごっちんで学校に向かった。
ごっちんのクラスは今日テストがあるみたいで、電車の中でノートとペンを持って
ノートを読んでいる。
シンゴとごっちんは、昨日の昼休みの態度とは変わって
さっきも目も合わせていたし二人でちゃんと話もしていた。
ひとみは、つり革につかまりながら梨華に
「ひとみちゃんなんて呼ばないで下さいよ〜。よっすいーって呼んで!」
なんて言っている。梨華はなんだか呼びづらそうにモジモジしていたが
「あたしのことも、ごっちんって呼んでよ〜」と、ごっちんに追い討ちかけられて
困っていた。

女の子って、なんだかな?なんて言いながらシンゴと見ていた。

オレは昨日の夜、シンゴ達は仲直りしたのか・・・
そして二人のエッチしている姿が浮かびそうになった。
しかも、珍しくごっちんが電車の中でまで勉強している。
昨日の夜は・・・間違いないな。いいなぁ〜

「どうした?」
シンゴは、ぼーとしたオレに気がついたのか声を掛けてきた。

「いや、なんでもない。なんか男と女って全然違う生き物だな」
なんてわけのわからないことを言ってごまかした。

シンゴは小さい声で
「なんだ?梨華さんとやったのか?それで寝不足か?」
なんて事を言ってきた。

「アホか!」
思わず、脇腹にパンチを軽く撃ちこんだ。
シンゴは大袈裟に痛がった。

「二人共なにやってるの?」
ひとみ達は笑ってる。
「男の子って変なの〜」
まぁお互い様って事だな。

電車が駅に着くとドアが開く
後ろからはたくさんの人が押されながら降りてくる
左腕にひとみが、しがみついてくる。
と、その時、右手の手の平を誰かが握ってきた。
右にはごっちんがいる。
顔見たけど真っ直ぐ見ていてこちらを見ていない。
右手には小さな紙くずのようなものを渡してきた。
オレがその紙くずのような物を握ると、ごっちんはウインクをした。
オレはその紙くずをポケットに入れた。
その間はほんの数秒だと思う。

ホームに降り立つとひとみの手もオレの腕から離れて
いつものように学校に向かって歩き出した。

みんなと別れて教室についてポケットに手を突っ込むと
さっきの紙くずが入っている。
広げてみてみると【えっち。きゃ〜やらしい〜】と書いてあった。
なんのこっちゃ?
昨日のひとみへのメールの事か?
ひとみがごっちんに話したのかメールしたのかな。
そう思っているときに、携帯がメール着信を知らせた。
ごっちんからだ。
昨日の朝も、そういえばごっちんからメールあったな。
【きゃ〜、ホテルっすか?すごぃ〜】
シンゴの奴・・・
返信する前にまたメールが入る。
【やりまくりですね!きゃ〜〜〜】
ちぃ。
シンゴ言うなよ〜。まぁいいや。
こっちも負けずにメールを打つ。
【そちらさんには、負けますけどね。どうせ、昨日も・・・】
よし、これでどうだ。送信。
ビビビビビ・・・受信。
【ぶ〜。昨日の夜も・・・なんですか?】
とぼけやがって。
【やったんだろ?】
これだけ書いて送る。
【やった?なにを?わっかりませ〜ん】
まだ、とぼけるか・・・
【わかってるんだよ。ヘッ】
チャットじゃねーかこれじゃ・・・

またメールが来る。
【あ。先生来ちゃった。またこれまでのメール消しといてね。     ちゅ。】
はぁ?からかいやがって。
ちきしょ〜
シンゴと仲直りして調子になりやがったな。

午前中の授業が終わるとひとみが教室の前で待っていた。
「今日はお弁当ないからね。」

「あ。うん。そっか。それじゃシンゴと食堂で食うよ。」
昨日が特別だったんだな。
美味かったのになぁ。

「うん。そうして。あ。昼休み終わる前早めにここに来て。」
ひとみは周りを伺いながら話す。

「ん?どうした?」

「なんでも〜。そんじゃ〜ね」
ひとみは走って行ってしまった。

シンゴはあいかわらず寝ぼけながら教室から出てきた。
「腹減った〜」
それだけ言うとフラフラ歩き出した。

メシ食っている時、ごっちんにホテルに行ったこととか
話しただろ!って言おうとしたが、
ごっちんが、今回もメールを削除しろって書いてあった事を思い出して
言うのをやめた。
ごっちんは、オレにメールしたことはシンゴには知られたくないんだろう。
だったら、シンゴには聞けないな。
メシを食い終わった時に割り箸と一緒にポケットの中の小さな紙くずも
ゴミ箱の中に放り込んだ。

その時シンゴが急にでかい声で
「あ。オレそう言えば今日放課後、追試だ。」

一瞬ゴミ箱に捨てた物がバレタのかと思ってドッキリした。
「だせ〜。帰りどうする?」
ホッとしながら、答えた。

シンゴは追試が悔しいらしくて、嫌な顔しながら
「先に帰ってて。ヒマだったら待っててよ。道場やすみだろ今日。」

「あぁ。わかった、適当に待ってる。遅かったら帰るから。」
オレは早く帰ってもひとみは部活だし、待つことにした。
ただ待っていると言ったら、シンゴも落ち着かないだろうと思って
あえて、こんな言い方をした。

シンゴは追試がそうとう嫌らしくブツブツ言ってる。
「お前昼休みのうちに勉強しとけ〜」
オレはひとみとの約束があるので、シンゴに勉強を押し付けて
先に教室に戻った。

シンゴは何か言おうとしたが、ひとみの姿を見て黙って教室に向かった。
あいつなりに気を利かせてくれた。

「悪ぃ。遅くなった」
オレはひとみに手を軽く合わせると。

「全然待ってないよ。シンゴ君はいいの?」
ひとみはシンゴが教室に入って行くのを目で追いながら言った。

「あぁ。アイツは放課後追試だからこれから勉強だ。」
オレは、笑いながら答えた。

「そっか。そんじゃちょっとこっち着て。」
ひとみはそう言うと人気(ひとけ)のない階段の踊場に向かった。

オレは黙ってついていく。
なんの話だろ。
まさか別れ話じゃないだろうな。
でも、理由もないしな。
少し不安になりながら歩く。

ひとみは、会談の踊場で立ち止まると
「ねぇ。梨華ちゃんとなにかあったでしょ!」
険しい目でオレを見る。

「はぁ?なんもないぞ!」
オレは昨日の夜、ほんのちょっとだけドキッとしたが
何もしていない。

ひとみは、急に笑い出して
「うそうそ。びっくりした?あのね。そんな話じゃなくてね。
 ごっちんのことなんだけどね。」

オレは怒ろうとしたが、ひとみの言葉の後半がちょっとマジメに
言っているので後回しにした。

ひとみは、続けて言った。
「あのね。昨日の昼の事覚えてる? ごっちんとシンゴ君。
 どうやらね、ごっちんだけがシンゴ君にお弁当作ったと思って
 怒ったらしいの。
 シンゴ君、昼はいつも食堂でヒロキと食べてるじゃん。
シンゴ君は自分だけ、お弁当食べてヒロキが一人で食堂で食べる事に
なっちゃうと思ったらしくて。
それで、ごっちんに勝手なことするなって言ったんだって。」

オレは正直ビックリした。
なんでそんなことで、怒るのかわからなかった。
オレはひとみが渡してくれた弁当を受け取った時には
うれしくて、そんなこと全然考えなかった。

「そっか、アイツそんなことで怒ったのか。」

ひとみはオレの正面に立ってまっすぐこっちを見ながら

「ん〜。あたしはヒロキでよかった〜」
と言うと首に手をまわしてキスしてきた。

オレは思わず腰を抱きしめてそのキスに答えた。
が、しばらくしてお互いが慌てて離れた。
そして二人して周りを見た。
すっかり学校という事忘れてた。
それはひとみも同じだったみたいで顔を真っ赤にしていた。
幸いまわりには誰もいなかったみたいで誰にも見られなかった。

「そんじゃ、そういうことなのだ。またね。」
ひとみは恥ずかしそうに走って教室に向かった。

さっきの話を思い出しながら、教室に戻った。

午後の授業は、シンゴとごっちんのことを考えていた。
シンゴはそういえば結構、古風なところがあったな。
いわゆる亭主関白みたいな感じなんだろうな。
オレに接する態度とごっちんに対する態度は違うだろうけど、
なんとなくイメージとして、そんな感じなのかな。
だからと言ってあの程度で怒るのは考えられなかったが
でも現にひとみはそういうふうにごっちんから聞いている。

まぁ正直言えばオレには関係ないことだ。
そんなことで怒るシンゴであっても、オレとシンゴの関係には
なにも影響しない。
ただ、ごっちんがシンゴに何か言われて大人しく黙って言う事を
利いたりしている方が、実は意外だな、なんて思ってたりした。
ごっちんは、元気で気が強いイメージだったから。

そんなことを考えているうちに午後の授業は終わった。

教室を出ると隣のシンゴのクラスは一足先に開放されたみたいで
生徒達がダラダラと帰っていった。
ただ帰っていった生徒は追試を受けない者だけで、シンゴはまだ
これから追試を受ける為、机に縛られている状態だった。
オレはシンゴに口と手で合図するとシンゴも手を合わせて合図をした。
いわゆる、外で待ってるから。すまん。そんなやり取りだ。

シンゴの教室ら離れ階段を下りようとしたら、ごっちんに会った。
「よぉ!」
オレは軽く手を上げて声を掛ける。

ごっちんも同じように
「よっ!」
と、軽く手をあげる。

「どうした?部活はよ?」
と、こんな時間に校舎にいるごっちんに話し掛けた。
いつもだったら、部活で外にいる時間なのに。

「んあ〜、今日ね。雨で中止。」
窓の外を指差して気の抜けた声で言った。

窓の外には薄い雲に覆われていて、雨がポツポツ降っている。
「あぁ。そっか。でもシンゴ今日、追試だぞ。」
シンゴの教室に向かおうとしているごっちんにそう言うと

「まじ?なんで言わないのかな?そういうこと。」
ごっちんは信じられないって顔していた。

「追試って言うのが恥ずかしかったんだろ。
それに昼休みメシ食い終わった時に急に思い出したみたいだったし。
そんでオレは今日ヒマだからシンゴ待ってる。
 遅ければ、帰っちゃうけどな。」
実際シンゴはメシ食い終わってから、オレに追試があるって告げていた。

「ヒロキ君はやさしいよね。
 よっすぃー、ヒロキ君と付き合ってからカワイさに磨きが掛かってるもん。
 きっと幸せだからだよ。いいなぁ〜。」
ごっちんは、カバンを後ろ手に回して窓の外を眺めながらつぶやく。

オレは何を言えばいいのか迷っていたが思っている事を聞いてみた。
「ん?ごっちんは幸せじゃないのか?」

少し考えるような顔をしながら
「ん〜〜どうだろ?他の人から見れば幸せに見えるのかな?うん。
 上を見ても下を見てもキリがないけどね。
 でもね。絶対によっすぃーの方が幸せだよ。うん
 なんか、うちらより長く付き合っているのにラブラブじゃん。」

オレ達とシンゴ達を比べるとそうかもしれない。
「それは・・・
 オレ達、中々会えないからじゃないか
そういう風に見えるのは。
 オレに言わせれば、ごっちん達の方が羨ましいぜ。
 夜とか、シンゴの家とか行ってるんだろ。」

ごっちんは、寂しそうな顔して
「一緒にいる時間が長ければいいもんじゃないよ。
 なんていうのかな。
 なんか、こう張り合いが、ないちゅ〜か。
 居て当たり前みたいに思われてるのよね。たぶん。
それに・・・」

ごっちんは途中で声を詰まらせた。
「ねぇ。ちょっと場所変えない?ここじゃなんか人に見られそうじゃん」

オレは黙って頷いて中庭の販売機の方に向かい歩き始めた。
ごっちんは、黙って人差し指でたまに目を押さえながら
オレの後ろ5mくらい後をついて来る。
放課後の中庭は、静まり返って人の気配がない。
昼休みは、ごった返すこの場所も今日のこの時間は物寂しげだ。
いつもの雨の降っていない放課後だったら人こそは居ないが
外で運動部の声などが聞こえる。
それが雨の日の今日は、中庭の砂利を雨が叩く音と
体育館でボールの音や声が、かすかに聞こえてくるぐらいだ。

自動販売機でごっちんがよく飲んでいる午後の紅茶のレモンティーを買う。
それを投げてごっちんに渡す。

ごっちんは、両手でそれを受け止めてから
「あ。ありがとう。」
と一言とつぶやくように言った。

オレは自分の缶コーヒーを買って雨の当たらない屋根のあるところのベンチに腰掛けた。
ごっちんは、オレの座っている隣のベンチにすわって缶のプルトップを開けた。
「いただきます。」
両手で缶を覆って紅茶を一口飲んで、ごっちんはため息をついた。

オレはコーヒーの缶を軽く上に投げては受け止めて、ごっちんの言葉を待った。
隣のベンチでは足をブラブラさせて、古ぼけた屋根のを見つめていた。
視野ギリギリに映る、ごっちんは言葉を選んでいるようだった

ごっちんは、足をピタッと止めて不意にこっちを見た。
その視線に気がついたのでオレもごっちんを見た。
にっこり。
まさにそんな感じの笑顔だった。

「ヒロキ君って本当にやさしいね。」
ごっちんの顔はなんかいつもよりちょっと幼い感じだった。

「ん?缶ジュースおごったくらいでなんだよ。」
オレはごっちんから視線を外してすこし掠れた声で言った。

ごっちんは首を振りながら
「違うんだよ。その〜。オーラ?空気?
 それがね。やさしいんだよ。
よっすぃーもそんな感じの空気持ってるんだよね〜」

オレには言っている意味がわからなかった。
だから黙っていた。

首を振って髪の毛が少し乱れて髪の毛の隙間から耳が見える。
「シンゴ君ってね。かわいそうなの。」
ごっちんは、シンゴに「君」を付けて呼んでいた。
二人っきりのときは「君」を付けて呼んでいるようだ。

「お母さんいないでしょ。
 だからかな。凄く愛情に飢えているみたいなの。
 でもね。
 シンゴの愛情の表現が下手なのか
 気がつかないあたしがいけないのかな?
 なんかね、つらい時があるんだよね。
 上手く言えないんだけどさ。」

ごっちんは、泣きそうな顔を時より無理やり笑って
誤魔化そうとしている。

「んとね。あたしシンゴ君の彼女になりたいんだ。
 お母さんじゃなくてね。
 別にシンゴ君がマザコンと言ってるんじゃないの。
 このままじゃね。あたし、彼女じゃなくなっちゃいそうで
 お母さんじゃなくてもお嫁さんになっちゃいそう。」

オレには、わからなかった。
オレは今まで単純に二人のことが羨ましかった。
それだけに、ごっちんが涙を浮かべるほどの悩みがあるなんて
気がつかなかった。
シンゴはこの事を知っているのだろうか?

「シンゴには、なんかそういうこと言った事あるの?」

ごっちんは缶を口につけながら軽く頷いた。
「・・・ある。
 でもね。
 お前、なに言ってんの?
 オレと付き合うのが嫌なのか?って。
 あたしは、シンゴ君と別れたくないから違うって言ってね。
説明するんだけど、上手く説明できないって言うか、わかってもらえなくて。
─ヒロキ君はさぁ。よっすぃーに手をあげたことある?」

ひとみとは今までケンカらしいケンカしたことはない。
それにオレ自身、今まで付き合ってきて女の子を殴るような
ことをしたことがない。

「ないよ。どっちかって言うと、オレ引いちゃうから。
 殴ったら振られちゃいそうじゃん、オレ。」
少し笑いながら答えた。
正直に言うと殴って振られる方が怖い。オレは臆病なのだ。

「シンゴ君はねぇ。殴る。
 グーじゃないけど、顔殴られた事もあるし。
 突き倒された事ある。」
ごっちんは、無表情で言う。

─オレはショックだった。
シンゴが女の子相手に殴るなんて。

「ヒロキ君、ごめんね。言わないでね。」
ごっちんは、こっちを見て口止めした。

「言うつもりはないよ。
 ただな。なんていうのかなぁ。アイツ口下手だからな。
それにさぁ照れ屋だし。」
オレは親友であるシンゴをフォローしようと思うのと
ショックが交差してただ頭の中にある言葉をそのまま口にした。
それはフォローになっているかの判断がつかない。

ごっちんは頷きながら
「わかってるんだけどね。
 普段のあの人見てればさ、正義感も責任感も強いし
 弱い物いじめとかする人じゃないから、ただの暴力じゃないって
ただね。もうちょっと、ヒロキ君の半分でもやさしかったらなぁ」

「ごっちん、オレ決してやさしくないよ。
 あんまりかっこ悪いから言いたくなかったんだけど
 オレ臆病だからさ。 殴れないんだよ。
 さっきも言ったみたいに多分殴ったら振られる。
それが怖いから─」

ごっちんはオレの言葉を遮って
「違うの!殴る殴らないだけじゃないの。
 シンゴ君はね。メール送ったって返事は来ないし。
 男同士で遊んでる時には電話してくるなとか。
 それで家に帰ってからも電話くれるわけじゃない。」

確かにシンゴと居る時にごっちんからの電話があったことがない。
メールしている姿も見たことないかも。
ごっちんの寂しげな顔に心臓がドッキリした。
ただそんな事を思っている場合じゃない。

「そっか。でもそれはなぁ。なんともな。
 別にシンゴは、ごっちんだけにメール出さないんじゃないし
 オレもシンゴからメール着たことないぜ。」

「でもね、普段メール出さない人でもせめて彼女ぐらいには
 出してもらいたいもんだよ、女の子って。」
ごっちんは、大きなため息をついた。

言葉に詰まった。
オレには返す言葉がない。

でも逆を言えばそれだけシンゴは愛されていて
ごっちんを信用しているんだろう。
メールや電話をしなくたって壊れる物じゃないんだよ。と思った。
でも、それを言葉に出すか迷っていた。
言ったあと、逆にまたごっちんの言葉はもっと
オレの返答に困る事を言い出しそうだから、だから黙っていた。

急に、ごっちんは立ち上がった。
「ヒロキ君ありがとう。
 なんか話したらスッキリした。
 よっすぃーにもシンゴ君にも言わないでね。」
指で口を押さえながら微笑んだ。

オレはホッとした。
ごっちんの微笑みは柔らかい。思わず、見とれそうだった。

ごっちんは、少しイタズラっ子のような顔して
「ねぇ。ヒロキ君。よっすぃーと、どれくらいのペースでホテルに行くの?」

「はぁ?なんで?」
オレは少し照れながら答えた。

「ん〜、あのねぇ。後藤ねぇホテルって行ったことないんだ。」
ごっちんは自分のことをたまに後藤と言う。
人数の多い陸上部で先輩に名前を覚えてもらう為に自分の名前を言うんだと
前に言っていたのを思い出していた。

「今度シンゴに連れてってもらえばいいじゃねぇ〜か。」
オレはありきたりのことを言う。

「シンゴ君ねぇ。ああいう所苦手なんだよねぇ。
 映画とかも、行きたがらないし。
 硬派気取りっていうのかな・・・
 出不精っていうのか。
ねぇ。どんな所?ヒロキ君達が行ったところって?」
ごっちんは興味津々の顔して顔を覗き込んでくる。

「普通の所だよ。
 テーブルとベッド、テレビと小さな冷蔵庫があって
 風呂とトイレがあって・・・そんな感じ。」
オレは思い出す振りをしながら答える。

「ふ〜ん。それで?一緒にお風呂とか入っちゃうわけ?
 よっすぃーと? きゃ〜。」
なんだか、うれしそうに足をバタつかせている。

カラーン
オレは急に恥ずかしくなり、飲み終えた缶コーヒーをゴミ箱に投げ入れた。
「そろそろ、シンゴの追試も終わるんじゃねーか?」
誤魔化す様に携帯で時間を見ながら言った。

「あ。そうだね。それじゃ後藤は先に帰ります!
 なんか、シンゴ君とも今日一緒に帰る約束してないし。
 今日はありがとうね。なんだか本当にすっきりしたよ。
それとこのことは内緒にしてね。
 よっすぃーやシンゴ君に疑われたくないし、心配かけたくないからさ。」
ごっちんは制服のスカートの裾をいじりながら立ち上がった。

「だな。言わないよ。
 なんだか、あんまり力になれなかったけど、少し元気が出たみたいでよかったよ。
 シンゴと上手くやれよ。
でもあんまり無理しない程度でな。」
オレは正直ごっちんと居た、この時間何をしていたんだろう?
ごっちんはツライ状況なのに。オレはごっちんと一緒にいる時間を楽しでいたような─

「そんじゃ、行くね。またメールしちゃうかも。ばいばーい。」
ごっちんは、そう言うと振り返ることなく走って帰っていった。

オレはその姿を目で見えなくなるまで追っていた。
見えなくなる瞬間。
ごっちんはこちらを振り返り、大きく手を振る。
そして消えていった。

しばらく一人でベンチの上で寝っころがって目を閉じていた。
シンゴはまだ来ない。
ごっちんとの会話を思い出す。
少し睡魔がやってきて、眠りそうになった、その時。

「こら。こんなところで何してんねん?」
オレは目を開けた。
そこには保健体育の教師、中澤裕子が居た。
中澤先生はひとみの所属する女子バレーボール部の顧問でもある。
ひとみ曰く「鬼の中澤」
ただ一部の男子生徒からは「裕ちゃん」と親しみを込めて呼ばれていたりもする。

「あぁ。中澤先生こそ何してるんですか?部活は?大会あるんじゃないんですか?」
大会前のこの時期に体育館で練習しているはずなのに、こんな所にいる
中澤先生に逆に聞き返した。

「なにが中澤先生やねん。キショイ。裕ちゃんでええやん。
 まぁええわ。そうそう今日、学年会議やねん。
こっちは他の先生と違って大会前で忙しいちゅーのに
くだらない事、グダグダ言ってるから少し抜けてきた。
まぁサボリやな。」
そう言うとざ裕ちゃんは隣のベンチにさっきまでごっちんが座っていたベンチに腰掛けて
ポケットから携帯灰皿と長いメンソールのタバコを取り出し火を点けた。

タバコの煙を吐き出すと、
「おう。高崎!いや、ヒロキ!
 お前、うちの吉澤と付き合ってるんだってな。」
睨むようにこっちを見た。

オレはその迫力に少しビビリながら
「えぇ。まぁ。」
どぎまぎして答えた。

「ヒロキ、いいか、良く聞けな。
 お前知らんかもしれないけどな。うちの部な、男女交際禁止やねん。」
知らなかった。
今まで一言もそんな話、ひとみから聞いたことなかった。

「アイツなぁ、お前と付き合う前にうちの前に来てな
 ちゃんと練習も今まで以上に頑張るからお前と付き合いたいって言いに来たんよ。
 今までそんな奴おらんかったで、陰でコッソリ付き合ってる奴はいたけどな。
 うちは鬼の中澤やで。アイツらにとっては。
 それをよくもまぁ、一人で宣言しに来たもんや。一歩間違えれば宣戦布告みたいなもんやろ」

タバコの灰を丁寧に灰皿に擦りながら落とす。
「だからと言って、はいそうですか、いいですよ。ってわけにもいかんからな。
 でもな、その今まで人がやったことのない事をするって事は勇気いることやん。
 それを評価してやったんや、条件をクリアせい。ってな。」

オレは初めて聞くその話に聞き入った。
「条件って?」

ニヤリと笑って煙を吐き出しながら言った。
「簡単なことや、それじゃ大会前までにレギュラーになれ。
 簡単なことって言っても大変やけどな。うちのバレー部は人数多いさかい
 それに強いからなぁ。まだ3年生もおるし。
 それとこのことを部員全員の前で宣言せい。って言うたんや。
 もちろん、レギュラーになっても補欠になったら別れてもらうでって事も言ったけどな。」

オレは座り直してゴクリとツバを飲み込んだ。
「そ、それで─」

「アイツ、翌日の練習後に部員全員の前で宣言しよったわ。
 私は、好きな人と付き合います。でも部活を辞めません。
絶対にレギュラーになります。レギュラーになってからも
もし落ちたら別れます。ってな。思わずうちは拍手してもうたよ。
部員全員は唖然としてたけどな。次の日からは大変や。
みんな必死やで、男おる奴に負けてたまるかってな。」

中澤は楽しそうに語る。
それはまるで自慢話のように。

そして続けて
「うちな自分の現役時代からバレーボール見てきたけど
あんなに急激に伸びた奴初めて見たで。
 おかげで部員全員の力も伸びたけどな。
 ライバル心剥き出しで、なんとも殺伐とした最高の雰囲気やったで」

ひとみがオレと付き合う前にこんな事があったなんて─
改めて、安っぽい言葉だがひとみに惚れ直した。

「それで、アイツはレギュラー獲得したんやから他の部員ももう納得したわ。
 今じゃアイツは部の要だ。内緒やけど次期主将だ。
 ってことで、引退までヒロキしばらく我慢してな。」
最後は笑いながら灰皿にタバコを押し付けてポケットにしまった。

「なぁ、若くていろいろ溜まってるんやろうけど、
 吉澤はうちの大事なエースやさかい、大事にしてな。頼むで。
 お前が溜まって爆発しそうになったら、裕ちゃんが相手してやるから。な。」

オレの頭に手を乗せて顔を覗き込む。
真っ直ぐした視線には強さと優しさが篭った目をしている。
が最後の一言には、どこか妖しさが映っていた。

しかし、オレはそれを振り切るように
「遠慮しておきます」とだけ言った。

「なんやねん。裕ちゃんかわいそうやん〜。
 ヒロキぃ〜。な。今度デートしよ。な。
お前かわいいから好きやねん。
それに吉澤に振られたら、うちの物やからな。」
中澤先生はさっきと変わってかわいらしくふざける。

「ダメですよ〜。オレにはひとみがいますから。
 それに別れないですよ、オレ達は!
 大事にしろって中澤先生が言ったばっかりじゃないですか〜」

「もう、また中澤先生言う〜、あれは鬼の中澤の言ってた事や。
 今は裕ちゃんなんやから、つれなくせんといて〜」
中澤先生は、泣く振りをしながら左手をヒラヒラさせて職員室に向かっていった。

中澤先生の姿が見えなくなってから、しばらく動けなかった。
シンゴを待っているこの間に、いっぺんに色々な事が急に頭に入ってきた。
正直、自分の許容範囲を超えていた。
シンゴの今まで知らなかったごっちんへの暴力。
ごっちんの寂しげな顔。
それにドッキリした自分。
そして、ひとみがオレと付き合う前にあった出来事。
それなのに、昨日ひとみに体を求めようと電話して恥ずかしい自分。
いろいろなことが頭の中でグルグル回る。
中澤の話、聞かなければよかった─
ひとみの一生懸命な想いを受け止める男なんだろうか?
何一つ、今まで考えた事がなかった。
チャラチャラ付き合って、会えない不満を口に出したり
人を羨んだり情けない。

─肩を叩かれた。
シンゴだ。
「悪りぃ。待たせたな。」
シンゴは憔悴した顔でやってきた。

「おう。どうだった?」
待っている間の出来事をシンゴに悟られないように
されげなく、普通に振舞った。

「ヤバイかも・・・」
シンゴは追試の出来が悪くて、オレの事には全然気がつく様子はなかった。
正直ホッとした。

「そんじゃ、帰るべ。」
シンゴはトボトボと歩き始めた。
さっきまでの雨も今はほとんど降っていない。

駅に向かう歩きながらシンゴは
「待っている間、何してたんだ?」
オレに聞いてきた。

さすがに、ごっちんと話してたとは言えず。
「中澤先生に口説かれてた」
笑いながらそれしか言わなかった

「あははは、中澤はオマエの事、気に入ってるからなぁ
 案外本気かもしれないぞ。
 オトナの魅力にやられちまうかもな。」
シンゴは楽しそうに冷やかす。

「ないない。オレにはひとみがいるし。」

そう、オレにはひとみがいる。
オレに対して一生懸命なひとみが─

「よっすぃー居たっていいじゃん、バレなきゃよぉ〜
 寂しいんだろ会えなくて?」
シンゴは追試が上手くいかなかった、うさ晴らしのようにオレをからかう。

オレが言い返そうとしたとき、シンゴが前を指差した。
「おう。アレ梨華さんじゃね〜の?」

駅の改札に向かう梨華が見えた。
あれは間違いなく梨華であろう。
シンゴは走り出す。
「梨華さ〜ん」

オレは走らず歩いていく。
梨華はシンゴの声に気がつき振り返る。
「あ。あれ〜珍しいね。こんな時間に。」
梨華は立ち止まって、オレ達を待っていた。

「梨華さんだって今日部活は?」
シンゴが梨華に聞く。

「今日雨だったでしょ、それでコート使えなかったから
 ミーティングでおしまい。そのあと図書室にいたの」
梨華はシンゴに話していた。
オレも合流して3人で電車に乗って帰った。
電車の中ではシンゴは梨華と話をしていた。
オレは一人で、どうしても中澤先生の話やごっちんの話が
頭から離れず、ボーとしていてた。
たまに、話を振られた時は適当に返していたので
特に突っ込まれはしなかった。
シンゴは梨華との会話を楽しんでいるようだったので、
オレのことは気にしてなかった。

シンゴは家に帰るために途中で電車から降りていった。
二人になってから、しばらく無言が続いた。
梨華は沈黙を破るように
「ねぇ。どうしたの?ヒロキなんかあったの?」
顔を覗き込んでくる。

「なんでもないよ。ちょっと疲れただけ。
 シンゴ待ってたからさ。待ちくたびれちゃってさ」
オレは、そう答えてわざとらしく、あくびをした。

「そう。ならいいんだけど。
 あ。今日ゴハンどうする?
 おばさん、今日から2泊3日で旅行に行ってるんだよ。
 おじさんは、おとといから出張でいないでしょ。
 知らなかったの?」

全然知らなかった。
昨日は親とまともに顔合わせてないし。
今朝もそんな話は聞いてなかった。
「知らん。全然聞いてない。
 オヤジの出張はいつもの事だけど、
 オフクロの旅行は聞いてなかったぞ。」

梨華は驚いたように、
「え?ホント?
 なんでも、商店街の福引で当たった人がいて
 期限が今週いっぱいで切れちゃうから、一緒に行きませんか?
 って電話が昨日あって、それで─」

「あっそ。そんじゃ、しゃーねぇな。
 そんじゃ、メシどうする?どっかで食う?」

「え?私作るつもりでいるんだけど。
 ダメ?
 だって明日おばさん帰ってきてから
 晩御飯の用意大変だろうからハンバーグでも作っておけばさ
 帰ってきても解凍して焼くだけで済むでしょ。」

作る気マンマンの梨華を止めるのも、なんだし
それに梨華と二人きりで外食しているところを、
もしも誰かに見られて妙なウワサされても困るから、
梨華の意見に賛成した。

帰りに梨華は途中でスーパーに寄っていった。
オレは、ひとみの事を思うとなんだか梨華と二人っきりで
買い物をしちゃいけないような気がして、適当なことを言って
誤魔化して、先に帰った。
梨華は文句を言っていたようだが、笑って逃げた。

一人で家に帰ってから自分の部屋でベッドの上で
寝っころがって、また今日の放課後のことを思い出していた。
そして、ひとみと付き合う前のこと。
そして半年ほど前にひとみに告白をした時のことを。

オレは前の彼女と些細な事で別れてから一週間ぐらい過ぎた頃だったと思う。
まだまだ、何かを引きずっていて落ち込んでいた。
そんな時に、ひとみは励ましてくれた。

「高崎君〜。最近元気がないねぇ〜どうしたのぉ?
 よっしぃー占い師が占ってあげよっか?」

そう言うと、わけのわからない、おまじないの真似をして
ひとみは、大きな声で
「キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!
 見える!見える!
見えすぎちゃって困るわ〜
・・・
 右。左。上。下・・・」
ひとみは右手で右目を押さえながら視力検査の真似をしている。

そして、左目でなにか訴えている。
「もぉ〜、早くつっこんでよぉ〜」

オレは笑いながら、
「なにやってんだ。」
あまりにも寒すぎてそれぐらいしか言えなかった。

「をぉ〜、笑った笑った。
 いいねぇ〜。その笑顔だよ。
 そうそう、今度はちょっと右向いて、」
カメラマンの真似をして、口でシャッターを切る音を出している。

「なんなんだよ」
今度は真似とかじゃなくて、ひとみ自身のおかしさに笑った。
かわいい顔して、突拍子もない事をやりだす。
それが、おかしかった。

「それが、あなたの45日後の顔です。
 きっと笑顔が訪れるでしょう。
 以上、よっすぃー占いの師のお告げでした。」
と言うと、頭を下げて走り去っていってしまった。

あの時から、初めてひとみを意識し始めた時だと思う。
それまで、まともにひとみとは話したことがなかったが
次の日から少しずつ話すようになった。

それからしばらくたってから、ひとみに告白した。
口下手なオレは、ただ一言
「よっすぃー、オレと付き合ってくれ」

その時のひとみは、腕を組んでおおげさに
「ん〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
と、言って悩んでいた。
オレは黙ってそれを見ていた。
「〜〜ん。しばらく待ってくれる?
 吉澤ひとみ、一世一代の覚悟でその告白受け止めますから。」

オレはわからなかった。
振られたのか?OKなのか?
そんな様子をひとみは気がついたみたいで、フォローするように
「んとね、あたしもねぇ。高崎君のこと好き。
 でもね、ちょっとだけ、返事待って。お願い!」
ひとみは、両手を合わせてオレに言った。

オレはひとみの口から好きと聞いて喜んだが
待ってくれの意味がわからなかったが、
お願いされた以上、待つしかないと思っていたので
「そっか。わかった。それじゃ待つよ。うん。
 いつまで待つのか、わからないけど
 とりあえず、お預けってことだな。」

「訳、聞かないで待ってくれるなんて良い奴だね。
 それじゃ、また明日ね。避けたりしないでね。」
そう言うと、ひとみは部活に向かっていった。

中澤先生から話を聞いた今、あの時に待たされた意味がわかった。
オレが告白してからひとみは中澤先生に話をして部員の前で宣言したんだ。
その翌日だったんだろう。
告白して2日後の午前中の授業と授業の間の休み時間にひとみはオレの前に来て
小さな声で「ちょっといい?」と言ってオレを呼び出した。

隣のクラスは体育だったらしくて、誰もいなかった。
そこで、ひとみはオレの目を薄い茶色の瞳で見つめながら
「お待たせしました。ふつつかな者ですがよろしくお願いいたします。」
と言って頭を下げた。
「な〜んてね。今日からあなたは、あたしは物よ〜
 そして〜、あたしは、あなたの物です〜」
と言って、右手を差し出してきた。
オレも右手を差し出すと
「これからも、よろしくね。もう、よっすぃーなんて
 呼ばないでね。ひとみって呼んで。
 私はヒロキって呼ぶから。いい?」
ひとみはオレの手を握りながらそうオレに聞いてきた。

オレは喜びのあまり、ただただ頷くだけだった。
「それと、私ね。バレーボールに命掛けています。
 それは高崎─、ぃゃぃゃヒロキのことを思うくらいに。
 逆の事を言えば、あなたの事をそれだけ好きですって事。
 でね。部活引退するまでは、部活を優先させてほしいんだ。
 それでもいい?」
ひとみは、オレのことをヒロキと呼ぶのに少し照れながら
しっかりした口調で話す。

「うん。それは問題ない。
 オレも道場通ったりしているから。」
そう言うと、ひとみはホッとした顔して

「よかった」
その一言を言うと、茶色い瞳が涙で潤んでいた。
それを隠すように笑って
「そろそろ先生来るよ、教室に戻ろう!」
走って教室に向かっていった。

オレは一人で小さくガッツポーズしたのを覚えている。

─コンコン

ドアがノックされた音でオレは我に返った。
「ん〜」

ドアが開かれて梨華が顔出す。
「ねぇ。あのさラップってどこにあるの?」

梨華が帰って買い物から帰ってきたことも
下で料理していた事にも気がつかなかった。

オレはラップの場所は、ハッキリわからなかったが
いくつか思い当たる場所があったので
梨華と一緒に階段を下りた。

何箇所か引き出しを開けたが、どうにかラップを探し出した。
そのまま、部屋に戻ろうとしたが、梨華が
「あと、焼くだけだから待ってれば。」
そう言いながら、いくつか余分に作ったハンバーグをラップで包んで
冷凍庫に入れていた。

オレは椅子に座りながらぼんやり梨華が料理をしている背中を見ていた。
梨華はフライパンの上にハンバーグを乗せて焼いている。
ぼんやりしていると、フラッシュバックするようにいろいろな事を思い出す。

─ねぇ。

「ヒロキ!」
梨華が呼んでいた。
怒っているのか驚いているのかわからない複雑な顔

「ん、な、なに?」

どうやら、かなりボケていたらしい。
梨華は心配そうに話し掛ける。
「ねぇ。ヒロキ。今日変だよ。風邪でもひいた?」
梨華は手をオレの額につけてきた。

「え?大丈夫。全然。」
オレは梨華の手をそっとどけた。

「ご飯食べたら風邪薬飲んでおいたら?」
梨華はテーブルに焼きたてのハンバーグとゴハンなどを運ぶ。

「あぁ。そうだな。」
オレは実際風邪などひいていない。わかっている。
ただ適当に返事をしていおいた。

「いただきまーす。」
オレは目の前に置かれたハンバーグに手をつけた。
梨華はまだ食べないでじっと見てる。
「ねぇ、ちゃんと中まで火通ってる?」
心配そうに、見つめている。

この狭い空間で二人っきりの状況で見つめられると、
ひとみの事を忘れそうなぐらいに理性が飛びそうになる。
「ん?大丈夫。ちゃんと焼けてる。」
ぐっと、本能を食に対してだけ働かせて、食事に集中する。

「よかったぁ〜」
梨華は食べ始めた。
しばらく、しずかに食事をする。

「ねぇ。ヒロキ。」
梨華が箸を止めた。

「ん?どうしたの?」
オレは口の中のゴハンを噛み砕きながら梨華を見た。

「あのねぇ。シンゴ君って、真希ちゃん・・・ごっちんと付き会ってるんだよね?」

「あぁ。そうだけど。なにをいまさら。」

「うん。あのね。今日の帰りにさ。シンゴ君が今度デートしよって言ってきた。」
梨華は困ったような顔して言った。
「あ。でもね。冗談っぽく言ってたかも。」
あわてて、言い直す。

「はぁ?シンゴが?・・・マジかもな。」
オレは笑って梨華に向かって言った。
頭の中にはごっちんの姿が見えた。悲しそうな顔のごっちんが。

梨華はオレが笑って言ったので
「冗談だよね。」
と言って、箸を動かし始めた。

「ヒロキは、よっすぃーと付き合ってるんだよね。」
梨華は今度は箸を止めず食べながら聞いてきた。

「何言ってんだよ?そうだよ。
オレに変だよって言っておきながら、梨華の方こそなんか変だぞ。」
オレは梨華の方を見て言い返した。

「今日ね、図書室から雨降っているか、どうかね。
 見ようとして・・・
 その〜、窓開けて、外見たらさ。
 中庭で・・・
 ヒロキと、ごっちんの姿が見えてね。
 なんか、ごっちん泣いているみたいでだったから。
 見ちゃいけないと思ったんだけどさ・・・
 その後、帰ろうとした時、また窓の外・・・
中庭を見たらさ、中澤先生と今度はなんか親しげに話しててさ。」

あちゃ〜、見られていたのか。
あの中庭は結構校舎からは死角になっていたはずだったのに
図書室からは見えていたとは。
「あ。あ〜アレはな。別にうん。」
オレは何から言おうか迷っていた。

「ヒロキが、ごっちん泣かしたの?
 なにか、したの?
 それともごっちんとシンゴ君上手くいってないの?」
梨華は、聞いてくる。
思っていることを素直にぶつけてくる。
多分、言おうか言うまいか迷っていて、迷った結果言う事にしたのだろう。
妙にいつもより、ハッキリした口調だった。

「あんまり詳しくは、人の事だから言いたくないんだけどな。
 本人も、言わないでくれって言ってたから。
 ただな。二人は大丈夫だよ。
なんかオレに話して、ごっちんもスッキリしたみたいだし。言うなよ。」

梨華は、なんとなく納得したみたいで
「ふ〜ん。」
って、言いながら何度か頷いていた。

頷いていた首を止めると
「中澤先生とは、どうなの?
 なんか怪しそうな雰囲気だったけど。
 以前聞いたことあるよ。中澤先生のお気に入りなんだって?
ヒロキって。前に私、中澤先生から聞いたことあるよ。
去年授業中に、外でヒロキ達体育の授業やっている時だよ。
窓の外を見ながら1年の高崎、かわええなぁ〜って
保健の授業中、私のことヒロキの幼馴染って知ってか知らずか、
わからないけど小さな声でそう言っていたよ。」

梨華は上目使いでこちらを見ながらゴハンを食べている。

「そんなこと、知るか!
 まぁ、普通に仲良いだけだよ。
 それにあの時は、ひとみの事、大事にせい!って言われたんだよ。
 ひとみは、中澤先生の部活の部員だろ。
 後は、中澤先生がふざけていた。それだけ。」

オレはメシを食いながら梨華から目線を外した。
その後はまた沈黙が訪れて食事を終えた。
席を立とうとしたが、梨華は一人で食べる寂びしいから
食べ終わるまで待ってくれと言いながら、黙々と食べていた。
梨華は食べ終わると、食器を下げて洗い出した。
オレはなんとなくそのまま席に座っていた。
一通り片付け終わると梨華はコーヒーを入れて
リビングの方に運んだ。
手招きしてオレを呼ぶ。
オレは梨華の入れたコーヒーの香りにつられて
リビングのソファーに座った。

梨華はまたキッチンに砂糖を取りに行った後オレの隣に座った。
シャンプーの香りが幼馴染というより女を感じさせる。

「ヒロキとはさぁ。幼馴染だけど中学入る頃? その前だっけ?
それぐらいから、つい最近まで全然会っていない間に変わったね。
あ。それはいい意味でね、かっこよくなったよ。うん」

梨華は突然、そんなことを言い出した。
オレに言わせれば、梨華の方が変わったと思う。
小学生の時は、どっちかって言うと太っていた方だし
今みたいなスタイルじゃなかった。
顔だって、すごくかわいくなった。

「梨華も、変わったよ。うん。いい意味でな。」

オレは、コーヒーを口にしながら言った。
あんまりこういう事を口にするタイプではないと自分では
思っていたんだけど自然に出た。
自分が誉められた照れを隠しているのか
それとも黙っているのが気まずかったのか

「私、小学生の時パンパンだったもんね。 
 それでいじめられて、ヒロキが助けてくれたんだよね。
 でも、上級生相手だから負けちゃってさ。
 それから、空手始めたんだよね。」
梨華は懐かしむような顔をしながらオレを見て笑った。
なんか梨華の顔が子供の頃の顔とダブって見えた。

「え?そうだっけ?忘れてた。
 オレが空手やり始めたのってその時だったんだっけ?」
本当に忘れていた。
キツイ練習とかの事は覚えていたが、きっかけは忘れていた。
今まで気にした事なかった。
自分が強くなっていくことに楽しみを覚えていて
きっかけなんて振り返った事がなかった。

「そうだよ〜
 ケンカして負けてそれでも泣かないで悔しそうな顔してさ。
 壁に頭ぶつけて気を失ってヒロキ動かなくなっちゃってさ、
私死んじゃったのかと思って大泣きしてたら、いじめてた奴が
怖くなって逃げ出して。
  しばらくしたら、ヒロキ気がついて私に謝ったんだよ。
助けてあげられなくてごめんって。」

梨華の顔は、まるで子供のような顔をしていた。
さっきは子供の頃の顔がダブって見えたが今はハッキリ見える
あの頃の梨華。

話を聞いて徐々に思い出していた。
梨華の家の前でオレの事を見ながら、大泣きしながらオレの体をゆすってた。
あの時オレが梨華を守れなかったから泣いていたんだと謝ったんだ。
気を失っている間にいじめられたと思って。

「ん〜なんとなく、思い出してきた。」

「でね。それからだよ。次の日曜日か何かにおじさんと道場に行ったのは。」
スプーンでコーヒーをかき回しながら言った。

「そうだっけ?なんか殴られたところまで、しか覚えてないや。
 あの後、病院いったんだっけな?
 あぁ。それで、あの時に頭打ってオレ頭悪くなったんだな。
 梨華のせいか、責任とれ〜」

「うん。責任とってあげる。

 そのつもりで、私がんばってあれからダイエット始めたんだよ。
 中学も一番キツイ、テニス部選んで。
 そうすれば、痩せると思ったから。
 ヒロキがデブは嫌だろうと思って、一生懸命頑張ったんだから。」

─カチン─
梨華は、かき混ぜたスプーンを止めた音が静かに響いた。

オレは固まった。
完全に固まった。
体も思考回路も。
唯一心臓が動いている。
その証拠に妙に心臓の音が聞こえてくる。

「あぁ〜あ。でもね。ヒロキはさぁ。
 かっこ良くなって、今じゃすっかりモテモテだもねぇ。」

梨華は笑いながらコーヒーを飲んだ。
笑い声に救われたように少しずつ、固まった体や思考回路が動き出した。
ただ、まだコーヒーカップを持った右手は震えていた。

「も〜私が今じゃ責任とって欲しいぐらいだよ。もぉ〜」

梨華は、ソファーの所にあったクッションで殴りかかってきた。
笑っている梨華の目にうっすら涙が溜まっていた。

「わ。ばか、コーヒーがこぼれるだろ。熱ちいぃ」

オレが慌ててコーヒーをテーブルに置くと、梨華は立ち上がって、クッションを投げつけた。
責任─

「べぇ〜だ。もう。お風呂入ってくる。覗くなよ!」
リビングから姿を消した。
小刻みに階段の登る音が自分の心臓の鼓動とリンクしているようだった。
オレはその後一人で少しこぼれたコーヒーをすすりながら、
深いため息が出た。
なんなんだ、今日は。

梨華の言った責任とってあげるの意味─
オレが梨華を守った─
梨華がオレの為に一生懸命になっていた─
オレの知らない事だらけ。

それからコーヒーカップを持ったまま部屋に戻った。
隣の部屋に梨華がいる。
風呂の準備をしているようだった。
それからドアが開く音が聞こえた。
その後に続く階段を降りる足音が聞こえない。

大きく息を吐く音が聞こえたあと階段を下りていく足音が聞こえてきた。
オレの部屋の前にいたのか?
オレは何を意識しているんだ?

─ブルルルル

携帯のバイブの音が静かな部屋に響いた。
制服のズボンのポケットから携帯を取り出した。
メールが着ていた。
受信メールを見る。
未読が3通あった。
古い順に読んだ。

【今日はなんか変な話しちゃってごめんね。
 でも聞いてくれただけで、すっごくラクになったよ。ありがとうね。】

ごっちんからのメールだ。
頭の中にあるスクリーンが梨華からごっちんに切り替わり
映画のように再生される。
目の前の液晶に書かれている文章をごっちんが読んでいるように
伝わってくる。
そして次のメールを読むために指はボタンを押していた。

【え〜ん。返事が来ないよぉ〜
 あ。梨華ちゃんとエッチなことしてるんでしょ〜
 よっすぃーに言っちゃうからな〜】

先ほどの続きの文章。
ふざけて泣くフリをするごっちん。
そして少し頬を膨らますごっちんの顔が浮かぶ。

ドキドキしながら次のメールを読む。

【ねぇ。まさかマジで梨華ちゃんとしてるの?
 これじゃ、よっすぃーにいえないじゃんか。
 きゃ〜〜〜〜〜〜】

心配そうな顔。
そのあとは困った顔。
そして笑顔。
すべて浮かんでくる。
胸が高鳴っている。
シンゴの彼女なのに・・・

メールはこれでおしまい。
顔を上げた時、正面にあった鏡に自分の顔が映った。
うっすら笑みを浮かべている。
その鏡の横にはひとみとの2ショットの写真。
写真を見たときの顔が目の端に映る鏡を見たとき
複雑な顔したオレが居た。
鏡を直視した時には、もうその顔がなくなっていた。
目を瞑る。
中澤先生の声が響く。
「大事にしてな。頼むで。」
そう、ひとみはオレのために─

頭を2,3度振ってごっちんへメールを返す。

【ごめん、ごめん。メシ食ってた。
 部屋に携帯置きっぱなしで、今のメールで気がついた。
 学校にいるときから音は消しっぱなしだったからさ。
 それより、本当にラクになったの?それならよかったよ。
 ひとみにも内緒にしておくから、ひとみに隠し事したくないけど
 ごっちんだから、しょーがねー。
 ちなみに、梨華とは、何もしてません。あしからず。】

ちょっと、時間掛かったけど長文にして返信した。
送信したあと携帯を机の上に置いてベッドに座った。
これでいいんだ。
これなら。

─ブルルルル
─カチカチカチ
携帯のバイブの音が、机を叩いている。

【なぁ〜んだ、梨華ちゃんとは何にもなかったのか、
 それとも、これから?梨果ちゃん今ごろお風呂なんか
入っちゃってるんじゃないの?きゃー、いやらしいー
なんちって。おやすみ!また明日ね。

 

 

 


シンゴ君の次に好きです。】

カーソルを下の方まで、さげた時に書かれていた言葉─
心臓が高鳴った。
どういった気持ちで書いたのだろう?
本気だろうか?
冗談だろう。
そう思い込んだ。
これ以上、抱え込みたくなかった。
梨華のさっきの言葉だって、もう勘弁して欲しいぐらいだったのに
オレは、オレには、ひとみが。
そう、ひとみがいるんだ。
でも、どこかで期待をしてしまう、やらしい自分もいる。
無音の部屋に自分の鼓動が響いているような感覚。
さっきもそうだか自分の鼓動が強く早まる事が多い日だ。

さっきまでのひとみだけへの気持ちがグラグラしているのがわかる。
それは手に持った携帯が着信しているわけでもないのに震えている
気持ちの揺れが体に現れているようだった。
ひとみと付き合っていなかったら、迷わず声をあげるか
ガッツポーズの一つでもしているところだろう。
でも今はそんな事考えちゃいけない。
オレにはひとみがいるじゃないか─

だから最後の言葉には気がつかなかったことにして
普通にメールを返した。

【正解!梨華は今、風呂に入ってます。
 でも、な〜んにもないです。
 すぐ寝ます。おやすみ!!】

それだけ、書いて返信した。
ひとみが居るから。
それではひとみが居なかったら?
ごっちんはシンゴと付き合っているんだぞ。
そうだ。シンゴと付き合っている。
シンゴは親友だろ?
何やってるんだ?オレ。
だったら梨華は?
梨華には彼氏がいない。
それに、オレの事─

ブーブーブーブー
携帯のバイブが再び呼んでいる。
電話だ。
良かった。
考えを止められた。
その先を考えていたら─

液晶表示には 吉澤ひとみ 
一瞬、見透かされたと思って
嫌な汗が全身に吹き付けられたようだった。
一つ大きく深呼吸して電話に出た。

「あいよ〜」
オレはいつものように電話に出た。

『ダァーリィーーン。死んじゃう〜』
ひとみはふざけた声で叫んでいる。

「どうした?腹減ったのか?」

『違う違う。今日ねぇ。中澤が会議でいなくてラッキーなんて思ってたら、
 夕方、すっごく不機嫌な顔して来てさぁ。
 もう〜バシバシ!
 キツイキツイ。死ぬかと思った。
 それで、やっぱね。アイツ鬼だわ。』

「あははは、大変だったな。がんばれよ〜
 ひとみはそれでも余裕ありそうじゃん。
 オレだったら死にそうにきつかった日は、もう今ごろ寝てるもん。」

『ノンノン、わかってないなぁ〜この乙女心を
 あ・な・た・の声が私のパワーになるのよ〜
 ヒロキは私の声はパワーにならないの?
 それだったら〜〜〜〜ショック!!!』

「そっか、そっか。あぁオレも、ひとみの声で
 パワー出るよ。
 それにしても、マジで疲れてんだな。
 テンション高いな。」

『うん。マジ疲れ。でもちょっと元気出た。
 もう寝るぅ〜けぇ〜どぉ〜。最後に一言!
愛してるよ〜。おやすみ〜また明日ね〜〜〜』

─ツーツー
切れた。
恥ずかしくて切ったんだろう。
普段強がったりするところがあるけどすごく純真さがある。
だからといって切る事ないのに。

そう思う反面、切ってくれて助かった。

揺れる気持ちが見透かされないで済んだから。
ごっちんに期待してしまったり、梨華に心揺さぶられている
自分がひとみにバレなくてホッとした。

ひとみにとって鬼の中澤に一人で立ち向かって
多大なるプレッシャーを跳ね除け条件をクリアした
ひとみの気持ちを無駄にはしたくない。
オレはひとみが好きだから。

そのままベッドに横になって目を閉じていた。

─コンコン。
─ガチャ

音が聞こえた。
睡魔に負けて目が開かない。
寝ている事を実感できる状態
熟睡している時は寝ているって実感できないから。
一番気持ちのいい時。

視力以外の感覚が、うっすら残っている。
梨華。

シャンプーの香─
梨華の呼吸の音─
自分の顔に息がかかった─

唇に柔らかい感触─


思考が鈍っていたため
一瞬何が起きたかわからなかった。

目を開けた。

そこには驚いた顔していた梨華がいた。
「お、お風呂、冷めちゃうから呼んだんだけど
 返事ないから入ってきちゃった。
それだけ、じゃぁね。」
梨華は逃げるように部屋を出て行った。

一人なった部屋でオレはしばらく唇を手で押さえていた。
キスされたんだよな・・・
たぶん。
見てないし、寝ていたから─
でも、わかった。
された。
キス─

オレは立ち上がって風呂場へ向かった。
冷たいシャワーで頭を冷やす。
冷たさに思わず、ぐっと空気を飲み込む。

頭の中が、ぼぉーとしてた。
ただボケたような、ぼぉーとした感覚でない。
惚れたような感じ。
梨華に熱を上げた自分。
その熱を取るようにずっと水を流していた。

気持ちが落ち着いてから風呂からあがり
牛乳を一気に飲み干してからもう一度、完全に無心の状態になるように心を静めた。
そのままベッドに潜り込んだ。
どれくらい経った頃だろう、なかなか寝付けなかったが浅い眠りについた頃

─コンコン

ノックする音が聞こえた。

ドアの向こうから声が聞こえる
「ねぇ、もう寝ちゃったの?」

梨華!
ドアの向こうに梨華がいる。

この時間に部屋に来るなんて─
期待、緊張、不安、焦り、欲望、信頼、裏切り、いろいろな感情などが
めまぐるしく頭の中に渦巻く。

二人以外誰もいない夜の一つ屋根の下
そしてオレの部屋を訪ねてくる梨華。
もしオレが梨華を招き入れたらどうなるんだ?

梨華はただ話がしたいだけかも?
例えそうでもオレは理性を保てるんだろうか?

梨華がオレに何かしてきたら拒めるか?
そう、さっきキスしてきた。
それが意識のある状態であの状況でオレは拒めるのか?
拒まなかった場合、その先は?
それはひとみへの裏切り。
さっきのはオレの意識のない所で一方的にやられた。
それにキスじゃなかったかもしれない。

─梨華を抱いてみたい。
悪魔のささやきって奴だ。

シンゴは梨華を気に入っている。
それに対しての優越感もあるのかも。

単純に梨華が好き

理由を作ろうとする。

選択肢が無数に浮かぶ中でまず最初に選んだのは
梨華の声を無視することだった。
それは何故か?
悪魔より天使が勝ったから。
─違う。

オクビョウダカラサ─

しばらくしたら梨華はあきらめたように部屋に戻っていく音が聞こえた。

ほっとした。
でも残念な気持ちが少しあった。
でもこれでいいんだ。
これで ─ チガウ
よかった ─ バカナ
それとも ─ モッタイナイ

翌朝、目覚ましの音で眠りの世界から引きずり戻された。
あまりいい目覚めではない。
出来れば起きたくなかった。
このまま眠りつづけたかった。
現実が恐い。

それでも顔を洗いに下に降りる。
眠りに付くのが遅かったし浅かったことより
現実を見つめなくてはいけない。
だから冷たい水で覚醒させる。

「おっはよう。顔洗ってきたゴハンにするから。」

梨華はもう起きてゴハンの用意をしていた。
梨華の表情はいつもの朝と同じ顔だったのでホッとした。
機能の事は夢だったんじゃないかと錯覚してしまう。
タオルで顔を拭きながら、テーブルにつくと
梨華はすっかり朝食の準備を終えてオレを待っていた。

「そんじゃ、食べよ。いっただきま〜す。」

「いただきます〜」
オレはあまりにも普通の梨華に少し呆然としたが、そのまま朝食を食べた。

それでも、昨日の夜のキスが気になって
「なぁ。梨華。昨日の夜のさぁ─」

「朝は時間がないんだからそんなお話している時間ないよう!
 もう、早く食べて片付けないと遅刻しちゃう!」
梨華はオレの言葉を寄せ付けず、それだけ言うと一生懸命食べている。

オレが食べ終わり席を立ち上がったとき梨華が
「早く、歯磨いて着替えて。その間に片付けておくから待っててね。一緒に行こ。」

まだ梨華は食べ終えてなかったが、すでに制服には着替えている。

「お、おう。わかった。」

そのまま準備して歯を磨いた後にリビングで待っていた。
自分だけ動揺しているのがなんとも情けなかった。

「おまたせ。それじゃ行こう!」

梨華の横顔を眺めつつ納得いかないオレは聞く事にした。
「あのさぁ。昨日の─」

「ん?昨日なんかあったけ? 私、知らない〜何、何?」
梨華なりの優しさなのか、照れなのか?
それとも、本当に何もなかったのか─
ただあの言い方は明らかに誤魔化している。
子供の時から変わらない何、何?って繰り返すところ。
こんな時は何を言っても聞かないガンコな所を持っている。
それにしてもキス一つで何をうろたえてるんだ?オレは。

「ん。なんでもない。ごめん。」
オレは、それっきりもう何も言えなかった。
そのまま電車でも何も話さず、シンゴとごっちんが乗ってくるまで
変な緊張感をオレは感じていた。多分オレだけだろうけど。
ひとみも、乗り込んでくると昨日の朝と変わらない風景が広がった。

梨華の告白が─
うちのオフクロの旅行が一日早かったら
今のこの風景はまた違って見えたのだろう。
多分、オレは梨華を夜部屋に招きいれたかもしれない。
ひとみがオレと付き合う為の苦労を知らなかったら欲求にまかせて抱いていただろう。
それだけ梨華は魅力的だった。
思わず、オレは頭の中で中澤先生に感謝した。
ひとみを失わずに済んだ。

昨日のひとみの電話じゃないけど、
ひとみの声や顔を見ていると今まで以上に力が出てきた。
それを実感して思わず、声に出して
「よっし!」

まわりでひとみやシンゴ達がいっせいにオレを見た。
「どうしたの?急に?」

「あ。いや、なんでもない。」
笑って誤魔化した。
そんな、朝の通学だった。

昼休みはオレとシンゴ二人だけでいつものように食堂に向かった。
入り口近くの食券の販売機で並んでいると、誰かが肩に何かで叩くような
感覚がしたので振り返った。
そこには中澤先生が人差し指でオレの肩をトントンと叩いていた。
「並んでるの?おいで職員用の食券の回数券わけてあげるから。」
中澤は人差し指を2度ほど動かして着いて来るように促した。
「ほら、行くよ。佐藤も来い。」
シンゴはラッキーと言ってついて行った。

中澤先生は、300円分の回数券をシンゴに手渡した。
「ほな、カネよこさんかい。」
シンゴは奢ってくれ。と、ねだっていたが
「倍額払わすで。」の一言で蹴散らされた。

「ヒロキはなぁ、かわいいからおごっちゃおうかなぁ〜」
中澤先生はシンゴの時と違う態度でオレに甘えた声で言ってきた。

「おうおう。教師の癖に贔屓すんなよぉ〜」
シンゴは、笑いながら文句を言う。

その言葉に中澤先生も笑いながら反応する。
「ええやん。なんか文句ある? うちは鬼の中澤やで、教師なんかやあらへんねん。」

笑いながら目をキツクして見せたりする。
ノリでふざけて見せたり、時折ふざけて女っぽくしたりするから
男子生徒から「裕ちゃん」と呼ばれ親しまれているんだろう。
親しまれているが、鬼の中澤と言う事も知っているので怒らせることはしない。
男の先生より根性があり、筋の通っている中澤先生のことを生徒たちは
どこか尊敬している部分がある。
ただ、それでも第一印象は怖いというのは共通の意見らしいが・・・

中澤先生は学年主任だろうが、教頭だろうが間違ったことには平気で食って掛かる。
今時、珍しいタイプだと思う。
一部のサラリーマンタイプの教師からの評判はあまり良くない。
中澤先生はそんな評判などには興味はなさそうだが。

─オレは黙って100円玉を3枚、中澤先生に差し出した。
それに気づいた中澤先生は
「もぉ〜ヒロキったら遠慮しちゃってぇ〜 
 コラ!佐藤がゴチャゴチャ言うからや!!!」
シンゴは肩をすくめて呆れている。

「今度、美味いもん食いにいこうなぁ。な。」
中澤先生は食券を渡しながらオレの手を握りしめる。
オレはその言葉にあいまいに笑いながらお礼を言って
その場をシンゴと後にした。

「あいかわらず、ヒロキは中澤に気に入られてるなぁ
 敵にするよりいいけど、大変だな」
シンゴは笑いながら食券をひらつかせながら、ランチを取りに行った。
オレは肩で返事をするぐらいにして、その後をついて行く。

ランチを手にしてテーブルについてメシを食う。
オレもシンゴも早食いだ。
あんまり会話もなく空腹を満たす為の作業のように口に運ぶ。

「なぁ。梨華さんってさぁ。彼氏いるの?」
シンゴは食い終わると突然言い出した。

「いないと思う─。確かいない。って言ってた。」
オレは昨日梨華が言っていた「デートに誘われた」って言葉を思い出した。
まさかシンゴは本気で言っているのか?
ごっちんは?
あの悲しそうなごっちんの顔が浮かんだ。
それを笑顔で誤魔化そうとするごっちんの姿が。

「そっか〜。オレさぁ。梨華さんみたいな人いいなぁ」
シンゴは、聞こえるか聞こえないかわからないぐらいの、小さな声で言った。
でもオレはシンゴの口の動きで、何を言ったかわかってしまった。

「お前、ごっちんがいるじゃんかよ。」
思わず、声を荒げて言ってしまった。
言うつもりはなかった。
それでも勝手に口から出た。
シンゴの言った言葉を聞こえないフリをしようと思っていたのに。
人の事言える立場じゃないのに

シンゴも、口に出すつもりがなかったのだろう。
それといつもと違うオレの言葉に驚いて、少し慌てていた。

「あ。あぁ。なんかな。別に真希から乗り換えようとかじゃなくてさ
 なんか、今までオレ梨華さんみたいなタイプに会ったことなくてよ。
 ちょっと気になったんだ。」

「まぁ。オレは別にお前の行動に関知しないけど、うまくやれよ。
 オレは知らんからな。」

そう言い残して席を立ち上がって食堂を後にした。
ごっちんと別れないのは、いいとしよう。
ただ興味本位で梨華に手を出して欲しくなかった。
それにしても乗り換えるとかって言い方なんか気に入らねえ

「おう、なんだよ。どうしたんだよ?」
シンゴは慌てて追いかけてきた。

オレは何か、シンゴの気持ちが許せなかった。
ただ、自分自身も昨日まで浮ついていたので
文句の言えないのわかっている。
だから自分も許せなかった。

「ん?何でもない。ウンコしたいだけだ。
 今日、帰り道場行くだろ。それじゃ、また後でなぁ〜」

シンゴの前に居辛かった。
なんだか、わからない感情が頭を渦巻く。
ごっちんがかわいそう?
梨華は?

シンゴはどう思ってるんだ?
もし、シンゴが言ってた通りごっちんから乗り換えないとしても
梨華に手を出そうとしている。
梨華とシンゴが寝ることを考えると複雑な気持ちがする。
シンゴに梨華を取られたくない─
嫉妬?なのか?
梨華のこと好きなのか?

ごっちんがかわいそう。
─オレはなんでそこまで、ごっちんがかわいそうなんて思うんだ?
もしかして、オレはごっちんが好きなのか?

オレは、したくもないのに便所に行った。
顔を洗った。
オレにはひとみがいるじゃないか。
梨華とごっちんの事を頭から消去する為にいつものように冷たい水で洗い流す。

便所から出たら、目の前に中澤先生が立っていた。

「あ〜らヒロキ。今日は、よく会うわねぇ〜。これって運命よ」
せっかく、少しスッキリしたのに・・・

「ん?どうしたの?浮かない顔してぇ
 まさか、トイレでタバコなんて吸ってないでしょうね?」

「オレ、タバコ吸わないですよ。」

「そう?食後の一服でもしてたのかと思ったわよ。
 念のため、タバコ持ってないかボディーチェックするからね。」
と、言って体を触ってくる。

先生はオレの上着のポケットを服の上から触る。
そして上着の中に手を突っ込んでシャツの上から胸から
脇腹にかけて撫でるように触ってくる。
その手に思わず、ツバを飲み込んだ。
脇腹から腰にかけてゆっくり撫でられた時には、
背中から脳天にかけてゾクリと快感が走った。
それに気づいてかどうかわからないが
その手は再びオレの胸元に滑り込んできた。

「ヒロキったら、おいしそうな体してるのね。」
顔を近づけて耳元でつぶやく。
そのつぶやきには、艶かしい熱を帯びていて、
思わず体がビクリと反応してしまった。
両手はスルスルとしたに滑らせてスボンのポケット
太もものあたりまで一気に滑降していった。
そこからゆっくり内もも近くまで行って止めた。

そこで、ニヤリと笑って中澤先生は体から手を離した。
「あら、タバコは持ってなさそうね、あぁ、ここが学校じゃなかったらなぁ〜」
と言って、クルリと背を向けて歩いていった。

オレは呆然と立ち尽くした。
なんかいつもと違って中澤先生の手の温かさがオレの中に
音もなく入り込んできた感じだった。
体の表面はゾクゾクしたが内面は温められた。
初めての感覚。
もう少し味わいたかった─

教室に戻ってからも、授業どころではなかった
普段から授業なんか身に入ってないが。
ここ2、3日は授業が短く感じる。
自分で言うのもなんだけど、周りから見たらオレは電波受信しまくって
いるように見えるんだろうな。

授業が終わった時にひとみからメールが着た。
【これから戦場に向かって参ります! 私、戦うわ!負けない!】

これから部活か。
ひとみにとっては、戦場。
そこを勝ち抜いてオレとの付き合いを中澤先生に公認させた。
そしてその戦いは、まだ続いている。

オレはすぐにメールを返した。
【おう。ガンバレよ。試合前なんだからケガしないようにな。
 オレも今日は道場だ。ふぁいと〜】
もっと気の利いた事を書けば良いのだけれど
どうも浮かばない。
情けない。
すぐに返事か来る。

【お〜! ヒロキこそ怪我しないでね。好きだぁぁぁぁ。
 あぁ、スッキリしたでは体育館に行ってきます。またね〜】

オレは携帯の液晶画面に思わず笑みをこぼしながら
そっとポケットに携帯をしまった。
梨華にココロ揺さぶられていたことが恥ずかしい。

シンゴと道場に向かう時には、特に梨華の話もごっちんの話もなく
いつもと変わらなかった。
オレも余計なことを考えないようにしていたので、変に意識もしなかった。

道場は、シンゴと二人で電車で格闘技の話をしているときに
道場主の寺田さんって人に勧誘された。
道場主、普通は先生とか師範と呼ばせるが、「そんな呼び方すんな。」
と、言われた。今時そんな呼び方古いねん。との事。
道場では、先輩達からオレより年下の奴まで寺田さんのことを
「つんくさん」と呼んでいた。どうやら、あだ名らしい。
だからオレらもそう呼んでいた。

道場に着くと各々、好きなように練習する。
オレは昨日休んだ分、入念に準備運動をしてから始めた。
練習中は、集中してミットに打ち込む。
ひとみも今頃、一生懸命やっていると思うといつも以上に力が入る。
いつもの練習切り上げる時間まで、なんかあっという間だった。

「おう。そろそろ上がるべ」
シンゴは首からタオルを掛けてオレのところにやってきた。

「あ、オレもうちょっと汗流してから帰るから先に帰ってていいぜ。」
オレは梨華が一人で待っている家には、まだ帰りたくなかった。
なにかが起きそうな、淡い予感だか嫌な予感なのかわからないけど。

「ん、じゃぁお先に」
シンゴはクルッと回ると着替えに行った。

一人でしばらくヒマそうな道場生を捕まえて練習の相手をしてもらった。
練習をそろそろ切り上げようとしたときに、道場主のつんくさんが
「おう。なんや、エライ張り切っとったな。」

この人は、練習中もあまり道場に居たり居なかったりフラフラしている。
それでも時折、声を掛けてくれる。

「昨日、休んじゃったんで、なんか体動かしたくって。」

「そうかぁ?それだけか?まぁええ。そろそろ帰りぃ。」
この人は、なんか物の本質を見抜くって言うか、見ていないようで
見ている。そしてすぐに気がつく。

「はい。もう帰ります。それじゃ、失礼します。」
オレは自分の心を見抜かれるのが怖かったので、逃げるように帰ろうとした。

「どないしょうもならん時がくんねん。そんな時大事なのは流れに身を任せるってことや。
でもそれは無気力になるってことでもなくて、自暴自棄になるんでもなくて、様子をうかがうってことなんや」
つんくさんはそれだけ言うとまた道場の奥へ引っ込んでいった。

オレは無意識のうちに自暴自棄になりかけていたのかもしれない。

─家に帰る。
いつもより集中もしていたし、気合を入れてやったからだろうか?
家に着いた時は、体が凄く重かった。

「おかえり〜」
梨華は玄関まで迎えに来ていた。
「あぁ、ただいま。」

「ちょっと大丈夫?具合悪いの?」
梨華は心配そうな顔して聞いてくるが、実際にただ疲れていただけなので

「ちょっと練習にチカラ入れすぎて疲れただけだから大丈夫。」
オレは梨華の横をすり抜け部屋に戻った。
梨華の優しさが少し怖かった。
今朝も昨日の夜の事をとぼけたり、今も何もなかったように心配してくる。
そして自分自身が─

─もし梨華がシンゴに抱かれた事を考えた時に湧き出てきた嫉妬のような感覚─
梨華と二人きりになった時、オレにはひとみことだけだ!と思う気持ちが壊れそうな気がした。

「ねぇ〜、ゴハン食べるでしょ?」
梨華が階段の下から大きな声で叫んでいる。

「あ。あぁ。食べる。食べる。もう出来てるの?」

「うん。もうバッチリ。だから早くね、冷めちゃうから。」

オレは返事はせずに黙って着替えてから下に行った。

「さすがにハンバーグ3日連続じゃ、嫌でしょ。
 だから今日はチャーハンで我慢してね、明日おばさん帰ってきたら
 またハンバーグだけど。」

目の前にはチャーハンが二つ。
「梨華、まだ食べてなかったの?先に食べててくれればいいのに。」

「だって一人で食べるの寂びしいんだもん。しかも自分で作った奴だしさぁ。
 さぁ、食べよぉ。お腹すいたよ、いっただきまーす。」
オレは、一言謝ってからチャーハンを口にした。
昨日の晩飯のように、先に食べ終わっても待っててくれって言われると思って
ゆっくり食べる。

そんな姿を見た梨華は
「ねぇ、ごめん。おいしくなかった?」

「え?あ、なんで?美味しいよ。」

「だって、なんかいつもみたいに食べないから・・・」
梨華はスプーンを止めて、じっと見つめる。
見つめられた時に梨華の口元に目が行ってしまった。
─あの唇、昨日オレにキスをした唇─

「違う、違う。梨華のペースに合わせてゆっくり食ってるんだよ。
 それに疲れたときはゆっくり食わないと消化によくないし」

「あら、合わせてくれてるの?やさし〜」
梨華は上機嫌にまた食べ始める。
スプーンと食器がカチカチ音を立てているだけで会話もない。

ゆっくり食べたつもりでも、オレの方がやっぱり早く食べ終わってしまう。
梨華が食べ終わるまでそのまま座っていた。

「待ってくれてありがと。ごちそうさま。
 それじゃ片付けしちゃうから、お風呂でも入ってくれば、
 私はもうお風呂入っちゃたからさ。」
まだ少し髪の毛が湿っていた。オレは言われるまで気がつかなかった。
あまり梨華を見てられない。
見ていると、押さえ込んだ気持ちが出てきそうだから。

オレは風呂に入って体をほぐした。
ちょっとオーバーワーク。練習やりすぎたかも。
いつもより、ゆっくり風呂に漬かっていた。

風呂から出てトランクス1枚の姿でバスタオルを頭から掛けてキッチンに
行って冷蔵庫の牛乳を持っていく。そして部屋に戻る。
いつものパターンだ。

「ねぇ。」
梨華が居た。
リビングに梨華が居た。
いつもなら自分の部屋にいるはずなのに。

「な、なんだよ。」
オレはパンツ一丁の姿だったし、突然の呼びかけに驚いた。

「あのねぇ。今日たまたまこんなの見つけたの。かわいいでしょ?」
梨華の手には15cmぐらいの猫の形をしたビンが握られていた。
中には赤いワインが入っているみたいだった。

「ヒロキお酒飲める?私あんまり飲めないんだけど、手伝ってくれない?
 これ花瓶っていうか、一輪挿しにしたいの。」
梨華がオレに対して普通に接しているのにオレが変な風に意識してもしょうがない。
それにオレは酒が強いほうではないが、飲めないわけではない。
寝る前に飲むぐらいだったら問題ないだろう。
それとつんくさんの言葉通り、時に身を任せて、様子をみることにした。


「あぁ。いいよ。ちょっとシャツ着てくるから待ってろよ。」
牛乳を冷蔵庫に戻して部屋に戻って、普段部屋で着ているヒザから下を切り落とした
ジャージを履いて長袖のTシャツを着てリビングへ向かった。
リビングのソファーの前にはグラスが二つ用意されていた。

「梨華も飲むのか?」

「そうよ悪い?私、手伝って言ったでしょ。」
梨華はオレがソファーに座ると小さなグラスを手渡してゆっくり注いだ。
梨華が自分のグラスに注ごうとしていたので、ビンを取り上げて注いでやった。

「それじゃ、乾杯。」
と言ってグラスを上げる。

「何にだよ?」
思わず突っ込む。

「何でも、いいけど雰囲気、雰囲気。」
と言ってグラスを合わせた。

一口飲むと梨華はテーブルの下に手を伸ばしてに袋から何かを取り出す。
「これも買っちゃった。アロマキャンドル。 リラックス効果があるんだって。
ヒロキ疲れてるんでしょ。ちょうどいいじゃん。」

キャンドルを包んでいるビニールを剥ぎ取るとテーブルの上にあった
うちのオヤジの使い捨てライターで火を点けた。

「な〜んか、ろうそくに火を点けるなんて久しぶり。
 昔、誕生日のケーキとか花火した時のこと思い出すなぁ。
あ。電気消していい?ちょっとの間だけでいいから。」
オレの返事を待つこともなく部屋の電気を消した。
それでも、キッチンのほうから光は漏れてきているが
少し幻想的な雰囲気になった。

梨華は少し揺れているキャンドルの火を見つめている。
「ねぇ。覚えてる?うちの家族とさヒロキの家族で一緒に旅行して花火やったときのこと。」

「覚えてないなぁ。なんだって空手始めた、きっかけすら忘れてるんだぜ」
笑いながらワインを口にした。
口に広がったワインは少し渋かった。

「な〜んだ、全然覚えてないんだね。ヒロキは私にプロポーズしたんだぞ。」
梨華は、キャンドルの火から目を離さない。

「なんだそりゃ?」
まったく覚えていない。
ただ梨華はしっかり覚えているような顔している。

「私達って、一人っ子だったじゃない。
 だから結婚して子供たくさん作ろう!なんて言ってたんだよ。
 お互い寂しかったんだろうね、兄弟とかいなくてさ。」

少し笑って梨華がこっちを見た。
キャンドルの火に照らされた梨華の顔は凄く色っぽかった。

「そんな事言ったっけな?よく覚えてるなぁそんな事。」

「あたりまえじゃん。うれしかったんだよ私。
 ヒロキのお嫁さんになる、そして子供いっぱい産むんだって。」

グラスをゆっくり口に運んでワインの香りを嗅ぐように口元で止めて
火を見つめている横顔は少し微笑んでいるように見えた。

「約束したんだから。」
小さく息を、ため息のように吐いた。

「そっか、ごめん。」
オレは、謝る事しか出来なかった。
自分は覚えていない約束。
それでも相手は覚えている。
子供同士の約束でも約束は約束。

「でもね。私も約束守れなかった。」

梨華がつぶやく
目には、うっすら涙が浮かんでいるように見えた。

「私ね。高校生になってからかな。ある日、卵巣と卵管が炎症起こしたの。
 卵巣って知ってる?」

「あ、あぁ、保体で習った。」

「だよね、卵子を作るところと、出来た卵子を子宮まで運ぶ道。
 そこがね、なんだかわからないけど炎症起こしてね。
 それから生理が来たり来なかったり。
 薬を定期的に飲むと生理の出血とかはあるんだけどね。
 卵子が作られてないんだって。
 だから、子供作れないんだ。私って。
 約束守れなくてごめんなさい。

 でもヒロキ良かったね。
私が約束破ったから結婚しなくてもいいんだよ。」

キャンドルの火に照らされた梨華の横顔から言い終わった時に一粒の涙がこぼれた。

─言葉がなかった。
なんて言っていいのか。
情けないけど、何も言えなかった。
健康そのものの梨華の体がそんなことになっていたなんて。
それ以上にそのことでオレとの約束を守れなくて謝られた
オレは忘れていたんだけど、梨華はずっと覚えてて
気にしていたんだ─

「私ね。よっすぃーの事、好きだからヒロキの事、任せられるや。うん。
 二人はお似合いだったよ、悔しいけど。
 それによっすぃーかわいいし性格もいいし私は勝てないなって。」
梨華はそっと涙を拭くと一生懸命笑いながら残ったグラスの中のワインを飲み干した。

「このビンかわいいけど中身少ないよね。」
猫の形をしたビンを見ながらオレを見る。

オレはどんな顔していたんだろう。
ただ頷く事しか出来なかった。

梨華は立ち上がると
「ねぇ、ヒロキそこにうつ伏せになって。マッサージしてあげる。私上手いんだよ。」

今のオレには梨華の言葉に従うしかなかった。
ソファーから降りてカーペットの上にうつ伏せに寝た。
梨華はうつ伏せのオレにまたがって背骨に沿って親指で左右交互に押している。

「梨華、座っちゃっていいぞ。」
梨華は、またがったまま浮かしていた腰を降ろした。
「重くない?」
「全然、大丈夫。軽いな。」
梨華のマッサージは心地よく、風呂上りでお酒を飲んだせいなのか強烈に眠くなっていた。
梨華は手の平や指を使って背中、肩、腰、足までマッサージしていた。
なかなか手馴れたもんだった。
「ねぇ。スネ腫れてるよ。痛くないの?」

サンドバックをアホみたいに蹴っ飛ばしたからだろう。
「ん〜、明日になれば治るから全然平気」
目を閉じたまま答えた。
梨華の華奢な指が足をさすってくれた。
意識が少し途切れた。
一瞬だったと思ったけど梨華はオレの腕をマッサージしていた。
「ねぇ、腕はうつ伏せだとやりにくいから仰向けになって。」
半分寝ている状態の体をひっくり返す。
腕から手の平、指先までマッサージされている。
握られた手の感触が気持ちよくて、なんかどこか懐かしかった。
─小さい頃、よく手繋いでいたっけな。

寝てしまった─
目が覚めた時、梨華もオレの手を握りながら、オレ胸の上に頭を乗せて
気持ちよさそうに寝ていた。
梨華も少し酔っ払ってたんだろう。
額が少し汗ばんでいて、髪の毛が数本くっ付いていた。
それをそっと取ってオレはそっと体を起こした。
キャンドルの火をそっと吹き消して。

梨華の体を抱きかかえて、階段を登った。
抱きかかえた体はとても軽かった。
電気を点けた階段の元では梨華の顔は
ほんのり酔った色をしていた。

梨華の部屋に入ったら布団はまだ畳まれたままだった。
一回オレの部屋のベッドに梨華を寝かせて、
オレは梨華の部屋の布団を用意した。

梨華をオレのベッドから部屋に移そうと抱きかかえた時、
梨華の手に力が入り、体が引きつけられた。
そのまま梨華は下から抱きついて
「ごめん。私寝ちゃったんだ。
 お願い。ちょっとだけ、こうさせて。」

「あ、うん。」
女の子特有の柔らかさ、温かさ。
髪からのシャンプーの香り。
オレは頭の中が痺れた。
心臓も高鳴った。

「ねぇ、ちょっとチカラ抜いてラクにしたら。」
梨華は下からオレの耳元でつぶやく。

オレは上半身のチカラを抜いて梨華の体の上に身を預けた。
梨華の胸の弾力が下からオレの体を押し返そうとしているようだった。
パジャマ越しに伝わるその感触を感じた時、心臓の高鳴りが増した。
単純に性欲の沸く感触。
言い訳をすれば男なら当たり前のことだろう。

「ねぇ、お願いがあるの。
一回だけでいいから、抱いて欲しいの。」

梨華の顔を思わず見る。
決心したような真剣な顔。
オレの知っている梨華の口からはおおよそ出るような言葉ではない。
それでも現実には口にした言葉。

─どうする?
オレには、ひとみが・・・
そう、ひとみがいる。
だから。

一回だけなら─
一回でも裏切り─

だから、それには答えず黙っていた。
YESともNOとも言えない。
どちらの答えを口に出しても必ずどちらかが傷つく。

「やっぱり、子供も産めない体の女は女じゃないからね。嫌だよね。」

「ち、違う、そうじゃなくて─」

「そっか。ゴメンよっすぃーがいるんだもんね。
だから私のこと好きじゃないんだもんね。もう。」

「そんなこと・・・オレだって梨華のこと好きだよ、けど─」

オレは体を離して梨華の顔を見て言っている途中、唇が塞がれた。
拒む事が出来るほどスローなキスを受け入れた。

─理性が飛んだ。
それだけじゃない。
子供が産めない梨華が、かわいそうだった。
ただ、哀れんでいるんじゃない。
梨華が子供を産むことが出来ない事に
コンプレックスを感じていることがかわいそうだった。

子供なんて産めなくたって梨華は魅力的な女。

そんな自分は女じゃない。って言った梨華が・・・
梨華のコンプレックスを取り除くには、
言葉で言うよりわかりやすい方法を選んだ。
梨華が望む方法で。

それと、ついに自分の口から出た「梨華が好き」と言った自分の言葉

ひとみのためには拒まなければいけないのに。
それでも梨華のことを想うと拒めない。

「それじゃ、今日だけ。今だけよっすぃーのこと忘れて
忘れなくてもいいから。
私を女にして。」
再び唇を合わせてくる梨華をみつめる事しか出来ない。

梨華の言葉に従った。
ひとみのことを頭の中から消し去る。
ある意味もっとも最低な行為。

「ねぇ、まずキスのしかた教えてよ。」
─いつもよりちょっぴり強気な感じの梨華の言葉

唇を離したあと、オレの目を見てからゆっくり目を閉じる。
オレは吸い込まれるように、そっと自ら唇を合わせた。
それから唇を少し開いて梨華の唇をそっと挟む。
何回か繰り返した後、少し開いた梨華の唇に下を差し込んだ。

梨華の体にチカラが入る。
強気っぽく聞こえた割には体が緊張している。
それを無視して舌先で梨華の舌に触れた。
時折、唇を舐めるように引き戻したり、深く押し込んだり
梨華の舌をそっと撫でるように動かす。

さっきまでチカラの入っていた梨華の体はそこにはない。
唇からオレは離れた。
真っ赤な顔した梨華がうつろな目をしながら
熱い吐息を吐きながら
「ヒロキ、なんか凄いね。キスって・・・
 頭がボーっとしちゃったぁ

 あのさ、電気消してくれない?恥ずかしいよ。」

オレは黙って立ち上がって電気のスイッチを消す。
ベッドに横たわる梨華の隣に左腕を首の下に
差し込んで腕枕をして、それから体を重ねた。

理性は飛んだと思っていたけど、
ひとみのことを頭から消去しても完全に消えきれていない。
消えるわけない。
ひとみへの罪悪感がオレを襲う。
そのどす黒い罪悪感から逃れるように梨華にすがる。
奇妙な快感。
甘く妖しい。
─背徳の味。

浮気をするくりかえす奴はこの味に病み付きになるのだろうか?
不思議と頭の中でこんな事を考えている自分もいた。

さっきと同じようにキスをする。
唇を離すと梨華の耳が赤くなっていた。
その耳にキスをする。
耳からそっと首、肩、そして梨華のパジャマのボタンを
そっと一つ外して、鎖骨にもそっとキスをした。
梨華の口からは、大きく呼吸する音とも声とも言えないものが聞こえていた。

オレはキスする。
何度もキスをした。
迷いがある。
このまま続けていいものなのか?
違う。迷ったフリをしているんだな。
このまま快感に溺れるのが、みっともないと思ったから。
もしかして、梨華が「やめて」って言うのを待っているのかも。
この状況じゃその言葉が出てくる事は期待できない。

時間を稼ぐキス
感触を楽しむキス
どっちなんだろう?

そして今度は逆の耳から同じルートをたどってゆっくり鎖骨のあたりまで唇を這わせた。
這わせながら、ボタンを一個一個手探りで外した。

3個目のボタンに手を掛けた時に無意識にボタンに外している事に
気付き一つ息を飲み込んだ。

自然に手が梨華の胸にそっと触れる。
初めて触る梨華の胸。

先端に触れた時に梨華の口から、いつもの高い声ではない
少し掠れた声が聞こえた。

その部分を唇で挟み込むようにしてから、舌先で舐めると
オレの知らない梨華の声─
幼い時から近くにいたのに聞いたことのない声。

右手で大きく柔らかく掴むようにして何度も動かしながら
欲望に従い責める─

さっきより、硬くなった先端を刺激すると梨華の口からは息が漏れる。

オレは逸る気持ちを押さえながら、右手をそっと下に滑らした。
ゆっくり、ゆっくり確かめるように。
そして後戻りできない事に怯えながら。

左手で震える肩を抱きながらゆっくり滑らす。
骨盤あたりに指先が到達した時、梨華の体が一度大きく波打った。
オレはパジャマの上からももの外側からヒザの方まで手を伸ばして
そっと足を撫で、ヒザから少しずつ内側に手をスライドさせながら
上の方に手を引き戻す。

梨華は内ももの真ん中あたりで足を閉じた。

─拒まれた。
違う。
ただ恥らっただけだ。
拒んでくれたら辞められるのに。
いや、もう辞められない。
体は止まらない。

オレは逆らわないで閉じた足の上に手を走らせて
梨華の口の中に舌をねじ込んで梨華の舌を吸い込んだ。
右手はまた胸に戻して同じ手順でやり直した。

ただ、2回目の時は梨華の足が閉じないようにオレは足を絡ませる。

梨華のパジャマのズボンの中に手を潜らせた
オレは、下着の上からそっと触れるか触れないかのギリギリの所で撫で上げる。
下から撫で上げた指を濡れている場所を中心にそのまま移動させる。
そして、もっとも敏感であろう部分に触れた時、
梨華はさっきと違った高い声を奏でる。

梨華の腕はオレに絡みついて離れない。
密着した体は、大きく波を打つように息をしている。
「なんか、凄いね。自分の体じゃないみたい。 ねぇ。ヒロキ、早くもっと、私を女にして。」

梨華は、もぞもぞと自らパジャマを脱ぎだした。
脱いだパジャマはベッドの下にパサッと音をたてて落ちる。

梨華の言葉で、理性が罪悪感に敗北を喫した。
罪悪感が理性に勝利した瞬間。

一人の女の子を女性にする。
梨華にとってこれから先、何年経ってもオレが最初の男。
大事な事かくだらない事なのかわからないけれど、
征服欲と言う奴なのだろうか?妙に興奮する。

単純な本能と梨華を労わる気持ちが混在するような
今までにない気持ちの中で梨華を抱く。

オレはそっと頷くと体勢を変えた。
体勢を変えながら服を脱ぎ捨てる
もう本当に後には戻れない。

─梨華が愛しくてたまらない。

梨華の上に完全に覆い被さるように体を乗せて
梨華の両足の間に自分の足を滑り込ませた。
梨華は下からオレを抱きしめる。

「あったかい。ヒロキの体。気持ちいい。
─私、凄くドキドキしてるよ。
でも、ヒロキお願い。」

オレの心の葛藤や複雑な心境を無視するような
梨華の緊張感のない、純粋な感想と願いが
オレをより梨華を労わる気持ちを大きくさせる。

梨華は目をすっと閉じた。
オレはそっと上半身を起こして腰のポジションを変えた。
右手で梨華の位置を確認して自分の位置と合わせた。
入り口にそっと当てる。
梨華は、目をつぶり、自然と体に力が入る。
足も閉じようとしていた。
オレはそのままの状態でしばらく待った。
「梨華、チカラ抜いて。痛かったら言うんだぞ。 すぐ止めるから。」

「ごめん、大丈夫」
梨華は、そっと足のチカラを抜いた。
オレはゆっくり腰を前にスライドさせる。

先端から熱くなった。
「ん!」

梨華は苦痛の声をあげて体を小さく跳ね上げたので
オレは動きを止める。

「続けて・・・お願い。」

梨華の言葉に従いそのまま骨盤を掴んで腰を密着させるようにゆっくり近づけた。
─ぐ、ぐぐぅ
そんな感触だった。
これはオレの気持ちが梨華へ動いた音にも感じた。
心が動く音なのだろうか?
それとも、何かが破壊された音?
それは梨華の肉体の一部か、それともオレのココロの一部の音かも。

梨華は枕を顔の上に乗せて両手で枕を抱きしめていて
指はマクラカバーをグシャグシャに握っていた。

これ以上進めない所まで行くと、ゆっくり途中まで引き戻した。
そしてゆっくり腰を沈めていき、また引き戻す。
その動きを繰り返し、本能が背中を押し徐々にスピードを上げていく。

オレは腰を動かしながら体を重ねて、梨華のマクラを抱いている
腕を解き顔の上にあるマクラを避けた。
梨華の顔が見たかった。

マクラの下にあった梨華の顔は目を涙で濡らしながら、何度も頷く。
快感などないんだろう。
時折、唇をかみ締める。
その唇に唇を合わせた。

「ねぇ、ヒロキのアレ・・・
 中で出して。
 私、妊娠しないから安心して。
 お願い。
受け止めてみたいの。」

普通聞けば大胆な言葉だけど、でもこの時は
梨華の口調は自然なことを要求しているように聞こえた。

それでもオレは梨華のそんな言葉に興奮した。

たまに苦痛に顔をゆがめる梨華の顔は美しく
そして、艶かしかった。

そして腹の底に快感の塊がやって来た感覚。

─次の瞬間、オレは射精した。

梨華の中にすべて吐き出す。
この瞬間は、頭の中が空白になる。
体も小刻みに震え、自分の体が自分のモノでなくなる瞬間─

自分の体じゃなくなることによって、責任から逃れられる。
「現実逃避」
ただ、この瞬間が明けてから自分に言い訳を考えるようになる。

性欲と言う名の本能が消え去ってしまうから、
罪悪感がより大きな存在としてやってくる。

自分がもっともキライな男になってしまった。

そんなオレを梨華は下から抱きしめる。
慈愛とも思えるような深く柔らかい体で
すべてを受け止めるように。
「ありがとう、本当にありがとう。」
梨華は泣きながら何度も何度も耳元でつぶやいていた。

それでも感謝されれば、されるほどの感じる罪悪感。
なんだかんだで、結局快楽に溺れた。

最悪─

イッカイダケサ。

梨華を責めているわけではない。
梨華に罪はない。
すべては自分で判断して行った行為。
このまま時の流れを阻止したかった。
明日が来なければいいのに─

そんな思いでオレは梨華を抱きしめながら眠りについた。

翌朝、目が覚めた時には梨華は汚れたシーツのこのベッドにいなかった。

階段を下りると梨華は朝食の準備をしている。
「あ。おはよ〜。今、起こしにいこうとしたんだ。 顔洗ってきなよ。」

梨華は昨日の朝と同じような口調で言っていたが
恥ずかしげな顔して目を合わそうとはしなかった。
そんな梨華に思わず見とれてしまう。
正直、かわいい。
誰とも付き合ってなかったら、間違いなく─
いや、誰かと付き合っていても別れてでも手放したくない。
ただひとみは別だ。
なんて都合の良い思考。
自分に飽きれてしまう。

体の繋がりは心を簡単に壊してしまう。

逆に罪悪感が壊れた心を修復している。
でも修復された心は罪悪感がコーティングされた
醜い心になっているけど。

ひとみの笑顔や中澤先生の話が脳裏によぎる。
今のオレにはとても重くのしかかる。
ひとみへの裏切り行為。

梨華に「早くしなさい」の一言で我に返って顔を洗った。

食事が終わって部屋に戻る時の梨華の言葉。
「そんな顔してたいら、よっすぃーにバレるよ。
 ダメだよ。しっかりしなさい。」

梨華は昨日の事を割り切っている様子だ。
そう梨華は一度だけと言っていた。
オレは引きずっている。
梨華は強い意志をもっている。

そんな覚悟で昨日の夜を迎えたんだ─

それに引き換えオレは─
最低だ。
最悪だ。

オレは両手で顔を叩いて気合を入れなおした。
着替えた時にポケットの携帯を見たら
ひとみからメールが3通、電話着信が1。
それとごっちんからもメール4通入っていた。
気がつかなかった。
ただ今更メールを書いてもと思いながらひとみには
寝ていて気がつかなくて、ごめん。と言う内容のメールを入れておいた。
【許さ〜ん。ぷんすか!】
と、すぐ返事着ていたが、もう返事は書かなかった。
ごっちんは、多分既にシンゴと一緒に駅にいるかもしれないと思って
メールは出さなかった。

ひとみが好きなのに会いたくない。
顔が見られない。
どの面下げて会えばいいんだ?

それでもいつもと同じように梨華と電車に乗る。
女の方が度胸がイイって良く言うけど、その通りって感じた。

オレの目に映る梨華は、まるっきりいつもと同じ振る舞い。
オレの方が、なにかギクシャクした感じだった。
情けない。

ただ、途中でシンゴ達が乗って来て、シンゴの顔見たら
少しホッとした。
二人っきりの状況が思考をネガティブにさせていたのかも。
無関係な会話がオレを開放させてくれる。
なんとなく、いつもの自分に戻ったような気がした。

ただ─
ごっちんは梨華と話していて、オレとは挨拶の時から目を合わせてくれない。
メールの返事をしていないから怒っているのだろうか?
シンゴや梨華がいる前で言い訳も出来ず、ただシンゴと話すしかなかった。

ひとみが乗って来た。
乗ってくるなり
「もぉ〜〜、なんだよ〜。心配して寝られなかったじゃないか〜」

ひとみはオレの腕を捕まえてブンブン振りながら大きな声を出した。
出した後に、ひとみは梨華を見た。
梨華は下を向いている。
「あ。梨華ちゃん、ごめん。その、別に梨華ちゃんを疑ってるわけじゃないの。
 ほら、ヒロキが道場の帰りに事故にでもあってたら、って思って。」

─罪悪感
ひとみの愛情が重い
口からすべてを吐き出したくなる。
でもその後の事を考えると踏み出せない。

「ごめん、ごめん。マジで昨日さ、ちょっと気合入れて練習しすぎてさ
メシ食って風呂入ってすぐ寝ちゃったよ。」
オレはひとみに向かって言った。

ひとみに嘘をついてしまった。
一度のウソは植物のように根を張り
成長していく。
やがて嘘の花が咲き
嘘の実になる。
その実は毒の実。嘘の味。
真実が消えていく。

横目で、ごっちんの顔も、うかがった。
ひとみの顔を見るのがちょっと辛かった。

ウソツキ
ヒキョウモノ
オクビョウ

それでも、ひとみを失いたくない。

─欲張り

オレは平静を装う。
物凄く動揺している証拠。

そんなオレをごっちんは、何気なく見ていた。
どのような意味の目か、わからなかったが。

シンゴの言葉がオレのアリバイを手助けしてくれる
「オレはいつもの時間までだったけど、
お前、オレが帰った後もやってたもんな。
 しかも、やけに気合入れてよ。
 かわいそうに、お前のスパーの相手ヘロヘロだったぞ。」

「よっすぃー。ヒロキ君ったら、ご飯食べてお風呂入って部屋に戻るまで
 一言も口効いてくれなかったよ。アレ?一言ぐらい言ったかな?」
梨華が笑いながら、頭をかしげる。
それから、またいつもの電車の中の雰囲気に戻った。
梨華のとぼけた口調に救われた。
梨華は、すっかり「よっすぃー、ごっちん」と違和感なく二人を呼んでいた。
強いな。

一人で教室の自分の席で座っていると予想はしていたが
ごっちんからメールが来た。

【昨日はおつかれさんだったんだね。
 てっきり、今度こそ梨華さんと何かあったかと思ったよ。
 な〜んてね。
 
でもね、梨華さん今日いつもよりキレイだったなぁ。】

最後の一行を読んで血の気が引いた。
冗談なのか?それとも女って言うのは、そういう事に敏感なのか?
たった数文字。
この数文字に含まれている感情は活字では伝わらない。
文字の怖いところだ。

時間を掛けて返事をすればそれだけ何か疑われるような気がして
梨華のことには触れず、なるべくメールを返した。
【オレはそんな男じゃありませ〜ん。
 マジで大変だったよ。今日もまだ疲れが抜けきってないし。
 ごっちんこそ昨日シンゴの家に行ったんだろ?やらしー】

ウソツキ
また嘘をつく。
一度の嘘が次の嘘を呼び込む。

すぐに返事が返ってくる
【行ったよ、なんでやらしいの?
 一緒にいるだけで、やらしいんだったら
梨華さんと一緒にいるアナタは、なあに?
またね、ばいばい】

─しまった。
なんか負けた気分だった。

今日は土曜日なので午前中でおしまいだ。
HRが終わって廊下に出たら隣のクラスの教室の前にごっちんが立っている。

オレに気づくと目の前まで走ってきて
「よぉ!。女ったらし。」

一瞬ドッキリした。
昨日の事がバレたのか?
そんなはずない。
梨華が言うわけない。
言う時間もないはず。
ましてや見られるわけもない。

「はぁ?なんだそれ?」
思わず大きな声で言った。

「あはは、一年の時に女の子の中で付けたヒロキ君のあだ名。
さっき思い出したから。あは。」

「なんでだよぉ?オレ、違うぜぇ。
一年の時だってマジメに付き合っていたんだぜ、
ひとみと付き合う前だって─」
実際オレは、「女ったらし」なんて言われる程モテる訳でもないし
ナンパなんかもしない。
だけど、昨日梨華を一回抱いた。
そうまた嘘をつく

「なんでだろうね?誰が言い始めたか、わからないけど
 そう呼ばれてたんだよ、知らなかった?」
知らなかった。クラスの女の子とはあんまり口を利くほうじゃなかったのに─

「はぁ〜、怖いなぁ。そう言うのってさぁ。」

「だね。女の子はさ、ウワサとか好きだから。
 ヒロキ君って落ち着いてるじゃん。
 だから、年上の女の人と付き合ってるんじゃないかとか、
 保体の中澤に食われたとか。
 それでも、よっすぃー気にしないでヒロキ君が好きだったんだよ。
だからよっすぃーを泣かすようなことしちゃダメだよぉ」

ごっちんは、からかうようにオレの目を覗き込んだ。
ひとみの名前に動揺した。
裏切っている自分。

「はぁ〜、でもよかった。それでもひとみがオレの事、好きでいてくれたなんて」
正直、本当にそう思った。
思えば思うほど何かがオレに重くのしかかってくる。

─泣かすような事してるじゃん。

バレナキャヘイキサ

「くぅ〜、いいねぇ〜青春だねぇ〜。なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。」

「ごっちん、今日部活は?」
オレは話を変えようとする。
今のオレにこの手の話題に耐えられる耐久力が無い。

「んあ。辞めちった」

「へ?なんで?」
驚いてマヌケな言い方をしてしまった。

「ん?家庭の事情。だね。うん」
シンゴのクラスのドアが開かれた。
ごっちんは走ってシンゴのクラスの前まで行った。
オレも歩いてついて行く。

「おう。お待たせ。ったく、なんでうちはHR長いんだぁ。」
文句を言いながら歩き始める。

「今日、どうする?道場。」
シンゴがオレに向かってパンチを軽く繰り出す。

「夕方からだな。一回帰るかな。まだ昨日の疲れ取れてないから
昼寝してから行く。起きたら電話するよ。」
オレはシンゴの繰り出すパンチを手で弾きながら、歩く。

いつものように3人で駅に向かい電車に乗る。
その間ごっちんは特に会話に加わる訳でもなく
オレとシンゴの話に相槌をうちながら時折、笑っている。

そしてM駅でいつものように二人は降りていった。
M駅からシンゴはJRに乗り換える。
ごっちんは、M駅からバスに乗る。
シンゴとごっちんの家はバスと徒歩合わせて15分ほど。
ただ本数が少ない。
シンゴはJRの駅から自転車を使ったほうが早いのでバスは使わない。
バス嫌いなのは酔うかららしいが。

オレは一人で電車に揺られていた。
何時の間にか寝てしまったが、駅に着く寸前にポケットの
携帯が振動したので目が覚めた。
おかげで乗り過ごさないで済んだ。

よかった、誰が起こしてくれたんだ?
ただ、着信を知らせる振動はすぐに止まった
メールだ。
ひとみからだ。
なんの用だ?
部活のはず?
【ヒロキ、今どこ?今日もう練習終わった。
 明日試合だから軽く調整とミーティングでおしまい。
 ミーティングがこれからあるけど、すぐ終わると思う。
急いで着替えて帰るから、ちょっとデートしよ!!】

やった。
久しぶりにひとみと遊べる。
通学時間と学校以外で会うのは久しぶりだ。
何週間ぶりだろう?
慌ててメールを返す
【今、ちょうど電車降りるところ。
 一回帰って着替えてからそっちに迎えに行くよ。】

ナニウカレテイルンダ
バレルカモヨ
ヒキョウモノ
ウソツキ

振り払う。
頭の中に見えないもう一人の自分が住みついている。
醜い心に住み着いてしまった。
もう一人の自分。
オレはひとみが好きなんだ。と呪文のように何度も繰り返す。

電車から降りて、駅から家に帰る途中にシンゴに電話した。

『おう。どうした?』

「悪りぃ。今日オレ道場パス。」

『あ?そっか。そんじゃオレも、どっすかなぁ〜』

「行けばいいじゃねぇーか。まぁ、オレは、そういう事でよろしく。」

『おっけ。ってお前まさか梨華さんと?』

「はぁ?違うよ。ひとみとだ。練習がもう終わるから─」

『あぁーわかった。わかった。じゃーなー』

シンゴは電話を切った。
あいつは電話が嫌いな為、自分用件が済むとあっさり切る。
もう慣れたが、最初は正直ムカッっとしたものだ。
ごっちんも、こんな感じでシンゴに電話しても切られるのが嫌らしいが。
それにしても、シンゴがやたら梨華を気にする。
その影響でシンゴとごっちんの間に何か歪みが形成されているのか?

それ以上にシンゴが気に掛けている梨華を抱いたという事が
オレの中で決して口には出せないけれど優越感を膨らませる。
膨らんだ分、罪悪感も膨らんでしまうのだが・・・

部屋で着替えていると携帯が震えた。
メールじゃない。電話だ。
メールの時とは違うリズムで振動する。
『もしもし、ヒロキ。』
ひとみの声は息が少し切れている。

「ど、どうしたんだ?何かあったのか?」
『え?走って駅まで帰ってきたから。今電車待ってる。』
「わざわざ走ってきたのか?」
『うん。だって早く会いたいじゃん。』
「そっか。サンキュ。でもまだ電車来ないのか?」
『そうなんだよー。でもゆっくり歩いて帰るよりは
 一本早い電車に乗れるはず。まだ他の部員の姿も見えないし。
 あいつらのペースだったらまだ校門も出てないかも。』

「オレ、もう着替え終わったから家出るけど、どこで待ち合わせる?
 それでどこ行くか?」

『ん〜、それじゃーM駅で待ってて、どっちが早いかわからないけど。
 多分私のほうが早いかな。M駅だったら。
 あー!!そうだ。ヒロキなんか上着持ってきて。
あ、なんでもいいから、もう電車来る。それじゃーまたね〜』

電話しながら部屋を出たがひとみの上着持ってきてくれ。って
言葉にもう一度部屋に戻りワンショルダーのバッグに真っ白なパーカーを
突っ込んで肩に掛けて家を出た。

─なんで上着なんか?寒いのか?

運良く、駅に着いた時ちょうどホームに電車がやってくるところだった。
待ち合わせのM駅は、シンゴやごっちんの利用している割と大きな駅で
駅の周りも割と賑やかだ。
映画館やデパート、それ以外にも大小いろいろなお店がある。
まぁ、目的もなくダラダラ歩いてデートするには酔い場所かも。
それに少し歩けば大きな自然が多い公園もある。
電車がM駅に着いてから携帯からひとみに電話しようとした時
ドーンと背中に衝撃が─

「キャーッチィ!」
後ろからひとみが抱きついてきた。

「おぅ。ごめん待ったか?」
オレは背中から抱きついたひとみの手をそっと握った。
ひとみの体温にほっとするが、影のように
いつも付いてまわる罪悪感にも襲われる。
動揺を隠すようにいつもより饒舌になっている。

「ちょっとだけ。」
ひとみは背中から離れて左腕にしがみついてくる。

改札を出て外に出ようとしたら、ひとみがオレを引っ張りながら
「ごめん、ちょっとコッチ」
オレは黙ってついていった。

コインロッカー。
そこにひとみはカバンから財布を取り出し
上着とカバンをロッカーに突っ込んだ。
「ヒロキ。上着持ってきてくれた?」

カバンから取り出してひとみに手渡した。
ひとみはパーカーに袖を通してからロッカーにお金を入れてカギをした。

「なんか、制服だとデートっぽくないじゃん。」
ひとみは笑いながら、また左手に腕をまわして顔を見た。
「そっか?別にどっちでもいいけどな。」
「え〜、せっかくさぁ。外なんだからさぁー」
「だってそれオレの服だしさ。」
「ん゛〜。それもそうだけど、それがいいんだよー」

─くだらない会話。
それが楽しい。
ただ罪悪感も残る。
都合の悪い事は忘れてしまおう。

今は目の前にいるひとみだけを見る。
電車の中や学校で、みんなといる時とは違って見える笑顔。
自分だけに向けられている笑顔。
オレ達は途中で安いクレープを食べたりしながら目的もなくブラブラ歩く。
「ヒロキ。ホテル行こうか?」
ひとみは突然言い出した。

「は?マジで?」

「うん。明日さぁ試合だからパワーちょうだい。
 エネルギー充電しておきたいんだよね─」
ひとみは、ギュゥとしがみついていた腕にチカラを入れた。

「─それに、今日は最初からそのつもりだった
 だからヒロキに上着持ってきてもらったのさ。
 制服じゃ、ヤバイじゃん」
眉を上げて大きな目でオレを見る。

「よっしゃ、行くか!」
「おぉ〜、その前にコンビニで買い物しよ。」
目の前のコンビニでお菓子やらジュースを買った。
買い物途中でひとみは小さな声で
「あんまり、激しくしないでね。明日試合だから。
 動けなくなるとシャレにならないからさ。」
恥ずかしげに耳元で言った。
何もレジで待っている時に言わなくてもいいのに─

そこのホテルは駅から歩いて20分掛からないぐらいの場所にあり
前にも来た事のあるホテルだった。
入り口には人がいなくて、各部屋の写真パネルが並んでおり、
空いている部屋のパネルは明るくライトが付いている。
好きな部屋を選びパネルに付いているボタンを押す。
そうすると部屋のカギが出てくる。
─ひとみは腕を組みながら、あれこれ見てボタンを押していた。

部屋に入るなりひとみは走ってベッドに向かい飛び込んだ。

「あぁ〜〜、久しぶりだね、二人っきりになるの」

オレは部屋のカギを閉めてコンビニ袋とカバンを下ろしてソファーに座った。

「だな。それにひとみが大会終わるまで、こうやって会えるとはと思ってなかったし。」

オレはベッドの上で大の字に寝っころがっている、ひとみを見た。

「うん。私も思わなかった。 でもね、会いたかった。
 普段なら我慢出来たと思うんだけど・・・
 正直に言うとね、梨華さんがヒロキの家にいるって考えるとさぁ
 な〜んか不安なんだよね。
別にヒロキのこと疑ったり、もちろん梨華さんを疑ってるんじゃなくてね。
よくわからないけど、ヒロキと会えば不安が取り除けると思ってさ。」

ベッドからひとみは手招きをする。
オレは立ち上がってベッドサイドに座った。
それを待ち受けていたようにオレの前に回りこんでオレの上に座って
唇を合わせてきた。
オレはそのキスに答えるようにしっかり抱きしめた。
何度かお互いに顔の角度を変えたりしながら繰り返しキスをした。

どのくらいの時間その行為をしていたのだろうか、
ひとみは顔をそっと離して
「すっごく安心する。」

─ウワキシタンダゼ、コイツ。
ウラギリモノナノニナ。
ソレヲダマッテイルヒキョウモノダロ?
ウソツキサ。
もう一人のオレがわめき散らす─

ひとみはそう言ってまた同じように唇を合わせてきた。
黙って頷き、それに答える。
初めてひとみとキスしたときは、ひとみは震えていた。
平然とした顔をしていたが、震えていたのを覚えている。
今のオレが逆に震えそうになった。

どうなってもいい。
オレは今だけを見る。

キスしている途中オレは閉じていた目を開けた。
ひとみも気が付いたのか、それとも、たまたまなのか目を開けた。
「ねぇ、お風呂一緒に入ろっか?」
オレは笑って首を縦に振った。
ひとみは立ち上がってお風呂場に行ってお湯を貯め始めた。

お湯が貯まるまで、オレ達はソファーに座り繰り返しキスを
したりしながらふざけあっていた。

はやる気持ちを押さえながら─

「あ。そろそろ貯まったかも、先に入っていい?
 先に体洗いたいんだ。、ヒロキは待っててよ。後で絶対呼ぶから。
 途中で来ないでよ、恥ずかしいから。ね。」

ひとみはオレに念を押して風呂に行った。
オレは言われた通り一人で部屋でベッドのところにあるパネルを
いろいろいじって遊んでいた。
途中で風呂場から「うぁ〜」って声が聞こえたのは、
どうやら風呂場の電気のスイッチまで、ここにあったらしく
それを消してしまったみたいだった時だ。
ひとみに呼ばれたのは10分ぐらい経った頃だったのだろうか?
その声に返事をしてから服を脱いで風呂場に向かった
ただその前に携帯電話の電源は切っておいた。
ひとみとの時間を誰にも邪魔されない為に。

二人でお風呂に浸かる。

「なぁ〜んか、いいねぇ〜」

ひとみは、浴槽のふちに手を組んでそこに顔を乗せて温泉気分だった。
オレはそんなひとみの横顔を隣で見ていた。
ただ見ているだけで幸せだった。

それで実感した。
オレはひとみが好きなのだ─

─もし、ここ居るのがひとみじゃなかったら、
そう例えば梨華だったら、この状況で幸せを感じるだろうか?
多分、性欲に本能を突き動かされるだろう。

例えに梨華をなぜ出してしまったのだろう。
昨日の夜、梨華を抱いた─

それなのにオレは、そ知らぬ顔してひとみと二人きりで
風呂なんかに入っている。

体の奥の方から罪悪感が、染み出てきそうなのがわかった。
そんな罪悪感から逃れる為にひとみを抱きしめた。

「ん?どうしたの?」

「なんでもない、ただ抱きしめたくて」

ひとみはそんなオレを包み込んで抱きしめてくれた後
部屋に戻ろうって、小さくつぶやいた。

お互いに濡れた体のままベッドになだれ込んだ。
風呂上りのひとみの体は、ほんのり紅に染まり熱気を帯びている。
それの体を抱き寄せ体を合わせる。

「ねぇ、ちょ、ちょっと、どうしたの?・・・ね、ねぇ・・・」

ひとみの言葉を無視して唇をひとみの体に這わせる。
ひとみは抵抗するわけでもなく、すぐにオレの動きに呼応する。

─少し時間が経った時にオレは冷静さを取り戻した。
罪悪感から逃れたような気がした。
裏切り者のオレを優しく受け止めてくれるひとみ。
それは裏切り行為がバレてないからだ。
バレたら─
考えたくない。

「ごめん、なんかひさしぶりだから焦っちゃった。」

ひとみは首を振り

「なんか、求められてるって感じがしてうれしかった。
 普段、ヒロキって結構クールだし。」

ひとみがしがみついてキスをしてきた。

ベッドのパネルの上にあるコンドームをひとみがオレに手渡す。
オレは黙って装着した。
ひとみは、下から手を伸ばして招き入れる。
オレが中に入った瞬間、ひとみは短く息吐き首をそらせて目を閉じた。
ゆっくり腰を動かす。
ひとみは、初めての時から今日で5回目の行為。
大分、緊張感も抜けて快感も充分得ているようだった。
前回より声も大きくやや高い。
時折、首を左右に振ったりしている。
そんな姿が愛しくもあり興奮もする。

風呂上りで体もろくに拭かないでベッドに入ったために
濡れたシーツが手足にくっ付いたりして
オレには少し不快に感じていたが、
それが気にならなくなった時、オレは果てた。

ゆっくり大きく息を吐き出すと、下からまだ呼吸の荒いひとみは
オレの体を抱きしめながら─
「ねぇ、しばらくこのままでいて。」
オレはそれに答えるようにひとみの背中とシーツの間に手を滑り込ませ
強く抱きしめながら、何度も唇を合わせた。

─ひとみと二人っきりで過す3時間はあっという間だった。
3時間のサービスタイムはオレ達には短すぎる。

それから、ひとみの降りる駅まで送ってから家に帰った。
何かが吹っ切れた気がしていた。
もう決してひとみを裏切るような事はしたくない。

家にはオフクロが旅行から帰ってきていて
夕食は梨華の作ったハンバーグを3人で食べた。
食事中、梨華はオフクロとオフクロの旅行話で盛り上がっていた。
旅行前もオレは会話に参加せず黙々を食事を詰め込むだけだったから
何も変わらない食卓だった。
オレも梨華も特に意識せず普通に過すことが出来た。
梨華の心中はわからないが、ひとみのことを考えると
これ以上梨華に関わるべきではないと判断した。

もし二人っきりだったら、どうなっていたのだろう。
親に感謝だな。

オレは風呂から出て牛乳を飲みながら部屋で、雑誌を読んだ。
ここ2,3日はとても雑誌などに目を通す余裕がなかった。
今、こうして雑誌を読んでいるって事は落ち着いているんだろう。
ひとみと今日会えてよかった。

ひとみと梨華
今なら迷わずひとみを選ぶ。
でも昨日は梨華を選んだ。
セックスのたびに自分の信念が捻じ曲がっている。
自分に失望した。

─♪
携帯の着信のメロディーが鳴る。
この曲はメール。それもひとみ用。
【明日の試備えてもう寝ます!今日はありがとう。
 おかげでエネルギー満タンです。
 本当は電話にしようと思ったけど、電話だと切るの辛いから
 メールにしました。
 だけど、返事は返さないでね。
 返事待って遅かったら寂しいし、今すぐ返事くれても
 メールが行ったり着たりで寝られなくなるから。
 明日も頑張るぜ!
 それじゃ、おやすみ。 愛してるぜ!】

顔がニヤけているが自分でもわかる。
電話に向かって、がんばれよ。って声を掛けてしまった─
と、同時に電話がなった。
思わずビックリして反射的にボタンを押してしまった。
誰からだ?
ひとみか?

「もしもし?」

『ヒロキくん?もしもーし』

「え?」

『後藤だよぉー。どうしたの?』

「おぉ〜、ごっちんかぁ、びっくりした。」

『何ぃ?なんで驚いてるの?』

「いや、電話持った瞬間に電話鳴ってさ、そしたら思わずボタン押しちゃって─」

『あはは、驚いた?計算、計算。』

「はぁ?」

『今日はよっすぃーとデートだったんだって?』

「おう、ひとみから電話あった?」

『んぁー、シンゴから聞いたって言うか、ヒロキ君シンゴに電話したでしょ。
 その時、まだ私シンゴと一緒にいたから。』

「あ、そっか。シンゴはごっちんとデート中だったのか、悪い事したな。」

『別にぃー、デートじゃないし。』
─しばらく、取り留めのない話が続いた。

『ねぇ、今度さ、ちょっと話聞いて欲しいんだけど。また。 いいかな?』

「オレが?」

『うん。だめ?ヒロキ君に聞いてもらうと、なんか凄くラクになるんだよね。
迷惑ならいいけど・・・』

「あ、別にかまわないけどオレでいいのか?気の利いた事も言えないけど。
本当に聞くだけになるぞ。」

『うん。それでいい。ありがとう。それじゃ来週にでもお願い。
あ・・・ごめん!ヤバイ携帯の電池切れるー、おやす─』

ごっちんの携帯の電池が切れたらしい。
それっきり、連絡は来なかった。

翌朝、オレはシンゴに連絡もせずお昼頃から道場に行った。
道場には道場生は誰もいなかった。
奥から道場主のつんくさんが顔を出した。

「よぉ。珍しいな、一人か?日曜日の昼間っから」

あいかわらず、おおよそ格闘技をやっているような人には見えない。
時折みせる鋭い目付き以外は。

「昨日サボっちゃったから。」

オレはそう言いながら道場の隅で着替えを始めた。

「おう、スパーやるか?オレと。」

スパー、スパーリング。実践形式の練習。

「え?いいんですか?」

「1ラウンドだけな。」

「お願いします」

それから準備体操した後に相手をしてもらった。

─まるっきり歯が立たなかったないまま3分を告げるブザーが鳴った。

「うんうん。お前強くなったなぁ。」

「そうですか?全然上手く動けなかったですよ」

「そりゃ、オレが相手だからな。昨日シンゴも同じ事と言ってたけどなぁ」

「え?シンゴ?」

「おう、昨日シンゴ一人で道場に来たからオレが相手してやったんや
 今みたいにスパーしてやってな。
 お前ら、仲いいやん。でも全然違ゃうよなぁ。
 見ててわかってたつもりやったけど、ここまで違うのは珍しいでぇ。
同じ空手出身なのに。」

─それからつんくさんはオレとシンゴの戦い方の話から二人の性格の違いを
 おもしろおかしく、オレに聞かせた。
 その話は自分自身でもわかっていた事もあったが、初めて気づかされた事も
 少なくなかった。
 話の最後に「こうやって肌合わせて初めてわかることもあるんやで」
 肌を合わせる─つんくさんはオレやシンゴとスパーリングをして、
組み合って感じた事を話してくれたらしい。
体を通して見ているだけではわからない事がわかるらしい。
 「女とも寝てみないとわからない事があるだろ?」って笑いながら道場に奥に消えた。

オレは一人で黙々と基本的な一人で出来るトレーニングを消化した。
途中で何人かの道場生が来たが、今日はその後一人で夕方まで
練習して道場をあとにした。
シンゴは今日オレが道場にいる間に姿は見せなかった。
帰った後に来たかはわからないが─

道場から一人で帰る途中に、ひとみから今日の試合の結果電話が入った。
どうやら勝ったようだ。
しかも、ひとみ自身も大活躍だったらしい。
だけどひとみは、またこれで来週の日曜日も試合になっちゃってごめん。
って謝っていた。
そんなひとみの気遣いがうれしかった。
「気にするなよ。それよりまたがんばれよ。」と素直に言えた。
昨日ひとみと会ってなかったら素直には言えなかったと思う。
言葉に出さなくても会いたい、抱きたい。と思っていただろう。
でも今は日曜日に会えなくったって、二人っきりになれなくたって大丈夫
きっとオレ達は繋がっている。
ひとみを愛している。だからひとみが頑張っている事を応援する。
それは当たり前の事だ。
さすがに、ひとみには恥ずかしくて言えないが─

家に帰ったら梨華が出迎えてきた。

「おかえり。今日ね、おばさん出かけちゃったよ。」

「は?また旅行か?」

オレはクツを脱ぎながら梨華に尋ねた。

「ん〜、デートみたい」

梨華は笑いながらオレを見た。

「はぁ?デート?」

「うん。なんだかおじさんがね、出張先のホテルが豪華だから泊まりに来ないか?
って電話があったんだって。それで─」

よく年頃の二人を二人っきりにさせて出かけるもんだ。
これが梨華の家にオレが居候していたら、こうはならないだろう。
息子を持つ親ってのは、そんなもんなのか?
オレは着替える為に部屋に戻ると真新しいシーツになっていた。

シャワーを浴びてからオフクロが用意しておいた晩飯を梨華と食った。

「ん〜、ねぇヒロキ。」

「ん?」

「あの、もうヒロキのこと、もうあきらめたから。」

梨華は食べながら下を見ながらそうオレに言った。

「そっか。」

オレはそう答えたが、どこか少し寂しかった。
もちろん、ひとみとの仲の為には梨華とは
何もない方がいいのはわかっているのだが・・・
食事が済んだあと梨華は紅茶入れるから飲もうと言ってきたので
リビングのソファーで待っていた。

梨華は紅茶を持ってリビングに入ってくるなり

「でもこれからも幼馴染だよね。私達って」

「あぁ。そりゃそうだろ。」

「これからもよろしくね。」

「何、言ってんだよ。いまさら。」

「それとありがとう。」

「やめろよ。なんか変だぜ。」

「私の方がお姉さんなのにね」

「別にどうだっていいじゃねーか。」

「本当に、ありがとうね。これからもよろしく」

「あぁ、あぁ、わかった。よろしくな。」

「─ごめん、ヒロキ。なんだか声に出して言わないと
 いけないと思って─」
梨華は、言葉の途中で泣き始めた。
紅茶をテーブルに震える手で置く。

「な、なに泣いてるんだよ」

「だって・・・」

「なんだよ?どうしたんだよ?」

オレはソファーから立ち上がり梨華の方に体を向けた。

─梨華がオレに抱きつき胸の中で泣いていた。

オレは自分の両手をどうするべきか迷った。
そっと抱いた方がいいのか?
それともこのまま、だらりと下げたままでいいのか?
選択肢に無視して立ち去るってことはなかった。

「やっぱり、諦められない。
 ヒロキの事、好きなんだもん。
 諦めようと何度も思って、思うだけじゃダメだからって
口に出してヒロキに言ったけど、やっぱりダメ。
よっすぃーの物でもいいの。誰の物でもいいの。
ただ私もヒロキが欲しい─」

梨華の腕に力が入りきつく抱きしめられる。
オレは抱きしめ返したかった。
こんなに自分を愛してくれる梨華が─
梨華のことを─
梨華─
気がついたら梨華の背中に腕をまわして

─抱きしめていた。

梨華は体の力を抜いたように後ろのソファーに
オレ引きずり込むようにして倒れた。
よくドラマで見る男が女を押し倒したような格好。
ただそれと違うのは、梨華の手がオレから離れようとしないで
がっちり捕まっている。
オレは梨華をつぶさないように、両手でつっぱている。
梨華はそっと手を解きソファーに体を預けて目をつぶった。
─オレはツバを飲み込んだ。
ダメだ。

そう思った時、梨華は目を開けて下から梨華は手を伸ばし
オレの体を引き寄せながら再び目を閉じてキスしてきた。
抵抗すれば拒めた。
でも拒めなかった。
梨華のキスはこの前オレがしたようなキス。
前オレが梨華にキスしたときは、梨華は受身だったが
今日はそれが逆だった。
オレが受身になっている。

梨華の柔らかい唇と温かい舌の感触はオレの理性を
少しずつ壊していった。

罪悪感と背徳がブレンドされたスリルに似た感覚。
人は時にスリルに身を投じる。
ジェットコースターやバンジージャンプなどが人気があるのも
同じ理由だろうか?
果たしてこれもそれに当てはまるのだろうか。

でもこの行為はジェットコースターなどのスリルと違う。
どこか犯罪じみた、いけない行為。
万引きとかに似ている。
己の欲望の為に人を裏切る、傷つける。
わかっているのに─

オレは、つっぱていた両手のチカラを少しずつ抜いていた。
唇も梨華の動きに合わせて、開いた。
そして舌を絡ませている。

─楽しんでいる。快感に溺れている。

一度経験している甘美な味。
それは毒であることも知っているのに

そしてお互いに身に付けているものを剥ぎ取り
体を合わせていた。
ひとみの時とは違う感触。
梨華とオレの間に薄いゴムは存在していない。

梨華は、最初まだ少し苦痛の表情を浮かべたが
それをオレは無視して体を動かし続けた。
梨華はその動きに体をしならせ、言葉にならないような声をあげた。
オレはその声に興奮を覚え没頭した。
完全に快感に浸っていた。
頭の中には罪悪感のカケラもない。
真っ白世界。
相手の事を考えないで自分の快感をむさぼる獣のように─

しばらくすると梨華は、突然体を離そうとしながら訴える。
「ね、ねぇ、ちょ、ちょっと、待って、
 だ、だめ、なんだか、変だ、よ、─」
オレはかまわず続けた。
止まらない。
止められない。
動かなければ黒い悪魔のような罪悪感がやってくる。
それが怖い。
だから止まらない。

「─んっ、ちょ、ちょ、こ、こわい、ん─」

しばらくすると、梨華は絶頂した。 
その瞬間、梨華の中がうごめき、オレはその刺激に反応して果てた。
果てた瞬間、梨華の体も大きく再び波を打った。

オレも梨華も大きく肩で息をしながら、しばらく無言で時を過した。

二人の呼吸が戻った頃、梨華は潤んだ目を開けた。
「なんだったの、あれ・・・」
オレは少し得意げに説明した。
ただ話しをしている途中にひとみに対する黒い罪悪感がじわじわと沸いてきた。

ダメだ─
どうしていいのか、わからなかった。
明日、どんな顔してひとみに会えば─
言わなければ、いいんだ。
言わなきゃバレない。
ただバレたらどうなる?
失うのか?ひとみを?
どんな事してでもひとみを失いたくない。と結論が出た。
バレナイヨウニスル。
一番ずるい方法をオレは選んだ。
この前だってバレなかったんだから。
今回だって大丈夫なはず─

妙な疲労感が体を包み込んで眠りの世界へ引っ張られて行った。

翌朝は、梨華はいつもより元気に明るくオレに接してきた。
オレはあくまで普通に接する。
決めたのだ。ひとみのためにバレないようにする。
だからすべて普通に。平常心。
コレを心がけて電車の中、学校を過した。

─何もなかった。

むろんひとみにも疑われる事もなく無事に。
たぶん─

夜も家では親がいるので梨華とも、あまり顔を合わせることない。
もっとも、道場から帰ると夜遅いし。
以前の生活を取り戻した。
まるで、梨華との事が夢だったように。
逆に夢だと思い込むようにもしていたのかもしれない。
日に日に黒い霧が晴れているような気がしてた。

土曜日、学校から帰ってから1人部屋にいた。
もしかしたら、先週みたいにひとみから電話があって
「練習が早く終わったから会おう。」なんて期待をしていたのだが

「やべぇ、最悪だ。中澤キレてミーティングの途中で
 もう一回着替えてコートに集合とか言い出した。」

そんな、なんとも鬼らしい発言でデートはお流れになってしまった。
ヒマを持て余していた時、携帯にごっちんから電話が入った。

『やぁ、ヒロキ君。今大丈夫?』

「おう、全然、ヒマで部屋でゴロゴロしてたところだよ」

『そっかぁ。そんじゃさぁ今から出てこれない?』

「え、いいけど、どこ?」

『どこでもいいけど、誰かに見られて誤解を招くといけないから そうだな─』

うちとごっちんの間の駅で待ち合わせた。
そこは大きな川が流れている。
5分だけオレが早く着いた。
ごっちんは、走って改札を出てくると
シンゴの真似してパンチを打ってくる。

それからどちらからともなく、川を目指し歩き出した。
河原を歩き、適当な所で腰を降ろす。
ごっちんは、特に何を言うわけでもなくオレの話を聞きたがった。
その方が後々話しやすいのだろうと思って、その話に付き合うように
聞かれた事は答える。

「ねぇ。ここって電車から丸見えなんじゃないの?」

ごっちんは、急に立ち上がって歩き始めた。

「誰かに見られたら、面倒だからあっち行こう」
鉄橋の真下を指差す。
鉄橋を支えている大きなコンクリートの壁のような柱
そこに向かってゆっくり歩き出した。
オレも黙ってついて行く。
夕陽で照らされたオレンジ色の川面が綺麗だった。

ごっちんは柱に体を預けるように立っていた。
オレはその3mくらい前に立ってぼんやり自分の上にある線路を眺めていた。

「ねぇ。ヒロキ君。私って悪い女だよね。」

「なんで?そんな事ないと思うよ。うん。しっかりしてるしさ。一生懸命じゃん。」

「一生懸命じゃないよ。一生懸命だったらさ愚痴もこぼさないと思うし、
 親友の彼氏を呼び出して付き合わせたりしないよ。わかってる。」

「親友の彼氏?オレひとみの彼氏だけど、オレ自身もごっちんも友達じゃん。
 オレってごっちんの友達じゃないのかよ?」

「あ。んん。友達。私は勝手に親友だと思ってる。」

「ありがとう。オレもごっちんのこと親友だと思ってもいいかな。」

「うん。よろしくお願いします。」
ごっちんは、かわいらしく頭を下げた。
オレも真似する
ごっちんが頭を上げた顔に涙が見えたような

どうした?って声をかける前に一歩踏み出した。
それと同時ぐらいにごっちんが駆け寄ってオレに抱きついてくる。
ごっちんは小さく肩を震わせて泣いていた。
何を言っても黙って泣いている。
オレはそっと頭を撫でて受け止めた。

「最後まで搾り出しちゃえ。ラクになっからさ。」

ごっちんは泣きながら頷いた。

電車が頭上で轟音を響かせながら通過する。
その時、ごっちんが何か言ったのはわかったけど
言葉は聞き取れない。

「え?なに?」

─キスして

その言葉が聞こえたのは電車が通過し終わったあと
そしてオレはごっちんの唇にそっと合わせるように唇を当てた。
その瞬間ごっちんは子供のような笑顔に変わる。

「ありがと。もう、ヒロキ君はやさしいんだから。
 本当はしたくもないのにしてくれて─」

「いや、そんな事ないよ。」

キス・・・
キスは人の人格や理性を簡単に変える。
人はわからないが自分はそうだと思う。
急速にその相手のことが気になってしまう。
時には唇からいろいろな事がわかるような気がする。
実際にはわかってないのかもしれないけどわかった気になってしまう。
今回はわかった気がする。
ごっちんの寂しさ、悲しさが。
それと、自分の奥底にあった気持ちが─

「ごっちん、オレのこと親友だと思うんならさ、遠慮しなくていいんだよ
 言いたい事があるなら吐き出してみれば、楽になるよ。
 オレなんか練習して苦しくなって気持悪くなったら、トイレ行ってゲーゲー吐き出すよ。
 その時、苦しいけど楽になるもん。あれ?なんか違うか─
まぁ、とにかく溜め込むとさ、いつかパンクしちゃうよ。」

「・・・私はズルイヨ。今寂しくてそれをヒロキ君で埋めようとしてる。
 そんな私を許してくれる?」
オレは黙ってゆっくり頷いた。
それから一呼吸あけた後、首の後ろに重さを感じた。
ごっちんの手?
唇に柔らかい感触。
髪の香り。
胸にも当たる柔らかな感触。
ごっちんの顔の角度が変わった時に、生暖かい感触が口の中に
入ってきた。
オレは迷わず受け止めた。

ひとみの顔が浮かんだ。

梨華の時とまた違う。
背徳の味。
まさしくそんな味のキス。
後ろめたさと快感と罪悪感が入り混じってこの上ない危険な快感。
親友の彼女との熱いキス。
自分の彼女の親友との熱いキス。
自分の親友との熱いキス。
わかっていても、拒めない。
なぜなら、自分も望んでいたから。
ただ、勇気がなくてここまで出来なかった。
卑怯なオレ。
オレはまた一つ裏切り行為をしています。
いくつ罪を重ねるのだろう。

オレの手はごっちんの背中をそっと愛撫するように撫でていた。
ごっちんが愛しかった。
また電車が通過する。
その音が鳴り止んだ時、ごっちんは唇を離した。

「シンゴ君と別れて、よっすぃーと争いたくなっちゃった。」

え!?

思考が止まった。
ひとみを失う。
シンゴも黙ってないだろう。
それでもいいか?

いいのかも。
ごっちんを救えるのなら。
何時の間にかそんな感情が芽生えてきた。
だったら、梨華を救ってあげるべきだったのか?
ひとみは?

「うそ!無理だモン。そんなことよっすぃーに殺される。
シンゴ君だって怒るだろうし、誰一人、祝福してくれないし
周りの人傷つくだけだもんね。」

舌を出して笑った目には少し悲しみの色が浮かんでいた。
そのように見えたのは自惚れなのかもしれない。
陽が落ちた河原は暗くてよく見えない。

「オレ、ごっちんが好きだよ。」

「ありがとう。ウソでもうれしい、また相談乗ってもらってもいいかな。」

「ああ。溜め込んでもしかたないし、オレでよければいつでも聞くさ。」

「そっか、あ。あとお願いがあるんだけど。」

「ん?」

「無理なら断って。全然気にしないから。」

「うん。で?」

「キスして。」

オレはその時なんの迷いもなかった。
ごっちんの顔を両手で包み込んで、そっと唇を合わせた。
そのあと、ゆっくり唇を開きごっちんの唇を軽く吸った。
開いた唇に舌を差込んで、ごっちんの舌をそっと自分の舌で撫でた。
指の間からごっちんの髪の毛がサラサラと滑り落ちていく。
すべて指から落ちてなくなったときに唇を離した。

「もう、これでキスしてなんて言わないから。
 今日だけ悪い子になった。
 だから明日からは良い子になるよ。
これからシンゴ君とやり直す。
がんばるよ。ありがとう。」

ごっちんは、そう言うと走って河原の土手を登っていった。
登りきったところこっちえお振り返って手を大きく振っていた。
オレはただその場でその姿を見送った。
姿が見えなくなったときに、自分の嫌な部分とごっちんとのキスを
天秤にかけているような、奇妙な感覚にもて遊ばれていた。

次の日からひとみとシンゴの顔を見ると罪悪感が浮かび、
ごっちんの顔を見ると欲望が渦巻いた。
そして梨華には、その両方を混ぜた言葉では言い表せない感情。
それでも、周りにバレないように過してきた。

翌々日、午前中で学校が終わった。どうやら職員の都合らしい。
学校が終わったあと道場に向かう途中ごっちんから電話があった。
今からあえないか?との電話にオレはOKの返事をした。
道場をサボって会いに行った。

わりとうちの生徒がいそうもない、うちから学校と反対側に位置する
大きな繁華街のあるS駅で待ち合わせた。
ごっちんのいる駅からでは1時間以上掛かる

オレは余裕を持って家を出て待ち合わせのS駅に電車を乗り継ぎ向かった。
10分ぐらい待ってから、ごっちんはやってきた。

「ごめんね、急に呼び出しちゃって。それに待たせたみたいで。」

ごっちんは両手で拝むようにしてオレに謝っていた。

「そんな謝るほど待ってないよ」

─それから、ブラブラと歩き始めた。

オレはごっちんが話しを切り出すのを待っていた。
あまり急かしてもしょうがないと思っていたし。
もしかしたら、言うのを迷っているのかもしれない。

なんとなく当り障りのないどうでもいい話をしながら
当てもなく歩く。
途中で何件かのお店に付き合わされたが。

「ねぇ。お願いがあるんだけど」

「なに?」

「ホテルに連れてって。」

「はぁ〜、なに言ってるんだよ、だって─」

「違うの、違うの!ヒロキ君なら何もしないでしょ。
 前にも一回行ってみたかったって、言ったでしょ。
 ヒロキ君ぐらいしか頼める人いないんだもん。
もうそれに後藤はいい子になったから
 この前みたいなこと言わないからさぁ。
 それに落ち着いて話もしたいし。」

ごっちんは、慌てて身振り手振りで話をする。

「あのなぁ〜、わからんぞ。オレだって二人っきりになったら」

笑いながら、警告する。ただそんなつもりはまったくない。
ごっちんとこれ以上そんな関係になったら大変なことになるのは
充分わかっていたし、これ以上後ろめたい思いもしたくなかった。

「あははは、ヒロキ君はそんなことしないよ。大丈夫信用してるから。
 ね。お金は私が出すから。」

─押し切られた。

そこまで言われたら反対するとしらけてしまいそうだったので
オレも半分お金を出すことを条件にホテルに行った。

「うわぁ〜、結構広いしキレイなんだねぇ〜」

部屋に入るなり、いろいろな所を見てまわる。
風呂から冷蔵庫まで一通り見るとベッドの真ん中で飛び跳ねてる。

「なるほどねぇ〜、よっすぃーとヒロキ君はこんなところで
 エッチしてるんだ、いいねぇ〜」

「お互い、家使えないからなぁ。」

「いいよいいよ。こういう所でするほうが、うん。」

ひと時の沈黙。
それを破ったのはごっちんの言葉。

「私ね、やっぱりシンゴと別れようと思って─」

「な、なんで?」

オレはあまりに唐突に話し出したのとシンゴと別れると聞いて驚いた。
それで、どうするのだ?
オレはドキドキした。
最悪の事態を迎えるのか?

「ん〜、辛かったから。でもね。実はシンゴにもう言ったの。
 でも、泣かれた。それでね。元に戻った。あはは
もちろん、ヒロキ君のこと言ってないから安心して」

ごっちんは、なんとも言えない顔してる。
笑っているのか泣いているのか、その両方を堪えようとしている顔。
ただ、無理して言葉の語尾に笑い声を入れている感じだった。

「そっかぁ、それいつの話?」

「昨日。 やっぱ私どうしたらいいかわからなくてさぁ。
 シンゴ君のこと好きなんだけど、ついていけないことがあるの。
 だけど、ほっとけないんだよね。
 でも、そうするとやっぱ自分が辛かったりしてさ。
もうどうしたらいいのか・・・」

「何がついていけないんだ?
 そこを奴に直してもらえばいいじゃんか。」

オレはありきたりの事を言う。
それができれば苦労はしないのはわかっていた。

「うん。結局言ってもその場だけだったり・・・してさ。
 あんまり言うと、しつこい!って言われたり、叩かれたり。
 帰れ!って、言われたり、ね、するの。」

話の途中で何回も上を向いて涙が出ないようにしていた。
それと、小さな子供のような口調と声で続ける。

「それでね。私が帰ろうとすると、またぶったり、するの。
 それで私が泣くと、シンゴ君も泣くの。
 悪かったって言ってくれて。あはは、そのくりかえし。」

なんとも信じられない話だ。
オレの知っているシンゴとは全然違う。
アイツはオレなんかに比べて、もっと男くさいっていうか、
そんな泣いたりするような奴には思えなかった。
オレと彼女の前では同じ態度とるなんて思ってもいないが
ただオレの予想を越えていた。

「えへ、ばかだよね。わかってるんだけどね。
 すっごい好きだけど、すっごくつらい。シンゴ君のことわからなくなる。」

「ごっちんは、頑張り屋さんだからなぁ。
もっと気楽にさぁ、肩のチカラ抜いてみなよ。
あんまり根詰めてもいいことないぜ。
シンゴだってさぁ、ごっちんの事好きなのはわかるよな?
でもさぁ、何のために付き合っているかだよ。
自分が相手のこと好きだから付き合うんだよな。
相手が自分のこと好きだから付き合うんじゃないと思うんだ。
あれ?なんか変だな?
シンゴがどう思っているか?ってことより
自分がどう思っているか。が大切なんじゃないか?うん。
ごめん、なんかわかりにくいかも・・・」

オレは今思っている事を下手に頭の中で加工しないで
そのまま口にした。
だから訳のわからない事を言っている。
ただ話しの内容が自分でオレ自身にも言い聞かせているように
途中で思えてきた。 

オレは相手に求められると受け入れて好きになってしまうずるい男だ。
それでもしばらくすると、またひとみが好きだ。なんて言って。
それなのに偉そうな事言ってやがる。

「ヒロキ君って、やっぱ優しいよね。
 こんな、私にさぁ、一生懸命に。
 文句も言わないで、出てきてくれてさ、
 私の事も、シンゴ君の事も悪いように言わないでさぁ。
 よっすぃーは、いい人選んだなぁ。ね。」

ひとみの名前が出たときに、オレの奥にある罪悪感が─

梨華との事、ごっちんとのキスが一瞬浮かんだ。

「オ、オレごっちんが思ってくれているほど、いい奴じゃないよ。
 オレ自分がどんな奴か知ってる。
 ハッキリ言って自分の事、最悪な奴だと思うもん」

「んん、そう、いい人は自分でいい人って言わないから。
 それにもし悪くても─ 
でも、私にとってヒロキ君いい人だよ。凄く、好き。」

─好き。この言葉にドッキリした。

前、ごっちんからのメールにも書いてあった。
気がつかないフリをしたけど実際にごっちんの口から聞いて
気持ちがグラついた。
そしてこの前のキスを思い出していた。
ただ、それを断ち切るように自分の中の最悪な部分を言葉にして吐き出した。
自分が好きって事より、好きと言われる事に流される自分を
いい奴だなんて思われたくない。
なんでかわからないけど、そう思った。

「オ、オレ・・・
 マジで、最悪なんだよ。
 正直言って、今日だって・・・
 オレ、ごっちんと二人きりで外で会えるの楽しみだった。
 何か期待していたかもしれない。
 だけど、ひとみを失いたくないから、何もできない。
 度胸がないって言うか、臆病者なんだよ。」

オレは俯いたまま続けて吐き出す。

「この前、ごっちんと中庭で話したときに
 シンゴの彼女だってわかっていたけど、自分にはひとみがいるのに
 ごっちんを─」

言葉の途中で頭が、そっとなにかに包まれた。
ごっちんが何時の間にか目の前に立っていてオレの頭を抱きかかえている。

「ありがとう。いいんだよ、そんなウソつかなくって。」

オレはごっちんの腕を解き顔を上げて

「ウソじゃない。
それにこの前だって─」

「ありがと。」

オレの手を両手で包むようにして握ったあと、隣に座った。

─それから、ごっちんが部活の辞めた理由を聞いた。
部活を辞めた理由は、家の手伝いをしなきゃいけないから辞めた。
夜遅くまでやっている家の小料理屋の手伝いで人手が足りないそうだ。
「走ったりするのはどこでも出来るから」って笑って答えた。
そんな、ごっちんの強さと前向きさが、切なくもあり・・・
何とも言えない感情が強くなっていたのを感じた。

なんとなくお互いが黙っていた。
ごっちんは携帯でメールを打ったり
オレはテレビをぼんやり眺めていた。

そして時間を告げる電話がフロントから入ったので部屋をあとにした。

「今日はありがとう。
 なんだか、すっきりした。うん。
 それとごめんね。わがまま聞いてもらっちゃって。」

それからごっちんは洋服買うからって言って途中で別れた。
そこで人ごみの中に紛れ込んで、すぐに見えなくなった。

家に帰った時には珍しくオヤジまでいて
梨華を含めた3人でさっさと夕飯を終わらせていたので
オレは一人でメシを食う。
リビングでは、梨華がオレの両親と楽しげにテレビを見ている。
なんとも、不思議な光景だ─

飯を食っている途中でズボンのポケットの中にある携帯の振動が
メールの受信を知らせていた。
食いながら携帯を見るとメールはごっちんから。

受信は2通。
そういえば1通は、ごっちんと居る時あったけど
まだ見てなかったんだ。

【今日はありがとう。今まだ電車の中だけどもう少しで着きます。
 私、もう一度シンゴと向かい合って付き合ってみます。
 いろいろ迷惑かけてゴメン。でも感謝しています。
いつか私が今度はヒロキ君を助けてあげたい。それじゃ、またね。】

そしてその前に送られていたメールを見た。
送り主はごっちん。
時間はやっぱりごっちんとホテルにいた時間。
そして書かれていた文字は少なかった。

本当なのか冗談なのかわからない一言

【えっちしたかったのにな】

オレはこのメールをどんな顔して読んでいたのだろう?
それは梨華がオレを見る寂しそうな目によって気がつかされた。
ただオレは梨華の視線に後ろめたさを感じてメシを食って自分の部屋に戻った。

時間は流れていく
自分の中の罪悪感も流れていく。
人間の都合の良い記憶や感覚に感謝した。

それでも時折、梨華を抱きしめたくなったりキスを浴びせたかったりする。
ただその欲求は飲み込んだ。

これ以上は─

なにを今更─

ただそれはごっちんの存在のせいかもしれない。
罪悪感より優越感が強い。
シンゴの彼女というある種のブランド。
それがオレの方を向いている。
そしてシンゴの気に入っている梨華と寝た。

オレとシンゴは互いに争ったりしない
だけど、負けたくはない。
それが戦わずしてなんだか勝ちが得られそうになる。
そんな快感。
勝ち負けなんかないのに─

土曜の夜、ごっちんから電話が会ってまた話をしたいと。
【えっちしたかったのにな】っていうメールの件にはお互い触れていない。
オレの中では未だに冗談だったのか本気だったのか、わからないまま。

そして、オレは今ごっちんに誘われるまま先週のホテルにいる。
これ以上、何かあってはいけないってわかっているのに
それでも、ノコノコとホテルに来てしまう。

前回、ホテルで何も無かったから大丈夫。
いや、今度こそ何かある。
この前のメールになんて書いてあった?
まさに期待と不安でいっぱいだった。

「ごめんね、また付き合ってもらっちゃって」

ごっちんの顔は学校で会う時よりどこか大人びて見える。
私服の時と制服の時では女の子ってどうしてこんなに違うのだろう。

「ねぇ。格闘技教えて。」

ごっちんはオレの目の前に立ち上がってパンチを繰り出す。

「はぁ?シンゴに教われよ。」

繰り出されるパンチを胸で受けながら
不機嫌気味に言ってしまった。
多分、嫉妬しているんだろうな。
それが言葉に出た。

「だめ!だってシンゴ君と戦うんだもん。」

あいかわらずへなちょこなパンチを打ち続ける。

「だったら、やめとけ勝てないから」

口を尖らせて、頬を膨らませてごっちんは睨む。

「だって、やられてばかりじゃくやしいじゃんか。」

「でもなぁ。オレだってシンゴと戦って勝てるかわからんぜ。
 それなのに、ごっちんじゃ無理に決まってるじゃんか。」

「それじゃ、まずはヒロキ君から倒してやる!」

そう言うとオレの手を引っ張って体全体でベッドに投げようとした。
足を踏み込んで堪えようとしたが、部屋のスリッパを踏んで
すべってベッドに倒れこんでしまった。
その上にごっちんがかぶさる。

「へっへーどうだ。」

ごっちんはオレの上に跨って見下ろしてる。
上から殴るフリをする。

「殴ってごらん。」

オレは下からごっちんのパンチを要求した。

「いいの?」

「いいよ思い切って打ってごらん。」

ごっちんはオレの顔面、目掛けて右手でパンチを振り下ろした。
その右手を掴んで背筋を使ってごっちんを跳ね除け体を回転させる。
さっきとまるっきり逆の体勢。
オレが上で下にごっちん。

「え?」

ごっちんは何が起きたかわかってない様子で、目をパチクリさせている。

「へっへ〜どうする?」

オレは映画とかに出てくる悪党の真似して笑った。

ごっちんはそのまま目をつぶった。

数秒

オレはキスしそうになった。

誘っているように思えたから。

次の瞬間

腹に衝撃が─

「あ。ダメか。効かないか。」
ごっちんはパンチを打ち込んできた。

オレはなんか心を見透かされたみたいで恥ずかしかったから
わざと大袈裟に痛い振りしてベッドから転げ落ちた。

それから枕投げしたり片手対両手で腕相撲をしたり無邪気に遊んだ。

「ねぇ。お姫様抱っこしてよ。」

ごっちんのリクエストに応えてヒザの裏と背中に手を差し入れて軽く持ち上げた。
そのままグルグル回ってベッドに放り投げた。
ごっちんはそれが気に入ったみたいで何回もまるで子供のように要求してきた。

流石に何度もやってると疲れて、オレはたまらず休憩を提案した。
ソファーに腰を沈めてタオルで汗を拭こうとした時にごっちんが「どうせならシャワー浴びてきちゃえば?
 お風呂にする?せっかくだし。」
ごっちんはお風呂場にいってお湯を入れ始めた。

「ごめんね。疲れたでしょ。でも楽しかった。
 なんだか童心に帰ったかんじ。
 あはー笑った。それに久々に、はしゃいだぞ。
 遊園地より面白いかも。」

ごっちんは、ご機嫌な顔で笑っていた。
人を喜ばす事を最近していない。後ろめたい事ばかりだったから
その姿を見られてオレは心からうれしかった。

「そろそろお湯溜まるからシャワー浴びてれば?」

「あ。うん。そうするよ。」
オレは一人で風呂場に向かった。
女の親友も悪くないな。
そう思いながらゆっくりシャワーを浴びた。
不思議とやらしい感情はなかった。
バスタブには一杯のお湯と泡。
いつの間にこんな物入れたんだ。

オレはバスタブに身を沈める。
タイルにボタンがある。
押したら、やはりジャグジーのスイッチだったらしい。
勢い良くバスタブから泡がジェット噴射のように吹き出してきて
体を刺激する。

体を滑らせ淵に頭をかけて目を閉じてゆったりしている。
泡がはじけて気持ちがいい。
ただ音だけは、やかましかったが意識が遠のいてくる。
寝てしまいそうだ。
足に何か当たった。

目を開ける。

目を開けても暗い浴室。

薄暗い浴室に体にタオルを巻いたごっちんがいた。

「きゃ」

「ご、ごっちん!」

─ザブン。

バスタブに入る寸前にタオルを剥ぎ取って投げ捨てた。
タオルが、ハラリと床に落ちた時には浴槽の中にごっちんは居た。
電気は消されていたので裸は見えなかったが。

「えへーどう?気持ちい?この前ここ来たときにね。
 ジャグジーみたいだったから泡の元持ってきたの。」

オレは身を縮めてごっちんのスペースを作った。
「っていうかさ。な、なんだよ突然びっくりするじゃんか」

「え?なにが?」

「普通入ってくるか?オレが入ってるのに。」

「いいじゃんか、親友なんだし。」

すっかりごっちんのペースで物事が進んでいる。
それにしても、この状況って─

裸でこんな狭いスペースでいくら親友と言ったところで男と女。

「ねぇ足伸ばしたいから隣に行ってもいい?」
今、バスタブにお互いヒザを抱えるようにして並んでいる。

「うん。」

ごっちんは体をスーと動かしてオレの隣に来た。
腕と腕、ももとももが触れ合う。

「あのね。男の人とお風呂入るの初めて。」

「は?シンゴとは?」

「だって、シンゴ君の家のお風呂狭いし嫌がるしさ。」

そう言えば、どうやって出るんだ?
オレから出たほうがいいのかな?
なんだか恥ずかしいけどしょうがないな。

ダメだ。まだ出られない
こんな時って男は不便な生き物だ。
外見で興奮状態がバレてしまう。
いくら平然とした顔をしてても。

それにしても、お風呂に入っている女の子って
どうしてこう色っぽいんだろ?

「ん?」

ごっちんを見ていたオレに気がついて不思議そうにオレを見る。
オレはなんでもないと首を振って最初のように目を閉じて
ゆっくり体を滑らせて体を伸ばした。

隣でごっちんも同じ事をしようとしているのだろう。
なんとなく手足が当たる。


柔らかい感触が体の所々に感じた。
目を開けて何かを言おうとした時には唇は塞がれていた。

「この前のキス。
 忘れられなかった。
 あんなにやさしいキス初めてだったから、もっと先はどうなんだろうって思ってさ。
 迷った挙句、行動に移してしまいましたぁ。あは。
 彼氏を裏切り、親友のよっすぃーを裏切り、親友のヒロキ君にウソをつきました。
 嘘つきで最低な女ってわかっているんだけど
 自分にだけは嘘つけなくて。
 ヒロキ君なら慰めてくれるのわかってくれるって勝手に思ってさ。
 あはは。最悪な女だね。」

はにかんでいるようだけど目は涙で滲んでいた。
オレと同じようなことをごっちんはしている。
ただオレとの違いは他人に流されていないで自分の意志で行動していている事。
オレの方がよっぽど度胸もないし情けないし最悪だ。

「ごっちん。オレの方が最悪だよ。オレ─」

「そんな事ない!いいの。ヒロキ君は悪くないよ。」

「違うんだって。いろいろあるんだけど」
オレは梨華との事を話そうと思ったけど梨華に悪いと思って言えなかった。
だけど、最悪な自分をさらけ出したくてしょうがなかった。
ごっちん一人を悪者にしたくなかった。
だから思い切ってごっちんの手を取り自分の興奮している
場所を触らせた。

「オレはごっちんの事、親友だと言ってもこんなになっている。最悪だろ?
口では、偉そうな事言ってるけどさ実際はこんなもんだよ。」

ごっちんの手がオレの物を優しく包んでくれる。

「うれしいよ。うん。 
だってさ、そうじゃないと魅力ないみたいじゃん。私って。
あははは。」

体をオレに預けるようにして寄り添って唇を感じあった。
お互い親友の彼女と彼氏。
禁断の味。
それを全身で二人は味わう。
お互いの傷を舐めあうように所かまわずキスをする。
暗闇の中への無灯火のドライブ。
スリルと緊張の混ざったどこか非合法的な味わい。
恐怖と快楽は表裏一体。
もしくは同じ物なのかもしれない。
一人では恐くて出来なくても誰か隣にいると
どこか安心できる。
大胆になれる。
罪の意識も霞んでしまう。
それほど強烈な性欲以上の欲求。
一度燃え上がると止まらない危険物。

風呂から上がり真っ暗のベッドの上で続きをした。
共犯者。
同じ罪を共有する同士。
もしお互いの相手にバレたらどうなる事か─
そう思うと息も出来なくなる。
大事な人を二人も失う。
お金じゃ買えない友情と愛情と信頼。
その寂しさに震えた二人はお互いに慰めあう。
その手が肌が温かい。
なによりもの温かさ。
それだけあればすべてがいらないのではと思わせてしまう
自分勝手な思想。

長い手足が絡んで解れて、そしてまた絡む。
二人の息遣いが部屋に響いた時に共有する時間は
本当は存在してはいけない時間。
お互いにパートナーは居るのだから。

それでも止まらない体と欲望
自惚れかもしれないけれど、凄く求められている感じがして
それをよりオスのプライドを掻き立てる。

初めての罪より次の罪は軽く犯す事が出来る。
そうやってオレは繰り返される罪の常習者になってしまった。

それにごっちんを巻き込んだのかもしれない。

夜、ひとみと電話した。
ひとみはメールじゃなくて電話だった事に少し驚いていたようだったが
素直に喜んでくれた。
罪を隠そうとするといつも以上の優しさが出てくる。
それは罪の意識から来る後ろめたさを隠す行為。

何気なく試合会場と開始時間をひとみから聞いておいた。
ひとみには言わなかったが、明日試合を見に行こうと決めた。
オレといない時の真剣な姿のひとみを見てみたかった。
自分の浮ついた気持ちがひとみの真剣な姿によって収まる事を祈りながら。

試合会場は市の体育館でちょっとした客席が2階に設けてある。
オレは試合が始まるまで席に着かず2階席の入り口で
ひとみ達の試合開始を待っていた。
不意に肩を叩かれた。
「な、中澤先生・・・」
中澤先生だった。
さっきまでコートにいてひとみたちのウォーミングアップを見ていたのに
「また〜、先生って言う〜、裕ちゃんって呼んでって言ってるやないか
 それとも、裕子って呼び捨てでもかまわへんで、ヒロキなら許す。」

「な、なにやってるんですか、こんな所で。」

「何やってるは、ヒロキやろ。
ちぇ、ひとみの応援か。だったら、こっち来いや」

オレの腕を掴んで下につれて行こうとする。

「い、いや、ちょっと待ってください。
 今日はひとみに内緒で見てみたいんです。
 ひとみの真剣な姿。
 それにオレがいて集中力乱すのも嫌だし。」

「何言ってるん。応援したりやぁ。喜んで頑張るでぇ
 それに集中力乱さんって。アイツは大丈夫や。」

「それに負けたら─」

「はぁ?うちが負けるわけないやろ。」

「でも、今日はそっと見て帰ります。」

「そっか。そんじゃ。黙っておくわ。そのかわり貸しやからな。 覚えておけよ」
ウインクして階段を下りていった。

オレは試合が始まった時に目立たなそうな席に座り試合を見守った。
歓声の響く体育館で靴が床と擦れる音、そしてボールの弾かれる音、
指示を出す声、審判の笛。
途中でオレはそれが聞こえなくなる程、のめり込んでひとみを見ていた。

試合は苦戦をしられたが勝った。

試合の勝ち負けなんか、正直どうでもよかった。
ひとみの姿を最初から最後まで動作の一つ一つをオレは目で追った。
迷いや無駄のない動き。
ピンチの時などは仲間を励まし、決して弱気にならず諦めない。
常にチームの中心にいる。
疲れを感じさせない笑顔で試合終了後はチームメイトと抱き合って喜んでいた。
そんなひとみを見て誇らしく思った。
それと同時に自分が恥ずかしくも感じていた。

オレは席を立ち、そっと体育館を後にする。
歩いて駅まで向かう。来る時はバスに乗ってきたが
帰りのバスはまだ時間があるみたいなので、ゆっくり歩いてみることにした。

─クラクションが聞こえた。

真っ赤なスポーツカー。
その車は止まってから音を立てずに窓が開いた。
「よ、どうやった?」
薄い色のサングラスをかけた中澤先生だった。

「な、中澤先生。何やってるんですか?」
「だーかーらー、先生って付けるのやめぇー。
 これから帰るんやって。」
「みんなは?」
「あいつら着替えてから学校で練習や。
 今日の反省点をおさらい。まぁ自主練やけどな。
 ほれ、駅まで送ったるから早く乗りぃー」

ドアが開かれ手招きされた。
「それじゃ、失礼します。」
乗り込んだ車の中は、ゆったりとしたクラシックが流れている。
そして中澤先生の普段つけている香水とタバコの臭いがそこに同居していた。

「ヒロキ、お前浮かない顔してるなぁ。どうした?吉澤、大活躍やったないか。」
ご機嫌な様子の中澤先生は長くて綺麗な指でハンドルをさばく。

「え、えぇ。凄かったです。ひとみは。」
ひとみの活躍が自分の劣等感を増幅させた。
自分の行動の愚かさに笑いが出そうになる。
迷い、無駄、散漫な態度。
どれもひとみと正反対なのだ。
ひとみを好きになればなるほど、自分が嫌いになる。
そんな自分を好きと言って信頼してくれるひとみに
オレはふさわしくない。
でも、今まで愚行を告白する勇気もない。
別れる事により味わう孤独がより臆病にさせ
また悪の道に逃げて、罪を重ねる。
そうしないと耐えられない。
情けない自分。

「その割には元気ないっていうか、うれしそうやないな。
 あぁ、また来週も試合やからか?」

「そんなことないっす。頑張って欲しいし─」
中澤先生はオレを一瞥し表情を変えた。

「悩みごとあるんなら聞くぞ。もちろん吉澤にも黙っておくしなぁ。
 それに裕ちゃん、だてに歳食ってないぞ。」
最後は少しおどけていたが、それでも真剣な顔で気にしてくれる。

あんまり自分のことを言うのが得意ではなかったが、
こんな気持ちをいつまでも抱え込んでは良くないと思い
思い切って正直に吐き出した。
「オレ、なんか自分が情けなくって。
 今日のひとみ見て余計に実感しちゃったんです。
 ひとみは、凄くかっこよかった。
 自信に満ちていて、周りからも信頼されている感じがして
 素直でまっすぐで─
 それに引き換えオレは優柔不断で強がりのくせに臆病で」

「そうかなぁ?みんな誰でも物事なんてすぐ決めれへんし、
 弱いところ見られたくないし、臆病やで。
 吉澤やってそうやで。自信に満ちているのは、お前がおるからだと思うけどなぁ。
自信ある奴には人は集まってくるんや。
吉澤一人やったら、自信もへったくれもなくなるんちゃうか?」
オレの方を見ないで、まるで独り言でも言っているような中澤先生の
横顔はやさしかった。鬼の中澤が想像できない。

「なぁ、ヒロキお前時間あるか?これから?」
「はい。ひとみが練習なら、特に予定はありません。」

オレの返事を聞くと中澤先生は携帯電話を取り出し電話を掛け始めた。
「おう、なっちか。ゴメン、今日パス。あぁ、うん。すまんなぁ、今度埋め合わせするから」
それだけ、話すと電話を切った。

「え?先生今日なんか約束あったんじゃないんですか?いいんですか?それなのに─」

「あ。ええねん。それにうちが誘ったんやんか、お前が気にする事じゃあらへん」
車は駅を通り過ぎ、国道に入った。

「どこにいくんですか?」

「そやな、海。海行くで。こんな時は海に限るな。」

オレは黙ってただ座って窓の外を見ていた。
ごちゃごちゃとした街並みと車内に流れているクラッシックが
ミスマッチのような気がしたが実はみごとに合っている。
そう思いながら中澤先生のセンスのよさを感じていた。

しばらくすると左側に海が広がってきていた。
窓を少し開けると潮の香りを感じる。
それから海岸近くの駐車場に車を止めて砂浜に下りていった。

季節はずれの海岸にあんまり人がいなくて夏のような賑わいはない。
ただ漠然に、これが海の本当の姿なんだな。ってオレは感じていた。

「なぁ、そんなに悩むことか?ええやんか。
正直言うと、お前の悩み事なんて、自慢話に聞こえるでぇ。
 なんや、のろけてるのかと思うたわ。
他になんかあるんやろ?言っとけ、ラクになるで。」

中澤先生の言葉は、からかうように、
そして時に優しく心に話し掛けるように投げかけてくる。

オレは、やはり梨華やごっちんの事が、気になっている。
それを言うか迷った。
海を見ながら考えていると、迷う必要を無くすような錯覚に陥る

「オ、オレ他の人と、やっちゃたんです。浮気ってやつです。─よね。」
「はぁ?やったって・・・」
「そのー、寝ちゃったんです。」
「お前・・・、ちょい車戻るでぇ」

中澤先生は、前からカップルが歩いてきていたのを
気にしたのか、車に戻ってから話を聞くと言い出した。

車に戻る途中、缶コーヒーを買って車の中で開けた。
エンジンをかけるとオレの方を見て
「で、そいつとは、一回寝ただけで終わったんか?」
「正直に言うと2回です。それともう一人。」
「あちゃー、それで?その二人とは終わったんか?」
「たぶん。一人とは」
「たぶんって。終わってないんか?好きなんか?その女の事?」
驚いてはいるようだが、冷静に。でも少し怒りの表情が見える。
ここまで話したら、もう後戻りできない。
助けて欲しい。
オレはすべて正直に話した。

「好き?・・・なのかなぁ?よくわからないです。
 好き、嫌い。二つに分ければ好きです。
ただ、なんていうのか、好きとかきらいの次元じゃないって言うか」
オレは、頭に浮かぶ事をそのまま口にした。

中澤先生は、ため息を大きくついた。
「はぁ〜。なんかハッキリせんけど、吉澤のこと想うんなら、
 これから辞めとけ。それとこの事は言うな。
 ちなみに、なんでやったんや?吉澤と会えなくて寂しくてか?」

「いえ。寂しいのは平気なんです。なんか、ひとみとは繋がりを感じているので。
 ひとみが一番好きです。一番大切です。だけど・・・
ただ、その人が、かわいそうだった・・・
放っとくことが出来なかった。
もう一人は、自分を見ているような感じがして
逃げたんだと思います。
このハッキリしない気持ちから。」

「そっか。もう過ぎた事を考えても意味ないから忘れろ。
人助けしたと思え。
その女を助けてやった、それだけや。
あと、もう逃げるな。
逃げれば逃げるだけ追われるんやぞ。
いつか、捕まる。
だったら、振り返って自分と戦え。
ボロボロになるまで逃げて捕まったら何も残らへん。
まだ間に合う。
これからは、今まで以上に吉澤をかわいがってやれ。
でも、急に態度変えると怪しいからな。」

オレは短く返事をしたっきり、中澤先生もオレもこの話題には触れなかった。
車は国道に戻り住宅地に入った。

「あの〜、どこに行くんですか?」

「うちや。付き合え。嫌ならかまわないけど。」

オレは話を聞いてもらったからだろうか?
それにオレの話を聞くために約束をキャンセルしてくれたので
中澤先生の家に行くのを拒めなかった。

「まぁ、入りや。」

綺麗で、それでいて落ち着いている部屋
中澤先生らしいといえば中澤先生らしいセンスの良い部屋。
決して豪華ではないんだろうけど、カッコいい。

「まぁ、適当に座って」

部屋は厚いカーペットがひかれて、広いスペースがあった。
オレはテーブルの近くに腰をおろした。

─コトン

テーブルの上にカンビールが2本置かれた。

「え?まずいんじゃないんですか?生徒にビールなんて」

「ええやん。硬い事言うなよ。これは祝杯なんや。
 今日、みごと我が部が勝利しました。
 これはその儀式みたいなもんや。
 飲めないんなら、飲んでるフリでいいから付き合え。」

プシュ、プシュ

「かんぱーい」

缶を合わせて中澤先生はビールを喉に流し込む。

「あ〜〜〜、美味い。うん。勝利の美酒は最高やな。」

オレもビールを口にした。
外国のビールはオレが飲んだとこあるビールより
少し軽い感じがして飲みやすかった。

「あ。そうだ。ヒロキもおるし、ワイン持ってこよー」

なんだか、いつもと違う口調にオレは驚いた。
立ち上がりキッチンの方に向かい、戻ってきたときには
ピカピカのワイングラスとボトルを手にしていた。

なんだか変わった形のコルクを抜く道具を使って
コルクを取ると2つグラスに真っ赤なワインを注いだ。
「なぁ、飲めるやろ」
オレにグラスを手渡すと再び乾杯と言って、ご機嫌に飲み始めた。

「なぁ、ヒロキ。なんで私がヒロキの事、『好きやでー』とか言うか、教えたろか?」

中澤先生は急に言い出した。
その言葉にオレは首を縦振る。

たしかに、中澤先生はオレに好意的にいろいろ接してくれるし
デートしろとか言ってくる。

「なんでですか?」

「あのなぁ。先に言うとくけど。あ、酒入ると話長いからな。
 
 あんなぁ、うちがまだ高校生の時や、すっごくすっごく好きな人がおってな。
 それで、その人からみごと告白されてな。
 付き合ったんや。
 それから学校卒業しても、ずっと付き合っててな。
 結婚するんだぁ、って決めたんや。

 でもな。彼、死によった。
 私を置いて死んじゃったんよ。

 事故だけどな。あっけなかった。
 その彼にそっくりなんよ。ヒロキは。
 びっくりしたわ、初めてヒロキ見た時。
 顔から体のライン、声までもそっくりやったし、
 それにな、体から出ている空気って言うのかなぁ。
 性格みたいなもんや。それも似てるっていうか同じに感じて。
 あとな、あとな。
 吉澤や。
 ヒロキと付き合う時、うちに吉澤が言ってきたって話したよな。
 あれな。うちも高校生の時やったことあるねん。
 そんな話は、他の人にしたことないけどな。
 それなのに─
 びっくりしたわ。まるで、昔の自分達を見ているようだった。
 偶然って怖いよなぁ。」

中澤先生は遠い目でグラスを見つめながら
顔は笑っているんだけど、目にはうっすら光る物が浮かんでいる。

辛かったんだろうな。
でも、そうやって磨かれた厳しさと優しさが顔に滲み出ている。
中澤先生って美人だな。
こんな話を聞いた時に思う事じゃないけどオレの率直な感想。

「ごめんなぁ。そんな訳やったんや。
だからなんか他人に思えなくてな。言うなよ。」

中澤先生は少し照れながらグラスを傾けた。
オレは首を縦に振り、薄いグラスに口をつけた。
濃厚な香りのワインは、体にすっと染み込む感じがした。

「なぁ頼む。裕ちゃんって呼んでくれへんか。一回でいいから。」

中澤先生は、体をオレの方にずらしながら手を合わせる。
突然の中澤先生の言葉に戸惑いを感じながらも口に出した

「ゆ、ゆうちゃん」

なんかオレは緊張した。
さっきの話を聞いてオレは中澤先生の亡くなった彼氏と重ねられているがわかり、
今の自分がその亡くなった彼氏の代わりになっていると思うと
自分が自分でなくなるような気がした。

「もう一回。」

中澤先生のやや強い口調に反射的にオレは同じように繰り返す。

「ゆうちゃん」

さっきと同じように言ったつもりだけど、どこか無意識に優しさを込めた
言い方になっていた気がした。

中澤先生の目からうっすら光っていた物がこぼれる。
それはまさにポロポロと表現できるほどに頬を転がっていった。
見たこともない高校生の時の中澤裕子がそこに居る気がした。
いつものように鋭さのない柔らかな眼差し。
その奥に寂しさと悲しみが同居しているのを隠す強気な壁。
その壁が壊されて、決壊したダムのように涙となってあふれてくる。

「ありがとう、ありがとう」

細長い指先で涙をぬぐう。
どこかごっちんに似ている。
アルコールは今まで自分の中にある隠していたいものや
感情などを囲っている壁を崩壊させる。

「ヒロキは、さっき自分は情けない奴って言ってたけど
 うちは、こんなこと、ヒロキにお願いしても自分で情けないなんて
 全然思わへんで。
だって好きやったらなりふりかまってられんもん。」

鬼の中澤の姿は、欠片もない。
完全にただの女の人。いや女の子のようだった。

「ヒロキ。あんたいい子やで。うちが保証する。自信持ちぃ。
 一回すべて忘れなさい。何もかも。 そうすれば一番強い思いだけ残るから。」

正面から両手でオレの顔を包む。
「私も、決心ついた。忘れようと思う。昔の事。お互いに頑張ろうな。
どんな人間も1人じゃ生きていけない。
そして私がすべて正しいなんて思ってもいない。」

オレは否定も肯定もせず、手に包まれた顔を動かさないで
瞳を見つめていた。

「すまん。協力してくれ。最後やから。
その代わり忘れさせてあげるから。 協力して、頼む」

オレには意味がわからなかったが軽く頷いた。
頷き顔を上げたとき、唇が唇と重なっていた。
オレは、硬直した。

それでも中澤先生はかまわず止まらない。
口の中に容赦なく舌が入ってきて、快感を撒き散らす。
体の自由がなくなるようだった。
座っていたオレはチカラが抜けて後ろに倒れこんだ。
ふわっ、そんな感じで中澤先生は、オレの体に覆い被さってきた。
中澤先生はオレの首元から耳へ舌と唇で何かを確かめているようだった。
体はオレのシャツの中に何時の間にか進入している。
考える事の出来る状態じゃない。
多分声も、漏れているだろう。
それすらもわからない。

上半身裸のオレと下着姿の中澤先生が確認できた時には
ズボンに手が伸びていて下着ごと脱がされていた。
次の瞬間、身震いするほどの快感がやって来た。

果てそうな事を告げたが、それでも口の中に包まれたままだったので
口の中に放出した。

それでも、まだ波が引かず完全に頭の中が真っ白になった。
意識がぼんやりしていて、目を開けた時には中澤先生は
オレに跨り、恍惚の表情でオレを見つめながら体を動かしていた。
中澤先生の頬に涙のが流れたのを見た時にオレは
体を起こし抱きしめ、オレが上になって体を使って感謝と
慰めの思いを込めて腰を動かした。
ゾクリとするほどの色気。

でも実際自分の快感の元になっているのは中澤先生の肌から伝わってくる物。
それがオレの肌を通して心に伝わってくる。
言葉では軽軽しくて言えないような、感情が伝わってくる。
それは中澤先生の悲しみ。

奥歯を噛み締め、自分だけ快感に溺れるのを必死で耐えながら体を動かし続ける。

─中澤先生が知らない男の名前を叫んだ。

それと同時に体が一瞬硬直して、そっと崩れた。
硬直した瞬間オレは強い刺激を感じて耐えていたものを解き放った。

「ほんま、ごめんな。こんなことに付き合わせて。
 おかげで、吹っ切れた気がする。ありがとう。」
そう言うと軽くキスをした。

「頭、真っ白になりました。
 でも、こんな快感味わったの初めてです。
これから─
─この快感を知ってしまったら、今度ひとみとする時に
物足りなくなってしまうのではないか・・・」

正直に言った。
それほど強烈だった。

「あほ。」
少し照れて一言言った後、続けた。

「まぁ、お世辞でもうれしいわ。
 あのなぁ。吉澤とは愛があるんやろ?
 大丈夫や。 セックスは体でするもんじゃない。
 心でするもんやで─
─だからなぁ。愛のないセックスはセックスやない。
 だから今日のコレも浮気やないんや。
 浮気の「気」の字は心って意味やで。 気持ちさえしっかりしてれば、問題ないんや。
 でも、最低限のマナーとしてパートーナーには言わない。
 それが思いやりや。
 体を使わないとわからない事もあるからなぁ
 いろいろ長く生きているとさ。
 あとな。ヒロキいい男やで。
 もっと自信持ちぃ
 この中澤裕子のお墨付きのいい男なんやから。
 でもな。自惚れてはアカンからな。
 前に抱いた女の子とは愛情やないやろ。
 恋心と愛情は違う。
 どう違うかは自分で考えや。」

中澤先生は体にタオルを巻きつけて風呂場に行った。

「おいで、汗流そう。」

そのまま二人でシャワーを浴びた。
不思議と、やらしい感情もなく普通にまるで幼い姉と弟のような感じだった。
兄弟のいないオレにとって思い出すのは幼い時の自分と梨華。
幼稚園ぐらいの時、こんな感じでプールのあとシャワー浴びたっけな。

着替えた後、熱い紅茶を一杯飲んだ後、車で近くの駅まで送ってもらって家に帰った。
車の中での会話は人には言えないけれど、これから先、生きていく上で
なんだかとても役立ちそうで、世界観が変わった感じがする。
中澤先生のおかげでオレは生まれ変わった気がした。

電車の中でひとみから電話が入り結果報告と試合後に自主練があり
それがやっと終わったと連絡があった。
オレは試合結果も自主練があったことも、もちろん知っていたが
あえて言わず「よかったな、次もがんばれな」って心から言えた。
会えなくてもひとみのあの姿。
試合での活き活きしているあの姿。
眩しかった。
あの姿をオレは見たい。
だから、頑張ってほしい。
オレはその為だったらいくらでも協力したいと思った。
中澤先生の言ったようにすべてを忘れたみたいにスッキリした。
そして一番強い想い。
ひとみの為に出来ること。
してあげられること。
それが自分への喜びになる気がした。
中澤先生と寝て、快感以外にも何かいろいろ伝わった事がある。
あの時の中澤先生はオレを抱いていたわけじゃない。
亡くなった彼を想ってオレを抱いていた。
それでも、その彼に対する想いが凄く伝わった。

気がついた。
オレはセックスと言う行為の意味を
それは与える物。

オレは得るものだと勘違いしていたんだ。

次の日曜日はひとみに話をしてから試合会場に足を運んだ。
結果は残念なことに負けてしまった。
対戦相手が悪かった。
前回の全国大会でベスト8まで勝ち上がった強豪校
それでもかなりいい試合だった。
試合の後、部員が全員泣いている中、ひとみは口をへの字にして堪え
泣いている部員を励ましているのは会場の隅にいたオレからもわかった。

オレは他の部員の前でひとみと会うのも気が引けるので、先に会場をあとにした。

それからしばらくして携帯にひとみから連絡があり、部員と別れたから
会いたいんだけど、どこにいるか聞かれて現在地をお互い確認して
M駅で待ち合わせの約束をした。
オレが着いてから15分ぐらい経ってからひとみはやってきた。

「ごめん。待たせちゃった。せっかく来てくれたのに負けちゃった。」

オレはひとみの頭を引き寄せて胸に押し付けるようにして、軽く抱きしめた。

「よく頑張ってたじゃないか。全力出し切ったんだろ。」

「うん」

「じゃぁ、しょうがねぇよ。また次があるさ。」

オレとひとみは歩き始めた。
賑やかな街並みの中、いつものように歩いて、話をしていたが
それでもひとみの表情は曇っていた。

「なぁ、ひとみホテルに行こう。」

オレは切り出した。
そんな気分ではないのはわかっている。
ただ慰めてあげたい。
一瞬迷ったような顔をしたひとみは
オレの顔をみて軽く頷いた。

部屋に入ってからひとみはシャワーを浴びた。
オレもひとみの後にシャワーを浴びた。
それからベッドに入ってゆっくりキスをした。
いつもより、反応の鈍いひとみ。
試合に負けて、悔しさや精神的ショックが残っていた。
そんなことはわかっていた。
だから、ひとみを慰めたい。癒してあげたい。
そしてオレの気持ちを与えたい。
そんな気持ちを心に込めてひとみに接した。
ひとみの肌から悔しさなどを取り除くようにやさしく。
そんな想いが通じたのだろうか、ひとみは体を預ける。
心を開いていくような感じがした。
ひとみの肌は透き通るように白い。
その肌から、オレは両手で悔しさを浮かび上がらせ、唇で吸い取る。
そして舌でオレはひとみに愛情を塗り込む。

「ね、ねぇ、なんか、いつもと違う。い、いつも、より、凄く、気持ち、いぃ」
ひとみは、驚きながら体をくねらせる。

多分、中澤先生にしてもらった時のオレも同じようにしていたのだろう。
ひとみは、オレのひとみへの愛撫の秘密がわかったのかどうかわからないが、
オレに対して、同じような事をしてきた。
ひとみの白くて長い指がオレの首元をなぞり、唇を当ててくる。
全身が泡立つように鳥肌が立つ。
そして快感が唇を当てられたところを中心に広がっていく。
頭が真っ白になったが、ひとみを愛していることのみが、ハッキリわかる
気持ちを込めて頭のてっぺんから、つま先まですべてを二人が確認するように、
お互いが同じ行為に没頭した。

それから繋がる前に、二人共絶頂に達した。

それでも、オレ達は続けて本能的にお互いを求め、そして繋がった。
初めて、今までにないほどに繋がりを感じた。
体と心が繋がった。
今までの繋がりが幼稚に感じるほど。

ひとみと途中で何度も目を開けてオレを見る。
そのたびに唇を合わせた。
どれくらの時間だったのだろう?
お互い同時に果てた。
オレが果てる瞬間にひとみも導かれるように飲み込まれているようだった。

中澤先生の言葉の意味がわかった。

─セックスは体でするもんじゃない、心でするものだと─

ひとみは呆然としている。

「な、なんか凄かったね。
 正直に言うとさぁ、あんまり乗り気じゃなかったけど
 ヒロキが触ってくれた時、愛されているんだなぁ、って実感した。
 そしたら凄くうれしくって、それを伝えたくて。
 まだ、頭がすごくぼっーとしてる。
 私何言ってるんだろ・・・」

オレは、ひとみの言葉がうれしかった。
伝わったのがうれしかった。

「よかった。伝わったんだ。でもね、ひとみからも伝わったよ。
 うん。オレに届いた。ありがとう。」

もう一度深く唇を合わせた。

その日からオレ達は変わった。
外見的には変わってないのだろうけど
お互いの間に一切の不安はなくなった。
ただオレ達が順風満帆なのに、シンゴとごっちんは
まるっきり逆の道の向かっていたようだ。

それを聞かされたのは、土曜日の午後。
その日の午後は、ひとみは部活の練習だったので
オレはごっちんに相談に乗って欲しいと言われ出かけた。

ごっちんがどうしてもホテルで話をしたいと言っていたので
先週ごっちんと行ったホテルに行った。

ごっちんは家業の手伝いのために部活を辞めたのに
シンゴに呼び出されて、部活を辞めた意味がない。
説得しようとすると、シンゴに殴られる。
でも、好きだからわかってもらおうと努力していたが
どうやら、ごっちんの限界を超えてしまったらしい。

シンゴは、どうしちまったんだろう・・・
今週はほとんど道場に顔出していない。
道場の方針として練習は自分でするものだ。って理念の元でやっているので
オレはシンゴに来ない理由も聞かなかった。
聞いておけばよかったのかな。

「ねぇ。ヒロキ君とよっすぃーって今凄くうまく行ってるよね。なんで?」

ごっちんは、まるで子供がわからない事を親に聞くような顔と口調で言ってきた。

「なんで?って言ってもなぁ。ん〜お互いが好きだからだと思う。」

「だったら、なんで私達は、うまくいかないの?私はシンゴ君好きなのに。
 シンゴ君は私の事好きじゃなくなったのかな?他に好きな人が出来たのかな?
私はもう必要のない女なのかな?」

オレは返答に困った。
ただシンゴに他の女がいるとは聞いていない。
でも、もし居てもそう言うことを言うような奴ではないので
なんとも推測だけで話さなきゃいけない、埒のあかない状態だった。

「他に好きな人が居たら、わざわざごっちんを呼び出したりしないだろ。
 あいつはごっちんのこと好きだよ。うん。この前も話たと思うけど
 ちょっと表現が下手なだけでさ。
 ごっちんがそれはわかってあげようよ。ごっちんなら出来るよ。」

「私、寂びしいよ。なんだか一方通行みたいだもん。
 いくら私の事、好き言っても、優しくして欲しいもん。
 二人っきりだと今怖いんだよぉ。
 ヒロキ君みたいな優しさが、欲しいんだよぉ。」

─子供に戻ってしまった。

だからだろう。
オレに抱きついてきた。
物をねだる子供のようにオレの胸の中で泣きながら

「優しさが欲しい。ねぇ、優しくして。私に優しさをちょうだい。」

ずっと叫んだり、つぶやいたり繰り返していた。
オレはそっと頭を撫でた。
まるで子供をあやすように。

「私は子供じゃないの。そんな頭なでるだけじゃなくて─」

キスしてきた。
泣きながらキスしてきた。
オレの頭をグシャグシャにしながらがむしゃらに。

「お願い。ぬくもりをちょうだい。そうしないと私、壊れちゃいそうだよ。」

どうする?自問自答した。
今、オレがするべきことは?
友人として、ごっちんを慰める。
それとも突き放す。
それか愛を持って抱く。

愛を持って抱く事は出来ない。

オレにはひとみが居る。
突き放す。ただそれはごっちんが本当に壊れそうな気がして
とてもオレには出来ない。
だったら・・・

オレはそっとごっちんの悲しみを癒すように両手で顔を包み
キスした。
ごっちんの両目から涙がこぼれた。

「ありがとう。」

ただオレには、ごっちんの心がまだまだ不安定な感じがした。
こうなったら、とことん付き合おう今日だけは。

「ごっちん、シャワー浴びてきなよ。」

ごっちんの顔に驚きと恥じらいが見えた。

「すべて一回忘れちゃいなよ。それでまた最初からやりなおせばいい。」

オレはごっちんの肩に両手を置いて目を見た。
この前、中澤先生に言われた事を、ごっちんに言う。
オレはこの言葉に救われて今がある。

だから─

ごっちんは、首を小さく縦に振った。
それからゆっくり風呂場に向かった。
その間、オレは自分に言い聞かす。

中澤先生に言われた言葉─

体を交わさなきゃわからない事。
これはそう言えばつんくさんにも言われた。
それと、セックスには愛情が必要だ。
愛のないセックスはセックスじゃない。
だからこれは浮気ではない。
事実オレが愛しているのはひとみだ。
ずっと頭の中で繰り返す。

シャワーからごっちんが出てから、オレもシャワーを浴びて
二人共、ホテルに備え付けのガウンの出来そこないの薄い物を
身に着けてベッドの上にいた。

「この前、凄くよかった。
 なんか頭の中から何かが満たされたようだったの。
 でも。同情だったらいいよ。よっすぃーに悪いから。」

「同情?
 そうかもしれない。
 でもさ、同情って悪い言葉じゃないんだよ。
 同じ情けを持つってことじゃないの?
 オレ、ごっちんとどこか似てると思う。
 状況は少し違うけど、根本は一緒な気がする。」

「ありがとう。本当にやさしいんだね。
 うれしいけど、やっぱ、よっすぃーに悪いよ。
 それにこの前とヒロキ君なんか違う感じ。」

「ごっちん、無理しないで、大丈夫。
 ひとみとは問題ない。
 それに、これから一緒に寝ても
 オレに言わせれば、セックスじゃない。
 オレが今セックスと呼べるものが出来るのはひとみだけ。
 ただ、体を使うことでわかる事や、解決する事もあるんだよ。
 だから。気にしないで。
 それとオレも救われたんだ。だから変わったと思う。
 あ。それでもごっちんが嫌だったら、しないけど。」

「ヒロキ君・・・
 本当にいいの?それじゃ、嫌な事忘れることできる?」

「うん。たぶん。がんばるよ。」

「それじゃ、よろしく。」

ごっちんはそっと目を閉じた。

オレは座っていたごっちんをゆっくりベッドに寝かす。
愛情をすっかり頭から取り除き、悲しみや寂しさを取るように唇や舌
そして、指先から手の平に集中してそっと体に触れた。

─前と違う。

罪悪感のカケラも無い。
もう一人の自分はいなくなっている。
ごっちんを救いたい。
オレ一人が救われては、いけない。
だから助けるんだ。
罪から逃してあげるんだ
救ってあげるんだ─

ごっちんはそれを感じ取ったのか、体が波を打つ。
鎖骨に唇を当てた時には、声が漏れた。
一度漏れた声は、それから止まる事はなかった。
長い髪がシーツに広がる。
着ているものを自ら脱ぎ去った。
眩しかった。
ひとみとは違う白さの体。
長い手足はひとみより少し華奢な感じがしたが、
痛々しいアザが腕などに数箇所あった。
そこに指、手の平、唇、舌、と順に当てる。
数箇所のアザ一つ一つ同じ作業を繰り返す。
そのあとは全身をくまなく行った。
体の中心に到達してから、ごっちんは、なにやら叫びながら、一度達した。

ごっちんも以前のオレのようにシンゴに対する罪悪感を感じているはず
それはかなり深く大きい。
だから、それをなぎ払うように続ける。

到達した後、うつ伏せになったので今度は背中から
体の裏面にあたる部分に唇などを滑らせた。
ごっちんの体は完全に熱を帯びていて白い素肌は
薄いピンクに染まり、桜の花びらのようだった。
ごっちんが2度目の絶頂を迎えた後、ごっちんの中に入った。
入った瞬間、ごっちんの体は大きくのけぞり、低い声で息を飲み込んだ。
中は物凄く熱くて潤んでいた。
オレの体の動きに合わせ、ごっちんも体を動かす。
何かを求めるようにごっちんの腰が跳ねていた。
その要求に答えるべく、オレは動かす。
要求以上の動きで。
パズルを組み立てるように。

そして、そのパズルが完成したみたいに、ごっちんは歓喜の声を
あげて、全身のチカラを解き放ち旅立った。
それでも、オレは辞めなかった。

「ねぇ、もうダメ。こ、これ、以上し、た、ら、お、おかしく、なっ、ちゃう、よ。
 あ。あ。あっもう。」

オレは、もう自分が体験した真っ暗の迷いの森のような世界に戻らないように、
そして繰り返し罪を起こさないように、さらに続けた。
それから、しばらくして、ごっちんはまた一歩踏み出し
自分の道を見つけたようだった。

オレは果てることはなかったが、2度目のごっちんの旅立ち見送った後、
体を止めてごっちんの隣で体を休めた。

どれくらい経ってからだろう。

「ありがとう。なんかすべて頭の中のものが飛んだみたい。
 なんか、すごく恥ずかしかった。」

「ん?」

「だって、凄く声が出ちゃって。もう全然途中の事覚えてない。
 こんなの初めて…」

「そっか。忘れられた?」

「うん。でも、こんなの経験しちゃったら・・・
 もう他の人とは、できないよぉ。」

「大丈夫だよ。セックスは愛情があればきっと感じる物だよ。
 だから、ごっちんはシンゴに今度もっと愛情を体で表現してみな。
 そうすれば、シンゴもわかるさ。わかればシンゴもそうしてくる。」

「どうかな?あの人いつもそういうことしないで強引に入れておしまいの人だから。
 私、こんなに─」

「ごっちん。人と比べちゃダメだよ。
 それにもっと自信をもってさ、信用しようよ。
 それでダメならしょうがないさ。」

他人のセリフ。
でもオレはこの言葉を信じる。
それでオレは救われた。

「うん。ありがとう。
ねぇ。よっすぃーと別れたら付き合って。
なぁ〜んてね。
こんなエッチ2人でやってるんだもんね。
これじゃ、二人は仲いいはずだよね。
勝てっこないや」

ごっちんは、冗談を言いながら舌を出した。
それから時間までくだらない事を話しながら時間を過ごし
ごっちんは、最後に全力でシンゴを愛してみて、ダメなら諦める
という決断を下した。

これですべてが一旦解決した。
と、自分では思っていた。
外からは何も見えない。
自分の事すらもよくわからないのだから
人の事なんて見えるわけがない。
だから解決したと思い込む。
すべての人の悩みや想いを受け止めるには
まだ自分は幼すぎる。
だから・・・

 

 

─それから6年後

オレの隣には、白いウエディングドレスを着た
ドレスよりもまっしろな素肌のひとみが隣にいる。

その会場には、梨華もシンゴもごっちんも、中澤先生も、みんな居た。
あの頃とみんな同じ顔。

ただ、シンゴの隣には年上の髪の長い人がいた。
ごっちんとオレが寝た2週間後にごっちんと別れて
3つ上の女の人と付き合い去年結婚した。
もちろん、シンゴはオレとごっちんの間にあったことは知らない。
オレとごっちんで墓場まで持っていく事にした秘密事。

梨華は、卒業後単身外国に行って今は通訳の仕事をしている。

ごっちんは、3年に進級する前にお母さんが倒れて高校を辞めて
家業の手伝いが本業になり、今では女将としてやっている。

中澤先生は今はもう中澤という名前ではない。

高校時代のほんの1ヶ月ぐらいの間に、いろいろあった。
悩んだし、その時は後悔もしたし葛藤もした。
ただ、今はどれもみんなすべていい思い出。

この思い出があるから今がある。
オレは隣にいるひとみを一生大事にする。
オレのために。
ひとみのために。
ここにいるみんなのために。

「ねぇ。結婚したんだから完全に私のものなんだからね。もうダメだよ。あんな事したら。」

「え?」

「んん。なんでもなあーい。梨果ちゃんもごっちんも中澤先生もこっち見てるよ。」

もう罪の意識は思い出になった。
ひとみにはすべて見抜かれていたのだろうか?
あの6年前の出来事を。
もし知っていたのならば、それでも何一つ文句も言わずついて来てくれた
ひとみに感謝。
でもあの6年前のことがあって自分は成長したと思う。
だからこそ、こうやってひとみの隣に立っていられるんだ。

みんなありがとう。

〜truth sex〜 ─終わりー