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コンボ 投稿日:2002/03/26(火) 01:51
杉山がおかしい。
そう思ったのは、同期に新選組に入隊した加藤平六だった。
杉山とは、杉山勝のことである。
年は二十一で、去年加藤とともに入隊、意気投合していた。
さて、おかしいと思っているのは加藤のみではなく、同じ一番隊の者は皆そう感じていた。
理由ははっきりしている。
ある日道場での稽古が終わり、一同が隊長の沖田総司らと大部屋でくつろいでいるときであった。
そのときも杉山はぼうっと天井の木目を眺めていた。
「杉山」
加藤が横合いから声をかけると、杉山は明らかに狼狽した。
「な、なんだなんだ、驚かすな」
杉山は飛び下がり、背後の箪笥に腰をぶつけた。
それを見た沖田が笑った。
「杉山君、新しい練習方かい」
それを聞いた部屋の者がどっと笑った。
杉山は腰の痛さで笑い声など耳に入っていなかったが、随分と恥ずかしいらしく、顔を赤くして加藤ににじり寄った。
「君のせいだぞ」
「いや悪い、そんなに驚くとは思わなかった」
杉山は腕を組んであぐらを掻き、畳の一角を見据えた。
加藤は思った。
(間違いない、恋をしている)杉山は腕が立つ。
加藤も同様で、同期に入隊したのは杉山、加藤を始めとする五人だったが、二人は飛び抜けて強かった。
二人は十まである隊の中で最強と言われる一番隊に配属され、よく京都の市中を見まわった。
その初冬の夕方も、杉山は加藤と二人で歩いていた。
平隊士が二人で出歩くのは極めて危険とされるが、この二人においてはそういう心配は無用に近かった。
しかし、杉山は夢見心地の足取りだった。
今襲われれば、たちどころに倒されそうである。
「杉山、死にたいのか」
加藤は苦笑顔で言った。
杉山はふと気付き、わざとらしく地面を踏みしめた。
「お前、女がいるな」
「ば、馬鹿な」
杉山は今度も飛びあがった。
この男の癖らしい。
加藤は面白がって、杉山が慌てるのにも構わずに続けた。
「知っているぞ、あの角を右に折れたところにある刀屋にいる娘だろう。
隠すな、水臭い」
杉山はしばらく口を開閉させていたが、じきに首をうなだれた。女は、名を圭織と言った。
主人の娘で、町内でも美人と名高い。
言い寄る男は無数にいると聞いたが、圭織はその全てを断っているらしい。
老父のことを考えているのだ。
加藤は杉山の想いを汲んで、店先まで連れて行った。
「いい、いいんだ、加藤」
杉山は顔を紅潮させながら手を振り、屯所へ引き返そうとした。
「ここまで来て何を言ってやがんだ」
加藤は杉山を前に立て、店の中へ踏み込んだ。
店には主人と、その傍らに圭織がいた。
「あら、杉山さんこんにちは」
「やあ」
すでに馴染みのようだった。
杉山はぎこちない動作で挨拶をすると、その場に棒立ちになった。
「あなたも藩士さん?」
圭織はうっすらと笑顔を浮かべ、加藤に尋ねた。
「ええ、まあ」
なんの事か見当がつかなかったが、取り合えず答えた。
圭織はそれから、茶を入れてくるからと言って奥に引っ込んだ。
加藤は杉山を椅子に座らせると、自分も隣の椅子に座った。
「どういうことだ」杉山は自分が新選組隊士であることを隠し、三河の藩士であると言っていた。
京都では新選組は人気がなく、殺戮部隊の名を聞いて気を良くする者はそうそういなかった。
加藤は圭織の持ってきた茶を飲みながら、杉山に話しかけていた。
圭織は隣町に使いに行っていていない。
「しかし嫁にするとなれば、遅かれ早かれ素性を明かすしかない」
「だから、俺はここでこうして圭織さんを見てるだけでいいんだ」
杉山はそこで話をきると、主人に話しかけた。
(度胸がねえな)
内心、世話の焼ける男だと思った。
それから数分もしないうちに、杉山は店を出た。
加藤はすぐに追いつき、口を開いた。
「お前、あんなところにいたってどうしようもねえぜ」
「俺の勝手だろう」
杉山はすたすたと先を急いでいた。
それからも、杉山は加藤に隠れて店に通い詰めているようだった。
加藤は最初、杉山と絶交しようとまで考えたが、そのうち
(あいつは自分でなんとかするだろう)
と思うようになった。事件が起こったのは、冬も深まってきた頃だった。
杉山勝、長州藩士十六人と闘争の末、死亡。にわかには信じがたかった。
加藤が監察から聞いた話では、その晩、杉山は先輩隊士二人と酒を飲みに行った。
屯所への帰り道、酔っ払った先輩の一人は、前方を歩く男達に声をかけた。
「おうい、我々は新選組だぞ」
これだけでも彼の切腹は決まったようなものだった。
が、さらに相手が悪すぎた。
十六人もの長州藩士が会合から帰宅するところだったのだ。
幕府に養われている新選組と、幕府に立てつこうとする長州藩とは、当然仲が悪い。
藩士たちは即座に駆け寄り、路上はすぐさま、修羅場となった。
先輩の二人はあろうことか逃げだし、杉山は一対十六の勝負を余儀なくされた。
駆け寄ってきた五人は斬り倒したが、そこから先は囲まれたためどうしようもなかった。
局長の近藤勇は激怒、先輩隊士は斬首となった。加藤が杉山の墓の前を立ちあがると、後ろから誰かが近付いてくるのが見えた。
長い黒髪を揺らし、静々と歩み寄る。
圭織だった。圭織は手に花を持ち、呆然とする加藤を尻目に線香をあげた。
手を合わせるうちに涙がこぼれだし、頬に跡を作った。
「あの……」
加藤がようやく声を捻り出した頃には、圭織は今にも墓石にすがりつきそうな勢いで泣いていた。
「あなた、杉山を好いていたんですか」
自分でも、つくづく野暮だな、と思った。
圭織は小さくうなずくと、裾で涙を拭き始めた。
「あの男も、あなたを好いていました」
加藤は芯から残念になった。
圭織はそれを聞くとまた激しく泣き出し、今度は墓の側の地面にしみができた。「杉山さんは良い方でした」
圭織がようやく落ち着いたのは、それから半刻(一時間)もしてからだった。
「刀を無理矢理持っていこうとする浪人を追い払ったのも、あの人でした」
どうやら、杉山は店の用心棒的な役目を果たしていたようである。
「父のことも労わってくれましたし、優しい方でした」
圭織は立ちあがった。
彼女には店があるのだ。
加藤もしゃがんでいたが、膝を伸ばした。
「最後に――」
一つ、言っておきたいことがあった。
――あいつは新選組でした。
と言おうとしたが、声が出なかった。
圭織には何も聞こえなかったらしく、墓石の間をすり抜けて行った。
加藤は立ち尽くした。
何故言えなかったのか。
彼女に嫌われるのが怖かったのだろうか。
一体なんだというのだ、ばかばかしい。
そう思って加藤が歩き出すと、冬の冷気が改めて背筋を撫でた。