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我犬。 ◆N0E.Nono 投稿日:2002/04/13(土) 10:38
【守られて】
ここが新しいマンションか・・・
インターフォンを押すべきかどうかこの期に及んで迷っていた。あぁ、なんかドキドキする。
あれは昨日の夜、つんくさんからの一本の電話が始まりだった。
明日オフだったら、事務所に来いとのこと。
用件は明日事務所で話すからと言われ一方的に電話は切られた。─何かヘマやっちゃったけっな?
そんなことで、わざわざ事務所に呼ぶことじゃないし・・・
心当たりがないままタクシーに乗り込み事務所に向かった。「おはようございます〜」
事務所の中には、何人かの社員の人がいて
奥の応接室で、つんくさんが待っているので行くように言われる。
重厚な木のドアを軽くノックすると、ドアの向こう側からつんくさんの返事が聞こえたのを
確認してから憂鬱な気持ちのままドアを開けた。
室内には厚みのある木で出来たテーブルと3人掛けのソファー、その向かいには
一人掛けのソファーが2つ。その一つにつんくさんが浅く腰掛け、
組んだ手はテーブルに置いて親指だけがくるくると動いたいた。「おはようございます。」
探るように挨拶をする。
つんくさんのメガネは黄色いレンズのせいで、瞳の奥はうかがえないが
少し緩んだ口元が怒りを表していない。
でも小刻みに上下する足が気になった。「おう、ようきたな。まぁ座れや。どや、最近は」
つんくさんの方もこちらを探るような当り障りのない挨拶をしてきて
様子を伺っているようだった。
挨拶を交わした後も、他愛もない会話が進む。
途中で事務所の女性の方がお茶を持って来て
1回その他愛のない会話すら中断した。
妙な空気でノドの乾きを癒すにはちょうど良かった。その後も会話も、あまり意味はなくタイミングをうかがっているように思えた。
そして何度目かの会話が途切れた時に、つんくさんが目線をそらし
まるで壁に向かって話し掛けるように切り出した。「お前、最近ストーカーに悩まされてるんやってな?
マネージャーから聞いたで。
そこで。だ。まぁ 黙って最後まで聞けや。途中でぎゃあぎゃあ言うなよ。
返事は全部聞いてからYES,NOだけでいいねん。」そんな言い方され圧倒されながら頷いた。
押し付けるような言い方をするつんくさんに驚きを隠せなかった。「これからお前はオレが指定したところに引っ越せ。
部屋はもう準備してある。
その部屋には、お手伝いさんもおる。
そのお手伝いさんはボディーガードにもなる奴や。」思わず声を発しようとしたが、口から空気が漏れる前に
つんくさんは、大きく頷きながら右手の平をこちらに向けてそれを制した。
私は一つ頷きソファーに身を埋めた。「そのボディーガードはこれからもちろん仕事場にも同行する。
マネージャーとして、付き人と思って使ってくれてもかまわんが
あまり無茶させんなよ。
ちなみに、そいつは話の筋通り、もちろん男や。
オレの後輩なんやけどメッチャ頼りになる奴だ。
アイツからお前に、なにかするって事もない。それはオレが保証する。
もしなにかされたりしたら、オレに言え。
ただ・・・お前がそいつの事を気に入ったら、付き合たってかまわんからな。」
つんくさんは話の後半で爆笑した。
はぁ?なにがなんだかわからない。
最後の爆笑の意味すらなんのことやら。
ただ、ただ呆然としていた。「どないした?おもろい話やろ。
で。どうする? 引っ越すか? 断るか?」「あの〜。それってどういうことですか?
なんか唐突過ぎてよくわからないんですけど」「なにがやねん! 今話したまんまや。
住み込みのボディーガード兼付き人を付けるか?付けへんか?ってことや。」「えっと。それじゃお断りします。」
こんな話、電話でいいじゃん。
それにいきなり知らない男と暮らせなんて「なんでやねん。いい話だと思ったんやけどなぁ〜
なぁ、もう一度考えて─」「お断りします!!」
つんくさんの言葉を遮るようにハッキリ伝えた。
確かにストーカーらしき奴が居たにはいたけど実害もないのに
なんで知らない人と暮らさなければならないのか。
私はソファーから立ち上がり退室しようと思った。つんくさんは、私が立ち上がるそぶりを見たあと、
応接室に掛かっている時計に目をやり
一つ大きく息を吸い込むと目を瞑りつぶやいた。「そう言うと思ったんだけどな。 実はもう遅いねん。」
「はぁ??」
「もうお前の荷物な、もう運んでいる途中や」
「え!なんで、なんでそんなことになってるんですか!」
「お前、一ヶ月前にマネージャーにストーカーの件、話したよな。
そんで、調べたんや。そのストーカーの事。
調べたって言うか、偶然だったんだけど。
ネットの匿名掲示板にお前の名前出てて読んでたら
お前のことレイプするやら、拉致してネット生配信する。とか言ってる奴がおったんよ。
最初は、イタズラ書きやとおもってたんやけどな、そいつの文章見たら凍りついたわ。
住所こそ書いてないけど、お前のオフの時の行動パターンや買い物先がすべて事細かく
書いてあったんや。
そいつ、過去にもそんな事やってるらしくてな。
もし事が起きてからじゃ遅いと思ってな・・・
そのネットの書き込みとストーカーが同一人物かわからんけど」なんで、そんな事。
私の頭の中にはクエスチョンマークでいっぱいになる。
質問事項が次々と沸いて出てくる。
でも、どれから言葉にしていいのか処理しきれない。「で、でも、それって・・・え、えっと・・・」
なんでそんなことになっているんだろう?
冷静に冷静に自分言い聞かす。
頭の中で3つ数えてからゆっくり話しをはじめる。「なんで、私が・・・
それにそんな凄いプロみたいな奴なら私が気がつかないと思うんだけど・・・」「そこやねん。
なんでお前がストーカーに気がついたかちゅーのはな。
奴がわざとお前に気がつかせたらしい。
最初はお前が怖がるのを楽しみにしとったらしいんや。
でも全然平気みたいだったんで、これからは本気でお前を襲うつもりやで。
時に奴らはゲーム感覚でそういうことする。
いやな世の中やな。
そいつのサイト探し出して見てみたらな、冗談じゃすまないような
写真とか誇らしげに載ってたんや。
流石にオレも血の気引いたわマジで。」
つんくさんもさっきと違ってマジ顔だし
もぉ〜なんなのよ。
どうすればいいのよ〜
いきなり引っ越せって、しかも知らない男となんて!「えっと、その一緒に暮らす人って安心できる人?」
「おぉ〜それやったら、ばっちし安心できるでぇ!
さっきも言ったようにオレが保証する。
いい奴だし、腕も立つ警察よりよっぽど頼りになるで。」はぁ〜そこまで言うなら・・・
とは言ってもなぁ「あのな。お前なぁ。オレなるべくお前を怖がらせないように
言ってるけど、これは緊急事態やで。
事件になってネット上に写真ばら撒かれたら、
お前もうこの世界で生きてけないぞ。
この世界どころか、お前の人生だってどうなることやら・・・」つんくさんの顔が険しくなる。
なんだか選択の余地はなさそうだ。
ここは大人しく、お世話になるか。
どうしても嫌だったらまた他の対策を考えてもらうとして。「それじゃ〜、お願いします。」
と、言い終わる前にはつんくさんソファーから立ち上がり
紙袋からカギと地図を用意して机の上に置く。「ほな。これが新しいマンションのカギと地図や。オレは忙しいからもう行くで。」
「はい。ありがとうございます。」
呆然としたままお礼を言った後、テーブルに置かれたカギと地図を見つめた。
決して騙されているわけではないのだろうけれど、
なんか物凄く騙されているような気分になる。
すべてが釈然としない。はぁ。
でも、もうこうなったらしょうがない。
とりあえず、その新しいマンションとやらに向かうとするか。地図の住所をタクシーの運転手に告げて雑然とした町並みを
カバンから取り出したサングラス越しに眺める。
平和そのものの風景が眩しかった。ぼんやりドアの前でさっきまでのことを反芻するように思い出していた。
ため息を一つ吐き出した後、思い切ってインターフォンのボタンを押した。
インターフォンの応答がないままドアのカギが開けられた。「どうも、お待ちしておりました。 まぁ、とにかく中へ」
その男の第一印象は普通の人。
当り障りのない振る舞い、言葉使い。
つんくさんの後輩だから、つんくさんよりも若い。
それもかなり若い。部屋の中に入ると広めのリビングに大きなテーブルがあったが
自分の居場所に困っていたら「えっと、まぁそこらへんに座ってください。
今、冷たいものでも出しますから」一番近くの椅子に座って部屋の中を眺める。
元々この男の部屋なのか、それともこの男も最近入居してきたのかわからない。
ただ元々この男の部屋だったとしたら中々几帳面な男なのだろう
物がセンス良く並べられてキッチリしている。
あまりにキッチリしているので生活感はないが不快ではない。コトン。
氷の入ったアイスティーがテーブルに置かれた音を聞いて振り返る。
男は私の近くの椅子に座った。
本当に普通の男。
あんまり特徴のない顔、体型、声。
すべてが、普通に見える。「はじめまして、え〜私は、近藤 弘(コンドウ ヒロシ)と言います。」
やっぱり普通の声。
高くもない、低くもない。
なんとも不思議な感じ。「あ。こちらこそはじめまして。
中澤裕子です。」なんだか妙に照れる。
そして思わずそれを隠すように無意味に饒舌になる。「中々いい部屋ですね。
いや〜。それにしてもビックリしましたよ。
急にこんな事になるなんて。
えっと、近藤さんでしたよね。
近藤さんもびっくりしました?」「まぁいきなり、寺田さんに言われたので・・・
とは言ってもあの人は昔から突然いろいろなこと言い出すので
慣れていると言えば慣れていますけど。」近藤は軽く笑顔を見せながら話す。
自分のハイテンションとは正反対な落ち着いた話し方で
私は恥かしくなり口調をいつものように戻す。
つんくさんを本名で呼ぶ人だ。
最近会っていないのでなんだか新鮮だった。「ところで、つんくさんとは高校時代か何かの先輩後輩なんですか?」
「高校時代じゃないですけど、遊び友達です。
ボクは楽器とか音楽関係はやってなかったのですが、
いろいろと遊びには付き合わせてもらいました。そうそう、まず部屋の説明ってほどの部屋じゃないですけど
このリビングとキッチン、風呂、トイレは共用でお願いします。
中澤さんの部屋はそちらになります。
部屋は、もちろんすべての部屋のドアには内側からカギが掛かります。
中澤さんの部屋は外からも掛けられますから。
ボクの部屋は逆側あっちです。
ちなみに中澤さんの前の部屋の荷物は中澤さんの部屋に置いてあります。
中澤さんの部屋には基本的にはボクは立ち入りませんので
掃除はご自分でお願いします。
それ以外のリビングなどは僕がやります。」「前の部屋の荷物ってもうあの部屋にあるの?」
椅子から立ち上がり自分の部屋の前に行ってみる
荷物結構あると思うんだけどな・・・言われた部屋のドアを開けるとリビングより広い部屋。
広い部屋にはいくつものダンボールと見慣れた前の部屋にあった家具達。「うわぁ。マジで荷物あるのね。 あはは、洗濯機から冷蔵庫まであるよ。」
自分の荷物をただ置いてあるだけなのだが部屋のスペースはまだまだ余裕がある。
以前、ドッキリでこんな企画があったこと思い出したが
これはTVの企画ではない。現実だ。「部屋のレイアウト変える時は手伝いますから。」
結局その日は手伝ってもらって部屋と荷物の整理をした。
寝るときには念のためカギを掛けてベッドに入った。いつもと同じベッド。多少配置は違うが同じ家具。
でも、広さに余裕がありバランスが悪くて空気が全然いつもと違う。
そのせいなのか、なかなか寝付けなかった。
寝付けない時は、いろいろと考え事が浮かんでくる。
ただこんな時、浮かんでくる考え事は、いつも考えても無駄な事が多い。
これからどんな生活が始まるのだろう?
答えなど出るわけではないのに、・・・
とにかく今日を終えて明日にならなければ始まらない。
その次の日だって同じ事、わかっていても考えを辞める事が出来ない。
明日も仕事だから寝なきゃ。
思えば思うほど寝られなくなる。
たまらず、ベッドから起き上がり暗い部屋を抜け出し
キッチンに向かった。電気は点けずに冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出した。
「はぁ〜」
勝手にため息が出た。
長いツメが邪魔をして缶ビールのプルトップが開けられない。
イライラしながら薄暗いキッチンで食器棚の引き出しを
いろいろ開けてスプーンなどを探した。
ガチャガチャガチャ。
なんだか高そうなスプーンやフォークが数本。
手にとったスプーンの持つところが分厚くてプルトップに差し込めない。
イライラが増す。「もぉ〜、ビールも飲めへんなんてぇ〜」
─ぱちん。─
!
思わず声を出しそうなほどびっくりした。
キッチンの電気が点けられた。「どうしたんですか?こんな時間に」
近藤がキッチンの入り口に立っていた。
「あ、え、寝付けなくてビールでも飲もうと思って」
別に悪いことでもないが妙に慌ててしまった。
急に点けられた電気のせいだろうか?
それとも、夜中にビールを飲もうとしているところを
見られてなのか、少しドキドキもしていた。近藤は笑いながら手の中の缶ビールを見て
少し微笑むと缶ビールを私の手から取り上げ
プルトップを簡単に開けて再び手の中に戻してくれた。「そうですか、それでは明日仕事ですから
寝坊しないで下さいね。
時間になったらドアをノックするか携帯に電話するぐらいしか
起こす手段がないんで。
それでは、おやすみなさい。」「あ。おやすみなさい。」
部屋に戻っていく近藤の背中を呆然と見送るしか出来なかった。
なんにやってるんだろう。私ったら。
とりあえず、冷えた缶ビールを喉に流し込んで
電気を消して部屋に戻った。
部屋に戻ってから半分ほど残っている缶ビールをゆっくり飲みながら
ますます目が冴えていていくのがわかる。ドラマの台本でも読むか。
1ページも覚えるまでもなく、睡眠の世界に連れて行かれた。
あれほど目が冴えていたのに・・・─コンコンコン!
なんやねん。うっさいなぁー
─ゴンゴンゴン!
やかましい!
あ。朝か。はぁ、眠い。─ゴンゴンゴン!
「は〜い。起きました!今から準備します。」
うぁ〜メッチャ眠い。
しかも台本覚えてないし。
とりあえず、顔洗うか。ドアを出たとき朝食の香りがする。
うぉ〜、めっちゃ朝食やん。
ドラマみたいな朝食やなぁ。
あの男、やるなぁ。「おはようございます。朝食は和食でいいですか?」
「あ、はい。なんでも・・・」
朝時間の流れが慌しく流れる中食べた食事の味は、めっちゃ美味かった。
まぁ初日やしな、それともこれが毎日続くのか?
お手並み拝見ってとこやな。食後に支度をして玄関を出ようとしたときに近藤は、すっと前に出た。
「近藤さん。あの〜なにか?」
「いや、私はボディーガードなのでドアとかは私から最初に出ます。
不信な人がいたら困りますので。」あ。そっかこの人ボディーガードなんやな。
あんまり緊張感のない普通の人だし、どうも忘れる。
それにしても、私本当に狙われてるのか?
ドア開けて確認した後、近藤は私の荷物を持ってマンションの地下駐車場に向かった。
私はその後を着いていく。車の中、FMのラジオが少し前の邦楽が流れている。
「あのぁ、中澤さんタバコ吸ってもいいですか?」
「あ。全然かまわへんよ。気にせんといて」
「あ。すいません」
「吸わへんのか?」
「いや、吸います。」
「冗談やん。」
笑ってくれなかった。
寒かったか?
もう少し、なんていうかな冗談が通じればなぁ。「ねぇ。近藤さんって彼女居ないの?」
「はい。居ません。」
「そっかぁ。結構ええ男なのになぁ。」
「実は、バツイチです。」
「あ。そっか。ごめん。」
「いえ、気にしないで下さい。」
なんとなく私は気まずくなってこれ以上は話せなかった。
気にしている感じではないが、なんかやっぱりタブーに
触れてしまった感じがする。現場に着いてからは、まるでこの業界に何年も居たことあるかのように
完璧に振舞っていた。
理由を聞いたら、どうやら私のために、しばらくうちの事務所の
他のタレントのマネージャーを研修として経験したらしい。それ以外にも、元々業界の人と知り合いが多くいるようだった。
某有名プロデューサーなども向こうから挨拶に来る時もある。
プロデューサーは私のマネージャーをやっていると聞いて笑っていたが・・・
いったい、何者?
なんで知っているの?と聞いても「飲み友達です。」としか言わない。
歳なんて私と変わらないぐらいに見えるのに。
つんくさんより若いのに、つんくさんと同じくらいの顔の利きようだった。午前の仕事が終わった後、ハロモニの収録だった。
久々にモーニングの子達のとの仕事。
たぶん、いろいろ聞かれるんだろうなぁ
そう思って現場に着いたらやっぱり─スタジオに着いて控え室に近藤さんと一緒に入ってきた時
明らかに空気が止まった。
何人かの好奇の目が注がれていた。
そのあと近藤さんが部屋から出て行ったとき
矢口が真っ先に口を開いた。「裕ちゃん〜。誰?」
「マネージャー。新しい人。さっき自己紹介しとったやろぉ〜」
ボディーガードの件はややこしくなるから言わなかった。
余計な心配も掛けたくないし。「なんか、結構いい感じの人じゃん〜。マネージャーとタレントの恋って
結構あるみたいだしさぁ。これで裕子も片付くか。」「あほ!なんでやねん。」
「なっちは、結構タイプだなぁ。ああいう人。
マジメそうだし、さわやかだし、それでいてどこかワイルドで。」なっち・・・あんた本気か?
メンバーはまだ中学生達が来ていないので
やたらと恋だの愛だの話をしたがる。
「あのなぁ。なんでもすぐ彼氏や結婚に結びつけるのやめい。
うちには矢口がおるからいいのぉ〜」矢口を抱き寄せる。
なっちが笑ってない。
っていうか、突っ立ったまんまだ。「なぁ、なっつあん。どうした?」
思わず声を掛けた。「なっち・・・恋したかも。」
「はぁ?誰に?」
「裕ちゃんのマネージャーさん。」
マジですか?
開いた口がふさがらない。
今時、一目惚れかい。あんた。「ギャハハハハ」
矢口の高い笑声が大きく楽屋に響いた。
なっちはそんな矢口を思いっきり睨んだ。
あ。なっちマジか。
矢口と一緒に笑いたかったが、思わず怯んだ。「なんでやねん。
なんも知らないのになんで惚れてる?」「なんかねぇ。なっちには、こう、ほわぁ〜ってオーラが見えて
あぁ〜、好き。って感じ。」「はぁ?全然わからん。」
「カオリにはわかるなぁ。うん。それは運命だよ。
なっちの王子様だよ。
これは当人にしかわからないはずだから。
でも、カオリは応援しちゃうな。」「カオリありがと。なっち頑張るよ!」
あかん、カオリまで。
二人で手を取り合って頷きあっている。
お前ら中学生か。いつもの悪い癖が出ている。
矢口は、なっちに睨まれてから少し凹んでるし。圭坊はあいかわらずヘッドフォンを耳に当てて夢中になって
何かを聞いている。後藤と石川と吉澤は聞き耳立てながら、無関心を装ってる。
「ねぇ。裕ちゃんあの人の携帯の番号教えて。」
あぁ拝むな、拝むな!
仏さんやないんやから
あ。そう言えば知らないな、近藤さんの携帯番号─「あ。まだ知らん。今日からやから。」
「ええ〜、本当?なっちに隠してるんじゃない?
まさか。
あ。やっぱり裕ちゃんもあの人の事好きなんでしょ?」そんな、子供みたいに聞いてくるなや。
呆れて何も言えん。「ちゃう、ちゃうホンマ聞いてなかったんや
だったら、わかり次第電話するからそれでいいやろ。
な。な。」まさにドヤドヤドヤって感じの喧騒。
中学生チームが控え室に入ってきた。
辻、加護を筆頭に大きな声で挨拶して騒ぎ始める。
おかげで、なっちとの会話もここで途絶えた。ズシ。
なんともいえない重み。「おはよーございます。」
ひざの上には辻。
屈託のない笑みで心が和む。「おはよう。元気やったかぁ?」
おおよそ中学生に話し掛けているとは思えないやり取りに
なってしまうが、それが心地よい。
ただその無邪気な子は気がつくと居ない。
あまりにも無邪気そのものだった。数分後にはスタジオ内で仕事をしていた。
収録をしているスタジオに近藤の姿が見えない。
マネージャーなんだから仕事見てなさいよ
と、思っていたがボディーガードでもある
もしかしたら、何かあったのでは?嫌な予感は的中する。
それがわかったのは、帰りの車の中。
「今日、こんなのありました。」
運転しながら、後ろのシートに座っている
私に手を伸ばした。
伸ばした手の平には2cm四方の黒いプラスチックの箱。「なに?これ。」
「盗聴器です。収録中に前の中澤さんの部屋に行ったら
玄関に仕掛けられてました。」「・・・マジで?」
「はい」
うわぁ。キショ。なんでこんなの仕掛けるの。
私の手の中にある黒い箱で会話が聞かれていると思うと吐き気が込み上げてくる。
悔しいけど男とアンアンさせている声はないけど
ミニモニの歌とか聴かれたら恥ずかしいっちゅうーねん。「昨日の夜、部屋の電気が点いていないので、中を確認しようとでも思ったんでしょうか?
玄関のドアの鉢植えにこれが仕掛けてありまして、それにコンクリートマイクが接続されていました。
そのコンクリートマイクっていうのは壁の振動音をキャッチして電波で飛ばして─」近藤はまるで、ドラマの台本を読むように話す。
ただドラマと違うのは感情が込められていない。
とても機械的な言い方。
その機械的な話し方が、返って現実っぽい。
事実、現実なのだが。「あぁ、どうしようぅ。」
情けないが、ストーカーの恐怖が今頃やってきた。
私が一体何をしたって言うの?
叫んだ所で解決する訳でもなく、ただ無力な自分を確認するだけだった。「まぁ、今のところは特に気にする必要はありません。
これから先、またこういう事があれば報告しますか?
それとも黙っていた方がよろしいですか?」近藤は気づいたのだろう。
私が恐怖を感じた事に、だからこのような事を聞いてくるのだ。「あ、あの〜教えてください。これからも。」
知っておくべきだ。
そうしないと何か他人任せになってしまう。
そんな気がした。ただまだ今の住んでいる場所のことは気がつかれていないと思う
と近藤は言っていた。
それと今のマンションの場所は人に言わないように
もし教えた場合は必ず自分に報告して欲しいと。緊迫した車の中でマヌケな着メロを奏でながら携帯が震えた。
なっちからだ。「もしもし、裕ちゃん聞いてくれた?」
マジであいつ・・・
とても今そんなこと聞ける状況じゃない。「ごめん。今、ちょっと手が離せないからまた電話する。」
そう言って、電話を切った。
家に着いてからは、昨日よりは、なんとなく落ち着いてはいたが
どうも居心地が悪かった。
やっぱり自分の家と他人の家では、勝手が違うと言うか遠慮が出てしまって
今一リラックスできない。食後にリビングでぼんやり大して見たくもないテレビを見ながら
リビングにあった洋酒を飲んだ。
どれでも好きなの飲んでくださいと言われても、そこに置いてある物は
あまり知らない銘柄だったが適当に封の開いているビンを取り出し
氷をグラスに押し込みロックで飲んでいた。しばらくすると近藤は自分の部屋から出て風呂に向かった。
なんとなくまだ声を掛けにくい。
仕事中だと平気なのだがプライベートだとなんとも。
ただこのままだと、いつまでたっても遠慮とか出てしまって
精神衛生上良くないので、風呂上りに一緒に飲見ましょうと誘った。「それじゃ、頂きます。」
近藤はキッチンから氷とグラスを持ってきて酒をグラスに入れる。
「それでは、改めてよろしくお願いいたします。」
グラスを合わせた。私は今日の仕事の事、モーニングのメンバーの事などを話す。
近藤は、こちらのペースに合わせて上手く相槌を打ち気持ちよく話させてくれる。
気がつけば90%以上話していたのは私だった。
それでも、なんか久々に男の人とこんなに二人っきりで話しが出来て楽しかった。「あ。そうや、あの・・・嫌だったら、ええんやけど
携帯の番号教えてもらってもええかな?」近藤は申し訳なさそうに、今まで教えていなかった事を
忘れていて詫びながら教えてくれた。「それと、この番号をさ、うちのメンバーの安倍なつみっておるやろ?
その子に教えてもかまわへん?
なんか偉く近藤さんが気に入ってしもうたみたいで」近藤は考えている様子だった。
「携帯番号ですか。それではその番号ではなく
もう一個の方の携帯でもいいですかね。
仕事用だと─」「あ、あの迷惑だったらかまわないです。
私から言っておきますから。」近藤は部屋に戻って番号を書き込んだメモを私に渡した。
「あんまり電源入ってること少ないですけど。と言ってもらえますか。」「わかりました。いいんですか?本当に。迷惑じゃないですか?」
私は言わなきゃ良かったのかな?って反省した。
私達はタレントとマネージャーなのだから、近藤はタレントのいうことは利くだろう。
ある種職権乱用みたいなもんで嫌な感じがした。「迷惑だなんて。安倍さんですよね、光栄です。」
近藤はニッコリ笑ってグラスを口に運ぶ。
その姿と言葉に少し救われた気がした。
近藤も、ただの男なのだな。ってちょっとがっかりした自分もいた。結局、その日も次の日もなっちからの電話はなかった。
彼女も忙しいのだろう。
私も私で忙しいが。
ただ近藤のおかげで現場では段取り良く仕事が進む。
マネージャーとしてもかなり優秀な人でかなり見直した。
気がつくと私は以前よりイライラが少なくなっているようだったが
こんなことばっかりではなかった。仕事が終わり、家で寝る前に近藤とは酒を飲むのが習慣化してきていた。
その席で翌日の仕事の話などをするのだが、今日はストーカーの話になった。
どうやら犯人のHPに私を襲う計画を予定している。とあったらしい。「はぁ?襲うってなんで?」
私にはわからなかった。
ストーカーだったのが、暴漢魔になってしまったって事?「さぁ。中澤さんの消息が奴にはつかめなくて頭にきているみたいで
どうやら、逆ギレみたいな感じです。」近藤はサラッと言う。
多分深刻に話すると私が怖がると思っているんだろうが、言い方なんかで恐怖は変わらない。
逆に余計怖かったり・・・「でも、大丈夫です。逆に言えばココが奴には、わかっていないって事ですから。
完全にここは安全ってわけですから。」そう言われてみればそうだ。
仕事先ではスタッフもいるし、危険な目にあうことも少ないだろう。
でも今度なにか犯人が仕掛けてくるときは襲うって事か。「なんか、安心していいのか、どうなのか、ハッキリ言ってようわからんです。
でも近藤さに任せるしかないですね。よろしくお願いします。」近藤は無表情に頷く。
大丈夫なのだろうか?
でも今はこの男を頼りにするしかない。♪
部屋から携帯の音が聞こえる。
「あ。すいません、ちょっと電話みたいです。」
私は近藤に断りをいれて席を立ち部屋に戻った。
慌てて携帯を見るとなっちからだった。
『裕ちゃん〜おつかれ〜』
「おつかれ。」
『ねぇ、早速だけどさ電話番号わかった?教えてよ』
「あぁ、はいはい。ちょっと待ってな。
ええか?そんじゃな。090―」
私は以前近藤が書いたメモの番号をなっちにそのまま教えた。『ありがとう!裕ちゃん。
でさぁ。あの人、近藤さんだっけ?彼女いるの?』「おらへんみたいやで。でも─」
『でも、なによ。』
「バツイチらしい。」
『え。全然かまわないよー今いないんなら。それじゃなっちは頑張るべ。』
「おぉ〜がんばれ。あ。そうそうその携帯番号な。なんかあんまり電源入ってない
って言ってたぞ。忘れてた。そう伝えてくれて言われてたんだ。」『え〜なんで?ねぇ。裕ちゃんもしかして、近藤さんの事好きなのか?
なっちの邪魔しようとしてんじゃないでしょうね?」「あほか!なんでやねん。
別にかまわへんがな。なっちと、くっ付こうが別れようが。
ただそう本人が言ってただけや。」『なんで、そんなむきになるべさ。
まぁ、いいやなっちは電話しちゃうよ。
それじゃ、また電話するね。おやすみ』「おやすみ」
なんだか変な誤解だか疑惑を持たれるところだった。
リビングに行って飲み直すか。
部屋を出て、リビングに戻ると近藤は一人でまだ飲んでいた。「近藤さん。なっちから電話があったので番号教えちゃいましたよ。」
「あぁ。そうですか。」
あんまり関心のないような顔して私のグラスに氷を入れる。
「うれしくないんですか?なっちですよ?」
思わずあまりの無反応さに聞いてしまった。
なっちといえば、アイドルの中のアイドル。
男の人が興味を示さないわけない。「だってタレントさんじゃないですか。私なんかには。ねぇ。」
「でも、なっちから電話番号聞いてきたりしたんだから、
かなりなんて言うのかな。ん〜なっちはあなたの事気に入ってますよ」「それは嬉しいですけど、仕事がありますから」
「仕事って─」
「だって遊びに行ったら誰が中澤さんを守るんですか?」
「それは─」
「でしょ?だから正直そんなヒマないですよ。
それに彼女だって忙しいでしょ。」「そっか。それじゃ。話違うけどモーニングの子やったら誰が好き?」
「そうですねぇ〜と言ってもみんな私より10歳ぐらい若いじゃないですか?
中には半分ぐらいの子もいるんじゃないですか?犯罪ですよ」
笑いながらグラスの酒を流し込む。「ですね。でもその〜。そういうこと考えないで。
恋愛とか抜きでもいいから」近藤は悩むようにグラスを回しながら
「─辻ちゃん」
思わず笑ってしまった。
「おかしいですか?」「いや、おかしくないけど。
めっちゃ子供じゃないですか?
それこそ犯罪じゃないですか?」「いや、だからその、娘みたいな感じで癒し系じゃないですか。
この前、楽屋でもちょっと見たんですけど無邪気で─」「まぁあの子は本当に性別年齢を超えたなんか生き物としての
愛らしさっちゅうのがあるもんなぁ」
近藤の困ったような顔をこのとき始めて見たような気がした。ピピピピ
テーブルの上にある近藤の携帯の音が鳴った。
「すいません。ちょっと電話みたいです。
あ。もしかして安倍さんかな?登録されてない番号だ。」「たぶん、なっちかもな。」
「もしもし、近藤です。」
私は近藤の姿を横目にグラスの氷を回して溶かしながらゆっくり飲んだ。
どうやら予想通り電話の主は、なっちからのようだった。
思わず顔が、にやけてしまう。
なっちの顔が浮かぶ
必死なのか?それとも、のほほんとしているのか?
なまってないか?
余計な心配までしてしまう。
私の中のなっちはいつもこんな感じ。
なるべく会話は聞かないようにする。
一分もしないうちに電話は切れたようだ。「やはり安倍さんでした。」
近藤は頭を掻きながら席につくとグラスに口をつけた。
「で?デートしてください。って言われました?」
「いえ、付き合っている人はいますか?って」
「それで?」
「いません。と。」
「それで?」
「そんだけですね。あとはまた電話していいですか?って」
「それで?」
「いいですよ。でも電源入ってないかもって」「なるほど。」
「そんな感じです。」
「わかりやすい。いいテンポやな。」
「いいテンポは中澤さんの合いの手でしょ?」
二人して笑って酒を飲み交わした。
やっと近藤と笑って会話が出来るようになって
私の居場所が出来てきたような感じがした。夜、寝る時も寝つきが悪くなくなってきた。
まぁ、寝られなくても台本を見ると眠くなるんやけど。って、ほっとけ。それから2週間ほどたったある日。
ストーカーだか暴漢魔だかわからんが、奴がマンションの場所を嗅ぎつけた。
仕事帰りいつものようにマンションの地下駐車場に車を止めて薄暗いなか二人で歩く。その時、何が起きたかわからなかった。
気がついたら、冷たいコンクリートの上に倒れていた。
別にどこも痛くない。
ゆっくり思い出す。突然、轟音と共に強い光が目の前に現れた。
それは一直線にこっちに向かってくる。
轢かれる!
そう思った瞬間には視界が、ぐるりと回った。
近藤が私を引き寄せて伏せさせた。
爆音で音が聞こえなかった。
その音が遠ざかった時には、辺りはまた静寂に包まれた。
私をつぶさないように近藤は覆い被さっていた。「だ、大丈夫ですか?」
自分の声が震えていた。
それは声を出して気がついた。
手も震えている。
手だけではない、体全体が震えている。「大丈夫です、中澤さんこそ大丈夫ですか?」
近藤は何もなかったように、すっと立ち上がった。
クツの紐が解けたのを直し終えた時のようにあくまでも普通に。
そして手を差し出してくれた。「大丈夫です。ありがとうございました。」
差し出された手に甘えて立ち上がった。
でも、ヒザから下に力が入らない。
近藤が居なかったら、間違いなく轢かれていた。
それを当たり前のように守ってくれた。
近藤は辺りを見回してから、歩き出した。
その背中が、一文字にジャケットが裂かれていた。「あ。あ、の、近藤さん。背中・・・」
近藤は振り返って私を見て首を横に振る。
「大丈夫です。たいしたことありません。」
そう言った背中はジャケット、その下のシャツを切り裂き
ちらりと見える素肌が血で滲んでいた。「いや、ちょっと待って、血が出てる。」
慌てて、近藤の手を引いて止めようとしたが
「今は部屋に戻りましょう。また奴が戻ってくるかもしれない。」
そう言うと、鉄の扉にカードを挿してドアを開けた。
このマンションのセキュリティーレベルは高い。
入り口も非常口も、この駐車場からも、鉄の扉に
カードキーを差し込まないと外部からはマンションの建物の中には入れない。
ただ外から駐車場に入るところは特に何のシステムもない。
犯人はそこに目を付けて犯行に及んだ。
もしくはたまたまなのか?
近藤の背中の横に引き裂かれたジャケットが
まだ見ぬ犯人のあざ笑う口のように見えた。部屋に戻ってから、遠慮からか嫌がる近藤に無理やり
傷の手当てをした。
本人の言っていた通り、傷自体はたいした事なかった。
一番上にある薄い皮が一枚切れただけで、あとは衝撃で
血が滲んだ、そんな感じで流血はしていなかった。
ただ、その背中を消毒する為に上半身に身につけているものを
脱いだ時に驚いた。
引き締まった体。
別にマッチョな体が好きなわけではない。
それに近藤の体はマッチョというより、野生の猫科の動物のようだった。
無駄な贅肉がない。
初めて体を美しいと思って見たような気がした。
しかし、その体はまさに野生動物のように所々にいくつもの傷があった。「ねぇ、こんなに傷・・・」
近藤は何も言わない。
私は、これ以上聞いちゃいけない気がした。
だから1度しか聞かなかった。
近藤の用意した薬箱から消毒液をかけて、粗末な治療を終えた。「ありがとうございます。」
そう言うと黙ってシャツを着た。
まるっきり動揺が見えない。
あんなことがあっても、まるで気にしている感じはない。
ただそれより今晩の食事の用意の方が気になっているようだった。私は近藤にさっき襲われた状況を聞こうとした。
あまりにも突然すぎて何が起こったのかわからない
これじゃ今度同じような事が起きても、対処できない。
もし、近藤が居なかったら・・・
そう思うと聞かずには、いられなかった。「ねぇ、近藤さん。さっきどうなったの?
正直に言うと何が起きたのかわからない。」キッチンで冷蔵庫とニラメッコしている近藤は
冷蔵庫からなにやら取り出して扉を閉めるとこちらを振り返った。「それでは、報告しましょうか。
車から降りてきた我々を待ち伏せていたのは、黒のフルフェイスの
ヘルメットを被り、上下黒の皮のつなぎ着用した男。
ある程度我々を引き付けてから一気にバイクのライトを点けて我々の視界を
奪い、こちらにやってきてブッシュナイフで切りつけてきた。
って、感じですかね。」近藤は、事も無げにまた事務的に答える。
「ブッシュナイフ?」
そんな物持ってたの?
っていうかブッシュナイフって?「ジャングルとかで草とか生い茂ったところを進むのに
使ったりするんです。鉈(なた)みたいな奴です。
草などをなぎ払うコレくらいの大きさのナイフです。
一瞬だったのと暗かったので良くわかりませんが。」そう言うと長ねぎを見せて大きさを教えてくれた。
そんな物で切りつけてきたんだ。
犯人は轢こうとしたのではなく、あんなもので切りつけてきた。
これはストーカーどころの騒ぎではない。
殺人だ。「ねぇ。警察に言いましょうよ。だって殺されるところだったんじゃない。」
「警察?無理ですよ。あてになりません。
それにマスコミに嗅ぎつかれると、仕事に支障が出てきます。」「そ、そんな。仕事なんか・・・」
仕事は今が一番大事なときかもしれない。
だから辞めてもいいなんて言えなかった。
今まで芸能界に身を置いて、いや置く前から気がついていた。
一度、仕事を逃すとそれからはもう仕事は来ない。
仕事を逃して芸能界から去っていった人間は山ほどいる。「仕事、大切じゃないですか。だから今は私が守ります。
それとも信用できないですか?私が?」信用している。
いや、それ以上に近藤の事が心配だった。
自分の身と同じくらいに。
どうかしている。
何か、自分がわからなくなっている。
それにしても、なんで私がこんな目に・・・「ごはんの用意しますから着替えてきたらどうですか?
それとも食事前にビールでも飲みますか?」私はとても食事ができるような状態ではなかったのと
のどの渇きを覚え、食事よりビールの方を選択した。
自分の部屋に戻って着替える。
近藤のジャケットなどは切り裂かれていたが
自分はストッキングすら電線していない。
これがもし一人だったら、今頃あのジャケットのように
自分が引き裂かれてんだ・・・テーブルの上にはビールと居酒屋に出てきそうな
つまみが数点置かれていた。
私が席につくと薄いガラスで出来たグラスに近藤は
ビールを注いでくれた。「近藤さんも飲みましょうよ。」
私は近藤にビールを勧めた。
助けてもらって一人で飲むほど図々しくない。「あ。それでは一杯だけ頂きます。」
そういうと食器棚から同じグラスを出した。
私はそのグラスにビールを注ぐ。「お疲れ様でした。それと本当にありがとうございました。」
そう言って私はグラスを上げて近藤のグラスに合わせた。
近藤も「おつかれさまでした」とだけ言ってビールを飲む。
その飲んでいる姿に見とれた。昨日までは気がつかなかった。
いわゆる普通の人に見えた。
それが今では全然違って見える。
あかん。
惚れそうや。その時、近藤はこちらの視線に気がついた。
もしかして最初から気がついていたのかも「中澤さん飲まないんですか?」
「あ。いえ。頂きますよ。」
私は一気に喉に流し込んだ。
恥ずかしくて顔が熱くなったが、それがより冷えたビールを
美味しく変えたようにも思える。「あ゛〜、美味い。」
あ、あかん。いつもの癖で言ってしまった。
近藤は笑っている。自分の部屋から携帯の音が聞こえたので席を立った。
「あ。ちょっと電話鳴っているんで部屋戻りますね。」
私は急いで部屋に戻った。
携帯は、なっちからだったので
ちょっとホッとした。『もしもし!裕ちゃん、近藤さん電話繋がんないよぉ〜』
「知るかぁ?なんでうちにそんなこと言うんや?」
『だってぇ。あ、もう仕事終わってるよね。だったら繋がるかなぁ?』
「知らん、何べんでも掛けたらええやんか。」
『え〜でも、なんかそしたらしつこい女みたいじゃん』
「あっそ。ほな、辞めときぃ。またなぁ〜」
電話を切った。
もうわかってる。嫉妬に近い感情。
ただ近藤がなっちからの電話に出ないのがちょっとうれしかった。
そう思ってるって事は、あぁ、惚れたな。
でも人には言えない。
タレントがマネージャーに惚れるなんてベタすぎる。
それになっちにバレたら何言われるか・・・って今そんな事考えている場合じゃない。
襲われたんだ。近藤は食事をテーブルに乗せて
食べられる分だけでいいので、食べてくれと言うので口にした。
極度の緊張から開放された後には食欲が一気にやってきたのだろう
いつも以上に食べた。
食欲ないって最初に言ったから、恥ずかしかった。食後、私は部屋に戻らずリビングにいた。
対して見たくもないテレビをただぼんやり見ている。
近藤は自分の部屋に食器を洗ってから戻ってしまったきり。
広いリビングは、一人では寂しすぎる。
冷蔵庫からビールを2本取り出しいつも寝る前に飲む時間より早かったが
近藤の部屋の前に立った。─コンコン
『はい。どうぞ。』
中からいつもと同じ落ち着いた口調の近藤の声が聞こえた。
ドアをゆっくり開ける。
デスクの上のパソコンでなにやら作業をしているようだった。「あの〜、よかったら一緒に飲みませんか。」
ガラでもない。自分で気がついていた。
声もなんか、かわいらしい声を出していた。
思わず自分でキショって思ったけど
近藤は優しく笑って席を立ってこっちに来てくれた。「それじゃリビングで飲みましょうか。」
「いいんですか?なんか作業の途中みたいだったけど。」
なにを今更。自分で誘っておいて。
でもなんだか、勝手に言葉が出てきた。「大丈夫です。それと話もあるので。」
「話?」
私はリビングの大きめのソファーに腰掛けた。
近藤は先ほどと同じグラスを持ってきてくれた。
私ったら、気の利かない女だわぁ。「あのですね。報告しておきますね。
あの犯人らしきHPみたんですけど更新してないんですよ。」あの犯人。
多分その事だろう。「そうですか。」
私には、なんて答えていいかわからない。
「ええ。もしかしたら今日の犯人とHPの予告の人物は別人物かも。
今までは逐一更新されていたんです。なにか行動起こした後に。」「それが今日はまだ特に動きがないの?」
「えぇ。そうです。まぁ奴もどこかで遊んでいて
まだ更新していないだけなのかもしれないんですけど」近藤は私のグラスビールを注ぎ、私が注ぐのを制して自分のグラスにも注いだ。
「ただ、奴がこのマンションに気がつくのは時間の問題だと思ったんですけど
こんなに早いとは正直言って驚きです。」近藤はグラスを握り締める。
悔しさの表れなのだろうか?「あのぉ。やっぱり警察に連絡した方が─」
「警察には連絡するのは簡単です。いつでも出来ます。
それに警察は四六時中警護してはくれません。
いざとなったら足手まといになる場合もありますし
さっきも言いましたけど、マスコミが─」「でも、それで近藤さんがケガしたり、それにさっきみたいに
一歩間違えれば殺されてしまうかも。」「それが仕事ですから。 私は中澤さんを守るのが仕事です。」
仕事か─実際、事務所からいくら貰ってるかわからんけど対した男やな。
だから、余計に危険にさらしたくないんやけどな。
でも、この人おらんと私なんかあっさり殺されるな。
殺されなくても、マスコミ報道されるぐらい事件になるやろな。
そしたら、仕事なくなってまうか。
今ここで仕事をなくすわけには、あかん。
ここで私がしっかり仕事して、モーニングを卒業していく子たちの
道標にならなあかんのに。
だから私の仕事もやらなあかん。
そうしないと近藤が命がけで私を守る意味がない。「すんません。よろしくお願いします。」
ただ近藤が私を守るのが仕事だからと理由に少し寂しさを覚えた。
「多少窮屈な生活ですけど我慢してくださいね。」
近藤はビールを飲み干すと洋酒のビンとアイスペールと
グラスを持ってきた。「毎日、私相手で申し訳ないですが、飲みましょうよ。」
近藤のこういう気遣いも仕事のうちなのだろうか?
今の私には唯一の身近な人間。それが仕事での
付き合いというのが悲しくなる。
思わず涙がこぼれそうになった。
ここで泣いたら、あまりにもカッコ悪い
わかってる、だから笑う。「ほんま、もう飲むしかないですわ。ガンガン飲みましょ。
近藤さん、すんませんね。気が利かないつまんない女
相手としか飲めへんなんて。
あ。そうや誰か呼びます?
若い子でも?
辻とかは中学生だから無理やけど、酒飲める子はおりますから。
なんなら、今から電話しますけど。」「中澤さん、誰か呼ぶなんてバレてしまいますよ。
それに私はべつに中澤さんのことつまらないなんて思ってませんよ。」そっか。誰にも言ってなかったんだ。
引っ越した事すら。
ましてやマネージャーとはいえ男と暮らしているなんて─
これがなっちの耳に入ったら何言われるかわかったもんじゃない。
なっちマジみたいだしな。
それにしても、私の事つまらないなんて思ってない。って言ってくれた。
ちょっとうれしいぞ。
でもこの男、仕事だからなのか?
だから楽しさなんて求めてないんやろうな。それから、いつものように飲んだ。
私がずっとしゃべっている。
それでも文句を言わずちゃんと聞いてくれて丁寧に返してくれる。
話をすることによって、私はリラックス出来るようになっていく
無理してしゃべってないのに言葉が、どんどん口から出てくる。
無意識に近藤に自分をアピールしているようだった。
自分をもっと知って欲しい。
そう思っていた。
自分も中々かわいいところあるやん。
相手が自分に振り向いてもらえないと余計に燃えてしまうのは
自分の負けず嫌いの性格せいなのかな。とは言っても告白なんて出来るわけでもなく
適当な時間なると各自の部屋に戻り就寝する。
そんないつもの夜。
もう狙われた時の恐怖は過去の物のように感じていた。翌日はドラマの撮影だった。
テレビ局などのスタジオ内は常に部外者からの侵入には厳しいので
比較的安心して仕事が出来る。
昨晩のマンション地下駐車場の一件から駐車場を変える事になった。
マンションから徒歩5分程の場所にあるシャッター駐車場。
マンションから離れていても近藤だけが車を一人で取りに行くので不便はなかった。
外界と車の間に何もないと車に細工されたら危険という近藤の判断だ。
そのお陰なのか、それとも犯人は諦めたのか、ただの気まぐれか
その後、特に何も起こらなかった。油断させようとしていたのだろうか?
近藤が切りつけられた約一ヵ月後私がマンションの前で車を降りた時、私の横にバイクがすり抜けていった。
足元にビシャ─
液体がビニール袋から破けてこぼれた。
バイクが落としたんだろう。
幸い足に掛からなかった。
近藤が叫んだ。「早く車に戻って!」
まだ車のドアを締め切る前だったのでハッキリ聞こえた。
言われるがまま、飛び乗った。
ドアを閉めてフロントガラスから前を見た。
バイクは10mくらい前に止まっていて、バイクから降りてしゃがんだ。
男が妖しく光った。
真っ暗の道に光るヘビが向かってくる感じだった。
その男から私のところまで、その光るヘビは真っ直ぐこっちに来たと思うと
さっき私が居たところで上に向かって伸びていった。
竜が天に昇っていくようにも見えた。「きれい。」
思わず、口にした。「そんなもんじゃないですよ。」
近藤はぶっきらぼうに答えながら車を発進させていた。ただその時にはバイクの姿ない。
近藤の悔しそうな顔を初めて見た気がする。マンションをグルッと一周してまた車を止めて私はやっと車から降りたが、
さっきドアを開けた時にはしなかった燃料が燃えたニオイがしている。
地面に一筋の黒い跡が無気味に見えた。
でもあの時はキレイって感じていた。恐くはなかった。
近藤がいるから。
私は守られている。
ただ近藤の悔しそうな顔が辛かった。
取り押さえたかったのだろう。
私は、この時ほっとした。
取り押さえたら、事件解決。
近藤は去っていく。
任務終了。それが辛い。
好き。
あの人が好き。弱肉強食
私の座右の銘
だけど今は─
あの人の前では弱者でいい。
守ってもらえるのなら。オートロックでマンションに入る。
そして近藤をエントランスで待っていた。
誰もいない部屋に一人で入るのは寂しいから。電話が鳴った。
『もしもし、裕ちゃん?』
「ん?そやけど。」
『ねぇ。近藤さんは仕事終わった?』
「今、終わるけど。どしたの?」
『なっちねぇ。今度デートに誘おうと思うんだけど。』
─嫉妬
近藤がOKするとは思えないけど
それでも、嫌。『ねぇ。もしもし?聞いてる?裕ちゃん』
「あかん。仕事あるから無理やと思うで」
『仕事って?裕ちゃん協力してくれるんでしょ?』
最初は協力してあげようと思った。
なっちは近藤に一目惚れをしていた。
私より最初に近藤に惚れたのはなっちだから。
でも、今は私だって近藤が好き。
だからもう協力したくない。
でも、中々言えない。
なっちの怒りがわかるから。
あの子はそうだ。
私を責める。
だって、協力してくれるって言ったじゃない!
裕ちゃんはいいって言ったじゃないって。
今更なんで私の好きな人を取るの!って。
なっちのわがままじゃない。
私のまがまま。『ねぇ。裕ちゃん聞いてるの?!』
「あ。あぁ、すまん、電波が調子悪いみたいやわ。またな。」
『ちょっと、ねぇ─』
電話を切った。
なっちは、若いしかわいいし。
それに私と近藤との接点は仕事。
なんだか悲しいし虚しくなってきた。
それにオトナゲナイ。「どうしたんですか?こんなところで」
近藤が戻ってきた。
エントランスで待っている私を不思議そうに見ている。
心配して見ているというより、不審な目。「あ。今、携帯が鳴ったもんで話してたんです。
それじゃ、部屋に帰りましょう。」沈黙のエレベーター
仕事以外の話は近藤から話し掛けてくる事はない。
話を振れば答えてはくれる。
それも仕事だからなのだろう。
そう思うと話し掛けづらくなる。
せつない
この歳でこんな想いをするなんて思わなかった。部屋に戻ってからも食事を済ませ風呂に入りはしたが
お酒は飲まなかった。
いつもは誘うのだけれど、誘えなかった。
前から薄々感じていたこと。
仕事で飲む酒なんて美味しくない。
私は美味しくても近藤にとっての酒は仕事で飲む酒なのだから。一人で自分の部屋の篭っていた。
もしかしたら、近藤が誘ってくれるかもしれない。
そんな淡い期待を寄せながら。中学の時、放課後に好きな男の子が学校から出てくるのを
待っている感覚。─違う
まるでオーディションで合格発表を待っている感じかも。
そしてまた落選した。
気がついたらベッドにもたれかかったまま
朝日が差し込んだ部屋で一人。朝ご飯もしっかり食べた。
見抜かれたくない。
これが私のちいさなプライド。
あくまでも普通に振舞ってやる。仕事も上手くいってる。
ここで私が欲を出して告白したら
すべての歯車がずれる、歪む、壊れる。
だから意識する。
無関心を装って
そうすればするほど、ココロの中の好きという気持ちが
大きくなるのがわかる。あんな切り方をしたせいなのか、なっちからの電話は無かった。
でも今日はこれからモーニングと一緒の仕事。
楽屋が一緒だかメンバーもたくさんいる。
さすがになっちも、からかわれるのがわかってるのか
近藤の件には触れてこない。ただ私が楽屋に入ったとき、近藤と一緒だったが、
なっちの目は少女の目で近藤をみていたような気がする。
なっちに取られる危機感で少し胸が痛んだ。だから仕事のあとすぐに現場から離れようとした。
近藤は車をチェックしてから迎えに来ると言ったのに
私は一刻も早く車に乗り込んでしまいたかった。
だから近藤と一緒に駐車場に向かった。近藤の後ろで作業を見つめる。
車の下側からなにからポケットから取り出したマグライトを当てて
点検している。バイクの音。
まさか!?
近藤の動きは機敏だった。
左手で私を柱の影に導いてくれた。
バイクの男は近藤に向かって突っ込んでくる。すべてがスローモーションのように見えた。
映画のように。バイクの男が空気と共に近藤を切り裂くように
何かを振りかざした。
それを体は動かさないで首だけ動かして避ける。
避け際にバイクに蹴りを入れた。不意な力が加わったバイクは横滑りで倒れた。
バイクの男も滑るようにバイクについていく。
不気味だったのは滑りながらもこっちを見ていた。
黒いフィルムの張られたヘルメットから視線を感じた。バイクと男は壁にぶつかり止った。
一瞬の静寂の後、その男は体を起こし走り出した。
てっきり逃げると思っていた。
違う。向かってきた。
ターゲットは私じゃなく近藤。
距離をやや開けて近藤は男と対峙する。男の手には黒い棒。
それが鉄なのか木なのかわからない。容赦なく振り下ろす。
近藤は着ていたジャケットを片手に持ってそれで受け流す。
棒とジャケットが絡んでお互い力比べのような状態になったとき
近藤は蹴られて車にぶつかった。バイクの男はまるでロボットのように非情に凶器を振り下ろす。
すべては私の目は冷静に見ているのに体が動かない。
声すらも出ない。
ただ息を飲むばかり。─ガシャン。
やや低いガラスの割れる音。
車のドアの窓が割れた。
近藤は振り下ろされた凶器から逃れた。
当たっていたら、あの窓ガラスのように割れていたのは
近藤の頭だと思うと、震えが起きる。恐い。
近藤を失うのが恐い。
カバンの中の携帯を震える手で探す。
あった。
違う。これは─
万が一に備えてお守り代わりの小さなナイフ。
携帯電話の半分の大きさにも満たないナイフ。
それが私の唯一の武器。それを手にした時、震えは止まった。
もう仕事なんてどうでもいい。
私が今、一番大切なのは仕事なんかじゃない強い感情が私を突き動かす。
乱暴にハイヒールを脱ぎ捨て、一つ大きく息を吸って
奥歯に力を入れて
バイクの男に向かって走って近づき
そして・・・
ナイフを突き刺す。サクッ
その瞬間、体中の毛が逆立つような緊張が走った。
刺さらない。
皮のツナギは思ったよりも硬い。
強い力で差し込んだナイフは私の握力では握りきれずに
自分の手を逆に傷つけてしまい手放してしまった。
そして、ナイフは音を高い音を響かせコンクリートの上に転がった。掌の傷の痛みは無いけど、自分自身の無力さのダメージが大きい。
でもその隙に近藤は体制を入れ替え男の凶器を取り上げた。
目で合図された。下がっていろ!と。私は2、3歩下がって近藤を見守る。
取り上げた凶器を投げ捨て男のヘルメットを掴んで
振り回した後、投げ飛ばした。
男が起き上がる所に蹴りを入れた。
ヘルメットとコンクリートがぶつかる激しい音。
その後の静寂。
終わった。近藤は私の元にやってきた。
やや荒い呼吸がいつもよりワイルドで思わず見とれる。
額に滲んだ汗。
すべてがカッコよく見える。「大丈夫ですか?無茶しますね。」
笑って言ってくれたのがうれしかった。
まるで私は子供のようだ。「役にたてなかったですけど、でも─」
「いや、助かりました。手の怪我は?」
手の怪我は皮が少し切れて血が滲む程度、全然問題ない。
近藤は携帯電話で警備員を呼んだ。
これで近藤の任務は終了してしまうことを思い出した。
わかっていた事。
だったら最後に告白してもいいのかな。目の端に何かが動いたのに気がついた。
黒い影。
男が立ち上がった。
立ち上がり際に私が落としたナイフを手にして近藤に向かっている。
近藤は電話していて気が付く様子はない。私の体はこんなに軽かったのかと思うほど
近藤の元へ駆けつけていた。
その距離は3mにも満たない距離だったけど。
間に合った。
彼の元にたどり着いた時、近藤は振り向き抱き合う格好になった。
胸に飛び込んだとき。
背中に衝撃があった。
鈍い衝撃。
想像では鋭利な痛みが来ると思っていた。
痛みより好きな人の胸の中にいる事によってが、痛みの感覚を混乱しているのだろうか?そのあと近藤が体の向きを変えて男を蹴り倒した。
さっきより鈍い音。
背中の痛みなんて気にならない。
この際だから告白してしまおうか。
なんかクラクラする。「近藤さん。ありがとう。
私、近藤さんのこと─」バタバタバタ
人がこれから告白しようとしていたところで
警備員がやってきた。警備員の一人が声を掛けてきた。
「大丈夫ですか。救急車は?」
「結構です。」
近藤の冷たい声。
なんで。私はもう手遅れなの?
思わず近藤の顔を見る。「え?」
近藤の腕に見覚えのあるナイフが刺さっていた。
私の背中に刺さってんじゃないの?
それでも、自分の最高級の恥ずかしさより近藤の心配が上回る。
それにしても最後の最後まで守ってもらいっぱなしだった。「近藤さん!腕に─」
「対したことないですよ。まぁそれより無事解決ってところですかね。」
無事解決。
私にとって彼との別れの言葉を意味する。
近藤の腕から引き抜かれたナイフは別れの鐘のように
コンクリートに響いた。言いたい事があるのに言えない。
格好をつけている。
自分から告白なんてしたことない。
なっちが好きになった人に振られるのは嫌。
でもこのまま別れたくない。
「あのこれからどうするんですか?」
もっと気の利いたセリフが言えないのか?
この期に及んでまだ良い格好しようとする。「このあと?警察に行って事情聴取でしょうね。」
「そうじゃなくて」
「?今日は仕事終わりだから帰ります。」
「あ。私は?」
「何か用があるんですか?」
「え?あの、帰ってもいいんですかあのマンションに。」
「もちろんです。他に帰る場所あるんですか?」
「あ。そうね。いつ引っ越せばいいのかしら。」
「いいですよ。好きなだけいても。私は困りませんし
中澤さんさえ退屈でなければ。」「でも、近藤さんの仕事はこれで終わりじゃないんですか?」
「クビですか?」
「え?」
「そうじゃなかったら、そのままマネージャーやります。」
「いいんですか?」
「もちろん。喜んで。」
「え?本当ですか?」
「はい。」
「あ、あの・・・私。
近藤さんの─」「ボクにまだ、これからも守らせてもらえませんか?」
「・・・」
近藤は私の告白を遮って、逆に告白の意味に取れる
言葉を私に言ってくれた。
化粧が落ちてしまうから泣くたくはなかったんだけど
非情にも、まつげには黒い滴が今でも落ちる寸前だったので
そっと指の関節で拭って、涙と同様に溢れてくる嬉しさの感情は
首を縦に振り「よろしくおねがいします」と、色気のない言葉しか吐き出せなかった。そう、きっと仕事じゃない彼の言葉。
あ・・・
なっち・・・
なっちに怒られちゃうな。
それでもいい。
私には賞味期限が迫ってるんだから。
「守られて」―終わり―