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Dボン 投稿日:2002/04/18(木) 09:01

タイトル:誰が為に少女は走る 

「……え、再婚?」
 人間ってとっさの時には取り繕えないんだなあって思った。
 
 俺の両親は俺が18歳の大学入学と同時に離婚した。
 その時俺の妹は15歳で、俺の家は借家だった。
 わかるかなあ?
 
 今でこそ、離婚の2文字を見てもなんともなくなったけど、
 その当時は動揺しまくってたんだよ。
 妹は幸いにもグレることなく現在に至り、大学生になった。

 俺はと言うと大学をギリギリで卒業し、なんとなく就職に背を向けて
 フリーターになっている。
 別に何がしたいわけではなく、テレビやインターネットやCDや本が
 あれば幸せなので、働く必要を感じないのである。

 今はアルバイトをしていないので、完全なプータロー。
 家族と共にマンション暮らしなので、視線が痛い…。
 朝に寝て、夕方に起きる。
 …………そろそろ仕事しようかな。いや、まだいいか…。いや…。

 凪のような毎日に、突然ハリケーンが来た。
 母親の再婚である。

 両親が離婚した時、俺と妹は特に争いもなく母親についていくことに
 なった。それについては疑問も不満もない。
 離婚の原因は知らないけど、父親は今でもそれなりに尊敬してるし、
 時々は会って飯食ったりしている。

 俺の中での母は、おとなしくて地味で堅実な人の代表だ。
 父は反対に派手で目立ちたがり。
 やっぱ、父の浮気が原因なのかなあ。

 ま、それはそれとして、母が再婚するとは思わなかった。
 この歳になって見知らぬ人を「父さん!」って呼び掛けるのはどうなの?
 これは最近、妹とかなりの時間話し合ったが、結論はでていない。
 議長役の母さん曰く、「嫌だったら、さん付けで呼びなさい。」
 それで妥協か…。なんてったって俺、扶養家族だもん。

 再婚の話が出てから、俺と妹との間で新しいお父さん予想似顔絵を何枚か
 描いた。
 俺の予想では真木蔵人が年をとった感じ、妹は新渡戸稲造ジャストの
 感じで予想をした。

 そんなこんなで新しい父さんと会う日がやってきた。
 あ、自然に「父さん」って言えるかも…。

 妹からの情報によると、名前を「矢口」さんと言うらしい。
 矢口か…。すると俺はこれから「矢口明夫」になるんだな。
 元々の名字が「水原」だから一文字減ることになる。
 みずはらではなく、みずわらと読む。これは初見の人は絶対に言えない。
 だからいちいち「みずわらです」と訂正しなければならないのである。
 この面倒から解放されると思うと、名字が変わるなんてたいしたことない。

 俺と母と妹は、約束の19時にホテルのロビーに着いた。
 当然俺と妹は大緊張である。似顔絵は財布に忍ばせておいた。

 「はじめまして。矢口滋治です。」
 そう言って新しい父さんはやってきた。

 矢口さんは俺と妹の予想を裏切り、まともな人だった。
 若くして二谷英明という感じの顔で、なんでも、IT関係の会社に
 勤めているらしい。俺も雇ってくれないかな。

 「明夫くんと、緑ちゃんだね。どうぞ、よろしく。」
 なかなかの美声である。舌も滑らかだ。
 俺と緑は好感触を覚えた。
 と、ここまではよく記憶している。だけどこの後の衝撃といったら…。
 「真里は仕事があって、遅れているんだ。申し訳ない。」
 え、え、真里って誰?
 母は困った顔をしている。緑は笑いを噛み殺している。爆発寸前だ。
 
 どうやら、俺には秘密にしていたらしい。What?
 …妹ができる…なんて甘美な響き…
 とは全然思わず、俺は唖然とするばかりだった。
 この時には「仕事」という言葉から、漠然とお姉さんだと思っていた。

 「ごめんね、明夫。緑がどうしても黙っとけって言うもんだから。」
 母がすまなさそうに言う。
 「妹が増えるんだよ、あ・き・ちゃん。」
 緑はしばく。帰ったらしばく。
 な、妹!?

 妹なのか…。仕事何してるんだろうな…。ますます家にいづらくなる…。
 家族は計5人か…。
 人間って一瞬にしていろんなことを考えられるんだな。

 「真里さんというのは、おいくつなんですか。」
 「真里は19だよ。緑ちゃんと同い年になるのかな。」
 ゲゲ。19が二人。結構しんどいかも。

 なんだかんだと自己紹介などをしていると、食事が運ばれてきた。
 中華のコースである。
 俺はマナーに気を使いながら食べるので精一杯だった。
 緑はガツガツ食っている。がさつなやつだ。
 「あきちゃんって、もしかして鈍い?」
 緑が八宝菜を口にしながら言ってきた。
 俺はとっさにチャックを調べたが、開いてなかった。
 何のことを言ってるんだろう…。

 「矢口だよ。で、真里だよ。」
 ヤグチマリ…。聞いたことのある響き…。言ったこともある…。
 頭の中で漢字が変換される。
 矢口真里。ゲゲゲゲゲゲ。モー娘の!?
 じゃあこの人、モー父?

 ブハハッ!!
 緑が俺の顔を見ていて吹き出した。八宝菜が鼻からでている。
 「ちょっと、あんた何してんの。」
 「大丈夫かい?緑ちゃん。」
 モ−母とモー父がテーブルを拭いている。
 俺は思考停止状態に陥ろうとしている。ヤバい。矢口が来るんだ・・・。
 ...スゲー・・・握手してもらおうかな・・・いや・・・/@&{{

 「あのー。真里さんって、あの矢口真里さんですか。」
 何が「あの」なんだかわからないが、聞いてみた。
 「ハッハッハ、まあ、モーニング娘。の矢口だよ。金髪の。」
 確定か。
 俺は矢口の…真里っぺの…アニキ!

 「家はどうするの?今の私たちの家は引き払うの?」
 緑が滋治さんに聞いている。もうタメ口かよ…順応性高いな…。
 「無理にとは言わないけれど、私たちとしては一緒に住みたいと思っている。
 東京にマンションがあるんだ。そこに5人で住もう。」
 俺は、ついに埼玉を脱出できることも嬉しかったが、やはり矢口と住めるんだと
 思うと顔がニヤけそうだった。
 実は、世間一般で言うところの……モーヲタなんです……。
 4期メン推しです。
 ああ、言ってしまった。

 緑は俺がモーヲタであることを知っている。だから秘密にしていたんだろう。
 なんだか心が落ち着いてきたぞ。もっと興奮していたいのに。
 「すいませーん、ビールいただけますか?」
 俺は酒を飲むことにした。滋治さんは既に飲んでいる。
 緑は未成年のくせに甘い酒を飲んでいる。なんだか楽しくなってきた。
 俺たち四人は三十分ほど歓談していた。

 「ごめんなさい。遅れちゃって。」
 「おー、やっと来たか。さ、早く自己紹介しなさい。」
 彼女はニット帽を目深にかぶり、うすいオレンジのサングラスをしていた。
 後ろからのぞく髪は金髪。ピアスもしている。
 パーカーに長めのスカート。靴は見えない。
 
 「はじめまして。矢口真里です。よろしくお願いします。」
 あ、矢口だ…。スゲー。
 「あ、矢口だ…。」
 緑が言った。
 「これ、何言ってるの!失礼でしょ。」
 母さん、そりゃ言うよ。だって矢口が目の前にいるんだよ。

 矢口はとまどっているようだった。
 なぜなら、俺と緑と滋治さんは既にできあがっていたからである。

 「はじめまして。水原明夫です。これからは矢口明夫になります。
 よろしくお願いすます。」
 俺は酔いながらも、少し噛んだだけで自己紹介ができた。
 「同じく水原緑です。同い年なん@%##。」
 緑は最後まで言えなかった。ダメなやつだ。

 「アキオさんにリョクさんですね。お二人とも酔っぱらってるんですか?
 お父さんも…。ああ、もう。すいません。」
 矢口はそう言って滋治さんの介抱をし始めた。
 なんて甲斐甲斐しいんだ!俺は滋治さんが少しうらやましかった。
 嗚呼。緑がヤバい。
 俺も甲斐甲斐しく介抱してやろう。

 その後も俺、緑、滋治さんはハイペースで飲んでいた。
 矢口も結構なペースで飲んでいる。
 やはりみんな緊張しているんだろう。そう考えると、飲まずに平然と
 落ち着いている母さんは、すごいのかもしれない。

 「滋治さんは私が連れて帰りますから、三人でどこかに移動したら?」
 「おーーー、それがいいな。千香さん、帰ろう!」
 母さんはそう言うと、上機嫌な滋治さんを連れて帰ってしまった。