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ネオ生茶 投稿日:2002/05/11(土) 21:41
その時、彼女は焦っていた。
(どうしよう〜!
お願いです、神様!
贅沢は言いません!
かっこ良くなんてなくてもいいです!
お願いだから、マトモな人にして下さい!
いきなり、部屋に入ってこられて、縛られて、服脱がされて、
その後、(ピーー)が(ピーー)で(ピーー)の(ピーー)されて……
しかも、それをビデオに撮られて、売られたりとかして……
どうしよう、私、生きていけないよ!)
彼女は下を向いたまま、ずっとそんなことを考えていた。
「ちょ、ちょっと、愛!?」
「えっ!?」
母に話しかけて、愛は現実の世界に引き戻された。
隣にいるのは、母の高橋梨華。「どうかしたの?」
「う、ううん……。大丈夫だよ」
愛は、苦笑いをした。
「気分でも悪いのかい?」
「だ、大丈夫です!」
そして、今、話しかけてきた、母の反対側の席に座っているのが、
愛の新しい父親である。
ここは、高級レストラン。
そう、今日は再婚することになった母の再婚相手との食事会だったのだ。
今まで、女手一つで育ててくれた母が再婚すると聞いた時には驚いた。
新しいお父さんは、かなりのお金持ちらしい。
そして、今日、会ってみて、いい人そうであった。
しかし、問題は父親ではなかった。
新しい兄のことだった。
「それにしても、遅いなぁ〜、あいつ」新しいお父さんは、腕時計を見る(なんだか、高そうだ)。
1時集合のはずなのに、既に30分経っている。
「やっぱり、再婚するのがイヤなのかしら……」
梨華は、ネガティブモードに入ってしまった。
「そんなことないよ。
あいつに再婚するって言ったら、
『母さんができるなんて嬉しいね』
って、言っていたんだから……」
「でも……」
隣で心配する母以上に、愛は心配していた。
(ああ、神様……)
愛は、24階から見える景色を眺めていた。……朝だ。
ボクは目が覚めた。
時計を見る。
12時半を指していた。
でも、大丈夫。
今日は、日曜日。
幸い、今日は部活はない。
ボクは寝直そうと思い、布団をまた被った。
でも、そう言えば、今日、何か用事があったような……
「あっ!」
……今日は、新しい母さんと妹との食事だったんだ〜!約束の時間は、1時!
ボクは、急いで食事に行く支度を始めた。
服は、タンスの中からスーツを取り出した。
「大丈夫だな!」
鏡の前でそう確信すると、マンションを飛び出した。
そして、急いでタクシーを拾う。
ボクは、運転手さんに行き先を伝えると、ふと時間のことが気になった。
マズい、すでに1時だ。
……。
ボクの名前は、堤 信治(つつみ しんじ)。
どうやら、本編の主人公らしい……。「やっと、着いた……」
ボクは、タクシーから降りた。
時計は、1時半を指していた。
「ヤバい、30分遅刻だ……」
ボクは、ビルに入るとエレベーターに乗った。
(え〜と、確かあの店は24階だったよな)
ボクは、24階のボタンを押した。
エレベーター内は、適度に混んでいた。
(マズいな〜、いきなり印象が悪くなっちゃったよ〜)
ボクがため息をついていると、あっという間に24階に着いてしまった。
ボクは、エレベーターを降りると約束の店に向かった。
(あ〜、やっと着いた〜!)
ボクは、店の中に入った。「父さん、遅くなってごめん」
ボクは、父さん、そして、新しい母さんと妹がいた。
「おい、何分遅刻したと思ってるんだ?」
父さんは、少し機嫌が悪そうだった。
「ごめんよ、寝坊しちゃって……」
ボクは、苦笑いをした。
「全く……。
まあいい、とりあえず、挨拶をしなさい」
父さんは、少し呆れているようだった。
「初めまして、堤 信治です。
よろしくお願いします」
ボクは、新しい母さんと妹に向かってそう言った。
すると、新しい母さんらしき人が立ちあがった。「え、え〜と、高橋梨華です!
よ、よろしくね、信治クン!!」
新しい母さんは、少し緊張しているようだった。
(若いな、この人……父さんにはもったいないな〜)
ボクは、心の中でそう思った。
ボクは、妹のほうを見た。
しかし、なんだかこの子さっきからボクのことをずっと見つめている。
そんなに見つめられても、ボクも困ってしまう。
「ほら、愛!
挨拶しなさい!」
母さんにそう言われて、彼女は突然、立ちあがった。
「ご、ごめんなさい!
愛です!
高橋 愛です!
よろしくお願いします!!」
愛さんはそう言うと、何度も頭を下げた。「こちらこそヨロシク、愛さん」
「あ、愛さん…?」
「あれ、何か変なこと言ったかな?」
「そ、そんな全然ありません!」
愛さんは、顔を大げさに横に振る。
愛さんという呼び方が良くなかったのだろうか?
しかし、他に何か良い呼び方があるだろうか?
いきなり、「愛」と呼ぶのも変だし……。
ボクが、そんなことを考えていると父さんがご飯を食べようと言い出した。
そして、4人共メニューを決めた。
そして、頼んだものが来た。
会話は弾んだが、愛さんだけが会話に参加しない。
ずっと下を向きながら、上目使いをボクのほうをチラチラと見ている。
そして、目が合うと視線を下に下げてしまう。
……?
果たして、ボクは何か嫌われることをしたのだろうか?
遅刻したことをそんなに怒っているのだろうか?
ボクはそんなことを、ずっと考えていた。食事が終え、ボク達は今、自宅のマンションにいる。
普段は仕事が忙しくて、滅多にいない父さんも珍しくいる。
今日、帰ってきたら、母さんと愛さんの荷物が届いた。
元々、二人で暮らすには(ほとんど、一人の時が多かったが)、
大きすぎる部屋だったので、母さんと愛さんが入っても、全然余裕だ。
ちなみに、なぜ、母さんのことを母さんと呼んでいるかと言うと(なんだか、変な日本語だな)、
梨華さん、だと他人みたいでイヤだ、と本人が言ったからだ。
父さんが母さんの、ボクが愛さんの荷物整理を手伝っている。
作業に関することは話すが、それ以外は何も話さない。
なんだか、気まずいな……。
そんなこんなで、作業が終わった。「それじゃあ」
ボクは、愛さんの部屋を出ようとした。
「あ、あの!
ちょっと待ってください!」
ボクは、愛さんに引き止められた。
「ん? どうかした?」
「どうかした、と言うか……お話しませんか?」
「別に、構わないけど……」
ボクは、ベットに座っている愛さんの隣に腰掛けた。
「あの、お願いがあるんですけど……」
愛さんは、なんとなく遠慮しがちな感じで言ってきた。
「愛さんがボクに?」
「その、『愛さん』って言うのをやめてもらいたいんですけど……」
「はっ?」
「だから、『愛』って呼んでください!」
「そ、そんな……。図々しくて、呼べないよ」「でも、『愛さん』はイヤなんです。
なんだか、他人みたいで……」
確かに、そう言われてみればそうだ。
しかし、一体、なんと呼べばいいのだろう……。
「じゃあ、『愛ちゃん』でいいかい?」
「はいっ!」
愛ちゃんは、すごく嬉しそうだった。
「あと、何個かあるんですけど……」
「いいよ、言ってごらん」
ボクがそう言うと、さっきと同じように遠慮しがちに言った。
「敬語、使わなくてもいいですか?」
「敬語?」
「だって、兄弟なんだから……」
そう言えば、愛ちゃんはずっと敬語を使ってたなぁ〜、と初めて気付いた。
「ごめんね! 気付かなくて……。
敬語なんか使わなくていいよ」
「ホントに?」
「ホントだよ」
愛ちゃんは、また嬉しそうだった。「じゃあ、最後に……。
『お兄ちゃん』って呼んでいい?」
「お、お兄ちゃん!?」
やはり、そう言われると、驚くものがある。
しかし、そう言われて、初めて兄になったんだな、と実感した。
「ボクなんかが兄貴でいいんならね」
ボクは軽く笑った。
すると、愛ちゃんは、
「お兄ちゃん、大好き!」
と言って、抱きついてきた。
ボクと愛ちゃんはベットに倒れこんだ。
「ちょ、ちょっと、愛ちゃん!
危ないよ!」
愛ちゃんは、少し興奮気味(?)みたいだ……。
「ごめんね、お兄ちゃん!」
それでも、愛ちゃんは嬉しそうだ。
そんな愛ちゃんは可愛かった。「♪ピピピピピピピピピピ〜〜〜」
わけのわからない音で、ボクは目覚めた。
とりあえず、ケータイのアラームを止める。
買った時から、アラームにはこの音を使っているが、
いまだに、何の音なのかわからない。
「ま、いっか!」
そう言うと、ボクは自室を後にした。
時間には、余裕があったのでシャワーを浴びることにした。
風呂場に行き、誰かが使っていないか、確かめる。
普段は、こんなことはしないのだが(と言うより、する必要がない)、
女性が2人もいるとそうはいかない。
「誰も使って……ないね」
ボクは、着ている物を脱いで、シャワーを浴び始めた。
とちらかと言うと、入浴やシャワーは好きだ。
実際、朝、シャワーを浴びた日は、なんとなくスッキリして過ごせる。
まあ、浴びていない日はスッキリ過ごせないというわけではないが……。しばらくして、ボクはシャワーを止め、風呂場を出ようとした。
その時も、誰かいないか確かめる。
「……いないね」
ボクは、風呂場を後にした。
そして、ボクは制服に着替えた。
「あれ、早いんだね」
キッチンに行くと、母さんがいた。
「なんで〜?
私がキッチンにちゃ、ダメなの?」
「別にそうわけじゃないよ」
ボクは、軽く笑った。
「お昼はどうするの?」
「ボクは…いらないかな。愛ちゃんには作ってあげたら?」
「うん、わかった。そうする!」
母さんがそう答えると、ボクはダイニングの椅子に腰掛けた。「そう言えば、愛ちゃんは今日が転校初日だったね」
ボクは、話を変えた。
「そう言えば、そうね……。
信治クン、悪いけど学校まで一緒に行ってあげてくれない?」
「いいよ」
「ホントに? ありがとう」
「でも……」
「でも?」
「愛ちゃん、そろそろ起きないと遅刻しちゃうよ」
「え〜、もうそんな時間〜!?
悪いけど、信治クン、起こしてきてくれない?」
「じゃ、起こしてくるよ」
そう言うと、ボクは愛ちゃんの部屋に向かった。「信治クンって……可愛い」
一人っきりになった梨華はそう呟いた。「さ〜てと、愛ちゃんを起こさなくては……」
コン、コン!
ボクは愛ちゃんの部屋のドアをノックした。
「……起きてないのかな?」
……どうしよう?
仕方ない、起こしに行くか……。
そう思い、ドアノブに手を掛けた。
しかし、ここで問題が一つ……。
(例え、兄弟だと言えども血は繋がっていない……。
入ってはマズいのでは……?)
しかし、もうそんなことを言っている時間ない。
(仕方ない! 見ちゃいけないものがあったらすぐに出ればいい!)
そう言い聞かせると、ボクはドアノブに再度、手を掛けた。
ガチャッ!
ボクは恐る恐る、愛ちゃんの部屋に入っていった。部屋の中を見渡す……。
見ちゃいけないようなものは無さそうだ……。
ボクは、ベットを見た。
そこには、愛ちゃんが寝ていた。
その寝顔は……可愛い。
ずっと、その顔を見ていたかったが、そんなことも言ってられない。
あまり体に触るのは良くないと思ったので、布団の上から愛ちゃんを揺らす。
「愛ちゃん、起きて! 朝だよ!」
しかし、愛ちゃんは一向に起きない。
「愛ちゃん、起きて! 学校に遅刻しちゃうよ!」
……起きない。
「仕方ない……」
バッ!!
ボクは、布団を剥ぎ取った。
すると、愛ちゃんはようやく目を覚ましたようだ。「さ、寒い……。
お母さん、布団返してよ!」
愛ちゃんは、ボクのことを母さんだと思っているみたいだ。
「愛ちゃん、起きて! 学校に遅刻しちゃうよ!
それと、ボクはお母さんじゃないよ!」
「……お母さんじゃない? ボク?」
・
・
・
「お、お兄ちゃん!?」
愛ちゃんは、かなり驚いている様子だ。
「なんで、お兄ちゃんがいるの!?」
「だって、母さんに愛ちゃんを起こすように言われたんだけど、愛ちゃん、全然起きないから……」「お兄ちゃんのエッチ!!」
愛ちゃんは、自分の身を守るように腕を組んだ。
「そ、そんな……。
と、とりあえず、早く来てね、遅刻しちゃうから……」
ボクはそう言うと、逃げるように愛ちゃんの部屋を後にした。キッチンに戻ると、母さんが朝食を作っていた。
なんだか、嬉しそうだ。
「愛、起きた〜?」
「ああ、起こしてきた……のかな?」
「なにそれ〜?」
やっぱり、嬉しそうだ。
同居2日目にしてこの事態……。
果たして、ボクと愛ちゃんはこの先、うまくやっていけるのだろうか……?
嬉しそうな母さんを見ながら、ボクはそんなことを考えていた……。モグ、モグ……
ボクは、一人で黙々と朝食を食べている。
母さんは、今さっき、トイレに行った。
(どうしょう……、愛ちゃん、怒ってるだろうなぁ〜……)
そんなことを考えていると、制服に着替えた愛ちゃんがやって来た。
一瞬、目が合ったが、すぐに逸らされてしまった。
愛ちゃんの顔はなんとなく赤い。
(うう、気まずい……)
いつまでも、こんな状態が続くのは困る。
よし、ここは勇気を出して言ってみよう!
「あ、あのさ、愛ちゃん……?」
「なに?」
愛ちゃんは上目使いではあるが、こっちを向いてくれた。
「だから、その、さっきはごめんね」
「……」
(やっぱり、怒ってるのかな……?)しかし、愛ちゃんの次の言葉は予想に反するものだった。
「私の方こそ……ごめんね」
「……はっ?」
「せっかく、起こしに来てくれたのに、エッチだなんて言っちゃって……」
「いいよ、全然。もともとは、ボクが悪いんだし」
「でも、今度からは勝手に部屋に入らないでね」
「うん、わかった」
すると、母さんがやって来た。
「あら、愛…やっと起きたの。
でも、信治クン……時間、大丈夫?」
「えっ?」
そう言われて、ボクは時計を見る。
「ヤ、ヤバイ! 遅刻だ!!」
「えっ!?」
「愛ちゃん、今すぐ家を出ないと遅刻しちゃうよ!!」
「わ、わかった!」
ボクと愛ちゃんは、すぐに家を出ることにした。「じゃ、母さん、行ってくるよ」
「お母さん、行ってくるね〜」
「ちょっと待って!」
と、お母さんに呼びとめられた。
「どうしたの?」
「ちょっと、目、閉じてて」
「う、うん……」
──!!
ボクは頬に柔らかい感触を感じた。
「母さん!!」
「ほら〜、よくドラマとかでやってるじゃない!
顔、真っ赤よ〜!
信治クン、もしかして……照れてるの?」「そ、そんなことないよ!」
「可愛い〜!」
「と、とりあえず、行ってくるからね!
ほら、愛ちゃんも! ……って、どうかしたの?」
愛ちゃんはずっとこっちを見つめている。
「えっ?」
「だって、ずっとこっち見てるから……」
「な、なんでもないよ!
早く行こ!」
そして、ボクと愛ちゃんは家を出た。(……『母さん』)
「ハア、ハア、ハア……」
どうにか、時間までに駅に着いた。
「愛ちゃん、大丈夫?」
隣にいる愛ちゃんを見る。
「ハア、ハア……なんとか……」
全然、大丈夫じゃなさそうだが……。
「今度から、もう少し早く出ようね」
「うん……」
この駅は、学校からは少し遠いので、ボクらと同じ学校に通っている生徒は少ない。
ちなみに、愛ちゃんが編入するのは、ボクの通っている学校の中等部。
校舎は違うものの、渡り廊下でつながっているし、学食も一緒だ。
だから、ほとんど同じ学校に通うようなものなのだ。「電車、来ないね」
「えっ?」
「だって、駅に着いてから、結構たってるよ」
「ちょっと待って」
そう言われて、時計を見てみる。
「確かに、電車が来る時間は過ぎてる……駅員さんに聞いてくるよ」
そう言って、ボクは駅員さんに話しかける。
「……ってことなんです」
「ありがとうございました」
ボクが駅員さんと話を終えると、愛ちゃんが話しかけてきた。「なんだって?」
「なんか、電車のエンジンにトラブルがあったとかで少し遅れるって。
遅刻にはならないから大丈夫だよ」
「な〜んだ!
だったら、あんなに走らなくても良かったのにね」
「そうだね」
しかし、電車が遅れてくれたのは、ラッキーだ。
こんなところを、他の生徒に見られたらまずい。
そうだ、愛ちゃんにも言っておかないと……。
「あのさ、愛ちゃ……」
「あっ、電車来たっ!」
「えっ?」
遅れていた電車がやって来たのだ。
結局、愛ちゃんには言いそびれしまったが、学校に着くまでに言えばいいんだ。
そう思うと、ボクと愛ちゃんは電車に乗り込んだ。「思ってたより、空いてるんだね」
そう言って、愛ちゃんは席に座った。
ボクも、その隣に座る。
「今日は、電車が遅れたからだよ。
普段は、ギューギューだよ」
そう言うと、愛ちゃんは少し残念そうだった。
「ところでさ、愛ちゃん?」
「なに?」
「学校でなんだけどさ、ボクと愛ちゃんがさ、兄弟だとはいえ、
一緒に暮らしてることは言わないでくれるかな?」
「なんで〜?」
「だって、う〜ん、なんて言えばいいんだろうな〜…?
だから、その冷やかされたりとしたら、イヤじゃない?」
「ううん、全然」
「でも、う〜ん……なんて言うのかな?
今のボクと愛ちゃんみたいな2人って、よく漫画とかでいるじゃん?」
「それって、つまり、私とお兄ちゃんが……お兄ちゃんのエッチぃ〜!」
愛ちゃんは、嬉しそうにボクの肩を叩く。
……なんで、嬉しそうなんだろう?「そうじゃなくてっ!
だからね、そういう2人ってのは、一緒に暮らしてるのがバレた後って、
ロクなことが起きないんだよ。
だから、ボク達はそうならないように、黙っておこうね、って言ってるの?
わかった?」
そう言うと、愛ちゃんの顔はなんだか暗くなっていた。
「あれ、どうしたの?」
「私と一緒に暮らしてるのが、バレるのがそんなにイヤなの?」
「えっ?」
「やっぱり、私みたいなんかなのと一緒に暮らしてるのイヤなんだ?」
「そ、そういう意味じゃないよ!」
「じゃあ、なんでそこまで嫌がるの?」
これは、もしかして、いわゆる……「泣かした」というヤツなのでは!?
「だから、そういう意味じゃなくて、ほら〜、愛ちゃんは可愛いでしょ?
だから、その、朝から変なこと言って悪いけど、
ボクが愛ちゃんに変なことしたとか、思われたら困るからさ」「な〜んだ、そうなんだ!」
「まあ、そういうわけなんだけど。
ごめんね、色々言っちゃって……」
「ううん、いいよ、全然。
ところでさ……」
「なんだい?」
「私って……可愛いの?」
愛ちゃんは、上目使いで聞いてきた。
顔は、少し(と言うより、かなり)赤い。
「あ、ああ……可愛いよ」
きっと、ボクもそうなってるんだろうな〜、と思いながら答える。
しばらくして、電車は学校に最寄の駅に着いた。駅から学校までは、徒歩10分といったところだ。
普段、この道はウチの学校の生徒でいっぱいだが、今日は、電車が遅れたのでほとんどいない。
愛ちゃんは、辺りをキョロキョロしている。
「今度、一緒にあの店行こう!」
と、言われたので、
「ああ」
と、僕は答える。
そんなこんなで、学校に着いた。
そして、愛ちゃんを中等部の職員室に送り届ける。
電車のことは、電話で伝えてあったので大丈夫だった。
「じゃね」
「うん、じゃね!」
愛ちゃんは手を振ってくれたので、僕も手を振り返す。
そして、ボクも自分の教室に向かう。「お年寄りが安全に過ごすために……」
ガラッ!
授業中だったので、クラス中が一斉にこっちを見る。
「堤君、どうかしたの〜?」
「信治、何かあったの〜?」
クラス中から、そんな声が聞こえてくる。
しかし、
「みんな、静かに」
と、先生が言うとクラスのみんなは静かになる。
「あれ、堤……電車が遅れたんだっけ?」
「そうです」
「うん、わかった。席について……授業を続けます」
先生にそう言われて、ボクは席に向かう。
この先生は担任で、本名は……知らない。
生徒のほとんどは、「ガックン」と呼んでいる。
「先生」と呼んでいるのは、ボクと後数名だけだろう。
ちなみに、教科は家庭科だ。とりあえず、席に着く。
「吉澤、おはよう」
「……おはよう」
この子は、隣の席の子で、吉澤ひとみ。
ちょっと近寄りがたいところはあるが、根はいい奴だ(と思う)。
授業中は、大抵、MDを聴いているか、寝ているかだ。
なのに、成績はいい。
なんでだろ……?
「堤、教科書、読んで」
先生に言われて、ボクは我に返る。
「はい……え〜と、お年寄りが暮らしやすい社会に……」
ボクは、教科書を読み始める。「失礼します…」
信治と別れた愛は、信治が案内してくれた職員室に入る。
「君、授業中だけど、どうかしたのかい?」
中年ぐらいの教師が話し掛けてくる。
「今日から、この学校に通うことになった、高橋愛って言うんですけど……」
「何年生?」
「3年です」
「3年生ね、え〜と……」
その教師が考え込んでいると、後ろから女教師が話し掛けてきた。
「あなたが、高橋愛さんね?」
「ハイ、そうです!」
「今日から、あなたの担任の保田圭です。ヨロシクね」
「よろしくお願いします!」
「とりあえず、こっち来て」
保田先生は、愛を個室みたいなところに呼ぶ。
「座って」
そう言われて、愛は椅子に座る。「え〜と、今日は電車が遅れたんだっけ?」
「そうです」
「電話で聞いてるわ。
次の時間が私の担当教科だから、その時に私と一緒にクラスに行きましょう」
「はい」
「ちゃんと、自己紹介できる?」
「大丈夫です!」
すると、チャイムが鳴った。
「じゃあ、そろそろ行くわよ」
「はい」
愛は、少し緊張気味だった。「緊張してる?」
「ちょっと……」
「大丈夫よ、いい子ばかりだから」
「はい…」
愛は、保田先生と一緒に教室に向かう。
「こんにちわ〜!」
すれ違うたび、生徒が挨拶をする。
「こんにちわ」
保田先生も、笑顔で返す。
「そう言えば、高橋さんはシンちゃんの妹さんなんでしょ?」
「シンちゃん?」
「堤君のことよ」
「お兄ちゃんのこと、知ってるんですか!?」
「そりゃ、この学校に通っていればね…」
そう言って、保田先生は笑う。
しかし、なぜ笑うのか、愛にはわからない。「お兄ちゃんのことはみんなに黙っててもらえませんか?」
「どうして?」
「お兄ちゃんがそう言ったからです」
「(確かに、それもそうね)わかった、みんなには秘密にしておくわ」
「ありがとうございます」
「ただ、先生方には言っておくわよ」
「わかりました」
「ここよ」
チャイムは既に鳴っていて、廊下に生徒の姿はない。
「じゃ、入るわよ」
「はい…」
保田先生は、教室のドアを開けた。ガラッ!
保田先生が、ドアを開けて教室は静かになる。
しかし、それはすぐにそれまで以上に騒がしくなった。
「あの子が、転校生!?」
「可愛いよーー!!」
「俺、このクラスで良かった〜!!」
そんな言葉が、クラスを行き交う。
「みんな、静かに〜!」
保田先生がそう言うと、クラスは少し静かになった。保田先生は、黒板に「高橋愛」と書いた。
「じゃあ、自己紹介してもらうから……できる?」
「大丈夫です……今度、転校してきました、高橋愛です。ヨロシクお願いします!」
そう言って、一礼する。
すると、クラスはさっきまで以上に騒がしくなる。
「静かに〜! とりあえず、授業するよ!
じゃあ、高橋さんは、あの席に座って!」
そう言われて、愛はその席に座る。
「じゃあ、授業を始めま〜す!」
そう言って、保田先生は授業を始めたが、相変わらず、クラスは騒がしかった。チャイムが鳴って、授業が終わった。
すると、十数人が愛の所に集まってくる。
「どこから来たの〜?」
「血液型は〜?」
「前の学校では、なんて呼ばれてたの〜?」
いわゆる、「質問責め」ってやつだ。
一度に何人かに話し掛けられたので、少しは戸惑ったが、質問に答える。
そして、数名の女子と一緒に昼食を食べることになった。
「高橋さん、ケータイ持ってる?」
「うん、一応。
でも、買ってもらったばかりだから、使い方が良くわからないんだ」
「なに?」
「これ」
そう言って、愛はケータイを見せる。
「これなら、使い方わかるよ。
登録しておくね」
「ありがとう」
そうして、その女の子達は登録し始めた。「ねえ、ところで一つだけメモリー入ってるけど、誰?」
「あ、見ちゃダメ!」
そう言って、ケータイを取り返す。
「誰〜? もしかして、彼氏〜?」
「ち、違うよ!」
愛は、顔を赤くした。
そのメモリーは信治のものだ。
(そうだ、お兄ちゃんにメールしよ!)
そう思い、愛は信治にメールを打ち始めた。メール送信!
「お兄ちゃん、今日、一緒に帰れる?」
すぐに、返信がくる。
『ごめん、部活が終わってからになっちゃうけど、それでもいい?』
「部活ってなにやってるの?」
『軽音部だよ』
「見に行ってもいい?」
『いいよ。音楽室でやってるよ。つまらなかったら、帰っちゃってもいいからね』
「見に行くよ! じゃね〜」
『うん、じゃね〜』
愛が、信治とのメールのやりとりを終えると、
「どうしたの、高橋さん? ニヤニヤして……」
と、言われて、愛はまた顔を少し赤くした。「やっぱり、彼氏とメールしてたんだ〜!」
「違うってば〜!」
愛はそう言うが、女の子達は勝手に盛り上がっている。
「ところで、軽音部ってわかる?」
愛は、女の子達に聞く。
すると、
「今、軽音部って言った!?」
と、突然、前の席の子に話しかけられて、愛は驚く。
「う、うん……」
なんで、この子が話し掛けてきたのかわからなかったが、愛は答える。「誰が目当てなの?」
「目当て?」
「だって、軽音部、見に行きたいんでしょ?
誰か、かっこいいと思った人がいるんでしょ?」
「う、うん……」
「誰? 誰?」
「堤…先輩って人……」
「え〜、やっぱり〜!!
私も、堤先輩が一番好きなんだ!」
「その人、そんなに有名なの?」
「有名、てゆうか、この学校に通ってて知らない人はいないよ。ねえ?」
と、愛と一緒に昼食を食べている女の子達に振る。
「あの人、本当に人気あるからね〜」
女の子達は、そう答える。
「今日、軽音部の練習の日だから、一緒に見に行かない?」
「う、うん……」
「あ、それと、私、麻琴! 小川麻琴!
ヨロシクね!」
「こちらこそ……」
愛は、麻琴のマシンガントークに圧倒されてしまった……。「授業はここまで〜!」
そう言って、先生は教室を後にする。
すると、いつものように女の子達がボクの席にやって来る。
「堤君、今日は私のお弁当食べて〜!」
「信治〜、私の食べてよ〜!」
ボクの目の前には、10個以上の弁当箱がある。
(だから、そんなに食べられないんだって……)
毎日、そう思うのだが、結局、何も変わらない。
「ねえ、堤君、誰の食べるの!?」
「私のでしょ!」
ボクが、迷ってると女の子達はだんだん怒り出している。
(ど、どうしよう……)
すると、
「はい、信治…ア〜ン!」
と、ボクの目の前には卵焼きがあった。
ボクは、思わずそれを食べてしまった。「どお? おいしい?」
「う、うん…おいしいよ」
「良かったぁ〜!
じゃあ、信治は後藤のお弁当食べるんだから、あんた達はあっち行って!」
「何よ、あんた!
あんた、昨日も食べさせてたじゃない!」
「でも、信治はもう後藤のお弁当、食べてるじゃん〜!
ねえ、信治〜?」
と、聞いてきたのは、同じクラスの後藤さん。
本名、後藤真希。
その容姿から、校内でもかなり人気がある。
でも、毎日のようにボクにお弁当を作ってきてくれる。
しかも、そのほとんどが手作りだという。
ちなみに、後藤さんのお弁当を一番、食べていると思う。
「でも、後藤さんのは昨日、食べたから……」
ボクがそう言うと、
「……ひどい」
「えっ?」
「後藤が朝早くから起きて作ったのに、信治は食べてくれないんだ!」
後藤さんは、泣き出してしまった。「堤君、この女、絶対、嘘泣きだから信じちゃダメよ!」
「そうよ、そうよ! いつもそうじゃん!」
(ど、どうすればいいんだ?)
「信治は他の女の子の言うことは信じて、後藤のことは信じてくれないんだ……」
と、さらに泣き出す。
「わかったよ! 後藤さんのを食べるよ!」
「ホントに!?」
と、後藤さんは手を顔から離した。
「ほら〜、この女、嘘泣きじゃ〜ん!」
「信治、なんでいつもそう騙されるの〜?」
と、他の女の子達から問い詰められる。
「でも、信治は後藤のお弁当を食べるって言ったんだから、あんた達はあっち行って」
後藤さんがそう言うと、女の子達は文句を言いながら、ボクの席から去って行った。「はい、信治、ア〜ン!」
と、ボクの前にはどんどんおかずが現れる。
ボクが食べる度に、後藤さんは「おいしい?」と聞いてくる。
「お、おいしいよ」
と、答えると、
「ホントに〜? 嬉しい〜!」
と、後藤さんは言う。
そして、後藤さんの弁当を食べ終わりそうになった時だった。
「信治〜!」
と、後ろから、誰かがボクを呼んだ。
すると、ボクが振り向くよりも早く、後藤さんが立ち上がる。
「あんた、何しに来たのよ!」
「何しに、ってあんたには関係ないわよ!
ほら、信治、行くよ!」
と、ボクの制服を引っ張る。
この人は、矢口さん。
本名、矢口真里。
3年生で、この人も後藤さん同様、人気がある。
でも、毎日のようにボクを学食に誘ってくれる。
しかも、矢口さんのおごりで……(別に、金には困ってないんだが…)。「信治は、後藤のお弁当を食べてるの!」
「信治はあんたの冷凍食品ばかりのお弁当なんか食べたくないのよ!」
「冷凍食品ですって!?
後藤はね〜、信治のために毎朝5時に起きてお弁当作ってるのよ!」
「知らないわよ、そんなこと!
信治、行くわよ!」
そうして、ボクは後藤さんの弁当を食べ終わらないまま、
矢口さんと一緒に学食に行くことになってしまった……。「はい、信治、ア〜ン!」
そう言って、矢口さんはボクにカレーを食べさせようとしている。
「矢口さん…もう食べられません……」
さっき後藤さんの弁当を食べたのもあって、本当に苦しい。
「何よ〜! 後藤の弁当は食べられて、矢口のは食べられないってわけ!?」
矢口さんは、逆ギレする。
「そうじゃなくて……もうお腹一杯なんですよ……」
「食べるの!」
そう言って、矢口さんはボクに食べさせる。
周りからは、
「可哀想……」
という声が聞こえてくる。
そう思うんなら、助けてほしい……。
結局、今日もボクは矢口さんのカレーを全部、食べることとなった……。矢口さんとの食事が終わって、ボクは一人、保健室に向かった。
コン、コン!
「どうぞ〜!」
ボクは、ドアを開けた。
「あ、シンちゃん、どうしたの〜?」
白衣を着た先生が立ち上がる。
「また、矢口に食べさせられちゃったの〜?」
と、ボクのほうに寄って来る。
「そ、そうです……」
「あらあら、可哀想に〜……。
とりあえず、横になるべさ〜!」
先生に、そう言われてボクはベットに横になる。
この先生は、安倍なつみ先生。
養護の先生だ。
特徴は、時々、語尾の後ろに「だべ」とか「だべさ」が付くところだ。
北海道出身だから、そうなるらしい。
生徒からは、「なっち」と呼ばれていて、自分でも自分のことをそう呼んでいる。「シンちゃんも、食べられないんなら、食べられない、ってハッキリ言わないとダメだよ〜!」
「言ってるんですけど、なかなか……」
「まあ、矢口も悪い子じゃないんだけどね〜……」
先生は、そう呟く。
「そう言えば、シンちゃん? なっちの弟の話、覚えてる?」
「覚えてますよ。どうなんですか、弟君の体調は?」
先生には、ボクと同じくらいの年齢の弟がいるらしい。
ただ、病気がちで、小さい頃がずっと入院しているとか……。
「それが、最近、良くなってきていて、もしかしたら、退院できるかも知れないべさ〜!」
先生は、本当に嬉しそうだ。
すると、チャイムが鳴った。
「シンちゃん、大丈夫?」
「だいぶ良くなりました」
「じゃ、また、気持ち悪くなったら来るべさ〜!」
「わかりました」
そういうと、ボクは保健室を後にした。「愛ちゃん、行こ!」
ホームルームが終わると、麻琴は愛に話しかけた。
「うん」
愛がそう言うと、保田先生が近寄ってくる。
「高橋さん、どう? このクラスは?」
「楽しいです! 友達も出来たし」
「友達って誰?」
「麻琴ちゃんです!」
保田先生は、麻琴のほうを見る。
「小川さん、仲良くしてあげてね」
「は〜い!」
麻琴は、手を上げて答える。
「それじゃあね」
そう言って、保田先生は教室を後にした。
「じゃ、行こっか!」
麻琴がそう言うと、2人は音楽室へ向かった。愛は、麻琴から信治のことを聞かされて驚いた。
信治は、とにかくモテる!
新聞部が毎月、行なっている人気投票では、常に一位。
部活では軽音部に所属していて、
信治ともう一人でやっているバンド、「MITEI」は他校にもファンがいて、
ライブのチケットを手に入れるのは、難しいという。
担当はボーカルで、歌はかなり上手いらしい。
週数回、行われる練習には、学校中のファンが音楽室に集まる(中には、他校生も…)。
あえて、欠点を言うなら、背が少し低めだということだが、それでも普通の女の子よりは高い。
「彼女とかはいないの?」
と、愛が麻琴に質問すると、
「いないよ。コクられても全部断ってるんだって」
と、麻琴は答えた。
ちなみに、バンド名が何故、「MITEI」なのかと言うと、
ライブをする時に、バンド名を聞かれて、
「未定だから、MITEIでいいじゃん!」
と、言ったのがキッカケらしい。「ここだよ」
ある教室の前で、麻琴が止まる。
しかし、そこには部屋に入りきらないほどの人がいる。
「どうするの?」
愛が、麻琴に聞く。
「入っていくしかないでしょ?」
「だって、こんなに人がいるけど……」
愛が戸惑っていると、麻琴は愛の手を掴んだ。
「ほら、行くよ!」
「えっ!」
そう言うと、麻琴は愛を連れて、音楽室に無理矢理入る。
「痛い、痛い、痛い!」
愛はそう言うが、麻琴は手を離さない。
「愛ちゃん、手、絶対に離さないでね」
そう言って、麻琴は進み続ける。
そして、ようやく止まった。
前から、大体2、3列目だ。「どう、愛ちゃん? 見える?」
「うん、なんとか…。でも、誰もいないよ」
愛がそう言うと、麻琴は時計を見る。
「もうそろそろ出て来るよ」
麻琴がそう言うと、ドアが開いた。
すると、
「キャー!!」
「信治〜!!」
と、声がする。
「えっ、何、何?」
愛がキョロキョロしていると、
「堤先輩が出てくるの」
と、麻琴が愛に耳打ちする。
ドアからは信治が出てきた。
そして、信治と一緒に出てきた人は、それぞれの場所に立つ。
「こんにちわ〜!」
信治がそう言うと、
「こんにちわ〜!!」
と、みんな一斉に返す。
愛は隣を見ると、麻琴もそうしていた。
「じゃ、一曲目、行きま〜す!」
信治がそう言うと、曲を演奏し始めた。「愛ちゃん? 愛ちゃん? …愛ちゃ〜ん!」
そう言われて、愛はやっと気付いた。
「どうしたの、麻琴ちゃん?」
「どうしたの? …は、こっちのほうよ。
さっきから、ずっとボーっとしてるから……」
「ごめん、ごめん、ただ、お兄…堤先輩、すごいなぁ〜、って思って……」
思わず、愛は信治のことを『お兄ちゃん』と呼びそうになった。
「やっぱり、堤先輩いいよね〜!
まあ、周りの人もかなり上手いらしいんだけどね」
「みんな、すごい盛り上がってたから驚いちゃった」
「毎回、こんな感じだよ。
ライブの時なんか、もっとすごかったよ」
信治達の演奏が終わり、生徒達は帰り始めている。
ただ、愛は信治と一緒に帰るという約束があるので待っている。「でも、なんで麻琴ちゃんは残ってるの?」
「だって、これから堤先輩が出てくるんから話かけるんだよ」
「ここにいる人…みんな?」
「うん」
(え〜、どうしよう〜!? これじゃあ、お兄ちゃんと一緒に帰れないよ〜!)
愛がまた自分の世界に入っていると、
「愛ちゃん? 愛ちゃん? 愛ちゃ〜ん!」
そう言われて、愛は麻琴のほうを向いた。
「すぐに自分の世界に入っちゃうんだから……。
それより、堤先輩、出てきたよ」
すると、出てきた信治の周りに生徒達が集まっている。「どうやって、堤先輩に話しかけるの?」
「今からじゃ無理だと思うよ」
「えっ? じゃあ、なんで麻琴ちゃんは話しかけなかったの?」
「だって、ボーっとしてる愛ちゃんを置いていくわけにはいかないでしょ?」
「ごめん……」
「いいよ。それより、どうする?
一緒に帰らない?」
「ちょ、ちょっと待って!」
愛は背伸びをして、必死に信治を見る。
生徒達に囲まれていて、困っている様子だった。
(お兄ちゃん、私との約束、忘れてないかな〜?)
すると、信治と目が合った。
そして、信治は愛のほうを見て微笑んだ。
(お兄ちゃん、私との約束、忘れてないみたいだ!)
そう思うと、嬉しくなって愛も思わず微笑んだ。
「どうしたの、愛ちゃん?
急に、ニヤニヤして……」
「な、なんでもないよ!」
麻琴にそう言われて、愛は顔を赤くした。「信治〜! 矢口と帰ろう〜!」
「信治は、後藤と帰るの!」
ボクの目の前で、矢口さんと後藤さんがケンカをしている。
お願いだから、ボクの服を引っ張らないで下さい……。
「信治と帰るのは、私よ!」
「先輩、私と帰りましょう!」
ケンカしてる二人の他にも、他の人達が入ってきた。
(どうしよう〜、今日は愛ちゃんと帰るって約束があるんだけどな〜)
さっき、愛ちゃんの姿は確認できた。
隣にいたのは、小川さんだと思う。
「あ、あの、すいません」
ボクがそう言うと、
「「なに!?」」
矢口さんと後藤さんが一斉に返事をする。「今日は、他の人との約束があるんで、ちょっと……」
ボクがそう言うと、
「なに〜!? 矢口とは帰れないってわけ!?」
「信治〜! あんた、後藤のお弁当全部、食べなかったでしょ!」
「だって、あれは矢口さんが……」
「なに〜!? おいらが悪いって言うのか〜!?」
「そ、そうじゃないですけど……」
とにかく、このままじゃ永遠に帰れないと思ったボクは、
「とにかく、ボクは帰りますよ!」
と言って、女の子達の間を突っ切った。
そして、愛ちゃんのところに向かった。
「愛ちゃん、帰ろう」
「お、お兄ちゃん……」
愛ちゃんは、少し驚いてるみたいだった。
しかし、それよりも驚いてるのは小川さんだった。「愛ちゃん…えっ、なんで?」
小川さんは、なにがなんだかサッパリわからないという表情だった。
ちなみに、ちょっと理由ありでボクは小川さんとは知り合いだ。
「えっ? だって、愛ちゃん、今日、転校して来たばっかりだよね?」
「ご、ごめん、後で説明するね……」
愛ちゃんが、そう言うと、ボクと愛ちゃんは帰ろうとした。
しかし、
「ちょっと、待ちなさいよ〜!」
という声がした。
すると、ボクと愛ちゃんの周りを、矢口さんと後藤さん、その他大勢の女の子達が囲った。
「信治! 約束してたのってこいつ!?」
「誰よ、あんた!?」
女の子達は、愛ちゃんに怒鳴り始めた。
「えっ、えっ……」
愛ちゃんを見ると戸惑っている(と言うか、怖がっている)。「ちょっと、あんたさ〜」
後藤さんが、愛ちゃんの目の前に立った。
どちらかと言うと背が高い後藤さんが愛ちゃんを見下ろしているという感じだ。
「は、はい……」
愛ちゃんは、少し怖がっている感じで答える。
「調子乗ってるわけ?」
「別にそういうわけじゃありません……」
「じゃあ、どういうわけ?」
「どういうわけって……」
愛ちゃんが1歩下がると、後藤さんが1歩進む。
それの繰り返しで、愛ちゃんは壁まで追い詰められてしまった。
バンッ!
後藤さんが愛ちゃんの顔の横の壁に手をつける。
「あんた、私にケンカ売ってるわけ?」
「だから、そういうわけじゃ……」「ちょっと待ってください!
愛ちゃんが何したって言うんですか?」
小川さんが、愛ちゃんと後藤さんの間に割って入った。
「あんた…中等部の小川だね。
気に入らないんだよね、あんた」
「私も後藤さんのこと、気に入りませんね」
ドスッ!
後藤さんが小川さんを突き飛ばした。
「あいたた……」
「麻琴ちゃん!」
愛ちゃんが小川さんに近寄る。
「麻琴ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫だよ」
小川さんは、さっきまでとは違う笑顔で答える。
「あんた、口の聞き方には気をつけたほうがいいよ」
後藤さんは、今まで見たことのないような表情だった。「ちょ、ちょっと!」
ボクはいい加減やめさせなくてはと思い、近寄ろうとしたら、矢口さんに胸倉を掴まれた。
「信治! あんた、私って存在がありながら、彼女作ったの!?」
矢口さんがそう言うと、一斉に、
「嘘でしょ〜!」
「なにそれ〜! 聞いてないよ〜!」
という声がしてくる。
「ち、違うますよ…愛ちゃんは……」
そう言いかけて、ボクは「しまった!」と思った。
しかし、既に遅かった。
「愛ちゃん〜!?」
ボクと愛ちゃんを除くその場にいた全員が口にした。
「どういうことよ! それ!」
矢口さんは、ボクを壁に押しつけた。
「だ、だから、聞いてくださいよ!」
「聞けないわよ! あんたがちゃん付けしてるのなんて、聞いたことないもの!
彼女以外に何があるって言うのよ!」
「だ、だから、愛ちゃんはボクの妹……」
あっ!
……言っちゃった。
「えっ?」と、ボクと愛ちゃんを除くその場にいた全員がまた口にした。「妹〜!?」
ボクと愛ちゃんを除くその場にいた全員が口にする。
(や、やばい…言っちゃった……)
しかし、女の子達の反応は予想に反するものだった。
「な〜んだ、妹か〜!」
「心配しちゃったよ〜!」
何故だか、女の子達は安心した様子だった。
中には、
「ごめんね〜!」
と、愛ちゃんに謝っている子もいた。
(た、助かった〜)
ボクは、一安心した。愛も安心した。
色々と言われたので自分が妹だとバレたら、何を言われるかと心配していた。
しかし、みんなの反応は予想に反するものだった。
中には、謝ってくれる人もいて、愛は少し嬉しくなった。
ある一人を除いては……。
愛に謝る人がいる中、金髪の人が近寄ってきた。
(矢口さんって人だ)
矢口は、愛の横に立つと、
「あんた、信治に手出したら、ただじゃおかないからね」
と、押し殺したような声で言った。
(えっ?)
愛はそう思ったが、矢口はそれだけ言うと帰ってしまった。
(なんなんだろう、あの人……?
とにかく、あまり関わらないほうがいいね)
愛はそう思った。「愛ちゃん、帰ろっか!」
信治に言われて、
「うん!」
愛はそう答えた。
(そう言えば、麻琴ちゃんは……?)
さっきから、自分の傍に麻琴がいないのに気づいた愛は部屋中を見渡した。
(いないな〜、麻琴ちゃん……いた!)
すると、麻琴は人ごみから離れたところで、後藤と話していた。
表情からするに、とてもおしゃべりしているようには見えなかった。
(どうしよう、またさっきみたいになったら……)
愛が心配していると、後藤が何かを言い残して部屋を後にした。「麻琴ちゃん!」
愛は麻琴に駆け寄った。
「今、さっきの怖い人とケンカみたいになってたけど、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ」
「私、あの人のこと、良くわからないけど、あまり関わらないほうがいいよ」
「本当に大丈夫だから。気にしないで」
と、麻琴は笑顔で答えた。
「これから、お兄ちゃんと一緒に帰るんだけど、麻琴ちゃんも一緒に帰らない?」
「えっ? 悪いからいいよ」
「全然悪くなんかないよ。今、お兄ちゃんに聞いてくる」
そう言って、愛は信治に駆け寄った。
信治は、「いいよ」と答えた。
そうして、信治、愛、麻琴の3人で帰ることになった。「愛ちゃん、ごめんね。大丈夫だった?」
ボクは、今、愛ちゃんと小川さんと一緒に帰っている。
「大丈夫だよ」
愛ちゃんは、笑顔でそう言ってくれた。
「でも、先輩があそこでいきなり、愛ちゃんに話しかけたのが良くなかったんですよ〜!」
「そ、そうだね…ごめん」
「冗談ですよ」
そう言って、小川さんは笑う。
「でも、愛ちゃん、明日から大丈夫?」
と、小川さんが愛ちゃんに問いかけた。
「う、うん……」
愛ちゃんはなんだか、不安そうだ。
「とりあえず、学校ではあまり先輩とは一緒にいないほうがいいね。
後は、私が守ってあげるから」
「ありがとう、麻琴ちゃん!」
愛ちゃんの表情が明るくなったような気がした。「ところで、先輩。次のライブはいつでしたっけ?」
「再来週の日曜日だよ」
「お兄ちゃんのライブ、行ってみたいな〜…」
「じゃあ、来てよ。チケット用意するから」
「ホントに!?」
愛ちゃんは、笑顔で聞いてきた。
「用意できると思うよ。小川さんもどう?」
「いいんですか!?」
「もちろんだよ! 二人分、用意するからさ」
「やった〜!」
小川さんも嬉しそうだ。「でも、今日やってた曲、全部知らない曲だった」
「ああ、今日のは全部、洋楽だったからね。
ライブの時は、愛ちゃんが知ってるような曲にするよ」
「うん!」
そんなことを話していると、駅に着いた。
「確か、小川さんとは電車違ったよね?」
「そうですね、だから、ここでお別れですね」
「それじゃあ」
「さよなら」
「じゃあね、麻琴ちゃん!」
と、愛ちゃんは大きく手を振る。
「じゃあね」
と、小川さんも振り返す。
それから、電車が来て小川さんは電車に乗った。
「ボク達の乗る電車も、すぐ来るよ」
「うん」
そうして、ボクと愛ちゃんは電車を待っていた。「「ただいま〜!」」
ボクと愛ちゃんは、家に着いた。
すると、
「お帰り〜!」
と、母さんが玄関まで出迎えに来てくれた。
「愛〜、学校どうだった?」
「楽しかったよ! それに、友達もできたんだんだ!」
「良かったわね〜!」
母さんが、愛ちゃんの頭を撫でる。
「えへへ〜♪」
愛ちゃんは、嬉しそうだ。
「母さん、お風呂入れる?」
「入れるよ」
「じゃあ、お風呂入ってから、ご飯食べるよ」
「うん、わかった」
そうして、ボクはお風呂に入った。
お風呂では、愛ちゃんのこと、学校でのこと、音楽のこと、色々考えていた。
しかし、のぼせて来たので、出ることにした。「出たよ〜!」
ジャージに着替えて、ダイニングに行くと、料理は並んでいたが、
愛ちゃんと母さんはまだ食べていなかった。
「ごめん、待たせちゃったね」
「いいよ。それより、早く食べよ!」
「そうだね」
そう言って、ボクは席に座ると、
「いただきます〜!」
と言って、食べ始めた。
「おいしい〜!」
と、愛ちゃんが言った。「…うん! おいしいね」
と、ボクも言う。
母さんの料理は、本当においしい。
「そうでしょ〜! 今日は、頑張ったんだから!」
母さんは、誇らしげに笑った。
「そう言えば、お母さん!
お兄ちゃん、軽音部なんだけど、すっごく歌うまいんだよ!」
「シンちゃん、軽音部だったの?」
「まあね」
「私も聞きたいな〜! シンちゃんの歌〜!」
「私も〜!」
「じゃあ、ご飯食べたらね」
「「やった〜!」」
二人共、嬉しそうだった。ボクは夕食を食べ終わると、ギターを持って愛ちゃんと母さんのいるリビングへ向かった。
「お兄ちゃん、早く、早く〜!」
相変わらず、愛ちゃんは嬉しそうだ。
「なに歌えばいい?」
と、ボクが聞くと、
「私達が知ってそうな曲がいいな」
と、母さんが言う。
「私も〜」
と、愛ちゃんが相槌を打つ。
「そうだな〜…よし、決めた!」
と、ボクが言うと、
パチパチパチ〜!
と、二人が拍手をした。
「な、なんだか恥ずかしいな……」
ボクはそう言うと、ギターを弾き始めた。♪愛想なしの君が笑った そんな単純な事で
♪遂に肝心な物が何かって気付くボクは、ミスチルのシーソーゲームを歌った。
この歌はギターを弾くのも難しければ、歌うのはもっと難しい。
だけど、二人が知ってそうな曲と言われた時、一番最初に思いついたのが、
この曲だったので、この曲を歌うことにした。♪愛想が尽きるような時ほど She So Cute
♪お望み通り Up Side Down
♪勇敢な戦士みたいに愛したいな「……どうだった?」
ボクが聞くと、二人は驚いたような顔をしていた。
二人は、顔を見合すと、
パチパチパチ〜!
と、また拍手をした。「お兄ちゃん、すご〜い!」
「シンちゃん、上手〜!」
二人とも嬉しそうだ。
「歌も上手だし、ギターも上手だし、すごいよ〜!」
そう言って、愛ちゃんが駆け寄って来る。
「他にも何か、歌って〜!」
と、ボクの肩を揺する。
「もう遅いし、また今度ね」
ボクはそう言うと、部屋に戻った。
「エ〜!」
と、愛ちゃんは、残念そうな顔をしていた。ボクは、愛ちゃんと母さんの前で歌った後、部屋に戻って、
簡単に明日の予習を済ませた。
そして、少しギターをいじって、もう寝ようと思った時だった。
誰かがボクの部屋のドアをノックした。
「誰?」
ボクがドアのほうを見ると、そこにはパジャマ姿で枕を持っている愛ちゃんがいた。
「愛ちゃん……どうしたの?」
ボクがそう聞くと、
「一緒に寝てもいい?」
と、上目遣いで愛ちゃんは答える。
「……は?」
ボクは、思わず聞き返してしまった。
「だ〜か〜ら〜、一緒に寝よっ!」
そう言って、愛ちゃんはボクのベットに飛び乗った。
「お兄ちゃ〜ん、早く寝よう〜!」
愛ちゃんは、既に布団を被っている。「ダ、ダメだよ! い、一緒に寝るなんて……」
ボクは、顔が赤くなっていたと思う。
「もしかして……エッチなこと考えてる?」
愛ちゃんが、上目遣いで言う。
「か、考えないよ!」
ボクは、大げさに首を振る。
「じゃあ……寝よっ!」
そう言って、愛ちゃんは微笑む。
仕方なく、ボクは愛ちゃんと一緒に寝ることにした。
ボクは、少しドキドキしながら布団に入った。
とりあえず、上を向く。
「お兄ちゃん、私とお母さんと一緒に暮らしてどう? イヤじゃない?」
そう言って、愛ちゃんがボクのほうを向く。
「イヤなわけないよ。むしろ、嬉しいよ。
今までずっと、一人だったからね」
ボクは、愛ちゃんを見ながら言った。「私もなんだ……」
「愛ちゃんも?」
「うん。私、お父さんが小さい頃、いなくなっちゃったから、
お母さんが一人で育ててくれたんだ。
お母さんはいつも働いてて、兄弟もいなかったから、
学校から帰ってくると、すごく寂しかった。
だから、よく泣いてお母さんのこと、困らせてた。
でも、今日は、帰ってきたら、お兄ちゃんがいて、お母さんがいて、
す…ごく……嬉しかっ……た……」
愛ちゃんの瞳からは、涙がこぼれていた。
「そうだよね、今までずっと一人で寂しかったもんね」
ボクはそう言って、愛ちゃんの頭を撫でる。「お…兄ちゃんは、ずっ…と一緒に…いて……くれる?」
泣きながら言う愛ちゃんに、
「もちろんだよ」
と、ボクは言った。
すると、愛ちゃんは何も言わず抱きついてきた。
ボクは、そんな愛ちゃんをそっと抱きしめた。
「今日はもう遅いから、もう寝よう?」
ボクがそう言うと、愛ちゃんはコクリと頷いた。
それから、少しして愛ちゃんの寝息が聞こえた。
それに、寝言も言っているみたいだった。
なんと言ってるか、聞き取れなかったが、楽しい夢を見ているみたいだった。
そんな愛ちゃんを見ていると、ボクも嬉しくなった。目覚ましの音で、ボクは目が覚めた。
「もう、朝か……」
しかし、起きようとしたが、起きられない。
なぜなら、愛ちゃんが抱きついていたからだ。
「……どうしよう?」
愛ちゃんを見ると、気持ち良さそうに眠っている。
なんだか、起こすのが可哀想になったので、もう少し起こさないでおくことにした。
愛ちゃんの寝顔は…可愛い。
ボクは、その寝顔に見とれていた……。それから、少しして、愛ちゃんのほうから起きた。
「愛ちゃん……起きた?」
と、ボクが聞くと、
「うん」
と、微笑みながら言った。
「じゃあ、起きようか?」
と、ボクは上半身だけ起こした。
すると、
「ダメぇ〜!」
と、愛ちゃんが抱きついてきた。
「ちょ、ちょっと、愛ちゃん?」
と、ボクが言うのも聞かず、愛ちゃんはボクをまた寝かす。
「お兄ちゃん、もうちょっと寝てようよ〜!」
と、愛ちゃんは言う。
「でも、そろそろ起きないと遅刻しちゃうよ?」
と、ボクが言うと、
「お願い……」
愛ちゃんは、泣きそうな甘えた瞳で訴えてくる。
「もうちょっとだけだよ……」
と、ボクは、もう少しだけ寝ることにした。
「お兄ちゃん、大好き!」
と、愛ちゃんはボクに抱きついた。それから、数分後、ボクと愛ちゃんは母さんにたたき起こされた……。
「早くご飯食べないと遅刻するわよ!!」
そう言って、母さんはダイニングを後にした。
「(ねえ、愛ちゃん?)」
僕は小声で愛ちゃんに話し掛ける。
「(なに?)」
愛ちゃんも小声で返す。
「(なんで、母さん、あんなに怒ってるの?)」
ボクは母さんが戻ってこないか、ドアのほうをチラチラ見ながら言った。
「(わかんない)」
愛ちゃんは首を傾げる。
そんなことを考えていると、朝食を食べ終わってしまった。
その後、トイレに行くなど、適当に身支度を整え、ボクと愛ちゃんは玄関で靴を履いていた。
すると、母さんがやって来た。
「あっ、母さん……」
相変わらず、怒っているようだ。「お母さん……行ってくるね」
愛ちゃんは上目遣いで、少し怯えた感じで言った。
しかし、母さんは怒ったままで、何も言わない。
愛ちゃんはそのままドアを出た。
「行って来ます……」
ボクも、ドアを出ようとした。
すると、
「ちょっと待って!」
と、呼び止められた。
振り向くと、母さんが寄って来た。
(もしかして、ボクに怒ってたのか?)
しかし、母さんの表情はさっきまでとは違って、暗くなっている。
なんだか、落ちこんでいる感じだ。
(なんだ? なにが、どうなってるんだ?)
ボクには、何がなんだかわからなかった。すると、母さんが、
「あのね、シンちゃん?」
声もなんだか、暗い。
「今日の朝、愛と一緒に寝てたじゃない?」
「ああ……」
ボクは、気まずく答える。
「……やっちゃったの?」
母さんは少しで恥ずかしがってる感じで言った。
「やっちゃった、って……何を?」
ボクはそう言うと、母さんは小声で言った。「……エッチ」
その瞬間、なんで母さんが朝から機嫌が悪いのかがわかった。
きっと、ボクと愛ちゃんが一緒に寝ていたから、勘違いしていたのだろう。
「してないよ」
と、ボクは言った。「……ホントに?」
やはり、落ちこんでいる感じの声だ。
「ホントだよ」
と、ボクが言うと、
「良かった〜!」
と、母さんの表情が少し明るくなったような気がした。
「じゃあ、行ってくるよ」
と、ボクが言うと、
「待って!」
と、また呼びとめられた。
「今度はなに?」
と、聞くと、
「忘れ物があるでしょ〜!?」
母さんは、上目遣いで怒っている。
「えっ、なに?」
ボクがわからないでいると、母さんがそっと耳元で囁いた。
「……ホントに?」
「うん! 早く〜!」
母さんは、嬉しそうだ。「仕方ないな〜……」
ボクは母さんの頬に……キスをした。
「やった〜!」
母さんは、嬉しそうに飛び跳ねた。
「明日もだからね」
母さんにそう言われて、
「恥ずかしいから、いいよ」
と、ボクが言うと、
「やるの〜! 毎日〜!」
と、母さんは子供みたいにワガママを言う。
「仕方ないな〜……」
ボクは、母さんの頭を撫でながら言った。
すると、その手を振り払って、
「もう〜! お母さんは、私のほうなんだからね!」
と、怒っている。
「じゃあ、行ってくるよ」
と、ボクが言うと、
「行ってらっしゃい!」
と、母さんは笑顔で手を振ってくれた。ドアの外で、愛ちゃんは待っていてくれた。
「遅かったね」
「ごめん、ごめん。早く行こう!」
「うん!」
ボクと愛ちゃんは駅まで、走り出した。「良かった……シンちゃん、してなかったんだ」
一人になった梨華は、上を見ながらそう言った。
「どうしよう、私、シンちゃんに……。
シンちゃんは、私の子供なのに……」
信治にキスされた頬を触りながら、梨華は顔を赤くした……。それから、ボクと愛ちゃんは駅まで走り、どうにか間に合った。
「ハア、ハア、ハア……」
ボクは、息を切らす。
「明日こそ、余裕持って来ようね?」
「うん…」
愛ちゃんも息を切らしながら言った。
それから、愛ちゃんは辺りをキョロキョロしている。
「愛ちゃん、どうしたの?」
「えっ?」
愛ちゃんが、振り向く。
「さっきから、キョロキョロしてるからどうかしたのかな、と思って…」
ボクがそう言うと、
「昨日は全然、人いなかったのに、今日はたくさんいるから…」
やはり、辺りをキョロキョロしながら愛ちゃんは言った。「昨日は電車が遅れてたからね。
これからは、ずっとこんな感じだよ」
「え〜!?」
愛ちゃんは、不満そうだ。
すると、愛ちゃんはそっとボクに近づいた。
「ねえ、お兄ちゃん…?」
愛ちゃんは、囁くような声で言ってきた。
「なに?」
ボクは聞き返す。
「もし…痴漢とかに逢っちゃったら、どうすればいい……?」
愛ちゃんは、不安そうな声で言った。
「う〜ん…ボクに言ってくれれば、どうにかするよ。
声が出せなそうだったら、ボクの手を握って」
「うん……」
愛ちゃんは、不安そうな表情をしている。
すると、電車が来た。それから、ボクと愛ちゃんは電車に乗り込んだ。
いつものように、車内は満員だ。
(愛ちゃんは乗れたかな?)
そう思って、辺りを見渡すとすぐに近くに愛ちゃんがいた。
(あ、いるいる!)
ボクは安心した。
しかし、なんだか愛ちゃんの様子が変だ。
なんだか、泣きそうになっている。
ボクに助けを求めているようにも見える。
(もしかして……痴漢にあってる!?)
ボクは、焦った。
さっきどうにかすると、言っておきながらこれじゃどうすることもできない。
(とりあえず、誰が愛ちゃんに痴漢しているんだ?)
そう思い、愛ちゃんの周りを見てみる。
すると、おかしなことに気付いた。(愛ちゃんの周り……女の人ばかりだ)
とても、痴漢をするような人は見当たらない。
(じゃあ、なんで愛ちゃんは泣きそうになってるんだ?)
そう思い、ボクはどうにか愛ちゃんに話しかけた。
「愛ちゃん、どうしたの?」
一応、周りの人に聞こえないように、小声で言う。
「怖いよぉ〜……」
愛ちゃんは、泣きそうな声で言った。
(……怖い?)
「どうして?」
不思議に思ったボクは、そう聞いた。
「だって、人がいっぱいいて、苦しくて死んじゃいそうなんだもん……」
愛ちゃんは、また泣きそうな声で言った。
「大丈夫だよ、もう少しで着くからね」
ボクがそう言うと、愛ちゃんは泣きそうな顔で頷いた。それから、電車は学校に最寄りの駅に着いた。
ボクも愛ちゃんも、無事下りることができた。
「大丈夫だった?」
隣にいる愛ちゃんに話しかける。
愛ちゃんは、首を横に振る。
「だって、人がいっぱいいて、すごく苦しくて、
このまま死んじゃうんじゃないか、って……」
愛ちゃんは、手の甲で涙を拭いながら言った。
「もう大丈夫だよ」
そう言いながら、ボクは愛ちゃんの頭を撫でた。
すると、後ろの方から、
「な〜に、朝からイチャイチャしてるんですか〜?」
という声が聞こえた。
ボクと愛ちゃんが振り返ると、そこには小川さんがいた。「別に、イチャイチャしてるわけじゃないんだけどな……」
「端から見てると、イチャイチャしてるとしか見えませんよ」
「そ、そっか……」
そう言われると、ボクは何も言えなくなった。
「愛ちゃん、おはよう……って、どうかしたの?」
泣き顔の愛ちゃんを見て、小川さんが言った。
「満員電車にちょっとビックリしちゃったみたいでね……」
ボクがそう言うと、
「……痴漢、ですか?」
と、小川さんは小声で言った。
「そ、そういうわけじゃないんだけどね……」
ボクがそう言うと、小川さんは、
「愛ちゃん……大丈夫?」
と、愛ちゃんに聞いた。
愛ちゃんは黙ったまま、頷いた。「じゃ、ここからは私と愛ちゃんで行きますね」
「えっ? なんで?」
ボクは思わず、聞き返した。
「昨日、言ったこと、もう忘れちゃったんですか〜!?」
小川さんは、少し怒った感じで言う。
「えっ? 昨日、言ったこと? ……あっ!」
「思い出しました?」
「うん。じゃあ、ヨロシクね」
「はい! じゃ、愛ちゃん、行こ!」
そう言って、小川さんは愛ちゃんの手を握った。(そろそろ、ボクも行こうかな)
学校に向かって歩いて行く二人を、しばらく見た後、
そう思い、歩き出した瞬間だった。
ドカッ!
ボクは、後ろから誰かに蹴られ、前に転んだ。
「いてて……」
ボクは、蹴られたところを撫でる。
「なに突っ立ってねん、ドアホ!」
ボクに蹴りを入れた張本人がそう言う。
「何も、蹴らなくたっていいのに……」
ボクは蹴られたところを撫でながら、立ち上がる。「もう、加護ちゃんか…」
今、ボクを蹴ったのは、加護ちゃん。
本名、加護亜依。
中等部で、愛ちゃんと同じ学年だ。
あることがキッカケで知り合ったが、会うたび、今のように蹴られる。
しかも、年下なのに、「信治!」と呼び捨てだ。
まあ、妹みたいで可愛いんだけどね…。
「そんなとこに、突っ立てるからや!」
加護ちゃんは、そう言うとさっさとボクの横を通り過ぎた。
「なにしてんねん! はよ、行くで!」
「あっ、ごめん、ごめん…」
そう言われて、ボクも加護ちゃんの後に続いた。
「なあ、信治?」
加護ちゃんは、ボクの袖を引っ張った。
「なに?」
ボクは、加護ちゃんのほうを向く。「信治…妹できたんやって?」
ボクより、背の低い加護ちゃんが見上げる感じで言う。
「あ、ああ…」
ボクは、気まずい感じで答えた。
「さっき一緒にいた子やろ? …可愛い子やったな」
そう言う加護ちゃんの表情は、どこか寂しげだった。
「う、うん…」
ボクは、また気まずい感じで答えた。
「信治はその子のこと、好きなんか!?」
加護ちゃんの表情は、真剣だ。
「す、好き!?」
突然の予想外の質問に、ボクは思わず聞き返した。「だって、一緒に暮らしてるんやろ? 昨日の夜とか…」
(ギクッ!)
加護ちゃんは、頭の回転が速いみたいで、いつも鋭いところを突いてくる。
「別に何もしてもないよ」
ボクは、何事も無かったかのように答える。
「ホントに?」
加護ちゃんの表情は、更に真剣になっている。
「ホントだよ」
ボクは、さっきと同じように何事も無かったように答えた。
「なんや! 心配して損したみたいや!」
そう言って、加護ちゃんは笑う。
「でも、なんで加護ちゃんが心配するの?」
ボクがそう言うと、加護ちゃんの顔は赤くなっていった。
「な、なんでもあらへん! ほな、はよ行かんと遅刻するで!」
そう言って、加護ちゃんはボクの横を通り過ぎた。
「あっ、ちょっと待ってよ!」
ボクも慌てて、加護ちゃんを追った。その後、ボクは加護ちゃんと別れ、教室に向かった。
(結局、なんで加護ちゃんが心配したのかは教えてもらえなかった)
教室に行くと、ほとんどの生徒が登校していた。
何人かに挨拶をしながら、ボクは自分の席へ向かった。
カバンを机の横に掛ける。
「おはよう」
隣の席の吉澤にそう言う。
しかし、吉澤はMDを聞きながら、目を閉じている。
(寝てるのかな?)
ボクがそう思っていると、
「…おはよう」
と、少し遅れて返ってきた。
しかし、相変わらず、目は閉じている。
変わった奴だな、と思いながら、ボクは笑った。
すると、チャイムが鳴り、担任が入ってきて、ホームルームが始まった…。午前中の授業が終わり、お昼の時間になった。
すると、いつものように女の子達が集まってくる。
(今日もなのか……)
ボクは、溜め息をついた。
すると、ケータイが震えた。
「誰からだろ?」
画面を見てみると、母さんからだった。
「なんだろ?」
ボクは、通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『あっ、シンちゃん?』
やはり、母さんからの電話だった。「どうしたの?」
『今ね、……のよ』
「えっ、何?」
周りの声がうるさくて、電話の声が良く聞こえない。
母さんは、もう一度、同じことを言ったみたいだが、やはり、良く聞き取れない。
「ここ、うるさくて良く聞こえないから、場所変えて、掛け直すね」
ボクは、そう言って、電話を切った。
ボクが、教室を出ようとすると、
「信治、どこ行くの〜?」
と、女の子達に呼び止められた。
「もしかして、妹のところ?」
なんだか、女の子達の目が恐い。
「ち、違うよ、ちょっと電話してくるね」
女の子達はまだ何か言っていたが、ボクは構わず教室を後にした。「この辺でいいかな?」
ボクは、人気(ひとけ)のない廊下に来た。
そして、母さんに電話をする。
「もしもし、母さん?」
「あ、シンちゃん」
「待たせちゃって、ゴメンね。それで、どうかしたの?」
「うん…実はね、今、あの人から電話があって…」
「あの人、って、父さんのこと?」
「うん。今度の日曜日に知り合いの人の結婚式があるんだって…」
そこまで、言われてボクは何が言いたいのかがわかった。
「それで、父さんが行けないから、代わりにボクに行け、って言うんでしょ?」
「えっ、なんでわかったの?」
ボクがそう言うと、母さんは驚いていた。「今までに、何回もあったから、そういうこと…」
「そうなんだ…。シンちゃん、今度の日曜日…大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
「良かった〜! それと、もう一つ…」
「なに?」
「その結婚式、私も一緒に招待されてるんだって」
「そうなんだ。それが、どうかしたの?」
「私が一緒でも…いい?」
母さんの声は、急に小さくなった。
「ボクは、全然構わないよ」
ボクがそう言うと、
「良かった〜!」
と、電話の向こうで母さんがそう言った。
「反対されたら、どうしようかと思って…」
母さんは、そう言って笑う。「反対するわけないじゃん! 家族なんだから…」
ボクがそう言うと、母さんは笑うのをやめた。
「どうかした?」
「えっ?」
「笑うのやめたから、どうしたのかな、と思って…」
「な、なんでもないよ! お昼時にゴメンね! じゃあね!」
そう言うと、母さんは電話を切った。
「なんだったんだろ?」
そう言いながら、ボクはケータイをポケットに入れた。
それから、教室に戻ろうとすると、後ろから誰かがボクのことを呼んだ。
「せ〜んぱいっ!」
振り返ると、そこには小川さんがいた。「小川さんか〜。どうしたの、こんな所で?」
ボクがそう聞くと、
「別に、どうしもしないですけど、先輩がこっちのほうに歩いてたから、
なんだろう、って思って…」
と、小川さんは答えた。
「ああ、電話が掛かってきたんだけど、教室はうるさくて…。
だから、ここに来たんだよ。ここなら、人いないからね」
ボクがそう言うと、小川さんは「ふ〜ん」と頷いていた。
「ところで、先輩? お昼、もう食べたんですか?」
「まだ食べてないけど…」
「じゃあ、私と一緒に食べませんか?」
「でも…」
「教室に、女の子達が待ってる…ですか?」
「う、うん……」
ボクは、気まずく答えた。「いいじゃないですか、たまには!
先輩だって、本当は結構、困ってるんでしょ?」
そう言われて、ボクは、
「そ、そうなのかな…?」
と、曖昧に答えた。
「じゃあ、決定! 行きましょ!」
と、そう言って、小川さんはボクの腕を引っ張った。
「ちょ、ちょっと! 行く、ってどこに!?」
引っ張られながら、ボクが言うと、小川さんは立ち止まった。
「決まってるじゃないですか! 食堂ですよ、食堂!
お昼、食べるんだから!」
「えっ、でも…」
「行くんですかぁ〜!? 行かないんですかぁ〜!?」
ボクが曖昧に答えると、小川さんは怒った感じで言う。
「じゃ、行くよ…」
「ハイ、決定! 行きましょ!」
小川さんはそう言うと、ボクの腕を引っ張った。ボクと小川さんは、食堂に着いた。
とりあえず、食券を買う。
「先輩、何食べるんですかぁ〜?」
そう聞かれて、少し考えたが、適当にカレーを選んだ。
「いつも食べてるじゃないですか?」
小川さんにそう言われて、ボクは、
「別に、カレーは嫌いじゃないからね」
と、答えた。
「じゃ、私も」
と、小川さんもカレーを選んだ。
「すいません、カレー二つ!」
小川さんは、食券を差し出した。
「じゃ、できるまで待ちますか?」
小川さんがそう言うと、ボクと小川さんは空いている席に座った。
それから、カレーが出来上がった。
「いただきま〜す!」
小川さんは、カレーを食べ始めた。
「いただきます」
ボクも、カレーを食べ始める。ボクと小川さんは、話しながらカレーを食べた。
すると、小川さんと二人っきりでこんなに長く話すのは初めてだ、ということに気付いた。
(小川さんって、おもしろい子だな)
ボクは、改めてそう思った。
しかし、途中から小川さんは辺りを気にし始めた。
なんだろう、と思って、その視線の先を見てみると、そこでは女の子達がこっちを見ていた。
「誰、あの子? なんで、堤先輩と二人っきりでご飯、食べてるの〜?」
「あれ、小川でしょ? なんか、ナマイキだよね〜?」
という声が聞こえてくる。
ボクが小川さんになんて言おうと迷っていたら、小川さんは突然、立ち上がった。
そして、こっちを見て小言を言っている女の子達の前に立った。「何か用があるなら、コソコソしてないで、ハッキリ言って下さい!!」
その瞬間、食堂にいた全ての人の動きが止まった。
そして、全員が小川さんの方を見た。
女の子達は、何も言えないでいる。
すると、小川さんは席へ戻った。
「早く食べましょ!」
小川さんは、何事も無かったかの様に、カレーを食べ始めた。
「そ、そうだね」
ボクも、それに合わす。
しかし、周りの雰囲気は戻らないままだった…。お昼を食べ終えると、ボクと小川さんは食堂を後にした。
しかし、ボクと小川さんは一言も交わさず、気まずい感じで歩いていた。
「あの、先輩…」
突然、小川さんが立ち止まった。
「どうかした?」
ボクも立ち止まり、振りかえる。
「……ごめんなさい」
小川さんは、ボクに謝った。
その表情はいつもの小川さんとは違って、シュンとしていた。
「なんで?」
ボクは、聞き返す。
「さっき、コソコソと話されていたら、ついカッと来ちゃって、さっきみたいに……。
先輩は、私みたいなのと一緒にいると迷惑ですよね……?」
小川さんの瞳は、泣きそうな感じだった。「そんなことないよ」
ボクはそう言うと、小川さんは驚いたような表情をする。
「ボクは、こんなだから、人にモノを頼まれたら、イヤだと言えないし、
さっきみたいに、コソコソと何か言われても、何も言えず、そのまま黙っていることしかできない。
だから、小川さんみたいな子を見てると、羨ましいなぁ、と思うよ」
「……ですか?」
小川さんは、何か言ったが泣いているせいか、良く聞き取れない。
「なに?」
ボクは、聞き返す。
「……ホント、ですか?」
「うん、ホントだよ」
ボクはそう言うと、小川さんの瞳から流れている涙を、指でそっと拭った。
「良かったぁ〜!」
小川さんは、手の甲で涙を拭いながら言った。「私、嫌われちゃったかな、と思って、すっごく不安で……」
小川さんは涙を拭いながら言う。
「どんなことがあっても、ボクが小川さんのことを嫌いになることなんてないよ」
ボクが、そう言うと小川さんは嬉しそうに笑った。
「じゃ、私、ここで…」
「うん、またね」
「ハイ! それと、先輩…」
「なに?」「…大好き」
そう言うと、小川さんは行ってしまった。
その後、ボクは恥ずかしくなってしまい、誰かに聞かれていないか気になり、
しばらく、その場所で一人、キョロキョロしていた……。小川さんと別れた後、ボクは教室に戻った。
すると、ボクの席の前には、女の子達が恐い顔をして立っていた。
(ボク、なんか悪いことした?)
ボクは、目を合わせないように、コソコソと席に着こうとした。
すると、
「ちょっと、信治!」
誰かがボクを呼んだ。
後藤さんだ。
「な、なに?」
ボクは、恐る恐る上目遣いで後藤さんを見る。
(こ、恐い…)
ボクは、後藤さんを見ると、すぐに目を逸らした。
「あんた、どこ行っていたのよ!」
後藤さんの声に、クラス中がこっちを見る。「しょ、食堂だけど…」
「なに!? 聞こえない!?」
「…食堂!」
ボクがそう言うと、後藤さんの表情はいっそう怖くなる。
「誰とよ!?」
「…誰とって?」
「誰と行ったか、聞いてるの!?」
「…小川さん」
ボクは、もう泣きたくなってきた。
「信治! 私はあんたのために、毎朝5時に起きて、お弁当作ってんの!」
後藤さんがそう言うと、周りの女の子達から、
「私だって!」
「私もよ!」
という声がする。
しかし、
「あんた達は、黙ってて!」
と、後藤さんが言うと、みんな黙ってしまった。すると、後藤さんはまたボクを睨みつけ、
「それなのに、小川と一緒に食堂に行ったって、何!?
私はどうなんのよ!?」
後藤さんは、1歩、ボクに近づく。
ボクは思わず、1歩下がった。
すると、後藤さんはもう1歩進む。
ボクも、1歩下がる。
それの繰り返しで、とうとうボクの後ろは壁になってしまった。
しかも、後藤さんの後ろには女の子達がいる。
(ど、どうしよう…?)
「ねえ、信…」
と、後藤さんが言いかけた時だった。
誰かがボクの手を引っ張った。…吉澤だ!
「何よ、あんた?」
後藤さんが、吉澤を睨みつける。
すると、吉澤は、
「さっきから、あんた達、うるさいんだけど。
堤が可哀想じゃん?」
吉澤は、クールに答える。
すると、後藤さんは何か言おうとしていたが、
「行こっ!」
と、吉澤はボクの手を引っ張った。「この辺でいいかな?」
と、吉澤は人気(ひとけ)のない廊下まで引っ張った。
「ったく、あんたはホント、ハッキリしないんだから」
「ごめん…」
そう言われて、ボクは何も言えなくなってしまった。
「今度からは、ハッキリ言いなさいよ」
「う、うん、わかった…」
ボクは、オドオドとした感じで答える。「ホント、バカなんだから」
吉澤はそう言うと、中指でボクの口元をそっとこすった。
「?」
ボクが、吉澤が何でそんなことしたのかわからず、考えていると、
吉澤はその指を口元に持っていった。
そして、吉澤は歩き出した。
(もしかして…ご飯粒?)
ボクは、口元を押さえた。
すると、吉澤は振りかえり、
「何やってんの? 授業始まっちゃうよ!」
と言って、また歩き出した。
その表情は、いつもクールな吉澤とは違って、赤くなっているように思えた。信治と別れた後、麻琴は教室に向かった。
泣いた顔を見られるのが嫌だったので、できるだけ人気(ひとけ)の無い場所を通った。
そのおかげで、廊下を歩いてる時には、誰にも誰にも会わなかったが、
教室に入り、誰かがその顔を見れば泣いていたのがわかってしまう。
そう思った麻琴は、顔を洗うことにした。
「…こんなもんかな?」
洗い終わった麻琴は、そう言った。
(そうだ、鏡で見ていこう)
と思い、トイレに入った。
誰もいないかと思っていたら、人がいた。
しかし、なんだか様子が変だ。
よく見ると、女子生徒が、一人の女の子を囲んでいる。
しかも、その子は泣いてるようだ。
(…いじめかな?)
気付かれないように様子を疑いながら、麻琴はそう思った。
しかし、次の瞬間、麻琴は声を上げた。「愛ちゃんっ!」
そう、女子生徒に囲まれているのは愛だったのだ。
女子生徒達が、一斉に麻琴のほうを見る。
「なによ、あんた?」
一人の生徒が、近づきながら言った。
「なによ、はこっちのほうよ! あんた達こそ、なにやってんのよ!?」
と、麻琴も言い返す。
「別に、何もしてないけど…」
と、女子生徒は面倒くさそうに返す。
「何もしてないって、あんた達、寄ってたかって愛ちゃんのこと、いじめてるじゃない!?」
と、麻琴は女子生徒達を睨みつける。
その後、麻琴と女子生徒は睨み合いにあったが、女子生徒の一人が、
「行こっ!」
と言うと、全員トイレから出ていった。「愛ちゃん、大丈夫!?」
麻琴は、愛に駆け寄った。
愛は、涙を拭いながら頷いた。
「あいつらに、なんかされたの?」
と、麻琴が聞くと、
「教室に…いた…ら…、いき…なり…呼び出されて…、このトイレに…連れて…こられて…、色々と…言われて……」
と、愛は泣きながら言った。
「ごめんね、ごめんね…」
愛は、そう繰り返す。
「愛ちゃんが、謝ることなんかないよ!」
と、麻琴は言った。
「ほら、行こっ! 授業始まっちゃうよ!」
麻琴はそう言うと、手を差し出した。
「うんっ!」
愛は泣きながらも笑って、その手を握った。そして、二人は歩き出したが、次の瞬間、
「あっ!」
と、愛が止まった。
「愛ちゃん、どうしたの?」
麻琴が振りかえる。
「麻琴ちゃん、ごめん…」
愛は、呆然とした様子で言った。
「ん? どうしたの?」「私、まだ、手…洗ってなかった……」
「……」
その日、学校中に麻琴の叫び声が響き渡った……。
その日、授業が終わってから、ボクは一人で帰ることになった。
今日は部活もなく、愛ちゃんは小川さんと遊びに行くらしい。
学校から駅までを一人で歩く。
このまま、家に帰ってもいいが、なんだか気が進まなかった。
ふと立ち止まると、目の前に喫茶店があった。
この店は、よくウチの学校の生徒が寄るらしいが、ボクは一度も寄ったことがなかった。
少し立ち止まってから、ボクは一人でその店に入っていった。
店に入ったはいいが、どうしていいかわからず、立っていると、店員さんが話し掛けてきた。
「あっ!」
店員さんは、ボクだと気付くと、少し驚いたみたいだが(なんでだろう?)、すぐに、
「こちらへどうぞ」
と、歩き出した。
ボクもその後に続く。歩いていると、
「あっ! 堤先輩だ!」
という声がした。
ボクがその子のほうを向くと、その子は恥ずかしそうに下を向いた。
「こちらの席へどうぞ」
ボクは、窓際の席に案内された。
その後、適当に注文を済ますと、ボクは窓から外を眺めて見た。
そこからは、駅へ向かうウチの学校の生徒や社会人など色々な人が見える。
ウチの学校の生徒の中には、ボクに気付いて手を振ってくれる子もいた。
ボクも、手を振り返した。
すると、注文したレモンティーが来た。
ボクは、レモンティーを飲みながら、外をまた眺めた。昨日の夜、愛ちゃんから言われたこと……
今朝の母さんの誤解……
結局、教えてもらえなかった、加護ちゃんが顔を赤くした理由……
電話での母さんの様子……
小川さんの涙……
そして、吉澤のあの赤い表情……色々なことが、ボクの頭の中を駆け巡った。
なんだか、ここ最近、たくさんのことが重なりすぎてる……、
ボクはそう思った。
その後、しばらくいてから、ボクはその店を後にした。
レジでお金を払う時に、
「先輩、また来てくださいね」
と、真っ赤な顔で言う店員さんが、妙に可愛かった。
その帰り道、あの店員さんが、あの店でバイトしているウチの学校の生徒だということにようやく気付いた……。色々なことを考えながら帰ったので、あっという間に家に着いてしまった。
ケータイで時間を確認すると、結構遅くなっている。
(心配してるかな…?)
そう思いながら、ドアの前に立った。
「あっ、鍵掛かってる…」
仕方ないので、持っている鍵で開けることに…。
「……ない」
どうやら、今日は鍵を忘れてしまったようだ。
「あっ!」
しかし、今、家には誰かしらいることに気付いた。
ピンポーン!
チャイムを鳴らす。
すると、ドアが開いた。
「お兄ちゃん、お帰り〜!」
「先輩、お帰りなさい〜!」
愛ちゃんが、出迎えに来てくれた。
しかし、ボクはその隣にいる人に驚いた。
「ん? どうかしました、先輩?」
そう、そこには小川さんがいたのだ。「あれ、小川さん? どうして…?」
ボクがそう聞くと、
「実はですね〜、今日、泊まる事にしたんです!」
と、小川さんで笑顔で言う。
「え〜!!」
ボクは、思わず驚いた。
「……ダメですか?」
小川さんは、訴えるような瞳で首を傾げる。
「ダメじゃないけど…」
ボクみたいな奴がいる家に、年頃の女の子が泊まるなよ、と密かに思ったが、口には出さなかった。
「やった〜! 先輩、大好き!」
小川さんが抱き付いてくる。
「ちょ、ちょっと、小川さん…」
ボクが戸惑っていると、愛ちゃんが
「ちょっと〜! お兄ちゃんから離れてよ!」
と、小川さんを引っ張る。
「何すんのよ! 愛ちゃん!」
それでも、小川さんはボクから離れない。
「離れてよ〜!」
「離れない〜!」
と、二人はケンカになってる。「ちょ、ちょっと二人とも、やめなよ」
ボクが止めようとすると、
「お兄ちゃんは、黙ってて!」
「先輩は、黙ってください!」
と、二人に言われて、
「ハイ…」
と、黙ってしまった。
どっちにしろ、小川さんがボクから離れてくれたので、ケンカをしている二人を置いて、
ボクは、リビングのほうに向かった。
「ただいま〜!」
ボクが、ソファーにカバンを置くと、
「あっ、シンちゃん、お帰り〜!」
と、母さんがボクに気付いた。「麻琴ちゃんのこと、聞いた?」
と、突然、母さんに言われて、
「麻琴ちゃん?」
ボクは、思わず聞き返した。
「あの子よ、あの子! 小川さんよ。麻琴ちゃんっていうのよ」
と、母さんに言われて、
「そりゃ、知ってるけど…」
と、ボクは答えた。
「いいの? 泊めちゃったりなんかして…」
ボクが、そう聞くと、
「いいじゃない? 人数が多いほうが楽しいでしょ?」
と、母さんは言う。
そりゃそうだけど…、と思ったが、やはり、言わないで置くことにした。すると、ケンカが終わったのだろうか、二人がリビングへやって来た。
「とりあえず、お風呂入るね」
と、ボクが言うと、
「私も入っていい?」
「私も入ってもいいですか?」
と、二人がまたとんでもないことを言い出した。
「え〜!!」
思わず、ボクを声を上げた。
「なに言ってのよ! お兄ちゃんと一緒に入るのは、私!」
「そっちこそ! 先輩と一緒に入るのは、私よ!」
と、二人はまたケンカを始めてる。
母さんのほうを見ると、母さんはニヤニヤしている。
「はぁ〜…」
ボクは、ケンカしている二人を置いて、バスルームへ向かった。「はぁ〜……」
お風呂に入りながら、ボクは溜め息をついた。どうして、あの二人はケンカばっかりしてるんだろう…?
どうしたら、あの二人は仲良くなってくれるんだろう〜…?そんなことを考えていたら、かなり時間が経っていたらしく、
ボクはのぼせてしまったので、風呂から出ることにした。
ジャージに着替えて、リビングへ行くと、愛ちゃんと小川さんは二人仲良く、
ソファーに座って、テレビを見ていた。
二人は、ボクに気付くと、
「あっ、お兄ちゃん、出たんだ」
「長かったですね、お風呂」
と、言った。
(な〜んだ、仲良いんじゃん)
と、ボクは思った。
ケンカするほど仲が良いと言うし、ボクはちょっと考えすぎていたのかも知れない。「じゃ、私、お風呂入ってくるね」
と、愛ちゃんが立ち上がった。
「じゃ、私も〜!」
と、小川さんも立ち上がる。
「え〜、ヤダよ〜! 麻琴ちゃん、一人で入りなよ〜!」
「ヤダ〜! 愛ちゃん、一緒に入ろう〜!」
「ヤダ〜! 麻琴ちゃんのエッチ〜!」
どうやら、二人は風呂のことで揉めているらしい。
すると、
「ねえ? お兄ちゃん?」
と、愛ちゃんに呼ばれた。
「なに? 愛ちゃん?」
と、ボクは振りかえる。
「今、私と麻琴ちゃんが一緒にお風呂入るところ、想像してなかった?」
愛ちゃんは、とんでもないこと言い出す。
「し、してないよ! そんなこと!」
ボクは、大袈裟に手を振る。「なんか、ムキになって否定するところが怪しいよね」
小川さんまで、一緒になって言い出す。
愛ちゃんは、真っ赤な顔をして、
「も、もう〜…知らない!!」
と言って、バスルームへ行ってしまった。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 愛ちゃん! 誤解だよ!!」
ボクは、愛ちゃんを追いかける。
すると、
「先輩が、そんなエッチな人だなんて知りませんでした!」
と、小川さんに言われてしまった。
「ちょっと待ってよ! 小川さんまで…」
と、ボクが言うのも聞かず、小川さんまで行ってしまった。
「はぁ〜……」
仕方ないので、ボクはソファーに座って、テレビでも見ることにした。その後、ボクはしばらくテレビを見ていた。
キッチンでは、母さんが忙しそうに、夕食の準備をしている。
すると、リビングにお風呂から上がった愛ちゃんと小川さんがやって来た。
「あ、愛ちゃ…」
と、ボクが、愛ちゃんを呼ぼうとすると、「フンッ!」
と言って、愛ちゃんはボクの前を通り過ぎてしまった。
小川さんを見ると、クスクスと笑いながら、小川さんもボクの前を通り過ぎてしまった。
ボクは、どうしていいか分からず、その場に立ち尽くしていると、
「シンちゃん、ご飯よ〜!」
と、母さんに呼ばれた。
そう言われて、ボクは食卓に向かった。
席に座ると、ボクの隣は母さんで、正面が小川さん。
そして、小川さんの隣が、愛ちゃんだった。「いただきます〜!」
と言って、ボク達は食べ始めた。
「おいしいね、これ」
と、母さんに言うと、母さんは嬉しそうだった。
しかし、さっきから、愛ちゃんがボクと目を合わしてくれない。
どうしようかと、考えていると、
「お兄ちゃん、なにさっきから、私のほうをジロジロ見てるの?」
と、愛ちゃんが言った。
そして、ボクが何も言わないうちに、
「どうせ、私のこと見て、ヤラしいこと考えてるんでしょ」
と、愛ちゃんは言う。
ボクが、何も言えないでいると、
「愛ぃ〜! いい加減にしなさい! シンちゃんが可哀想でしょ!」
と、母さんが言った。「だって…」
と、愛ちゃんは言うが、
「だって、何よ?」
と、母さんは言う。
「…何でもない」
と、愛ちゃんは言った。
すると、愛ちゃんはなんだかシュンとしてしまった。
ボクがどうしようかと考えていると、
「……してくれたら、許してあげる…」
と、愛ちゃんが言った。
「ん? 何?」
と、ボクは聞き返すと、
「歌、歌ってくれたら、許してあげる…」
と、愛ちゃんは言った。
すると、小川さんも、
「私も、先輩の歌、聞きたいなぁ〜」
と、言い、母さんも、
「シンちゃんの歌、聞きたい〜!」
と、言った。
ボクは、
「いいよ」
と、答えた。
そして、夕食を食べ終わると、ボクは部屋へギターを取りに行った。ボクがギターを持って、リビングへ行くと、3人はニコニコしながら待っていた。
「な、なんだか、恥ずかしいな…」
そう言って、ボクはソファーに座った。
「じゃ、弾くよ」
そう言って、ボクは弾き始めた。♪ちょっとぐらいの汚れ物ならば
♪残さずに全部食べてやる
♪Oh darlin 君は誰 真実を握りしめるボクは、ミスチルの「名もなき詩」を歌うことにした。
「どうして?」と聞かれても困ってしまうが、敢えて言うなら、昨日、ミスチルを歌ったら、ウケたからだ。♪愛情ってゆう形のないもの 伝えるのはいつも困難だね
♪だから darlin この「名もなき詩」を
♪いつまでも君に捧ぐ「…どうだった?」
と、ボクが聞くと、
「お兄ちゃん、上手〜!」
「先輩、上手です〜!」
と、愛ちゃんと小川さんは、拍手をしながら喜んでくれた。
しかし、母さんは違った。
「母さん…なんで、泣いてるの?」
そう、なぜか母さんは泣いていたのだ。「ボクの歌…そんなに下手だった?」
と、ボクが聞くと母さんは、首を横に振った。
「ち、違うの…。この…歌が……主題歌だっ…たドラマ…、思い…出して…」
と、母さんは言った。
「そっか、良かった、良かった」
と、ボクは安心した。
「お兄ちゃん、もっと歌ってよ〜!」
「先輩、もっと歌ってください〜!」
と、二人がそう言ってくる。
「え〜、でも…」
と、ボクが言うと、
「お兄ちゃん、お願い〜!」
「先輩、お願いです〜!」
と、二人は甘えるような瞳で訴えてくる。
「じゃ、じゃあ、もう一曲だけだよ」
と、ボクが言うと、二人は、
「「ヤッタ〜!」」
と、二人は喜んだ。結局、その日はそれの繰り返しで、ボクは深夜まで歌わされることになった……。
小川さんが泊まりに来てから、数ヶ月が経った。
予定していたライブも、無事、終えることができた。
相変わらず、父さんはあまり家に帰ってこなく、
ボクは、母さんと愛ちゃんの3人で、毎日を過ごしていた。
愛ちゃんに、二つの「嘘」を隠しながら…。――某ホテル。
「ねえ、信治…?」
隣で寝ている、彼女がボクを呼んだ。
「なに?」
そう呼ばれて、彼女の方を向いた。
「今日の信治…ちょっと強引だった…」
彼女は、寂びそうに言った。
「ごめん…」
その表情を見て、ボクはごめんとしか言えなかった。
「何か、あったの?
学校で、何か面倒くさいことでもあったの?
それとも、家で何か…?
彼女の表情は、寂しいままだった。「話したくない…。
ごめんね、心配してくれてるのに…」
ボクは、彼女から視線を逸らした。
「いいんだよ、それで…。
私は、信治が辛い時や寂しい時に、信治が当たれる存在でいられれば…」
彼女は、そう言うとボクに抱きついた。
「……」
ボクは、彼女の耳元でそっと彼女の名前を呟いた。
「もっと言って…」
ボクは、もう2、3回、彼女の名前を呟いた。
そして、一旦、離れてから、そっとキスした。
辛さとか寂しさを、全て押し付けるように…。
それから、ボクは彼女に跨った。
「まだ、やるの?」
彼女は、少し笑いながら言う。
「うん。…ダメ?」
「…ううん、いいよ…」
彼女がそう言うと、ボクはまた彼女にキスした…。これが、一つ目の「嘘」…。
「今夜は、一緒に居ようよ?」
彼女の言葉を、ふと思い出す。
ただ、ボクは明日も学校があるからと言って、帰ることにした。
しかし、正直なところ、学校なんてどうでも良かった。
もしかしたら、ボクは彼女と一緒に居たかったのかも知れない。
でも、母さんと愛ちゃんが心配する…そう思って、ボクは今、こうして電車に乗っている。
彼女の表情を、唇を、そして…体を思い出す。
安らぎと罪悪感が、体中に走る。
「このままで、いいのだろうか…?」
ボクは、そう自分に問いただす。
「……」
ボクは、窓の外を見た。
もうかなり、遅い。
母さんも愛ちゃんも、心配してるだろうか…?
それより、彼女は…?
駅で別れたけど、家まで送っていかなくて良かったのだろうか…?
いつも、「送ろうか?」と言うと、彼女は、「大丈夫だよ」と答える。
どこに住んでいるのか、どこの学校に通っているのか…ボクは、彼女について、何も知らない。
ただ、辛くなったり、寂しい時、彼女に電話する。
そして、辛さとか寂しさを彼女に……押し付ける。
そんなボクを、ボクは自分自身で最低だと思う。
ただ、彼女はそれでいい、と言う。
それでも、ボクのそばに居られるだけでいい、と彼女は言う。
ボクは、彼女のことを好きなのだろうか…?
…わからない。
と言うより、今は誰も愛せそうにないし、誰も愛したくない。
ただ、彼女にはそばにいてほしい…。
こんなわがままが、いつまで続くのだろう…。…ケータイが鳴る。
画面を見ると、自宅からだった。
「もしもし?」
『あ、お兄ちゃん?!』
電話の相手は、愛ちゃんだった。
「ああ、愛ちゃん。どうしたの?」
『どうしたの、じゃないよ?! もう11時過ぎてるよ?!』
「ごめん、ごめん…。もうすぐ家に着くから」
『最近、よく帰り、遅いじゃん。なにやってたの?』
そう言われて、ドキッとする。
「…バンドの仲間と練習した後、ご飯食べてたんだよ」
『そっか…』
「じゃあ、またね」
『うん! 早く帰ってきてね!』
「わかった。またね」
そう言って、電話を切った。
どこか、ほっとしている自分がいる。
「嘘」を付く度、胸が軋むように痛む。「れいな、助けて…」
「ただいま」
家に帰ると、すでに12時を過ぎていた。
誰も起きていないと思っていたら、リビングに愛ちゃんがいた。
「あっ、お兄ちゃん! おかえり!」
そう言って、愛ちゃんが寄ってくる。
「愛ちゃん、もう遅いよ?
早く寝ないと、明日、遅刻しちゃうよ?」
ボクは、時計を見ながら、そう行った。
「お兄ちゃんが来るまで、起きてよう、って思ったの。
もう寝るね」
愛ちゃんは、そう言うと、自分の部屋に行こうとした。
「お兄ちゃん…?」
そう呼ばれて、振り返る。
「なに?」
「…ううん、なんでもない。おやすみ」
「おやすみ」
ボクがそう言うと、愛ちゃんは部屋に入っていった。
とりあえず、シャワーを浴びて、もう寝よう…。
ボクがそう思って、シャワーを浴びようと思ったら、
「シンちゃん?」
と、呼ばれた。
「母さん…。まだ起きてたの?」
そこには、母さんが立っていた。
「どうし…」
ボクが、「どうしたの?」と聞こうとすると、母さんが飛び込んできた。「か、母さん?!」
ボクは、母さんを離そうとするが、母さんは離れない。
「どこ行ってたの?」
そう言われて、ドキッとする。
「ちょっと、母さん! 愛ちゃんが起きちゃうよ?!」
ボクが、そう言っても、
「どこっ?!」
と、母さんは聞いてきた。
「どこって、別に…。友達と遊んでただけだよ」
ボクは、平然を装って、そう答える。
「香水の匂いがする…」
そう言われて、さらにドキッとする。
「電車に乗ってる時とかに、他の人のが付いたんだと思うよ」
ボクは、適当に誤魔化そうとした。
「・・・」
でも、母さんは何も答えない。
「…そばに居て」
「えっ?」
「今夜は、そばにいて…」
ボクから、少し離れて、母さんはそう言った。
断りたかったけど、その瞳を見ると、どうしても断れなかった。
「…いいよ。とりあえず、シャワー浴びてくる。待ってて」
ボクは、そう言うとシャワー室に向かった。これが、二つ目の「嘘」…。
「本当は、断る気なんか、なかったんだろう?」
その通りだ…。
行為が終わった後で、ボクはその事実を否定できなかった。義理とは言え、親子の間で「肉体関係」を持つこと。
それが、どんなに罪深いものなんだろうか…?
幼いボクには、わからない。
ただ、わかることは、その事実が、ボクの胸を軋むように痛ませてることと、
そして、胸が痛んでるのに、それでも、ボクはその関係を破棄できないでいることだ。
でも、あの瞳でみつめられると…。
寂しそうな母さ…いや、梨華を見ると、どうしても断れない…。「…嘘だ」
自分の中で、誰かがそう言う。
「お前だって、本当はやりたいんだろう?」
そう言われて、胸がまたズキンとする。
否定できない真実だから、胸が痛む。
ボクが、この「過ち」に気付いた時、最初に思ったことは、
「このことを、愛ちゃんに知られてはいけない」
ということだった。
自分の母親と、義理とは言え、自分の兄が「肉体関係」を持っていることを知ったら、
果たして、愛ちゃんはどれくらい傷つくだろう…。
それに、愛ちゃんは…
そう言い掛けて、ボクはそれ以上、考えるのをやめた。
そんなことを考えているボクの隣で、ボクの腕を抱きながら、梨華は寝ている。
どうして、こんなことになってしまったんだろう…?
……。
そうだ、全ては『あの日』から…
全ては、『あの日』から、狂ってしまったんだ…。――数ヶ月前。
小川さんが泊まりに来てから、数日後。
ボクは、父の代理として、母さんと一緒に結婚式に出席した。
結婚式の会場で、「信治くん、久しぶり。お父さんは、元気かい?」
「堤先生のお坊ちゃん! 先生は、お元気ですか?」などと、すれ違う人という人に声を掛けられた。
その度に、ボクは挨拶をし、そして、父の再婚相手である、
母さんのことを紹介した。
母さんは、場の雰囲気にどうしていいかわからず、
なんだか、落ち着かない様子だった。
その後、結婚式は無事終わり、ボク達は、二次会には参加せず、
早々に帰ることにした。「あ〜、疲れたぁ〜!」
会場だったホテルを出た、母さんは疲れた表情をしていた。
「そう? ボクは、普通だったけど?」
ボクは、慣れているので、特に疲れていなかった。
「だって、お金持ちの人ばっかりで、なんか、私だけ浮いてるみたいで…」
「そんなことないよ」
そういう母さんは、ボクは慰めた。
「ねえ、これからどうする?」
母さんにそう言われて、
「えっ? 帰るんじゃないの?」
と、聞き返した。
「どこかで、ご飯食べて行かない?」
そう言われて、時計を見る。
時計を6時少し前を指していた。
「いいよ」
そう言うと、母さんは嬉しそうな表情をした。その時、すでにボクの運命は、狂い始めていたのかもしれない…。
夕食を食べることにしたボクと母さんは、レストランに入った。
「なに、食べる?」
母さんにそう言われて、ボクはメニューを見る。
「う〜ん… それより、母さん…愛ちゃんは、いいの?」
突然、ボクは忘れていた愛ちゃんのことを思い出した。
「えっ? ああ、愛ね…。
そう言えば、今日は、友達の家に泊まりに行く、って言ってたわよ」
母さんは、どこか不自然に答える。
「友達って…小川さん?」
ボクが、聞き返すと、
「うん、そうそう!」
と、母さんは答えた。
ボクが、なんか変だな、と思ってると、店員がメニューを聞きに来て、
結局、愛ちゃんの話は、そこで終わりになった。「おいしかったね、さっきのレストラン」
夕食を終え、レストランを後にしたボクと母さんは、暗くなった道を歩いている。
「なかなか良い店だったね」
と、ボクは答えた。
「あのね、シンちゃん…?」
突然、母さんがボクを呼ぶ。
「なに?」
ボクが答えると、
「腕…組んでいい?」
と、聞いてきた。
「はっ?」
一瞬、ボクが聞かれたことの意味がわからなくて、聞き返す。
「ごめん、何でもない…」
母さんは、少し赤くなっている顔をしながら答えた。
「別にいいけど…」
ボクがそう答えると、
「ホントっ?!」
と、今度は嬉しそうな表情で言った。
うん、とボクが答えると、
「やった!」
と、言って、ボクの腕を掴んだ。それから、ボクと母さんは、無言のまま、駅まで歩いた。
しかし、駅が見えると、母さんは腕を離した。
「行こう?」
そう言って、歩き出すと、ボクは腕を掴まれた。
「どうしたの?」
ボクがそう言うと、
「シンちゃん…」
と、母さんは、そう言った。
そして、母さんはどこか吹っ切れた表情をすると…ボクの唇にキスをした…。
それは、甘く、可愛らしくて、でも、どこか寂しい味のするキスだった…。
……。
気が付くと、朝だった。
梨華との行為の後、『あの日』のことを思い出しながら、
どうやら、ボクは眠ってしまったらしい。
時計を見る。
普段、起きている時間より、少し早い時間を指していた。
隣で、気持ち良さそうに寝ている梨華を起こさないように、
ボクは、そっと梨華の寝室を後にした。
寝室を出た時、愛ちゃんはまだ寝ているようだった。
思わず、ホッとする。
もう一度、寝る気にもなれず、このまま、起きていることにした。
「なんか、気持ちいいな…」
そう言って、ボクはソファーに倒れ込む。
久しぶりに、朝早く目覚めたせいだろうか…。
ただ、昨夜のことを思い出すと、そんな気分もすぐに失せてしまった。
「シャワーでも浴びよう…」
そう言って、ボクはシャワー室に向かう。
例え、体の『汚れ』は消えても、心の『汚れ』までは消えない…。
そんなこと、わかっている。
それでも、ボクはシャワーを浴びずにはいられなかった…。そうやって、またボクの一日が始まる…。
いつものように、電車に乗って、学校に行く。
学校で、席について授業を受ける。
そして、授業が終わったら帰る。
ただ、それだけだ。
今までと、何一つ、変わらない日常…。
だけど、違う。
明らかに、違う。
ボクは、今、二つの「嘘」を抱えている。
その「嘘」のせいで、ボクは毎日、何かから怯えるような日々を送っている…。「あ、あの…」
朝、校舎に向かって、校庭を歩いていると、突然、話しかけられた。
「堤先輩…ですよね?」
ボクは、「そうだけど」と答える。
気のせいか、周りが少しボクとその子を見ているような気がする。
「もう歌…、唄わないんですか?」
そう言われて、胸が痛むような感覚がする。
「ごめん…、今はちょっとね…」
そう答えると、その子は少し落ち着かない様子で、
「あっ、だから、その…ごめんなさい…。
先輩の歌、好きだったから、また聞きたいな、と思って…」
そう言われて、さっきまでの胸が痛むような感覚に、嬉しさが混じる。
「ありがとう。でも、今はそういう気分じゃないんだ。
ごめんね…」
ボクは、そう答えた。
「こっちこそ、突然ごめんなさい…。
失礼しましたっ!」
そういう彼女は、走って行ってしまった…。「嘘」をつき始めるようになってから、ボクはバンドのメンバーに、
しばらく休む、と伝えた。「歌なんて、唄ってられない…」
そう思ったからだ。
音楽から離れ、ボクの変わった様子に、
最近は女の子からも、声を掛けられなくなった。
授業にも集中できず、毎日、ただなんとなく過ぎていく。
そして、罪を増やす…。
そんな毎日から抜け出したい。
でも、どうやって抜け出せばいいのか、わからない。
「ボクはどうすればいいんだ…?」
そう思うだけで、時間は過ぎていく…。気が付くと、授業は終わっていた。
周りは、すでに荷物をバッグに入れたりして、
下校の準備を始めている。
部活を休んでいるボクも、帰る準備をした。
家に帰ったら、愛ちゃんに「嘘」を隠さなくてはならない。
そして、梨華とは…。
そんなことを考えながら、廊下を歩いていると、
「君…堤君だよね?」
と、声を掛けられた。
振り返ると、そこには、見たことのない男子生徒が立っていた。
「何か?」
「今、校門に他の学校の生徒が居て、その子に『堤って人、呼んできて』って言われたから、
君じゃないかな、と思って…」
他の学校の生徒がボクに会いに来る…それは、よくあることだ。
しかし、大抵は、なんらかの方法で、うちの学校の制服を手にいれ、
こっそり、ボクの部活の練習を見るだけだった。
こんな風に、呼び出されるのは初めてだ。「どこの学校の人ですか?」
「それが…」
彼はそう言うと、ボクに学校名を告げた。
「朝比奈学園?!」
思わず、ボクは驚いた。
朝比奈学園と言えば、全国屈指の進学校で、頭が良いだけでなく、
家庭条件も良くないと入れないという(つまり、お金持ちじゃないとダメってこと)、
この辺では、誰もが知っているお嬢様学校だ。
ボクが知っている人に、そんな学校に通っている人はいない。
「…ボクじゃないと思います。他の人じゃないですか?」
「君じゃないかな〜、と思ったけど…。
まあ、いいや。ありがとう」
そう言うと、その人は走り去ってしまった。ボクではない。
そう思いながら、歩いていると、校門に近づくにつれて、
周りが、その子のことを言っているのがわかる。
「あれ、朝比奈学園だろ?!」
「あの子、超可愛くね?!」
などと言った具合だ。
しかし、ボクには関係ない。
そう思いながら、校門を過ぎようとすると、「よっ!」
と、その子に話しかけられ、ボクはその子の方に振り向く。
「れいな…」
そこにいたのは、そう…れいなだった…。
「どうしたの、突然…?」
ボクとれいなは、学校から離れ、二人で歩いている。
周りは、ボク達のほうを見て、何か言っているようだが、
れいなは全く、気にしていない様子だ。
「別に。ただ、信治に会いたくなっただけ」
「そう…」
ボクは、まだ驚きが収まっていない。
「それより、れいなって、朝比奈学園に通っていたんだ。意外だな…」
ボクがそう言うと、
「別に。親が勝手に入れただけだよ」
と、れいなは言う。「でも、勉強とかすごい難しいんじゃないの?」
「得意なのは、数学だけ」
ボクが聞くと、れいなはサラっと答えた。
朝比奈学園で数学が得意ということは、数学は相当できると言うことだ。
「てゆうか、れいなの家って、すごいお金持ちなの?
あそこって、お金持ちしか入れない、って聞くけど…」
「別に。そんなことないよ」
れいながそう言うので、ボクはそれ以上、聞けなくなってしまった。
「私は末っ子で、お姉ちゃん達はみんな、朝比奈学園に行ってたの。
だから、私もそこに通ってるだけ」
「そうなんだ…」しかし、そう言われても、どこか不良っぽい雰囲気のあるれいなが、
朝比奈学園のようなお嬢様学校に通ってるのは、どこか違和感がある。
「お姉ちゃん達が出来が良いから、親はあまり私には期待してないの。
だから、こんなんになっちゃったんだよ」
そう言って、れいなは笑った。
「それより、私も、今日、嫌なことあって…
だから、学校サボって、信治に会いに来ちゃった。
信治、今から大丈夫?」
「うん、大丈夫だけど…」
ボクがそう答えると、れいなは突然、キスをした。
「じゃあ、今からホテル行こう!」
そう言って、れいなはボクの手を握った。行為が終わった後で、ボク達は、ベットの上で寝ている。
隣では、れいながボクの腕を握っている。
「ねえ、れいな…?」
「ん?」
ボクが呼ぶと、れいなはボクの方を見る。
「今日…、何かあったの…?」
「うん…」
ボクがそう言うと、れいなは黙ってしまう。
「言いたくないならいいけど、突然、学校に来て、驚いたから…」
「ごめん…」
謝るれいなを、ボクは抱きしめた。
「いいんだよ。ただ、れいなが悩んでるのなら、力になってあげたいと思って…」
「ありがとう、信治…」
れいなはそう言うと、より一層、ボクを強く抱きしめる。
「今朝、親と喧嘩したの…」
「親と喧嘩…? なんで?」
ボクがそう聞くと、れいなは泣きそうな声で、
「いつも思ってたことなんだけど、
『お母さん達は、お姉ちゃん達がいればいいんでしょ?!
私なんかいらないんでしょ?!』って言ったら、
頬、叩かれて…。
頭に来た、と言うより、悲しくなって、そのまま、家を飛び出したの…。
それから、学校に行ったんだけど、いても立ってもいられなくなって、
それで、信治に会いたくなったの…。
だから…」
と、言った。「そっか…」
「ごめん…、迷惑だった…?」
そう言うれいなに、
「そんなことないよ」
と、ボクは答えた。
「前にも、親と喧嘩して、家を飛び出したことがあるの。
とりあえず、駅まで行ったんだけど、
それから、どうしていいか、わからなくて…。
その時、信治が歌ってるのが、聞こえてきて…。
信治の歌、聞いてたら、すごい泣けてきちゃって、
イヤなこと、忘れられたの。
それから、毎週、信治が歌う日が楽しみだったんだよ?」
「ありがとう…」
ボクがそう言うと、れいなは起き上がって、もう一つのベットに腰をかけた。
「私達、二人とも、きっと寂しかったんだよ…。
信治にとって、私は『寂しい時に当たれる存在』かもしれないけど、
私も、寂しい時に、信治にそばにいてほしかったの…。
それで、お互い、傷とか寂しさを舐め合うように、こうやって…」
そう言うれいなに、ボクは何も言えなかった。
「でも、信治は私の事、愛してな…」
そう言い掛けて、れいながやめる。
お互いに、沈黙が流れる。「……」
「……」
「…ごめん。それは言わない約束だよね…?」
そう言うれいなの瞳からは、涙がこぼれていた。
「抱いて…」
「えっ?」
「今すぐ抱いて! お願い!」
れいなはそう言うと、ボクを押し倒した。
「早くっ! 早く来て!」
れいながそう言うと、
「…いいよ」
と言って、今度はボクがれいなの上にのる。――キス。
ボクとれいなは、また一つになろうとしている。
互いの傷を舐め合うように…。3時間のサービスタイムが終わった後、
ボクとれいなはホテルを後にした。
れいなと駅に向かう途中、うちの学校の生徒に見られたが、
れいなは気にしていない様子だった。
「今日は、ありがとう」
駅で別れる時、れいなはそう言った。
ボクは、「いいよ」とだけ言った。
それから、一回、キスしてから、れいなは電車に乗って行った。
それから、ボクが乗る電車も来た。「でも、信治は私の事、愛してな…」
れいなのその言葉が、頭に引っ掛かって離れない。
その後、れいなはなんと言おうとしたのだろうか…?
そんなこと、考えなくても、すぐに分かることだ。
果たして、ボクはれいなことを愛していないのだろうか…?
…わからない。
ただ、分かることは、辛い時、寂しい時に、れいなにそばにいてほしい、
れいながそばにいてくれると、楽になる…。
しかし、それは、ただ都合のいいように、
れいなを『利用している』だけなのではないだろうか…?
……。気が付くと、マンションの部屋の前に立っていた。
ドアを開けたら、きっと愛ちゃんが迎えに来てくれるだろう。
そして、梨華が…。
そのまま、そこから、逃げ出してしまいたくなる。
しかし、行く当てなんかない。
「ただいま」
ボクは、ドアを開けた。
「お兄ちゃん、おかえり〜!!」
案の定、満面の笑顔で、愛ちゃんがドアまで来てくれる。
楽しそうに話しかけてくる愛ちゃんと話しながら、リビングに行くと、
梨華がいた。
「母さん、ただいま」
「おかえり、シンちゃん」
白々しい『親子ごっこ』…。今夜モ、マタ、ボクハ罪を重ネルノダロウカ…。
夕食をとり終え、シャワーを浴びてから、ボクは自分の部屋で音楽雑誌を読んでいた。
時計を見ると、1時を回っている。
内容は、ほとんど頭に入ってこない。
明らかに、ボクは眠気を感じている。
しかし、それでも、ボクは寝ないでいる。「今夜も、梨華とセックスできる」
胸の中で、そう答える性欲を否定するように、
ボクは音楽雑誌を眺め、『夜更かしをする言い訳』を作っていた。
コン、コン!
(梨華か?!)
思わずそう思うに自分に、自己嫌悪が走る。
「はい?」
平穏を装って、ボクは答える。
「…お兄ちゃん?」
しかし、扉に向こうにいたのは、梨華ではなく、愛ちゃんだった。
「愛ちゃん…。どうしたの?」
「眠れなくて…」
と、答える愛ちゃんだが、その表情は明らかに眠そうだった。
それから、愛ちゃんはボクのベットに乗ってきた。
「なに、見てるの?」
「音楽雑誌だよ。…見る?」
「うん」
そう言うと、ボクは見ていた雑誌を愛ちゃんに渡した。
愛ちゃんは雑誌を見ながら、「このギター、かっこいいね」とか、
「その曲、弾けるの?」などと聞いてくる。
しかし、それが『取り繕っている』のが、ボクにはわかった。
話題が切れて、少し沈黙気味になったところで、
愛ちゃんが、口を開いた。「…今日、学校に、他の学校の人がお兄ちゃんを迎えに来たって…本当?」
「…誰から、聞いたの…?」
「聞いたと言うより、噂になってたの…。
まるで、“付き合ってる”みたいだった、って…」
そう言われて、ボクは焦る。
「…違うよ」
ぎこちなく、ボクは口を開く。
「あの子は、以前、ライブに来てくれた子なんだ」
「でも、だったら、なんで、わざわざ学校まで来るの…?」
「……」
「やっぱり…付き合ってるんだ…」
「ち、違うよ! あの子は、別に、そんなんじゃ…無いよ…」
「…本当?」
「…うん」
「……」
「……」
「…ごめん。別に、疑ってるとかじゃないよ!
ただ、お兄ちゃんにも、彼女ができたのかな〜…って思って…」
愛ちゃんが、フォローするように言う。
「違うから、大丈夫だよ」
ボクがそう言うと、「そう…」と言った。
時計を見ると、2時を過ぎていた。「もう寝よう…?」
ボクがそう言うと、愛ちゃんは「うん」と答えた。
「それじゃあ、おやすみ…」
「おやすみ…」
愛ちゃんは、そう言うと部屋を出て行こうとした。
しかし、ドアノブに手をかけて、愛ちゃんは立ち止まった。
「お兄ちゃん…?」
「なに?」
「…今夜、一緒に寝てもいい?」
そう言われて、胸が熱くなるのがわかる。
「えっ? でも…ダメだよ…」
「なんで…? 前は、一緒に寝てくれたじゃん?」
「うん…。でも…」
はっきり断れずに、ボクは曖昧に語尾を濁す。
ここで、「うん」と言ってしまえば…。
「ダメ?! お願い!」
目の前で、愛ちゃんがそう言う。「…いいよ」
ボクは、言ってしまった…。
「えへへ♪」
嬉しそうに笑うと、愛ちゃんは布団の中に潜り込んで来た。
(ダメだ…。今からでも、遅くない…)
そう思っても、ボクは目の前の現実を止められないでいる。
いや、むしろ望んでいるのか…。
「おやすみ…」
電気を消す。
薄い明かりだけを残し、僕も布団に入る。
隣に、愛ちゃんがいる。
その髪からするシャンプーの甘い香りに、
思わず理性がとろけそうになる…。
(ダメだ)
自分に言い聞かせる。
お互い、何も言えず、ただ黙っているだけだ。
……。それから、しばらく経った。
時計が見えないので正確にはわからないが、
1時間、いや、2時間は経ったはずだ。
愛ちゃんも、もう寝ているだろう…。
そう思い、ボクが気を休めようとした瞬間、
「お兄ちゃん?」
と、愛ちゃんが話しかけてきた。
(どうする? どうする?!)
自分自身に問いかける。
休めようとした精神が、また引きずり出される。
しかし、ボクが答えられないでいると、
「…もう寝ちゃったのかな?」
と、愛ちゃんは言った。
(このまま寝たふりしちゃえ!)
と、ボクは寝たふりをすることにした。
「もう寝よう…」
すると、愛ちゃんも寝る気になったようだ。
「お兄ちゃん…」
もう一回、呼ばれる。「セックス…してもいいよ」
気が付くと、朝になっていた。
ただ、一睡もしていない。
一晩中、ボクは気を緩めることを許されなかった。「セックス…してもいいよ」
その一言に、ボクの理性はその寸前まで、壊されそうになった。
しかし、瀬戸際のところで、それを止めた。「これ以上、『罪』を増やしたくない…」
その想いがあったからだろう。
時計を見ると、時計は6時少し前を指していた。
ボクは、愛ちゃんに気付かれないように、そっとベットを後にした。「愛ちゃんは、ボクのことが好き…」
リビングで、ボクは一人、ソファーに座り込んだ。
今まで、否定し続けてきた事実…。
しかし、それはもう否定のできないものになってしまった。
しかし、兄弟だとは言え、ボクと愛ちゃんとは血は繋がっていない。
それでも、ボクにはそれは『禁句(タブー)』に思えた。
確かに、愛ちゃんは可愛い。
しかし、初めて会ったあの日から、ボクにとって、愛ちゃんは、
妹であり、それ以下でもなければ、それ以上でもなかった。
愛してはいる、しかし、それは『一人の女性』としてではなく、
『妹』としてである。
それと、もう一つ…。
それは、ボクにとって、愛ちゃんは『綺麗すぎる』ということだ。
はっきり言って、今のボクは『汚れ』でしかない。
そんなボクに、『綺麗すぎる』愛ちゃんを『汚す』ことなんかできない…。「でも、本当はやりたかったんだろう?」
心の中で、もう一人の自分が、『確信』を痛くつつく…。
「ボクは、もう少しで最低の男になるところだった…」
そう呟いて、「今でも、十分最低だな…」と、少し自嘲気味に笑った…。その後、ボクは一人で支度を終え、
愛ちゃんには、約束があると言って、先に家を出た。
少し肌寒い朝を、一人歩く。
ウォークマンから流れる音楽は、何一つ、頭に入ってこない。
ボクは、ただ一人、駅へと向かった…。電車から降り、駅を後にする。
普段より、早い時間のせいか、
生徒の数が少ない気がする。
周りの生徒は、部活の朝練や早朝課外のようだ。教室に着くと、まだ2、3人しか来ていなかった。
「おはよう」
と、声を掛けられたので、ボクも「おはよう」と返した。
席に着くと、ボクは朝、コンビニで買った雑誌を取り出した。
ボクはそれを眺めるが、やはり、内容は頭に入ってこない。
ボクが、時間を潰していると、少しずつ生徒が増えてきた。
しかし、生徒の数が増えるにつれて、
ボクに向けられてる視線が、痛いものに変わっている気がする。
(嫌な予感がする…)
ボクは、そんな気がした。
そして、不幸にもその予感は当たってしまうのであった…。「ハア、ハア、ハア…」
ボクは保健室に入ると、急いでドアを閉めた。
「あら、シンちゃん? どうしたべさ〜?!」
と、陽気な声を掛けてくるのは、安部先生だ。
「せ、先生…、じ、実は…」
ボクは事情を話したかったが、あまりにも息が切れていて、
うまく話せない。
「そんな無理しなくていいべさ。
とりあえず、そこにでも座って」
そう言われて、ボクは椅子に腰を掛ける。
この部屋に来るのは、久しぶりだ。
自然と来なかったのでなく、ボクは意識的にこの部屋を避けていた。
『あの日』以来…
「シンちゃん? お〜い、シンちゃ〜ん?!」
先生に呼ばれて、ふと我に帰る。
「あっ、すいません。どうしました?」
「もう息は落ち着いた?」
「ああ…なんとか」
ボクはそう言うと、先生は「良かったぁ〜!」と笑う。
「それで、どうしたの?
何があったべさ?」
「実はですね…」
ボクは、事情を話し始めた。「…というわけなんです」
ボクが、事情を話し終えると、
「ふ〜ん、なるほど、なるほど」
と、先生は事情を把握したようだ。
ボクが先生に話したことはこうだ。
ボクが教室にいると、だんだん痛い視線が増えてきた。
そして、チャイムが鳴り、担任の先生が来て、
HRが始まる。
そして、HRが終わった。
…と、ここまで良かった。
しかし、問題はこれからだった。
HRが終わると、急に女の子達がボクの席を取り囲んだ。
そして、
「昨日の女は、誰?!」
と、みんなが怖い表情で問い詰めてきたのだ。
しかも、昨日、れいなと一緒に歩いているところ。
一緒に、ラブホテルに行ったこと。
そして、駅でキスしたことまで、見られていたのだ。
それが、一気に全校に広まってしまったらしい。
良く考えてみれば、昨日、あのような行動を取っていれば、
今日、こうなることは予想できたわけで、
ボクはもう少し、警戒するべきだったと後悔した。「信治、最低っ!」
「やっぱり、堤君も他の男と一緒だったんだね」などと言われると、教室に居られなくなって、
ボクは、教室を飛び出してきた。「それで、その子はシンちゃんの彼女なの?」
「…違います」
そう聞かれて、ボクは返答に困った。
ただ、ボクがれいなのことを、愛している、愛していない以前で、
ボクとれいなは、付き合っていないから、違うと答えた。
「でも…しちゃったんでしょ?」
先生は、興味津々…みたいな表情をしながら聞いてくる。
「ど、どっちだっていいじゃないですか?!」
ボクは、視線を逸らしながら答える。
「まあ、なっちも人のこと、言えないけどね…」
先生が、そう言うとボク達は急に黙り込んでしまった。
「ごめん、これは言わない約束だったよね…?」
「別に、構わないですよ」
ボクがそう答えると、先生は立ち上がった。
「とりあえず、今日はもう帰りな?
急な発熱、ってことにしとくから」
先生は、ボクの肩をポンッ、と叩く。
「でも…!」
と、ボクは振り返ると、額に手を当てて、
「ほら、こんなに熱があるべさ」
と、言って笑った。
「じゃあ、すいません。…帰ります」
ボクはそう言うと、立ち上がった。
「うん。それじゃあ、またね」
と、先生は手を振る。
ボクが、ドアを開けると、
「あまり、気にしないほうがいいよ。
その子のことも、…私のことも」
と、先生が言う。
「大丈夫ですよ」
ボクはそう答えると、保健室を後にした。気が付くと、ボクはマンションの部屋の前に立っていた。
保健室を後にしたボクは、早々に早退してきた。
胸がスッキリしないまま、鍵のかかってないドアを開ける。
「ただいま…」
呟くように言うと、ボクは靴を脱いだ。
リビングに行くと、梨華が忙しそうに掃除機をかけている。
「あれ、シンちゃん…。どうしたの?」
掃除機のスイッチを切って、首を傾げながら、梨華が聞いてくる。ムシャクシャする…。
ボクの胸がそう呟くと、ボクは梨華に近づき、手を握った。
「シン…ちゃん?」
梨華が何か言おうとしたのも聞かず、ボクは引き寄せるように、
梨華の唇に貪りつく。
「ちょ、ちょっと、シンちゃん! どうしたの?!」
梨華の言うことなど聞かず、強引な口付けをすると、
ボクは、梨華をソファに押し倒した。
そして、今度は首筋を舐める。
「ちょ、ちょっとっ! いやっ! やめてっ!」
嫌がる梨華の言うことを聞かず、ボクは梨華の着ているシャツに手をかける。
そして、胸の辺りまで、シャツをまくりあげ、ブラジャーを外そうとした時だった。ドサッ!
ボクと梨華の後ろで、何かが落ちた音がした。
振り返ると、そこには、目の前の光景を信じられないという様子で、
呆然と立ち尽くしていた愛ちゃんがいた…。「いや…」
泣きそうな顔で、愛ちゃんがそう言う。
「昨日の女の人との噂を聞いて、お兄ちゃんに会おうと思ったら、
お兄ちゃんが早退した、って聞いたから、帰ってきたら…
昨日の女の人とセックスして、今度はお母さんにまで手を出して…お兄ちゃんなんて、最低っ!!」
泣きながら、そう叫ぶと、愛ちゃんは家を飛び出した。
ボクも、その後を追いかける。
勢いよく階段を駆け下りる愛ちゃんだが、
少しずつ、ボクと愛ちゃんの差は縮まっていく。
そして、ボクは愛ちゃんを捕まえた。
「あ、愛ちゃん…、実は…」
捕まえた愛ちゃんの腕を、強く握る。しかし、
「昨日の女の人とセックスして、お母さんともセックスして…
それなのに、私のことは抱いてくれない…
お兄ちゃんにとって、私なんか何の魅力もないんでしょっ?!」
そう叫ぶ愛ちゃんの瞳からは、涙がこぼれている。
「ち、違うよ、愛ちゃん! だから…」
ボクが言い訳をしようとすると、「離してよ! お兄ちゃんなんて、不潔っ!!」
そう叫ぶと、愛ちゃんはボクの手を振り解いて、階段を降りて行ってしまった。
ボクは、愛ちゃんを追いかけられなかった。
ボクには、そんな資格なんて無いのだから。
ボクは、兄失格だ…。
いや、一人の人間として、失格だ…。
人間失格…。
ボクは、その場に崩れ落ちた…。
「ボクは… ボクは…」
うずくまりながら、ボクは一人、泣き続けた…。あの日から、数日が経った…。
あの日、愛ちゃんは深夜遅く帰ってきた。
泣き疲れたのか、目が真っ赤だった愛ちゃんに、
「おかえり」
と、声を掛けたが、愛ちゃんはボクの方を見ようともせず、
自分の部屋に行ってしまった。
そして、ボクはあの日以来、梨華とも気まずくなり、
学校にも行かず、部屋に閉じこもるようになった。
この数日間、ボク達は、互いが会わないように生活をしていた。
何もする気になれず、誰とも会う気にもなれず、
ボクは、部屋で一人、ベットの上でうずくまっていた。
本当はれいなに会いたかったのかも知れなかったが、
愛ちゃんにあんな風に言われて、れいなに会う気にもなれなかった。
ふと思い立って、数日間、電源を切りっぱなしだったケータイを手に取った。
メールをチェックすると、大量にたまっていたが、
そのほとんどが女の子達からのもので、ボクは内容も見ずに、
次々と削除していった。
その中で、ボクはふと手を止めた。「砂原からだ…」
そのメールは、ボクのバンド仲間である、砂原からのメールだった。
内容を見ると、どうやら、連絡がほしいとのことだった。
そのメールは数日前に届いたものだったが、ボクは、すぐに電話をした。
しかし、砂原は出なかった。
忙しいのだろうか…?
ボクは、ベットの上にケータイを置いた。
しかし、それから、数分するとケータイが鳴った。
案の定、砂原からの電話だった。
「もしもし?」
『もしもし? 堤か? やっと繋がった〜!』
「どうしたの?」
『どうもこうもしねえよ! お前、学校にはこねえし、電話はずっと電源切りっぱなしだし…』
「ごめん…。それで、何か用?」
『そう、そう! 話したい事があるんだけど、そうだな…
今日の6時に、いつものスタジオに来てくれ!』
「ちょ、ちょっと待っ…」
ボクが断ろうとするのも聞かず、砂原はさっさと電話を切ってしまった…。
ここ数日間、部屋の中に閉じこもりっきりで、ボクはとても外に出る気にはなれなかった。
しかし…「仕方ない、行くか」
ボクはそう言うと、ベットから飛び降りた。
時計を見ると、6時を1、2分過ぎていた。
いつものように、スタジオに入ると、
そこには、既に、砂原と外国人らしき男の人がいた。
「よお、堤。久しぶり」
声を掛けて来る砂原に、ボクも「やあ」と答えた。
「そっちの人は?」
と、ボクが聞くと、
「どうも。デイビットです」
と、その外国人らしき男の人は、流暢な日本語を返してきた。
「・・・?」
ボクが、何が起こったかわからないでいると、砂原は笑っていた。
「悪い、悪い。こいつは、デイビット。
オレのダチで、ハーフなんだよ。
一応、日本語も話せるから、安心しろよ」
と、砂原は言った。「それで、話したい事って、何?」
と、ボクは本題を切り出した。
「あぁ…。その前に、ちょっと見てほしいものがあるんだよ」
そういう砂原とデイビットは立ち上がった。
デイビットは、ドラムの方に歩き出し、
砂原は、ハードケースから、ギターを取り出した。
しかし、取り出したのは、ギターではなく、ベースだった。
それから、二人は曲を弾き始めた…。「…どうだった?」
と、砂原に聞かれて、
「ああ…二人ともかなり良いと思うよ」
と、ボクは思ったことを素直に答えた。
「おう。それでだな、堤。お前に話したいことってのは…」
そう言うと、砂原はデイビットと顔を見合わせ、
覚悟したような表情をすると、話し始めた。「実は…」
砂原とデイビットに会ってから、一週間が過ぎた。
あの日をきっかけに、ボクはまた学校に行くようになった。
しかし、梨華はともかく、愛ちゃんとは、
未だ、話せない日々が続いている…。
そして、今、ボクはある場所に向かっている。
それは、父さんに会うためにだった…。約束より少し早い時間に、約束のレストランに着くと、
父さんはまだ来ていなかった。
入り口でやって来たウエイターに、
「予約をしていた、堤ですけど…」
と、言うと、
「堤先生のお坊ちゃまですね。こちらでございます」
と、席に案内された。
そのレストランの中には、テレビでよく見る芸能人や、
大物と言われている政治家などがいた。
案内された席に座っていると、しばらくして、父さんがやって来た。
「悪い、悪い。遅くなったな…」
と、父さんは席に座った。
「久しぶり。悪いね、忙しいところ…」
「なに、構わんよ。とりあえず、料理でも頼むか」
と言って、父さんはメニューを広げた。
そして、やって来たウエイターに注文を頼んだ。「おいしいね、ここの料理」
料理を食べ終わった後で、ボクはそう言った。
父さんは、「そうだな」と言った。
「それで、信治…。話したいことで、何なんだ?」
と、父さんは本題を切り出した。
「そうだね…」
ボクはそう言って、窓の方に視線を逸らす。
(まだ、迷っているのか…?)
自分自身に、問いかける。
(いや…もう決めたことだ!)
ボクは、覚悟を決めると、父さんの方を向いた。
そして、「父さん、ボク…アメリカに行くよ」
――1週間前。
「実は…堤、オレと一緒にアメリカに行かないか?」
ボクは、そう聞いて、一瞬、何のことだか、わからなかった。
「アメリカ…旅行にでも行くの?」
と、聞き返すボクに砂原は、「違うよ」と冷静に突っ込んだ。
「今、アメリカで人気が急上昇しているバンドがあるんだけど、
今回、そのバンドの全米ツアーに前座として出てみないか?
…という話が来てるんだ」
「うん…それで?」
「だから、堤がヴォーカルギター。
オレが、ベースで、デイビットがドラムのスリーピースで、
行こうと思うんだ。
英語なら、デイビットがペラペラだから、心配ない」
そう言われて、デイビットの方を見ると、デイビットは頷いた。
「でも、まだ、ボクはそんな気には…」
「堤! オレ達が今までに、何度かプロから、オファーが来たことがあったが、
お前は断り続けていた。
でも、今回は違うんだ!
こんないい話、二度とない!!」
少し興奮気味に言う砂原に、ボクは頷くことしかできなかった。「…帰ってこれるのは、いつなの?」
「えっ?」
「もし行くことになったら、日本に帰れるのは、いつ頃なの?」
「1年…いや、最低でも、2年は無理だと思う…」
「学校は? どうするの?」
「オレとデイビットは、やめるつもりだ」
そう、ハッキリ言う砂原に、ボクは強い意志を感じた。
「無理にとは言わない。ただ、堤が将来、本気で音楽で食っていくつもりなら、
今回、行くべきだと思う。
出発は、2週間後だ。1週間後に、答えをくれ」
「もし無理だ…って言ったら?」
「お前以外のヴォーカルを探す。ただ、オレはお前としかやりたくない…」
「うん…」
「じゃあ、いい返事を待ってるから…」
そう言って、砂原はスタジオを後にした…。◇
「出発は、いつなんだ?」
食事を終え、駅まで送っていってもらっている車の中で、
父さんに聞かれた。
「1週間後」
「パスポートとかは、大丈夫なのか?」
「うん」
「多分、見送りには行けないと思うが…」
「いいよ。もう一生、帰ってこないわけじゃないんだから」
ボクがそう言うと、車は駅に着いた。
「じゃあね、父さん…」
「元気でな。ちゃんと帰って来いよ」
そう言われて、初めて、父親らしいことを言われた気がした。
車で過ぎ去って行く父さんを見ながら、ボクはケータイを手にした。「もしもし、砂原…? ボクだけど…。行くよ、アメリカに…」