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IEEE1395 投稿日:2002/07/11(木) 02:38

雨天運休

列車が止まったのに気づいたのか、その少女は目をこすりながら頭を上げた。
目を開けてみると、先程までとは違って少し幼さが見える。
そのまま眠たそうな目で周りをキョロキョロと見回していたが、
置かれた現状が理解できないらしく、不審そうな顔をしている。

「あの〜、東京駅じゃないですよね、ここ?」

結局理解できなかったのか、彼女は通路を挟んで横に座っていた俺に
そう尋ねてきた。
なんとなく彼女を眺めていた俺は、いきなり向けられた声に
少し驚きつつもそれに答えた。

「あ、うん。なんか台風が来てるとかで雨が強くなってるから
ちょっと止まるんだって。いつ動くかは分かんないみたい」

俺がそう答えると彼女は納得したのか、軽く頭を下げると
黙りこくって窓の外を眺める。

彼女は少し寝癖のついた髪を気にしているようで、しきりに手をやっている。
もっとももともと少し癖があるようであまり目立たないが。
割と短めで真っ黒のその髪は、少し子供らしくて快活な印象を与える。

(なんていったっけな……)

俺は彼女を眺めながらふと考えた。
もともとあまりテレビを見ない方だし、ましてやアイドルになんて
全然興味がない俺だが、それでも『モーニング娘。』という名前は
知っている。……勿論顔と名前の区別など付かないが。
だから、どれだけ考えようと名前なんて思い出せるはずがないのだが
なんとなく見知った人間を見ると名前を思い出そうとするのは
本能みたいなものなのだろう。
確か、つい最近加入したとかで新聞に載っていたはずだ。

そんなことを考えていると、彼女はまたこちらを振り返って尋ねてきた。

「あの、ここにマ、……男の人がいたと思うんですけど、知りませんか?」

そう言って彼女は隣の空席を指差す。
俺は男が出て行ったドアの方を示しながら答えた。

「なんか、アナウンスのあと向こうに出て行ったよ。
事務所に電話とかしてるんじゃないの」

彼女はそれで納得したようで、また窓の方を向こうとしたが
今度は慌てて振り向く。

「私なんか言いましたっけ?」

少し困惑気味でそう聞いてくる彼女がおかしくて俺がつい吹き出すと、
不安になったのか目には動揺の色が浮かぶ。
俺は慌てて手を振りながら否定する。

「いや、大丈夫、大丈夫。『マ』って言ったぐらいかな」

「ま?」

彼女の言いたいことは分かったが、彼女はこちらの言いたいことは
分からないようだ。大人っぽい顔つきをしていても、
そういうところはまだまだ子供なんだろう。

「いや、だから。俺は君のこと少し知ってるし、君の横にいて
『マ』の付く人っていうのがどういう人なのかは分かる。
ただそれだけ。納得した?」

俺がそう言うと安心したらしく、ちょっと嬉しそうな顔をした。

「私の名前、知ってます?」

「いや、そこまでは知らないんだ。ごめんね」

俺が申し訳なさそうにそう答えると、彼女は慌てて手を振った。

「いえ、いいんです。でも私も頑張らないと。
お兄さんが私の名前知ってるぐらい、もっともっと頑張ります」

そう言って握りこぶしを作る。
そういう明るくて前向きなところが彼女の魅力なんだろう。

「あ、でも最近入った新しい子だ、ってことは知ってるよ」

俺がそうフォローすると、彼女は少し驚いて笑い出す。

「あはははは。それ古いですよ。
私が入ったのって、去年の夏ですよ。
もう一年近く経ってるじゃないですか。
やっぱりまだまだ、ってことなのかな〜」

そういってわざとらしくため息をついたが、なんだか俺にたいして
つかれてるような気がしたので、俺も真似してため息をついてみる。

「俺って遅れてるのかな〜」

「遅れてます」

彼女はきっぱりとそう言う。

「だって、一年も前のことなんですよ。
それに、今度また新しいメンバーが増えるんですから」

「えっ、そうなの。でもそんなこと言っていいの?」

何も知らない俺がそう言って驚いているのがよほどおかしかったのか、
彼女は目を細めて笑い出した。

「嘘ですよ、嘘。
でも、この間までキッズオーディションっていうのがあって……」

彼女は俺の反応のよさ(?)に気をよくしたのか、いろいろな
ことを話し始めた。

30分ほどそうしていると、例の『マネージャー』らしき人間がやってきて
彼女の前に立った。

「あ、起きてたんだ」

そう言って俺の方を一瞥する。
誰がどうみても不審者を睨みつけるような見方に腹がたった俺が
口を開くより早く、彼女が話し出した。

「うん。なんか駅じゃないところに止まってるみたいだから
どうなってるのかな、って思って。
それでこの人に聞いてたんだ」

彼女はそう言ってウィンクした。
男はそれに気づかなかったのか、俺の方を向いて頭を下げた。

「それは、ありがとうございました」

「いえ、別にたいしたことしたわけじゃありませんし」

そう言って俺は男の目を盗んで彼女にウィンクを返す。
彼女の笑顔とは裏腹に、話は終わりとばかりに男は窓際の席へと腰を下ろした。
そしてこちらにちらちらと目をやりながら、彼女と話を始める。

多分彼女とスケジュールの変更についてでも話しているのだろう。
男の鬱陶しい視線から逃れるため、俺は目を閉じる。
そうしてまだまだやみそうにない雨音を聞きながら、
俺は明日の仕事について考えることにした。

〜Fin〜