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名無し娘。 投稿日:2002/08/29(木) 04:23

月はまるで私をあざ笑うかのように―すごく綺麗な円を描いて―
と言っても眩しすぎるワケも無く、目の前の、極近く見える空に浮かんでいた。

それと対照に、私の眼前にいる人はあざ笑うどころか、何の表情も浮かべないでただ立っていた。

この後言われるであろう言葉を想像すると、ごく自然に涙が溢れてきた。
その行動は、人間の食欲とか睡眠欲といった根本的なものにも似ていたのかも知れない。

「おいおい、まだ何も言ってないだろ?何で泣くんだよ?」

―まだ何も言ってないだろ―

この言葉で益々確信を持てた――私、フラれちゃうんだぁ――

そんな確信を表に出して、相手に躊躇されると私としても気まずい。
とか言っても、もう泣いちゃってるんだけどね・・・・・・・

あくまでも普段の私を装う。
気丈で笑い上戸で泣き虫な・・・・・泣き虫は今出したらまずいんだった・・・・・
なんて考えながら、普段の私の声を出す。

「あぁ、ごめんごめん。あくびしたらいつもより涙の量が多くてさぁ?ふぁあーあ」
我ながら完璧な嘘だと思う。私の思い違いかも知れないけどね。

「ははっ、お前らしーな」
今日呼び出されてからはじめて変えて見せた表情―いつもと同じ屈託の無い―笑顔・・・・・・・
それがあまりに自然すぎてまた涙が出てきそうになったけど、
今度はあくびで誤魔化せそうな状況じゃないのでグッとこらえた。

「そんで?話って何なのさ?仕事帰りの疲れたオンナを呼び出した罪は重いよ〜?」
これは本音だ。事実、朝から歌収録とか雑誌の撮影、ラジオ収録まで働いた私はクタクタだ。
呼び出したのがコイツじゃなかったら間違いなくブチ、もうブチもブチ。
速攻で家に帰って狭い―私の体には広いけど―風呂に入って、ベッドに倒れこむつもりだったのだ。

「おー、分かってるよ。さっさと済ます・・・・・」

―さっさと済ます―

私との別れをさっさと済ます?そんなに思い入れのないヤツなんだ私って・・・・・
あ、ヤバ・・・・・また泣きそう・・・・・涙腺弱いねホント最近・・・・・・・・

ここんとこ後藤の脱退とかタンポポ解散とか色々、泣ける要素がただでさえ多いんだからさぁ?
男ならこれ以上私を泣かせんなよ!

って言えたらどんなに楽か・・・・・

「俺たちってさぁ、付き合ってもう2年?ぐらいだっけ?長いこと付き合ってるよな。」

正確には1年11ヶ月と19日だけどね?あ、もう日付変わってるから20日かな?
てかこれ別れ話の切り出し文句じゃない?もっとうまいこと言えないのかねぇ、コイツは・・・・・

「うーん、結構長いよねぇ。それがどうかした?」
職業上、お腹の底から声を捻り出すのには慣れてる。
嗚咽が漏れそうだったけど、少ない女優業の演技経験でそれを押さえつける。

「もうそろそろいいと思うんだ、俺・・・・・・・・」

きた・・・・・・・ダメ、もう無理っぽい・・・・・マジ声あげて泣きそう・・・・・

こんなことなら芸能界なんか入らなきゃ良かったなぁ、じゃあいつでも会えたし、
もっと違う形で私を見てもらえたんだろうけどなぁ・・・・・

なんて不純なことを考える私・・・どうかしてるね?
第一、芸能人じゃなきゃこの人と付き合うことなんてなかったかも知れないし、
いい経験をさせてもらったってことでキッパリ諦めよう、うん、そうしよう。

頭の中では諦めても、体が拒絶する。
とめどなく涙が溢れて、もう考えてどうこうするレベルじゃなくなった。
家から近い公園、誰も居ない閑静な住宅街の公園に私の声が響いた。

「もういいと思うから何!?別れようってか!?ちょっと勝手過ぎるんじゃないの?
 確かに私もあんまり忙しくて連絡取れなかったのは悪いと思ってるけど、
 付き合う時言ったじゃん!こういうことになるよ?って!!」

「おい?」

「別れようってんならいいよ別に!こっちは今大変なんだよっ!!」

涙と同時に激しい息遣いが聞こえてくる。
しばらく経ってやっと、その息遣いが自分のものだと気付いた。それほどに錯乱していた。

今思えばこんな大声出したのも久しぶりかも知れない。
テレビとか歌とか、お腹から声を出してるけど、今のは完全に喉から出てきた声。
普段コレやるとつんく♂さんに叱られるんだよなぁ・・・・・

顔を流れる、汗だか涙だかも分からない水を拭おうとも思わずに、ただ眼前の人影を見つめた。
このあとどう出てくるんだろ・・・・・逆ギレ?それとも考え直してくれる?

・・・・・いやいや、もういい。終わったことなんだこれは・・・・・

相手のレスポンスを待ってる時間が恐いぐらいに長く感じられた。
メールのレスを待ってる時とか比べ物にならないくらいに・・・・・・・

息苦しいのはさっき叫んだからだろうか?それともこの都会の汚染された空気のせい?

違う。

この空気の中に私が吸うことを許された酸素が少ないかのようにすら思えるほど息苦しかった。

不意に、何の前触れもなく、前方の影が動く。
それがどんな表情かは、私の曇った目では判別できなかった。

あぁー、やっぱ逆ギレ路線?グーで殴るのはやめてよね、明日も収録があ・・・・・ッ!?

やや上向き加減の私の視界が、公園の木々から一瞬にして見慣れた服の模様に移る。
嗅ぎ慣れた香水の匂い、厚くもなく薄くもない胸板。
懐かしさに溺れて、身を預けてしまいそうだった。

しかし一度啖呵をきった以上、そんなことは出来ない。
背中に回された男の手を振りほどこうと必死になった。

「ちょ、何すんの!?」

「何焦ってんだよ?」

「はぁ?」

「今日俺はそんな話しにきたんじゃないっつーの。
 まぁお前が最近色々大変なのはニュースで見て知ってる、でもそんなナーバスになる必要ないだろ?」

「ナーバス?」
慣れた匂いと口調で、私は完全に落ち着いていた。
別れ話が私の大きな勘違いだったってのも、私を落ち着かせる大きな要因になったのかも知れない。
単純に言葉の意味がわからなくて、鼻水に嗚咽にと、混じり混じった声で訊ねた。

「まぁ要は落ち込むってこと。」
先ほどまで私を抱きしめていたその両手は、今は私の肩に置かれ、顔を向け合う形になっている。
その相手の顔からは、少々馬鹿にしたような含み笑いが漏れていた。

「お前が俺と居るのに飽きた、別れたい、ってんなら話は別だけど、
 少なくとも俺はそんなこと言うつもりはないよ。」

優しい口調に、これでもか!と涙が溢れてきた。
今日はあんまり水分取ってないのに・・・・・脱水症状とか起きないよね?

「今日お前を呼んだのはこっちの方なんだよ。」

肩から片手だけを離して、後ろポケットに手を突っ込む。
その姿を見て、数年前に流行った「反省!」という猿のポーズを想像して、
笑いそうになったなんて言えないや・・・そのネタ知ってるかもわかんないしね。

男のポケットから取り出されたのは、いつかドラマで見たことあるような小箱――
白い包装紙にちょこんと乗っかったリボン、何だっけかコレ・・・・・・

「今なんて言わない、いつになっても構わない、だから―――」

あぁ思い出した、こーゆーのたいがい婚約指輪・・・・・・・

「俺と結婚してくれ!」

今はじめて冷静に物事を見れた喜びと、予期せぬプロポーズに嬉しさを覚え、
半ばひったくるようにその箱を受け取った。

「ねぇ、開けていい?開けていい?」

「おう、安もんで悪いんだけどさ・・・・・・・」

丁寧に包装をとき、これまた丁寧すぎるほど慎重にふたを開けた。
こんなこと一生に二度あるかないかなんだから、この時間も大切にしたい・・・・・

カパッと音をたてて開かれたふたの中には、言葉通りの安っぽそうなシルバーのリングが入っていた。
しかし安っぽい安っぽくないは問題じゃなかった。

「お前まだ19歳だし、仕事もまだまだって時にこんな話する俺はおかしいと思う。
 でも、近頃お前テレビでもいつもの元気なさげだし、体調も崩してたらしいからさ、
 ちょっとでも元気つけてもらおう、って考えたのがこれな?
 突飛すぎる発想だけど、インパクトはバッチリだったろ?」

「確かにスゴイびっくりした。
 でも久々に会うのに深刻な顔されて来られたんじゃ、誰だって別れ話と思うよ!」

「悪い、緊張しててさ?そりゃ緊張もするよ。
 で、どうなんだ?これに対する返答は?」

正直、迷いなんかなかった。これからも時間を共有できる、そう思うとたまらなく嬉しかった。

「よし!結婚しちゃおー!!すぐやっちゃおー!!」

「え!?マジか!?そりゃ嬉しいけど、今すぐってのは大丈夫なのか!?」

確かに、結婚すると事務所に言って素直に許してくれそうにはない。
なによりモーニング娘。にいる限り、私はずっと殻をかぶったまんまだろう。

そんな殻を破るきっかけをくれたこの人のことを一層好きになった。

寿脱退?いいじゃん、上等じゃんか。
あ、でも裕ちゃんには怒られそう・・・・・メンバーにも恨まれそう・・・・・
関係ないない!私のやりたいことをやってこそ私の人生だ!!

「だいじょぶだいじょぶ〜♪」

「ホントかよ・・・・・結婚ってのはもっと慎重に――」

「今したいから今するの!他に理由なんていらないでしょー?」

「・・・・・後藤さん卒業の次に大きなニュースになるなこりゃ・・・・・」

「ううん――」

――私のニュースの方がもっともっと大きいよ――

まるであざ笑うかのように、私を照らしていた月――
今は回りのどの星よりも眩しく見えるのは、私の気のせいだけじゃないだろう・・・・・・・

〜終わり〜