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我犬。 ◆N0E.Nono 投稿日:2002/09/26(木) 10:46

【ずっと】

電話を切ってしばらくした後、男は玄関に向かう。
そしてドアを開けると足音が聞こえてくる。
深夜のマンションの廊下にカツン、カツンと響く靴音。
開かれたドアの前で止る。

「おつかれさま。珍しいな、こんな時間に来るなんて。」

オレの声になつみはニコッと笑って首をかしげる。
そしてドアの隙間に体を滑らせるように部屋に入る。

「どうした?」

なつみは荷物を置くと、迷いを感じさせながら
探るような口調で男に話を始めた。

「あのさぁ、私達って付き合ってどれくらい経つっけ?
 あ〜いいや。
 なんでもない。ん。いややっぱり聞いて。
 えっとね。 今日、うちの矢口いるじゃん?
 あの子がさぁ・・・
 やけに元気だったからさぁ。聞いたのよ。どうしたのー?って
 そしてら答えないで、ただニヤニヤしててさ。
 仕事中もやたらテンション高いし。
 帰りに捕まえてしつこく聞いたのさあ。
 そしたらニヤーって笑ってさぁ
 なんと!男と同棲始めたんだって!
 なんでも幼馴染っていうか、中学ぐらいからの友達だったらしいんだけどさぁ。」

なつみは最初とは違って後半は、まるで近所のおばさんの井戸端会議みたいな口調に変わっていた。
男はあまりその話の内容に興味がなさそうな感じで話が終わっても
それがどうした?って感じでなつみを見ている。

「でね。
 だからさぁ・・・」

なつみは口篭もる。
2人しか居ない部屋なのにきょろきょろ辺りを見まわすように
しながら手持ちぶたさの手はテーブルの上のボールペンをいじりながら
ソワソワした様子。

「だから?」

男はなつみの途中で辞めた言葉の続きを聞くために
相槌のようになつみの言葉を繰り返す。

「だからね・・・
 だから・・・
 だからって訳じゃないけどさぁ。」

なつみは手に持ったボールペンを見つめながら
言葉を選んでいるようだ。
その様子に男は黙ってなつみを見つめる。
そしてなつみは意を決したようにひとつ息を吐き出した。

「えっと、そろそろ一緒に暮らそうよ。」

そう言って男を見つめる。
短い沈黙。
きっとなつみには長い沈黙に感じていることだろう。
瞳が小さく震えている。
男は緊張したように表情を変えないまま
ツバを飲み込むと、ゆっくり口を開いた。

「いいよ。」

その瞬間なつみは男に飛びついた。
そして力いっぱい抱きしめる。
男は驚いた表情でなつみの顔を見ようとするが
なつみの顔は男の首筋に埋められていて見えない。

「おいおい、ちょっとどうしたんだよ。
 そんなに喜ぶ事か?」

「喜ぶことなの!
 だって嫌って言われたら、どうしようかって思ってたんだから。
 今まで1回も一緒に暮らそう。って言ってくれなかったから。
 嫌なのかな。ってずっとずっと思ってたんだから。」

なつみは抱きしめた腕にさらに力を込めた。
そして男のシャツを握る。
男はそんななつみを受け止めるように手をまわしての肩に手を乗せる。
その肩は小さく小さく震えていた。

「言わなかったのは、オレの方が一緒に暮らそうって言って
断わられるのが恐かったからだよ。
だってなつみは忙しいし、いろいろ大変だろうと思ってさぁ。」

その言葉を聞いてなつみは顔を上げた。
頬には涙が流れた跡が見える。
そして目には涙がいつでも零れ落ちそうなほど溜まっている。

「ホント?
 あーん、こんな事ならもっと早く言っておけばよかったぁ。
 大変なことなんて何もないよ。
 だって一緒に寝て一緒に起きれるんだよ。
 それでごはんも一緒に毎日食べられてさぁ─」

「でもバレたらどうするんだよ?」

男は心配そうな顔つきでなつみを見る。
なつみはその男の心配を吹き飛ばすような笑顔を見せると

「その時は・・・
その時になったら考えればいいっしょ。ね。」

男はその言葉に微笑みを返しギュッとなつみを抱きしめた。
一瞬苦しそうな顔を見せたなつみだがその苦しさがまるで心地良い
みたいにうっとりと目を閉じた。

言葉に出さなきゃ始まらない。
恐れていたら始まらない。
新しい生活の始まり。

2人は思う。
良い事だけではないだろう。
それでも一緒に暮らしたい。
苦労があるから、その分大きな喜びがある。
1人では抱えきれない大きな喜び。
それを2人で分ち合いたい。
この先ずっと。