209

我犬。 ◆N0E.Nono 投稿日:2002/09/29(日) 11:30

【ずっと 〜思い起こせば〜】

なつみとの出会いは偶然だった。
でもこれを人は運命と言うのだろうか。
いや逆にオレ達はのちにこれを運命と呼ぶことにする。

休みで何もやることがなくてレンタルビデオを返しに行く途中
俯き加減で歩いていた時、視界に入ったのは道路に落ちていた携帯電話。
いつもなら、手に取る事もなかったけど交番にでも届けようと思って拾い上げた。
それと同時に振動と同時に電話からメロディーが流れた。
ディスプレーを見たら公衆電話を出ている。
きっと落とした人が自分の電話にかけていると思い出てみることにした。

「あの〜もしもし?」

『あ!もしもし?あの〜その電話・・・』

「あ。えっと、はい。今落ちてて拾って出てみたんですけど」

『あ。えっと私その電話の持ち主なんですけど。』

「あ。やっぱりそうでしたか。それじゃどうしましょう。
 交番に届けた方がいいですか?
それとも近くでしたらお渡ししますけど。」

『今、あの〜どこに?』

電話の声の主は安心したような声で訊ねてきたので
こちらの現在地を教えるとどうやら近くにいるようなので
直接手渡す事に、引渡し場所はちょうどこれからビデオを返しに
行くレンタルビデオ屋の前。
歩いて5分ぐらいの場所なのでゆっくり向かうと
入り口の前にある、自動販売機の陰に手を後ろに組んで下を向いて自分の靴のつま先を
見つめているような小柄のショートカットの髪型の女性がいた。
オレはわかりやすいように携帯電話を手に持ちながら、その女性に近づいた。

オレの足音に気付いたのかその女性は顔を上げた。

一目でわかる。
特にファンだったわけじゃないけど、何度かテレビなどで
見たことのある顔。
─安倍なつみ
一瞬似ている人かと思ったけど明らかに素人とは違う独特な雰囲気を体に纏っている。
それは決して悪い意味ではなく・・・

「あの〜。電話の方ですよね?
 あ。電話の人って言い方も変かぁ。」

彼女は笑っていたけれど、オレはただうなずく事しか出来なかった。
それもバカみたいに体は硬直して頭を縦に振り口の中は乾いて
喋る事も出来なかった。

「あの〜?どうしました?」

オレはカラカラの口を無理矢理こじ開けるように
返事しようとしたら、ちょっと上ずった声になってしまった。

「え、えっと大丈夫です。
 あ、あ、あの、あ、あ、安倍なつみさんですよね?」

オレの言葉に彼女は、辺りを見まわしてから満面の笑みで
ニッコリと頷いた。
オレはちょっと震える手で電話を差し出した。
彼女はそっと受け取る。

「どうもありがとうございます。
これがないと本当に困っちゃうし、助かりました。
あの〜お礼に・・・」

「いや、お礼だなんて、いや。
 あの、たまたま拾っただけですから。
 それにココにビデオ返しに行く途中だったから」

ここから先は覚えていない。
ただ目の前に安倍なつみが居るってことで極度の緊張が
体を支配していて思考能力はゼロ。
そして気がついたら彼女の後姿を目で追っていた。
まるで全てが夢だったのかもしれない。って思っていたら
彼女は曲がり角の手前でこちらに振り返り大きく2度手を振って
頭をペコリと下げて消えていった。
周りを見ても人はオレしか居ない。
そうオレに向かって手を振ってくれたんだ。

その日の夜、携帯にメールが入った。

「こんばんは、安倍なつみです。
 なんだかメールで自己紹介って変な感じですけど(笑)
 あの今日は本当に助かりました。
 ありがとうございます。
 なんかメチャメチャ緊張しちゃって自分で何話したか
 あんまり覚えていなくって。メールアドレス聞いておいて良かった。
 ちゃんとお礼しなきゃと思って今メールしています。
 もしこの電話が変な人に拾われていたらたくさんの人に迷惑かけてたんだ
 と思うとぞっとするし、今更ながら本当に感謝しています。
 それで今度お会いできませんか?
ちゃんとお礼がしたいので─」

夢のような出来事に震えが来た。
その震える手で携帯のカーソルの下ボタンを押しながら
はやる気持ちを抑えながらゆっくり読んだ。
そして、最後の一行を読んだ時には、誰も居ない部屋で
思わず声を出して驚いた。

「うぉ、マジかよ!!」

それから30分。いや、それ以上考えて返事を出した。
考えて書いたオレのメールは5分もしないうちにまた返事が帰ってくる。
そして、またオレは考えながら緊張しながらメールを打つ。
相手は何しろ安倍なつみ・・・
今、この瞬間も夢のような気がして何度も馬鹿みたいにマンガみたく
頬をつねったり、引っ叩いたりしてみた。

あの時は夢心地というか、緊張からの放心状態というか
何しろ覚えていない状況なのに自分のメールアドレスをちゃんと
間違えないで伝えられた自分に感謝した。

その日から毎日がドキドキした。
テレビで安倍なつみの姿を見るたびに今までなかった感情が芽生えてくる。
高鳴る心臓の音に自分でもギョッとした。
でもその中でももう1人の自分が冷静に自分を見ている。
そして冷たい声で呼びかける。

「おい。馬鹿じゃないか?何のぼせてるんだよ。
 相手はあのモーニング娘。の安倍なつみだぞ。
 オマエなんか眼中にないんだよ。
 あとで恩着せがましく何か言われたりするのが嫌だから
 きっちりお礼して関係を切ろうとしてるんだぞ。」

もう1人の自分にそう言われて納得した。
そうだよなぁ。
男なんて掃いて捨てるほどいるんだろうしな・・・
わかっていてもやはり画面の中の安倍なつみを見れば
自分の意識で動かせない心臓は激しく鼓動を繰り返す。
手の届かない存在なのに完全に惚れた。
自分はただの一般人。

─アイドルに恋心抱くなんて。

そして携帯のメールを何度も読み返した。

約束の日。

初めて会ったレンタルビデオのお店の前で待ち合わせをした。
馬鹿みたいに近所なのに30分も前から立っている。
何人ビデオを借りようと店に入っただろう。
そしてその人達を見送るようにオレはその店の前に立っている。
普通だったら恥ずかしいかもしれないが、オレは緊張してそれどころじゃない。
周りの目なんて気にならない。
ソワソワしてきっと挙動不審人物と思われているかも。
そう思って普通を装おうとすればするほど余計に不自然になる。
その姿がお店の大きなガラスに反射して見える。
ちょっと髪型を整えたりして気持ちを紛らわす。
自分で見ても映る姿が挙動不審な姿。
呆れて笑うしかない・・・
と思ったら自分の姿の後方に安倍なつみが向かってくるのが見えた。
あわてて振り返ると彼女は走って目の前までやってきた。

「お待たせしました。
 あれ?確か約束の時間は・・・」

「いや、オレが勝手に早く来ちゃったんです。
 全然待ってないですよ。
 えっと、今日はヒマだったから」

そう言うと彼女は笑う。
その後にちょっと舌を出して周りを見まわしてから
誰も居ないのに小さな声で話し掛けてきた。

「あのぉ、実は私なんか緊張して早く来ちゃったんです。
 それなのに居るからちょっと驚きました。」

オレはその言葉を聞いて実は自分も緊張していた事を告白した。
彼女は安心したような表情と共に笑ってくれた。
なんだかとても遠い存在のアイドルとは思えないその様子に
ますます勘違いしてしまいそうな自分気持ちが抑えられない。
でも、とてもじゃないが告白なんかする勇気なんて持ち合わせていない。
ただこの瞬間だけをしっかり記憶しておかなければ、この前みたいに
極度の緊張から記憶なんか飛ばしたくない。
だからといって何を話していいのかわからず、ただアタフタするオレ。
そんなオレを見て彼女は笑う。
そしてオレはその笑顔にハマる。
心臓が破裂しそうな勢いだ。

「あ。あのコレお礼と言ってはなんだけど・・・」

そういって彼女は布切れに包まれた四角い物を差し出してきた。
緊張したオレの体がぎこちなくそれを受け取る。
なんだか、ほのかに温かい。

「あ。えっとコロッケ作ったから良かったら食べてください。
 おいしいかどうかわからないけど。」

マジですか?手作りのコロッケかよ。
今まで女の子の手作りの料理なんて食べた事のないオレが
初めての手作りの料理が安倍なつみのコロッケかよ。
携帯電話拾って良かったぁ。
心の中でガッツポーズを決めた。

そしてそのコロッケを受け取った後に彼女の電話が鳴り、
どうやら急に出かけなくてはならない用事が出来たみたいで謝りながら、
あっという間に消えていった。
でも、この前と同じように曲がり角で一度振り返ってくれて
手を振ってくれた。
彼女は見えなくなってもオレの手の中にはコロッケの温もりが
心まで温めてくれているようだった。

急いで家に帰ってその包みを開ける。
中には重箱。
フタを開ければコロッケの香りがフワっとしてきた。
俵型のコロッケが5個
小判型のコロッケが5個
どっちから食べればいいんだろう。

そっと手を伸ばして俵型のコロッケを親指と人差し指で摘まむ。
まだ温かい。ゆっくり口に運んで一口食べる。

サクッ。

死んでもいい─

この幸せな気持ちを誰かに言いたい。
でもきっと誰も信じないだろう。
オレが安倍なつみから手作りコロッケを貰えるなんて。
それでも事実オレは今その手作りコロッケを食べたんだ。

「うめぇー」

普通はありえない。
小判型の普通のコロッケ5個、俵型のクリームコロッケ5個
あっという間に平らげた。
最初は、明日も食べるために半分だけと思っていたけど
どうせならこのまだ温かいうちに食べた方がいいと思って
ついつい食べてしまった。
揚げ物10個食べても胸焼けもせず、ただただ幸せだった。

食べ終わって空になった重箱を見つめる。
見つめても、もう何も入っていない。
急に寂しくなった。

「やっぱり明日の分残しておけばよかったなぁ」

溜息交じりに重箱にフタをして洗おうとして流しに持っていった。

「あ。もしかして・・・
 これって、また会うチャンスがあるってことじゃん。」

そう、この重箱を返さなければ。
なんだか、また会えると思うと元気になるオレ。
我ながら単純だな。
完全に惚れまくった。
これで惚れない相手なんかいないよな。
安倍なつみの手作りコロッケ食って惚れない奴なんて
男じゃない。
そんなことまで考えている馬鹿なオレ・・・

お礼のメールを打った。
内容はコロッケが美味しかった事。
そして、このコロッケの入っていた重箱を返すので
いつ渡したらいいか?
あんまりしつこくならないように気をつけながら
文章を考える。
そして何度も読み返す。
失礼のないようにしながらも堅苦しくないように
何度もチマチマと携帯のボタンを押す。
自分に気合を入れるように一言。

「よし!」

送信ボタンを押した。
大きく息を吐き出して部屋に倒れこむように
ゴロンと寝そべった。
返事は来るだろうか。
携帯を握り締めながら返事が来るのをただ待つ。
電波の状況は大丈夫。わかっているのにチェックする。

そして・・・約10分後。

メールが送られてきた。
送信者は「安倍なつみ」オレは起き上がって
メールを開いた。
たった数行の短い文章─
その内容に言葉を失った。

「マジかよ・・・」

「えっと今、時間あったら電話もらえますか?
 メールだと何度も行ったり来たりで大変っしょ?
 私の電話番号は090−・・・」

電話番号を書いてくるなんて。
いいのかなぁ。
喜びを通り越してなんだか恐くなった。
おいおい、安倍なつみだぞ。あのモーニング娘。の安倍なつみ
その携帯の電話番号を教えてもらって、そのうえ電話もらえますか?だって。
オレ近々死んじゃうのかもしれないな・・・
死んでもいいかも。

何度か咳払いをしてメールに番号に電話をした。

「もしもーし。ども。すいません時間大丈夫でしたか?
 なっち、じゃないや。私メール好きなんですけど
 今、車の中なんですよ。それであんまりメール打ってると
 酔いそうになっちゃうんですよ。」

電話の向こうからは明るい安部なつみの声。
オレは自分の部屋で正座して会話をした。
顔が見えない分、この前よりは落ち着いて話せたと思う。
コロッケが美味しかったことを改めて伝えたら喜んでくれた。
どうやら今はタクシーで移動中のようで、これから事務所に向かうらしい。
そのわずかな間にだったけど何かグッと安倍なつみを近くに感じる事が出来た。

電話を切った後、オレはそのまま倒れこんだ。
携帯には通話時間は9分38秒と出ている。
もっと短くも感じたし、長くも感じていた。
そして電話を握った手は汗で濡れている。

「あぁ〜、マジで夢みたいだ・・・」

会話の内容を思い出す。
好きな映画を聞かれた。
オレはその時、答えたのは眠れないでたまたま点けたテレビで
やっていたフランスのB級映画だったと思うんだけどその映画を答えた。
内容的にはたいした事のない映画だったけど、その映画に出てくる
ひまわり畑のシーンが彼女にダブったから薦めたのかもしれない。
彼女はその映画について興味を示し「今度借りてみるね。」って言ってくれて
盛り上がったような気がする。
ただ話しを合わせてくれただけだったかもしれないけれど。
それでも嬉しかった。
何度も思うけどあの安倍なつみだもん。
そりゃ別にファンでもなんでもなかったけど
それでも・・・

無駄に力が体に、みなぎって腕立て伏せなんかやってみたりする。
恋ってなんだか凄いパワーがでてくるんだなぁ。
そんなことを実感している。

翌日は、筋肉痛が体を襲ってきた。

「もしもし安倍ですけど。」

寝ぼけながらとった電話は彼女からだった。
一気に眠気が吹っ飛んで、飛び上がるように体も起こす。

「あ。どもども。はい。はい。大丈夫です。
 起きてました。
 えぇ、結構早起きなんですよ。」

寝起きの良い方じゃない自分がここまでハッキリ目を覚ますなんて
人間変わるもんだなぁ、なんて感心していた所で
彼女はまさに寝耳に水のような言葉を口にする。

「あのぉ〜、突然なんですけど今度の水曜日ってヒマですか・・・ねぇ?」

本当は平日だから仕事がある日だ。でもそんなこと言ってられない。
もしかしたら何かのお誘いかもしれない。
会社をクビになってもいい。
絶対にその日は仕事を休む。

「今度の水曜ですね。大丈夫です。あの?なにか??」

「え。お休みなんですか?あのですね、この前、教えてもらった映画をね
 レンタル屋さんでビデオ借りて見たんですよ。
 そしたら、なんか凄くキレイな映像で・・・
 たまたま昨日コンビニで買った雑誌見てたらね
 あの映画の監督の作品が渋谷でやってるって書いてあるんですよ。」

って、ことは・・・
オレを映画に誘ってくれているのか?
思わず電話を強く握り締める。

「えっと、良かったら映画一緒に行きませんか?」

きたー
マジかよ。
そんなこと言われたら答えるべき言葉はひとつ。

「いいんですか?ぜひ、お願いします。」

お願いします。って何言ってるんだ?オレ・・・
あまりにも舞い上がりすぎた。
案の定笑われた。

「お願いします。って、あははは
 それじゃ、行きましょうね。」

引かれないで良かった。そして笑ってくれて救われた。

「それでぇ、あのチケットは私が用意しておきますので。
 この前のお礼ってことで。」

「え?いや、いいですよ、あんなに美味しいコロッケ貰ったんですから」

もう夢でもいい。覚めないでくれ。

「そんなに美味しかったなんて言うんなら
 また作ったら無理矢理渡しちゃいますよ!」

コロッケに埋もれて死んでもいい。

「もういつでも大歓迎です。
 あんなに美味しいの食べたことなかったですよ本当に。」

彼女はオレの言葉をお世辞にとっていたみたいだけど本心だった。
ただ単に味だけの問題じゃない。
なんか彼女の人柄が出ているような優しい味がした。
でもそんなことは恥ずかしいし、引かれそうだから口には出さなかった。

それよりも今度の水曜日。
映画だよ。映画。
なんかデートみたいじゃないか!

「なんかデートみたいですね。」

しまった思ったことを口に出してしまった。

「ねぇ。なんかデートみたいですねぇ」

失言だと思ったのにサラリと同意してくれた。
なんだか心臓やら胃とかが痛くなってくる。
それなのに顔だけニヤニヤしたり驚いたりしているんだろうな。

課長。水曜日は何が何でも休みます。

火曜日の夜は寝られなかった。
翌日は安倍なつみと映画を見る日。
遠足前の小学生のようにワクワクしている。
ただその時と違うのはワクワクと同じ分だけ緊張もたっぷり。
寝られないからといって酒なんか飲んじゃったら
明日、酒臭い。なんて思われても嫌だしな。

やっぱり映画見た後一緒にメシなんか行ったり出来るのかな?
渋谷でメシ食えるところなんて・・・
ラーメン屋か安いパスタ屋、回転寿司ぐらいしか浮かばないぞ。
ヤバイなぁ、確か彼女って凄い稼いでるんだよな。
オレの年収の何倍も。
オレが行くような安い店なんか行かないよな。
あ。それより彼女が行きたい店行ったら、金足りるかな。
こりゃ明日、朝一で銀行行って金降ろしとかないと。
あぁ、高級フランス料理の店なんかだったら・・・
テーブルマナーとかわかんねぇ。
あぁ、それより何着てけばいいんだ?
やっぱりスーツか。
会社に行くようなスーツじゃなんかダサいしなぁ。
成人式の時のスーツでいっか。
ワイシャツは白?それともカラーの方がいいのか?
それともスーツはやめたほうがいいのかな。
なんか成人式のスーツは明らかに着慣れてない感じが丸出しの気がする。

電気を消してベッドに潜っり込んでいた体を起こし電気を点けて洋服を探す。

「あぁ、どうしよう。」

会社に着ていくスーツ、成人式のスーツ、それ以外は
カジュアルを通り越したようなラフな物しかない。

「終わった。」

もっと早く気がつけばよかった。
そうすれば買いに行けたのに。
付き合ってもなければ、告白もしていない。
ただ映画を見に行くだけなのに会う前からすでに振られた気分。

「はぁ〜」

もっと雑誌とか読んでオシャレに気を遣ってれば良かったなぁ。
今頃思っても遅いけど・・・
今頃も何もまさかこんな事が起きるなんて想像すらつかなかったしな。
ベッドに戻る気力もなく床に転がった。

─ブーブーブー

携帯のバイブの音が聞こえた。
ベッドサイドに置いてある携帯を手に取って見ると
メールが一件。

「うぁ、安倍なつみからだ。」

時間は夜中の3時になるのに、こんな時間に何の用だ?

心のどこかでキャンセルだったらいいな。なんて思っている。
物凄く行きたいんだけど、でも恥はかきたくない。
できれば延期を・・・
祈りながらメールを開いた。

「こんばんは。あ。もう寝てますか?
 もしかしたら、おはようございます。かな?
 いやー、なんか緊張して寝られないんです。(笑)
 なんだか明日天気良いみたいなんですよ。
 せっかくだから映画見た後、代々木公園かなんかで
 お弁当食べませんか?
 っていうか、緊張して寝られないので今から
 サンドウイッチでも作ろうと思ってます。
 食べませんか?なんて聞きましたけど、決定ですので
 よろしくお願いします。
 なので、ラフな格好で来て下さいね。
 なっちもラフな格好で行きますんで。
 それでは、また。」

「マジかよ・・・
 なんてこった。
 安倍なつみは天使なのか?
 映画に行って手作りサンドウイッチを公園で食べる!
 これじゃ、デートじゃないかよ。
 うおぉーーーーーーー」

服装もラフで良いとは・・・
それに向こうも緊張して寝られないなんて
なんだか、あれだな。普通の女の子と変わんないんだな。
少しホッとした。
安堵感に包まれて睡魔がやっとオレの元に降りてきて
やっと寝られるようになった。
なんだか緊張して寝れなかったことがバレたら
恥ずかしいのでメールの返事は書かなかった。

電気を消したらすぐに寝ることが出来た。
そして目覚まし時計が鳴る5分前に目が覚めた。
時間にして対した時間じゃないけど目覚めはバッチリ。
朝飯に納豆とインスタント味噌汁だけ食って、
シャワーを浴びて出かける準備をする。

「はぁ、いよいよだ。
 やっぱり緊張するぜ。」

そして待ち合わせの場所に時間より早く着く時間に家を出る。
いつもと同じ街並みで他の人は会社や学校に向かう気だるそうな雰囲気なのに
対して自分はラフな格好だから少し浮いているかもしれない。
それに気だるさはないけど、緊張が表に出ている。
3回目の待ち合わせもいつものレンタルビデオ店の前。
ここの角を曲がれば、見えてくる。

「・・・もう居る。」

まだまだ約束の時間じゃないのに。

遠くから見てもオレにはわかる。
ただ普通の人にはわからないだろう。
俯いた顔、そしてその顔には薄い色のサングラス。

オレが近づいた時にその顔を上げた。

「あは、早く来ちゃった。」

サングラスをずらしてオレの顔を覗き込むと
照れたような顔して小さく手を振る。

「オレも早く来ちゃった。」

さっそく最寄の駅に向かう。
2人で歩く姿を客観的に見てみたい。
最高に贅沢な位置に居るけど近すぎてまともに彼女を見ることが出来ない。
それでも彼女は容赦なくオレを見る。
オレは恥ずかしくて目をそらしてしまう。嬉し恥ずかしって感じだな。

「─ですよね?」

「え?」

「え〜聞いてなかったんですか? なっちショックだな。」

オレは謝る事しか出来なかったけど彼女は笑って許してくれた
ただ緊張しているのは彼女も同じと言ってくれて少し顔を間近で見ることが出来た。

電車の中で揺られている間、オレと彼女の距離はやっぱり微妙な距離があった。
恋人との距離とは違う2人にはちょっとした空間がある。
距離にして30cmぐらいだろうか。
この距離を保ちながら歩いたり、電車の中で立っていたり。
電車が混んでいたらもうちょっと近くに居られるのに
こんな時に限って空いていたりする。

「そういえば、安倍さん電車なんか乗って大丈夫ですか?」

「え?なんで?」

オレは周りを見渡すような仕草でそれを伝えた。
彼女はそれでわかったみたいで、笑いながら

「大丈夫っしょ。もしもバレたらその時はその時。
 今を楽しまなきゃ、ね。」

彼女のサングラスをずらして直接目を見せる仕草に胸が高鳴る。
電車が揺れるリズムより自分の心臓が刻むリズムの方が早い。
今日一日大丈夫だろうか。

電車に乗ること十数分で渋谷に到着。
彼女は人の目を気にすることなく歩いて行く
オレは慌ててその横に着いて行くように歩く。
平日の昼間なので、渋谷も休日ほど人は居ない。

何度か来ている渋谷。
ただ隣に安倍なつみが居るだけで、初めて来た時ぐらいに
緊張して普段と違って見える。

「あそこ。あそこの映画館でしかやってないんだよ。」

そう言って地下にある小さな映画館を指差した。
隣にも小さな映画館があるがどちらも見たことのないタイトルの映画だった。
入り口にも人も居ない。
受け付けではチケット売りの女の人がヒマそうにしている。

「それじゃ、ちょっと待ってて。」

そう言って彼女はチケットを買いに行った。
慌ててオレは追いかける。

「あれ、チケットは?」

「ごめんなさい。用意できなくってだから今買うから」

「いや、オレが買いますよ。コロッケも貰ってるし、
 それにサンドウイッチも作ってきてくれてるんですよね。
 これぐらいはオレが出しますから。」

「え。ん〜、それじゃお言葉に甘えて。」

窓口で大人2枚買って中に入る。
上映時間まで10分。

今日1回目の上映なので人もまばらだ。
席の数も少ないがそれでも人も少ない。
カップルが数組、いかにも映画好きそうな人が数名。
他人を気にすることなくカップルは昼間からイチャイチャして
映画好きそうな奴はじっとパンフレットや他の映画のチラシに
目を通している。

彼女はチケットを買ったときに貰った今回の映画のチラシを読んでいた。
オレもそのチラシに目を通す。
そこでやっと映画のタイトルを知ることとなった。
監督の名前を見ても全然知らない。
彼女は良く覚えていたな、こんな監督の名前。

やがてブザーが鳴り響き照明が落ちる。
スクリーンに光が映し出されてその光が反射されて
隣の安倍なつみをぼんやり照らし出す。
ゾクッとするほど綺麗だった。
映画よりその横顔を見て居たかったけれど、
きっと映画が終わったら映画の話をすると思ったので
すぐにスクリーンに集中した。

やっぱりB級っぽい作りの映画だけど、どこか温かい映像。
ストーリーは陳腐だけど映像そのものに味があり
セリフがないのになにかを訴えてくるような不思議な作品だ。
そして気が付けば、風景のシーンにオレは涙を流していた。
慌てて涙を拭き取ってラストのスタッフロールを眺めていた。
本当なら手のひとつでも握りたい所なんだろうけど
オレは最後まで集中して映画を見ていた。

スタッフロールが流れている間なのに席を離れて行く人も
居たがオレも彼女も動こうとはしなかった。

─なんだかつまんねぇ映画だったな。

通路を歩くカップルの声が聞こえてきた。
オレはその声を無視するように前を向いていたけど
隣に居る安倍なつみは、キッとそのカップルに視線を投げていた。
ただそのカップルは気付いていないようだったけど・・・

館内の照明が灯された時、2人で腰をあげた。
周りには数組いたカップルの姿はない。
なんとなく無言で映画館をあとにした。
暗い映画館から出たら外の明るさに眩しさを感じる。

「ここから代々木公園まで歩きません?」

オレはその言葉に頷き歩き始める。
渋谷の街並みから少しずつ歩いて遠のいて行くと所々に木が見え始める。
木と言っても街路樹だけどなんかほっとする。

「あのぉ。さっき映画つまらなかったですか?」

なんとなく不満気な顔で小さな声でオレの様子をうかがうように聞いてきた。
たぶん映画館にいたカップルの感想が頭に残っているのだろう。
オレは正直に映画の感想をぶつけた。

「ん〜、ストーリー的には決して面白い物じゃなないと思うけど、
 それ以上になんか映像が綺麗で印象的な映画でした。
 だからつまらなくは、なかったです。映画と言うより映像に感動したって言うのかな。」

オレの言葉に不満気な顔から明るい笑顔に変わる。
それから一気に映画の感想を言い始めた。
その感想を聞いてて凄く共感できて嬉しかった。
なんか自分の視線と同じ感じがして安倍なつみって人物が
オレの中でイメージが少しずつ変わってきた。

「安倍さんって普通の女の子なんですね。」

「え?急になんですか?そうですよぉ〜
 なんか違うと思ってました?」

「いやぁ、なんかアイドルだし。それもモーニング娘。でしょ。
 なんて言うんだろう?
 勝手なイメージかもしれないけど、ずっと上の方の存在って言うのかな。」

「何それ?変なのぉ〜
 そんなことないよ。昨日の夜だって今朝だってコンサートとかより緊張したし・・・」

ちょっと後半の言葉は聞き取れなかったけど
その仕草は女の子って感じが全身から溢れ出ていて
逆光によって髪の毛がキラキラした姿に思わず口が開いたまま固まってしまった。

「ん?どうしました?」

「いや、なんでもないです。」

ゆっくり歩いているのに、まるでマラソンしているような心臓の鼓動。
口の中が乾いてくる。
遠くに代々木公園が見えてきたときには何故かゴールのような感じがした。

「もうすぐ入り口ですよ。
 あ。ここをね真っ直ぐ行って右に曲がると美味しいスパゲッティー屋さんが
 あるんですよ。 今度行きません?」

「え?オレなんかでいいんですか?」

「だって・・・ なっち友達居ないんですよ。」

遠くを見る目と尖がらせた唇が、寂しさと不満を訴える。
その表情にオレも共感できた。
オレも東京に出てきて会社に入りプライベートな友達は居ない。
学生時代の友達は地元に残っている奴や他の地方に散っていったから。

「オレも東京には友達居ないんですよ。 地元離れて就職しに来たんで。」

「それじゃなっちと一緒だね。」

オレはグッと根性を決めて玉砕覚悟の一言を振り絞った。

「友達になってもらえませんか?」

彼女はオレの顔を見てちょっと戸惑いの表情を見せた。

「え?」

やっぱり調子に乗りすぎたかな。
うわぁ、気まずいなぁ。
3歩ほど歩いてから彼女はポツリと言った。

「なっちは、もう友達のつもりでいたよ。」

「え?」

「だーかーらー、なっちは友達だと思っていたのに。
 なんかちょっと傷ついたって言うか、ショックて言うか・・・」

「あ。え。だって。オレなんかじゃと思って。
 すいませんでした。
あの、それじゃ友達になってもらえるんですか?」

オレは彼女の前に周り込んで頭を下げた。
彼女は足を止める。
オレはその足先を見つめていて
とても顔なんか見れない。

「ん〜。それじゃぁ、1つ条件出してもいい?」

オレは顔を上げてその表情を見たけど彼女はそれをかわすように
ちょっと意地悪そうな仕草を見せた。

「条件ですか?」

彼女はその表情を変えないでコクリと首を縦に振った。
カラカラの口の中のわずかなツバをオレは飲み込んだが
喉に痛みを覚えた。

「そう条件。それはねぇ。
 ずっと気になってたんだけど。
 敬語止めて欲しいなぁ。」

「え?ゲホッ、グホッ・・・」

彼女の寂しげな表情からニッコリとした表情にスライドさせるように
変わった時、オレは戸惑いと喜びが喉に絡み合ってしまったように
思わず咳き込んでしまった。

「ちょっと大丈夫?」

そっと背中を擦ってくれる彼女の手はとても温かくスッと楽になる。

女の友達かぁ。
英語で言うとガールフレンド。
なんか彼女っぽい響きだな。
ってオレ何考えてるんだ?

「あ。あの、それじゃ敬語止めたら友達になってくれますか?」

「うん。なっちからもお願いします。」

2人して公園の通路で正面を向き合ってペコリと頭を下げる。
周りに人はいないけど、なんとも滑稽な光景だと思う。
頭を下げた後、顔を上げたとき2人で笑った。
笑おうとして笑ったんじゃなくて自然に笑顔が零れた。
それと同時に緊張感からも開放された感じがして自然と会話が進んだ。

自動販売機でお茶を買って、芝生の上に座り彼女の作ったサンドウイッチを食べる。
何年ぶりだろう、こうやって青空の下、公園で弁当を食べるなんて
学生時代の遠足以来かな。

「美味しい?」

「は、・・・うん。」

ぎこちない「うん」っと言う返事に彼女は心配そうな顔をして
食べている手を止めた。

「なんか無理してない?
 キライな物とか入ってた?」

オレは口の中に物が入っていたので慌てて首を横に振ってから
お茶を流し込んだ。

「いや、あのね。思わず「はい」って言いそうになったから
 ほら敬語はやめてって言ってたでしょ。 
 だからちょっとタイミングが合わなかっただけ。
 本当に美味しいから。それに─」

「それに?」

「こうやって外で、太陽の陽射しを浴びながら芝生の上とかで食事をするって
 なんか気持ち良いし、最高の気分だ。」

「だよね、だよねぇ。なっちもねぇ、こうやってお外でゆっくりお日様浴びて
 ご飯食べるの大好きだなぁ。
でも今回はこんな物しか作れなかったけど、今度はもっとお弁当らしい物
作るから期待しててね。」

そう言って彼女は腕を捲くる仕草を見せて微笑みかける。
温かな陽射し、芝生と土の匂い、爽やかな風─
すべてを味方にしたような彼女の笑顔は太陽よりも眩しかった─

─今でも、すぐに思い出せるあの日のことを。

「ねぇ、何見てるの?」

なつみはオレが手にしていた紙を覗き込んだ。
オレの手にはあの日、見た映画のチラシ。
4つに折ってジーンズのポケットに入れて持って帰って
ずっと大事にしまっておいた。

「あ!あの時の映画のだ! 持ってたんだぁ?
私もねぇ、大事にしまってあるよ。」

「なぁ、なつみ。なんでオレと付き合ってくれたんだ?
 オレみたいな、なんの取りえもない普通の男にさぁ。」

「何よ?そんな急にぃ。知りたい?」

オレは頷く。
そう、なんでオレなんかと・・・
今まで恐くて聞き出せなかった。

「あのねぇ、ヒントはその映画!」

そう言って手の中のチラシを指差した。
チラシをよく見たところで全然わからない。
だから首を傾げてなつみを見るが、なつみも微笑み
答えを教えようとはしない。

「なんなんだよ。気になるじゃねぇか。」

「しょうがないなぁ。
 あのさぁ、この映画覚えてるよね?
 あんまり内容は面白くなかったけど、すっごく綺麗な映像だったよね。
 私あの最後のシーンで、うわぁ綺麗って思って感動しちゃってさぁ。
 涙出ちゃったのよ。
 そして横見たらあなたも泣いてるし。
 この時に、もうねぇ。あぁ〜同じ物を見て感動できて
 同じ涙流せる人ってそんなに居ないんだろうなぁって思ってた。」

一呼吸あけてから、なつみは続けた。
オレはただ黙って聞きながらあの日のことなどを思い出していた。

「やっぱりさぁ、一緒に同じ物を見て笑ったり感動したり、
 美味しいもの食べて、美味しかったって一緒に言えるって
 その物事が2倍にも3倍にも増える気がするんだよねぇ。
 それって凄い事だと思うんだ。
 あぁ〜、なんて言うのかな。
 これ以上は上手く言えないよぉ。
 だから感じ取って。」

そう言うとなつみはオレに抱きついてきた。
そしてゆっくり体を離すと目を閉じる。
オレは吸い込まれるように顔を近づけて唇を合わせた。

初めて出会ったときは緊張して何がなんだかわからなかった。
でも今はこうして当たり前のように唇を合わせることが出来る。

唇を合わせているその間、今までのことがまるで本のページを
めくるように鮮明に浮かんでくる。

コロッケの味─
映画館での綺麗な横顔─
付き合ってくれってオレが告白した時のなつみの顔─
そして初めてキスした時のこと─

唇から伝わってくる温かな気持ちは何か胸の鼓動を早める。
その唇が離れてなつみは言う。

「わかった?」

「ん〜、なんかドキドキするけど、温かかった。」

「そう!そんな感じ。あなたと居ると私はいつもそうなの。
 恋?
 ん〜今は愛なのかなぁ。」

そう言ってなつみはオレの胸に顔を埋める。
やわらかで華奢な肩を抱きながらあの日、自分が携帯電話を
拾った運に感謝した。

「あの日、オレが偶然携帯電話を拾ったけど、
 もし拾わなかったら出会えなかったんだな。」

なつみは顔を上げてちょっと睨みつけるような目をした。
オレはその目に少し怯んだ。
なんで睨むような視線を投げかけたのか、わからずに・・・

「偶然じゃないよ!運命だったんですぅー」

口を尖らせて言った なつみの唇に素早く唇を合わせた。
なつみはニコっと笑う。
オレも笑う。
共鳴しあうように、いつでも同じタイミングで笑う。
これからも、ずっと─

「そうだな。運命だな。」

─ ずっと〜思い起こせば〜 ─ 終わり。