210

コンボ 投稿日:2002/09/30(月) 22:31

大騒ぎするのは好きなほうだ。
でも、四六時中騒いでいるわけにはいかない。
特に自分は騒いだらすぐ疲れる。
一度騒げば一週間は疲れているから、そう頻繁にははしゃげない。
昨日もカラオケで騒いだばかりだから疲れている。
なんで誘われたんだっけ、と思い出した。
学校の帰りに吹奏楽部の連中に会ったんだった。
向こうは20人くらいでカラオケに遊びに行くところだった。
部員の何人かが小学校から一緒の友達だから、ノリでカラオケまで行ってしまった。
着いたのが6時ぐらいで、それから2時間は遊んだ。
そこは覚えているんだけど、誰と遊んでいつ頃家に帰ってきたかは忘れた。
制服のまま寝てしまってるんだから、風呂にも入らずにそのまま寝たんだろう。
まあ良いか。
今日は土曜だし、布団の中でゆっくり思い出そう。

ボックスには6人で入ったと思う。
俺のいたボックスでは水野が仕切ってたはずだ。
ボックスの中で小学校からの知り合いは水野だけで、男は俺と水野とあと中2の後輩が2人いた。
女子が2人がいたのは覚えている。
俺の右隣にはその片方が座った。
垂れ目で髪を後ろでまとめていて、ほとんどというか全然知らない女子だった。
水野は何か騒ぎながらリモコンを独占していた。
「俺らにも曲入れさせてくださいよ」
後輩2人は抗議したが、水野は一通り入れ終えるまでリモコンを離さなかった。
やっと2人の手にリモコンが渡った頃、隣の女子が口を開いた。
「すいません、OBの方ですか?」
少し上ずった声だった。
「俺?」
「お見かけしたことないんですけど……」
「普通に中学生ですけど」
曲カタログをめくりながら答えた。
「中3?」
「うん」
「あ、水野くんの友達か。私も中3なんだ」

「でも、なんか水野くんとタイプ違うよね」
「そう?」
水野がどう思われてるかは知らないが、そこそこ気は合う。
「部員でしか来ないの?」
「たまにOBの人と一緒に来るけど」
その頃水野が2曲目を歌いはじめた。
もう一人の女子も2年生らしく、後輩3人は適当に話しながら歌を聞いている。
「あ、そういえば名前聞いてなかった」
「並木」
「並木くんね。
 私、2組の辻希美。ののでいいから」
いいから、と言われてもそう簡単には口にできない。
「辻さんは何やってんの?」
「何って?」
「楽器。吹奏楽部でしょ?」
「えーとね、トランペット。
 フルートやりたかったんだけど、人気あったから。
 女子でトランペットやってるの私だけなの」
「ああ、トランペットね」
少し動揺したのを悟られたかもしれない。

後輩の2人がやっとマイクを握った頃、俺にもリモコンが回ってきた。
カタログをめくりながら何曲か入れた。
「並木くんはクラブ入ってないの?」
「入ってない」
「えー、クラブ入ってなかったら家帰ったら暇でしょ?」
「別に。やることあるし」
「嘘だー、部屋に閉じこもってマンガとか読んでるんだ」
「そんなことないって」
「じゃあ何やってんの?」
「フルート」
思わず口を滑らせた。
「え、フルートやってんの?」
「あ、いや、ちょっとだけ」
この頃にはすでに後悔していた。
「吹奏楽部入ればいいのに」
「クラブ入ったら合宿とかあるから嫌なんだよ」
「いいじゃん、入りなよ」
「あ、これ俺の入れた曲だ」
マイクを握りながら適当にごまかした。

「あとなんだっけなあ」
そこまでは思い出したが、そこから先が分からない。
もしかしたら携帯の番号でも聞いたかもしれないと思って、ポケットから携帯を取り出した。
ポケットに入れたまま寝てしまったのだ。
見ると、やはり『辻希美』の名前で入っていた。
あとはもう何もやってないはずだ。

月曜日、学校の廊下で辻に会った。
今まで3年間一度もあった気がしないのに、知り合うと急に目立つようになるのだろうか。
何も言わずにすれ違うのも気分が悪いし、なんとなく声をかけた。
「よう」
「あ、おはよう」
向こうもなんとなく声を出したようだった。
「のの、ちょっと来て」
「うん、分かったー」
辻を呼んだのは俺と同じクラスの男子だった。
男からも『のの』と呼ばれていたが、自分もそう呼ぼうとは思わなかった。
ただ、皆から好かれてそうだということは分かった。
辻は呼ばれた男子に駆け寄って教科書らしきものを受け取ると、また別の男子に話しかけられた。
楽しそうに談笑している。
人気あるな、と思った。

文化祭が近い。
夏休みが明けてからもう一週間は経つ。
月末の文化祭に向けて、文化系のクラブは準備にいそしんでいる。
吹奏楽部は体育館での演奏というのが毎年あって、当然毎日練習に明け暮れているはずだ。
そのはずが、土曜に水野からメールが来た。

明日朝の十時からバンド見にいかない?
結構人気あるみたいだし、面白いって言ってた。

丁度明日は予定が無かったし、遊びに行くことにした。

いいけど、お前クラブは?
それとどこでやるの?

水野の返事はすぐ返ってきた。

クラブは休む。
場所は体育館。

日曜日、体育館にはちゃんと10時に着いた。
水野は先に着いていて、入り口で誰かと話していた。
女子に見えるがかなり派手な服を着ている。
俺が来るのを見ると水野はこっちにやってきた。
「今のがバンドのボーカル」
「これ、思いっきり中学バンドじゃん」
「当たり前だろ。
 10時から体育館で練習するっていうから見学しに来たんだよ」
「でも、中学生だろ。しかもうちの学校の」
「心配しなくても上手いから安心しとけ」
水野はなぜか自信たっぷりにそう言った。
「それで、今のがボーカル?」
「小川麻琴。聞いたこと無い?」
なんとなく聞いたことがある。
劇団だかダンススクールだかに通っているということは知ってるけど、それ以外は全然知らない。
「マジで上手いの?」
「保証する」
水野の自信がどこから湧いてくるのか不思議でたまらなかった。

バンドのメンバーは4人だった。
ギター、ベース、ドラムは男子で、小川だけが女子だった。
観客は俺と水野のほかにも案外いて、どこから嗅ぎつけてきたのか分からない。
それも大人しそうな奴は一人もいなくて、髪が黒い人の方が少ない。
「俺やっぱり帰るわ」
「まあ待てって。聞いたら絶対いいから」
「でもなんか不良候補みたいな奴ばっかりいるぞ」
「今帰ってみろ、フルートのことばらすぞ」
水野は小学校の時うちに来て、俺がフルートを吹いていることを知っている。
「悪いこと言わないから座ってろって」
渋々腰を下ろすと、壇上の小川はいつのまにかハンドマイクを手にしていた。
朝礼で校長なんかが使うマイクだ。
メンバーは皆派手だが小川の格好は特に派手で、赤と黒が目に痛い。
いやというほど化粧をしている。
化粧ばえしない顔だな、と思った。
小川は左足でリズムを取り始めた。
そう思った瞬間に、耳鳴りするほどの騒音が聞こえてきた。

まず、何を言っているのかが分からなかった。
途中からは気分が滅入ってきた。
さらに、これ以上聞いていると体に悪いような気がしてきた。
しかしそう思っていたのは俺だけのようで、周りは時が経つにつれヒートアップしていった。
小川も歌えば歌うほどテンションが高くなっていく。
まだかまだかと思った一時間は長かった。
「良かっただろ?」
観客が帰り支度を始めた頃、水野は笑顔でそう言った。
そういえば、カラオケで水野が歌っていたのと同じ曲を歌っていたような気がする。
「何言ってるか全然分からなかった」
「まあ、まだお前は初心者だからな」
水野は立ち上がって、思い出したように言った。
「そうそう、バンドのメンバー知り合いだから会ってくるわ」
「行ってらっしゃい」
「お前も行くんだよ」
「俺、知ってる奴いないし……」
そうは言っても少しだけ好奇心が湧いたのは事実で、結局着いていった。

4人組は壇に座って足を投げ出していた。
ペットボトルに口をつけながら話している。
「よう。結構上手いこといったじゃん」
水野がギターに声をかけると、男子3人は水野と話しはじめた。
それと同時に小川は立ち上がって外へ出て行った。
「水野、横の奴は?」
「知り合い。並木純平って奴」
ベースは俺に声をかけた。
「楽器とかやってんの?」
「いや、別に……」
「お前フルートやってんじゃん」
水野の頭を叩いたが、遅かった。
「フルートってあのほら、横笛?」
「マジで? 変わってない?」
「でもなんか面白そうじゃねえ?」
3人は意外と興味を示してくれた。
フルートのことを言うと大抵はちょっと引かれるから、嬉しかった。

小川が帰ってきた。
ただ、それは衣装が同じだから小川だと分かっただけで、顔はすげかえたようだった。
「誰かタオル持ってない?」
ドラムが無言でタオルを手渡す。
「あー、さっぱりした」
タオルから顔を上げると、小川は笑った。
「厚化粧してると顔が固まっちゃうんだよね」
笑ったと思ったのは顔の筋肉を動かしただけらしい。
吊り気味の目は化粧をしている時より気が強そうで、俺としては化粧を落とした顔の方が好きだ。
「何見てるの?」
ぼーっと見ていると、小川に声をかけられた。
「って言うか誰?」
「俺の連れ。並木っていう奴」
「並木? 聞いたこと無いなあ」
「こいつフルートやってるんだって」
ベースが振り向きながら言った。
「マジで? フルートって笛のフルート?」
「しかないじゃん」
「なんかおかしくない? 男でフルートやってるって」

「どこが」
思わず言葉が口を突いて出た。
「だって、あれって女が吹くもんじゃないの?」
「んなの誰が決めたんだよ」
「いきなりキレないでよ。ビックリした」
そう言われて、自分が喧嘩腰になっているのにやっと気付いた。
「吹奏楽部入ってるの?」
「入ってない。クラブ入ると面倒くさいから」
「面白いのに。テニス入りなよ、楽しいから」
「お前がテニス部だからだろ」
水野の言葉で皆笑った。
それからもバンドの4人は俺たちと話しながら帰り支度を始めた。
最後に体育館の鍵を閉めるときになって、小川が騒ぎ出した。
「ヤバイ、鍵無いよ!」
それから30分ほど探して、結局小川の鞄から見つかった。
帰り道が別々になるまで、歩きながらずっと騒いだ。

「暑いね」
そう言って小川は自販機のボタンを押した。
バンドの男子3人が別の道を歩いていって、水野と小川は俺と同じ帰り道だった。
男子組は別の中学らしい。
「どこで知り合ったの?」
「バンドのライブ」
「何のバンド?」
「言っても絶対分からないもん、並木じゃ」
「そんなこと無いって」
水野は公園のトイレに行っていていない。
調子に乗ってコーラ5本一気飲みしたのが腹にきたんだろう。
「だってフルート吹いてるんでしょ?」
「まあな」
「あ、そう言えばさ、フルートどれくらいやってるの?」
「6年ぐらい」
「結構すごいじゃん。
 だったら体育館で一人で演奏できるんじゃないの?」
小川は一気に缶ジュースを飲み干した。
「何言ってんの?」
「6年もやってたらレパートリー多いでしょ。
 吹奏楽部入ってないんだったら一人で演奏したらいいじゃん」

「人に聞かせるためにやってるんじゃないんだ」
「でも、楽器って人に聞かせるためのものでしょ?
 やらなきゃ意味無いじゃん」
「そんな上手くないんだって」
「大丈夫、大丈夫。
 6年やってれば充分だって」
黙っていると、小川は鞄から携帯を取り出した。
「じゃ、生徒会に知り合いいるから頼んどくわ。
 決まったら連絡するから、電話番号教えて。
 あ、携帯持ってる?」
「一応」
言われるままに番号を教えた。
口では携帯番号を言いながら、頭の中では自分が体育館でフルートを吹くのを想像していた。
「じゃあこっちの番号言うから」
こっちが携帯を取り出す前に、小川は番号を言い出した。
3回ほど言われてやっと打ちこめた。
「それじゃ私もう帰るわ」
小川は携帯で時間を確認すると、いきなりそう言った。
遠ざかる小川の背中を見ながら、ぼんやりと体育館でフルートを吹く気分を考えてみた。
「ごめんごめん、止まらなくてさあ」
その頃やっと水野がトイレから出てきた。

小川の返事は3日後に来た。
幸い、まだ体育館は空いていたそうで、20分の演奏時間をもらえた。
「文化祭まで頑張って練習してよ」
小川からの電話はそこで切れた。
断るタイミングも無ければ断る気も起こらなかった。
いっそフルートのことを皆にばらそうと思っていたし、今更断っても小川に悪い気がした。
フルートはいつもケースに入れて部屋の机に置いてある。
毎日、家に帰ってから寝るまでに大体2時間ほど練習する。
一時期練習をサボっていたが、中学生になってからは毎日欠かさず練習している。
おかげで最近はややこしい指使いでもそこそこ動くようになってきた。
俺がフルートをやってることを知ってるのは家族と一部の友達だけで、水野にはわざわざ聞かせたことがある。
友達といっても男友達ばかりで、この間辻と小川に言った以外にはたった一人にしか言ってない。
小学生の頃好きな女子だった。
意識して、強引に仲良くなった。
でもうちに呼ぶのは恥ずかしくて、それでも何か自分の秘密を明かしたかった。
秘密を共有することで深い仲になれるような気がした。
でも、その子には思いを打ち明けることのないまま、違う中学になった。

次の日から、図書館に通いつめた。
フルートの楽譜を探すためで、買うには高い本ばかりだからだ。
クラシック以外の曲も入れたい。
図書館への道を、そういうことを考えながら歩いていた。
楽譜の本は案外多いが、フルート専用の本はほとんど無い。
仕方ないからピアノなどの他の楽器の譜面を両腕に抱えた。
分厚い楽譜は結構な重量がある。
腕がしびれてきた頃、本棚の陰から見覚えのある顔が現れた。
「並木くんじゃん。何してるの?」
現れた辻も両腕に楽譜を抱えている。
「辻は?」
「私はトランペットの楽譜探してるの」
「文化祭近いのに練習しなくていいのか?」
「文化祭の曲は前から練習してるから大体できるんだ。
 それより文化祭までに色んな曲で練習するのが大事だからさ。
 そっちは?」
「こっちもちょっと、フルートの楽譜探してるんだけど」
「あ、文化祭出るんでしょ。それの曲選んでるんだ」

「なんで知ってるんだ?」
「昨日水野くんから聞いた。
 フルートの独演会やるんでしょ?」
独演会なんて大層なものだとは思ってなかったから、そう言われたのが恥ずかしい気がした。
「小川さんに頼んだんでしょ?」
「こっちが頼んだんじゃなくて、話したら勝手に生徒会に申し込んだんだよ。
 それじゃ、俺もう帰るから」
そう言い残してその場を立ち去ろうとした。
「ちょっと待ってよ。私ももう帰るから」
辻は後ろからついて来た。
楽譜を借りてずしりと重くなった鞄を持ち上げながら図書館を出た。
「どれぐらいやってるの?」
「フルート? 6年ぐらいだけど」
「小学校からやってるの?」
うなずくと、辻は大袈裟に驚いた。
「すごいじゃーん。そりゃ独演会できるわ」
「そっちは? トランペットの独演会やったらいいじゃん」
「私は中学入って始めたばっかりだから」
辻は照れるように笑った。

時々、図書館で辻と会った。
特に休みの日はよく会う。
文化祭まではあと一週間ほどになった日曜日に、また辻と会った。
机に楽譜を広げて曲を選んでいると、辻が向かいに座った。
「もうやる曲決まったの?」
辻は挨拶も無しに話しかけてきた。
「大体決まったけど、あと1曲ぐらいいけそうだから」
20分という時間を精一杯使いたかった。
そのためには3分ほどの時間でも無駄にはできない。
短そうな曲を選んで探していた。
「今、フルート持ってる?」
辻は大きな鞄を横に下ろした。
「持ってるけど、一応」
曲選びの時にはいるかもしれないと思ってフルートは持ってきている。
鞄を開けばケースに入ったフルートがすぐにでも出せる。
「これトランペットなんだけどさ」
辻は下ろした鞄を机の上に持ち上げて、チャックを開いた。
中からは金色の胴体をしたトランペットが垣間見える。

「どっかで吹かない?」
「何言ってんだ?」
「だって、並木くんのフルート聞いてみたいし。
 私もトランペット持ってるから聞かせてあげてもいいし」
吹奏楽部での演奏では、トランペットが目立つことはあまり無い。
大抵はたくさんある楽器の中にまぎれてしまう。
そういう意味で単独のトランペットの演奏というのを聞いてみたかった。
それと、なんだか辻の頼みを断れなかった。
多分、よほどのことがない限りは何を頼まれてもオッケーしたに違いない。
「いいよ」
「それじゃ、どこでやる?
 あ、そこの公民館で部屋借りる?
 確か1時間500円だったから、それぐらいなら大丈夫でしょ?」
辻の目はいきいきしていた。
「そんなにフルート聞きたい?」
「そりゃ聞きたいよ。生で聞けるんだもん」
下ろしたばかりの鞄を肩にかけて、辻は立ちあがった。

公民館で楽器は演奏できるか、と聞いたら最初はダメだった。
しかし1時間ほどで終わると言って頼み込んだら、渋々了承をもらえた。
先に500円を払うと狭い部屋に案内される。
「それじゃ早速」
辻は鞄からトランペットを取り出した。
それまでは普通に見えていた辻が、いきなり堂々と見えるようになった。
「早くフルート見せてよ」
管状のケースからフルートを取り出した。
「あれだね、思ったより太いんだね」
「糸みたいなのだと思ってた?」
ケースを片付けてフルートを両手で構えた。
吹く直前に、気付いて辻に尋ねてみた。
「なんかリクエストある?」
「別になんでもいいよ」
何より辻は早くフルートを聞きたいみたいだった。

とりあえず『きらきら星』を吹いた。
フルートを始めたころによく吹いてた曲で、これなら吹きこなせるという自信があった。
吹いている間、辻は備え付けの椅子に腰掛けていた。
吹き終わると、辻は両手を広げて拍手をした。
「さすがに上手いねえ」
嫌味には聞こえなかった。
「これ、本番で吹くの?」
「いや。もっと難しい曲吹いてみようと思ってるけど」
「この曲いいよ、絶対」
文化祭でわざわざ観客に聞かせるような曲だとは思えない。
だが確かに、『きらきら星』なら自信がある。
「あと1曲はこれにしたら?」
辻はトランペットを手にしながらそう言った。
「結構自信あるんじゃないの?」
「まあ、この曲好きだしな」
「やった方がいいよ」
そう言って、辻はトランペットに口をつけた。

辻のトランペットは、はっきり言って上手くはなかった。
でも、一生懸命吹こうとしているのはよく分かった。
必死で上手く吹こうとしているのは、辻の目でなんとなく分かる。
知らない曲だったが、気持ち良く聞けたような気がする。
吹き終わって、こっちも拍手した。
「なんていう曲?」
「『いつか王子様が』っていうやつ。
 ディズニーの白雪姫のBGM。
 この間先生から楽譜もらって覚えたばっかりなんだ」
「他になんか無いの?」
「あ、あれ、『ビビディ・バビディ・ブー』吹けるよ」
そう言って、すぐに辻は吹き始めた。
フルートを吹きたかったと言ってたが、トランペットでも楽しんでいる。
そういうのが辻なんだと思った。
つまり、どんなものでも楽しみ方を見つけられる奴なんだな、と思った。

1時間ほど好き勝手に吹いて、部屋を出た。
帰ろうとすると係員に呼びとめられた。
「今度からは部屋貸さないよ、うるさいから」

「付き合ってくれてありがとね」
トランペットの入った鞄を担ぎ直して、辻はそう言った。
「いいよ別に。正直俺も楽しかったし」
「じゃ、文化祭楽しみにしてるから」
辻は手を振りながら遠ざかって行った。
その後姿をぼーっと見ていると、なんだかほっとできるような気がした。
帰り道もぼーっと携帯を見ていた。
なんとなく辻宛てにメールを書いてみては消す。
フルートのことや、学校のことを書いてみては消す。
歩きながらそういうことをするから、色んなものにぶつかりながら家まで帰った。

文化祭の3日前から、体育館を使っての練習をやらせてもらえることになった。
知り合いの生徒会長からパンフレットを見せてもらうと、『並木純平フルート独演会』と書いてあった。
「やけに大層なタイトルだな」
「もう変更できないんだから、文句言うなよ」
そのまま体育館に案内される。
4時から30分だけ使わせてもらえることになった。
他の団体も使うんだからこれでも長いんだろう。
フルートひとつと楽譜を持って体育館に行くと、当然ながら観客はいなかった。
試しに吹くとよく響く。
そこそこ広い壇上の真ん中にパイプ椅子を運んで、楽譜を置く台を組み立てる。
「お前、もういいからどっか行けよ」
生徒会長は俺の背後であぐらをかいていた。
「聞かせてくれよ、フルート」
「なんか気になるから出てけって」
生徒会長は渋々立ちあがると、階段を下りて壇の下にあぐらをかいた。
「ここなら別にいいだろ」
「お前、生徒会の仕事は?」
「他の奴に任せてる」
何を言っても動かないから、仕方なくそのまま練習を始めた。

「あれ、もう始まってるんじゃん」
2曲目にさしかかった頃、ドアが開いた。
「小川か?」
フルートを吹く手を止めた。
「あらら、生徒会長もいるね」
「ちょっと見学してるだけ」
小川は会長の横に腰を下ろした。
「早く吹いてよ、聞きに来たんだから」
「お前、なんで聞きに来てるの?」
「なんとなくね。やってるって聞いたから。
 私まだ並木のフルート聞いたこと無いんだから、早く聞かせてよ」
少し考えて、2曲目を始めから吹くことにした。
そのまま3曲目、4曲目につなぐ。
時間が経つにつれて小川の頭が揺れてくる。
時々思い出したようにはっと起きるのだが、すぐにまたまぶたが下がって頭が前後に揺れる。
会長は起こそうかどうか迷っていたが、結局起こさずに聞いていた。
ラストの『きらきら星』を吹き終わると、会長から拍手をもらった。
小川はその拍手で頭を上げ、つられて手を叩いた。

俺が吹いている間、壇の下では小川と会長が仲良くしゃべっていた。
こっちを気遣っているのか小声だが、時々笑い声が混じる。
生徒会に知り合いがいると言っていたのは会長のことかもしれない、と思う。
本当にフルート聞いてるのか、とも思う。
そう思うのは、やきもちではないはずだ。
ただ、しゃべっているのが気になって演奏が上の空になるだけだ。
時々音を外すと、小川が野次を飛ばす。
「しっかりしろー」
聞いてるのか聞いてないのか分からない。
最後には、俺のフルートはBGMなのかとさえ思った。
二人ともフルートを聞いてる様子はなかった。
しゃべっている姿はただの友達だったかもしれない。
ただ、男女だからどうしても、そういう気分になってしまう。
これは決して、俺が小川を意識してるわけじゃない。
男と女でしゃべってるんだから、当たり前じゃないか。
そう思ってみたが、いまいち納得できなかった。

持ち時間の30分が終わって、体育館を出た。
「なんか、フルートって眠いね」
「だったら聞くなよ」
「ほら、またすぐにキレるんだから」
小川は横に並んで歩いている。
「並木、これからどうするの?」
「家帰って練習する」
「それじゃ連れてっても大丈夫だよね」
「なんだよ、どっか連れて行く気か?」
小川はにっと笑った。
「私は練習聞いてあげたんだから、付き合ってくれてもいいじゃん」
「寝てただけだろ」
「なんでもいいから、行くの?」
「まあ、行けるけど」
「それじゃオッケーね」
強引にうなずかされた気がする。

小川に連れていかれたのはカラオケだった。
2人きりでどこに連れていかれるのかと不安だったが、カラオケだと分かってほっとした。
「なんでこんなとこに遊びに来たんだ?」
「遊びじゃないよ。
 ちゃんと歌の練習に来たんだから」
小川はボックスに入るなりリモコンをつかんで、カタログも見ずに番号を打ちはじめた。
「覚えてるの?」
「何回も歌ってると、番号覚えるんだ」
5曲ほど入れて、リモコンをマイクに持ち替える。
採点機能なんかは当然つけない。
「このバンド好きなんだ。
 今度文化祭で歌うのもほとんどこのバンドの歌だし」
イントロの長い曲だった。
小川はそのイントロの間にも掛け声を入れる。
「なんで俺連れてきたんだ?」
「なんとなく。一人で練習するのも寂しいし」
1分ほどのイントロが終わって、小川は歌い出した。
音量は前に体育館で聞いた時と同じで、すぐに耳が痛くなった。

トイレにかこつけて何度もボックスを出た。
外に出ても耳鳴りがする。
「これ、いつまでやるんだ?」
「2時間ぐらいはやっとくでしょ」
コーラを飲んで休憩している小川はそう答えた。
2時間もこんな所にいられるわけがない。
「あのさあ、耳鳴りするんだよね、マジで。
 帰ってもいい?」
「ダメ」
「聞いてるだけなんだから別にいいじゃん」
「じゃあ歌う?」
小川はマイクを突き出した。
「嘘だって。帰っていいよ」
小川はコーラのストローに口をつけた。
「……いや、やっぱいいわ」
「いいの?」
「なんか、家帰ってもあれだし」
本当は家に帰ってフルートの練習をするべきだが、小川の顔が一瞬寂しそうになった気がした。

残るといってもそうそう大音量に耐えられるわけじゃないから、またすぐに外へ出た。
「トイレ多いね」
小川も分かっているのか、出ようとするとそう言った。
一応形だけでもトイレに入る。
掛けてある時計を見ると、あとたっぷり40分はあった。
ふう、と溜息をついてトイレを出る。
ボックスに帰る途中、階下から聞き覚えのある声がした。
血の気が引いていくのが分かる。
「今日何歌う?」
紛れもない辻の声は、そう言って笑った。
――見つかったらヤバイ。
後ろめたいことなど何もないのに、そんな気がした。
急いで小川のいるボックスに戻った。
「なに? なんかあった?」
息を切らして駆けこんだ俺を見て、小川はそう言った。
「いや、別に。何も」
明らかに動揺しているのをどうにか隠そうと、歌いもしないのにリモコンをいじる。
余計にばれそうな気がした。

部屋を出るときも、辺りを見まわしてからだった。
辻や知り合いがいないのを確認して、外に出る。
2時間分の料金を払って、逃げるように建物を出た。
「気持ち良かったなー」
並んで歩く小川は笑顔でそう言った。
「そうか、そりゃ良かったな」
まだ少し挙動不審な気がしたが、それで精一杯だった。
「じゃ、文化祭期待してるから」
小川は右手を挙げると、人込みの中へ消えていった。
「バイバーイ」
人目もはばからずに手を振る。
こっちも小さく振り返して、小川が見えなくなったところでやっと落ちついた。
何も逃げることはなかったんだ。
なんで逃げなきゃいけなかったんだ。
本当は、逃げた理由はなんとなく分かっていた。
しかし一方ではそれを必死で否定している。
考えるうちになにがなんだか分からなくなって、とにかくもう家に帰ることにした。

文化祭当日は、朝から緊張していた。
いつもより早く学校に向かう。
目覚めてからフルートのことしか考えられなくて、遊ぶことなど頭になかった。
学校には7時についた。
真夏よりは涼しくても、まだ暑い。
生徒会室をのぞいてみると、会長がいたので体育館を開けてもらった。
「真面目だな」
「不安なんだよ、なんか」
仕事があるのか、会長はさっさと帰っていった。
誰もいない、がらんどうの体育館でフルートを吹いてみる。
高い音色が冷えた空気に響いた。
人がいないせいか、緊張はしない。
できればこの状態で演奏したいが、観客がいないことには始まらない。
そう考えると、いっそのこと誰も聞きに来なくていいとさえ思う。
その時の調子は上々だったが、不安は募るばかりだった。

他の生徒がぼつぼつ来はじめた頃、俺も教室へもどることにした。
3年生の教室へつながる廊下を歩いていると、前から水野がやってきた。
「並木じゃん。上手くいきそう?」
「さあ。緊張はしてる」
「昨日小川とカラオケ行ったんだってな」
内心ぎくりとした。
「なんで知ってるんだ?」
「辻からメール来た。
 お前、辻から隠れようとしてたみたいだな」
「別に。そんなこと無いけど」
「階段で目が合ったら逃げたって言ってたけど」
気付いたのは自分だけじゃなかったのか。
小川と二人でカラオケに行ったのを辻に知られたのが、なぜかさらに不安を呼び起こした。
「なんで水野にメールしたんだろうな」
「お前が変に隠れようとしてたからだろ、多分」
水野はぶっきらぼうにそう言った。

各クラスで点呼が終わって、とうとう文化祭が始まった。
俺のクラスは何か展示をやると言っていたが、詳しいことは全然知らない。
フルートのことを言うと、皆クラスよりそっちをやれと言ってくれたお陰でクラスの出し物には全く関わっていないからだ。
解散の合図と同時にクラスのほとんど全員が教室を飛び出した。
だが俺にはこれから本番が控えている。
そうそう遊ぶ気にはなれなかった。
俺の演奏は11時からで、前に吹奏楽部の演奏、後には小川のバンドが待っている。
各クラスの展示にも模擬店にも寄らずに、体育館へ直行した。
舞台ではどこかのクラスが劇をやっている。
裏口から入ると、袖では吹奏楽部が出番を待ち構えていた。
「あ、並木くんじゃん」
辻もトランペットを片手に舞台を見ていたが、俺に気付いて振り向いた。
「もう来たの?」
「なんか不安だから」
「大丈夫だって。それより私も不安でさあ」
課題曲は充分練習したと言っていたわりには緊張している。
「並木くんは20分だけど私たちはもっと長いし」
辻は舞台を見やりながら溜息をついた。

劇が終わって、司会の生徒会役員が吹奏楽部の名前を読み上げた。
「それじゃ、頑張ってきますか」
水野は担当のホルンを抱えて舞台に出た。
舞台では素早く人数分のパイプ椅子が設置されている。
「並木くんも頑張ってね」
辻は片手に楽譜の台を持って舞台へ歩いていった。
気のせいか声が震えていた。
全員が腰を下ろして、先頭の台に指揮者が立つ。
部員は楽器を構える。
そうして、吹奏楽部の演奏が始まった。
客の入りも上々で、ほとんど満席だった。
演奏は難なく進み、40分の持ち時間はスムーズに終わった。
幕が閉じる間際、水野が客席に向かって手を振り、観客の笑いをとった。
3年生だけあって余裕があるのかもしれない。
辻も安堵の顔だった。
幕が閉じきると、一つを残してパイプ椅子の撤収が始まる。
それを遠目に眺めながら、俺は緊張感を高めるばかりだった。

作業はあっという間に終わり、舞台の中心には一つだけパイプ椅子が残されていた。
俺はフルートと楽譜を持って椅子に向かう。
椅子の前に置かれた台に楽譜を立てかける。
「幕開けていい?」
司会が俺に尋ねてきた。
無言でうなずくと、司会は幕を開けるスイッチを押した。
「お待たせしました。
 次は、3年生の並木純平くんによるフルートの独演会です」
幕が徐々に開いて、客の顔が少しづつ見えてくる。
予想外の人数だった。
客席として用意されたパイプ椅子の9割が埋まっている。
ゆうに200人は超えていた。
指先が震えてくる。
頭の中で辻の言葉を繰り返し思い出す。
「大丈夫だって」
深く息を吸って客席を見渡すと、見覚えのある一団が座っていた。
小川をはじめとするバンドのメンバーが揃って客席にいたのだ。
それを見るといきなり安堵感が湧いてきた。
フルートに口をつける。

20分間は、何があったか覚えていない。
ただ、くらくらする頭でフルートを吹いたような気がする。
小川たちがいたのがせめてもの救いで、あいつらがいなければ舞台で倒れてたかもしれない。
『きらきら星』をラストに持ってきたのは正解で、最後の最後にミスることは無かった。
拍手をもらったような気がしないでもない。
とにかく、俺は吹き終わると一礼したまま固まってしまった。
俺が動かないのを見て、司会は素早く幕を閉める。
幕が閉まりきってから、ようやく俺は顔を上げた。
「なかなか上手かったよ」
小川はいつのまにか袖に立っていて、拍手しながら俺に近付いてきた。
「後は私らに任せて」
俺が座って休憩している間にも、マイクやドラムが運び込まれていた。
「お前はあっちで見とけ」
ギターがそう言ったので、俺はフルートだけ持ってふらつく足で袖へと歩いていった。
床にあぐらをかいて、舞台の様子を見る。
小川は先頭に立ってマイクの高さを確かめていた。
顔つきはいつもと違って真剣さに満ちている。
他のメンバーも冗談抜きの眼差しで楽器の点検をしていた。
皆真剣なんだな、と思うと同時に、幕が開いた。
観客は叫び声を上げる。

「小川泣いてたな」
「俺も観客席で見てたから知ってるよ」
水野はフランクフルトを片手にそう答えた。
「小川、今何やってんの?」
「多分バンドの奴らと遊んでるんだろ」
「泣きすぎてて化粧落ちてたのに、もう遊んでんのか」
「お前だってさっきまでフルートで緊張しまくってただろうが」
俺は手もとの焼きそばをすすった。
階段に腰を下ろすのはあまり座り心地が良くないが、今は我慢するしかない。
食べているすぐ横を人が通りすぎていくのも気になる。
とは言っても体育館は飲食禁止だし、腰を下ろせるのは階段しかない。
「辻は?」
「辻も友達と遊んでるんじゃねえの?」
「そうか……」
お互いにしばらく黙って食べ続けた。
水野はフランクフルトが棒だけになると、ようやく口を開いた。
「本当のこと言うと、どっちなんだ?」

「何が?」
「辻と小川。
 お前、どっちか好きなんだろ。
 どっちなんだよ」
水野は残った棒を手の中でもてあましながら尋ねた。
「なんでそう思うんだ?」
「辻と二人っきりで公民館行ってたんだってな」
「なんで知ってるんだよ」
「クラブで女子から聞いたんだよ。
 で、小川とも二人でカラオケ行ってるよな。
 ってことはだ、少なくともどっちかには気があるってことじゃないのか?
 気がなかったら二人でそんな所行かないだろ」
とうとう水野は棒を投げ捨てて、手と手を叩いた。
「いや、まあ……そうだけど」
「で、どっちだ?」
「いや……」
俺が口篭もっていると、水野は動揺の顔つきになった。
「お前、まさか……」
「両方好きなんだけど……」

「あのな、両方好きって理屈が女子に通るわけないんだよ」
水野はいきなり説教を口にした。
「俺は男だからお前の気持ちはよく分かるけどな、それじゃ女子は許してくれないんだよ。
 絶対にそいつ一人だけを好きじゃないと満足しないんだから」
「よく分かるな」
「俺は経験豊富だから。ほれ」
水野は自分の携帯を開いて俺に見せた。
女子の名前がびっしりと表示されている。
「そういうわけだから、どっちか一人にしぼれ」
携帯をしまいながら水野は言う。
「二兎追う者は一兎をも得ずっていうだろ」
「別に追ってるわけじゃねえし……」
「好きってことはいつか告白しないわけにはいかないだろ。
 だったらさっさとどっちか決めとけ。悪いことは言わないから」
そう言って水野は立ちあがった。
「どこ行くんだ、お前?」
「デート。折角の文化祭に野郎と話してる暇なんか無いの」
遠ざかる水野の姿を見て、よく俺と付き合ってたな、と思った。

あれからしばらく経つが、未だにどちらにも告白していない。
ただ、廊下ですれ違えば挨拶するような友達にはなった。
「おはよう」
辻は大体、こっちを向いて少し笑いながら挨拶する。
「並木、社会のテスト何点だった?」
小川は大体、挨拶というより話しかけてくる。
それと、今でも時々吹奏楽部の連中やバンドのメンバーとはカラオケに行く。
辻は色んな歌を歌うが、小川は一つのバンドの曲しか歌わない。
辻は他人の歌に対して色々言うが、小川は他人の歌に興味は持たない。
まあしばらくは、女友達が二人増えたと思うことにする。