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関西人Z 投稿日:2002/12/07(土) 16:52
一人の青年が、一つの墓の前に立っていた。
「……」
黙って墓を見続ける。吐く息は白く、冷たい風が青年を包み込む。
手袋をしたその手には花と線香が握られていた。
しばらく見つめた後、手袋を脱ぎ花を入れ替え、線香を立てた。
「……」
青年はしゃがんで手を合わせす。そしてゆっくりと口を開いた。
「あさ美、久しぶりだな。帰ってきたよ…、今日」
穏やかに話しかける。
「お前が描いた夢を実現するために、10年間走り続けたよ。ちょっと疲れたけどな」
そう言って少し笑った。寂しそうに、とても悲しそうに…。
「こうやって喋ってると思い出すよ。お前と過ごした日々を−」「あさ美、入るぞ」
「あ、お兄ちゃん」
病室のベットの上で勉強していたあさ美は、部屋に入ってきた俺に抱きついた。
「お、今日も勉強してるのか?」
「うん」
頭をなでてやると、あさ美は少し照れ笑った。
「ほら、シュークリーム買ってきてやったぞ」
「本当に?」
「ああ、だからベットに戻りな」
「うん」
返事をすると素直にベットに戻り、
そしていつものようにたわいない話をしながら、買ってきたシュークリームを食べた。あさ美は生まれつき心臓が弱く、入退院を繰り返していて、ここ2、3年はほとんど入院していた。
14歳という一番の成長期に、病室内に閉じこめられるのは地獄というものだ。
そんなあさ美のために、俺はほぼ毎日見舞いに来ている。
両親は共働きをしているためなかなか来れないが、時間が空けば必ず見舞いに来るようにしていた。「それでね、お医者さんになるために今日はこういうのを教えてもらってたの」
「なになに?」
それはいつの間にかあさ美の口癖になっていた。
『お医者さんになる』
私みたいに小さい頃から思うように遊べない人達のためにお医者さんになって治してあげたい、
と語ってくれたことがあった。
それからは、担当医や看護婦さんに色んな質問をしてはメモをしていき、今ではノート3冊使い切っていた。
「−ていうことなんだって。わかった?お兄ちゃん」
得意げに言うあさ美。
「ああ、わかったよ」
そう答えるととても嬉しそうな顔をする。
そんな顔を見ていると普通の女の子だ。心臓が悪いなんて思えない。
『元気を分けてやりたい、代わってやりたい』そう願う。しばらく喋っていると、いつの間にか外がオレンジ色がかかっていた。
「もうこんな時間か。じゃあそろそろ帰るな」
「う、うん…」
少し悲しそうな顔、いつも帰るときになったらそんな顔をする。
それは俺も同じだった。一緒にいてやれればと思う。
しかしそんな思いは顔には出さず、あさ美を元気づけるように言う。
「そんな顔するなよ。また明日来るから」
「うん。絶対だよ」
「ああ」
別れ際のあさ美は少しだけ元気を取り戻していた。
「じゃ、また明日な」
部屋を出ると、担当医が丁度部屋の前を通り過ぎようとしていた。
「お、今日も見舞いかい?」
「はい」
その担当医は病院内でも結構有名で、とても頼りになる先生だ。
見た目は30半ばだが、実年齢は43歳。それでも結構若い。
「帰るのか?」
「ええ、もう時間なので」
「それじゃあ、外まで一緒に行っていいかい?」
「構いませんよ」
そう言って二人で歩き出した。「最近あさ美ちゃん元気になってきたね」
「ええ、先生のおかげです」
「いやいや、俺は何もしてないよ。むしろあの子自身が頑張ってるさ」
「というと?」
「生きる希望があるから元気になるのさ。医者になるという夢がな」
「そうですね」
「それに付け加えて、君たち家族の応援があるからどんなことでも頑張れる」
「…」
「このまま行けば、今年中には退院できるな」
「ほ、本当ですか?」
「ああ、とても順調だから大丈夫だろう」
「ありがとうございます、先生」この時はとても嬉しかった。また家族4人で暮らせる日が来るんだと思っていた。
でも、そんな思いも長くは続かなかった。数ヶ月後−
「あさ美、見舞いに来たぞ」
部屋に入ると、いつもは抱きついてくるあさ美は、ベットの上に座って窓を眺めていた。
最近はいつもだ。
「あ、お兄ちゃん」
笑顔で迎えてくれる。しかし以前のような元気さはなかった。
心なしか、ただでさえ小さいその身体が、さらに小さく見える。
「どうしたんだ?ずっと外を見てるけど、何かあるのか?」
尋ねると、あさ美は顔を横に振った。
「違うよ、違う…」
俯くあさ美。
いつものようにたわいのない話をしても、いつものように笑ってくれない。
あまりにも心配になってきたので尋ねてみた。
「一体どうしたんだ?」
するとあさ美は、今までメモしてきたノートを膝の上に置いた。
「ねえ、お兄ちゃん」
「ん?」
「もし、私…死んじゃったらさ、…このノート…無意味になっちゃうんだよね」「な、何言ってるんだあさ美!」
あさ美の言葉に、思わず声を荒げてしまった。
驚いた表情でこちらを向くあさ美の顔を見て、
「ご、ごめん。つい大声出して…」
謝り、一つ咳払いをした。
「でもな、簡単に死ぬなんて言っちゃダメだ」
「…」
「お前は生きるんだ。約束しただろ?医者になるって」
「…うん」
「何も心配するな。お前は必ず元気になる。な?」
それは自分にも言い聞かせるように言った。そうでもしないと、耐えられなかった。
「…うん、わかった」
あさ美は俺の手をギュッと握った。数日後
日曜日の昼過ぎの事。
今日は両親が見舞いに行ったので、俺は久々に家でくつろごうと思い、家でテレビを見ていた。
その電話を受けるまでは…。「はい、もしもし」
『もしもし、俺だ』
「あ、親父。どうしたの?」
その声は切羽詰まっていた。
『すぐに病院に来い。あさ美が倒れた』
「何だって?!」
『とにかく早く来い、いいな』
そう言い終わると激しく電話が切れた。
受話器を持ったまま、先ほどの父の言葉が頭の中で繰り返された。
『あさ美が倒れた』
信じられなかった。
(早く病院にいこう)
急いで着替え、病院に向かった。勢いよく病室の扉を開けると、入り口前に父、ベットの近くには母、看護婦が2人。
そしてベットの上には、点滴を受けながら眠っているあさ美がいた。
「あさ美!」
ベットに駆け寄る。
「どうして…どうして」
あさ美の顔を見ながら、誰となく尋ねた。
「詳しくは先生に聞いてみないとわからない」
親父が答えた。
「どこで倒れてたの?」
「そこの通路だ。胸を押さえ苦しがって倒れていたいるところを、看護婦さんが見つけたらしい」
「私たちが着く前の事よ」
母も答えた。
どうしても信じられなかった。ついこの間まで元気に回復してたのに…。
そんなことを考えていると、後ろでドアの開く音がした。
振り返ってみてみると、担当医が部屋に入ってきた。
その顔は神妙だった。
「みなさん、ついてきて下さい」診察室に着くと、担当医はみんなを座るように促した。
「あさ美ちゃんの病体のことなんですが」
「はい」
親父が答える。
「確実に心臓が弱まっています」
「なんだって?!」
俺は声を上げ驚いた。
「そんなはずないでしょ?だってこの前まで順調にいってたじゃないですか」
「…」
黙って顔を背ける担当医。
「何で黙ってるんですか!?」
担当医は親父の顔を見た。すると親父は静かに言った。
「実はな、お前に隠していたことがあるんだ」
「えっ?」
「あの子はな、もう寿命なんだ」
「!!」
身体に衝撃が走った。
「な、何言ってんの…、そ、そんなことが」
震えた声を、懸命に出す。
母は嗚咽を漏らしていた。
「本当のことなんだ。半年前から、言われていたんだ」
厳しい表情の親父の胸倉を、強く掴んだ。
「何で、何で言わなかったんだよ親父!!」
「…」
「なあ、答えろよ!「…言えなかったんだ」
捕まれた状態で答える。
「お前達二人が楽しく話しているのを見ていたら、言えなかったんだ」
「…」
「…先生にもそう言って、黙っていてもらった」
「…てめぇ!」
俺は我慢が出来ず、親父の顔を右手で思いっきり殴った。
その拍子に、椅子から落ちる親父。
「やめろ!」
担当医は俺を羽交い締めの状態で止めに入ったが、俺はそんなの気にせず言った。
「楽しく話してたから黙ってただ!?俺の気持ちを考えたことがあんのかよ!」
「…」
「答えろよ親父!」
「もう止めて、お願い」
母が間に入った。…涙を堪えながら。
「だって母さん」
「仕方なかったのよ。あなたにもあさ美にも心配をかけたくなかった。だから黙ってたの」
「そんな…」
何も考えられない。突然のことが続いたので思考がついていけなかった。
親父は俺に何も言わず、椅子に座り直して担当医に尋ねた。
担当医も座り直している。「あさ美は、あと、どれくらい生きられるのですか?
「…」
医師は顎に手をあて、しばらく考えてから言った。
「…クリスマス辺りでしょう」
「あと一ヶ月くらいですか…」
「…」
俺はどうしても信じられなかった。
あさ美が寿命というのと、そのことに対して親父が淡々と話してることが。
「…親父、なんでそんなに冷静に話せるんだ?俺には、親父の考えてることがわかんねぇよ」
すると親父は背を向けたまま言った。
「ここで悲しんだところで、あさ美は元気にならんだろう。
俺はな、あさ美が最後まで笑っていて欲しいんだ」
(だからって、そんな…)
言葉が出ない。
「あさ美には黙ってるんだぞ、いいな」
親父は言った。
「それでは先生、私たちはあさ美を見に行きますので」
「わかりました」
両親は出ていった。「君は行かないのか?」
動かず、その場に立ち尽くしていた俺に、担当医は訊いてきた。
「…先生…あさ美は、本当に後一ヶ月しか生きられないの?」
俯いた状態で訊く。
「……残念だが、もう…」
「なんで…、なんでユリカが!!」
頭を抱え叫ぶ。
あんなに優しく、必死で生きようとしているのに。
「…そんなの…可愛そうだよ」
堪えられない涙を流し、小さい声で呟いた。
「…今の君に出来ることは、彼女に対し、いつも通りの対応をし、そして不安がらせないことだ。
こんな事を言っては医者失格かもしれんが、せめて最後まで笑顔でいさせてやろうじゃないか」
俺の肩に手を置き、担当医はそう言った。
「さあ、妹さんの所へ行ってきなさい」
俺は無言で頷き、涙を拭いてあさ美の病室へ向かった。部屋に入ると両親はベットの横に座っていた。その目線の先にはあさ美が眠っていた。
近くまで行き、寝顔の顔を見つめる。
その顔は穏やかで、とても苦しんでいたようには見えなかった。
「…あさ美」
静かに呼びかけるが起きない。
あさ美の額に手を当て、じっくりその顔を見る。
(…もう、あさ美の苦しむ顔は見たくない)
そして、俺は一つの決心をした。決して、あさ美を悲しませないと…
次の日、あさ美は目を覚まし元気になっていた。
とは言っても、立ち歩くことは出来ず座って話せる程度。
俺は毎日病院まで足を運び、あさ美を見舞う。
自分の気持ちが悟られぬよう、出来るだけ自然体で話す。
あさ美が笑顔になる度、胸が痛んだ。泣きそうになった。
それでも、毎日病院へ通った。
それが、使命であるように…。クリスマス二日前
俺はいつものように見舞いに来ていた。
この一ヶ月の間、あさ美は徐々に体力が落ちてきて、座ることさえ辛くなっていた。
今では、横になって会話をするようになった。
「ねえ…お兄ちゃん」
「ん?」
リンゴを剥いていた俺は、あさ美の呼びかけに手を止めた。
「もう明日はクリスマスイブだよね。早いなあ」
「そうだな。今年はサンタクロースに何をお願いするんだ?」
「んーとねぇ…、内緒…」
「なんだよ、言ってくれてもいいじゃねーか」
「そうだなぁ…、明日になったら、教えてあげる…」
「わかった、それまで待っててやるよ。その代わり、ちゃんと教えろよ。…はいリンゴ」
「ありがと、お兄ちゃん…」
ゆっくりと体を起こすあさ美。「大丈夫か?」
「うん、平気だよ…」
皿に入ったリンゴを受け取り、食べ始めた。
「おいしい…」
笑顔で食べるあさ美を見て、俺は胸をなで下ろした。
「それじゃあ、俺服を取りに家に戻るから」
「うんわかった」
俺はクリスマスが終わるまで、あさ美と一緒に過ごそうと考えていた。
担当医からの許可も貰っている。
「すぐ戻ってくるからな」
「うん」
俺は急いで病院を出た。
家に帰る途中両親と出会った。両親もイブからクリスマスにかけては一緒に過ごす予定だ。軽く話した後別れた俺は家に向かった。
家に着き、バッグの中に適当に服を詰め込み早々と病院へ向かう。
(早く戻ってやろう)
そう思い、軽く走る。
病院に到着し、軽く息を弾ませながらあさ美の病室へ向かうと、
「?」
なぜかあさ美の病室前に両親が座っていた。
(まさか!?)
嫌な予感が頭をよぎった。二人の所へ行って聞いてみる。
「なあ、なんで廊下にいるんだよ?」
「…それが、あさ美の意識が、急になくなって…」
(…あさ美!!)
母が答えるのを聞いて、俺は急いで病室へ入ろうとすると。親父が俺の腕を強く掴み止めた。
「なにすんだよ!」
「今は先生と看護婦さんが見てくれている。俺達は黙って外で待ってなくちゃならない。
…中に入っても邪魔になるだけだ」
「…」
俺は黙って腕をふりほどいた。待つこと数時間。
辺りは暗くなっていて、外では冬の寒さの中急いで帰宅する人が増えていた。
そんな中、黙って待っている俺達。
すると、部屋のドアが開いた。
「先生。娘は!?」
親父がとても心配そうに聞いた。
「…とりあえず中へ」
そう言って3人を部屋に入れた。
3人の目線の先には、酸素マスクを外されたあさ美がいた。
少しだけ苦しそうな感じ。
「…最後に、言葉をかけてやって下さい」
「そんな!!」
衝撃が走った。『最後』と言う言葉…。
「あ、あさ美ー」
母が泣きながらあさ美の手を握ると、あさ美は少しだけ目を開けた。
「…お母さん、泣いてるの?」
細く小さい声で尋ねてくる。みんな声が出ない。
「そんなに…、悲しい顔、しないで…」
息が荒くなっていた。とても苦しいのだろう。
「…あさ美…」
俺は言葉をかけてやった。
その行為がとても辛かった。大声を出して泣きたかった。
しかし、歯を食いしばって涙を堪えた。
あさ美の前で、泣くことは出来ない。
それは、あさ美を悲しませるだけだから。「あのね…、お兄ちゃん」
「ん?」
「お兄ちゃんに、さっき言った、サンタさん何をお願い事をするか、教えて上げる…」
「…うん。サンタクロースに、何をお願いするんだい?」
「…それはね、世界中の人達に、あさ美のような、病気の人達を、治して欲しいって」
「…」
「ほんとはね、元気になったら、自分の力で治してあげたかったんだけど、もう無理だから」悲しそうに涙を流すあさ美
「お兄ちゃん…サンタさん、願い事聞いてくれるかな…?」
少し沈黙の後、俺は出来る限り元気づけるように言った。
「ああ、当たり前だろ。あさ美の願い事は必ず聞いてくれるさ。だから泣くなって」
「…うん」
「俺も一つ、サンタにお願いするよ」
「…何?」
「あさ美がいつまでも、笑顔でいれるように、てね」
「…お兄ちゃん」
あさ美は少しだけ笑った。
「…ちょっと眠くなっちゃった。…お兄ちゃん、私が眠るまで…、横にいてね」
「…ああ、わかった」
すると、あさ美は静かに目を閉じた。「…あさ美?」
呼びかけてみるが返事はない。
「あさ美?なあ、あさ美?」
呼びかけても起きない。すると担当医があさ美の脈を取った。
「……残念ですが…」!!
「あ、あさ美ー!!」
母は泣き崩れ、親父は涙を見せまいと後ろを向いていた。
俺はしばらくあさ美の顔を見ていた。
あさ美の、少しだけ微笑んだ顔を…。
(不思議だな、さっきまで苦しんでたのに…)
しばらくあさ美の顔を見た俺は、静かに部屋を出た。
行き着いた所は屋上。
俺は寒い夜空を見上げた。
「あさ美、俺がお前の願いを聞いてやるからな。サンタクロースになってやるからな。お前も笑顔で見ててくれよ」
堪えていた涙が、止めどなく流れてきた。そして、
「――――!!!!」
俺は空に向かって咆吼した。まるで、星空まで届くように。「あれから俺は頑張ったよ。そう、お前のサンタになるために」
青年は立ち上がった。
「まだ夢の途中だけど…まだまだこれからたくさん頑張るからな。あさ美と同じ境遇を持った人達のために」
青年はその場から立ち去ろうとし、歩き始めた。
2,3歩歩いたところで、あの頃と同じように空を見上げた。
「お前は今でも笑っているか?それが俺に願いなんだからな」
空に向かって問いかけた。
すると、風が穏やかに吹いた。まるでそれはあさ美が答えたように。「メリークリスマス…あさ美…」
〜END〜