222

コンボ 投稿日:2002/12/08(日) 01:06

畠中裕太は沈んだ顔で図書館へ向かった。
「嫌やなあ……」
直ったはずの関西弁が口から出た。
こっちに来てからもう4年目になるのだ。
折角直したにも関わらず、愚痴や独り言になるとぽろっと出てくる。
今のは愚痴でも独り言でもあった。
別に、図書館が嫌いなわけじゃない。
確かに本は読まないが、それで図書館が嫌いになるわけじゃない。
それに今日は本を読むというより、話をしなければならないのだ。
それも楽しくもない話だ。
鞄には何冊もの資料が入っている。
担任が貸してくれた物だが、重くて仕方が無い。
「先生の本だから大事に扱うんだぞ」
と言っていたが、そんなに大事なら貸さなければいい。
第一、図書館には山のように本があるのだ。
図書館に到着する頃には、鞄を持っていた右腕がじんじんと痺れていた。
――こんなことならアルバム委員なんかになるんちゃうなかった。
裕太はしきりにそう思うのだった。

ほとんど行かないために知らなかったが、図書館は案外広かった。
見渡すと、本棚や雑誌の棚に混ざっていくつかの机と椅子がある。
高橋愛は椅子の一つに座っていた。
机の片隅には分厚い資料が積まれている。
近付くと、高橋はレポート用紙にペンを走らせていた。
女子に声をかけることからして苦手だから、裕太は無言で高橋の向かいに立った。
「遅かったね、畠中くん」
高橋は裕太をちらと見ると、落ちついた口調でそう言った。
怒ってはいないが、機嫌が良さそうでもない。
――これやから嫌やねんなあ。
裕太は鞄を机の上に置いて、椅子にどっかと腰を下ろす。
「取りあえず1日目はできたんだけど」
高橋はレポート用紙を2枚、裕太の眼前に滑らせる。
一枚を手に取ると、その日の出発から就寝までが整然とまとめてあった。
もう一枚には訪れた各所の案内が、これも丁寧な字できちんと記されている。
「これでいいかな」
「別に、いいんじゃない」
裕太はそっけなく答え、鞄から資料を取り出していく。
「じゃあ私2日目書きかけてるから、畠中くんは3日目書いて」
高橋はレポート用紙の束を差し出す。
裕太は無言でそれを受け取り、資料を開きはじめた。

しばらく沈黙が続いた。
女子と話をするくらいなら、黙った方が数段ましなのだ。
そもそも裕太は資料をめくりながらレポートを書くのに必死で、喋る余裕などない。
書き始めてから15分して、初めて裕太が喋った。
「それ貸して」
高橋が読んでいた本に、3日目の内容が含まれているのだ。
「ごめん。ちょっと待って」
高橋はレポートに走り書きする。
裕太に本を手渡しながら、高橋が喋り出した。
「嫌だよね、こんなの。
 私、今日クラブ休んできたんだ」
裕太は黙って本を受け取る。
「畠中くんって何部?」
高橋は話を繋げようと喋り続ける。
「サッカー」
「ふーん。そうなんだ」
「高橋は?」
裕太も高橋に悪いと思って話しかけた。
「私、陸上。
 今日まで皆勤賞だったんだけどね」
何か返事をしようと思ったが、思いつかなかった。

「でもなんで、アルバム委員なんかあるのかな」
高橋は会話が途切れないうちにすかさず口を開いた。
「修学旅行の資料まとめるだけなんだから、先生がやればいいのに」
「まあな」
裕太はそれ以上言葉が浮かばない。
「パソコンに打ちこむのも私たちなんだって。
 畠中くんパソコンできる?」
「いや」
「私もできないんだけど」
裕太はサンドバッグのように話しかけられるだけだった。
「そういえばテストどうだった?」
「中間?」
「うん。
 私は理科やばかったんだけど」
「へえ」
「理科難しくなかった?」
「結構、難しかった」
「平均点いくらぐらいだったっけ?」
「知らない」

「クールだね」
とよく言われる。
その言葉が冗談なのか本気なのかは知らないが、決してクールなわけではない。
男友達といる時はむしろよく喋るのだ。
これも男子校にいたせいかもしれない。
関西にいた時、はずみで私立の男子中学校に受かってしまったのだ。
中学を卒業すると同時に東京に越してきた。
東京に来てからも男子とはそれなりに仲良くなったが、もうすぐ冬休みだというのに女友達と呼べるものが一人もいない。
高橋ともこれまでほとんど喋ったことがない。
高1ともなると、友人も彼女持ちが増えてくる。
特にサッカー部では半分以上の部員に彼女がいる。
裕太は部内では少数派なのだ。
それに加えて女子とまともに話せないなんていうのは、学年でただ一人かもしれない。
裕太も内心彼女は欲しい。
友人達の話を聞いても、女子受けは悪くないらしい。
しかし、どうしても男を相手にするようには話せないのだ。

とうとう会話が途切れ、二人とも黙りこくった。
沈黙に平気なせいもあって、裕太は口を開かない。
淡々と仕事をこなし、3日目のレポートを完成させた。
「3日目終わったけど」
やっと図書館から逃げ出せるのだ、という快感が口調に滲み出ていた。
「私も丁度2日目終わったから、写真の整理やろうか」
あ、しまった。
まだその仕事が残ってたんやった。
裕太は突然の事態に焦った。
「どうしたの?」
「いや、何もないけど……」
アルバム委員の最も重要な仕事は、アルバムに載せる写真を選ぶことである。
高橋はどこからか写真の束を取り出した。
これを切り貼りして、アルバムの紙のサイズに収めなければいけない。
どうしても、高橋と会話しなくてはならないのだ。
冷や汗さえ流れそうな気がしたその時だった。
「あ、裕太じゃーん」
すがるような思いで声のした方を振り向く。
短い金髪が目に入り、裕太の顔がさらに強張った。

「何やってんの? 宿題?」
金髪は声高に近付いてくる。
近付くにつれて女性だと分かった。
「知り合い?」
高橋は怪訝そうに裕太の顔を見る。
「いや、まあ……」
口篭もる裕太を尻目に、金髪の女は裕太の横に立った。
「何やってんの、あんた。
 あ、これ修学旅行の写真?」
「いいからどっか行けよ」
裕太は金髪が写真に手を伸ばそうとするのを制した。
「何よ、いいじゃん。
 あ、もしかしてアルバム委員?
 そっか、前にアルバム委員になったって言ってたからね」
裕太はふてくされたような顔になる。
同時に金髪が高橋に視線を向けた。
「あ、私ね、裕太の姉貴」

畠中ひとみと名乗った女性は、高2だった。
裕太や高橋とは違う高校に通っている。
ひとみは傍らの椅子を引き寄せて腰を下ろした。
「今日はなんで来られてるんですか?」
「友達と宿題やりに来てるの」
「じゃあ早く行けよ」
裕太はひとみと目を合わせないように言う。
「大体片付いちゃったから遊んでたんだ」
高橋は親しみとも尊敬ともとれる視線をひとみに投げかけている。
「アルバム委員なんでしょ?」
「はい」
「だったら仕事やらなきゃ」
「はい、そうですね。
 畠中くん」
高橋に呼ばれて、裕太はゆっくりと振り向く。
「ほら。仕事やらなきゃ」
ひとみは裕太の肩をぽんと叩いた。

「いや、こっちよりこの写真の方がいいよ」
「でもそっちより綺麗に写ってますよ」
「えー、そうかな。
 じゃあね、これだったらもっと綺麗に写ってるよ」
ひとみは机の上に散らばっている写真のうちから一枚を取り上げる。
アルバムの写真を選びはじめてから10分、裕太は一言も喋っていない。
選んでいるのは主にひとみで、高橋はたまに注文をつける。
「お城が写ってるやつ、ありませんか」
「3枚ぐらいあるけどどうする?」
「うーん。
 全体が写ってるのがいいんですけど、無いですね」
「まだこれだったら写ってる方じゃない?」
「そうですね。これにしましょう」
二人は楽しそうに写真を切り貼りしている。
すでに紙の半分ほどは埋まっていて、裕太が口を挟む余地は無かった。
突然、裕太が立ちあがった。
「どこ行くの?」
「トイレ」
裕太は出入り口に向かって一直線に進んで行った。

ひとみは高橋に耳打ちするように言った。
「あいつはね、嫌なことがあるとトイレ行くのよ。
 うちでは私と同じ部屋だから、トイレでしか一人になれないんだ」
「お姉さんがいるのがそんなに嫌なんですか?」
「それもあるけど、やっぱり高橋さんがいるからだと思うよ」
「私ですか?」
高橋は不思議そうな顔をする。
「うん。
 中学の時は男子校通ってたから、女の子は苦手なのよ」
「そうなんですか。
 サッカー部だから女の子は得意だと思ってました」
「全然。超硬派だから。
 ろくに顔も見れないんだから」
「でも女子には人気あるんですよ。
 サッカー部で運動神経いいし、かっこいいですし」
「うん。
 小学生の頃なんか結構モテたらしいんだけど、中学入ってからあんなになっちゃって。
 あ、そうだ。いいこと教えてあげようか……」

裕太が戻る頃には写真の切り貼りは終わっていた。
ひとみの姿もない。
「姉貴は?」
「終わったから帰っちゃったけど」
思わずほっとした。
家に帰るときまでいられてはたまらない。
「もう帰っていいよな」
「うん。私が先生に渡しておくから」
高橋はレポートを鞄に片付けて立ちあがった。
「畠中くん」
歩きかけていた裕太を呼びとめる。
「なに」
「小学生の頃は彼女いたんだってね」

裕太の脳裏に姉の顔が浮かんだ。
「姉貴が言ってた?」
「うん。
 でも中1の時に振られたんでしょ?
 だから今でも女子が苦手なんだって言ってた」
裕太がげんなりしているのが、傍から見てもよく分かる。
「誰にも言わんとけよ」
思わず関西弁が出る。
「前は大阪にいたっていうのも聞いたんだけど」
「なんだよ」
裕太はむっとする。
「私も中学の時に東京に来たんだ。
 こっち来る前は福井にいたんだけど」
「だから、なに」
「いや、同じ関西だなって思っただけ」
高橋は少し陽気だった。
「知らんわ」
そう呟きながら、図書館に入った時の緊張が無くなっているのに気付いた。