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コンボ 投稿日:2003/01/01(水) 00:41

年越し記念に、何回かに分けての短編です。
短編の割にはかなり長いんで、読まれる方は覚悟して下さい(w
なんとか三箇日のうちに終わらせたいと思います。

1年ぶりにやって来た実家は、屋根が青くなっていた。
庭を掃除していた母親の話では先月、近所の大工に瓦が古いと言われたらしい。
「そんなもん嘘に決まってるだろ」
「でも、この家ももう建ててから20年超えてるしねえ」
「瓦なんて何年でも持つんだよ」
太一は適当なことを言うと、家の中に入ろうとした。
「ちょっと待ってよ、私も入るから」
母親はいそいそとほうきを立てかけ、先に家の中に入っていった。
太一は後について靴を脱ぐ。
ふと気付けば、家の中が小綺麗だった。
「あれ、今年はもう大掃除したの?」
「うん。あんたは面倒くさがってやりたがらないから、業者に頼んだんだよ」
「またそんな、金のかかることして」
不機嫌そうな声を上げながらコタツに足を突っ込んだ。
母親も太一の向かいに足を突っ込む。

「親父は?」
「なんか、年始の挨拶とか言って柴田さんとこ行ったよ。瓦替えたお礼も言いに行かなきゃいけないし」
「ふうん」
柴田とは、この家が建っている土地の地主である。
きっと瓦を取り替える時に地主の許可が必要だったのだろう。
「いつ頃帰るの?」
「さあ。お昼食べてから出て行ったけど」
「今、まだ2時だぞ」
「じゃあ5時頃まで帰ってこないかもね」
「俺がここ来るの、正月の三箇日しかないんだから確認しとけよ」
「どうせ明後日までここにいるんでしょ?
 だったらいいじゃない、別に」
母親は特に悪びれる様子もない。
「それよりもあんた、もう22なんだから来年で大学卒業じゃない」
「そうだな」
「あんた、そろそろ結婚を視野に入れる時期じゃないの?」
「何言ってんだよ」
かごの中に入っているミカンを手に取る。
「だって、あんたが一生独身だったら小沼家が終わっちゃうじゃない」
「いいだろ別に」
「良くはないよ、子供はあんた一人なんだから」
「だから、小沼家が無くなっても別に困りはしないだろ」
太一は無理矢理母親を丸めこんだ。

「そうだ、あんたお父さんの所行ってきてよ」
「なんだよ、いきなり」
太一は2個目のミカンに手をかけた。
「だってお父さん、もしかしたら柴田さんの所でお酒飲んでるかもしれないじゃない。
 向こうで酔っ払ったりしてたら大変でしょ」
それもそうか、と太一は思う。
正月のうえに柴田家は金持ちだから、昼からでも酒が出るかもしれない。
うちならまだしも、他人の家で酔いつぶれられてはたまらない。
「そうだな。行ってくる」
太一は食べかけのミカンを置いて、コタツを出た。
さっき来たばかりだというのに慌しい。
母親は後ろから声をかける。
「ちゃんと挨拶するのよ」
「分かってるよ」
「柴田さんに迷惑かけちゃ駄目よ」
「はいはい」
母親の過保護っぷりに呆れながら、太一は家を出た。

しばらく歩いてから、太一ははたと困った。
柴田家がどこにあるか忘れてしまったのだ。
何しろ地主の家など5年近く行っていない。
足に任せて歩いているうちに、違うところに来てしまったような気がする。
5年も行っていないので、家の外観さえ忘れてしまった。
地元の人間に地主の柴田の家はどこかと聞けば分かるだろうが、辺りに人はいない。
それほど田舎ではないはずなのだが。
家に帰るのも面倒くさい。
どうせそう遠くはないのだから、うろついていればすぐに分かるだろう。
太一はそう思って辺りを散歩することにした。
地主なのだから家は大きいに違いない、という考えの元に家々の表札を見ていく。
10分ほどそうしていたが、柴田家は全く見つからない。
当然のように誰とも会わなかった。
家の中から喋り声がすることはあったが、人の家に上がり込んで道を聞くほどではない。
しかし、こんなに人がいない所だったかな、と思う。
大学に入ってからはずっと都会暮らしのせいか、雑踏に慣れきっているのだ。
のどかな場所に来ると、不自然ささえ感じる。
太一は静かな町を、違和感を感じながら歩いて行った。

家を出てから30分ほどして、ようやく道の向こうに人影が見えた。
ダッフルコートを着た女性が向こうから歩いてくる。
年は高校生ぐらいに見えるが、化粧っ気がほとんど無い。
この辺りでは珍しく、髪は茶髪だった。
「すいません」
声をかけると、相手は少しびくっとした。
「なんですか」
女性はぶっきらぼうに答える。
「この辺に地主をやってる柴田さんのお宅って、どこにあるかご存知ですか」
言ってから、どう見ても年下の相手にそこまでガチガチの敬語を使う必要も無いかと思った。
女性は少しためらっていたが、ちゃんと答えてくれた。
「知ってますよ」
「失礼なんですけど、どこにあるか教えて頂けませんか」
「案内しますよ。私の家なんで」
「え?」
太一は間の抜けた声を出した。
女性は構わず、その横をすり抜けて行った。

「じゃあ、柴田さんの娘さんですか?」
「そうですよ」
太一が慌てて訊くと、女性は変わらず無愛想な口調で答えた。
言われてみれば、地主の柴田に娘がいたような気がする。
自分よりいくつか年下だったということしか覚えていないが、目の前にいるのがそれなのだろう。
小学生や中学生の時に何度か柴田家を訪れたことがあるから、初対面ではないはずだ。
太一は試しに自分のことを訊いてみた。
「僕、小沼の息子なんですよ。
 お父さんから土地をお借りしてる、小沼家の。
 小沼太一って言うんですけど、知ってます?」
「いえ、知りません」
女性はひたすら不機嫌そうな態度をとる。
人と話すのが嫌なんだろうか。
太一はなんとか会話をしようと言葉を続けた。
「あの、お名前をまだ聞いてないんですけど」
「柴田あゆみです」
「ああなるほど、なんだか覚えのあるような気がします」
太一はいい加減な返事をして、あゆみの後ろを歩く。

「まだ遠いんですか?」
「5分ぐらいです」
あゆみは太一の質問にいちいち即答する。
太一に振りかえろうともしない。
会話するのが嫌いか、それとも太一が嫌いなのかのどちらかだとしか思えない。
「……あの、小沼太一って漢字で書いたらものすごく画数少ないんですよ。
 16画なんですけどね。
 今まで俺より画数少ないやついなかったんですよ」
「そうなんですか」
あゆみは心底興味の無い返事をする。
太一だって無理に話す必要はないのだ。
無愛想なあゆみの態度につられて、太一も口を閉ざした。
黙ったままあゆみの後ろにつく。
歩いているうちに、学校の帰りかな、とぼんやりと考える。
いや、大晦日にまで授業をやるような学校は無いだろう。
だとすると、友達と遊んでいたのだろうか。
いやいや、年頃の娘が昼間から家に帰るわけがない。
地主でそこそこ金持ちの柴田家のことだから、規則が厳しいのかもしれない。
それにしても、2時というのは酷すぎないか。
小学生よりよっぽど早い。
「着きましたよ」
気付けば、目の前には和風の門がそびえ立っていた。
木の表札には黒々と『柴田』の文字が筆書きされている。

あゆみが先だって門をくぐる。
門から家の玄関までが数メートルあり、中庭には松の木が林立していた。
「失礼します」
広々とした庭を渡り、摺り戸を開ける。
内装は割合普通だったが、やはりだだっ広い玄関だった。
あゆみは太一を置いて家に上がる。
「あの、すいません。父が来てるはずなんですけど、呼んでもらえませんか」
太一が慌てて言うと、あゆみは少し振りかえった。
「小沼太一さんですよね」
太一が頷くと、あゆみは家の奥に声をかけた。
「小沼さん所の太一さんが来てるけど」
あゆみがそう言うと、すぐにその母親らしき人がやって来た。
「あらあら、どうもこんにちは」
母親と入れ違いにあゆみは玄関の脇の階段を上っていく。
「中学生の時から来てないんじゃないの?」
「あ、はい」
「太一くんが大学生になったって言うのは聞いてたけど、やっぱり立派ねえ」
あゆみの母はやけに笑顔で受け答えをする。

「それで、父がここにお邪魔になってるって聞いたんですけど」
「ああはいはい。そこの畳の部屋でお父さんと飲んでますよ」
やはり昼間から酒をあおっていたのだ。
和室に行くと、父親はまだ泥酔とまではいかなかったが、酒はかなり回っているようだった。
「なんだ、まだ挨拶は済んでないんだぞ」
父親はろれつの回らない口調で言う。
結局、家に連れ戻すことはできなかった。
まだしばらくは柴田家にいると言う。
「すいません、ご迷惑かけちゃって」
太一は礼を言うと、父親の横に腰を下ろした。
「なんだ、お前も飲むのか」
「飲まないよ。俺が飲んだら親父が酔っ払った時にどうするんだよ」
「だったら出て行け。飲まないんだったら出て行け!」
父親は他人の家でわめきはじめた。
「あの、部屋はまだありますから、そこで待つ?」
あゆみの母が気を利かせてそう言った。
「じゃあ、そうさせてもらいます」
酔っ払いとはまともに話せない。
そう思って太一はその部屋を出た。

「こんな部屋で良ければどうぞ」
太一は2階に通され、和室の一室に案内された。
旅館のようにこざっぱりとしている。
中央に机と座布団がある以外は何も置いていない。
大きな窓がついていて町を一望できるが、民家の屋根しか見えなかった。
「それじゃ、帰られる時になったら呼ぶから」
「ありがとうございます」
あゆみの母は女将のように去っていった。
さて、どうしたものか。
太一は取りあえず足を投げ出し、畳の上に寝転がった。
どうにかして暇を潰さなければならない。
他人の家で昼寝するのも気が引ける。
暖房はついているが、コタツはない。
さっぱりしているために暇つぶしさえできないのだ。
本屋にでも出かけようかと思う。
そうだ、母親に連絡しておかなければならない。
携帯は持ってきていたはずだ。
そう思ってポケットを探ると、案の定携帯が出てきた。
実家の番号を探している途中で、いきなり襖が開いた。

太一が反射的に上体を起こすと、あゆみがお盆を持って立っていた。
お盆の上には急須と湯呑と菓子の入った皿が載っている。
「あ、どうも」
しどろもどろになりながら返事をしたが、あゆみは気にも留めずにお盆を机の上に置く。
恐らく母親に言われて持ってきたのだろう。
あゆみは黙って急須のお茶を湯呑に注いだ。
「どうもすいません」
太一はあゆみに平伏しながら湯呑を手に取った。
「小沼さん」
「あ、はい」
あゆみは唐突に口を開いた。
「母から聞いたんですけど、東京からいらっしゃったそうですね」
「まあ……一応」
「お仕事は何かされてるんですか?」
「バイトはやってますけど、大学生ですよ……」
「大学生なんですか」
あゆみは興味ありげに答える。

太一はあゆみの先程までとは真逆の態度に呆気に取られていた。
家に来るまではぶっきらぼうな受け答えをしていたあゆみが、いきなり饒舌になって質問を繰り返すのだ。
「私も大学生なんですよ。一年生ですけど」
「あ、そうなんですか」
童顔で、高校生くらいに見える。
厚ぼったいコートといい、化粧っ気が無いのといい、どうも『洗練された女性』というイメージはなかった。
「すぐ近くにあるんですよ。だから家から電車で通ってるんですけどね」
「あの、ちょっといいですか」
太一はあゆみの喋っている最中に口を挟んだ。
「何ですか」
「失礼ですけど、東京に何かあるんですか」
あゆみの態度は、どうやら太一が東京からやって来たのを知ってから変わっている。
「いえ、あの、東京って言うか……」
あゆみは突然言葉を濁しはじめた。
太一は何となく、この町がどういう所か分かりはじめていた。
そして、あゆみが東京に対してどう思っているかも、薄々勘付いていた。
「もしかして、都会に憧れてるとか?」
「はあ、まあ……」
あゆみはよく分からない返事をした。

話を聞くと、やはりあゆみは都会に憧れているようだった。
生まれた時からずっとこの町で暮らし、高校までは都会というのは恐いところだと思っていた感もある。
それが、大学に通うことになって多くの都会の人間と接するようになったのだ。
「じゃあ、大学に上がるまでは都会のことをよく知らなかったんだ」
太一がそう訊くと、あゆみは首を縦に振った。
太一は決して都会以外の人間を馬鹿にしているわけではない。
そういう場所に住んでいれば都会とあまり接さないのは当然のことだし、事実、彼もこの町の出身なのだ。
むしろ、都会がなんぼの物だ、というところである。
「あゆみさんも大学に上がるまでに都会には行ったことあるんでしょ?」
「ええ、でも大学生になるまではほとんど……」
幼稚園から小中高とこの町で過ごしたあゆみも、都会に行ったことがないわけではない。
だがそれは都会の断片を見ただけで、むしろ恐怖感が増したと言っていい。
「じゃあ大学に上がって都会としょっちゅう触れるようになって、それまでの反発が出てきたんだ」
だから茶髪なのか、と太一は一人で納得した。
「あの、余計なことかもしれないけど化粧はしないの?」
あゆみは昨今の女子大生に比べればすっぴん同然の顔だった。
「私、化粧下手なんですよ。口紅とか塗ってもはみ出しちゃうし」
「今まで化粧してなかったの?」
「はい、ほとんど……」
太一は改めてあゆみの顔をしげしげと見た。
童顔ではあるが、よく見れば確かに大学生の顔に見えないこともない。
「化粧しないで正解なんじゃない?」
「そうですか……」
「うん。下手に化粧すると肌が荒れるって言うし、化粧なんかしなくてもいいでしょ」
「そんなに綺麗ですか? 私って」
「え?」
あゆみは太一の言葉に気を良くしたのか、笑顔で訊きかえした。
「だって、化粧しなくてもいいってことは、それだけ美人ってことでしょ?」
その時、太一はあゆみにちょっと勘違いの癖があるというのがよく分かった。

「太一さん、ちょっと」
あゆみの母親が襖を開けて顔を出した。
太一は思わず立ちあがる。

「何ですか」
「小沼さんが下で寝ちゃったんだけど、どうする?」
その「どうする?」はどう考えても「迷惑だから連れて帰ってくれ」という意味に聞こえた。
「分かりました。連れて帰ります」
太一は素直に従うことにした。
部屋を出る間際、太一はあゆみの方を振りかえった。
「あの、それじゃあまた」
軽く手を挙げて部屋を出る。
一階の和室では、太一の父親が正体を無くして熟睡していた。
「おい親父、起きろって。
 ここ柴田さんの家だぞ」
声をかけても起きないので、体を揺する。
「ほら、起きろよ」
父親はうめき声を上げながら目を覚ました。
それから何とか父親を立たせて、玄関まで運ぶ。
「それじゃあ、失礼しました」
太一は出迎えにきたあゆみの母に礼を言って、父親を担ぎ出した。
柴田家の門を出た時、太一は一瞬背後の家を振り向いた。

おせちの残りをつまみながら、父親はまた酒を飲んでいた。
「親父、アル中になっても知らないぞ」
太一は雑煮と筑前煮を交互に食べる。
「太一、もうお風呂入っちゃってよ」
洗い物をしていた母親が言った。
太一は「分かった」と答えて箸を置く。
丁度その時、家の戸がガタガタと鳴った。
「お客さんかしら」
母親は椅子に座る間もなく玄関に出る。
この家にはインターホンがついていないから、来客者はドアを叩いて知らせるしかないのだ。
太一が湯のみの茶をすすっていると、玄関から声が聞こえてくる。
「あらあら、どうもこんばんは」
「こんばんは」
紛れもなくあゆみの声だった。
「どうしたの、もう夜なのに」
「余計なことかと思ったんですけど、昼間に太一さんが携帯電話を忘れて行かれたので」
それまでのやりとりを聞いていた太一は、急いで椅子から立ちあがって玄関に出てきた。

あゆみは昼と同じコートで玄関に立っていた。
「いや、どうもありがとうございます」
太一が携帯を受け取ると、母親が横から口を開いた。
「あんた、早くお風呂入ってよ」
「分かってるよ」
太一はそう答えて、また奥に引っ込むしかなかった。
しかし、なんだかよく分からないが、あゆみが玄関で何を話すのか気になる。
太一はまた食卓に戻って、あゆみと母親の会話を聞くことにした。
「今日は本当にお父さんが迷惑になっちゃってねえ」
「いえ、父も喜んでいましたし、また明日にでもお越し下さい」
あゆみは今時珍しいぐらい、きちんとした敬語を使っていた。
太一は自分にはできないなと思いながら話を聞く。
「明日までお邪魔しちゃ、悪いでしょう」
「いえ、明日は父の知人が結構集まるんですよ。
この辺りの方たちも沢山来られますし、もしよろしかったらお越し下さい」
あゆみはよどみ無く喋り続ける。
「太一は今日、そちらでお酒飲んだのかしら。
 本人は飲んでないって言ってるんだけど」
「お茶しか飲んでいらっしゃらなかったと思いますよ」
「ああ、そう。
 だったらいいんだけどね」
結局、太一についてはそれだけで、それからは他愛の無い世間話だった。
「それじゃあ失礼します」
そう言ってあゆみが帰ったのは、やってきてから10分ほど経ってからだった。
太一がようやく終わったかと息をついた時、父親が口を開いた。
「お前いい加減、風呂行けよ」

布団の中で、太一は昼間のことを思い出していた。
あゆみは自分が東京から来たと知って、それまでのぞんざいな態度をころっと変えた。
あの違いはやはり、都会に対する憧れであって、自分個人に対する好意じゃないんだろうなあ。
家に来てからは極端に口数が増えたのも、やはり都会のせいだろうか。
自分個人の魅力ではないんだろうなあ。
いやいや、何を考えているんだ。
確かに年は3歳しか違わないし、彼女はいない。
だからと言ってほとんど初対面のあゆみにそんな期待をするのはお門違いだ。
都会に対する憧れで自分に近寄ってきても、別にいいじゃないか。
俺だって東京に帰れば何とかなるさ。
そんなに焦ることはないんだ。
うん、そんなに焦らなくてもいいんだ。
それはそうと、あの調子だと親父は明日も柴田さんの所に行くんだろうな。
だとすると、俺もついて行くのか。
なんだか気の進むような、進まないような……

太一は考えながら眠りについた。

翌朝の朝食は、やはりおせちの残りだった。
太一は食後の雑煮を食べながら、父親を見る。
昨日かなり飲んだせいか、父親は頭を押さえていた。
「親父、今日も柴田さんの所行くのか?」
「どうするかな」
父親は昨日の酒がかなり残っているようだった。
「なあ、行っといた方がいいんじゃないか。
 なんか近所の人も来るみたいだし」
「誰が」
「柴田さんの娘」
「あゆみちゃんか?
 そう言えばお前、昨日あゆみちゃんとなんか話してたらしいな」
「そうだけど」
「お前、変なこと考えてるんじゃないだろうな」
「そんなことないって」
口ではそう言いながら、微かな期待は持っていたかもしれない。
「まあ、今日はやめとくわ」
父親はそう言って水をすすった。
「あ、そう」
太一は黙って雑煮を食べるしかなかった。

昼間まで、太一はずっとコタツでテレビを見ていた。
三箇日だけあって、各局がお金のかかっていそうな番組を朝からバンバン流す。
太一はそれを横目に見ながらだらだらと過ごしていた。
11時ごろ、突然携帯が鳴った。
もしかして三箇日から仕事かと思って、慌てて携帯を取り出す。
掛けてきたのは『柴田あゆみ』だった。
まさか、と思いながら電話に出る。
「もしもし、小沼さんですか」
「そうだけど」
「ちょっと、時間いいですか」
「なに、いきなり」
「今、外に出れます?」
「出れるけど」
「じゃあ、どこかお昼ご飯食べに行きませんか?」
「え?」
太一の頭にいくつもの疑問符が浮かんだ。

「なんで?」
「だっておせち食べ飽きちゃったんですよ」
「なんで俺と行くの?」
「だって一人じゃつまらないじゃないですか」
「でも、友達とかいるじゃん」
「大学の友達は皆遠いんですよ、家が。お昼食べに行くだけなのに呼び出せませんし。
 小沼さんだったら近いですし」
「あ、そう……」
確かに、太一もおせちに飽きはじめていた。
まだ昨日の夕食と今朝の朝食にしか食べていないが、それで充分飽きる。
たんぱく質が少ない上に甘かったりして飯は進まない。
外に昼飯を食べに行くのは名案だった。
太一は台所の母親を一瞥してから、答えた。
「いいけど、そっちの昼飯代は自分で持てよ」
「分かってます。
 それじゃあ12時に家の前で待ってますね」
電話はそこで切れた。
電話を切った時、太一はかなり、浮かれぎみになっていた。

12時に柴田家の前に到着した。
間もなくあゆみが玄関から現れる。
「じゃ、行きましょうか」
あゆみは先立って歩き出した。
「どこか行くあてでもあるの?」
「うん。少し歩いたらファミレスがあるから、そこでいいでしょ」
近所にファミレスができていたなんてことは初耳だった。
「もしかして、コンビニもある?」
「はい、国道に出たらすぐの所に。あと、駅の近くにいくつもありますよ」
「あ、そう」
太一が住んでいた頃とはすっかり変わっていた。
「ファミレスっていつできたの?」
「3年ぐらい前かな? もうちょっと古いかもしれません」
3年前どころか去年の正月も来ているが、ファミレスのことなどちっとも知らなかった。
自分が居た頃より、はるかに都会になっているのだ。
「あゆみちゃん、ちょっと訊いていい?」
「なんですか?」
「なんでそんなに東京に憧れてるの?」

「そりゃあ東京の方が服も一杯あるし、遊ぶ所だってここよりいくらでもあるんですよ。
 誰だって楽しい方がいいじゃないですか」
「ここでも充分じゃないの?」
「そんなことないですよ。
 車は全然通らないし、山ばっかりだし」
「いいじゃん、車が通らない方が。
 安全だし」
「どうでもいいんですよ、車は」
あゆみは段々むくれてきた。
「私は東京がいいんです、東京が。
 東京にはここにはない色んな物があるんです」
「無い物も多いと思うよ」
「そんなわけない」
あゆみは断定的に言って、そのまま黙った。

20分ほどでようやく車道が見えてきた。
国道に出ると急に車やバイクが多くなり、さっきまでの閑静が嘘のように騒音が鳴りつづけている。
太一はあゆみの後について、オレンジの看板を掲げたファミレスに入った。
「何にします?」
あゆみはメニューを見ながら訊いた。
さっきまでの怒りはうやむやにしてくれるようだ。
「じゃあ、カレーライス」
腹が減り始めていた。
とりあえず腹に溜まる物を食べたい。
「私はコーヒーとチョコレートサンデーにしよう」
頼む物が決まったところで、店員が水を持ってきた。
「ご注文お決まりですか?」
その大学生ぐらいの女は電卓のような機械を持って注文を待っていた。
「コーヒーとチョコレートサンデーと、ハヤシライスだっけ?」
「カレーライス」
「じゃ、今のとカレーライス下さい」
店員は素早く注文を書き付け、店の奥へと去って行った。
「随分てきぱきしてるね」
太一が口にしたのは『カレーライス』の一言だけだった。

「ぐずぐずしてるの嫌いなんだ。
 決まったらすぐに呼ばなきゃ」
大人しそうな第一印象とは違って、考えていることはくっきりとしている。
「ところで、聞きたいことがあるんだけど」
太一は机の上に手を置いて喋り出した。
「なんで俺を誘ったのかな、今日は」
「別に。他に誘う友達がいなかったからですけど」
「本当に?」
あゆみは不機嫌そうに眉を動かした。
「なんで?」
「いや、違ってたら怒らないで欲しいんだけどね。
なんか電話の口調がそれだけじゃないような気がしたんだよね。
昨日も、俺が東京から来たって知ってから態度が変わったような気がするしさ。
もしかして俺のこと誘ってないかなあ、なんて。
あ、別の意味で誘うってことね」
あゆみは黙って聞いているだけだった。

太一は思わず弱気になる。
窓の外では、バイクが信号待ちの車の間をすり抜けている。
クラクションの音が店内まで聞こえていた。
「違った?」
首をすくめながら尋ねると、丁度店員がコーヒーを持ってきた。
「コーヒーをお持ち致しました」
さっきと同じ女の店員は、コーヒーカップを迷わず太一の目の前に置くと一目散に店の奥へと消えていった。
あゆみは視線を机の真ん中に定めたまま少しも動かさない。
太一は口を開きかけて、つぐんだ。
黙ってコーヒーをあゆみの前に押しやる。
太一が机の下に手を置くと、あゆみはコーヒーに手をつけた。
一度に半分以上飲み干す。
「……そうよ」
あゆみは辺りをはばかるような声で言った。
「それでまた、ちょっと不思議なことがあるんだけど」
太一は済まなさそうに訊く。
「東京に住んでるってだけで、なんでそんなに態度を変える必要があるのかな」

東京にだって田舎者は住んでいる。
誰もが洗練されているわけではないのだ。
逆を言えば、田舎にだって数は少ないかもしれないが都会的な所はあるわけだ。
ましてや、ここには国道だってファミレスだってあるのだ。
都会だけに憧れるのは偏りすぎてはいないだろうか。
「カレーライスお持ちしました」
またもや同じ店員がやってきた。
カレーの器をぞんざいに太一の前に置く。
「ごゆっくりどうぞ」
マニュアルなのか嫌味なのかは分からないが、店員はそう言って去っていった。
太一は一瞬、途惑ってからスプーンを取った。
あゆみの顔を見る。
相変わらず、うつむいて机の真ん中を見つめていた。
太一はできるだけ音を立てないようにカレーを食べはじめる。
「……人の答え聞くのに、それは無いんじゃないの」
あゆみは声を抑えていた。
太一がカレーから顔を上げると、いつのまにかコーヒーカップは空になっていた。
あゆみの両目が太一の手にしているスプーンに視線を送っている。
太一は慌ててスプーンを置いた。
「ごめん、答えて」

あゆみはもったいつけるように溜息をついた。
「なんかイメージと違うんだよね、太一さんは。
 都会から来たって言ったからもっと洗練されてて、身のこなしとかも格好いいと思ったのに」
「それは無いよ。
 俺だってここの出身なんだし」
太一の言葉にあゆみは暗い視線を投げかけた。
「私、田舎にコンプレックス持ってるんですよ。
去年大学に入ってカルチャーショック受けたんですよね。
皆、どこで売ってるのか分からないような服着てて。
カラオケぐらいは何回でも行ったことあったんですけど、数が半端じゃないですしね。
ここの町の名前なんか、誰も知らないんだから」
そうだろうなあ、と太一は思う。
「だから、バカにされないために都会的にならなきゃいけなかったんです。
田舎に依存できなくなっちゃったんですよ。
だから夏には髪の毛染めて、大学の友達をいっぱい作ったんです。
高校の友達も、都会に行った子以外は付き合うのやめました。
それで、冬に入ったあたりから彼氏が欲しくなってきて」
あゆみはそこで話を切った。
「チョコレートサンデーをお持ちしました」
例の店員があゆみの前にクリームののった器を持ってきたのだ。
そして足早に去っていく。
完全に同じ行動パターンだった。