230

TMC 投稿日:2003/01/10(金) 15:25

人間は「仮面」を被ることがよくある。
そう考えるのは僕だけだろうか?
いつのころからだろう、「仮面」を被り始めたのは。

接する人物によってそれらを使い分ける。
先輩には先輩用、教師には教師用、親には親用
僕が「仮面」なしで接することができるのは
一部の親しい友人達だけである。
でもそれが本当の自分かと聞かれれば答えられない。

「仮面」を選ぶのに迷ってしまうことがある。
あの子と接するときはどんなのを被ればいいのか解らない。
それとも彼女とは被らずに接しているのだろうか?
彼女には本当の僕が見えているのだろうか?

静まりかえった教室内では生徒達が一心不乱に
問題や解答とにらめっこしている。
「はい!そこまで!」
やけに甲高い試験官の声が響く。
すると生徒達は一斉に伸びをしたり、机に突っ伏す。
川島修一もそのなかの一人だった。
後ろの席の生徒が答案を回してきたので
修一は突っ伏すのをやめて顔を上げた。
今回もそれなりの手応えはあったはずだ。

その後いつものように自己採点をする。
予想通り5教科450点のラインは突破できた。
カバンに筆箱を突っ込んで席を立つと
髪の毛を二つに縛った少女が話しかけてきた。
「修一、今回はどうだった?」
同じクラスの辻希美である。
「自己採点だと450はいった。」
「大事なのは一の位なのよ。」
修一が背を向けて「7」と言うと
希美は悔しがり、その場で足をドタバタやっていた。

不意に希美の髪の毛が引っ張られた。
「はぁ〜、俺絶対クラス落ちたよ。」
萩原武昭はこの世の終わりのような顔でやってきた。
「引っ張るなって何回言えばわかるのよ。」
「いいじゃん。もう同じクラスじゃないんだし。」
そう言って武昭はもう一度希美の髪を引っ張った。
修一はそのいつものやりとりを見て笑う。
「そうだ!紺野ちゃんは何点だったかな?」
端の方の席で帰り支度をしている少女を見て希美が言った。

紺野あさ美はかなりの秀才である。
塾内ではもちろんのことトップを維持し続けて
聞けば中学校でもダントツのトップらしい。
しかしそれよりも修一は彼女の事を別の視点で見ていた。

「紺野ちゃん、何点だった?500点?」
希美があさ美の机に手をかけて聞いた。
「そんなわけないよ。ちょっと理科が失敗したかな。」
あさ美はにこやかにさらっと言った。
「失敗って何点ぐらいだ?」
修一は自分より成績のいいあさ美の点数は気になる。
「94点ぐらいかな。」
やはりにこやかにあさ美は言ってのける。
「それぐらいで失敗かよ・・・」
3人の背後から武昭のため息が聞こえてきた。

「フフフ。今回の理科は紺野ちゃんに勝ったよ。」
希美がいかにも怪しげに、自慢げに笑った。
「昨日夜中まで天体のプリントやってたからね。」
そう言った瞬間あさ美の垂れ気味の瞳がカッと見開いた。
「ダメだよ!希美ちゃん!」
「ど、どうしたの!?」
「変態のプリクラなんて・・・ダメだよ・・・」
修一はその会話を聞いてとっさに頭の中で考えた。

天体のプリント、変態のプリクラ
てんたいのぷりんと、へんたいのぷりくら

その時、修一は確信した。
やはり紺野あさ美は本物の「天然」だと。
秀才だけど天然である。非常に珍しい人物である。
修一は自分でも気付かないうちに
そんなあさ美に興味を抱いていた。

駅前のやけに圧迫感のある通り、俗に言う「ビル街」
そこに修一達の通う平家学院がある。
平家学院は全国に支部を持つ大型進学塾だ。
この教室の塾長である平家みちよは社長の娘なのに
何故か小さな教室の塾長をやっている。
ちなみに、クラスは上位からS・SU・N
修一達は最高のSクラスに所属している。

「バイバーイ。」
「さよなら。」
4人で一緒に教室を出た修一達はバス停の前で別れた。
駅から近い修一と希美は自転車で
逆に駅から遠い武昭とあさ美はバスで塾に通っていた。
バスが来るまではバス停で話しているのだが
今日はたまたまバスが早かったのでそのまま別れた。

「う〜寒い〜・・・」
もう11月、上着無しでは外出できなくなっていた。
しかも自転車で下り坂を下っていると風が余計に冷たい。
希美はそれを大げさに身震いする仕草で表した。
「早いね。もうすぐで私立の入試始まるよ。」
「そうだな。そろそろ本腰入れないと。」
そう言うが修一自身は受験生であるという実感が
この時期になってもあまりしなかった。

「やっぱり修一は西浜高?」
「今のところはな。」
西浜高は県内の最難関の公立校だ。
あさ美はすでに合格圏にいるが修一はあと少しだった。
私立は自分に合っていないと思い公立を選んだ。
「辻は朝陽女子なんだろ?」
「今のところはな。」
希美は修一の仕草を真似るように言った。

「確かに辻は頭いいけどあそこはなぁ・・・」
「私にはお嬢様学校が似合わないてっわけ?」
「よくわかってんじゃん。」
希美は修一の方を悔しそうな顔で見た。

修一はこの時間を純粋に楽しんでいた。
希美とは仮面を付けずに自然に会話ができる。
普段、仮面を多用している修一にはある意味至福の時だった。
しかしこれが恋愛感情ではないことは解っていた。
と言うよりも修一には何が恋愛なのか解らなかった。

「あれ?今の所曲がらなくてよかったのか?」
いつもなら今の曲がり角で別れるはずなのだが
希美はそのまま修一と同じ方向へハンドルを切った。
「コンビニで買い物してく。」
「そうか。」
気のせいか希美がこちらを気にするような目をしていた。
ちょうどコンビニの前で別れた。
修一の家はそこから100メートルほど先のマンションだ。

「ただいま。」
鍵が開けっ放しの玄関からリビングに向かう。
テレビを見ていた母親がこちらに気づいた。
「おかえり。何か食べる?」
「べつに腹は減ってないからいいや。」
このとき再び仮面を被った。親用の仮面を。
なるだけ苦労させないように心配かけないようにと
修一なりの親孝行でもあったのかもしれない。

それから修一はシャワーを浴びて部屋に入った。
とりあえず今日のテストの問題を軽く見直す。
やはり数学の問題だけ難しいように感じられた。
自分でも文系の人間であることは自覚していた。
国語と社会は常に90点代だし
英語に至っては実は帰国子女ではないかと思うくらい得意だった。

しかし数学だけはどうにもならなかった。
今まで塾のテストで90点代をとった記憶がない。
頭が堅いので特に図形の問題は苦手だった。
柔軟な考え方ができないのだ。
西浜高への最大の壁はどうやら数学のようだ。

下の階から階段を上ってくる足音が聞こえる。
気になったので窓の方へ近寄った。
修一の部屋は一番隅にあるのでカーテンをめくれば
マンションの廊下が見えるようになっていた。

足音の主は加護亜依だった。
加護亜依は修一とは幼稚園児代からの付き合い
いわゆる幼なじみだ。
どうせ自分に用があるのだろう。
そう思った修一は亜依がチャイムを鳴らす前に
部屋を出て玄関のドアを開けた。

「わっ!ビックリするやないか!」
「驚かすつもりはなかったんだけどな。」
亜依は突然目の前のドアが開いたことに驚いていた。
「で、何か用か?」
彼女の手に何かが入ったビニール袋があった。
「これな、ばあちゃんちの奈良漬けや。
 ぎょうさん送ってきたから修一んちにもおすそわけ。」
亜依はそう言ってビニール袋をこちらにさしだした。

「ありがとな。」
「あんたにあげるくらいなら食べちゃいたいけどね。
 おばさん達にはいつもお世話になってるから。」
最初の方は嫌みったらしく聞こえた。
「それより明日の打ち上げ行く?」
「多分行く。」
「うちもいくから。よろしく。バイバイ。」
亜依は奈良漬けを渡すと足早に去っていった。

「亜依から奈良漬けもらったよ。」
リビングに向かい母親にさっきの奈良漬けを見せる。
「あらあら、じゃあお礼しとかなくちゃね。」
母親は立ち上がり受話器を持った。
これから1時間は電話は使えなくなるだろう。

今日は日曜日、明日は祝日で休みと2連休なのだが
市立大島中学校の生徒達は3連休だった。
本来なら休みであるはずの土曜日が文化祭だったため
代休として火曜日も休日となるのだ。
その文化祭の打ち上げが明日の午後にある。

修一は勉強机から離れて座椅子に腰掛けた。
それからデスクトップ型のPCのスイッチを入れる。
お年玉と毎月の小遣いを貯めてやっと買った自分専用のPC
回線はケーブルテレビのものを使っているため結構速い。
前はゲームにしか使うことがなかったが
最近はインターネットに繋ぐ時間が増えてきていた。

ネットの世界の中では自分が誰だが特定されない。
そのため仮面を付ける必要もない。
だから修一にとってネットの世界は居心地が良かった。
それから2時間ほど仮想世界の住人となった。

翌日の午後、修一は早めに昼食を取り家を出た。
打ち上げの集合場所は駅前のカラオケボックスだ。
自転車を小屋から引っ張り出して乗った。
どんなに駅までの道路が危険だろうと
バス代はもったいないから自転車を使うのが修一のポリシーである。
天気は快晴だが風が突き刺さるように冷たい。
早めに出たおかげで焦ることなくゆったりとペダルをこいだ。

ボックスにはすでに何名か級友達が来ていた。
しかし全員が女子という居づらそうな状況のようだ。
修一はその中にいた希美と目があった。
希美は修一に気がつき手を振りながらこっちへ来た。
「こんちわっす!」
「よぉ。」
希美は何故かいつも運動部のような挨拶をしてくる。
やはり夏までバレー部にいたせいだろうか。

「あれ、亜依はまだ来てないのか?」
希美と亜依は学校では常に行動を共にするほど仲がいい。
亜依の姿が見えないなら今日は一緒じゃないらしい。
「ちょっと遅れるって。気になるの?」
希美はニヤニヤしながら聞いてきた。
「・・・昔の話はよしましょうや。」
修一はその問いに苦笑いで答えることしかできなかった。
もう、過去のこと。アレは過去のことなんだ。
あの時を思い出す度に修一は心でこう言い聞かせた。

クラスの打ち上げという名目でも集まったのは約半分。
修一も含めほとんどが受験生である自覚のない奴ら。
少しでも自覚があるならこんな所には来ずに
自宅で勉強机に向かっているはずだ。
しかし、ここにいる中3は参考書ではなく
モニターに出る歌詞ばかりを目で追っている。

部屋には人数の都合上、男子と女子に分かれた。
男ばかりのむさ苦しい雰囲気の中で
次々に曲が予約され、マイクが持ち主を変えていた。
修一はトイレに行きたくなり部屋を抜けた。
「一人だけ女子の所行くんじゃねぇのか?」
「トイレだよ。トイレ。」
本当は少し様子を見てみようかと思っていたのだが。

このボックスはかなりの部屋数のため
通路が迷路のように入り組んでいる。
男子部屋からトイレまでの道のりは複雑だった。
慣れない人間なら下手をすると迷ってしまうかも。
修一が用を済ましてトイレから戻ろうとすると
遅れてきて女子の部屋に入ろうとしている亜依とはち合わせた。

「よぉ、遅かったな。」
「ちょっと用事があったから。」
亜依はこちらに視線を送らずに部屋に入っていった。
昨日といい、今の会話といい、どうもぎこちない。
それでも最近では元通りになりつつある。
そこまで考えて修一は少し反省した。
今日はいつもよりあの頃を思い出してしまう。
やめよう。歌ってスッキリしよう。

修一はついつい激しい曲ばかりを予約して
いつもの3倍は歌ってしまった。後半は叫びに近かったが。
そのせいで部屋を出て女子達と合流した時には
普通にしゃべるのでさえ辛くなってしまった。
「大丈夫?かなりノッてたみたいだけど?」
そんな修一を見て希美は半ば呆れたような顔で言った。
「女子の部屋に行けば癒されたかも。」
「かすれた声で冗談言ってもおもしろくないよ。」
希美は苦笑した。

次にクラスの皆で向かったのはゲームセンターだった。
ここでもやはり男女で分かれてしまった。
大抵の男子は格闘ゲームかビーマニ系のゲームに
女子はほとんどがプリクラのマシンに並んでいた。
修一は少し麻雀が得意なために少数の下品な奴らに
脱衣麻雀をやってくれるように頼まれた。
「頼むよ〜。一枚につき100円払うからさ。」
何と楽な金稼ぎだろう。修一はそう思った。

「修一、何やってんの?」
脱衣麻雀の機械にコインを投じようとした時
突然希美が向こう側から顔を出してきた。
周りにいた奴らは何知らぬ顔で去っていったようだ。
「こ、これはだな。あいつらに頼まれてだな。」
慌てた修一は椅子に足をぶつけてしまった。
「バッカじゃないの。それよりこっち来て。」
希美は修一をプリクラの近くの女子軍団に招く。

非常に入りづらい華やかな群に入ると
正面からは驚いた視線が背後からは羨む視線が感じられた。
「はいはい、中に入って。」
希美は修一をカーテンで仕切られた狭い空間に押し込み
自分も入り素早く設定を入力をする。
「俺と2人でプリクラでも撮りたいのか?」
修一の言葉を無視して希美は設定を終了した。
ガイドの声が撮影までのカウントダウンを始めた。

3,2,1,カシャ。
「ふぇ!?」
明らかに不自然なシャッター音と共に聞こえてきたのは
すっとんきょうな悲鳴だった。
驚いて隣を見るといつの間に希美が亜依になっていた。
「な、何?どうしたん?」
「それはこっちが聞きたいよ。辻は?」
カーテンを開けると希美がこちらを向いてニヤニヤしていた。

それから集まった奴ら全員でプリクラを撮り、解散となった。
亜依も含めたほとんどの奴らはバスで来ていたので
修一と希美は必然的にいつものように2人で帰宅となった。
まだ夕方の4時だというのに辺りは暗い。
「なぁ、さっきのは何だったんだ?」
「えっと修一とあいぼんが両方とも吹っ切れたかなって。」
さっきので通じると言うことは希美も気にしていたらしい。
修一はそんな優しさにも内心は半分感謝、半分腹を立てていた。

いつも別れるところに来て希美は思い出したように
何やら分厚い手帳らしき物を出し、修一に見せた。
「見て見て!これ紺野ちゃんのプリクラだよ!」
修一が暗いからよく見えないという顔をしていると
今度は思いっきり顔に近づけてくる。
「バカ。近すぎだよ。もっと離せ。」
修一はそのプリクラ帳を希美の手から奪い目を凝らした。
パソコンのやり過ぎだろうか?最近は確実に視力が低下しているようだ。
そのプリクラには確かに紺野あさ美が写っていた。

「カワイイでしょ?」
希美と一緒に写っているあさ美のプリクラを見て
修一は正直に可愛いと思った。
だが、それよりも心のどこかで安心していた。
紺野さんも意外と普通の女の子なんだ。
天才少女もプリクラくらいは撮るのか。

「ちょっと、見過ぎなんじゃないの?」
気付いたら希美がジト目でこちらを睨んでいた。
希美は修一の手から手帳を取り返し、再びしまった。
「で、それが?」
修一には希美がどうしてあさ美のプリクラを見せたのか
その理由がいまいち解らなかった。

「修一は紺野ちゃんのことカワイイと思う?」
希美はジト目から怪しくニヤついた目に変わっていた。
「可愛い方だと思う。」
ますます希美の行動が不可解に思えてきた。
「ふ〜ん。まぁ、いいわ。バイバイ。」
そこで話が突然終わり、希美はそそくさと帰っていった。

代休の火曜日は朝から修一は部屋にこもっていた。
両親は既に仕事に出てしまっている。
本来なら受験生はこういった日は勉強するのだが
修一はパソコンとにらめっこしていた。
昨日打ち上げから帰った後、再び自転車をとばし
近くのパソコンショップまで追加のハードディスクを買いに行った。
そのおかげで容量一杯だったハードディスクが
まだまだ長く使えるようになった。

ダウンロード等の一通りの作業が終わると
修一はパソコンの電源を切り、立ち上がった。
その場で大きく伸びをする。
どうやら近頃は寝不足が続いているようだ。
普通の中学生では考えられない時間に眠り、
少し早めに起きて、新聞を読むように習慣づけている。
そのせいか目の下の隈が目立つようになっていた。

その後、本棚からいくつかの参考書を取り出す。
部屋の中には本棚が3つある。
教科書類やノート、小説とマンガ、参考書に分けていた。
受験生の心理は参考書や問題集が多いと
自分が熱心に勉強していると錯覚に陥り
安心してしまうという傾向があるらしい。
希美もそのタイプにあるようだった。
ただ彼女はその全てを一回解き終わっているそうだが。

修一はちょうど開いたページをしばらく眺め、
これから勉強を始めようかと迷った。
そして決心し、通学用のカバンから筆箱を出し
勉強机の前に座り込むと時計が目に入った。
短針は既に12の表示をを少し過ぎている。
それを見て一旦腰掛けた椅子から再び立ち上がった。
とりあえず昼飯を食べてからにしよう。

適当に冷凍庫の中から冷凍食品を取り出す。
平日の休みや両親が残業で家に戻れない時がよくある。
そんな時のために母親が買いだめしておいてくれるのだ。
おかげで簡単な調理や家事は慣れてしまった。
冷凍やレトルトの食品を調理するのが家事と言えるかは
解らないが、そこら辺の中学生よりかは自身がある。

レンジで加熱するだけのあんかけ焼きそばができた。
便利なことにプラスチックの皿付きなので
余計な洗い物が増えない。まるで主婦の考えだ。
昔から亜依には言われていた。
「修一はオヤジくさいけど、そこが好き。」と
自分ではあまり意識していないだけに
オヤジくさいと言われることは決して気分は良くなかった。
でも、亜依にだけは言われても腹が立たなかった。

コップに注いでいた麦茶が溢れそうになっていた。
どうやら考え事をしていたらしい。
無意識のうちの考え事は怖い。周りが見えなくなるから。
まだ少し熱いあんかけやきそばに箸をつけた。
我ながら美味い、、、レンジでチンだけなのだが。
しかし美味いことは美味いのだけれど
食べるのも両手で数えられなくなる回数になってくると
悲しいかな、飽きというものが訪れてしまうのだ。

普段なら「いいとも」を見ながらの昼食なのだが
今日はなぜか見る気が起きなかった。
そしてちょうど半分ぐらいの所に口を付けたとき
そばをすする音に混じってインターホンが聞こえた。
口の中の物を麦茶で流し込んでから、受話器を取った。
「・・・・・加護ですけど。」

目の前では亜依があんかけ焼きそばを食べている。
修一が亜依のためにもう一つ作ってやったのだ。
「で、どうして俺の家なんだ?」
「だってここが一番近いんだもん。」

亜依は朝から用もなくブラブラしていて、
帰ってきたら母親も出掛けており家には誰もいなかった。
さらに財布を忘れたことに気付く。鍵は財布の中にある。
最初は近くのコンビニで立ち読みをしていたが
2時間もすると飽きてしまう。そして腹が減り修一の家に来た。
なかなか愉快な少女である。

修一は自分のは食べ終えてしまったので
プラスチックの皿を水で軽く洗い、ゴミ箱に捨てた。
そしてテレビのスイッチを入れソファに腰掛けた。
「意外においしいね。」
「俺はもう十回以上食って飽きたけどな。」

ちょうど「いいとも」はエンディングにさしかかろうとしていた。
しばらく亜依のそばをすする音とテレビの音声だけが響いた。
もう少し女の子らしく食べられないのだろうか。
まぁ、彼女のことだから仕方がない。
両親が関西人の見本のような人達だからな。
関東に住んでいるのに関西弁を話すのもそのせいだ。
関西人をバカにする気は毛頭ない。
ただ修一には関西人に対する独自のイメージがあった。

「ごちそうさま。」
亜依は立ち上がり自ら修一と同じように皿を捨てた。
「お前これからどうすんの?」
「家に電話してみる。電話貸して。」
自宅に電話をかけている亜依の表情を見ると
まだ母親が家に帰っていないことがすぐに解った。
修一は迷った。このまま二人でいていいのか。
だからと言って追い出すわけにもいかない。

「あれがやりたい。」
受話器を置いた亜依は修一にそう言った。
「あれって・・・あれか。」
修一はソファから腰を上げて部屋に向かった。
その後ろからは亜依が着いてくる。
部屋に入るなりすぐにパソコンを立ち上げて、
亜依のやりたがっているゲームを起動させた。
「やり方は覚えてるだろ?」
「うん、だいたいは。」
座椅子を用意してやりパソコンの前に亜依を座らせた。

その横のベッドに修一は寝っ転がり
「じゃ、俺は昼寝するから帰るときは声かけて。」
「わかった。おやすみ。」
修一は何だか昔に戻った気がして照れくさくなり
亜依のその言葉を無視して、壁の方に体を向けた。

効果音はOFFにしてあるのでうるさいわけではない。
しかし、どうしても亜依の方が気になって
修一は昼寝に集中することができなかった。
こうやって二人でいるのはどれくらいぶりだろう。
あんな事がなければ、上手くやっていけたはずだ。

「修一、起きてる?」
突然声をかけられたので驚いてしまった。
修一はわざと寝ていたかのように目をこすり
体をゆっくりと亜依の方へと向き直す。
「どうした?やっぱり帰るか?」
亜依はモニターの方にむけていた顔を修一の方に向けた。
その表情は笑っているのか真面目なのか解らない。
「・・・今日は何の日だかわかる?」
修一は見当もつかないので首を横に振った。
「うちらが別れてからちょうど一年だよ。」

翌日の放課後、修一は平家学院へと自転車を走らせていた。
今日は水曜日なので通常授業はないのだが
どうせ家にいても時間を無駄にしそうなので自習室を利用することにした。
修一にしてはめずらしい行動だと自身もそう思っていた。
しかし、勉強でもしてないと精神が壊れそうな気がする。
封印していた罪悪感と後悔が心を押しつぶそうとする。

あの後、亜依は母親が帰ってきたようですぐに帰宅した。
もう一年も過ぎたのだ。時間が経つのは早い。
しかし修一の頭の中はそんなことを考えてはいなかった。
一年が経つ、つまり季節が一周するということ。
魔女のことを思い出すようになってしまったのも
同じ季節が、冬がやってきたからだろう。
亜依が帰った後に窓から外を見ると亜依がこちらに振り返った。
修一の中でその切なそうな表情と魔女の笑顔がグルグル回っていた。

職員室にいた塾長に軽くあいさつをして自習室に向かう。
本来なら受付で手続きをしなくてはならないのだが
通常授業があるかのような顔をして受付を通り過ぎる。
自習室は全部で3つある。それぞれ広さが違う。
手前の2つの広い部屋は人が多かったのでやめることにする。
なので、奥にある一番狭い部屋に入った。
どうやら先客がいるようだ。紺野あさ美だ。

「おっす。えらいね。」
軽く手を挙げてあいさつをするとあさ美は小さく笑った。
「何かおかしいことでも言ったかな?」
「だって、川島君も自習しにきたんでしょ?」
修一もようやくあさ美の言わんとすることが理解できた。
確かに今から自分も同じ事をするのだ。

隣に座るのも馴れ馴れしいと感じた修一は
あさ美の真後ろの席に着き持参した数学の参考書を開いた。
最初は簡単な計算演習で頭をならして
そして、あらかじめ付箋のしてあるページを開く。
修一が最も苦手とする図形の分野だ。しかも相似分野。
右手のペン回しの速度が徐々に増してきている。

思いの外その問題に時間を費やしてしまっている。
初見では自分でもすぐに解けそうな問題だったが
どうにもメネラウスの定理では解答が見えてこない。
とは言ってもメネラウスなんて中学の教科書には
もちろん出てこないので、正確には違う方法で解くのだろう。
ふと右手から弾かれるようにシャーペンが落ちてしまった。
シャーペンはあさ美の座っている椅子の下に転げていった。

「紺野、悪いけどシャーペン取ってくんない?」
あさ美は無言のまま視線を下におろした。
「椅子の下にあるから。」
修一がそう言うとあさ美は立ち上がって椅子の横に
チョコンとしゃがみこんでシャーペンを拾い、修一に手渡した。
「サンキュ・・・どうかした?」
立ったままのあさ美は修一の参考書とノートを見比べていた。

「そこはメネラウスを使うところじゃないよ。」
あさ美は笑顔で修一の間違いを指摘した。
そして、少し屈んで丁寧にそこの問題の解説を始めた。
「・・・なるほど。意外と簡単なんだ。」
「君は難しく考えすぎてるんだよ。
 メネラウスの定理なんて中学じゃ習わないんだから。」
では、どうして君は知っているのかと修一は聞こうとしたが
彼女のことだから本か何かで知ったのだろうと思い、聞かなかった。

しばらく二人とも黙々と勉強を続けていた。
修一が今やっている問題を終えたら一旦切り上げて
次の教科の勉強を始めようかと考えているとあさ美が振り向いた。
「・・・英語教えてくれない?」
「うん、いいよ。さっき数学教わったし。」
修一は先ほどの恩返しにとあさ美の頼みを快諾した。

「このmustは義務じゃなくて推量の意味なんだよ。」
あさ美が困っていたのは私立向けの長文だった。
修一はその長文の要所だと思われる文を解説していった。
「ありがとう。今の説明わかりやすかったよ。」
あさ美は笑顔で言った。
「そう言ってもらえると光栄だな。」
その笑顔がカワイイと修一は素直に思った。

「じゃ、私はそろそろ帰るね。」
例の長文を解き終わると、あさ美は帰り支度を始めた。
修一はもう少し勉強していくつもりだったが、
「それじゃ俺も終わろう。」と
急いで参考書やノートをカバンの中に突っ込んでいた。

外に出ると一気に冷気が肌に突き刺さってくるようだった。
あさ美は暖かそうな白いダッフルコートを着ながらも、
震えながら両手に息を吹きかけていた。
「それじゃ、またね。」
修一に別れを告げたあさ美が振り返ったのと同時に
不運にも乗るはずだったバスが出発してしまった。
呆然としている彼女を見て修一は思わず声をかけた。
「チャリで送っていこうか?」

あさ美は困ったような表情で下を向いていた。
そして小走りに時刻表の方へ駆け寄り、すぐに戻ってきた。
「次のバスまで時間があるから、お願いします。」
「了解。じゃ、後ろに乗って。」
その言葉にあさ美はもう一度困ったような表情になった。
どうやら二人乗りをしたことがないらしい。
「大丈夫。事故なんかにはならないから。」
あさ美は、でも・・・とその場で躊躇していたが
修一が促して何とか自転車の荷台にまたがるように乗った。

正直、かなり走りにくかった。
それはあさ美の体重が重いとかそう言うわけじゃなくて、
修一は背後から思い切り両肩をつかまれているのだ。
「なぁ、もう少しリラックスしたら?」
「だって・・・怖いから・・・」
いつも乗せている希美なら立ち上がったり小さく跳ねたりと
それもそれで走りにくいのだが、今日はそれと違う
走りにくさのおかげで修一は戸惑っていた。

「そういえば、紺野の家ってどこら辺なの?」
修一とあさ美は中学校が違う。修一の通う大島中学校は
市街地のど真ん中にあり、市内で生徒数が一番多い。
あさ美の通う栄敬中学校は郊外の住宅地にあり、
大島中に次ぐ生徒数である。

「えっと、県道沿いに行って本屋を曲がった所だよ。」
「それって、俺達とそんなに変わらないじゃん?」
どうやらあさ美は大島と栄敬の学区の境目に住んでいるようだ。
その辺りなら修一も行ったことがあるので、
二人を乗せた自転車は迷うことなく紺野家にたどり着いた。