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test 投稿日:2003/02/04(火) 23:22
その日は大雨だった。
1ヶ月ぶりに降った雨は、今までの分を一気に降らせるかの
ように、大粒の水滴をまんべんなく降り注ぐ。街の通りを行き
交う人々は、傘をさして足早に通り過ぎていく。
その傍らの路地で少女がひとり、傘もささずに道端に座り込
んで、行き交う人たちをボーッと眺めていた。すらっと細い身
体、肩口で切ってある髪、整った顔、質素な服、全てが雨と泥
にまみれていた。ーー雨は嫌いだ。
あの人の事を思い出す。50年前の雨の日、たった10才で
自分を置いて死んでしまった少年(マスター)。自己破壊でき
ないようにプログラムされているこの身体が苛立たしかった。
なぜ壊れないのだろう?
なぜあの人と一緒に死ねないのだろう?
なぜあの人がいないのに生きているのだろう?
あの人に歌うためだけに作られた、オルゴール(歌人形)な
のに…。もう、あの人のための歌もなくしてしまった…。思い
出すのはあの人の笑顔だけ。行き交う人の中に主人の姿を探してみる。無駄だと、IC回路
がいっているのを聞きながら、それでも探してしまう。
人ごみの中にあの人の笑顔を…。
自分を呼ぶあの声を…。
『リカ』と呼ぶあの声を…。「ねぇ、寒くない?」
不意に、人ごみの中から男が一人抜け出した。そして自分が
さしていた傘を、道端のアンドロイドの上にかざす。このどし
ゃ降りの雨で、すぐに傘のない肩や背中が濡れ始めている。
顔の照合をするが、記憶にはない。とういうことは、見ず知
らずの人のはずだ。だが、男はとても心配そうに言う。
「ずぶ濡れだね。このままじゃ、病気になっちゃうよ?」
「…病気には、なりません」
「?」
「…アンドロイドですから」
リカはそう言って、人工皮膚が剥がれて中の機械が見えてい
る手を見せた。
「あ、そうなんだ。でも、それでもさ、やっぱり早く雨宿りし
ないと、そこから雨水入っちゃったら錆びるんじゃないの?」
それを聞いて、リカは機械的に微笑んだ。人と接する時はそ
うするようにプログラムされているから。
「いいんです。もう要らない物ですから。この身体もなにもか
も」
「そうなんだ」
「はい」
「じゃあさ、俺に頂戴?」
無邪気に笑って男がそう言った。
突然の言葉に、リカは驚いたようにじっと男を見る。男は無
邪気な笑顔を浮かべたまま、
「ダメ? 大事にするから」
恋人に言うような台詞をさらっと言ってのけた。――手伝い人形(メイド)が欲しいのだろうか? それとも
、玩具(ペット)?
よく見ると、綺麗な顔立ちをしている。女に不自由している
ようには見えないから、セクシャロイド(性人形)が欲しい訳
ではないだろう。第一、メイドにしてもペットにしてもそうだ
が、それだったらこんな壊れかけの人形なんかより、もっと綺
麗な人形を求めるはずだ。
相手の意図が読めない。だが、それはどうでも良い事だった
。どうせ要らない物だ。人にあげたところで不都合はない。
リカはそう思うと、こくんとうなずいた。
「…いいですよ」
「ありがとう。俺はアキラ。君は?」
「…リカ」
「リカ、よろしくね!」
アキラは嬉しそうに、にっこり笑った。それはきっと異様な光景だったに違いない。雑誌から抜け出
してきたような綺麗な男が、泥まみれで壊れかけのアンドロイ
ドを、大切な人を扱うようにエスコートしている。道を行く人
やすれ違うカップル達が皆、二人を見て眉をひそめて振り返る
。
リカの上だけにさされた傘。雨は泥まみれのアンドロイドで
はなく、綺麗な人間のアキラを濡らしていく。リカがいいと言
ってもアキラは「いいから」と言って嬉しそうに笑うだけだっ
た。
理解不可能な情報は『疑問』として回路が処理する。こんな
壊れかけのアンドロイドを連れて、この人はなにが嬉しいのだ
ろう…?アキラがリカを連れてきたところは、半スラム街の路地
にある、小さな機械病院(クリニック)だった。ドアに「
クローズ」の看板がかけてあるのにもかかわらず、アキラ
は当然のように、暗証番号を入力して中に入っていく。「マデルー、起きてる? ねぇ! マデリーン!」
そう呼ぶと、二階に続く階段からだるそうにして、20
歳くらいの小柄な女性が降りてきた。真っ赤なチャイナ服
に身を包み、髪を金髪に染めた東洋系の女性。右目だけ義
眼らしく、血のように赤い色をしていた。
女性は寝起きのようで、ムッとしたようにアキラを睨み
付けた。
「なんなのよぉ、朝っぱらから。看板見えなかったの?」
「見えてた。で、この娘の人工皮膚を直して欲しいんだけ
ど。あと、シャワー貸して」
悪びれた様子も無くそう言って、リカを紹介する。
「リカっていうんだ。君と同じアンドロイド」
「…あたしはサイボーグよ。一応人間。何度言ったらわか
んの?」
「あ、そうなんだ。ごめん」
「ーーったく」
そう言って、マデリーンと呼ばれた女性がリカに視線を
移し、そしてわずかに驚きの表情を見せる。
「ずっと昔に製造されてたオルゴール(歌人形)の初期型
じゃん。よくこんな昔のやつが残ってたね」
一目で識別出来るという事は、彼女の赤い義眼には高性
能のスキャナーが内蔵されているのだろう。
「でもさー、この娘を直すくらいなら新しいオルゴール新
調した方がいいと思うけど?」それは彼女だけでなく、リカ自身もそう思った。が、ア
キラはムッとして、
「直してくれないなら他当たるよ」
そう言ってリカの手を取って出ていこうとした。それを
マデリーンは直ぐに止める。
「直さないなんて言ってないじゃん。――こっち」
そう言うと、奥の扉へと先導しようとして、ふと足を止
めて振り返った。
「…あっと。その前に二人とも上でシャワー浴びてきてく
れる? そんなずぶ濡れで店の中歩かれたら、店が汚れち
ゃうからさ。特にそっちのオルゴール」
「リカだよ」
アキラがすかさず言う。
「じゃ、リカ、先にシャワー浴びてきて。それとも、二人
で入るの? 言っとくけどベッドは貸さないよ」
「違うよ。そんなんじゃないんだってば」
その言葉に、マデリーンは少し意外そうな表情をした。
「え?セクシャロイドとして拾ってきたんじゃないの?」
「リカは違うよ。第一、女には困ってない」
アキラはわずかにムッとしてそう言うと、次にリカを見
てにっこりほほ笑んだ。
「リカ、先に入ってきなよ。俺、着替え買ってくるから」
もちろん、リカは困る。
回路に組み込まれたプログラムが、”人間を優先させろ
”と言っている。
「ですが…」
「いいから。マデル、リカのこと頼んだよ」
そう言うとひとつ、リカににっこりほほ笑んで、雨の中
、クリニックを出て行った。「んじゃ、とにかくシャワー浴びてきて」
「…はい」
「あ、それとID持ってる?」
IDとは身分証明書のことで、それがなければ不法者と
して罰せられるか、アンドロイドの場合は不法放棄物とし
てスクラップにされる。この無法地帯と呼ばれる『6番都
市』でも、医療機関や政府の公的機関をID無しに利用す
ることはできない。
少年(マスター)が生きていたころには持っていたが、
それも長い時の中で、いつのまにか無くなってしまってい
た。
言いよどむリカを見て、マデリーンは持っていないと解
釈した。
「無かったら無いでいいよ。ここ、表向きはちゃんとした
クリニックだけど闇医者もしてんの。IDがなくても治療
はしてあげる。…ただ、ちょっと高くつくけど」
「でも、私にはそんなお金は…」
「あんたは気にしなくていいよ。払うのはアキラ。大丈夫
。あいつ人の上前はねて、だいぶ稼いでるからさ。それよ
り、早くシャワー浴びてきて。じゃないと店がいいかげん
汚れる」
「すみません」
「こっち」
そういうと二階に上がる階段を上っていった。「分からないことがあったら言ってね。バスタオルはここ
においとく」
そう言って、バスタオルを籠に入れてそのままバスを出
て行った。
バスタブに入ると、シャワーを浴びてしばらく身体や髪
の泥を洗い流した。よくこんなにも、というほどの泥が湯
と一緒に流れる。床が汚れないかと内心心配になるほどだ
った。
シャワーを止めて脱衣所に入ると、そこにはアキラの言
った通り、着替えの服が置いてあった。あれから20分ほ
どしか経ってないのに、彼が買ってきてくれたのだろうか
? サイズはちょうどぴったりだった。「へぇー、泥落とせばけっこうイケてんねー」
バスから出ると、リビングのソファでくつろいでいたマ
デリーンと、その横に立つアキラが、リカに気付いて振り
返った。
「売ればかなりいい値がつくんじゃない?」
それを聞いたアキラが、わずかに鋭くマデリーンを見る
。彼女は全く悪びれた様子もなく、
「冗談だって」
そう言ってクスクス笑った。
アキラは”やれやれ”としたあと、リカに視線を移し、
にっこりほほ笑む。
アキラのボトムのすそに、少し泥がはねていた。ーーこの雨の中を走ってきたの…?
「やっぱりその服、とっても似合ってる。サイズもぴった
りだし」
「ありがとうございます。…もしかして、この雨の中走っ
てらっしゃったんですか?」
「あー、うん。リカに似合う服がなかなか無くてね、結局
大通りの店まで行ってたんだ。そしたら結構時間食っちゃ
って、慌てて帰ってきた」
無邪気に笑って、なんでもないような口調でそう言う。
隣にいるマデリーンは、呆れ顔でひとつため息をついた。
「どーでもいーけどさー、早くあんたもシャワー浴びてき
てよ。これ以上ソファと床、汚すんなら掃除してってもら
うけど?」
「はーいはい。分かったよ」
軽い返事をして、アキラは言われた通りシャワーを浴び
にいった。
「で、あんたはこっち。アキラがシャワー浴びてる間にと
っとと治療済ませちゃお」ーー不思議な人だと思った。
最初はペットか、メイドか、性人形にでもするつもりか
と思っていたが、そうじゃないらしい。ペットのように束
縛するのでもなく、家事をやれと言うのでもない。まして
や夜を強要する訳でもなかった。それどころか、部屋をく
れてベッドや家具や服も全て揃えてくれ、それのうえ自由
に出歩けるようにと部屋の合鍵までくれた。
初めて会った日から、一週間が経つというのに、まだ彼
の意図が読めない。アキラは、一日のほとんどは家にいた。本を読んだり、
テレビを見たり、一緒に買い物に行ったり。だが、大抵は
リカと喋っている。と言っても、ほとんどアキラが喋って
いて、リカはただ静かに聞いているだけだった。それでも
楽しいのか、無邪気によく笑う。アキラを見ていると、時々、少年(マスター)を思いだ
した。
病に侵され、外に出る事も出来ず、ずっとベッドの上だ
けの生活だったのに、あの人もいつも無邪気に笑っていた
。病になどかかっていないかのように…。
今も、マスターの声が耳を掠めている。――リカ
僕のリカ…
大好きだよ「…リカ、聞いてる?」
不意に呼ばれて現実に戻された。
「はい。聞いてます」
人格プログラムにしたがって笑みを浮かべながら、リカ
はそう答える。
「で、どうなの? 行きたくない?」
ピクニックの事を言っているのだ。
今の時代に、ピクニックなど行く人なんかめったにいな
い。大体、行くとしてもこの6番都市にはピクニックに行
くところなどない。行くとしたら、一番治安のいい8番都
市だろう。あそこなら公園もある。だが、リカにはIDが
ない。無法地帯の6番都市と違って、「鎖国都市」の異名
をとる8番都市には、IDが無ければ絶対に外部から入る
事は出来ない。
だが、リカはプログラムにしたがってにっこり笑う。
「あなたのお気に済むままに」
この言葉さえも人格プログラムから来るものなのに、ア
キラは嬉しそうにそれを聞いて笑った。
「じゃ、決定!」
そう言ってソファを立ち上がった。
「今すぐ出かけよう!」
突然のことにも、リカは平然とうなずく。
「はい」
全ては、人格プログラムどおりに…「ちょっと待ってて。車持ってくるから」
アキラはリカを置いて、地下の車庫に車を取りに行く。
女を扱うかのように気をを使ってくれている。
これだけじゃない。他にも、家にいる時にも、話す時に
も、アキラの言葉の全て、向けられる笑顔の全てが、リカ
の事を大事にしてる事が伝わってくる。
リカがもし、気持ちを持った人間だったなら、きっとそ
のさりげない優しさに、心が惹かれたことだろう。しかし
、機械にいくら優しくされても、応えることはできない。――そう。なんの得にもならないのに…
それとも、あんまりにも道端にいた自分が哀れで同情し
てくれたのだろうか?
アキラの車の音が聞こえてくる。車はリカの前に止まり
、運転席のアキラがリカに笑いかける。
「さ、乗って」
リカが乗り込むと、車は待ちきれないようにすぐに発進
した。
「リカ、ダッシュボード開けてみて」
助手席のダッシュボードを開けると、中にはカードが二
つ入っていた。取り出すと、それは緑色のIDカードと、
銀色のパスポートだった。「これは…?」
リカがカードを手にアキラを見ると、アキラは前を見な
がらいたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「リカのIDとパスだよ。昨日出来たばっかなんだ。びっ
くりした?」
「ええ。…でも、どうやってこれを…?」
「ちょっとね。IDがなかったら不便でしょ? これでど
こにでも行けるし、堂々と医者にも行けるよ」
リカは少しの間カードを見つめた。
パスはともかく、IDは偽造だ。偽造するにはそれなり
の金が必要なはずだ。
それをわざわざ自分のために作ってくれて、一体彼はな
にを望んでいるのだろう?「リカ?」
少し黙り込むと、とたんに不安そうな声で聞いてくる。
リカはとっさに機械的にほほ笑む。
「ありがとうございます」
そう言うだけで、アキラは本当に嬉しそうに笑う。――何もかも、思い通りに生きているようなこの人が望
むものは…?