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名無し男 投稿日:2003/03/22(土) 00:44

二つ下の弟に、彼女ができたらしい。
「お前、もう彼女いるわけ?」
「うん、まあ」
中学一年生の大輔は照れる様子もなく、他人事のようだった。
同じ部屋を二人で使っているから隠し事はばれやすいが、大輔に彼女がいるとは知らなかった。
「誰よ」
「道重さゆみって知ってる?」
「道重って、小学生の時にお前がラブレター書いた相手の?」
「そう」
大輔は小学五年生の時に無記名でラブレターを書いた。
相手は同じクラスの道重さゆみという女子だったが、度胸がないために自分の名前を書かずにこっそりと机の中に入れたらしい。
それでは意味がないのだが、大輔はそれでも良かったのだそうだ。
「よかったじゃん」
念願が叶ってさぞかし嬉しいだろうと思ったが、大輔はただ黙っていた。
「……かわいいのか?」
「携帯で写したやつがあるけど、見る?」
大輔は携帯を取り出して俺に見せた。
画面には女の子が座っている風景が写っている。
顔がよく見えないうえに、学校の教室で写したようだ。
お見合いの写真のようにかしこまっている。
「なんか緊張してないか、これ」
「別に。気のせいじゃない」
大輔は素っ気無い顔で携帯を閉じた。

日曜日、道重さゆみが家にやって来ることになった。
その日は母親が朝から料理教室に行っていて、昼食は作りおきのチャーハンだった。
そのチャーハンを食べている時、大輔が唐突に言い出したのだ。
「今日、道重がくるから」
「道重って?」
尋ねてから、大輔の彼女のことだと思い出す。
「ああ、お前の彼女な」
「うん。部屋に呼んでもいいよな?」
「いいけど。俺、どっか出かけた方がいいよな」
「あ、いや、ここに居てて」
大輔は手を泳がせながら言った。
「別に行くところないんだろ、今日は」
「いいのか? 邪魔になると思うけど」
「いいよいいよ。テレビでも見てて」
「悪いな」
礼は言ったが、大輔の言ってることは不自然だった。
大輔はチャーハンをかきこむと、すぐ部屋に戻っていった。

リビングでテレビを見ていると、インターホンが鳴った。
俺が立ちあがるとすぐさま大輔が部屋から出てきた。
「俺が出るから」
大輔は駆け足で玄関に出てドアを開けた。
リビングからは様子が見えないが、道重さゆみらしき声が聞こえる。
「今日、来てよかったの?」
「うん。大丈夫」
リビングのドアが開いて道重さゆみが顔を出した。
一目見た感じは大人しそうで、かなりかわいい。
肩にかかった黒髪が揺れている。
「どうも、初めまして」
道重さゆみは頭を下げた。
「あ、どうも。大輔の兄貴です」
「とりあえず、部屋行くから」
大輔は道重さんの横からそう言って、ドアを閉めた。
なかなかかわいい彼女を捕まえたじゃないか、と思う。
テレビ画面では中学生ぐらいの茶髪の女の子が高音で騒いでいた。
「マジで? 彼氏に嘘つくとか普通じゃん?」
こういうタイプではないよな、と一人で納得した。

しばらく寝転がってテレビを見ていたが、不意にリビングのドアが開いた。
道重さんが入ってきたのだ。
大輔はいない。
「どうしたの?」
声をかけると、道重さんは表情を変えずに振り向いた。
「お菓子とか部屋に持っていこうと思ったんですけど……」
道重さんは小声で理由を話す。
うちの家はキッチンとリビングがつながっているのだ。
「お菓子は台所の下の所に入ってるよ」
「え、どれですか……」
道重さんは台所のまわりをうろうろしている。
仕方なく立ちあがって、台所の開き戸を開けた。
「はい、ここ」
「どうも」
道重さんは黙っていくつかの箱を取り出した。
俺はテレビの前に戻ろうとしたのだが、道重さんはまた声をかけてきた。
「あの、冷蔵庫開けてもいいですか」
「別にいいけど、牛乳しかないんじゃない」
「それじゃあ牛乳もらいます」
戻りかけた時、また声をかけられた。
「あの、お盆みたいなのってあります?」
「流しのところにあると思うけど。
 コップも流しのところにあるから」
すかさず答えて、リビングに腰を下ろした。
しばらく、道重さんが台所でごそごそする物音がした。

「すいません」
道重さんは小声だったが、恐縮している風でもない。
首を回して、道重さんの方に振り返った。
「あの、お話ししてもいいですか」
「え? 俺と?」
思わず、目が丸くなった。
道重さんは棒立ちで返事を待っている。
両手で持っているお盆の上には、お菓子や牛乳の入ったコップが乗っていた。
「いいけど、大輔は?」
「えっと……別にいいんですよ」
道重さんは要領を得ない答えを返してきた。
俺が事情を聞く前に、道重さんはお盆を持って俺の横に正座した。
「もう、高校受験終わりました?」
道重さんはお盆を置いて、うろたえる俺を尻目に喋りはじめた。
「うん、まあ」
「どこ受けたんですか?」
「私立の学校だけど……」
「頭いいんですね」
「そんなに難しい所じゃないから、別に頭がいいわけじゃないけど」
「でもすごいですよね。
 私は近所の公立高校受けようと思ってるんですけど」
内気な雰囲気とは違って、道重さんは饒舌に話を繰り出す。
しばらくはそれに答えるのが精一杯で、大輔とのことを聞けそうな隙はなかった。

「好きな料理とかあります?」
尋ねながら、道重さんは足を崩した。
「好きな料理?
 カレーかなあ」
「あ、じゃあ私作れますよ。
 ちょっとだけ料理できるんですよ」
「へえ、そうなんだ」
そこで一旦、会話が途切れた。
「そういえば、大輔の所には戻らなくていいの?」
「え? えーっと……」
道重さんの口が動かなくなった。
大輔との間に何かあるに違いない。
しばらく沈黙が流れた。
「実は嘘ついてもらってたんです」
道重さんの顔に苦笑いが浮かぶ。
「どういうこと?」
「ほんとは私、彼女じゃないんです」
「は?」
「私、お兄さんと話がしたかったんです」

「なんで?」
「だって、中学校に入学した時から好きでしたから……」
道重さんはうつむいていたが、顔を赤らめたりはしなかった。
「クラブやってる時の姿を見て、好きになっちゃいました」
「はあ……」
話がどうなっているのか全くわからず、曖昧に答えるしかなかった。
「大輔とは付き合ってないんだ」
「はい」
「じゃあ、大輔が俺の弟だって知って、付き合ってるふりをしてうちに来たってこと?」
「そうです。
 とりあえず家まで来たら話せると思って」
道重さゆみは俺と話をするために、大輔に嘘をつかせてまでうちに来たらしい。
「学校で話しかけようとしたんですけど、チャンスがなくて……
本当にごめんなさい。
でも、先輩のことは本当に好きなんです。
付き合ってもらえませんか?」
道重さんはうつむいたまま、膝の上の両手を握り締めている。

俺も自分の両手に目を落とした。
「悪いけど、付き合えないわ」
道重さんは顔を上げようともせず、じっとしている。
「知り合いに君のことを好きなやつがいるんだ。
 好きでもない俺が付き合うのはそいつに悪いから」
大輔のことを思い浮かべた。
「そうですか」
道重さんの返事は案外あっさりしていた。
「じゃあ、私もう帰りますね」
道重さんは顔を上げて、お盆に手を伸ばした。
「お盆は俺が片付けとくから。
 大輔に挨拶してきてくれないか」
「わかりました」
道重さんは立ちあがって、来た時のように頭を下げた。
リビングのドアを開けて、部屋へ戻っていく。
俺はお盆を持って台所に向かった。