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自称K 投稿日:2003/08/17(日) 00:22

――歯ブラシ――

 俺はあの日、なつみのために新品の歯ブラシを洗面台に置いておいた。
 いつでも来ていいんだと、その歯ブラシにはそんな俺の気持ちを込めたつもりだった。
 恥ずかしくて口に出して言ってやれない、俺の気持ちを。
 洗面台のコップの中に立てかけられた、新品の歯ブラシを見る。
 ピンク色のそれを見るとどうしようもなくやるせない気持ちになる。

『えぇ〜、洗面所トイレのまえなの』

 だからどうした、と一蹴していたあの会話さえもうできないのかと思うと、
 涙が流れるのを止めることはできなかった。
 些細な事、そう、些細な事だ。あんなどうでもいいことで俺達は別れるのか……
 改めて思う。なつみは俺の中でこんなにも大きな存在となっていたのか、と。

 チャイムが鳴る。だが、出る気は無い。出て行ける格好でもない。
 なおも鳴り続けるチャイムを鬱陶しく感じた。

「いないのかなぁ」

 その声に、聞き覚えがあった気がした。
 急いでドアを開ける。

「あ、小柴さんですか? すいませんが判をお願いします」

 なつみではない。分かっていたはずだった。
 それでも、一縷の望みを捨てきれない自分。
 のろのろと、判子をとりに行き、郵便物の上の紙に押す。
 俺のことをなんと思ったか分からないが、少なくとも好感は持たなかっただろう。

「……なつみが戻ってくるわけ、ないじゃないか……」

 ベッドに身を投げ、自嘲気味にそう呟く。
 しばらくすると、玄関の戸がノックされた。先程の配達員かと思ったが、どうやら違う。
 しきりにノックしても反応が無い事を知ると、ガチャガチャと鍵穴に何かを入れるような
 音が聞こえ始めた。
 流石に泥棒に入られるのは困る。よろよろと、武器になりそうなものを探す。
 とりあえず、包丁――なつみが持ってきたものだ――を持って待ち構える事にした。

 ドアが開かれる。そこにいたのは俺の良く見知った人だった。
 ――なつみ。なつみがどうしてここに?

「……許して、くれない? 明なしじゃ、やっぱ、辛いよ……」

 なつみが、俺と同じ気持ちでいてくれたことが嬉しかった。

 あの歯ブラシは、なつみの持ってきたコップと共に、幸せの象徴へと変わった。