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名前:夢のカケラ 投稿日:2004/09/05(日) 18:59
午前11時頃
『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぢい゛い゛い゛い゛』
結城隆はその日エアコンが煙を噴いて壊れたせいで3年ぶりに扇風機というものを
使っていた。八月だというのに、猛暑だというのにまったく・・・
本当にまったく冗談じゃない。そして、まるで子供のように隆は扇風機に話しかけていた。
我ながらガキくさいなとは思いはしたが、3年ぶりの扇風機にやらずにはいら
れなかった。扇風機というものにはあまりいい思い出がないのだが・・・「なにやってんだか・・・」
この4ヶ月ですでに聞きなれた声が聞こえる。隣の美貴のものだ。
四月からほとんど毎日のように聞いている気がする。気がするだけではなく、まあ
本当に毎日のように会ってるのだが、なにせ、同じ大学だし同じ学科だし隣だし。『黙れ藤本・・・エアコンが壊れたんだよ。』
「ああ、なるほどだから暑いのか。」
『そういうこと・・・』隆は振り向かずに答える。もう、勝手に入ってこられることには慣れていた。
合鍵を渡したときからこうなることは安易に予想できたはずだった。でもあの時は、まさかこうなるとは思ってなかった。
隆の態度に普通の人は少しムッとするようなものだが、彼女も慣れているのでさほど
気には留めない。「オス!結城君。」
美貴の後ろからヒョコッと顔を出して、敬礼のようなものをして挨拶したのは
美貴と同じくらいの年の少女だった。おや?っとそこで初めて隆は振り返る。
『ああ、梨華ちゃんも一緒か、ジュースでも出そうかな・・・』
それもやはり隆にとっては馴染みの顔だった。梨華は美貴と二人一緒に隆がおじさ
んから頼まれてる管理人のバイトをするマンションに暮らしていた。やはり、隆と
は同じ大学の同じ学科だった。「なにそれ?美貴に対する態度と違うくない?」
美貴はこれにはちょっと不満らしく頬を膨らませちょっと怒ったポーズをしてみた。
『やれやれ』とつぶやきながら隆は立ち上がり、キッチンに向かい
ついで、いやホントについでに美貴の膨らんだ頬を押した。ブーと美貴の口から空気が漏れて間抜けな音を出し、
隆はふわりと笑うとそのままキッチンに行ってジュースを出していた。
美貴の表情はさっきまでの怒った表情ではなくなっていた。
まあ、ポーズはポーズであって本当に怒っていたわけではないので当たり前なの
だが・・・―――――――ああ・・・ホントにもう、どうしてかな・・・
美貴は口の中でそう呟く。誰にも聞こえることなく聞かせることのない言葉だった。「ん?美貴ちゃんどうした?」
「あ、うん、なんでもない、本当に何でもない。」なんだかボーとする美貴に、不思議そうに話しかけた梨華に美貴は大袈裟に手を
振って誤魔化した。カラン・・・会話のない部屋にジュースの氷が半分くらい融けて、夏独特もいえる
心地よい音を奏でた頃、隆はもう一つのバイトに入った。『さて、本日のご用件は?』
ふわりと笑みを作りながら隆は言う。隆のもう一つのバイト、それはこの女性専用マンションの住人限定の便利屋だった。
叔父のつんくさんに管理人のバイトを任された時
「このマンションの住人は俺の娘みたいなもんや。だから、よろしく頼むわ隆。
面倒見たってや。」
と言われて渋々引き受けた仕事だった。料金は・・・タダ・・・
当の本人は、そう言い残して行方知れず。「んーやっぱりわかるか。さすがだね結城君。」
『まあ、なんとなくね。梨華ちゃんは用もないのに来ないっしょ?
藤本と違ってさ。それに、言い出しにくそうだったし。』
「なっ・・・美貴が用もないのに隆君のとこ来てるみたいな言い方しないでよ!」
『来てるじゃんかよ・・・』
「ちっ、違う、用はあるわよ。電球替えてもらったり、ご飯作ってもらったり、
ビデオ録画してもらったり、それに・・・それに、まあ色々あるの!」『全部自分で出来るじゃん』と隆は呟いたあと、まあいいかと苦笑した。
梨華もなんだかなあと苦笑する。なんだかそれは小学生のようなひどく未成熟で未
完成な関係にも見えるし、長年連れ添った成熟され完成した夫婦のようにも見える。――――――綺麗だな・・・
思わず呟くその言葉、何を見て何を聞いて何を感じて、そう呟いたのかは梨華自身
わからない。そこに含まれるなんとも言いがたい気持ち
この気持ちは何なのかな?嫉妬?――――――ダレニ?
羨望?――――――ダレヲ?
哀感?――――――ダレガ?
幸福?――――――ナンデ?
困惑?――――――ナニニ?どれもが合ってる気がするし、どれも違う気がする。よくわからない。
ただ、嫌ではない。
よくわからないからとりあえず保留にしておこうと梨華は決める。「あのさ・・・私の話聞いてくれる?」
『そうだったそうだった。藤本なんか知ってるのか?』
「ううん。梨華ちゃんに連れて来られただけだし。」はて、どういうことだろうか?言い出しにくい話で美貴に代わりに話してもらおう
という事ではないらしいが、じゃあどうして美貴を連れてきたのか?そんな悩みはお構いなしに梨華は自分のバックをゴソゴソと探り始めた。
部屋の中には沈黙。「・・・ん?あっ、あった。にひ」
奇妙な笑い声を上見つけたものを梨華は背中に隠す。
「梨華ちゃん、キショイ・・・」
「イヤンショック!でもね、でもねすごーーーーーくいい物なんだ。」
この二人は・・・まったく、本当に・・・隆にはいや、普通の人が聞いたら、とてもじゃないが親友同士の会話には聞こえな
いだろう。隆と美貴も同じようなものだが、それは男女の仲というか、ケンカするほど
仲が良いというか、なんだかそんな感じだ。違う気もするが。
しかしこの二人は・・・梨華が図太いのか美貴が上手くあしらってるのか知らないが
結局のとこ仲がいい。なにせ一緒に住んでるんだし。
詳しいことは隆は知らないが前に少し聞いたとこだと小学校からの親友らしい。い
わゆる幼馴染。「いい物?本当に?」
美貴が懐疑そうに尋ねる。
きっとたぶんいや絶対彼女のいい物はロクでもない物だ。何かたくらんで
る。そうか言い出しにくかったのはそのためか・・・
付き合いの短い隆にだってわかるのだから、美貴が気づかないはずはない。「うん。じゃーん」
口でつけた効果音とともに梨華が出したものはのようなものだった。
『「はあ?」』
口をそろえる美貴と隆。何がなんだか二人にはわからなかった。
「実はね、昨日商店街の福引で当たったんだ。男女ペア一泊二日温泉旅行券!」
「マジで?」
「デジマ。」
「いや、そんなボケはいらない。」見事なボケとツッコミ。軽やかなやり取り。これで親友だというのだから片腹痛い。
予想に反してロクでもない物でもない。むしろ、結構いいものだ。『で?それが俺に何の用?』
「鈍いなあ。一緒に行こうよ結城君。」
『え?マジで?』
「デジマ!」
「そんなボケはいらないから。」軽やか過ぎるツッコミ。だから、そこにいる誰もが気づかない言葉に含まれたわず
かな怒りと焦り。そう誰も。言った本人さえも。「それって隆君じゃなきゃダメなの?」
「うーん一応男女ペアだから・・・私、男の友達少ないし。というかいないし。」
「そりゃそうか・・・」男性恐怖症と言っていいほど男嫌い。それでも梨華はどういうわけか隆だけは怖く
ないからこうしてよく話す。梨華曰く隆は男と思えないからだそうだ。「素直になりなよ。」
「・・・なっ・・・」ニコリと悪戯っぽく梨華が微笑む。心を見透かすような笑み。それは彼女たち二人
が共に過ごした時間の長さがもたらすものであるから、隆にはわからないし、わかっ
てはいけない聖域のようなもの。彼女たちの言葉に含まれるものは想像以上の繋が
りで、言葉にならないものは創造意上の感情。それは声域を超える彼女たちの聖域。だから、なんと言うか隆には梨華の思惑も誘惑もわからないし、美貴がなぜ困惑し
混乱しているのかもわからない。二人は聖域の中でやり取りする。梨華は微笑み、美貴は言葉に詰まる。
わからないから隆は頭をボサボサとかいてみる。かいてみたところで何が変わるわ
けでもないのだが。昔読んだ小説に頭をかいて推理のひらめきを得る有名な探偵がいたのだが、これは
推理じゃない。推理する必要も必用も必然も必須も必至もないのだから。わからないものはわからない。それでいいこともある。
「美貴ちゃんさ、素直になりなよ。」
「いや、だから!」梨華は困惑し、美貴は怒ってる。
わからないものはわからない。
『梨華ちゃんさ、温泉ってどこの?』
わからないから自分は自分の疑問をぶつけるしかない。
「え?行くの?」と梨華は疑問を浮かべる。その問いに「え?ダメなの?」と隆は
返すしかない。疑問を疑問でやり取りする話のかみ合わない会話。「いや、誘ったの私だからそういうわけじゃないんだけど・・・いいの?」
『仕事だから行こうと言われたら行くしかないんだけど・・・』
「お仕事か・・・」梨華の顔にいつもと違う読み取りにくい表情が浮かぶ。いつもは割とわかりやすい
のだが。そういう顔をされるとこっちが困ってしまう。
それに対して美貴はいつもは無表情に近い顔でわかりにくい表情なのに、
明らかに曇った顔をしている。これもこれで困る。いつもと違うということはそれは非日常ということだ。
慣れていないことにはとっさの対処が出来ない。無理だ。打開策などない。
それ以前に、こんなことが日常でも打開など無理。だから、助けがほしい。助けが欲しいとき、しっかり現れるのは漫画やアニメのヒーローだ。
現実にはそんなに都合よく現れるもんじゃない。
こんなに困ってるときに現れてくれないんだから。その時、隆の部屋の呼び鈴がけたたましく鳴る。