さよならエゴイスト2
- 1 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月13日(水)01時05分58秒
- http://m-seek.net/cgi-bin/read.cgi/green/1058274072/
↑前スレはこちら。
メイン五人の話です。
- 2 名前:●10−しずく。 投稿日:2003年08月13日(水)01時07分19秒
- ポツポツと雫が音を立てながら落ちる。
ずっとその状態が続くといつしか水溜りが出来る。
――それは哀しみと言う名の水溜り。
- 3 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月13日(水)01時08分02秒
- * * *
- 4 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月13日(水)01時08分55秒
- 「雨降って地固まる…って事にはならないかな」
市井は顔を上げてふっとため息をついた。
目の前には飯田の部屋の扉がある。
先ほどから市井はずっとそこで立ち尽くしていた。
インターフォンに出た飯田の緊張した声色を聞いて既に全員が揃っている事は
判っていた。
自分の味方はどこにもいない。
一人きりで乗り切らなくてはならない、と覚悟して市井は此処へ来た。
今感じているライブ前のような緊張感を取り払う為にパチンを両頬を叩く。
気合は入った。後は進むだけだ。
「よし」と呟きながら市井が呼び鈴を鳴らすと少し間を置いて飯田が姿を現した。
不安そうな顔をして何かを言いかけた飯田の肩を軽く叩き、市井はニヤリと笑う。
「中に入る前に一つ訊きたい事があったんだけど」
「…………何?」
緊張した面持ちの飯田をわざと焦らすようにして市井は笑みを浮かべたまま、俯いた。
中にいるメンバーと顔を合わせる前に確認しておきたい事があったのだ。
この答え次第で自分の気持ちが揺らぐか、固まるかが決まる。
市井は小さく深呼吸をして飯田に問い掛けた。
- 5 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月13日(水)01時11分23秒
- 「後藤の背中の傷ってもう治ってた?」
飯田は大きな目を更に見開いた。
強張っているその顔を見て、答えが出た、と市井は心の中で呟いた。
真顔で市井は全身を硬直させている飯田の茶色な髪を一房手に取り、サラリと流す。
その間も飯田は無抵抗だった。
それを見て市井は肩をすくめる仕草をし、無言で部屋の中に入った。
思っていた通り、全員が揃っていたので市井は笑みを浮かべたがソファに座っている
三人共は目を合わそうとはせずに俯いている。
後ろからついてきた飯田すら目を伏せていたがこの微妙な空気に市井は既に
慣れてしまっていた。
ソファには空いている場所がない。
市井は後藤の隣にある鞄を手に取り、強引に腰を下ろした。
そして鞄を差し出すと後藤はぎこちない表情で何も言わずにそれを受け取る。
自分の過去を知られた事で気まずい想いを抱いているのだろうな、と思いながら
市井は何も気付いていないような顔をして飯田が差出したコーヒーを受け取った。
- 6 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月13日(水)01時12分38秒
- 一口啜ると静まり返った部屋にその音がよく響く。
自分が口を開かない限り、ずっとこの状態なのだろう、と思い、市井はソファに
座っている三人と壁に持たれて立っている飯田を一瞥してから話を始める事にした。
「忙しいメンバーなのに集まってもらって悪いねぇ」
市井なりに場を和ませようとして砕けた口調で言ってみたつもりなのだが誰も
反応しない。
それに誰一人目を合わせるどころか、顔すら上げないのだ。
予想通りだったので市井が肩をすくめていると意外にも藤本が口を開いた。
「どうして、美貴も呼ばれたんでしょうか?」
困惑しているその声を聞いて松浦と後藤が顔を上げた。
藤本の背後に立っている飯田はその背中を眺めている。
「まぁ、直接は関係ないんだけどね。
後藤に興味を持ってたみたいだから一応呼んだだけ」
「……どういう事?」
後藤は軽く首を傾げながらも藤本の告白は断ったとちゃんと話したのに、と
今にも言い出しそうな顔をしていた。
市井は俯いて誰にもばれないように一度小さくため息をつき、にっこりと笑みを
浮かべて顔を上げた。
「あたし、後藤と別れる事にしたから」
- 7 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月13日(水)01時14分21秒
- 市井のこの言葉で部屋の中の温度が一気に下がった。
それぞれの顔が強張っている。
市井だけがその反応を楽しそうに眺めていると隣で後藤が顔を伏せた。
わざわざ見て確認をするような事はしなかったが視界の隅に後藤の横顔が入り
胸が鈍く痛んだ。
それでも市井は誰かが喋り出すまでは自分から口を開こうとはしなかった。
「……どうして」
弱々しい声を出したのは意外にも松浦だった。
視線を移動させると顔面蒼白になっている。
予想外の反応に市井は首を傾げた。
「松浦はこうなる事を望んでたんじゃないの?
だからこの前後藤が圭織の部屋から出てくるとこをあたしにわざわざ
見せつけたんでしょ?」
市井が尋ねると松浦は力なく首を横に振った。
じゃあ、何の為に?と続けようとして、ある事が気になった市井は口を閉じた。
後藤は置物のように表情を殺して固まっており、藤本は驚いた顔を松浦に向けている。
問題は壁にもたれて松浦の背中をじっと見入っている飯田だ。
誰の目から見てもその表情には後悔の念が浮かんでいるように見える。
そして市井はある疑惑を抱いた。
もやもやしたものを胸の辺りで感じる。
- 8 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月13日(水)01時16分32秒
- もしかして飯田は松浦がした事を全て知っていたのではないだろうか。
二人の繋がりがよく判らないが市井はそう思った。
市井が目を細めて飯田の様子を窺っていると松浦が悔しそうな顔をして睨んできた。
「……あの時にもっと楽しくしてあげるって言ってたのはこういう事なんですか?」
「うん。そうだよ」
市井はサラリと答える。
飯田と後藤の関係をこの目で見た時も松浦の前では顔色を変えなかったが
実はそれなりに傷ついていた。
市井にとって二人は大事な存在だった。
今現在付き合っている後藤ももちろんそうだが飯田も市井にとって大きな
存在だったのだ。
飯田には何でも話し、後藤にも言えなかった本当の弱い自分も曝け出している。
そうでなくてもデビューした時からの付き合いで他のメンバーの誰よりも
信頼していた。
それなのに飯田は市井に何も話していなかった。
飯田と後藤の付き合いがいつ頃から始まったのかを市井は知らない。
しかし後藤の背中の傷を飯田は知っていた。
裸にならない限り見えない傷を。
そう思うと踏ん切りがついた。
- 9 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月13日(水)01時17分49秒
- ただ、今日までにかなりの葛藤があったのは確かだ。
だから松浦から話を聞かされても直ぐには行動に出られず、時間を必要としていた。
「あともう一個あるよ」
「……何がですか?」
恐る恐る尋ねてきた松浦に市井はニッコリと笑みを返す。
そして他の三人に視線を移動させた。
藤本は何を言うつもりだ、と訝しげな表情を浮かべている。
その後ろに立っている飯田は不安そうな表情になっており、市井の隣に座っている
後藤は石化してしまったように先ほどからずっと俯いたままだった。
長い髪が邪魔で表情を窺う事が出来ない。
「圭織と後藤が付き合ってたっていう話だけどその前にあたしと圭織は
付き合ってた」
「…………え?」
ようやく後藤が顔を上げた。
まるで顔の筋肉が機能していないかのように無表情だった。
そしてぎこちなくゆっくりと振り返り、後ろにいる飯田の顔を見た。
飯田は大きな目を見開き、顔が真っ青になっている。
手と口が僅かに震えていた。
- 10 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月13日(水)01時20分31秒
- 「あたしが卒業した頃からだったけどね。
別に好きかどうかなんてお互いに口にはしてなかったけどそれなりの関係だったよ。
今のあたしと後藤みたいな感じでね」
「…………」
「二人もそうだったのかな?
付き合ってたっていう抽象的な事しか知らないからよく判らないんだけど」
市井と後藤が付き合う前に後藤と飯田が付き合っていて、その更に前には
市井と飯田が付き合っていた。
しかしこの事を最初から知っていたのは全てに関わりがあった飯田しかいない。
ややこしい話だ。
市井ですら全てを把握出来ていないので混乱しそうになる。
全く関係がない松浦と藤本には少し判り難い話かもしれないと思ったが二人は
険しい目つきで市井を見ていた。
個人の付き合いを他人がいる所で楽しそうに暴露する市井の気持ちが理解出来ない
ようだ。
しばらくして飯田が「それは違う」と搾り出すような声を漏らした。
「圭織とごっちんは何もなかったよ。
手を握るっていう一昔前の中学生みたいな付き合いだったから。
もちろん今は付き合ってないし」
「口では何とでも言えるよね」
- 11 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月13日(水)01時23分51秒
- 「嘘なんてついてない!……大体、お互いに恋愛感情なんて……なかったんだから」
挑発に乗ってしまった事に途中で気づいたのか、飯田の声は徐々に小さくなっていく。
市井にとって飯田が言った言葉が本当かどうかなどという事は全く興味がなかった。
むしろ今は自分がどうしてわざと怒りを買うような事を口にしているかという疑問を
周りに持たせないように細心の注意を払っていたのだがそれまで黙り込んでいた藤本が
眉間にしわを寄せて話に割り込んできた。
「ちょっと待って下さいよ。それって付き合ってるって言うんですか?」
「言わないかもね」
市井がサラリと答えると藤本はますます怪訝そうな顔になった。
「なら、別にいいじゃないですか。
ごっちんと飯田さんが過去にどうしてたかなんて。
二人が本当に深い関係だって言うのならいい気分じゃないだろうけど」
「もちろん二人がどういう関係だったかって事をどうこう言うつもりなんてないよ。
ただ興味があっただけ。
それに後藤があたしと圭織の付き合いを知った方が嫌な気分になるだろうしね」
- 12 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月13日(水)01時25分25秒
- 「はぁ?!なら、どうしてわざわざ自分からそんな話するんですか?
別れる事にしたからって別に言わなくてもいい事なのに!」
まるで自分の事のように藤本は突然怒り出した。
元々、自分に対して特別な感情を持っていない上にわざと後藤を傷つけるような
言動を口にしているのが許せないのかもしれない、と市井は思ったのだが
違ったようだ。
松浦が黙り込んだまま、藤本を一瞥すると「ゴメン。人の事言えなかった」と
申し訳なさそうに呟いて黙り込んでしまった。
二人の関係がよく判らなかったが今市井が相手にすべき人間は藤本ではない。
市井は隣に座っている後藤に視線を向けた。
サラサラの髪を手に取ると後藤の身体がピクリと動いた。
「後藤。何か言いたい事とかないの?」
「…………」
「あたしと圭織の事、知らなかったんでしょ?」
「……何も言う事なんてないよ」
後藤はボソッと呟き、無表情で立ち上がった。
怒っているのか、ショックが大き過ぎて表情を作れないだけなのか、市井が
判らずにいると後藤はそのまましっかりとした足取りで外へ出て行ってしまった。
- 13 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月13日(水)01時28分48秒
- ソファに後藤の鞄がポツンと残っている。
その事に誰よりも早く気づいた藤本は鞄を手に取り、一度は玄関へ向かおうとしたが
直ぐに足を止めた。
振り返って市井達の顔色を窺っている。
市井がニヤニヤしていると藤本はギロリと睨んできた。
それでも市井は表情を変えない。
「追いかけるのなら早く行ったら?後藤、足早いから見失っちゃうよ?」
「……本当は市井さんが行くべきでしょう?」
「さっきも言ったじゃん。別れるんだって。追いかけた方がおかしくない?」
「…………」
「それにまだ後藤の事を諦めてないんなら今がチャンスだよ?
その為に呼んだようなもんだし。っていうか、早く追いかけて」
市井は真剣な面持ちで藤本を見た。
思ってもみない言葉を聞かされ、藤本は目をパチクリとさせている。
藤本の性格を全て把握しているわけではないが後藤の事を少しでも気にかけている
人間に今後の事を任せたかった。
後藤を傷つける人間は自分一人で十分だ。他にはいらない。
- 14 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月13日(水)01時30分34秒
- そんな市井の心情など知る由もない藤本は険しい顔で市井を一瞥して、その後
松浦の表情を窺っていた。
つられて市井も見てみると松浦は両手で頭を抱えてうな垂れている。
頭痛でもするのだろうか、と市井は的外れな事を思っていた。
「……美貴はとっくにごっちんの事は吹っ切ってる。
追いかけるのは友達として心配だからです!」
藤本はギリッと歯軋りをして、外へ出て行った。
これで藤本とは仲良くする事など一生ないのだろうな、と市井はため息を
ついていると松浦がポツリと呟いた。
「…………どうして、教えてくれてなかったんですか……、飯田さん」
その言葉を聞いて飯田はハッと顔を上げた。
逆に松浦は先ほどから体勢を変えていないが小刻みに身体が震えている。
そして顔を上げると眉をつり上げて飯田を睨んだ。
憔悴し切っている飯田はその視線から目を逸らさず、弱々しい声を出す。
「……話すって何を?」
- 15 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月13日(水)01時33分18秒
- 「ふざけないで下さい!市井さんとの事ですよ!
こんなに重要な事を話してくれてなかったなんて。
おかげで全部水の泡じゃないですか!
こんなにややこしい事だって最初から判ってたらもっと違う方法で……っ」
そこまで言って松浦は慌てて口を塞いだ。
そして市井の顔を見て、しまった、と顔をしかめる。
市井は表面的には何事もなかったかのように装いながらも頭の中では二人の関係に
ついて考えていた。
先ほども思った事だが、この様子だと間違いなく二人は何かで繋がっている。
しかし一体何を企んでいたのだろう。
大体二人の仲が良いようにも見えない。
藤本と飯田はまだ判る。
娘。メンバーとなる藤本は他の六期メンバーと一緒にリーダーの飯田から
教育される身だ。
それにそれまでもライブで一緒になる事もあっただろうし、同じ北海道出身という
事で仲良くしていてもおかしくはない。
しかし松浦の場合、何も当て嵌まらない。
市井は松浦に問い掛けた。
「そろそろ教えてくれない?二人がどういう関係なのかを」
- 16 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月13日(水)01時34分42秒
- 二人は口を開こうはせずにそれぞれが視線を逸らしていた。
市井がもう一度同じ事を尋ねようと口を開きかけた瞬間、飯田がその場に崩れ落ちた。
腰が抜けたようにその場に座り込んでいる。
その姿をチラリと見て市井はもう一度松浦に尋ねた。
「何が目的なのかは知らないけど松浦は後藤を傷つけたかったわけじゃないの?」
「…………」
「あたしと別れさせたかったんでしょ?」
「それは……、微妙に違います」
松浦は力なく答えた。
何が違うと言うのだろう。
松浦が後藤と飯田の事を言わなければここまでしなかったかもしれない、と
一瞬思ったがやはり最終的には同じ結論に至っていたはずだ、と市井は自分に
言い聞かせた。
「私はごっちんを助けたかった……。
だって、ごっちんはずっと悩んでたみたいだから」
「助けたかった?」
「市井さんとの付き合いが問題だったとしか考えられないんです。だから……」
「問題って……、松浦に何が判るって言うのさ……」
- 17 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月13日(水)01時36分35秒
- 人聞きが悪い、と思いつつもあながち間違いではないと市井は思った。
しかし松浦は自分達の事情を全て把握しているわけではないはずだ。
自分と飯田の関係も知らなかったくらいなのだから。
そんな人間にそこまで言われる筋合いなどない、と市井が内心ムッとしていると
松浦は重そうに頭をゆっくりと振った。
「飯田さんから聞いた話だとごっちんは市井さんの事を本当に好きなのかどうか怪しい
感じだったし、ごっちんの事を想うと市井さんとは別れた方がいいんじゃないかって」
「ちょ、ちょっと待ってよ。最初は別れさせるなんて言ってなかったじゃん!」
慌てて飯田が口を挟んできた。
それにしても松浦は市井を目の前にして随分酷い事を言っている。
しかし本人は全く気づいていない様子だった。
心の余裕がなくなっているのかもしれない。
床に座り込んでいた飯田も同じ事を感じ取っていたのか、立ち上がって松浦の横に
座り、心配そうに背中を繰り返し優しく撫でていた。
しばらくその状態が続いていたが市井は黙ってその様子を見守っていた。
- 18 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月13日(水)01時38分20秒
- 今の松浦は普通ではない。
ちょっとした錯乱状態に陥っている。
そして飯田もこの状態では何も語ってくれないだろう。
二人が後藤の為に何かをしようとしていた事だけは判るがそれだけだ。
市井は諦めて立ち上がり、そのまま部屋を出た。
いつの間にか雨は上がっていた。
しかし市井の心の中は晴れない。
むしろ来る前よりもどんよりとした厚い雲が覆っている。
「雨降って地固ま……らなかったなぁ」
ブツブツと呟きながらマンションの外へ出ると後ろから腕を捕まれ、市井は
飛び上がった。
胸を抑えながら振り返ってみると腕を掴んでいたのは藤本だった。
手には後藤の鞄がある。
「……ビックリした。驚かせないでよ。結局後藤に逃げられたの?」
「…………」
「追いかけてって言ったのに」
市井が舌打ちをして呟くと藤本は頬を膨らませた。
今頃、後藤は一人で何をしているのだろう、と市井はぼんやり思った。
自暴自棄に陥っていなければいいのだが。
いや、今は逆に誰かが傍にいない方がいいのかもしれない。
それにしても今日は自分自身に言い聞かせてばかりだな、と市井がこっそり
苦笑いしていると藤本がボソボソと口を開いた。
- 19 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月13日(水)01時39分39秒
- 「逃げられたっていうか……、もう近くにいなかったから市井さんを待ってたんです」
「あたしを待ってた?」
きょとんとして市井は改めて藤本の顔を見た。
真剣な表情で市井を睨むような眼差しを向けている。
藤本が掴んだ手を離そうとはせず、更に力を入れてきたのでさすがに市井は
顔をしかめた。
「……手、離してくんない?」
「どうしてあんな事言ったんですか?」
「あんな事って?」
「飯田さんとの事です!」
市井がとぼけているのだと思ったらしく、藤本は不機嫌そうに声を荒げて叫んだ。
別に話を逸らそうとしたわけではない。
本気で何の事か判っていなかったのだ。
市井は強引に腕を払い、ため息をつきながら長袖のしわを撫でた。
「またその話?別に藤本には関係ないんだからどうでもいいじゃん」
「市井さんが美貴を呼んだんですよ?もう無関係じゃないでしょう」
「……まぁ、それはそうか」
- 20 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月13日(水)01時40分29秒
- しまったなぁ、と市井は頭を掻いた。
いたずらに他人を呼ぶべきではなかったかもしれない、と今頃後悔する。
巻き込んだからには説明をしない限り納得してくれないかもしれない。
気が強そうな藤本だ。
簡単に逃げ切る事も出来ないような気がして市井は苦笑いを浮かべた。
「立ち話も何だから、どっか入ろうよ」
- 21 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月13日(水)01時41分26秒
- 長くてすみません。
ややこしくてすみません。
- 22 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月13日(水)01時42分39秒
-
- 23 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月13日(水)01時43分34秒
-
- 24 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月13日(水)05時13分27秒
- もどかしい…
- 25 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月13日(水)21時28分19秒
- 面白い。くやしい
- 26 名前:218 投稿日:2003年08月14日(木)00時58分14秒
- 新スレおめでとうございます。
うーん? あいつはこいつをああ思っていて、そのことをこの人は知っているからあの人にあんなことをしている、というのをこの人が望んでいて、だからその人にこの人が近づいて……
こんがらがってきたー。また最初から読み直そう…
すっかりはまってしまってます、この世界に。
- 27 名前:ななし 投稿日:2003年08月15日(金)02時15分12秒
- 何時間か掛けて一気に読みました。
みきあやということで読み始めたのですが、
カップリングがどうのこうの以前に
すんごい引き込まれましたよ。
美貴たんがどう出るのか楽しみです。
そして個人的にはあやや頑張って状態ですw
- 28 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月15日(金)12時32分49秒
- 気がついた時には上半身がずぶぬれになっていた。
前髪からポタポタと膝の上に落ちる雫を眺めながら市井は呆然としていた。
「……席につくなり、水かけられるなんて……。
あたしって傍から見たら浮気がバレた男みたいだね」
あれから飯田のマンションの近くにあった古くてこじんまりした喫茶店に
二人は入った。
店内は薄暗く、空調も効いていないのか、全体的に陰気なものを感じさせる。
カウンターとテーブルが三つしかないこの店には客の姿がなく、閑散としていた。
ウエイトレスらしき人もおらず、おしぼりと水を持ってきた愛想のないひげ面の
店長に藤本は注文は後にする、と言い、直ぐに追い払ってしまった。
そしていきなり市井に向かってコップの水をかけてきたのだ。
カウンターの中に戻っていた店長も驚いて硬直していた。
「貴方のそのにやけた顔が嫌いなんです。いい加減に本性現したらどうですか?」
「まさか生まれ持ったこの顔に文句言われるとは……ね。
っていうか、本性って何の事よ?」
「前から市井さんって自分の意志を持ってない人だと思ったけど
それは表情で誤魔化されてるような気がしてたから」
- 29 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月15日(金)12時34分07秒
- 松浦と言い、どうして本人を目の前にしてこうもズバズバと言えるのだろう、と
市井は内心こっそり思っていたが文句を言うと話が長くなる気がしたので黙り込み
おしぼりを使って濡れた場所を拭っていた。
火に油を注ぐような事は避けたい。
明らかに今の藤本は頭に血が上っている。
しかし何故藤本はこれほどまでに怒っているのだろう、と市井は首を傾げながら
今日は化粧を薄くしておいて良かった、と水をかけられても平常心を保ち続けていた。
「美貴がごっちんの事が気になってるって言った時も選択権は自分じゃなくて
ごっちんにあるって言ってたじゃないですか。
市井さんの気持ちはどうなんですか?ごっちんの事好きじゃないんですか?」
「そんな話、よく覚えてたね。藤本って学生時代、暗記物得意だったんじゃない?」
藤本が乱暴にテーブルを叩いたので市井は首をすくめた。
カウンターの中にいる店長は迷惑そうに顔をしかめていたが、やがて諦めたように
背を向けた。
殺気立っている藤本に睨まれ、市井は苦笑いを浮かべる。
これ以上、話を逸らすと今度は水ではなく、手が飛んできそうな雰囲気だ。
- 30 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月15日(金)12時35分20秒
- 正直なところ、今の自分の気持ちを誰かに聞いて欲しい気分にもなっていた。
全てを抱え込めるほどそんなに強い人間ではないし、今までその役をしてくれて
いた飯田にはもう頼れない。
それにもう芝居をする必要などないのだ。
偽者の自分を演じる必要などない。
飯田の部屋を出た時点で既に箍が外れてしまっていた。
市井はカウンターに声をかけてコーヒーを二つ注文してから「別にいいよね」と
藤本に微笑みかけた。
そしてコーヒーが届くまで濡れたところを拭いたり、ぼんやりと店の外を
眺めたりしていた。
黙り込んでしまった市井を見て藤本はますます不機嫌になっている。
それでも市井は口を開かなかった。
ようやくコーヒーが届いてから市井は身体を温めた。
これで心が落ち着いた。ちゃんと話す事が出来そうだ。
ソーサーにカップを戻しながら市井は口を開いた。
「さっき松浦に逆の事を言われたよ」
「逆?」
「後藤があたしの事を好きじゃなかったんじゃないかって」
「……それは美貴には判らないけど」
- 31 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月15日(金)12時36分50秒
- 「結局さ、あたしと後藤って中途半端な付き合いだったんだよね。
お互いに信じ合う事が出来てなかったんだと思う。
後藤はあたしに隠し事してたわけだけど、あたしだって何もかも
話してたわけじゃないから」
「……でもそれは当たり前じゃないですか?
誰だってある程度の秘密は持っててもおかしくないでしょう?」
「うん。そうだね」
市井はコーヒーを啜りながら湯気の向こうで眉を寄せている藤本を眺め
自分の感情を表に出しやすい人間だな、と改めて思った。
「でもあたしはそんな関係を続けるわけにはいかなかった」
「……だから別れ話をしたんですか?」
「そうだよ」
「じゃあ、やっぱりごっちんの事好きだったんですね?」
「それはどうかな……。自分でもよく判らない。
でもちゃんと後藤の口から圭織との事を聞きたかったのかもしれないなぁ。
まぁ、人の事は言えないんだけど」
市井が他人事のように呟くと藤本は軽く首を捻った。
どうして自分の気持ちが判らないのだ、と言いたそうな顔をしている。
- 32 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月15日(金)12時38分42秒
- 実は松浦から話を聞かされる前に市井は別れを決心していた。
後藤との関係に終止符を打つ覚悟がまだ出来ておらず、ずっと先延ばしに
していただけだった。
以前、市井は飯田との事を後藤に何度か話そうと思った事がある。
しかしそれは過去の話でしかなく、わざわざ言うまでもない、と思い直した。
そして市井の後藤への想いも曖昧だったが後藤の態度すら理解出来ないものに
変わっており、たまに様子がおかしいと指摘しても適当に誤魔化される。
表向きには心を開いているようで実はそうではないと感じ取っていたが
市井も人の事は言えない立場だったので気付かない振りをするしかなかった。
徐々に訊きたい事、話したい事、それらの感情を全て抑え込むようになり
何も話せなくなってしまった市井は情けない自分の姿を後藤の目の前に
曝け出す勇気までも無くしてしまった。
しかし市井は後藤がまだ自分に隠し事をしている事に気付いていた。
そして市井もまだ後藤に隠し事をしていた。
今の二人ほど曖昧な関係はない。
信頼関係を築けない二人が一緒にいても時間の無駄だ。
- 33 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月15日(金)12時40分07秒
- それに市井にとって逆に悪影響が出そうだった。
自分をますます追い込んでしまうような気がしたのだ。
「だからさ、松浦にはいいきっかけを貰ったと思ってる。
あたしは弱虫だからね。自分からはなかなか行動出来ないんだ」
「…………」
「藤本が後藤の事をまだ想ってるのなら任せようと思ってたんだけど……。
残念ながらそうじゃないみたいだね」
「ごっちんは物じゃないし」
「それはそうだけどさ」
藤本はため息をつき、不愉快そうな顔をして乱暴に鼻を掻いている。
それを見て市井は苦笑いしていた。
まだ時折前髪から水滴が落ちている。
水分を含んだ服が肌に張りついてクッキリと形を見せている腕をぼんやりと
見下ろしていた。
それでも市井は拭う事をしなかった。
疲れ果ててしまったのだ。
芝居をする必要がなくなってしまったら急にドッと疲れが出てきた。
- 34 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月15日(金)12時42分23秒
- 今までは失う事が怖かった。
恋愛もそうだが仕事などでも偽りの自分を演じ、裏では怯えてばかりで
前に進む勇気を持てずにいた。
一度躓いた人間は慎重になり、心の中に境界線を作ってしまうのだ。
この線から超えてしまったら取り返しがつかない事になってしまうに違いないと
思い込み、結果を出す前に逃げてしまう。
前進をしない代わりに後退もしない。
ただその場で立ち尽くしているだけの状態。
しかしいつの頃からか、本当にそれでいいのだろうか、と市井は思うようになった。
そもそもどうして自分は後藤と付き合おうと思ったのだろう、という初歩的な
疑問まで出てきた。
今では本当に後藤の事が好きかどうかも判らない状態だというのに。
答えはただ一つ。
誰かが傍にいてくれる安心感という名の心の拠り所を求めていただけだ。
今にして思えば別に後藤でなくても代わりになってくれる相手が存在するのならば
誰でも良かったのかもしれない。
- 35 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月15日(金)12時43分20秒
- 告白されたから付き合っていただけだけで後藤と付き合うまでは飯田に同じ役を
求めていた。
飯田相手だと年下の後藤とは違って自分の悩みを包み隠さず話せたので余計に
甘え切っていたところがある。
しかし飯田がどう思っていたのかは未だに判らない。
それでも市井は頼れる相手が傍にいるのなら別に構わなかった。
そういう意味で飯田との関係は後藤の時以上に曖昧なものだった。
市井が後藤と付き合う事になったと伝えた時も飯田の反応は実にアッサリした
ものだった。
文句を言われるか、もしくは引き止められるか、どちらかの行動を取ると
思っていたのにも拘らず、飯田は何も言わずに笑顔でさよならを言ったのだ。
予想外の反応で市井は拍子抜けしたものだった。
徐々に市井は後藤に対して申し訳ない気持ちが湧いてきた。
自分は何も返せない。後藤が望んでいるものを与える事など出来ない。
何故なら二人の気持ちが重なる事などないと判っていたからだ。
そして飯田との関係を知った。
- 36 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月15日(金)12時44分40秒
- カチャンという硬質な音を耳にして市井は我に返った。
それは藤本がカップをソーサーに戻した音だった。
コホンとわざとらしい空咳をして市井は話を続ける事にした。
「でもさ、後藤は周りに恵まれてるね。
あたし、仕事関係の話とか余りしてなかったから事情がよく判って
なかったんだけど今回の件でちょっと安心したよ」
「安心って何がですか?」
「藤本もそうだけど、圭織や松浦にまで心配されてるわけでしょ?
仲間っていいなーと改めて思っちゃったよ。
まぁ、そのお陰であたしが離れても後藤は大丈夫だろうなって思ったんだけど」
後半は茶化すような口調で市井が呟くと藤本は苦虫を噛み潰したような顔になり
小声で「心配したくてしてるわけじゃない」とボヤいた。
市井はこうして藤本と話している事で徐々に自分の心が冷え切っていくような
気分を味わっていた。
終わった話をしているという実感。
数分前までは現在進行形だったものが今では過去の話になっている。
その事に気づくと胸の中に空洞が出来ているような感覚に陥ってしまった。
ポッカリと空いた穴。
市井はテーブルの下で自分の手首をギュッと握った。
- 37 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月15日(金)12時47分02秒
- 「そういえば、飯田さんの事憎んでるんですか?」
藤本の問い掛けに市井は身を硬くした。
冷静に考えなくても何も話してくれなかったという裏切りに対する悔しさはある。
松浦から二人の話を聞かされた時もまさか過去に付き合っていた相手が後藤と
被っているとは思ってもみなかったのでそれなりに驚き、怒る権利など自分には
ないのだと頭で理解しようとしても気持ちがついていかず、悶々とした日々を
おくっていた。
一緒に活動していた頃のメンバーとの付き合いが殆どなくなっている市井にとって
傍にいる人間はあの二人だけだった。
しかし蓋を開けてみればそれぞれが何らかの秘密を抱えている関係だった。
飯田は表向きには味方のように装っておきながら自分と後藤にそれぞれ違う
隠し事をしていたのだ。
自分は飯田を信頼して何もかも話していたというのに。
絶対に裏切られる事はないと信じていただけにショックも相当大きかった。
松浦とコソコソ裏で何かをやっていたのも後藤とよりを戻したいと思っているから
ではないだろうか、という考えが市井の頭の中に過ぎった。
- 38 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月15日(金)12時49分44秒
- この仮説が事実だったとしても面と向かって正直に全てを打ち明けてくれさえすれば
飯田の望み通りにしていたのだ。
後藤と自分が別れ、二人が付き合う事になれば淋しさは感じるだろうが
友達としての付き合いを続ける事が出来るのなら市井はそれで構わなかった。
だから今のように信頼関係が崩れてしまった事が酷く哀しく思えた。
自分の付き合い方に問題があったのだと判ってはいる。
それに相手に好意を持っていない状態で見捨てられたくないと思うのは
ただの我侭だ。
だから市井は別れを選んだ。
何も知らなかった後藤に飯田との事を暴露したのは嫉妬していたからだ、と
思われても仕方が無いし、否定も出来ない。
言わなくていい過去の話を口にしたのだから後藤だけではなく、飯田も傷ついただろう。
しかし二人の事が完全に嫌いになったわけではなかった。
自分で傷つけておきながら今頃後藤は何をしているのだろう、と心の何処かで
気にかけている。
傷つけたいし、傷つけたくない、という相反する複雑な想いを抱えているのだ。
隠し事をしていた飯田の気持ちも少しは理解が出来る。
はっきり判っている事と言えば、自分が一番悪いという事だけだった。
- 39 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月15日(金)12時50分57秒
- 自分は勝手な人間だと市井は自嘲していた。
一度自分の身の回りをリセットする必要がある。
誰かに頼ろうとする弱い自分と決別する為にもこの選択しか残されていない。
もう前に進む事を選んだのだ。
市井は先ほどからずっと力を入れて手首を握り締めていた手をゆっくりと解いた。
そして真っ赤な手形が出来た跡をぼんやりと眺めていると静かな店内に携帯の音が
鳴り響いた。
市井からの返答を待っていた藤本は渋々鞄から携帯を取り出し、ディスプレイに
表示された相手の名を確認して顔をしかめる。
しばらくして藤本が話している相手がマネージャーだという事に気付いた市井は
大きくため息をつき、テーブルの上にある冷めたコーヒーに視線を落とした。
白いカップの中にある茶色液体に映った自分の顔がとてもやつれて見える。
市井は目を閉じて緩くかぶりを振った。
胸の内にある不透明な気持ちを外に吐き出す為にもう一度大きく息を吸い込む。
これ以上、色々考え込んでも疲れるだけだ。
ゆっくりと息を吐き出し、目を開けると藤本が「はいはい」と適当に相槌を打って
舌打ちをしながら乱暴に携帯を切る姿が見えた。
- 40 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月15日(金)12時52分58秒
- 「仕事?」
「はい……。今、モーニングさんのフリを覚えるレッスンしてるんで……」
浮かない表情で藤本はコーヒーを煽った。
保田のラストライブが近づいている。
それは藤本が初めて娘。として活動を始める日でもあった。
一人で活動していた藤本にとって今更グループの一員として活動する事の意味など
なかなか見出せないものなのかもしれない。
そんな状況では卑屈になるのも仕方がないと他人事ながら市井は思った。
「あたしは藤本と逆の立場だけどさ。だからこそ言える事があるよ」
「何がですか?」
「あたしはさ、メンバーと一緒に仕事するのが嫌で娘。を辞めたわけじゃ
ないんだよね。自分の我侭で辞めただけ。
今にして思うとタイミング間違ってたなーって思ってるけどさ」
「……市井さんの思い出話に付き合ってる暇ないんですけど?」
「まぁまぁ、もうちょっとだけ待ってよ」
市井は焦らすようにコーヒーをゆっくりとした動作で飲んだ。
それを見て藤本はテーブルの上で指をコツコツと鳴らしながらぐっと耐えていた。
- 41 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月15日(金)12時54分29秒
- 「今はユニットとして活動してるけど女はあたし一人だから事実上一人みたいな
もんなんだよね。周りに競い合う人がいないからもう自分との戦いになっちゃう。
ソロと同じだよね、これって。
あたしが娘。にいた頃は今ほど人数はいなかったけど周りのメンバーと
競い合いみたいな事をしてた。あの子には負けたくないーって感じでさ」
「…………はぁ」
気の抜けた返事をされても気にせず市井はカップのふちを人差し指で撫でながら
藤本とは目を合わせずに話を続ける。
「あたしの場合は明日香がいなくなってチャンスだと思ったわけ。
それまであたしはずっと目立たない存在だったけどその甲斐あって
卒業する頃には世間的にかなり名前も覚えて貰えたんだよね」
「……それがどうしたって言うんですか?」
藤本は訝しげな顔をして首を軽く傾げる。
お前なんかにお説教される筋合いなどない、とでも思っていそうだ、と
市井は薄く笑った。
「だからさ、藤本が今後ずっと唄を歌っていきたいって思ってるんなら
娘。に入るのはいいチャンスだって事が言いたいんだよ」
「何がチャンスなんですか?」
- 42 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月15日(金)12時57分41秒
- 「目立ってるメンバーから盗めるものは盗めばいいし。
そうでないメンバーを見たら何が原因なんだろう、自分も気をつけよう、とか
思ったりしてさ。近くに自分の可能性であるサンプルが沢山いるんだもん。
それを利用しない手はないよ。
まぁ、仲良くする為に最初は気を遣う事もあるだろうけど別に初対面ってわけ
じゃないんだし」
「…………」
藤本は相変わらず胡散臭そうな目をして市井を見ていた。
特におかしい事は言っていないはずだ。
アンタの話など聞く耳を持たない、早く戯言から開放されたいとでも
思っているのだろうか、と市井は思っていたが違っていた。
「どうして、そんな話を美貴にするんですか?
市井さんには何の得にもならないでしょ?」
「そりゃ、あたしにはどうでもいい事だけどさ」
確かにどうして藤本にこんな話をしているのかが市井自身にもよく判らなかった。
助言をする必要などない。
ただ、真っ直ぐな性格をしている藤本が羨ましいと思っていた。
- 43 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月15日(金)12時59分23秒
- 藤本なら今の自分のようにわざわざ曲がりくねった道を選ばず、自分なりの
やり方で難題にも正面からぶつかって行く気がする。
それだけ強い意志を感じるし、自分に自信を持っているように見えるのだ。
何となく市井は藤本が過去の自分に似ているような気がしていた。
だからこそ、市井は言いたかった。
「娘。に入る事で藤本の未来が閉ざされたと思ってるのなら大間違いだって事が
言いたかったんだよ」
今なら素直にそう言える。
娘。を自らの意思で辞めた人間だからこそ言えるのだ。
娘。にいたから今の自分がある。
唄を歌う事が出来る。
たとえ立ち往生している状態だとしてもこの世界にいれる事が出来るのは
過去の自分のおかげだ。
違う道を選んで最初から一人で活動していたとしたら今の自分なんて
あっという間に見切りをつけているだろう。
格好が悪くても、もがき続けても、前に進む為に努力をしようと思えるのは
やはり娘。で一生懸命活動していた過去があるからだ。
それを藤本にも判って欲しかった。
そして仲間を信じて欲しかった。
自分にはもう手に入らない仲間を。
- 44 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月15日(金)13時00分51秒
- チラリと腕時計を見て市井は立ち上がった。
慌てて藤本も立ち上がる。
いい加減に外へ出ないとまた藤本のマネージャーから連絡がきそうだ。
「今日は色々とゴメンね」
「いえ、こっちこそ……」
今頃、水をかけてしまった事に対して申し訳ないという気持ちが出てきたのか
藤本は鞄からハンカチを取り出した。
そしてそのまま市井に差し出す。
しかし無表情で謝罪の言葉は出てきそうにない。
藤本らしい、と市井は笑い、手を振って断った。
会計を済ませる時に不機嫌そうにしている店長の顔を見て自分達が座っていた
テーブルを水浸しになってしまった事を謝ろうかと一瞬考えたが結局市井は
愛想笑いで誤魔化した。
二度と此処に来る事はないので許して欲しい。
そう思いながら外へ出た。
アスファルトの濡れた匂いが鼻腔に届く。
空は鉛色のどんよりとした分厚い雲が広がっている。
「時間大丈夫?」
「何とか間に合うと思いますけど」
「そっか。でも今日は本当に有難う。藤本には感謝したいくらいだよ」
「……感謝って何が?」
- 45 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月15日(金)13時01分30秒
- 「丁度話を聞いてくれる相手が欲しかったんだ」
「そんな事で美貴は感謝されるんですか?」
パチパチと瞬きを繰り返している藤本をぼんやり見ていると頬に冷たいものが
当たり、市井は空を見上げた。
ポツポツと細かい雨が降り出していた。
今日はずっと雨なのかもしれないな、と思いながら市井は肩をすくめた。
後藤が晴れ女だった事を思い出したのだ。
誇らしそうな顔をして自分のライブの日は雨が降らないと言っていた事がある。
しかし全てもう思い出でしかない。
ふいに鼻の奥がツンとして市井は鼻を啜った。
失ったものは二度と取り戻せないだろう。
それは自分に本当にとっていい事なのか、悪い事なのか。
そんな事を思っているとある事に気づいた。
「そういや、松浦と喧嘩でもしてるの?」
「……え?」
藤本が初めて動揺を見せた。
視線を逸らし、黒目をキョロキョロと忙しなく動かしている。
- 46 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月15日(金)13時03分37秒
- 「仲がいいって聞いてたのに二人の様子がおかしかったからさ。
何かあったのかなーと思って」
「……別に大した事じゃないです」
本格的に雨が降り出したので二人は手にしていた傘を広げた。
バラバラと傘の上で跳ねる雨音が聞える。
雨と共に藤本のため息が落ちた。
「よく判んないけど藤本にとって松浦が本当に大切な友達なら悩んでないで
行動したらいいじゃん。どうでもいい相手ならこんなに悩んでないでしょ?」
その言葉を聞いて何かを思い出したかのように藤本は俯き加減だった顔をパッと
上げた。
真剣な表情で見つめられて市井は戸惑った。
「市井さんは後悔してますか?」
後悔……、何に対しての後悔だろう、と一瞬途方に暮れかけたが
やがて藤本が言っている意味を理解して市井は手にしていた傘をそのまま肩に
もたれさせた。
角度を変えると激しくなった雨を全て受け止められずにそのまま頬に当たる。
それでも藤本に水をかけられ既に濡れていたので気にならなかった。
- 47 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月15日(金)13時05分37秒
- 藤本が口にした言葉の意味は後藤と飯田を失った事を意味している。
自ら二人を遠ざけてしまった事に後悔していないのか、という疑問を口にしたのだ。
二人に憎まれていても文句は言えない。
それだけの事をしたのだから。
自分の意志でそうしたのだから答えは簡単だった。
二人共が黙り込んでしまったので雨音がやけに耳につく。
雨が激しくなって足元に泥が跳ね上がっている。
その様子を眺めながらジーンズをはいてきたのは間違いだった、と
どうでもいい事を市井は思った。
そして気がついた時には今まで思っていた事と正反対の事を口にしていた。
「あたしはいつでも後悔しっぱなしだよ」
相変わらず、自分は後ろ向きだ。
色々思い悩んで口にする言葉よりも自然と口から出る言葉の方が真実なのかも
しれない。
頬を伝った雫を拭おうとはせずに市井は苦笑いを浮かべた。
- 48 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月15日(金)13時07分40秒
- >> 24さん
もうしばらくこの状態が続くと思います。すみません。
>> 25さん
有難うございます。
>> 218さん
確かに混乱しますよね。
書いてる側も登場人物も混乱してますので……。
>> ななしさん
一気読み、ご苦労様です。有難うございます。
藤本さんはこんな事をしました。
- 49 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月15日(金)13時08分10秒
-
- 50 名前:10−しずく。 投稿日:2003年08月15日(金)13時08分53秒
-
- 51 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月15日(金)21時10分21秒
- これこれ、このダサさこそ市井ちゃん
- 52 名前:218 投稿日:2003年08月16日(土)00時33分25秒
- ああ、そうだった。市井はそう言えばこんな感じだったんですよね、前も、部屋のベッドでクッションに顔を埋めて…。
しかし、しょぼくれ具合がなぜかハードボイルドだなー。雨に打たれて、かっこいい。
で、これからどうなっていくか。楽しみです。
- 53 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月16日(土)00時47分53秒
- なんかタイトルの意味わかった。
作者さんうまいねー。思わずニヤッとしちゃったもん。
話もすごく面白いし、これからの展開も楽しみです。
がんばってください
- 54 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月16日(土)19時01分00秒
- 友達はいますか。
それは貴方にとって大切な人ですか。
――今ならハッキリと答えられる。
- 55 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月16日(土)19時01分43秒
- * * *
- 56 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月16日(土)19時02分55秒
- 市井と別れてから藤本はその足でダンススタジオに向かった。
予定されていた時間よりもかなり過ぎていたので姿を見せた時には先生に激しく
叱られたがそれでも藤本は上の空だった。
頭の中が麻痺してしまっており、結局レッスンは一度も誉められる事なく終わった。
スタジオを出た時には既に陽が暮れていたが雨はまだ降り続いている。
さすがに一日中降られるとウンザリしてしまう。
傘を差して駅に向かう途中、藤本はおもむろに鞄から携帯を取り出した。
レッスン中にずっと気になっていた事がある。
あの後、飯田と松浦はどうしたのだろう、という事だ。
それに後藤も何処へ行ってしまったのだろう。
三人共仕事に行ったのだろうか。
それぞれのスケジュールを把握しているわけがないのでよく判らないが皆忙しい身
なので飯田のマンションに滞在出来る時間は短いはずだ、と藤本は思った。
とりあえず藤本は後藤の携帯にかけてみた。
しかし直ぐに留守番電話サービスに繋がってしまう。
こういう時にグループで活動していたら代わりに一緒に行動している人間へ連絡
出来るのに、と藤本は舌打ちした。
- 57 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月16日(土)19時04分03秒
- そして他の名前を探す為に携帯を操作してピタリと手を止める。
表示されているのは松浦の名前だった。
しばらくその名を見下ろしていた藤本は盛大にため息をつく。
そして自分を追い越していく車のテールランプの赤い灯りに誘われるようにして
歩き出した。
藤本は飯田のマンションにいた時の松浦の様子を思い出していた。
何がしたかったのかは結局まだよく判っていないがあの様子だと市井に予定を
狂わされたのだろう。
様子がおかしかった事を考えると自分のこの考えは間違いない、と藤本は
確信していたがどうする事も出来なかった。
松浦への想いもまだ整理出来ていない状態で迂闊に連絡を取るわけにはいかない。
下手をするとますます泥沼になる可能性がある。
手にしていた携帯の表示を変えていると藤本はふと飯田に言われた事を思い出した。
“松浦を救えるのは藤本しかいないんだよ”
“松浦は美貴にSOSを出してたんだから”
ブルッと身体が震えた。
寒気がしたわけではなく、責任重大だという事を思い出したからだ。
- 58 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月16日(土)19時05分15秒
- やはり一度ちゃんと頭を冷やしてよく考えてから連絡した方がいい。
今の自分には到底無理だ、と藤本は改めて思った。
駅に着き、改札を抜けて電車を待っている間も藤本はぼんやりとしていた。
色んな事があり過ぎて頭の中がショート寸前だった。
今は全員が頭を冷やす時間を必要としている。
しばらくは何もしないでおこう、という結論に達して藤本は疲れを感じながら
電車に乗り込んだ。
中はさほど混んでいなかったが誰もが傘を持っていたので座らずにドアの付近に立つ。
外はまだ雨が降っている。
窓も沢山の雨の筋が出来ていた。
見ようによってはガラスに映っている自分の顔が泣いているように見える。
しかし藤本はガラスを見て市井の事を思い出していた。
別れ際の市井が泣いているように見えたのだ。
藤本が口を開く前に何事もなかったかのように市井は去って行ってしまったので
真相は判らない。
雨の所為だ、と思いたかったが、どうしてもそうは思えなかった。
それまで話していた内容が関係しているのかもしれない。
- 59 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月16日(土)19時06分42秒
- 自ら味方を無くした市井。
知らない振りをしようとはせずに、あえて一人になる事を選んだのは何故なのだろう。
今までの市井はのらりくらりと質問をかわしていたというのに急に心を開き
最後には自分の心配をしていた事にも藤本は戸惑っていた。
やはり淋しかったのだろうか。
話を聞いてくれる相手が欲しかった、という言葉を思い出すと一人になる事を
選んだものの、淋しさに耐え切れず誰かにすがりたい気分にでもなっていた
のかもしれない。
市井の事を自分に自信を持っていない人間だと前から認識をしていたものの
話を聞くうちにそれは何らかの理由があるからではないだろうか、と藤本は
思うようになった。
まだ口にしていない何かが――。
それは市井だけではなく、後藤や飯田にも似たようなものを感じる。
相手に言えない秘密を抱えて自らを追い込んでしまった三人の関係が何も知らない
藤本には哀れに思えた。
- 60 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月16日(土)19時07分46秒
- そして藤本は自分の事を考えてみた。
松浦の想いを知って突き放しておきながら、それでもまだ友達でいようとした
自分は卑怯だったのかもしれない。
いや、卑怯だったのだ。
相手の気持ちを全く考えずに自分の事だけしか考えていなかったのだから。
罪は償わなければならない。
松浦を傷つけてしまった事もそうだが自分が松浦を突き放してしまった事で
後藤達の関係にも影響が出てしまっているのだ。
責任をとってそれなりに尻拭いをしなければならない。
藤本は手すりをギュッと握り、流れる景色を睨んだ。
- 61 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月16日(土)19時10分13秒
- あっという間に保田のラストライブの日はやって来た。
殆ど部外者のような存在である藤本は保田に別れの挨拶を言う時も有り触れた言葉
しか口に出来ず、周りのメンバーが泣いているのを見ても心の中で疎外感を
感じずにはいられなかった。
そもそも泣いている人間は本当に哀しくて泣いているのだろうか、とすら思ったのだ。
一緒に活動出来なくなるだけで永遠の別れでもあるまいし、何に対して哀しいと
思うのだろう。
今までソロ活動をしていた藤本にはそれが理解出来ない。
むしろメンバーが泣いているのを見てもこの場で泣いておけば印象がよく見えると
思っているから泣いているのだろうか、という捻くれた考えが頭の中に過ぎった。
あれから後藤はどうなったのだろう、と藤本は心配していたのだが会う機会がなく
困っていた。
それでもライブの前に後藤からメールが入っていたと保田は少し嬉しそうに
メンバーに伝えていたので他人の事を気にする余裕が出来たのだろうか、と
少し安心していた。
飯田はというとその話が聞えないわけがないのに椅子に座った状態で滝に打たれる
修行僧のように目を閉じ、身動き一つしていなかった。
- 62 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月16日(土)19時17分05秒
- メンバーもいつもと雰囲気が違うと感じ取っていたがそれは大事なライブ前なので
緊張しているからだろう、と思い込み、話し掛ける事を避けていたようだった。
藤本も声をかける事が出来なかった。
それから直ぐにミュージカルの稽古に入った。
一応、追加メンバーである藤本だが目立つ役を担当する事になっている。
表向きには誰も不満を口にしていないが、たまに背中の辺りに誰かの強い視線を
感じる時もあった。
しかし気にしないようにしていた。
気に入らないのなら直接言えばいいし、何も言われない方が薄気味悪く思える。
仮に自分に文句を言ったところで何かが変わるとも思えないので一応藤本は
何でもないように振舞っていたが実はレッスンが足りないと感じていたし
そんな状態で目立つポジションに立たなければならない現状に内心戸惑っていた。
早過ぎるのだ。
まだ準備が万全ではない状態で表舞台に立たなければならない。
理不尽だった。
これが自分の実力だと思われるのは非常に癪だ。
しかし状況は変わらない。
だからこのミュージカルは自分でも納得がいかないものになるだろうという予感を
藤本は抱いていた。
- 63 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月16日(土)19時20分31秒
- 「美貴ちゃんー」
楽屋で藤本がため息をついていると後ろから声をかけられた。
振り返ってみると里田と石川が仲良さそうに肩を並べてこちらに笑顔を向けていた。
ニタニタと笑いながら里田が手招きをしている。
「何?」
「ちょっと話したい事があるんだけど時間ある?」
「別にそれはいいけど……、何でそんなに小声なの?」
周りを気にしながら小声で話している里田の姿が藤本は不思議に思えた。
チラリと横目で部屋の中を確認すると稽古を終えて着替えているメンバーがまだ
少し残っていたが他は次の仕事にでも行っているのか姿が見えない。
既に服を着替えていたので藤本は二人と一緒に楽屋を出た。
外に出るとムッとした熱気を感じて藤本は顔をしかめる。
まだ夏でもないのにどうしてこんなに暑いのだろう、と他人にぶつけても
仕方がない怒りを何とか抑えながら先を歩く二人の後ろ姿を眺めていると
不思議と徐々に気分が落ち着いてきた。
- 64 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月16日(土)19時23分00秒
- 里田と石川は藤本にとってそれなりに仲が良いメンバーだった。
ミュージカルは娘。に入って初めての大きな仕事でそれなりにプレッシャーがある
上にまだメンバー全員と余り打ち解けていない状態だったので二人の存在がとても
大きく感じる。
娘。で活動していると、やはり連帯感みたいなものを感じるのだ。
そして一人だけ浮いている現状がどうにも居心地が悪い。
表向きには自分に仲良く接してくれているメンバーもいるし、娘。に入る前から
打ち解けているメンバーもいる。
しかし相手の態度がプライベートな時間と仕事中では何かが違うように感じていた。
番組の収録中に藤本が話し掛けると相手はぎこちない笑みを返してくる。
そこでようやく藤本はこの違和感の正体に気づいた。
相手もメディア上で藤本とどう接したらいいのか戸惑っているのだ。
そして藤本も相手によっては同じ状態になっていた。
これからもずっと一緒に活動していくのだから表向きには馴染んでいるように
見せなくてはならない、と判ってはいる。
ただでさえ、既に週刊誌にある事無い事を書かれているのだ。
しかし意識すればするほど動きがぎこちなくなる。
- 65 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月16日(土)19時25分32秒
- こんな事で上手くやっていけるのだろうか、という不安を未だに拭い切れない。
時間が解決してくれると思っていても正直疲れる。
だから今回のミュージカルで気心が知れた里田達と一緒に仕事が出来るのは
藤本にとって非常に有難い事だった。
電車を数本乗り換えてしばらく歩くと、あるマンションに着いた。
綺麗なマンションだった。
誰のマンションだろう、と思いながら藤本が間の抜けた顔で見上げていると
石川達が迷わず中へと姿を消してしまったので慌てて追いかけた。
オートロック式のマンションに入る事が出来たという事はこの二人のうちの
どちらかが此処に住んでいるという事になる。
しかし藤本には判らなかった。
部屋に行った事があるのは松浦の家とこの前行った飯田の家だけだ。
「此処って誰が住んでるマンション?」
「私のだよ。美貴ちゃん、知らなかったっけ?」
エレベーターのボタンを押しながら何でもないような口調で石川が尋ね返してきた。
どうやら過去に誰を招いたかという事をはっきりと把握していないらしい。
エレベーターに乗り込んでも三人共無口だった。
- 66 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月16日(土)19時27分10秒
- ドア付近に立っている二人の後ろで壁にもたれて腕を組んでいた藤本は
首を傾げながら眉を寄せる。
何かがおかしい。
そもそもこのマンションに辿り着くまでの道のりも比較的静かだったのだ。
いつもなら必要以上にくだらない事ばかり話す里田までもが大人しくしている。
また何かを企んでいるのだろうか、と藤本は嫌な予感を抱きながらエレベーターを
出て二人の後に続き、部屋の中に入った。
そして呆然とその場に立ち尽くしてしまった。
「……梨華ちゃん、これは…………酷い」
石川の部屋の中は強盗にでも入られたかのように物が床に溢れ返り、散らばり
そして荒れ果てていた。
空気も少し埃っぽく感じる。
初めてこの部屋に入った人間は必ず驚くだろう。
藤本も噂では聞いていたがここまで酷いとは思ってもみなかった。
同じ女性として恥ずかしく思えるほどだ。
さすがに里田も絶句している。
どうやら彼女も初めてこの部屋に入ったようだ。
- 67 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月16日(土)19時28分22秒
- 「ゴメンゴメン。まとまった休みにならないとお掃除しないんだよね」
「……にしても、これはどうかと思うよ」
「ファンの人がこれを見たらガッカリするだろうね」
藤本と里田が呆れて呟くと床に散らばっていた雑誌をまとめながら石川は
ケロリとしてこう呟いた。
「大丈夫。ファンの人はもう知ってるから」
「…………」
「…………」
結局その後三人で部屋を片付ける事になった。
自分は掃除の手伝いをする為に呼ばれたのだろうか、と藤本は頭を抱えた。
そういえば松浦の家に遊びに行ってもよく雑用を押し付けられていたものだ。
それが藤本には遠い昔の事のように思えて自業自得ながら複雑な気分になった。
- 68 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月16日(土)19時29分42秒
- >> 51さん
有難うございます(笑
>> 218さん
ハードボイルド……ですか(笑
この人も自業自得ですよね。
>> 53さん
有難うございます。
まだダラダラと続きます。
- 69 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月16日(土)19時30分39秒
-
- 70 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月16日(土)19時32分02秒
-
- 71 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月16日(土)22時57分18秒
- 藤本さんにも変化が出てきたようですね。
全員が全員、それぞれのエゴと弱さによる自業自得っぷりが
人間的で好きです。
- 72 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月17日(日)01時13分44秒
- 後藤さんが心配でならない
- 73 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月17日(日)02時25分43秒
- 飯田さんも松浦もこのあと果たしてどうするのか…
明日から10日ばかり出張ですので帰宅したら大きく進展しているのでしょうね。
(もう脱稿されてるかもしれないですが^^;)
戻ってきてから一気に読ませて頂きます。
期待しています。
- 74 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月18日(月)20時59分03秒
- 「二人共有難う。助かっちゃった」
何とか表向きには片付いているように見える状態にまで掃除をしてようやく三人は
腰を下ろした。
石川はテーブルにジュースを置きながらニコニコと満足そうな笑みを浮かべている。
それを見てますます自分達が石川に利用されたように思えて藤本は頬を膨らませた。
「ねぇ。一体今日は何の用だったの?」
「ヤだなぁ。怒らないでよー」
「っていうか、そうだよ!今日は美貴ちゃんに耳寄りな話をする為に此処に来た
はずなのに!」
ようやく里田が本来の目的を思い出したようでテーブルを軽く叩いた。
それで石川も「あぁ、そうだった」と愛想笑いをしながら頭を掻いて隣に
座っている里田に「話していいよ」と催促した。
ゴホンとわざとらしい空咳を一つして里田は藤本に向かってニヤリと笑う。
「あのね。この前たまたま会長と会ったんだけどさ。
その時にチラリと聞いたんだよね。
っていうか、会長の口がツルリと滑ったって言った方がいいかもしんないけど」
「まいちゃん……。前置きなんてどうでもいいから簡潔に話してよ」
「えー、折角のスクープなのにもっと焦らしたいじゃん。引っ張りたいじゃん」
- 75 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月18日(月)21時01分09秒
- 不服そうな顔をして文句を言う里田を藤本は睨みつける。
里田は直ぐに肩をすくませて黙り込み、大げさにため息をついてから話を再開させた。
それまで不機嫌だった藤本の顔は里田の話が進めば進むほど表情を失っていき
最後にはポカンと口を開けていた。
里田が掴んだスクープとは藤本がカントリー娘。の助っ人として紺野と一緒に夏から
活動する事になるという話だった。
「……美貴がカントリーの助っ人って、本当に?」
「うん。会長本人が言ってたんだもん。気が変わらない限り、間違いないって。
発表までまだ日があるから誰にも言うなよって言ってたけど美貴ちゃんは
メンバーになる人だからいいかなーって。梨華ちゃんも無関係じゃないしね」
言われて初めて藤本は気づいた。
すっかり石川の事を忘れていたのだ。
里田の説明によると藤本達は今まで助っ人をしていた石川と入れ替わりの状態になる。
つまりそれは石川の助っ人期間が終わったという事を示す。
約二年間活動していたというのに突然の解雇。
普通なら面白くないと思うだろう。
しかし石川を見てみるとケロっとしている。
- 76 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月18日(月)21時03分17秒
- 先に話を聞いていたのだろうから今更驚く事もないのかもしれないが藤本には少し
意外だった。
「梨華ちゃんは最初にこの話聞いた時どう思ったの?」
「んーと、そりゃ最初はビックリしたよ。
だって、前触れも何もなかったわけじゃない?
カントリーに新メン入ったばっかりだったし、メンバー入れ替えなんて誰も
考えつかないって」
「それはそうだね」
「何て言うか、まぁ、残念って言えば残念だけど美貴ちゃんや紺野にとってこれは
チャンスだろうから仕方がないのかなーとも思うんだよね」
サラリと言ってのける石川に藤本は軽く首を傾げた。
他のメンバーよりも所属するユニットが増えるという事はその人にとって世間に
アピールするチャンスが増えるという事だ。
そういう意味で石川は確実に知名度が上がり、仕事の量と共に人気も出た。
現在の良いポジションを引きずり下ろされて不服だと思わないのだろうか。
それとも今の自分はもう十分やっていけるという自信がついたのだろうか、と色々
考えたが藤本に本当の事など判るわけがない。
ただ、納得のいかない気持ちを味わっていた。
- 77 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月18日(月)21時05分57秒
- 悔しそうな表情を見せるどころか、自分の現状に満足しているように振舞う石川が
とても不思議に思えるのだ。
同じ事を里田も思っていたようでニヤニヤと笑いながら口を開いた。
「梨華ちゃん、余裕かましてるけど油断してるとあっという間に美貴ちゃんに
追い越されちゃうよ?」
「余裕とかじゃなくて去年のタンポポの時と一緒だよ。
あの時は私だけ残される側の人間で滅茶苦茶戸惑ったし、哀しかった。
でも一番辛いのは私じゃなかったんだよね。飯田さん達の気持ちも考えなきゃって。
それを思ったら今度は私が譲る番なんだなーって」
「あー、そういう事か。立場は逆だけど経験してるから理解しやすかったってわけだ」
石川の返答を聞いて里田は納得したようだ。
しかし藤本は自分の事を考えて途方に暮れていた。
藤本は今までソロでやって来た人間で娘。として活動する事にも戸惑いがまだある状態で
しかもユニット参加はシャッフルとごまっとうの二回しかない上に単発の仕事だった。
だから藤本には自分がユニットとして活動していく姿が余り想像出来ないのだ。
どうやらその時になってみないと実感など出来そうにもない。
- 78 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月18日(月)21時07分10秒
- 周りの人間にとっては贅沢な悩みかもしれない、と藤本はまだ他人事のように
思っていた。
何故ならカントリーへの助っ人話よりも自分のソロがまた遠退いてしまったという
事実の方が藤本の頭の中を占めていたからだった。
後藤が娘。で活動していた時と同様にユニットとソロ活動を並行するとソロ活動は
きっと縮小されてしまうのだろう。
ユニットに参加する事でメディアへの露出が増えるのは嬉しく思うが複雑な気分だった。
そんな事を考えていると里田がテーブルに両手で頬杖をついて藤本に笑顔を向けた。
「あたしさー、美貴ちゃんと一緒に仕事出来るのが嬉しいんだよね」
「何それ!私じゃ、ダメだったって言うの!?」
聞き捨てならない、と言わんばかりに石川が凄い剣幕で横からツッコミを入れる。
それでも里田は変わらず笑みを浮かべている。
藤本には明らかに里田が石川をからかっているだけなのだと判っていたが
当の本人が気付いていない。
否定も肯定もしてくれないので石川は不服そうに頬を膨らませた。
テーブルに片肘をついて里田はジュースの入ったグラス辺りを眺めながら口を開いた。
- 79 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月18日(月)21時09分13秒
- 「あたしって追加メンバーだったじゃない?
だから今回みたいにあたしより後に誰かが入るっていうのは初体験で
すっごい楽しみなんだよねー。
もちろん、新メンバーのみうなにも同じ事が言えるんだけど」
「後輩が欲しかったわけね」
「うん。それもあるけどやっぱりりんねちゃんが一人で頑張って作って来た物を
あたし達がちゃんと引き継いでいかなくちゃいけないっていう気持ちもあるからさ。
りんねちゃんと一緒に活動した期間は短かったし、どれだけ苦労して来たのかを
リアルタイムで知ってるわけでもないから偉そうな事なんて言えないんだけど」
珍しく里田が真面目な顔をして喋っているので藤本は驚いていた。
先ほどまで石川をからかっていたというのに今は物思いに耽っているように見える。
それだけ真剣な想いなのだろう。
カントリーの歴史みたいなものは表面的な事しか知らない藤本でも里田の言葉は
先ほどの石川が言っていたようなユニットでの連帯感みたいなものを感じた。
現に石川はこう呟いた。
- 80 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月18日(月)21時10分24秒
- 「残された人間が頑張らないといけないっていう使命感みたいなのがあるもんね。
あの人がいなくなったから人気がなくなったんだって言われるのも癪だし」
石川の場合、娘。でも卒業者を何人か見送って来たので心構えが出来ているのだろう。
しかし藤本にはそれがよく判らない。
経験した事がないものを判れという方が無茶だ。
ただ里田が嬉しいと言ってくれた事だけが救いだった。
これで拒絶されていたら立場がなかっただろう。
一人でも味方がいれば心強いものだ。
藤本が安堵している間にも里田と石川の会話は続いていた。
「でもさー、あたし達って受けたオーディションが同じなのに不思議な関係だよね」
「そういえばそうね」
「梨華ちゃんは合格して娘。に入ったでしょ。
あたしは時間が空いたけどカントリーの一員になってさ。
して、美貴ちゃんはソロをやって今では娘。なんだもん。変な感じだよね」
確かに不思議な関係だ、と藤本も頷いた。
同じ世界にいる人間が此処に集まっているものの、進んできた道はそれぞれ違う。
オーディションに落ちた時にはそのような想像すら出来ず、二人と仲良くなる事すら
有り得ないと思っていたのだ。
- 81 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月18日(月)21時12分53秒
- 今でも先の事は全く予想出来ないし、仮に予想してもその通りに進む事など皆無だが
そんなに悪い環境でもないのかもしれない、と藤本は思うようになった。
いつだって不満はあるが、満足する事も極まれにあるのだから。
里田は「あ、そうだ」と急に話題を変えて来た。
「そういや、話変わるけど。美貴ちゃん、亜弥ちゃんとはどうなってるの?」
「……え?」
いきなり松浦の名前が出てきたので藤本は驚いた。
里田としては何気ない質問をしたようで素の表情になっている。
隣にいる石川もジュースを飲みながら様子を窺っていた。
「何て言うか、直接喧嘩してるとこは見た事ないけど何となく雰囲気が微妙だったから。
前はあんなにベタベタベタベタベタベタベタベタしてたのに最近一緒にいるとこ
見ないしさぁ」
石川は「……何回ベタベタ言ってんの」と呆れていた。
藤本はどう言い訳をしようかと悩んでいた。
明らかに傍から見たら松浦と藤本の関係は以前と比べて奇妙なものに見えるのだろう。
以前も同じような心配をしていた二人だが最近はあえてその事に触れず、逆に
関係のないくだらない冗談ばかりを口にしていた。
- 82 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月18日(月)21時14分30秒
- しかし気を遣わせていた事に違いはない。
こういう状況になって初めて藤本は二人の心遣いに気づいた。
「別になんもないよ。仕事で前ほど一緒にならないからじゃない?
亜弥ちゃんは新曲が出るから忙しいみたいだし」
苦し紛れに言ってみたが即座に里田の口から「隠し事はいけないと思うなぁ」と
ツッコミが入った。
上手く取り繕うとしても里田には誤魔化しが効かない。
しかし正直に話す事も出来ないのだ。
これは二人の問題で事情を何も知らない他人に助けを求めるべきではない。
いつまで経っても話を切り出そうとしない藤本に見切りをつけたのか、里田は
盛大にため息をついた。
強引に訊き出すのではなく、本人の意思で話してもらいたかったのだろう。
「……しょーがないか」と独り言を呟いていた。
「もうちょっとしたらシャッフルがまたあるんだし、一緒に仕事する機会も
増えるんだから、それまでにちゃんと仲直りしておきなよ。
手助けして欲しい時にはいつでも手を貸すしさ」
「そうそう。私も協力するし」
「……いやいや、梨華ちゃんは余計な事しなくていいから」
里田の言葉を聞いて石川は腹を立てていたが二人の気持ちが藤本には有難く思えた。
- 83 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月18日(月)21時16分13秒
- 次の日の稽古後、藤本は事務所に寄って過去のビデオを家に持ち帰った。
ある程度は娘。がどういうものかというものを把握しているつもりだったが
自分にはまだ何かが足りない、と思っていた。
過去にも同じビデオを借りて見てみた事もあるのだがその時は流し見をしていたので
集中して見るのは今日が初めてだった。
過去映像は膨大な量なので借りてきたテープも事務所の人間に薦められた物だけに
しているのだがそれでも量は多い。
早送りしながら服も着替えずにテレビに見入っているとある場面で藤本はビデオの
リモコンを握り直した。
早送りを解除すると音声が流れる。
テレビに映っているのはオーディションに合格したばかりの後藤だった。
まだ素人だった当時の藤本は過酷な試練ばかり突きつけられても必死に頑張っていた
後藤の姿を見て年下なのに凄いな、という印象を持った。
ただ、その程度だった。
世界が違うので本当の大変さなど理解出来るわけがない。
しかし今は違う。
同じ世界にいる人間として本当に後藤は凄い、と改めて藤本は思っていた。
- 84 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月18日(月)21時17分27秒
- 十日間で十曲以上の振りを覚える事など今の自分でも出来ない。
曲を覚えるだけで精一杯だ。
それでも後藤はやってのけた。
普段から努力する事が嫌いだと言っている後藤だが彼女の境界線が他人とは
違うだけでちゃんと努力をしている。
ソロライブも客の入りはイマイチらしいが評判はいいらしく、見に行ったという
メンバーもその話をしながら舌を巻いていた。
そして藤本はもう終了しているが自分のソロライブを思い出して憂鬱になった。
ライブ前に出来るに決まっていると自己暗示をかけていたものの、その出来に
満足はしていない。
後藤と藤本には経験の差がある。
藤本は今まで多くても二、三曲程度しか歌っていなかったのだからリハーサルを
いくら重ねてもソロライブで完全燃焼出来るわけがない。
それだけの免疫や体力がないのだ。
それに比べて後藤は自身のソロライブが初めてでも娘。のセンターとしてのライブを
何十本、いや何百本とこなしてきていたのだから藤本よりは場慣れしているのだろう。
そこでなるほど、と藤本は思った。
娘。で活動する事によって自分も膨大な量のライブをこなす事になる。
それだけ経験が積めるのだ、と初めて気付いたのだ。
- 85 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月18日(月)21時18分47秒
- 藤本が考え事をしている間にもテープは進んでいた。
そして市井の姿もテレビに映っていた。
今と何かが違う市井。
若さというのもあるが自分に自信を持っている市井がテレビの中にいた。
藤本はその市井がどことなく自分に似ているような気がした。
今の自分ではなく、娘。に入る前の自分に。
“娘。に入る事で藤本の未来が閉ざされたと思ってるのなら大間違いだって事が
言いたかったんだよ”
市井に言われた言葉を思い出して藤本は腕を組んで唸り、そのままフローリングの
床にゴロリと寝転んだ。
娘。を辞めた人間がそう言うのなら間違いはないのだろう。
それにビデオの中で生き生きとしている市井がそれを証明している。
ただ、市井はこうも言っていた。
周りと競い合う事の大切さと目立つメンバーから良い所を盗むという事。
しかしこれには同意しかねる。
それは自分のポリシーに反するからだ。
今の自分のままで成功しないと意味がない。
- 86 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月18日(月)21時20分12秒
- 昔から根性と野心はあるのだからそれらをこれからも抱いて進めばいいだけの話だ。
自分は自分。他人は他人。
グループ内で浮いてしまわないようにと気をつけなければならない面倒さはあるが
それは仕方が無い。
これが藤本が出した結論だった。
藤本は寝転んだまま、背伸びをして大きなため息をついた。
新メンバーが入る事を楽しみにしていたという吉澤みたいな人間ばかりだったら
楽だったのにな、と苦笑いして、それがきっかけで里田と石川の会話を思い出した。
あの二人の会話から皆で一つのものを作っていくという事の大変さを感じた。
そして同時にやりがいも何となくだが感じた。
きっとソロ活動だけでは見えなかったものが娘。で見出せるかもしれない。
そう思ったらこれからの活動に悲観的になる必要などないのかもしれない、と
藤本は思った。
よく知りもしない状態で嫌だと思うから良い所が目に入らない。
それは自らの手で自分の目にフィルターをつけるようなものだ。
それよりも藤本にとって今一番問題にすべきものは人間関係だろう。
正直、メンバー全員と仲が良いとはまだ言えない。
- 87 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月18日(月)21時21分45秒
- あれだけ人数がいるのだから合う合わないは必然的に出て来る。
しかし学校と同じようなものだと思えばいいのだ、と藤本は吹っ切った。
気を遣ってまで全員と仲良くなろうとする方が無理がある。
そして藤本は目が覚めたような気持ちでいた。
こうして身の回りの人間関係について考えていると本当に自分にとって大事な
人間についても自然と考えてしまったのだ。
藤本にとって大切な人間はやはり松浦だった。
もちろん里田達もだが松浦はかけがえのない親友なのだ。
散々混乱させられたりもしたがそれでも関係を断ち切る事は出来ない。
それはやはり今までの付き合いがあるからだろう。
上京したばかりで周りに友達がいない現実に直面して憂鬱になっていた自分に
一番松浦が親しく接してくれたのだ。
周りにいつでも仲が良い人がいるという今の状況に慣れてしまい
上京してきたばかりで不安を抱えていた頃の自分など忘れかけていた。
それは決して忘れてはいけない事だったのに。
- 88 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月18日(月)21時23分04秒
- 飯田が口にしていた言葉を信じたら今も松浦の気持ちには変化がない、と考えられる。
過剰な想いをブツけられるのは正直困るが普通の友達としての付き合いは問題ないのだ。
そもそも藤本は距離をおきたかっただけで松浦の事を嫌っていたわけではない。
むしろ今は松浦の事を心配していた。
藤本は携帯を手に取り、そのまま松浦の名前を選択する。
よくよく考えてみたら一度も謝罪していない。
今までは彼女の気持ちに答える事が出来ないのだからそれでいいと思っていたのだ。
自分の気持ちを理解してくれたら謝るつもりでいたのだがとうとうその日は来なかった。
しかし今はそうも言っていられない。
それに藤本が口にした言葉はずっとソロでいられる松浦に対する嫉妬もあった。
一方的な八つ当たりでしかなかったのだ。
同じ事を言われていたら烈火の如く激怒し、やられた分はやり返していたに違いない。
やはり言い過ぎた、と藤本は心底反省していた。
飯田も言っていたはずだ。
“言葉の威力”について。
他に言い方があったはずなのに傷つけるような言葉や態度をわざとぶつけてしまった。
本来ならばずっと隠しておくべき感情だったのだ。
- 89 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月18日(月)21時26分20秒
- あの時の自分は何に苛ついてあんな事を言ってしまったのだろう、と藤本は頭の隅で
見え隠れしている記憶を手繰り寄せようとした。
怒っても直ぐに原因を忘れてしまうやっかいな性格をしている為になかなか思い出せない。
藤本は目を閉じて眉間にしわを寄せながら唸った。
するとフラッシュバックのようにパッとある場面が頭の中に思い浮かんだ。
それは二人が喧嘩をしてしまった日の光景だった。
松浦は何か深刻な悩み事が抱えていたらしく、それを藤本に打ち明けようとして
直ぐに誤魔化した。
それがキッカケで藤本は松浦に腹を立てて距離をおいてしまったのだ。
松浦があの時何を言おうとしていたのか、という事を一生懸命思い出そうとして
藤本は「あっ」と声をあげて目を開いた。
確かこう言っていたはずだ。
“芸能界を辞める事になるかもしれない”と。
冗談ではなく、本気だったのだろうか。
しかし何が原因でそんな言葉を口にしたのかが藤本には判らない。
飯田が後藤も同じ悩みを抱えていると言っていた事を思い出し、二人に共通する
悩みとは一体何か、と考えようとして藤本は直ぐに首を振った。
情報が少な過ぎて予想のしようがない。
- 90 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月18日(月)21時28分00秒
- 藤本は松浦に電話をかける前に飯田に連絡を取ろうと思った。
事情を知っているのは彼女だけだ。
しかし直ぐに手を止めた。
今連絡を取ったところで飯田が素直に言うだろうか、という疑問が出てきたのだ。
そもそも松浦と後藤にも連絡が取れるとは思えない。
松浦と後藤はそれぞれのライブで地方に行っており、一緒に稽古をしている飯田に
話をかけようにも何処か遠くの世界に行ってしまったような目をしてぼんやりして
いる事が多く、メンバーですら仕事以外では余り話し掛けようとはしていなかった。
一番心配だった後藤には一方的にメールを送っていたが返事が戻って来た事はない。
ダメ元でもかけてみようと、藤本はそれぞれに電話をかけていった。
しかし繋がらない。
全員留守電になってしまう。
時間を確認してみると既に夜中になっていた。
今日は諦めるしかない。
メールを送っても良かったがとりあえず藤本は松浦にもう一度かけて留守電に
ゴメンと一言メッセージを残した。
- 91 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月18日(月)21時29分04秒
- >> 71さん
有難うございます。
藤本さんには頑張ってもらいたいです。
>> 72さん
後藤さんの登場までもうしばらくお待ちください。
>> 73さん
10日くらいだと終わるか終わらないか微妙な感じですが。
お仕事頑張ってください。
- 92 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月18日(月)21時30分03秒
-
- 93 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月18日(月)21時31分29秒
-
- 94 名前:218 投稿日:2003年08月18日(月)22時58分03秒
- 更新お疲れさまです。
強いなあ、藤本さん。正攻法にかっこいい。
なんか初めて好感をもてたような。
その強さをほかの人間も持てたらいいのだけど。
里田&石川が相変わらずでほっとさせられました。
- 95 名前:藤本さんの大ファン 投稿日:2003年08月19日(火)17時24分15秒
- はじめまして。
すごくすごく、おもしろいです!数時間かけて、一気にじっくり読んでしまいました。
皆悩んでいるのに、他の人の視点からみると何を考えているんだかよく分からない。
それがすごくおもしろかったです。
続きがとても楽しみです。
- 96 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月19日(火)18時22分17秒
- >95
レスはsageでやりましょう(案内板参照)。今回はたまたま一番上だったけども…
作者さん、毎日のように楽しみに読んでますよー。
- 97 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月19日(火)19時03分08秒
- 思えば、藤本さんはドラマチックな存在ですよね。
ASAYANとかで煽られなくても、その内心の葛藤を想像するに余りある。
かつての市井さんの脱退が、あらゆるファンの思い入れに弾みをつけたように、
藤本さんの娘。加入は、彼女の存在そのものに、
驚くべき陰影を与えている。
モーニング娘。成功神話の鍵が、勝利と敗北、栄光と挫折、
運命の皮肉というような、個々のキャラクターのドラマにあったとすれば、
藤本さんはその正統な後継者とすら言えるかもしれない。
長文ごめんなさい。
作者さんの現実とフィクションの料理っぷりに酔っています。
- 98 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月20日(水)02時12分34秒
- 「美貴ちゃん、元気ないね?」
ミュージカルの稽古が一段落して藤本が部屋の隅に座り込んで休憩していると
紺野に声をかけられた。
そのまま隣に座り込み、藤本の顔を不思議そうに覗き込む。
おっとりしている紺野とはもしかしたら性格が合わないかもしれない、と藤本は
心配していたのが今では心配していたのが馬鹿らしく思えるほど仲良くなっていた。
出身地が同じという事もあって親しくなるのにさほど時間はかからなかった。
彼女もカントリー入りの話を聞かされたらしく、最近よく話かけてくる。
もちろん藤本から声をかける事もあった。
「ちょっと疲れてるだけだよ。覚える事が多過ぎてさ」
「私も最初はそうだったよ。
ただでさえ他のメンバーより出遅れてたのに怪我とかしてたから」
「あー、そんな事もあったね」
膝を抱えて紺野と思い出話をしていたら何となく気持ちが安らいだ。
紺野が発する穏やかな雰囲気の所為かもしれない。
藤本は壁に背中をぴったりとつけて目を閉じた。
- 99 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月20日(水)02時16分46秒
- あれから松浦からの連絡はなかった。
もしかしたら留守電を聞いていないのだろうか、と思ったが、あえて連絡をして
こないのだろうな、と直ぐに思い直した。
以前の松浦ならともかく、今の状況で素直に連絡をしてくるとも思えない。
藤本の悩んでいる姿を見て何かを察した紺野はのんびりした口調で呟いた。
「悩み事があるんだったら飯田さんとかに話を聞いてもらったら?
安倍さんは……いないね。何処行ったんだろう。矢口さんもいないし」
「……大丈夫だよ。心配いらないって」
紺野もどちらかと言えば勘が鋭い方だ。
藤本はドキリとしながら周りを見渡した。
休憩時間が結構長いという事でメンバーは楽屋に戻っているらしく、部屋の中は
いつの間にか閑散としていた。
離れた場所で飯田がポツンと立ち尽くしているだけだ。
携帯を手にしてメールを打っている。
紺野も飯田の姿が目に入ったらしく、無言で立ち上がり、そのまま歩き出した。
飯田に声をかけている紺野の後姿を眺めながら藤本はこっそりと感謝していた。
ずっと話し掛ける事に躊躇していたからだ。
- 100 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月20日(水)02時18分16秒
- 紺野に連れて来られた飯田の顔色は余り良くなかった。
目の下には隈がクッキリ浮き上がっている。
「じゃあ、私は楽屋に戻ってるんで……」
紺野はそう言うなり、藤本に手を振りながら出て行った。
飯田は小さくため息をつきながら先ほど紺野が座っていた場所に座り込んだ。
「……あれからどうなりました?」
藤本がポツリと呟くと飯田はガックリとうな垂れた。
それを横で見て藤本は肩をすくめた。
答えを聞くまでもない。
状況は何も変わっていないという事だ。
「よっすぃーが言うには意外とごっちんは元気らしいんだよね。
それを聞いて安心したんだけどさ。でも松浦は判らない……。
あの日、少し様子がおかしかったから心配はしてるんだけど連絡つかないからさ」
「様子がおかしかった?」
- 101 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月20日(水)02時19分48秒
- 「目の焦点が合ってないっていうか、何て言うか……。
一応帰る時には元に戻ってたんだけど。
松浦は圭織と紗耶香の事を知らなかったから激怒しちゃってさ……。
計画が失敗したのは圭織の所為だ!って泣きながら滅茶苦茶言われたりして。
まぁ、それは確かにそうなんだろうけど」
抱えた膝に顎を乗せて飯田は苦笑いしていた。
計画とやらの内容が未だに藤本には理解出来ていなかったが協力者である飯田が
結果的に松浦の足を引っ張ったという事だけは判った。
「どうして、亜弥ちゃんに市井さんとの事、話してなかったんですか?」
「……だって、関係ないと思ってたんだもん。
それにプライベートな事なんか、ベラベラ喋りたくないよ」
「でも上手くいって欲しかったんですよね?」
「……まぁね。松浦が必死っていうのも判ってたし」
藤本は飯田の話を聞いていて喉に小骨でも引っかかっているような気持ち悪さを感じた。
中途半端過ぎるのだ。
どうしてもその計画やらを成功させたかったのならば、いくらプライベートな事でも
松浦に話しておくべきだったのではないだろうか、と何も知らない藤本ですら思った。
- 102 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月20日(水)02時23分52秒
- 市井の告白が予想外だったとしても最初から市井を巻き込む予定だったのなら
考えられる全ての可能性の芽は先に摘み取っておくべきだ。
飯田が事実を先に伝えておけば松浦は違う作戦を立てていただろう。
松浦の言葉がキッカケになったという市井の行動も変わっていたのかもしれない。
そこまで考えて藤本は首を捻った。
どうして飯田は市井との事をそれほど知られたくなかったのだろうか。
後藤の気持ちを考えたら隠しておいた方が得策だと思ったのかもしれないし
松浦が暴露してしまう危険性も考慮していたのかもしれない。
しかしそれでは松浦の協力者としては失格だ。
後藤の為に松浦は動いており、その協力をしていたと飯田本人が言っていたくらい
なのだから。
結果的に飯田は後藤を傷つけないようにする為に過去の事をひた隠し、それが原因で
自ら計画を失敗させてしまったという事になる。
結局松浦と飯田は何がしたかったのだろう、と藤本が考え込んでいると飯田の携帯が
鳴った。
携帯を確認している飯田が大きな目を見開いたので藤本は軽く首を傾げた。
「どうしたんですか?」
「……松浦からだ」
「え?」
- 103 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月20日(水)02時25分20秒
- 藤本は驚いた。
松浦の方から連絡を取ってくるとは思ってもみなかったのだ。
それは飯田も同じらしく、携帯を操作しながらも、まだ呆然としていた。
様子がおかしかったと先ほど飯田は言っていたがもう落ち着いたのだろうか。
あれから時間が経っているので少しは浮上しているだろうがあの松浦だ。
何があってもおかしくはない。
もしかしたら飯田に送ってきたこのメールもまた何かを企んでいる内容ではない
だろうか、と藤本は嫌な予感を抱いた。
横から覗き込んでみるまでもなく、飯田が携帯を差し出してきた。
「……何を考えてるんだろう」
「何が?」
「いいから見てみなよ」
言われた通りに藤本は飯田の携帯を見て目を見張った。
そこには松浦のマンションに来て欲しいというメッセージがある。
しかし藤本にとって問題はそこではなかった。
タイトルの文字から目が離せない。
ゴクリと喉が鳴った。
- 104 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月20日(水)02時27分58秒
- タイトルの欄には「飯田さんと美貴たんへ」とある。
つまり藤本宛てにメールを送る気などないという事だ。
一緒のグループで活動している飯田にメールを送っておけば伝わるはずだと思って
いたのかもしれないが藤本には自分の前にだけとてつもなく分厚い壁があるように
感じられた。
顔を強張らせている藤本の肩に飯田が軽く触れた。
「明日の晩か。一緒に行ける?」
「……はい。でも亜弥ちゃんは何の為に美貴達を呼んだんだろう」
「もしかしたら二人だけじゃないかもしれないよ」
「……まさか前回のメンバーを呼んでるって事?」
尋ねながらも有り得ない事ではない、と藤本は気付いていた。
何かをやる為に人を集めようとしているのなら関係者を呼ぶだろう。
飯田と自分だけを呼んで松浦が何をするかなどという事は全く思いつかない。
むしろ五人揃った時の方がまだ思いつきそうだと思った。
「もしかして、今度はごっちんと市井さんの仲を無理やり戻そうとか思ってる
わけじゃないですよね……」
- 105 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月20日(水)02時29分16秒
- 藤本の問いに対して飯田は曖昧に微笑み、「……それはどうかな」と腕を組んで
悩んでいる。
市井とはまた違った意味で飯田も裏では何を考えているのかが全く読めないタイプだ。
「さすがにもう圭織も松浦が何を考えてるのかは判んないよ。
もう信頼されてないみたいだし。でも心配だし、行かないわけにもいかない。
ここんとこ、ずっと体調崩してるらしいからさ……」
五月に入ってから松浦が体調を崩しているという噂は藤本も耳にしていた。
その噂を聞いた時は身体の調子には細心の注意を払っていた松浦がそんな状態に
なっている事に驚き、そして何も出来ない自分が酷くもどかしく思えた。
松浦が何を企んでいるのかは判らない。
そして何を隠しているのかも判らない。
しかし彼女の性格を誰よりも一番よく知っているのは自分だ。
きちんと話し合えば何とかなる。
今までは真剣ではなかった為に見抜けなかった松浦の演技も今の自分になら
見抜けるはずだ。
とりあえずお互いに逃げも隠れもしない状態になっている。
これはチャンスなのだ。
もう終わりにしなくてはならない、と藤本は腹を括った。
- 106 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月20日(水)02時30分50秒
- >> 218さん
初めて好感持ってもらえましたか。
という事は、今まではどうだったのでしょう(笑
>> 藤本さんの大ファンさん
視点変えの為に何度か同じ説明を繰り返してますけど
気にせず読んで頂ければ嬉しいです。
>> 96さん
えーと、有難うございます。
>> 97さん
長文レス有難うございます。
藤本さんだけのお話で一本書けそうですね。
今回はこれで終わりですけど……。
- 107 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月20日(水)02時31分47秒
-
- 108 名前:11−友達について。 投稿日:2003年08月20日(水)02時32分47秒
-
- 109 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月20日(水)19時22分11秒
- どんどん動いていきますね。
目が覚めたかのような藤本さん、俺も好きです。
- 110 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月20日(水)23時07分52秒
- 途中まで爽やかな展開なんで終わりが続いているのかなーと思っていたら、この展開。
続きが楽しみです。
- 111 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月21日(木)21時17分44秒
- 話の内容のすばらしさに加えて自分が忘れていたような事実関係もしっかりと
話にリンクしているのが本当に凄いです。更新、期待しています。
- 112 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月22日(金)20時32分30秒
- 何事にも始めがあって終わりがある。
そしてまた始まり、繰り返す。
その繰り返しの日常から何を得る事が出来るだろうか。
何を得て、何を失うのだろう。
- 113 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月22日(金)20時33分02秒
- * * *
- 114 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月22日(金)20時34分06秒
- テレビの番組収録まで時間があったので楽屋で一休みをしていた後藤は部屋の中に
響く軽快なメロディーを耳にして机の上に突っ伏していた顔をゆっくりと上げた。
携帯を見てみると吉澤からのメールが届いていた。
「いつカラオケに行く?」という呑気なタイトルを見て後藤はフッと微笑む。
吉澤相手だと気負う必要などないから付き合いが楽だ。
しかし後藤はメールの内容を見て顔を強張らせた。
どうでもいい文字が羅列されているのを見て安心していたのが間違いだった。
一番最後にある「最近飯田さんの様子が変なんだけどどうしたのかなー?」という
メッセージに後藤は反応したのだった。
最近吉澤と飯田は仲良くしているらしいのでメールに名前が出てきてもおかしくはない。
しかし飯田のマンションを飛び出して以来、一度も顔を合わせていない上に連絡すら
取っていないので必要以上に意識してしまった。
あれから後藤宛に藤本からのメールは届いていたが返信はしていなかった。
それでもめげずに毎日のようにメールが届く。
内容は吉澤と同じように当り障りのない世間話ばかりであの時の事について
触れる事は一度もなかった。
藤本なりに心配をしているのだろう。
- 115 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月22日(金)20時35分01秒
- それでも後藤は誰とも会いたくなかったし、メールのやり取りもしたくなかった。
今は一人でいる事を望んでいた。
コンコンと入り口付近でノックの音が聞こえた。
時計で確認してみるとまだ収録まで時間がある。
誰だろう、と思いながら後藤が返事をするとドアが開いた。
姿を現したのは笑顔を浮かべている保田だった。
「よー。元気にしてる?」
「何で、圭ちゃんがいるの?」
「何でって、私も仕事があったからだよ。
スタッフさんがごっつぁんがいるって言ってたからこうして来たってわけ。
会うの久しぶりだもんね」
「……ふーん」
曖昧に頷く後藤を見て保田は不服そうな顔をしながら隣の席に座った。
直ぐに喜んでくれると期待していたのだろう。
保田の言う通り、こうして二人で会うのは久しぶりなので本来なら後藤も
喜んでいたのだろうがそれよりも今は他の事に気を取られていた。
「なんか、痩せたねぇ。ちょっとビックリしたよ」
「圭ちゃんは肥えたねぇ。ビックリしちゃったよ」
「…………」
「…………」
「そういや、ライブの時にメールくれて有難う。
ちゃんとお礼言いたかったんだ。あれはかなりジーンと来た」
「あー、あれね」
- 116 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月22日(金)20時36分42秒
- 後藤は天井を見上げるように顔を上げ、頬を掻いた。
保田にとって娘。のラストライブの日に後藤自身もライブがあった為に現場に
行く事が出来なかったので代わりにメールでメッセージを送ったのだ。
保田とは付き合いが長い分、かなり世話になってきたので後藤にとって
しごく自然な行為だったのでこうして面と向かって礼を言われると逆に
恐縮してしまう。
目を逸らしてまたポリポリと頬を掻いていると「あーあ」と唐突に保田が
大きく身体を伸ばして盛大にため息をついたので後藤は目を丸くした。
「どしたの?」
「いやー、さっきメンバーと一緒に仕事してたんだけどまだ変な感じするんだよ」
「変な感じって?」
「六期も入って十五人になったわけじゃない?なーんか、まだ慣れないんだよね。
それに卒業したばっかだっていうのに娘。と一緒の仕事してるっていうのにも
違和感があってさ」
「あー、それはあたしもそうだったなー。でも直ぐに慣れるよ」
自分が卒業したばかりの頃を思い出して後藤は目を細めた。
仕事が来るだろうか、自分は一人でやっていけるのだろうか、という不安を抱えて
睡眠不足になったり身体に異変が起き始めたのもその頃だった。
- 117 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月22日(金)20時37分48秒
- まさかこんなに長引くものとは思ってもみなかった。
もしかしてずっとこのままの状態なのだろうかと不安になってしまう。
そして保田には同じ症状が出ていないのだろうか、と後藤はふと思った。
「圭ちゃんは身体がフワフワしたり、急に指先が冷たくなったりする事ってない?」
「何それ?」
保田は訝しげに首を傾げた。
この様子だとどうやら何も起きていないらしい。
出来る事ならばこういう事で仲間を増やしたくはないので後藤は胸を撫で下ろした。
「何でもない」と後藤が首を振ると保田は更に首を捻った。
腑に落ちないという表情になっている保田の顔を見て後藤は後悔していた。
勘がいい保田に対して自ら怪しまれる行動を取ってしまったのだ。
何かあったのか、と心配される行為はいつもなら有難いと思うのだろうが
今の後藤には迷惑でしかない。
しかしそんな心配は杞憂にすぎなかった。
保田は机に片肘をついて視線を宙に漂わせている。
どうやら疲労が溜まっているようで注意力が散漫だったようだ。
- 118 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月22日(金)20時39分43秒
- 「何だか今日のごっつぁんは変だけど、この前の圭織も変だったなぁ……」
「……圭織が?」
「この前からずっと変なんだけどね。
一緒に飲みに行った時なんて真剣に人間の二面性について語ってたし。
圭織の話は遠回り過ぎて焦点がボヤける事が多いから理解に苦しむんだよね」
「なんか、難しそうな話だね……」
後藤は感情を表に出さないように気をつけながら注意深く言葉を選んで
返答をしていた。
気持ち的には飯田の話題などしたくなかったのだが先ほどから吉澤のメールの
内容が頭の中に浮かんでいたのだ。
吉澤も飯田の様子がおかしいと書いていた。
それはそうだろう、と後藤は思っていた。
市井との事が周りにバレても平然としていられるような器用さを飯田が持っている
とは思えない。
さすがに堪えているのだろう、と後藤が口元に手を添えて考え込んでいる間にも
保田は独り言をボソボソと呟くような状態でマイペースに飯田と飲みに行った時の
話を続けていた。
- 119 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月22日(金)20時42分31秒
- 「誰にだって表と裏ってあるんだろうけどさ。
圭織は他人の事じゃなくて自分の事で悩んでたみたいでね。
誰かに嘘をつかないといけないって言ってたから。
嘘をつくのが大嫌いな圭織がそんな事してるんだからそりゃ悩むよね。
どういう事情でそうなってるのかはサッパリ判らなかったけど」
「……嘘をつかなくちゃいけない?」
「嘘っていうか、隠し事しなくちゃいけないって感じだったかな」
後藤には保田の言っている言葉の意味が判らなかった。
正確に言えば飯田が口にしたという言葉の意味が判らない。
故意で自分を騙していたのではないという事だろうか、と考え、後藤は首を傾げる。
騙すつもりがあったのかどうかは判らないにしても、あえて隠していたという事実に
違いはない。
飯田が市井と付き合っていたという事実を告げられて後藤は正直かなりのショックを
受けていたのだ。
別に言う必要などないと判断していたのかもしれない。
しかし保田の話だと話したくても話せなかったという風に聞える。
自分が気分を害すると思ってあえて言わなかったという事だろうか。
- 120 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月22日(金)20時44分42秒
- となると飯田なりに気を遣っていたという事になるがそれでも後藤としては合点が
いかない。
そこまで考えて後藤は自分が市井の事を思い出していない事に気づいて愕然とした。
確かにあの日から飯田の事は避けていた。
先ほどみたいに吉澤からのメールで名前が出てきただけでも反応をしていたのだ。
しかし市井の事を特に意識した事はなかった。
関係のない人間の目の前であんな話をされ、恥を晒されたようなものなのだから
少しは憤りを感じてもいいようなものなのに不思議と怒りや哀しみといった感情が
湧いて来ない。
ただポッカリと胸に穴が空いたような喪失感だけは抱いていた。
しかしそれは自分はもう必要がなくなったのだという意味での哀しみなどではなく
別れを告げられた事で今まで抱えていた重荷がなくなったような安堵に似たものを
感じて逆に後藤は驚いていた。
そんな馬鹿な、と首を振る。
市井の事が好きだったはずなのに自分の心はおかしい。
今まで隠していたものを知られて罪悪感がなくなったと錯覚しているのだろうか。
後藤は動揺していた。
- 121 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月22日(金)20時46分56秒
- しかし心の奥底では納得をしている自分自身に気付く。
自分を偽っているという自覚が何処かにあったのだ。
後藤は自分の気持ちを決して変えてはならないという決まり事を作り、そして
市井に接していた。
きっとそれを見破られていたのだろう。
だからこそ市井は別れを告げたのだ、と後藤ようやく気付いた。
様子がおかしいと感じ取った保田は大きな目を細めて後藤の肩を軽く叩く。
「圭織は自分が大切にしてる人に嘘つかなくちゃいけないって言ってたよ」
後藤が息を呑んだ瞬間、携帯が鳴った。
静まり返った部屋の中で大きな音をたてていたので後藤は慌ててボタンを押す。
話を中断された保田は別に気分を害した素振りも見せずに丁度いいタイミングだったと
言わんばかりに「じゃあ、また連絡するよ」と、手を振りながら部屋を出て行った。
一人きりになった後藤は、ふぅ、と大きく息を吐いて机に突っ伏した。
自分でもどうしてこんなに動揺しているのだろう、と不思議に思うくらいドキドキと
胸が高鳴っている。
- 122 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月22日(金)20時49分22秒
- 保田との話の中で出てきた飯田が大切にしている相手という人間が自分とは限らない。
全く知らない人間の事を言っているのかもしれないし、メンバーの誰か、もしくは
市井の事を指しているのかもしれないのだ。
それに飯田が市井の事を吹っ切ったと言っていた言葉も今では胡散臭く思える。
市井に片想いをしていると言っていた言葉自体、嘘だったのだ。
今では飯田が口にしてきた言葉全てが信じられない。
後藤はピッタリと机に頬を当てて目の前にあるリストバンドを眺めていた。
どんな時でも飯田は自分の為に行動してくれているものだと思っていた。
しかし違っていたのかもしれないのだ、と思うと後藤は無性に哀しくなり
腕にあるリストバンドを外そうとしたが今から仕事がある事を思い出し
伸ばしかけた手を戻した。
そうでなくてもあれから何度も外そうと思ったが結局出来なかったのだ。
一体飯田は何を考えていたのだろう。
松浦に脅され、自分の知らないところで何かをやっていたようにも思える。
何度か尋ねてみたがその答えが返ってくる事など一度もなかった。
それに自分と付き合っていた時も何を考えていたのか、よく判らない。
- 123 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月22日(金)20時50分42秒
- 今までは秘密を知ってしまった責任感みたいなもので相談に乗ってくれているのだ
と思っていた。
だから後藤は市井と付き合っている事で飯田を傷つけているのだ、という罪悪感に
さいなまれていたのだ。
今ではそんな自分が滑稽に思える。
むしろ今では何も言ってくれていなかった飯田に対して不信感すらフツフツと
沸き上がっていた。
何が本当で何が嘘だったのか。
それを知るすべなど後藤にはない。
ため息をつきながら携帯を手に取り、操作をしてみるとまたメールが届いていた。
送り主の名前を見て後藤は目を瞬かせる。
メールは松浦からだった。
今日の晩、松浦のマンションに来て欲しい、という飯田宛に送られたものと
同じ内容の文章がそこにはあるのだが時間だけが違っていた。
しかしそんな事を知らない後藤はただただ首を傾げていた。
- 124 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月22日(金)20時51分41秒
- 次の日、仕事帰りに後藤は松浦のマンションを訪れていた。
メールに書かれていた時間よりもまだ早いからという理由だけではなく
数分前からずっとドアの前で立ち尽くしていた。
身体が拒否反応を起こしているかのように動かない。
何の為に松浦は自分を呼んだのだろう、と昨日からずっと後藤は考え込んでいた。
思い当たるものは何もない。
嫌がらせならもう十分受けたはずだ。
松浦の思い通り、市井と別れる事になったのだからもう自分には用がないだろうと
思っていたのだがこうして呼び出されたという事はまだ何かあるのだろうか。
後藤は首を傾げる。
もしかして松浦はまだ物足りないと思っているのかもしれない。
後藤の身体はライブツアー中なので何も知らない人が見たら無理なダイエットでも
したのではないか、と心配されるくらい引き締まって細くなってはいる。
しかし別に心労を抱えているわけではない。
確かにショックを受けたりもしたが、そういう意味では自分でも驚くほど後藤は
平常心を保ち続ける事が出来ていた。
松浦が口にしていた“自滅”という言葉は身も心もボロボロにさせたかった、という
意味なのだろうな、と考えて後藤はフッと鼻で笑った。
- 125 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月22日(金)20時52分32秒
- 悪いがそこまで自分は弱くない、と後藤は自負していた。
日頃から後藤は決してプライベートの悩みなどを表に出さないように、そして
仕事に影響が出ないように、と心がけている。
仕事中は気持ちを切り替えて悩みを頭の奥底へ追いやっていた。
だから当然松浦の思い通りにはならない。
これは後藤のプライドでもあった。
「よし。行くか」
ポツリと呟いて後藤は呼び鈴を押した。
すると待ちわびていたと言わんばかりに直ぐ松浦が出てきた。
薄手の長袖シャツを羽織っている後藤とは対照的に松浦はノースリーブ姿だった。
手首にはお揃いのリストバンドがある。
室内にいたというのと相手が後藤なので隠す必要などなかったのだろう。
「約束の時間通りに来てくれたんだね」
「まーね」
「よかったぁ。遅れたらどうしようかと思った」
「何で?」
後藤の問いには答えず、松浦はニッコリといつもの笑顔を浮かべた。
しかし後藤の目にはいつもと何かが違うように見えた。
- 126 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月22日(金)20時54分07秒
- >> 109さん
有難うございます。
徐々に終わりに近づいていきます。
>> 110さん
実はまだしばらく続きます。
爽やかに終わればいいのですけど……。
>> 111さん
長い話なので繰り返さないと書いてる本人が忘れるんです。
覚えてる人には鬱陶しいかもしれないですけど……。
- 127 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月22日(金)20時54分39秒
-
- 128 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月22日(金)20時55分34秒
-
- 129 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月23日(土)13時30分59秒
- またこんなとこで引っ張ってるー
松浦のうちで何があるんだ?楽しみ。
作者さん頑張って
- 130 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月24日(日)00時33分08秒
- 引っ張るなぁ〜…
うー…悶え死ぬ前にどうか更新を…
- 131 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月24日(日)23時52分58秒
- 違和感を感じたのだ。
後藤が戸惑っているのにも気付かず松浦は部屋の中に戻ってしまった。
気の所為だろうか、と思いながら後藤もその後に続いた。
松浦の部屋の中は前に来た時と何ら変わりがなかった。
藤本と三人で話をしていて面と向かって自滅させてやると宣戦布告された事を改めて
後藤は思い出し薄く笑った。
その笑いを見ていた松浦は不思議そうに首を傾げる。
「何が可笑しいの?」
「いや、前にここに来た時に亜弥ちゃんがあたしに自滅してもらうって言ってた
じゃない?それを思い出してさ」
「あぁ……、あれかぁ……」
松浦が疲れたような笑みを浮かべて俯いたのを見て先ほど感じた違和感はこれだ、と
後藤は気付いた。
少し前までは自信満々そうにしていた松浦が今日は全く逆なのだ。
いや、正確には飯田のマンションでの話し合いがあった時から様子がおかしかった。
元気よく浮いていた風船が今では空気が抜けて地面すれすれで彷徨っているような
覇気のなさを感じる。
今になってようやく後藤はその事に気付いたのだった。
- 132 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月24日(日)23時55分18秒
- 松浦は他人の幸せをやっかみ、それを壊す為に飯田を利用して自分と市井を
別れさせる為に裏で何かをしていたと後藤は予想していた。
しかし何かがおかしい。
思惑通りになったのかは後藤には判らなかったが現状を松浦は喜んでいるものと
思っていたのだ。
それなのに目の前では浮かない表情をしている。
腑に落ちない、と思いながら後藤はずっと視線を合わせようとしない松浦の顔を
ぼんやりと見下ろしていた。
「今日はごっちんに謝ろうと思ってさ。本当に酷い事したって思ってる……」
俯き加減のまま、松浦がポツリと呟いた言葉に後藤は我が耳を疑った。
謝罪の言葉が松浦の口から出てくるとは思ってもみなかったのだ。
ポカンと口を開けている後藤の顔を見て松浦は弱々しく笑う。
「驚いた?」
「……うん。まぁね」
正直に後藤は頷いた。
松浦はまた笑顔を見せて、それからスタスタとベランダへ歩いて行った。
- 133 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月24日(日)23時56分58秒
- ゆっくりと窓を開けると涼しい風が部屋の中に入り込み、松浦の髪がサラリとなびく。
空は陽が暮れ始めて暗くなりかけていた。
電気をつけていなかったので室内は薄暗い。
手前にぶら下がっていた電気のコードを引くとパッと明るくなり、後藤は目を瞬かせた。
松浦へと視線を戻すといつの間にかベランダへ出ていた。
背中がいつもよりも小さく見える。
後藤は声をかけようとした口をつぐみ、代わりに視線を逸らした。
剥き出しのコンクリートの上には何も置かれていない。
ただサンダルがあるだけだ。
松浦の足元を見てみると裸足だった。
「……本当はごっちんを苦しめたかったわけじゃなかったんだよね」
松浦はベランダの手すりの上に両腕を組み、顎を乗せた状態でボソボソと語り始めた。
小声なので少し聞き取り難い。
無言で松浦の背後まで近づくと後藤の髪も風で流された。
- 134 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月24日(日)23時57分53秒
- 「ごっちんと私は原因不明の病気みたいなものにかかってるでしょ?身体が浮くやつ。
飯田さんに話を聞いたらこれは精神状態が不安定だから起きるんじゃないかって」
「……らしいね。本当かどうかは知らないけど」
「私の場合は美貴たん。ごっちんの場合は市井さんが原因だと思ったの。
二人の仲が上手くいってないから身体に異変が起きてるんだって。
だから壊してやろうと思ったの」
「壊す?それは亜弥ちゃんが前に言ってた意味とは違うの?」
「もちろん、違うよ。
二人を別れさせたかったわけじゃなくて、ちゃんと話し合いをしてもらいたかった。
だからそうなるように仕向けたつもりだったんだけど……」
「はぁ?一体、どういう事?」
サッパリ意味が判らない。
松浦が説明下手なのか、それとも自分が馬鹿だから判らないのだろうか、と後藤は
頭を抱えた。
松浦は背中を向けたままなので後藤が内心戸惑っているのも気付いておらず、両腕に
顎を乗せた状態から片手で頬杖をつく姿勢に変わった。
- 135 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月24日(日)23時59分46秒
- 「市井さんと上手くいってないのはごっちんが飯田さんとの事を隠してたからだと
思ったの。ごっちんが隠し事してたから二人の関係に変化が起きたんでしょ?
他に何か理由があったのかもしんないけど私にはそれしか考えられないと思ったから」
「…………」
「ごっちんが飯田さんとの事を市井さんに言えないんなら私がバラしちゃえば
いいんだって思ってね。
一つずつ心当たりのあるものを潰していった方がいいと思ったからさ。
だって、飯田さんとの関係なんて傍から見たら何でもない事なのにどうして隠す
必要があるの?大した事ないのに隠そうとするから問題になるんだよ」
「だからって全く関係ない亜弥ちゃんが言う必要なんてないじゃん」
人の気も知らないで勝手な事をする、と後藤は内心ムッとしていた。
確かに他人にとっては何でもない事かもしれない。
自分でもよく判らないのだ。
頑なに隠す必要などあったのだろうか、と。
どうして飯田の事を隠していたのか、と問われたら後藤は何も言い返せない。
ずっと自分でも答えを見つけられずにいたのだ。
しかし無関係の松浦にとやかく言われる筋合いなどない。
- 136 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月25日(月)00時02分48秒
- 松浦は首だけで振り返り、無表情になってしまった後藤の顔を見て苦笑いしながら
説明を始めた。
松浦の場合は誰とでも仲良くする藤本への嫉妬が原因で身体が浮くようになった
としか考えられなかったがそれが判っていてもどうする事も出来なかった。
何故なら松浦の気持ちを藤本が受け入れない限り、身体が元に戻る事などないと
思えたからだ。
そして後藤の場合は仕事が原因だったと松浦は飯田から話を聞かされていた。
しかし後藤自身から話を聞き、今はあれだけしっかりとした意思があるというのに
仕事への不満の所為で身体が元に戻らないというのは少し不思議に思えた。
恐らく不安の種類が変化し、症状の原因が仕事以外のものになったので戻らなく
なってしまったのだろう。
しかし後藤の相談相手だった飯田から後藤の現状を聞けば聞くほど松浦は混乱した。
ずっと片想いをしていた市井と付き合える状態になり、普通なら幸せを感じている
時期なのにどうして身体が元に戻らないのだろう、と。
そして松浦はある仮説を立てた。
市井との付き合いに問題があるのではないだろうか、と。
- 137 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月25日(月)00時04分36秒
- しかも身体の症状の事が言えない状態なのだからますます袋小路に入り込んで
しまったのではないだろうか、と考えたのだ。
そして松浦は後藤が隠している事を市井に話す事で二人の今の関係を崩す事にした。
どう転ぶのか全く予想がつかない。
飯田との付き合いは何でもなかったと後藤がきちんと説明すれば普通なら市井も
安心するだろう。
部外者である自分が干渉すべき事ではないと判ってはいたが松浦はあえてそうした。
「信じてくれないかもしんないけどこれが本当の事だよ」
弱々しい笑みを浮かべて松浦は呟いた。
全ての事情を聞かされても後藤は眉間にしわを寄せていた。
一度に沢山の情報を頭に入れると頭痛がする。
「まぁ、私が出しゃばるのは変だけど……」
「…………」
- 138 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月25日(月)00時05分58秒
- 「でもね、これがきっかけで二人がちゃんと話し合ってわだかまりがなくなったら
ごっちんの身体は元に戻るんだって私は信じてた。
それに何となく市井さんと別れる事になっても、ごっちんにとってはそっちの方が
いいのかもしれないとも思ったし。でもそうじゃなかった……」
「…………」
「市井さんと飯田さんの事を知らなかったんだよね。
だからあの時本当にビックリした。
それまで思い通りに進んでたからいい気になってたんだよね。
飯田さんのマンションに行くまでは絶対に上手く行くっていう自信があったから。
なのに、ああなったでしょ?あの後、自己嫌悪しまくったよ……。
あ〜、でもその前から自分でも気付いてたのかもしんないなぁ。
私の計画は失敗するって……」
松浦の説明は途中から支離滅裂になっていた。
自分でも混乱していると判っているのだろう。
苛立ちを抑えきれずに頭をガリガリと掻いている。
更に混乱してきた後藤は「……ちょっと待ってよ」と呟き、片手でこめかみを軽く
揉みながら眉を寄せた。
- 139 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月25日(月)00時07分10秒
- 「本当に亜弥ちゃんはあたしの為に色々としてたの?」
「そうは見えなかっただろうけどね」
ようやく松浦は後藤の顔を見た。
また疲れたような笑みを浮かべている。
後藤は頭を抱えた。
頭の中が混乱したままだ。
松浦の説明の意味が理解出来ていないのでゆっくりと頭の中で整理がしたかった。
今までの松浦の行動は嫌がらせではなく、むしろ助けようとしていた。
そんな馬鹿な、と後藤は首を振った。
信じられない。
松浦の説明を聞かされてもそれを容易く鵜呑みにする事など後藤には出来なかった。
「じゃあ、今までのあたしに対する態度の意味は?おかしくない?
どうしてずっと挑戦的だったの?かなり態度悪かったじゃん」
「それは美貴たんを見返すっていう作戦もあったから」
サラリと答える松浦を後藤は呆気に取られて見つめていた。
今まで他人の事など全く興味を持たなかった松浦がどうしてこんな事をしようと
思ったのだろう、と誰もが思うだろう。
それは他人の気持ちを知ろうとしていない、と藤本に言われたからだった。
だから藤本に自分の事を見直してもらう為に後藤を助けようと思ったのだ。
- 140 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月25日(月)00時08分56秒
- 好かれていないのならば好いてもらえるようにしたらいい。
悪い所を直せば藤本が抱いている自分への認識も変化するだろう、と松浦は思ったのだ。
しかしこんな事をして簡単に自分の思い通りに上手く行くとは思っていない。
何が原因で身体に異変が起きているのか、という正確な解答が未だに見出せて
いないのだから自分の考えに確信がもてるわけがないのだ。
荒療治でしかないと判っていながらも松浦はこの方法しか選べなかった。
「本当はごっちんじゃなくて美貴たんに対する嫌がらせみたいなものだったの。
私がごっちんにちょっかい出してたら気にするでしょ?」
「…………」
「最後まで見届けてもらう為には何としても美貴たんに興味を持ってもらう必要が
あったから。ごっちんにもこの事を教えない方が上手く行くと思ったしね」
後藤が難しい顔をして首を捻っているのを見てどうして直ぐに理解してくれない
のだろう、と松浦は不満そうな顔をしていた。
しかし後藤としてはややこしい話なのだ。
直ぐに判れと言われても困る。
ゆっくり自分のペースで整理しないと脳が正常に動いてくれない。
- 141 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月25日(月)00時10分33秒
- 「……って事は、つまり……あたしを利用してたってわけ?」
「ゴメン……。でもそれだけが目的じゃなくて本当にごっちんの身体を治したいと
思ってたんだよ。結果的に治すどころか更に悪くしちゃっただろうけど……」
松浦なりに罪悪感を感じているようで肩をすくめている。
その姿を見ているとこの部屋に入るまでに抱えていた負の感情がスッカリ消え失せて
しまい、逆に後藤は松浦の事が気の毒に思えてきた。
松浦が思っているほど身体の調子は悪くないのだ。
今では自分よりも松浦の方が病人に見える。
そういえば身体の調子を崩していると聞いた事もあるな、と後藤は頬をポリポリと
掻きながら口を開いた。
「えーと、あのさぁ……そんなに気にしなくていいよ」
「…………」
「あれからそんなに身体の症状が重くなったとかっていうのもないしさ。
全部正直に話してくれてるみたいだし……だから、もういいよ」
「……ふふ、ごっちんならそう言ってくれると思ってた」
「はぁ?」
先ほどまでの暗さは何処へやら、松浦はニッコリと人懐っこい笑みを浮かべていた。
余りの変わりように後藤は呆気に取られる。
そして松浦は自信満々でこう呟いた。
- 142 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月25日(月)00時11分55秒
- 「だって、私がどんな事をしてもごっちんは強いから大丈夫だって信じてたし」
「……それは過大評価し過ぎてんじゃない?」
後藤が思わず笑ってしまうと松浦もつられて破顔した。
後藤は松浦の話を信じようと思っていた。
今まで自滅させてやる、だの色々と物騒な事を口にしていたのに急に掌を返して
詫びを入れている態度が気にならないわけではないし、振り回されて散々迷惑を
かけられたのだから普通なら許せないと思うかもしれない。
後藤もそうだが、松浦も切り替えが早いタイプの人間だ。
それが判っていたので後藤は水に流そうと思ったのだ。
いつまでも引きずりたくはないし、無駄に疲れるような事はしたくない。
松浦とは仕事仲間として今後も付き合っていかなければならない関係でもある。
それに後藤は怒りの感情を持続するのが出来ないのだ。
面倒臭いと思ってどうでもよくなる。
松浦なりに迷走ではあったが身体の事を気遣って行動してくれていたというのだから
その気持ちを全て拒絶するわけにもいかなかった。
とりあえず、松浦から真実を告げられて後藤が抱いた正直な感想は疲れた、という
たった一言に尽きる。
- 143 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月25日(月)00時14分14秒
- 表情を見て後藤が許してくれたと松浦にも判ったのだろう。
松浦は安堵の胸を撫で下ろしていた。
しかし直ぐに後藤はある事に気づき、首を傾げる。
まだまだ判らない事だらけなのだ。
「でもどうして圭織に近づいたの?
あたしと市井ちゃんとの事を訊き出したかっただけ?圭織を脅してまでしてさ」
言われてようやく思い出したという表情になり、松浦は「……それも話さないとね」と
呟いた。
飯田がどこまで関わっていたのかが今までの話だとよく判らない。
松浦が飯田から後藤の身体の異変について聞かされていたというのは判る。
飯田自身も内容については口を閉ざしていたものの松浦に相談されていた、と
言っていたのだ。
そんな事を思っていると自然とまた胸の中がもやもやしてきた。
後藤の表情を見て松浦は肩をすくめ、苦笑いを浮かべた。
「そんな怖い顔しないで……って私が言っても説得力ないよね。
ちゃんと話すから少し落ち着いて」
「……別に怒ってなんか」
「そういえば、さっきの言葉だけど飯田さんが最初に言ってたんだよ」
- 144 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月25日(月)00時16分33秒
- 「さっきの言葉って?」
「ごっちんは強いって」
「…………なんでそんな会話してんの?」
「へへっ」
「笑ってないで答えてよ」
「ごっちんは飯田さん絡みの話になると物凄く怖い顔になるよね。今まで気付いてた?」
後藤はハッとした。
しかし松浦は気にせず、最初から語り始めた。
松浦はたまたま後藤と飯田の会話を聞いた。
その事を飯田に告げると後藤が自分と一緒の症状を抱えている事を知らされた。
その時は藤本が後藤の事を気にしていたので嫌がらせをする為にいいネタを
掴んだと思ったのだが直ぐに藤本は後藤の事を諦めてしまった。
正直拍子抜けしたが元々後藤に何の恨みもない。
ただ藤本の気を引きたかっただけなのだ。
そこで松浦は考えを変えた。
藤本に自分勝手だと言われた松浦は改心したという事を行動で示したかった。
だから後藤を利用したのだ。
- 145 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月25日(月)00時19分09秒
- その為には飯田の協力が必要だった。
市井との付き合いが長く、そして後藤の身体の事を知っている人間である飯田は
最初難色を示していたが従わないと松浦が身体の事を他人にバラしてしまう恐れが
あると思ったのか徐々に協力的になった。
もちろん松浦は秘密を口外する気などなかったのだが飯田も後藤の身体が元に戻る
のならば、と一応は納得したようだ。
それに松浦としても自分の身体の秘密を一人で抱えているのが辛かったのだ。
後藤とは違って飯田のような理解者はいなかった。
元々友達が多い方でもない。
悩みを抱えた時に頼れる人間など周りにいないのだ。
松浦の場合、身体の調節が出来るので後藤ほど心配な点はなかったがそれでも
飯田の存在がとても有難く思えた。
現に飯田は困った時には直ぐ対処してくれていた。
そして飯田というパートナーを手に入れた松浦は気を引かせる為に藤本自身が
口にした言葉がキッカケで人が変わったように見せかけた。
- 146 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月25日(月)00時20分19秒
- 表向きには後藤に対して嫌がらせをしているように演技をしながら最後には本当の
事を話して後藤の為に頑張っていたのだ、という事を打ち明けるつもりだった。
傍から見たら押し付けがましい行為だろう。
案の定、飯田には回りくどいやり方だと指摘されたがこうでもしないと自分に
興味を持っていない藤本の気を引く事が出来ないと思ったのだ。
しかしこれらは松浦の作戦が成功していたらの話であり、今となっては何も
状況は変わらない。
松浦は良い意味でも悪い意味で前向きで、そしてマイペースだった。
「私、自分の事は飯田さんに全部話してたけど飯田さん自身の話は余り訊いて
なかったんだよね。
っていうか、飯田さんが話したくないっていう顔をしてたから訊けなかったって
いうのもあるんだけど。
今にして思えばこういう事だったのか〜って感じなんだけどもう遅いよね」
松浦はベランダの手すりに背をつけ、空を仰いで大きくため息をついた。
話疲れたのか、疲労感が漂っている。
話を聞いていた後藤は窓の縁にもたれて口元に手を当てて考え込んでいた。
松浦の話を頭の中で整理していたのだ。
- 147 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月25日(月)00時22分10秒
- 松浦は後藤の為に動いていた。
そして飯田も松浦に協力する事で後藤を助けようとしていたのだろう。
しかし結局飯田は松浦にも隠し事をしていたという事になる。
徹底している。完璧な秘密主義者だ。
しかし後藤は違和感を感じていた。
どうしてそこまでして隠す必要があったのだろう。
確かに表に出すとややこしい事になるのは誰にでも判る事だがあれほど普段から
嘘が嫌いだと言っていた飯田とはギャップがあり過ぎる。
保田に向かって嘘をつかなければならないと苦悩していたのはこの所為かも
しれない、と後藤は思った。
全てを話して自分の立場を悪くする事と、周りを騙してしまう事の二つを天秤に
かけてどちらを取るかを悩んでいたに違いない。
そして結局飯田は後者を選択したのだ。
後藤は自分なりに松浦の話を整理して頭を冷やすつもりでいたのに思惑通りには
いかず、逆に胸の中で靄がかかりつつあった。
「飯田さんにはずっと止めておいた方がいいって何度も言われてたんだよね。
上手くいきっこないって言われたし、どう転んでも美貴たんが私の事を好きに
なるようには思えないって」
「…………」
- 148 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月25日(月)00時24分29秒
- 「それでも私はやりたかった。結果的に失敗しても後悔しないってずっと思ってた。
でも実際そうなるとやっぱり辛いものがあるね……。
思い上がりもいい加減にしろって感じ。
何もかも上手くいかなかった……。これじゃ、自己満足にもなんないね」
自嘲気味に笑う松浦の顔を見ながら後藤は何も言えずにいた。
慰めの言葉を口にするのは容易い事だがどうしても言えなかった。
松浦が欲しがっているものはそんなものではない。
同情という言葉が一番嫌いな人間だという事を後藤は知っていた。
だから何も言えないし、言わない。
「他人の気持ちが判ったって思ってもそれは判った気でいるだけなんだね」
独り言のように小声で呟いた松浦の言葉は後藤の耳にも届いた。
確かにそうだ、と心の中だけで同意する。
そして後藤は此処に来た時からずっと抱いていた疑問を口にする事にした。
「あたしを今日呼んだのはまだ他に理由があるんじゃない?」
「……どうして?」
弾かれたように松浦は俯いていた顔を上げた。
驚いている。
その顔を見て思わず「やっぱり」、と後藤は漏らした。
- 149 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月25日(月)00時28分38秒
- 今日わざわざ松浦が自分を呼び出したのは何らかの理由があるのではないだろうか
と後藤は思っていた。
確かに今までの説明と謝罪をする為、という理由だけでも問題はないのだろうが
別に今日でなくても良かったはずなのだ。
しかしこれから自分も松浦も新曲の仕事が増えて忙しくなる事を考えると今しか
時間的に余裕がないと思ったのではないだろうか。
いや、既に松浦は仕事が増えている状態だ。
この時間に部屋に戻る事すら滅多にないだろう。
今日しかないと思ったに違いない。
しかし一体何がしたいのか、という事が後藤には判っていなかった。
松浦は手すりにもたれたままの状態で笑みを浮かべて後藤の顔を覗き込んだ。
「ごっちんは勘がいいねぇ」
「まだ何かするつもりなの?」
「ごっちんに頼みたい事があるだけだよ」
「頼みたい事?」
松浦が言った言葉を繰り返して後藤は眉を寄せた。
何を言おうとしているのか予想すら出来ない。
後藤が戸惑っているというのに松浦は自分の素足を見下ろしながら鼻唄を
歌っていた。
- 150 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月25日(月)00時30分37秒
- コロコロと表情を変える。
どうやら完全に気を取り直したらしい。
松浦の鼻唄を聴きながらふと後藤は思った。
もしかして今此処でしたやり取りは全て松浦の演技だったのではないだろうか、と。
話の内容を疑っているわけではなく、話をして相手がどういう反応をするか、と
いう事を松浦は最初から想定していたのではないだろうか、と思ったのだ。
後藤が許してくれると予想して全ての事情を打ち明け、自分の頼み事をしやすい
状態に運んでいったのだと考えたら、こうして今日此処に呼ばれた意味が
何となく理解出来る。
では松浦が今度は何をしようとしているのか、という事が問題になるのだが
さすがにそれは後藤にも判らない。
「ごっちんだって本当の事を知りたいと思うでしょ?」
「……一体、何の事?」
後藤が首を傾げても松浦は顔を上げず、そのままの状態で続けた。
「私ずっと考えてたんだよね……。何が一番いけなかったのかって事を。
何が原因で上手く行かなくなっちゃったんだろうって考えたら秘密を持つのが
良くなかったんだって気付いたの」
「秘密って……、身体の事?」
- 151 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月25日(月)00時31分46秒
- 「うん。私達は隠そう隠そうとして来たでしょ?
それが間違いだったんじゃないかなぁって」
「ちょっと待ってよ。こんなの簡単に話せるもんでもないじゃん」
「判ってる。誰もが飯田さんみたいに直ぐに受け入れてくれるとは思ってない。
っていうか、まぁ、飯田さんの場合は……」
「圭織がどうしたの?」
言葉の語尾が聞き取れず、後藤は問い掛けた。
松浦は顎に手を当てて何かを考え込む仕草をして直ぐに軽く首を横に振り
「何でもない」と誤魔化した。
何を言おうとしたのだろう。
しかしもう一度尋ねようとした後藤よりも松浦が喋り出す方が早かった。
「やっぱり自分の事を好きになってもらいたい人には全てを曝け出す必要が
あったんじゃないかなぁ。相手に隠し事するから罪悪感が残るんだよ。
少なくとも身体に異変が出たのも無関係じゃないんだし、怖くても正直に
話してたら今とは違う結果になってた気がするんだよね」
「まさか亜弥ちゃん……」
面食らって後藤が目を見張っていると松浦は顔を上げてニッコリと笑った。
その顔を見て後藤は察した。
- 152 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月25日(月)00時33分05秒
- 松浦はもう覚悟を決めている。
全て明らかにするつもりだ。
後藤は驚愕して先ほど気になった飯田の事も頭から吹っ飛んでいた。
しかしそれだけではなかった。
松浦は続けて意外な言葉を口にした。
「これはごっちんの為でもあるんだよ?」
「何が……」
「私だけじゃないからね。これからやる事は」
「どういう事?」
どうして自分が関係あるのだろう、と後藤は首を傾げた。
今からやろうとしている事は松浦が藤本に自分自身の事を全てを話す、という風に
理解していたのだがこの様子だと違うようだ。
一体何をやろうとしているのだろう。
後藤がまごついていると松浦はテレビなどでよく見せる完璧なウインクをした。
「私の言う通りにしてくれたら意味が判るよ」
- 153 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月25日(月)00時34分23秒
- >> 129さん
引っ張るつもりはないのでサラリと進めましたが怒らないで下さい……。
次からが本番になると思います。
>> 130さん
悶え死なせない為に切りがいいところまで更新しようとしたら長くなりました。
えーと、死なないで下さい……。
- 154 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月25日(月)00時36分24秒
- 説明が多いくせに判り難くてすみません……。
- 155 名前:12−うずみ火。 投稿日:2003年08月25日(月)00時37分35秒
- 次回はややこしくしてくれた彼女の話です。
- 156 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月25日(月)00時59分29秒
- 続 き が 激 し く 気 に な る 。
- 157 名前:129 投稿日:2003年08月25日(月)02時13分55秒
- >>153
全然怒ってませんよ〜
ただひたすらわくわくしてます
続きも楽しみです。頑張って。
- 158 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月25日(月)20時50分36秒
- さよならエゴイストか、なるほど。
一章ごとのタイトルも変わってて面白い。
- 159 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月26日(火)19時22分23秒
- 誰かの為に嘘をついて誤魔化して。
そんな事をする人の気持ちが判らない。
理解が出来ない。
――でもようやく判った。
- 160 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月26日(火)19時23分13秒
- * * *
- 161 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月26日(火)19時24分13秒
- 静まり返った部屋にピンポーンと呼び鈴の音が響き渡った。
その音を聞いて後藤が松浦の顔を見た。
松浦は笑みを浮かべて後藤へと手を差し伸べる。
しかし後藤はその手を取ろうとはせずに本意を探るように、じっと松浦の顔を見ていた。
松浦は手を戻し、玄関を一瞥してから肩をすくめる仕草をしておどけてみせた。
「ごっちんがお出迎えしてくれるかな?」
「…………」
何も言わずに遠ざかる後藤の背中を眺めながら松浦は苦笑した。
先ほどまでは機嫌が戻っていたというのにまた気分を損ねてしまったらしい。
松浦は「まぁ、何とかなるかな」と能天気に呟いてベランダの手すりに飛び乗った。
冷たく感じる夜風が頬をくすぐる。
松浦は瞼を閉じて大きく息を吐く。
自分でも驚くほど落ち着いていた。
後ろを振り返ってみるとマンションから見下ろす風景は光が極僅かでよく見えず
シンと静まり返っている。
その風景を見ながら松浦は、またシャボン玉を飛ばしてみたいな、などと思っていた。
暗闇に光るシャボン玉は花火などとは違って派手でもないし、鮮やかさもないが
幻想的で見ていて心が落ち着く。
- 162 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月26日(火)19時25分07秒
- ガチャリと扉が開く音が聞こえて松浦は視線を前に戻した。
複数の声が聞える。
玄関からまず後藤が現れ、その後ろから藤本と飯田が続いて現れた。
どうやら一緒に来たようだ。
飯田は明らかに戸惑っている。
先ほどまでの後藤と同じように何の為に呼び出されたのかが判らないのだろう。
しかし何故か藤本は無表情だった。
それが少し気にはなったが松浦は表情を変えずに時計に視線を移動させた。
約束の時間通り、十時になっている。
「時間通り、来てくれたんですね」
「……先にごっちんが来てたんだね」
藤本が後藤を見ながら呟いた。
松浦と今まで何を話していたのかが気になるようで後藤が何か言うのを待っている。
しかし後藤は気付かない振りをしてソファに腰掛けるなり、気怠そうに髪をかきあげていた。
もちろん松浦も素知らぬ顔をする。
「呼んだのはこれで全員なの?」
飯田が不安そうな口調で尋ねてきた。
忙しなく黒目をキョロキョロと動かしていたが誰とも目を合わせていない。
藤本は真剣な表情で松浦の顔を見据えている。
その視線を受けながら松浦はニッコリと笑って答えた。
- 163 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月26日(火)19時27分33秒
- 「本当は市井さんにも同じメールを送ったんですけどね。
飯田さん達よりも早い時間を指定してたんだけど時間通りに来ないって事は
もう来ないでしょうね」
この言葉に反応したのは後藤だった。
市井の話を知らなかったので驚いている。
どうして先に教えてくれなかったのだ、と目で責められ、松浦は肩をすくめた。
飯田達も意外そうな表情をして顔を見合わせている。
「圭織達よりも此処に来てもらいたかったのは紗耶香じゃないの?」
「違いますよ。むしろ市井さんは来ても来なくてもどっちでもいいんです」
今日松浦が本当に呼びたかったのは飯田と藤本だけでこの四人が揃えば問題はなかった。
市井だけは、いてくれた方がいいのかもしれないという程度だった。
だから後藤には市井の事を話していなかったのだ。
この四人だけで話は進められるのだから市井を呼んでいた事など話す必要がないと
松浦は判断していた。
市井と後藤の仲を戻そうとしているのではないか、と疑っていた飯田達は肩透かしを
喰らったような顔をしている。
しかし二人の思惑など知らない松浦はベランダの手すりからぶら下げている足を
ブラブラと揺らしていた。
- 164 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月26日(火)19時28分29秒
- その姿を見て藤本が険しい表情になった。
「ねぇ……。そんなとこに座ってたら危ないよ。降りなよ、亜弥ちゃん」
藤本が叱るような口調で呟く。
それでも松浦は正面で立ち尽くしている飯田と藤本に向かって笑みを作り、首を振る。
一人ソファに座っている後藤は松浦の様子を窺っていた。
松浦は飯田に視線を向ける。
「全部ごっちんには話しました。
私がどうしてごっちんにちょっかい出してたのかって事と何の為に飯田さんに
近づいたのかって事」
「……そう」
飯田は俯いた。
どう返答をしたらいいのか、困っているようだ。
部屋の中にぎこちない沈黙が出来る。
頬を緩ませているのは松浦だけだ。
「あと知らないのは美貴たんだけかな?」
「美貴もある程度は知ってるよ。亜弥ちゃんがやろうとしてた事は」
「え?」
松浦は意表を突かれた。
藤本に本当の事を話した覚えなどない。
それなのにどうして知っていると答える事が出来るのだろう。
しかし直ぐにその謎は解けた。
- 165 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月26日(火)19時30分10秒
- 「飯田さんが話したんですね?」
飯田が申し訳なさそうに頷くのを見て松浦はため息をついた。
それでも直ぐに「まぁ、いいか」と開き直る。
予想外ではあったが構わない。
この程度のズレはまだ修正可能だ。
既に作戦は変更されている。
「じゃあ、何処まで知ってるのか訊いてもいいかな?」
「亜弥ちゃんがごっちんの為に何かをしようとしてたって事くらいしか知らないよ」
藤本は素っ気なく返し、先ほどからずっと目線を松浦の足に向けて、早く降りろ、と
睨んでいた。
しかし松浦は微笑を浮かべて藤本を見下ろす。
それにしても随分と中途半端な情報を貰っているのだな、と松浦は拍子抜けしていた。
飯田なりに何処まで話すかという事に気を遣っていたのだろうがどうやらこの様子だと
見返してやろうとしていた事までは知らないようだ。
さて、どうするべきか、と考えながら松浦は顎を軽く撫でた。
「今日は一体、何の用で圭織達を呼んだの?」
飯田の問いに松浦は直ぐに答えなかった。
先ほどからずっと飯田は後藤と目を合わせようとしていない。
後藤もわざと視線を逸らしていた。
- 166 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月26日(火)19時31分12秒
- 視線を交わしてしまうと心の中を読まれるとでも思っているのかもしれない。
基本的に心情を表に出す事がない後藤だが念には念を、と言ったところだろうか。
飯田の勘を見くびってはいけない事くらい松浦もよく判っていた。
飯田達が来る前に松浦は自分が立てた作戦を全て説明したのだが肝心な所を
あやふやにした所為か、後藤は容易には納得してくれず、渋い顔をしていた。
予想通りの反応だったので松浦も気落ちする事などなかったが困る事には困る。
後藤が協力してくれないと危険が増すのだ。
下手をしたら生命にかかわる。
しかし自分なら大丈夫だという自信が松浦にはあった。
この作戦は自分だけではなく、後藤の為でもあるのだ、と何度説明をしても
最後まで後藤は協力するとは言わなかった。
そして返事が曖昧なまま、飯田と藤本が到着してしまったのだった。
チラリと後藤を見て松浦は軽く頷いて合図を送った。
しかし後藤は無表情だった。
その顔は怒っているようにも見える。
松浦はこっそり苦笑いを浮かべ、そして決心した。
後藤の協力がなくても作戦は実行可能だ。
心の中で、作戦開始だ、と呟き、松浦は表情を隠す為に俯いた。
- 167 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月26日(火)19時32分01秒
- 「もう疲れちゃったんだよね」
「……亜弥ちゃん?」
「何て言うかさ〜、これでも私はごっちんの為に色々頑張ってたんだよ。
事情を知らない美貴たんにはそう見えなかっただろうけど、ごっちんの悩みを
解決する為にはこうでもしなくちゃダメだったの」
「それは何となく知ってるけど……」
「結局誰の目から見ても私の自己満足でしかなかったわけだけど。
それでも必死だった。何とかしてごっちんを助けようって……」
松浦がそう言うと藤本と飯田が揃って後藤に視線を向けた。
その視線を逃れるようにして後藤は顔をしかめながら上半身だけ向きを変える。
松浦から顔を背け、飯田と藤本には背を向けた状態になっていた。
会話に入る事を拒絶しているのが良く判ったがそれでも松浦は気にせず続ける。
「美貴たんに嫌われても構わない!ってくらいの意気込みで頑張ってみたけど
皆知ってる通り、結果はこのザマ。
後悔しないって思ってたけどやっぱ虚しくなったんだよね……」
「虚しい?」
藤本が訝しげに首を傾げた。
それでも松浦は藤本の顔を見ようとはせずに俯き加減で喋る。
しかしチラチラと上目遣いで様子を窺っていた。
- 168 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月26日(火)19時33分02秒
- 「だって変でしょ?
ごっちんを助けようと思ったのは美貴たんを見返してやろうと思ったからなんだもん。
人の為に行動する事も出来るんだよって事を行動で示したかったのに」
「…………美貴を見返したかった?」
藤本が目を見張ったのを見てやはり初耳だったのだと松浦は察した。
飯田は妙なところで義理堅い。
「だってさ〜、他人の気持ちを知ろうとしてないって美貴たん、言ったじゃない?
だから誰かの為に私が頑張れば見直してくれるんじゃないかなぁ〜って思ったの。
新しい自分になりたいって言ってたのはこういう意味だったんだよ」
「でも結局亜弥ちゃんはごっちんの悩みを解決出来なかったんでしょ?」
サラリと答えて藤本は慌てて口を塞いだ。
言うんじゃなかった、と顔をしかめる。
隣にいる飯田も困ったような顔をして眉を寄せていた。
「そうだよ。失敗しちゃった。
結果的にごっちんにとって私の行動は迷惑以外の何物でもなかった。
それに美貴たんに好かれたいと思ってやり始めた事なのに最後には嫌われても
構わないなんて思ってたんだもん、もう滅茶苦茶だよ。
こういうのって本末転倒って言うんだっけ」
「…………」
- 169 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月26日(火)19時34分04秒
- 「結局私は何がやりたかったんだろう……。どうしたかったんだろう……。
そんな事を考えてる内に頭の中がゴチャゴチャになっちゃって、色々考えるのが
もう面倒臭くなっちゃったんだよね」
喋りながら松浦はフラフラと立ち上がった。
「あっ!」と藤本の驚く声が部屋の中に響く。
松浦はベランダの手すりに立ち上がっていた。
今日は涼しい風が吹いているので松浦が身に付けている服や髪がサラサラとなびく。
手すりの幅は二十センチくらいしかない為に足を踏み外せばあっという間に地面に
叩きつけられる事になる。
それでも松浦は顔色一つ変えず、何でもないような顔をして部屋の中にいる三人を
見下ろしていた。
飯田は無言で大きな目を何度も瞬かせていた。
その隣にいる藤本は眉間にしわを寄せ、今まで松浦すらも見た事がない険しい顔を
している。
二人に背を向けていた後藤は松浦の様子をこっそりと窺いながら微妙に表情を変えていた。
誰一人口を開こうとはしない。
松浦の次の行動、言動を待っている。
- 170 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月26日(火)19時35分42秒
- >> 156さん
有難うございます。
>> 129さん
有難うございます。
最後までわくわくしてもらえたら嬉しいのですけど。
>> 158さん
タイトルを考えるのが非常に苦手なので
そう言っていただけると嬉しいです。
- 171 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月26日(火)19時36分22秒
- 中途半端なところで切ってすみません。
- 172 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月26日(火)19時36分58秒
-
- 173 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月26日(火)23時30分21秒
- あがががががー
めっちゃ気になるところで更新きれてるぅ〜
押しては引き返す波のようにぐいぐいこの物語に引き込まれています。
- 174 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月26日(火)23時54分52秒
- な、なんつーとこで切るんだ…
気になって眠れないじゃないか!!(w
- 175 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月27日(水)00時03分03秒
- 作者さん、これじゃ生殺しですよ…
- 176 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月27日(水)00時34分08秒
- ( ̄◇ ̄)。o0(またこんなとこで・・・・)
- 177 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月27日(水)02時31分30秒
- はやく続きをー
- 178 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月27日(水)16時00分31秒
- おいおいおいおい!!どうなっちゃうのさ!!
まるで自演の如く同じ様なレスしかついてないのに笑った。オマエモナー
- 179 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月28日(木)10時54分32秒
- 大丈夫?松浦さん平気?いくらなんでも無茶でしょ。
死なないでよ、死なないでね!!
- 180 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月28日(木)21時35分35秒
- 松浦はドキドキと激しく高鳴る鼓動を感じながら腕に巻いていたリストバンドを外した。
そのままベランダのコンクリートの床に落とすとゴツンと鈍い音を立てる。
リストバンドの錘の所為でコンクリートに小さな亀裂が入っていた。
見かけよりも作りの甘い建物のようだ。
傷ついたコンクリートを見下ろして松浦はゴクリと喉を鳴らした。
誰にも判らないように手を後ろに回し、太腿を力いっぱい捻る事で震えを必死に誤魔化す。
柄にもなく緊張している。
しかしこれが本当の自分だ、と直ぐに思い直す。
他人には余り気付かれないが松浦は上がり症だった。
「美貴たん。……今までゴメンね。いっぱい迷惑かけちゃったでしょ?」
「…………何が?」
松浦を睨みながら藤本は訊き返す。
ここまで怒っている藤本を見るのは初めてで松浦は背筋が寒くなった。
最初に別れを告げられた時ですら、ここまで怖い表情にはなっていなかったのだ。
それでも松浦は口元を上げて精一杯の笑顔を作る。
これは最後の賭けだ。弱い自分には負けない。
松浦は心の中で自分を叱咤して奮い立たせた。
- 181 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月28日(木)21時36分53秒
- 「美貴たん、前に言ったよね?私が妬ましかったって。
美貴たんの欲しいものを全部私が先に手に入れちゃうんだって」
「……いや、だからそれは、もう」
「全部あげる」
「え?」
意味が理解出来ずに眉を寄せている藤本の顔を見て松浦はニッコリと笑った。
いつも利用している笑顔の仮面。
飯田は松浦が言った言葉を誰よりも早く察し、顔色が真っ青になっていた。
先ほどから吹きつけてくる横風の所為で松浦の身体はゆらゆらと揺れている。
強風に煽られたらあっという間に地面へと落ちてしまうだろう。
その姿を見て後藤がずっと閉じていた口をようやく開いた。
「馬鹿な事は止めなよ、亜弥ちゃん」
「あはは。ごっちんらしくない言葉言わないでよ」
「あたしらしくないって何が?」
「ごっちんだって私にムカついてるでしょ?
だって、あれだけ嫌な思いさせられてたんだもんね。
本当は早くやれよって思ってるんでしょ?」
- 182 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月28日(木)21時38分10秒
- 後藤がそうは思っていないと判っていたが松浦はあえてそう言った。
二度も失敗はしたくない。
この計画だけは成功させなければならないのだ、と改めて松浦は自分に言い聞かせた。
しばらく呆然としていた藤本は二人の会話を聞いてようやく気付いたのか、松浦に
向かって足を進めた。
途端に松浦の顔が強張る。
「こっちに来ちゃ、ダメ」
ピタリと藤本の足が止まる。
藤本が立ち止まってくれた事に松浦は内心安堵していた。
近寄って来られては困るのだ。
しかし松浦の心情など何も気付いていない藤本は顔をしかめて呟いた。
「……そのままじゃ、危ないよ」
「いいから、来ないで」
「…………」
唇をキツク噛んで藤本はベランダの手前で立ち尽くしていた。
その代わり、後藤が立ち上がって歩き出した。
無表情で松浦に向かってゆっくりと足を進める。
そして飯田も後藤の背中に誘われるように歩き始めた。
- 183 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月28日(木)21時39分02秒
- 後藤はチラリと横目で飯田が歩いてくるのを確認していたが二人が足音を立てずに
近づいているので藤本は気づいていない。
そこで松浦はハッとした。
後藤の顔は松浦にしか見えない。
その表情を見て後藤の意思を理解したのだ。
ぴたりと藤本の背後に立つようにして後藤の足が止まると不安そうな表情を
浮かべていた飯田も傍で立ち止まった。
ようやくその気配を感じた藤本は驚いて振り返る。
しかし二人が無言なので話し掛ける言葉を見つける事が出来ず、直ぐに前に向いた。
藤本が何かを言う前に松浦は話を進める事にした。
「私がいなくなればきっと美貴たんのモノになるよ。
モーニングさんのメンバーになっててもソロには違いがないんだし」
「一体、何言って……」
蒼白になっている藤本の顔を見ながら松浦は笑みを浮かべ、そしてその後ろに
視線を送り、軽く頷いて小さく息を吐く。
準備は整った。
- 184 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月28日(木)21時40分11秒
- 「フフッ。美貴たん、顔が真っ青だよ」
「…………」
「まだ気付かないの?」
「…………え?」
ニヤニヤと笑いながら松浦は目を細めた。
対照的に藤本は眉を寄せる。
「美貴たんに本当の事を教えてあげる」
「……本当の事?」
「私がずっと言ってた美貴たんに好かれようとしたっていうのは嘘。
全部お芝居だったの」
「……はぁ?」
突然の事で藤本は素っ頓狂な声を出した。
その声を聞いて松浦がケタケタと笑い出すと先ほどまで緊迫していた場の空気が
一気に崩れた。
飯田は何が起きているのか把握出来ていないのか、呆然としている。
我に返った藤本は自分が笑われている事に腹を立て、声を荒げた。
「何が可笑しいの!?」
「だって、あんなに酷い事言われてさ〜。私が本当に泣き寝入りしてるとでも思ってた?
ゴメンなさい。私が悪うございました。悪いところは全部直すから私を好きになってよ
って本当に私が心から言ってるとでも思ってたの?」
「なっ……」
- 185 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月28日(木)21時41分34秒
- 「あれだけ傷つけられて美貴たんの事をまだ好きなわけないじゃない。
バッカじゃないの?」
「ちょっと待ってよ。じゃあ、今までの話は……」
「全部嘘だってば。いい加減に気付いてよ〜。
ごっちんの事が嫌いだから邪魔してただけ。
市井さんと別れる事になって面白かったぁ〜。思った通りになったからさ。
全てはそこにいる飯田さんっていう共犯者のお陰」
からかうような口調で名前を出された飯田はギクリと顔を強張らせた。
話が違うと顔に書いてある。
確かに飯田は何も悪い事などしていない。
しかし松浦の今の言い方では勘違いされても仕方がないだろう。
案の定、藤本に睨まれ、飯田はオロオロと首を振っている。
その態度を見て更に癪に障ったのか、藤本は飯田を責めた。
「飯田さん、本当なんですか?」
「美貴、勘違いしないでよ!それに松浦もわけの判んない事言わないで!
大体松浦の話は支離滅裂だよ!
全部お芝居だとしたら何の為にこんな事をしたっていうの?変だよ、そんなの!」
飯田は必死に反論している。
思った通りの展開にくすくすと笑いながら松浦は更に煽る。
- 186 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月28日(木)21時43分04秒
- 「敵を欺くにはまず味方からって言うじゃないですか?
私が本当にしたかったのは美貴たんを困らせたかっただけ」
「…………」
「本当は美貴たんにはごっちんの事を好きなままでいてもらいたかったんだけどなぁ〜。
そしたらごっちんが自分の所為で不幸になっていくのを見て傷つくでしょ?」
「…………見損なった。それなら最初から美貴だけに嫌がらせしたらよかったのに」
「直球勝負だと面白くないと思ったし〜」
「……っ」
松浦が煽り過ぎた所為で藤本は眉間にしわを寄せ、怒りで身体を震わせていた。
それを見てやはり敵にすると怖いな、と松浦が心から思っていると藤本は手を
ギュッと握り締めた。
目が据わっている。
殺気立っている藤本を見て飯田が顔色を変えた。
「美貴!ダメだよ!」
松浦に掴みかかろうとした藤本を後ろから飯田が羽交い絞めにして止めた。
激しく息を乱して藤本はされるがままの状態になり、飯田も額に汗を浮かべて歯を
食いしばりながらも必死で押さえ込んでいる。
飯田が止めなければ藤本に突き飛ばされて松浦は地面に激突していただろう。
こっそりと松浦は助かった、と胸を撫で下ろしていた。
- 187 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月28日(木)21時44分08秒
- 藤本と飯田の荒い息だけが聞える。
口を開く余裕もないようだ。
松浦が次はどうするかな、と考えていると窓の縁にもたれている後藤が口を開いた。
「……亜弥ちゃんは結局どうしたいの?」
感情が込められていない興味なさそうな呟き。
しかし松浦にとっては好都合な問い掛けだった。
松浦は心の中で後藤に感謝しながら不適な笑みを浮かべ、あっけらかんとした
口調で答えた。
「もう芸能界にも未練はないし。此処から飛び降りてもいいかな〜なんて」
松浦の言葉で藤本と飯田の動きが止まる。
後藤はゴクリと喉を鳴らした。
「だってさぁ、もう疲れちゃったし。何もかも面倒臭いし。
アイドルって思ってたほど面白くないよねぇ。毎日窮屈に感じちゃうもん」
「…………」
「それにこれで私が死ねば美貴たんは欲しいものが手に入るけどその代わり一生
後悔して生きていく事になるじゃない?美貴たんの所為で私が死ぬんだから。
これって最高の嫌がらせだよねぇ」
「……じゃあ、勝手にすれば?」
- 188 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月28日(木)21時45分58秒
- 冷酷な言葉が闇夜に響き渡った。
藤本は飯田に羽交い絞めされた状態で松浦を睨んでいた。
予想外の言葉に驚いた飯田の手が力なくダラリと落ちる。
さすがに後藤も目を見張って藤本を見ていた。
身体が自由になった藤本は改めて言い放つ。
「それで気が済むならそっから飛べば?
でも美貴は亜弥ちゃんの事なんてあっという間に忘れるから。
そんな人いなかったって事にして生きて行く。それでもいいなら飛べば?」
売り言葉に買い言葉。
よほど松浦の言葉が気に食わなかったのだろう。
そして本当は松浦が言葉通りには実行出来ないと思い込んでいるのだろう。
松浦の冗談にはもう付き合いきれない。
茶番はおしまいだ、とでも言い出しそうな顔をして藤本は冷ややかな目で松浦を
見つめていた。
しかし藤本が虚勢を張る事が出来たのはそこまでだった。
松浦がにっこりと笑みを浮かべたのを見て藤本の顔が強張る。
松浦は藤本の後ろに視線を移動させ、じっと見つめた。
- 189 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月28日(木)21時47分41秒
- 自分に都合の悪い事を話さずにいるのは卑怯だ。
だからすれ違ってしまう。
いい加減に自分の弱さに気付いて、その弱さを曝け出せ。
自分はもう逃げない。
一緒に秘密を無くすべきだ。
そんな想いを抱きながら松浦はゆっくりと瞼を閉じて祈るように天を仰ぎ
大きく息を吸い込んだ。
「バイバイ」
松浦はそう言って後ろへ軽く跳んだ。
- 190 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月28日(木)21時48分54秒
- >> 173さん、174さん、175さん、176さん、177さん、178さん、179さん
自分が物凄い悪党になったような気分です(笑
レス有難うございます。
まとめてのレス返しで本当にすみません。
自らネタバレしそうな気がして……。
- 191 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月28日(木)21時49分47秒
- ペースダウンしてて申し訳ないです。
- 192 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月28日(木)21時50分28秒
-
- 193 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月28日(木)23時19分30秒
- ままま松浦さん!!あんた何してんの!!
まさか本当にやっちゃうとは…。
ものすっごい続き期待です。
- 194 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月29日(金)10時07分50秒
- 松浦さんやだよぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(号泣)
- 195 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月29日(金)18時03分27秒
- だってさ、あれじゃんね。ね?
- 196 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月30日(土)00時25分27秒
- まっまっつ〜〜〜〜!!!!!
どうなる?どうする?松浦さーん!!
- 197 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月30日(土)02時05分52秒
- きたぁー。すげえ。おもしろい。
- 198 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月30日(土)02時41分34秒
- ベランダから飛び降りる事に恐怖を感じない人間がいるとしたらそれは死を覚悟して
いる人だけだろう。
それでもいざとなったら怖いと感じて足がすくむ人も中にはいるかもしれない。
地面を目指して飛んでしまえばあっという間に全てが終わるのだろうから恐怖を感じる
余裕などないのかもしれないが松浦は例外だった。
松浦は大きな衝動を感じ、目を硬く閉じた。
しかしありえない所に圧力を感じる。
恐る恐る瞼を開けてみるとそこには歯を食いしばっている藤本の顔があった。
藤本はベランダから身を乗り出し、松浦の右腕を両手でしっかりと掴んでいる。
松浦は宙ぶらりんの状態になっていた。
力いっぱい腕を掴まれて本当なら痛みを感じるはずなのに松浦は全く何も感じず
ただ、ポカンと呆けていた。
何が起きているのか把握出来ていない。
「……美貴たん。何やってんの?」
「…………じょ、冗談言ってる場合じゃないって!」
「冗談でも何でもなくて……何で美貴たんなの?」
「わけの…っ……判んない事言ってないで早く上ってきてよ!」
- 199 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月30日(土)02時43分01秒
- ベランダから上半身を乗り出している藤本は今にも一緒に落ちてしまいそうだった。
それでも必死に引き上げようとしている。
さすがに焦ったのだろう、後藤も藤本の腰に手を回していた。
その横で飯田は驚きの余り全身を硬直させている。
三人の姿を見て松浦は顔を歪めた。
また失敗した。彼女を買い被り過ぎていた、と心底落胆していた。
思わず力なく呟いてしまう。
「……何でこんな事に」
「それはこっちの台詞だよ!馬鹿!!」
「馬鹿って言うんなら早く手を離してよ!美貴たんは私の事なんてどうでもいいんでしょ!
さっきので嫌いになったでしょ!」
松浦はずっと我慢していた涙を抑える事が出来ずにボロボロと泣き出した。
笑顔の仮面は粉々に壊れてしまった。
色んな感情が一気に松浦を襲い、歯止めが効かない状態だった。
これでは何の為にわざと藤本を傷つけたり、混乱させるような言葉を口にしたのか
判らない。
藤本は餌でしかなかったのだ。
それにここできっぱりと嫌われて別れを告げられたら藤本の事を完全に吹っ切る事が
出来たはずだった。
- 200 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月30日(土)02時45分11秒
- それなのにこうして助けられてしまうと想いを引きずってしまう。
何もかも決してこうなる予定ではなかったのだ。
俯いて松浦がボロボロと後悔と悔しさの涙を零していると藤本の荒く苦しそうな
声が落ちてきた。
「……こんな状態でゴチャゴチャ言わないでよ!こっちは余裕ないんだからっ!」
「ゴチャゴチャって……」と言いかけて松浦は頬に水滴を感じて口をつぐんだ。
無理な体勢になっている上に全身のありったけの力を出している藤本の顔は赤鬼の
ようになっており、ダラダラと汗の粒が頬を伝って落ちている。
「美貴たん……、手を離してよ。こ、このままじゃ、美貴たんも落ちちゃうよ」
「…………」
「美貴たん!」
「うるさいな!」
怒鳴られ松浦はビクリと身体を揺らした。
その動きでズルリと松浦の腕を掴んでいた藤本の手が滑り、慌てて掴み直す。
「うー」と唸りながら藤本は必死で耐えている。
こめかみに浮いている血管が今にも切れてしまいそうだ。
それを見て松浦は空いている左手で自分の腕から藤本の手を外そうとしたが
また怒鳴られる。
- 201 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月30日(土)02時47分00秒
- 「馬鹿っ!邪魔しないでよ!」
「早く離してって言ってんのに!美貴たん!!」
「うるさいって……!亜弥ちゃん……重過ぎる……っ」
こんな状況だというのに松浦はカチンと来た。
涙はスッカリ引っ込んでしまっている。
散々怒鳴られ、馬鹿だと罵られ、それでも大人しくしているような人間ではない。
そうでなくても藤本まで道連れにしてしまうわけにはいかないのだ。
松浦はチラチラと頭上の様子を確認しながら口を開いた。
「勝手に飛べって言っておきながら邪魔しないでよ!」
「……邪魔するよ!それにこんな事までして試さなくていいよ!馬鹿!」
「試すって何が……」
「美貴を馬鹿にするのもいい加減にしなよ!
亜弥ちゃんの性格くらい判ってるんだからさ!
今までずっと一緒にいたんだから亜弥ちゃんの考えてる事くらいお見通しだって!」
松浦は目を見張った。
先ほど自分の言葉一つ一つに顔色を変えていたので藤本は信じ込んでいるものだと
思っていた。
だから油断していたのだ。
藤本は頭に血が上りやすいが、冷めるのも早い。
表面上では激怒していたものの、冷静に松浦の言葉の真意を探っていたのだ。
- 202 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月30日(土)02時47分59秒
- 藤本が口にした言葉が信じられない松浦はゴクリと喉を鳴らして問い掛ける。
その声は少し震えていた。
「ちょっと待ってよ……。じゃあ、さっきの言葉信じてなかったの……?」
「そんなのどうでもいいよ!
仲直りするのにどうしてここまで身体はらなくちゃいけないの!馬鹿!」
ドッと松浦の身体中から力が抜け、頭の中が真っ白になった。
あんなに酷い事を言ったのに藤本は自分の事を見捨てていなかったというのか。
そうでなくても好かれていないと松浦は思っていたのだ。
妬んでいる、無神経などと言われてはそう思い込んでも仕方がない。
元の関係に戻る為にこの数ヶ月自分を偽り、慣れない事をして四苦八苦する日々を
送っていたというのに一体何をしていたのだろう。
何の為に必死に頑張って来たのだろう。
いや、考えるまでもない。
つまり無意味な事ばかりしていたという事だ。
「美貴ちゃん、言ってて恥ずかしくない?」
「……うるさいな!今そんな余裕ないんだってば!
このまま落ちちゃったら本当に洒落になんないよ!」
- 203 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月30日(土)02時49分21秒
- こんな状況だというのに後藤は冷静に突っ込みを入れている。
しかし松浦の身体を支えている藤本はそれどころではない。
後藤にカバーされているものの、殆どベランダから身体がはみ出し、全身から
脂汗が噴出している。
「ごっちん!いい加減に早く引き上げてよ!」
「無茶言わないでよ。これでも一生懸命支えてるんだから。
言っておくけど美貴ちゃんも重いよ」
「この重さは美貴じゃなくて亜弥ちゃんだよ!」
藤本の怒鳴り声と困り果てた後藤の声が聞える。
その声で松浦は我に返り、そして唇をキツク噛んだ。
藤本の言葉や気持ちはもちろん嬉しく思う。
松浦一人だけの問題として考えると目的が達成されたも同然なのだから
これ以上にないほど喜ぶべき事だった。
しかし突然過ぎる出来事に心が麻痺している状態で上手く消化出来ない。
そして今は頭の中で違う事を考えていた。
今のこの状態は今日松浦がしようとしていた本意とは少し違う。
- 204 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月30日(土)02時50分31秒
- やはり無駄だったのだ。
仕方がない。自力でベランダに戻ろう。
元々、全てを明らかにするつもりだったので藤本に自分の身体が浮く姿を
見られても構わない。
そう思い、諦めて松浦は自分の身体をコントロールしようとした。
しかし――。
「……あれ?」
松浦の口から間の抜けた声が出る。
身体が言う事を効かず、浮かないのだ。
今までなら自分の身体の浮き沈みは自由にコントロール出来ていた。
それが何故か今は出来ない。
肝心な時に出来ないのだ。
真っ赤になっている藤本の顔とは対照的にサァッと松浦の顔から血の気が引いて
真っ青になった。
「亜弥ちゃん?」
一番最初に松浦の異変に気付いたのは後藤だった。
藤本との言い合いもそれで止まる。
「ごっちん……、どうしよう」
弱々しい声を聞いて後藤は怪訝そうな顔になり、やがてその顔が強張った。
松浦の様子がおかしい理由を察したのだ。
「……まさか」
「動かない」
「……どうすんの」
「どうしよう」
- 205 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月30日(土)02時52分00秒
- 二人の意味不明な会話を聞く余裕など今の藤本にはない。
顔を伏せて松浦の腕を掴んでいる腕だけに意識を集中させている。
しかし徐々にその握力も弱くなっていた。
いくら藤本の力が強かったとしても自分と同じくらいある体重の人間を支えているのだ。
このまま持ち上がるわけがないし、長時間の現状維持も無理だろう。
もちろん松浦にもその事が判っていたので力の限り叫んだ。
「飯田さん!」
名を呼ばれてそれまで呆然としていた飯田の目の焦点がようやく合った。
しかしまだ身体はピクリとも動かない。
ただただマネキンのように立ち尽くし、松浦を見下ろしているだけだ。
焦れた松浦は更に叫んだ。
「いつまで隠してるつもりですか!」
「…………」
「それがごっちんを傷つけてるって事がまだ判んないんですか!」
その言葉を聞いて飯田は顔を強張らせた。
名前を出された後藤は藤本の身体を抱えたままの状態で飯田を見上げている。
飯田はゼンマイ仕掛けの人形のようにぎこちなくゆっくりと首を動かし
後藤の顔を見下ろす。
その顔は不安の色が濃い。
- 206 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月30日(土)02時53分20秒
- 「圭織……」
後藤は抑揚のない声を出した。
まだ真実を知らない後藤には松浦が何の事を言っているのか判らないのだろう。
それでも飯田が何かを隠している事くらい見当がついているはずだ。
後藤に懇願するような目で見つめられた飯田はふいっと顔を背けた。
哀しそうに顔を歪めている。
まだ決心がつかないようだ。
そんな事をしている間にも藤本の手は汗で滑っていく。
ガクンと一瞬本当に落ちそうになり、松浦も冷や汗を全身にかいていた。
しかし飯田はまだ動かない。
このままでは――。
「あっ!」
藤本がそう叫んだ時には手が離れていた。
本当に松浦は宙に投げ出された。
スローモーションのように松浦の視界の中に映っている藤本達の身体が
小さくなっていく。
重力があってもこんなにもゆっくり落ちるものなのか、と松浦は驚き、やがて
諦めたように目を瞑った。
自分は最後まで馬鹿だったのだ。
改めて呆れてしまう。
計画は無残な結果に終わった。
こんなはずではなかったのだ。
死んだら幽霊になってでも藤本に謝りに行こう、などと松浦が考えていると
身体中が圧迫された。
しかし地面にぶつかったような痛みはまだ感じない。
- 207 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月30日(土)02時54分36秒
- 代わりにひんやりとした感触を頬に感じて、松浦は目をパッと開いた。
ひんやりと感じたのは藤本の頬だった。
ギュッとキツク目を閉じている。
無我夢中で飛び出してきたのだろう。
藤本の顔を見て思考回路が麻痺してしまった松浦には喜怒哀楽のどの感情も
湧いてこなかった。
ただ、驚いて目を丸くしているだけだ。
そしてまたがっちりとした衝撃を受け、顔をしかめる。
今度こそ間違いなく地面に叩きつけられたのかと思いきや、今までとは逆に
浮遊感を感じた。
閉じていた瞼を恐る恐る開くと後藤が精一杯腕を伸ばして二人を抱え込んでいた。
後藤はこんな時だというのに松浦の顔を見てニヤリと笑っている。
三人の身体は宙に浮いていた。
後藤の力で浮いているのだ。
手首を見てみるとリストバンドはなかった。
いつの間に外したのだろう、と松浦は思った。
全く気付かなかったのだが考えられるとしたら藤本の背後に近寄った時だろう。
何が起きているのか判らない藤本は顔色を変えて周りを見渡しては後藤の顔を
見るという事を繰り返し、口をパクパクとさせている。
「いちかばちかだったけど二人を抱え上げる事が出来るとは思わなかったなぁ」
- 208 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月30日(土)02時55分51秒
- 後藤はあっけらかんとした口調で呟き、松浦に微笑みかけた。
どうやら状況が状況だけに何も知らない藤本に秘密がバレても構わないと
吹っ切ったようだ。
命には替えられない、と思ったのだろう。
松浦はまた泣きそうになった。
感謝してもしきれない。
しかしそんなに余裕のある状態ではなかった。
三人の身体は急に上昇したり、下降したりを繰り返している。
松浦とは違って後藤は自分の身体を自由にコントロールする事が出来ない上に
今は二人を抱えているのでいつもよりも更に不安定だった。
自分の意志ではどうする事も出来ないのだ。
いつ急降下して地面に叩きつけられるか判らない。
後藤自身にも危険があるのだ。
三人が身を寄せていると誰の心臓の音が早くなっているのか区別がつかない。
「……どうにかして地面に降りるか、ベランダに戻るかをしたいんだけど」
後藤は困惑しながら空を見上げた。
頬に汗が流れている。
- 209 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月30日(土)02時56分44秒
- 松浦も顔を上げるとベランダには手すりに捕まり、腰が抜けたように座り込んで
こちらを見下ろしている飯田の顔が見えた。
三人共が落ちてしまったのかと思ったのだろう。
蒼白になって震える自分の身体を抱きかかえていた。
幸運な事に周りには人がいなかった。
誰かにこの姿を見られる事もない。
今考えるべき事はどうやって助かるか、という事だけだった。
先ほどからずっと穏やかに吹いていた風が急に強くなった。
左右に吹く風ではなく、不思議な事に下から上へと風が吹いている。
浮遊している三人の身体がその風に乗って急上昇した。
松浦の部屋のベランダ近くまで舞い上がり、松浦はこれが最後のチャンスだと
覚悟を決めた。
このままでは自分達は助からない。
何としてでも飯田の力を借りなければならないのだ。
二人を抱えている為に両腕を動かす事が出来ない後藤はチラリと一度だけ
飯田の様子を窺い、直ぐに目を瞑った。
集中していなければまた降下してしまうかもしれないという恐怖と戦っている。
- 210 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月30日(土)02時57分48秒
- もちろん後藤に抱えられている二人も自由に両手を動かす事が出来ない。
そうでなくても藤本は先ほどから呆けている。
松浦を追って飛び降りたのは衝動的な行動で今は何が起きているのか判らず
頭の中が真っ白になっているようだ。
それを見て松浦は後で詳しく説明が出来ればいいのだけど、と申し訳なく思ったが
助からない限りそんなチャンスはない。
手を伸ばせばベランダに届きそうな所にまで上がっているというのに三人共それが
出来ない状態だった。
もどかしい気持ちを抑えながら松浦は飯田に声をかけた。
「飯田さん、手を伸ばして!届くでしょう!?」
飯田はその声を聞いてふらふらと立ち上がった。
そしておどおどと手を伸ばす。
しかしあともう少しというところで届かない。
今度は身を乗り出し、手を伸ばしたがそれでもやはり届かない。
その様子を見て松浦は歯を食いしばった。
どうしたらいいのだろう、と思っている間にも徐々に三人の身体はまた
降下しつつあった。
「……圭織」
後藤の声がポツリと響く。
- 211 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月30日(土)02時58分44秒
- 松浦は後藤の顔を見て片眉を上げた。
こんな状況だというのに後藤の顔は不思議と穏やかだったのだ。
背を向けられている状態で顔が見えない所為か、飯田は後藤の異変に気付いていない。
「あたし、圭織の秘密判っちゃった」
「…………え?」
驚きの声をあげたのは飯田ではなく松浦だった。
何が判ったというのだろう。
まだ何も口にはしていないし、何も起きていない。
それなのに後藤は気付いたと言うのか。
しかし混乱しているのは松浦だけではなかった。
飯田も手を投げ出したまま、固まってしまっている。
「言ってくれたら良かったのに」
「…………」
「隠してた理由なんてこの際どうでもいいけど別に怒ったりなんかしないよ?」
「…………」
「あたし、この程度じゃ、圭織の事、嫌いになんないからさ」
後藤がクルリと向きを変えて飯田にニッカリと微笑を見せた瞬間、また身体が
急降下した。
飯田は自分の手首を握る。
それを見て松浦はやはり自分では役不足だったのだと改めて思った。
- 212 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月30日(土)02時59分39秒
- 自分ではどうする事も出来なかったというのに後藤はあっという間にそれを壊した。
飯田が胸に抱いていた臆病という名の頑丈な壁を。
やっぱり自分は後藤には敵わない。
松浦はこんな時だというのに嬉しくなって破顔しながら空を見上げた。
- 213 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月30日(土)03時00分50秒
- >> 193さん、194さん、195さん、196さん、197さん
レス有難うございます。
またしても、まとめてのレス返しで本当にすみません。
こういう結果でした。
えーと、……本当にすみません。
- 214 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月30日(土)03時02分05秒
- 次回からまたダラダラと……。
- 215 名前:13−翔んでみせろ。 投稿日:2003年08月30日(土)03時03分04秒
-
- 216 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月30日(土)07時57分22秒
- 更新ありがとう。信じらんないぐらい面白いっす。レス返しはお気になさらず。
- 217 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月30日(土)08時14分21秒
- わぁーー
松浦が立ててた計画って何なんだ?
飯田の秘密って?
うーん、たまらん。
続きが楽しみです。
- 218 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月30日(土)08時15分36秒
- 上げてしまった。ごめんなさい。
- 219 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月30日(土)11時15分47秒
- 前回の自分の感想はなんと一行。
>松浦さんやだよぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(号泣)
人間本当においしい物を食すと言葉が出なくなりますが、
本当におもしろい小説を読んでも同じなんですね。
- 220 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月30日(土)18時23分54秒
- ブラボー。ラピュタだ。泣けた。
- 221 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月31日(日)02時37分38秒
- やばい。ありえないくらいに引き込まれてる。
すっかりこの小説の虜にされてる。
何回読んでもおもしろい。
うまく言えないけど…作者さん、あなたはすごい人だ。
- 222 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年08月31日(日)23時51分04秒
- 過ちに満ちた日常。
弱虫で臆病な自分。
ずっと変わらないと思っていた。
変える事が出来ないと思っていた。
――でもやっとサヨナラ出来る。
- 223 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年08月31日(日)23時52分14秒
- * * *
- 224 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年08月31日(日)23時55分13秒
- 後藤の笑みを見た瞬間、飯田の身体は無意識に動いていた。
手首に手を回し、ベランダに足をかけ、大きく蹴り出す。
もう迷いはなかった。
風圧で茶色の髪が広がり、飯田は自分の背中に羽根が生えたような錯覚に陥る。
むしろ生えて欲しいと願った。
そして目の前にいる三人――しっかりとお互いの身体を抱き合っている後藤達――を
目指して両手を広げる。
飯田が重力を感じていたのはそこまでだった。
四人の身体は宙で止まり、逆さまになっていた身体をくるりと回転させた。
三人の身体を抱える事は長身の飯田でもさすがに難しい。
全員の身体に手を回し切る事など出来ないのだ。
松浦と藤本の身体を抱えるのが精一杯で後藤も同じようにその二人を抱えて
持ち堪えているという状態だった。
そこで飯田は自分の腕に力が加わったのを感じた。
- 225 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年08月31日(日)23時56分34秒
- 後藤が腕に手を回したのだ。
二人は輪を作るような形で腕の中にいる松浦と藤本の身体を支える。
後藤は妙にすっきりした表情で呟いた。
「……やっぱ、圭織もそうだったんだね」
飯田は口元を歪めて何とか微笑んで見せた。
ずっと隠していた秘密だった。
誰にも教えておらず、飯田は後藤や松浦から相談を受けても同じ症状を自分も
抱えているのだと告白出来ずにいた。
しかしこうして後藤の笑顔を見ていると今まで必死に隠してきた自分の思考や
行動は愚かだったと思わずにはいられない。
飯田は苦笑しながら口を開いた。
「ゆっくり地面に行くからもうちょっと頑張ってね」
後藤はしっかりと頷いた。
四人の身体は飯田の言葉通り、空気の抜けた風船のようにゆっくりと降下していく。
一番最初に地に足が着いたのは飯田だった。
その後、後藤、松浦の順に地面に降り、最後の藤本は腰が抜けてしまったらしく
その場にへたり込んでしまった。
- 226 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月01日(月)00時00分37秒
- 遊園地のアトラクションとはわけが違うのだ。
命に関わる事だったので相当恐ろしい思いをしたのだろう。
藤本の震える背中を見下ろしていた松浦は申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
あれだけ騒いでいたというのに誰一人周りにはいない。
このマンションに住んでいる人間が極僅かしかいないという理由もあるのだろうが
近所の家からの野次馬の姿すらも確認出来なかった。
叫び声を聞いてもただの痴話喧嘩だと思ったのかもしれない。
傍にある木の影が気になったのだが藤本の声が聞えて飯田は直ぐに視線を戻した。
「……し、死ぬかと思った」
藤本の膝が笑っている。
浮く事に慣れてしまっていた三人に変化はなかったが藤本だけは真っ青な顔をしていた。
自分から飛び降りたのも無意識の行動で松浦を支えていた時とはまた違う種類の汗が
ダラダラと頬を伝っている。
何も事情を知らなかったのだから無理もない。
後藤は藤本を気遣って優しく声をかけたり、背中を撫でたりしている。
その姿を見て直ぐに動かなかった事に罪悪感を感じた飯田は藤本の目の前で
背を向けてしゃがみ込んだ。
「とりあえず部屋に戻ろっか。美貴は歩けないだろうから圭織がおぶっていくよ」
- 227 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月01日(月)00時02分11秒
- 部屋に戻り、まだ青い顔をしている藤本をソファに座らせて飯田は飲み物を
用意している松浦の手伝いをしていた。
後藤はまだ表情を強張らせている藤本の横に座り、心配そうに声をかけている。
余りにも普通にしている後藤の様子を見て飯田は拍子抜けしていた。
秘密を知ったというのに後藤は顔色一つ変えない。
仮に怒鳴られても何一つ反論出来ない状況にある飯田も後藤が何も言わないので
戸惑う事しか出来なかった。
もし松浦や藤本が後藤の立場になっていたら間違いなく直ぐに激怒していただろう。
しかし普段から後藤は頭に血が上り難く、滅多に表情を変えないので彼女の思考を
読む事が非常に困難だった。
一体、今まで自分は後藤の何を見てきたのだろう、と飯田は情けない想いを
抱いていた。
「ごっちんの事、気になります?」
飯田の考えている事などお見通しだと言わんばかりに松浦が含み笑いをして
尋ねてきた。
すっかりいつもの松浦に戻っている。
「別にそういうわけじゃ」と飯田は言葉を濁した。
「それより、松浦はいつ圭織の身体の事気付いたの?」
「え?」
- 228 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月01日(月)00時04分48秒
- 松浦はきょとんとしていた。
後藤が気付いた事にも驚いていたが松浦が自分の身体の事を知っていた事にも
飯田は驚いたのだ。
何も話していなかったので松浦が知るはずないと思い込んでいた。
「だって、いつまで隠してるつもりですか!それがごっちんを傷つけてるって事が
まだ判んないんですか!って言ってたじゃない?
あれって圭織の身体が浮くって事判ってて言ってたんでしょ?」
「あぁ……。あの時、なかなか飯田さんが助けてくれそうになかったからめっちゃ
焦ったんですよ〜。私の身体が浮くって事を知ってるんだから当たり前なんだろうけど。
でも何でか、あの時自分の身体をコントロール出来なくて」
松浦は自分の手首を撫でながら呟いた。
そこにはもうリストバンドはない。
それを見て松浦の身体は元に戻ったのかもしれない、と飯田は思った。
「いや、それはどうでもいいから。ちゃんと最初から説明してよ」
「え〜とですね。飯田さんの腕ですよ」
松浦は飯田の腕を指差して作り物の笑顔ではない心からの笑みを作った。
飯田はグラスを持っていた自分の腕を見下ろす。
- 229 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月01日(月)00時06分22秒
- そこには黒のリストバンドが巻いてある。
このリストバンドは松浦と後藤が着けていたものと同じだった。
「飯田さんって基本的に暑い日とかでも薄手の長袖のシャツとか着てるじゃないですか。
だから手首とか見えない時が多いんですけどある日そのリストバンドがひょっこり
見え隠れしてたんですね。
それを見て、あぁ、そうだったのか〜と思って。
私も前ごっちんにリストバンドを見られた事があったから」
松浦と後藤のリストバンドは飯田が贈ったものだ。
身体の症状を抑制する為のリストバンド。
普通の人間なら錘入りのものなど使わない。
だから松浦は気付いたのだ。
飯田も自分達と同じなのだと。
「前から飯田さんはごっちんに何か隠し事してるんだって何となく気付いてて最初は
自分の気持ちの事だと思ったんですけど、もしかしたらそれだけじゃないんじゃ
ないかなぁ〜って思うようになって。そしたら、そのリストバンドを見つけちゃって」
「どうして、それだけじゃないって思ったの?」
- 230 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月01日(月)00時08分12秒
- 「何だか妙だな〜って思ったんです」
「妙?」
「片想いの人なんて何処にだっているでしょう?
でも飯田さんの場合、普通の人より切羽詰まってる感じがしてたんです。
前にも訊いたでしょう?どうして、自分の気持ちを伝えないんですかって。
そしたら飯田さんはこう言ったんです。
“隠したい事があるから隠してるだけだもん”って」
そういえばそんな会話もしたな、と飯田は頭の隅にある記憶を手繰り寄せた。
松浦が市井を呼び出して後藤と飯田の関係を暴露した日の夜の事だ。
チャンスなのにどうして動こうとしないのだ、と飯田の気持ちに勘付いていた松浦が
焦れて説教をしていた時の会話だった。
松浦に何を言われても自分は決して本心を口にしない、とあの時の飯田は思っていた。
頑なに自分の殻に閉じこもっていたのだ。
「何だか、飯田さんを見てるとイライラしちゃって。
同じ症状を抱えているのにどうしてごっちんに言わないんだろう、って思っちゃって。
隠す必要性が見えてこないんですよね。
私とは違ってごっちんとは心を開き合ってるはずなのに。
って、これはまぁ、私が言うのもなんだけど」
「…………」
- 231 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月01日(月)00時11分49秒
- 「それで思い出したんです。
あの時“ややこしくなるだけだから言わないだけだよ”って言ってましたよね。
その会話とリストバンドを結びつけたら繋がったんです。
飯田さんは私達と一緒で身体が浮く。
でもその原因を知られると困るから隠してるんだって」
「……凄いね、松浦は」
「私、勉強は嫌いだけど結構記憶力いいんですよ」
「みたいだね」
苦笑いしながら飯田は頷いた。
あの時の会話など松浦は適当に聞き流しているものだと思っていたのにこうも
はっきりと覚えられていてはさすがにお手上げだ。
正直に頷くしかない。
「それでですね。私、市井さんに過去の話をされて計画が狂っちゃったじゃないですか。
あの後さすがにショックを受けてどうするべきだったんだろうとかって色々考えてた
んですけど、その時に何となくごっちんは市井さんよりも飯田さんの事を気にしてる
んじゃないのかなーって思って。これもまた根拠なんて何もないんだけど」
「本能で動くタイプだね。松浦って……」
- 232 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月01日(月)00時14分07秒
- 「思い込んだら突っ走るのみですよ。
ごっちんが飯田さんの事を想ってたとしたら、って考えたらある程度納得
出来たんですよね。身体が元に戻らない理由とか。
あ、そういえば根拠が一つだけあった」
何かを思い出したように松浦はパッと表情を明るくした。
飯田は黙って先を促す。
「ごっちんね、飯田さん絡みの事になると本気で怒ってたんです。
例えば私が飯田さんを利用してるとか言うと無表情になって殺気立っちゃって」
「…………」
石川達がいたイタリアンレストランの前で松浦と対面した時の後藤は珍しく
怒っていた。
その事を思い出した飯田はなるほど、と頷く。
後藤が怒る事は滅多になく、逆に怒ると冷静にそして的確に反論の余地がない
くらいに言い返してくる。
もし自分が後藤と喧嘩をしたら勝てないだろうな、と飯田は常々思っていた。
それにしても松浦の理論は滅茶苦茶だ、と飯田は呆れていた。
本当に勘だけを頼りにして本能で動いている。
今まで相談に乗ってきた時にも思った事だが相談される側としては大層疲れる
タイプだ。
昔の自分もこんな感じだったのかな、と飯田はふと思った。
過去によく似た感想をメンバーから言われたものだ。
- 233 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月01日(月)00時16分17秒
- 「だから飯田さんの身体の事をごっちんに教えたら今度こそ上手くいくんじゃない
かなぁ〜って思ったんですよね。
飯田さんが隠してる理由は何となくしか判らなかったけど……。
まぁ、賭けみたいなものですね」
「それであんな事を?」
「危険だって事は判ってたけどこれしか思いつかなかったから。
飯田さんが自分の身体を使うように仕向けたってわけです。
それにしても計画狂っちゃったのにちゃんと上手くいって良かったな〜」
満面の笑みを浮かべて松浦は満足そうに言った。
逆に飯田はヤレヤレと肩を落とした。
松浦の計画を説明すると――。
ベランダから落ちる松浦を助ける人間は藤本ではなく、飯田であるはずだった。
松浦は藤本をわざと煽る事でこの計画から無関係になるように仕向け、そして
後藤ともまだ仲違いしているように見せた。
これは飯田への罠だった。
周りに味方になる者がいない状態で本気で飛び降りるように見せかけたらさすがに
飯田も助けずにはいられないだろう、と思ったのだ。
- 234 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月01日(月)00時18分31秒
- 落ちそうになった松浦を飯田が支える。
そしてその飯田の身体を下から無理やり引きずり落とす。
いくらなんでもそのまま何もせずに地面に落ちるような事はないだろう。
飯田の身体は浮くはずなのだから。
一応飯田が動かない時の事も考え、松浦を助ける役として後藤に傍で待機して
くれるように頼んだ。
最初は渋っていたものの、後藤も気が変わったのか、結果的には計画に参加して
くれた。
これらが当初予定していた計画だった。
しかしここで計算が狂った。
飯田よりも後藤よりも藤本の手の方が早かった。
さすがにこれには松浦も驚いた。
当初助ける役だった後藤が相手ならば身体をコントロールして何事もなかった
ようにベランダへ戻る事が出来たはずなのだが何も知らない藤本相手ではそれが
出来ない。
結局松浦は自分の身体の事がバレても構わないと覚悟を決め、自分の身体を
コントロールしてベランダへ戻ろうとした。
ここで既に計画は変更され、自分の身体の症状を藤本に見せるだけのものに
なっていた。
- 235 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月01日(月)00時21分51秒
- 一応飯田の身体を浮かす事を第一に想定していた計画だったので後でまとめて
自分の事情を含めた説明を藤本に話すつもりではあったのだが何故かこの時
松浦の身体が浮かず、またしても計画が狂った。
結果的に松浦の計画は穴だらけでボロボロだった。
自分一人ですら浮かす事が出来ないというのに普通の人間である藤本はただの
錘でしかない。
間違いなく二人共助からないと松浦は思った。
それを救ったのが後藤だった。
後藤が飛び込む決心が出来たのは以前階段から落ちそうになった飯田の身体を
抱えたまま、自分の身体を浮かせる事が出来たのを思い出したからだった。
そうでなければさすがに自分の身も危険なので躊躇うところだろう。
つい先ほど後藤から耳打ちされてその事を知り、ようやく松浦は納得した。
松浦からの説明を全て聞き終え、飯田はただただ苦笑いを浮かべる事しか
出来なかった。
計画は確かに穴だらけだった。
しかし幸運を味方につけて松浦はその穴だらけの計画を成功させてしまったのだ。
「本当に行き当たりばったりの作戦でした。
いや〜、また失敗するんじゃないかってハラハラしちゃった」
- 236 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月01日(月)00時22分50秒
- 「…………って事はやっぱり美貴を煽ってただけなんだ?
気持ちが変わったとか言ってたのは嘘だったんだ?」
「そういう事ですね。
っていうか、美貴たんへの気持ちが変わるわけないじゃないですか」
自身満々そうに松浦は答えた。
そうだよなぁ、と今更ながらに飯田は頭を掻く。
藤本に対しては粘着質の松浦が直ぐに心変わりするわけがないのだ。
まんまと嵌められた。
「今度は飯田さんが最初から説明してくれますか?」
- 237 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月01日(月)00時24分54秒
- >> 216さん
お気遣い有難うございます。
そう言って頂けて嬉しいです。
>> 217さん
今回の内容で納得して頂けたでしょうか(汗
喋り過ぎてますけど……。
>> 219さん
いえいえ、一行だけでもレス頂けて嬉しいです。
本当に有難うございます。
>> 220さん
有難うございます。
ラピュタですか(笑
>> 221さん
何度も読むと粗が目立つので自分は恐ろしいのですが……。
恐れ多いお言葉有難うございます。
- 238 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月01日(月)00時25分36秒
- 長いので一度切ります。
- 239 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月01日(月)00時26分45秒
-
- 240 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月01日(月)03時46分25秒
- クライマックスですね。
何も言わんとじっくり読ませてもらいます。
更新待ってます。頑張ってください。
- 241 名前:73 投稿日:2003年09月01日(月)11時10分35秒
- 無事に12日間の海外出張から帰国し、続きを一気に読ませていただきました。
期待にたがわぬ、いや、それ以上の展開にもう大興奮です!
クライマックスに間に合ってよかった^^!作者さんありがとうございます(笑)。
それにしてもあやや…(汗)。「運だのみ」での行動もここまで行くと凄い(苦笑)
次はいよいよ飯田さんがごっちんに…ですかね。もうラストまで目が離せません!
- 242 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月01日(月)22時04分16秒
- マジでラストだー。
- 243 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月02日(火)02時03分17秒
- 松浦はニッコリ笑う。
飯田も身体の力を抜いて弱々しく笑い返す。
手元のグラスをシンクに戻すと静かな部屋に硬質な音がやけに目立って響く。
松浦に促され、飯田は全てを打ち明ける事にした。
誰よりも最初に身体の異変が起きたのは後藤だった。
飯田としても自分の身に変化が起きるまではまだ他人事だったのだ。
飯田はずっと市井に片想いしていた。
二人が付き合い始めたのは市井が娘。を卒業してからで別にキッカケみたいな
ものはなかった。
お互いに自分の気持ちを口にした事もなかったがそれでも飯田はいいと思っていた。
一緒にいられるだけで十分だと思っていたのだ。
そうこうしているうちに後藤の卒業が決まり、彼女の身体に異変が起きた。
唯一その身体の異変を知る事になった飯田は後藤の相談役を買って出る事になった。
つまり後藤と付き合おうと提案した時に飯田はまだ市井と付き合っていたのだ。
後藤とは別に身体の関係があったわけではない。
ただの友達みたいなものだ。
- 244 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月02日(火)02時04分38秒
- それでも罪悪感を全く感じなかったわけではない。
後藤が片想いしていると気付いていながら市井と付き合っていたのだから。
しかし飯田はその頃既に気付いていた。
市井は別に自分の事など好きではない。
最初から気付いていたのだ。
市井は後藤の事が好きなのだと。
それを知っていながらも付き合い続けた。
しかし徐々に虚しくなった。
自分は何をしているのだろう。
邪魔者はただ一人。
好きなのにお互いの気持ちを知らない二人。
それを知っておきながら何も知らない振りをしていつまでもしがみついている
無様な自分。
そんな自分に嫌気が差した飯田は後藤の背中を押した。
市井に告白しろ、と。
最初から市井とは曖昧な関係だったのだ。
心の通い合いはないのに身体の関係だけがある、ただそれだけの関係だった。
市井から別れを告げられる前に飯田はもう吹っ切っていた。
だからこそ、何のしこりも残さず、すんなり別れを受け入れる事が出来たのだ。
そして市井と付き合う事になった後藤は飯田の元を去った。
そこで飯田の身体に異変が起きたのだ。
- 245 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月02日(火)02時07分04秒
- どうして自分が後藤と同じ状態になるのだろう。
原因が判らない。
淋しいから?本当はまだ市井の事が好きだったから?
いや、違う。
そこでようやく飯田は自分の本当の気持ちに気付いた。
後藤が自分から離れてしまったからだ。
飯田は自分の身体に異変が起きてやっと気付いた。
いつの間にか後藤の事を好きになっていたのだ、と。
松浦の言う通り、本当は好きだったと自分の気持ちを素直に伝える事が出来たなら
どれだけ楽だっただろう。
しかしそれを口にする事は出来ない。
何故なら後藤は市井の事が好きだと判っていたからだ。
自分の気持ちを伝えたところで意味などない。
結果は変わらない。
しかも後藤にとって重荷にしかならない事など判りきっていた。
後藤は自分の身体の相談をする為に飯田に連絡を入れたり、会いに来たりしていた。
その度に飯田は自分の身体の事を話すべきかどうかを迷った。
しかし結局告げる事が出来なかった。
自分の身体の症状を話してしまえば何が原因でそうなったのか、心当たりはあるのか、と
訊かれるに違いない。
そう思うと飯田は口を閉ざすしかなかった。
- 246 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月02日(火)02時09分00秒
- 自分の所為で飯田の身体に異変が起きてしまったという事実を知ったら後藤は責任を
感じてしまうはずだ。
想いが通じない限り、身体は元に戻らないのだから。
市井と付き合う事になったのに身体が一向に元には戻らない後藤の事がずっと気に
かかっていた飯田は松浦の作戦に協力する事にした。
松浦と同様に正確な原因は判らないが市井との付き合いが問題である事に
間違いはないだろう、と思ったのだ。
直接市井に尋ねる事も一応考えてはみたものの、後藤の身体の症状について
話す事が出来ないので直ぐに諦めた。
他人である自分が話す事ではないと思ったのだ。
松浦と同じで別に二人を別れさせたかったわけではない。
幸せになってもらいたかった相手が、身体が元に戻る事を願っていた相手が
苦しんでいる姿などいつまでも見たくはなかったし、見ぬ振りをする事も
出来なかったのだ。
「……そういう事だったんだ」
ポツリと呟く声を耳にして飯田がハッと顔を上げるといつの間にかキッチンの
傍まで近寄っていた後藤の姿が視界に入った。
後藤は薄く笑みを浮かべている。
- 247 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月02日(火)02時10分54秒
- 「…………いつから聞いてたの?」
「全部。だって二人の声大きいんだもん。美貴ちゃんだって聞えてるよ」
そう言って後藤は自分の背後にいる藤本の方へと親指を向けた。
ソファに座っている藤本は表情を無くしてこちらを見つめている。
心の準備も出来ていない状態で後藤に全ての事情を聞かれてしまい、飯田は
逃げ出したい気分になった。
自分の汚れた部分を曝け出していたのだ。
それを耳にした後藤はさすがに気分が悪くなっただろう。
そう思っていたのに後藤は相変わらずケロリとしているので飯田が呆気に
取られていると隣にいる松浦がゴクリと喉を慣らす音が耳に入った。
藤本は松浦だけを見つめていた。
その視線から松浦は逃れるようにしてくるりと背を向ける。
今頃緊張して来たようで顔を強張らせ、胸元に手を当てていた。
飯田が松浦の肩に手を置くと先ほどまでの笑顔は何処へやら、不安そうに顔を上げた。
初めて見る表情だ。
安心させるように飯田はにっこりと微笑む。
「今まで有難う。今度は自分の為に頑張りな」
飯田はそれだけ言って部屋の隅に置いてあった鞄を取りに行った。
そして鞄の傍にあるソファに座っている藤本に声をかける。
- 248 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月02日(火)02時12分26秒
- 「前に言った言葉の威力……忘れてないよね?」
「…………」
藤本は数回ほど目を瞬かせてコクリと頷いた。
その目は真剣だった。
それを見て大丈夫だと飯田は確信した。
二人がすれ違う事などもうないだろう。
松浦の気持ちは既に藤本に届いているだろうし、松浦も二度と自分の気持ちを
誤魔化すような芝居などする必要がない。
この期に及んでお互いを傷つけるような馬鹿な事はもうしないはずだ。
飯田は強張った笑顔を浮かべて後藤に声をかけた。
「ごっちん、行こっか。色々話したい事があるんだ」
「そうだね。こっちも沢山あるよ」
後藤は笑顔で答え、そして松浦に向かって小声で呟いた。
「頑張って。まっつー」
後藤が口にした松浦の呼び名が変化していた。
いや、戻っていた。
松浦に対する嫌悪感が完全に無くなった証拠だ。
誰もがその事に気づき、ふっと微笑む。
松浦もくしゃりと笑い、俯き加減でボソリと呟いた。
「……うん。有難う、ごっちん」
- 249 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月02日(火)02時13分23秒
- >> 240さん
一応、終わりに向かってはいるのですけど
まとめが長いんです(笑
>> 73さん
お疲れ様です。
予想通り、終わりませんでした……。
相変わらず、誤字だらけで情けないです。
>> 242さん
実は2、3日では終わらなかったりします……。
- 250 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月02日(火)02時14分12秒
- 次回は長めに……。
- 251 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月02日(火)02時15分04秒
-
- 252 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月02日(火)02時22分21秒
- まとめ長いですか。じゃあもうしばらくは楽しめるわけですね。
気になっていた部分が少しずつ解き明かされていくのがたまらんです。
続きが待ち遠しいです。頑張って。
- 253 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月02日(火)15時02分23秒
- 正座して待ってます。
- 254 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月04日(木)00時39分00秒
- 外はひんやりとした風が吹いていた。
松浦のマンションを出て二人はてくてくと歩いていた。
時折ポツンと弱々しい光を放つ街頭が置いてあるが余り役割を果たしておらず
路上は暗闇に近い。
二人は駅へ向かっているわけでもなく、落ち着いて話せる喫茶店などを探している
わけでもなく、ただあてもなく無言で歩いていた。
飯田はずっと胸の中にあった憑き物が落ちたような気分だった。
後ろめたい気持ちが完全になくなったと言えば嘘になる。
しかしそれでも今までよりは心の中が穏やかだった。
「色々あったね」
ポツリと飯田は呟いた。
半歩ほど後ろを歩いていた後藤は無言で肩をすくめる。
そして自分達が歩いている道の前方にあるものが見えて口を開いた。
「あんなとこに公園なんてあったんだ」
「あ、本当だ」
今まで何度も松浦のマンションを訪れたはずなのに飯田は公園の存在を初めて知った。
いつもと逆方向の道を歩いているので気付かなかったのだ。
今の二人は駅と正反対の道を歩いていた。
- 255 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月04日(木)00時41分13秒
- 「ちょっと行ってみない?」
「いいねぇ」
おどけた口調で後藤が提案して、飯田はそれに乗った。
公園の手前に道沿いに設置されていた自動販売機でジュースを買い、二人は中に入った。
わりと綺麗に整備されている。
滑り台にブランコ、シーソーや鉄棒、ジャングルジム、砂場など何処の公園にもある
基本的なものが色々と並び、丸太を半分に切ったようなベンチが数個配置されていた。
ストリートバスケット用のリングまで置いてある。
夜なのでカップルがいるかもしれないと思いながら辺りを隈なく見渡してみたが人の
気配は感じられない。
誰もいないようだ。
立派な公園なのに立地条件が悪いのか、それとも昼しか使われていないのか、公園の
中は静寂に包まれている。
「シーソーがあるー。懐かしいー」
後藤がはしゃぎながら飛び乗ると途端にシーソーはガタンと大きな音を立てて傾いた。
周りが静かな分、その音が余計に目立って聞え、飯田はキョロキョロと辺りを見渡した。
しかしやはり誰もいないようだった。
一人では意味がないと気付いたのだろう、後藤は飯田に向かって手招きをした。
- 256 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月04日(木)00時42分27秒
- 飯田は苦笑いをしながら向かい側に座る。
しかし浮かない。
体重の差があるのだ。
「全く動かないなぁ。圭織太ったんじゃない?」
「圭織が太ったんじゃなくてごっちんが軽いの。もっと食べないとダメだよ」
「んー、これでもいっぱい食べてるんだけどなぁ。
ツアーしてるから色んなとこの美味しいもの沢山食べてんだよ」
「まぁ、元気なら別にそれでいいんだけどね」
飯田はそう言いながら地面を蹴ってシーソーを操作した。
こうして会話をしていると何も無かったように思える。
事情を知らない人が見たら二人の関係は何も変わっていないように見えるだろう。
しかしそうではない事に二人共が気付いている。
シーソーを動かしていると後藤が「そういえば」と何かを思い出したように口を開いた。
「どうして、あの時まっつーの身体が浮かなかったんだろ?」
「あの時って?」
「さっきだよ。ベランダから落ちた時」
「あぁ……、そういえばそうだね。
松浦はごっちんと違って自由に浮き沈み出来るはずなのに」
- 257 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月04日(木)00時43分29秒
- 松浦自身も焦ったと言っていたのを思い出しながら飯田は答えた。
しかも部屋の中に戻った時にはリストバンドを必要としていない様子だった。
あのリストバンドはまだベランダに転がっているはずだ。
「きっと元に戻ったんだよ」
「戻ったって何が?」
「身体が治ったんだよ」
「え?」
口をぽかんと開けて後藤は驚いている。
あんな大事な時にタイミング悪く身体が戻るという事にもある意味驚いているのだろうが
そんなに簡単に戻るものなのか、という驚きの方が大きいようだ。
飯田は自分の予想を説明する事にした。
「美貴の言葉だよ」
「美貴ちゃん、何か言ってたっけ?」
「“仲直り”って言ってたでしょ?」
「言ってたけど……。でもそれだけで?」
後藤は呆気に取られている。
自分の考えを口にしている内にそれが確信へと変わっていくのを飯田は感じていた。
間違いない。
藤本の言葉一つで松浦は元に戻ったのだ。
- 258 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月04日(木)00時47分52秒
- 「松浦は美貴の言葉だけで精神状態が変化するんだよ。
それだけ美貴の事が好きっていう意味でね。
だって、身体に異変が起きた最初の理由って誰とでも仲良くする藤本への嫉妬
だったんだもん」
「嫉妬って……。やっぱりまっつーって怖いなぁ……」
後藤は苦笑いを浮かべていた。
他の友達を必要としていない松浦には友達を沢山作ろうとしている藤本の態度が
気に入らなかったのだろう。
誰の目から見ても松浦が嫉妬深い性格をしている事が判る。
プライドが高く、常々自分が一番だと思っているような人間なので藤本にも一番の
友達は自分だと思っていてもらいたかったのだ。
「その後、藤本が松浦の事が妬ましいとか言っちゃって二人はすれ違い始めたわけ。
美貴は一時的に距離をおこうと思ってそう言ったつもりらしいけど松浦は
そう取らなかった。自分に興味ないんだと思ったみたい」
「うーん……」
- 259 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月04日(木)00時51分03秒
- 「何としても松浦は美貴に好かれたかった。
だから松浦は美貴に指摘された自分の欠点を直そうとして同じ症状を抱えていた
ごっちんに注目したの。自分勝手だって言われたのが相当堪えてたみたいでね。
それで色々やってたわけだけど……って、ここらへんはもう判るよね?」
「うん。それで?」
後藤は先を促す。
シーソーは既に止まっていた。
後藤と飯田は地に足をつけ、見つめ合っている。
「松浦は自分が最初に立てた計画が失敗してボロボロになってたわけじゃない?
自信を無くしてたんだと思う。
その時に美貴に対する気持ちも変わってきてたんじゃないかな」
「変わるってどういう風に?」
「最初は好かれようとしてやってたけど計画が失敗して諦めてたんだと思う。
どうやっても自分が好かれる事なんてないんだって。
本人は失敗しても後悔しないって言ってたけどそんなの無理じゃん?」
「まぁ、そりゃそうだね。よっぽど強い人じゃない限り、無理だよ、そんなの」
- 260 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月04日(木)00時52分36秒
- 「友達に戻る事すら諦めてたんだろうね。
だからあの時言った美貴の言葉で今まで抱えてたものが全部浄化出来たん
じゃないかな」
「……それにしても思い込みが激しいなぁ」
「確かにね」
思わず飯田は笑ってしまった。
自分達が振り回されたきっかけを作ったのは藤本だが松浦が執念深かったからこそ
ここまで大変な目に遭ったのだ。
「最初から美貴は普通の友達として付き合っていたかったわけだし。
もうあの二人は大丈夫でしょ。まぁ、全部圭織の想像でしかないんだけどね」
「なるほどねぇ……」
後藤は自分の顎に手を添えて考え込んでいる。
そして何か思い当たるものでもあったらしく「そうか…、だからだ」と独り言を
呟いていた。
飯田が尋ねる前に後藤は口を開いた。
「それにしても案外簡単に治るものなんだね。拍子抜けしちゃうくらいに」
「そうだね。でもそんなものなのかも。
他人からしてみれば自分の悩みなんて薄っぺらいものなんだよ、きっと」
- 261 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月04日(木)00時53分34秒
- 飯田は自分自身に言い聞かせるように呟いた。
後藤も「そうだね」と答えた。
そして二人は黙り込む。
本題はこれからだというのに口が開かない。
飯田はずっと手にしていた缶を思い出してこの静寂から逃れようとプルトップを引いた。
乾いた音が公園内に響き渡る。
後藤もそれに倣ってプルトップを引くとまた音が響いた。
何でもない事なのに何故か可笑しくて二人は笑い合った。
沢山喋った所為か喉が渇ききっていた。
飯田はウーロン茶をゴクゴクと勢いよく飲み干す。
顔を上げていると空にちらほらと星が存在している事に気付いた。
久しぶりに星を見た気がして気持ちが落ち着く。
ふぅ、と息をついて視線を戻すと後藤は目を伏せていた。
「圭織はあれから市井ちゃんに会った?」
本題へ先に入ったのは後藤だった。
先ほどまで落ち着いていた飯田の心臓が不意を衝かれて派手に跳ねた。
心の準備が全く出来ていなかったのでドキドキと身体中に心臓の音が響いていた。
何とか飯田は震える口で言葉を紡ぐ。
- 262 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月04日(木)00時54分49秒
- 「…………会って、ない」
「そっか。あたしも会ってない」
「……そっか」
「そうなんだ」
淡々とした会話をする後藤に違和感を感じて飯田は訝しげな表情を浮かべた。
どうして会わないのだろう。
もう諦めたのだろうか。
疑問が沢山頭の中に出てきたがそれを口にする事が出来ない。
いつまで経っても自分は臆病だ、と飯田は自嘲気味な笑みを浮かべた。
飯田のその顔を見て後藤も似たような顔になった。
「あたしね、確かに二人が付き合ってるって聞かされた時は腹が立ったし、哀しかった。
しかも圭織は二股みたいなもんだったわけでしょ」
「…………隠しててゴメン」
飯田が申し訳なさそうに頭を下げると後藤は苦笑いを浮かべて首を振った。
後藤を傷つける事になると思い、正直に伝える事が出来なかったのだ。
片想いをしている同士として後藤と付き合っていた同時期に市井とも付き合っていた。
二重の裏切り行為を正直に打ち明ける勇気が飯田にはなかった。
「圭織の気持ちは判ってるから。
あたしが同じ立場だったらやっぱり言えないと思うもん」
「…………」
「でもね、変なんだ」
- 263 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月04日(木)00時56分18秒
- 後藤は頭をガリガリと掻きながら言い難そうに顔をしかめた。
そして大きなため息をついた。
「あれから……圭織のマンションで話し合いした日からしばらく市井ちゃんの存在を
余り気にしてなかったんだよね」
「……え?」
「まっつーは心配してたみたいだけどあたしの身体の症状が重くなるような事には
ならなかった。自分でも意外だなーって思った。
だって、あたしは市井ちゃんの事が好きなはずなのに……」
言葉の語尾は小声になっていた。
自信がなさそうな言葉に聞え、飯田が意外だと思った瞬間、シーソーがガタンと揺れた。
お互いに取っていたバランスを後藤が崩したのだ。
飯田は地面に尻をしたたかにぶつけて顔をしかめたが直ぐに顔を引き締め直した。
それどころではないのだ。
早く話の続きが聞きたいと思っていた。
やがて後藤は目を伏せて口を開いた。
「何でか、圭織の事ばっか考えてたんだよね。不思議な事に」
「……ごっちん」
- 264 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月04日(木)00時57分35秒
- 「あー、圭織に騙されてたんだー、とか、もう市井ちゃんの事を吹っ切ったって
言ってたことも嘘だったのかもしんないなー、とか、色々考えてはイライラしてさ。
でも何でこんなに気にしてるんだろう、とも思った。
嫌いになればいいだけなのにそれが出来ないからさ」
「…………」
「それでさっきまっつーの身体がどうして治ったのかっていう話をしてて
やっと気付いたの」
「松浦がどうしてそこに出てくるの?」
飯田は驚いて目をパチクリとさせた。
緊張していた身体から力が抜ける。
一体、何を言わんとしているのだろう。
後藤の考えがサッパリ読めない。
飯田が見上げるような角度でじっと見つめていると後藤は肩をすくめた。
「んーとねぇ……。どうして、圭織と市井ちゃんとの話を聞かされても症状が悪化して
ないんだろうーって、ちょっと不思議に思ってたんだよね。
身体が浮くようになったキッカケは仕事への不安だったわけだけど今では市井ちゃんと
上手くいってないから症状が悪化してるって事になってたわけじゃない?
それなのに変化がないっていうのはおかしいなぁって思ってたの」
「…………」
「でも違ってたんだよ」
- 265 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月04日(木)00時59分01秒
- 「……違ってた?」
「あたしが変化がないって思い込んでただけで実はもう行くところまで行ってたんじゃ
ないかなって思ってさ。つまり限界を超えてたっていうか……。
最大級のショックを受けてたって思ったらそれで納得出来るんだよね。
だって、まっつーと美貴ちゃんを抱えられるくらいになってたんだよ?」
「……それはそうだけど」
「でもね、それだとおかしいの。繋がらないの。
市井ちゃんと付き合う前に一瞬だけ症状が軽くなった事を考えたらおかしい。
圭織と付き合ってる頃は元に戻りかけてたんだもん。
そう考えたら原因は市井ちゃんじゃないんだって気付いたわけ」
飯田は「まさか……」と呟きかけて慌てて口を閉じた。
そんな事があるわけがない。
自分に都合のいいように考えるのは危険だ。
戸惑っている飯田を見て後藤は微笑む。
「あたしね、いつの間にか圭織の事好きになってたみたい」
あっけらかんとした口調で他人事のように呟いた後藤とは対照的に飯田は固まって
しまっていた。
それでもシーソーの手すりを握る手に力が入る。
- 266 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月04日(木)01時00分05秒
- 「だってさー、圭織に抱きしめてもらっただけで身体が一時的に元に戻ったりしてた
じゃない?そう考えるとあの時からそうだったのかって今頃気付いてさ。
っていうか、今更過ぎて本当にあたしって馬鹿だなーって思うんだけど」
「…………」
「あのさー、いい加減に何か喋ってよ。あたしばっか喋ってるじゃん……」
後藤は気まずそうに頬をポリポリと掻いている。
先ほど松浦との会話を立ち聞きしていたので飯田の気持ちは既に把握しているからこそ
こうして素直に自分の気持ちを言う事が出来ているのだろう。
「ちょ、ちょっと!?圭織?!」
突然後藤が慌て出した。
オロオロしている後藤の顔を眺めながら飯田は気付いた。
いつの間にか自分の頬が濡れている。
雨が降ってきたわけではない。
自分の目から雫が落ちているのだ。
手で触れてみて久し振りに涙が出た、と飯田は実感していた。
保田のラストライブの時にはさすがに泣いたがそれ以外のプライベートでは
辛い事があっても、哀しい事があっても、ここ数ヶ月涙が出てこなかったのだ。
- 267 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月04日(木)01時01分15秒
- 「何で泣くの?」
落ち着きをなくした後藤はシーソーから降りて飯田の傍に駆け寄った。
それでも飯田はポロポロと涙を零し続けていた。
どうして自分は泣いているのだろう。
哀しいわけではない。
だとしたら――。
これは嬉し涙だ。
へへへ、と照れ笑いをして飯田は化粧が崩れないように気をつけながら指で涙を拭った。
飯田の笑い顔を見て後藤も安心したのか、へらっと笑った。
それは飯田が好きな笑顔だった。
「あのさー、ちょっとお願いしたい事があるんだけど」
「何?」
きょとんとして飯田は後藤を見上げた。
後藤は何も言わず、自分がつけていたリストバンドを外し、そのまま飯田の
リストバンドも外して地面に並べる。
飯田はされるがままの状態になっていた。
リストバンドが無くなると途端に身体が軽く感じる。
そしてお互いに少しだけ地面から足が浮き上がっていた。
- 268 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月04日(木)01時02分19秒
- 「あー、やっぱまだダメだね」
「治ってるかどうかを試したかったの?」
「うん」
「そうだ。ごっちん、手を出してくれるかな?」
「え?」
飯田はきょとんとしている後藤の手を握った。
しっとりとしている手。
しかしその手は暖かかった。
嬉しくなって飯田はにっこりと笑った。
今まで何度か後藤の手を握った事はあったがずっと冷え切っていた。
この手が暖かくなれば身体は元に戻る。
飯田はずっとそう信じていた。
そして自分達が望んでいたその時がやっと来たのだ。
「きっと、もう大丈夫だよ」
「本当かなぁ……。じゃあ、もう一個」
後藤は両手を広げて満面の笑みを作る。
その姿が万歳をしているように見えて飯田は少し笑った。
「さっき言った言葉が本当かどうか試してみていい?」
そう言って後藤は包み込むようにして飯田に優しく覆い被さる。
やがてギュッとその腕に力が入った。
その力を感じながら飯田も後藤の背中に腕を回して瞼を閉じた。
- 269 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月04日(木)01時03分15秒
- >> 252さん
思っていたほど長くなりませんでした。
これで納得してもらえますでしょうか……。
>> 253さん
正座して書いてみたら誤字ばかりでした……。
- 270 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月04日(木)01時03分58秒
- 申し訳ない……。
- 271 名前:14−さよならエゴイスト。 投稿日:2003年09月04日(木)01時04分47秒
-
- 272 名前:73 投稿日:2003年09月04日(木)02時08分13秒
- 予想外に?早い時間の更新お疲れさまでした。
かおりとごっちんのやりとりにこちらもとても心が温かくなり、嬉しくなりました。
次節がいよいよ大団円になるのでしょうか…最後まで楽しみにしています。
- 273 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月04日(木)02時33分33秒
- 納得も何も、作者さんのさじ加減で一喜一憂するのが楽しみなわけですから。
もう大満足です。
次の更新も楽しみにしています。
- 274 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月05日(金)01時34分03秒
- 後悔という名の傷を重ねて新しい道を模索する。
望むものは何?
他人や自分を傷つけて得るものは何?
それは誰にも判らない。
- 275 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月05日(金)01時35分01秒
- * * *
- 276 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月05日(金)01時36分37秒
- 降り注ぐ太陽の光が昨日までの雨粒をまだ残している木々に反射してキラキラと
輝いている。
今日は梅雨の中休みといった感じで快晴だというのに湿度は相変わらず高く
妙に蒸し暑い。
背中に張り付くTシャツが不愉快ではあったが公園のベンチに座って市井は空を
見上げ、じっとその場で耐えていた。
「こんにちは」
声をかけられて市井は振り向き、そして驚いた。
黒のタンクトップにジーンズ姿の藤本がそこにいる。
しかしそれに驚いたのではない。
隣にいる松浦に驚いたのだ。
松浦は目が覚めるような真っ赤な薄手のワンピース姿でニコニコと笑みを
浮かべている。
腕には何も巻かれていない。
目をパチクリとさせている市井を見て藤本はフッと鼻で笑った。
「スミマセン。本当は美貴一人で来る予定だったんだけど亜弥ちゃんがどうしても
一緒に行きたいって言うから」
「……いや、別に構わないよ。ちょっとビックリしただけだし」
- 277 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月05日(金)01時38分06秒
- 市井達がいる場所は以前藤本と話した事がある公園だった。
藤本の方から話があるので会いたいという内容のメールを寄越して来たのだ。
てっきり一人で来ると思っていたので連れがいるという事にも驚いたがその人物が
藤本の喧嘩相手である松浦だったという事にも市井は驚いていた。
「二人は仲直りしたんだね」
「はい。もう大丈夫です」
藤本はキッパリと答えて隣にいた松浦に合図を送った。
それを見て松浦は嬉しそうな笑みを浮かべ「ジュース買ってくる」と今にも
スキップをしそうな軽い足取りで公園の傍にある自動販売機へ小走りで駆けて行く。
その後姿を眺めながら藤本は苦笑いを浮かべていた。
仲違いをしてしまったらそれまでどれほど親しくしていても時間が経てば経つほど
それに比例して元に戻る事が難しくなる。
しかしこの様子だと本当に関係修復が出来たのだな、と市井は他人事ながら
安堵していた。
市井が隣を勧めると藤本は素直に腰をかけた。
寂れた公園。
藤本に宣戦布告されたあの時と何も変わらない。
変化があったといえば季節が春から夏に変わってしまったくらいで公園内の変化は
木々の緑が増えた程度だった。
- 278 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月05日(金)01時39分13秒
- 相変わらず人気がない。
しかしあともう一つだけ変わってしまったものがあった。
それは市井と藤本の気持ちだ。
あの時とはガラリと変わっていた。
「あの時の藤本は怖かったなぁ」
市井が思い出し笑いをしていると藤本はいつの事を言っているのか判らない様子で
首を傾げていた。
ブランコを指差して市井は説明した。
「前にあそこで話したじゃん?あん時の藤本はマジで怖かったんだよね。
まぁ、喫茶店で水ぶっかけられた時も怖かったけど」
「あぁ、そんな事もありましたね」
「……ちょっとは謝ろうとかって思わないわけ?」
サラリと答える藤本に市井は思わず突っ込みを入れる。
今まで散々な目に遭って来たのだ。
藤本に好かれていないという事くらい市井なりに気付いていたが一度くらい
ちゃんとした謝罪の言葉を聞かせてくれてもいいのに、と思わずにはいられない。
直接藤本に自分が何かをしたわけでもないのだから。
- 279 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月05日(金)01時40分23秒
- 藤本は気まずそうに鼻の下を掻いていた。
そわそわと落ち着きを無くしている。
謝るという行為に慣れていないのだろう。
それを見て市井は苦笑いをして「まぁ、いいや」と呟いてしまった。
無理やり謝罪の言葉を言わせても仕方がない。
「で、今日は何の用だったの?」
市井は呼び出された用件をまだ聞かされていなかった。
一体何の用があるのだろう、とメールを貰った時からずっと疑問を抱いていたのだ。
もう自分なんかに用はないはずなのに、と。
後藤との事で文句を言われるのだろうか。
言われたところでこれ以上何も答える気などないのだが。
市井が問い掛けても藤本は黙り込んだままで顔を背けていた。
視線を追ってみるとそこには自動販売機と向かい合って腕を組み、身体を左右に
揺らしている松浦の後姿が見える。
どうやら何を買えばいいのか迷っているようだ。
それを見てしばらくは戻って来ないと判断した藤本はようやく口を開いた。
「市井さん、前に色々と教えてくれたじゃないですか?」
「何の事?」
「娘。に入ってどうしたらいいか、とか色々忠告してくれたでしょう?
あの時は全く聞く耳持ってなかったんだけど」
「あぁ、あれね」
- 280 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月05日(金)01時42分09秒
- 市井は思い出した。
飯田のマンションで話し合いをした後、藤本と二人で喫茶店に行った時の話だ。
水をかけられたのもこの時だが市井なりに娘。に入る事は藤本にとってマイナスだけ
ではなく、プラスになる面も沢山あるのだと伝えたつもりだった。
「今なら意味が少し判ります」
「そっか」
「でもやっぱり美貴は今でも聞く耳を持ちません。それを言っておこうと思って」
藤本の言葉を聞いて市井は呆然としていた。
自分と同じ道を歩まないようにわざわざ忠告をしたというのに、しかもわざわざ
呼び出してまでそれを宣言する藤本の真っ直ぐさに市井は度肝を抜かれていた。
「……何で?」
「美貴には美貴のやり方があります。それを変える事なんて出来ない。
美貴は美貴。他人は他人。今までと一緒のやり方で成功しないと意味がないんです。
自分を偽ってまで成功したって心の底から喜べないし」
「…………」
結局市井の忠告など無駄だったという事だ。
藤本には藤本の考えがある。
他人の意見に左右されるような人間ではなかったのだ。
- 281 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月05日(金)01時43分50秒
- 市井が思わず吹き出しているとそれを見て藤本は眉を寄せた。
馬鹿にされていると思ったのだろう。
徐々に不機嫌そうな表情に変化していった。
「何が可笑しいんですか?」
「いやー、本当に藤本って昔のあたしに似てるなーと思ってさ」
「…………」
「あたしなんかと一緒って言われても困るだろうけどね」
藤本は口を真一文字にしていた。
その顔は不服そうにも見える。
しかし市井は本当に思ったのだ。
過去の自分と藤本は本当によく似ていると。
これは今までに何度も思った事だった。
他人の意見を受け入れようとはせずに自分が信じた道だけを真っ直ぐ見つめる。
それが間違いかどうかは市井にも判らない。
判っている事と言えば自分はそれで失敗してしまったという事だけだ。
しかし必ずしも藤本が同じ道を辿るとは言い切れない。
周りの状況も違うだろうし、自分達は似ているだけで全くの別人なのだから。
自分に似てると言われた藤本は納得いかないという表情にはなっていたが
結局文句を口にする事はなかった。
「前にも訊いた事、もう一回訊いてもいいですか?」
「何?」
- 282 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月05日(金)01時44分49秒
- ガタンという音がして市井は音がした方へ顔を向けた。
やっと飲み物を選び終えた松浦がしゃがみ込んで自動販売機の取り出し口に手を
入れている。
こうして見ていると平和そうだ。
この前までは思いつめた顔をしていたというのに。
そんな事を市井が思っていると藤本が口を開いた。
「市井さんは後悔してますか?」
確かに前にも同じ質問をされたな、と思いながら市井は真剣な表情で見つめてくる
藤本の顔を見返していた。
あの時は「後悔しっぱなし」と答えたはずだ。
しかし今の質問はあの時と同じ意味の質問だろうか。
後藤達を失った事か仕事の事か。
いや、尋ね返すまでもない。
市井にとってはどちらでもいいのだ。
「今は後悔してない」
市井がキッパリと答えると藤本は「そうですか」とうっすら笑った。
そして嬉しそうに言葉を繋げた。
- 283 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月05日(金)01時46分14秒
- 「美貴と市井さんはやっぱり似てないですよ」
「何で?」
「美貴は亜弥ちゃんが傍にいないと困っちゃうから。仕事にも影響出ちゃうだろうし」
藤本が口にした言葉の意味を市井は何となく理解していた。
ライバルであり、親友でもある存在の松浦。
藤本が彼女を意識しない日はない。
自分らしさを失わないようにする為にはどうしても必要な存在でそれはグループだろうが
ソロであろうが二人の関係に変わりはないのだ。
喧嘩をした事によって藤本は松浦との関係を改めて考える事になり、こういう結論に
達したのだろう。
そして市井は確かに今の自分と藤本は違うと思った。
藤本にとっての松浦のような存在が市井の身の回りにはいない。
二人は違うのだ。
「まぁ、今みたいに友達なら問題はないんですけどね。今後がちょっと怖いけど……。
今度は美貴が浮きそうな気がして……」
「え?」
「……いや、何でもないです」
- 284 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月05日(金)01時47分00秒
- 深々とため息をつき、藤本はジュースを抱えてこちらへ歩いてくる松浦に手を振る。
手を振る藤本に気付いた松浦は手を振り返そうとしてジュースを落としていた。
「何やってんだか……」
藤本はヤレヤレと呆れながら、それでも口元に笑みを浮かべて立ち上がる。
泥だらけになってしまった缶を見て泣きそうになっている松浦に駆け寄る藤本の
後姿を市井は眩しそうに見上げた。
- 285 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月05日(金)01時48分06秒
- >> 73さん
もっと早い時間に更新したいと思っているのですがなかなか……。
誤字乱発で酷い有様ですけど、そう言ってもらえて嬉しいです。
>> 273さん
有難うございます。
あと二回くらいで終わりそうです(多分
- 286 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月05日(金)01時48分45秒
-
- 287 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月05日(金)01時49分28秒
-
- 288 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月05日(金)03時19分47秒
- なんか呼び出してるし。真意はなんだろう?
そういえば浮く症状のことは・・・ま、いっか。
楽しみに待つことにします。
あと2回ですか。早く更新して欲しいけど終わってしまうのは残念ですね。
- 289 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月05日(金)14時32分08秒
- あ〜おもしろい。なんておもしろいんだ。
元に戻った藤本と松浦。
ほほえましいねぇ。
- 290 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月06日(土)14時29分33秒
- シャボン玉がふわふわと公園内を漂っていた。
風が吹いていないので横に流される事なく、ゆっくりと上昇していく。
太陽の光を乱反射させながら様々な色を作ってパチンと弾けて壊れる。
市井はぼんやりと宙を漂うシャボン玉を眺めていた。
市井と藤本が座るベンチの傍で松浦が楽しそうに自分の唄を口ずさみながら
シャボン玉を飛ばしている。
甘い香りがシャボン玉と共に市井達の周辺に漂っていた。
「亜弥ちゃん……。一体、何しに来たの?」
「だって、一度は外でシャボン玉飛ばしてみたかったんだもん」
「だからって何も今やる事ないじゃん……」
幻想的な光景に目もくれず、藤本は呆れていたが子供のようにはしゃぐ松浦を見て
直ぐにしょうがないな、と頬を緩ませた。
市井も久しぶりに見るシャボン玉に心が和む。
それにしてもこの三人が揃ってこんなにも穏やかな時間を過ごす事が出来るように
なるとは思ってもみなかった。
少し前までなら考えられない事だ。
しかしそれは藤本の一声で変わった。
「あー、来た来た」
- 291 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月06日(土)14時31分48秒
- 藤本が公園の入り口付近に向かって手を振っている。
シャボン玉に目を奪われていた市井がその声を耳にして視線をずらすと丁度
タイミングを見計らっていたかのように風が吹いた。
松浦が作る沢山のシャボン玉が上下左右に乱れ舞う。
目を凝らして見てみるとシャボン玉の向こうに茶色から殆ど黒に近いこげ茶に
髪の色を変えた飯田の姿があった。
風になびいている綺麗な髪に一瞬目を奪われてしまったが市井は直ぐに我に返った。
「……何で圭織が?」
「美貴が呼んだんです」
「え?」
市井が戸惑っている間に飯田はぎこちない笑みを浮かべて近づいて来る。
藤本は立ち上がって松浦の腕を取った。
丁度飯田に背を向けていたので松浦は何が起きたのか判っておらず、藤本の顔を見て
きょとんとしていた。
無言で藤本が目線で合図を送ると松浦もそれに倣って視線を移動させる。
それでようやく飯田の姿が目に入ったようだ。
「え〜、飯田さんもう来ちゃったんですかぁ?」
「早かった?」
- 292 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月06日(土)14時32分44秒
- ぞんざいな事を言う松浦に対して腹も立てずに飯田は苦笑していた。
どうやら松浦も飯田が此処に来る事を知っていたらしい。
知らなかったのは市井だけだ。
「私全然市井さんと喋ってないのに〜」
「別に亜弥ちゃんは話しておきたい事とかないんでしょ?ただの付き添いなんだし」
「でも折角仕事の空き時間に来たのに!」
「それはシャボン玉で遊んでるからじゃん。美貴の話は終わったし、帰ろ」
「え〜!」
「え〜、じゃないよ。この後まだ仕事あるんでしょ」
頬を膨らませてブーブーと文句を言っている松浦を藤本は呆れながらも宥めている。
何だかんだと言っても仲がいいのだな、とそれを見て市井は笑った。
結局藤本に引きずられるようにして松浦は去っていった。
二人の姿が見えなくなるまで市井は頬を緩ませていたが飯田と二人っきりになって
しまったという事に気づき、黙り込む。
飯田は何も言わず先ほどまで藤本が座っていた市井の隣に腰を下ろした。
「髪の色変えたんだね」
「うん。気分転換にね。シャンプーのCMが来たっていうのもあるんだけど」
「へぇー、そりゃ凄い。良かったじゃん。前から言ってたもんね、夢だって」
「よく覚えてるね」
- 293 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月06日(土)14時34分00秒
- 微笑を浮かべて飯田は風に流されそうになる髪を抑えた。
シャンプーの匂いが鼻先をかすめる。
髪の色を変えたのは別の意味があるのではないだろうか、とふと市井は思った。
デビューをした時からずっと黒髪だった飯田が茶色に染めたのは市井と付き合い
始めて間もない事で、そして今その髪を元に戻した。
どうしても市井には意味がないとは思えない。
「そういえば紗耶香のCMもテレビで見たよ」
「あぁ、あれね」
「良かったじゃん」
市井は照れくさそうに笑った。
ソロのCMは娘。を卒業してから市井にとって初めての大きな仕事だった。
しかもシングルまで出してもらえる事になっている。
ようやく自分にも幸運が巡ってきたかもしれない、と思えた仕事ではあった。
相変わらず、先の事が不透明ではあったがある程度満足はしている。
「でもどうして圭織が此処に?藤本だけかと思ってたのに」
「あぁ、美貴が今日紗耶香と会うって言ってたからそれなら圭織も、って事になってね。
とりあえず美貴の話の邪魔にならないように時間をズラしたつもりだったんだけど
まさか松浦までいるとは思わなかったな」
- 294 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月06日(土)14時36分08秒
- そういう事だったのか、と市井は心の中で呟いた。
藤本が呼び出した本当の理由はこれだったのだ。
自分自身の話など彼女にとってはどうでも良かったに違いない。
連絡を取ろうとしない二人の為に橋渡しをするつもりで呼び出しをしたのだ。
態度や口調は余り変わっていなかった藤本だがあれでも市井に対する認識が
変化していたという事だろう。
そうでなければこんな行動に出るわけがない。
思わず市井はクスリと笑ってしまった。
「松浦も圭織と同じようなもんだよ。付き添いで来てたから」
「そっか」
ふぅ、というため息が市井の耳に届いた。
藤本に押し付けられた缶を掌で転がしていた飯田はピタリと動きを止め、そして
口を開きかけては閉じるという仕草を何度も繰り返している。
何が言いたいのだろう、と思いながら市井は辛抱強く飯田が話し始めるのを待っていた。
飯田は缶のプルトップを引き、ぐいっとウーロン茶を飲んでから大きく息を吐いた。
そして思い切ったようにポツリと呟いた。
「あのね……、ごっちんと付き合う事になったの」
それを聞いて市井は意外だとは思わなかった。
むしろそんな自分が意外だった。
平静でいられる自分に驚いていたのだ。
- 295 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月06日(土)14時37分34秒
- 「そっか。何となくそうだと思ってたんだ」
「……何が?」
「何となくだけど圭織はまだ後藤の事が好きなんじゃないかなぁって。
まぁ、最近気付いたって感じなんだけど」
「…………」
「だから二人がそうなったって聞かされても別に驚きはしないかな」
飯田はキリリと顔を引き締めた。
本心で言っているのだろうかと疑っているようだ。
飯田は身を乗り出して心の中を見透かすような目で市井の顔を覗き込む。
「本当に?」
「後藤と別れるって決めたのはあたしだし、迷いもなかったから」
「そう……。でも圭織の事は嫌いになったでしょ?なんだったらブッてもいいよ」
飯田は苦笑いを浮かべた。
覚悟を決めて此処に来たのだろう。
直ぐには返答出来ず、代わりに市井は空を見上げた。
飯田は市井の全てを知る人間だ。
自分にとって一番の味方だと思っていた人間に裏切られた。
そう思ったら無償に哀しくなる。
それは間違いない。
市井は指をポキポキと鳴らした。
それでも飯田は顔色を変えない。
「じゃあ、目を瞑ってみて」
「……うん」
- 296 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月06日(土)14時38分51秒
- 飯田が大人しく目を閉じるのを確認して市井は身体の向きを変えた。
長いまつげ。ぷっくりと厚いピンク色の唇。色白な肌。そして――色が戻った髪。
娘。で一緒に活動していた時と何も変わらないパーツであるはずなのに市井の目には
目の前にいる飯田が別人のように見えた。
時が経ってしまったという事もあるのだが、それだけきちんと飯田の顔を見た事が
なかったのかもしれない。
そんな事を思いながら市井は大きく右手を空に掲げた。
「…………紗耶香?」
ゆっくりと瞼を開けて飯田はボソボソと呟く。
市井はギュッと飯田の身体を抱きしめていた。
飯田が手にしていた缶からウーロン茶が地面に向かってダラダラと流れている。
跳ねる泥を足元に感じながらも二人共しばらくそのままの状態でいた。
自分に飯田を責める資格などない。
その事がよく判っていたから市井は何も出来なかった。
「自業自得だもん」
「それは違うよ。一番悪いのは圭織なんだから……」
「お互い様だって判ってたんだ。いや、あたしの方が酷い」
- 297 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月06日(土)14時40分34秒
- 市井は飯田の身体に回した腕に力を入れた。
顔を見られないように首元に顔を埋めると飯田の身体から力が抜けて手から缶が離れ
カランと乾いた音がその場に響いた。
「あたし、圭織の気持ちを利用してた」
「…………」
「本当は誰でも良かったんだと思う。丁度傍にいてくれたのが圭織だったってだけで。
酷い事言ってるって事は判ってるけど……、これが本当の事だから」
「……それは判ってたし、圭織も卑怯だったから。
だって、紗耶香はごっちんの事が好きなんだって判ってて付き合ってたんだし」
「でもそれがそうでもないんだよね」
「え?」
自分の意見を否定されて飯田は目を丸くした。
がばっと市井の肩に手を置いて身体を引き離す。
見つめられて市井は困ったような笑みを浮かべる。
そして自分の事を正直に話した。
後藤の事を好きだったはずなのにいつの間にかその自信がなくなってしまったという事。
後藤の気持ちも判らなくなってしまっていた事。
そして――。
- 298 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月06日(土)14時42分15秒
- 「自分の身の回りから仲のいい人が離れていくのが怖かった。
何としても引き止めたかったし、ずっと傍にいて欲しかった。
安心したかったんだよね。自分は一人じゃないんだって思いたかったから」
「…………」
「きっと後藤もそれに気付いてたんだと思う。
あたしの事が好きじゃなくなってても一人にさせられないって思ってたから
ずっと付き合ってただけ。それが判っててもあたしは後藤を失いたくなかった。
自分勝手で格好悪い話なんだけどね」
市井は飯田とは目を合わせずに足元で転がっている空き缶をぼんやり眺めていた。
中身を全て吐き出し、風でカラカラと少しだけ音を立てて動いている。
「でもそれじゃダメだって判ってた。
後藤を苦しめるだけだし、あたし自身の為にもならない。
だから別れようって思った。
圭織との事を持ち出すのは卑怯だったと思ったけど、ああしなかったら上手く
別れられないような気がしたからさ……」
「後悔してないの?」
打ち合わせしていたわけでもないだろうに飯田は藤本と同じ質問をしていた。
思わず市井は笑みを浮かべる。
- 299 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月06日(土)14時43分58秒
- 何度訊かれても答えは同じだった。
変わらないし、変えられない。
「もう他人に甘えるのは止めようと思ってさ。誰かが傍にいると甘えちゃう。
近い所に誰かがいると心の拠り所を探しちゃうし、振り回しちゃうから。
同じ事はもう繰り返したくないし、自分一人の力で頑張らないといけないって
思ったんだよね」
「そっか……」
「だから自分に自信がつくまでは会わない。圭織にも後藤にも」
「…………」
飯田は少し淋しそうに目を伏せる。
足元にある空き缶を拾い上げ、市井は苦笑いを浮かべた。
自分達はこの空き缶みたいな存在だ。
誰かに拾い上げてもらわない限り、地面に転がり続け、時には誰かに蹴り飛ばされる。
それを繰り返し、最後にはゴミ箱に入れられる。
少し離れた場所に設置されているゴミ箱を市井は眺めた。
清掃された気配がなく、今日もゴミが溢れ返っている。
そんな状態でも前に空き缶を投げた時は自分の缶は上手く入り、藤本の缶は外れた。
ゴミ箱に入らないままでいられた方が自由で幸せのように思える。
ボロボロになっても地面に転がり続けられる方がいい。
ゴミ箱は市井にとって墓場のように思えた。
- 300 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月06日(土)14時46分00秒
- 今まではその墓場から何としても抜け出す為に他人の力を必要としていた。
気がつけば自分の身の回りには友達と呼べる人間が一人二人と姿を消していった。
何がきっかけだったのか、今ではもう思い出せない。
一度離れてしまえば人の縁などあっという間に途切れてしまうのだという事を市井は
身を持って知った。
だから残りの飯田と後藤に頼った。
しかしそれは相手の気持ちなど全く考えない自分勝手な感情や行動だった。
飯田と後藤が付き合う事になっても自分には何も言う資格などない。
そして市井はそれを受け入れ、二人と別れる道を選んだ。
後悔してはいけない、と市井が自分に言い聞かしているとしばらくぼんやりしていた
飯田は何かを思いついたような顔をして「あ」と漏らした。
そして戸惑っている市井の顔を凝視する。
「そういえば……、この前松浦のマンションに紗耶香来てたでしょ?」
「……やっぱり気付いてたんだ?」
「うん。チラッとしか見えなかったけど草陰に紗耶香の姿が見えたから」
「あれでも上手く隠れてるつもりだったんだけどなぁ」
松浦のメールは市井にも届いていた。
ちゃんと確認していたのだ。
- 301 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月06日(土)14時48分10秒
- 今頃何の用があって呼ばれたのかは判らなかったが気になっていた。
最後に会った時の松浦の様子がおかしかったというのも関係している。
何をしでかすか判らない状況でこの呼び出し。
そして松浦のマンションの前まで行ってみたのもの、どうしても中に入る事が
出来なかった。
バッサリと後藤に別れを告げたものの、その後どういう顔をして会えばいいのか
判らなかったし、何を話せばいいのかと困っていたのだ。
もう演技をする事には疲れていた。
その場しのぎの冗談を言ったりする気力などもう市井にはなかったのだ。
だからずっと玄関で立ち尽くしていた。
帰ろうかどうしようかと迷っていた時にベランダから人が落ちてきたのだ。
「あれを見て、やっぱりそうかーって思った。
後藤が隠してたのはこういう事だったのか、ってね」
ずっとリストバンドの存在意義が気になっていた。
それまでも何か隠し事をされていると気付いていたが本人に訊けばはぐらかされる。
結局最後まで後藤は打ち明けなかった。
しかし市井は何となく気付いていたのだ。
「圭織はもちろん知ってたんだよね?」
「うん」
- 302 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月06日(土)14時50分38秒
- 「そっか。そりゃそうだよなぁ。
でもあんまし驚かなかったでしょ?経験あるんだから」
「……まぁね」
曖昧に頷いて飯田は市井から視線を逸らした。
後藤が身体の事を市井には教えず、飯田には教えていたという事実。
面白くないと言えば面白くない。
しかしその差が全てを物語っている。
後藤と自分の付き合いは所詮その程度だったという事だ。
市井はそう思う事で納得していた。
「さっき紗耶香は自業自得だって言ったけど圭織はちゃんと謝りたかったんだよ。
色んな人に沢山隠し事してたから……」
「別に謝らなくてもいいって。
圭織も謝る必要なんてないってさっきの話で判ったでしょ?」
「…………」
「それに圭織は頼られてばっかだから抱えてるものが多そうだしさ。
そしたら隠し事も増えるだろうし。
嘘つく事が嫌いな圭織でも、そうしなくちゃいけない状態だったって事でしょ」
市井は手にある空き缶を自分の隣に置きながら呟いた。
謝罪の言葉を口にするのは簡単だ。
それで全てが元通りになるのならば喜んで口にするだろう。
しかし無意味だと判っているから市井は必要としていない。
- 303 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月06日(土)14時51分46秒
- 飯田もそれを理解したのか、風で流されそうになる髪を抑えて疲れたような笑みを
浮かべた。
「でも紗耶香はごっちんの口から直接訊きたかったんでしょ?」
「もう別にどうでもいいよ」
「嘘ばっか」
市井は笑って誤魔化した。
確かに嘘だった。
本当は後藤の口から聞きたかったが、しかし仕方がないとも思うのだ。
「まぁ、後藤が隠したかったって気持ちも判るし」
「そっちは本心だ」
「さぁ?」
キッパリと言う飯田にニヤッと笑って市井は答えをはぐらかした。
しかし簡単に飯田は引き下がらなかった。
神妙な表情をして市井を問い詰める。
「紗耶香は自分からわざとごっちんを突き放したんでしょ?」
「……それはさっきも言った通り、ずっとこのままでいるのはお互いの為に
良くないなーって事で」
「本当はそうじゃないんでしょ?本当はまだごっちんの事……」
「違うって」
まだ言葉を続けようとしていた飯田を市井は強引に止めた。
ビクリと身震いして飯田は俯いてしまった。
それを見て市井はガリガリと頭を掻いて顔をしかめる。
- 304 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月06日(土)14時53分11秒
- 違う。そうじゃない。
今の自分は一人になる必要があったから別れただけだ。
後藤への気持ちは最初から曖昧だったはずで飯田が自分に気遣う必要などないのだ。
本当に違うから気にするな、と言いたいのに市井の口から出てくるのは言葉に
ならない吐息だけだった。
代わりに飯田が俯いたまま、口を開く。
「……紗耶香は最後までごっちんに言わないつもりなんだね」
「…………何の事?」
市井が表情を無くして訊き返すと飯田は立ち上がった。
時計を見て大きなため息をつく。
「そろそろ仕事の時間になっちゃうから行くね。
しばらく会わないって言ってたけど、……圭織はずっと待ってるから」
「…………」
「紗耶香がもう大丈夫って言ってくれるまでずっと待ってるから」
市井は自分の耳を疑った。
飯田が口にした言葉が信じられなかったのだ。
絶縁状を叩きつけたわけではないがある種の別れを告げたつもりだった。
もう会わない。
今度飯田に会う時はそう言おうと決めていた。
此処でこうして会うまではそう思っていたのだ。
だから言った。
- 305 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月06日(土)14時54分42秒
- 自信がつくまで、という言葉は今の市井にとって不確かなものだった。
こんなに弱い人間である自分が自信を取り戻すまでにどれだけの時間がかかるのか
予想すら出来ない。
もしかしたら永遠にそんな日は来ないかもしれないのだ。
そうでなくてもお互いに気まずい思いを抱えているというのに。
少なくとも市井は飯田に対してまだ後ろめたい気持ちを抱えている。
しかしそれでも飯田は待つと言っているのだ。
「あのね、前に圭ちゃんに言われた言葉があるんだけど」
「……何て?」
「昨日は思い出、明日は希望。思い出というより、経験って言ってたかな」
「…………」
「圭織の場合、明日は希望っていうか、可能性かもしれない。
自分勝手な事言ってるのは判ってるけど……」
飯田は一度言葉を切り、そして俯いている市井へ視線を向けた。
「その人の意思一つで気持ちも未来もきっと変わるから」
飯田は大きく息を吸い込み、瞼を閉じてゆっくりと吐き出す。
胸の中につかえていた何かを全て吐き出すように、ゆっくりと。
再び瞼を開けた時には迷いのない顔になっていた。
- 306 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月06日(土)14時55分50秒
- 「今までみたいに簡単に諦める事はもう止めたの。だから紗耶香の事も諦めない」
市井は何も言い返す事が出来ず、自分の膝上に置いていた掌を眺めていた。
湿度が高いからという理由からではなく、じっとりと汗ばんでいる。
膝に掌を乱暴にゴシゴシと擦りつけて拭う。
市井を見下ろしていた飯田は目を細めて薄く笑い、出口に向かって歩き出した。
遠ざかって行く足音を聞いてようやく市井は顔を上げる。
そして飯田の長い髪を眺めながらゆっくりと口を開いた。
「さっきのどういう意味なの?」
飯田はピタリと足を止めて振り返り、軽く首を傾げる。
誤魔化しているのではなく、本当に判らないようだ。
仕方なく、市井はもう一度問い掛けた。
「あたしが最後まで言わないって何の事を言ってんの?」
飯田は肩をすくめてニコッと笑った。
何を言っているの?と言わんばかりの笑顔。
「判ってるくせに」
- 307 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月06日(土)14時56分39秒
- 飯田が去って市井は一人ぽつんとベンチに座っていた。
隣には飯田が残していた空き缶。
市井はそれを手に取り、ゴミが溢れ返っているゴミ箱に向かってゆっくりと
振りかぶった。
自分一人の力で墓場から抜け出してみる。
自分はもう大丈夫だ。
そんな想いを込めて空き缶を放り投げた。
しかし大きな曲線を描いて缶はゴミ箱の中にすっぽりと入ってしまった。
「……やっぱりな」
市井は思わず苦笑いを浮かべてしまった。
簡単に人は変われない。
- 308 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月06日(土)14時58分14秒
- >> 288さん
いつもレス有難うございます。
えーと、今回更新分で少しは意味が判ったでしょうか。
>> 289さん
有難うございます。
次回で本当にラストです。
- 309 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月06日(土)14時59分02秒
- 根暗対決でした。
- 310 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月06日(土)14時59分47秒
-
- 311 名前:ナッツ 投稿日:2003年09月06日(土)20時08分27秒
- すごく面白いです!
本当はカナリ前から見ていたのですが、なんとなくできなかったんですけど、
終わってしまう前にレスがしたかったの、してみました。
少しずつでも、みんな幸せになって欲しいですね。
あややもミキティも、ごっちんも飯田さんも・・・市井さんも。
最後まで言わない・・・とは何のことなのかサッパリです〔汗〕
更新、楽しみに待ってます。
ところで、作者様が他に作品を載せているサイトや板はないのでしょうか?
- 312 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月06日(土)23時02分51秒
- なるほどこういう意図だったんですね。
皆がなんらかの前向きな結論を出してくれるとよいな。
気になっていた2点のうち1つ(226)が明らかになってすっきりしました。
あと1つも次で明らかになりそうです。楽しみ。
いよいよ最終回ですか・・・。もう一回最初から読み直してみようかな。
頑張ってください。
- 313 名前:73 投稿日:2003年09月07日(日)04時01分10秒
- うわ〜いよいよ最終回ですか…作者さん本当にお疲れさまです。
こんな時に明日の夜から3日間旅行なんですよね〜(泣)。レスは水曜以降になるかも…ごめんなさい。
なんだか終わってしまうのが寂しいですが、きっと幸せな結末が待っていると期待しています。
- 314 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月07日(日)19時55分01秒
- 数日後、市井はある場所に来ていた。
熱気のある空間に沢山のライト。
暗闇に浮かび上がる無数のペンライトは綺麗ではあったがとても儚いものに見える。
歓声があがる度に市井の胸も騒いだ。
ステージの上には後藤の姿があった。
同業者である市井の目から見ても歌って踊る後藤は格好良かった。
ソロライブが好評だという噂は前から耳にしていたがこうして実際見ていたら噂に
嘘偽りはなかったと心から思える。
少し前まで苦手だと言っていたトークも後藤なりに頑張っている。
しばらくライブを見ていなかった所為か、見違えるほど成長していた。
これだけ動くと身体も引き締まるはずだ。
自分も早くライブをやりたい、と市井は心から思った。
ライブが終わってから市井は後藤の控え室の前まで来ていた。
スタッフが通り過ぎていくのを横目に自分の胸に手を当てた。
ライブを見た後の興奮からか、妙に高鳴っている。
大きく深呼吸をしてから軽くノックをすると直ぐに「はーい」という上機嫌な
返事が返ってきた。
- 315 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月07日(日)19時56分05秒
- ドアを開けると上気させた頬にたっぷりの汗を浮かばせた後藤の顔が直ぐに見えた。
後藤は市井の顔を見て驚いている。
笑みを浮かべて市井は労いの言葉をかけた。
「お疲れさま。いいライブだったね」
「……ビックリした。見に来てくれてたんだ?誰にも気付かれなかった?」
「うん。多分、大丈夫……って、それも哀しい話だけどね」
「でもどうして?まさか市井ちゃんが見に来てくれるなんて思ってなかったよ」
「まぁ、一度は見てみたいと思ってたからさ」
中に入り、室内をグルリと見渡してみて市井は懐かしい、と感じた。
そして思い出した。
娘。の時代に自分もこの部屋を使った事がある。
もちろん此処は今の娘。が使うような会場ではない。
今は後藤一人が使っているのだと思うと妙に感慨深い。
「此処から始まるのかな」
「え?」
「いや、娘。もこの会場使ってたなーと思って。
後藤もいつかはでっかい会場でライブやるようになるのかなー」
「さぁ、それはどうだろうね……。
でも今はお客さんとの距離が近くて楽しいよ。
もちろん沢山の人が来れるようなとこもいいけどね」
- 316 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月07日(日)19時57分00秒
- 後藤は首にかけたタイルで汗を拭いながらへらっと笑った。
市井も同じように笑い返す。
仕事に関しては後藤はマイペースだ。
妙な焦りなどは無関係。
二人の環境はさほど違いがあるわけでもないのにそのマイペースさが今の市井には
羨ましく思えた。
市井は傍にあったパイプ椅子に座り、テーブルの上にあるファッション雑誌を手に
取ってみた。
ライブ前に後藤が見ていたのだろう。
パラパラと捲っていると後藤は近くのパイプ椅子にドカリと座り込み、汗で首に
張り付いた髪を鬱陶しそうに払い除けていた。
「まだツアーは続くんでしょ?」
「うん。まだもう少し残ってる」
「最近は新曲のプロモ活動でハードなんじゃない?」
「んー、そうだね。でも娘。の時に比べたらまだまだ楽かな」
何事もなかったかのように普通の会話をしている二人が可笑しく思えて市井は
笑いが込み上げて来た。
突然笑い出した市井を見て後藤はきょとんとしている。
「そういえば」と市井は笑いながら世間話をするような口調で続けた。
- 317 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月07日(日)19時57分52秒
- 「圭織と付き合い始めたって聞いた」
「……あぁ、うん」
「前にライブ見に来てたらしいね」
「んーと、他のメンバーと一緒に、だけどね」
後藤は視線を逸らして答えていた。
さすがに市井と会話するには躊躇う内容なのだろう。
判っていながら口にしているのだから尚更たちが悪い、と市井は申し訳なく
思いながら今日此処に来たら必ず伝えようと心に決めていた言葉を口にした。
「今まで有難う」
「……え?」
脈絡がない突然の言葉に後藤は表情を固めた。
しかし市井は直ぐに口をつぐむ。
一言だけしか言えなかったのだ。
それでも後藤は察したのだろう。
逆に問い掛けてきた。
「市井ちゃんは何を抱えてたの?」
後藤の問いに今度は市井が戸惑う。
自分が抱えていたもの――。
心当たりはもちろんある。
しかし後藤がその事に少しでも気付いているとは思ってもみなかった。
市井は誤魔化すように手にしていた雑誌に視線を落とし、ボソリと答えた。
- 318 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月07日(日)19時59分14秒
- 「何も抱えてないよ」
「……最後まで何にも教えてくれないんだね」
「それは後藤もでしょ」
「…………」
後藤は気まずそうにくるりと背を向けてしまった。
市井はその背中を無言で眺める。
衣装を身に付けたままだったので後藤の背中がよく見える。
会う度につけていた傷は今後藤が着ている衣装のデザインでは隠し切れないはず
だったが、もう残っていなかった。
そんなものは存在していなかったと言わんばかりに。
しかしこれでよかったのだ、と市井は思った。
仮に残っていたとしたら傷痕を見る度に後悔する事になっていたかもしれない。
そんな日は二度と来ないと判っていながらもそう思った。
傷があったはずの場所に市井がそっと手を伸ばしてみると「うひゃっ」と短く
間抜けな悲鳴を上げて後藤は身を縮めた。
そして肩をすくめて困ったような表情を浮かべて振り返った。
「ビ、ビックリさせないでよ……」
「へへへ」
頬を膨らませている後藤に向かって市井はいたずらっ子のような笑みを向けた。
和むような心境ではないのについ強がってしまう。
まだまだ心構えというものが出来てないな、と市井は心の中で自分自身を嘲笑った。
- 319 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月07日(日)20時00分36秒
- 「これから時間あるの?」
「何で?」
「一緒に食事でもするつもりで此処に来たのかなーと思って」
市井はゆっくりと首を横に振った。
そんなつもりで此処に来たわけではない。
後藤も「そっか」とただ一言だけ呟いた。
他には何も言わなかった。
残念そうにも聞えず、だからといってどうでもいいというわけでもなく
ただ感情が何も混ざっていない純粋な返事だった。
市井は立ち上がって手にしていた雑誌をテーブルに戻した。
「じゃあ、帰るよ」
「うん」
出口に向かいながら自分は一体何の為に此処へ来たのだろう、と市井は自分自身に
呆れていた。
言いたい事が沢山あったはずだ。
飯田に説明した事を後藤にも言うはずだった。
自分が利用していたのは飯田だけではなく後藤もだ。
淋しいからと言って自分勝手な感情で後藤を振り回した。
きちんと説明をするつもりで此処に来たはずなのに結局何も言えなかった。
これでは今までと何も変わらない。
惨めな想いを引きずりながら市井はドアノブを回し、そのまま何も言わずに
部屋を出ようとした。
「市井ちゃん」
- 320 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月07日(日)20時01分57秒
- 背中越しに聞えた声に反応して市井は振り返った。
へらっと笑う後藤の顔が見えたが何も言おうとしない。
ゆっくりとドアが閉まっていく。
市井は見えなくなっていく後藤の顔から視線を無理やり引き剥がし、その場を
立ち去ろうとしたが足が動かなかった。
パタンとドアが閉まる瞬間に何かが聞えたのだ。
それは閉まる音と殆ど同時だった。
「またね」
“さよなら”ではなく“またね”。
しばらく呆然として市井はその場に立ち尽くしていた。
慌しく廊下を走るスタッフが怪訝そうに市井の顔を見て通り過ぎて行く。
いつの間にか市井は頬を濡らしていた。
じわじわと何かが胸の奥で広がっていく。
そして市井は自分の涙の意味に気付いた。
市井が一番欲していた言葉。
それを後藤が口にしたのだ。
いや、飯田もだ。
市井が自分勝手な考えで関わる事を頑なに拒んだというのにを二人は見捨てたり
突き放したりはしなかった。
そして本当ならば今の市井にとって迷惑な行為でしかないはずなのに逆に
有難く感じた。
一人きりになる事を望んでおきながら中身は変わっていないのだ。
- 321 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月07日(日)20時04分07秒
- 今の自分が弱い人間であるという事を市井は心の何処かで否定していた。
無意識に変わった、もう大丈夫だ、という言葉を呪文のように心の中で繰り返し
まだ偽りの自分を作り出そうとしていたのだ。
しかし自分の弱さを認めてしまえばあえて二人と関係を断ち切る必要などなかった
のかもしれない、と思えた。
やはり戻るべき場所があるという安心感が今の自分には必要だったのだ。
結局市井はまた味方を求めているのだから状況は何も変わっていないのかもしれない。
しかし自分で自分の首を絞めていた原因は市井の思考が後ろ向きだったからだ。
ずっとソロで活動している松浦。
ソロから娘。へ入った藤本。
ずっと娘。の飯田。
娘。を卒業してソロになった後藤。
同じく娘。を卒業して今はユニットで活動している市井。
同じ世界にいるのに立場が違う五人。
誰一人不安を抱えていない人間などいない。
他人がよく見える事も時にはあるがそれは相手にとっても同じ事だ。
ずっとその事に市井は気付けず、今までの自分の行動を悔やんでいた。
- 322 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月07日(日)20時05分05秒
- 他人と自分を比較しては後悔して、またそれを繰り返す。
しかし今は違う。
少しだけ成長したのだ。
格好悪い自分を曝け出す勇気を持つ事が出来た。
市井はその場にしゃがみ込む。
そして目を瞑り、ドアに額をつけて「有難う」と呟いた。
次に立ち上がった時にはもう市井の顔に涙はなかった。
一度だけ小さくドアをノックして走り出す。
ガチャリとドアが開く音を聞いた時にはもう廊下の曲がり角を曲がっていた。
軽くなった腕を大きく振って市井はそのまま会場外へと駆け出す。
息が切れても構わない。
行ける所まで走り続ける。
運動不足の所為か、直ぐに肺が痛くなったがそれでもひたすら市井は走り続けていた。
ここから向こうは何も無い真っ白な世界。
それでもこれまでのような不安はなかった。
昨日は思い出、明日は希望。
「もう大丈夫だよ」
後藤の控え室の前にはリストバンドが置かれてあった。
- 323 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月07日(日)20時05分55秒
- ――さよならエゴイスト。
- 324 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月07日(日)20時06分33秒
- 終わり。
- 325 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月07日(日)20時07分21秒
- >> ナッツさん
レス有難うございます。
こういう結果になりました。
今はこのスレしかありませんが、過去にこの緑板で書いてました。
>> 312さん
毎度有難うございます。
226とは見落としそうな所をよく見てますね(笑
あと一つが今回の件でありますように……。
>> 73さん
毎度有難うございます。
無事に見てもらえるように、と祈りつつ。
これで納得してもらえるのでしょうか……。
- 326 名前:15−着地点。 投稿日:2003年09月07日(日)20時08分22秒
- 最後まで意味不明ですみません。
今まで有難うございました。
- 327 名前:ナッツ 投稿日:2003年09月07日(日)21時43分38秒
- 最後まで見させていただきました。
本当に一言で言っちゃうと、「感動」しました。
作者さんのすごい文章力には本当、驚きです。
素敵な小説、ありがとうございました。
そして、お疲れ様でした。
ちなみに、過去に緑板に書いた小説・・・見つかったかもしれません。
英語のタイトルですよね?
- 328 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月07日(日)22時02分06秒
- 作者さんお疲れ様でした。
めちゃめちゃ面白かったです。
とにかく『素晴らしい。』この一言につきます。
本当にありがとうございました。
- 329 名前:73 投稿日:2003年09月07日(日)23時13分56秒
- ギリギリで出かける前に読めました!(これから夜行ドライブで旅行に出かけるところです)
これで安心して出かけられます。作者様、本当にありがとうございました^^!
タイトルには色々な暗喩が含まれてるのかなーと感じました。
自分の弱さをひたすら隠し過去に目を背けて行くのもまたエゴイストなのかもしれませんね。
市井ちゃんも飯田さんもごっちんもあややも美貴ティもそれぞれの弱さから逃げようとして
ちょっとずつ違ったエゴイストになっていたのかもしれません。
とまれ、全員が幸せになって本当に良かったです。本当に素敵な作品をありがとうございました!
- 330 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月08日(月)01時01分13秒
- 作家さんお疲れさまでした。前スレから継続してずっと読んでましたが
読んでて全く飽きず、ハマってしまいました。
又読んでみたいです。良い小説ありがとうございました
- 331 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月08日(月)01時26分18秒
- おつかれさまでした。普通の娘。小説の部分と、ちょっと他にはない異質でスリ
リングで緊張感溢れる部分とで、失望したり感嘆したり、とにかく面白く読みま
した。つまらないなーと思いながら読んでいた部分も、あとでものすごい伏線の
拾われ方していて感嘆すること仕切り。異質で、楽しかったです。
願わくば、ほかのスレなのがありましたら、お教え頂きたいのですが・・。
- 332 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月08日(月)02時15分07秒
- お疲れ様でした。
あやみきも仲直りができたようで、うれしいです。
最後が綺麗に終わっていて、まだ余韻が残っています。
また、作者さんの作品を読んでみたいです
- 333 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月08日(月)04時31分43秒
- 終わってしまった。
この作品を知ったのは2スレ目に入ってからだったのですが
ストーリーはもちろんしっかりとした文章と巧みな引っ張り (w
にすっかり引き込まれてしまいました。
メインの5人は皆立場がバラバラなんですね。
そこまで意識してのキャスティングだったとは。さすがです。
最後の市井も無事前に踏み出すことができたようで良かった良かった。
気になっていたもう1点(前スレ184)も明らかになってすっきり。
(深読みだったらかっこ悪いなぁ)
何気ないところにもちゃんと意味があったりするので
読み返すたびに感心させられます。
良かったら過去の作品も教えて欲しいです。
次回作も期待してます。お疲れ様でした。
- 334 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月08日(月)23時29分56秒
- 最後の1行で愕然とさせられている私。そうだったのかと。
伏線もあったのかもしれないが気づかなかったくやしいよ。
もう一度読みなおしてみなくては。
なにはともあれ、完結おめでとうございます。
気が早いけど、次回作も大期待しています。
- 335 名前:名無しさん 投稿日:2003/09/11(木) 11:18
- こんなにも考えさせられそして希望や励ましを貰った小説がMseek
にあるなんて、と言う感じです。飛びぬけていますね。
最後の一行鳥肌立ちました、そういう事だったのかという胸のつかえが
とれました、そして前向きに生きていく人々にいまだ感動に浸っています。
もし他にも何か書いているのでしたら私も是非教えて欲しいです。
- 336 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/17(水) 17:54
- >> ナッツさん
有難うございます。
英語のタイトル……かもしれませんね。
片仮名でもあるような。
>> 328さん
有難うございます。
面白い、と言われるのが一番嬉しいです。
次回があればまた頑張りたいです。
>> 73さん
エゴイストだらけ、だったこの話ですが。
この五人以外の話でも作れそうですね。
いや、作らないですけど(笑
>> 330さん
2スレも使ってしまったので最初から読んでる人には
途中で見捨てられそうだな、と思っていたのですが(笑
そう言ってもらえて嬉しいです。
>> 331さん
面白い感想有難うございます。
つまらない、と思われる個所は重々承知してました。
最後まで強引でしたけど(笑
- 337 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/17(水) 17:55
- >> 332さん
有難うございます。
後日、今度は藤本さんが(略
あやみきメインで見ていた人には物足りない話になったような気がして申し訳ないです。
>> 333さん
キャスティングもそうですが話の進め方の順番固定も考えてました。
またしても、184とは細かいところを見てますね(笑
その通りです。深読みしてもらえて嬉しいです。
>> 334さん
有難うございます。
驚いてもらえて嬉しいです。
最後は殆ど伏線がないのですが卑怯ですみません(笑
>> 335さん
有難うございます。
そこまで言ってもらえると恐縮してしまいますが。
この五人にはリアルでも頑張ってもらいたいですね。
今まではオムニバス短編にちらほらと参加させてもらっていましたが
この小説の前まではアリガチな話を書く蟻として
白板倉庫の「桜の雨、いつか」などを書いてました。
2chブラウザに慣れる為のテスト短編を一本。
全く本編とは関係ありません。
- 338 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 17:57
- 吉澤ひとみという人間は昔から悪い意味で期待を裏切らない。
数年前に初めて会った時はまだマトモだったと記憶している。
スラリとした身体に凛とした顔つき。
天才的美少女などと言われていたこの一学年下の後輩に会ったのは私が転校してきて
間もない頃、確か彼女は高校一年生だったと思う。
「初めまして。藤本先輩」
彼女の入学後に転校して来たのでバレー部に入部したのは私の方が後だった。
それなのに彼女はそれはそれは礼儀正しく、運動部にありがちな上下関係を
しっかりと心得て挨拶をしてくれたのだ。
いい子だな、と思った。
その時は。
それが今ではどうだ。
天才的美少女は何処へやら、引き締まっていた顔はだらしなく緩み、身体も緩み
それまで当たり前のように持っていたはずの礼儀や常識というものが頭から
吹っ飛んでしまったらしい。
敬語なんてものもとっくに消え失せている。
私には何が原因なのかは判らないけれど、きっと部活中にメガトン級の破壊力を持つ
アタックを顔面で受けたのが拙かったのだろう、という友達の言葉を聞いて思わず
納得してしまった。
何故ならあの時、彼女は床に引っくり返って脳震盪を起こしていたから。
それに今の彼女は明らかに頭のネジが飛んでいる。
つまり今の彼女はただのアホなのだ。
そして、そのアホから連絡が入った。
「超スペシャルに面白いものを見せてあげるからうちに来て」
- 339 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 17:58
- 嫌な予感がした。
根拠なんてものはないけど、ただ嫌な予感がした。
それは彼女の日頃の行いがとてもとても悪いからだ。
この前は「焼肉食べ放題へ行こう」という言葉にまんまと騙されて真夏なのに
ぜんざいを食べさせられた。
しかも、財布を忘れたなどと言い、結局二人分の支払いまでさせられた。
未だに返してくれない事を私はいつまでも根に持っている。
「安室ちゃんのCD貸して」と頼まれて戻ってきた中身が
『ちょんまげ天国 TV時代劇音楽集』に変わってて呆然とさせられた事もある。
彼女のへらへらした顔を見ても確信犯なのか、天然なのか、見極めるのは難しい。
私ばかりが餌食になっているわけでもなく、彼女の身の回りの人間は必ずといって
いいほど同じような経験をしているトカ。
夏休みが終わってもまだ強く感じる陽射しを背に浴びながら気乗りしないまま
私は彼女が住んでいるアパートへやって来た。
最近になって一人暮らしを始めた理由は家にいると弟達が邪魔で受験勉強が
出来ないから、なんて言っていたけれど間違いなく嘘だ。
ただ、一人暮らしがしたかっただけだと思う。
額に浮いている汗の粒をハンカチで拭いながらノックを二回。
返事も待たずにドアを開ける。
部屋にいてもいなくても彼女はいつも部屋の鍵を開けている事を知っているからだ。
無用心と何度も忠告しても聞く耳を持ってくれない。
いい加減な性格をしている彼女には無駄だった。
- 340 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:00
- 「おーい。よっすぃー」
玄関からひょっこり中を覗き込んでも人の姿が見えない。
この部屋はインテリアというものが無縁で家具も殆ど置かれていない事も
知っていたけれど主の姿が見えないのはどういう事だろう。
隠れる場所は押し入れくらいしかないはずなのに。
まさか、こんな暑い日に押し入れに入っているとは思えない。
ダイエットに目覚めたというのなら話は別だけど、ぐーたらな彼女に限って
そんな事は有り得ない。
「やぁやぁ、いらっしゃい。うぇるかむ、うぇるかむ」
妙に浮かれた声が玄関横の台所から聞えてきた。
丁度壁で仕切られているので姿が見えなかったわけだ、と納得して私は靴を脱いで
部屋の中に入り込んだ。
料理でも作ってるのかな。んなわけないか。料理苦手だって自慢してたし。
そんなもの自慢になんないけどね。まぁ、人の事は言えないけど。
などと思いながら台所へ視線を向けて――身体の動きが固まった。
「…………来て早々アレだけど質問してもいいかな?」
「なんざましょ?」
シンクの下にもたれるようにして座っているよっすぃーを見下ろして、ゆっくりと指をさした。
彼女の胸元はキラキラと光っている。
- 341 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:01
- 「……その胸に刺さっているものは?」
「包丁です」
「……包丁ですか」
「どうやら心臓一突きらしいんだな、これが」
「……ほー、一突きですか」
あぐらをかいてどっかりと腰を下ろしているよっすぃーをじっくり見てみた。
確かに彼女の言う通り、胸には包丁。
そこから流れ出る大量の血は床に水溜りを作っている。
「……って、何これ?」
思わず呟いてしまった。
眉間にしわが寄っているのが自分でもよく判る。
その顔を見てよっすぃーは満足そうに笑い、口を開いた。
「どーやら、ワタクシ、吉澤ひとみは本日付けで死んじゃったらしいです」
「……それにしては口調が流暢ですね」
「冗談じゃなくて、マジで心臓止まってるんですわ」
よっすぃーは自分の胸に手を当てて大げさに肩をすくめる。
その胸には包丁一本。
まだドクドクと血が流れている。
よっすぃーは手についた血をペロリと舐めて顔をしかめた。
「まずっ!」
「…………ちょっと待って」
私は額を押さえて瞼を閉じる。
頭痛と眩暈が一気に来た。
- 342 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:03
- これが予告されていた超スペシャルに面白いもの、と言う事は説明されなくても判る。
それにしても、子供過ぎ。
やっぱりアホだ。
「……で、もう気が済んだ?」
「何が?」
「こんなに床汚しちゃってバッカじゃないの?
驚かせたかったんなら美貴じゃなくてもっと怖がりの人を選ぶべきなんじゃない?」
「うわっ。酷っ。信じてくれないんだ?」
その後に、信じられない!薄情者!と罵倒を続けた。
さすがにカチンと来た。
「誰が信じるって言うの!大体、死んだ人間がぺらぺら喋るわけないじゃん!」
「喋る死体が目の前にいるのに何故信じない!」
よっすぃーが怒鳴ると胸からぴゅーっと血が吹き出した。
かなり芸が細かい。
「はいはい。信じますー。だから、いい加減にその血何とかして」
「それが出来たらもうしてる」
諦めたように笑うよっすぃーの顔を見て私の顔が強張った。
「……どういう事よ?」
「どうしたもこうしたも本当に死んじゃったんだってば」
「冗談はいいから本当の事を言ってよ」
「んがー。言っても判らない奴だなー!手を貸してみろ!」
苛立ちを押さえきれない様子のよっすぃーは手を伸ばして私の手首を取った。
そして、そのまま自分の胸へと引き寄せる。
包丁の傍に手を当てるとべったりと血が掌についた。
生暖かい。
- 343 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:03
- 「…………動いてないね」
「ほらね」
よっすぃーはどうだ、と言わんばかりにニッカリと笑う。
笑ってる場合じゃない。
というか、何で笑う事が出来るんだろう。
心臓が動いていないという事は身体を動かす事も、喋る事も出来ないはずなのに。
「もしかして、心臓を止める特技を持ってるトカ?」
「どんな特技だよ、それ」
「……よっすぃーにつっこまれるとなんかショックだね」
私がガッカリしているとよっすぃーは頬を膨らませた。
それにしてもこれほど冷静でいられる自分にも驚きだ。
目の前には死体になり損ねた人がいるというのに。
心停止してるのに自由に身体を動かしたり、ぺらぺらお喋りする人なんて未だかつて
存在した事があるのだろうか。
というより、よっすぃーが死んだという事が、今のこの状況が、私には信じられない。
いや、正確にはまだ完全に死んでないわけだけど。
判った。
これは夢だ。
悪い夢、つまり悪夢を見ているんだ。
「とりあえず、病院へ行って診てもらおう」
私は気持ちを切り替えてよっすぃーに提案をした。
- 344 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:05
- 病院へ行ってよっすぃーを身体を見せるとお医者さんは口をぽかんと開けてしまった。
ちなみに彼女の胸にはまだ包丁が刺さったままになっている。
抜くと出血が増えるというのを何かの小説で読んだ事があるのでそのままにして
ジャケットを羽織ってここへ来たのだ。
左胸だけ巨大化して見える自分の姿を見てよっすぃーはこう言っていた。
「片乳ボインは格好悪いなー」
一発殴っておいた。
「……信じられませんね」
聴診器を耳に当てたまま、固まってしまっていたお医者さんは(傍にいた看護婦さんも)
ゴクリと喉を鳴らし、ポツリとこう呟いた。
それはそうだろう。
誰もがそう思うはずだ。
「これだけ出血が酷いと失血死もしくは出血性ショック死すると思うのですが
何故か吉澤さんは生きてらっしゃる」
「不思議ですよねー」
のほほんとした口調でよっすぃーは答える。
現実味がないというか、何というか……。
ピーという電子音が部屋に響いてよっすぃーの後ろに立っていた私はそちらに顔を向けた。
よっすぃーの脈を測っていた看護婦さんはその数値を見てヒィッと悲鳴をあげて
外へ飛び出して行ってしまった。
看護婦さんでも見慣れたものではないらしい。
お医者さんは血圧計の数字を見て、ふむ、と頷いた。
- 345 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:07
- 「検査してみないと正確な事は言えませんが間違いなく心臓は停止しています。
しかし、こうして喋る事が出来るという事はどうやら脳はまだ正常なようですね」
「って事は、頭はマトモなんだ。よかったー」
よっすぃーはホッと胸を撫で下ろそうとして包丁で指を切っていた。
ぴゅーっとまた血が出た。
これのどこがマトモなんだ。
それこそ、有り得ない。
お医者さんは慣れた手つきでその手にバンソウコを貼った。
ついでにもうあまり出血しないだろう、という事で胸の包丁も抜いてしまった。
よっすぃーは自分の胸元を見て少し名残惜しそうな顔をしている。
何気に片乳ボインが気に入っていたらしい。
それからお医者さんはガムテープみたいなもので傷口を塞ぐという荒業に出ていた。
人間に対する処置じゃないと思う。
「心停止しているので血液が脳に行かない現状ですから数時間後には本当に
死ぬと思いますよ。こうして身体が動いている事すら奇跡ですから」
そりゃ身体中に血が巡っていないんだから普通なら動かせるわけがない。
神経とか筋肉とかどうなってるんだろう。
脳だけ生きてるからまだ身体への命令が有効という事なのだろうか。
そんなの有り得ない。
「ここまで見事に刃物が心臓に達しているというのに痛みを感じていない
ようですから神経が麻痺しているとも言えますね。
っていうか、普通なら既に死んでますよね」
「先生、なんだか冷静になってきましたね」
「こんな状況ですから」
「そうですね」
とぼけた会話をしているよっすぃーとお医者さんをぼんやり眺めていた私は
「そういえば」と呟いた。
- 346 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:08
- 「なんで、胸に包丁が刺さったの?」
「さぁ、何でだろう。記憶にないんだよね。気がついたら刺さってた」
「んな、馬鹿な」
「この世にはきっと説明出来ない不思議な出来事もあるのだよ」
「……もういい」
呆れていると嫌な視線を感じた。
ふと視線を前に戻すとお医者さんの目が爛々と光っている。
「……あの、何ですか、その目は」
「吉澤さんを検査させてもらえないだろうか?」
「検査?元通りにしてくれるとか?」
よっすぃーはきょとんとしている。
誰の目から見てももう助からない事は明確なのに何を期待しているのだろう。
「いやいや、それはムリです。どうあがいてもムリです。
準備が整っていれば心臓移植や色々と手を尽くせたでしょうが既に手遅れです」
「んだよ。期待させといて」
よっすぃーが舌打ちしているのを見てもお医者さんの目の色は変わらない。
何だか、とても嬉しそうに見える。
「しかしながら、このようなケースは初めてで大変興味深い。
是非とも研究させてもらいたい。
どうしてまだ動く事が出来るのか?生きた人間のままでいられるのか?
これはまさしく神秘!」
お医者さんは握り拳を頭上に掲げて何だか燃えている。
どうやらここにも頭のおかしい人がいるようだ。
もう一人のアホはいつまでも左胸を名残惜しそうに見つめている。
- 347 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:09
- 「とりあえず、よっすぃーはあとどれくらい生きてられるんですか?」
「心臓が止まっているわりに血色もいいみたいだし、普通なら有り得ないですが
六時間くらいじゃないですかね。これもよーく調べたら細かく判りますよ」
「じゃあ、検査はどれくらいかかるものなんですか?」
「そうですねぇ……。五時間程度ですかね」
「お世話になりました」
「え!?」
お医者さんを捨てて私はよっすぃーの腕を取り、診断室を出た。
- 348 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:10
- 「さて、どうしよっか」
「どうしようかなー。六時間で何が出来るかなー」
病院を出て私達は近くの喫茶店に入った。
クーラーが効いていて涼しい。
夏ももう直ぐ終わるというのにまだ外は蒸し暑い。
これからどうするかという事を考える為にここに入ったというのに私達はのんびりしていた。
リアリティに欠ける状態だからかもしれない。
こんな現実認めてたまるものか。
しばらく涼んでいるとよっすぃーが何か思いついたように「そうだ!」と大げさに手を叩いた。
「全財産使って美味しいもの食べるっていうのはどう?」
「何それ?」
「よく言うじゃん。地球最後の日に何が食べたいですか?ってやつ」
「あー、あるね。じゃあ、よっすぃーは何が食べたいの?」
「うーん……」
自分で口にしておきながら何も考えていなかったらしい。
私なら何にするだろう。
焼肉、鮭とば、味付け玉子、カリカリ梅……考えれば考えるほど徐々に値段が
安い物になっていく。
こんなところにまで自分の生活観が滲み出るとは……。
そんな自分にガックシ。
「何も思いつかないなー。おかしいなー。ベーグルじゃ、安過ぎるし」
しゃーない。無難に高級焼肉店に行ってこれでもかーってくらい食うかなー」
どうやら、私とよっすぃーの思考は似ているようだ。
またしても、自分にガックシ。
- 349 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:12
- 「ちなみに所持金はいくらあるの?」
「二百円」
「はい、消えたー」
テーブルをバンと掌で叩いて却下した。
小学生じゃないんだから。
ため息をつきながら私はストローでアイスティーのグラスの中でプカプカと
浮いている氷を突付く。
そして、気付いた。
よっすぃーの目の前にあるクリームソーダーは代金600円也。
最初から払う気がなかったとしか思えない。
なんて奴だ……。
「じゃあ、何かしておきたい事とかない?」
「しておきたい事ねぇ……。これもまた思いつかないなー」
「…………」
頭を抱えてうんうん唸っているよっすぃーの答えを待つ間にまた自分の事を
考えてみた。
私の場合、もう直ぐ死ぬって判ってたら実家の北海道に帰って家族と過ごすと思う。
転校して来たというのにあっという間に両親は実家に戻ってしまったから。
一人暮らしをしたいと思っていた私には丁度良かったのだけど。
「そうだ。よっすぃー、家族に挨拶しに行かなくちゃ!」
「なんで?」
とっくに考える事を放棄していたよっすぃーはクリームソーダーのアイスを
一生懸命口に運んでいた手を止めてきょとんとした顔を上げた。
そんな顔されるとこっちが返答に困る。
- 350 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:13
- そもそも、死人が食事する必要なんてあるんだろうか。
必要ないのなら注文しないで欲しい。
払うのは私なんだから。
こっちだって一人暮らしの所為で常に貧乏なんだし。
ムカムカする気持ちを何とか押さえてわざとらしく口元に手をあててゴホンと咳を一つ。
気持ちの切り替えはこれで何とかなった。
「だって、もう会えなくなるんだよ?
今まで育ててくれて有難うとか先立つ不幸をお許し下さいとか何かないの?
せめて、お別れの言葉くらいちゃんと言わないと」
「あー、そうか。それはそうだ」
ボリボリと頭を掻きながら初めて気付いたと言わんばかりに納得している。
「でも、ビックリするだろうね。普通、こんなに元気な死人いないし」
「幽霊でもないしねー」
「他人事みたく言ってる場合じゃないでしょ」
「まーねー」
頷きながらもやっぱり他人事のような返事だった。
- 351 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:13
- 喫茶店を出てからよっすぃーの家に向かう事にした。
陽射しは少し傾いて少し暑さがマシになってきている。
携帯で時間を確認してみると四時過ぎになっていた。
「そういえば、いつ心臓止まったの?」
口にしてから、とんでもない内容の会話をサラリとしている自分が少し嫌だな、と思った。
それなのに、よっすぃーは何でもないような顔をして答えた。
「知らない」
「…………」
「いや、マジで」
「……という事は、美貴に電話して来たのが……一時過ぎくらいだったから
って、あと三時間くらいしかないじゃん!」
「うへぇ」
大げさによっすぃーは驚いてみせた。
何もかもが演技臭い。
「今のうちにちゃーんと、したい事とか、やり残した事とか考えておきなよ。
時間ないんだから」
「強調してくれなくても判ってるってば」
「本当かなぁ」
「信じてよ」
緊張感が全くないのに信じろっていう方がおかしいと思う。
- 352 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:14
- よっすぃーの家は小奇麗な一軒家だった。
ここに来たのは初めてかもしれない。
いや、初めてだ。
私が高校生の時は部活帰りにカラオケへ行く程度の付き合いしかなかったし
卒業してからはよっすぃーが一人暮らしを始めたから。
よくよく考えてみたら私達は特別仲良しというわけでもない。
それなのにどうして今日私に電話して来たのだろう。
私がよっすぃーへ問い掛ける前に玄関の扉が開いて誰かが出てきた。
少々小太りな少年が二人。
手提げの黄色い鞄からにょっきり伸びた細長い袋。
一体、何を入れているのだろう。
二人はよっすぃーの顔を見て少し驚いている。
「何で戻ってきてんの?」
もしかして、一人暮らしを始めて一度も戻ってないんじゃ……。
弟の質問には答えず、よっすぃーはマイペースに尋ね返した。
「お母さんいる?」
「リビングでアイロンかけてる。そろそろ晩飯の用意しなくっちゃって言ってたけど」
「そりゃ、丁度よかった」
「何だよ。飯食いに来たのかよ。でも、人数分ないと思うけど」
しらっと答える弟の頭を軽く小突き、よっすぃーは私の方へニッカリと微笑んだ。
「紹介するよ。こっちがチャーリーでその隣がブラウン」
「…………」
弟も、そしてもちろん私も口を閉ざした。
それを見てよっすぃーは不満そうな顔をした。
- 353 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:16
- 「全員無反応ですか」
「どう返せと」
「外人の名前かよ!とか」
「っていうかさ、一つの名前を二つに分けてるよね、今の」
「ソウネ」
「あのね、時間がないんだからしょーもない事言わないで」
そう言ってよっすぃーから視線を逸らしてみるといつの間にか
弟達の姿が消えていた。
くだらない話に付き合ってる暇なんてなかったのだろう。
私なんかよりも付き合いが長いのだから慣れているのかもしれない。
決して私が付き合う暇があるというわけではないのだけど。
「あいつら、ソロバン塾に行ったんだな」
「今時ソロバンなの?普通の塾じゃないの?」
どうやら、鞄からはみだしていたのはソロバンだったらしい。
「頭の回転が速くなるようにってお母さんが無理やり入れたんだよ。ザマーミロ」
それこそ、長女に習わすべきだったのに、と私は心の中でツッコミを入れた。
いや、長女がこれだからか。
きっと、お母さんは学習したんだろうな。
「っていうか、何も言う暇なかったじゃないか。あのクソ餓鬼どもめ」
「……アホな事ばっかやってるからだよ」
「しょうがない。お母さんにだけ会っておこうっと」
よっすぃーは割り切って家の中にズカズカと入り込んでしまった。
私は一応「お邪魔します」と呟いてその後を追った。
- 354 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:17
- リビングでせっせとアイロンをかけている女性の背中が見えた。
よっすぃーが声をかけると振り向いて「あら」と口元を押さえた。
アホになる前のよっすぃーに顔が似てる。
「何で戻ってきてんの?」
弟と同じ台詞をお母さんが口にしたので親子だなぁ、と思わず感心してしまった。
「いやー、ちょっとねー」
「アンタの分の晩御飯ないわよ」
「それは残念」
「……あら?お友達?」
今頃、よっすぃーの後ろにいる私の存在に気付いたお母さんは愛想笑いを浮かべた。
私も同じような笑みを浮かべる。
そして、見えないようにこっそりと肘でよっすぃーを突付いた。
「私がいたら言い難い事もあるだろうから外に出とくよ」
「え、なんで?そんな必要全くないじゃん」
ケロリと答えてよっすぃーはお母さんに向かってペコリと頭を下げた。
「ひとみは旅立ちます。今まで幸せでした。アリガトー」
たったそれだけだった。
それはそれはキッパリと珍しく真剣な表情ではあったのだけど内容が非常におかしい。
案の定、事情を全く知らないお母さんはポカンとしていた。
私がその立場だったら間違いなく、同じ表情をしてると思う。
- 355 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:17
- 呆然としたまま、固まってしまったお母さんをその場に残して私達は家を出た。
無関係なのに何故か私が罪悪感にさいなまれていた。
時間を確認してみると五時前になっている。
タイムリミットは七時頃。
本当にこのままでいいのだろうか。
「説明なしでいいの?」
「うん」
あっさりとそう言われてしまうとそれ以上何も口にする事が出来ない。
お母さんが気の毒に思えてしまった。
アホな娘を持つ親は不幸だ。
「……それで、今からどうすんの?」
「あと、二時間かー。川原にでも行こっか」
「なんで、川原なの……」
「川の流れをぼんやりと眺めたいから」
残り時間が少ないというのにどうしてそんな発想が出来るのだろう。
よっすぃーはどこまでもマイペースだった。
- 356 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:19
- 夏の間は日没までの時間が長かったというのに最近は徐々に短くなりつつある。
タイムリミットの頃にはかなり空が暗くなっているだろう。
今は夕日が眩しい。
天気が良く、余り風が吹いていない所為か、川の流れは穏やかだった。
夕日に反射してキラキラと水面が光って見える。
この近くは殆ど民家がないので人の気配すらない。
あまりにもする事がないので私は川の傍にあった大きい石に座って小石を掴んでは
川に投げるという作業を繰り返していた。
よっすぃーは靴を脱いで川に足を入れて涼んでいる。
「残り時間が少ないっていうのにこんな事してていいの?」
聞えていないのか、返事がない。
呆れながら小石を水面に滑らすように投げるとピョンピョンと数回跳ねて
よっすぃーの足にぶつかって沈んだ。
「ぎゃっ」とよっすぃーは情けない声をあげて私を睨んできた。
「イテーな!このノーコン!」
「わざと狙ったんだよ。本当にこのままでいいの?」
「何が?」
濡れないように捲くっていたジーパンを更に捲り上げながらよっすぃーは
どうでも良さそうに呟いた。
- 357 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:21
- 「そうだ。ミキティは同じような状況になったらどーする?」
「美貴がよっすぃーみたいな身体になったらっていう意味?」
「そう。死ぬ前に誰かに会いたいとか、何がやりたいとか」
「うーん……。そうだなぁ……」
数個の小石をジャラジャラと手の中で鳴らしながら考えてみた。
両親や友達に会うのはもちろんだけど、他に何かあるだろうか。
あるとしたら好きな人に会いたい、とかになるのかもしれないけれど。
よく考えたらよっすぃーからそういう恋話を聞いたことがない。
「こうして改めて考えようとすると直ぐには思いつかないね」
「でしょ?」
してやったり、という顔をしてよっすぃーは胸を張る。
アホなりに最初から私がどう答えるかという事を予想していたらしい。
きちんと答えを出すべきだった、と後悔した。
「……あれ?あそこにいるの梨華ちゃんじゃない?」
夕暮れの色と同化した肩を剥き出しにしている梨華ちゃんが土手を歩いていた。
私と同じ大学に通っている彼女は高校からの付き合いでよっすぃーとも仲が良かった。
土手の下にいる私達の姿には気付いていない。
俯き加減で浮かない顔をして歩いている。
よっすぃーは私の声に反応して背を向けていた身体を反転させていた。
その顔を見て何となく嫌な予感がした。
不敵な笑みを浮かべている。
そして、裸足のままで梨華ちゃんに向かって歩き出した。
慌てて私も追いかける。
- 358 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:22
- 「おーい、梨華ちゃんー」
よっすぃーが明るい声を出して手を振るとその声を聞いて梨華ちゃんは何故か
顔を強張らせた。
死人であるはずのよっすぃーよりも顔色が悪い。
「この時間ならここを通ると思ったんだー。
だって、バイトに行く時間だもんね」
よっすぃーはニコニコしながら梨華ちゃんに声をかけている。
残り時間を迷わずここで過ごす事を選んだのはこういう事だったのか。
「あらら。顔色悪いね、どして?」
ハイテンションのよっすぃーに対して梨華ちゃんはローテンションだった。
でも、その理由が直ぐに判った。
「…………どうして、生きてるの?」
ガタガタと震えている梨華ちゃんを見てそういう事か、と思わず呟きそうになった。
よっすぃーは包丁が刺さった理由を覚えていないと言っていたけれど。
どうやら、理由は目の前にいるらしい。
私は言葉をなくしていた。
まさかまさか、人に刺されたとは思っていなかったから。
しかも、その相手が梨華ちゃんだなんて。
- 359 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:23
- 「……だ、だって、心臓止まっちゃってたのに……。
普通、生きてるわけないじゃない!」
「そんな事を言われても心臓止まってても何故か動けるんだよね。
残念ながら普通じゃなかったみたい」
にひひ、とよっすぃーは笑った。
このまま黙って見ていると勝手に話が先に進んでいきそうだったので
私はよっすぃーの腕を取って確認する事にした。
顔色が土器色になって震えている梨華ちゃんが冷静になる時間も必要だ。
「ねぇ、よっすぃー。梨華ちゃんが刺したって事でいいの?」
「んーと、事故だけどね」
「事故?」
きょとんとした顔で私が繰り返すとよっすぃーは笑顔で説明を始めた。
最近、バイトを始めたよっすぃーは仕事に慣れる為に家でその練習をしていた。
そして、その練習の最中に梨華ちゃんがやって来たらしい。
「で、突然悲鳴あげられてグサリと」
「……意味判んない。それに説明短過ぎ」
「えー」
「えー、じゃないよ。それに一体、何の練習してたの?」
「鳥をさばく練習」
「……はぁ?」
- 360 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:24
- 補足された説明によるとよっすぃーが始めたバイトというのは焼き鳥屋で
店に出す鳥をさばく練習をしていたらしい。
テレビで見た事があるけれど焼き鳥用の鳥って確か毛を全てむしった状態で
血抜きしてあるやつなんじゃ……。
もちろん、頭もついたままの状態のやつ……。
鳥嫌いの梨華ちゃんが見たら悲鳴をあげるのも当然だ。
私でさえ、気持ちが悪かったくらいなのだから。
でも、何となく事情が判って来た。
何も知らずによっすぃーのアパートを訪れた梨華ちゃんは丸裸の鳥を見せられて
パニックに陥ってしまった。
その様子が可笑しく見えたよっすぃーは調子に乗って鳥を梨華ちゃんに近づけた。
そして、嫌がっている梨華ちゃんともみ合っている間に手にしていた包丁がグサリと
刺さってしまった、という事らしい。
「っていうか、受験生がなんで今頃バイトを……」
「マネーは必要です」
二百円しか所持金がない人から言われると納得せざるを得ない。
高校生にそんな作業をさせる店もどうかと思うけど。
素人なんだし。
「なんで、焼き鳥屋なの?」
「いや、梨華ちゃんって鳥嫌いだけど食べるのは好きだから」
「意味判んない」
「それにしても、お母さんがヒヨコに追いかけまわられたからって、その話聞いて
梨華ちゃんまで鳥嫌いになるっていうのもおかしな話だよねー」
「だから、意味が判らないって言ってんじゃん!」
ツッコミを入れない限り、話が暴走していくのは目に見えている。
とりあえず、話を元に戻そう。
- 361 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:27
- 「でもさ、何で隠してたの?」
「隠してたわけじゃないけど……。まぁ、さっき思い出したって事で」
よっすぃーは私から視線を逸らして口笛を吹いている。
何となく、嘘臭い。
私達の漫才のような掛け合いを耳にしていても梨華ちゃんの顔色は相変わらず悪かった。
さっきからずっと、よっすぃーの顔を見ようとしていない。
でも、これが正しい反応なんだと思う。
夢だと簡単に割り切っている私の方がおかしい。
「というわけで、こうして変な形で生きてるわけだし
梨華ちゃんは後悔しなくてもいいんだよって事で」
「……で、でも」
「事故、正当防衛、不可抗力。全然梨華ちゃん悪くないんだもん」
「…………」
いくら、よっすぃーが明るい口調で何でもないように言ってみても
梨華ちゃんの顔色もテンションも戻らない。
過失でも人を刺したのには違いがないのだから仕方がないのかもしれない。
しかも、死んだはずの人間がこうもヘラヘラとして動いているというのも
信じられないのだろう。
助け舟を入れるべきなのかもしれない。
- 362 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:29
- 「あのさ、梨華ちゃん。これは夢なんだよ」
私が横槍を入れると梨華ちゃんは目を瞬かせた。
「だってさー、普通有り得ないでしょ?
いくら、よっすぃーがアホだからって心臓止まっても動けるわけないじゃん。
だから、これは夢なんだって」
自分で言っておきながら何だか自分に言い聞かせているみたいだな、と思った。
梨華ちゃんも私の言葉でようやくうっすら笑った。
それでもまだ顔は引きつっている。
「そ、そうだよね。美貴ちゃんも普通でいられるのは夢だからだよね」
「うん。じゃないと気絶しちゃうよ」
えへへ、と顔を見合わせて私達が笑っているとよっすぃーは、ふん、と鼻を鳴らした。
夕暮れ時でよかったのかもしれない。
よっすぃーの顔色は徐々に変化していて梨華ちゃんまではいかないけれど
青黒くなってきている。
でも、その事に梨華ちゃんは気付いていなかった。
「じゃあ、またね」と手を振って梨華ちゃんと別れた。
それにしても事故とはいえ、友達を刺しておいて普通にバイトへ行こうとしていたと
いうのが少し気になる所だけど。
小さくなっていく梨華ちゃんの背中を見守っているよっすぃーの横顔は
何だか淋しそうに見えた。
- 363 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:30
- 時間はもう残り少ない。
でも、その時間を確認するのが躊躇われて結局出来なかった。
私達は川原に戻り、大きめの石に座ってのんびりとしていた。
よっすぃーはゴシゴシと何度も目をこすり、眠そうにしている。
そういえば、どうなってしまうのだろう。
ガソリンがなくなった車みたいに、ゆっくりと動かなくなっていくのか
それとも、電源を落としたテレビのように突然プツンとなるのか。
よく判らない。
「それにしても、食べるのは好きなのに生きてる状態が嫌いっていうのも酷い話だよねぇ。
そんなの鶏さんが可哀想じゃないか」
よっすぃーは大あくびをしながら呟いた。
「確かにね。牛とか豚とかと一緒だと思えばいいのに」
「それが梨華ちゃんには出来ないんだよね。
昔、克服させる為に縁日のひよこ釣りに連れて行ったらまた悲鳴あげちゃって
周りにいた人をなぎ倒して姿消しちゃったんだよ」
よっすぃーはその時の様子を思い出したのか、嬉しそうに笑っていた。
その顔を見て何となく思った。
よっすぃーがバイトを始めたのも、梨華ちゃんの鳥嫌いを克服させたかったから
じゃないのだろうか。
それにしては荒療治のような気がするけど。
普通に生きている状態でもダメな人に死んでる鳥を見せても逆効果という事に
気付かないのだから、やっぱりアホなのだろう。
- 364 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:31
- 「よっすぃーは梨華ちゃんにちゃんと言っておきたかったんだね」
「何を?」
「今のこの状況は梨華ちゃんの所為じゃないんだって事」
「だって、事実だし」
さらりと答えるよっすぃーが少しだけ格好よく見えた。
死んでるけど死んでない。
てっきり殺したものだと思い込んでいた梨華ちゃんをよっすぃーは安心させて
罪悪感を軽くした。
本当は違うのに。
もう二度と会えないのに。
そもそも、不満一つ言わずにこの状況を受け入れている姿勢が何だか気に入らない。
それが例え夢だとしても。
「っていうかさー、よっすぃーは後悔してないの?こんな事で死んじゃうなんて」
「別に何ともー」
「そんな事言いながら枕元に化けて出てこないでよ?」
酷くあっさりと答えるので少しカチンときて、ついつい憎まれ口を叩いてしまう。
普通だったら自分の不運っぷりを嘆くだろうに。
心が広いというか、本当に本当にアホというか。
- 365 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:33
- 「さて、そろそろ七時ですよ、ミキティ」
よっすぃーは勢いよく、立ち上がり両手を空に上げて大きく伸びをした。
その顔には全く不安なんてものはない。
強がっているわけでもなく、普段通りだった。
最後まで潔い。
何も言えずに私がゆっくりと立ち上がっているとよっすぃーは服のままで
川の中にザブザブと入っていく。
この川の深さは一番深いところでも腰辺りくらいしかなく、今は流れも緩やかなので
危険ではないけれどその突飛な行動に少し驚いた。
「ちょ、何やってんの!」
「この川って確か海と繋がってたよね?」
「……え?うん、多分そうだったと思うけど……でも、それがどうしたの?」
「ワタクシ、吉澤ひとみはお魚さんの餌になろうと思うのです」
「……は?」
「このまま家に帰るわけにもいかんでしょ」
それは自分の身体を隠す為。
つまりはそういう事だ。
よっすぃーはどこまでも梨華ちゃんの負担にならないようにしている。
「ミキティが一緒でよかったよ」
「え?」
「だって、こうやって普通に接してくれるのってミキティくらいでしょ。
普通なら相手にしてくんないだろうし」
- 366 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:33
- どうして私に電話をかけてきたのだろう、とずっと不思議に思っていた。
でも、そういう事だったらしい。
思っていたよりも私はよっすぃーに信頼されていたようだ。
嬉しいというよりは少し意外だった。
「では、行ってきます」
背泳ぎの状態でよっすぃーは川に流されていく。
その顔には笑み。
最後まで哀しそうな表情は見せなかった。
だから、私も笑う。
「行ってらっしゃい」
あっさりした別れ。
でも、私達にはそれが合ってるような気がした。
空は夕日も沈んで薄暗くなり、気温も下がって涼しくなっている。
もう夏も終わりなんだなぁ、としみじみ思った。
どんどん小さくなっていくよっすぃーの身体を私はずっとずっと見ていた。
- 367 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:34
- 窓の外からスズメの声が聞えてくる。
眩しい朝日が窓際のベッド付近にバッチリ入ってきていて眩しい。
今日はバイトがないから昼まで寝てやる。
そう思って布団を被り直そうとした。
動かない。
眉間にしわを寄せて半分瞼を開いた。
枕元からにょっきり伸びた誰かの手が私の布団を掴んでいる。
おかしい。
私は一人暮らしで昨日の夜は戸締りをきちんと確認して寝たはずなのに。
「……ぁあ?」
不機嫌そうな声を出して私が頭を動かすとおでこをぴしゃりと叩かれた。
「ぃて」
「いつまで寝てんだよ。起きろー」
この声は。
「起きろっつってんだろ!」
まさか。
「こらー!」
馬鹿な。
がばりと勢いよく、起き上がって身体を反転させると枕元によっすぃーがいた。
信じられなくて何度も瞬きを繰り返す。
まだ、寝ぼけてるのかな。
それとも、夢の続きを見ているトカ。
- 368 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:36
- 「なんで、勝手に人の部屋に入り込んでんの!」
「だって、玄関の鍵置いてる場所知ってるんだもん」
「そういう問題じゃないでしょ!」
寝起きで怒鳴ると頭がガンガンと激しく痛んだ。
寝る前に少しお酒を飲んだのが拙かったらしい。
よっすぃーはピンピンしていた。
それを見て、やっぱり夢だったんだ、と思った。
それは、そうだ。
死んでも動き回る死体なんて現実では有り得ない。
いや、ちょっと待てよ……。
寝る前にお酒を飲んだのは昨日色んな事があり過ぎて眠れそうになかったからであって
今、あるこの頭痛の意味が判らない。
夢の中でお酒を飲んだはずなのに。
でも、テーブルの上には空き缶が数個ある。
…………え?
- 369 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:37
- サァッと血の気が引いた。
よっすぃーは勝手に私のベッドに腰掛けてへらへらと笑っている。
その服は濡れていてシーツをじんわりと濡らしていた。
「いやいやー、ちょっと困った事になってねー。
昨日あれからちゃんと海まで辿りついたんだけどいつまで経っても
意識がなくならないわけさー。
夜明けまで待ってみたんだけど暇だから戻ってきちゃった」
「戻ってきちゃった、て……言われても……」
「やっぱ、あれだよ。あの医者、ヤブだったんだよ」
よっすぃーは悔しそうにぼやいている。
こうして、まだ動いているという事は確かにヤブだったんだろう。
それにしても……。
「んーと、頭が痛いからもう一回寝直す……」
「えー。つまんねー。どっか、遊びに行こうよ」
不満そうに呟く声を遮断する為に布団を被り直した。
- 370 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:39
- こんなにうるさい死体なんか、いらない……。
これも悪い夢の続きだ。
早く目を覚ましたい……。
「っていうか、死体って腐るんだよね?どうしようか。
これからは冷蔵庫の中で寝ないとダメなのかな。ヤバイかな」
アホなくせに珍しくまともな事を言い出した。
確かに生ものは腐る。
でも、冷蔵庫で寝るというのはまともじゃない。
やっぱりアホだ。
「ミキティ。冷蔵庫貸してくんない?」
「ヤだよ。それに、そんなでっかい身体、入るわけないじゃん」
「ちっ。でも、そろそろ涼しくなってくるから何とかなるかな。
なるようになれってなもんだ」
とりあえず、夏よ、早く終われ……。
- 371 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:40
- 終わり。
- 372 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:41
- エエェェ(´д`)ェェエエ
という声が聞えてくるような……。
すみません。すみません。
- 373 名前:さよならSummer Day 投稿日:2003/09/17(水) 18:43
- 別に「さよなら」シリーズというわけでは決して……。
ブラウザテスト完了。
使いやすかったです。
- 374 名前:ナッツ 投稿日:2003/09/17(水) 18:47
- 新作、待ってました!
今回はメインはよっすぃ〜とミキティかな?
何気に仲良さそうですよね。
ラジオでも愛してる、とか言っちゃってましたしね。
辻ちゃんとも仲良しですし…美貴さんは浮気性なようで。
それから、白板の方も、読ませていただきました!
さよならエゴイストといい、白板といい、短編といい、作者さんは本当すごいですね。
- 375 名前:ナッツ 投稿日:2003/09/17(水) 18:48
- すみません、ageてしまいました〔汗〕
本当、すみません。
- 376 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/17(水) 20:02
- ああ、あれの作者さんだったんですか。全然雰囲気が違うなあ。
今回の短編、良いですね。小松左京の某短編を思い出しました。
キャスティングがはまってるなあ。
次回作があらんことを。
- 377 名前:名無しさん 投稿日:2003/09/17(水) 20:05
- (゚Д゚)・・・・・
シリアスな話の後にえらいぶっ飛んだ話ですねびっくりしました
でも凄く面白かったです。
吉澤さん、アホなりにシリアス(?)なんですね
胸を打たれたようなそうでないような (^-^;
多分打たれました (^-^)
次回作も期待してますね。頑張ってください。
(´-`)。o0(332さんへのレスが気になるなぁ)
- 378 名前:名無し 投稿日:2003/09/18(木) 17:18
- やっべぇー!!くそおもしれぇー!!
正直本編よりも(ry
嘘です。すいません。
でも、それと同等かそれ以上かってくらい面白かったです。
有難う御座いました。
- 379 名前:名無しさん 投稿日:2003/09/19(金) 00:16
- 笑いました。でも切なかったり。
でもやっぱり笑いの方が大きいです。
(´-`)。o0(僕も332さんへのレスが気になるなぁ)
- 380 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003/09/19(金) 18:40
- みきよし面白いです
ワロタw
でもなんか温まる話でしたね
- 381 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/20(土) 00:58
- 現実もよっすぃーのアフォさ加減に振り回されてる
ミキティーかもしれないっすねw
しかしあの作品の作者さんだったとは・・・
カオ&ごまコンビが書かれてる時点で気づくべきでした。
心理描写がやっぱすごいっす!!
- 382 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/30(火) 23:02
- >> ナッツさん
有難うございます。
ラジオは余り聞かないのでよく判らないのですが
二人は仲良しですね。
>> 376さん
有難うございます。
小松左京さんの小説は未読なのでよく判りません……。
こんなにアホな人は出てきませんよね……?(汗
>> 377さん
有難うございます。
長々とシリアスな話を書いたら、その反動が出てしまいました。
こういう話は余り書いた事がないので不安です。
>> 378さん
有難うございます。
いえいえ、面白いと言われて嬉しかったです。
どちらかといえば苦手な分野なので。
>> 379さん
有難うございます。
332さんへのレスは見なかった事にして下さい……。
気の所為です、気の所為。
- 383 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/30(火) 23:03
- >> 380さん
有難うございます。
この二人は余りまだ書かれていないかな、と思いまして。
あと、アホ話書くにはいいかな、とも思いまして。
>> 381さん
有難うございます。
いつものHNでかおごまを出すと結末が直ぐに判ると思って正体を隠してました。
他に特別な理由はないです。
>> 337 の「後日、今度は藤本さんが(略」というレスは本当に忘れて下さい……。
調子に乗っただけです。
続きを書こうと思ってもバッドエンドしか思いつきませんから……。
スレの容量がまだ余っているというのと
あやみき好きの人へのお詫びとして今回はこの話を用意しました。
が。
また、怒られそうです……。
「さよならエゴイスト」ではなく「さよならSummer Day」の続編です。
- 384 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/09/30(火) 23:05
- あれから家に戻るわけにも行かず、行き場を失ってしまったよっすぃー(半死体)は
結局、私のアパートに転がり込み、住みついてしまった。
ちゃっかり黙って自分のアパートを引き払って来たというので追い出す事も出来ず
しかも私は半死体の身体を腐らせない為に大きな業務用の横長冷蔵庫を買う羽目になった。
どうして、私がこんな高い買い物をしなくてはならないのだろう。
巨大な冷蔵庫は狭い私の部屋のスペースを随分と奪ってくれている。
しかも、モーター音が夜中にうるさい。
よっすぃーは満足そうに寝床になった冷蔵庫からひょっこり頭だけ出して
私にニッカリと微笑んだ。
「心配すんなって。出世払いで返すから」
「……誰が出世するんですか」
「多分、ワタクシが」
「……ゾンビになる事が出世なんですか」
「そうかもしれませんよ。お化け屋敷に永久就職とか出来そうだし」
「……もう帰ってちょうだい」
毎日繰り返される会話。
いい加減、飽きてきた。
冷蔵庫を買わされた挙句に何故か半死体のくせに食べ物を必要とするし
エンゲル係数が高くなってしまった我が家の主である私はバイト三昧。
大学に行く時間以外は殆どバイト、バイト、バイトの連続。
寝る為だけにアパートに戻るという状態になってしまった。
引きこもり状態なので話し相手がいないよっすぃーは不満らしく
いつも愚痴をこぼしている。
一体、誰の所為でこんな事になってしまったと思っているのだろう。
- 385 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/09/30(火) 23:06
- この年で借金まみれになるなんて……。
しかも自分の為の買い物でも何でもないし。
我ながらお人よしだと思う。
本来ならよっすぃーをこんな身体にしてしまった梨華ちゃんが養うべきなのに。
私と同じように夢だと思い込もうとしていた彼女はよっすぃーがピンピンしているこの現状に
最初はとても驚き、しばらく寝込んでしまった。
やがて、梨華ちゃんも現実を受け止める覚悟が出来たらしく
今ではマメに顔を見せに来る。
その顔色は半死体のよっすぃーよりも死相が出ていて少し可哀想に思えたけれど
犯罪者になってないからいいのかな、とも思った。
二人共何事もなかったかのように楽しそうにしているし。
その時点で普通ではないのだけど。
本当ならば梨華ちゃんに引き取ってもらいたかったのだけど
家族と一緒に住んでいる彼女には無理だった。
「美貴ちゃん……。私もバイトしてお金入れるよ」
ある日、梨華ちゃんは申し訳なさそうにコッソリと
よっすぃーに聞えないように耳打ちしてきた。
よっぽど私が悲惨に見えたのか、それとも責任を感じてしまったのか。
梨華ちゃんに責任を感じさせまいといつも気を遣っているよっすぃーの姿を
私は見ていたのでその有難い申し出を断ってしまった。
- 386 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/09/30(火) 23:07
- 半ば意地になっていたというのもある。
よっすぃーに信頼されている人間としては
こうなったら最後まで面倒みてやろうじゃないのトカ。
でも、今では激しく後悔してる。
疲れが全く取れない上に夜は夜で冷蔵庫のモーター音とその中から木霊する
半死体のいびきがうるさくて睡眠不足になってしまっていた。
どこまでも迷惑だ。
限界が来たらこっそり近くの公園にでも埋めてこようかな、と思うくらいに。
多分何事もなかったかのように笑顔で戻ってきそうな気がして諦めているけれど。
- 387 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/09/30(火) 23:08
- 大学の講義が終わると直ぐにバイトが待っている。
ファミレスのウエイトレスは店が暇過ぎると何もする事がない。
動かないと睡魔が襲ってくる。
厨房に引っ込んで立ったまま、ウトウトとしていると徐々に意識が曖昧になってきた。
「美貴たん」
「…………」
「ちょっと、大丈夫〜?瞼、落ちかけてるよ」
「…………え?」
「半目になってて怖い」
「…………」
ごしごしと瞼をこすって軽く頬を両手で叩いて何とか目を覚ました。
隣に心配そうな顔をした亜弥ちゃんがいた。
年下の亜弥ちゃんとはバイトで仲良くなった。
自分の良さというものを全て把握している人でいつも自信に満ち溢れている。
接客が上手い所も彼女の人間性がよく表れていると思う。
普通に接しているのに、睨んでるのか、とたまにお客さんから苦情を貰う私とは正反対だ。
ちょっと羨ましく、ちょっと哀しい。
「松浦くん、ちょっと」
店長の声が聞えてきた。
声がした方向を見てみると裏口のドアから顔を出した店長が手招きをして
ニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。
裏口を出ると人気のない道路に出る事になるのだけど。
私が嫌な予感を抱いているというのに亜弥ちゃんはケロリとしていた。
- 388 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/09/30(火) 23:09
- 「セーフ。美貴たん、危なかったね。居眠りバレてないよ」
「それより、大丈夫?」
「何が?」
きょとんとした顔をして亜弥ちゃんは首を傾げる。
「だって、店長に言い寄られてるんでしょ?」
「うん。っていうか、あの人ってキモイよねぇ。
私よりも二周りくらい年離れてるのに一緒にご飯食べに行こうとか
映画見に行こうとか遊園地行こうとか、いっつも誘ってくんの。
いくら私が可愛いからって、そこまで必死になる事ないのに」
最後の言葉は余計なんだけど。
40代で独身の店長(江頭2:50に似てる)は本気で亜弥ちゃんに惚れているらしい。
いつもニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべているのでバイトの女性陣に不評だった。
そうでなくても思い込みの激しい横暴な性格が男性陣にも不評なので
全員に嫌われているのだと思う。
それが判っていながら私はどうしてこんなところで働いているのか。
貧乏って哀しい。
「まさか、誘われてどっか行った事あるトカ?」
「ヤだヤだ。やめてよ〜。行くわけないじゃん。
性格も粘着で最悪だし、硫酸ぶっかけられたような顔してんだよ?
こんなに暇な店なのにいつも脂汗かいてるし、目が血走ってるし。気持ちワル〜」
亜弥ちゃんは顔をしかめて自分の身体を抱きかかえた。
何もそこまで言わなくてもいいんじゃないかな、と私はこっそり思った。
そんな事を言っている間にも店長は一生懸命亜弥ちゃんを呼んでいる。
- 389 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/09/30(火) 23:11
- 突き刺さるような視線を感じてチラリと見てみると店長が睨むような目で私を凝視していた。
カチンと来た。
何で私が敵視されないといけないんだろう。
何もしてないのに。
ちょっと立ったまま、半目で寝てただけなのに。
「とりあえず、行って来るね」
そう言って、亜弥ちゃんは裏口に向かった。
ああは言っていたものの、亜弥ちゃんはいつもニコニコとしていて
相手を勘違いさせるプロみたいな人だ。
心配ではあったけれどついて行くわけにもいかず、私はその場に立ち尽くしてしまった。
亜弥ちゃんは可愛い。
同性の私から見ても可愛い。
店長じゃなくてもお客さんからナンパされる事も日常茶飯事。
野放しにしておくと逆にこっちが落ち着かない気分になってしまう。
こういうのを恋と言うのだろうか。
亜弥ちゃんを見ていてドキドキしたり。
それは色んな意味で心配になってハラハラしているだけかもしれないけど。
寝る前に今頃何してるんだろう、とか
長風呂な彼女が湯船で眠りこけてないだろうか、などと思ってみたり。
こうして考えてみるとやんちゃな子供を持つ過保護な親か
もしくは、ただの変態みたいだけど私はいつでも亜弥ちゃんの心配をしている。
- 390 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/09/30(火) 23:12
- たまに自分が男だったらなぁ、と思う事も時にはあるけれど
そんな事は有り得ないし、望んだって無駄だと判っていた。
だから、自分の気持ちはなかったものにする。
ただ、無邪気な友達の暴走を止めるストッパーとして付き合うだけ。
しばらくして戻ってきた亜弥ちゃんは私に向かって親指を突き出し
にひひ、と笑った。
それを見て強引に言い寄られたわけではない、と安心して私はホッと胸を撫で下ろした。
「やっぱ、今日ご飯食べに行こうっていうお誘いだった」
「それで?」
「美貴たんと行くから無理ですって断った」
亜弥ちゃんはあっけらかんと答えたけれど私は先ほどの店長の視線を思い出していた。
「……一つ訊いてもいい?」
「なぁに?」
「もしかして、いつも美貴の名前出して断ってる?」
「そだよ。よく判ったねぇ〜」
私はやっぱり、という言葉を飲み込んだ。
いつも私の名前をダシにして断っていたのなら睨まれても仕方がない。
私は鬱陶しい女友達だと店長に思われているのだろう。
- 391 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/09/30(火) 23:14
- その日のバイトはファミレスだけだったので亜弥ちゃんと一緒に帰る事になった。
いつも嘘ばかりついているのでちゃんと有言実行したい、と強引に
亜弥ちゃんに言われたからだった。
私達のバイト時間は午後九時までなので晩御飯でも食べて帰ろうか、という
流れになったのだけど家でお腹を空かせている半死体のペットを
そのままにしておくわけにもいかず、というより、一人だけ美味いもの食いやがって!と
怒鳴られるのは判っていたので仕方なく、丁重にお断りした。
勿体無い。
でも、こうして亜弥ちゃんと一緒に帰るのは些細な事だけど正直、少し嬉しい。
いつも私はこの後にバイトを入れている所為で一緒に帰る事なんて出来ないから。
「最後まで店長ウザかったねぇ」
私が言うと亜弥ちゃんはわざと肩をすくめておどけてみせた。
可愛い仕草とかを日々研究しているとしか思えない可愛さだ。
接客業のバイトをしている身としては私も少しは見習わなければ。
それにしても本当に私と一緒に帰るのか?嘘じゃないのか?などと
繰り返し尋ねてきた店長。
いい年して本当にウザイ。
でも、こうして一緒に帰れる事になったのだから感謝するべきなのだろうか。
「ああいう人に好かれると大変だね」
「だねぇ」
「亜弥ちゃんはモテるからこういうの慣れてるんじゃない?」
「ヤだよ〜。こんなの慣れたくないよ。キモイ」
うんざりしながら亜弥ちゃんは呟いた。
それはそうだ。
私が同じ立場になっても嫌だと思うだろう。
- 392 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/09/30(火) 23:15
- 「美貴たんは好きな人とかいるの?」
「…………へ?」
「そういや、今まで恋話とかした事なかったなぁ、と思って」
亜弥ちゃんは照れながら少し俯き加減で呟いた。
その姿がとても可愛くて思わず目を奪われた。
ダメだ、ダメだ。
私はただのストッパー。
それに、正直に答えられるわけがない。
何とかして話題を逸らそうと頭の中で必死に違う言葉を考える。
「えーと、じゃあ、亜弥ちゃんはいるの?好きな、人」
「うん。いるよ」
「…………いるんだ」
こっそり、ガックシ。
年頃の女の子なんだから当たり前なんだろうけど。
表情には出さなかったけれど亜弥ちゃんからそれらしい話を
聞いた事がなかったので(店長は無視)心底落胆した。
「まぁ、告白とかはまだしてないけど」
「亜弥ちゃんなら誰だってオッケーって言うんじゃない?」
「……ん〜、でも、言わないと思うな」
「なんで?」
少し驚いて私は足を止めた。
いつだって自信過剰な亜弥ちゃんらしくない言葉だと思った。
亜弥ちゃんも足を止めて私と向き合う。
珍しく真剣な表情をしている。
- 393 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/09/30(火) 23:16
- 「美貴たんは女の子に好きって告白されたらどうする?」
「…………え?」
「そりゃ、普通ヒくよね〜。だから、何も言えないんだ」
訊いておきながら亜弥ちゃんは勝手に自己完結して
苦笑いしながら頭を掻いた。
私が偏見を持っているわけがない。
でも、まさか亜弥ちゃんがそんな事を言うとは思ってもみなかったし
その相手とやらは一体誰なんだろう、という悔しい想いも抱いていまい
直ぐには言葉が出てこなかった。
「…………でも、ちゃんと言ってみたら?」
「言って軽蔑されろって?」
へらっと笑みを浮かべて亜弥ちゃんは呟く。
突然、言われたら驚くかもしれないけど軽蔑するかどうかは
その人によりけりのような。
だから、正直に言ってみた。
「美貴は、軽蔑なんかしないよ」
亜弥ちゃんの悩みが判るから真剣に答えた。
軽蔑なんて出来ない。
私も同じだから。
でも、何故か気まずい雰囲気になってしまった。
亜弥ちゃんは俯いてしまい、表情が判らない。
そんなにおかしな事を言ってしまったのだろうか。
傷つけるような事を言ってしまったのだろうか。
頭の中が混乱していてよく判らない。
- 394 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/09/30(火) 23:19
- 静かな片道一車線のこの道路をたまに車が通り過ぎていく。
車一台がやっと通れるような狭い道路なのでたまにクラクションを鳴らされた。
歩道にいるのだから別に邪魔してないじゃん、と車を睨みつけていると
亜弥ちゃんがパッと顔を上げて私にニッコリと微笑んだ。
「美貴たん、大好き」
何が起きたのか、判らなかった。
頭の中が真っ白になって私の表情も身体も固まってしまっていた。
言葉を発した亜弥ちゃんはケロリとしている。
「…………へ?」
ようやく私の口から出たのは間抜けな声だった。
そして、硬直している私の身体に亜弥ちゃんは抱きついてきた。
首元に腕を回されて完璧にホールドされる。
「ほらね。美貴たんだって驚いた」
「…………そりゃ、驚くよ」
両手をどこへ持っていったらいいのか、判らず
私の手は宙を彷徨っていた。
いきなりこんな展開。
嬉しいというより、混乱の方が大きくて私はずっと固まっていた。
今の告白は恋愛感情が入ったものなのだろうか。
それとも、軽蔑しないと言った私に感謝しただけなのだろうか。
いや、試されただけなのかも。
正解がどれなのか全く判らない。
さすが、相手を勘違いさせるプロ。
車にパッシングされても亜弥ちゃんは私の身体から離れようとはしなかった。
- 395 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/09/30(火) 23:21
- 家に戻ると冷蔵庫からよっすぃーが顔を出した。
私の顔を見るなり、無言で鼻の下を伸ばす。
ハッキリ言ってゴリラみたいで不細工だ。
「なんて、顔してんの……」
「ミキティの顔を真似てみました」
「…………」
私は顔を強張らせて手で鼻の下を隠した。
そんなに変な顔をして家までの道を歩いていたのだろうか。
自分が情けない。
「よっこいせ」と言いながらよっすぃーは冷蔵庫から出てきて
どっかりと床にあぐらをかいた。
ニヤニヤとしている。
何だか、とっても気持ちが悪い。
「なーにか、いいこーと、あったかなー?」
よっすぃーは音程の怪しい変な自作の唄を歌って私の顔を不適な笑みで見ている。
「別に何もないけど」
「ウソウソー。その顔は何かあったね?」
あったと言えばあった。
好きな人に抱きつかれたら嬉しい。
でも、彼女に好きな人がいる、と言われて複雑だった。
しかも、それが自分なのかどうかも判らないのだから本当に複雑だ。
- 396 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/09/30(火) 23:23
- ワイドショーを見るのにも飽きたと愚痴をこぼす引きこもり箱女よっすぃーの為に
今日の出来事を簡単に説明してみた。
少しは相談に乗ってくれるかもしれない、という無駄な期待をしつつ。
話し終わった途端によっすぃーはまた鼻の下を伸ばして不細工な顔を作った。
「……その顔はもういいから」
「アホだね。ミキティ」
「何でよ?」
アホにアホと言われるとは……。
「自分の気持ち伝えてないのに相手の気持ちが判らんってアンタそりゃ都合良過ぎ。
しかも、相手は年下なんでしょ?卑怯、卑劣、外道、最悪、最低、ダメ人間」
「…………ぐぅ」
身も蓋もないよっすぃーの言葉に私は口を閉ざす。
言われてみれば私は亜弥ちゃんに自分の気持ちを伝えていない。
亜弥ちゃんもあの後何事もなかったかのようにケロリとした顔で
そのまま家に帰ってしまった。
あの時の私は確かに大事な事を忘れていた。
ちゃんと自分の気持ちを伝えておくべきだったのだ。
- 397 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/09/30(火) 23:24
- 私がヘコんでいるというのに「ダーメダメダメダメ人間〜」とよっすぃーは
楽しそうにずっと歌っている。
本気で腹立つ。
話すんじゃなかった、と激しく後悔した。
「こういうのって一度タイミング外すと一からやり直しっちゅーか
マイナスからやり直す羽目になったりするんでない?」
さっきから珍しくマトモな事を……。
悔しいけれど何も言い返せない。
「泣いて済むなら泣〜きやがれ〜」
「もうそれ以上言わなくていいから」
ムカムカしながら私がツッコミを入れるとよっすぃーはプッと吹きだして
口元を押さえながら「オホホ」と奥様笑いをした。
どこまでもムカツク。
「アホだねぇ。美貴も大ちゅきーとか何とか言っちゃって
強引に掻っ攫ってきたら良かったのに」
「……掻っ攫ってどうしろと?」
「ここでチチクリ合っても大丈夫だよ。
ワタクシはちゃんと気を遣って耳ダンボにして冷蔵庫に引っ込むし」
「……耳ダンボじゃ、意味ないじゃん」
ここにこの半死体がいる限り、私は幸せにはなれない。
心底そう思った。
- 398 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/09/30(火) 23:26
- エエェェ(´д`)ェェエエ
という声が、またしても聞えてきそうな……。
すみません。すみません。
- 399 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/09/30(火) 23:27
- 徐々にヘタレになっていくのは何故だろう。
冷蔵庫はすてっぷさんに土下座して謝ります。
- 400 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/09/30(火) 23:27
-
- 401 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/01(水) 00:59
- エエェェ( ´ Д `)ェェエエ
…あっ嘘ですよ?そんな声出してませんよ。
いえ、ほんとに。自分正直者ですから。
- 402 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/01(水) 01:17
- Σ(゚д゚iii)
読まれてる・・・
今回分を読みながら
「えええええっ!」って書こうって思ってました・・・ (^-^)
- 403 名前:名無し 投稿日:2003/10/01(水) 21:22
- エエェェ川o・-・)ェェエエ
って流れ的に言わねばならない感じだけど、自分としては
ムキ━从‘ 。‘川VvV从━!!
って感じです。
幸せをくれ!
- 404 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/01(水) 22:13
- >> 401さん
ごごごごご、後藤さんですか。
正直って素晴らしいですね。
きっと、今回分もエーと言われるのでしょう……。
>> 402さん
エエェェ(´д`)ェェエエと言われても仕方がない話ですけど
何に対して思われたのか……。
心当たりが多過ぎて……。
>> 403さん
こここここ、紺野さんですか。
しかも、案の定、怒られてる……。
幸せって何だっけ、何だっけ。
- 405 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/01(水) 22:14
- 今日も今日とてバイト、バイト。
そして、いつも通り、ファミレスは暇だった。
この店って近々、潰れるんじゃないだろうか。
亜弥ちゃんは昨日の告白など忘れてしまったかのように
いつもと変わらない態度で私に接してくる。
どういうタイミングで話を蒸し返せばいいのか判らない。
結果によっては蒸し返さない方がいいのかもしれない、と思ってしまうと
自分から話をする事も出来なくなってしまった。
「この後、カラオケ行かない?私めっちゃ上手いよ〜」
亜弥ちゃんはニコニコと笑いながら私の腕を取り、ぎゅっと抱き締めてきた。
日頃からこういうスキンシップは多いので慣れているはずなのに
今日は妙に意識してしまう。
そもそも、私にはカラオケに行くようなお金はないのだけど。
やっぱり、貧乏って哀しい。
「何か歌いたいものとかあるの?」
「えっとね〜、バカボンとか、バカボンとか、バカボンとか」
「……バカボン大活躍だね」
狭いボックスの中で永遠とバカボンを聴かさせられる光景を想像して
私は顔を引きつらせた。
そんな私に亜弥ちゃんは気付かずに「タリラリラ〜ン」と上機嫌で口ずさんでいる。
「西から昇った〜」の方じゃないんだ……。
まさか、同じ曲のエンドレスじゃなくて、全部違う唄を歌うつもりだったのだろうか。
冗談じゃなくて本当にバカボン地獄だったとは。
更に私は顔を引きつらせた。
- 406 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/01(水) 22:15
- 「あのー、……ゴメン。美貴、他にもバイト掛け持ちしてるから無理なんだ」
本当は行きたいけどバカボン攻めだとやっぱり行きたくないような。
こうして誘いを断ってしまうとますます好意を持ってないのだと勘違いされそうで哀しい。
でも、亜弥ちゃんは少しだけ残念そうな表情を浮かべただけだった。
「そっか。じゃあ、仕方ないね。
でもさ〜、いっぱいバイトしてるみたいだけど何でまた?」
「いや、最近ちょっと高い買い物しちゃったから……」
「車でも買ったの?」
「違うんだけど……」
業務用の冷蔵庫を買ったから、とは言えなかった。
何に使うのかと訊かれると答えられない、答えられるわけがない。
「判った!ペットブームだから犬でも飼ったんだ?
最近、チワワとか高いらしいからねぇ」
「ペット……かもしれないね」
ははは、と乾いた笑いが自然と私の口から出た。
あんなペットいらない……。
「今度見せてよ。そういや、美貴たんの家に遊びに行った事もないしさ〜」
「…………え?」
「ペット見たい〜!」
見たら腰抜かすと思うんだけど。
いいよ、という返事もしていないのに亜弥ちゃんはもうその気になっている。
そのテンションに押されて私は自分のアパートの場所を教えてしまった。
教えるんじゃなかった、と後で激しく後悔した。
- 407 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/01(水) 22:16
- ファミレスのバイトが終わったら居酒屋のバイト。
昼に時間がある時はファーストフードのバイトも入れていた。
何気に飲食関係ばかりになっているのはご飯代を浮かせる為だ。
うちの家計は本気で火の車だから。
実家からの仕送りではやっていけない。
居酒屋のバイトが終わる頃には明け方になっていて
私はアパートに戻るなり、ベッドに直行してそのままの服装で倒れこんだ。
冷蔵庫の中からたまに奇声が上がっていたけれど反応する余裕なんてなかった。
それくらい疲れ果てて泥のように眠った。
ガンガンガンとドアを乱暴に叩く音が聞える。
梨華ちゃんかな、とまだ半分夢の中で思った。
それにしては乱暴だ。
「おーい。ミキティ。お客さんが来たみたいだけどー」
冷蔵庫の中から声が聞えてきたけれど寝起きの悪い私は直ぐに反応が出来ない。
「全くもー、ミキティったらお寝坊さんなんだからー。
しょーがないから代わりに出てやろうじゃないの」
軽い口調でまんざらでもないようによっすぃーは呟く。
あぁ、一人暮らしじゃなくて良かった。
代わりに出てくれる人がいるなんて有難い。
同居人がいてくれて本当に助かる。
……って、んなわけあるか。
- 408 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/01(水) 22:18
- 「だぁー!ダメダメ!何考えてんの!」
ガバリと勢い良く、掛け布団を蹴飛ばして、私は慌てて起き上がった。
まだ腐ってないなりに、よっすぃーの顔色は青白く、誰の目から見ても普通じゃない。
何も知らない人にこんな同居人がいると思われたくない。
よっすぃーはニヤニヤして冷蔵庫から頭をひょっこりと出していた。
最初から私を起こす為だけの冗談だったらしい。
「っつーかさ、こんな夜中に誰だよ。近所迷惑だってーの」
「ほんと、近所迷惑だよね…………って、今、何て?」
「だから、こんな夜中に……」
「夜中!」
傍にあった置時計で時間を確認してみると午前2時。
私が眠りについたのは明け方だったはずだ。
何かの間違いだと信じたかったけれど窓の外も真っ暗だった。
「ちょ、待って……。もしかして、美貴……半日以上寝てた?」
「うん。ぐっすりと、たっぷりと、それはまるで死んだように。
お陰でこっちも何も食べてないんだよ。腹減ったー」
呑気な声を上げるよっすぃーを無視して私は頭を抱えた。
大学……、バイト……。
どうしてくれる……。
「……どうして、起こしてくれなかったの」
よっすぃーを睨みつけると目を逸らして口笛を吹いた。
誰の為に私がこんなに必死になって働いてると思ってるんだろう。
気を遣ってくれたのかもしれないけれど。
そんな会話をしている間にもドアはガンガンと叩かれていた。
- 409 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/01(水) 22:19
- 「早く止めてよ。うるさくって眠れやしない」
「…………」
大欠伸をして「おやすみー」と言いながら冷蔵庫の扉を閉めたこのどこまでも
マイペースな半死体を土に埋めたいと心の底から思った。
むすっと頬を膨らませてドアを開けてみると
そこには必死な形相をした亜弥ちゃんがいた。
ただ、いつもとちょっと違う。
「…………亜弥ちゃんだよね?」
「良かった……。美貴たん、いないのかと思ったぁ〜……」
亜弥ちゃんは泣きそうな声を出して胸を撫で下ろしている。
でも、私の表情は固まってしまっていた。
「一つ訊いてもいい?」
「なぁに?」
「それ、何つけてんの?」
私は亜弥ちゃんの頭を指差した。
「へ?何かついてる?」
亜弥ちゃんは自分の頭を撫でて、「あれ?」と首を傾げた。
どうやら、気付いてなかったらしい。
亜弥ちゃんの頭のてっぺんには少し破損しているヘッドランプがついていて
頬には何筋も赤い液体が流れているというのに。
もしかして、またですか。
マジですか。
- 410 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/01(水) 22:20
- とりあえず、亜弥ちゃんを病院に連れて行く事にした。
血を流しているというのに全く痛みを感じていない彼女を見て嫌な予感はしていた。
「……吉澤さんに続き、またですか?」
前回も診てくれたお医者さん(ヤブ)はきょとんとしている。
免疫が出来てしまったらしい。
直ぐに目が爛々と輝いてきた。
この人の診断はあてにはならないと前回思い知ったはずなのだけど
この街には病院が一軒しかなく、しかも事情が事情なので仕方なくここに来た。
今日は看護婦さんがいない。
夜中だからという理由は多分関係がないのだろう。
しばらくして検査が終わるとまた診断室に呼ばれた。
亜弥ちゃんはというと私の家に来た時から自分の今の状況が把握出来ていないのか
ずっと不思議そうな顔をしていた。
向かい合って座っているお医者さん(ヤブ)と亜弥ちゃん。
私は亜弥ちゃんの後ろに立ち、診断結果を聞く事にした。
「前回の吉澤さんとは全くの逆で松浦さんの場合は脳死ですね」
とんでもない事をサラリと言ってくれる。
「……ちょっと待って下さいよ。
こんなに意識もハッキリしてるし、亜弥ちゃん、普通に喋ってますよ?」
今回ばかりは直ぐに信じたくなかったので必死に抵抗してみたけれど
無意味という事は自分でも判っていた。
- 411 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/01(水) 22:21
- 「診断結果は間違いないです。脳が完璧に停止してますから。
これでまだ生きてられるのだから本当に奇跡ですよ。心臓も丈夫ですし」
脳死した人間が動けるわけがない。
考える事も喋れる事も出来るわけがない。
普通なら植物人間みたいなものだと言うのに。
脳が動いてないのに何事もなかったかのように今まで通りに動ける亜弥ちゃん。
脳って一体何の為にあるのだろう……。
頭に突き刺さっていたヘッドランプは今は取り除かれて亜弥ちゃんの頭は
包帯でぐるぐると巻かれている。
破片などはそのままで、またしても乱暴な処置だ。
このお医者さん(ヤブ)はそういう意味でも怖い。
「念の為に破片を完全に取り除いた方がいいと思うのですが
取り除く為には一度頭を開かないといけないわけで頭を剃って……」
「ヤだ!落ち武者みたいな頭になんかなりたくない!」
お医者さん(ヤブ)の説明を途中で邪魔して亜弥ちゃんは涙ながらに訴えた。
普通、本当に哀しむべきポイントはそこなのだろうか。
「いや、いくらなんでも、そんな中途半端な髪にしないでしょ……」
私がツッコミを入れるとキッと睨まれた。
「つるっぱげでもヤだよ!」
「…………」
そりゃ、嫌だろうけど。
でも、今、大事なのは髪じゃなくて頭だと思う。
「前回みたいに残された時間はあと六時間とかなんですか?」
「そうですね」
お医者さん(ヤブ)は神妙な顔をしてコクリと頷いたけれど、あてにならない。
現によっすぃーは未だにピンピンしている。
「それでですね。このようなケースは初めてで(略」
「帰ります。有難うございました」
「略された!」
色んな意味でショックを受けているお医者さん(ヤブ)を捨てて
私は亜弥ちゃんの腕を取り、診断室を出た。
- 412 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/01(水) 22:22
-
- 413 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/01(水) 22:23
- エエェェ从‘ 。‘从ェェエエ
- 414 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/01(水) 22:23
-
- 415 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/02(木) 00:00
- ( ゚д゚) <・・・・
メル欄のつづき
ネタばれしないようにはっきり書かなかったのです
むしろこっちのが好きかも知れないけど
てっきり・・・・ねぇ。
あいかわらず緻密で感服です。
作者さんの緻密さはいろんな形で現れますね。
いやはやなんとも・・・・
前作の伏線には気付けても
本作の展開はまったく読めませんです。はい。
- 416 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003/10/02(木) 05:11
- すごい!!
なんかすごく面白いです
- 417 名前:名無し 投稿日:2003/10/02(木) 22:17
- ありえなーい。ありえなーい。
すんごい才能だ。
今まで作者さんが書かれた話が読みたくなるほど面白いです。
つーか読むです。キャラクタ行ってくるです。
- 418 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/02(木) 22:39
- そういう展開ですか。まったく考えもしませんでしたよ。
作者さんにはやられっぱなしです。まいりました(ペコペコ
- 419 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/03(金) 04:21
- そうきたか…
- 420 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/03(金) 22:03
- >> 415さん
気を遣って頂いていたのですね。
すみません。すみません。
でも、緻密でもなんでもないです、今回は特に……。
>> 416さん
有難うございます。
なんかすごく嬉しいです。
>> 417さん
いや、あの、今までこういう話は書いた事がないので
過去の話を見ても期待に答えられないと思いMAX……。
>> 418さん
この後はベッタベタな展開になりますからご安心を。
すみません。すみません。
>> 419さん
そうきました。
- 421 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/03(金) 22:04
- 「へ〜。吉澤さんは私と逆なんだぁ」
「いやいやー、仲間が出来るなんて光栄だなぁ。嬉しいなぁ。心強いなぁ」
意気投合している半死体同士の会話を私は部屋の隅で聞いていた。
よっすぃーを隠していても仕方がないと思ったから正直に話したというのではなく
部屋に入るなり、巨大な冷蔵庫を発見した亜弥ちゃんが勝手に中身を覗き込んで
悲鳴をあげた、というのが真相だった。
冷蔵庫を隠しておきたかったけれど隠す場所がないし
重くて動かせるわけがなかった。
「っていうかさー、ミキティ、なんでさっきから壁と向き合ってんの?」
「そうだよ。美貴たん、こっちおいでよ」
二人に声をかけられても私は部屋の角で体育座りをして膝を抱えた状態で
壁と睨めっこをしながら自分の運命を嘆いていた。
どうして、自分の友達が二人もこんな事に。
しかも、亜弥ちゃんは私の好きな人なのに。
大体、よっすぃーはともかく、亜弥ちゃんが意外にもアッサリと自分の現状を
認めているのが何だか納得がいかない。
ひょうひょうとしていられる神経が私には理解出来ない。
これも半死体だからだろうか。
まともな神経なんてあったら無事に死ねるんだ、きっと。
そう思うことにした。
じゃないと、やってられない。
- 422 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/03(金) 22:05
- 「それにしても、ミキティは酷い」
よっすぃーが突然暴言を吐いた。
「はぁ?美貴のどこが酷いって言うの?」
クルリと上半身だけ振り返って声を荒げて反論する。
こんなにもよっすぃーの為に苦労しているというのに何て言い分だ。
というか、よっすぃーの方が恩知らずだと思う。
ちょっとは感謝してもらいたいくらいなのに。
「だってさー、ワタクシの時にそんなに哀しんでくれましたっけ?」
「…………ぐぅ」
痛いところを。
「ふつーに流したよね?スルーしたよね?
それってどうなの?人としてどうなの?酷いと思わないの?」
「美貴たん、それは酷いよ」
亜弥ちゃんまでよっすぃーの味方になってしまった。
確かに、よっすぃーの時は涙一つも流さなかったけれど
あの時は夢だと思ってたし、現実だと思いたくなかったからであって
気がついた時には哀しむタイミングを逃してしまっていた。
今回は片想いの相手で、もう夢じゃないと判っているから。
もう現実逃避は出来ない。
後戻りも出来ない。
普通、死人と対面したら二度と喋る事なんて出来ないというのに
今こうして何事もなかったかのように会話が出来ているという事を考えると
良かったと思うべきなのかもしれない。
前向きに考えよう。
そういえば、梨華ちゃんが真相を知った時、何かにとりつかれたように
一心不乱に「ポジティブ、ポジティブ」と念仏のように唱えていたのを思い出した。
今ならその気持ちが痛いほどよく判る。
- 423 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/03(金) 22:06
- 「あー、もう!判ったよ!
じゃあ、ちゃんと話を聞こうじゃん!聞いてやろうじゃん!」
「逆切れかよ」
よっすぃーの呟きは事実だけどシカトしよう。
「っていうか、話って何の?」
亜弥ちゃんは首を傾げている。
「よっすぃーの場合、何でこんな事になったのか、もう判ってるでしょ。
でも、亜弥ちゃんの場合はまだ話聞いてないから」
「そういう事か」
「そういう事」
「でも、覚えてないんだけど……」
亜弥ちゃんは申し訳なさそうに呟いた。
どうして、自分の身に起こった事を覚えていないのだろう。
しかも、たった数時間前の事なのに。
よっすぃーはよっすぃーで自分の事をスルーされたのが不満だったのか
「ほったらかしだよ、泣いちゃうCRY」と目元に手を当てて嘘泣きをしていた。
「あのね、バイト、美貴たん、来なかったでしょ?
店長が無断欠勤だって怒っちゃってクビにしてやる!って騒いでたから
私、風邪で休むっていう連絡もらったって勝手にフォローしちゃったんだけど」
「……あ、有難う」
爆睡していた間に亜弥ちゃんに有難いフォローをしてもらえていたとは。
やはり友達は有難い存在だ。
「そんで、心配だったからバイト帰りに美貴たんのアパートに寄ろうと思って」
「それで?」
「そっからの記憶がない。気がついたら路上で寝てた」
「んな、馬鹿な」
「いやいや、それは有り得るよ」
嘘泣きに飽きたよっすぃーが横から割り込んできた。
- 424 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/03(金) 22:07
- 「なんで?」
「だって、ワタクシの時も記憶飛びましたから」
「ちょっと待ってよ。あん時は忘れたふりしてたんじゃないの?」
「違うよー。本当に記憶なかったんだってば。後になって徐々に思い出したっていうか」
よっすぃーはぷるぷると頬の肉を揺らしながら首を振った。
梨華ちゃんの為に忘れた振りをしていたのかと思ってたのに。
そんな気遣いをするような人ではなかったというわけか。
どうやら、よっすぃーを買い被り過ぎていたようだ。
「という事は、亜弥ちゃんも時間が経たないと思い出せないってわけ?」
「そうかもー」
よっすぃーは軽い口調で呟いた。
ここで判っている事を整理してみよう。
亜弥ちゃんのバイトが終わる時間は午後9時頃で
私の家を目指して歩いている最中に事故に遭った。
11時頃までは記憶があり、気を失って目覚めた時には午前0時になっていたらしい。
ヘッドランプが頭に刺さっていたという事は車に轢かれたと考えていいと思う。
というか、それしか考えられない。
そして、二時間ほど彷徨って私の家についた。
「誰も通らなかったのかな、亜弥ちゃんが倒れてた道……」
11時頃だとまだ人通りがありそうなものなのだけど。
「サルの死骸だと思ってスルーされたんじゃない?」
「ムキー!」
よっすぃーの暴言に亜弥ちゃんはヒステリーを起こした。
自分の事を可愛いと思っている彼女には聞き捨てならない言葉だったらしい。
「ゴメン、ゴメン。今はターバン巻いたサルみたいだけど」
「ムキー!」
さっきまで意気投合してたというのに仲がいいのか、そうでもないのか。
この二人はよく判らない。
というか、亜弥ちゃんの性格に変化が起きているような……。
- 425 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/03(金) 22:08
- 「じゃあ、チャオズで手を打とう。何となく似てない?
色白なとことか、目が大きいとことか」
「…………」
さすがに亜弥ちゃんは怒る気力を無くしたようだ。
色白で目が大きいからと言っても全然似ないと思う。
それにドラゴンボールを見てないと判らないだろうに。
っていうか、全然話し合いになってない……。
「…………あ」
何かが今閃いた。
閃いた、で思い出した。
車とヘッドライト……。
「どったの?ミキティ」
よっすぃーは不思議そうな顔をしている。
「そういえば、亜弥ちゃんと一緒にいる時、路上でパッシングされた」
「パッシングって車のライトをチカチカさせるやつ?」
「そう、それ。でも、美貴達は別に車の邪魔してたわけじゃなかったから
なんで、されたんだろう、って思ってたんだけど」
「あぁ、美貴たんに抱きついた時にあったね、そんな事」
亜弥ちゃんも思い出したらしく、頷いている。
そこらへんの記憶はあるらしい。
「二人がイチャイチャしてたからじゃないの?」
よっすぃーの言葉は少し語弊がある。
私は無視して話を続けた。
「もしかして、あの車だったんじゃないかな……犯人」
「へー。路上でイチャイチャしてる人って轢かれるんだ?殺されるんだ?」
アホに馬鹿にされた……。
確かにおかしい話なんだけど。
でも、私はあの時チラリと見てしまった。
- 426 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/03(金) 22:09
- 「車に乗ってたのって店長だったような気がするんだよね……」
「え〜!あの江頭2:50に似てる店長!?」
亜弥ちゃんは驚いている。
やはり、江頭似だと思ってたのは私だけではなかったらしい。
「店長は亜弥ちゃんにベタ惚れだから勘違いして
逆恨みされちゃったんじゃないかなー、なーんて……」
自信がないので私の声は小さくなっていく。
「そういえば……」
亜弥ちゃんは口元に手を当てて、むぅ、と唸った。
「美貴たんが休んでるって言ってた時、あんな奴と付き合うなってしつこいくらい言われた。
アイツは目つきが悪いとか、目で人を殺すとか、目からビーム出すとか」
「…………」
私は一体どんな人間なんだ。
「だから、うるさいな!この禿げ!って怒鳴っちゃった」
スッキリサッパリという顔をしている亜弥ちゃんには悪いのだけど
それが殺意を芽生えさせる決定打になったのでは、と私は思った。
何故なら、日頃から店長は髪の薄さを気にしていて
黒い粉とか怪しい薬品をいつも頭に振り掛けているし
髪の事に触れられると理由もなくバイトを首にしたりするのだ。
亜弥ちゃんもよりにもよってこんな時に今まで蓄積された鬱憤を
爆発させなくてもいいのに。
よっすぃーが突然「よし!」と意気込み、立ち上がったので
私と亜弥ちゃんはポカンとしていた。
この人の行動パターンは未だに読めない。
- 427 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/03(金) 22:09
- 「どしたの?」
「確かめに行こう」
「何を?」
「エガちゃんが犯人かどうかを調べるのだ」
見た事もないのによっすぃーまで店長の事をエガちゃん呼ばわり。
しかも、目がキラキラと輝いている。
「犯人はきっとチャオズが死んだと思い込んでいるに違いない。
そこでだ。何事もなかったかのようにチャオズが姿を見せたらどうなる?
そりゃ、もう驚きさ!慌てふためくと思うんだよね!
どうよ、この素晴らしい作戦!」
よっすぃーはオーバーリアクションで語ってくれているのだけど
亜弥ちゃんは「チャオズって……」とぼやいていた。
ドラゴンボールを見てなかったというわけではなく
何故、その名が自分のあだ名にされてしまったのか、というショックの方が大きいらしい。
よっすぃーは自分の作戦に満足そうにしている。
アホにしては珍しくまともな事を言っているとは思うけど。
「チャオズ。これから普通にバイト行くべし」
ぴしっと亜弥ちゃんの顔を指差してよっすぃーは何だか凛々しい顔を作っている。
どうやら、探偵役に酔いしれているようだ。
「でも、私、夕方からのシフトになってるんだけど……」
「本気でバイトしてどうすんだよ。顔見せだけでいいんだよ」
珍しくよっすぃーがツッコミを入れている。
確かに、店長が犯人ならば何らかのリアクションを取るに違いない。
でも、何か嫌な予感がする。
それは直ぐに的中した。
- 428 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/03(金) 22:10
- 「心配すんなって。ワタクシも同行しますから」
「な、何言ってんの。そんな顔色してんのに表でチョロチョロしちゃダメだって」
元々、色白だったよっすぃーの肌の色は今では澱んでいる。
そんな人間を簡単に外に出すわけにもいかない。
それに、夏も終わって涼しくなったといっても陽射しを浴びたら
ますますゾンビ化が進んでしまう恐れがある。
これでは借金までして冷蔵庫を買った意味がなくなってしまう。
「ミキティ。チミはこの世に便利アイテムが沢山あるという事をお忘れになっているね?」
ちっちっち、とよっすぃーは人差し指を顔の前で軽く振った。
「便利アイテム?」
「顔色なんざ、ファンデーション塗れば誤魔化せるし
陽射し避けには帽子とか色々あんじゃん」
「……一つ訊いてもいい?」
「なんざましょ」
「よっすぃー……家にいるの飽きたんでしょ?」
「あ、判るー?」
「…………」
思った通りの返答だった。
ずっと冷蔵庫に引き篭もっていた反動が今頃来たらしい。
- 429 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/03(金) 22:11
- 「いや、だが、しかしー!チャオズをこのまま泣き寝入りさせるわけにもいかんでしょ!」
「そうだよ!私をこんな頭にしといて!」
亜弥ちゃんも立ち上がって拳を振り上げている。
彼女にとって問題なのは髪で、車に轢かれた事について怒っているわけではないらしい。
「善は急げ!やるときゃやらなきゃ女の子!」
「やるときゃやるのさ!本気の女の子!」
よっすぃーが高いテンションで叫べば亜弥ちゃんも同じテンションで合いの手を入れる。
アホが伝染した……。
こんなの私が知ってる亜弥ちゃんじゃない……。
私が固まっているのも気付かず、二人はワイワイと騒いでいる。
「負けんじゃないぜ!負けんじゃないぜ!」
「YO!自分に!」
二人の息はどこまでもピッタリだった。
そして、私は途方に暮れる。
- 430 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/03(金) 22:11
-
- 431 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/03(金) 22:12
- エエェェ(^▽^)ェェエエ
- 432 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/03(金) 22:12
-
- 433 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/03(金) 23:56
- Σ(゚д゚iii)
なんか締めが統一化されてきてる・・・・
というかやっぱり伏線あったのか・・・・
すっかり油断してた。やられました。
何にせよ楽しげな展開になってきました続き楽しみです
面白い!
- 434 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003/10/04(土) 00:19
- イイ!!この三人おもしろいです!
吉澤のアホが伝染した松浦萌え
- 435 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/05(日) 02:30
- あっは!おもしろいよ作者さん!
日常の嫌な事を一瞬でも忘れられるよ…。
- 436 名前:名無し 投稿日:2003/10/05(日) 19:15
- この3人組もありなのか……作者さんが書くと何でもありな気がしてしまう。
そして作者さんの松浦に対する愛が垣間見れた。
- 437 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/05(日) 21:33
- >> 433さん
締めの統一化……気の所為です、気の所為。
というか、あの、伏線というほどのものは……。
>> 434さん
松浦さんがアホでもいいのですか……。
てっきり怒られると思ってました。
>> 435さん
日常の嫌な事……一体、何があったのでしょう……。
この話の藤本さん以上に不幸な人は余りいないと思うので頑張って下さい。
>> 436さん
自分はハワイってなぁに?という程度に松浦さんが好きです。
いや、FCに入っていないだけなのですが。
- 438 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/05(日) 21:35
- 運がいいのか、悪いのか、今日は快晴で気温も高い。
そんな状態でよっすぃーを簡単に外へ出すわけにも行かなかったので
私達は代理を利用する事にした。
「スパイってかっけーと思わん?」
「……思わん」
ワクワクしているよっすぃーには悪いけど
ただの見張りをスパイ呼ばわりするのもどうかと思う。
私がため息をついていると、よっすぃーは携帯でスパイ相手に怒鳴っていた。
「あーん?まだエガちゃんの姿見えないって?
予定では8時くらいからやって来るってーのに本当にいないの?
もう時間過ぎてんだよ?ちゃんと見ろよ!」
柄が悪い。
スパイのボスを演じているつもりなのだろうか。
「梨華ちゃんのその目は節穴か!その小さな目をちゃんと見開け!」
いきなり朝っぱらに連絡を貰って10分後には現場へ直行しろと言われた挙句に
こんな事を言われて梨華ちゃん(スパイ)は今、何と答えているのだろう。
泣いていなければいいけれど。
「っていうかさ、私が行ってもいいと思うんだけど」
亜弥ちゃんが暇そうに呟いている。
「何言ってんの。そんな頭なのにお客さんが見たらビックリしちゃうよ」
「頭の事は言わないで!美貴たんのバカ!」
「……ご、ごめん」
どうやら、頭の事はタブーだったらしい。
- 439 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/05(日) 21:36
- 私が見に行っても良かったのだろうけどよっすぃーを見張っておかないと
勝手な行動をしそうで怖かった。
そこで、登場したのが梨華ちゃんだ。
店長に顔を知られていない彼女はまさしくスパイにうってつけだった。
今はファミレスのお客として張り込みをしてくれている。
よっすぃーの暇つぶしに利用されているだけのような気もするけど。
なんて、可哀想な梨華ちゃん。
本気で同情する。
「お!マジで!」
突然、よっすぃーが歓声を上げた。
その声を聞いて私は亜弥ちゃんと顔を見合わせた。
何か進展があったらしい。
よっすぃーはその後もテンション高く梨華ちゃんと喋り続け
携帯の電源を切ってから私たちに向かって笑顔でVサインをした。
「今、エガちゃんが来たって!」
どうでもいいけど、スパイとなった梨華ちゃんに与えた情報は
エガちゃんに似てる人、という事だけだったはず。
それなのに本当に見つけてしまったのだろうか。
有名人(?)で似てる人がいると便利だ。
「さぁ、出陣だ!行くぞ、チャオズ!」
「いい加減にしてよ!私、チャオズじゃないってば!」
よっすぃーにつけられたあだ名に納得がいっていない亜弥ちゃんは
必死で抵抗していた。
しかし、よっすぃーはマイペースだった。
- 440 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/05(日) 21:37
- 「じゃあ、チャイルズがいい?」
何故か、複数形。
しかも、かろうじて貴理子しか判らない。
というか、全く関係のないものになっている。
亜弥ちゃんはガックシと肩を落として抵抗する事を諦めたようだ。
梨華ちゃんからの連絡が来るまでにファンデーションを厚塗りして
準備を整えていたよっすぃーは黒子まで綺麗に隠している。
それにしても、どうして今時真っ赤な口紅を使用したのだろう。
逆に目立つような気がするのだけど。
っていうか、怖い……。
よっすぃーの顔は肌が白過ぎて能面みたいになっている。
亜弥ちゃんは亜弥ちゃんで包帯グルグル巻きの頭を隠す為に
帽子を深く被って鼻から上が見えない。
こんな人達と一緒に外に出たくない……。
本当に勘弁して……。
私も出かける用意をしたものの、物凄く憂鬱だった。
- 441 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/05(日) 21:38
- 「スパイからの情報によるとだねぇ。エガちゃんの顔色は余り良くなかったそうな」
「って事は、ちょっとは後悔してるって事なのかな」
よっすぃーの話を聞いて亜弥ちゃんは少し首を傾げた。
その姿を私は3m後ろからぼんやりと眺めながら歩いていた。
能面ゾンビはキャップにサングラス、極めつけにマスクという明らかにおかしい姿。
まだ顔色がマシな亜弥ちゃんは黒い帽子だけ被っているけれど
やっぱり鼻から上が見えない。
この二人が並ぶと本当に異様な光景で案の定、幼稚園の前を通る時に
悲鳴が上がっていた。
保母さん達は外で自由に遊ばせていた園児達を慌てて集めて園舎に連れ込んでいる。
「なんだなんだ」
「いきなり騒がしくなったねぇ」
二人は呑気に呟いて幼稚園の門の前で止まった。
「ちょ、止まってないで早く行こうよ」
慌てて先へ進ませようと思ったけれど遅かった。
「変態!」
「変質者!」
「人攫い!」
「人でなし!」
保母さん達の罵声が響いた。
最後だけある意味、合っているような気がする。
そんな事を思っていたのは私だけで二人は怒り出した。
「誰が変態だよ!」
「この人と一緒にしないでよ!」
いや、変態だし、一緒だし。
私が心の中でツッコミを入れていると保母さん達は「警察!警察!」と騒ぎ出した。
このまま、本当に警察を呼ばれても困る。
私は二人の腕を掴んで走り出した。
- 442 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/05(日) 21:39
- 何とかバイト先のファミレスに辿りついた。
人通りが多い為に通りすがりの人達は
胡散臭そうな顔でよっすぃーと亜弥ちゃんを見ている。
ここに来る間でも何故か私まで仮装行列でも見るような視線で見られ
物凄くやるせない気分になった。
「おーい、梨華ちゃん」
店の中で待っていた梨華ちゃんによっすぃーが声をかけるとその顔を見て
身体を硬直させていた。
暇潰しに読んでいた雑誌を机からバサリと落としていた。
可哀想に。
「…………よっすぃー、その顔何なの?」
「変装グッズがご不満?」
よっすぃーが何でもないように呟き、変装グッズを外すと
梨華ちゃんは悲鳴を上げそうになって慌てて口を手で塞いだ。
「今、人の顔を見て悲鳴をあげようとしました?」
「…………」
梨華ちゃんは口を塞いだまま、ブルブルと首を振る。
「あ、あの、あたし、こ、これから大学行かなくちゃいけないから」
「えー、ちょっと待ってよ。エガちゃん、どこにいんのさ?
スパイとして最後までちゃんと働いてよ」
動揺しまくって逃げようとする梨華ちゃんをよっすぃーは逃さない。
梨華ちゃんは周りの目を気にしてキョロキョロと落ち着きなく、黒目を動かしていた。
- 443 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/05(日) 21:40
- 「……い、今は厨房に引っ込んでると思うよ」
「そっか。じゃあ、今日はアリガトね」
「う、うぅん。いいの……こ、これくらい」
アッサリと身を引いたよっすぃーに少し拍子抜けして梨華ちゃんは去っていった。
可哀想なスパイだ。
用が済んだらお払い箱。
間違いなく、私と同じくらい不幸なのは梨華ちゃんだろう。
そんな事をやっているとバイトの友達がお水を持ってやって来た。
「あれ?美貴ちゃんはまだ時間早いんじゃないの?」
「うん。ちょっと近くまで来たから休憩しようと思って」
私が適当に誤魔化すと友達は「ふーん」とどうでもいいように呟いた。
一応、私の横には同じバイト仲間の亜弥ちゃんもいるのに
気付いていないのか、無反応だった。
亜弥ちゃんも気にせず、黙り込んで厨房を帽子の下から睨みつけている。
その状態で見えるのだろうか。
「注文はどうする?」
「あ、えーと、アイスティー3つで」
「了解」
友達はそそくさと戻っていってしまった。
よっすぃーと亜弥ちゃんを視界に入れないようにしていたのは気の所為だろうか。
関わりたくないと普通は思うだろう。
私も本当なら関わりたくない。
- 444 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/05(日) 21:42
- 「うーん、緊張してきたー」
よっすぃーは落ち着きをなくして店内を忙しなく見渡していた。
「よっすぃーでも緊張するの?」
「何を言うかな。ワタクシだって、そこらへんにいる普通の人間と同じですよ」
「……ヘェ」
「その冷たい目で睨まれると痺れるくらいに怖いですなぁ」
「…………元々、こういう目なの」
私はため息をついた。
私達が座っているテーブルはガラス窓の傍で外からも丸見えだ。
午前中という事で人通りは少ない。
サラリーマン風の男性が時間に追われているのか、早足で通り過ぎていく。
でも、この店のお客さんで暇そうなサラリーマンもいる。
サラリーマンって一体何だろう。
というか、私も何をしているのだろう。
店長と亜弥ちゃんを対面させて、その後何をするべきか。
それをまだきちんと考えていない。
本当に店長が犯人ならば自首するように説得するのが普通なのだろうけれど。
「ねぇ、よっすぃー……って、あれ?」
声をかけてから気づいた。
よっすぃーの姿が消えている。
キョロキョロと辺りを見渡すとトイレへ向かうよっすぃーの背中が見えた。
半死体のくせにトイレに行くな……。
注文したアイスティーを持ってきても友達は私にしか声をかけなかった。
とことん亜弥ちゃんを見て見ぬ振りするつもりらしい。
- 445 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/05(日) 21:44
- とりあえず、私はアイスティーを飲みながら様子を見る事にした。
店長が姿を見せたら、とりあえず亜弥ちゃんを見せて反応を見る。
果たして、どういうリアクションを取るだろう。
「亜弥ちゃん、車に乗ってた人、まだ思い出せない?」
「ん〜……」
時折、亜弥ちゃんは眠そうに目を擦ったり、欠伸を噛み殺している。
道理で先ほどから静かだと思った。
そういえば、睡眠時間が少なかったのかもしれない。
私は昨日予定以上に思いきり寝てしまっていたけれど。
「眠いの?」
「急に眠くなってきちゃった……」
亜弥ちゃんは、むにゃむにゃ言いながら帽子を取って
重そうな瞼をゴシゴシと乱暴に擦っている。
その姿を見て何かが頭をかすめた。
そういえば、よっすぃーにタイムリミットがあるという状況になった時にも眠そうにしていた。
あの時は結局何事もなく、戻ってきたのだけど。
もしかして、亜弥ちゃんにも同じ症状が出ているのだろうか。
「…………あ」
思わず、声が漏れた。
あのお医者さん(ヤブ)の言う事が本当ならば亜弥ちゃんに残された時間は六時間。
そして、病院に連れて行った時間は3時くらいだったはず。
今は9時前だ。
- 446 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/05(日) 21:45
- まさか、まさか……。
今回に限ってお医者さん(ヤブ)の言ってた事が当たるとは思いたくない。
というか、当たるとは思えない。
いや、でも、まさか……などと私が一人でブツブツ呟いていると
亜弥ちゃんは自分の顔をパチンと叩いた。
眠気を覚ましたかったのか、意味もなく気合を入れたのか。
よっすぃーと同じでこの人も行動が読めない。
私が呆気に取られていると亜弥ちゃんは真剣な表情になった。
「美貴たん、もしかして、私もう死ぬのかなぁ」
「…………え?」
「だってさ、あのお医者さんが言ってたじゃん?」
どうやら、亜弥ちゃんも覚えていたらしい。
「で、でも、あの人ヤブだし!」
「え!私ってヤブ医者に診られたの?」
「え、あ、いやいや、そうじゃなくて、あの……」
亜弥ちゃんが険しい顔をしたので私はうろたえてしまった。
ヤブなんだけど今回はヤブじゃないかもしれないし。
「死ぬのはヤだなぁ」
既に死んでるはずなんだけど。
「だってさ〜、結局何もしてないんだよ?
一回きりの青春なのに〜」
何がだろう。
「美貴たん、最後かもしれないからお願いしたい事があるんだけど」
最後ってそんな縁起でもない事を言わないでよ。
「そっと口づけて、ギュッと抱きしめて」
いや、そんな力加減の難しい事を要求されても。
「ちょっと、何とか言ってよ〜」
さっきから言ってるじゃん。
って、…………あれ?
口に出しているつもりで何一つ口に出してなかった。
どうやら、頭の中だけでツッコミを入れていたらしい。
というか、最後にスゴイ事を言われたような……。
- 447 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/05(日) 21:46
- 「今、何て?」
「だから〜、最後にそっと口づけて、ギュッと抱きしめて」
「…………マジで?」
「マジで」
「こんなとこで?」
「今、ここで」
亜弥ちゃんはキッパリと答えた。
という事は、この前の告白は本当だったんだ。
私達は両想いだったのか。
嬉しいといえば嬉しいけれど、何故か私は妙に冷静だった。
頭では理解したのだけど心が無反応という状態で表情も固まってしまっている。
亜弥ちゃんはそんな私を見て少し不満そうに口を尖らせていた。
「美貴たんは私の事、嫌い?」
「…………」
「そりゃ、そうだよね。こんな頭になっちゃったもんね……」
亜弥ちゃんはまるで世界の終わりだと言わんばかりに心底哀しそうな表情になって
自分の頭を帽子越しに撫でた。
私にとって問題はそこではなくて。
「美貴は亜弥ちゃんの事、好きだよ……。
どんな事があっても、どんな姿になっても」
感情を込めていうべきはずの言葉なのに私の口から出たのは
面白くもない客も入らない映画に出ている大根女優みたいな棒読みの言葉だった。
それなのに――。
「有難う、美貴たん。嬉しい」
カタコトのような喋りをして亜弥ちゃんは満面の笑みを浮かべた。
その顔を見ながら私は物凄く哀しい気持ちになった。
- 448 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/05(日) 21:47
- 泣きそうになってしまったので俯き、歯を食いしばって必死で耐える。
私が思い描いていたのはこんな現実じゃなかった。
もっと心が躍るような幸せなものだったはずなのに。
無理やり笑顔を作って亜弥ちゃんの身体を引き寄せてから
すばやく触れるだけのキスをした。
そして、思いきり抱き締めると亜弥ちゃんはそっと背中に腕を回してくれた。
公衆の面前でこんな大胆な事をするのは普段の自分なら有り得ない事だけど
今は周りの目なんて気にしていられなかった。
私は嘘をついた。
亜弥ちゃんの事は好きだけど今のままでいいとは思えない。
私の願いはただ一つ。
元の亜弥ちゃんに戻って欲しかった。
亜弥ちゃんは今の自分の現状に気付いていない。
何が起きているのか、本当は理解していない。
何故なら、脳が動いていないから。
今は脊髄反射だけで動いてるようなものだ。
といっても、私は頭が良くないから本当にそうなのかどうかは自信がない。
大体、よっすぃーにしたって常識では考えられない状態なのだから。
とりあえず、目の前にいる人は私の好きな亜弥ちゃんじゃない。
今のままでいるよりも、無事に成仏出来た方が亜弥ちゃんにとっても
そして、私にとっても幸せな事なのだと気づいてしまった。
もちろん、それはよっすぃーにも同じ事が言える。
彼女の場合は性格がアレなので元と今との違いが判り難いのだけど。
- 449 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/05(日) 21:48
-
- 450 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/05(日) 21:48
- エエェェ(0^〜^0)ェェエエ
- 451 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/05(日) 21:48
-
- 452 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/06(月) 10:42
- >>446 のミキティのつっこみにわろた。
って、シリアスになってきてますね〜
- 453 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/06(月) 10:45
- やっちまった…もうしわけない。
落とします。
- 454 名前:名無し 投稿日:2003/10/06(月) 22:57
- 面白いなーほんと面白いなー。
チャイルズ知ってるよっすぃー萌え
- 455 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/07(火) 00:13
- なんか…切ないぞ?
- 456 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/07(火) 23:55
- >> 452さん
メール欄で思わず笑ってしまいました。
あと、気にしないで下さい。大丈夫ですよ<ochi
>> 454さん
チャイルズは自分もよく知りません。
39歳の元アイドルなんて知りません。
>> 455さん
あと一回でアホのままだと終わりませんので……。
もうこの話は終わるので今更ですが。
このスレをageてしまった場合、自分は気にならないので
遠慮せずにochi機能を使って下さい。
今後、自分からage更新する事ももうないと思いますので。
2chブラウザは今回利用して使いやすさを実感しましたが本当にお薦めです。
- 457 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/07(火) 23:56
- 「あ、店長だ」
亜弥ちゃんの呟きで私は身を強張らせた。
今頃になって怒りが込み上げてきた。
亜弥ちゃんをこんな身体にしておきながら、ノコノコと仕事場に出てくる
その神経が信じられない。
初めて殺意が芽生えた。
今頃、マトモな感情を取り戻した私自身もどうかと思うけれど。
「美貴たん、やっぱりあの時の人、店長だよ」
「あの時って車に乗ってた人って事?」
「うん」
亜弥ちゃんは眠そうに目を擦りながら答えた。
真実味のない答えだけどきっと本当なのだろう。
私達は立ち上がり、落ち着きなく、厨房を彷徨っている店長に近づいた。
声をかける前に店長が私達の気配を察し、こちらへ向いた。
亜弥ちゃんの顔を見てサァッと顔色が面白いように青ざめた。
「ヒィッ!」
「あ、その顔、エガちゃんソックリ」
亜弥ちゃんが間の抜けた事を言っている間にも店長はオロオロとして
顔は更に青ざめ、脂汗が頬を伝い始めた。
「……どどどどど、どうして生きてるんだ」
店長の声は震えていた。
- 458 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/07(火) 23:58
- やっぱり、ビンゴだったというわけだ。
犯人が目の前にいる。
問題はここからどうするか、という事になるのだけど。
店長はガタガタと震えながら後ずさりしていく。
自分が殺したはずの人間が目の前にいるわけだからこれは正しい反応だと思う。
厨房担当の人は何が起こったのか判らないなりに
邪魔にならないようにと厨房の隅に移動していった。
「ば、ば、化けて出てきたのか!そ、そうか……、俺を呪い殺しにきたんだな!」
「ちょっと〜!人を化け物みたいな言い方しないでよ!」
亜弥ちゃんは激怒している。
普通なら化け物じゃなくて幽霊だと思うだろうに、と
心の中でツッコミを入れている場合じゃない。
コイツの所為で亜弥ちゃんはこんな身体になってしまったのだ。
私は店長を睨みつけた。
「っていうか、なんで亜弥ちゃんをこんな目に!」
「お前の所為だよ!」
「何で!」
「お前がオレの松浦にちょっかい出すからだよ!」
「いい年して何言ってんの!っていうか、亜弥ちゃんは店長のものじゃないし!」
喧嘩腰で私達は言い合いをしていた。
これではまるで子供の喧嘩みたいだ。
周りにいる人が呆然としてこちらを見つめている視線を
痛いほど感じたけれど今は気にしていられない。
大体、あの時の私は何もしていなかったのだから逆恨みもいいところだ。
- 459 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/08(水) 00:01
- 深々とため息をついていると店長の手に包丁が握られているのが見えた。
よく考えてみたらここは凶器が盛り沢山。
冷静に話し合いをするには不適切な場所だという事に気づくのが遅かった。
どこか違う世界へ行ってしまったようなうつろな目で
「お前の所為だ、お前の所為だ」とブツブツ同じ言葉を繰り返しながら
店長は私に近づいてくる。
手にしている包丁が蛍光灯の光に反射してキラリと光った。
ヤバイヨー、ヤバイヨー。
一人殺るのも二人殺るのも同じ。
という事は、今の私はかなり危険な状況に晒されている事になる。
超ヤバイヨー。
私は頭の中が混乱して冷静さを失っていた。
落ち着け、落ち着けと心の中で唱えて大きく息を吐いた。
周りの空気が凍りついてるのがよく判る。
冷や汗が頬を伝った。
両手を広げて後ろにいる亜弥ちゃんを庇いながらゆっくりと後ずさりをしても
一方的に私の方が不利だった。
防御するものが何一つないし、武器になるものもない。
ここで私が死んだら亜弥ちゃんやよっすぃーみたいに死ねずにずっとこの世界で
彷徨う事になるのだろうか。
そんな事をぼんやり思った。
ダメだ。
今度は冷静になり過ぎていた。
奇声を発して店長が襲い掛かってきたので私は無意識に後ろにいた
亜弥ちゃんの身体を突き飛ばしていた。
強い衝撃が正面から来て誰かの悲鳴が聞えた。
- 460 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/08(水) 00:02
- 気がついた時には床に座り込んでいた。
身体を確認してみたけれどどこにも包丁はない。
むしろ、顔がジンジンと痛んだ。
ふと、顔を上げてみると目の前に店長ではなくて、見慣れた逞しい背中が見えた。
「もしかして、超かっけー?」
よっすぃーだった。
どこから(トイレから)やって来たのか、店長と私の間に割って入って来たらしい。
その時に私の顔を強打してくれたようだ。
どうせなら、もう少し気を遣って欲しい。
クルリと上半身だけこちらに向いてよっすぃーはしたり顔で笑った。
その姿を見て逆に私は顔を強張らせた。
「よっすぃー、胸!胸!」
「何々?……ぉお!」
よっすぃーは今頃気づいたと言わんばかりの仰天顔をわざと作った。
その胸には包丁。
どこかで見た事があるような構図だった。
「これで上着を着たら今度は右胸がボインに!」
よっすぃーはどうでもいい事で感動している。
前回みたいに血は流れていなかったけれどよっすぃーの右胸には包丁が刺さっていた。
身体を張って私を助けてくれたらしい。
周りにいた人は呆気に取られて立ち尽くしている。
もちろん、店長も愕然としていた。
- 461 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/08(水) 00:03
- 「……ば、ばばばばばば」
顎がカクカクと震えている店長は上手く喋る事が出来ない。
「ばばって関西ではウ●コっていう意味だっけ?」
「そんなのはどうでもいいから」
こんな時だというのによっすぃーはボケてくれる。
ある意味、心強くはあるけれど。
「あ、そういえば、亜弥ちゃんは」
先ほど自分で突き飛ばしておきながら亜弥ちゃんの事を忘れかけていた。
慌てて辺りを見渡すと後ろで大の字になってうつ伏せで
床に倒れている亜弥ちゃんの姿が見えた。
「亜弥ちゃん!ちょっと、大丈夫!?」
「ミキティ。自分でやっておきながらそれはどうなの」
よっすぃーのツッコミを無視して私は亜弥ちゃんの元へ駆け寄った。
抱き起こしても亜弥ちゃんは眠るように目を閉じてピクリとも動かない。
何度呼びかけても反応がない。
口元に手を当てても、心臓に手を当てても反応がなかった。
まさか、まさか――。
顔を殴っても自慢の頭を殴っても亜弥ちゃんは無反応だった。
これは本当にお医者さん(ヤブ)の言う事が当たってしまったとしか思えない。
亜弥ちゃんを抱えていた手から力が抜けた。
私はこうなる事を望んでいたはずだ。
ちゃんと亜弥ちゃんが成仏出来る事を願っていたのだから
良かったと思うべきなのに頭の中が真っ白になって何の感情も湧いてこなかった。
誰かの「救急車を呼べ」という叫び声がやたらと遠く聞える。
- 462 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/08(水) 00:06
- 「……そうか」
私はポツリと呟いた。
理由が判った。
確かに別れを望んではいたけれど、こんな形の突然の別れなんて
望んでいなかったからだ。
ちゃんとしたお別れをしたかったのに。
ちゃんと自分の気持ちを伝えたかったのに。
もう二度と出来ない。
最後までタイミングを逃してしまった。
ショックが大き過ぎて放心してしまい、涙さえ出てこない。
どうして、こんな事になってしまったのだろう。
いや、張本人は傍にいる。
この恨み晴らさでおくべきか〜……。
顔を上げて周りを見渡してみると誰一人ピクリとも動いていなかった。
店員、客全員が硬直して立ち尽くしている。
私と目が合うと「ヒィッ」と叫び、狼狽しながら目を逸らす人もいた。
確かに今の私の目は鋭くなっているだろう。
よっすぃーと店長は私の傍で向き合っていた。
店長は胸に手をあて、落ち着きを取り戻そうと必死に深呼吸を繰り返している。
「こ、この化け物め!」
店長は悲鳴のような裏返った声を張り上げた。
全然、落ち着けていない。
よっすぃーはわざとらしく肩をすくめた。
「ヤだなぁ。そっちの方が化け物顔なのにー」
「……お、俺は普通の人間だ!お前は普通じゃないだろ!」
「人を殺そうとした人に言われたくないなぁ」
よっすぃーはそう言いながら胸に刺さっていた包丁を顔色一つ変えずに抜き
傍にいた人形のように固まってしまっているバイトの友達に
「危ないからしまっておいて」と手渡した。
- 463 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/08(水) 00:09
- 「エガちゃんには悪いけどさー、ミキティには指一本触れさせないよん……って、あ」
格好いい決め台詞をよっすぃーは口にしたつもりらしいけれど
店長はそんなもの聞いてはいなかった。
クルリと踵を返して逃げだしていた。
「最後まで聞けよ!このすっとこどっこい!」
よっすぃーは悔しそうに店長の後を追った。
亜弥ちゃんをこのまま残しておくのも気が引けたけれど
店長を逃がすわけにも行かないので私は慌ててその後を追った。
厨房の奥にある地下の食料庫に繋がるドアを開けて
階段で地下と逃げ込もうとしていた店長の身体をよっすぃーは
両手でガッシリと捕まえていた。
「暴れんな!往生際が悪いぞ!エガちゃん!」
「うるさい!離せ!エガちゃんって言うな!」
「もがー、この野郎ー」
活きのいい魚のように店長はよっすぃーの腕の中で大暴れしている。
女が男の力に勝てるわけがない。
しかし、説明するまでもないけれど、よっすぃーは普通の人間ではなかった。
「うらうらべっかんこー!」
意味不明の大声をあげるやいなや、よっすぃーは悲鳴を上げながら
必死で暴れている店長を後ろから抱え、そのまま、その身体を持ち上げて
階段に背を向けた状態で身体を後方に倒した。
そして、二人の身体は重力に逆らわず、派手な音を立てながら階段を転げ落ちた。
- 464 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/08(水) 00:12
- 騒いでいた二人が姿を消してしまうと店内は静かになった。
バイトの友達も呆然としている。
もちろん、私も呆気に取られていた。
悪い夢を見ているような気分だ。
私が恨みを晴らす暇もなかった。
ノロノロと階段へ近づいてみると階段の下は真っ暗で見えない。
恐る恐る壁にあるスイッチをつけてみると一番下の段で
よっすぃーがジャーマンスープレックスをかけたような状態で二人の身体が硬直していた。
その姿を見て目が覚めた。
「ちょ、ちょっと……よっすぃー……大丈夫?」
私は顔を強張らせながら階段を下りた。
「大丈夫きっと大丈夫」
「………っていうか、殺してないよね?」
「多分、きっと、恐らく、もしくは」
店長の身体は頭で逆立ちしたような形で固まっている。
テレビでよく、エガちゃんがこんなポーズを取っていたような……。
よっすぃーはよっすぃーで店長の身体を抱えたまま、ブリッジしていた。
そのふざけた体勢で珍しく真剣な口調で呟いた。
「今までのご恩はこれで返したからね」
「……何を縁起でもない事を」
「だって、最後かもしれんから」
「へ?」
- 465 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/08(水) 00:13
- 何が最後なのだろう。
こうして会話をしている間もよっすぃーは相変わらず同じポーズのまま、動かない。
私が黙り込んでしまうとよっすぃーは店長の身体を支えていた腕を離した。
支えを失って店長はバタリと大きな音を立てて倒れた。
泡を吹いて目を開けたまま、気を失っているようだ。
それでもよっすぃーはブリッジしたままだった。
「っていうかさー、ミキティ。何か、首が変なのよ」
「……へ?」
「有り得ない方向に曲がっているような気がする」
「……え?……ぅぁあ!」
一番下まで降りられなかったのでブリッジしているよっすぃーを
見下ろす状態になっていたのだけど、その身体をまたいで下りてみると――。
首が90度以上曲がっている。
人として有り得ない。
いくら、よっすぃーが普通じゃないと判っていても、これは有り得ない。
「折れたかも」
「…………お、折れてるよ、それ」
「マジか!」
「…………マジ」
遠くから救急車のサイレンの音が聞えてきていた。
- 466 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/08(水) 00:15
- よっすぃーを乗せた救急車に私も乗り込み、病院へ向かった。
亜弥ちゃんは先に向かったらしい。
「いやー、それにしても痛みがないって素晴らしい」
車輪付きの搬送用ベットに乗っているのにあぐらをかいて
よっすぃーはガハハと豪快に笑っている。
全然、口調は怪我人のようには聞えないのだけど首は曲がったままだった。
一緒に乗っている救急隊員の人達はお化けでも見たような顔をして隅の方で固まっている。
「ねぇ、ミキティ」
「何?」
「長生きしてね」
「はぁ?」
相変わらず、前後の脈絡がない話だ。
いや、普通なら救急車の中では有り得る話なのかもしれないけれど。
「今まで楽しかったよ。色々迷惑もかけちゃったんだろうけどさー」
「……何いきなりシリアスになっちゃってんの?似合わないよ」
「なんつーか、こういう時って本人には死期が判るって言うじゃん?」
「いやいや、縁起でも無い事言わないでよ」
「やっぱ、頭がマトモでも身体に限界があるんだろうねー」
「またまたー。どこがマトモだって言うのさ」
あはは、と笑いで誤魔化して言ってみたけれど、よっすぃーの顔は真剣なままだった。
首は曲がったままだったけれど。
- 467 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/08(水) 00:17
- こんな状態でシリアスになんてなれない。
緊張感持って話を進める事なんて出来ない。
でも、亜弥ちゃんと同様によっすぃーだって無事に成仏出来た方がいい。
今こうして違う形で生きている事は本当は良くない事なのだから。
きっと、よっすぃーの身体はもろくなっているのだと思う。
多分、よっすぃー自身もその事に気づいている。
「梨華ちゃんに連絡しなくてもいいの?」
「しなくていいよ。ワタクシはこのままドローン」
よっすぃーは大欠伸をして呟いた。
梨華ちゃんという人は本当に可哀想な人だと思った。
散々、振り回された挙句に別れに立ち合せてもらえないというのだから。
「今度こそ、旅に出るさー」
どうやら、家族に伝えた時と同じようによっすぃーは旅に出たと
私が嘘をつかなければならないらしい。
「よっすぃーは最後の最後まで泣き言を言わないんだね」
「時間よ戻れ!と〜……って、言ったところで戻るもんかぃ」
「まぁ、そりゃそうだけどさぁ……」
じたばたと抵抗されても困るけど。
「これで、ミキティも一安心だね。普通の生活がチミを待っているー」
「でも、それなりに楽しかったよ」
「ホンマかいな」
よっすぃーは肩をすくめていたけれど私は無理やり笑顔を作ってみせた。
少なくとも嘘はついていない。
今まで色々あった。
無駄に高い冷蔵庫を買わされたり、その所為でバイト地獄を味わったり。
いびきがうるさくて睡眠不足になったり、食費がなくなって
友達に昼ご飯を恵んでもらったり。
こうして考えてみると、いい事なんて殆どなかったような……。
でも、くだらない冗談を言ったり出来る相手が毎日傍にいるという生活は
嫌いではなかった。
というより、本当に楽しかった。
「お願いだから化けて出てこないでね」
最後の冗談を私が言うとよっすぃーはニッカリと笑った。
- 468 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/08(水) 00:18
-
- 469 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/08(水) 00:20
- エエェェ川VOV从ェェエエ
- 470 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/08(水) 00:20
-
- 471 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003/10/08(水) 03:50
- いやなんか涙がでてくるんですけど止まらないんですけど
あややと吉澤はマジで死んじゃうのだろうか・・・
- 472 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/08(水) 07:12
- >>471
ネタバレすんなよ…。
頼むからもうちょっと濁してくれ…(´Д`)ハァ
- 473 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/08(水) 22:22
- うう。どうなってしまうんだろう…
ハッピーエンドになるといいんだけれど。
>>472
感想レスにはネタバレがあるかもしれないという前提で、自衛するしか無いよ。
(2chブラウザをつかうとか、 http://スレのURL/前回読んだレス番号- でブックマークするとか)
まあ、ちょっとぐらいネタバレがあってもつまんなくはならないとはおもうけどね
この作品は。
- 474 名前:ジャングル● 投稿日:2003/10/08(水) 23:29
- 「うらうらべっかんこー!」
な、なつかすぃ…
- 475 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/08(水) 23:39
- なんか笑えなくなってきましたね。
いや、笑える事は笑えるんですけど。
よーしそろそろ終わりそうだから気合入れて待ってよう。
作者さん頑張って下さい。
- 476 名前:名無し 投稿日:2003/10/09(木) 00:42
- 作者さんやりたい放題だな。でもそれが逆にピンポンだな。
小ネタまんせー
- 477 名前:472 投稿日:2003/10/09(木) 00:55
- >>473
普段はちゃんと2chブラウザ使ってるんだけどね…
たまたまiモードから見てたからなぁ…
ってスレ汚しごめんなさい。
でも、レスの際少しでいいから気を使ってもらえると…
- 478 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/09(木) 18:19
- >> 471さん
この話で涙出来るとは……スゴイですね。
自分ならちゃぶ台返しをします。頑固一徹です。
とりあえず、こういう結果になってしまいました。
>> 472さん
自分はネタバレレスでも歓迎状態なのですが
読み手さんからしたら困るのですかね、こんなアホ話でも(笑
いや、もちろん他の作者さんの話だと自分も狼狽しますけど。
>> 473さん
有難うございます。
次に新しい話を書く機会があればネタバレ前提、2chブラウザ推奨と書いておきます。
あくまでも書く機会があればの話ですが。
>> 474さん
ジャングル黒べえでしたっけ。
もちろん自分はよく知りません。
作者が藤子先生だった事も知りませんでした。
>> 475さん
シリアスなんだか、ギャグなんだか、自分でもよく判りません。
案の定、バランスが悪いです。
気合入れて待ってたのにこんなラストかよー!と怒られそうです……。
>> 476さん
やりたい放題なのに前作を越えられなかったような……。
まぁ、どちらも変なんですけど。
この話ではどうあがいてもシリアスな展開には……。
- 479 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/09(木) 18:20
- 私は大事な事を忘れていた。
この街には病院が一軒しかないという事を。
病院に着いて救急車のドアが開くとお医者さん(ヤブ)が待ち構えていて
よっすぃーの顔を見るなり、ポカンと口を開けた。
「な!何故だ!」
てっきり、自分の診断通り、よっすぃーが既に死んでいると思い込んでいた
お医者さん(ヤブ)は驚くというより、悔しそうにしていた。
「そんなのはいいから、早く診て下さいよ」
「まだ生きていると教えてくれていれば
細かーく、検査して今頃画期的な発表が出来ていたのに!」
この人はやはり変だ。
頭がおかしい。
「あの……、亜弥ちゃんはどうなったんですか?」
「あぁ、私が言った通りになりましたよ」
気を取り戻したお医者さん(ヤブ)はえっへんと胸を張っている。
「…………って事は」
「えぇ。ここについた時にはもう」
サラリとお医者さん(ヤブ)は答えた。
「…………そうですか」
ドッと身体中から力が抜けた。
今頃になって目に涙が浮かんできたけれどガラガラという車輪の音で
私は現実に引き戻された。
よっすぃーは車輪付きの搬送用ベットごと車から降ろされて
病院の中に運び込まれようとしている。
慌てて追いかけようとしたけれどベッドであぐらをかいているよっすぃーが
私に向かって手でストップをかけた。
- 480 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/09(木) 18:21
- 「ミキティはここでいいよ」
「え?」
「ここでお別れしましょう」
「……いや、でも」
私が戸惑っていると救急隊員の人が早くしてくれ、とこちらを睨んだ。
早くこのベッドの主を手放したいのだろう。
気持ちは判るけれど今は待って欲しい。
「わーがままと生意気は違ーうのよ」
「あのね……、こんな時に意味判んない事言わないでよ」
「ほんのちょこっとなんだけど勇気をふりしぼったわけです」
「はぁ?」
「死に様なんざ、見られたくないっちゅーこの乙女心判ってもらえない?
良い子の私はここでバイバイします」
そう言われてしまうと黙って従うしかない。
渋々「判ったよ」と答えるとよっすぃーはヘラヘラと笑った。
最後まで間抜け顔だ。
「じゃーねー。チャオー」
車輪付きの搬送用ベットで移動させられながら笑顔で手を振るよっすぃーを見送った。
- 481 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/09(木) 18:22
- 私はよっすぃーに言われた通り、あれから病院の中には足を踏み入れず
そのまま自分の家へ戻って来た。
本当は病院の中へ入る勇気がなかっただけだ。
動かなくなったよっすぃーと亜弥ちゃんの姿を見る事なんて
今の私には出来ない。
まだ割り切れない。
居酒屋のバイトにも行く気になれなかった。
それに、もう今までのようなバイト三昧な日々も意味なんてないのだから。
自分の部屋がこんなにも淋しいものだったのだと初めて気づいた。
今までそんな事を思った事も、感じた事もなかったのに。
真っ暗でも電気をつける気にもなれなかった。
ベッドに寝転がって瞼を閉じると冷蔵庫のモーター音だけが部屋中に響いていた。
新品で買ったけれど中古で売り飛ばしたらどれだけ戻ってくるのかなぁ、などと
いつもの私なら現実的な事を考えたのだろうけど今の私には無理だった。
前までは夜中にあの中から奇声が聞えてきていたというのに
二度とそんなものが聞こえて来る事はない。
散々、睡眠不足にもさせられたけれど、何だか物足りない。
慣れというものは本当に恐ろしいな、と思った。
別れなんてものはいつだって突然来るものなのかもしれない。
頭で理解していても、やっぱり辛かった。
私は一人ぼっちになってしまった。
- 482 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/09(木) 18:23
- 朝起きると電話が鳴っていた。
時計を見てみるといつもの私なら寝ている時間で思わず顔をしかめた。
前までなら冷蔵庫から「電話〜」などという間抜けな声が
聞えて来たのにな、と思いながら無反応な冷蔵庫をぼんやりと眺めて
やっぱり、夢ではなかったのだな、と私が実感している間にも、ずっと電話は鳴っていた。
「うっさいなー……」
愚痴りながら受話器を取ると聞き慣れない声が聞えてきた。
「藤本さんですか?」
「そうですけど……、どなたですか?」
腫れぼったい瞼を擦りながら、こんな時間に誰だよ、名乗れよ、などと
心の中で悪態をついていたのだけど。
「松浦亜弥の母です」
一気に目が覚めた。
私は亜弥ちゃんの家族に会った事がない。
亜弥ちゃんの口からたまに出ていた家族構成の話程度しか知らない。
昨日、病院でも顔を合わせなかった。
中に入らなかったのだから当たり前だ。
病院から連絡があったはずだから全ての事情を知ったはずなのだろうけれど。
それにしても、どうして、私の電話番号なんて知っていたのだろう。
もしかして、お葬式の連絡なのだろうか。
あぁ、行きたくない……。
まだ立ち直れない。
- 483 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/09(木) 18:24
- 「あの……、この度は何と言っていいのか……」
とりあえず、礼儀として、かしこまりながら電話の前で頭をペコペコ下げていると
亜弥ちゃんのお母さんは「有難うございました」と明るい口調で呟いた。
何に対しての有難うなのだろう、と私は固まった。
「藤本さんのお陰で犯人が捕まったと聞きましたから」
亜弥ちゃんのお母さんは「亜弥から藤本さんの事は色々聞いていたので」と続けた。
「えっと……、生きてるらしいですね、店長」
私がボソボソと呟くと亜弥ちゃんのお母さんは「そうですね」と同意していた。
そういえば、帰り際にお医者さん(ヤブ)に尋ねると店長は気絶していただけで
ピンピンしてると言っていた。
見た目は弱そうなのに意外と身体は丈夫だったらしい。
お医者さん(ヤブ)が言うには、ちょっと錯乱気味だとは言っていたけれど。
ヤキを入れに行こうかな、などと思っていると亜弥ちゃんのお母さんはサラリと呟いた。
「だから、半殺しにしてやりました」
「……は?」
今とてつもなく恐ろしい言葉を耳にした気がする。
「だって、このまま、引き下がれませんから直接病室に行ってシメて来ました」
「…………あの、一体、誰が?」
「私ですけど何か?」
「…………」
私は受話器を持ったまま、ポカンと固まってしまった。
- 484 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/09(木) 18:25
- そういえば、亜弥ちゃんの両親は元ヤンキーだったはず。
となると、これから店長は、たかられたり、脅されたりする日々を過ごす事になるのだろう。
それにしても、娘が死んだというのにパワフルなお母さんだ。
亜弥ちゃんの為にももっと哀しんであげて欲しいくらいなのだけど。
「あ、それでですね。お伝えしようと思っていたのはリンチの件ではなくて」
「……はぁ」
「亜弥が目を覚ましたんですよ」
「…………へ?」
今、何て?
亜弥ちゃんが目を覚ました?
そんな馬鹿な。
だって、死んだはずなのに。
「今朝、目を覚ましたんです。だから、それを藤本さんにお伝えしようと……」
亜弥ちゃんのお母さんの声が徐々に遠くなっていった。
- 485 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/09(木) 18:26
- 病院についてまずよっすぃーに会いに行った。
よっすぃーは霊安室で寝かされていた。
白い布を顔にかけられているよっすぃーに近づいても無反応だった。
冗談を言ったり、くだらない事をするのが大好きだった彼女が
今にも白い布をパッとはいで「騙されたなー」とニヤニヤ笑いながら
起き上がりそうな気がしたけれど、やはり、そんな事にはならなかった。
これが現実だ。
白い布を捲るのは止めた。
死に様を見られたくないと言っていたからには
当然、死に顔も見られたくないだろう。
そう思ったから私は何もしなかった。
「本当に死んじゃったんだね……」
哀しいとか、淋しいとか、色んな感情はもちろんあったけれど
今私が抱いている感情は安堵だった。
もちろん、薄情な意味ではなくてやっと休めるね、という意味で。
「お疲れ様」
それだけ言って私は部屋を出た。
- 486 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/09(木) 18:27
- 亜弥ちゃんがいる病室を訪ねて行ってみるとまだ寝ていた。
包帯がグルグル巻きなのは昨日と変わらない。
誰もいないので、どういう状態なのかも判らなかった。
それにしても、亜弥ちゃんの家族はどこへ行ってしまったのだろう。
もしかして、また店長をリンチしに行ったのだろうか。
いい気味だ、ザマーミロ。
でも、私も一度はシバきたい。
結局、何一つ仕返しが出来ていないのだから。
でも、どうして亜弥ちゃんは助かったのだろう。
よっすぃーよりも後だったからだろうか。
よっすぃーの場合は首の骨を折っていたのが致命傷になったトカ?
これからどうするべきなんだろう。
本当ならば成仏してくれた方が良かったのだけど。
でも、嬉しいと思う気持ちもある。
私はなんて単純で現金な人間なんだろう。
これで元に戻ってくれたら本当に言う事なんてないのだけど。
「あぁ、藤本さん。来られたのですね」
ニコニコと満面の笑みを作ってお医者さん(ヤブ)がやって来た。
「あの……。どうして、亜弥ちゃんは生きてるんですか?死んだはずだったんじゃ」
「えぇ、あの時の松浦さんは間違いなく亡くなってたのですけど」
「じゃあ、なんで?」
「それはですね……」
不敵な笑みを浮かべているお医者さん(ヤブ)の顔を見て何となく嫌な予感がした。
- 487 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/09(木) 18:28
- 「う〜ん……」
悩ましい声が聞えた。
振り返ってみると亜弥ちゃんは目をゴシゴシと擦っていた。
どうやら、目を覚ましたらしい。
本当に生きてた。
「亜弥ちゃん?大丈夫?」
「…………ん?」
亜弥ちゃんは寝ぼけた顔を私に向けている。
そして、鼻の下を伸ばした。
「なんて顔してんの……」
「えー、いや、だって」
にひひ、と亜弥ちゃんは笑った。
何故だか、背筋がゾクッとした。
寒い。寒い。寒い。
身体中の体温が一気に冷却された。
…………まさか。
「やったー!」
突然、お医者さん(ヤブ)が発狂した。
そして、一人で万歳三唱を始めた。
何が起こったのか把握出来ずに私はあんぐりと口を開けて固まってしまった。
「脳移植が成功した!やったね!」
「…………今、何て?」
「何度でも言いましょう!脳移植が成功したんですよ!」
テンションが上がってしまったお医者さん(ヤブ)は嬉しそうに私の両手を取り
ブンブンと振り回す。
私はされるがままの状態になっていた。
- 488 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/09(木) 18:29
- 脳移植……。
という事は……。
「いやー、まさか、こんな事になろうとは。
参った、参った。こりゃ、一本取られたねぇ」
亜弥ちゃんは自分のオデコを軽くピシャリと叩いた。
「…………」
「ヤだなぁ。そんなこの世の終わりみたいな顔しないでくれる?
ここは盛り上がるしかないでしょ!」
「…………」
「テンション低いね。つまんねぇ」
「…………」
「ミキティ。とりあえず、笑っとけ?」
……笑えない。
絶対に笑えない。
外身と中身が別人だなんて絶対に笑えない。
もしかして、亜弥ちゃんの家族もこれを見て店長を本当にリンチしに行ったんじゃ……。
「心配すんなって。お望みであればいつでもチャオズになりきってあげるから」
「……なりきって、いらない」
「美貴たん、そう言うなよー。元気出せや」
「……亜弥ちゃんはそんな言葉使いしない」
「くそー、なりきりチャオズは奥が深いなぁ」
「……もう帰ってちょうだい」
こんな亜弥ちゃん、いらない……。
- 489 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/09(木) 18:30
- 終わり。
- 490 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/09(木) 18:30
-
- 491 名前:さよならが言えない 投稿日:2003/10/09(木) 18:30
- エエェェ(´д`)ェェエエ
- 492 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/09(木) 18:38
- エエェェ从‘ 。‘从ェェエエ
エエェェ(0^〜^0)ェェエエ
エエェェ川VOV从ェェエエ
最高。w
- 493 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/09(木) 19:09
- ( ゚д゚) <・・・・
こ、こんな結末ありですか・・・・
とにかく最高。
いっぱい笑わせてもらいました。胸を打たれました。
お疲れ様。(^-^)/
- 494 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/10(金) 00:38
- エエェェ川VOV从ェェエエ
やっぱりここは藤本さんで(w
気合入れて待っててよかったです。
さすが、作者さん。やられました。自分の負けです。
- 495 名前:名無し 投稿日:2003/10/10(金) 01:45
- エエェェキタ━━川‘〜‘)●´ー`)〜^◇^)^▽^)o^〜^)´D`)‘д‘)’ー’川´▽`∬o・-・)・e・)VvV从*・ 。.・从 `,_っ´)*^ー^)ェェエエ
今回ばっかりは本音でこう言いたくなったw
でも、ここまでやった作者さんの勇気に乾杯
- 496 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/10(金) 02:29
- この話では、だれが一番不幸だったんだろう(笑)
- 497 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/11(土) 00:09
- 作者のやりたい放題が爆発した作品でつか?
そしてそれにハマった読者ですが、何か?w
更新お疲れさまでした。
なんかギャグ調の作品でここまで先が読めないのは初めてでした。
作者さまの独創性と暴走性に心から拍手を。。。
- 498 名前:奈々氏 投稿日:2003/10/12(日) 19:27
- 昔なつかしい、人浦ハカセ=マッドサイエンティストとか(w
楽しく読ませていただきました、ありがとうございました。
- 499 名前:名無しさん 投稿日:2003/11/08(土) 00:30
- 新作キボン
- 500 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/13(木) 19:52
- うっわぁ。まじおもしろい今まで気づかなかった。
新作本気でお願いします。
首を長くして待ってますから。
- 501 名前:ミラクルライト 投稿日:2003/11/16(日) 04:40
- 「バイトの子からおかしな話聞いたんだけど聞いてくれる?」
「面白い話?」
「面白い話じゃなくて、おかしな話」
「ふーん」
「その子、ごっちんって言うんだけどさ」
- 502 名前:ミラクルライト 投稿日:2003/11/16(日) 04:40
- ★★★
- 503 名前:ミラクルライト 投稿日:2003/11/16(日) 04:42
- ずっと仲がいい先輩がいたのね。
その人は昔から大きい風呂敷広げ過ぎちゃう悪い癖を持ってたんだけど。
例えば、外国行きたいって言い出して、英会話習い始めたと思ったら
行くのが面倒になったからって突然辞めたり。
でも、結局、また行き始めたり。
あと、楽器やりたいからってキーボード買ったのはいいけど
全く使わずに埃だらけになって新しくギター買ってた。
それも、直ぐに埃だらけになってたけど。
基本的に気分屋なんだろうね。
カメラやバイクにも興味持ってたけど、あっという間に飽きちゃったみたいだし。
あと、旅好きだった。
二年前くらいに突然旅に出るって宣言してさぁ。
戻って来た先輩にどこ行ってたの?って訊いたら、千葉だって。
千葉に住んでるくせに千葉。
一年半くらい千葉県内をグルグルしてたって言うんだから、信じられないよ。
でも、私はそんな先輩が嫌いじゃなかった。
時には偉そうにしてさぁ、自分の知識を自慢しては私をバカにしたり
いっぱい怒られたりもしたから、ムカつくこともあったけど。
嫌いじゃなかった。
基本的には面倒見のいい人だったし。
ある日、その先輩が突然変なこと言い出したのね。
こんな感じの会話だったと思うけど。
- 504 名前:ミラクルライト 投稿日:2003/11/16(日) 04:43
- 「あたし、ビッグスターになるのが夢なんだよね」
「大きなお星様って言ったら、北極星くらい大きいのかな?」
「北極星って大きいの?」
「知らない。何となく、大きそうじゃん」
「っていうか、星じゃないって。星になってどうすんの」
「じゃあ、何?」
「バーカ。超有名人ってことだよ」
「いや、それは最初からわかってたんだけど、有名人って例えば?」
「歌手」
「へー」
「今思いっきり、バカにしたでしょ」
「してないけど。アイドルにでもなるの?」
「違うよ、アイドルじゃなくて、アーティスト」
「何が違うの?」
「何かが違う」
「何それ」
「また、バカにしたでしょ」
「してないって」
「とにかく、自分で曲を作って歌うシンガーソングライターになるんだ」
「なって、どうするの?」
「あたしの曲を聴いた人に感動を与える」
「……ふーん」
「また、バカにしたでしょ?」
「してないって」
「うそつけ」
「でもさ、本当にそうなったら、印税ガッポガッポ入るね」
「よく知ってんじゃん」
「売れたらの話だろうけどね」
「……よく知ってんじゃん」
- 505 名前:ミラクルライト 投稿日:2003/11/16(日) 04:45
- この会話をしてから先輩は私の前から姿を消しちゃった。
芸能界に入ったわけではなく、事故って。
本当のお星様になっちゃった。
お葬式に出ても涙一つ出なかったなぁ。
また旅にでも出てるんじゃないかなって思っちゃってさ。
それまでも、気がついたら姿消してたってことが多かったから。
それで、お葬式の帰りに夜空を見上げてみたらさぁ、綺麗な星空が広がってたんだよね。
それ見てたら、本当にお星様になっちゃったんだねって、思えてきちゃって
ちょっと哀しくなってきたけど、毎日でも会えるんだってちょっと喜んだんだよ。
でも、自然に涙出てきちゃった。
だって、星が沢山あり過ぎてどこに先輩がいるのか、わかんないんだもん。
泣けるよね。
- 506 名前:ミラクルライト 投稿日:2003/11/16(日) 04:45
- ★★★
- 507 名前:ミラクルライト 投稿日:2003/11/16(日) 04:46
- 「やっぱり、面白い話じゃん。オチまでついてるし」
話を聞き終わると、亜弥ちゃんはケラケラと笑って
口にしていたパンのカスをボロボロと床に落としていた。
絶対、笑うと思ってたんだ。
だから、話すかどうかを迷っていたのに。
それに、人の部屋を汚すのは止めて欲しい。
「オチって……。酷い事言わないでよ」
「それさ、流れ星だったら、悲惨だよね。地面に落ちてドカーン」
「…………」
「笑ってよ」
人の不幸話なのに笑えるか。
「あのさぁ、面白がってたらダメなんだよ」
「どうして?」
「だって、その子、そのお葬式以来、天体観測に嵌っちゃったらしくてさ。
今では新しい星探して先輩の名前つけるんだって燃えてるんだもん」
「やっぱり、面白い話じゃん。二段オチになってる」
お腹を抱えて亜弥ちゃんは笑っている。
私は頭を抱えた。
「美貴はその子の未来が心配だよ。だから、何とか目を覚ましてもらおうと思ったのに」
「アンタ、心配性だからねぇ」
亜弥ちゃんは目を細めて視線を送ってきた。
私が心配性なんじゃなくて、亜弥ちゃんが何も考えてないだけだと思う。
まぁ、亜弥ちゃんだけじゃなくて、見たこともない他人の心配をする人なんて
少ないだろうけど。
- 508 名前:ミラクルライト 投稿日:2003/11/16(日) 04:48
- 「大体、その話マジなの?」
「マジって何が?」
「作り話じゃないの?」
「本当の話だよ」
「ふーん。変わった人もいるもんだね」
また亜弥ちゃんはガブリとパンに噛みついた。
真剣に人の話を聞いてくれているのかどうか怪しいものだ。
「変わった人なら、ここにもいるけどね」
「何か言った?」
「いいえ」
私は素知らぬ顔をしてお茶を飲んだ。
聞かれてない方が幸せだ。
後でうるさいから。
「でもさぁ、その人、……えーと、星になった人。
そんなに慕われてて幸せなんじゃないの?」
「美貴も幸せが欲しい」
「何言ってんの。今、十分幸せでしょ?」
贅沢者、と亜弥ちゃんは笑っている。
でも、私は溜息をついた。
「そうだね。目の前にいる人の中身がお星様になってくれたらね」
- 509 名前:ミラクルライト 投稿日:2003/11/16(日) 04:49
- 終わり。
- 510 名前:ミラクルライト 投稿日:2003/11/16(日) 04:49
-
- 511 名前:ミラクルライト 投稿日:2003/11/16(日) 04:49
-
- 512 名前:ミラクルライト 投稿日:2003/11/16(日) 04:50
- 正直、ゴメンナサイ。
- 513 名前:ミラクルライト 投稿日:2003/11/16(日) 04:50
- >> 492さん
有難うございます。
>> 493さん
本当にスミマセン。
胸を打つような話ではなかったと思いますけど……。
>> 494さん
藤本さん、一番不幸ですよね。
他の作者さんが幸せな話を書いてくれてると思うので許して下さい。
>> 495さん
凄いエーのAAですね(笑
有難うございます。
>> 496さん
間違いなく、不幸ナンバー1は藤本さんだと思います。
- 514 名前:ミラクルライト 投稿日:2003/11/16(日) 04:51
- >> 497さん
やりたい放題させて頂きました(笑
本当に滅茶苦茶な話で申し訳ないです……。
>> 奈々氏さん
有難うございます。
人浦ハカセとやらは存じませんが、医者というのは胡散臭いものですね。
>> 499さん
先に謝っておきます……。
>> 500さん
有難うございます。
新作は本当に……先に謝っておきます。
- 515 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003/11/16(日) 07:44
- 読みました
藤本不幸だ・・・中身はまだ健在していたとは笑
市井脱退の件もありなんかじわっとくる話ですね
癒されました
作者さんお疲れ様です
- 516 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/17(月) 00:18
- あ、そうか。>>515 のレスを読んでやっとオチの意味がわかった。
- 517 名前:451 ◆IUxDgWrI 投稿日:2003/11/19(水) 22:38
- >>487
禿同
ところで、携帯ゲーム機"プレイステーションポータブル(PSP)
久夛良木氏は,“PSPはゲーム業界が待ち望んだ究極の携帯機”として説明。「ここまでやるかと言われるスペックを投入した」という。
発表によれば「PSP」は,曲面描画エンジン機能を有し,3Dグラフィックでゲームが楽しめる。
7.1chによるサラウンド,E3での発表以来,クリエイターたちにリクエストが高かった無線LANも搭載(802.11)。
MPEG-4(ACV)による美しい動画も楽しめるという。これによりゲーム以外の映画などでのニーズも期待する。
外部端子で将来,GPSやデジタルチューナーにも接続したいとする。
また,久夛良木氏は,繰り返し「コピープロテクトがしっかりしていること」と力説。会場に集まった開発者たちにアピールしていた。
さらに,ボタン設定なども明らかにされ,PS同様「○△□×」ボタン,R1・L1,アナログスティックが採用される。
この際、スク・エニもGBAからPSPに乗り換えたらどうでしょう。スク・エニの場合、PSPの方が実力を出しやすいような気がするんですが。
任天堂が携帯ゲーム機で圧倒的なシェアをもってるなら、スク・エニがそれを崩してみるのもおもしろいですし。かつて、PS人気の引き金となったFF7のように。
突然こんな事いいだしてスマソ・・・・
GBAと比較してみてどうなんでしょうか?(シェア以外で)
- 518 名前:名無しさん 投稿日:2003/11/21(金) 12:34
- 最後の最後に続編だと気付かせる作者さんの技量が凄いわ。
思わず笑ってしまいました。
中味の話はちょっと感動だった・・・。
- 519 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/01(月) 00:40
- 最後でやっと意味がわかりました!
ミキティは現実を受け入れたのでしょうか…。
あー、もう、作者さんの話全般が好きです。
長編の新作はを書く予定はあるのでしょうか?
もし書く予定がある、もしくは書いているなら教えてください!
- 520 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/07(日) 08:41
- 作者さん萌え
- 521 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/17(水) 07:27
- >> 515さん
藤本さんの不幸はどこまでも続きます。
こんなアホな話で市井さんを出してスミマセン。
>> 516さん
判り難くて申し訳ないです。
>> 517さん
一生懸命、答えを導き出そうと考えてみましたが無駄なので止めました。
一瞬、何に禿同されたのかと思った……。
>> 518さん
新規の短編だと思った方がいたら申し訳ない話ですが…。
タイトルもわざと関係ないものにしましたし。
>> 519さん
有難うございます。
長編の予定は未定ですが新しい話は用意中です。
でも、期待はしないで下さい…。
>> 520さん
読者さん萌え。
- 522 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/17(水) 07:29
- ∞ 前回までのあらすじ ∞
不慮の事故(友人石川が原因)で心停止した吉澤ひとみ(電波)は
死んでいるはずなのに動けるという謎の半分ゾンビ状態になりました。
そして、そんな吉澤を、先輩であり、口は悪いが超お人よしな主人公藤本美貴が
仕方なく、引き取る事になりました。
そんな中、藤本美貴の想い人、松浦亜弥(天然)も似たような事故に遭い
脳死状態になっておきながら吉澤と同じような半分ゾンビ状態になりました。
その後、ある事件に巻き込まれた二人は基地外な医者(ヤブ)の超個人的な手術により
脳は吉澤、身体は松浦という摩訶不思議な状態になってしまったのでした。
なんだかんだと色んな事に巻き込まれてしまう藤本は自分の不幸を嘆き
目の前にいる合体ゾンビが早くお星様になってくれないかな、などと
半分冗談、半分本気で、夜な夜な天に向かってお祈りしているのでした。
ばきっ ♪ ♪
ノノノハヽ Σ〃ノハヾヽ なんで?
川VvV)≡○))^▽^)・∵:∴…
/○ ノ ⊂ ⊂)
- 523 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/17(水) 07:29
- 数日後につづく…。
- 524 名前:名無しさん 投稿日:2003/12/17(水) 11:14
- ━━━━━(゚∀゚)━━━━━
- 525 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/17(水) 21:08
- (・∀・)
- 526 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/18(木) 11:51
- (・∀・)9<期待して待ってるぞゴルァ!!
- 527 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/19(金) 04:48
- 「この度、家庭教師がつく事になりました」
家の玄関口で私の顔を見るなり、亜弥ちゃんは膨れっ面でポツリと呟いた。
「はぁ……。それはおめでとう」
目の前に好きな人がいるというのに私は気の抜けた声を出した。
「どこがめでたいんだよ!アホか!」
「……また地が出てるよ」
「あ、イカンイカン」
亜弥ちゃんは照れ笑いをして頭を撫でながら靴を脱いだ。
そして、いそいそと部屋の中に入り、手にしていたケーキの箱をテーブルの上に置いた。
「これ、母上様から」
「亜弥ちゃんのお母さんって人間が出来てるよね」
元ヤンキーらしいけど、と心の中で呟き、ケーキの箱を開けて中身を確認していると
亜弥ちゃんに額をペチンと殴られた。
いい音がした。
「……何すんの」
「ケーキなんかどうでいいわけよ。
今、大事なのはどうして今更一年前の勉強なんか、しなくちゃいけないわけ?
ってことです」
私はぶたれた額を撫でながら、わざとらしく真面目顔を作っている亜弥ちゃんを
少し睨みつけた。
「しょうがないじゃん。だって、今は高二なんだから」
「ソウネ」
亜弥ちゃんはあっさりと引き下がった。
- 528 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/19(金) 04:50
- ヤレヤレと首を振りながら、私はお茶を入れるためにキッチンへ移動した。
ヤカンに水を入れる為に蛇口を捻り、ふと気になって振り返ってみた。
そして、絶句した。
ケーキなんかどうでもいい、とか言っておきながら先に食べてる……。
私は口の周りをクリームだらけにしている亜弥ちゃんから視線を逸らして
溜息をつきながら、水を止めた。
数ヵ月前、亜弥ちゃんは事故に遭った。
そして、その前に私の友達である吉澤ひとみこと、よっすぃーも事故に遭った。
普通ならば、二人はその時に死んでいたはずだった。
それなのに、何故か、死んでいるのに動けるという不思議なゾンビ状態になってしまい
その後、たちの悪い、というか、いわゆるヤブ医者に引っかかってしまった二人は
外身は亜弥ちゃん、中身はよっすぃーという状態になってしまった。
これは本当だけど嘘だと思いたい話。
本当はよっすぃーと呼びたいところだけど何も知らない人が見たら
私の頭がおかしくなったのかと思われてしまうので
仕方なく亜弥ちゃんという呼び方で統一していた。
何となく、屈辱的だったけれど。
亜弥ちゃんの家族も中身が自分の娘ではないと知りつつも一緒に暮らしている。
本人も自分の家族ではない人達との生活には、なかなか慣れる事が出来なかったらしく
最初の頃は散々愚痴を聞かされたものだ。
ハッキリ言って迷惑だったけれど。
- 529 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/19(金) 04:51
- チラリと横を見てみると、そこには業務用の横長冷蔵庫が置かれている。
以前、ゾンビ化していたよっすぃーを腐らせない為に
私が借金までして購入したものだ。
中古で売り飛ばそうと思ったけれど、いつの間にかよっすぃーが寝やすくする為に
中身を改造していたらしく、誰も引き取ってくれなかった。
その事が判ると直ぐに私は繋ぎっぱなしになっていたコンセントを引き抜き
床に叩きつけた。
よっすぃーがいなくなって私の元に残ったのは、この邪魔な冷蔵庫と多額の借金。
これでは、八つ当たりもしたくなる。
紅茶を入れたカップとケーキを乗せる為のお皿とフォークを持ってテーブルに戻ると
亜弥ちゃんは、先に食べていた事を誤魔化す為にだらしなくへらへらと笑った。
こんな笑い方をするような人ではなかったのに、と少し恨めしく思う。
「そういや、家庭教師がどうしたって?」
「それがさー、この前テストがあってさぁ。
その結果を見た母上様が余りにも酷いから、家庭教師つけますって言い出したわけよ」
「でも、亜弥ちゃん本人は勉強嫌いで、お母さんはもう諦めてるって言ってたけど?」
そういえば、無駄にテストが多いと亜弥ちゃん本人がぼやいていた事もあったけど。
ケーキにフォークを刺して私が首を傾げると
亜弥ちゃんはチッチッチッと言いながら顔の前で人差し指を横に振った。
- 530 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/19(金) 04:52
- 「残念ながら、チャオズを上回るくらいアホなの、ワタクシ」
いい加減、亜弥ちゃんを変な名前で呼ぶのは止めて欲しい。
「あれ?ちょっと待って。去年習ったことをもう忘れてるってわけ?」
「いかにも」
よっすぃーは私の一個下で亜弥ちゃんの一個上の高校三年生だった。
「ちなみに、高一の時の内容も覚えてないです」
「…………」
呆れて何も言えなくなってしまった。
確か、目の前にいる人の中身は受験に備えて一人暮らしまで始めてたような。
受験勉強なんてするわけがないとは思っていたけれど。
「それで?家庭教師とやらはもう決めたの?」
「母上様が勝手にトライしちゃいました」
「……ご愁傷様」
本当にご愁傷なのは私かもしれない。
亜弥ちゃんの事が大好きで、そして、彼女と両思いになれたと思った途端
こんな状態になってしまったのだから。
目の前にいる亜弥ちゃんと両思いになれても嬉しくない。
中身はただのアホだし。
過去には二度と戻れない事くらい判っている。
だからこそ、せめて平穏な日々を過ごしたい。
私は亜弥ちゃんの両親も大変だなぁ、と思いながらケーキを口に運んだ。
甘かった。
- 531 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/19(金) 04:54
- それから、しばらく亜弥ちゃんは姿を見せなかった。
どうやら、本当に勉強攻めにあっているらしい。
たまにわけの判らないメールが届いていたけれど、面倒なので無視していた。
大学の食堂でぼんやりしていると梨華ちゃんに声をかけられた。
「ポジティブポジティブ」
「……はぁ」
梨華ちゃんはニコニコしていたけれど、私は顔を引きつらせていた。
正直、会いたくなかった。
それは何故かというと、幼馴染であるよっすぃーが
いなくなった事を知った梨華ちゃんは
それ以来、少し頭のネジが飛んでしまっていた。
口を開いても「ポジディブポジティブ」としか言わない。
それしか言えない状態になってしまった。
よっすぃーの家族は本当の事を知っても、ここまで酷くはならなかった。
酷くなるどころか、時間が経てば元の生活に戻ってしまったようだ。
遺伝なのかもしれないけれど、よっすぃーみたいに深くは考えない人達だったらしい。
それもどうかと思うのだけど。
でも、梨華ちゃんはよっすぃーがまだ亜弥ちゃんの中にいるという事を知らない。
さすがに、こんな状態になってしまった梨華ちゃんに本当の事は言えなかった。
ゾンビ状態になった時にもかなりショックを受けていたのだから
本当の事を知ったらショック死しそうで怖い。
というわけで、これでも私は一応、梨華ちゃんに気を遣っている。
一番の被害者はこの人なんじゃないだろうか、とたまに思ってしまう。
- 532 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/19(金) 04:55
- 「梨華ちゃん、この人がそうなの?」
いつの間にか、梨華ちゃんの背後に立っていた人が親しげに声をかけてきた。
サラサラの長い髪にパッチリとした目。
地黒な梨華ちゃんと同じくらい、ちょっと黒めの健康的な肌。
肩から下げたスポーツバッグからテニスラケットみたいなものが飛び出している。
見たことがない人だった。
「ポジティブポジティブポジティブ」
梨華ちゃんはその地黒な人に向かってニコやかに話し掛けている。
話し掛けている言葉がアレだけど、地黒な人はふんふん、と相槌を打っていた。
そして、私の方に向き直って、人のいい笑みを浮かべた。
「初めまして。梨華ちゃんの友達で、里田まいって言います」
丁寧な挨拶に面食らって、私は視線をキョロキョロと忙しなく動かしていた。
「えっと……」
「知ってる。藤本美貴ちゃんでしょ?
梨華ちゃんから聞いてるから。私のことはまいって呼んでくれていいよ」
年上なのにフランクな言い分に驚いた。
もっと驚いた事は、梨華ちゃんのアレな言葉を理解している事だ。
ちなみに、私には梨華ちゃんが何を言っているのか判らない。
だから、いつも適当な受け答えをしていた。
この人、只者じゃない。
- 533 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/19(金) 04:57
- 「えーと、梨華ちゃんの友達?」
「うん。サークルが一緒だから」
そう言って、まいちゃんはラケットを取り出して、またニッコリと笑った。
そういえば、梨華ちゃんはテニスサークルに入っていると聞いた事がある。
話を聞けば、まいちゃんは私達より一つ上なのだそうだ。
つまり、私や梨華ちゃんの先輩にあたる。
そんな人が一体何の用だろう。
「それで、何か用ですか?」
「敬語なんて使わなくてもいいって。それで、今日暇?」
「暇といえば暇だけど」
今日はバイトが入っていないけれど、何だか嫌な予感がする。
「梨華ちゃんがね、友達が最近ちょっと元気がないみたいだから
気分転換に誘ってみてもいいかなって言ってきてね」
梨華ちゃんを見てみると笑顔で頷いていた。
何も知らない人は幸せだ。
今の亜弥ちゃんの相手は正直疲れる。
何しろ、中身がアレだし。
ちなみに梨華ちゃんの相手もかなり疲れる。
- 534 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/19(金) 04:58
- 「それで、美貴ちゃんもテニスやらない?」
「……は?」
「お遊びみたいなサークルだし、面白いよ」
まいちゃんは嬉しそうにラケットをブンブンと振っている。
私の周りに座っていた人はラケットをぶつけられそうになって驚いていた。
っていうか、いきなり、テニスやろうって誘われても困る。
「でも、美貴、テニスなんてやった事ないし……」
「私も高校の時にやってたのは軟式で、サークルは硬式だから
最初はその違いに戸惑いっぱなしで大変だったけど、慣れたら面白しくてさ」
「いやいや、そうじゃなくて……」
軟式やら硬式やらと言われても、違いがよく判らないんですけど。
っていうか、そんなどうでもいい事情なんか、尋ねてないんですけど。
「別に、サークルに入らなくてもいいんだって。
息抜きに遊ばない?って言ってるだけだから」
「いや、そんな事言われても……」
押しの強い人だなぁ、と思いながら私は首を振った。
でも、無駄だった。
「いいから、いいから。一緒に来て。ちゃんと教えてあげるからさ」
そう言って、まいちゃんは私の手を引いてズンズンと歩き出した。
呆気に取られながら、後ろを見てみると私の荷物をしっかりと持って
梨華ちゃんが笑顔でついてきていた。
- 535 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/19(金) 05:00
- >> 524さん
━━━━━(゚A゚)━━━━━
>> 525さん
(゚A゚)
>> 526さん
(゚A゚)9<期待してると痛い目に遭うど!
- 536 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/19(金) 05:00
-
- 537 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/19(金) 05:00
-
- 538 名前:名無しさん 投稿日:2003/12/19(金) 08:48
- 壊れちゃってましたか・・・・
どっちがより不幸なのだろう?
- 539 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/20(土) 00:34
- どんどん、みんなが壊れていく。
常識がわからなくなってきた。
素晴らしい世界観。
- 540 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/20(土) 21:19
- テニスコートに辿り着くと、思ったより人が少なかった。
コートは二面ほどしかないし、少し薄汚れている。
お遊びみたいなサークルというのは本当だったようだ。
ベンチに座っている人は、ジャージに着替えていたけれど
テニスをする気などないのか、談笑している。
そんな中、奥のコートの傍にある壁に向かって髪の黒い少女が
「ひゃー」とか、「うひょー」などと奇声をあげながらボールを追いかけていた。
どうやら、壁打ちをしているらしい。
楽しそうに見えない事もないけれど
何となく、それを見て来るんじゃなかった、と思った。
ふと視線をずらしてみるとコートの隅で数匹の犬が
ワンワンキャンキャン、と騒いでいた。
犬の下には髪の短い少女がいる。
「あそこで犬に襲われてる人がいるけど助けなくてもいいの?」
声をかけると、ラケットをブンブンと振り回していたまいちゃんは
私が指差した方向をチラリと見た。
「あぁ、あれ。あさみちゃんは犬好きなんだよ」
「いや、そうじゃなくて、助けなくていいの?」
「犬と遊んでるだけだもん」
「…………」
- 541 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/20(土) 21:22
- ここにいる人達は全員おかしいのかもしれない。
私が不安になっていると、まいちゃんは大声で集合をかけた。
すると、犬とじゃれていた人と、奇声を上げていた人だけが寄ってきた。
ベンチに座っている人達は自分達の話に夢中なのか聞いていなかったようだった。
「こっちの小さい人があさみちゃん。美貴ちゃん達と同い年。
で、こっちがみうな。十六歳だからピチピチだよー」
「え、ちょっと待ってよ。十六歳の子がなんでここにいるの?高校は?」
今はまだ午前中だった。
普通なら学校に行っている時間だ。
それでも、みうなちゃんはニコニコと笑っている。
「みうなは私の親戚なの。
今、両親がシンガポールに行ってるからうちで預かってるんだけど」
「いや、そうじゃなくて……」
そんな事、訊いてないから質問に答えて欲しい。
「この子、いっつもボーッとしててさぁ。
一緒に朝出たら、そのままついてきちゃって現在にいたるわけ。
よくあるんだよねぇ」
「…………」
有り得ない。
っていうか、まいちゃんも大学に着く前に気付かなかったのだろうか。
私が呆然としていると梨華ちゃんがニコニコと笑みを浮かべて
ラケットを差し出してきた。
どうやら、貸してくれるらしい。
仕方なく、それを受け取って軽く振ってみた。
どうして、こんなことになったのだろう、と途方に暮れながら。
- 542 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/20(土) 21:24
- 「あー、ラケットの持ち方はそうじゃないよ」
目ざとく、まいちゃんが指摘してきた。
やった事がないのだから、持ち方なんて知るわけがない。
強引に手を捕まれて、強引にラケットを握り直されてしまった。
「とりあえず、これから、基本を教えるからさ。ちょっとこっち来て」
遊びだったはずなのに、と悪態をついていると
まいちゃんは私の傍を離れ、ネットの向こう側へ行ってしまった。
まさか、いきなり打ち合いをしようと思っているわけではあるまいな、などと
嫌な予感を抱きながら、まいちゃんの顔を見てみた。
気の所為か、眼光が鋭くなったような気がする。
「テニスで大事なのはバランス!タイミング!そして、イメージ!」
まいちゃんはラケットを空にかかげて、大声で叫んだ。
勝手に一人で熱くなっている。
置いてけぼりを喰らってしまった私は眉間にしわを寄せていた。
「あの、わけ判んないし……。
っていうか、素振りの練習すらしてないのに、いきなり打つの?」
「打ち合いしないと楽しくないじゃん。さぁ、行っくぞー」
まいちゃんはそう言ってボールを数回地面に弾ませた。
今直ぐにでも始める気になってる。
「まぁ、いきなり、本気出すわけないだろうし、さっさと終わらせよ……」
ブツブツと呟いて、テレビで見た時の事を思い出しながら構えてみた。
球技は好きだし、運動神経には自信があるから何とかなるだろう。
そう思っていた。
しかし、その考えは甘かった。
- 543 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/20(土) 21:25
- まいちゃんは大きく振りかぶり、物凄く高速なサーブを打ってきた。
背後にあるボロボロの金網がガシャンと大きな音を立てる。
私の顔から血の気が引いた。
「ちょっとー、反応くらいしてよー!」
まいちゃんは不満そうにしている。
「……っていうか!あんなの返せるわけないでしょ!」
逆ギレして怒鳴っても、まいちゃんはプンプンと怒っていた。
何度も、まいちゃんは私に向かって大声で暴言を吐いてくる。
まるで違う人に見えるくらい顔が変わっていた。
というか、素人相手に本気にならないで欲しい。
「美貴ちゃんー、まいちゃんって高校の時、軟式の団体戦で全国大会に出たくらいの
腕前だから気をつけて下さいねー」
今頃になって、みうなちゃんが呑気にベンチから声をかけてきた。
「ポジティブポジティブ」
「まいちゃんはコートの中に入ったら変なスイッチ入るから気をつけてねー、ですって」
隣に座っている梨華ちゃんの言葉を聞いて、みうなちゃんが通訳してくれた。
あぁ、みうなちゃんまで梨華ちゃんの言葉を理解しているだなんて。
おかしい、おかし過ぎる。
っていうか、梨華ちゃんのあの短い言葉をどう訳したらあんなに長くなるのだろう。
それに、忠告が遅過ぎる。
そういう事は早く言って欲しい。
その後もまいちゃんは素人である私相手に全く力を抜かなかった。
私がコテンパンにされているというのに
みうなちゃんと梨華ちゃんはベンチで談笑を続けて
コートの隅ではあさみちゃんがまた犬に襲われていた。
二度とこんな人達には近づくものか。
そう心に誓った。
- 544 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/20(土) 21:27
- ある日、夕方まで筋肉痛で苦しんでいた私は突然やって来た亜弥ちゃんに
無理やり引きずられて亜弥ちゃんの家に行く事になってしまった。
「あー、もう、今日は勘弁してよ……」
重く感じる身体を引きずるようにして歩いていた私を
亜弥ちゃんは歩きながら、呆れたような顔をして振り返って見ていた。
「年寄りだなぁ。テニスしたくらいでヒーヒー言うなんて。
バレー部の後輩が泣くよ、それじゃ」
「うるさいなぁ。部活辞めて二年くらい経つんだから、しょーがないじゃん」
年寄りなら、やった当日に筋肉痛になるもんか、と言おうと思ったけど止めた。
テニスをやろう、と半ば強引に強制された日。
二度と近づくものか、と誓ったはずだった。
しかし、あれからずっと毎日のように、まいちゃんは私の前に出現し
人のいい笑顔を浮かべて、テニスコートへと引っ張っていく。
そこから鬼と化す。
まいちゃんは私をボコボコにして、コートから出てしまうと人懐っこい顔に戻る。
何事もなかったように。
今日だけだからね、と釘をさしておいても無意味だった。
断っても無意味だった。
何だか、悪徳商法にでも引っかかったような気分だ。
気分転換だったはずなのに、何故かストレスは減るどころか
うなぎ昇りで堪っていく状態。
筋肉痛も最初はかなり辛いものだったけれど、最近はマシになってきた。
運動不足が解消出来て良かった、とだけ思う事にした。
じゃないと、やってられない。
- 545 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/20(土) 21:28
- 「ワタクシも運動したいですなぁ」
「亜弥ちゃんもテニス部じゃなかったっけ?」
一応、所属はしているけど余り上手くはないと前に聞いた事がある。
「それが、母上様に辞めさせられて今では勉強三昧に」
「そんなに酷いんだ……」
泣き真似している亜弥ちゃんを見て、私は顔を引きつらせた。
それほどまでに、アホだとは思ってなかった。
「あーあ、カテキョなんか、ばっくれてミキティの大学に潜り込もうかなぁ」
亜弥ちゃんは空を見上げて大きな欠伸をした。
まいちゃんのサーブを受けたら、そんな軽口なんて叩けなくなるのに、と
言おうと思ったけど、その前に亜弥ちゃんの家に辿り着いてしまった。
玄関のドアを開けても誰も出迎えてくれない。
家中、静まり返っていた。
「誰もいないの?」
「母上様はお買い物。妹君達は塾。父上様はまだ会社」
「それで、今日は何の用なわけ?」
「今日は家庭教師が来る日なのです」
「はぁ?」
「ほら」
そう言って亜弥ちゃんは足元を指差した。
乱雑に並んでいる靴達。
その中にきちんと置かれてある真新しいブーツが妙に浮いて見えた。
以前までの亜弥ちゃんならともかく、今の彼女はそんなものはかない。
もっぱら、スニーカーだ。
今もゴテゴテしたデザインのスニーカーをはいている。
- 546 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/20(土) 21:30
- 「これから勉強なら、美貴、呼ばれた意味ないじゃん。帰るよ」
靴も脱がずに踵を返そうとした私の腕を亜弥ちゃんが握ってきた。
「カテキョの先生がミキティに会いたいって言うから連れてきたんだよ」
「はぁ?」
会った事もない人に何故興味を持たれているのだろう。
その疑問を口にすると亜弥ちゃんは何でもなさそうな顔をして口笛を吹いた。
この様子だと何かを吹き込んだようだ。
そんな事をしていると誰かが傍の階段を下りてくる音が聞こえてきた。
家族は誰もいないと言っていたのだから、きっと家庭教師だろう。
会いたいと言われても初対面の人相手に何を話したらよいのやら。
困惑して俯いていると、足音が止まった。
顔を上げ、目の前にいる人を見て、私は目をむいた。
「やぁやぁ、美貴ちゃん。いらっしゃい」
「いやいや、貴方の家じゃないでしょ……って、なんでここに」
思わず、ツッコミを入れてしまったけれど
目の前にいる人は間違いなく、まいちゃんだった。
「だって、私が亜弥ちゃんのカテキョだし」
そう言いながら、まいちゃんは満面の笑みを浮かべて私に抱きつき
背中をバンバンと叩いて来た。
仲良しっぷりを表したかったのだろうけど、叩かれた背中が悲鳴をあげていた。
「痛い痛いっ。この馬鹿力!離して!」
「いやー、亜弥ちゃんがよくミキティミキティって言うもんだから
多分そうなんじゃないかなーって思ってたんだー」
「……ったいなぁ。ちょっとは謝ってよ」
満足そうに笑っているまいちゃんを私は睨んだ。
しかし、彼女は全く堪えておらず、笑みを浮かべたまま
先ほどから珍しく静かな亜弥ちゃんをチラリと見た。
そして、首を傾げた。
- 547 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/20(土) 21:31
- 「あれ?亜弥ちゃん、どうしたの?」
亜弥ちゃんを見てみるとこめかみの辺りに手を添えて俯いている。
気分でも悪いのだろうか。
まさか、今頃になって後遺症が出てきたトカ?
「亜弥ちゃん、大丈夫?」
「……なんか、頭がズキズキする」
「もしかして、痔とか?」
「なんで、痔なの。頭だって、言ってんじゃん」
まいちゃんのわけの判らない問い掛けに私がツッコミを入れている間に
亜弥ちゃんは、ふぅっと大きく息を吐いた。
どうやら、収まったらしい。
「むー。何だったんだろう。今までこんなのなかったのに」
亜弥ちゃんは頭を撫でながら、しきりに首を捻っている。
「何かの後遺症かもよ?病院行った方がいいんじゃない?」
私が心配して言うと、まいちゃんは不思議そうな顔をした。
「亜弥ちゃんって、何か持病とか持ってるの?」
「えーと、ちょっと前に手術したから」
まだ首を捻っている亜弥ちゃんの代わりに、私が答えると
何かを思いついたように、まいちゃんはポンッと手を叩いた。
「やっぱ、痔だ!」
「あのね……」
呆れて何も言えなくなった。
- 548 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/20(土) 21:33
- 亜弥ちゃんの部屋に初めて来たけど思っていた以上に狭かった。
勉強机にテーブル、本棚、タンス、ベッド、テレビ。
あと、どこが可愛いのか理解しかねる雑貨達が置かれている棚。
それらが六畳くらいのスペースに所狭しと置かれている。
基本的に配色はピンク重視の部屋だった。
亜弥ちゃんらしいといえば、らしいのだけど、中身のよっすぃーにしたら
この部屋は苦痛だろうな、と思った。
床に座り込んで三人でテーブルを囲んでいたけれど
喋り担当はもっぱら、まいちゃんだった。
下らない世間話や、為にならない知識をひけらかしていたけれど
明らかにどれも覚え間違いしていた為に何度も私がツッコミを
入れなくてはならない状況だった。
鶏の鳴き声がホーホケキョと言い出す人はこの人くらいだろう。
いや、亜弥ちゃんも怪しいけれど。
とりあえず、この人が大学の先輩だなんて思いたくない。
そして、先ほどから亜弥ちゃんは黙り込んだままだった。
俯いていて表情が窺えない。
やはり、どこか調子が悪いのだろうか。
本気で不安になってきた。
何しろ、手術の種類がアレだったわけだし。
- 549 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/20(土) 21:34
- 「ねぇ……。やっぱり、病院で診てもらった方がいいんじゃない?」
「そうそう。痔はあなどっちゃダメなんだよ。
知り合いが手術したんだけど、一週間も入院してたし、手術代も高いしさ。
なんたって、日本人の三人に一人は痔だって言われてるくらいだしね」
まいちゃんは深刻そうな顔をして私に向かって諭すような口調で呟いた。
「……言っておくけど、美貴は違うからね」
「気付いてないって人もいるらしいよ」
「だから、違うって」
何故、痔から離れないのか。
何故、そんなに痔に詳しいのか。
私にはそれが不思議だ。
「痔で苦しんだ有名人は沢山いるんだよ。
例えば、ナポレオンでしょー。松尾芭蕉に夏目漱石。
そんで、うちのおじーちゃん」
まいちゃんの痔話はまだ続いていた。
指折りしながら出した有名人の最後がおかしい。
「……まいちゃんのおじいちゃんって有名な人なの?」
「いや、別に。調理師免許持ってる事が自慢っていう程度の人」
「…………」
「物凄く痛いって言ってさー。
毎日のように床中のた打ち回ってたから近所で有名になった」
「そりゃ、痔持ちの人間として有名になっただけじゃん」
「あっはっはー。そうとも言うねー。美貴ちゃん、面白い事言うねー」
まいちゃんは大笑いをして、私の背中をバシバシ殴った。
この人は手加減ってものを知らないのだろうか。
- 550 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/20(土) 21:35
- それにしても、一体、何なんだ、この会話。
それに、さっき言ってた、手術した知り合いって身内じゃん。
まいちゃんはテニスやってる時も普通じゃないけど
普段から普通じゃないって事がよく判った。
背中の痛みが和らぎ、私が溜息をついていると
亜弥ちゃんの口からうめき声が上がった。
驚いて見てみると俯いたままの状態で肩を震わせている。
「……亜弥ちゃん?」
「どーしたの?」
間延びしたまいちゃんの声には全く緊張感がない。
「……美貴たんに軽々しく、触れないで」
「へ?美貴たんって何?」
まいちゃんはきょとんとしている。
でも、私は固まっていた。
今の亜弥ちゃんは私の事をそんなあだ名で呼ばない。
でも、以前までの亜弥ちゃんはそう呼んでた。
つまり、中身がよっすぃーではなく、本物の亜弥ちゃんが――。
- 551 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/20(土) 21:36
- 「……ま、まさか、亜弥ちゃんなの?」
震える声で尋ねても、亜弥ちゃんはずっと俯いたままだった。
まいちゃんは私の問い掛けを聞いて眉間にしわを寄せている。
「美貴ちゃん、頭おかしくなったの?亜弥ちゃんは亜弥ちゃんでしょ」
事情を知らないまいちゃんは蒼白になってしまっている私の顔を見て
本気で心配をしている。
「亜弥ちゃんもさっきから変だよねぇ」
まいちゃんは口元に手をやり、そして、何か閃いたのか、ニヤリと笑った。
「こういう時はー……、えいや!」
なんと、まいちゃんは亜弥ちゃんの頭に空手チョップを打ち込んだ。
しかも、思いきり。
頭の中身が今はクラッシュしかけているのに何て事をするんだ、この人。
私はますます顔色を無くして、亜弥ちゃんの肩を揺さぶった。
まいちゃんに殴られても、悲鳴すらあげていない。
まさか、死んでないだろうな、と思いながら
私は恐る恐る亜弥ちゃんの顔を覗き込もうとした。
でも、見えなかった。
亜弥ちゃんに思いきり、突き飛ばされたからだ。
「……ってーな!何もしてないのに、なんで頭ドツかれなくちゃなんないんだよ!」
口調を荒げて亜弥ちゃんはタンスの角に頭をぶつけてしまった私を睨みつけてきた。
「成功した!やったね!」
まいちゃんは満足そうに喜んでいたけれど私の方は納得出来ない。
ジンジンと痛む後頭部を押さえながら、私は亜弥ちゃんに向かって怒鳴った。
- 552 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/20(土) 21:37
- 「なんで、美貴なの!殴ったのはまいちゃんなのに!」
「んな事はどうでもいいんだよ!それに先生殴る事なんて出来るか!あー、イテー」
「判ってて代わりに美貴を……」
「ミキティなら別にいいでしょ」
「……アンタって人は」
もう文句を言う気力もなくなってしまった。
それにしても、さっきのは気の所為なのだろうか。
中身のよっすぃーが私の事を美貴たん、だなんて呼んだ事ないのに。
っていうか、呼ばれたら鳥肌ものだ。
キモ過ぎる。
その後、亜弥ちゃんは何事もなかったように、まいちゃんと馬鹿話ばかりしていた。
すっかり元に戻ってしまったようだ。
やっぱり、気の所為だったのかもしれない。
頭の中身はよっすぃーのものなのだから、本物の亜弥ちゃんになるわけがない。
廊下から買い物から戻って来た亜弥ちゃんのお母さんが声をかけてきても
二人は楽しそうに喋っている。
私はタンスにもたれたまま、ぼんやりとそれを眺めていた。
そういえば、まいちゃんって家庭教師としてこの家に来たんじゃなかったっけ。
こんな下らない話ばかりしていて、いいのだろうか。
まさか、いつもこの状態なのでは……。
これでは、給料泥棒だ。
亜弥ちゃんの家族にバレて雷が落ちる前に、私は帰る事にした。
- 553 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/20(土) 21:39
- >> 538さん
不幸対決というのも虚しいですね。
勝者になっても嫌ですし。
>> 539さん
非常識な話なので常識を考えてはダメです。
というか、考えないで下さい…。
- 554 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/20(土) 21:40
- この話を書いていると自分の頭もおかしくなりそうです…。
とりあえず、これが終われば、真面目な話を書きたいな、と思いました。
- 555 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/20(土) 21:41
- (♪^▽^)
- 556 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/21(日) 00:15
- 作者さんの言葉にはあまり期待しないで待ってます。
…だって好きなんだもん!こんなアホな話が!
- 557 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/21(日) 20:34
- 面白すぎる!変態すぎる!こんなにも最高の里田を見たのは初めてだ!!
自分が藤本さんならこの世界に負けて血尿を出すか、禿げるか、現実から色々な手で逃げてしまうかのどれかだと思います。
そしてこの小説は自分の中では、里田超メイン小説となりました。
ほんと、これ最高。
- 558 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/23(火) 02:15
- 気の所為だと思いつつも、私はまだ気にしていた。
亜弥ちゃんの様子が変だった事。
このままにしておくと消化不良みたいで気持ちが悪い。
ベッドに寝転んで、そんな事を思っていると丁度いいところに
陽気な声を出しながら亜弥ちゃんがやって来た。
珍しく制服姿だ。
「タリラリラーンのコニャニャチワ」
「……バ、バカボン」
ベッドから起き上がった私は少し顔を強張らせていた。
以前、亜弥ちゃんにカラオケに誘われた時に
バカボン攻めにされそうになった事を思い出したからだ。
しかし、亜弥ちゃんは「いかにも」と言って
勝手に部屋の中に進入して床の上にあぐらをかいた。
行儀悪い。
この様子だと間違いなく中身はよっすぃーのままだろう。
「やっぱ、気の所為か……」
残念なような、安心なような、複雑な気分で私が呟くと
亜弥ちゃんは首を捻った。
「何言ってんの?」
「いや、この前、急に美貴たんって呼んだでしょ?
だから、心配になっちゃって」
「は?誰が?」
「亜弥ちゃんが」
「誰を?」
「美貴を……、って他に誰がいるわけ?」
「うわ。キモッ!」
亜弥ちゃんは自分の身体を抱いて顔をしかめた。
それはこっちの台詞だ。
- 559 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/23(火) 02:16
- 「本当に覚えてないの?」
「なんで、ワタクシがそんなキモイ名前で呼ばなくちゃいけないのさ」
「そんなの知らないよ」
「反吐が出そうだよ。あー、キモー」
「…………」
ミキティというあだ名も似たようなものだろうに。
しばらくして、紅茶をいれてテーブルに戻り、改めて亜弥ちゃんの服装を見てみた。
そういえば、亜弥ちゃんはお嬢様学校に通っていたはずだ。
今、着ている制服がそうなのだろう。
短めのタータンチェックのスカートに紺色のブレザー。
初めて見たけど、やっぱり似合っている。
中身はアレだけど見た目は亜弥ちゃんなわけだし。
「制服、可愛いね」
「いやー、さすがチャオズだね。何でも着こなしちゃう」
「そういや、学校は慣れたの?」
「ボチボチでんな」
「そんなので大丈夫なわけ?」
「チャオズのやつさー、元は関西の人間だったんでしょ?
それが、急に標準語になったもんで、クラスの子達に怪しまれちゃってさぁ」
そういえば、亜弥ちゃんは姫路から転校してきたと言っていた。
私といる時は標準語を使っていたけれど、この様子だと
どうやら、学校では地を出していたようだ。
- 560 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/23(火) 02:16
- 「しょうがないから超適当な関西弁使ってる」
「適当って、例えばどんな……」
「アホかー、いてもうたろかー、このボケェ、とか」
「…………」
一体、どういう時にそんな言葉を使っているのだろう。
しかも、かなり胡散臭い関西弁だ。
「でも、まいちゃんには気を遣って喋ってなかったよね」
「だって、まいちゃんはチャオズの事知らないし。素でも問題ないじゃん」
「あ、そっか」
っていうか、もうまいちゃんって呼んでるのか。
何となく、嫉妬してしまう。
嫉妬する必要なんてないのだけど。
相手が相手だし。
私の視線に気付いたのか、亜弥ちゃんは自分の身体を抱いて、上半身だけ捻った。
まるで自分の身を守るように。
「言っておくけど、ワタクシに欲情しないでね」
「言われなくてもしないから」
- 561 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/23(火) 02:18
- 「うぉぅうぉぅうぉー、恋愛15シミュレーション。
いつになったらー、告白されるのかなー」
ラケットをブンブンと振り回して、まいちゃんが変な唄を歌っている。
しかも、ノリノリだ。
まだ、コートの中に入っていないから鬼には変身してないけれど。
私はジャージ姿でストレッチをしながらその唄を聴いていた。
寒さで鼻がズルズルと鳴る。
何故か、お遊びでするはずだったテニス。
毎日、まいちゃんが待ち伏せして、コートまで強引に引っ張って来るので
ついに根負けして、入会金らしきものまで支払う羽目になった。
本気になって断れば良かったのだろうけど
まいちゃんの隣にいる梨華ちゃんの声を聞いていたら
何故だか、罪悪感みたいなものが私の心を蝕み
結局、何も言えなくなってしまう。
梨華ちゃんが「ポジティブ」と言う度に
こっちはネガティブになっていく気すらするのだ。
「こんなにお人よしな性格なんてしてないはずなんだけどなぁ」
自然と愚痴が出た。
私の独り言なんて誰も聞いておらず、あさみちゃんは今日も犬に襲われているし
ベンチでは梨華ちゃんが何故かまた来ているみうなちゃんと会話している。
そして、コート内で流れているBGMはまいちゃんが歌う変な唄。
- 562 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/23(火) 02:19
- 「うぉぅうぉぅうぉー、恋愛15シミュレーション。
待てないからー、告白しちゃおかなー」
まいちゃんはまだ歌っている。
ふと寒気がした。
突風が吹いたわけでもなく、怖い。
この唄は意味もなく、怖い。
聴いているだけで、頭が悪くなりそうだ。
「まいちゃん、まいちゃん」
何とかして唄を止めさせる為に私はまいちゃんに声をかけてみた。
上機嫌で歌っていたまいちゃんは中断されて不満そうだった。
「あのさ、どうして、今日は誰もいないの?
っていうか、今日だけじゃなくて、たまに誰もいない時もあるよね?」
前から疑問に思っていた事を口にしてみた。
これまで数回、ここに来たけれど
私達以外のメンバーの姿が全く見えない時が多々あった。
「あれ?言ってなかったっけ?
うちのサークルって、週に二、三回しか活動してないんだよ」
「…………はぁ?」
私は首を傾げた。
週に二、三回の活動なのに、何故、私は毎日のようにコートに来ているのだ。
何故、強引に連れて来られているのだろう。
訝しそうにしていた私の顔を見て、まいちゃんは笑った。
「そんな、高校生の部活じゃないんだから、毎日するわけないじゃん」
「じゃあ、なんで美貴は……」
「だから、何度も言ったじゃん。お遊びだって。美貴ちゃんは入部してないんだし」
どう考えても、まいちゃんのプレイはお遊びに見えないんですけど、という言葉を
何とか飲み込んだ。
- 563 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/23(火) 02:20
- というか、ちょっと待って。
そんな事よりも、私の入会金は一体どこへ消えたのだ。
「ちょっと、訊きたい事があるんだけど」
「遠慮なく、どうぞ」
「美貴は何の為にお金払ったの?」
「えー、それは内緒」
「内緒とか有り得ないから。いいから、吐いて」
とぼけ顔をしているまいちゃんの胸倉を掴んでガクガクと乱暴に揺すっていると
ベンチの方から、みうなちゃんがやって来た。
「みうなちゃん、止めないで」
「もちろん、止めませんけど、それは新しい遊びか何か?」
「なんでやねん」
思わず、胡散臭い関西弁で突っ込みを入れてしまった。
この子の目には私達の姿が険悪そうには見えないのだろうか。
「早く吐け」
再び、私が胸倉を掴んで脅すと
まいちゃんはグラグラと頭を揺らしながら、
「オエー」
と笑顔で舌を出した。
今直ぐにでも大笑いしそうだ。
明らかに馬鹿にされている。
「ふざけんなー!」
「あの、美貴ちゃんはなんでそんなに怒ってるんですか?」
みうなちゃんは不思議そうな顔をしている。
「だって、まいちゃんが美貴の金を横領したから!」
この言葉を聞いても、みうなちゃんは顔色を変えない。
- 564 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/23(火) 02:22
- 「横領じゃなくて、あのお金は美貴ちゃんが手にしているラケットに変わったんです」
「……マジで?」
てっきり、タダで貸してくれてると思ってたら、そういう事か。
しかし、みうなちゃんの話はまだ続いていた。
「それで、まいちゃんは自分用に新しいラケットを買ってた」
「……はぁ?」
「ちょっと、みうな!内緒って言ったじゃん!」
まいちゃんは慌てて、みうなちゃんの口を塞いでいる。
つまり、まいちゃんは私に請求したお金を新しいラケットを買う為の費用にあてて
いらなくなった自分のラケットを私に寄越したという事らしい。
なんて、卑劣な。
「みうな、口止め料のクレープ代返して」
「一体何のことやら」
みうなちゃんはニコニコと笑みを浮かべている。
この子は共犯者だったのか……。
「いいから、返せ」
ムッとして、まいちゃんが手を差し伸べると
みうなちゃんはその手を軽くペチンと叩いた。
「物的証拠がもうないから無理」
「なんて、卑怯な」
それはアンタだ、と私は心の中で突っ込みを入れた。
まいちゃんは地団太を踏んで悔しそうにしている。
「どうでもいいから、美貴のお金返して。ラケットなんかいらないから」
「そっちも売買が成立してるから無理です」
みうなちゃんはアッサリと答えた。
買った覚えなんてないのに。
里田家の血を引く者はとんでもない人間だらけだ。
- 565 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/23(火) 02:24
- 「梨華ちゃんも何とか言ってよー」
助けを求める為に、ベンチに座っている梨華ちゃんに声をかけたけど無駄だった。
梨華ちゃんは相変わらず笑みを浮かべていつもの言葉を繰り返すだけだった。
私には何を言っているのか判らない。
これでは味方にはならない。
元はといえば、梨華ちゃんに同情してしまったが為に
こんな事になったというのに。
もう二度と情けをかけたりするものか。
残りの一人に声をかけようと思ったけど止めた。
あさみちゃんは今も犬に襲われている。
私はもう諦める事にした。
詐欺にあったような最低な気分だったけれど。
「そういや、あさみちゃんがテニスしてるとこって見た事ないんだけど」
気分を変える為に話題を変えてみたのだけど無意味だった。
「だって、うちのサークルの人間じゃないもん」
「えぇ!?」
「あさみちゃんが入ってるサークルはテニスじゃなくてボランティア」
ボランティアだか何だか知らないけれど、意味もなく、ここにいるなよ、と
私は心の中であさみちゃんに八つ当たりしていた。
まいちゃんは、よほど腹が立っているのか
みうなちゃんの頬っぺたを両手で摘んでいた。
私の方が酷い目に遭っているというのに、と心の中で呟き
しばらく、二人の様子を見ていると
先ほどからずっと、みうなちゃんが静かだという事に気付いた。
まいちゃんの嫌がらせに対して、文句を言うべきなのに
むしろ、ニコニコとしている。
まいちゃんが手加減をしているのか、それともみうなちゃんに痛覚がないのか。
悔しそうにしているまいちゃんの表情を見ると、どうも後者らしい。
- 566 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/23(火) 02:26
- 「みうなちゃんは学校行かなくていいの?」
この様子だと出席日数も足りなくなるのではないだろうか。
心配して私が尋ねると、まいちゃんはようやくみうなちゃんから手を離し
何でもないような顔をして答えた。
「うちの一族って金持ちだし。これさえあれば、卒業させてもらえるっしょ」
まいちゃんは嫌らしい笑みを浮かべて
手でフジテ●ビのマークみたいなものを作ってみせた。
二人が金持ちのようには見えないのだけど。
それよりも、金持ちのくせに詐欺まがいな事をするな。
っていうか、ちょっと待って。
嫌な事を思いついてしまった。
「もしかして、まいちゃんも……」
恐る恐る尋ねると、まいちゃんは当たり前のように答えた。
「もちろん、裏口」
「…………」
所詮、世の中、お金ですか。
金持ちはたちが悪いと思っていたけれど、金持ちの子供はもっとたちが悪い。
こっちは無駄な冷蔵庫を買って借金を抱えているというのに。
貧乏が憎いのではなくて、金持ちが憎い。
- 567 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/23(火) 02:27
- 「っていうか、そんなのでよく家庭教師なんかやろうと思ったね。しかも、高校生の」
口にした後、亜弥ちゃんの家で会った時の事を思い出し
全く勉強してなさそうだった二人に少し納得した。
亜弥ちゃんの親は無駄金をまいちゃんに支払っている事になる。
またしても、詐欺だ。
「私って人見知りする性質だからさぁ、ちょっと自分を変えようと思って」
「人見知りって誰が」
「私に決まってるでしょ。見たら判るじゃん」
「……判んない」
私が恨めしそうな視線を送ってもまいちゃんは気付いてくれない。
初対面だというのに強引にこのコートまで引っ張ってきたのは誰だ。
まいちゃんにとっての人見知りとは、人を見て知る事、という意味なのではないだろうか。
「とりあえず、亜弥ちゃんの為にちゃんと教えてあげてよね」
本当は亜弥ちゃんじゃなくて、亜弥ちゃんの親の為、なのだけど。
「大丈夫、大丈夫。試験前に二日くらいガーッて、やりゃ、何とかなるって」
「…………」
間違いなく、亜弥ちゃんはこの言葉に騙されて勉強時間中に遊んでいるのだろう。
裏口入学の人が言う勉強の秘訣なんて全く役に立たないというのに。
- 568 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/23(火) 02:27
- >> 556さん
うあ、真面目な話を期待されてないだなんて!
ここのスレタイの話とか、超真面目に書いたのに。
というわけで、楽しんでもらえて嬉しいです。
>> 557さん
この話は自分の里田さんへの愛が満ち溢れています。
一度みきまいを書いてみたかったのです(CPではありませんが
というか、里田さんに何を求めているのですか…。
- 569 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/23(火) 02:29
- 全体の1/3は過ぎたと思います。
- 570 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/23(火) 02:29
- (♪^▽^)
- 571 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/23(火) 17:27
- あやみき復活するかなぁ(*´Д`*)ドキドキ
- 572 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/23(火) 20:18
- はんぱねー、はんぱねーよこの話。
つか作者さんカントリー好きだな、カントリーのそれぞれのキャラクターが色んな意味で痛いほど伝わる。
名作だ、超名作だ、みきよしとかあやみきとか何処行ったのか問い詰めたいが、名作だ。
そして常識なんて、しゃぼん玉。
- 573 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/24(水) 01:53
- 「あー、そういや、この前の亜弥ちゃんはちょっと変だったね」
そう言って、まいちゃんは首を傾げた。
私も腕組みをして、うーん、と唸ってみた。
確かにあの時は様子がおかしかったけれど、今は何も変化がないようだった。
基本的に亜弥ちゃんは気分屋だし。
それは、よっすぃーもだけど、亜弥ちゃん本人もそうだった。
「でも、もう大丈夫みたいだよ」
「そうだね。昨日会った時はいつも通りだったし。
きっと、あの時は痔の症状が重かったんだね。いやー、大変だなー」
「だから、痔じゃないし」
いい加減、しつこいな。
そんな会話をしていたら遠くから私を呼ぶ声が聞えて来た。
まいちゃんも気付いて、きょとんとしていた。
姿を見せたのは亜弥ちゃんだった。
「無事に来れたんだね」
まいちゃんはニコやかに亜弥ちゃんに声をかけている。
私は呆然としていた。
「まいちゃんが書いてくれた地図が全然あてにならなかったから適当に回ってたよ。
そんで、散々、探し回った挙句、食堂に迷い込んじゃってさぁ。
ついでにカレー食べてきちゃった」
よく見てみると亜弥ちゃんの口元には茶色いものが。
事故に遭ってからの亜弥ちゃんはものスゴイ速度で
顔が丸くなっていっているような気がする。
気の所為だといいのだけれど。
気の所為だと思いたいのだけれど。
- 574 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/24(水) 01:55
- 「っていうか、なんで亜弥ちゃんがここに?」
「運動不足だからまいちゃんに遊ばせてって頼んだわけです」
「どうせ、カテキョの時間も遊んでるくせに……」
「何か言いました?」
「いいえ」
私は顔をプルプルと横に振った。
「あれ?梨華ちゃんもいるんだ?」
亜弥ちゃんはベンチに座っている梨華ちゃんを見つけて呟いた。
その声が聞えたのか、梨華ちゃんはこちらにやって来た。
「久し振りー。元気だった?」
笑顔で亜弥ちゃんは馴れ馴れしく話し掛けていたけれど
梨華ちゃんは胡散臭いものを見るような顔をして首を傾げていた。
確かに目の前にいる人は胡散臭い存在ではあるけれど。
「梨華ちゃんとも知り合いなの?」
まいちゃんが少し驚いて亜弥ちゃんに尋ねている。
その言葉を聞いて私は顔色を変えた。
二人は親しかったわけではない。
よっすぃーと梨華ちゃんは友達だけど、亜弥ちゃんと梨華ちゃんの場合
一度だけ、ファミレスで顔を合わせた程度だったような気がする。
亜弥ちゃんはそれを覚えていて声をかけたのだろうか。
私は不安になりながらも確かめてみる事にした。
「そ、そういや、梨華ちゃんと亜弥ちゃんって会った事あったっけ?」
「えー、何を今更。何しろ、高校の時からのともだ……ぎゃぁ!」
慌てて私は亜弥ちゃんの足を踏んだ。
- 575 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/24(水) 01:56
- 思った通り、亜弥ちゃんではなく、中身のよっすぃーとして声をかけたらしい。
アホだ。
何の為に私が梨華ちゃんに本当の事を話していないと思っているのだろう。
人の苦労を水の泡にするつもりか。
思い切り踏みつけた所為で亜弥ちゃんはピョンピョンと跳ね回っていたけれど
途中で自分の立場を思い出したらしい。
「えーと、前に一度ファミレスで会ったよね?覚えてない?」
「ポジティブポジティブ」
「そうそう」
亜弥ちゃんと梨華ちゃんはニコやかに会話している。
どうして、亜弥ちゃんまで梨華ちゃんの言葉が判るのだろう。
腑に落ちない。
やっぱり、おかしい人しか通じないのだろう。
そう思う事にした。
「ポジティブホジティブ」
「そうそうそうそう。
あのファミレスで、えーと、あの……、よ、吉澤さんとミキティと三人で」
今の亜弥ちゃんと梨華ちゃんは初対面に近い状態だけど
ミキティとか言わないで欲しい。
亜弥ちゃんはそんなあだ名で呼ばないし。
自分自身の事を吉澤さんとか言っている姿は笑えるけれど
この二人の会話を見ていたら私がハラハラしてしまう。
- 576 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/24(水) 01:57
- 「そ、そろそろ何かやろうよ!」
話を中断させる為に私が張り切って言うと
まいちゃんは「そうだねぇ」と答えた。
「丁度いいや。亜弥ちゃんと美貴ちゃん二人で打ち合いしたら?」
「えぇ?」
私が驚いても、まいちゃんはマイペースに話を続ける。
「だって、私の相手になってくれないし」
「それはまいちゃんが手加減してくれないからでしょ」
「何言ってんの。ちゃんと手加減してるよ」
「……嘘だ」
ちなみに私はまいちゃんのサーブを一度も打ち返せた事がない。
「よーし。やろやろ!」
亜弥ちゃんはもうその気になっているのか、羽織っていたパーカーを脱いで
長袖のTシャツ姿になった。
「亜弥ちゃんはテニス経験者でしょ。手を抜いてよね」
「フッフッフ」
亜弥ちゃんは不敵な笑みを浮かべてコートの中に入っていった。
ラケットはもちろん自前。
「亜弥ちゃんって、そんなに上手いの?」
まいちゃんは亜弥ちゃんの実力を知らないらしく、目を輝かせている。
自分の打ち合い相手を得られるとでも思っているのだろう。
「それが、上手くないらしいよ」
「なーんだ。つまんない」
まいちゃんは吐き捨てるようにそう言い
みうなちゃんを連れてベンチに行ってしまった。
サークル内に上手い人がいないのだろうか。
まぁ、どうでもいいけど。
- 577 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/24(水) 01:58
- 「んじゃ、行くよー」
そう言って、亜弥ちゃんはボールを空に投げて、打つ体勢に入った。
アンダーサーブじゃなくてオーバーサーブ。
初心者のくせに、なんて無茶な。
以前の亜弥ちゃんはテニス部だったけれど中身のよっすぃーは初心者だ。
運動神経は良かったらしいけれど、どうせ私と似た実力だろう。
と思っていたら、案の定その通りだった。
亜弥ちゃんが打ったボールは金網を遥かに越えて姿を消した。
「おぉー、いい感じに飛んでったー」
亜弥ちゃんは額の辺りに手を当てて
ボールが飛んでいった方向を満足そうに眺めている。
「ちょっと、亜弥ちゃん!ボール無くさないでよ!」
ベンチから、まいちゃんが注意をしていたけれど
亜弥ちゃんは懲りていなかった。
「えー、テニスってどれだけ飛ばすかを競うスポーツじゃないの?」
「そんなの有り得ないし」
今度は私が突っ込んだ。
テニス経験者という言葉を信じていたまいちゃんはベンチで落胆している。
しかし、その後も亜弥ちゃんはホームラン級のサーブばかり打ち
私はコートの中で暇を持て余していた。
諦めて下から打てばいいのに。
そんな事を思いながら欠伸をしていると誰かの声が聞えた。
そして、直ぐに額に衝撃が来た。
思わず、うずくまる。
「だから、危ないって言ったのに」
駆け寄ってきたまいちゃんが呆れながら呟いていたけれど
私は痛みでそれどころではなかった。
- 578 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/24(水) 01:59
- 「今度こそ、上手く打てた!」
「どこが上手く打ててんの!」
私は満足げな亜弥ちゃんを涙目で睨みつけたけど無意味だった。
「だって、一応、点数入るんでしょ?」
「…………」
亜弥ちゃんが打ったサーブはバウンドもせずに直接私の額に直撃していた。
「……もう帰る」
私が立ち上がるとまいちゃんはちょっと驚いた顔になっていた。
「おぉ、美貴ちゃんが泣いてる!」
「痛みで出たんだよ!」
キレて叫んだけれど誰も聞いていなかった。
「えー、マジで!ちょっと見たい」
「私もみたい!」
「ポジティブポジティブ」
「ワンワンキャンキャン」
どいつもこいつも最低だ。
っていうか、何故、犬まで喜ぶんだ……。
- 579 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/24(水) 02:01
- その後、亜弥ちゃん、まいちゃん、みうなちゃん、私の四人で食堂に行った。
私の額には大きな湿布。
食堂に入って来た人達が私の顔を見てクスクスと笑って通り過ぎていく。
屈辱的だ。
「いやー、それにしても、派手に腫れ上がったね」
向かい側に座っていたまいちゃんはゲラゲラ笑いながら回り込んで来て
隣に座るなり、馴れ馴れしく肩に腕を回して、もう片方の手で私の額を突付いた。
私は悲鳴を上げた。
「い、痛いから触らないで!」
「触るなと言われたら触りたくなるよね」
「私も触ってみたい」
斜め前にいたみうなちゃんも悪魔のような笑みを浮かべている。
ここにいる人間全員が悪魔だ。
亜弥ちゃんはトイレに行っている。
助けてくれるどころか、この場にいたら一緒になって触ってきそうなので
いなくて良かった、と胸を撫で下ろした。
「っていうかさぁ、亜弥ちゃんって本当はこんな事してる場合じゃないでしょ?
カテキョならちゃんと注意しなきゃダメじゃん」
「何が?」
まいちゃんはアイスティの氷をストローで突付きながら
どうでも良さそうに答えている。
結局、私の隣の席に居座ってしまった。
「期末近いんじゃなかった?」
「あー、そうそう。来週からテストらしいね」
「来週……。大丈夫なの?」
「何とかなるんじゃないの。受けるのは亜弥ちゃんだし」
自分には関係ないと言わんばかりに、まいちゃんはストローをくわえた。
隣にいる人は家庭教師であるはずなのに。
- 580 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/24(水) 02:03
- 「そんな事よりさ、いい加減機嫌直してくれないかな」
まいちゃんはまた私の肩に腕を回して顔を近づけてきた。
「機嫌って何が?元からこういう顔なんですけど」
「みうなのクレープ代の事まだ怒ってるんでしょ?」
この言葉を聞いて否定したのは私ではなく、みうなちゃんだった。
というか、折角忘れていたのに。
「悪いのは明らかに、まいちゃん」
「裏切ったみうなの方が悪いと思う」
「そんな事ないと思う」
「っていうか、どっちも悪い」
横槍を入れないと延々と続きそうだと思って私が口を挟むと
まいちゃんはまた顔寄せて来た。
そして、情けない顔を作る。
「美貴ちゃん、まいを信じて」
「…………」
どうやって、信じろ、と。
呆れて何も言えなくなってしまった。
何としても許してもらおうとしているまいちゃんと無口になった私が
見つめ合っていると急に頭の上から雨が降ってきた。
何故か、私だけ。
私は突然の事に呆然としてしまった。
まいちゃんやみうなちゃんもさすがに言葉を失っている。
「……美貴たんの浮気者」
- 581 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/24(水) 02:05
- その声を聞いて、驚いて顔を上げると、顔を真っ赤にして
怒っている亜弥ちゃんの顔が見えた。
手には空のコップ。
どうやら、雨ではなく、亜弥ちゃんに水をかけられたらしい。
真っ白になっていた頭が徐々にハッキリとしてきた。
美貴たん――。
浮気者――。
まさか、やっぱり。
「あ、亜弥ちゃん?」
「美貴たんはこの人の方がいいの?私の事なんてどうでもいいんだ?」
亜弥ちゃんは目に涙を浮かべて訴える。
でも、目の奥には嫉妬の炎がメラメラと。
「あ、あのー、マジで亜弥ちゃんなの?」
私は顔を強張らせた。
「話をそらせようとしても無駄だよ!それに、こんな黒い人のどこがいいわけ!?」
「あぁ?!黒い人だぁ?!」
まいちゃんは聞き捨てならぬ、と言わんばかりに立ち上がって亜弥ちゃんを睨みつけた。
「黒いから黒いって言って、何が悪いわけ?」
「この健康的に焼けた自慢の肌を貶し言葉に使われると腹が立つの!」
「今時、地黒なんて流行らないよ。私みたいに色白な子がモテるんだし〜」
亜弥ちゃんは薄笑いを浮かべて、まいちゃんを挑発している。
「モテるかどうかなんて、肌の濃さと関係ないっしょ!」
「でも、老け顔もモテないと思う〜」
この言葉を聞いて単細胞らしい、まいちゃんは
顔を赤黒くしてテーブルを拳で殴った。
その大きな音に、みうなちゃんと共に私は肩をすくませた。
- 582 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/24(水) 02:09
- 「大体、なんで急に態度変えてんの?!」
「変えるって何が?っていうか、アンタ誰よ?」
亜弥ちゃんはまいちゃんに敵意剥き出しな視線を送る。
まいちゃんは虚をつかれたような顔になった。
「何言ってんの?私は亜弥ちゃんの家庭教師じゃん」
「はぁ?なんで、アンタに勉強教えてもらわなくちゃいけないわけ?」
「それは亜弥ちゃんがバカだからでしょ」
「美貴たんの前で変な事言わないでよ!」
亜弥ちゃんは慌てて首を振る。
弱点を見つけたと思ったのか、まいちゃんは口元に両手で円を作ってニヤリと笑った。
「皆さん、聞いて下さーい。亜弥ちゃんはバカでーす。亜弥ちゃんはバカでーす」
「ちょっとー!止めてよ!恥ずかしい!」
亜弥ちゃんは食堂にいる人間に向かって叫んでいるまいちゃんの背中を
ポカポカと殴っているけれど全く無意味だった。
まいちゃんはずっと楽しそうに叫んでいる。
子供の喧嘩か……。
食堂の中にいる人達はこっちを見て大笑いしていた。
「事情がよく判らないけど、修羅場みたいっすね」
みうなちゃんはニコニコと笑っていたけれど
私は全く笑えなかった。
その顔を見てみうなちゃんは更に笑う。
「今の美貴ちゃんの顔面白い」
「……面白いって何が」
「二股がバレた時の男の人みたいな情けない顔になってる」
「…………」
- 583 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/24(水) 02:10
- >> 571さん
復活してもしなくても、藤本さんは不幸そうですけど…。
>> 572さん
りんねさんを出したいくらいカントリーは好きですけど
紺野さんすら出番がないこの話では無理でした。
よしみき、あやみきについて問い詰められると困るので
ボチボチ動き出させます。
- 584 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/24(水) 02:11
- 個人的にこの話の最中に新年を迎えたくはないので今年中に終わらせます。
- 585 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/24(水) 02:12
- (♪^▽^)
- 586 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/24(水) 09:11
- >>580
- 587 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/24(水) 16:58
- この話が年内中にどういうゴールを切るのか想像が出来ません。
貧困な自分の想像力と常識に感謝。
- 588 名前:名無しさん 投稿日:2003/12/24(水) 19:28
- 同じく想像が付きません。
とにかく続きが楽しみ (^-^)
- 589 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/25(木) 01:32
- その日から、まいちゃんの亜弥ちゃんに対する態度が変わってしまったらしい。
家庭教師の時間はコートの中に入った時みたいに、鬼と化し
とんでもないくらいの量の問題集を用意しているトカ。
宿題もてんこ盛り。
よほど、亜弥ちゃんの本性が気に入らなかったのだろう。
亜弥ちゃんはというと、あれから直ぐに元に戻ってしまい
何が起きたのか、サッパリ判らないといった状態だった。
ある意味、可哀想だ。
私なりに予想してみると食堂の時にまいちゃんと喧嘩していたのは
本物の亜弥ちゃんなのだろう。
有り得ないと思っていたけれど、中身がよっすぃーの状態で
あんな事になるわけがない。
美貴たん、という言葉すら気持ち悪がっていたくらいなのだから。
亜弥ちゃんの脳の部分はよっすぃーであるはずなのに
元の亜弥ちゃんの意識がどこからか戻って来てしまったようだ。
こんな非常識な事も素直に受け入れられてしまう自分が何となく哀しい。
あまりにも今まで色んな事が起き過ぎていたので
スッカリ免疫が出来てしまったようだ。
あぁ、哀しい。
判り難いから二人でいる時に脳がよっすぃーの時はよっすぃー。
元の亜弥ちゃんの時は亜弥ちゃんと言う事にした。
第三者がいる時は今まで通りにしておかなければ
私の頭がおかしくなったと思われるから亜弥ちゃんで通す。
- 590 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/25(木) 01:34
- そして、私は自分以上に何があっても驚かないと思われるよっすぃーに
相談する事にした。
今日も学校帰りで制服姿だった。
思った通り、私の目の前で起きた事を話しても全く驚かない。
それどころか、自分への態度が変わってしまったまいちゃんに納得していた。
「多分、入れ替え現象が起きてるんじゃないかなぁ」
寒いのにコンビニで買ってきたアイスクリームをかじりながら
よっすぃーは何でもないような顔をして呟いた。
「入れ替え現象?」
「今までチャオズが出てきたのは二回なんでしょ?」
「うん。しかも、全部まいちゃん絡みの時」
私が答えると、よっすぃーはふんふん、と頷いた。
「ってことはだなぁ、今までこの身体のどこかに潜んでいたチャオズの意識が
まいちゃんとミキティが仲良くしているところを見て嫉妬したわけだ」
「嫉妬ねぇ」
確かに、私達が両思いになったところで亜弥ちゃんの意識は
なくなってしまったのだから彼女がそう思い込んでしまっていると
考えても不自然ではない。
亜弥ちゃんの意識が戻って来た事の方が本当は不自然なのだけど。
何といっても彼女の脳はもう存在していないのだから。
「きっと、まいちゃんが自分からミキティを奪うと思い込んで爆発したんだな」
「別に、まいちゃんとはそういう関係じゃないんだけどなぁ」
むしろ、そうはなりたくない。
あんな金に汚い極悪な人間、こっちからお断りだ。
- 591 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/25(木) 01:36
- 「でも、チャオズは何も知らないだろうからね。
それに、人間って脳だけで動いてるんじゃないんだし」
「よっすぃーに言われると説得力あるよね」
「まーね」
よっすぃーは、えっへん、と胸を張っている。
私は誉めてるつもりではないのだけど。
「でもさぁ、亜弥ちゃんの意識が表に出てる時ってよっすぃーは何してんの?」
「気を失ってる状態かなぁ。覚えてないわけだし」
よっすぃーはガリガリとアイスをかじりついている。
見てるだけでも寒い。
「そんな呑気な事言ってていいの?いつか、乗っ取られたりして」
「それは、勉強タイムの時だけにして欲しいな」
よほど、まいちゃんのスパルタが堪えているのか、よっすぃーは顔をしかめた。
「でも、ミキティ的には乗っ取られた方がいいんでないの?」
「え?なんで?」
「だって、チャオズの事まだ好きなんでしょ?」
「うーん」
私は腕組みをして唸った。
亜弥ちゃんが普通だった時は好きだったけれど。
今は正直怖い。
嫉妬の鬼と化している所しか見てないからかもしれないけれど。
「何故か、お悩みですね」
「まーね」
「ここはこのワタクシにどーんと任せなさい」
よっすぃーは胸を叩いてへらへらと笑っていたけれど
私は素直に頷けなかった。
- 592 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/25(木) 01:38
- 「人間辞めても離れないー。虫にされてもアンタの手の中にー」
まいちゃんがまたおかしな唄を歌っている。
今日、コートにいるのは珍しくまいちゃんと
何故か、またいるみうなちゃんと私だけだった。
いつもの通り、私はまいちゃんに引きずり込まれたのだった。
あれから、よっすぃーは姿を見せなかった。
携帯に電話しても忙しいから、と素っ気無い。
自分が口にした事を既に忘れているような気がする。
期待はしていなかったので、どうでもいいけれど。
「そして、冥土の土産にはー、あんたもー、あんたも連れてくよー」
まいちゃんは上機嫌に歌っている。
ふと、亜弥ちゃんの顔が思い浮かんでしまい、私は慌てて頭を振った。
死んでるような状態だったのに死ななかった亜弥ちゃんとよっすぃー。
何となく、まいちゃんが歌っている唄の歌詞と一致しているような気がして
私は肩をすくませた。
寒気すらする。
っていうか、なんて不吉な唄なんだ。
本当にあの世に連れて行かれたら洒落にならない。
「人間辞めても傍を離れないー。土に返るもアンタの靴底にー、生きるー、生きるー」
「……まいちゃん。お願いだから、その変な唄止めてくれないかな」
頭を抱えて私が懇願すると、気分良く歌ってたまいちゃんは軽く首を傾げた。
- 593 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/25(木) 01:39
- 「変な唄って、失礼だなぁ。私の美声を聴いてよ」
「っていうか、何なの、その唄……」
私がげっそりとしているとまいちゃんはニッコリと笑った。
「倉橋ヨエコさんの『人間辞めても』っていう唄。知らない?」
「……知らないし、知るわけがないし」
「えー、この人、南天のど飴の唄も歌ってるのにー」
「詳しく言われようが、知らないってーの」
頭痛がしてきた。
「っていうか、何かいい事でもあったの?」
「それがさぁ、聞いてよ。亜弥ちゃんが成績上げたらしくてさぁ。
お母さんから特別手当もらっちゃった」
「詐欺だ」
「何で?ちゃんとカテキョらしくしてるのに」
まいちゃんは不服そうに呟いた。
それは、亜弥ちゃんが本性を出したからで
中身がよっすぃーのままだったら、直前まで遊び呆けて
本当に短気集中でやってたはずだ。
間違いない。
そう思うと、よっすぃーも不憫だ。
身に覚えがない事で嫌がらせを受けていたのだから。
アホなりに頑張ったんだろうな。
ちょっと、泣ける。
とはいっても、よっすぃー自身も日頃の行いが悪いから
心の底からは同情しないけれど。
- 594 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/25(木) 01:40
- 「コンコン、咳辛い。コンコン、喉痛い。赤い喉には赤が効くー」
まいちゃんはまたラケットを振りながら歌いだした。
口にガムテープでも貼り付けてやろうか、などと思いながら
ベンチで本を読んでいたみうなちゃんに声をかけた。
「何読んでるの?」
「漢字必携二級っていう本」
何だ、それは。
戸惑っている私の顔を見て、みうなちゃんはニコニコと笑った。
「漢字検定の二級が取りたくて」
「へ、へぇ……。勉強熱心だね」
どこかの誰かさん達とは大違いだ。
「試しにやってみます?これとか」
そう言って、みうなちゃんは読みを隠して、ある漢字を指した。
「ひとこといし?」
「これは、いちげんこじ、です」
「…………」
みうなちゃんは私の顔をジッと見ている。
そんな、哀れむような目で見ないで欲しい。
っていうか、一言居士なんて言葉知らないし
まず、日常会話では使わないと思う。
悔しいので、まいちゃんにもやらせる事にした。
- 595 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/25(木) 01:41
- 「まいちゃん、まいちゃん」
みうなちゃんから本を借りて、素振りをしていたまいちゃんの肩を叩いた。
「ほぇ?」
「ちょっと、これの読んでみて」
「んーと、かちょう」
まいちゃんは首を捻りつつもハッキリと大声で答えた。
良かった、私より馬鹿がいた。
さすが裏口入学。
私が指した文字は蚊帳だった。
ベンチでもその恥ずかしい答えが聞えていたみうなちゃんと
私が大笑いしている姿を見て馬鹿にされていると悟ったまいちゃんは
プリプリと怒っていた。
そんな事をしていたら――。
「コニャニャチワ」
「よっ……、じゃないや。亜弥ちゃん?!」
無邪気な笑みを浮かべて登場した亜弥ちゃんを見て私は驚いた。
カテキョの時以外は近づかない方がいいのに
まだ懲りてないのか。
あれほど、まいちゃんと喧嘩していたというのに。
って、あれは本家亜弥ちゃんの方だった。
「何しに来たの?」
まいちゃんの声は何となく素っ気無い。
「ミキティに会いに」
亜弥ちゃんは何も気にせず、ニコニコとしている。
やっぱり中身はよっすぃーだ。
呼び名が違ってて良かった、判りやすい。
- 596 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/25(木) 01:43
- 「そうだ。亜弥ちゃん、これなんて読む?」
散々、自分が馬鹿にされた事にムカついていたまいちゃんは
更なる被害者を見つける事にしたようだ。
ニタニタと笑いながら、みうなちゃんの本を亜弥ちゃんに差し出す。
本を覗き込み、亜弥ちゃんは素の表情で答えた。
「ははや?ははか?」
自分でやらせておいて、まいちゃんは固まってしまっている。
ははや、や、ははか、と読む漢字なんてあっただろうか。
放心状態のまいちゃんから本を奪い、問題の個所はどこだろうか、と
探していたら、隣からみうなちゃんも首を伸ばしてきた。
「どれを読んでそうなるんだろう……」
「多分、母屋、母家、の事じゃないですかね」
「…………」
私とみうなちゃんは顔を見合わせ
そして、二人で亜弥ちゃんに憐れむような目線を送った。
これで本当に成績が上がっていたのだろうか。
家庭教師である、まいちゃんが固まるのも当然だ。
本気で心配になった。
- 597 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/25(木) 01:44
- 半分以上は終わりました。
- 598 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/25(木) 01:45
- >> 586さん
580に一体何が…。
無言の訴えか何かでしょうか…。
>> 587さん
前回通り、しょうもない終わりを迎えると思いますが。
自分も早くマトモな人間になりたいです。
>> 588さん
あまり期待はしない方がいいと思いますが。
とりあえず、有難うございます。
- 599 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/25(木) 01:45
- (♪^▽^)
- 600 名前:名無し娘。 投稿日:2003/12/26(金) 20:53
- 里田さん、ついにタイトルの元ネタをバラすという暴挙に出る。
毎回、唄モノなので、そうなのかなーと勘くぐってたら見事なパス、ありがとうございました。
そして藤本さんの常識もついに壊れ出した今日この頃、実に楽しみです。
つーか、里田さんはこの世界だからこそ、活躍できるのでは(ry
- 601 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/27(土) 15:30
- 「っていうか、そんなのはどうでもいいんだよ。
ミキティ、ちょっとこっち来て」
手招きをしている亜弥ちゃんに近寄ると
まいちゃん達に聞えないように耳打ちしてきた。
「正直すまんかった」
いきなり謝ってきたので驚いて亜弥ちゃんの顔を見ようとしたけれど
直ぐにまた耳を引っ張られた。
「あれから色々と試してみたんだけど、チャオズ交霊会に失敗した」
「交霊って」
亜弥ちゃんの場合はちょっと違うんじゃ……。
眉を寄せている私から離れた亜弥ちゃんはニッコリと笑みを浮かべた。
「それで今日実験しようと思って」
「実験って何?」
「まいちゃんとうちら三人がいないとチャオズは現れないと思うのだ。
だから、それを試そうと思って。で、梨華ちゃんはいないの?」
「今日はバイトだってさ」
本人に聞いたのではなくて、まいちゃんから聞いた話だけど。
「ちっ。相変わらず、使えねーなぁ」
亜弥ちゃんは腕組みをして首を捻った。
いてもいなくても似たような状態だと思うけど。
毎度の事ながら、梨華ちゃんに対するこの扱いの悪さは
自分がこんな身体になってしまった原因を作った彼女への嫌がらせなのだろうか。
- 602 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/27(土) 15:33
- 「人が足りないんだよなぁ。あ、そうだ。そこの人ー」
声をかけられたみうなちゃんはきょとんとして傍に寄って来た。
「何でしょう?」
「あのですね、ちょっと頼みたい事があるのですよ」
「頼むからには、タダじゃないですよね?」
みうなちゃんはニッコリと笑った。
やはり、金に汚いのはまいちゃんだけではなく、そういう家系のようだ。
しかし、亜弥ちゃんは何も気にせず
不敵な笑みを浮かべて鞄の中からCDを取り出した。
「フッフッフ。いざという時の為に用意しておいたのだ。
つまらないものだけど、これで手を打ってくれまいか?」
亜弥ちゃんは『MIKI(1)』というCDをチラチラと見せている。
意味もなく、ムカツク。
「つまらないものですけど了解しました」
みうなちゃんも仕方がないな、と言わんばかりの表情だった。
いつもは無駄に笑顔なのに。
マジで、ムカツク。
「それで、何をしたらいいんでしょう?」
「ちょいと耳を貸して」
亜弥ちゃんはみうなちゃんに何やら耳打ちしている。
私には聞えない。
その代わり、聞えてくるのは――。
「ワンツーパンチでー、捕まえちゃうよー。
恋の恋の恋の恋の、大っ捜査ー」
まいちゃんはまた歌い始めてしまったようだ。
誰か止めようよ……。
- 603 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/27(土) 15:34
- まいちゃんが歌う唄の一番らしきものが終わる頃には
亜弥ちゃん達の話も終わったようだった。
「おし、では、始めましょう」
「え、ちょっと、何を」
結局、私には説明をする気がないらしい。
一体、何を始める気だ。
「いいから、見てなって」
亜弥ちゃんは完璧なウインクを私にした。
そのウインクが何故だか、不安を誘う。
スキップをしながら、まいちゃんに近寄っていく亜弥ちゃんの背中に
黒い羽根が見えたような気がした。
「まいちゃんー」
「何?」
「ミキティの事好き?」
「うん。好きだけど。それがどうしたの?」
まいちゃんは当たり前のように答えていた。
もちろん、恋愛感情ではなく、友達として、というニュアンスが含まれている。
私は胸を撫で下ろした。
亜弥ちゃんもふむふむ、と頷いていた。
「じゃあ、ミキティ、携帯貸して」
「はぁ?何でよ」
ニコニコと愛想笑いをしている亜弥ちゃんに向かって
私は眉を寄せて見せた。
「いいからいいから」
亜弥ちゃんはどこまでもマイペースだ。
仕方なく、私は携帯を渡した。
- 604 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/27(土) 15:35
- 「さー、これからツーショット写真を撮ってみましょう」
そう言って亜弥ちゃんは携帯をまいちゃんに向けた。
「ほら、ミキティも早く」
「いや、早くって言われても」
っていうか、なんで私の携帯で撮る必要があるのだろう。
「そういや、写真って撮った事ないね」
戸惑っている私の肩にまいちゃんが腕を回す。
その顔はとても楽しそうだ。
「みうなも入りなよ」
「それじゃ、ツーショットになんないじゃん」
「そうそう。もっと仲良くひっついて」
亜弥ちゃんが突っ込み、みうなちゃんも煽る。
一体、何をやろうとしているのか。
何となく、嫌な予感がする。
「おぉー、まいちゃん、その顔可愛い」
「もっと顔近づけた方がいい写真になりそう」
二人に煽てられたまいちゃんは調子の乗って
頬をぴったりと私に寄せた。
そして、笑顔でVサイン。
それに対して私はぎこちない笑み。
しかし、いつまで経ってもシャッター音やOKの掛け声が聞えてこない。
まいちゃんもおかしいと思ったのか、素の表情に戻っていた。
「ちょっとー、白けるじゃん。早くやってよー」
まいちゃんが文句を言うと亜弥ちゃんは携帯を持っていた手をダラリと下ろした。
またしても俯いている。
- 605 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/27(土) 15:38
- 「もしかして……」
私が躊躇しているというのに、まいちゃんは気付かず、
「亜弥ちゃん、何やってんの?早くツーショット撮ってってば」
「……誰が撮るもんか」
「はぁ?」
「なんで、私が撮らなくちゃいけないの!」
亜弥ちゃんはそう叫ぶなり、手にしていた携帯を投げつけてきた。
「ぎゃぁっ!」
見事にそれは私の額に命中して、いい音をさせて地面に転がった。
額を押さえて、その場に崩れ落ちる。
折角、この前のたんこぶがやっと治ったところだったのに……。
しかも、前回のテニスボールよりも固い……。
固く閉じていた瞼を開けると真っ二つに割れた携帯が涙で歪んで見えた。
「あー!」
ボロボロになった携帯を手にして私はうな垂れた。
真っ黒になったディスプレイは、どのボタンを押してもうんともすんとも言わない。
完璧に壊れている。
もっと涙が出そうだ。
亜弥ちゃん、もとい、よっすぃーが自分の携帯を使わなかったのは
こうなることが判っていたからだ、という事に気づいたのは、涙が引いてからだった。
なんて、卑怯な。
顔色を無くした私が顔を上げると亜弥ちゃんとまいちゃんが大喧嘩していた。
今にも殴り合いを始めそうな勢いだ。
- 606 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/27(土) 15:40
- 「叩き潰してやるから!」
「望むところだよ!」
それぞれが叫び、二人はコートの中に入っていった。
手にはいつの間にかラケット。
亜弥ちゃんは私のラケットを奪っている。
何やら燃えている二人はどういういきさつからか、テニスで勝負する事になったようだ。
確認するまでもなく、亜弥ちゃんの中身は亜弥ちゃん本人に変わっている。
無事、交霊出来たようだ。
っていうか、この人達は学習しないのか。
怒りで私の事などスッカリ忘れている亜弥ちゃんは
また懲りずにオーバーサーブをしようとしていた。
上手くないのだから諦めたらいいのに、と思っていたら
目が覚めるようなサーブを打ち込んだ。
一応、経験者なのだから、それくらいは出来るのかもしれないけれど
今は実力以上のものが出せる状態らしい。
本気で怒らせると怖い人間だ。
さすがに、まいちゃんも驚いていた。
しかし、それは一瞬で目をキラキラと輝かせてニヤリと笑った。
いい相手を見つけたと思っているのだろう。
二人はしばらくラリーを続けていた。
コートの外で私が放心状態で座り込んでいると、傍にみうなちゃんがやって来た。
手にはどこから見つけてきたのか、また湿布。
みうなちゃんは私の顔を見るといつもの笑みになった。
ちょっとは驚けばいいのに。
この子も普通じゃない。
- 607 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/27(土) 15:42
- 「あの二人……。なんで、テニスやってんの……」
「あの人達の考えてる事はよく判りません」
「美貴はみうなちゃんもよく判らないよ……」
「それはよく言われます」
「…………」
「でも、あの人、二重人格みたいな人ですね」
みうなちゃんは亜弥ちゃんに視線を送って呟いた。
あながち、間違いではないな、と思った。
「それより、いつまでやってるつもりなんだろ……」
二人は奇声を上げながら打ち合いをしていた。
私の額に湿布を貼り付けていたみうなちゃんは「あぁ、そうだ」と
何かを思い出したように呟き、立ち上がった。
「まいちゃん。今日、近くでケーキバイキングやってるらしいよ」
みうなちゃんの呑気な声を聞いて
弾丸サーブで亜弥ちゃんを叩き潰そうとしていたまいちゃんは動きを止めた。
「マジで?ショートケーキ食える?」
「アップルパイもあったらいいね」
「じゃあ、行くー」
亜弥ちゃんの存在など忘れてしまったかのように
まいちゃんはその場を離れ、自分の荷物を手に取って外に出て行った。
みうなちゃんも私に手を振ってその後に続いた。
取り残された私は呆然として、亜弥ちゃんは地団太を踏んでいた。
- 608 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/27(土) 15:45
- 「大体さ〜、美貴たんは怖い顔してるくせに誰とでも仲良くしすぎ!」
「はぁ……」
「誰だって勘違いするよ!もう!」
「はぁ……」
「話聞いてんの!?」
気の抜けた返事ばかりしていた私に亜弥ちゃんは更に怒り出した。
里田一族という名の嵐が過ぎ去った後、私達はコートに残り
ベンチに座って話し合いをしていた。
といっても、一方的に亜弥ちゃんが怒っているだけだけど。
「何度も言うけど、まいちゃんはただの先輩であって……」
私は額の湿布を撫でながら、困り果てて言い訳していた。
しかし、亜弥ちゃんは納得してくれない。
「あの人って、本当に先輩なわけ?OBとかじゃないの?」
その言葉は一体何を意味しているのだろう……。
あえて、尋ねるのは止めておいた。
「まいちゃんと美貴は別に仲良しってわけでもないし……」
「なら、なんで、仲良さそうにツーショット写真撮ろうとしてたわけ?」
「いや、だからね……」
言い出しっぺは貴方です、とも言えず、私は黙り込んだ。
というか、少しは亜弥ちゃんも謝るべきだと思う。
私の携帯を破壊した事など全く反省してない。
弁償という言葉すら亜弥ちゃんの口からは出そうにもない。
こうなったら、後でよっすぃーの時に請求してやる。
とりあえず、今は亜弥ちゃんの怒りをどうにかする事だけ考えよう。
「それよりさ!折角、二人っきりになったんだし!」
「だし?」
「だし……」
私の声は小さくなっていった。
その後が思いつかない。
二人っきりでする事と言えば何だろう。
- 609 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/27(土) 15:46
- 私がうんうんと悩んでいると、亜弥ちゃんは機嫌を直して腕を組んで
ぴったりと身体を寄せてきた。
「そうだよね〜。邪魔者はいなくなったんだし」
「そ、そうだね」
頷きながら私はようやくよっすぃーがみうなちゃんに頼んだ事を理解した。
きっと、まいちゃんを引き離すように頼んでいたのだ。
なんだ、結構気が利くじゃないか。
よく考えてみたら今の亜弥ちゃんは普通の状態。
いや、ちょっと嫉妬に狂うところもあるけれど、それもまた可愛いと思えばいい。
そう、思えば、思えば……いや、何が何でもそう思おう……。
でも、今は事故に遭う前、つまり普通の人として接する事が出来るのだ。
そして、周りには邪魔者がいない。
妙に胸がドキドキしてきた。
これはずっと願っていた事。
夢が現実になったのだ。
中身がよっすぃーの時、目の前にいる人が、元の亜弥ちゃんに
戻ってくれたらどれほど幸せだろう、と何度も願ったくらいなのだから。
別によっすぃーを邪魔者扱いしているわけではないけれど。
決してそんな事はないけど。
本人に向かって、お星様になって、とか言った事もあるけど
心から言うわけないし。
いや、マジで。
って、なんで私は自分に言い訳しているのだろう……。
- 610 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/27(土) 15:47
- 視線をキョロキョロと動かしたり、冷や汗をかいたり
すっかり挙動不審になってしまっている私の身体を
亜弥ちゃんが横から抱き締めてきた。
この感触も懐かしく思える。
中身がよっすぃーの時にこんな事をしていたら
気持ち悪くてお互いに嘔吐してしまうだろう。
首元に回された腕に自分の手を添えて、亜弥ちゃんの顔を見てみると
幸せそうにニッコリと笑ってこう言った。
「そっと口づけて、ギュッと抱きしめて」
また、そんな力加減の難しい事を要求する……。
でも、幸せだ。
ここしばらく、こんな幸せなんか感じた事がないのだから。
私は要求された通り、亜弥ちゃんの身体を優しく包んだ。
触れているところだけが暖かい。
そして、私は瞼を閉じて顔を近づけた。
あと、もうちょっと――。
と、思っていたら予想外な事が起きた。
亜弥ちゃんは奇声を上げて私の額を張り飛ばした。
堪らず、私は大声で悲鳴を上げながら、ベンチから転がり落ち
したたかにお尻をぶつけて顔をしかめた。
よりにもよって、たんこぶが出来たところを思いきり、張り飛ばすなんて。
っていうか、自分から誘っておいて拒否だなんて。
有り得ない……。
- 611 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/27(土) 15:48
- 亜弥ちゃんを見てみると自分の身体を抱き締めて顔を強張らせていた。
まるで強姦されたような顔だ。
泣きたいのは、こっちだ。
「……酷いよ、亜弥ちゃん」
痛さとショックで半泣きになりながら私が恨めしそうに呟くと
亜弥ちゃんは眉間にしわを寄せて呟いた。
「アホかー!いてもうたろか!このボケェ!」
「……どっかで聞いたね、それ」
呟いてみて、気付いた。
よっすぃーがクラスメートに使っているという胡散臭い関西弁だ。
こういう時に使われる言葉だったのか。
という事は――。
「……よっすぃー?」
「いかにも」
亜弥ちゃんは真面目ったらしい顔をしてコクリと頷いた。
なんていうタイミングで元に戻ってくれるんだ……。
これは狙っていたとしか思えない。
最低最悪の嫌がらせだ。
きっと、額に狙いを定めたのも偶然じゃない。
よっすぃーなら、やりかねない。
憮然としている私の顔を見ても亜弥ちゃん、ではなく、よっすぃーは
気味悪そうに自分の腕を撫でていた。
- 612 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/27(土) 15:49
- 「あのさぁ。別にチャオズとチューするのはいいけど
もっとタイミングっつーもんを考えてくれます?鳥肌立っちゃったよ」
「それはこっちの台詞」
私がツッコミを入れても、よっすぃーは聞いていない。
ホッと胸を撫で下ろしている。
「でも、あー、危なかった。ミキティにファーストキス奪われるとこだったー」
自分の口をグイグイと拭っているよっすぃー見て何を今更、と思った。
「いや、もう亜弥ちゃんとはしてるんですけど」
「マジでか!いつの間にそんな事する時間が!」
そういえば、よっすぃーは何も知らないんだった。
わざわざ話すような事でもないし。
私の気持ちが無事亜弥ちゃんに伝わった事すら知らないのかもしれない。
っていうか、よっすぃーはまだだったんだ。
何だか勝者になったような気分。
私が俯いてずっと、ほくそ笑んでいるというのに反応が返ってこない。
気になって顔を上げると、よっすぃーは頭を押さえて眉を寄せていた。
ついさっきまでテンション高かったというのに。
「どうしたの?」
「なんか、頭痛い……」
「頭が悪い?」
「ふざけんな……」
素で聞き間違えたのだけど、本気でよっすぃーは調子が悪そうだった。
- 613 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/27(土) 15:53
- 「とりあえず、帰ろっか」
私が立ち上がると、それに倣ってよっすぃーも立ち上がろうとしたけれど
足元がふらついていて、また腰を下ろしてしまった。
「ちょっと、マジで大丈夫なの?」
「んー、多分、大丈夫きっと大丈夫」
頭を押さえたまま、よっすぃーが立ち上がろうとすると顔を寄せていた私の
額とその頭が勢いよく、ぶつかった。
「おぉ、スマンスマン」
「……っ……この石頭っ」
よっすぃーは外的な頭の痛みはないらしく
私の方があまりの痛みで気を失いそうになったけれど
痛む額を押さえながら現状を真面目に考えてみた。
もしかして、人格の入れ替え現象はよっすぃーの身体や脳に
何らかの負担をかけているのかもしれない。
何だか、悪い事をしたような気分だ。
額は痛いけれど。
とてつもなく痛いけれど。
一応、私の為に行動してくれていたのだし。
結局、その日は大人しく二人で家に帰る事にした。
- 614 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/27(土) 15:54
- あと、一、二回で終わらせます。
- 615 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/27(土) 15:54
- >> 600さん
見事なパスというかシュートというか、暴挙て(笑
個人的に元ネタを知っている600さんに感動しました。
PV素晴らしいです。
- 616 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/27(土) 15:54
- (♪^▽^)
- 617 名前:名無し娘。 投稿日:2003/12/28(日) 00:22
- あやまい……新機軸だ……ありだな。
やっぱり作者さんは天才です。
それよりも今更ながらありえないほどの藤本さんのダサさに気付いた。
この世界では藤本さんのダサさが目立たないのが恐ろしい。
毎回、里田さん絶賛レスですいません……。
- 618 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/30(火) 02:07
- その後もよっすぃーは懲りずにわざわざ、まいちゃんと私を引き合わせ
その度に亜弥ちゃんの人格が舞い戻ってきていた。
正直、嬉しかったけれど心配でもあった。
何故なら、元に戻ったよっすぃーが毎回、頭痛を訴えていたからだ。
それに、まだ問題がある。
だからこそ、私は行動に出る事にした。
「まいちゃん!今日こそ言わせてもらうよ!」
コートの外でブンブンとラケットを振り回しているまいちゃんに向かって
私は意気込んで叫んだ。
「約束してたー、映画の公開日ー。
彼女を連れて、見に行くのでしょうー。くだらぬ、映画よ、きっとー」
「……あ、あの、まいちゃん?」
私の声など全く聞いていない。
まいちゃんは声も高々に歌い続けている。
「嫌な女になってくー。悲しいくらいに。
もしも、話せたらー、うまく伝えられるー。愛してるのよー、こんなにー」
「……本当に嫌な女だね、それ」
何も考えずに素直な感想を口にすると、まいちゃんはクルリと振り向き
ラケットを私の顔の目の前に突き出してきた。
「ところが!ちょっぴり切ない、失恋後も片想いしている女の子の唄って
誰かが言ってたよ」
「ただのストーカーソングじゃないの?」
「でも、この唄聴いて泣いてた人もいるよ」
誰だ、そんな素っ頓狂な事を言うアホは、などと思っていると
まいちゃんは続けて呟いていた。
「まぁ、あさみちゃんなんだけど」
「…………」
そういえば、今日もあさみちゃんの姿は見えない。
ボランティアの活動が忙しくなったのだろうか。
- 619 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/30(火) 02:08
- 「あさみちゃんって、今何してるの?」
「近々、老人ホームに行くらしくて、老人になりきる為に
おじいちゃん家に戻って練習してるらしいよ」
「なんで、老人になりきる必要があるの……」
「その方が上手くいくんだってさ」
そう言いながらも、まいちゃんは不思議そうに首を傾げていた。
「それで、今日こそ言わせてもらう事って何?」
まいちゃんはラケットで肩を叩きながら呟いた。
「聞いてたんなら、ちゃんと反応してよ……」
「だって、途中で唄を止めるの嫌なんだもん」
私の問い掛けをあえて無視してたのか。
なんて、我侭な。
頭の中がグラグラと煮立っていたけれど、何とか抑えて
私は顔を強張らせながらも無理やり笑みを作った。
「美貴、今日限り、もうここには来ないから」
「エエェェェエエー」
まいちゃんは思いきり不満そうな顔になった。
「えー、とか言っても決めたから」
「ちょっと、ちょっとー、何が不満なのー?」
全てが、と言おうとして私は何とかその言葉を飲み込んだ。
「ここに来るとろくな目に遭わないし、お金なくなってくし」
「意味が判んないなぁ。
それに、お金なんて一度だけでしょ?しかも、ラケットに変わったんだしさぁ」
納得が出来ないと言わんばかりに、まいちゃんは溜息をついた。
納得が出来ないのも、溜息をつきたいのも、こっちの方だ。
- 620 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/30(火) 02:10
- 私が今一番頭を痛めているのはお金の事だった。
あれから直ぐに携帯も新しく買い直したのだけど全部自己負担。
私に過失なんてないのに。
一応、よっすぃーの時に請求してみたのだけど。
「携帯代返して」
「なんで、ワタクシが?」
「何言ってんの。壊したの亜弥ちゃんじゃん」
「そう。ワタクシじゃなくて、加害者はチャオズ」
「……汚」
という、全く意味のない会話しか出来なかった。
結局、残った選択肢は哀しいかな、泣き寝入りという選択肢一つだけ。
亜弥ちゃん本人に言えるわけがないし。
今月はバイトのシフトを変えてもらう事にした。
もっともっと働かなくては家賃すら払えなくなってしまう。
なんたって、冷蔵庫の借金があるのだし。
よく考えてみたら、ここ数ヶ月でかなりの金を失っていっているような気がする。
冷蔵庫は諦めていたけれど、ここまで出費が重なるとちょっとやるせない。
嘆かわしい。
私が得た物なんて何もないのに。
というわけで、亜弥ちゃんと離れられるわけがないので
せめて、目の前にいる悪の根源からは身を引こうと思ったわけだ。
「うわ。また来た」
私の話などもう忘れてしまったかのように
まいちゃんはラケットで自分の顔を隠した。
そんなもので、隠しても意味がないだろうに。
誰が来たのだろう、と思いながら振り返ってみて、私も顔色を変えた。
「コニャニャチワー」
素敵な笑みを浮かべて亜弥ちゃんがやって来た。
今日は学校帰りなのか、制服姿だった。
- 621 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/30(火) 02:11
- 「亜弥ちゃん、何しに来たの?こんなとこで油売ってたらダメでしょ」
珍しく、まいちゃんが真剣に叱っている。
あれから、何度も喧嘩を繰り返しているので少しは学習したらしい。
しかし、もう一人はそうでもなかった。
「何が?」
「またテストがあるんでしょ。宿題に出した問題集やってんの?」
「大丈夫大丈夫」
どこからそんな自信が湧いてくるのか、亜弥ちゃんは満面の笑みを浮かべて
笑い飛ばしている。
散々、亜弥ちゃんと喧嘩しているというのに
まいちゃんは家庭教師を辞める気がないらしい。
しかも、亜弥ちゃんの返事を聞いて「まぁ、いいや」と落ち着いてしまった。
亜弥ちゃんの事を嫌っているのか、それとも案外好きなのか、よく判らない人だ。
私は亜弥ちゃんに向かって手招きをしてまいちゃんから離れた。
「あのさ、もう無理しなくていいよ」
私が真剣な顔をして呟くと亜弥ちゃんは首を傾げた。
「やっぱ、二人で一つの身体を使うのは無理があるんだよ。
もし、ポックリ逝っちゃったら、どうすんの?」
「そういや、おでこ大丈夫?」
何故だか判らないけれど、亜弥ちゃんは急に話を変えてきた。
別に亜弥ちゃんにとって都合が悪い事なんて口にしていないのに。
「見たら判ると思うけど、もう治ったよ」
「でも、広いよね。面積が広いから怪我しやすいんじゃないの?」
私は思いきり、頬を膨らませた。
一体、誰の所為で怪我をしたと思っているのだろう。
- 622 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/30(火) 02:12
- 「……そんな事はどうでもいいんだよ」
「あのですね、ワタクシは恩返しがしたいわけですよ」
「はぁ?」
私がブルーになっていると亜弥ちゃんは頬を掻きながらポツリと呟いた。
「だって、明らかにチャオズとミキティにとって邪魔なのはワタクシでしょう?
でも、脳味噌を取り替えるわけにもいかんからなぁ」
「何、珍しくマジになってんの?」
ちょっと驚いて私が尋ねても亜弥ちゃんは表情を変えなかった。
滅多に見れない真面目な顔。
「ずっと考えてた事なんだな。
吉澤ひとみという人間はもうこの世にはいないはずなわけだし。
それなのに、チャオズの身体を乗っ取るような状態になっちゃってさ。
母上様達にも悪いと思ってるんだよ、これでも」
「いや、でもさぁ……」
何と言っていいのか判らず、私は口をつぐんだ。
亜弥ちゃん……じゃなくて、よっすぃーがそこまで真剣に自分の事を
考えているだなんて、私は予想すらした事がなかった。
確かに、亜弥ちゃんの家族からしたら他人がいるような状態なのかもしれないけれど
どうしようもないじゃないか。
よっすぃー本人にとっても、亜弥ちゃん本人にとっても
どうしようもない事なのだから。
「……そんなの気にしなくていいんだよ」
やっとの思いで呟いた言葉は風に流されていったけれど
亜弥ちゃんはうっすら笑っていた。
と思ったら、突然、俯いて頭を抱え始めた。
- 623 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/30(火) 02:14
- 「よっすぃー?ちょっと大丈夫?」
「…………」
「ちょ、マジで大丈夫なの?」
「……美貴たんは……誰が一番大切なの……」
「え……」
苦しそうに呟いた亜弥ちゃんの声を耳にして私は狼狽していた。
今日はまだ何も起きていないのに。
まいちゃんは離れた場所にいるのに。
亜弥ちゃん本人の意識が、まさか――。
「ミキティ……、このまま、ずっと意識を譲る事は出来ると……思う?」
またしても苦しそうな呟き。
今度はよっすぃーだ。
二人の意識が交差している。
亜弥ちゃんの身体は小刻みに震えていて
今にも崩れ落ちそうになっていた。
その後はどちらの声も聞えてこず
私の口からも何の言葉も発せられなくなってしまい
亜弥ちゃんの震える背中を呆然と見下ろしていた。
「ちょっと、美貴ちゃん。何があったの?!」
私達の様子がおかしいと気付いたまいちゃんが慌てて傍に駆け寄って来た。
「わ、判んない。突然、苦しみだして……」
「そういや、前に手術してたって言ってたね」
「……言っておくけど痔じゃないからね」
先回りして私が言うと、まいちゃんはムッと頬を膨らませた。
「冗談言ってる場合じゃないでしょ!救急車呼ぼう!」
「…………」
いつも痔だ、痔だ、と騒いでいる人はどこのどいつだ。
- 624 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/30(火) 02:15
- 倒れこみそうになっている亜弥ちゃんを支えながら
私は同じように震えそうになっていた。
自分が情けない。
こんな時に落ち着けないなんて。
逆に携帯を耳にあてているまいちゃんの背中が少し頼もしく見えた。
「え?警察?あれ?なんで?救急車の番号って110じゃないの?」
心の中で、頼もしいという言葉は速攻で撤回させてもらった。
- 625 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/30(火) 02:16
- 救急車が着くと私はずっと頭を抱えて苦しんでいる亜弥ちゃんと共に乗り込んだ。
まいちゃんは、というと、急に腹痛を訴え、後から追いかけるから、と言うなり
姿を消してしまった。
やっぱり、この人は頼りにならない。
そして、私はまたしても大事な事を忘れていた。
この街には病院が一軒しかないという事を。
病院に着いて救急車のドアが開くと前回同様に
お医者さん(ヤブ)が待ち構えていて
亜弥ちゃんの顔を見るなり、ポカンと口を開けた。
「な!何故だ!」
これも前回通りの言葉のような気がする。
「あの、突然、頭痛を訴えて……」
「間違いなく、手術は成功したはずなのに!」
「そんなのはいいから、早く診て下さいよ」
「と、とりあえず、診断室へ」
沈んだトーンでお医者さん(ヤブ)は呟き、肩を落として姿を消すと
それに続いて亜弥ちゃんも車輪付きの搬送用ベットで運ばれていった。
私は不安な気持ちを抱いたまま、診断室のドアを見つめる事しか出来なかった。
大丈夫なのだろうか。
本当にこのまま、ポックリ逝ってしまったら、どうしよう。
そうでなくても、よっすぃーが最後に呟いた言葉通りに
自分の意識を譲って元の亜弥ちゃんになってしまうかもしれない。
そんな事を思っている自分自身に私は驚いた。
ずっと、よっすぃーの事をないがしろにしていた自分が
今になって本気で心配しているだなんて。
ずっと、元の亜弥ちゃんに戻ってくれる事を願っていたくせに。
自分の気持ちがよく判らない。
- 626 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/30(火) 02:18
- とりあえず、今はあのお医者さん(ヤブ)の腕を信じるしかない。
信じられないけれど。
信じたくないけれど。
今はしょうがない。
藁にもすがる思いとはこういう事を言うのだろう。
「藤本さん、ちょっと来てください」
診断室の傍の廊下でぼんやりしているとお医者さん(ヤブ)に呼ばれた。
亜弥ちゃんがこの部屋に入ってまだそんなに時間が経っていないのに
本当にちゃんと診てくれているのだろうか。
中に入ってみると亜弥ちゃんは診察台の上で眠っていた。
「亜弥ちゃん、大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。今はちょっと眠ってもらってますから」
眠るって永遠に眠らせないだろうな。
疑いの眼差しを送ってみても、お医者さん(ヤブ)は気付いてくれない。
とりあえず、今直ぐに死ぬわけでもなさそうなので
規則正しい呼吸をしている亜弥ちゃんの顔を見ながら私はホッと胸を撫で下ろした。
「そういえば、先生って何の担当なんですか?」
外科のような、脳外科のような。
この人、一体何専門の医者なんだろう。
「そうですねぇ。私は天才ですから」
お医者さん(ヤブ)は胸を張って答えた。
自分で天才って言う人を初めて見た。
- 627 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/30(火) 02:19
- 「えーと、判りやすく私の専門を言うとですね。
内科、神経内科、循環器科、小児科、外科(略」
「……そんなの、有り得ないから」
「また、略された!」
お医者さん(ヤブ)は少しショックを受けていたけれど
もう慣れてしまったのか、直ぐに気を取り直してコホンとわざとらしい咳をした。
「あれですよ。ドラえもんで言うところの、どらやき。
パーマンでは、コピーロボット。アラレちゃんなら、太陽みたいなものです」
「はぁ?」
この人、最初からおかしい人だと思ってはいたけれど
しばらく会わないうちに、更に頭がおかしくなったのだろうか。
「判りませんかねぇ。あずまんが大王で言うところの、ちよ父ですよ。
私が一番、納得出来なかったのは、モー娘。verですね。
青い十人のシルエットで『オールマイティ・モーニング娘。』って
何だそりゃって感じですよ」
お医者さん(ヤブ)は何故だか、不機嫌になっている。
というか、これは……。
「あの、それ、まさか……ドンジャラの話ですか?」
「やっと判ってくれましたか!私はドンジャラで言うところの
オールマイティ的存在だと言いたかったわけです!」
お医者さん(ヤブ)は満足そうにしていた。
私にとってはどうでもいい事だったけれど。
この人が更に胡散臭く見えるようになっただけだ。
- 628 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/30(火) 02:20
- 「それにしても、一体何があったのですか?」
「それが、どうも……一つの身体に亜弥ちゃんとよっすぃーの意識二つが
同化してる状態になってるんですけど」
詳しい症状を付け加えて説明するとお医者さん(ヤブ)は驚いて目をむいた。
「そんな馬鹿な」
「いやいや、本当に」
どうして、私が冗談や嘘を言わなくてはいけないのだ。
私が睨みつけているとお医者さん(ヤブ)は頬をピクピクとひきつらせた。
しばらく、睨み合いが続くとお医者さん(ヤブ)は大きな溜息をついた。
溜息をつきたいのはこっちだ。
「調べてみない事には判りませんねぇ」
顎に手をやりながら、お医者さん(ヤブ)の目がキラキラと輝き始めた。
また、よからぬ事を考えているらしい。
「いや、そういうのはいいですから」
「しょぼーん」
「……で、死んだりしないですよね?」
「まぁ、大丈夫でしょう。身体が拒否反応を起しているだけであって
それは寝たら治ります」
あっけらかんとした口調でお医者さん(ヤブ)は言ってくれるけれど
物凄く不安だ。
そんな会話をしていたら、廊下の方から慌しい足音が聞えて
診断室のドアが乱暴に大きな音を立てて開かれた。
- 629 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/30(火) 02:21
- 「美貴ちゃん、どうなった?」
まいちゃんだった。
急いで来たのか、髪が乱れている。
まいちゃんなりに、亜弥ちゃんが心配だったのだろう。
そう思ったら、普段の行いはこの際、目を瞑って少し感動した。
しかし――。
「あれ?」
「あれ?」
まいちゃんとお医者さん(ヤブ)は目を合わせて驚いている。
そして、信じられない言葉をそれぞれが呟いた。
「まいの友達だったのか!」
「お父さんが担当だったんだ!」
ちょっと待って。
今、何って言った……。
「あの……、この人って、まいちゃんのお父さんなの?」
私が震える声で尋ねるとまいちゃんは笑い始めた。
「何言ってんの。ここの病院名知らないわけじゃないでしょ?」
「……そんなもん、一度も気にして見た事ない」
放心状態で呟くと、お医者さん(ヤブ)が怒り始めた。
「君は由緒正しき里田病院の名も知らずに今までここに来ていたのか!」
……知りたくなかったかも。
- 630 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/30(火) 02:22
- お医者さん(ヤブ)はまだ何か文句を言っていたけれど
私は放心状態だった。
そして、亜弥ちゃんに言われた言葉が頭の中でグルグルと回っていた。
「……美貴たんは……誰が一番大切なの……」
「ミキティ……、このまま、ずっと意識を譲る事は出来ると……思う?」
目を覚ました時にはどちらの亜弥ちゃんが私に声をかけてくるのだろう……。
そして、私は何て答えよう……。
- 631 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/30(火) 02:23
- 終わり。
- 632 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/30(火) 02:24
- >> 600さん
ここの藤本さん、最初からかなりダサかったと思いますけど。
里田さんを気に入ってもらえて嬉しかったです。
本当にこんなオチでゴメンナサイ。
- 633 名前:人間辞めても 投稿日:2003/12/30(火) 02:25
-
ばきっ ♪ ♪
ノノノハヽ Σ〃ノハヾヽ なんで?
川VvV)≡○))^▽^)・∵:∴…
/○ ノ ⊂ ⊂)
- 634 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/30(火) 16:48
- エエェェェエエー
と義務感にかられて言ってみるテスト。
いやー最後の最後にこんな空前絶後の、大・どん・でん・返し!!
が待っているとは思いませんでした。
でも、あの例えはいくらなんでも遠過ぎだと思いました。
でも最後にやっぱり一言。
エエェェェエエー
- 635 名前:名無しさん 投稿日:2003/12/31(水) 12:24
- お医者さん(ヤブ)にそんな秘密が!
にしても、どうなってしまうのだろう・・・
- 636 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/09(金) 00:16
- イイ!
- 637 名前:名無しさん 投稿日:2004/02/01(日) 00:39
- 次回作にも期待大ですね。
……プレッシャー?
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